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| 歴史好きは必ず読む 三国志 完全版 |
| 吉川英治 |
| (2014) |
|
序
三国志は、いう迄もなく、今から約千八百年前の古典であるが、三国志の中に活躍している登場人物は、現在でも中国大陸の至る所にそのまま居るような気がする。――中国大陸へ行って、そこの雑多な庶民や要人などに接し、特に親しんでみると、三国志の中に出て来る人物の誰かしらときっと似ている。或は、共通したものを感じる場合が屢ゝある。
だから、現代の中国大陸には、三国志時代の治乱興亡がそのままあるし、作中の人物も、文化や姿こそ変わっているが、猶、今日にも生きているといっても過言でない。
×
三国志には、詩がある。
単に尨大な治乱興亡を記述した戦記軍談の類でない所に、東洋人の血を大きく搏つ一種の諧調と音楽と色彩とがある。
三国志から詩を除いてしまったら、世界的といわれる大構想の価値もよほど無味乾燥なものになろう。
故に、三国志は、強いて簡略にしたり抄訳したものでは、大事な詩味も逸してしまうし、もっと重要な人の胸底を搏つものを失くしてしまう惧れがある。
で私は、簡訳や抄略を敢てせずに、長篇執筆に適当な新聞小説にこれを試みた。そして劉玄徳とか、曹操とか関羽、張飛その他、主要人物などには、自分の解釈や創意をも加えて書いた。随所、原本にない辞句、会話なども、わたくしの点描である。
×
いう迄もなく三国志は、中国の歴史に取材しているが、正史ではない。けれど史中の人物を巧妙自在に拉して活躍させ、後漢の第十二代霊帝の代(わが朝の成務天皇の御世、西暦百六十八年頃)から、武帝が呉を亡ぼす太康元年までの凡そ百十二年間の長期に亙る治乱が書いてある。構想の雄大と、舞台の地域の広さは、世界の古典小説中でも比類ないものといわれている。登場人物なども、審らかに数えたなら何千何万人にものぼるであろう。しかも、是に加うるに中国一流の華麗豪壮な調と、哀婉切々の情、悲歌慷慨の辞句と、誇張幽幻な趣と、拍案三嘆の熱とを以て縷述されてあるので、読む者をして百年の地上に明滅する種々雑多な人間の浮沈と文化の興亡とを、一巻に偲ばせて、転探思の感慨に耽らしめる魅力がある。
×
見方に依れば三国志は、一つの民俗小説ともいえる。三国志の中に見られる人間の愛慾、道徳、宗教、その生活、又、主題たる戦争行為だとか群雄割拠の状などは、宛ら彩られた彼の民俗絵巻でもあり、その生生動流する相は、天地間を舞台として、壮大なる音楽に伴って演技された人類の大演劇とも観られるのである。
×
現在の地名と、原本の誌す地名とは、当然時代に依る異いがあるので、分っている地方は下に註を加えておいた。分らない旧名もかなりある。又、登場人物の爵位官職など、ほぼ文字で推察のつきそうなのはその儘用いた。余りに現代語化しすぎると、その文字の持っている特有な色彩や感覚を失ってしまうからである。
×
原本には『通俗三国志』『三国志演義』その他数種あるが、私はそのいずれの直訳にも依らないで、随時、長所を択って、わたくし流に書いた。これを書きながら思い出されるのは、少年の頃、久保天髄氏の演義三国志を熱読して、三更四更まで燈下にしがみついていては、父に寝ろ寝ろといって叱られたことである。本来、三国志の真味を酌むにはこの原書を読むに如くはないのであるが、今日の読者にその難渋は耐え得ぬことだし、又、一般の求める目的も意義も、大いに異うはずなので、敢ての書肆の希望にまかせて再訂上梓することにした。
著 者
黄巾賊
一
後漢の建寧元年のころ。
今から約千七百八十年ほど前のことである。
一人の旅人があった。
腰に、一剣を佩いているほか、身なりはいたって見すぼらしいが、眉は秀で、唇は紅く、とりわけ聡明そうな眸や、豊かな頰をしていて、つねにどこかに微笑をふくみ、総じて賤しげな容子がなかった。
年のころは二十四、五。
草むらの中に、ぽつねんと坐って、膝をかかえ込んでいた。
悠久と水は行く――
微風は爽やかに鬢をなでる。
涼秋の八月だ。
そしてそこは、黄河の畔の――黄土層の低い断り岸であった。
「おーい」
だれか河でよんだ。
「――そこの若い者ウ。なにを見ているんだい。いくら待っていても、そこは渡舟の着く所じゃないぞ」小さな漁船から漁夫が言うのだった。
青年は、笑くぼを送って、
「ありがとう」と、少し頭を下げた。
漁船は、下流へ流れ去った。けれど青年は、同じ所に、同じ姿をしていた。膝をかかえて坐ったまま遠心的な眼をうごかさなかった。
「おい、おい、旅の者」
こんどは、後ろを通った人間が呼びかけた。近村の百姓であろう。ひとりは鶏の足をつかんで提げ、ひとりは農具を担いでいた。
「――そんな所で、今朝からなにを待っているんだね。このごろは、黄巾賊とかいう悪徒が立ち廻るからな。役人衆に怪しまれるぞよ」
青年は、振りかえって、
「はい、どうも」
おとなしい会釈をかえした。
けれどなお、腰を上げようとはしなかった。
そして、幾千万年も、こうして流れているのかと思われる黄河の水を、飽かずに眺めていた。
(――どうしてこの河の水は、こんなに黄色いのか?)
汀の水を、仔細に見ると、それは水そのものが黄色いのではなく、砥石を粉に砕いたような黄色い沙の微粒が、水に混じっていちめんに躍っているため、濁って見えるのであった。
「ああ......、この土も」
青年は、大地の土を、一つかみ掌に掬った。そして眼を――はるか西北の空へじっと放った。
支那の大地を作ったのも、黄河の水を黄色くしたのも、みなこの沙の微粒である。そしてこの沙は中央亜細亜の沙漠から吹いて来た物である。まだ人類の生活も始まらなかった何万年も前の大昔から――不断に吹き送られて、積もり積もった大地である。この広い黄土と黄河の流れであった。
「わたしの御先祖も、この河を下って......」
彼は、自分の体に今、脈搏っている血液がどこから来たか、その遠い根元までを想像していた。
支那を拓いた漢民族も、その沙の来る亜細亜の山岳を越えて来た。そして黄河の流れに添いつつ次第に殖え、苗族という未開人を追って、農業を拓き、産業を起こし、ここに何千年の文化を植えて来たものだった。
「御先祖さま、みていて下さいまし。いやこの劉備を、鞭打って下さい。劉備はきっと、漢の民を興します。漢民族の血と平和を守ります」
天へ向かって誓うように、劉備青年は、空を拝していた。
するとすぐ後ろへ、だれか突っ立って、彼の頭から呶鳴った。
「うさんな奴だ。やいっ、汝は、黄巾賊の仲間だろう?」
二
劉備は、おどろいて、何者かと振りかえった。
咎めた者は、
「どこから来たっ」と、彼の襟がみをもう容赦なく摑んでいた。
「......?」
見ると、役人であろう、胸に県の吏章をつけている。近ごろは物騒な世の中なので、地方の小役人までが、平常でもみな武装していた。二人のうち一名は鉄弓を持ち、一名は半月槍を抱えていた。
「涿県の者です」
劉備青年が答えると、
「涿県はどこか」と、たたみかけて言う。
「はい、涿県の楼桑村(現在・京漢線の保定――北京間)の生まれで、今でも母と共に、楼桑村に住んでおります」
「商売は」
「蓆を織ったり簾を製って、売っておりますが」
「なんだ、行商人か」
「そんなものです」
「だが......」
と、役人は急に汚い物から退くように襟がみを放して、劉備の腰の一剣をのぞきこんだ。
「この剣には、黄金の佩環に、琅玕の緒珠が提がっているのではないか、蓆売りには過ぎた刀だ。どこで盗んだ?」
「これだけは、父の遺物で持っているのです。盗んだ物などではありません」
素直ではあるが、凜とした答えである。役人は、劉備青年の眼を見ると、急に眼をそらして、
「しかしだな、こんなところに、半日も坐りこんで、一体何を見ておるのか。怪しまれても仕方があるまい。――折も折、ゆうべもこの近村へ、黄巾賊の群れが襲せて、掠奪を働いて逃げたところだ。――見るところおとなしそうだし、賊徒とは思われぬが、いちおう疑ってみねばならん」
「ごもっともです。......実は私が待っているのは、今日あたり江を下って来ると聞いている洛陽船でございます」
「ははあ、だれか、身寄りの者でもそれへ便乗して来るのか」
「いいえ、茶を求めたいと思って。――待っているのです」
「茶を」
役人は眼をみはった。
彼等はまだ茶の味を知らなかった。茶というものは、瀕死の病人に与えるか、よほどな貴人でなければ喫まないからだった。それほど高価でもあり貴重に思われていた。
「だれに喫ませるのだ。重病人でもかかえているのか」
「病人ではございませんが、生来、私の母の大好物は茶でございます。貧乏なので、滅多に買ってやることもできませんが、一両年稼いで蓄めた小費もあるので、こんどの旅の土産には、買って戻ろうと考えたものですから」
「ふーむ。......それは感心なものだな。おれにも息子があるが、親に茶を喫ませてくれるどころか――あのとおりだわえ」
二人の役人は、顔を見合わせてそう言うと、もう劉備の疑いも解けた容子で、何か語らいながら立ち去ってしまった。
陽は西に傾きかけた。
茜ざした夕空を、赤い黄河の流れに対したまま、劉備はまた、黙想していた。
と、やがて、
「おお、船旗が見えた。洛陽船にちがいない」
彼は初めて草むらを起った。そして眉に手をかざしながら、上流のほうを眺めた。
三
ゆるやかに、江を下って来る船の影は、舂く陽を負って黒く、徐々と眼の前に近づいて来た。
ふつうの客船や貨船とちがい、洛陽船は一目でわかる。無数の紅い龍舌旗を帆ばしらに翻えし、船桜は五彩に塗ってあった。
「おうーい」
劉備は手を振った。
しかし船は一個の彼に見向きもしなかった。
おもむろに舵を曲げ、スルスルと帆を下ろしながら、黄河の流れにまかせて、そこからずっと下流の岸へ着いた。
百戸ばかりの水村がある。
今日、洛陽船を待っていたのは、劉備ひとりではない。岸にはがやがやと沢山な人影がかたまっていた。驢を曳いた仲買人の群れだの、鶏車と呼ぶ手押車に、土地の糸や綿を積んだ百姓だの、獣の肉や果物を籠に入れて待つ物売りだの――すでにそこには、洛陽船を迎えて、市が立とうとしていた。
なにしろ、黄河の上流、洛陽の都には今、後漢の第十二代の帝王、霊帝の居城があるし、珍しい物産や、文化の粋は、ほとんどそこで製られ、そこから全支那へ行きわたるのである。
幾月かに一度ずつ、文明の製品を積んだ洛陽船が、この地方へも下江して来た。そして沿岸の小都市、村、部落など、市の立つところに船を寄せて、交易した。
ここでも。
夕方にかけて、怖ろしく騒がしくまたあわただしい取引が始まった。
劉備は、その喧ましい人声と人影の中に立ち交じって、まごついていた。彼は、自分の求めようとしている茶が、仲買人の手に這入ることを心配していた。一度、商人の手に移ると、莫大な値になって、とても自分の貧しい囊中では購えなくなるからであった。
またたく間に、市の取引は終わった。仲買人も百姓も物売りたちも、三々五々、夕闇へ散ってゆく。
劉備は、船の商人らしい男を見かけてあわててそばへ寄って行った。
「茶を売って下さい、茶が欲しいんですが」
「え、茶だって?」
洛陽の商人は、鷹揚に彼を振り向いた。
「あいにくと、お前さんに頒けてやるような安茶は持たないよ。一葉いくらというような佳品しか船にはないよ」
「結構です。たくさんは要りませんが」
「おまえ茶を喫んだことがあるのかね。地方の衆が何か葉を煮て喫んでいるが、あれは茶ではないよ」
「はい。その、ほんとの茶を頒けていただきたいのです」
彼の声は、懸命だった。
茶がいかに貴重か、高価か、また地方にもまだ無い物かは、彼もよく弁えていた。
その種子は、遠い熱帯の異国からわずかに齎されて、周の代にようやく宮廷の秘用に嗜まれ、漢帝の代々になっても、後宮の茶園に少し摘まれる物と、民間のごく貴人の所有地に稀に栽培されたくらいなものだとも聞いている。
また別な説には、一日に百草を嘗めつつ人間に食物を教えた神農は度々毒草にあたったが、茶を得てからこれを嚙むとたちまち毒を解したので、以来、秘愛せられたとも伝えられている。
いずれにしろ、劉備の身分でそれを求めることの無謀は、よく知っていた。
――だが、彼の懸命な面持と、真面目に、欲する理を話す態度を見ると、洛陽の商人も、やや心を動かされたとみえて、
「では少し頒けてあげてもよいが、お前さん、失礼だが、その代価をお待ちかね?」と訊いた。
四
「持っております」
彼は、懐中の革囊を取り出し、銀や砂金を取り交ぜて、相手の両掌へ、惜しげもなくそれを皆あけた。
「ほ......」
洛陽の商人は、掌の上の目量を計りながら、
「あるねえ。しかし、銀があらかたじゃないか。これでは、住い茶はいくらも上げられないが」
「何ほどでも」
「そんなに欲しいのかい」
「母が眼を細めて、欣ぶ顔が見たいので――」
「お前さん、商売は?」
「蓆や簾を作っています」
「じゃあ、失礼だが、これだけの銀を蓄めるにはたいへんだろ」
「二年かかりました。自分の食べたい物も、着たい物も、節約して」
「そう聞くと、断われないな。けれどとても、これだけの銀と替えたんじゃ引き合わない。なにかほかにないかね」
「これも添えます」
劉備は、剣の緒に提げている琅玕の珠を解いて出した。洛陽の商人は琅玕などは珍しくない顔附きをして見ていたが、
「よろしい。おまえさんの孝心に免じて、茶と交易してやろう」
と、やがて船室の中から、錫の小さい壺を一つ持って来て、劉備に与えた。
黄河は暗くなりかけていた。西南方に、妖猫の眼みたいな大きな星がまたたいていた。その星の光をよく見ていると虹色の暈がぼっとさしていた。
――世の中がいよいよ乱れる凶兆だ。
と、近ごろしきりと、世間の者が怖がっている星である。
「ありがとうございました」
劉備青年は、錫の小壺を、両掌に持って、やがて岸を離れてゆく船の影を拝んでいた。もう瞼に、母のよろこぶ顔がちらちらする。
しかし、ここから故郷の涿県楼桑村までは、百里の余もあった。幾夜の泊まりを重ねなければ帰れないのである。
「今夜は寝て――」と、考えた。
かなたを見ると、水村の灯が二つ三つまたたいている。彼は村の木賃へ眠った。
すると夜半ごろ。
木賃の亭主が、あわただしく起こしに来た。眼をさますと、戸外は真っ赤だった。むうっと蒸されるような熱さの中にどこかでパチパチと、火の燃える物音もする。
「あっ、火事ですか」
「黄巾賊が襲って来たのですよ旦那、洛陽船と交易した仲買人たちが、今夜ここに泊まったのを狙って――」
「えっ。賊?」
「旦那も、交易した一人でしょう。奴等が、まっ先に狙うのは、今夜泊まった仲買たちです。次にはわし等の番だが、はやく裏口からお逃げなさい」
劉備はすぐ剣を佩いた。
裏口へ出てみるともう近所は焼けていた。家畜は、異様な唸きを放ち、女子どもは、焰の下に悲鳴をあげて逃げまどっていた。
昼のように大地は明るい。
見れば、夜叉のような人影が、矛や槍や鉄杖をふるって、逃げ散る旅人や村の者等を見あたり次第にそこここで殺戮していた。――眼を掩うような地獄が描かれているではないか。
昼ならば眼にも見えよう。それ等の悪鬼は皆、結髪のうしろに、黄色の巾を掛けているのだ。黄巾賊の名は、それから起こったものである。本来は支那の――この国の最も尊い色であるはずの黄土の国色も、今は、善良な民の眼をふるえ上がらせる、悪鬼の象徴になっていた。
五
「ああ、酸鼻な――」
劉備は、呟いて、
「ここへ自分が泊まり合わせたのは、天が、天に代わって、この憐れな民を救えとの、思し召しかも知れぬ。......おのれ、鬼畜どもめ」
と、剣に手をかけながら、家の

を
蹴って、躍り出そうとしたが、いや待て――と思い直した。
母がある。――自分には自分を頼みに生きているただ一人の母がある。
黄巾の乱賊はこの地方にだけいるわけではない。蝗のように天下いたるところに群れをなして跳梁しているのだ。
一剣の勇では、百人の賊を斬ることもむずかしい。百人の賊を斬っても、天下は救われはしないのだ。
母を悲しませ、百人の賊の生命を自分の一命と取り換えたとて何になろう。
「そうだ。......わしは今日も黄河の畔で天に誓ったではないか」
劉備は、眼を掩って、裏口からのがれた。
彼は、闇夜を駈けつづけ、ようやく村をはなれた山道までかかった。
「もうよかろう」
汗をぬぐって振りかえると、焼きはらわれた水村は、曠野の果ての焚火よりも小さい火にしか見えなかった。
空を仰いで、白虹のような星雲を架けた宇宙と見くらべると、この世の山岳の大も、黄河の長さも、支那大陸の偉なる広さも、むしろ愍れむべき小さい存在でしかない。
まして人間の小ささ―― 一個の自己のごときは――と劉備は、我というものの無力を嘆いたが、
「否! 否! 人間あっての宇宙だ。人間が無い宇宙はただの空虚ではないか。人間は宇宙より偉大だ」と、われを忘れて、天へ向かって呶鳴った。すると後ろの方で、
――然なり。然なり。
と、だれか言ったような気がしたが、振りかえって見たが、人影なども見あたらなかった。
ただ、樹木の蔭に、一宇の古い孔子廟があった。
劉備は、近づいて、廟に額きながら、
「そうだ、孔子、今から七百年前に、魯の国(山東省)に生まれて、世の乱れを正し、今に至るまで、こうして人の心に生き、人の魂を救っている。人間の偉大を証拠立てたお方だ。その孔子は文をもって、世に立ったが、わしは武をもって民を救おう――。今のように黄魔鬼畜の跳梁にまかせている暗黒な世には、文を布く前に、武をもって、地上に平和を創てるしかない」
多感な劉備青年は、あたりに人がいないとのみ思っていたので、孔子廟へ向かって、誓いを立てるように、思わず情熱的な声を放って言った。
――と、廟の中で、
「わはははは」
「あははは」
大声で笑った者がある。
びっくりして、劉備が
起ちかけると、廟の

を
蹴って、突然、

のように躍り出してきた男があって、
「こら、待て」
劉備の襟首を抑えた。
同時に、もう一人の大男は、廟の内から劉備の眼の前へと、孔子の木像を蹴とばして、
「ばか野郎、こんな物が貴様有り難いのか。どこが偉大だ」と、罵った。
孔子の木像は首が折れて、わかれわかれに転がった。
六
劉備は怖れた。これは悪い者に出会ったと思った。
二人の巨男を見るに、結髪を黄色の巾で包んでいるし、胴には鉄甲を鎧い、脚には獣皮の靴をはき、腰には大剣を横たえている。
問うまでもなく、黄巾賊の仲間である。しかも、その頭分の者であることは、面構えや服装でもすぐわかった。
「大方。こいつを、どうするんですか」
劉備の襟がみをつかんだのが、もう一人のほうに向かって訊くと、孔子の木像を蹴とばした男は、
「離してもいい。逃げればすぐ叩っ斬ってしまうまでのことだ。おれが睨んでいる前からなんで逃げられるものか」と、言った。
そして廟の前の玉石に腰を悠然とおろした。
大方、中方、小方などというのは、方師(術者・祈禱師)の称号で、その位階をも現わしていた。黄巾賊の仲間では、部将をさして、みなそう呼ぶのであった。
けれど、総大将の張角のことは、そう称ばない。張角と、その二人の弟に向かってだけは、特に、
大賢良師、張角
天公将軍、張梁
地公将軍、張宝
というように尊称していた。
その下に、大方、中方などとよぶ部将をもって組織しているのであった――で今、劉備の前に腰かけている男は、張角の配下の馬元義という黄巾賊の一頭目であった。
「おい、甘洪」と、馬元義は手下の甘洪が、まだ危ぶんでいる容子に、顎で大きく言った。
「そいつを、もっと前へ引きずって来い――そうだ俺の前へ」
劉備は、襟がみを持たれたまま、馬元義の足もとへ引き据えられた。
「やい、百姓」
馬は睨めつけて、
「汝は今、孔子廟へ向かって、大それた誓願を立てていたが、一体うぬは、正気か狂人か」
「はい」
「はいでは済まねえ。黄魔鬼畜を討ってどうとか吐かしていたが、黄魔とは、だれのことだ、鬼畜とは、何をさして言ったのだ」
「べつに意味はありません」
「意味のない事を独りで言うたわけがあるか」
「あまり山道が淋しいので、怖ろしさをまぎらすために出たらめに、声を放って歩いて来たものですから」
「相違ないか」
「はい」
「――で、どこまで行くのだ。この真夜中に」
「涿県まで帰ります」
「じゃあまだ道は遠いな。俺たちも夜が明けたら、北の方の町まで行くが、汝のために眼をさましてしまった。もう二度寝もできまい。ちょうど荷物があって困っていたところだから、俺の荷を担いで、供をして来い――おい、甘洪」
「へい」
「荷物はこいつに担がせて、汝は俺の半月槍を持て」
「もう出かけるんですか」
「峠を降りると夜が明けるだろう。その間に奴等も、今夜の仕事をすまして、後から追いついて来るにちげえねえ」
「では、歩き歩き、通った印を残して行きましょう」
と、甘洪は、廟の壁に何か書き残したが、半里も歩くとまた、道傍の木の枝に、黄色の巾を結びつけて行く――
大方の馬元義は、悠々と、驢に乗って先へ進んで行くのであった。
流行る童歌
一
驢は、北へ向いて歩いた。
鞍上の馬元義は、時々南を振り向いて、
「奴等はまだ追いついて来ないがどうしたのだろう」
と、つぶやいた。
彼の半月槍を担いで、驢の後ろから尾いてゆく手下の甘洪は、
「どこかで道を取っ違えたのかも知れませんぜ。いずれ冀州(河北省保定の南方)へ行けば落ち会いましょうが」と、言った。
いずれ賊の仲間のこと言っているのであろう――と劉備は察した。とすれば、自分が遁れて来た黄河の水村を襲ったあの連中を待っているのかも知れない、と思った。
(何しろ、従順を装っているに如くはない。そのうちには、逃げる機会があるだろう)
劉備は、賊の荷物を負って、黙々と、驢と半月槍のあいだに挾まれながら歩いた。丘陵と河と平原ばかりの道を、四日も歩きつづけた。
幸い雨のない日が続いた。十方碧落、一朶の雲もない秋だった。黍のひょろ長い穂に、時折、驢も人の脊丈もつつまれる。
「ああ――」
旅に倦んで、馬元義は大きな欠伸を見せたりした。甘も気懶そうに居眠り半分、足だけを動かしていた。
そんな時、劉備はふと、
――今だっ。
という衝動に駆られて、幾度か剣に手をやろうとしたが、もし仕損じたらと、母を想い、身の大望を考えてじっと、辛抱していた。
「おう、甘洪」
「へえ」
「飯が食えるぞ。冷たい水にありつけるぞ――見ろ、むこうに寺があら」
「寺が」
黍の間から伸び上がって、
「ありがてえ。大方、きっと酒もありますぜ。坊主は酒が好きですからね」
夜は冷え渡るが、昼間は焦げつくばかりな炎熱であった。――水と聞くと、劉備も思わず伸び上がった。
低い丘陵がかなたに見える。
丘陵に抱かれている一叢の木立と沼があった。沼には紅白の蓮花が一ぱい咲いていた。
そこの石橋を渡って、荒れはてた寺門の前で、馬元義は驢を降りた。門の

は、一枚は
壊れ、一枚は形だけ残っていた。それに黄色の紙が
貼ってあって、次のような文が書いてあった。
蒼 天 己 死
黄 夫 立レ当
歳 在二甲 子一
天 下 大 吉
○
大賢良師張角
「大方御覧なさい。ここにも我が党の盟符が貼ってありまさ。この寺も黄巾の仲間に入っている奴ですぜ」
「だれか居るか」
「ところが、いくら呼んでもだれも出て来ませんが」
「もう一度、呶鳴ってみろ」
「おうい、だれかいねえのか」
――薄暗い堂の中を呶鳴りながら覗いてみた。何もない堂の真ん中に、曲彔に腰かけている骨と皮ばかりな老僧がいた。しかし老僧は眠っているのか、死んでいるのか、木乃伊のように、空虚な眼を梁へ向けたまま、寂然と――答えもしない。
二
「やい、老ぼれ」
甘洪は、半月槍の柄で、老僧の脛をなぐった。
老僧は、やっと鈍い眼をあいて、眼の前にいる甘と、馬と、劉青年を見まわした。
「
物があるだろう。おれたちはここで腹支度をするのだ、はやく支度をしろ」
「......無い」
老僧は、蠟のような青白い顔を、力なく振った。
「無い? ――これだけの寺に

物がないはずはねえ。
俺たちをなんだと思う。
頭髪の
黄布を見ろ。大賢良師張角様の
方将、馬元義というものだ。家探しして、もし食物があったら、
素ッ
首を
刎ね
落とすがいいか」
「......どうぞ」
老僧は、うなずいた。
馬は甘をかえりみて、
「ほんとに無いのかも知れねえな。あまり落ち着いていやがる」
すると老僧は、曲彔に懸けていた枯れ木のような肘を上げて、後ろの祭壇や、壁や四方をいちいち指して、「無い! 無い! 無い! ......仏陀の像さえ無い! 一物もここには無いっ」と、言った。
泣くがような声である。
そして鈍い眸に、怨の光をこめて言った。
「みんな、お前方の仲間が持って行ってしまったのだ。蝗の群れが通ったあとの田みたいだよここは...」
「でも、何かあるだろう。何か

える物が」
「無い」
「じゃあ、冷たい水でも

んで来い」
「井戸には、毒が投げこんである。飲めば死ぬ」
「だれがそんなことをした」
「それも、黄巾をつけたお前方の仲間だ。前の地頭と戦った時、残党が隠れぬようにと、みな毒を投げ込んで行った」
「しからば、泉があるだろう。あんな美麗な蓮花が咲いている池があるのだから、どこぞに、冷水が湧いているにちがいない」
「――あの蓮花が、なんで美しかろう。わしの眼には、紅蓮も白蓮も、無数の民の幽魂に見えてならない。一花、一花呪い、恨み、哭き戦き慄えているような」
「こいつめが、妙な世囈い言を...」
「噓と思うなら池をのぞいてみるがよい。紅蓮の下にも、白蓮の根元にも、腐爛した人間の死骸がいっぱいだよ。お前方の仲間に殺された善良な農民や女子供の死骸だの、また、黄巾の党に入らないので、縊り殺された地頭やら、その夫人やら、戦って死んだ役人衆やら――何百という死骸がのう」
「あたり前だ。大賢良師張角様に反くやつらは、みな天罰でそうなるのだ」
「............」
「いや。よけいな事は、どうでもいい。食物もなく水もなく、一体それでは、
汝は何を

って生きているのか」
「わしの

ってる物なら」と、老僧は、自分の
沓のまわりを指さした。
「......そこらにある」
馬元義は、何気なく、床を見まわした。根を嚙んだ生草だの、虫の足だの、鼠の骨などが散らかっていた。
「こいつは参った。御饗応はおあずけとしておこう。おい劉、甘洪、行こうぜ」
と出て行きかけた。
すると、その時初めて、賊の供をしている劉備の存在に気づいた老僧は、穴のあくほど、劉青年の顔を見つめていたが、突然、
「あっ?」と、打たれたような愕きを声に放って、曲彔から突っ立った。
三
老僧の落ちくぼんでいる眼は大きく驚異に瞠ったまま劉備の面をじいと見すえたきり、眼ばたきもしなかった。
やがて、独りで、うーむと唸っていたが、なに思ったか、
「あ、あ! あなただっ」
膝を折って、床に坐り、あたかも現世の文珠弥勒でも見たように、何度も礼拝して止まなかった。
劉備は、迷惑がって、
「老僧、何をなさいます」と、手を取った。
老僧は、彼の手に触れると、なおさら、随喜の涙を流さぬばかり慄えて、額に押し戴きながら、
「青年。――わしは長いこと待っていたよ。正しく、わしの待っていたのはあなただ。――あなたこそ魔魅跳梁を退けて、暗黒の国に楽土を創て、乱麻の世に道を示し、塗炭の底から大民を救ってくれるお方にちがいない」と、言った。
「とんでもない。私は涿県から迷って来た貧しい蓆売りです。老僧離してください」
「いいや、あなたの人相骨がらに現われておるよ。青年、聞かしておくれ。あなたの祖先は、帝系の流れか、王侯の血をひいていたろう」
「ちがう」
劉備は、首を振って、「父も、祖父も、楼桑村の百姓でした」
「もっと先は......」
「わかりません」
「わからなければ、わしの言を信じたがよい。あなたが佩いている剣はだれにもらったのか」
「亡父の遺物」
「もっと前から、家におありじゃったろう。古びて見る面影もないがそれは凡人の佩く剣ではない。琅玕の珠がついていたはず、戞玉とよぶ珠だよ。剣帯に革か錦の腰帛もついていたのだよ。王者の佩とそれを呼ぶ。何しろ、刀身も無双な名剣にまちがいない。試してみたことがおありかの」
「......?」
堂の外へ先に出たが、後から劉備が出て来ないので、足を止めていた賊の馬元義と甘洪は、老僧のぶつぶつ言っていることばを、聞き澄ましながら振り向いていた。が、――痺れをきらして、
「やいっ劉。いつまで何をしているんだ、荷物を持って早く来いっ」と、どなった。
老僧は、まだ何か、言いつづけていたが、馬の大声に恟んで、急に口を緘んだ。劉備はその機に、堂の外へ出て来た。
驢を繫いでいる以前の門を踏み出すと、馬元義は、驢の手綱を解きかける手下の甘を止めて、
「劉、そこへ掛けろ」と、木の根を指さし、自分も石段に腰かけて、大きく構えた。
「今、聞いていると、汝は行く末、偉い者になる人相を備えているそうだな。まさか、王侯や将軍になれっこはあるめえが、俺も実は、汝は見込みのある野郎だと見ているんだ――どうだ、俺の部下になって、黄巾党の仲間へ加盟しないか」
「はい。有り難うございますが」と、劉備はあくまで、素直をよそおって、
「私には、故郷に一人の母がありますので、折角ですが、お仲間には入れません」
「おふくろなぞは、あってもいいじゃねえか。

い
扶持さえ送ってやれば」
「けれど、こうして、私が旅に出ている間も、

せるほど子の心配ばかりしている、いたって
子煩悩な母ですから」
「それやそうだろう。貧乏ばかりさせておくからだ。黄巾党に入って、腹さえ膨らせておけば、なに、嬰児じゃあるめえし、子の心配などしているものか」
四
馬元義は、功名に燃えやすい青年の心を唆るように、それから黄巾党の勢力やら、世の中の将来やらを、談義しはじめた。
「狭い目で見ている奴は、俺たちが良民虐めばかりしていると思っているが、俺たちの総大将張角様を、神のごとく崇めている地方だってかなりある――」
と、前提して、まず、黄巾党の起こりから説き出すのだった。
今から十年ほど前。
鉅鹿郡(河北省順徳の東)の人で、張角という無名の士があった。
張角はしかし稀世の秀才と、郷土でいわれていた。その張角が、あるとき、山中へ薬を採りに入って、道で異相の道士に出会った。道士は手に藜の杖をもち、
(お前を待っていること久しかった)と、さしまねくので、従いて行ってみると、白雲の裡の洞窟へ誘い、張角に三巻の書物を授けて、(これは、太平要術という書物である。この書をよく体して、天下の塗炭を救い、道を興し、善を施すがよい。もし自身の我意栄耀に酔うて、悪心を起こす時は、天罰たちどころに身を亡ぼすであろう)と、言った。
張角は、再拝して、翁の名を問うと、
(我は南華老仙なり)と答え、姿は、一颯の白雲となって飛び去ってしまったというのである。
張角は、その事を、山を降りてから、里の人々へ自分から話した。
正直な、里の人々は、(わし等の郷土の秀才に、神仙が宿った)と真にうけて、たちまち張角を、救世の方師と崇めて、触れまわった。
張角は、門を閉ざし、道衣を着て、潔斎をし、常に南華老仙の書を帯びて、昼夜行ないすましていたが、
ある年悪疫が流行して、村にも毎日おびただしい死人が出たので、
(今は、神が我をして、出でよと命じ給う日である)
と、厳かに、草門を開いて、病人を救いに出たが、その時もう、彼の門前には、五百人の者が、弟子にしてくれと言って、蝟集して額いていたということである。
五百人の弟子は、彼の命によって、
金仙丹、
銀仙丹、
赤神丹の秘薬を
携え、おのおの、悪疫の地を
視て
廻った。そして、張角方師の
功徳を語り聞かせ、男子には金仙丹を、女子には銀仙丹を、幼児には赤神丹を与えると、神薬のききめは著しく、皆、数日を
出でずして

った。
それでも、

らぬ者は、張角自身が行って、
大喝の
呪を
唱え、病魔を家から追うと称して、
符水の
法を施した。それで起きない病人はほとんどなかった。
体の病人ばかりでなく、次には心に病のある者も集まって来て、張角の前に懺悔した。貧者も来た。富者も来た。美人も来た。力士や武術者も来た。それらの人々は皆、張角の帷幕に参じたり、厨房で働いたり、彼の側近く侍したり、また多くの弟子の中に交じって、弟子となった事を誇ったりした。
たちまち、諸州にわたって、彼の勢力は拡まった。
張角は、その弟子たちを、三十六の方に立たせ、階級を作り、大小に分かち、頭立つ者には軍師の称を許し、また方師の称呼を授けた。
大方を行なう者、一万余人。小方を行なう者六、七千人。その部の内に、部将あり方兵あり、そして張角の兄弟、張梁、張宝のふたりを、天公将軍、地公将軍とよばせて、最大の権威を握らせ、自身はその上に君臨して、大賢良師張角と、称えていた。
これがそもそもの、黄巾党の起こりだとある。初め張角が、常に、結髪を黄色い巾でつつんでいたので、その風が全軍にひろまって、いつか党員の徽章となったものである。
五
また、黄巾軍の徒党は、全軍の旗もすべて黄色を用い、その大旆には、
蒼 天 己 死
黄 夫 立レ当
歳 在二甲 子一
天 下 大 吉
という宣文を書き、党の楽謡部は、その宣文に、童歌風のやさしい作曲をつけて、党兵に唄わせ、部落や村々の地方から郡、県、市、都へと熱病のように唄い流行らせた。
大賢良師張角!
大賢良師張角!
今は、三歳の児童も、その名を知らぬはなく、
(――蒼天スデニ死ス。黄夫マサニ立ツベシ)
と唄った後では、張角の名を囃して、今にも、天上の楽園が地上に実現するような感を民衆に抱かせた。
けれど、黄巾党が
跋
すればするほど、
楽土はおろか、一日の
安穏も土民の中にはなかった。
張角は自己の勢力に服従して来る愚民どもへは、
(太平を楽しめ)と、逸楽を許し、
(わが世を謳歌せよ)と、暗に掠奪を奨励した。
その代わりに、逆らう者は、仮借なく罰し、人間を殺し、財宝を掠め奪る事が、党の日課だった。
地頭や地方の官吏も、防ぎようはなく、中央の洛陽の王城へ、急を告げることも頻々であったが、現下、漢帝の宮中は、頽廃と内争で乱脈を極めていて、地方へ兵を遣るどころではなかった。
天下一統の大業を完成して、後漢の代を興した光武帝から、今は二百余年を経、宮府の内外にはまた、ようやく腐爛と崩壊の兆があらわれて来た。
十一代の帝、桓帝が逝いて、十二代の帝位に即いた霊帝は、まだ十二、三歳の幼少であるし、輔佐の重臣は、幼帝を偽き合い、朝綱を猥りにし、佞智の者が勢いを得て、真実のある人材は、みな野に追われてしまうという状態であった。
心ある者は、密かに、
(どうなりゆく世か?)と、憂えているところへ、地方に蜂起した黄巾賊の口々から
――蒼天已死
の童歌が流行って来て、後漢の末世を暗示する声は、洛陽の城下にまで、満ちていた。
そうした折にまた、こんな事もひどく人心を不安にさせた。
ある年。
幼帝が温徳殿に出御なされると、にわかに、狂風がふいて、長二丈余の青蛇が、梁から帝の椅子の側に落ちて来た。帝はきゃッと、床に仆れて気を失われてしまった。殿中の騒動はいうまでもなく、弓箭や鳳尾槍をもった禁門の武士が馳けつけて、青蛇を刺止めんとしたところが、突如、雹まじりの大風が王城をゆるがして、青蛇は雲となって飛び、その日から三日三夜、大雨は底のぬけるほど降りつづいて、洛陽の民家の浸水くもの二万戸、崩壊したもの千何百戸、溺死怪我人算なし――というような大災害を生じた。
また、つい近年には。
赤色の彗星が現われたり、風もない真昼、黒旋風が突然ふいて、王城の屋根望楼を飛ばしたり、五原山の山つなみに、部落数十が、一夜に地底へ埋没してしまったり――凶兆ばかり年ごとに起こった。
六
そんな凶兆のある度に、黄巾賊の「蒼天スデニ死ス――」の歌は、盲目的に唄われていき、賊党に加盟して、掠奪、横行、殺戮――の自由にできる「我が党の太平を楽しめ」とする者が、殖えるばかりだった。
思想の悪化、組織の混乱、道徳の頽廃。――これをどうしようもない後漢の末期だった。
燎原の火とばかり、魔の手を拡げていった黄巾賊の勢力は、今では青州、幽州、徐州、冀州、荊州、楊州、兗州、豫州(黄河口の南北地帯)等の諸地方に及んでいた。
州の諸侯を始め、郡県市部の長や官吏は、逃げ散るもあり、降って賊となるもあり、屍を積んで、焚き殺された者も数知れなかった。
富豪は皆、財を捧げて、生命を乞い、寺院や民家は戸ごとに、大賢良師張角――と書いた例の黄符を門に貼って、絶対服従を誓い、まるで鬼神を祀るように、崇め恐れた。そうした現状にあった。
さて。.........
長々と、そうした現状や、黄巾党の勃興などを、自慢そうに語り来って、
「劉――」と、大方馬元義は、腰かけている石段から、寺の門を、顎で指した。
「そこでも、黄色い貼り紙を見たろう。書いてある文句も読んだろう。この地方もずっと、俺たち黄巾党の勢力範囲なのだ」
「.........」
劉備は、終始黙然と聞いているのみだった。
「いや、この地方や、十州や二十州はおろかなこと、今に天下は黄巾党のものになる。後漢の代は亡び、次の新しい代になる」
劉備は、そこで初めて、こう訊ねた。
「では、張角良師は、後漢を亡ぼした後で、自分が帝位に即く肚なんですか」
「いやいや。張角良師には、そんなお考えはない」
「では、だれが、次の帝王になるのでしょう」
「それは言えない。......だが劉備、てめえが俺の部下になると約束するなら聞かせてやるが」
「なりましょう」
「きっとか」
「母が許せばです」
「――では打ち明けてやるが、帝王の問題は、今の漢帝を亡ぼしてから後の重大な評議になるんだ。匈奴(蒙古族)の方とも相談しなければならないから」
「へえ? ......なぜです。どうして支那の帝王を決めるのに、昔から秦や趙や燕などの国境を侵して、われわれ漢民族を脅やかして来た異国の匈奴などと相談する必要があるのですか」
「それは大いにあるさ」と、馬は当然のように――
「いくら俺たちが暴れ廻ろうたって、俺たちの背後から、軍費や兵器をどしどし廻してくれる黒幕が無くっちゃ、こんな短い年月に、後漢の天下を攪乱することはできまいじゃねえか」
「えっ。では黄巾賊のうしろには、異国の匈奴がついているわけですか」
「だから絶対に、俺たちは敗けるはずはないさ。どうだ劉、俺がすすめるのは、貴様の出世のためだ。部下になれ、すぐここで、黄巾賊に加盟せぬか」
「結構なお話です。母も聞いたら歓びましょう。......けれど、親子の中にも礼儀ですから、いちおう、母にも告げた上で御返辞を......」
言いかけているのに、馬元義は不意に起ち上がって、
「やっ来たな」と、かなたの平原へ向かって、眉に手をかざした。
白芙蓉
一
それは約五十名ほどの賊の小隊であった。中に驢に乗っている二、三の賊将が鉄鞭を指して、何か言っていたように見えたが、やがて、馬元義の姿を見かけたか、寺のほうへ向かって、一散に近づいて来た。
「やあ、李朱氾。遅かったじゃないか」
こなたの馬元義も、石段から伸び上がっていうと、「おう大方、これにいたか」と、李と呼ばれた男も、その他の仲間も、つづいて驢の鞍から降りながら、
「峠の孔子廟で待っているというから、あれへ行ったところ、姿が見えないので、俺たちこそ、大まごつきだ。遅いどころじゃない」と、汗を拭き拭き、かえって馬元義に向かって、不平を並べたが、同類の冗談半分とみえて、責められた馬のほうも、げらげら笑うのみだった。
「ところで、先夜の収穫はどうだな。洛陽船を的に、だいぶ諸方の商人が泊まっていたはずだが」
「たいして言う程の収穫もなかったが、一村焼き払っただけの物はあった。その財物は皆、荷駄にして、例のとおりわれわれの営倉へ送っておいたが」
「近ごろは人民どもも、金は埋けて隠しておく方法を覚えたり、商人なども、隊伍を組んで、俺たちが襲うまえに、巧く逃げ散ってしまうので、だんだん以前のように巧いわけにはいかなくなったなあ」
「ウム、そういえば、先夜も一人惜しいやつを取り逃がしたよ」
「惜しい奴? ――それは何か高価な財宝でも持っていたのか」
「なあに、砂金や宝石じゃないが、洛陽船から、茶を交易した男があるんだ。知ってのとおり、盟主張角様には、茶ときては、眼のない好物。これはぜひ掠め奪って、大賢良師へ御献納もうそうと、そいつの泊まった旅籠も目ぼしをつけておき、その近所から焼き払って踏み込んだところ、いつの間にか、逃げ失せてしまって、とうとう見つからない。――こいつあ近ごろの失策だったよ」
賊の李朱氾は、劉備のすぐそばで、それを大声で話しているのだった。
劉備は、驚いた。
そして思わず、懐中に秘していた錫の小さい茶壺をそっと触ってみた。
すると、馬元義は、
「ふーむ」と、唸きながら、改めて後ろにいる劉青年を振り向いてから、更に、李へ向かって、
「それは、幾歳ぐらいな男か」
「そうさな。俺も見たわけでたいが、嗅ぎつけた部下のはなしによると、まだ若い見すぼらしい風態の男だが、どこか凜然としているから、油断のならない人間かも知れないといっていたが」
「じゃあ、この男ではないのか」
馬元義は、すぐ傍らにいる劉備を指さして、言った。
「え?」
李は、意外な顔をしたが、馬元義から仔細を聞くとにわかに怪しみ疑って、
「そいつかもしれない。――おういっ、丁峰、丁峰」
と池畔に屯させてある部下の群れへ向かって呶鳴った。
手下の丁峰は、呼ばれて、屯の中から馳けて来た。李は、黄河で茶を交易した若者は、この男ではないかと、劉の顔を指さして、質問した。
丁は、劉青年を見ると、惑うこともなくすぐ答えた。
「あ。この男です。この若い男に違いありません」
「よし」
李は、そう言って、丁峰を退けると、馬元義と共に、いきなり劉備の両手を左右から捻じあげた。
二
「こら。貴様は茶を秘しているというじゃないか。その茶壺をこれへ出してしまえ」
馬元義も責め、李朱氾も共に、劉備のきき腕を、捻じ抑えながら脅した。
「出さぬと、ぶった斬るぞ。今もいったとおり、張角良師の御好物だが、良師の御威勢でさえ、滅多に手にはいらぬほどの物だ。貴様のような下民などが、茶を持ったところで、何となるものか。われわれの手を経て、良師へ献納してしまえ」
劉備は、言い遁れの利かないことを、はやくも観念した。しかし、故郷の母が、いかにそれを楽しみに待っているかを思うと、自分の生命を求められたより辛かった。
(何とか、ここを遁れる工夫はないものか)
となお、未練をもって、両手の痛みをこらえていると、李朱氾の靴は、気早に劉備の腰を蹴とばして、「啞か、つんぼか、汝れは」と、罵った。
そして、よろめく劉備の襟がみを、摑みもどして、
「あれに、血に飢えている五十の部下がこっちを見て、餌を欲しがっているのが、眼に見えないか。返辞をしろ」と、威猛高に言った。
劉備は二人の土足の前へ、そうしてひれ伏したまま、まだ、母の歓びを売って、この場を助かる気持になれないでいたが、ふと、眼を上げると、寺門の陰に佇んで、こちらを覗いていた最前の老僧が、
(物など惜しむことはない。求める物は、何でも与えてしまえ、与えてしまえ)
と、手真似をもって、しきりと彼の善処を促している。
劉備もすぐ、(そうだ。この身体を傷つけたら、母にも大不孝となる)と思って、心をきめたが、それでもまだ懐中の茶壺は出さなかった。腰に佩いている剣の帯革を解いて、
「これこそは、父の遣物ですから、自分の生命の次の物ですが、これを献上します。ですから、茶だけは見のがして下さい」と哀願した。
すると、馬元義は、
「おう、その剣は、俺がさっきから眼をつけていたのだ。貰っておいてやる」と奪り上げて、「茶のことは、俺は知らん」と、空嘯いた。
李朱氾は、前にも増して怒り出して、一方へ剣を渡して、俺になぜ茶壺を渡さないかと責めた。
劉備は、やむなく、肌深く持っていた錫の小壺まで出してしまった。李は、宝珠を獲たように、両掌を捧げて、
「これだ、これだ。洛陽の銘葉に違いない。さだめし良師がお欣びになるだろう」と、言った。
賊の小隊はすぐ先へ出発する予定らしかったが、ひとりの物見が来て、ここから十里ほどの先の河べりに、県の吏軍が約五百ほど野陣を張り、われわれを捜索しているらしいという報告をもたらした。で、にわかに、「では、今夜はここへ泊まれ」となって、約五十の黄巾賊は、そのまま寺を宿舎にして、携帯の糧囊を解きはじめた。
夕方の炊事の混雑を窺って、劉備は今こそ逃げるによい機と、薄暮の門を、そっと外へ踏み出しかけた。
「おい。どこへ行く」
賊の哨兵は、見つけるとたちまち、大勢して彼を包囲し、奥にいる馬元義と李朱氾へすぐ知らせた。
三
劉備は縛められて、斎堂の丸柱にくくり付けられた。
そこは床に瓦を敷き詰め、太い丸柱と、小さい窓しかない石室だった。
「やい劉。貴様は、おれの眼を掠めて、逃げようとしたそうだな。察するところ、てめえは官の密偵だろう。いいや違えねえ。きっと県軍のまわし者だ。――今夜、十里ほど先まで、県軍が来て野陣を張っているそうだから、それへ連絡を取るために、脱け出そうとしたのだろう」
馬元義と李朱氾は、かわるがわるに来て、彼を拷問した。
「――道理で、貴様の面がまえは、ただ者でないはずだ。県軍のまわし者でなければ、洛陽の直属の隠密か。いずれにしても、官人だろう汝は。――さ、泥を吐け。言わねば、痛い思いをするだけだぞ」
しまいには、馬と李と、二人がかりで、劉を蹴って罵った。
劉は一口も物を言わなかった。こうなったからには、天命にまかせようと観念しているふうだった。
「これや一筋繩では口をあかんぞ」
李は、持てあまし気味に、馬へ向かってこう提議した。
「いずれ明日の
早暁、
俺はここを出発して、張角良師の総督府へ参り、例の
茶壺を献上かたがた良師の
御機
伺いに出るつもりだが、その折、こいつも引っ立てて行って、大方軍本部の軍法会議にさし
廻してみたらどうだろう。思いがけない拾い物になるかもしれぬぜ」
よかろうと、馬も同意だ。
斎堂の

は、固く閉められてしまった。夜が更けると、ただ一つの高い窓から、今夜も銀河の秀天が
冴えて見える。けれど到底、そこから
遁れ出る工夫はない。
どこかで、馬の嘶きがする。官の県軍が攻めて来たのならよいが――と劉備は、望みをつないだが、それは物見から帰って来た二、三の賊兵らしく、後は寂として、物音もなかった。
「母へ孝養を努めようとして、かえって大不孝の子となってしまった。死ぬ身は惜しくもないが、老母の余生を悲しませ、不孝の屍を野に曝すのは悲しいことだ」
劉備は、星を仰いで嘆いた。そして、孝行するにも、身に不相応な望みを持ったのが悪かったと悔いた。
賊府へ曳かれて、人中で生恥曝して殺されるよりは、いっそ、ここで、一思いに死なんか――と考えた。
死ぬにも、身に剣はなかった。柱に頭を打ちつけて憤死するか。舌を嚙んで星夜を睨めつけながら呪死せんか。
劉備は、悶々と、迷った。
――すると彼の眸の前に一筋の繩が下がって来た。それは神の意志によって下がって来るように、高い切り窓の口から石の壁に伝わってスルスルと垂れて来たのである。
「......あ?」
人影もなにも見えない、ただ四角な星空があるだけだった。
劉備は、身を起こしかけた。しかしすぐ無益であることを知った。身は縛めにかかっている、この繩目の解けない以上、救い手がそこまで来ていても、縋りつく術はない。
「......ああ、だれだろう?」
だれか、窓の下へ、救いに来ている。外で自分を待っていてくれる者がある。劉備は、なおさらもがいた。
と、――彼の行動が遅いので、早くしろと促すように、外の者は焦れているのであろう。高窓から垂れている繩が左右に動いた。そして繩の端に結いつけてあった短剣が、白い魚のように、コトコトと瓦の床を打って躍った。
四
足の先で、短剣を寄せた。そしてようやく、それを手にして、自身の繩目を断ち切ると、劉備は、窓の下に立った。
(早く。早く)と言わんばかりに、無言の繩は外から意志を伝えて、揺れうごいている。
劉備は、それに摑まった。石壁に足をかけて、窓から外を見た。
「――オオ」
外に佇んでいたのは、昼間、ただ独りで曲彔に腰かけていたあの老僧だ。骨と皮ばかりのような彼の細い影であった。
「――今だよ」
その手がさしまねく。
劉備はすぐ地上へ跳び降りた。待っていた老僧は、彼の身を抱えるようにして、物も言わず馳け出した。
寺の裏に、疎林があった。樹の間の細道さえ、銀河の秋は仄明るい。
「老僧、老僧。いったいどっちへ逃げるんですか」
「まだ逃げるのじゃない」
「では、どうするんです」
「あの塔まで行ってもらうのじゃよ」
走りながら、老僧は指さした。見るとなるほど、疎林の

よりも、高く
聳えている古い塔がある。老僧は、慌ただしく古塔の

をひらいて中へ隠れた。そしてあんなに急いだのに、なかなか出て来なかった。
「どうしたのだろう?」
劉備は気を揉んでいる。そして賊兵が迫って来はしまいかと、あちこち見まわしているとやがて、
「青年、青年」
小声で呼びながら、塔の中から老僧は何か曳きながら出て来た。
「おや?」
劉備は眼をみはった。老僧が引っ張っているのは駒の手綱だった。銀毛のように美しい白馬が曳かれ出したのである。
いや、いや、白馬の毛並の見事さや、背の鞍の華麗などはまだ言うも愚かであった。その駒に続いて、後から歩みも嫋かに、世間の風にも怖れるもののように、楚々と姿を現わした美人がある。眉の麗しさ、耳の白さ、また、眼に含む愁いの悩ましいばかりなど、思いがけぬ場合ではあり、星夜の光に見るせいか、この世の人とも思えぬのであった。
「青年。わしがお前を助けてあげた事を、恩としてくれるなら、逃げるついでに、この阿嬢さまを連れて、ここから十里ほど北へ向かった所の河べりに陣している県軍の隊まで、届けてあげてくれぬか。わずか十里じゃ、この白馬に鞭打てば――」
老僧のことばに、劉備は、否やもなく、はいと答えるべきであるが、その任務よりも、届ける人のあまりに美し過ぎるので、なんとなく躊躇われた。
老僧は、彼のためらいを、どう解釈したか。
「そうだ、氏素姓も知れない婦人をと、疑ぐっておるのじゃろうが、心配するな。このお方は、つい先ごろまでの、この地方県城を預かっておられた領主の阿嬢さまじゃ。黄巾賊の乱入に遭って、県城は焼かれ、御領主は殺され、家来は四散し、ここらの寺院さえ、あのとおりになり果てたが、その乱軍の中から迷うてござった阿嬢さまを、実はわしが、ここの塔へそっと匿うて――」
と、老僧の眼がふと、古塔の頂きを見上げた時、疎林を渡る秋風の外に、にわかに、人の蛩音や馬の嘶きが聞こえ出した。
五
劉備が、眼をくばると、
「いや、動かぬがよい。しばらくは、かえってここに、じっとして居たほうが......」
と、老僧が彼の袖を捉え、そんな危急の中になお、語りつづけた。
県の城長の娘は、名を芙蓉といい姓は鴻ということ。また、今夜近くの河畔に来て宿陣している県軍は、きっと先に四散した城長の家臣が、残兵を集めて、黄巾賊へ報復を計っているに違いないということ。
だから、芙蓉の身を、そこまで届けてくれさえすれば、後は以前の家来達が守護してくれる――白馬の背へ二人して騎って、抜け道から一気に逃げのびて行くように――と、禱るように言うのだった。
「承知しました」
劉備は、勇気を示して答えた。
「けれど和上、あなたはどうしますか」
「わしかの」
「そうです。私たちを逃がしたと賊に知られたら、和上の身は、ただでは済まないでしょう」
「案じる事はない。生きていたとて、この先幾年生きていられよう。ましてこの十数日は、草の根や虫など食うて、露命をつないでいた儚い身じゃ、それも鴻家の阿嬢を助けてあげたい一心だけで生きていたが――今は、その事も、頼む者に頼み果てたし、あなたという者をこの世に見出したので、思い残りは少しもない」
老僧はそう言い終わると、風のごとく、塔の中へ影をかくした。
あれよと、
芙蓉は、老僧を
慕って追い
縋ったが、途端に、塔の口元の

は内から閉じられていた。
「和上さま。和上さま!」
芙蓉は慈父を失ったように、

をたたいて泣いていたが、その時、高い塔の頂きで、再び老僧の声がした。
「青年。わしの指を御覧。わしの指さす方を御覧。――ここの疎林から西北だよ。北斗星が燦いておる。それを的にどこまでも逃げてゆくがよい。南も東も蓮池の畔も、寺の近くにも、賊兵の影が道を塞いでいる。逃げる道は、西北しかない。それも今のうちじゃ。はやく白馬に鞭打たんか」
「はいっ」
答えながら仰ぐと、老僧の影は、塔上の石欄に立って、一方を指さしているのだった。
「佳人。はやくお騎りなさい。泣いているところではない」
劉備は、彼女の細腰を抱き上げて、白馬の鞍にすがらせた。
芙蓉の体はいと軽かった。柔軟で高貴な薫りがあった。そして彼女の手は、劉備の肩に纏い、劉の頰は、彼女の黒髪に触れた。
劉備も木石ではない。かつて知らない動悸に、血が熱くなった。けれどそれは、地上から鞍の上まで、彼女の身を移すわずかな間でしかなかった。
「御免」と言いながら、劉備も騎って一つ鞍へ跨がった。そして片手に彼女を支え、片手に白馬の手綱を把って、老僧の指さした方角へ馬首を向けた。
塔上の老僧は、それを見下ろすと、我事了れり――と思ったか、突然、歓喜の声をあげて、
「見よ、見よ。凶雲没して、明星出づ、白馬翔けて、黄塵滅す。――ここ数年を出でないうちじゃろう。青年よ、はや行け。おさらば」
言い終わると、自ら舌を嚙んで、塔上の石欄から百尺下の大地へ、身を躍らして、五体の骨を自分で砕いてしまった。
張飛卒
一
白馬は疎林の細道を西北へ向かってまっしぐらに駆けて行った。秋風に舞う木の葉は、鞍上の劉備と芙蓉の影を、征箭のようにかすめた。
やがて曠い野に出た。
野に出ても、二人の身をなお、箭うなりがかすめた。今度のは木の葉のそれではなく、鋭い鏃を持った鉄弓の矢であった
「オ。あれへ行くぞ」
「女を騎せて――」
「では違うのか」
「いや、やはり劉備だ」
「どっちでもいい。逃がすな。女も逃がすな」
賊兵の声々であった。
疎林の陰を出た途端に、黄巾賊の一隊は早くも見つけてしまったのである。
獣群の声が、鬨を作って、白馬の影を追いつめて来た。
劉備は、振り向いて、
「しまった!」
思わず呟いたので、彼と白馬の脚とを唯一の頼みにしがみついた芙蓉は、
「ああ、もう......」
消え入るように顫いた。
万が一つも、助からぬものとは観念しながらも、劉備は励まして、
「大丈夫、大丈夫。ただ、振り落とされないように、駒の鬣と、私の帯に、必死でつかまっておいでなさい」と、いって、鞭打った。
芙蓉はもう返事もしない。ぐったり鬣に顔を俯伏せている。その容貌の白さは戦く白芙蓉の花そのままだった。
「河まで行けば。県軍のいる河まで行けば! ......」
劉備の打ちつづけていた生木の鞭は、皮が剝げて白木になっていた。
低い土坡の蜿りを躍り越えた。遠くに帯のように流れが見えて来た。しめたと、劉備は勇気をもり返したが、河畔まで来てもそこには何物の影もなかった。宵に屯していたという県軍も、賊の勢力に怖れをなしたか、陣を払ってどこかへ去ってしまったらしいのである。
「待てッ」
驢に騎った精悼な影は、その時もう五騎六騎と、彼の前後を包囲して来た。いうまでもなく黄巾賊の小方(小頭目)等である。
驢を持たない徒歩の卒どもは、駒の足に続ききれないで、途中で喘いでしまったらしいが、李朱氾を始めとして、騎馬の小方たち七、八騎はたちまち追いついて、
「止まれッ」
「射るぞ」と呶鳴った。
鉄弓の弦を離れた一矢は、白馬の環囲に突き刺さった。
喉に矢を立てた白馬は、棹立ちに躍り上がって、一声嘶くと、どうと横ざまに仆れた。芙蓉の身も、劉備の体も、共に大地へ抛り捨てられていた。
そのまま芙蓉は身動きもしなかったが、劉備は起ち上がって、
「何かっ!」と、さけんだ。彼は今日まで、自分にそんな大きな声量があろうとは知らなかった。百獣も為に怯み、曠野を野彦して渡るような大喝が、唇から無意識に出ていたのである。
賊は、ぎょっとし、劉備の大きな眼の光に愕き、驢は彼の大喝に、蹄をすくめて止まった。
だが、それは一瞬、
「何を、青二才」
「手抗う気か」
驢を跳びおりた賊は、鉄弓を捨てて大剣を抜くもあり、槍を舞わして、劉備へいきなり突っかけて来るもあった。
二
どういう悪日と凶い方位を辿って来たものだろうか。
黄河の畔から、ここまでの間というものは、劉備は、幾たび死線を彷徨したことか知れない。これでもかこれでもかと、彼を試さんとする百難が、次々に形を変えて待ち構えているようだった。
「もうこれまで」
劉備もついに観念した。避けようもない賊の包囲だ。斬死せんものと覚悟を定めた。
けれど身には寸鉄も帯びていない。少年時代から片時も離さず持っていた父の遣物の剣も、先に賊将の馬元義に奪られてしまった。
劉備は、しかし、
「ただは死なぬ」と思い、石ころを摑むが早いか、近づく者の顔へ投げつけた。
見くびっていた賊の一名は、不意を

って、
「あッ」と鼻ばしらを抑えた。
劉備は、飛びついて、その槍を奪った。そして大音に、
「四民を悩ます害虫ども。もはや免しは置かぬ。涿県の劉備玄徳が腕のほどを見よや」
と言って、捨て身になった。
賊の小方、李朱氾は笑って、
「この百姓めが」と半月槍を揮って来た。
もとより劉備はさして武術の達人ではない。田舎楼桑村で、多少の武技の稽古はしたこともあるが、それとて程の知れたものだ。武技を磨いて身を立てることよりも、蓆を織って母を養う事のほうが常に彼の急務であった。
でも、必死になって、七人の賊を相手に、ややしばらくは、一命を支えていたが、そのうちに、槍を打ち落とされ、よろめいて倒れたところを、李朱氾に馬のりに組み敷かれて、李の大剣は、ついに、彼の胸いたに突きつけられた。
――おおういっ。
すると、......いやさっきからその声は遠くでしたのだが、剣戟のひびきで、だれの耳にも入らなかったのである。
遙かあなたの野末から、
「――おおういっ。待ってくれい」
呼ばわる声が近づいて来る。
野彦のように凄い声は、思わず賊の頭を振り向かせた。
両手を振りながら韋駄天と、こなたへ馳けて来る人影が見える。その迅いことは、まるで疾風に一葉の木の葉が舞って来るようだった。
だが瞬く間に近づいて来たのを見ると、木の葉どころか身の丈七尺もある巨漢だった。
「やっ、張卒じゃないか」
「そうだ。近ごろ、卒の中に入った下ッ端の張飛だ」
賊は、不審そうに、顔見合わせて言い合った。自分等の部下の中にいる張飛という一卒だからである。他の大勢の歩卒は、騎馬に追いつけず皆、途中で遅れてしまったのに、張卒だけが、たとえ一足遅れたにせよ、このくらいの差で追いついて来たのだから、その脚力にも、賊将たちは愕いたに違いなかった。
「なんだ、張卒」
李朱氾は、膝の下に、劉備の体を抑えつけ、右手に大剣を持って、その胸いたに擬しながら振り向いて言った。
「小方。小方。殺してはいけません。その人間は、わしに渡して下さい」
「何? ......だれの命令で貴様はそんなことをいうのか」
「卒の張飛の命令です」
「ばかっ。張飛は、貴様自身じゃないか。卒の分際で」
と、言う言葉も終わらぬ間に、そう罵っていた李朱氾の体は、二丈もうえの空へ飛んで行った。
三
卒の張飛が、いきなり李朱氾を抓み上げて、宙へ投げ飛ばしたので、
「やっ、こいつが」と、賊の小方たちは、劉備もそっちのけにして、彼へ総掛かりになった。
「やい張卒、なんで貴様は、味方の李小方を投げおったか。また、おれ達のすることを邪魔だてするかっ」
「ゆるさんぞ。ふざけた真似すると」
「党の軍律に照らして、成敗してくれる。それへ直れ」
ひしめき寄ると、張は、
「わははははは。吠えろ吠えろ。胆をつぶした野良犬めらが」
「なに、野良犬だと」
「そうだ。その中に一匹でも、人間らしいのが居るつもりか」
「うぬ。新米の卒の分際で」
喚いた一人が、槍もろとも、躍りかかると、張飛は、団扇のような大きな手で、その構顔を撲りつけるや否や、槍を引ッ奪くって、よろめく尻を強かに打ちのめした。
槍の柄は折れ、打たれた賊は、腰骨が砕けたように、ぎゃっともんどり打った。
思わぬ裏切者が出て、賊は狼狽したが、日ごろから図抜けた巨漢の鈍物と、小馬鹿にしていた卒なので、その怪力を眼に見ても、まだ張飛の真価を信じられなかった。
張飛は、さながら岩壁のような胸いたを反らして、
「まだ来るか。むだな生命を捨てるより、おとなしく逃げ帰って、鴻家の姫と劉備の身は、先ごろ、県城を焼かれて鴻家の亡びた時、降参と偽って、黄巾賊の卒に這入っていた張飛という者の手に渡しましたと、有態に報告しておけ」
「あっ! ......では汝は、鴻家の旧臣だな」
「今気が付いたか。この方は県城の南門衛少督を勤めていた鴻家の武士で名は張飛、字は翼徳と申すものだが無念やこの方が他県へ公用で留守の間に、黄巾賊の輩のために、県城は焼かれ、主君は殺され、領民は苦しめられ、一夜に城地は焦土と化してしまった。――その無念さ、いかにもして怨みをはらしてくれんものと、身を偽り、敗走の兵と化けて、一時、その方どもの賊の中に、卒となって隠れていたのだ。――大方馬元義にも、また、総大将の兇賊張角にも、よく申しておけ。いずれいつかはきっと、張飛翼徳が思い知らしてくるるぞと」
雷のような声だった。
頭環眼、張飛がそう言ってかっと
睨めつけると、賊の小方等は、足も
竦んでしまったらしいが、まだ衆を
恃んで、「さては、鴻家の残兵だったか。そう聞けばなおの事、生かしてはおけぬ」と、一度に打ってかかった。
張飛は、腰の剣も抜かず、寄りつく者を把っては投げた。投げられた者は皆、脳骨を砕き、眼窩は飛び出し、瞬くうちに碧血の大地、惨として、二度と起き上がる者はなかった。
劉備は、茫然と、張飛の働きをながめていた。燕飛龍鬂、蹴れば雲を生じ、吠ゆれば風が起こるようだった。
「なんという豪傑だろう?」
残る二、三人は、驢に飛びついて逃げ失せたが、張飛は笑って追いもしなかった。そして踵を回らすと、劉備のほうへ大股に近づいて来て、
「いや旅の人。えらい目に遭いましたなあ」
と、何事も無かったような顔して話しかけた。そしてすぐ、腰に帯びていた二剣のうちの一つを外し、また、懐中から見覚えのある茶の小壺を取り出して、
「これはあなたの物でしょう。賊に奪り上げられたあなたの剣と茶壺です。さあ取って置きなさい」と、劉の手へ渡した。
四
「あ。私のです」
劉備は、失くした珠が返って来たように、剣と茶壺の二品を、張飛の手から受け取ると、幾度も感謝を表わして、「すでに生命もないところを救って戴いた上に、この大事な二品まで、自分の手に戻るとは、なんだか、夢のような心地がします。大人のお名前は、先ほど聞きました。心に銘記しておいて、御恩は生涯忘れません」と、言った。
張飛は、首を振って、
「いやいや徳は孤ならずで、貴公がそれがしの旧主、鴻家の姫を助け出してくれた義心に対して、自分も義をもってお答え申したのみです。ちょうど最前、古塔の辺りから白馬に騎って逃げた者があると、哨兵の知らせに、こよい黄巾賊の将兵が泊まっていた彼の寺が、すわと一度に、混雑に墜ちた隙をうかがい、夕刻見ておいた貴公のその二品を、馬元義と李朱氾の眠っていた内陣の壇からすばやく奪い返し、追っ手の卒と共にこれまで馳けて来たものでござる。貴公の孝心と、誠実を天もよみし賜うて、自然お手に戻ったものでしょう」
と、理由をはなした。張飛が武勇に誇らない謙遜なことばに、劉備はいよいよ感じて、感銘のあまり二品のうちの剣の方を差し出して、
「大人、失礼ですが、これは御礼として、あなたに差し上げましょう。茶は、故郷に待っている母の土産なので、頒かつことはできませんが、剣は、あなたのような義胆の豪傑に持って戴けば、むしろ剣そのものも本望でしょうから」と、再び、張飛の手へ授けて言った。
張飛は、眼をみはって、
「えっ、この品をそれがしに、賜わるとおっしゃるのですか」
「劉備の寸志です。どうか納めておいて下さい」
「自分は根からの武人ですから、実をいえば、この剣の世に稀な名刀だということは知っていますから、欲しくてならなかったところです。けれど、同時に貴公とこの剣との来歴も聞いていましたから、望むに望めないでおりましたが」
「いや、生命の恩人へ酬いるには、これをもってしても、まだ足りません。しかも剣の真価を、そこまで、わかって居て下されば、なおさら、差し上げても張り合いがあり、自分としても満足です」
「そうですか。しからば、ほかならぬ品ですから、頂戴しておこう」
と、張飛は、自身の剣をすぐ解き捨て、渇望の名剣を身に佩いていかにも欣しそうであった。
「じゃあ早速ですが、また賊が押し返して来るにきまっている。それがしは鴻家の御息女を立てて、旧主の残兵を集め、事を謀る考えですが――貴公も一刻もはやく、郷里へさしてお帰りなさい」
張飛のことばに、
「おお、それでは」
と、劉備は、芙蓉の身を扶けて、張飛に託し、自分は、賊の捨てた驢をひろって跨がった。
張飛は、先に自分が解き捨てた剣を劉備の腰に佩かせてやりながら、
「こんな剣でも帯びておいでなされ。まだ、涿県までは、数百里もありますから」と言った。
そして張飛自身も、芙蓉の身を抱いて、白馬の上に移り、名残惜し気に、
「いつかまた、再会の日もありましょうが、では
御機
よく」
「おお、きっとまた、会う日を待とう。あなたも武運めでたく、鴻家の再興を成し遂げらるるように」
「ありがとう。では」
「おさらば――」
劉備の驢と、芙蓉を抱えた張飛の白馬とは、相顧みながら、西と東に別れ去った。
桑の家
一
涿県の楼桑村は、戸数二、三百戸の小駅であったが、春秋は北から南へ、南から北へと流れる旅人の多くが、この宿場で驢を繫ぐので、酒を売る旗亭もあれば、胡弓を弾く鄙びた妓などもいて相当に賑わっていた。
この地はまた、太守劉焉の領内で、校尉鄒靖という代官が役所をおいて支配していたが、なにぶん、近年の物情騒然たる黄匪の跳梁に脅かされているので、楼桑村も例に洩れず、夕方になると明るいうちから村端れの城門をかたく閉めて、旅人も居住者も、一切の往来は止めてしまった。
城門の
鉄
が閉まる時刻は、大陸の
西厓にまっかな太陽が沈みかけるころで、望楼の役人が、六つの
鼓を
叩くのが合図だった。
だからこの辺の住民は、そこの門の事を、六
鼓門と呼んでいたが、今日もまた、赤い夕陽が鉄の

に
映しかけるころ、望楼の鼓が、もう二つ三つ四つ......と鳴りかけていた。
「待って下さい。待って下さいっ」
かなたから驢を飛ばして来たひとりの旅人は、危うく一足ちがいで、一夜を城門の外に明かさなければならない間際だったので、手をあげながら馳けて来た。
最後の鼓の一つが鳴ろうとした時、からくも旅人は、城門へ着いて、
「おねがい致します。通行をおゆるし下さいまし」
と、驢をそこで降りて、型のごとく関門調べを受けた。
役人は、旅人の顔を見ると、「やあ、お前は劉備じゃないか」と、言った。
劉備は、ここ楼桑村の住民なので、だれとも顔見知りだった。
「そうです。今、旅先から帰って参ったところです」
「お前なら、顔が手形だ、何も調べはいらないが、いったいどこへ行ったのだ。今度の旅はまた、ばかに長かったじゃないか」
「はい、いつもの商用ですが、なにぶん、どこへ行っても近ごろは、黄匪の横行で、思うように商もできなかったものですから」
「そうだろう。関門を通る旅人も、毎日減るばかりだ。さあ、早く通れ」
「ありがとう存じます」
再び驢に騎りかけると、
「そうそう、お前の母親だろう、よく関門まで来ては、きょうもまだ息子は帰りませぬか、今日も劉備は通りませぬかと、夕方になると訊ねに来たのが、このごろすがたが見えぬと思ったら煩病って寝ているのだぞ。はやく帰って顔を見せてやるがよい」
「えっ。では母は、留守中に、病気で寝ておりますか」
劉備はにわかに胸さわぎを覚え、驢を急がせて、関門から城内へ馳けた。
久しく見ない町の暮色にも、眼もくれないで彼は驢を家路へ向けた。道幅の狭い、そして短い宿場町はすぐとぎれて、道はふたたび悠長な田園へかかる。
ゆるい小川がある。水田がある。秋なのでもう村の人々は刈り入れにかかっていた。そしてところどころに見える農家の方へと、田の人影も水牛の影も戻って行く。
「ああ、わが家が見える」
劉備は、驢の上から手をかざした。舂く陽のなかに黒くぽつんと見える一つの屋根と、そして遠方か見ると、まるで大きな車蓋のように見える桑の木。劉備の生まれた家なのである。
「どんなに自分をお待ちなされて居ることやら。......思えば、わしは孝養を励むつもりで、実は不孝ばかり重ねているようなもの。母上、済みません」
彼の心を知るか、驢も足を早めて、やがて懐かしい桑の大樹の下まで辿りついた。
二
この桑の大木は、何百年を経たものか、村の古老でも知る者はない。
沓や蓆を製る劉備の家――と訊けば、あああの桑の樹の家さと指さすほど、それは村のどこからでも見えた。
古老が言うには、
「楼桑村という地名も、この桑の木が茂る時は、まるで縁の楼台のように見えるから、この樹から起こった村の名かもしれない」とのことであった。
それはともかく、劉備は今、ようやく帰り着いたわが家の裏に驢を繫ぐとすぐ、
「おっ母さん、今帰りました。玄徳です。玄徳ですよ」
と、広い家の中へ駈け込むように這入って行った。
旧家なので、家は大きいが、何一つあるではなく、中庭は、沓を編んだり蓆を織る仕事場になっており、そこも劉備の留守中は職人も通っていないので、荒れたままになっていた。
「オヤ、どうしたのだろう。燈火もついていないじゃないか」
彼は召使いの老婆と、下僕の名を呼びたてた。
ふたりとも、返辞もない。
劉備は、舌打ちしながら、
「おっ母さん」
母の部屋をたたいた。
阿備か――と飛びつくように迎えてくれるであろうと思っていた母の姿も見えなかった。いや母の部屋だけにたった一つあった簞笥も寝台も見えなかった。
「や? ......どうしたのだろう」
茫然、胸さわぎを抱いて、佇んでいると、暗い中庭のほうで、かたん、かたん――と蓆を織る音がするのであった。
「おや」
廊へ出てみると、そこの仕事場にだけ、淡暗い灯影がたった一つ提げてあった。その灯の下に、白髪の母の影が後ろ向きに腰かけていた。ただ一人で、星の下に、蓆を織っているのだった。
母は、彼が帰って来たのも気がついていないらしかった。劉備が縋りつかんばかり馳け寄って、
「今、帰りました」
と顔を見せると、母は、びっくりしたように起ってよろめきながら、
「オオ、阿備か、阿備か」
乳呑み児でも抱きしめるようにして、何を問うよりも先に、欣し涙を眼にいっぱい溜めたまま、しばしは、母は子の肌を、子は母親のふところを、相擁して温め合うのみであった。
「城門の番人に、おまえの母親は病気らしいぞといわれて、気もそぞろに帰って来たのですが、おっ母さん、どうしてこんな夜露の冷える外で、今ごろ、蓆など織っていらっしゃるのですか」
「病気? ......ああ城門の番人さんは、そう言ったかも知れないね。毎日のように関門までおまえの帰りを見に行っていたわたしが、この十日ばかりは行かないでいたから」
「では、御病気ではないんですか」
「病気などはしていられないよ、おまえ」と、母は言った。
「寝台も簞笥もありませんが......」
劉備が問うと、
「税吏が来て、持って行ってしまった。黄匪を討伐するために、年々軍費が嵩むというので、ことしは途方もなく税が上がり、おまえが用意しておいただけでは間に合わない程になったんだよ」
「婆やが見えませんが、婆やはどうしましたか」
「息子が、黄匪の仲間にはいっているという疑いで、縛られて行った」
「若い下僕は」
「兵隊にとられて行ったよ」
「――ああ! すみませんでしたおっ母さん」
劉備は、母の足もとに、ひれ伏して詫びた。
三
詫びても詫びても詫び足らないほど、劉備は母に対して済まない心地であった。けれども母は、久しぶりに旅から帰って来た我が子が、そんな自責に泣き愁しむことは、かえって不愍やら気の毒やらで、自分の胸も傷むらしく、
「阿備や、泣いておくれでない。何を詫びることがあるものかね。お前のせいではありはしない。世の中が悪いのだよ。......どれ粟でも煮て、久しぶりに、ふたりして晩のお膳を囲もうね。さだめし疲れているだろうに、今、湯を沸かしてあげるから、汗でも拭いたがよい」
と、蓆機の前から立ちかけた。
子の
機
をとって、子の罪を責めない母のあまりなやさしさに、劉備はなおさら大愛の姿に
額いて、
「もったいない。私が戻りましたからには、そんな事は、玄徳がいたします。もう御不自由はさせません」
「いいえお前はまた、あしたから働いておくれ。稼ぎ人だからね、婆やも下僕も居なくなったのだから、台所の事ぐらいは、わたしがしましょうよ」
「留守中、そんな事があろうとは、少しも知らず、つい旅先で長くなって、思わぬ御苦労をかけました。さあ、こんな大きな息子が居るんですから、おっ母さんは部屋へ這入って、安楽に寝台で寝ていて下さい」と、言って劉備はむりに母の手を誘ったが、考えてみると、その寝台も税吏に税の代わりに持って行かれてしまったので、母の部屋には、身を横たえる物もなかった。
いや、寝台や簞笥だけではない。それから彼が灯りを持って、台所へ行ってみると、鍋もなかった。四、五羽の鶏と一匹の牛もいたのであるが、そうした家畜類まで、すべて領主の軍需と税に徴発されて、目ぼしい物は何も残っていなかった。
「こんなにまで、領主の軍費も詰まって来たのか」
劉備は、身の生活を考えるよりも、もっと大きな意味で、暗澹となった。
そしてすぐ、
「これも、黄匪の害の一つのあらわれだ。ああどうなるのだろう?」
世の行く末を思いやると、彼はいよいよ暗い心に閉ざされた。
物置をあけて、彼は夕餉にする粟や豆の俵を見まわした。驚いたことには、多少その中に蓄えておいた穀物も干肉も、天井に吊しておいた乾菜まできれいに失くなっているのだった。――もう母に訊くまでもないことと、彼はまた、そこで茫失していた。
すると、むりに部屋へ入れて休ませておいた母が部屋の中で、何か小さい物音をさせていた。行って見ると、床板を上げて、土中の瓶の中から、わずかな粟と食物を取り出している。
「......ア。そんな所に」
劉備の声に、彼女はふり向いて、浅ましい自分を笑うように、
「すこし隠しておいたのだよ。生きてゆくだけの物はないと困るからね」
「.........」
世の中は急転しているのだ。これはもうただ事ではない。何億の人間が、生きながら餓鬼となりかけているのだ。反対に、一部の黄巾賊が、その血をすすり肉をくらって、不当な富貴と悪辣な栄華をほしいままにしているのだ。
「
阿備や......。
灯りを持っておいで、
粟が煮えたよ。何もないけれど、二人して

べれば、おいしかろう」
やがて、老いたる母は、貧しい卓から子を呼んでいた。
四
貧しいながら、母子は久しぶりで共にする晩の食事を楽しんだ。
「おっ母さん、あしたの朝は、きっと歓んでいただけると思います。こんどの旅から、私はすばらしいお土産を持って帰って来ましたから」
「お土産を」
「ええ。お母さんの、大好きな物です」
「ま。何だろうね?」
「生きているうちに、もいちど味わってみたいと、いつかおっしゃった事がありましたろう。それですよ」
母を楽しませるために、劉備も、それが洛陽の銘茶であるということを、しばらく明かさなかった。
母は、わが子のその気持だけでも、もう眼を細くして歓んでいるのである。焦らされていると知りながら、「織物かえ」と訊いた。
「いいえ。今も言ったとおり、味わう物ですよ」
「じゃあ、

べ物?」
「――に、近いものです」
「何じゃろ。わからないよ。阿備や。わたしにそんな好物があるかしら」
「望んでも、望めない物と、諦めの中に忘れておしまいになったんでしょう。一生に一度は、とおっ母さんが何年か前に言ったことがあるので、私も、一生に一度はと、おっ母さんにその望みをかなえて上げたいと、今日まで願望に抱いておりました」
「まあ、そんなに長年、心にかけてかえ? ......なおさら、わからなくなってしもうたよ阿備。......いったいなんだねそれは」
「おっ母さん、実は、これですよ」
錫の小さい茶壺を取り出して、劉備は、卓の上に置いた。
「洛陽の銘茶です。......おっ母さんの大好きなお茶です。......あしたの朝は、うんと早起きしましょう。そしておっ母さんは、裏の桃園に
莚をお敷きなさい。私は
驢に乗って、ここから四里ほど先の
鶏村まで行くと、とてもいい
清水の
湧いている所がありますから、番人に頼んで一
桶清水を

んで来ます」
「.........」
母は眼をまるくしたまま錫の小壺を見つめて、物も言えなかった。ややしばらくしてから怖い物でも触るように、そっと掌に乗せて、壺の横に貼ってある詩箋のような文字などを見ていた。そして大きな溜息をつきながら、眼を息子の顔へあげて、
「阿備や。......お前、いったいこれは、どうしたのだえ」
声までひそめて訊ねるのだった。
劉備は、母が疑いのあまり案じてはならないと考えて、自分の気持や、それを手に入れた事など、嚙んでふくめるようにして話して聞かせた。民間ではほとんど手に入れ難い品にはちがいないが、自分が求めたのは、正当な手続きで購ったのだから少しも懸念をする必要はありません――と附け加えて言った。
「ああ、お前は! ......なんてやさしい子だろう」
母は、茶壺を置いて、わが子の劉備に掌をあわせた。
劉備は、あわてて、
「おっ母さん、滅相もない。そんなもったいない真似はよして下さい。ただ歓んでさえ戴ければ」
と、手を取った。そうして相擁したまま、劉備は自分の気もちの酬いられた欣しさに泣き、母は子の孝心に感動のあまり涙にくれていた。
翌る朝――
まだ夜も白まぬうちに起きて、劉備は
驢の背に水桶を
結いつけ、自分も
騎って、
鶏村まで水を

みに行った。
五
もちろん劉備が出かけたころ、彼の母も夙く起きていた。
母はその間に、竈の下に豆莢がらを焚いて、朝の炊ぎをしておき、やがて家の裏のほうへ出て行った。
桑の大木の下を通って、裏へ出ると、牛の居ない牛小屋があり、鶏のいない鶏小屋があり、何もかも荒れ果てて、いちめんに秋草がのびている。
だが、そこから百歩ほど歩くと這うような姿をした果樹が、背を並べて、何千坪かいちめんに揃っていた。それはみんな桃の樹であった。秋は葉も落ちて淋しいが、春の花のさかりには、この先の蟠桃河が落花で紅くなるほどだったし、桃の実は市に売り出して、村の家何軒かで分け合って、それが一年の生計の重要なものになった。
「......オオ」
彼女は、ひとりでに出たような声を洩らした。桃園のかなたから陽が昇りかけたのだ。金色の日輪は、密雲を嚙み破るように、端だけ見えていた。今や何か尊いものがこの世に生まれかけているような感銘を彼女もうけた。
「......」
彼女は、跪ずいて、三礼を施した。子どものことを禱っているらしかった。
それから、箒を持った。
たくさんの落葉がちらかっている。桃園は村の共有なので、日ごろだれも掃除などはしない。彼女も一部を掃いただけであった。
新しい莚をそこへ敷いた。そして一箇の土炉と茶碗など運んだ。彼女はもともと氏素性の賤しくない人の娘であったし、劉備も元来正しい家柄なので、そういう品もどこかに何十年も使用せずに蔵ってあった。
清掃した桃園に
坐って、彼女は水を

みに行った息子が、やがて鶏村から帰るのを、心静かに待っていた。
桃園の

の
湖を、秋の
小禽が来てさまざまな音いろを転ばした。陽はうらうらと雲を越えて、朝霧はまだ紫ばんだまま大陸に
澱んでいた。
「わしは倖せ者よ」
彼女は、この一朝の満足をもって、死んでもいいような気がした。いやいや、そうでないとも思う。独り強くそう思う。
「あの子の将来を見とどけねば......」
ふとかなたを見ると、その劉備の姿が近づいて来た。
水を

んで帰って来たのである。
驢に騎って、驢の
鞍に小さい
桶を結いつけて。
「おお。おっ母さん」
桃園の小道を縫って、劉備は間もなくそこへ来た。そして水桶を降ろした。
「鶏村の水は、とてもいい水ですね。さだめし、これで茶を煮たらおいしいでしょう」
「ま。御苦労だったね。鶏村の水のことはよく聞いているけれど、あそこはとても恐い谷間だというじゃないか。後でわたしはそれを心配していたよ」
「なあに、道なんかいくら嶮しくても何でもありませんがね、清水には水番が居まして、なかなかただはくれません。少しばかり金をやってもらって来ました」
「黄金の水、洛陽のお茶、それにお前の孝心。王侯の母に生まれてもこんないい思いには巡り会えないだろうよ」
「おっ母さん、お茶はどこへ置きましたか」
「そうそう、私だけが戴いてはすまないと思い、御先祖のお仏壇へ上げておいたが」
「そうですか、盗まれたらたいへんです。すぐ取って参りましょう」
劉備は、家のほうへ馳けて、宝珠を抱くように、茶壺を捧げて来た。
母は、土炉へ、火をおこしていた。その前に脆ずいて劉備が茶壺を差し出すと、その時、何が母の眼に映ったのであろうか、母は手を出そうともしないで、劉備の身のまわりを改まった眸でじっと見つめた。
六
劉備は、母がにわかに改まって自分の身装を見ているので、
「どうしたのですかおっ母さん」
不審しげに訊いた。
母は、いつになく厳粛な容子を作って、
「阿備」と、声まで、常とはちがって呼んだ。
「はい。何ですか」
「お前の佩いている剣は、それはだれの剣ですか」
「わたくしのですが」
「噓をお言い。旅に出る前の物とはちがっている。お前の剣は、お父さんから遺物に戴いた――御先祖から伝わっている剣のはずです。それを、どこへやってしまったのです?」
「......はい」
「はいではありません。片時でも肌身から離してはなりませぬぞと、わしからもくれぐれ言ってあるはずです。どうしたのだえ、あの大事な剣は」
「実は、その......」
劉備はさし俯向いてしまった。
母の顔は、いよいよ峻厳に変わっていた。劉備が口ごもっていると、なお追求して、
「まさか手放してしまったのではあるまいね」と念を押した。
劉備は、両手をつかえて、
「申しわけありません。実は旅から帰る途中、ある者に礼として与えてしまいましたので」
言うと、母は、「えっ、人に与えてしまったッて。――ま! あの剣を」と、顔いろを変えた。
劉備はそこで、黄巾賊の一群につかまって、人質になったことや、茶壺や剣も奪り上げられてしまったことや、それからようやく救われて、賊の群れから脱出して来たが、再び追いつかれて黄匪の重囲に陥ち、すでに斬死しようとした時、卒の張飛という者が、一命を助けてくれたので、欣しさのあまり、何か礼を与えようと思ったが、身に持っている物は、剣と茶壺しかなかったので、やむなく、剣を彼に与えたのです――と審に話して、
「賊に捕まった時も、張卒に助けられた時も、その折はもう何も要らないという気持になっていたんです。......けれど、この銘茶だけは、生命がけでも持って帰って、おっ母さんに上げたいと思っていました。剣を手放したのは申しわけありませんが、そんなわけで、この銘茶を、生命から二番目の物として、持ち帰ったのでございます」
「............」
「剣は、先祖伝来の物で、大事な物には違いありませんが、沓や蓆を製って生活しているあいだは、張卒から貰ったこれでも決して間にあわない事もありませんから......」
母の惜しがる気持を宥めるつもりで彼がそう言うと、何思ったか劉備の母は、
「ああ――わしは、お前のお父様に申しわけがない。亡き良人に顔向けがなりません。――わたしは、子の育て方を過った!」と、慟哭して叫んだ。
「何をおっしゃるんです。おっ母さん! どうしてそんな事を」
母の心を酌みかねて、劉備がおろおろと言うと、母はやにわに、眼の前にあった錫の小さい茶壺を取り上げ、
「阿備、おいで!」と、きつい顔して、彼の腕を片手で引っ張った。
「どこへです。おっ母さん。......ど、どこへいらっしゃろうと言うんですか」
「............」
彼の母は、答えもせず、劉備の腕くびを固くつかんだまま、桃園の果てへ馳け出して行った。そしてそこの蟠桃河の岸まで来ると、持っていた錫の茶壺を、河の中ほど目がけて抛り捨ててしまった。
七
「あッ。何で?」
びっくりした劉備は、われを忘れて、母の手頸を捉えたが、母の手から投げられた茶の壺は、小さい飛沫を見せて、もう河の底に沈んでいた。
「おっ母さん! ......おっ母さん! ......一体、なにがお気に障ったのですか。なんで折角の茶を、河へ捨てておしまいになったんですか」
劉備の声は、顫えていた。母に欣ばれたいばかりに、百難の中を、生命がけで持って来た茶であった。
母は、歓びのあまりに、気が狂れたのではあるまいか?
「......何を言うのです。譟がしい!」
母は、劉備の手を払った。
そして亡父のような顔をした。
「............」
劉備は、きびしい母の眉に、思わず後ろへ退がった。
生まれてから初めて、母にも怖い姿があることを知った。
「阿備。お坐りなさい」
「......はい」
「お前が、わしを歓ばせるつもりで、はるばる苦労して持っておいでた茶を、河へ捨ててしもうた母の心がわかりますか」
「......わかりません。おっ母さん、玄徳は愚鈍です。どこが悪い、なにが気にいらぬと、叱って下さい。おっしゃって下さい」
「いいえ!」
母は、つよく頭を振り、
「勘ちがいをおしでない。母は自分の気儘から叱るのではありません。――大事な剣を人手に渡すようなお前を育てて来たことを、わたしは母として、御先祖にも、死んだお父さんにも、済まなく思うたからです」
「私が悪うございました」
「お黙りっ!......そんな簡単に聞かれては、母の叱言がおまえにわかっているとはいえません。――私が怒っているのは、お前の心根がいつのまにやら萎えしぼんで、楼桑村の水呑百姓になりきってしもうたかと――それが口惜しいのです。残念でならないのです」
母は、子を叱るために励ましているわれとわが声に泣いてしまって、袍の袖を、老の眼に当てた。
「......お忘れかえ、阿備。おまえのお父様も、お祖父様も、おまえのように沓を作り蓆を織り、土民の中に埋もれたままお果てなされてはいるけれど、もっともっと先の御先祖をたずねれば、漢の中山靖王劉勝の正しい血すじなのですよ。おまえはまぎれもなく景帝の玄孫なのです。この支那をひと度は統一した帝王の血がおまえの体にながれているのです。あの剣は、その印綬と言うてもよい物です」
「............」
「だが、こんな事は、めったに口に出す事ではない。なぜならば、今の後漢の帝室は、わたし達の御先祖を亡ぼして立った帝王だからです。景帝の玄孫とわかれば、とうに私たちの家すじは断ち絶られているでしょう。......だからというて、お前までが、土民になりきってしまってよいものか」
「......」
「わたしは、そんな教育を、お前にした覚えはない。揺藍に入れて、子守唄をうとうて聞かせたころから――また、この母が膝に抱いて眠らせたころから――おまえの耳へ母は御先祖のお心を血の中へ訓えこんだつもりです。――時の来ぬうちはぜひもないが、時節が来たら、世のために、また、漢の正統を再興するために、剣を把って、草盧から起たねばならぬぞと」
「......はい」
「阿備。――その剣を人手に渡して、そなたは、生涯、蓆を織っている気か。剣よりも茶を大事にお思いか。......そんな性根の子が求めて来た茶などを、歓んで飲む母とお思いか。......わたしは腹が立つ。わたしはそれが悲しい」
と、母は慟哭しながら、劉備の襟をつかまえて、嬰児を懲らすように折檻した。
八
母に打ちすえられたまま、劉備は身うごきもしなかった。
打々と、母が打つたびに、母の大きな愛が、骨身に泌み、さんさんと涙がとまらなかった。
「すみません」
母の手を宥るように、劉備はやがて、打つ手を抑えて、自分の額に、押しいただいた。
「わたくしの考え違いでございました。まったく玄徳の愚かがいたした落ち度でございます。おっしゃるとおり、玄徳もいつか、土民の中に貧窮しているため、心まで土民になりかけておりました」
「わかりましたか。阿備、そこへ気がつきましたか」
「御打擲をうけて、幼少の御訓言が、骨身から喚び起こされて参りました。――大事な剣を失いました事は、御先祖へも、申しわけありませんが......御安心下さいお母さん......玄徳の魂はまだ此身にございます」
――するとそれまで、老の手が痺れるほど子を打っていた母の手は、やにわに阿備のからだをひしと抱きしめて、
「おお! 阿備や! ......ではお前にも、一生土民で朽ち果てまいと思う気もちはおありかえ。まだ忘れないで、わたしの言薬を、魂のなかにお持ちかえ」
「なんで忘れましょう。わたしが忘れても景帝の玄孫であるこの血液が忘れるわけはありません」
「よう言いなすった。......阿備よ。それを聞いて母は安心しました。ゆるしておくれ、......ゆるしておくれよ」
「何をなさるんです。わが子へ手をついたりして、もったいない」
「いいえ。心まで落魄れ果てたかと、悲しみと怒りのあまり、お前を打擲したりして」
「御恩です。大愛です。今の御打擲は、わたくしにとって、真の勇気を奮いたたせる神軍の鼓でございました。仏陀の杖でございました。――もしきょうのお怒りを見せて下さらなければ、玄徳は何を胸に考えていても、お母さんが世にあるうちはと、卑怯な土民を装っていたかも知れません。いいえそのうちについ年月を過ごして、ほんとの土民になって朽ちてしまったかもしれません」
「――ではお前は、何を思っても、この母が心配するのを怖れて、母が生きているうちはただ無事に暮らしている事ばかり願っていたのだね。......ああ、そう聞けば、なおさらわたしの方が済まない気がします」
「もう私も、肚がきまりました。――でなくても、今度の旅で、諸州の乱れやら、黄匪の惨害やら、地上の民の苦しみを、眼の痛むほど見て来たのです。おっ母さん、玄徳が今の世に生まれ出たのは、天上の諸帝から、何か使命を享けて世に出たような気がされます」
彼が、真実の心を吐くと彼の母は、天地に黙禱をささげて、いつまでも、両の腕の中に額を埋めていた。
しかし、この日の朝の事は、どこまでも、母子ふたりだけの秘かごとだった。
劉備の家には、相変わらず蓆機を織る音が、何事もなげに、毎日、外へ洩れていた。
土民の手あらの者が、職人として雇われて来て、日ごとに中庭の作業場で、沓を編み、蓆を荷造りして、それが溜ると、城内の市へ持って行って、穀物や布や、母の持薬などと交易して来た。
変わった事といえば、それくらいなもので、家の東南にある高さに五丈余の桑の大樹に、春は禽が歌い、秋は落葉して、いつかここ三、四年の星霜は過ぎた。
すると浅春のある日。
白い山羊の背に、二箇の酒瓶を乗せて、それを曳いて来た旅の老人が、桑の下に立って、独りで何やら感嘆していた。
九
だれか、のっそりと、無断で家の横から中庭へ這入って来た。
劉備は、母と二人で、蓆を織っていた。無断と言っても、土塀は崩れたままだし、門はないし、通り抜けられても、咎めるわけにもゆかないほどな家ではあったが――
「......おや?」
振り向いた母子は目をみはった。そこに立った旅の老人よりも、酒瓶を背にのせている山羊の毛の雪白な美しさに、すぐ気を奪られたのである。
「御精が出るのう」
老人は、馴れ馴れしい。
蓆機のそばに腰をおろし、なにか話しかけたい顔だった。
「お爺さん、何国から来なすったね。たいそう毛のいい山羊だな」
いつまでも黙っているので、かえって劉備から口を切ってやると、老人はさもさも何か感じたように、独りで首を振りながら言った。
「息子さんかの。このお方は」
「はい」と、母が答えると、
「よい子を生みなすったな、わしの山羊も自慢だが、この息子には敵わない」
「お爺さんは、この山羊を曳いて、城内の市へ売りに来なすったのかね」
「なあに、この山羊は、売れない。だれにだって、売れないさ。わしの息子だものな。わしの売り物は酒じゃよ。だが道中で悪漢に脅されて、酒は呑まれてしもうたから、瓶は二つとも空っぽじゃ。何もない。はははは」
「では、折角遠くから来て、おかねにも換えられずに帰るんですか」
「帰ろうと思って、ここまで来たら、偉い物を見たよわしは」
「なんですか」
「お宅の桑の樹さ」
「ああ、あれですか」
「今まで、何千人、いや何万人となく、村を通る人々が、あの樹を見たろうが、だれもなんとも言った者はないかね」
「べつに」
「そうかなあ」
「珍しい樹だ、桑でこんな大木はないとは、だれもみな言いますが」
「じゃあ、わしが告げよう。あの樹は、霊木じゃ。此家から必ず貴人が生まれる。重々、車蓋のような枝が皆、そう言ってわしへ囁いた。......遠くない、この春。桑の葉が青々とつくころになると、いい友達が訪ねて来るよ。蛟龍が雲を獲たように、それから此家の主はおそろしく身上が変わって来る」
「お爺さんは、易者かね」
「わしは、魯の李定という者さ。というて年中飄々としておるから、故郷にいたためしはない。羊を曳っぱって、酒に酔うて、時々、市へ行くので、皆が羊仙と言ったりする」
「羊仙さま。じゃあ世間の人は、あなたを仙人と思っているので?」
「はははは。迷惑なはなしさ。何しろきょうは欣しい人とはなし、珍しい霊木を見た。この子のおっ母さん」
「はい」
「この山羊を、お祝いに献上しよう」
「えっ?」
「おそらく、この子は、自分の誕生日も、祝われた事はあるまい。だが、今度は祝ってやんなさい。この瓶に酒を買い、この山羊を屠って、血は神壇に捧げ、肉は羹に煮て」
初めは、戯れであろうと、半ば笑いながら聞いていたところ、羊仙はほんとに山羊を置いて、立ち去ってしまった。
驚いて、桑の下まで馳け出し、往来を見まわしたが、もう姿は見えなかった。
橋畔風談
一
蟠桃河の水は紅くなった。両岸の桃園は紅霞を曳き、夜は眉のような月が香った。
けれど、その水にも、詩を詠む人を乗せた一艘の舟もないし、杖をひいて逍遙する雅人の影もなかった。
「おっ母さん、行って来ますよ」
「ああ、行っておいで」
「なにか城内からおいしい物でも買って来ましょうかね」
劉備は、家を出た。
沓や蓆をだいぶ納めてある城内の問屋へ行って、価を取って来る日だった。
午から出ても、用達をすまして陽のあるうちに、楽に帰れる道程なので、劉備は驢にも騎らなかった。
いつか羊仙の置いて行った山羊がよく馴れて、劉備の後に尾いて来るのを、母が後ろで呼び返していた。
城内は、埃ッぽい。
雨が久しくなかったので、沓の裏がぽくぽくする。劉備は、問屋から銭を受け取って、脂光のしている市の軒並を見て歩いていた。
蓮根の菓子があった。劉備はそれを少し買い求めた。──けれど少し歩いてから、
「蓮根は、母の持病に悪いのじゃないか」と、取り換えに戻ろうかと迷っていた。
がやがやと沢山な人が辻に集まっている。いつもそこでは、野鴨の丸揚げや餅など売っている場所なので、その混雑かと思うていたが、ふと見ると、大勢の頭の上に、高々と、立て札が見えている。
「何だろ?」
彼も、好奇に駆られて、人々のあいだから高札を仰いだ。
見ると──
遍く天下に義勇の士を募る
という布告の文であった。
黄巾の匪、諸州に蜂起してより、年々の害、鬼畜の毒、惨として蒼生に青田なし。
今にして、鬼賊を誅せずんば、天下知るべきのみ。
太守劉焉、遂に、子民の泣哭に奮って討伐の天鼓を鳴らんとす。故に、隠れたる草廬の君子、野に潜むの義人、旗下に参ぜよ。
欣然、各子の武勇に依って、府に迎えん。
涿郡校尉鄒靖
「なんだね、これは」
「兵隊を募っているのさ」
「ああ兵隊か」
「どうだ、志願して行って、ひと働きしては」
「おれなどはだめだ。武勇もなにもない。ほかの能もないし」
「だれだって、そう能のある者ばかり集まるものか。こう書かなくては、勇ましくないからだよ」
「なるほど」
「憎い黄匪めを討つんだ。槍の持ち方がわからないうちは、馬の飼糧を刈っても軍の手伝いになる。おれは行く」
ひとりが呟いて去ると、その呟きに決心を固めたように、二人去り、三人去り、皆、城門の役所のほうへ力のある足で急いで行った。
「............」
劉備は、時勢の跫音を聞いた。民心の赴く潮を見た。
――が。蓮根の菓子を手に持ったまま、いつまでも、考えていた。だれも居なくなるまで、高札と睨み合って考えていた。
「......ああ」
気がついて、間がわるそうに、そこから離れかけた。
すると、だれか、楊柳のうしろから、
「若人。待ち給え」
と、呼んだ者があった。
二
さっきから楊柳の下に腰かけて、路傍の酒売りを相手に、声高に話していた男のあったことは、劉備も知っていた。
自分の容子を、横目ででも見ていたのだろうか、二、三歩、高札から足を退けると、
「貴公、それを読んだか」
片手に、酒杯を持ち、片手に剣の把を握って不意に起って来たのである。
楊柳の幹より大きな肩幅を、後ろ向きに見ていただけであったが、立ち上がったのを見ると、実に見上げるばかりの偉丈夫であった。突然、山が立ったように見えた。
「......私ですか」
劉備はさらに改めて、その人を見直した。
「うむ。貴公よりほかに、もうだれも居ないじゃないか」
黒漆の髯の中で、牡丹のような口を開いて笑った。
声も年ごろも、劉備と幾つも違うまいと思われたが、偉丈夫は、髪から腮まで、隙間もないように艶々しい髯を蓄えていた。
「――読みました」
劉備の答えは寡言だった。
「どう読んだな、貴公は」と、彼の問いは深刻で、その眼は、烱々として鋭い。
「さあ?」
「まだ考えておるのか。あんなに長い間、高札と睨み合っていながら」
「ここで語るのを好みません」
「おもしろい」
偉丈夫は、酒売りへ、銭と酒杯を渡して、ずかずかと、劉備のそばへ寄って来た。そして劉備の口真似しながら、
「ここで語るのを好みません......いや愉快だ。その言葉に、おれは真実を聴く。さ、どこかへ行こう」
劉備は困ったが、「とにかく歩きましょう。ここは人目の多い市ですから」
「よし歩こう」
偉丈夫は、闊歩した。劉備は並行してゆくのに骨が折れた。
「あの虹橋の辺はどうだ」
「よいでしょう」
偉丈夫の指さすところは町端れの楊柳の多い池のほとりだった。虹を架けたような石橋がある。それから先は廃苑であった。何とかいう学者が池を坑って、聖賢の学校を建てたが、時勢は聖賢の道と逆行するばかりで、真面目に通って来る生徒はなかった。
学者は、それでも根気よく、石橋に立って道を説いたが、市の住民や童は、(気狂いだ)と、耳も藉さない。それのみか、小賢しい奴だと、石を投げる者もあったりした。
学者は、いつのまにか、ほんとの狂人になってしまったとみえ、ついには、あらゆる事を絶叫して、学苑の中をさまよっていたが、そのうちに蓮池の中に、あわれ死体となって浮かび上がった。
そういう遣蹟であった。
「ここはいい。掛け給え」
偉丈夫は、虹橋の石欄へ腰をかけ、劉備にもすすめた。
劉備は、ここまで来る間に、偉丈夫の人物をほぼ観ていた。そして、(この人間は偽物でない)と思ったので、ここへ来た時は、彼もかなりな落着きと本気を示していた。
「時に、失礼ですが、尊名から先に承りたいものです。私はここから程遠くない楼桑村の住人で、劉備玄徳という者ですが」
すると偉丈夫は、いきなり劉備の肩を打って、「好漢。それはもう聞いておるじゃないか。この方の名だって、よく御承知のはずだが」と言った。
三
「え? .........私も以前から御存じの方ですって」
「お忘れかな。ははは」
偉丈夫は、肩をゆすぶって、腮の黒い髯をしごいた。
「――無理もない。頰の刀傷で、容貌も少し変わった。それにここ三、四年はつぶさに浪人の辛酸を舐めたからなあ。貴公とお目にかかったころには、まだこの黒髯も蓄えてなかった時じゃ」
そう言われても、劉備はまだ思い出せなかったが、ふと、偉丈夫の腰に佩いている剣を見て、思わずあっと口をすべらせた。
「おお、恩人! 思い出しました。あなたは数年前、私が黄河から涿県のほうへ帰ってくる途中、黄匪に囲まれてすでに危うかったところを助けてくれた鴻家の浪士、張飛翼徳とおっしゃったお方ではありませんか」
「そうだ」
張飛はいきなり腕をのばして、劉備の手を握りしめた。その手は鉄のようで、劉備の掌を握ってなお、五指が余っていた。
「よく覚えていて下された。いかにもその折の張飛でござる。かくのごとく、髯を蓄え、容貌を変えているのも、以来、志を得ずに、世の裏に潜んでおるがためです。――で実は、貴公にわかるかどうか試してみたわけで、最前からの無礼はどうかゆるされい」
偉丈夫に似あわず、礼には篤かった。
すると劉備は、より以上、慇懃に言った。
「豪傑。失礼はむしろ私のほうこそ咎めらるべきです。恩人のあなたを見忘れるなどという事は、たとえいかに当時とお変わりになっているにせよ、相済まないことです。どうか、劉備の罪はおゆるし下さい」
「やあ、御鄭重で恐れいる。ではまあ、お互いとしておこう」
「時に、豪傑。あなたは今、この県城の市に住んでおるのですか」
「いや、話せば長い事になるが、いつかも打ち明け申したとおり、どうかして黄巾賊に奪われた主家の県城を取り返さんものと、民間にかくれては兵を興し、また、敗れては民間に隠れ、幾度も幾度も事を謀ったが、黄匪の勢力は旺になるばかりで、近ごろはもう矢も尽き刀も折れたという恰好です。......で先ごろから、この涿県に流れて来て、山野の猪を狩って肉を屠り、それを市にひさいで露命をつないで居るような状態です。おわらい下さい。ここのところ、張飛も尾羽打ち枯らした態たらくなので」
「そうですか。少しも知りませんでした。そんな事なら、なぜ楼桑村の私の家を訪ねてくれなかったのですか」
「いや、いつかは一度、お目にかかりに参る心ではいたが、その折には、ぜひ尊公に、うんと承知して貰いたい事があるので――その準備がまだこっちにできていないからだ」
「この劉備に、お頼みとは、一体何事ですか」
「劉君」
張飛は、鏡のような眼をした。らんらんとそのなかに胸中の炬火が燃えているのを劉備は認めた。
「尊公は今日、市で県城の布令を読まれたであろう」
「うむ。あの高札ですか」
「あれを見て、どう思われましたか。黄匪討伐の兵を募るという文を見て――」
「べつに、どうと言って、なんの感じもありません」
「無い?」
張飛は、斬り込むような語気で言った。明らかに、激怒の血を、顔にうごかしてである。
けれど劉備は、
「はい。何も思いません。なぜなら、私には、ひとりの母がありますから。――したがって、兵隊に出ようとは思いませんから」
水のように冷静に言った。
四
秋かぜが橋の下を吹く。
虹橋の下には、枯れ蓮の葉がからから鳴っていた。
びらっと、色羽の
征矢が飛んだと見えたのは、水を離れた
翡
だった。
「噓だっ」
張飛は、静かな話し相手へ、いきなり呶鳴って、腰かけていた橋の石欄から突っ立った。
「劉君。貴公は、本心を人に秘して、この張飛へも、深くつつんでいられるな。いや、そうだ。張飛を御信用なさらぬのだ」
「本心? ......私の本心は今言ったとおりです。なにを、あなたにつつむものか」
「しからば貴公は、今の天下を眺めて、なんの感じも抱かれないのか」
「黄匪の害は見ていますが、小さい貧屋に、ひとりの母さえ養いかねている身には」
「人は知らず、張飛にそんなことをおっしゃっても、張飛はあなたを、ただの土民と見ることは出来ぬ。打ち明けて下さい。張飛も武士です。他言は断じて致さぬ漢です」
「困りましたな」
「どうしても」
「お答えのしようがありません」
「ああ――」
憮然として、張飛は、黒漆の髯を秋かぜに吹かせていたが、何か、思い出したように、突然、佩いている剣鞘を解いて、
「お覚えがあるでしょう」と、鞘を握って、劉備の面へ、横ざまに突きつけて言った。
「これはいつか、貴公から礼にと手前へ賜わった剣です。また、私から所望した剣であった。――だが不肖は、いつか尊公に再び巡り会ったら、この品は、お手許へ返そうと思っていた。なぜならば、これは張飛のごとき匹夫が持つ剣ではないからだ」
「............」
「血しぶく戦場で、――また、戦に敗れて落ち行く草枕の寝覚めに――幾たびとなく拙者はこの剣を抜き払ってみた。そして、そのたびに、拙者は剣の声を聞いた」
「.........」
「劉君、其許は聞いた事があるか、この剣の声を!」
「............」
「一揮して、風を断てば、剣は啾々と泣くのだ。星衝いて、剣把から鋩子までを俯仰すれば、朧夜の雲とまがう光の斑は、みな剣の涙として拙者には見える」
「............」
「いや、剣は、剣を持つ者へ訴えて言うのだ。いつまで、わが身を、為すなく室中に閉じこめて置くぞと。――劉備どの、噓と思わば、その耳に、剣の声を聞かそうか、剣の涙を見せようか」
「......あっ」
劉備も思わず石欄から腰を立てた。――止める間はなかった。張飛は、剣を払って、ぴゅっと秋風を斬った。正しく、剣の声が走った。しかもその声は、劉備の腸を断つばかり胸を搏った。
「君聞かず哉!」
張飛は、言いながら、またも一振り二振りと、虚空に剣光を描いて、
「何の声か。そも」と、叫んだ。
そしてなおも、答えのない劉備を見ると、もどかしく思ったのか、橋の石欄へ片足を踏みかけて、枯れ蓮の池を望みながら独り言った。
「あたら、治国愛民の宝剣も、いかにせむ持つ人も無き末世とあってはぜひもない。霊あらば剣も恕せ。猪肉売りの浪人の腰にあるよりは、むしろ池中に葬って――」
あなや、剣は、虹橋の下へ投げ捨てられようとした。劉備は驚いて、走り寄るなり彼の腕を支え、「豪傑待ち給え」と、叫んだ。
五
張飛はもとより折角の名剣を泥池に捨ててしまうのは本意ではないから、止められたのを幸いに、
「何か?」と、わざと身を退いて、劉備の言を待つもののように見まもった。
「まず、お待ちなさい」
劉備は言葉しずかに、張飛の悲壮な顔いろを宥めて、
「真の勇者は慷慨せずといいます。また、大事は蟻の穴より漏るという喩もある。ゆるゆる談すとしましょう。しかし、足下が偽物でないことはよく認めました。偉丈夫の心事を一時でも疑った罪はゆるして下さい」
「おっ。......では」
「風にも耳、水にも眼、大事は路傍では語れません。けれど自分は何をつつもう。漢の中山靖王劉勝の後胤で、景帝の玄孫にあたるものです。......なにをか好んで、沓を作り蓆を織って、黄荒の末季を心なしに見ておりましょうや」と、声は小さく語韻はささやくごとくであったが、凜たるものを裡に潜めて言い、そして莞爾と笑ってみせた。
「豪傑。これ以上、もう多言を吐く必要はないでしょう。折を見てまた会いましょう。きょうは市へ来た出先で、遅くなると母も案じますから――」
張飛は獅子首を突き出して、嚙みつきそうな眼をしたまま、いつまでも無言だった。これは感極まった時にやる彼の癖なのである。それからやがて唸るような息を吐いて、大きな胸を反らしたと思うと、
「そうだったのか! やはりこの張飛の眼には誤りはなかった! いやいつか古塔の上から跳び降りて死んだ彼の老僧の言った事が、今思いあたる。......ウウム、あなたは景帝の裔孫だったのか、治乱興亡の長い星霜のあいだに、名門名族は泡沫のように消えてゆくが、血は一滴でも残されればどこかに伝わってゆく、ああ有り難い。生きていたかいがあった。今月今日、張飛は会うべきお人に会った」
独りしてそう呻いていたかと思うと、彼はにわかに、石橋の石の上にひざまずき、剣を奉じて、劉備へ言った。
「謹んで、剣は尊手へお回しします。これはもともと、やつがれなどの身に佩くものではない。――が、但しです。あなたはこの剣を受け取らるるや否や。この剣を佩くからには、この剣と共にある使命もあわせて佩かねばならぬが」
劉備は、手を伸ばした。
何か、厳かな姿だった。
「享けましょう」
剣は、彼の手に回った。
張飛は、いく度も、拝姿の礼を、繰り返して、
「では、そのうちに、きっと楼桑村へ、お訪ねして参るぞ」
「おお、いつでも」
劉備は、今まで佩いていた剣と佩き代えて、前の物は、張飛へ戻した。それは張飛に救われた数年前に、取り換えた物だったからである。
「日が暮れかけて来ましたな。じゃあ、いずれまた」
夕闇の中を、劉備は先に、足を早めて別れ去った。風にふかれて行く水色の服は汚れていたが、剣は眼に見える黄昏の万象の中で、なによりも異彩を放って見えた。
「体に持っている気品というものは争えぬものだ。どこか貴公子の風がある」
張飛は見送りながら、独り虹橋の上に立ち暮れていたが、やがてわれに回った顔をして、
「そうだ、雲長にも聞かせて、早く歓ばしてやろう」と、いずこともなく馳け出したが、劉備とちがってこれはまた、一陣の風が黒い物となって飛んで行くようだった。
童学草舎
一
城壁の望楼で、今しがた、鼓が鳴った。
市は宵の燈となった。
張飛は一度、市の辻へ帰った。そして昼間展げていた猪の露店をしまい、猪の股や肉切庖丁などを苞に括って持つとまた馳け出した。
「やあ、遅かったか」
城内の街から城外へ通じるそこの関門は、もう閉まっていた。
「おうい、開けてくれっ」
張飛は、望楼を仰いで、駄々っ子のように呶鳴った。
関門の傍の小さい兵舎から五、六人ぞろぞろ出て来た。途方もない馬鹿者に訪れられたように、からかい半分に叱りとばした。
「こらっ。なにを喚いておるか。関門が閉まったからには、霹靂が墜ちても、開けることはできない。なんだ貴様は一体」
「毎日、城内の市へ、猪の肉を売りに出ておる者だが」
「なるほど、こやつは肉売りだ。なんで今ごろ、寝呆けて関門へやって来たのか」
「用が遅れて、閉門の時刻までに、帰りそびれてしまったのだ。開けてくれ」
「正気か」
「酔うてはいない」
「ははは。こいつ酔っぱらっているに違いない。三べんまわってお辞儀をしろ」
「なに」
「三度ぐるりと廻って俺たちを三拝したら通してやる」
「そんな事はできぬが、このとおりお辞儀はする。さあ、開けてくれ」
「帰れ帰れ。何百遍頭を下げても、通すわけにはゆかん。市の軒下へでも、寝てあした通れ」
「あした通っていいくらいなら頼みはせん。通さぬとあれば、汝等をふみ潰して、城壁を躍り越えてゆくがいいか」
「こいつが......」と、呆れて、
「いくら酒の上にいたせ、よいほどに引っ込まぬと、素ッ首を刎ね落とすぞ」
「では、どうしても、通さぬというか。おれに頭を下げさせて置きながら」
張飛は、そこらを見廻した。酔いどれとは思いながら、雲突くような巨漢だし、無気味な眼の光に関わずにいると、ずかずかと歩み出して、城壁の下に立ち、役人以外は登ることを厳禁している鉄梯子へ片足をかけた。
「こらっ。どこへ行く」
ひとりは、張飛の腰の紐帯をつかんだ。他の関門兵は、槍を揃えて向けた。
張飛は、髯の中から、白い歯を見せて、人馴つこい笑い方をした。
「いいじゃないか。野暮を言わんでも......」
そして携えている猪の肉の片股と、肉切庖丁とを、彼等の目のまえに突き出した。
「これをやろう。貴公等の身分では、滅多に肉も

らえまい。これで寝酒でもやったほうが、俺に
撲り殺されるより
遙かに
ましじゃろうが」
「こいつが、言わしておけば――」
また一人、組みついた。
張飛は、猪の股を振り上げて、突き出して来る槍を束にして払い落とした。そして自分の腰と首に組みついている二人の兵は、蠅でもたかっているように、そのまま振りのけもせず、二丈余の鉄梯子を馳け登って行った。
「や、やっ」
「狼藉者っ」
「関門破りだっ」
「出合え。出合えっ」
狼狽して、わめき合う人影のうえに、城壁の上から、二箇の人間が飛んで来た。もちろん、投げ落とされた人間も血漿の粉になり、下になった人間も、肉餅のように圧潰れた。
二
物音に、望楼の守兵と、役人等が出て見た時は、張飛はもう、二丈余の城壁から、関外の大地へとび降りていた。
「黄匪だっ」
「間諜だ」
警鼓を鳴らして、関門の上下では騒いでいたが、張飛はふり向きもせず、疾風のように馳けて行った。
五、六里も来ると、一条の河があった。蟠桃河の支流である。河向こうに約五百戸ほどの村が墨のような夜靄のなかに沈んでいる。村へはいってみるとまだそう夜も更けていないので、所々の家の灯皿に薄暗い明りがゆらいでいる。
楊柳に囲まれた寺院がある。
塀にそって張飛は
大股に曲がって行った。すると大きな
棗の木が五、六本あって、陰士の住居とも見える閑寂な庭があった。門柱はあるが

はない。そしてそこの入り口に、
童学草舎
という看板が懸かっていた。
「おういっ。もう寝たのか。雲長、雲長」
張飛は、
烈しく、奥の家の

をたたいた。すると横の窓に、うすい
灯が
映した。
帳を揚げてだれか窓から首を出したようであった。
「だれだ」
「それがしだ」
「張飛か」
「おう、雲長」
窓の灯が、中の人といっしょに消えた。間もなく、
佇んでいる張飛の前の

がひらかれた。
「何用だ。今ごろ――」
手燭に照らされてその人の面が昼見るよりもはっきり見えた。まず驚くべきことは、張飛にも劣らない背丈と広い胸幅であった。その胸にはまた、張飛よりも長い腮髯がふっさりと垂れていた。毛の硬い者は粗暴で神経もあらいという事がほんとなら、雲長というその者の髯のほうが、彼のものよりは軟らかで素直でそして長いから、同時に張飛よりもこの人のほうが智的にすぐれていると言えよう。
智的といえば、額もひろい。眼は鳳眼であり、耳朶は豊かで、総じて、体の巨きいわりに肌目こまやかで、音声もおっとりしていた。
「いや、夜中とは思ったが、一刻もはやく、尊公にも聞かせたいと思って――欣びを齎して来たのだ」
張飛のことばに、
「また、それを肴に、飲もうというのじゃないかな」
「ばかをいえ。それがしを、そう飲んだくれとばかり思うているから困る。平常の酒は、鬱懐をはらすために飲むのだ。今夜はその鬱懐もいっぺんに散じて、愉快でならない吉報を携えて来たのだ。酒がなくても、ずいぶん話せる事だ。あればなおいいが」
「ははははは。まあ入れ」
暗い廊を歩いて、一室へ二人はかくれた。その部屋の壁には、孔子やその弟子たちの聖賢の図が懸かっていた。また、たくさんな机が置いてあった。門柱に見えるとおり、童学草舎は村の寺子屋であり、主は村童の先生であった。
「雲長――いつも話の上でばかり語っていたことだが、俺たちの夢がどうやらだんだん夢ではなく、現実になって来たらしいぞ。実はきょう、前からも心がけていたが――かねて尊公にもはなしていた劉備という漢――それに偶然市で出会ったのだ。突っ込んだ話をしてみたところ、果たして、ただの土民ではなく、漢室の宗族景帝の裔孫ということがわかった。しかも英邁な青年だ。さあ、これから楼桑村の彼の家を訪れよう。雲長、支度はそれでよいか」
三
「相かわらずだのう」
雲長は笑ってばかりいる。張飛がせきたてても、なかなか腰を上げそうもないので、張飛は、
「何が相かわらずだ」と、やや突っかかるような言葉で反問した。
「だって」と、雲長はまた笑い、「これから楼桑村へゆけば、真夜半を過ぎてしまう。初めての家を訪問するのに、あまり礼を知らぬ事に当たろう。なにも、明日でも明後日でもよいではないか。さあと言えば、それというのが、貴公の性質だが、大大丈夫たる者はよろしくもっと沈重な態度であって欲しいなあ」
折角、一刻もはやく欣んでもらおうと思って来たのに、案外、雲長が気のない返辞なので、
「ははあ。雲長。尊公はまだそれがしの話を、半信半疑で聞いておるんじゃないか。それで、渋ッたい面をしておるのだろう。おれの事を、いつも短気というが、尊公の性質は、むしろ優柔不断というやつだ。壮図を抱く勇者たる者は、もっと事に当たって、果断であって欲しいものだ」
「ははははは。やり返したな。しかしおれは考えるな。なんといわれても、もっと熟慮してみなければ、迂闊に、景帝の玄孫などという男には会えんよ。――世間に、よくあるやつだからな」
「そら、そのとおり、拙者の言を疑っておるのではないか」
「疑るのが常識で、疑わない貴公が元来、生一本の莫迦正直というものじゃ」
「聞き捨てにならんことを言う。おれがどうして莫迦正直か」
「ふだんの生活でも、のべつ人に騙されておるではないか」
「おれはそんなに騙されたおぼえはない」
「騙されても、騙されたと覚らぬほど、尊公はお人が好いのだ。それだけの武勇をもちながら、いつも生活に困って、窮迫したり流浪したり、皆、尊公の浅慮がいたすところである。その上、短気ときているので、怒ると、途方もない暴をやる。だから張飛は悪いやつだと反対な誤解をまねいたりする。すこし反省せねばいかん」
「おい雲長。拙者は今夜、なにも尊公の叱言を聞こうと思って、こんな夜中、やって来たわけではないぜ」
「だが、貴公とわしとは、かねて、お互いの大志を打ち明け、義兄弟の約束をし、わしは兄、貴公は弟と、固く心を結び合った仲だ。――だから弟の短所を見ると、兄たるわしは、憂えずにはいられない。まして、秘密の上にも秘密にすべき大事は、世間へ出て、二度や三度会ったばかりの漢へ、軽率に話したりなどするのはよろしくない事だ。そのうえ人の言をすぐ信じて、真夜中もかまわずすぐ訪れようなんて......どうもそういう浅慮では案じられてならん」
雲長は、劉備の家を訪問するなどもってのほかだと言わぬばかりなのである。彼は、張飛にとって、いわゆる義兄弟の義兄ではあるし、物わかりもすぐれているので、話が、理になって来ると、いつも頭は上がらないのであった。
出ばなを挫かれたので、張飛はすっかり悄気てしまった。雲長は気の毒になって、彼の好きな酒を出して与えたが、
「いや、今夜は飲まん」
と、張飛はすっかり無口になって、その晩は、雲長の家で寝てしまった。
夜が明けると、学舎に通う村童が、わいわいと集まって来た。雲長は、よく子供等にも馴じまれていた。彼は、子ども等に孔孟の書を読んで聞かせ、文字を教えなどして、もう他念なき村夫子になりすましていた。
「また、そのうちに来るよ」
学舎の窓から雲長へ言って、張飛は黙々とどこかへ出て行った。
四
むっとして、張飛は、雲長の家の門を出た。門を出ると、振り向いて、
「ちぇっ。なんていう煮え切らない漢だろう」と門へ罵った。
楽しまない顔色は、それでも

えなかった。村の居酒屋へ来ると、ゆうべから
渇いていたように、すぐ
呶鳴った。
「おいっ、酒をくれい」
朝の空腹に、斗酒を容れて、張飛はすこし、眼のふちを赤黒く染めた。
やや気色が晴れて来たとみえて居酒屋の亭主に、冗戯など言い出した。
「おやじ、お前んとこの
鶏は、おれに

われたがって、おれの
足下にばかり
纏って来やがる。

ってもいいか」
「
旦那、召し

がるなら、毛をむしって、丸揚げにしましょう」
「そうか。そうしてくれればなおいいな。あまり鶏めが慕ってくるから、
生で

ろうと思っていたんだが」
「生肉をやると腹に虫がわきますよ、旦那」
「ばかを言え。鶏の肉と馬の肉には寄生虫は棲んでおらん」
「ヘエ。そうですか」
「体熱が高いからだ。すべて低温動物ほど寄生虫の巣だ。国にしてもそうだろう」
「へい」
「おや、鶏が居なくなった。おやじもう釜へ入れたのか」
「いえ。お代さえ戴けば、揚げてあるやつをすぐお出しいたしますが」
「銭はない」
「ごじょうだんを」
「ほんとだよ」
「では、御酒のお代のほうは」
「この先の寺の横丁を曲がると、童学草舎という寺小屋があるだろう。あの雲長のとこへ行って貰って来い」
「弱りましたなあ」
「なにが弱る。雲長という漢は、武人のくせに、金に困らぬやつだ、雲長はおれの兄哥だ。弟の張飛が飲んで行ったといえば、払わぬわけにはゆくまい。――おいっ、もう一杯注いで来い」
亭主は、如才なく彼を、宥めておいて、その間に、女房を裏口からどこかへ走らせた。雲長の家へ問合せにやったものとみえる。間もなく、帰って来て何かささやくと、
「そうかい。じゃあ飲ませても間違いあるまい」
おやじはにわかに、態度を変えて、張飛の飲みたい放題に、酒を注ぎ鶏の丸揚げも出した。
張飛は、丸揚げを見ると、
「こんな、鶏の
乾物など、おれの口には合わん。おれは動いている奴を

いたいのだ」
と、そこらに居る鶏を捉えようとして、往来まで追って行った。
鶏は羽ばたきして、彼の肩を跳び越えたり、彼の危うげな股をくぐって、逃げ廻ったりした。
すると、しきりに、村の軒並を物色して来た捕吏が、張飛のすがたを認めると、率きつれている十名ほどの兵へにわかに命令した。
「あいつだ。ゆうべ関門を破った上、衛兵を殺して逃げた賊は。――要心してかかれ」
張飛は、その声に、
「何だろ?」と、怪訝るように、あたりを酔眼で見まわした。一羽の若鶏が彼の手に脚をつかまえられて、けたたましく啼いたり羽ばたきを搏っていた。
「賊匪」
「遁さん」
「神妙に繩にかかれ」
捕吏と兵隊に取り囲まれて、張飛は初めて、おれの事かと気づいたような面持ちだった。
「何か用か」
周りの槍を見まわしながら、張飛は、若鶏の脚を引っ裂いて、その股の肉を横に咥えた。
五
酔うと酒くせのよくない張飛であった。それといたずらに殺伐を好む癖は、二つの欠点であるとは常々、雲長からもよく言われている事だった。
鶏を裂いて、股を

らうぐらいな酒の上は、彼としては、いと穏当な芸である。――だが、捕吏や兵隊は驚いた。鶏の血は張飛の
唇のまわりを染め、その
烱烱たる
眼は
怖ろしく不気味であった。
「なに? ......おれを捕まえに来たと。......わははははは。あべこべに取っ捉まって、このとおりになるなよ」
裂いた鶏を、眼の高さに、上げて示しながら、張飛は取り囲む捕吏と兵隊を揶揄した。
捕吏は怒って、
「それっ、酔いどれに、愚図愚図言わすな。突き殺してもかまわん。かかれっ」と呶号した。
だが、兵隊たちは、近寄れなかった。槍ぶすまを並べたまま、彼の周囲を巡りまわったのみだった。
張飛は、変な腰つきをして、犬みたいに突く這った。それがよけいに捕吏や兵隊を恐怖させた。彼の眼が向かったほうへ飛びかかって来る支度だろうと思ったからである。
「さあ、大きな鶏ども奴、一羽一羽、ひねり潰すから逃げるなよ」
張飛は言った。
彼の頭にはまだ鶏を追いかけ廻している戯れが連続していて、捕吏の頭にも、兵隊の頭にも、鶏冠が生えているように見えているらしかった。
大きな鶏どもは呆れ且つ怒り心頭に発して、
「野郎っ」と、喚きながら一人が槍で撲った。槍は正確に、張飛の肩へ当たったが、それは猛虎の髯に触れたも同じで、張飛の酔をして勃然と遊戯から殺伐へと転向させた。
「やったな」
槍を引っ奪くると、張飛はそれで、莚の豆幹でも叩くように、周りの人間を叩き出した。
叩かれた捕吏や兵隊も、初めて死にもの狂いになり始めた。張飛は、面倒と言いながら槍を虚空へ投げた。虚空へ飛んだ槍は、捻りを起こしたままどこまで飛んで行ったか、なにしろその付近には落ちてこなかった。
鶏の悲鳴以上な叫喚が、一瞬のまに起こって、一瞬の間に熄んでしまった。
居酒屋のおやじ、居合わせた客、それから往来の者や、附近の人たちは皆、家の中や木蔭に潜んで、どうなる事かと、息をころしていたが、あまりにそこが、急に墓場のような寂寞になったので、そっと首を出して往来をながめると、ああ――とだれも呻いたままで口もきけなかった。
首を払われた死骸、血へどを吐いた死骸、眼のとび出している死骸などが、惨として、太陽の下に曝されている。
半分は、逃げたのだろう。捕更も兵隊も、だれもいない。
張飛は?
と見ると、これはまた、悠長なのだ。村端れのほうへ、後ろ姿を見せて、寛々と歩いてゆく。
その袂に、春風はのどかに動いていた。酒のにおいが、遠くにまで、漂って来るように――。
「たいへんだ。おい、はやくこの事を、雲長先生の家へ知らせて来い。あの漢が、ほんとに、先生の舎弟なら、これはあの先生も、ただでは済まないぞ」
居酒屋のおやじは、自分のおかみさんへ喚いた。だが、彼の妻は顫えているばかりで役に立たないので、ついに自分であたふたと、童学草舎の横丁へ、馳けよろめいて行った。
三花一瓶
一
母と子は、仕事の庭に、きょうも他念なく、蓆機に向かって、蓆を織っていた。
がたん......
ことん
がたん
水車の回るような単調な音が繰り返されていた。
だが、その音にも、きょうはなんとなく活気があり、歓喜の譜があった。
黙々、仕事に精出してはいるが、母の胸にも、劉備の心にも、今日このごろの大地のように、希望の芽が生々と息づいていた。
ゆうべ。
劉備は、城内の市から帰って来ると、まっ先に、二つの吉事を告げた。
一人の良き友に出会った事と、かねて手放した家宝の剣が、計らず再び、自分の手へ帰って来た事と。
そう二つの歓びを告げると彼の母は、
「一陽来復。おまえにも時節が来たらしいね。劉備や......心の支度もよいかえ」
と、かえって静かに声を低め、劉備の覚悟を糺すように言った。
時節。――そうだ。
長い長い冬を経て、桃園の花もようやく蕾を破っている。土からも草の芽、木々の枝からも緑の芽、生命のあるもので、萠え出ない物はなに一つ無い。
がたん......
ことん......
蓆機は単調な音をくりかえしているが、劉備の胸は単調でない。こんな春らしい春を覚えた事はない。
――我は青年なり。
空へ向かって言いたいような気持である。いやいや、老いたる母の肩にさえ、どこからか舞って来た桃花の一片が、紅く点じているのではないか。
すると、どこかで、歌う者があった。十二、三歳の少女の声だった。
妾ガ髪初メテ額ヲ覆ウ
花ヲ折ッテ門前ニ戯レ
朗ハ竹馬ニ騎シテ来リ
床ヲ繞ッテ青梅ヲ弄ス
劉備は、耳を澄ました。
少女の美音は、近づいて来た。
......十四君ノ婦ト為ッテ
羞顔未ダ嘗テ開カズ
十五初メテ眉ヲ展ベ
願ワクバ塵ト灰トヲ共ニセン
常抱柱ノ信ヲ存シ
豈上ランヤ望夫台
十六君遠クへ行ク
近所に住む少女であった。早熟な彼女はまだ青い棗みたいに小粒であったが、劉備の家のすぐ墻隣の息子に恋しているらしく、星の晩だの、人気ない折の真昼など窺っては、墻の外へ来て、よく歌をうたっていた。
「............」
劉備は、木蓮の花に黄金の耳環を通したような、少女の貌を眼に描いて、隣の息子を、なんとなく羨ましく思った。
そしてふと、自分の心の底からも一人の麗人を思い出していた。それは、三年前の旅行中、古塔の下であの折の老僧にひき合わされた鴻家の息女、鴻芙蓉のその後の消息であった。
――どうしたろう。あれから先。
張飛に訊けば、知っているはずである。こんど張飛に会ったら――など独り考えていた。
すると、墻の外で、しきりに歌をうたっていた少女の、犬にでも嚙まれたのか、突然、きゃっと悲鳴をあげて、どこかへ逃げて行った。
ニ
少女は、犬に咬まれたわけではなかった。
自分のうしろに、この辺で見た事もない、剣を佩いた巨きな髯漢が、いつのまにか来ていて、
「おい、小娘、劉備の家はどこだな」と、訊ねたのだった。
けれど、少女は、振り向いてその漢を仰ぐと、姿を見ただけで、胆をつぶし、きゃっと言って、逃げ走ってしまったのであった。
「あははは。わははは」
髯漢は、小娘の驚きを、滑稽に感じたのか、独りして笑っていた。
その笑い声が止むと一緒に、後ろの墻の内でも、はたと、蓆機の音が止んでいた。
墻といっても匪賊に備えるためこの辺では、すべてと言ってよいほど、土民の家でも、土の塀か、石で組み上げた物で出来ていたが、劉備だけは、泰平のころに建てた旧家の慣わしで、高い樹木と灌木に、細竹を渡して結ってある生垣だった。
だから、脊の高い張飛は、首から上が、生垣の上に出ていた。劉備の庭からもそれが見えた。
ふたりは顔を見合って、
「おう」
「やあ」
と、十年の知己のように呼び合った。
「なんだ、ここか」
張飛は、外から木戸口を見つけて這入って来た。ずしずしと地が鳴った。劉家初まって以来、こんな大きな跫音が、この家の庭を踏んだのは初めてだろう。
「きのうは失礼しました。君に会った事や、剣の事を、母に話したところ、母もゆうべは歓んで、夜もすがら希望に耽って、語り明かしたくらいです」
「あ。こちらが貴公の母者人か」
「そうです。――母上、このお方です。きのうお目にかかった翼徳張飛という豪傑は」
「オオ」
劉備の母は、機の前からすっと立って張飛の礼を享けた。どういうものか、張飛は、その母公の姿から、劉備以上、気高い威圧をうけた。
また、実際、劉備の母には自から備わっている名門の気品があったのであろう。世の常の甘い母親のように、息子の友達だからといって、やたらに小腰を屈めたりチヤホヤはしなかった。
「劉備からおはなしは聞きました。失礼ですが、お見うけ申すからに頼もしい偉丈夫。どうか、柔弱なわたくしの一子を、これから叱咤して下さい。おたがいに鞭撻し合って、大事を為しとげて下さい」と、言った。
「はっ」
張飛は、自然どうしても、頭を下げずには居られなかった。長上に対する礼儀のみからではなかった。
「母公。安心して下さい。きっと男児の素志をつらぬいて見せます。――けれどここに、遺憾な事が一つ起こりました。で、実は御子息に相談に来たわけですが」
「では、男同士のはなし、わたくしは部屋へ行って居ましょう。ゆるりとおはなしなさい」
母は、奥へかくれた。
張飛は、その後ろの床几へ腰かけて、実は――と、自分の盟友、いや義兄とも仰いでいる、雲長の事を話し出した。
雲長も、自分が見込んだ漢で、何事も打ち明け合っている仲なので、早速、ゆうべ訪れて、仔細を話したところ、意外にも、彼は少しも歓んでくれない。
のみならず、景帝の裔孫などとは、むしろ怪しむべき者だ。そんな路傍のまやかし者と、大事を語るなどは、もってのほかであると叱られた。
「残念でたまらない。雲長めは、そう言って疑うのだ。......御足労だが、貴公、これから拙者と共に、彼の住居まで行ってくれまいか。貴公という人間を見せたら、彼もおそらくこの張飛の言を信じるだろうと思うから――」
三
張飛は、疑いが

いだ。疑われる事はなお

いだ。
雲長が、自分の言を信じてくれないのが、心外でならないのである。
だから劉備を連れて行って、その人物を実際に示してやろう――こう考えたのも張飛らしい考えであった。
しかし、劉備は、「......さあ?」と、言って、考えこんだ。
信じない者へ、強いて、自己を押しつけて、信じろというのも、好ましくないとする風だった。
すると、廊の方から、
「劉備。行ってお出でなさい」
彼の母が言った。
母は、やはり心配になるとみえて、むこうで張飛のはなしを聞いていたものとみえる。
もっとも、張飛の声は、この家の中なら、どこに居ても聞こえるほど大きかった。
「やあ。お許し下さるか。母公のおゆるしが出たからには、劉君、何もためらう事はあるまい」
促すと、母も共に、「時機というものは、その時をのがしたら、またいつ巡って来るか知れないものです。――何やら、今はその天機が巡って来ているような気がするのです。些細な気持などに囚われずに、お誘いをうけたものなら、張飛どのにまかせて、行って御覧なさい」
劉備は、母のことばに、
「では、参ろう」と、決心の腰を上げた。
二人は並んで、廊の方へ、
「では行って来ます」
礼をして、墻の外へ出て行った。
すると、道のかなたから、約百人ほどの軍隊が、まっしぐらに馳けて来た。騎馬もあり徒歩の兵もあった。埃の中に、青龍刀の白い光がつつまれて見えた。
「あ......、また来た」
張飛のつぶやきに、劉備は怪訝って、
「なんです、あれは」
「城内の兵だろう」
「関門の兵らしいですね。何事があったのでしょう」
「多分、この張飛を、召し捕らえに来たのかも知れん」
「え?」
劉備は、驚きを喫して、
「では、こちらへ対って来る軍隊ですか」
「そうだ。もう疑いない。劉君、あれをちょっと片づける間、貴公はどこかに休んで見物していてくれないか」
「弱りましたな」
「なに、大した事はない」
「でも、州郡の兵隊を殺戮したら、とてもこの土地には居られませんぞ」
言っている間に、もう百余名の州郡の兵は張飛と劉備を包囲してわいわい騒ぎ出した。
だが、容易に手は下しては来なかった。張飛の武力を二度まで知っているからであろう。けれど二人は一歩もあるく事は出来なかった。
「邪魔すると、蹴殺すぞ」
張飛は、一方へこう呶鳴って歩きかけた。わっと兵は退いたが背後から矢や鉄槍が飛んで来た。
「面倒っ」
またしても、張飛は持ち前の短気を出して、すぐ剣の柄へ手をかけた。
――すると、かなたから一頭の逞しい鹿毛を飛ばして、
「待てっ、待てえ」
と呼ばわりながら馳けて来る者があった。州郡の兵も、張飛も、何気なく眼をそれへ馳せて振り向くと、胸まである黒髯を春風に弄らせ、腰に偃月刀の佩環を戞々とひびかせながら、手には緋総のついた鯨鞭を持った大丈夫が、その鞭を上げつつ近づいて来るのであった。
四
それは、雲長であった。
童学草舎の村夫子も、武装すれば、こんなにも威風堂々と見えるものかと、眼をみはらせるばかりな雲長の風貌であった。
「待て諸君」
乗りつけてきた鹿毛の鞍から跳び降りると、雲長は、兵の中へ割って入り、そこに囲まれている張飛と劉備を後にして、大手を拡げながら言った。
「貴公等は、関門を守備する領主の兵と見うけるが、五十や百の小人数をもって、一体なにをなさろうとするのか。――この漢を召し捕ろうとするならば」と、背後に居る張飛へ、顎を振り向けて、
「まず五百か千の人数を揃えて来て、半分以上の屍はつくる覚悟がなければ縛め捕ることはできまい。諸君は、この翼徳張飛という人間が、どんな力量の漢か知るまいが、かつて、幽州の鴻家に仕えていたころ、重さ九十斤、長さ一丈八尺の蛇矛を揮って、黄巾賊の大軍中へ馳けこみ、屍山血河を作って、半日の合戦に八百八屍の死骸を積み、当時、張飛のことを、八百八屍将軍と綽名して、黄匪を戦慄させたという勇名のある漢だ。――それを、素手にもひとしい小人数で、縛め捕ろうなどは、檻へ入って、虎と組むようなもの、各各が皆、死にたいという願いで、この漢へ関うなら知らぬこと、命知らずな真似はやめたらどうだ。生命の欲しい者は足下の明るいうちに帰れ。ここは、かくいう雲長にまかせてひとまず引き揚げろ」
雲長は、実に雄弁だった。一息にここまで演説して、まったく相手の気をのんでしまい、さらに語をついで言った。
「――こう言ったら諸公は、わしを何者ぞと疑い、また、巧みに張飛を逃がすのではないかと、疑心を抱くであろうが、さにあらず、不肖はかりそめにも、童学草舎を営み子弟の薫陶を任とし、常に聖賢の道を本義とし、国主を尊び、法令を遵守すべきことを、身にも守り、子弟に教えている雲長関羽という者である。そして、これに居る翼徳張飛は、何をかくそう自身の義弟にあたる人間でもある。――だが、昨夜から今朝にかけて、張飛が官の吏兵を殺害し、関門を破り、酒の上で暴行したことを聞き及んで、宥し難く思い、この上多くの犠牲を出さんよりは、義兄たるわが手に召し捕りくれんものと、かくは身固め致して、官へ願い出で、宙を馳せてこれへ駆けつけて来たわけでござる――。張飛はこの雲長が召し捕って、後刻、太守の県城へまで送り届けん。諸公は、ここの事実を見とどけて、その由、先へ御報告置きねがう」
雲長は、沓を回らして、きっと張飛の方へ今度は向き直った。
そして、大喝一声、
「ここな不届き者っ」
と、鯨の鞭で、張飛の肩を打ちすえた。
張飛は、むかっとしたような眼をしたが、雲長は更に、
「縛につけ」と、跳びかかって、張飛の両手を後ろへまわした。
張飛は、雲長の心を疑いかけたが、より以上、雲長の人物を信じる心のほうが強かった。
で――何か考えがある事だろうと、神妙に繩を受けて、大地へ坐ってしまった。
「見たか、諸公」
雲長は再び、呆っ気にとられている捕吏や兵の顔を見まわして、
「張飛は、後刻、それがしが県城へ直接参って渡すから、諸公は先へここを引き揚げられい。それともなお、この雲長を怪しみ、それがしの言葉を疑うならば、ぜひもない、繩を解いて、この猛虎を、諸公の中へ放つが、どうだ」
言うと、捕吏も兵も、逃げ足早く、物も言わず皆、退却してしまった。
五
だれも居なくなると、雲長はすぐ張飛の繩を解いて、
「よく俺を信じて、神妙にしていてくれた。事なく助ける策謀のためとはいえ、貴様を手にかけた罪はゆるしてくれ」
詫びると、張飛も、
「それどころではない。また無益の殺生を重ねるところを、尊兄のお蔭で助かった」と、今朝のむかっ腹もわすれて、いつになく、素直に謝った。そして、「――だが雲長。その身装は一体、どうした事か。俺を助けに来るためにしては、あまりに物々しい装いではたいか」
怪しんで問うと、
「張飛。なにをとぼけた事を言う。それでは昨夜、あんなに熱をこめて、時節到来だ、良き盟友を獲た、いざ、かねての約束を、実行にかかろうと言ったのは、噓だったのか」
「噓ではないが、大体、尊兄が不賛成だったろう。俺の言う事何ひとつ、信じてくれなかったじゃないか」
「それは、あの場の事だ。召使いもいる、女どももいる。貴様のはなしは、秘密秘密と言いながら、あの大声だ。洩れてはならない――そう考えたから一応冷淡に聞いていたのだ」
「なんだ、それなら、尊兄もわしの言葉を信じ、かねての計画へ乗り出す肚を固めてくれたのか」
「おぬしの言葉よりも、実は、相手が楼桑村の劉備どのと聞いたので、即座に心はきめていたのだ。かねがね、わしの村まで孝子という

の聞こえている劉備どの、それに
他ながら、御素姓や平常の事なども、ひそかに調べていたので」
「人が悪いな。どうも尊兄は、智謀を弄すので、交際いにくいよ」
「ははは。貴様から交際い難いと言われようとは思わなかった。人を殺し、酒屋を飲み仆し、その尻尾は童学草舎へ持って行けなどと言う乱暴者から、そう言われては堪らない」
「もう行ったか」
「酒足の勘定ぐらいならよいが、官の捕り手を殺したのは、雲長の義弟だとわかったひには、童学草舎へも子供を通わせる親はあるまい。いずれ官からこの雲長へも、厳しく出頭を命じて来るにきまっている」
「なるほど」
「他人事のように聞くな」
「いや、済まん」
「しかし、これはむしろ、よい機だ。天意の命じるものである。こう考えたから、今朝、召使いや女どもへ、みな暇を出した上、通学して来る子供たちの親も呼んで、都合によって学舎を閉鎖すると言い渡し、心置きなく、身一つになって、かくは貴様の後を追って来たわけだ。――さ。これから改めて、劉備どのの家へお目にかかりに行こう」
「いや。劉備どのなら、そこに居る」
「え? ......」
雲長は、張飛の指さす所へ、眼を振り向けた。
劉備は最前から、少し離れた所に立っていた。そして、張飛と雲長との二人の仲の睦まじさと、その信義に篤い容子を見て、感にたえている面持ちだった。
「あなたが劉備様ですか」
雲長は、近づいて行くと、彼の足下へ最初から膝を折って、
「初めてお目にかかります。自分は河東解良(川西省・解県)の産で、関羽字は雲長と申し、長らく江湖を流寓の末、四、五年前よりこの近村に住んで、村夫子となって草裡に空しく月日を送っていた者です。かねて密かに心にありましたが、計らずも今日、拝姿の栄に会い、こんな歓ばしい事はありません。どうかお見知りおき下さい」
と、最高な礼儀を執って、慇懃に言った。
六
劉備はあえて卑下しなかったが、べつに尊大に構えもしなかった。雲長関羽の礼に対して、当り前に礼を返しながら、
「御丁寧に。......どうも申し遅れました。私は、楼桑村に永らく住む百姓の劉玄徳という者ですが、かねて、蟠桃河の上流の村に、醇風良俗の桃源があると聞きました。おそらく先生の高風に化されたものでありましょう。なにを言うにも、ここは路傍ですから、すぐそこの茅屋までお越しください」
と、誘えば、
「おお、お供しよう」
関羽も歩み、張飛も肩を並べ、共にそこから程近い劉備の家まで行った。
劉備の母は、また新しい客が殖えたので、不審がったが、張飛から紹介されて、関羽の人物を見、欣びを現わして、
「ようぞ、茅屋へ」と心から歓待した。
その晩は、母も交じって、夜更けまで語った。劉備の母は、劉家の古い歴史を、覚えている限り話した。
生まれてからまだ劉備さえ聞いていない話もあった。
(いよいよ漢室のながれを

んだ
景帝の
裔孫にちがいない)
張飛も、関羽も、今は少しの疑いも抱かなかった。
同時に、この人こそ、義挙の盟主になすべきであると肚にきめていた。
しかし、劉玄徳の母親思いの事は知っているので、この母親が、
(そんな危ない企みに息子を加える事はできない)
と、断わられたらそれまでになる。関羽は、それを考えて、ぼつぼつと母の胸をたずねてみた。
すると劉備の母に、皆まで聞かないうちに言った。
「ねえ劉や、今夜はもう遅いから、おまえも寝み、お客様にも臥床を作っておあげなさい。――そして明日はいずれまた、お三名して将来の相談もあろうし、大事の門出でもありますし、母が一生一度の馳走を拵えてあげますからね」
それを聞いて、関羽は、この母親の胸を問うなど愚である事を知った。張飛も共に、頭を下げて、「ありがとう御座る」と、心服した。
劉備は、
「では、お言葉に甘えて、明日はおっ母さんに、一世一代の祝いを奢っていただきましょう。けれどその御馳走は、われわればかりでなく、祭壇を設けて、先祖にも上げていただきたいものです」
「では、ちょうど今は、桃園の花が真っ盛りだから、桃園の中に蓆を敷こうかね」
張飛は手を打って、
「それはいい。ではわれわれも、あしたは朝から桃園を浄めて、せめて祭壇を作る手助けでもしよう」
と、言った。
客の二人に床を与えて、眠りをすすめ、劉備と母のふたりは、暗い厨の片隅で、藁を被って寝た。劉が眼をさましてみると、母はもう居なかった。夜は明けていたのである。どこかでしきりに、山羊の啼く声がしていた。
厨の窯の下には、どかどかと薪が燻べられていた。こんなに景気よく窯に薪の焚かれた例は、劉備が少年のころから覚えのない事であった。春は桃園ばかりでなく、貧しい劉家の台所に訪れて来たように思われた。
義盟
一
桃園へ行ってみると、関羽と張飛のふたりは、近所の男を雇って来て、園内の中央に、もう祭壇を作っていた。
壇の四方には、笹竹を建て、清繩を繞らして金紙銀箋の華をつらね、土製の白馬を贄にして天を祭り、烏牛を屠った事にして、地神を祠った。
「やあ、おはよう」
劉備が声をかけると、
「おお、お目ざめか」
張飛、関羽は、振り向いた。
「見事に祭壇が出来ましたなあ。寝る間はなかったでしょう」
「いや、張飛が、興奮して、寝てから話しかけるので、ちっとも眠る間はありませんでしたよ」
と、関羽は笑った。
張飛は劉備のそばへ来て、
「祭壇だけは立派にできたが、酒はあるだろうか」
心配して訊ねた。
「いや、母が何とかしてくれるそうです。今日は、一生一度の祝いだと言っていますから」
「そうか、それで安心した。しかし劉兄、いいおっ母さんだな。ゆうべから側で見ていても、羨ましくてならない」
「そうです。自分で自分の母を褒めるのも変ですが、子に優しく世に強い母です」
「気品がある、どこか」
「失礼だが、劉兄には、まだ夫人はないようだな」
「ありません」
「はやくひとり娶らないと、母上がなんでもやって居る様子だが、あのお年で、お気の毒ではないか」
「.........」
劉備は、そんな事を訊かれたので、またふと、忘れていた鴻芙蓉の佳麗なすがたを思い出してしまった。
で、つい答えを忘れて、何となく眼をあげると、眼の前へ、白桃の花びらが、霏々と情有るもののように散って来た。
「劉備や。皆さんも、もうお支度はよろしいのですか」
厨に見えなかった母が、いつの間にか、三名の後ろに来て告げた。
三名が、いつでもと答えると、母はまた、いそいそと厨房の方へ去った。
近隣の人手を借りて来たのであろう。きのう張飛の姿を見て、きゃっと魂消て逃げた娘も、その娘の恋人の隣家の息子も、ほかの家族も、大勢して手伝いに来た。
やがて、まず一人では持てないような酒瓶が祭壇の筵へ運ばれて来た。
それから豚の仔を丸ごと油で煮たのや、山羊の吸い物の鍋や、干菜を牛酪で煮つけた物だの、年数のかかった漬物だの――運ばれて来るごとに、三名は、その豪華な珍味の鉢や大皿に眼を奪われた。
劉備さえ、心のうちで、
「これは一体、どうした事だろう」と、母の算段を心配していた。
そのうちにまた、村長の家から、花梨の立派な卓と椅子が担がれて来た。
「大饗宴だな」
張飛は、子どものように、歓喜した。
準備ができると、手伝いの者は皆、母屋へ退がってしまった。
三名は、
「では」
と、眼を見合わせて、祭壇の前の蓆へ坐った。そして天地の神へ、
「われらの大望を成就させ給え」
と、祈念しかけると、関羽が、
「御両所。少し待ってくれ」
と、なにか改まって言った。
二
「ここの祭壇の前に坐ると同時に、自分はふと、こんな考えを呼び起こされたが、両公の所存はどんなものだろうか」
関羽は、そう言い出して、劉備と張飛へ、こう相談した。
すべて物事に、体を基とする。体形を整えていない事に成功はあり得ない。
偶然、自分たち三人は、その精神において、合致を見、きょうを出発として大事を為そうとするものであるが、三つの者が寄り合っただけでは、体を為していない。
今は、小なる三人ではあるが、理想は遠大である。三体一心の体を整え置くべきではあるまいか。
事の中途で、仲間割れなど、よく有る例である。そういう結果へ到達させてはならない。神のみ禱り、神のみ祠っても、人事を尽くさずして、大望の成就はあり得べくもあるまい。
関羽の説く所は、道理であったが、さてどういう体を備えるかとなると、張飛にも劉備にもさし当たってなんの考えもなかった。
関羽は、語をつづけて、
「まだ兵はおろか、兵器も金も一頭の馬すら持たないが、三名でも、ここで義盟を結べば、即座に一つの軍である。軍には将がなければならず、武士には主君がなければならぬ。行動の中心に正義と報国を奉じ、個個の中心に、主君を持たないでは、それは徒党の乱に終わり、烏合の衆と化してしまう。――張飛もこの関羽も、今日まで、草田に隠れて時を待っていたのは、実に、その中心たるお人が容易にないためだった。折ふし劉備玄徳という、しかも血統の正しいお方に会ったのが、急速に、今日の義盟の会となったのであるから、今日ただ今、ここで劉備玄徳どのを、自分等の主君と仰ぎたいと思うが、張飛、おまえの考えはどうだ」
訊くと、張飛も、手を打って、
「いや、それは拙者も考えていたところだ。いかにも、兄の言うとおり、きめるならば、今ここで、神に禱るまえに、神へ誓ったほうがよい」
「玄徳様、ふたりの熱望です。御承知くださるまいか」
左右から詰めよられて、劉備玄徳は、黙然と考えていたが、
「待って下さい」
と、二人の意気ごみを抑え、なおややしばらく沈思してから、身を正して言った。
「なるほど、自分は漢の宗室のゆかりの者で、そうした系図からいえは、主たる位置に坐るべきでしょうが、生来鈍愚、久しく田舎の裡にひそみ、まだなにも各々の上に立って主君たるの修養も徳も積んでおりませぬ。どうか今しばらく待って下さい」
「待ってくれとおっしゃるのは」
「実際に当たって、徳を積み、身を修め、果たして主君となるの資才がありや否や、それを自身もあなた達も見届けてから約束しても、遅くないと思われますから」
「いや。それはもう、われわれが見届けてあるところです」
「さは言え、私はなお、憚られます。――ではこうしましょう。君臣の誓いは、われわれが一国一城を持った上として、ここでは、三人義兄弟の約束を結んでおく事にして下さい。君臣となって後も、なお三人は、末永く義兄弟であるという約束をむしろ私はしておきたいのですが」
「うむ」
関羽は、長い髯を持って、自分の顔を引っ張るように大きく頷いた。
「結構だ。張飛、おぬしは」
「異論はない」
改めて三名は、祭壇へ向かって牛血と酒をそそぎ、額いて、天地の神祇に黙禱をささげた。
三
年齢からいえば、関羽がいちばん年上であり、次が劉備、その次が張飛という順になるのであるが、義約のうえの義兄弟だから年順を践む必要はないとあって、「長兄には、どうか、あなたがなって下さい。それでないと、張飛のわがままにも、圧えが利きませんから」と、関羽が言った。
張飛も、ともども、
「それは是非、そうありたい。いやだと言っても、二人して、長兄長兄と崇めてしまうからいい」
劉備は強いて拒まなかった。そこで三名は、鼎座して、将来の理想をのべ、刎頸の誓いをかため、やがて壇をさがって桃下の卓を囲んだ。
「では、永く」
「変わるまいぞ」
「変わらじ」
と、兄弟の杯を交わし、そして、三人一体、協力して国家に報じ、天下万民の塗炭の苦を救うをもって、大丈夫の生涯とせんと申し合った。
張飛は、すこし酔うて来たとみえて、声を大にし、杯を高く挙げて、
「ああ、こんな吉日はない。実に愉快だ。再び天に言う。われらここに在るの三名。同年同月同日に生まるるを希わず、願わくば同年同月同日に死なん」
と、呶鳴った。そして、
「飲もう。大いに、きょうは飲もう――ではありませんか」
などと、劉備の杯へも、やたらに酒を注いだ。そうかと思うと、自分の頭を、独りで叩きながら、「愉快だ。実に愉快だ」と、子供みたいにさけんだ。
あまり彼の酒が、
上機
に発しすぎる傾きが見えたので、関羽は、
「おいおい、張飛。今日の事を、そんなに歓喜してしまっては、先の歓びは、どうするのだ。今日は、われら三名の義盟ができただけで、大事な成功不成功は、これから後のことじゃないか。少し有頂天になるのが早すぎるぞ」と、たしなめた。
だが、一たん上機

に昇ってしまうと、張飛の機

は、なかなか水をかけても
醒めない。関羽の
生真面目を、手を打って笑いながら、
「わはははは、今日かぎり、もう村夫子は廃業したはずじゃないか。お互いに軍人だ。これからは天空海闊に、豪放磊落に、武人らしく交際おうぜ。なあ長兄」
と、劉備へも、すぐ馴々と言って、肩を抱いたりした。
「そうだ。そうだ」と、劉備玄徳は、にこにこ笑って、張飛のなすがままになっていた。
張飛は、牛のごとく飲み、馬のごとく

ってから、
「そうそう。ここの席に、劉母公がいないという法はない。われわれ三人、兄弟の杯をしたからには、俺にとっても尊敬すべきおっ母さんだ。――ひとつおっ母さんをこれへ連れて来て、乾杯し直そう」
急に、そんな事をいい出すと、張飛はふらふら母屋のほうへ馳けて行った。そしてやがて、劉母公を、無理に、自分の背中へ負って、ひょろひょろ戻って来た。
「さあ、おっ母さんを、連れて来たぞ。どうだ、俺は親孝行だろう――さあおっ母さん、大いに祝って下さい。われわれ孝行息子が三人も揃いましたからね――いやこれは、独りおっ母さんにとって祝すべき孝行息子であるのみではない。支那の――国家にとってもだ、われわれこう三名は得難い忠良息子ではあるまいか――そうだ、おっ母さんの孝行息子万歳、国家の忠良息子万歳っ」
そしてやがて、こう三人の中では、酒に対しても一番の誠実息子たるその張飛が、まっ先に酔いつぶれて、桃花の下に大鼾声で寝てしまい、夜露の降るころまで、眼を醒まさなかった。
四
大丈夫の誓いは結ばれた。しかし
徒手空
とはまったくこの三人のことだった。しかも志は天下に在る。
「さて、どうしたものか」
翌日はもう酒を飲んでただ快哉を言っている日ではない。理想から実行へ、第一歩を踏み出す日である。
朝飯を

べると、すぐその卓の上で、いかに実行へかかるかの問題が出た。
「どうかなるよ。男児が、しかも三人一体で、やろうとすれば」
張飛は、理論家でない。また計画家でもない。遮二無二、実行力に燃える猪突邁進家なのである。
「どうかなるって、ただ貴公のように、力んでばかりいたってどうもならん。まず、一郡の士を持たんとするには、一旗の兵が要る。一旗の兵を持つには、すくなくとも相当の軍費と、兵器と、馬とが必要だな」
が、関羽は、常識家であった。二人のことばを飽和すると、そこにちょうどよい情熱と常理との推進力が醸されてくる。
劉備は、そのいずれへも、頷きを与えて、
「そうです。こう三人の一念をもってすれば、必ず大事を成し得る事は目に見えていますが、さし当たって、兵隊です。――これをひとつ募りましょう」
「馬も、兵器も、金もなく、募りに応じて来る者がありましょうか」
関羽の憂いを、劉備はかろく微笑を持って打ち消し、
「いささか、自信があります。――というのは、実はこの楼桑村の内にも、平常からそれとなく、私が目にかけた、同憂の志を持っている青年たちが少々あります。――また近郷にわたって、檄を飛ばせば、おそらく今の時勢に、鬱念を感じている者もすくなくはありませんから、きっと、三十人や四十人の兵はすぐできるかと思います」
「なるほど」
「ですから、恐れ入るが、関羽どのの筆で、一つ檄文を起草して下さい。それを配るのは、私の知っている村の青年にやらせますから」
「いや、手前は、生来悪文の質ですから、ひとつそれは、劉備兄に起草していただこう」
「いいや、あなたは多年塾を持って、子弟を教育していたから、そういう子弟の気持を打つことは、よくお心得のはずだ。どうか書いて下さい」
すると張飛が側から言った。
「こら関羽、けしからんぞ」
「なにがけしからん」
「長兄劉玄徳のことば、主命のごとく反くまいぞ、昨日、約束したばかりじゃないか」
「やあ、これは一本、張飛にやられたな、よし早速書こう」
飛檄はでき上がった。
なかなか名文である。荘重なる慷慨の気と、憂国の文字は、読む者を打たずに措かなかった。
それが近郷へ飛ばされると、やがての事、劉玄徳の破れ家の門前には、毎日、七名十名ずつとわれこそ天下の豪傑たらんとする熱血の壮士が集まって来た。
張飛は、門前へ出て、
「お前達は、われわれの檄を見て、兵隊になろうと望んで来たのか」
と、採用係の試験官になって、いちいち姓名や生国や、また、その志を質問した。
「そうです、大人がたのお名前と、義挙の趣旨に賛同して、旗下に馳せ参じて来た者です」
壮士等は異口同音に言った。
「そうか、どれを見ても、頼もしい面魂、早速、われわれの旗挙げに、加盟をゆるすが、しかしわれ等の志は、黄巾賊の輩のごとく、野盗掠奪を旨とするのとは違うぞ。天下の塗炭を救い、害賊を討ち、国土に即した公権を確立し、やがては永遠の平和と民福を計るにある。わかっておるかそこのところは!」
張飛は、一場の訓示を垂れて、それからまた、次のように誓わせた。
五
「われわれの旗下に加盟するからには、即ち、われわれの奉じる軍律に伏さねばならん。今、それを読み聞かす故、謹んで承れ」
張飛は、志願して来た壮士たちへ言って、恭しく、懐中から一通を取り出して、声高く読んだ。
一 卒たる者は、将たる者に、絶対の服従と礼節を守る。
一 目前の利に惑わず、大志を遠大に備う。
一 一身を浅く思い、一世を深く思う。
一 掠奪斬首。
一 虐民極刑
一 軍紀を紊る行為一切死罪。
「わかったかっ」
あまり厳粛なので、壮士たちも、しばらく黙っていたが、やがて、
「わかりました」と、異口同音に言った。
「よし、しからば、今よりそれがしの部下として用いてやる。ただし、当分の間は給料もつかわさんぞ。また、食物その他も、お互いに有る物を分けて

い、一切不平を申すことならん」
それでも、募りに応じて来た若者輩は、元気に兵隊となって、劉備、関羽等の命に服した。
四、五日のうちに、約七八十人も集まった。望外な成功だと、関羽は言った。
けれど、すぐ困り出したのは食糧であった。故に、一刻もはやく、戦争をしなければならない。
黄匪の害に泣いている地方はたくさんある。まずその地方へ行って、黄巾賊を追っぱらう事だ。その後には、正しい税と食物とが収穫される。それは掠奪でない。天禄だ。
するとある日。
「張将軍。張将軍。馬がたくさん通りますぞ、馬が」
と、一人の部下が、ここの本陣へ馳せて来て注進した。
何者か知らないが、何十頭という馬を数珠つなぎに曳いて、この先の峠を越えて来る者があるという報告なのだ。
馬と聞くと、張飛は、「そいつは何とか欲しいものだなあ」と正直に唸った。
実際今、喉から手の出るほど欲しい物は馬と金と兵器だった。だが、義挙の軍律というものを立てて部下にも示してあるので、「掠奪して来い」とは、命じられなかった。
張飛は、奥へ行って、
「関羽、こういう報告があるが、なんとか、手に入れる工夫はあるまいか。実に天の与えだと思うのだが」と、相談した。
関羽は聞くと、
「よし、それでは、自分が行って、掛け合ってみよう」
と、部下数名をつれて、峠へ急いで行った。麓の近くで、その一行とぶつかった。物見の兵の注進に過りなく、なるほど、四、五十頭もの馬匹を曳いて、一隊の者がこちらへ下って来る。近づいて見ると皆、商人ていの男なので、これならなんとか、話合いがつくと、関羽は得意の雄弁をふるうつもりで待ち構えていた。
ここへ来た馬商人の一隊の頭は、中山の豪商でひとりは蘇双、ひとりは張世平という者だった。
関羽は、それに着くと、自分等三人が義軍を興すに至った、愛国の衷情をもって、切々訴えた。今にして、だれか、この覇業を建て、人天の正明をたださなければ、この世は永遠の闇黒であろうと言った。支那大陸は、ついに、胡北の武民に征服され終わるであろうと嘆いた。
張世平と蘇双の両人は、なにか小声で相談していたが、やがて、
「よくわかりました。この五十頭の馬が、そういう事でお役に立てば満足です。差し上げますからどうぞ曳いて行って下さい」と、意外にも、潔く言った。
六
いずれ易々とは承知しまい。最悪な場合までを関羽は考えていたのである。それが案外な返辞に、
「ほ。......いや忝けない。早速の快諾に、申しては失礼だが、利に敏い商人たるお身等が、どうしてそう一言の下に、多くの馬匹を無料でそれがしへ引き渡すと言われたか」
掛け合いに来た目的は達しているのに、こう先方へ要らざる念を押すのも妙なはなしだと思ったが、あまり不審なので、関羽はこう訊ねてみた。
すると、張世平は言った。
「はははは。あまりさっぱりお渡しすると言ったので、かえってお疑いとみえますな。いやごもっともです。けれど手前は、第一にまず大人が悪人でない事を認めました。第二に、御計画の義兵を挙げることは、すこぶる時宜を得ておると存じます。第三は、あなた方のお力をもって、自分等の恨みをはらしていただきたいと思ったからです」
「恨みとは」
「黄巾賊の大将張角一門の暴政に対する恨みでございます。手前も以前は中山で一といって二と下らない豪商といわれた者ですが、かの地方も御承知のとおり黄匪の蹂躙に遭って秩序は破壊され、財産は掠奪され、町に少女の影を見ず、家苑の小禽すら啼かなくなってしまいました。――手前の店なども一物もなく没収され、あげくの果てに、妻も娘も、暴兵に攫われてしまったのです」
「むむ。なるほど」
「で、甥の蘇双と二人して、馬商人に身を落とし、市から馬匹を購入して、北国へ売りに行こうとしたのですが、途中まで参ると、北辺の山岳にも、黄賊が道を塞いで、旅人の持ち物を奪い、虐殺をほしいままにしておるとのことに、空しくまた、この群馬を曳いて立ち帰って来たわけです。南へ行くも賊国、北へ赴くも賊国、こうして馬と共に漂泊しているうちには、ついに賊に生命まで共に奪われてしまうのは知れきっています。恨みのある賊の手に武力となる馬匹を与えるよりも、貴下のごときお志を抱く人に、進上申したほうが、遙かに意味のあることなんです。欣んで手前がお渡しする気持というのは、そんなわけでございます」
「やあ、そうか」
関羽の疑問も氷解して、
「では、楼桑村まで、馬を曳いて一緒に来てくれないか。われわれの盟主と仰ぐ劉玄徳とおっしゃる人に紹介せよう」
「おねがい致します。手前も根からの商人ですから、以上申し上げたような理由でもって、無料で馬匹を進上しましても、やはりそこはまだ正直、利益の事も考えておりますからな」
「いや、玄徳様へお目にかかっても、ただ今のところ、代金はお下げになるわけにはゆかぬぞ」
「そんな目先の事ではありません。遠い将来でよろしいので。......はい。もしあなたがたが大事を成し遂げて、一国を取り、十州二十州を平らげ、あわよくば天下に号令なさろうという筋書のとおりに行ったらば、私へも充分に、利をつけて、今日の馬代金を払って戴きたいのでございます。私は、あなたの計画を聞いて、これがあなたがたの夢ではなく、わたしども民衆が待っていたものであるという点から、きっと成功するものと信じております。ですから、今日この処分に困っている馬を使って戴くのは、商人として、手前にも遠大な利殖の方法を見つけたわけで、まったくこんな欣ばしい事はありません」
張世平は、そう言って、甥の蘇双と共に、関羽に案内されて従いて行ったが、その途中でも、関羽へ対して、こう意見を述べた。
「事を計るうえは、人物はお揃いでございましょうし、馬もこれで整いました。これで一体、あなた方の御計画の内輪には、よく経済を切りまわして糧食兵費の内助の役目をする算数の達識が控えているのでございますか。算盤というものも、充分お考えのうえでこの仕事にかかっておいでで御座いますかな?」
七
張世平に、そう指摘されてみると、関羽は、自分等の仲間に、大きな欠陥のあるのを見いだした。
経営という事であった。
自分はもとより、張飛にも、劉玄徳にも、経済的な観念は至ってない。武人銭を愛さずといったような思想がはなはだ古くから頭の隅に有る。経済といえばむしろ卑しみ、銭といえば横を向くをもって清廉の士とする風が高い。一個の人格にはそれも高風と仰ぎ得るが、国家の大計となればそれでは不具を意味する。
一軍を持てばすでに経営を思わねばならぬ。武力ばかりで膨らもうとすると軍は暴軍に化しやすい。古来、理想はあっても、そのため、暴軍と堕し、乱賊と終わった者、史上決してすくなくない。
「いや、いい事を聞かしてくれた。劉玄徳様にも、大いにその辺の事をはなして貰いたいものだ」
関羽は、正直、教えられた気がしたのである。一商人のことばといえども、これは将来の大切な問題だと考えついた。
やがて、楼桑村に着く。
関羽はすぐ張世平と蘇双のふたりを、劉玄徳の前へつれて来た。もちろん、玄徳も張飛も、張の好意を聞いて非常によろこんだ。
張は五十頭の馬匹を、無償で提供するばかりでなく、玄徳に会ってから玄徳の人物を更に見込んで、それに加うるに、駿馬に積んでいた鉄一千斤と、百反の獣皮織物と、金銀五百両を挙げて皆、「どうか、軍用の費に」と、献上した。
その際も、張は言った。
「最前も、途々、申しましたとおり、手前はどこまでも、利を道とする商人です。武人に武道あり、聖賢に文道あるごとく、商人にも利道があります。御献納申しても、手前はこれをもって、義心とは誇りません。その代わり、今日さし上げた馬匹金銀が、十年後、三十年後には、莫大な利を生むことを望みます。――ただその利は、自分一個で飽慾しようとは致しません。困苦の底にいる万民にお頒かちください。それが私の希望であり、また私の商魂と申すものでございます」
玄徳や関羽は、彼の言を聞いて大いに感じ、どうかしてこの人物を自分等の仲間へ留め置きたいと考えたが、張は、
「いやどうも私は臆病者で、とても戦争なさるあなたがたの中にいる勇気はございません。なにかまた、お役に立つ時には出て来ますから」と言って、倉皇、どこともなく立ち去ってしまった。
千斤の鉄、百反の織皮、五百両の金銀、思いがけない軍費を獲て、玄徳以下三人は、
「これぞ天の御援助」
と、いやが上にも、心は奮い立った。
早速、近郷の鍛冶工をよんで来て、張飛は、一丈何尺という蛇矛を鍛ってくれと注文し、関羽は重さ何十斤という偃月刀を鍛えさせた。
雑兵の鉄甲、盔、槍、刀なども併せて誂え、それも日ならずして出来てきた。
日月の旗幟。
飛龍の幡。
鞍、鏃。
軍装はまず整った。
そのころようやく人数も二百人ばかりになった。
もとより天下に臨むには足りない急仕立ての一小軍でしかなかったが、張飛の教練と、関羽の軍律と、劉玄徳の徳望とは、一卒にまでよく行きわたって、あたかも一箇の体のように、二百の兵は挙手踏足、一音に動いた。
「では。――おっ母さん。行って参ります」
劉玄徳は、ある日、武装して母にこう暇を告げた。
兵馬は、粛々、彼の郷土から立って行った。劉玄徳の母は、それを桑の木の下からいつまでも見送っていた。泣くまいとしている眼が湯の泉のようになっていた。
転戦
一
それより前に、関羽は、玄徳の書を携えて、幽州涿郡(河北省・保定府)の太守劉焉の許へ使していた。
太守劉焉は、何事かと、関羽を城館に入れて、庁堂で接見した。
関羽は、礼を施して後、
「太守には今、士を四方に求めらるると聞く。果たしてしかりや」と、訊ねた。
関羽の威風は、堂々たるものであった。劉焉は、一見して、是尋常人に非ずと思ったので、その不遜を咎めず、
「しかり。諸所の駅路に高札を建てしめ、士を募ること急なり。卿もまた、檄に応じて来たれる偉丈夫なるか」と、言った。
そこで関羽は、
「さん候。この国、黄賊の大軍に攻蝕せらるること久しく、太守の軍、連年に疲敗し給い、各地の民倉は、挙げて賊の毒手にまかせ、百姓蒼生みな国主の無力と、賊の暴状に哭かぬはなしと承る」
あえて、媚びず惧れず、こう正直に言ってから更に重ねて、
「われ等恩を久しく領下にうけて、この秋を空しく逸人として草廬に閑を偸むを潔しとせず、同志張飛その他二百余の有為の輩と団結して、劉玄徳を盟主と仰ぎ、太守の軍に入って、いささか報国の義をささげんとする者でござる。太守寛大、よくわれ等の義心の兵を加え給うや否や」
と、述べ、終わりに、玄徳の手書を出して、一読を乞うた。
劉焉は、聞くと、
「この秋にして、卿等赤心の豪傑等、劉焉の微力に援助せんとして訪ねらる、まさに、天祐の事ともいうべきである。なんぞ、拒むの理があろうか。城門の塵を掃き、客館に旗飾を施して、参会の日を待つであろう」
と言って、非常な歓びようであった。
「では、何月何日に、御城下まで兵を率いて参らん」と、約束して関羽は立ち帰ったのであるが、その折、はなしのついでに、義弟の張飛が、先ごろ、楼桑村の附近や市の関門などで、事の間違いから、太守の部下たる捕吏や役人などを殺傷したが、どうかその罪は免されたいと、一口断わっておいたのである。
そのせいか、あれっきり、市の関門からも、捕吏の人数はやって来なかった。いやそれのみか、あらかじめ、太守のほうから命令があったとみえ、劉玄徳以下の三傑に、二百余の郷兵が、突然、楼桑村から涿郡の府城へ向かって出発する際には、関門のうえに小旗を立て、守備兵や役人は整列して、その行を鄭重に見送った。
それと、眼をみはったのは、玄徳や張飛の顔を見知っている市の雑民たちで、
「やあ、先に行く大将は、蓆売りの劉さんじゃないか」
「その側に、馬に騎って威張って行くのは、よく猪の肉を売りに出ていた呑んだくれの浪人者だぞ」
「なるほど。張だ、張だ」
「あの肉売りに、わしは酒代の貸しがあるんだが、弱ったなあ」
などと群集のあいだから嘆声をもらして、見送っている酒売りもあった。
義軍はやがて、涿郡の府に到着した。道々、風を慕って、日月の旗下に馳せ参じる者もあったりして、府城の大市へ着いた時は、総勢五百を算えられた。
太守は、直ちに、玄徳等の三将を迎えて、その夜は、居館で歓迎の宴を張った。
ニ
大将玄徳に会ってみるとまだ年も二十歳台の青年であるが、寡言沈厚のうちに、どこか大器の風さえ窺えるので、太守劉焉は、大いに好遇に努めた。
なお、素姓を問えば、漢室の宗親にして、中山靖王の裔孫との事に、
「さもあらん」と、劉焉はうなずくことしきりでなおさら、親しみを改め、左右の関、張両将を併せて、心から敬いもした。
折ふし。
青州大興山の附近一帯(山東省済南の東)に跳梁している黄巾賊五万以上といわれる勢力に対して太守劉焉は、家臣の校尉鄒靖を将として、大軍を附与し、にわかに、それへ馳け向かわせた。
関羽と、張飛は、それを知るとすぐ、玄徳へ向かって、「人の歓待は、冷めやすいもので御座る。歓宴長く停まるべからずです。手初めの出陣、進んで御加勢にお加わりなさい」と、すすめた。
玄徳は、「自分もそう考えていたところだ。早速、太守へ進言しよう」と、劉焉に会って、その旨を申し出ると劉焉も欣んで、校尉鄒靖の先陣に参加する事をゆるした。
玄徳の軍五百余騎は、初陣とあって意気すでに天をのみ、日ならずして大興山の麓へ押しよせてみたところ、賊の五万は、嶮に拠って、利戦を策し、山の襞や谷あいへ虱のごとく長期の陣を備えていた。
時、この地方の雨期をすぎて、すでに初夏の緑草豊かであった。
合戦長きにわたらんか、賊は、地の利を得て、奇襲縦横にふるまい、諸州の黄匪、連絡をとって、いっせいに後路を断ち、征途の味方は重囲のうちに殲滅の厄にあわんも測りがたい。
玄徳はそう考えたので、
「いかに張飛、関羽。太守劉焉をはじめ、校尉鄒靖も、われ等の手なみいかにと、その実力を見んとしておるに違いない。すでに、味方の先鋒たる以上、いたずらに、対峙して、味方に長陣の不利を招くべからずである。挺身、賊の陣近く斬り入って、一気に戦いを決せんと思うがどうであろう」
二人へ、計ると、「それこそ、同意」と、すぐ五百余騎を、鳥雲に備え立て、山麓まぢかへ迫ってからにわかに鼓を鳴らし諸声あげて決戦を挑んだ。
賊は、山の中腹から、鉄弓を射、弩をつるべ撃ちして、容易に動かなかったが、
「寄手は、多寡のしれた小勢のうえに、国主の正規兵とはみえぬぞ、どこかそこらから狩り集めて来た烏合の雑軍。みなごろしにしてしまえ」
賊の副将鄧茂という者、こう号令を下すや否、柵を開いて、山上から逆落しに騎馬で馳け降りて来、
「やあやあ、
稗粕を
舐めて生きる、あわれな郷軍の百姓兵ども。官軍の名にまどわされて
死骸の堤を築きに来りしか。愚なる権力の
楯につかわるるを
止めよ。
汝等、
槍をすて、馬を献じ、
降を
乞うなれば、わが将、
大方程遠志どのに申しあげて、
黄巾を賜わり、
肉食させて、世を楽しみ、その
骨を肥えさすであろう。否といわば、即座に包囲
殲滅せん。耳あらば聞け、口あらば答えよ。――いかに、いかに!」と、呼ばわった。
すると、寄手の陣頭より、おうと答えて、劉玄徳、左右に関羽、張飛をしたがえて、白馬を緑野の中央へすすめて来た。
三
「推参なり、野鼠の将」
玄徳は、賊将程遠志の前に駒を止めて、彼のうしろにひしめく黄巾賊の大軍へも轟けとばかり言った。
「天地ひらけて以来、まだ獣族の長く栄えたる例はなし。たとい、一時は人政を紊し、暴力をもって権を奪うも、末路は野鼠の白骨と変わるなからん。――醒めよ、われは、日月の幡を高くかかげ、暗黒の世に光明をもたらし、邪を退け、正を明らかにするの義軍、いたずらに立ち向かって、生命をむだに落とすな」
聞くと、程遠志は声をあげて、大笑し、
「白昼の大寝言、近ごろおもしろい。醒めよとは、うぬ等のこと。いで」
と、重さ八十斤と称する青龍刀をひッさげ、駒首おどらせて玄徳へかかって来た。
玄徳はもとより武力の猛将ではない。泥土を揚げて、蹄を後へ返す。その間へ、待ちかまえていた張飛が、
「この下郎っ」
おめきながら割って入り、先ごろ鍛たせたばかりの丈余の蛇矛――牙形の大矛を先に付けた長柄を舞わして、賊将程遠志の盔の鉢金から馬の背骨に至るまで斬り下げた。
「やあ、おのれよくも」
賊の副将鄧茂は、乱れ立つ兵を励ましながら、逃げる玄徳を目がけて追いかけると、関羽が早くも騎馬をよせて、
「豎子っ、なんぞ死を急ぐ」
虚空に鳴る偃月刀の一揮、血けむり呼んで、人馬ともに、関羽の葬るところとなった。
賊の二将が打たれたので、残余の鼠兵は、あわて乱れて、山谷のうちへ逃げこんでゆく。それを、追って打ち、包んでは殲滅して賊の首を挙げること一万余。降人は容れて、部隊にゆるし、首級は村里の辻に梟けならべて、
――天誅は斯くの如し。
と、武威を示した。
「幸先はいいぞ」
張飛は、関羽に言った。
「なあ兄貴、この分なら、五十州や百州の賊軍ぐらいは、半歳のまに片づいてしまうだろう。天下はまたたく間に、俺たちの旗幟によって、日月照々だ。安民楽土の世となるにきまっている。愉快だな。――しかし、戦争がそう早く無くなるのがさびしいが」
「ばかをいえ」
関羽は、首をふった。
「世の中は、そう簡単でないよ。いつも戦はこんな調子だと思うと、大まちがいだぞ」
大興山を後にして、一同はやがて幽州へ凱旋の轡をならべた。
太守劉焉は、五百人の楽人に勝利の譜を吹奏させ、城門に旗の列を植えて、自身、凱旋軍を出迎えた。
ところへ。
軍馬のやすむ遑もなく、青州の城下(山東省済南の東・黄河口)から早馬が来て、
「大変です。すぐ援軍の御出馬を乞う」と、ある。
「何事か」と、劉焉が、使の齎した牒文をひらいてみると、
当地方ノ黄巾ノ賊徒等県郡ニ蜂起シテ雲集シ青州ノ城囲マレ終ワンヌ落焼ノ運命已ニ急ナリタダ友軍ノ来援ヲ待ツ
青州太守龔景
と、あった。
玄徳は、また進んで、
「願わくば行いて援けん」
と申し出たので、太守劉焉はよろこんで、校尉鄒靖の五千余騎に加えて、玄徳の義軍にその先鋒を依嘱した。
四
時はすでに夏だった。
青州の野についてみると、賊数万の軍は、すべて黄の旗と、八卦の文を証とした幡をかざして、その勢い、天日をも侮っていた。
「なにほどの事があろう」と、玄徳も、先ごろの初陣で、難なく勝った手ごころから、五百余騎の先鋒で、当たってみたが、結果は大失敗だった。
一敗地にまみれて、あやうく全滅をまぬがれ、三十里も退いた。
「これはだいぶ強い」
玄徳は、関羽へ計った。
関羽は、
「寡をもって、衆を破るには、兵法によるしかありません」と一策を献じた。
玄徳は、よく人の言を用いた。そこで、総大将の鄒靖の陣へ、使を立て、謀事をしめしあわせて、戦を立て直した。
まず、総軍のうち、関羽は約千の兵をひっさげて、右翼となり、張飛も同数の兵力を持って、丘の陰に潜んだ。
本軍の鄒靖と玄徳とは、正面からすすんで、敵の主勢力へ、総攻撃の態を示し、ころあいを計って、わざと、潮のごとく逃げ乱れた。
「追えや」
「討てや」
と、図にのって、賊の大軍は、陣形もなく追撃して来た。
「よしっ」
玄徳が、駒を返して、充分誘導して来た敵へ当たり始めた時、丘陵の陰や、曠野の黍の中から、夕立雲のように湧いて出た関羽、張飛の両軍が、敵の主勢力を、完全にふくろづつみにして、みなごろしにかかった。
太陽は、血に煙った。
草も馬の尾も、血のかからない物はなかった。
「それっ今だ」
逃げる賊軍を追って、そのまま味方は青州の城下まで迫った。
青州の城兵は、
――援軍来る!
と知ると、城門をひらいて、討って出た。なだれ打って、逃げて来た賊軍は、城下に火を放ち、自分の放けた炎を墓場として、ほとんど、自滅するかのような敗亡を遂げてしまった。
青州の太守龔景は、
「もし、卿等の来援がなければ、この城は、すでに今日は賊徒の享楽の宴会場になっていたであろう」
と、人々を重く賞して、三日三晩は、夜も日も、歓呼の楽器と万歳の声に盈ちあふれていた。
鄒靖は、軍を収めて、
「もはや、お暇せん」
と、幽州へ引き揚げて行ったが、その際、劉玄徳は、鄒靖に向かって、
「ずっと以前――私の少年のころですが、郷里の楼桑村に来て、しばらくかくれていた廬植という人物がありました。私は、その廬植先生に就いて、初めて文を学び、兵法を説き教えられたのです。その後先生はどうしたかと、時折、思い出すのでしたが、近ごろうわさに聞けば、廬植先生は官に仕えて、中郎将に任ぜられ、今では勅令をうけて、遠く広宗(山東省)の野に戦っていると聞きます。――しかしそこの賊徒は、黄匪の首領張角将軍直属の正規兵だということですから、さだめし御苦戦と察しられるので、これから行って、師弟の旧恩、いささか御加勢してあげたいと思うものです」と、心のうちを洩らした。
そして、自分はこれから、広宗の征野へ、旧師の軍を援けに赴くから、幽州の城下へ帰ったら、どうか、その旨を、悪しからず太守へお伝えねがいたいと、伝言を頼んだ。
もとより義軍であるから、鄒靖も引き止めはしない。
「しからば、貴下の手勢のみ率いて、兵糧その他の賄、心のままにし給え」
と、他人らしく、あっさり言って別れた。
五
討匪将軍の印綬を帯びて、遠く洛陽の王府から、黄河口の広宗の野に下り、五万の官軍を率いて軍務に就いていた中郎将廬植は、
「なに。劉備玄徳という者がわしを訪ねて来たと? ......はてな、劉、玄徳、だれだろう」
しきりに首をひねっていたが、まだ思い出せない容子だった。
戦地と言っても、さすが漢朝の征旗を奉じて来ている軍の本営だけに、将軍の室は、大きな寺院の中央を占め、境内から四門の外郭一帯にかけて、駐屯している兵馬の勢威は物々しいものであった。
「はっ。――確かに、劉備玄徳とおっしゃって、将軍にお目にかかりたいと申して来ました」
外門から取り次いで来た一人の兵はそう言って、廬将軍の前に、直立の姿勢を取っていた。
「一人か」
「いいえ、五百人も連れてであります」
「五百人」
啞然とした顔つきで、
「じゃあ、その玄徳とやらは、そんなにも自分の手勢を連れて来たのか」
「さようです。関羽、張飛、という二名の部将を従えて、お若いようですが、立派な人物です」
「はてなあ?」
なおさら、思い当たらない容子であったが、取り次ぎの兵が、
「申し残しました。その仁は、涿県楼桑村の者で、将軍がそこに隠遁されていた時代に、読書のお教えをうけた事があるとか言っておりました」
「ああ! では蓆売りの劉少年かもしれない。いや、そう言えば、あれからもう十年以上も経っておるから、よい若人になっている年ごろだろう」
廬植は、にわかに、なつかしく思ったとみえ、すぐ通せと命令した。もちろん、連れている兵は外門に駐め、二人の部将は、内廊の廂まで入ることを許してである。
やがて玄徳は通った。
廬植は、一目見て、
「おお、やはりお前だったか。変わったのう」と、驚いた目をした。
「先生にも、その後は、赫々と洛陽に御武名の聞こえ高く、蔭ながら欣んでおりました」
玄徳は、そう言って、慮植の沓の前に退り、昔に変わらぬ師礼を執った。
そして彼は、自分の素志を述べた上、願わくば、旧師の征軍に加わって、朝旗の下に報国の働きを尽くしたいと言った。
「よく来てくれた。少年時代の小さい師恩を思い出して、わざわざ援軍に来てくれたとは、近ごろうれしい事だ。その心もちはすでに朝臣であり、国を愛する士の持つところのものだ。わが軍に参加して、大いに勲功をたててくれ」
玄徳は、参戦をゆるされて、約二ヵ月ほど、廬植の軍を援けていたが、実戦に当たってみると、賊のほうが、三倍も多い大軍を擁しているし、兵の強さも、比較にならないほど、賊のほうが優勢だった。
そのため、官軍のほうが、かえって守勢になり、いたずらに、滞陣の月日ばかり長びいていたのだった。
「軍器は立派だし、服装も剣も華やかだが、洛陽の官兵は、どうも戦意がない。都に残している女房子供の事だの、美味い酒だの、そんなことばかり思い出しているらしい」
張飛は、時々、そんな不平を鳴らして、
「長兄。こんな軍に交じっていると、われわれまでが、だらけてしまう。去って、ほかに大丈夫の戦う意義のある戦場を見つけましょう」
と、玄徳へ言ったが、玄徳は、師を歓ばせておきながら、師へ酬いる事もなく去る法はないと言って、肯かなかった。
そのうちに、廬植のほうから、折入って、軍機にわたる一つの相談がもちかけられた。
六
廬植が言うには、
――そもそもこの地方は、嶮岨が多くて、守る賊軍に利があり、一気に破ろうとすれば、多大に味方を損じるので、心ならずも、こうして長期戦を張って、長陣をしている理であるが、折り入って、貴下に頼みたいというのは、賊の総大将張角の弟で張宝・張梁のふたりは目下、潁川(安徽省・開封の西南)のほうで暴威を振るっている。
その方面へは、やはり洛陽の朝令をうけて、皇甫嵩・朱雋の二将軍が、官軍を率いて討伐に向かっている。
ここでも勝敗決せず、官軍は苦戦しているが、わが広宗の地よりも、戦うに益が多い。ひとつ貴下の手勢をもって、急に援軍に赴いてもらえまいか。
賊の張梁・張宝の二軍が敗れたりと聞こえれば、自然、広宗の賊軍も、戦意を喪失し、退路を断たれることを惧れて、潰走し始めることと思う。
「玄徳殿。行ってもらえまいか」
廬植の相談であった。
「承知しました」
玄徳は、もとより義をもって、旧師を援けに来たので、その旧師の頼みを、すげなく拒む気にはなれなかった。
即刻、軍旅の支度をした。
手勢五百に、廬植から付けてくれた千余の兵を加え、総勢千五百ばかりで、潁川の地へ急いだ。
陣地へ着くと、さっそく官軍の将、朱雋に会って、廬植の牒文を示し、
「お手伝いに参った」とあいさつすると、
「ははあ。どこで雇われた雑軍だな」と、朱雋は、至極冷淡な応対だった。
そして、玄徳へ、
「まあ、せいぜい働き給え、軍功さえ立てれば、正規の官軍に編入されもするし、貴公等にも、戦後、何か地方の小吏ぐらいな役目は仰せつかるから」
などとも言った。
張飛は、
「ばかにしおる」
と怒ったが、玄徳や関羽でなだめて、前線の陣地へ出た。
食糧でも、軍務でも、また応対でも、冷遇はするが、与えられた戦場は、最も強力な敵の正面で、官軍の兵が、手をやいているところだ。
地勢を見るに、ここは広宗地方とちがって、いちめんの原野と湖沼だった。
敵は、折からの、脊丈の高い夏草や野黍のあいだに、虫のようにかくれて、時々、猛烈な奇襲をして来た。
「さらば。一策がある」
玄徳は、関羽と張飛に、自分の考えを告げてみた。
「名案です。長兄は、そもそも、いつのまにそんなに、孫呉の兵を会得しておられたんですか」
と、二人とも感心した。
その晩、二更のころ。
一部の兵力を、迂回させて、敵のうしろに廻し、張飛、関羽等は、真っ暗な野を這って、敵陣へ近づいた。
そして、用意の物に、いっせいに火を点じると、
「わあっ」
と、鬨の声をあげて、炎の波のように、攻めこんだ。
かねて、兵一名に、十把ずつの松明を負わせ、それに火をつけて、雪崩れこんだのである。
寝ごみを衝かれ、不意を襲われて、右往左往、あわて廻る敵陣の中へ、投げ松明の光は、花火のように舞い飛んだ。
草は燃え、兵舎は燒け、逃げくずれる賊兵の軍衣にも、火がついて居ないのはなかった。
するとかなたから、一彪の軍馬が、燃えさかる草の火を蹴って進んで来た。見れば、全軍みな紅の旗をさし、真っ先に立った一名の英雄も、兜、鎧、剣装、馬鞍、すべて火よりも赤い姿をしていた。
七
「やよ、それに来たる豪傑。貴軍はそも、敵か味方か」
玄徳のそばから大音で、関羽がかなたへ向かって言った。
先でも、玄徳たちを、
「官軍か賊軍か?」と疑って居たように、ぴたと一軍の前進を停めて、
「これは洛陽より南下した五千騎の官軍である。汝等こそ、黄匪に非ずや」
と、呶鳴り返して来た。
聞くと、玄徳は左将軍関羽、右将軍張飛だけを両側に従えて、兵を後方に残したまま数百歩駒をすすめ、
「戦場とて、失礼をいたした。それがしは涿県楼桑村の草莽より起って、いささか奉公を志し、討賊の戦場に参加しておる義軍の将、劉備玄徳という者です。それにおいである豪傑は、そも何人なりや。願わくば御尊名をうかがいたい」
言うと、紅の旗、紅の鎧、紅の鞍に跨がっている人物は、玄徳の会釈を、馬上でうけながら微笑をたたえ、「御ていねいな挨拶。それへ参って申さん」と、赤夜叉のごとく、すべて赤く鎧った旗本七騎につつまれて、玄徳の間近まで馬をすすめて来た。
近々と、その人物を見れば。
年はまだ若い。肉薄く色白く、細眼長髯、胆量人にこえ、その眸には、智謀測り知れないものが見えた。
声静かに、名乗って言う。
「われは沛国譙郡(江蘇省徐州の西南・沛県)の生まれで、曹操字は孟徳、小字は阿瞞、また吉利ともいう者です。すなわち漢の相国曹参より二十四代の後胤にして、大鴻臚曹嵩が嫡男たり。洛陽にあっては、官騎都尉に封ぜられ、今、朝命によって、五千余騎にて馳せ来り、幸いにも、貴軍の火攻めの計に乗じて、逃ぐる賊を討ち、賊徒の首を討つことその数を知らないほどです。――ひとつお互いに両軍声をあわせて、天下の泰平を一日もはやく地上へ呼ぶため、凱歌をあげましょう」
「結構です。では、曹操閣下が矛をあげて、両軍へ発声の指揮をしてください」
玄徳が謙遜していうと、
「いやそれは違う。こよいの勝軍はひとえに貴軍の謀略と働きにあるのですから、玄徳殿が音頭をとるべきです」と、曹操も譲りあう。
「では、一緒に、指揮の矛を揚げましょう」
「なるほど、それならば」
と、曹操も従って、両将は両軍のあいだに轡をならべ、そして三度、鬨の声をあわせて野をゆるがした。
野火は燃えひろがるばかりで賊徒らの住む尺地も余さなかった。賊の大軍は、ほとんど、秋風に舞う木の葉のように四散した。
「愉快ですな」
曹操は、顧みて言った。
兵をまとめて、両軍引き揚げの先頭に立ちながら、玄徳は、彼と駒を並べ、彼と親しく話すかなりな時間を得た。
彼の最前の名乗りは、あながち鬼面人を脅すものではなかった。玄徳は正直に、彼の人物に尊敬を払った。晋文匡扶の才なきを笑い、趙高王莽の計策なきを嘲って時々、自らの才を誇る風はあるが、兵法は呉子孫子をそらんじ、学識は孔孟の遠き弟子をもって任じ、話せば話すほど、深みもあり広さもある人物と思われた。
それにひきかえて、本軍の総大将朱雋は、かえって玄徳の武功をよろこばないのみか、玄徳が戻ってくると、すぐこう命令した。
「せっかく、潁川にまとまっていた賊軍を四散させてしまったので、必ず彼等は、大興山の友軍や広宗の張角軍と合体して、廬植将軍のほうを、今度はうんと悩ますにちがいない。――貴公はすぐ広宗へ引っ返して、再び、廬植軍に加勢してやり給え。今夜だけ、馬を休めたら、すぐ発足するがよかろう」
檻車
一
義はあっても、官爵はない。勇はあっても、官旗を持たない。そのために玄徳の軍は、どこまでも、私兵としか扱われなかった。
(よく戦ってくれた)と、恩賞の沙汰か、ねぎらいの言葉でもあるかと思いのほか、休む遑もなく、(ここはもうよいから、広宗の地方へ転戦して、廬将軍を援けにゆけ)
と言う朱雋の命令には、玄徳は素直な質なので、承知して戻ったが、関羽も、張飛も、それを聞くと、
「え。すぐにここを立てというんですか」
と、むっとした顔色だった。殊に張飛は、
「けしからん沙汰だ。いかに官軍の大将だからといって、そんな命令を、おうけして来る法があるものか。昨夜から悪戦苦闘してくれた部下にだって、気の毒で、そんな事が言えるものか」と、激昂し、「長兄は、おとなしいもんだから、洛陽の都会人などの眼から見ると舐められやすいのだ。拙者が懸け合ってくる」
と、剣を摑んで、朱雋の本営へ出かけそうにしたので、玄徳よりは、同じ不快を怺えている関羽が、
「まあ待て」と、極力抑えた。
「ここで、腹を立てたら、折角、官軍へ協力した意義も武功も、みな水泡に帰してしまう。都会人て奴は、元来、わがままで思い上がっているものだ。しかし、黙ってわれわれが国事に尽くしていれば、いつか誠意は天聴にも達するだろう。眼前の利慾に怒るのは小人の業だ。われわれは、もっと高い理想に向かって起つはずじゃないか」
「でも癪にさわる」
「感情に負けるな」
「無礼なやつだ」
「わかった。わかった。もうそれでいいだろう」
ようやく宥めて、
「劉兄。お腹も立ちましょうが、戦場も世の中の一部です。広い世の中としてみればこんな事はありがちでしょう。即刻、この地を引き揚げましょう」
ついでに関羽は、玄徳の憂鬱もそう言って慰めた。
玄徳はもとより、そう腹も立っていない。怺えるとか、堪忍とか、二人は言っているが、彼自身は、生来の性質が微温的にできているのか、実際、朱雋の命令にしてもそう無礼とも無理とも思えないし、怒るほどに、気色を害されてもいなかったのである。
兵には、一睡させて、せめて食糧もゆっくり摂らせて、夜半から玄徳は、そこの陣地を引き払った。
きのうは西に戦い。
きょうは東へ。
毎日、五百の手勢と、行軍をつづけていても、私兵のあじけなさを、しみじみ思わずにいられなかった。
部落を通れば、土民までが馬鹿にする。――その土民等を賊の虐圧と、悪政の下から救って、安心楽土の幸福な民としてやろうというこの軍の精神であるのに――その見すぼらしい雑軍的な装備を見て、
「なんじゃ。官軍でもなし、黄巾賊でもないのが、ぞろぞろ通りよる」
などと、陽なたに手をかざし合って、嘲弄するような眼をあつめながら見物していた。
けれど、先頭の玄徳、張飛、関羽の三人だけは、人目をひいた。威風が道を払った。土民等の中には土下座して拝する者もあった。
拝されても、嘲弄されても、玄徳はいずれにせよ、気にかけなかった。自分が畑に働いていたころの気持をもって、土民の気持を理解しているからだった。
二
駒を並べて来る関羽と張飛とはまだ朱雋の無礼を思い出して、時々、腹が立って来るものとみえ、官軍の風紀や、洛陽の都人士の軽薄を、しきりに声を大にして罵っていた。
「およそ

なものは、官爵を誇って、朝廷の御威光を、自分の偉さみたいに、思い上がっている奴だ。天下の
紊るるのは、天下紊れに
非ず、官の
廃頽に
拠るというが、洛陽育ちの役人や将軍のうちには、あんなのが沢山いるだろうて」
と、関羽が言えば、
「そうさ。俺はよッぽど、朱雋の面へ、へドを吐きかけてやろうと思ったよ」と張飛も言う。
「はははは。貴公のへドをかけられたら、朱雋も驚いたろうな。しかし彼一人が官僚臭の鼻もちならぬ人間というわけではない。漢室の廟堂そのものが腐敗しているのだ。彼は、その中に棲息している時代人だから、その悪弊を持っているに過ぎない」
「それやあわかっているが、とにかく俺は、目前の事実を憎むよ」
「いくら黄匪を討伐しても、中央の悪風を粛正しなければ、ほんとのよい時代はやって来まいな」
「黄巾の賊はなお討つに易し。廟堂の鼠臣はついに趁うも難し――か」
「そのとおりだ」
「考えれば考えるほど、俺たちの理想は遠い――」
道をながめ、空を仰ぎ、両雄は嘆じ合っていた。
少し前へ立って、馬を進めていた玄徳は、二人の声高なはなしを先刻から後ろ耳で聞いていたが、その時、振り顧って、
「いやいや両人、そう一概に言ってしまったものではない。洛陽の将軍のうちにも、立派な人物は乏しくない」と、言った。
玄徳は、言薬をつづけて、
「たとえば先ごろ、野火の戦野で出会って挨拶を交わした――赤備えの一軍の大将、孟徳曹操などという人物は、まだ若いが、人品といい、言語態度といい、寔に見あげたものだった。叡智の才を、洛陽の文化と、武勇とに磨いて、一個の人格に飽和させているところ、彼など真に官軍の将軍といって恥ずかしからぬ者であろう。ああいう武将というものは、やはり郷軍や地方の草莽のなかには見当たらないと思うな」と、賞めたたえた。
それには、張飛も関羽も、同感であったが、浪人の通有性として官軍とか官僚とかいうと、まずその人物の真価を
観るより先に、その色や
臭いを
悪してかかるので、玄徳にそう言われるまでは、特に、曹操に対しても、感服する気にはなれなかったのである。
「ヤ。旗が見える」
そのうちに、彼等の部下は、こう言って指さし合った。玄徳は、馬を止めて、
「なにが来るのだろうか」と、関羽を顧みた。
関羽は、手をかざして、道の前方数十町の先を、眺めていた。そこは山陰になって、山と山の間へ道が蜿っているので、太陽の光も陰り、何やら一団の人間と旗とが、こちらへさして来るのはわかるが官軍やら黄巾賊の兵やら――また、地方を浮浪している雑軍やら、見当がつかなかった。
だが、次第に近づくに従って、ようやく旗幟がはっきりわかった。関羽が、それと答えた時には、従う兵等も口々に言い交わしていた。
「朝旗をたてている」
「アア。官軍だ」
「三百人ばかりの官軍の隊」
「だが、おかしいぞ、熊でも捕まえて入れて来るのか、檻車を曳いて来るじゃないか」
三
大きな鉄格子の檻である。車がついているので驢に曳かせることができる。まわりには、槍や棒を持った官兵が、怖い目をしながら警固して来る。
その前に百名。
その後ろに約百名。
檻車を真ん中にして、七
旒の朝旗は山風に
翻えっていた。そして、檻車の中に、揺られて来るのは、熊でも

でもなかった。
膝を抱いて、天日に
面を
俯せている、あわれなる人間であった。
ばらばらっと、先頭から、一名の隊将と、一隊の兵が、駈け抜けて来て、玄徳の一行を、頭から咎めた。
「こらっ、待てっ」と言うふうにである。
張飛も、ぱっと、玄徳の前へ駒を躍らせて、万一を庇いながら、
「なんだっ、虫けら」と、言い返した。
言わずともよい言葉であったが、潁川以来、とかく官兵の空威ばりに、業腹の煮えていたところなので、つい口を衝いて出てしまったのである。
石は石を打って、火を発した。
「なんだと、官旗に対して、虫けらと言ったな」
「礼を知るをもって人倫の始まりと言う。礼儀をわきまえん奴は、虫けらも同然だ」
「だまれ、われわれは、洛陽の勅使、左豊卿の直属の軍だ。旗を見よ。朝旗が見えんか」
「王城の直軍とあれば、なおさらの事である。俺たちも、武勇奉公を任じる軍人だ。私軍といえど、この旗に対し、こらっ待てとはなんだ。礼をもって問えば、こちらも礼をもって答えてやる。出直して来い」
丈八の蛇矛を斜に構えて、かっとにらみつけた。
官兵は縮み上がったものの、虚勢を張ったてまえ、退きもならず、生唾をのんでいた。玄徳は、眼じらせで、関羽にこの場を扱うように促した。
関羽は、心得て、
「あいや、これは潁川の朱雋・皇甫嵩の両軍に参加して、これより広宗へ引っ返して参る涿県の劉玄徳の手勢でござる。ことばの行きちがい、この漢の短慮はゆるし給え。――就いてはまた、貴下の軍は、これよりどこへ参らるるか。そして、あれなる檻車にある人間は、賊将の張角でも生擒って来られたのであるか」
詫びるところは詫び、糺すところは筋目を糺して、質問した。
官兵の隊将は、それに、ほっとした顔つきを見せた。張飛の暴言も薬になったとみえ、今度は丁寧に、
「いやいや、あれなる檻車に押し込めて来た罪人は、先ごろまで、広宗の征野にあって、官軍一方の将として、洛陽より派遣せられていた中郎将廬植でござる」
「えっ、廬植将軍ですって」
玄徳は、思わず、驚きの声を放った。
「されば、われわれには詳しいこともわからぬが、今度勅命にて下られた左豊卿が、各地の軍状を視察中、廬植の軍務ぶりに不届きありと奏されたため、急に廬植の官職を褫奪され、これよりその身がらを一囚人として、都へ差し立てて行く途中なので――」
と語った。
玄徳も、関羽も、張飛も、
「噓のような......」と、茫然たる面を見あわせたまま、しばし言うことばを知らなかった。
玄徳はやがて、
「実は、廬植将軍は、自分の旧師にあたるお人なので、ぜひとも一目、お別れをお告げ申したいが、なんと許してもらえまいか」と切に頼んだ。
四
「ははあ。では、罪人廬植は、貴公の旧師にあたる者か。それは定めし、一目でも会いたかろうな」
守護の隊将は、玄徳の切な願いを、肯くともなく、肯かぬともなく、すこぶるあいまいに口を濁して、「許してもよいが、公の役目のてまえもあるしな」と、意味ありげに呟いた。
関羽は、玄徳の袖をひいて、彼は賄賂を求めているにちがいない。貧しい軍費ではあるが、幾分かを割いて、彼に与えるしかありますまいと言った。
張飛は、それを小耳に挾むと、けしからぬことである。そんなことをしては癖になる。もし肯かなければ、武力に訴えて、廬将軍の檻車へ迫り、御対面なさるがよい。自分が引き受けて、警固の奴らは近寄らせぬからと言ったが、玄徳は、
「いやいや、かりそめにも、朝廷の旗を奉じている兵や役人へ向かって、さような暴行はなすべきでない。と言って、師弟の情、このまま廬将軍と相見ずに別れるにも忍びないから――」
と言って、なにがしかの銀を、軍費のうちから出させて、関羽の手からそっと、守護の隊将へ手渡し、
「ひとつ、あなたのお力で」
と、折り入って言うと、贈賄の効目は、手のひらを返したようにきいて、隊将は立ち戻って、檻車を停め、
「しばらく、休め」と、自分の率いている官兵に号令した。
そしてわざと、彼等は見て見ぬふりして、路傍に槍を組んで休憩していた。
玄徳は、騎を下りて、その間に、檻車のそばへ馳け寄り、がんじょうな鉄格子へすがりついて、
「先生っ。先生っ。玄徳でございます。いったい、このお姿は、どうなされた事でござりますぞ」
と、嘆いた。
膝を曲げて、暗澹と、顔を埋めたまま、檻車の中に脊をまるくしていた廬植は、その声に、はっと眼を向けたが、
「おうっ」
と、それこそ、さながら野獣のように、鉄格子の側へ、跳びついて来て、
「玄徳か......」と、舌をつらせて顫いた。
「いい所で会った。玄徳、聞いてくれ」
廬植は、無念な涙に、眼も顔もいっぱいに曇らせながら言う。
「実は、こうだ。――先ごろ、貴公がわしの陣を去って、潁川のほうへ立ってから間もなく、勅使左豊という者が、軍監として戦況の検分に来たが、世事に疎いわしは、陣中であるし、天子の使として、彼を迎えるに、あまりに真面目すぎて、他の将軍連のように、左豊に献物を贈らなかった。......すると厚顔しい左豊は、我に賄賂をあたえよと、自分の口から求めて来たが、陣中にある金銀は、皆これ官の公金にして、兵器戦備の費にする物、他に私財とてはなし。殊に、軍中なれば、吏に贈る財物など、何であろうかと、わしはまた、真っ正直に断わった」
「......なるほど」
「すると。左豊は、廬植はわれを恥ずかしめたりと、ひどく恨んで帰ったそうだが、間もなく、身に覚えない罪名の下に、軍職を
褫奪されてこんな浅ましい姿を
曝して、都に差し立てられる身とはなってしもうた。......今思えば、わしもあまり一徹であったが、洛陽の
顕官どもが、私利私腹のみ肥やして、君も思わず、民を顧みず、ただ一身の栄利に
々としておる
状は、想像のほかだ。実に嘆かわしい。こんなことでは、後漢の霊帝の御世も、おそらく長くはあるまい。......ああどうなりゆく世の中やら」
と、廬植は、身の不幸を悲しむよりも、さすがに、より以上、上下乱脈の世相の果てを、痛哭するのであった。
五
慰めようにも慰めることばもなく、鉄格子を隔てた廬植の手を握りしめて、玄徳もともにただ悲嘆の涙にくれていたが、「いや先生、御胸中はお察しいたしますが、いかに世が末になっても、罪なき者が罰せられて、悪人や奸吏が、ほしいままに、栄耀を全うする事はありません。日月も雲に蔽われ、山容も、烟霧に真の象を現わさない時もあります。そのうちに、御寃罪を拭われて、また聖代に祝しあう日もありましょう。どうか、時節をお待ちください。お体を大切に、恥をしのんで、じっとここは、御幸抱ください」
と励ました。
「ありがとう」と、廬植もわれに回って、「思わぬ所で、思わぬ人に会ったため、つい心も弛み、不覚な涙を見せてしもうた。......わしなどはすでに老朽の身だが、頼むのは、貴公たち将来のある青年へだ。......どうか億生の民草のために、頼むぞ劉備」
「やります。先生」
「ああしかし」
「何ですか」
「わしのごとき、老年になっても、まだ佞人の策に墜ち、檻車に生き恥を曝されるような不覚をするのだ。汝等は殊に年も若いし、世の経験に浅い身だ。くれぐれも、平時の処世に細心でなければ危ないぞ。戦を覚悟の戦場よりも、心をゆるめがちの平時のほうが、どれほど危険が多いか知れない」
「御訓誡、胆に銘じておきます」
「では、あまり長くなっても、また迷惑がかかるといけないから――」
と、廬植が、早く立ち去れかしと、玄徳を眼で急き立てていると、それまで、檻車の横に佇んでいた張飛が、突然、
「やあ長兄。罪もなき恩師が、獄府へ引かれて行くのを、このまま見過ごすという法があろうか。今のはなしを聞くにつけ、また先ごろからの鬱憤も嵩んでおる。もはや張飛の堪忍の緒は断れた。――守護の官兵どもを、みなごろしにして、檻車を奪い廬植様をお助けしようではないか」
と、大声でいい放ち、一方の関羽を顧みて、
「兄貴、どうだ」と、相談した。
耳こすりや、眼まぜで謀し合わすのではない。天地へ向かって呶鳴るのである。いくら背中を向けて見ぬ振りをしている官兵でも、それには総立ちになって、色めかざるを得ない。しかし、張飛の眼中には、蠅が舞い出した程にもなく、
「なにを黙っておるのか。長兄等は、官兵が怖いのか。義を見て為さざるは勇なきなり。よしっ、それでは、俺ひとりでやる。なんの、こんな虫籠のような檻車一つ」
いきなり張飛は、その鉄格子に手をかけて、猛虎のように、揺すぶり出した。
いつもあまり大きな声も出さないし、滅多に顔いろを変えない玄徳が、それを見ると、
「張飛! 何をするかッ」と、大喝して、「かりそめにも、朝令の科人へ、汝、一野夫の身として、何を為さんとするか。師弟の情は忍び難いが、なお、私情に過ぎない。いやしくも天子の命とあらは、地を嚙んでも伏すべきである。世々の道に反かずという事は、そもそも、われらの軍律の第一則であった。強って、乱暴を働くにおいては、天子の臣に代わり、また、わが軍律に照らして、劉玄徳が、まず汝の首を刎ねん。――いかに張飛、なお躁ぐや」
と、彼の名剣の柄をにぎって、眦を紅に裂き、この人にしてこの血相があるかと疑われるばかりな声で叱りつけた。
六
――檻車は遠く去った。
叱られて、思い止まった張飛は、後ろの山のほうを向いて、見ていなかった。
玄徳は、立っていた。
「............」
黙然と、凝視して、遠くなり行く師の檻車を、暗涙の中に見送っていた。
「......さ。参りましょう」
関羽は、促して、駒を寄せた。
玄徳は、黙々と、騎上の人になったが、鷹植の運命の急変が、よほど精神にこたえたとみえ、
「......ああ」と、なお嘆息しては、振り向いていた。
張飛は、つまらない顔していた。彼にとっては、正しい義憤としてやった事が、計らずも玄徳の怒りを買い、義盟の血をすすり合ってから初めてのような叱られ方をした。
官兵どもは、それを見て、いい気味だというような嘲笑を浴びせた。張飛たるもの、腐らずにいられなかった。
「いけねえや、どうも家の大将は、すこし安物の孔子にかぶれている気味だて」
舌打ちしながら、彼も黙りこんだまま、しょげ返った姿を、駒にまかせていた。
山峡の道を過ぎて、二州のわかれ道へ来た。
関羽は、駒を止めて、
「玄徳様」と、呼びかけた。
「これから南へ行けば広宗。北へ指してゆけば、郷里の涿県の方角へ近づきます。いずれを選びますか」
「もとより、鷹植先生が囚われの身となって、洛陽へ送られてしまったからには、義をもってそこへ援軍に赴く意味ももうなくなった。ひとまず、涿県へ帰ろうよ」
「そうしますか」
「うム」
「それがしも、先刻からいろいろ考えていたのですが、どうも、残念ながら、一時郷里へ退くしかないであろう――と思っていたので」
「転戦、また転戦。なんの功名も齎さず、郷家に待つ母上にも、なんとなく、会わせる顔もないここちがするが......帰ろうよ、涿県へ」
「はっ。――では」
と、関羽は、騎首を旋らして、後ろからつづいて来る五百余の手兵へ、
「北へ、北へ!」
と、指して歩向の号令をかけ、そしてまた黙々と、歩みつづけた。
「あア――、あ、あ」
張飛は、大欠伸して、
「いったい、なんのために、俺たちは戦ったんだい。ちっともわけがわからない。――こうなると一刻もはやく、涿県の城内へ帰って、市の酒屋で久しぶりに、猪の股でも齧りながら、うまい酒でも飲みたいものだ」と、言った。
関羽は、苦い顔して、
「おいおい、兵隊の言うようなことを言うな。一方の将として」
「だって、俺は、ほんとのことを言っているんだ。噓ではない」
「貴様からして、そんなことを言ったら、軍紀が弛むじゃないか」
「軍紀の弛み出したのは、俺のせいじゃない。官軍官軍と、なんでも、官軍とさえいえば、意気地なく恐がる人間のせいだろ」
不平満々なのである。
その不平な気もちは、玄徳にもわかっていた。玄徳もまた、不平であったからだ。そしてひところの張り切っていた壮志の弛みをどうしようもなかった。彼は、女々しく郷里の母を想い出し、また、思うともなく、鴻芙蓉の麗しい眉や眼などを、人知れず胸の奥所に描いたりして、なんとなく士気の沮喪した軍旅の虚無と不平をなぐさめていた。
すると、突然、山崩れでもしたように、一方の山岳で、鬨の声が聞こえた。
七
「何事か」
玄徳は聞き耳たてていたが、四山にこだまする銅鑼、兵鼓の響きに、
「張飛。物見せよ」と、すぐ命じた。
「心得た」
と張飛は駒を飛ばして、山のほうへ向かって行ったが、しばらくすると戻って来て、
「広宗の方面から逃げくずれて来る官軍を、黄巾の総帥張角の軍が、大賢良師と書いた旗を進め、勢いに乗って、追撃して来るのでござる」と、報告した。
玄徳は、驚いて、
「では、広宗の官軍は、総敗北となったのか。――罪なき廬植将軍を、檻に囚えて、洛陽へ差し立てたりなどしたために、たちまち、官軍は統制を失って、賊にその虚をつかれたのであろう」
と、嘆じた。
張飛は、むしろ小気味よげに、
「いや、そればかりでなく、官軍の士風そのものが、長い平和に狎れ、気弱にながれ、思い上がっているからだ」と、関羽へ言った。
関羽は、それに答えず、
「長兄、どうしますか」
と玄徳へ計った。
玄徳は、躊躇なく、
「皇室を重んじ、秩序を紊す賊子を討ち、民の安寧を護らんとは、われわれの初めからの鉄則である。官の士風や軍紀を司る者に、面白からぬ人物があるからというて、官軍そのものが潰滅するのを、拱手傍観していてもよいものではない」
と、即座に、援軍に馳せつけて、賊の追撃を、山路で中断した。そしてさんざんにこれを悩ましたり、また、奇策をめぐらして、張角大方師の本軍まで攪乱した上、勢いを挽回した官軍と合体して、五十里あまりも賊軍を追って引き揚げた。
広宗から敗走して来た官軍の大将は、董卓という将軍だった。
からくも、総敗北を盛り返して、ほっと一息つくと、将軍は、幕僚にたずねた。
「いったい、かの山嶮で、不意にわが軍へ加勢し、賊の後方を攪乱した軍隊は、いずれ味方には相違あるまいが、どこの部隊に属する将士か」
「さあ。どこの隊でしょう」
「汝等も知らんのか」
「だれも弁えぬようです」
「しからば、その部将に会って、自身訊ねてみよう。これへ呼んで来い」
幕僚は、直ちに、玄徳たちへ董卓の意をつたえた。
玄徳は、左将関羽、右将張飛を従えて、董卓の面前へ進んだ。
董卓は、椅子を与える前に、三名の姓名をたずねて、「洛陽の王軍に、卿等のごとき勇将がある事は、まだ寡聞にして聞かなかったが、いったい諸君は、なんという官職に就かれておるのか」と、身分を糺した。
玄徳は、無爵無官の身をむしろ誇るように、自分等は、正規の官軍ではなく、天下万民のために、大志を奮い起こして立った一地方の義軍であると答えた。
「......ふうむ。すると、涿県の楼桑村から出た私兵か。つまり雑軍というわけだな」
董卓の応対ぶりは、言葉つきからして違って来た。露骨な軽蔑を鼻先に見せていうのだった。しかも、
「――ああそうか。じゃあ我が軍に従いて、大いに働くがよいさ。給料や手当は、いずれ沙汰させるからな」
と同席するさえ、自分の沽券に関るように、董卓は言うとすぐ帷幕のうちへ隠れてしまった。
八
官軍にとっては、大功を立てたのだ。董卓にとって、生命の親だと言ってもよいのだ。
しかるに!
何ぞ、遇するの、無礼。
士を遇する道を知らぬにも程がある。
「............」
玄徳も、張飛と関羽も、董卓のうしろ姿を見送ったまま、茫然としていた。
「うぬっ」
奮然と、張飛は、彼のかくれた幕の奥へ、躍り入ろうとした。
獅子のように、髪を立って。
そして剣を手に、
「あっ、どこへ行く」
玄徳は、驚いて、張飛のうしろから組み止めながら、
「こらっ、また、わるい短慮を出すか」と、叱った。
「でも。でも」
張飛は、怒り熄まなかった。
「――ちッ、畜生っ。官位がなんだっ。官職がない者は、人間でないように思ってやがる。馬鹿野郎ッ。民力があっての官位だぞ。賊軍にさえ、蹴ちらされて、逃げまわって来やがったくせに」
「これッ、鎮まらんか」
「離してくれ」
「離さん。関羽関羽。なぜ見ているか、一緒に、張飛を止めてくれい」
「いや関羽、止めてくれるな。おれはもう、堪忍の緒を切った。――功を立てて恩賞もないのは、まだ我慢もするが、なんだ、あの軽蔑したあいさつは。――人を雑軍かとぬかしおった。私兵かと、鼻であしらいやがった。――離してくれ、董卓の素ッ首を、この蛇矛で一太刀にかッ飛ばして見せるから」
「待て。......まあ待て。......腹が立つのは、貴様ばかりではない。だが、小人の小人ぶりに、いちいち腹を立てていたひには、とても大事は為せぬぞ。天下、小人に満ちいる時だ」
玄徳は、抱き止めたまま、声をしぼって諭した。
「しかし、なんであろうと、董卓は皇室の武臣である。朝臣を殺逆すれば、理非にかかわらず、叛逆の賊子といわれねばならぬ。それに、董卓には、この大軍があるのだ。われわれも共に、ここで斬死しなければならぬ。聞きわけてくれ張飛。われわれは、犬死するために、起ったのではあるまいが」
「......ち、ち、ちく生ッ」
張飛は、床を、大きく沓で踏み鳴らして、男泣きに、声をあげて泣いた。
「口惜しい」
彼は、坐りこんで、まだ泣いていた。この忍耐をしなければ、世のために戦えないのか、義を唱えても、ついに為すことはできないのかと考えると悲しくなってくるのだった。
「さ。外へ出よう」
赤ン坊をあやすように、玄徳と関羽の二人して、彼を、左右から抱き起こした。
そして、その夜、「こんな所に長居していると、いつまた、張飛が虫を起こさないとも限らないから」と、董卓の陣を去って、手兵五百と共に、月下の曠野を、蕭々と、風を負って歩いた。
わびしき雑軍。
そして官職のない将僚。
一軍の漂泊は、こうして再び続いた。夜ごとに、月は白く小さく、曠野は果てなくまた露が深かった。
渡り鳥が、大陸を趁く。
もう秋なのだ。
いちどは郷里の涿県へ帰ろうとしたが、それも残念でならないし、あまりに無意義――という関羽の意見に、張飛も、将来は何事も我慢しようと同意したので、玄徳を先頭にしたこの渡り鳥にも似た一軍は、また、以前の潁川地方に在る黄匪討伐軍本部――朱雋の陣地へと志して行ったのであった。
秋風陣
一
潁川の地へ行き着いてみると、そこにはすでに官軍の一部隊しか残っていなかった。大将軍の朱雋も皇甫嵩も、賊軍を追い狭めて、遠く河南の曲陽や宛城方面へ移駐しているとのことであった。
「さしも旺だった黄巾賊の勢力も、洛陽の派遣軍のために、次第に各地で討伐され、そろそろ自壊しはじめたようですな」
関羽が言うと、
「つまらない事になった」
と、張飛はしきりと、今のうちに功を立てねば、いつの時か風雲に乗ぜんと、焦心るのであった。
「――義軍何ぞ小功を思わん。義胆なんぞ風雲を要せん」
劉玄徳は、独り言った。
雁の列のように、漂泊の小軍隊はまた、南へ向かって、旅をつづけた。
黄河を渡った。
兵たちは、馬に水を飼った。
玄徳は、黄いろい大河に眼をやると、憶いを深くして、
「ああ、悠久なる哉」
と、つぶやいた。
四、五年前に見た黄河もこのとおりだった。おそらく百年、千年の後も、黄河の水は、このとおりに在るだろう。
天地の悠久を思うと、人間の一瞬が儚く感じられた。小功は思わないが、しきりと、生きている間の生甲斐と、意義ある仕事を残さんとする誓願が念じられてくる。
「この畔で、半日もじっと若い空想に耽っていた事がある。――洛陽船から茶を購おうと思って」
茶を思えば、同時に、母が憶われてくる。
この秋、いかにおわすか。足の冷えや、持病が出ては来ぬだろうか。御不自由はどうあろうか。
いやいや母は、そんな事すら忘れて、ひたすら、子が大業を為す日を待っておられるであろう。それと共に、いかに聡明な母でも、実際の戦場の事情やら、また実地に当たる軍人同志のあいだにも、常の社会と変わらない難しい感情やら争いやらあって、なかなか武力と正義の信条一点張りで、世に出られないことなどは、お察しもつくまい。御想像にも及ぶまい。
だから以来、なんのよい便りもなく、月日を空しく送っている子をお考えになると、
(阿備は、何をしているやら)
と、さだめし腑がいない者と、焦れッたく思ってお居でになるに相違ない。
「そうだ。せめて、体だけは無事な事でも、お便りして置こうか」
玄徳は、思いつめて、騎の鞍を下ろし、その鞍に結びつけてある旅具の中から、翰墨と筆を取り出して、母へ便りを書きはじめた。
駒に水を飼って、休んでいた兵たちも、玄徳が箋葉に筆をとっているのを見ると、
「おれも」
「われも」
と、何か書きはじめた。
だれにも、故郷がある。姉妹兄弟がある。玄徳は思いやって、「故郷へ手紙をやりたい者は、わしの手許へ持って来い。親のある者は、親へ無事の消息をしたがよいぞ」と、言った。
兵たちは、それぞれ紙片や木皮へ、何か書いて持って来た。玄徳はそれを一囊に納めて、実直な兵を一人撰抜し、
「おまえは、この手紙の囊を携えて、それぞれの郷里の家へ、郵送する役目に当たれ」
と、路費を与えて、すぐ立たせた。
そして落日に染まった黄河を、騎と兵と荷駄とは、黒いかたまりになって、浅瀬は徒渉し、深い所は筏に棹さして、対岸へ渡って行った。
二
先ごろから河南の地方に、何十万とむらがっている賊の大軍と戦っていた大将軍朱雋は、思いのほか賊軍が手ごわいし、味方の死傷はおびただしいので、
「いかがはせん」と、内心煩悶して、苦戦の憂いを顔に刻んでいた所だった。
そこへ、
「潁川から広宗へ向かった玄徳の隊が、形勢の変化に、途中から引っ返して来て、ただ今、着陣いたしましたが」と、幕僚から知らせがあった。
朱雋はそれを聞くと、
「やあ、それはよい所へ来た。すぐ通せ、失礼のないように」
と、前とは、打って変わって、鄭重に待遇した。陣中ながら、洛陽の美酒を開き、料理番に牛など裂かせて、「長途、おつかれであろう」と、歓待した。
正直な張飛は、前の不快もわすれて、すっかり感激してしまい、
「士は己を知る者のために死す、である」
などと酔った
機
で言った。
だが歓待の代償は義軍全体の生命に近いものを求められた。
翌日。
「早速だが、豪傑にひとつ、打ち破っていただきたい方面がある」
と、朱雋は、玄徳等の軍に、そこから約三十里ほど先の山地に陣取っている頑強な敵陣の突破を命じた。
否む理由はないので、
「心得た」と、義軍は、朱雋の部下三千を加えて、そこの高地へ攻めて行った。
やがて、山麓の野に近づくと天候が悪くなった。雨こそ降らないが、密雲低く垂れて、烈風は草を飛ばし、沼地の水は霧になって、兵馬の行くてを晦くした。
「やあ、これはまた、賊軍の大将の張宝が、妖気を起こして、われらを皆ごろしにすると見えたるぞ。気をつけろ。樹の根や草につかまって、烈風に吹きとばされぬ用心をしたがいいぞ」
朱雋からつけてよこした部隊から、だれ言うとなく、こんな声が起こって、恐怖はたちまち全軍を蔽った。
「ばかなっ」
関羽は怒って、
「世に理のなき妖術などがあろうか。武夫たるものが、幻妖の術に怖れて、木の根にすがり、大地を這い、戦意を失うとは、何たるざまぞ。すすめや者ども、関羽の行く所には妖気も避けよう」
と大声で鼓舞したが、
「幻術には敵わぬ。あたら生命をわざわざ墜とすようなものだ」
と、朱雋の兵は、なんと言っても前進しないのである。
聞けば、この高地へ向かった官軍は、これまでにも何度攻めても、全滅になっているというのであった。黄巾賊の大方師張角の弟にあたる張宝は、有名な妖術つかいで、それがこの高地の山谷の奥に陣取っているためであるという。
そう聞くと張飛は、
「妖術とは、外道魔物のする業だ。天地開けて以来、まだかつて方術者が天下を取ったためしはあるまい。怖じる心、惧れる眼、顫く魂を惑わす術を、妖術とは言うのだ。怖れるな、惑うな。――進まぬやつは、軍律に照らして斬り捨てるぞ」
と、軍のうしろにまわって、手に蛇矛を抜きはらい、督戦に努めた。
朱雋の兵は、敵の妖術にも恐怖したが、張飛の蛇矛にはなお恐れて、やむなくわっと、黒風へ向かって前進し出した。
三
その日は、天候もよくなかったに違いないが、戦場の地勢も殊に悪かった。
寄手にとっては、はなはだしく不利な地の利に

でも置かれるように、そこの高地は自然にできている。
峨々たる山が、道の両わきに、鉄門のように聳えている。そこを突破すれば、高地の沢から、山地一帯の敵へ肉薄できるのだが、そこまでが、近づけないのだった。
「鉄門峡まで行かぬうちに、いつも味方はみなごろしになる。豪傑、どうか無謀は止めて、引っ返し給え」
と、朱雋の軍隊の者は、部将からして、怯み上がって言う程だから、兵卒が皆、恐怖して自由に動かないのも無理ではなかった。
だが、張飛は、
「それは、いつもの寄手が弱いからだ。きょうは、われわれの義軍が先に立って進路を斬りひらく、武夫たる者は、戦場で死ぬのは、本望ではないか。死ねや、死ねや」と、督戦に声を嗄らした。
先鋒は、ゆるい砂礫の丘を這って、もう鉄門峡のまぢかまで、攻め上っていた。朱雋軍も、張飛の蛇矛に斬り捨てられるよりはと、その後から、芋虫の群れが動くように這い上がった。
すると、たちまち、一陣の風雷、天地を震動して木も砂礫も人も、中天へ吹きあげられるかと覚えた時、一方の山峡の頂きに、陣鼓を鳴らし、銅鑼を打ち轟かせて、
――わあっ。わあっ。
と、烈風も圧するような鬨の声がきこえた。寄手は皆地へ伏し、眼をふさぎ、耳を忘れていたが、その声に振り仰ぐと、山峡の絶巓はいくらか平盤な地になっているとみえて、そこに賊の一群が見え「地公将軍」と書いた旗や、八卦の文を印した黄色の幟、幡など立て並べて、
「死に神につかれた軍が、またも
黄泉へ急いで来つるぞ。
冥途の

を開けてやれ」
と、声を合わせて笑った。
その中に一人、遠目にもわかる異相の巨漢があった。
口に魔符を嚙み、髪をさばき、印をむすんでなにやら呪文を唱えている容子だったが、それと共に烈風はますます募って、晦冥な天地に、人の形や魔の形をした赤、青、黄などの紙片がまるで五彩の火のように降って来た。
「やあ魔軍が来た」
「賊将張宝が、呪を唱えて、天空から羅刹の援軍を呼び出したぞ」
朱雋の兵は、わめき合うと、逃げ惑って、途も失い、ただ右往左往うろたえるのみだった。
張飛の督戦も、もう効かなかった。朱雋の兵があまり恐れるので、義軍の兵にも恐怖症が伝染ったようである。そして風魔と砂礫はぶつけられて、全軍、進む事も退く事もできなくなってしまった時、赤い紙片や青い紙片の魔物や武者は、それ皆が、生ける夜叉か羅刹の軍のように見えて、寄手は完全に闘志を失ってしまった。
事実。
そうしている間に、無数の矢や岩石や火器は、うなりを揚げ、煙をふいて、寄手の上に降って来たのである。またたくうちに、全軍の半分以上は、動かないものになっていた。
「敗れた! 負けたっ」
玄徳は、軍を率いてから初めて惨たる敗戦の味を今知った。
そう叫ぶと、
「関羽っ、張飛っ。はや兵を退けっ――兵を退けっ」
そして自分もまっしぐらに、駒首を逆落しに向け回し、砂礫と共に山裾へ馳け下った。
四
敗軍を収めて、約二十里の外へ退き、その夜、玄徳は関羽、張飛のふたりと共に、惟幕のうちで軍議をこらした。
「残念だ、きょうまで、こんな敗北はしたことがないが」と、張飛がいう。
関羽は、腕を拱んでいたが、
「朱雋の兵が、戦わぬうちから、あのように恐怖している所を見ると、何か、あそこには不思議がある。張宝の幻術も、実際、ばかには出来ぬかもしれぬ」と、呟いた。
「幻術の不思議は、わしには解けている。それは、あの鉄門峡の地形にあるのだ。あの峡谷には、常に雲霧が立ちこめていて、その気流が、烈風となって、峡門から麓へいつも吹いているのだと思う」
これは玄徳の説である。
「なるほど」と二人とも初めて、そうかと気づいた顔つきだった。
「だから少しでも天候の悪い日には、他の土地より何十倍も強い風が吹き捲くる。この辺が、晴天の日でも、峡門には、黒雲が蟠り、砂礫が飛び、煙雨が降り荒んでいる」
「ははあ、大きに」
「好んで、それへ向かってゆくので、近づけばいつも、賊と戦う前に、天候と戦うようなものになる。張宝の地公将軍とやらは、奸智に長けているとみえて、その自然の気象を、自己の妖術かのごとく、巧みに使って、藁人形の武者や、紙の魔形など降らせて、朱雋軍の愚かな恐怖を弄んでいたものであろう」
「さすがに、御活眼です。いかにも、それに違いありません。けれど、あの山の賊軍を攻めるには、あの峡門から攻めかかるほかありますまい」
「無い。――それ故に、朱雋はわざと、われわれを、この攻め口へ当たらせたのだ」
玄徳は、沈痛に言った。
関羽、張飛の二人も、良い策もなく、唇をむすんで、陣の曠野へ眼をそらした。
折から仲秋の月は、満目の境野に露をきらめかせ、二十里外のかなたに黒々と見える臥牛のような山岳のあたりは、味方を悩ませた悪天候も噓事のように、大気と月光の下に横たわっていた。
「いや、有る、有る」
突然、張飛が、自問自答して言い出した。
「攻め口が、ほかに無いとは言わさん。長兄、一策があるぞ」
「どうするのか」
「あの絶壁を攀じ登って、賊の予測しない所から不意に衝きくずせば、なんの造作もない」
「登れようか、あの断崖絶壁へ」
「登れそうに見える所から登ったのでは、奇襲にはならない。だれの眼にも、登れそうに見えない場所から登るのが、用兵の策というものであろう」
「張飛にしては、珍しい名言を吐いたものだ。そのとおりである。登れぬものときめてしまうのは、人間の観念で、その眼だけの観念を超えて、実際に懸命に当たってみれば案外易々と登れるような例はいくらもあることだ」
更に、三名は、密議を練って、翌る日の作戦に備えた。
朱雋軍の兵、約半分の数に、おびただしい旗や幟を持たせ、また、銅鑼や鼓を打ち鳴らさせて、きのうのように峡門の正面から、強襲するような態を敵へ見せかけた。
一方、張飛、関羽の両将に、幕下の強者と、朱雋軍の一部の兵を率きつれた玄徳は、峡門から十里ほど北方の絶壁へひそかに這いすすみ、惨澹たる苦心の下に、山の一端へ攀じ登ることに成功した。
そしてなお、士気を鼓舞するために、すべての兵が山巓の一端へ登りきると、そこで玄徳と関羽は、厳かなる破邪攘魔の祈禱を天地へ向かって捧げるの儀式を行なった。
五
敵を前にしながら、わざとそんな所で、厳かな祈禱の儀式などしたのは、玄徳直属の義軍の中にも、張宝の幻術を内心怖れている兵がたくさんいるらしく見えたからであった。
式が終わると、
「見よ」
玄徳は空を指して言った。
「きょうの一天には、風魔もない、迅雷もない、すでに、破邪の祈禱で、張宝の幻術は通力を失ったのだ」
兵は答えるに、万雷のような喊声をもってした。
関羽と張飛は、それと共に、
「それ、魔軍の砦を踏み潰せ」
と軍を二手にわけて、峰づたいに張宝の本拠へ攻めよせた。
地公将軍の旗幟を立てて、賊将の張宝は、例によって、鉄門峡の寄手を悩ましに出かけていた。
すると、思わざる山中に、突然鬨の声があがった。彼は、味方を振り返って、
「裏切者が出たか」と、訊ねた。
実際、そう考えたのは、彼だけではなかった。裏切者裏切者という声が、どこともなく伝わった。
張宝は、
「不埒な奴、何者か、成敗してくれむ」
と、そこの守りを、賊の一将にいいつけて、自身、わずかの部下を連れて、山谷の奥にある――ちょうど螺の穴のような渓谷を、驢に鞭打って帰って来た。
すると傍らの沢の密林から、一すじの矢が飛んで来て、張宝のこめかみにぐざと立った。張宝は迸る黒血へ手をやって、わッと口を開きながら矢を抜いた。しかし鏃はふかく頭蓋の中に止まって、矢柄だけしか抜けて来なかったくらいなので、途端に、彼の巨軀は、鞍の上から真っ逆さまに落ちていた。
「賊将の張宝は射止めたるぞ。劉玄徳、ここに黄匪の大方張角の弟、地公将軍を討ち取ったり」
次に、どこかで玄徳の大音声がきこえると、四方の山沢、みな鼓を鳴らし、奔激の渓流、こぞって鬨を揚げ、草木みな兵と化ったかと思われた。玄徳の兵は、いっせいに衝いて出で、あわてふためく張宝の部下をみなごろしにした。
山谷の奥からも、同時に黒煙濛々とたち昇った。張飛か、関羽の手勢が、本拠の砦に、火を放けたものらしい。
上流から流れて来る渓水は、みるまに紅の奔流と化した。山吠え、谷叫び、火は山火事となって、三日三晩燃えとおした。
首馘る数一万余、黒焦げとなった賊兵の死骸幾千幾万なるを知らない。殲滅戦の続けらるること七日あまり、玄徳は、赫々たる武勲を負って朱雋の本営へ引き揚げた。
朱雋は、玄徳を見ると、
「やあ、足下は実に運がいい。戦にも、運不運があるものでな」と、言った。
「ははあ、そうですか。ひと口に、武運と言う事もありますからね」
玄徳は、なんの感情にも動かされないで、軽く笑った。
朱雋は、更に言う。
「自分のひきうけている野戦のほうは、まだ一向勝敗がつかない。山谷の賊は、ふくろの鼠とし易いが、野陣の敵兵は、押せばどこまでも、逃げられるので弱るよ」
「ごもっともです」
それにも、玄徳はただ、笑って見せたのみであった。
しかるところ、ここに、先陣から伝令が来て、一つの異変を告げた。
六
伝令の告げるには、
「先に戦没した賊将張宝の兄弟張梁という者、天公将軍の名を称し、久しくこの曠野の陣後にあって、督軍しておりましたが、張宝すでに討たれぬと聞いて、にわかに大兵をひきまとめ、陽城へたて籠って、城壁を高くし、この冬を守って越えんとする策を取るかに見うけられます」
との事だった。
朱雋は、聞くと、
「冬にかかっては、雪に凍え、食糧の運輸にも、困難になる。殊に都聞こえもおもしろくない。今のうちに攻め墜とせ」
総攻撃の令を下した。
大軍は陽城を囲み、攻めること急であった。しかし、賊城は要害堅固を極め、城内には多年積んだ食物が豊富なので、一月余も費やしたが、城壁の一角も奪れなかった。
「困った。困った」
朱雋は本営で時折ため息をもらしたが、玄徳は聞こえぬ顔をしていた。
よせばいいに、そんな時、張飛が朱雋へ言った。
「将軍。野戦では、押せば退くしで、戦い難いでしょうが、こんどは、敵も城の中ですから、袋の鼠を捕るようなものでしょう」
朱雋は、まずい顔をした。
そこへ遠方から使が来て、新しい情報を
齎した。それもしかし朱雋の
機
をよくさせるものではなかった。
曲陽の方面には、朱雋と共に、討伐大将軍の任を負って下っていた董卓・皇甫嵩の両軍が、賊の大方張角の大兵と戦っていた。使はその方面の事を知らせに来たものだった。
董卓と皇甫嵩のほうは、朱雋の言ういわゆる武運がよかったのか、七度戦って七度勝つといった按配であった。ところへまた、黄賊の総帥張角が、陣中で病没したため、総攻撃に出て、一挙に敗軍を潰滅させ、降人を収めること十五万、辻に梟くるところの賊首何千、更に、張角を埋けた墳を発掘いてその首級を洛陽へ上せ、
(戦果かくのごとし)と、報告した。
大賢良師張角と称していた首魁こそ、天下に満つる乱賊の首体である。張宝は先に討たれたりといっても、その弟に過ぎず、張梁なお有りといっても、これもその一肢体でしかない。
朝廷の御感は斜めならず、
(征賊第一勲)
として、皇甫嵩を車騎将軍に任じ、益州の牧に封ぜられ、その他恩賞の令を受けた者がたくさんある。わけても、陣中常に赤い甲冑を着て通った武騎校尉曹操も、功によって、済南(山東省黄河南岸)の相に封じられたとの事であった。
自分が逆境の中に、他人の栄達を聞いて、共に欣びを感じるほど、朱雋は寛度でない。彼はなお、焦心り出して、
「一刻もはやく、この城を攻め陥し、汝等も、朝廷の恩賞にあずかり、封土へ帰って、栄達の日を楽しまずや」と、幕僚をはげました。
もちろん、玄徳等も、協力を惜しまなかった。攻撃に次ぐ攻撃をもって、城壁に当たり、さしも頑強な賊軍をして、眠るまもない防戦に疲れさせた。
城内の賊の中に、厳政という男があった。これは方針を更える時だと覚ったので、密かに朱雋に内通して置き、賊将張梁の首を斬って、
「願わくば、悔悟の兵等に、王威の恩浴を垂れたまえ」と、軍門に降って来た。
陽城を墜とした勢いで、
「更に、与党を狩り尽くせ」
と、朱雋の軍六万は、宛城(河南省・荊州)へ迫って行った。そこには、黄巾の残党、孫仲・韓忠・趙弘の三賊将がたて籠っていた。
七
「賊には援けもないし、城内の兵糧もいたずらに敗戦の兵を多く容れたから、またたく間に尽きるであろう」
朱雋は、陣頭に立って、賊の宛城の運命を、かく卜った。
朱雋軍六万は、宛城の周囲をとりまいて、水も漏らさぬ布陣を詰めた。
賊軍は、
「やぶれかぶれ」の策を選んだか、連日、城門をひらいて、戦を挑み、官兵賊兵、相互におびただしい死傷を毎日積んだ。
しかしいかんせん、城内の兵糧はもう乏しくて、賊は飢渇に瀕して来た。そこで賊将韓忠はついに、降使を立てて、
「仁慈を垂れ給え」と、降伏を申し出た。
朱雋は、怒って、
「窮すれば、憐れみを乞い、勢いを得れば、暴魔の威をふるう、今日に至っては、仁慈もなにもない」
と、降参の使者を斬って、なおも苛烈に攻撃を加えた。
玄徳は彼に諫めた。
「将軍、賢慮し給え。昔、漢の高祖の天下を統べたまいしは、よく降人を容れてそれを用いたためといわれています」
朱雋は、嘲笑って、
「ばかを言い給え。それは時代による。あのころは、秦の世が乱れて項羽のようながさつ者の私議暴論が横行して、天下に定まれる君主もなかった時勢だろ、故に高祖は、讐ある者でも、降参すれば、手なずけて用う事に腐心したのである。また、秦の乱世のそれと、今日の黄賊とは、その質がちがう。生きる利なく、窮地に墜ちたが故に、降を乞うて来た賊を、愍れみをかけて、救けなどしたら、それはかえって寇を長じさせ、世道人心に、悪業を奨励するようなものではないか。この際、断じて、賊の根を絶たねばいかん」
「いや、伺ってみると、たいへん御もっともです」
玄徳は、彼の説に伏した。
「では、攻めて城内の賊を、殲滅するとしてもです。こう四方、一門も遁れる隙間なく囲んで政めては、城兵は、死の一図に結束し、恐ろしい最期の力を奮い出すにきまっています。味方の損害もおびただしい事になりましょう。一方の門だけは、逃げ口を与えておいて、三方からこれを攻めるべきではありますまいか」
「なるほど、その説はよろしい」
朱雋は、直ちに、命令を変更して、急激に攻めたてた。
東南の一門だけ開いて、三方から鼓をならし、火を放った。
果たして、城内の賊は、乱れ立って一方へくずれた。
朱雋は、騎を飛ばして、乱軍の中に、賊将の韓忠を見かけ、鉄弓で射とめた。
韓忠の首を、槍に突き刺させて、従者に高く振り上げさせ、
「征戦大将軍朱雋、賊徒の将、韓忠をかく葬ったり。われと名乗る者やなおある」
と、得意になって呶鳴った。
すると、残る賊将の趙弘、孫仲のふたりは、
「あいつが朱雋か」と、火炎の中を、黒驢を飛ばして、名のりかけて来た。
朱雋は、たまらじと、自軍のうちへ逃げこんだ。韓忠親分の讐と怒りに燃えた賊兵は、朱雋を追って、朱雋の軍の真ん中を突破し、まったくの乱軍を呈した。
賊の一に対して、官兵は十人も死んだ。朱雋につづいて、官軍はわれがちに十里も後ろへ退却した。
賊軍は、気をもり返して、城壁の火を消し、ふたたび四方の門を固くして、
「さあいつでも来い」と構え直した。
その日の黄昏、多くの傷兵が、惨として夕月の野に横たわっている官軍の陣営へ、どこから来たか、一彪の軍馬が馳け来った。
八
「何者か」
と、玄徳等は、やがて近づいて陣門に入るその軍馬を、幕舎の傍らから見ていた。
総勢。約千五百の兵。
隊伍は整然、歩武堂々。
「そもこの精鋭を統べる将はいかなる人物か」を、それだけでも思わすに足るものだった。
見てあれば。
その隊伍の真っ先に、旗手、鼓手の兵を立て、続いてすぐ後から、一頭の青驪に跨がって、威風あたりを払って来る人がある。
これなんその一軍の大将であろう。広額、闊面、唇は丹のようで、眉は蛾眉山の半月のごとく高くして鋭い。熊腰にして虎態、いわゆる威あって猛からず、見るからに大人の風を備えている。
「だれかな?」
「だれなのやら」
関羽も張飛も、見まもっていたが、ほどなく陣門の衛将が、名を糺すに答える声が、遠くながら聞こえて来た。
「これは呉郡富春(江蘇省・上海附近)の産で、孫堅、字は文台という者です。古の孫子が末葉であります。官は下邳の丞ですが、このたび王軍、黄巾の賊徒を諸州に討つと承って、手飼の兵千五百を率い、いささか年来の恩沢にむくゆべく、官軍のお味方たらんとして馳せ参じた者であります。――朱雋将軍へよろしくお取り次ぎを乞う」
堂々たる態度であった。
また、音吐も朗々と聞こえた。
「............」
関羽と張飛は、顔を見合わせた。先には、潁川の野で、曹操を見、今ここにまた、孫堅という一人物を見て、
「やはり世間はひろい。秀でた人物が居ないではない。ただ、世の平静なる時は、居ないように見えるだけだ」と、感じたらしかった。
同じ、その世間を、
「甘くはできないぞ」
という気持を抱いたであろう。なにしろ、孫堅の入陣は、その卒伍までが、立派だった。
孫堅の援来を聞いて、
「いや呉郡富春に、英傑ありと、かねてはなしに聞いていたが、よくぞ来てくれた」
と、 朱雋はななめならず欣んで迎えた。
きょうさんざんな敗軍の日ではあったし、朱雋は、大いに力を得て、翌日は、孫堅が淮泗の精鋭千五百をも加えて、
「一挙に」と、宛城へ迫った。
即ち、新手の孫堅には、南門の攻撃に当たらせ、玄徳には北門を攻めさせ、自身は西門から攻めかかって、東門の一方は、前日の策のとおり、わざわざ道をひらいておいた。
「洛陽の将士に笑わるるなかれ」
と、孫堅は、新手でもあるので、またたく間に、南門を衝き破り、彼自身も青毛の駒を降りて、濠を越え、単身、城壁へよじ登って、
「呉郡の孫堅を知らずや」
と賊兵の中へ躍り入った。
刀を舞わして孫堅が賊を斬ること二十余人、それに当たって、噴血を浴びない者はなかった。
賊将の趙弘は、
「ふがいなし、きゃつ、何ほどのことやあらん」
赫怒して孫堅に名のりかけ、烈戦二十余合、火をとばしたが、孫堅はあくまでつかれた色も見せず、たちまち趙弘を斬って捨てた。
もう一名の賊将孫仲は、それを眺めて、かなわじと思ったか、敗走する味方の賊兵の中に紛れこんで、早くも東門から逃げ走ってしまった。
九
その時。
ひゅっと、どこか天空で、弦を放たれた一矢の矢うなりがした。
矢は、東門の望楼のほとりから、斜めに線を描いて、怒濤のように、われがちと敗走してゆく賊兵の中へ飛んだが、狙いあやまたず、今しも金蘭橋の外門まで落ちて行った賊将孫仲の頸を射貫き、孫仲は馬上からもんどり打って、それさえ眼に入らぬ賊兵の足にたちまち踏みつぶされたかに見えた。
「あの首、搔き取って来い」
玄徳は、部下に命じた。
望楼の傍の壁上に鉄弓を持って立ち、目ぼしい賊を射ていたのは彼であった。
一方、官軍の朱雋も、孫堅も城中に攻め入って、首を獲ること数万級、各所の火災を鎮め、孫仲・趙弘・韓忠三賊将の首を城外に梟け、市民に布告を発し、城頭の余燼まだ煙る空に、高々と、王旗を翻えした。
「漢室万歳」
「洛陽軍万歳」
「朱雋大将軍万歳」
南陽の諸郡もことごとく平定した。
かの大賢良師張角が、戸ごとに貼らせた黄いろい呪符もすべて剝がされて、黄巾の兇徒は、まったく影を潜め、万戸泰平を謳歌するかに思われた。
しかし、天下の乱は、天下の草民から意味なく起こるものではない。むしろその禍根は、民土の低きよりも、廟堂の高きにあった。川下よりも川上の水源にあった。政を奉ずる者より、政を司る者にあった。地方よりも中央にあった。
けれど腐れる者ほど自己の腐臭には気づかない。また、時流のうごきは眼に見えない。
とまれ官軍は旺だった。征賊大将軍は功成って、洛陽へ凱旋した。
洛陽の城府は、挙げて、遠征の兵馬を迎え、市は五彩旗に染まり、夜は万燈に彩られ、城内城下、七日七夜というもの酒の泉と音楽の狂いと、酔いどれの歌などで沸くばかりであった。
王城の府、洛陽は千万戸という。さすがに古い伝統の都だけに、物資は富み、文化は
絢爛だった。佳人貴顕たちの往来は目を奪うばかり美しい。帝城は
金壁にかこまれ、
瑠璃の
瓦を重ね、百官の
驢車は、
翡
門に花の
淀むような
雑閙を呈している。天下のどこに一人の飢民でもあるか、今の時代を乱兆と悲しむいわれがあるのか、この
殷賑に立って、旺なる夕べの楽音を耳にし、
万斛の油が一夜に
燈されるという騒曲の
灯の、
宵早き有り様を眺むれば、むしろ、世を憂え嘆く者のことばが不思議なくらいである。
けれど。
二十里の野外、そこに連なる外城の壁からもし一歩出て見るならば、秋は更けて、木も草も枯れ、いたずらに高き城壁に、蔓草の離々たる葉のみわずかに紅く、日暮れれば茫々の闇一色、夜暁ければ颯々の秋風ばかり哭いて、所々の水辺に、寒げに啼く牛の仔と、灰色の空をかすめる鴻の影を時稀に仰ぐくらいなものであった。
そこに。
無口に屯している人間が、枯れ木や草をあつめて焚火をしながら、わずかに朝夕の霜の寒さをしのいでいた。
玄徳たちの義軍であった。
義軍は、外城の門の一つに立って、門番の役を命じられている。
と言えば、まだ体裁はよいが、正規の官軍でなし、官職のない将卒なので、三軍洛陽に凱旋の日も、ここに停められて、内城から先へは入れないのであった。
鴻が飛んでゆく。
野芙蓉に揺らぐ秋風が白い。
「............」
玄徳も、関羽も、このごろは、無口であった。
あわれな卒伍は、まだ洛陽の温かい菜の味も知らない。土龍のように、鉄門の蔭に、かがまっていた。
張飛も黙然と、水洟をすすっては、時折、ひどく虚無に囚われたような顔をして、空行く鴻の影を見ていた。
十常侍
一
「劉氏。もし、劉氏ではありませんか」
だれか呼びかける人があった。
その日、劉玄徳は、朱雋の官邸を訪ねることがあって、王城内の禁門の辺りを歩いていた。
振り向いてみると、それは郎中張均であった。張均は今、参内する所らしく、従者に輿を舁がせそれに乗っていたが、玄徳の姿を見かけたので、
「沓を」と従者に命じて、輿から身を降ろしていた。
「おう、どなたかと思うたら張均閣下でいらっしゃいましたか」
玄徳は、敬礼を施した。
この人はかつて、廬植を陥れた黄門左豊などと共に、監軍の勅使として、征野へ巡察に来た事がある。その折、玄徳とも知って、お互いに世事を談じ、抱懐を話し合ったりした事もある間なので、
「思いがけない所でお目にかかりましたな、御健勝のていで、何よりに存じます」
と、久闊を叙べた。
郎中張均は、そういう玄徳の従者も連れていない、しかも、かつて見た征衣のまま、この寒空を孤影悄然と歩いている様子を怪訝しげに打ち眺めて、
「貴公は今どこに何をしておられるのですか。少しお

せになっているようにも見えるが」
と、かえって玄徳の境遇を反問した。
玄徳は、ありのままに、なにぶんにも自分には官職がないし、部下は私兵と見なされているので、凱旋の後も、外城より入るを許されず、また、忠誠の兵たちにも、この冬に向かって、一枚の暖かい軍衣、一片の賞禄をも頒け与えることができないので、せめて外城の門衛に立っていても、雪をしのぐに足る暖衣と食糧とを恵まれんことを乞うために、きょう朱雋将軍の官宅まで、願書を携えて出向いて来たところです、と話した。
「ほ......」
張均は、驚いた顔して、
「では、足下はまだ、官職にも就かず、また、こんどの恩賞にもあずかっていないんですか」
と、重ねて糺した。
「はい、沙汰を待てとの事に、外城の門に屯しています。けれどもう冬は来るし、部下が不愍なので、お訴えに出て来たわけです」
「それは初めて知りました。皇甫嵩将軍は、功によって、益州の太守に封ぜられ、朱雋は都へ凱旋すると直ちに車騎将軍となり河南の尹に封ぜられている。あの孫堅さえ内縁あって、別部司馬に叙せられたほどだ。――いかに功が無いといっても、貴君の功は孫堅以下ではない。いやある意味では、こんどの掃匪征賊の戦で、最も苦戦に当たって、忠誠をあらわした軍は、貴下の義軍であったと言ってもよいのに」
「............」
玄徳の面にも、鬱々たるものがあった。ただ、彼は、朝廷の命なるがままに、思うまいとしているふうだった。そして部下の不愍を身の不遇以上にあわれと思いしめて嚙んでいた唇の態であった。
「いやよろしい」
やがて張均はつよく言った。
「それも、これも、思い当たることがある。地方の騒賊を掃っても、社稷の鼠巣を掃わなかったら、四海の平安を長く保つことはできぬ。賞罰の区々不公平な点ばかりでなく、嘆くべきことが実に多い。――あなたのことについては、特に帝へ奏聞しておこう。そのうちに明朗な恩浴を蒙る事もあろうから、まあ気を腐らせずに待つがよい」
郎中張均は、そう慰めて、玄徳とわかれ、やがて参内して、帝に拝謁した。
二
めずらしく帝のお側にはだれも居なかった。
帝は、玉座から言われた。
「張郎中。きょうは何か、朕に、折り入って懇顧あるということだから、近臣はみな遠ざけておいたぞ。気がねなく思うことを申すがよい」
張均は、階下に拝跪して、
「帝の御聡明を信じて、臣張均は今日こそ、あえて、お気に入らぬ事をも申しあげなければなりません。照照として、公明な御心をもて、暫時、お聴きくださいまし」
「なんじゃ」
「ほかでもありませんが、君側の十常侍等のことに就いてです」
十常侍ときくと、帝のお眸はすぐ横へ向いた。
御気色がわるい――
張均にはわかっていたが、ここを冒して真実の言をすすめるのが忠臣の道だと信じた。
「臣が多くを申し上げないでも、御聡明な帝には、疾くお気づきと存じますが、天下も今、ようやく平静に帰ろうとして地方の乱賊も終熄したところです。この際、どうか君側の奸を掃い、御粛正を上よりも示して、人民たちに暗天の憂えなからしめ、業に安んじ、御徳政を謳歌するように、御賢慮仰ぎたくぞんじまする」
「張郎中。なんできょうに限って、突然そんなことを言い出すのか」
「いや、十常侍等が政事を紊して帝の御徳を晦うし奉っている事はきょうの事ではありません。私のみの憂いではありません。天下万人民の怨とするところです」
「怨?」
「はい。たとえば、こんどの黄巾の乱でも、その賞罰には、十常侍等の私心が、いろいろ働いていると聞いています。賄賂をうけた者には、功なき者へも官禄を与え、しからざる者は、罪なくても官を貶し、いやもう、ひどい沙汰です」
帝の御気色は、いよいよ曇って見えた。けれど、帝は何も言われなかった。
十常侍というのは、十人の内官の事だった。民間の者は、彼等を宦官と称した。君側の権をにぎり後宮にも勢力があった。
議郎張譲、議郎趙忠、議郎段珪、議郎夏輝――などという十名が中心となって、枢密に結束を作っていた。議郎とは、参議という意味の役である。だからどんな枢密の政事にもあずかった。帝はまだお若くおられるし、そういう古池のぬしみたいな老獪と曲者がそろっているので、彼等が遂行しようと思うことは、どんな悪政でもやって通した。
霊帝はまだ御若年なので、その悪弊に気づかれていても、いかんともする術を御存じない。また、張均の苦諫に感動されても、何というお答えも出なかった。
ただ眼を宮中の苑へ反らしておられた。
「――遊ばしませ、御断行なさいませ。今がその時です。陛下、ひとえに、御賢慮をお決し下さいませ」
張均は、口を酸くし、われとわが忠誠の情勢に、眦に涙をたたえて諫言した。
ついには、玉座に迫って、帝の御衣にすがって、泣訴した。帝は、当然そうに、
「では、張郎中、朕に、どうせいというのか」と、問われた。
ここぞと、張均は、
「十常侍らを獄に下して、その首を刎ね、南部に梟けて、諸人に罪文と共に示し給われば、人心自ら平安となって、天下は」
言いかけた時である。
「だまれっ。――まず汝の首より先に獄門に梟けん」
と、帳の蔭から怒った声がして、それと共に十常侍十名の者が躍り出した。みな髪を逆立て、眦をあげながら、張均へ迫った。
張均は、あッと驚きのあまり昏倒してしまった。
手当されて、後に、典医から薬湯をもらったが、それを飲むと眠ったまま死んでしまった。
三
張均は、その時、そんな死に方をしなくても、帝へ忠諫したことを十常侍に聴かれているから、必ずや、後に命を完うすることはできなかったろう。
十常侍も、以来、
「油断しておると、とんでもない忠義ぶった奴が現われるぞ」
と気がついたか、誡め合って、帝の周囲はもとより、内外の政にわたって、大いに警戒しているふうであった。
それもあるし、帝御自身も、功ある者のうちに、恩賞にも洩れて不遇を喞ち、不平を抑えている者がすくなくないのに気がつかれたか、特に、勲功の再調査と、第二期の恩賞の実施とを沙汰された。
張均のことがあったので、十常侍も反対せず、むしろ自分等の善政ぶりを示すように、ほんの形ばかりな辞令を交付した。
その中に、劉備玄徳の名もあった。
それによって、玄徳は、中山府(河北省・定州)の安喜県の尉という官職についた。
県尉といえば、片田舎の一警察署長といったような官職にすぎなかったが、帝命をもって叙せられたことであるから、それでも玄徳は、ふかく恩を謝して、関羽、張飛を従えて、即座に、任地へ出発した。
もちろん、一官吏となったのであるから、多くの手兵をつれてゆく事は許されないし、必要もないので五百余の手兵は、これを王城の軍府に託して、編入してもらい、ほんの二十人ばかりの者を従者として連れて行ったに過ぎなかった。
その冬は、任地でこえた。
わずか四ヵ月ばかりしか経たないうちに、彼が役についてから、県中の政治は大いに革まった。
強盗悪逆の徒は、影をひそめ、良民は徳政に服して、平和な毎日を楽しんだ。
「張飛も関羽も、自己の器量に比べては、今の小吏のするような仕事は不服だろうが、しばらくは、現在に忠実であって貰いたい。時節は焦心っても求め難い」
玄徳は、時折二人をそう言って慰めた。それは彼自身を慰める言葉でもあった。
その代わり、県尉の任についてからも、玄徳は、彼等を下役のようには使わなかった。共に貧しきにおり、夜も床を同じゅうして寝た。
するとやがて、河北の野に芽ぐみ出した春と共に、
「天子の使この地に来る」
と、伝えられた。
勅使の使命は、
「この度、黄巾の賊を平定したるに、軍功ありと詐りて、政廟の内縁などたのみ、猥りに官爵をうけあるいは、功ありと自称して、州都に私威を振る舞う者多く聞こえ、能々、正邪を糺さるべし」
という詔を奉じて下向して来た者であった。
そういう沙汰が、役所へ達しられてから間もなく、この安喜県へも、督郵という者が下って来た。
玄徳等は、さっそく関羽、張飛などを従えて、督郵の行列を道に出迎えた。
何しろ、使は、地方巡察の勅を奉じて来た大官であるから、玄徳たちは、地に坐して、最高の礼を執った。
すると、馬上の督郵は、
「ここか安喜県とは。ひどい田舎だな。何、県城はないのか。役所はどこだ。県尉を呼べ。今夜の旅館はどこか、案内させて、ひとまずそこで休息しよう」
と、言いながら、傲然と、そこらを見廻した。
四
勅使督郵の人もなげな傲慢さを眺めて、
「いやに役目を鼻にかけるやつだ」と、関羽、張飛は、かたはらいたく思ったが、虫を抑えて、一行の車騎に従い、県の役館へはいった。
やがて、玄徳は、衣服を正して、彼の前に、挨拶に出た。
督郵は、左右に、随員の吏を侍立させ、さながら自身が帝王のような顔して、高座に構えこんでいた。
「おまえは何だ」
知れきっているくせに、督郵は上から玄徳等を見下した。
「県尉玄徳です。はるばるの御下向、ご苦労にございました」
拝を施すと、
「ああおまえが当地の県の尉か。途々、われわれ勅使の一行が参ると、うすぎたない住民どもが、車騎に近づいたり、指したりなど、はなはだ猥雑な態で見物しておったが、かりそめにも、勅使を迎えるに、なんという事だ。思うに平常の取締りも手ぬるいとみえる。もちっと王威を知らしめなければいかんよ」
「はい」
「旅館のほうの準備は整うておるかな」
「地方のこととて、諸事おもてなしは出来ませんが」
「われわれはきれい好きで、飲食は贅沢である。田舎のことだから仕方がないが卿等が、勅使を遇するに、どういう心をもって歓待するか、その心もちを見ようと思う」
意味ありげなことを言ったが、玄徳には、よく解し得なかった。けれど、帝王の命をもって下って来た勅使であるから、真心をもって、応接した。
そして、ひとまず退ろうとすると、督郵はまた訊いた。
「尉玄徳。いったい卿は、当所の出身の者か、他県から赴任して来たのか」
「されば、自分の郷家は涿県で、家系は、中山靖王の後胤であります。久しく土民の中にひそんでいましたが、この度ようやく、黄巾の乱に小功あって、当県の尉に叙せられた者であります」
と、言うと、
「こらっ、黙れ」
督郵は、突然、高座から叱るように呶鳴った。
「中山靖王の後胤であるとか言ったな。けしからんことである。そもそも、この度、帝がわれわれ臣下に命じて、各地を巡察せしめられたのは、そういう大法螺をふいたり、軍功のある者などと詐って、自称豪傑や、自任官職の輩が横行する由を、お聞きになられたからである。汝のごとき賤しき者が、天子の宗族などと詐って、愚民に臨んでおるのは、けしからぬ不敬である。――すぐに帝へ奏聞し奉って、追っての沙汰をいたすであろうぞ。退れっ」
「......はっ」
「退れ」
「............」
玄徳は、唇をうごかしかけて、何か言わんとするふうだったが、益なしと考えたか、黙然と礼をして去った。
「いぶかしい人だ」
彼は、督郵の随員に、そっと一室で面会を求めた。
そして、何で勅使が、御不興なのであろうかと、原因をきいてみた。
随員の下吏は、
「それや、あんた知れ切っているじゃありませんか。なぜ今日、督郵閣下の前に出る時、賄賂の金帛を、自分の姿ほども積んでお見せしなかったんです。そしてわれわれ随員にも、それ相当の事を、いちはやく袖の下からする事が肝心ですよ。何よりの歓迎というもんですな。ですから言ったでしょう督郵様も、いかに遇するか心を見ておるぞよってね」
玄徳は、啞然として、私館へ帰って行った。
五
私館へ帰っても、彼は、怏々と楽しまぬ顔いろであった。
「県の土民は、みな貧しい者ばかりだ。しかも一定の税は徴収して、中央へ送らなければならぬ。その上、なんで巡察の勅使や、大勢の随員に、彼等の満足するような賄賂を贈る余裕があろう。賄賂も土民の汗あぶらから出さねばならぬに、よくほかの県吏には、そんなことができるものだ」
玄徳は、嘆息した。
次の日になっても、玄徳のほうからなんの贈り物も来ないので、督郵は、
「県吏をよべ」と、他の吏人を呼びつけ、
「尉玄徳は、不埒な漢である。天子の宗族などと僭称しておるのみか、ここの百姓どもから、いろいろと怨嗟の声を耳にする。すぐ帝へ奏聞して、御処罰を仰ぐから、汝は、県吏を代表して、訴状を認めろ」と言った。
玄徳の徳に服してこそはいるが、玄徳に何の落ち度も考えられない県の吏は、恐れわななくのみで、答えも知らなかった。
すると、督郵も重ねて、
「訴状を書かんか、書かねば汝も同罪と見なすぞ」と、脅した。
やむなく、県の吏は、有りもしない罪状を、督郵のいうままに並べて、訴状に書いた。督郵は、それを都へ急送し、帝の沙汰を待って、玄徳を厳罰に処せんと称した。
この四、五日。
「どうも面白くねえ」
張飛は、酒ばかりのんでいた。
そう飲んでばかりいるのを、玄徳や関羽に知れると、意見されるし、また、この数日、玄徳の顔いろも、関羽の顔いろも、はなはだ憂鬱なので、彼はひとり、
「......どうも面白くねえ」を繰り返して、どこで飲むのか、姿を見せず飲んでいた。
その張飛が、熟柿のような顔をして、驢に乗って歩いていた。町中の者は、県の吏人なので、驢と行きちがうと、丁寧に礼をしたが、張飛は、驢の上から落ちそうな恰好して、居眠っていた。
「やい。どこまで行く気だ」
眼をさますと、張飛は、乗っている驢にたずねた。驢は、てこてこと、軽い蹄をただ運んでいた。
「おや、なんだ?」
役所の門前をながめると、七、八十名の百姓や町の者が、土下座して、なにか喚いたり、頭を地へすりつけたりしていた。
張飛は、驢を降りて、
「みんな、どうしたんだ。おまえ等、なにを役所へ泣訴しておるんだ」と、どなった。
張飛のすがたを見ると、百姓たちは、声をそろえて言った。
「旦那はまだなにも御存じないんですか。勅使さまは、県の吏人に、訴状を書かせて、都へさし送ったと申しますに」
「なんの訴状をだ」
「日ごろ、わし等が、お慕い申している、尉の玄徳さまが、百姓虐めなさるとか、苛税をしぼり取って、私腹を肥やしなすっているとか、何でも、二十ヵ条も罪をかき並べて、都へその訴状が差し廻され、お沙汰が来次第に罰せられるとうわさに聞きましたで。......わし等、百姓どもは、玄徳さまを、親のように思っているので、皆の衆と打ち揃うて、勅使さまへおすがりに来たところ、下吏たちに叩き出され、このとおり、役所の門まで閉められてしもうたので、ぜひなくこうして居るとこで御座りまする」
聞くと、張飛は、毛虫のような眉をあげて、閉めきってある役館の門をはったと睨みつけた。
打風乱柳
一
「おい」
張飛は言った。大地に坐っている大勢の百姓町民へ向かって、
「おまえ達は、退散しろ。これから俺がやることに、後で、関り合いになるといけないぞ」
しかし百姓たちは、泥酔しているらしい張飛が、何をやり出すのかと、そこをたっても、まだ附近から眺めていた。
張飛は、門を打ち叩いて、
「番人どもっ、開けろ、開けろ。開けなければ、ぶち壊すぞっ」、呶鳴り出した。
役館の番卒は、「何者だっ」と、中から覗き合っていたが、重棗のごとき面に、虎髯を逆だて、怒れる形相に抹硃をそそいだ巨漢が、そこを揺りうごかしているので、
「だれだ、だれだ?」と、躁ぎ立ち、県尉玄徳の部下だと聞くと、督郵の家来たちは、
「開けてはならぬぞ」と、厳命した。そして人数をかためて、門の内へ更にまた、幾重にも人墻を立ててひしめき合っていた。
その気配に、張飛はいよいよ怒りを心頭に発して、
「よしっ、その分ならば!」
門の柱へ両手をかけたと思うと、地震のようにみりみりとそれは揺れ出して、あれよと人々の驚くうちに、凄まじい物音立てて内側へ仆れた。
中にいた番卒や督郵の家来たちは、逃げおくれて、幾人かその下敷きになった。張飛は、

のごとく、その上を躍り越えて、
「督郵はどこにいるかっ。督郵に会わんっ」と咆哮した。
番卒たちは、それと見て、
「やるな」
「捕らえろ」と、遮ったが、
「えい、邪魔な」
とばかり張飛は投げとばす、踏みつぶす、撲り仆す、あたかも一陣の旋風が、塵を巻いて翔けるように、役館の奥へと躍り込んで行った。
折から勅使督郵は、昼日中というのに、帳を垂れて、この田舎町の鄙びた唄い女などを相手に酒をのんでいた所だった。
淫らな胡弓の音を聞きつけて、張飛がその室を窺うと、果たして正面の榻に美人を擁して酔いしれている高官がある。紛れもない督郵だ。
張飛は、帳を払って、
「やいっ佞吏、腐れ吏人。よくもわが義兄玄徳に汚名をぬりつけ、偽罪の訴状を作って都へ上せたな。先ごろからの傲慢無礼といい、勅使たる身がこの態たらくといい、もはや堪忍はならぬ。天に代わって、汝を懲らしめてやるからそう思え」
眼は百錬の鏡にも似、髯はさかしまに立って、丹のごとき唇を裂いた。
「――きゃっ」と、胡弓や琴をほうり出して妓たちは榻の下へ逃げこんだ。
督郵も、ちぢみ上がって、
「なんじゃ、待て、乱暴なことをすな」
と、ふるえ声で、逃げかけるのを、張飛はとびかかって、
「どこへ行く」
軽く一つ撲ったが、督郵は顎でも外したように、ぐゎっと、歯を剝いたままふん反った。
「じたばたするな」
張飛は、その体を軽々と横に引っ抱えると、また疾風のように外へ出て行った。
ニ
門外へ出て来ると、
「犬にでも

われろ」
と、張飛は、引っ抱えて来た督郵のからだを、大地へたたきつけて罵った。
「汝のような腐敗した佞吏がいるから、天下が乱れるのだ。乱賊は打つも、佞吏を懲らす者はない。人の為し得ぬ正義を為し、人の抗し得ぬ権力に抗す。それを旗幟とする義軍の張飛を知らずや。やいっ」
督郵の顔を踏んづけて、張飛がいうと、督郵は、手足をばたばたさせて、
「者どもっ。この狼藉を。――この乱暴者を、搦め捕れ。だれかいないか」
悲鳴に似た声でわめいた。
「やかましい」
髻をつかんで引き廻した上、張飛は、門前の巨きな柳の樹に目をつけて、
「そうだ、見せしめのために」
と、督郵の両手を有りあう繩で縛りあげ、その繩尻を柳の枝に投げて、吊しあげた。
柳から生った人間のように、督郵の足は宙に浮いた。張飛は、彼が暴れても落ちないように繩の端を幹に巻いて、
「どうだ、やいっ」
と、一本の柳の枝を折って、まずぴしりと一つ撲った。
「痛いっ」
「あたり前だ」と、また一つ打ち、
「悪吏の虐政に苦しむ人民の傷みはこんなものじゃないぞ。汝も、廟鼠の一匹だろう。彼の十常侍などいう佞臣の端くれだろう。その醜い面を曝せよ。その卑しい鼻の穴を天日に向けて哭けっ。――こうか、こうか、こうしてやる」
柳の枝は、すぐ粉々になった。
また新しい柳の枝を折って撲りつけるのだった。三十、四十、五十、二百以上も打ちすえた。
督郵は、見栄もなく、ひイひイと声をあげて、
「ゆるせ」と、泣き声出し、
「待て、待ってくれ。なんでも言うとおりにするから」
と、ついには、涙さえこぼして、あわれっぽく叫んだが、
「だめだ。その手は食わぬ」
と、張飛は、乱打をやめなかった。
その日も玄徳は、私宅に閉じ籠って、怏々と勝れない一日を過ごしていたが、だれやらあわただしく門をたたく者があるので自身出て見ると四、五名の百姓が、
「大変です。今、張飛さまが、お酒に酔って、役所の門をぶちこわし、勅使の督郵という高官を、柳の木に吊しあげて打ちすえております」
と、告げて去った。玄徳は驚いて、そのまま馳け出して行った。
折ふし居合わせた関羽も、
「ちぇっ、張飛のやつ、また持病を起こしたか」
と、舌打ちしながら、玄徳の後から馳けつけた。
見ると、柳に吊されている督郵は、衣裳もやぶれ、脛は血を流し、顔面は紫いろに膨れていた。もう少し遅かったら、すんでの事、撲り殺されていたであろう。
仰天して、玄徳は、
「これっ、何をする」と、張飛の腕くびをつかんで叱りつけた。
張飛は、大息つきながら、
「いや、止めないで下さい。民を害する逆賊とはこいつの事です。息のねを止めないでは俺の虫が納まらん」
と、玄徳の遮りなどは物ともせず、更に、柳鞭を唸らせて、督郵のからだを所きらわず打ちつづけた。
三
悲鳴を放って、張飛の
鞭にもがいていた督郵は、柳の

から玄徳のすがたを見つけて、
「おお、それへ来たのは、県尉玄徳ではないか。公の部下の張飛が、酒に酔って、わしをかくのごとく殺そうとしている。どうか早く止めてくれ。もしわしを助けてくれたなら、このまま、張飛の罪も不問にし、おん身には、帝に急使を立てて前の訴状を停め、代わるに充分な恩爵をもって酬ゆるであろう」と、叫んでまた、
「はやく助けてくれ」
と何度も悲鳴を繰り返した。
そのいやしい言葉を聞くと、張飛の暴を制しかけていた玄徳も、かえって止める意志を邪げられた。
けれど、彼は、いかに醜汚な人間であろうとも、勅命をうけて下った天子の使である。玄徳は、叱咤して、
「止めぬかっ張飛」と、彼の手から柳の枝を奪い、その枝をもって張飛の肩を一つ打った。
玄徳に打たれた事は初めてである。さすがの張飛も、はっと顔色を醒まして棒立ちになった。もちろん不平満々たる色をあらわしてではあったが。
玄徳は、柳の幹の繩を解いて、督郵のからだを大地へ下ろしてやった。すると、それまで、是とも非ともいわず黙って見ていた関羽が、つと馳け寄って来て、
「長兄、お待ちなさい」
「なぜ」
「そんな人間を助けてやったところで、
所
、むだなことです」
「何をいう。わしはこの人間から利を得るために助けようとするのではない。ただ、天子の御名を畏るるのみだ」
「わかっております。しかしそういうお気持も、いったいどこに通じましょうか。前には、身命を賭して、大功を立てておられながら、わずか一県の尉に封ぜられたのみか、今また、督郵のごとき腐敗した中央の吏に、最大の侮辱をうけ、黙っていれば、罪もなき罪に墜とし入れられようとして居るではありませんか」
「......ぜひもない」
「ぜひもないことはありません。こんな不法は蹴とばすべきです。先ごろからそれがしもつらつら思うに、枳棘叢中鸞鳳の栖む所に非ず――と昔から言います。棘や枳のようなトゲの木の中には良い鳳は自然栖んでいない――というのです。われわれは栖む所を誤りました。如かずいちど身を退いて、別に遠大の計をはかり直そうではありませんか」
関羽には、時々、訓えられる事が多い。やはり学問においては、彼が一日の長を持っていた。
玄徳はいつも聴くべき言はよく聴く人であったが、今も、彼の言をじっと聞いているうちに、大きく頷いて、
「そうだ。......いい事を言ってくれた。我れ栖む所を誤てり」
と、胸にかけていた県尉の印綬を解いて、督郵に言った。
「卿は、民を害する賊吏、今その首を斬って、これに梟けるはいと易いことながら、恥を思わぬ悲鳴を聞けば、畜類にも不愍は生じる。あわれ、犬猫と思うて助けてとらせる。――そしてこの印綬は、卿に託しておく。我れ今、官を捨てて去る。中央へよろしくこの趣を取り次ぎたまえ」
そして張飛、関羽のふたりを顧みて、
「さ。行こう」
と、風のごとくそこを去った。
霏々と散りしいた柳薬の地上に督郵は、まだ何か、苦しげに喚いていたが、玄徳等の姿が遠くなるまで、前に懲りて、近づいて宥り助ける者もなかった。
岳南の佳人
一
一散に馳けた玄徳等は、ひとまず私宅に帰って、私信や文書の反故などみな焼きすて、その夜のうちに、この地を退去すべく慌ただしい身支度にかかった。
官を捨てて野に去ろうとなると、これは張飛も大賛成で、わずかの手兵や召使いを集め、
「御主人には今度、にわかに、思うことがあって、県の尉たる官職を辞め、しばらく野に下って、悠々自適なさることになった。しかし、実はおれが勅使督郵を半殺しの目にあわせたのが因だ。就いては、身の落着きの目的のある者は、家に帰れ。的のない者は、病人たりとも、捨てては行かぬ。苦楽を共にする気で御主人に従って参れ」と、言い渡した。
貰う物を貰って、自由にどこかへ去る者もあり、どこまでも、玄徳様に従ってと、残る者もあった。
かくて夜に入るのを待ち、手廻りの家財を驢や車に積み、同勢二十人ばかりで、ついに、官地安喜県を後に、闇に紛れて落ちて行った。
――一方の督郵は。
あの後、間もなく、下吏の者が寄って来て、役所の中へ抱え入れ、手当を加えたが、五体の傷は火のように痛むし、大熱を発して、幾刻かは、まるで人事不省であった。
だが、やがて少し落ち着くと、
「県尉の玄徳はどうしたっ」
と、囈言みたいに呶鳴った。
その玄徳は、官の
印綬を解いて、あなたの首へかけると、
捨て
科白を言って馳け走りましたが、
今宵、一族をつれて夜逃げしてしまったという

です――と
側の者が告げると、
「なに、逃げ落ちたと。――ではあの張飛という奴もか」
「そうです」
「おのれ、このまま、おめおめと無事に、逃がしてなろうか。――つ、つかいを、すぐ急使を遣れっ」
「都へですか」
「ばかっ。都へなど、使を立てていたひには間にあうものか。ここの定州(河北省・保定正定の間)の太守へだ」
「はっ。――何としてやりますか」
「玄徳、常に民を虐し、こんど勅使の巡察に、その罪状の発覚を恐るるや、かえって勅使に暴行を加え、良民を煽動して乱をたくめど、その事、いちはやく官の知るところとなり、一族をつれて夜にまぎれ、無断官地を捨てて逃げ去る――と」
「はっ。わかりました」
「待て。それだけではいかん。すぐさま、迅兵をさし向けて、玄徳等を召し捕らえ、都へ御檻送くださるべしと、促すのだ」
「心得ました」
早馬は、定州の府へ飛んだ。
定州の太守は、
「すわ、大事」と、勅使の名に惧れ、また、督郵の詭弁にも、うまく乗せられて、八方へ物見を走らせ、玄徳たちの落ちて行った先を探させた。
数日の後。
「何者とも知れず、安喜県の方から代州のほうへ向かって、驢車に家財を積み、十数名の従者つれ、そのうち三名は、驢に乗った浪人風の人物で、北へ北へとさして行ったという事でありますが」
との報告があった。
「それこそ、玄徳であろう。縛め捕って、都へ差し立てろ」
定州の太守の命をうけて、即座に鉄甲の迅兵約二百、ふた手にわかれて、玄徳等の一行を追いかけた。
ニ
北へ、北へ、車馬と落ち行く人々の影はいそいだ。
幾度か、他州の兵に襲われ、幾度か追っ手の詭計に墜ちかかり、百難をこえ、ようやくにして代州(山西省・代県)の五台山下まで辿りついた。
「張飛、御身の指図で、ここまではやって来たが何か落ち着く先の目的はあるのか。――ここはもう、五台山の麓だが」
関羽も言うし、玄徳も、実は案じていたらしく、
「いったい、これからどこへ落ち着こうという考えか」と、ともどもに訊ねた。
「御安心なさるがよい」
張飛は大のみこみで言った。そして岳麓の平和そうな村へ行き着くと、
「しばらく、御一同は、その辺に車馬を休めて待っていて下さい」
と、一人でどこへか立ち去ったが、程なく立ち帰って来て、
「劉大人が承知してくれました。もう大船に乗った気でおいでなさい」
と告げた。
「劉大人とは、どこの何をしておる人物かね」
「この土地の大地主です。まあ大きな郷士といったような家柄と思えばまちがいありません。常に百人や五十人の食客は平気で邸においているんですから、われわれ二十人やそこらの者が厄介になっても、先は平気です、またこの地方の人望家でもありますから、しばらく身を匿っておいてもらうには、なによりな場所でしょうが」
「それは願ってもないことだが、御身との間がらは、どういう仲なのだ」
「劉大人も、今こそ、こんな田舎にかくれて、岳南の陰士などと気どっていますが、以前は、拙者の旧主鴻家とは血縁もあって、軍糧兵馬の相談役もなされ、何かと、旧主鴻家とは、往来しておったのであります。――そのころ、自分も鴻家の一家臣として、御懇意をねがっていたので、鴻家が滅亡の後も、実は、拙者の飲み代だの、遺臣の始末などにも、ずいぶん御厄介になったもので」
「そうか。その上にまた、同勢二十人も、食客をつれこんでは、劉大人も、眉をひそめておいでだろう」
「そんな事はありません。非常に浪人を愛する人ですし、玄徳様の御素姓と、われわれ義軍が、官地を捨てて去った事など、つぶさにおはなしした所、苦労人ですから、非常によくわかってくれて、二年でも三年でもいるがいいというわけなんで」
張飛のことばに、
「そういう人物の邸なら身を寄せてもよかろう」
と、玄徳も安心して、彼の案内について行った。
すると、岳麓の疎林のほとりに、一廓の宏壮な土塀が見えた。玄徳等を誘いながら、張飛が、
「あの邸です。どうです、まるで豪族の家のようでしょう」
と、自分の住居ででもあるように誇って言った。
玄徳がふと驢を止めて見ていると、その邸の並びの杏の並木道を今、鄙には稀な麗人が、白馬に乗って通ってゆくのが見えた。美人の驢の後ろからは、ひとりの童子が、琴を担って、眠そうに供をして行った。
三
「はて、どこかで見たような」
玄徳はふとそんな気がした。
遠目ではあったが、妙に印象づけられた。もっとも、殺伐な戦場生活だの、僻地から曠野を流浪して来た身なので、よけいに、かなたの女性が美しく見えたのかもしれない。
麗人は、すぐ広い土塀に囲まれた、豪家の門のうちへ入ってしまった。
「そこが劉大人の邸だ」
と、たった今、張飛に教えられたばかりなので、さては劉家の息女かなどと、玄徳はひとり想像していた。
程なく、玄徳等の一行も、そこの門前に着いた。一同は車を停め、驢から降りて、埃まみれな旅の姿を顧みた。
ここの主は浪人を愛し、常に多くの食客を養っているという。どんな人物であろうか、玄徳や関羽は、会わないうちはいろいろに想像された。
けれど、張飛に案内されて、南苑の客館に通ってみると、まったく世の風雲も知らぬげな長閑けさで、浪人を愛するよりは、むしろ風流を愛すことのはなはだしい物持の逸人ではないかと思われた。
やがてのこと、
「はい、てまえが、当家の主の
劉
です。ようお越しなされました。お身の上は最前、張飛どのから聞きましたが、どうぞお気がねなく、一年でも二年でも遊んでいてください。その代わりこんな田舎ですから、何もおかまいはできませんよ。豊かにあるのは、酒ぐらいなもので」
こう
主の
劉
が出て来てのあいさつに、張飛は、
「ありがたい。酒さえあれば何年だって居られますよ」
と、もう贅沢をいう。
玄徳はいんぎんに、
「なにぶん」
と、しばらくの逗留を頼み、関羽も姓名や郷地を名乗って、将来の高誼を仰いだ。
劉大人は、いかにも大人らしい寡言な人で、やがて召使いをよび、三名の部屋として、この南苑の客館を提供し、何かの事などいいつけ、程なく奥へかくれてしまった。
「どうです、落ち着くでしょう」
張飛は手がら顔に言う。
「落ち着きすぎるくらいだ」と、関羽は笑って、
「ぼろを出さぬようにしてくれよ」
と、暗に張飛の酒くせをたしなめた。
年を越えた。春になった。
五台山下の部落は、
寔に平和なものだった。ここには、劉

が土豪として、
村長の役目をも兼ねているせいか、悪吏も
棲まず、
匪賊の害もなかった。
しかし、張飛や関羽は、そのあまりにも無事なのにむしろ苦しんだ。酒にも平和にも倦んだ。
それとは違って、玄徳は近ごろひどく無口であった。常に物思わしいふうが見える。
「長兄も、このごろはようやく、ふたたび戦野が恋しくなって来ているのではないかな。風雲児、とみに元気がないが」
ある時、関羽が言うと、
「いやいや、戦野が恋しいのじゃないさ」
と張飛は首を振った。
「では、郷里の母御の事でも案じておられるのかな?」
「それもあろうが、原因はもっとべつな方にある。おれはそう覚っているが、わざと会わせないんだ」
「ふウむ。原因があるのか」
「ある」
苦々しげに張飛は言った。その顔つきで思い出した。近ごろ、南苑に梨花が咲いて、夜は春月がそれに霞んでまたなく麗しい。時折その梨苑をさまよう月よりも美しい佳人が見かけられる。そうするといつのまにか、この客館から玄徳のすがたが見えなくなるのだった。
四
張飛のはなしを聞いて関羽にも思い当たるふしがあった。関羽はそれから特に玄徳の容子に注目していた。
すると、それから数日後の宵であった。その夜は朧月が麗しかった。五台山の半身をぼかした夜霞が野にかけ銀を刷いたような朧を曳いていた。
「おや、いつのまにか」
気がついて関羽はつぶやいた。三名して食卓を囲んでいたのである。張飛は例によっていつまでも酒をのんでいるし、自分も、杯を持って相手になっていたが、玄徳は室を去ったとみえて、彼の空席の卓には、皿や酒盞しか残っていない。
「そうだ」
こよいこそ彼の行動をつきとめよう。関羽はそう考えたので張飛にも黙って急に部屋から出て行った。
そして南苑の白い梨花の径を忍びながら歩いては見まわした。
もう奥の内苑に近い。
主の劉

のいる
棟やその家族らの住む棟の
燈火は林泉を
透してかなたに見えるのであった。
「はて。これから先へゆくはずもないし」
関羽が
佇んでいると、程近い木の間を、だれか、
楚楚と通る人があった。見ると、
劉
の
姪とかいうこの家の妙齢な麗人であった。
「......ははあ?」
関羽は自分の予感があたってかえって肌寒いここちがした。物事の裏とか、人の秘密とかには、むしろ面を横にして、無関心でいたい彼であったが、つい後ろから忍んで行った。
劉

の姪という佳人は、やがて鮮やかに月の下に立った。辺りには
木蔭もなく物の蔭もなく、ただ広い芝生に夜露が宝石を
撒いたように光っていた。
すると梨の花の径からまたひとりの人影が忽然と立ち上がった。それは花の中に隠れていた若い男性であった。
「オ。玄徳さま」
「芙蓉どの」
ふたりは顔を見あわせてニコと笑み交わした。芙蓉の歯が実に美しかった。
相寄って、
「よく出られましたね」
玄徳が言う。
「ええ」
芙蓉はさしうつ向く。
そして梨畑のほうへ、ふたりは背を擁し合いながら歩み出して、
「劉

は、あれでとても、厳格な人ですからね。......食客や豪傑たちには、やさしい温情を示す人ですけれど、家庭の者には、おそろしくやかましい人なんです。......ですから......、こうして
苑へ出て来るにも、ずいぶん苦心して来るんですの」
「そうでしょう。何しろ、われわれのような食客が常に何十人もいるそうですからね。私も、関羽だの張飛だのという腹心の者が、同じ室にいて、眼を光らしているので、彼等にかくれて出て来るのもなかなか容易ではありません」
「なぜでしょうね」
「何がですか」
「そんなにお互いに苦労しながらでも、夜になると、どうしてもここへ出て来たいのは」
「私もそうです。自分の気もちがふしぎでなりません」
「美しい月ですこと」
「夏や秋の冴えたころよりも、今ごろがいいですね。夢みているようで」
梨の花から梨の花の径をさまよって、二人は飽くことを知らぬげであった。夢みようと意識しながら、あえて、夢を追っているふうであった。
五
この家の深窓の佳人と玄徳とが、いつのまにか、春宵の秘語を楽しむ仲になっているのを目撃して、関羽は、非常な愕きと狼狽をおぼえた。
「ああ、平和は雄志を蝕む」
彼は慨嘆した。
見まじきものを見たように関羽はあわてて後苑の梨畑から馳け戻って来た。そして客館の食卓の部屋をのぞくと、張飛はただ一人でまだそこに酒を飲んでいた。
「おい」
「やあ、どこへ行っていたのだ」
「まだ飲んでいるのか」
「飲むよりほかに為すことはないじゃないか。いかに脾肉を嘆じたところで、時利あらず、風雲招かず、蛟龍も淵に潜んでいるしかない。――どうだ、貴公も酒の淵に潜まんか」
「一杯もらおう、実は今、いっぺんに酒が醒めてしまったところだ」
「どうしたのか」
「......張飛」
「ウム」
「おれは、貴様のように、いたずらに現在の世態や時節の来ぬことを、そう悲観はしないつもりだが、今夜は落胆してしまった。――野に隠れ淵に潜むと、いつか蛟龍は風雲を捉えずにいないと信じていたが」
「ひどく失望の態だな」
「もう一杯くれ」
「めずらしく飲むじゃないか」
「飲んでから話すよ」
「なんだ」
「実は今、おれは、人の秘密を見てしまった」
「秘密を」
「されば。先ごろから貴様が謎めいたことをいうので、こよい玄徳様が出て行った後からそっと尾けて行ってみたのだ。するとどうだろう......ああ、おれは語るに忍びん。あんな柔弱な人物だとは思わなかった」
「なにを見たのだ一体」
「あろうことかあるまいことか。当家の深窓に養われている芙蓉娘とかいう麗人と、逢引をしておるではないか。ふたりはいつのまにか恋愛に墜ちておるのだ。われわれ義軍の盟主ともある者が、一女性に心を囚われなどして何が出来よう」
「その事か」
「貴様は前から知っていたのか」
「うすうすは」
「なぜわしに告げないのだ」
「でも、できてしまって居るものは仕方がないからな」
張飛も腐った顔つきしてつぶやいた。その顔を頰杖に乗せて、片手で独り酒を酌いで仰飲りながら、
「英傑児も、あまり平和な温床に長く置くと黴が生えだして、ああいう事になるんだな」
「志を得ぬ
鬱勃をそういう方へ
誤魔化しはじめると、人間ももうおしまいだな。......また、あの女も女ではないか。あれは
劉
の娘でもないし、いったい何だ」
「訊かれると面目ない」
「なぜ? なぜ貴様が面目ないのか」
「......実はその、あの芙蓉娘は拙者の旧主
鴻家の御息女なので、劉

どのも鴻家とは浅からぬ関係があった人だから、主家鴻家の没落後、おれが芙蓉娘をこの
家へ連れて来て、
匿っておいてくれるように頼んだお方なのだ」
「え。では貴様の旧主の御息女なのか」
「まだ義盟を結ばない数年前のはなしだが、その芙蓉娘と玄徳様とは、黄匪に追われて、お互いに危ない災難に見舞われていたころ、偶然、ある地方の古塔の下で、出会ったことがあるので、とっくに双方とも知り合っていた仲なのだ」
「え、そんなに古いのか」
関羽が呆れ顔した時、室の外にだれかの沓音が聞こえた。
六
主の劉

であった。
劉快は、室内の様子を見て、
「おさしつかえないですか」と、二人の許しをうけてから入った。そして言うには、
「困った事ができました。数日の内に、洛陽の巡察使と定州の太守が、この地方へ巡遊に来る。そしてわしの邸がその宿舎に当てられる事になった。当然、あなた方の潜状している事が発覚する。一時どこかへ隠れ場所をお移しなさらぬと危ないが」
という相談であった。
折も折である。
関羽も張飛も、一時は途方にくれたここちがしたが、むしろこれは、天が自分等の懶情を誡むるものであると思って、
「いや、御当家にも、だいぶ長い間の逗留となりました。そういう事がなくても、この辺で一転機する必要がありましょう。いずれわれわれとも三名で相談の上、御返辞申しあげます」
「なんともお気の毒じゃが。......なお、落ち着く先にお心当たりもなければ、わしの信じる人物で安心のなる所へ御紹介もして上げますから」
劉
はそう言って、戻って行った。
後で、二人は顔見あわせて、
「玄徳様と芙蓉娘の仲を、主も覚って来て、これはいかんと、急にあんな口実を言って来たのではあるまいか」
「さあ。どうとも知れぬ」
「しかし、いい機だ」
「そうだ。玄徳様のためには至極いいことだ」
翌朝。二人はさっそく、「しかじかのわけですが」と、玄徳に主の旨を伝えて、善後策を謀った。
すると玄徳は、一時は、はっとした顔色だったが、すぐ俯向いた眼ざしをきっとあげて、
「立退こう。恩人の劉大人に御迷惑をかけてもならぬし、自分もいつまで安閑とここに居る気もなかった所だから」と、言った。
そう言う玄徳の面には、深く現在の自身を反省しているらしい容子が見えた。
そこで関羽は思いきって、こう言ってみた。
「――ですが、お名残惜しくはありませんか。この家の深窓の佳人」
玄徳は微笑の裡にも、幾分か羞恥の色をたたえながら、
「否とよ、恋は路傍の花」
と、答えた。
その一言に、
「さすがは」
と関羽も、自分の取り越し苦労を打ち消し、すっかり眉をひらいた。
「そういうお気持なら安心ですが、実は、われわれの盟主たりまた、大望を抱いている英傑児が、一女性のために、壮志を蝕まれてしまうなどとは、残念至極だと、張飛と共に、密かに案じていたところなのです。――ではあなたはあくまで、芙蓉娘と本気で恋などに墜ちているわけではありますまいな」
「いや」
玄徳は、正直に言った。
「恋を囁いている間は、恥ずかしいが、わしは本気で恋を囁いているよ。女を欺けない、また、自分も欺けない。ただ、恋あるのみだ」
「え......?」
「だが両君。乞う、安んじてくれ給え。玄徳はそれだけが全部にはなりきれない。恋の囁きも一瞬の間だ。すぐわれに返る。中山靖王の後裔劉備玄徳というわれに返る。寒村の田夫から身を起こし、義旗をひるがえしてからすでに両三年、戦野の屍となりつるか、洛陽の府にさまよえるか、と故郷には今なお、わが子の我を待ち給う老母もいる。なんで大志を失おうや。......両君も、それは安心して可なりである。玄徳を信じてくれい」
故園
一
その翌日である。玄徳たち三名は、にわかに
五台山麓の地、
劉
の邸宅から一時身を去ることになった。
別れに臨んで、
主の劉

は、
落魄の豪傑玄徳等のために別離の小宴をひらいて、さて言うには、
「また、時を窺って、この地へぜひ戻ってお出でなさい。お連れになって来た二十名の兵や下僕たちは、それまでてまえの邸に預かっておきましょう。そして今度お見えになった時こそ、再起の御準備におかかりなさい。黄巾の乱は小康を得ても、洛陽の王府そのものに自潰の兆が顕われて来ています。折角、自重自愛して、どうか国家のために尽くしてください」
「ありがとう」
四人は起って乾杯した。
劉

のいうように、ここへ来る時連れて来た二十名ばかりの一族郎党の身は、皆、劉家に託しておいて、関羽、張飛、玄徳、思い思いに別れて一時身をかくす事となった。
が――劉家の門を出る時は、三人一緒に出た。世間の眼もあるので、劉

はわざと見送らなかった。けれど、邸内の楼台から三名の姿が遠くなるまで
独り見送っている美人があった。いうまでもなく
芙蓉娘であった。
張飛は知っていた。
しかし、わざと何も言わなかった。玄徳も黙々と歩いていた。
もう五台山の影も後ろに遠く霞んでから、張飛がそっと玄徳へ言った。
「きのうお言葉を伺って、もう自分等もあなたの心事を疑うような気もちは抱いておりません。むしろ大丈夫の多情多恨のおこころを推察しておりますよ。例えば、私が酒を愛するようなものですからな」
彼は、酒と恋を、一つものに考えているのだ。
その程度だから、玄徳の心に同情すると言っても、およそ玄徳の感傷とははなはだ遠いものにちがいなかった。
「――だが、長兄」と、張飛はまた、玄徳の顔をさし覗いて言った。
「豪傑は色に触るべからずという法はない。あなただって一生涯独身でいられるわけもない。ほんとに芙蓉娘がお好きならこの張飛が話してどんなことにでもします。拙者にとっては、旧主の御息女ではあるし、ああいう頼りのないお身の上ですからむしろあなたに願っても生涯を見て戴きたいくらいなものですよ。けれど今はいけませんな。時でないでしょう。志を得た後のことにね」
「わかったよ」
玄徳は、うなずいた。
それから州道の道標の下まで来ると、
「じゃあ、わしはここから一人別れて、ひとまず郷里の涿県へ行くからね、いずれまた、一度この五台山下へ戻って来るが」と、言った。
張飛も、関羽も、各々そこから別れて、ひとまず思い思いに落ちてゆくつもりであったが、片時の間も離れた事のない三人なので、さすがに寂しげに、
「こんどはいつここで会おう」
「この秋」
玄徳が言う、二人はうなずいて、
「ではあなたはこれから涿県の母御の許へお出でになるつもりですか」
「うム。御無事なお顔だけ拝したら、またすぐ風雲の裡へ帰って来る。涼秋の八月、再び三人して、五台山の月を見よう」
「おさらば」
「気をつけて」
「お互いに」
三名は三方の道へ、しばし別離の姿を顧み合った。
二
関羽と張飛のふたりに別れてから、玄徳は姿を土民のふうに変えて、ただ一人、故郷の涿県楼桑村へ、そっと帰って行った。
「ああ、桑の木も変わらずに在る......」
何年ぶりかで、わが家の門を見た玄徳は、そこに立つと一番先に、例の巨きな桑の大樹を、懐しげに見上げていた。
――かたん。
――ことん、かたん。
すると蓆を織る機の音が家の裏のほうで聞こえた。玄徳は、はっと心を打たれた。ここ両三年は馬上に長槍を把って、忘れはてていたが、幼少から衣食して来た生業の蓆織の機は、今なお、この故郷の家では休んでいなかった。
その機を、その筬を、今も十年一日のごとく動かしている者はだれだろうか。
問うまでもない、玄徳の母であった。征野に立った息子の後を、ひとり留守している母にちがいなかった。
「いかにお淋しいことであったろう。また、御不自由な事であったろう」
家にはいらぬうちに、玄徳はもう瞼を涙でいっぱいにしていた。思えば幾年の間、転戦また転戦、故郷の母に衣食の費を送る遑さえなかった。便りすら幾度か数えるほどしかしていなかった。
――すみません。
彼はまず故国の荒れたる門に心から詫びて、そして機の音の聞こえる裏のほうへ馳けこんで行った。
ああそこに、黙念と、蓆を織っている白髪の人。――玄徳は見るなり後ろから馳け寄って、母の足もとへ、
「母上っ」
脆ずいた。
「――母上。わたくしです。今帰って参りました」
「......?」
老母は、驚いた顔して、機の手を休めた。そして、玄徳のすがたをじっと見て、
「......阿備か」
と、言った。
「長い間、お便りもろくにせず、定めし何かと御不自由でございましたろう。陣中心にまかせず、転戦からまた転戦と、戦に暮れておりましたために」
子の言葉を遮るように、
「阿備。......そしておまえはいったい、なにしに帰って来たのですか」
「はい」
玄徳は地に面を伏せて、
「まだ志も達せず、晴れて母上にお目にかかる時機でもありませんが、先ごろから官地を去って、野に潜んでおります故、役人たちの目をぬすんで、そっと一目、御無事なお顔を見に戻って参りました」
老母の眼は明らかに潤んでみえた。髪もわずかのうちに梨の花を盛ったように雪白になっていた。眼元の肉も寠れてみえるし――機にかけている手は藁ゴミで荒れている。
しかし、以前にかわらないものは、子に対してじっと向ける眸の大きな愛と峻厳な強さであった。こぼれ落ちそうな涙をもこらえて、老母は、静かに言うのだった。
「阿備......」
「はい」
「それだけで、そなたは此家へ帰っておいでなのかえ」
「え。......ええ」
「それだけで」
「――母上」
縋り寄る玄徳の手を、老母は、藁ゴミと共に裳から払って、たしなめるようにきつく言った。
「なんです。嬰児のように。......それで、おまえは憂国の大丈夫ですか。帰って来たものはぜひもないが、長居はなりませんぞ。こよい一晩休んだら、すぐ出てゆくがよい」
三
思いのほかな母の
不機
な気色なのである。それも、自分を励まして下さるためと、劉玄徳は、かえって大きな愛の下に泣きぬれてしまった。
母は、その子を、大地に見ながら、なお叱って言った。
「まだおまえが郷土を出てから、わずか二年か三年ではないか。貧しい武器と、訓練もない郷兵を集めて、このひろい天下の騒乱の中に打って出たおまえが、たった三年やそこらで、功を遂げ名を揚げて戻って釆ようなどと......そんな夢みたいなことを母は考えて待っておりはしない。......世の中というものはそんな単純ではありません」
「母上。......玄徳の過りでございました。どこへ行っても、自分の正義は通らず、戦っても戦っても、なんのために戦ったのか、このごろ、ふと失意のあまり疑いを抱いたりして」
「
戦に勝つことは、強い豪傑ならば、だれでもすることです。そういう正しい道の
邪げにも、自分自身を時折に襲ってくる弱い心にも打ち
克たなければ、
所
、大事はなし遂げられるものではあるまいが」
「......そうです」
「ようく、おわかりであろう。......もうそなたも三十に近い男児。それくらいなことは」
「はい」
「そこらの豪傑たちが、乱世に乗じて、一州一郡を伐り取りするような小さい望みとは違うはずです。漢の宗室の末孫、中山靖王の裔であるおまえが、万民のために、剣を把って起ったのですよ」
「はい」
「千億の民の幸を思いなさい。老先のないこの母ひとりなどが何であろう。そなたの心が――折角奮い起こした大志が――この母ひとりのために鈍るものならば、母は、億民のために生命を縮めても、そなたを励ましたいと思うほどですよ」
「あ。母上」
玄徳は驚いて、ほんとにそういう決心もしかねない母の袂に縋って、
「悪うござりました。もう決して女々しい心はもちません。あしたの朝は、夜の明けぬうちにここを去りますから、どうかただ一晩だけお側において下さいまし」
「.........」
老母も、くずれるように、地へ膝をついた。そして、玄徳の体を、そっと抱いて、白髪の鬢をふるわせながら囁いた。
「阿備や......。だが、わたしはね、亡きお父さんの代わりにもなって言うのだよ。今のは、お父さまのお声だよ。お叱りだよ。――あしたの朝は、近所の人の人目にかからないように、暗いうちに立っておくれね」
そう言うと、老母はいそいそと母屋のほうへ立ち去った。
間もなく、厨のほうから、夕餉を炊ぐ煙が這って来た。失意の子のために、母はなにか温かい物でも夕餉にと煮炊きしているらしいのであった。
玄徳は、その間に、蓆機へ寄って、母が織りのこして行った幾枚かの蓆を織りあげていた。
手元が暗くなってくる。白い夕星がもう上にあった。
機を離れて、彼はひとり、裏の桃林を
趙遙していた。はや晩春なので、桃の花はみな散り尽くして黒い花の
蕋を

に見るだけであった。
「ああ。故園は変わらない――」
玄徳は嘆じた。
桃花はまた春に若やぐが、母の白髪が再び黒く回る日はない。春秋は人の身のうえにのみ短い。しかも自分の思う望みは遠くまた大きく、いつの日、彼の母が心のそこから欣んでくれる時が来るだろうか、考えると、いたずらに大きな嘆声が出るばかりであった。
「――阿備やあ。阿備やあ」
もう暗い母屋のほうでは、母が夕餉のできた事を告げて呼んでいる。玄徳は、なんの悩みもなかった少年のころを思い出して、少年のように遠くから高く答えながら馳け出した。
乱兆
一
時は、中平六年の夏だった。
洛陽宮の裡に、霊帝は重い病にかかられた。
帝は病の篤きを知られたか、
「何進をよべ」
と、病褥から仰せ出された。
大将軍何進は、すぐ参内した。何進はもと牛や豚を屠殺して業としている者であったが、彼の妹が、洛陽にも稀な美人であったので、貴人の娘となって宮廷に入り、帝の胤をやどして弁皇子を生んだ。そして皇后となってからは何后といわれていた。
そのため兄の何進も、一躍要職につき、権を握る身となったのである。
何進は、病帝をなぐさめて、
「ご安心なさいまし。たとえいかなることがあっても、何進がおります。また、皇子がいらっしゃいます」と言って退った。
しかし、帝の気色は、慰まないようであった。
帝には、なお、複雑な憂悶があったのである。何后のほかに、王美人という寵姫があって、その腹にも皇子の協が生まれた。
何后は、それを知って、大いに嫉妬し、ひそかに鴆毒を盛って、王美人を殺してしまった。そして、なさぬ仲の皇子協を、霊帝のおっ母さんにあたる董太后の手へあずけてしまったのである。
ところが、董太后は、預けられた協皇子が可愛くてたまらなかった。帝もまた、何后の生んだ弁よりも、協に不愍を感じて偏愛されていた。
で、十常侍の蹇碩などが、時々そっと帝の病褥へ来てささやいた。
「もし、協皇子を、皇太子に立てたいという思し召しならば、まず何后の兄何進から先に誅罰なさらなければなりません。何進を殺すことが、後患を断つ所以です」
「......ウム」
帝は蒼白い顔で頷かれた。
自己の病は篤い。いつとも知れない命数。
帝は決意すると急がれた。
にわかに、何進の邸へ向かって、
「急ぎ、参内せよ」と、勅令があった。
何進は、変に思った。
「はてな。きのう参内したばかりなのに?」
急に帝の病状でも変わったのかと考えて、家臣に探らせてみるとそうでもない。のみならず、十常侍の蹇碩等が、なにか謀っている経緯がうすうすわかったので、
「小癪な輩。そんな策に乗る何進ではない」
と、参内しない代わりに、廟堂の諸大臣を私館へ招いて、
「こういう事実がある。実にけしからぬ陰謀だ。さなきだに天下皆、十常侍の輩を恨んで、機あらば、彼等の肉を啖わんとまで怨嗟している。おれもこの機会に、宦官どもをみな殺しにしようと思うが、諸公の御意見はどうだ」と、会議の席に諮った。
「.........」
だれも皆、黙ってしまった。ただびっくりした眼ばかりであった。すると、座隅の一席からひとりの白皙の美丈夫が起立して、
「至極けっこうでしょう。しかし十常侍とその与党の勢力というものは、宮中においては、想像のほかと承ります。将軍、威あり実力ありといえども、うっかり手を焼くと、御自身、滅族の禍を求めることになりはしませんか」と忠言を吐いた。
見るとそれは、典軍の校尉曹操であった。何進の眼から見れば寔に微々たる一将校でしかない。何進は苦い顔して、
「だまれっ。貴様のような若輩の一武人に、朝廷の内事がわかってたまるものか、ひかえろ」
と、一言に叱りつけた。
ために、座中白け渡って見えた時、折も折、霊帝がたった今崩御されたという報せが入った。
ニ
何進は、その報せを手にすると、会議の席へ戻って来て、諸大臣以下一同に向かい、
「ただ今、重大なる報せがあったが、まだ公の発表ではないから、そのつもりで聞いて欲しい」と、前提し、厳粛なる口調で、次のように述べた。
「天子、御不例久しきにわたっておったが、今日ついに、嘉徳殿において、崩御あそばされた」
「.........」
何進がそう言い終わっても、ややしばらくの間、会議の席は寂として、声を発する者もなかった。
諸大臣の面上には、はっとしたような色が流れた。予期していたことながら、
――どうなる事か?
と、この先の政治的な変動やら一身の去就に、暗澹たる動揺がかくしきれなかった。
しかも場合が場合である。
何進が、十常侍をみな殺しにせんと息まいてこの席に計り、十常侍等は、何進を謀って、亡き者にしようと、暗躍しているという折も折であった。
そも、何の兆か。
人々が一瞬自失したかのように、暗澹たる危惧の底に沈んで、
――ああ、漢朝四百年の天下も今日から崩れ始める兆か。
と、いうような予感に襲われたのも、決してむりではない。
しばし、黙禱のうちに、人々は亡き霊帝をめぐる近年の宮廷の浅ましい限りの女人と権謀の争いやら、数数の悪政と頽廃を胸によび回して、今さらのように、深い嘆息をもらし合った。
× × ×
霊帝は不幸なお方だった。
何も知らなかった。十常侍たちの見せる「偽飾」ばかりを信じられて、世の中の「真実」というものは、何一つ御存じなく死んでしまわれた。
十常侍の一派にとっては、霊帝は即ち「盲帝」であった。傀儡にすぎなかった。玉座は彼等が暴政をふるい魔術をつかう恰好な壇上であり帳であった。
その悪政を数えたてればきりもないが、まず近年の事では、黄巾の乱後、恩賞を与えた将軍や勲功者へ、裏から密かに人を遣って、
「公等の軍功を奏上して、公等はそれぞれ莫大な封禄の恩典にあずかりたるに、それを奏した十常侍に、なんの沙汰もせぬのは、非礼ではないか」
などと賄賂のなぞをかけたりした。
恐れて、すぐ賂を送った者もあるが、皇甫嵩と、朱雋の二将軍などは、
「何をばかな」
と一蹴したので、十常侍たちはこもごもに、天子に讒したので、帝はたちまち、朱雋、皇甫嵩のふたりの官職を剝いで、それに代わるに、趙忠を車騎将軍に任命した。
また、張譲その他の内官十三人を列侯に封じ、司空張温を太尉に昇せたりしたので、そういう機運に乗った者は、十常侍に媚びおもねって、更に彼等の勢力を増長させた。
たまたま、忠諫をすすめ、真実をいう良臣は、みな獄に下されて、斬られたり毒殺されたりした。
したがって宮廷の紊れは、偽かず、民間に反映して、地方にふたたび黄巾賊の残党やら、新しい謀叛人が蜂起して、洛陽城下に天下の危機が聞こえて来た。
この動乱と風雲の再発に、人の運命も波浪に
弄ばれるごとく転変を極めたが、たまたま、幸いしたのは、前年来、不遇の地に
趁われて、代州の
劉
の情けにようやく身をかくしていた
劉備玄徳であった。
三
黄匪の乱が熄んでからまた間もなく、近年各地に蜂起した賊では、漁陽(河北省)を騒がした張挙、張純の謀叛。長沙、江夏(湖南省・岳州の南)あたりの兵匪の乱などが最も大きなものだった。
「天下は泰平です。みな帝威に伏して、何事もありません」
十常侍の輩は、口をあわせて、いつもそんなふうにしか、奏上していなかった。
だが。
長沙の乱へは、孫堅を向かわせて、平定に努めていた。
また劉焉を益州の牧に封じ、劉虞を幽州に封じて、四川や漁陽方面の賊を討伐させていた。
そのころ。
故郷の
涿県から再び戻って、代州の
劉
の
邸に身を寄せていた玄徳は、
主劉

から(時節は来た。これを携えて、幽州の劉虞を訪ねてゆき給え。
虞は自分の親友だから、君の人物を見ればきっと重用するだろう)
と言われて、一通の紹介状をもらった。
玄徳は恩を謝して、直ちに、関羽張飛などの一族をつれ、劉虞の所へ行った。劉虞はちょうど、中央の命令で、漁陽に起こった乱賊を誅伐にゆく出陣の折であったから、大いに欣んで、
(よし。君等の一身をひきうけた)と、自分の軍隊に編入して、戦場へつれて行った。
四川、漁陽の乱も、ようやく一時の平定を見たので、その後、劉虞は朝廷へ表を
上って、玄徳の勲功ある事を大いに

えた。
同時に、廟堂の公孫瓚も、
(玄徳なる者は、前々黄賊の大乱の折にも抜群の功労があったものです)と、上聞に達したので、朝廷でも捨ておかれず、詔を下して、彼を平原県(山東省平原)の令に封じた。
で、玄徳は、即時、一族を率いて任地の平原へさし下った。行ってみると、ここは地味豊饒で銭粮の蓄えも官倉に満ちているので、
(天、我に兵馬を養わしむ)と、みな非常に元気づいた。そこで玄徳以下、張飛や関羽たちも、ようやくここに酬いられて、前進一歩の地を占め、大いに武を練り兵を講じ、駿馬に燕麦を飼って、平原の一角から時雲の去来をにらんでいた。
――果たせるかな。
一雲去れば一風生じ、征野に賊を掃い去れば、官中の瑠璃殿裡に冠帯の魔魅や金釵の百鬼は跳梁して、内外いよいよ多事の折から、一夜の黒風に霊帝は崩ぜられてしまった。
紛乱はいよいよ紛乱を見るであろう。漢室四百年の末期相はようやくここに瓦崩のひびきをたてたのである。――いかになりゆく世の末やらん、と霊帝崩御の由を知るとともに、人々みな色を失って、呆然、足もとの大地が九仞の底へめりこむような顔をしたのも、あながち、平常の心がけ無き者とばかり嗤えもしないことであった。
× × ×
会議の席も、寂としてしまい、咳声をする者すらなかったが、そこへまた、慌ただしく、
「将軍。お耳を」と、室外にちらと影を見せた者があった。
何進に通じている禁門の武官潘隠であった。
「オ、潘隠か。なんだ」
何進はすぐ会議の席を外し、外廊で何かひそひそ潘隠の囁きを聞いていた。
四
潘隠が告げていうには、
「十常侍の輩は例によって、帝の崩御と同時に、謀議をこらし、帝の死を隠しておいて、まずあなたを宮中に召し、後の禍を除いてから喪を発し、協皇子を立てて御位を継がしめようという魂胆に密議は一決を見たようであります。――きっと今に、宮中から帝の名をもって、将軍に参内せよと、使がやってくるにちがいありません」
何進は聞いて、
「獣め等、よしっ、それならそれで俺にも考えがある」
憤怒して、会議の壇に戻り、潘隠の密報を諸大臣や、並居る文武に公然とぶちまけて発表した。
ところへ案の定、宮中からお召しという使者が来邸して、
「天子、今御気息も危うし。枕頭に公を召して、漢室の後事を託せんと宣わる。いそぎ参内あるべし」と、恭しくいった。
「狸め」
何進は、潘隠へ向かって、
「こいつを血祭りにしろ」と命じるや否や、再び、会衆の前に立って、
「もう俺の堪忍はやぶれた。断乎として俺は欲することをやるぞ!」と呶鳴った。
すると、先に忠言して何進に一喝された典軍の校尉曹操が、ふたたび沈黙を破って、
「将軍将軍。今日ついに断を下して計を為さんとするならば、まず、天子の位を正してしかる後に賊を討つことを為し給え」と叫んだ。
何進も、今度は前のように、だまれとはいわなかった。大きく頷いて、
「たれか我がために、新帝を正して、宮闕の謀賊どもを討ち尽くさん者やある」
爛たる眼をして、衆席を見まわすと、時に、彼の声に応じて、
「司隷校尉袁紹ありっ」と名乗って起った者がある。
人々の首は、いっせいにその方へ振り向いた。見ればその人は、貌相魁偉胸ひろく双肩威風をたたえ、武芸抜群の勇将とは見られた。
是なん、漢の司徒袁安が孫、袁逢が子、袁紹であった。袁紹字は本初といい、汝南汝陽(河南省・淮河上流の北岸)の名門で門下に多数の吏事武将を輩出し、彼も現在は漢室の司隷校尉の職にあった。
袁紹は、昂然と述べた。
「願わくば自分に精兵五千を授け給え。直ちに禁門に入って、新帝を擁立し奉り、多年禁廷に巣くう内官どもをことごとく誅滅して見せましょう」
何進はよろこんで、
「行けっ」と、号令した。
この一声に洛陽の王府は一転戦雲の天と修羅の地に化ったのである。
袁紹は、たちまち鉄甲に身を鎧い、御林の近衛兵五千をひっさげて、内裏まで押し通った。王城の八門、市中の衛門のこらず閉じて戒厳令を布き、入るも出ずるも味方以外は断乎として一人も通すなと命じた。
その間に。
何進もまた、車騎将軍たる武装をして何顒、筍攸、鄭泰などの一族や大臣三十余名を伴い、陸続と宮門に入り、霊帝の柩のまえに、彼が支持する弁太子を立たせて、即座に、新帝御即位を宣言し、自分の発声で、百官に万歳を唱えさせた。
舞刀飛首
一
百官の拝礼が終わって、
「新帝万歳」の声が、喪の禁苑をゆるがすと共に、御林軍(近衛兵)を指揮する袁紹は、
「次には、陰謀の首魁蹇碩を血まつりにあげん」
と、剣を抜いて宣言した。
そして自ら宮中を捜しまわって、蹇碩のすがたを見つけ、
「おのれっ」と、どこまでもと追いかけた。
蹇碩はふるえ上がって、懸命に逃げまわったが、度を失って御苑の花壇の陰へ這いこんでいたところを、何者かに尻から槍で突き殺されてしまった。
彼を突き殺したのは、同じ仲間の十常侍郭勝だともいわれているし、そこらにまで、乱入していた一兵士だとも言われているが、いずれにせよ、それすらわからない程、もう宮闕の内外は大混乱を呈して、人々の眼も血ばしり、気も逆上っていたにちがいなかった。
袁紹は、更に気負って、何進の前へ行き、
「将軍、なんで無言のままこの混乱を見ているんですか。時は今ですぞ、宮廷の癌、社稷の鼠賊ども、十常侍の輩を一匹残らず殺してしまわなければいけません。この機を逸したら、再び臍を嚙むような日がやって来ますぞ」と、進言した。
「ウむ。......むむ」
何進はうなずいていた。
けれど顔色は蒼白で、日ごろの元気も見えない。元来、小心な何進、一時は憤怒に馳られて、この大事をあえて求めたが、一瞬のまに禁門の内外はこの世ながらの修羅地獄と化し、自分を殺そうと謀った蹇碩も殺されたと聞いたので、一時の怒りもさめて、むしろ自分の放けた火の果てなく拡がりそうな光景に、呆然と戦慄を覚えているらしい容子であった。
その間に。
一方十常侍の面々は、
「すわ、大変」と、狼狽して、張譲を始め、各々生きた心地もなく、内宮へ逃げこんで、窮余の一策とばかり、何進の妹にして皇后の位置にある何后の裙下にひざまずいて、百拝、憐愍を乞うた。
「よい、よい。安心せい」
何后はすぐ、兄の何進を呼びにやった。
そして何進を宥めた。
「私たち兄妹が、微賤の身から今日の富貴となったのも、その始めは十常侍たちの内官の推薦があったからではありませんか」
何進は、妹にそう言われると、むかし牛の屠殺をしていたころの貧しい自分の姿が思い出された。
「なに、俺は、俺を殺そうと謀った蹇碩の奴さえ誅戮すればいいのだ」
内宮を出ると、何進は、右往左往する味方や宮内官たちを、鎮撫する気で言った。
「蹇碩は、すでに誅罰した。彼は我を害さんとしたから斬ったのである。我に害意なき者には、我また害意なし。安心して鎮まれ!」
すると、それを聞いて、
「将軍、何をばかな事を言うんですか」
と、袁紹は血刀を持ったまま彼の前へ来て、その軽忽を責めた。
「この大事を挙げながら、そんな手ぬるい宣言を将軍の口から発しては困ります。今にして、宮闕の癌を除き、根を刈り尽くして置かなければ、後日必ず後悔なさいますぞ」
「いや、そう言うな、宮門の火の手が、洛陽一面の火の手になり、洛陽の火の手が、天下を燎原の火としてしまったら取り返しがつかんじゃないか」
何進の優柔不断は、とうとう袁紹の言を容れなかった。
二
一時、禁門の兵乱は、治まったかに見えた。
その後。
何后、何進の一族は、
「邪魔ものは董太后である」
と、悪策をめぐらして、太后を河間(河北省・滄州の西方)という片田舎へ遷してしまった。
故霊帝の母公たる董太后も、今は彼等の勢力に拒む力もなかった。これというのも、前帝の寵妃だった王美人の生んだ協皇子を愛するのあまり、何后、何進等の一族から睨まれた結果と――ぜひなき運命の輦のうちに涙にくれながら都離れた地方へ送られて行った。
けれど、何后も何進も、それでもまだ不安を覚えて、秘かに後から刺客をやって、董太后を殺してしまった。
わずかの間に董大后はふたたび洛陽の帝城に還って来たが、それは柩の中に冷たい空骸となって戻られたのであった。
京師では大葬が執り行なわれた。
けれど、何進は、
「病中――」と称して、宮中へも世間へも顔を出さなかった。
彼は怒りっぽい。
しかも、小心であった。
彼は自己や一門の栄華のために大悪もあえてする。けれど小心な彼は半面でまた、ひどく世間に気がねし、自らも責めている。
要するに何進は、下賤から人臣の上に立ったが、大なる野望家にもなりきれず、ほんとの悪人にもなりきれず、位階冠帯は重きに過ぎて、右顧左眄、気ばかり病んでいるつまらない人物だった。
貝殻が人の跫音に貝のフタをしているように、門から出ないので、ある日、袁紹は何進の邸を訪ねて、
「どうしました将軍」と、見舞った。
「どうもせんよ」
「お元気がないじゃないですか」
「そんなことはない」
「――ところで、聞きましたか」
「何を? ......じゃね」
「董太后のお生命をちぢめた者は何進なりと、また、例の宦官どもが、しきりと流言を放っているのを」
「......ふウむ」
「だから私が言わない事ではありません。今からでも遅くないでしょう。あくまでも、彼奴等は癌ですよ。根こそぎ切ってしまわなければ、どう懲らしても、日が経てばすぐ芽を生やし、根を張って、増長わがまま、陰謀暗躍、手がつけられない物になるんです」
「......む、む」
「御決断なさい」
「考えておこう」
煮え切らない顔つきである。
袁紹は舌打ちして帰った。
奴僕の中に、宦官たちのまわし者が住みこんでいる。
「袁紹が来てこうこうだ」とすぐ密報する。
諜報をうけて、
「また、大変だ」と、宦官等はあわてた。――だが、危険になると、消火栓のような便利な手がある。何進の妹の何后へ縋って泣訴することであった。
「いいよ」
何后は、彼等からあやされている簾中の人形だったが、兄へは権威を持っていた。
「何進をおよび」
また、始まった。
「兄さん、あなたは、悪い部下にそそのかされて、またこの平和な宮中を乱脈に騒がすような事を考えなどなさりはしないでしょうね。禁裡の内務を宦官が司るのは、漢の宮中の伝統で、それを憎んだり殺したりするのは、宗廟に対して非礼ではありませんか」
釘を刺すと、何進は、
「おれはなにもそんな事を考えておりはせぬが......」
と、曖昧に答えたのみで退出してしまった。
三
宮門から退出して来ると、
「将軍。どうでした」
と、彼の乗り物の蔭に待っていた武将が、参内の吉左右を小声でたずねた。
「ア。......袁紹か」
「何太后に召されたと聞いたので、案じていた所です。何か、宦官の問題で、御内談があったのでしょう」
「......ム。あったにはあったが」
「御決意を告げましたか」
「いや、こちらから言い出さないうちに、太后から、憐愍の取り做しがあったので」
「いけません」
袁紹は、断乎として言った。
「そこが、将軍の弱点です。宦官どもは、一面にあなたを陥れるように、陰謀や悪宣伝を放って、露顕しかかると、太后の裳やお袖にすがって、泣き声で訴えます。――お気の弱い太后と、太后のいう事には反かないあなたの急所を、彼等はのみこんでやっている仕事ですからな」
「なるほど......」
そう言われると、何進も、気づく所があった。
「今です。今のうちです。今日を措いて、いつの日かありましょう。よろしく、四方の英雄に檄を飛ばし、もって万代の計を、一挙に定められるべきです」
彼の熱弁には、何進もうごかされるのである。なるほどと思い――それもそうだと思い、いつのまにか、
「よしっ、やろう。実はおれもそれぐらいの事は考えていたのだ」と、言ってしまった。
二人の密談を、乗り物のおいてある樹蔭の近くで聞いていた者がある。典軍の校尉曹操であった。
曹操は、独りせせら笑って、
「ばかな煽動をする奴もあればあるものだ。癌は体じゅうにできている物じゃない。一個の元兇を抜けばいいのだ。宦官のうちの首謀者を抓んで牢へぶちこめば、刑吏の手でも事は片づくのに、諸方の英雄へ檄を飛ばしたりなどしたら、漢室の紊乱はたちまち諸州の野望家の窺い知るところとなり、争覇の分脈は、諸国の群雄と、複雑な糸をひいて、天下はたちまち大乱になろう」
それから、彼はまた、何進の輦に従いて歩きながら、
「......失敗するにきまっている。さあ、その先は、どんなふうに風雲が旋るか」
と、独り語に言っていた。
けれど、曹操は、もう自分の考えを、何進に直言はしなかった。その点、袁紹のごとく真っ正直な熱弁家でもないし、何進のような小胆者とも違う彼であった。
彼は今、天下に多い野望家とつぶやいたが、彼自身もその一人ではなかろうか。白皙秀眉、丹唇をむすんで、唯々として何進の警固に従いてはいるが、どうもその輦の中にある上官よりも典軍の一将校たる彼のほうが、もっと底の深い、もっと肚も黒い、そしてもっと器も大きい曲者ではなかろうかと見られた。
× × ×
ここに、西涼(甘粛省・蘭州)の地にある董卓は、前に黄巾賊の討伐の際、その司令官ぶりは至って香しくなく、乱後、朝廷から罪を問われるところだったが、内官の十常侍一派をたくみに買収したので、不問に終わったのみか、かえって顕官の地位を占めて、今では西涼の刺史、兵二十万の軍力をさえ擁していた。
その董卓の手へ、
「洛陽からです」
とある日、一片の檄が、密使の手から届けられた。
四
洛陽にある何進は、先ごろ来、檄を諸州の英雄に飛ばして、
天下の府、枢廟の弊や今極まる。宜しく公明の旌旗を林集し、正大の雲会を遂げ、もって、昭々日月の下に万代の革政を諸公と共に正さん。
と言ったような意味を伝え、その反響いかにと待っていたところ、やがて諸国から続々と、
「上洛参会」
とか、あるいは、
「提兵援助」
などという答文を携えた使者が日夜早馬で先触れして来て、彼の館門を叩いた。
「西涼の董卓も、兵を提げてやって来るようですが」
――御史の鄭泰なる者が、何進の前に来て言った。
「檄文は、董卓へもお出しになったんですか?」
「む。......出した」
「彼は、
豺狼のような男だとよく人は言います。
京師へ豺狼を引き入れたら人を

いちらしはしませんかな」
鄭泰が憂えると、
「わしも同感だ」
と、室の一隅で、参謀の幕将たちと、一面の地形図を拡いていた一老将が、歩を何進のほうへ移して来ながら言った。
見ると、中郎将盧植である。
彼は黄匪討伐の征野から讒せられて、檻車で都へ送られ、一度は軍の裁廷で罪を宣せられたが、後、彼を陥れた左豊の失脚とともに、免されて再び中郎将の原職に復していたのである。
「おそらく董卓は、檄文を見て時こそ来れりと欣んだに違いない。政廟の革正を欣ぶのでなく、乱をよろこび、自己の野望を乗ずべき時としてです。――わしも董卓の人物はよく知っておるが、あんな漢をもし禁廷に入れたら、どんな禍患を生じるやも計り知れん」
盧植は、わざと、鄭泰のほうへ向かって話しかけた。暗に何進を諫めたのである。だが何進は、用いなかった。
「そう諸君のように、疑心をもっては、天下の英雄を操縦はできんよ」
「――ですが」
鄭泰がなお、苦言を呈しかけると何進はすこし
不機
に、
「まだまだ、君たちは、大事を共に謀るに足りんなあ」と、言った。
鄭泰も、盧植も、
「......そうですか」
と、後のことばを胸に嚥んで退がってしまった。そしてこの両者を始め、心ある朝臣たちも、こんな事を伝え聞いて、そろそろ何進の人間に見限りをつけ出して離れてしまった。
「董卓どのの兵馬は、もう蓮池(河南省・河南)まで来ているそうです」
何進は、部下から聞いて、
「なぜすぐにやって来んのか。迎えをやれ」と、しばしば使を出した。
けれど、董卓は、
「長途を来たので、兵馬にも少し休養させてから」
とか、軍備を整えてとか、何度催促されても、それ以上動いて来なかった。何進の催促を馬耳東風に、豺狼の眼をかがやかしつつ、密かに、耽々と洛内の気配を窺っているのであった。
五
一方。宮城内の十常侍等も、何進が諸国へ檄をとばしたり、檄に応じて董卓などが、蓮池附近にまで来て駐軍しているなどの大事を、知らないでいるはずはない。
「さてこそ」と、彼等はあわてながらも対策を講ずるに急だった。そこで張譲等はひそかに手配にかかり、刀斧鉄弓を携えた禁中の兵を、嘉徳門や長楽宮の内門にまでみっしり伏せておいて、何太后をだまし何進を召すの親書を書かせた。
宮門を出た使者は平和時のように、わざと美車金鞍を燦かせ、なにも知らぬ顔して、書を何進の館門へとどけた。
「いけません」
何進の側臣たちは、即座に十常侍等の陥穽を看破って諫めた。
「太后の御詔とて、この際、信用はできません。危ない限りです。一歩も御門外に出ることはなさらぬほうが賢明です」
こう言われると、それに対して自分の無い器量をも見せたいのが何進の病であった。
「なにをいう。宮中の病廃を正し、政権の正大を期し、やがては天下に臨まんとするこの何進である。十常侍等の輩が我に何かせん。彼等ごとき廟鼠輩を怖れて、何進門を閉ざせりと聞こえたら天下の英雄どもも、かえって予を見縊るであろう」
変にその日は強がった。
すぐ車騎の用意を命じ、その代わり鉄甲の精兵五百に、物々しく護衛させて、参内に出向いた。果たせるかな、青鎖門まで来ると、
「兵馬は禁門に入ることならん。門外にて待ちませい」
と隔てられ、何進は、数名の従者だけつれて入った。それでも彼は傲然、胸を反らし、威風を示して歩いて行ったが、嘉徳門のあたりまでかかると、
「豚殺し待てっ」
と、物陰から呶鳴られて、あっとたじろく間に、前後左右、十常侍一味の軍士たちに取り巻かれていた。
躍り出た張譲は、
「何進っ、汝は元来、洛陽の裏町に、豚を屠殺して、からくも生きていた貧賤ではなかったか。それを、今日の栄位まで昇ったのは、そもそもだれのおかげと思うか。われわれが陰に陽に、汝の妹を天子に薦め奉り、汝も推挙したおかげであるぞ。――この恩知らずめ!」と、面罵した。
何進は、真ッ蒼になって、
「しまった!」
と口走ったが、時すでに遅しである。諸所の宮門はみな閉ざされ、逃げまわるにも刀斧鉄槍、身を囲んで、一尺の隙もなかった。
「――わッっ。だっ!」
何進はなにか絶叫した。空へでも飛び上がってしまう気であったか、躍り上がって、体を三度ほどぐるぐる旋した。張譲は、跳びかかって、
「下郎っ。思い知ったか」と、真二つに斬りさげた。
青鎖門外ではわいわいと騒がしい声が起こっていた。なにかしら宮門の中におかしな空気を感じ出したものとみえ、
「何将軍ほまだ退出になりませんか」
「将軍に急用ができましたから、早くお車に召されたいと告げて下さい」などと喚いて動揺しているのであった。
すると、城門の墻壁の上から、武装の宮兵が一名首を出して、
「やかましいッ。鎮まれ。汝等の主人何進は、謀叛のかどによって査問に付せられ、ただ今、かくのごとく罪に伏して処置は終わった。これを車に載せて立ち帰れっ」
なにか蹴鞠ほどな黒い物がそこから抛られて来たので、外にいた面々は、急いで拾い上げてみると、唇を嚙んだ蒼い何進の生首であった。
螢の彷徨い
一
何進の幕将で中軍の校尉袁紹は、何進の首を抱いて、「おのれ」と、青鎖門を睨んだ。
同じ何進の部下、呉匡も、
「おぼえていろ」と、怒髪を逆だて、宮門に火を放つと五百の精兵を駆って、雪崩れこんだ。
「十常侍もみなごろしにしろ」
「宦官どもを焼きつくせ」
華麗な宮殿は、たちまち土足の暴兵に占領された。炎と、黒煙と、悲鳴と失うなりの旋風であった。
「汝もかっ」
「おのれもかっ」
宦官と見た者は、見つかり次第に殺された。宮中深く棲んでいた十常侍の輩なので、兵はどれがだれだかよくわからないが、髯の無い男だの、俳優のようににやけて美装している内官は、みんなそれと見なして首を刎ねたり突き殺したりした。
十
常侍趙忠や
郭勝などという連中も、
西宮
花門まで逃げ転んで来たが、鉄弓に射止められて、虫の息で
這っているところを、ずたずたに
斬り
刻まれ、手足は

花楼の大屋根にいる
鴉へ投げられ、首は
西苑の湖の中へ
跳ねとばされた。
天日も晦く、地は燃ゆる。
女人たちの棲む後宮の悲鳴は、雲に谺し地底まで届くようだった。
その中を、十常侍一派の
張譲、
段珪のふたりは、新帝と
何太后と、新帝の弟にあたる
協皇子――帝が即位してからは、
陳留王と
称われている――そう三人を黒煙のうちから
救け出して、北宮
翡
門からいち早く逃げ出す準備をしていた。
ところへ。
戈を引っ提げ、身を鎧い、悍馬に泡を嚙ませて来た一老将がある。宮門に変ありと、火の手を見ると共に馳せつけて来た中郎将盧植であった。
「待てっ毒賊。帝を擁し、太后を獲って、何地へ赴かんとするかっ」
大喝して、馬上から降りるまに張譲たちは、新帝と陳留王の車馬に鞭打って逃げてしまった。
ただ何太后だけは、盧植の手にひき留められた。
折ふし、宮中各所の火災を、懸命に部下を指揮して消し止めていた校尉曹操に出会ったので、ふたりは、
「新帝の御帰還あるまで、しばし、大権をお執りくだされたい」
と請い、一方諸方に兵を派して、新帝と陳留王の後を追わせた。
洛陽の巷にも火が降っていた。兵乱は今にも全市に及ぶであろうと、家財商品を負って避難する民衆で混乱は極まっている。その中を――張譲等の馬と、新帝、皇弟を乗せた輦は、逃げまどう老父を轢き、幼子を蹴とばして、躍るがごとく、城門の郊外遠くまで逃げ落ちて来た。
けれど、輦の車輪は壊れ、張譲等の馬も傷ついたり、泥濘へ脚を入れたりして、みな徒歩にならなければならなかった。
「――ああ」
帝は、時々、蹌めいた。
そして大きく嘆息された。
顧みれば、洛陽の空は、夜になってまだ赤かった。
「もう少しの御辛抱です」
張譲等は、帝を離すまいとした。帝を擁する事が自分等の強味だからである。
草原の果てに、北邙山が見えた。夜は暗い。もう三更に近いであろう。すると一隊の人馬が趁って来た。張譲は観念した。追っ手と直感したからである。
「もうだめだっ」
無念を叫びながら、張譲は、自ら河に飛び込んで自殺してしまった。帝と、帝の弟の陳留王とは、河原の草の裡へ抱き合って、しばし近づく兵馬に耳をすましておられた。
二
やがて河を越えて驟雨のように馳け去って行ったのは、河南の中部掾史、閔貢の兵馬であったが、なにも気づかず、瞬くまに闇に消え去ってしまった。
「............」
しゅく、しゅく......と新帝は草むらの中で泣き声をもらした。
皇弟陳留王は、わりあいにしっかりした声で、
「ああ飢餓をお覚えになりましたね。御もっともです。私も、今朝から水一滴飲んでいませんし、馴れない道を、夢中で歩いて来たので、身を起こそうとしてもただ身が顫えるばかりです」と、慰めて――「けれど、この河原の草の中で、このまま夜を明かすこともできません。殊に、ひどい夜露、お体にもさわります。歩けるだけ歩いてみましょう。どこか民家でもあるかもしれません」
「............」
帝は微かにうなずいた。
二人は、衣の袂と袂を結び合わせ、「迷わないように」と、闇を歩いた。
茨か、野棗か、荊ばかりが脚を刺した。帝も陳留王も生まれて初めて、こうした世のある事を知ったので、生きた気もちもなかった。
「ああ、螢が......」
陳留王はさけんだ。
大きな螢の群れが、風のまにまに一かたまりになって、眼のまえをふわふわ飛んでゆく、螢の光でも非常に心づよくなった。
夜が明けかけた――
もう歩けない。
新帝はよろめいたまま起き上がらなかった。陳留王も、
「ああ」と、腰をついてしまった。
昏々と、しばらくは何もしらなかった。だれかそのうちに起こす者がある。
「どこから来た?」と、訊ねるのである。
見まわすと、古びた荘院の土塀が近くにある。そこの主かもしれない。
「いったい、そなた達は、何人のお子か」
と重ねて問う。
陳留王はまだしっかりした声を持っていた。帝を指して、
「先ごろ、御即位されたばかりの新帝陛下です。十常侍の乱で、宮門から遁れて来たが、侍臣たちはみな散散になり、ようやく、私がお供をしてこれまで来たのです」
と、言った。
主は、仰天して、
「そして、あなたは」と、眼をまろくした。
「わしは、帝の弟、陳留王という者である」
「げっ、では真の? ......」
主は、驚きあわてた様で、帝を扶けて、荘院のうちへ迎え入れた。古びた田舎邸である。
「申しおくれました。自分儀は、先朝にお仕え申していた
司徒崔烈の弟で、
崔毅という者であります。十常侍の徒輩が、あまりにも
賢を追い邪を
容れて、目を
蔽うばかりな暴状に、官吏が

になって、
野に隠れていた者でございます」
主は改めて礼を施した。
その夜明けごろ――
河へ投身して死んだ張譲を見捨てて、段珪はひとり野道を逃げ惑うて来たが、途中、閔貢の隊に見つかって、天子の行方を訊かれたが、知らないと答えると、
「不忠者め」
と、閔貢は、馬上から一颯に斬ってしまった。そしてその首を、鞍に結びつけ兵へ向かって、
「なにせい、この地方に来られたに違いない」と、捜査の手分けを命じ、自身もただ一騎馳け、あなたこなたと、血眼で尋ねあるいていた。
三
崔毅の家をかこむ木立の空に、炊煙があがっていた。帝と陳留王のふたりを匿しておいた茅屋の板戸を開いて、崔毅は、
「田舎です。なにもありませんが、飢えをおしのぎ遊ばすだけと思し召して、この粥なと一時召し上がっていてください」と、食事を捧げた。
帝も、皇弟も、浅ましきばかりがつがつと粥をすすられた。
崔毅は、涙を催して、
「安心して、お眠りください。外はてまえが見張っておりますから」と、告げて退がった。
荒れた傾いだ荘院の門に立ったまま、崔毅は半日も立っていた。
すると、かつかつと、馬蹄の音が木立の下を踏んで来る。
「だれか?」
どきっとしながらも、
何
わぬ顔して、
箒の手をうごかしていた。
「おいおい、家の主、なにか

う物はないか。湯なと一杯恵んでくれい」
声に振り向くと、それは馬上の閔貢であった。
崔毅は、彼の馬の鞍に結いつけてある生々しい首級を見て、
「お易いことです。――ですが豪傑、その首は一体、だれの首です」
閔貢は問われると、
「知らずや、これは十常侍張譲などと共に、久しく廟堂に巣くって天下の害をなした段珪という男だ」
「えっ、ではあなたはどなたですか」
「河南の掾史閔貢という者だが、昨夜来、帝のお行方が知れないので、方々捜しておるのだ」
「ああ、では!」
崔毅は、手をあげて、奥のほうへ転んで行った。
閔貢は怪しんで、馬をつなぎ、後から駈けて行った。
「お味方の豪傑が、お迎えにやって来ましたよ」
崔毅の声に、藁の上で眠っていた帝と陳留王は、夢かとばかり狂喜した。そしてなお、閔貢の拝座するすがたを見ると、欣し泣きに抱き合って号泣された。
帝も帝におわさず
王また王に非ず
千乗万騎走るなる
北邙の草野、夏茫々
――思いあわせればこの夏の初めごろから、洛陽の童女のなかにこんな歌が流行っていた。天に口なく、無心の童歌をして、今日の事を予言していたものだろうか。
「天下一日も帝なかるべからずです。さあ、一刻も早く、都へ御還幸なされませ」
閔貢のことばに、
崔毅は、自分の

から、一匹の
瘦馬を
曳いて来て、帝に献上した。
閔貢は、自分の馬に、陳留王を乗せて、二騎の口輪をつかみ、門を出て、諸所へ散らかっている兵をよび集めた。
二、三里ほど来ると、
「おお、帝は御無事でおわしたか」
校尉袁紹が馳せ出会う。
また、司徒王允、太尉楊彪、左軍校尉淳于瓊、右軍の趙萌、同じく後軍校尉鮑信などがめいめい数百騎をひきいて来合わせ、帝にまみえて、みな哭いた。
「還御を盛にし、洛陽の市民にも安心させん」
と、段珪の首を、早馬で先へ送り、洛陽の市街に曝し首として、同時に、帝の御無事と遷幸を布告した。
かくて帝の御駕は、郊外の近くまでさしかかって来た。するとたちまちかなたの丘の陰から旺なる兵気馬塵が立ち昇り、一隊の旌旗、天を蓋って見えたので、「や、や?」とばかり、随身の将卒百官、みな色を失って立ち恟んだ。
四
「敵か?」
「そも、何人の軍ぞ」
帝を始め、茫然、疑い怖れているばかりだったが、時に袁紹あって、鹵簿の前へ馬をすすめ、
「それへ来るは、何者の軍隊か。帝今、皇城に還り給う。道を塞ぐは不敬ではないか」
と、大喝した。
すると、
「おうっ吾なり」
と吠えるがごとき答えが、正面へ来た軍の真ん中に轟き聞こえた。
千翻の旗、錦繡の幡旗、さっと隊を開いたかと見れば駿馬は龍爪を搔いて、堂々たる鞍上の一偉夫を、袁紹の前へと馳け寄せて来た。
これなん先ごろから洛陽郊外の蓮池に兵馬を駐めたまま、何進が再三召し呼んでも動かなかった惑星の人――西涼の刺史董卓であった。
董卓、字は仲穎、隴西臨挑(陝西省)の生まれである。身長七尺、腰の太さ十囲という。肉脂豊重、眼細く、豺智の光り針がごとく人を刺す。
袁紹が、
「何者だっ」
と、咎めたが、部将などは眼中にないといった態度で、
「天子はいずこに在すか」
と、鹵簿の間近まで寄って来る容子なのだ。帝は、戦慄されて、お答えもなし得ないし、百官も皆、怖れわななき、さすがの袁紹さえも、その容態の立派さに、呆っ気にとられて阻めもできなかった。
すると、帝の御駕のすぐうしろから、
「ひかえろッ」
涼やかに叱った者がある。
凜たる声音に、董卓も思わず駒をすこし退いて、
「何。控えろと。――そう言う者はだれだっ」と眼をみはった。
「おまえこそ、名をいえ」
こう言って馬を前へ出していたのは、皇弟の陳留王であった。帝よりも年下の紅顔の少年なのである。
「......あっ。皇弟の陳留王でいらっしゃいますな」
董卓も、気がついてあわてて、馬上で礼儀をした。
陳留王は、あくまで頭を高く、
「そうだ。そちはだれだ」
「西涼の刺史董卓です」
「その董卓が、何しに来たか。――聖駕をお迎えに参ったのか、それとも奪い取ろうという気で来たか」
「はっ......」
「いずれだ!」
「お迎えに参ったのでござる」
「お迎えに参りながら、天子のこれにましますに、下馬せぬ無礼者があるかっ、なぜ、馬を降りん!」
身なりは小さいが、王の声は実に峻烈であった。威厳に打たれたか、董卓は二言もなく、あわてて馬からとび降りて、道の傍らに退き、謹んで帝の車駕を拝した。
陳留王は、それを見ると、帝に代わって、
「大儀であった」
と、董卓へ言葉を下した。
鹵簿は難なく、洛陽へさして進んだ。心ひそかに舌を巻いたのは董卓であった。天性備わる陳留王の威風にふかく胆を奪われて、
「これは、今の帝を廃して、陳留王を御位に立てたほうが......?」
と、いう大野望が、早くもこの時、彼の胸には芽を兆していた。
呂布
一
洛陽の余燼も、ようやく熄んだ。
帝と皇弟の車駕も、かくて無事に宮門へ還幸になった。
何太后は、帝を迎えると、
「おお」
と、共に相擁したまま、しばらくは鳴咽にむせんでいた。
そして太后はすぐ、
「玉璽を――」
と、帝の御手にそれを戻そうとして求めたが、いつのまにか紛失していた。
伝国の玉璽が見えなくなった事は漢室として大問題である。だがそれだけに、絶対に秘密にしていたが、いつか洩れたとみえて密かに聞く者は、
「ああ。またそんな亡兆がありましたか」と、眉をひそめた。
董卓はその後、蓮池の兵陣を、すぐ城外まで移して来て、自身は毎日、千騎の鉄兵をひきつれて市街王城をわが物顔に横行していた。
「寄るな」
「咎められるな」
人民は恟々と、道をひらいて避けた。
そのころ、幷州の丁原、河内の太守王匡、東郡の喬瑁などと諸将がおくればせに先の詔書にょって上洛して来たが、董卓軍の有り様をみて皆、為すことを知らなかった。
後軍の校尉鮑信は、ある時、袁紹に向かってそっと囁いた。
「どうかしなければいかんでしょう。あいつらの沓は、内裏も街も一しょくたに闊歩しておる」
「なんの事だ」
「知れきったことでしょう。董卓とその周りの連中ですよ」
「だまって居給え」
「なぜです。私は、安からぬ思いがしてなりませんが」
「でも、このごろようやく、宮廷も少しお静かになりかけた所だからな」
鮑信はまた、同じような憂えを、司徒の王允にもらした。けれど司法官たる王允でも、董卓のような大物となるとどうしようもなかった。
網を携えた漁夫が、鯨をながめて嘆じるように、
「ううむ。まったくだ。同感だ。だが、どうしようもないじゃないか」
疎髯をつまんで、尖った顎を引っ張りながら、そう嘯くだけだった。
「やんぬる哉――」
鮑信は、

になって、自分の手勢だけを
引具し、泰山の閑地へ
逃避してしまった。
去る者は去り、媚ぶる者は媚びて董卓の勢力に従き、彼の勢いは日増しに旺になるばかりだった。
董卓の性格は、その軍に、彼の態度に、ようやく露骨にあらわれてきた。
「李儒」
「はい」
「断行しようと思うがどうだろう。もういいだろう」
董卓は、股肱の李儒に計った。それは、かねて彼の腹中にあった画策で、現在の天子を廃し、彼の見こんだ陳留王を位に即けて、宮廷を私しようという大野望であった。
李偏は、よろしいでしょうと言った。時機は今です。早くおやりなさいともつけ加えた。これも彼に劣らぬ暴逆家だ。しかし董卓は気に入った。
翌日、温明園で大宴会がひらかれた。招きの主人名はいうまでもなく董卓である。故に、その威を怖れて欠席した者はほとんどなかったと言うてよい。文武の百官はみな集まった。
「みなお揃いになりました」
侍臣から知らせると、董卓は容態をつくろって、轅門の前でゆらりと駒を下り、宝石を鏤めた剣を佩いて悠々と席へついた。
二
美酒玉杯、数巡して、
「今日の宴に列せられた諸公にむかって、予は一言提議したい」
董卓は起って、おもむろにこう発言した。
なにを言うのかと、一同は静まり返った。董卓はその肥満した体をぐっと反らすと、
「予は思う。天子は天稟の玉質であらねばならぬ。万民の景仰をあつめるに足る御方であらねばならぬ。宗廟社稷を護りかためて揺るぎなき仁徳を兼ね備えて在さねばならぬ。しかるに、不幸にも新帝は薄志懦弱である。漢室のため、われわれ臣民の常に憂うるところである」
大問題だ。
聞く者みな色を醒ました。
董卓は、
寂としてしまった百官の頭上を見まわして、左の

を、剣帯に当てがい、右の手をつよく振った。
「ここにおいて、予はあえて言おう。憂うるなかれ諸卿と。幸いにも、皇弟陳留王こそは、学を好み、聡明に在し、天質玲瓏、まことに天子の器といってよい。今や天下多事、よろしくこの際ただ今の天子に代うるに、陳留王をもってし、帝座の廃立を決行したいと考えるが、いかがあろうか。異論あるものは立って意見を述べ給え」
驚くべき大事を、彼は宣言同様に言い出したのである。広い大宴席に咳声ひとつ聞こえなかった。気をのまれた形でもあろう。董卓は、俺に反対する者などあるわけもない――と言ったように、自信に充ちた眼で眺めまわした。
すると、百官の席のうちから、突としただれか立つ音がした。いっせいに人々の首は彼のほうを見た。
幷州の刺史丁原である。
「吾輩は起立した、反対の表示である」
董卓はくゎっと睨めて、
「木像を見ようとは思わない。反対なら反対の意見を吐け」
「天子の座は、天子の御意にあるものである。臣下の私議するものではない」
「私議はせん。故におれは公論に糺しておるのじゃっ」
「先帝の正統なる御嫡子たる今の帝に、なんの瑕瑾やあらん、咎めやあらん。こんな所で、帝位の廃立を議するとは何事だ。おそらく、簒奪を企む者でなくば、そんな暴言は吐けまい」
皮肉ると、董卓、
「だまれっ、われに反く者は死あるのみだぞ」
繡袍の袖をはねて、佩剣の柄に手をかけた。
「なにをする気か」
丁原は、びくともしなかった。
それも道理、彼のうしろには、一個の偉丈夫が儼然と笑って立っていて、
(丁原に指でもさしてみろ)と言わんばかり恐ろしい顔していた。
爛々たるその
眸、
凜々たる威風、見るからに
猛
の気がある。
董卓の股肱として、常に秘書のごとく側へ附いている李儒は、あわてて主人の袖を引っぱった。
「きょうは折角の御宴です。固くるしい国政向きのことなどは、席を改めて、他日になすってはいかがです。とかく酒気のあるところでは、論議は纏まりません」
「......む、うむ」
董卓も、気づいたので、不承不承、剣の柄から手を下げた。しかしどうも、丁原のうしろに立っている男が気になって堪らなかった。
三
――けれど、董卓の野望は、丁原に反対されたぐらいで、決して萎みはしなかった。
大饗宴の席は一時、そんなことで白け渡ったが、酒杯の交歓一しきりあると、董卓はまた起って、
「最前、予の述べたところ、おそらく諸君の意中であり、天下の公論と思うがどうだろう」
と、重ねて糺した。
すると、席にあった中郎将盧植が、率直に、彼を意見した。
「もうお止めなさい。あまり我意を押しっけようとなさると、天子の廃立に名分をかりて、董公御自身が、簒奪の肚があるのではないかと人が疑います。昔、殷の太甲無道でありしため、伊尹これを桐宮に放ち、漢の昌邑が王位に登って――」
なにか、故事をひいて、学者らしく諫言しかけると、董卓は、
「だまれっ、だまれっ――貴様も血祭りに首を出したいのか」
と激怒して、周囲の武将を顧み、
「彼を斬れっ。斬っちまえ。斬らんかっ」と指さし震えた。
けれど、李儒は、押し止め、
「いけません」と、言った。
「盧植は海内の学者です。中郎将としてよりも、大儒として名が知られています。それを董卓が殺したと天下へ聞こえることは、あなたの不徳になります。御損です」
「では、追っ払えっ」
董卓は、またつづけざまに怒号した。
「官職を引っ剝いでだぞ。――盧植を官に置こうと言う者はおれの相手だ」
もう、だれも止めなかった。
盧植は、官を逐われた。この日から先、彼は世を見限って、上谷の閑野にかくれてしまった。
それは、さておき、饗宴もこんなふうで、殺伐な散会となってしまった。帝位廃立の議は、またの日にしてと、百官は逃げ腰に閉会の乾杯を強いて挙げた。
司徒王允などは、真っ先にこそこそ帰った。董卓はなお、丁原の反対に根をもって、轅門に待ちうけて、彼を斬って捨てんと、剣を按じていた。
ところが。
最前から轅門の外に、黒馬に踏み跨がって、手に方天戟を提げ、しきりと帰る客を物色したり、門内を窺ったりしている風貌非凡な若者がある。
ちらと、董卓の眼に止まったので、彼は李儒を呼んで訊ねた。李は外を覗いて、
「あれですよ、最前、丁原のうしろに突っ立っていた男は」
「あれか。はてな、身装が違うが」
「武装して出直して来たんでしょう。怖ろしい奴です。丁原の養子で、呂布という人間です。五原郡(山西省・北部)の生まれで、字は奉先、弓馬の達者で天下無双と聞こえています。あんな奴に関ったら大事ですよ。避けるに如くはなし。見ぬ振りをしているに限ります」
聞いていた董卓は、にわかに恐れを覚え、あわてて園内の一亭へ隠れこんでしまった。
重ね重ね彼は呂布のために丁原を討ち損じたので、呂布の姿を、夢の中にまで大きく見た。どうも忘れ得なかった。
するとその翌日。
こともにわかに、丁原が兵を率いて、董卓の陣を急に襲ってきた。彼は聞くや否や、大いに怒って、たちまち身を鎧い、陣頭へ出て見ていると、たしかに昨日の呂布、黄金の盔をいただき、百花戦袍を着、唐猊の鎧に、獅蛮の宝帯をかけ、方天戟を提げて、縦横無尽に馬上から斬り捲くっている有り様に――董卓は敵ながら見とれてしまい、また内心ふかく怖れおののいた。
赤兎馬
一
その日の戦いは、董卓の大敗に帰してしまった。
呂布の勇猛には、それに当たる者もなかった。丁原も、十方に馬を躍らせて、董卓軍を蹴ちらし、大将董卓のすがたを乱軍の中に見かけると、
「簒逆の賊、これにありしか」と、馳け迫って、
「漢の天下、内官の弊悪に紊れ、万民みな塗炭の苦しみをうく。しかるに、汝は涼州の一刺史、国家に一寸の功もなく、ただ乱隙を窺って、野望を遂げんとし、妄に帝位の廃立を議するなど、身の程知らずな逆賊というべきである。いでその素頭を刎ねて、巷に梟け、洛陽の民の祭りに供せん」
と討ってかかった。
董卓は、一言もなく、敵の優勢に怖れ、自身の恥ずる心に怯んで、あわてて味方の楯の内へ逃げこんでしまった。
そんなわけで董卓の軍は、その日、士気の揚がらないことおびただしく、董卓も腐りきった態で、遠く陣を退いてしまった。
夜――
本陣の燈下に、彼は諸将を呼んで嘆息した。
「敵の丁原はともかく、養子の呂布がいるうちは勝ち目がない。呂布さえおれの配下にすれば、天下は我が掌のものだが――」
すると、諸将のうちから、
「将軍。嘆ずるには及びません」と、言った者がある。
人々が顧みると、虎賁中郎将の李粛であった。
「李粛か。なんの策がある?」
「あります。私に、将軍の愛馬赤兎と一囊の金銀珠玉をお託しください」
「それをどうするのか」
「幸いにも、私は、呂布と同郷の生まれです。彼は勇猛ですが賢才ではありません。以上の二品に、私の持っている三寸不爛の舌をもって、呂布を訪れ、将軍のお望みを、きっとかなえてみせましょう」
「ふム。成功するかな?」
「まず、おまかせ下さい」
でもまだ迷っている顔つきで、董卓は、側に居る李儒の意見を訊いた。
「どうしよう。李粛はあのように申すが」
すると李儒は、
「天下を得るために、なんで一匹の馬をお惜しみになるんです」と、言った。
「なるほど」
董卓は大きく頷いて、李粛の献策を容れることにし、秘蔵の名馬赤兎と、一囊の金銀珠玉とを彼に託した。
赤兎は稀代の名馬で、一日よく千里を走るといわれ、馬体は真っ赤で、風を衝いて奔馳する時は、その鬣が炎の流るるように見え、将軍の赤兎といえば、知らない者はないくらいだった。
李粛は、二人の従者にその名馬を曳かせ、金銀珠玉を携えて、その翌晩、密かに呂布の陣営を訪問した。
呂布は彼を見ると、
「やあ、貴公か」と、手を打って欣び、「君と予とは、同郷の友だがその後お互いに消息も聞かない。いったい今はどうしているのか」と、帳中へ迎え入れた。
李粛も、久闊を叙して、
「自分は漢朝に仕えて、今では虎賁中郎将の職を奉じている。君も、社稷を扶けて大いに国事に尽くしていると聞いて、実は今夜、祝いに来たわけだ」と、言った。
ニ
その時、呂布はふと耳をそばだてて、李粛へ訊いた。
「今、陣外に嘶いたのは、君の乗馬か、啼き声だけでもわかるが、素晴らしい名馬を持っているじゃないか」
「いや、外に繫いであるのは、自分の乗用ではない。足下に進上するために、わざわざ従者に曳かせて来たのだ。気に入るかどうか、見てくれ給え」と、外へ誘った。
呂布は、赤兎馬を一見すると、
「これは稀代の逸駿だ」と驚嘆して、
「こんな贈り物を受けても、おれはなにも酬いるものがないが」
と、陣中ながら酒宴を設けて歓待に努める容子は、心の底から欣んでいるふうだった。
酒、たけなわのころを計って、
「だが呂布君。折角、君に贈った馬だが、赤兎馬の事は、足下の父がよく知っておるから、必ず君の手から奪り上げてしまうだろう。それが残念だな」
李粛が言うと、
「は......何を言うのか、君はだいぶ酔って来たな」
「どうして」
「吾輩の父は、もう世を去ってこの世に亡い人じゃないか。なんでおれの馬を奪おう」
「いやいや。わしの言うのは足下の実父ではない。養父の丁原の事だ」
「あ。養父のことか」
「思えば、足下ほどな武勇才略を備えながら、墻の内の羊みたいに飼われているのは、実に惜しいものだ」
「けれど、父亡き後、久しく丁原の邸に養われて来た身だから、今さら、どうにもならん」
「ならん? ......そうかなあ」
「おれだって、若いし、大いに雄才を伸ばしてみたい気もするが」
「そこだ、呂布君、良禽は木を選んで棲むという。日月は遷りやすし。空しく青春の時を過ごすのは愚ではないか」
「む、む。......では李君。貴公の観るところでは、今の朝臣の中で、英雄とゆるしてよい人は、一体だれだと思うか」
李粛は一言の下に、
「それやあ、董卓将軍さ」と言った。
「賢を敬い、士に篤く、寛仁徳望を兼備している英傑といえば董卓を措いては、ほかに人物はない。必ずや将来大業を成す人はまずあの将軍だろうな」
「そうかなあ。......やはり」
「足下はどう思う」
「いや、実はこの呂布も、日ごろそう考えているが、何しろ丁原と仲が悪いし、それに縁もないので――」
聞きもあえず李粛は、携えて来た金銀珠玉をそれに取り出して、
「これこそ、その董卓公から、貴公へ礼物として送られた物だ、実は、予はその使として来たわけだ」
「えっ。これを」
「赤兎馬も御自身の愛馬で、一城とも取り換えられぬ――と言っておられるほど秘蔵していた馬だが、御辺の武勇を慕って、どうか上げてくれというお言葉じゃ」
「ああ。それまでにこの呂布を愛し給うか。何をもって、おれは知己の篤い志に酬いたらいいのか」
「いや、それは易い事だ。耳を貸し給え」と、李粛は摺り寄った。
陣帳風暗く、夜は更けかけていた。兵はみな
睡りに落ち、時折、
馴れぬ

に
繫がれた赤兎馬が、
静寂を破って、
蹄の音をさせているだけだった。
三
「......よしっ」
呂布は大きく頷いた。
何事かを、その耳へ囁いた李粛は、彼の怪しくかがやく眼を見つめながら、側を離れて、
「善は急げという。御決心がついたらすぐやり給え。予は、ここで酒を酌んで、吉左右を待っていよう」と、煽動した。
呂布は、直ちに出て行った。
そして営の中軍へ入って、丁原の幕中を窺った。
丁原は、燈火をかかげて、書物を見ていたが、何者か入って来た様子に、
「だれだっ」と、振り向いた。
血相の変わった呂布が剣を抜いて突っ立っているので、愕然と立ち、
「呂布ではないか。何事だ、その血相は」
「何事でもない。大丈夫たるものなんで汝がごとき凡爺の子となって朽ちん」
「ばッ、ばかっ。もう一度言ってみい」
「何を」
呂布は、躍りかかるや否や、一刀の下に、丁原を斬り伏せ、その首を落とした。
黒血は燈火を消し、夜は惨として暗澹であった。
呂布は、狂えるごとく、中軍に立って、
「丁原を斬った。丁原は不仁なる故に、是を斬った。志ある者はわれに従け。不服な者は、我を去れっ」と、大呼して馳けた。
中軍は騒ぎ立った。去る者、従う者、混乱を極めたが、半ばは、ぜひなく呂布について止まった。
この騒ぎが揚がると、
「大事成れり」と、李粛は手を打っていた。
やがて直ちに、呂布を伴い、董卓の陣へ帰って来て、事の次第を報告すると、
「でかしたり李粛」と、董卓のよろこびもまた、非常なものであった。
翌日、特に、呂布のために盛宴をひらいて、董卓自身が出迎えるというほどの歓待ぶりであった。
呂布は、贈られたところの赤兎馬に跨がって来たが、鞍を下りて、
「士はおのれを知る者のために死すと言います。今、暗きを捨てて明らかなるに仕う日に会い、こんな欣しいことはありません」と、拝跪していった。
董卓もまた、
「今、大業の途に、足下のごとき俊猛をわが軍に迎えて、旱苗に雨を見るような気がする」
と、手を取って、酒宴の席へ迎え入れた。
呂布は、有頂天になった。
しかもまた、黄金の甲と錦袍とをその日の引き出物として貰った。恐るべき毒にまわされて、呂布は有頂天に酔った。好漢、惜しむらくは眼前の慾望に眩んで、ついに、青雲の大志を踏み誤ってしまった。
× × ×
呂布は、檻に入った。
董卓はもう怖ろしい者あるを知らない。その威勢は、旭日のように旺だった。
自分は、前将軍を領し、弟の董旻を、左将軍に任じ、呂布を騎都尉中郎将の都亭侯に封じた。
思う事が出来ない事はない。
――が、まだ一つ、残っている問題がある。帝位の廃立である。李儒はまた、側にあって、しきりにその実現を彼にすすめた。
「よろしい。今度は断行しよう」
董卓は、省中に大饗宴を催して再び百官を一堂に招いた。
四
洛陽の都会人は、宴楽が好きである。わけて朝廷の百官は皆、舞楽をたしなみ、酒を愛し、長夜にわたるも辞さない酔客が多かった。
(――今日は、この間の饗宴の時よりも、だいぶ和やかに浮いているな)
董卓は、大会場の空気を見まわして、そう察していた。
時分は好し――と、
「諸卿!」
彼は、卓から起って、一場の挨拶を試みた。
初めの演舌は、至極、主人側としてのお座なりなものであったから、人々はみないっせいに酒盞を挙げて、「謝す。謝す」と声を和し、拍手の音も、しばし鳴りも止まなかった。
董卓は、その沸騰ぶりを、自分への人気と見て、
「さて。――いつぞやはついに諸公の御明判を仰いで議決するまでに至らなかったが、きょうはこの盛会と吉日を卜して、過日、未解決に了った大問題をぜひ一決して、さらに盞を重ねたいと思うのであるが、諸公のお考えはいかがであるか」
と、現皇帝の廃位と陳留王の即位推戴のことを、突然、言い出した。
熱湯が冷めたように、饗宴の席は、一時にしんとしてしまった。
「............」
「............」
だれも彼も、この重大問題となると啞のように黙ってしまった。
すると、一つの席から、
「否! 否!」と、叫んだ者がある。
中軍の校尉袁紹であった。
袁紹は、敢然、反対の口火を切って言った。
「借問する! 董将軍。――あなたは何がために、好んで平地に波瀾を招くか。一度ならず二度までも、現皇帝を廃して、陳留王をして御位に代わらしめんなどと、陰謀めいたことを提議されるのか」
董卓は、剣に、手をかけて、
「だまれっ。陰謀とは何か」
「廃帝の議を密かに計るのが陰謀でなくてなんだ」
袁紹も負けずに呶鳴った。
董卓はまッ青になって、
「いつ密議したか。朝廷の百官を前において自分は信ずる所を言っておるのだ」
「この宴は私席である。朝議を議するならば、なぜ帝の玉座の前で、なお多くの重臣や、太后の御出座をも仰いでせんか」
「えいっ、
喧しいっ。私席で

なら、
汝よりまず去れ」
「去らん。おれは、陰謀の宴に頑張って、だれが賛成するか、監視してやる」
「言ったな。貴様はこの董卓の剣は切れないと思っておるのか」
「暴言だっ。――諸君っ、今の声を、なんと聞くか」
「天下の権は、予の自由だ。予の説に不満な輩は、袁紹と共に、席を出て行けっ」
「ああ。妖雷声をなす、天日も真っ晦だ」
「世まい言を申しておると、一刀両断だぞ。去れっ、去れっ、異端者め」
「だれが居るか、こんな所に」
袁紹は、身を慄わせながら、席を蹴って飛び出した。
その夜のうち、彼は、官へ辞表を出して、遠く冀州の地へ奔ってしまった。
五
席を蹴って、袁紹が出て行ってしまうと、董卓は、やにわに、客席の一方を強く指して、
「太傅袁隗! 袁隗をこれへ引っ張って来い」
と、左右の武士に命じた。
袁隗はまッ蒼な顔をして、董卓の前へ引きずられて来た。彼は、袁紹の伯父にあたる者だった。
「こら、汝の甥が、予を恥ずかしめた上、無礼を極めて出ていった態は、その眼でしかと見ていたであろうが。――ここで汝の首を斬る事を予は知っているが、その前に、一言訊いてつかわす。この世と冥途の辻に立ったと心得て、肚をすえて返答をせい」
「はっ......はいっ」
「汝は、この董卓が宣言した帝位廃立をどう思う? 賛同するか、それとも、甥の奴と同じ考えか」
「尊命のごとし――であります」
「尊命のごとしとは?」
「あなたの御宣言が正しいと存じます」
「よしっ。しからばその首をつなぎ止めてやろう。他の者はどうだ。我すでに大事を宣せり。背く者は、軍法をもって問わん」
剣を挙げて、雷のごとく言った。
並居る百官も、慴伏して、もうだれひとり反対をさけぶ者もなかった。
董卓は、かくて、威圧的に百官に宣誓させて、また、
「侍中周毖! 校尉伍瓊! 議郎何顒! ――」
と、いちいち役名と名を呼びあげて、その起立を見ながら厳命を発した。
「我に背いた袁紹は、必ずや夜のうちに、本国冀州へさして逃げて帰る心にちがいない。彼にも兵力があるから油断はするな。すぐ精兵を率いて追い討ちに打って取れ」
「はっ」
三将のうち、二人は命を奉じて、すぐ去りかけたが、侍中周毖のみは、
「あいや、怖れながら、仰せは御短慮かと存じます。上策とは思われません」
「周毖っ。汝も背く者か」
「いえ、袁紹の首一つを獲るために、大乱の生じるのを怖れるからです。彼は平常、恩徳を布き、門下には吏人も多く、国には財があります。袁紹叛旗を立てたりと聞こえれば、山東の国々ことごとく騒いで、それらが、一時にものを言いますぞ」
「ぜひもない。予に背く者は討つあるのみだ」
「ですが、元来、袁紹という人物は、思慮はあるようでも、決断のない男です。それに天下の大勢を知らず、ただ
憤怒に駆られてこの席を出たものの、あれは一種の恐怖です。なんであなたの
覇業を
妨げる程な害をなし得ましょうや。むしろ

らわすに利をもってし、彼を一郡の太守に封じ、そっとして置くに限ります」
「そうかなあ?」
座右を顧みて呟くと、蔡邕も大きに道理であると、それに賛意を表した。
「では、袁紹を追い討ちにするのは、見あわせとしよう」
「それがいいです、上策と申すものです」
口々から出る賛礼の声を聞くと、董卓はにわかに気が変わって、
「使を立てて、袁紹を渤海郡の太守に任命すると伝えろ」
と、厳命を変更した。
その後。
九月朔日のことである。
董卓は、帝を嘉徳殿に請じて、その日、文武の百官に、
――今日出仕せぬ者は、斬首に処せん。
という布告を発した。そして殿上に抜剣して、玉座をもしり目に、
「李儒、宣文を読め」
と股肱の彼にいいつけた。
六
予定の計画である。李儒は、はっと答えるなり、用意の宣言文を披いて、
「策文っ――」
と高らかに読み始めた。
孝霊皇帝
眉寿ノ祚ヲ究メズ
早ク臣子ヲ棄テ給ウ
皇帝承ケ紹デ
海内側望ス
而シテ天資軽佻
威儀恪マズシテ慢惰
凶徳スデニ兆レ
神器ヲ損イ辱メ宗廟汚ル
太后亦教エニ母儀ナク
政治統テ荒乱
衆論爰ニ起コル大革ノ道
李儒は、更に声を大にして読みつづけていた。
百官の面は色を失い、玉座の帝はおののき慄え、嘉徳殿上寂として墓場のようになってしまった。
すると突然、
「ああ、ああ......」
と、鳴咽して泣く声が流れた。帝の側にいた何太后であった。
太后は涙に咽ぶのあまり、ついに椅子から坐りくずれ、帝のすそにすがりついて、
「だれがなんと言っても、あなたは漢の皇帝です。うごいてはいけませんよ。玉座から降ってはなりませんよ」
と、言った。
董卓は剣を片手に、
「今、李儒が読み上げたとおり、帝は闇愚にして威儀なく、太后は教えに晦く母儀の賢がない。――よって今日より、現帝を弘農王とし、何太后は永安官に押し籠め、代わるに陳留王をもって、われらの皇帝として奉戴する」
言いながら、帝を玉座から引き降ろして、その璽綬を解き、北面して臣下の列の中へ無理に立たせた。
そして、泣き狂う何太后をも、即座にその后衣を剝いで、平衣とさせ、後列へ退けたので、群臣も思わず眼を掩うた。
時に。
ただ一人、大音をあげて、
「待てっ逆臣っ。汝董卓、そもたれから大権を享けて、天を欺き、聖明の天子を、強いて私かに廃せんとするか。――如かず! 汝と共に刺し交えて死のう」
言うや否、群臣のうちから騒ぎ出して、董卓を目がけて短剣を突きかけて来た者があった。
尚書丁管と言う若い純真な宮内官であった。
董卓は、愕いて身を交わしながら、醜い声をあげて救けを叫んだ。
刹那――
「うぬっ、何するかっ」
横から跳びついた李儒が、抜き打ちに丁管の首を斬った。同時に、武士等の刃もいちどに丁管の五体に集まり、殿上はこの若い一義人の鮮血で彩られた。
さはあれ、ここに。
董卓はついにその目的を達し、陳留王を立てて天子の位に即け奉り、百官もまた彼の暴威に怖れて、万歳を唱和した。
そして、新しき皇帝を献帝と申し上げることになった。
だが、献帝はまだ年少である。何事も董卓の意のままだった。
即位の式がすむと、董卓は自分を相国に封じ、楊彪を司徒とし、黄琬を大尉に、筍爽を司空に、韓馥を冀州の牧に、張資を南陽の太守に――と言ったように、地方官の任命も輦下の朝臣の登用も、みな自分の腹心をもって当て、自分は相国として、宮中にも沓を穿き、剣を佩いて、その肥大した体軀を反らしてわが物顔に殿上に横行していた。
同時に。
年号も初平元年と改められた。
春園走獣
一
まだ若い廃帝は、明け暮れ泣いてばかりいる母の何太后と共に、永安宮の幽居に探く閉じ籠められたまま、春を空しく、月にも花にも、ただ悲しみを誘わるるばかりだった。
董卓は、そこの衛兵に、
「監視を怠るな」と厳命しておいた。
見張りの衛兵は、春の日永を、欠伸していたが、ふと幽楼の上から、哀しげな詩の声が聞こえて来たので、聞くともなく耳を澄ましていると、
春は来ぬ
けむる嫩草に
裊々たり
双燕は飛ぶ
ながむれば都の水
遠く一すじ青し
碧雲深きところ
是みなわが旧宮殿
提上、義人はなきや
忠と義とに仗って
誰か、晴らさむ
わが心中の怨を――
衛兵は、聞くと、その詩を覚え書にかいて、
「相国。廃帝の弘農王が、こんな詩を作って歌っていました」
と、密告した。董卓は、それを見ると、
「李儒はいないか」
と呼び立てた。そしてその詩を李儒に示して、
「これを見ろ、幽宮におりながら、こんな悲歌を作っている。生かしておいては必ずや後の害になろう。何太后も廃帝も、おまえの処分に任せる。殺して来い」
と、いいつけた。
「承知しました」
李儒はもとより暴獣の爪のような男だ。情けもあらばこそ、すぐ十人ばかりの屈強な兵を連れて、永安宮へ馳せつけた。
「どこに居るか、王は」
彼はずかずか楼上へ登って行った。折ふし弘農王と何太后とは、楼の上で春の憂いに沈んでおられ、突然、李儒のすがたを見たのでぎょっとした容子だった。
李儒は笑って、
「なにもびっくりなさる事はありません。この春日を慰め奉れ、と相国から酒をお贈り申しに来たのです。これは延寿酒といって、百歳の齢を延ぶる美酒です。さあ一盞おあがりなさい」
携えて来た一壺の酒を取り出して杯を強いると、廃帝は、眉をひそめて、
「それは毒酒であろう」と、涙をたたえた。
太后も顔を振って、
「相国がわたし達へ、延寿酒を贈られるわけはない。李儒、これが毒酒でないなら、そなたがまず先に飲んでお見せなさい」と、言った。
李儒は、眼を怒らして、
「なに、飲まぬと。――それならば、この二品をお受けなさるか」
と、練絹の繩と短刀とを、突きつけた。
「......おお。我に死ねとか」
「いずれでも好きな方を選ぶがよい」
李儒は冷然と毒づいた。
弘農王は、涙の中に、
噫、天道は易れり
人の道もあらじ
万乗の位をすてて
われ何ぞ安からん
臣に迫られて命はせまる
ただ潸々、涙あるのみ
と、悲歌をうたってそれへ泣きもだえた。
太后は、はったと李儒を睨めつけて
「国賊! 匹夫! おまえ達の滅亡も、決して長い先ではありませぬぞ。――ああ兄の何進が愚かなため、こんな獣どもを都へ呼び入れてしまったのだ」
罵り狂うのを、李儒は喧しいとばかり、その襟がみを摑み寄せて、高楼の欄から投げ落としてしまった。
二
「どうしたか」
董卓は美酒を飲みながら、李儒の吉左右を待っていた。
やがて李儒は、袍を血まみれに汚して戻って来たが、いきなり提げていた二つの首を突き出して、
「相国、御命令どおり致して来ました」と、言った。
弘農王の首と、何太后の首であった。
二つとも首は眼をふさいでいたが、その眼がかっと開いて、今にも飛びつきそうに、董卓には見えた。
さすがに眉をひそめて、
「そんな物、見せんでもいい。城外へ埋めてしまえ」
それから彼は、日夜、大酒を仰飲って、禁中の宮内官といい、後宮の女官といい、気に入らぬ者はたちどころに殺し、夜は床に横たわって春眠を貪った。
ある日。
彼は陽城を出て、四頭立ての驢車に美人を大勢乗せ、酔うた彼は、馭者の真似をしながら、城外の梅林の花ざかりを逍遙していた。
ところが、ちょうど村社の祭日だったので、なにも知らない農民の男女が晴れ着を飾って帰って来た。
董相国は、それを見かけ、
「農民のくせに、この晴日を、田へも出ずに、着飾って歩くなど、不届きな怠け者だ。天下の百姓の見せしめに召し捕らえろ」
と、驢車の上で、急に怒り出した。
突然、相国の従兵に追われて、若い男女は悲鳴をあげて逃げ散った。そのうち逃げ遅れた者を兵が拉して来ると
「牛裂きにしろ」
と、相国は威猛高に命じた。
手脚に繩を縛りつけて、二頭の奔牛にしばりつけ、東西へ向けて鞭打つのである。手脚を裂かれた人間の血は、梅園の大地を紅に汚した。
「いや、花見よりも、よほど面白かった」
驢車は黄昏に陽城へ向かって帰還しかけた。
するとある巷の角から、
「逆賊ッ」と、喚いて、不意に驢車へ飛びついて来た漢がある。
美姫たちは、悲鳴をあげ、驢は狂い合って、はしなくも、大混乱をよび起こした。
「何するか、下司っ」
肥大な体軀の持ち主である相国は、身うごきは敏速を欠くが、力は怖ろしく強かった。
精悍な刺客の男は、驢車へ足を踏みかけて、短剣を引き抜き、相国の大きな腹を目がけて勢いよく突ッかけて行ったのであったが、董相国にその剣を叩き落とされ、しっかと、抱きすくめられてしまったので、どうする事も出事なかった。
「曲者め。だれに頼まれた」
「残念だ」
「名を申せ」
「............」
「だれか、叛逆を企む奴らの与党だろう。さあ、だれに頼まれたか」
すると、苦しげに、刺客はさけんだ。
「叛逆とは、臣下が君に叛くことだ。おれは貴様などの臣下であった覚えはない。――おれは朝廷の臣、越騎校尉の伍俘だっ」
「斬れッ、こいつを」
驢車から蹴落とすと共に、董卓の武士たちは伍俘の全身に無数の刃と槍を加えて、塩辛のようにしてしまった。
× × ×
都を落ちて、遠く渤海郡(河北省)の太守に封じられた袁紹は、その後、洛陽の情勢を聞くにつけ、鬱勃としていたが、ついに矢も楯も堪らなくなって、在京の同志で三公の重職にある司徒王允へ、密かに書を飛ばし、激越な辞句で奮起を促して来た。
だが、王允は、その書簡を手にしてからも、日夜心で苦しむだけで、董相国を討つ計はなにも持たなかった。
三
日々、朝廷に上って、政務にたずさわっていても、王允はそんなわけで、少しも勤めに気がのらなかった。
心中ひとり怏々と悶えを抱いていた。
ところがある日、董相国の息のかかった高官はだれも見えず、皆、前朝廷の旧臣ばかりが一室にいあわせたので、(是ぞ、天の与え)と密かに欣んで、急に座中へ向かって誘いかけた。
「実は、今日は、この方の誕生日なのじゃが、どうでしょう、竹裏館の別業のほうへ、諸卿お揃いで駕を枉げてくれませんか」
「ぜひ伺って、公の寿を祝しましょう」
だれも、差し支えを言わなかった。
董卓系の人間をのぞいて、水入らずに話したい気持が、期せずして、だれにも鬱していたからであった。
別業の竹裏館へ、王允は先へ帰って密かに宴席の支度をしていた。やがて宵から忍びやかに前朝廷の公卿たちが集まった。
時を得ぬ不遇な人々の密会なので、初めからなんとなく、座中は湿っぽい。その上にまた、酒のすすみ出したころ、王允は、冷たい杯を見入って、ほろりと涙をこぼした。
見咎めた客の一人が、
「王公。折角、およろこびの誕生の宴だというのに、なんで落涙されるのですか」と言った。
王允は、長大息をして、
「されば、自分の福寿も、今日の有り様では、祝う気持にもなれんのじゃ。――不肖、前朝以来、三公の一座を占め、政にあずかりながら、董卓の勢いはどうすることもできんのじゃ。耳に万民の怨嗟を聞き、眼に漢室の衰亡を見ながら、なんでわが寿筵に酔えようか」
と言って、指で瞼を拭った。
聞くと一座の者も皆、
「ああ――」と、大息して、「こんな世に生まれ合わせなければよかった。昔、漢の高祖三尺の剣を提げて
白蛇を斬り、天下を鎮め給うてより王統ここに四百年、なんぞはからん、この末世に生まれ合わせようとは」
「まったく、われわれの運も悪いものだ。こんな時勢に巡り会ったのは」
「――と言うて、少し大きな声でもして、董相国やその一類の誹謗をなせば、この首の無事は保てないし」
などと各々、涙やら愚痴やらこぼして燭も滅入るばかりであったが、その時、末座の方から突然、
「わはははは。あはッはははは」
手を叩いて、だれか笑う者があった。公卿たちは、びっくりして、末席を振り返った。見るとそこに若年の一朝臣が、独りで杯を挙げ、白面に紅潮を漲らせて、人々が泣いたり愚痴るのを、さっきからおかしげに眺めていた。
王允は、その無礼を咎め、
「だれかと思えば、そちは校尉曹操ではないか。なんで笑うか」
すると、曹操はなお笑って、
「いや、すみません。しかしこれが笑えずにおられましょうか。朝廷の諸大臣たる方々が、夜は泣いて暁に至り、昼は悲しんで暮に及び、寄ると触ると泣いてばかりいらっしゃる。これでは天下万民もみな泣き暮らしになるわけですな。おまけに、誕生祝いというのに、わざわざ集まって、また泣上戸の泣き競べとは――。わはははは。失礼ですが、どうもおかしくって、笑いが止まりませんよ。あははは、あははは」
「やかましいっ。汝はそもそも、相国曹参が後胤で、四百年来、代々漢室の大恩をうけて来ながら、今の朝廷の有り様が、悲しくないのか。われわれの憂いが、そんなにおかしいのか。返答によりては免さんぞ」
四
「これは意外なお怒りを――」と、曹操はやや真面目に改まって、
「それがしとて何も理のないことを笑ったわけではありません。時の大臣ともあろう方々が、女童のごとく、日夜めそめそ悲嘆しておらるるのみで董卓を誅伏する計と言ったら何もありはしない。――そんな意気地なしなら、時勢を慨嘆したりなどをせずに、美人の腰掛けになって胡弓でも聴きながら感涙を流していたらよかろうに――と思ったのでつい笑ってしまった次第です」
と臆面もなく言った。
曹操の皮肉に王允を始め公卿たちもむっと色をなして、座は白け渡ったが、
「しからば何か、そちはそのような広言を吐くからには、董卓を殺す計でも有ると言うのか。その自信があっての大言か」
王允が再び急きこんで難詰ったので、人々は、彼の返答いかにと、固唾をのんで、曹操の白い面に眸をあつめた。
「無くてどうしましょう!」
毅然として彼は肩を昂げ、
「不才ながら小生におまかしあれば、董卓が首を斬って、洛陽の門に梟けて御覧に入れん」
と明言した。
王允は、彼の自信ありげな言葉に、かえって喜色をあらわし、
「曹校尉、もし今の言に偽りがないならば、寔に天が義人を地上に降して、万民の苦しみを助け給うものだ。そも、君にいかなる計やある。願わくば聞かしてもらいたいが」
「されば、それがしが常に董相国に近づいて、表面、媚び諂って仕えているのは、何を隠そう、隙もあれば彼を一思いに刺し殺そうと内心誓っているからです」
「えっ。......では君には疾くよりそれまでの決心を持っていたのか」
「さもなくて、何の大笑大言を諸卿に呈しましょう」
「ああ、天下になおこの義人あったか」
王允はことごとく感じて、人々もまたほっと喜色を漲らした。
すると曹操は、「時に、王公に小生から、一つの御無心がありますが」と言い出した。
「何か、遠慮なく言うてみい」
「ほかではありませんが、王家には昔より七宝を鏤めた稀代の名刀が伝来されておる由、常々、承っておりますが、董卓を刺すために、願わくばその名刀を、小生にお貸し下さいませんか」
「それは、目的さえ必ず仕遂げてくれるならば......」
「その儀は、きっとやりのけて見せます。董相国も近ごろでは、それがしを寵愛して、まったく腹心の者同様に視ていますから、近づいて一断に斬殺することは、なんの造作もありません」
「うム。それさえ首尾よく参るものなら、天下の大幸というべきだ。なんで家宝の名刀一つをそのために惜しもうや」
と、王允はすぐ家臣に命じて、秘蔵の七宝剣を取り出し、手ずからそれを曹操に授け、かつ言った。
「しかし、もし仕損じて、事顕れたら一大事だぞ、充分心して行なえよ」
「乞う、安んじて下さい」
曹操は剣を受け、その夜の酒宴も終わったので、颯爽として帰途についた。七宝の利剣は燦として夜光の珠の帯のごとく、彼の腰間に燿いていた。
白面郎「曹操」
一
曹操はまだ若い人だ。にわかに、彼の存在は近ごろ大きなものとなったが、その年歯風采はなお、白面の一青年でしかない。
年二十で、初めて洛陽の北都尉に任じられてから、数年のうちにその才幹は認められ、朝廷の少壮武官に列して、禁中紛乱、時局多事の中を、よく失脚もせず、いよいよその地歩を占めて、新旧勢力の大官中に伍し、いつのまにか若年ながら錚々たる朝臣の一員となっているところ、早くもただ物でない圭角は現われていた。
竹裏館の秘密会で、王允も言ったとおり、彼の家柄は、元来名門であって、高祖覇業を立てて以来の――漢の丞相曹参が末孫だといわれている。
生まれは沛国譙郡(江蘇省・徐州西南沛県)の産であるが、その父曹嵩は、宮内官たりし職を辞して、早くから野に下り、今では陳留(河南省・開封の東南)に住んでいて、老齢だがなお健在であった。
その父曹嵩も、
「この子は鳳眼だ」
と言って、幼少の時から、大勢の子のうちでも、特に曹操を可愛がっていた。
鳳眼というのは鳳凰の眼のように細くしてしかも光があるという意味であった。
少年のころになると、色は白く、髪は漆黒で、丹唇明眸、中肉の美少年ではあり、しかも学舎の教師も、里人も、「恐いようなお児だ」と、その鬼才に怖れた。
こんな事もあった。
少年の曹操は、学問など一を聞いて十を知るで、書物などに齧りついている日はちっとも見えない。游猟が好きで弓を持って獣を追ったり、早熟で不良を集めて村娘を誘拐したり、そんな事ばかりやっていた。
「困った奴だ」
叔父なる人が、将来を案じて、彼の父へ密かに忠告した。
「あまり可愛がり過ぎるからいけない。親の目には、子の艮い才ばかり見えて、奸才は見えないからな」
父の曹嵩も、ちらちら良くない事を耳にしていた折なので、早速曹操を呼びつけて、厳しく叱り、一晩中お談義を聞かせた。
翌る日、叔父がやって来た。
すると曹操は、ふいに門前に卒倒して、癲癎の発作に襲われたみたいな苦悶をした。
仮病とは知らず、正直な叔父は驚きあわてて奥の父親へ告げた。
父の曹嵩も、可愛い曹操のことなので、顔色を変えて飛び出して来た。――ところが曹操は門前に遊んでいて、いつもと何も変わった所は見えない。
「曹操、曹操」
「なんです、お父さん」
「なんともないのか。今、叔父御が駆けこんで来て、お前が癲癎を起こしてひッくり返っている、大変だぞ、すぐ行ってみろ、と言われて仰天して見に来たのだが」
「へエ......。どうしてそんな噓ッぱちを叔父さんは知らせたんでしょう。私はこのとおり何でもありませんのに」
「変な人だな」
「まったく、叔父さんは変な人ですよ。噓を言って、人が驚いたり困ったりするのを見るのが趣味らしいんです。村の人も言っていますね。――坊ちゃんは、あの叔父さんに何か憎まれてやしませんかッて。なんでも、わたしの事を放蕩息子だの、困り者だの、また癲癎持ちだのって、方々へ行って、しゃべりちらしているらしいんですよ」
曹操は、けろりとした顔で、そう言った。彼の父は、その事があってからというもの、何事があっても、叔父の言葉は信じなくなってしまった。
「甘いもンだな。親父は」
曹操はいい気になって、いよいよ機謀縦横に悪戯をしたり、放埒な日を送って育った。
二
二十歳まで、これという職業にもつかず、家産はあるし、名門の子だし、叔父の予言どおり困り息子で通って来た曹操だった。
しかし、人の憎みも多い代わり、一面任俠の風もあるので、
「気の利いた人だ」
とか、また、
「曹操は話せるよ。いざと言う時は頼みになるからね」
と、彼を取り巻く一種の人気と言ったようなものもあった。
そういう友達の中でも、橋玄とか、何顒とかいう人人は、むしろ彼の縦横な策略の才を異なりとして、
「今に、天下は乱れるだろう。一朝、乱麻となったが最後、これを収拾するのは、よほどな人物でなければできん。あるいは後に、天下を安んずべき人間は、ああ言ったふうな漢かも知れんな」
と、青年たちの集まった場所で、真面目に言ったこともある。
その橋玄が、ある折、曹操へ向かって言った。
「君は、まだ無名だが、僕は君を有為の青年と見ているのだ。折があったら、許子将という人と交わるがいい」
「子将とは、どんな人物かね」
曹操が問うと、
「非常に人物の鑑識に長けている。学者でもあるし」
「つまり人相観だね」
「あんないい加減なものじゃない。もっと烱眼な人物批評家だよ」
「おもしろい。一度訪うてみよう」
曹操は一日、その許子将を訪れた。座中、弟子や客らしいのが大勢いた。曹操は名乗って、彼の忌憚ない「曹操評」を聞かしてもらおうと思ったが、子将は、冷たい眼で一眄したのみで、卑しんでろくに答えてくれない。
「ふふん......」
曹操も、持ち前の皮肉がつい鼻先へ出て、こう揶揄した。
「――先生、池の魚は毎度鑑ておいでらしいが、まだ大海の巨鯨は、この部屋で鑑たことがありませんね」
すると、許子将は、学究らしい薄べッたくて、黒ずんだ唇から、抜けた歯をあらわして、
「豎子、何を言う! お前なんぞは、治世の能臣、乱世の姦雄だ」
と、初めて答えた。
聞くと、曹操は、
「乱世の姦雄だと。――結構だ」
彼は、満足して去った。
間もなく。
年二十で、初めて北都尉の職に就いた。
任は皇宮の警吏である。彼は就任早々、掟を厳守し、犯す者は高官でも、ビシビシ罰した。時めく十常侍の蹇碩の身寄りの者でも、禁を破って、夜、帯刀で禁門の附近を歩いていたと言うので、曹操に棒で殴りつけられたことがあったりした程である。
「あの弱冠の警吏は、犯すと仮借しないぞ」
彼の名はかえって高まった。
わずかな間に、騎都尉に昇進し、そして黄巾賊の乱が地方に起こると共に、征討軍に編入され、潁川その他の地方に転戦して、いつも紅の旗、紅の鞍、紅の鎧という人目立つ備立で征野を疾駆していたことは、かつて、張良、張宝の賊軍を穎川の草原に火攻めにした折、――そこで行き会った劉玄徳とその旗下の関羽、張飛たちも、
(そも、何者?)
と、目を見はったことのあるとおりである。
そうした彼。
そうした人となりの驍騎校尉曹操であった。
王允の家に伝わる七宝の名刀を譲りうけて、董相国を刺すと誓って帰った曹操は、その夜、剣を抱いて床に横たわり、果たしてどんな夢を描いていたろうか。
三
その翌日である。
曹操は、いつものように丞相府へ出仕した。
「相国はどちらにおいでか」
と、小役人に訊ねると、
「ただ今、小閣へ入られて、書院で御休息になっている」
との事なのでへ彼は直ちにそこへ行って、挨拶をした。董相国は、牀の上に身を投げ出して、茶を喫んでいる様子。側には、きっと、呂布が侍立していた。
「出仕が遅いじゃないか」
曹操の顔を見るや否や、董卓はそう言って咎めた。
実際、陽はすでに三竿、丞相府の各庁でも、みな一仕事すまして午の休息をしている時分だった。
「恐れ入ります。何分、私の持ち馬は

せ衰えた老馬で道が遅いものですから」
「良い馬を持たぬのか」
「はい。薄給の身ですから、良馬は望んでもなかなか購えません」
「呂布」と、董卓は振り向いて、
「わしの

から、どれか手ごろなのを一頭選んで来て、曹操に
遣わせ」
「はっ」
呂布は、閣の外へ出て行った。
曹操は、彼が去ったので、
――しめた!
と、心は躍り逸ったが、董卓とても、武勇はあり大力の持ち主である。
(仕損じては――)
となお、大事を取って、彼の隙を窺っていると、董卓はひどく肥満しているので、少し長くその体を牀に正していると、すぐ草臥れてしまうらしい。
ごろりと、背を向けて、牀の上へ横になった。
(今だ天の与え)
曹操は、心にさけびながら、七宝剣の柄に手をかけ――さっと抜くなり刃を背へまわして、牀の下へ近づきかけた。
すると、名刀の光鋩が、董卓の側なる壁の鏡に、陽炎のごとくピカリと映った。
むくりと、起き上がって、
「曹操、今の光は何だ?」
と、鋭い眼を注いだ。
曹操は、刃を納める遑もなく、ぎょッとしたが、さあらぬ顔して、
「はっ、近ごろそれがしが、稀代の名刀を手に入れましたので、お気に召したら、献上したいと思って、佩いて参りました。尊覧に入れる前に、そっと拭っておりましたので、その光鋩が室に盈ちたのでございましょう」
と騒ぐ色もなく、剣を差し出した。
「ふウむ。......どれ見せい」
手に取っているところへ、呂布が戻って来た。
董卓は、気に入ったらしく、
「なるほど、名剣だ。どうだこの刀は」と、呂布へ見せた。
曹操は、すかさず、
「鞘はこれです。七宝の篏飾、なんと見事ではありませんか」
と、呂布の方へ、鞘をも渡した。
呂布は無言のまま、刃を鞘に収めて手に預かった。そして、
「馬を見給え」と促すと、曹操は、
「はっ、有り難く拝領いたします」
と、急いで庭上へ出で、呂布が曳いて来た駿馬の鬣を撫でながら、
「あ。これは逸物らしい。願わくば相国の御前で、一当て試し乗りに乗って見たいものですな」
という言葉に、董卓もついに、図に乗せられて、
「よかろう。試乗してみい」
と免すと、曹操はハッとばかり鞍へ飛び移り、にわかに一鞭あてるや否や、丞相府の門外へ馳け出して、それなり帰って来なかった。
四
「まだ戻らんか」
董卓は、不審を起こして、
「試し乗りだと言いながら、いったいどこまで馳けて行ったのだ――曹操のやつは」
と、何度も呟いた。
呂布は初めて、口を開いた。
「丞相、彼はおそらく、もうここに帰りますまい」
「どうして?」
「最前、あなたへ名刀を献じた時の挙動からして、どうも腑に落ちない点があります」
「ム。あの時のきゃつの素振りは、わしも少し変だと思ったが」
「御馬を賜わり、これ幸いと、風を

って逃げ去ったのかも知れませんぞ」
「――とすれば、捨て置けん曲者だが。李儒を呼べ。とにかく、李儒を!」
と、急に甲高く言って、巨きな軀を牀から降ろした。
李儒は来て、つぶさに仔細を聞くと、
「それは、しまった事をした。

を
檻から出したも同じです。彼の妻子は都の外にありますから、てッきり相国のお命を
狙っていたに違いありません」
「憎ッくい奴め。李儒、どうしたものだろう」
「一刻も早く、お召しと言って、彼の住居へ人を遣ってごらんなさい。二心なければ参りましょうが、おそらくもうその家にもおりますまい」
念のためと、直ちに、使番の兵六、七騎をやってみたが、果たして李儒の言葉どおりであった。
そしてなお、使番から告げることには――
「つい今しがた、その曹操は、黄毛の駿馬に跨がって、飛ぶがごとく東門を乗打して行ったので、番兵がまた馬でそれを追いかけ、ようやく城外へ出る関門で捉えて詰問したところ、曹操が言うには――我は丞相の急命を帯びてにわかに使に立つなり。汝等、我を阻めて大事の急用を遅滞さすからには、後に董相国よりいかなるお咎めがあらんも知れぬぞ――との事なので、だれも疑う者なく、曹操はそのまま鞭を上げて関門を越え、行方の程も相知れぬ由にござります」
との事であった。
「さてこそ」と、董卓は、怒気の漲った顔に、朱をそそいで言った。
「小才の利く奴と、日ごろ、恩をほどこして、目をかけてやった予の寵愛につけ上がり、予に叛くとは八ツ裂きにしても飽き足らん匹夫だ。李儒っ――」
「はっ」
「彼の人相服装を画かせ、諸国へ写しを配布して、厳重に布令をまわせ」
「承知しました」
「もし、曹操を生擒って来た者あらば、万戸侯に封じ、その首を丞相府に献じ来る者には、千金の賞を与えるであろうと」
「すぐ手配しましょう」
李儒が退りかけると、
「待て。それから」と早口に、董卓はなお、言葉をつけ加えた。
「この細工は、思うに、白面郎の曹操一人だけの仕事ではなかろう。きっとほかにも、同謀の与類があるに相違ない」
「もちろんでしょう」
「なおもって、重大事だ。曹操への手配や追っ手にばかり気を取られずに一方、都下の与類を
虱つぶしに
議して、引っ捕らえたら
拷問にかけろ」
「はっ、その辺も、抜かりなく急速に手を廻しましょう」
李儒は大股に去って、捕囚庁の吏令を呼びあつめ、物々しい活動の指令を発していた。
〔第一巻 終〕
●『三国志』解説/渡部昇一
【第1巻】
私が吉川さんの『三国志』に出会ったのは、中学生の時ですね。当時の吉川さんというのは、圧倒的な売れっ子作家さんでした。戦時中だったので物資が不足しているにも関わらず、講談社には特別に紙が回っていたのではないか、そう思うくらい吉川さんの作品はたくさん刷られて、出廻っていました。そんな大作家である吉川さんですが、彼を語るにはまず、講談社を知らなければ始まりません。講談社がなかったら、吉川英治という人間、ひいてはこの『三国志』という名著は生まれなかったと言っても過言ではないからです。
講談社は、1909年に野間清治氏が創設した会社で、当時は『大日本雄弁会講談社』という社名でした。この時期の日本はたいへんな自由主義で、街頭では盛んに演説が行われていました。しかもその力は絶大で、当時首相で日露戦争を勝利へと導いた桂太郎率いる第三次内閣が、尾崎咢堂などの演説によって総辞職に追い込まれる、ということも起きていたのです。
野間さんもすごい演説好きで、よく聴いていたそうなのですが、これらの演説が世に残らず消えていくのは惜しい、と有名な人の演説を速記で取らせて、活字にすることを思い立ったのです。演説している方も、本来は消えていく話が活字になると喜んだようで、出版するための手続きは簡単だったと思います。
こうして『雄辯(雄弁)』という雑誌を発行すると、これが大ヒット。この結果を見て野間さんは、それならば講談を活字にしてもいけるのでは、と思ったということなんですよ。野間さんというのはもともと、国語漢文の教師をしていました。その時、生徒たちに勉強をさせるため「勉強がしっかりできたら講談を聞かせてやる」という手法を取り、生徒たちをやる気にさせたそうです。彼の講談はとても上手く、評判が立ってついには生徒の父兄までもが聞きにくるほどだったという話もあります。それくらい講談も好きだった野間さんは、すぐさま演説のように講談を速記させて、雑誌『講談倶楽部』を創刊させたのです。すると、こちらも大いに売れ、それでは落語もいいじゃないか、浪花節もいってみよう、と次々に新しい企画を手がけていったのです。
しかし、浪花節を雑誌に入れた時に、講談師の会から反発を受けてしまいました。というのも、講談は江戸時代から高座で話を聞かせるもので浪花節は門付、いわば大道芸だったからです。そんなものと一緒にしてくれるなと、それ以降の雑誌には速記講談の掲載ができなくなってしまったのです。
ですが、そこは野間清治という人の偉いところで、民主主義の時代に差別をするとはけしからん、と速記講談はすぐに諦めまったく違う動きをしたのです。その当時、飯の食えない若い作家というのがたくさんいたので、彼らに講談を種にして小説を書かせました。作家にしてみたら、これまでは書く種がなかったからつまらない私小説なんかを書いていたわけですけど、講談という種があればそこに肉付けをしていくだけで面白くなる。ですからみな、こぞって書いていったのです。これが、日本の『大衆小説』の始まりになります。そして、この時に頼まれた作家のひとりに吉川英治がいたのです。
【第2巻につづく】
偽忠狼心
一
曹操を搦めよ。
布令は、州郡諸地方へ飛んだ。
その迅速を競って。
一方──
洛陽の都をあとに、黄馬に鞭をつづけ、日夜をわかたず、南へ南へと風のごとく逃げて来た曹操は、早くも中牟県(河南省中牟・開封─鄭州の中間)──の附近までかかっていた。
「待てっ」
「馬を降りろ」
関門へかかるや否、彼は関門の守備兵に引きずり降ろされた。
「先に中央から、曹操という者を見かけ次第召し捕れと、指令があった。その方の風采と、容貌とは人相書にはなはだ似ておる」
関の吏事は、そう言って曹操が何と言いのがれようとしても、耳を貸さなかった。
「とにかく、役所へ引ッ立てろ」
兵は鉄桶のごとく、曹操を取り囲んで、吟味所へ拉してしまった。
関門兵の隊長、道尉陳宮は、部下が引っ立てて来る者を見ると、
「あっ、曹操だ!吟味にも及ばん」と、一見して言い断った。
そして部下の兵を犒って彼が言うには、
「自分は先年まで、洛陽に吏事をしておったから、曹操の顔も見覚えている。──幸いにも生擒ったこの者を都へ差し立てれば、自分は万戸侯という大身に出世しよう。お前たちにも恩賞を頒かってくれるぞ。前祝いに、今夜は大いに飲め」
そこで、曹操の身はたちまち、かねて備えてある鉄の檻車に抛りこまれ、明日にも洛陽へ護送して行くばかりとなし、守備の兵や吏事たちは、大いに酒を飲んで祝った。
日暮れになると、酒宴もやみ、吏事も兵も関門を閉じてどこへか散ってしまった。曹操はもはや、観念の眼を閉じているもののように、檻車の中に倚りかかって、真晴な山谷の声や夜空の風を黙然と聴いていた。
すると、夜半に近いころ、
「曹操、曹操」
だれか、檻車に近づいて来て、低声に呼ぶ者があった。
眼をひらいて見ると、昼間、自分を一目で観破った関門兵の隊長なので、曹操は、
「何用か」
嘯くごとく答えると、
「おん身は都に在って、董相国にも愛され、重く用いられていたと聞いていたが、何故に、こんな羽目になったのか」
「くだらぬ事を問うもの哉。燕雀なんぞ鴻鵠の志を知らんやだ。──貴様はもうおれの身を生擒っているんじゃないか。四の五の言わずと都へ護送して、早く恩賞にあずかれ」
「曹操。君は人を観る明がないな。好漢惜しむらく──という所か──」
「なんだと」
「怒り給うな。君がいたずらに人を軽んじるから一言酬いたのだ。かくいう自分とても、冲天の大志を抱いておる者だが、真に、国の憂いを語る同志もないため、空しく光陰の過ぎるのを恨みとしておる。折から、君を見たので、その志を叩きに来たわけだが」
意味ありげな言葉に、曹操も初めの態度を改めて、「しからば言おう」と、檻車の中に坐り直した。
二
曹操は、口を開いた。
「なるほど董卓は、貴公の言われたようにこの曹操を愛していたに違いない。──しかしそれがしは、遠く相国曹参が末孫にて、四百年来、漢室の禄をいただいて来た。なんで成り上がり者の暴賊董卓ごときに、身を屈すべきや」
と語気、熱をおびて来て──
「如かず国のため、賊を刺し殺して、祖先の恩を報ずべしと、董卓の命を狙ったが、天運いまだ我に非ず──こうして捕われの身となってしまった。なんぞ今さら、悔いる事があろうか」
白面細眼、自若としてそう言う容子、さすがに名門の血すじをひいているだけに、争い難い落着きがあった。
「............」
黙然──ややしばらくの間、檻車の外にあってその態を見ていた関門兵の隊長は、
「お待ちなさい」
言うかと思うと、檻車の鉄錠を外して、

を開き、驚く彼を中から引き出して、
「曹操どの。あなたはどこへ行こうとしてこの関門へかかったのですか」
「故郷──」
曹操は、茫とした面持ちで、隊長の行為を怪しみながら答えた。
「故郷の譙郡に帰って、諸国の英雄に呼びかけ、義兵を挙げて再び洛陽へ攻め上り、堂々、天下の賊を討つ考えであったのだ」
「さもこそ」
隊長は、彼の手を曳いて、密かに自分の室へ請じ、酒食を供して、曹操のすがたを再拝した。
「思うに違わず、御辺は私の求めていた忠義の士であった。あなたに会ったことは実に喜ばしい」
「でも御身も董卓に恨みのある者か」
「いや、いや、私怨ではありません。大きな公憤です。義憤です。万民の呪いと共に憂国の怒りをもって、彼を憎み止まぬ一人です」
「それは、意外だ」
「今夜かぎり、てまえも官を棄てて此関から奔ります。共に力を協せて、あなたの赴く所まで落ちのび、天下の義兵を呼び集めましょう」
「えっ、真実ですか」
「なんで噓を。──すでにこう言う前に、あなたの縄目を解いているではありませんか」
「ああ!」
曹操は初めて、回生の大きな歓喜を、その吐息にも、満面にも現わして、
「して、貴公は一体、何とおっしゃる御仁か」と、

ねた。
「申しおくれました。自分は、陳宮字を公台という者です」
「御家族は」
「この近くの東郡に住まっています。すぐそこへ参って、身支度を代え、すぐさま先へ急ぎましょう」
陳宮は、馬を曳き出して、先に立った。
夜もまだ明けないうちに、二人はまた、その東郡をも後にすてて、ひた急ぎに、落ちて行った。
それから三日目──
日夜わかたず駆け通して来た二人は、成皐(河南省・衛輝附近)のあたりを彷捏っていた。
「今日も暮れましたなあ」
「もうこの辺まで来れば大丈夫だ。......だが、今日の夕陽は、いやに黄いろっぽいじゃないか」
「また、蒙古風ですよ」
「あ、胡北の沙風か」
「どこへ宿りましょう」
「部落が見えるが、この辺はなんという所だろう」
「先程の山道に、成皐路という道標が見えましたが」
「あ。それなら今夜は、訪ねて行くよい家があるよ」
と、曹操は明るい眉をして、馬上から行く手の林を指さした。
三
「ほ、こんな辺鄙の地に、どういうお知り合いがいるのですか」
「父の友人だよ。呂伯奢という者で、父とは兄弟のような交わりのあった人だ」
「それは好都合ですな」
「今夜はそこを訪れて一宿を頼もう」
語りながら、曹操と陳宮の二人は、林の中へ駒を乗り入れ、やがてその駒を樹に繫いで、尋ね当てた呂伯奢の門をたたいた。
主の呂伯奢は驚いて、不意の客を迎え入れ、
「だれかと思ったら、曹家の御子息じゃないか」
「曹操です。どうもしばらくでした」
「まあ、お入りなさい。どうしたのですか。一体」
「何がです」
「朝廷から各地へ、あなたの人相書が廻っていますが」
「ああその事ですか。実は、丞相董卓を討ち損じて逃げて来たまでの事です。私を賊と呼んで人相書など廻しているらしいが、きゃつこそ大逆の暴賊です。遅かれ早かれ、天下は大乱となりましょう。曹操も、もうじっとしてはいられません」
「お連れになっている人はどなたですか」
「そうそう、御紹介するのを忘れていた。これは道尉陳宮という者で、中牟県の関門を守備しており、私を曹操と見破って召し捕らえたくらいな英傑ですが、胸中の大志を語り合ってみたところ、時勢に鬱勃たる同憂の士だということがわかったので、陳官は官を捨て、私は檻を破って、共にこれまで携え合って逃げ走って来たというわけです」
「ああそうですか」
呂伯奢は跪いて、改めて曹操のすがたを拝し、
「義人。──どうかこの曹操を扶けて上げてください。もしあなたが見捨てたら曹操の一家一門はことごとく滅んでしまうほかはありません」
と、曹操の父の友人というだけに、先輩らしく慇懃に将来を頼むのであった。
そして呂伯資は、いそいそと、
「まあ、御ゆるりなさい、てまえは隣村まで行って、酒を買って来ますから」
と、驢に乗って出て行った。
曹操と陳宮は、旅装を解いて、一室で休息していたが、主はなかなか帰って来ない。
そのうちに、夜も初更のころ、どこかで異様な物音がする。耳をすましていると、刀でも磨ぐような鈍い響きが、壁を越えて来るのだった。
「はてな?」
曹操は、疑いの目を光らし、

を排して、また耳を
欹てていたが、
「そうだ、......やはり刀を磨ぐ音だ。さては、主の呂伯奢は、隣村へ酒を買いに行くなどと言って出て行ったが、県吏に密訴して、おれ達を縛らせ、朝廷の恩賞にあずかろうという気かも知れん」
呟やいていると、暗い厨の方で四、五名の男女の者が口々に──縛れとか、殺せとか──言い交わしているのが、曹操の耳へ、明らかに聞こえて来た。
「さてこそ、われわれを、一室に閉じこめて、危害を加えんとする計にうたがいなし。──その分なれば、こっちから斬ッてかかれ」
と、陳宮へも、事の急を告げて、にわかにそこを飛び出し、驚く家族や召使い八名までを、またたく間にみな殺しに斬ってしまった。
そして、曹操が先に、
「いざ逃げん」と、促すと、どこかでまだ、異様な呻き声をあげて、ばたばた騒ぐものがある。
厨の外へ出て見ると、生きている猪が、脚を木に吊るされて、啼いているのだった。
「ア、しまった!」
陳宮ははなはだ後悔した。
この家の家族たちは、猪を求めて来て、それを料理しようとしていたのだ──と、わかったからである。
四
曹操は、もう闇へ向かって、急ごうとしていた。
「陳宮。はやく来い」
「はっ」
「何をぐずぐずしているのだ」
「でも......。どうも、気持が悪くてなりません、慚愧にたえません」
「なんで」
「無意味な殺生をしたじゃありませんか。かわいそうに、八人の家族は、われわれの旅情をなぐさめるために、わざわざ猪を求めて来て、もてなそうとしていたんです」
「そんな事を悔いて、家の中へ、掌を合わせていたのか」
「せめて、念仏でも申して、科なき人たちを殺した罪を、詫びて行こうと思いまして」
「はははは。武人に似合わんことだ。してしまったものは是非もない。戦場に立てば何千何万の生霊を、一日で葬ることさえあるじゃないか。また、我が身だって、いつそうされるか知れないのだ」
曹操には、曹操の人世観があり、陳宮にはまた、陳宮の道徳観がある。
それは違うものであった。
けれど今は、一蓮託生の道づれである。議論していられない。
二人は、闇へ馳けた。
そして、林の中に繫いでおいた駒を解き、飛び乗るが早いか、二里あまりも逃げのびて来た。
──と、かなたから、驢に二箇の酒瓶を結びつけて来る者があった。近づき合うにつれて、ぷーんと芳熟した果物の佳い匂いが感じられた。腕には、果物の籠も掛けているのだった。
「おや、お客人ではないか」
それは今、隣村から帰って来た呂伯奢であったのである。
曹操は、まずい所で会ったと思ったが、あわてて、
「やあ、御主人か。実は、きょうの昼間、これへ来る途中で寄った茶店に、大事な品を忘れたので、急に思い出して、これから取りに行くところです」
「それなら、家の召使いをやればよいに」
「いやいや、馬で一鞭当てれば、造作もありませんから」
「では、お早く行っておいでなさい。家の者に、猪を屠って、料理しておくように言っておきましたし、酒もすてきな美酒をさがして、手に入れて来ましたからね」
「は、は、すぐ戻って来ます」
曹操は、返辞もそこそこと、馬に鞭打って呂伯奢と別れた。
そして四、五町ほど来たが、急に馬を止め、
「君!」と、陳宮を呼び止め、
「君はしばらくここで待っていてくれないか」
と言い残し、何思ったか、再び道を引っ返して馳けて行った。
「どこへ行ったのだろう?」と、陳宮は、彼の心を解きかねて、怪しみながら待っていたところ、やがての事曹操はまた戻って来て、いかにも心残りを除いて来たように、
「これでいい! さあ行こう。君、今のも殺って来たよ。一突きに刺し殺して来た」
と、言った。
「えっ。呂伯奢を?」
「うん」
「なんで、無益な殺生をした上にもまた、あんな善人を殺したのです」
「だって、彼が帰って、自分の妻子や雇人、皆ごろしになったのを知れば、いくら善人でも、われわれを恨むだろう」
「それは是非もありますまい」
「県吏へ訴え出られたら、この曹操の一大事だ。背に腹はかえられん」
「でも、罪なき者を殺すのは、人道に反くではありませんか」
「否」
曹操は、詩でも吟じるように、大声で言った。
「我をして、天下の人に反かしむるとも、天下の人をして、我に反かしむるを休めよ──だ。さあ行こう。先へ急ごう!」
五
怖るべき人だ。
曹操の一言を聞いて、陳宮はふかく彼の人となりを考え直した。そして心に懼れた。
この人も、天下の苦しみを救わんとする者ではない。真に世を憂えるのでもない。──天下を奪わんとする野望の士であった。
「......過った」
陳宮も、ここに至って、密かに悔いを嚙まずにいられなかった。
男子の生涯を賭して、道づれとなった事を、早計だったと思い知った。
けれど。
すでにその道は踏み出してしまったのである。官を捨て、妻子を捨てて共に荊棘の道を覚悟の上で来てしまったのだ。
「悔いも及ばず......」と、彼は心を取り直した。
夜が更けると、月が出た。深夜の月明りを頼りに、十里も走った。
そして、どこか知らぬ、古廟の荒れた門前で、駒を降りて一休みした。
「陳宮」
「はい」
「君も一寝入りせんか。夜明けまでには間がある。寝ておかないと、あしたの道にまた、疲労するからな」
「寝みましょう。けれど大事な馬を盗まれるといけませんから、どこか人目につかぬ木蔭に繫いで来ます」
「ムム。そうか。......ああしかし惜しいことをしたなあ」
「何ですか」
「呂伯奢を殺して戻ったくせにしてさ、おれとした事が、彼が携えていた美酒と果実を奪って来るのを、すっかり忘れて居たよ。やはり幾らかあわてていたんだな」
「............」
陳宮には、それに返辞する勇気もなかった。
馬を隠して、しばらくの後、またそこへ戻って来てみると、曹操は、古廟の軒下に、月の光を浴びていかにも快げに熟睡していた。
「......なんという大胆不敵な人だろう」
陳宮は、その寝顔を、つくづくと見入りながら、憎みもしたり、感心もした。
憎む方の心は、
(自分は、この人物を買い被った。この人こそ、真に憂国の大忠臣だと考えたのだ。ところがなんぞ計らん、狼虎にひとしい大野心家に過ぎない)
と、思い、また敬服する方の半面では、
(──しかし、野心家であろうと姦雄であろうと、とにかく大胆さと、情熱と、おれを買い被らせた程の弁舌とは、非凡なものだ。やはり一方の英傑にちがいないなあ......)
と、自り心のうちで思うのであった。
そして、そう二つに観られる自分の心に質して、陳宮は、
「今ならば、睡っている間に、この曹操を刺し殺してしまう事もできるのだ。生かしておいたら、こういう姦雄は、後に必ず天下に禍するだろう。......そうだ、天に代わって、今刺してしまった方がいい」と、考えた。
陳宮は、剣を抜いた。
寝顔をのぞかれているのも知らず、曹操は鼾声をかいていた。その顔は実に端麗であった。陳宮は迷った。
「いや、待てよ」
寝込みを殺すのは、武人の本領でない。不義である。
それに、今のような乱世に、こういう一種の姦雄を地に生まれさせたのも、天に意あっての事かも知れない。この人の天寿を、寝ている間に奪うことは、かえって天の意に反くかも知れない。
「ああ......。なにを今になって迷うか。おれはまた煩悩すぎる。月は煌々と冴えている、そうだ、月でも見ながらおれも寝よう」
思い止まって、剣をそっと鞘にもどし、陳宮もやがて同じ廂の下に、丸くなって寝こんだ。
競う南風
一
さて。──日も経て。
曹操はようやく父のいる郷土まで行き着いた。
そこは河南の陳留(開封の東南)と呼ぶ地方である。沃土は広く豊饒であった。南方の文化は北部の重厚とちがって進取的であり、人は敏活で機智の眼がするどく働いている。
「どうかして下さい」
曹操は、家に帰ると、事の次第をつぶさに告げて、幼児が母に菓子でもねだるような調子で強乞んだ。
「──義兵の旗挙げをする決心です。だれがなんといっても、この決心はうごきません。そこで、父上にも、一肌ぬいでいただきたいんですが」と、言うのである。
父の曹嵩も、
「ウーム......。偉いことを仕出来して来おったな」
と、呆れ顔に、呻いてばかりいたが、元来、幼少から兄弟中でいちばん可愛がっている曹操のことなので、「どうかしてくれって、どうすればよいのじゃ」と、叱言も出なかった。
「軍費が要用なんです」
「軍費と言ったら、わしの家のこればかしな財産では、いくらの兵も養えまいが」
「ですから、父上のお顔で、
富豪を紹介して下さい。曹家は、財産こそないが、遠くは
夏侯氏の流れを

み、漢の
丞相曹参の末流です。この名門の名を利用して、富豪から金を出させて下さい」
「じゃあ、衛弘に話してみるさ」
「衛弘ってだれですか」
「河南でも一二を争う財産家だがね」
「じゃあ、父上が聘んで、一日、酒宴を設けてくれませんか」
「おまえの言うことは、なんでも簡単だな」
「大きな仕事を手軽にやってのけるのが、大事を成す秘訣ですよ」
父子は、日を定めて、衛弘をわが邸に招待した。
衛弘は、曹操をながめて、
「都へ行っていたと聞いていたが、いつのまにか、よい青年になったなあ」
などと言った。
曹操は、彼を待遇するに、あらゆる慇懃を尽くした。
そして、話の弾んで来たころ、胸中の大事を打ち明けて、援助を依頼してみた。
もし

だと言ったら、生かしては帰さないという気を、胸に含んでの真剣な
膝づめ談判であったから、静かに頼むうちにも、曹操の
眸は、
刃のように
研げていたに違いなかった。
ところが、衛弘は聞くとすぐ、
「よろしい。御辺の忠義にめでて、御援助しましょう。近ごろの天下の乱れを、わしも嘆いていたが、わしの器量にはない事だから、時勢の成り行きを眺めていた折です。──いくらでも軍用金は御用立てしよう」と、承知してくれた。
曹操は、欣んだ。
「えっ、ではお引きうけ下さるか。しからば、私は早速、兵を集めにかかるが」
「おやんなさい。けれど、敗れるような戦はすべきではありませんぞ。充分、勝算を握った上で、大挙なさるがよい」
「軍費の方さえ心配なければ、どんな事でもできます。河南をわが義兵をもって埋めてごらんに入れるから見ていて下さい」
父の曹嵩には、幾つになっても、子は子供にしか見えなかった。曹操のあまりな豪語に、衛弘がすこし乗り過ぎているのじゃないかと、かえって側で心配したほどだが、それから後、曹操のやる事を見ていると、いよいよ不敵を極めていた。
まず彼は、近郷の壮丁を狩り集め、白い二旒の旗を作って、一旒には「義」と大書し、一旒には「忠」と大きく書いて、
「われこそ、朝廷から密詔をうけて、この地に降った者である」
と唱え出した。
二
今でこそ、地方の一郷士に落魄れているが、なんといっても、曹家は名門である。嫡子の曹操もまた出色の才人と、遠近に聞こえている。
「密勅をうけて降ったものである──」
という曹操の声に、まず近村の壮丁や不遇な郷士が動かされた。
「陳宮、こんな雑兵じゃ仕方がないが、もっと有力な諸州の刺史、太守などが集まるだろうか」
時々、彼は陳宮へ計った。
陳宮は献策した。
「忠義を旗に書いて待っているだけでは駄目です。もっと憂国の至情を吐露なさい。鉄血、人を動かすものを打っつけなさい」
「どうしたらいいか」
「檄を飛ばすことです」
「おまえ、書いてくれ」
「はい」
陳宮は、檄文を書いた。
彼は、心の底から国を憂えている真の志士である。その文は、読む者をして奮起せしめずに措かないものであった。
「──ああ名文だ。これを読めば、おれでも兵を引っ提げて馳せ参ずるな」
曹操は感心して、すぐ檄を諸州諸郡へ飛ばした。
英雄もただ英雄たるばかりでは何も出来ない。覇業を成す者は、常に三つのものに恵まれているという。
天の時と、
地の利と、
人である。
まさに、曹操の檄は、時を得ていた。
日ならずして、彼の「忠」「義」の旗下には続々と英俊精猛が馳せ参じて来た。
「それがしは、衛国の生まれ、楽進、字は文謙と申す者ですが、願わくば、逆賊董卓を、ともに討たんと存じ、麾下に馳せ参って候」
と、名乗って来る者や、
「──自分等は沛国譙郡の人、夏侯惇、夏侯淵と言う兄弟の者ですが、手兵三千をつれてきました」
と、いう頼もしい者が現われて来たりした。
もっとも、その兄弟は、曹家がまだ譙郡にいたころ、曹家に養われて、養子となっていた者であるから、真っ先に馳せつけて来るのは当然であったが、そのほか毎日、軍簿に到着を誌す者は、枚挙に遑がないくらいであった。
山陽鉅鹿の人で李典、字は曼成という者だの──徐州の刺史陶謙だの──西涼の太守馬騰だの、北平太守の公孫瓚だの──北海の太守孔融なんどという大物が、各々何千、何万騎という軍を引いて、呼応して来た。
彼の帷幕にはまた、曹仁、曹洪のふたりの兄弟も参じた。
一方、それらの兵に対して、曹操は、衛弘から充分の軍費をひき出して、武器糧食の充実にかかっていた。
「あのように、軍資金が豊富なところを見ると、彼の檄は、空文でない。ほんとに朝廷の密詔を賜わっているのかも知れん」
形勢を見ていた者までが、その隆々たる軍備の急速と大規模なのを見て、
「一日遅れては、一日の損がある──」と言わんばかり、争って、東西から来り投じた。
(河南の地を兵で埋めてみせん)
と、いつか衛弘に言った言葉は、今や空なる豪語ではなくなったのである。
したがって、富豪衛弘も、投財を惜しまなかった。いや、彼以外の富豪までが、みな乞わずして、
「どうか、費ってくれ」と、金穀を運んできた。
すでに曹操はもう、多くの将星を左右に侍らせ、三軍の幕中に泰然とかまえていて、そういう富豪の献物が取り次がれて来ても、
「あ、さようか。持って来たものなら取っておいてやれ」
と、言うぐらいのもので、会って遣りもしなかった。
三
さきに都を落ちて、反董卓の態度を明らかにし、中央から惑星視されていた渤海の太守袁紹の手もとへも、曹操の檄がやがて届いて来た。
「曹操が旗をあげた。この檄に対して、なんと答えてやるか」
袁紹は、腹心をあつめて、さっそく評議を開いた。
彼の幕下には、壮気にみちた年ごろの大将や、青年将校が多かった。
田豊。沮授。許収。顔良。
また──
審配。郭図。文醜。
などと言う錚々たる人材もあった。
「だれか、一応、その檄文を読みあげてはどうか」
とのことに、顔良が、
「しからば、てまえが」と、大きく読み出した。
檄
操等、謹ンデ、
大義ヲ以テ天下ニ告グ
董卓、天ヲ欺キ地ヲ晦マシ
君ヲ弑シ、国ヲ亡ボス
宮禁、為ニ壊乱
狠戻不仁、罪悪重積ス
今
天子ノ密詔ヲ捧ゲテ
義兵ヲ大集シ
群凶ヲ剿滅セントス
願ワクバ仁義ノ師ヲ携エ
来ッテ忠烈ノ盟陣ニ会シ
上、王室ヲ扶ケ
下、黎民ヲ救ワレヨ
檄文到ランノ日
ソレ速ヤカニ奉行サルべシ
「これこそ、我々が待っていた天の声である。地上の輿論である。太守、何を迷うことがありましょう。よろしく曹操と力を協すべき秋です」
幕将は、口を揃えて言った。
「──だが」と、袁紹は、なお少し、ためらっている風だった。
「曹操が、密詔をうけるわけはないがなあ? ......」
「よいではありませんか。たとえ密詔をうけていても、居なくても、その為すことさえ、正しければ」
「それもそうだ」
袁紹もついに肚をきめた。
評定の一決を見ると、さすがに名門の出であるし、多年の人望もあるので、兵三万余騎をたちどころに備え、夜を日についで、河南の陳留へ馳せのぼった。
来てみると、その旺なのに袁紹も驚いた。軍簿の到着に筆をとりながら、おもなる味方だけを拾ってみると、その陣容は大したものであった。
まず──
第一鎮として、後将軍南陽の太守袁術、字は公路を筆頭に、
第二鎮
冀州の刺史韓馥
第三鎮
予州の刺史孔伷
第四鎮
袁州の刺史劉岱
第五鎮
河内郡の太守王匡
第六鎮
陳留の太守張邈
第七鎮
東郡の太守喬瑁
そのほか、済北の相、鮑信、字は允誠とか、西涼の馬騰とか、北平の公孫瓚とか、宇内の名将猛士の名は雲のごとくで、袁紹の兵は到着順とあって、第十七鎮に配せられた。
「自分も参加してよかった」
ここへ来て、その実状を見てから、袁紹も心からそう思った。時勢の急なるのに、今さら驚いたのである。
四
第一鎮から第十七鎮までの将軍はみな、一万以上の手兵を率いて各々の本国から参集して来た一方の雄なのである。
その中にはまた、どんな豪強や英俊が潜んでいるかも知れなかった。
わけて、第十六鎮の部隊には、時を待っていた深淵の蛟龍がいた。
北平の太守で奮武将軍の公孫瓚がその十六鎮の軍であったが、檄に応じて、北平から一万五千余騎をひっさげて南下して来る途中、徳州の平原県(山東省・津浦線平原)のあたりまで来かかると、
「しばらくっ、しばらくっ!」
と、大声をあげて、公孫瓚の馬を止めた者がある。
「何者か?」と、旗本たちが振りかえると、傍らの桑畑の中を二、三旒の黄なる旗がざわざわと翻えりつつ、こちらへ近づいて来るのが見える。
「や? いずこの武士どもか」と、疑っている間に、それへ現われた三騎の武人は、家来の雑兵約十名ばかりと共に公孫瓚の馬前にひざまずいて、
「将軍、願わくば、われわれ三名の者も、大義の軍に入れて引き具し給え。不肖ながら犬馬の労を惜しまず、討賊の先陣に立って、尽忠の誠を、戦場の働きに見せ示さんと、これにて御通過を待ちうけていた者でござります」と、言った。
公孫瓚は、初めのうち、さてはこの辺りの郷士かとながめていたが、そう言う三名の中に、一名だけ、どこかで見覚えのある気がしたので、思い寄りのまま試みに、
「もしや貴公は、劉備玄徳どのには非ざるか」
と、

ねてみると、
「そうです。御記憶でしたか、自分は劉玄徳です」
との答え。
「おう、さてはやはり──」と、驚いて、
「黄巾の乱後、洛陽の外門でちょっとお会いしたことがあるが、その後、御辺にはいかなる官職に就かれておらるるか」
「お恥ずかしいことですが、碌々として、何の功も出世もなく、この片田舎の県令をやっていました」
「それはひどい微職だな。貴公のような人物を、こんな片田舎に埋めておくなどとは、もったいないことだ。──してまた、お連れの二人はいかなる人物か」
「これは、自分の義弟たちです」
「は、御令弟か」
「ひとりは関羽、また次にひかえておる者は、張飛と申しまする」
「官職は」
「関羽は馬弓手、張飛は歩弓手。──共にまだ役儀といっては、ほんの卒伍にしか過ぎません」
「いずれも頼もしげなる大丈夫をあたら、田野の卒として、朽ちさせておいた事よな。──よろしい、御辺等も同じ志ならば、わが軍中に従って、ともどもお働きあるがよい」
「では、おゆるし下さるか」
「願うてもないことだ」
「必ず逆臣董卓を殺して、朝廟を清めます」
玄徳も、関羽も、恩を謝して誓った。そして再拝しながら起ちかけると、張飛は、
「だからおれが言わぬ事じゃない」と、ぶつぶつ言った。
「きゃつが黄巾賊の討伐に南下していたころ、潁川の陣営で、おれが董卓を殺そうとしたのに、兄貴たちが止めたものだから、今日こんなことになってしまった。──あの折、おれに董卓を殺させてくれれば、今日の乱は、起こらなかったわけだ」
玄徳は、聞き咎めて、
「張飛。何を無用なたわ言を言っているか。早々、軍の後方に従くがよい」
と、叱った。そして自身もわざと、中軍より後の列に加わり共に曹操の大計画に参加したのであった。
五
かくて──
曹操の計画は、今やまったく確立したといってよい。
布陣、作戦すべて成った。
会合の諸侯十八ヵ国。兵力数十万。第一鎮より第十七鎮まで備えならべた陣地は、二百余里につづくと称せられた。
吉日を卜して、曹操は、壇を築き、牛を斬り馬を屠って祭り、
「われらここに起つ!」
と、旗挙げの式を執り行なった。
その式場で、諸将から、
「今、義兵を興し、逆賊を討たんとする。よろしく三軍の盟主を立て、総軍の首将といただいて、われら命をうくべし」と、いう発議が出た。
「しかるべし」
「そうあるべしだ」と異口同音の希望に、
「では、たれをか、首将とするべきか」
となると、人々みな譲り合って、さすがに、われこそと厚顔しく自己推薦をする者もない。
で結局、曹操が、
「袁紹はどうであろう」
と、指名した。
「袁紹は元来、漢の名将の後胤であるのみでなく、父祖四代にわたって、三公の重職に昇り、門下にはまた、四方に良い吏人が多い。その名望地位から見ても、袁紹こそ盟主として恥ずかしくない人物ではあるまいか」
彼のことばに、
「いや、自分は到底、その器ではない」
と袁紹は謙遜して、再三辞退したが、それは他の諸将に対する一片の儀礼である。ついに推されて、
「では」
と、型のごとく承諾した。
次の日。
式場に三重の壇を築き、五万に旗を立てて、白旄、黄鉞、兵符、印綬などを捧持する諸将の整列する中を、袁紹は衣冠をととのえ、剣を佩いて壇にのぼり、
「赤誠の大盟ここになる。誓って、漢室の不幸を回し、天下億民の塗炭を救わん。──不肖袁紹、衆望に推されて、指揮の大任を享く。皇天后土、祖宗の明霊よ、仰ぎ希わくば、是を鑒せよ」
香を焚いて、祭壇に、拝天の礼を行なうと、諸将大兵みな涙をながし、
「時は来た」
「天下の黎明は来た」
「日ならずして、洛陽の逆軍を、必ず地上から一掃せん」
と、歯をくいしばり、腕を撫し、また、慷慨の気を新たにして、式終わるや、万歳の声しばし止まず、ために、天雲も闢けるばかりであった。
袁紹はまた、諸将の礼をうけてから、
「われ今、菲才をもって、首将の座に推さる。かかる上は、功ある者は賞し、罪ある者は必ず罰せん。諸公、また部下に示すに、厳をもって臨まれよ。つつしんで怠り給うなかれ」
と、命令の第一言を発した。
「万歳っ。万歳っ」と、雷のような声をもって、三軍はそれに応えた。
袁紹は、第二の命として、
「わが弟の袁術は、いささか経理の才がある。袁術をもって、今日より兵糧の奉行とし、諸将の陣に、兵站の輸送と潤沢を計らしめる」
それにも、人々は、支持の声を送った。
「──次いで、直ちに我が軍は、北上の途にのぼるであろう。だれか先陣を承って、汜水関の関門を攻めやぶる者はないか」
すると、声に応じて、
「われ赴かん」
と、旗指物を上げて名乗った者がある。長沙の太守孫堅であった。
江東の虎
一
この暁。
洛陽の丞相府は、なんとなく、色めき立っていた。
次々と着いて来る早馬は、武衛門の楊柳に、何頭となく繫がれて、心ありげに、嘶きぬいていた。
「丞相、お目をさまして下さい」
李儒は、顔色をかえて、董卓の寝殿の境をたたいていた。
宿直の番士が、
「お目ざめになりました。いざ」と、帳を開いて、彼の入室をゆるした。
艶かしい美姫と愛くるしい女童が、董卓に侍いて、玉盤に洗顔の温水をたたえて捧げていたが、秘書の李儒がはいって来たのを見ると、目礼して、遠い化粧部屋へ退って行った。
「なんだな、早朝から」
董卓は、脂防ぶとりの肥大な体を、相かわらず重そうに揺るがして、榻へ倚った。
「大事が勃発しました」
「また、宮中にか?」
「いや、こんどは遠国ですが」
「草賊の乱か」
「ちがいます──かつてなかった叛軍の大がかりな旗挙げが起こりました」
「どこに」
「陳留を中心として」
「では、主謀者は曹操か袁紹のやつだろう」
「さようです。たちまちのうちに、十八ヵ国の諸国をたぶらかし、われ密詔を受けたりと偽称して、幕営二百余里にわたる大軍を編制しました」
「そいつは捨ておけん」
「もとよりのことです」
「で──まだ詳報は来ないか」
「昨夜、夜半から今暁にかけて、頻々たるその早馬です。──すでに、敵は袁紹を総大将と仰ぎ、曹操を参謀とし、その第一手の先鋒を呉の孫堅がひきうけて、汜水関(河北省・汜水)近くまで攻め上って来た由にございます」
「孫堅。──ああ、長沙の太守だな。あれは戦は上手かな?」
「上手なはずです。なにしろ、兵法で有名な孫子の末孫ですから」
「孫子の末裔だと」
「はい、呉郡富春(江蘇省・上海附近)の産で、孫名は堅、字は文台と申し、南方ではなかなか名の売れている男です」
と、李儒は、かねて聞き及んでいる彼の人がらに就いて、こんな話をした。
それは、孫堅が十七歳のころのことである。
孫堅は父にいわれて、銭塘地方へ旅行した事がある。当時、銭塘地方の港場は、海賊の横行がはなはだしくて、その害をこうむる旅船や旅客は数知れないくらいだった。
ある夕べ、孫堅が父と共に、港を歩いていると、海岸で何十人という海賊どもが、海から荷揚げした財貨を山分けするので騒いでいた。
孫堅は、それを見かけると、わずか十七歳の少年のくせに、いきなり剣を抜いて、海賊の群れへ躍り入り、賊の頭目を真二つに斬って、
(我は、沿海の守護なり)
と叫んで、阿修羅のごとく、暴れまわった。
賊は驚いて、あらかた逃げてしまった。ために、山と積まれてあった盗難品の財宝は、後に、それぞれ被害者の手に回った。その中には、銭塘の富豪が家宝とした宝石の匣などもあった。けれど孫堅は、一物も礼など受けなかった。
以来、彼の名は、弱冠から南方にひびいて、その人望は、抜くべからざるものになってきた──という話なのである。
「ふーム。そいつは相当な男だとみえる。しからばこちらからも、由々しい大物を大将として、討伐に向かわせねばならんが......」
董卓もさすがに、慎重になって、
「はて、だれがよいか」と、思案していた。
すると、帳の蔭にあって、
「丞相丞相、それがしの在るを、なにとて忘れ給うか」と、不平そうに言う者があった。
二
「だれだ。帳の蔭で言う者は」
董卓が咎めると、
「呂布です」と、姿をあらわした。
呂布は、一礼して、
「何をお迷いなされますか。たかの知れた曹操や袁紹輩の企てなど片づけるに何の造作がありましょうや。こんな時、それがしをお用い下さらずして、何のために、赤兎馬を賜わったのですか」
と、むしろ責めるような語気で、なお言った。
「この呂布を、お差し向けねがいます。芥のごとき大軍を搔き分けて、孫堅とやらを始め、曹操、袁紹など逆徒に加担の諸侯の首を一々大地に梟けならべて御覧に入れん」
「いや頼もしい」と、董卓も大いに欣んで、
「そちが居ればこそ儂も枕を高くして、安臥しておられるのだ。決して、寝所の帳か番犬のように、忘れ果てていたわけじゃない」と、慰めた。
時すでに、丞相室の帳外には、変を聞いて馳けつけて来た諸将がつめあっていたが、
「呂布どの、待たれよ。鶏を裂くに、なんぞ牛刀を用うべき。敵の先鋒には、それがしまず味方の先鋒となって、一当たり当て申さん」と、言いながら、這入って来た一将軍があった。
諸人、
眸をあつめて、だれかと見るに、
虎体狼腰、
頭猿臂、
真に
稀代な
骨がらを備えた勇将とは見えた。
すなわち、関西の人、華雄将軍であった。
「おお、華雄か。いみじくも申したり。まず汝、汜水関へ下って、よく嶮を守り、わが洛陽を安んぜよ」
と、董卓は大いに欣んで、ただちに、印綬を彼にゆるし、与うるに五万の兵をもってした。
華雄は再拝して退き、李粛、胡軫、趙岑の三名を副将として選抜し、威風堂々と、その日に、汜水関へと進発して行った。
北軍到る!
北軍南下す!
飛報は早くも袁紹、曹操たちの革新軍へも聞こえ渡った。
先手を承った孫堅の陣はもちろん、
「来れや、敵」と、覚悟のまえの緊張を呈していた。
その後陣に、済北の鮑信が備えていたが、北軍南下の報せを聞くと、弟の鮑忠をそっと呼んで、
「どうだ弟。おまえがひとつ、小勢をつれて間道を迂回し、汜水関の敵へ奇襲をやってみんか」
「やりましょう」
「実は、長沙の孫堅が、いちはやく先手を承ってしまったので、このままにいれば、われわれは彼の名誉の後塵を拝するばかりだ。残念ではないか」
「私もそう思っていたところです」
「では、すぐ行け。首尾よく関内に突撃したら、火をつけろ。煙を合図に外からおれが大挙して攻めかけるから」
「心得ました」
鮑忠は、兄の鮑信としめし合わせ、夜のうちに五百騎ばかり引いて道なき山を越えて行った。
しかし、それはすぐ、敵の華雄の知るところとなってしまった。物見の小勢につり込まれて、深入りした鮑忠は、難なく取りかこまれて五百の兵と共に敵地で全滅の憂き目に会ってしまった。
その際。
華雄は、自身馬をすすめて、鮑忠を一刀の下に斬り落とし、
「幸先よし」
と、首を取って、その首を早馬で洛陽へ送った。
董卓からは、感状と剣一振とが直ちに届けられて来た。
三
味方の鮑忠が、抜け馳けして、早くも敵に首級を捧げ、敵をよろこばせていたとは知らず、先手の将、孫堅は、
「いで、一押しに」
と、戦術の正法を行なって、充分な備えをしてから、汜水関の正面へ攻めかけ、
「逆臣を扶くる匹夫。なんぞ早く降伏を乞わざるか。われは、革新の先鋒たり。時勢はすでに刻々と革まるを、汝ら、頑愚の眼にはまだ見えぬか」と、関城の下でどなった。
華雄はこれを聞いて、
「笑うべきたわ言を吐ざくやつだ」
と、自分の周囲を見まわして、
「だれか、孫堅が首を取って、この関城に、第一の功を誇ろうとする者はないか」と、言った。
副将の胡軫、声に応じて、
「それがしに命じ給え」と、名乗り出た。
「胡軫か、よかろう」
すなわち、華雄から五千の兵を分かち与えられて、胡軫は直ちに、関を下った。
だが、華雄はなお不安と見たか、さらにまた、自身一万の兵をひいて、関の側面から出て行った。
関下の激戦は、もう始まっていた。
孫堅は、槍を押っとり、
「出で来りし者は、胡軫と見えたり。いでや来れ」
寄せ合うと、胡軫も、
「なんの猪口才な」
と、矛を舞わし、悍馬の腹を上げて、躍りかかってきた。
すると、孫堅の旗本、程普は、
「この狼め。御主君の手を煩わすまでもない。くたばれッ」
と、横あいから槍を投げた。
風を切って飛んだ投げ槍は、ぐざと、胡軫の喉を突きとおし、しかも胡軫のからだを馬の上から攫って、串刺しにしたまま大地へ突き立ってしまった。
北軍の華雄は、
「死なしたり」
と、地だんだ踏んだが、すでに胡軫の五千は崩れ立った後なので、収拾もつかない。
「退けや、退けや」
と、汜水関へひとまず兵を収めて、関の諸門を閉め、勢いに乗じて、間近に寄せてきた敵へ、石、大木、鉄弓、火矢など、雨のように浴びせかけた。
せっかく、敵の副将は討ち取ったが、そのため、孫堅は部下に多数の犠牲を出してしまった。
「かくては、益もなし」と、疾く機を察して、孫堅もまた、さっと見事な退陣ぶりを見せて梁東と言う部落の辺りまで、兵を引いてしまった。
そして、袁紹の本陣へ、その日の獲物たる胡軫の首を送り届けて、同時に、
「兵糧を送られたい」と、言ってやった。
ところが、本陣のうちに、孫堅へ恨みをふくむ者がいた。軍の総帥たる袁紹へささやいて、
「それは考えものですぞ」と讒言した。
「彼──孫堅という人間は、江東の虎です。彼を手先として、もし洛陽を陥入れ、董卓を殺し得たとしても、それは狼をのぞいて、虎を迎えてしまうようなものです。あの功に焦心っている容子を見れば、およそ邪心が察せられます。──兵糧が乏しくなって来たのはよい折、この折を幸いに、兵糧を送らずにおいて、彼自身の兵が意気沮喪して、乱れ散るのを待つのがいいです。それが賢明と言うものです」
袁紹は、そう聞くと、
「実にも道理」
と、その説を容れ、とうとう兵糧を送らなかった。諸州十八ヵ国から集まって来た将軍同志の胸には味方とはいえ、各々虎視眈々たるものや、異心があったのは、是非もないことである。
関羽一杯の酒
一
汜水関の方からは、たえず隠密を放って、寄手の動静をさぐらせていたが、その細作の一名が、副将の李粛へ、ある時こういう報告をして来た。
「どうもこのごろ、孫堅の陣には、元気が見えません。おかしいのは
兵站部から炊煙がのぼらないことです。まさか、

わずに戦っているわけでもないでしょうが」
李粛は、それを聞き置いて、次の日、べつな方面から、また二名の細作を呼び寄せて質した。
「近ごろ、寄手の後方に変わりはないか」
「敵の糧道はどうだ」
「ここ一ヵ月半ばかり、糧車は通ったことはありません」
李粛はうなずいて、もう一名の細作へ向かい、
「敵の馬は、よく肥えているか」
「このごろ妙に瘦せて来たように見られます」
「敵の兵隊は、どんな歌を謡うか」
「慕郷の歌をよく謡っています」
「よろしい」
細作たちを退けると、李粛はすぐに、大将華雄に会って、一策を献じた。
「寄手の孫堅を生擒ってしまう時が来ました。こよい手前は、一軍をひいて間道から敵の後ろへまわり、不意に夜討ちをかけますから、将軍は火光を合図に関門をひらき、正面から一挙に押し出してください」
「成功の見込みがあるかね」
「ありますとも。てまえが探り得たところでは、孫堅はなにか疑われて、後方の味方から兵糧の輸送を絶たれているようです。そのため兵気はみだれ、戦意は昂らず、ここ内紛を醸しておるようです。──今こそ、孫堅の首は、手に唾して奪るべしです」
「そうか。──今夜は月明だな」
「絶好な機ではありませんか」
「よし、やろう」
秘策は、夕方までに一決した。
その夜、李粛は、一軍の奇兵をひいて、月明りをたよりに、間道をすすみ、梁東の部落を本拠に布陣している寄手の背後へまわって、突如、喊の声をあげた。
「わあッ──、わあッ」
闇にまぎれて、孫堅の幕中へ突き入り、諸所へ火を放ち、弓の弦を切って迫った。
梁東の空に、赤い火光を見ると、かねての
手筈である。華雄は、汜水関の
大
を、八文字にひらかせて、
「それっ、孫堅を生擒りにしてこの門へ迎え捕れ」
と、ばかり万軍の中に馬を駆って、あたかも峡谷を湧き出る山雲のように、関下へ向かって殺到した。
なんでたまろう。梁東の寄手は、たちまち駆けみだされた。
「退くな」
「あわてるな」
と、孫堅の旗本は、善戦して部下を励ましたが、その兵は、はなはだしく弱かった。
一ヵ月も前から、何故か、味方の後方から兵糧の輸送が絶えていたため、彼等は不平に燃え、軍紀は行なわれず、兵も瘦せ、馬も瘦せていたからである。
「無念」
と、思ったが孫堅も、施すに術がなかった。
旗本の程普とか黄蓋などとも駈け隔てられてしまい、祖茂という家来一人をつれたのみで、ついにみじめな敗戦の陣地から、馬に鞭打って逃げ走った。
それと見るや、敵将の華雄は、飛ぶがごとく馬を打って、
「孫堅、卑怯なり、返せっ」
と呼ばわった。
「何を」
孫堅は、振り向いて馬上から、弓をもってそれに酬いた。二すじまで射たが、矢はみな反れた。焦心りながら、第三矢をつがえたが、あまり強く引いたので、弓は二つに折れてしまった。
二
「しまったッ──」
折れた弓を投げ捨てて、孫堅また駒を回らし、林の中へと逃げ入った。
「御主君、御主君」
祖茂は、馳けつづいて来ながら、孫堅に言った。
「──盔をお脱りなさい。あなたの朱金の盔は、燦として、あまりに赤いから眼につきます。敵の目印になります」
「や、そうか」
道理で、ひどく追い矢が集まると思い当たったので、孫堅は頭にかぶっていた「幘」という朱金襴の盔を手ばやく脱いで、焼け残りの民家の軒柱へそれを懸け、あわてて附近の密林へかくれこんでいた。
見ていると、──案のじょう、その盔へ雨霰のように、敵の矢が飛んできた。
だが、いくら射ても、射ても盔は燦爛として、位置も変わらないので、討っ手の兵は怪しみ出し、やがて近づいてきて、
「や、孫堅はいない」
「盔ばかりだ」と、立ち騒いでいた。
林の上に、月は煌として冴えていた。白影黒影、さながら魚群の泳ぐように、孫堅の行方をさがし求めている。
その中に、華雄の姿もあった。
孫堅の臣、祖茂は、木かげに潜っていたが、それを見るとむらむらとして、
「うぬっ、董賊の股肱めッ」と、槍をしごいて、突かんとした。
眼ばやく、ちらと、こちらへ眸をうごかした華雄は、
「敗残の匹夫、そこにいたかッ」
と、雷喝した声は、まるで大樹も裂くばかりで、刃鳴一閃の下に祖茂の首は飛んでしまった。
青い血けむりを後に、
「だれか、今の首を拾って来い」
と、兵に言い捨てて華雄は悠々と他へ駒を向けて立ち去った。
「......ああ、危なかった」
後に。──孫堅はほっと辺りを見まわしていた。首のない祖茂の胴体が抛り出されてあるすぐ近くの灌木の茂みの中に、孫堅も息をこらして潜んでいたのである。
「......祖茂よ、ああ惨だ」
孫堅は落涙した。祖茂が日ごろの忠勤を思い出して、胸が痛んだ。
さはいえ、敵の重囲のなかだ。孫堅は気を取り直して、血路を思案した。矢傷の苦痛もわすれて二里ばかり歩いた。
やがて、逃げのびて来た味方を集めたが、それは全軍の十分の一にも足らない数だった。ほとんど、全滅的な敗北を遂げたのである。
悲痛なる夜は明けた。
敗れた者の傷魂のように、その暁、残月のみが白かった。
「先鋒の味方は全滅したぞ」
「敵の大軍は、勝に乗って刻々迫って来つつある──」
後方の本陣は大動揺を起こした。
総帥の袁紹、帷幕の曹操、みな色を変えた。
さきには。
鮑将軍の弟の鮑忠が、抜けがけをして、かなりの味方を損じたという不利な報告があったし、今また、先鋒の孫堅が、木ッ端微塵な大敗を蒙ったと言う知らせに、幕営の諸将も、全軍の兵気も、
「いかがすべき?」と、言わんばかり、すっかり意気沮喪の態であった。
それか、あらぬか。
袁紹、曹操を始めとして、十七鎮の諸侯は、その日、本営の一堂に会して、頽勢挽回の大作戦会議をこらしていた。けれど、敵軍の旺なことや、敵将華雄の万夫不当な勇名に圧しられてか、なんとなく会も萎縮していた。
総帥の袁紹も、はなはだ冴えない顔をしていたが、ふと座中の公孫瓚のうしろに立って、ニヤニヤ笑みをふくんでいる者が眼についたので、
「公孫瓚、貴公のうしろに侍立している人間はだれだ。いったい何者だ」
と、質した。──不愉快な! と言わんばかりな語気をもってである。
三
袁紹に

ねられて、
公孫瓚は自分のうしろをちょっと振り向いて、
「あ、この者ですか」と、それを機に一堂の諸将軍へも、改めて紹介した。
「これは涿県楼桑村の生まれで、それがしとは幼少からの朋友です。劉備字は玄徳といって、つい先ごろまでは、平原県の令を勤めていた者です。──どうかよろしく」
曹操は、眼をみはって、
「オオ、ではかつて、黄巾の乱の折、広宗の野や潁川地方にあって、武名を鳴らした無名の義軍を率いていた人か」
「そうです」
「道理で──どこかで見たことがあるような気がしていたが。......そうそう潁川の合戦で、賊を曠野につつんで焼き打ちした時、陣頭でちょっと会釈を交わしたことがある。だいぶ前になるので、とんと見忘れていた」
袁紹も、初めて疑いを解いて、ぶしつけな質問をした不礼を詫び、
「楼桑村に名族の子孫ありとはかねがね耳にしていた。その玄徳どのとあれば、漢室の宗親である。だれか、席を与え給え」と、言った。
一将軍が、座を譲って、
「おかけなさい」と、すすめると、玄徳は初めて口をひらいて、
「いやいや、私は、将軍方とは比較にならない小県の令です。身分がちがいます。どうして諸公と並んで席に着けましょう。これで結構です」
と、固く辞退し、そのまま公孫瓚のうしろに侍立していた。
袁紹はかぶりを振って、
「御遠慮には及ぶまい。なにも御辺の公職に席を上げようと言ったのではなく、御辺の祖先は前漢の帝系であり、国のため功績もあったことだから、それに対して敬意を払ったわけだ。遠慮なく席に着かれるがよい」
公孫瓚も、共に言った。
「折角の御好意だから、頂戴したがよかろう」
諸将軍も、またすすめるので、
「──では」
と玄徳は、堂上の一同へ、拝謝をした上、初めて一つの席を貰った。
で、関羽と張飛のふたりは、歩を移して、改めて玄徳の背後に屹と侍立していた。
──時しも。
暁天に始まって、すでに半日の余にわたる大戦は、いよいよたけなわであった。
先ごろからの勝に誇って、
「十八ヵ国十七鎮の大兵と誇称するも、反逆軍は烏合の勢とみえたり。何ほどの事もないぞ」
と、甘く見た華雄軍は、その擁する洛陽の精兵を挙げて、孫堅の一陣を踏みちらし、勢いに乗って汜水関の守りを出たものであった。そしてすでに数十里を風が木の葉を捲くごとく殺到し、鼓は雲にひびき、鬨の声は、山川を揺るがし、早くも、ここ革新軍の首脳部たる本陣の間近まで迫って来たらしくある。
「味方の二陣は、ついに、突破されました」
「三陣も!」
「残念。中軍も搔き乱され、危うく見えます」
刻々の敗報である。
そして、敵の華雄軍は、長い竿の先に孫堅の朱い盔をさしあげ、罵詈悪口をついて、大河のごとくこれへ襲せてくる──という伝令のことばだった。
四
ひきもきらぬ伝令が、みな味方の危機を告げるばかりなので総大将袁紹をはじめ、満堂の諸将軍もさすがに色を失って、
「いかがせん!」と、浮き腰になった。
曹操は、さすがに、
「狼狽してもしかたがない。こんな時は、よけい胆気をすえるに限る」
と、侍立の部下を顧みて、
「酒を持って来い」と、命じた。
「はっ」
酒杯は、各将軍の卓にも、一ツずつ置かれた。曹操は、杯をもつと、ぐびぐび飲んでいた。
わあっッ......
うわあっ
百雷の鳴るような鬨の声だ。大地が、ぐおうぐおうと地鳴りしている。
また、血まみれの斥候が一名、堂の階下へ来て、
「だっ、だめですっ」
絶叫してことぎれてしまった。
すぐまた、次の二、三騎が、
「味方の中軍は、敵の鉄兵に蹂躙され、ために、四散して、もはやここの備えも、手薄となりました」
「本陣を、至急、他へ移さぬと危ないと思われます。包囲されます」
「あれあれ、あの辺りに、もはや敵の先駆が──」
告げ来り、告げ去り、もはやここの本陣も、さながら暴風の中心に立つ一木のごとく、枝々みな震い樹葉みな顫えた。
「注げ」
曹操は、部下に酒を注がせ、なお腰をすえていたが、酔うほどに蒼白となった。
「包囲されては」と、早くも、本陣の退却を、ひそひそ議する者さえある。
酒どころか、諸将軍の顔の半分以上は、土気色だった。
万丈の黄塵は天をおおい、山川草木みな血に嘯く。
──時に、突如、席を立って、
「言いがいなき味方かな。このうえは、それがしが参って、敵勢をけちらし、味方の頽勢を一気にもり返してお目にかけん」と、咆ゆるがごとく言って、はや剣を鳴らした者がある。
袁紹将軍の寵将で、武勇の誉れ高い兪渉という大将であった。
「行け」
袁紹は、壮なりとして、彼に杯を与えた。
兪渉は、一息に飲んで、
「いでや」とばかり、兵を引いて、敵軍のまっただ中へ駆け入ったが、瞬く間に、彼の手兵は敗走して来て、
「兪渉将軍は、乱軍の中に、敵将華雄と出会って、戦うこと、六、七合、たちまち彼の刀下に斬って落とされた」
との事に、満堂の諸侯は、驚いていよいよ肌に栗を覚えた。
すると、太守韓馥が、
「躁ぎ給うな。われに一人の勇将あり。まだかつて、百戦に負れを取ったことを知らない潘鳳という者である。彼なれば、たやすく華雄を打ち取ってくるにちがいありません」
袁紹は、よろこんで、
「どこにおるか、その者は」
「多分、後陣の右翼におりましょう」
「すぐこれへ呼べ」
「はっ」
潘鳳は、召に応じて手に大きな火焰斧をひっ提げ、黒馬を躍らして、本陣の階下へ馳けて来た。
「いかさま、頼もしげなる豪傑だ。すぐ馳け入って、敵の華雄を打ち取って来い」
袁紹の命に潘鳳はかしこまって、直ちに乱軍の中へはいって行ったが、間もなく潘鳳もまた、華雄のために討ち取られ、その首は、敵の凱歌の中に、手玉に抛られて、敵を歓ばしめているという報せに、満堂ふたたび興をさまし、戦意も失ってしまったかに見えた。
五
袁紹は、股を打って嘆声を発した。
「ああ、惜しいかな。こんな事になるならば、わが臣下の、顔良と文醜の二大将をつれて来るのだったのに」
座を立って、地だんだを踏んだり、また席に返って、嗟嘆をつづけた。
「その顔良、文醜の両名は、後詰の人勢を催すために、わざと、国許へのこして来てしまったが、もしそのうちの一人でもここにいたら敵の華雄を打つことは、手のうちにあったものを! ......」
と、一座は黙然。
袁紹の叱咤ばかり高かった。
「ここには、国々の諸侯もかくおりながら、その臣下に、華雄を討つほどの大将一人持っていないとあっては、天下のあざけりではあるまいか。後代までの恥辱ではあるまいか」
とはいえ、総帥の彼自身が、すでに及ばぬ悔いばかり呶鳴って、焦躁に駆られているので、満座の諸侯とて言葉もなく、皆さし俯向いているばかりだった。
すると、その沈痛を破って、
「ここに人なしとはたれか言う。それがし願わくば、命ぜられん。またたく間に、華雄が首を獲って、諸侯の台下に献じ奉らん」と、叫んだ者があった。
諸人、驚いて、
「だれか」
と、階下を見ると、その人、身の丈は長幹の松のごとく、髯の長さ剣把に到り、臥蚕の眉、丹鳳の眼、さながら天来の戦鬼が、忽として地に降りたかと疑われた。
「彼は、何者か。いったいだれの手に属している大将か」
袁紹が

ねると、
公孫瓚、それに答えて、
「されば、ここにおる玄徳の弟で、関羽という者です」
「ほ。玄徳の弟か。して、いかなる官職にあった者か」
「玄徳の部下として、馬弓手をやっていたそうです」
聞くなり袁紹は非常に怒って関羽を見下し、
「ひかえろ、汝、足軽の分際でありながら、諸侯の前も憚らず、人もなげなる広言。この忙しない軍中にいけ邪魔な狂人めが、やおれ部下どもこの見ぐるしい曲者を、眼のまえから追い除けろっ」
と大喝して叱った。
すると、曹操が諫めて、
「待ち給え。味方同士、怒り合っている場合でない。この人物も、かく諸侯列座のまえで、大言をはくからには、よもいたずらのたわ言とは思えん。試みに、駆け向かわせてみたらいかがでしょう。もし敗れて逃げ帰ったら、その上で罰を正し給え」
「いや、曹操の仰せも、一理あるがごとしとはいえ、足軽者の馬弓手などを出して駆け向かわせたら、敵の華雄に笑われて、よい土産ばなしと、洛陽までも言い伝えられようが」
「笑わば笑え。曹操が見るところでは、この男、一馬弓手とはいえ、世の常ならぬ面だましいを備えおる。──はや敵も間近、時遅れては、この本陣も蹂躙されん。是非の軍法は後にして執り行なえばよし。──関羽。関羽。この酒を一息のんで、すぐ駆け向かえ。はや戦え」
曹操が、酒を注いで与えると、関羽は、杯を眺めただけで、再拝しながら、
「ありがたい御意ですが、そこにお預かり置き下さい。ひと走り行って、華雄の首を引ッ提げ帰り、お後で頂戴いたしますから」
と、八十二斤と称する大青龍刀を横ざまに擁し、そこにあった一頭の馬をひきよせ、ぱっと腰を鞍上へ移すや否、その漆黒の髯は面から二つに分かれて風を起こし、たちまち戦塵のなかへ姿を没してしまった。
六
関羽の揮う青龍刀の向かうところ、万丈の血けむりと、碧血の虹が走った。
はるかに、味方の陣を捨て、むらがる敵軍の中へ馳け入るなり、
「華雄やある。敵将華雄はいずれにあるぞ。わが雄姿に恐れをなして潜んだるか。出合えっ」
と、呼ばわった。猛虎が羊の群れを追うように、数万の敵は浪打って散った。
喊の声は、天地をつつみ、鼓声はみだれ、山川もうごくかと思われた。
こなた──敗色に漲っていた味方の本陣では、彼の働きに、一縷ののぞみをかけて、
「戦況いかに?」
と、袁紹、曹操をはじめ、国々の諸侯みな総立ちとなって、帷幕のうちから、戦いの空を見まもっていた。
すると、やがて。
敵も味方も、鳴りを忘れて、ひそとなった一瞬──まるで血の池を渡って来たような黒馬に跨がって、関羽は静々と、数万の敵兵をしり目に、袁紹、曹操たちの眼のまえに帰って来た。
ひらと、駒を降りるや、
「いざ、諸侯の御実見に」
と、階を上って、中央の卓の上に、まだ生々しい一個の首級を置いた。
それは、敵の大将、華雄の首であったから、満堂の諸侯も、階下の兵も、われをわすれて、
「おお、華雄だ」
「華雄の首を打った」
と、期せずして、万歳をさけぶと、その動揺めきに和して、味方の全軍も、いちどに勝鬨をあげた。
関羽は、数歩すすんで、曹操の前に立ち、血まみれな手のまま、先に預けておいた酒杯を取りあげて、
「──では、この御酒を、頂戴いたします」
と、胸を張って、一息に飲みほした。
酒は、まだあたたかだった。
曹操は、彼の労を多として、
「見事だ。もう一献、注いでやろう」
と、手ずから瓶を持つと、
「いや、ひとりそれがしの誉れとしては済みません。どうか、その一献は、全軍のために挙げて下さい」
「そうか。いかにも。──では万歳を三唱しよう」
酒杯を持って、曹操が起立すると、ふたたび破れんばかりな勝鬨の嵐が起こった。
すると、玄徳のうしろから、
「あいや、勝利に酔うのはまだ早い。義兄関羽が、華雄を斬ち取ったからには、この方とても、一手柄してみせる。この機を外さず、全軍をすすめ給え。この方、先鋒に立ってまたたくまに洛陽へ攻め入り、董相国を生擒って、諸侯の階下にひきすえてお見せ申さん」とだれか叫んだ。
人々が、振り向いてみると、それは一丈八尺の蛇矛を突っ立てて玄徳のそばに付いていた張飛であった。
袁紹の弟、袁術は、苦々しげに見やって、
「いらざる雑言を申すな。諸侯高官、国々の名将も、各々、謙譲の口をとじて、さし控えておるに、汝、一県令の部下として、身のほどを弁えんか。僭上なやつだ。だまれっ」
と、叱った。
曹操が、宥めると、袁術はなおつむじを曲げて、
「かような軽輩を用いて、吾々と同視するなら、自分は自分の兵をまとめて、本国へ帰る」
と、憤然として言った。
むずかしくなりそうなので、曹操は、公孫瓚に告げて、玄徳、関羽、張飛の三人を、席から退かした。
そして、夜になってから玄徳の所へ、ひそかに酒肴を贈って、悪く思わないようにと、三名の心事を慰めた。
虎牢関
一
──華雄討たれたり
──華雄軍崩れたり
敗報の早馬は、洛陽をおどろかせた。李粛は、仰天して、董相国に急を告げた。董卓も、色を失っていた。
「味方は、どう崩れたのだ」
「汜水関に逃げ帰っています」
「関を出るなと命じろ」
「とりあえず、援軍の行くまで、そうしておれと命令しておきました」
「どうして、あの華雄ほどな勇将が、むざむざ討たれたのだろう」
「なんといっても、袁紹には、地方的な勢力も徳望もありますから」
「袁紹の叔父、袁隗は、まだ洛陽の府内にいたな」
「太傳の官にあります」
「物騒千万だ。この上、もし内応でもされたら、洛陽はたちまち壊乱する」
「てまえも案じていますが」
「由々しいものを見のがしておった。すぐ除いてしまえ」
太傳袁隗のやしきへ、すぐ丞相府の兵千余騎が向けられた。
表裏から火を放って、逃げ出してくる男女の召使いも武士も、みな殺しにしてしまった。もちろん、袁隗も逃がさなかった。
即日、二十万の大兵は、洛陽を発した。
その一手は、李傕、郭汜の二大将に引率され五万余騎、汜水関の救護に向かった。
また、別の一手は。
これは十五万と算えられ、董卓自身が率いて、虎牢関の固めに赴いたのである。
董卓を守る旗本の諸将には、李儒、呂布をはじめとして、張済、樊稠などという錚々たる人々がいた。虎牢関の関は、洛陽を距たること南へ五十余里、ここの天嶮に、十万の兵を鎮すれば、天下の諸侯は通路を失うといわれる要害だった。
董卓は、そこに本陣を定めると、股肱の呂布をよんで、
「そちは関外に陣取れ」
と、三万の精兵を授けた。
この要害に、董卓自ら守りに当たって、十二万の兵を鎮し、さらに三万の精兵を前衛に立てて、万夫不当といわれる呂布をその先手に置いたのであるから、まさに金城鉄壁の文字どおりな偉観であった。
かく、十州の通路を断たれて、諸侯が各々その本国との連絡を脅かされて来たので、寄手の陣には、動揺の兆しがあらわれた。
「由々しいこととなった。今のうちに、謀を議して、方針を示しておこう」
袁紹は、曹操へ耳打ちした。
曹操も、同感であるとて、さっそく評議をひらき、軍の方針も明らかにした。
敵が、二手となって、南下して来たので、当然、こちらの兵力も二手とした。
で、一部を汜水関に残し、あとの軍勢は挙げて、虎牢関に向かうこととなった。総兵力は八ヵ国といわれ、その八諸侯は、王匡、鮑信、喬瑁、袁遺、孔融、張楊、陶謙、公孫瓚などであった。
曹操は、遊軍として臨んだ。味方の崩れや弱みを見たら、随意に、そこへ加勢すべく、遊兵の一陣を擁して、控えていた。
「......来たな」と、北軍の呂布は、例の名馬赤兎に跨がり、虎牢関の前衛軍のうちから、悠々、寄手の備えをながめていた。
呂布、その日のいでたちは。
朱地錦の百花戦袍を着たうえに、連環の鎧を着かさね、髪は三叉に束ね、紫金冠をいただき、獅子皮の革に弓箭をかけ、手に大きな方天戟をひっさげて、赤兎馬も小さく見えるばかり踏み跨がった容子は──寄手の大軍を圧して、
「あれこそ、呂布か」と眼をみはらせるばかりだった。
二
そのうちに寄手の陣頭から、河内の太守王匡、その部下の猛将方悦と共に、
「呂布を討って取れ」
と、呼ばわりながら、河内の強兵をすぐって、呂布の軍へ迫った。
敵が打ち鳴らす鼓の轟きを耳にしながら、
「動くな。近づけろ」
呂布は、味方を制しながら、落ち着き払っていたが、やがて敵味方、百歩の間に近づいたと見るや、
「それっ、みな殺しにしてしまえ」
と号令一下、呂布自身も、跨がれる赤兎馬に鉄鞭一打ちくれて、むらがる河内兵の中へ突入して行った。
「わッしょっ」
呂布の懸け声だ。
画桿の方天戟を、馬上から右に左に。
「えおオっ! ......」
と振るたびに、敵兵の首、手足、胴など血けむりと一緒に、吹き飛んでゆくかと見えた。
「やあ、口ほどもないぞ、寄手の奴輩、呂布これにあり。呂布に当たらんとする者はないのか」
傲語を放ちながら、縦横無尽な疾駆ぶりであった。
無人の境を行くがごとしとは、まさに、彼の姿だった。何百という雑兵が波を打ってその前を遮っても、鎧袖一触にも値しないのである。
馬は無双の名馬赤兎。その迅さ、強靭さ、逞しさ。赤兎の蹄に踏みつぶされる兵だけでも、何十か何百か知れなかった。
洛陽童子でも、それは唄にまで謡っている──
牧場に駒は多けれど
馬中の一は
赤兎馬よ
洛陽人は多けれど
勇士の一は
呂布奉先
したがって、かねて聞く五原郡の呂布を討ち取った者こそ、こんどの大戦第一の勲功となろうとは──寄手もひとしく思い目がけているところだった。
河内の猛将方悦は、
「われこそ」
と、呂布へ槍を突っかけたが、二、三合とも戦わぬまに、呂布の方天戟の下に、馬もろとも、斬り下げられた。
太守王匡は、またなき愛臣を討たれて、
「おのれ、匹夫」
と、自ら半月槍を揮って、呂布へ駒を寄せ合わせたが、「太守危うし」と、加勢にむらがる味方がばたばたと左右に噴血を撒いて討ち死にするのを見て、色を失い、あわてて駒を引き返した。
「王匡、恥を忘れたな」
呂布がうしろから笑った。しかし、王匡の耳には入らなかった。
もっともその時。味方の危機と見て、喬瑁軍と袁遺軍の二手の勢が、呂布の兵を両翼から押し狭めて、
わあッっ......
うわあ......っッ
と、鼓を鳴らし、矢を射、砂煙をあげて、牽制して来たのだった。
赤兎馬は、怯まない。たちまち、その一方に没したかと見ると、そこを蹂躙し尽くして、またたちまち、一方の敵を蹴ちらすという奮戦ぶりだった。
上党の太守張楊の旗下に、穆順という聞こえた名槍家があった。その穆順の槍も呂布と戦っては、苦もなく真二つにされてしまった。
北海の太守孔融の身内で、武安国という大力者があったが、それも、呂布の前に立つと、嬰児のように扱われ、重さ五十斤という鉄の槌も、いたずらに空を打つのみで、片腕を斬り落とされ、ほうほうの態で味方のうちへ逃げこんでしまった。
三
呂布にはもう敵がなかった。
無敵な彼のすがたは、ちょうど万朶の雲を蹴ちらす日輪のようだった。
彼の行くところ八州の勇猛も顔色なく、彼が馳駆するところ八鎮の太守も駒をめぐらして逃げまどった。
袁紹も、策を失って、「どうしたものか」と、曹操へ計った。
曹操も腕拱いて、
「呂布のごとき武勇は、何百年にひとり出るか出ないかと言ってもよい人中の鬼神だ。おそらく尋常に戦っては、天下に当たる者はあるまい。──この上は、十八ヵ国の諸侯を一手として、遠巻きに攻め縮め、彼の疲れを待って、いっせいに打ちかかり、生擒りにでもするしか策はありますまい」
「自分もそう思う」
と、袁紹はすぐ軍令を認めて、汜水関の方面に抑えとしてある十ヵ国の諸侯へ向け、にわかに、伝令の騎士を矢つぎ早に発した。
すると。
その伝令が十騎と出ない間に、
「呂布だっ」
「呂布来る」
と、耳を突き抜くような声がしはじめた。
さながら怒濤に押されて来る芥のように、味方の軍勢が、どっと、味方の本陣へ逃げくずれて来た。
「素破」
とばかり、袁紹のまわりには、旗本の面々が、鉄桶のごとく集まって、是を固めるやら、
「退くなッ」と、督戦するやら、
「かかれ、かかれっ」
「呂布、何者」
「総がかりにして討ち取れ」
などと、口々には励ましたが、たれあって、生命を捨てに出る者はない。ただ陣中は混乱を極め、阿鼻叫喚、奔馬狼兵、ただ濛々の悽気が渦まくばかりであった。
その間に、
「呂布なり、呂布なり。──曹操に会おう。敵将袁紹に見参せん。──曹操はいずこにありや」
と、明らかに、呂布の声が聞こえたが、袁紹はいち早く雑兵の群れへ紛れこんでいたので、ついに彼の眼に止まらず、呂布の赤兎馬は、暴風のごとく、陣の一角を突破して、さらに、次の敵陣を蹴ちらしにかかった。
それこそは、劉備玄徳等の従軍していた公孫瓚の陣地だったのである。
呂布は、直ちに、林立する幡旗を目がけて、
「公孫瓚。出合えっ」
と、猪突して行った。
数十旒の営旗は、風に伏す草のごとく、たちまち、赤兎馬に蹴ちらされて、戟は飛び、槍は折れ、鉄弓も鉄鎚も、まるで用をなさなかった。
「おのれ、よくも」
公孫瓚は、歯がみをして、秘蔵の戟を舞わし、近づいて戦わんとしたが、
「居たかっ」
と、赤兎馬を向けて、驀進して来る呂布の眼光を見ると、胆を冷やして、一支えもなし得ず、逃げ走ってしまった。
「口ほどにもない奴、その首を置いてゆけ」
千里を走るという駒の蹄から破塵をあげて追いかけにかかると、その時、横合から突として、
「待てっ、呂布。燕人張飛ここにあり。その首から先に貰った」
と、一丈余りの蛇矛を舞わして、りゅうりゅうと打ってかかった男があった。
四
「何ッ」
呂布は赤兎馬を止めて、きっと振り返った。
見れば、威風すさまじき一個の丈夫だ。虎髯を逆立て、牡丹のごとき口を開け、丈八の大矛を真横に抱えて、近づきざま打ってかかろうとして来る容子。──いかにも凛々たるものであったが、その鉄甲や馬装を見れば、はなはだ貧弱で、敵の一馬弓手にすぎないと思われたから、
「下郎っ。退れッ」
と、呂布はただ大喝一つ与えたのみで、相手に取るに足らん──とばかりそのまままた進みかけた。
張飛は、その前へ迫って、駒を躍らせ、
「呂布。走るを止めよ。──劉備玄徳の下に、かくいう張飛のあることを知らないか」
早くも、彼の大矛は、横薙ぎに赤兎馬のたてがみをさっと掠めた。
呂布は、眦をあげて、
「この足軽め」
方天戟をふりかぶって、真二つと迫ったが、張飛はすばやく、鞍横へ馳け迫って、
「おうっッ」
吠え合わせながら、矛に風を巻いて、りゅうりゅう斬ってかかる。
意外に手強い。
「こいつ莫迦にできぬぞ」
呂布は、真剣になった。もとより張飛も必死である。
貧しい郷軍を興して、無位無官を蔑まれながら、流戦幾年、そのあげくはまた僻地に埋もれて、髀肉を嘆じていたこと実に久しかった彼である。
今、天下の諸侯と大兵が、挙って集まっているこの晴れの戦場で、天下の雄と鳴り響いた呂布を相手にまわしたことは、張飛として蓋し千載の一遇といおうか、優曇華の花といおうか、なにしろ志を立てて以来初めて巡り会った機会といわねばなるまい。
とは言え、呂布は名だたる豪雄である。易々と討てるわけはない。
両雄は実に火華をちらして戦った。丈八の蛇矛と、画桿の方天戟は、一上一下、人交ぜもせず、秘術の限りを尽しく合っている。
さしもの張飛も、
「こんな豪傑がいるものか」
と、心中に舌を巻き、呂布も心のうちで、
「どうしてこんなすばらしい漢が馬弓手などになっているのだろう」
と、愕いた。
幾度か、張飛の蛇矛は、呂布の紫金冠や連環の鎧をかすめ、呂布の方天戟は、しばしば、張飛の眉前や籠手をかすって、今にもいずれかが危うく見えながら、しかも両雄は互いにいつまでも喚き合い叫び合い、かえってその乗馬の方が、汗もしとどとなって轡を嚙み、馬は疲れるとも、馬上の戦いは疲れて止むことを知らなかった。
あまりの目ざましさに、両軍の将兵は、
「あれよ、張飛が」
「あれよ、呂布が──」
と、しばし陣をひらいて見恍れていたが、呂布の勢いは、戦えば戦うほど、精悍の気を加えた。それに反して、張飛の蛇矛は、やや乱れ気味と見えたので、遙かに眺めていた曹操、袁紹をはじめ十八ヵ国の諸侯も、今は、内心あやぶむかのような顔色を呈していたが、折しも、突風のようにそこへ馳けつけて行った二騎の味方がある。
一方は、関羽だった。
「義弟、怯むな」
と、加勢にかかれば、また一方の側から、
「われは劉備玄徳なり。呂布とやらいう敵の勇士よ、そこ動くな」
と、名乗りかけ、乗り寄せて、玄徳は左右の手に大小の二剣を閃かし、関羽は八十二斤の青龍刀に気をこめて、義兄弟三人三方から、呂布をつつんで必殺の風を巻いた。
五
いくら呂布でも、今はのがれる術はあるまい。たちまち、斬って落とされるだろう。
そう見えたが、
「なにをっ」
と、猛風一吼して、
「束になって来い」
と呂布はまだ嘲笑う余裕さえあった。関羽、張飛、玄徳の三名を物ともせず、右に当たり左に薙ぎ、閃々の光、鏘々の響き、十州の戦野の耳目は、今やここに集められたの観があった。
両軍の陣々にあった国々の諸侯も、みな酒に酔ったように、遙かにこれを眺めていた。そのうちに呂布の一撃が、あわや玄徳の面を突こうとした刹那、
「えおうッ」
「うわうッ」
双龍の水を蹴って、一つの珠を争うごとく、張飛、関羽のふたりが、呂布の駒を挾んだ。
呂布の鞍と、関羽の鞍とが、打つかり合ったほどだった。
ダダダダ──と赤兎馬は、蹄を後へ退いた。とたんに、
「こは敵わじ」
と思ったか、呂布は、
「後日再戦」
と三名の敵へ言いすて、一散に馬首を回して、わが陣地のほうへ引き返した。
──ここで彼を逸しては。
とばかり玄徳、関羽、張飛の三騎も駒をそろえて追いかけた。
「あす知れぬ士同士だぞ。戦場の出合に後日はない、返せっ呂布ッ」
と玄徳がさけぶと、
──ぴゅッん!
と呂布から一矢飛んで来た。
呂布は、駒を走らせ走らせ、振り返って、獅子皮の帯の弓箭を引き抜き、
「悪しければ、おれの陣まで送って来い」
とまた、一矢放った。
三本まで射た。
そして、またたく間に、虎牢関の内へ逃げこんでしまった。
「残念っ」
張飛も関羽も、歯がみをしたがどうしようもない。
それもそのはず、一日千里を走る赤兎馬である。張飛、関羽等の乗っている凡馬とは、ほんとに走るだんになると較べものにはならなかった。
しかし。
呂布が逃げたので、一時は散々な態だった味方は、果然、意気を改めた。国々の諸侯は総がかりを号令し、喊の声は大いに震った。
敵軍は、呂布につづいて、虎牢関へ引き退いたが、その大半は、関門へ逃げ入れないうちに討たれてしまった。
潮のごとく、
寄手は
関へ迫った。関門の
鉄
はかたく閉ざされて敗北のうめきを内にひそめていた。
関羽、張飛は関門のすぐ真下まで来て、踏み破らんと焦ったが、天下の嶮といわれる鉄壁。いかんとも手がつけられない。
──時に、ふと。
関上遙けき一天を望むと、錦繡の大旆やら無数の旗幟が、颯々と翻っている所に、青羅の傘蓋が揺々と風に従って雲か虹かのように見えた。
張飛は、くゎっと口をあいて、思わず大声をあげ、
「おうっ、おうっ。──あれに見える者こそ正しく敵の総帥董卓だ。きゃつの姿を目前に見て、空しく居られようか。続けや者ども」
と、真先に、城壁へすがりついて、攀じ登ろうとしたが、たちまち櫓の上から巨木岩石が雨のごとく落ちて来たので、関羽は、地だんだ踏んで口惜しがる張飛を諫めて、ようやく、そこの下から百歩ほど退かせた。
この日の激戦は、かくて引き別れとなった。世に伝えて、これを虎牢関の三戦という。
洛陽落日賦
一
味方の大捷に、袁紹、曹操を始め、十八ヵ国の諸侯は本陣に雲集して、よろこびを動揺めかせていた。
そのうちに、討ち取った敵の首級何万を検し大坑へ葬った。
「この何万の首のうちに、一つの呂布の首がないのだけは、遺憾だな」
曹操が言うと、
「いや、張飛や関羽などという雑兵に負けて逃げるようでは、呂布の首の値打ちも、もう以前のようにはない」と、袁紹は大きく笑った。
勝てば皆、軍は自分ひとりでしたように思い、負ければ、皆負けた原因を、他人に向けて考える。
凱歌と共に、杯を挙げて、一同はひとまず各々の陣地へもどった。すると、だれか、
「待ち給え袁術」と、一人の将軍を呼び止めた者がある。
袁術は、袁紹の弟で、兵糧方を一手に指揮している者だ。だれかと思ってふり顧ると、それは、前に汜水関の第一戦で惨敗を喫してから後、常に、陣中でもうけが悪いので肩身せまそうにしていた長沙の太守孫堅だった。
「やあ。孫堅か。足下も陣地へ引き揚げるところか」
「いや、貴公の陣地へ、わざわざ貴公を訪ねて来たのだ」
「──とはまた、どんな御用で」
「ほかでもないが、さきごろ、それがしが先鋒を承って、汜水関の攻撃に向かっていた際は、何故、貴公は故意に兵糧の輸送を止めたか。返答あらば承ろう」
剣の柄に手をかけて詰問した。
袁術は、蒼くなって、
「いや、あのことか、あのことに就いてならば、一度足下に親しく事情を語ろうと思っていたが、陣中、つい遑もなかったので」
「そんなことを糺すのではない。なぜ兵糧を送らなかったか、それだけを聞けばこちらにも覚悟があるのだ。そもそも、この孫堅は、董卓とはもともと何の怨みがあるわけでもない。ただ、こんどの檄に応じて戦に加わったのは、上は国家のため、下は百姓の苦しみを救わんがためだ。しかるに雑人ばらの讒言を信じて、故意に、この孫堅に敗軍の憂き目を見せたことは、味方同士とはいえ、ゆるして措き難い。返答によっては、今日ここにおいて、おん身の首を申しうける覚悟で来た。......さっ、申し開きがあるなら言ってみろ」
孫堅の人物は疾く知っている。気の短いそして猛々しい南方の生まれだ。青白い面色して、眦をつりあげながら迫るのだった。袁術は、脚のくる節から顫えが這いのぼって来るのを覚えた。
「ま、ま。そう怒らないで。──まったく、後では自分も申し訳なく思っていた。それにつけても憎ッくい奴は、足下の讒訴を言いふらした男じゃ。その者の首を刎ねて、陣中に高札し、足下の寃を雪ぐから、胸をなでてくれ給え」
平謝りに謝って、袁術は自分の命惜しさに、前に自分へ向かって、兵糧止めを進言した隊中の部将を呼びつけ、理由も告げず縛らせて、
「この男です。この男が足下のことをあまり讒言するので、つい口に乗ったわけで──。どうかこれをもって、鬱憤をなぐさめてくれ給え」
左右の家臣に命じて、即座に部将の首を刎ねてしまった。
こういう小人をあいてに取って怒ってみても始まらないと考えたのか──孫堅は苦笑いして、わが陣地へ帰ってしまった。そして久しぶりに、帳を垂れて長々と眠りかけると、夜営の哨兵が、なにか呶鳴る声がした。
「......何か?」と、身を起こしていると、常に彼の傍らに警固している程普、黄蓋の二大将が、
「太守。起きておいでですか」と帳の間から小声で言った。
二
「なんだ、夜中」
孫堅は、寝所の帳を払って、腹心の程普にたずねた。
程普は、彼の耳へ、顔を寄せんばかり近寄って、
「この深夜に、陣門を叩く者がありました。何者かと思えば、敵方の密使二騎で、ひそかに太守にお目にかかりたいと申しますが」
「何。董卓から?」
孫堅は、意外に思って、
「ともかく会ってみよう」と、使者を室へ入れて見た。
生命がけで来た敵は、孫堅のすがたに接すると、懸命な弁をふるって言った。
「それがしは、董相国の幕下の一人、李傕という者ですが、丞相は常々からふかく将軍を慕っておられるので、特に、それがしに使を命ぜられ、長くあなたと好誼を結んでゆきたいとの仰せであります。──それも言辞の上や形式だけの好誼でなく、幸い、董相国には妙齢な御息女がありますから、将軍の御子息のお一方を、婿として迎えられ、一門子弟、ことごとく郡守刺史に封ぜんとのお旨であります。こんな良縁と、御栄達の機会は、またとあるまいかと存じられますが......」
皆まで聞かぬうちに、
「だまれッ」
孫堅は、一喝を加えて、
「順逆の道さえ知らず、君を弑し民を苦しめ、ただ、我慾あるのみな鬼畜に、なんでわが子を婿などにくれられようか。──わが願望は逆賊董卓を打ち、併せてその九族を首斬って、洛陽の門に梟けならべて見せんという事しかない。──その望みを達しない時は、死すとも、眼を塞がじと誓っておるのだ。足元の明るいうちに立ち帰って、よく董卓に伝えるがいい」
と、痛烈に突っ刎ねた。
鉄面皮な使者は、少しも怯まず、
「そこです。将軍......」
となお、諄く言いかけるのを、孫堅は耳にもかけず、押しかぶせて呶鳴った。
「汝等の首も斬り捨てるところだが、しばらくのあいだ預けておく。早々立ち帰って董卓にこの由を申せ」
使者の李傕ともう一名の者は、ほうほうの態で、洛陽へ逃げ帰った。
そして、ことの仔細を、有りのままに丞相へ報告に及んだ。
董卓は、虎牢関の大敗以来、このところ意気銷沈していた。
「李儒、どうしたものか」と、例によって、丞相のふところ刀と言われる彼に計った。
李儒は曰う。
「遺憾ながら、ここは将来の大策に立って、味方の大転機を計らねばなりますまい」
「大転機とは」
「ひと思いに、洛陽の地を捨てて長安へ都をお遷しになることです」
「遷都か」
「さればです。──前に虎牢関の戦いで、呂布すら敗れてから、味方の戦意は、さっぱり振るいません。如かず、一度兵を収めて、天子を長安にうつし奉り、時を待って、戦うがよいと思います。──それに近ごろ、洛内の児童が謡っているのを聞けば、
西頭一箇ノ漢
東頭一箇ノ漢
鹿ハ走ッテ長安ニ入ル
方ニ斯難無カルべシ
と有ります。歌の詞を按ずるに、西頭一箇の漢とは高祖をさし、長安十二代の泰平を言って、同時に、長安の富饒においでになった事のある丞相の吉方を暗示しているものと考えられます。東頭一箇の漢とは、光武洛陽に都してより今にいたるまで十二代。それを言ったものでしょう。天の運数かくのごとしです。──もし長安へおうつりあれば、丞相の御運勢は、いよいよ展けゆくにちがいありません」
李儒の説を聞くと、董卓は、にわかに前途が展けた気がした。その天文説は、たちまち、政策の大方針となって、朝議にかけられた。──いや独裁的に、百官へ言い渡されたのであった。
三
廟議とはいえ、彼が口を開けば、それは絶対なものだった。
けれどこの時は、さすがに、百官の顔色も動揺めいた。
第一、帝もびっくりされた。
「......遷都?」
事の重大に、にわかに、賛同の声も湧かなかった。代わりにまた、反対する者もなかった。
寂たる一瞬がつづいた。
すると、司徒の楊彪が、初めて口を切った。
「丞相。今はその時ではありますまい。関中の人民は、新帝定まり給うてから、まだ幾日も、安き心もなかった所です。そこへまた、歴史ある洛陽を捨てて、長安へ御遷都などと発布されたら、それこそ、百姓たちは、鼎のごとく沸いて、天下の乱を助長するばかりでしょう」
大尉黄琬も、彼についで、発言した。
「そうです。今、楊彪の申されたとおり、遷都の儀は、然るべからずと存じます。その理由は、明白です。──ここにある百官の諸卿も、胸にその不可は知っても、ただ丞相の意に逆らうことを恐れて、黙しておるのみでしょう」
続いて、荀爽も、反対した。
「もし今、挙げて、王府をこの地から掃えば、商賈は売るに道を失い、工匠は職より捨てられ、百姓は流離して、天を怨みましょう。──丞相どうか草民をあわれんで下さい」
つづけさまに異論が沸きそうに見えたので、董卓は、形相を作して呶鳴った。
「わずかな百姓が何だっ。天下の計をなすのに、いちいち百姓の事など按じていられるか」
荀爽は、また言った。
「百姓は邦の本ですぞ。百姓なくして、国家がありましょうか」
「おのれ、まだ言うかっ。きゃつらの官職を剝ぎ、位階を奪り上げろ」
董卓は、言い捨てて、廟を下り、即座に、車馬千駄の用意を命じて、自分はひとまず宮門から自邸へと輦を急がせた。
すると、その途上を、街路樹の木蔭で待ちうけていたらしい若い武士が二人、
「丞相、しばらくっ」
「しばらくお待ち下さい」
と追いかけて来て、輦の前へひざまずいた。見れば、城門の校尉伍瓊と、尚書の周毖であった。
「なんだ、汝等、わが途上をさえぎって」
「無礼のお咎めは、覚悟のまえで申し上げに来ました」
「覚悟のまえだと。なにをわれに告げようというのか」
「今日、宮中において、遷都の御内定があったかに承りますが」
「内定ではない。決議だ」
「洩れ伺って、われわれ末輩まで、驚倒いたしました。伝統ある都府は、一朝一夕にはできません。いわんや漢室十二代の光輝あるこの土を捨てて」
「蠅めら、何をいう。書生の分際で、朝議の決議に、異議を申したてるなど、もってのほかな奴だ。しかも路傍で──」
「いかほどお怒りをうけましょうとも、天下のため、坐視はできません」
「坐視できぬ。さては敵の廻し者か。生かしておいては、後日の害だ。こやつ等の首を刎ねろっ」
言い放って、輦を進めると、二人はなお、忠諫を叫びながら、輦の輪に取りすがった。
そこを、董卓の家臣たちが、背から突き、頭から斬り下げたので、車蓋まで鮮血は飛び、車の歯にも肉漿がかかって、赤い線が絡まってぐゎらぐゎら旋って行くように見えた。
それを見た洛陽の市民はみな泣いた。また、遷都のうわさは半日の間にひろまって、聞く者みな茫然としてしまった。
夜に入ると、心なしか、地は常よりも暗く、天は常よりも怪しげな妖星の光が跳ね躍っていた。
四
「遷都だ。遷都のお触れが出たぞ」
「ここを捨てて長安へ」
「後はどうなるのだろう」
洛陽の市民は、寝耳に水の驚きに打たれて、為すことも知らなかった。
それにきのうの白昼、董相国の輦に向かって直諫した二忠臣が、相国の怒りにふれて、
──斬れっ。
というただ一喝の下に、武士たちの刀槍の下に寸断された非業な死にざまをも、市民は、まざまざと目撃しているので、
「ものを言うな」
「何もいうな」
「殺されるぞ」
と、ひたすら懼れて、不平の叫びすら揚げえないのであった。
危うい哉、董卓は、天をも惧れない、また、地に満つる民心の怨みも意としない。彼は、一夜を熟睡して、醒めるとすぐ、
「李儒、李儒」
「はっ、これにいます」
「遷都の発令はすんだか」
「万端終わりました」
「朝廷においても、公卿百官もみな心得ているだろうな」
「引き移る準備に狂奔しております。それから都門へ高札を立て、なおそれぞれ役人から触れさせましたから、洛内の人民どもも、おそらく車駕について大部分は長安へ流れて来ましょう」
「いや、それは貧乏人だけだ。富貴な金持は、たちまち家財を隠匿して、閑地へ散ってしまう。丞相府にも朝廷にも、金銀はすでに乏しかろう」
「さればです。遷都令と同時に軍費徴発令をお発しありたいと存じます」
「いいようにやれ、いちいち法文を発するには及ばん」
「では、御一任ください」
李儒は五千人を選んで、市中に放ち、遷都と軍事の御用金を命ずると称して、洛中の目ぼしい富豪を片っぱしから襲わせた。そして金銀財宝を山のごとく蒐め、それを駄馬や車輛に績んでは、そばからそばから長安へ向けて輸送した。
洛陽は、無政府状態となった。
官紀も、警察制度もすべての秩序も一日のまに喪失して、市街は混乱におちいった。
富家の財宝を没収するやり方も実に酷かった。
狂風に躍る暴兵は、ここぞと思う富豪の邸へ目をつけると、四方を取り囲んでおいて、突然、邸内へ乱入し、家財金銀を担ぎ出して手抗う者はたちどころに斬り殺した。年若い女子の悲鳴が、その間に、陰々と、人目のない所から聞こえて来たり、また公然と、攫われて行ったり、眼もあてられない有り様だった。
また、発令の翌日。
御林軍の将校たちは、流民が他国へ移るを防ぐため、強制的に兵力でこれを一カ所にまとめ、百姓の家族たちを五千、七千と一団にして、長安の方へ送った。
乳のみ児を抱えた女房や、老人、病人を負った者や、無けなしの襤褸だの貧しい家財を担って子の手を曳いてゆく者だの──明日知れぬ運命へ駆り立てられながら、山羊の群れのごとく真っ黒に追われて歩く流民の姿は、実に憐れなものだった。
鬼畜のごとき暴兵は、手に刀を、絶えず鞭のごとく振って、
「歩け、歩け、歩かぬやつは斬るぞ」
「病人など捨てて歩け」と、脅しつけたり、白昼人妻に戯れたり、その良人を刺し殺したり、ほしいままな暴虐を加えて行った。
ために、流民の号泣する声が、野山に谺して、天も曇るかと思われた。
五
同じ日──
董卓もその私邸官邸を引き払い、私蔵する財物は、八十輛の馬車に積んで連ね、
「さらば立とうか」と、彼も輦にかくれた。
彼にはこの都に、なんの惜し気もなかった。もともと一年か半年の間に横奪した都府であるから。
けれども、公卿百官のうちには、長い歴史と、祖先の地に、恋々と涙して、
「ああ、ついに去るのか」
「長生きはしたくない」
と、慟哭している老官もあった。
そのため、遷都の発足は、いたずらに長引きそうなので、董卓は、李粛を督して、強権を布令させた。
今朝寅の刻を限って、宮門、離宮、城楼、城門、諸官衙、全市街の一切にわたって火を放ち、全洛陽を火葬に附すであろう。
という命である。
ひとつは、やがて必ず殺到するであろう袁紹や曹操等の北上軍に対する焦土戦術の意味もある。
なににしても、急であった。
その混乱は、名状しようもない。そのうちに、寅の刻となった。
まず、宮門から火が揚がった。
紫金殿の勾欄、瑠璃楼の瓦、八十八門の金碧、鴛鴦池の珠の橋、そのほか後宮の院舎、親王寮、議政廟の宏大な建築物など、あらゆる伝統の形見は、炎々たる熱風のうちに見捨てられた。
「幾日燃えているだろうな」
董卓は、そんなことを思いながら、この大炎上を後に出発した。
彼の一族につづいて、炎の中から、帝王、皇妃、皇族たちの車駕が、哭くがごとく、列を乱して遁れて来た。
また、先を争って、公卿百官の車馬や、後宮の女子たちの輿や、内官どもの馬や財産を積んだ車や、あらゆる人々が──その一人も後に停まる事なく──雪崩れあって、奔々と洛陽の外へ吐き出されて行った。
また、呂布は。
かねて、董卓から密々の命をうけていて、これはまったく、別の方面へ出て働いていた。一万余人の百姓や人夫を動員し、数千の兵を督して、前日から、帝室の宗廟の丘に向かい、代々の帝王の墳墓から、后妃や諸大臣の塚までを、一つ残さず掘り曝いたのだ。
帝王の墳墓には、その時代時代の珍宝や珠玉が、どれほど同葬してあるかしれない。皇妃皇族から諸大臣の墓まで数えればたいへんな物である。中には得難い宝剣や名鏡から、大量な朱泥金銀などもある。もとより埴輪や土器などには目もくれない。
これは車輛に積むと数千輛になった。値にすれば何百億か知れない土中の重宝だった。
「夜を日に次いで長安へこれを運べ」
呂布は、兵をつけて、続々とこれを長安へ送り立てると同時に、一方、今なお虎牢関の守りに残っている味方の殿軍に対して、
「関門を抛棄せよ」と、使をやり、
「疾風のごとく、長安まで退け」と、命令した。
殿軍の大将趙岑は、
「長安までとは、どういう理だろう」
と、怪しんだがともかく関をすてて全軍、逃げ来って見ると、すでに洛陽は炎々たる火と煙のみで、人影もなかった。
先に、知らせると、守備の兵が動揺して、遷都の終わらぬまに、敵軍が堤を切って奔入してくる惧れがあるのでわざと間際まで知らせなかったのであるが、しかし、それほど遷都は早く行なわれたのであった。
もちろん。
呂布もいち早く、掘りあばいた帝王陵の坑を無数に残して、蜂のごとく、長安へ飛び去っていた。
六
当時、寄手の北上軍の方でも、ここ二三日、何となく敵方の動静に、不審を抱いていた。
折から、諜報が入ったので、
「素破や」と色めき、
「一挙に占れ」とばかり、国々の諸侯は、われがちに軍をうごかし、汜水関へは、孫堅軍が先の雪辱を遂げて一番に馳け入り、虎牢関の方面では、公孫瓚の軍勢に打ち交じって、玄徳、関羽、張飛の義兄弟が第一番に踏みのぼり、関頭に立って名乗りをあげた。
「おお、焼けている!」
「洛陽は火の海だ」
そこに立てば、すでに関中は指呼することができる。
渺茫三百余里が間、地を蔽うものはただ黒煙だった。天を焦がすものは炎の柱だった。
──これがこの世の天地か。
一瞬、その悽愴に打たれたが、いずれも入城の先頭をいそいで、十八ヵ国の兵は急潮のごとく馳け、前後して洛中へ溢れ入った。
孫堅は、馬をとばして、まず先に市中の巡回を開始し、惨たる灰燼に、そぞろ涙を催したが、熱風の裡から声を励まして、
「火を消せ。消火に努めろ、財物を私するな、逃げおくれた老幼は保護してやれ、宮門の焼址へは歩哨を配置せい!」と、将兵に下知して、少しも怠るところがなかった。
諸侯の軍勢も、各々、地を選んで陣を劃したが、曹操は早速、袁紹に会って忠告した。
「何もお下知が出ないようですが、この機を外さず、長安へ落ちて行った董卓を追撃すべきではないでしょうか。なんで、悠々閑々と、無人の焼址に、腰をすえておられるか」
「いや、月余の連戦で、兵馬はつかれている。すでに洛陽を占領したのだから、ここで二、三日の休養はしてもよかろう」
「焦土を奪って、なんの誇るところがあろう。かかる間にも、兵は驕り、気は堕してくる。弛まぬうちに、疾く追撃にかかり給え」
「君は予を奉じた者ではないか。追い討ちにかかる時には、軍令をもって沙汰する。いたずらに私言を弄んでは困る」
袁紹は、横を向いてしまった。
「ちぇッ......」
持ち前の気性が、むらむらと曹操の胸へこみあげて来た。一喝、彼の横顔へ、
「豎子、共に語るに足らん!」と罵ると、たちまち、わが陣地へ帰って来て、
「進軍っ。董卓を追い捲るのだっ」と、叫んだ。
彼の手勢としては、夏侯淵、曹仁、曹洪などの幕下を始めとして一万余騎がある。西方長安へさして落ちのびて行った敵は、財宝の車輛荷駄や婦女子の足手纏いをつれ、昏迷狼狽の雪崩れを打って、列伍も作さず、戦意を喪失しているにちがいない。
「追えや、追えや。敵はまだ遠くは去らぬぞ」
と、曹操は急ぎに急いだ。
× × ×
一方──
帝の車駕を始めおびただしい洛陽落ちの人数は、途中、行路の難に悩みながら、滎陽まで来て、一息ついていた所へ、早くも、
「曹操の軍が追って来た」
との諜報に、色を失って、帝を繞る女子たちの車からは悲しげな鳴咽さえ洩れた。
「躁ぐことはありません。相国、ここの天嶮は、伏兵を蔵すに妙です」
李儒は、滎陽城のうしろの山岳を指さした。彼はいつも董卓の智慧囊だった。彼の口が開くと、董卓はそれだけでも心が休まるふうに見えた。
七
帝陵の丘をあばいて発掘した莫大な重宝を、先に長安へ輸送して任を果たし終わった呂布軍も、一足あとから滎陽の地を通りかけた。
するといきなり彼の軍へ向かって城内から矢石を浴びせかけて来たので、
「太守徐栄は、相国のため道を開き、帝の御車をお迎えして、ここに殿軍なすと聞いたので、安心して参ったが、さては裏切りしたか。その分なれば、踏み潰して押し通れ」
と、呂布は激怒し、合戦の備えにかかった。
「やあ、呂布であったか」
城壁の上で声がした。見ると李儒だった。
「──敵の追っ手が迫ると聞き、曹操の軍と見ちがえたのだ。怒り給うな、今、城門をあけるから」
早速、呂布を迎えて仔細を告げて詫びた。
「そうか。では相国には、たった今落ちのびて行かれたか」
「まだ、この城楼から見えるほどだ。オオ、あれへ行くのがそうだ。見給え」
と、楼台に誘って、かなたの山岳を指さした。
羊腸たる山谷の道を、蟻のように辿ってゆく車駕や荷駄や大兵の列が見える。
やがてそれは雲の裡にかくれ去った。
呂布は、眼を辺りへ移して、
「この小城では守るに足らん。李儒、貴公はここで曹操の追っ手を防ぐ気か」と、たずねた。
李儒は、頭を振って、
「いやこの城は、わざと敵に与えて敵の気を驕らせるためにあるのだ。殿軍の大兵は、みな後ろの山谷に伏兵として潜めてある。──足下もここにいては、呂布ありと敵が大事をとって、かえって誘うに困難だから、あの山中へひいて潜んでいてくれ」と言った。
李儒の謀計を聞いて、
「心得た」
呂布も潔く山へかくれた。
かかる所へ、曹操は一万余の手勢をひいて、ひたむきに殺到した。
またたく間に、滎陽城を突破し逃げる敵を追って、山谷へ入った。
不案内な山道へ誘いこまれたのである。しかもなお、曹操は、
「この分なら、董卓や帝の車駕に追いつくのも、手間暇はかからぬぞ、殿軍の木ッ端どもを蹴ちらして追えや追えや」と、いよいよ意気を昂げていたのであった。
なんぞ知らん。
鹿を追うことを急にして、彼ほどな男も、足許に気づかなかった。
突如として、
四方の谷間や断崖から、鬨の声が起こったのだ。
「伏勢?」
気のついた時は、すでに曹操ばかりでなく、彼の一万余兵は、まったく袋の中の鼠になっていた。
道を求めんと、雪崩れ打てば、断崖の上から大石が落ちて来て道を埋め、渓流を渡って、避けんとすれば、かなたの沢や森林から雨のごとく矢が飛んで来た。
曹操の軍は、ここに大敗を遂げた。殲滅的に打ちのめされた。
「あれも斃れたか。おお、あれも死んだか」
曹操は、自分の目の前で、死を急いでゆく幕下の者を見ながら、なお戦っていた。
時分はよしと思ったか、呂布は谷ふところの一方から、悠々、馬を乗り出して、彼へ呼びかけた。
「おうっ、驕慢児曹操っ。野望の夢も今醒めたろう。笑止や、主にそむいた亡恩の天罰、思い知るがいい」
呂布は、死にもの狂いの曹操を雑兵の囲みにまかせて、自分は小高い所から眺めていた。
生死一川
一
曹操は、見つけて、
「おのれ、あれなるは、たしかに呂布」と、遮る雑兵を蹴ちらして、呂布の立っている高地へ近づこうとしたが、董卓直参の李傕が、横合の沢から一群を率いてどっと馳け下り、
「曹操を生擒れ」
「曹操を逃がすな」
「曹操こそ、乱賊の主魁ぞ」
と、口々に呼ばわって、伏兵の大軍すべて、彼ひとりを目標に渦まいた。
八方の沢や崖から飛んで来る矢も、彼の前後をつつむ剣も戟も、みな彼一身に集まった。
しかも曹操の身は今や、まったく危地に堕ちていた。うまうまと敵の策中にその生殺を捉われてしまった。
──君は戦国の奸雄だ。
と、予言されて、むしろ本望なりとかつて自ら祝した驕慢児は、今は、絶体絶命とはなった。
奇才縦横、その
熱舌と
気魄をもって、白面の一
空
よく十八ヵ国の諸侯をうごかし、ついに、董卓をして
洛陽を拾てるのやむなきにまで──その鬼謀は実現を見たが、──彼の夢はやはり白面青年の夢でしかなく、
儚い現実の末路を告げてしまうのであろうか。
そう見えた。
彼もまた、そう覚悟した。
ところへ、一方の血路を斬りひらいて、彼の臣、夏侯淵は主を求めて馳けつけて来た。
そしてここの態を見るや否、「主君を討たすな」と、一角から入りみだれて猛兵を突っこみ、李傕を追って、ようやく、曹操を救け出した。
「ぜひもありません。かくなる上は、お命こそ大事です。ひとまず麓の滎陽まで引き退った上となさい」
夏侯淵は、わずか二千の残兵を擁して踏みとどまり、曹操に五百騎ほど守護の兵をつけて、
「早く、早く」と促した。
顧みれば、一万の兵は、打ちひしがれて、三千を出なかった。
曹操は、麓へ走った。
しかし、道々幾たびも、伏兵また伏兵の奇襲に脅かされた。従う兵も散々に打ち減らされ、彼のまわりにはもう十騎余りの兵しか見えなかった。
それも、馬は傷つき、身は深傷を負い、共に歩けぬ者さえ加えてである。
みじめなる落武者の境遇を、曹操は死線のうちに味わっていた。
人心地もなく、迷いあるいて、ただ麓へ麓へと、うつろに道を捜していたが、気がつくと、いつか陽も暮れて、寒鴉の群れ啼く疏林のあたりに、宵月の気はいが仄かにさしかけている。
「ああ、故郷の山に似ている」
ふと、曹操の胸には父母のすがたが泛んできた。大きな月のさしのぼるのを見ながら、
「親不孝ばかりした」
驕慢児の眼にも、真実の涙が光った。脆い一個の人間に返った彼は、急に五体のつかれを思い、喉の渇に責められた。
「清水が湧いている......」
馬を降りて、彼は清水へ顔を寄せた。そして、がぶと一口飲み干したと思うと、またすぐ近くの森林から執念ぶかい敵の鬨の声が聞こえた。
「......やっ?」
ぎょッとして、駒の背へ飛び移るまに、もう残るわずかな郎党も矢に斃れたり、逃げる力もなく、草むらに、こときれてしまっている。
追いかけて来たのは、滎陽城太守の徐栄の新手であった。徐栄は、逃げる一騎を曹操と見て、
「しめたッ」
曳きしぼった鉄弓の一矢を、ぶん! ──と放った。
矢は、曹操の背に立った。
二
「しまったッ」
曹操は叫びながら、駒のたてがみへ俯つ伏した。
またも、徐栄の放った二の矢が、びゅんと耳のわきを掠めてゆく。
肩に突っ立った矢を抜いている遑もなかったのである。
その矢傷から流れ出る血しおに駒のたてがみも鞍も濡れ浸った。駒は血を浴びてなお狂奔をつづけていた。
すると、一叢の木蔭に、ざわざわと人影がうごいた。
「あっ、曹操だっ」と、いう声がした。
それは徐栄の兵だった。徒歩立ちで隠れていたのである。一人がいきなり槍をもって、曹操の馬の太腹を突いた。
馬は高く嘶いて、竿立ちに狂い、曹操は大地へ刎ね落とされた。
徒歩兵四、五人が、わっと寄って、
「生擒れっ」とばかり折り重なった。
仰向けに仆れたまま、剣を抜き払って、曹操は二人を斬っただけで、力尽きてしまった。
落馬した刹那に、馬の蹄で肋骨をしたたかに踏まれていたからだった。
時に。
曹操の弟曹洪は、乱軍の中から落ちて一人この辺りを彷徨っていたが、異なる馬の啼き声がしたので、
「や。......今のは兄の愛馬の声ではないか」と、馳けつけて来て、月明りにすかしてみると、今しも兄の曹操はわずかな雑兵輩の自由になって、高手小手に縛られようとしている様子である。
「くそッ」
跳ぶごとく馳け寄って、一人を後ろから斬り伏せ、一人を薙ぎつけた。驚いて、逃げるは追わず、すぐ兄の身を抱き上げて、
「兄上っ、兄上。しっかりして下さい。曹洪です」
「あ、おまえか」
「お気がつきましたか。......さっさっ、私の肩につかまってお起ちなさい。今逃げた兵が、徐栄の軍を呼んでくるに違いありません」
「だ、だめだ......曹洪」
「なんですと?」
「残念ながら、矢傷を負い、馬に踏まれた胸も苦しい。この身は打ち捨てて行け。おまえだけ、早く落ちて行ってくれ」
「心弱いことをおっしゃいますな。矢傷ぐらい、大したことはありません。いま、天下の大乱、この曹洪などは無くとも、曹操はなくてはなりません。一日でも、生きてゆくのは、あなたの天から享けている使命です」
曹洪は、こう励まして、兄の着ている鎧甲を解いて身軽にさせ、小脇に抱いて、敵の捨てたらしい駒の背へしがみついた。
果たして。
わあっ......と、徐栄の手勢が、後から追って来た。
曹洪は、心も空に、片手に兄を抱え、片手に手綱を把り、眼をふさいで、
「この身はともかく、兄曹操の一命こそ、大事の今。諸仏天加護ありたまえ」
と、禱りながら無我夢中に逃げつづけた。
逆落しに、山上から曠野まで馳せ下りて来た心地がした。
「やれ、麓へ出たか」と、思ってふと見ると、満々たる大河が行く手に横たわっているではないか。それと見た曹操は、苦しげに、弟を顧みて、
「ああ、わが命数も極まったとみえる。曹洪、降ろしてくれ、潔くおれはここで自害する。──敵のやって来ないうちに」と、死を急いだ。
三
曹洪は、兄を抱いて、馬から降りたが、決して抱いている手を弛めなかった。
「なんです、自害するなんて、平常のあなたの御気性にも似あわぬことを!」と、わざと叱咤して、
「前にはこの大河、うしろからは敵の追撃、今やわたし達の運命は、ここに終わったかのごとく見えますが、物窮まれば通ず──という言葉もある。運を天にまかせて、この大河を越えましょう」
河岸に立つと、白浪のしぶきは岸砂を洗い、流れは急で、飛鴻も近づかぬ水の相であった。
身に着けている重い物は、すべて捨てて、曹洪は一剣を口に咥え、傷負の兄をしっかと肩にかけると、ざんぶとばかり濁流の中へ泳ぎ出した。
江に接していた低い雨雲が闢くと、天の一角が鮮明に彩られて来た。いつか夜は白みかけていたのである。満々たる江水は紅に燃え立って、怪魚のように泳いでゆく二人の影を揉みに揉んでいた。
流れは烈しいし、深傷を負っているので、曹洪の四肢は自由に水を切れなかった。見る見るうちに、下流へ下流へと押し流されてゆく。
しかし、ついに彼岸は、眼のまえに近づいた。
「もう一息」と、曹洪は、必死に泳いだ。
対岸の緑草は、ついそこに見えながら、それへ寄りつくまでが容易でなかった。激浪がぶつかっては、渦となって波流を渦巻いているからだった。
すると。
その河畔からやや離れた丘に徐栄の一部隊が小陣地を布いていた。河筋を監視するために、二名の歩哨が立って、暁光の美観に見惚れていたが──
「やっ? なんだろ」
一人が指さした。
「怪魚か」
「いや、人間だっ」
あわてて部将のところへ報せに馳けた。
部将もそれへ来て、
「曹操将軍の落武者だ。射てしまえ」と、弩弓手へ号令した。
まさかそれが曹操兄弟とは気づかなかったので、緩慢にも弓組の列を布いて、射術を競わせたものだった。
びゅっん──
ぶうっん──
弦は鳴り矢はうなって、かなたの水際へ、雨かとばかり飛沫を立てた。
曹洪は、すでに岸へ這いついていたが、前後に飛んで来る敵の矢に、しばらく、死んだまねをしていた。
その間に、「どう逃げようか」を、考えていた。
ところがかえって、遙か河上から、一手の軍勢が、河に沿って下って来るのが見えた。朝雲の晴れ渡った下に翻る旗幟を望めば、それは紛れもなく滎陽城の太守徐栄の精鋭だった。
「あれに見つかっては」と、曹洪は、気も顚動せんばかりに慌てた。矢ばしりの中も今は恐れていられなかった。剣を舞わして、矢を縦横に薙ぎ払いながら馳け出した。
曹操も、矢を払った。二人か一人か、それは遠目にはわからないほど、相擁しながら馳けたのである。
丘の上の隊も、河に沿って来た一群の軍勢も、曹操兄弟が矢風の中を凌いで馳け出した影を見ると、
「さては、名のある敵にちがいないぞ。逃がすな」
と、たちまち砂塵をあげて、東西から追いちぢめ、そのうち一小隊は、早くも先へ馳け抜けて、二人の前をも立ち塞いでしまった。
四
丘から射放つ矢は集まって来る。
止まるも死、進むも死だった。
一難、また一難。死はあくまで曹操を捉えなければ止まないかに見えた。
「この上は、敵の屍を山と積み、曹家の兄弟が最期として、人に笑われぬ死に方をして見せましょう。兄上も、お覚悟ください」
曹洪も、ついに決心した。
そして兄曹操と共に、剣をふりかざして、敵の中へ斬りこんだ。
敵は、躁いで、
「やあ、曹家と言ったぞ。さては曹操、曹洪の兄弟と見えたり」
「思いがけない大将首、あれを獲らずにあるべきや」
餓狼が餌を争うように二人を蔽いつつんだ。
すると。
かなたの野末から、一陣の黄風を揚げて、これへ馳けて来る十騎ほどの武士があった。
ゆうべから主君曹操の行方をさがし歩いていた夏侯惇、夏侯淵の二将の旗下たちだった。
「おうっ、御主君これにか」
十槍の穂先をそろえて、どっと横から突き崩して来た。
「いざ、疾く」
と曹兄弟に、駒をすすめ、夏侯惇はまっ先に、
「それっ、落ちろっ」と気を揃えて逃げ出した。
矢は急霰のように追ったが、徐栄軍はついに追いきれなかった。曹操たちは、一叢の蒼林を見て、ほっと息をついた。見ると五百ばかりの兵馬がそこにいる。
「敵か、味方か」
物見させてみると、僥倖にも、それは曹操の家臣、曹仁、李典、楽進たちであった。
「おお、君には、御無事でおいで遊ばしたか」
と、楽進、曹仁等は、主君のすがたを迎えると、天地を拝して歓び合った。
戦は、実に惨憺たる敗北だったが、その悲境の中に、彼等は、最も大きな歓びを揚げていたのだった。
曹操は、臣下の狂喜している様を見て、
「アア我誤てり。──かりそめにも、将たる者は、死を軽んずべきではない。もしゆうべから暁の間に、自害していたら、この部下たちをどんなに悲しませたろう」と、痛感した。
「訓えられた。訓えられた」と彼は心で繰り返した。
敗戦に訓えられたことは大きい。得がたい体験であったと思う。
「戦にも、負けてみるがいい、敗れて初めて覚り得るものがある」
負け惜しみでなくそう思った。
一万の兵、余すところ、わずか五百騎、しかし、再起の希望は、決して失われていない。
「ひとまず、河内郡に落ちのびて、後図を計るとしよう」
曹操は言った。
夏侯惇、曹仁たちも、
「それがよいでしょう」
兵馬に令してそこを発った。
一竿の列伍は淋しく河内へ落ちて行った。山河は蕭蕭と敗将の胸へ悲歌を送った。生まれながら気随気儘に育って、長じてもなお、人を人とも思わなかった曹操も、こんどという今度はいたく骨身に徹えたものがあるらしかった。
途すがら、耿々の星を仰ぐたびに、彼はひとり呟いた。
「──君は乱世の奸雄だと、かつて予言者がおれに言った。おれは満足して起った。よろしい、天よ、百難をわれに与えよ、奸雄たらずとも、必ず天下の一雄にはなってみせる」
珠
一
──一方。
洛陽の焦土に残った諸侯たちの動静はどうかというに。
ここはまだ濛々と余燼のけむりに満ちている。
七日七夜も焼けつづけたが、なお大地は冷めなかった。
諸侯の兵は、思い思いに陣取って消火に努めていたが、総帥袁紹の本営でも、旧朝廷の建章殿の辺を本陣として、内裏の灰を搔かせたり、掘りちらされた宗廟に、早速、仮小屋にひとしい宮を建てさせたりして、日夜、戦後の始末に忙殺されていた。
「仮宮も出来上がったから、とりあえず、太牢を供えて、宗廟の祭りを営もう」
袁紹は、諸侯の陣へ、使を派して、参列を求めた。
いと粗末ではあったが、形ばかりの祭事を行なって後、諸侯は連れ立って、今は面影もなくなり果てた禁門の遠方此方を、感慨に打たれながら見廻った。
そこへ、
「滎陽の山地で、曹操の軍は、敵のため殲滅的な敗北をとげ、曹操はわずかな旗下に守られて河内へ落ちて行った──」
という報せが入った。
諸侯は、顔見合わせて、
「あの曹操が......」とのみで、多くを語らなかったが、袁紹は、
「それ見たことか」と、聞こえよがしに言った。
そしてまた、
「董卓が洛陽を捨てたのは、李儒の献策で、余力をもちながら、自ら先んじて、都府を抛擲したものだ。──それを一万やそこらの小勢で、追い討ちをかけるなど、曹操もまだ若い」
と、その拙を嘲笑った。
半焼となっている内裏の鴛鴦殿で、一同は小盞を酌み交わしてわかれた。
折ふし黄昏れかけて来たので、池泉の畔には芙蓉の花が仄白く、多恨な夕風に揺れていた。
諸侯はみな帰ったが、孫堅は二、三の従者をつれて、なお去りがてに、逍遙していた。
「ああ......そこらの花陰や泉の汀で、後宮の美人たちがすすり泣きしているようだ。兵馬の使命は、新しい世紀を興すにあるが、創造のまえに破壊がともなう。......ああいかん、多情多恨に囚われては」
ひとり建章殿の階に坐って、星天を仰ぎ、じっと黙思していた。
茫──と、白い一脈の白気が、星の光群をかすめていた。孫堅は、天文を占って、
「帝星明らかならず、星座星環みな乱る。──ああ乱世はつづく。焦土はここのみには、止まるまい」と、思わず嘆声をあげた。
すると、階下にいた彼の郎党のひとりが、
「殿。......なんでしょう?」
怪しんで指さした。
「なにが?」
孫堅も、眸をこらした。
「さっきから見ていますと、この御殿の南の井戸から、時々、五色の光が映しては消え、映しては消え、暗闇で宝石でも見ているようです。......どうも眼のせいとも思われませんが」
「ムム、なるほど。......そう言われてみれば、そんな気もする。炬火をともして、井戸の中を調べろ」
「はっ」
郎党たちは馳けて行った。
ほどなく、井戸のまわりで翳し合う炬火がかなたにうごいていた。そのうちに、郎党たちが、なにか、大声あげて騒ぎ出した様子に孫堅も近づいてそこを覗いてみると、水びたしになった若い女官の死体が引き揚げられてあった。──すでに日も経ているらしいが、その装束も尋常の女性とは思われないし、なお、生けるままな容貌は白玕のように美しかった。
二
いや、そればかりではない。
死美人の屍には、もっと麗しい物が添っていた。それは襟頸にかけて抱いている紫金襴の囊だった。
蠟より真白い指が、しっかとそれを抱いている。──死んでも離すまいとする死者の一念が見えた。
孫堅は、側へ寄って、近々と死体をながめていたが、
「なんだろう。はて、この囊を取りあげてみろ」
郎党に命じて身を退いた。
彼の従者は、すぐ死美人の頸からそれを外し取って、孫堅の手へ捧げた。
「おい、炬火を出せ」
「はっ」
従者は、彼の左右から、炬火を翳した。
「......?」
孫堅の眼は、なにか、非常な驚きに耀きだしていた。紫金襴の囊には、金糸銀糸で瑞鳳彩雲の刺繡がしてあった。打紐を解いてみると、中から朱い匣があらわれた。その朱さといったらない。おそらく、珊瑚朱か堆朱の類であろう。
可愛らしい黄金の錠がついている。鍵は見当たらない。孫堅は、歯で咬んでそれを捻じ切った。
中から出てきたのは、一顆の印章であった。溶けるような名石で方円四寸ばかり、石の上部には五龍を彫り、下部の角のすこし欠けた箇所には、黄金の繕いが施してある。
「おい、程普を呼んで来い。──大急ぎで、密かに」
孫堅は、あわてて言った。
そしてなおも、
「はてな? ......これは尋常の印顆ではないが」
と、掌中の名石を、恍惚として凝視していた。
程晋が来た。
息をきって、使の者と共に、ここへ近づいて来るなり、
「なんぞ御用ですか」と、

ねた。
孫堅は、印顆を示して、
「程普。これをなんだと思う?」と、鑑識させた。
程普は、学識のある者だった。手に取って、一見するなり驚倒せんばかり驚いた。
「太守。あなたはこれを一体、どうなされたのですか」
「いや、今ここを通りかかると井戸の内から怪しい光を放つので、調べさせてみたところ、この美人の死体が揚がって来た。それはこの死美人が頸にかけていた錦の囊から出てきた物だ」
「ああもったいない......」と程普は自分の掌に礼拝して、
「──これは伝国の玉璽です。紛れもなく、朝廷の玉璽でございます」
「えっ、玉璽だと」
「ごらんなさい。篤と」
程普は、炬火のそばへ、玉璽を持って行って、それに彫ってある篆字の印文を読んで聞かせた。
受命干天
既寿永昌
「......と御座いましょうが」
「むむ」
「これはむかし荊山の下で、鳳凰が石に棲むのを見て、時の人が、石の心部を切って、楚国の文王に献じ、文王は、稀世の璞玉なりと、宝としていましたが、後、秦の始皇の二十六年に、良工を選んで研かせ、方円四寸の玉璽に作りあげ、李斯に命じて、この八字を彫らせたものであります」
「ウーム......。なるほど」
「二十八年始皇帝が洞庭湖をお渡りの折、暴風のために、一時この玉璽も、湖底に沈んだことなどもありましたが、ふしぎにもこの玉璽を持つ者は、一身つつがなく栄え、玉璽もいつか世に現われて、累世朝廷の奥に伝国の宝として、漢の高祖より今日まで、伝え伝えて参った物ですが......どうしてこれが今日の兵火に無事を得たのでしょうか。思えは、実に奇瑞の多い玉璽ではあります」
三
玉璽を掌にしたまま孫堅は、茫然と、程普の物語る由来に聞き恍れていた。
そして密かに、思うらく、
(どうして、こんな名宝が、おれの掌に授かったのだろうか?)
なにか恐ろしい気持さえした。
程普は、語りつづけて。
「──今、思い合わせれば、先年、十
常侍等の乱を
醸した折、幼帝には
北邙山へお
遁れ遊ばしましたが、そのころ、にわかに玉璽が紛失したという

が一時立ちました。──今、その玉璽が計らずも、
井泉の底より拾い上げられて、太守のお掌に授かるというのは、ただ事ではありません」
「ウーム、自分もそう思う。......まったくこれはただ事ではない」
孫堅も呻いた。
程晋は、主君の耳へ口をよせて、
「──天が授けたのです。天が、あなた様をして、九五の御位にのぼせ、子孫にわたって、伝国の大統を指命せられた祥瑞と思われます。......はやく本国へお帰りあって、遠大の計をめぐらすべきではありませんか」と、囁いた。
孫堅は、大きく頷いて、
「そうだ」と、深く期すもののように、眼を耀かして、居合わせた郎党たちへ言い渡した。
「こよいのことは、断じて、他言は相成らぬぞ。もし他へ洩らした者あらば、必ず首を刎ねるからそう心得よ」
やがて、夜も更けて。
孫堅は、自分の陣へこっそり帰って寝たが、程普は味方の者へ、
「御主君には、急病を発しられた故、明日、陣を払って、急に本国へお帰りになることになった」
と、虚病を触れて、その夜からにわかに行旅の支度にかからせた。
ところが。
その混雑中に、孫堅に従いていた郎党のひとりが、袁紹の陣へ行って、内通した。一部始終を袁紹に告げて、わずかな褒美をもらって姿を晦ましていた。
だから袁紹は、あらかじめ玉璽の秘密を知っていた。
夜が明けると、孫堅は、
何
わぬ顔して、
暇乞いにやって来た。孫堅はわざと、
憔悴した
態を装って、
「どうも近ごろ、健康がすぐれないので、陣中の努めも懶くてならんのです。はなはだ急ですが、しばらく本国へ帰って静養したいと思います。──当分は風月を友にして」
言いかけると、袁紹は、
「あはははは」と、横を向いて笑った。
孫堅はむっとして、
「何で総帥には、それがしが真面目に別辞を述べているのに、無礼な笑い方をなさるのか」
と、剣に手をかけて詰問った。
袁紹は露骨に、
「君は、虚病もうまいが、怒る真似も上手い。いや裏表の多い人物だ。──君の静養というのは、伝国の玉璽をふところに温めて、やがて鳳凰の雛でも孵そうという肚だろう」
「な、なにっ?」
「慌てんでもよい。こら孫堅、身のほどを知れよ。建章殿の井のうちから、昨夜、拾いあげた物をこれへ出せ」
「そんなことは知らん」
「不届きな! 汝、天下を奪う気か」
「知らん。なにをもって、この方を謀反人というか」
「だまれ。国々の諸侯が、義兵をあげて、この艱苦を共にしているのは、漢の天下を扶けて、社稷を泰んぜんがためだ。玉璽は、朝廷に返上すべきもので、匹夫の渡すべきものではない」
「なにを、ばかなっ」
「ばかなとは、何事だ」
袁紹も、彼に対して、あわや剣を抜こうとした。
四
「や、剣に手をかけたな。──汝、この孫堅を斬ろうという気か」
孫堅が言えば、
「おうっ」と、袁紹も熱り立って、
「貴様のごとき黄口児になんでこの袁紹が欺かれようぞ。いかに噓を構えても、謀反心はもはや歴然だ。成敗して陣門にさらしてくれる」
「なにをっ」
孫堅は、言うより早く剣を抜いた。袁紹も、大剣を払い、双方床を蹴って躍らんとした。
「すわや!」と、満堂は殺気にみちた。
袁紹が後ろには、顔良、文醜などの荒武者どもが控えている。
──また、孫堅がうしろには程普、黄蓋、韓当などの輩が、
「主人の大事」と、ばかり各々、剣環を鳴らして騒めき立った。
洛陽入りの後はここに戦いもなかった。長陣の鬱気ばらしに、一と喧嘩、血の雨も降りそうな時分である。
だが、驚いたのは、満堂の諸侯で、総立ちになって、双方を押し隔てた。──日ごろ、盟の血をすすり、義を天下に唱えながら、こんな仲間割れの醜態を、世上へ曝したら、民衆の信望は一遍に失墜してしまうに相違ない。義軍の精神は疑われ、長安へ落ちた董卓軍は、それ見たことか、と、手を打って歓ぶにちがない。
「まあ、まあ、ここは」
「孫堅も、あれまでに、身の潔白を言い立てておるのですから、よもや仮病などではありますまい」
「総帥も、お立場上、自重してくだされなければ困る」
諸侯の仲裁で、やっと、
「では、各々に任すが、孫堅はきっと、玉璽を盗んでいないか。その証はどうして見せるか」
袁紹が言うと、孫堅は、
「われも漢室の旧臣、なんで伝国の玉璽を奪って謀叛などせんや。──天地神明に誓ってさようなことはない」と絶叫した。
その血相に、だれも、「あれほど言うからには」と、信じきって、仲直りに、杯を挙げて別れたところが、なんぞ計らん、それから一刻も経たないうちに、孫堅の陣地には、もう一兵の影も見えなかった。
「さては、怪しい?」と、袁紹も焦立ち、諸侯の陣もなんとなく動揺し出して見えた所へ、前に董卓を追って、滎陽で大敗を喫した曹操が、わずかな残兵をひいて、洛陽へ帰って来た。
袁紹は、折も折とて、彼に計ろうと酒宴を設け、諸侯を呼んで、曹操を慰めると、曹操はむしろ憤然として、
「口に大義を唱えても、心に一致する何ものも無ければ、同志も同志ではない。いたずらに民を苦しめ、無益の人命と財宝を滅ぼすのみだ。小生はしばらく山野へ帰って考え直す。諸氏も、熟慮してみたがよかろう」と、即日、洛陽を去って楊州の方面へ立ってしまった。
そのころ、孫堅はすでに、ひた走りに本国へさして逃げ帰っていた。
途中。
袁紹の追討令で、追っ手の軍に追われたり、諸城の太守に遮められたり、散々な憂き目に遭ったが、ついに黄河のほとりまで逃げのびて、一舟を拾い、辛くも江東へ逃げ渡った。
舟中の身辺を顧みると、幕下の将兵わずか数名しかいなかった。けれど、彼の懐には伝国の玉璽がまだ失われずにあった。
五
破壊は一挙にそれを為しても、文化の建設は一朝にしては成らない。
また。
破壊までの目標へは、狼煙一つで、結束もし、勇往邁進もするが、さて次の建設の段階にすすむと、必ずや人心の分裂が起こる。
初めの同志は、同志ではなくなってくる。個々の個性へ返る。意見の衝突やら紛乱が始まる。熱意の冷却が分解作用を呼ぶ。そして第二の段階へ、事態は目に見えぬまに推移してゆくのである。
曹操、袁紹等の挙兵も、今やそこへ逢着して来たのであった。
当初の理想も今いずこへ。
まず、その狼煙を最初に揚げて、十八ヵ国の諸侯を糾合した曹操自身からまっ先に、袁紹の優柔不断に腹を立てて、(おれは俺でやろう)と決意したもののごとく、大勢には勝利を占めながら、残り少なきわずかな手勢と、鬱勃たる不平と、惨心とを抱いて、いちはやく楊州の地へ去ってしまった。
また。
廃墟となった禁門の井戸から、計らずも玉璽を拾った孫堅は孫堅で、珠を抱くと、たちまち心変わりして、袁紹と烈しい喧嘩別れをして、即日、これも本国へさして急いでしまったが、途上、荊州の劉表に遮られて、その軍隊はさんざんな傷手をうけ、身をもって黄河を遁れ渡った時は──その一舟中に生き残っていた者、わずかに、程普と黄蓋などの旗本六、七人に過ぎなかったという──後日の沙汰であった。
そんな折も折。
東郡の喬瑁と、刺史劉岱とが、またぞろ洛陽の陣中、兵糧米の借貸か何かのつまらないことから喧嘩を起こし、劉岱はふいに夜中、相手の陣営へ斬りこんで、喬瑁を斬り殺してしまった──などという事件が起こったりした。
諸侯の間でさえそんな状態であったから、以下の将校や卒伍の乱脈は推して知るべきであった。
掠奪はやまない。酒は盗む。喧嘩はいつも女や賭博のことから始まった。──軍律はあれど威令が添わないのである。洛陽の飢民は、夜ごと悲しげに、廃墟の星空を仰いで、
(こんなことなら、まだ前の董相国の暴政のほうがましだった)と、呟き合った。
夜となれば人通りもなく、たまたま
闇に聞こえるのは、人肉を

って野性に返った野良犬のさけびか、女の悲鳴ばかりだった。
「太守、お呼びですか」
劉備玄徳は、一夜ひそかに、公孫瓚の前に立っていた。
公孫瓚は、彼に告げた。
「ほかでもないが、このごろ、つくづく諸侯の心やまた、総帥袁紹の胸を察するに、どうも面白くないことばかりだ。袁紹には、この後を処理してゆく力がない。要するに彼は無能だ。きっと今に、収拾できない混乱が起こると思う」
「はい......」
「君もそう思うだろう。君を始め、関羽、張飛などにも、抜群な働きをさせて、なんの酬いるところもなくて気の毒だが、ひとまず洛陽を去って、御辺も平原へ帰ってはどうか。──自分も陣を引き払って去ろうと考える」
「そうですか。──いやまた、時節がありましょう。ではお暇いたします」
玄徳は、別れを告げた。
かくて彼は、関羽、張飛のふたりにも、事態をつげて、平原をさして行った。
洛陽に入ったが、ついに、何物も得るところはなく──である。従兵馬装、依然として貧しきもとの木阿弥だった。
けれど、関羽も張飛も、相かわらず朗らかなものだった。馬上談笑して、村へ着けば、時折に酒など買い、
「おい、飲まないか、まだおれ達の祝杯は、前途いつの事だかわからないが、生命だけはたしかに持って帰れるんだから──少しくらいは祝ってもよかろう。馬上で飲み廻しの旅なんて、洒落ているぞ」
などと張飛は笑わせて、いつも日々是好日の態だった。
白馬将軍
一
さて、その後。
──焦土の洛陽に止まるも是非なしと、諸侯の兵も、続々本国へ帰った。
袁紹も、兵馬をまとめて一時、河内郡(河南省懐慶)へ移ったが、大兵を擁していることとて、たちどころに、兵糧に窮してしまった。
「兵の給食も、極力、節約を計っていますが、この分でゆくと、今に乱暴を始め出して、民家へ掠奪に奔るかもしれません。さすれば将軍の兵馬は、たちまち土匪と変じます。昨日の義軍の総帥もまた、土匪の頭目と人民から見られてしまうでしょう」
兵糧方の部将は、それを憂えて幾たびも、袁紹へ、対策を促した。
袁紹も、今は、見栄を張っていられなくなったので、
「では、冀州(河北省・中南部)の太守韓馥に、事情を告げて、兵糧の資を借りにやろう」
と、書状を書きかけた。
すると、逢紀という侍大将のひとりが、そっと、進言した。
「大鵬は天地に縦横すべしです。なんで区々たる窮策を告げて、人の資などお恃みになるのでござるか」
「逢紀か。いや、他に策があれば、なにも韓馥などに借米はしたくないが、なにか汝に名案があるのか」
「ありますとも、冀州は富饒の地で、狼米といわず金銀五穀の豊富な地です。よろしく、この国土を奪取して、将来の地盤となさるべきではありますまいか」
「それはもとより望むところだが、どういう計をもってこれを奪るか」
「ひそかに北平(北京)の太守公孫瓚へ使を派し、冀州を攻って、これを割け奪りにしようではないか。──そう言ってやるのです」
「むム」
「必ずや、公孫瓚も食指をうごかすでしょう。そう来たら、将軍はまた、一方韓馥へも内通して、力とならんと言っておやりなさい。臆病者の韓馥は、きっと将軍にすがります。──その後の仕事は掌に有りというものでしょう」
袁紹は歓んで直ちに、逢紀の献策を、実行に移した。
冀州の牧、韓馥は、袁紹から書面を受けて、何事かと披いてみると、
(北平の公孫瓚、ひそかに大兵を催し、貴国に攻め入らんとしておる。兵備、怠り給うな)
という忠言だった。
もちろん、その袁紹が、一方では公孫瓚を使嗾しているなどとは知らないので、韓馥は大いに驚いて、群臣と共に、どうしたものかと、評議にかけた。
「この忠言をしてくれた袁紹は、先に十八ヵ国の軍に臨んで総帥たる人。また、智勇衆望も高い名門の人物。よろしくこの人のお力を頼んで、慇懃、冀州へお迎えあるがしかるべきでございましょう。──袁紹お味方と聞こえなば公孫瓚たりといえども、よも手出しはできますまい」
群臣の重なる者は、みなその意見だった。
韓馥も、また、「それはよからん」と、同意した。
ひとり長史耿武は、憤然と、その非をあげて諫めた。
けれど、彼の直言は、用いられなかった。評定は紛論に墜ち入り、耿武の力説を正しとして、席を蹴って去る者三十人に及んだ。
耿武もついに、用いられないことを知って、
「やんぬる哉!」と、即日、官をすてて姿をかくした。
けれど彼は忠烈な士であったから、みすみす主家の亡ぶのを見るに忍びず、日を待って、袁紹が冀州へ迎えられる機会を窺っていた。
袁紹はやがて、韓馥の迎えによって、堂々と、国内の街道へ兵馬を進めて来た。──忠臣耿武は、その日を剣を握って、道の辺の木蔭に待ちかまえていた。
二
耿武は、身を挺して、袁紹を途上に刺し殺し、そして君国の危殆を救う覚悟だった。
すでに袁紹の列は目の前にさしかかった。
耿武は、剣を躍らせて、
「汝、この国に入るなかれ」
と、さけんで、やにわに、袁紹の馬前へ近づきかけた。
「狼籍者っ」
侍臣たちは、立ち騒いで防ぎ止めた。大将顔良は、耿武のうしろへ廻って、
「無礼者っ」と、一喝して斬りさげた。
耿武は、天を睨んで、
「無念」と言いざま、剣を、袁紹のすがたへ向かって投げた。
剣は、袁紹を貫かずに、かなたの楊柳の幹へ突き刺さった。
袁紹は、無事に冀州へ入った。太守韓馥以下、群臣万兵、城頭に旌旗を掲げて、彼を国の大賓として出迎えた。
袁紹は、城府に居据わると、
「まず、政を正すことが国の強大を計る一歩である」
と、太守韓馥を、奮武将軍に封じて、態よく、自身が藩政を執り、専ら人気取りの政治を布いて、田豊、沮授、逢紀などという自己の腹心を、それぞれ重要な地位へつかせたので、韓馥の存在というものはまったく薄らいでしまった。
韓馥は、臍を嚙んで、
「ああ、われ過てり。──今にして初めて、耿武の忠諫が思いあたる」
と、悔いたが、時すでに遅しであった。彼は日夜、懊悩煩悶したあげく、ついに陳留へ奔って、そこの太守張邈の許へ身を寄せてしまった。
一方。
北平の公孫瓚は、「かねての密約」と、これも袁紹の前言を信じて、兵を進めて来たが、冀州はもう袁紹の掌に落ちているので、弟の公孫越を使者として、
「約定のごとく、冀州は二分して、一半の領土を当方へ譲られたい」
と、申し込むと、袁紹は、
「よろしい。しかし、国を分かつことは重大な問題だから、公孫瓚自身参られるがよい。必ず、約束を履行するであろう」と、答えた。
公孫越は満足して、帰路についたが、途中、森林のうちから雨霰のごとき失攻めに遭って、無残にも、立ち往生のまま射殺されてしまった。
それと聞こえたので、公孫瓚の怒りは、言うまでもないこと。一族みな、血をすすって、袁紹の首を引っ提げずに、なんで、再び郷土の民にまみえんや──とばかり盤河の橋畔まで押して来た。
橋を挾んで、冀州の大兵も、ひしめき防いだ。中に袁紹の本陣らしい幡旗がひるがえって見える。
公孫瓚は、橋上に馬をすすませて、大音に、
「不義、破廉恥、言いようもなき人非人の袁紹、いずこにあるぞ。──恥を知らば出でよ」
と、言った。
「何を」と、袁紹も、馬を躍らせて来て、共に盤河橋を踏まえ、
「韓馥は、身不才なればとて、この袁紹に、国を譲って、閑地へ後退いたしたのだ。──破廉恥とは、汝のことである。他国の境へ、狂兵を駆り催して来て、なにを掠め奪らんとする気か」
「だまれ袁紹。先つころは、共に洛陽に入り、汝を忠義の盟主と奉じたが、今思えば、天下の人へも恥ずかしい。狼心狗行の曲者めが、なんの面目あって、太陽の下に、いけ図々しくも、人間なみな言を吐きちらすぞ」
「おのれよくも雑言を。──たれかある、きゃつを生擒って、あの舌の根を抜き取れ」
三
文醜は、袁紹の旗下で豪勇第一といわれている男である。
身の丈七尺をこえ、面は蟹のごとく赤黒かった。
大将袁紹の命に、
「おうっ」
と、答えながら、橋上へ馬を飛ばして来るなり、公孫瓚へ馳け向かって戦を挑んで来た。
「下郎、推参」
槍を合わせて、公孫瓚も怯まず争ったが、到底、文醜の敵ではなかった。
──これは敵わじ。
と思うと、公孫瓚は、橋東の味方のうちへ、馬を打って逃げこんでしまった。
「汚し」と文醜は、敵の中軍へ割って入り、どこまでも、追撃を思い止まらなかった。
「遮れ」
「やるな」と、大将の危機と見て、公孫瓚の旗下、侍大将など、幾人となく、彼に当たり、また幾重となく、文醜をつつんだが、みな蹴ちらされて、死屍累々の惨状を呈した。
「おそろしい奴だ」
公孫瓚は、胆を冷やして、潰走する味方とも離れて、ただ一騎、山間の道を逃げ走って来た。
すると後ろで、
「生命惜しくば、馬を降って、降伏しろ。今のうちなら、生命だけは助けてくれよう」
またも文醜の声がした。
公孫瓚は、手の弓矢もかなぐり捨てて、生きた心地もなく、馬の尻を打った。馬はあまりに駆けたため、岩につまずいて、前脚を折ってしまった。
当然、彼は落馬した。
文醜はすぐ眼の前へ来た。
「やられた!」
観念の眼をふさぎながら、剣を抜いて起き直ろうとした時、何者か、上の崖から飛び下りた一個の壮漢が、文醜の前へ立ち塞がるなり、物を言わず七、八十合も槍を合わせて猛戦し始めたので、「天の扶け」とばかり公孫瓚は、その間に、山の方へ這い上って、辛くも危ない一命を拾った。
文醜もついに断念して、引っ返したとのことに、公孫瓚は、兵を集め、さて、
「きょう不思議にも、自分の危ない所を助けてくれた者は、一体どこの何人か」
と、部将に問うて、各々の隊を調べさせた。
やがて、その人物は、公孫瓚の前にあらわれた。しかし、味方の隊にいた者ではなく、まったくただの旅人だということが知れた。
「御辺は、どこへ帰ろうとする旅人か」
公孫瓚の問いに、
「それがしは、常山真定(河北省・正定の附近)の生まれ故、そこへ帰ろうとする者です。趙雲、字は子龍と言います」
眉濃く、眼光は大に、見るからに堂々たる偉丈夫だった。
趙子龍は、つい先ごろまで、袁紹の幕下に居たが、だんだんと袁紹のすることを見ているうちに、将来長く仕える主君でないと考えられて来たので、いっそ故郷へ帰ろうと思いここまで来た所だとも言い足した。
「そうか。この公孫瓚とても、智仁兼備の人間ではないが、御辺に仕える気があるなら、力を協せて、共に民の塗炭の苦しみを救おうではないか」
公孫瓚のことばに、趙子龍は、
「ともかく、止まって、微力を尽くしてみましょう」と、約した。
公孫瓚は、それに気を得て、次の日、ふたたび盤河の畔に立ち、北国産の白馬二千頭を並べて、大いに陣勢を張った。
公孫瓚が、白い馬をたくさん持っていることは、先年、蒙古との戦に、白馬一色の騎兵隊を編制して、北の胡族を打ち破ったので、それ以後、彼の「白馬陣」といえば、天下に有名になっていた。
四
「やあ、なかなか偉観だな」
対岸にある袁紹は、河ごしに、小手をかざして、敵陣をながめながら言った。
「顔良、文醜」
「はっ」
「ふたりは、左右ふた手にわかれて、両翼の備えをなせ。また、屈強の射手千余騎に、麴義を大将として、射陣を布け」
「心得ました」
命じておいて、袁紹は旗下一千余騎、弩弓手五百、槍戟の歩兵八百余に、幡、流旗、大旆などまんまるになって中軍を固めた。
大河をはさんで、戦機はようやく熟して来る。東岸の公孫瓚は、敵のうごきを見て、部下の大将厳綱を先手とし、帥の字を金線で繡った紅の旗をたて、
「いでや」と、ばかり河畔へひたひたと寄りつめた。
公孫瓚は、きのう自分の一命を救ってくれた趙雲子龍を非凡な人傑とは思っていたが、まだその心根を充分に信用しきれないので、厳綱を先手とし、子龍にはわずか兵五百をあずけて、後陣の方へまわしておいた。
両軍対陣のまま、辰の刻から巳の刻のころおいまで、ただひたひたと河波の音を聞くばかりで、戦端はひらかれなかった。
公孫瓚は、味方を顧みて、「果てしもない懸け引き、思うに、敵の備えは虚勢とみえる。一息に射潰して、盤河橋をふみ渡れ」と、号令した。
たちまち、飛箭は、敵の陣へ降りそそいだ。
時分はよしと、東岸の兵は、厳綱を真っ先にして、橋をこえ、敵の先陣、麴義の備えへどっと当たって行った。
鳴りをしずめていた麴義は、合図ののろしを打ち揚げて、顔良、文醜の両翼と力をあわせ、たちまち、彼を包囲して大将厳綱を斬って落とし、その「帥」の字の旗を奪って、河中へ投げこんでしまった。
公孫瓚は、焦心だって、
「退くなっ」
と、自身、白馬を躍らして、防ぎ戦ったが、麴義の猛勢に当たるべくもなかった。のみならず、顔良、文醜の二将が、「あれこそ、公孫瓚」と目をつけて、厳綱と同じように、ふくろづつみに巻いて来たので、公孫瓚は、歯がみをしながら、またも、崩れ立つ味方に交じって逃げ退いた。
「戦は、勝ったぞ」と、袁紹は、すっかり得意になって、顔良、文醜、麴義などの奔突してゆく後ろから、自身も、盤河橋をこえて、敵軍の中を荒らしまわっていた。
散々なのは、公孫瓚の軍だった。一陣破れ、二陣潰え、中軍は四走し、まったく支離滅裂にふみにじられてしまったが、ここに不思議は一備えが、後詰にあって、林のごとく、動かず騒がず、しんとしていた。
その兵は、約五百ばかりで、主将はきのう身を寄せたばかりの客将、趙雲子龍その人であった。
なんの気もなく、
「あれ踏みつぶせ」と、麴義は、手兵をひいて、その陣へ懸かったところ、突如、五百の兵は、あたかも、蓮花の開くように、颯と、陣形を展げたかと見るまに、掌に物を握るごとく、敵をつつんで、八方から射浴びせ突き殺し、あわてて駒を返そうとする麴義を見かけるなり、趙子龍は、白馬を飛ばして、馬上から一気に彼を槍で突き殺した。
白馬の毛は、紅梅の落花を浴びたように染まった。きのう公孫瓚から、当座の礼としてもらった駿足である。
子龍は、なおも進んで敵の文醜、顔良の二軍へぶつかって行った。にわかに、対岸へ退こうとしても、盤河橋の一筋しか退路はないので、河に墜ちて死ぬ兵は数知れなかった。
五
深入りした味方が、趙子龍のために粉砕されたとはまだ知らない──袁紹であった。
盤河橋をこえて、陣を進め、旗下三百余騎に射手百人を左右に備え立て、大将田豊と駒をならべて、
「どうだ田豊。──公孫瓚も口ほどのものでもなかったじゃないか」
「そうですな」
「白馬二千を並べたところは、天下の偉観であったが、ぶッつけてみると一堪りもない。旗を河へ捨て、大将の厳綱を打たれ、なんたる無能な将軍か。おれは今まで彼を少し買いかぶっておったよ」
言っている所へ、俄雨のように、彼の身のまわりへ敵の矢が集まって来た。
「や、や、やっ」
袁紹は、あわてて、
「どこにいる敵が射て来るのか」と、急に備えを退いて、楯囲いの中へかけ込もうとすると、
「袁紹を討って取れ」
とばかり、趙雲の手勢五百が、地から湧いたように、前後から攻めかかった。
田豊は、防ぐに遑もなく、あまりに迅速な敵の迫力にふるい恐れて、
「太守太守、ここにいては、流れ矢にあたるか、生擒られるか、滅亡をまぬかれません。──あれなる盤河橋の崖の下まで退いて、しばらくお潜みあるがよいでしょう」
袁紹は、後ろを見たが、後ろも敵であった。しかも、敵の矢道は、縦横に飛び交っているので、
「今は」と、絶体絶命を観念したが、いつになく奮然と、着たる鎧を地に脱ぎ捨て、
「大丈夫たるもの、戦場で死ぬのは本望だ。物陰にかくれて流れ矢になどあたったらよい物笑い。なんぞ、この期に、生きるを望まん」と、叫んだ。
身軽となって真っ先に、決死の馬を敵中へ突き進ませ、
「死ねや、者ども」
とばかり力闘したので、田豊もそれに従い、他の士卒もみな獅子奮迅して戦った。
かかる所へ逃げ崩れて来た顔良、文醜の二将が、袁紹と合体して、ここを先途と鎬を削ったので、さしも乱れた大勢を、ふたたび盛り返して、四囲の敵を追い、さらに勢いに乗って、公孫瓚の本陣まで追って行った。
この日。
両軍の接戦は、実に、一勝一敗、打ちつ打たれつ、死屍は野を埋め、血は大河を赤くするばかりの激戦で、夜明け方から午過ぐるころまで、いずれが勝ったとも敗れたとも、乱闘混戦を繰り返して、見定めもつかないほどだった。
今しも。
趙雲の働きによって、味方の旗色は優勢と──公孫瓚の本陣では、ほっと一息していたところへ、怒濤のように、袁紹を真っ先として、田豊、顔良、文醜などがいっせいに突入して来たので、公孫瓚は、馬をとばして、逃げるしか策を知らなかった。
その時。
轟然と、一発の狼煙は、天地をゆすぶった。
碧空をかすめた一抹の煙を見ると、盤河の畔は、みな袁紹軍の兵旗に満ち、鼓を鳴らし、鬨をあげて、公孫瓚の逃げ路を、八方から塞いだ。
彼は生きたそらもなかった。
二里──三里──無我夢中で逃げ走った。
袁紹は勢いに乗じて急追撃に移ったが、五里余りも来たかと思うと、突如、山峡の間から、一彪の軍馬が打って出て、
「待ちうけたり袁紹。われは平原の劉玄徳──」
と、名乗る後から、
「速やかに降参せよ」
「死を取るや、降伏を選ぶや」
と、関羽、張飛など、平原から夜を日に次いで駆けつけて来た輩が、一度に喚きかかって来た。
袁紹は、仰天して、
「すわや、例の玄徳か」と、われがちに逃げ戻り、人馬互いに踏み合って、後には、折れた旗、刀の鞘、兜、槍など、道に満ち散っていた。
六
戦い終わって。
公孫瓚は、劉玄徳を、陣に呼び迎え、
「きょうの危機に、一命を拾い得たのは、まったく御辺のお蔭であった」
と、深く謝して、また、「先にも、自分の危ない所を、折よく救ってくれた一偉丈夫がある。御辺とはきっと心も合うだろう」と、趙子龍を迎えにやった。
子龍はすぐ来て、
「何か御用ですか」と、言った。
公孫瓚は、
「この人物です」と、玄徳へ紹介して、きょうの激戦で目ざましい働きをした子龍の用兵の上手さや、その人がらを、口を極めて称えた。
子龍は、大いに羞恥って、
「太守、それがしを召し置いて、知らぬ人の前なのに、そうお揶揄いになるものではありません。穴でもあらば、隠れたくなります」と、謙遜した。
星眸闊面の見るからに威容堂々たる偉丈夫にも、童心のような羞恥のあるのをながめて、玄徳は思わずほほ笑んだ。
その笑みを見て、趙子龍も、
「やあ」
ニコと、笑った。
玄徳の和やかな眸。
彼の秋霜のような眼光。
それが、初めて相見て、笑みを交わしたのであった。
公孫瓚は、玄徳をさして、
「こちらが、劉備玄徳といって、きょう平原から馳けつけて、自分を扶けてくれた恩人だ。以前から誼みを持って、お互いに扶け合って来た友人ではあるが」
と、姓名を告げると、趙子龍は、非常に鷺いて、
「では、かねがね

に聞いていた
関羽、
張飛の二豪傑を
義弟に持っておられる
劉玄徳と
仰せられるのはあなたでありましたか。──これは計らずも、よい折に」
と、機縁を欣んで、
「それがしは、常山真定の生まれで、趙雲、字は子龍ともうす者。仔細あって公太守の陣中にとどまり、微功を立てましたが、まだ若輩の武骨者にすぎません。どうぞ将来、よろしく御指導ください」
と、辞を低うして、慇懃なあいさつをした。
玄徳も、
「いや、御丁寧に、恐縮な御あいさつです。自分とてもまだ飄々たる風雲の一槍夫。一片の丹心あるほかは、半国の土地も持たない若年者です。私のほうからこそ、よろしく御好誼を希います」
二人は、相見た一瞬に、十年の知己のような感じを持った。
玄徳は、ひそかに、
(これはよい人物らしい。尋常の武骨ではない)
と、心中に頼もしく思い、趙雲子龍も同じように、
(まだ若いようだが、かねて

に聞いていた以上だ。この劉玄徳という人こそ、将来ある人傑ではあるまいか。──主君と仰ぐならば、このような人をこそ)
と、心から尊敬を抱いた。
玄徳も、子龍も、ふたり共に客分といったような格で、公孫瓚にとっては、その点、すこし淋しい気もしたが、しかし、二人を引き合わせて、彼も共に欣しい気がした。
玄徳には、後日の賞を約し、子龍には自分の愛馬──銀毛雪白な一頭を与えて、またの戦いに、協力を励まして別れた。
子龍は、拝領の白馬に跨がって、わが陣地へ帰って行ったが、意中に強く印象づけられたものは、公孫瓚の恩ではなくて、玄徳の風貌だった。
溯江
一
遷都以後、日を経るに従って、長安の都は、追い追いに王城街の繁華を呈し、秩序も大いに革まって来た。
董卓の豪勢なることは、ここへ遷ってからも、相変わらずだった。
彼は、天子を擁して、天子の後見をもって任じ、位は諸大臣の上にあった。自ら太政相国と称し、宮門の出入りには、金花の車蓋に万珠の簾を垂れこめ、轣音揺々と、行装の綺羅と勢威を内外に誇り示した。
ある日。
彼の秘書官たる李儒が、彼に告げた。
「相国」
「なんじゃ」
「先ごろから、袁紹と公孫瓚とが、盤河を挾んで戦っていますが」
「ム。そうらしいな。どんな形勢だ」
「袁紹のほうが、やや負け色で、盤河からだいぶ退いたようですが、なお、両軍とも対陣のまま、一ヵ月の余も過ごしております」
「やるがいい、両軍とも、わしに叛いたやつだ」
「いや、ここ久しく、朝廷におかれても、遷都後の内政に忙しく、天下の事は抛擲した形になっていますが、それでは、帝室の御威光を遍からしめるわけにゆきません」
「なにか、策があるのか」
「相国から奏上して、天子の詔をうけ、勅使を盤河へ遣わして、休戦をすすめ、両者を和睦させるべきかと存じます」
「なるほど」
「両方とも、おびただしい痛手をうけて、戦い疲れている折ですから、和睦の勅使を下せば、欣んで承知するでしょう。──そしてその恩徳は、自然、相国へ対して、帰服することとなって来ましょう」
「大きにもっともだ」
董卓は、早速、帝に奏して、詔を奏請し、太傳馬日磾、趙岐のふたりを勅使とし関東へ下した。
勅使馬太傳は、まず袁紹の陣へ行って、旨を伝え、それから公孫瓚の所へ行って、董相国の和解仲裁の意を齎した。
「袁紹さえ異存なくば」
と、一方がいえば、一方も、
「彼が兵を退くならば」
との言い分で、両方とも、渡りに舟とばかり、勅命に従った。
そこで馬太傳は、盤河橋畔の一亭に、両軍の大将をよんで、手を握らせ、杯を交わし合って、都へ帰った。
袁紹も、公孫瓚も、同日に兵馬をまとめて、各々帰国したが、その後、公孫瓚は、長安へ感謝の表を上せて、そのついでに、劉備玄徳を、平原の相に封じられたいという願いを上奏した。
朝廷のゆるしは間もなく届いた。公孫瓚は、それをもって、
「貴下に示す自分の微志である」と、玄徳に酬いた。
玄徳は、恩を謝して、平原へ立つことになったが、その送別の宴が開かれて、散会した後、ひそかに、彼の宿舎を訪れて来た者がある。趙雲子龍であった。
子龍は、玄徳の顔を見ると、
「もう、今宵かぎり、お別れですなあ」
と、いかにも名残惜しげに、眼に涙すらたたえて言った。
そして、いつまでも、話しこんで帰ろうともしなかったが、やがて思いきったように、子龍は言い出した。
「劉兄。──明日御出発のみぎりに、それがしも共に平原へ連れて行ってくれませんか。こう申しては押しつけがましいが、私は、あなたとお別れするに忍びない。──それほど心中に深くお慕い申しているわけです」
と鬼をあざむく英傑が、処女のごとく、さし腑向いて言うのであった。
二
玄徳もかねてから、趙子龍の人物には、傾倒していたので、彼に今、別離の情を訴えられると、
「せっかく陣中でよい友を得たと思ったのに、たちまち、平原へ帰ることになり、なにやら自分もお別れしとうない心地がする」と、言った。
子龍は、沈んだ顔して、
「実は、それがしは、御存じのごとく、袁紹の旗下にいた者ですが、袁紹が洛陽以来の仕事を見るに、不徳な行為が多いので、翻って、公孫瓚こそは、民を安める英君ならんと、身を寄せた次第です。──ところが、その公孫瓚も、長安の董卓から仲裁の使をうけると、たちまち、袁紹と和解して、小功に甘んじるようでは、その器もほどの知れたもので、到底、天下の窮民を救う英雄とも思われません。まずまず、袁紹とちょうどよい相手といってよいでしょう」
こう嘆いてから、彼は、玄徳に向かって、自分の本心を訴えた。
「劉大兄。お願いです。それがしを平原へお伴い下さい。あなたこそ、将来、為す有る大器なりと、見込んでのお願いです。......どうぞ、それがしを家臣として行く末までも」
子龍は、床にひざまずいて、真実を面に、哀願した。
玄徳は、瞑目して、考えこんでいたが、
「いや、私はそんな大才ではありません。けれど、将来において、また再会の御縁があったら、親しく今日の誼をまた温めましょう。──今は時機ではありません。私の去った後は、なおのこと、どうか公孫瓚を助けて上げて下さい。時来るまで、公孫瓚の側にいて下さい。それが、玄徳からお願い申すところです」
諭されて、子龍もぜひなく、
「では、時を得ましょう」と、涙ながら後に留まった。
翌日。
玄徳は、張飛、関羽などの率いる一軍の先に立って、平原へ帰った。──すなわち、その時から彼は平原の相として、ようやく、一地方の相たる印綬を帯びたものだった。
× × ×
ここに、南陽の太守で、袁術という者がある。
袁紹の弟である。
かつては、兄袁紹の旗下にあって、兵糧方を支配していた男だ。
南陽へ帰ってからも、兄からはなんの恩禄をくれる様子もないので、
「けしからぬ」と、不平でいっぱいだった。
彼は、書面を送って、
「先ごろからの賞として、冀北の名馬千匹を賜わりたい。くれなければ考えがある」
と兄へ申し入れた。
袁紹は、弟の強請がましい恩賞の要求に、腹を立てたか、一匹の馬も送ってよこさないばかりか、それに就いての返辞も与えなかった。
袁術は大いに怨んで、それ以来、兄弟不和となっていたが、兵馬の資財はすべて兄の方から仰いでいたので、たちまち、経済的に苦しくなって来た。
で、荊州の劉表へ使をやって、兵糧米二万斛の借用を申しこむと、劉表からも態よく断わられてしまった。
「こいつも兄の指金だな」
袁術は、憤怒を発して、とうとう自暴自棄の兆をあらわした。
彼の密使は、暗夜ひそかに、呉へ渡って、呉の孫堅へ一書を送った。
文面は、こうであった。
異日、印を奪わん為、洛陽の帰途を截ち、公を苦しめたるものは袁紹の謀事なり。
今また、劉表と議し、江東を襲って、公の地を掠めんと企つ。言うに忍びず、ただ、公は速やかに兵を興して荊州を取れ。われもまた兵をもって助けん。公荊州を得、われ冀州を取らば、二讐一時に報ずるなり。誤ち給う勿れ。
三
ここは揚子江支流の流域で、城下の市街は、海のような大湖に臨んでいた。孫堅のいる長沙城(湖南省)はその水利に恵まれて、文化も兵備も活発だった。
程普は、その日旅先から帰って来た。
ふと見ると、大江の岸にはおよそ四、五百艘の軍船が並んでおびただしい食糧や武器や馬匹などをつみこんでいるので吃驚した。
「いったい、どこにそんな大戦が起こるというのか」
従者をして、船手方の者に糺してみると、よくわからないが、孫堅将軍の命令が下り次第に、荊州(揚子江沿岸)の方面の戦争にゆくらしいとの事だった。
「はてな」
程普はにわかに、私邸へ帰るのを見合わせて、途中から登城した。そして同僚の幕将たちにわけを聞いていよいよ驚いた。
彼はさっそく太守の孫堅に謁して、その無謀を諫めた。
「承れば、袁術と謀し合わせて、劉表、袁紹を討とうとの軍備だそうですが、一片の密書を信じて、彼と運命を共にするのは、危ない限りではありますまいか」
孫堅は笑って、
「いや程晋、それくらいな事は、自分も心得ておるよ。袁術はもとより詐り多き小人だ。──しかし、予は彼の力を恃んで兵を興すのではない。自分の力をもってするのだ」
「けれど、兵を挙げるには、正しい名分がなければなりません」
「袁紹は先に、洛陽において、わしをあのように恥ずかしめたではないか。また、劉表はそのさしずをうけて、予の軍隊を途中で阻み、さんざんにこの孫堅を苦しめた。今、その恥と怨みとを雪ぐのだ」
程普も、それ以上、諫言のことばもなく、自らまたすすんで軍備を督励した。
吉日をえらんで、五百余艘の兵船は、大江を発するばかりとなった。──早くもこの沙汰が、荊州の劉表へ聞こえたので、劉表は、
「すわこそ」と、軍議を開いて、その対策を諸将にたずねた。
時に、蒯良という一将がすすみ出て、意見を吐いた。
「なにも驚き騒ぐほどな敵ではありません。よろしく江夏城の黄祖をもって、要害をふせがせ、荊州襄陽の大軍をこぞって、後陣に固く備えおかれれば、大江を隔てて孫堅もさして自由な働きはできますまい」
人々も皆、
「もっともな説」と、同意して、国中の兵力をあつめ、それぞれ防備の完璧を期していた。
湖南の水、湖北の岸、揚子江の流域はようやく波さわがしい兆しをあらわした。
さて、ここに。
孫堅方では、その出陣にあたって、閨門の女性やその子達をめぐって、家庭的な一波紋が起こっていた。
彼の正室である呉氏の腹には、四人の子があった。
長男の孫策、字は伯符。
第二子孫権、字は仲謀。
第三男、孫翊。
第四男、孫匡。
などの男ばかりだった。
また、呉氏の妹にあたる孫堅の寵姫からは、孫朗という男子と、仁という女子との二人が生まれていた。
また、愈氏という寵妾にも、ひとりの子があった。孫韶、字は公礼である。
──明日は出陣。
と聞こえた前夜のこと。その大勢の子等をひきいて、孫堅の弟孫静は、なにか改まって、兄孫堅の閣へたずねて来た。
四
「舎弟か、──やあ大勢で揃って来たな。明日は出陣だ。みんなして門出を祝いに来たか」
孫堅は、
上機
だった。
弟の孫静は、
「いや兄上」と改まって、
「あなたの御子達を伴れて、こう皆して参ったわけは、御出戦をお諫めに来たので、お祝いを述べに来たのではありません」
「なに。諫めに?」
「はい。もし大事なお身に、間違いでもあったら、この大勢の公達や姫たちは、どうなされますか。その御子達の母たる呉夫人も、呉姫も、兪美人も、どうか思い止まって下さるようと、私を通じてのお縋りです」
「ばかを言え、この期になって──」
「でも、敗れて後、戟を収めるよりはましでしょう」
「不吉なことを申すな」
「すみません、しかし兄上、これが、天下の乱に臨んで億民の救生に起つという戦なら、私はお止めいたしません。たとえ三夫人の七人の御子がいかにお嘆きになろうとも、孫静が先に立って御出陣を慶します。──けれどこんどの軍は、私怨です。自我の小慾と小義です。そのため、兵を傷つけ、百姓を苦しめるようなお催しは、絶対にお見合わせになったほうがよいと考えられますが」
「だまれ、おまえや女子供の知ったことじゃない」
「いや、そうおっしゃっても」
「黙らぬかっ。──汝は今、名分のない戦と言ったが、たれか、孫堅の大腹中を知らんや。おれにも、救世治民の大望はある。見よ、今に天下を縦横して、孫家の名を重からしめてみせるから」
「ああ」
孫静は、ついに黙ってしまった。
すると、呉夫人の子の長男孫策は、ことし紅顔十六歳の美少年だったが、つかつかと前へ進んで、
「お父上が出陣なさるなら、ぜひ私も連れて行ってください。七人の兄弟のうちでは、私が年上ですから」と、言った。
苦りきっていた
孫堅は、長男の
健気なことばに、救われたように
機
を直した。
「よく言った。幼少からそちは兄弟中でも、英気優れ、物の役にも立つ子と、わしも見込んでいただけのものはあった。明日、わしの立つまでに、身仕度をしておるがよい」
孫堅は、さらに、大勢の子と、弟とを見まわして、
「次男の孫権は、叔父御の孫静と心を協せて、よく留守を護っておれよ」と、言い渡した。
次男の孫権は、
「はい」と、明瞭に答えて、父の面に、じっと訣別を告げていた。
孫策の母の呉夫人は、叔父と共に諫めに行った長男が、かえって父に従いて戦に征くと聞いて、
「とんでもない。あの子を呼んでおくれ」
と、侍女を迎えにやったが、それがまだ夜も明けないころだったのに、長男の孫策は、もう城中にいなかった。
孫策は、もし母が聞いたら、必ず止めるであろうと、あらかじめ察していたし、また、彼は鷹の子のごとく俊敏な気早な若武者でもあったから、父の出陣の時刻も待たず、
「われこそ一番に」と、まだ暗いうちに大江の畔へ出て、早くも軍船の一艘に乗り込み、真っ先に船をとばして、敵の樊城へ攻めかかっていたのであった。
五
黎明と共に、出陣の鼓は鳴った。長沙の大兵は、城門から江岸へあふれ、軍船五百余艘、舳艪をそろえて揚子江へ出た。
孫堅は、長男の孫策が、すでに夜の明けないうち、十艘ばかり兵船を率いて、先駆けしたと聞いて、「頼もしいやつ」と、口には大いにその健気さを賞したが、心には初陣の愛児の身に万一の不慮を案じて、
「孫策を討たすな」と、急ぎに急いで、敵の鄧城(河南省・鄧県)へ向かった。
劉表の第一線は、黄祖を大将として、沿岸に防禦の堅陣を布いていた。
孫策は、父の本軍より先に来て、わずかな兵船をもって、一気に攻めかかっていたが、陸上からいっせいに射立てられて、近づくことさえできなかった。
その間に、味方の五百余艘が、父孫堅の龍首船をまん中にして、江上に船陣を布き、
「孫策、はやまるな」
と、小舟をとばして伝令して来たので、孫策もうしろへ退いて、父の船陣の内へ加わった。
孫堅は、充分に備え立て、各船の舳に楯と射手をならべ、弩弓の弦を満々と懸けて、
「いざ、進め」と、白浪をあげながら江岸へ迫った。
そして、射かける間に、各親船から小舟を降ろし、戟、剣の精鋭を陸へ押しあげて、一気に沿岸の防禦を突破しようという気勢であった。
しかし、敵もさるものである。
防禦陣の大将黄祖は、かねて手具脛ひいて待っていた所であるから、
「怨敵ござんなれ」と、鳴りをしずめたまま、兵船の近づくまで、一矢も放たなかった。
そして、充分、機を計って、
「よしっ」
と、黄祖が、一令を発すると、陸上に組んである多くの櫓や、また、何町という間、布き列ねてある楯や土塁の蔭から、いちどに飛箭の暴風を沿びせかけた。
両軍の射交わす矢うなりに、陸地と江上のあいだは矢の往来で暗くなった。黄濁な揚子江の水は岸に激して凄愴な飛沫をあげ、幾度かそこへ、小舟の精兵が群れをなして上陸しようとしたが、皆ばたばたと射殺されて、死体はたちまち、濁流の果てへ、芥のように消えて行った。
「退けや、退けや」
孫堅は、戦不利と見て、たちまち船陣の矢のとどかぬ距離まで退いてしまった。
彼は、作戦を変えた。
夜に入ってからである。さらに、附近の漁船まで狩り出して、それに無数の小舟を列ね、赤々と、篝火を焚かせて、あたかも夜襲を強行するように見せた。
江上は真っ暗なので、その火ばかりが物凄く見えた。陸上の敵は、
「すわこそ」と、昼にもまして、弩弓や火箭を射るかぎり射て来た。
しかしそれには、兵は乗っていなかったのである。舟を操る水夫だけであった。孫堅の命令で、水夫は、敵にいたずらな矢数を費い果たさせるため、暗澹たる江上の闇で、ただ、わあわあっと、声ばかりあげていた。
夜が明けると、小舟も漁船も、敵に正体を見られぬうちに、四散してしまった。そして、夜になるとまた、同じ策を繰り返した。
こうして七日七夜も、毎夜、空船の篝で敵を欺き、敵がつかれ果てたころ、一夜、こんどはほんとに強兵を満載して、大挙、陸上へ馳けのぼり、黄祖の軍勢をさんざんに追い乱した。
六
船手の水軍は、すべて曠野へ上って、雲のごとき陸兵となった。
鄧城へ逃げこんだ敵の黄祖は、張虎、陳生の両将を翼として、翌日ふたたび猛烈に撃退しにかかって来た。
そして、乱軍となるや、「孫堅を始め、一人も生かして帰すな」とばかり、張虎、陳生等は、血眼になって馳けまわり、孫堅の本陣へ突いて来ると、大音で罵った。
「汝等、江東の鼠、わが大国を犯して、なにを求めるかっ」
聞いて、孫堅は、
「口幅ったい草賊めら、あの二人を討て」と、左右へ下知した。幕下の韓当は、
「われこそ」と、刀を舞わして、張虎へ当たり、戦うこと三十余合、火華は鏘々と、両雄の眸を焦いた。
陳生、それを見て、
「助太刀」と、呼ばわりながら、張虎を扶けて韓当を挾み撃ちに苦しめた。
さしもの韓当もすでに危うしと見えた時である。──父孫堅の傍らにあった孫策は、従者の持っていた弓を取りあげて、キリキリと箭を眦へ当ててふかく引き絞り、
「おのれ」と、弦を切って放った。
箭は、ぴゅっと、味方の上を越えて、かなたなる陳生の面に立った。
陳生は、物凄い叫びをあげて、どうと鞍から転び落ちる──
「や、やっ」
張虎は、怖れて、にわかに逃げかけた。やらじと追いかけて、韓当はそのうしろから、張虎の盔の鉢上を臨んで重ね討ちに斬りさげた。
──二将すでに討たる!
と聞こえて、全軍敗色につつまれ出したので、黄祖は狼狽して、蜘蛛の子のように散る味方の中、馬を打って逃げ走った。
「黄祖を擒れ」
「生擒りにせよ」
若武者孫策は、槍をかかえて彼を追うこと急だった。
幾たびか、孫策の槍が、彼のすぐ後まで迫った。
黄祖は、盔も捨て、ついには、馬まで下りて、徒歩の雑兵たちの中へまぎれこんで、危うくも、一つの河を渉り、鄧城の内へ逃げ入った。
この一戦に、荊州の軍勢はみだれて、孫堅の旗幟は十方の野を圧した。
孫堅は、ただちに、漢水まで兵をすすめ、一方、船手の軍勢を、漢江に屯させた。
× × ×
「黄祖が大敗しました」
早馬の使から、次々、敗報をうけて、劉表は色を失っていた。
蒯良という臣が言った。
「この上は、城を固めて、一方、袁紹へ急使を遣わし、救いをお求めなされるがよいでしょう」
すると、蔡瑁は、
「その計、拙し」と反対して、「敵すでに城下に迫る。なんで手をつかねて生死を他国の救いに待とうぞ。それがし不才なれど、城を出て、一戦を試みん」と豪語した。
劉表も、それを許した。
蔡瑁は、一万余騎をひきいて、襄陽城を発し、峴山(湖北省・襄陽の東)まで出て陣を張った。
孫堅は、各所の敵を席捲して、着々戦果を収めて来た勢いで、またたちまち、峴山の敵も撃破してしまった。
蔡瑁は、口ほどもなく、みじめな残兵と共に、襄陽城へ逃げ帰って来た。
七
大兵を損じたばかりか、おめおめ逃げ帰って来た蔡瑁を見ると、初めに、劉表の前で、卑怯者のように言い負かされた蒯良は、
「それみた事か」と、面罵して怒った。
蔡瑁は、面目なげに、謝ったが蒯良は、
「わが計事を用いないで、こういう大敗を招いたからには、責を負うのが当然である」
と、軍法に照らして、その首を刎ねん──と太守へ申し出た。
劉表は、困った顔して、
「いや今は、一人の命も、むだにはできない場合だから」
と、宥めて、ついに、彼を斬ることは許さなかった。
──というのは、蔡瑁の妹は絶世の美人であって、近ごろ劉表は、その妹をひどく愛していたからであった。
蒯良も、ぜひなく黙ってしまった。大義と閨門とはいつも相剋し葛藤する──。が、今は争ってもいられない場合だった。
「頼むは、天嶮と、袁紹の救援あるのみ」
と、蒯良は、悲壮な決心で、城の防備にかかった。
この襄陽の城は、山を負い、水をめぐらしている。
荊州の嶮。
と、いわれている無双な要害であったから、さすが寄手の孫堅軍も、この城下に到ると、攻めあぐんで、ようやく、兵馬は遠征の疲労と退屈を兆していた。
するとある日。
ひどい狂風がふき捲くった。
野陣の寄手は、砂塵と狂風に半日苦しんだ。ところが、どうしたことか、中軍に立っている「帥」の文字を繡ってある将旗の旗竿が、ぽきんと折れてしまった。
「帥」の旗は、総軍の大将旗である。兵はみな不吉な感じに囚われた。わけて幕僚たちは眉をくもらせて、「ただ事ではない」と、孫堅をかこみ、そして各々口を極めて言った。
「ここ戦も捗々しからず、兵馬もようやく捲んで来ました。それに、家郷を遠く離れて、はや征野の木々にも冬の訪れが見え出したところへ──朔風俄にふいて、中軍の将旗の旗竿が折れたりなどして、皆不吉な予感に囚われています。もうこの辺で、いちど軍をお退きになられてはいかがでしょうか」
すると孫堅は、
「わははは。その方どもまで、そんな御幣をかついでいるのか」と、哄笑した。
彼は、気にもかけていなかった。しかし、士気に関することであるから、孫堅も、真面目になって言い足した。
「風はすなわち天地の呼吸である。冬に先立って、こういう朔風がふくのは冬の訪れを告げるので旗竿を折るためにふいて来たのではない。──それを怪しむのは人間の惑いに過ぎん。もう一押し攻めれば、落ちるばかりなこの城だ。掌のうちにある敵城をすてて、なんでここから引っ返していいものか」
言われてみれば、道理でもあった。諸将は二言なく、孫堅の説に服して、また、士気をもり返すべく努めた。
翌日から、寄手はまた、大呼して城へ迫った。水を埋め、火箭鉄砲をうち浴びせ、軽兵は筏に乗って、城壁へしがみついた。
しかし、襄陽の城は、頑としていた。
霜が降りてくる。
霙が夜々降る。
蕭々たる戦野の死屍は、いたずらに、寒鴉を歓ばすのみであった。
石
一
旋風のあった翌日である。
襄陽城の内で、蒯良は、劉表のまえに出て、ひそかに進言していた。
「きのうの天変はただ事ではありません。お気づきになりましたか」
「ムム。あの狂風か」
「昼の狂風も狂風ですが、夜に入って、常には見ない熒星が、西の野に落ちました。按ずるに将星地に墜つの象、まさに、天文が何事かを訓えているものです」
「不吉を申すな」
「いや。味方にとっては、憂うべきことではありません。むしろ、壇を設けて祭ってもいいくらいです。方を度るに、凶兆は敵孫堅の国土にあります。──機を外さず、この際、袁紹が方へ人を遣わして、援助を乞われたら、寄手の敵は四散するか、退路を断たれて袋の鼠となるか、二つに一つを選ばねばならなくなるでしょう」
劉表は、うなずいて、
「だれか、城外の囲みを突破して、袁紹の許へ使する者はないか」と、家臣の列へ言った。
「参りましょう」
呂公は、進んで命をうけた。蒯良は、彼なればよかろうと、人を払って、呂公に一策を授けた。
「強い馬と、精猛な兵とを、五百余騎そろえて射手をその中に交じえ、敵の囲みを破ったら、まず峴山へ上るがよい。必ず敵は追撃して来よう。この方はむしろそれを誘って、山の要所に、岩石や大木を積んで置き、下へかかる敵を見たら一度に磐石の雨を浴びせるのだ。──射手は敵の狼狽を窺って、四林から矢を注ぎかけろ、──されば敵は怯み、道は岩石大木に邪げられ、易々と袁紹のところまで行く事が出来よう」
「なるほど、名案ですな」
呂公は、勇んで、その夜、密かに鉄騎五百を従えて、城外へ抜け出した。
馬蹄をしのばせて、蕭殺たる疎林の中を、忍びやかに進んで行った。万樹すべて葉を震い落とし、はや冬めいた梢は白骨を植え並べたように白かった。
細い月が懸かっていた。──と敵の哨兵であろう、疎林の端まで来ると、
「だれだ」と、大喝した。
どっと、先頭の十騎ばかりが、跳びかかって、たちまち五人の歩哨を斬り尽くした。
すぐ、そこは、孫堅の陣営だったから、孫堅は、直ちに、馳け出して、
「今、馳け通った馬蹄の音は敵か、味方か」と、大声で

ねた。
答えはなく、五人の歩哨は、二日月の下に、碧い血にまみれていた。
孫堅は、それを見るなり、
「やっ。さては」と、直覚したので、馬にとび乗るが早いか、味方の陣へ、
「城兵が脱出したぞっ。──われにつづけっ」
と、呼ばわって、自身まっ先に呂公の五百余騎を追いかけて行った。
急なので、孫堅の後からすぐ続いた者は、ようやく、三、四十騎しかなかった。
先の呂公は振り顧って、
「来たぞ、追っ手が」
かねて計っていたことなので、驚きもせず、疎林の陰へ、射手を隠して、自分等は遮二無二、山上へよじ登って行った。そして敵のかかりそうな断崖の上に、岩石を積みかさねて、待ちかまえていた。
──ほどなく。
十騎、二十騎、四五十騎と、敵らしい影が、林の中から山の下あたりへ、わウわウと殺到して、なにか口口に罵っていた。
二
中に、孫堅の声がした。
「敵は、山上に逃げたにちがいない。──なんの、これしきの断崖、馬もろとも、乗り上げろっ」
猛将の下、弱卒はない。
孫堅が、馬を向けると後から後から駈けつづいて来た部下も、どっと、峴山の登りへかかりかけた。
けれど、足許は暗く、雑草の蔓と、雪崩れやすい土砂に悩まされて、孫堅の馬も、ただ嘶くのみだった。
断崖の上から窺っていた呂公は、今ぞと思って、
「それっ、落とせっ、射ろ」と、山上山下へ、両手を振って合図をした。
大小の岩石は、一度に、崖の上から落ちて来て、下なる孫堅とその部下三、四十人を埋めてしまうばかりだった。しかも、あわてて遁れようとすれば、四方の木陰から、凄まじい矢うなり疾風が身をつつむ。
「しまった!」
孫堅の眼が、二日月を睨んだ。とたんに、彼の頭の上から、一箇の巨大な磐石が降って来た。
ずしんっ──
地軸の揺れるのを覚えた刹那、孫堅の姿も馬も、その下になっていた。あわれむべし血へどを吐いた首だけが、磐石の下からわずかに出ていた。
孫堅、その時、年三十七歳。
初平三年の辛未、十一月七日の夜だった。巨星は果たして地に墜ちたのだ。夜もすがら万梢悲悲と霜風に震えて、濃き血のにおいとともに夜は暁けた。
朝陽を見てから、敵も味方も気づいて、騒ぎ出したことだった。
呂公は、自分の殺した三十余騎の追っ手中に、敵の大将がいようなどとは、夢にも気づかなかったのである。
が──疎林の内に残っていた射手の一隊が、夜明けと同時に発見して、
「これこそ孫堅だ」
と、その死体を、狂喜して城内へ奪い去り、呂公は、連珠砲を鳴らして、城内へ異変を告げた。
寄手の勢もにわかの大変に、その狼狽や動揺は蔽うべくもない。──号泣する者、喪失して茫然たる者、血ばしって弓よ刀よと騒動する者──兵はみだれ、馬は嘶き、早くも陣の備えはその態を崩しはじめた。
劉表、蒯良など、城内の者は、手を打ち叩いて、
「孫堅、洛陽に玉璽を盗んで、まだ二年とも経たぬ間に、はやくも天罰にあたって、大将にあるまじき末期を遂げたか。──すわや、この虚を外すな」
黄祖、蔡瑁、蒯良なんどみな一度に城戸をひらいて、どっと寄手のうちへ衝いて行った。
すでに大将を失った江東の兵は戦うも力はなく、打たるる者数知れなかった。
漢江の岸に、兵船をそろえていた船手方の黄蓋は、逃げくずれて来た味方に、大将の不慮の死を知って、大いに憤り、
「いでや、主君の弔合戦」
とばかり、船から兵をあげて、折から追撃して来た敵の黄祖軍に当たり、入り乱れて戦ったが、怒れる黄蓋は、獅子奮迅して、敵将黄祖を、乱軍のなかに生擒って、いささか鬱憤をはらした。
また。
程普は、孫堅の子、孫策を扶けて襄陽城外から漢江まで無二無三逃げて来たが、それを見かけた呂公が、「よい獲物」とばかり孫策を狙って、追撃して来たので、程晋は、
「讐の片割れ、見捨てては去れぬ」と、引っ返して渡り合い、孫策もまた、槍をすぐって程普を助けたので、呂公はたちまち、馬より斬って落とされて、その首を授けてしまった。
三
両軍の戦うおめき声は、暁になって、ようやくやんだ。
何分この夜の激戦は、双方ともなんの作戦も統御もなく、一波が万波を喚び、混乱が混乱を招いて、闇夜に入り乱れての乱軍だったので、夜が明けてみると、相互の死傷は驚くべき数にのぼっていた。
劉表の軍勢は、城内にひきあげ、呉軍は漢水方面にひき退いた。
孫堅の長男孫策は漢水に兵をまとめてから、初めて、父の死を確めた。
ゆうべから父の姿が見えないので、案じぬいてはいたがそれでもまだ、どこからか、ひょっこり現われて、陣地へ帰って来るような気がしてならなかったが、今はその空しいことを知って声をあげて号泣した。
「この上は、せめて父の屍なりとも求めて厚く弔おう」と、その遭難の場所、峴山の麓を探させたが、すでに孫堅の死骸は、敵の手に収められてしまった後だった。
孫策は、悲痛な声して、
「この敗軍をひっ提げ、父の屍も敵に奪られたまま、なんでおめおめ生きて故国へ帰られよう」
と、いよいよ、慟哭してやまなかった。
黄蓋は、慰めて、
「いやゆうべ、それがしの手に、敵の一将黄祖という者を生擒ってありますから、生ける黄祖を敵へ返して、大殿の屍を味方へ乞い請けましょう」と、言った。
すると、軍吏桓楷という者があって、劉表とは、以前の交誼があるとのことなので、桓楷を、その使者に立てた。
桓楷は、ただ一人、襄陽城に赴いて、劉表に会い、
「黄祖と、主君の屍とを、交換してもらいたい」
と、使の旨を告げると、劉表はよろこんで、
「孫堅の死体は、城内に移してある。黄祖を送り返すならば、いつでも屍は渡してやろう」と、快諾し、また、
「この際、これを機会に、停戦を約して、長く両国の境に、ふたたび乱の起こらぬような協定を結んでもいい」と、言った。
使者桓楷は、再拝して、
「では、立ち帰って、早速その運びをして参りましょう」
と、起ちかけると、劉表の側に在った蒯良が、やにわに、
「無用、無用」と、叫んで、主の劉表に向かって諫言した。
「江東の呉軍を破り尽くすのは、今この時です。しかるに、孫堅の屍を返して、一時の平和に安んぜんか、呉軍は、今日の雪辱を心に蓄えて、必ず兵気を養い、他日ふたたびわが国へ仇をなすことは火を見るよりも明らかなことだ。──よろしく使者桓楷の首を刎ねて、即座に、漢水へ追撃の命をお下しあるように望みます」
劉表は、ややしばらく、黙考していたが、首を振って、
「いやいや、わしと黄祖とは、心腹の交わりある君臣だ。それを見殺しにしては、劉表の面目にかかわる」と、蒯良のことばを退けて、ついに屍を与えて、黄祖の身を、城内へ受け取った。
蒯良は、そのことの運ばれる間にも、幾度となく、
「無用の将一人をすてても、万里の土地を獲れば、いかなる志も後には行なう事ができるではありませんか」
と、口を酢くして説いたが、ついに用いられなかったので、
「ああ、大事去る!」と、独り長嘆していた。
一方、呉の兵船は、弔旗を掲げて、国へ帰り、孫策は、父の柩を涙ながら長沙城に奉じて、やがて曲阿の原に、荘厳な葬儀を執り行なった。
年十七の初陣に、この体験をなめた孫策は、父の業を継ぎ、賢才を招き集めて、ひたすら国力を養い、心中深く他日を期しているもののようであった。
牡丹亭
一
「呉の孫堅が討たれた」
耳から耳へ。
やがて長安(陝西省・西安)の都へその報は旋風のように聞こえて来た。
董卓は、手を打って、
「わが病の一つは、これで除かれたというものだ。彼の嫡男孫策はまだ幼年だし......」
と、独りよろこぶこと限りなかったとある。
そのころ、彼の奢りは、いよいよ募って、絶頂にまで昇ったかの観がある。
位は人臣を極めてなおあきたらず、太政太師と称していたが、近ごろは自ら尚父とも号していた。
天子の儀仗さえ、尚父の出入りの耀かしさには、見劣りがされた。
弟の董旻に、御林軍の兵権を統べさせ、兄の子の董璜を侍中として、宮中の枢機にすえてある。
みな彼の手足であり、眼であり、耳であった。
その他、彼につながる一門の長幼縁者は端にいたるまで、みな金紫の栄爵にあずかって、わが世の春に酔っていた。
郿塢――
そこは、長安より百余里の郊外で、山紫水明の地だった。董卓は、地を卜して、王城をも凌ぐ大築城を営み、百門の内には金玉の殿舎楼台を建てつらね、ここに二十年の兵糧を貯え、十五から二十歳ぐらいまでの美女八百余人を選んで後宮に入れ、天下の重宝を山のごとく集めた。
そして、はばかりもなく、常に言うことには、
「もし、我が事が成就すれば、天下を取るであろう。事成らざる時は、この郿塢城に在って、悠々老を養うのみだ」──と。
明らかに、大逆の言だ。
けれど、こういう威勢に対しては、だれもそれをそれと言う者もない。
地に拝伏して、ただ命を惧れる者──それが公卿百官であった。
こうして、彼は、自分の一族を郿塢城において、半月に一度か月一度ぐらいずつ、長安へ出仕していた。
沿道百余里、塵をも惧れ、砂を掃き、幕をひき、民家は炊煙も断って、ただただ彼の車蓋の珠簾とおびただしい兵馬鉄槍が事なく通過するのみを禱った。
「太師。お召しですか」
天文官の一員は彼によばれて、ひざまずいた。
その日、朝廷の宴楽台に、酒宴のあるという少し前であった。
「なにか変わったことはないか」
董卓の

ねに、
「そういえば昨夜、一陣の黒気が立って、月白の中空をつらぬきました。なにか、諸公のうちに、凶気を抱く者があるかと思われます」
「そうだろう」
「なにかお心あたりがおありでございますか」
すると董卓は、はったと睨みつけて言った。
「そち等の知ったことではない。我より問われて初めて答えをなすなど怠慢至極だ。天文官は、絶えず天文を按じ、凶事の来らぬうちに我へ告げねは、なんの役に立つかっ」
「はっ。恐れ入りましてございます」
天文官は、自分の首の根から黒気の立たないうちに、蒼くなってあたふた退出した。
やがて、時刻となると、公卿百官は、宴に蝟集した。すると、酒も酣のころ、どこからか、呂布があわただしく帰って来て、
「失礼します」と、董卓のそばへ行って、その耳元へなにやら囁いた。
満座は皆、杯もわすれて、その二人へ、神経を尖らしていた。
──と、董卓は、うなずいていたが、呂布へ向かって低声に命じた。
「逃がすなよ」
呂布は、一礼して、そこを離れたと見ると、無気味な眼を光らして、百官のあいだを、のそのそと歩いて来た。
二
「おい。ちょっと起て」
呂布の腕が伸びた。
酒宴の上席のほうにいた司空張温の髻を、いきなりひッ摑んだのである。
「あッ、な、なにを」
張温の席が鳴った。
満座、色醒めて、どうなる事かと見ているまに、
「やかましい」
呂布は、その怪力で、鳩でも摑むように、無造作に、彼の身を、堂の外へ持って行ってしまった。
しばらくすると、一人の料理人が、大きな盤に、異様な料理を捧げて来て、真ん中の卓においた。
見ると、盤に盛ってある物は、たった今、呂布に摑み出されて行った張温の首だったので、朝廷の諸臣は、みな顫えあがってしまった。
董卓は、笑いながら、
「呂布は、いかがした」と呼んだ。
呂布は、悠々、後から姿をあらわして、彼の側に侍立した。
「御用は」
「いや、そちの料理が、少し新鮮すぎたので、諸卿みな杯を休めてしまった。安心して飲めとお前から言ってやれ」
呂布は満座の蒼白い顔に向かって、傲然と、演説した。
「諸公。もう今日の余興はすみました。杯をお挙げなさい。おそらく張温のほかに、それがしの料理を煩わすようなお方はこの中にはおらんでしょう。──おらないはずと信じる」
彼が、結ぶと、董卓もまた、その肥満した体軀を、ゆらりと上げて言った。
「張温を誅したのは、故なきことではない。彼は、予に叛いて、南陽の袁術と、ひそかに通謀したからだ。天罰といおうか、袁術の使が密書を持って、過って呂布の家へそれを届けて来たのじゃ。──で彼の三族も、今しがた、残らず刑に処し終わった。汝等朝臣も、このよい実例を、確と見ておくがよい」
宴は、早目に終わった。
さすが長夜の宴もなお足らないとする百官も、この日は皆、
々に立ち戻り、一人として、酔った顔も見えなかった。
中でも司徒王允は、わが家へ帰る車のうちでも、董卓の悪行や、朝廟の紊れを、つくづく思い沁めて、
「ああ。ああ......」
嘆息ばかり洩らしていた。
館に帰っても、憤念の痞えと、不快な懊悩は去らなかった。
折ふし、宵月が出たので、彼は気を革めようと、杖を曳いて、後園を歩いてみたが、なお、胸のつかえが除れないので、茶蘼の花の乱れ咲いている池畔へかがみこんで、きょうの酒をみな吐いてしまった。
そして、冷たい額に手をあてながら、しばらく月を仰ぎ、瞑目していると、どこからか春雨の咽ぶがような啜り泣きの声がふと聞こえた。
「だれか?」
王允は見まわした。
池のかなたに、水へ臨んでいる牡丹亭がある。月は廂に映じ窓には微かな灯が揺れている。
「貂蟬でないか。......なにをひとりで泣いているのだ」
近づいて、彼は、そっと声をかけた。
貂蟬は、芳紀十八、その天性の麗しさは、この後園の芙蓉の花でも、桃李の色香でも、彼女の美には競えなかった。
まだ母の乳も恋しい幼いころから、彼女は生みの親を知らなかった。
褓の
籠と共に、
市に売られていたのである。王允は、その幼少に求めてわが家に養い、珠を
研くように諸芸を仕込んで
楽女とした。
薄命な貂蟬はよくその恩を知っていた。王允もわが子のごとく愛しているが、彼女も聡明で、よく情に感じる性質であった。
三
楽女とは、高官の邸に飼われて、賓客のあるごとに、宴に侍って歌舞吹弾する賤女をいう。
けれど、王允と、貂蟬とは、その愛情においては、主従というよりも、養父と養女というよりも、なお、濃いものであった。
「貂蟬、風邪をひくといけないぞよ。......さ、おだまり、涙をお拭き。おまえも妙齢となったから、月を見ても花を見ても、泣きたくなるものとみえる。おまえくらいな妙齢は、羨ましいものだなあ」
「......なにをおっしゃいます。そんな浮いた心で、貂蟬は悲しんでいるのではございません」
「では、なんで泣いていたのか」
「大人がお可哀そうでならないから......つい泣いてしまったのです」
「わしが可哀そうで......?」
「ほんとに、お可哀そうだと思います」
「おまえに......おまえのような女子にも、それがわかるか」
「わからないでどうしましょう......。そのお寠れよう。お髪も......めっきり白くなって」
「むむう」
王允も、ほろりと、涙をながした。──泣くのを宥めていた彼のほうが、滂沱として、止まらない涙に当惑した。
「なにをいう。そ......そんな事はないよ。おまえの取りこし苦労じゃよ」
「いいえ、おかくしなさいますな、嬰児の時から、大人のお家に養われてきた私です。このごろの朝夕の御様子、いつも笑ったことのないお顔......。そして時折、ふかい嘆息を遊ばします。......もし」
貂蟬は、彼の老いたる手に、瞼を押しあてて言った。
「
賤しい楽女のわたくし、お疑い遊ばすのも当り前でございますが、どうか、お胸の悩みを、打ち明けて下さいまし。......いいえ、それでは、
逆しまでした。大人のお胸を

く前に、わたくしの本心から申さねばなりません。──私は常々、大人の御恩を忘れたことはないのです。十八の年まで、
実の親も及ばないほど愛して下さいました。
歌吹音楽のほか、人なみの学問から女の諸芸、学び得ないことはなに一つありませんでした。──みんな、あなた様のお情けに
鏤められた身の宝です。......これを、この御恩を、どうしてお
酬いしたらよいか、貂蟬は、この
唇や涙だけでは、それを申すにも足りません」
「............」
「大人。......おっしゃって下さいませ。おそらく、あなたのお胸は、国家の大事を悩んでいらっしゃるのでございましょう。今の長安の有り様を、憂い患っておいでなのでございましょう」
「貂蟬」
急に涙を払って、王允は思わず、痛いほど彼女の手をにぎりしめた。
「うれしい! 貂蟬、よく言ってくれた。......それだけでも、王允はうれしい」
「私のこんな言葉だけで、大人の深いお悩みは、どうして除れましょう。──と言うて、男の身ならぬ貂蟬では、なんのお役にも立ちますまいし......。もし私が男であるならば、あなた様のために、生命を捨ててお酬いすることもできましょうに」
「いや、できる!」
王允は、思わず、満身の声で言ってしまった。
杖をもって、大地を打ち、
「──ああ、知らなんだ。たれかまた知ろう。花園裡に、回天の名珠を鏤めた誅悪の利剣が潜んでいようとは」
こう言うと、王允は、彼女の手を取らんばかりに誘って、画閣の一室へ伴い、堂中に坐らせてその姿へ頓首再拝した。
貂蟬は、驚いて、
「大人。何をなさいますか、もったいない」
あわてて降ろうとすると、王允は、その裳を抑えて、言った。
「貂蟬。おまえに礼を施したのではない。漢の天下を救ってくれる天人を拝したのだ。......貂蟬よ、世のために、おまえは生命をすててくれるか」
四
貂蟬は、躁ぐ色もなく、すぐ答えた。
「はい。大人のおたのみなら、いつでもこの生命は捧げます」
王允は、座を正して、
「では、おまえの真心を見込んで頼みたいことがあるが」
「なんですか」
「董卓を殺さねばならん」
「............」
「彼を除かなければ、漢室の天子はあっても無いのと同じだ」
「............」
「百姓万民の塗炭の苦しみも永劫に救われはしない......貂蟬」
「はい」
「おまえもうすうすは、今の朝廷の累卵の危うさや、諸民の怨嗟は、聞いてもいるだろう」
「ええ」
貂蟬は、目瞬きもせず、彼の吐き出す熱い言々を聞き入っていた。
「──が、董卓を殺そうとして、効を奏した者は、きょうまで一人としてない。かえって皆、彼のために殺し尽くされているのだ」
「............」
「要心ぶかい。十重二十重の警固がゆき届いている。また、あらゆる密偵が網の目のように光っている。しかも、智謀無類の李儒が側にいるし、武勇無双の呂布が守っている」
「............」
「それを殺さんには......。天下の精兵をもってしても足らない。......貂蟬。ただ、おまえのその腕のみが成し得る」
「......どうして、私に?」
「まず、おまえの身を、呂布に与えると欺いて、わざと、董卓のほうへおまえを贈る」
「............」
さすがに貂蟬の顔は、そう聞くと、梨の花みたいに蒼白く冴えた。
「わしの見る所では、呂布も董卓も、ともに色に溺れ酒に耽る荒淫の性だ。──おまえを見て心を動かさないはずはない。呂布の上に董卓あり、董卓の側に呂布のついているうちは、到底、彼等を亡ぼすことは難しい。まずそうして、二人を割き、二人を争わせることが、彼等を滅亡へひき入れる第一の策だが......貂蟬、おまえはその体を犠牲にささげてくれるか」
貂蟬は、ちょっと、俯向いた。珠のような涙が床に落ちた。──が、やがて面を上げると、
「いたします」
きっぱり言った。
そしてまた、「もし、仕損じたら、わたくしは、笑って白刃の中に死にます。世々ふたたび人間の身をうけては生まれて来ません」と、覚悟のほどを示した。
数日の後。
王允は、秘蔵の黄金冠を、七宝をもって飾らせ、音物として、使者に持たせ、呂布の私邸へ贈り届けた。
呂布は、驚喜した。
「あの家には、古来から名剣宝珠が多く伝わっているとは聞いたが、洛陽から遷都して来た後も、まだこんな佳品があったのか」
彼は、武勇絶倫だが、単純な男である。歓びのあまり、例の赤兎馬に乗って、さっそく王允の家へやってきた。
王允は、あらかじめ、彼が必ず答礼に来ることを察していたので、歓待の準備に手ぬかりはなかった。
「おう、これは珍客、ようこそお出でくだされた」と、自身、中門まで出迎えて、下へも置かぬもてなしを示し、堂上に請じて、呂布を敬い拝した。
傾国
一
王允は、一家を挙げて、彼のためにもてなした。
善美の饗膳を前に、呂布は、手に玉杯をあげながら主人へ言った。
「自分は、董太師に仕える一将にすぎない。あなたは朝廷の大臣で、しかも名望ある家の主人だ。一体、なんでこんなに鄭重になさるのか」
「これは
異なお

ねじゃ」
王允は、酒をすすめながら、
「将軍を饗するのほ、その官爵を敬うのではありません。わしは日ごろからひそかに、将軍の才徳と、武勇に尊敬しておるので、その人間を愛するからです」
「いや、これはどうも」と、呂布は、
機
のよい顔に、そろそろ
微紅を呈して、「自分のような
がさつ者を、大官が、そんなに愛していて下さろうとは思わなかった。身の面目というものだ」
「いやいや、計らずも、お訪ねを給わって、名馬赤兎馬を、わが邸の門に繫いだだけでも、王允一家の面目というものです」
「大官、それほどまでに、この呂布を愛し給うなら、他日、天子に奏して、それがしをもっと高い職と官位にすすめて下さい」
「仰せまでもありません。が、この王允は、董太師を徳とし、董太師の徳は生涯忘れまいと、常に誓っておる者です。将軍もどうか、いよいよ太師のため、自重して下さい」
「いうまでもない」
「そのうちに、自ら栄爵に見舞われる日もありましょう。──これ、将軍へ、お杯をおすすめしないか」
彼は、ことばを更えて、室内に連環して立っている給仕の侍女たちへ、言った。
そして、その中の一名を、眼で招いて、
「めったにお越しのない将軍のお訪ね下すったことだ。貂蟬にもこれへ来て、ちょっと、御あいさつをするがよいと言え」
と、小声でいいつけた。
「はい」
侍女は、退がって行った。間もなく、室の外に、楚楚たる気はいがして、侍立の女子が、帳を揚げた。客の呂布は、杯をおいて、だれが這入って来るかと、眸を向けていた。
了鬟の侍女ふたりに左右から扶けられて、歩々、牡丹の大輪が、微かな風をも怖がるように、それへ這入って来た麗人がある。
楽女貂蟬であった。
「......いらっしゃいませ」
貂蟬は、客のほうへ、わずかに眼を向けて、優やかにあいさつした。雲鬢重たげに、呂布の眼を羞恥らいながら、王允の蔭へ、隠れてしまいそうに摺り寄っている。
「......?」
呂布は、恍惚とながめていた。
王允は、自分の前の杯を、貂蟬にもたせて言った。
「おまえの名誉にもなる。将軍へ杯をさしあげて、おながれを戴くがよい」
貂蟬は、うなずいて、呂布のまえへ進みかけたが、ちらと、彼の視線に会うと、眼もとに、眩げな紅をたたえ、遠くからそっと、真白な繊手へ、翡翠の杯をのせて、聞きとれないほどな小声で言った。
「......どうぞ」
「や。これは」
呂布は、われに返ったように、その杯を持った。
──なんたる可憐!
貂蟬は、すぐ退って、帳の外へ隠れかけた。呂布はまだ、手の杯を、唇にもしない。──彼女がそのまま去るのを残り惜しげに、眼も離たずにいた。酒を干す遑すらない眼であった。
二
「貂蟬。──お待ち」
王允は、彼女を呼びとめて、客の呂布と等分に眺めながら言った。
「ここにいらっしゃる呂将軍は、わしが日ごろ、敬愛するお方だし、わが一家の恩人でもある。──おゆるしをうけて、そのまま側におるがよい。充分に、おもてなしをなさい」
「......はい」
貂蟬は、素直に、客のそばに侍した。──けれど、俯向いてばかりいて、何も言わなかった。
呂布は、初めて、口を開いて、
「御主人。この麗人は、当家の御息女ですか」
「そうです。女の貂蟬というものです」
「知らなかった。大官のお女に、こんな美しいお方があろうとは」
「まだ、まったく世間を知りませんし、また、家の客へも、滅多に出た事もありませんから」
「そんな深窓のお女を、きょうは呂布のために」
「一家の者が、こんなにまで、あなたの御来訪を、歓んでいるということを、お酌み下されば倖せです」
「いや、御歓待は、充分にうけた。もう、酒もそうは飲めない。大官、呂布は酔いましたよ」
「まだよろしいでしょう。貂蟬、おすすめしないか」
貂蟬は、ほどよく、彼に杯をすすめ、呂布もだんだん酔眼になって来た。夜も更けたので、呂布は、帰るといって立ちかけたが、なお、貂蟬の美しさを、繰り返して称えた。
王允は、そっと、彼の肩へ寄って囁やいた。
「おのぞみならば、貂蟬を将軍へさしあげてもよいが」
「えっ。お女を。......大官、それはほんとですか」
「なんで偽りを」
「もし、貂蟬を、この呂布へ賜うならば、呂布は御家のために、犬馬の労を誓うでしょう」
「近い内に、吉日を選んで、将軍の室へ送ることを約します。......貂蟬も、今夜の容子では、たいへん将軍が好きになっているようですから」
「大官。......呂布は、すっかり酩酊しました。もう、歩けない気がします」
「いや、今夜ここへお泊めしてもよいが、董太師に知れて、怪しまれてはいけません。吉日を計って、必ず、貂蟬はあなたの室へ送るから、今夜はお帰りなさい」
「間違いはないでしょうな」
呂布は、恩を拝謝し、また、何度も諄いほど、念を押してようやく帰った。
王允は、後で、
「......ああ、これで一方は、まずうまく行った。貂蟬、何事も天下のためと思って、眼をつぶってやってくれよ」と、彼女へ言った。
貂蟬は、悲しげに、しかしもう観念しきった冷たい顔を、横に振って、
「そんなに、いちいち私を宥らないで下さい。おやさしく言われると、かえって心が弱くなって、涙脆くなりますから」
「もう言うまい。......じゃあかねて話してあるとおり、また近いうちに、
董卓を
邸へ招くから、おまえは
姸を凝らして、その日には
歌舞吹弾もし、董卓の
機
もとってくれよ」
「ええ」
貂蟬は、うなずいた。
次の日、彼は、朝に出仕して、呂布の見えない隙を窺い、そっと董卓の閣へ行って、まずその座下に拝跪した。
「毎日の御政務、太師にもさぞおつかれと存じます。郿塢城へお還りある日は、満城を挙げて、お慰みを捧げましょうが、また時には、茅屋の粗宴も、お気が変わって、かえってお慰みになるかと思われます。──そんなつもりで実は、小館にいささか酒宴の支度を設けました。もし駕を枉げていただければ、一家のよろこび是にすぎたるものはありませんが」
と、彼の遊意を誘った。
三
聞くと、董卓は、
「なに、わしを貴邸へ招いてくれるというのか。それは近ごろ、歓ばしいことである。卿は国家の元老、特にこの董卓を招かるるに、なんで芳志に反こう」
と、非常な喜色で、
「──ぜひ、明日行こう」と、諾した。
「お待ちいたします」
王允は、家に帰ると、この由を、ひそかに貂蟬にささやき、また家人にも、
「明日は巳の刻に、董太師がお越しになる。一家の名誉だし、わし一代のお客だ。必ず粗相のないように」
と、督して、地には青砂をしき、床には錦繡を展べ、正堂の内外には、帳や幕を繞らし、家宝の珍什を出して、饗応の善美を凝らしていた。
次の日。──やがて巳の刻に至ると、
「大賓の御車が見えました」と、家僕が内へ報じる。
王允は、朝服を纏って、すぐ門外へ出迎えた。
──見れば、太師董卓の車は、戟を持った数百名の衛兵にかこまれ、行装の絢爛は、天子の儀仗もあざむくばかりで、車簾を出ると、たちまち、侍臣、秘書、幕側の力者などに、左右前後を護られて、佩環のひびき玉沓の音、簇擁して門内へ入った。
「ようおいでを賜わりました。きょうはわが王家の棟に、紫雲の降りたような光栄を覚えまする」
王允は、董太師を、高座に迎えて、最大の礼を尽くした。
董卓も、全家の歓待に、大満足な容子で、
「主人は、わが傍らにあがるがよい」と、席をゆるした。
やがて、
嚠喨たる奏楽と共に、盛宴の
帳は開かれた。酒泉を

みあう客たちの
瑠璃杯に、
薫々の
夜虹は堂中の
歓語笑声を貫いて、座上はようやく
杯盤狼籍となり、楽人楽器を擁してあらわれ、
騒客杯を挙げて歌舞し、眼を
綾に耳も
聾せんばかりであった。
「太師、ちとこちらで、御少憩あそばしては」
王允は誘った。
「ウム......」
と、董卓は、主にまかせて、護衛の者をみな宴に残し、ただ一人、彼について行った。
王允は、彼を、後堂に迎えて、家蔵の宝樽を開け、夜光の杯に酌いで、献じながら静かに囁いた。
「こよいは、星の色までが、美しく見えます。これはわが家の秘蔵する長寿酒です。太師の寿を万代にと、初めて瓶をひらきました」
「やあ、ありがとう」
董卓は、飲んで、
「こう歓待されては、何をもって司徒の好意にむくいてよいかわからんな」
「私の願うようになれば私は満足です。──私は幼少から天文が好きで、いささか天文を学んでおりますが、毎夜、天象を見ておるのに、漢室の運気はすでに尽きて、天下は新たに起ころうとしています。太師の徳望は、今や巍々たるものですから、古の舜が尭を受けたように、禹が舜の世を継いだように、太師がお立ちになれば、もう天下の人心は、自然、それに順うだろうと思います」
「いや、いや。そんなことは、まだわしは考えておらんよ」
「天下は一人のひとの天下ではありません。天下のひとの天下です。徳なきは徳あるに譲る。これはわが朝のしきたりです。世定まれば、だれも叛逆とはいいません」
「ははははは。もし董卓に天運が恵まれたら、司徒、おん身も重く用いてやるぞ」
「時節をお待ちします」
王允は再拝した。
とたんに、堂中の燭は一遍に灯って、白日のようになった。そして正面の簾が捲かれると、教坊の楽女たちが美音をそろえて歌い出し、糸竹管絃の妙な音にあわせて、楽女貂蟬が、袖をひるがえして舞っていた。
四
客もなく、主もなく、また天下の何者もなく、貂蟬のひとみは、ただ舞うことに、澄み輝いていた。
舞う──舞う──貂蟬は袖を翻して舞う。教坊の奏曲は、彼女のために、糸竹と管絃の技を凝らし、人を酔わしめずにおかなかった。
「ウーム、結構だった」
董卓は、うめいていたが、一曲終わると、
「もう一曲」と、望んだ。
貂蟬が再び起つと、教坊の楽手は、更に粋を競って弾じ、彼女は、舞いながら哀々と歌い出した。
紅牙催拍シテ燕ノ飛ブコ卜忙シ
一片ノ行雲画堂ニ到ル
眉黛促シテ成ス遊子ノ恨
瞼容初メテ故人ノ腸ヲ断ツ
楡銭買ワズ千金ノ笑
柳帯ナンゾ用イン百宝ノ粧
舞罷ミ簾ヲ隔テテ目送スレバ
知ラズ誰カコレ楚ノ襄王
眼を貂蟬のすがたにすえ、歌詞に耳をすましていた董卓は、彼女の歌舞が終わるなり、感極まった容子で、王允へ言った。
「主。あの女性は、いったいだれの女か。どうも、ただの教坊の妓でもなさそうだが」
「お気に召しましたか。当家の楽女、貂蟬というものですが」
「そうか。呼べ」と、斜めならぬ
機
である。
「貂蟬、おいで」
王允は、さし招いた。
貂蟬は、それへ来て、ただ羞恥っていた。董卓は、杯を与えて、
「
幾歳か」と、

いた。
「............」
答えない。
貂蟬は、小指を、唇のそばの黒子に当てて、王允の陰に俯向いてしまった。
「ははは、恥ずかしいのか」
「たいへんな羞恥み性です。なにしろめったに人に接しませんから」
「美い声だの。すがたも、舞もよいが。......主、もう一度、歌わせてくれないか」
「貂蟬。あのように、今夜の大賓が、求めていらっしゃる。なんぞもう一曲......お聴きしていただくがよい」
「はい」
貂蟬は、素直にうなずいて、檀板を手に──こんどはやや低い調子で──客のすぐ前にあって歌った。
一点ノ桜桃絳唇ヲ啓ク
両行ノ砕玉陽春ヲ噴ク
丁香ノ舌ハ衠鋼ノ剣ヲ吐キ
姦邪乱国ノ臣ヲ斬ラント要ス
「いや、おもしろい」
董卓は、手をたたいた。
前に歌った歌詞は自分を讃美していたので、今の歌が自分をさして暗に姦邪乱国の臣としているのも、気づかなかった。
「神仙の仙女とは、実に、この貂蟬のようなのを言うのだろうな。いま、郿塢城にもあまた佳麗はいるが、貂蟬のようなのはいない。もし貂蟬が一笑したら、長安の粉薰はみな色を消すだろう」
「太師には、そんなにまで、貂蟬がお気に入りましたか」
「む......。予は、真の美人というものを、今夜初めて見たここちがする」
「献じましょう。貂蟬も、太師に愛していただければ、無上の幸せでありましょうから」
「え。この美人を、予に賜わるというのか」
「お帰りの車の内に入れてお連れください。──そういえば、夜も更けましたから、相府の御門前までお送りしましょう」
「謝す。謝す。──王允司徒、ではこの美女は、氈車に乗せて連れ帰るぞ」
董卓は、ほとんど、その満足をあらわす言葉も知らないほど歓んで、貂蟬を擁して、車へ移った。
五
王允は、心のうちで、しすましたりと思いながら、貂蟬と董卓の車を丞相府まで送って行った。
「......では」と、そこの門で、董卓に暇を乞うていると、ふと、氈車の内から、貂蟬のひとみが、じっと、自分へ、無言の別れを告げているのに気づいた。
「では、これにて」
王允は、もう一遍、繰り返して言った。それは貂蟬へ、それとなく返した言葉であった。
貂蟬のひとみは、涙でいっぱいに見えた。王允も、胸がせまって、長く居られなかった。
あわてて彼は、わが家の方へ引っ返して来た。すると、かなたの闇から、二列に松明の火を連ね、深夜を憂々と急いで来る騎馬の一隊がある。
近づいて来ると、その先頭には赤兎馬に踏み跨がった呂布の姿が見えた。──はっと思うまもなく、呂布は、王允の姿を見つけて、
「おのれ、今帰るか」
と、馬上から猿臂を伸ばして、王允の襟がみをつかみ大の眼をいからして、
「よくも汝は、先日、貂蟬をこの呂布へ与えると約束しておきながら、こよい董太師に供えてしまいおったな。憎いやつめ。おれを小児のように弄ぶか」と、呶鳴った。
王允は、騒ぐ色もなく、
「どうして将軍は、そんな事をもう御存じなのか。まあ、待ち給え」と、宥めた。
呂布は、なお怒って、
「今、わが邸へ、董太師の美女をのせて、相府へ帰られたと、告げて来た者があるのだ。そんなことが知れずにいると思うのか。この二股膏薬め。八ツ裂きにしてくれるから覚えておれよ」
と、従う武士にいいつけて、はや引ったてようとした。
王允は、手をあげて、
「はやまり給うな将軍。あれほど固く約したこの王允を、なにとて、お疑いあるぞ」
「やあ、まだ吐かすか」
「ともあれ、もう一度邸へお越しください。ここではお話もし難いから」
「そうそう何度も、貴様の舌には欺かれぬぞ」
「その上でなお、お合点がゆかなかったら、即座に、王允の首をお持ち帰りください」
「よしっ、行ってやる」
呂布は彼に従いて行った。
密室に通して、王允は、
「仔細はこうです」と、言葉巧みに言った。
「──実はこよい、酒宴の果てた後で、董太師が興じて仰せられるには、そちは近ごろ、呂布へ貂蟬を与える約束をした由だが、その女性を、ひとまず予が手許へあずけて置け。そして吉日を卜して大いに自分が盛宴を設け、不意に、呂布と娶わせて、やんやと、酒席の興にして、大いに笑い祝す趣向とするから。──と、かような言葉なのでした」
「えっ。......では、董太師が、おれの艶福をからかうつもりで、伴れておいでになったのか」
「そうです。将軍のてれる顔を酒宴で見て、手を叩こうという、お考えだとおっしゃるのです。──で、折角の尊命をそむくわけにも参りませんから、貂蟬をおあずけした次第です」
「いや、それはどうも」と、呂布は、頭を搔いて、
「軽々しく、司徒を疑って、何とも申しわけがない。こよいの罪は、万死に値するが、どうかゆるしてくれい」
「いや、お疑いさえ解ければ、それでいい。必ず近日のうちに、将軍の艶福のために、盛宴が張られましょう。貂蟬もさだめし待っておりましょう。いずれ彼女の歌舞の衣裳、化粧道具など一切も、お手許のほうへ送らせることといたします」
呂布は、そう聞くと、三拝して、立ち帰った。
痴蝶鏡
一
春は、丈夫の胸にも、悩ましい血を沸かせる。
王允のことばを信じて、呂布はその夜、素直に邸に帰ったもののなんとなく寝ぐるしくて、一晩中、熟睡できなかった。
「──どうしているだろう、貂蟬は今ごろ」
そんなことばかり考えた。
董太師の館へ伴われて行ったという貂蟬が、どんな一夜を明かしているかと、妄想を逞しゅうして、果ては、牀のうえにじっとしていられなくなった。
呂布は、帳を排して、窓外に眼をやった。そして彼女のいる相府の空をぼんやり眺めていた。
鴻が鳴き渡ってゆく。
朧月が更けている。──夜はまだ明けず、雲も地上も、どことなく薄明るかった。庭前を見れば、海棠は夜露をふくみ、茶蘼は夜靄にうな垂れている。
「ああ」
彼は、独り呻きながら、また、牀へ横たわった。
「こんなに心のみだれるほど想い悩むのは、俺として生まれてはじめてだ──貂蟬、貂蟬、おまえはなぜ、あんな蟲惑な眼をして、おれの心を囚えてしまったのだ」
彼は、夜明けを待ちかねた。
──が、朝となれば、彼は毅然たる武将だった。邸にも多くの武士を飼っている彼だ。朝陽を浴びて颯爽と、例の赤兎馬に乗って、丞相府へ出仕した。
べつに、そう急用もなかったのであるが、彼は早速、董卓の閣へ出向いて、
「太師はお目ざめですか」と、護衛の番将に

ねた。
番将は懶げに、そこから後堂の秘園をふり向いて、
「まだ帳を下ろしていらっしゃるようですな」と、無感情な顔して言った。
「ほ」
呂布は、何かむらむらと、不安に襲われたが、わざと長閑な陽を仰いで言った。
「もう午の刻にも近いのに、まだお寝みなのか」
「後堂の廊も、そのとおり閉ざしたままですから」
静かに、春園の禽は、昼を啼きぬいていた。
──寝殿は帳を垂れたまま寂として、陽の高きも知らぬもののように見える。
呂布は
蔽い
難い顔いろの
裡からやや乱れた言葉でまた

ねた。
「太師には、昨夜、よほどお寝みが晩かったとみえますな」
「ええ、王允の邸へ、饗宴に招かれて、だいぶごきげんでお帰りでしたからね」
「非常な美姫をお伴れになったそうですな」
「や、将軍もそれを、もう御存じですか」
「ムム、王允の家の貂蟬といえば有名な美人だから」
「それですよ、太師のお目ざめが遅いわけは、昨夜、その美人を幸いして、春宵の短きを嘆じていらっしゃる事でしょう。......何しても、きょうはよい日和ですな」
「あちらで待っているから、太師がお目ざめになったら知らしてくれ」
呂布は、思わず、憤然と眉に色を出して、そこから立ち去った。
相府の一閣で、彼はぼんやりと腕拱みしていた。気にかかるので、時折、池のかなたの閣を見まもっていた。後堂の寝殿は、真午になって、ようやく窓をひらいた様子であった。
「太師には、ただ今、お目ざめになられました」
さっきの番将が告げに来た。
呂布は、取り次ぎも待たずに、董卓の後堂へ入って行った。そして、廊に佇みながら奥を窺うと、臥房深き所、芙蓉の帳まだ紊れて、ゆうべいかなる夢をむすんだか、鏡に向かって、臙脂を唇に施している美姫のうしろ姿がちらと見えた。
二
呂布は、われを忘れて、臥房のすぐ
口の外まで、近づいて行った。
「オ......。貂蟬」
彼は、泣きたいように胸を締めつけられた。七尺の偉丈夫も、魂を搔きむしられ、沈吟、去りもやらず、鏡の中に映る彼女のほうを偸み見していた。
そして、煮え沸る心の底で、
「貂蟬はもう昨夜かぎりで、処女ではなくなっている! ......。ここの臥房には、まだ啜り泣きの声が残っているようだ。......ああ、董太師もひどい。貂蟬もまた貂蟬だ。......それとも王允がおれを欺いたのか。いやいや董太師に求められては、かよわい貂蟬はもうどうしようもなかったろう」
彼の蒼白い顔は、なにかの弾みに、ふと室内の鏡に映った。
貂蟬は、
「あら?」
びっくりして振り向いた。
「............」
呂布は、怨みがましい眼を凝らして、彼女の顔をじっと睨んだ。──貂蟬は、とたんに、雨をふくんだ梨花のように顫いて、
(──ゆるして下さい。わたくしの本心ではありません。胸をなでて......怺えて......。この辛いわたしの胸もわかって居て下さるでしょう)
哀れを乞うような、縋りついて泣きたいような、声なき想いを、眼と姿態に言わせて呂布へ訴えた。
すると、壁の陰で、
「貂蟬。......だれかそれへ参ったのか」と、董卓の声がした。
呂布は、ぎょっとして、数歩跫音をしのばせて、室を離れ、そこからわざと大股に、ずっと這入って来て、
「呂布です。太師には、今お目ざめですか」と、常と変わらない態を装って礼をした。
春宵の夢魂、まだ醒めやらぬ顔して、董卓は、その巨軀を、鴛鴦の牀に横たえていたので、唐突な彼の跫音に、びっくりして身を起こした。
「だれかと思えば、呂布か。......だれに断わって、臥房へ入って来た」
「いや、今、お目ざめと、番将が知らしてくれたものですから」
「いったい、何の急用か」
「は......」
呂布は、用向きを問われて口籠った。──臥房へまで来て命を仰ぐほどな用事は何もないのであった。
「実は......こうです。夜来、なんとなく寝ぐるしいうちに、太師が病に罹られた夢を見たものですから、心配のあまり、夜が明けるのを待ちかねて、相府へ詰めておりました。──がしかし、お変わりのない容子を見て、安心いたしました」
「何を言っておるのか」
董卓は、彼のしどろもどろな口吻を怪しんで、舌打ちした。
「起きぬけから忌わしい事を聞かせおる。そんな凶夢を、わざわざ耳に入れに来るやつがあるか」
「恐れ入りました。常々健康をお案じしておるものですから」
「噓を言え」と、叱って、「そちの容子は、なんとなく怪訝しいぞ。その眼の暗さはなんだ。その挙動のそわそわしている様はなんだ。去れっ」
「はっ」
呂布は、俯向いたまま、一礼して悄然と、影を消した。
その日、早めに
邸へ帰って来ると、彼の妻は、
良人の顔色の
冴えないのを憂いて

いた。
「なにか太師のごきげんを損ねたのではありませんか」
すると呂布は、大声で、
「うるさいっ。董太師がなんだ。この呂布を圧えることは、太師でも出来るものか。きさまは、出来ると思うのか」
と、妻に当たって、呶鳴りちらした。
三
呂布の容子は、目立って変わって来た。
相府への出仕も、休んだり遅く出たり、夜は酒に酔い、昼は狂躁に罵ったり、また、終日、茫然とふさぎ込んだまま、口もきかない日もあった。
「どうしたんですか」
妻が問えば、
「うるさい」としか言わない。
床を踏み鳴らして、檻の猛獣のように、部屋の中を独り廻っている時など、頰に涙をぬらしていることがあった。
そうこうする間に、一月余りは過ぎて、悩ましい後園の春色も衰え、浅翠の樹々に、初夏の陽が、日ましに暑さを加えてきた。
「お勤めはともかく、この際、お見舞いにも出ないでは、大恩のある太師へ叛く者と、人からも疑われましょう」
彼の妻はしきりと諫めた。
近ごろ、董太師が、重いというほどでもないが、病床にあるというので、度々、出仕をすすめるのだった。
呂布もふと、
「そうだ。出仕もせず、お見舞いにも出なくては、申し訳ない」
気を持ち直したらしく、久しぶりで、相府へ出向いた。
そして、董卓の病床を見舞うと、董卓は、もとより、彼の武勇を愛して、ほとんど養子のように思っている呂布のことであるから、いつか、叱って追い返したようなことは、もう忘れている顔で、
「オオ、呂布か、そちも近ごろは、体が勝れないで休んでいるという事ではないか。どんな容体だの」と、かえって病人から慰められた。
「大したことではありません。すこしこの春に、大酒が過ぎたあんばいです」
呂布は、淋しく笑った。
そしてふと、傍らにある貂蟬のほうを眼の隅から見遣ると、この半月の余は、董卓の枕元について帯も裳も解かず、誠心から看護して、すこし面窶れさえして見える容子なので──呂布はたちまち、むらむらと嫉妬の火に全身の血を燃やされて、
(初めは、心にもなくゆるした者へも、女はいつか、月日と共に、身も心も、その男に囚われてしまうものか)と、遣る方なく、煩悶しだした。
董卓は、咳入った。
その間に、呂布は、顔いろを覚られまいと、牀の裾へ退いた。──そして董卓の背をなでている貂蟬の真っ白な手を、物に憑かれた人間のように見つめていた。
すると、貂蟬は、董卓の耳へ、顔をすりよせて、
「すこし静かに、おやすみ遊ばしては......」
と囁いて、衾を蔽い、自分の胸をも、上から被せるようにした。
呂布の眼は、焰になっていた。その全身は、石のごとく、去るのを忘れていた。貂蟬は、病人の視線を隠すと、その姿を振り向いて、片手で袖を持って、眼を拭った。......さめざめと、泣いてみせているのである。
(──辛い。わたしは辛い。想っている御方とは、語らうこともできず、こうして、いつまで心にもない人と一室に暮らさなければならないのでしょう。あなたは無情です。ちっともこのごろは、お姿を見せてくださらない! せめて、お姿を見るだけでも、わたしは人知れず慰められているものを)
もとより声に出しては言えなかったが、彼女の一滴一滴の涙と、濡れた睫毛と、物言えぬ唇のわななきは、言葉以上に、惻惻と、呂布の胸へ、その想いを語っていた。
「......では、では、そなたは」
呂布は、断腸の思いの中にも、体中の血が狂喜するのをどうしようもなかった。盲目的に彼女のうしろへ寄って行った。そして、その白い頸を抱きすくめようとしたが、屏風の角に、剣の佩環が引っかかったので、思わず足を辣めてしまった。
「呂布っ。何するか」
病床の董卓は.、とたんに、大喝して身を擡げた。
四
呂布は、狼狽して、
「いや、べつに......」と、牀の裾へ退りかけた。
「待てっ」と、董卓は、病も忘れて、額に青すじを立てた。
「今、おまえは、わしの眼を偸んで、貂蟬へ戯れようとしたな。──わしの寵姫へ、猥らな事をしかけようとしたろう」
「そんな事はしません」
「ではなぜ、屏風の内へ這入ろうとしたか。いつまで、そんな所に物欲しそうにまごついているか」
「............」
呂布は、いい訳に窮して、真っ蒼な顔して俯向いた。
彼は、弁才の士ではない。また、機知なども持ち合わせない人間である。それだけに、こう責めつけられると、進退窮まったかのごとく、惨澹たる唇を嚙むばかりだった。
「不届き者めッ、恩寵を加えれば恩寵に狎れて、身の程も弁えずにどこまでもツケ上がりおる! 向後は予の室へ、一歩でも這入ると承知せぬぞ。いや、沙汰あるまで自邸で謹慎しておれ。──退らぬかっ。これ、たれかある、呂布を逐い出せ」
と、董卓の怒りははなはだしく、口を極めて罵った。
どやどやと、室外に、武将や護衛の力者たちの跫音が馳け集まった。──が、呂布は、その手を待たず、
「もう、来ません!」
言い放って、自分から颯と、室の外へ出て行った。
ほとんど、入れ交いに、
「何です? 何か起こったのですか」と、李儒が入って来た。
まだ怒りの冷めない董卓は、火のような感情のまま、呂布が、この病室で、自分の寵姫に戯れようとした罪を、外道を憎むように唾して語った。
「困りましたなあ」
李儒は冷静である。にが笑いさえ泛べて聞いていたが、
「なるほど、不届きな呂布です。──けれど太師。天下へ君臨なさる大望のためには、そうした小人の、少しの罪は、笑っておゆるしになる寛度もなければなりません」
「ばかな」
董卓は、肯じない。
「そんなことを宥しておいたら、士気は紊れ、主従のあいだはどうなるか」
「でも今、呂布が変心して、他国へ奔ったら、大事はなりませぬぞ」
「............」
董卓も、李儒に説かれているうちに、やや激怒もおさまって来た。ひとりの寵姫よりは、もちろん、天下は大であった。いかに貂蟬の愛に溺れていても、その野望は捨てきれなかった。
「だが李儒。呂布のやつは、かえって傲然と帰ってしまったが、では、どうしたらよいか」
「そうお気づきになれば、御心配はありません。呂布は単純な男です。明日、お召しあって、金銀を与え、優しくお諭しあれば、単純だけに、感激して、向後はかならず慎むでしょう」
李儒の忠言を容れて、彼はその翌日、呂布を呼びにやった。
どんな問罪を受けるかと、覚悟して来て見ると、案に相違して、黄金十斤、錦二十匹を賜わった上、董卓の口から、
「きのうは、病のせいか、癎癖を起こして、そちを罵ったが、わしは何人よりも、そちを力にしておるのだ。悪く思わず、以前のとおり吾が左右を離れずに、日ごとここへも顔を見せてくれい」
と、宥められたので、呂布はかえって心に苦しみを増した。しかし主君の温言のてまえ、拝跪して恩を謝し、黙々とその日は無口に退出した。
絶纓の会
一
その後、日を経て、董卓の病もすっかり快くなった。
彼はまた、その肥大強健な体に驕るかのように、日夜貂蟬と遊楽して、帳裡の痴夢に飽くことを知らなかった。
呂布も、その後は、以前よりはやや無口にはなったが、日々精勤して、相府の出仕は欠かさなかった。
董卓が朝廷へ上る時は、呂布が赤兎馬に跨がって、必ずその衛軍の先頭に立ち、董卓が殿上にある時は、また必ず呂布が戟を持って、その階下に立っていた。
ある折。
天子に政事を奏するため、董卓が昇殿したので、呂布はいつものように戟を執って、内門に立っていた。
壮者の旺な血ほど、気懶い睡気を覚えるような日である。呂布は、そこここを飛び交う蝶にも、睡魔に襲われ、眼をあげて、夏近い太陽に耀く木々の新翠や真紅の花を見ては、「──貂蟬は何をしているか」と、煩悩に囚われていた。
ふと、彼は、
「きょうは必ず董卓の退出は遅くなろう。......そうだ、この間に」と考えた。
むらむらと、思慕の炎に駆られ出すと、彼は矢も楯もなかった。
にわかに、どこかへ、駆け出して行ったのである。
董卓の留守の間に──と、呂布はひとり相府へ戻って来たのだった。そして勝手を知った後堂へ忍んで行ったと思うと、戟を片手に、
「貂蟬。──貂蟬」と、声を密めながら、寵姫の室へ入って、帳をのぞいた。
「だれ?」
貂蟬は、窓に倚って、独り後園の昼を見入っていたが、振り向いて、呂布のすがたを見ると、
「オオ」と、馳け寄って、彼の胸にすがりついた。
「まだ太師も朝廷からお退がりにならないのに、どうしてあなただけ帰って来たのですか」
「貂蟬。わしは苦しい」
呂布は、呻くように言った。
「この苦しい気もちが、そなたにはわからないのだろうか。実は、きょうこそ太師の退出が遅いらしいので、せめて束の間でもと、わし一人そっとここへ走り戻って来たのだ」
「では......そんなにまで、この貂蟬を想っていて下さいましたか。......欣しい」
貂蟬は、彼の火のような眸を見て、はっと、脅えたように、
「ここでは、人目にかかっていけません。後からすぐに参りますから、園のずっと奥の鳳儀亭で待っていてください」
「きっと来るだろうな」
「なんで噓をいいましょう」
「よし、では鳳儀亭に行って待っているぞ」
呂布はひらりと庭へ身を移していた。そして、木の間を走るかと思うと、後園の奥まった所にある一閣へ来て、貂蟬を待っていた。
貂蟬は彼が去ると、いそいそと化粧を凝らし、ただ一人で忍びやかに、鳳儀亭の方へ忍んで行った。
柳は緑に、花は紅に、人無き秘園は、熟れた春の香いに蒸れていた。
貂蟬は、柳の糸のあいだから、そっと鳳議亭のあたりを見まわした。
呂布は、戟を立てて、そこの曲欄に佇んでいた。
二
曲欄の下は、蓮池だった。
鳳儀亭へ渡る朱の橋に、貂蟬の姿が近づいて来た。花を分け柳を払って現われた月宮の仙女かと怪しまれるほど、その粧いは麗しかった。
「呂布さま」
「おう......」
ふたりは亭の壁の陰へ倚った。そして長いあいだ無言のままでいた。呂布は、体じゅうの血が燃えるかと思った。うつつの身か、夢の身かを疑っていた。
「......おや、貂蟬、どうしたのだね」
「............」
「ええ、貂蟬」
呂布は、彼女の肩をゆすぶった。──彼の胸に顔をあてていた貂蟬が、そのうちにさめざめと泣き出したからであった。
「わしとこうして会ったのを、そなたは欣しいと思わないのか。いったい、何をそんなに泣くのか」
「いいえ、貂蟬は、欣しさのあまり、胸がこみあげてしまったのです。──お聞きください。呂布さま。わたくしは王允様の真の子ではありません。さびしい孤児でした。けれど、わたしを真の子のように可愛がって下された王允様は、行く末は必ず、凛々しい英傑の士を選んで嫁けてやるぞ──といつもおっしゃって下さいました。それかあらぬか、将軍をお招きした夜、それとなく私とあなたとを会わせて賜わりましたから、私は、ひと度、あなたにお目にかかると、これで平生の願いもかなうかと、その夜から、夢にも見るほど、楽しんでおりました」
「ウむ。......ムム」
「ところが、その後、董太師のために、心に秘めていた想いの花は、蹂みにじられてしまいました。太師の権力に、泣く泣く心にそまぬ夜々を明かしました。もうこの身は、以前のきれいな身ではありません。......いかに心は前と変わらず持っていても、汚された身をもって、将軍の妻室に侍くことはできませんから、それを思うと、恐ろしくて、口惜しくて......」
貂蟬は、四辺へ聞こえるばかり鳴咽して、彼の胸に、止めどなく悶えて泣いていたが、突然、
「呂布さま。どうか貂蟬の心根だけは、不愍なものと、忘れないでいてください」と、叫びざま、曲欄へ走り寄って、蓮の池へ身を投げようとした。
呂布は、びっくりして、
「何をする」と、抱き止めた。
その手を、怖ろしい力で、貂蟬は振りのけようと争いながら、
「いえ、いえ、死なせて下さい。生きていても、あなたとこの世の御縁はないし、ただ心は日ごと苦しみ、身は不仁な太師の贄になって、夜々、虐まれるばかりです。せめて、後世の契りを楽しみに、冥世へ行って待っております」
「愚かなことを。来世を願うよりも今生に楽しもう。貂蟬、今にきっと、そなたの心に添うようにするから、死ぬなどと、短気なことは考えぬがいい」
「えっ......ほんとですか。今のおことばは、将軍の真実ですか」
「想う女を、今生において、妻ともなし得ないで、豈、世の英雄と呼ばれる資格があろうか」
「もし、呂布さま。それがほんとなら、どうか貂蟬の今の身を救うて下さいませ。一日も一年ほど長い気がいたします」
「時節を待て。それも長いこととはいわぬ──また、今日は老賊に従って、参殿の供につき、わずかな隙を窺ってここへ来たのだから、もし老賊が退出して来るとたちまち露顕してしまう。そのうちに、またよい首尾をして会おう」
「もう、お帰りですか」
貂蟬は、彼の袖をとらえて、離さなかった。
「将軍は、世に並ぶ者なき英雄と聞いていましたのに、どうしてあんな老人をそんなに、怖れて、董卓の下風に従いているのですか」
「そういうわけではないが」
「私は、太師の跫音を聞いても、ぞっと身が顫えて来ます。......ああいつまでも、こうしていたい」
なお、寄り縋って、紅涙雨のごとき姿態であった。──ところへ、董卓は朝から帰って来るなり、ただならぬ血相を湛えてかなたから歩いて来た。
三
「はて。貂蟬も見えないし、呂布もどこへ行きおったか?」
董卓の眸は、猜疑に燃えていた。
今し方、彼は朝廷から退出した。呂布の赤兎馬は、いつもの所に繫いであるのに、呂布のすがたは見えなかった。怪しみながら、車に乗って相府へ帰ってみると、貂蟬の衣は、衣桁に懸かっているが、貂蟬のすがたは見当たらないのである。
「さては」
と、彼は、侍女を糺して、男女の姿を見つけに、自身、後園の奥へ捜しに来たのであった。
二人は鳳儀亭の曲欄に屈みこんで、泣きぬれていた。貂蟬は、ふと、董卓の姿がかなたに見えたので、
「あっ......来ました」と、あわてて呂布の胸から飛び離れた。
呂布も、驚いて、
「しまった。......どうしよう」
うろたえている間に、董卓はもう走り寄って来て、
「匹夫っ。白日も懼れず、そんな所で、何しているかっ」
と、呶鳴った。
呂布は、物も言わず、鳳儀亭の朱橋を躍って、岸へ走った。
──すれ交いに、董卓は、
「おのれ、どこへ行く」と、彼の戟を引っ奪くった。
呂布が、その肘を打ったので、董卓は、奪った戟を取り落としてしまった。彼は、肥満しているので、身を屈めて拾い取るのも、遅鈍であった。──その間に、呂布はもう五十歩も先へ逃げていた。
「不埒者っ」
董卓は、その巨きな体を前へのめらせながら、喚いて言った。
「待てっ、こらっ。待たぬかっ、匹夫め」
すると、かなたから馳けて来た李儒が、過って出会いがしらに、董卓の胸を突きとばした。
董卓は、樽のごとく、地へ転げながら、いよいよ怒って、
「李儒っ、そちまでが、予をささえて、不届きな匹夫を援けるかっ。──不義者をなぜ捕らえん」
と、呶号した。
李儒は、急いで、彼の身を扶け起こしながら、
「不義者とは、だれのことですか。──今、てまえが後園に人声がするので、何事かと出てみると、呂布が、太師狂乱して、罪もなきそれがしを、お手討ちになさると追いかけて参る故、何とぞ、助け賜われとのことに、驚いて、馳けつけて来たわけですが」
「何を、ばかな。──董卓は狂乱などいたしてはおらん。予の目を偸んで、白昼、貂蟬に戯れている所を、予に見つけられたので、狼狽のあまり、そんなことを叫んで逃げ失せたのだろう」
「道理で、いつになく、顔色も失って、ひどく狼狽の態でしたが」
「すぐ、引っ捕らえて来い。呂布の首を刎ねてくれる」
「ま。そうお怒りにならないで、太師にも少し落ち着いて下さい」
李儒は、彼の沓を拾って、彼の足もとへ揃えた。
そして、閣の書院へ伴い、座下に降って、再拝しながら、
「ただ今は、過ちとはいえ、太師のお体を突き倒し、罪、死に値します」
と、詫び入った。
董卓はなお、怒気の冷めぬ顔を、横に振って、
「そんなことはどうでもよい。速やかに、呂布を召し捕って来て、予に、呂布の首を見せい」
と言った。
李儒は、あくまで冷静であった。董卓が、怒るのを、あたかも痴児の囈言のように、苦笑のうちに聞き流して、
「恐れながら、それはよろしくありません。呂布の首を刎ねなさるのは、御自身の頸へ御自身で刃を当てるにも等しい事です」と、諫めた。
四
「なぜ悪いかっ。なぜ、不義者の成敗をするのが、よろしくないか」
董卓は、そう言い募って、どうしても、呂布を斬れと命じたが、李儒は、
「不策です。いけません」
頑として、彼らしい理性を、変えなかった。
「太師のお怒りは、自己のお怒りに過ぎませんが、てまえがお諫め申すのは、社稷のためです。──昔、こういう話があります」
と、李儒は、例をひいて、語り出した。
それは、楚国の荘王のことであるが、ある折、荘王が楚城のうちに、盛宴をひらいて、武功の諸将をねぎらった。
すると──宴半ばにして、にわかに涼風が渡って、満座の燈火がみな消えた。
荘王、
(はや、燭をともせ)と、近習へうながし、座中の諸将は、かえって、
(これも涼しい)と、興ありげに躁いでいた。
──と、その中へ、特に、諸将をもてなすために、酌に侍らせておいた荘王の寵姫へ、だれか、武将のひとりが戯れてその唇を盗んだ。
寵姫は、叫ぼうとしたが、じっと怺えて、その武将の冠の纓をいきなり挘り奪って、荘王の側へ逃げて行った。
そして、荘王の膝へ、泣き声をふるわせて、
「この中で今、だれやら、暗闇になったのを幸いに、妾へ猥らに戯れた御家来があります。はやく燭を点して、その武将を縛めてください。冠の纓の切れている者が下手人です」
と、自分の貞操をも誇るような誇張を加えて訴えた。
すると荘王は、どう思ったか、
「待て待て」と、今しも燭を点じようとする侍臣を、あわてて止め、
「今、わが寵姫が、つまらぬことを予に訴えたが、こよいはもとより心から諸将の武功を犒うつもりで、諸公の愉快は予の愉快とするところである。酒興の中では今のような事は有りがちだ。むしろ諸公が寛いで、今宵の宴をそれほどまで楽しんでくれたのが予も共に欣しい」
と、言って、さてまた、
「これからは、更に、無礼講として飲み明かそう。みんな冠の纓を取れ」と、命じた。
そしてすべての人が、冠の纓を取ってから、燭を新たに灯させたので、寵姫の機智もむなしく、だれが、女の唇を盗んだ下手人か知れなかった。
その後、荘王は、秦との大戦に、秦の大軍に囲まれ、すでに重囲のうちに討ち死にと見えた時、ひとりの勇士が、乱軍を衝いて、王の側に馳けより、さながら降天の守護神のごとく、必死の働きをして敵を防ぎ、満身朱になりながらも、荘王の身を負って、ついに一方の血路をひらいて、王の一命を完うした。
王は、彼の傷手のはなはだしいのを見て、
「安んぜよ、もうわが一命は無事なるを得た。だが一体、そちは何者だ。そしていかなるわけでかくまで身に代えて、予を守護してくれたか」と、

ねた。
すると、傷負の勇士は、
「──されば、それがしは先年、楚城の夜宴で、王の寵姫に冠の纓を挘ぎ取られた痴れ者です」
と、にこと笑って答えながら死んだという。
──李儒は、そう話して、
「いうまでもなく、彼は、荘王の大恩に報じたものです。世にはこの佳話を、絶纓の会と伝えています。......太師におかれても、どうか、荘王の大度を味わってください」
董卓は、首を垂れて聞いていたが、やがて、
「いや、思い直した。呂布の命は助け置こう。もう怒らん」
翻然と、諫めを容れて去った。
五
李儒はかねて、呂布が何を不平として、近ごろ董卓に含んでいるか、およそ察していたので、
──困ったものだ。
と、内心、貂蟬に溺れている董卓にも、それに瞋恚を燃やしている呂布にも、胸を傷めていた折であった。
それ故、「絶纓の会」の故事をひいて、諄々と、諫めたところ、さすが、董卓も暗愚ではないので、
「忘れおこう、呂布はゆるせ」と、釈然と悟った容子なので、これ、太師の賢明による所、覇業万歳の基であると、直ちに、呂布へもその由を告げて、大いに安心していた。
董卓は、李儒を退けると、すぐ後堂へ入って行ったが、見ると、帳に縋って、貂蟬はまだ独りしくしく泣いていた。
「何を泣くか。女にも隙があるから、男が戯れかかるのだ。そなたにも半分の罪があるぞ」
董卓が、いつになく叱ると、貂蟬はいよいよ悲しんで、
「でも、太師は常に、呂布はわが子も同様だとおっしゃっていらっしゃいましょう。──ですから私も、太師の御養子と思って、敬っていたんです。それを今日は、恐い血相で、戟を持って私を脅し、むりやりに鳳儀亭に連れて行ってあんなことをなさるんですもの......」
「いや、深く考えてみると、悪いのは、そなたでも呂布でもなかった。この董卓が愚かだった。──貂蟬、わしが、媒して、そなたを呂布の妻にやろう。あれほど忘れ難く恋している呂布だ。そなたも彼を愛してやれ」
眼をとじて、董卓がいうと、貂蟬は、身を投げて、その膝にとり縋った。
「なにをおっしゃいます。太師に捨てられて、あんな乱暴な
奴僕の妻になれというのですか。

なことです、死んだって、そんな
辱めは受けません」
いきなり董卓の剣を抜き執って、咽に突き立てようとしたので、董卓は仰天して、彼女の手から剣を奪りあげた。
貂蟬は、慟哭して、床に伏しまろびながら、
「......わ、わかりました、これはきっと、李儒が呂布に頼まれて、太師へそんな進言をしたにちがいありません。あの人と呂布とは、いつも太師のいらっしゃらない時というと、ひそひそ話していますから。......そうです。太師はもう、私よりも、李儒や呂布の方がお可愛いんでしょう。わたしなどはもう......」
董卓は、やにわに、彼女を膝に抱きあげて、泣き濡れているその頰やその唇へ自分の顔をすり寄せて言った。
「泣くな、泣くな、貂蟬、今のことばは、
冗戯じゃよ。なんでそなたを、呂布になど与えるものか。──明日、
郿塢の
城へ帰ろう。
郿城には、三十年の兵糧と、数百万の兵が蓄えてある、事成れば、そなたを
貴妃とし、事成らぬ時は、富貴の家の妻として、
生涯を長く楽しもう。......

か、ウム、

ではあるまい」
次の日──
李儒は改まって、董卓の前に伺候した。ゆうべ、呂布の私邸を訪い、恩命を伝えたところ、呂布も、深く罪を悔いておりました──と報告してから、
「きょうは幸いに、吉日ですから、貂蟬を呂布の家にお送りあってはいかがでしょう。──彼は単純な感激家です。きっと、感涙をながして、太師のためには、死をも誓うにちがいありません」
と、言った。
すると董卓は、色を変じて、
「たわけたことを申せ。──李儒っ、そちは自分の妻を呂布にやるかっ」
李儒は、案に相違して、啞然としてしまった。
董卓は早くも
車駕を命じ、
珠簾の
宝台に貂蟬を抱き乗せ、
従の兵馬一万に前後を守らせ、郿塢の
仙境をさして、
瑤々と発してしまった。
天颷
一
董太師、郿塢へ還る。──と聞こえたので、長安の大道は、拝跪する市民と、それを送る朝野の貴人で埋まっていた。
呂布は、家にあったが、
「はてな?」
窓を排して、街の空をながめていた。
「今日は、日も吉いから、貂蟬を送ろうと、李儒は言ったが?」
車駕の轣音や馬蹄のひびきが街に聞こえる。巷のうわさは噓とも思えない。
「おいっ、馬を出せっ、馬を」
呂布は、厩へ馳け出して呶鳴った。
飛びのるが早いか、武士も連れず、ただ一人、長安のはずれまで鞭打った。そこらはもう郊外に近かったが、すでに太師の通過と聞こえたので、菜園の媼も、畑の百姓も、往来の物売りや旅芸人などまで、すべて路傍に草のごとく伏していた。
呂布は、丘のすそに、駒を停めて、大樹の陰にかくれて佇んでいた。そのうちに車駕の列が蜿蜒と通って行った。
──見れば、金華の車蓋に、珠簾の揺れ鳴る一車が軋み通って行く。四方翠紗の籠屏の裡に、透いて見える絵のごとき人は貂蟬であった。──貂蟬は、喪心しているもののように、虚な容貌をしていた。
ふと、彼女の眸は、丘のすそを見た。そこには、呂布が立っていた。──呂布は、われを忘れて、オオと、馳け寄らんばかりな容子だった。
貂蟬は、顔を振った。その頰に、涙が光っているように見えた。──前後の兵馬は、畑土を馬蹄にあげて、たちまち、その姿をかなたへ押しつつんでしまった。
「............」
呂布は、茫然と見送っていた。......李儒の言は、ついに、偽りだったと知った。いや、李儒に偽りはないが、董卓が、頑として、貂蟬を離さないのだと思った。
「......泣いていた、貂蟬も泣いていた。どんな気もちで郿塢の城へ赴ったろう」
彼は、気が狂いそうな気がしていた。沿道の百姓や物売りや旅人などが、そのせいか、じろじろと彼を振り向いてゆく。呂布の眼はたしかに血走っていた。
「や、将軍。......そんな所で、なにをぼんやりしているんですか」
白い驢を降りて、彼のうしろからその肩を叩いた人がある。
呂布は、うつろな眼を、うしろへ向けたが、その人の顔を見て、初めてわれに回った。
「おう、あなたは王司徒ではないか」
王允は、微笑して、
「なぜ、そんな意外な顔をなされるのか。ここはそれがしの別業の竹裡館のすぐ前ですのに」
「ああ、そうでしたか」
「董太師が郿塢へお還りと聞いたので、門前に立ってお見送りしたついでに、一巡りしようかと驢を進めて来たところです。──将軍は、何しに?」
「王允、何しにとは情けない、そこもとがおれの苦悶を御存じないはずはないが」
「はて。その意味は」
「忘れはしまい。いつか貴公はこの呂布に、貂蟬を与えると約束したろう」
「もとよりです」
「その貂蟬は老賊に横奪りされたまま、今なお呂布をこの苦悩に突き墜としているではないか」
「......その儀ですか」
王允は、急に首を垂れて、病人のような嘆息をもらした。
「太師の所行はまるで禽獣のなされ方です。わたくしの顔を見るたびに、近日、呂布の許へ貂蟬は送ると、口ぐせのように言わるるが、今もって、実行なさらない」
「言語道断だ。今も、貂蟬は、車のうちで泣いて行った」
「ともかく、ここでは路傍ですから......。そうだ、程近い私の別業までお越し下さい。篤と、御相談もありますから」
王允は、慰めて、白驢に乗って先へ立った。
二
そこは長安郊外の、幽𨗉な別業であった。
呂布は、王允に誘われて、竹裡館の一室へ通されたが、酒杯を出されても、沈湎として、溶けぬ忿怒に頸垂れていた。
「いかがです、お一杯」
「いや、今日は」
「そうですか。では、あまりおすすめいたしません。心の楽しまぬ時は、酒を含んでも、いたずらに、口には苦く、心は燃えるのみですから」
「王司徒」
「はい」
「察してくれ......。呂布は生まれてからこんな無念な思いは初めてだ」
「御無念でしょう。けれど、私の苦しみも、将軍に劣りません」
「おぬしにも悩みがあるか」
「あるか──どころではないでしょう。折角、将軍の室へ娶っていただこうと思ったわが養女を、董太師に汚され、あなたに対しては、義を欠いている。──また、世間は将軍をさして、わが女房を奪われたる人よ、と蔭口をきくであろうと、わが身に誹りを受けるより辛く思われます」
「世間がおれを嘲うと!」
「董太師も、世の物笑いとなりましょうが、より以上、天下の人から笑い辱められるのは、約束の義を欠いた私と、将軍でしょう。......でもまだ私は老いぼれのことですから、どうする術もあるまいと、人も思いましょうが、将軍は一世の英雄でありまた、お年も壮なのに、なんたる意気地のない武士ぞと言われるにきまっています。......どうぞ、私の罪を、おゆるし下さい」
王允が言うと、
「いや、貴下の罪ではない!」
呂布は、憤然、床を鳴らして突っ立ったかと思うと、
「王司徒、見ておれよ。おれは誓って、あの老賊をころし、この恥をそそがずには措かぬから」
王允は、わざと仰山に、
「将軍、卒爾なことを口走り給うな。もし、そのようなことが外へ洩れたら、お身のみか、三族を亡ぼされますぞ」
「いいや、もうおれの堪忍もやぶれた。大丈夫たる者、豈鬱々として、この生を老賊の膝下に屈んで過ごそうや」
「おお、将軍。今の僭越な諫言をゆるして下さい。将軍はやはり稀世の英邁でいらっしゃる。常々ひそかに、将軍の風姿を見ておるに、古の韓信などより百倍も勝れた人物だと失礼ながら慕っていました。韓信だに、王に封ぜられたものを、いつまで、区々たる丞相府の一旗下で居給うわけはない......」
「ウーム、だが......」
呂布は牙を嚙んで呻いた。
「──今となって、悔いているのは、老賊の甘言にのせられて、董卓と義父養子の約束をしてしまったことだ。それさえなければ、今すぐにでも、事を挙げるのだが、かりそめにも、義理の養父と名のついているために、おれはこの憤りを抑えておるのだ」
「ほほう......。将軍はそんな非難を怖れていたんですか。世間は、ちっとも知らない事ですのに」
「なぜ」
「でも、でも、将軍の姓は呂、老賊の姓は董でしょう。聞けば、鳳儀亭で老賊は、あなたの戟を奪って投げつけたというじゃありませんか。父子の恩愛がないことは、それでもわかります。ことに、いまだに、老賊が自分の姓を、あなたに名乗らせないのは、養父養子という名にあなたの武勇を縛っておくだけの考えしかないからです」
「ああ、そうか。おれはなんたる智恵の浅い男だろう」
「いや、老賊のため、義理に縛られていたからです。今、天下の憎む老賊を斬って、漢室を扶け、万民へ善政を布いたら、将軍の名は青史のうえに不朽の忠臣として遺りましょう」
「よしっ、おれはやる。必ず、老賊を馘ってみせる」
呂布は、剣を抜いて、自分の肘を刺し、淋漓たる血を示して、王允へ誓った。
三
呂布の帰りを門まで送って出ながら、王允は、そっと囁いた。
「将軍、きょうの事は、ふたりだけの秘密ですぞ。だれにも洩らして下さるな」
「もとよりのことだ。だが大事は、二人だけでは出来ないが」
「腹心の者には明かしてもいいでしょう。しかし、この後は、いずれまた、密かにお目にかかって相談しましょう」
赤兎馬に跨がって、呂布は帰って行った。王允は、その後ろ姿を見送って、
──思うつぼに行った。
と独り北叟笑んでいた。
その夜、王允はただちに、日ごろの同志、校尉黄琬、僕射士孫瑞の二人を呼んで、自分の考えをうちあけ、
「呂布の手をもって、董卓を討たせる計略だが、それを実現するに、何かよい方法があるまいか」
と、計った。
「いい事があります」と、孫瑞が言った。
「天子には、先ごろから
御不予でしたが、ようやく、このごろ御病気も

えました。就いては、
詔と称し、
偽の勅使を
郿塢へ
遣わして、こう言わせたらよいでしょう」
「え。偽勅の使を?」
「されば、それも天子の御ためならば、お咎めもありますまい」
「そしてどう言うのか」
「天子のおことばとして──朕病弱のため帝位を董太師に譲るべしと、偽りの詔を下して彼を召されるのです。董卓はよろこんで、すぐ参内するでしょう」
「それは、餓虎に生餌を見せるようなものだ。すぐ跳びついてくるだろう」
「禁門に力ある武士を大勢伏せておいて、彼が、参内する車を囲み、有無をいわせず誅戮してしまうのです。──呂布にそれをやらせれば、万に一つも遁す気遣いはありません」
「偽勅使にはだれをやるか」
「李粛が適任でしょう。私とは同国の人間で、気性もわかっていますから、大事を打ち明けても、心配はありません」
「騎都尉の李粛か」
「そうです」
「あの男は、以前、董卓に仕えていた者ではないか」
「いや近ごろ勘気をうけて、董卓の扶持を離れ、それがしの家に身を寄せています。なにか、董卓にふくむ事があるらしく、怏々として浮かない日を過ごしている所ですから、欣んでやりましょうし、董卓も、以前目をかけていた男だけに、勅使として来たといえは、必ず心をゆるして、彼の言を信じましょう」
「それは好都合だ。早速、呂布に通じて、李粛と会わせよう」
王允は、翌晩、呂布をよんで、しかじかと、策を語った。──呂布は聞くと、
「李粛なら自分もよく知っている。そのむかし
赤兎馬をわが陣中へ贈って来て、自分に、養父の
丁建陽を殺させたのも、彼のすすめであった。──もし李粛が、

のなんのと言ったら、一刀の下に
斬りすててしまう」と、言った。
深夜、王允と呂布は、人目をしのんで、孫瑞の邸へゆき、そこに食客となっている李粛に会った。
「やあ、しばらくだなあ」
呂布はまず言った。李粛は、時ならぬ客に驚いて啞然としていた。
「李粛。貴公もまだ忘れはしまいが、ずっと以前、おれが養父丁原と共に、董卓と戦っていたころ、赤兎馬や金銭をおれに送り、丁原に叛かせて、養父を殺させたのは、たしか貴公だったな」
「いや、古い事になりましたね。けれど一体、何事ですか、今夜の突然のお越しは」
「もう一度、その使を、頼まれて貰いたいのだ。しかしこんどは、おれから董卓の方へ遣る使だが」
呂布は、李粛のそばへ、摺り寄った。そして、王允に仔細を語らせて、もし李粛が不承知な顔いろを現わしたら、即座に斬って捨てんと密かに剣を握りしめていた。
四
ふたりの密謀を聞くと、李粛は手を打って、
「よく打ち明けて下すった。自分も久しく董卓を討たんと窺っていたが、滅多に心底を語る者もないのを恨みとしていた所でした。善哉善哉、これぞ天の助けというものだろう」
と喜んで、即座に、誓いを立てて荷担した。
そこで三名は、万事を諜しあわせて、その翌々日、李粛は二十騎ほど従えて郿塢の城へ赴き、
「天子、李粛をもって、勅使として降し給う」と、城門へ告げた。
董卓は、何事かと、すぐに彼を引いて会った。
李粛は恭しく、拝をなして、
「天子におかれては、度々の御不予のため、ついに、太師へ御位を譲りたいと御決意なされました。どうか天下のため、速やかに大統をおうけあって、九五の位にお昇りあるよう。今日の勅使は、その御内詔をお伝えに参ったわけです」
そう言って、じっと董卓の面を見ていると、つつみきれぬ喜びに、彼の老顔がぱっと紅くなった。
「ほ。......それは意外な詔だが、しかし、朝臣の意向は」
「百官を未央殿にあつめ給い、僉議も相すみ、異口同音、万歳をとなえて、一決いたした結果です」
聞くと、董卓は、いよいよ眼を細めて、
「司徒王允は、何といっておるかの」
「王司徒は、よろこびに堪えず、受禅台を築いて、早くも、太師の即位を、御待ちしているふうです」
「そんなに早く事が運んでいるとは驚いた。ははは。......道理で思い当たることがある」
「なんですか。思い当たる事とは」
「先ごろ、夢を見たのじゃ」
「夢を」
「むむ。巨龍雲を起こして降り、この身に纏うと見て目がさめた」
「さてこそ、吉瑞です。一刻も早く、車を御用意あって、朝へ上り、詔をおうけなされたがよいと思います」
「この身が帝位に即いたら、そちを執金吾に取り立てて得させよう」
「必ず忠誠を誓います」
李粛が、再拝しているまに、董卓は、侍臣へ向かって、車騎行装の支度を命じた。
そして彼は、馳けこむように、貂蟬の住む一閣へ行って、
「いつか、そなたに言った事があろう。わしが帝位に昇ったら、そなたを貴妃として、この世の栄華を尽くさせんと。とうとうその日が来た」と、早口に言った。
貂蟬は、チラと、眼をかがやかしたが、──すぐ無邪気な表情をして、
「まあ、ほんとですか」と、狂喜してみせた。
董卓はまた、後堂から母をよび出して、事の由をはなした。彼の母はすでに年九十の余であった。耳も遠く眼もかすんでいた。
「......なんじゃ、俄に、どこへ行くというのかの」
「参内して、天子の御位をうけるのです」
「だれがの?」
「あなたの子がです」
「おまえがか」
「御老母。あなたも、いい倅を持ったお蔭で、近いうちに、皇太后と敬われる身になるんですぞ。嬉しいと思いませんか」
「やれやれ。煩わしいことだのう」
九十余歳の老媼は、上唇を顫わせて、むしろ悲しむがごとく、天井を仰いだ。
「あははは、張り合いのないものだな」
董卓は、嘲りながら、闊歩して一室へかくれ、やがて盛装を凝らして車に打ち乗り、数千の精兵に前後を譲られて郿塢山を降って行った。
人間燈
一
蜿蜒と行列はつづいた。
幡旗に埋められて行く車蓋、白馬金鞍の親衛隊、数千兵の戟の光など、威風は道を掃い、その美々しさは眼も眩むばかりだった。
すでに十里ほど進んで来ると、車の中の董卓は、ガタッと大きく揺すぶられたので、
「どうしたのだ」と、咎めた。
「御車の輪が折れました」と、侍臣が恐懼して言った。
「なに。車の輪が折れた」
彼は、ちょっと
機
を曇らし、
「沿道の百姓どもが、道の清掃を怠って、小石を残しておいたからだろう。見せしめのため、村長を馘れ」
彼は、傾いた事を降りて、逍遙玉面というべつな車馬へ乗りかえた。
そしてまた、六七里も来たかと思うと、こんどは馬が暴れ嘶いて、轡を切った。
「
李粛、李粛」と、
金簾の
裡から呼んで、彼は怪しみながら

ねた。
「車の輪が折れたり、馬が轡を嚙み切ったり、これは一体、どういうわけだろう」
「お気に懸けることはありません。太師が、帝位に即き給うので、旧きを捨て新しきに代わる吉兆です」
「なるほど、明らかな解釈だ」
董卓はまた、機

を直した。
途中、一宿して、翌日は長安の都へかかるのだった。ところがその日は、めずらしく霧がふかく、行列が発するころから狂風が吹きまくって、天地は昏々と暗かった。
「李粛。この天相は、なんの瑞祥だろうか」
事ごとに、彼は気に病んだ。
李粛は笑って、
「これぞ、紅光紫霧の賀瑞ではありませんか」と、太陽を指した。簾の蔭から、雲を仰ぐと、なるほど、その日の太陽には、虹色の環がかかっていた。
やがて長安の外城を通り、市街へ進み入ると、民衆は軒を下ろし、道にかがまり、頭をうごかす者もない。
王城門外には、百官が列をなして出迎えていた。
王允、淳于瓊、黄琬、皇甫嵩なども、道の傍らに、拝伏して、
「おめでとう存じあげます」と、慶賀を述べ、臣下の礼を執った。
董卓は、大得意になって、
「相府にやれ」と、車の馭官へ命じた。
そして丞相府にはいると、
「参内は明日にしよう。すこし疲れた」と、言った。
その日は、休憩して、だれにも会わなかったが、王允だけには会って、賀をうけた。
王允は、彼に告げて、
「どうか、こよいは悠々身心をおやすめ遊ばして、明日は斎戒沐浴をなし、万乗の御位を譲り受け給わらんことを」と、禱って去った。
「御気分はいかがです」と、だれかその後から帳を窺う者があった。
呂布であった。
董卓は、彼を見ると、やはり気強くなった。
「オオ。いつもわしの身辺を護っていてくれるな」
「大事なお体ですから」
「わしが位に即いたら、そちには何をもって酬いようかな。そうだ、兵馬の総督を任命してやろう」
「ありがとうございます」
呂布は、常のように戟を抱え、彼の室外に立って、夜もすがら忠実に護衛していた。
二
その夜は、さすがに彼も、婦女を寝室に置かず、眠りの清浄を守った。
けれど、明日は、九五の位をうける身かと思うと、心気昂ぶって、容易に眠りつけない様子だった。
──と、室の外を。
かつ。かつ。
と、だれか歩く靴音がする。
むくと、身を起こし、
「だれかっ」と咎めると、帳の外に、まだ起きていた李粛が、
「呂布が見廻っているのです」
と、答えた。
「呂布か......」
そう聞くと、彼はすっかり安心して微かに鼾をかき始めたが、また、眼をさまして、しきりと、耳をそばだてている。
──遠く、深夜の街に、子ども等の謡う童歌が聞こえた。
青々、千里の草も
眼に青けれど
運命の風ふかば
十日の上は
生き得まじ
風に漂ってくる歌声は、深沈と夜をながれて、いかにも哀切な調子だった。
彼は、それが耳について、
「李粛」と、また呼んだ。
「は。まだお目をさましておいででしたか」
「あの童謡は、どういう意味だろう。なんだか、不吉な歌ではないか」
「そのはずです」
李粛は、でたらめに、この解釈を加えて、彼を安心させた。
「漢室の運命の終わりを暗示しているんですから。──ここは長安の帝都、あしたから帝が代わるのですから、無心な童謡にも、そんな予兆が現われないわけはありません」
「なるほど。そうか......」
憐れむべし、彼は頷いて、ほどなく昏々と、ふかい鼾の中に陥ちた。
後に思えば。
童謡の「千里の草」というのは「董」の字であり、「十日の上」とは卓の字のことであった。
千里草
何青々
十日上
猶不生
と街に歌っていた声は、すでに彼の運命を何者かが嘲笑していた暗示だったのであるが、李粛の言にあやされて、さしもの奸雄も、それは我が身ならぬ漢室のことだと思っていたのである。
朝の光は、彼の枕辺に映しこぼれてきた。
董卓は、斎戒沐浴した。
そして、儀仗をととのえ、きのうに勝る行装を凝らして、朝霧のうすく流れている宮門へ向かって進んでゆくと、一旒の白旗をかついで青い袍を着た道士が、ひょこり道を曲がってかくれた。
その白旗に、口の字が二つ並べて書いてあった。
「なんじゃ、あれは」
董卓が、李粛へ問うと、
「気の狂った祈禱師です」と、彼は答えた。
口の字を二つ重ねると「呂」の字になる。董卓はふと、呂布のことが気になった。
鳳儀亭で
貂蟬と密会していた彼のすがたが思い出されて

な気もちになった。
──と、もうその時、儀仗の先頭は、宮中の北掖門へさしかかっていた。
三
禁門の掟なので、董卓も、儀仗の兵士をすべて、北掖門に止めて、そこから先は、二十名の武士に車を押させて、禁廷へ進んだ。
「やっ?」
董卓は、車の内でさけんだ。
見れば、王允と黄琬の二人が、剣を執って、殿門の両側に立っているではないか。
彼は、何か異様な空気を感じたのであろう。突然、
「李粛李粛。──彼等が、抜剣して立っているのはいかなるわけか」
と、怒鳴った。
すると、李粛は車の後ろで、
「されば、閻王の旨により、太師を冥府へ送らんとて、はや迎えに参っているものと覚えたりっ」
と、大声で答えた。
董卓は、仰天して、
「な、なんじゃと?」
膝を起こそうとした途端に、李粛は、それっと懸け声して、彼の車をぐゎらぐゎらと前方へ押し進めた。
王允は、大音あげて、
「郿塢の逆臣が参ったり、出でよっ、武士どもっ」
声を合図に──
「おうっ」
「わあっ」
馳け集まった御林軍の勇兵百余人が、車を顚覆えして、董卓を中からひきずり出し、
「賊魁ッ」
「この大奸」
「うぬっ」
「天罰」
「思い知れや」
無数の戟は、彼の一身へ集まって、その胸を、肩を、頭を滅多打ちに突いたり斬り下げたりしたが、かねて要心ぶかい董卓は、刃も貫さぬ鎧や肌着に身をかためていたので、多少血しおにはまみれてもなお、致命傷には至らなかった。
巨体を大地に転ばせながら、彼はその間に絶叫を放っていた。
「──呂布ッ、呂布ッ。──呂布はあらざるかっ、義父の危難を助けよ」
すると、呂布の声で、
「心得たり」と、聞こえたと思うと、彼は画桿の大戟をふりかぶって、董卓の眼前に躍り立ち、
「勅命によって逆賊董卓を討つ」と、喚くや否、真っ向から斬り下げた。
黒血は霧のごとく噴いて、陽も曇るかと思われた。
「うッ──むっ。......おのれ」
戟はそれて、右の臂を根元から斬り落としたにすぎなかった。
董卓は、朱にそまりながら、はったと呂布をにらんで、まだなにか叫ぼうとした。
呂布は、その胸元をつかんで、
「悪業のむくいだ」と罵りざま、ぐざと、その喉を刺し貫いた。
禁延の内外は、怒濤のような空気につつまれたが、やがて、それと知れ渡ると、
「万歳っ」
と、だれからともなく叫び出し、文武百官から厩の雑人や、衛士にいたるまで、皆万歳万歳を唱え合い、その声、その動揺めきは、小半刻ほど鳴りも熄まなかった。
李粛は、走って、董卓の首を打ち落とし、剣尖に刺して高く掲げ、呂布はかねて王允から渡されていた詔書をひらいて、高台に立ち、
「聖天子のみことのりにより、逆臣董卓を討ち終んぬ。──その余は罪なしことごとくゆるし給う」
と、大音で読んだ。
董卓、ことし五十四歳。
千古に記すべきその日その年、まさに漢の献帝が代の初平三年壬申、四月二十二日の真昼だった。
四
大奸を誅して、万歳の声は、禁門の内から長安の市街にまで溢れ伝わったが、なお、
「このままではすむまい」
「どうなる事か」と、戦々兢々たる人心の不安は去りきれなかった。
呂布は、言った。
「今日まで、董卓のそばを離れず、常に、董卓の悪行を扶けていたのは、あの李儒という秘書だ。あれは生かしておけん」
「そうだ。だれか行って、丞相府から李儒を搦め捕って来い」
王允が命じると、
「それがしが参ろう」
李粛は答えるや否、兵をひいて、丞相府へ馳せ向かった。
すると、その門へ入らぬうちに、丞相府の内から、一団の武士に囲まれて、悲鳴をあげながら、引きずり出されて来るあわれな男があった。
見ると、李儒だった。
丞相府の下部たちは、
「日ごろ、憎しと思う奴なので、董太師が討たれたりと聞くや否、かくのごとく、われわれの手で搦め、これから禁門へつき出しに行くところでした。どうか、われわれには、お咎めなきよう、お扱いねがいます」と、訴えた。
李粛は、なんの労もなく、李儒を生擒ったので、すぐ引っ提げて、禁門に献じた。
王允は、直ちに、李儒の首を刎ねて、
「街頭に梟けろ」と、それを刑吏へ下げた。
なお、王允が言うには、
「郿塢の城には、董卓の一族と、日ごろ養いおいた大軍がいる。だれか進んでそれを掃討してくれる者はいないか」
すると、声に応じて、「それがしが参る」と、真っ先に立った者がある。
呂布であった。
「呂布ならば」と、だれも皆、心にゆるしたが、王允は、李粛、皇甫嵩にも、兵をさずけ、約三万余騎の兵が、やがて郿塢へさして下って行った。
郿塢には、郭汜、張済、李傕などの大将が一万余の兵を擁して、留守を護っていたが、
「董太師には、禁廷において、無残な最期を遂げられた」
との飛報を聞くと、愕然、騒ぎ出して、都の討っ手が着かないうちに、総勢、涼州方面へ落ちてしまった。
呂布は、第一番に、郿塢の城中へ乗り込んだ。
彼は、何者にも目をくれなかった。
ひたむきに、奥へ走った。
そして、秘園の帳内を覗きまわって、
「貂蟬っ、貂蟬っ......」
と、彼女のすがたを血眼で捜し求めた。
貂蟬は、後堂の一室に、黙然と佇んでいた。呂布は、走りよって、
「おいっ、歓べ」と、固く抱擁しながら、物言わぬ体を揺すぶった。
「欣しくないのか。あまりの欣しさに口もきけないのか。貂蟬、おれはとうとうやったよ。董卓を殺したぞ。これからは二人も晴れて楽しめるぞ。さあ、怪我をしては大変だ。長安へお前を送ろう」
呂布はいきなり彼女の体を引っ抱えて、後堂から走り出した。城内にはもう皇甫嵩や李粛の兵がなだれ入って、殺戮、狼籍、放火、奪財、あらゆる暴力を、抵抗なき者へ下していた。
金銀珠玉や穀倉やその他の財物に目を奪われている味方の人間どもが、呂布には馬鹿に見えた。
彼は、貂蟬をしかと抱いて、乱軍の中を馳け出し、自分の金鞍に乗せて、一鞭、長安へ帰って来た。
五
郿塢城の大奥には、貂蟬のほかにも良家の美女八百余人が蓄えられてあった。
繚乱の百花は、暴風のごとく、馳け入る兵に踏み荒らされ、七花八裂、狼籍を極めた。
皇甫嵩は、部下の兵が争うて奪うにまかせ、なお、
「董卓が一族は、老幼をわかたず、一人残らず斬り殺せ」と、厳命した。
董卓の老母で今年九十余歳という媼は、よろめき出て、
「扶け給え」と、悲鳴をあげながら、皇甫嵩の前へひれ伏したが、ひとりの兵が跳びかかったかと見るまにその首はもう落ちていた。
わずか半日のまに、誅殺された一族の数は男女千五百余人に上ったという。
それから金蔵を開いてみると、十庫の内に黄金二十三万斤、白銀八十九万斤が蓄えられてあった。また、そのほかの庫内からも金繡綾羅、珠翠珍宝、山を崩して運ぶごとく、続々と城外へ積み出された。
王允は、長安から命を下して、
「すべて、長安へ移せ」と、いいつけた。
また、穀倉の処分は、「半ばを百姓に施し、半ばは官庫に納むべし」と、命令した。
その米粟の額も八百万石という大量であった。
長安の民は賑わった。
董卓が殺されてからは、天の奇瑞か、自然の暗合か、数日の黒霧も明らかに霽れ、風は熄んで地は和やかな光に盈ち、久しぶりに昭々たる太陽を仰いだ。
「これから世の中がよくなろう」
彼等は、他愛なく歓び合った。
城内、城外の百姓町人は、老いも若きも、男も女も祭日のように、酒の瓶を開き、餅を作り軒に彩聯を貼り、神に燈明を灯し、往来へ出て、夜も昼も舞い謡った。
「平和が来た」
「善政がやって来よう」
「これから夜も安く眠られる」
そんな意味の詞を、口々に唄い囃して、銅鑼をたたいて廻った。
すると彼等は、街頭に曝してあった董卓の死骸に群れ集まって、
「董卓だ董卓だ」と、騒いだ。
「きょうまで、おれ達を苦しめた張本人」
「あら憎や」
首は足から足へ蹴とばされ、また首のない屍の臍に蝋燭を燈して手をたたいた。
生前、人いちばい肥満していた董卓なので、膏が煮えるのか、臍の燈明は、夜もすがら燃えて朝になってもまだ消えなかったという事である。
また。
董卓の弟の董旻、兄の子の董璜のふたりも、手足を斬られて、市に曝された。
李儒は、董卓のふところ刀と日ごろから憎しみも一倍強くうけていた男なので、その最期はだれよりも惨たるものだった。
こうして、ひとまず誅滅も片づいたので、王允は一日、都堂に百官をあつめて慶びの大宴を張った。
するとそこへ、一人の吏が、
「何者か、董卓の腐った屍を抱いて、街路に嘆いている者があるそうです」
と、告げて来たので、すぐ引っ捕らえよと命じると、やがて縛られて来たのは、侍中蔡邕であったから人々はみな吃驚した。
蔡邕は、忠孝両全の士で、また曠世の逸才といわれる学者だった。だが、彼もただ一つ大きな過ちをした。それは董卓を主人に持ったことである。
人々は、彼の人物を惜しんだが、王允は獄に下して、免さなかった。そのうちに何者かのために獄の中で縊め殺されてしまった。彼ばかりか、こういう惜しむべき人間もまた、幾多犠牲になったことか知れないであろう。
六
都堂の祝宴にも、ただひとり顔を見せなかった大将がある。
呂布であった。
「微恙のため」と断わって来たが、病気とも思われない。
長安の市民が七日七夜も踊り狂い、酒壺を叩いて、董卓の死を祝している時、彼は、門を閉じて、ひとり慟哭していた。
「貂蟬、貂蟬っ......」
それは、わが家の後園を、狂気のごとく彷徨いあるいている呂布の声だった。
そして、小閣の内へかくれると、そこに横たえてある貂蟬の冷たい体を抱きあげてはまた、
「なぜ死んだ」と、頰ずりした。
貂蟬は、答えもせぬ。
彼女は、郿塢城の炎の中から、呂布の手にかかえられて、この長安へ運ばれ、呂布の邸にかくされていたが、呂布がふたたび戦場へ出て行った後で、ひとり後園の小閣にはいって、見事、自刃してしまったのである。
「もう貂蟬も、おれのものだ。曠れておれの妻となった」
やがて帰って来た呂布は、それまでの夢を打ち破られてしまった。
貂蟬の自殺が、
「なぜ死んだか」
彼には解けなかった。
「──貂蟬は、あんなにも、おれを想っていたのに。おれの妻となるのを楽しんでいたのに」
と思い迷った。
貂蟬は、何事も語らない。
だが、その死に顔には、なんの心残りもないようであった。
──すべきことを為しとげた。
微笑の影すら唇のあたりに残っているように見えた。
彼女の肉体は獣王の犠牲に一度は供されたが、今は彼女自身のものに立ち返っていた。天然の麗質は、死んでからよけいに珠のごとく燦いていた。死屍の感はすこしもなく、生けるように美しかった。
呂布の煩悩は、果てしなく醒めなかった。彼の一本気は、その煩悩までが単純であった。
きのうも今宵も、彼は飯汁も喉へ通さなかった。夜も、後園の小閣に寝た。
月は晦い。
晩春の花も黒い。
懊悩の果て、彼は、貂蟬の胸に、顔を当てたままいつか眠っていた。ふと眼がさめると、深夜の気はひそとして、閣の窓から月が映していた。
「おや、何か?」
彼は、貂蟬の肌に秘められていた鏡囊を見つけて、何気なく解いた。中には、貂蟬が幼少から持っていたらしい神符札やら麝香などがはいっていた。それと、一葉の桃花箋に詩を書いたものが小さく折り畳んであった。
討箋は麝香に染みて、名花の芯を披くような薫りがした。貂蟬の筆とみえ、いかにも優しい文字である。呂布は詩を解さないが、何度も読んでいるうちに、その意味だけはわかった。
女の皮膚は弱いというが
鏡に替えて剣を抱けば
剣は正義の心を強めてくれる
わたしはすすんで荊棘へ入る
父母以上の恩に報いるために
またそれが国のためと聞くからに
楽器を捨て、舞踊する手に
匕首を秘めて獣王へ近づき
ついに毒杯を献じたり、右と左にそして最後の
一盞にわれを仆しぬ
聞こゆ──今、死の耳に
長安の民が謡う平和の歓び
われを呼ぶ天上の迦陵頻伽の声
「あ......あっ......。では......?」
呂布もついに覚った。貂蟬の目的が何にあったかを知った。
彼は、貂蟬の死体を抱えて、いきなり馳け出すと、後園の古井戸へ投げこんでしまった。それきり貂蟬のことはもう考えなかった。天下の権を握れば、貂蟬ぐらいな美人はほかにもあるものをと思い直した容子だった。
大権転々
一
西涼(甘粛省・蘭州)の地方におびただしい敗兵が流れこんだ。
郿塢の城から敗走した大軍だった。
董卓の旧臣で、その四大将といわれる李傕、張済、郭汜、樊稠などは、連名して、使者を長安に上せ、
「伏して、赦を乞う」
と、恭順を示した。
ところが、王允は、
「断じて赦せない」
と、使を追い返し、即日、討伐令を発した。
西涼の敗兵は、大いに恐れた。
すると、謀士の聞こえある賈詡が言った。
「動揺してはいけない。団結を解いてはならん。もし諸君が、一人一人に分離すれば、田舎の小役人の力でも召し捕ることができる。よろしく集結を固め、その上に、陝西の地方民をも糾合して、長安へ殺到すべしである。──うまくゆけば、董卓の仇を報じて、朝廷をわれ等の手に奉じ、失敗したらその時逃げても遅くない」
「なるほど」
四将は、その説に従った。
すると、西涼一帯に、いろいろな謡言が流布されて、州民は、恐惶を起こした。
「長安の
王允が、大兵を向けて、地方民まで、みなごろしにすると号している」と、いう

だ。
その人心へつけ入って、
「坐して死を待つより、われわれの軍と共に、抗戦せよ!」と、四将は煽動した。
集まった雑軍を入れて、十四万という大軍になった。
気勢をあげて、押し進むと、途中で董卓の女婿の中郎将牛輔も、残兵五千をつれて、合流した。
いよいよ意気は昂った。
だが、やがて敵が近づいて対峙すると、
「これはいかん」と、四将の軍は、たちまち意気沮喪してしまった。
それは、有名な呂布が向かって来たとわかったからである。
「呂布には敵わない」と戦わぬうちから観念したからであった。
で、一度は退いたが、謀士の賈詡が、夜襲しろと言ったので、夜半、ふいに戻って敵陣を衝いた。
ところが、敵は案外脆かった。
その陣の大将は呂布でなく、董卓誅殺の時、郿塢の城へ偽勅使となって来た李粛だった。
油断していた李粛は、兵の大半を討たれ、三十里も敗走するという醜態だった。
後陣の呂布は、
「何たるざまだ」と、激怒して、「戦の第一に、全軍の鋭気を挫いた罪は浅くない」と、李粛を斬ってしまった。
李粛の首を軍門に梟けるや、彼は自身、陣頭に立ち、またたくまに牛輔の軍を撃破した。
牛輔は、逃げ退いて、腹心の胡赤児という者へ、蒼くなって囁いた。
「呂布に出て来られては、とても勝てるものではない。いっそのこと、金銀を攫って、逃亡しようと思うが」
「そのことです。足もとの明るいうちだと、私も考えていた所で」
四、五名の従者だけをつれて、未明の陣地から脱走した。
だが、この主君の下にこの家来ありで、胡赤児は、途中の河べりまで来ると、川を渉りかけた牛輔を、不意に後ろから斬って、その首を搔き落としてしまった。
そして、呂布の陣へ走り、
「牛輔の首を献じますから、私を取り立てて下さい」と、降伏して出た。
だが、仲間の一人が、胡赤児が牛輔を殺したのは、金銀に目がくれて、それを奪おうためであると、陰へ廻って自白したので、呂布は、
「牛輔の首だけでは取り立ててやるには不足だ。その首も出せ」
と、胡赤児を叱咤し、その場ですぐ彼をも馘ってしまった。
二
牛輔の死が伝えられた。また、それを殺した胡赤児も、呂布に斬られたという

が聞こえた。
「この上は、死か生か、決戦あるのみだ」と、敵の四将も臍をかためたらしい。
四将の一人、
李傕は、「呂布には、正面からぶつかったのでは、
所
、勝ち目はない」と、
呂布が勇のみで、
智謀に
長けないのを
つけ目として、わざと敗れては逃げ、戦っては敗走して、呂布の軍を、山間に誘いこみ、決戦を長びかせて、彼をして進退両難に
陥らしめた。
その間──
張済と樊稠の二将は、道を迂回して、長安へ進んでしまった。
「長安が危ない。はやく引き返して防げ」と、王允から幾たびも急使が来たが、呂布は動きがつかなかった。
山峡の隘地を出て、軍を返そうとすれば、たちまち、李傕や郭汜の兵が、沢や峰や渓谷の陰から、所きらわず出て来て戦を挑むからだった。
好まない戦だが、応戦しなければ潰滅するし、応戦していれば果てしがない。
結局、空しく、進退を失ったまま、幾日かを過ごしていた。
一方。
長安へ向かって、殺到した張済、樊稠の軍は、行くほどに、勢いをまして、
「董卓の仇をとれ」
「朝廷をわが手に奉ぜよ」と、潮の決するような勢いで、城下へ肉薄して行った。
しかし、そこには、鉄壁の外城がある。いかなる大軍も、そこでは

い止められるものと人々は考えていたところ、なんぞ計らん、長安の市中に港伏して
生命を保っていた無数の旧董卓派の残党が、
「時こそ来れ」と、ばかり白日の下に躍り出して、各城門を内部からみな開けてしまった。
「天われに与す」と、西涼軍は、雀躍りして、城内へなだれこんだ。それはまるで、堤を切った濁流のようだった。
雑軍の多い暴兵である。ひとたび長安の巷に躍ると、狼籍いたらざるなしの態たらくであった。
ついこの間、酒壺をたたき、平和来を謳って、戸ごとに踊り祝っていた民家は、ふたたび暴兵の洪水に浸され、渦まく剣光を阿鼻叫喚に逃げまどった。
どこまで呪われた民衆であろうか。
無情な天は、そこから揚がる黒煙に、陽を潜め、月を隠し、ただ暗々瞑々、地上を酸鼻にまかせているのみであった。
変を聞いて。
呂布は、一大事とばかり、ようやく山間の小競り合いをすてて引き返して来た。
だが、時すでに遅し──
彼が、城外十数里のところまで駆けつけて来てみると、長安のかなた、夜空いちめん真赤だった。
天に冲する火焰は、もうその下に充満している敵兵の絶対的な勢力を思わせた。
「......しまった!」
呂布は呻いた
茫然と、火光の空を、眺めたまましばらく自失していた。
やんぬる哉。さすがの呂布も、今はいかんともする術もなかった。手も足も出ない形とはなった。
「そうだ、ひとまず、袁術の許へ身を寄せて後図を計ろう」
そう考えて、軍を解き、わずか百余騎だけを残し、にわかに道を更えて、夜と共に悄然と落ちて行った。
前には、恋の貂蟬を亡い、今また争覇の地を失って、呂布のうしろ影には、いつもの凛々たる勇姿もなかった。
好漢惜しむらくは思慮が足らない。また、道徳に欠けるところが多い。──天はこの稀世の勇猛児の末路を、そも、いずこに運ぼうとするのであろうか。
三
騒乱の物音が遠くする。
夜も陰々と。
昼間も轟々と。
宮中の奥ふかき所──献帝はじいっと蒼ざめた顔をしておられた。
長安街上に躍る火の魔、血の魔がそのお眸には見えるような心地であられたろう。
「皇宮の危機が迫りました」
侍従が言って来た。
しばらくするとまた、
「西涼軍が、潮のごとく、禁門の下へ押して参りました」と、侍臣が奏上した。
──こんどは朝廷へ襲ってくるな、と早、観念されたように、献帝は眼をふさいだまま、
「ウム。......むむ」
頷かれただけだった。
事実、朝臣すべても、この際、どうしたらいいか、為すことを知らなかった。
すると侍従の一人が、
「彼等も、帝座の重きことは弁えておりましょう。この上は、帝御自身、宣平門の楼台に上られて、乱を御制止あそばしたら、鎮まるだろうと思います」と奏請した。
献帝は、玉歩を運んで宣平門へ上った。血に酔って、沸いていた城下の狂軍は、禁門の楼台に瑤々と翳された天子の黄蓋にやがて気づいて、
「天子だ」
「御出御だ」
と、その下へ、わいわいと集まった。
李傕、郭汜の二将は、
「しずまれっ。鎮まれっ」
と、にわかに味方を抑え、必死に暴兵を鎮圧して、自分等も、宣平門の下へ来た。
献帝は門上から、
「汝等、何故に、朕がゆるしも待たず、ほしいままに長安へ乱入したか」と、大声で詰問された。
すると、李傕は、
「陛下っ。亡き董太師は、陛下の股肱であり、社稷の功臣でした。しかるに、故なくして、王允等の一味に謀殺され、その死骸は、街路に辱められました。──それ故に、われわれ董卓恩顧の旧臣が、復讐を計ったのであります。謀叛では断じてありません。──今、陛下のお袖の陰にかくれている憎ッくき王允の身を、われ等におさげ下さるなら、われ等は、即時禁門から撤兵します!」と、宙を指さして叫んだ。
その声を聞くと、全軍、わあっと雷同して、献帝の答えいかんにと要求を迫る色を示した。
献帝は、御自身の横を見た。
そこには王允が侍している。
王允は、蒼ざめた唇をかんで、眼下の大軍を睨んでいたが、献帝の眸が自分の許にそそがれたと知ると、やにわに起って、
「一身何かあらん」と、門楼のうえから身をなげうって飛び降りた。
ひしひしと林立していた戟や槍の上へ、彼の体は落ちて来た。
なんで堪ろう。
「おうっ、こいつだ」
「巨魁っ」
「主の讐め」
寄りたかった剣槍は、たちまち、王允の体をずたずたにしてしまった。
兇暴な彼等は、要求が容れられても、まだ退かなかった。この際、天子を弑し、一挙に大事を謀らんなど、まちまちな暴議をそこで計っている様子だった。
「だが、そんな無茶をしても、おそらく民衆が服従しないだろう。おもむろに、天子の勢力を削いで、それからの仕事をした方が賢明だろう」
樊稠や、張済の意見に、軍はようやく鎮まった気ぶりだが、なお退かないので帝は、
「はや、軍馬を返せ」と、再び諭された。
すると壁下の暴将兵は、
「いや、王室へ功をいたしたわれわれ臣下にまだ勲爵の沙汰がないので、待っているわけです」
と、官職の要求をした。
四
宮門に軍馬をならべて、官職を与えよと、強請する暴臣のさけびに、帝も浅ましく思われたに違いないが、その際、帝としても、いかんともする術もなかった。
彼等の要求は認められた。
で──李傕は車騎将軍に、郭汜は後将軍に、樊稠は右将軍に任ぜられた。
また、張済は驃騎将軍となった。
匹夫みな衣冠して、一躍、廟堂に並列したのである。──実に、一個の董卓の掌から、天下の大権は、転転と騒乱のうちに弄ばれ、こうしてまたたちまち、四人の掌に移ったのであった。
猜疑心は、成りあがり者の持ち前である。彼等は、献帝のそばにまで、密偵を立たせておいた。
こういう政府が、長く人民に平和と秩序を布いてゆけるわけはない。
果たして。
それからほどなく、西涼の太守馬騰と、幷州の刺史韓遂のふたりは、十余万の大軍をあわせて、
「朝廟の賊を掃討せん」と号して長安へ押しよせて来た。
李傕たちの四将は、「どうしたものか」と、謀士賈詡に計った。
賈詡は、一策を立てて、消極戦術をすすめた。
長安の周囲の外城をかため、塁の上に塁を築き、溝はさらに掘って溝を探くし、いくら寄手が喚いて来ても、「相手にするな」と、ただ守り固めていた。
百日も経つと、寄手の軍は、すっかり意気を沮喪させてしまった。糧草の欠乏やら、長期の滞陣に士気は倦み、あげくの果てに、雨期をこえてからおびただしい病人が出たりして来たのである。
機を窺っていた長安の兵は、一度に四門をひらいて寄手を蹴ちらした。大敗した西涼軍は、散り散りになって逃げ走った。
すると、その乱軍の中で、幷州の韓遂は、右将軍の樊稠に追いつかれて、すでに一命も危なかった。
韓遂は苦しまぎれに、以前の友誼を思い出してさけんだ。
「樊稠樊稠っ。貴公とわしとは同郷の人間ではないか」
「ここは戦場だ。国乱をしずめるためには、個々の誼みも情けも持てない」
「とはいえ、おれが戦いに来たのも、国家のためだ。貴公が国士なら、国士の心もちはわかるだろう。おれは君に討たれてもよいが、全軍の追撃をゆるめてくれ給え」
樊稠は、彼のさけびに、つい人情に囚われて、軍を返してしまった。
翌日、長安の城内で勝軍の大宴がひらかれたが、その席上、四将の一人李傕は、樊稠のうしろへ廻って、「裏切り者っ」と、突然、首を刎ねた。
同僚の張済は、驚きのあまり床へ坐って、慄えおののいてしまった。李傕は、彼を扶け起こして、
「君にはなんの科もない。樊稠はきのう戦場で、敵の韓遂を故意に助けたから誅罰したのだ」と言った。
樊稠のことを叔父に密告したのは李傕の甥の李別という者だった。李別は、叔父に代わって、
「諸君、こういうわけだ」と、樊稠の罪を、席上の将士へ、大声で演説した。
最後に、李傕はまた、張済の肩をたたいて、
「今も甥が言ったようなわけで樊稠は刑罰に附したが、しかし、貴公はおれの腹心だから、おれは貴公になんの疑いも抱いてはおらんよ。安心し給え」
と、樊稠隊の統率を、みな張済の手に移した。
秋雨の頃
一
諸州の浪人の間で、
「近ごろ兗州の曹操は、しきりと賢を招き、士を募って、有能の士には好適を与えるというじゃないか」と、もっぱら評判であった。
聞きつたえて、兗州(山東省・津浦線)へ志してゆく勇士や学者が多かった。
ここ山東の天地はしばらく静かだったが、帝都長安の騒乱は、去年から度々聞こえて来た。
「こんどは、李傕、郭汜などという者が、兵権も政権も左右しているそうだ」
とか、
「西涼軍は、木ッぱ微塵に敗れて、再起も覚つかないそうだ」
とか、また、
「李傕という男も、朝廷を切ってまわすくらいだから、前の董卓にも劣らない才物とみえる」
などと大国だけに、都の乱も他人事のように語っていた。
そのうちに青州地方(済南の東)にまた黄巾賊が蜂起し出した。中央が乱れると、響きに答えるように、この草賊はすぐ騒ぎ出すのである。
朝廷から曹操へ、
「討伐せよ」と、命が下って来た。
曹操は、近ごろ、朝廷に立ってほしいままに兵馬政権をうごかしている新しい廟臣たちを、内心では認めていない。
だが、朝廷という名において、命に服した。また、どんな機会にでも、自分の兵馬をうごかすのは一歩の前進になると考えるので、命を奉じた。
彼の精兵は、たちまち、地方の鼠賊を掃滅してしまった。朝廷は、彼の功を嘉し、新たに、「鎮東将軍」に叙した。
けれど、その封爵の恩典よりも、彼の獲た実利の方がはるかに大きかった。
討伐百日の戦に、賊軍の降兵三十万。領民のうちからさらに屈強な若者を選んで総勢百万に近い軍隊を新たに加えた。もちろん、済北済南の地は肥沃であるから、それを養う糧草や財貨もあり余るほどだった。
時は初平三年十一月だった。
こうして彼の門には、いよいよ諸国から、賢才や勇猛の士が集まった。
曹操が見て、
「貴様は我が張子房である」
と許したほどの人物、荀彧もその時に抱えられた。
荀彧はわずか二十九歳だった。また甥の荀攸も、行軍教授として、兵学の才を用いられて仕え、その他、山中から招かれて来た程昱だの、野に隠れていた大賢人郭賀だの、みな礼を篤うしたので、曹操の周囲には、偉材が綺羅星のごとく揃った。
わけても、陳留の典韋は、手飼いの武者数百人をつれて、仕官を望んで来た。身の丈は一丈に近く眼は百錬の鏡のようだった。戦えば常に重さ八十斤の鉄の戟を左右の手に持って、人を討つこと草を薙ぐにひとしいと豪語してはばからない。
「噓だろう」
曹操も信じなかったが、
「さらば、お目にかけん」と、典韋は、馬を躍らせて、言葉のとおり実演して見せた。ちょうどまた、その折、大風が吹いて、営庭の大旗が仆れかかったので、何十人の兵がかたまって、旗竿を仆すまいとひしめいていたが、強風の力には及ばず、あれよあれよと騒いでいるのを見て、典韋は、
「みな退け」と、走りよって、片手でその旗竿を握り止めてしまったのみか、いかに烈風が旗を裂くほど吹いても、両掌を用いなかった。
「ウーム。古の悪来にも劣らない男だ」
曹操も舌を巻いて、即座に彼を召し抱え、白金襴の戦袍に名馬を与えた。
悪来というのは、昔、殷の紂王の臣下で、大力無双と名のあった男である。曹操がそれにも勝ると称したので、以来、典韋の綽名になった。
二
曹操は、一日ふと、
「おれも今日までになるには、随分親に不孝をかさねて来た」と、故山の父を思い出した。
彼の老父は、そのころもう故郷の陳留にもいなかった。瑯琊という片田舎に隠居していると聞くのみであった。
山東一帯に地盤もでき、一身の安定もつくと、曹操は老父をそうしておいてはすまないと思い出した。
「わしの厳父を迎えて来い」
彼は、泰山の太守応劭を、使として、にわかに瑯琊へ向けた。
迎えをうけて、曹操の父親の曹嵩は、夢かとばかり歓んだ。それと共に、周囲へ向かって、
「それみろ」と、曹嵩の息子自慢はたいへんなものだった。
「あれの叔父貴も、親類どもも、曹操が少年時分には行く末が案じられる不良だなどと、口を極めて、悪く言いおったが──なアに、あいつは見どころがあるよと、大まかに許していたのは、わしばかりじゃった。やはりわしの眼には狂いがなかったんじゃ」
落魄れても、一家四十何人に、召使いも百人からいた。それに家財道具を、百余輛の車につんで、曹嵩一家は、早速、兗州へ向かって出発した。
折から秋の半ばだった。
「楓林停車」という南画の画題そのままな旅行だった。老父は時折、紅葉の下に車を停めさせて、
「こんな詩ができたがどうじゃ。──ひとつ曹操に会ったら見せてやろう」
などと興じていた。
途中、徐州(江蘇省・徐州)まで来ると、太守陶謙が、わざわざ自身、郡境まで出迎えに出ていた。そして、
「ぜひ、こよいは城内で」と、徐州城に迎え、二日にわたって下へも措かないほど歓待した。
「一国の太守が、老いぼれのわしを、こんなに待遇するはずはない。曹操が偉いからだ。思えばわしはよい子を持った」
曹嵩は、城内にいる問も、息子自慢で暮らしていた。
事実、ここの太守陶謙はかねてから曹操の盛名を慕って、祈あれば曹操と誼みを結びたいと思っていたが、よい機会もなかったのである。──ところへ、曹操の父が一家を挙げて、自分の領内を通過して兗州へ引き移ると聞いたので、「それはよい機会だ」と、自身出迎えて、一行を城内に泊め、精いっぱいの歓迎を傾けたのであった。
「陶謙は好い人らしいな」
曹操の老父は、彼の人物にふかく感じた。陶謙が温厚な君子であることは、彼のみでなく、だれも認めていた。
恩を謝して、老父め一行は、三日目の朝、徐州を出発した。陶謙は特に、部下の張闓に五百の兵隊をつけて、「途中、間違いのないよう、お送り申しあげろ」と、いいつけた。
華費という山中まで来ると、変わりやすい秋空が俄に搔き曇って、いちめんの暗雲になった。
青白い電光が閃いて来たかと思うと、ぽつ、ぽつと大粒の雨が落ちて来た。木の葉は、山風に捲かれ、峰も谷も霧にかくれて、なんとなく物凄い天候になった。
「通り雨だ。どこか、雨宿りするところはないか」
「寺がある。山寺の門が」
「あれへ逃げこめ」
馬も車も人も雨に打ち叩かれながら山門の陰へ隠れこんだ。
そのうちに、日が暮れてきたので、
「こよいは此寺へ泊まるから、本堂を貸してくれと、寺僧へ掛け合って来い」
と、張闓は兵卒へ命じた。
彼は日ごろ、部下にも気うけのよくない男と見え、濡れ鼠となった兵隊は皆何か不平にみちた顔をしていた。
三
冷たい秋の雨は、蕭条と夜中までつづいていた。
暗い廊に眠っていた張闓は、何思ったか、むっくりと起きて、兵の伍長を、人気のない所へ呼び出して囁いた。
「宵から、兵隊たちが皆、不平顔をしているじゃないか」
「仕方がありません。なにしろ日ごろの手当は薄いし、こんなつまらぬ役を吩咐かって、兗州まであんな老いぼれを護送して行っても、なんの手功にもならない事は知れていますからね」
伍長は、嘯いて言った。叱るのかと思うと、張闓は、「いや、もっともだ、無理はない」と、むしろ煽動して、
「なにしろ、俺たちは、もともと黄巾賊の仲間にいて、自由自在に、気ままな生活をしていたんだからな。──陶謙に征伐されて、やむなく仕えてみたが、ただの仕官というやつは、薄給で窮屈で、兵隊どもが不平がちに思うのも仕方がない。......どうだ、いっその事、また以前の黄色い巾を髪につけて、自由の野に暴れ出そうか」
「──と言っても、今となっちゃあ遅蒔でしょう」
「なあに、金さえあればいいのだ。幸い、俺たちの護衛して来た老いぼれの一族は、金もだいぶ持っているらしいし、百輛の車に、家財を積んでいる。こいつを横奪りして山寨へ立て籠るんだ」
こんな悪謀が囁かれているとは知らず、曹嵩は、肥えた愛妾と共に、寺の一室でよく眠っていた。
夜も三更に近いころ──
突然、寺のまわりで、喊声がわき揚がったので、老父の隣の部屋に寝ていた曹操の実弟の曹徳が、
「やっ。何事だろう」と、寝衣のまま、廊へ飛び出したところを、物も言わず、張闓が剣をふりかざして斬り殺してしまった。
──ぎゃっッ。
という悲鳴が、方々で聞こえた。曹嵩のお妾は、
「ひッ、ひと殺しっ」
と絶叫しながら、方丈の墻をこえて逃げようとしたが、肥っているので転げ落ちたところを、張闓の手下が槍で突き刺してしまった。
護衛の兵は、兇悪な匪賊と変じて、一瞬の間に殺戮をほしいままにしはじめたのである。
曹嵩の老父も厠へかくれたが発見されて、ズタズタに斬り殺されてしまい、その他の家族召使いなど百余人、すべて血の池の中へ葬られてしまった。
曹操から迎えのため派遣されて付いていた使者の応劭は、この兇変に度を失って、わずかな従者と共に危難は脱したが、自分だけ助かったので後難を惧れたか、主君の曹操のところへは帰りもせず、その地から袁紹を頼って逃亡してしまった。
──酸鼻な夜は明けた。
まだそぼ降っている秋雨の中に、山寺は火を放たれて焼けていた。そして、張闓一味の兇兵は、百余輛の財物と共に、もう一人も居なかった。
× × ×
兗州の曹操は、変を開いて、嚇怒した。
「老父をはじめ、我が一家の縁者を、みな殺しにした陶謙こそ、不倶戴天の仇敵である」
と、眦を裂いて言った。
彼はあくまで、老父の遭難を陶謙の罪として怨んだ。
若年のころ、自分の邪推から、叔父の一家をみな殺しにして、平然とすましていた曹操ではあったが、それと似た兇変が今、自分の身近にふりかかってみると、その残虐を憎まずにいられなかった。その酷たらしさを聞いて哭かずにいられなかった。
「徐州を討て」
即日、大軍動員の令は発せられた。軍の上には報讐雪恨と書いた旗が翻った。
四
復讐の大軍を催して、曹操が徐州へ政進するという

が諸州へ聞こえわたった前後、
「ぜひ会わせて下さい」と、曹操を陣門に訪ねて来た者があった。
それは陳宮であった。
陳宮は、かつて曹操が、都から落ちて来る途中、共に心肚を吐いて、将来を盟い合ったが、やがて曹操の性行を知って、
(この人は、王道に拠って、真の国を憂うる英雄ではない。むしろ国乱をして、いよいよ禍乱へ追い込む覇道の姦雄だ)と怖れをなして、途中の旅籠から彼を見限り、彼を棄てて行方を晦ましてしまった旧知であった。
「君は今、何しているか」
曹操に

かれると、陳宮は、すこし間が悪そうに、
「東郡の従事という小役人を勤めています」と、答えた。
すると曹操は、皮肉な笑みをたたえながら、早くも相手の来意を読んでいた。
「じゃあ、徐州の陶謙とは親しい間がらとみえるね。多分君は、その知己のために、予を宥めに来たのだろうが、おそらく君の懇願も、この曹操の恨みと憤りを解くのは不可能だと思う。──まあ遊んで行き給え」
「お察しのとおりな目的で来ました。小生の知る陶謙は、世に稀な仁人です、君子です。──御尊父がむごたらしい難に遭われたのは、まったく陶謙の罪ではなく、張闓の仕業です。小生は、故なき戦乱のため、仁君子が苦しめられ、同時に将軍の声望が傷つけられんとするのを見て、悲しまずにいられません」
「ばかをいえ」
曹操は、今までの微笑を一喝に変えて言い放った。
「父や兄の恨みを雪ぐのが、なんでわが声望の失墜になるか、君は元来、逆境のころの予を見捨てて走った男ではないか、人に向かって遊説して歩く資格があると思うのか」
陳宮は、顔赤らめて、辞し去ったが、その不成功を、陶謙に復命する勇気もなく、そこから陳留の太守張邈の所へ走ってしまった。
かくて「
報讐雪恨」の大旗は、曹操の怒りにまかせて、
陶謙の
胆を
抉り肉を

らわねば
熄まじ──とばかりの勢いで、徐州城下へ向かって進発した。
行く行くこの猛軍は人民の墳墓をあばいたり、敵へ内通する疑いのある者などを、仮借なく斬って通ったので、民心は極端に恐れわなないた。
徐州の老太守陶謙は、
「曹操の軍には、とても敵しようもない。彼の恨みをうけたは皆、自分の不徳である。──自分は縛をうけて、甘んじて、彼の憤刀へこの首を授けようと思う。そして百姓や城兵の命乞いを彼に縋ろう」
諸将を集めてそう告げた。将の大部分は、
「そんなことはできません。太守を見殺しにして、なんで自分等のみ助けをうけられましょうや」
と、策を議して、北海(山東省・萊州)に急使を派し、孔子二十世の孫で泰山の都尉孔宙の子孔融に援けを頼んだ。
折からまた、黄巾の残党が集結して、各所で騒ぎだしていた。北平の公孫瓚も、国境へ征伐に向かっていたが、その旗下にあった劉備玄徳は、ふと徐州の兵変を聞いて、義のため、仁人の君子といううわさのある陶謙を援けに行きたいと、公孫瓚にはなしてみた。
公孫瓚は、むしろ不賛成で、
「よしてはどうだ。なにも君は曹操に恨みがあるわけでもなし、陶謙に恩もないだろうに」
と、止めた。
けれど、玄徳は、義の廃れた今、義を示すのは今だと思った。強いて暇を乞い、また、幕僚の趙雲を借りて、総勢五千人を率い、曹操の包囲を突破して、ついに徐州へ入城した。
太守陶謙は、手をとらんばかり玄徳を迎え、
「今の世にも、貴君のごとき義人があったか」と、涙をたたえた。
死活往来
一
城兵の士気は甦った。
孤立無援の中に、苦闘していた城兵は、思わぬ劉玄徳の来援に、幾たびも歓呼をあげて振った。
老太守の陶謙は、「あの声を聞いて下さい」と、歓びに顫えながら、玄徳を上座に直すと、直ちに太守の佩印を解いて、
「今日からは、この陶謙に代わって、あなたが徐州の太守として、城主の位置について貰いたい」
と、言った。
玄徳は驚いて、
「とんでもないことです」と、極力辞退したが、
「いやいや、きくならく、あなたの祖は、漢の宗室というではないか。あなたは正しく帝系の血をうけている。天下の擾乱を鎮め、紊れ果てた王綱を正し、社稷を扶けて万民へ君臨さるべき資質を持っておられるのだ。──この老人のごときは、もうなんの才能も枯れている。いたずらに、太守の位置に恋々としていることは、次に来る時代の黎明を遅くさせるばかりじゃ。わしは今の位置を退きたい。それを安んじて譲りたい人物も貴公以外には見当たらない。どうか微衷を酌んで曲げても御承諾ねがいたい」
陶謙のことばには真実がこもっていた。うわさに聞いていたとおり、私心のない名太守であった。世を憂い、民を愛する仁人であった。
けれど劉備玄徳は、なお、
「自分はあなたを扶けに来た者です。若い力はあっても、老台のような徳望はまだありません。徳のうすい者を太守に仰ぐのは、人民の不幸です。乱の基です」
と、どうしても、彼もまた、固辞して肯き容れなかった。
張飛、関羽のふたりは、彼のうしろの壁際に侍立していたが、
「つまらない遠慮をするものだ。どうも大兄は律儀すぎて、現代人で無さ過ぎるよ、......よろしいと、受けてしまえばよいに」と、歯痒そうに、顔見合わせていた。
老太守の熱望と、玄徳の謙譲とが、お互いに相手を立てているのに果てしなく見えたので、家臣糜竺は、
「後日の問題になされてはいかがですか。なにぶん城下は敵の大軍に満ちている場合ではあるし」
と、側から言った。
「いかにも」
二人もうなずいて、即刻、評議をひらき、軍備を問い、その上で、一応はこの解決を外交策に訴えてみるも念のためであるとして、劉玄徳から曹操へ使を立て、停戦勧告の一文を送った。
曹操は、玄徳の文を見ると、
「何。......私の讐事は後にして、国難を先に扶けよと。......劉備ごときに説法を受けんでも、曹操にも大志はある。不遜な奴めが」
と、それを引っ裂いて、
「使者など斬ってしまえ」と、一喝に退けた。
時しもあれ、その時、彼の本領地の兗州から、続々早打ちが駆けつけて来て、
「たいへんです。将軍の留守を窺って、突如、呂布が兗州へ攻めこみました」
と、次々に報せが来た。
× × ×
呂布がどうして、曹操の空巣をねらってその根拠地へ攻めこんできたのであろうか。
彼も、都落ちの一人である。
李傕、郭汜などの一味に、中央の大権を握られ、長安を去った彼は、一時、袁術の所へ身を寄せていたが、その後また、諸州を漂泊して陳留の張邈を頼り、久しくそこに足を留めていた。
するとある日、彼が閣外の庭先から駒を寄せて、城外へ遊びに出かけようとしていると、
「ああ、近ごろは天下の名馬も、無駄に肥えておりますな」
呂布の顔の側へきて、わざと皮肉に呟いた男があった。
二
──変なことを言う奴だ。
呂布は迂さん臭い顔して、その男の風采を黙って見つめていた。
それは、陳宮であった。
先ごろ、陶謙に頼まれて、曹操の侵略を諫止せんと、説客に赴いたが、かえって曹操に一蹴されて不成功に終わったのを恥じて、徐州に帰らず、そのままこの張邈の許へ隠れていた彼だった。
「なんで吾輩の馬が、いたずらに肥えていると嘆くのか。よけいなおせっかいではないか」
呂布が言うと、
「いや、もったいないと申したのです」と、陳宮は言い直して、
「駒は天下の名駿赤兎馬、飼い人は、三歳の児童もその名を知らぬはない英傑であられるのに、碌々として、他家に身を寄せ、この天下分崩、群雄の競い立っている日を、空しく鞭を遊ばせているのは、実に惜しいことだと思ったのです」
「そういう君は一体だれだ」
「陳宮という無名の浪人です」
「陳宮? ......。では以前、中牟県の関門を守り、曹操が都落ちをした時、彼を助けるため、官を捨てて奔った県令ではないのか」
「そうです」
「いや、それはお見それした。だが、君は吾輩に今、謎みたいなことを言われたが、どういう真意なのか」
「将軍は、この名馬を曳いて、生涯、食客や遊歴に甘んじているおつもりか。それを先に聞きましょう」
「そんなことはない。吾輩にだって志はあるが時利あらずで」
「時は眼前に来ているではありませんか。──今、曹操は徐州攻略に出征して、兗州にわずかな留守がいるのみです。この際、兗州を電撃すれば、無人の野を収めるごとく、一躍尨大な領土が将軍のものになりましょう」
呂布の顔色に血がさした。
「あっ、そうか。よく言ってくれた。君の一言は、吾輩の懶惰をよく醒ましてくれた。やろう!」
それからの事である。
兗州は兵乱の巷になり、虚を衝いて侵入した呂布の手勢は、曹操の本拠地を占領してから、さらに、勢いにのって、濮陽方面(河北省・開州)にまで兵乱をひろげていた。
× × ×
「不覚!」
曹操は、唇を嚙んだ。
われながら不覚だったと悔いたがもう遅い。彼は、徐州政略の陣中で、その早打ちを受けとると、
「どうしたものか」と、進退谷まったもののごとく、一時は茫然自失した。
けれど、彼の頭脳は、元来が非常に明敏であった。また、太ッ腹でもあった。一時の当惑から脱すると、すぐ鋭い機智が働いて、常の顔いろに返った。
「最前、城内からの劉備玄徳の使者は、まだ斬りはしまいな。──斬ってはならんぞ。急いでこれへ連れて来い」
それから彼は、玄徳の使に、
「深く考えるに、貴書の趣には、一理がある。仰せにまかせて、曹操は潔く撤兵を断行する。──よろしく伝えてくれい」
と、掌を返すように告げて、使者を鄭重に城中へ送り帰し、同時に洪水の退くように、即時、兗州へ引き揚げてしまった。
偶然だが、玄徳の一文がよくこの奇効を奏したので、城兵の随喜はいうまでもなく、老太守の陶謙はふたたび、
「ぜひ自分に代わって、徐州侯の封を受けてもらいたい、自分には子もあるが、柔弱者で、国家の重任にたえないから──」
と、玄徳へ、国譲りを迫った。
しかし玄徳は、なんとしても肯き入れなかった。そしてわずかに近郷の小沛という一村を受けて、ひとまず城門を出、そこに兵を養いながら、なおよそながら徐州の地を守っていた。
三
快鞭一打──
曹操は、大軍をひっさげて、国元へ引っ返した。
彼は、難局に立てば立つほど、壮烈な意気にいよいよ強靭を加える性だった。
「呂布、何者」
とばかり、すでに相手をのんでいた。奪われた兗州を奪回するに、何の日時を費やそうぞと、手に睡して向かっていった。
軍を二つに分け、旗下の曹仁をして兗州を囲ませ、自身は濮陽へ突進した。敵の呂布は、濮陽を占領して、そこの州城にいると見たからである。
濮陽に迫ると、
「休め」
と、彼は兵馬に一息つかせ、真ッ紅な夕陽が西に沈むまで、動かなかった。
その前に、旗下の曹仁が、彼に向かって注意した言葉を、彼はふと胸に思い出した。
それは、こういうことだった。
「呂布の大勇にはこの近国でだれあって当たる者はありません。それに近ごろ彼の側には例の陳宮が付き従っているし、その下には文遠、宣高、郝萌などと称ぶ猛将が手下に加わっておるそうです。よくよくお心をつけて向かわぬと、意外に臍を嚙むやも知れませんぞ──」
曹操は、その言葉を今、胸に反復してみても、格別、恐怖を覚えなかった。呂布に勇猛あるかも知れぬが、彼には智慮がない。策士陳宮のごときは、多寡の知れた素浪人、しかも自分を裏切り去った卑怯者、目にもの見せてやろうと考えるだけであった。
一方。
呂布は、曹操の襲来を知って、藤県から泰山の難路をこえて引っ返して来た。彼もまた、
「曹操、何かあらん」という意気で、陳宮の諫めも用いず、総軍五百余騎をもって対峙した。
曹操の烱眼では、「彼の西の寨こそ手薄だな」と、見た。
で、暗夜に山路を越え、李典、曹洪、于禁、典韋などを従えて、不意に攻めこんだ。
呂布はその日正面の野戦で曹操の軍をさんざんに破っていたので、勝軍に驕り、陳宮が、
「西の寨が危険です」と、注意したにもかかわらず、そう気にもかけず眠っていた。
濮陽の城内は混乱した。西の寨はたちまち陥落して曹操の兵が旗を立てた。けれど刎ね起きた呂布が、
「寨は我一人でも奪回して見せん。汝等入りこんだ敵の奴ばらを、一匹も生かして帰すな」
と、指揮に当たると、彼の麾下はまたたくまに、秩序をとりかえし、鼓を鳴らして包囲して来た。
山間の嶮をこえて深く入り込んだ奇襲の兵は、もとより大軍でないし、地の理にも晦かった。一度、占領した寨は、かえって曹操等の危地になった。
乱軍のうちに、夜は白みかけている。身辺を見ると恃む味方もあらかた散ったり討ち死にしている。曹操は死地にあることを知って、
「しまった」
にわかに寨を捨てて逃げ出した。
そして南へ馳けて行くと、南方の野も一面の敵。東へ逃げのびんとすれば、東方の森林も敵兵で充満している。
「いよいよいかん」
彼の馬首は、行くに迷った。ふたたびゆうべ越えて来た北方の山地へ奔るしかなかった。
「すわや、曹操があれに落ちて行くぞ」
と、呂布軍は追跡して来た。もちろん、呂布もその中にいるだろう。
逃げまわった末、曹操は、城内街の辻を踏み迷って、鞭も折れんばかり馬腹を打って来た。するとまたもや前面にむらがっていた敵影の中から、カンカンカンカンと梆子の音が高く鳴ったと思うと、曹操の身一つを的に、八方から疾風のように箭が飛んできた。
「最期だっ。予を助けよ。だれか味方はいないか!」
さすがの曹操も、思わず悲鳴をあげながら、身に集まる箭を切り払っていた。
四
──時に、かなたからたれやらん、おうっ──と吠えるような声がした。
見れば、左右の手に、重さ八十斤もあろうかと見える戟を提げ、敵の真っただ中を斬り開いて馳せつけて来る者がある。馬も人も、朱血を浴びて、焰が飛んで来るようだった。
「御主君、御主君っ、馬をお降りあれ。そして地へ這いつくばり、しばらく敵の矢をおしのぎあれ」
矢攻めの中に立ち往生している曹操へ向かって、彼は近よるなり大声で注意した。
だれかと思えば、これなん先ごろ召し抱えたばかりの悪来──かの典韋であった。
「おお、悪来か」
曹操は急いで馬を跳び下り、彼のいうとおり地へ這った。
悪来も馬を降りた。両手の戟を風車のように揮って矢を払った。そして敵軍に向かって闊歩しながら、
「そんなヘロヘロ矢がこの悪来の身に立って堪るか」
と、豪語した。
「小癪なやつ。打ち殺せ」
五十騎ほどの敵が一かたまりになって馳けて来た。
悪来は善く戦い、敵の短剣ばかり十本も奪い取った。彼の戟はもう鋸のようになっていたので、それを抛って、十本の短剣を身に帯びて、曹操の方を振り向いた。
「──逃げ散りました。今のうちです。さあおいでなさい」
彼は、徒歩のまま、曹操の轡を把って、また馳け出した。二、三の従者もそれにつづいた。
けれど矢の雨はなお、主従を目がけて注いで来た。悪来は、盔の錣を傾けてその下へ首を突っ込みながら、真っ先に突き進んでいたが、またも一団の敵が近づいて来るのを見て、
「おいっ、士卒」と、後ろへどなった。
「──おれは、こうしているから、敵のやつが、十歩の前まで近づいたら声をかけろ」
と、命じた。
そして、矢唸りの流れる中に立って、眠り鴨のように、顔へ錣を翳していた。
「十歩ですっ」
と、後ろで彼の従者が教えた。
途端に、悪来は、
「来たかっ」
と、手に握っていた短剣の一本をひゅっと投げた。
われこそと躍り寄って来た敵の一騎が、どうっと、鞍からもんどり打って転げ落ちた。
「──十歩ですっ」
また、後ろで聞こえた。
「おうっ」
と、短剣が宙を切って行く。
敵の騎馬武者が見事に落ちる。
「十歩っ」
剣はすぐ飛魚の光を見せて唸ってゆく──
そうして十本の短剣が、十騎の敵を突き殺したので、敵は怖れをなしたか、土煙の中に馬の尻を見せて逃げ散った。
「笑止なやつ等だ」
悪来はふたたび曹操の駒の轡を把って、逃げまどう敵の中へ突ッ込んで行った。そして敵の武器によって敵を薙で斬りにしながら、ようやく一方の血路をひらいた。
山の麓まで来ると、旗下の夏侯惇が数十騎をつれて逃げのびて来たのに出会った。味方の手負いと討ち死には、全軍の半分以上にものぼった。──惨憺たる敗戦である。いや曹操の生命が保たれたのはむしろ奇蹟と言ってよかった。
「其方がいなかったら、千に一つもわが生命はなかったろう」
曹操は、悪来へ言った。──夜に入って大雨となった。越えてゆく山嶮は滝津瀬にも似ていた。
帰ってから悪来の典韋は、この日の功によって、領軍都尉に昇級された。
五
ここ呂布は連戦連勝だ。
失意の漂泊をつづけていた一介の浪人は、またたちまち濮陽城の主だった。先に曹操を思うさま痛めつけて、城兵の士気は弥が上にも昂まっていた。
「この土地に、田氏という旧家があります。ごぞんじですか」
謀士の陳宮が、唐突に言い出したことである。呂布も近ごろは、彼の智謀を大いに重んじていたので、また何か策があるかと、
「田氏か。あれは有名な富豪だろう。召し使っている僮僕も数百人に及ぶと聞いているが」
「そうです。その田氏をお召し出しなさいまし。密かに」
「軍用金を命じるのか」
「そんなつまらないことではありません。領下の富豪から金を
搾り取るなんていうことは、自分の蓄えを気短かに

ってしまうようなものです。大事さえ成れば、黄金財宝は、争って先方が御城門へ運んで来ましょう」
「では、田氏をよびつけて何をさせるのか」
「曹操の一命を取るのです」
陳宮は、声をひそめて、なにか密々と呂布に説明していた。
それから数日の後。
ひとりの百姓が、竹竿の先に鶏の蒸したのを苞にくるみ、それを縛って、肩にかつぎながら、寄手の曹操の陣門近くをうろついていた。
「迂散な奴」と、捕らえてみると、百姓は、
「これを大将に献じたい」と、伏し拝んでいう。
「密偵だろう」
と、有無を言わさず、曹操の前へ引っぱって来た。すると百姓は態度を変えて、
「人を払って下さい、いかにも私は密使です。けれど、あなたの不ためになる使ではありません」
と、言った。
近臣だけを残して、士卒たちを遠ざけた。百姓は、鶏の苞を刺していた竹の節を割って、中から一片の密書を出して曹操の手へ捧げた。
見ると、城中第一の旧家で富豪という聞こえのある田氏の書面だった。呂布の暴虐に対する城中の民の恨みが綿々と書いてある。こんな人物に城守になられては、わたくし達は他国へ逃散するしかないとも認してある。
そして、密書の要点に入って、
(──今、濮陽城は留守の兵しかいません。呂布は黎陽へ行っているからです。即刻、閣下の軍をお進め下さい。わたくしどもは機を計って内応し、城中から攪乱します。義の一字を大きく書いた白旗を城壁のうえに立てますから、それを合図に、一挙に濮陽の兵を殲滅なさるように禱る──機はまさに今です)と、ある。
曹操は、破顔して欣んだ。
「天、われに先ごろの雪辱をなさしめ給う。濮陽はもう掌のうちの物だ!」
使を犒って、承諾の返辞を持たせ帰した。
「危険ですな」
策士の劉曄が言った。
「念のため、軍を三分して、一隊だけ先へ進めてごらんなさい。呂布は無才な男ですが、陳宮には油断はできません」
曹操も、その意見を可として、三段に軍を立てて、徐々と敵の城下まで肉薄して行った。
「オオ、見える」
曹操は北叟笑んだ。
果たせるかな、大小の敵の旌旗が吹き靡いている城壁上の一角──西門の上あたりに一旒の白い大旗がひるがえっていた。手をかざして見るまでもなく、その旗には明らかに「義」の一字が大書してあった。
六
「もはや事の半ばは成就したも同じだ」
曹操は左右へ言って、
「──だが、夜に入るまでは、息つぎの小競り合いに止めておいて敵が誘うとも深入りはするな」
と、誡めた。
城下の商戸はみな戸を閉ざし、市民はみな逃げ去って、町は昼ながら夜半のようだった。曹操の軍馬はそこここに屯して、食物や飲み水を求めたり、夜の総攻撃の準備をしていた。
果たして、城兵は奇襲して来た。辻々で少数の兵が衝突して、一進一退をくり返しているうちに陽はやがて、とっぷり暮れて来た。
薄暮のどさくさ紛れに一人の土民が曹操のいる本陣へ走りこんできた。捕らえて詰問すると、
「田氏から使いです」と、密書を示して言う。
曹操は開くとすぐ取り寄せて披いてみた。紛れない田氏の筆蹟である。
初更の星、燦々の頃
城上に銅鑼鳴るあらん
機、逸し給う勿れ、即前進
衆民、貴軍の蹄戞を待つや久し
鉄
、
直ちに内より開かれ
全城を挙げて閣下に献ぜん
「よしっ。機は熟した」
曹操は、密書の示す策によって、すぐ総攻撃の配置にかかった。
夏侯惇と曹仁の二隊は、城下の門に停めておいて、先鋒には夏侯淵、李典、楽進と押しすすめ、中軍に典韋等の四将をもって囲み、自身はその真ん中に大将旗を立てて指揮に当たり、重厚な陣形を作って徐々と内城の大手へ迫った。
しかし李典は、城内の空気に、なにか変な静寂を感じたので、
「一応、われわれが、城門へぶつかって、小当たりに探ってみますから、御大将には、暫時、進軍をお待ちください」と、忠言してみた。
曹操は気に入らない顔をして、
「兵機というものは機を外しては、一瞬勝ち目を失うものだ。田氏の合図に手違いをさせたら、全線が狂ってしまう」
と言って肯き入れないのみか、なおはやって自身、真っ先に馬を進め出した。
月はまだ昇らないが満天の星は宵ながら繚乱と燦めいていた。たッたたッたッ──と曹操に馳けつづく軍馬の蹄が城門に近づいたかと思うと、西門あたりに当たって、陰々と法螺貝の音が尾をひいて長く鳴った。
「やっ、なんだっ」
寄手の諸将はためらい合ったが、曹操はもう濠の吊橋を騎馬で馳け渡りながら、
「田氏の合図だっ。何をためらっているか。この機に突っこめっ──」と、振り向いてどなった。
とたんに、正面の城門は、内側から八文字に開け放されていた。──さては、田氏の密書に噓はなかったかと、諸将も勢いこんで、どっと門内へなだれ入った。
──が、途端に、
「わあっ......」
と、闇の中で、喊声が揚がった。敵か味方かわからなかったし、もう怒濤のように突貫の行き足がついているので、にわかに、駒を止めて見返してもいられなかった。
すると、どこからともなく、石の雨が降って来た。石垣の陰や、州の政庁の建物などの陰から、同時に無数の松明が光りかがやき、その数は何千か知れなかった。
「や、や、やっ?」
疑う間に投げ松明だ。軍馬の上に、大地に、盔に、袖に、火の雨が注がれ出したのである。曹操は仰天して、突然、
「いかんっ。──敵の謀計にひッかかった。退却しろ」
と、声をかぎりに後ろへ叫んだ。
七
敵の計に陥ちたと覚って、曹操が、しまったと馬首を回らした刹那、一発の雷砲が、どこかでどん──と鳴った。
彼につづいて突入してきた全軍は、たちまち混乱に墜ちた。奔馬と奔馬、兵と兵が、方向を失って渦巻くところへなお、
「どうしたっ?」
「早く出ろ」と、後続の隊は、後から後からと押して来た。
「退却だっ」
「退くのだっ」
混乱は容易に救われそうもない。
石の雨や投げ松明の雨が熄んだと思うと、城内の四門がいちどに口を開いて、中から呂布の軍勢が、
「寄手の奴らを一人も生かして帰すな」と、東西から挾撃した。
度を失った曹操の兵は、網の中の魚みたいに意気地もなく殲滅された。討たれる者、生け捕れられる者数知れなかった。
さすがの曹操も狼狽して、
「不覚不覚」
と憤然、唇を嚙みながら、一時北門から逃げ退こうとしたが、そこにも敵軍が充満していた。南門へ出ようとすれば南門は火の海だった。西門へ奔ろうとすれば、西門の両側から伏兵が現われてわれがちに喚きかかってくる。
「御主君御主君。血路はここに開きました。早く早く」
彼を呼んだのは悪来の典韋であった。典韋は、歯をかみ眼をいからして、簇る敵を蹴ちらし、曹操のために吊橋の道を斬り開いた。
曹操は、征矢のごとく駆けぬけて城下の町へ走った。殿となった悪来も、後を追ったが、もう曹操の姿は見あたらない。
「おういっ。......わが君っ」
悪来が捜していると、
「典韋じゃないか」と、だれか一騎、馳け寄って来た味方がある。
「オオ、李典か、御主君の姿を見なかったか」
「自分も、それを案じて、お探し申しているところだ」
「どう落ちて行かれたやら」
兵を手分けして、二人は八方捜索にかかったが、皆目知れなかった。
いずこを見ても火と黒煙と敵兵だった。曹操自身さえ南へ馳けているのか西へ向かっているのかわからない。ただ果てしない乱軍の囲みと炎の迷路だった。その中からどうしても出る事ができないほど、頭脳も顚倒していた。
──するとかなたの暗い辻から、一団の松明が、赤赤と夜霧を滲ませて曲がって来た。
近づいて見るまでもなく敵にちがいない。曹操は、「南無三」と、思ったが、あわてて引っ返してはかえって怪しまれる。肚をすえて、そのまま行き過ぎようとした。
何ぞ計らん、従者の松明に囲まれて戞々と歩いて来たのは、敵将の呂布であった。例の凄まじい大戟を横たえ、左に赤兎馬の手綱を持って悠然と来る姿が、はっと、曹操の眸に大きく映った。
ぎょっとしたが、すでに遅し! である。曹操は顔を反向け、その顔を手で隠しながら、何気ない素振りを装って摺れ違った。
すると呂布は、何思ったか、戟の先を伸ばして曹操の
盔の
鉢金を
こつんと軽く
叩いた。そして──おそらくは自分の味方の将と間違えたのだろう、こう

ねた。
「おい。曹操はどっちへ逃げて行ったか知らんか。──敵の曹操は?」
「はっ」
曹操は、作り声で、
「それがしも彼を追跡しているところです。何でも、毛の黄色い駿足に跨がって、かなたへ走って行ったそうで」と、指さすや否、その方角へ向かって、一散に逃げ去った。
八
「やっ、怪しい......?」と、後見送りながら、呂布が気づいた時は、すでに曹操の影は、町中に立ちこめている煙の中に見えなくなっていた。
「ああ、危うかった」
曹操は、夢中で逃げ走ってきてから、ほっと駒を止めて呟いた。真に虎口を脱したとは、この事だろうと思った。
──が、一体ここはどこか。西か東か。その先の見当は依然として五里霧中のここちだった。
そうして彷徨っているうちに、ようやく自分を捜している悪来に出会った。そして悪来に庇護されながら、辻々で血路を斬り開き、東の街道に出る城外の門まで逃げてきた。
「やあ、ここも出られぬ」
曹操は、思わず嘆声をあげた。駒も大地を蹄で叩くばかりで前へ出なくなった。
それも道理。街道口の城門は、今、旺に焼けていた。長い城壁は一連の炎の樋となって、火熱は天地も焦がすばかりである。
「どうッ。どうッ。どうッ......」
熱風を恐れて駒は狂いに狂う。鞍つぼにも、盔へも、パラパラと火の粉は降りかかる。
曹操は、絶望的な声で、
「悪来。戻るより外はあるまい」と、後ろを見て言った。
悪来は、火よりも赤い顔に、眦を裂いて睨んでいたが、
「引っ返す道はありません。ここの門が幽明の境です。てまえが先に馳け抜けて通りますから、すぐ後からお続きなさい」
門楼は一面焰につつまれている。城壁の上には、沢山な薪や柴に火が移っている。まさに地獄の門だ。その下を馳け抜けるなどは、九死に一生を賭す芸当より危険にちがいない。
しかし、活路はここしかない。
悪来の乗っている馬の尻に、びゅんッと凄い音がした。彼の姿はとたんに馬もろとも、火焰の洞門を突破して行った。──と見るや否、曹操も、戟をもって火塵を払いながら、どっと焰の中へ馳けこんだ。
一瞬に、呼吸がつまった。
眉も、耳の穴の毛までも、焼け縮れたかと思われた時は、曹操の胸がもう一歩で、楼門の向こう側へ馳け抜けるところだった。
──が、その刹那。
楼上の一角が、焼け落ちて来たのである。何たる惨! 火に包まれた巨大な梁が、そこから電光のごとく落下してきた。そしてちょうど曹操の乗った馬の尻を撲ったので、馬は脚を挫いて地に仆れ、抛り出された曹操の体のほうへ、その梁はまたぐゎらっと転がって来た。
「──あッ」
曹操は、仰向けに仆れながら、手をもってその火の梁を受けた。──当然、掌も肱も、大火傷をした。自分の体じゅうから、焦げくさい煙が立ちのぼった。
「......ウウム!」
彼は手脚を突っ張って反り返ったまま焰の下に、気を失ってしまった。
しきりと自分を呼ぶ者がある。──どれくらい時が経っていたか、とにかく微かに意識づいた時は、彼は、何者かの馬上に引っ抱えられていた。
「悪来か。悪来か」
「そうです。もう御安心なさい。ようやく敵地も遠くなりましたから」
「わしは、助かったのか」
「満天の星が見えましょう」
「見える......」
「お
生命はたしかです。お
怪我も
火傷の程度だから、

るにきまっています」
「ああ......。星空がどんどん後ろへ流れてゆく」
「後から馳け続いて来るのは、味方の夏侯淵ですから、御心配には及びませんぞ」
「......そうか」
頷くと曹操はにわかに苦しみ始めた。安心すると同時に半身の大火傷の痛みもわかってきたのである。
九
夜は白々と明けた。
将も兵も散り散りばらばらに味方の砦へ帰って来た。どの顔も、どの姿も、惨憺たる敗北の血と泥にまみれている。
しかも、生きて還ったのは、全軍の半分にも足らなかったのである。
そこへ、悪来と夏侯淵に扶けられた曹操が、馬の鞍に抱えられて帰ってきたので、全軍の士気は墓場のように銷沈してしまい、滅失の色深い陣営は、旗さえ朝露重たげにうなだれていた。
「何。将軍が戦傷なされたと?」
「御重傷か」
「どんな御容体か」
聞き伝えた幕僚の将校たちは、曹操の抱えこまれた陣幕の内へ、どやどやと群れ寄ってきた。
「しッ......」
「静かに」
と、中の者に制されて、なにかぎょっとしたものを胸に受けながら、将校たちは急に厳粛な無言を守り合っていた。
手当てに来ていた典医がそっと戻って行った。典医の顔も憂色に満ちている。それを見ただけで、幕僚たちは胸が迫って来た。
──すると、突然幕のうちで、
「わははは、あははは」
曹操の笑う声がした。
しかも、平常よりも快活な声だ。
驚いて一同、彼の横臥している周りを取り巻いて、その容体を覗きこんだ。
右の肱から肩、太股まで、半身は大火傷に爛れているらしい。繃帯ですっかり巻かれていた。顔半分も、薬で塗って、白い覆面をしたように片目だけ出していた。玉萄黍の毛のように、髪の毛まで焦げている。
「もう、いい。心配するな」
片目で幕僚を見まわしながら、曹操は強いて笑いを見せて、
「考えてみると、何も、敵が強いのでもなんでもない。おれは火に負けたまでだ。火には敵わんよ。──なあ、諸君」と、言ってまた、「それと、少し軽率だった。たとえ、過ちにせよ、匹夫呂布ごとき者の計に墜ちたのは、われながら面目ない。しかしおれもまた彼に向かって計をもって酬いてくれる所存だ。まあ見ておれ」
すこし身を捻じろうとしたが、体が動かない。無理に首だけ動かして、
「夏侯淵」
「はっ」
「貴様に、予の葬儀を命ずる。葬儀指揮者の任に就け」
「不吉なお言葉を」
「いや、策だ。──今暁、曹操ついに死せりと、喪を発するがよい。伝え聞くや、呂布はこの時とばかり、城を出て攻め寄せて来るにちがいない。仮埋葬を営むと触れてわが仮の柩を、馬陵山へ葬れ」
「はっ......」
「馬陵山の東西に兵を伏せ、敵をひき寄せ、円陣のうちに捉えて、思う存分、殲滅してくれるのだ。わかったか」
「わかりました」
「どうだ、諸君」
「御名策です」
幕僚は、その場で皆、喪章を着けた。──そして将軍旗の竿頭にも、弔章が附せられた。
──曹操死す。
の声が伝わった。まことしやかに濮陽にまで聞こえて来た。呂布は耳にすると、
「しめた、おれの強敵は、これで除かれた」
と膝を叩き、念のため、探りを放って確かめると、喪の敵陣は、枯れ野のように、寂として声もないという。
馬陵山の葬儀日を狙って、呂布は濮陽城を出て、一挙に敵を葬り尽くそうとした。ところがなんぞ計らん。それは呂布を拉して冥途へ送らんとする偽りの葬列だった。
起伏する丘陵一帯の陰から、たちまち鳴り起こった陣鼓鑼声は、完全に呂布軍をたたきのめした。
呂布は、命からがら逃げた。一万に近い犠牲と面目を馬陵山に捨てて逃げた。──以来、それにこりごりして、濮陽を堅く守り、容易にその城から出なかった。
牛と『いなご』
一
穴を出ない虎は狩れない。
曹操は、あらゆる策をめぐらして、呂布へ挑んだが、「もうその策には乗らない」と、彼は容易に、濮陽から出なかった。
そのくせ、前線と前線との、偵察兵や小部隊は日々夜々小ぜりあいを繰り返していたが、戦いらしい戦いにもならず、と言ってこの地方が平穏にもならなかった。
いや、世の乱脈な兇相は、ひとりこの地方ばかりではない。土のある所、人間の住む所、血なまぐさい風に吹き捲られている。
こういう地上にまた、戦争以上、百姓を悲しませる出来事が起こった。
ある日。
一片の雲さえなく晴れていた空の遠い西の方に、黒い綿を浮かべたようなものが漂って来た。やがて、疾風雲のように見る見るうちにそれが全天に拡がって来たかと思うと、
「いなごだ。いなごだ」
百姓は騒ぎ始めた。
いなごの襲来と伝わると、百姓は茫然、泣き悲しんで、鋤鍬も投げて、土蜂の巣みたいな土小屋へ逃げこみ、
「ああ。しかたがない」
絶望と諦めの呻きを、顫きながら洩らしているだけだった。
いなごの大群は、蒙古風の黄いろい砂粒よりたくさん飛んで来た。天を蔽ういちめんの雲かとも紛う妖虫の影に、白日もたちまち暗くなった。
地上を見れば、地上もいなごの洪水であった。たちまち稲の穂を蝕い尽くしてしまい、蝕う一粒の稲もなくなると、妖虫の狂風は、次々と、他の地方へ移動してゆく。
後から来る
いなごは、

う稲がない。ついには、
餓殍と餓殍が
嚙みあって何万何億か知れない虫の
空骸が、一物の青い穂もない地上を
悽惨に敷きつめている。
──が、その浅ましい光景は、虫の社会だけではない。やがて人間も嚙み合い出した。
「

う物がない!」
「生きて行かれないっ」
悲痛な流民は、

う物を追って、東西に移り去った。
糧食とそれを作る百姓を失った軍隊は、もう軍隊としての働きもできなくなってしまった。
軍隊も「食」に奔命しなければならない。しかも山東の国々ではその年、いなごの災厄のため、物価は暴騰に暴騰を辿って、米一斛の価は銭百貫を出しても、なかなか手に入らなかった。
「やんぬる哉!」
曹操も、これには、策もなく、手の下しようもなかった。
戦争はおろか、兵が養えないのである。やむなく彼は、陣地を引き払って、しばらくは他州にひそみ、衣食の節約を令して、この大飢饉をしのぎ、他日を待つしか方法はあるまいと観念した。
同じように、濮陽の呂布たりといえども、この災害を被らずにいるわけはない。
「曹操の軍も、とうとう囲みを解いて、引き揚げました」
そう報告を聞いても、
「うむ。そうか」とのみで、彼の愁眉はひらかれなかった。
彼もまた、
「細く長く

え」
と、兵糧方に厳命した。
自然──
双方の戦争はやんでしまった。
いなごが、人間の戦争を休止させてしまったのである。
とはいえ。
また、春は来る、夏は巡って来る。大地は生き生きと青い穀物や稲の穂を育てるであろう。いなごは年々襲っては来ないが、人間同士の戦争は、ついに、土が物を実らせる力のある限り永劫に絶えそうもない。
二
ここに、徐州の太守陶謙はまた、だれに我がこの国を譲って死ぬべきや──を、日ごと、病床で考えていた。
「やはり、劉備玄徳を措いては、ほかにない」
彼はもう年七十になんなんとしていた。ことにこんどは重態である。自ら命数を感じている。けれど、国の将来に安心の見とおしがつかないのが、なんとしても心の悩みであった。
「お前等はどう思う」
枕頭に立っている重臣の糜竺、陳登のふたりへ、鈍い眸をあげて言った。
「ことしは、いなごの災害のために、曹操も軍をひいたが、来春にでもなればまた、捲土重来してくるだろう。その時、ふたたびまた、呂布が彼の背後を襲うような天佑があってくれれば助かるが、そういつも奇蹟はあるまい。わしの命数も、この容子ではいつとも知れないから、今のうちに是非、確たる後継者をきめておきたいが」
「ごもっともです」
糜竺は、老太守の意中を察しているので、自分からすすめた。
「もう一度、劉玄徳どのをお招きになって、懇ろにお心を訴えてごらんになってはいかがですか」
陶謙は、重臣の同意を待て、少し力づいたもののごとく、
「早速、使を派してくれ」と、言った。
使をうけた玄徳は、取る物も取りあえず、小沛から馳けつけて、太守の病を見舞った。
陶謙は、枯れ木のような手をのばして、玄徳の手を握り、
「あなたが、うんと承諾してくれないうちは、わしは安心して死ぬ事ができない。どうか、世のために、また、漢朝の城地を守るために、この徐州の地をうけて、太守となってもらいたいが」
「いけません。折角ですが」
玄徳は、依然として、断わりつづけた。そして──(あなたには、二人の御子息があるのに)と、理由を言いかけたが、それを言うとまた、重態の病人が、出来の悪い不肖の実子の事に就いて、昂奮して語り出すといけないので、──玄徳はただ、
「私は、その器でありません」と、ばかり頑に首をふり通してしまった。
そのうちに、陶謙は、ついに息をひきとってしまった。
徐州は喪を発した。城下の民も城士もみな喪服を着け、哀悼のうちに籠った。そして葬儀が終わると、玄徳は小沛へ帰ったが、すぐ糜竺、陳登などが代表して、彼を訪れ、
「太守が生前の御意であるから、まげても領主として立っていただきたい」
と、再三再四、懇請した。
すると、また、次の日、小沛の役所の門外に、わいわいと一揆のような領民が集まって来た。──何事かと、関羽、張飛を従えて、玄徳が出てみると、何百とも知れない民衆は、彼の姿をそこに見出すと、
「オオ、劉備さまだ」と、いっせいに大地へ坐りこんで、声をあわせて訴えた。
「わたくしども百姓は、年々戦争には禍され、今年はいなごの災害に見舞われて、もうこの上の望みと言ったら、よい御領主様がお立ちになって、御仁政をかけて戴くことしかございません。もし、あなた様でなく他の御方が、太守になるようでもあったら、私どもは、闇夜から闇夜を彷徨わなければなりません。首を縊って死ぬ者がたくさん出来るかも知れません」
中には、号泣する者もあった。
その愍れな飢餓の民衆を見るに及んで、劉備もついに意を決した。即ち太守牌印を受領して、小沛から徐州へ移ったのである。
三
劉玄徳は、ここに初めて、一州の太守という位置を贏ち得た。
彼の場合は、その一州も、無外の暴軍や悪辣な策謀を用いて、強いて天に抗して横奪したのではなく、きわめて自然に、環り来る運命の下に、これを授けられたものといってよい。
涿県の一寒村から身を起こして今日に至るまでも、よく節義を持して、風雲に臨んでも功を急がず、悪名を流さず、いつも関羽や張飛に、「われわれの兄貴は、すこし時勢向きでない」と、歯痒がられていた事が、今となってみると、遠い道を迂回していたようでありながら、実はかえって近い本道であったのである。
さて、彼は、徐州の牧となると、第一に先君陶謙の霊位を祭って、黄河の原でその盛大な葬式を営んだ。
それから陶謙の徳行や遺業を表に彰して、これを朝廷に奏した。
また、糜竺だの、孫乾、陳登などという旧臣を登用して、大いに善政を布いた。
こうして「いなご飢饉」と戦争に、草の芽も枯れ果てた領土へ臨んで、民力の恢復を計ったので、百姓たちのひとみにも、生き生きと、希望が甦って来た。
ところが、百姓たちの謳歌して伝えるその名声を耳にして、
「なに。──劉玄徳が徐州を領したと。あの玄徳が、徐州の太守に坐ったのか」
いかにも意外らしく、また、軽蔑しきった口吻で、こう洩らしたのは、曹操であった。
彼はその新しい事実を知ると意外としたばかりでなく、非常に怒って言った。
「死んだ陶謙は、わが亡父の讐なることは、玄徳も承知のはずだ。その讐はまだ返されていないではないか。──しかるに玄徳が、半箭の功もなき匹夫の分際をもって、徐州の太守に居坐るなどとは、言語道断な沙汰だ」
曹操は、いずれ自分のものと、将来の勘定に入れていた領地に、思わぬ人間が、善政を布いて立ったので、違算を生じたばかりでなく、感情の上でも、はなはだ面白くなかったのであろう。
「予と徐州のいきさつを承知しながら、徐州の牧に任ずるからには、それに併せて、この曹操にも宿怨を買うことは、彼は覚悟の上で出たのだろう。──このうえはまず劉玄徳を殺し、陶謙の屍をあばいて、亡父の怨みを雪がねばならん!」
曹操は、直ちに、軍備を命じた。
すると、それを諫めたのは、荀彧であった。──召し抱えられた時、曹操から、
(そちは我が張子房なり)と、言われた人物であった。
荀彧が言うには、
「今居るこの地方は、天下の要衝で、あなたにとっては、大事な根拠地です。その兗州の城は、呂布に奪われているではありませんか。しかも、兗州を囲めば、徐州へ向ける兵は不足です。徐州へ総がかりになれば、兗州の敵の地盤は固まるばかりです。徐州も陥ちず、兗州も奪還できなかったら、あなたはどこへ行かれますか」
「しかし、食糧もない飢饉の土地に、しがみついているのも、良策ではあるまいが」
「さればです。──今日の策としては、東の地方、汝南(河南省・汝南)から潁州の一帯で、兵馬を養っておくことです。あの地方にはなお、黄巾の残党どもが多くいますが、その草賊を討って、賊の糧食を奪い、味方の兵を肥やしてゆけば、朝廷に聞こえもよく、百姓も歓迎しましょう。これが一石二鳥というものです」
「よかろう。汝南へ進もう」
曹操は、気のさっぱりした男である。人の善言を聴けば、すぐ用いるところなど彼の特長といえよう。
──彼の兵馬はもう東へ東へと移動を開始していた。
四
その年の十二月、曹操の遠征軍は、まず陳の国を攻め、汝南(河南省)潁川地方(安徽省・開封)を席券して行った。
──曹操来る。
──曹操来る。
彼の名は、冬風のごとく、山野に鳴った。
ここに、黄巾の残党で、何儀と黄邵という二頭目は、羊山を中心に、多年百姓の膏血をしぼっていたが、
「なに曹操が寄せて来たと。曹操には兗州という地盤がある。偽物だろう。叩き潰してしまえ」
羊山の麓に繰り出して、待ちかまえていた。
曹操は、戦う前に、
「悪来、物見して来い」と、いいつけた。
典韋の悪来は、
「心得て侯」とばかり馳けて行ったが、すぐ戻って来て、こう復命した。
「ざっと十万ばかりおりましょう。しかし狐群狗党の類で、紀律も隊伍も成っていません。正面から強弓をならべ、少し箭風を浴びせて下さい。それがしが機を計って右翼から駈け散らします」
戦の結果は、悪来のことばどおりになった。賊軍は、無数の死骸をすてて八方へ逃げちるやら、または一団となって、降伏して出る者など、支離滅裂になった。
「いくら鳥なき里の蝙蝠でも、十万もいる中には、一匹ぐらい、手ごたえのある蝙蝠がいそうなものだな」
曹操を繞る猛将たちは、羊山の上に立って笑った。
すると、次の日、一隊の
卒を率いて、陣頭へやって来た
巨漢がある。
この漢、馬にも乗らず、七尺以上もある身の丈を持ち、鉄棒を搔い込んで双の眼をつりあげ、漆黒の髯を山風に顔から逆しまに吹かせながら、
「やあやあ、俺をだれと思う。この地方に隠れもない、截天夜叉何曼というのはおれのことだ。曹操はどこにいるか。真の曹操ならこれへ出て、われと一戦を交じえろ」
と、どなった。
曹操は、おかしくなって、
「だれか、行ってやれ」と、笑いながら下知した。
「よし、拙者が」と、旗本の李典が行こうとすると、いやこちらに譲れと、曹洪が進み出て、わざと馬を降り、刀を引っ提げて、何曼に近づき、
「真の曹将軍は、貴様ごとき野猪の化物と勝負はなさらない。覚悟しろ」
斬りつけると、何曼は怒って、大剣をふりかぶって来た。
この漢、なかなか勇猛で、曹洪も危うく見えたが、逃げると見せて、急に膝をつき後ろへ薙ぎつけて見事、胴斬りにしてようやく屠った。
李典は、その間に、駒をとばして、賊の大将黄邵を、馬上で生擒りにした。──もう一名の賊将、何儀のほうは、二三百の手下をつれて、葛陂の堤を一目散に逃げて行った。
すると、突然──
一方の山間から旗印も何も持たない変な軍隊がわっと出て来た。その真っ先に立った一名の壮士は、やにわに路を塞いで、何儀を馬から蹴落とした。もんどり打って馬から落ちた何儀は、
「うぬ何者だ」
と、槍を持ち直したが、壮士はいちはやくのしかかって、何儀を縛りあげてしまった。
何儀についていた賊兵は、怖れおののいて皆、壮士の前に降参を誓った。壮士は、自分の手勢と降人を合わせて、意気揚々、もとの山間へひきあげて行こうとした。
こんなこととは知らず、何儀を追いかけて来た悪来典韋は、それと見て、
「待て待て。賊将の何儀をどこへ持って行くか。こっちへ渡せ」
と、壮士へ呼びかけたが、壮士は肯かないので、たちまち、両雄のあいだに、龍攘虎搏の一騎討ちが起こった。
五
この壮士は一体何者だろう。
悪来典韋は、闘いながらふと考えた。
賊将を生擒って、どこかへ拉して行こうとする様子から見れば、賊ではない。
と言って、自分に刃向かって来るからには、決して味方ではなおさらない。
「待て壮士」
悪来は、戟を退いて叫んだ。
「無益な闘いは止めようじゃないか。貴様は黄巾賊の残党でもないようだ。賊将の何儀を、われらの大将、曹操様へ献じてしまえ。さすれば一命は助けてやる」
すると壮士は、哄笑して、
「曹操とは何者だ。汝らには大将か知らぬが、おれ達には、なんの恩顧もない人間ではないか。折角、自分の手に生擒った何儀を、縁もゆかりもない曹操へ献じる理由はない」
「おのれ一体、どこの何者か」
「おれは譙県の許褚だ」
「賊か。浪人か」
「天下の農民だ」
「うぬ。土民の分際で」
「それほど俺の生擒った何儀が欲しければ俺の手にあるこの宝刀を奪ってみろ。そうしたら何儀を渡してやる」
悪来典韋はかえって、許褚のために愚弄されたので烈火のごとく憤った。
悪来は、双手に二振の戟を持って、りゅうりゅうと使い分けながら再び斬ってかかった。しかし、許褚の一剣はよくそれを防いで、なお、反対に悪来をしてたじろがせるほどな余裕と鋭さがあった。
でも、悪来はまだかつて自分を恐れさせたほどな強い敵に出会った事はないとしているので、「この男、味をやるな」ぐらいに、初めは見くびって懸かっていた。
ところが、刻々形勢は悪来のほうが悪くなった。悪来が疲れ出したなと思われると、俄然、許褚の勢いは増して来た。
「これは!」
と、悪来も本気になって、生涯初めての脂汗をしぼって闘った。しかし許褚は毫も乱れないのである。いよいよ、勇猛な喚きを発して、一電、また一閃、その剣光は、幾たびか悪来の鬢髪を掠めた。
こうして、両雄の闘いは、辰の刻から午の刻にまで及んだが、まだ勝負がつかなかったのみか、馬のほうが疲れてしまったので、日没と共に、勝負なしで引き分けとなった。
曹操は、後から来て、この勝負を高地から眺めていたが、そこへ悪来がもどって来ると、
「明日は偽って、負けた振りして逃げることにしろ」と、言いふくめた。
翌日の闘いでは、曹操に言われたとおり、悪来は三十合も戟を合わせると、にわかに、許褚にうしろを見せて逃げ出した。
曹操も、わざと、軍を五里ほど退いた。そしていよいよ相手に気を驕らせておいて、また次の日、悪来を陣頭へ押し出した。
許褚は彼のすがたを見ると、
「逃げ上手の卑怯者め、また性懲りもなく出て来たか」と、駒をとばして来た。
悪来は、あわてふためくと見せかけて、味方へは、蒐れ蒐れと下知しながら、自分のみ真ッ先に逃げ走った。
「おのれ、きょうは遁さん」
許褚は、まんまと、曹操の術中へ躍り込んでしまった。およそ一里も追いかけて行くかと見えたが、そのうちに、かねて曹操が掘らせておいた大きな陥し坑へ、馬もろとも、どうっと、転げ込んでしまった。
それとばかり、四方から馳け現われた伏兵は、坑の周りに立ち争って、許褚の体を目がけて、熊手や鈎棒などを滅茶苦茶に突っこんだ。
罠にかかった許褚は、たちまち、曹操の前へひきずられて来た。
六
まるで材木か猪でも引っぱるように、熊手や鈎棒でわいわいと兵たちが許褚の体を大地に摺って連れて来たので、
「ばかっ。繩目にかけた人ひとりを捕らえて来るに、なんたる騒ぎだ」と、曹操は叱りつけた。
そしてまた、部将や兵に、
「貴様たちには、およそ人間を観る目がないな。士を遇する情けもない奴だ。──はやくその繩を解いてやれ」と、案外な言葉であった。
それもそのはず。曹操はこの許褚と悪来とが、火華をちらして夕方に迫るまで闘っていた一昨日の有り様を、篤と実見していたので、心のうちに(これはよい壮士を見出した)と早くも、自分の幕下へ加えようと、目算を立てていたからであった。
曹操から、俺の敵と睨まれたら助からないが、反対に彼が、この男はと見込むと、その寵遇は、どこの将軍にも劣らなかった。
彼は、士を愛することも知っていたが、憎むとなると、憎悪も人一倍強かった。──許褚の場合は、一目見た時から、愉快なやつと惚れこんで、(殺すのは惜しい。何とかして、臣下に加えたいが)と、考えていたものだった。
「彼に席を与えろ」
と、曹操は、引っ立てて来た部下に命じ、自ら寄って、許褚の繩目を解いてやった。
思わぬ恩情に、許褚は意外な感に打たれながら、曹操の面を見まもった。曹操は、改めて彼の素姓をたずねた。
「譙県の生まれで、許褚といい、字は仲康という者です。これと言って今日まで、人に語るほどの経歴は何もありません。──なぜ山寨に住んでいたかといえば、この地方の賊害に災いされて、わたくしどもは安らかに耕農に従事していられないのみか、食は奪われ、生命も常に危険にさらされています。──でついに一村の老幼や一族をひきつれ山に砦を構えて賊と反抗していたわけです」
許褚は、そう告げてから、その間にはこんな事もあったと苦心を話した。
賊軍の襲来をうけても自分の抱えている部下は善良な土民なので彼等のように武器もない。そこで常に砦のうちに礫を蓄えておき、賊が襲せて来ると礫を投げて防ぐ。──自慢ではないが、私の投げる礫は百発百中なので賊も近ごろは怖れをなし、あまり襲って来なくなりました。
また、ある時は──
砦の内に米が無くなってしまい何とかして米を手に入れたいがと思うと、幸い、二頭の牛があったので、賊へ交易を申しこみました。すると賊のほうでは、すぐ承知して米を送って来ましたから、即座に牛を渡しましたが、賊の手下が牛を曳いて帰ろうとしても牛はなかなか進まず、中途まで行くと暴れて私たちの砦へ帰って来てしまいます。
そこで私は、二頭の巨牛の尻尾を両手につかまえ、暴れる牛を後ろ歩きにさせて賊の屯の近所まで持って行ってやりました。──すると賊はひどく魂消て、この牛を受け取りもせず、翌日は麓の屯まで引き払ってどこかへ立ち退いてしまいました。
「あはははは、すこし自慢ばなしでしたが、まアそんなわけで、今日まで、一村の者の生命を、どうやら無事に守って来ました。──けれど貴軍の力で、賊を掃蕩してくれれば、もはや私という番人を失っても、村の老幼は、田畠へ帰って鍬を持てましょう。思い遺すことはありません。将軍、どうか首を刎ねて下さい」
許褚は、悪びれもせず、始終、笑顔で語っていた。曹操は、死を与える代わりに、恩を与えた。もちろん許褚はよろこんで、その日から彼の臣下になった。
愚兄と賢弟
一
出稼ぎの遠征軍は、風のままにうごく。蝗のように移動してゆく。
近ごろ、風のたよりに聞くと、曹操の古巣の兗州には、呂布の配下の薛蘭と李封という二将がたて籠っているが、軍紀はすこぶる紊れ兵隊は城下で掠奪や悪事ばかり働いているし、城中の将は、苛税をしぼって、自己の享楽にばかり驕り耽っているという。
「今なら討てる」
曹操は、直感して、軍の方向を一転するや、剣をもって、兗州を指した。
「われわれの郷土へ帰れ!」
颷兵は、またたくまに、目的の兗州へ押し寄せた。
李封、薛蘭の二将は、「よもや?」と、疑っていた曹軍を、その目に見て、驚きあわてながら、駒を揃えて、討って出た。
新参の許褚は、曹操のまえに出て、
「お目見得の初陣に、あの二将を手捕りにして、君前へ献じましょう」と言って、駆け出した。
見ているまに、許褚は、薛蘭、李封の両人へ闘いを挑んで行った。面倒と思ったか、許褚は、李封を一気に斬ってしまった。それに怯んで、薛蘭が逃げ出してゆくと、曹操の陣後から、呂虔がひょうッと一箭を放った。──箭は彼の首すじを射放いたので、許褚の手を待つまでもなく、薛蘭も馬から転げ落ちた。
兗州の城は、そうして、曹操の手に還った。が、曹操は、
「この勢いで濮陽も収めろ」と、呂布の根城へ逼った。
呂布の謀臣陳宮は、
「出ては不利です」と、籠城をすすめたが、
「ばかを言え」と、呂布はきかない。
例の気性である。それに、曹操の手心もわかっている。一気に撃滅して、兗州もすぐ取り返さねば百年の計を誤るものだと、全城の兵を繰り出して、物々しく対陣した。
呂布の勇猛は、相変わらずすこしも老いていない。むしろ年と共にその騎乗奮戦の技は神に入って、文字どおり万夫不当だ。まったく戦争するために、神が造った不死身の人間のようであった。
「おうっ、自分にふさわしい好敵手を見つけたぞ」
許褚は、見事なる敵将の呂布を見かけると、自分までがはなはだしく英雄的な精神を昂められた。
「いで、あの敵を!」と、目がけてかかった。
だが、呂布は、彼ごときを近づけもしないのである。許褚は、歯がみをして彼の前へ前へと、しつこくつけ廻った。そして戟を合わせたが、勝負はつかない。
そこへ、悪来典韋が、「助太刀」と、喚きかかったが、この両雄が、挾撃しても、呂布の戟にはなお余裕があった。
折からまた、夏侯惇その他、曹操幕下の勇将が六人もここへ集まった。──今こそ呂布を遁すなとばかりにである。──呂布は、危険を悟ったか、さっと一角を蹴破るや否や、赤兎馬に鞭をくれて逃げてしまった。
わが城門の下まで引き揚げて来た。だが、呂布はあッと駒を締めて立ち辣んだ。こはそもいかに? ──と眼をみはった。
城門の吊橋が跳ね上げてあるではないか。何者が命令したのか。彼は、怒りながら、大声で、濠の向こうへ呶鳴った。
「門を開けろ。──橋を下ろせ! ばかっ」
すると、城壁の上に、小兵な男が、ひょッこり現われた。かつては呂布のために、曹操の陣へ、反間の偽書を送って、曹軍に致命的な損害を与えた土地の富豪の田氏であった。
「いけませんよ。呂大将」
田氏は歯を剝いて城壁の上から嘲笑を返した。
「きのうの味方もきょうの敵ですからね。わたくしは初めから利のあるほうへ附くと明言していたでしょう。もともと、武士でもなんでもない身ですから、きょうからは曹将軍へ味方することにきめました。どうもあちらの旗色のほうが良さそうですからな。......へへへへ」
二
呂布は牙を嚙んで、
「やいっ、開けろ、城門を開けおらんか。うぬ、憎ッくい賤民め、どうするか見ておれ」
と、口を極めて罵ってみたが、どうする事もできないのみか、城壁の上の田氏は、
「もうこの城は、お前さんの物ではない。曹操様へ献上したのだ。さもしい顔をしていないで、足元の明るいうちに、どこへでも落ちておいでなさい。──いや、なんともお気の毒なことで」
といよいよ、嘲弄を浴びせかけた。
利を嗅いで来た味方は、また利を嗅いで敵へ去る。小人を利用して獲た功は、小人に裏切られて、一挙に空しくなってしまった。呂布は、散々に罵り吠えていたが、結局、そこで立ち往生していれば、曹軍に包囲されるのを待っているようなものである。ぜひなく定陶(山東省・曹州東南)をさしてひとまず落ちて行った。
かくと聞いて、陳宮は、
「田氏を用いて、彼に心をゆるしていたのは、自分の過ちでもあった」
と、自責に駆られたが、急遽、城の東門へ迫って、内部の田氏に交渉し、呂布の家族たちの身を貰いうけて、後から呂布を追い慕って行った。
城地を失うと、途端に、従う兵も際立って減ってしまう。
(この大将に従いていたところで──)と、見限りをつけて四散してしまうのである。田氏は田氏ひとり在るのみではなかった。無数の田氏が離合集散している世の中であった。
だが、ひとたび敗軍を喫して漂泊の流軍に転落すると、大将や幕僚は、結局そうなってくれたほうが気が安かった。何十万というような大軍は養いかねるからである。いくら掠奪して歩いても、一村に千、二千という軍がなだれこめば、たちまち村の穀倉は、いなごの通った後みたいになってしまう。
呂布は、ひとまず定陶まで落ちてみたが、そこにも止まることができないで、
「この上は、袁紹を頼って、冀州へ行ってみようか」と、陳宮に相談した。
陳宮は、さあどうでしょう? と首をかしげて、すぐ賛成しなかった。呂布の人気は、各地において、あまり薫しくないことを知ったからである。
で、一応、先に人を派して、それとなく袁紹の心を探らせてみているうちに、袁紹は伝え聞いて謀士の審配へ意見を徴していた。
審配は、率直に答えた。
「およしなさい、呂布は天下の勇ですが、半面、豺狼のような性情を持っています。もし彼が勢力を持ち直して、兗州を奪り回したら、次には、この冀州を狙って来ないとは限りません。──むしろ曹操と結んで、呂布のごとき乱賊は殺したほうが御当家の安泰でしょう」
「大きにそうだった」
袁紹は、直ちに、部下の顔良に五万余の兵をさずけ、曹操の軍に協力させ、曹操へ親善の意をこめた書を送った。
呂布はうろたえた。
逆境の流軍はあてなく歩いた。
「そうだ。近ごろ、新しく徐州の封をうけて、陶謙の跡目をついで立った劉玄徳を頼ってゆこう。......どうだろう陳宮」
「そうですな。徐州の新しい太守は、世間の

がよいようです。先さえ
吾々を
容れるものなら、徐州を頼るに越したことはありません」
そこで、呂布は、玄徳のところへ使を立てた。
劉備は、自分の領地へ、呂布一族が来て、仁を乞うと聞くと、
「あわれ。彼も当世の英雄であるのに」
と、関羽、張飛をつれて、自ら迎えに出ようとした。
「とんでもないことです」
家臣の糜竺は、出先を遮って、極力止めた。
三
糜竺は言うのである。
「呂布の人がらは、御承知のはずです。袁紹ですら、容れなかったではありませんか。徐州は今、太守の鎮守せられて以来、上下一致して、平穏に国力を養っているところです。なにを好んで、餓狼の将を迎え入れる必要がありましょう」
側にいた関羽も張飛も、
「その意見は正しい」と、言わんばかりの顔して頷いた。
劉玄徳も、頷きはしたけれど、彼はこう言って、肯かなかった。
「なるほど、呂布の人物は、決して好ましいものではない。──けれど先ごろ、もし彼が曹操のうしろを衝いて、兗州を攻めなかったら、あの時、徐州は完全に曹操のために撃破されていたろう。それは呂布が意識して徐州に施した徳ではないが、わしは天佑に感謝する。──今日、呂布が窮鳥となって、予に仁愛を乞うのも、天の配剤かと思える。この窮鳥を拒むことは自分の気持としては出来ない」
「......は。そうおっしゃられれば、それまでですが」
糜竺も口をつぐんだ。
張飛は、関羽を顧みて、
「どうも困ったものだよ。われわれの兄貴は人が好すぎるね。狡い奴は、その弱点へつけ込むだろう。......まして、呂布などを出迎えに出るなんて」と、不承不承従った。
玄徳は車に乗って、城外三十里のかなたまで、わざわざ呂布を迎えに行った。
流亡の将士に対して、実に鄭重な礼であったから、呂布もさすがに恐縮して、玄徳が車から出るのを見ると、あわてて駒を降り、
「なんでそれがしごときを、かように篤く迎えられるか、御好意に応えようがない」
と、言うと、劉備は、
「いや私は、将軍の武男を尊敬するものです。志むなしく、流亡のお身の上と伺って、御同情にたえません」
呂布は、彼の謙譲を前に、たちまち気をよくして、胸を張った。
「いや、察して下さい。天下の何人も、どうする事もできなかった
朝廟の
大奸董卓を
亡ぼしてから、再び
李傕一派の乱に遭い、それがしが漢朝に致した忠誠も
水
に帰して、むなしく地方に脱し、諸州に軍を養わんとして来ましたが、
気宇の小さい諸侯の容れるところとならず、いまだにかくのごとく、男児の
為すある天地をたずね歩いておる始末です」と、
自嘲しながら、手をさしのべて、玄徳の手を握り、「どうですか。将来、貴下のお力ともなり、また、それがしの力とも成って
戴いて、ともども大いにやって行きたい考えですが......」
と、親しみを示すと、劉備は、それには答えないで、袂の中から、かねて先太守陶謙から譲られた「徐州の牌印」を取り出し、彼のまえに差しだした。
「将軍。これをお譲りしましょう。陶太守の逝去の後、この地を管領する人がないため、やむなく私が代理していましたが、閣下がお継ぎ下さればこれに越したことはありません」
「えっ、それがしに、その牌印を」
呂布は、意外な顔と同時に、無意識に大きな手を出して、次にはすぐ、(しからば遠慮なく)と、受け取ってしまいそうな容子だったが、ふと、玄徳のうしろに立っている人間を見ると、自分の顔いろを、かッと二人して睨みつけているので、
「ははははは」と、さり気なく笑って、その手を横に振った。
「何かと思えば、徐州の地をお譲り下さるなどと、あまりに望外過ぎて、御返辞にうろたえます。──それがしは元来、武弁一徹、州の吏務を司るなどという事は、本来の才ではありません。まあ、まあ」
と、言い紛らわすと、側にいた彼の謀臣陳宮も、口をあわせて辞退した。
四
そこから劉玄徳は先に立って、呂布の一行を国賓として城内に迎え、夜は盛宴をひらいて、あくまで篤くもてなした。
呂布は、翌る日、
「その答礼に」と、披露して、自分の客舎に、玄徳を招待したいと、使をよこした。
関羽、張飛のふたりは、こもごも、玄徳に言った。
「お出でになるつもりですか」
「行こうと思う、折角の好意を無にしては悪いから」
「なにが好意なものか。呂布の肚の底には、この徐州を奪おうとする下心が見える、断わってしまったほうがいいでしょう」
「いや、わしはどこまでも、誠実をもって人に接してゆきたい」
「その誠実の通じる相手ならいいでしょうが」
「通じる通じないは人さまざまで是非もない。わたしはただわしの真心に奉じるのみだ」
玄徳は、車の用意を命じた。
関羽、張飛も、ぜひなく供に従いて、呂布の客舎へ臨んだ。──もちろん、呂布は非常な歓びで、下へも措かない歓待ぶりである。
「なにぶん、旅先の身とて、充分な支度もできませんが」と、断わって、直ちに、後堂の宴席へ移ったが、日ごろ質素な玄徳の眼には、豪奢驚くばかりだった。
宴がすすむと、呂布は、自分の夫人だという女性を呼んで、
「おちかづきを希え」と、玄徳に紹介わせた。
夫人は、嬋姸たる美女であった。客を再拝して、楚々と、良人のかたわらに戻った。
呂布はまた、
機
に乗じてこう言った。
「不幸、山東を流寓して、それがし逆境の身に、世間の軽薄さを、こんどはよく味わったが、昨日今日は、実に愉快でたまらない。尊公の情誼にふかく感じましたよ。──これというのも、かつて、この徐州が、曹操の大軍に囲まれて危殆に瀕した折、それがしが、彼の背後の地たる兗州を衝いたので、一時に徐州は敵の囲みから救われましたな。──あの折、この呂布がもし兗州を襲わなかったら、徐州の今日はなかったわけだ。──自分の口から言っては恩着せがましくなるが、そこをあなたが忘れずにいてくれたのは実に欣ばしい。いい事はしておくものだ」
玄徳は、微笑をふくんで、ただ頷いていたが、今度は、彼の手を握って、
「はからずも、その徐州に身を寄せて、賢弟の世話になろうとは。──これも、なにかの縁というものだろうな」
と酔うに従って、呂布はだんだん狎々しく言った。
始終、気に入らない顔つきをして、黙って飲んでいた張飛は、突然、酒杯を床へ投げ捨てたかと思うと、
「何、なんだと、もういちど言ってみろ」と、剣を握って突っ立った。
なにを張飛が怒り出したのか、ちょっと見当もつかなかったが、彼の権まくに驚いて、呂夫人などは悲鳴をあげて、良人のうしろへ隠れた。
「こらっ呂布。
汝は今、われわれの長兄たり主君たるお方に対して、賢弟などと
狎々しく
称んだが、こちらはいやしくも漢の天子の流れを

む
金枝玉葉だ、汝は一匹夫、人家の
奴に過ぎない男ではないか。無礼者め! 戸外へ出ろっ、戸外へ」
酔った張飛が、これくらいなことを言い出すのは、歌を唄うようなものだが、彼の手は、同時に剣を抜き払ったので、馴れない者は仰天して色を失った。
五
「これっ、何をするっ」
劉備は、一喝に、張飛を叱りつけた。関羽も、あわてて、
「止さないか、場所がらも弁えずに」と張飛を抱きとめて、壁際へ押しもどした。
が、張飛は、止めない。
「ばかを言えっ。場所がらだから承知できないのだ。どこの馬の骨かわかりもしない奴にわれわれの主君たり義兄たる御方を、手軽に賢弟などと、弟呼ばわりされて堪るか」
「わかったよ、わかった」
「そればかりでない。さっきから黙って聞いていれば、呂布のやつめ、自分の野望で兗州を攻めた事まで、恩着せがましく言ってやがる。こっちが、謙遜して下手に出れば、ツケ上がって!」
「止せと言ったら。それだから貴様は、真情でする事も、常に、酒の上だと人にいわれるのだ」
「酒の上などではない」
「では、黙れ」
「ウウム。忌々しいな」
張飛は、憤然たるまま、ようやく席にもどったが、よほど腹が

えないとみえて、
独り
手酌で大杯を
仰飲りつづけていた。
劉備は、当惑顔に、
「どうも、折角のお招きに、醜態をお目にかけて、お宥しください。舎弟の張飛は、竹を割ったような気性の漢ですが、飲むと元気になり過ぎましてな。......はははは」
笑いに紛らしながら詫びた。
呂布は、蒼白になっていたが、劉備の笑顔に救われて、強いて快活を装いながら、
「いやいや、なんとも思っておりはしません。酒のする業でしょうから」
それを聞くと、張飛はまた、
(何ッ?)
と言いたげな眼光を呂布へ向けたが、劉備の顔を見ると、舌うちして、黙ってしまった。
宴は白けたまま、浮いて来ない。呂夫人も、恐がって、いつの間にか姿を消してしまった。
「夜も更けますから」と、劉備はほどよく礼をのべて門を辞した。
客を見送るべく呂布も門の外まで従いて出た。すると、一足先に門外へ出ていた張飛が馬上に槍を横たえて突然呂布の前へ立ち現われ、
「さあ、星の下で俺と三百合まで勝負しろっ。三百合まで戟を合わせてもなお勝負がつかなかったら、生命は助けておいてやる!」と、どなった。
劉備は驚いて彼の乱暴を叱りつけ、関羽もまた劉備と共に躍り狂う駒の口輪をつかんで、
「いい加減にしろっ」と、必死に

い止めながら、
遮二無二帰り道へ
曳いて行った。
その翌る日、呂布は少し銷沈して劉備を城へ訪ねて来た。
そして、言うには、
「あなたの御厚情は、充分にうけ取れるが、どうも御舎弟たちは、それがしを妙に見ておられるらしい。
所
、御縁がないのであろう──就いては、他国へ行こうと思うので、今日は、お
暇乞いに来たわけです」
「それでは私が心苦しい。......どうもこのままお別れでは潔くありません。家弟の無礼は、私から謝します。まあ、しばらくお駐りあって、ゆるゆる兵馬をお養い下さい。狭い土地ですが、小沛は水もよし、糧食も蓄えてありますから」
強って、玄徳はひき止めた。そして自分が前にいた小沛の宅地を彼のために提供した、それもあくまで慇懃な勧めである。呂布もどうせにわかに的もない身空なので、一族兵馬をひきつれて、彼の好意にまかせて小沛へ住むことになった。
毒と毒
一
一銭を盗めば賊と言われるが、一国を奪れば、英雄と称せられる。
当時、長安の中央政府もいいかげんなものに違いなかったが、世の中の毀誉褒貶もまたおかしなものである。
曹操は、自分の根城だった兗州を失地し、その上、いなご飢饉の厄にも遭いなどして、ぜひなく汝南、潁川方面まで遠征して地方の草賊を相手に、いわゆる伐り奪り横行をやって苦境をしのいでいたが、その由、長安の都へ聞こえると、朝廷から、
(乱戦を鎮定して、地方の平穏に尺くした功によって、建徳将軍費亭侯に封じ給う)
と、嘉賞の沙汰を賜わった。
で、曹操は、またも地方に勢威をもりかえして、その名、いよいよ中外に聞こえていたが、そうした中央の政廟には、相かわらず、その日暮らしな政策しか行なわれていなかった。
長安の大都は、先年革命の兵火に、その大半を焼き払われ、当年の暴宰相董卓は殺され、まったく面目を一新するかと思われたが、その後には李傕、郭汜などという人物が立って、依然政事を私し、私慾を肥やし、悪政ばかり濫発して、すこしも自粛するところがなかったため、民衆は怨嗟を放って、「一人の董卓が死んだと思ったら、いつのまにか、二人の董卓が朝廷にできてしまった」と、言った。
けれどだれも、それを大声でいう者はない。司馬李傕、大将軍郭汜の権力というものは、百官を圧伏せしめて、絶対的なものとなっている。
ここに大尉楊彪という者があった。ある時朱雋と共に、そっと献帝に近づいて奏上した。
「このままでは、国家の将来は実に思いやられます。きくならく、曹操は今、地方にあって二十余万の兵を擁し、その幕下には、星のごとく、良い武将と謀臣をかかえているそうです。ひとつ、彼を用いて、社稷に巣くう奸党を剿滅なされたらいかがなものでしょう。......われわれ憂いを抱く朝臣はもとより、万民みな、現状の悪政を嘆いておりますが」
暗に、二奸の誅戮を帝にすすめたのであった。
献帝は落涙され、
「おまえたちが言うまでもない。朕が、彼等二賊のために、苦しめられていることは、実に久しいものだ。日々、朕は、我慢と忍辱の日を送っている。......もし、あの二賊を討つことが出来るものなら、天下の人民と共に朕の胸中もどんなに晴れ晴れするかと思う。けれど悲しいかな、そんな策はあり得まい」
「いや、ないことはありません。帝の御心さえ決するなれば」
「どうして討つか」
「かねて、臣の胸に、ひとつの策が蓄えてあります。郭汜と李傕とは、互いに並び立っていますから計略をもって、二賊を咬み合わせ、相叛くようにして、しかる後、曹操に密詔を下して、誅滅させるのです」
「そう行くかの」
「自信があります。その策というのは、郭汜の妻は、有名な嫉妬やきですから、その心理を用いて、彼の家庭からまず、反間の計を施すつもりです。おそらく失敗はあるまいと思います」
帝の内意をたしかめると、楊彪は秘策を胸に練りながら、わが邸へ帰って行った。帰るとすぐ、彼の妻の室へはいって、
「どうだな。このごろは、郭汜の令夫人とも、時々お目にかかるかね。......おまえたち奥さん連ばかりで、よく色々な会があるとのことだが」
と、両手を妻の肩にのせながら、いつになく優しい良人になって言った。
二
楊彪の妻は怪しんで、良人を揶揄した。
「あなた。どうしたんですか、いったい今日は」
「なにが?」
「だって、常には、私に対して、こんなに
機
をとるあなたではありませんもの」
「あははは」
「かえって、気味が悪い」
「そうかい」
「なにかわたしに、お頼みごとでもあるんでしょ、きっと」
「さすがは、おれの妻だ。実はそのとおり、おまえの力を借りたいことがあるのだが」
「どんなことですか」
「郭汜の夫人は、おまえに負けない嫉妬やきだというはなしだが」
「あら、いつ私が、嫉妬なんぞやきましたか」
「だからさ、おまえのことじゃないよ、郭汜夫人が──と言っているじゃないか」
「あんな嫉妬深い奥さんと一緒にされてはたまりませんからね」
「おまえは良妻だ。わしは常に感謝している」
「噓ばかりおっしゃい」
「冗談は止めて。──時に、郭汜の夫人を訪問して、ひとつ、おまえの口先であの人の嫉妬をうんと焚きつけてくれないか」
「それがなんのためになるんですか。他家の奥さんを悋気させることが」
「国家のためになるのだ」
「また、御冗談を」
「ほんとにだ。──ひいては漢室のおためとなり、小さくは、おまえの良人揚彪のためにもなることなのだから」
「わかりません。どうしてそんなつまらない事が、朝廷や良人のためになりますか」
「......耳をお貸し」
楊彪は、声をひそめて、君前の密議と、意中の秘策を妻に打ち明けた。
楊彪の妻は、眼をまろくして、初めのうちは、ためらっていたが良人の眼を仰ぐと、かっと、恐ろしい決意を示しているので、
「ええ。やってみます」と、答えた。
楊彪は、圧し被せて、
「やってみるなんて、生ぬるい肚ではだめだ。やり損じたら、わが一族の破滅にもなること。毒婦になったつもりで、巧くやり終おせて来い」と、言い含めた。
翌る日。
彼の妻は、盛装を凝らし、美々しい輿に乗って、大将軍郭汜夫人を訪問に出かけた。
「まあ、いつもお珍しい贈り物を戴いて」と、郭夫人は、まず珍貴な音物の礼を言って、
「よいお召し服ですこと」と、客の着物や、化粧ぶりを褒めた。
「いいえ、わたくしの主人なんかちっとも衣裳などには構ってくれませんの、それよりも、令夫人のお髪は、お手入れがよいとみえて、ほんとにお綺麗ですこと。いつお目にかかっても、心からお美しいと思う御方は、世辞ではございませんが、そうたんとは御座いません。......それなのに、男というものは」
「オヤ、あなたは、あたくしの顔を見ながらなんで涙ぐむのですか」
「いいえ、べつに......」
「でも、おかしいでは御座いませんか、なにか理があるのでしよう。隠さないで、はなして下さい。私に言えないことですか」
「......つい、涙などこぼして、夫人様おゆるし下さいませ」
「どうしたんです、一体」
「では、おはなし申しますが、ほんとに、だれにも秘密にして下さらないと」
「ええ、だれにも洩らしはしません」
「実はあの......夫人様のお顔を見ているうちに、なにも御存じないのかと、お可哀そうになって来て」
「え。わたしが、可哀そうになってですって。──可哀そうとは、一体、どういうわけで。──え? え?」
郭夫人は、もう躍起になって、楊彪の妻に、次のことばを強請みたてた。
三
楊彪の妻は、わざと同情にたえない顔をして見せながら、
「ほんとに御夫人は、なにも御存じないんですか」
と、空怖ろしいことでも語るように声をひそめた。
郭汜の夫人は、もう彼女の唇の罠に懸かっていた。
「なにも知りません。......なにかあの、宅の主人に関わることではありませんか」
「え、そうなんですの......奥さま、どうか、あなたのお胸にだけ畳んでおいて下さいませ。あの、お綺麗なんで有名な李司馬のお若い奥様を御存じでいらっしゃいましょ」
「李傕様と良人とは、刎頸の友ですから、私も、あの夫人とは親しくしておりますが」
「だから御夫人は、ほんとにお人が好すぎるって、世間でも口惜しがるんでございましょうね、あの李夫人と、お宅の郭将軍とは、もう疾うからあの......とても......何なんですって」
「えっ。主人と、李夫人が?」
郭汜の妻は、さっと、顔いろを変えて、
「ほ、ほんとですか」と、顫いた。
楊彪の妻は、「奥さま。男って、みんなそうなんですから、決して、御主人をお怨みなさらないがようございますよ。ただ私は、李夫人が、憎らしゅうございますわ。あなたという者があるのを知っていながら、何ていうお方だろうと思って──」と、摺り寄って、抱かないばかりに慰めると、郭夫人は、
「道理でこのごろ、良人の容子が変だと思いました。夜もたびたび
遅く帰るし、私には、
不機
ですし......」と、さめざめと泣いた。
揚彪の妻が、帰ってゆくと、彼女は病人のように、室へ籠ってしまった。その夜も、折悪しく、彼女の良人は夜更けてから、微酔をおびて帰って来た。
「どうしたのかね。おい、真っ蒼な顔しておるじゃないか」
「知りません! うっちゃッておいて下さい」
「また、持病か。ははは」
「............」
夫人は、背を向けて、しくしく泣いてばかりいた。
四、五日すると、李傕司馬の邸から、招待があった。郭夫人は、良人の出先に立ち塞がって、
「およしなさい。あんな所へ行くのは」と、血相を変えて止めた。
「いいじゃないか。親しい友の酒宴に行くのが、なぜ悪いのか」
「李司馬だって、あなたを心で怨んでいるにちがいありません」
「なぜ」
「なぜでも」
「わからんやつじゃな」
「今にわかりましょう。古人も訓えております。両雄ならび立たずです。その上、個人的にも、面白くないことが肚にあるんですもの。──もしあなたが、酒宴の席で、毒害でもされたら私たちはどうなりましょう」
「はははは。なにかおまえは、勘ちがいしてるんじゃろ」
「なんでもようございますから、今夜は行かないで下さい。ね、あなた、お願いですから」
果ては、胸に縋って、泣かれたりしたので、郭汜も、振り踠ぎっても行かれず、ついに、その夜の招宴には、欠席してしまった。
──と、次の日李傕の邸からわざわざ料理や引き出物を、使いに持たせて贈って来た。厨房を通して受け取った郭汜の妻は、わざとその一品の中に、毒を入れて良人の前へ持って来た。
郭汜は何気なく、
「美味そうだな」と、箸を取りかけると、夫人はその手を振り退けて、
「大事なお体なのに、
他家から来た

べ物を、毒味もせずに召し上がるなんて、とんでもない」
と、その箸をもって、料理の品をはさんで、
庭面へ
投げ
遣ると、そこにいた飼い犬が、跳びついて

べてしまった。
「......やっ?」
郭汜は驚いた。見ているまに、犬は独楽のごとく廻って、一声絶叫すると、血を吐いて死んでしまった。
四
「おお! 怖ろしい」
郭夫人は、良人にしがみつきながら、大仰に、身を慄わせて言った。
「ごらんなさい。妾が言わないことではないでしょう。このとおり、李司馬から届けてよこした料理には毒が入っているではありませんか。人の心だって、これと同じようなものです」
「ウむむ......」と、郭汜も唸いたきり、目前の事実に、ただ茫然としていた。
こんな事もあってから、郭汜の心には、ようやく李傕に対しての疑いが、芽を伸ばしていた。
「はてな、あの漢?」と、視る眼も、前とちがって、事ごとに歪んで視るようになった。
それから一ヵ月ほど後、朝廷から退出して帰ろうとする折を、李傕に強って誘われて、郭汜はぜひなく彼の邸へ立ち寄った。
「きょうは、少し心祝いのある日だから、充分に飲んでくれ給え」
例によって、李司馬は、豪奢な食卓に、美姫を侍らせて、彼をもてなした。
郭汜はつい帯紐解いて、泥酔して家に帰った。
だが、帰る途中で、彼はすこし酔いがさめかけた。
──と言うのは生酔本性にたがわずで、なにかの弾みにふと、神経を起こして、
「まさか、今夜の馳走には、毒は入っていなかったろうな?」
と、いつぞや毒にあたって死んだ犬の断末魔の啼き声を思い出して来たからであった。
「......大丈夫かしら?」
そう神経が手伝い出すと、なんとはなく胸がむかついて来た。急に鳩尾の辺りへそれが衝きあげてくる。
「あ。これはいかん」
彼は、額の汗を指で撫でた。そして車の者に、
「急げ、急げ」と、命じた。
邸へ戻るなり、彼は、あわてて妻を呼び、
「なにか、毒を解す薬はないか」
と、牀へ仰向けに仆れながら言った。
夫人は、理を聞くと、この時とばかり、薬の代わりに糞汁を服ませて、良人の背をなでていた。さらぬだに、神経を起こしていた郭汜はあわてて異様なものを嚥み下したので、とたんに、牀の下へ、腹中のものをみな吐き出してしまった。
「オオ。いい塩梅に、すぐ薬が効きました。これでさっぱりしたでしょう」
「ああ、苦しかった」
「もうお生命は大丈夫です」
「...ひどい目に遭った」
「あなたもあなたです。いくら妾が御注意しても、李司馬を信じきっているから、こんなことになるんです」
「もうわかった。われながら、おれはあまり愚直すぎた。よろしい、李司馬がその気なら、おれにも俺の考えがある」
蒼白になった額を、自分の

で、二つ三つ
叩いていたが、やにわに
室を躍り出したと思うと、郭汜は、その夜のうちに、兵を集め、李司馬の邸へ夜討ちをかけた。
李傕の方にも、いちはやく、そのことを知らせた者があるので、
「さては、こちらを除いて、おのれ一人、権を握らんとする所存だな。いざ来い、その儀ならば」
と、すでに彼の方にも、充分な備えがあったので、両車、巷を挾んで、翌日もその翌日も、修羅の巷を作って、血みどろな戦闘を繰り返すばかりだった。
一日ごとに、両軍の兵は殖え、長安の城下にふたたび大乱状態が起こった。──その混乱の中に、李司馬の甥の李暹という男は、
「そうだ。......天子をこっちへ」
と、気づいて、いちはやく龍座へ迫って、天子と皇后を無理無態に輦へうつし、謀臣の賈詡、武将左霊のふたりを監視につけ、泣きさけび、迫い慕う内侍や宮内官などに眼もくれず、後宰門から乱箭の巷へと、がらがら曳き出して行った。
五
「李司馬の甥が、天子を御輦にのせて、どこかへ誘拐して行きます」
部下の急報を聞いて、郭汜は非常に狼狽した。
「ああ、抜かった。天子を奪われては、一大事だ。それっ、遣るな!」
にわかに、後宰門外へ、兵を走らせたが、もう間にあわなかった。
奔馬と狂兵に牽かれてゆく龍車は、黄塵をあげて、郿塢街道の方へ急いでいた。
「あれだあれだ」
郭汜の兵は、騒ぎながら、ワラワラと追い矢を射かけた。しかし、敵の殿軍に射返されて、かえっておびただしい負傷者を求めてしまった。
「出し抜かれたか。くそ忌々しい事ではある」
郭汜は、自分の不覚の鬱憤ばらしに兵を率いて、禁闕へ侵入し、日ごろ気にくわない朝臣を斬殺したり、また、後宮の美姫や女官を捕虜として、自分の陣地へ引っ立てた。
そればかりか、すでに帝も在わさず、政事もそこには無い宮殿へ無用な火を放って、
「この上は、あくまで戦うぞ」と、その炎を見て、いたずらに快哉をさけんだ。
一方──
帝と皇后の御輦は、李暹のために、李司馬の軍営へと、遮二無二、曳きこまれて来たが、そこへお置きするのはさすがに不安なので李傕、李暹の叔父甥は、相談のうえ、以前、董相国の別荘でありまた、堅城でもある郿塢の城内へ、遷し奉ることとした。
以来、献帝並びに皇后は、郿塢城の幽室に監禁されたまま、十数日を過ごしておられた。帝の御意志はもとよりのこと、一歩の自由もゆるされなかった。
供御の食物なども、実にひどいもので、膳が来れば、必ず腐臭が伴っていた。
帝は、箸をお取りにならない。侍臣たちは、強いて口へ入れてみたが、みな嘔吐を怺えながら、ただ、涙を泛べ合うだけだった。
「侍従どもが、餓鬼のごとく瘦せてゆくのは、見ている身が辛い。願わくは、朕へ徳を施す心をもて、彼等に愍れみを与えよ」
献帝は、そうおっしゃって、李司馬の許へ使を立て、一囊の米と、一股の牛肉を要求された。すると、李傕がやって来て、
「今は、闕下に大乱の起こっている非常時だ。朝夕の供御は、兵卒から上げてあるのに、この上、なにを贅沢な御託をならべるのかっ」
と、帝へ向かって、臣下にあるまじき悪口を吐ざいた。そして、なにか傍らから言った侍従をも撲りつけて立ち去ったが、さすがに後では、少し寝ざめが悪かったものとみえ、その日の夕餉には若干の米と、腐った牛肉の幾片かが皿に盛られてあった。
「ああ。これが彼の良心か」
侍従たちは、その腐った物の臭気に面を反けた。
帝は、いたく憤られて、
「豎子、かくも朕を、ないがしろに振る舞うか」
と、袞龍の袖を御眼にあてたまい身をふるわせてお嘆きになった。
侍臣のうちに、楊彪もひかえていた。──
彼は、断腸の思いがした。
自分の妻に、反間の計をふくめて、今日の乱を作った者は、だれでもない楊彪である。
計略図にあたって、郭汜と李傕とが互いに猜疑しあって、血みどろな角逐を演じ出したのは、まさに、彼の思うつぼであったが、帝と皇后の御身に、こんな辛酸が下ろうとは、夢にも思わなかったところである。
「陛下。おゆるし下さい。そして李傕の残忍を、もうしばらく、お忍び下さい。そのうちに、きっと......」
言いかけた時、幽室の外を、どやどやと兵の馳ける跫音が流れて行った。そして城内一度に、何事か、わあっと鬨の声に揺れかえった。
六
折も折である。
帝は、容色を変えて、
「何事か?」と、左右を顧みられた。
「見て参りましよう」
侍臣の一人があわてて出て行った。そして、すぐ帰って来ると、
「たいへんです。郭汜の軍勢が城門に押しよせ、帝の玉体を渡せと、喊のこえを揚げ、鼓を鳴らして、ひしめいておりまする」と、奉答した。
帝は、喪心せんばかり驚いて、
「前門には虎、後門には狼。両賊は朕の身を賭物として、爪牙を研ぎあっている。出ずるも修羅、止まるも地獄、朕はそもそも、いずこに身を置いていいのか」と、慟哭された。
侍中郎の楊琦は、共に涙をふきながら、帝を慰め奉った。
「李傕は、元来が辺土の夷そだちで最前のように、礼も弁えず、言語も粗野な漢ですが、あの後で、心に悔いる色が見えないでもありませんでした。そのうちに、不忠の罪を慚じて、玉座の安泰をはかりましょう。ともあれ、ここは静かに、成り行きを御覧あそばしませ」
そのうちに、城門外では、ひと合戦終わったか、矢叫びや喊声が熄んだと思うと、寄手の内から一人の大将が、馬を乗り出して、大音声にどなっていた。
「逆賊李傕に言う。──天子は天下の天子なり、何故なれば、私に、帝をおびやかし奉り、玉座を勝手にこれへ遷しまいらせたか。──郭汜、万民に代わって汝の罪を問う、返答やあるっ!」
すると、城内の陰から李傕、颯々と駒をすすめて、
「笑うべきたわ言かな。汝ら乱賊の難を避けて帝御自らこれへ龍駕を奔らせ給うによって、李傕御座を守護してこれにあるのだ。──汝らなお、龍駕を趁うて天子に弓をひくかっ」
「だまれっ。守護し奉るに非ず、天子を押しこめ奉る大逆。かくれないことだ。速やかに、帝の御身を渡さぬにおいては、たちどころに、その素首を百尺の宙へ刎ねとばすぞ」
「なにをっ、小ざかしい」
「帝を渡すか、生命を捨てるか」
「問答無用っ」
李傕は、槍を振って、りょうりゅうと突っかけてきた。
郭汜は、大剣をふりかざし、おのれと、唇をかみ、眦を裂いた。双方の駒は泡を嚙んで、嘶き立ち、一上一下、剣閃槍光のはためく下に、駒の八蹄は砂塵を蹴り上げ、鞍上の人は雷喝を発し、勝負は容易につきそうもなかった。
「待ち給え。両将、しばらく待ち給え!」
ところへ。
城中から馳せ出して、双方を引き分けた者は、つい今し方、帝のお傍から見えなくなっていた太尉楊彪だった。
楊彪は、身を挺してふたりに向かって、懸河の弁をふるい、
「ひとまず、ここは戦を休めて、双方、一応陣を退きなさい。帝の御命でござる。御命に背く者こそ、逆賊と言われても申し訳あるまい」と、言った。
その一言に、双方、兵を収めてついに引き退いた。
楊彪は、翌日、朝廷の大臣以下、諸官の群臣六十余名を誘って、郭汜の陣中に赴いた。そして一日もはやく李傕と和睦してはどうかとすすめてみた。
だれもまだ気づかないが、もともとこの戦乱の火元は楊彪なのである。ちと薬が効きすぎたと彼も慌て出したのだろうか。それともわざと仲裁役を買ってことさら、仮面の上に仮面を被って来たのだろうか。彼もまた複雑な人間の一人ではある。
〔第二巻 終〕
●『三国志』解説/渡部昇一
【第2巻】
吉川さんは、よく知られているように、とても苦学した人でした。詳細については割愛しますが、小学校を中退した後は、船を造っていたりしていました。ただ、働きながらも独学し、『吉川雉子郎』の名で俳句や川柳を投稿するなど、文学的な才能を伸ばしていたのです。そして、講談社で講談種本を手掛け、そのうちに自分の空想で長い小説も書くようになっていった、というのが彼の大きな略歴になります。そして、彼の人気を決定的にしたのが、1935年に発表した『宮本武蔵』です。宮本武蔵の修行の精神というのが、当時の風潮に合ったのでしょう。この後に『太閤記』を発表し、さらに『三国志』を執筆し始めて、人気を不動のものにしたのです。
この『宮本武蔵』の後に書かれた『太閤記』と『三国志』には、共通点があります。それは、執筆されたのが戦時中だったということです。連載開始時にはちょうど支那事変が勃発し、日本国内はかなり緊張していた時期でした。そして、太閤秀吉が生きた時代も三国志も、同じように戦時中です。それゆえ文章内に、戦争をしているんだという雰囲気が随所に見てとれるのです。どこにどう入っているのか、という明確な答えは出し難いのですが。とにかく、両方とも「戦をしている」というのが、ひしひしと伝わってくるんですよ。しかも吉川さんは、従軍記者として戦地を歴訪していた時に、この2つを書き始めています。
あの当時の作家は、従軍記者として戦地に赴くのが通常でした。いかなかったのはよほど年を取っている人くらいで、ほとんどの作家が行っていると思います。そして、より間近で戦争というものを見ており、その雰囲気は

でもわかってしまうわけですから、それが作品に反映されたのでしょう。戦いの描写だけでなく随所の書き方が、戦時の苛烈さを感じている人ならではだと感じられるので、全体的に引き締まっていてとても読み応えが出ているのです。太閤記は戦後に司馬遼太郎さんも手掛けられていますが、やはり全然違いますから。それだけに、偶然の産物というか、戦争がなければ吉川三国志は誕生していなかったのではないか、とさえ思っています。
そして吉川さんは、『三国志』を書いたことで、円熟期を迎えたと思っています。長い下積みから、講談種本をいっぱい書いてきました。その中には、空想長編小説の『鳴門秘帖』なんかもあります。そんな空想ものも書ける才能があり俳句も上手な人が、戦争という特殊な雰囲気の中で、世界的にも大きな物語である『三国志』を手にかけたとき、その円熟味が十分に発揮されたのではないかと思うからです。
【第3巻につづく】
巫 女
一
「なに、無条件で和睦せよと。ばかを言い給え」
郭汜は、耳も藉さない。
それのみか、不意に、兵に令を下して、楊彪に従いて来た大臣以下宮人など、六十余人の者を一からげに縛ってしまった。
「これは乱暴だ。和議の媒介に参った朝臣方を、なにゆえあって捕らえ給うか」
楊彪が声を荒らくして咎めると、
「だまれっ。李司馬の方では、天子をさえ捕らえて質としているではないか。それをもって、彼は強味としている故、こちらもまた、群臣を質として召し捕っておくのだ」
傲然、郭汜は言い放った。
「おお、なんたる事ぞ! 国府の二柱たる両将軍が、一方は天子を脅やかして質となし、一方は群臣を質として嘯く。あさましや、人間の世もこうなるものか」
「おのれ、まだ囈言を吐ざくかっ」
剣を抜いて、あわや楊彪を斬り捨てようとした時、中郎将楊密が、あわてて郭汜の手を抑えた。楊密の諫めで、郭汜は剣を納めたけれども縛りあげた群臣は免さなかった。ただ楊彪と朱雋の二人だけ、抛り出されるように陣外へ追い返された。
朱雋は、もはや老年だけに、きょうの使いには、ひどく精神的な打撃をうけた。
「ああ。......ああ......」
と、何度も空を仰いで、力なく歩いていたが、楊彪を顧みて、
「お互いに、社稷の臣として、君を扶け奉ることもできず、世を救うことも出来ず、なんの生き甲斐がある」と歎いた。
果ては、楊彪と抱きあって、路傍に泣き仆れ、朱雋は一時昏絶するほど悲しんだ。
そのせいか、老人は、家に帰るとまもなく、血を吐いて死んでしまった。楊彪が知らせを受けて馳けつけてみると、朱雋老人の額は砕けていた。柱へ自分の頭をぶっつけて憤死したのである。
朱雋でなくとも、世の有り様を眺めては、憤死したいものはたくさんあったろう。――それから五十余日というもの、明けても暮れても、李傕、郭汜の両軍は、毎日、巷へ兵を出して戦っていた。
戦いが仕事のように。戦いが生活のように。戦いが楽しみのように。意味なく、大義なく、涙なく、彼等は戦っていた。
双方の死骸は、街路に横たわり、溝をのぞけば溝も腐臭。木陰にはいれば木陰にも腐臭。――そこに淋しき草の花は咲き、虻がうなり、馬蝿が飛んでいた。
馬蝿の世界も、彼等の世界も、なんの変わりもなかった。――むしろ馬蝿の世界には、緑陰の涼風があり、豆の花が咲いていた。
「死にたい。しかし死ねない。なぜ、朕は天子に生まれたろうか」
帝は、日夜、御涙の乾く時もなく沈んでおられた。
「陛下」
侍中郎の楊琦がそっと御耳へささやいた。
「李傕の謀臣に、賈詡という者がおります。――臣がひそかに見ておりますに、賈詡には、まだ、真実の心がありそうです。帝の尊ぶべきことを知る士らしいと見ました。いちど密かにお召しになってごらんなさい」
ある時、賈詡は用があって、帝の幽室へはいって来た。帝は人を退けて突然陪臣の賈詡に再拝し、
「汝、漢朝の乱状に義をふるって、朕にあわれみを思え」と、宣うた。
賈詡は、驚いて、床にひざまずき、頓首して答えた。
「今の無情は、臣の心ではありません。時をお待ち遊ばしませ」
そこへ、折悪しく李傕がはいってきた。長刀を横たえ、鉄の鞭をさげ、帝の顔をじっと睨みつけたので、帝は、お顔を土気色にして恐れおののいた。
「すわ!」
と侍臣達は万一を思って、帝のまわりに総立ちになり、各々、われを忘れて剣を握った。
その空気に、かえって李傕の方が、怖れをなしたらしく、
「あははは。なにを驚いたのかね。......賈詡、なんぞ両白いはなしでもないか」
などと笑いに紛らして、間もなく外へ立ち去った。
二
李傕の陣中には、巫女がたくさんいた。みな重く用いられ、絶えず帷幕に出入りして、なにか事あるごとに、祭壇に向かって、禱りをしたり、調伏の火を焚いたり、神降ろしなどして、
「神さまのお告げには」と、妖しげな御託宣を、李傕へ授けるのであった。
李傕は、おそろしく信用する。何をやるにもすぐ巫女を呼ぶ。そして神さまのお告げを聴く。
巫女の降ろす神は邪神とみえ、李傕は天道も人道も怖れない。いよいよ乱を好んで、郭汜と啀みあい、兵を殺し、民衆を苦しめて顧みなかった。
彼と同郷の産、皇甫酈は、ある時、彼を陣中に訪れて、
「無用な乱は、よい加減に熄めてはどうです。君も国家の上将として、爵禄を極め、何不足もないはずなのに」と、言った。
李傕は、嘲笑って、
「君は、何しに来たか」
と、反問した。
皇甫酈もニヤリとして、
「どうも、将軍はすこし神懸かりにかかっているようだから、将軍に憑いている邪神を掃い落として上げようと思って来た」と、答えた。
彼は、弁舌家なので、とうとうと舌をふるい、私闘のために人民を苦しめたり、天子を監禁したりしている彼の罪を鳴らし、今にして悔い改めなければ、ついに、天罰があたると言った。
李傕は、いきなり剣を抜いて、彼の顔に突きつけ、「帰れっ。――まだ口を開いていると、これを呑ませるぞ」と、どなりつけた。そして、「――さては、天子の密旨をうけて、おれに和睦をすすめに来たな。天子の御都合はよいか知らぬが、おれには都合が悪い。だれかこの諜者をくれてやるから、試し斬りに用いたい者はいないか」
すると、騎都尉の楊奉が、
「それがしにお下げください。内密のお差し向けとは申せ、将軍が勅使を虐殺したと聞こえたら、天下の諸侯は、敵方の郭汜へみな味方しましょう。将軍は世の同情を失います」
「勝手にしろ」
「では」と、楊奉は、皇甫酈を、外へ連れ出して放してやった。
皇甫酈は、まったく、帝のお頼みをうけて、和睦の勧告に来たのだったが、失敗に終わったのでそこから西涼へ落ちてしまった。
だが、途々、「大逆無道の李傕は、今に天子をも殺しかねない人非人だ。あんな天理に反いた畜生は、必ずよい死に方はしないだろう」
と、言い触らした。
ひそかに、帝に近づいていた賈詡も、暗に、世間の悪評を裏書きするようなことを、兵の間にささやいて、李傕の兵力を、内部から切り崩していた。
「謀士賈詡さえ、ああ言うくらいだから、見込みはない」
脱走して、他国や郷土へ落ちてゆく兵がぼつぼつ殖え出した。
そういう兵には、
「おまえたちの忠節は、天子もお知りになっておる。時節を待て。そのうちに、触れが廻るであろうから」と、言いふくめた。
一隊、一隊と、目に見えて、李傕の兵は、夜の明けるたび減って行った。
賈詡は、ほくそ笑んだ。そしてまた、ある時、帝に近づいて献策した。
「この際、李傕の官職を大司馬に昇せ、恩賞の沙汰をお降し下さい――目をおつぶり遊ばして」
三
李健は、煩悶していた。夜が明けるたび営中の兵が減っていく。
「なにが原因か?」
考えても、わからなかった。
不機
なところへ、反対に、思いがけない恩賞が帝から降った。彼は有頂天になって、例のごとく
巫女を集め、
「今日、大司馬の栄爵を賜わった。近いうちに、何か、吉事があると、おまえ達が予言したとおりだった。祈禱の験はまことに顕かなもんだ。おまえ達にも、恩賞を頒けてつかわすぞ」
と、それぞれの巫女へ、莫大な褒美を与えて、いよいよ妖邪の祭りを奨励した。
それにひきかえ将士には、なんの恩賞もなかった。むしろこのごろ、脱走者が多いので叱られてばかりいた。
「おい楊奉」
「やあ、宋果か。どこへゆく」
「なに......。ちょっと、貴公に内密で話したいと思って」
「なんだ? ここならだれもいないが、君らしくもなく、鬱いでいるじゃないか」
「楽しまないのは、この宋果ばかりではない。おれの部下も、営内の兵は皆、あんなに元気がない。これというのも、われわれの大将が将士を愛する道を知らないからだ――悪いことはみな兵のせいにし、吉いことがあれば、巫女の霊験と思っている」
「ううム。......まったく、ああいう大将の下にいたら、将士も情けないものだ。われわれは常に、十
死に一
生を拾い、草を

い石に
臥し
修羅の中に
生命を
曝して働いている者だが......その働きはあの巫女にも及ばないのだから」
「楊奉。――お互いに部下をあずかる将校として部下が可哀そうじゃないか」
「でも仕方があるまい」
「それで実は、君に......」と、同僚の宋果は、一大決心を、楊奉の耳へささやいた。
叛乱を起こそうというのだ。楊奉も異存はない。天子を扶け出してやろうとなった。
その夜の二更に、宋果は、中軍から火の手をあげる合図だった。――楊奉は、外部にあって、兵を伏せていた。
ところが、時刻になっても、火の手はあがらない。物見を出して窺わせると、事前に発覚して、宋果は、李傕に捕らわれて、もう首を刎ねられてしまったとある。
「しまった」と、
狼狽しているところへ、李傕の討っ手が、楊奉の陣へ殺到して来た。すべてが

い違って、楊奉は度を失い、四更のころまで抗戦したが、散々に打ち負かされて、彼はついに夜明けと共に、いずこともなく落ちのびてしまった。
李傕の方では、凱歌をあげたが、おかしなものである。実はかえって大きな味方の一勢力を失ったのだ。――日を趁うに従って、彼の兵力は著しく衰弱を呈してきた。
一方、郭汜軍も、ようやく、戦い疲れていた。そこへ、陝西地方から張済と称する者が、大軍を率いて仲裁に馳け上り、和睦を押しつけた。

といえば、
新手の張済軍に
叩きのめされる
惧れがあるので、
「爾今、共に協力し政事をたて直そう」と和解した。
質となっていた百官も解放され、帝もはじめて眉をひらいた。帝は張済の功を嘉し、張済を驃騎将軍に命じた。
「長安は大廃しました。弘農(陝西省・西安附近)へお還りあってはいかがです」
張済のすすめに、帝も御心をうごかした。
帝には、洛陽の旧都を慕うこと切なるものがあった。春夏秋冬、洛陽の地には忘れ難い魅力があった。
弘農は、旧都に近い。御意はたちまち決まった。
折しも、秋の半ば、帝と皇后の輦は長い戟を揃えた御林軍の残兵に守られて、長安の廃墟を後に、曠茫たる山野の空へと行幸せられた。
四
行けども行けども満目の曠野である。時しも秋の半ば、御車の簾は破れ、詩もなく笑い声もなく、有るはただ、惨心のみであった。
旅の雨に
褪せた帝の御衣には
虱がわいていた。皇后の
御髪には油の
艶も絶え、御涙の

せをかくす御化粧の料もなかった。
「ここはどこか」
吹く風の身に沁みるまま帝は簾のうちから訊かれた。薄暮の野に、白い一水がうねうねと流れていた。
「覇陵橋の畔です」
李傕が答えた。
間もなく、その橋の上へ、御車がかかった。すると、一団の兵馬が、行く手を塞ぎ、
「車上の人間は何者だ」と、咎めた。
侍中郎の楊琦が、馬をすすめ、
「これは、漢の天子の弘農へ還幸せらるる御車である。不敬すな!」と、叱咤した。
すると、大将らしい者二人、はっと威に恐れて馬を降り、
「われわれどもは、郭汜の指図によって、この橋を守り、非常を戒めている者でござるが、真の天子と見たならば、お通し申さん。願わくは拝をゆるされたい」
楊琦は、御車の簾をかかげて見せた。帝のお姿をちらと仰ぐと、橋を固めていた兵は、われを忘れて、万歳を唱えた。
御車が通ってしまった後から、郭汜が馳けつけて来た。そして、二人の大将を呼びつけるなり呶鳴りつけた。
「貴様たちは、なにをしていたのだ。なぜ御車を通したか」
「でも、橋を固めておれとのお指図はうけましたが、帝の玉体を奪い取れとはいいつかりませんでした」
「ばかっ。おれが、張済の言うに従って、一時兵を収めたのは、張済を欺くためで、心から李傕と和睦したのじゃない。――それくらいなことが、わが幕下でありながらわからんのかっ」
と、二人の将を、たちどころに縛めて、その首を刎ねてしまった。
そして、声荒らく、
「帝を追えっ」
と、罵って、兵を率いて先へ急いだ。
次の日、御車が華陰県をすぐるころに、後ろから喊の声が迫った。
振り向けば、郭汜の兵馬が、黄塵をあげて、狂奔してくる。帝は、あなとばかり声を放ち、皇后は怖れわなないて、帝の膝へしがみついてはや、泣き声をおろおろと洩らし給う。
前後を護る御林の兵も、極めてわずかしかいないし、李傕もすでに、長安で暴れていたほどの面影はない。
「郭汜だ。どうしよう」
「おお! もうそこへ」
宮人たちは、逃げまどい、車の陰にひそみ、ただうろたえるのみだったが――時しもあれ一彪の軍馬がまた、忽然と、大地から湧き出したように、かなたの疎林や丘の陰から、鼓を打ち鳴らして殺到した。
意外。意外。
帝を護る人々にも、帝の御車を追いかけて来た郭汜にも、それはまったく意外な者の出現だった。
見れば――
その勢一千余騎。まっ黒に馳け向かって来る軍の上には「大漢楊奉」と書いた旗がひらめいていた。
「あっ。楊奉?」
だれも、その旗には、目をみはったであろう。先ごろ、李傕に叛いて、長安から姿を消した楊奉を知らぬはない。――彼はその後、終南山に潜んでいたが、天子ここを通ると知って、にわかに手勢一千を率し、急雨の山を降るがごとく、野を捲いて、これへ馳けて来たものだった。
緑林の宮
一
楊奉の部下に、徐晃、字を公明と称ぶ勇士がある。
栗色の駿馬に乗り、大斧をふりかぶって、郭汜の人数を蹴ちらして来た。それに当たる者は、ほとんど血煙と化して、満足な形骸も止めなかった。
郭汜の手勢を潰滅してしまうと楊奉はまた、その余勢で、
「鑾輿を擁して逃亡せんとする賊どもを、一人も余さず君側から掃蕩してしまえ」
と、徐晃にいいつけた。
「心得た」とばかり、徐晃は、火焰のごとき血の斧をふりかぶって、栗色の駒を向けて来た。
御車を楯に隠れていた李傕とその部下は、戦う勇気もなくみな逃げ奔った。しかし、宮人たちは帝を捨てて逃げもならず、いっせいに地上に坐って、楊奉の処置にまかせていた。
楊奉は、やがて戟を収めると、兵を整列させて、御車を遙拝させた。そして彼自身は、盔を手に持って、帝の簾下にひざまずいて頓首していた。
帝は、歓びのあまり御車を降りて、楊奉の手を取られた。
「危うきところを救いくれし汝の働きは、朕の肺腑に銘じ、永く忘れおかぬぞ」
そして、また、「先に、大斧を揮っていた目ざましき勇士は何者か」と、訊ねられた。
楊奉は、徐晃をさしまねいて、
「河東楊郡の生まれで徐晃、字を公明といい、それがしの部下です」
と奏して、徐晃にも、光栄を頒かった。
その夜。
帝の御車は、華陰の寧輯という部落にある楊奉の陣所へ行って、営中にお泊まりになった。
夜明け方、そこを出発なさろうと準備していると、「敵だッ」と、思わぬ声が走った。
朝討ちを狙って来た昨日の敵の逆襲だった。しかも昨日に数倍する大軍で襲せて来たのである。
楊奉に趁われた李傕と楊奉に粉砕された郭汜とが、お互いに敗軍の将となり下がって、同傷の悲憤を憐れみ合い、
(ここはお互いに団結して、邪魔者の楊奉を除いてしまおうではないか。さもないと、二人とも、憂き目を見るにきまっている)と、にわかに、協力しだして、昨夜から密かに蠢動し、近県の無頼漢や山賊の類いまで狩りあつめて、さてこそ、わあっと一度に営を取り囲んだものだった。
徐晃は、きのうに劣らぬ奮戦ぶりを示したが、味方は小勢だし、それに何といっても、帝の御車や宮人たちが足手纏いとなって、刻々、危急に瀕して来た。
折から、幸いにも、帝の寵妃の父にあたる董承という老将が、一隊の兵を率いて、帝の御車を慕って来たので、帝は、虎口を脱して、先へ逃げ落ちて行かれた。
「やるな、御車を」
「帝を渡せ」
と、郭汜、李傕の部下は、叱咤されながら、御車を追いかけて来た。
楊奉は、その敵が、雑多な雑軍なのを見て、
「珠玉、財物を、みな道へ捨てなさい」
と、帝や随臣にすすめた。
皇后には、珠の冠や胸飾りを、帝には座右の符冊典籍までを、車の上から惜し気なく捨てられた。
宮人や武将たちも、衣を剝ぎ、金帯を外し、生命には更えられないと、持つ物をみな撒き捨てて奔った。
「やあ、珠が落ちてる」
「釵があった」
「金襴の袍があるぞ」
追いかけて来た兵は皆、餓狼のごとく地上の財物に気を奪られてそれを拾うに、われがちな態だった。
「ばか者っ、進め! 帝の御車を追うんだっ。そんな物を拾っていてはならん」
と、李傕や郭汜が、馬で蹴ちらして喚いても、金襴や珠にたかっている蛆虫はそこを離れなかった。彼等には、帝王の轍の跡を追うよりは手に抱えた百銭の財の方が遙かに大事だった。
二
陝西の北部といえば、まだ未開の苗族さえ住んでいる。人文に遠い僻地である事は言うまでもない。
目的のために狎れ合った郭と李の聯合勢が、どこまでも執拗に追撃して来るので、帝の御車は道をかえて、ついにそんな地方へ逃げ隠れてしまわれた。
「この上はやむを得ません。白波帥の一党へ、聖旨を降して、お招きなさいませ。彼等をもって、郭汜、李傕の徒を追い退けるのが、残されているたった一つの策かと思われます」
と、帝の周囲は、帝にすすめ参らせた。
白波帥とは、何者の党か。
帝には、御存じもない。
言わるるまま詔書を発せられた。
いかに乱世でも、思いがけないことが降って来るもの哉――と、それを受けた白波帥の頭目どもは驚いたにちがいない。
彼等は、太古の山林に住み、旅人や良民の肉を

らい血に
嘯いて生きている緑林の徒――いわゆる山賊強盗を渡世とした
輩だったからである。
「おい。出向いてみようか」
「ほんとかい。天子の詔書が、俺たちを呼びに来るなんて」
「
噓じゃあるめえ。なんでも、長安の
どさくさから、逃げ惑っておいでなさるってえ

は
ちらほら聞こえている」
「一党を率いて、出向いたところを一網に御用ってな陥し穽じゃあるめえな」
「先にそんな軍勢がいるものか。いつまで俺たちも、虎や狼の親分で居ても仕方がねえ。一足跳びの立身出世は今この時だ。手下を率き連れて出かけよう」
李楽、韓暹、胡才の三親分は、評議一決して、山林の豺狼千余人を糾合し、
「おれたちは、今日から官軍になるんだ。ちっとばかり、行儀を良くしなくッちゃいけねえぞ」
と、訓令して、馳せつけた。
味方を得て、御車はふたたび、弘農をさして急いだ。途上、たちまち郭と李の聯合勢とぶつかった。
彼等の軍にも、土匪山賊が交じっている、猛獣と猛獣の咬みあいだ。その惨たる事は、太陽も血に黒く霞むばかりだった。
「敵兵はあらかた緑林の仲間だな」
そう気がつくと、郭汜は先ごろ自分の兵が御車の上や
従の宮人たちの手から、
撒き捨てられた財物に気を奪われたことを思い出して、その折、兵から没収して一
輛の車に積んでいた財物や金銀を戦場へ向かって撒きちらした。
果たして、李楽等の手下は、戦を熄めて、それをあばき合った。
ために、折角の官軍も、なんの役にも立たなくなったばかりか、胡才親分は討ち死にしてしまい、李楽も御車を追って、生命からがら逃げ出した。
帝の御車は、ひた急ぎに、黄河の岸まで落ちて来られた。――李楽は断崖を下りて、ようやく一艘の舟を探し出したが、岸壁は屏風のような嶮しさで、帝は下を覗かれただけで、絶望の声を放たれ、皇后には、よよと哭き惑われるばかりだった。
楊奉、楊彪等の侍臣も、「どうしたものか」と、思案に暮れたが、敵は早くも間近まで追い詰めて来た様子――しかも前後に見える味方はもう極めてわずかだった。
皇后の兄にあたる伏徳という人が、数十匹の絹を車から下ろして、天子と皇后の御体をつつんでしまい、絶壁の上から繩で吊り下ろした。
ようやく、小舟に乗ったのは、帝と皇后のほかわずか十数人に過ぎなかった。それ以外の兵や、遅れた宮人たちも、黄河の水に跳びこんで、共に逃げ渡ろうと、水中から舷へ幾人もの手が必死にしがみついたが、
「駄目だ、駄目だ。そう乗っちゃあ、俺たちが助からねえ」
と、李楽は剣を抜いて、その指や手頸をバラバラ斬り離した。ために、舷を搏つしぶきも赤かつた。
三
ここまで帝に侍いて来た宮人等も、あらかた舟に乗り遅れて殺されたり、また舷に取り縋った者も、情け容赦なく突き離されて、黄河の藻屑となってしまった。
帝は滂沱の御涙を頰にながして、
「あな、傷まし。朕、ふたたび祖廟に上る日には、必ず汝等の霊をも祭るであろう」
と、叫ばれた。
あまりの酷たらしさに皇后は、顔色もなくお在したが、舟がすすむにつれ、風浪も烈しく、いよいよ生ける心地もなかった。
ようやく、対岸に着いた時は、帝の御衣もびッしょり濡れていた。皇后は舟に暈われたのか、身うごきもなさらない。伏徳が背に負い進らせてとぼとぼ歩き出した。
秋風は冷々と蘆荻に鳴る。曇天なので、人々の衣は、いとど乾かず、だれの唇も紫色していた。
それに、御車は捨ててもう無いので、帝は裸足のままお歩きになるしかなかった。馴れないお徒歩なので、たちまち足の皮膚はやぶれて血を滲ませ、見るだに傷傷しいお姿である。
「もう少しの御辛抱です。......もうしばらく行けば部落があるかと思われますから」
楊奉は、お手を扶けながら、しきりと帝を励ましていたが、そのうちに後ろにいた李楽が、
「あっ、いけねえ! 対う岸の敵の奴等も漁船を引っぱり出して乗りこんで来るっ。ぐずぐずしていると追いつかれるぞ」と、例によって、野卑なことばで急ぎたてた。
楊奉は帝の側を去って、
「あれに一軒、土民の家が見えました。しばらく、これにてお待ちください」と、馳けて行った。
間もなく、彼は、かなたの農家から一輛の牛車を引っ張って来た。
もとより耕農に使うひどいガタ車であったが、莚を敷いて帝と皇后の御座を設え、それにお乗せして、
「さあ、急ごう」と、楊奉が手綱を曳いた。
李楽は、細竹をひろって、
「馳けろっ、馳けろっ」と、牛の尻を打ちつづけた。
車上の御座は、大浪の上にあるようにグヮラグヮラ揺れた。――灯ともるころ、ようやく、太陽という部落まで辿りついて、農家の小屋を借り、帝の御駐輦所とした。「貴人がお泊まりなさった」と、部落の百姓たちは囁きあったが、まさかそれが、漢朝の天子であろうとは知るわけもなかった。
そのうちに、一人の老媼が、
「貴人にあげて下さい」と、粟飯を炊いて来た。
楊奉の手から、それを献じると帝も皇后も、飢え渇いておられたところなので、すぐお口にされたが、どうしても咽を下らない御容子だった。
夜が明けると、
「やあ、これにお在でになったか」
と、乱軍の中で迷れた太尉楊彪と太僕韓融の二人が、若干の人数をつれて探し当てて来た。
「では昨日、後から漁船に乗って黄河を渡って来たのは貴公だったのか」
と、
楊奉を始め、
従の人々も
歓びあい、わけて帝には、この際一人の味方でも心強く思われるので、「よくぞ無事で」と、またしても御涙であった。
それにしても、ここはいつまで居る所ではない。少しも先へと、

従の人々は、また牛車の上の
素莚へ、帝と皇后をお乗せして部落を立った。
すると途中で、太僕韓融は、
「成功するや否やわかりませんが郭汜も李傕も手前を信用しています。この旧縁を力に、これから後へ戻って、彼等に兵を収めるように、一つ生命がけで、勧告してみましょう――彼等とて、肯かないこともないかと思われますから」と、人々へ告げて、一人道を引っ返して行った。
四
流民に等しい帝の漂泊は、なお幾日もつづいた。
後からぼつぼつ追いついて来た味方はあるが、それはほとんど野卑獰猛な李楽の手下ばかりだった。
だから李楽だけは一行の中でも二百余人の手下を持ち、だれよりも一番威張り出した。
大尉楊彪は、
「ひとまず、安邑県(山西省・函谷関の西方)へおいであって、しばし仮の皇居をお構え遊ばし、玉体を保たせられてはいかがですか」と、帝へすすめた。
「よいように」
帝はもうすべてを観念なされて居るかのように見えた。
「さらば――」
と、牛車の龍駕は安邑まで急いだ。しかしこことて仮御所にふさわしいような家などはない。
「一時、ここにでも」と、人々が見つけた所は、土塀らしい址はあるが、門戸もなく、荒草離離と生い茂った中に、朽ち傾いた茅屋があるに過ぎなかった。
「まことに、これは朕が今住む所にふさわしい。見よ、四方は荊棘のみだ。荊棘の獄よ」
と、帝は皇后に言われた。
けれど、どんな廃屋でも、御所となれば、ここは即座に禁裏であり禁門である。
緑林の親分李楽も、帝に従ってから、征北将軍という厳しい肩書を賜わっていたので、長安や洛陽の宮城を知らない彼は、ここにいても、結構いい気持になれた。
その増長が募って、近ごろは、側臣からする上奏を待たずに、ずかずか玉座へやって来て、
「陛下。あっしの子分どもも、ああやって、陛下のために苦労して来た奴らですから、ひとつ官職を与えてやっておくんなさい。――御史とか、校尉とか、なんとか、肩書をひとつ」
と、強請ったりした。
あまりのあさましさに、侍臣たちが遮ると、李楽はなおさら地を露わして、
「黙ッてろ、汝たち!」と、朝官の横顔を撲り仆した。
それくらいはまだ優しい方で、ひどく癇癪を起こした時は、帝の側臣を蹴とばしたり、耳をつかんで屋外へ抛り出したりした。
帝には、それを御存じなので、李楽の言うままに、何事も頷いておられた。けれど、官職を下賜されるには、玉璽がなければならない。筆墨や料紙はなんとかと備えてあるが玉璽は今、お手許にない。――故に、
「しばし待て」と、仰せられると李楽は、そんな故実など認めない。玉璽というのは、帝の御印章であろう、それならここでお手ずから彫らばすぐ間に合うではないかと無茶なことを言う。
「荊棘の木を切って来よ」
帝は、求められて、それを印材とし、彫刀もないので、錐をもって、手ずから印をお彫りになった。
李楽は、大得意だった。
子分たちの屯している中へ来て手柄顔に、理を話し、
「さあ、汝には、御史をくれてやる。汝れは、校尉ってえ官職に就かせてやろう。なおなお、おれのために、働けよ。今夜はひとつ祝え。なに、酒がねえと。どこか村へ行って探して来い。たいがい床下を剥がしてみると、一瓶や二瓶は出て来るものだ」
醜態暴状、見てはいられない。
ところへ、河東の大守王邑から、些細な食物と衣服が届けられた。――帝と皇后は、その施しでようやく、飢えと寒さから救われた。
五
さきに。
帝の一行と別れて、ただ一名、李傕や郭汜に会って兵を罷めるよう勧請してみる――と、途中から去った太僕韓融は、やがて、大勢の宮人や味方の兵を伴れてこれへ帰って来た。
すぐ闕下に伏して、
「御安心ください。彼等も、私の勧告に従って、兵戦を休め、沢山な捕虜をみな放してよこしました」と、奏上した。
あの暴将の李と郭が、一片の勧告でよくそんな神妙に心を翻したものだ ――と人々は怪しんだが、韓融からだんだん仔細を訊いてみると、
「いや、彼等の良心よりも、飢饉の影響が否応なく、戦争を休めさせたのだ」
と、いう事であった。
秋から冬にかかって来ると、その年の大飢饉は、深刻に、庶民の生活に現われて来た。
百姓たちは、
棗を採って
咬んだり、草を煮て、
草汁を飲んで
凌いだり、もうその草も枯れてくると枯れ草の根や、土まで

ってみた。ここ
茅屋の宮廷も、にわかに宮人が増して帝のお心は気づよくなったが、さしあたって、朝官たちの食う物に窮してしまった。
「洛陽へ還ろう」
帝は、しきりに、仰せられた。
すると、李楽がいつも、
「洛陽へ行っても、この飢饉は同じことだ」と、反対を唱えた。
しかし、朝臣の総意は、
「かかる狭小な地に、長く聖駕をお駐めするわけにはゆかぬ。洛陽は古から天子建業の地でもあれば――」と皆、還幸を望んでいた。
が、どうも李楽ひとりが、頑張るのでいつも評議はぶっ壊しになる。
そこで、一夜、李楽が手下をつれて、また、村へ酒や女を捜しに行った留守の間に、かねて計り合わせていた朝臣や侍側の将たちは、にわかに御車を曳き出し、
「洛陽へ還幸」
と、触れ出した。
楊奉、楊彪、董承の輩が、御車を守護しつつ、闇を急いだ。――そして幾日幾夜の難路を急ぎ、やがて箕関(河南省・河南附近)という所の関所にかかると、その夜もすでに四更のころ、四山の闇から点々と松明の光が閃めき迫って来て、それが喊の声に変わると、
「李傕、郭汜、この所にて待ち伏せたり」と、いう声が四方に聞こえた。
楊奉は、愕く帝をなぐさめて、
「いやいや何条、李傕や、郭汜がこんな所に出現しましょう。察するところ、李楽が詐って、襲うて来たにちがいありません。――徐晃徐晃、徐晃やある」と呼ばわった。
「これにいます」
徐晃は、御車のうしろで答えた。楊奉は、命じて、
「殿軍は、汝にまかせる。きょうこそ、堪忍の緒を断ってもよいぞ」と、言った。
「あっ」と、徐晃は歓び勇んで、
「お先へ、お先へ」と、御車を促した。
そして自身は、そこに踏みとどまり、やがて李楽が追いかけて来ると、馬上、大手をひろげて、
「獣っ、待てっ、これから先は洛陽の都門、獣類の通る道でない」っ、どなった。
「なにッ、俺ッちを、獣だと。この青二才め」
喚きかかって来るのを引っ外して、徐晃は、雷声一撃。
「よくも今日まで!」
と、日ごろ怺えに怺えていた怒りを一度に発して、大刀の下に見事李楽を両断してしまった。
改 元
一
幾度か、虎口を遁れ、百難をこえて、帝は、ようやく洛陽の旧都へ還られた。
「――ああ。これが洛陽だったろうか?」
帝は、憮然として、そこに立たれた。
侍衛の百官も、「変われば変わるもの」と、涙を催さぬ者はなかった。
洛陽千万戸、紫瑠璃黄玉の城楼宮門の址も、今はいずこ?
見わたす限り草茫々の野原に過ぎなかった。石あれば楼台の址、水あれば朱欄の橋や水亭の玉池があった蹟である。
官衙も民家も、すべて、焼け石と材木を草の中に余しているだけだった。秋も暮れて、もう冬に近いこの蕭々たる廃都には、鶏犬の声さえしなかった。
でも、帝には、
「ここらが、温徳殿の址ではないか。この辺りか、商金門の蹟......」
と、なつかしげに禁門省垣の面影を偲びながら、半日も彷徨い歩かれた。
それにつけても、董卓がこの都を捨てて、長安へ遷都を強いたあの時の乱暴さと、凄まじい兵乱の火が、帝のお胸に、悔恨となってひしと思い起こされた。
しかし、その董卓も、当時の暴臣どもも、多くは、すでに異郷で白骨になっている。――ただ今なお、董卓の遺臣の郭汜、李傕のふたりがあくまで、漢室の癌となって、帝に禍していた。
漢室と董卓とは、思えば、よほどの悪因縁に見える。
「人は住んでいないのであろうか」
帝は、あまりの
淋しさに、
従の人々を顧みて問われた。
「以前の城門街あたりに、見すぼらしい茅屋が、数百戸あるようです。――それも連年の飢饉や疫病のために、からくも暮らしている民ばかりのようです」
侍臣は、そうお答えした。
その後、
公卿たちは
戸帳を作り、住民の数を
議し、同時に年号も、
建安元年
と、改元した。
何にしても、皇居の仮普請が急がれたが、そういう状態なので、土木を起こすにも人力はなし、また、朝廷に財もないので、極めて粗末なただ雨露を凌ぎ、政事を執るに足るだけの仮御所がそこに建てられた。
ところが。
仮御所は建っても、供御の穀物もなければ、百官の食糧もない。
尚書郎以下の者は、みな跣足となり、廃園の瓦を起こして、畑を耕し、樹の皮を剥いで餅とし、草の根を煮て汁としたりして、その日その日の生計に働いた。
また、それ以上の役人でも、どうせ朝廟の政務といっても、さし当たって何もないので、暇があれは、山に入って木の実を採り、鳥獣を漁り、薪や柴を伐り蒐めて来て、からくも、帝の御供を調えた。
「あさましい世を見るものであります。けれど、いつまでこうしていても、自でに、忠臣が顕れ、万戸が建ち並んで、昔日の洛陽に回ろうとも思われません。――なんとか御思案なければなりますまい」
ある時、太尉楊彪から、それとなく帝に奏上した。
もとより、帝にも、「よい策だにあれば」という思し召しであるから、揚彪に、いかにせばよいかと、御下問あると、楊彪はここに一策ありと次のような意見をのべた。
「今、山東の曹操は、良将謀士を麾下に集めて、蓄うところの兵数十万といわれています。ただ、彼に今無いものは、その旗幟の上に唱える大義の名分のみです。――今もし、天子、勅を下し給うて、杜稷の守りをお命じあれば、曹操は風を望んで参りましょう」
帝は、楊彪の意見を、許容なされた。そこで間もなく、勅使は洛陽を立って、山東へ急ぎ下った。
二
山東の地は遠いが、帝が洛陽へ還幸されたことは、いち早く聞こえていた。
黄河の水は一日に千里を下る。夜の明けるたび、舟行の客は新しい

を諸地方へ
撒いてゆく。
「目に見えないが大きく動いている。刻々、動いて休まない天体と地上。......ああ偉大だ、悠久な運行だ。大丈夫たる者、この間に生まれて、真に、生き甲斐ある生命を摑まないでどうする! おれもあの群星の中の一星であるに」
曹操は天を仰いでいた。
山東の気温はまだ晩秋だった。城楼の上、銀河は煙り、星夜の天は美しかった。
彼も今は往年の白面慷慨の一青年ではない。
山東一帯を鎮撫してから、一躍建徳将軍に封ぜられ、費亭侯の爵に叙せられ、養うところの兵二十万、帷幕に持つ謀士勇将の数も、今や彼の大志を行なうに不足でなかった。
「これからだ!」
彼は、自分に言う。
「曹操が、曹操の生命を真に摑むのは、これからだ。――われこの土に生まれたり矣。――見よ、これからだぞ」
彼は、今の小成と栄華と、人爵とをもって、甘んじる男ではなかった。
その兵は、現状の無事を保守する番兵ではない。政進を目ざして休まない兵だ。その城は、今の幸福を偸む逸楽の寝床ではない、前進また前進の足場である。彼の抱負は測り知れないほど大きい。彼の夢は多分に、詩人的な幻想をふくんではいる。けれど、詩人の意思のごとく弱くない。
「将軍......。そんな所にお在ででしたか。宴席からお姿が見えなくなったので、皆どこへ行かれたのかと呟いています」
「やあ、夏侯惇か。いつになく今夜は酔ったので、独り酒を醒ましに出ていた」
「まさに、長夜の御宴にふさわしい晩ですな」
「まだまだ歓楽も、おれはこんな事では足らない」
「――が、みな満足しております」
「小さい人々だ」
そこへ、曹操の弟曹仁が、なにか、緊張した眼ざしをして登って来た。
「兄上っ」
「なんだ、あわただしく」
「ただ今、県城から早打ちが来ました。洛陽から天子の勅使が下向されるそうです」
「わしへ?」
「もとよりです。黄河を上陸って旅途をつづけ、勅使の一行は、明日あたり領内へ着こうとの知らせでした」
「ついに来たか、ついに来たか」
「え。――兄上には、もうわかっていたんですか」
「わかるもわからぬもない。来るべきものが当然に来たのだ」
「ははあ......?」
「ちょうど今宵はみな宴席にいるな」
「はい」
「口を嗽ぎ、手を浄め、酒面を洗って、大評議の閣へ集まれと伝えろ。わしもすぐそれへ臨むであろう」
「はっ」
曹仁は、馳け去った。
楼台を降った曹操は、冷泉に嗽いし、衣服を更え、帯剣を鏘鏘と鳴らしながら、石廓を大歩して行った。
閣の大広間には、すでに群臣が集まっていた。たった今まで酒席に躁いでいた諸将も、一瞬に、姿勢を正し、烱々と眸をそろえながら、大将曹操の姿を迎えた。
「荀彧」
曹操は、指名して言った。
「きのう、そちが予に向かって吐いた意見を、そのまま、この席で述べろ。――勅使はすでに山東に下られている。曹操の肚はもうきまっているが、一応荀彧から大義を明らかに述べさせる。荀彧、立て」
「はっ」
荀彧は起立して、天子を扶くる者は、英雄の大徳であり、天下の人心を収める大略であるという意見を、理論立ててとうとうと演説した。
三
勅使が、山東へ降ってから、一カ月ほど後のことである。
「たいへんです」
洛陽の朝臣は、根を震われた落ち葉のように、仮普請の宮門を出入りして、みな顔色を失っていた。
一騎。
また、一騎。
この日、早馬が引きもきらず、貧しい宮門に着いて、鞍から飛び降りた物見の武士は、転ぶがごとく次々に奥へかくれた。
「董承。いかにせばよいであろうか」
帝のお顔には、この夏から秋ごろの、恐ろしい思い出がまた、深刻に滲み出ているのが仰がれた。
李傕と郭汜の二軍が、その後、大軍を整え、捲土重来して、洛陽へ攻め上って来るとの急報が伝えられて来たのである。
「曹操へ遣わした使者はまだ帰らず、朕、いずこにか身を隠さん」
と、帝は、諸臣に急を諮りながら、呪われた御運命を、眸のうちに哭いておられた。
「ぜひもありません」
董承は、頭を垂れて、
「――この上は、再び、仮宮をお捨てあって、曹操が方へ、お落ちになられるが、上策かと思われますが」
すると、楊奉、韓暹の二人が言った。
「曹操をお頼りあるも、曹操の心の程はわかりません。彼にもいかなる野心があるか、知れたものではないでしょう。――それよりは、臣等が有る限りの兵をひっさげて、賊を防いでみます」
「お言葉は勇ましいが、門郭城壁の構えもなく、兵も少ないのに、どうして防ぎきれようか」
「侮り給うな、われ等も武人だ」
「いや、万一、敗れてからでは、間に合わぬ。天子をいずこへお移し申すか。暴賊の手に委すような破滅となったら、それこそ各々の武勇も......」
と、争っているところへ、室の外で、だれか二、三の人々が呶鳴った。
「何を長々しい
御
議だて、そんな場合ではありませんぞ、もはや敵の
先鋒が、あれあのとおり、馬煙をあげ、鼓を鳴らして、近づいて来るではありませんかっ」
帝は、驚愕して、座を起たれ、皇后の御手を取って、皇居の裏から御車にかくれた。侍衛の人々、文武の諸官、追うもあり、残るもあり、一時に混雑に陥ちてしまった。
御車は、南へ向かって、あわただしく落ちて行かれた。
街道の道の辺には、飢民が幾人も仆れていた。
飢えた百姓の子や
老爺は、枯れ草の根を掘りちらしていた。餓鬼のごとく、冬の虫を見つけて、むしゃむしゃ

っている。
腹膨れの幼児があるかと思うと、土を
舐めながら、どんよりした眼で、
――なぜ生まれたのか。
と言いたげに、この世の空をぼんやり見ている女がある。
奔馬や、帝の御車や、裸足のままの公卿たちや、戟をかかえた兵や将や、激流のような一陣の砂けむりが、うろたえた喚き声をつつんで、その前を通って行った。
土を舐め、草の根を

っている、無数の飢えたる眼の前を後から後から通って行くのであった。
「アレ。なにけ? ......」
「なんじゃろ?」
無智な飢民の眼には、悲しむべきこの実相も、なんの異変とも映らぬもののようだった。
戟の光を見ても、悍馬の嘶きを聞いても、その眼や耳は、愕を失っていた。恐怖する知覚さえ喪失している飢民の群れだった。
――が、やがて。
李傕、郭汜の大軍が、帝の御車を追って、後方から真っ黒に地を蔽って来ると、どこへ潜ってしまったものか、もう飢民の影も、鳥一羽も、野には見えなかった。
四
砂塵と悲鳴につつまれながら、帝の御車はからくも十数里も奔って来られたが、ふと行く手の曠野に横たわる丘の一端から、たちまち、漠々たる馬煙が立ち昇って来るのが見えたので、
「や、や?」
「あの大軍は?」
「敵ではないか?」
「早......前にも敵か?」
と、
従の宮人たちは、みな
躁ぎ
立て、帝にも、
愕然と
眉をひそめられた。
進退ここに谷まるかと、御車に従う者たちが度を失って喚くので、皇后も泣き声を洩らさせ給い、帝も、御廉の裡から幾度となく、
「道を変えよ」と叫ばれた。
しかし、今さら道を変えて奔ってもどうなろう。後ろも敵軍、前も敵軍。
そう考えたか、

従の武臣朝官たちは、早くもここを最期と叫んだり、ある者は、逃げる工夫に血眼をさまよわせていた。
ところへ!
かなたからただ二、三騎。それは武者とも見えない扮装の者が、何か、懸命に大声をあげながら、こちらへ馳けて来るのが見えた。
「あっ。見たような」
「朝臣らしいぞ」
「そうだ、さきに、勅使として、山東へ下った者たちだ」
意外。その人々は、やがて息喘きながら駒を飛び降りるや、御車の前へひれ伏して、
「陛下。ただ今帰りました」
と、奏上した。
帝には、なお、怪訝りの解けぬ御容子で、
「あれに見ゆる大軍は、そも、何ものの軍勢か」
「さればにて候、――山東の曹将軍には、われらを迎え、詔勅を拝するや、即日、お味方を号令し給い、その第一陣として、夏侯惇、その他十余将の御幕下に、五万の兵を授けられ、はやこれまで参ったものでござりまする」
「えっ......ではお味方に馳せ上った山東の兵よな」
御車の周囲にひしめいていた人々は、使者のことばを聞くと、一度に生色を取りもどし躍り上がらんばかりに狂喜した。
そこへ、鏘々たる鎧光を蒐めた一隊の駿馬は早、近づいて来た。
夏侯惇、許褚、典韋などを先にして、山東の猛将十数名であった。
御車を見ると、
「礼!」
と、戒め合って、さすがに規律正しくいっせいにザザザッと、鞍から飛び降りた。
そして、列を正しながら、約十歩ほど出て、夏侯惇が一同を代表して言った。
「御覧のごとく、臣等、長途を急ぎ参って、甲冑を帯し、剣を横たえおりますれば、謹んで、闕下に御謁を賜う身支度もいたしかねます。――願わくは、軍旗をもって、直奏おゆるしあらん事を」
さすがに聞こえた山東の勇将、言語明晰、態度も立派だった。
帝は、一時のお歓びばかりでなく、いとど頼母しく思し召されて、
「鞍馬長途の馳駆、なんで服装を問おう、今日、朕が危急に馳せ参った労と忠節に対しては、他日、必ず重き恩賞をもって酬ゆるであろうぞ」
と、宣うた。
夏侯惇以下、謹んで再拝した。
その後で夏侯惇はふたたび、
「主人曹操は、大軍を調うため、数日の暇を要しますが、臣等、先鋒として、これに参りましたからには、何とぞ、御心安らかに、何事もおまかせ置き給わりますように」と、奏した。
帝は、御眉を開いて頷かれた。
御車をかこむ武臣も官人たちも、異口同音、万歳万歳を歓呼した。
――ところへ、
「東の方より敵が見える」と、告げる者があった。
五
「いや、敵ではあるまい。お鎮まりあれ」と、夏侯惇はすぐ馬を駆って、鞍の上から遙かへ手をかざしていたが、やがて戻って来ると、一同へ告げた。
「案のごとく、ただ今、東方から続々と影を見せて来た軍勢は、敵にはあらで、曹将軍の御弟曹洪を大将とし、李典、楽進を副将として、先陣の後ろ備えとして参った歩兵勢三万にござります」
帝は、いやが上にも、歓ばれて、
「またも、味方の勢か」
と、一度に御心を安んじて、かえって、がっかりなされたほどだった。
間もなく、曹洪の歩兵勢も、着陣の鐘を鳴らし、万歳の声のうちに、大将曹洪は、聖駕の前へ進んで礼を施した。
帝は、曹洪を見て、「御身の兄曹操こそ、真に、朕が社稷の臣である」と言われた。
都落ちの儚い轍を地に描いて来た御車は、一躍、八万の精兵に擁せられて、その轍の跡をすぐ洛陽へ引っ返して行った。
――とは知らず、洛陽を突破して、殺到した郭把、李傕の聯合勢は、その前方に、思わぬ大軍が上って来るのを見て、
「はてな?」と、眼をこすった。
「怪訝しい事ではある。朝臣のうちに、何者か、妖邪の法を行なう者があるのではないか。たった今、わずかの近臣をつれて逃げのびた帝のまわりに、あのような軍馬が一時に現われるわけはない。妖術をもって、われ等の眼を晦ましている幻の兵だ。恐るることはない。突き破れ」
と、当たって来た。
幻の兵は、強かった。現実に、山東軍の新しい兵備に、勃興的な闘志を示した。
何かは堪るべき。
雑軍に等しい――しかも旧態依然たる李傕や郭汜の兵は存分に打ちのめされて、十方へ散乱した。
「血祭りの第一戦だ。――斬って斬って斬り捲くれ」
夏侯惇は、荒らぶる兵へ、なおさら気負いかけた。
血、血、血――曠野から洛陽の中まで、道は血しおでつながった。
その日、半日だけで、馘った敵屍体の数は、一万余と称せられた。
黄昏ごろ。
帝は玉体につつがもなく、洛陽の故宮へ入御され、兵馬は城外に陣を取って、旺なる篝火を焚いた。
幾年ぶりかで、洛陽の地上に、約八、九万の軍馬が屯したのである。篝火に灰赤く空が染められただけでも、その夜、帝のお眠りは久々ぶりに深かったに違いない。
ほどなく。
曹操もまた、大軍を率いて、洛陽へ上って来た。その勢威だけでも、敵は雲散霧消してしまった。
「曹操が上洛した」
「曹将軍が上られた」
人心は日輪を仰ぐごとく彼の姿を待った。彼の名は、彼が作ったわけでもない大きな人気につつまれて洛陽の紫雲に浮かび上がって来た。
彼が、都に入る日、その旗本はすべて、朱い盔、朱地錦襴の戦袍、朱柄の槍、失い幟旗を揃えて、八卦の吉瑞に象って陣列を立て、その中央に、大将曹操をかこんで、一鼓六足、大地を踏み鳴らして入城した。
迎える者、仰ぐ者。
「この人こそ、兵馬の長者」と懼れぬはなかった。
が、曹操は、さして驕らず、すぐ帝にまみえて、しかも、帝のおゆるしのないうちは、階下に低く屈して、貧弱な仮宮とはいえ、いたずらに殿上を踏まなかった。
火星と金星
一
曹操は、さらにこう奉上して、帝に誓った。
「生を国土に享け、生を国恩に報ぜんとは、臣が日ごろから抱いていた志です。今日、選ばれて、殿階の下に召され、大命を拝受するとは、本望これに越した事はありません。――不肖、旗下の精兵二十万、みな臣の志を体している忠良でありますから、なにとぞ、聖慮を安んぜられ、期して万代泰平の昭日をお待ちくださいますように」
彼の退出は、万歳万歳の声につつまれ、皇居宮院も、久しぶりに明朗になった。
――けれど一方、大きな違算に行き当たって、進退に迷っていたのは、今は明らかに賊軍と呼ばれている李傕、郭汜の陣営だった。
「なに、曹操とて、大した事はあるまい。それに遠路を急ぎに急いで来たので、人馬は疲れているにちがいない」
二人とも、意見はこう一致して、ひどく戦に焦心っていたが、謀将の賈詡がひとり諫めて承知しないのである。
「いや、彼を甘く見てはいけません。なんと言っても曹操は当代では異色ある驍将です。ことに以前とちがって、彼の下には近ごろ有数な文官や武将が集まっています。――如かず、逆を捨て、順に従って、ここは盔を脱いで降人に出るしかありますまい。もし彼に当たって戦いなどしたら、あまりにも己れを知らな過ぎる者と、後世まで笑いを遺しましょう」
正言は苦い。
李傕も、郭汜も、
「降服をすすめるのか。戦の前に、不吉なことば。あまつさえ、己れを知らんなどとは、慮外な奴」
斬ってしまえと陣外へ突き出したが、賈詡の同僚が憐れんで懸命に命乞いをしたので、
「命だけは助けておくが、以後、無礼な口を開くとゆるさんぞ」
と、幕中に投げこんで謹慎を命じた。――が、賈詡はその夜、幕を嚙み破って、どこかへ逃亡してそのまま行方を晦ましてしまった。
翌朝。――賊軍は両将の意思どおり前進を開始して、曹操の軍勢へひた押しに当たって行った。
李傕の甥に、李暹、李別という者がある。剛腕をもって常に誇っている男だ。この二人が駒をならべて、曹操の前衛をまず蹴ちらした。
「許褚、許褚っ」
曹操は中軍にあって、
「行け、見えるか、彼の敵だぞ」と、指さした。
「はっ」と、許褚は、飼い主の

を離れた
鷹のように馬煙をたてて
翔け向かった。そして目ざした敵へ寄るかと見るまに、李暹を一刀の下に斬り落とし、李別が驚いて逃げ
奔るのを、
「待てっ」
と、うしろから追い摑み、その首をふッつと捻じ切って静々と駒を返して来るのだった。
その剛胆と沈着な姿に、眼のあたりにいた敵も彼を追わなかった。許褚は、曹操の前に二つの首を並べ、
「これでしたか」と、庭前の落柿でも拾って来たような顔をして言った。
曹操は、許褚の背を叩いて、
「これだこれだ。そちはまさに当世の樊噲だ。樊噲の化身を見るようだ」
と、賞め讃えた。
許褚、元来、田夫から身を起こして間もない人物なので、あまりの晴れがましさに、
「そ、そんなでも、ありません」と、顔を赭くしながら諸将の間へかくれこんだ。
その容子がおかしかったか、曹操は、今たけなわの戦もよそに、
「あははは、可愛い奴じゃ。ははは」と、哄笑していた。
そういう光景を見ていると、諸将は皆、自分も生涯に一度は、曹操の手で背中を叩かれてみたいという気持を起こした。
二
戦の結果は、当然、曹操軍の大勝に帰した。
李傕、郭汜の徒は、到底、彼の敵ではなかった。乱れに乱れ、討たれに討たれ、網を洩れた魚か、家を失った犬のごとく、茫々と追われて西の方へ逃げ去った。
曹操の英名は、同時に、四方へ鳴りひびいた。
彼は、賊軍退治を終わると、討ち取った首を辻々に梟けさせ、令を発して民を安め、軍は規律を厳にして、城外に屯剳した。
「――何の事はない。これじゃあ彼のためにわれわれは踏み台となったようなものではないか」
楊奉は、日に増して曹操の勢いが旺になって来たのを見て、ある祈、韓暹に胸の不平をもらした。
韓暹は、今こそ禁門に仕えているが、元来、李楽などと共に、緑林に党を結んでいた賊将の上がりなので、たちまち性根を現わして、
「貴公も、そう思うか」と、曹操に対して、同じ嫉視の思いを、口汚く言い出した。
「今日まで、帝を御守護して来たおれたちの莫大な忠勤と苦労も、こうして曹操が羽振りを利かし出すと、どうなるか知れたものじゃない。――曹操は必ず、自分たち一族の勲功を第一にして、おれたちの存在などは認めないかも知れぬ」
「いや、認めまいよ」
楊奉は、韓暹に、なにやら耳打ちして、顔色を窺った。
「ウム......ムム。......やろう!」
韓暹は眼をかがやかした。それから四、五日ほど、何か二人で密々策動していたようだったが、一夜忽然と、宮門の兵をあらかた誘い出して、どこかへ移動してしまった。
宮廷では驚いて、その所在をさがすと、さきに逃散した賊兵を追いかけて行くと称しながら、楊奉、韓暹の二人が引率して大梁(河南省)の方面へさして行ったという事がやっとわかった。
「曹操に諮った上で」
帝は朝官たちの評議に先だって、ひとりの侍臣を勅使として、彼の陣へ遣わされた。
勅使は、聖旨を体して、曹操の営所へ赴いた。
曹操は、勅使と聞いて、恭しく出迎え、礼を終わって、ふとその人を見ると、何ともいえない気に打たれた。
「............」
人品の床しさ。
人格の気高い光――にである。
「これは?」と、彼はその人間を熟視して、恍惚、われを忘れてしまった。
世相の悪いせいか、近年は実に人間の品が下落している。連年の飢饉、人心の荒廃など、自然人々の顔にも反映して、どの顔を見ても、眼は尖り、耳は薄く、唇は腐色を呈し、皮膚は艶やかでない。
ある者は、豺のごとく、ある者は魚の骨に人皮を着せたごとく、またある者は鴉に似ている。それが今の人間の顔だった。
「――しかるに、この人は」と、曹操は見恍れたのである。
眉目は清秀で、唇は丹く、皮膚白皙でありながら萎びた日陰の美しさではない。どこやらに清雅縹渺として、心根のすずやかなものが香うのである。
「これこそ、佳い人品というものであろう。久しぶりに人らしい人を見た」
曹操は、心のうちに呟きながら、いとも小僧く思った。
いや、怖ろしく思った。
彼のすずやかな眼光は、自分の胸の底まで見透している気がしたからである。――こういう人間が、自分の味方以外にいる事は、たとえ敵でなくとも、妨げとなるような気がしてならなかった。
「......時に。御辺は一体、どういうわけで、今日の勅使に選ばれてお越しあったか。御生国は、どこでおわすか」
やがて席を更えてから、曹操はそれとなく訊ねてみた。
三
「お尋ねにあずかって恥じ入ります」と、勅使董昭は、言葉少なに、曹操へ答えた。
「三十年があいだ、いたずらに恩禄をいただくのみで、なんの功もない人間です」
「今の官職は」
「正議郎を勤めております」
「お故郷は」
「済陰定陶(山東省)の生まれで董昭字は公仁と申します」
「ホ、やはり山東の産か」
「以前は、袁紹の従事として仕えていましたが、天子の御還幸を聞いて、洛陽へ馳せのぼり、菲才をもって、朝に出仕いたしております」
「いや、不躾なことを、つい根掘り葉掘り。おゆるしあれ」
曹操は、酒宴をもうけ、その席へ、荀彧を呼んで、ともに時局を談じていた。
ところへ。――昨夜来、朝廷の親衛軍と称する兵が関外から地方へさして、続々と南下して行くという報告が入った。
曹操は聞くと、
「何者が勝手に禁門の兵を他へ移動させたか。すぐその指揮者を生擒って来い」
と、兵を遣ろうとした。
董昭は、止めて、
「それは不平組の楊奉と、白波帥の山賊あがりの韓暹と、二人が諜し合わせて、大梁へ落ちて行ったものです。――将軍の威望をそねむ鼠輩の盲動。何ほどの事を仕出来しましょうや。お心を労やすまでのことはありますまい」と、言った。
「しかし、李傕や郭汜の徒も、地方に落ちておるが」
曹操が、重ねて言うと、董昭はほほ笑んで、
「それも憂えるには足りません。一幹の梢を振い落とされた片々の枯れ葉、機をみて掃き寄せ、一炬の火として焚いてしまえばよろしいかと思います。――それよりも、将軍の為すべき急務はほかにありましょう」
「オオ、それこそ、予が訊きたいと希うことだ。乞う、忠言を聞かせ給え」
「将軍の大功は天子もみそなわし、庶民もよく知るところですが、朝廟の旧殻には、依然、伝統や閥や官僚の小心なる者が、各々異った眼、異った心で将軍を注視しています。それに、洛陽の地も、政を革めるに適しません。よろしく天子の府を許昌(河南省・許州)へお遷しあって、すべての部門に溌剌たる革新を断行なさるべきではないかと考えられます」
耳を傾けていた曹操は、
「近ごろ含蓄のある教えを承わった。この後も、何かと指示を与えられよ。曹操も業を遂げたあかつきには必ず厚くお酬いするであろう」と、その日は別れた。
その夜また、客があって、曹操にこういう言をなす者があると告げた。
「このほど、侍中太史令の王立という者が、天文を観るに、昨年から太白星が天の河をつらぬき、熒星の運行もそれへ向かって、両星が出合おうとしている。かくのごときは千年に一度か二度の現象で、金火の両星が交会すれば、きっと新しい天子が出現するといわれている。――思うに大漢の帝系もまさに終わらんとする気運ではあるまいか。そして新しい天子が晋魏の地方に興る兆しではあるまいか。――と王立は、そんな予言をしておりました」
曹操は黙って、客のことばを聞いていたが、客が帰ると、荀彧をつれて、楼へ上って行った。
「荀彧。こう天を眺めていても、わしに天文はわからんが、さっきの客のはなしは、どういうものだろう」
「天の声かも知れません。漢室は元来、火性の家です。あなたは土命です。許昌の方位は、まさに土性の地ですから、許昌を都としたら、曹操は隆々と栄えるにちがいありません」
「む、そうか。......荀彧。王立という者へ早速使いをやって、天文の説は、人に言うなと、口止めしておけ。よろしいか」
四
迷信とは思わない。
哲学であり、また、人生科学の追求なのである。すくなくも、その時代の知識層から庶民に至るまでが、天文の暦数や易経の五行説に対しては、そう信じていたものである。
――崇高な運命学の定説として彼等の運命観のなかには、星の運行があり、月蝕があり、天変地異があり、易経の暗示があり、またそれを普遍する予言者の声にも自ら多大な関心を払う習性があった。
この渺々とした黄土の大陸にあっては、漢室の天子といい、曹操といい、袁紹といい、董卓といい、呂布といい、劉玄徳といい、また孫堅その他の英傑といい、一面みな弱い儚い「我れ」なることを知っていた。
――広茫無限な大自然の偉力に対して、さしもの英傑豪雄の徒も人間の小ささを、父祖代々生まれながらに、知りぬいていた。
例えば。
黄河や大江の氾濫にも。
いなごの飢饉にも。
蒙古からふく黄色い風にも。
大雨、大雪、暴風、その他あらゆる自然の力に対しては、どうする術も知らない文化の中の英雄たり豪傑だった。
だから、その恐れを除いては、彼等は黄土の大陸の上に、人智人力の及ぶかぎりな建設もしたり、またたちまち破壊し去ったり情痴と飽慾をし尽くしたり、自解して腐敗を曝したり、戦ったり、和したり、歓楽に驕ったり、惨たる憂き目に漂ったり――一律の秩序あるごとくまた、まったく無秩序な自由の野民のごとく――実に古い歴史のながれの中に治乱興亡の人間生態図を描いて来ているのであるが、そういう長い経験の下に、自然、根づよく恐れ信じられて来たものは、ただ――人間は運命の下にある。
という事だった。
運命は、人智ではわからないが、天は知っている。自然は予言する。
天文や易理は、それがために、最高な学問だった。いやすべての学問――たとえば政治、兵法、倫理までが、陰陽の二元と、天文地象の学理を基本としていた。
曹操は、謹んで、天子へ奏した。
「――臣、ふかく思いますに、洛陽の地は、かくのごとく廃墟と化し、その復興とて容易ではありません。それに将来、文化の興隆という上から観ても、交通運輸に不便で、地象悪しく、民心もまた、この土を去って再びこの土を想い慕っておりません」
曹操はなお、ことばを続け、
「それに較べると、河南の許昌は、地味豊饒です。物資は豊富です。民情も荒んでいません。もっといい事には、彼の地には城郭も宮殿も備わっています。――故に、都を彼の地へお還しあるように望みます。――すでに、遷都の儀仗、御車も万端、準備はととのっておりますから」
「............」
帝はうなずかれたのみである。
群臣は、唖然としたが、だれも異議は言いたてない。曹操が恐いのである。また、曹操の奏請も、手際がいい。
ふたたび遷都が決行された。
警固、儀仗の大列が、天子を護って、洛陽を発し、数十里ほど先の丘にかかった時であった。
漠々の人馬一陣、
「待てッ。曹操っ」
「天子を盗んでどこへ行く......」
と、呼ばわり、呼ばわり、猛襲して来た。
楊奉、韓暹の兵だった。中にも楊奉の臣、徐晃は、
「木ッ端武者に、用はない。曹操に見参......」
と、大斧をひっさげて、馬に泡をかませて向かって来た。
「やあ、許褚許褚。――あの餌は汝にくれる。討ち取って来い」
曹操が、身をかわして命じると許樽は、その側から鷲のごとく立って、徐晃の馬へ自分の馬をぶつけて行った。
五
徐晃も絶倫の勇。
許褚もまた「当代の樊噲」とゆるされた万夫不当である。
「好敵手。いで!」と、槍を舞わして、許褚が挑めば徐晃も、大斧をふるって、
「願うところの敵、中途にて背後を見せるな」と、豪語を放った。
両雄は、人交ぜもせず、五十余合まで戦った。馬は馬体を濡れ紙のように汗でしとどにしても、ふたりは戦い疲れた風もなかった。
「――いずれが勝つか?」
しばしがほどは、両軍ともにひそまり返って見てしまった。すばらしい生命力と生命力の相搏つ相は魔王と獣王の咆哮し合うにも似ていた。またそれはこの世のどんな生物の美しきも語るに足りない壮絶なる「美」でもあった。
遙かに、見まもっていた曹操は、なに思ったか突然、「鼓手っ、銅鑼を打て」と、命じた。
口忙しくまた、「退き銅鑼だぞ」と、追い足した。「はっ」と、鼓手は揃って、退け――! の銅鑼を打ち鳴らした。
何事が降って湧いたかと、全軍は陣を返し、もちろん、許褚も敵を捨てて帰って来た。
曹操は、許裾を始め、幕僚を集めて言った。
「諸君は不審に思ったろうが、にわかに銅鑼を鳴らしたのは、実は、徐晃という人間を殺すに忍びなくなったからだ。――われ今日、徐晃を見るに、真に稀世の勇士だ、大方の大将としても立派なものだ。敵とはいえ、あたら、ああいう英材をこんな無用の合戦に死なせるのは悲しむべきことだ。――わが願うところは、彼を招いて、味方にしたいのだが、だれか徐晃を説いて、降参させる者はないか」
すると、一名、
「私に仰せつけ下さい」
と、進んでその任に当たろうという者が現われた。山陽の人、満寵字を伯撃という者だ。
「満寵か。――よかろう。そちに命じる」
曹操はゆるした。
満寵はその夜、ひとり敵地へまぎれ入り、徐晃の陣をそっと窺った。
木の間洩る月光の下に、徐晃は甲も解かず、帳を展べて坐っていた。
「......だれだっ。それへ来て、窺っている者は」
「はっ......。お久しぶりでした。徐晃どの、おつつがもなく」
「オオ。満寵ではないか。――どうしてこれへ来たか」
「旧交を思い出して、そぞろお懐かしさのあまりに」
「この陣中、敵味方と分かれた以上は、旧友とて」
「あいや。それ故にこそ、特に私が選ばれて、大将曹操から密々にお旨をうけて忍んで来たわけです」
「えっ、曹操から?」
「きょうの合戦に、曹操第一の許褚を向こうに廻して、あなたの目ざましい働き振りを見られ、曹将軍には、心からあなたを惜しんで、にわかに、退け銅鑼を打たせたものです」
「ああ......そうだったか」
「なぜ、御身ほどな勇士が楊奉のごとき、暗愚な人物を、主と仰いでおられるのか、人生は百年に足らず。汚名は千載を待つも取り返しはつきませんぞ。良禽は木を選んで棲むというのに」
「いやいや、自分とても、楊奉の無能は知っているが、主従の宿縁今さらどうしようもない」
「ないことはありません」
満寵はすり寄って、彼の耳に何かささやいた。徐晃は、嘆息して、
「――曹将軍の英遇はかねて知っているが、さりとて、一日でも主と恃んだ人を首として、降服して出る気にはなれん」
と、顔を横に振った。
両虎競食の計
一
楊奉の部下が、
「徐晃が今、自分の慕舎へ、敵方の者をひき入れて何か密談しています」
と、彼の耳へ密告した。
楊奉は、たちまち疑って、
「引っ捕らえて糺せ」と、数十騎を向けて、徐晃の慕舎をつつみかけた。すると、曹操の伏勢が起こって、それを追い退け、満寵は徐晃を救い出して、共に、曹操の陣へ逃げて来た。
曹操は、望みどおり徐晃を味方に得て、
「近来、第一の歓びだ」と、言った。
士を愛する事、女を愛する以上であった曹操が、いかに徐晃を優遇したか言うまでもなかろう。
楊奉、
韓暹のふたりは、奇襲を試みたが、徐晃は敵方へ走ってしまったし、
所
、勝ち目はないと見たので、
南陽(河南省)へと落ちのび、そこの
袁術を頼って行った。
――かくて、帝の御車と、曹操の軍は、やがて許昌の都門へ着いた。
ここには、旧い宮門殿閣があるし、城下の町々も備わっている。曹操はまず、宮中を定め、宗廟を造営し、司院官衙を建て増して、許都の面目を一新した。
同時に、
旧臣十三人を列侯に封じ、自身は、
大将軍武平侯
という重職に坐った。
また董昭は――さきに、帝の勅使として来て曹操にその人品を認められていた彼の董昭公仁は――この際一躍、洛陽の令に登用された。
許都の令には、功によって、満寵が抜擢された。
荀彧は、侍中尚書令。
荀攸は、軍師に。
郭嘉は、司馬祭酒に。
劉嘩は、司空曹掾に。
催督は、銭料使に。
夏侯惇、夏侯淵、曹仁、曹洪など直臣中の直臣は、それぞれ将軍にのぼり、楽進、李典、徐晃などの勇将はみな校尉に叙せられ、許褚、典韋は都尉に挙げられた。
多士済々、曹操の権威は、自から八荒に振った。
彼の出入りには、常に、鉄甲の精兵三百が、弓箭戟光を燦めかせて流れた。――それにひきかえて、故老の朝臣は名のみ、大臣とか元老とかいわれても、日ましに影は薄れて行った。
また、それらの人々も、今はまったく曹操の羽振りに慴伏して、いかなる政事も、まず曹操に告げてから、後に、天子へ奏するという風に慣わされて来た。
「ああ。――一人を除けばまた一人が興る。漢家の御運もはや西に入る陽か」
嘆く者も、それを声には出さないのである。――ただ無力なにぶい瞳のうちに哭いて、木像のごとく帝の側に佇立しているだけだった。
× × ×
軍師、謀士。
そのほか、錚々たる幕僚の将たちが、痛烈に会飲していた。
真ン中に、曹操がいた。面上、虹のごとき気宇を立って、大いに天下を談じていたが、たまたま劉備玄徳のうわさが出た。
「あれも、いつのまにか、徐州の太守となりすましているが、聞くところによると、呂布を小沛に置いて扶持しているそうだ。――呂布の勇と、玄徳の器畳が、結びついているのは、ちと将来の憂いかと思う。もし両人が一致して、力をこっちへ集中して来ると、今でもちとうるさい事になる。――なにか、未然にそれを防止する策はないか」
曹操が言うと、
「いと易い事。それがしに精兵五万をおさずけ下さい。呂布の首と、玄徳の首を、鞍の両側に吊るし帰って来ます」と、許褚が言った。
すると、だれか笑った。
「ははははは。酒瓶ではあるまいし......」
荀彧である。
笑った唇へ、酒を運びながら、謀士らしい細い眼の隅から、許褚をながめて言ったのである。
二
荀彧に嗤われて、許褚は口をつぐんでしまった。彼は自分がまだ、智者の間に伍しては、一野人にすぎない事を知っていた。
「だめでしょうか、私の策は」
「吾のいうことは、策でもなんでもない。ただ、勇気を口に現わしただけのものだ。玄徳、呂布などという敵へ、そういう浅慮な観察で当たるのは危険至極というものだ」
曹操は、面を向け更えて、
「荀彧。――ではそちの考えを聞こうじゃないか。なにか名案があるか」
「ないこともありません」
荀彧は、胸を正した。
「今のところ――ここしばらくは、私は不戦論者です。なぜなら、遷都のあと、宮門その他、容はやっと整えましたが、莫大な建築、兵備施設などに、多くを費やしたばかりのところですから」
「む、む......して」
「ですから、玄徳、呂布に対しては、どこまでも外交的な手腕をもって、彼等を自滅に導くをもって上策とします」
「それは同感だ。――偽って彼等と交友を結べというか」
「そんな常套手段では、むしろ玄徳に利せられる惧れがあります。それがしの考えているのは、二虎競食の計という策略です」
「二虎競食の計とは」
「たとえば、ここに二匹の猛虎が、各々、山月に嘯いて風雲を待っていると仮定しましょう。二虎、共に飢えています。よって、これにほかから香ばしい餌を投げ与えてごらんなさい。二虎は猛然、本性をあらわして咬みあいましょう。必ず一虎は仆れ、一虎は勝てりといえども満身痍だらけになります。――かくて二虎の皮を獲ることは極めて容易となるではございませんか」
「むむ。いかにも」
「――で、劉玄徳は、今徐州を領しているものの、まだ正式に、詔勅をもってゆるされてはおりません、それを餌として、この際、彼に勅を下し、併せて、密旨を添えて、呂布を殺せと命じるのです」
「あ。なるほど」
「それが、玄徳の手によって完全に為されれば、彼は自分の手で、自分の片腕を断ち切ることになり――万一、失敗して、手を焼けば、呂布は怒って、必ずあの暴勇をふるい、玄徳を生かしてはおかないでしょう」
「うむ!」
曹操は、大きく頷いたのみで、後の談話はもうそのことに触れなかった。
が、彼の肚はきまっていたのである。それから数日の後には、帝の詔勅を乞うて、勅使が、徐州へ向かって立った。同時に、その使者が曹操の密書をも併せて携えて行ったことは想像に難くない。
徐州城に、勅使を迎えた劉玄徳は、勅拝の式がすむと、使者を別室にねぎらって、自身は静かに、平常の閣へもどってきた。
「なんであろうか」
玄徳は、使者からそっと渡された曹操の私書を、早速、そこで披いて見た。
「......呂布を?」
彼は眼をみはった。
何度も、繰り返し繰り返し読み直していると、後ろに立っていた張飛、関羽のふたりが、
「何事を曹操から言ってよこしたのですか」と、訊ねた。
「まあ、これを見るがいい」
「呂布を殺せという密命ですな」
「そうじゃ」
「呂布は、兇勇のみで、もともと義も欠けている人間ですから、曹操のさしずをよい機として、この際、殺してしまうがよいでしょう」
「いや、彼は恃む所がなくて、わが懐に投じて来た窮鳥だ。それを殺すは、飼禽を縊るようなもの。玄徳こそ、義のない人間といわれよう」
「――が、不義の漢を生かしておけば、ろくなことはしませんぞ。国に及ぼす害は、だれが責めを負いますか」
「次第に、義に富む人間となるように、温情をもって導いてゆく」
「そうやすやす、善人になれるものですか」
張飛は、あくまでも、呂布討つべしと主張したが、玄徳は、従う色もなかった。
すると翌日、その呂布が、小沛から出て来て登城した。
三
呂布は、なにも知らない様子であった。
彼はただその日、劉備玄徳に勅使が下って、正式に徐州の牧の印綬を拝したと聞いたので、その祝辞をのベるために、玄徳に会いに来たのである。
で――しばらく玄徳とはなしていたが、やがて辞して、長い廊を悠然と退がって来ると、
「待てっ。呂布」と、物陰で待ちかまえていた張飛が、その前へ躍り立って、
「一命は貰ったッ」
と、言うや否、大剣を抜き払って、呂布の長軀をも、真っ二つの勢いで斬りつけて来た。
「あっ」
呂布の沓は、敷き詰めてある廊の瓦床を、ぱっと蹴った。さすがに油断はなかった。七尺近い大きな体軀も、軽々と、後ろに跳び交わしていた。
「貴様は張飛だなっ」
「見たらわかろう」
「なんで俺を殺そうとするか」
「世の中の害物を除くのだ」
「どうして、俺が世のなかの、害物か」
「義なく、節なく、離反常なく、そのくせ、生半可な武力のある奴。――ゆく末、国家のためにならぬから、殺してくれと、家兄玄徳のところへ、曹操から依頼が来ている。それでなくても平常から汝はこの張飛から見ると、傲慢不遜で気にくわぬところだ。覚悟をしちまえ」
「ふざけるなっ。貴様ごときに俺が、この首を授けてたまるか」
「あきらめの悪いやつが」
「待てっ、張飛」
「待たん」
戞然と、二度目の剣が、空間に鳴った。
斬り損ねたのである。
だれか、うしろから張飛の肱を抑えて、抱き止めた者があったからである。
「ええいッ、だれだっ。邪魔するな」
「これっ、鎮まらぬかっ。愚か者めが」
「あっ。家兄か」
玄徳は、声を励まして、
「だれが、いつ、そちに向かって、呂布どのを殺せといいつけたか。呂兄はこの玄徳にとっては、大切な客分である。わが家の客に対して、剣を用いるのは、玄徳に対して戟を向けるも同じであるぞ」と、叱りつけた。
「ちぇっ。こんな性根の悪い食客を、兄貴は一体、なんの弱味があってそうまで大事がるのか料簡がわからない」
「だまれ、無礼な」
「だれにですか」
「呂布どのに対して」
「なにをっ......ばかな」
張飛は横へ唾を吐いた。しかし玄徳に対しては、絶対に弟であり目下であるということを忘れない彼である。――じっと家兄に睨みつけられると、不平満々ながら、やがて沓音を鳴らして立ち去ってしまった。
「おゆるし下さい。......あのとおりな駄々ッ児です。まるで子どものように単純な漢ですから」
張飛の乱暴を詫び入りながら、玄徳はもう一度、自分の室へ呂布を迎え直して、
「今、張飛が申したことばの中、曹操からあなたを刺せと密命があったという事だけはほんとです。――が、私にはそんな意志がないし、また、要らざることを、あなたの耳へ入れてもと考えて、黙殺していたわけですが、お耳に入ったからには、明らかにしておきましょう」
と、曹操から来た密書を、呂布に見せて、疑いを解いた。
呂布も、彼の誠意を感じたと見えて、
「いやよくわかった。察するところ、曹操は、あなたと自分との仲を裂こうと謀ったのでしょう」
「そのとおりです」
「呂布を信じて下さい。誓って呂布は、不義をしません」
呂布はかえって感激して退がった。――その様子を、密かに窺っていた曹操の使者は、
「失敗だ。これでは、二虎競食の計もなんの意味もない」
と、苦々しげに呟いていた。
禁酒砕杯の約
一
張飛は、不平で堪らなかった。――呂布が帰るに際して、玄徳が自身、城門外まで送りに出た姿を見かけたので、なおさらのこと、
「御ていねいにも程がある」と、業腹が煮えて来たのであった。
「家兄。お人よしも、度が過ぎると、馬鹿の代名詞になりますぞ」
その戻る所を摑まえて、張飛は、さっき貰った叱言へ熨斗をつけて言い返した。
「ほう、張飛か。なにをいつまで怒っているのか」
「なにをッて、あまりと言えば、歯がゆくて、馬鹿馬鹿しくて、腹を立てる張りあいもない」
「ならば、そちの言うとおり、呂布を殺したらなんの益がある」
「後の患いを断つ」
「それは、目先の考えというものだ。――曹操の欲するところは、呂布と我とが血みどろの争いをするにある。両雄並び立たず――という陳腐な計を仕掛けて来たのじゃ。それくらいな事がわからぬか」
側にいた関羽が、
「ああ。御明察......」
と、手を打って賞めてしまったので、張飛はまたも言い返すことばに窮してしまった。
玄徳はまた、そのあくる日、勅使の泊まっている駅館へ答礼に出向いて、
「呂布についての御内命は、事にわかには参りかねます。いずれ機を図って命を果たす日もありましょうが、今しばらくは」と、仔細は書面にしたためて、謝恩の表と共に、使者へ託した。
使者は、許都へ帰った。そして有りのまま復命した。
曹操は荀彧をよんで、
「どうしたものだろう。さすがは劉玄徳、うまくかわして、そちの策には懸からぬが」
「では、第二段の計を巡らしてごらんなさい」
「どうするのか」
「袁術へ、使いを馳せて、こう言わせます。――玄徳、近ごろ天子に奏請して、南陽を攻め取らんと願い出ていると」
「むム」
「また、一方、玄徳が方へも、再度の勅使を立て――袁術、朝廷に対して、違勅の科あり、早々、兵を向けて南陽を討つべしと、詔をもって、命じます。正直真っ法の玄徳、天子の命とあっては、違背することはできますまい」
「そして?」
「

へ向かって、
虎を
けしかけ、虎の穴を留守とさせます。――留守の
餌を
窺う
狼が何者か、すぐお察しがつきましょう」
「呂布か! なるほど、あの漢には狼性がある」
「駆虎呑狼の計です」
「この計は外れまい」
「十中八九までは大丈夫です。――なぜならば、玄徳の性質の弱点を衝いておりますからな」
「うム。......天子の御命をもってすれば、身うごきのつかない漢だ。さっそく運ぶがいい」
南陽へ、急使が飛んだ。
一方、それよりも急速に、二度目の勅使が、徐州城へ勅命をもたらした。玄徳は、城を出て迎え、詔を拝して、後に、諸臣に諮った。
「また、曹操の策略です。決してその手に乗ってはいけません」
糜竺は、諫めた。
玄徳は沈湎と考えこんでいたが、やがて面を上げると、
「いや、たとえ計であっても、勅命とあっては、違背はならぬ。すぐ南陽へ進軍しよう」
弱点か、美点か。
果たして彼は、敵にも見抜かれていたとおり、勅の一語に、身うごきがつかなかった。
二
玄徳の決意は固い。
糜竺をはじめ諸臣は、皆それを知ったので口をつぐんだ。
孫乾が言い出した。
「どうしても、勅を奉じて、南陽へ御出陣あるならば、第一に、後の用心が肝要でありましょう。だれに徐州の留守をおあずけなさいますか」
「それがだ」と玄徳も熟考して、
「関羽か張飛のうちのいずれか一名を残して行かねばなるまい」
関羽は、進み出て、
「願わくは、それがしに仰せつけ下さい。後顧の憂いなきよう必ず留守しておりまする」
と、自薦して出た。
「いやいや、其方なら安心だが、其方は、朝夕事を議すにも、また何かにつけても、玄徳の側に無くてはならぬ者。......はて、だれに命じたものか?」
と、玄徳が沈思していると、つと、張飛は一歩進み出して、例のように快然と言った。
「家兄。この徐州城に人も無きように、なにを御思案あるか。不肖、張飛もこれに在る。それがしここに留まって死守いたそう。安んじて御出馬ねがいたい」
「いや、其方には恃み難い」
「なぜで御座るか」
「そちの性は、進んで破るにはよいが、守るには適しない」
「そんなはずは御座らん。張飛のどこが悪いと仰せあるか」
「生来、酒を好み、酔えば、猥りに士卒を打擲し、すべてに軽率である。もっとも悪いのは、そうなると、人の諫めも聞かぬことだ。――其方を留めておいては、玄徳もかえって心懸かりでならん。この役は、他の者に申しつけよう」
「あいや、家兄。その御意見は胆に銘じ、自分も平素から反省しているところでござる。......そうだ、こういう折こそいい時ではある。今度の御出馬を機会として、張飛は断じて酒をやめます。――杯を砕いて禁酒する!」
彼は常に所持している白玉の杯を、一同の見ている前で、床に投げつけて打ち砕いた。
その杯は、どこかの戦場で、張飛が分捕った物である。敵の大将でも落として行ったものか、夜光の名玉を磨いたような馬上杯で、(これ、天より張飛に賜うところの、一城にも優る恩賞なり)と言って、常に肌身離さず持って、酒席とあれば、それを取り出して、愛用していた。
酒を解さない者には、一箇の器物でしかないが、張飛にとっては、わが子にも等しい愛着であろう。その上に、禁酒の約を誓言したのである。その熾烈な心情に打たれ、玄徳はついにこう言って彼を許した。
「よくぞ申した。そちが自己の非を知って改めるからには、なんで玄徳も患いを抱こう。留守の役は、そちに頼む」
「ありがたく存じます。以後はきっと、酒を断ち、士卒を憐れみ、よく人の諫めに従って、粗暴なきようにいたしまする」
情に感じ易い張飛は、玄徳の恩を謝して、心からそう答えた。すると糜竺が、
「そうは言うが、張飛の酒狂いは、二つの耳のごとく、生まれた時から持っている性質、すこし危ないものだな」と、冷やかした。
張飛は怒って、
「何をいう。いつ俺が、俺の家兄に、信を裏切ったことがあるか」と、もう喧嘩腰になりかけた。
玄徳は宥めて、留守中は何事も堪忍を旨とせよと訓え、また、陳登を軍師として、
「万事、よく陳登と談合して事を処するように」
と言いのこし、やがて自身は、三万余騎を率いて、南陽へ攻めて行った。
三
今、河南の地、南陽にあって、勢い日増しに盛大な袁術は、かつて、この地方に黄巾賊の大乱が蜂起した折の軍司令官、袁紹の弟にあたり、名門袁一族中では、最も豪放粗剛なので、閥族のうちでも恐れられていた。
「許都の曹操から急使が参りました」
「書面か」
「はっ」
「使者を犒ってやれ」
「はっ」
「書面をこれへ」
袁術は、披いて見ていたが、
「近習の者」
「はい」
「即時、城中の紫水閣へ、諸将に集まれと伝えろ」
袁術は気色を変えていた。
城内の武臣文官は、
「何事やらん?」と、ばかりに、蒼惶として、閣に詰め合った。
袁術は、曹操から来た書面を、一名の近習に読み上げさせた。
劉玄徳、天子に奏し
年来の野望を遂げんと
南陽侵略の許しを朝に請う
君と予とは
また、年来の心友
何ぞ黙視し得ん
ひそかに、急を告ぐ
乞う
油断あるなかれ
「聴かれたか。一同」と、次に袁術は声を大にし、面に朱をそそいで罵った。
「玄徳とは何者だっ。つい数年前まで、履を編み蓆を売っていた匹夫ではないか。先ごろ、猥りに徐州を領して、私かに太守と名のり、諸侯と列を同じゅうするさえ奇怪至極と思うていたに、今また、身の程も弁えず、この南陽を攻めんと企ておるとか。――天下の見せしめに、すぐ兵を向けて踏みつぶしてしまえ」
令が下ると、
「行けや、徐州へ」と、十万余騎は、その日に南陽の地を立った。
大将は、紀霊将軍だった。
一方、南下して来た玄徳の軍も、道を急いで来たので、両軍は臨淮郡の旴眙(安徽省・臨淮関東方)というところで、果然、衝突した。
紀霊は、山東の人で、力衆にすぐれ、三尖の大刀をよく使うので勇名がある。
「匹夫玄徳、なにとて、わが大国を侵すか。身の程を弁えよ」
と、陣頭へ出て呼ばわると、
「勅命、わが上にあり。汝等好んで逆賊の名を求めるか」
と、玄徳も言い返した。
紀霊の配下に荀正という部将がある。馬を駆って、躍り出し、
「玄徳が首、わが手にあり」
と、喚きかかった。
横合いから、関羽が、
「うぬっ、わが君へ近づいたら眼が眩むぞ」と、八十二斤の青龍刀を舞わして遮った。
「下郎っ、退けっ」
「汝ごときを、相手になされるわが君ではない。いざ来い」
「何を」
荀正は、関羽につりこまれて、つい玄徳を逃がしてしまったばかりでなく、勇奮猛闘、汗みどろにかかっても、ついに、関羽へ掠り傷一つ負わせることができなかった。
戦い戦い浅い河の中ほどまで二騎は縺れ合って来た。関羽は、面倒くさくなったように、
「うおうーッ」
と、獅子吼一番して、青龍刀を高く振りかぶると、ざぶんと、水しぶき血しぶき一つの中に、荀正を真二つに斬り捨てていた。
荀正が討たれ、紀霊も追われて、南陽の全軍は潰走しだした。淮陰のあたりまで退いて、陣容を立て直したが、玄徳侮り難しと思ったか、それからは矢戦にのみ日を送って、にわかに、押して来る様子も見えない。
四
さてまた。
留守城の徐州では、
「者ども、警備を怠るな」と、張飛は張り切って、日夜、望楼に立ち、家兄玄徳の軍旅の苦労を偲んで、自分も軍衣を解いて牀に長々と寝るということもなかった。
「さすがは張将軍である」と、留守の将士も服していた。彼の一手一足に軍律は守られていた。
きょうも彼は、城内の防塁を見廻った。皆、よくやっている。城中でありながら士卒も部将も、野営同様に、土に臥し、粗食に甘んじている。
「感心感心」
彼は、士卒の中を、賞め歩いていた。――が、その感覚を、張飛は、言葉だけで、世辞のように振り撒いて歩いているのは、なんだか気がすまなくなった。
「弓も弦を懸けたままにしておいては、弛んでしまう。稀には、弦を外して、暢びるのもよい事だ。その代わり、いざとなったらすぐピンと張れよ」
こう言って、彼は、封印しておいた酒蔵から、大きな酒瓶を一箇、士卒に担わせて来て、大勢の真ん中へ置いた。
「さあ飲め、毎日、御苦労であるぞ。――これはその方どもの忠勤に対する
褒美だ。仲よく

みわけて、今日は一
献ずつ飲め」
「将軍、よろしいのですか」
部将は、怪しみ、かつ、惧れた。
「よいよい、おれが許すのだ。さあ卒ども、ここへ来て飲め」
もとより士卒たちは、雀躍りしてみなそこに集まった。――だが、それを眺めて、少しぼんやりしている張飛の顔を見ると、何か悪い気がして、
「将軍は、お飲りにならないのですか」と、訊ねた。
張飛は、首を振って、
「おれは飲まん、おれは杯を砕いておる」と、立ち去った。
しかし、他の屯へ行くと、そこにも不眠不休の士卒が、大勢、城壁を守っているので、
「ここへも一瓶持って来い」
また、酒蔵から運ばせた。
あちらの兵へも、こちらの兵へも、張飛は、平等に飲ませてやりたくなった。酒蔵の番をしている役人は、
「もう十七瓶も出したから、これ以上はおひかえ下さい」と、

に封をしてしまった。
城中は、酒のにおいと、士卒たちの喊声に賑わった。どこへ行っても芬々と匂う。張飛は、身の置き所がなくなった。
「お一杯くらいはよいでしょう」
士卒のすすめたのを、つい手にして舌へ流しこむと、もう堪らなくなったものか、
「こらこらっ。その柄杓で、それがしにも一杯よこせ」
と、渇いている喉へ水でも流しこむように、がぶがぶ、立て続けに二三杯飲んでしまった。
「なに酒蔵役人がもう渡さんと。――ふ、ふ、不埒なことを申すやつだ。張飛の命令であると言って持って来い。もし、否の応のと言ったら、一小隊で押し襲せて、酒蔵を占領してしまえ。......あはははは」
幾つかの酒瓶を転がして、自分の肚も酒瓶のようになると、彼はしきりと、
「わははは。いや愉快愉快。だれか勇壮な歌でも唄え。その方どもがやったら俺もやるぞ」
酒蔵役人の注進で、
曹
が、びっくりして駆けつけて来た。見ればこの
態たらくである。――
唖然として
呆れ
顔していると、
「やあ、曹

か。どうだ、君も一杯やらんか」
張飛が酒柄杓をつきつけた。
曹

は、振り払って、
「これ! 貴公はもう忘れていたのか。あれほど広言した誓約を」
「なにをぶつぶつ言う。まあ一杯やり給え」
「馬鹿なっ」
「なに。馬鹿なとはなんだっ。この芋虫めッ」
いきなり酒柄杓で、曹

の顔を
撲りつけ、あッと驚くまに、足を上げて
蹴倒した。
五
曹

は、
勃然と怒って、
「おのれ、なにとて我を辱めるか。よくも衆の前で蹴ったな」
起き直って、つめ寄った。
張飛は、その顔へ、虹のような酒の息を吐きかけて、
「蹴仆したが悪いか。汝は文官だろう。文官のくせに、大将たる俺に向かって、猪口才なことを申すから懲らしめたまでだ」
「友の忠言を」
「貴様のような奴はわが友ではない。酒も飲めぬくせに」
と、また、
鉄
をふり上げて曹

の顔を
撲りとばした。
見るに見かねて、兵卒たちが、張飛の腕につかまったり腰にたかったりして止めようとしたが、
「ええい、うるさい」と、一揺り体を振ると、みな振り飛ばされてしまった。
「わははははは、逃げやがった。見ろ、見ろ、曹

のやつが、俺に撲られた顔を抱えて逃げてゆく
態を、ああ愉快、あいつの顔はきっと、
樽のように
膨れあがって、今夜一晩じゅう
唸って寝るにちがいない」
張飛は、手をたたいた。
そして兵隊を相手に、角力を取ろうと言い出したが、だれも寄りつかないので、
「こいつら、俺を

うのか」と、大手をひろげて、逃げ
廻る兵を追いかけまわした。まるで、鬼と子供の遊戯の図でも見るように。
一方の曹

は、熱をもった顔を抱えて、どこやらへ姿を隠してしまったが、「......ウウム、無念だ」と、顔のずきずき痛むたびに、張飛に対する恨みが
骨髄にまで
沁みてきた。
「どうしてやろう?」
ふと、彼は怖ろしい一策を思いついた。早速、密書を認めて、それを自分の小臣に持たせて、密かに、小沛の県城へ走らせた。
小沛までは、幾らの道程もない。徒歩で走れば二刻、馬で飛ばせば一刻ともかからない。およそ四十五里(支那里)の距離であった。
ちょうど、呂布は眠りについたばかりのところだった。
そこへ腹心の
陳宮が
曹
の
小臣から事情を聞きとって、密書を手に、入って来た。
「将軍、お起きなさい。――将軍将軍、天来の吉報ですぞ」
「だれだ。......眠い。そう揺り起こすな」
「寝ている場合ではありません。蹶起すべき時です」
「なんだ......陳宮か」
「まあ、この書面を御一読なさい」
「どれ......」と、ようやく身を起こして、曹

の密書を見ると、今徐州の城は張飛一人が守っているが、その張飛も今日はしたたかに酒に酔い、城兵もことごとく酔い乱れている。明日も待たず兵を催して、この授け物を受けに参られよ。曹

、城内より門を開いて呼応
仕らん――とある。
「天の与えとはこのことです。将軍、すぐお支度なさい」
陳宮が急きたてると、
「待て待て。いぶかしいな。張飛はこの呂布を目の敵にしている漢だ。俺に対して油断するわけはないが」
「何を迷うておられるのです。こんな機会を逸したら、二度と、風雲に乗ずる時はありません」
「大丈夫かな?」
「常のあなたにも似合わぬ事だ。張飛の勇は恐るべきものだが、彼の持ち前の酒狂は、もってこの方の乗ずべき間隙です。こんな機会をつかめぬ大将なら、私は涙をふるってあなたの側から去るでしょう」
呂布もついに意を決した。
赤兎馬は、久しぶりに、鎧甲大剣の主人を乗せて、月下の四十五里を、尾を曳いて奔った。
呂布につづいて、呂布が手飼いの兵およそ、八、九百人、馬やら徒歩やら、押っとる獲物も思い思いに我れおくれじと徐州城へ向かって馳けた。
六
「開門! 開門っ」
呂布は、城門の下に立つと、大声でどなった。
「戦場の劉使君より火急の事あって、それがしへ使いを馳せ給う。その議に就いて、張将軍に計ることあり。ここを開けられよ」と、打ち叩いた。
城門の兵は、楼から覗いたが、なにやら様子がおかしいので、
「一応、張大将に伺ってみた上でお開け申す、しばらくそれにてお控えあれ」
と、答えておいて、五、六人の兵が、奥へ告げに行ったが、張飛の姿が見あたらない。
その間に、城中の一部から、思いもよらぬ
喊の声が起こった。曹

が、裏切りを始めたのである。
城門は内部から開かれた。
「――それっ」と、ばかり呂布の勢は、潮のごとく入って来た。
張飛は、あれからもだいぶ飲んだとみえて、城郭の西園へ行って酔いつぶれ、折ふし夕方から宵月もすばらしく冴えていたので、
――ああいい月だ!
と、一言、独り語を空へ吐いたまま前後不覚に眠っていたのであった。
だから幾ら望楼の上だの、彼の牀のある閣などを兵が探しまわっても、姿が見えないはずだった。
そのうちに、
「......やっ?」
喊の声に、眼がさめた。――剣の音、戟のひびきに、愕然と突っ立ち上がった。
「しまッた!」
猛然と、彼は、城内の方へ馳け出して行った。
が、時すでに遅し――
城内は、上を下への混乱に陥っている。足につまずく死骸を見れば、みな城中の兵だった。
「うぬ、呂布だなっ」
気がついて、
駒にとび乗り、丈八の
大矛をひッ
提げて広場へ出てみると、そこには
曹
に従う裏切者が呂布の軍勢と協力して、魔風のごとく働いていた。
「目にもの見せむ」と、張飛は、血しおをかぶって、薙ぎまわったが、いかんせん、まだ酒が醒めきっていない。大地の兵が、天空に見えたり、天空の月が、三ツにも四ツにも見えたりする。
いわんや、総軍の纏まりはつかない。城兵は支離滅裂となった。討たれる者より、討たれぬ前に手をあげて敵へ降服してしまう者の方が多かった。
「逃げ給え」
「ともあれ一時ここを遁れて――」と、張飛を取り囲んだ味方の部将十八騎が、無理やりに彼を混乱の中から退かせ、東門の一カ所をぶち破って、城外へ逃げ走って来た。
「どこへ行くのだっ。――どこへ連れて行くのだ」
張飛は、喚いていた。
まだ酒の気が残っていて、夢でも見ているような心地がしているものとみえる。
すると、後ろから、
「やあ、卑怯だぞ張飛、返せ返せっ」と、百余騎ばかりを従えて、追いかけて来る将があった。
さきの恨みをそそがんと、腕ききの
兵ばかりを
選りすぐって、追いつつみに来た曹

であった。
「何を」
張飛は、引っ返すや否、その百余騎を枯れ葉のごとく
蹴ちらして、逃げる曹

を、真二つに
斬りさげてしまった。
血は七尺も噴騰して月を黒い霧にかすめた。満身の汗となって、一斗の酒も発散してしまったであろう張飛は、ほっとわが姿を見まわして、
「ああ!」
急に泣き出したいような顔をした。
母と妻と友
一
呂布は、呂布らしい爪牙をあらわした。猛獣はついに飼い主の手を咬んだのである。
けれど彼は元来、深慮遠謀な計画の下にそれをやり得るような悪人型ではない。猛獣の発作のごとく至って単純なのである。慾望を達した後は、密かに気の小さい良心にさえ咎められているふうにさえ見える。
それかあらぬか、彼は、徐州城を占領すると、即日城門の往来や町の辻に、次のような高札など建てて、自身に言い訳をしていた。
公 布
われ久しく玄徳が恩遇を享く。今、是のごとしと雖も、忘恩無情の挙にあらず、城中の私闘を鎮め、利敵の徒を追い、征後の禍根を除きたるまでなり。それ軍民ともに速やかに平日の務めに帰し、予が治下に安んぜよ。
呂布はまた、自身、城の後閣へ臨んで、
「婦女子の捕虜を手荒にいたすな」と、兵士たちを戒めた。
後閣には、玄徳の家族たちが住んでいた。しかし、落城と共に、召使いの婦女子を除いて、その余の主なる人々はみな逃げ落ちたことであろうと思っていたところ、意外にも、奥まった灰暗い一室に、どこか気品のある老母と若い美婦人と幼児たちが、一かたまりになって、じっと、佇んでいるのを見出した。
「お......。おん身等は、劉玄徳の家族たちか」
呂布は、すぐ察した。
ひとりは玄徳の母。
その傍らにあるのは夫人。
手をひいている幼児たちは玄徳の子であろう。
「............」
老母は、なにも言わない。
夫人もうつろな眼をしている。
ただ、白い涙のすじが、その頰をながれていた。そして、――どうなることか?
と、恐怖しているもののごとく、無言のうちに、微かな顫きを、その青白い顔、髪の毛、唇などに見せていた。
「ははは、あははは」
呂布は突然笑った。
わざと、笑いを見せるために笑ったのであった。
「夫人。御母堂。――安心するがよい。わしは御身等のごとき婦女子を殺すような無慈悲な者ではない。......それにしても、主君の家族を捨てて、逃げ落ちた不忠な奴輩は、どの面下げて、玄徳にまみえるつもりか、いかに狼狽したとはいえ、見さげ果てた者どもではある」
呂布は、傲然と、そう呟きながら、部将を呼んで、いいつけた。
「玄徳の老母や妻子を、士卒百人で守らせておけ、猥りにこの室へ人を入れたりなどしてはならんぞ。また、護衛の者どもも、無慈悲なことのないようにいたせよ」
呂布はまた、そう言い渡してから、夫人と老母の姿を見直した。こんどは安心しているかと思ったからである。
――が、玄徳の母も、夫人の面も、石か珠のように、血の気もなく、また、何の表情も示さなかった。
涙のすじは、止めどなく、二つの面にながれている。そして物を言うことを忘れたように、唇をむすんでいた。
「安心せい。これで、安心したであろう」
呂布は恩を押し売りするように言ったけれど、夫人も老母もその頭を下げもしなかった。歓びや感謝の念とは似ても似つかない恨みのこもった眼の光が、涙の底から針のように、呂布の面を、じっと射ていた。
「そうだ。これから俺は忙しい身だ。――こらっ番士、きっと、護衛を申しつけたぞ」
呂布は、自分を誤魔化すように、そう言いちらして立ち去った。
二
さて、玄徳の方では、留守の徐州にそんな異変が起こったとは知るはずもなく、敵の紀霊を追って、その日、准陰の河畔へ陣をすすめていた。
黄昏ごろ――
関羽は部下を従えて、一巡り前線の陣地を見廻って戻って来た。
すると、歩哨の兵が、
「敵か」
「敵らしいぞ」と、野末の方へ、小手をかざして躁ぎ合っている。
見ると、なるほど、舂きかけた曠野の果てから、夕陽を負ってとぼとぼとこちらへ向かって来る一群れの人馬がある。
関羽も、怪訝しげに見まもっていたが、そのうちに、こちらから慥めるべく駆けて行った兵が、
「張大将だ。張飛どのと、他十八騎の味方がやって来られるのだ」と、大声で伝えて来た。
「何。......張飛が来た?」
関羽はいよいよ怪しんだ。ここへ来るわけのない彼が来たとすればこれは、――吉事でないに決まっている。
「何事が起こったのか?」
顔を曇らして待っていた。
ほどなく、張飛と十七、八騎の者は、落ち武者の姿もみじめに、それへ来て駒を下りた。
関羽は、彼の姿を見たとたんに、胸へずきと不吉な直感をうけた。いつもの張飛とは別人のようだからである。元気もない。ニコともしない。――あの豪放磊落な男が悄れ返って、自分の前に頭を下げているではないか。
「おい、どうしたんだ」
肩を打つと、張飛は、
「面目ない、生きて御身や家兄に合わせる顔もないんだが、......ともかく罪を謝すために、恥をしのんでこれまでやって来た。どうか、家兄に取り次いでくれい」と、力なく言った。
ともかくと、関羽は張飛を伴って玄徳の幕舎へ来た。玄徳も、
「え。張飛が見えたと?」
驚きの目で彼を迎えた。
「申しわけございません」
張飛は平蜘蛛のようにそれへ平伏して、徐州城を奪われた不始末を報告した。――あれほど誓った禁酒の約を破って、大酔した事も、正直に申し立てて面も上げず詫び入った。
「............」
玄徳は黙然としていたが、やがて訊ねた。
「ぜひもない。だが母上はどうしたか。わが妻子は無事か。母や妻子さえ無事ならば、一城を失うも時、国を奪わるるも時、武運だにあらばまたわれに回る時節もあろう」
「............」
「張飛。なぜ答えぬか」
「......はい」
張飛らしくもない蚊の啼くような声だ。彼は鼻をすすって泣きながら言った。
「愧死しても足りません。大酔していたため、ついその......後閣へ馳って、城外へお扶けする遑もなく」
聞くや否、関羽は急きこんで、
「では、御母堂も、御夫人も、御子様たちも、呂布の手にゆだねたまま、汝れひとり落ちて来たのかっ」
と赫となった。
「ああっ、この俺はどうしてこんな愚物に生まれて来たか、家兄おゆるし下さい。――関羽、嘲ってくれい」
張飛は、泣きながら、そう叫んで、二つ三つ自分の頭を自分の

で
撲りつけたが、それでもまだ「愚鈍なる我」に対して腹が

えないとみえて、やにわに剣を抜いて、自ら自分の首を
刎ね落とそうとした。
三
突然、剣を抜いて、張飛が自刃しようとする様子に、玄徳は、びっくりして、
「関羽。止めよっ」と、叫んだ。
あっと、関羽は、張飛の剣を奪り上げて、
「何をするっ。莫迦なっ」と、叱りつけた。
張飛は、身悶えして、
「武士の情けに、その剣で、この頭を刎ね落としてくれ。なんの面目あって生きていられようか」
と、慟哭した。
玄徳は、張飛のそばへ歩み寄って、病人を宥わるような言葉で言った。
「張飛よ。落ち着くがいい。いつまで返らぬ繰り言を言うのではない」
優しく言われて、張飛はなおさら苦しげだった。むしろ笞で打ッて打ッて打ちすえて欲しかった。
玄徳は膝を折って彼の手を握り取り、しかと、手に力をこめて、
「古人の言った言葉に――兄弟ハ手足ノ如ク、妻子ハ衣服ノ如シ――とある。衣服は綻ぶも是を縫えばまだ纏うに足る。けれど、手足はもしこれを断って五体から離したならいつの時か再び満足に一体となることができよう。――忘れたか張飛。われ等三人は、桃園に義を結んで、兄弟の杯をかため、同年同日に生まるるを求めず、同年同日に死なんと――誓い合った仲ではなかったか」
「......はっ。......はあ」
張飛は大きく鳴咽ながら頷いた。
「われら兄弟三名は、各々がみな至らないところのある人間だ。その欠点や不足をお互いに補い合ってこそ初めて真の手足であり一体の兄弟と言えるのではないか。そちも神ではない。玄徳も凡夫である。凡夫のわしが、何をもって、そちに神のごとき万全を求めようか。――呂布のために、城を奪われたのも是非のないことだ。またいかに呂布でも、なんの力もない我が母や妻子まで殺すような酷いこともまさか致しはすまい。そう嘆かずと、玄徳と共に、この後とも計をめぐらして、我が力になってくれよ。.........張飛、得心が参ったか」
「......はい。......はい。......はい」
張飛は、鼻柱から、ぼとぼとと涙を垂らして、いつまでも、大地に両手をついていた。
玄徳のことばに、関羽も涙をながし、そのほかの将も、感に打たれぬはなかった。
その夜、張飛はただ一人、淮陰の河べりへ出て、なお、哭き足らないように月を仰いでいた。
「愚哉! 愚哉! ......おれはどこまでも愚物だろう。死のうとしたのも恩だ。死んだら詫びがすむと考えたのも、実に愚だ。――よしっ誓って生きよう。そして家兄玄徳のために、粉骨砕身する。それこそ今日の罪を詫び、今日の辱を雪ぐものだ」
大きな声で、独り言を洩らしていた。その顔を、辺りにいた馬が、不思議そうにながめていた。
馬は月に遊んでいた。河の水に戯れ、草を

んで、明日の英気を養っているかに見える。
――その夜、合戦はなかった。
次の日も、これというほどな戦いもない。前線の兵は、敵もうごかず味方も動かずであった。時折、矢と矢が交わされる程度で、なお、幾日かを対陣していた。
ところが。
その間に、早くも、袁術の方では、手をまわし徐州の呂布へ、外交的に働きかけていた。
「もし足下が、玄徳の後ろを攻めて、わが南陽軍に利を示すならば、予は戦後君に対して、糧米五万石、駿馬五百匹、金銀一万両、緞子千匹を贈るであろう」
という好餌をもって、呂布を抱きこみにかかったのである。
四
もちろん、呂布はよろこんで袁術から申し出た密盟に応じた。
すぐ、部下の高順に、三万の兵をさずけて、
「玄徳の後ろを襲え」と、盱眙へ急がせた。
盱眙の陣にあった玄徳は、早くもその情報を耳にして、
「いかにしたものか」を、幕僚に謀った。
張飛、関羽は口をそろえて、
「たとえ前後に敵をうけて、不利な地に立つとも、紀霊、高順の徒、何ほどのことかあらん」
と、悲壮な臍をかためて、乾坤一擲の決戦を促したが、玄徳は、
「いや、いや。ここは熟慮すべき大事なところだろう。どうもこの度の出陣は、何かと物事が順調でなかった。運命の波長が逆に逆にとぶつかってくる。思うに今、玄徳の運命は順風に扶けられず、逆浪にもてあそばれる象である。――天命に従順になろう。強いて破船を風浪へ向けて自滅を急ぐは愚かである」と、説いて、自重することを主張した。
「わが君に戦意がないものを、どうしようもあるまい」
と、他の幕将たちは、張飛や関羽をなだめて、評議は、逃げ落ちることに一決した。
大雨の夜だった。
淮陰の河口は大水があふれて、紀霊軍も追撃することはできなかった。その暴風雨の闇にまぎれて、玄徳は、盱眙の陣をひきはらい、広陵の地方へ落ちて行った。
高順の三万騎が、ここへ着いたのはあくる日だった。みれば、草はみな風雨に伏し、木は折れ、河は溢れて、人馬の影はおろか、陣地の跡に一塊の馬糞もなかった。
「敵は、高順の名を聞いただけで逃げ落ちてしまったぞ、なんと笑止なことではないか」
高順は早速、紀霊の陣へ出向いて、紀霊と会見の後で、
「約束のごとく、玄徳の軍を追い落としたから、ついては、条件の金銀粮米、馬匹、絹布などの品々を頂戴したい」と、申し出た。
すると紀霊は、
「やあ、それは主人袁術と、御辺の主君呂布との間で結ばれた条件であろうが、この方はまだ聞いていない。また聞いていたところで、そんな多額な財貨をそれがし一存でどうしようもない。いずれ帰国の上、主人袁術へ申しあげておくから、尊公もひとまずお帰りあって、何分の返答をお待ちあるがよかろう」と、答えた。
無理もない話なので、高順は、徐州へ立ち帰って、そのとおりに呂布へ復命しておいた。
ところが、その後、袁術から来た書簡をひらいて見ると、
玄徳、今、広陵にひそむ
速やかに彼が首級を挙げ、
先に約せる財宝を購え。
価を払わずして、
何ぞ、求むるのみを知る乎。
「なんたる無礼な奴だろう。おれを臣下とでも思っているのか、自分の方から提出した条件なのに、欲しければ、玄徳の首を値に持って来いと、人を釣るようなこの文言は何事か」
呂布は、忿怒した。
われを欺いた罪を鳴らし、兵を向けて、袁術を打ち破らんとまで言い出した。
例によって、彼の怒りをなだめる役は、いつも陳宮であった。
「袁一門には、袁紹という大物がいることを忘れてはいけません。袁術とても、あの寿春城に拠って、今河南第一の勢いです。――それよりは、落ちた玄徳を招いて、巧みに用い、玄徳を小沛の県城に住まわせて、時節を窺うことです。――時到らば兵を起こし、玄徳を先手とし、袁術を破り、次いで、袁閥の長者たる袁紹をも亡ぼしてしまうのです。さもあれば天下の事、もう半ばは、あなたの掌に在るではありませんか」
五
翌日。呂布の使いは、広陵(江蘇省・楊州)へ立った。
玄徳は、その後、わずかな腹心と共に、広陵の山寺にかくれていた。
乱世の慣いとはいえ、一歩踏み外すと、その顚落は実に早い。三日大名、一夜乞食という事は当事の興亡浮沈に漂わされていた無数の英雄門閥の諸侯にそのまま当て嵌っている言葉だった。
玄徳といえども、その風雲の外にはいられなかった。あれから袁一門の武族から交々奇襲をうけて、敗亡また敗亡の非運をつづけていた。――食糧と財がなければ、兵はみな馬や武器を盗んで、
「今が見限り時」――とばかり、陣を脱して逃亡してしまうのも、当たり前のようにしている彼等の乱世生活であった。
山深く、廃寺の奥に潜んで、玄徳が身辺を見まわした時は、関羽、張飛、その他十数名の直臣と、数十騎の兵しか残っていなかった。
そこへ、呂布の使いが来た。
「また、何か詐りを構えて来たのだな」
関羽は、その内容のいかんを問わず反対した。張飛もまた、
「家兄、行ってはなりませんぞ」と、止めた。
「否とよ」
が、玄徳は、彼等をなだめて、呂布の招きに応じようとした。その理由は、
「すでに、彼も善心を起こして、自分へ情けを寄せてきたのだ。人の美徳を辱めるのは、人間の良心へ唾することになろう。この暗澹たる濁世にも、なお、人間の社会が獣にまで堕落しないのは、天性いかなる人間にも、一片の良心は持って生まれて来ているからである。――だから人の良心と美徳は尊ばねばならぬ」と、言うのであった。
張飛は、蔭で舌打ちした。
「すこし兄貴は孔子にかぶれている。武将と孔子とは、天職がちがう。――関羽、貴様もよくないぜ」
「なぜ俺が悪い?」
「閑があると、おぬしは自分の趣味で、兄貴へ学問のはなしをしたり、書物を薦めたりするからいけないんだ。――なにしろおぬしも根は童学草舎の先生だからな」
「ばかをいえ、じゃあ、武ばかりで文がなかったら、どんな人物ができると思う。ここにいる漢みたいな人間が出来はせんか」
と関羽は指で張飛の鼻をそっと突いた。張飛は、ぐっと詰まって、鼻を凹ましてしまった。
日を改めて、玄徳は、徐州の境まで赴いた。
呂布は、玄徳の疑いを解くために、まず途中まで彼の母堂、夫人などの家族を送って対面させた。
玄徳は、母と妻とを、両の手に迎え入れ、わが子に纏わられながら、
「オオ、有り難いことよ」と、皆の無事を、天に謝した。
夫人の甘氏糜氏は、
「呂布は、わたし達の門を守らせて、時折、物を贈って、よく見舞ってくれました」と、告げた。
やがてまた、呂布自身、玄徳を城門に出迎えて、
「自分は決して、この国を奪うたのではない。城内に私闘が起こって、自壊の兆しがみえたから、未然に防いで、暫時守備の任に当たっていたまでである」と、言い訳した。
「いや、私は初めから、この徐州は、将軍に譲ろうと思っていたくらいですから、むしろ適当な城主を得たと欣んでいるほどです。どうか、国を隆盛にし、民を愛して下さい」
呂布は、心とは反対に、再三辞退したが、玄徳は、彼の野望を満足さすべく、身を退いて、小沛の田舎城にひき籠ってしまった。そしてしきりと憤慨する左右の者をなだめて、こう言った。
「身を屈して、分を守り、天の時を待つ。――蛟龍の淵にひそむは昇らんがためである」
大江の魚
一
大河は大陸の動脈である。
支那大陸を生かしている二つの大動脈は、いうまでもなく、北方の黄河と、南方の揚子江とである。
呉は、大江の流れに沿うて、「江東の地」と称われている。
ここに、呉の長抄の大守孫堅の遺子孫策も、いつか成人して、当年二十一歳の好青年となっていた。
「彼は、親まさりである。江東の麒麟児とは、彼であろう」
世間でも、父の遺臣の中でも、彼の成長に期する者は多かったが、いかんせん、父孫堅の屍を曲阿の原に葬って、惨たる敗軍をひいて帰ったその年は、まだ年歯わずか十六歳で――。以来、賢をあつめ、兵を練り、ひそかに家名の再興を計っていたが、逆境のつづく時はどうしようもなく、ついにその後長沙の地を守りきれない悲運に会してしまった。
「時節が来たらお迎えに来ますから、しばらく、田舎に隠れていて下さい」
彼は、老母と一族を、曲阿の身寄りへあずけておいて、十七歳のころから諸国を漂泊した。
ひそかに誓う大志を若い胸に秘めて、国々の人情、地理、兵備などを見て歩いた。いわゆる武者修行の辛酸をつぶさに嘗めて遍歴したのである。
そして、二年ほど前から、淮南に足をとめて、寿春城の袁術の門に、食客として養われていた。
袁術と、亡父孫堅とは、交わりのあった仲であるのみならず、孫堅が劉表と戦って、曲阿の地で討ち死にしたのも――まったく袁術の使嗾があの合戦の動機でもあったから、――袁術も同情して、
「わが手許におるがよい」と、特にひきとめて、子のごとく愛していたのであった。
その間、涇県の戦に出て、大功をあらわし、盧江の陸康を討伐に行って、比類なき戦績をあげた。
平常は書をよみ、挙止物静かで、よく人に愛賢を持っていたので、ここでも、
「彼は、大江の鱖魚だ」と、人々に嘱目されていた。
その孫策は、ことし二十一。――暇あれば、武技を練り、山野に狩猟して、心身を鍛えていたが、その日も、わずかな従者をつれて、伏牛山に一日を狩り暮らし、
「ああ、くたびれた」と、中腹の岩に腰かけて、荘厳なる落日の紅雲をながめていた。
袁術の州府寿春城から淮南一帯の町々や部落は、目の下に指される。
――うねうねとそこを流れている一水は淮河の流れである。
淮河は狭い。
大江の流域からくらべれば比較にならないほどである。しかし、孫策は、
「ああ、いつの日か、大江の水にのせて、わが志を展べる時が来ることか」
と、すぐ江東の天に思いを馳せずにはおられなかった。
「曲阿の母は」と憶いに沈み、
「いつ、恥なき子として、父の墳墓の草を掃くことが出来るだろうか」と独り嘆じていた。
すると、物蔭に休んでいた従者のひとりががさがさと、歩み寄って来て、
「御曹司、なにを無益に嘆き給うか。――あなたは、前途ある青年ではないか。この落日は明日のない落日ではありませんぞ」と言った。
だれかと驚いてみると、朱治字は君理、その以前、父孫堅の家臣のひとりだったという者である。
「おお、君理か。きょうも、一日暮れてしまった。山野を狩りして何になろう......。わしは毎日空しくこういう日を過ごしているのが、天地にすまない気がするのだ。一日として、それを心に詫びない日はない、いたずらに、慕郷の情に囚われて、めめしく哭いているわけではないよ」
孫策は、真面目に言った。
二
君理は、孫策の意中を聞くと、共に嘆じた。
「ああ、やはりそうしたお心でしたか。少年日月早し。──鬱勃たるお嘆きは蓋し当然です」
「わかるだろう、君理。......わしの悶々たる胸のうちが」
「日ごろから拝察しています。わたくしも、呉に生まれた一人ですから」
「祖先の地を失って、他国の客となり、青春二十一、なお空しく山野に鳥獣を趁う。......ああ、わしは考えると、今の境遇に耐えられなくなる」
「御曹司......孫策様......。それほどまでに思し召すなら、なぜ大丈夫たるもの、思いきって、亡き父上の業を継ごうとしないのです」
「でも、わしは一介の食客だ。いかに袁術が可愛がってくれても、わしに獣を趁う狩猟弓は持たせても、大事を興す兵馬の弓箭は持たせてくれない」
「ですから、その温床に甘えてはいけません。――あなたを甘やかすもの、愛撫するもの、美衣美食、贅沢な生活。すべてあなたの青春を弱める敵です」
「でも、袁術の情けにも、裏切れない」
「そんな優柔不断は、御自身で蹴ってしまわなければ、生涯、碌々と終わるしかありますまい。――澎湃たる世上の風雲をごらんなさい、こういう時代に生まれ会いながら、綿々たる愚痴に囚われていてどうなりましょう」
「そうだ。真実、わしもそれを痛感しているのだ。――君理、どうしたらわしは、何不自由もない今の温床を脱して、生き効いのある苦難と闘う時代の子となれるだろうか」
「あなたの叔父様に、不運な方があるでしょう。――え、丹陽の大守であった」
「ウむ。母方の叔父、呉景のことかね」
「そうです。呉景どのは今、丹陽の地も失って、落魄れているとか伺いましたが......その逆境の叔父御を救うためと称して、袁術に暇を乞い、同時に兵をお借りなさい」
「なるほど!」
孫策は、大きな眼をして、夕空を渡る鳥の群れを見あげながらじっと考えこんでいた。
すると、さっきから木陰に佇んで、二人の話を熱心に立ち聞きしていたものがある。
二人の声が途切れると、ずかずかとそれへ出て来て、
「やよ、江東の麒麟児、なにをためらう事があろう。父業を継いで起ち給え。不肖ながらまず第一にわが部下の兵百余人をつれて、真っ先に力を副え申そう」と、唐突に言った。
驚いて、二人が、
「何者?」
と、その人を見れば、これは袁術の配下で、この辺の郡吏を勤めている呂範字を子衡という男であった。
(子衝はひとかどの謀士である)と家中でもその才能は一部から認められていた。孫策は、この知己を得て、非常な歓びを覚えながら、
「そちもまた、わが心根をひそかに憐れむ者か」と、言った。
子衡は、誓言を立てて、
「君、大江を渡るなれば」と、孫策を見つめた。
孫策は、火のごとき眸に答えながら、
「渡らん、渡らん、大江の水、溯らん、溯らん、千里の江水。――青春何ぞ、客園の小池に飼われて蛙魚泥貝の徒と共に、惰眠をむさぼらんや」
と叫ぶと、
忽然と
起って、片手の

を天に振った。
子衡は、その意気を抑えて、
「しかし、孫策様。てまえが推量いたすに、袁術は、決して兵を貸しませんぞ。なんと頼んでも、兵だけは貸しません。――その儀はどうなさいますか」
「心配するな。覚悟さえ決めたからには、この孫策に考えがある」
弱冠、早くも孫策は、この一語のうちに、未来の大器たるの片鱗を示していた。
三
「どうして袁術から兵をお借りになりますか」
子衡、君理のふたりは、孫策の胸を計りかねて、そう質した。すると孫策は、
「袁術が日ごろから欲しがっている物を、抵当として渡せば、必ず兵を借りうけられよう」
と、自信ありげに微笑した。
――袁術の欲しがっている物?
二人は小首をかしげたがわからなかった。更に、それはなにかと訊くと、孫策は自分の肌を抱きしめるようにして、
「伝国の玉璽!」
と、強く言った。
「えっ...? 玉璽ですって」
二人は疑わしげな顔をした。
玉璽といえば、天子の印章である。国土を伝え、大統を継ぐには無くてはならない朝廷の宝器である。ところがその玉璽は、洛陽の大乱のみぎりに、紛失したという沙汰が専らであった。
「ああでは......。伝国の玉璽は、今ではあなたのお手にあったのですか」
子衡は
唸るように
訊ねた。――洛陽大乱の折、孫策の父
孫堅が、禁門の古井戸から発見して、それを持って国元へ逃げたという

は当時隠れもないことであった。子衡はふと、そのころの風説を思い起こしたのであった。
孫策は、あたりを見廻して、
「ウム。これに」と、再び自分の胸をしかと抱いて見せながら言い出した。
「亡父孫堅から譲られて、常に肌身に護持しておるが、いつか袁術はそれを知って、この玉璽に垂涎を禁じ得ないふうが見える。――もともと、彼は身の程も知らず、帝位に即こうとする野心があるので、それには、玉璽をわが物にしなければと考えておるものらしい」
「なるほど、それで読めました。袁術があなたを我が子のように愛しているわけが」
「彼の野心を知りながら、知らぬような顔をしていたればこそ、自分も無事にきょうまで袁術の庇護をうけて来られたのだ。いわばこの身を守り育ててくれたのは、玉璽のお陰といってよい」
「しかし、その大切な玉璽を、袁術の手へ、お渡しになる御決心ですか」
「いかに大事な品であろうと、この孫策は、一箇の小筐の中になど大志は寄せぬ。わが大望は天地に持つ」
孫策の気概を見て、二人はことごとく心服した。その日、三名のあいだに、約束はすっかり出来ていた。
日を経て、孫策は、寿春城の奥まった所で、袁術にこう訴えた。
「いつか三年の御恩になりました。その御恩にも酬いず、こういうお願いをするのは心苦しい極みですが、先ごろ、故郷から来た友達の話を聞くと、叔父の呉景が、楊州の劉繇に攻めたてられ、身の置き所もない逆境だということです。曲阿にのこしてある私の母や叔母や幼い者たちも、一家一族、非運の底に顫いていると聞きます......」
孫策はさし俯向いて、涙声になりながら言いつづけた。
「――お蔭で私も、はや二十一となりましたが、いまだ父の墓も掃かず、日々安閑としているのは、もったいなくもあり、また、腑がいない心地もします。どうか一軍の雑兵を私にお貸し下げください。江を渡って、叔父を救け、いささか亡父の霊をやすめ、せめて母や妹たちの安穏を見て再び帰って参りますから」
彼は、そう言い終わると、黙然と考えこんでいる袁術の眸の前へ――伝国の玉璽の入っている小筐を恭しくささげ出した。
眼は心の窓という。一目それを見ると、袁術の顔はぱっと赭くなった。つつみきれない歓びと野望の火が、眸の底に赫々とうごいた。
四
「この玉璽を質として御手にあずけておきますから、願いの儀を、どうかお聞き届けてくださいまし」
孫策が言うと袁術は、
「何。玉璽をわしの手に預けたいと?」
待っていたと言わぬばかりな口吻で快諾した。
「よいとも、よいとも、兵三千に、馬五百匹を貸し与えよう。......それに、官爵の職権もなくては、兵を下知するに、威が届くまい」
袁術は、多年の野望がかなったので、孫策に、校尉の職を与え、また殄冦将軍の称をゆるした上、武器馬具など、すべて整えてくれた。
孫策は、勇躍して、即日、勢を揃えて出立した。
従う面々には、先の君理、子衡をはじめとして、父の代から仕えて、流浪中も彼のそばを離れずに来た程普、黄蓋、韓当などの頼もしい者もいた。
暦陽(江西省)のあたりまで来ると、かなたから一面の若武者が来て、
「おっ、孫君」と、馬を下りて呼んだ。
見れば、姿風秀麗、面は美玉のごとく、年ごろも孫策と同じくらいな青年だった。
「やあ、周君か。どうしてここへ来たか」
なつかし気に孫策も馬を下りて、手を握り合った。
彼は盧江(安徽省)の生まれで、周瑜字を公瑾といい、孫策とは少年時代からの竹馬の友だったが、その快挙を聞いて、共に助けんと、ここまで急いで来たのだと語った。
「持つべきものは友だ。よく来てくれた。どうか一臂の力をかしてくれ給え」
「もとより君のためなら犬馬の労もいとわないよ」
ふたりは駒を並べて進みながら睦まじそうに語らった。
「時に君は、江東の二賢を知っているか」
周瑜のことばに、
「江東の二賢とは?」
「野に隠れている二人の賢人さ。ひとりは張昭といい、ひとりは張紘という。だから江東の二張とも称ばれている」
「そんな人物がいるのか」
「ぜひ二賢を招いて、幕僚に加え給え。張昭は、よく群書を覧て、天文地理の学問に明らかなんだし、また張紘のほうは、才智縦横、諸経に通じ、説を吐けば、江東江南の百家といえど彼の右に出る者はない」
「どうしたらそんな賢人を招けるだろうか」
「権力をもって臨んでもだめだし、財物を山と運んでも動くまい、人生意気に感ず――ということがあるから、君自身が行って、礼を尽くし、深く敬って、君の抱懐している真実を告げるんだね。......そしたら事によると、起つかも知れない」
孫策は、よろこんで、やがてその地方に至ると、自身、張昭の住んでいる田舎を訪れ、その隠棲の閑居をたずねた。
彼の熱心は、ついに張昭をうごかした。
「どうか、若年の私を叱って、父の讐を報じさせて下さい」
その言葉が、容易に出ない隠士張昭を起たせたのである。
また。その張昭と周瑜を使いとして、もう一名の張絋をも説かせた。
彼の陣中には、望みどおりの二賢人が、左右の翼となって加わった。
張昭を、長吏中郎将と敬い、張絋を参謀正義校尉と称えて、いよいよ一軍の偉容は整った。
さて、そこで。
孫策が、第一の敵として、狙いをつけたのは叔父呉を苦しめた楊州の刺史劉繇である。
劉繇は揚子江岸の豪族であり、名家である。
血は漢室のながれを

み、
兗州の
刺史劉岱は、彼の兄にあたる者だし、
太尉劉寵は、
伯父である。
そして今、大江の流れに臨む寿春(江西省・九江)にあって、その部下には、雄将が多かった。――それを正面の敵とする孫策の業もまた難い哉といわなければならない。
神亭廟
一
牛渚(安徽省)は揚子江に接して後ろには山岳を負い、張江の鉄門といわれる要害の地だった。
「――孫堅の子孫策が、南下して攻めて来る!」
と、聞こえ渡ると、劉繇は評議をひらいて、さっそく牛渚の砦へ、兵糧何十万石を送りつけ、同時に、張英という大将に大軍を授けて防備に当たらせようとした。
その折、評議の末席にいた太史慈は、進んで、
「どうか、自分を先鋒にやって下さい。不肖ながら必ず敵を撃破して見せます」
と、希望したが、劉繇はじろりと、一眄したのみで、「そちにはまだ資格はない」と、一言の下に退けた。
太史慈は顔を赧らめて沈黙した。彼はまだ三十歳になったばかりの若年だし、劉繇に仕えてから年月も浅い新参でもあったりするので、
「さし出がましい者」という眼で大勢に見られたのを恥じたような態であった。
張英は、牛渚の要塞にたてこもると、邸閣とよぶ所に兵糧を蓄えて、悠々と、孫策の軍勢を待ちかまえていた。
それより前に、孫策は、兵船数十艘をととのえて、長江に泛かみ出て、舳艪をつらねて溯江して来た。
「オオ、牛渚だ」
「物々しい敵の備え」
「矢風に怯むな。――あの岸へ一せいに襲せろ」
孫策を始め、子衡、周瑜などの将は、各々、わが船楼のうえに上がって、指揮しはじめた。
陸地から飛んで来る矢は、まるで陽も晦くなるくらいだった。
舷を博つ白浪。
岸へせまる鬨の声。
「つづけや、我に」
とばかり早くも孫策は、舳から陸地へ跳び降りて、むらがる敵のうちへ斬って入る。
「御曹司を討たすな」と、他の船からも、続々と、将兵が降りた。また、馬匹が上げられた。
味方の死骸をこえて、一尺を占め、また死骸をふみこえて、十間の地を占め――そうして次第に全軍は上陸した。
中でも、その日、目ざましい働きをしたのは孫策軍のうちの黄蓋だった。
彼は、敵将張英を見つけて、
「ござんなれ」と、奔馬をよせて斬りかけた。
張英も豪の者、
「なにを」と、喚きあって、力戦したが、黄蓋にはかなわなかった。馬をめぐらして急に味方の中へ逃げこむと、総軍堤の切れたように敗走し出した。
ところが。
牛渚の要塞へと逃げて来ると、城門の内部や兵糧庫のあたりから、いちめんの黒煙があがっていた。
「や、や、何事だ」
張英が、うろたえていると、要塞の内から、味方の兵が、
「裏切者だっ」
「裏切者が火を放った」と、口々にさけびながら煙と共に吐き出されて来た。
火焰はもう城壁の高さを越えていた。
張英は、逃げまどう兵をひいて、ぜひなく山岳の方へ走った。――振りかえれば、勢いに乗った孫策の軍は、おそろしい迅さで追撃して来る。
「いったい何者が裏切りしたのか。いつの問に、孫策の手が味方の内へまわっていたのだろうか?」
山深く逃げこんだ張英は、兵をまとめて一息つくと共に、何か、魔に襲われたような疑いにつつまれて、敗戦の原因を考えこんでいた。
二
孫策の軍は、大勝を博したが、その日の大勝は、孫策にとっても、思いがけない奇捷であった。
「いったい城中よりの火の手を揚げて、われに内応したのは何者か」と、怪訝っていると、搦手の山道からおよそ三百人ほどの手下を従えて、鉦鼓をうち鳴らし、旗をかかげ、
「おーい。箭を放つな。おれ達は孫将軍のお味方だ。敵の劉繇の手下と間違えられては困る」
呶鳴りながら降りて来る一群の兵があった。
やがてその中から、大将らしい者が二人。
「孫将軍に会わせてくれ」と、先へ進んで来た。
孫策は、近づけて、その二人を見るに、ひとりは、漆を塗ったような黒面に、太くして偉なる鼻ばしらを備え、髯は黄にして、鋭い犬歯一本、大きな唇を嚼んでいるという――見るからに猛気にみなぎっている漢だった。
また、もうひとりの方は、眼朗らかに、眉濃く、背丈すぐれ、四肢暢びやかな大丈夫で、両名とも、孫策の前につくねんと立ち、
「やあ、お初に」
「あなたが孫将軍で」
と、礼儀もよく弁えない野人むき出しな挨拶の仕振りである。
「君たちは、一体、だれかね」
孫策が、訊ねると、大鼻の黒面漢が、先に答えた。
「おれたち二人は、九江の潯陽湖に住んでいる湖賊の頭で、自分は公奕といい、ここにいるのは弟分の幼平という奴です」
「ホ、湖賊?」
「湖に船を泛かべて住み、出ては揚子江を往来する旅泊の船を襲い、河と湖水を股にかけて稼いで来たんでさ」
「わしは良民の味方で、良民を苦しめる賊はすなわち我が敵だ。白昼公然と、わが前に現われたのは何の意か」
「いや、実あ今度お前さんがこの地方へ来ると聞いて、弟分の幼平と相談したんでさ。――いつまで俺たちも湖賊でもあるまいとね。それと、孫堅将軍の子ならきっとひとかどの者だろう。征伐されちゃあ堪らない。それよりいッそ足を洗って、真人間に返ろうじゃねえかというわけで」
「ふム」
孫策は、苦笑した。そしてその正直さを愛した。
「――それにしても、手ぶらで兵隊の中へ加えておくんなせえと言って出るのも智慧が無さ過ぎる。何か一手柄たててそれを土産に家臣に加えてくれと言えば待遇もいいだろう。――よかろう。やろうと言うわけで、一昨日の晩から、牛渚の砦の裏山へ嶮岨をよじて潜りこみ、きょうの戦で、城内の兵があらかた出たお留守へ飛びこみ、中から火を放けて、残っている奴らをみなごろしに片づけて来たという次第なんで......。へい。どんなもんでしょうか御大将。ひとつ、あっしどもを、旗下に加えて使っておくんなさいませんか」
「はっははは」
孫策は、手をたたいて、傍らにいる周瑜や謀士の二張を顧みながら、
「どうだ、愉快な奴どもではないか。――しかし、あまり愉快すぎる所もあるから、貴公等の仲間に入れて、すこし武士らしく仕込んでやるがいい」と、言った。
随身を許されて、二人は、喜色をたたえながら、厳めしい顔を並べている諸将へ向かって、
「へい、どうかまあ、これからひとつ、御昵懇におねがい申します」
と、仁義を切るようなお辞儀をした。
一同もふき出した。けれど、当人は大真面目である。のみならず敵の兵糧倉からは兵糧を奪い取って来るし、附近の小賊や、無頼漢などを呼び集めて来たので、孫策の軍は、たちまち四千以上の兵力になった。
三
鉄壁と信じていた防禦線の一の砦が、わずか半日のまに破られたと聞いて、劉繇は、
「一体味方の勢は居たのか、居ないのか」と愕然、色を失った。
そこへ張英が、敗走の兵と共に、零陵城へ逃げこんで来たから、彼の憤怒はなおさらであった。
「なんの顔容あって、おめおめ生き返って来たか。手討ちにして、衆人の見せしめにせん」
とまで息まいたが、諸臣のなだめに、張英はようやく一命を助けられた。
動揺はおびただしい。
そこでにわかに零陵城の守りをかため直し、劉繇みずから陣中に加わって、神亭山の南に司令部をすすめた。
孫策の兵四千余も、その前日、神亭の山の北がわへ移動していた。
そこに駐軍してから数日後の事、孫策は土地の百姓の長をよんで訊ねていた。
「この山には、後漢の光武帝の御霊廟があるとか、かねて聞いていたが、今でもその廟はあるのかね」
「へい、御霊廟は残っておりますが、だれも祭る者は御座いませぬので、いやもうひどく荒れておりまする」
「嶺の上か。そこは」
「頂上よりは下った中腹で、そこへ登りますると、鄱陽湖から揚子江のながれは目の下で、江南江北も一目に見わたされまする」
「明日、われをそこへ案内せい。自身参って、廟を掃い、いささか心ばかりの祭りをいたすであろう」
「かしこまりました」
里長が帰って行った後で、張昭は、彼に諫めた。
「廟の祭りをなさるのも結構ですが、戦い終わった後でなされてもいいでしょう」
「いや、急になにか、詣でたくなった。行かないと気がすまない」
「それはまた、なぜですか」
「ゆうべ夢を見た」
「夢を?」
「光武帝がわが枕元に立たれて、招くかと思えば、松籟颯々と、神亭の嶺に、虹のごとき光を曳いて見えなくなった」
「......でも今、山の南には、劉繇が本陣をすすめております。途中もし伏勢にでもお遇い遊ばしたら」
「いやいや、われには神明の加護がある。神の招きによって、神の祭りに詣ずるのだ。なんの怖れやあろう」
次の日。――約束の里長を案内者として、彼は騎馬で山道へ向かった。
随従の輩には、
程普、黄蓋、韓当、蔣欽、周泰などの十三将がつづいた。各々槍をさげ戟を横たえ、追い追いと登りつめて行くほどに、十方の視野は展け、雲から雲まで、続く大陸を、長江千里の水は、初めもなく果てもなく、ただ蜿々と悠久な姿を見せている。
それはまた、沿岸いたる所にある無数の湖や沼とどこかでつながっていた。黄土の大陸の十分の一は巨大な水溜りばかりだった。――そのまた土壌の何億分の一ぐらいな割合に、鳥の糞をこぼしたような部落があった。それの少し多く集まっているのが町である。城内である。
「オオ、ここか」
廟を仰ぐと、人々は馬を降り、辺りの落ち葉を掃って、供え物を捧げた。
孫策は香を焚いて、廟前にぬかずくと、詞をもって、こう祈念した。
「尊神よ。願わくは、わたくしに亡父の遺業を継がせて下さい。不日、江東の地を平定いたしましたら、かならず御廟を再興して、四時怠らず祭りをしましょう」
そして、そこを去ると、彼は、嶺の道を、もとの方へは戻らずに、南へ向かって降りて行こうとするので諸将は驚きあわてて、
「ちがいます。道がちがう。そう参っては、敵地へ降りてしまいますぞ」と、注意した。
好敵手
一
「違わぬ違わぬ」
孫策は、振り向きもしない。
供の諸将は、怪しんで、
「味方の陣地は、北の道を降りるのですが」と、重ねて言うと、
「だから南へ降りるのだ。ここまで来て、空しく北へ降りるのは遺憾千万ではないか。......事のついでに、この谷を降り、かなたの嶺をこえて、敵の動静を探って帰ろう」
と孫策が初めて意を明かすと、さしも豪胆な武将たちも、びっくりした。
「えっ。この十三騎で?」
「密かに近づくには、むしろ小勢がよかろう。臆病風にふかれて危ぶむ者は、帰っても苦しゅうないぞ」
そう言われては、帰る者も諫める者もあるわけはなかった。
渓流へ下りて、馬に水飼い、また一つの嶺をめぐって、南方の平野をのぞきかけた。
すると早くも、その附近まで出ていた劉繇の斥候が、
「孫策らしい大将が、わずか十騎ばかりで、すぐあの山まで来ています」
と、中軍――即ち司令部へ馳けこんで急報した。
「そんなはずはない」
劉繇は、信じなかった。
次の物見がまた、
「たしかに孫策です」と、告げて来ると、
「しからば計略だ。――敵の謀略にのってかろがろしく動くな」と、なおさら疑った。
幕将の中でも下級の組に、年若いひとりの将校がいた。彼はさっきから斥候の頻々たる報告を開いて、ひとり疼々しているふうだったが、ついに、諸将のうしろから躍り出て叫んだ。
「天の与えというものです。この時を外してどうしましょう。どうか、それがしに、孫策を生け捕って来いとお命じ下さい」
劉繇は、その将校を見て、
「太史慈。――また、広言を吐くか」と、言った。
「広言ではございません。かかる時をむなしく過ごして、手を拱いているくらいなら、戦場へ出ない方がましです」
「行け。それほど申すなら」
「有り難うぞんじます」と一礼して、太史慈は勇躍しながら、
「おゆるしが出た。われと思わん者はつづけ」
と、たった一人、馬に跳び乗るが早いか、馳け出して行った。
すると座中からまた一名の苦い武将が立ち上がって、
「史慈は、まことの勇将だ。見捨ててはおけない」と、馬を出して馳け去った。
満座、みな大いに笑う。
一方、孫策は、敵の布陣をあらまし見届けたので、
「帰ろうか」と、馬を回しかけていた。
ところへ、麓の方から、
「逃ぐるなかれ! 孫策っ、逃ぐるなかれ!」と、呼ばわる者がある。
「――だれだ?」
きっと振り返ってみると、駒を躍らせて、それへ登って来た太史慈は、槍を横たえて、
「その内に、孫策はなきか」と、たずねた。
「孫策はここにおる」
「おッ。そちか孫策は」
「しかり! 汝は?」
「東萊の太史慈とは我がことよ。孫策を手捕りにせんため、これまで参ったり」
「ははは。物ずきな漢」
「後に従う十三騎も、束になって掛かるがよい。孫策、用意はいいか」
「何を」
槍と槍、一騎と一騎、火をちらして戦うこと五十余合、見るものみな酔えるごとく、固唾を呑んでいたが、そのうちに太史慈は、わざと馬を打って森林へ走りこんだ。孫策は、追いかけながら、その背へ向かって、ぶうんと、槍を投げつけた。
二
投げた槍は、太史慈の身を掠めて、ぶすっと、大地へ突き立った。
太史慈はひやりとした。
そしてなおなお、林の奥へと、駒をとばしながら、心のうちでこう思っていた。
「孫策の人となりは、かねて聞いていたが、聞きしに勝る英武の質だ。うっかりすると、これはあぶない――」
同じように、
彼をうしろから追って来る孫策もまた、心中、
「これは名禽だ。手捕りにしてわが籠に飼わねばならん。どうしてこんないい若武者が、劉繇などに仕えて居たのかしら?」
そこで孫策は、
「おオオい、待てえっ。――名も惜しまぬ雑兵なら知らぬこと、東萊の太史慈とも名乗った者が、汚ない逃げざまを恥ずかしくないのか。返せ返せ。返さねばわが生涯、笑いばなしとして、天下に吹聴するぞ」と、わざと辱めた。
太史慈は、耳も無いように、走っていたが、やがて嶺をめぐって、裏山の麓まで来ると、
「やあ孫策。やさしくも追って来たな。その健気に愛でて勝負してやろう。ただし、改めて我に立ちむかう勇気があるか」と、馬を回して言った。
馳け寄せながら孫策は、
「汝は、口舌の匹夫で、真の勇士ではあるまい。そう言いながらまた逃げ出すなよ」
と、大剣を抜きはらった。
「これでも、口舌の徒か」
太史慈は、やにわに槍をくりのばして、孫策の眉間を脅やかした。
「あっ」
孫策は、咄嗟に馬のたてがみへ顔を沈めたが、槍は、盔の鉢金をカチッと掠めた。
「おのれ!」
騎馬戦のむずかしさは、絶えず手綱を上手に操って、敵の背後へ背後へと尾いてまわりながら馳け寄せる呼吸にある。
ところが、太史慈は、稀代な騎乗の上手であった。
尾側へ狙け入ろうとすると、くるりと駒を躍らせて、こっちの後ろへ寄って来る。あたかも波上の小舟と小舟の上で斬りむすんでいるようなものである。従って、腕の強さばかりでなく、駒の駈け引きも、虚々実々を極めるので、勝負はなかなか果てしもない。無慮百余合も戦ったが、双方とも淋漓たる汗と気息にもまれるばかりであった。
「えおうッ」
「うオーッ」
声は、辺りの林に木魂して、百獣もために潜むかと思われたが落つるは片々と散る木の葉ばかりで、孫策はいよいよ猛く、太史慈もますます精悍を加えるのである。
どっちも若い体力の持ち主でもあった。この時孫策二十一歳、太史慈三十歳。――実に巡り会ったような好敵手だった。
「組まねばだめだ」
孫策が、そう考えた時、太史慈も心ひそかに、
「長びく間に、孫策の将士十三騎が追って来ると面倒」
と、勝負を急ぎ出した。
だっと、両方の鐙と鐙とがぶつかったのは、両人の意志が、期せずして、合致したものとみえる。
「かッ」
と、突き出してくる槍を、孫策は交わして柄を抱きこみ、咄嗟、真っ二つになれと相手へ見舞った剣の手元は、これも鮮やかに、太史慈の交わすところとなって、その手頸をにぎり取られ――おうっッ――と引き合い、押し合ううちに、二つの体は刎ね躍った馬の背から大地へころげ落ちていた。
空身となった奔馬は、たちまち、どこともなく馳け去ってしまう。
組んず、ほぐれつ、太史慈と孫策とは、なお揉み合っていたが、そのうち孫策は、蹌めきざま太史慈が背に插していた短剣を抜き取って、突き伏せようとしたが、
「さはさせじ」
と、太史慈はまた、孫策の盔を引ッつかんで、離さなかった。
三
「太史慈が今、ついそこで、敵の孫策と一騎打ちしているが、いつ勝負がつくとも見えません。疾く御加勢あれば、生擒れましょう」
一騎、劉繇の陣へ飛んで来て、こう急を告げた。
劉繇は、聞くとすぐ、
「それッ」と、千余騎をそろえて、漠々と馳け逸って行った。
金鼓は地をゆるがし、またたく間に、ふもとの林へ近づいた。
太史慈と孫策とは、その時まだ、ガッキと組み合ったまま、互いに、焰のような息を弾ませていた。
「しまった!」
孫策は、近づく敵の馬蹄のひびきに、一気に相手を屠ってしまおうと焦ったが、太史慈の手が、自分の被ている盔をつかんだまま離さないので、
「む、むッ!」
獅子のごとく首を振った。
そして、相手の肩越しに、太史慈が肩に懸けている短剣の柄を握って孫策も離さなかった。
そのうちに、盔がちぎれた弾みに、二人とも、勢いよくうしろへ仆れた。
孫策の盔は、太史慈の手にあった。
また、太史慈の短剣は、孫策の手にあった。
ところへ――
劉繇の騎兵が殺到した。
同時に、
「君の安危やいかに?」と、孫策の部下十三騎の人々もここへ探しあてて来た。
当然、乱軍となった。
しかし衆寡敵せず、孫策以下の十三騎も、次第に攻めたてられて、狭い谷間まで追いつめられたが、たちまち、神亭廟のあたりから喊の声が起こって、一隊の精兵が、
「オオ。救えッ」
と、雲のうちから馳け下って来た。
――われには神の加護あり......
と、孫策が言ったとおり、光武帝の神霊が、早くも奇瑞をあらわして味方したもうかと思われたが、それは彼の幕将周瑜が、孫策の帰りがおそいので、手兵五百を率いてさがしに来たものだった。
そしてすでに陽も西山に沈もうとするころ、急に、黒雲白雲たちこめて、沛然と大雨がふりそそいで来た。
それこそ神雨だったかも知れない。
両軍、相引きに退いて、人馬の喚きも消え去った後、山谷の空には、五彩の夕虹が懸かっていた。
明くれば、孫策は、
「きょうこそ、劉繇が首を見、太史慈を生け捕って帰ろうぞ」
とばかり暁に早くも山を越えて、敵の陣前へひた押しに政めよせ、
「やあ、見ずや、太史慈」と、高らかに呼ばわった。
きのうの一騎打ちに、彼の手から奪い取った例の短剣を、旗竿に結びつけて、士卒に高く打ち振らせていた。
「武人たる者が、大事の剣を取り落として、命からがら逃げ出して、恥とは思わぬか。――見よや、敵も味方も。これなん太史慈の短剣なるぞ」
どっと笑って、辱めた。
すると劉繇の兵の中からも、一本の旗竿が高く差し伸べられた。見ればその先には、一着の盔がくくりつけてある。
「やあ、孫策は無事なのか」
陣頭に馬をすすめて、太史慈はほがらかに言い返した。
「君よ、見給え。ここにあるのは君の頭ではないか。武士たる者が、わが頭を敵にわたし、竿頭の曝し物とされては、もはや利いたふうな口はきけないはずだがな。......あははは。わははは」
小 覇 王
一
曠の陣頭で、晴れ晴れと、太史慈に笑いかえされたので、年少な孫策は、
「よしッ今日こそ、きのうの勝負をつけてみせる」と、馬を躍らしかけた。
「待ちたまえ」と、腹臣の程晋は、あわてて彼の馬前に立ちふさがりながら、
「口賢しい敵の舌先に釣り込まれたりなどして、軽々しく打って出てはいけません。あなたの使命はもっと大きいはずでしょう」と、押し戻した。
そして逸りたつ孫策の馬の轡を、ほかの将に預けて、程晋は、自分で太史慈に向かって行った。
太史慈は、彼を見ると、相手にもせず言い放った。
「東莱の太史慈は、君のごとき小輩を斬る太刀は持たない。わが馬に踏みつぶされぬうちに、疾く逃げ返って、孫策をこれへ出すがいい」
「やあ、大言なり、青二才」
程普は怒って、まっしぐらに打ってかかった。
すると、戦がまだ酣ともならないうちに、劉繇はにわかに陣鼓を打ち、引き鐘を鳴らして退却を命じた。
「何が起こったのか」と、太史慈も戟をおさめて、急に引き退いたが、不平でならなかった。
で、劉繇の顔を見ると、「惜しいことをしました。きょうこそ孫策を誘き寄せてと計っていたのに。――一体、なにが起こったのですか」と、詰らずにいられなかった。
劉繇は、苦々しげに、
「それどころではない。本城を攻め取られてしまったわ。――貴様たちが前の敵にばかり気をとられておるからだ」と、声ふるわせて言った。
「えっ、本城が?」
太史慈も、愕いた。
――聞けば、いつのまにやら、敵は一部の兵力を分けて、曲阿へ向け、曲阿方面から劉繇の本城――零陵城のうしろを衝いていた。
その上に。
ここにまた、盧江松滋(安徽省・安慶)の人で、陳武、字を子烈というものがある。陳武と周瑜とは同郷なので、かねて通じていたものか、
(時こそ来れ!)とばかりに江を渡って、孫軍と合流し、共に劉繇の留守城を攻めたので、たちまちそこは陥落してしまったのであった。
何にしても、かんじんな根拠地を失ったのであるから、劉繇の狼狽も無理ではない。
「この上は、秣陵(江蘇省・南京南方鳳凰山)まで引き上げ、総軍一手となって防ぐしかあるまい」と、全軍一夜に野を払って、秋風のごとく奔り去った。
ところが、奔り疲れて、その夜、露営しているとまた、孫策の兵が、にわかに夜討ちをかけて来て、さらぬだに四分五裂の残兵を、ここでも散々に打ちのめした。
敗走兵の一部は、薜礼城へ逃げこんだ。そこを囲んでいるまに、敵将劉繇が、小癪にも味方の牛渚の手薄を知って攻めてきたと聞いたので、
「よしッ、袋の鼠だ」と、孫策は、直ちに、駒をかえして、彼の側面を衝いた。
すると、敵の猛将干糜が、捨て鉢にかかって来た。孫策は、干糜を手捕りにして、鞍のわきに引っ抱えて悠々と引き上げて来た。
それを見て、劉繇の旗下、樊能という豪傑が、
「孫策、待てッ」と、馬で追って来た。
孫策は、振り向きざま、
「これが欲しいか!」と、抱えていた干糜の体を、ぎゅッと締めつけると、干糜の眼は飛び出してしまった。そしてその死体を、樊能へ投げつけたので、樊能は馬からころげ落ちた。
「仲よく、冥途へ行け」
と、孫策は、馬上から槍をのばして、樊能を突き殺し、干糜の胸板にも止めを与えて、さッさと味方の陣地へ入ってしまった。
二
最後の一策として試みた奇襲も惨敗に帰したばかりか、恃みとしていた干糜、樊能の二将まで目のまえで孫策のために殺されてしまったので、劉繇は、
「もう駄目だ」と、力を落として、わずかな残兵と共に、荊州へ落ちて行った。
荊州(湖北省・江陵・揚子江流域)には一方の雄たる劉表がなお健在である。
劉繇は始め、秣陵へ退いて、陣容をたて直すつもりだったが、敗戦の上にまた敗北を重ねてしまい、全軍まったく支離滅裂となって、彼自身からして抗戦の気力も失ってしまったので、
「この上は、劉表へ縋ろう」とばかり、命からがら逃げ落ちてしまったのである。
ここかしこの荒野に捨て去られた屍は一万の余を超えていた。
「劉繇、恃むに足らず」
と見かぎって、孫策の陣門へ降参してゆく兵も一群れまた一群れと、数知れなかった。
しかし、さすが大藩の劉繇の部下のうちには、なお降服を潔しとしないで、秣陵城をさして落ち会い、そこで、
「華々しく一戦せん」と、玉砕を誓った残党たちもあった。
張英、陳横などの輩である。
沿岸の敗残兵を掃蕩しながら、やがて孫策は秣陵まで迫って行った。
張英は、城中の矢倉から敵の模様をながめていたが、近々と濠際まで寄せて来た敵勢の中に、一際目立つ若い将軍が指揮している雄姿を見つけて、
「あっ、孫策だ」と、あわただしく弓を把って引きしぼった。
狙いたがわず、矢は、若い将軍の左の腿にあたり、馬よりどうと転げ落ちた。――あッと、辺りの兵は驚き躁いで、将軍のまわりへ馳け寄って行く――。
それこそ、孫策であった。
孫策は、起たなかった。
大勢の兵は、彼の体を担ぎ上げて、味方の中へ隠れこんだ。
その夜。
寄手は急に五里ほど陣をひいてしまった。陣中は寂として、墨のごとく夜霧が降りていた。そして、随処に弔旗が垂れていた。
「急所の矢創が重らせたもうて、孫将軍には、あえなく息を引き取られた」と、士卒の端まで哭き悲しんでいた。まだ、喪はふかく秘せられているが、不日、柩を奉じて引き揚げるか、埋葬の地をさだめて、戦場の丘に仮の葬儀が営まれるであろうと、囁き合ったりしていた。
城中から探りに出ていた細作は、さっそく、立ち帰って、
「孫策は死にました」と、張英に知らせた。
張英は膝を打って、「そうだろう! おれの矢にあたって、助かった者はない」と、衆に誇った。
しかし、なお念のためにと、陳横の手から、再度、物見を放って見ると、その朝、附近の部落民が、怖ろしく岩乗な柩を、大勢して重そうに陣門へ担いこんでゆくのを見た。
「間違いはありません。孫策はたしかに落命しました。そして葬儀も近いうち仮に営むらしく、そっと支度しています」
物見の者は、一点の疑いも挾まず、ありのまま復命した。
張英、陳横は、顔見合わせて、
「うまく行ったな」
ニタリと笑いあった。
三
星の静かな夜であった。
一軍の兵馬が、ひっそりと、水の流れるように、野を縫ってゆく。
京々たる銅角を吹き、羯鼓を打ち鳴らし、鉦板をたたいて行く――葬送の音楽が悲しげに闇を流れた。兵馬みな黙し、野面を蕭々と風も哭く。
一かたまりの松明のひかりの中に新しい柩が守られていた。
ひらめく五色の弔旗も、みな黒く見えた。――柩の前後に従いてゆく諸将も、
「――ああ」
と、時折、空を仰いだ。
これなん死せし孫策の遺骸をひそかに葬るものであると見て、その日、早くも探り知った張英、陳横の二将は、突如のろしを打ちあげて、この葬列を不意討ちした。
それまで――
草かと見えたものも、石か木かと見えたものもすべて喊の声をあわせて襲って来た。
すでに、大きな支柱を亡った孫軍は、いかに狼狽するかと思いのほか、
「来たぞ」
葬列は、たちまち、五行にわかれて整然たる陣容をつくり、
「張英、陳横を逃がすな」
という号令の声が高く聞こえた。
張英は驚いて、
「あッ、敵には備えがあったらしいぞ、立ち騒がぬとところを見ると、何か、計があるやも知れぬ」
味方の軽はずみを戒めて戦っていたが、もとより秣陵の城内をほとんど空にして出て来た小勢である。たちまち、撃退されて、
「もどれもどれ。城中へひきあげろ」と、争って引っ返した。
すると途中の林の中から、
「孫策これにあり! 秣陵の城はすでに、わが部隊の手に落ちているのに、汝等は、どこへ帰る気かッ」と、呼ばわりながら、騎馬武者ばかりおよそ四、五人、真っ黒に馳け出して来て、張英の行く手をふさいだ。
張英は、わが耳を疑いながら、多寡の知れた敵蹴ちらして通れ――と下知しながら、はや血戦となった中を馳けていたが、そのうちに、
「張英とは、汝かっ」
と、正面へ躍って来た一騎の若武者がある。
見れば、過ぐる日、自分が城の矢倉から狙い撃ちして、見事、射止めたと信じていた孫策であったので、「やっ、死んだとは、偽りであったか」
仰天して逃げかけると、
「浅慮者ッ」と、大喝して、孫策の馬は後ろから彼の馬の尻へ重なった。
とたんに張英の胴は、黒血三文を噴いて、首はどこかに飛んでいた。
陳横も、討たれた。
もとより孫策は、深く計っていたことなので、そのまま、秣陵の城へ進むと、先に城中に押し入っていた味方が、門を開いて、彼を迎え入れた。
一同、勝鬨の声をあわせて、万歳を三唱したころ、長江の水は白々と明け放れ、鳳凰山、紫金山の嶺々に朝陽は映えていた。
孫策は、即日、法令を布いて、人民を安んじ、秣陵には、味方の一部をのこして、直ちに、涇県(安徽省・蕪湖の南方)へ攻め入った。
このころから、彼の勇名は、一時に高くなって、彼を呼ぶに、人々はみな、
江東の孫郎、
と、称えたり、また、
小覇王、
と唱えて敬い畏れた。
日時計
一
かくて、小覇王孫郎の名は、旭日のような勢いとなり、江東一帯の地は、その武威にあらまし慴伏してしまったが、ここになお頑健な歯のように、根ぶかく歯肉たる旧領を守って、容易に抜きとれない一勢力が残っていた。
大史慈、字は子義。
その人だった。
主柱たる劉繇が、どこともなく逃げ落ちてしまってからも、彼は、節を変えず、離散した兵をあつめ、涇県の城にたてこもり、依然として抗戦しつづけていた。
きのうは九江に湖江し、きょうは秣陵に下り、明ければまた、涇県へ兵をすすめて行く孫策は、文字どおり南船北馬の連戦であった。
「小城だが、北方は一帯の沼池だし、後ろは山を負っている。しかも城中の兵は、わずか二千と聞くが、この最後まで踏み止まっている兵なら、おそらく死を決している者どもにちがいない」
孫策は、涇県に着いたが、決して味方の優勢を慢じなかった。
むしろ戒めて、
「みだりに近づくな」と、寄手の勢を遠巻きに配して、おもむろに城中の気はいを探っていた。
「周瑜」
「はっ」
「君に問うが、君が下知するとしたら、この城をどうして墜とすかね」
「至難です。多大な犠牲を払う覚悟でなければ」
「君も至難と思うか」
「ただ、わずかに考えられる一つの策は、死を惜しまぬ将一人に、これも決死の壮丁十人を募り、燃えやすい樹脂や油布を担わせて、風の夜、城中へ忍び入り、諸所から火を放つことです」
「忍び入れるだろうか」
「大勢では見つかりましょう」
「でも、あの高い城壁を」
「攀じ登るに、法をもってすれば、登れねことはありません」
「だが――だれをやるか」
「陳武が適任でしょう」
「陳武は、召し抱えたばかりの者だし、将来も使えるいい大将だ。それを死地へやるのは惜しい。――また、もっと惜しいのは、敵ながら太史慈という人物である。あれは生擒りにして、味方に加えたいと望んでおるのだが」
「それでは、こうしてはいかがです。――城中に火光が見え出したら、同時に三方から息もつかず攻めよせ、北門の一方だけ、わざと手薄にしておきます。――太史慈はそこから討って出ましょう。――出たら彼一名を目がけて追いまくり、その行く先に、伏兵をかくしておくとすれば」
「名案!」
孫策は、手を打った。
陳武の下に、十名の決死隊が募られた。もし任務をやり遂げて、生きて回ったら、一躍百人の伍長にすすめ、莫大な恩賞もあろうというので、たくさんの志望者が名のり出た。
その中から十名だけの壮丁を選んで、風の夜を待った。
無月黒風の夜はやがて来た。
油布、脂柴などを、壮丁の背に負わせて、陳武も身軽にいでたち、地を這い、草を分けて、敵の城壁下まで忍びよった。
城壁は石垣ではない。高度な火で土を焼いた磚という一種の瓦を、厚さ一丈の余、高さ何十丈に積みかさねたものである。
――が、何百年もの風雨に曝されているので、磚と磚とのあいだには草が生え、土がくずれ、小鳥が巣をつくり、その壁面はかなり荒れている。
「おい一同。まず俺ひとりが先へ登って行って、綱を下ろすから、そこへ屈みこんだまま、敵の歩哨を見張っておれ。――いいか、声を出すな、動いて敵に見つかるな」
陳武は、そう戒めてから、ただ一人で攀じ登って行った。――磚と磚のあいだに、短剣をさしこんで、それを足がかりとしては、一歩一歩、剣の梯子を作りながら踏み登って行くのであった。
二
「――火だっ」
「火災だっ」
「怪し火だ!」
銭糧倉から、また、矢倉下から、書楼の床下から、同時にまた、馬糧舎からも、諸門の番人が、いちどに喚き出した。
城将の太史慈は、
「躁ぐな。敵の計だ。――うろたえずに消せばよい」
と、将軍台から叱咤して、消火の指揮をしていたが、城中はみだれ立った。
――ぴゅっッ!
――ぴゅるん!
太史慈の体を、矢がかすめた。
台に立っていられないほど風も強い闇夜である。
諸所の火の手は防ぎきれない。一方を消しているまに、また一箇所から火があがる。その火はたちまち燃えひろがった。
のみならず城の三方から、猛風に乗せて、喊の声、戦鼓のひびき、急激な攻め鉦の音などがいちどに迫って来たので、城兵は消火どころではなく、釜中の豆のごとく沸いて狼狽し出した。
「北門をひらいて突出しろ」
太史慈は将軍台から馳け下りながら、部将へ命令した。そして真っ先に、
「城外へ出て、一挙に、孫策と雌雄を決しよう! 敵は城を囲むため、三方へ全軍をわけて、幸いにも北方は手薄だぞ」と、猛風を衝いて、城の外へ馳け出した。
火には趁われ、太史慈には励まされたので、当然釜中の豆も溢れ出した。
ところが、手薄と見えた城北の敵は、なんぞ知らん、案外に大勢だった。
「それっ、太史慈が出たぞ」と合図しあうと、八方の闇から乱箭が注がれてきた。
太史慈の兵は、敵の姿を見ないうちに、おびただしい損害をうけた。
それにも怯まず、
「かかれかかれ! 敵の中核を突破せよ!」
と、太史慈はひとり奮戦したが、彼につづく将士は何人もなかった。
その少ない将士さえ斃れたか、逃げ散ったか、あたりを見廻せば、いつの問にか、彼は彼ひとりとなっていた。
「――やんぬる哉、もうこれまでだ」
焰の城をふり向いて、彼は唇を嚙んだ。この上は、故郷の黄県東萊へ潜んで、再び時節を待とう。
そう心に決めたか。
なお熄まない疾風と乱箭の闇を馳けて、江岸のほうへ急いだ。
すると後ろから、
「太史慈を逸すな!」
「太史慈、待てっ」
と、闇が吼える。――声有る烈風が追ってくる。十里、二十里、奔っても奔っても追ってくる。
この地方には沼、湖水、小さな水溜りなどが非常に多い。長江のながれが蕪湖に入り、蕪湖の水がまた、曠野の無数の窪に支れているのだった。
その湖沼や野にはまた、蕭々たる蘆や葭が一面に生い茂っていた。――ために、彼は幾たびか道を見失った。
「――しまッた!」
ついに、彼の駒は、沼の泥土へ脚を突っこんで、彼の体は、蘆のなかへ抛り出されていた。
すると、四方の蘆のあいだから、たちまち熊手が伸びた。
分銅だの鈎のついた鎖だのが、彼の体へからみついた。
「無念っ」
太史慈は、生擒られた。
高手小手に縛められて、孫策の本陣へと曳かれてゆく途中も、彼は何度も雲の迅い空を仰いで、
「残念だっ」と、眦に悲涙をたたえた。
三
やがて彼は、孫策の本陣へ引かれて来た。
「万事休す」と観念した彼は、従容と首の座について、瞑目していた。
するとだれか、「やあ、しばらく」と、帳を揚げて現われた者が、友人でも迎えるように、馴れ馴れしく言った。
太史慈が、半眼をみひらいて、その人を見れば余人ならぬ敵の総帥孫策であった。
太史慈は毅然として、
「孫郎か、はやわが首を刎ね落とし給え」と、言った。
孫策は、つかつかと寄って、
「死は易く、生は難し、君はなんでそんなに死を急ぐのか」
「死を急ぐのではないが、かくなる上は、一刻も恥をうけていたくない」
「君に恥はないだろう」
「敗軍の将となっては、もうよけいな口はききたくない。足下もいらざる質問をせず、その剣を抜いて一颯に僕の血けむりを見給え」
「いやいや。予は、君の忠節はよく知っておるが、君の噴血をながめて快笑しようとは思わぬ。君は自分を敗軍の将と卑下しておらるるが、その敗因は君が招いたものではない。劉繇が暗愚なるためであった」
「............」
「惜しむらく、君は、英敏な資質をもちながら、良き主にめぐり会わなかったのだ。蛆の中にいては、蚕も繭を作れず糸も吐けまい」
「............」
太史慈が無言のまま俯向いていると、孫策は、膝を折って、彼の縛めを解いてまた言った。
「どうだ。君はその命を、もっと意義ある戦と、自己の人生のために捧げないか。――言い換えれば、わが幕下となって、仕える気はないか」
太史慈は、潔く、
「参った。降服しました。願わくはこの鈍材を、旗下において、なんらかの用途に役立ててください」
「君は、真に快男子だ。妙に体面ぶらず、その潔いところも気に入った」
手を取って、彼は、太史慈を自分の帷幕へ迎え入れ、
「ところで君、先ごろの神亭の戦場では、お互いに、よく戦ったが、あの際、もっと一騎打ちをつづけていたら、君はこの孫策に勝ったと思うかね」と、笑いばなしに言った。
太史慈も、打ち笑って、
「さあ、どんなものでしょうか。勝敗の程はわかりませんな」
「だが、これだけは確実だったろう。――予が負けたら、予は君の繩目をうけていた」
「もちろんでしょう」
「そうしたら、君は予の繩目を解いて、予がなしたごとく、予を助けたであろうか」
「いや、その場合は、おそらくあなたの首は無かったでしょうな。――なぜならば、私にはその気もちがあっても、劉繇が助けておくはずがありませんから」
「ははは、もっともだ」
孫策は、哄笑した。
酒宴をもうけて、二人はなお愉快そうに談じていた。孫策は、彼に向かって、
「これから戦いの駈け引きについてもいろいろ君の意見を訊くから、良計があったら、教えてもらいたい」
と言ったが、太史慈は、
「敗軍の将は兵を語らずです」と、謙遜した。
孫策は、追及して、
「それはちがう。昔の韓信を見たまえ。韓信も、降将広武君に謀計をたずねておる」
「では、大した策でもありませんが、あなたの帷幕の一員となった証に愚見を一つ述べてみます。......がしかし私の言は、おそらく将軍のお心にはあわないでしょう」
太史慈は、孫策の面を見ながら、微笑をふくんだ。
四
孫策も、微笑した。
「ははあ、では君は、せっかく進言しても、この孫策に用いる度量があるまいと言わるるのか」
「そうです」
太史慈は、うなずいて、
「――それを惧れます。しかし一応、申し述べてみましょう」
「うむ。聞こう」
「ほかでもありませんが、劉繇に付き従っていた将士は、その後、主と恃む彼を見失って、四散流迷しております」
「あ。敗残兵のことか」
「ひと口に、敗残軍といえば、すでに弱力化した無能の群れとして、これを無視してしまう傾きがありますが、時利あらずで、その中には、惜しむべき大将や兵卒らも入り交じっています」
「ふむ。それをどうせよと、君は進言するか」
「今、この太史慈を、三日間ほど、自由に放して下されば、私が行って、それ等の残軍を説き伏せ、粗を捨てて、良を選び、必ず将来、あなたの楯となるような精兵三千をあつめて帰ります。――そしてあなたに忠誠を誓わせて御覧にいれますが」
「よし。行ってくれ給え」
孫策は、度量を見せて、すぐ許したが、
「――だが、きょうから三日目の午の刻(正午)までには、必ず帰って来なければいかんよ」
と、念を押して、一頭の駿馬を与え、夜のうちに、彼を陣中から放してやった。
翌朝。
帷幕の諸将は、太史慈のすがたが見えないので、怪しんで孫策にたずねると、ゆうべ彼の進言にまかせて、三日の間、放してやったとのことに、
「えっ。太史慈を?」と、諸将はみな、せっかく生け捕った檻の虎を野へ放したように唖然とした。
「おそらく、太史慈の進言は、偽りでしょう。もう帰って来ないでしょう」
そういう人々を笑いながら、孫策は、首を振った。
「なに、帰って来るさ。彼は信義の士だ。そう見たからこそ、予は彼の生命を惜しんだので、もし信義もなく、帰って来ないような人間だったら、再び見ないでも惜しいことはない」
「さあ、どうでしょう」
諸将はなお信じなかった。
三日目になると、孫策は、陣外へ日時計を据えさせて、二人の兵に日影を見守らせていた。
「辰の刻です」
番兵は、一刻ごとに、孫策へ告げに来た。しばらくするとまた、
「巳の刻となりました」
と、報らせてくる。
日時計は、秦の始皇帝が、陣中で用いたのが姶めだという。
「宋史」には何承天が「表侯日影」を司るとある。明代には晷影台というのがある。日時計の進歩したものである。
後漢時代のそれは、もちろん原始的なもので、垂直の棒を砂上に立て、その投影と、陰影の長さをもって、時刻を計算したものだった。
砂地のかわりに、床を用いたり、また、壁へ映る日影を記録したりする方法などもあった。
「午の刻です!」
陣幕のうちへ、刻の番の兵が大声で告げると、孫策は、諸将を呼んで、
「南の方を見ろ」と、指さした。
果たせるかな、太史慈は、三千の味方を誘って、時も違えず、かなたの野末から、一陣の草埃を空に揚げて帰って来た。
孫策の烱眼と、太史慈の信義に感じて、先に疑っていた諸将も、思わず双手を打ちふり、歓呼して彼を迎えた。
名 医
一
ひとまず、江東も平定した。
軍勢は日ましに増強するばかりだし、威風は遠近をなびかせて、孫策の統業は、ここにその一段階を上ったと言ってよい。
「ここが大事だ。ここで自分はなにを為すべきだろうか?」
孫策は自問自答して、
「そうだ、母を呼ぼう」という答えを得た。
彼の老母や一族は、柱とたのむ故孫堅の没後、永らく曲阿の片田舎にひきこもって、あらゆる迫害をうけていた。
珠簾の輿、錦蓋の美車。
加うるに、数多の大将や護衛の兵を送って、彼は曲阿の地から老母とその一族をむかえて来た。
孫策は、久方ぶりに、母の手を取って、宣城に奉じ、
「もう、安心して、余生をここでお楽しみください。――孫策も大人になりましたから」
と、言った。
もう白髪となった老母は、ただおろおろしていた。歓びのあまり、
「そなたの亡父がいたらのう」と、かえって泣いてばかりいる。
孫策は弟の孫権に、
「おまえに大将周泰をつけておくから、宣城を守り、わしに代わって母に孝養をしてあげてくれ」
そう言い残して、彼はふたたび南方の制覇に赴いた。
彼は、戦い取った地には、すぐ治安を布いて、民心を得ることを第一義とした。
法をただし貧民を救い、産業を扶ける一方、悪質な違反者には、寸毫もゆるさぬ厳罰を加えた。
――孫郎来る!
という声だけでも、良民はあわてて道をひらいて路傍に拝し、不良民は胆をひやして影をかくした。
それまで、州や県の役所や城をすてて、山野へ逃げこんでいた多くの官吏も、
「孫郎は民を愛し、信義の士をよく用うる将軍らしい」
と、わかると、続々郷へ帰ってきて仕官を願い出て来るものが絶えなかった。
孫策は、それらの文吏をも採用してよく能才を用い、平和の復興に努めさせた。
そしてなお後図の治安は治安として、自身は征馬を南へすすめていたのである。
そのころ、呉郡(浙江省)には、
東呉の徳王
と自ら称している厳白虎が威を揮っていたが、孫策の襲来が、ようやく南へ進路をとってくる様子と聞いて、
「すわこそ!」
と、どよめき立ち、厳白虎の弟厳与は、楓橋(江蘇省・蘇州附近)まで兵を出して防寨に拠った。
この際、孫策は、
「多寡のしれた小城」
と、自身、前線へ立って、一揉みに、突破しようとしたが、張絋にたしなめられた。
「大将の一身は、三軍の生命です。もうあなたは、中軍にあって、天授のお姿を、自重していなければいけません」
「そうか」
孫策は、諫めをきいて、大将韓当に先鋒をいいつけた。
陳武、蔣欽の二将は、小舟にのって、楓橋のうしろへ廻り、敵を挾撃したので、厳与は支えきれず、呉城へ後退してしまった。
息もつかせず、呉城へ追った孫策は、濠ばたに馬を立てて、攻め競う味方を指揮していた。
すると、呉城の高矢倉の窓から半身のり出して、左の手を梁にかけ、右の手で孫策を指しながら、何か、口汚く罵っていた大将らしい漢がある。
「憎き奴かな」
と、孫策がうしろを見ると、味方の太史慈も、目をとめて、弓をひき絞っていた。――太史慈の指が、弦を切って、ぶうんと、一矢放つと、矢は覘いたがわず、高矢倉の梁に突き立った。
しかも、敵の大将らしい漢の手を、梁へ射付けてしまったので、孫策が、
「見事!」と、鞍を叩いて誉めると、全軍みな、彼の手際に感じて快哉をさけび合い、その声からしてすでに呉城を圧していた。
二
太史慈のあざやかな一矢に、高矢倉の梁に掌を射とめられた大将は、
「だれか、この矢をはやく抜き取ってくれ」と、悲鳴をあげて、もがいていたが、そのうちに、馳け寄って来た兵が、矢を抜いて、どこかへ扶けて行った。
その大将は、よい物笑いとなった。太史慈の名は、
「近ごろの名射手よ」と、聞こえ渡った。多年、浙江の一地方に居て、みずから「東呉の徳王」などと称していた厳白虎も、
「これは侮れんぞ」と、年来の自負心に、すこし動揺をおぼえだした。
寄手を見ると、総帥の孫策をはじめ、旗下の将星は、みな驚くほど年が若い。
新しい時代が生みだした新進の英雄群が、旺な闘志をもって、轡をそろえているような盛観だ。
「厳与。――ここはひとつ考えるところだな」
彼は、弟を顧みながら、大きく腕を拱んで言った。
「どう考えるんです」
「どうって、まあ、一時の辱はしのんでも深傷を負わぬうちに、和睦するんだな」
「降服するんですか」
「彼に、名を与えて、実権を取ればいいさ。彼等は若いから、戦争には強いが、深慮遠謀はあるまい。和睦した後で、こちらには、打つ手がある」
兄に代わって、厳与は早速、講和の使者として、孫策の軍中へ赴いた。
孫策は、対面して、
「君が、東呉の徳王の弟か。なるほど......」と、無遠慮に、顔をながめていたが、すぐ酒宴をもうけさせて、「まあ、飲んで話そう」と、酒をすすめた。
厳与は、心のうちで、
「さすが、江東の小覇王とかいわれるだけあって、颯爽たるものだが、まだ乳くさいところは脱けないな。理想主義の書生が、ふと時を得て、兵馬を持ち、有頂天になったというところだろう」
と、観察していた。そして相手の若さを甘く見て、しきりとまず、おだて上げていた。
すると、酒半酣のころ、孫策はふいに、
「君は、こうしても、平然として居られるかね」と、何かわけのわからないことを質問し出した。
「こうしてもとは?」
厳与が、訊かえすと、孫策は突然、剣を抜いて、
「こうしてもだッ」
と、彼の腰かけている椅子の脚を斬った。
厳与は仰向けにひッくり返った。孫策は、腹をかかえて笑いながら、
「だから断わっておるのに」と、転がった方が悪いように言いながら、剣を収めて、愕いたまま蒼ざめている厳与に、手を伸ばして、
「さあ、起き給え。酒のうえの戯れだ。――時に、東呉の徳王がお使者、御辺の兄上には、いったいこの孫策へ向かって、いかなる条件で、和睦を求めらるるのか。御意向を承わろう」
「兄が申すには......」と、厳与は腰のいたみを怺えながら、威儀をつくろい直して言った。
「つまりその、......益なき戦をして兵を損ぜんよりは、長く将軍と和をむすんで、江東の地を平等に分け合おうではありませんか。兄の意はそこにあるんですが」
「平等に?」
孫策は眦をあげて、
「汝らのごとき軽輩が、われわれと同格の気で、国を分け取りにせんなどとは、身の程を知らぬもはなはだしい。帰れッ」と、罵った。
和睦不調と見て、厳与が、黙然と帰りかける後ろへ、とびかかった孫策は、一刀にその首を刎ね落として、血ぶるいした。
三
孫策は、剣を拭って、片隅にふるえている厳与の従者たちに向かい、
「――拾って行け」と、床の上にころがっている厳与の首を指さしながら、重ねて言った。
「当方の返辞は、その首だ。立ち帰って、厳白虎に、ありのまま、告げるがいい」
従者は、主人の首を抱えて、逃げ帰った。
厳白虎は弟が首になって帰ったのを見ると、復讐を思うよりはかえって孫策のすさまじい挑戦ぶりにふるえあがって、
「単独で戦うのは危険だ」と、考えた。
ひとまず会稽(浙江省・杭州)へ退いて、浙江省の諸雄をたのみ、策を立て直そうと、ひどく弱気になって、烏城を捨て、夜中にわかに逃げ出してしまった。
寄手の太史慈や黄蓋などはそれを追いまくって、有分な勝ちを収めた。
きのうまでの、「東呉の徳王」も、見る面影もなくなってしまった。いたるところで追っ手の軍に打ちのめされ、途中、民家をおびやかしてからくも糧食にありついたり、山野にかくれたりしてようやく会稽へたどり着いた。
その時、会稽の太守は、王朗という者だった。王朗は厳白虎を助けて、大軍をくり出し、孫策の侵略に当たろうとした。
すると、臣下のうちに、虞翻、字は仲翔という者があって、
「時が来ました。時に逆らう盲動は、自分を亡ぼすのみです。この戦はお避けなさい」
と、諫言した。
「時とは何だ?」
王朗が問うと、
「時代の波です」と、仲翔は言下に答えた。
「――では、外敵の侵略にまかせて、手を拱いていろというのか」
「厳白虎を捕らえて、孫策に献じ、彼と誼をむすんで、国の安全をおはかりなさい。――それが時代の方向に沿うというものです」
「ばかを申せ。孫策ずれに、会稽の王朗が見っともない媚びを呈せられようか。それこそ世の物笑いだ」
「そうではありません。孫策は、義を尊び、仁政を布き、近来、赫々たる民望をはやくも負っています。それにひきかえ厳白虎は、奢侈、悪政、善いことは、何一つしてきませんでした。しかも頭の古い旧時代の人間です。あなたが手をださなくても、もう時代と共に亡び去る物のひとつです」
「いや、厳白虎とわしとは、旧交も深い。孫策ごときは、われわれの平和をみだす外敵だ。こんな時こそ聯携して、侵略の賊を打たねばならん」
「ああ。あなたも、次の時代に用のないお方だ」
仲翔が長嘆すると、王朗は、激怒して、
「こやつめ、わしの滅亡を希っておるな。目通りはならん。去れっ」と、追放を命じた。
仲翔は甘んじて、国外へ去った。
邸を追われる時、彼はもとより一物も持って出なかったが、平常、籠に飼っていた雲雀だけは、
「おまえも心なき人には飼われたくないだろう」と呟いて、籠のまま抱えて立ち退いた。
彼が王朗に説いたいわゆる時代の風浪は、山野にかくれていた賢人をひろい上げてもゆくが、また、官衙や武府の旧勢力のうちにもいる多くの賢人をたちまち、山林へ追いこんでしまう作用もした。
仲翔もその一人だった。
彼は、黙々と、野を歩いて、これから隠れ棲む草蘆の地をさがした。
そして、名もない田舎の山にかかると、ほっとしたように、
「おまえも故郷に帰れ」と、籠の小禽を青空へ放した。
仲翔は、ほほ笑みながら、青空へ溶け入る小禽の影を見送っていた――これから生きる自分のすがたと同じものにそれが見えたからであろう。
四
仲翔が放してやった籠の小禽が、大空へ飛んでいたころ、もう下界では、会稽の城と、潮のような寄手のあいだに、連日、激戦がくり返されていた。
会稽の太守王朗は、その日、城門をひらいて、自身、戦塵のうちを馳けまわり、
「黄口児孫策、わが前へ出でよ」と、呼ばわった。
「孫策は、これにあり」
と声に応じて、鵯のような若い将軍は、鏘々と剣甲をひびかせて、彼の眼前にあらわれた。
「おう、汝が、浙江の平和を騒がす不良青年の頭か」
聞きもあえず、孫策は、
「この
老猪め、なにを言うか。良民の
膏血を
舐め

って脂ぶとりとなっている
惰眠の賊を、
栄耀の
巣窟から追い出しに来た我が軍勢である。――
眼をさまして、
疾く古城を献じてしまえ」
と、言い返した。
王朗は、怒って、
「虫のいいことを言うな」とばかり、打ってかかった。
孫策も、直ちに戟を交えようとすると、
「将軍、豚を斬るには、玉剣を要しません」
と、後ろからさっと一人の旗下が躍って孫策に代わって王朗へ槍をつけた。
これなん太史慈である。
素破――と王朗の旗下からも周昕が馬をとばして、太史慈へぶつかってくる。
「王朗を逃がすな!」
「太史慈を打ちとれ!」
「周昕をつつめ」
「孫策を生け捕れッ」
双方の喚きは入りみだれ、ここにすさまじい混戦となったが、孫軍のうちから周瑜、程普の二将が、いつのまにか後ろへまわって退路をふさぐ形をとったので、会稽城の兵は全軍にわたって乱れ出した。
王朗は、命からがら城へひきあげたが、その損害は相当手痛いものだったので、以来、栄螺のように城門をかたく閉めて、
「うかつに出るな」と、専ら防禦に兵力を集中してうごかなかった。
城内には、東呉から逃げて来た厳白虎もひそんでいた。厳白虎も、
「寄手は、長途の兵、このまま一カ月もたてば兵糧に因って来ます。――長期戦こそ、彼等の苦手ですから、守備さえかためていれば、自然、孫策は窮してくるにきまっている」
と、一方の守備をうけ持って、いよいよ築土を高くし、あらゆる防禦を講じていた。
果たして、孫策のほうは、それには弱っていた。いくら挑戦しても、城兵は出て来ない。
「まだ、麦は熟さず、運輸には道が遠い。良民の蓄えを奪い上げて、兵糧にあててもたちまち尽きるであろうし、第一われ等の大義が立たなくなる。――いかがいたしたものだろう」
「孫策よ。わしに思案があるが」
「おお、叔父上ですか。あなたの御思案とおっしゃるのは?」
孫策の叔父孫静は、彼の問いに答えて、
「会稽の金銀兵糧は、会稽の城にはないことを御身は知っているか」
「存じませんでした」
「ここから数十里先の査瀆にかくしてあるんじゃよ。だから急に、査瀆を攻めれば、王朗はだまって見ておられまい」
「ごもっともです」
孫策は、叔父の説をいれた。その夜、陣所陣所にたくさんな篝を焚かせ、おびただしい旗を立てつらね、さも今にも会稽城へ攻めかかりそうな擬兵の計をして置いて、その実、査瀆へ向かって、疾風のごとく兵を転じていた。
五
擬兵の計を知らず、寄手のさかんな篝火に城兵は、
「ぬかるな! 襲って来るぞ」と、眠らずに、防備の部署についたが、夜が白んで城下の篝火が消えてみると、城下の敵は一兵も見えなかった。
「査瀆が襲われている!」
こう聞いた王朗は、仰天して城を出た。そして査瀆へ駆けつける途中、またも孫策の伏兵にかかって、ついに王朗の兵は完膚なきまでに殲滅された。
王朗は、ようやく身をもって死地をのがれ、海隅(浙江省・南隅)へ逃げ落ちて行ったが、厳白虎は余杭(浙江省・杭州)へさして奔ってゆく途中、元代という男に酒を飲まされて、熟睡しているところを、首を斬られてしまった。
元代は、その首を孫策へ献じて、恩賞にあずかった。
こうして、会稽の城も、孫策の手に落ち、南方の地方はほとんど彼の統治下になびいたので、叔父、孫静を会稽の城主に、腹心の君里を、吾郡の太守に任じた。
すると、そのころ、宣城から早馬が来て、彼の家庭に、小さな一騒動があったことを報らせて来た。
「ある夜、近郷の山中に住む山賊と、諸州の敗残兵とが、一つになって、ふいに宣城へ襲せてきました。弟様の孫権、大将周泰のおふた方で、防ぎに努めましたが、その折、賊のなかへ斬って出られた御舎弟孫権様をたすけるため、周泰どのには、甲も着ず、真ッ裸で、大勢を相手に戦ったため槍刀創を、体じゅうに十二ヵ所も受けられ、瀕死の容態でございます」
使いのはなしを開くと、孫策は急いで宣城へ帰った。なによりも、案じられていた母の身は、つつがなかったが、周泰は、想像以上、ひどい重傷で、日夜苦しがっていた。
「なんとかして、助けてやりたいが、よい名薬はないか」
と家臣へ、知識を求めると、先に厳白虎の首を献じて、臣下の一員となっていた元代が、
「もう七年も前ですが、海賊に襲われて、手前がひどい矢疵を受けた時、会稽の虞翻という者が自分の友だちに、名医があるといって紹介してくれまして、その医者の手当で、わずか十日で全治したことがありましたが」
と、話した。
「虞翻とは、仲翔のことではないか」
「よく御存じで」と、元代は、孫策のことばに眼をみはった。
「いや、その仲翔は、王朗の臣下だったが、探し出して用うべき人物だと、わしは張昭から薦められていたところだ。――さっそく、仲翔をさがし出し、同時に、その名医も、伴れて来てもらいたいが」
孫策の命に、
「仲翔は今、どこにいるか」と、諸郡の吏に、捜索の令が行き渡った。
仲翔は、つい先ごろ、野にかくれたばかりだが、またすぐに見出されて孫策の命を聞くと、
「人ひとりの命を助けるためとあれば」
と、友人の医者を伴い、さっそく宣城へやってきた。
仲翔の親友というだけあって、その医者も変わっていた。
白髪童顔の老人で、いかにも清々と俗気のない姿だ。
野茨かなにか、白い花を一輪持って、絶えず嗅ぎながら歩いている。あんまり人間くさい中へ来たので、野のにおいが恋しいといったような顔つきだ。
孫策が、会って名を問うと、
「華陀」と、答えた。
沛国譙郡の生まれで、字を元化という。素姓はあるが、よけいなことは言いたがらないのである。
すぐ病人を診て、
「まず、ひと月かな」と、つぶやいた。
果たして、一月の中に、周泰の瘡は、拭ったように全治した。
孫策は、非常によろこんで、
「まことに、君は名医だ」と、言うと華陀は、
「あなたもまた、国を治す名医じゃ。ちと、療治は荒いが」
と、笑った。
「なにか、褒美に望みはないか」
と、孫策がきくと、
「なにもない。仲翔を用いて下されば、有り難い」
と、答えた。
平和主義者
一
江南江東八十一州は、今や時代の人、孫策の治めるところとなった、兵は強く、地味は肥沃、文化は潑剌と清新を呈してきて、
小覇王孫郎
の位置は、確固たるものになった。
諸将を分けて、各地の要害を守らせる一方、ひろく賢才をあつめて、善政を布いた。やがてまた、朝廷に表を捧げて、中央の曹操と親交をむすぶなど、外交的にも進出する傍ら、かつて身を寄せていた淮南の袁術へ、
「爾来、御ぶさたをいたしていましたが」
と、久しぶりに消息を送って、さて、その使者をもって、こう言わせた。
「かねて、お手許へお預けしておいた伝国の玉璽ですが、あれは大切なる故人孫堅の遺物ですから、この際お返しねがいたいものです。――もちろん、当時拝借した兵馬に価する物は、十倍にもしてお返し申しますが」
× × ×
時に。
その後の袁術の勢力はどうかというに、彼もまた淮南を中心に、江蘇、安徽一帯に渡っていよいよ強大を加え、しかも内心不敵な野望を抱いていたから、軍備城塞にはことに力を注いでいた。
「今日、この議閣に諸君の参集を求めたのはほかでもないが、今となって孫策から、にわかに、伝国の玉璽を返せと言ってきた。――どう答えてやったものだろうか、それに就いて、各々に意見あらば言ってもらいたい」
その日。
袁術は、三十余名の諸大将へ向かって諮った。
長史楊大将、都督長勲をはじめとして、紀霊、橋甤、雷薄、陳闌――といったような歴々がのこらず顔をそろえていた。
「真面目に御返辞などやるには当たりますまい、黙殺しておけばよろしい」
一人の大将が言う。
すると、次席の将がまた、
「孫策は、忘恩の徒だ。――御当家で養われたばかりか、偽って、三千の兵と、五百頭の馬を拝借して去ったまま、今日まで何の沙汰もして来ない。――便りをしてきたと思えば、預けた品を返せとはなんたる無礼か」と、罵った。
「ウム、ウム」
袁術の顔色は良かった。
諸臣はみな彼の野望をうすうす知っていた。で、いっせいに、
「よろしく江東に派兵して、忘恩の徒を懲らすべきである」と、衆口こぞって言った。
しかし、楊大将は反対して、
「江東を討つには、長江の嶮を渡らねばならん。しかも孫策は今、日の出の勢いで、士気は昂っている――如かず、ここは一歩自重してまず北方の憂いをのぞき、味方の富強を増大しておいてから悠々南へ攻め入っても遅くないでしょう」
「そうだ。......北隣の憂いといえば小沛の劉備と、徐州の呂布だが」
「小沛の劉備は小勢ですから、踏みやぶるに造作はありませんが、呂布がひかえています。――そこで謀計をもって、二者を裂かねばなりません」
「いかにして、二者を反かせるか」
「それは易々とできましょう。ただし、先に御当家から呂布へ与えると約束した兵糧五万斛、金銀一万両、馬、緞子などの品々を、きれいにくれてやる必要がありますが」
「よし、やろう」
袁術は、即座にその説を取りあげた。
「やがて、小沛と徐州がおれの饗膳へ上るとすれば、安い代価だ」
先に、劉備と戦った折、呂布へ与えると約束して与えなかった糧米、金銀、織布、名馬など、莫大なものが、ほどなく徐州へ向けて蜿蜓と輸送されて行った。
呂布の歓心を求めるために。
そして、劉備を孤立させ、その劉備を屠ってから、呂布を制する謀計であることは言うまでもない。
二
呂布も、そう甘くはない。
「はてな、今となって、あの袁術が、莫大な財貨を贈って来たのは、どういう肚なのだろう」
もとより、意欲では歓んだが、同時に疑心も起こした。
「陳宮、そちはどう思う」
腹心の陳宮に問うと、
「見えすいたことですよ」と陳宮は笑った。
「あなたを牽制しておいて、一方の劉備を討とうという袁術の考えでしょう」
「そうだろうな。おれもなんだかそんな気がした」
「劉備が小沛にいることは、あなたにとっては前衛にはなるがなんの害にもなりません。それに反して、もし袁術の手が伸びて、小沛が彼の勢力範囲になったら、北方の泰山諸豪とむすんで来る惧れもあるし、徐州は枕を高くしていることはできなくなる」
「その手には乗らんよ」
「そうです。乗ってはなりません。受ける物は遠慮なく受けて、冷観しておればよろしいのです」
数日の後。
果たせるかな情報が入った。
准南兵の怒濤が、小沛へ向かって活動しだしたというのである。
袁術の幕将の一人たる紀霊がその指揮にあたり、兵員十万、長駆して小沛の県城へ進軍中と聞こえた。
もちろん、袁術から、先に代償を払っているので、徐州の呂布には懸念なく、軍を進めているらしい。
一方、小沛にある劉玄徳は、到底、その大軍を受けては、勝ち目のないこともわかっているし、第一兵器や糧秣さえ不足なので、
「不測の大難が湧きました。至急、御救援をねがいたい」
と、呂布へ向かって早馬を立てた。
呂布は、ひそかに動員して、小沛へ加勢をまわしたのみか、自身も両軍の間に出陣した。
准南軍は、意外な形勢に呂布の不信を鳴らした。大将の紀霊からは、激越な抗議を呂布の陣へ持ち込んで来た。
呂布は、双方の板ばさみになったわけだが、決して困ったような顔はしなかった。
袁術からも、劉備からも、双方ともにおれを恨まぬように裁いてやろう。
呂布のつぶやくのを聞いて、陳宮は、彼にそんな器用な捌きがつくかしらと疑いながら見ていた。
呂布は、二通の手紙を書いた。
そして紀霊と劉備を同日に、自分の陣へ招待した。
小沛の県城からすこし出て、玄徳も手勢五千たらずで対陣していたが、呂布の招待状が届いたので、「行かねばなるまい」と、起ちかけた。
関羽は、断じて引き止めた。
「呂布に異心があったらどうしますか」
「自分としては、今日まで彼に対して節義と謙譲を守ってきた。彼をして疑わしめるような行為はなにもしていない。――だから彼が、予を害そうとするわけはない」
玄徳は、そう言って、もう歩を運びかけた。すると張飛が、前に立って、
「あなたは、そういっても、われわれには、呂布を信じきれない。――しばらくお出ましは待って下さい」
「張飛ッ。どこへ行くか」
「呂布が城外へ出て、陣地にあるこそ勿怪の幸いです。ちょっと、兵を拝借して彼奴の中軍をふいに襲い、呂布の首をあげて、ついでに、紀霊の先鋒をも蹴ちらして帰ってきます。二刻とはかかりません」
玄徳は、呂布の迎えよりも、彼の暴勇の方を遙かに恐れて、
「関羽ッ、孫乾ッ、はやく張飛を止めろ」
と、左右へ言った。
張飛はもう剣を払って馳け出していたが、人々に抱き止められてようやく連れ戻されて来た。
三
関羽は張飛を諭した。
「貴様、それほどまで、呂布を疑って万一を案じるなら、なぜ、命がけでも、守護するの覚悟をもって、家兄のお供をして呂布の陣へ臨まないか」
張飛は、唾するように、
「行くさ! だれが行かずにいるものか」と、玄徳に従って、自分もあわてて馬に乗った。
関羽が苦笑すると、
「何を笑う。自分だって、行くなと止めた一人じゃないか」
と、まるで子どもの喧嘩腰である。
呂布の陣へ来ると、なおさら張飛の顔は硬ばったまま、ニコともしない。さながら魁偉な仮面だ。眼ばかり時々左右へ向かってギョロリとうごく。
関羽も、油断せず玄徳のうしろに屹然と立っていた。
やがて、呂布が席についた。
「よう来られた」
この挨拶はいいが、その次に、「この度は御辺の危難をすくうためこの方もずいぶん苦労した。この恩を忘れないようにして貰いたいな」と、言った。
張飛、関羽の二つの顔がむらむらと燃えている。
――が、玄徳は頭を低く下げて、
「御高恩のほど、なにとて忘れましょう。かたじけのうぞんじます」
そこへ、呂布の家臣が、
「准南の大将紀霊どのが見えました」
「オ。はや見えたか。これに御案内しろ」
呂布は、軽く命じて、けろりと澄ましているが、玄徳は驚いた。
紀霊は、敵の大将だ。しかも交戦中である。あわてて席を立ち、
「お客のようですから、私は失礼しておりましょう」
と、避けてそこを外そうとすると、呂布は押し止めて、
「いや、今日はわざと、足下と紀霊とを、同席でお呼びしてあるのだ。まあ、相談もあるから、そこへかけておいでなさい」
そのうちに、もう紀霊が、つい外まで案内されて来た様子。
呂布の臣となにか話しながらやってくるらしく、豪快な笑い声が近づいてくる。
「こちらです」
案内の武士が、営門の帷を揚げて、閣の庭を指すと、紀霊は何気なく入りかけたが、
「......あっ?」と、顔色を変えて、そこへ足を止めてしまった。
玄徳、関羽、張飛。
敵方の三人が、揃いも揃ってそこの席にいたのである。――紀霊にしても驚いたのはむりもない。
呂布は、振り返って、「さ。これへ来給え」と、空いている一席を指さした。
しかし、紀霊は、疑わずにいられなかった。恐怖のあまり彼は身を翻して、外へ戻ってしまった。
「来給えというのに。なにを遠慮召さるか」
呂布は立って行って、彼の臂をつかまえた。そして、小児のごとく吊り下げて、中へ入れようとするので、紀霊は、
「呂公、呂公。何科あって、君はこの紀霊を、殺そうとし給うのか」と、悲鳴をあげた。
呂布は、くすくす笑って、
「君を殺す理由はない」
「では、玄徳を殺す計で、あれは招いておるのか」
「いや、玄徳を殺す気もない」
「しからば......一体どういうおつもりで?」
「双方のためにだ」
「わからぬ。まるで狐に憑ままれたようだ。そう人を惑わせないで、本心を語って下さい」
「おれの本心は、平和主義だ。おれは元来、平和を愛する人間だからね。――そこで今日は、双方の顔をつき合わせて、和睦の仲裁をしてやろうと考えたわけだ。この呂布が仲裁では、君は役不足というのか」
四
平和主義も顔負けしたろう。
それも、余人が言うならともかく、呂布が自分の口で、(おれは平和主義だ)と、見得を切ったなどは、近ごろの珍事である。
もとより紀霊も、こんな平和主義者を、信用するはずはない。可笑しいよりも、彼は、なおさら疑惑に脅やかされた。
「和睦といわれるが、いったい和睦とは、どういうわけで?」
「和睦とは、合戦をやめて、親睦をむすぶ事さ。知らんのか君は」
紀霊は、呆気にとられた。
その顔つきを煙に捲いて、呂布は、彼の臂を引っ張ッたまま席へ伴れて来た。
変なものが出来あがった。
座中の空気は白けてしまう。紀霊と玄徳とは、ここで、客同士だが、戦場では当面の敵と敵である。
「............」
「............」
お互いにしり眼に見合って、毅然と構えながらももじもじしていた。
「こう並ぼう」
呂布は、自分の右へ、玄徳を招じ、左の方へ、紀霊の座をすすめた。
酒宴になった。
だが、酒の旨かろうはずがない。どっちも、黙々と、杯の端を舐めるような事をしている。
そのうちに呂布が、
「さあ、これでいい。――これで双方の親交も成立した。胸襟をひらいて、ひとつ乾杯しよう」
と、ひとり飲みこんで杯を高くあげた。
しかし、挙がった手は、彼の手だけだった。
ここに至っては、紀霊も黙っていられない。席を蹴らんばかりな顔をして、
「冗談は止めたまえ」と、呂布へ正面を切った。
「なにが冗談だ」
「考えてもみられよ。それがしは君命をうけて、十万の兵を引率し、玄徳を生け捕らずんば生還を期せずと、この戦場に来ておるのだ」
「わかっておる」
「百姓町人の擲合かなんぞなら知らぬこと。そう簡単に、兵を引き揚げられるものではない。それがしが戦を熄める日には玄徳を生け捕るか、玄徳の首を戟に貫いて、凱歌をあげる日でなければならん」
「............」
玄徳は、黙然と聞いていたが、その後ろに立っていた関羽、張飛の双眼には、ありありと、烈火が滾っていた。
――と思うまに、張飛は、玄徳のうしろから戞々と、大股に床踏み鳴らして、
「やい紀霊ッ。これへ出ろ。――黙っておれば、人もなげな広言、われわれ劉玄徳と誓う君臣は、兵力こそ少ないが、汝らごとき蛆虫やいなごとは実力がちがう。そのむかし、黄巾の蜂徒百万を、わずか数百人で蹴散らした俺たちを知らないか。――もういちどその舌の根をうごかしてみろ! ただは置かんぞッ」
あわや剣を抜いて躍りかかろうとするかの血相に、関羽は驚いて、張飛を抱きとめ、
「そう貴様一人で威張るな。いつも貴様が先に威張ってしまうから、俺などの出る所はありはしない」
「愚図愚図言っているのは、それがし
大
いだ。やい紀霊、戦場に所は選ばんぞ。それほど、わが家兄の首が欲しくば取ってみろ」
「まあ、待てと申すに。――呂布にもなにか考えがあるらしい。呂布がどう処置をとるか、もうしばらく、家兄のように黙りこくって見ているがいい」
すると、張飛は、
「いや、その呂布にも、文句がある。下手な真似をすると、呂布だろうが、だれだろうが、容赦はしていねえぞ」
と、髪は、冠をとばし、髯は逆しまに分かれて、丹のごとき口を歯の奥まで見せた。
五
そう張飛に挑戦されては、紀霊もしりごみしてはいられない。
「この匹夫めが」
剣を鳴らして起ちかけた。
呂布は、双方を睨みつけて、
「やかましい。無用な騒ぎ立てするな」と、大喝して、「だれか、来い」と、後ろへもどなった。
そして馳け集まって来た家臣等に向かい、
「おれの戟を持って来い。おれの画桿の大戟のほうだ」と、すさまじい語気でいいつけた。
出来合いの平和主義も、意のままにならないので、たち所に憤怒の本相をあらわす気とみえる。彼が立腹したら何をやり出すかわからない。紀霊も非常に恐れたし、玄徳も息をのんで、
「どうなる事か」と、見まもっている。
画桿の大戟は彼の手に渡された。それを引っ抱えながら一座を睨めまわして、呂布はこう言い出した。
「今日、おれが双方を呼んで、和睦しろというのは、おれが言うのじゃない。天が命じているのだ。それに対して、私の心をはさみ、四の五の並べ立てるのは天の命に反くものだぞ」
果然、彼はまだ、厳かな平和主義者の仮面を脱がない。
なに思ったか、呂布は、そう言うや、否、ぱっと、閣から走り出して、かなた、轅門のそばまで一息に飛んでゆくと、そこの大地へ、戟を逆しまに突きさして帰って来た。
そしてまた言うには、
「見給え、ここから轅門までのあいだ、ちょうど百五十歩の距離がある」
一同は、彼の指さすところへ眼をやった。なんのために、あんな所へ戟を立てたのか、ただ怪訝るばかりだった。
「――そこでだ。あの戟の枝鍔を狙って、ここからおれが一矢射て見せる。首尾よくあたったら、天の命を奉じて、和睦をむすんで帰り給え。あたらなかったら、もっと戦えよという天意かも知れない。おれは手を退いて干渉を止めよう。勝手に、合戦をやりつづけるがいい」
奇抜なる提案だ。
紀霊は、あたるはずはないと思ったから、同意した。
玄徳も、
「おまかせする」と、言うしかなかった。
「では、もう一杯飲んで」と、席に着き直って、呂布はまた、一巡酒をすすめ、自分もかなたの戟を見ながら飲んでいたが、やがてぽっと酔いが顔に徴して来たころ、
「弓をよこせ!」と、家臣へどなった。
閣の前へ出て、呂布は正しく片膝を折った。
弓は小さかった。
弭――または李満弓ともいう半弓型のものである。けれど梓に薄板金を貼り、漆巻で緊めてあるので、弓勢の強いことは、強弓とよぶ物以上である。
「............」
ぶッん!
弦はぴんと返った。切って離たれた矢は笛のごとく風に鳴って、一線、鮮やかに微光を描いて行ったが、カチッと、かなたで音がしたと思うと、戟の枝鍔は、星のように飛び散り、矢は砕けて、三つに折れた。
「――あたった!」
呂布は、弓を投げて、席へもどった。そして紀霊に向かい、
「さあ約束だ。すぐ天の命を受け給え。何、主君に対して困ると。――いや袁術へは、こちらから書簡を送って、君の罪にならぬように言っておくからいい」
彼を、追いかえすと、呂布は玄徳へ、得意になって言った。
「どうだ君。もし俺が救わなかったら、いかに君の左右に良い両弟が控えていても、まず今度は、滅亡だったろうな」
売りつける恩とは知りながらも、玄徳は、
「身の終わるまで、今日の御恩は忘れません」
と、拝謝して、程なく小沛へ帰って行った。
花 嫁
一
「このまま踏み止まっていたら、玄徳はさて措いて、呂布が、違約の敵と名乗って、総勢で攻めてくるにちがいない」
紀霊は、呂布を恐れた。
何だか呂布に一ぱい

わされた気もするが、彼の太い神経には、まったく圧服されてしまった。
やむなく紀霊は、兵を退いて、淮南へ帰った。
彼の口から、仔細を聞いて、赫怒したのは、袁術であった。
「彼奴。どこまで図太い奴か底が知れん。莫大な代償を受け取っておきながら、よくも劉備を庇いだてして、無理押しつけな和睦などを酬いおったな」
虫が納まらない。
袁術、堪忍をやぶって、
「この上は、予が自身で、大軍をすすめ、徐州も小沛も、一挙に蹴ちらしてくれん」
と、令を発せんとした。
紀霊は、自己の不面目を、ふかく恥じていたが、
「いけません。――断じて、うかつには」と、諫めた。
「呂布の勇猛は、天下の定評です。勇のみかと思っていたら、どうして、機智も謀才もあるのには呆れました。それが徐州の地の理をしめているのですから、下手に出ると、大兵を損じましょう」
「と言うと、彼奴が北隣に蟠踞していては、将来ともこの袁術は、南へも西へも伸びることができないではないか」
「それに就いて、ふと思い当たったことがあります。聞くところによると、呂布には妙齢の美しい娘がひとりあるそうです」
「妾の腹か、妻女の子か」
「妻女の厳氏が生んだ愛娘だというはなしですから、なお、都合がいいのです」
「どうして」
「御当家にも、はや嫁君を迎えてよい御子息がおありですから、婚を通じて、まず、呂布の心を籠絡するのです。――その縁談を、彼が受けるか受けないかで、彼の向背も、はっきりします」
「む、む」
「もし彼が、縁談をうけて、娘を御子息へよこすようでしたら――しめたものです。呂布は、劉備を殺すでしょうよ」
袁術は、膝を打って、
「よい考えだ。良策を献じた褒美として、この度の不覚は、罪を問わずにおいてやる」
と、言った。
袁術はまず、一書を認めて、このたび和睦の労をとられた貴下の御好意に対して、満腔の敬意と感謝を捧げる――と慇懃な答礼を送った。
日をはかって、それからわざと二月ほどの間をおいてから、
「――時に、光栄ある貴家と姻戚の縁をむすんで、永く共栄を頒かち、親睦のうえにも親睦を篤うしたいが」と、縁談の使いを向けた。
もちろんその返辞は、
「よく考えた上、いずれ御返辞は、当方より改めて」と、世間なみな当座の口上であった。
先には、和睦の仲介へ、篤く感謝して来ているし、それからの縁談なので、呂布は、真面目に考慮した。
「わるい話でもないな。......どうだね。お前の考えは」
妻の厳氏に相談した。
「さあ......?」
愛しいひとり娘なので、彼の妻も、象牙を削ったような指を頰にあてて考えこんだ。
後園の木蘭の花が、ほのかに窓から匂ってくる。呂布のような漢でも、こういう一刻は和やかな眼をしているよい父親であった。
二
第一夫人、第二夫人、それと、いわゆる妾とよぶ婦人と。
呂布の閨室は、もともと、そう三人あった。
厳氏は正妻である。
その後、
曹
の
女を入れて、第二の妻としたが、
早
してしまったので子供もなかった。
三番目のは妾である。
妾の名は、貂蟬という。
貂蟬といえば、彼が、まだ長安にいたころ、熱烈な恋をよせ、恋のため、董相国に反いて、ついに、時の政権をくつがえしたあの大乱の口火となった一女性であるが――その貂蟬はまだ彼の秘室に生きていたのだろうか。
「貂蟬よ、貂蟬よ」
彼は今も、よくそこの閏園では呼んでいる。だが、その後、彼に傅いている貂蟬は、彼の王允の養女であった薄命な貂蟬とは、名こそ同じだが、別人であった。
どこか、似てはいる。
しかし、年もちがう、気だてもちがう。
呂布も、煩悩児であった。
長安大乱のなかで死んだ貂蟬があきらめきれなかった。それ放、諸州にわたって、貂蟬に似た女性をさがし、ようやくその面影をどこか偲べる女を得て、
「貂蟬、貂蟬」と、呼んでいるのだった。
その貂蟬にも、子はなかったので、子供といっては、厳氏の腹から生まれた娘があるだけである。
煩悩な父親は、その愛娘へも、人なみ以上な鍾愛をかけている。――子の幸福を、自分の行く末以上に案じている。
「どうだね?」
袁術からの縁談には、彼はほとほと迷っていた。
男親は、あまりに、多方面から考えすぎる。
一面では良縁と思うし、一両では危うさを覚える。
「......妾は、いいおはなしと思いますが」
正妻の厳氏は言った。
「なぜならば、妾が、ふと聞いたうわさでは、袁術という人は、早晩、天子になるお方だそうですね」
「だれに聞いた?」
「だれとはなく、
侍女たちまで、そんな

をささやきます。――天子の位につく資格をもっているんですって」
「彼の手には、伝国の玉璽がある。それでだろう。――しかし、衆口のささやき伝える力のほうが怖ろしい。実現するかもしれないな」
「ですから、よいではございませんか。娘を嫁入らせば、やがて皇妃になれる望みがありましょう」
「おまえも偉いところへ眼をつけるな」
「女親のいちばん考える問題ですもの。ただ、先方に何人の息子がいるか、それは調べておかなければいけませんね。大勢のなかの一番出来の悪い息子なんかに貰われたら後悔しても追いつきませんから」
「その点は、不安はない。袁術には、一人しか息子はいないのだから」
「じゃあ、考えていらっしゃる事はないじゃありませんか」
雌鶏のことばに、雄鶏も羽ばたきした。――袁家から申しこんで来た「共栄の福利を永久に頒かたん」との辞令が、真実のように思い出された。
返辞を待ちきれないように、袁家からは、再度韓胤を使者として、
「御縁談の儀は、いかがでしょうか。一家君臣をあげて、この良縁の吉左右を、鶴首しておるものですから」と、内意を質しに来た。
呂布は、韓胤を駅館に迎えて、篤くもてなし、承知の旨を答えると共に、使者の一行にたくさんな金銀を与え、また帰る折には、袁術へ対して、豪華な贈り物を馬や車に山と積んで持たせてやった。
「申し伝えます。さだめし袁御一家におかれても、御満足に思われましょう」
韓胤の帰った翌日である。
例のむずかしやの陳宮が、いとどむずかしい顔をして、朝から政務所の閣にひかえ、呂布が起き出してくるのを待っていた。
三
やがて、呂布が起きて来た。
「おお、陳宮か、早いな」
「ちと、おはなしがありまして」
「なんじゃ」
「袁家との御縁談の儀で」
陳宮の顔つきから見て、呂布は心のうちで、ちょっと当惑した。
また何か、この諫言家が、自分を諫めに来たのではないか。
もう先方へは承諾を与えてある。今、内輪から苦情をもち出されてはうるさい。
「............」
そんな顔しながら、寝起きの鈍い眼を、横へ向けていた。
「おさしつかえ御座いませんか。ここで申し上げても」
「反対かな。そちは」
「いや、決して」
陳宮が、頭を下げたので、呂布はほっとして、
「吏員どもが出てくるとうるさい。あの亭へ行こう」
閣を出て、木蘭の下を歩いた。
水亭の一卓を囲んで、
「そちにはまだ話さなかったが、妻も良縁というから、娘をやることに決めたよ」
「結構でしょう」
陳宮の答えには、すこし奥歯に物が挾まっている。
「いけないかね」
呂布は、彼の諫めを惧れながら、彼の保証をも求めていた。
「いいとは思いますが、その時期が問題です。挙式は、いつと約しました」
「いや、まだそんなところまでは進んでいない」
「約束からお輿入れまでの日取りには、古来から一定した期間が定まっておりましょう」
「それに拠ろうと思う」
「いけません」
「なぜ」
「世上一般の慣例としては、婚約の成立した日から婚儀までの期間を、身分によって四いろに分けています」
「天子の華燭の式典は一ヵ年、諸侯ならばそのあいだ半年、武士諸大夫は一季、庶民は一ヵ月」
「そのとおりです」
「そうか。むむ......」と、呂布はのみこみ顔で、
「袁術は、伝国の玉璽を所有しておるから、早晩、天子となるかもしれない。だから、天子の例にならえと言うのか」
「ちがいます」
「では、諸侯の資格か」
「否」
「大夫の例で行なえというか」
「いけません」
「しからば......」と、呂布も気色ばんだ。
「おれの娘をやるのに、庶民なみの例で輿入れせよと申すか」
「さようなことは、だれも申し上げますまい」
「わからぬ事をいうやつ、それでは一体、どうしろと言うのか」
「事は、家庭の御内事でも、天下の雄将たるものは、常に、風雲をながめて何事もなさるべきでしょう」
「もちろん」
「驍勇並ぶ者なきあなたと、伝国の玉璽を所有して、富国強兵を誇っているところの袁家とが、姻戚として結ばれると聞いたら、これを呪咀し嫉視せぬ国がありましょうか」
「そんな事を怖れたらどこへも娘はやれまい」
「しかし、万全を計るべきでしょう。御息女のおためにも。――お輿入れの吉日を、千載の好機と待ちかまえ、途中、伏兵でもおいて、花嫁を奪い去るような惧れがないといえますか」
「それもそうだ......じゃあどうしたらいいだろう」
「吉日を待たないことです。身分も慣例も構うことではありません。四隣の国々が気づかぬまに、疾風迅雷、御息女のお輿を、まず袁家の寿春まで、お送りしてしまうことです」
四
「なるほど」
呂布も、彼に言われてみれば、至極、もっともであると思うのだった。
「――だが、弱ったなあ」
「何がお困りですか」
陳宮は突っこんで訊ねた。
呂布は頭を搔いて、
「実は、夫人もこの縁談には乗り気で、非常な歓びだものだから......つい其方にも計らぬうち、袁術の使者へ、承諾の旨を答えてしまった」
「結構ではありませんか。てまえはべつに今度の縁談をお止め申しているのではございません」
「――だが、使者の韓胤は、もはや淮南へ、帰国してしまったのだ」
「それも構いません」
「なぜ。どうして」
呂布は、怪しんだ。
あまりに陳宮が落ち着きはらって居るので妙に思われて来たらしい。
陳宮は、こう打ち明けた。
「――実はです。今朝、てまえ一存で、ひそかに韓胤の旅館を訪問し、彼とは内談しておきました」
「なに。袁術の使者と、おれに黙って会っていたのか」
「心配でなりませんから」
「――で。どういうはなしをいたしたのか」
「わたしは、韓胤に会うと、単刀直入に、こう口を切って言いました。
こんどの御縁談は
つまるところ――
貴国に於ては
劉備の首がお目あてでしょう。
花嫁は花嫁として
後から欲しいお荷物は
劉備の首、それでしょう!
いきなり手前が言ったものですから韓胤は驚いて、顔色を失いましたよ」
「それはそうだろう。......そしたら韓胤はなんと答えたか」
「ややしばらくてまえの面を見ていましたが、やがて声をひそめて、
――さような儀は
どうか大きなお声では
おっしゃらないように。
と、あれもなかなか一くせある男だけに、いい返辞をしたものです」
「ふウム。それから、其方はなにを言おうとしたのか」
「花嫁のお輿入れは、世間の通例どおりにしては、必ず、不吉が起こる。順調に運ぶとは思われない。だから、自分からも、主君にそうおすすめ申すから、貴国の方でも、即刻お取り急ぎ下さるように。......こう申して帰って来たのです」
「韓胤は、おれには、何も言わなかった」
「それは言わないでしょう。この縁談は、政略結婚ですと、明らかに言って来るお使者はありませんからな」
陳宮は、こう言ったら、呂布が考え直すかと思って、その顔いろを見つめていたが、呂布の心は、娘を嫁がせる支度やその日取りにばかりもう心を奪われていた。
「では、日取りは、早いほどいいわけだな。何だか、ばかに気忙しくなったぞ」
彼はまた、後閣へ向かって、大股にあるいて行った。
妻の厳氏にいいふくめて、それから、夜を日についで、輿入れの準備をいそがせた。
あらゆる華麗な嫁入妝匣がそろった。おびただしい金襴や綾羅が縫われた。馬車や蓋が美々しくできた。
いよいよ花嫁の立つ朝は来た。東雲のころから、徐州城のうちは、鼓楽の音がきこえていた。ゆうべから夜を明かして、盛大な祝宴は張られていたのである。
やがて、禽の啼く朝の光と共に、城門はひらかれ、花嫁をのせた白馬金蓋の馬車は、たくさんな侍女侍童や、美装した武士の列に護られて、まるで紫の雲も棚びくかとばかり、城外へ送り出されて来た。
五
陳珪は、老齢なので、息子の邸で病を養っていた。
彼の息子は、劉玄徳の臣、陳登であった。
「なんだね、あの賑やかな鼓楽は?」
病室に傅いている小間使いが、
「御隠居さまには、まだ御存じないんですか」と、徐州城を出た花嫁の行列が、遠い淮南へ立ってゆくのを、町の人たちが今、歓呼して見送っているのですと話した。
すると、陳珪は、
「それは大変じゃ。こうしては居られない」と、病室から歩み出し、
「わしを驢に乗せて、お城まで連れてゆけ」と、言って、どうしても肯かなかった。
陳珪は、息をきりながら徐州城へ上って、呂布へ目通りを希った。
「病人のくせに、何で出て来たのか。祝いになど来ないでもいいのに」と、呂布が言うと、
「あべこべです」
陳珪は、強くかぶりを振って、言い出した。
「――あなたの御臨終もはや近づいたので、今日は、お悼みを述べに上りました」
「老人。おまえは、自分のことを言っているのじゃないか」
「いいえ、老病のわたくしよりもあなたの方が、お先になりました」
「なにを、ばかな」
「でも、命数は仕方がございません。御自分で、冥途へ冥途へと、自然、足をお向けになるんですから」
「不吉なことを申すな。このめでたい吉日に」
「きょうが吉日とお考えになられるのからして、もう死神につかれているのです。――なぜならば、こんどの御縁談は、袁術の策謀です。あなたに、劉備という者がついていては、あなたを亡ぼす事ができないため、まず御息女を人質に取っておいて、それから劉備のいる小沛へ攻め寄ろうとする考えなのです」
「............」
「劉備が攻められても、今度はあなたも劉備へ加勢はできますまい。彼を見殺しにすることは、御自身の手脚がもがれて行くことだとお思いになりませんか」
「............」
「やれやれ、ぜひもない! 怖ろしいのは、人の命数と、袁術の巧妙な策略じゃ」
「ウ―ム......」
呂布はうなっていたが、やがて陳珪をそこへ置き放したまま、大股にどこかへ出て行った。
「陳宮っ。陳宮!」
閣の外に、呂布の大声が聞こえたので、何事かと、陳宮が詰め所から走ってゆくと、その面を見るなり、呂布は、
「浅慮者め。貴様はおれを過らせたぞッ」と、呶鳴りつけた。
そしてにわかに、騎兵五百人を庭上へ呼んで、
「姫の輿を追いかけて、すぐ連れもどして来いっ。――輿入れは中止だ」と、言いわたした。
呂布のむら気はいつもの事だが、これにはみんな泡をくった。騎兵隊は、即刻、砂けむりあげて、花嫁の行列を追った。
呂布は、書面を認めて、
「昨夜から急にむすめが微恙で寝ついたので、輿入れの儀は、当分のあいだ延期と御承知ねがいたい」と、袁術の方へ、早馬で使いをやった。
病人の陳珪老人は、その夕方まで城内にいたが、やがてトボトボ驢の背にのってわが家へ帰りながら、
「ああ、これで......倅の御主君のあぶないところが助かった」
と、まばらな髯のなかで、独りつぶやいていた。
馬 盗 人
一
次の日、陳珪は、また静かに、病床に横臥していたが、つらつら険悪な世上のうごきを考えると小沛にいる劉玄徳の位置は、実に危険なものに思われてならなかった。
「
呂布は前門の
虎だし、
袁術は後門の
狼にも等しい。その二人に
挾まれて居ては、いつかきっと、そのいずれかに

われてしまうにきまっている」
彼は心配のあまり、病床で筆をとって、一書をしたため、使いを立てて呂布の手もとへ上申した。その意見書には、こういう献策が書いてあった。
近ごろ、老生の聞くところによると、袁術は、玉壐を手にいれ、不日天子の称を冒さんとしている由です。
明らかな大逆です。
この際、あなたとしては、御息女の輿入れをお見合わせになったのを幸いに、急兵を派して、まだ旅途にある使者の韓胤を搦め捕り、許都の朝廷へさし立てて、順逆を明らかにして置くべきではありませんか。
曹操は、あなたの功を認めるでしょう。あなたは、官軍たるの強みを持ち、曹操の兵を左翼に、劉玄徳を右翼として、大逆の賊を討ち掃うべきです。
今こそ、その秋です。
曠世の英名をあげて、同時に一代の大計をさだめる今を、むなしく逸してはいけません。こういう機会は、二度と参りますまい。
「......あなた。何を考えこんでいらっしゃるのですか」
妻の厳氏は、呂布の肩ごしにそれをさし覗いて陳珪の意見書を共に読んでしまった。
「いや、陳珪の言うところも、一理あるから、どうしようかと思案していたのさ」
「死にかけている病人の意見などに動かされて、折角の良縁を、あなたは破棄してしまうおつもりですか」
「むすめは、どうしているね」
「泣いておりますよ、可哀そうに......」
「弱ったなあ」
呂布はつぶやきながら、吏士たちの詰めている政閣の方へ出て行った。すると何事か、そこで吏士たちが躁いでいた。
侍臣に訊かせてみると、
「小沛の劉備が、どこからか、続々と、馬を買いこんでいると言っているのです」と、告げた。
呂布は、大口あいて笑った。
「武将が、馬を買い入れるのは、いざという時の心がけで、なにも、目にかどを立てて躁ぐこともあるまい――わしも良馬を集めたいと思って、先ごろ、宋憲以下の者どもを山東へつかわしてあるが、彼等も、もう帰って来る時分だろう」
それから三日目だった。
山東地方へ軍馬を求めに出張していた宋憲と、その他の役人どもは、まるで狐にでも憑ままれたような恰好で、ぼんやり城中へ帰って来た。
「軍馬はたくさん集めて来たか。さっそく逸物を五、六頭曳いて見せい」
呂布がいうと、
「申し訳ございません」と、役人どもは、彼の怒りを恐れながら、頭をすりつけて答えた。
「名馬三百匹をひいて、一昨夜、小沛の境までかかりましたところ、一団の強盗があらわれて、そのうち二百頭以上の逸物ばかり奪い去ってしまいました。......われ等、きのうも今日も、必死になって、後をさがしましたが、山賊どもも、馬の群れも、まったく行方がわかりませんので、むなしく残りの馬だけ曳いて、ひとまず立ち帰って参りました」
「なに、強盗の一団に、良馬ばかり二百頭も奪われてしまったというのか」
呂布の額には、そういううちにもう青筋が立っていた。
二
「
穀つぶしめ。貴様たちは日ごろ、なんのために
禄を

っているか」
呂布は、声荒らげて、宋憲等の責任を糺した。
「――大事な軍馬を数多強盗に奪われましたと、のめのめと面を揃えて立ち帰ってくる役人がどこにあるっ。強盗などを見かけたら即座に召し捕るのが汝等、吏たる者の職分ではないか」
「お怒りは、重々、ごもっともで御座いまするが」と、宋憲は、怒れる獅子王の前に、ひれ伏したまま言い訳した。「何ぶんにも、その強盗が、ただの野盗や山賊などではございません、いずれも屈強な男ばかりでみな覆面しておりましたが、中にも一際背のすぐれた頭目などは、われわれどもを、まるで小児のごとく取って投げ、近寄ることもどうする事も出来ません。――しかもその行動は怖ろしく迅速で、規律正しく、われわれの乗馬を奪って跳びのるが早いか、その頭目の号令一下に、馬匹の群れに鞭を加え、風のように逃げてしまったのです。......あまりに鮮やかなので、不審に思って、内々、取り調べてみますと、われわれの手には及ばなかったはずです。――その覆面の強盗どもは、実は、小沛の劉玄徳の義弟、張飛という者と、その部下たちでありました」
「なに。それが張飛だったと......?」
呂布の忿怒は、小沛の方へ向けられた。しかしまだ多少疑って、
「たしかか。――たしかにそれに相違ないか」と、念を押した。
「決して、偽りはありません」
「うぬっ」と呂布は歯を嚙んで、席を突っ立ち、
「おれの堪忍はやぶれた」と、咆哮した。
城中の大将たちは、直ちに呼び出された。呂布は立ったままでいた。そして一同そこに立ち揃うと、
「劉備へ宣戦する! すぐさま小沛へ押し寄せろ」
命を下すや否、彼も甲冑をつけて、赤兎馬に跨がり、軍勢をひいて小沛の県城へ迫った。
驚いたのは、玄徳である。
「何故に?」
理由がわからない。
しかし事態は急だ。防がずにいられない。
彼も、兵を従えて、城外へすすみ出た。そして大音をあげて、
「呂将軍、呂将軍。この態はそも、何事ですか。故なく兵をうごかし給うは近ごろ、奇怪な事に思われますが」
「吐ざくな、劉備」
呂布は、姿を見せた。
「この恩知らず! 先に、この呂布が、轅門の戟を射て、危ういところを、汝の一命を救ってやったのに、それに酬いるに、わが軍馬二百余頭を、張飛に盗ませるとは何事だ。偽君子め! 汝は強盗を義弟として、財を蓄える気か」
ひどい侮辱である。
玄徳は顔色を変えたが、身に覚えない事なので、茫然、口をつぐんでいた。すると張飛はうしろから戟をさげて進み出で、劉備の前に立ちふさがって言い放った。
「吝ッたれ奴! 二百匹ばかりの軍馬がなんだ。あの馬を奪り上げたのは、かくいう張飛だが、われをさして強盗とは聞き捨てならん、おれが強盗なら汝は糞賊だ」
「なに、糞賊?」
呂布もまごついた。世にさまざまな賊もあるが、まだ糞賊というのは聞いたこともない。張飛のことばは無茶である。
「そうではないか! 汝は元来、寄る辺なく、この徐州へ頼って来た流寓の客にすぎぬ。劉兄のお蔭で、いつのまにか徐州城に居直ってしまい、太守面をしているのみか、国税もすべて横領し、むすめの嫁入り支度と言っては、民の膏血をしぼり、この天下多難の秋に、眷族そろって、能もなく、大糞ばかりたれている。されば汝ごとき者を、国賊というのももったいない。糞賊というのだ。わかったか呂布っ」
三
張飛の悪たれが終わるか終わらない咄嗟だった。
呂布はさッと満面の髯も髪もさかだてて、画桿の大戟をふりかぶるやいな、
「下郎っ」と、凄まじい怒りを見せて打ってかかった。
張飛は、乗ったる馬を棹立ちに交わしながら、
「よいしょッ」
と、相手の反れた戟へ、怒声をかけてやった。
揶揄された呂布は、いよいよ烈火のようになって、
「おのれ」
と、更に、戟を持ち直し、正しく馬首を向け直すと、張飛も、
「さあ、おいで」
と、一丈八尺の矛を構えて、炬のごとき眼を、呂布に向けた。
これは天下の偉観といってもよかろう。張飛も呂布も、当代、いずれ劣らぬ勇猛の典型である。
けれど同じ鉄腕の持ち主でも、その性格ははなはだしくちがっている。張飛は、徹底的に、呂布という
漢が

いだった。呂布を見ると、なんでもない日ごろの場合でも、むらむらと闘志を挑発させられる。同様に、呂布のほうでも、常々、張飛の顔を見ると、へドを催すような不快に襲われる。
かくのごとく憎み合っている両豪が、今や、戦場という時と所を得て、対い合ったのであるからその戦闘の激烈であったことは言語に絶している。
戟を交わすこと二百余合、流汗は馬背にしたたり、双方の喚きは、雲に谺するばかりだった。しかもなお、勝負はつかず、馬蹄のために辺りの土は掘り返り、陽はいつの間にか暮れんとしている。
「張飛、張飛っ。なぜ引き揚げぬか。家兄の命令になぜ従わん」
後ろのほうで、関羽の声がした。
気がついて、彼が前後を見まわすと、もう薄暮の戦場にのこっているのは、自分ひとりだけであった。
そして敵兵の影を遠巻きに退路をつつみ、草靄が白く野を流れていた。
「オーッ。――関羽かっ」
張飛は答えながら、なおも、呂布と戦っていたが、なるほど、味方の陣地の方で遠く退き鐘が鳴り響いている――。
「はやく来い。そんな敵は打ちすてて引き揚げろ」
関羽は、彼のために、遠巻きの敵の一角を斬りくずしていた。張飛もいささか慌てて、
「呂布、明日また来い」と言いすてて馳け出した。
何か、呂布の罵る声がうしろで聞こえたが、もう双方の姿も朧な夕闇となっていた。関羽は、彼のすがたを見ると馳け寄って来て、
「家兄が御立腹だぞ」と、ささやいた。
県城へ引き揚げて来ると、劉備はすぐ張飛を呼んで詰問した。
「またも其方は禍をひき起こしたな。――一体、盗んだ馬は、どこに置いてあるのか」
「城外の前の境内にみな繫いであります」
「道ならぬ手段をもって得た馬を玄徳の厩につなぐ事はできない。――関羽、その馬匹をことごとく呂布へ送り返せ」
関羽はその晩二百余頭の馬匹をすべて呂布の陣へ送り返した。
呂布は、それで
機
を直して、兵を引こうとしたが、
陳宮がそばから
諫めた。
「今もし玄徳を殺さなければ、必ず後の禍です。徐州の人望は、日にまして、あなたを離れて、彼の身にあつまりましょう」
そう聞くと呂布は、玄徳の道徳や善行が、かえって恐ろしくも憎くもなった。
「そうだ。人情はおれの弱点だ」
そのまま、息もつかず翌日にわたって、攻め立てたので、小勢の県城は、たちまち危なくなった。
「どうしよう?」
玄徳が、左右に諮ると、孫乾が言った。
「この上はぜひもありません。一旦城を捨てて、許都へ走り、中央にある曹操へ恃んで、時をうかがい、今日の仇を報じようではありませんか」
玄徳は、彼の説に従って、その夜三更、搦手から脱け出して、月の白い道を、腹心の者とわずかな手勢だけで、落ちのびて行った。
胡弓夫人
一
張飛と関羽のふたりは、殿軍となって、二千余騎を県城の外にまとめ、
「この地を去る思い出に」
とばかり、呂布の兵を踏みやぶり、その部将の魏続、宋憲などに手痛い打撃を与えて、
「これで幾らか胸がすいた」と、先へ落ちて行った劉玄徳のあとを追い慕った。
時は、建安元年の冬だった。
国なく食なく、

せた馬と、うらぶれた家の子郎党をひき連れた劉玄徳は、やがて
許昌の都へたどり着いた。
曹操は、しかし決してそれに無情ではなかった。
「玄徳は、わが弟分である」
と言って、迎うるに賓客の礼を執り、語るに上座を譲ってなぐさめた。
なお、酒宴をもうけて、張飛や関羽をもねぎらった。
玄徳は、恩を謝して、日の暮れがた相府を辞し、駅館へひきあげた。
すると、その後ろ姿を見送りながら、曹操の腹心、荀彧は、
「玄徳はさすがに

にたがわぬ人物ですな」と、意味ありげに、
独り
言をもらした。
「むむ」と頷いたのみで曹操が黙然としていると、荀彧はその耳へ顔を寄せて、
「彼こそ将来怖るべき英雄です。今のうちに除いておかなければ、ゆく末、あなたにとっても、由々しい邪魔者となりはしませんか」と、暗に殺意を唆った。
曹操は、何か、びくとしたように、眼をあげた。その眸は、赤い熒光を放ったように見えた。
ところへ、郭嘉が来て、曹操からその相談をうけると、
「とんでもない事です――」と言わんばかりな顔して、すぐ首を横に振った。
「彼がまだ無名のうちならとにかく、すでに今日では、義気仁愛のある人物として、劉玄徳の名は相当に知られています。もしあなたが、彼を殺したら、天下の賢才は、あなたに対する尊敬を失い、あなたの唱えて来た大義も仁政も、噓としか聞かなくなるでしょう。――一人の劉備を怖れて、将来の患いを除くために、四海の信望を失うなどは、下の下策というもので、私は絶対に賛成できません」
「よく申した」
曹操の頭脳は明澄である。彼の血は熟しやすく、時に、また濁りもするが、人の善言をよくうけ入れる本質を持っている。
「予もそう思う。むしろ今逆境にある彼には、恩を恵むべきである」と言って、やがて朝廷に上った日、玄徳のため、予州(河南省)の牧を奏請して、直ちに任命を彼に伝えた。
更に。
玄徳が、任地へ赴く時には、兵三千と糧米一万斛を贈り、
「君の前途を祝す予の寸志である」と、その行を盛んにした。
玄徳は、かさねがさねの好意に、深く礼をのべて立ったが、別れる間際に、曹操は、
「時来れば、君の仇を、君と協力して討ちに行こう」と、ささやいた。
もちろん、曹操の胸にも、いつか誅伐の時をと誓っているのは、呂布という怪雄の存在であった。
「............」
玄徳は、唯々として、何事にも微笑をもってうなずきながら任地へ立った。
ところが、曹操の計画だった呂布征伐の実現しないうちに、意外な方面から、許都の危機が伝えられ出した。
許都は今、天子の府であり、曹操は朝野の上にあって、宰相の重きをなしている。
「この花園を窺う賊は何者なり乎!」と、彼は憤然と、剣を杖として立ち、刻々、相府へ馳けこんでくる諜報員の報告を、厳しい眼で聞きとった。
二
この許昌へ遷都となる以前、長安に威を振っていた旧の董相国の一門で張済という敗亡の将がある。
先ごろから董一族の残党をかりあつめて、
王城復古
打倒曹閥
の旗幟をひるがえし、許都へ攻めのぼろうと企てていた一軍は、その張済の甥にあたる張繡という人物を中心としていた。
張繡は諸州の敗残兵を一手に寄せて、追い追いと勢威を加え、また、謀士賈詡を参謀とし、荊州の太守劉表と軍事同盟をむすんで、宛城を根拠としていた。
「捨ておけまい」
曹操は、進んで討とうと肚をきめた。
けれど彼の気がかりは、徐州の呂布であった。
「もし自分が張繡を攻めて、戦が長びけば、呂布は必ず、その隙に乗じて、玄徳を襲うであろう。玄徳を亡ぼした勢いを駆って、更に許都の留守を襲撃されたら堪らない――」
その憂いがあるので、曹操がなお出陣をためらっていると、荀彧は、
「その儀なれば、何も思案には及びますまい」と、至極、簡単に言った。
「そうかなあ。余人は恐るるに足らんが、呂布だけは目の離せない曲者と予は思うが」
「ですから、与し易いということもできましょう」
「利を

らわすか」
「そうです。欲望には目のくらむ漢ですから、この際、彼の官位を昇せ、恩賞を贈って、玄徳と和睦せよとおっしゃってごらんなさい」
「そうか」
曹操は、膝を打った。
すぐ奉車都尉の王則を正式の使者として、徐州へ下し、その由を伝えると、呂布は思わぬ恩賞の沙汰に感激して、一も二もなく曹操の旨に従ってしまった。
そこで曹操は、
「今は、後顧の憂いもない」と、大軍を催して、夏侯惇を先鋒として、宛城へ進発した。
淯水(河南省・南陽附近)のあたり一帯に、十五万の大兵は、霞のように陣を布いた。――時、すでに春更けて建安二年の五月、柳塘の緑は嫋々と垂れ、淯水の流れは温やかに、桃の花びらがいっぱい浮いていた。
張繡は、音に聞く曹操が自らこの大軍をひきいて来たので、色を失って、参謀の賈詡に相談した。
「どうだろう、勝ち目はあるか」
「だめです。曹操が全力をあげて、攻勢に出て来ては」
「では、どうしたらいいか」
「降服あるのみです」
さすがに賈詡は目先がきいている。張繡にすすめて一戦にも及ばぬうち降旗を立てて自身、使いとなって、曹操の陣へ赴いた。
降服に来た使者だが、賈詡の態度ははなはだ立派であった。のみならず弁舌すずやかに、張繡のために、歩のよいように談判に努めたので、曹操は、賈詡の人品にひとかたならず惚れこんでしまった。
「どうだな、君は、張繡の所を去って、予に仕える気はないか」
「身にあまる面目ですが、張繡もよく私の言を用いてくれますから、棄てるにしのびません」
「以前は、だれに仕えていたのかね」
「李傕に随身していました。しかしこれは私一代の過ちで、そのため、共に汚名を着たり、天下の憎まれ者になりましたから、なおさら、自重しております」
宛城の内外は、戦火をまぬかれて、平和のための外交がすすめられていた。
曹操は、宛城に入って、城中の一郭に起居していたが、ある夜のこと、張繡等と共に、酒宴に更けて、自分の寝殿へ帰って来たが、ふと左右を顧みて、
「はてな? この城中に美妓がいるな。胡弓の音がするぞ」と、耳をすました。
三
彼の身のまわりの役は、遠征の陣中なので、甥の曹安民が勤めていた。
「安民。おまえにも聞こえるだろう。――あの胡弓の音が」
「はい、ゆうべも、夜もすがら、哀しげに弾いていたようでした」
「だれだ? いったい、あの胡弓を弾いている主は」
「妓女ではありません」
「おまえは、知っているのか」
「ひそかに、垣間見ました」
「けしからんやつだ」
曹操は、戯れながら、苦笑してなお訊ねた。
「美人か、醜女か」
「絶世の美人です」
安民は、大真面目である。
「そうか、......そんな美人か......」と、曹操は、酒の香をほッと吐いて、春の夜らしい溜息をついた。
「おい。連れて来い」
「え。......だれをですか」
「知れたことを訊くな。あの胡弓を奏でている女をだ」
「......ところが、生憎と、あの美女は、未亡人だそうです。張繡の叔父、張済が死んだので、この城へ引きとって張繡が世話をしているのだとか聞きました」
「未亡人でも構わん。おまえは口をきいたことがあるのだろう。これへ誘って来い」
「奥郭の深園にいる御方、どうして、私などが近づけましょう。言葉を交わしたことなどありません」
「では――」と、曹操はいよいよ語気に熱をおびて、いいつけた。
「混盔の兵、五十人を率いて、曹操の命なりと告げて、中門を通り、張済の後家に、糺すことあれば、すぐ参れと、伴って来い」
「はいっ」
曹安民は、叔父の眼光に、

ともいえず、あわてて出て行ったが、しばらくすると、兵に囲ませて、一人の美人をつれて来た。
帳外の燭は、ほのかに閣の廊に揺れていた。
曹操は、佩剣を立てて、柄頭のうえに、両手をかさねたままじっと立っていた。
「召しつれました」
「大儀だった。おまえ達はみな退がってよろしい」
曹安民以下、兵たちの跫音は、かなたの衛舎へ遠ざかって行く。――そして後には、悄然たるひとりの麗人の影だけがそこに取り残されていた。
「夫人、もっと前へおすすみなさい。予が曹操だ」
「............」
彼女は、ちらと眸をあげた。
なんたる愁艶であろう。蘭花に似た瞼は、ふかい睫毛を俯せておののきながら曹操の心を疑っている。
「怖れることはない。すこしお訊ねしたいことがある」
曹操は、恍惚と、見まもりながら言った。
傾国の美とは、こういう風情をいうのではあるまいか。――夫人は、俯向いたまま歩を運んだ。
「お名まえは。姓は?」
重ねて問うと、初めて、
「亡き張済の妻で......鄒氏といいまする」
微かに、彼女は答えた。
「予を、御存じか」
「丞相のお名まえは、かねてから伺っておりますが、お目にかかるのは......」
「胡弓をお弾きになっておられたようだな。胡弓がおすきか」
「いいえ、べつに」
「では何で」
「あまりのさびしさに」
「おさびしいか。おお、秘園の孤禽は、さびしさびしと啼くか。――時に夫人、予の遠征軍が、この城をも焼かず、張繡の降参をも聞き届けたのは、いかなる心か知っておられるか」
「............」
曹操は、五歩ばかりずかずかと歩いて、いきなり夫人の肩に手をかけた。
「......おわかりか。夫人」
夫人は、肩をすくめて貌容を紅の光に染めた。
曹操は、その熱い耳へ、唇をよせて、
「あなたへ恩を売るわけではないが、予の胸一つで張繡一族を亡ぼすも生かすも自由だということは、おわかりだろう。......さすれば、予がなんのために、そんな寛大な処置をとったか。......夫人」
幅広い胸のなかに、がくりと、人形のような細い頸を折って仰向いた夫人は、曹操の火のような眸に会って、麻酔にかかったようにひきつけられた。
「予の熱情を、御身はなんと思う。......淫らと思うか」
「い......いいえ」
「うれしいと思うか」
たたみかけられて、夫人の鄒氏はわなわな顫えた。蠟涙のようなものが頰を白く流れる。――曹操は、唇をかみ、つよい眸をその面にきっとすえて、
「はっきり言えっ!」
難攻の城を攻めるにも急激な彼は、恋愛にも持ち前の短気をあらわして武人らしく言い放った。
すこし面倒くさくなったのである。
「おいっ、返辞をせんかっ」
揺すぶられた花は、露をふりこぼして俯向いた。そして唇のうちで、何か微かに答えた。

とも、はいとも、曹操の耳には聞こえていない。しかし曹操はその実、彼女の返辞などを気にしているのではない。
「何を泣く、涙を拭け」
言いながら、彼は室内を大股に闊歩した。
淯水は紅し
一
今朝、賈詡のところへ、そっと告げ口に来た部下があった。
「軍師。お聞きですか」
「曹操のことだろう」
「そうです」
「急に、閣を引き払って、城外の寨へ移ったそうだな」
「その事ではありません」
「では、何事か」
「申すもちと、憚りますが」
と、小声を寄せて、鄒氏と曹操との関係をはなした。
賈詡は、その後で主君の張繡の座所へ出向いた。
張繡も、いやな顔をして、鬱いでいたが、賈詡の顔を見ると、いきなり鬱憤を吐きだすように言った。
「けしからん! ――いかに驕り誇っているか知らんが、おれを辱めるにも程がある。おれはもう曹操などに屈してはいられないぞ」
「御もっともです」
賈詡は、張繡の怒っている問題にはふれないで、そっと答えた。
「......が、こういう事は、あまりお口にしない方がよいでしょう。男女の事などというものは論外ですからな」
「しかし、鄒氏も鄒氏だ......」
「まあ、胸をさすっておいで遊ばせ。その代わりに、曹操へは、酬うべきものを酬うておやりになればよいでしょう」
謀士賈詡は、何事か、侍臣を遠ざけて密語していた。
すると次の日。
城外に当たる曹操の中軍へ、張繡がさりげなく訪ねて来て、
「どうも困りました。私を意気地ない城主と見限ったものか、城中の秩序がこのところ弛んでいるので、部下の兵が、勝手を振る舞い、他国へ逃散する兵も多くて弱っておりますが」
と、愚痴をこぼした。
曹操は、彼の無智をあわれむように、打ち笑って、
「そんな事を取り締まるのは君、造作もないじゃないか。城外四門へ監視隊を備え、また、城の内外を、たえず督軍で見廻らせて、逃散の兵は、即座に、首を刎ねてしまえば、すぐ熄んでしまうだろう」
「そうも考えましたが、降服した私が、自分の兵とはいえ、貴軍へ無断で、配備をうごかしては......とその辺を憚っておるものですから」
「つまらん遠慮をするね。君の方は君の手で、びしびし軍律を正してくれなければ我が軍としても困るよ」
張繡は、心のうちで、「思うつぼ」と、歓んだが、さあらぬ顔して、城中へ帰って来ると、すぐその由を、賈詡へ耳打ちした。
賈詡はうなずいて、
「では、胡車児をこれへ、お呼び下さい。私からいいつけましょう」と、言った。
城中第一の勇猛といわれる胡車児はやがて呼ばれて来た。毛髪は赤く、鷲のような男である。力能く五百斤を負い、一日七百里(支那里)を馳けるという異人だった。
「胡車児。おまえは、曹操についている典韋と戦って、勝てる自信があるか」
賈詡が問うと、胡車児は、すこぶるあわてた顔いろで、顔を横にふった。
「世の中にだれも恐ろしい奴はありませんが、あいつには勝てそうもありません」
「でも、どうしても、典韋を除いてしまわなければ曹操は討てない」
「それなら、策があります。典韋は酒が好きですから、事によせて、彼を酔いつぶし、彼を介抱する振りをして、曹操の中軍へ、てまえが紛れこんで行きます」
「それだ! わしも思いついていたのは。――典韋を酔いつぶして、彼の戟さえ奪っておけば、おまえにも彼を打ち殺すことができるだろう」
「それなら、造作もありません」
胡車児は、大きなやえ歯を剝き出して笑った。
二
本尊様と狛犬のように、常に、曹操のいる室外に立って、爛爛と眼を光らしている忠実なる護衛者の典韋は、
「ああ、眠たい」
閑なので、欠伸をかみころしながら、司令部たる中軍の外に舞う白い蝶を見ていた。
「もう、夏が近いのに」と、無聊に倦んだ顔つきして、同じ所を、十歩あるいては十歩もどり、今度の遠征ではまだ一度も血にぬらさない手の戟を、あわれむごとくながめていた。
かつて、曹操が兗州から起つに当たって、四方の勇士を募った折、檄に応じて臣となった典韋は、その折の採用試験に、怪力を示して、曹操の口から、
(そちは、殷の紂王に従っていた悪来にも劣らぬ者だ)
と言われ、以来、典韋と呼ばれたり、悪来とも呼ばれたりして来た彼である。
だが、その悪来典韋も、狛犬がわりに、戟を持って、この長日を立っているのは、いかにも気懶そうであった。
「こらっ、どこへゆく」
ふと、ひとりの兵が、閣の廊を窺って、近づいて来たので、典韋はさっそく、退屈しのぎに、呶鳴りつけた。
兵は、膝をついて、彼を拝しながら、手紙を出した。
「あなたが典韋様ですか」
「なんだ、おれに用か」
「はい、張繡様からのお使いです」
「なるほど、おれへ宛てた書状だが、はて、何の用だろう」
披いてみると、長い御陣中の無聊をおなぐさめ申したく、粗樽をもうけてお待ちしているから明夕城中までお越し給わりたい――という招待状であった。
「......久しく美酒も飲まん」
典韋は、心のなかで呟いた。翌日は、昼のうちだけ非番だし、行こうと決めて、
「よろしくお伝えしてくれ」と、約束して使いの兵を帰した。
次の日、まだ日の暮れないうちから出向いて、二更のころまで、典韋は城中で飲みつづけた。そしてほとんど、歩くのも覚つかないほど、泥酔して城外へもどって来た。
「主人のいいつけですから、私が中軍までお送りします。わたくしの肩におつかまり下さい」
一人の兵が、介抱しながら、親切に体を扶けてくれる。見るときのう手紙を持って使いに来た兵である。
「おや、おまえか」
「ずいぶん
御機
ですな」
「何しろ一斗は飲んだからな。どうだ、この腹は。あははは、腹中みな酒だよ」
「もっと飲めますか」
「もう飲めん。......おや、おれは随分、大漢のほうだが、貴様も大きいな。背がほとんど同じぐらいだ」
「あぶのうございます。そんなに私の首に捲きつくと、私も歩けません」
「貴様の顔は、凄いな。髯も髪の毛も、赤いじゃないか」
「そう顔を撫でてはいけません」
「なんだ、鬼みたいな面をしながら」
「もうそこが閣ですよ」
「何、もう中軍か」
さすがに、曹操の室の近くまで来ると、典韋は、ぴたとしてしまったが、まだ交代の時刻まで間があったので、自分の部屋へはいり込むなり前後不覚に眠ってしまった。
「お風邪をひくといけませんよ。......ではこれでお暇いたしますよ」
送ってきた兵は、典韋の体をゆり動かしたが、典韋の鼾声は高くなるばかりであった。
「......さようなら」
赤毛赤髯の兵卒は、後ずさりに、出て行った。その手には、典韋の戟を、いつのまにか奪りあげて持っていた。
三
曹操はこよいも、鄒氏と共に酒を酌みかわしていた。
ふと、杯を措いて、
「なんだ、あの馬蹄の音は」と、怪しんで、すぐ侍臣を見せにやった。
侍臣は、帰って来て、
「張繡の隊が、逃亡兵を防ぐため、見廻りしているのでした」と、告げた。
「ああそうか」
曹操は、疑わなかった。
けれどまた、二更のころ、ふいに中軍の外で、吶喊の声がした。
「見て来い! 何事だ?」
ふたたび侍臣は馳けて行った。そして帳外からこう復命した。
「何事でもありません。兵の粗相から馬糧を積んだ車に火がついたので、一同で消し止めているところです」
「失火か。......何の事だ」
すると、それから間もなく、窓の隙間に、ぱっと赤い火光が映じた。宵から泰然とかまえていた曹操も、ぎょッとして、窓を押し開いてみると、陣中いちめん黒煙である。それにただ事ならぬ喊声と人影のうごきに、
「典韋っ、典韋!」と呼びたてた。
いつになく、典韋も来ない。
「――さては」と、彼はあわてて鎧甲を身に着けた。
一方の典韋は、宵から大鼾で眠っていたが、鼻をつく煙の異臭に、がばと刎ね起きてみると、時すでに遅し、――寨の四方には火の手が上がっている。
すさまじい喊殺の声、打ち鳴らす鼓の響き。張繡の寝返りとはすぐわかった。
「しまった! 戟がない」
さしもの典韋もうろたえた。
しかも暑いので、半裸体で寝ていたので、具足を着けるひまもなかった。
――がそのまま彼は外へ躍り出した。
「典韋だ! 悪来だ!」
敵の歩卒は、逃げ出した。
その一人の腰刀を奪い、典韋は滅茶苦茶に斬りこんだ。
寨の門の一つは、彼ひとりの手で奪回した。しかしまたたちまち、長槍を持った騎兵の一群が、歩卒に代わって突進して来た。
典韋は、騎士歩卒など、二十余人の敵を斬った。刀が折れると、槍を奪い、槍がササラのようになると、それも捨てて左右の手に敵兵二人をひッ提げ、縦横にふり廻して暴れまわった。
こうなると、敵もあえて近づかなかった。遠巻きにして、矢を射はじめた。半裸体の典韋に矢は仮借なく注ぎかけた。
それでも典韋は、寨門を死守して、仁王のごとく突っ立っていた。しかしあまり動かないので恐々と近づいてみると、五体に毛矢を負って、まるで毛虫のようになった典韋は、天を睨んで立ったまま、いつの問にか死んでいた。
かかる間に、曹操は、
「空しくこんな所で死すべからず――」
とばかり、馬の背にとび乗って、一散に逃げ出した。
よほど機敏に逃げたとみえ、敵も味方も知らなかった。ただ甥の曹安民ただ一人だけが裸足で後から従いて行った。
しかし、曹操逃げたり! とはすぐ知れ渡って、敵の騎馬隊は、彼を追いまくった。追いかけながら、ぴゅんぴゅんと矢を放った。
曹操の乗っている馬には三本の矢が立った。曹操の左の肘にも、一箭突き通った。
徒歩の安民は、逃げきれず、大勢の敵の手にかかって、なぶり殺しに討たれてしまう。
曹操は、傷負の馬に鞭うちながら、ざんぶと、淯水の河波へ躍りこんだが、かなたの岸へあがろうとした途端に、また一矢、闇を切って来た鏃に、馬の眼を射ぬかれて、どうと、地を打って倒れてしまった。
四
淯水の流れは暗い。もし昼間であったら紅に燃えていたろう。
曹操も満身血しお、馬も血みどろであった。しかも馬はすでに再び起たない。
逃げまどう味方の兵も、ほとんどこの河へ来て討たれた様子である。
曹操は、身一つで、ようやく岸へ這いあがった。
すると闇の中から、
「父上ではありませんか」と、曹昂の声がした。
曹昂は、彼の長子である。
一群の武士と共に、彼も九死に一生を得て、逃げ落ちて来たのであった。
「これへお召しなさい」
曹昂は、鞍を降りて、自分の馬を父へすすめた。
「いい所で会った」
曹操は欣しさにすぐ跳び乗って馳け出したが、百歩とも駈けないうちに、曹昂は、敵の乱箭にあたって、戦死してしまった。
瞥昂は、斃れながら、
「わたくしに構わないでお落ち下さい。父上っ。あなたのお命さえあれば、いつだって、味方の雪辱はできるんですから、私などに目をくれずに逃げのびて下さい」と、叫んだ。
曹操は、自分の

で自分の頭を打って悔いた。
「こういう長子を持ちながら、おれは何たる煩悩な親だろう。――遠征の途にありながら、陣務を怠って、荊園の仇花に、心を奪われたりなどして、思えば面目ない。しかもその天罰を父に代わって子がうけるとは。――ああ、ゆるせよ曹昂」
彼は、わが子の死体を、鞍のわきに抱え乗せて、夜どおし逃げ走った。
二日ほど経つと、ようやく、彼の無事を知って、離散した諸将や残兵も集まって来た。
折も折、そこへまた、
「于禁が謀叛を起こして、青州の軍馬を殺した」といって、青州の兵等が訴えて来た。
青州は味方の股肱、夏侯惇の所領であり、于禁も味方の一将である。
「わが足もとの混乱を見て、乱を企むとは、憎んでもあまりある奴」
と、曹操は激怒して、直ちに于禁陣へ、急兵をさし向けた。
于禁も、先ごろから張繡攻めの一翼として、陣地を備えていたが、曹操が自分へ兵をさし向けたと聞くと、慌てもせず、
「塹壕を掘って、いよいよ備えを固めろ」と、命令した。
彼の臣は日ごろの于禁にも似あわぬ事と、彼を諫めた。
「これはまったく青州の兵が、丞相に讒言したからです。それに対して、抵抗しては、ほんとの叛逆行為になりましょう。使いを立てて明らかに事情を陳弁なされてはいかがですか」
「いや、そんな間はない」
于禁は陣を動かさなかった。
その後、張繡の軍勢も、ここへ殺到した。しかし于禁の陣だけは一糸みだれず戦ったので、よくそれを防ぎ、ついに撃退してしまった。
その後で、于禁は、自身で曹操をたずねた。そして青州の兵が訴え出た件は、まったく事実とあべこべで、彼等が、混乱に乗じて、掠奪をし始めたので、味方ながらそれを討ち懲らしたのを恨みに思い、虚言を構えて、自分を陥さんとしたものであると、明瞭に言い開きを立てた。
「それならばなぜ、予が向けた兵に、反抗したか」と、曹操が詰問すると、
「――されば、身の罪を弁疏するのほ、身ひとつを守る私事です。そんな一身の安危になど気を奪られていたら、敵の張繡に対する備えはどうなりますか。仲間の誤解などは後から解けばよいと思ったからです」
と、于禁は明晰に答えた。
五
曹操はその間、じっと于禁の面を正視していたが、于禁の明快な申し立てを聞き終わると、
「いや、よくわかった。予が君に抱いていた疑いは一掃した」
と、于禁へ手をさしのべ、力をこめて言った。
「よく君は、公私を分別して、混乱に惑わず、自己一身の誹謗を度外視して、味方の防塁を守り、しかも敵の急迫を退けてくれた。――真に、君のごとき者こそ、名将というのだろう」
と、口を極めて賞讃し、特にその功として、益寿亭侯に封じ、当座の賞としては、黄金の器物一副をさずけた。
また。
于禁を誹って訴えた青州の兵はそれぞれ処罰し、その主将たる夏侯惇には、
「部下の取り締まり不行き届きである」との理由で、譴責を加えた。
曹操は今度の遠征で、人間的な半面では、大きな失敗を喫したが、一たん三軍の総帥に立ち返って、武人たるの本領に復せば、このように賞罰明らかで、いやしくも軍紀の振粛をわすれなかった。
賞罰の事も片づくと、彼はまた、祭壇をもうけて、戦没者の霊を弔った。
その折、曹操は、全軍の礼拝に先だって、香華の壇にすすみ、涙をたたえて、
「典韋。わが拝をうけよ」と、言った。
そして、瞑目久しゅうして、なお去りやらず、三軍の将士へ向かって、
「こんどの戦で、予は、長子の曹昂と、愛甥の曹安民とを亡くしたが、予はなお、それをもって、深く心を傷ましはしない。......けれど、けれど、日常、予に忠勤を励んだ悪来の典韋を死なせたのは、実に、残念だ。――典韋すでに亡しと思うと、予は泣くまいとしても、どうしても泣かずには居られない」と、流涕しながら言った。
粛として、彼の涙をたがめていた将士は、みな感動した。
もし曹操のために死ねたら幸福だというような気がした。忠節は日常が大事だとも思った。
何せよ、曹操は、惨敗した。
しかし味方の心を緊め直した事においては、その失敗も償ってあまりがあった。
逆境を転じて、その逆境をさえ、前進の一歩に加えて行く。――そういうこつを彼は知っていた。
故ある哉。
過去をふりむいて見ても、曹操の勢力は、逆境のたびに、躍進して来た。
× × ×
一たん兵を退いて都の許昌に帰って来ると、曹操のところへ、徐州の呂布から使者が来て、一名の捕虜を護送してよこした。
使者は、陳珪老人の子息陳登であり、囚人は、袁術の家臣、韓胤であった。
「すでに御存じでしょうが、この韓胤なる者は、袁術の旨をうけて、徐州へ来ていた婚姻の使者でありました。――呂布は、先ごろ、あなたからの恩命に接し、朝廷からは、平東将軍の綬を賜わったので、いたく感激され、その結果、袁術と婚をなす前約を破棄して、爾後、あなたと親善を固めてゆきたいという方針で――その証として、韓胤を縛りあげ、かくのごとく、都へ差し立てて来た次第でありまする」
陳登は、使いの口上を述べた。
曹操はよろこんで、
「双方の親善が結ばれれば、呂布にとっても幸福、予にとっても幸福である」
と、すぐ刑吏に命じて、韓胤の首を斬れと言った。
刑吏は、市にひき出して、特に往来の多い許都の辻で、韓胤を死刑に処した。
その晩、曹操は、
「遠路、御苦労であった」
と、使の陳登を私邸に招待して、宴をひらいた。
陳大夫
一
酒宴のうちに、曹操は、陳登の人間を量り、陳登は、曹操の心をさぐっていた。
陳登は、曹操に囁いた。
「呂布は元来、豺狼のような性質で、武勇こそ立ち優っていますが、真実の提携はできない人物です。――こう言ったら丞相は呂布の使いに来た私の心をお疑いになりましょうが、私の父陳珪も、徐州城下に住んでいるため、やむなく呂布の客臣となっていますが、内実、愛想をつかしておるのです」
「いや、同感だ」
果たして、曹操の腹にも二重の考えが、潜んでいたのである。陳登が、口を切ったので、彼もまた本心を洩らした。
「君のいうとおり、呂布の信じ難い人間だということは予も知っている。しかし、それさえ腹に承知して交際っているぶんには、彼が豺狼のごとき漢であろうと、何であろうと、後に悔いるようなことは、予も招かぬつもりだ」
「そうです。その腹構えさえお持ちでしたら、安心ですが」
「幸い、君と知己になったからには、今後とも、予のために、蔭ながら尽力してもらいたい。......君の厳父陳大夫の名声は、予も夙に知っておる。帰国したらよろしく伝えてくれ」
「承知しました。他日、丞相がもし何かの非常手段でもおとりになろうという場合は、必ず、徐州にあって、われわれ父子、内応してお手伝いしましょう」
「たのむ。......今夜の宴は、計らずも有意義な一夜だった。今のことばを忘れないように」
と曹操と陳登は、盞を挙げて誓いの眸を交わした。
曹操は、その後、朝廷に奏し、陳登を広陵の太守に任じ、父の陳珪にも老後の扶持として禄二千石を給した。
そのころ。
淮南の袁術の方へは、早くも使臣の韓胤が、許都の辻で馘られたという取り沙汰がやかましく伝えられていた。
「言語道断!」
袁術は、呂布の仕方に対して、すさまじく怒った。
「礼儀を尽くしたわが婚姻の使者を捕らえて、曹操の刑吏にまかせたのみか、先の縁談は破棄し、この袁術に拭うべからざる恥辱をも与えた」
即座に、二十余万の大軍は動員され、七隊に分かれて、徐州へ迫った。
呂布の前衛は、木の葉のごとく蹴ちらされ、怒濤のごとく一隊は小沛に侵入し、その他、各処の先鋒戦で、徐州兵はことごとく潰滅され、刻々、敗兵が城下に満ちた。
呂布は事態の悪化に、あわて出して、にわかに重臣を呼びあつめた。
「だれでもよい。今日は忌憚なく意見を吐け。それがこの徐州城の危急を救う策ならば、何なりとおれは肯こう」と、言った。
席上、陳宮が言った。
「今にして、お気がつかれたでしょう。かかる大事を招いたのは、まったく陳珪父子のなせる業です。――その証拠には、あなたは陳珪父子を御信用あって、許都への使いもお命じになりましたが、どうです。彼等は朝廷や曹操にばかり媚びて、巧みに自身の爵禄と前途の安泰を計り、今日この禍が迫っても、顔を見せないではありませんか」
「しかり! しかり!」と、だれか手を打って、陳宮の説を支持する者があった。
陳宮は、なお激語をつづけて、
「――ですから、当然な報酬として、陳珪父子の首を斬り、それを持って、袁術へ献じたら、袁術も怒りを解いて、兵を退くでしょう。悪因悪果、彼等に与えるものと、徐州を救う方法は、それしかありません」
呂布は、たちどころにその気になった。すぐ使いをやって陳珪父子を城中に呼びつけ、罪を責めて、首を斬ろうとした。
すると、陳大夫は、からからと高笑いして、
「病にも死なず、さりとて、花も咲かず、枯れ木のごとく老衰したわしの首など、梅の実一つの値打ちもありません。倅の首も御用とあればさしあげましょう。......しかしまあ、あなたは何という臆病者だろう。アハハハハ、天下に対して恥ずかしくはありませんか」
と、なおも笑いこけた。
二
「なにを笑う」
呂布は、くゎっと、眼をいからせて、陳珪父子を睨めつけた。
「われを臆病者とは、言いも言ったり。さほど大言を吐くからには、汝に、敵を破る自信でもあるのか」
「無くてどうしましょう」
陳大夫は澄ましたものである。
呂布はせきこんで、
「あらば申してみよ。もし、確乎たる良策が立つなら、汝の死罪はゆるしてくれよう」
「計はありますが、用いると用いざるとは、あなたの胸一つでしょう。いかなる良策でも、用いなければ空想を語るに過ぎません」
「ともかく申してみい」
「きくならく、淮南の大兵二十余万とかいっています。しかし、烏合の衆でしょう。なぜならば、袁術はここにわかに、帝位につかんという野心から、急激にその軍容を膨脹させました。御覧なさい、第六軍の将たる韓暹は、以前、陝西の山寨にいた追い剝ぎの頭目ではありませんか。また、第七軍を率いている楊奉は、叛賊李傕の家来でしたが、李傕を離れて、曹操にも追われ、居る所なきまま袁術についている輩です」
「ウム。なるほど」
「それらの人間の素姓は、あなたもよく御存じのはずですのに、何を理由に、袁術の勢を怖れますか。――まず、利をもって、彼等を抱きこみ、内応の約をむすぶことです。そして寄手を攪乱せしめ、使いを派して、こちらは劉玄徳と結託します。玄徳は温良高潔の士、必ず今でも、あなたの苦境は見捨てますまい」
陳大夫の爽やかな弁に呂布は酔えるがごとく聞き入っていたが、
「いや、おれは決して、彼等を恐れてはいない。ただ大事をとって、諸臣の意見を徴してみたまでだ」と、負け惜しみを言って、陳父子の罪は、そのまま不問に附してしまった。
そのかわり陳珪、陳登のふたりは謀略を施して、敵の中から内応を起こさせる手段を執るべし――と任務の責を負わされて、一時、帰宅をゆるされた。
「倅。あぶないところだったな」
「父上も、思いきったことをおっしゃいましたな。今日ばかりは、どうなる事かとひやひやしておりましたよ」
「わしも観念したな」
「ところで、よい御思案があるんですか」
「いや、何もないよ」
「どうなさるので?」
「明日は明日の風が吹こう」
陳大夫は、私邸の寝所へはいると、また、老衰の病人に返ってしまった。
一方、袁術のほうでは。
婚約を破棄した呂布に対し、報復の大兵を送るに当たって、三軍を閲し、同時に、(これ見よ)と言わぬばかりに、ここに、多年の野望を公然と称って、皇帝の位につく旨を自らふれだした。
小人珠を抱いて罪あり、例の孫策が預けておいた伝国の玉璽があったため、とうとうこんな大それた人間が出てしまったのである。
「むかし、漢の高祖は、泗上の一亭長から、身を興し、四百年の帝業を創てた。しかし、漢室の末、すでに天数尽き、天下は治まらない。わが家は、四世三公を経、百姓に帰服され、予が代にいたって、今や衆望沸き、力備わり、天応命順の理に促され、今日、九五の位に即くこととなった。爾等もろもろの臣、朕を輔けて、政事に忠良なれ」
彼はすっかり帝王になりすましてから群臣に告げ、号を
仲氏と立て、
台省官府の制を
布き、
龍鳳の
輦にのって南北の郊を祭り、
馮氏のむすめを皇后とし、後宮の美姫数百人にはみな
綺羅錦繍を粧わせ、嫡子をたてて東宮と
称した。
三
慢心した暴王に対しては、命がけで正論を吐いて諫める臣下もなかったが、ただひとり、主簿の閻象という者が折を窺って言った。
「由来、天道に反いて、栄えた者はありません。むかし周公は、后稷から文王におよぶまで、功を積み徳をかさねましたが、なお天下の一部をもち、殷の紂王にすら仕えていました。いかに御当家が累代盛んでも、周の盛代には及ぶべくもありません。また漢室の末が衰微しても、紂王のような悪逆もしておりません」
袁術は聞いているうちにもはなはだしく顔いろを損じて、皆まで言わせず、
「だから、どうだというのか」と、怖ろしい声を出した。
「......ですから」
閻象はふるえ上がって、後のことばも出なくなった。
「だまれッ、学者ぶって、小賢しいやつだ。――われに伝国の玉璽が授かったのは偶然ではない。いわゆる天道だ。もし、自分が帝位に即かなければかえって天道に反く。――きさまのごとき者は書物の紙魚と共に日なたで欠伸でもしておればよろしい。退れっ」
袁術は、臣下の中から、二度とこんな事を言わせないために、
「以後、何者たりと、わが帝業に対して、論議いするやつは、即座に断罪だぞ」と、布令させた。
そこで彼は、すでに先発した大軍の後から、更に、督軍親衛軍の二軍団を催して、自身、徐州政略に赴いた。
その出陣にあたって、袁州の刺史金尚へ、
「兵糧の奉行にあたれ」と、任命したところ、何の故か、金尚がその命令にグズグズ言ったというかどで、彼は、たちまち親衛兵を向け、金尚を搦めて来ると、「これ見よ」とばかり首を刎ねて、血祭りとした。
督軍、親衛の二団がうしろにひかえると、前線二十万の兵も、
「いよいよ、合戦は本腰」と、気をひきしめた。
七手にわかれた七将は、徐州へ向かって、七つの路から攻め進み、行く行く郡県の民家を焼き、田畑をあらし、財を掠めていた。
第一将軍張勲は、徐州大路へ。
第二将軍橋甤は、小沛路へ。
第三陳紀は、沂都路へ。
第四雷薄は、瑯琊へ。
第五陳闌の一軍は碣石へ。
第六軍たる韓暹は、下邳へ。
第七軍の楊奉は峻山へ。
――この陣容を見ては、事実呂布がふるえあがったのも、あながち無理ではない。
呂布は、陳大夫が、やがて「内応の計」の効果をあげて来るのを心待ちにしていたが、陳父子はあれきり城へ顔も出さない。
「いかがしたのか!」と、侍臣をやって、彼の私邸を窺わせてみると、陳大夫は長閑な病室で、ぽかんと、陽なたぼッこしながら、いかにも老を養っているという暢気さであるという。
短気な呂布、しかも今は、陳大夫の方策ひとつに恃みきっていた彼。
何で穏やかに済もう。すぐ召し捕ッて来いという呶鳴り方だ。先には、彼の舌にまどわされてゆるしたが、今度は顔を見た途端に、あの白髪首をぶち落としてくれねばならん!
捕吏が馳け向かった後でも、呂布はひとり忿憤とつぶやきながら待ちかまえていた。
――ちょうど黄昏時。
陳大夫の邸では、門を閉じて、老父の陳大夫を中心に、息子の陳登も加わって、家族たちは夕餉の卓をかこんでいた。
「オヤ、何だろう」
門の壊れる音、屋鳴り、召使いのわめき声。つづいてそこへどかどかと捕吏や武士など大勢、土足のまま這入って来た。
四
否応もない。陳大夫父子は、その場から拉致されて行った。
待ちかまえていた呂布は、父子が面前に引きすえられると、かっと睨めつけ、
「この老ぼれ。よくもわれを巧々とあざむいたな。きょうこそは断罪だ」
と、直ちに、武士に命じて、その白髪首を打ち落とせ――と猛った。
陳大夫は相かわらず、にやにや手応えのない笑い方をしていたが、それでも、少し身をうごかして両手をあげ、
「御短気、御短気」
と、煽ぐように言った。
呂布はなおさら烈火のごとくになって、殿閣の梁も震動するかとばかり吼えた。
「おのれ、まだわれを揶揄するか。その素首の落ちかけているのも知らずに」
「待たしゃれ。落ちかけているとは、わしが首か。あなたのお首か」
「今、眼に見せてやる」
呂布が、自身の剣へ手をかけると、陳大夫は、天を仰ぐように、
「ああ、御運の末か。一代の名将も、こう眼が曇っては救われぬ。みすみす御自身の剣で、御自身の首を刎ねようとなさるわ」
「何を、ばかな!」と、言ったが、呂布も多少気味が悪くなった。
その顔いろの隙へ、陳大夫の舌鋒はするどく切りこむように言った。
「確か、先日も申しあげてあるはずです。いかなる良策も、お用いなければ、空想を語るに等しいと。――この老ぼれの首を落としたら、たれかその良策を施して、徐州の危急を救いましょうか。――ですからその剣をお抜きになれば、御自身の命を自ら断つも同じではございませんか」
「汝の詭弁は聞き飽いた。一時のがれの上手を言って、邸に帰れば、暢気に寝ておるというではないか。――策を用いぬのは、われではなく汝という古狸だ」
「故に、御短気じゃというので御座る。陳大夫は早ひそかに、策に着手しています。即ち近日のうちに、敵の第六軍の将韓暹と、某所で密会する手筈にまでなっておるので」
「えっ。ほんとか」
「何で虚言を吐きましょう」
「しからば何で、私邸の門を閉じて、この戦乱のなかを、安閑と過ごしているのか」
「真の策士はいたずらに動かず――という言葉を御存じありませんか」
「巧言をもって、われを欺き、他国へ逃げんとする支度であろう」
「大将軍たる者が、小人のような邪推をまわしてはいけません。それがしの妻子眷族は、みな将軍の掌の内にあります。それ等の者を捨てて、この老人が身一つ長らえて何国へ逃げ行きましょうや」
「では、直ちに、韓暹に行き会い、初めに其方が申したとおり、わがために、最善の計を施す気か、どうだ?」
「それがしはもとよりその気でいるのですが、肝腎なあなたはどうなんです」
「ウーム......。おれの考えか。おれもそれを
希っているが、ただ
悠長にだらだらと日を過ごしているのは

いだ。やるなら早くいたせ」
「それよりも、内心この陳大夫をお疑いなのでしょう。よろしい。しからばこうしましょう。せがれ陳登は質子として、御城中に止めておき、てまえ一人で行って来ます」
「でも、敵地へ行くのには、部下がなければなるまい」
「従れてゆく部下には、ちと望みがございます」
「何十名要るか。また、部将にはだれをつれて行きたいか」
「部将などいりません。供もただ一匹で結構です」
「一匹とは」
「お城の牧場から一頭の牝羊をお下げ渡してください。韓暹の陣地は、下邳の山中と聞く。――道々、木の実を糧とし、羊の乳をのんで病軀を力づけ、山中の陣を訪れて、きっと韓暹を説きつけてみせます。ですから、あなたの方でも、お抜かりなく、劉玄徳へ使いを立て、万端、お手配をしておかれますように」
陳大夫はその日、一頭の羊を曳いて、城の南門から、飄然と出て行った。
増長冠
一
下邳は徐州から東方の山地で、寄手第六軍の大将韓暹は、ここから徐州へ通じる道を抑え、司令部を山中の嘯松寺において、総攻撃の日を待っている。
もちろん、街道の交通は止まっている。野にも部落にも兵が満ちていた。
――けれど陳大夫は平然と通って行った。
白い羊を引いて。
そして、疎髯を風になびかせながら行く。
「なんだろ。あの爺は」と、指さしても、咎める兵はなかった。
咎めるには、あまりに平和なすがたである。戦場のなかを歩いていながら少しも危険を意識していない。
そういうものにはつい警戒の眼を怠る。
「もうほど近いな」
陳大夫は、山にかかると、時折、岩に腰かけた。この山には、清水がない。羊の乳を器にしぼって、わずかに渇と飢えをしのいだ。
時は、真夏である。
満山、蟬の声だった。岩間岩間に松が多い。やがて、嘯松寺の塔が仰がれた。
「おやじ。どこへ行く」
中軍の門ではさすがに咎められた。陳大夫は、羊を指さして言った。
「韓将軍へ、献上に来たのです」
「村の者か、おまえは」
「いいや、徐州の者だよ」
「なに、徐州から来たと」
「陳珪という老爺が、羊を携えて訪ねて来たと、将軍に取り次いでもらいたい」
陳珪と聞いて、門衛の部将は驚いた。呂布の城下に住み、徐州の客将だ。しかも先ごろ、曹操の推薦で朝廷から老後の扶養として禄二千石をうけたという。なにしろ名のある老人だ。
より驚いたのは、取り次ぎからそれを聞いた大将の韓暹である。
「何はともあれ会ってみよう」と、堂に迎え、慇懃にもてなした。
「これは、ほんの手土産で」と、陳大夫は、韓暹の家来に羊を渡し、世間ばなしなどし始めた。何の用事で来たかわからない。
そのうち日が暮れると、
「今夜は月がよいらしい。室内はむし暑いから、ひとつあの松の木の下で、貴公と二人きりで、心のまま話したいものだが」と、陳大夫は望んだ。
松下に莚をのべて、その夜韓暹と彼は、人を避けて語った。聴くものは、梢の月だけだった。
「老人は呂布の客将。いったい何の用で、敵のそれがしを、突然訪ねて来られたか」
韓暹が、そう口を切ると、老人は初めて態度を正した。
「何を言わるるか。わしは呂布の臣ではない。朝廷の臣下である。徐州の地に住んでいるからよく人はそういうが、徐州も王土ではないか」
それから老人は急に雄弁になり出した。諸州の英雄を挙げ、時局を談じ、また風雲の帰するところを指して、
「尊公のごときは、実に惜しいものである」と、嘆いた。
「御老体。何故、そのようにこの方のためにお嘆きあるか。願わくは教え給え」
「されば、それを告げんがために、わざわざ参ったこと故、申さずにはおられん。――思い給え、尊公はかつて、天子が長安から還幸の途次、御輦を護って、忠勤を励んだ清徳な国士ではなかったか。しかるに今日、偽帝袁術をたすけ、不忠不義の名を求めんとしておる。――しかも偽帝の運命のごときは、尊公一代のうちにも滅亡崩壊するにきまっている。一年か二年の衣食のため、君は生涯の運命を売り、万世までの悪名を辞せない気でおられるのか。もしそうだとしたら、君のために嘆く著は、ひとりこの老人のみではあるまい」
二
陳大夫は次に、呂布の書簡を取り出して、
「以上、申しあげた儀は、それがしの一存のみでなく、呂布の意中でもあること。仔細はこの書面に――」と、披見を促した。
韓暹は始終、沈湎と聞いていたが、呂布の書簡を披いてついに肚を決めたらしく、
「いや、実を申せば、自分も常々、袁術の増長ぶりには、あいそも尽き、漢室に帰参したいものと考えてはいたものの、何せん、よい手蔓もなかったので――」と、本心を吐いた。
ここまで来れば、もう掌上の小鳥。陳大夫は心にほくそ笑みながら、
「第七軍の楊奉と尊公とは、常から深いお交わりであろうが。―― 楊将軍を誘って、共に合図をおとり召されてはいかが」
「合図をとれとは?」
韓暹は、小声のうちにも、息を弾ませた。ここ生涯の浮沈とばかり、心中波立っている容子が明らかであった。
陳大夫も、声をひそめて、
「されば、徐州に迫る日を期して、御辺と楊奉とで諜しあわせ、後ろより火の手をあげて裏切りし給え。同時に、呂布も精鋭をひきいて、一揉みに駆けちらせば、袁術の首を見るは半日の間も待つまい」
「よし。誓って――」と、韓暹は月を見た。夜は更けて松のしずくが梢に白い。陣中、だれのすさびか笙を吹き鳴らしている者がある。兵も、暑いので眠られないとみえる。
短い夏の夜は明ける。
いつのまに帰ったか、陳大夫のすがたは朝になるともう見えなかった。陽が高くなると、きょうも酷熱である。その中を、袁術の本営から伝騎の令は八方へ飛んだ。
七路の七軍はいっせいにうごき出した。雲は低く、おどろおどろ遠雷が鳴りはためいている。
徐州城は近づいた。
一天晦瞑、墨をながしたような空に、青白い雷光がひらめく度に、城壁の一角がぱっと明滅して見える。
ぽつ! ぽつ! と大つぶの雨と共に、雷鳴もいよいよ烈しい。戦は開始された。
七路に迫る寄手は喊声をあげて来た。呂布ももちろん、防ぎに出ていた。――驟雨は沛然として天地を洗った。
夜になったが、戦況はわからない。そのうちにどうしたのか、寄手の陣形は乱脈に陥り、流言、同士討ち、退却、督戦、また混乱、まったく収まりがつかなくなってしまった。
「裏切りが起こった」
夜が明けて、初めて知れた。第一軍張勲のうしろから、第七軍の楊奉、第六軍の韓暹が、火の手をあげて、味方へ討ってかかって来たのである。
――と知った呂布は、
「今だっ」と、勢いを得て、敵の中央に備え立てている紀霊、雷薄、陳紀などの諸陣を突破して、またたくまに本営に迫った。
楊奉、韓暹の手勢は、その左右から扶けた。袁術の大軍二十万も凩に吹き暴らさるる木の葉にもひとしかった。
呂布は、無人の境を行くごとく、袁術いずこにありやと、馳けまわっていたが、そのうちにかなたの山峡から一颷の人馬が駈け出でてさっと二手にわかれ、彼の進路をさえぎったかと思うと、突然、山上から声があった。
「匹夫呂布、自ら死地をさがしに来たるかっ」
「――あっ?」
と、驚いて見あげると、日月の旗、龍鳳の幡、黄羅の傘を揺々と張らせ、左右には、金瓜、銀斧の近衛兵をしたがえた自称帝王の袁術が、黄金のよろいに身をかためて、傲然と見下ろしていた。
三
雲間の龍を見て吼える虎のように、呂布は、袁術のいる所を仰いで言った。
「おうっ、われ今そこへ行かん。対面して、返辞をしよう。うごくな袁術っ」
馬をすすめて、中軍の前備えを一気に蹴やぶり、峰ふところへ躍り入ると、
「呂布だぞ」
「近づけるな」
と、袁術の将星、梁紀、楽就の二騎が、土砂交じりの山肌を辷るがごとく馳け下って来て、呂布を左右から挾んで打ってかかる。
「邪魔するな」
呂布は、馬首を高く立て楽就の駒を横へ泳がせ、画桿の方天戟をふりかぶったかと思うと、人馬もろとも、一抹の血けむりとなって後ろに仆れていた。
「卑怯っ」
逃ぐるを追って、梁紀の背へ迫ってゆくと、横あいから、
「呂布、待て」と、敵の大将李豊、捨て身に槍をしごいて、突ッかけてくる。
同時に、四沢の岩石が一度になだれ落ちてくるかのように、袁術の旗下や部下のおびただしい人馬が駈け寄せ、
「呂布を討て」と、喚き合った。
「虎は罠にかかったぞ」
袁術も、山を降りて、味方のうしろから督戦に努め、「呂布の首も、今こそ、わが手の物」と、小気味よげに、指揮をつづけていた。
ところへ、昨夜、内部から裏切って、前線の味方を攪乱した韓暹、楊奉の二部隊が、突然、間道を縫って、谷あいの一方にあらわれ、袁術の中軍を側面から衝いた。そのため、
――もう一息!
と、いうところで、呂布を討ちもらしたばかりか、形勢は逆転して、呂布と裏切者のために、袁術は追いまくられ、峰越えに高原の道二里あまりを、命からがら逃げのびて来た。
すると、またも。
高原のかなたに、一朶の雲かと見えたのが、近づくに従って、一颷の軍馬と化し、敵か味方かと怪しみ見ている遑もなく、その中から馳けあらわれた一人の大将は漆艶のように光る真っ黒な駿馬にうち跨がり、手に八十二斤の大青龍刀をひっさげ、袁術のまえに立ち塞がって、
「これは予州の太守劉玄徳が義弟の関羽字は雲長なり、家兄玄徳の仰せをうけて、義のため、呂布を扶けに馳けつけて参った。――それへ渡らせられるは、近ごろ自ら皇帝と僭称して、天を懼れぬ増長慢の賊、袁術とはおぼえたり。いで、関羽が誅罰をうけよ」と名乗りかけた。
袁術は、仰天して、逃げ争う大将旗下のなかに包まれたまま、馬に鞭打った。
関羽は、追いかけながら、遮る者をばたばた斬り伏せ、袁術の背へ迫るや、臂を伸ばして、青龍刀のただ一揮りに、
「その首、貰ッた」
と、横なぐりに、払ったが、わずかに、馬のたてがみへ、袁術が首をちぢめたため、刃はその盔にしか触れなかった。
しかし、自称皇帝の増長の冠は、ために、彼の頭を離れ、いびつになったまま素ッ飛んだ。
こうして袁術はさんざんな敗北を喫し、紀霊を殿軍にのこして、からくも、生命をたもって淮南へ帰った。
それに反して、呂布は、存分に残敵の剿減を行ない、意気揚々、徐州へひきあげて、盛大なる凱旋祝賀会を催した。
「こんどの戦で、かくわれをして幸いせしめたものは、第一に陳珪父子の功労である。第二には、韓暹、楊奉の内応の功である。――それからまた、予州の玄徳が、以前の誼をわすれず、かつての旧怨もすてて、わが急使に対し、速やかに、愛臣関羽に手勢をつけて、救援に馳けつけてくれたことである。そのほか、わが将士の力戦をふかく感謝する」
と、呂布はその席で、こう演舌して、いっせいに、勝鬨をあわせ、また、杯を挙げた。
四
祝賀のあとでは、当然恩賞が行なわれた。
関羽は次の日、手勢をひいて予州へ帰って行った。
以来、呂布はすっかり陳大夫を信用して、何事も彼に謀っていたが、
「時に、韓暹と楊奉のうち、一名は自分の左右に留めておこうと思うが、老人の考えはどうか」
と、今日もたずねた。
陳珪は、答えて言った。
「将軍の座右には、すでに人材が整うています。一羽の馴れない鶏を入れたために、鶏舎の群鶏がみな躁狂して傷つく例もありますから、よほど考えものです。むしろ二人を山東へやって、山東の地盤を強固ならしめたら、一二年の間に大いに効果があがるでしょう」
「実にも」と、呂布はうなずいた。
で、韓暹を沂都へ、楊奉を瑯琊へ役付けて、赴任させてしまった。
老人の子息陳登は、そのよしを聞いて、不平に思ったのか、ある時、ひそかに父の料簡をただした。
「生意気を言うようですが、すこし父上のお考えと私の計画とはちがっていたようですね。私は、あの二人を留め置いて、いざという時、われわれの牙として、大事に協力させようと思っていたのに」
皆まで聞かず、陳大夫は、若い息子のことばを打ち消して、そっと囁いた。
「その手は巧くゆかんよ。なぜなら、いくら手なずけても、元来彼等は卑しい心性しかない。わしら父子に与すよりは、日のたつほど呂布に諂い、呂布の走狗となってゆくに違いない。さすればかえって、虎に翼を添えてやるようなものだ。呂布を殺す時の邪魔者になる......」
陳大夫はまた門を閉じて、病室に籠った。呂布から呼び迎えに来てもよほどのことでないと、めったに出てもゆかないのである。
梧桐は落ちはじめた。夏去り、秋は近くなる。
淮南の一水にも、秋色は澄み、赤い蜻蛉が、冴えた空に群れをなして舞う。
袁術皇帝は、この秋、すこぶる御気色うるわしくない。
「呂布め。裏切者どもめ」
いかにして先ごろの恥をそそごうかと、厳かな帝座に在って、時々、爪を嚙んでいた。
こういう時、思い出されるのは、かつて自分の手もとにいた孫策である。
その孫策はいつのまにか、大江を隔てて呉の
沃土をひろく領し、
江東の
小覇王といわれて、大きな存在となっているが、袁術は彼の少年ごろから手もとに養っていたせいか、いつでも、自分のいう事なら、

とは言わないような気がする――
そこで彼は、孫策のところへ、使いを立てた。
蔭ながら御身の成功をよろこんでおる。
御身もまた我との誼をわすれはしまい。
近ごろ御身の呉国はいよいよ隆昌に向かい、文武の大将も旗下に多いと聞く。この際、我と力を協せ、呂布を討って、彼の領を処理し、更に、呉に勢威を加えてはどうか。
それは、御身のため、長久の計でもあろう。
と、いうような書翰だった。
江を渡った使者の船は、呉城に入って、正式に孫策と面会し、袁術の手簡を捧げた。
孫策はすぐ返辞を書いて、
「委細はこのうち」と、軽く使者を追い返した。
袁術は、その返書をひらいてみると、こう書いてあった。
老君、予の玉璽を返さず、帝位を僭して、さらに世を紊す。
予、天下に謝すの途を知る。
いつの日か、必ずまみえん。
乞う、首をあろうて待て。
「豎子っ。よくも朕をかく辱めたな」
袁術は、書面を引き裂いて、直ちに呉へ出兵せよといったが、群臣の諫めに、ようやく怒りおさえて時を待つことにした。
仲秋荒天
一
「衰術先生、予のてがみを読んで、どんな顔をしたろう」
淮南の使いを追い返したあとで、孫策はひとりおかしがっていた。
しかし、また一方、
「かならず怒り立って、攻め襲うて来るにちがいない」
とも思われたので、大江の沿岸一帯に兵船を泛べ、いつでも御座んなれとばかり備えていた。
ところへ、許都の曹操から使者が下って、天子のみことのりを伝え、孫策を会稽の太守に封じた。
孫策は、詔をうけたが、同時に曹操からの要求もあった。
いやそれは朝命としてであった。
――直ちに、淮南へ出兵し、偽帝袁術を誅伐せよ。
という命令である。
もとより拒むところでない。玉璽をあずけた一半の責任もある。孫策は、
「畏まりて候」と、勅に答えた。
許都の使いが帰った日である。
呉の長史――孫策の家老格である張昭は彼に目通りして言った。
「唯々と御承諾になったようですが、何といっても淮南は豊饒の地、袁一族は名望と伝統のある古い家柄です。先ごろ呂布と一戦してやぶれたりといえども、決して軽々しく見ることはできません。――それにひきかえ、わが呉は、新興の国です。鋭気や若さはありますが、財力、軍の結束などまだ足りません」
「やめろと言うのか」
「勅を拝して、今さら命に背けば、異心ありとみなされます」
「では、どうする?」
「如かず、この際は――あなたから曹操へ急書を発し、こちらは江を渡って袁術の側面を衝く故、許都から大軍を下し、彼の正面に当たり給え――と、専ら曹操の軍に主戦をやらせるのです。そして御当家はあくまでも、援兵というお立場をおとりなさい」
「なるほど」
「一にも二にも、曹操を助けると唱えておけばです、後日御当家に危急のあった折に、曹操へ援兵を要求する事だって出来ましょう」
「や、ありがとう。長史のことばは、近ごろの名言だ。そのとおりに計らおう」
彼の発した書簡は、日ならずして、許都の相府に着いた。
この秋、相府の人々は、
「丞相は近ごろ、愚に返ったんじゃないか」
と、憂いあうほど、曹操はすこしぼんやりしていた。
この春、張繡を討つべく遠征して、かえって惨敗を負って帰ったので、彼の絶大な自信に揺るぎが来たのか、また多情多恨な彼の事とて、今なお、芙蓉帳裡の明眸や、晩春の夜の胡弓の奏でが忘れ得ないのか――とにかく、この秋の彼の姿は、いつになく淋しい。
「否、否。――丞相はそれほど甘い煩悩児でもないよ」
と、相府のある者は、彼のすがたをよく新しい祠堂の道に見ると言って、人々の愚かな臆測をうち消した。
新しい祠堂というのは、張繡との戦に奮戦して討ち死にした悪来典韋のために建てた廟であった。
曹操は、帰京後も典韋の霊をまつり、子の典満を取りたてて、中朗に採用し、果てしなく彼の死を愁んでいた。
そこへ、呉の孫策から急書がとどいた。曹操は、一議におよばず承知のむねを返辞して、即日三十余万の大兵を動員した。一面は痴児のごとく、めそめそ悲しむくせがあるかと思えば、たちまち果断邁進、三軍を叱咤するの一面を示す彼であった。
大軍は、続々都を立った。
時、建安の二年秋九月。許都は麗しい月夜だった。
二
南征の師は、号して三十万とはいうが、実数は約十万の歩兵と、四万の騎兵隊と、千余車の輜重とで編成されていた。
許郡を立つに先だって、もちろん曹操は予州の劉備玄徳へも、徐州の呂布へも、参戦の誘文を発しておいた。
秋天まさにたかし。
われ淮水に向かって南下す。
乞う途上に会同せられよ。
檄に依って劉玄徳は、関羽張飛などの精猛をひきつれて、予州の境で待ちあわせていた。
曹操は、彼を見ると、晴れ晴れと、
「いつもながら信義に篤い足下の早速な会同を満足におもう」と、言った。
盟軍の旗と旗とは交歓され、その下にしばし休息しながら、両雄は陸まじそうに語らっていた。
玄徳は、関羽をかえりみて、「あれを、ここへ」と、いいつけた。
関羽の手で、そこへ差し出されたのは、二顆の首級だった。
驚いて曹操は、
「何者の首か?」と眼をみはった。
玄徳は答えて、
「一つは韓暹の首、一つは楊奉の首です」
「袁術の内部から裏切りして、呂布の味方につき、地方へ赴任したあの二人か」
「そうです。その後の両名は、沂都、瑯琊の両県に来て吏庁にのぞんでいましたが、たちまち苛税を課し良民を苦しめ、部下に命じて掠奪を行なわしめ、婦女子をとらえて姦するなど、人心を険悪にすることひととおりでありません。依って、人民の乞いをいれ、また、吏道を正す意味で、ひそかに関羽、張飛に命じ、両名を酒宴に招いて殺させました」
「ほう。そうか」
「ついては、丞相の命を待たずに行なったことですから、今日は御処罰を仰ぐつもりでおります――独断をもって、両名を誅伐した罪、どうかお糺しください」
「何をいう。君のしたことは、吏道を粛正し、良民の害をのぞいたので、私怨私闘とはちがう。その功を、賞めこそすれ、咎める点はない」
「おゆるし給わるか」
「もちろん、呂布へは、自分からも、よきように言っておこう。御安堵あるがよい」
ここ数日、秋の空はよく澄んで、日中は暑いくらいだった。
しかし、南下するに従って、行軍は道に悩んだ。
――というのは今年、徐州以南の淮水の地方は、かなり大雨がつづいたらしい。
ために、諸所の河川は氾濫し、崖はくずれ、野には無数の大小の湖ができてしまい、馬も人も、輜重の車も、泥濘に行きなやむことひととおりでなかった。
「やあ、難行軍だったでしょう」
呂布は、徐州の堺まで迎えに出ていた。
曹操はあいそよく、「御健勝でよろこばしい」と、会釈の礼を交わし、兵馬は府外に駐屯し、その後、駅館の歓迎宴では、劉玄徳も同席して、袁術討伐の気勢をあげた。
如才ない曹操は、
「このたびの南征には、大いに君の力を借りねばならんが、就いては、自分から朝廷に奏して、君を左将軍に封じておいた。――印綬は、いずれ戦後、改めて下賜されよう」と、告げた。
呂布はもとよりそういう好意に対しては過大によろこぶ漢である。
「犬馬の労も惜しまず」と、ばかり意気ごむ。
ここに、曹、玄、呂の三軍は一体となって、続々、南進をつづけ、陣容は完く成った。
すなわち曹操を中軍として、玄徳は右をそなえ、呂布は左にそなえた。
これに対し、淮南の自立皇帝袁術には、そもどういう対策があろうか。
三
「すわ!」
国境で哨兵は狼火をあげた。
「一大事」とばかり伝騎は飛ぶ。
早打ち、また早打ち。――袁術の寿春城へさして、たちまち櫛の歯をひくように変を知らせて来た。
「曹、玄、呂、三手の軍勢が一体となって――」
と聞くと、さすがの袁術も、もってのほかに驚倒した。
「とりあえず橋甤まいれ」と、防戦に立たせ、袁術は即刻大軍議をひらいたが、とやかく論議しているまにも、頻々として、
「敵は早くも、国境を破り、なだれ入って候ぞ」との警報である。
袁術も臍をかため、自ら五万騎をひいて寿春を出で、敵を途中にくいとめんとしたが、
「先鋒の味方あやうし」
という敗報がすでに聞こえ渡って来た。
と、思うに、
「味方の先鋒の大将橋甤は、惜しくも敵方の先手の大将夏候惇とわたりあい、乱軍のなかにおいて、馬上より槍にて突き伏せられました」
と、またもや、おもしろくない注進であった。
袁術の顔いろが悪くなるたびに、袁術の中軍は動揺し出した。
「あれあれ、あの馬けむりは、敵の大軍が近づいて来たのではないか」
怯み立った士気には、「退くな」と必死に督戦する中軍の令も行なわれず、全軍、目ざましい抗戦もせず総退却してしまった。
袁術もやむなく、中軍を退いて寿春城の八門をかたく閉ざし、
「この上は、城地を守って、遠征の敵の疲れを待とう」と、長期戦を決意した。
寄手は、浸々と、寿春へつめよせる。
呂布の軍勢は、東から。劉玄徳の兵は西から。
また、曹操は北方の山をこえて、淮南の野を真下にのぞみ、すでにその総司令部を寿春からほど遠からぬ地点まで押しすすめて来たという。
寿春の上下は色を失い、城中の諸大将も、評議にばかり暮らしているところへ、またまた、西南の方面から、霹靂のような一報がひびいて来た。
曰く、
「――呉の孫策、船手をそろえて、大江を押し渡り、曹操と呼応して、これへ攻めよせて来るやに見えます!」
西南の急報を聞いて、
「なに、孫策が」と、袁術は仰天した。
彼は、先ごろその孫策からうけた無礼な返書を思いあわせて、身を震わせた。
「恩知らず、忘恩の賊子め」
しかし、いくら罵ってみても事態はうごかない。
袁術は今や手足のおく所も知らなかった。眼前の曹軍があげる喊の声は、満山の吼えるがごとく、背後にせまる江南数百の兵船は海嘯のように彼を脅やかして、夜の眠りも与えなかった。
睡眠不足になった袁術皇帝をかこんで、きょうも諸大将は陰々滅々たる会議に暮らしていたが、時に、楊大将が言った。
「陛下。もういけません。寿春に固執して、ここを守ろうとすれば、自滅あるのみです。畏れながら、かくなる上は、御林の護衛軍をひきいて、一時淮水を渡られ、他へお遷りあって、自然の変移をお待ちあるしかございますまい」
空腹・満腹
一
――一時、この寿春を捨て、本城を他へ遷されては。
と、いう楊大将の意見は、たとえ暫定的なものにせよ、ひどく悲観的であるが、袁術皇帝をはじめ、諸大将、だれあって、
「それはあまりにも、消極策すぎはしないか」と、反対する者もなかった。
それには理由がある。
だれも口にはしないが、実をいえば、内部的に大きな弱点がある事を、だれも知悉しているからだった。
と言うのは、この年、寿春地方は、水害がつづいて、五穀熟せず、病人病馬は続出し、冬期の兵糧もはなはだ心許なかった。
ところへ、この兵革をうけたので、それも士気の振わない一因だった。――で、楊大将の考えとしては、皇帝の眷族と、本軍の大部分を水害地区の外にうつし、ひとつに兵糧持久の策とし、二つには目前の敵の鋭気を避け、遠征軍には苦手な冬季を越える覚悟で、時々奇襲戦術をもって酬い、おもむろに事態の変化を待とうというのである。
「なるほど、これが万全かもしれない」
長い沈黙はつづいたが、やがて各々うなずいた。
袁術皇帝も、
「その儀、しかるべし」
と、許容あって、たちどころに大々的脱出の手配にかかった。
李豊、楽就、陳紀、梁剛の四大将は、あとに残って、寿春を守ることになり、これに属する兵はおよそ十万。
また、袁術とその眷族に従って、城を出てゆく本軍側には、将士二十四万人が附随し、府庫宮倉の金銀珍宝はいうまでもなく、軍需の貨物や文書官冊などもみな、昼夜、車につんで陸続と搬出し、これを淮水の岸からどしどし船積みしてどこともなく運び去った。
袁術も、
従の臣も、もちろんいちはやく、淮水のかなたへ渡って、遠く難を避けてしまった。
残るはただ満々たる水と、空骸にひとしい城があるばかり。――曹操以下、寄手の三十万が、城下へ殺倒したのは、実にその直後だったのである。
ここへ来て、曹操もまた、大いに弱っていた。
寿春へ近づくほど、水害の状況がひどい。想像以上な疲弊である。
城内の町はわからないが、郊外百里の周囲は、まだ
洪水のあとが生々しく、田は
泥湖と化し、道は
泥没し、百姓はみな木の皮を

ったり、草の葉に露命をつないでいる状態である。
果然、彼の
兵站部は大きな誤算にゆきあたって、
「どうしたら三十万の兵を養うか」に苦労しはじめた。
遠征の輜重は、もとよりそう多くは糧米は持ってあるけない。行く先々の敵産が計算に入れてある。
「これほどとは!」
と、糧米総官の王垢が、この地方一帯の水害を見た時、茫然、当惑したのも無理はなかった。
それも、七日や十日は、まだ何とかしのぎもついてゆく。
半月となるとこたえて来た。
ところが、滞陣はすでに一ヵ月に近くなった。陣中の兵糧は涸渇を呈した。
「一時に攻め陥せ」
むろん曹操もあせりぬいている。しかし攻城作戦の方も水害のため、兵馬のうごきは不活発となるし、城兵は頑強だし、容易に渉どらないのである。
そこで曹操は、呉の孫策へあてて、一書を認め、早馬で飛ばした。
秋高の天、地は水旱
精兵は

せ、
肥馬は衰う
呉船来るを待つや急なり
慈米十万は百万騎に勝る
二
呉の孫策は、すでに、曹操との軍事経済同盟の約束によって、大江をわたり、南の方から進撃の途中にあったが、曹操の書簡を手にして、
「すぐ糧米を運漕せよ」と、彼の乞いに応じるべく、本国へ手配をいい遣った。
けれど、何分、道は遠い。途中揚子江の大江はあるし、護送には、おびただしい兵馬も要る。
とやかくと、日数はかかった。――そのあいだにも、曹操の陣中では、いよいよ兵糧総官の王垢も悲鳴をあげ出していた。
「丞相。――申しあげます」
「なんだ、王垢と任峻ではないか。両名とも元気のない顔をそろえて何事だ」
任峻は、倉奉行である。
王垢と共に、曹操のまえへ出て、ついに、窮状を訴えた。
「もはや、兵の糧は、つづきません、幾日分もございません」
「それがどうした?」
曹操は、わざと、そう嘯いて言い放った。
「予に相談してどうなるか、予は倉奉行でもないし、兵糧総官でもないぞ」
「はっ......」
「辞めてしまえっ。さようなことぐらいでいちいち予に相談しなければ職が勤まらぬほどなら」
「はいっ」
「――が、こんどだけは、智恵をさずけてやろう。今日から、糧米を兵へ配る桝を更えるがいい。小桝を使うのだ小桝を。――さすればだいぶ違うだろう」
「桝目を減じれば大へん違ってまいります」
「そういたせ」
「はっ」
二人は倉皇と退がって、直ちにその日の夕方から、小桝を用いはじめた。
一人五合ずつの割りあてが、一合五勺減の小桝となった。もちろん粟、黍、草根まで混合してある飢饉時の糧米なので、兵の胃ぶくろは満足するはずがない。
「どんな不平を鳴らしているか」
曹操はひそかに、下級兵のつぶやきに耳をたてていた。もちろん喧々囂々たる悪声であった。
「丞相もひどい」
「これでは出征の時の宣言と約束がちがう」
「こんなもので戦えるか」
要するに、
怨嗟は曹操にあつまっている。

い
物のうらみは強い。曹操は、糧米総官の王垢を呼んだ。
「不平の声がみちているな」
「どうも......取り鎮めてはおりますが、いかんとも」
「策はあるまい」
「ございません」
「故に予は、おまえから一物を借りて、取り鎮めようと思う」
「わたくしごとき者から、何を借りたいと仰せられますか」
「王垢。おまえの首だ」
「げッ......?」
「すまないが貸してくれい。もし汝が死なぬとせば、三十万の兵が動乱を起こす。三十万の兵と一つの首だ。――その代わりそちの妻子は心にかけるな。曹操が生涯保証してやる」
「あっ、それは、それはあんまりです。丞相ッ、助けてください」
王垢は泣き出したが、曹操は平然と、かねて言い含ませてある武士に眼くばせした。武士は飛びかかッて、王垢の首を斬り落とした。
「すぐ陣中に梟けろ」
曹操は命じた。
王垢の首は竿に梟けられて陣中に曝された。それに添える立て札まで先に用意されてあった。
立て札には、
王垢、糧米を盗み、小桝を用いて私腹をこやす。罪状歴然。
軍法に依ってここに正す。
と、書いてあった。
「さては、小桝を用いたのは、丞相の命令ではなかったとみえる。ひどい奴だ」
兵は、王垢を怨んで、曹操に抱いていた不平は忘れてしまった。その士気一変の転機をつかんで、曹操は即日大号令を発した。
「こん夜から三日のうちに、寿春を攻め陥すのだ。怠る者は首だぞ。たちどころに死罪だぞ!」
三
その夜、曹操は軍兵に率先して、みずから壕際に立ち、
「壕を埋めて押しわたれ。焼き草を積んで城門矢倉を焼き払え」と、必死に下知した。
それに対して敵も死にもの狂いに、大木大石を落とし、弩弓を乱射した。
矢にあたり、石に潰される者の死骸で、壕も埋まりそうだった。ために怯み立った寄手のなかに、身をすくめたままで、前へ出ない副将が二人いた。
「卑怯者っ」
曹操は叱咤するや否や、その二人を斬ってしまった。
「まず、味方の卑怯者から先に成敗するぞ」
自身、馬を降りて土を運び、草を投げこみ、一歩一歩、城壁へ肉薄した。
軍威は一時に奮い立った。
一隊の兵は、城によじ登り、早くも躍りこんで、内部から城門の鎖を断ちきった。どッと、喊声をあげてそこから突っこむ。
堤の一角はやぶれた。洪水のように寄手の軍馬はながれ入る、あとは殺戮あるのみである。守将の李豊以下ほとんど斬殺されるか生擒られてしまい、自称皇帝の建てた偽宮――禁門朱楼、殿舎碧閣、ことごとく火を放けられて、寿春城中、いちめんの大紅蓮と化し終わった。
「息もつくな。すぐ船、筏をととのえて、淮河をわたり、袁術を追って、最後のとどめを与えるのだ」
将領たちを督励して、更に、追撃の準備をしている数日の間に、
「荊州の劉表が、さきの張繡と結託して、不穏な気勢をあげている――」
と、許都からの急報である。
曹操は、眉をひそめ、
「張繡はともかく、劉表がうごいては、由々しい大事となろうかも知れぬ」
と、征途を半ばにして、すぐ都へ引き揚げた。
許都へ帰るにあたって、彼は、呉の孫策へ早馬をとばし、
「君は兵船をもって、長江を跨ぐがごとく布陣し、上流荊州の劉表を、暗に威嚇しておるように」
と、申し入れた。
また、呂布と玄徳には、
「以前の誼を温めて、徐州と小沛を守り合い、唇歯の交わりをもって、新たに義を結びたまえ」
と、二人に誓いの杯を交わさせた。そして劉玄徳へは、特に、
「もうこれで呂布にも異存はあるまいから、御辺も予州を去り、元の小沛の城へ帰られるがよい」
と、命じた。
玄徳は、好意を謝し、別れようとすると、曹操は、呂布の居ないのを見すまして、
「......君を、小沛に置くのは、虎狩りの用意なのだ。陳大夫と陳登父子が、ぼつぼつ陥し宑をほりかけている。あの父子と計らって、ぬからぬように準備し給え」
と、囁いた。
かくて曹操は、後図の憂いにも万全を期し、やがて、総軍をひいて許都へ帰ってくると、段煨、伍習という二名の雑軍の野将が、私兵をもって、長安の李傕と郭汜を討ち殺したといって、その首を朝廷へ献上しに来た。
李傕、郭汜は、長安大乱以来の朝敵である。公卿百官は、思わぬ吉事と慶びあって、帝に奏上し、段煨と伍習には、恩賞として、官職を与え、そのまま長安の守りを命じた。
「太平の機運が近づいた」と、なして、朝野は賀宴を催して祝った。町には、二
箇の逆賊の首が七日間
曝されていた。折も折、征途から帰還した、曹操の兵三十万も、この祝日に出会ったので、飲むわ、

うわ、躍るわ、許都は一時、満腹した人間の顔と、祝賀の一色に塗りつぶされた。
梅酸・夏の陣
一
年明け、建安三年。
曹操もはや四十を幾つかこえ、威容人品ふたつながら備わって、覇気熱情も日ごろは温雅典麗な貴人の風につつまれている。時には閑を愛して独り書を読み、詩作に耽り、終日、春闌の室を出ることもなかった。またある日は家庭の良き父となりきって、幼い子女等と他愛なく遊び戯れ、家門は栄え、身は丞相の顕職にあり、今や彼も、功成り名遂げて、弓馬剣槍のこともその念頭を去っているのであるまいかと思われた。
正月、朝にのぼって彼は天子に謁し、賀をのべた後で、
「ことしもまた、酉へ征旅に赴かねばなりますまい」
と、言った。
南の淮南は、去年、一年たたきに叩いて、やや小康を保っている。
西といえば、さし当たって、近ごろ南陽(河南省・宛城)から荊州地方に蠢動している張繡がすぐ思い出される。
果たせるかな。その年、初夏四月。
丞相府の大令が発せられるや、一夜にして、大軍は西方へ行動を起こした。
討伐張繡!
士気は新鮮だった。軍紀は凛々と振った。
天子は、みずから鑾駕をうながして、曹操を外門の大路まで見送られた。
ちょうど夏の初めなので、麦はよく熟している。大軍が許都郊外から田舎道へ流れてゆくと、麦畑に働いていた百姓たちは、恐れて、われがちに逃げかくれた。
曹操は、それを眺めて、「地頭や村老をよべ」と命じ、やがて、恐る恐る揃って出た村長や百姓たちに向かって、こう諭した。
「せっかくお前たちの汗と丹精によって、このように麦の熟したころ、兵馬を出すのも、またやむを得ない国策に依るのである。――だが案じるな。ここを通るわが諸大将の部隊に限っては、断じて、田畑を踏みあらすことのないように軍令を発してある。また、村々において、寸財の物でも掠め取る兵があれば、すぐ訴え出ろ。われわれ麾下の大将は、たちどころに犯した兵を斬り捨ててしまうであろう」
この事を伝え聞いて、村老野娘も、畑にありながら、安心して、軍隊を見送った。
軍律はよく行き渡っている。兵も馬も、狭い麦のほとりを通る時は、馬の手綱をしめ、手をもって麦を分けながら行った。
ところが。
曹操の乗っていた馬が、どうしたのか、ふと、野鳩の羽音におどろいて、急に撥ねあがり、麦畑へ狂いこんで、麦を害ねた。
曹操は、何思ったか、
「全軍、止まれ!」
と、急に命じ、行軍主簿を呼んで言うには、
「今、不覚にも自分は、みずから法令を出して、その法を犯してしまった。すでに、統率者自身、統率をやぶったのだ。何をもって、人を律し、人を正し、人を服させよう。――予は、自害して、法を明らかにするのが、予の任務であると信じる。諸軍よ、予の死を悲しまず、更に軍紀を振起し、一意、天下のために奉ぜよ」
言い終わると、剣を抜いて、あわや自刃しようとした。
「滅相もない!」
諸将は、愕然として、彼の左右から押しとどめた。
「お待ち下さい。春秋の語にも、法は尊きに加えず――とあります。丞相は大軍を統べ給う身、丞相の生死は、軍全体の死活です。われわれが可愛いと思ったら、御自害はお止まりください」
「ムム、そうか。春秋の時すでにそういう古例があったか。しからば、父の賜ものたる髪を切って、断罪の義に代え法に服した証となそう」
と、わが髪をつかみ、片手の短剣をもって、根元からぶすりと断って、主簿に渡した。
秋霜厳烈!
それを目に見、耳につたえて、悚然、自分を誡めない兵はなかった。
二
行軍は、五月から六月にかかった。六月、まさに大暑である。
わけて河南の伏牛山脈をこえる山路の難行はひととおりでない。
大列のすぎる後、汗は地をぬらし、草はほこりを被り、山道の岩砂は焼け切って、一滴の水だに見あたらない。兵は多く仆れた。
「水がのみたい」
「水はないか」
斃れた兵も呻く。なお、進む兵も言う。
すると、曹操が、突然、馬上から鞭をさして叫んだ。
「もうすこしだ! この山を越えると、梅の林がある。――
疾く参って梅林の木陰に憩い、思うさま梅の実をとれ。――梅の実をたたき落として

え」
聞くと、奄々と渇にくるしんでいた兵も、
「梅でもいい!」
「梅ばやしまで頑張れ」と、にわかに勇気づいた。
そして無意識のうちに、梅の酸っぱい味を想像し、口中に唾をわかせて、渇を忘れてしまっていた。
――梅酸渇を医す。
曹操は、日ごろの閑に、何かの書物で見ていたことを、臨機に用いたのであろうが、後世の兵学家は、それを曹操の兵法の一として、暑熱甲冑を焦く日ともなれば、渇を消す秘訣のことばとして、思い出したものである。
伏牛山脈をこえて来る黄塵は、早くも南陽の宛城から望まれた。
張繡は、うろたえた。
「はや、後詰したまえ」
と、荊州の劉表へ、援助をたのむ早打ちをたて、軍師の賈詡を城にとどめて、
「つかれ果てた敵の兵馬、大軍とて何ほどかあろう」
と、自身防ぎに出た。
だが、配下の勇士張先が、まっ先に曹操の部下許褚に討たれたのを始めとして、一敗地にまみれてしまい、口ほどもなくまたたちまちみだれ合って、宛城のうちへ逃げこんでしまった。
曹操の大軍は、ひた寄せに城下にせまって、四門を完全に封鎖した。
攻城と籠城の形態に入った。
籠城側は新手の戦術に出て、城壁にたかる寄手の兵に沸えたぎった熔鉄をふり撒いた。
金屎か人間かわからない死骸が、蚊のごとく、ばらばら落ちては壁下の空壕を埋めた。
が、そんな事に怯む曹操の部下ではない。曹操もまた、みずから、
「ここを突破してみせん」
と、西門に向かって、兵力の大半を集注し、三日三晩、息もつかせずに攻めた。
なんといっても、主将の指揮するところが主力となる。
雲の梯にもまごう櫓を組み、土囊を積み、壕をうずめ、弩弓の乱射、ときの声、油の投げ柴、炎の投げ松明など――あらゆる方法をもって攻めた。
張繡は防ぐ力も尽きて、
「――賈詡、荊州の援軍は、いつごろ着くだろう。もう城の余命も少ないが。......間にあうか、どうか」とたずねた。
軍師たる賈詡の顔いろが、今はただ一つの恃みだった。賈詡は落ち着いて答えた。
「だいじょうぶです」
「まだ大丈夫か」
「まだ? ......いやいや、頑としてなお、この城は支えられます。のみならず、曹操を生擒りにするのも、さして難かしいことではありません」
「えっ。曹操を」
「大言と疑って、わたくしの言を疑う事がなければ、必ず、曹操の一命は、あなたの掌の物として御覧にいれます」
「どういう計で?」
張繡はつめ寄った。
三
賈詡が胸中の計とは何?
彼は、張繡に説いた。
「こんどの戦闘中、ひそかに、それがしが矢倉のうえから見ていると、曹操は、城攻めにかかる前に、三度、この城を巡って、四門のかためを視察していました。――そして彼がもっとも注意したらしい所は、東南の巽の門です。――なぜ注意したといえば、あそこは逆茂木の柵も古く、城壁も修理したばかりで、磚は古いのと新しいのと不揃いに積み畳まれている。......要するに、防塁の弱点が見えるのです」
「ムム、なるほど」
「――で、烱眼な曹操はすぐ、この城を陥す攻め口はここと、肚のうちでは決めているに違いないのです。――そこで彼は次の日から、西門に主力をそそぎ、自分もそこに立って、躍起と攻め始めたものでしょう」
「東南門の巽の口を、攻め口ときめておりながら、なぜ西門へ、あんな急激にかかって来たのか」
「偽撃転殺の計です。――つまり西門に防戦の力をそそがせておいて、突然巽の門をやぶり、一殺に、宛城を葬らんとする支度です」
張繡は聞いて、慄然、肌に栗を生じた。
「それがしにお任せください」
賈詡は、直ちに、それに備える手筈にかかった。
この城中に、賈詡のあることは、曹操も疾く知っている。また賈詡の人物も、知りぬいているはずである。
――にもかかわらず、
曹操ほどな智者も、自分の智には墜ち入りやすいものとみえる。
彼は、その夜、西門へ総攻撃するようにみせかけて、ひそかによりすぐった強兵を巽にまわし、自身まッ先に進んで、鹿垣、逆茂木を打ち越え、城壁へ迫って行ったが、ひそとして迎え戦う敵もない。
曹操は、快笑して、
「笑止や。わが計にのって、城兵はみな西門の防ぎに当たり、かくとも知らぬ様子だぞ」
一挙に、そこを打ち破って、壁門の内部へ突入した。
――と、こはいかに、内部も晴々黒々として篝の火一つみえない。あまりの静けさに、
「はてな?」
駒脚を止めて見廻したとたんに、ぐゎあん! ――と一声の狼火がとどろいた。
「しまった」
曹操は、つづく手勢を振り向いて、絶叫した。
「――虚誘掩殺の計だっ。退却っ、返却っ!」
しかし、もう遅かった。
地をゆるがす鬨の声と共に、十方の闇はすべて敵の兵となって、
「曹操を生け捕れ」とばかり圧縮してきた。
曹操は単騎、鞭打って逃げ走ったが、その夜、巽の口で討たれた部下の数は、何千か何万か知れなかった。
ここばかりでなく、偽攻の計を見やぶられたので、西門の方でも、さんざんに張繡のために敗られ、全線にわたって、破綻を来したため、五更のころまで、追撃をうけ、夜も明けて陽を仰いだころ、城下二十里の外に退いて、損害を調べると、一夜のうちに味方の死者五万余人を生じていたことがわかった。折からまた、
「荊州の劉表、にわかに兵をうごかし、わが退路を断って、許都を衝かんとする姿勢に窺われる」
という凶報は来るし――曹操は、惨たる態で、歯がみしたが、
「今にみよ」と、恨みの一言を、敗戦場に吐きすてて、「退くも兵法」とばかり向きを更えて、許都へひっ返した。
途中まで来ると、
「劉表は一たん大兵を出そうとしたが、呉の孫策が、兵船をそろえ、江を遡って、荊州を荒らさん――と聞こえたので、怯気づいて、出兵の可否に迷っておる」という情報が入った。
四
古今の武将のうち、戦をして、彼ほど快絶な勝ち方をする大将も少ないが、また彼ほど痛烈な敗北をよく喫している大将も少ない。
曹操の戦は、要するに、曹操の詩であった。詩を作るのと同じように彼は作戦に熱中する。
その情熱も、その構想も、たとえば金玉の辞句をもって、胸奥の心血を奏でようとする詩人の気持と、ほとんど相似たものが、戦にそのまま駆りたてられているのが、曹操の戦いぶりである。
だから、曹操の戦は、曹操の創作である。――非常な傑作があるかと思えば、はなはだしい失敗作も出る。
いずれにせよ、彼は、戦を楽しむ漢であった。楽しむほどだから、惨敗を喫しても、悄れないかといえばそうでもない。
さすがの曹操も、大敗して帰る途中は、悽愴な眉と、惨たるものを顔色に沈めてゆく。
梅酸も酸味
敗戦も亦酸
不同と雖も似たり
心舌を超えて甘し
馬上、揺られながら、彼はいつか詩など按じていた。逆境の中にも、なお人生を楽しもうとする不屈な気力はある。決して、さし迫ることはない。
襄城をすぎて、淯水の畔にかかった。
ふと、彼は馬を止めて、
「......ああ」と、低徊しながら、頰に涙さえながした。
怪しんで、諸将がたずねた。
「丞相、何でそのように悲しまれるのですか」
「ここは淯水ではないか」
「そうです」
「去年、やはりこの地に張繡を攻めて、自分の油断から、典韋を討ち死にさせてしまった。......典韋の死を傷んで、ついその折の事どもを思い出したのだ」
彼は、馬を降りて、水辺の楊柳につなぎ、一基の石を河原の小高い土にすえて、牛を斬り、馬を屠った。そして典韋の魂魄をまねくの祀をいとなみ、その前に礼拝して、ついには声を放って哭いた。
多くの将士もみな、曹操の情の厚い半面に心を打たれ、交々、拝礼した。
次に、曹操の嫡子曹昂の霊をまつり、また甥の曹安民の供養をもなした。――楊柳の枝は長く垂れて、水はすでに秋冷の気をふくみ、黒い八哥鳥がしきりと飛び交っていた。
――諸軍号哭の声やまず。
と、原書は支那流に描写している。初夏、麦を踏んで意気衝天の征途につき、涼秋八月、滅身創痍の大敗に恥を嚙んで国へ帰る将士の気持としては、あながち誇張のない表現かもしれない。
顧みれば、呂虔とか干禁などの幕将まで負傷している。無数の輜重は敵地へ捨てて来た。――ああ。仰げば、暮山すでに晦く陽は陰ろうとしている。
「あっ、何者か来る」
「味方の早打ちだ」
士卒が口々に言った時、かなたから早馬一騎、鞭をあててこれへ来た。
許都に残っている味方の荀彧から来た使いである。もちろん書簡を携えている。
さっそく曹操がひらいて見ると、
荊州の劉表、奇兵を発し
御帰途を安象附近に待って
張繡と力を協す。
御警戒あるように。
という報だった。
五
「それくらいな事はあろうと、かねての用意はある」
曹操は躁がなかった。荀彧の使いにも、
「案じるな」と、言って返した。
安象の堺まで来ると、果たせるかな劉表の荊州兵と張繡の聯合勢とが難所を塞いでいた。
「彼に地の利あれば、われにも地の利を取らねばなるまい」
曹操もまた、一方の山に添うて陣をした。そして、その行動が日没から夜にわたっていたのを幸いに、夜どおしで、道も無さそうな山に一すじの通りを坑り、全軍の八割まで山陰の盆地へ、かくしてしまった。
夜が明けて、朝霧も霽れかけて来ると、小手をかざしてかなたの陣地から見ていた劉表、張繡の兵は、
「なんだ、あんな小勢か」と、呟いている様子だった。
「あんなものだろう」と、頷く者は言った。
「このあいだは五万から戦死しているし、それに、難行苦行、敗け軍のひきあげだ。途中、逃亡兵も続出する。病人もすてて来る。――あれだけでもよく還って来たくらいなものだろう」
軍の幹部たちも、その程度の見解を下したものか、やがて要害を出て、野を真っ黒に襲撃して来た。
充分、侮らせて。
また、近よせておいて。
曹操は、突然山の一角に立ち現われて、
「盆地の襲兵ども、今だぞ、淵を出て雲と化れ! 野を繞って敵を抱きこみ、みなごろしにして、血の雨を見せよ」
と、号令を下した。
眼に見えていた兵数の八倍もある大兵が、地から湧いて、退路をふさぎ、側面前面から掩いつつんで来たので、劉表、張繡の兵はまったく度を失った。
嚝野の秋草は繚乱と、みな血ぶるいした。所々に、死骸の丘ができた。逃げ争って行った兵は、要害に居たたまらず、山向こうの安象の町へ逃げこんだ。
「県城も焼きつぶせ」
曹操の兵は、鬱憤ばらしに追撃を加えて行ったが、その時またも――実にいつも肝腎なもう一攻めという時に限って意地わるく来る――都の急変が報じられてきた。
河北の袁紹、都の空虚をうかがい、
大動員を発令。
と、いうのであった。
「――袁紹が!」
これにはよほど愕いたとみえて、曹操は何ものも顧みず、許都へさして昼夜をわかたず急いだ。
張繡、劉表は彼のあわて方を見て、こんどは逆に追おうとした。
「追ったら必ず手痛い目にあいますぞ」
賈詡は諫めたが、二将は追撃した。案の定、途中、屈強な伏兵にぶつかって、惨敗の上塗りをしてしまった。
賈詡は、二将が懲りた顔をしているのを見て、
「――何をしているんです! 今こそ追撃する機会です。きっと大捷を博しましょう」
と励ました。
二の足ふんだが、賈詡があまり自信をもって励ますので、再び曹操の軍に追いついて、戦を挑むと、こんどは存分に勝って、凱歌をあげて帰った。
「実に妙だな。賈詡、いったい其許には、どうしてそのように、戦いの勝負が、戦わぬ前にわかるのか」
後で、二将が訊くと、賈詡は笑って答えた。
「こんな程度は、兵学では初歩の初歩です。――第一回の追撃は敵も追撃されるのを予想していますから、策を授け、兵も強いのを残して、後ろに備えるのが常識の退却法です。が、――二度目となると、もう追い来る敵もあるまいと、強兵は前に立ち、弱兵は後となって、自然気も弛みますから、その虚を追えば、必ず勝つな、と信じたわけであります」
北 客
一
ようやく許都に帰りついた曹操は帰還の軍隊を解くにあたって、傍らの諸将に言った。
「先ごろ、安象で大敵に待たれた時、見つけない一名の将が手勢百人足らずを率い、予の苦戦を援けていたが、さだめし我に仕官を望む者であろう。いずれの隊伍に属しておるか、糺してみよ」
命に依って、幕僚の一名は、将台に立って、その由を、全軍の上に伝えた。
すると、隊列の遙か後ろの方から声に応じて、一かどの面だましいを備えた武将が、槍を小脇にさしはさんで進み出で、
「この方であります」
と、曹操の前にかしこまった。
曹操は、一瞥して、
「いかなる素姓の者か」と、たずねた。
「はっ。あるいはなお、御記憶にありはせぬかと存じますが。――自分はかつて、黄巾賊の乱にもいささか功をたて、一時は鎮威中郎将の栄職にありましたが、その後、思うところあって、故郷汝南に帰っていました。――李通字を文達と申す者であります」
旧交はないが、夙に名は聞いている。曹操は拾い物をしたように、
「よく機をつかんで、予の急を救け、予に近づいたのも、一方の将たるに足る才能である。神妙のいたりだ。郷土にもどって、汝南の守りに就くがいい」
と、稗将軍建功侯に封じた。
また、その日ではないが。
許都に留守居していた荀彧が、曹操の帰還を祝したあとで、ふと訊ねた。
「いつぞや、私より早馬をもって御帰途の途中に向けて劉表、張繡の両軍が嶮をふさいで待ちかまえている由をお報らせしたところ、丞相の御返簡には、――案じるな、我には必ず破るの計がある。――とございましたが、丞相にはどうして、そんな先の確信がおありだったのですか」
曹操は、答えて、
「ああ、あの時か。――あの時は、疲労困憊の極に達していたわれわれに対して、劉表と張繡は必殺の備えをして待ちかまえていた。是、死一道の覚悟をわれ等に与えたものである。ために味方の将士は、のがれぬ所と捨て身になって凄まじい戦闘を仕懸けた。――人間の逆境も、あれくらいまで絶体絶命に押しつけられると、死中自ら活路ありで――その道理から予も、咄嗟に、勝つと確信をもったわけである」と、笑って言った。
そのことばを人々、伝え合って、
「丞相のごときこそ、真の孫子の玄妙を体得した人というのだろう」
と、大敗して帰った彼に対して、かえって一そう心服を深めたということである。
しかし、さすがに今年の秋は、去年のような祝賀の祭りもなかった。
とはいえ去燕雁来の季節である。洛内の旅舎は忙しい。諸州から秋の新穀鮮菜美果などおびただしく府にはいってくるし、貢来の絹布や肥馬も輻輳として賑わしい。
その中に、従者五十人ばかりを連れ、覊旅華やかな一行が、ある時、駅館の門に着いた。
「冀州の袁紹様のお使者として来た大人だそうだよ」
旅舎の者は、下へも措かないあつかいである。
この都でも、冀州の袁紹と聞けば、だれ知らぬ者はない。天下の何分の一を領有する北方の大大名として、また、累代漢室に仕えた名門として、俗間の者ほど、その偉さにかけては、新興勢力の曹操などよりは遙かに偉い人――という先入主をもっていた。
二
今しがた禁裏を退出した曹操は、丞相府へもどって、ひと休みしていた。
そこへ郭嘉が、
「お取り次ぎいたします」と、牀下に拝礼した。
「なんだ、書簡か」
「はい、袁紹の使いが、はるばる、都下の駅館に到着いたして、丞相にこれを御披露ねがいたいとのことで」
「――袁紹から?」
無造作に披いて、曹操は読み下していたが、秋の日に萱が鳴るように、からからと笑った。
「虫のいい交渉だ。――先ごろ、この曹操が都をあけていた折はあわよくば洛内に軍を進めんと窺ったりしながら、この書面を見れば、北平の公孫瓚と国境の争いを起こしたに依って、兵糧不足し、軍兵も足りないから、合力してくれまいか――という申し入れだ。しかも、文辞傲慢、この曹操を都の番人とでも心得ておるらしい」
不快となると、はっきり不快な色を面上に漲らせる。それでも足りないように、曹操は書簡を叩きつけた。
そして、郭嘉に向かって、なお、余憤をもらした。
「袁紹の尊傲無礼はこの事ばかりではない。日ごろ帝の御名をもって政務の文書を交わしても、常に不遜の辞句を用い、予を一吏事のごとく見なしておる。――いつかはその傲れる鼻をへし折ってくれんものと、じっと隠忍しておるがいかんせん、冀州一円にわたる彼の旧勢力も、まだなかなか......自己の力の不足をかえりみ、独り嘆じているほどなのに、この上北平を攻めるのだから兵力を貸せ、食糧を貸せとはどこまで予を与み易しと思っているのか底の知れぬ横着者ではある」
「......丞相」
郭嘉は彼の激色がうすらぐのを待って静かに言った。
「童子も知っている事を改めて申すようですが、むかし漢の高祖が項羽を征服した例を見るに、高祖は決して項羽よりも強いのではありません。強さにかけては項羽のほうが遙かに上でしょう。にもかかわらず、高祖に亡ぼされたのは勇を恃んで、智を軽んじたせいです。それと、高祖の隠忍がよく最後の勝を制したものと思います」
「そのとおり」
「わたくしごときが、丞相を批評しては、罪死に値しますが、忌憚なく申しあげれば、袁沼の人物と丞相とを比較してみますと、わが君には十勝の特長があり、袁紹には十敗の欠点があります」
と言って、郭嘉は指を折りながら、両者の得失をかぞえあげた。
一......袁紹は時勢を知らない。その思想は、保守的というより逆行している。
が――君は、時代の勢いに順い、革新の気に富む。
二......袁紹は繁文辱礼、事大主義で儀礼ばかり尊ぶ。
が――君は、自然で敏速で、民衆に触れている。
三......袁紹は寛大のみを仁政だと思っている。故に、民は寛に狎れる。
が――君は、峻厳で、賞罰明らかである。民は恐れるが、同時に大きな歓びも持つ。
四......袁紹は鷹揚だが内実は小心で人を疑う。また、肉親の者を重用しすぎる。
が――君は、親疎のへだてなく人に接すること簡で、明察鋭い。だから疑いもない。
五......袁紹は謀事をこのむが、決断がないので常に惑う。
が――君は、臨機明敏である。
六......袁紹は、自分が名門なので、名士や虚名をよろこぶ。
が――君は、真の人材を愛する。
「もうよせ」
曹操は、笑いながら急に手を振った。
「そうこの身の美点ばかり聞かせると、予も袁紹になる惧れがある」
三
その夜――
彼は、独坐していた。
「右すべきか、左すべきか。多年の宿題が迫ってきた」
袁紹という大きな存在に対して深い思考をめぐらそうとする時、さすがの彼も眠ることができなかった。
「恐るるには足らない」
心の奥では呟いてみる。
しかし、そのそばから、
「侮れない――」とも、すぐ思う。
袁紹と自分とを、一個一個の人間として較べるなら郭嘉が、
(君に十勝あり。袁紹に十敗あり)
と、指を折って説かれるまでもなく、曹操自身も、
「自分のほうが遙かに人間は上である」と、充分自信はもっているが、単にそれだけを強味として相手を鵜呑みにしてしまうわけにもゆかなかった。
袁一門の閥族中には、淮南の袁術のような者もいるし、大国だけに賢士を養い、計謀の器、智勇の良臣も少なくない。
それに、何といっても彼は名家の顕門で、いわば国の元老にも擬せられる家柄であるが、曹操は一宮内官の子で、しかもその父は早くから郷土に退き、その子曹操は少年から村の不艮児といわれていた者にすぎない。
袁紹が洛陽の都にあって、軍官の府に重きをなしていたころ、曹操はまだやっと城門を見廻る一警吏にすぎなかった。
袁紹は風雲に追われて退き、曹操は風雲に乗じて躍進を遂げたが、名門袁紹にはなお隠然として保主派の支持があるが、新進曹操には、彼に忠誠なる腹心の部下をのぞく以外は嫉視反感あるのみだった。
天下はまだ曹操の現在の位置を目して、「お手盛の丞相」と、蔭口をきいていた。その武力には懼れても、その威に対しては心服していないのである。
そういう微妙な人心に晦い曹操ではない。彼はなお自分の成功に対して多分に不満であり不安であった。
敵は武力で討つことはできるが、徳望は武力で贏ち得ないことは知っている。
こういう際、「袁沼と事を構えたら?」と、そこに多分な迷いが起こってくる。
今、地理的に。
この許都を中心として西は荊州、襄陽の劉表、張繡を見ても、東の袁術、北の袁紹の力をながめても、ほとんど四方連環の敵であって、安心のできる一方すら見出せない。
「――だが、この連環のなかにじっとしていたら、結局、自分は丞相という名だけを持って、窒息してしまう運命に立ち到るであろう。自分の位置は、風雲に拠って生まれたのであるから、天下の全土を完全に威服させてしまうまでは、寸時も生々躍動の前進を怠ってはならない。打開を休めてはならない。旧態の何物をも、ゆるがせに見残しておいてはならない」
曹操の意志は、大きな決断へ近づきだした。
「そうだ。――打開にはいつも危険が伴うのはあたりまえだ。――袁紹何物ぞ。すべて旧い物は新しい生命と入れ代わるは自然の法則である。おれは新人だ、彼は旧勢力の代表者でしかない。よし! やろう」
肚はすわった。
彼はそう決意して眠りについたが、翌日になると、なお、もう一応自己の信念を慥めてみたくなったか、丞府の吏に、
「荀彧を呼びにやれ」と、いいつけた。
四
やがて、荀彧は召しによって府へ現われた。
曹操は、特に人を遠ざけて、閣のうちに彼を待っていた。
「荀彧か。きょうはそちに、とりわけ重大な意見を問いたいため呼んだわけだが、まず、これを一見するがよい」
「書簡ですか」
「そうだ。昨日、袁紹の使いが着いて、はるばる齎して来たもの。即ち、袁紹の自筆である」
「......なるほど」
「これを読んで、そちはどう感じるな」
「一言で申せば、辞句は無礼尊大であるし、また、書面で言って来たことは、虫のよい手前勝手としか思われません」
「そうだろう。――袁紹の無礼には、積年、予は忍んで来たつもりだが、かくまで愚弄されては、もはや堪忍もいつ破れるか知れぬ気がする」
「御もっともです」
「――ただ、どう考えても、袁紹を討つには、まだ些か予の力が不足しておる」
「よく御自省なさいました。そのとおりであります」
「しかし、断じて予は彼を征伐しようと思う。そちの意見は、どうだ?」
「必ず行のうてよろしいでしょう」
「賛成か」
「仰せまでもございません」
「予は勝つか」
「御必勝、凝いもありません。わが君には四勝の特長あり、袁紹には四敗の欠点がありますから」
と、荀彧は、きのう郭嘉が述べた意見と同じように、両者の人物を比較して、その得失を論じた。
曹操は、手を打って、大いに笑いながら、
「いや、そちの意見も、郭嘉のことばも、まるで割符を合わせたようだな。予も、欠点の多いことは知っている。そういいところばかりある完全な人間ではないよ」
と、彼の言を遮ってからまた、真面目に言い直した。
「しからば、袁紹の使いを斬って、即時、彼に宣戦してもよいか」
「いや! その儀は?」
「いけないか」
「断じて、今は」
「なぜ」
「呂布をお忘れあってはなりません。常に、都を窺っている後門の虎を。――それに、荊州方面の物情もまだ決して安んじられません」
「では、なお将来まで、袁紹の無礼に忍ばねばならんか」
「至誠をもって、天子を輔け、至仁をもって士農を愛し、おもむろに新しい時勢を転回して、時勢と袁紹とを戦わせるべきです。――御自身、戦う必要のないまでに、時代の推移に、袁紹の旧官僚陣が自解作用を起こしてくるのを待ち、最後の一押しという時に、兵をうごかせば万全でしょう」
「ちと、気が長いな」
「何の、一瞬です。――時勢の歩みというものは、こうしている間も、目に見えず、怖ろしい迅さでうごいている。――が、植物の生長のように、人間の子の育つように、目には見えぬので、長い気がするのですが、実は天地の運行と共に、瞬くうちに変わってゆくものです。――何せよ、ここはもう一応、御忍耐が肝要でしょう」
郭嘉、荀彧ふたりの意見が、まったく同じなので曹操もついに迷いを捨て、次の日、袁紹の使者を丞相府に呼んで、
「御要求の件、承知した」
と、曹操から答えて、糧米、馬匹、その他、おびただしい軍需品をととのえて渡した。そして、使者には、盛大な宴を設けて犒い、また、その帰るに際しては特に、朝廷に奏請して、袁紹を大将軍太尉にすすめ、冀州、青州、幽州、幷州の四州をあわせて領さるべし――と言い送った。
健啖天下一
一
黄河をわたり、河北の野遠く、袁紹の使いは、曹操から莫大な兵糧軍需品を、蜿蜒数百頭の馬輛に積載して帰って行った。
やがて、曹操の返書も、使者の手から、袁紹の手にとどいた。
袁紹のよろこび方は絶大なものだった。それも道理、曹操の色よい返辞には、次のような意味が認めてあった。
まず、閣下の健勝を祝します。
次には、
閣下がこの度、北平(北京)の征伐を思い立たれた御壮図に対しては、自分からも満腔の誠意をもって、必勝を祈るものであります。
馬匹糧米など軍需の品々も、できる限り後方より御援助しますから、河南には少しも御憂慮なく、 一路北平の公孫瓚を御討伐あって万民安堵のため、いよいよ国家鎮護の大を成し遂げられんことを万禱しております。
ただ、お詫びせねばならぬ一事は、不肖、守護の任にある許都の地も、何かと事繁く、秩序の維持上、兵を要しますので、折角ながら兵員をお貸しする儀だけは、御希望にそうことができません。
なお、
勅命に依って、
貴下を、大将軍太尉にすすめ、併せて冀、青、幽、幷の四州の太侯に封ずとのお旨であります。御領受あらんことを。
「いや、曹操の返事も、どうかと思っていたが、この文面、このたびの扱い、万端、至れり尽くせりである。彼も存外、誠実な漢とみゆる」
袁紹は安心した。
そこで大挙、北平攻略への軍事行動を開始し、しばらく西南の注意を怠っていた。
× × ×
夜は、貂蟬を侍らせて、酒宴に溺れ、昼は陳大夫父子を近づけて、無二の者と、何事も相談していた。
それが、呂布の近状であった。
ひそかに憂えていた臣は陳宮である。きょうも苦々しげに彼は呂布へ諫言を呈した。
「陳珪父子の者を、御信用になるも結構ですが、あまり心腹の大事まで彼等にお諮りあるのはいかがかと思われます。――言葉の色よく媚言巧みに、彼等が君を甘やかしている態度は、まるで幇間ではありませんか」
「陳宮、そちはこの呂布を、暗愚だというのか」
「そんなわけではありません」
「ではなぜ、おれに讒言して、賢人をしりぞけようとするか」
「彼等父子を、真実、賢人だと思っていらっしゃるのですか」
「少なくも、呂布にとってはまたなき良臣といえる」
「――ああ」
「何がああだ、人の寵をそねむものと、貴様こそ、諂佞の誹をうけるぞ」
「もう何も申しあげる力もございません」
陳宮は退いた。忠ならんとすれば、かえって諂佞の臣と主人の口からまで言われる。
「如かず、門を閉じて」と、彼はしばらく引き籠ったまま徐州城へも出なかった。そのうち北方の公孫瓚と袁紹との戦乱が聞こえてくる。四隣の物情はなんとなく騒然たるものを感ぜしめる。
「そうだ。狩猟にでも行って、浩然の気を養おう」
一僕を連れて、彼は秋の山野を狩り歩いた。
すると、一人の怪しげな男を認めた。旅姿をしたその男は陳宮の顔を見ると、あわてて逃げ出した。
「......はてな?」
やり過ごしてから、陳宮は小首を傾けていたが、何思ったか、にわかに弓に矢をつがえて、馳けてゆく先の男へ狙いすました。
二
矢は狙いあやまたず、旅人の脚を射止めた。
猟犬のように、下僕の童子はそれへ飛びかかってゆく。
陳宮も、弓を投げすてて、後から馳け出した。猛烈に反抗するその男を召し捕って、きびしく拷問してみると、それは、小沛の城から玄徳の返簡をもらって、許都へ帰る使いの者ということがわかった。
「曹操の密書を帯びて、玄徳へ手わたして来た、というのか」
「はい。......」
「では、玄徳から曹操へ宛てた返書を、それに持っておるだろう」
「いえ、それはもう、先へ行った伝馬の者が携えてゆきましたから手前は持っておりません」
「偽りを申せ」
「噓ではございません」
「きっとか」
陳宮が、剣に手をかけると、旅の男は、飛び上がった。
とたんに、真っ赤な霧風が剣光を捲いた。大地には、首と胴が形を変えて離ればなれになっている。
「童子、死骸を検べてみろ」
「御主人様。......袍の襟を解いたらこんな物が出て来ました」
「オオ。玄徳の返書だ」
陳宮は、一読すると、
「だれにも、口外するなよ。わしはこれから、徐州城へ参る故、弓を持って、おまえは先に邸へ帰れ」
供の童子にいい残して、陳宮はその足ですぐ登城した。
そして、呂布に謁し、しかじかと仔細を告げて、玄徳から曹操へ宛てた返簡を見せると、呂布は、鬢髪をふるわせて、激怒した。
「匹夫、玄徳め、――いつのまにか曹操と諜しあわせて、この呂布を亡ぼさんと謀っておったな」
直ちに、陳宮、臧覇の二大将に兵を授け、
「小沛の城を一揉みにもみ潰し、玄徳を生け捕って来れ」と、命じた。
陳宮は謀士である。小沛は小城と見ても無謀には立ち向かわない。
彼は、附近の泰山にいる強盗群を語らって、強盗の領袖、孫観、呉敦、昌豨、尹礼などという輩に、
「山東の州軍を荒らし廻れ。今なら、伐り取り勝手次第」と、けしかけた。
宗憲、魏続の二将はいちはやく汝頴地方へ軍を突出して、小沛のうしろを扼し、本軍は徐州を発して正面に小沛へ迫り、三方から封鎖しておめき襲せた。
玄徳は、驚愕した。
「さては、返書を持たせて帰した使いが、途中召し捕られて、曹操の意思が、呂布へ洩れたか」
と、胆を寒うした。
先ごろ、曹操から、密書をもって言いよこしたことばには、呂布を討つ機会は、実に今を措いてはない。北方の袁紹も、北平と事を構えて、黄河からこっちを顧みている遑はなし、呂布、袁術のあいだも、国交の誼み無く、予と其許とが呼応して起てば、呂布は孤立の地にある。まことに、易々たる事業というべきではないか。
要するに、戦備の催促である。もちろん劉玄徳は、敢然、協力のむねを返簡した。――呂布が見て怒ったのも当然であった。
「関羽は西門を守れ、張飛は東門に備えろ、孫乾は北門へ。また、南門の防ぎには、この玄徳が当たる」
取りあえず部署をさだめた。
なにしろ急場だ。城内鼎の沸くような騒ぎである。
――その混乱の中というのに、関羽と張飛のふたりは、何事か西門の下で口論していた。
三
なにを口喧嘩しているのか。
この戦の中に。
また、義兄弟仲のくせして。――と兵卒たちが、守備をすてて、関羽、張飛のまわりへ立って聞いていると、
「なぜ、敵将を追うなと止めるか。敵の勇将を見て、追わぬほどなら、戦いなど休めたがいい」
と言っているのが張飛。
それに対して、関羽は、
「いや、張遼という人物は、敵ながら武芸に秀で、しかも恥を知り、従順な色が見える。――だから生かしておきたいのだ。そこが武将のふくみというものではないか」
と、諭したり、説破したり、論争に努めている。
玄徳の耳にはいったとみえ、
「この際、何事か」と、叱りが来た。
「関羽、どっちが理か非か。家兄の前へ出て埒を明けよう」
張飛は、関羽を引っぱって、ついに、玄徳の前まで議論を持ち出した。
で、双方の言い分を玄徳が聞いてみると、こういう次第であった。
その日、早朝の戦に。
呂布の一方の大将張遼が、関羽の守っている西門へ押しよせて来た。
関羽は、城門の上から、
「敵ながらよい武者振りと思ったら、貴公は張遼ではないか。君ほどな人物も、呂布のごとき粗暴で浅薄な人間を主君に持ったため、いつも無名の戦や、反逆の戦場に出て、武人か強盗か疑われるような働きをせねばならぬとは、同情にたえない事だ。――武将と生まれたからには戦わば正義のため、死なば君国のためと言われるような生涯をしたいものだが、あたら、忠義のこころざしも、貴公としては、向け場がござるまい」
と、大音ながら、話しかけるような口調で呼びかけた。
すると――
寄手をひいて、猛然、攻めかけて来た張遼が、なに思ったか、急に馬をめぐらして、今度は張飛の守っている東の門へ攻めに廻った様子である。
そこで関羽は、馬を馳せて、張飛の守っている部署へ行き、
「討って出るな」と、極力止めた。
「――張遼は惜しい漢だ。彼には正義の軍に付きたい心と、恥を知る良心がある」
と、敵とはいえ、助けておきたい心もちと理由とを、張飛に力説した。
「おれの部署へ来て、よけいな指揮はしてもらいたくない」
張飛は、肯かない。
そこで口論となり、時を移してしまったので、寄手の張遼もあまりに無反応な城門に、不審を起こしたものか、やがて、退いてしまったというわけであった。
「惜しいと言いたいのは、張遼を討ちもらした事で、まったく、関羽に邪魔されたようなものだ。家兄、これでも、関羽のほうに理がありましょうか」
張飛は、例のごとく、駄々をこね出して、玄徳に訴えた。
玄徳も、裁きに困ったが、
「まあ、よいではないか。捕らえても逃がしても、大海の魚一尾、張遼一名のために、天下が変わるわけもあるまい」
と、どっちつかずに、双方を慰撫した。
× × ×
どこかで、可憐な少女の歌う声がする。
十里城外は、戦乱の巷というのに、ここの一廓は静かな秋の陽に盈ち、芙蓉の花に、雲は麗しく、木犀のにおいを慕って、小さい秋蝶が低く舞ってゆく。
にらの花が、地面にいっぱい
金かんざし、銀かんざし
お嫁にゆく小姑に似合おう
小姑のお聟さんは
背むしの地主老爺
床にねむるにも、おんぶする
卓へつくにも、だっこする
隣のお百姓さん
見ない振りしておいで
だれも笑わないことにしよう
前世の因縁、しかたがない
徐州城内の、北苑、呂布の家族や女たちのみいる禁園であった。十四ばかりの少女が、芙蓉の花を祈りながら歌っている。歌に甘えて、その背へ、うしろから抱きついているのは、少女の妹であろう。やっと歩けるほどな幼さである。
四
だれもいないと思ってか、少女は手折った芙蓉を髪に插し、また、声を張りあげて歌っていた。
妹是桂花 香千里
哥是蜜蜂 万里来
蜜蜂見花 団々転
花見蜜蜂 朶々開
呂布はその声に、後閣の窓から首を出した。
眼をほそめて、娘の歌に聞き恍れている顔つきである。
「............」
姉十四、妹は五ツ。
ふたりとも、呂布の娘である。
十四の姉の方は、先ごろ、袁術の息子へ嫁がせるまでになって、一夜、盛大な歓宴をひらき、珠廉の輿にのせて、淮南の道へと見送ったが、にわかに、模様が変わったため、兵を派して輿を途中から連れもどし、そのまま、元の深窓に封じてしまった、――あの花嫁御寮なのである。
花嫁はまだ小さい。
国と国の政略も知らない。戦争がどこに起こっているかも知らない。父親の胸のうちも、徐州の城の運命も知らない。
ただ歌っている――そして幼い妹と手をつないでくるくる旋っていたが、ふと、父の呂布の顔を、後閣の窓に見たので、
「あら?」
と、顔を紅らめながら母たちの住んでいる北苑の深房へ馳けこんでしまった。
「はははは。まだまことに無邪気な姫君でいらっしゃいますな」
呂布のそばには、家臣の郝萌が顔をならべて佇んでいた。
「む、む。......あのようにまだ子どもだからな。可憐しいよ」
呂布は腕を拱んだ。――なにか娘のことについて、沈吟しているようだった。
室には郝萌と彼と、ただ二人きりで、最前から何か密談していたところである。
その郝萌は、玄徳から曹操へ宛てた例の返簡が、呂布の手に入って、こんどの戦端となった、その日に、(急ぎ淮南へ参って、袁術に会い、先ごろの縁談は、まったく曹操に邪げられて、一旦はお約束に反いたものの、依然、貴家との婚姻は希っているところである。――と申して、至急取り纏めて来い)との秘命をうけて、早馬で淮南へ向かい、つい今し方、袁術への返辞を済まして、これへ帰って来たものであった。
急に、婚約の儀を蒸し返して、袁術へ、唇歯の交わりを求める裏には、
(二家姻戚として、二国同盟して、共に、曹操を打ち破ろうではないか)
と、いう軍事的な意味がもちろん含まれている。
袁術とても、もとより息子の嫁の縹緻や気だてなどより、重点はそこにあるので、慎重評議の結果、やはり呂布は味方に抱きこみたいが、呂布の変わり易い信義にはまだ疑いがあるとて、
(ともあれ、愛娘の身を先に淮南へお送りあるなれば、充分、好意をもって御返答に及ぼう)
と、いう返辞だった。
要するに、愛娘を先に質子として送り、信義を示すならば――という条件なのである。
呂布の胸は今、郝萌からその復命を聞いて迷っていた。
「娘を淮南へ送ったものか、どうしたものか? ......」と。
そして、すでに、
「遣ろう」と、肚をきめかけた時、ふと、愛娘の歌声が聞こえて来たのである。可憐な、そしてまだ無邪気な愛娘のすがたを、苑に見ると、彼はまた気が変わって、
「......いや。花嫁としてやるならばだが、質子として、遠い淮南へ、むすめを遣るほど、呂布もまだ落ち目になっておらん。袁術のほうでそう高くとまっているなら、この問題はもっと先の事にしよう。......郝萌、使の役目、大儀だった。退がって休息するがいい」
と、言った。そしてついに、袁術へ提携を呼びかけた婚姻政略の蒸し返しは、一時、断念してしまった。
五
呂布は、小沛の敵――劉玄徳には、そう恐れを抱いていない。
彼が恐れているのは、曹操を敵にまわすことである。
が、玄徳を攻めれば、当然、曹操を敵として、乾坤一擲の運命を賭すまでの局面へ行き当たる――それは、避けたいのだ。しかし目前の玄徳は討たざるを得ない。すでに、小沛の城は三方から自分の兵で押しつつんでいる。
(袁術との同盟さえ成れば、曹操が起っても、恐るるには足らないが)
と考えて、彼は急遽、郝萌を淮南へ飛ばし、袁術の肚を当たってみたわけであるが、先も足下を見て、妥協しかねる条件を持ち出すなど、不遜な態度を示したので、呂布は自己の面子としても、また、わが娘への愛着からも、これ以上の屈辱には忍べなかった。
で。――その方が望み薄ときまると、かえって彼は肚がすわったように、
「よし、この上は」と翌日は、自身、戦場に臨んで、督戦した。
「こんな小城一つに、幾日、攻めあぐねておるぞ。一押しに、踏みつぶせ」
味方を叱咤しながら、彼を乗せた赤兎馬は、はや小沛の城の下まで迫っていた。
すると城壁の上に、劉玄徳がすがたを現わして、呂布へ呼びかけ、諄々と言った。
「呂将軍、呂将軍、何とてかくは烈しく囲み給うか。それがしと将軍とは、情あり恩あり、誼こそあれ、仇はないはず。――先に、曹操より天子の勅命として、それがしに兵を催せとの厳命故、やむなく承知の返簡は認めたが、なんでたちどころに将軍との旧交を捨てて故なき害意をさし挾もうや。願わくは、御賢慮あれ。――将軍とこの劉備とが戦って、相互の兵力を多大に消耗し尽くすを、陰でよろこび、陰で利益する者は、何者なるかを、深く御賢察あれや」
呂布は、それを聞くと、しばらく馬上に黙然としていたが、突然、
「包囲は解くな」
と、味方へいいつけて、ひらりと、陣後へ馬を回してしまった。
弱点といおうか、人間性に富むといおうか、呂布は実に迷いの多い漢ではあった。ここまで駒を寄せながら、玄徳が理を尽くして説くと、また、
(そうかな?)
という気迷いに囚われて、自身は徐州の城へ帰ってしまった。
したがって寄手の包囲陣も、そのまま、むなしく日を送っているまに、それより前に小沛を脱出していた劉玄徳の急使は、早くも許都に着いて、
「委細は、主人劉備の書中にございますが、かくかくの次第、一刻もはやく御救援を乞いまする」
と、告げた。
曹操は、直ちに相府へ諸大将をあつめて、小沛の急変を伝え、同時に、
「劉備を見ごろしにしては、予の信義に反く。今、袁紹は北平の討伐に向かい、それに憂いはないが、なお予の背後には張繡劉表の勢力が、常に都の虚をうかがっている。――とはいえ、呂布を放置して措かんか、これまた、いよいよ勢いを強大にし、将来の患いとなるのは目に見えておる。――如かず、一部の者に、許都の留守をあずけ、予は劉備を援けて、共にこの際、呂布の息の根をとめて来ようと思う。汝らは、いかに思うか」
と、評議に諮った。
六
堂中の諾大将を代表して、荀攸が起立して答えた。
「出師の御発議、われらにおいてもしかるべく存じます。劉表、張繡とても、先ごろ手痛く攻撃された後のこと、軽々しく兵をおこして参ろうとは思われません。――それを憚って、もしこの際、呂布のなすままに委せておいたら、袁術と合流して、泗水准南に縦横し、ついには将来の大患となりましょう。彼の勢いのまだ小なるうちに、よろしく禍の根を断つこそ急務と思われます」
曹操は左の手を胸に当て、右手を高く伸ばして、
「いしくも申したり。――満座、異議はないか」
と言った。
異口同音に、
「ありません」
諸大将、すべて起立して、賛意を表した。
「さらば征いて、小沛の危急を救え」とばかり、まず夏侯惇、呂虔、李典の三名を先鋒に、五万の精兵をさずけ、徐州の境へ馳せ向かわした。
呂布の麾下、高順の陣は、突破をうけて潰乱した。
「なに。曹操の先手が、はや着いたとか」
呂布は狼狽した。もう曹操との正面衝突は、避け難い勢いに立ち到ったものと観念した。
「侯成、はや参れ。郝萌、曹性も馳け向かえ。――そして高順を助けて、遠路につかれた敵兵を一挙に平らげてしまえ」
呂布の命令に、呂布の軍は直ちに軍の移動を起こした。
それまで、小沛を遠巻きにしていた彼の大兵が、一部、それに向かったので、全軍三十里ほど、小沛から退いたのであった。
城中の玄徳は、
「さてこそ、許都の援軍が徐州の境まで着いたと見ゆる」と察して、孫乾、糜竺、糜芳等を城内にのこし、自身は関羽、張飛の両翼を従えて今までの消極的な守勢から攻勢に転じ、俄然、凸形に陣容をそなえ直した。
――が、なおそこは、静なること林のごとく、動かざること山のようであったが、すでに呂布軍の一角と、曹操軍の尖端とは激突して、戦塵をあげ始めていた。
その日の戦に。
曹操麾下の夏侯惇は、呂布の大将高順と名乗りあって、五十余合戦ったが、そのうち高順が逃げ出したので、
「きたなし、返せ返せ」と、呼ばわりながらあくまで追い馳けまわして行った。
すると、高順の味方曹性が、「すわ、高順の危急」と見たので、馬上、弓をつがえて、近々と走り寄り、夏侯惇の面をねらって、ひょうと射た。
矢は、夏侯惇の左の眼に突き刺さった。彼の半面は鮮血に染み、思わず、
「あッ」
と、鞍の上でのけ反ったが、鎧にしかと踏みこたえて、片手でわが眼に立っている矢を引き抜いたので、鏃と共に眼球も出てしまった。
夏侯惇は、どろどろな眼の球のからみついている鏃を面上高くかざしながら、
「これは父の精、母の血液。どこも捨てる場所がない。――あら、もったいなや」
と、大音で独り言ったと思うと、鏃を口に入れて、自分の眼の球を

べてしまった。
そして、真っ赤な口を、くゎっと開いて、片限に曹性のすがたを睨み、
「貴様かッ」
と、馬を向け跳びかかって来るや否、ただ一槍の下に、片眼の讐を突き殺してしまった。
七
おそらく天下第一の健啖家は、夏侯惇であろう。
――後には、人々の話題を
賑わし、夏侯惇もよく笑いばなしに語ったが、わが眼を

って血戦したその場合の彼の心は、悲壮とも壮絶とも言いようはない。
眼球を抜かれた一眼の窪からあふれ出る鮮血は止まらない。もちろん激痛もはなはだしかった。
「今はこれまで」と、彼も最期を思ったほど、敵の中に囲まれていたのである。
その重囲を、一角から斬りくずして、彼の身を救って出たのは、彼の弟夏侯淵であった。
夏侯淵は、兄を助けて、
「ひとまず退きましょう」
味方の李典、呂虔の陣へ走りこんで一手となった。
勢いにのった呂布軍は、全線にわたって、攻勢を示し、
「この図を外すな」と、呂布自身、馬をとばして、押し進んで来た。
李典、呂虔の兵は、済北まで引きしりぞいた。呂布は、全戦場の形勢から、
「勝機は今!」と、確信したものか、奔濤の勢いをそのまま揚げて、直ちに、小沛まで詰め寄せて来た。
ここには、関羽、張飛が、「御座んなれ」と、備えていた。
敵を代えて、呂布は、新手の玄徳軍と猛戦を開始した。
高順、張遼の二陣は、張飛の備えに打ってかかり、呂布自身は、関羽に当たった。
乱箭の交換に、雲は叫び、肉闘剣戟の接戦となって、鼓は裂け、旗は折れ、天地は震撼した。
だが、なんといっても、玄徳の小沛勢は小勢である。張飛、関羽がいかに勇なりといえど、呂布の大軍には抗し得なかった。
当然、敗退した。
城中へ城中へと先を争って逃げてゆく、その小勢のなかに、玄徳のうしろ姿を見つけた呂布は、
「大耳児。待て」と、呼びかけた。
玄徳は生まれつき耳が大きかった。兎耳と綽名されていた。それ故に呂布はそう叫んだのである。
玄徳は、その声に、
「追いつかれては――」と、戦慄した。
きょうの呂布の血相では、
所
、口さきで彼の
戟を避けることは出来そうもない。
「逃げるに如くなし」
玄徳は、うしろも見ず、馬に鞭打った。
ところが、あまりに、追迫されたので、彼が、城門の濠橋まで来てみるともう橋はあげてある。
「玄徳なるぞ、吊橋を下ろせ」
城中の兵は、彼の姿にあわてて、内から門をひらき、橋を渡したが――玄徳が急いで逃げ渡ろうとするまでに、呂布も、疾風のごとく、共に橋をこえていた。
「あれよ! 呂布が」と、味方の兵は、弓に矢をつがえたが、何分、主人の玄徳と、呂布の体がほとんど一体になって絡み合ったまま、だーっと城門内まで馳けこんでしまったので、
「もし、主人を射ては」と、手も恟んで、ついに一矢も放つことができなかった。
もちろん呂布の前には、たちまち、十騎二十騎と立ち塞がったが、彼の大戟が呼ぶ血風の虹をいよいよ壮絶にするばかりだった。
その間に。
呂布につづく高順、張遼の軍勢も、またたくうち橋を渡って、城門内を埋めてしまい、楼台城閣は炎を吐き、小沛の小城は今や完全に、彼の蹂躙するところとなってしまった。
黒風白雨
一
今は施すすべもない。なにをかえりみている遑もない。業火と叫喚と。
そして味方の混乱が、否応もなく、玄徳を城の西門から押し出していた。
火の粉と共に、われがちに、逃げ散る兵の眼には、主君の姿も見えないらしい。
玄徳も逃げた。
けれど、いつのまにか、彼はただ一騎となっていた。
小沛から遠く落ちて、ただの一騎となった身に、気がついた時、玄徳は、
「ああ、恥ずかしい」と思った。
もう一度、城へ戻って戦おうかと考えた。小沛の城には老母がいる、妻子が残してある。
「――何で、われ一人、このまま長らえて落ちのびられよう」
慚愧にとらわれて、しばし後ろの黒煙をふり向いていたが、
「いや待て。――ここで死ぬのが孝の最善か。妻子への大愛か。――呂布もみだりに老母や妻子を殺しもしまい。今もどって、いたずらに呂布を怒らすよりはむしろ呂布に完全な勝利を与えて、彼の心に寛大な情のわくのを祈っていたほうがよいかもしれぬ」
玄徳は、そう思慮して、悄然とひとり落ちて行った。
彼のその考えは後になってみると賢明であった。
呂布は、小沛を占領すると糜竺をよんで、
「玄徳の妻子は、そちの手に預けるから、徐州の城へ移して、固く守っておれ。擒虜の女子供を侮って、みだりに狼藉する兵でもあったら、これをもって斬り捨ててさしつかえない」
と、自身の佩いていた剣を解いて授けた。
糜竺は拝謝して、玄徳の妻子を車にのせ徐州へ移った。
呂布はまた、高順、張遼の両名を、この小沛の城に籠めて自身は、山東、兗州の境にまで進み、威を振って敗残の敵を狩りつくした。
関羽。
張飛。
孫乾など。
諸将の行方を追求することも急だったが、彼等は山林ふかく身を寓せて、呂布の捜索から遁れていたので、ついに、網の目にかからなかった。
玄徳は、許都へ志した。思えばそういう中をただ一騎、無事に落ちのびられたのは、奇蹟と言ってもよい。
山に臥し、林に憩い、惨たる旅をつづけてゆくうちに、
「我が君。我が君っ――」
とある谷あいで追いついて来る数十騎の者があった。見ると、孫乾であった。
「ようこそ御無事に」と、孫乾は、玄徳のすがたを見ると、声をあげて哭いた。
「嘆いている場合ではない。とにかく許都へ上って、曹操に会い、将来を計ろう」
主従は道をいそいだ。
わびしき山村が見えた。玄徳以下、飢えつかれた姿で、村に辿り着いた。
すると、だれが伝えたわけでもないのに、
「小沛の劉玄徳様が、戦に負けて、ここへ落ちて御座られたそうな」
「あの、劉予州様かよ」
「おいたわしい事ではある」
と、そこらの茅屋から村の老幼や、女子どもまで走り出て、路傍に坐り、彼の姿を拝して、涙をながした。
田夫野人と呼ばれる彼等のうちには、富貴の中にも見られない真情がある。人々は、食物を持って来て玄徳に献げた。またひとりの老媼は、自分の着物の袖で、玄徳の泥沓を拭いた。
無智といわれる彼等こそ、人の真価を正しく見ていた。日ごろの徳政を通して、彼等は、
「よい御領主」と、玄徳の人物を、夙に知っていたのであった。
二
その夜は猟師の家に宿った。
猟師という主の男は、感涙をながして、
「こんな山家に御領主をお泊め申すことはもったいないやら有り難いやらで、どうおもてなし致していいかわかりません」と、拝跪して言った。
玄徳は見て、
「主は、以前からこの村に住居しておる者か」と、たずねた。
猟師にしては、どこか骨柄の秀でたところが見えたからである。
主は、破れ床に平伏して、
「お恥ずかしい次第ですが、祖先は漢家のながれを

み、劉氏の
苗裔で、自分は
劉安と申すもので御座います」と、答えた。
その晩、劉安は肉を煮て玄徳に饗した。
飢えぬいていた玄徳主従は、歓んで箸を取った。そして、
「何の肉か」と、たずねると、
「狼の肉です」という劉安の返辞だった。
ところが、翌朝出発に際し、孫乾が馬を引き出そうとして、何気なく厨をのぞくと、女の死骸があった。
愕いて、主の劉安に、
「いかなるわけか」
と質すと、劉安は泣いて、
「わたくしの愛妻ですが、御覧のごとく、家貧しく殿へ饗すべき物もありませんので、実は、妻の肉を煮ておもてなしに捧げたわけでございます」と、初めて打ち明けた。
孫乾からそれを聞いて、玄徳は感傷してやまなかった。で、劉安にこうすすめた。
「どうだ、都へのぼって仕官をしては」
すると、劉安は顔を振って、
「思し召しはありがとうぞんじますが、手前が都へ行っては、ひとりの老母を養う者がありません。老母は、動かせない病人ですから、どうもその儀は」
と、断わった――という。
=読者へ
作家として、一言ここにさし挾むの異例をゆるされたい。劉安が妻の肉を煮て玄徳に饗したという項は、日本人のもつ古来の情愛や道徳ではそのまま理解しにくい事である。われわれの情美感や潔癖は、むしろ不快をさえ覚える話である。
だから、この一項は原書にはあっても除こうかと考えたが、原書は劉安の行為を、非常な美挙として扱っているのである。そこに中古支那の道義観や民情も窺われるし、そういう彼我の相違を読み知ることも、三国志の持つ一つの意義でもあるので、あえて原書のままにしておいた。
読者よ。
これを日本の古典「鉢の木」と思いくらべてみたまえ。雪の日、佐野の渡しに行き暮れた最明寺時頼の寒飢をもてなすに、寵愛の梅の木を伐って、炉にくべる薪とした鎌倉武士の情操と、劉安の話とを。――話の筋はまことに似ているが、その心的内容には狼の肉の味と、梅の花の薫りくらいな相違が感じられるではないか。
閑話休題。
玄徳は次の日、そこを立って梁城の附近に到ると、かなたから馬けむりを揚げて来る大軍があった。
これなん、曹操自身が、許都の精猛を率いて、急ぎに急いで来た本軍であった。
地獄で仏に。
玄徳は、計らずも曹操にめぐり会って、まったくそんな心地であった。
曹操は始終を聞いて、
「乞う。休んじ給え」
と、彼をなぐさあ、なお、前の夜玄徳が泊まった宿の主、劉安の義俠を聞いて、金若干を与え、
「老母を養うべし」と、使いに言わせた。
三
曹操の本軍が、済北に到着すると、先鋒の夏侯淵は片眼の兄を連れて、
「御着陣を祝します」と、第一に挨拶に来た。
「夏侯惇か、その限はどうしたのだ」
曹操の訊ねをうけて夏侯惇は片眼の顔を笑い歪めて、
「先の戦場において

べてしまいました」
と、仔細をはなした。
「あははは。わが眼を

った男は人類初まって以釆、おそらく
汝ひとりであろう。
身体髪膚これ父母に
享くという。汝はまた、孝道の
実践家だ。――暇をつかわす故、許都へ帰って眼の治療をするがいい」
曹操は大いに笑ったが、次々と挨拶に来る諸将を引見して、
「ところで、呂布の方はどんな情勢にあるか」と、名各の意見を徴した。
ひとりが曰う。
「呂布はあせっております。自己の勢力を拡大すべく味方となる者なら強盗であろうと山賊であろうと党を選ばず扶持して、軍勢に加え、いたずらにその数を誇示し、兗州その他の境を侵して、ともかく軍の形容だけは、このところ急激に膨脹して、勢い隆々たるものがあります」
「小沛の城は」
「目下、呂布の部下、張遼、高順の二将がたて籠っております」
「ではまず、玄徳の復讐のために、小沛を攻めて、奪回しろ」
一令の下に、諸将は、各々の陣所につき、中軍のさしずを待ちかまえた。
曹操は、玄徳と共に、山東の境へ突出して、はるか蕭関の方を窺った。
その方面には――
泰山の強盗群、孫観、呉敦、尹札、昌豨などの賊将が手下のあぶれ者、三万余を糾合して、
「山岳戦ならお手のものだ。都の弱兵などに負けてたまるか」
と、威を張り、陣を備えて、賊党とはいえ、なかなか侮り難い勢いだった。
「許褚。突きすすめ」
曹操は、けしかけるように、許褚へ先駆を命じた。
許褚は、
「仰せ、待っていました」とばかり手勢をひいて敵中へ突撃した。泰山の大盗孫観、呉敦をはじめ、馬首をそろえて、彼へ喚きかかって来たが、一人として許褚の前に久しく立っている事はできなかった。
山兵は、つなみのごとく、蕭関へさして逃げくずれた。
「追えや。今ぞ」
曹操の急迫に、山兵の死骸は、谷をうずめ、峰を紅く染めた。
その間に、幕下の曹仁は、手勢三千余騎を授けられて、間道を縫い、目ざす小沛の城へ、搦手から攻めかけていた。
小沛から徐州へ――
頻々として伝令は馳けた。
呂布は、徐州に帰っていた。
兗州から帰って、席あたたまる遑もなく、眉に火のつくような伝令また伝令のこの急場に接したのであった。
「小沛は徐州の咽喉だ。自身参って、防ぎ支えねばならん」
彼は、陳大夫、陳登の父子をよんで、防戦の策を計り、陳登は、われに従え、陳大夫は残って徐州を守れと命じた。
「心得ました」
父子は、呂布の前をさがると、城中人馬の用意に物騒がしい中を、いつも密談の場所としてある真っ暗な一室にかくれて、囁き合っていた。
「父上、呂布の滅亡も近づきましたな」
「ウム。いよいよわし等父子の待ってる日が来た」
「幸いに、私は、彼に従って、小沛へ行きますから、戦の出先で、ある妙計を施します。――その結果、呂布が曹操に追われて、徐州へ逃げてくるかも知れませんが、その時こそ、父上は城門を閉じて、呂布を断じてこの城へ入れないで下さい。よろしゅうございますか」
陳登は、かたく念を押したが、陳大夫は、すぐうんとは頷かなかった。
四
「父上。なぜ、御返辞がないのですか」
「でも......。いくらわしが、この城の守りに残っていても、城中には、呂布の一族妻子などが大勢いるではないか。――呂布が城門まで逃げ帰って来たのを見たら、わしが開けるなと言っても、一族の輩が承知するはずはない」
「ですから、それも私が、一策を講じてよいようにして行きます」
暗黒の密室にかくれて、父子が諜し合わせていると、隣の武器庫で、
「陳大夫はどうしたのだろう」
「陳登の姿も見えぬが」と、他の大将が話していた。
父子は眼を見合わせて、しばし息をこらしていたが、隙を見て、別れ別れに出て行った。
「何しておったか」
呂布は、それへ来た陳登のすがたを見ると、一喝した。
無理はない。もう出陣の身仕度も終わって、閣の外に、勢揃いしていた所である。
陳登は悪びれず、彼の床几の前に拝伏して、
「実は、父があまりにも、お留守の大役を案じるので、励まして居たものですから」と言い訳した。
呂布は眉をひそめて、
「徐州の留守が、どうしてそんな心配になると、陳大夫は言うのか?」
「何分こんどは、今までの一方的な戦争とちがって、曹軍の大勢は、この徐州の四面を遠くから包囲して来ております。もし、万が一にも、事態が急に迫った時は、城中の御一族、金銀兵糧なども、にわかには他へ移しようもございません。――老人の取り越し苦労といいましょうか、老父はひどくそれを案じておりました」
「ああ、なるほど、その憂いも一理あるな」
呂布は急に糜竺を招いて、
「そちは陳大夫と共に城に残ってわが妻子や金銀兵糧などを、すべて下邳の城の方へ移しておけ。よろしいか」と、いいつけた。
彼は、後方の万全を期したつもりで、勇躍、徐州城から馬をすすめて行ったが、何ぞ知らん、その糜竺も、疾くから陳大夫父子と気脈を通じて、呂布の陥穽を掘っていた一人だったのである。
――が。呂布はなお気づかなかった。
小沛の危急を救うつもりで、途中まで来ると、
「蕭関が危ない」と聞こえて来た。
呂布は、気が変わって、
「さらば、蕭関から先に

い止めよう」と、急に道を
更えた。
陳登は、諫めた。
「将軍は、お後から徐々と、なるべくお急ぎなくお進みなさい」
「なぜ、急ぐなというか」
「蕭関の防ぎにはお味方の陳宮や臧覇も向かっていますが、多くは泰山の孫観とか呉敦などの兵です。彼等はもともと山林の豺狼、利に遭えば、いつ寝返りを打つかも知れません。まずそれがしが先に数十騎をひきいて蕭関に臨み、陣中の気ぶりを見た上でお迎えに馳け戻って来ましょう」
「よく気がついた。わが命を守って、細やかな心くばり。そちのごとき者こそ、真の忠義の士というのだろう。早く行け」
「では、殿にはお後から」と、陳登は先に馳けた。
そして蕭関の砦へ来ると、味方の陳宮、臧覇に会見して、戦のもようを問い、
「時に、呂将軍は、なぜか容易にこれへお進みがない。――なにか御辺たちは、殿から疑われるような覚えはござらぬか」
と、囁いた。
「......はてな? そんな覚えはないが」
陳宮、臧覇は、顔を見合わせた。けれど、なんの覚えはなくとも、敵と対峙している前線にあって、後方の司令部から疑惑されていると聞いては、不安を抱かずにいられなかった。
その夜のことである。
独りひそかに、砦の
高櫓へのぼって行った陳登は、はるか
曹操の陣地とおぼしき
闇の火へ向かって、一通の
矢文を射込み、何

わぬ顔してまた降りて来た。
奇 計
一
そこを去って、蕭関の砦を後にすると、陳登は、暗夜に鞭をあげて、夜明けごろまでにはまた、呂布の陣へ帰っていた。
待ちかねていた呂布は、
「どうだった? ......蕭関の様子は」と、すぐ糺した。
陳登はわざと眉を曇らして、
「案の定、まことに憂うべき状態です」と、言った。
呂布はもちろん顔色を変えた。
「では、わが眼の届かぬ出城へ移って、早くも陳宮は異心をさし挾んでおる様子か」
「孫観、呉敦の輩は、もともと山野の賊頭なので、利を見て動く事もあろうかと、密かに惧れていましたが、陳宮のような御恩顧の直臣までが、裏切りを謀っておろうとは思いませんでした。実に、人の心は頼み難いものです」
「いや陳宮は近ごろ、自分の言が事ごとに容れられないので、おれにすねているふうがあった。危うい哉――何も知らずに蕭関へ臨んだら、呂布は一生の大事を過るところだった」
彼は、陳登の功をたたえ、次のごとき一策をさずけて、再び陳登を蕭関へ返した。
「――おれの伝令と偽って、陳宮に会い、何事でもよいから評議に時を移し、なるべく陳宮を酒に酔わしておけ。そして城楼から火の手をあげ、乾の門をあけておくのだ。火の手と共におれが突き進んで、自身、彼を成敗してしまうから」
呂布は、すこぶる賢明な策のつもりだった。――で、日没ごろから徐々と移動を起こし、全軍、蕭関へ向かって近づいていた。
先に引っ返した陳登は、宵闇のとっぷりと迫ったころ、蕭関に行き着いて、駒を降りるや否、
「一大事が起こった」と、慌ただしく、陳宮を呼び出して息を喘きながら告げていた。
「――今日、曹操の大軍は、急角度に方向を変え、泰山の瞼や谷間をわたって、いっせいに徐州へ攻め入ったという急報です。それ故、ここをお守りあっても、何の効もありません。速やかに、手勢をひいて、徐州を助けに向かえとの命令です」
「えっ?」
陳宮は、愕然と、胆を冷やした顔いろだった。
応とも、否とも、陳宮が答えないまに、陳登はそう言い放したまま、すぐ駒にとび乗って、闇の中へ馳け去ってしまった。
陳宮は、信じたとみえて、それから半刻とも経たないうちに、蕭関の守兵は、続々と砦を出て徐州のほうへ急いで行った。
砦はがら空きになった。
するとその――寂たる晴天の望楼台に、一つの人影が起ち上がった。
駒を飛ばして駈け去ったはずの陳登であった。
陳登は鏃に密書をむすび、その矢をつがえて、搦手の山中へ、ひょうっと射た。
「......?」
真っ暗な山ふところを見つめていると、やがて、松明を振っていた。
(矢文、見た、承知)
の火合図なのである。
しばらくすると、乾、巽の二つの門から、ひたひたと、夜の潮のように、おびただしい人馬が、声もなく火影もなく、城内にはいって来た。そしてまた、墓場のようにしんとしていた。
陳登は、見届けると、第二の合図をあげた。それは望楼から打ち揚げた狼烟であった。シュルシュルシュルと火鼠のような光が空へ走る。
城外十里のかなたにあって、その火の手を待っていた呂布は、
「それっ、蕭関へ」と、いっせいに駈け出した。
揉みに揉んで、全軍、道を急いで行くと、同じような速度で砦から出て来た大部隊があった。
徐州を救えと、何も知らずに急いで来た陳宮の軍隊だった。
呂布のほうでも知るはずはない。暗さは暗し、双方とも疑心暗鬼に襲われているところである。――当然、大衝突を起こすと共に、かつての戦史にも見られないほどな――酸鼻な同士討ちを徹底的に演じてしまった。
二
「はてな?」
呂布はようやく気がついた。
同時に、相手の軍勢の中でも、
「戟を引け、者どもしずまれ。――もしや相手は味方ではないか。曹操の軍とも思われぬふしがある」と、陳宮の声がしきりとしていた。
「馬鹿っ。同士討ちだっ」
呂布はどなった。
けれど、そう気がついたのがすでに遅い。双方ともおびただしい死傷を出し、お互いに意味なき戦をした事に呆れはてて、茫然たるばかりだった。
「けしからぬ陳登の虚言。おれに報告した事と、そちに言った事とはまるで違う。......ともあれ、砦へ行ってよく聞こう」
呂布は、怪しみながらも、そこで出会った陳宮の兵を合わせ、彼を連れて蕭関へ急いで来たが、そこへ近づくや否、砦の内からいっせいに曹操の兵が不意を衝いて喚きかかって来た。
こんどは本当の曹操の兵だった。先に陳登が引き入れておいたものである。鳴りをしずめて待ち構えていた矢先である。何でたまろう、呂布、陳宮の兵は、潰乱混走を重ね、またしても、徹底的な打撃をうけてしまった。
呂布さえ、闇を逃げまどって、からくも夜が明けてから山間の岩陰から出て来たほどである。
幸いに、陳宮に出会ったので、残り少ない味方をあつめ、
「ともかく、この上は、徐州へ帰って一思案し直そう」と、悄然と急いだ。
ところが。
徐州の城門へ馳け入ろうとすると、櫓の上からバシャバシャッと雨のような矢が降って来た。
「こはいかに?」
と仰天して、嘶く駒の手綱をしめながら、城楼をふり仰ぐと、糜竺が壁上にあらわれて、
「匹夫。何しに来たか」と、大音で罵った。
「この城こそは、さきに汝が詐ってわが旧主玄徳様から騙し奪ったもの。当然、今日もとの主人の手に返った。もはや汝の家ではないのだ。どこへでも行きたい方角へ落ちて行け!」
呂布は、鐙に立って、歯がみをしながら、
「陳大夫はいないかっ。城内に陳大夫がいるだろう。――陳大夫! 顔を見せろ」
と、さけんだ。
糜竺は、からから笑って、
「陳老人は、今、奥にあって、祝杯をあげて御座る。まんまと計られた相手に、この上、未練なすがたを見せたいのか」
言い終わると、彼のすがたも、翻りと楼の内にかくれ、後にはどっと手を拍って笑う声のみが聞こえた。
「無念だ。無念だ。......だが、まさか陳大夫が俺を?」
呂布は、狂いまわる駒と共に、低徊してそこを去らなかった。
陳宮は、歯ぎしりして、
「まだ悪人の奸計とお覚りなく、愚かな後悔に恋々と御苦悶あるか。悲しい哉、わが主君は、死ななければ目の醒めないお人だ」
あまりな呂布の醜態に、陳宮は腹を立てて、独り先へ駒を引っ返してゆくと呂布もあわてて後を追って来た。
そして、力なく、
「小沛へ行こう。小沛の城には、腹心の張遼、高順のふたりを入れて守らせてある。しばらく小沛に拠って形勢を見よう」と、言った。
実際、残る策としては、それしかなかった。さすがの陳宮も万策つきたか、黙々と呂布に従って行った。
すると、どうだろう?
紛れもない張遼、高順の二将がかなたから来るではないか。しかも小沛の兵をのこらず率きつれ、砂けむりを揚げて、こちらへ急いでくる様子なのだ。――呂布、陳宮は眼をみはって、
「おやっ? 何で......」
と、またしても、呆ッ気にとられた顔をして口を開いた。
三
一方。
それへ近づいて来た高順と、張遼のほうでも呂布の姿を見て、心から不審そうに、
「やっ、これは我が君、どうしてこれへお越しなされましたかと、訊ねた。
「いや、おれよりも、その方どもこそ、一体何しにこんな所へ急いで来たか」
呂布の反問に高順、張遼はいよいよ解せない顔して、
「これはいかな事、われわれ両名は、固く小沛を守って動かぬことを欲していましたが、つい二刻ほど前、陳登馬を飛ばして馳せ来り、わが君には昨夜来、曹操の計にかかって重囲に陥ち給えり、疾く疾く徐州へ急いで主君を救い奉れ――と、こう城門で呼ばわるなり、鞭打って立ち去りました故、すわこそと、にわかに用意をととのえ、これまで参ったところでござる」
側で聞いていた陳宮は、もう笑う元気も、怒る勇気もなくなったような、ただほろ苦い唇を歪めて、
「それもこれも、みな陳大夫陳登父子の謀み事、さてさて首尾よくもかかったり、悔やめど遅し、醒むれど及ばず。――ああ」
と、横を向いた。
呂布は恨みがましく、はったと眼を天の一方にすえて、
「ううむ、よくもおれに苦杯をのましたな。おれがいかに陳登父子を寵用して目をかけてやったか、だれもみな過分と知っておるところだ。忘恩の悪漢め、どうするか見ておれ」
陳宮は、冷ややかに言った。
「御主君、ようやくおわかりになりましたか。しかし、これからどうなさいます」
「小沛へ行こう」
「およしなさい。恥をかさねるだけです。――陳登はもう曹操の軍を引き入れて、祝杯を貪っているに違いありません」
「さもあらばあれ、彼奴等のごとき、蹴ちらして奪い回すまでだ」
猛然先に立って、小沛の城壁の下まで来た。
陳宮の言ったとおり、城頭にはもう敵の旌旗が翩翻とみえる。――そして呂布来れりと聞くとそこの高櫓へ登った陳登が、声高に笑って言った。
「あれ見ろ、赤い馬に乗った
物乞いを。飢えたか、何を吠えているぞ。岩石でも

らわしてやれ」
「忘恩の賊陳登。おれの恩を忘れたか。きのうまで、だれのために着、だれのために
禄を

んでいたか」
「だまれ、我もと漢朝の臣、あに汝ごとき粗暴逆心の賊に心から随身なそうや。――愚かものめ!」
「うぬっ、その細首の髻を、この手につかまぬうちは、誓ってここを退かんぞ! 陳登、城を出て闘え」
喚いているところへ、後ろにある高順の陣を目がけて、突然、一彪の軍馬が北方から猛襲して来た。
「さてはまだ曹操の兵が、城外にもいたのか」
と、大いに動揺して、左右の陣を、にわかに後ろへ開いて、鶴翼に備え立て、
「いざ、来い」と、各々手に唾して待ちかまえたが、近づくと、それは曹操の兵とも見えない。怖ろしく薄穢くて雑多な混成軍であった。馬も悪いし武器も不揃いだった。しかし、勢いははなはだしくすさまじい。どっと向こう見ずに突喊して来たかと思うと、先手と先手のぶつかり合った波頭線の人馬は、血けむりに赤く霞んで、双方の喚きは、直ちに惨烈を極めた。
すると、たちまちに四散して、馬前、人もなき鮮血の大地を蹴って、
「劉玄徳の舎弟関羽!」
「玄徳の義弟張飛とはおれのこと、この顔を覚えておれ」
と、名のりながら、馬を獅子のごとく躍らして来る二騎があった。
四
見れば、ひとりは
頭虎眉の
猛者、すなわち張飛、ひとりは
朱面長髯の
豪傑、すなわち関羽であった。
「や。や。玄徳の義弟だ」
「張、関が現われたぞ」
眼に見、耳に聞いただけでも、呂布の兵は震い怖れた。ふたりは無人の境を行くように、呂布の備えを蹂躙した。
「ふがいなき味方かな」と、大将高順は部下を叱咤し、張飛の前に立ちふさがって、鏘々、火花を交わしたが、たちまち、馬の尻に鞭打って、潰走する味方の中に没し去った。
関羽は、八十二斤の青龍刀をひっさげ、あえて、雑兵には眼もくれず、中軍へ猪突して、
「めずらしや呂布、赤兎馬はなお健在なりや」と、呼びかけた。
事の不意と、意外な敵の出現に呂布は動転していたが、是非なく、馬を返して戦った。
ところへまた、
「兄貴、その敵は、おれにくれ」と、張飛が見つけて、迅雷のように蒐って来た。
呂布は心中に、
「きょうは悪日」と呟いて、慌てふためきながら逃げ出した。
「や、おのれ、待て」と、張飛は追う。
関羽も跳ぶ。
赤兎馬の尾も触れんばかり後に迫ったが、彼の馬と、呂布の馬とは、その脚足がまるで違う。
駿足赤兎馬の迅い脚は、からくも呂布の一命を救った。
徐州は奪られ、小沛には這入れず、呂布はついに、下邳へ落ちて行った。
下邳は徐州の出城のようなもので、もとより小城だが、そこには部下の侯成がいるし、要害の地ではあるので、
「ひとまずそこに拠って」と、四方の残兵を呼び集めた。
かくて戦は、曹操の大捷に帰し、曹操は玄徳に対して、
「もともと其許の城だから、其許は以前のごとく、徐州に入城して、太守の座に直りたまえ」
と言った。
徐州には彼の妻子が監禁されていたが、糜竺や陳大夫に守られていたので、みな恙なく、玄徳を迎えて対面した。
久しぶり、一家君臣一座にして、
「関羽と張飛は、小沛を離散の後、いずこに身を潜めていたのか」
玄徳が問うと、
「てまえは海州の片田舎にかくれました」
と、関羽は答えたが、張飛は、
「ぜひなく
蕩山にのがれて、山賊をやっていた」
と、正直に語ったので人々は大笑いした。
数日の後。
曹操は、中軍を会場として、盛大な賀宴をひらいた。
その時、彼は自分の左の席を、玄徳に与えた。右の方は空席にしていた。
それから順に、従軍の諸大将や文官も席に着いたところで、曹操は立って、
「この度、第一の功は、陳大夫陳登父子の働きである。予の右座は、陳老人に与うるものである」
と、述べた。
全員、拍手の中に、陳大夫老人は末席から息子に手を曳かれて曹操の右側に着席した。
「あなたには、十県の禄を与え、子息陳登には、伏波将軍の職を贈る」
と、曹操はなお犒った。
歓語快笑のうちに宴はすすみ、その中でまた、
「いかにして、呂布を生虜るべきか?」
の最後の作戦が、和気藹々のうちに種々検討された。――生虜るか殺すかこんどこそ呂布の始末をつけないうちは曹操は許都へ退かない決心であった。
五
下邳の小城は、呂布にとって逃げこんだ檻にひとしい。
呂布はすでに檻の虎だ。
しかし、窮鼠が猫を咬むの喩えもあるから、檻の虎の料理は、易しきに似て、下手をすれば、咬みつかれる怖れがある。
その席上、程昱が言った。
「遠火で魚を焙るように、ゆるゆると攻め殺すがよいでしょう。短兵急に押し詰めると、いわゆる破れかぶれとなって、思慮に乏しい呂布のこと、どんな無謀をやるかもしれません」
呂虔も、程昱の意見、しかるべしと賛同して、
「呂布の立場になってみると、今はただ臧覇、孫観などの泰山の賊党が恃みであろうと思われる。――それも儚く、いよいよ面子もなく――最後の切り札を選ぶとなれば――淮南の袁術へすがって、無条件降伏を申し入れ、袁術の援けをかりて、猛然、反抗して来るにちがいありません」
曹操は、両者の言へ、等分にうなずいて、
「いずれの説も、予の意中と変わりはない。予の惧るるところも、呂布と袁術とが、結ばれる点にある。――山東の道々は、予自身の軍をもって遮断するから、劉玄徳は、その麾下をよく督して下邳より淮南のあいだの通路を警備したまえ」と、言った。
玄徳は、謹んで、
「尊命、承知いたしました」と、誓った。
宴は終わって、一同、万歳を唱え、各々陣所へ帰って行く。
玄徳は即日、兵馬をととのえ、徐州には糜竺と簡雍の二人をとどめて、自身、関羽、張飛、孫乾の輩を率きつれて、邳郡から淮南への往来を断り塞ぐべく出発した。
それも――
下邳の窮敵に気づかれると、死にもの狂いの抵抗をうけることは必然なので、山を伝い、山間を抜け、ようやく呂布の背面にまわった。
要路の地勢を考えて、まず柵を結い、関所を設け、丸木小屋の見張り所を建て、望楼を組み上げなどして、街道はおろか、峰の杣道、谷間の細道まで、獣一匹通さぬばかり監視は厳重を極めていた。
× × ×
冬は近づく。
泗水の流れはまだ凍るほどにも至らないが、草木は枯れつくし、満目蕭条として、寒烈肌身に沁みてくる。
呂布は、城を繞る泗水の流れに、逆茂木を引かせ、武具兵糧も、充分城内に積み入れて、
「雪よ。早く山野を埋めろ」と、天に禱った。
後は自然の他力を恃みにしていたが、人智に長けた陳宮は、冷笑して彼に諫めた。
「曹操の勢は、遠路を来て、戦いつづけ、まだ配備もととのわず、冬を迎えて陣屋の設けも出来ていません。今、直ちに逆寄せなし給えば、逸をもって労を撃つで――必ず大捷を博すだろうと思います」
呂布は首を振った。
「そううまくは行くまい。敗軍のあげくだから、まだこっちの将士こそ士気が揚がっていない。彼の来り攻めるを待って、一度に突いて出れば、曹軍の大半は泗水に溺れてしまうだろう」
「は。......そうですか」
陳宮も近ごろは、彼に対する情熱を持ちきれないふうである。抗弁もせず嘲笑って引き退がった。
とこうするまに、早くも曹操は山東の境を扼し、また当然下邳へ押しよせて、城下を大兵で取り詰めた。
そして二日余りは矢戦に送っていたが、やがて曹操自身、わずか二十騎ほどを従えて、何思ったか、泗水の際まで駒を出して、
「呂布に会わん」
と、城中へ呼びかけた。
〔第三巻 終〕
●『三国志』解説/渡部昇一
【第3巻】
私が『三国志』というものを知ったのは、この吉川三国志ではなく、それよりも少し前に出版された野村愛正氏執筆の『三国志物語』を読んでからでした。
これは、子供向けに書かれた『三国志演義』の抄訳本といった内容だったのですが、実に良く出来た本で愛読していました。もう文字通り、紙がすり減るくらい読みましたね。これを卒業した頃に、もっと詳しくその時代が書かれている吉川さんの『三国志』が出版されました。ですから、私たちの世代がもっとも熱狂して三国志を読んでいたのではないかと思います。それを証明するようなエピソードが、先日ありました。
佐々淳行さんの講演を聞いていたのですが、その中で『鶏肋(けいろく)』という言葉を使われていたのです。これを聞いてもしやと思い、講演が終了してから佐々さんに「鶏肋という言葉、三国志で覚えたんですよね」と尋ねると、「そうだよ」とおっしゃっていました。佐々さんは僕と同じ年ですから、きっと戦時下の東京で一生懸命読んでいたのだと思います。
この『鶏肋』という言葉は、初版本では第11巻に出てきます。曹操の配下の武将に楊修というとても頭の良い人物がおり、曹操がたまたま漏らした『鶏肋』という言葉を解釈して、戦からの撤退準備を全軍に指示した、という話です。吉川三国志の中には、このような逸話が随所に散りばめられていて、しかも話の持っていき方も非常に上手でしたね。本筋とは関係のない息抜き的なものなんですが、これが入ることで面白さが増しましたし、佐々さんが講演会で『鶏肋』を引用したように、さまざまな教訓を学ぶことができたと思います。
とにかく吉川さんは、『鶏肋』のように教訓になるような言葉へのアンテナが、非常に働く人だったと思いますね。ご自身が修養家だったからだと思いますが、他の人では書かないであろうエピソードを書いたり、コメントしていたりしています。それを読んで何を読み取るか、というのは読み手次第になるので、みなさんもぜひ何かを感じ取っていただければと思います。
また、吉川三国志の特徴としては、まるで見てきたような場面の描写が本当に上手だということですね。黄巾の乱の後のゴタゴタしている時期に、朝廷でこれからどうしていけばいいかと話合っている時、まだ下級役人だった曹操が「相談なんてすることはない。誰々の首を切れば済むことだ」と言った、というようにまるでその場を見てきたかのような話を書いているんです。吉川さんは小説家なので、上手なのは当たり前なのですが、こういったシーンは本当に多く、感心しましたね。
【第4巻につづく】
煩悩攻防戦
一
呂布は、櫓に現われて、
「われを呼ぶは何者か」と、わざと言った。
泗水の流れを隔てて、曹操の声は水に谺して聞こえて来た。
「君を呼ぶ者は君の好き敵である許都の丞相曹操だ。──しかし、君と我と、本来なんの仇があろう。予はただ御辺が袁術と婚姻を結ぶと聞いて、攻め下って来たまでである。なぜならば、袁術は皇帝を僭称して、天下を紊す叛逆の賊である。かくれもない天下の敵である」
「............」
呂布は、沈黙していた。
河水をわたる風は白く、蕭々と鳴るは蘆荻、翩々とはためくは両陣の旌旗。その間一すじの矢も飛ばなかった。
「予は信じる。君は正邪の見極めもつかないほど愚かな将軍ではないことを。──今もし戈を伏せて、この曹操に従うならば、予は予の命を賭しても、天子に奏して君の封土と名誉とを必ず確保しておみせしよう」
「............」
「それに反し、この際、迷妄に囚われて降らず、君の城郭もあえなく陥落する日となっては、もう何事も遅い、君の一族妻子も、一人として生くることは、不可能だろう。のみならず、百世の後まで、悪名を泗水に流すにきまっている。よくよく賢慮し給え」
呂布は動かされた。それまで黙然と聞いていたが、やにわに手を振り上げ、
「丞相丞相。しばらくの間、呂布に時刻の猶予をかし給え。城中の者とよく商議して、降使をつかわすことにするから」
傍にいた陳宮は、意外な呂布の返辞に愕然として跳び上がり、
「な、なにをばかなことをおっしゃるかっ」
と、主君の口を塞ぐように、突然、横あいから大音声で曹操へ言い返した。
「やよ曹賊。汝は、若年のころから口先で人をだます達人だが、この陳宮がおる以上、わが主君だけは欺かれんぞ。この寒風に面皮を曝して、無用の舌の根をうごかさずと、早々退散しろ」
言葉の終わった刹那、陳宮の手に引きしぼられていた弓がぷんと弦鳴を放ち、矢は曹操の盔の眉庇にあたって刎ね折れた。
曹操は、くゎっと、眦をあげて、
「陳宮ッ、忘るるな、誓って汝の首を、予の土足に踏んで、今の答えをなすぞ」
そして左右の二十騎に向かって、即時、総攻撃にうつれと峻烈に命じた。
櫓の上から呂布はあわてて、
「待ちたまえ、曹丞相。今の放言は、陳宮の一存で、この方の心ではない。それがしは必ず商議の上、城を出て降るであろう」
陳宮は、弓を投げつけて、ほとんど喧嘩面になって言った。
「この期になって、なんたる弱音をはき給うことか。曹操の人間は御存じであろうに。──今、彼の甘言にたばかられて、降伏したが最後、二度とこの首はつながりませんぞ」
「だまれっ、やかましいっ。汝一存をもってなにを吠ゆるか」
呂布も躍起となって、言い争い、果ては剣に手をかけて、陳宮を成敗せんと息巻いた。
敵の目からも見ゆる櫓のうえである。主従の喧嘩は醜態だ。高順や張遼たちは、見るに見かねて、二人を押し隔て、
「まあ、御堪忍ください。陳宮も決して自分のために、面を冒して言っているわけではなし、皆忠義の迸りです。元来、忠諫の士です。今、ただ一つのお味方を失っては決していい事はありますまい」
呂布もようやく悪酔のさめたようにほっと大息を肩でついて、
「いや、ゆるせ陳宮。今のは戯れだ。──それより何か良計があるなら惜しまず俺に教えてくれい」
と言い直した。
二
呂布には、ほとほと
愛想もつきたらしい陳宮であったが、かりそめにも主君である。その主君から頭を下げて
機
をとられると、彼はまた、忠諫の良臣となって粉骨砕身せずにはいられない気持になった。
「良計は無きにしも非ずですが」
陳宮も辞を低うして答えた。
「ただお用いあるか否かが問題です。ここに取るべき一策としては『掎角の計』しかありません。将軍は精兵を率いて、城外へ出られ、それがしは城に在って、相互に呼吸をあわせ、曹操をして、首端の防ぎに苦しませるものであります」
「それを掎角の計というか」
「そうです。将軍が城外へ出られれば、必ず曹操はその首勢を、将軍へ向けましょう。すると、それがしはすぐ城内からその尾端を叩きます。また、曹操が城の方へ向かえば、将軍も転じて、彼の後方を脅やかし、かくして、掎角の陣形に敵を挾み、彼を屠るの計であります」
「ムム、なるほど、良計良計。孫子も裸足だろう」
呂布は、たちまち、戦意を昂めて、たちどころに出城の用意と言い出した。
山野に出れば、寒気はことに烈しかろうと想像されるので、将士はみな戦袍の下に綿衣を厚く着こんだ。
呂布も奥へはいって、妻の厳氏に、肌着や毛皮の胴服など、氷雪を凌ぐに足る身支度をととのえよと吩咐けた。
厳氏は、良人の容子を怪しみながら、
「いったい、どこへお出ましですか」と、たずねた。
呂布は、城を出て戦う決意を語って、
「陳宮という男は、実に智謀の囊のような人間だ。彼の授けた掎角の計をもってすれば、必勝は疑いない」
と、慌ただしく、身に物の具を纏い出した。
すると厳氏は、
「まあ、ここを他人の手に預けて、城外へ出ると仰せなさいますか」
色を失った面持ちで、急にさめざめと泣き出した。
そして、なお、搔き口説いて、
「あなたは、後に残る妻子を、可哀そうともなんとも思いませんか。陳宮の考えだそうですが、陳宮の前身を思うてごらんなさい。あれは以前、曹操と主従の約をむすんでいたのを、途中から変心して、曹操を見捨てて奔った男ではありませんか。──ましてあなたは、その曹操ほども、陳宮を重く用いては来なかったでしょう」
「............」
妻が真剣に泣いて訴えはじめたので、呂布は途方に暮れた顔していた。
「......ですもの、陳宮が、どうして曹操以上に、あなたへ忠義を励みましょう。陳宮に城を預けたら、どんな変心を抱くかしれたものではありません。......そうなったら、妾たち妻子は、またいつの日、あなたに会うことができましょう」
綿々と、恨みつらみを並べた。
呂布は、着かけていた毛皮の鎧下を脱ぎすてて、
「ばか、泣くな。戦の門出に、涙は不吉だ。明日にしよう、明日に」
急に、そう言って、
「娘は何をしているか」
と妻と共に、娘たちのいる部屋へ入って行った。
明日になっても呂布は立つ気色もない。二日も過ぎ、三日も過ぎた。
陳宮がまた、顔を見せた。
「将軍。──一日も早く城を出て備えにおかかりなさらないと、曹操の大兵は、刻々と城の四囲に勢いを張るばかりですぞ」
「や、陳宮か、おれもそう思うが、やはり遠く出て戦うよりは、城に居て堅く守るが利という気もするが」
「いや、機はまだ遅くありません。この日ごろ、許都の方からおびただしい兵糧が曹操の陣地へ運送されて来るという情報が入りました。将軍が兵をひいて城外へ出られれば、その糧道も併せて断つことが出来る。──これ一挙両得です。敵にとっては致命的な打撃となること、いうまでもありません」
三
「なに。曹操の陣へ、都から兵糧の運送が続々と下って来ると。......フム、その途を中断するのか。よしっ、明日は兵をひいて城を出よう」
たちまち、呂布は肚をきめて、闘志燃ゆるがごとき面をして言ったので陳宮も安心して、
「何とぞ、この機を外さず」
と、わざと多言を吐かずに退いた。
その夜、呂布は貂蟬の室へはいった。見れば、貂蟬は帳を垂れ泣き沈んでいる。どうしたのかと訊くと、海棠の雨に打たれたような瞼を紅に腫らして、
「もう再びこの世で将軍とお会いできないかと思うと泣いても泣いても足りません。行く先だれをたのみに世を送りましょう」と、なお悲しんだ。
「何をいう。おれはこのとおり健在ではないか。この城にはまだ冬を越す兵糧もある。万余の精兵もいる」
「いいえ、妾は夫人から伺いました。将軍は妾たちをすてて、お城をお出になるのでしょう」
「勝利を獲るために出て戦うので何も好んで死地へ行くわけではないよ」
「......でも。......でも案じられます。なぜならばお留守をあずかる陳宮と高順とは、日ごろから不和で、将軍がお城にいなければ、きっと敵に虚をつかれて乱れます」
「二人はそんなに仲が悪いのか」
「わけて陳宮という人の肚はわからないと、夫人も憂いていらっしゃいます。──将軍、お娘様もおいとしいではございませんか。夫人や妾たちも不愍と思うてくださいませ」
貂蟬は、呂布の胸へひたと涙の顔をあてた。
呂布はその肩を軽く打って、
「あはははは」と強いて大笑した。
「他愛ないやつだ。泣くな、もう悲しむな。城を出ることは止めにしたよ。おれに画桿の戟と赤兎馬のあるうちは、天下の何人だろうが、この呂布を征服することができるものか。──安心せい、安心せい」
背をなでて、倶に牀へ憩い、待女に酒を酌ませて、自ら貂蟬の唇へ飲ませてやった。
次の日。こんどは彼も少し間が悪いとみえて、呂布のほうから陳宮を呼びにやって、さて、陳宮の顔を見ると言った。
「念のためおれが探らせた所では敵の陣へ都から続々兵糧が運送されつつあるとの報告は、どうも虚報らしいぞ。案ずるところ、おれを城外へ誘い出そうとする曹操のわざと言わせている流言にちがいない。そんな策に乗ったら大不覚だ。おれは自重するときめた。城を出る方針は中止とする」
陳宮は、彼の室を出ると慨然と長大息して──
「......ああ、もはや何をか言わんやだ。われわれはついに身を葬る天地もなくなるだろう」
と、力なく言った。
それからというもの、呂布は日夜酒宴に溺れて、帳に秘れれば貂蟬と戯れ、家庭にあれば厳氏や娘に守られて、しかも酒が醒めれば快々としていた。
「折り入ってお目通りねがいたい儀がございまして──」
と、侍臣を通じて許しを得、彼の前に拝をなした二人の家人がある。
許汜と、王楷だった。
二人とも陳宮の部下に属している者なので、
「何だ」と、呂布は警戒顔して言う。
王楷がまず言った。
「きくならく──淮南の袁術は、その後も勢力はなはださかんな由であります。将軍には先に、御息女をもって袁家の息にゆるされ、婚姻の盛儀を挙げんとまでなされましたのに、なぜ今、疾く使を馳せて、袁術の救けをお求めになりませんか。──婚約の事も、まだ破談ときまったわけでもなし、臣等が参って篤と先方に話せば、たちまち諒解を得られようと思われますが」
四
「そうだ。......あの縁談も破談となり終わったわけではないな」
呂布は暗中に、一つの光明を見出したように呻いた。
そして、二人の臣へ、
「では、其方たちが、進んで淮南へ使いに立つと申すか」
「不肖なれど、御当家の浮沈にかかわる大事、一命を賭して、致したいと存じます」
「殊勝殊勝。よく言ってくれたぞ。──では早速、袁術へ宛て、書簡をしたためるからそれを携えて、淮南へ急いでくれい」
「御命、かしこまりました──しかし、この下邳の城は、すでに敵の重囲にあり、また、淮南の通路は、劉玄徳が関をもうけて、往来を厳しく監視しておりますとか。......何とぞ臣等の使命のため、一軍の兵をお出しあって、通路の囲みを突破して戴きたく存じますが」
「よろしい、さもなくては淮南へ出ることは叶うまい」
呂布は、直ちに張遼、郝萌の二大将をよび、各々へ五百余騎をさずけて、
「両名を淮南の境まで送るように」と、いいつけた。
「畏まって候」とばかり、張遼の五百余騎は前に立ち、郝萌はうしろに備えて、飛龍の勢目を形づくり、城門をひらいて突出した。
敵中横断の挙は、もちろん深夜を選ばれて決行されたものである。まんまと曹操の包囲線も越え、次の夜、玄徳の陣をも駆け通りに突破してしまった。
「上々首尾!」
両使は、淮南の境を出ると、喊呼した。
「でも、まだ、帰りの危険もあるから」
と、郝萌の五百騎だけは、使者について、淮南まで随行した。
張遼は、手勢の五百騎だけを従えて、元の道へ引っ返したが、こんどは玄徳陣の警戒線に引っかかって、「どこへ参る」と、一隊の兵馬に道をさえぎられた。
張遼がふと敵の将を見ると、それはかつて小沛の城を攻めた時、城頭から自分に向かって正義の意見を呈してくれた関羽であった。──で、互いに顧眄の心があるので、敵ながらすぐ弓や戟に物を言わせようとせず、二、三の問答を交わしているうちに、下邳の方から高順、侯成が助けに来てくれたので、張遼は危ないところで虎口をのがれ、無事城中へ帰ることが出来た。
──だが、その後。
淮南に着いて、袁術に謁し、呂布の書簡を呈してやがて戻ってきた許汜、王楷の二使は、そうは行かなかった。
袁術に会見しての結果は、まず成功のほうだった。二使も外交的な才弁をふるって大いに努めたので、袁術は、
「呂布は、反覆常なく、書簡の上だけでは、到底信用できかねるが、もしこの際でも、愛娘を送ってくるほどな熱意を示すならば、それを誠意の証とみとめて、朕も国中の兵をあげて救け遣わすであろう」と、言う返辞だった。
二使は、大よろこびで、道を急いで帰って来たが、二更のころ、関所の辺を駈け通りに駈け抜けようとすると、
「夜中に、馬を早めて行くは何者の隊だ」と、張飛の陣に覚られて、たちまち包囲されてしまった。
二使の守りについていた郝萌は、張飛に出会って、馬上から組み落とされ、高手籠手に縛られて、捕虜になってしまった。
五百の兵も虱つぶしにあらましは討たれたが、僥倖にも乱戟混戦の闇にまぎれて、許汜、王楷の二使だけはからくも身一つで下邳の城まで逃げ着いた。
五
その夜、郝萌を生け捕った張飛は、繩尻を取って、すぐ玄徳の営に出向き、
「こやつは、不敵にも守備の眼を掠めて、淮南へ往来した特使の大将。ぶっ叩いてお調べください」と、突き出した。
玄徳は彼の功を賞して、直ちに取り調べたが、郝萌は容易に実を吐かない。
張飛は、もどかしと、傍らの士卒へ、
「拷問にかけろ」と、声を大にして吩附けた。
士卒は、仮借なく、郝萌の背に百鞭を加えた。郝萌は、のがれぬところと思ったか、悲鳴の下から、
「玄徳どの、繩目をゆるめ給え、申し告げることがある」と、叫んだ。
一切を自白したので、夜が明けると、玄徳はその趣を書面にして、曹操の許へ知らせた。
曹操は、さてこそと、
「郝萌は首を刎ねよ。往来はいよいよ厳にし、呂布及び呂布の使者など、断じて淮南へ通すなかれ」
と、返翰してきた。
よって、玄徳は、諸将を集めて、再度、厳重に言いわたした。
「われ等の任は、今や重い。窮するの極み、必ず、呂布はここを通るであろう。ここは淮南への正路、一鼠だに洩らしてはならん。王法ニ親ナシ──怠る者は、軍法に照らし必ず断罪に処すぞ」
「仰せまでもないこと」
諸将は、命を奉じて、これからは昼夜を分かたず、甲冑を脱ぐまいぞ──と、申し合わせた。
張飛は、その後で、
「しかし、曹操は、おれが郝萌を生虜ったというのに、なんの恩賞も沙汰して来ない。厳重に、厳重にと、その実、冗談半分に言ってるんじゃないか」と不用意な言を放った。
玄徳は、小耳にはさんで、
「数十万の大軍を統べたもう曹丞相が、かりそめにも、軍令を口頭の戯れになさろうか。汝こそ、よしなき臆測を軽々しく口にいたすなど、匹夫の根性というべきである。油断に馴れ、多寡をくくって、千歳の汚名を招くな」と、痛烈に叱った。
「はい」
張飛は、頰髯を撫しながら、ひき退がった。一夜の功労も一言で失してしまった形である。
一方。──下邳城内では、
許汜、王楷の二使が、
「袁術は、なお深く疑って、尋常では、当方の要求も容れる気色もありません。ただ、御息女との婚儀には、わが子可愛さで、恋々たる未練がありそうですから、なによりもまず彼の求むるままに御息女を彼の地へ送ってやることです。それも迅速に運ばねば、焦眉の急に、意味ないことになりましょう」と、淮南の復命と共に、自分たちの意見をも陳べていた。
呂布は、当惑顔に、
「むすめを遣るはいいが、今この重囲の中、どうして送るか?」
「ほかならぬ深窓の御方。それにはどうしても、将軍御みずから送りに立たねばかないますまい」
「むすめは、わが命につぐものだ。戦の巷はおろか、世の寒風にもあてたことのない白珠だ。よし、おれ自身、淮南の境まで守ってやろう」
「きょうは、凶神の辰にあたる悪日ですから、明日になされたがよろしいでしょう。──明夜、戌亥のころを計って」
「張遼と侯成を呼べ」
呂布も、ついに心をきめた。二人の大将に三千余騎を与え、軍中に車を曳かせて、淮南へ供して行けと吩附けた。
けれど、その車に、娘は乗せて出さなかった。敵の囲みを突破するまでは──と、呂布は自分の背に負って行った。何も知らない十四の花嫁は、厚い綿と錦繡にくるまれて、父の冷たい甲冑の背中に、しっかと結びつけられていたのである。
六
寒月は皎々として、泗水の流れを鏡のごとく照り返している。
氷山雪地。風まで白い。
戞、戞、戞──
人馬の影が黒く黒く。
張遼、侯成の三千余騎だった。呂布を真ん中にして、忍びやかに、下邳の城から立って行く。
「物見。何事もないか」
一歩一歩、薄氷を踏む思いで進むのだった。──交交に物見が先に走っては、行く手の様子を告げてくる。
「敵の哨兵も、この寒さに、どこへやら潜り込んで、寂としています」との報せに、
「天の与え」
と、呂布は馬を早めた。
彼の今日ある第一の功労者といえば赤兎馬であろう。その赤兎馬もいよいよ健在に、こよいも彼を螺鈿の鞍上に奉じてよく駆けてゆく。
呂布の姿も、ひとたびこの馬上に仰ぎ直すと、日ごろの彼とは、人間が変わったように、偉きく見えるのも不思議だった。
雄姿──そのものといえる。無敵な威風は真に四辺を払う。
さるにても、偉大なる煩悩将軍ではある。彼のごとき鬼傑でも、わが娘の愛には、この三千余騎を具してもなお、敵の哨兵の眼さえ恐い。白皚々の天地をよぎる一羽の鴻の影にさえ胸がとどろく。
「むすめよ。恐くはないぞ」
幾たびも、わが背へ言った。
綿と錦繡につつまれた白珠のごとき十四の処女はこうして父に負われて城を立つ時から、もう半ば失神していた。
「──行く末おまえを皇后に立てて下さろうという寿春城の袁家へお嫁に行くのだよ」
彼女の母は泣きながら言い聞かせたが──これが花嫁の踏まなければならない途中の道なのか? ──彼女の白い顔は氷化し、黒い睫毛は上の瞼と下の瞼とを縫い合わせたように凍りついていた。
かくて行くこと百余里。
翌晩も寒林の中に月は怖ろしいほど冴えていた。
突として、鼓声鉦雷のひびきが、白夜を震撼した。
数千羽の烏のように、寒林を横ぎってくる慓悍なる騎兵があった。
「あっ、関羽の隊だ!」
張遼は、絶叫して、
「御用心あれ」と、呂布を振り向いた。
間もあらず、
「それッ」と、馬前はすでに、飛雪に煙る。
びゅッん!
矢風は、身をかすめ、鉄鎧にあたって砕けた。ここかしこに、喚き、呻きが揚がる。そして噴血は黒くぶり撤かれた。
「──怖いッ!」
呂布は、耳元に、帛を裂くような悲鳴を開いた。
背の処女は、父の体に爪を立てんばかりしがみついた。ひいッ! と身も世もない声を二度ほどあげた。
猛然、赤兎馬は悍気立つ。
──だが、呂布もこよいばかりは、その奔馬を引き止めるのに汗をかいた。もし敵の一矢でも、一太刀でも、背の娘にうけたらと、それのみに心を惹かれるからであった。
「関に懸かった敵はただ者ともおぼえぬぞ」
「呂布がいる! 呂布らしい大将が」
取り囲む兵は叫ぶ。
もし関羽に出会ったら──と思うと呂布は身も竦んで、なんの働きもできなかった。
「無念だが、娘を傷つけては」
空しく、彼は赤兎馬を向け直して、元の道へと逃げ出した。
途中、しばしば、
「曹操の部下徐晃!」
「曹操の旗下許褚、見参」
などと名乗って、横道から挑みかかる強敵に襲われたが、呂布は眼をふさぎ、ただ赤兎馬の尻のみ無二無三打ちつづけて、下邳の城まで一息に駆けもどって来た。
破 瓶
一
最後の一計もむなしく半途に終わって、それ以来、呂布は城にあって、日夜悶々と、酒ばかりのんでいたが、──その呂布を攻め、城を取り囲んでいる曹操の方にも、すでに安からぬ思いが濃かった。
「この城を囲んでからも六十余日になる。しかもなお、頑として、城は陥ちない。こうしている間に、もし後方に敵が起ったらわが全軍はこの大寒の曠野に自滅するほかはない」
曹操は憂いていた。
戦はすでに冬期に入って、兵馬の凍死するのも数知れなかった。糧草は尽きんとしているし、雪は山野を埋め、今さら、軍を退いて遠く帰ることすら困難であった。
「どうしたものか?」
焦躁の気を眉に蒐めて、不落の敵城を見つめたまま、独り沈思していると、吹雪を衝いて、陣へ辿り着いた早打ちがあった。
「河内の張楊は、呂布と交誼があるので後詰して、呂布を助けんと称し、兵をうごかしました。ところが手下の楊醜が、たちまち心変わりして張楊を殺し、その軍を奪ったところから大混乱となり、軍の眭固と申す者が、またまた、張楊の讎と言って、楊醜を討ち殺し、人数をひきいて、犬山方面まで動いて参りました」との注進であった。
曹操は、折も折と、
「捨ておけまい。史渙、そちの一部隊を、犬山にあてて、眭固を打ち取れ」
と、すぐ側らの大将史渙に言って、万一に備えさせた。
史渙の隊は、雪を冒して、犬山へ向かった。──曹操の心は、いよいよ晏如たり得ない。冬は長い。実に冬は長いのである。明けても暮れても大陸の空は灰色に閉じて白いものを霏々と舞わせている。
「こう城攻めも長びいては、必ず心腹の患いが起きるだろう。曹操の武力を悔り、後方に小乱の蜂起するは目に見えている。しかも都の北には、西涼の憂いがあるし、東には劉表、西には張繡、各々、虎視眈々と、この曹操が脚を失って征途につかれるのを窺っているところだ......」
思いあまってか、諸大将をあつめた上で、曹操もとうとう弱音を吐いてしまった。
「師を帰そう! 残念だがぜひもない。......また、機を計って、遠征に来るとしよう!」
すると、荀攸が、
「丞相にも似あわぬおことばを聞くものである」と、声を励まして諫めた。
「いかさま、この長期にわたって、お味方の艱苦たるや、言語に絶したものに相違ございませんが、城中の者の不安と苦しみもまた、これ以上のものに違いありません。今は、籠城の者と寄手の根競べです。城中の兵は、退くに退けない立場にあるだけ、覚悟においては、寄手以上の強味をもっている。──故に、寄手の将たる者は、夢々帰る都があるなどと自身を思ってはならないし、兵にも思わせてはならないのです。──しかるに、丞相おん自らそのように気を落として、いかで諸軍の心が振いましょうか」
荀攸は、心外なりとばかり、口を極めて、退くことの不利を説いた。
更にまた、郭嘉が、
「この下邳の陥ちないのは、泗水、沂水の地の利ある故ですが、その二水の流れを、味方に利用せば、敵はたちまち破れ去ること疑いもありません」と、一策を提出した。
それは泗水河と沂水河に堰を作って、両水をひとつに向け、下邳の孤城を水びたしにしてしまうことだった。
この計画は成功した。
人夫二万に兵を督して、目的どおり二つの河をひとつに蒐めた。折ふしまた、暖日の雨がつづいたので、孤城はたちまち濁流にひたされ、敵はみな高い所へ這いのぼって、刻々と水嵩を盛り上げてくる城壁の水勢に施す術もなく騒いでいる様子が、寄手の陣地からも眺められた。
二
二尺、四尺、七尺──と夜の明けるたび水嵩を増していた。城中いたるところ浸々と濁水が渦巻いて、膨れあがった馬の屍や兵の死骸が芥と共に浮いては流されて行く。
「どうしたものだろう?」
城中の兵は、生きた空もなく、次第に居どころを狭められた。しかし呂布は、うろたえ騒ぐ大将たちに、わざと傲語していった。
「驚くことはない。呂布には名馬赤兎がある。水を渡ることも平地のごとしだ。ただ汝等は、猥りに立ち騒いで、溺れぬように要心すればよい。......なアに、そのうちには大雪風がやって来て、一夜のうちに曹操の陣を百尺の下に埋めてしまうだろう」
彼はなお、恃みなきものを恃んで、日夜、暴酒に耽っていた。彼の心の一部にある極めて弱い性格が、酔って現実を忘れることを好むのであった。
ところが、ある時。
ふと、宿酔から醒めて、呂布は鏡を手に取った。そして愕然と、鏡の中に見た自分のすがたに嘆声を洩らした。
「ああ......いつのまに俺はこんなに老けてしまったのだろう。髪の色まで灰色になった。眼のまわりも青黒い」
彼は、身を戦かして、鏡を抛ち、また、独りでこう呻いた。
「こいつはいかん。まだおれはこう老いぼれる年齢ではない。酒の毒だ。暴酒が肉体を蝕むのだ。断然、酒はやめよう!」
ひどく感じたとみえて、たちまち禁酒してしまった。それはよいが同時に城中の将士に対しても、飲酒を厳禁し、
──酒犯の者は首を刎ねん
という法令を出した。
するとここに城中の大将の一人侯成の馬が十五匹、一夜に紛失した事件が起こった。調べてみると馬飼いの士卒が結託して馬を盗み出し、城外に出て、敵へそれを献じ、敵の恩賞にあずかろうと小慾な企てをしていたということがわかった。
侯成は聞きつけて馬飼いの者どもを追いかけ、不埒者をみなごろしにして、馬もすべて取り返して来た。
「よかった、よかった」と、他の大将たちも、賀しあって、侯成に、
「奢るべし、祝うべし」と、囃した。
折ふし城中の山から、猪を十数匹猟って来た者があるので、酒倉を開き、猪を料理させて、
「きょうは大いに飲もう」と、なった。
そこで侯成は酒五瓶と、猪の肥えたのを一匹、部下に担がせて、主君の前にやって来た。そして告げるに、降人の成敗と、愛馬を取り返した事実をもってし、
「これも将軍の虎威によるところと、諸大将相賀して、折ふし猪を猟して、いささか祝宴をひらいております。どうか御主君にも、御一笑下さいまし」
と、品々をそこにならべて拝伏した。
すると呂布は、勃然と、怒を発して、
「なんだっ、これは」と、酒瓶を蹴仆した。
一つの酒瓶が他の酒瓶に当たったので、瓶は腹を破って、一斛の酒がそこに噴出した。侯成は全身に酒を浴び、強烈な香気は、呂布の怒りをなおはなはだしくさせた。
「おれ自身、酒を断ち、城中にも禁酒の法を出してあるのに、汝等大将たる者が、歓びに事よせて、酒宴をひらくとは何事だ」
呂布は左右の武士に向かって、侯成を斬れと罵った。
仰天した侍臣の一名が、ほかの大将たちを呼んで来た。諸人は哀訴百拝して、
「助けたまえ」
と、侯成のために命乞いをしたが、呂布は容易に顔色をおさめなかった。
三
「この際、侯成のごとき得難い大将を馘るのは、敵に歓びを与え、味方の士気を損じるのみで、実に悲しいことです」
と諸大将はなお、口を極めて、命乞いをした。
呂布もとうとう我を折って、
「それほどまで、汝等が申すなら、命だけは助けてくれる」と言ったが、「禁酒令を破った罪は不問に附すわけにはゆかん。百杖を打って、見せしめてくれん」
と、直ちに、二人の武士へ、鞭を与えた。
二名の武士は、拝跪したまま動かぬ侯成の背に向かって、交わるがわるに、
「一つ......」
「二つ......」
「三つ!」
「四つ!」
と、掛け声をかけながら鞭を下し始めた。
たちまち、侯成の衣は破れ、肌が露われた。その肌もみるみるうちに血を噴いて、背なか一面、斑魚の鱗のようにそそけ立った。
「三十!」
「三十一!」
諸大将は、面をそむけた。
侯成は歯ぎしり嚙んで、じっとこらえていたが、りゅうりゅうと鳴る杖、掛け声が、
「七十五っ」
「七十六っ」
と、数えられて来たころ、ウームと一声うめいて、悶絶してしまった。
呂布はそれを見ると、ぷいと閣の奥へかくれ去った。
諸大将は、武士に眼くばせを与えて、杖の数をとばして読ませた。
やがて、侯成が気がついて、己れの身を見まわすと、一室のうちに寝かされて、幕僚の者に看護されていた。──彼は、潸然となみだを流し、苦しげに顔をしかめた。
「痛いか。苦しいだろう」と、友の魏続が慰めると、「おれも武人だ。苦痛で哭くのではない」と言った。
「──では、なんで哭くのか」
魏続が聞くと、侯成は、枕頭を見まわして、
「今、ここにいるのは、君と宋憲だけか」
「そうだ......。この三名は日ごろから何事も隔てのない仲だ。なんでも安心して話し給え」
「......では言うが呂将軍に恨みとするのは、われわれ武人は芥のごとく軽んじ、妻妾の媚言には他愛なく動かされる事だ。このような状態では、ついに、われわれは犬死にするほかあるまい──おれはそれを悲しむのだ」
「侯成! ......」と宋憲は寄り添って、彼の耳もとへ熱い息で囁いた。
「まったくだ。実に、それがし達もそれを悲しむ。いっその事、城を出て、曹操の陣門に降ろうではないか」
「......でも、城壁の四方はとうとうたる濁流だろう」
「いやまだ東の関門だけは、山の裾にかかっているので、道も水に浸されていない」
「そうか......」
侯成は、血の中から眼を開いて、ぽかっと天井を見ていたが、不意に、むっくりと起き上がって、
「やろう! 決行しよう。......
呂布が頼みにしているのは
赤兎馬だ。彼はわれわれ大将よりも赤兎馬を重んじ、婦女子を愛している。──だから、おれは彼の

へ忍んで、赤兎馬を盗み出し、そのまま、城外へ脱出するから、君たちは後に残って、呂布を
生虜りたまえ」
「心得た! ......しかしその重態な体で、君は大丈夫か」
「なんの、これしきの傷手」
と侯成は唇をかんで、ひそかに身支度を変え、夜の更けるのを待っていた。
四
更のころ、彼は
闇にまぎれて、
閣裡の
舎へ
這い忍んで行った。遠くから
窺うと、折もよし、番の士卒はうずくまって居眠っている様子である。
白門楼始末
一
曹操は、侍者に起こされて、暁の寒い眠りをさました。夜はまだ明けたばかりのころである。
「何か」と、帳を払って出ると、
「城中より侯成という大将が降を乞うて出で、丞相に謁を賜わりたいと陣門にひかえております」
と、侍者はいう。
侯成といえば、敵方でも一方の雄将と知っている。曹操はすぐ幕営に引かせて彼に会った。
侯成は脱出を決意した次第を話して、呂布の

から盗んで来た赤兎馬を献じた。
「なに、赤兎馬を」
曹操のよろこび方ははなはだしかった。彼自身の立場こそ、実は進退谷まっていたところである。
窮すれば通ず。彼にとっては、天来の福音だった。で、曹操は特に、侯成をいたわって、種々と糺した。
侯成はなお告げた。
「同僚の魏続、宋憲のふたりも、城中にあって、内応する手筈になっております。丞相にしてお疑いなく一挙に攻め給うならば、二人は城中に白旗を掲げ、直ちに、東の門をひらいてお迎え申しましょう」
曹操は、限りなく喜悦して、さらばとばかり、直ちに、檄文を認めて、城中へ矢文を射させた。
その文には、
今、明詔ヲ奉ジテ呂布ヲ征ス、モシ大軍ヲ抗拒スル者アラバ満門悉ク誅滅セン
モシ城内ノ上ハ将校ヨリ庶民ニ至ル迄ノ者、呂布ガ首ヲ献ゼバ、重ク官賞ヲ加エン
大将軍曹・押字
朝焼けの雲は紅々と城東の空にながれていた。同文の矢文が何十本となく射込まれたのを合図に、金鼓の響き、喊の声は、地を震わし、十数万の寄手は、いちどに城へ攻めかかった。
呂布は愕いて、早暁から各所の攻め口を駆けまわり、自身、督戦に当たったり、戟をふるって、城壁に近づく敵を撃退していた。
ところへ、

の者が、
「昨夜、赤兎馬が、忽然と姿を消しました」と、訴えて来た。
呂布は眉をひそめたが、
「番人の怠っている隙に手綱を断って、搦手の山へのぼって草でも食っているのだろう。早く探して繫いでおけ」と、罵った。
前面の防ぎに、叱っている遑もなかったのである。それほどこの日の攻撃は烈しかった。
敵は、次々と、筏を組んで、濁水を越え、打ち払っても打ち退けても怯まずに攀じ登ってくる。午の刻を過ぎるころには、両軍の水つく屍に壁は泥血に染まり、濁水の濠も埋まるばかりに見えた。
ようやく、陽も西に傾くころ、寄手は攻めあぐねて、やや遠く退いた。早朝から一滴の水ものまず、食物も摂らず奮戦をつづけていた呂布は、
「ああ。......まずこれまで」
と、ほっと、一息つくと共に、綿のように疲れた体を、一室の榻に倚せて、居眠るともなく、うつらうつらとしていた。
──と、彼の息を窺って、音もなく床を這い寄って来た一人の将校がある。魏続であった。
呂布の凭れている戟の柄が榻の下に見える。──魏続は手をのばして榻の下からその柄を強く引っ張った。居眠っていた呂布は、不意に支えを外されたので、
「──あっ」
と、半身を前へのめらせた。
「しめたっ」
魏続が、奪った戟を後ろへ抛るとそれを合図に、一方から宋憲が躍り出して、呂布の背をつきとばした。
「何をするっ」
猛虎は、床に倒れながら、両脚で二人を蹴上げたが、とたんに魏続、宋憲の部下の兵が、どやどやと室に満ちて、吠える呂布へ折り重なって、やがて鞠のごとく縛り上げてしまった。
二
「捕ったっ」
「呂布を縛めた!」
諸声あげて、反軍の将士が、そこでどよめきを揚げたころ──城頭のやぐらでは、一味の者が、白旗を振って、
「東門は開けり」と、寄手へ向かって、かねての合図を送っていた。
それっ──と曹操の大軍は、いちどに東の関門から城中へなだれ入ったが、用心深い夏侯淵は、
「もしや敵の詭計ではないか」
と、疑って、容易に軍をうごかさなかった。
宋憲は、それと見て、
「御疑念あるな」と、城壁から彼の陣へ、大きな戟を投げて来た。
見るとそれは呂布が多年戦場で用いていた画桿の大戟だった。
「城中の分裂、今はまぎれもなし」
と、夏侯惇も、つづいて関内へ駸入し、その余の大将も、続々入城する。
城内はまだ鼎の沸くがごとき混乱を呈していた。
「呂将軍が捕らわれた」と伝わったので、城兵の狼狽は無理もなかった。去就に迷って殲滅の憂き目に会う者や、いち早く、武器を捨て、投降する者や、右往左往一瞬はさながら地獄の底だった。
中にも。
高順、張遼の二将は、変を知るとすぐ、部隊をまとめて、西の門から脱出を試みたが、洪水の泥流深く進退谷まって、ことごとく生虜られた。
また。──南門にいた陳宮は、「南門を、死に場所に」と、防戦に努めていたが、曹操麾下の勇将徐晃に出会って、彼もまた、捕虜の一人となってしまった。
こうして、さしもの下邳城も、日没と共に、まったく曹操の掌中に収められ、一夜明けると、城頭楼門の東西には、曹軍の旗が満々と、曙光の空に翻っていた。
曹操は、主閣白門楼の楼台に立って、即日、軍政を布き人民を安んじ、また、玄徳を請じて、傍らに座を与え、
「いざ。降人を見よう」
と、軍事裁判の法廷をひらいた。
まず第一に、呂布が引き立てられて来た。呂布は身長七尺ゆたかな偉大漢なので、団々と、巨大な鞠のごとく繩をかけられたため、いかにも苦しげであった。
白門楼下の石畳の上にひきすえられると、彼は、階上の曹操を見上げて、
「かくまで、辱めなくてもよかろう。曹操、おれの繩目を、もう少し緩めるように、吏へ命じてくれ」と言った。
曹操は苦笑を湛えて、
「虎を縛るに、人情をかけてはおられまい。──しかし、口がきけないでも困る。武士ども、もうすこし手頸の繩をゆるめてやれ」
すると、主簿の王必があわてて遮った。
「滅相もない。呂布の猛勇は尋常な者とはちがいます。滅多に憐愍をかけてはなりません」
呂布は、はったと王必を睨めつけて、
「おのれ、要らざる差し出口を」
と、牙を剝いて咬みつきそうな顔をした。
そしてまた、その眼を階下に並居る諸将に向けた。そこには魏続や侯成や宋憲など、きのうまで自分を主君とあがめていた者が、曹操の下に甘んじて居並んでいる。──呂布は、眼をいからして、その人々の顔を睨めまわし、
「汝らは、どの面下げて、この呂布に会えた義理か。わが恩を忘れたか」
侯成は、あざ笑って、
「その愚痴は、日ごろ、将軍が愛されていた秘院の女房や寵妾へおっしゃったらいいでしょう。われわれ武臣は、将軍から百杖の罰や苛酷な束縛は頂戴した覚えはあるが、将軍の愛する婦女子ほどの恩遇もうけた例はありません」といい返した。
呂布は、黙然と、うな垂れてしまった。
三
運命は皮肉を極む。時の経過に従って起こるその皮肉な結果を、俳優自身も知らずに演じているのが、人生の舞台である。
陳宮と曹操のあいだなども、その一例といえよう。そもそも、陳宮の今日の運命は、そのむかし、彼が中牟の県令として関門を守っていた時、捕らえた曹操を救けたことから発足している。
当時、曹操は、まだ白面の一志士であって、洛陽の中央政府の一小吏に過ぎなかったが、董卓を暗殺しようとして果たさず、都を脱出して、天下に身の置き所もなかったお尋ね者の境遇だった。
それが、今は。
かつての董卓をもしのぐ位置に登って大将軍曹丞相と敬われ、階下に曳かれてきた敗将の陳宮を、冷然と見くだしているのであった。
「............」
陳宮は、立ったまま、じっと曹操の面を、しばらく見つめていた。
(──もし、曹操を、そのむかし中牟の関門で助けなどしなかったら、今日の俺も、こんな運命にはなるまいに)と、その眼は、過去の悔いと恨みを、ありありと語っていた。
「坐らぬかっ」
繩尻を持った武士に腰を跳られて、陳宮は折れるがごとく身を崩した。
曹操は、階の上から、冷ややかに見て、
「陳宮か。御辺とは実に久し振りの対面だ。その後は恙ないか」
「見たとおりである。──恙なきや、との訊ねは、自己の優越感を満足させるために、この方を嘲弄することばと受け取れる。相変わらず、冷酷な小人ではある。嗤うにたえぬ事だ」
「小人とは、そちのごとき者をいう。理智の小さな眼の孔からばかり人間を観るので、予のごとき大きな人物を見損なうのだ。──そのために、ついに、こういう事になったが何よりの実証ではないか」
「いや、たとい今日、かかる辱をうけても、心根の正しくない汝についているよりはましだった。奸雄曹操ごとき者を見捨てたのは、自身、もって先見の明を誇るところで、寸毫、後悔などはしておらん」
「予を、不義の人物といいながら、しからばなぜ、呂布のような、暴逆の臣を
扶けて、その
禄を

んで来たか。君は、すこぶる
愛嬌のある口頭正義派の旗持ちとみえる。口先だけの正義家で衣食の道は
べつだという
寔に御都合のいい主義だ。いや笑止笑止」
「だまれ」
陳宮は胸を反らして、
「いかにも呂布は暗愚で粗暴の大将にちがいない。しかし彼には汝よりも多分に善性がある。正直さがある。すくなくも、汝のごとく、酷薄で詐言が多く、自己の才謀に慢じて、ついには、上をも犯すような奸雄では絶対にない」
「ははは。理窟はどうにでもつく。だが、今日の事実をどう思うか。繩目にかけられた敗軍の将の感想を訊きたいものだが」
「勝敗は、時の運だ。ただ、そこに在る人が、それがしの言を用いなかったために、この憂き目を見たに過ぎない」と、傍らに俯向いたままでいる呂布のすがたを、顔で指して、
「さもなければ、やわか、汝ごときに敗れ去る陳宮ではない」
と、傲然、言い放った。
曹操は、苦笑して、
「時に、御辺は今、自分の身をどうしようと思うか」
と、訊ねた。
陳宮は、さすがに、さっと顔いろに、感情をうごかして、
「ただ、死あるのみ。早く首を打ち給え」と、言った。
「なるほど、臣として忠ならず、子として孝ならず、死以外に、途はあるまい。しかし御辺には老母があるはず。──老母はいかにするつもりか」
そういわれると、陳宮はにわかにうつ向いて、さんさんと落涙した。
四
やがて、陳宮は、面をあげて、曹操の人情へ、訴うるごとく言った。
「人の道として、幼少からわれも聴く。さだめし、足下も学びつらん。──天下ヲ治ムル者ハ人ノ親ヲ殺サズ──と。老母の存亡は、ただ足下の胸にある事。いかようとも為し給え」
「老母のほかに、御辺には妻子もあろう。死後、妻子の行く末はいかに思うか」
「思うても、是非ない事、何も思わぬ。──が、我聞く、天下ニ仁政ヲ施スモノハ人ノ祭祀ヲ絶タズ──と」
「............」
曹操は、何とかして、陳宮を助けたいと思っていた。
──と言うよりは、殺すに忍びなかったのである。
留恋の私情と、裁く者の法人的な意思とが今、しきりと彼の心のうちで闘っていた。──陳宮はその顔いろを察して、
「無用な問いはもう止め給え。願わくは、速やかに軍法にてらして、陳宮に誅刀を加えられよ。──これ以上、生くるは辱のみだ」
言い捨てて、決然とそこから起ち上がった。そして、階下の一方にうずくまっている捕虜の呂布へ、冷然と一眄を与えると、自身、白門楼の長い石段を降って、──下なる首の座に坐った。
その後ろ姿に、
「ああ──」
と、曹操は、階上の廊に立ち上がって、しきりと涙をながしていた。諸人もみな伸び上がって、白門楼下の刑場を見まもった。
陳宮は、死の莚にすわって、黙然と首をのべていたが、ふと、薄曇りの空を啼き渡る二、三羽の鴻の影に面をあげて、静かに、刑吏の戟を振り向き、
「もう、よろしいか」と、あべこべに促した。
一閃の刑刀は下った。
頸骨が戞と鳴って、噴血の下、首は四尺も飛んだ。
曹操は、さっと酒の醒めたように、
「次は、呂布の番だ。呂布を成敗しろ!」と命を下した。すると呂布は急に、大声でわめき出した。
「丞相、曹丞相。もう閣下の患いとする呂布はかくのごとく、降伏して、除かれているではないか。この上は、われを助けて、騎将とし、天下の事に用いれば、四方を定める力ともなろうに。──ああ、なんで無用に、殺そうとするか。助け給え。呂布はすでに、心から服している」
曹操は、横を向いて、
「劉備どの。彼の哀訴を、聞き届けてやったものだろうか、それとも、断罪にしたものだろうか」
と、小声で訊いた。
玄徳は、是とも非ともいわなかった。ただこう答えた。
「さあ、その儀は、いかがしたものでしょうか。ここ今日、思い起こされるのは、彼がむかし、養父の丁建陽を殺害して、董卓に降って行きながら、またその董卓を裏切って、洛陽にあの大乱を醸した事などですが......」
呂布は、小耳にはさむと、土気色に顔を変じて、
「だまれっ。兎耳児の悪人め。いつか俺が、轅門の戟を射て助けた恩を忘れたかっ」
と、睨みつけた。
「刑吏ども。早その首を縊てしまえ」
曹操の一令に、執行の役人たちは、繩を持って、呂布のそばへ寄った。呂布は暴れて、容易に彼等の手にかからなかったが、ついに、遮二無二抑えつけられたまま、その場で縊殺されてしまった。
張遼にも、当然、斬られる番が迫って来たが、玄徳は、突如立って、
「張遼は、下邳城中、ただ一人の心正しき者です。願わくは、宥したまえ」
と曹操を拝した。
曹操は、玄徳の乞いをいれて、彼を助命したが、張遼は辱じて、自ら剣を奪って死のうとした。
「大丈夫たる者が、こんな穢らわしい場所で、犬死にする奴があるか」
と、彼の剣を奪って止めたのは、かねて彼を知る関羽だった。
曹操は、平定の事終わると、陳宮の老母と妻子を探し求め、師を収めて、許都へ還った。
許田の猟
一
都へ還る大軍が、下邳城を立ち出で、徐州へかえると、沿道の民は、ちまたに溢れて、曹操以下の将士へ、歓呼を送った。
その中から、一群れの老民が道に拝跪しながら進み出て、曹操の馬前に懇願した。
「どうか、劉玄徳様を、太守として、この地におとどめ願います。呂布の悪政をのがれて、平和に耕田の業や商工の営みができますことは、無上のよろこびでございますが、玄徳様がこの国を去るのではないかと、みなあのように悲しんでおりまするで」
曹操は、馬上から答えた。
「案じるな。劉吏君は、莫大な功労があるので、予と共に都へ上って、天子へ拝謁し、やがてまた、徐州へ帰って来るであろう」
そう聞くと、沿道の民は、諸声あげて、どっと歓び合った。
ふかく民心の中に根をもっている玄徳の信望に、曹操はふと妬みに似たものを覚えながら、面には莞爾と笑みをたたえながら、
「劉吏君。このような領民は、子のように可愛いだろうな。天子に拝をすまされたら、早く帰って、元のごとく徐州を平和に治めたまえ」と、振り向いて言った。
──日を経て。
三軍は許都に凱旋した。
曹操は、例によって、功ある将士に恩賞をわかち、都民には三日の祝祭を行なわせた。朝門街角ともその数日は、挙げてよろこびの声に賑わった。
玄徳の旅舎は丞相府のひだりに定められた。特に一館を彼のために与えて、曹操は礼遇の意を示した。
のみならず、翌日、朝服に改めて参内するにも、玄徳を誘って、ひとつ車に乗って出かけた。
市民は軒ごとに、香を焚いて道を浄め、ふたりの車を拝跪した。
そして、ひそかに、
「これはまた、異例なことだ」と、眼をみはった。
禁中へ伺侯すると、帝は、階下遠く地に拝伏している玄徳に対し、特に昇殿をゆるされて、何かと、勅問のあって後、更に、こう訊ねられた。
「其方の先祖は、そも、何地のいかなるものであるか」
「......はい」
玄徳は、感泣のあまり、しばしは胸がつまって、俯向いていた。──故郷楼桑村の茅屋に、蓆を織って、老母と共に、貧しい日をしのいでいた一家の姿が、ふと熱い瞼の裡に憶い出されたのであろう。
帝は、彼の涙をながめて、怪しまれながら、ふたたび下問された。
「先祖のことを問うに、何故そちは涙ぐむのか」
「──さればに御座ります」
玄徳は襟を正し、謹んでそれに答えた。
「いま、御勅問に接し、おぼえず感傷の意をうごかしました。──という仔細は、臣が祖先は中山靖王の後胤、景帝の玄孫にあたり、劉雄が孫、劉弘の子こそ、不肖玄徳でありまする。中興の祖劉貞は、ひとたびは、涿県の陸城亭侯に封ぜられましたが、家運つたなく、以後流落して、臣の代にいたりましては、更に、祖先の名を辱めるのみであります。......それ故、身のふがいなさと、勅問の忝なさに思わず落涙を催した次第でありまする。醜しき態をおゆるし下し置かれますように」
帝は、驚きの眼をみはって、
「では、わが漢室の一族ではないか」
と、急に朝廷の系譜を取りよせられ、宗正郷をして、それを読み上げさせた。
漢ノ景帝、十四子ヲ生ム。乃チ中山靖王劉勝。
──勝。陸城亭侯劉貞ヲ生ム。貞。沛侯劉昂ヲ生ム。昂。漳侯劉禄ヲ生ム。禄。沂水侯劉恋ヲ生ム。恋。欽陽侯劉英ヲ生ム。英......。
朗々と、わが代々の先祖の名が耳を搏ってくる。
──その末裔の末裔に、今、我なるものが、ここにあるのかと思うと、玄徳は体じゅうの血が自分のものでないように熱くなった。
二
漢家代々の系譜に照らしてみると、玄徳が、景帝の第七子の裔であることは明らかになった。
つまり景帝の第七子中山靖王の裔は、地方官として朝廷を出、以後数代は地方の豪族として栄えていたが、諸国の治乱興亡のあいだに、いつか家門を失い、土民に流落して、劉玄徳の両親の代には、とうとう沓売りや蓆織を生業としてからくも露命をつなぐまでに落魄れ果てていたのであった。
「世譜によれば、正しく、朕の皇叔にあたることになる。──知らなかった。実に今日まで、夢にも知らなかった。朕に、玄徳のごとき皇叔があろうとは」
と、帝のおよろこびはひととおりでない。御涙さえ流して、邂逅の情を繰り返された。
改めて、叔甥の名乗りをなし、帝は慇懃礼をとって、玄徳を便殿へ請じられた。そして曹操も交えて酒宴を賜わった。
帝はいつになく杯を重ねられ、龍顔は華やかに染められた。こういう御気色はめずらしい事と侍側の人々も思った。──知らず、玄徳を見て、帝のお胸に、どんな灯が点ったであろうか。
ここ許昌の都に、朝廷を定められて以来、本来ならば、王道の隆昌と漢家の復古を、万民と共に、祝福して、帝の御気色をうるわしくしなければならないのに、侍従の人々が見るところでは、さはなくて、帝にはむしろ快々と何か常に楽しまぬ御容子に察しられた。一日とて、憂暗なお眸の清々と晴れていたことはない。
「それなのに、今日ばかりは、何という明るい御微笑だろう?」
と侍従たちにも怪しまれるほど、その日の宴は、帝にも心から御愉快そうであった。
帝の特旨に依って、玄徳は、左将軍宜城亭侯に封ぜられた。
また、それ以来、朝野の人々も、玄徳をよぶのに『劉皇叔』と敬称した。
──が、ここに、当然、彼の擡頭をあまりよろこばない一部の気運も醸されてきた。
それは、丞相府にあって、軍力政権ふたつながら把握している曹操が股肱──荀彧などの諸大将だった。
「承れば、天子には、玄徳を尊んで、叔父となされ、御信任も並ならぬものであるとか。...‥将来、丞相の大害と成るを、密かに皆憂えていますが」
と、ある時、荀彧や劉曄が、そっと曹操に関心をうながすと、曹操は打ち笑って、
「予と玄徳とは、兄弟もただならぬ間柄だ。なんで、予の害になろう」と、取り合わなかった。
「いや、丞相のお心としてはそうでしょうが、つらつら玄徳の人物を観るに、まことに、彼は一世の英雄にちがいありません。いつまで、丞相の下風についているか知れたものではない。親しき仲にも、特に、用心がなくては叶いますまい」
劉曄も切に注意した。
曹操は、なお、度量の大を示すように、笑い消して、
「好もまた、交わる事三十年。悪しきもまた、交わること三十年。好友悪友も、根元は、わが心の持ち方にあろう」と、意に介る風もなかった。
そして彼と玄徳との交わりは、日を趁うほど親密の度を加え、朝に出るにも車を共にし、宴楽するにも、常に席を一つにしていた。
三
一日。
相府の一閣に、程昱が来て、曹操とふたりきりで、密談していた。
程昱は、野心勃々たる彼が腹心のひとりである。しきりに天下の事を論じたあげく、
「丞相。もはや今日は、為すべき事を為す時ではありませんか。何故、猶予しおられるのですか」
と、難詰った。
曹操は、そら嘯いて、
「為す事とは?」と、わざと反問した。
「覇道の改革を決行することです。──王道の政治廃れてもはや久しく、天下は紊れ民心は飽いています。覇道独裁の強権が布かれることを世間は待望していると思います」
程昱の言う裏には、明らかに朝廷無視の叛意がふくまれている。──が、曹操は、それを否定もせず、窘めもしなかった。
「まだ、早い」
と言っただけである。
程昱がかさねて、
「しかし、今、呂布も亡んで、天下は震動しています。雄略胆才もみな去就に迷い、紛乱昏迷の実情です。この際、丞相が断乎として、覇道を行なえば......」
と、なお言いかけると、曹操は細い鳳眼を刮とひらいて、
「滅多なことを口外するな、朝廷にはまだまだ股肱の旧臣も多い。機も熟さぬうち事を行なえば自ら害を招くような結果を見よう」と、声をもって、彼の声を抑えつけた。
けれど曹操の胸に、すでにこの時、人臣の野望以上のものが、芽を萌していたことは争えぬ事実だった。──彼は、程昱に口を緘ませて、自分もしばらく沈思していたが、やがて血色の醒めた面をあげ、常のごとき細い眸に熒々たる光をひそめながら独りつぶやいた。
「そうだ。ここ久しく戦に忙しく、狩猟に出たこともない。天子を許田の猟に請じて、ひとつ諸人の向背を試してみよう」
急に、彼は思い立った。──即ち犬や鷹の用意をして、兵を城外に調え、自身宮中に入って、帝へ奏上した。
「許田へ行幸あって、親しく臣等と共に狩猟をなされてはいかがですか。清澄な好日つづきで、野外の大気もひとしおですが」
帝は、お顔を振って、
「猟へ出よとか。田猟は聖人の楽しみとせぬところ。朕も、それ故に、猟は好まぬ」
「いや、聖人は猟をしないかもしれませんが、いにしえの帝王は、春は肥馬強兵を閲、夏は耕苗を巡視し、秋は湖船を泛べ、冬は狩猟し、四時郊外に出て、民士の風に親しみ、かつ武威を宮外に示したものです。畏れながら、常々、深宮にのみ御座あっては、陛下の御健康もいかがかと、臣等もひそかに案じられてなりません。──かたがた、天下はなはだ多事の折でもあり、陛下のみならず公卿たちも、稀には、大気に触れ、心身を鍛え、宏闊な気を養うことが刻下の急務かと考えられますが」
帝は、拒むお言葉を知らなかった。曹操の実力と強い性格とは、形や言葉でなく、何とはなしに帝を威圧していた。
「......では、いつか行こう」
お気のすすまない容子ながら、帝は、行幸を約束された。何ぞ知らん、すでに兵車の用意は先に出来ていたのである。帝は、曹操の我意に、人知れず、眉を震わせられたが、ぜひなく、
「さらば、劉皇叔も、供して参れ」
と、にわかに
詔して、
御手に
彫弓、
金
箭をたずさえ、
逍遙馬に召されて宮門を出られた。
今朝方から、曹操の兵が城外におびただしく、禁門の出入りも何となく常と違うので、早くから衛府に詰めていた玄徳は、それと見るや、自身、逍遙馬の口輪を把って、帝のお供に従った。
関羽、張飛、その余の面々も、弓をたばさみ、
戟を
擁し、玄徳と共に、
従の列に加わった。
四
御猟の供は十万余騎と称えられた。騎馬歩卒などの大列は、蜿々、宮門から洛内をつらぬき、群星地を流れ、彩雲陽を繞って、街々には貴賤老幼が、蒸されるばかりに蝟集していた。
「あれが、劉皇叔よ」
などと、警蹕のあいだにも、囁く声が流れる。
この日。
曹操は、「爪黄飛電」と名づける名馬に跨がって、狩装束も華やかに、ひたと天子のお側に寄り添っていた。
その曹操が前後には、彼の股肱とする大将旗下が各各武器をたずさえ、豪歩簇擁、尺地も余さぬばかり続いて行くので、朝廷の公卿百官は、帝の側近くに従うこともできなかった。はるか後ろの方からはなはだ手持ち不沙汰な顔を揃えて歩いていた。
かくて御料の
猟場に着くと、
許田二百余里(支那里)のあいだを、十万の
勢子でかこみ、天子は、
彫弓金
箭を御手に、
駒を野に立てられ、玄徳を顧みて
宣うた。
「皇叔よ。今日の猟を、朕のなぐさみと思うな。朕は、皇叔が楽しんでくれれば共に欣しかろう」
玄徳は、恐懼して、
「畏れ多いことを」
と、馬上ながら、鞍の前輪に顔のつくばかり、拝伏した。
ところへ、勢子の喊声に趁われて、一匹の兎が、草の波を跳び越えて来た。
帝は、眼ばやく、
「獲物ぞ。あれ射て猟れ」
と、早口に言われた。
「はっ」
と、玄徳は、馬を跳ばして、逃げる兎と、併行しながら、弓に矢をつがえてぴゅっんと放した。
白兎は、矢を負って、草の根にころがった。帝は、その日、朝門を出御ある折から、始終、鬱ぎがちであった御眉を、初めてひらいて、
「見事」
と、玄徳の手際を賞し、
「かなたの丘を巡ろうか。皇叔、朕がそばを離れないでくれよ」
と堤の方へ、先に駒をすすめて行かれた。
すると、
一叢の
荊棘の中から、不意にまた、一頭の
鹿が躍り出した。帝は手の彫弓に金

箭をつがえて、
はッしと射られたが、矢は鹿の角を
掠めて
外れた。
「あな惜しや」
二度、三度まで、矢をつづけられたが、あたらなかった。
鹿は、堤から下へ逃げて行ったが、勢子の声に愕いて、また跳ね上がって来た。
「曹操、曹操っ、それ射止めてよ」
帝が急き込んで叫ばれると、曹操はつと馳け寄って、帝の御手から弓矢を取り、それを番えながら爪黄馬を走らすかと見る間に、ぶんと弦鳴させて射放った。
金

箭は飛んで鹿の背に深く刺さり、鹿は
箭を負ったまま百間ばかり
奔って倒れた。
公卿百官を始め、下、将校歩卒にいたるまで、金

箭の立った獲物を見て、いずれも、帝の射給うたものとばかり思いこんで、異口同音に万歳を唱えた。
万歳万歳の声は、山野を圧して、しばし鳴りも止まないでいると、そこへ曹操が馬を飛ばして来て、
「射たるは、我なり!」
と、帝の御前に立ち塞がった。
そして彫弓金

箭を
諸手にさしあげ、群臣の万歳を、あたかも自身に受けるような態度を取った。
はっと、諸人みな色を失い興をさましてしまったが、特に、玄徳のうしろにいた関羽のごときは、眼を張り、眉をあげて、曹操の方をくゎっとにらめつけていた。
五
その時、関羽は、
「人も無げな曹操の振る舞い、帝をないがしろにするにも程がある!」
と、口にこそ発しなかったが、怒りは心頭に燃えて、胸中の激血は熄みようもなかったのである。
無意識に、彼の手は、剣へかかっていた。玄徳ははっとしたように、身を移して、関羽の前に立ち塞がった。そして手をうしろに動かし、眼をもって、関羽の怒りを宥めた。
ふと、曹操の眸が、玄徳のほうへうごいた。玄徳は咄嗟に、ニコと笑みをふくんでその眼に応えながら、
「いや、お見事でした。丞相の神射には、おそらく及ぶ者はありますまい」
「はははは」
曹操は高く打ち笑って、
「お褒めにあずかって面映ゆい。予は武人だが、弓矢の技などは元来得手としないところだ。予の長技は、むしろ三軍を手足のごとくうごかし、治にあっては億民を生に安からしめるにある。──さるを奔る鹿をもただ一矢で斃したのは、是、天子の洪福というべきか」
と、功を天子の威徳に帰しながら、暗に自己の大なることを自分の口から演舌した。
それのみか、曹操は、忘れたように、帝の
彫弓金
箭を
手挾んだまま、天子に返し奉ろうともしなかった。
猟が終わると、野外に火を焚き、その日、獲たところの鳥獣の肉を焙って、臣下一統に酒を賜わったが、何となく公卿百官のあいだには、白けた空気がただよって、そこに一抹の暗影を感じないわけにはゆかなかった。
やがて、帝には還御となる。
玄徳も洛中に帰った。その後、彼は一夜ひそかに、関羽を呼んで、
「いつぞやの御狩の節、何故、曹操に対して、あのような眼ざしを向けたか。だれも気づかぬ様子であったからよいが、近ごろ、其方にも似合わぬ矯激な沙汰ではないか」
と、戒めた。
関羽は、頭を垂れて、神妙に叱りをうけていたが、静かに面をあげて、
「ではわが君には、曹操のあの折の態度に、何の感じもお抱きになりませんでしたか」
「そんなこともないが」
「私はむしろ、わが君が、何で私を制止されたか、お心を疑うほどです。この許昌の都に親しく留まって以来、眼にふれ耳に聞こえるものは、ことごとく曹操の暴戻なる武権の誇示でないものはありません。彼は決して、王道を衛る武臣の長者とはいえぬ者です。覇気横溢のまま覇道を行なおうとする奸雄です。その野心をはや露骨にして、公卿百官を始め、十万の将士を前に、上を冒し奉り、上を立ちふさいで、自身が臣下の万歳をうけるなどという思い上がった態を見ては、余人は知らず、関羽は黙視しておられません。......たとえいかようなお咎めをうけるとも、関羽には忍び難うて、この身がふるえます」
「もっともな事だ......」
玄徳は、うなずいた。幾たびも同感のうなずきを見せた。
「──だが関羽。ここは深慮すべき秋ではないか。鼠を殺すのに、手近な器物を投げつけるとする。鼠の価値と、器物の価値とを考え合わす必要があろう。われ等、義兄弟の生命は、そんな安価なものではないはずだ。もしあの折、仮にそちが目的を仕遂げたところで、彼には十万の兵と無数の大将がひかえている。われ等も共に許田の土と化さねばなるまい。そしてまたまた大乱のうちから、次の曹操が現われたら何にもならない事になるではないか。──張飛なら知らぬこと、其方までがそんな短慮では困る。夢、ことばの端にも、そんな激色を現わしてはならぬ」
諄々と説かれて、関羽はかえすことばもなかった。
しかし彼は、独り星夜の外に出ると、長嗟して、天へ語った。
「今日、あの奸雄を刺さなければ、やがて明日の禍となるは必定だ。誓って言う! 天下の乱兆は、更に、曹操が生きてゆくほど大になろう!」
秘勅を縫う
一
禁苑の禽は啼いても、帝はお笑いにならない。
簾前に花は咲いても、帝のお唇は憂いをとじて語ろうともせぬ。
きょうも終日、帝は、禁中の御座所に、物思わしく暮らしておわした。
三名の侍女が夕べの燭を点じて去る。
なお、御眉の陰のみは暗い。
伏皇后は、そっと問われた。
「陛下、何をそのように御宸念を傷めておいで遊ばしますか」
「朕の行く末は案じぬが、世の末を思うと、夜も安からず思う。......哀しい哉、朕はそも、いかなれば、不徳に生まれついたのであろう」
はらはらと、落涙されて、
「──朕が位に即いてから一日の平和もなく、逆臣のあとに逆臣が出て、董卓の大乱、李傕、郭汜の変と打ちつづき、ようやく都をさだめたと思えば、またも曹操が専横に遭い、事ごとに、廟威の失墜を見ようとは......」
共にすすり哭く伏皇后の白い御頸に、燭は暗くまたたいた。
「政治は朝廟で議するも、令は相府に左右される。公卿百官はおるも、心は曹操の一顰一笑のみ怖れて、また、宮門の直臣たる襟度を持しておる者もない。──朕においてすら、身は殿上にあるも、針の氈に坐しているここちがする。──ああ、いつの日、この虐げと辱とからのがれる事ができるであろう。漢室四百余年の末、今ははや一人の忠臣もないものか、──朕が身を嘆くのではないぞ。朕は、末世をかなしむのである」
すると、
御簾のかなたにだれやら沓の音がした。帝も皇后もはっとお口をとじた。──が、幸いに案じた人ではなかった。伏皇后の父の伏完であった。
「陛下、お嘆きは、御無用でございます。ここに伏完もおりまする」
「皇父。......御身は、朕が腹中のことを知って、そう言わるるのか」
「許田に鹿を射る事──たれか朝廷の臣として、切歯しない者がありましょう。曹操が逆意は、すでに、歴歴といえまする。あの日、彼があえて、主上を僭し奉って、諸人の万歳をうけたのも、自己の勢威を衆に問い、自己の信望を試みてみた奸策に紛れなしと、わたくしは見ておりました」
「皇父。ひそかに申せ。禁中もことごとく曹操の耳目と思ってよいほどであるぞ」
「お案じ遊ばしますな。こよいは侍従宿直も遠ざけて、わずか忠良な者だけが遠く居るに過ぎませんから」
「では、そちの意中をまず訊こう」
「臣の身がもし陛下の親しい国戚でなかったら、いかに胸にある事でも、決して口外はいたしません」と伏完はここに初めて、曹操調伏の意中を帝に打ち明け、帝もまた、お心をうごかした。
「──が、いかにせむ、臣はもはや年も衰え、威名もありません。今、曹操を除くほどな者といえば、車騎将軍の董承しかないと思います。董承をお召しあって、親しく密詔を降し給わば必ず御命を奉じましょう」
事は、重大である。秘中の秘を要する。
──が、深く思いこまれた帝は自ら御指をくいやぶって、白絖の玉帯へ、血しおをもって詔詞を書かれ、伏皇后にお命じあって、それに紫錦の裏をかさね、針の目もこまかに玉帯の芯に縫いこんでしまわれた。
二
次の日、帝は、ひそかに勅し給うて、国舅の董承を召された。
董承は、長安このかた、終始傍に仕えてあの大乱から流離のあいだも、よく朝廷を護り支えて来た御林の元老である。
「何ごとのお召しにや?」と、彼は急いで参内した。
帝は、彼に仰せられた。
「国舅、いつも体は健やかにあるか」
「聖恩に浴して、かくのごとく、何事もなく老いを養っております」
「それは何よりもめでたい。実は昨夜、伏皇后と共に、長安を落ちて、李傕、郭汜などに追われた当時の苦しみを語りあい、そちの功労をも思い出して涙したが、考えてみると、今日まで、御身にはさしたる恩賞も酬わで過ぎた。──国舅、この後とも、朕が左右を離れてくれるなよ」
「もったいない御意を......」
董承は、恐懼して、身の措くところも知らなかった。
帝はやがて董承を伴って、殿廊を渡られ、御苑を逍遙して、なお、洛陽から長安、この許昌と、三度も都を遷したあいだの艱難を何かと語られて、
「思うに、いくたびか、存亡の淵を経ながらも、今日なお、国家の宗廟が保たれていることは、ひとえに、御身のような忠節な臣のあるおかげだ」
と、しみじみ言われた。
玉歩は、更に、彼を伴ったまま大廟の石段を上られて行った。帝は、大廟に入ると、直ちに功臣閣にのぼり、自ら香を焚いて、その前に三礼された。
ここは漢家歴代の祖宗を祠ってある霊廟である。左右の壁間には、漢の高祖から二十四代にわたる世々の皇帝の肖像が画かれてあった。
帝は、董承にむかって、
「国舅──。朕が先祖は、いずこから身をおこして、この基業を建て給うたか。朕が学問のために、由来を述べられい」と、襟を正して下問された。
董承は、愕き顔に、
「陛下。臣に、いささか、おたわむれ遊ばすか」と、身をすくめた。
帝は、ひとしお厳粛に、
「聖祖の御事。かりそめにも、たわむれようぞ。すみやかに説け」
董承はやむなく、
「高祖皇帝におかれましては、
泗上の
亭長に身を起こしたまい、三尺の剣を提げて、
白蛇を
蕩山に
斬り、義兵をあげて、乱世に縦横し、三年にして
秦をほろぼし、五年にして
楚を平らげ、大漢四百年の治をひらいて、万世の
基本をお建て遊ばされたことは、臣が改めて申しあげるまでもなく、
児童走卒といえども
弁えぬはございません」
と、述べた。
帝は、自責して、さんさんと御涙をたれられた。
「......陛下。何をそのようにお嘆きあそばすか」
董承が、畏る畏る伺うと、帝は嘆息して言われた。
「今、御身の説かれたような先祖をもちながら、子孫には、朕のごとき懦弱なものが生まれたかと思うて、朕は朕の身をかなしむのである。......国舅、更に説いて、朕に訓えよ。してまた、その高祖皇帝の画像の両側に立っている者は、どういう人物であるか」
何か深い叡慮のあることとは、董承にもはや察しられたが、帝のあまりにもきびしい御眼ざしに身も硬ばって、彼はにわかに唇もうごかなかった。
三
壁の画像をさして、帝は、重ねて董承の説明を求められた。──高祖皇帝の両側に侍せるはそもいかなる人か、と。
董承は謹んで答えた。
「上は張良。下は蕭何であります」
「うム。して張良、蕭何のふたりは、どういう功に依って高祖のかたわらに立つか」
「張良は、籌を帷幄の中にめぐらして、勝を千里の外に決し、蕭何は国家の法をたてて、百姓をなずけ、治安を重くし、よく境防を守り固めました。高祖もつねにその徳を称せられ、高祖のおわすところ必ず二者侍立しておりましたとか。──故に後代ふたりをもって建業の二功臣とあがめ、高祖皇帝を画けば、必ずその左右に、張良、蕭何の二忠臣を書くこととなったものでありましょう」
「なるほど、二臣のような者こそ、真に、社稷の臣というのであろうな」
「......はっ」
董承は、ひれ伏していたが、頭上に帝の嘆息を聞いて、何か、責められているような心地に打たれていた。
帝は、突然、身をかがめて董承の手をおとりになった。はっと、董承が、恐懼して、うろたえを感じていると、低い御声に熱をこめて、
「国舅。御身も今からはつねに、朕が側らに立って、張良、蕭何のごとく勤めてくれよ」
「畏れ多い御意を」
「否とか」
「滅相もない。ただ、臣の駑才、何の功もなく、いたずらに侍側の栄を汚すのみに終わらんことを懼れまする」
「いやいや、往年長安の大乱に、朕が逆境に浮沈していたころから卿のつくしてくれた大功は片時も忘れてはいない。何をもって、その功にむくいてよいか」
帝は、そう宣いながら、親ら上の御衣を脱いで、玉帯をそれに添え、御手ずから董承に下賜された。
董承は、あまりの冥加に、ややしばし感泣していた。そして拝受した御衣玉帯の二品をたずさえ、間もなく宮中から退出した。
すると、早くも。
この日、帝と董承の行動は、もう曹操の耳に知れていた。だれか密報した者があったにちがいない。曹操は聞くと、
「さては? ......」と、針のような細い目を熒々と一方に向けて、猜疑の唇を嚙んでいた。
思いあたる何ものかがあったとみえる。曹操はにわかに車や供揃えを命じ、慌ただしく宮門へ向かって参内して来た。
禁衛の門へかかると、
「帝には、今日、どこの台閣においで遊ばすか」
と、家臣をして、衛府の吏に問わせた。
「ただ今、大廟に詣でられて、功臣閣へおのぼりになっておられます」
と、聞くと、曹操は、さてこそと言わぬばかりな面持ちで、宮門の外に車を捨て、足の運びも忙しげに、禁中へ進んで行った。
──と。折も折。
南苑の中門まで来ると、ちょうど今、かなたから退出して来る董承とぱったり出会ってしまった。
董承は、曹操のすがたを見かけると、ぎょッと顔色を変えた。抱えていた恩賜の御衣と玉帯を、あわてて、袂で蔽いかくしながら、苑門の傍らに身を避けていた。
四
董承は体のふるえが止まらなかった。生きたそらもなく佇んでいた。
「おう、国舅。はや御退出か?」
曹操は、声をかけながら、歩み寄って来た。
ぜひなく董承も、
「これは
丞相でしたか。いつも
御機
よく、何よりに存じます」
さりげなく会釈を返すと、曹操は、口辺に微苦笑をたたえながら、
「──時に、国舅には、今日、何事の御出朝であるか?」
と、訝るような眼を露骨に向けて訊ねた。
「はっ、実は......」
と、董承は答えもしどろもどろに、
「天子のお召しに応じて、何事かと、参内いたしましたところ、思いがけなく、錦の御衣と玉帯とを賜わり、天恩のかたじけなさに、実は、気もそぞろに、私第へ退って参ったところです」
「ほう。......天子より御衣玉帯を賜わられたとか。それは近ごろ、御名誉なことではある。しかし、何の功があって、さような栄に浴されたかな」
「往年、長安から御遷都のみぎり、不肖、身をもって賊徒を防ぎ奉った功労を、特に思し召されて」
「何。あの時の恩賞を今ごろ? ......。さりとは遅いお沙汰ではあるが、陛下の御衣玉帯を親しく賜わるなどは、例外な特旨。何しても御名誉この上もないことだ」
「徳うすく功も乏しき微臣に、まったく冥加に余ることと感泣しております」
「さもあろう。曹操なども、少しあなたにあやかりたいものだ。その御衣と玉帯を、ちょっと、予に見せて給わらぬか」
曹操は手を出して迫った。そして董承の顔色を読むようにじっと見るのであった。董承は、踵の下から全身に慄えの走るのをどうしようもなかった。
──今日、功臣閣での帝の御気色といい、その折の意味ありげなおことばといい、董承は、ただ事ではないと恐察していた。もしや賜わった御衣玉帯のうちに、密詔でも秘め置かれてあるのではないか? ──と、何となく、危ぶみ惧れていたので、曹操のするどい眼に迫られると、とたんに彼は背に冷や汗をながしたのである。
「見せ給え」
曹操にせがまれて、彼は、ぜひなく御衣玉帯をその手に捧げた。
曹操は無造作に、御衣をぱらりと展げて、陽にかざした。そして自分の体に重ね著して玉帯を掛け、左右の臣をかえりみて、
「どうだ、似合うか」と、たずねた。
だれも笑えなかった。
「似合うだろう。これはいい」
曹操は独り笑い興じながら、
「国舅、これは予に所望させ給え。何か代わりの礼はする故、曹操に譲ってくれい」
「とんでもない事です。ほかならぬ恩賜の品。差し上げるわけにはゆきません」
董承が容を改めて言うと、
「しからば、何かこの裡に、帝と国舅のあいだに謀略が秘めてあるのではないか」
「そうお疑いになればぜひもありません。御衣も玉帯も、献じましょう」
「いや冗談だよ」
曹操は急に打ち消して、
「なんで猥りにひとの恩賜を、予が横奪りしよう。戯れてみたに過ぎん」
と、二品を返して、宮殿の方へ足早に立ち去ってしまった。
油情燈心
一
「ああ危なかった」
虎口をのがれたような心地を抱えて、董承はわが邸へいそいだ。
帰るとすぐ、彼は一室に閉じこもって、御衣と玉帯を検めてみた。
「はてな、何物もないが?」
なお、御衣を振い、玉帯の裏表を調べてみた。しかし一葉の紙片だに現われなかった。
「......自分の思い過ごしか」
畳み直して、恩賜の二品を、卓の上においたが、何となく、その夜は眠れなかった。
二品を賜わる時、帝は意味ありげに、御眼をもって、何事か、暗示された気がする。──その時の帝のお顔が瞼から消えやらぬのであった。
それから四、五日後のことである。董承はその夜も卓に向かって物思わしく頰杖ついていた。──と、いつのまにか、疲れが出て、うとうとと居眠っていた。
折ふし、傍らの燈火が、ぽっと仄暗くなった。洩れ来る風にまたたいて丁子頭がポトリと落ちた。
「............」
董承はなお居眠っていたが、そのうちに、ぷーんと焦げくさい匂いが鼻をついた。愕いて眼をさまし、ふと、見まわすと、燈心の丁子が、そこに重ねてあった玉帯のうえに落ちて、いぶりかけていたのであった。
「あ......」
彼の手は、あわてて揉み消したが、龍の丸の紫金襴に、拇指の頭ぐらいな焦げの穴がもうあいていた。
「畏れ多いことをした」
穴は小さいが、大きな罪でも犯したように、董承は、すっかり
睡気もさめて、凝視していたが、──見る見るうちに、彼のひとみはその焦げ穴へ更にふたたび火をこぼしそうな

きを帯びてきた。
玉帯の中の白絖の芯が微かに窺えたのである。それだけならよいが、白絖には、血らしいものが滲んでいる。
そう気がついて、つぶさに見直すと、そこ一尺ほどは縫い目の糸も新しい。──さては、と董承の胸は大きく波搏った。
彼は小刀を取り出して、玉帯の縫い目を切りひらいた。果たして、白絖に血をもって認めた密詔があらわれた。
董承は、火を剪って、敬礼をほどこし、顫く手に読み下した。
朕聞ク。
人倫ノ大ナルハ、父子ヲ先トシ、尊卑ノ殊ルハ、君臣ヲ重シトスト。
近者。──曹賊出テヨリ閣門濫叨シ、輔佐ノ実ナク、私党結連、朝綱タチマチ敗壊ス。
勅賞封罰ミナ朕ガ胸ニアラズ。
夙夜、憂思シテ恐ル、マサニ天下危ウカラントスルヲ。
卿ハ乃チ国ノ元老、朕ガ至親タリ。高祖ガ建業ノ艱ヲ念イ、忠義ノ烈士ヲ糾合シ、姦党ヲ滅シ、社稷ノ暴ヲ未萌ニ除キ、モッテ祖宗ノ治業大仁ヲ万世ニ完カラシメヨ。
愴惶、指ヲ破ッテ詔ヲ書キ、卿ニ付ス。再四慎ンデ之ニ負クコトアル勿レ。
建安四年春三月詔
「............」
涙は滂沱と血書にこぼれ落ちた。董承は俯し拝んだまましばし面もあげ得なかった。
「かほどまでに。......何たる、おいたわしいお気づかいぞ」
同時に、彼はかたく誓った。この老骨を、さほどまで恃みに思し召すからには、何で怯もうと、何で、余命を惜しもうと。
しかし、事は容易でない。
彼は血の密詔を、そっと袂に入れて、書院のほうへ歩いて行った。
二
侍郎王子服は、董承の無二の親友であった。朝廷に仕える身は、平常外出も自由でないが、その日、小暇を賜わったので、日ごろむつまじい董承のやしきを訪れ、家族の中に交って、終日、奥で遊んでいた。
「御主人はどうしましたか」
夕方になっても、董承が顔を見せないので、王子服は、すこし不平そうにたずねた。
家族のひとりが答えて、
「奥にいらっしゃいますけれど、先日から調べ物があるとおっしゃって引き籠ったきり、どなたにもお会いしない事にしております」と、言った。
「それは、変だな。一体、何のお調べ事ですか」
「何をお調べなさるのか、私たちにはわかりませんが」
「そう根気をつめては、お体にも毒でしょう。小生が参って、みんなと共に、今夜は笑い興じるようにすすめて来ましょう」
「いけません。王子服様、無断で書斎へ行くと怒られますよ」
「怒ったってかまいません。親友の小生が室を窺ったと言って、まさか絶交もしやしないでしょう」
自分の家も同様にしている王子服なので、家人の案内もまたず主人の書院の方へ独りで通って行った。家族たちも、ちょっと困った顔はしたものの、ほかならぬ主人の親友なので、晩餐の支度にまぎれたまま打ち捨てておいた。
主人の董承は、先ごろから書院に閉じこもったきり、どうしたら曹操の勢力を宮中から一掃することができるか、帝の御宸襟を安んじて御期待にこたえることができようか。朝念暮念、曹操を亡ぼす計策に腐心して、今も、書几に倚って思い沈んでいた。
「......おや。居眠っておられるのか?」
そっと、室を窺った王子服は、そのまま彼のうしろに立って、何を肘の下に抱いているのかと、書几の上をのぞいてみた。
血で書いた白絖の文のうちに「朕」という文字がふと眼にうつった。王子服が、はっとしたとたんに、董承は、だれやら背後に人のいる気はいを感じて、何げなく振り向いた。
「あっ、君か」
びっくりしたように、彼はあわてて几上の一文を袂の下に蔵いかくした。王は、それへ眼をとめながら、
「──何ですか、今のは?」と軽く追求した。
「いや、べつに......」
「たいそうお疲れのようにお見うけされますが」
「ちと、ここ毎日、読書に耽っているのでな」
「孫子の書ですか」
「えっ?」
「おかくしなすってもいけません。お顔色に出ています」
「いや、疲労じゃよ」
「そうでしょう、御心労もむりはない。まちがえば、朝門は壊え、九族は滅され、天下の大乱ですからな」
「げっ......。君は。......君はいったい、何を戯れるのじゃ」
「国舅、もし小生が、曹操のところへ、訴人に出たらどうしますか」
「訴人に?」
「そうです。小生は今日まで、あなたとは刎頸の交わりを誓って来たものとのみ思っていました。──ところが、何ぞ知らん、あなたは小生に水くさい秘し事を抱いておいでになる」
「............」
「無二の親友と信じて来たのは、小生だけのうぬ惚れでした。訴人します。──曹操のところへ」
「あっ、待ち給え」
董承は、彼の袖をとらえ、眼に涙を泛べて言った。
「もし御辺がそれがしの秘事を覚って、曹操へ訴え出るなら、漢室は滅亡するほかない。君も累代漢室の御恩をこうむった朝臣のひとりではないか。......どんな親密な仲であろうと、友への怒りは私怨である。君は、私怨のために大義を忘れるような人ではなかったはずだが」
三
親友であるが、相手の答えによっては、刺し交えて死なんともするような董承の血相であった。王子服は静かに笑って、
「安んじて下さい。小生とても、なんで漢室の鴻恩を忘れましょうや。今いったのは戯れです。──だが、尊台が大事を秘すのあまり、小生にもかくして、ただお独りで憂い窶れておられる事は、親友として不満でなりません」と、言った。
董承は、ほっと、胸をなでおろしながら、彼の手をいただいて額に拝し、
「ゆるし給え。決して君の心を疑っていたわけではないが、まだ自分は明らかな計策がつかないので、数日、混沌と思い煩っていたわけです。──もし君も力をかして、わが大事に与してくれれば、それこそ天下の大幸というものだが」
「およそ貴憂は察しています。願わくば、一臂の力をお扶けして、義を明らかにしてみせましょう」
「ありがとう。今は何をかくそう。すべてを打ち明ける。うしろの

をしめてくれたまえ」
董承は襟を正した。そして彼に示すに、帝の血書の密詔をもってし、声涙共にふるわせながら、意中を語り明かした。
王子服も、ともども、熱涙をうかべて、しばし燭に面をそむけていたが、やがて、
「よく打ち明けてくださいました。よろこんで義に与します。誓って、曹操を討ち、帝のおこころを安んじましょう」と、約した。
そこで二人は、密室の燭を剪って、改めて義盟の血をすすりあい、後、一巻の絹を取り出して、まずそれに董承が義文を認めて署名する。次に、王子服も姓名を書き載せて、その下に血判した。
「これで、君もわれとの義盟にむすばれたが、なお、よい同志はないであろうか」
「あります。将軍呉子蘭は、小生の良友ですが、特に忠義の心の篤い人物です。義をもって語れば、必ずお力となりましょう」
「それは頼もしい。朝廟にも校尉种輯、議郎呉碩の二人がある。二人とも漢家の忠良だ。吉い日をはかって、打ち明けてみよう」
夜も更けたので、王子服はそのまま泊まってしまった。そして翌る日も、主人の書斎で何事か密かに話しこんでいたが、午ごろ、召使いがそこへ来客の刺を通じた。
「うわさをすれば影。よいところへ」と、董承は手を打った。
「だれですか、お客は」
王子服がたずねると、
「ゆうべ君にもはなした宮中の議郎呉碩と校尉种輯じゃよ」
「連れ立って来たのですか」
「そうじゃ。君もよく知っているだろう」
「朝夕、宮中で会っています。──が、両名の本心を見るまで、小生は屛風の陰にかくれていましょう」
「それがいい」
客の二人は召使いの案内で通されて来た。
董承は出迎えて、
「やあ、ようお越し下すった。きょうは徒然のあまり読書に耽っていたところ、折からの御叩門、うれしいことです」
「読書を。それは折角の御静日を、お邪魔いたしましたな」
「何、書にも倦んでいたところじゃ。しかし史はいつ読んでもおもしろいな」
「春秋ですか。史記ですか」
「史記列伝を」
「時に」と、呉碩が、はなしの穂を折って、唐突に言い出した。
「先ごろの御猟の日には、国舅もお供なされておりましたね」
「むむ、許田の御猟か」
「そうです。あの日、何かお感じになったことは御座いませんか」
計らずも、自分の問おうとするところを、客の方から先に訊ねられたので、董承はハッと眉をあらためた。
四
......だがなお、相手の心は推し測れない。人のこころは読み難い。
董承はふかく用心して、
「いや、許田の御猟は、近来の御盛事じゃったな。臣下のわれわれも、久しぶり山野に鬱を散じて、寔に、愉快な日であった」
さりげなく答えると、呉碩、种輯のふたりは、改まって、
「それだけですか」と詰問るように言った。
「──愉快な日であったとは、国舅の御本心ではありますまい。われわれはむしろ今も痛恨を胆に銘じております。──なんで愉快な日であるものか。許田の御猟は、漢室の恥辱日です」
「なぜかの......」
「なぜかとお問いなさいますか。では国舅には、あの日の曹操の振る舞いを、その御眼に、何とも思わず御覧なさいましたか」
「......すこし、声をしずかにし給え。曹操は、天下の雄、壁に耳ありのたとえ、もしそのような激語が洩れ聞こえたら」
「曹操がなんでそんなに怖ろしいのですか。雄は雄にちがいありませんが、天の与さぬ奸雄です。われ等、微力といえども、忠誠を本義とし、国家の宗廟を護る朝廷の臣から見れば、何等、怖るるに足る賊ではありません」
「卿等は、そんな事を、本心から言わるるのか」
「もとよりこんな事は、戯れに口にする問題ではありますまい」
「だが、いかに痛恨してみても、実力のある曹操をどうしようもあるまいが」
「正義が味方です。天の加護を信じます。密かに、時を待って、彼の虚をうかがっていれば、たとい喬木でも、大廈高楼でも、一挙の義風に仆せぬことはありますまい。......実は、今日こそ、国舅のお胸を叩いて、真実の底をうかがいたいものと、ふたりして伺った次第です」
「............」
「国舅、あなたは先日、ひそかに帝のお召しをうけ、
大廟の功臣閣にのぼられて、その折何か、
直々に、特旨をおうけ遊ばしたでございましょうが。......御隔意なく打ち明けてください。われわれとて、累代、漢の
禄を

んで来た朝臣です」
この少壮な宮中の二臣は、つい声が激してくるのを忘れて、董承へ問い迫っていた。
──と、さっきから屛風のうしろに潜んでいた王子服は、ひらりと姿を現わして、
「曹丞相を殺さんとなす謀叛人ども、そこをうごくな。すぐ訴人してこれへ相府の兵を迎えによこすであろう」と、大喝した。
种輯、呉碩のふたりは、驚きもしなかった。冷ややかに王子服を振り向いて、
「忠臣は命を惜しまず、いつでも一死は漢にささげてある。訴人するならいたしてみろ」
と、剣に手をかけて、彼が背を見せたら、うしろから、一撃に斬って捨てん──とするかのような眼光で答えた。
王子服と董承は、
「いや、お心のほど、確と見とどけた」
と、同時に言って、ふたりの激色をなだめた。そして改めて密室に移り、試みた罪を謝して、
「これを見給え」と、帝の血書と、義文連判の一巻とを、それへ展べた。
种輯、呉碩は、
「さてこそ」
と、血の御文を拝し、哭いて、連判に名をしるした。
折も折、そこへ、取り次ぎの家人から、
「──西涼の太守馬騰様が、本国へお帰りになるとかで、おわかれの挨拶にと、お越しになりましたが」と、告げて来た。
五
「悪いところへ」
董承は舌打ちをした。客の王子服や呉碩たちも、眉をひそめて、
「本国へ帰る挨拶に伺ったとあれば、お会いにならないわけにも行かないでしょうが」
と、主の顔を見まもった。
董承は、顔を振って、
「いや、会うまい。ふと、変に気どられまいものでもない」
あくまで要心して、取り次ぎの者に、許田の御猟からずっと病気で引き籠っているから──と丁寧に断わらせた。
だが取り次ぎの者は、何遍もそこへ通って来た。
「──病床でもよろしいからお目にかかりたいと言って、いくらお断わり申しあげても帰りません」
と、いうのである。
「──それにまた、御猟以来、御病気中とのことだが、先ごろ、宮門に参内する姿をちらりとお見かけしたほどだから、さほど御重病でもあるまいと、威猛高におっしゃって、容易にお戻りになる気色もございませんので」と、取り次ぎの家人は果ては、泣き声で訴えてくるのだった。
「しかたがない。──では、別室でちょっと会おう」
ついに、董承も根負けして、ぜひなく病態をつくろって、馬騰をべつな閣へ通した。
西涼の太守馬騰は、ぷんぷん忿りながら客院へ入って来た。そして主の顔を見るなり言った。
「国舅は、天子の御外戚、国家の大老と敬って、特に、おわかれの御挨拶に伺ったのに、門前払いとは、あまりなお仕打ちではないか。何かこの馬騰に、御宿意でもおありでござるか」
「宿意などとはとんでもない。病中故、かえって失礼と存じたまでのこと」
「それがしは、遠い辺土の国境にあって、西蕃の守りに任じ、天子に朝拝する折もめったになく、国舅とも稀にしかお目にかかれんで、押して御面会をねがったわけだが──こう打ち見るところ、さして御病中のようにも見られぬ。何故、それがしを軽んじて、門前から逐い返さんとなされたか。近ごろ心得ぬ事ではある」
「............」
「なんで御返辞もないか」
「............」
「俯向いたまま啞のごとく一言もないとは、どういうわけだ。──ああ、今まで、御身を、馬騰はひとりで買いかぶっていたとみえる」
憤然と、彼は席を立ちながら、主の沈黙へ唾するように言い捨てた。
「これも国の柱石ではない! 無用な苔ばかり生やした、ただの石塊だったか──」
董承は、彼の荒い跫音にやにわに面をあげて、
「将軍っ、待ちたまえ!」
「なんだ、苔石」
「儂を国の柱石でないとは、いかなるわけか。理由を開きたい」
「怒ったのか。怒るところを見ればこの石ころにもまだ少し脈はあると見える。──眼を凝らしてよく見よ、曹操が御猟の日に鹿を射るの暴状を。──心耳を澄ましてよく聴くがいい、ために怒る義人の血の音を」
「曹操は、兵馬の棟梁、一世の丞相、その怒りを抱いたところでどうしよう」
「ばかな!」
馬騰は眉をあげて、
「生をむさぼり、死を怕るる者とは、共に大事を語るべからず。──いや、お邪魔いたした。其許はせいぜい陽なたで贅肉をあたためて頭や腮の白い苔を養っているがよろしかろう」
すでに大股に帰りかけてゆく馬騰を追って董承は、
「待たれい。この苔石がも一言、改めておはなし致したいことがある」
と、むりに袂をひいて、奥の閣に誘い、そこで初めて董承は、密詔の事と自分の心の底を割って語った。
六
馬騰は、彼の真意を聞き、また帝の密詔を拝するに及んで、男泣きに慟哭した。彼は、遠い境外の西蕃からも、西涼の猛将軍と恐れられていたが、涙もろく、そして義胆鉄のごとき武人だった。
「お身にも、自分と同じ志があると知ったとき、この董承の胸は、血で沸くばかりじゃったが、待てしばしと、なお、無礼もかえりみず、御心底をはかっていたわけじゃ。幸いにも、将軍が協力してくれるならば、大事はもう半ば、成就したようなもの。──この連判に御身も加盟して賜わるか」
董承が言うと馬騰は、ためらいなく自分の指を口中に突っこんだ。そして舌尖に血をながし、直ちに血判して、
「もし、この都の内で、曹操に対し、あなたが大事を決行する日が来たら、それがしは必ず西涼の遠きより熢火をあげて、今日の約にお応え申さん」
言ううちにも馬騰はまなじりを裂き、髪さかだち、すでに風雲に嘯く日のすがたを憶わせるほどだった。
董承はまた改めて、王子服と、种輯、呉碩の三名をよんで、馬騰にひきあわせた。義状に血誓した同志はここに五名となったわけである。
「きょうはなんという吉日だろう。こういう日に事をすすめれば順調に運ぶにちがいない。ついでの事に王子服が、日ごろ人物を観ぬいているという呉子蘭もここへ招いて、大事を諮ってみてはどうか」
董承のことばに、人々も同意したので、王子服はすぐ駒をとばして、呉子蘭を迎えに行った。
呉子蘭も、この日、一員に加わった。同志は六名となった。
「真に心のかたい者が、十名も寄れば、大事は成るか」と、そこの密室は、やがて前途を祝う小宴となって、各々、義杯を酌み交わしながら、そんな事を談じ合った。
「そうだ......宮中の列座鴛行鷺序をとりよせて、一人一人、点検してみよう」
董承は思いついて、直ちに記録所へ使いを走らせてそれを取り寄せた。
列座鴛行鷺序というのは殿上の席次と地下諸卿にいたるまでの名をしるした官員録である。それをひらいて順々に見て行ったが、さて、人は多いが真に信頼のできる人はなかった。
すると馬騰が、
「あった! ここにただひとり人物がある」と、さけんだ。
彼の声はいくら側の者がたしなめても、常に人いちばい大きいので人々はびくびくしたが、あったと聞いて、
「だれか」と、彼の手にある一帖へ顔をあつめた。
「しかも、漢室の宗族のうちにこの人があろうとは、まさに、天佑ではないか。見たまえ、御列親のうちに予州の刺史劉玄徳の名があるではないか」
「おお......」
「爾余の十人よりも、この人ひとりを迎えれば、われわれの誓いは千鈞の重きを加えよう。......なおなお、ありがたい事には、玄徳と彼の義兄弟のあいだにも、いつかは曹操を討たんとする意志があることだ」
「それはどうしてわかりますか」
「御猟の日、傍若無人な曹賊が、帝のおん前に立ちふさがって、諸人の万歳をわがもの顔にうけた時、玄徳の舎弟関羽が、斬ッてかかりそうな血相をしておった。思うに玄徳も、機を計って、隠忍しておるに相違ない」
馬騰のことばに、董承はじめ同志の人たちは、はや黎明を望んだように、前途に意を強うした。
しかし、玄徳の人物をよく知っているだけに、彼をひき入れることは容易ではないと思った。大事の上にも大事を取ったがよかろうと、その日は立ち別れて、おもむろに好い機会を待つ事とした。
鶏 鳴
一
昼は人目につく。
董承はある夜ひそかに、密詔をふところに秘めて頭巾に面をかくして、
「風雅の友が秦代の名硯を手に入れたので、詩会を催すというから、こよいは一人で行ってくる」
と、家人にさえ打ち明けず、ただ一人驢に跨がって、玄徳の客館へ出向いて行った。
それも、ふと曹操の密偵にでも見つかって、あとを尾行られてはならぬと、日ごろ、詩文だけの交わりをしている風雅の老友を先に訪ね、わざと深更まではなしこんで、夜も三更のころ気がついたように、
「やあ、思わず今夜は、はなしに実がはいって、長座いたした。どうも詩や画のはなしに興じていると、つい時も忘れ果てて」
などと言いながら、あわててその家を辞した。
そこは郊外なので、玄徳の客舎へ来たのは、もう四更に近かった。
深夜。しかも、時ならぬ人の訪れに、
「何ごとか」と、玄徳もあやしみながら彼を迎え入れた。
が、──彼は、およそ客の用向きを察していたらしく、家僕が客院に燭をともしかけると、
「いや、奥の小閣にしよう」と、自ら董承をみちびいて、庭づたいに、西園の一閣へ案内した。
許都へ来た当座は、曹操の好意で、相府のすぐ隣の官邸を住居としてあてがわれていたが、
「ここは帝都の中心で、田舎漢の住居には、あまり晴れがましゅうござれば」
と、今のところへ引き移っていたのだった。
「何もありませんが」
と、すぐ青燈の下に、小酒宴の食器や杯がならべられた。それ等の陶器といい室の飾りといい、清楚閑雅な主の好みがうかがわれて、董承はもう、この人ならではと思いこんでいた。
四方のはなしの末に、
「時ならぬ御来駕は、何事でございますか」と、玄徳から訊ね出した。
董承はあらたまって、
「余の儀でもありませんが、許田の御猟の折、義弟関羽どのが、すでに曹操を斬ろうとしかけたのを、あなたが、そっと眼や手をもって、押し止めておいでになったが、その仔細を伺いたいと思って参上したわけです」
玄徳は、色を失った。自分の予感とちがって、さては曹操の代わりに、詰問に来たのかと思われたからである。
──が、隠すべき事でもなく、隠しようもない破目と、玄徳は心をきめた。
「舎弟の関羽は、まことに一徹者ですから、あの日、丞相のなされ方が、帝威を冒すものと見て、一時に憤激したものでしょう。......や、や? ......国舅、あなたは何故、わたしの言を聞いて泣かれるのですか」
「いや、おはずかしい。実は今のおことばを伺って、今もし、関羽どののような心根の人が幾人かいたならば......と、つい愚痴を思うたのでござる」
「府に、曹丞相あり、朝にあなたのような補佐があって、世は泰平に治まっているではありませんか。なにを憂となされるか」
「皇叔──」
董承は濡れた瞼をあげて、屹と言った。
「御身は、わしが曹操にたのまれて、肚でも探りに来たものと、ひそかに要心しておられようが。......疑うをやめ給え。御辺は天子の皇叔、この方もまた外戚の端にあるもの、なんで二人のあいだに詐りをさし挾もう。今、明らかに、実を告げる。これを見てください」
董承は、席を改め、口を嗽いして、密詔を示した。
燈火を剪って、それへ眸をじっと落としていた玄徳は、やがてとめどもなくながれる涙を両手で蔽ってしまった。悲憤のあまり彼の鬢髪はそそけ立って燈影におののき慄えていた。
二
「おしまい下さい」
涙をふき、密詔を拝して、玄徳はそれを、董承の手へ返した。
「国舅の御胸中、およそわかりました」
「御辺も、この密詔を拝して、世のために涙をふるって下さるか」
「もとよりです」
「かたじけない」と、董承は、狂喜して、幾たびか彼のすがたを拝した後、
「では、更にもう一通、これをごらん願いたい」と、巻を展いた。
同志の名と血判をつらねた義状である。
本頭に、車騎将軍董承。
第二筆に、長水校尉种輯。
第三には、昭信将軍呉子蘭。第四、工部郎中王子服。第五、議郎呉碩などとあって、その第六人目には、西涼之太守、馬騰。と、ひときわ筆太に署名されてある。
「おう、もはやこれまでの人々をお語らいになりましたか」
「世はまだ滅びません。たのもしき哉、濁世のうちにも、まだ清隠の下、求めれば、かくのごとき忠烈な人人も住む」
「この地上は、それ故に、どんなに乱れ腐えても、見限ってはいけません。わたくしはいつもそれを信じている。ですから、どんなに悪魔的世相があらわれても、決して悲観しません。人間はもう駄目だとは思いません。むしろ、見えないところに、同じ思いを抱いている草間隠れの清冽をさがし、人間の狂気した濁流をいつかは清々淙々たる永遠の流れに化さんことの願望をふるい起こすのが常であります」
「皇叔。おことばを伺って、この老骨は、実にほっとしました。この年して初めてほんとの人間と天地の不朽を知ったここちがします。ただいかにせむ、自分には乏しい力と才しかありません。お力をかして賜わるか」
「仰せまでもない儀。──ここに名を連ねる諸公がすでに立つからには、玄徳もなんで犬馬の労を惜しみましょうや」
彼は起って、自身、筆硯を取りに行った。
その時。
小閣の外、廊や窓のあたりは、仄かに微光がさし始めていた。
夜は明けかけていたのである。外廊の廂からぽとぽと霧の降る音がしていた。そこで何者か、声を出して泣いている人影があった。
玄徳は見向きもしない。けれど董承は、ぎょっとして、廊をさしのぞいた。
見れば、玄徳の護衛のため、夜どおし外に佇立していた臣下であった。いや義弟の関羽と張飛の二名だった。抱き合って、欣し泣きに、泣いている様子なのである。
「......あ。二人も、ここの密談を洩れ聞いて」
董承は、羨ましいものさえ覚えた。義状に名をつらねた人々のちかいも、もし玄徳と義弟たちの間のように、濃くふかく結ばれたら、必ず大事は成就するが──と思った。
硯を持って、玄徳は静かに、彼の前へもどって来た。
そして、義状の第七筆に、
左将軍劉備
と、謹厳に書いた。
筆を措いて、
「決して生命を惜しむのではありませんが、これだけはかたく奉じて戴きたい。ゆめ、軽々しく、動かないことです。時いたらぬうちに軽挙妄動するの愚を戒めあうことです」
暁の微光が、そういう玄徳の横顔を、見ているまに、鮮やかにしていた。遠く、鶏鳴が聞こえた。
「......では、いずれまた」
客は、驢に乗って、朝霧のなかを、ひそやかに帰って行った。
青梅、酒ヲ煮テ、英雄ヲ論ズ
一
「張飛。──欠伸か」
「ムム、関羽か。毎日、することもないからな」
「また、飲んだのだろう」
「いや、飲まん飲まん」
「夏が近いな、もう......」
「梅の実も大きくなって来た。しかし一体、うちの大将は、どうしたものだろう」
「うちの大将とは」
「兄貴さ」
「この都にいるうちは少しことばを慎め。御主君をさして、兄貴だの、うちの大将だのと」
「なぜ悪い。義兄弟の仲で」
「貴様はそう心易くいうが、朝廷では皇叔、外にあっては、左将軍劉予州ともあるお方だ。むかしの口癖はよせ。わが主君の威厳を、わが口で落とすようなものだ」
「そうか。......なるほど」
「何をつまらなそうな顔しておるんだ」
「何をって、その左将軍たるものが、ここのところ毎日、何をやっているか知っているか貴様は」
「知っている」
「陽気のせいで、すこし頭が悪くなったんじゃないかとおれは真面目に心配しておるのだ」
「だれのことを」
「だからよ。わが主君たる人の行ないをさ」
「どうして?」
「どうしてだと。まあ立ち話ではできん。かりそめにも、御主君のうわさだから」
「すぐしッぺ返しをしおる。貴様ほど意地ッ張りなやつはないな」
苦笑しながら、関羽もならんでそこらの石に腰かけた。
かなたに、たくさんの馬を繫いでいる厩舎が見える。
ここは下僕部屋のある邸内の空き地だ。
桃の花が散ってくる。
詩は感じないでも、桃の花をみると二人は楼桑村の桃園を憶いおこす。
張飛は、最前から独りでつまらなそうに樹の下に腰かけて頰杖つきながら、それを眺めていたところだった。
「なんだ一体、御主君の行ないについて、貴様の不平とは?」
「このごろ、玄徳様には邸内の畑へ出て、百姓のまね事ばかりしているではないか。菜園へ出るもよいが、自分で水を担ったり、肥料をやったり、鍬をもって、菜や人参を掘りちらさないでもよかろうじゃないか」
「その事か」
「百姓がしたいなら、楼桑村へ帰りゃあいい。何も都に第宅を構え左将軍なんていう官職は要るまい。肥桶をかつぐに、われわれ兵隊なども要らんわけだ」
「きさま、そういうな」
「だから、おれは、これは天候のせいかも知れないと、憂いているんだ。どう思う、兄貴は」
「君子のことばに、晴耕雨読ということがある。雨の日にはよく書物に親しんでおられるから、君子の生活を実践しておられるものだとおれは思うが」
「困るよ、今から隠者になられては。──そもそもわれわれは、これから大いに世に出て為すあらんとしている者ではないか」
「もちろん」
「よしてくれ! 君子の真似なんか!」
「おれに言っても仕方がない」
「きょうも畑に出ているようか」
「やっておられるらしい」
「二人して、意見しに行こうじゃないか」
「さあ?」
「何をためらうか。貴様はたった今、主君の威厳にさわるとか、おれをたしなめたではないか。おれには何でも言えるが、主君の前へ出ては、何もいえないのか」
「ばかを言え」
「では行こう、従いて来い。忠義の行ないでいちばん難しいことは、上に善言して上より死を賜うも恨まずということだぞ」
二
ぼくっ、ぼくっ、と鍬を打つ。土のにおいが面にせまる。
玄徳は、野良着の肱で、額の汗をこすった。
「............」
黙然と、鍬を杖に、初夏の陽を仰いでいる。一息して、鍬をすてると、彼は糞土の桶を担って、いま掘りかえした菜根の土へ、こやしを施していた。
「わが君! 冗談ではありませんぞ。この時勢に、そんな小人の業を学んでどうするのですっ。馬鹿馬鹿しい」
うしろで張飛の大声がした。
玄徳はふり向いて、
「おお、何用か」
ことばだけは、左将軍劉備らしい。それだけに、張飛はなお馬鹿気た気がしてならない。が、由来彼は弁舌の士でなかった。乱暴な口ならいくらもたたくが、主君に忠諫などは、得手でない限りである。
「関羽、言ってくれ」
そっと、突っつくと、
「なんだ、貴様がおれの手をひッぱって来たくせに」
「おれは、後で言うから」
「家兄。──きょうはそう呼ぶことをおゆるし下さい」
関羽は畑にひざまずいた。
「なんじゃ改まって」
「われわれ愚鈍な生まれには、ちと解し難く、思われてなりませんので、御意中を伺いに参った次第で」
言いかけると、張飛は、
「手ぬるい手ぬるい。そんな言い方ではだめだ。面を冒して直諫してこそ、忠臣のことばというものじゃないか」と、小声でけしかけた。
「うるさい、黙っておれ──」と側の張飛を叱って、関羽はまた、
「さだめし、何か深いお考えのあることとは存じますが、ここ二月も毎日菜園へ出られ、黙々、百姓の真似事ばかりなされておいでになりますが、なぜ、御自身で糞土を担がなければなりませんか。──お体のためとあらば、弓馬の鍛錬をあそばしていただきたいものと思いますが」
「そうだ!」と、張飛はその図にのって、
「今から君子や隠者の生活でもありますまい。百姓をやるなら何もわれわれ桃園に血をすすり合って、こんなとこまで、旗をかついで来なくともよかったんだ。失礼ながら、あなたの量見がわれわれにわかりかねる」
玄徳は、笑みをふくんだまま、黙って聞いていたが、
「汝等の知るところではない。わからなければ、黙って、そち達はそち達の勤めをしておれ」
「そうはいかない」
張飛は

ってかかった。
「三人の血はひとつだ。三人は一心同体だと、家兄も常に言っておるのではないか。われわれという手脚が、明け暮れ弓矢をみがいていても、肩が糞土をかついでいたり、頭が百姓になっていたんでは、一心同体とは申されまい」
「いや、参った」
玄徳はかろく笑い流して、「そのとおりである。──が、今にわかる時節もある。ふかい考えがあっての事。心配するな」と、なだめた。
そう言われると何も言えない。やはり曹操を謀るためかもしれぬ。よく考えてみると、玄徳の日課は、董承と密会した以後から始まっている。
思い直して、二人はなお、毎日の退屈を、なぐさめ合っていた。ところが、それから数日の後、連れ立って外出したが、帰ってみると、毎日すがたの見える菜園にも、奥にも玄徳が見えなかった。
三
「御主君は、どこへ行かれたか」
張飛、関羽は、眼のいろ変えて、留守の家臣にたずねた。
「相府へお出ましになりました」
「えっ、曹操の召しでか」
「はい、曹丞相が何やら急に、お迎えを向けられたので」
聞くと、ふたりは呆然顔を見あわせて、
「しまった......。われわれが居れば、是が非でも、お供に従いて行かれたものを」
思いあたる事がある。日ごろ沈着な関羽さえ、気もそぞろに、玄徳の身を案じた。
「迎えには、だれとだれが来たか」
「曹操の腹心、許褚、張遼のおふたりが、車をもって参りました」
「いよいよ怪しい」
「兄貴、考えている場合ではない。後からでも構うまい。もし門を通さぬとあれば、ぶち壊して押し通るまでだ」
「おお、急げ」
ふたりは宙を飛んで、許都の大路を、丞相府のほうへ駈けて行った。
それより数時前に。
玄徳は曹操からふいの迎えをうけて、心には、何事かと、危ぶまれたが、使いの許褚、張遼にたずねてみても、
「御用のほどは何事か、われ等には、弁え知るよし候わず」
と、膠もない返辞。
といって、断わるすべもなく、彼は心中、薄氷を踏むような思いを抱きながら、相府の門をくぐった。
導かれたところは、庁ではなく曹操の第宅につづく南苑の閣だった。
「やあ、しばらく」
曹操は待っていた。
瘦軀長面、いつも
鳳眼きらりと

いて、近ごろの曹操は、
威容気品ふたつながら
相貌に備わって来た風が見える。
「つい、ここ二月ほど、御無沙汰にすぎました。いつもお健やかで」
玄徳もさりげなく会釈すると、曹操は、その面をじろじろ見ながら、
「健康といえば、たいそう君は陽に焦けたな。聞けば近ごろは、菜園に出て、百姓ばかりしているというが、百姓仕事というのは、そんな楽しみなものかね」
「実に楽しいものです」
心のうちで、玄徳は、まずこの分ならと幾らか胸をなでていた。
「──丞相の政令がよく行きわたっていますから、世は無事です。故に、閑をわすれるため、後園で畑を耕していますが、費えもかからず、体にもよく、晩飯はおいしくたべられます」
「なるほど、金は費るまいな。君は慾無しかと思うたら、蓄財の趣味はあるとみえる」
「これは、痛烈なお戯れを」
玄徳はわざと、辱らうように俯向いた。
「いや、冗談冗談。気にかけ給うな。──実はきょう、君を迎えたのは、この相府の梅園に、梅の実の結んだのを見て、ふと先年、張繡征伐に出向いた行軍の途中を思い起こしたのだ。炎暑に渇ききって、水もなく苦しみ弱る兵等に向かい、この先へ行けば、小梅の熟したる梅林があるぞ。そこまで急げや──と詐って進むほどに、兵は皆、口中に唾のわくを覚え、ついに、渇をわすれて長途の夏を行軍したことがある」
曹操は、そのはなしが、自慢らしい。そう語って、
「──で、急に君と、その小梅の実を煮て賞翫しながら、一酌くみ交わしたいものと思い出したわけなんだ。まあ来たまえ。梅林を逍遙しながら、設けの宴席へ、予が案内するから」
曹操は、先に立って、はや広い梅園の道をあるいていた。
四
「ほ......。これは宏大な梅林ですな」
曹操の案内に従って、玄徳も遠方此方、逍遙しながら、嘆服の声を放った。
「劉予州。──君はここを見るのは、初めてかね」
「南苑の御門内に通ったのは、今日が初めてです」
「それなら、花のころにも、案内すればよかったな」
「丞相おんみずから御案内に立たれるだけでも、恐懼の極みであります」
「酒席の小亭は、まだかなたの梅渓をめぐって、向こう側にある眺めのよい場所だよ」
──と、にわかに。
ばらばらっと頭上へも大地へも降り落ちて来た物がある。みな青梅の実であった。
「......オオ!」
とたんに樹々の
嫩葉も

もびゅうびゅうと鳴って、一天暗黒となったかと思うまに、一
柱の
巻雲が、はるかかなたの山陰をかすめて立ち昇った。
「──龍だ、龍だ」
「あれよ、龍が昇天した」
そこらを
馳けてゆく召使いの童子や家臣が、口々に風のなかで言っていた。──そして一瞬、掃いてゆくような
白雨が、さあっと
迅い
雨脚で

けぬけた。
「すぐ霽もう」
曹操と玄徳は、樹蔭に雨やどりして、雨の過ぎるのを待っていた。
そのあいだに、曹操は、玄徳へこんな事を話しかけた。
「君は、宇宙の道理と変化を、御存じか」
「いまだ弁えません」
「龍というものがよくそれを説明している。龍は、時には大に、時には小に、大なるは霧を吐き、雲をおこし、江を翻し、海を捲く。──また小なれば、頭を埋め、爪をひそめ、深淵にさざ波さえ立てぬ。その昇るや、大宇宙を飛揚し、その潜むや、百年淵のそこにもいる。──が、性の本来は、陽物だから時しも春更けて、今ごろとなれば大いにうごく。龍起これば九天といい、人興って志帰と時運を得れば、四海に縦横するという」
「実在するものでしょうか」
「ありと観ればあり、無しとみれば無いかも知れん。──たとえば今」と、天を指して、「雲の柱がかなたの山岳をかすめて、すさまじく立ち昇ったかと見えた。だが、雲表の神秘、自然の迅速、たれかよく、その痕跡をとらえて実証できよう」
「古来、龍のはなしは、無数に聞いていますが、まだこれが真の龍だという実物は片鱗も見ませんが」
「否!」
曹操はつよく顔を振って、
「予は見ている! この眼で」
「ほ。さようですか」
「──だが、神秘の龍ではない。この地上、風雲に会っては起こる幾多の人龍だ。要するに、龍は人間だと言うのが予の自説だが」
「そうも言えましょう」
「君もその一龍であろう」
「いかにせむ、電飛の神通力なく、把握の爪なく、隠顕自在の才もありません。まず龍は龍でも、頭に土の字のつく龍のほうでしょうか」
「御謙遜あるな。......が御辺には、ずいぶん諸国を遍歴もされたであろう故、かならず当世の英雄は知っておられるにちがいない。まず当代、英雄とゆるしてよい人物はだれとだれとであろうか」
「さあ? ......むずかしいお訊ねですな。われ等ごとき凡眼をもっては」
「いや、君の胸中にある者、だれでもよいから言ってみられい」
玄徳は、彼の執こい眼ざしからのがれたくなって、
「オ。......雨もやみましたな」
と、先に木蔭を出て、空を見上げた。
雷怯子
一
雨やどりの間の雑談にすぎないので巧みに答えを躱されたが、曹操は、腹も立てられなかった。
玄徳は、すこし先に歩いていたが、よいほどな所で、彼を待ち迎えて、
「まだ降りそうな雲ですが」
「雨もまた趣があっていい。雨情ということばもあるから」
「今の驟雨で、たいそう青梅の実が落ちましたな」
「まるで、詩中の景ではないか」
曹操は、立ちどまった。
玄徳も見た。
後閣に仕える侍女たちが、雨やみを見て、青梅の実を拾いあつめているのである。美姫は手に手に籠をたずさえ、梅の実の数を誇りあっていた。
「......あ。丞相がおいでになった」
曹操のすがたを見ると、女院の廂のほうへ、彼女たちは、逃げ散るようにかくれた。曹操は、詩を感じているのか、あるいは彼女たちの若さに喜悦しているのだろうか、その鳳眼に笑みをたたえて見送っていたが、──ふと客の玄徳に気づいて、
「可憐しいものですな、女というものは。あれが生活です」
「よくあんな美しい侍女ばかりお集めになられましたな。さすがは、都というものでしょうか」
「ははは。しかし、この梅林の梅花がいちどに開いて、芳香を放つ時は、彼女等の美は、影をひそめてしまいますよ。恨むらくは、梅花は散ってしまう」
「美人の美も長くはありません」
「そう先を考えたら何もかも儚くなる。予は人生の七十年、あるいは八十年、人寿の光陰を最大の長さに考えたい。──仏者は、短し短しといい、空間の一瞬というが」
「お気持はわかります」
「予は、仏説や君子の説には、無条件で服することが出来ん。性来の叛骨とみえる。しかし、大丈夫のゆく道は、おのずから大丈夫でなくては解し難い」
と、口をむすんで、運び出す足と共に、いつかまた、前の話題にもどって来た。
「──どうですか、君。最前も言ったことだが、一体、当今の英雄はだれか。居ないのか、居るのか、御辺の胸中にある人を、言ってみたまえ」
「その問題ですが、どうも、自分にはこれという人も覚えておりません。ただ丞相の御恩顧を感じ、朝廷に仕えておりますが」
「御辺の考えで、英雄と言いきれる人が見当たらぬというなれば、俗聞でもいい、世上の俗間では、どんな事を言っているか、論じ給え」
性格でもあろうが、実に熱い。その粘っこい質問には、玄徳もかわしきれなくなった。
で、ついに、
「聞き及ぶところでは、淮南の袁術など、英雄といわれる方でしょうか。兵事に精通し、兵糧は足り、世間ももっぱら称揚しておるようです」
聞くと、曹操は笑って、
「袁術か。あれはもう生きている英雄ではあるまい。塚の中の白骨だ。不日、この曹操がかならず生け捕ってみせる」
「では、河北の袁紹が挙げられましょう。家系は四代三公の位にのぼり、門下には有数な官吏が多く出ております。そして今、冀州に虎踞して謀士勇将は数を知らずといわれ、前途の大計は、臆測をゆるしません。まず彼など、時代の英雄とゆるしてもいいのではありますまいか」
「ははは、そうかな」
曹操は、なお笑って、
「袁紹は、胆のうすい、決断のない、いわゆる癬疥の輩という人物さ。大事におうては身を惜しみ、小利をみては命も軽んじるという質だ。そんな人間が、いかで時代の英雄たり得ようや」
だれの名をあげてみても、彼はそういう調子で、真っ向から否定してしまうのだった。
二
否定はするが、あいまいではない。
曹操の否定は明快だった。痛烈な快感すら、聞く者の耳におぼえさせる。
玄徳も、その興味につい誘いこまれた。
そうして、当今の英雄に就いて、玄徳が名をあげ、曹操が論破し、思わず話に身がいったせいか、いつのまにか酒席の小亭の前に来ていた。
「ここは風雅だろう、君」
「なるほどよい場所です」
「観梅の季節には、よくここで宴をひらく。野趣があってはなはだいい。きょうも固い礼儀はやめて、寛ごうではないか」
「結構です」
「みちみち、当今の英雄に就いてだいぶ喋舌って来たが、予にはまだ書生論を闘わした時代の書生気分が抜けていないのか、談論風発ははなはだ好むところだ。きょうはひとつ、大いに語ろう」
彼は胸襟をひらいて、赤裸の自己を見せるつもりで言う。
いかにも自然児らしく、今なお洛陽の一寒生らしくも見える。
だが、そのどこまでが、ほんとうの曹操か。
玄徳は、彼の調子にのって、自分の帯紐をといてしまうような風は容易に示さない。
玄徳が、曹操の程度に自己を脱いで見せれば、それはすっかり自己の全部を露呈してしまうからとも言えよう。──玄徳は自分をつつむのに細心で周到であった。いや臆病なほどですらある。
よくとれば、それは玄徳が人間の本性をふかく観つめ、自己の短所によく慎み、あくまで他人との融和に気をつけている温容とも心がけとも言えるが、悪く解すれば、容易に他人に肚をのぞかせない二重底、三重底の要心ぶかい性格の人とも言える。
すくなくも、曹操の人間は、彼よりはずっと簡明である。時折、感情を表に現わしてみせるだけでも、ある程度の腹中は窺える。
──が、そうかと言って、玄徳は肚ぐろく曹操はより人がよいとも、言いきれない。なぜならば、彼が現わしてみせる感情にも、快活な放言にも、書生肌な胸襟の開放にも、なかなか技巧や機智がはたらいているからである。むしろそれは自分から砕けて相手を油断させる策とも見えないことはない。ただ曹操の場合は本来の性質でするそれと、機智技巧でするそれとを、自分でも意識しないでやっているところがある。だから彼自身は、決してふたつのものを、挙止言動に、いちいちつかい分けているなどとは思っていないかもしれない。
麗玉の酒杯。
美陶の瓶。
そして肴は青い小梅の実。
さっき梅の実をひろっていた美姫の群れの中で見かけたような美人が、幾人かこれへ来て、ふたりの酒宴に侍していた。
「ああ、酔うた。梅の実で飲むと、こう酔いが発しるものだろうか」
「わたくしもだいぶ過ごしました。近ごろ、かように快く御酒をいただいたことはありません」
「青梅、酒ヲ煮テ、英雄ヲ論ズ──。さっきから詩の初句だけできているが、後ができない。君、ひとつそれに、あとの詩句をつけてみんか」
「できません、
所
」
「詩は作らんかね」
「どうも生まれつき不風流にできているとみえまする」
「おもしろくない男だなあ、実に君という人物は」
「恐縮です」
「では、飲む一方とするか。なぜ酒杯を下におかれるか」
「興も充分に尽くしました。もはやお暇を告げたいと存じますから」
「いかん!」
曹操は自分のさかずきを突きつけて言った。
「まだ英雄論も語りつくしておらんではないか。──君はさっき、袁術、袁紹のふたりを当世の英雄にあげたが、もう他に天下に人物なしと心得ておられるか。──借問す! 現代は事実、そんなにも人材が貧困だろうか」
三
強いられる酒杯と、向けて来る話題に、玄徳は、無碍にも座を立ちかねて、
「いや、最前あげた名は、世俗の聞きおよびを、申しあげてみたまでに過ぎません」
と、またつい、酌される一盞をうけてしまった。
曹操は、矢つぎ早に、
「俗衆の論でもいい。袁紹、袁術のほかには、だれがもっぱら、当今の英雄と擬せられているか」
「次には、荊州の劉表でしょうか」
「劉表」
「威は九州を鎮めて、八俊と呼ばれ、領治にも見るべきものがあるとか、聞き及んでいますが」
「だめ、だめ、領治など、彼の部下のちょっぴり小利巧なやつがやっているに過ぎん。劉表の短所は、なんといっても、酒色に溺れやすいことだ。呂布と共通なところがある。なんで時代の英雄たるを得よう」
「では、呉の孫策は」
「ムム、孫策か」
曹操は、笑い飛ばさなかった。ちょっと、小首をかしげている。
「丞相のお眼には、孫策をどう御覧になられていますか。彼は江東の領袖、しかも弱冠、領民からも、小覇王とよばれて、信頼されておるようですが」
「いうに足るまい。奇略、一時の功を奏しても、もともと、父の盛名という遺産をうけて立った黄口の小児」
「では、益州の劉璋は」
「あんな者は、門を守る犬だ」
「──しからば、張繡、張魯、韓遂などの人々はいかがですか。彼等もみな英雄とはいえませんか」
「あははは、無いものだな、まったく」
手を拍って、曹操はあざ笑った。
「それ等はみな碌々たる小人のみで論ずるにも足らん。せめてもう少し、人間らしい恰好をしたのはおらんかね」
「もうその余には、わたくしの聞き及びはありません」
「情けないこと哉。それ英雄とは、大志を抱き、万計の妙を蔵し、行なって怯まず、時潮におくれず、宇宙の気宇、天地の理を体得して、万民の指揮に臨むものでなければならん」
「今の世に、たれかよく、そんな資質を備えた人物がおりましょう。無理なお求めです」
「いや、ある!」
曹操はいきなり指をもって、玄徳の顔を指さし、またその指を返して、自分の鼻をさした。
「君と、予とだ」
「今、天下の英雄たり得るものは大言ではないが、予と足下の二人しかあるまい」
そのことばも終わらないうちであった。
ぴかっ──と青白い雷光りが、ふたりの膝へ閃いた、と思うと、沛然たる大雨と共に、雷鳴がとどろいて、どこかの大木にかみなりが落ちたようであった。
「──あッ」
玄徳は、手にしていた箸を投げ、両耳をふさいで、席へ俯っ伏してしまった。
それは天地も裂けるような震動だったにちがいないが、あまりな彼の顫きに、席にいあわせた美姫たちまで、
「ホ、ホ、ホ、ホ」と、笑いこけた。
曹操は、疑った。しばし顔も上げないでいる玄徳を、きびしい眼で見ていた。しかし美姫たちまで嘲り笑ったので、思わず苦笑の口もとを歪め、
「どう召された。もう空は霽れているのに」と、言った。
玄徳は酒も醒め果てたように、
「ああ驚きました。生来、
雷鳴が
大
いなものですから」
「雷鳴は天地の声、どうしてそんなに怖いのか」
「わかりません。虫のせいでしょう。幼少から雷鳴というと、身をかくす所にいつもまごつきます」
「......ふうむ」
曹操はとうとう自分の都合のよいように歓んだ。玄徳の人物もこの程度ならまず世に無用な人と観てしまったのである。......彼の遠謀とも知らずに。
四
ちょうどそのころ。
南苑の門のあたりでも、さながら雷鳴のような人声が轟いていた。
「開けろっ、開けろっ。開門せねば、ぶち壊して踏み通るぞッ」
苑内の番卒はおどろいて、
「壊してはいかん。何者だ。何者だ」
問い返すまにも、巨きな門が揺々と震れている。瑠璃瓦の二三片が、門屋根からぐゎらぐゎら落ちて砕け散った。
「あっ、狼藉な。──何者か名を申せ、何用か、用向きを言え」
すると、門の外で、
「ぐずぐず言っているいとまはない。われ等両名は、きょう丞相に招かれた客、劉玄徳が義弟どもだ」
「あっ、では関羽と張飛か」
「開けろッ、早く」
「相府のおゆるしを得て参ったか」
「そんな事をしている
暇はないというのにわからん
奴、エエ面倒だっ、兄貴、そこを
退いていろ。この大石を
門
へたたきつけてくれる」
中の番卒は仰天して、
「待て待て。無茶なまねをいたすな。開けないとは言わん」
「早くいたせ! 早くッ」
「仕方がないやつ」
慄えあがって、渋々、開けようとしていると、関羽、張飛のふたりを迫って来たらしい相府の役人や兵たちが、
「ならんならん。丞相のおゆるしを得てというのに、理不尽に押し通った乱暴者、通ってはならんぞ」
と、呶鳴りながら、左右から組みついて来た。
「虫ケラ。踏みつぶされたいかッ」
叩きつける、踏み放す、抓んで投げ上げる。
わっと、怯んで逃げるまに、張飛は大石を抱えあげて、門へぶっつけた。
ふたりは躍りこんで、梅林のあいだを疾風のごとく駆けた。玄徳は今しも、宴の席を辞してかえりかけているところだったが、その小亭の下まで来るやふたりは、
「おおっ、わが君」
「家兄っ」
と、大地にペタとひざまずき、その無事なすがたを見て、こみあげる欣し涙とともに、一時にがっかりしてしまって、しばし肩で大息をついていた。
曹操は、見咎めて、
「関羽と張飛の二人よな。招きもせぬに、何しに来たか」
「はっ......」と、関羽は咄嗟に答えにつまって、
「さ、されば......折ふしの御酒宴とも承わり、やつがれども、拙い剣を舞わして、御一興を添えんものと、無礼もかえりみず推参いたしました」
苦しげに言い抜けると、曹操は開口一番、限りもなく大笑した。
「わははは、何を戸惑うて。──これ両人、きょうは古の鴻門の会ではないぞ。いずくんぞ項荘、項伯を用いんや、である。のう劉皇叔」
玄徳も、共に、
「いや、ふたりとも、粗忽者ですから」
笑いに紛らすと、
「どうして、粗忽者どころか、雷怯子の義弟としては出来すぎている程だ」
と、曹操は眸もはなさず二人を見ていたが、やがて、
「せっかく参ったものだ。剣の舞は見るにおよばんが、二樊噲に酒杯をつかわせ」
と、亭上から言った。
張飛は拝謝して、
腹
せのように痛飲したが、関羽は口にふくんだ酒を、曹操の眼がそれた
隙に、うしろへ吐いてしまった。
雨後の夕空には白虹がかかっていた。虎口の門をのがれ出た玄徳の車は、ふたりの義弟に護られながら、虹の下を、無事、轍を旋らしつつ戻って行く──。
兇門脱出
一
幾日かを措いて、玄徳は、きょうは先日の青梅の招きのお礼に相府へ参る、車のしたくをせよと命じた。
関羽、張飛は口をそろえて、
「曹操の心根には、なにが潜んでいるか知れたものではない。才長けた奸雄の兇門へは、こっちから求めて近づかぬ方が賢明でしょう」と、不敵な二人も、曹操だけには警戒を怠らない──というよりは、むしろ切に玄徳の自重をうながした。
玄徳は、頷き、かつほほ笑んで言うには、
「だからわしも、努めて菜園に肥桶を担ったり、雷鳴に耳をふさいだり、箸を取り落としたりして見せている次第だ。しかし、聡明敏感な彼のことだから、避けて近づかなければ、また、猜疑するだろう。むしろいよいよ保命の鼻毛をのばして、時々、彼の嘲笑をうけに行ったほうが無事かと思う」
初めて玄徳の口から菜園に鍬を把るの深慮を聞かされ、霹靂に耳をふさぐの遠謀を説き明かされて、ふたりも周到な用意に今さら舌をまき、家兄にそこまでの心構えある以上、何をか曹操に近づくを恐れんや──とばかり供に従って車のあとに歩いた。
曹操は、玄徳を見ると、きょうも至極
機
よく、
「皇叔。今日はこのあいだと違って、無風晴穏、かみなりも鳴るまいから、悠々、興を共にしたまえ」
と、いつぞやの清雅淡味と趣をかえて、その日は、贅美濃厚な盞肴をもって、卓を充たした。
ところへ、侍臣が、
「河北の情勢を窺いに行った満寵が、手先の密偵の諜報を悉皆あつめて、ただいま立ち帰ってまいりましたが」
と、席へ告げた。
曹操は眼の隅からちろと玄徳の面を見たが、
「オ。満寵が帰ったか。すぐここへ通せ」と、言いつけた。
やがて満寵は、侍臣に伴われて、席の一隅に起立した。曹操は、
「河北の情勢はどうか。袁紹が虚実をよく視て来たか」と、その報告を求めた。
満寵は答えて、
「河北には、別して変わった事態も起こっておりませんが、北平の公孫瓚は、袁紹のために亡ぼされました」
聞いて驚いたのは座にあった玄徳である。
「えっ、公孫瓚が亡ぼされましたと。あれほどな勢力地盤を有し、徳も備えた人が、どうして一朝に滅亡を遂げたものか......ああ」
儚げに嘆息して、手の杯も忘れている様を見て、曹操は、怪しみながら、
「君は、何故そのように、公孫瓚の死を嘆じるのかね。わからんな予には──興亡は兵家の常じゃないか」
「それはそうですが、公孫瓚は年来親しくしているわたくしの恩友です。かつて、黄巾の乱のはじめ、貧しき中に志をたて、まだろくな武備も人数も持たない私は、関羽、張飛のふたりと共に、乱に赴く公孫瓚の列に加えてもらい、またその陣を借りて戦いなどいたし、何かとお世話になったお方であります。──あいや、満寵どの、どうかもう少し詳しくお語り下さるまいか」
そう聞いて、曹操も、
「なるほど、君と彼とは、君が無名のころから浅くない仲だったな。これ、満寵満寵。貴賓もあのように求めらるる。公孫瓚が滅亡の仔細、なおつまびらかに、それにて語れ」と、言った。
さればその次第は──と、満寵はつぶさに語り出した。
二
もとより満寵は、それらの見聞をあつめに行って帰って来た者、その語るところはつぶさだし、信もおける。
彼の言に依れば。
北平の公孫瓚は、近年、冀州の要地に、易京楼と名づける大城郭を興し、工も完く成ったので、一族そこへ移っていた。
易京楼の規模はおそろしく宏大で、一見、彼の勢威いよいよ旺なりとも思えるが、事実は左にあらずで、年ごとに領境を隣国の袁紹に蚕食され、旧来の城池では不安をおぼえてきたための大土木であり、そこへ移ったのは、すでに後退を示した衰兆の一歩であった。
公孫瓚はそこに粮米三十万石と大兵とを貯え、以後、数度の戦にも、まず一応強国の面目をたもっていたが、ある折、味方の一部隊を、敵のなかに捨てごろしにした事から、彼の信望はうすれ、士気は荒び出して来た。
その日城外へ出て、乱軍となったあげく、敗退して、われがちに引きあげ、易京楼の城門をかたく閉じてから、気づいたのである。
(敵のなかに、まだ味方の兵五百余りが退路を絶たれて残っている。捨ててはおけまい。援軍を組織して、助けに行け)
またすぐ城門をひらいて、救助に出ようとすると、公孫瓚は、
(それには及ばん。五百の兵を救うため、千の兵を失い、城門の虚を衝かれて、敵になだれ込まれたら、大損害をうけよう)と、許さなかった。
すると、その後。
袁紹の軍が、城のそばまで襲せて来たところ、城中の不平分子は、不意にどやどやと城を出て、千人以上も、一かたまりとなって、敵へ降伏してしまった。
降人に出た兵は敵の取り調べに対して、
(公孫瓚は、われわれどもを、貨幣か物のようにしか考えぬ。損得勘定で、五百の生命を見ごろしに敵の中へ捨てた。だから、われわれは彼に、千の損失をかけてやろうと、相談したわけなんで......)と、述べて憚らなかった。
敵へ投降した千だけに止まらず、残った諸軍の士気もその後はどうも冴えない。そこで、公孫瓚は、黒山の張燕に協力をもとめ、袁紹を挾み討ちする策をたてたが、密計のうらを搔かれて、これまた惨敗に終わってしまった。
それからは、易京楼の守りをたのみとし、警戒して出ないので、袁紹も攻めあぐねていた。
(易京楼を落とすには、少なくも、城兵が三十万石の
粮米を

い尽くすあいだだけの月日は、完全にかかるだろう)
こういう風評だった。ところが、さすが袁紹の帷幕、よほど鬼謀の軍師がいるとみえ、地の底を掘って、日夜、坑道を掘りすすめ、とうとう城中に達して、放火、攪乱、殺戮の不意討ちをかけると共に、外からも攻めて、一挙に全城を屠ってしまった。
公孫瓚は逃げるに道なく、自ら妻子を刺して、自身も自害して果てた。
「──そういうわけで、袁紹の領土は拡大され、兵馬は増強されつつあります。のみならず、近ごろ彼の弟、淮南の袁術も一時は自ら帝位を冒していましたが、自製皇帝の位も持ちきれなくなり、兄袁紹へ例の伝国の玉璽を贈って、兄に皇帝の名を取らせ、自分は実利をせしめんものと、合体運動を起こしております。こう二つのものがまた、合併されるとなると、いよいよ由由しい大勢力と化し、他に歯の立つ国はなくなるのではないかと存ぜられます」
満寵は報告をむすんだ。
曹操ははなはだおもしろくない態である。
「丞相、折入って、願いの儀がございます。お聞き入れくださいましょうや」
畏る畏るその不興な顔へ向かって、こう言ったのは玄徳であった。
三
「皇叔。改まって、予に願いとは、何であるか」
「それがしに、丞相の一軍をおかし賜わりたいのであります」
「わが一軍をひきいて、君はそもどこへ赴こうとするか」
「いま満寵が語るを聞けば、淮南の袁術は、自己の僭称せる皇帝の名と共に、持つところの伝国の玉璽をも、兄袁紹へ譲与して、内にはふたり力を協せ、外には河北、淮南を一環に合体して、いよいよ中原へ羽翼を伸張しきたらんとする由。──これは丞相にとっても、捨ておきがたい兆しではありますまいか」
「もとより由々しい大事だが──それに就いて、君に何かの対策があるか?」
「袁術が淮南をすてて河北に行くには、かならず徐州の地を通らねばなりません。それがし今、一軍を拝借して、急に馳せむかい、彼の半途を襲えば、かならず丞相の憂いを除き、ふたつには袁紹が帝位をのぞむ僭上を懲らし、すべて彼等が企むところの野心を未然に粉砕してお目にかけまする」
「君にしては、常にない勇気であるが、どうして君はそうにわかに思い立たれたか」
「袁術、袁紹を不利ならしめれば、いささか恩友公孫瓚の霊も、なぐさめ得られようかと思いまして」
「なるほど、君の信義もあるのか。袁紹は恩友のかたきでもあれば、──というわけだな。よろしい、明朝、相伴うて天子に謁し、君の望みを奏上しよう。君が赴いてくれれば予も気づよい」
翌日、朝廷に出て、曹操から右のよしを帝に達すると、帝は御涙をうかべて、玄徳を宮門まで見送られた。
玄徳は、将軍の印を腰におび、朝をさがって相府に立ち寄った。そして曹操から、五万の精兵と二人の大将を借りうけるや、取るものも取りあえず、許都の邸館をひき払って出発した。
「なに、劉皇叔が、許都を立ったと?」
驚いたのは、かの董承である。──董承は、十里亭まで、馬をとばして、玄徳を追いかけて来た。
玄徳は、董承にむかって、
「国舅、安んじ給え。日ごろの約を忘れるわれに非ず。都を去るとも、わが心は、寸時も天子のお側を離るることなからん。ただ、かねての大事を、曹操に気どられぬよう、御身をよく慎まれよ」
と、諭して別れた。
そして彼はなお急ぎに急いで昼夜、行軍をつづけた。
関羽、張飛はあやしんで、
「いつにもない家兄の急。何故そのように、周章てふためいて、都をば出られるので?」
訊くと、玄徳は、
「今だから、言うが、われ許都にあるうちは、一日たりとも、無事に安んじていたことはない。許都にいた間の身は、籠の中の鳥、網の中の魚にもひとしい生命であった。もし、ひょッとでも曹操の気が変わったら、いつ何時彼のために死を受けようも知らなかった。......ああようやく、都門を脱して、今は魚の大海に入り、鳥の青天へ帰ったようなここちがする」と、心から述懐した。
そう聞いて関羽、張飛は、
「実にも」と今さらのごとく、玄徳の心労にふかく思いを打たれた。──無事と見えた日ほど玄徳の心労はかえって多かったのである。
──一方、その後で。
諸軍の巡検から許都に帰って来た郭嘉は相府に出て、初めて玄徳の離京と、大軍を借りうけて行った事実を知り、
「もってのほか!」と愕いて、すぐ曹操に会い、口を極めて、その無謀をなじった。
「何だって、虎に翼を貸し、あまつさえ、野に放ったのですか。一体あなたは、玄徳をすこし甘く見過ぎていませんか」とまで彼は切言した。
四
「......そうかな?」
曹操の面には動揺が見え出した。
「そうですとも」
郭嘉は、さらに痛言した。
「露骨にいえば、あなたは玄徳に一ぱい

わされた形です」
「どうして」
「玄徳は、あなたが観ているようなお人よしの凡物ではありません」
「いや、予も初めはそう考えていたが」
「そうでしょう、その玄徳が、何でにわかに、菜園に肥桶を担ったり、鼻毛をのばしていたかです。──丞相ほどな熒眼が、どうして玄徳だけにはそうお甘いのでしょうか」
「では彼が、予の軍勢を借りて、予のために袁術を敗らんと言ったのは噓だろうか」
「満更、噓でもありますまい。けれど丞相のためなどと自惚れておいでになったら大間違いですぞ。彼の行動はあくまで彼のためでしかありません」
「しまった......」
曹操は足ずりして、悔いをくちびるに嚙み、これわが生涯の過ち、あの雷怯子めにしてやられたり矣──と長嘆した。
時に帳外に声あって、
「丞相。何をか悔い給うぞ。それがしが一鞭に追いかけ、きゃつめをこれへ生け捕って参り候わん」
と、いう者がある。
諸人、これを見れば、虎賁校尉許褚である。
「許褚か。いしくも申したり。急げ!」
軽騎の猛者五百をすぐって、許褚は疾風のごとく玄徳を追いかけた。
馳け飛ぶこと四日目、追いついて、許褚、玄徳の双方は、各々の兵をうしろにひかえて馬上のまま会見した。
玄徳は曰う。
「校尉。なにとて、ここへは来給える?」
許褚は答えて、
「丞相の命である。兵をそれがしに渡し、直ちに都へ引っ返されい」
「こは思いがけぬ事。われは天子にまみえて詔詞を賜い、また親しく丞相の命をも受けて、堂々と都を立って来たものである。しかるに今、後より御辺をさし向けて兵を返せとは。ははあ、わかった。さては汝も、郭嘉、程昱などの輩と同腹のいやしき物乞いの仲間か」
「なに、物乞いの徒だと」
「さなり! 怒をなす前に、まず自身を
質せ。われ出発の前、郭嘉、程昱の両名が、しきりと
賄賂をもとめたが、相手にもせず
距んだ故、その
腹
せに、丞相へ
讒言して、御辺をして追わしめたものと思わるる......あら笑止、物乞いの舌さきに躍らせられて、由々しげに使して来た人の正直さよ」
玄徳は、呵々と笑って、
「それとも、腕ずくでも、われを引き戻さんとなれば、われに関羽、張飛あり、御挨拶させてもよろしい。しかし、丞相のお使いを、首にして返すもしのびぬ心地がする。──御辺もよくよく賢慮あって、右の趣を、よく相府に伝え給え」
言いすてると、玄徳は、大勢の中へ姿をかくし、その軍勢はすぐ歩旗整々、先へ行ってしまった。
許褚は、施す手もなく、むなしく都へ引っ返して、ありのままを曹操へ復命した。
曹操は憤って、すぐ郭嘉をよびつけ、賄賂のことを厳問した。
郭嘉は、色をなして、
「何たることです。手前の言うそばからまた、玄徳めに欺かれて、手前までを邪視なされるとは」
すると曹操もすぐ覚ったらしく、快然と笑って、郭嘉の顔いろを宥めた。
「今のは一場の戯れだよ。月日は呼べどかえらず、過失は追うも旧にもどらず。もう君臣の仲で愚痴はやめにしよう。......愚かだ。愚かだ。むしろ一杯を挙げて新たに備え、後日、きょうのわが失策を百倍にして玄徳に思い知らせてくれん。郭嘉、楼へのぼって酒を酌もうではないか」
偽帝の末路
一
かねて董承に一味して、義盟に名をつらねていた西涼の太守馬騰も、玄徳が都を脱出してしまったので、
「前途はなお遼遠──」
と見たか、本国に胡族の襲来があればと触れて、にわかに、西涼へさして帰った。
時しも建安四年六月。
玄徳はすでに、徐州に下着していた。
徐州の城には、さきに曹操が一時的にとどめておいた仮の太守車冑が守っていた。
車冑は、出迎えて、
「見れば、相府直属の大軍をひきい給うて、何事のため、にわかな御下向でござるか」
と、怪訝りながらも、その夜は、城中に盛宴をひらき、軍旅のつかれを慰めたいと言った。
宴へ臨む前に、玄徳は車冑と、べつの一閣に会って、
「丞相がそれがしに五万の兵を授けられたのは、かねて伝国の玉璽を私し、皇帝の位を僭していた袁術が、兄の袁紹と合体して、伝国の玉璽を河北へ持ちゆかんとしているのを、半途にて討たんがためである。──ついては、急速に、また密かに、袁術の近況と、淮南の情勢とを、御身も力をあわせて探索してもらいたい」と、協力をもとめた。
「承知致しました。──して丞相より軍勢に付けおかれた二人の大将とは、だれとだれとでござるか」
「朱霊、露昭の両人である」
話しているところへ、
「御健勝のていを拝し、こんな歓びはございません」
と、旧臣の糜竺や孫乾たちも会いに来たので、打ち揃って、当夜の宴に臨んだ。
宴の終わるのを待ちかねて、玄徳は、糜竺や孫乾などと共に、城を出た。そして妻子のいる旧宅へ久しぶりに帰った。
玄徳はまず、老母の室へ行って、老母の膝下にひざまずき、
「母上、あなたの息子は、今帰って来ました。阿備とお呼び下さい。阿備ですよ」
と、手をさしのべた。
「おお、......阿備か」
老母は、玄徳の手を撫でまわし、やがてその顔を抱えこんだ。
「よう御無事で......」
老母はすぐ涙ぐむ。近ごろは眼もかすみ、耳も遠く、歩行も独りでは出来なくなっていた。しかし何不自由なく、いつも柔らかい絹や獣皮や羽毛に埋もって、ひたすら息子の無事ばかり祈っていた。
「よろこんで下さい母上。こんど都に上って、天子に謁し、その折、御下問によって、初めて、わが家の家系をお耳に達しましたところ、天子には直ちに、朝廷の系譜をお調べになり、紛れもなく、劉玄徳が祖先は、わが漢室の支れた者の裔である──玄徳は朕が外叔にあたるものぞと、もったいない仰せをこうむりました。......これで長らく埋もれていたわが家も、ふたたび漢家の系譜に記録せられ、いささか地下の祖先の祠もできるようになりました。......これもみな母上のおちからが、私という苗木を通じて、ひとつの華を咲かせて来た結果でございます。母上、どうぞ長らくお生き遊ばして、もっともっと、劉家の庭に華の咲く日を見ていてください」
「......そうか。オオ──そうか──」
老母は、歓びの表情を、ただ涙でばかり示している。ほろほろと頷いてばかりいる。
やがて一堂は春風のような団欒に賑わう。妻も交じり、子たちも集まって来る。玄徳もいつかその中に溶け入って、他愛ない家庭人となりきっていた。
二
ここに、淮南の袁術は、みずから皇帝と称して、居殿後宮も、すべて帝王の府に擬し、莫大な費えをそれにかけたので、いきおい民に重税を課し、暴政のうえにまた暴政を布くという無理を執らなければ、その維持もできない状態になってしまった。
当然──。
民心はそむく、内部はもめる。
雷薄、陳蘭などという大将も、これでは行く末が思いやられると、嵩山へ身をかくしてしまうし、加うるに、近年の水害で、国政はまったく行き詰まってしまった。
そこで、袁術が、起死回生の一策として、思いついたのが、河南の兄袁紹へ、持て余した帝号と、伝国の玉璽を押しつけて、いよいよ身を守ることだった。
袁紹には、もとより天下の望みがある。
それにまた先ごろ、北平の公孫瓚を亡ぼして、一躍領土は拡大されている。もとより兵糧財貨には富んでいるし、隆々たる勢いの折も折であったから、一も二もなく、
「淮南を捨て、河北へ来るならば、いかようにも、後事を図ってやろう」と、それに答えた。
そこで。
袁術は浅慮にも、一切の人馬をとりまとめ、ただ水害に飢えてうごけない住民だけを残して、淮南から河北へ移ろうと決めた。
皇帝の御物、宮門の調度ばかりでも、数百輛の車を要した。後宮の女人をのせた駕車や一族老幼をのせた驢の背だけでも、蜿々数里にもわたった。もちろん、それに騎馬徒歩の軍隊もつづき将士の家族から家財まで従ってゆくので、前代未聞の大規模な引っ越しだった。その大列は、蟻のごとく、根気よく野を進み、山をめぐり、河を渡り、悠々晨は霧のまだきに立ち、夕べは落日に停まって、北へ北へ移動して行った。
徐州の近くである。
玄徳の軍は待ちうけていた。
総勢五万、朱霊、露昭を左右にそなえ、玄徳をまん中に、鶴翼を作って包囲した。
「小ざかしき蓆織りの匹夫めが」と、袁術の先鋒から大将の紀霊が討って出る。
張飛、それを見て、
「待つこと久し」
とばかり、馬を寄せ、白光閃々、十合ばかり喚き合ったが、たちまち、紀霊を一槍に刺しころし、
「かくのごとくなりたい者は、張飛の前に名のって出よ」
と、死骸を敵へ抛りつけた。
次々と、袁術の麾下は、討ち減らされて行った。そのうえ、乱れ立ったうしろから、一彪の軍馬が、袁術の中軍を猛襲し、兵糧財宝、婦女子など、車ぐるみ奪掠して行った。
白昼の公盗は、まだ戦っているうちに、行なわれたのである。しかもその盗賊軍は、さきに袁術を見限って嵩山へかくれた旧臣の陳蘭、雷薄などの輩だった。
「おのれ、不忠不義の逆賊めら」
袁術は怒って、悲鳴をあげる婦女子を助けんものと、自ら槍をもって狂奔していたが、顧みると、いつか味方の先鋒も潰滅し、二陣も蹴やぶられ、黄昏かけた夕月の下に累々と数えきれない味方の死骸が見えるばかりだった。
「すわ。わが身も危うし」と、気がついて、昼夜もわかたず逃げ出したが、途中、強盗山賊の類にはおびやかされるし、強壮な兵は、勝手に散ってしまうしで、ようやく江亭という地まで引き揚げて、味方をかぞえてみると、千人にも足らない小勢となっていた。
しかも、その半分が、肥えふくれた一族の者とか、物の役に立たない老吏や女子供だった。
三
時は、大暑の六月なのでその困苦はひとかたでなかった。
炎天に焦りつけられて、
「もう一歩もあるけぬ」と訴える老人もある──。
「水がほしい。水をくれいッ」と、絶叫しながら息をひきとってしまう病人や傷負もある。
落人の人数は、十里行けば十人減り、五十里行けば五十人も減って行った。
「歩けぬ者はぜひもない。傷負や病人も捨てて行け。まごまごしていれば玄徳の追っ手に追いつかれよう」
袁術は一族の老幼や、日ごろの部下も惜し気なく捨てて逃げた。
だが幾日か落ちて行くうち、携えていた兵糧もなくなってしまった。袁術は麦の
摺屑を

って三日もしのんだがもうそれすらなかった。
餓死するもの数知れぬ有り様である。あげくの果て、着ている物まで野盗に襲われて剝ぎ取られてしまい、よろ這うごとく十幾日かを逃げあるいていたが、顧みるといつか自分のそばには、もう甥の袁胤ひとりしか残っていなかった。
「あれに一軒の農家が見えます。あれまでご辛抱なさいまし」
もう気息奄々としている袁術の手を肩にかけながら、甥の袁胤は炎天の下を懸命にあるいていた。
二人は餓鬼のごとく、そこの農家の厨まで、這って行った。袁術は大声でさけんだ。
「農夫農夫、予に水を与えよ。......蜜水はないか」
すると、そこにいた一人の百姓男が嗤って答えた。
「なに。水をくれと。血水ならあるが、蜜水などあるものか。馬の尿でものむがいいさ......」
その冷酷なことばを浴びると袁術は両手をあげてよろよろと立ち上がり、
「ああ! おれはもう一人の民も持たない国主だったか。一杯の水をめぐむ者もない身となったか」
大声で号泣したかと思うと、かっと口から血を吐くこと二斗、朽ち木の仆れるがように死んでしまった。
「あっ伯父上」
袁胤はすがりついて、声かぎり呼んだが、それきり答えもなかった。
泣く泣く彼は袁術の屍を埋め、ひとり盧江方面へ落ちて行ったが、途中、広陵の徐璆というものが、彼を捕らえたので、その体を調べてみると、意外な物を持っていたのを発見した。
伝国の玉璽である。
「どうして、こんな物を所持しているか」
と、拷問にかけて問いただすと、袁術の最後の模様を審らかに白状したので、徐璆はおどろいて、すぐ曹操に文書をもって報らせ、あわせて、伝国の玉璽をも曹操のところへ送った。
曹操は、功を賞して徐璆を広陵の太守に封じた。
また一方、玄徳は予期の目的を果たしたので、朱霊、露昭の二大将を都へ返し、曹操から借りて来た五万の兵は、
「境を守るために」と称して、そのまま徐州にとどめおいた。
朱霊、露昭の二将は都へ帰って、その由を曹操に告げると、曹操は、烈火のごとく怒って、
「予が兵を、予のゆるしを待たず何故、徐州にのこして来たか」
と、即座にふたりの首を刎ねんとしたが、荀彧が諫めて言うには、
「すでに丞相がさきに、玄徳が総大将とおゆるしになったため軍の指揮も当然玄徳に帰していたわけです。ふたりは玄徳の部下として行ったもの故彼の威令に従わないわけにゆかなかったでしょう。もうやむを得ません、この上は車冑に謀略をさずけて、玄徳を今のうちに討つあるのみです」
「実にも」と曹操は、彼の言を容れて、それからは専ら玄徳を除く工夫を凝らし、密かに、書を車冑へ送ってその策をさずけた。
霧 風
一
陳大夫の息子陳登は、その後も徐州にとどまって城代の車冑を補けていたが、一日、車冑の使をうけて、何事かと登城してみると、車冑は人を払って、
「実は、曹丞相から密書をもって玄徳を殺すべしという御秘命だが、やり損じたら一大事である。なにか其許に必殺の名案はあるまいか」と、声をひそめての相談であった。
陳登は、内心おどろいたが、さあらぬ顔して、
「いま、玄徳を殺すことは、囊中の物をつかむも同様で、いと易いことではありませんか。城門の内に、伏兵を詰めおき、彼を招いて通過の節、十方より剣槍の餌となし給え。それがしは櫓の上にあって、彼につづく部下の者を、門橋より濠際にわたって、つるべ撃ちに射伏せてお目にかけましょう」
車冑はよろこんで、
「しからば、早速にも」と、兵の手配にかかり、一方城外の玄徳へ使を派して涼秋八月、まさに観月の好季、清風に駕を乗せて一夜、城楼の仰月台までおいで願いたい。美姫玉杯をつらねて臨座をお待ちすると言い遣った。
同日、陳登は家に帰ると、すぐ父の陳大夫に、そのことを打ち明けて、父の顔いろを窺ってみた。しかし陳大夫が玄徳に対する誼は、以前とすこしも変わっていなかった。
「玄徳は仁者じゃ。わしたち父子は、曹操から恩禄はうけているが、さればと言って、玄徳を殺すにはしのびぬ。そちはどう考えているか」
「もとより私とて、車冑へ答えたことばが、本心ではありません」
「では、すぐさま、玄徳のほうへその由を、そっと報らせてやるがよい」
「使いでは不安ですから、夜に入るのを待って、自身で行って参ります」
やがて陳登は、宵闇の道を、驢に乗って出て行った。そして玄徳の旧宅を訪れたが、玄徳には会わず、関羽、張飛のふたりを呼び出し、車冑の企てをはなした。
そう聞くや否、張飛は、
「さては先ほど、白々しい礼を執って、観月の宴に、お招きしたいとか言って帰った使者がそれだろう。小賢しい曲者めが」と、牙を咬んで、すぐにも軽騎七、八十を引き具し、城内へ突入して、車冑の首をひきちぎってくると、噪ぎたてた。
「あわてるな、敵にも備えのあることだ」
関羽は、彼の軽忽をたしなめ、一計を立てて、夜の更けるのを待った。
「こんなことは、家兄の耳に入れるまでもない些事に過ぎん。ふたりだけで、黙って片づけてしまおう」
関羽の思慮に張飛も服した。
そして共に、彼の立てた計略に従った。
さきに許都からついてきた五万の軍隊は、曹操の旗じるしを持っている。関羽は、その旗幟を利用して、まだ霧の深い暁闇のころ、粛々と兵馬を徐州の濠ぎわまですすめて行った。
そして、大声をあげ、
「開門せよ、開門せよ」と、呼ばわった。
時ならぬ軍馬に、
「何者だ」と、門内の部将は、すくなからず緊張して、容易に開ける様子もない。
関羽は声を作って、
「これは、曹丞相のお使いとして、火急の事あって、許都より急ぎ下って来た張遼という者。疑わしくば、丞相より降したまえる旗じるしを見よ」
と、暁の星影に、しきりと旗幟を打ち振らせた。
折も折、曹操からの急使と聞いて、車冑は、思い惑った。陳登はそれより前に、城内へ帰っていたので、彼が狐疑しているていを見ると、
「何をしているのです。早く城門をお開けなさい。あのとおり丞相の旗を打ち振っているではありませんか。もし使者の張遼の心証を害して、後難を受けられても、それがしは関知しませんぞ」
と、暗に脅した。
二
車冑もさるものである。陳登に急かれたり脅されたりしても、
「いや、夜明けを待って開けても遅くはない。何分にも、まだ城門の外は暗いし、前触れもない不意の使者、滅多に開けることはならん」と言い張っていた。
夜が明けては万事休すである。関羽は気が気ではなく、
「開けないか! 火急、機密の大事あって、曹丞相からさし向けられたこの張遼を、何故、城門を閉じて拒むか......。ははあ、さては車冑には異心ありとおぼえたり。よろしい、立ち帰って、この趣をありのまま丞相におこたえ申すから後に悔ゆるな」
言い放って、後にしたがう隊伍の者へ、引っ返せとわざと大声で号令を発していた。
車冑は狼狽して、
「あいや待たれよ、東の空も白みかけて、実否のほども、仄かに弁えられて参った。丞相のお使者に相違あるまい。──お通りあれ」
と直ちに、城門をさっと開かせた。
とたんに、濠の面にたちこめた白い朝霧が濛々と這入ってきた。その中をどかどかと渡って来る兵や馬蹄の跫音はあまりにもおびただしかった。けれど夜はまだ明けきれていないので、顔と顔とをぶつけ合わせなければ、だれがだれやらわからなかった。
「車冑とは君か」
関羽が近づいて行くと、変に思った車冑は、突然、
「──あッ、汝等は?」と絶叫をのこして、すばやくどこかへ逃げてしまった。
沛然と、ここ一箇所に、血の豪雨がふりそそぎ、城中の兵は、みなごろしの目に遭った。
大半の城兵は、まだ眠っていたところである。そこへ関羽、張飛の手勢一千は、前夜から手具脛ひいて来たのであるから、大量な殺戮も思いのまま行なわれた。
陳登は、いちはやく、城楼に駈けのぼって、かねてそこに伏せておいた沢山な弩弓手に、
「車冑の部下を射ろ」と、命じた。
弓をつらねていた兵は、味方を射ろという命令にまごついたが、陳登が剣を抜いてうしろに立っているので、いっせいに、逃げまどう味方の上に矢を注ぎかけた。
乱箭の下に仆れる城兵も無数であった。城代の車冑は、厩から馬を引き出すと、一目散に、門楼をこえて、逃げ出したが、
「この虻め、どこへ失せるか」
追いしたって来た関羽の一閃刀に、その首を大地へ委してしまった。
夜が明けた。
玄徳は、変を聞いて、
「大変なことをしてくれた」
と、にわかに家を出て、徐州城へ馳せつけようとすると、すでに関羽は鮮血淋漓となって車冑の首を鞍にひっくくり、凱歌をあげながら引き揚げてきた。
ひとり浮かぬ顔は、それを迎えた玄徳で、
「車冑は、曹操の信臣、また徐州の城代である。これを殺せば、曹操の憤怒は、百倍するにちがいない。自分が知っていたら、殺すのではなかったのに」と、悔やんだ。
そして、この中にまだ張飛の姿が見えないがと、案じていると、その張飛もまた、ひと足あとから、これへ駈けもどって来て、
「ああ、さっぱりした。朝酒でもぐっと飲みほしたような朝だ」と、血ぶるいしていた。
玄徳が、眉をひそめて、
「車冑の妻子眷族は、どう処分して来たか」
と訊ねると、張飛は、いと無造作に、
「それがしがあとに残って、ことごとく斬りころして来ましたから、御安心あってしかるべしです」
と昂然、答えた。
「なぜ、そんな無慈悲なことをしたか」
玄徳は、張飛の狂躁をふかく戒めたが、叱ってみても、もう及ばないことだった。許都の曹操に対して、彼の憂いと畏怖は人知れず深かった。
一書十万兵
一
その後、玄徳は徐州の城へはいったが、彼の志とは異なっていた。しかし事の成り行き上、また四囲の情勢も、彼に従来のようなあいまいな態度や卑屈はもうゆるさなくなって来たのである。
玄徳の性格は、無理がきらいであった。何事にも無理な急ぎ方は望まない。──今、曹操とは正しく相反いたが、それとてもこんどのような事件を惹起して、曹操の怒に油をそそぐようなことは、決して、玄徳の好むところではなかった。
「曹操の気性として、かならず自身大軍をひきいて攻めてくるであろう。何をもって、自分は彼に抗し得ようか」
彼は、正直に憂えた。
「御心配は無用です」
陳登が彼にそう言った。
玄徳はあやしんで、その理由を反問した。すると陳登は、
「この徐州の郊外に、独り詩画琴棋をたのしんで、余生をすごしている高士がおります。桓帝の御世宮廷の尚書を勤め、倉厨は富み、人品もよく......」と、まるで別な事を話し出した。
「陳登、其許はわれに何を説こうというのか」
「さればです。もしあなたが、今の憂を払わんと思し召すなら、いちどその高士鄭玄をお訪ねなされてはいかがかと?」
「詩画琴棋の慰みなどは、玄徳の心に何のひびきもない」
「彼は世外の雅客ですが、あなたにまで、風月に遊べとおすすめ申すのではありません。──高士鄭玄と、河北の袁紹とは共に宮中の顕官であった関係から三代の通家であります」
「......?」
玄徳は、深い眼をすました。
「──いま曹操の威と力とをもってしても、なお彼が常に恐れ憚っている者は、河北の袁紹しかありません。河北四州の精兵百余万と、それを囲繞する文官、武将、謀士、また北支の天地の富や彼の門地など、抜くべからざる大勢力です。失礼ながらまだまだあなたごときは、そう彼の眼中にはないでしょう」
「......うム」
玄徳は苦笑した。──そうだ曹操の眼にはまだ自分などは──と、みずからほくそ笑まれたのである。
「親しく鄭玄にお会いあって、袁紹への手紙をひとつ書いておもらいなさい。鄭玄が書簡をかけば、袁紹はきっとあなたに好意を示しましょう。袁紹の合力さえあれば、曹操とて、恐れるに足りません」
「なるほど。......御身の深謀は珍重にあたいするが、成功はしまい」
「なぜですか」
「思うてもみよ。わしはすでに袁紹の弟、袁術をこの地に滅ぼしているではないか」
「ですから、そこを鄭玄にとりなしてもらうのです。ともかく、世外の高士に、世俗の働きをさせるところが、この策の妙たるところなんです」
ついに彼を案内として、玄徳は、高士鄭玄の門をたたいた。鄭玄は快く会ってくれたのみならず、慇懃、膝下にひざまずいて志をのべる玄徳を見て、
「君のような仁者のために、計らずも世俗の用を久しぶりに論じるのは、老後の閑人にとって、むしろ時ならぬ快事じゃよ」と、さっそく筆を執って、細々と自分の意見をも加え、河北の袁紹へ宛て、一書をかいてくれた。
どうか小さな私怨などわすれて、劉玄徳に協力を与えて欲しい。青史は昭々、万代滅せず、今日の時運は歴々、大義大道の人に向いている。この際、劉玄徳を得るは、いよいよ袁家の大慶でもあることと信じ、自分も欣然この労を執った。
「これでよいかの」
鄭玄は自分の文を詩のように吟誦してから封をした。玄徳は押しいただいて門を辞した。驢を回して城に帰ると、すぐ部下の孫乾を河北へ使に立てた。
二
はるばる徐州の使孫乾が、書簡をたずさえて、北支の府に来れりというので、袁紹は、日を期して謁見を与えた。
孫乾は、まず玄徳の親書を捧呈してから、
「願わくは、閣下の精練の兵武をもって、許都の曹賊を討平し、大きくは漢朝のため、小にはわが主玄徳のため、この際、平常の御抱負を展べ、奮勇一番、御蹶起あらんことを」
と、再拝低頭、畏れ慎んで言いながらも、相手の腹中にはいって懇願した。
袁紹は一笑した。
「何かと思えば、虫のよい玄徳の頼み。彼は先ごろ、わが弟の袁術を殺したではないか。いずれ弟の仇を思い知らしてやろうとは考えていたが、彼に助力を与えんなどとは、思ってみた事もない。何を戸惑うてこの袁紹に......。あははは、使者に来る者も来る者。仮面でもつけて参ったか」
「閣下。そのお恨みは、曹操にこそ向けられるべきです。何事につけ廟堂の奸賊は、朝命をもって、濫に命じ、そむけば違勅の罪を鳴らそうというのであります。わが主玄徳のごときも、まったく心なく淮南の役にさし向けられ、しかも功は問わず、非のみ責める曹操の非道に、ついに、堪忍をやぶって、今日わたくしを遠く使いせしめるに至ったものでございます。何とぞ御賢慮をもって這般のいきさつを深く御洞察ねがわしゅうぞんじます」
「おそらくそれは真実の言だろう。曹操なる者は、元来そうした奸才に長けた人間だ。配するにお人よしの玄徳ときては、さもあるはず。しかし玄徳は、一面、実直で信義に篤く、自然人望に富むという取り柄もあるから、彼が心から悔いているなら救うてやらぬこともないが、一応、評議のうえ返答に及ぶであろう。数日、駅館にて休息しておるがよい」
「何分のおはからいを待ちおりまする。──就いては、べつにこの一通は、日ごろ主人玄徳を、子のごとく愛され、また、無二の信頼をおかけ下されている高士鄭玄より特に託されて参った御書面にございまする。後にて、御一見くだし置かれますように」と、その日は退がった。
後で、鄭玄の手紙を見てから、袁紹のこころは大いにうごいた。もともと、彼としては、北支四州に満足はしていない。進んで中原に出で、曹操の勢力を一掃するの機会を常にうかがっているのである。弟の恨みよりも、玄徳を麾下に加えておいたほうが、将来の利であると考え直して来たのだった。
つぎの日。
台閣の議堂に諸大将は参集していた。
「曹操征伐の出軍、今を可とするか、今は非とするか」
に就いて、議論は白熱し、謀士、軍師、諸大将、あるいは一族、側近の者など、是非二派にわかれて、舌戦果てしもなかった。
北支随一の英傑といわれ、見識高明のきこえある田豊は、
「ここ年々の合戦つづきに、
倉廩の
貯えも、富めりとは言えないし、百姓の
賦役も、まだ少しも軽くはなっておらない。まず、国内の
患いを

やし、辺境の兵馬を強め、河川には船を造らせ、武具糧草をつみ蓄えて、おもむろに機を待てば、かならず三年のうちに、自然、許都の内より
内訌の
兆しがあらわれよう。それまでは、朝廷に
貢をささげ、農政に務め、民を安んじ、ひたすら国力を養っておくべきである」と、述べた。
すると一名、すぐ起って、
「今のお説は、はなはだしくわが意にかなわん。河北四州の精猛に、主公の御威武をいただき、何すれば、曹操ごときを、さまで怖れたもうか。兵法に曰う、十囲五攻、すべて一歩の機と。今日のような変動の激しい時勢に、三年もじっと受け身でいたらひとりでに国が富み栄えるなどとは、痴者の夢よりもまだ愚かしい。機なしとせば十年も機なし。活眼電瞬、今こそ、中原に出る絶好の秋ではないか」
と、大声で駁したてた。だれかとみれば、相貌端荘、魏郡の生まれで、審配字を正南という大将だった。
三
すると、また一名、
「いやいや、そのお説は、耳には勇ましく聞こえるが、一国の浮沈を賭けて、自己の驕慢を満足させようとするようなもの。いわば大きな賭博を打つにも異ならぬ暴挙である」
と起ち上がって、審配の言に、反対した大将がある。
諸人、これを見れば、広平の人、沮授であった。
沮授は言う。
「義兵は勝ち、驕兵はかならず敗る。だれも知る戦の原則である。──曹操はいま許昌にあって、天下を制しているが、命はみな帝の御名をもってし、士卒は精練、彼自身は、機変妙勝の胆略を蔵している。故に、彼の出す法令には、だれも拒むことができない。しかるに──」
「待たれい」
審配は、奮然とまた起って、
「沮授どのには、曹操を讃美して、われ等の説は、驕兵の沙汰と言わるるのか」
「そうである!」
「何っ」
「敵を知らずして、敵に勝つことはできませんぞ」
「知るにあらず、尊公のはただ怖れるのだ」
「然り、自分は曹操を怖れます。彼を、先に滅んだ公孫瓚ごときものと同一視されると、とんだ事になりますぞ」
「あははは」
審配、満座へ向かって、哄笑を発しながら、
「えらい恐曹病者もいるものだ。恐曹患者と議論は無益だ」
と、言いながら、側にいる郭図の顔を見た。
大将郭図は、日ごろから沮授と仲が悪いので、彼こそ自分の説を支持するだろうと思ったからである。
案の定、郭図は次に起立して、
「いま曹操を討つのを、だれが無名のいくさと誹りましょうぞ。武王の紂を討ち、越王の呉を仆す、すべて時あって、変に応じたものです。いたずらに安泰をねがって、世のうごきを拱手傍観していた国で、百年の基礎をさだめた例がありましょうか。──しかも、賢士鄭玄さえ、遠く書をわが君に送って、玄徳をたすけ、共に曹操を討つこそ、実に今日をおいてはあるべからずと言って来ているではありませんか。わが君には、何故の御猶予ですか。疾く無益な紛論をやめて、即刻、御出兵の命こそ、臣等一同の待つものでございます」と、郭図のことばは、その内容は浅いが、音吐朗々、態度が堂々としているので、一時、紛々の衆議を、声なくしてしまった。
「そうだ。鄭玄は一世の賢士である。彼が、この袁紹のために、わざわざ悪いことをすすめてくるはずはない」
ついに、袁紹も意をきめて、一方の出軍説を採ることになった。郭図、審配などの強硬派は、凱歌をあげて退出し、反対した田豊や沮授の輩も、
「このうえは是非もない」と、黙々、議堂から溢れて、やがて出征の命を待った。
許都へ! 中原へ!
十万の大軍は編制された。
審配、逢紀のふたりを総大将に。田豊、荀諶、許収を参軍の謀士に。また顔良、文醜の二雄を先鋒の両翼に。
騎馬兵二万、歩兵八万、そのほかおびただしい輜重や機械化兵団まで備わっていた。
河北の地に、空も蔽うばかりな兵塵のあがり出したころ、玄徳の使孫乾は、
「得たり! わが君の御武運はまだつきない」
と、鞭を高く、徐州へさして、急ぎ帰っていた。
ふところには「援助の儀承諾」の旨を直書した袁紹の返簡を持っている。
時に、用いかたいかんによっては、閑人の一書といえども、馬鹿にできない働きをする。高士鄭玄の一便は、かくて、河北の兵十万を、曹操へ向かわしめたのであった。
丞相旗
一
そのころ、北海(山東省・青州)の太守孔融は、将軍に任命されて、都に逗留していたが、河北の大軍が、黎陽まで進出してきたと聞いて、すぐさま相府に馳けつけ、曹操に謁して、こう直言した。
「袁紹とは決して軽々しく戦えません。多少は彼の条件を容れても、ここはじっと御自重あって対策を他日に期して和睦をお求めあることが万全であろうと考えられますが」
「貴公もそう思うか」
「勢いの旺なるものへ、あえて当たって砕けるのは愚の骨頂です」
「旺勢は避けて、弱体を衝く。──当然な兵法だな。──だがまた、装備を誇る驕慢な大軍は、軽捷な寡兵をもって奇襲するに絶好な好餌でもあるが?」
曹操はそうつぶやいて、是とも非とも答えずにいたが、再び口を開いて、
「ともあれ、諸人の意見に問おう。きょうの軍議には、御身もぜひ列席してくれい」と、言った。
その日の評議にのぞんで、曹操は満堂の諸将にむかい、
「和睦か、はた、決戦か」
の忌憚なき意見をもとめた。
荀彧が、まず言った。
「袁紹は、名門の族で、旧勢力の代表者です。時代の進運をよろこばず、旧時代の夢を固持している輩のみが、彼を支持して、時運の逆行に焦心っているのであります。かくのごとき無用な閥族の代表者は、よろしく一戦の下に、打ち破るべきでありましょう」
孔融は、彼の言が終わるのを待って
「否!」と、起ち上がった。
「河北は、沃土ひろく、民性は勤勉です。見かけ以上、国の内容は強力と思わねばなりますまい。のみならず、袁紹一族には、富資精英の子弟も多く、麾下には審配、逢紀などのよく兵を用うるあり、田豊、許収の智謀、顔良、文醜等の勇など、当たるべからざる概があります。また沮授、郭図、高覧、張郤、干瓊などという家臣も、みな天下に知られた名士である。どうして、彼の陣容を軽々と評価されようか」
荀彧は、にやにや笑って聞いていたが、孔融の演舌がすむと、やおら答えて、
「足下は、一を知って二を知りたまわず、敵を軽んずるのと、敵の虚を知るのとは、わけがちがう。そもそも袁紹は国土にめぐまれて富強第一といわれているが、国主たる彼自身は、旧弊型の人物で、事大主義で、新人や新思想を容れる雅量はなく、故に、国内の法は決して統治されていない。その臣下にしても、田豊は剛毅ではあるが、上を犯す癖あり、審配はいたずらに強がるのみで遠計なく、逢紀は、人を知って機を逸す類の人物だし、そのほか顔良、文醜などに至っては、匹夫の勇にすぎず、ただ一戦にして生け捕ることも易かろう。──なお、見のがし難いことは、それ等の碌々たる小人輩が、たがいに権を争い、寵を妬みあって、ひたすら功を急いでいることである。──十万の大軍、何するものぞ。彼より来るこそ、お味方の幸いである。いま一挙に、それを討たないで、和議など求めて行ったら、いよいよ彼等の驕慢をつのらせ、悔いを百年にのこすであろう」
両者の説を黙然と聞いていた曹操は、しずかに口を開いて、断を下した。
「予は戦うであろう! 議事は終わりとする。はや出陣の準備につけ!」
その夜の許都は、真っ赤だった。
前後両営の官軍二十万、馬はいななき、鉄甲は鏘鏘と鳴り、夜が明けてもなお陸続と絶えぬ兵馬が黎陽をさしてたって行った。
二
曹操はもちろんその大軍を自身統率して、黎陽へ出陣すべく、早朝に武装のまま参内して、宮門からすぐ馬に乗ったが、その際、部下の劉岱、王忠のふたりに、五万の兵を分け与えて、
「其方どもは、徐州へ向かって、劉玄徳にあたれ」と、命じた。
そして自分のうしろに捧げている旗手の手から、丞相旗を取って、
「これを中軍に捧げ、徐州へはこの曹操が向かっておるように敵へ見せかけて戦うがよい」
と策を授け、またその旗をもふたりへ預けた。
勇躍して、ふたりの将は、徐州へ向かったが、後で、程昱がすぐ諫めた。
「玄徳の相手として、劉岱、王忠のふたりでは、智力ともに不足です。だれかしかるべき大将をもう一名、後から参加させてはどうですか」
すると曹操は、聞くまでもないことと頷いて、
「その不足はよくわかっておる。だからわが丞相旗を与えて、予自身が打ち向かったように見せかけて戦えと教えたのだ。玄徳は、予の実力をよく弁えておる。曹操自身が来たと思えば、決して、陣を按じて進んで来まい。そのあいだに、予は袁紹の兵をやぶり、黎陽から勝に乗って徐州へ迂回し、手ずから玄徳の襟がみをつかんで都への土産として凱旋するつもりだ」と、豪笑した。
「なるほど、それも......」と、程昱は二言もなく彼の智謀に伏した。
こんどの決戦は、黎陽の方こそ重点である。黎陽さえ潰滅すれば、徐州は従って掌のうちにある。
それを、徐州へ重点をおいて、良い大将や兵力を向ければ、敵は、徐州へ多くの援護を送るにちがいない。
そうなると、徐州も落ちず、黎陽もやぶれずという二兎両逸の愚戦に終わらないかぎりもない。
「丞相に対しては、めったに献言はできない。自分の浅慮を語るようなものだ」
程昱はひとり戒めた。
黎陽(山西省・黎城)──そこの対陣は思いのほか長期になった。
敵の袁紹と、八十余里を隔てたまま、互いに守るのみで、八月から十月までどっちからも積極的に出なかった。
「はて、なぜだろう?」
万一、彼に大規模な計略でもあるのではないかと、曹操もうごかず、ひそかに細作を放って、内情をさぐってみると、そうでもない実情がわかった。
敵の一大将、逢紀はここへ来てから病んでいた。そのため審配がもっぱら司令にあたっていたが、日ごろからその審配と不和な沮授は、事ごとに彼の命を用いないらしいのである。
「ははあ、それで袁紹も、持ちまえの優柔不断を発揮して、ここまで出て来ながら戦いを挑まないのであったか。この分ではいずれ内変が起こるやも知れん」
彼は、そう見通しをつけたので、一軍をひいて、許都へ帰ってしまった。
──と言っても、もちろん後には、臧覇、李典、于禁などの諸大将もあらかた留め、曹仁を総大将として、青州徐州の境から官渡の難所にいたるまでの尨大な陣地戦は、そのまま一兵の手も弛めはしなかった。ただ機を見るに敏な彼は、
「予自身、ここにいても、大した益はない」
と戦の見こしをつけた結果である。それと、徐州のほうの戦況も気にかかっていたにはちがいない。
鬮
一
許都に帰ると、曹操はさっそく府にあらわれて、諸官の部員から徐州の戦況を聞きとった。
一名の部員は言う。
「戦況は八月以来、なんの変化もないようであります。すなわち丞相のお旨にしたがい、発向の折、親しく賜わった丞相旗をうちたて、曹丞相みずから征してこの軍にありと敵に見せかけ、徐州を隔つこと百里の前に陣をとりて、あえて、軽々しく動くことを誡め、まだ一回の攻撃もしておりません」
曹操はそう聞くと、いかにも呆れ返ったように、
「さてさて鈍物という者は仕方がないものだ。機に応じ変に臨んで処することを知らん。下手に戦うなと言えば、十年でも動かずにいる気であろうか。曹操自身、軍にあるものなら、百里も敵と隔てたまま、八月以来の長日月を、無為にすごしているわけはないと、かえって敵が怪しむであろう」
彼は、歯がゆく思ったか、急に軍使を派して、
「すみやかに徐州へ攻めかかって、敵の虚実を計れ」と、厳しく催促した。
日ならずして曹操の軍使は、徐州攻略軍の陣中に着いた。寄手の二大将、劉岱、王忠のふたりは、
「何事のお使いにや?」と、鞠躬如として出迎えた。
軍使は、曹操の指令をつたえ、
「丞相のおことばには、其許たちへは、生きた兵をあずけてあるに、何故、藁人形のごとき真似しておるかと、きつい御不興である。一刻も御猶予はあるべからず」と、ありのままを伝えた。
劉岱は、聞くと、その場で、
「いかさま、長い月日、ただ丞相の大旗をたてて、こうして居るのもあまり無策と思おう。王忠殿、足下まず一押しして、敵がどう変じて来るか、一戦試みられい」と、言った。
王忠は、首を横に振って、
「こは意外な仰せではある。都を出る時、曹丞相には、親しく貴公へ向かって、策をさずけ賜うたのではないか。貴公こそ先に戦って、敵の実力を計るべきだのに」
「いやいや、自分は寄手の総大将という重任をうけたまわっておる者、豈、軽々しく陣頭にすすみ得ようか。──其許まず先鋒に立ちたまえ」
「異なおことば哉。御辺と、それがしとは、官爵の高下もないに、何で、それがしを下風に視られるか」
「いや、何も、下風に見くだすわけではないが」
「今の口吻はこの王忠を、部下といわないばかりではないか」
ふたりが争い出したので軍使は眉をひそめながら、
「まあ待ちたまえ。まだ一戦もせぬうちに、味方のなかで確執を起こすなど是非によらず、どちらも醜しと人に言われよう。──それよりは拙者がいま、鬮を作るから、鬮を引いて、先鋒と後詰めの任をきめられてはいかがか」
「なるほど、それも一案」と、王忠も劉岱と同意したので、異存なくばと、念を押したうえ、軍使は二本の鬮をこしらえて二人に引かせた。
劉岱の鬮には、
後
と、書いてあった。
王忠が「先」を引いたのである。そこで
応なく、王忠は一軍を率いて、徐州城へ攻めかかった。
玄徳は徐州城の内にあって、かくと知ると、すぐ防禦を見まわった上、陳登に対策をたずねた。
陳登はその前から、寄手の丞相旗には不審を抱いていた。必定、これは曹操の詭計であろうと、看破していたので、
「まず一当たり当たってみれば、敵の実力がわかります。策はその上でいいでしょう」と、答えた。
「然り、それがしが参って、彼の虚勢か実体かを試み申さん」
と、列座の中から進み出た者がある。その大声だけでもすぐそれとわかる張飛であった。
二
張飛が進んで、城外の敵に当たらんと望んで出ると、玄徳は、むしろ歓ばない色を顔に示して、
「いつもながら躁がしき男ではある。待て、待て」
と押し止め、行けとも、行ってはならんとも言わなかった。
「それがしの武勇では、危ないと仰せられるので御座るか」
張飛が不平を洩らすと、
「いや、汝の性質は、いたって軽忽で、躁がしいばかりであって、そのため事を仕損じ易いから、わしはその点を危惧しているのだ」と、玄徳は飾らず言った。
張飛は、なお面膨らせて、
「もし、曹操に出会ったら、木ッ葉みじんに敗れて帰るだろうと、それを心配なさるので御座ろう。笑止笑止。曹操が出て来たら、むしろもっけの幸い、引ッ摑んで、これへ持ち来るまでのこと」
「だまれ、それだからそちは躁がしい男というのだ。曹操は、その心底には、漢室にとって、怖るべき逆意を抱いているが、名分の上では、常に勅令を号することを忘れておらぬ。──故に、今われ彼に敵対すれば、曹操は得たりとして、われを朝敵と呼ぶであろう」
「この期になっても、まだそんな名分にくよくよしておられるのですか。では、彼が攻め襲せて来ても手を拱いて、自滅を待っているつもりですか」
「袁紹の救いが来れば、何とかこの危機も打開できようが、それもあてにはならないし、曹操からも敵視されては、早、死するも門なからん......である。まったく玄徳の浮沈は今に迫っておる」
「はてさて、弱気なおことば、将たる者が御自身味方の気を減らしたもう事やある」
「彼を知り、己を知るは、将たる者の備え、決して、いたずらに憂いているのではない。いま城中にある兵糧は、よく幾月を支え得ようか。またその兵糧を

う大部分の軍兵は、元来、曹操から預かって来た者どもで、みな許都へ帰りたがっておるであろう。かかる弱体をもって、曹操に当たらんなど、思いもよらぬことである。ただ千に一つの
恃みは、袁紹の来援であるが、これとても......」
彼の正直な嘆息に、帷幕の人々も何となく意気昂らない態だった。──あまりに正直すぎる大将という者も困りものだ。こんな気の弱い御主君は他にあるまい──と張飛も奥歯を咬みながら黙ってしまう。
──と、次に、関羽が前へ出て言った。
「御深慮はもっともです。けれど、坐して滅亡を待つべきでもありますまい。それがし城外へ罷り向かって、およそ寄手の兵気虚実をさぐる程度に、小当たりに当たってみましょう。策は、その上で」
と、陳登と同意見を述べた。穏当なりと認めたか、玄徳は、
「行け」
と、関羽にゆるした。
関羽は、手勢三千を率して城外へ打って出た。折ふし、十月の空は灰いろに閉じて、鵞毛のような雪が紛粉と天地に舞っていた。
城を離れた三千騎の兵馬は、雪を捲いて寄手王忠軍へ衝ッかけていた。
雪と馬、雪と戟、雪と兵、雪と旗、卍となって、早くも混戦になった。
「そこにあるは、王忠ではないか。なんで楯の陰ばかり好むぞ」
大青龍刀をひっさげながら、関羽は馬を乗りつけて、敵の中軍へ呼びかけた。
王忠も躍りあわせて、
「匹夫っ、降るなら、今のうちだぞ。わが中軍には、曹丞相あり。あの御旗が目に見えぬか」
と言った。
ふる雪に、牡丹のような口を開いて。関羽はからからと大笑した。
「曹操がおるなれば、なによりも望む対手。これへ出せ」
三
王忠は、唾して言い返した。
「かりにも、曹丞相ほどなお方が、汝ごとき下賤の蛮夫と、なんで戦いを交えようか。もう一度生まれ直して来い」
「吐ざいたな。王忠」
関羽が馬を駈け寄せると、王忠も槍をひねって、突っかけてくる。関羽はよい程にあしらって、わざと逃げ出した。
「口ほどにもない奴」と、浅慮にも、王忠は図にのって関羽を追っかけた。
「口ほども無いか、有るか、鞍の半座を分けてつかわす。さあ王忠、こっちへ来い」
関羽は、青龍刀を左の手に持ち変えた。王忠は、あわてて馬の首をうしろへ向けた。が、早くも関羽の臂は彼の鎧の上小帯をつかみ、
「じたばたするな」
と、ばかり軽々小脇に引っ抱えて馳け出した。
潰乱する王忠軍を蹴ちらして、馬百匹、武器二十駄を分捕って、関羽の手勢はあざやかに引き揚げた。
帰城すると、早速、関羽は王忠をしばりあげて、玄徳の前に献じた。
玄徳は王忠に向かって、
「汝、何者なれば、詐って曹丞相の名を偽称したか」と、詰問した。
王忠は答えて、
「詐りは、われらの私心ではない。丞相がわれ等に命じて、御旗をさずけ、疑兵の計事をさせられたのである」と、ありのままに言った。
そして、なお、
「不日、袁紹を破って、丞相がこれに来給えば、徐州ごときは、一日に踏みつぶして了われるであろう」と豪語を放った。
玄徳はどう考えたか、王忠の繩を解いて、
「君の言は、寔に、神妙である。事の成り行きから、丞相のお怒りをうけ、征を受けて、やむなくこの徐州を守るものの、玄徳には曹操に敵対する意志はない。君もしばらく当城にあって、四囲の変化を待ち給え」と、彼を美室に入れて、衣服や酒を与えた。
王忠を奥に軟禁してしまうと、玄徳はまた近臣を一閣に集めて、
「だれぞ、この次に、もうひとりの劉岱を、敵の陣から生け捕って来る智者はないか」と、言った。
関羽は、雑談的に、
「やはり家兄のお心はそこにありましたか。実は、王忠と出会った時、よほど一戟の下に斬って捨てんかと思ったなれど、いやいやあるいは兄の御本心は、曹操と和せず戦わず──不戦不和──といったような微妙な方針を抱いておられるのではないかとふと考えつき、わざと手捕りにして持ち帰りましたが」と語って、自分の推測があたっていたか否かを、率直にたずねた。
すると、玄徳は、会心の笑みをもらして、
「さなり、さなり! 不戦不和とは、よくわが意中の計を観た。さきに張飛がすすんで行こうと言ったのを止めたのも、張飛の躁がしい性質では、必ず王忠を殺して来るにちがいないと惧れたからである。王忠、劉岱のごとき輩を殺したところで、われには何の益もなく、かえって曹操の怒りを煽るのみであるし、もし、生かしておけば、曹操がわれに対する感情もいくらか緩和されてくるであろう」
そう聞くと、張飛はまた、前へ進み出て、玄徳に言った。
「わかりました。そう御意中を承われば、こんどは、この方が出向いて、必ず劉岱をひきずり参らん。どうかこの方をおつかわし下さい」
「参るもよいが、王忠と劉岱とは、対手がちがうぞ」
「どう違いますか」
「劉岱は、むかし兗州の刺史であったころ、虎牢関の戦いで、董卓と戦い、董卓をさえ悩ましたほどの者である。決してかろんずる敵ではない。それさえ弁えておるならば行くがよい」
不戦不和
一
どうも煮えきらない玄徳の命令である。争気満々たる張飛には、それがもの足らなかった。
「劉岱が虎牢関でよく戦ったことぐらいは、この方とても存じておる。さればとて、何程のことがあろう。即刻、馳せ向かって、この張飛が、きゃつをひッ摑んでこれへ持ち来って御覧に入れます」
「そちの勇は疑わぬが、そちの躁がしい性情をわしは危ぶむのだ。必ず心して参れよ」
玄徳の訓戒に、張飛は、むっと臆をたてて、
「躁がし躁がしと、まるで耳の中の虻か、懐中の蟹みたいに、この張飛をお叱りあるが、もし劉岱を殺して来たら、何とでも言うがいい。いくら兄貴でも主君でも、そう義弟をばかにするものじゃない」と、言いちらして、彼はぷんぷん怒りながら閣外へ出て行った。
そして三千の兵を閲して、
「これから劉岱を生け捕りに行くんだ。おれは関羽とちがって軍律は厳しいぞ」
と、兵卒にまで当たりちらした。
張飛に引率されて行く兵は、敵よりも自分たちの大将に恐れをなした。──一方、寄手の劉岱も、張飛が攻めて来たと知って、ちぢみ上がったが、
「柵、塹壕、陣門をかたく守って、決して味方から打って出るな」と、戒めた。
短兵急に押しよせた張飛も、蓑虫のように出て来ない敵には手の下しようもなく、毎日、防寨の下へ行っては、
「木偶の棒っ。──糞ひり虫。──糞ひることも忘れたのだろ」と、士卒をけしかけて、悪口雑言をいわせたが、何と言われても、敵は防禦の中から首も出さなかった。
張飛は、持ち前の短気から、業を煮やして来たとみえ、
「もうよそよそ。このうえは夜討ちだ。こよい二更のころに、夜討ちをかけて、蛆虫どもを踏みつぶしてくれる。用意用意」と、声あららかに命じ、準備がととのうと、
「元気をつけておけ」と、昼のうちから士卒に酒を振る舞い、彼自身も、したたか呑んだ。
「景気のいい大将」と、兵隊たちも、酒を呑んでいるうちは、張飛を
礼讃していたが、そのうちに、何か気に

わない事があったのか、張飛は、
咎もないひとりの士卒を、さんざんに
打擲したあげく、
「晩の門出に、軍旗の血祭りに具えてくれる。あれに見える大木の上に縛り上げておけ」
と、言いつけた。
士卒は、泣き叫んで、掌を合わせたがゆるさない。高手小手にいましめられて、大木のうえに、生き磔刑とされてしまった。
夕方になると、たくさんな鴉がその木に群れて来た。張飛に打ちたたかれて、肉もやぶれ皮も紫いろになっている士卒は、もう死骸に見えるのか、鴉はその顔にとまって、羽ばたきしたり、嘴で眼を突ッついたり、五体も見えないほど真っ黒にたかって躁いだ。
「ひイっ......畜生っ」
悲鳴をあげると、鴉はぱっと逃げた。ぐったり、首を垂れていると、また集まってくる。
「──助けてくれっ」
士卒はさけび続けていた。
すると、夕闇を這って、仲間のひとりが、木に登って来た。何か、彼の耳元にささやいてから、繩目を切ってくれた。
「畜生、この恨みをはらさずにおくものか」
半死半生の目に会った士卒も、その友を助けた士卒も、抱き合って、恨めしげに張飛の陣地を振り向き、闇にまぎれてどこともなく脱走してしまった。
二
陣営のうちで、張飛はまだ酒をのみつづけていた。
そこへ卒の一伍長が、あわただしく馳け込んで来て、
「見張りの者の怠りから大失態を演じました。申しわけもございません」
と、懲罰に処した樹上の士卒が、いつの間にか逃走した由を、平蜘蛛のようになって慄えながら告げた。
「知っとる知っとる。将として、それくらいな事、知らんでどうする。......あはははは、それでいいのだ」
彼は、大杯を挙げて、自ら祝すように飲み干し、幕営を出て、星を仰いだ。
「そろそろ二更のころだな。──わが三千の兵は三分して各自の行動に移れ。──その一は、間道をしのび、その二は、山を越え、その一は、止まって敵の前面へ向かう」
張飛の命令が伝わると、やがて夜靄のなかに、まず二千の兵が先に、どこかへうごいて行った。
それは、敵の防寨の背後へまわって忍ぶ潜兵らしかった。
「まだちと早い。もう一杯飲んでからでいい」
張飛は、残る三分の一の兵をそこに止めて、なお一刻ほど、酒 壺を離さず、時折、星の移行を測っていた。
その

。
劉岱の防寨の方では、早くも、今夜敵の張飛が夜討ちをかけてくるということを知って、ひどく緊張していた。
「あわてるな。敵の脱走兵の訴えとて、滅多に信じるとは危険だ。おれ自身、その兵を取り調べてみよう。ここへ其奴を引ッ張って来い」
劉岱は、部下の動揺を戒めて、その夕方、密告に馳け込んで来たという二人の敵の脱走兵を、自分の前に呼び出した。
見ると、ひとりはただの士卒だが、もう一名のほうが、手足も傷だらけで、顔は甕のごとく腫れあがっている。
「こら、敵の脱走兵。貴様たちは、張飛から策をうけて、今夜、夜討ちをしかけるなどとあらぬ事を密告に来、わが陣地を攪乱せんと企んで来たにちがいあるまい。そんな甘手にのる劉岱ではないぞ」
「滅相もない事を。......手前どもは鬼となっても、張飛のやつを、全滅の憂き目に会わせてくれねばと......死を賭して、御陣地へ逃げこんで来た者でございます」
「いったい、なんで張飛に対し、そのように根ぶかい恨みを抱くのか」
「詳しいことは、先に御家来方まで、申しあげたとおりで。そのほかに、仔細はございません」
「なんの
咎もないのに
打擲されたあげく、大樹の

にしばりあげられたというが」
「へい。あまりといえば、酷い仕方ですから、その返報にと思いまして」
「......これ。だれかあの脱走兵の訴人を裸体にしてみい」
劉岱は傍らの者に命じた。
言下に、訴人の兵は、真っ裸にされた。──見れば、顔や手足ばかりでなく、背にも臂にも、繩目のあとが痣になっていた。そして全身、鼈甲の斑みたいに腫れている。
「......なるほど、詐りでもないらしいが」と、疑いぶかい劉岱も、半分以上、信じて来たが、まだ決しかねて、敵の夜討ちに備える手配も怠っていた。
すると、果たして。
二更もすこし過ぎたころ、防寨の丸木櫓にのぼっている不寝番が、
「夜襲らしいぞ」と、警板をたたいた。
夜靄のうちから潮のような鬨の声が聞こえた。と思うと、陣門の前面に、敵が柴をつんで焼き立てる火光がぽっと空に映じた。矢うなりはもう劉岱の身辺にも落ちて来た。
「しまった! ......敵兵の密訴は噓でもなかったのだ。それっ、一致して防戦にあたれ」
慌てふためいた劉岱は、自分も獲物を取って、直ちに防ぎに走り出した。
三
諸所へ火を放ち、矢束を射込み、鼓を鳴らし、鬨の声をあげなどして、張飛の夜襲はまことに張飛らしく、派手に押しよせて来た。
劉岱は、それを見て、
「きゃつ、勇なりといえども、もとより智謀はない男、何ほどのことやあらん」
と一跳びの意気で、防戦にあたった。
劉岱の指揮の下に、全塁の将卒がこぞって馳け向かったので、たちまち、夜襲の敵は撃退され、いかに張飛が、
「退くなっ」と、声をからしても、総くずれのやむなきに立ち到り、張飛も柴煙朦々たるなかを、逃げる味方と火に捲かれて、逃げまどっていた。
「こよいこそ、張飛の首はわが手のもの。寄手の奴ばらは一人も生かして返すな」
劉岱は、最後の号令を発し、ついに、防寨の城戸をひらいて、どっと追いかけた。
張飛はそれと見て、
「しめた。思うつぼに来たぞ」
にわかに、馬を向け直し、まず劉岱を手捕りにせんと喚きかかった。
それまで、逃げ足立っていた敵が、案に相違して、張飛と共に、俄然攻勢に転じて来たので、要心深い劉岱は、
「これは怪訝しい」
とあわてて、味方の陣門へ引っ返そうとしたところ、時すでに遅かった。
その夜、正面に来た寄手は、張飛の兵の三分の一にすぎず、三分の二の主隊は、防寨のうしろや側面の山にまわっていたものなので、それが機をみるやいっせいになだれ込んで来たため、すでに彼の防塁は、彼のものでなくなっていた。
「計られたか」
と、うろたえている劉岱を見つけて、張飛は馬を駈け寄せてゆくなり引っ摑んで大地へ抛り出し、
「さあ、持って帰れ」と、士卒にいいつけた。
すると、防寨の中から、
「その繩尻は、私たちに持たせて下さい」
と走り出て来た二名の兵卒がある。それは張飛の命によってわざと張飛の陣を脱走し、劉岱へこよいの夜襲を密告して、彼等の善処を遑なくさせた殊勲の二人だった。
「ゆるす。引っ立てろ」
張飛は、その二人に繩尻を持たせて、意気揚々ひきあげた。
残余の敵兵も、あらかた降参したので、防寨は焼き払い、劉岱以外、多くの捕虜を徐州へ引きつれて帰った。
この戦況を聞いて、玄徳のよろこびかたは限りもないほどだった。わが事のように、彼の巧者な手際を褒めて、
「張飛という男は、生来、もの躁がしいばかりであったが、こんどは智謀を用いて、戦の功果をあげた。これでこそ、彼も一方の将たる器量をそなえて来たものといえよう」
そう言って彼自身、城に出迎えた。張飛は大音をあげて、
「家兄、家兄。いつもあなたは、この張飛を、耳の中の虻か、懐中の蟹のごとく、もの躁がしき男よと口癖におっしゃるが、今日はいかに?」
と、得意満面で言う。
玄徳が打ち笑って、
「きょうの御身は、まことに稀代の大将に見える」と言うと、そばから関羽が、
「しかしそれも先に、家兄がふかく貴様をたしなめなかったら、こんなきれいな勝ちぶりはしまい。この劉岱の首などは、とうに引き千断ッて携えて来たであろう」と、交ぜかえした。
「いや、そうかも知れんて」
張飛が、爆笑すると、玄徳も笑った。関羽も哄笑した。
三人三笑の下に、繩目のまま、引きすえられていた劉岱は、ひとり可笑しくもない顔をしていた。
四
その劉岱のすがたへ、ふと眼をとめると、玄徳は何思ったか、劉岱の縛めを解いて、
「さあ、こちらへ」と、一閣の内へ、自身で案内して行った。
そこには、さきに捕虜とされた王忠が贅沢な衣服や酒食を与えられて、軟禁されていた。
玄徳は、敵の虜将たる二人を、美酒佳肴の前にならべて置いてこう言った。
「敵の玄徳に、酒食を饗せられるは心外なりと思し召すやも知れませんが、どうかそんな御隔意はすてて充分おすごし下されたい」
杯をすすめ、礼言を重んじ、すこしも対手を敗軍の虜将と蔑むふうもなく、
「──寔に、この度のまちがいは、不肖玄徳にとっても、あなた方にとっても、不幸なる戦いでした。もともと、自分は丞相から大恩をうけていますし、まして丞相の命は、朝廷の御命です。何でそれに叛きましょうか。常に、折あらば報ぜんと思い、事ありては、かく誤解されている身の不徳を嘆いているのです。どうか、都へお立ち帰りの上は、この玄徳の衷情を、丞相へくれぐれも篤くお伝えしていただきたい」
劉岱と王忠は、彼の慇懃と、その真実をあらわしていう言葉に、ただ意外な面持ちであった。
で、二人も、誠意をもって答えずにいられなかった。
「いや、劉予州。おん身の真実はよくわかった。けれど、われわれは足下の擒人である。どうして都の丞相へ、そのことばをお取り次ぎできようか」
「一時たりとも、繩目の恥をお与えして、申しわけないが、もとより玄徳には、御両所の生命を断たんなどという不逞な考えはありません。いつでも城外へお立ち出で下さい。それも玄徳が丞相の軍に対して、恭順を示し奉る実証のひとつとおわかり下されば、有り難いしあわせです」
果たして、翌日になると、玄徳はふたりを城外へ送り出したのみか、捕虜の部下もすべて劉岱、王忠の手に返した。
「まったく、玄徳に敵意はない。しかも彼は、兵家の中にはめずらしい温情な人だ」
ふたりは感激して、そうそう、兵をまとめ、許都へさして引き揚げて行ったが、途中まで来ると、一叢の林の中から、突として、張飛の軍隊が襲って来た。
張飛は二将の前に立ち塞がって、眼をいからしながら、
「せっかく生け捕りにした汝等ふたりを、むざむざ帰してたまるものか。兄貴の玄徳が放してもおれは放さん。通れるものなら通ってみろ」と、例の丈八の大矛をつきつけて言った。
劉岱と王忠も今は戦う気力もなく、ただ馬上で震えあがっていた。すると、後ろからただ一騎、かかる事もあろうかと玄徳のさしずで追いかけて来た関羽が、
「やあ張飛! 張飛! また要らざる無法をするか。家兄の命にそむくか!」
と、大声で叱りつけた。
「やあ兄貴か、何で止める。今こやつ等を放せば、ふたたび襲って来る日があるぞ」
「重ねて参らば、重ねて手捕りにするまでのことだ」
「七面倒な! それよりは」
「ならんと申すに」
「だめか」
「強いて両将を討つなら、関羽から先に対手になってやる。さあ来い」
「ば、ばかを言え」
張飛は横を向いて、舌打ちを鳴らした。
劉岱、王忠のふたりは、重ね重ねの恩を謝し、頭を抱えんばかりの態で許都へ逃げ返った。
その後。
徐州は守備に不利なので、玄徳は小沛の城に拠ることとし、妻子一族は関羽の手にあずけて、もと呂布のいた下邳の城へ移した。
奇舌学人
一
劉岱、王忠は、やがて許都へたち還ると、すぐ曹操にまみえて、こう伏答した。
「玄徳にはなんの野心もありません。ひたすら朝廷をうやまい、丞相にも服しております。のみならず土地の民望は篤く、よく将士を用い、敵のわれわれに対してすら徳を垂れることを忘れません。まことに人傑というべきで、ああいう器を好んで敵へ追いやるというのもはなはだ策を得たものではあるまいと存じまして」
皆まで聞かないうちに、曹操の眉端はピンと刎ね上がっていた。烈火のごとき怒りをふくんだ気色である。
「だまれ、汝等は曹操の臣か玄徳の臣か。予の丞相旗をかかげ、わが将士を率い、何のために徐州へ赴いたか」
彼はまた左右の武将をかえりみて言った。かくのごとく、他国に征して、他国にわが名を辱めた不届き者は、諸人の見せしめ、各営門を曳き廻した上、死罪にせよ、と厳命した。
すると、かたわらに在った孔融が、彼の怒気をなだめて言った。
「もともと劉岱、王忠の輩は、玄徳の対手ではありません。それは、丞相もあらかじめお感じになっていた事かと拝察いたします。しかるを今、その結果を両名の罪にばかり帰して、これを死罪になし給えば、かえって諸人の胸に丞相の御不明を呼び起こし、同じ主君に仕える者どもは、ひそかに安き思いを抱かないでしょう。これは、人心を得る道ではありません」
孔融のことばが終わるころには、曹操の顔いろも常に返っていた──実にもと、うなずいて、二人の死罪はゆるす代わりに、その官爵を取りあげて、身の処置は、後日の沙汰と言い渡した。
その後、日をあらためて、曹操は自身大軍をひきいて、徐州へ攻め下らんと議したが、孔融はまた、彼に自重をすすめた。
「今、極寒の冬の末に向かって、みだりに兵を動かすのもいかがなものでしょうか。来春を待って御発向あるも遅くはありますまい。その間になすべき事がないではありません。まず外交内結、国内を固めておくべきでしょう。愚臣の観るところでは、荊州の劉表と、襄城の張繡とは、ひそかに聯携して、あえて、朝廷にさえ不遜な態度を示しています。──いま丞相が使臣をそれへ遣わされて、その不平を慰 撫し、その欲するものを与え、その誇るものを煽賞し、一時、虫をこらえて、礼を厚うしてお迎えあらば、彼等はかならず来って丞相の麾下に合流しましょう。──すでに荊州襄城のふたつを、丞相の勢力下に加えておしまいになれば、天下、ひびきに応ずるごとく、諸々の群雄も、風に靡いて来るにちがいありません」
「その経策は、予の意志とよく合致する。さっそく、人を遣ろう」
そこで、囊城(漢口より漢水方面へ二八キロ)の張繡へは、曹操の代理として、劉曄が使いに立った。
襄城第一の謀士賈詡は、曹操の使を迎えて、心中大いに祝しながら、来意を問うと、劉曄は、
「当今、乱麻の世にあたって、その仁、その勇、その徳、その信、その策、真に漢の高祖のような英傑を求めたなら、わが主君、曹操を措いては他にあろうとも思われません。あなたは湖北に隠れなき烱眼洞察の士と聞いていますが、どう思われますか」
「然り。わたくしの考えも同じである」
賈詡は、そう答えた上、その答えの詐りでない証拠にと、主人張繡にむかって、曹操の美徳を称え、
「この際、おすすめに任せて、曹丞相に服し給うこそ、御当家にとっても、最善な方策でありましょう」と、転向を促した。
ところへまた、折も折、河北の袁紹からも、同じような目的の下に、特使が来て、袁紹の書簡を襄城にもたらした。
二
同じ密命をもった一国の使臣と使臣が、その目標国の城内で、しかも同じ時にぶっつかったのである。
曹操の使臣たる劉曄は、すくなからず心をいためた。──河北の袁紹から来た特使とあっては、いかに自国を贔屓 目に見ても、ひけめを抱かずにはいられなかったからである。
「御心配には及ばん。あなたは、拙者の私邸に移って、成り行きを見ておられるがいい」
彼が唯一の力と恃む賈詡がそう言ってくれたので、劉曄はいささか希望をもち、賈詡の私邸に泊まっていた。
賈詡は、袁紹の使いを、城中に迎えて、対面した。そして、問うて曰く、
「さきごろ、貴国では、兵を催して、曹操を攻められた由ですが、まだ寡聞にして、その結果を聞いておりません。勝敗はどうついたのですか」
特使は、答えて言う。
「なにぶん冬期にかかりましたので、しばらく戦を休め、決戦は来春のこととして、待機しておるわけであります。──折から我が大君袁紹におかれては、常に荊州の劉表と襄城の張繡とは、共に真の国士なり、と仰せられていましたが、切に両雄を傘下にお迎えありたい意志があります。よって不肖それがしを使として、今日、さし向けられた次第。よろしく台下にお取り次ぎあらんことを」
再拝して、切り口上を述べたてるのを、賈詡はあざ笑って、
「なにかと思えば、そんなことであったか。特使には御苦労だったが、はやはや国へ立ち帰って、袁紹に慥と告げよ──。自分の骨肉たる袁術に対してさえ、常に疑いをさし挾んで容れ得なかったではないか。そんな狭量をもって、いずくんぞ天下の国士を招いて用いることができようか──と」
書簡を破りすてて、追い返してしまったので、それを後で聞いた彼の主人張繡は色を失って、
「なんで、儂にも取り次がずに、そんな無礼を振る舞ったか」と、賈詡をなじった。
賈詡は、恬然として、
「同じ下風につくなら、曹操に降った方がましだからです」と、言った。
張繡は、顔を横に振って、
「否とよ。其方はもう往年の戦を忘れたのか。儂と曹操とは、宿怨のあいだがら、以来何も溶けてはいない。──いまもし、彼の誘降にまかせて、彼の下風に降れば、後にかならず害されるにきまっておる」
「いやいや、それはあまりにも、英傑の心事を知らないものです。曹操の大志、なんで過去の敗戦などを、いつまで怨みとしていましょう。──また、袁紹と比較してみると、曹操には、三つの将来が約されています。一は、天子を擁し、二は時代の気運にそい、三は、大志あってよく治策を知ることです」
「しかし、袁紹は富強だが、曹操は、それに較べると、まだはなはだ弱小だが」
「わたくしは現世を問うのではありません。将来を言っているのであります。まず一、二年ぐらいな安泰をお望みなら、袁紹の方へおつきなさい」
賈詡にそう突っ放されると、張繡の自信も、心細いものだった。賈詡は次の日、劉曄を伴って来て、張繡に会わせた。──劉曄も口を極めて、
「曹操は、決して、過去の讐などを、くよくよ心にとめている人ではありません。そんな事にこだわっているほどなら、何で今日、礼を厚うして、わたくしなどを差し遣わしましょうや」
と、説いた。
ついに、張繡の心もうごいて、曹操の誘いにまかせ、襄城を発して、降をその門に誓った。
曹操は、自身出迎えて、張繡の手を取らんばかり、堂に迎えた。そして、彼を揚武将軍に任じ、またこの斡旋に功労のあった賈詡を執金吾とした。
襄城の誘降は、外交だけで、かくのごとき大成功を見たが、一方、荊州のほうは、完全に失敗していた。
三
荊州(湖北省・江陵・揚子江の流域)の劉表は、諸国に割拠する群雄のうちでも、たしかに群を抜いた一方の雄藩であった。
第一には、江岸の肥沃な地にめぐまれていたし、兵馬は強大だし、かつては江東の孫策の父孫堅すら、その領土へ侵入しては、惨敗の果てその身も戦死を遂げ、恨み多き哀碑を建てて、いたずらに彼を誇らせたほどな地である。
──で、当然のように。
曹操から派遣された誘降の使者は、劉表の一笑に会って、まるで相手にもされず追い返されてしまったのである。
その経過を聞いて、張繡は、曹操に随身した手初めの働きにと、
「自分から劉表へ書簡をしたためましょう。わたくしと彼とは、多年の交わりですから」
と、申し出た。
彼は、書簡のうちに、天下の趨勢やら、利害やら細細書いて、公私の両面から、説破を筆に尽くしたが、なお念のために、
「だれか、弁舌の士が、これを携えて行けば、かならず功を奏すかと思いますが」
と、言い添えて、曹操の手元へさし出した。
「だれか、しかるべき説客はないだろうか」
曹操がたずねると、侍臣のうちから孔融が答えた。
「わたくしの知る範囲では、平原の禰衡しかありません。禰衡ならば、荊州に使しても、先に怯まず丞相のお名も辱めまいと思われますが」と、推薦した。
「禰衡とは、いかなる人物か」
「わたくしの邸の近所に住んでいるものであります。才学たかく、奇舌縦横ですが、生まれつき狷介で舌鋒人を刺し、諷言飄逸、おまけに、貧乏ときていますから、だれも近づきません。──しかし、劉表とは、書生時代から交わりがあって今でも文通はしておるらしいようです」
「それは適任だ」
すぐ召し呼べとあって、相府から使が走った。
平原の禰衡、字は正平。迎えをうけて、ふだん着の垢臭い衣服のまま、飄々乎としてやってきたが曹操以下の並居る閣のまん中に立つと無遠慮に見廻して、
「ああ、人間がいない、人間がいない。天地の間は、こんなに闊いのに、どうして人間は、こういないのだろう!」と、大声を発して言った。
曹操は聞きとがめて、
「禰衡とやら、なんで人間がいないというか、天地間はおろか、この閣中においてすら、多士済々たる予の麾下の士が眼に見えぬか」と、彼も、大音で言った。
禰衡は、かさかさと枯れ葉のように笑って、
「ははあ、そんなにおりましたかな。願わくば、どう多士済々か、どう人間らしいのが居るか、つまびらかに、その才能をうかがいたいものだが」と、何のおそれ気もなく言い放った。
かねて、奇弁畸行の学者と、その性情を聞いている上なので、曹操も別に咎めもせず、また驚きもせず、
「おもしろい奴、しからば右列の者から順に教えてやるから、よく眼に観、耳に聞いて覚えておくがよい──まずそれにおる荀彧、荀攸はみな智謀ふかく、用兵に達し、いにしえの蕭何とか、陳平などという武将も遠く及ばん人材である。また次なる張遼、許褚、李典、楽進の輩は勇においてすぐれ、その勇や万夫不当、みな千軍万馬往来の士である。なお見よ。左列の于禁、徐晃のふたりは、古の岑彭、馬武にも勝る器量をそなえ、夏侯惇は、軍中第一の奇才たり。曹子孝は、平常治策の良能、世間の副将というべきか。──どうだ、学人。これでも人なしというか」
四
禰衡は、聞くとたちまち、腹をかかえて傍若無人に打ち笑った。
「さてさて、丞相もよい気なもの哉。──わが観る眼とは、大きに違う」
「臣を観ること君に如かず──と言うに、この曹操が麾下に対してさる眼ちがいでは大軍を誤ろう。学人、忌憚なく、汝の評を言ってみよ」
「では、わしが遠慮なく、列座の面々を
月旦するが、気を腐らしたもうなよ。まず、──荀彧には病を問わせ、
喪家の
柩を弔わしむべし。荀攸には、墓を掃かせ、
程昱には門の番をさせるがいい。
郭嘉には、文を書かせ詩でも作らせておけば足る。張遼には、
鼓の皮でも張らせ、
鉦をたたかせたら上手かも知れん。許褚には、牛馬や豚を飼わせておけばよくやるだろう。李典は、書簡を持たせて、使奴につかえば似合う。
満寵には、
酒槽でも

らわせておき、
酒樽のタガを
叩かせておくとちょうどいい。徐晃は、
狗ころしに適任だ。
于禁は、背に板を負わせて、
墻を築かせればよく似合うし、夏侯惇は片目だから眼医者の
薬籠でも持たせたら、
恰好な薬持ちになれるだろうに。──その他の者どもに至っては、いちいち言うも
煩わしいが、衣を着るゆえに
衣桁のごとく、飯をくらう故に飯ぶくろのごとく、酒を飲むゆえに
酒桶のごとく、肉をくらうが故に肉ぶくろに似たるのみだ。時に、手足をうごかし、時に口より音を発するからとて、人間なりとは申されん。
蟷螂も手足を振る舞い
蚯蚓も音を発する。──丞相のおん眼はふし穴か、これがみな人間に見えるとは。──ああ、おかしい、ああおかしい」
ひとり手を打って笑う者は禰衡だけで、あまりな豪語と悪たいに、満堂激色をしずめて寂としてしまった。
さすがの曹操も、心中ひどく怒りを燃やしていた。あらかじめ、奇舌縦横の野人と、断わりつきを承知で招いたので、どうしようもなかったが、苦虫を嚙みつぶしたような面持ちで、
「学人。さらばそちに問うが、そち自身そもそも、なんの能があるかっ」
と、憤然、高いところから声をあらげて質問した。
禰衡は、にんやりと唇を大きくむすんで、傲慢不遜な鼻の穴を、すこし仰向けながら、鼻腔で息をした後、
「──天文地理の書、一として通ぜずということなく、九流三教の事、暁らずということなし。そのことばは、かくいう禰衡を称するため出来ているようなものだ。......いやまだ言い足らん。上はもって君を堯舜にいたすべく、下はもって徳を孔顔に配すべし。......ちと難しいな。わかるまい。もっとくだけて言おうならば、胸中には、国を治め、民を安んずる経綸がいっぱいで、ほかに私慾を容れる余地もないくらいだというのだ。こういう器をこそ、ほんとの人間というので、そこらの糞ぶくろとひとつに観られては迷惑する」
すると、突然、列座のなかほどで、剣環が鳴ったと思うと、
「言わしておけば、言いたい放題な悪口を。──うぬっ、舌長な腐れ学者め! うごくなっ」と、呶鳴りながら、起ちあがった者がある。
見れば、さきほどから穏やかでない眉をして、じっと怺えていた張遼が、ついに、堪忍ぶくろを切って剣のつかへ手をかけ、あわや跳びかかって、禰衡を斬ッてしまおうとする形相であった。
「待てっ」
曹操は、鋭く押しとどめて、かつ、語をあらためて、列臣へ告げわたした。
「いま、禁裡の楽寮に、鼓を打つ吏員を欠いておると聞く。──近日、朝賀の御酒宴が殿上で行なわれるから、その折、禰衡をもちいて鼓を打たそうではないか。──いかに学人、行くとして可ならざるなきそちの才能とあれば、鼓も打てよう。異存はあるまいな」
彼を困らしてやろうという曹操の考えであることはわかりきっている。だが、禰衡はあえて辞さなかった。むしろ得意げに、
「なに、鼓か。よろしい」と、ひきうけて、その日は、悠々と退いた。
雷 鼓
一
実に、とんでもない漢を、推薦してしまったというほかはない。人の推挙などというものは、うっかりできないものである──と、ひとり恐れ悔いて、当惑の色ありありと見えたのは、禰衝を推挙した孔融であった。
その日、そのせいか、孔融はいつ退出したか、だれも知らなかった。
あとに残った人々の憤々たる声や怒るつぶやきは喧しいほどだった。
張遼のごときは、わけても憤りが納まらないで、曹操に向かって、
「なぜあんな乞食儒者に、勝手な熱をふかせて、丞相たるあなたが斬り捨てておしまいにならなかったのですか」と、烈しく詰問った。
曹操は、それに答えて、
「いや、予も腹にすえかねて、身が震えるほどだったから、よほど斬り捨ててくれようかと思ったが、彼の畸行は、世間に評判のようだし、彼の奇舌は、世上に虚名を博しておる。いわば一種の反動者として、民間へは妙な人気のありそうな漢だ。──そういう人気者へ、丞相たる予が、まじめに怒ってそれを手打ちにしたなどと聞こえると民衆はかえって、予の狭量をあざけり、予に期待するものは失望を抱くであろう......愚である愚である。それよりも彼が誇る才能には不得手な鼓を打たせて、殿上で嘲ってやったほうが、面白かろうではないか」と、言った。
時に、建安の四年八月朔日、朝賀の酒宴は、禁裡の省台にひらかれた。曹操ももちろん、参内し、雲上の諸卿、朝門の百官、さては相府の諸大将など、綺羅星のごとく賓客の座につらなっていた。
拝賀、礼杯の儀式もすすみ、宴楽の興、ようやく酣となったころ、楽寮の伶人や、鼓手など、一列となって堂の中央にすすみ、舞楽を演じた。
かねて、約束のあった禰衡も、その中に交じっていた。彼は、鼓を打つ役にあたって、「漁陽の三撾」を奏していたが、その音節の妙といい、撥律の変化といい、まったく名人の神響でも聞くようであったので、人々みな恍惚と聞き惚れていた。
──が、舞曲の終わりと共に、われに返った諸大将は、とたんに声をそろえて、禰衡の無礼を叱った。
「やあ、それにおる穢き者。朝堂の御賀には、楽寮の役人はいうまでもなく、舞人鼓手もみな、浄らかな衣服を着るのに、汝、何故に汚れたる衣をまとい、あたりに虱をふりこぼすぞっ」
さだめし顔をあからめて恥じるかと思いの外、禰衡はしずかに帯を解きはじめて、
「そんなに見ぐるしいか」
と、ぶつぶつ言いながら、一枚脱ぎ、二枚脱ぎ、ついに、真ッ裸になって赤い犢鼻褌一つになってしまった。
場所が場所なので、満堂の人は呆気にとられ、あれよあれよと興ざめ顔に見ていたが、禰衡はすましたもので、赤裸のまま、ふたたび鼓を取って三通まで打ち囃した。
荒胆では、人におくれをとらない諸武将すら、度胆をぬかれた顔しているので、堪りかねて曹操が雷喝した。
「畏れ多くも、朝賀の殿上において赤裸をあらわすは何者だっ! 無礼ものめッ!」
禰衡は、鼓を下においてぬっくと立ち、正しく曹操の席のほうへ臍を向けて、彼にも負けない声で言った。
「天をあざむき、上をいつわる無礼と、父母から享けたこのからだを、ありのまま露呈して御覧に入れる無礼と、どっちが無礼か、思いくらべてみよ。──わしは、このとおり正しく裏も表もない人間であることを見せて憚らん。丞相、口惜しければ、閣下も、冠衣を脱ぎ去って、わしのように、表裏一枚の皮しかないところを見せたまえ」
「だっ、だまれっ」
曹操も、ついに怒ってしまったか。──雲上殿裡、二つの雷鳴が嚙みあっているような声と声の震動だった。
二
曹操はついに、激して言った。
「これ、腐れ学者。──汝は口をあけば常に自分のみを清白のように言い、人を見ればかならず、汚濁のように誹るが、どこにそんな濁った者がいるか」
禰衡も負けずに言う。
「臭いもの身知らずである。──丞相には、自分の汚濁がおわかりにならないとみえる」
「なに。予を濁れるものというか」
「しかり。──あなたは賢そうに構えているが、その眼はひとの賢愚をすら識別がつかない。眼の濁っている証拠である」
「......申したな。おのれ」
「また、詩書を読んで心を浄化することも知らない。語は心を吐くと曰う。あなたの口の濁っているのは、高潔な修養をしていない証拠だ」
「......うウむ」
「ひとの忠言を聞かない、これを耳の濁りという。古今に通ぜぬくせに、我意ばかり猛々しい。これを情操の濁りと申す。日々坐臥の行状は、一として潔らかなるなく、一として放恣ならざるはない。これ肉体の濁りである」
「............」
「さらに、その諸濁の心は、だれひとり頭の抑え手もないままに、いつとなく思いあがって、ついには、反逆の心芽を育て、行く行くは、身みずからの荊棘を作るにいたる。──愚かしきかな。笑うべき哉」
「............」
「われ禰衡は、天下の名士であるものを、おん身は、礼遇もしないばかりか、鼓を打たせて辱めようとされた。まことに小人の沙汰である。むかし陽貨が孔子をうらんで害を加えんとしたり、臧倉などという輩が孟子に向かって唾を吐いたしぐさにも似ておる。おん身の内心には、人もなげなる覇道の遂行を思いながら、行なう事といったら、かくのごとき小心翼々たるものだ。小心にして鬼面人を脅すもの、是を、匹夫という。──実にも稀代の匹夫が玉殿にあらわれたものだ。時の丞相曹操! ああ偉大だ! 偉大な匹夫だ!」
手をたたいて慢罵嘲笑する彼の容子は、それこそ、偉大な狂人か、生命知らずの馬鹿者か、それとも、天が人をして言わしめるため、ここへ降した大賢か──とにかく推し量れないものがあった。
曹操の面は、蒼白になっている。否、殿上はまったく禰衡一人のために気をのまれてしまったかたちで、この結果が、どんな事になるかと、人事ながら文武の百官は唾をのみ歯の根を嚙んで、悽愴な沈黙をまもりあっていた。
孔融は心のうちで、今にも曹操が、禰衝を殺害してしまいはせぬかと──眼をふさいで、はらはらしていた。
その耳には、やがて満座の諸大将が、剣をたたき、眦をあげて、
「舌長なくされ学者め。言わしておけば野放図もない悪口雑言。四肢十指をばらばらに斬りさいなんで目にものをみせてくれる」
騒然、立ちあがる気配が聞こえた。──孔融はハッと眼をみひらいたが、とたんに満身の毛穴から汗がながれた。
曹操も立ちあがっていたからである。──が、曹操は、剣をつかんで雪崩れ行こうとする諸大将のまえに両手をひろげて、こう叫んでいた。
「ならん、だれが禰衡を殺せと命じたか。──予を偉大な匹夫と言ったのは、当たらずといえども遠からずで、そう怒り立つ値打ちはない。しかも、この腐儒などは、鼠のごときもので、太陽、大地、大勢を知らず、町にいては屋根裏や床下でひとり小理窟をこね、誤って殿上に舞いこんでも、奇矯な動作しか知らない日陰の小動物だ。斬り殺したところでなんの益にもならん、それよりは予が、彼に命じることがある」
一同を制した後、曹操は、あらためて禰衡を舞台から呼びよせ、衣服を与えて、
「荊州の劉表と交わりがあるか」と、たずねた。
三
「むむ。劉表とは多年、交わりがあるが──」と、禰衡が鼻さきで答えると、
「しからば、予のために、すぐ荊州へ下って、使いをせい」という曹操の命であった。
いま彼の命令とあれば、宮中でも相府でも、行なわれないことはなかったが、禰衡は、首を横に振った。
「いやだ」
「なぜ、いやか」
「おおかた用向きはわかっておるから、わしの任ではないと思うだけだ」
「予がまだ何もいわぬのに、使命に推察がつくというか」
「荊州の劉表を説いて、あなたの門に
駒をつながせたら、あなたはたちまち
御機
がよくなるだろう」
「そのとおりだ。劉表に会ってよく利害を説き、この曹操に降を誓わせて帰ったら──汝を宮中の学府に入れ、公卿として重く用いてつかわすが、どうだな」
「ははは、鼠が衣冠したら、さぞ滑稽であろう」
「予は、汝の一命を、汝に貸し与えておくものである。否も応も言わさん。すぐ出立せい」
曹操は、武官を顧みて、
「この者に、良い馬をとらせ、華々しく、酒肴を調えて、門出の餞別をしてつかわせ」
といいつけた。
人々は、禰衡をかこんで、わざと口々に囃したて、また、杯をあげて、彼にもしたたかに飲ませた。
そして東門廊まで大勢で送り出し、馬を引き寄せて、鞍の上まで手伝って押し上げた。
曹操はまた下知して、
「予の命をおびて出立する大使のために、一同、東門の外に整列して、見送りをいたせ」
と、言った。
さっき禰衡が、名声ある学者に対して、礼遇をしないという点を挙げて罵っていたから、曹操は、さっそく彼の意を迎えて、この使者を有効に用いてやろうとする考えになっていたに違いない。しかし、それとわかりきっていても、文武の諸官は、心外な様子を示して、
「あんな気のふれた乞食儒者に、厳かな列送の礼が執れるものか」
と、だれひとり真面目に立つ者はいなかった。
ことに、荀彧などは、ぷんぷん怒りながら、部下の兵に向かって、公然と、
「禰衡がここへ出て来ても、立って送る必要はないぞ。みんな坐っていてよろしい。あぐらを組んで、あいつが否応なく立ってゆく泣きッ面を見送ってやれ」と、言って憚らなかった。
馬に乗せられた禰衡は、やがて馬の歩むままに、壮大なる東華門のうちからのこのこ出て来た。
馬も使者も、しょぼしょぼとしていたが、内では歓送の声と、旺な音楽がどよめいていた。門を出て見ると、荀彧の隊に倣って、どの兵隊も大将もあぐらを組んでうららかに坐りこんでいる。
「......ああ、悲しい」
禰衡は、馬をとめて、そう呟いていたが、たちまち声をはなって哭きだした。
日向の兵隊も日陰の兵隊もみなゲラゲラ笑い出した。荀彧は心地よげに、禰衡を見て揶揄った。
「先生──。晴れの首途に、何をそんなに泣くのでござるか」
すると禰衡は言下に答えた。
「見まわせば、数千の輩が、みな腰をぬかして、立つことを知らない。さながら死人の原だ。死人の原や死人の山のなかを行く。これが悲しくなくてどうしよう」
「われわれを死人だと。あははは、そういう貴様こそ、おれたちの眼から見れば、首のない狂鬼だぞ」
「いや、いや。わしは漢朝の臣だよ......」
禰衡の返辞は、まるで見当ちがいである。何をまた言い出そうとするのか、荀彧は
面
らったかたちで、眼をしばたたいた。
四
「なに漢朝の臣だと。──われわれもみな漢朝の臣だ。貴様ひとりが、なんで漢朝の臣か」
「そうだ、漢朝の臣は、ここにはわしひとりしか居ない。おまえ方はみな曹操の臣だろう」
「どっちでも同じこった」
「噓を言え、盲どもめ」
「盲だと」
「ああ暗い暗い、このとおり世の中は真っ暗だ。──聞けよ。蛆虫たち、この禰衡だけは、汝らとちがって、反逆者の臣ではないぞ」
「反逆者とはだれのことをいうか」
「もちろん曹操のことである。この禰衡をさして、首のない狂鬼だなどとおまえ方はいうが、反逆者に与するおまえ方の首こそ明日をも知れないものだ」
禰衡と荀彧の問答を、その周りで聞いていた他の部将たちは、いよいよ憤って、
「荀彧! なぜそいつを鞍から引きずり下ろしてしまわないのだ。おれたちの前へ抛ってくれ。膾斬りに叩ッ斬ってくれるから」と戟や剣をひしめかした。
荀彧も、殺意と癎癪が、一緒にこみあげて、ひとの手を待つまでもなく、ただ一太刀にと思ったが、曹操でさえ、堪忍して使者に用いたものを、みだりにここで殺しては──と、じっと怺えて、
「いや待て待て。丞相もさきほど仰せられた。こいつは鼠のごときものだと。鼠を斬ったら、おれたちの刀の穢れだ。まあ、鎮まれ鎮まれ」
禰衡は聞くと、首の上から左右の大将たちを、キラキラ眺めまわして、
「とうとうわしを鼠にしおったな。だが、鼠にはなお人に近い性がある。気の毒だが、おまえ方はまず糞虫だ。糞壺にうごめく蛆虫としか言えんな」
「なにっをッ」
戟戞して、つめよる諸将を、荀彧はやっと押し隔てて、
「まあ、言わしておけ、正気じゃない。いずれ荊州に行ってしくじるか、能もなく立ち帰って、大恥をさらすか、どっちにしろそれまで胴の上に乗ッかっているきゃつの首にすぎん。あははは、むしろ嗤え嗤え」
諸将から兵隊まで、こぞって嘲り嗤うなかを、禰衡は通って、禁門の外へのがれた。
あるいは、そのまま家へ帰って、逃げかくれてしまいはせぬかと、二、三の兵があとを尾けて行ったが、そうでもなく、驢背の姿は、急ぎもせず、怠りもせず、黙々と、荊州の方角へ向かって行った。
日ならずして、禰衡は、荊州の府に着いた。
劉表は、旧知なのでさっそく会うことは会ったが、内心、(うるさい奴が来たものだ)と、いう顔つきである。
禰衡の怪舌は、ここでも控え目になどしていないから、使者の格で来た手前、大いに劉表の徳を称しはしたが、一面またすぐ毒舌のほうで相殺してしまうから何にもならなかった。
劉表はこころに彼を

い、うるさがっていたので、
態よく、
江夏の城へ向けてしまった。
江夏には、臣下の黄祖が守っている。黄祖と禰衡とは、以前、交際があったので、
「彼も会いたがって居るし、江夏は風景もよく、酒もうまいから、数日遊んでおいでなさい」
と、態よく追い払ったのである。
その後で、ある人が、劉表に向かって、不審をただした。
「禰衡の滞城中、おそばで伺っておると、実に無遠慮な──というよりも言語道断な奇舌をもてあそんで、あなたを罵り辱めておったが、なぜあなたは彼を殺しもせず、江夏へやってしまったのですか」
劉表は笑って答えた。
「曹操さえ忍んで殺さなかったのは、理由のあることに違いない。曹操の考えは、この劉表の手で、彼を殺させようとして、使者によこしたものだろう。もし自分が禰衡を殺したら、曹操はさっそく天下に向かって、荊州の劉表は、学識ある賢人を殺したりと、
悪しざまに
吹聴するにきまっている。──だれがそんな
策にのるものではない。曹操も

えない
漢だからな。ははははは」
鸚鵡州
一
禰衡が江夏へ遊びに行っている間に、曹操の敵たる袁紹の方からも、国使を差し向けて、友好を求めて来た。
荊州は両国からひっぱり凧になったわけである。いずれを選ぶも劉表の胸ひとつにある。こうなると劉表は慾目に迷って、かえって大勢の判断がつかなくなった。
「韓嵩。其方の考えではどう思うな。曹操についたほうがよいか、袁紹の求めに従ったほうが利か?」
従事中郎将の韓嵩は、群臣を代表して、つつしんで答えた。
「要するに、その大方針は、あなたのお胸から先に決めなければなりますまい。もしあなたに天下のお望みがあるなら曹操に従うべきです。もし天下に望みがなければ、どっちでも歩のいい方を睨み合わせて荷担すればよろしいでしょう」
劉表の顔色を見ると、まんざら天下に望みがないふうでもない。で、韓嵩はまた言い足した。
「なぜならば、曹操は天子を擁し、その戦は、常に大義を振りかざすことができます」
「しかし袁紹の雄大な国富と勢力も侮れんが」
「ですから、曹操が敗れて、自ら破綻を生じ、いまの位置から失脚でもすれば、そこに必然彼に取ってかわる機会もあるというものではありませんか」
劉表はなお決しかねていたが、翌る日、また韓嵩をよび出して言いつけた。
「いろいろ考えてみたが、まず其方が都へのぼって、仔細に洛内の実情や、曹操の内ぶところを窺って来ることがよいな。こっちの去就は、そのあとできめてもよかろう」
韓嵩はよろこばない色を示して、しばらく考えていたが、やがてそれに答えて、
「わたくしは節義を守る人間だということをお信じねがいます。あなたが天子に順なるを旨とされて、天子の下にある曹操とも提携して行こうというお考えならば、使に参っても心安くぞんじますが、もしそうでないと、わたくしは節義のために非常に苦境に陥るやも知れません」
「なぜそんな心配を抱くのか。わしにはわからんが」
「てまえを都へお遣わしになると、曹操はかならずわたくしの歓心を迎えましょう。また万一には天子から官爵をくだし賜わるかも知れません。諸州の臣下が上洛した場合の例を見てもそれが考えられます。......するとてまえは、正しく漢朝の恩を着ますし、また漢家の臣であるに相違ありませんから、あなたに対しては故主、旧の御主人といったような気持になるかと思います。──そうなると事ある場合、天子の命に服しても、あなたのおためには働けないかも知れません」
「何かと思えば、そんな先の先までの取り越し苦労をしているのか。諸州の雄藩の臣にも、朝廷から官爵をもらっている者はいくらでもあるではないか。まあ、わしにはわしとして、別に考えのあることじゃ。すみやかに都にのぼり、曹操の内幕や、虚実のほどを充分さぐって来い」
韓嵩はやむなく命をうけて、荊州の物産や数々の珍宝を車馬に積み、数日ののち城下を発して許都へ向かった。
彼はさっそく相府の門をおとずれて、多くの土産ものを披露した。
曹操は先ごろ自分の使として、禰衡をやってあるところへ変だなとは思ったが、ともかく対面して、好意を謝し、また盛宴をひらいて長途の旅をなぐさめたりなどした。そしてまた如才なく朝廷に奏請して、彼のために侍中零陵の太守という官職を与えて帰した。
半月ほど滞在して、韓嵩が都を立つと、すぐそのあとで、荀彧が、曹操のまえに出て言った。
「なぜあんな者を、無事に帰してしまわれたのですか。彼は、許都の内情をさぐりに来たものに違いない。それを賓客あつかいなどして、まことに言語道断である。もうすこし中央の府たるものは、他州の外臣に対して、戒心を厳にせねばなりませんな」
二
「もっともな言である」と、一応は聞いているふうだったが、頷きのなかに笑いをたたえて、曹操はやがて荀彧に諭した。
「予には、作戦以外に、虚実はない。だから何を探って帰ろうと、予の実力の正価を知って戻るのみで、かえって歓迎すべき諜客といえようではないか。──それはいま荊州へは禰衡を派遣してある。予が期待しているのは、その禰衡を劉表の手で殺してくれることである。なにをそれ以上いま駈け引きをする必要があろうか」
彼の高論に、荀彧も服し、諸人なるほどと感心した。
一方の韓嵩は、荊州へ立ち帰ると、すぐ劉表にまみえて、許都の上下にみちている勃興気運のさかんなことを極力告げて、
「臣、愚考いたしますに、あなたの御子のうち、お一方様を。朝廷の仕官にさし出して、都へ人質として留めおかれたら、曹操も疑うことなく、従って将来、御家運のほどもいよいよ長久と存じられますが」と、述べた。
気に入らないとみえて、劉表は彼の話なかばから横を向いていたが、突然、
「二心をいだく双股膏薬め。──韓嵩を縛して斬り捨てい!」と、あたりの武士へ命じた。
武士たちは剣に手をかけながらさっと韓嵩のうしろに立った。韓嵩は手を振って叩頭百遍しながら、
「──ですから臣がお使いをうける前に、再三申しあげたではございませんか。わたくしは私の信じることを申しあげるのが、最善の臣道と心得、またお家のためと思っておすすめしたに過ぎません。お用いあるとないとは、あなたのお考え次第のことです」と、陳弁これ努めた。
侍臣の蒯良も、劉表のかたわらにあってともども、彼の言い訳をたすけて、
「韓嵩の言っていることは、少しも
詭弁ではありません。彼は都へ立つ前にも、口を
酢っぱくして、今のとおりなことを申し述べていました。ですから、都へ行ったため、にわかに
変したものとも、二心あるものとも言えませぬ。──それに、彼はすでに、朝廷から恩爵をうけて帰りましたから、いますぐに御成敗ある時は、朝廷に対しても、おそれある事、
平にここは御寛大にさしおかれますように」と懇願した。
劉表は、まだはなはだ釈然としない気色であったが、蒯良の事理明白なことばに、否むよしもなく、
「目通りはかなわん。死罪だけは許しておくが、獄に下げて、かたく繫いでおけい」と、命じた。
韓嵩は、武士たちの手に、引っ立てられながら、
「都へ行けばこうなる、荊州へ帰ればかくのごとくなると、わかりきっておりながら、ついに、自分の思っていたとおりに自分を持ってきてしまった。不信の末はかならず非業に終わるし、信ならんとすれば、またこうなる。世に選ぶ道というものは難しい! ......」
と、大きく嗟嘆をもらして行った。
彼の姿が消えると、すぐ入れちがいに、江夏から人が来て、
「賓客の禰衡が、とうとう黄祖のために殺されました」
という耳新しい事実を伝えて来た。
「なに、奇舌学人が......黄祖の手にかかって?」
予期していたことではあるが、そう聞くと、みな愕然とした色を顔にたたえた。劉表は、さっそく江夏から来た者を面前に呼び出して、
「どういう経緯で殺したのか、またあの奇儒が、どんな死に方をしたか?」
と、半ば、曹操に対するおそれと、半ば、好奇心をもって自身訊ねた。
三
江夏の使は、顛末を仔細にこう語り出した。──
その話に依ると、
禰衡は江夏へ行ってからも相変わらずで、人もなげに振る舞っていたが、ある時、城主の黄祖が、彼が欠伸しているのを見て、
「学人。そんなに退屈か」と、皮肉に訊ねた。
禰衡は、打ちうなずいて、
「なにしろ話し相手というものがないからな」
「城内には、それがしもおり、多くの将兵もいるのに、なんでまた」
「ところが一人として、語るに足る者はおらん。都は蛆虫の壺だし、荊州は蠅のかたまりだし、江夏は蟻の穴みたいなものだ」
「するとそれがしも」
「そんなもんじゃろ。何しても退屈至極だ。蝶々や鳥と語っているしかない」
「君子は退屈を知らずとか聞いておるが」
「噓を言え。退屈を知らん奴は、神経衰弱にかかっておる証拠だ。ほんとうに健康なら退屈を感じるのが自然である」
「では一夕、宴をもうけて、学人の退屈をおなぐさめいたそう」
「酒宴は真っ平だ。貴公等の眼や口には、酒池肉林が馳走に見えるか知らんが、わしの眼から見るとまるで芥溜を囲んで野犬が躁いでいるような気がする。そんな所へすえられて、わしを肴に飲まれて堪るものか」
「否、否。......きょうはそんな儀式張らないで二人きりで飲りましょう。あとでお越し下さい」
黄祖は去ったが、しばらくすると、小姓の一童子をよこして、禰衡を誘った。
行ってみると、城の南苑に、一枚の莚と一壺の酒をおいたきりで、黄祖は待っていた。
「これはいい」
口の悪い禰衡も初めて気に入ったらしく、莚の上に坐った。
側には、一幹の巨松が、大江の風をうけて、颯々と天声の詩を奏でていた。壺酒はたちまち空になって、また一壺、また一壺と童子に運ばせた。
「学人に問うが......」と、黄祖もだいぶ酩酊して、唇を舐めあげながら言い出した。
「学人には......だいぶ長いこと、都におったそうだが、都では今、だれとだれとを、真の英雄と思われるな?」
禰衡は、言下に、
「大人では孔文挙、小児なら楊徳祖」と、答えた。
黄祖は、すこし巻き舌で、
「じゃあ、吾輩はどうだ。この黄祖は」と、片肱を張って、自分を前へ押し出した。
禰衡はからからと笑って、
「君か。君はまあ、辻堂の中の神様だろう」
「辻堂の神様? それは一体どういうわけだ」
「土民の祭りをうけても、なんの霊験もないということさ」
「なにッ。もう一遍言ッてみろ」
「あははは。怒ったのか。──お供物泥棒の木偶人形が」
「うぬっ」
黄祖は赫として剣を抜くやいなや、禰衡を真二つに斬り下げて、その満身へ、返り血をあびながら発狂したように呶鳴っていたということである。
「片づけろ片づけろ。この死体をはやく埋めてしまえ。こ奴は死んでもまだ口をうごかしている!」
──以上。
ありのままな顛末を聞いて、劉表も哀れを催したか、その後、家臣をやって、禰衡の屍を移し、鸚鵡州の河畔にあつく葬らせた。
禰衡の死はまた、必然的に曹操と劉表との外交交渉の方にも、絶息を告げた。
曹操は、禰衡の死を聞いた時、こういって苦笑したそうである。
「そうか、とうとう彼も自分の舌剣で自分を刺し殺してしまったか。彼のみではない。学問に慢じて智者ぶる人間にはままある例だ。──そういう意味で彼の死も、鴉が焼け死んだぐらいの意味はある」
大医吉平
一
そのむかし、まだ洛陽の一皇宮警吏にすぎなかったころ、曹操という白面の青年から、おれの将来を卜してくれといわれて、
「おまえは治世の能臣だが、また乱世の奸雄だ」
と予言したのは、洛陽の名士許子将という人相観だった。
怒るかと思いのほか、その時、曹操という素寒貧の一青年は、
「奸雄、結構結構」と、歓んで立ち去ったといわれている。
子将の予言はあたっていた。
しかし今日の曹操が在ることをだれが風雲のあいだに予見していたろう。歳月は長しといえどもまだそれから今日までわずか十数年の星霜しか過ぎていないのである。
あるいは、曹操自身でさえ、こう早く天下の相貌が変わって、現在のような位置になろうとは思いのほかであったかもしれない。
年といえば、まだ男ざかりの四十台で覇心いよいよ勃々たるものがある。
彼をして、かくも迅速に、今日の大を成さしめたものはもちろん彼自身の素質だが、それを扶けたのは彼を繞って雲のごとく起った謀士良将の一群であり、とりわけ荀彧のような良臣の功も見のがせない。
荀彧は常にかれの側らにいて、実によく善言を呈している。いまの彼は曹操の片腕ともいうべき存在であった。
その荀彧は、ではどんなに老成した人物かというと、曹操より七ツも年下で、まだ三十だいの人物だった。
潁州の産まれで家柄はよく、後漢の名家の一つで、傑士荀淑の孫にあたっている。
名家の子や孫に、英俊はすくないが、荀彧はまだ学生のころからその師何顒に、
「王佐の才である」と、歓称されていた。
王佐の才とは、王道の輔佐たるに足る大政治家の質があるということである。乱世にはめずらしい存在といわねばならぬ。
だから河北の袁紹なども、かつては、上賓の札を執って、かれを迎えようとしたが、荀彧はいちど曹操と会ってから、たちまち肝胆相照らして、曹操の麾下へ進んで加わったものであった。
曹操には、やはりそれだけの魅力があった。曹操の長所のうちで最も大きな長所は有為な人物を容れるその魅力と包容力である。
かれもまた、よく士を愛し、とりわけに荀彧に対してなどは、
「君は予の張良である」とさえ言って歓んだ。張良といえば、漢の皇祖の参謀総長に位する重臣である──このことばの裏を窺うと、ひそかに自分を漢の皇祖に擬しているなど、かれの腹中には、なおなお底知れないものが蔵されている。
──であるからして、奇舌学人の禰衡が死んだ事などは、かれの眼から見れば、まったく鴉が焼け死んだくらいな一笑話に過ぎなかったのもあたりまえである。
さはいえ、また。
かりそめにも曹操の使として立てた一国の使者であるものを、荊州の地で、しかも劉表の一部下が手にかけて殺したということは、重大な国際問題として取り上げる材料になる。
「このままには捨ておきがたい。彼を討つよい口実でもある」
曹操はこの際、一気に大軍を向けて、荊州を奪ろうかと議した。
諸将も、奮いたったが、荀彧は賛成しなかった。その理由は、
「袁紹との戦も、まだ片づいていませんし、徐州には玄徳が健在です。それを半途に、また、東方に軍事を起こすのは、心腹の病をあとにして、手足の瘡を先にするようなものでしょう。──まず病の根本たる袁紹から征伐し、つぎに玄徳をのぞき、江漢の荊州などはそれからにしても遅くはありません」というのであった。
かれの言に従って、曹操は、荊州への出軍を一時思いとどまった。
二
そういう風に、荀彧の言には、曹操もよく従った。
曹操が今日の成功をおさめ得た重大な機略の根本は、なんといっても朝廷の危急に際して、献帝のお身をいち早くこの許都へ奉迎したことにあるが──それも荀彧が最初から、
「主上を奉じて人望に従う大順こそ、あなたの運命をひらく大道でもあります。他人に先んじられぬうちに早く御決行なさい」と、切にすすめた大策であったのである。
当時、他の諸将軍が、洛陽の離散から長安の大乱と果てなき兵燹乱麻のなかに、ただおたがいの攻伐にばかり日を暮らし合っていた際に──ひとりそこへ着眼した若き荀文若──荀彧の達見はさすがのものであった。
袁紹の謀臣、沮授なども、同じ先見を抱いて、袁紹にその計をすすめた事もあるが、袁紹の優柔不断な性格がぐずぐずしているまに、機を逸して曹操に先を越されてしまい、歴代漢朝の名門でありながら、その強大な勢力も今では地方的な存在に置き更えられてしまったのである。
荀彧は、内治の策にも、着々と功績をあげて来た。
許都を中心に、屯田策を採用し、地方の良民のうえに、さらに人望のある戸長を用い、各州郡に田官というものをおいて、その単位を組織し善導し、大いに農耕を奨励したりしたので、一面戦乱のなかにありながら、産業は振興して、五穀の増産額だけでも年々百万石を超えてゆくという活況であった。
このように、今、許都は軍事経済の両面とも、盛大に向かっていた。
けれど首府の殷賑がそのまま朝廷の盛大をあらわすものとは言えなかった。──許都の旺なるは、曹操の旺なるを示すだけに止まるものであって、極端な武権政治が相府というかたちでここに厳存し、朝廷の勢威も存立もかえって日ごとに薄れて来たかのごとくだれの眼にも見えて来た。
──ここに。
その推移をながめながら、快々と、ひと知れず心を苦しめていたひとは、この国舅と称ばるる車騎将軍──董承であった。
功臣閣の秘宮を閉じて、帝御みずからの血をもって書かれた秘勅をうけてから日夜、肝胆をくだいて、
「いかにして、曹操をころすべきか。どうしたら武家専横の相府をのぞいて、王政をいにしえに回復できようか」と、寝食もわすれて、そればかりに腐心していたが、月日はいたずらに過ぎ、頼みにしていた玄徳も都を去ってしまうし、馬騰も西涼へ帰ってしまった。
その後、一味の王子服などとも、ひそかに密会はかさねているが、何分にも実力がまるで無かった。公卿の一部でも、相府の武権派に対して、明らかに反感をいだいているし、曹操の驕慢独歩な宮門の出入りぶりをながめるにつけ、無念の思いを秘めている朝臣はかなりあったが、
「ぜひもない時勢」と、無気力なあきらめの中に自分を隠しておくことを、みな保身の術として口をむすんでいた。
董承は、そういううちに、病にかかって、日ましに容体も重り、近ごろは、まったく自邸に病臥していた。
帝は、かれの病の篤い由を聞かれると、ひと事ならずお胸をいためられて、さっそく典薬寮の大医、吉平というものに命ぜられて、かれの病を勅問された。
吉平は、みことのりを奉じて、さっそく董承のやしきへ赴いた。有り難いお沙汰に、一門の者ども、出迎えに立ったが、その時、吉平のまえに進んで、薬籠を捧げ持ったのは、董家の召使いの慶童という小姓であった。
三
吉平はもと洛陽の人で本草にくわしく、
夙に仁徳があって、その
風
は
神渺たるものがあり、当代随一の名医といわれていた。
迎えに出た董一家の者にむかって、帝の優渥なる恩命を伝え、それから静かに病室へはいって、董承の容体をつまびらかに診察した。
「ご心配には及びません」
吉平は、慶童子の捧げている薬籠を取って、八味の神薬を調合せ、
「これを朝暮にさしあげてください。かならず十日のうちにお元気になりましょう」
と、言って、その日は帰った。果たして、食慾もつき、容体も日ごとにあらたまって来た。けれど依然、病床から離れるほどにはならなかった。
「いかがですか」
吉平は毎日のように来て、かれの脈を診たり、舌苔をのぞいていた。
「もうおよろしいでしょう。すこし苑でも歩いてみるお気持になりませんか」
「......どうも、まだ」
董承は、仰向いたまま、板のように薄い自分の胸に、両手を当てながら顔を振った。
「おかしいですな。......もうどこもお悪くはないはずですが」
「......でも、すこし動くと、まだここが」
「お胸がくるしいので?」
「このとおり、何か話しても、すぐ語韻が喘いでまいるのじゃ」
「ははは、神経ですよ」と、吉平は笑い消したが、実はこの病人に就いては、初めから吉平もこころのうちで首をかしげていた。実際、ひどく衰弱はしているが、単なる老衰でもないし、持病らしい宿痾も見あたらないのである。
「時務のお疲れでしょう。何かひどく、心悸を労されたことはありませんか」
「いや閑職の身じゃ。さしたる事も......」
「さようですかの。何せい、はやく
国舅がお

りくださらぬと、陛下の
御軫念もひとかたではございませぬ。きのうも今朝も、御下問がございました」
「............」
陛下ということばを聞くと、董承の瞼は涙をためてくる、眦から枕の布へしばし流涕がやまなかった。
きょうばかりではない。帝の御名が出るといつも彼の眼があやしく曇る。吉平はかれの病根とそれを思いあわせて、独り何かうなずいていた。
およそ一箇月ばかり後の正月十五日のことだった。こよいは上元の佳節というので、親族や知己朋友が集まっていた。董承も病室ではあるが、吉例として数献の酒をかたむけ、いつかとろとろと牀に倚って眠ってしまった。
............
......と。彼を取りかこんで、口々に言い逸る人々がある。
(国舅国舅。かねてのこと、成就の時は来ましたぞ。荊州の劉表、河北の袁紹とむすび、五十万の軍勢をおこす。また西涼の馬騰、幷州の韓遂、徐州の玄徳なんども、各地から心をあわせて一せいに起ち、その兵七十万と聞こえわたる。──曹操その故におどろき慌てて諸方へ討っ手をわかち、ために、洛内は今、まったく手薄となりました。相府、都市の警兵をあわせても、千人に足りますまい。──時しもこよいは上元の佳節、相府でも宴をひらいて乱酔しておること必定です。いでやすぐさまお越しあれ、一味のものは早、馬を寄せて、門前にお待ちもうしておりますぞ)
──だれかと見まわせば、血詔を奉じて、密盟に名をつらねている一味の王子服、种輯、呉碩、呉子蘭などの人々だった。
四
......董承がなお疑わしげに見まわしていると、面々は、かれの手を取り沓をそろえて、
(今こそ、天の与うる時節。はや陣頭に立って、一挙に曹操を討ちとり給え)
と、病室から拉して行った。
見れば、邸の門々には、味方の兵がみちている。董承もそれに励まされて、物具を着こみ、槍をひッさげ、郎党の寄せる馬上へとび移るや、攻め鼓の潮と共に、相府の門へ襲せかけた。
火を八方から放ち、味方の勇士と共に府内へなだれ入った。
(逆賊曹操、逃ぐるな)と、火中に敵を追いまわし追いまわして、槍も砕け、剣も火と化すばかり戦ううち、焰々たる炎のなかに、曹操の影が、ぱっと不動明王のように見えた。
(おのれっ、居たかっ)
跳びかかって、董承が大剣を加えると、曹操の首は、一炬の火の玉となって、宙へとび上がった。......あれよと、仰ぐうちにも、焰の首は黒煙をつらぬいて、どこまでもどこまでも昇天して行き、やがて、その赤きもあまりに遠ざかって薄れたかと思うと、白玲瓏たる十五夜の月が、下界を嘲笑うかのように満々と雲間に懸かっていた。──
............
「......ううむ。う、う、む」
董承はうなされていた。
「国舅国舅。いかがなされた?」
しきりと自分を揺り起こしていた者がある。董承はハッと眠りからさめて、その人を見ると、こよい客として奥に来ていた侍医の吉平であった。
「ああ。さては、夢?」
遍身の汗に、肌着もしとどに冷えていた。
そのひとみは、醒めてまだ落ち着かないように、天井を仰いだり、壁を見まわしていた。
「水などひと口おあがりなされたがよい」
「ありがとう。......ああ、あなたじゃったか、なにか、わしは囈言を言うたかの」
「国舅......」と、吉平は声をひそめて、病人の手をかたく握った。
「ようやくあなたの病根をつきとめました。──あなたの御病気は、あなたの腹中にも爪のさきにも無い。乱脈な世の大患を、ふかくそのお心に煩って、悪熱をやどし、一面には、漢室の衰えに痛恨して、お食もすすまぬ重態となられたのでござろうが」
「......えっ」
「おかくしあるな、それも病を
篤うさせた原因の一つです。日ごろからおよそは、察していましたが、それほどまでにお覚悟あって、君のため三族を捨てて、忠義の鬼とならんと遊ばすお心根なら、この吉平もかならずお力添えいたしましょう。──いや、あなたの御病気を誓って

して進ぜましょう」
「国手、なにを申されるか。壁にも耳のある世間、めったな事を......」
「まだ、それがしをお疑いか。医は人間の病をなおす事のみが能ではない。真の大医は国の患いも医すと聞いている。わたくしに、それほどな力はないが、志はあるつもりなのに、意志の薄弱な長袖者と思われておつつみあそばさるるか......」
そう嘆じると、吉平は指を口へ入れて、
ぶつと

いやぶった。そして、他言せぬという誓いを、血をもって示した。
董承は、愕として、その面を見つめていたが、吉平の義心を見きわめると、今はこの人につつむ理由もないと、一切の秘事をうちあけた後、血詔の衣帯をとり出して示した。
吉平はそれを拝すると、ともども、漢朝のために哭いて、やがて威儀を改めて言うには、
「ここに大奸曹操を一朝にして殺す妙策があります。しかも兵馬を用いず、庶民に兵燹の苦しみも及ぼさずに行なえることですから、わたくしにお任せおき下さるまいか」
「そんな妙計があろうか」
「かれは健康ですが、ただ一つ頭風の持病をもっているので、その持疾が起こると、狂気のごとく骨髄の痛みを訴えます。それに投薬するものは、わたくし以外にありません」
「あっ? ......では毒を」
ふたりは、ひたと口をつぐんだ。その時、室の帳外に、風のないのに、何やら物の気配のうごく気がしたからであった。
美 童
一
冬をこえて南枝の梅花のほころぶを見ると共に、董家の人々も眉をひらいた。近ごろ主人の董承はすっかり体も本復して、時折後閣の春まだ浅い苑に逍遙する姿などを見かけるようになったからである。
「......雁が帰る。燕が来る。春は歩いているのだ。やがて、吉平からも何かいい報せがあろう」
かれの皮膚には艶が出て来た。眉に希望があらわれている。
(一服の毒を盛って、曹操の一命を!)
正月十五日の夜、吉平のささやいたことばがたえず耳の底にある。その実現こそ、彼の老いた血にも一脈の熱と若さを覚えさせて来る待望のものだった。天地の陽気はまさに大きくうごきつつあることを彼は特に感じる。
こよいも彼は食後ひとり後苑へ出て疎梅のうえの宵月を見出していた。薫々たる微風が梅樹の林をしのんでくる。──彼の歩みはふと止まった。
一篇の詩となるような点景に出会ったからである。
男と女だった。
ふたりは恋を語っている。
暗香疎影──ふたつの影もその中のものだし、董承の影も明暗の裡に佇立んでいるので──彼等はすこしも気がつかないらしい。
「......一幅の絵だ」
董承は口のうちで呟きながら、恍惚と遠くから見まもっていた。
水々しい春月が、男女の影に薄絹をかけていた。男はうしろ向きに──羞恥んでいるのか、うつ向いて爪を嚙んでいる。
背中あわせに、女はそこらの梅を見ていた。そのうちに、女から振り向いて、何か、男に言いかけたが、男はいよいよ肩をすぼめ、かすかに顔を横に振った。
「お

?」
女は、思いきったように、翻──と寄って覗きこんだ。
その刹那、老人の体のなかにもあった若い血は、とたんに赫怒となって、
「不義者めッ」と、突如な大声が、董承の口を割って出た。
男女はびっくりして跳びはなれた。もちろん董承のあたまにはもうそれを詩と見ていることなど許されない。──女性は後閣に住んでいる彼の秘妾であり、男はかれの病室に仕えていた慶童子とよぶ小さい奴僕だった。
「この小輩め。不、不埒者めが!」
董承は逃げる慶童の襟がみをつかんで、さらに大声でかなたへどなった。
「だれぞ、杖を持って来い、杖と繩を」
その声に、家臣たちが、馳けつけてくると、董承は、身をふるわして杖で打てといいつけた。
秘妾は百打たれ、慶童は百以上叩かれた。
それでもなお飽きたらないように、董承は、慶童子を木の幹に縛らせた。そして秘妾の身も後閣の一室に監禁させた。
「疲れたから今夜は眠る」と、ふたりの処分を明日にして自分の室へかくれてしまった。
ところが、その夜中、慶童は繩を嚙み切って逃げてしまった。
高い石塀を躍りこえると、どこか的でもあるように深夜の闇を跳ぶがごとく馳けていた。
「見ていやがれ、老いぼれめ」
美童に似あわない不敵な眼を主人の邸へふり向けて言った。もとより幼少の時、金で買われて来た奴隷にすぎないから、主従の義もうすいに違いないが、生まれつき容姿端麗な美童だったから、董承も身近くおいて可愛がり、家人もみな目をかけていた者だった。
──にも関わらず、慶童は、怨むことだけを怨んだ。その奴隷根性の一念から怖るべき仕返しをこころに企んで、彼はやがて盲目的に曹操のところへ密訴に馳け込んでいた。
二
時ならぬ深夜、相府の門をたたいて、
「天下の大変をお訴えに出ました。丞相を殺そうとしている謀叛人があります」
と、駈け込んで来た一美童に、役人たちは寝耳に水の愕きをうけた。
いやもっと愕いたのは、慶童の口から董承一味の企てを、直接聞きとった曹操自身であった。
「どうして其方は、そんな主人の大事を、つぶさに知っておるのか。そちも一味の端くれであろうが」
とわざと脅しをかけてみると、慶童はあわてて顔を横に振って、
「滅相もないことをおっしゃいませ。私は何も存じませんが、正月十五日の夜、いつも来る典医の吉平と主人が、妙に湿ッぽく話しこんでいたり、慨嘆して哭いたりしていますので、次の間の垂帳の陰で偸み聞きしていましたところ、いま申しあげたように、丞相様に毒を盛って、他日きっと殺してみせると約束しているではございませんか。......怖ろしさのあまり身がふるえ、それからというもの、私は主人の顔を仰ぐのも何だか恐くなっておりました」
曹操は動じない面目を保とうとしていたが、明らかに、内心は静かとも見えなかった。
階下の家臣に向かって、
「事の明白となるまでその童僕は府内のどこかへ匿まっておけ。なお、この事件については、一切口外はまかりならぬぞ」と、言い渡し、また慶童に対しては、
「他日、事実が明らかになったならば、其方にも恩賞をつかわすであろう」と言って退けた。
次の日、また次の日。相府の奥には不気味な平常のままが続いていた。──と思うと、あれから四、五日目の明け方のことだった。にわかに一騎の使いが駈けて、典医吉平の薬寮を訪ね、
「昨夜から丞相がまたいつもの持病の頭風をおこされ、今朝もまだしきりと苦しみを訴えておられまする。早暁お気のどくでござるが、すぐ御来診ねがいたい」
との、ことばであった。
吉平は心のうちでしめたと思ったが、さあらぬ態で、
「すぐお後より──」と先に使いを帰しておき、さて秘かに、かねて用意の毒を薬籠の底にひそめ、供の者一名を召しつれ驢に乗って患家へ赴いた。
曹操は、横臥して、彼の来るのを待ちかねていた。
自分の頭を、

で
叩きながら、吉平の顔を見るなり、
堪らないように叫んだ。
「大医、大医。はやくいつもの薬を調合せてこの痛みをのぞいてくれい」
「ははあ、またいつもの御持病ですな。お脈にも変わりはない」
次の間へさがると、彼はやがて器に熱い煎薬を捧げて来て、曹操の横たわっている病牀の下にひざまずいた。
「丞相。お服みください」
「......薬か」
片肱をついて、曹操は半身を擡げた。そして薬碗からのぼる湯気を覗きながら、
「いつもと違うようだな。......匂いが」と、つぶやいた。
吉平は、ぎょっとしたが、両手で捧げている薬碗にふるえも見せず、和やかな目笑みを仰向けて答えた。
「丞相の病根を

し奉ろうと心がけて、あらたに
媚山の薬草を取り寄せ、一味を加えましたから、その神薬の
薫りでございましょう」
「神薬。......噓をいえ。毒薬だろう!」
「えっ」
「飲め。まず其方から飲んでみせい。......飲めまい」
「............」
「なんだ、その顔色は!」
がばと、起つや否、曹操は足をあげて、煎薬の碗と共に、吉平の顎を蹴とばした。
「この藪医者を召し捕れっ」
次いで、彼の呶号がとどろいた。応っ──とばかり一団の荘丁は、声と共にとびこんで来て、吉平を高手小手に縛りあげてしまった。
三
吉平の繩じりを把って、相府の苑に曳き出した武士獄卒たちは、
「さあ、ぬかせ」
「だれにたのまれて、丞相に毒をさしあげたか」
と、打ち叩いたり、木の枝に逆さまに吊るしあげたりして拷問したが、
「知らん。むだなことを訊くな」
とばかりで、吉平は悲鳴一つあげなかった。
曹操は、侍臣を見せにやって、
「容易に口をあくまい。こっちへ曳っぱって来い」と、命じた。
聴訴閣の一面に座を設け、やがて階下にひきすえられた吉平を、曹操は、くわっと睨めつけて言った。
「老いぼれ、顔をあげろ。医者の身として、予に毒を盛るなど、ただ事の謀ではあるまい。汝をそそのかした背後の者をのこらず申せ。さすれば、そちの一命だけは助けてとらそう」
「ははは」
「汝、なにを笑うか」
「おかしい故、笑うのみじゃ。おん身を殺さんと念じる者、ひとりこの吉平や、わずかな数の人間と思うか。主上を僭し奉る憎ッくき逆賊、その肉を啖わんと欲するものは、天下に溢るるほどある。いちいちそんな大勢の名があげられようか」
「口幅たいヘボ医者め。何としても申さぬな。きっと言わんな」
「益なき問答」
「まだ拷問が足らんとみえる。もっと痛い目をみたいか」
「事あらわれたからには、死ぬるばかりが望みじゃ。ひと思いに斬りたまえ」
「いや、容易にはころさぬ。獄卒ども、この老医の毛髪がみな脱け落ちるまで責めつけろ。息の根の絶えぬほどに」
下知をうけると、獄卒たちは仮借をしない。あらゆる方法で吉平の肉身をいじめつけた。けれど吉平の容子は──その五体の皮肉こそ朱にまみれてはいたが、──常の落ち着きとすこしも変わるふうはなかった。
むしろ見ている人々のほうが凄惨な気につつまれてしまった。曹操はあまり度を超して、臣下の胸に自分を忌み厭うものの生じるのを惧れて、
「獄に下げて、薬をのませておけ、毒薬でなくてもよろしいぞ」
と、唾するように言った。
それからも連日、苛責はかれに加えられたが、吉平はひと口も開かなかった。ただ次第に、乾魚のように肉体が枯れてゆくのが目に見えて来るだけである。
「策を変えよう」
曹操は一計を
按じて、近ごろ
微恙であったが、
快
したと表へ触れさせた。そして、招宴の
賀箋を知己に配った。
その一夕、相府の宴には、踵をついで来る客の車馬が迎えられた。相府の群臣も陪席し、大堂の欄や歩廊の廂には、華燈の燦きと龕の明りが懸け連ねられた。
こよいの曹操はひどく
機
よく、自身、酒間をあるいて賓客をもてなしなどしている風なので、客もみな心をゆるし、相府直属の楽士が奏する勇壮な音楽などに陶酔して、
「宮中の古楽もよいが、さすがに相府の楽士の譜は新味があるし、哀調がありませんな。なんだか、心が闊くなって、酒をのむにも、大杯でいただきたくなる」
「譜は、相府の楽士の手になったものでしょうが、今の詩は丞相が作られたものだそうです」
「ほう。丞相は詩もお作りになられますか」
「迂遠なことをおっしゃるものではない。曹丞相の詩は夙に有名なものですよ。丞相はあれでなかなか詩人なんです」
そんな雑話なども賑わって酒雲吟虹、宴の空気も今がたけなわと見えた折ふし、主人曹操はつと立って、
「われわれ武骨者の武楽ばかりでも、興がありますまいから、各位の御一笑までに、ちょっと、変わったものを御覧に入れる。どうか、酒をお醒ましならぬように」
と、断わり付きの挨拶をして、傍らの侍臣へ、何か小声でいいつけた。
四
なにか余興でもあるのかと、来賓は曹操のあいさつに拍手を送り、いよいよ興じ合って待っていた。
ところが。──やがてそこへ現われたのは、十名の獄卒と、荒繩でくくられた一名の罪人だった。
「......?」
宴楽の堂は、一瞬に、墓場の坑みたいになった。曹操は声高らかに、
「諸卿は、このあわれな人間を御承知であろう。医官たる身でありながら、悪人どもとむすんで、不逞な謀をしたため、自業自得ともいおうか、予の手に捕らわれて、このような醜態を、各々の御酒興にそなえられる破目となりおったものである。......天網恢々、なんと小癪な、そして滑稽なる動物ではないか」
「............」
もうだれも拍手もしなかった。
いや、咳一つする者さえない。
ひとり、なお余息を保っている吉平は、毅然として、天地に恥じざるの面をあげ、曹操をにらんで言った。
「情けを知らぬは大将の徳であるまい。曹賊。なぜわしを早く殺さぬか。──人は決してわしの死を汝に咎めはしまい。けれど人は、汝がかくのごとく無情なることを見せれば、無言のうちに汝から心が離れてゆくぞ」
「笑止な奴。そのような末路を身で示しながら、だれがそんな口賢しいことばに耳を貸そうか。獄の責め苦がつらくて早く死にたければ、一味徒党の名を白状するがよい。──そうだ、各々、吉平の白状を聞き給え」
彼は直ちに、獄吏に命じて、そこで拷問をひらき始めた。
肉をやぶる鞭の音。
骨を打つ棒のひびき。
吉平のからだは見るまに塩辛のように赤くくたくたになった。
「............」
満座、酒をさまさぬ顔はひとつとしてなかった。
わけてもがくがくと、ふるえ顫いていたのは、王子服、呉子蘭、种輯、呉碩の四人だった。
曹操は、獄吏へ向かって、
「なに、気を失ったと。面に水をそそぎかけて、もっと打て、もっと打て」と、励ました。
満水をかぶると、吉平はまた息を吹き回した。同時に、その凄い顔を振りながら、
「ああ、わしはたッた一つ過った。──汝にむかって情を説くなど、木に魚を求めるよりも愚かなことだった。汝の悪は、王莾に超え、汝の姦侫なことは、董卓以上だ。いまに見よ。天下ことごとく汝をころして、その肉を啖わんと願うであろう」
「言うてよいことは言わず、言えば言うほど苦しむことをまだ吐ざくか」
曹操は、沓をあげて、彼の横顔を蹴った。吉平は大きなうめき声を出して絶え入った。
「殺すな。水をのませろ」
酒宴の客はみなこそこそと堂の四方から逃げ出していた。
王子服達の四人も、すきを見てぱっと

のそばまで逃げかけたが、
「あっ、君達四人は、しばらく待ちたまえ」
と、曹操の指が、するどく指して、その眼は、人の肺腑をさした。
王子服達のうしろには、すでに大勢の武士が墻をつくっていた。曹操は冷ややかに笑いながら四人の前へ近づいて来た。
「各々には、そう急ぐにもあたるまい。これから席を更えて、ごく小人数で夜宴を催そう。......おいっ、特別の賓客をあちらの閣へ御案内しろ」
「はっ。......歩け!」
一隊の兵は、四人の前後を、矛や槍でうずめたまま、一閣の口へながれこんだ。呉子蘭の足も王子服の足も明らかにふるえていた。四人の魂はもうどこかへ飛んでしまっている。
五
やがて後から曹操が大股に歩いて入って来た。
胸におぼえのある事なので、王子服等の四人は、かれの眼を、正視できなかった。
「君たちは、この曹操を殺したがっておるそうだな。董承の邸にあつまって、だいぶ相談したそうじゃないか」
激語になると、曹操は、白面の一書生だったころの地金が出てくる。また彼はその洛陽時代には、宮門の警吏をしていたので、罪人に対する手ごころは巧みでことのほか峻烈だった。
「い、いいえ。......丞相。何かおまちがいではありませんか」
王子服が、空とぼけて、顔を振りかけると、その頰を、いやというほど平手で撲って、
「ひとを愚にするな。そんな小役人へするような答えに甘んじる曹操ではない」
「お怒りをしずめて下さい。董承の家に集まったのは、まったく平常の交わりにすぎません」
「平常の交わりに、血書の衣帯などを拝み合うのか」
「えっ。......な、なに事を仰せられるのか、とんと思いあたりがございませんが」
「ふ、ふん......」
曹操は、鼻さきで白々と笑いながら、閣の入り口をふり向いてどなった。
「兵士! 慶童をそれに連れて来ておるか」
「ひきつれて来ました」
「よしっ。ここへ突き出せ」
「はっ」
番兵が手をあげると、階下にどよめいている兵たちが、美少年慶童をひっ張って来て、四人のまえに突き仆した。
曹操は指さして、
「この者を存じておるか」と、言った。
王子服も呉子蘭も、あっと色を失った。种輯は、愕きのあまり跳びあがって、
「慶童! 慶童ではないか貴様は。いったい何だってこんな所へ出て来たのだ」
慶童はそれに対して、小賢しい唇を喋々とうごかした。
「何しに来ていたって、大きなお世話でしょう。それよりもお前さんたちは、もう観念したらどうです。いけませんよ。そんなそらッとぼけた顔して居たって」
「こ、この小輩め! 何を申すか、身に覚えもないことを」
「覚えがなければ、もう、落ち着いていたらどうです。お前さんたち四人に、馬騰、玄徳も加わって一味六人が、義状に連判したのはあれはいつでしたッけね」
「うぬっ」
种輯が跳びかかろうとすると、曹操は横あいから、その脛を跳ねとばした。
「不逞漢めっ。予の面前で、予の生き証人を何とする気だ。──汝らことごとく前非を悔い、ここにおいて有りていにすべてを自白すればよし、さもなくば、難儀は一門三族にまで及ぶがどうだ!」
「............」
「泥を吐け。──素直に一切を、ここに述べて、予のあわれみを乞え」
すると、四名ひとしく毅然と胸をならべて答えた。
「知らん!」
「存ぜぬ!」
「覚えはない!」
「いかようにもなし給え!」
曹操はずいと身を退いて、四つの顔を一様に見すえていたが、
「よしっ、もう問わん」
ひらりと、閣外へ身をうつし、兵のあいだを割って、かなたへ立ち去ってしまった。
もちろん閣の口はすぐ厳重に閉ざされ、鉄槍の墻をもってぐるりと昼夜かこまれていた。
次の日。
曹操は、千余の騎兵をしたがえ、車馬の行装ものものしく公然と、国舅董承の邸を訪問した。
火か人か
一
董承に対面を強いて、客室で出会うとすぐに曹操は彼にただした。
「国舅のお手もとへは、予から出した招待の信箋が届かなかったであろうか」
「いや、御書箋はいただいたが、折り返して不参のおもむきを、書面でお断わり申しあげてある」
「昨夜の会に、百官みな宴に揃いながら、国舅ひとりお顔が見えん。いかなる御不参だったか」
「されば、昨年からの痼疾の病のため、心ならずも」
「はははは。
卿の痼疾の病は、
吉平に毒を盛らせたら

えるものであろう」
「げッ。......な、なんのお戯れをば」
董承は、震い恐れた。
語尾はかすれて、歯の根もあわない。曹操はその態を白眼に見て、
「近ごろも、大医吉平と、お会いあるか」
「い、いえ、久しく会いませぬが......」
従えて来た武士へ向かって、ある者をここへ連れて来いと命じた。言下に、三十余名の獄吏と兵は、客堂の階下へ、ものものしく吉平をひきすえた。
蹌踉とよろめいて来た吉平は、幽鬼のごとく、ぺたとそれへ坐ったが、しかも烈しい眼光と呼吸をもって、
「天をあざむく逆子、いつか天罰をうけずに済もうか。これ以上、わしを拷問して何を得るところがある」と、彼のほうから叫んだ。
曹操は、耳にもかけず、
「王子服、呉子蘭、呉碩、种輯の四人はすでに捕らえて獄に下したが、そのほかにまだもう一名、不逞の首魁が、この都のうちにおるらしい。......国舅、あなたにもお心当たりはないかな?」
「............」
董承は生ける心地もなく、ただあわてて顔を横に振った。
「吉平。汝は知らんか」
「知らぬ」
「汝に智恵をさずけて、予に毒を服ませんと計った首謀者は何者か」
「三歳の童子ですら、みずから為すことはみずから知る。朝廷破壊の逆臣、天に代わって、生命をとらんと誓ったのは、かくいう吉平自身である、何でひとの智恵を借ろうか」
「舌長な曲者め、しからば、汝の手の指のひとつ足らぬはいかなるわけか」
「すなわち、この指を咬み切って悪逆曹操をかならず討たんと、天地に誓いをたてたのじゃ」
「ええ、言わしておけば」
と、曹操は、獅子のごとく忿怒して、残る九本の指をみな斬り落とせと獄吏に命じた。
吉平は、怯む気色もなく、九本の指を斬られてもまだ、
「われ口あり、賊を呑むべし。われ舌あり賊を斬るべし」とさけんだ。
「その舌を引き抜いてしまえ」
曹操の大喝に、獄卒たちが彼を仰向けに押し仆すと、吉平は初めて絶叫をあげ、
「待て。待ってくれ。舌を抜かれては堪らん。乞う。しばしわしの繩を解いてくれい。この上はわしの手で、首謀者を丞相の前へ突き出して見せるから」といった。
「望みにまかせて解いてやれ。狂い出そうと、何ほどの事もなし得まい」
曹操のことばに、彼は繩を解かれた。
吉平は大地に坐り直し禁門のほうに向かって両手をつかえた。そして流涕滂沱、再拝して後言った。
「──臣、不幸にしてここに終わる。実に、極まりもございませんが、天運なんぞ悪逆に敗れん。鬼となっても禁門を守護しておりますれば、時いたる日を御心ひろくお待ちあそばすように」
曹操は雷火のように立ち上がって、
「斬れッ!」
と、どなったが、兵の跳びかかる剣風も遅しとばかり吉平はわれと吾が頭を、階の角にたたきつけて死んでしまった。
二
凄愴の気はあたりをつつむ。
その凄気を圧して、
「次に、慶童を曳き出せっ」と、曹操の叱咤はいよいよ烈しい。一片の情、一滴の涙も知らぬような面は、閻王を偲ばしめるものがあった。
呼び出した慶童を突きあわせて、董承の吟味にかかる段となると、彼の姿は、火か人か、猛言辛辣、彼の部下すら、正視していられないほどだった。
董承も初めのうちは、
「知らぬ、存ぜぬ。いっこう覚えもないことじゃ。何とてわしを、さように
疑したもうか」と、飽くまで彼の厳問を拒否していたが、なにしろ召使いの慶童が、
傍からいろいろな事実をあげて、曹操の調べにうごかぬ証拠を提供するので、にわかに、いいぬけることばを失って、
がばと床に
俯っ伏してしまった。
「恐れ入ったかっ」
勝ちほこるがごとく曹操が雷声を浴びせると、とたんに董承は身を走らせて、
「ここな人非人めが」と、慶童の襟がみをつかんで引き仆し、手ずから成敗しようとした。
「国舅に繩を与えい!」
曹操の部下は、その峻命にこたえて、いっせいにおどりかかり、たちまち、董承に縛をかけて、欄階にくくりつけてしまった。
そして客堂をはじめ、書院、主人の居室、家族の後房、祖堂、宝庫、傭人たちの住む邸内の各舎まで、千余の兵でことごとく家探しをさせ、ついに、血詔の御衣玉帯と共に、一味の名を書きつらねた血判の義状をも発見して、ひとまず相府へひきあげた。
もちろん董一家の男女は一名もあまさず捕らわれ、府内の獄に押しこめられたので、哀号悲泣の声は憐れというもおろかであった。
時に、荀彧は、府門を通って、思わず耳を掩い進んで曹操の座側へのぼると、さっそく彼に向かって質した。
「ついに、激発なされましたな。これからの処置をどうなさるおつもりですか」
「荀彧か。いくら予が堪忍づよくても、之に対して平気ではおられん」と、帝の血詔と、義盟の連判とを、荀彧の眼のまえに示し、なお冷めやらぬ朱の眦を吊って言った。
「──見よこれを、献帝の今日あるは、ひとえにこの曹操が功ではないか。平安燼滅のあと、新都の建業、王威の恢復など、どれほど粉骨砕身してきたかしれん。しかるに、いまとなってこの曹操をのぞかんとするは何事であるか、暴に対しては暴をもって酬うが予の性格である。逆子乱臣と呼ばば呼べ、予は決意した。いまの天子をのぞいて、他の徳のある天子を立てようと」
「お待ちなさい」
荀彧はあわてて、彼の激語をさえぎりながら、
「いかにも、許都の中興は、一にあなたの勲にちがいありません。──けれどその勲功も帰するところ、天子を奉戴したからこそ出来たことでしょう。もしあなたの旗のうえに、朝威がなかったら、あなたの今日もありませんでした」
「ううむ。それには違いないが......」
「それを今、あなた自身が、朝廷の破壊者となったら、その日からあなたの府軍には、もう大義の名はありませんぞ。同時に、天下があなたを視る眼は一変します」
「わかった。もう言うな」
曹操は、自分の胸の火を、自分で消しまわるに苦しんでいるようだった。
人いちばい明晰な理念と、人いちばい烈しい感情とが、ここ数日、いかに彼を懊悩させたかは、他人の想像も及ばなかった。しかも彼の充血した眼は容易に冷静に返り得ないのである。その結果として、董承の一家一門、そのほか王子服、呉子蘭などの一党とその家族等、あわせて七百余人は、都のちまたを引き廻されて、一日のうちにみな斬殺されてしまった。
三
董貴妃は深窓にあるうちから美人の誉れがあった。召されて、宮中に入り、帝の寵幸をたまわってから、やがて身は懐妊のよろこびを抱いていた。
彼女は董承の娘であった。
虫のしらせか、その日貴妃は、なんとなく落ち着かない。絶えず胸さわぎのようなものを覚えていた。
秘園の春は浅く、帳裡の瓶花はまだ紅唇もかたい。
「貴妃、優れない顔色だが、どこか悪いのではないか」
帝は、伏皇后を伴うて、共に彼女の後宮を見舞われた。
貴妃は雲鬢重たげに、
「いいえ......」と、かすかに花顔を横に振って言う。
「なんですか、ふた晩つづいて、父の夢を見たものですから」
そう聞くと、帝も皇后も、ふと眉をくもらせた。董承のことはかねがねべつな意味で、案じられているところである。
折ふし、宮中に騒然たる物音が沸きはじめた。何事かと疑っているうちに、後宮の碧門を排し、突忽として姿を現わした曹操と武士たちが、玉廊を渡ってこれへ馳けて来た。
曹操は、突っ立ったまま、
「ああ。何たる悠長さだ。陛下。董承の謀叛も御存じないのか」と、声を励まして言った。
帝は、冷静に、
「董卓は、もう亡んでいる」と、機智をもって答えられた。
「董卓などの事ではありません! 車騎将軍董承のことである」
「えっ......董承がどうしたというのか、朕は何事も弁えぬが」
「御みずから指を咬みやぶり、玉帯に血詔を書いて降し給うたことはもうお忘れか」
愕然、帝は魂を天外へ飛ばし、龍顔は蒼白となって、わななく唇からもう御声も出なかった。
「一人謀叛すれば九族滅すという。知れきった天下の大法である。──それッ武士ども、董承のむすめ貴妃を、門外に曳き出して斬ってしまえ」
曹操の下知に、帝も皇后も、のけ反るばかり愕かれて、臣下たる彼へむかって、万斛の涙をながして憐愍を乞うたが、曹操は、頑としてきかない。彼の満面、彼の全身、さながら憤情の炎であった。
貴妃もまた曹操の足もとへ伏し転んで、
「自分のいのちは惜しみませんが、胎内のお子を産みおとすまで、どうかお情けに、生きる事をゆるして下さい」と、慟哭して訴えた。
曹操の感情も、極端に紛乱していたが、われとわが半面の弱気を、強いて猛罵するかのように、
「いかん! いかん! かなわぬ願いだっ。逆賊の胤を世にのこしおけば、やがて予に対して祖父の讐の母の仇のと、後日のたたりをなすは必定である。──これまでの運命と思いあきらめ、せめて屍を全うしたがいい」
と、一すじの
練帛をとり寄せて、貴妃の
眼のまえにつきつけた。斬られるのが

なら自決せよという酷薄無残な宣告なのである。
貴妃は哭いて、練帛を手にうけた。悲嘆に狂乱された帝は、
「妃よ、妃よ、朕をうらむな。かならず九泉の下にて待て」
と、さけばれた。
「あははは。女童みたいな世まい言を」
曹操は、強いて豪笑しながら、しかもさすがに、そこの悲鳴号泣には、耳をふさぎ眼をそらして、大股に立ち去ってしまった。
哀雲後宮をつつみ、春雷殿楼を揺るがして、その日なお董承と日ごろ親しい宮官何十人が、みな逆党の与類と号されて、あなたこなたで殺刃をこうむった。
曹操は血を抱いて、やがて禁門を出ずると、直ちに、自身直属の兵三千を、御林の軍と称して諸門に立てさせ、曹洪をその大将に任命した。
小児病患者
一
粛正の嵐、血の清掃もひとまず済んだ。腥風都下を払って、ほっとしたのは、曹操よりも、民衆であったろう。
曹操は、何事もなかったような顔をしている。かれの胸には、もう昨日の苦味も酸味もない。明日への百計に耽るばかりだった。
「荀彧。──まだ片づかんものが残っておるな。しかも大物だ」
「西涼の馬騰と、徐州の玄徳でしょう」
「それだ。両名とも、董承の義盟に連判し、予に対して、叛心歴々たるものども。何とかせねばなるまい」
「もとより捨ておかれません」
「まず、そちの賢策を聞こう」
「由来、西涼の州兵は、猛気さかんです。軽々しくは当たれません。玄徳もまた徐州の要地を占め、下邳、小沛の城と掎角の備えをもち、これも小勢力ながら、簡単に征伐はできないかと思われまする」
「そう難しく考えたら、いずれの敵にせよ、みな相当なものだから、どっちへも手は出まい」
「河北の袁紹なくんば憂いはありませんが、袁紹の国境軍は、過日来、官渡のあたりに、いよいよ増強されておるようです。丞相の大敵は、何といっても彼で、彼こそ今、丞相と天下を争うものでしょう」
「だから、その手足たる玄徳を、先に徐州へ攻めようと思うのだが」
「いやいや、滅多に今、この許都を手薄にはできません。それよりは、甘言をもって、まず西涼の馬騰を都へよびよせ、あざむいて是を殺し、次に玄徳へも、おもむろに交術を施して、その鋭気を削ぎ、一面、流言の法を行なって、彼と袁紹とのあいだを猜疑せしめるをもって、万全の計とわたくしは考えます」
「ちと悠長すぎる。計遅々なれば計変ず。そのまに、また四囲の情勢が変わって来よう。──それに応じてまた中途から計を更えたりするのは、下の下策ではないか」
曹操はどこまでも、玄徳をさきに討とうと望んでいるらしい。玄徳に対しては、ひところ、熱愛を傾けて交わっていただけに、反動的な感情がいまは痞みあげている。国事に関する大策にでも、どうしても幾分かの感情を交えないではいられないのは、曹操の特質であった。
謀議の室を閉じて、ふたりがこう議しているところへ、ちょうど郭嘉が入って来た。郭嘉もまた曹操が信頼している帷幕のひとりである。
「いいところへ来た。其方はどう思うか」
郭嘉は即答した。
「それは一気に玄徳を討伐してしまうに限ります。なぜなら、玄徳はまだ徐州を治めても、歳月は浅いので、州民の心は摑みきれておらない。また袁紹は気勢ばかりあげているが、部下の田豊、審配、許収などの良将もみな一致を欠き、加うるに、袁紹自身の優柔不断、なんで神速の兵をうごかせましょうや」
その説は、自分の志望と合致したので、曹操はたちどころに決心して、軍監、参謀、各司令、糧食、輸送などの各司令を一堂によび集め、
「兵二十万をととのえ、五部隊にわかち、三道より徐州へ攻め下れ」と軍令を発した。
諸大将の兵馬はたちまち徐州へむかった。──早くもこの事は伝波して徐州へ伝わってゆく。
まっさきに、それを早耳に入れたものは孫乾であった。
下邳の城に在る関羽のところへ急を告げ、その脚ですぐ玄徳のほうへ馬を飛ばした。
玄徳は、小沛の城にいる。彼の驚愕もひととおりでない。
「血詔の秘事露顕して董国舅以下のあえない御最期。いずれはかくもあろうかとも覚悟していたが......」
「袁紹へ、書簡をおしたためなさいまし。それを携えて、河北の救援を求めにまいりましょう。それしか方法はありません」
孫乾は、玄徳の一書をうけて、ふたたび駒の背に伏し、河北へむかって、夜を日についで急いでいた。
二
孫乾は、冀州へ着いた。
まず袁家の重臣田豊を訪れて、彼の斡旋のもとに、次の日、大城へ導かれて、袁紹に謁見した。
どうしたのか、袁紹はいたく憔悴していて、衣冠もただしていない。
田豊はおどろいて、
「どうなさいましたか?」と、怪しんで問うた。
袁紹は、ことばにも力がなく、
「わしはよくよく子ども運がわるいとみえる。児女はたくさんあるがみな出来がよくない。ひとり第五男だけは、まだ幼いが、天性の光がみえ、末たのもしく思っていたところ、何たることじゃ。このごろまた疥瘡を病んで、命もあやうい容態になってしもうた。......財宝万貨、なに一つ不足というものはないが、老の寿命と子孫ばかりは、どうにもならぬものである」
他国の使者が、佇立しているのも忘れて、袁紹は、ただ子の病を嘆いてばかりいた。
田豊も、なぐさめかねて、
「それはどうも......」
と、しばらく用件を言い出しかねていたが、やがて、一転の機を話中につかんで、
「時にいま絶好な便りを手にしました。それはこれにおる劉玄徳の臣が、早馬で告げに来たことですが」と、袁紹の英気を励まし、
「──曹操はいま大軍を率いて、徐州へ向かっているとあります。必定、都下は手薄とならざるを得ません。わが君、この時に起たれて、天機に応じ、虚をついて、一せいに都へ攻め入り給わば、必勝は火を睹るよりも明らかであり、上は天子を扶け、下は万民の大幸と、謳歌されるでありましょう」
「......ほう」
と、袁紹の返辞は、依然、生ぬるい。どこか呆気た面持ちしか見えない。
田豊は、なお説いて、
「諺にも、天の与うるを取らざれば、かえって天の咎めを受く、と言います。いかがです。天下はいま、進んでわが君の掌中にころげ込もうとしていますが」
「いや、それもよいが」
袁紹は重たげに、頭を振ってそれに答えた。
「何となくいまは心がすすまん。わしの心が楽しまねば、自然戦っても利があるまい」
「どうしてですか」
「五男の病気が気がかりでの。......ゆうべも泣いてばかりいて、ひと晩中、よう眠りもせなんだ」
「お子さまの御病気は、医者と女にまかせておかれたらどうですか」
「珠を失ってから悔いてもおよぶまい。そちはわが児が瀕死の日でも、狩猟の友が誘いに来たら共に家を出るか」
田豊は、黙ってしまった。
熱心に支持してくれた田豊の好意はふかく心に謝していたが、孫乾もつらつら袁紹の人物ときょうの容子をながめて、(──これ以上強いるのは無益)と、諦めてしまった。
で、田豊の眼へ目顔で合図しながら、退出しようとすると、袁紹もすこし悪い気がしたとみえて、
「立ち帰ったら劉玄徳へはよろしく伝えてくれい。そしてもし、曹操の大軍に支え難く、徐州も捨てるのほか無いような場合になったらいつでも我が冀州へ頼って参られるがよいとな。......くれぐれ、悪く思わないように」と、重ねて言った。
城門を退出してから、田豊は足ずりして、
「惜しい! 実に惜しい。小児の病気ぐらいに恋々として、ついに天機を見のがすとは」
と、長嘆した。
孫乾は、馬を求めて、
「いやどうも、いろいろお世話になりました。いずれまた、そのうちに」
と、半日の猶予もしていられない身、すぐ鞭を打って徐州へ引き返した。
玄徳冀州へ奔る
一
小沛の城は、いまや風前の燈火にも似ている。
そこに在る玄徳は、痛心を抱いて、対策に迫られている。
孫乾は冀州から帰って来たものの、その報告は何の恃みにもならないものである。彼は明らかに周章していた。
「家兄。そう鬱いでいては、名智も策も出やしません。味方の士気にも影響する。同じ戦うなら、もっと陽気にやろうじゃありませんか」
「お、張飛か。そちのことばももっともだが、いかんせんこの小城、敵は二十万と聞こえている」
「二十万だろうが、百万だろうが、憂いとするには足りません。なぜならば、曹操は短気なので兵馬はみな許都からの長途を、休むひまなく馳け下って来たにちがいありません。陣地に着いても四、五日ほどは、疲労しきっていて物の用に立ちますまい」
「──が、いずれ敵は、長陣を覚悟のうえで、十重二十重にこの城をとり巻こう」
「ですから、その用意の
調わぬうち──また長途のつかれも

えぬうちに──それがしが部下の猛卒をひッさげて奇襲を行ない、まず敵の出鼻に、大打撃を加え、しかるのち
下邳城の関羽と
掎角の形をとって、一縮一伸、呼応して敵に変化のいとまなからしめる時は、彼の大軍は、かえって、彼の弱点となり、やがて
破綻を来すことは明らかではありませんか」
張飛の言を聞いているとまったく陽気になってくる。彼は憂鬱を知らない男だし、玄徳はあまりに石橋をたたいて渡る主義で、憂いが多すぎる。
「豎子曹操。何ほどのことやあらんです。拙者におまかせなさい。いまの妙策はいけませんか」
「いや、感心した。そちという者は、武勇一点張りで変哲もない男かと多年思っていたが、先ごろは、良計を用いて、劉岱を生け捕ったし、いままた、兵法にかなった妙計をわしへ告げおる。──よかろう、汝の存分に、曹操の先鋒を討ち砕け」
肚をきめれば、大腹な玄徳である。それに近ごろ張飛をすこし見直していたところなので、直ちに彼の策をゆるした。
張飛は、手具脛ひいて、
「いざ来い。眼にもの見せてくれん」と、用意おさおさ怠りなく、奇襲の機をうかがっていた。
敵二十万の大軍は、まもなく近々と小沛の県界まで押して来た。
ところがその日、一陣の狂風が吹いて、中軍の牙旗がポキッと折れた。
あまり御幣はかつがない曹操だが、着陣したその日なので、
「はてな?」と、しばし馬上に瞑目し、独り吉凶を占うていたが、なお試みに、
「これは吉兆か凶兆か」と、諸将をかえりみて訊ねた。
荀彧がすすみ出て、
「風はどう向いて吹きましたか」
「東南からであった」
「折れた旗の色は」
「真紅の旗」
「紅の旗が、東南風で折れましたか。さらば御懸念にはおよびません。是、兵法の天象篇占風訣の一項に見えるとおり、敵に夜陰のうごきある兆です」
と彼は言った。
先鋒の毛玠も、わざわざ駒を返して来て、同じ意見を曹操に達した。
「──紅旗、東南風に仆るるは、夜襲の敵意なりと、むかしから兵家は言い伝えています。御用心あるように」
曹操は天に謝して、
「われを警めたもうは、天、われを扶くるのである。怠ってはなるまい。九陣にわかれ、八面に兵を埋伏し、各々、英気をふくんで、夜陰を待ちかまえろ」
と、必殺の捕捉陣をしいて、陽の没するのを合図に、全軍くろぐろと影を沈めていた。
二
「家兄。──お支度は」
「ととのうた。張飛、馬の用意はいいか」
「もとより抜かりはありません。孫乾も行きたがっていますが、彼には守りを頼みました。そう皆、城を空にして出かけてもいけませんから」
「生憎と、夜襲には不向きな月夜だな......。敵に悟られるおそれはないか」
「闇夜をえらぶのが、夜襲の定法になっています。ですから今宵のような月明りに、敵はひとしお安心していましょう」
「それも一理だ」
「ことに敵は、きょう着いたばかりですから、人馬みなくたくたになって眠りこんでいましょう。いざ、出かけましょう」
初めの計画では、張飛一手で奇襲するはずだった。が、いかに奇策を行なうにせよ、眼にあまる大軍なので、玄徳も自身出向くことになり、兵を二手にわけて城を出た。
張飛は、自分の計が、用いられ、自分の思うまま戦えるので、愉快でならない。ひそかに必勝を信じ切っている。折から月明煌々の下、枚をふくんで敵陣に近づいた。
「どうだ?」
物見を放って窺わせると、
「哨兵まで眠りこけています」
との答え。
「そうだろう、おれの神算は図にあたった!」
気負いぬいていた彼。
それっと、合図の諸声あげながら、一団になって、まっしぐらに敵中へ駈け入った。
いずこぞ敵の中軍、曹操の陣やどこにある? ──と見まわしたが、四林のうちは、ただひろい空沢で零々落々、草もねむり、木も眠り沈み、どこかにせせらぐ水音の聞こえるばかりで、敵の一兵だに見当たらない。
「はてな? こいつは、いぶかしい?」
張飛も部下も、拍子ぬけしてうろたえた。すると林の木々や、四沢の山がいちどにどっと笑い出した。
「や、や? ......。さては、敵は地を変えているぞ」
すでに遅し! 木も草もみな敵兵と化し鯨声は地をゆるがして、むらむらと十方を蔽いつつんで叫んだ。
「張飛を生け捕れ」
「玄徳をのがすなッ」──と。
かくて、仕掛けた奇襲は、反対に受け身の不意討ちと化した。隊伍は紛裂し、士気はととのわず、思い思いの敵と駈けあわすうち、敵の東の方からは張遼の一陣、西のほうからは許褚、南からは于禁、北からは李典。また東南よりは徐晃の騎馬隊。西南よりは楽進の弩弓隊、東北よりは夏侯惇の舞刀隊、西北よりは夏侯淵の飛槍隊など、八面鉄桶の象をなしてその勢無慮十数万──その何十分の一にも足らない張飛、玄徳の小勢をまったく包囲して、
「一匹も余すな」と、ばかり押しつめて来た。
さしもの張飛も鐙に無念を踏んで、
「南無三」
右に突き、左をはらい、一生の勇をここにふるったが到底無理な戦いだった。
味方は討たれ、あるいは敵へ降参をさけんで、武器を捨て、彼自身も数箇所の手傷に、満身朱にまみれてしまった。
徐晃に追われ、楽進に斬ってかかられ、炎のような息をついてようやく一方に血路をひらき、つづく味方をかえりみると、何たる情けなさ、わずかに二十騎ほどもいなかった。
「者ども! もう止せ、馬鹿げた戦だ。死んでたまるか、こんな所で、──さあ、おれについて来い」
ついに、帰路をも
遮断されてしまい、むなしく彼は
蕩山方面へ落ちのびて行った。
玄徳もまた、言うまでもない運命に陥ちていた。
大軍にうしろを巻かれ、夏侯惇、夏侯淵に挾撃され、支離滅裂に討ち減らされて、わずか三、四十騎と共に、小沛の城へさして逃げて来ると、もう河を隔てたかなたに、火の手がまッ赤に空を焦がしていた。──根城のそこも、すでに曹操に占領されていたのである。
三
玄徳は道を変えて、夜の明けるまで馳けつづけた。すでに小沛の城は敵手に陥されてしまったので、
「このうえは徐州へ」と急いだのである。
ところがその徐州城へ近づいてみると、暁天に翻っている楼頭の旗はすべて曹操軍の旗だったので、
「──これは?」と、玄徳はしばし行く道も失ったように、茫然自失していた。
陽ののぼるにつれて、四顧に入る山河を見まわすと、濛々と、どこもかしこも煙がたちこめていた。そしてそこには必ず曹操の人馬が蟠っていた。
「ああ過った。──智者でさえ智に誇れば智に溺れるというものを、図にのった張飛ごときものの才策をうかと用いて」
玄徳は臍を嚙んだ──痛烈にいま悔いを眉に滲ませている──が彼はすぐその非を知った。
「わしは将だ。彼は部下。将器たるわしの不才が招いた過ちだ」
さしずめ玄徳は、落ちてゆく道を求めなければならない。
いかにしてこの危地を脱するか? ──またどこへさして落ちて行くか?
当面の問題に、彼はすぐ頭を向け更えた。
「そうだ、ひとまず冀州へ行って、袁紹に計ろう」
いつぞや使した孫乾に言伝けして──もし曹操に敗れたら冀州へ来給え、悪いようにはせぬから──と言っていたという袁紹の好意をふといま玄徳は思い出していた。
途中、ゆうべから狙けまわしている楽進や夏侯惇の軍勢に、さんざん追いまわされて、彼も馬も、土にのめるばかりな苦しみに喘ぎつつも、ようやく死地から脱れたのは、翌日、青州の地を踏んでからであった。
それからも、野に臥し、山に寝ね、野鼠の肉をくらい、草の根を咬み、あらゆる危険と辛酸に試されたあげく、やっと青州府の城下にたどりついた。
城主袁譚は、袁紹の嫡男であったから、
「かねて父から聞いています。もう御心配には及ばぬ」
と、旅舎を与えられ、一方、彼の手から駅伝の使は飛んで、父の袁紹のところへ、
徐州、小沛は、はや陥落す。
玄徳、妻子にもはなれ、身をもって、青州まで落ちまいる。いかが処置いたすべきや。
と、さしずを仰いでいた。
「かねての約束、たごう可からず──」
と、袁紹はただちに一軍を迎えに差し向けて、玄徳の身を引き取った。
しかも、冀州城外三十里の地──平原というところまで、袁紹自身、車馬をつらねて出迎えに出ていた。
よほどな優遇である。
やがて、城門にかかると、玄徳は馬を降りて、
「流亡の敗将が、何の功によって、今日このような礼遇をいただくのでしょうか。あまりな過分です」と、地に拝伏して、それからは下馬して歩いた。
城内に入ると、袁紹はあらためて、彼に対面し、過ぐる日、孫乾の使をむなしく帰したことを、こう言いわけした。
「子煩悩と嗤われようが、子どもの病気はかなわんものでな。あの前後、わしも心身つかれ果てていたので、ついにお救いにも行けなかった。しかしここは河北数州の府、大船にのったお心で、幾年でもおいでになられるがよい」
「まことに面目もありませぬ。一族を亡ぼし、妻子をすて、恥もかえりみず、孤窮、門下に身を寄せて来たそれがし、過分な御好遇はかえっていたみいります。ただ何分の御寛仁を......」
玄徳は肩身がせまい。ひたすら謙虚に、身を低く、頼むばかりであった。
恋の曹操
一
小沛、徐州の二城を、一戦のまに占領した曹操の勢いは、旭日のごときものがあった。
徐州には、玄徳麾下の簡雍、糜竺のふたりが守っていたが、城をすててどこかへ落ち去ってしまい、あとには陳大夫、陳登の父子が残っていて、内から城門をひらき、曹操の軍勢を迎え入れたものであった。
曹操は、陳父子に対して、
「さきにはわが恩爵をうけ、後には玄徳に随身し、今はまた門をひらいて予を迎う。──咎めれば咎める罪状は成り立つが、もし力をつくして、領内の百姓を宣撫するなら、前日の罪はゆるしてやろう」
と、言った。
陳父子は慴伏して、
「違背なく仕りますれば」と、ひたすら彼の寛仁を仰ぎ、その日から力を城内民の鎮撫にそそいで、治安の実績をあらわした。
ふかく玄徳になついていたので、一時は不安に駆られて躁いでいた城内民も曹操の政令と宣撫にようやく落ち着いて、常態に復しかけてきた。
「まず、徐州はこれでいい」
曹操の考えは次の作戦に移っていた。
戦争と政治は、併行する。二本の足を、交互に運ぶようなものである。
「──残るは下邳の一城」
と、彼はもうその地方まで呑んでいる気慨であったが、大事をとって一応、事情に明るい陳登に下邳の内情をたずねてみた。
「下邳の城は丞相も御承知の関羽雲長が、守り固めております。──かねて玄徳はかかる場合を案じてか、二夫人と老幼のものを、関羽にあずけ、丞相の軍が発向する前に、疾く下邳のほうへ移していたものであります」
陳登はなお言い足して、
「なぜ玄徳が妻子を下邳へうつしたかといえば、申すまでもなく、かつては猛将呂布がたて籠って、さんざんに丞相の軍をなやましたことのある難攻不落の地ですから、それでこの度も、特に、関羽をえらんで大事な家族を託したものと思われます」と、語った。
曹操は往年の戦を思い出しながら、
「なにさま、予にとって、下邳は宿縁あさからぬ古戦場だ。──しかし呂布を攻めた時とちがって、このたびは長びくことは禁物である。なぜならば袁紹というものが、すでに大軍を北にうごかしているからだ。──作戦は一に急を要する」
荀彧をかえりみて、急に下邳を陥す名案はないかとたずねた。
荀彧は、しばらく、半眼のまま口をとじていたが、
「関羽を城中においては、百たび攻めても陥ちますまい。策の妙諦は、ただいかにして、関羽を城外へおびき出すかにありましょう」と、言った。
「それには?」と、たたみかけて、曹操が問うとまた、
「押しつめて、わざと弛み、敵を驕らせて味方は潰走して見せる。その間、ひそかに大軍をまわし、中道を遮断すれば、関羽は十方に道を失い、孤旗を支えて悲戦の下に立つしかありません」
「なるほど、関羽さえ擒人にすれば、不落の城も、不落ではないからな」
曹操は、荀彧の策を採って、あらまし用兵の方向をさだめ、議が終わると、こう自分の意中をかたわらに告げた。
「実をいうと、予は遠い以前から、関羽の男ぶりに恋しておる。沈剛内勇、まことに寛闊な男で、しかも武芸は三軍に冠たるものがある。......こんどの戦こそ、日ごろの恋を遂げるにはまたとない好機。なんとかして彼を麾下に加えたいものである。怪我なく生け捕って、許都のみやげに連れもどりたい。──各々、予が意を酌んで、充分に策を練ってくれよ」
二
むずかしい注文である。諸将は顔を見あわせていた。
郭嘉は、曹操の前へすすんで、そのむずかしさを正直に言った。
「関羽の勇は、万夫不当と、天下にかくれもないものです。討ち殺すさえ、容易ではありません。しかるにそれを手捕りにせよとの御命令では、どれほどの兵を犠牲にするやも計られず、また下手をすれば、かえって彼に乗じられる惧れがないとも限りませんが」
すると、張遼が、右列を出て、
「お案じあるな。拙者が関羽を説いてお味方へ降らせましょう」と、言った。
程昱、郭嘉、荀彧などの諸将はみな、なかば疑って、
「君はその自信があるのか」と、口をそろえて反問した。
「ある!」
張遼は、怯みなく答えた。
「諸氏は関羽の勇だけを慮っておられるようだが、拙者のもっとも至難と考えるところは、彼が人いちばい、忠節と信義にあつい点である。しかし幸いにも、拙者と彼とは、──形の交わりはないが、つねに戦場の好敵手として、相見るたび、心契の誼に似たものを感じ合っている。おそらく彼も拙者のことを記憶しておるにちがいないと思う」
「よかろう。張遼にひとつ、説かせようではないか」
曹操は、かれの乞いを容れようとした。英雄、英雄を知る。張遼と関羽のあいだに心契があるということは、いかにもあり得べきことと同感をもったからである。
だがなお、程昱、郭嘉などは、うなずかなかった。勧降の使として、説客を向けてみるもいいがもし効がなければ、敵の決意をよけい強固にさせるだけで、速戦即決をとらんとする方針にはむしろ害を生じる可能性のほうが多いのではあるまいか──と。
「いや、その儀なら拙者に、いま陣中にある徐州の捕虜二百ほどをおあずけ下されば、違算なく下邳の城を奪い、荀彧どのが先に申されたとおり関羽を野外におびき出して、まず彼の位置を孤立させてお目にかける」
張遼の自信は相当つよい。
玄徳を離れた徐州の捕虜を用いて一体どうするのかと、その計を問うと、
「わざと、捕虜を放して、下邳の城へ追いこむのです。もとより味方と味方とが合流すること、関羽も当然、城へ入れるであろう。──つまり風の吹く日まで火ダネをそこへ埋けこんでおくような計略であるが」と、説明した。
曹操は手を打って、
「それぞ、敵土埋兵の巧妙なる一手だ。まず、張遼にやらせてみよう」
参謀部の方策はきまる。
降参人二百ばかり、利を諭されて、陣地から潰乱して走りだした。もちろん夜が選ばれた。
夜明けから朝にかけて、彼等は下邳の城へまぎれこんだ。正真正銘の味方にちがいないので、関羽以下の部将もみななんの疑いも抱かなかった。
「徐州へは、曹操の直属軍がかかって来たので、ひとたまりもなく落城しましたが、曹操とその中軍は、勝ち誇って、そこに止まっています。われわれを追いかけて来たのは夏侯惇、夏侯淵の一部隊にすぎません。それも長途の急行軍でつかれぬいていますから、城を出て、逆寄せをくわせれば、それを平野に捕捉して、殲滅を与え得ることは、間違いなしと、保証して言えます」
そんな声が、城内に撒きちらされた。関羽は、雑兵たちのことばなので、すぐは受けとらなかったが、次次の物見の報せにも、
「敵は存外、少数です」
「下邳へ向かってきた兵力は、敵全軍の五分の一にも過ぎません」
と、あるので、ついに城門をひらかせて、英姿颯爽と、一軍をひきいて、蒼空青野の戦場へ出て行った。
三
手をかざして望むと夏侯惇、夏侯淵の二軍は、鳥雲の陣をしいて旌旗しずかに野に沈んでいた。
──と見るうち、甲盍さんらんたる隻眼の大将が、馬をすすめて関羽のまえに躍りかけ、
「やあ、髯長の村夫子、なんじ何とて柄にもなき威容を作り、武門のちまたに横行なすか。すでに不逞の頭目玄徳も無頼漢の張飛もわが丞相の威風に気をうしない、風をくらって退散したのに、なんじまだ便々と下邳にたて籠ってなんするものぞ。──早々故郷へ立ち帰って、村童の鼻汁をふいておるか、髯の虱でも取っておれ」と、舌をふるって悪罵した。
関羽は、沈勇そのものの眉に口を緘し、爛たる眼を向けていたが、
「おのれ、そう言う者は曹操の部下夏侯惇であるな」
やはり彼にも感情はあった。心では烈火のごとく怒っていたものとみえる。──そのすがたにぶんと風を生じたかと思うと、漆艶の黒鹿毛と、陽にきらめく偃月の青龍刀は、
「うごくな! 片眼」
と、ひと声吼えておどり蒐って来た。
もとより計る気の夏侯惇、善戦はしながらも、逃げては奔り、返しては罵りちらした。
関羽は大いに怒って部下三千を叱咤し、自分も二十里ばかり追いかけた。
しかし彼の獅子奮迅ぶりに、味方もつづき限れなかった。
関羽は気がついて、
「ちと、深入り」
急に引っ返しかけたが、それと共に、左に敵の徐晃、右には許褚の伏軍がいちどに起って、彼の退路をふさいだ。
蝗の飛ぶような唸りは百張の弩が弦を切って放ったのであった。
さすがの関羽も、その矢道は通りきれない。道を更えんと駒を返すとそこからもわっと伏兵の旋風が立つ。
こうして彼は次第に、気の長い猛獣狩りの土蛮が

を
柵へ追いこむように追いつめられて、ついに曹操の大軍のうちに完封された。
日もはや暮れて野は暗い。彼が逃げあがったのはひくい小山の上だった。夜に入ると、下邳のほうに、焰焰たる猛火が空をこがし始めた。
さきに城内へまぎれこんだ反間の埋兵が内から火を放って夏侯惇の人数を入れ、苦もなく、さしもの難攻不落、下邳の城を曹操の手へ渡してしまったものであった。
「計られたり、計られたり。このうえは、なんの面目あって主君にまみえようぞ。そうだ......夜明けと共に」
彼は、討ち死にを決心した。
そして、明日をさいごの働きに、せめては少し身を休めておこう。馬にも草を

わせておこう──そう心しずかに用意して、あわてもせず、夜の白むのを待っていた。
──朝露がしっとりと降りる。東雲は紅をみなぎらして来た。手をかざして小山のふもとを見れば、長蛇が山を巻いたように、無数の陣地陣地をつないで霞も黒いばかりな大軍。
「ものものしや......」
関羽は苦笑した。
山上の一石に、ゆったり腰をすえ、甲よろいの革紐などを締め、草の葉露を舐めてやおら立ちかけた。
すると、そこへ。
麓のほうからだれか登って来た。
関羽はひとみを向けた。
自分の名を呼びかけてくるのである。
「......何者?」と、疑わしげに待ちかまえていると、やがて近く寄って来たのは口に鞭を咥え頰に微笑をたたえた張遼であった。
四
ふたりは旧知の仲である。
平常の交わりはないが、戦場往来のあいだに、敵ながら何となくお互いに敬慕していた。
士は士を知るというものであろう。
「おう、張遼か」
「やあ、関羽どの」
ふたりは、胸と胸を接するばかり相寄って、ひとみに万感をこめた。
「御辺はこれへ、何しに参られたか。──察するに曹操から、この関羽の首を携えて来いと命ぜられ、やむなくこれへ参られたか」
「いや、ちがう。平常の情を思い、貴公の最期を惜しむのあまり......」
「しからば、この関羽に、降伏をすすめに来られた次第か」
「さにもあらず。以前、それがしが貴公に救われたこともある。なんで今日、君の悲運をよそにながめておられようか」
張遼は石を指して、
「まず、それへかけ給え。拙者も腰をおろそう」と、ゆったり構え、「......すでにお覚りであろうが、玄徳も張飛も、共に敗れ去って行方もしれない。ただ玄徳の妻子は、下邳城の奥にいるが、そこも昨夜わが軍の手に陥ちてしまったから、二夫人以下の生殺与奪は、まったく曹丞相のお手にあるものといわねばならぬ」
「......無念だ。......この関羽をお見込みあって、御主君よりお預け給わった御家族をむなしく敵の手に委すとは」
関羽は、首をたれて、長大息した。──自分の死は、眼前の朝露を見るごとくだったが無力な女性方や、幼い主君の遺子などを思うと、さしもの英豪も、涙なきを得なかった。
「......が、関羽どの。その事についてなら、いささか御安心あるがよい。曹丞相は、下邳の陥落と共に、御入城になったが、第一に玄徳の妻子を、べつな閣に移して、門外には番兵を立たせ、一歩でもみだりに入る者はたちどころに誅殺せよとまで──厳しく保護なされておる」
「おう、そうか」
「実は、その儀をお伝えしたいと思って、曹丞相のおゆるしの下にこれへ参ったわけでござる」
聞くと関羽は、きっと眼光をあらためて、
「さてはやはり、恩を売りつけて、われに降参をすすめんとする意中であろう。笑うべし、笑うべし。曹操もまた、英雄の心を知らぬとみえる。......たとい今、この絶地に孤命を抱くとも、死は帰するにひとし、露ほども、生命の惜しい心地はせぬ。──この関羽に降伏をすすめに来るなど、御辺もちとどうかしておる。はやはや山を降り給え。後刻、快く戦おう」
苦々しげに言い反むく関羽の横顔をながめて張遼は、わざと大きくあざ笑った。
「それを英雄の心事と、自負されるに至っては、貴公もちと小さいな。......あはははは、貴公のいうとおりに終わったら、千載のもの笑いだ」
「忠義をまっとうして討ち死にいたすのが、なんで笑いぐさになるか」
「されば、ここで貴公が討ち死にいたせば、三つの罪があとで、数えられよう。忠義も潔いも、その罪と相殺になる」
「こころみに訊こう。三つの罪とは何か」
「死後、玄徳がまだ生きておられたらいかに? 孤主にそむき、桃園のちかいを破ることに相なろう。──第二には、主君の妻子一族を託されながら、その先途をも見とどけず、ひとり勇潔に逸ること、これ短慮不信なりと言われても、ぜひあるまい。もう一条は、天子を思い奉り、天下の将来を憂えぬことである。一身の処決を急ぎ、生きて祖宗のあやうきを扶翼し奉らんとはせず、みだりに血気の勇を示そうとするは──けだし真の忠節とは申されまい。......貴公は、武勇のみでなく学識もある士とうけたまわっておるが、この辺の儀は、どう解いておられるか。関羽どの、あらためてそちらへ伺いたいものだが」
五
関羽は頭をたれたまま、やや久しく、考えこんでいた。
張遼の言には、友を思う真情がこもっていた。また、道理がつくされている。
理と情の両面から責められては、関羽も悶えずにいられなかったとみえる。
張遼は、ことばを重ねて、
「ここで捨てるお命を、しばし長らえる気で、劉玄徳の消息をさぐり、ふたつには、玄徳から託された妻子の安全をまもり、義を完うなされたらどうですか。......もしそのお心ならば、不肖悪いようには計らいませんが」と、説いた。
関羽は、好意を謝して、
「かたじけない。もし御辺の注意がなければ、関羽はこの一丘の草むらに、匹夫の墓をのこしたで御座ろう。思えば浅慮な至りであった。──しかし、なにを申すも敗軍の孤将、ほかに善処する道も思案もなかったが、いま御辺の申されたように、義に生きられるものならば、どんな苦衷や恥を忍ぼうとも、それに越したことはないが」
「そのためには、一時、曹丞相へ降服の礼をとり給え。そして堂々貴公からも条件を願い出られてはいかに?」
「望みを申そうなら三つある。──そのむかし桃園の義会に、劉皇叔と盟をむすんだ初めから、漢の中興を第一義と約したこと故、たとい剣甲を解いて、この山をくだるとしても、断じて曹操に降服はせん。漢朝に降服はいたすが、──曹操には降らん! これが第一」
「して、あとの二つの条件は」
「劉皇叔の二夫人、御嫡子、そのほか奴婢どもにいたるまで、かならずその生命と生活の安全を確約していただきたいことで御座る。しかも鄭重なる礼と俸禄とをもって」
「その儀も、承りおきます。次に、さいごの一条は」
「いまは劉皇叔の消息も知れぬが、一朝お行方の知れた時は、関羽は一日とて、曹操の許に晏如と留まっておるものでは御座らん。千里万里はおろか、お暇も告げず、直ちに、故主のもとへ立ち帰り申すであろう。......以上、三つの事、確とお約束くださるならば、おことばに任せて山を降ろう。──さもなければ、百世末代、愚鈍の名をのこすとも、斬り死にして、今日を最期といたすのみでござる」
「心得ました。即刻、丞相にお旨をつたえて、ふたたびこれへ参るとします。──暫時の御猶予を」
張遼は、山を駆け下りて行った。至情な友の後ろすがたに、関羽は瞼を熱くした。
馬にとびのると、張遼は一鞭あてて、下邳へ急いだ。──そしてすぐ曹操の面前にありのままな次第を虚飾なく復命した。
もちろん関羽の希望する三条件も、そのまま告げた。剛腹な曹操も、この条件の重さに、おどろいた顔色であったが、
「さすがは関羽、果たして、予の眼鑑にたがわぬ義人である。──漢に降るとも、曹操には降らぬというのも気に入った。──われも漢の丞相、漢すなわち我だ。──また二夫人の扶養などはいと易いこと。......ただ、玄徳の消息がわかり次第、いつでも立ち去るというのは困るが」
と、その一箇条には、初め難色があったが、張遼がここぞと熱意をもって、
「いや、関羽が、ふかく玄徳を慕うのも、玄徳がよく関羽の心をつかんだので、もし丞相が親しく彼をそばへ置いて、玄徳以上に、目をおかけになれば、──長いうちには必ず彼もついに丞相の恩義に服するようになりましょう。士はおのれを知るもののために死す──そこは丞相がいかに良将をお用いになるかの腕次第ではございませぬか」
と、説いたので、曹操もついに、三つの乞いをゆるし、すぐ関羽を迎えて来いと、恋人を待つように彼を待ちぬいたのであった。
大歩す臣道
一
一羽の猛鷲が、翼をおさめて、山上の岩石からじっと、大地の雲霧をながめている。──
遠方から望むと、孤将、関羽のすがたはそんなふうに見えた。
「お待たせいたしました」
張遼はふたたびそこへ息をきって登って来た。そして自分の歓びをそのまま、
「関羽どの、歓ばれよ。貴公の申し出られた三つの条件は、ことごとく丞相の御快諾を得るところとなった。さあ、拙者と同道して、山を降りたまえ」と、告げた。
すると、関羽は、
「あいや、なお少々、御猶予を乞いたい。さきに申した条件は、関羽一個の意にすぎない。この関羽としては、ついに、そうするしか道はないと覚悟したが、なお二夫人のお心のほどは量られぬ......」
「それまで御斟酌にはおよぶまいに」
「いやいやそうでない。お力のない女性方とはいえ、御主君に代わる御主筋──一応はおふた方の御意をも仰がずには、曹操の陣門へ駒をつなぐわけには参らぬ。それがし、これより城中に入って、親しく二夫人の御前にまみえ、事の次第をお告げして、御承諾をうけて参るほどに、まず曹操から下知をくだして、麓の軍勢を、この上より三十里外に退かせ給え」
「では、その後で、かならず丞相の陣門へ、降服して参られるか」
「きっと、出向く」
「しからば、後刻」と、武士と武士のことばをつがえて、張遼は速やかに立ち去った。
曹操は、やがて張遼から、その要求を聞いて、実にもとうなずき、すぐ、
「諸軍、囲みを解いて、速やかに三十里外に退くべし」と、発令した。
謀将荀彧はおどろいて、
「まだ関羽の心底はよくわかりません。もし、変を生じたらどうしますか」
と、伝令を止めて、曹操に諫言した。
曹操は、快然一笑して、
「関羽がもし約束を詐るような人物ならば、なんで予がこれほど寛大な条件を容れよう。──またそんな人間ならば、逃げ去っても惜しくない」
と言って、ためらいもなく全軍を遠く開かせた。
小手をかざして山上から兵霞の退くのをながめていた関羽は、やおら黒鹿毛を曳いて麓にくだり、無人の野を疾駆して、間もなく下邳城に着き、城内民安穏を見とどけてから城の奥へかくれた。
深院の後閣、哀禽の音が昼をひとしお寂としていた。
番兵が
秘
をひらいて、彼を
簾外へいざなうと、玄徳の妻室
糜夫人と、側室の
甘夫人は、
「オオ、関将軍か」と、幼児の手をひいてまろび出て来た。
「和子さまにも、おふた方にも、おつつがなくお在せられましたか」
関羽は、楷をへだてて平伏し、二夫人の無事をながめた安心やら......こもごもな感慨につつまれて、しばらくは面も上げなかった。
甘夫人は涙ながら、
「夕べ、落城となって、死を決めていましたが、思いのほか、殺されもせず、このとおり曹操から手厚く守られています。......将軍、お身もよう無事でもどってくれましたね。どうか生命をいとしんで、皇叔のお行方をたずねて下さい」と、糜夫人もともども、袖を面にあてて、玄徳の生死を案じ、この先、どうしていいか、それすらまったく見失っていた。
一時、曹操に降って、主君のお行方をさがすつもりで──と関羽が交渉の仔細を告げると二夫人とも泣き腫れた眼をみはって、
「でも、曹操に随身してしまったら、もう皇叔の居どころがわかっても、お側へは行かれますまい。関将軍とておなじ事、その時はどうなさるおつもりですか」
と、さすがやや気色ばんで難詰った。
二
一夫多妻を伝統の風習としているこの民族の中では、玄徳の室など、至極さびしいほうであった。
甘夫人は、糜夫人より若い。沛県のひとで、そう美人というほどでもない。単に、清楚な婦人である。
美人のおもかげは、むしろ年上の糜夫人のほうに偲ばれる。
それも道理で、もう女の三十路をこえているが、青年玄徳に、はじめて恋ごころを知らしめた女性なのである。
実に今を去る十何年か前。
まだ玄徳が、沓を売り蓆を織っていた逆境の時代──黄河のほとりにたって、洛陽船を待ち、母のみやげにと茶を求めて帰る旅の途中、曠野でめぐり逢った白芙蓉という佳人が、いまの糜夫人であった。
五台山の劉恢の家に養われて、久しく時を待っていた彼女は、その後玄徳に迎えられて、室に侍したものであった。
一子がある。六歳になる。
けれど病弱だった。
今日のような境遇になってみると、むしろ平和な日に安心して逝ったので、心のこりのない気がするものは、玄徳の母であった。
長命したほうである。
それに、玄徳としては、まだ不足だったが、老母としては、充分に安心して逝ったであろうほど、子が世に出たのも見て逝った。
その老母は、徐州の城にいたころ、世を去ったのである。
──で、二夫人と、病弱な一児のほかは、奴婢、召使いたちしかいない。
玄徳もどんなにか、他国の空でこの二夫人と、一児の身を、案じ暮らしていることだろうか。二夫人が、玄徳を慕って、すでに敵の擒人となっている境遇も思わず、今にでもすぐ会えるように思っているのは男と男との戦いの世界などにはうとい深苑の女性として、無理もないことであった。
「......その儀は、決して御心配にはおよびませぬ。降服と申しても、ただの降服ではありません。三つの条件を、曹操とかたく約してのことです。──もし御主君の居所がわかったときは、暇も乞わず、すぐ劉皇叔の許へ馳せ参りますぞと──約束の一条に加えてありまする。ですから、その折には、関羽がお供いたして、かならず御一同さまと皇叔とを、御対面おさせ申しましょうほどに、じっと、それまでは、敵地での御辛抱をおねがい申しあげまする」
彼の至誠に、二夫人は、
「よいように......ただそちのみを、頼みに思いますぞ」
と、涙にくれて言うばかりだった。
関羽はやがて、残兵十騎ばかり従えて、悠々と、曹操の陣門を訪れた。
曹操は、自身轅門まで出て、彼を迎えた。
あまりの破格に、関羽があわてて地に拝伏すると、曹操もまた、礼を施した。
関羽は、いつまでも地から起たず、
「それでは御挨拶のいたしようがありません」と、言った。
「将軍、なにを窮するのか」
曹操が、気色うるわしく訊ねると、
「すでに、この関羽は、あなたから不殺の恩をうけました。なんで慇懃な御答礼をうけられましょう」
「将軍に害を加えなかったのは将軍の純忠に依ることです。また相互の礼は予は漢の臣、おん身も漢の臣、官位はちがってもその志操に対する礼である。御謙譲には及ばんことだ。いざ予の帷幕へ来給え」
曹操は、先に大歩して、案内に立つ。
通ってみるとすでに一堂には花卓玉盞をととのえて盛宴の支度ができている。
そして中堂をめぐって整列していた曹操の親衛軍は、関羽のすがたを見るといっせいに迎賓の礼をとった。
三
降将とはいえ、さながら賓客の礼遇である。曹操は関羽を堂にむかえて、すこしも下風に見る容子はなく、おもむろに対談しはじめた。
「きょうは実に愉快な日だ。曹操にとっては、日ごろの恋がかなったような──また一挙に十州の城を手に入れたよりも大きな歓びを感じる。しかし羽将軍には、どう思われるか」
「面目もない──その一言につきております」
「さりとは似あわしからぬことば、それは世のつねの敗軍の将のことで、羽将軍のごときは、名分ある降服というべきで辱るどころではない。堂々臣道の真を践まれておる」
「さきに張遼を通じて、お約束を乞うた三つの箇条は、篤とおきき届けくだされた由、丞相の大恩としてふかく心に銘記します」
「案じ給うな、武人と武人の約束は金鉄である。予も徳のうすい人間であるが、四海を感ぜしめんためには、誓って違背なきことを改めて、もう一度言っておく」
「かたじけない。さるお誓いのあるうえは、やがて故主玄徳の行方がわかり次第にこの関羽は直ちにお暇も乞わずに立ち去るものとお思いください。火を踏み、水を越ゆるともその時には、あなたの側に停まっておりますまい」
「ははは、羽将軍は、なお曹操の心事をお疑いとみえるな。御念には及ばん......」
曹操は言ったが、笑いにまぎらした中に、蔽い得ない感情が圧しつぶされていた。その苦味を打ち消すように、
「さあ、あちらの閣に、酒宴のしたくができておる。わが幕僚たちともお紹介わせしよう。来給え」と、先に立って、酒宴のほうへ導いた。
万歳の杯をあげて、諸将もみな酔ったが、平常でも朱面の関羽が、たれの顔よりも朱かった。
酔いに乗じて、曹操は、
「羽将軍、君が会わんと願っているひとは、おそらく乱軍のなかでもう屍になっているかも知れんな。むしろ霊を祭って、ひそかに弔ってあげたほうがよいだろう」と、ささやいた。
関羽は、酔うとよけい、酒の脂で真っ黒な艶をみせる長髯を撫しながら、
「それとわかった時でも、それがしはきっと、丞相の側に居なくなるでしょう」
と、髯の中で笑った。
「どうしてか。玄徳が討ち死にしてしまったら、もう君の行く先はあるまい」
「いや、丞相」と、幅のひろい胸を向け直して、「──この髯が、鴉になって故主の屍を探しに飛んで行きましょう」と、言った。
冗談など言うまいと思っていた関羽が、計らずも、戯れたので、曹操は手をたたいて、
「そうか。あははは、なるほど、その髯が、みんな翼になったら、十羽ぐらいな鴉になろうな」と、哄笑した。
かくてまず、徐州地方に対する曹操の一事業は済み、次の日、かれの中軍は早くも凱旋の途についた。
関羽は、主君の二夫人を車に奉じ、特に、前から自分の部下であった士卒二十余人と共に、車をまもって、寸時も離れることなく、──
やがて許都へのぼった。
許都へ来ては、諸将は各々の営寨にわかれ返って、平常の服務につき、関羽は、洛内に一館をもらって、二夫人をそこへ住まわせた。
一館の第宅を、内外両院にわけて、深院には夫人たちを奉じ、外院には士卒と自分などが住まい、両門のわきには、日夜二十余人の士卒を交代で立たせた。
そして関羽も、時々、無事閑日の身を、そこの門番小屋の中において、書物など読みながら、手不足な番兵の代わりなど勤めている日もあった。
四
帰洛して、ひとまず軍務もかたづくと、こんどは、山積している内外の政務が、彼の裁断を待っている。
曹操は政治にたいしても、人いちばいの情熱をもって当たった。許都を中心とする新文化は著しく勃興している。自己の指導ひとつで、庶民生活の様態が革まって来たり、産業、農業の改革から、目にみえて、一般の福利が増進されて来たりするのを見ると、
「政治こそ、人間の仕事のうちで、最高な理想を行ないうる大事業だ」
と信じて、年とるほど、政治に抱く興味と情熱はふかくなっていた。
このころ──
ようやくそのほうも一段落して、身に小閑を得ると、彼はふと思い出して、
「そうだ──時に例の関羽は、都へ来てから、なにして暮らしておるか」と侍臣にたずねた。
それに答えて近衆が、
「相府へはもちろんの事、街へも出た様子はありません。二夫人の御寮を護って、番犬のように、門側の小屋に起居し、時々院の外を通る者が、のぞいて見るとよく読書している姿を見うけるそうで」と、彼の近況を語ると、曹操は打ちうなずいて心から同情を寄せるように、
「さもあらん、さもあらん。──英雄の心情、悶々たるものがあろう」と、独りつぶやいていた。
その同情のあらわれた数日の後、曹操は急に関羽を参内の車に誘った。
そして朝廷に伴って、天子にまみえさせた。もとより陪臣なので、殿上にはのぼれない。階下に立って拝謁したにとどまるが、帝も関羽の名は疾く御存じであるし、わけて御心のうちにある劉皇叔の義弟と聞かれて、特に御目をそそがれ、
「たのもしき武人である。しかるべき官位を与えたがよい」
と、勅せられた。
曹操のはからいで、即座に、偏将軍に任じられた。関羽は終始黙々と、勅恩を謝して退がって来た。
まもなく曹操は、また、関羽のために、勅任の披露宴をかねて、祝賀の一夕を催し、諸大将や百官をよんで馳走した。
席上、関羽は、上賓の座にすえられ、
「羽将軍のために」と、曹操が、音頭をとって乾杯したが、その晩も、関羽は黙々と飲んでいるだけで、欣しいのか迷惑なのかわからない顔していた。
宴が終わると、曹操はわざわざ近臣数名に、
「羽将軍をお送りしてゆけ」
と、いいつけ、綾羅百匹、錦繡五十匹、金銀の器物、珠玉の什宝など、馬につけて贈らせた。
だが、関羽の眼には、珠玉も金銀も、瓦のようなものらしい。そのひとつすら身に持たず、すべて二夫人の内院へ運ばせて、
「曹操がこんなものをよこしました」と、みな献じてしまった。
曹操は、後に、それと聞いて、
「いよいよゆかしい漢だ」と、かえって尊敬をいだいた。同時に、彼が関羽に対する士愛と敬愛は、異常なほど高まるばかりだった。
三日に小宴、五日に大宴、といったふうに饗応の機会をつくって、関羽を見ることを楽しみとしていた。
武将が良士を熱愛する度を言い現わすことばとしてこの国の古くからの──馬にのれば金を与え、馬を降れば銀を贈る──という喩えがあるが、曹操の態度は、それどころではなかった。
都の内でも、選りすぐった美女十人に、
「羽将軍を口説き落としたら、おまえたちの望みは、なんでもかなえてやる」
と、言いふくませて、
嬌艶な
媚を競わせたりした。関羽も美人は

いでないとみえ、めずらしく大酔して十名の
美姫にとり巻かれながら、
「これは、これは、花園の中にでもいるようだぞ。きれいきれい。目が眩る──」
と、呵々大笑したが、帰るとすぐ、その十美人もみな二夫人の内院へ、侍女として献じてしまった。
破衣錦心
一
ある日、ぶらりと、関羽のすがたが相府に見えた。
二夫人の内院が、建築も古いせいか、雨漏りして困るので修築してもらいたいと、役人へ頼みに来たのである。
「かしこまりました。さっそく丞相に伺って、御修理しましょう」
役人から満足な返事を聞いて、ゆたりゆたり帰りかけてゆく彼のすがたを、ちらと曹操が楼台から見かけて、「あれは、羽将軍ではないか」と、侍臣をやって、呼びもどした。
「なにか御用ですかな」
関羽は、うららかな面をもってやがてそれへ来た。
曹操は手ずから秘蔵の瑠璃杯をとって、簡単に一杯すすめ、
「将軍の着ておられる緑の袍は緑錦の地色も見えないほど古びておるな。陽もうららかになるとあまりに襤褸が目につく。これを着たまえ。──君の身丈にあわせて仕立てさせておいたから」
と、見事な一領の錦袍をとって彼に与えた。
「ほ。......これは豪奢な」
関羽はもらい受けると、それを片手に抱えて帰って行った。ところが、その後、何かの折に、曹操がふと関羽の襟元を見ると、さきに自分の与えた錦の袍は下に着て上には依然として虱の住んでいそうな緑色のボロ袍をかさね着して澄ましこんでいた。
「羽将軍、君は武人のくせに、えらい倹約家だな。なぜそんなに物惜しみするのかね」
「え。どうしてです? 特に贅沢したくもないが、また特に倹約している覚えもありませんが」
「いや、やはりどこか、遠慮があるのだろう。曹操が賄うている以上は、何不自由もさせないつもりでおるのに──なにも、新しい衣裳を惜しんで古袍をわざわざ上に重ね着しているにもあたるまい」
「あ。このことですか」
関羽は自分の袖を顧みて、
「これはかつて、劉皇叔から拝領した恩衣です。どんなにボロになっても、朝夕、これを着、これを脱ぐたび、皇叔と親しく会うようで、欣しい気もちを覚えます。故に、いま丞相から新たに、錦繡の栄衣をいただいたものの、にわかに、この旧衣を捨てる気にはなれません」と、答えた。
聞くと、曹操は感に打たれたもののごとく、心のうちで、(ああ麗しい人だ。さても、忠実な人もあるものだ......)と、しみじみ、彼のすがたに見惚れていたが、折ふしそこへ、寮の二夫人に仕えている者が迎えに来て、
「すぐお帰りください。おふた方が今、何事か嘆いて、羽将軍を呼んでいらっしゃいます」
と、関羽へ告げると、
「え。何か起こったのか」
と、関羽は、それまで話していた曹操へ、あいさつもせず馳け去ってしまった。
本来、こんな無礼をうけて、黙っている曹操ではないが、曹操は置き捨てられたまま茫然と彼のあとを見送って、
「......実に、純忠の士だ、衒いもない。飾りもない、ただ忠義の念それしかない。......ああなんとか、彼のような人物から、心服されたいものだが」と、独りつぶやいていた。
曹操は、心ひそかに、自分と玄徳を比較してみた。そしてどの点でも、玄徳に劣る自分とは思われなかったが──ただひとつ、自分の麾下に、関羽ほどな忠臣がいるかいないか──と、みずから問うてみると、
(それだけは劣る)と、肯定せずにいられなかった。彼の意中のものは、いよいよ熱烈に、
(きっと関羽を、自分の徳によって、心服させてみせる。自分の臣下とせずにはおかん)
と、人知れぬ誓いは固められていた。
二
二夫人の使いをうけた関羽は、わき目もせず寮へ帰って行った。そして内院へ伺ってみると、二夫人は抱き合って、なお哭き濡れていた。
「どうなされたので御座る。何事が起こったのですか」
関羽がたずねると、甘夫人と糜夫人は、初めて相擁していた涙の顔と胸を離し合って、
「オオ関羽か。......どうしましょう。もう生きているかいもない。いっそのこと死のうかと思ったが、将軍の心に諮ってみてからと、そなたを待っていたところです」
と、ともどもに、慟哭した。
関羽は、おどろいて、
「死のうなどとは、滅相もない御短慮です。関羽がおりますからには、いかなる大難が迫ろうとも、お心やすく遊ばしませ。まずその仔細をおはなし下されい」と、宥めた。
ようやく、すこし落ち着いて、糜夫人がわけを語り出した。聞いてみると、なんのことはない、糜夫人が今日うたた寝しているうち、夢に、玄徳の死をありありと見たというのであった。
「あははは、何かと思えば夢をごらんになって劉皇叔のお身の上に、凶事があったものと思いこんでいらっしゃるのですか。どんな凶夢でも夢はどこまでも夢に過ぎません。そんな事で嘆き悲しむなど、愚の骨頂というものです。およしなさいおよしなさい」
関羽は打ち消して、しきりと陽気な話題へわざと話をそらした。
いかに鄭重に守られ、不自由なく暮らしていてもここは敵国の首府、二夫人の心を思いやると、夢にも怯え泣く嬰児のような弱々しさと、無碍に笑えないここちがして、関羽はあとでこう慰めた。
「長いこととは申しません。そのうちにかならず皇叔に御対面の日がまいるように、誓って関羽が計らいまする。それまでの御辛抱と思し召して、おふた方とてただ御自身のおからだを大事に遊ばしますように」
すると、内院の苑へ、いつのまにか曹操の侍臣が来ていた。関羽の帰り方があわただしかったし、二夫人の使いというので、曹操も猜疑をいだいて様子を窺わせによこしたものである。
関羽に見つかると、曹操の侍臣はすこし間が悪そうに、
「御用がおすみになったら、またすぐお越しくださるようにと、丞相は御酒宴のしたくをして、再度のお運びを、待っておられます」と、言った。
関羽はふたたび相府の官邸へもどって行った。酒をのんでも心から楽しめないし、曹操と会っている間も、故主玄徳を忘れ得ない彼であったが、
(いまここで彼の
機
を損じては──)
と、胸にひとり忍辱のなみだを嚥んで、何事にも、唯々諾々と伏していた。
先刻とはべつな閣室に、花を飾り、美姫をめぐらし、善美な佳肴と、紅酒黄醸の瓶をそえて、曹操は、彼を待っていた。
「やあ、御用はもうおすみか」
「中座して、失礼しました」
「きょうはひとつ、将軍と飲み明かしたいと思っていたのでな」
「冥加のいたりです」
さりげなく杯に向かったが、曹操は、関羽の瞼に泣いた痕があるのを見て意地わるくたずねた。
「羽将軍には、何故か、泣いて来たとみえるな。君も泣くことを初めて知った」
「あははは。見つかりましたか。それがしは実はまことに泣き虫なのです。二夫人が日夜、劉皇叔をしたわれてお嘆きあるため、実はいまも貰い泣きしてきたわけでござる」
つつまずにそう言った関羽の大人的な態度に、曹操はまた、惚れ惚れと見入っていたが、やがて酒も半ば酣のころ、戯れにまたこんなことを訊ね出した。
「君の髯は、実に長やかで美しいが、どれほどあるかね、長さは」
三
関羽の髯は有名だった。
長やかで美しい顎髯というので、この許都でも評判になっていた。
「おそらく都門随一の見事な髯だろう」と、言われていた。
いま曹操から、その髯のことを訊かれると、関羽は、胸を蔽うばかり垂れているその漆黒を握って悵然と、嘯くように答えた。
「立てば髯のさきが半身を超えましょう。秋になると、万象と共に、数百根の古毛が自然に脱け落ち、冬になると草木と共に毛艶が枯れるように覚えます。ですから極寒の時は、凍らぬよう囊でつつんでいますが、客に会う時は、囊を解いて出ます」
「それほど大切にしておられるか。君が酔うと髯もみな酒で洗ったように麗しく見える」
「いやお恥ずかしい。髯ばかり美しくても、五体の碌碌と徒食して、国家に奉じることもなく、故主兄弟の約にそむいて、むなしく敵国の酒に酔う。......こんな浅ましい身はあろうと思えませぬ」
なんの話が出ても、関羽はすぐ自身を責め、また玄徳を思慕してやまないのであった。そのたび曹操はすぐ話をそらすに努めながら、心のうちで、関羽の忠義に感じたり、反対に、ほろ苦い男の嫉妬や不快を味わいなどして、すこぶる複雑な心理に陥るのが常であった。
つぎの日。
朝に参内することがあって、曹操は関羽を誘い、そのついでに、錦の髯囊を彼に贈った。
帝は、関羽が、錦のふくろを胸にかけているので、怪しまれて、
「それは何か」と、御下問された。
関羽は囊を解いて、
「臣の髯があまりに長いので、丞相が囊を賜うたのでござる」と、答えた。
人なみすぐれた大丈夫の腹をも過ぎる漆黒の長髯をながめられて、帝は、微笑しながら、
「なるほど、美髯公よ」と、おっしゃった。
それ以来、殿上から聞きつたえて、諸人もみな、関羽のことを、
「美髯公。美髯公」と、呼び慣わした。
朝門を辞して帰る折、曹操はまた、彼が見すぼらしい

せ馬を用いているのを見て、
「なぜもっと良い飼糧をやって、充分に馬を肥やさせないのか」と、武人のたしなみを咎めた。
「いや、何せいこのからだが、かくのごとく、長大なので、たいがいな馬では

せ衰えてしまうのです」
「なるほど、凡馬では、乗りつぶされてしまうわけか」
曹操は急に、侍臣をどこかへ走らせて、一頭の馬を、そこへ曳かせた。
見ると、全身の毛は、炎のように赤く、眼は、二つの鑾鈴を篏めこんだようだった。
「──美髯公、君はこの馬に見おぼえはないかね」
「うウーム......これは」
関羽は眼を奪われて、恍惚としていたが、やがて膝を打って、
「そうだ。呂布が乗っていた赤兎馬ではありませんか」
「そうだ。せっかく分捕った駿壮だが、くせ馬なので、だれも騎りこなす者がない。──君の用い料には向かんかね?」
「えっ、これを下さるか」
関羽は再拝して、喜色をみなぎらした。彼がこんなに歓ぶのを見たのは曹操も初めてなので、
「十人の美人を贈っても、かつて欣しそうな顔ひとつしない君が、どうして、一匹の畜生を獲て、そんなに歓喜するのかね」と、たずねた。
すると関羽は、
「こういう千里の駿足が手にあれば、一朝、故主玄徳のお行方が知れた場合、一日のあいだに飛んで行けますからそれを独り祝福しているのです」と、言下に答えた。
四
悠々、赤兎馬に跨がって家路へ帰ってゆく関羽を──曹操はあと見送って、
「しまった......」と、唇を嚙みしめていた。
どんな憂いも長く顔にとどめていない彼も、その日は終日ふさいでいた。
張遼は侍側の者から、その日の仔細を聞いて深く責任を感じた。
で、曹操にむかい、
「ひとつ、私が、親友として関羽に会い彼の本心を打診してみましょう」
と申し出た。
曹操の内諾を得て張遼は数日ののち関羽を訪ねた。
世間ばなしの末、彼はそろそろ探りを入れてみた。
「あなたを丞相に薦めたのはかくいう張遼であるが、もう近ごろは都にも落ち着かれたであろうな」
すると関羽は答えて、
「君の友情、丞相の芳恩、共にふかく心に銘じてはおるが、心はつねに劉皇叔の上にあって、都にはない。ここにいる関羽は空蟬のようなものでござる」
「ははあ、......」と、張遼は、そういう関羽をしげしげ眺めて、
「大丈夫たる者は、およそ事の些末に囚われず、大乗的に身を処さねばなりますまい。いま丞相は朝廷の第一臣、敗北の故主を恋々とお慕いあるなど愚ではありませんか」
「丞相の高恩は、よくわかっているが、それはみな、物を賜うかたちでしか現わされておらぬ。この関羽と、劉皇叔との誓いは、物ではなく、心と心のちぎりでござった」
「いや、それはあなたの曲解。曹丞相にも心情はある。いや士を愛する心は、決して玄徳にも劣るものではない」
「しかし、劉皇叔とこの方とは、まだ一兵一槍もない貧窮のうちに結ばれ、百難を共にし、生死を誓ったあいだでござる。さりとて、丞相の恩義を無に思うも武人の心操がゆるさぬ。何がな、一朝の事でもある場合は身相応の働きをいたして、日ごろの御恩にこたえ、しかる後に、立ち去る考えでおりまする」
「では、......もし玄徳が、この世においでなき時は、どう召される気か」
「──地の底までも、お慕い申してゆく所存でござる」
張遼はもうそれ以上、武人の鉄石心に対して、みだりな追及もできなかった。
門を辞して帰るさも、張遼ひとり煩悶した。
「丞相は主君、義において父に似る。関羽は心契の友、義において、兄弟のようなものだ。......兄弟の情にひかれて父を欺くとせば、不忠不義。ああどうしたものか」
しかし彼は、関羽の忠節を鑑としても、自分の主君に偽りは言えなかった。
「──行って参りました。四方山ばなしの末、いろいろ探ってみましたが、あくまで留まる容子は見えません。丞相の高恩はふかく弁えていますが、さりとて、心をひるがえし、二君に仕えんなどとは、思いもよらぬ態に見えます」
歯に衣着せず、張遼はありのままを復命した。曹操もさすがに曹操であった。あえて怒る色もない。ただ長嘆して言った。
「君ニ事エテコソ本ヲ忘レズ。関羽はまことに天下の義士だ。いつか去ろう! いつか回り去るであろう! ああ、ぜひもない」
「けれどまた、関羽はこうも言っておりました。何がな一朝の場合には、一働きして御恩を報じ、そのうえで立ち去らんと......」
張遼が言うのを聞いて、かたわらから荀彧が、つぶやくように献言した。
「さもあろう、さもあろう。忠節の士はかならずまた仁者である。だからこの上は、関羽に功を立てさせないに限ります。功を立てないうちは、関羽もやむなく、許都に留まっておりましょう」
白馬の野
一
劉備玄徳は、毎日、無為な日に苦しんでいた。
ここ河北の首府、冀州城のうちに身をよせてから、賓客の礼遇をうけて、なに不自由も無さそうだが、心は日夜楽しまない容子に見える。
なんといっても居候の境遇である。それに、万里音信の術も絶え、敗北の孤を袁紹に託してからは、
「わが妻や子はどうなったか。ふたりの義弟はどこへ落ちたのか......」
思い悩むと、春日の長閑な無事も悶々とただ長い日に思われて、身も世もないここちがする。
「上は、国へ奉じることもできず、下は、一家を保つこともできず、ただこの身ばかり安泰にある恥ずかしさよ......」
ひとり面を蔽って、燈下に惨心を嚙む夜もあった。
水は温み、春園の桃李は紅唇をほころばせてくる。
──ああ、桃の咲くのを見れば、傷心はまた疼く。桃園の義盟が思い出される。
「関羽関羽、まだこの世にあるか? 張飛はいずこにあるか?」
天空無心。
仰ぐと、一朶の春の雲がふんわりと遊んでいる。
玄徳は、仰視していた。
──と、いつのまにか、うしろへ来て、彼の肩をたたいた者がある。袁紹であった。
「御退屈であろう。こう春暖を催してくると」
「おおこれは」
「其許にちと御相談があるが、忌憚ない意見を聞かしてもらえるかの」
「なんですか」
「実は、愛児の
病も

え、山野の雪も解けはじめたから、多年の宿志たる
上洛の兵を催して、一挙に曹操を平らげようと思い立った。──ところが、臣下の
田豊が、
儂を
諫めていうには、今は攻めるよりも守る時期である。もっぱら国防に力をそそぎ、兵馬を訓練し、農産を内にすすめて、
坐りながらに待てば
許都の
曹操はここ二、三年のうちにかならず
破綻をおこして自壊する。その時を待って一挙に決するが利じゃ──と申すのだが」
「なるほど、安全な考えです。けれど田豊は学者ですから、どうしても机上の諭になるのでしょう。私ならそうしません」
「其許ならどうするか」
「時は今なりと信じます。なぜならば、なるほど曹操の兵馬は強堅ですし、彼の用兵奇策は侮り難いものですが、ここようやく、彼も慢心を萌し、朝野の人々にうとまれ、わけて先ごろ、国舅の董承以下、数百人を白日の都下に斬ったことなど、民心も離反しているにちがいありません。儒者の論に耳をとられて、今を晏如として過ごしていたら、悔いを百年にのこすでしょう」
「......むむ、そうか。そう言われてみると、田豊はつねに学識ぶって、そのくせ自家の
庫富を
々と守っている
性だ。彼はもう今の位置に事足りて、ただ余生の無事安穏を祈っておるため、そんな保守的な諭を儂にもすすめるのかもしれん」
ほかにも何か気に入らない事があったのであろう。袁紹はその後、田豊をよびつけて、彼の消極的な意見を痛罵した。
「これはだれか、主君をそそのかした蔭の者があるにちがいない」
田豊は直感したので、日ごろの奉公はこことばかり、なお面を冒して反論を吐いた。──曹操の実力と信望は決して外から窺えるような微弱ではない。うかつに軍を出したら大敗を喫するであろうというのである。
「汝は、河北の老職にありながら、わが河北の軍兵をさまで薄弱なものと侮るか」
袁紹は怒って田豊を斬ろうとまでしたが、玄徳やその他の人々がおし止めたので、
「不吉なやつだ! 獄へ下せ」と、厳命してしまった。
些細な感情から、彼は大きな決心へ移っていた。まもなく河北四州へわたって檄文は発しられ、告ぐるに曹操の悪罪十箇条をあげ、
「各々一族の兵馬弩弓をすぐって、白馬の戦場へ会せよ」と、令した。
二
白馬の野とは、河北河南の国境にあたる平野をいう。
四州の大兵は、続々、戦地へ赴いた。
さすが富強の大国である。その装備軍装は、どこの所属の隊を見ても、ものものしいばかりだった。
こんどの出陣にあたっては、各々一族にむかって、「千載の一遇だぞ」と、功名手柄を励ましたが、ひとり沮授の出陣だけは、ひとと違っていた。
沮授は田豊と共に、軍部の枢要にある身だった。そして田豊とは日ごろから仲がいい。その田豊が、主君に正論をすすめて獄に下ったのを見て、
「世の中は計りがたい」と、ひどく無常を感じ、一門の親類をよんで、出立の前夜、家財宝物など、のこらず遺物分けしてしまった。
そしてその別辞に、
「こんどの会戦は、千に一つも勝ち目はあるまい。もし僥倖にめぐまれてお味方が勝てば、それこそ一躍天下を動かそう。敗れたら実に惨たるものだ。いずれにせよ、沮授の生還は期し難いと思う」と述べ、出立した。
白馬の国境には、少数ながら曹操の常備兵がいた。しかし袁紹の大軍が着いてはひとたまりもない。馬蹄にかけられてみな逃げ散ってしまった。
先陣は、冀州の猛将として名ある顔良にも命じられていた。勢いに乗じて、顔良はもう黎陽(山西省・黎城附近)方面まで突っこんでいた。
沮授は、危ぶんで、
「顔良の勇は用うべしですが、顔良の思慮は任ずべきでありません、それに先陣の大将を二人へ任じられるのもいかんと思いますが」と、袁紹に注意した。
袁紹は、耳をかさない。
「こんな鮮やかに勝っている戦争をなんで変更せよというのか。あのとおり獅子奮迅のすがたを見せている勇将へ、退けなどといったら、全軍の戦意も萎えてしまう。そちは口を閉じて見物しておれ」
──一方。
国境方面から次々と入る注進やら、にわかに兵糧軍馬の動員で、洛中の騒動たるや、いまにも天地が覆るような混雑だった。
その中を。
例の長髯を春風になびかせて、のそのそと、相府の門へいま入ってゆくのは関羽の長軀であった。
曹操に会って、関羽は、
「日ごろの御恩報じ、こんどの大会戦には、ぜひこの方を、先手に加えてもらいたい」と、志願して出た。
曹操は、欣しそうな顔したが、すぐ何か、はっと思い当たったように、
「いやいや何のこの度ぐらいな戦には、君の出馬を煩わすにはあたらん。またの折に働いてもらおう。もっと重大な時でも来たら」と、あわてて断わった。
あまりにもはっきりした断わり方なので、関羽は返すことばもなく、すごすごと帰って行った。
日ならずして、曹軍十五万は、白馬の野をひかえた西方の山に沿うて布陣し、曹操自身、指揮にあたっていた。
見わたすと、渺々の野に、顔良の精兵十万余騎が凸形にかたまって、味方の右翼を突き崩し、野火が草を焼くように押しつめてくる。
「宋憲宋憲。宋憲はいるか」
曹操の呼ぶ声に、
「はっ、宋憲はこれに」とかけ寄ると、曹操は何を見たか、いとも由々しく命じた。
「そちは以前、呂布の下にいた猛将。いま敵の先鋒を見るに、冀州第一の名ある顔良がわが物顔に、ひとり戦場を暴れまわっておる。討ち取って来い、すぐに」
宋憲は欣然と、武者ぶるいして、馬を飛ばして行ったが、敵の顔良に近づくと、問答にも及ばずその影は、一抹の赤い霧となってしまった。
報恩一隻手
一
顔良の疾駆するところ、草木もみな朱に伏した。
曹軍数万騎、猛者も多いが、ひとりとして当たり得る者がない。
「見よ、見よ。すでに顔良一人のために、あのざまぞ。──だれか討ち取るものはいないか」
曹操は、本陣の高所に立って声をしぼった。
「てまえに仰せつけ下さい。親友宋憲の仇、報いずにおきません」
「オオ、魏続か、行けっ」
魏続は、長桿の矛を把って、まっしぐらに駆け出し、敢然顔良へ馬首をぶつけて挑んだが、黄塵煙るところ、刀影わずか七、八合、顔良の一喝に人馬もろとも、斬り仆された。
つづいて、名乗りかける者、取り囲む者、ことごとく顔良の好餌となるばかりである。さすがの曹操も胆を冷やし、
「あわれ、敵ながら、すさまじき大将かな」と、舌打ちして顫いた。
彼ひとりのため、右翼は潰滅され、余波はもう中軍にまで及んできた。丞相旗をめぐる諸軍すべて翩翻とただ震き恐れて見えたが、その時、
「オオ、徐晃が出た。──徐晃が出て行った」
と、口々に期待して、どっと生気を甦らせた。
見れば、いま、中軍の一端から、霜毛馬に跨がって、白炎のごとき一斧をひっさげ、顔良目がけて喚きかかった勇士がある。これなん曹操の寵士で、また許都随一の勇名ある弱冠の徐晃だった。
両雄の刀 斧は、烈々、火を降らして戦ったが、二十合、五十合、七十合、得物も砕けるかと見えながらなお、勝負はつかない。
しかし顔良の猛悍と粘りは、ついに弱冠徐晃を次第次第に疲らせて行った。いまは敵せずと思ったか、さしもの徐晃も、斧を敵へ抛って、乱軍のうちへ逃げこんでしまった。
時すでに、薄暮に迫っていた。
やむなく曹操は、一時、陣を十里ばかり退いて、その日の難はからくも免れたが、魏続、宋憲の二大将以下おびただしい損害と不名誉をもって、ひとりの顔良に名をなさしめたことは、何としても無念でならなかった。
すると翌朝、程昱が、彼に献言した。
「顔良を討つだろうと思える人は、まず関羽よりありません。こんな時こそ、関羽を陣へ召されてはどうです」──と。
それは、曹操も考えていないことではない。けれど関羽に功を立てさせたら、それを機会に、自分から去ってしまうであろう──という取り越し苦労も抱いていた。
「日ごろ、恩をおかけ遊ばすのは、かかる時の役に立てようためではありませんか。もし関羽が顔良を討ったら、いよいよ恩をかけて御寵用なさればいいことです。もしまた顔良にも負けるくらいだったら、それこそ、思い限りがいいではありませんか」
「おお、いかにも」
曹操は、すぐ使いを飛ばし関羽に直書を送って、すぐ戦場へ馳せつけよ、と伝えた。
歓んだのは関羽である。
「時こそ来れり」
とすぐ物の具に身をかため内院へすすみ、二夫人に仔細を語って、しばしの別れを告げた。
しばしの暇をと聞くだに、二夫人はもう涙をためて、
「身を大事にしてたもれ。また、戦場へ参ったら、皇叔のお行方にも、どうか心をかけて、何ぞの手懸かりでも‥...」と、はや錦袖で面をつつんだ。
「ゆめ、お案じあそばすな。関羽の密かに心がけるところも、実はそこにありまする。やがてきっと御対面をおさせ申しましょうほどに。──どうぞお嘆きなく。......では、おさらば」
青龍の偃月刀を搔いよせて立つと、二夫人は外門の畔まで送って出た。関羽は赤兎馬に打ちまたがって、一路、白馬の野へ急いで行った。
二
いま、曹操のまわりは、甲鎧燦爛たる諸将のすがたに埋められていた。
なにか、布陣図のようなものを囲んで謀議に鳩首しているところだった。
「ただ今、羽将軍が着陣されました」
うしろの方で、卒の一名が高く告げた。
「なに、関羽が見えたか」
よほど欣しかったとみえる。曹操は諸将を打ち捨てて、自身、大股に迎えに出て行った。
関羽はいま営外に着いて、赤兎馬をつないでいた。曹操の出迎えに恐縮して、
「召しのお使いをうけたので、すぐ拝領のこれに乗って、快足を試して来ました」
馬の鞍を叩きながら言った。
曹操はここ数日の惨敗を、ことばも飾らず彼に告げて、
「ともかく、戦場を一望してくれ給え」
と、卒に酒を持たせ、自身、先に立って山へ登った。
「なるほど」
関羽は、髯のうえに、腕を拱んで、十万の野を見まわした。
野に満ち満ちている両軍の精兵は、まるで蕎麦殻をきれいに置いて、大地に陣形図を描いたように見える。
河北軍のほうは、易の算木をおいたような象。魚鱗の正攻陣を布いている。曹操の陣はずっと散らかって、鳥雲の陣をもって迎えていた。
その一角と一角とが、いまや入り乱れて、揉み合っていた。折々、喊声は天をふるわし、鎗刀の光は日に瑩いて白い。
どよめく度に、白紅の旗や黄緑の旆は嵐のように揺れに揺れている。
物見を連れたひとりの将が馳けあがって来た。そして、曹操の遠くにひざまずき、
「またも、敵の顔良が、陣頭へ働きに出ました。──あのとおりです。顔良と聞くや、味方の士卒も怯気づいて、いかに励ましても崩れ立つばかりで」
息を喘ぎながら叫んだ。
曹操はうめくように、
「さすがは強大国、いままで曹操が敵として見た諸国の軍とは、質も装備も段ちがいだ。旺なるかな、河北の人馬は」と、驚嘆した。
関羽は笑って、
「丞相、あなたのお眼には、そう映りますか。それがしの眼には、墳墓に並べて埋葬する犬鶏の木偶や泥人形のようにしか見えませんが」
「いや、いや、敵の士気の旺なことは、味方の比ではない。馬は龍のごとく、人は虎のようだ、あの一旒の大将旗の鮮やかさが見えんか」
「ははは。あのような虚勢に向かって、金の弓を張り、玉の矢をつがえるのは、むしろもったいないようなものでしょう」
「見ずや、羽将軍」
曹操は指さして、
「あの翻めく錦旛の下に、いま馬を休めて、静かに、わが陣を睨めまわしておるものものしい男こそ、つねにわが軍を悩ましぬく顔良である。なんと見るからに、万夫不当な猛将らしいではないか」
「そうですな。顔良は、背に標を立てて、自分の首を売り物に出している恰好ではありませんか」
「はて、きょうの御辺は、ちと広言が多過ぎて、いつもの謙譲な羽将軍とはちがうようだが」
「そのはずです。ここは戦場ですから」
「それにしても、あまりに敵を軽んじ過ぎはしまいか」
「否......」と、身ぶるいして、関羽は凛と断言した。
「決して、広言でない証拠をいますぐお見せしましょう」
「顔良の首を予のまえに引ッさげて来ると言われるか」
「──軍中に戯言なしです」
関羽は、士卒を走らせて、赤兎馬をそこへ曳かせ、盔をぬいで鞍に結びつけると、青龍の偃月刀を大きく抱えて、たちまち山道を馳け降りて行った。
三
時しも春。
河南の草も萌え、河北の山も淡青い。江風は温く、関羽の髪をなぶり、赤兎馬の鬣をそよ吹いてゆく。
久しく戦場に会わない赤兎馬は、きょうここに、呂布以来の騎り人を得、尾ぶるいして嘶いた。
「退けや。関羽雲長の道を阻んで、むだな生命をすてるな」
やおら、八十二斤という彼の青龍刀は鞍上から左右の敵兵を、薙ぎはじめていた。
圧倒的な優勢を誇っていた河北軍は、
「何が来たのか?」と、にわかに崩れ立つ味方を見て疑った。
「関羽。関羽とは何だ」
知るも知らぬも、暴風の外にはいられなかった。
関羽が通るところ、見るまに、累々の死屍が積みあげられてゆく。
その姿を「演義三国志」の原書は、こう書いている。
──香象の海をわたりて、波を開けるがごとく、大軍わかれて、当たる者とてなき中を、薙ぎ払ひてぞ通りける......。
顔良は、それを眺めて、
「ややや、面妖な奴かな。玄徳が義弟の関羽だと。──よしッ」
さっと、大将幡の下を離れ、電馳して駒を向けた。
──より早く、関羽も、幡を目あてに近づいていた。それと、彼のすがたを見つけていたのである。
赤兎馬の尾が高く躍った。
一閃の赤電が、物を目がけて、雷撃してゆくような勢いだった。
「顔良は、汝かっ」
それに対して、
「おっ、われこそは」
と、だけで、次を言いつづける間はなかった。
偃月の青龍刀は、ぶうんと、顔良へ落ちて来た。
その迅さと、異様な圧力の下から、身を躱すこともできなかった。
顔良は、一刀も酬いず、偃月刀のただ一揮に斬り下げられていたのである。
ジャン! と凄まじい金属的な音がした。鎧も甲も真二つに斬れて、噴血一丈、宙へ虹を残して、空骸は婆裟と地にたたきつけられていた。
関羽はその首を取って悠々駒の鞍に結びつけた。
そしてたちまち、敵味方のなかを馳けてどこかへ行ってしまったが、その間、まるで戦場に人間は居ないようであった。
河北勢は旗を捨て、鼓もとり落として潰乱を起こしていた。
もちろん機を見るに敏な曹操が戦機を察して直ちに、
「すわや、今だぞ」と、総がかりを下知し、金鼓鉄弦地を震って、攻勢に転じたからであった。
張遼、許褚なども、さんざんに働き、ここ数日来の敗戦を思うさま仕返しした。
関羽はたちまち、以前の山へ帰って来ていた。顔良の首は、曹操の前にさし置かれてある。曹操はただもう舌を巻いて、
「羽将軍の勇はまことに人勇ではない。神威ともいうべきか」
と、嘆賞して止まなかった。
関羽は、顔を振って、
「何の、それがしごときはまだ言うに足りません。それがしの義弟に燕人張飛という者があります。これなどは大軍の中へはいって、大将軍の首を持ってくることまるで木に登って桃を獲るより容易くいたします。顔良の首など、張飛に拾わせれば囊の中の物を取り出すようなものでしょう」
と、答えた。
曹操は、胆を冷やした。そして左右の者へ、冗談半分に言った。
「貴様たちも覚えておけ。燕人張飛という名を、帯の端、襟の裏にも書いておけ。そういう超人的な猛者に逢ったら、ゆめゆめ軽々しく戦うなよ」
黄 河を渡る
一
顔良が討たれたので、顔良の司令下にあった軍隊は支離滅裂、潰走をつづけた。
後陣の支援によって、からくも頽勢をくい止めたものの、ために袁紹の本陣も、少なからぬ動揺をうけた。
「いったい、わが顔良ほどな豪傑を、たやすく討ち取った敵とは、何者だろう。よもただ者であるまい」と、袁紹は、安からぬ顔色で周囲の者へたずねた。
沮授が答えて、
「おそらくそれは、玄徳の義弟の関羽という者でしょう。関羽のほかには、そう易々と、顔良を斬るような勇士はありません」と、言った。
しかし、袁紹は、
「そんなはずはあるまい。いま玄徳は、一身をこの袁紹に頼んで、ここへも従軍しておるのに」
と、疑って信じなかったが、念のため、前線から敗走して来た一兵を呼んで、
「顔良を討ったのは、どんな大将であったか、目撃したところを語れ」と、糺してみた。
その刹那を見たという一兵は、ありのままに言った。
「おそろしく赤面で、髯の見事な大将でした。大薙刀でただ一撃に顔良将軍を斬ッてしまい、落ち着き払って首を赤い馬の鞍に結びつけて引っ返しながら──雲長関羽の道をさまたげるなと、広言を払って馳け去りましたんで」
袁紹は何ともいえぬ相貌をして聞いていたが、たちまち怒気を表に発して、
「玄徳を引ッぱって来い!」と、左右へ怒号した。
諸士は争って、玄徳の陣屋へ馳け、有無をいわせず、彼の両手をねじあげて、袁紹のまえに拉して来た。
袁紹は、彼を見るなりいきりたって、頭から罵った。
「この恩知らずめ! よくも曹操と内応して、わが大事な勇将を義弟の関羽に討たせおったな。──顔良の生命は回るよしもないが、せめて汝の首を刎ねて、顔良の霊を祭るであろう。者どもっ、忘恩の人非人を、わしの見ている前で斬りすてろ」
玄徳は、あえて畏れなかった。身に覚えのない出来事だからである。
「お待ちください。平常、御思慮ある将軍が、何とて、きょうばかりさように激怒なされますか。曹操は年来、玄徳を殺さんとしているのです。なんで、その曹操を援けて、いま身を置く恩人の軍に不利を与えましょう。......また赤面美髯の武者だったそうですが、関羽によく似た大将も世間に居ないと限りません。曹操は著名な兵略家ですから、わざとそういう者を探して、お味方の内訌を計らんとしたかも知れません。......いずれにせよ、一兵士の片言をとりあげて、玄徳の一命を召されんなどという事は、あまりに、日ごろの御温情にも似げない御短慮ではございますまいか」
そう言われると、「むむ......それも一理ある事」と、袁紹の心はすぐ宥められてしまった。
武将の大事な資格のひとつは、果断に富むことである。その果断は、するどい直感力があってこそ生まれる。──実に袁紹の短所といえば、その直感の鈍いところにあった。
玄徳は、なお弁明した。
「徐州にやぶれて、孤身を御庇護の下に託してからまだ自分の妻子はもとより一族の便りすら何も聞いておりません。どうして関羽と聯絡をとる術がありましょう。私の日常は、あなたも常に見ておいででしょう」
「いや、もっともだ。......大体、沮授がよくない。沮授がわしを惑わせたため、こんなことになったのだ。賢人、ゆるし給え」
と、玄徳を、座上に請じて、沮授に謝罪の礼をとらせ、そのまま敗戦挽回の策を議し始めた。
すると、侍立の諸将のあいだから、一名の将が前へすすんで、
「兄顔良に代わる次の先鋒は、弟のそれがしに仰せつけ下されたい」と、呶鳴った。
見れば、面は蟹のごとく、犬牙は白く唇を咬み、髪髯赤く巻きちぢれて、見るから怖ろしい相貌をしているが、平常はむッつりとあまりものを言わない質の文醜であった。
二
文醜は、顔良の弟で、また河北の名将のひとりであった。
「おお、先陣を望み出たは文醜か。健気健気、そちならでたれか顔良の怨みをそそごう。すみやかに行け」
袁紹は激励して、十万の精兵をさずけた。
文醜は、即日、黄河まで出た。
曹操は、陣をひいて、河南に兵を布いている。
「敵にさしたる戦意はない、恟々とただ守りあるのみだ」
旌旗、兵馬、十万の精鋭は、無数の船にのり分かれて、江上を打ち渡り、黄河の対岸へ攻め上って行った。
沮授は心配した。
袁紹を諫めて、
「どうも、文醜の用兵ぶりは、危なくて見ていられません、機変も妙味もなく、ただ進めばよいと考えているようです。──いまの上策としては、まず官渡(河南省・開封附近)と延津(河南省)の両方に兵をわけて、勝つに従って徐々に押しすすむに限りましょう。それなら過ちはありません。──それをば軽忽にも黄河を打ち渡って、もし味方の不利とでもなろうものなら、それこそ生きて帰るものはないでしょう」
諄々と、説いた。
人の善言を肯かないほど頑迷な袁紹でもないのに、なぜかこの時は、ひどく我意を出して、
「知らないか。──兵ハ神速ヲ貴ブ──と曰う。みだりに舌の根をうごかして、わが士気を惑わすな!」
沮授は、黙然と外へ出て、「──悠タル黄河、吾レ其ヲ渡ラン乎」と、長嘆していた。
その日から、沮授は仮病をとなえて、陣務にも出て来なかった。
袁紹もすこし言い過ぎたのを心で悔いていたが、迎えを重ねるのも癪なので不問にしていた。
その間に玄徳は、
「日ごろ、大恩を蒙りながら、むなしく中軍におるは本望ではありません。かかる折こそ、将軍の高恩にこたえ、二つには顔良を打った関羽と称する者の実否をたしかめてみたいと思います。どうか私も、先陣に出していただきたい」と、嘆願した。
袁紹は、ゆるした。
すると、文醜が、単身、軽舸に乗って、中軍へやって来た。
「先陣の大将は、それがし一名では、御安心ならぬというお心ですか」
「そんな事はない。なぜそんな不平がましいことをいうか」
「でも玄徳は、以前から戦に弱く、弱い大将というのでは、有名な人間でしょう。それにも先陣をお命じあったのは、いかなるわけか、近ごろ御意を得ぬことで」
「いやいやひがむな。それはこうだ。玄徳の才力を試そうためにほかならん」
「では、それがしの軍勢を、四分の一ほども分け与えて、二陣に置けばよろしいでしょうな」
「むむ。それでよかろう」
袁紹は、彼のいうがままに、その配置は一任した。
こういうところにも、袁紹の性格は出ている。何事にも煮えきらないのである。戦に対して、彼自身の独創と信念がすこしもない。
ただ彼は、父祖代々の名門と遺産と自尊心だけで、将士に対していた。彼の
儀容風貌もすこぶる立派なので、平常はその欠陥も目につかないが、戦場となると、遺産や名門や
風
では間に合わない。ここでは人間の正味そのものしかない。
総帥の精神力による明断や予察が、実に、全軍の大きな運命をうごかして来ることになる。
文醜は、帰陣すると、「袁将軍の命であるから」と称し、四分の一弱の兵を玄徳に分けて、二陣へ退がらせてしまった。そして自身は、優勢な兵力をかかえ、第一陣と称えて前進を開始した。
燈花占
一
関羽が、顔良を討ってから、曹操が彼を重んじることも、また昨日の比ではない。
「何としても、関羽の身をわが帷幕から離すことはできない」
いよいよ誓って、彼の勲功を帝に奏し、わざわざ朝廷の鋳工に封侯の印を鋳させた。
それが出来上がると、彼は張遼を使として、特に、関羽の手許へ持たせて遣った。
「......これを、それがしに賜わるのですか」
関羽は一応、恩誼を謝したが、受けるともなく、印面の文を見ていた。
寿亭侯之印
と、ある。
すなわち寿亭侯に封ずという辞令である。
「お返しいたそう。お持ち帰りください」
「お受けにならんのか」
「芳誼はかたじけのうござるが」
「どうして?」
「ともあれ、これは......」
なんと説いても、関羽は受け取らない。張遼はぜひなく持ち帰って、ありのまま復命した。
曹操は、考えこんでいたが、
「印を見ぬうちに断わったか。印文を見てから辞退したのか」
「見ておりました。印の五文字をじっと......」
「では、予の過りであった」
曹操は、何か気づいたらしく、早速、鋳工を呼んで、印を改鋳させた。
改めて出来てきた印面には、漢の一字が殖えていた。
──漢寿亭侯之印──と六文字になっていた。
ふたたびそれを張遼に持たせてやると、関羽は見て、呵々と笑った。
「丞相は実によくそれがしの心事を知っておられる。もしそれがし風情のごとく、倶に臣道の実を践む人だったら、われ等とも、よい義兄弟に成れたろうに」
そう言って、こんどは快く、印綬を受けた。
かかる折に、戦場から早馬が到来して、「袁紹の大将にして、顔良の弟にあたる文醜が、黄河を渡って、延津まで攻め入って来ました」と、急を報じて来た。
曹操は、あわてなかった。
まず行政官を先に派遣して、その地方の百姓をすべて、手際よく、西河という地に移させた。
次に、自身、軍勢をひきいて行ったが、途中で、
「荷駄、粮車すべての輜重隊は先へ進め。──戦闘部隊はずっと後につづいてゆくがいい」
と、変な命令を発した。
「こんな行軍法があろうか?」
人々は怪しんだが、ぜひなく、その変態陣のまま、延津へ馳け向かった。すると案のじょう、戦闘装備を持たない輜重隊は、まっ先に敵に叩かれた。おびただしい兵糧を置き捨てて、曹軍の先頭は、四方に潰走してしまった。
「案ずるには及ばん」
曹操は、立ち騒ぐ味方をしずめ、
「兵糧など捨て置いて味方の一隊は、北へ迂回し、黄河に沿って、敵の退路を扼せ、──また一隊は、逃げるがごとく、南の阜へ馳けのぼれ」と、下知した。
戦わぬうちから、すでに曹軍は散開を呈して、兵の凝集力を欠き、士気も昂らない様子を見たので、文醜は、
「見ろ、すでに敵は、わが破竹の勢いに恐れをなして、逃げ腰になっている」と、誇りきった。
そして、この図を外すな、とばかり彼の大兵は、存分に暴れまわった。
盔や甲も脱いで、悠々と阜のうえに潜りこんでいた曹操の部下も、すこし気が気ではなくなって来た。
「どうなる事だ。今日の戦は。......こんなことをしていたら、やがてここも」
と、ほんとの逃げ腰になりかけて来た。
すると荀攸が、物陰から、
「いや、もっけの幸いだ。これでいいんだ!」と、あたりの者へ呶鳴った。
すると曹操が、ジロリと、荀攸の顔を白眼で見た。
荀攸は、はっと、片手で口を抑え、片手で頭を搔いた。
二
荀攸は、曹操の計略をよく察していたのだった。
で、浮き腰立つ味方へ、つい自分の考えを口走ったのであるが、いまや大事な戦機とて、
(要らざることを言うな!)と、曹操から眼をもって叱られたのも当然であった。
まず味方から計る──曹操の計略は、まもなく図にあたって来た。
文醜を大将とする河北軍は、敵なきごとく前線をひろげ、いちどは、七万の軍隊が後方に大きな無敵圏を抱いたが、
「戦果は充分にあげた。勝ち誇って、単独に深入りするのは危ないぞ」
と、文醜も気づいて、日没ごろふたたび、各陣の凝結を命じた。
後方の占領圏内には、まっさきに潰滅した曹操の輜重隊が、諸所に、莫大な粮米や軍需品を置き捨ててある。
「そうだ、鹵獲品は、みなこっちの隊へ運んで来い」
後方に退がると、諸隊は争ってこんどは兵糧のあばき合いを始めた。
山地はとっぷり暮れていた。曹操は、物見の者から、敵情を聞くと、
「それっ、阜を降れっ」
と、指揮を発し、全軍の
虎が、ふもとへ降りたと見ると、阜の一端から
狼煙をあげさせた。
昼のうち、敗れて、逃げるとみせて、実に野に阜に河に林に、影を没していた味方は、狼煙を知ると、大地から湧き出したように、三面七面から奮い起った。
曹操も、野を疾駆しながら、
「昼、捨ておいた兵糧は敵を大網にかける撒餌の計だ。網をしぼるように、雑魚一尾のがすな」
と、さけび、また叱咤をつづけて、
「文醜を生け捕れ、文醜も河北の名将、それを生け捕らば、顔良を討った功に匹敵しようぞ!」
と、励ました。
麾下の張遼やら徐晃やら、先を争って追いかけ、ついに文醜のすがたを乱軍の中にとらえた。
「きたなし文醜。口ほどもなくどこへ逃げる」
うしろの声に、文醜は、
「なにをッ」と、振り向きざま、馬上から鉄の半弓に太矢を番えて放った。
矢は、張遼の面へ来た。
はッと、首を下げたので、鏃は盔の紐を射切って外れた。
「おのれ」
怒り立って、張遼が、うしろへ迫ろうとした刹那、二の矢が来た。こんどは躱すひまなく、矢は彼の顔に突き立った。
どうっと、張遼が馬から落ちたので、文醜は引っ返して来た。首を搔いて持ってゆこうとしたのである。
「胆太い曲者め」
徐晃が、躍り寄って、張遼をうしろへ逃がした。徐晃が得意の獲物といえば、つねに持ち馴れた大鉞であった。みずから称して白焰斧といっている。それをふり被って文醜に当たって行った。
文醜は、一躍退がって鉄弓を鞍に挾み、大剣を横に払って、苦々と笑った。
「小僧っ、少しは戦に馴れたか」
「大言はあとで言え」
若い徐晃は、血気にまかせた。しかし弱冠ながら彼も曹幕の一驍将だ。そうむざむざとはあしらえない。
大剣と白焰斧は、三十余合の火華を交えた。徐晃もつかれ果て、文醜もみだれ出した。四方に敵の嵩まるのを感じ出したからである。
一隊の悍馬が、近くを横切った。文醜はそれを機に、黄河のほうへ逸走した。──すると一すじの白い旗さし物を背にして、十騎ほどの郎党を連れた騎馬の将がかなたから歩いて来た。
「敵か? 味方か?」
と、疑いながら、彼のさしている白い旗を間近まで進んで見ると、何ぞはからん、墨黒々、
漢寿亭侯雲長関羽
と、書いてある。
三
謎の敵将関羽?
兄の顔良を討った疑問の人物?
──文醜はぎょっとしながら駒をとめて、なお河べりの水明りを凝視した。
すると、肩に小旗をさした彼方の大将は、早くも、文醜の影を認めて、
「敗将文醜。何をさまようて居るか。いさぎよく、関羽に首を授けよ」
と、一鞭して馳け寄って来た。
馬は、逸足の赤兎馬。騎り人は、まぎれもない赤面長髯の人、関羽だった。
「おおっ、汝であったか。さきごろわが兄の顔良を討った曲者は」
喚きあわせて、文醜も、直ちに大剣を舞わして迫った。
閃々、偃月の青龍刀。
晃々、文醜の大剣。
たがいに命を賭して、渡りあうこと幾十合、その声、その火華は黄河の波を号び、河南の山野に谺して、あたかも天魔と地神が乾坤を戦場と化して組み合っているようだった。
そのうち、敵わじと思ったか、文醜は急に馬首をめぐらして逃げ出した。これは彼の奥の手で、相手が図に乗って追いかけて来ると、その間に剣を収め、鉄の半弓を持ち換えて、振り向きざまひょうっと鉄箭を射て来る策であった。
だが関羽には、その作戦も効果はなかった。二の矢、三の矢もみな払い落とされ、ついに、追いつめられて後ろから青龍刀の
横薙ぎを首の根へ一撃

ってしまった。文醜の馬は、首のない彼の胴体を乗せたまま、なお、果てもなく黄河の下流へ
駈けて行った。
「敵将文醜の首、雲長関羽の手に挙げたり」
と呼ばわると、百里の闇をさまよっていた河北勢は、拍車をかけて、更に逃げ惑った。
「今ぞ、今ぞ。みなごろしに、追いつめろ」
曹操は、かくと伝え聞くや、中軍の鼓隊鑼隊に令して、金鼓を打たせ鉦を鳴らし、角笛を吹かせて、万雷風声、すべて敵を圧した。
討たれる者、黄河へ堕ちて溺れ死ぬ者、夜明けまでに、河北勢の大半は、あえなく曹軍の餌になってしまった。
時に玄徳は、この戦のはじめから、文醜に邪魔もの扱いにされ、ずっと後陣に屯していたが、ようやく逃げくずれて来る先鋒の兵から、味方の第一陣の惨敗を聞き取って、
「こことても油断はならぬ」と、厳しく陣容を守りかためていた。
そして、ほうほうの態で逃げこんで来る敗兵がみな、口々に、
「文将軍を討ったのも、さきに顔将軍を討った髯の長い赤面の敵だ」
というので、夜明けと共に、玄徳は一隊を率いて前線の近くまで馬をすすめて見た。
黄河の支流は、ひろい野に、小さい湖や大きな湖を、無数に縫いつないでいる。ふかい春眠の霞を脱いで、山も水も鮮やかに明け放れてはいるが、夜来の殲滅戦は、まだ河むこうに、大量な人物を撒いて咆哮していた。
「オオ、あの小旗、あの白い小旗をさしている男です」
案内に立った敗兵のひとりが支流の対岸を指した。百獣を追いまわす獅子王のような敵の一大将が遠く見える。
「......?」
玄徳はややしばらく眸をこらしていた。小旗の文字が微かに読まれた。「漢寿亭侯雲長関羽」──陽に翻るとき明らかにそう見えた。
「ああ! ......義弟の関羽にちがいない」
玄徳は瞑目して、心中ひそかに彼の武運を天地に祈念していた。
すると、後方の湖を渡って、曹操の軍が退路を断つと聞こえたので、あわてて後陣へ退き、その後陣も危なくなったので、またも十数里ほど退却した。
そのころ、袁紹の救いがようやく河を渡って来た。で、合流して一時、官渡の地へひき移った。
四
郭図、審配の二大将は、憤々と、袁紹の前に告げていた。
「けしからん沙汰です。このたび文醜を討ったのも、やはり玄徳の義弟関羽だということですぞ」
「それは、まったくか」
「こんどは漢寿亭侯雲長関羽と誌した小旗を負って、戦場へ出たそうですから、事実でしょう」
「玄徳を呼べ。いつぞやは巧言をならべおったが、今日はゆるさん」
度重なる味方の損害に、気の腐っていた折でもある。袁紹は、やがて面前に玄徳を見ると、
味たッぷり
詰問した。
「大耳君、弁解の余地もあるまい。袁紹もなにも言わん。ただ君の首を要求する」
斬れ──と彼が左右の将に命じたので、玄徳は愕いてさけんだ。
「お待ちなさい。あなたは、好んで曹操の策に、乗る気ですか」
「汝の首を斬ることが、なんで曹操の策に乗ることになろうや」
「いや、曹操が関羽を用いて、顔良、文醜を討たせたのは、ひとえに、あなたの心を怒らせて、この玄徳を殺させるためです。考えても御覧なさい。この玄徳はいま、将軍の恩養をうけ、しかも一軍の長に推され、何を不足にお味方の不利を計りましょうや。ねがわくば御賢察ください」
玄徳の特長はその生真面目な態度にある。彼の言葉は至極平凡で、滔々の弁でもなく、何等の機智もないが、ただけれんや駈け引きがない。醇朴と真面目だけである。内心はともかく、人にはどうしてもそう見える。
袁紹は形式家だけに、玄徳のそういう態度を見ると、すぐ一時の怒りを悔いた。
「いや、そうきけば、自分にも誤解があった。もし一時の怒りから御辺を殺せば袁紹は賢を忌むもの──と世の嘲笑をうけたろう」
気色が直ると、彼はまた、はなはだ慇懃鄭重であった。敬んで、玄徳を座上に請じ、
「こう敗軍をかさねたのも、御辺の義弟たる関羽が敵の中にあるため。......なんとか、そこに御辺として、思慮はあるまいか」と、諮った。
玄徳は、頭を垂れて、
「そう仰せられると、自分も責任を感ぜずにはおられません」
「ひとつ、御辺の力で、関羽をこっちへ招くことはできまいか」
「私が、今ここに来ていることを、関羽に知らせてやりさえすれば、夜を日についでも、これへ参ろうと思いますが」
「なぜ早くそういう良計を、わしに献策してくれなかったのか」
「義弟とそれがしの間に、まったく消息がなくてさえ、常に、お疑いをうけ勝ちなのに、もし密かに、関羽と書簡を通じたりなどと言われたら、たちまち禍のたねになりましょう」
「いや、悪かった。もう疑わん。さっそく消息を通じ給え。もし関羽が味方に来てくれれば、顔良、文醜が生き回って来るにも勝る歓びであろう」
玄徳は拝諾して、黙々、自分の陣所へ帰った。
幕営のそと、星は青い。
玄徳はその夜、一穂の燈火を垂れ、筆をとって、細細と何か書いていた。
──もちろん関羽への書簡。
時折、筆をやめて、瞑目した。往事今来、さまざまな感慨が胸を往来するのであろう。
燈火は、陣幕をもる風に、パチパチと明るい丁子の花を咲かせた。
「あ......。再会の日は近い!」
彼は、つぶやいた。燈火明るきとき吉事あり──という易経の一辞句を思いだしたからである。一点、彼の胸にも、希望の灯が点った。
風の便り
一
大戦は長びいた。
黄河沿岸の春も熟し、その後袁紹の河北軍は、地の利をあらためて、武陽(河北省・広平附近)の要害へ拠陣を移した。
曹操もひとまず帰洛して、将兵を慰安し、一日慶賀の宴をひらいた。
その折、彼は諸人の中で、
「延津の戦では、予がわざと兵糧隊を先陣につけて敵を釣る計略を用いたが、あれを覚っていたのは荀攸だけだった。しかし荀攸も口の軽いのはいけない」と思い出ばなしなど持ち出して大いに賑わっていたが、そこへ汝南(河南省)から早馬が到来して一つの変を報じた。
汝南には前から劉辟、龔都という二匪賊がいた。もと黄巾の残党である。
かねて曹洪を討伐に遣ってあったが、匪賊の勢いは猛烈で洪軍は大痛手をうけ、いまなお、退却中という報告であった。
「ぜひ有力な援軍を下し給わぬと、汝南地方は黄匪の猖獗にまかせ、後々大事にいたるかも知れません」と、早打ちの使者はつけ加えた。
ちょうど、宴の最中、人々騒然と議に沸いたが、関羽が、
「願わくは、それがしをお遣りください」と、申し出た。
曹操は、歓びながら、
「おお、羽将軍が行けば、たちどころに平定しようが、先ごろから御辺の勲功はおびただしいのに、まだ予は、君に恩賞も与えてない。──しかるにまたすぐ戦野に出たいとは、どういう御意志か」
と、すこし疑って訊ねた。
関羽は、答えて言う。
「匹夫は玉殿に耐えずとか、生来少し無事でいると、身に病が生じていけません。百姓は鍬と別れると弱くなるそうですが、この方にも無事安閑は、身の毒ですから」
曹操は、呵々と大笑しながら、膝をたたいて、──壮なるかな、さらば参られよと、五万の軍勢を与え、于禁、楽進のふたりを副将として添えてやった。
あとで、荀彧は、曹操に意見した。
「よほどお気をつけにならんと、関羽は行ったまま、ついに帰って来ない事かも知れません。始終容子を見ているに、まだ玄徳を深く慕っておるようです」
曹操も、反省して、
「そうだ、こんど汝南から帰って来たら、もうあまり用いないことにしよう」と、うなずいた。
汝南に迫った関羽は、古刹の一院に本陣をおいて、あしたの戦に備えていたが、その夜、哨兵の小隊が、敵の間諜らしい怪しげな男を二名捕まえて来た。
関羽が前に引き据えて、二名の覆面を脱らせてみると、そのひとりは、なんぞ計らん、共に玄徳の麾下にいた旧友の孫乾なので、
「やあ、どうしたわけだ」と、びっくりして、自身彼の縛めを解き、左右の兵を退けてから、二人きりで旧情を温め合った。
関羽はなによりもまずたずねた。
「其許は、家兄玄徳のお行方を知っているだろう。いまどこにおられるか」
「されば、徐州離散の後、自分もこの汝南へ落ちのびて来て、諸所流浪していたが、ふとした縁から劉辟、龔都の二頭目と親しくなり、匪軍のなかに身を寄せていた」
「や。では敵方か」
「ま、待ちたまえ。──ところがその後、河北の袁紹からだいぶ物資や金が匪軍へまわった。曹操の側面を衝けという交換条件で──。そんなわけで折々河北の消息も聞こえてくるが、先ごろ、ある確かな筋から、御主君玄徳が、袁紹を頼まれて、河北の陣中におられるということを耳にした。それは確実らしいのだ。安んじ給え。いずれにせよ、御健在は確実だからな」
二
故主玄徳はいま、河北に無事でいると聞いて、関羽は爛々たる眼に、思慕の情を燃やしながら、しばらく孫乾の顔を見まもっていたが、やがて大きな歓びを、ほっと息づいて、
「そうか。......ああ有り難い。だがまさかおれを歓ばすために、根もない

を聞かすのではあるまいな」
「なんの、汝南へ来た袁紹の家臣から聞いたことだから、万まちがいはない」
「天の御加護とやいわん」
関羽は、瞼をとじて、何ものかへ、恩を謝しているふうだった。
孫乾は、さらに声をひそめて、
「汝南の匪軍と、袁紹とは、いま言ったようなわけで一脈の聯絡があるのだ。......だから明日の戦では、劉辟、龔都の二頭目も、みな偽って逃げるから、そのつもりで手心よろしく攻め給え」
「何で、彼等が、偽って逃げるのか」
「匪軍の将ながら、劉辟も龔都もかねて心のうちで、ふかく其許を慕っておった。で、このたび羽将軍が攻め下って来ると聞くと、むしろ歓びをなしたほどなのだ。しかし一面、袁紹と結んでいる関係もあるから、戦わぬわけにもゆかぬ」
「わかった。彼等がその心ならば、手心をしよう。それがしは平定の任を果たせばそれでよい」
「そして、一度、都へ帰られた上、二夫人を守護してふたたび汝南へ下って参られい」
「おお、一日も急ごう。......すでに御主君の居どころがわかったからには、一刻半日もじっとしていられない心地はするが、その御居所が、袁紹の軍中だけに、もしそれがしが不意に行ったら、どんな変を生じようも測り難い。──なにせい先に顔良、文醜などの首をみなこの関羽が手にかけておるからな」
「では、こうしましょう。......この孫乾が、先に河北へ行って、あらかじ袁紹とその周囲の空気を探っておきます」
「む、む。それなら万全だ。身に変事のかかることは怖れぬが、彼に身を寄せ給うている御主君が心がかり。......頼むぞ、孫乾」
「お案じあるな、きっと、そこを確かめて、あなたが二夫人を守護して来るのを、半途まで出て待っていましょう」
「おお、一刻もはやく、主君の御無事なおすがたを見たいものだ。ひと目、その思いを果たせばそれだけでも、関羽は満足、いつ死んでもよい」
「なんの、これからではありませんか、羽将軍にも似あわしくない」
「いや、気持のことだ。それほどまで待ち遠いというたまでのこと」
陣中すでに更けている。
関羽は、裏門からそっと、孫乾ともう一名の間諜を送り出した。
「怪しげな密談を? ......」と、宵から注意していた副将の于禁、楽進のふたりは物陰からそれを見ていた。しかし関羽を怖れてそこでは何の干渉もなし得なかった。
あくる日、匪軍との戦は、予定どおりの戦となった。
賊将の劉辟、龔都のふたりは、颯爽と陣頭へあらわれたが、またすぐすこぶる大仰に関羽に追われて退却しだした。首を取る気もないが逃げるを追って、関羽もものものしくうしろへ迫った。
すると、龔都がふり向いて、
「忠誠の鉄心、われら土匪にすら通ず、いかで天の感応なからん。──君よ、他日来給え。われかならず汝南の城をお譲りせん」と、言った。
関羽は苦もなく州郡を収めて、やがて軍をひいて都へ還った。
兵馬の損傷は当然すくない。
しかも、功は大きかった。曹操の歓待はいうまでもない。于禁、楽進はひそかに曹操に訴える機を狙っていたが、曹操の関羽にたいする信頼と敬愛の頂点なのを見てはへたに横から告げ口も出せなかった。
三
祝盃また大杯を辞せず、かさねて、やや陶然となった関羽は、やがて、その巨軀をゆらゆら運んで退出して来た。
大酔はしていたが、帰るとすぐ、彼は、二夫人の内院へ伺候して、
「ただ今、汝南より凱旋いたしてござる。留守中なんのお恙もなくいらせられましたか」
と、久しぶり拝顔して、四方山ばなしなどし始めた。
すると甘夫人は、
「将軍、妾の待ち侘びていたのは、そのような世間ばなしではありません。戦いの途次、なんぞわが夫玄徳の便りでも聞かなんだか。お行方を知る手懸かりでも耳にしなかったか......」
と、もう涙ぐんで訊ねた。
関羽は、大々した腹中から、大きな酒気を吐いて、憮然と、
「その儀については、まだ手懸かりもありませぬ。さりながら、この関羽がついております故、あまりにお心を苦しめたもうな。何事も、関羽におまかせあって、時節をお待ち遊ばすように」
──と。甘夫人も、糜夫人も、珠簾の裡に伏し転んで、声を放って泣き悲しんだ。
そして恨めしげに、関羽へ言うには、
「さだめし、わが夫は、もうどこかでお討ち死にを遂げているのでしょう。それと話しては、妾たちが、嘆き悲しむであろうと将軍の胸だけに包んでいるにちがいない。......そうです、そうに違いない。......ああどうしたらよいであろう」
こうも思い、ああも思い、女性の感傷は、纏綿の涙と戯れているようだった。糜夫人も、共に慟哭しながら、こよいの関羽の酒気をひがんで言った。
「羽将軍も、むかしと違って、いまは曹操の寵遇も厚く、恩にほだされて、妾たちが足手纏いになって来たのでございましょう。......それならそれと言ってください。いっそのこと、将軍の剣で......妾たちの儚い生命をひと思いに」
「何を仰せられますか」
酔いも醒めて、関羽は胸を正した。そして改まって二夫人へこう諭した。
「それがしの苦衷も少しはお酌みとりくだされい。曹操の恩に甘えるくらいなら何でこんな忍苦をしておりましょう。皇叔のお行方についても、曙光が見えかけておりますが、もしあなた様がたにお告げして、それがふと内走の下女から外にでも洩れては、これまでの苦心も水泡に帰するやも知れずと、実は深く秘している次第でございまする」
「えっ、何といやるか。......では、皇叔のお行方がすこしはわかりかけているのですか」
「されば、河北の袁紹に身を寄せられて、先ごろは黄河の後陣まで御出馬と、ほのかに聞き及んでおりますものの、それとてもまだ風の便り、もっと確かめてみなければわかりません」
「将軍、それは、だれに聞きましたか」
「孫乾に出会い、かれの口から聞いたことです、やがて確としたことがわかれば、孫乾が、途中まで迎えに出ている約束になっております」
「そ、それでは、内院を捨てて、許都から脱れ出るおつもりか......」
「しっ......」
関羽は不意にふり向いて、内院の苑をじっと見ていた。風もないのに、そこらの樹木がさやさやと揺れたからである。
「......まだ、まだ、滅多なことを、お口に出してはいけません。再び、皇叔と御対面ある日まではじっとお身静かに、ただこの関羽をお恃みあって、何事も素知らぬふうにお暮らしあれ。壁にも耳、草木にも眼が潜んでおるものと、お思い遊ばして」
避客牌
一
玄徳が河北にいるという事実は、やがて曹操の耳にも知れてきた。
曹操は、張遼をよんで、
「ちかごろ、関羽の容子は、どんなふうか」と、たずねた。張遼は、答えて、
「何か、思い事に沈んでおるらしく、酒もたしなまず、無口になって、例の内院の番兵小屋で、日々読書しております」と、はなした。
曹操の胸にはいま、気が気でないものがある。もちろん張遼もそれを察して、ひどく気を傷めているところなので、
「近いうちに、一度てまえが、関羽をたずねて、彼の心境をそれとなく探ってみましょう」
と、言って退がった。
数日の後。
張遼はぶらりと、内院の番兵小屋を訪れた。
「やあ、よくお出で下すった」
関羽は、書物をおいて、彼を迎え入れた。──と言っても、門番小屋なので、ふたりの膝を入れると、いっぱいになるほどの狭さである。
「何を読んでおられるのか」
「いや、春秋です」
「君は、春秋を愛読されるか。春秋のうちには、例の有名な管仲と鮑叔との美しい古人の交わりが書いてある条があるが、──君は、あそこを読んでどう思う」
「べつに、どうも」
「羨ましいとはお思いにならぬか」
「......さして」
「なぜですか。たれも春秋を読んで、管仲と鮑叔の交わりを羨望しないものはない。──我ヲ生ムモノハ父母、我ヲ知ルモノハ鮑叔ナリ──と管仲が言っているのを見て、ふたりの信を羨まぬものはないが」
「自分には、玄徳という実在のお人があるから、古人の交わりも、羨むに足りません」
「ははあ。......では貴公と玄徳とのあいだは、いにしえの管仲、鮑叔以上だと言うのですか」
「もちろんです。死なば死もともに。生きなば生をともに。管仲、鮑叔ごとき類とひとつに語れませぬ」
奔流のなかの磐石は、何百年激流に洗われていても、やはり磐石である。張遼はかれの鉄石心にきょうも心を打たれるばかりだったが、自分の立場に励まされて、
「──では、この張遼と貴公との交わりは、どうお考えですか」
と、斬り込むように、一試問を出してみた。すると、関羽は、はっきりと答えた。
「たまたま、御身を知って、浅からぬ友情を契り、ともに吉凶を相救け、ともに患難を凌ぎあって参ったが、ひとたび君心の大義にもとるような事にでも立ちいたれば、それがしの力も及びません」
「では、君と玄徳との、君臣の交わりとは、較べものにならぬ──というわけですな」
「訊くも愚かでしょう」
「しからばなぜ君は、玄徳が徐州で敗れた折、命をすてて戦わなかったか」
「それを止めたのは、貴公ではなかったか」
「......むむむ。......だが、さまで一心同体の仲ならば」
「もし、劉皇叔死し給えりと知らば、関羽はきょうにも死にましょう」
「すでに御存じであろうが、いま玄徳は河北にいます。──御辺もやがて尋ねてゆくお考えでござろうな」
「いみじくも仰せ下さった。昔日の約束もあれば、かならず約を果たさんものと誓っています。──ちょうどよい折、どうかあなたから丞相に告げてそれがしのためにお暇をもらってください。このとおりお願いいたす」と関羽は莚に坐り直して張遼を再拝した。
(──さてはこの人、近いうちに都を去って故主の許へ回る決心であるな)
と、張遼も、いまは明らかに観ぬいて心に愕きながらその足ですぐ曹操の居館へいそいだ。
二
関羽の心底は、すでに決まっている。彼の心はもう河北の空へ飛んでいます。──
張遼が、そうありのままに復命することばを、曹操は黙然と聞いていたが、
「ああ、実に忠義なものだ。しかし、予の真でもなお、彼を繫ぎ止めるに足らんか」
と、大きく嘆息して、苦悶を眉にただよわせたが、
「よしよし。このうえは、予に彼を留める一計がある」
と、つぶやいて、その日から府門の柱に、一面の聯を懸けて、猥りに出入りを禁じてしまった。
──いまに何か沙汰があろう。張遼がなにか言って来るだろう。関羽はその後、心待ちにしていたが、幾日たっても、相府からは何の使いもない。
そのうちに、ある夜、番兵小屋をひきあげて、家にもどろうとすると、途中、物陰からひとりの男が近づいて来て、
「羽将軍。羽将軍......。これをあとで御覧ください」
と、何やら書簡らしい物を、そっと手に握らせて、風のように立ち去ってしまった。
関羽はあとで愕いた。
彼は幾たびか独房の燈灯を剪って、さんさんと落涙しながらその書面を繰り返した。
なつかしくも、それは玄徳の筆蹟であった。しかも、玄徳は縷々綿々、旧情を叙べた末に、
君ト我トハ、カツテ一度ハ、桃園ニ義ヲ結ンダ仲デアルガ、身ハ不肖ニシテ、時マタ利アラズ、イタズラニ君ノ義胆ヲ苦シマセルノミ。モシ君ガソノ地ニオイテ、ソノママ、富貴ヲ望ムナラバ、セメテ今日マデ、酬イルコト薄キ自分トシテ、備(自分のこと)ガ首級ヲ贈ッテ、君ノ全功ヲ陰ナガラ禱リタイト思ウ
書中言ヲ尽クサズ、旦暮河南ノ空ヲ望ンデ、来命ヲ待ツ。
と、してあった。
関羽は、劉備の切々な情言を、むしろ恨めしくさえ思った。富貴、栄達──そんなものに義を変えるくらいなら、なんでこんな苦衷に忍ぼう。
「いやもったいない。自分の義は自分のむねだけでしていること。遠い御方が何も知ろうはずはない」
その夜、関羽はよく眠らなかった。そして翌る日も、番兵小屋に独坐して、書物を手にしていたが、なんとなく心も書物にはいらなかった。
すると、ひとりの行商人がどこから紛れ込んで来たか、彼の小屋の窓へ立ち寄って、
「お返辞は書けていますか」と、小声で言った。
よく見ると、ゆうべの男だった。
「おまえは、何者か」と、訊すと、さらに四辺を窺いながら、
「袁紹の臣で陳震と申すものです。一日もはやくこの地を遁れて、河北へ来給えとお言伝てでございます」
「こころは無性に逸るが、二夫人のお身を守護して参らねばならん......身ひとつなれば、今でもゆくが」
「いかがなさいますか。その脱出の計は」
「計も策もない。さきに許都へまいる折、曹操とは三つの約束をしてある。先ごろから幾つかの功をたてて、よそながら彼への恩返しもしてあることだから、あとはお暇を乞うのみだ。──来るときも明白に、また、去るときも明白に、かならず善処してまいる」
「......けれど、もし曹操が、将軍のお暇をゆるさなかったらどうしますか」
関羽は、微笑して、
「そのときは、肉体を捨て、魂魄と化して、故主のもとに罷り帰るであろう」と、言った。
関羽の返書を得ると、陳震は、すばやく都から姿を消した。
関羽は次の日、曹操にあって、自身暇を乞おうと考えて出て行ったが、彼のいる府門の柱を仰ぐと、
謹謝訪客叩門
と書いた「避客牌」が懸かっていた。
三
主がすべての客を謝して門を閉じている時は、門にこういう聯を懸けておくのが慣いであった。
また客も門にこの避客牌がかかっているときは、どんな用事があっても、黙々、帰ってゆくのが礼儀なのである。
曹操は、やがて関羽が、自身で暇を乞いに来るのを察していたので、あらかじめ牌を懸けておいたのだった。
「......?」
関羽はややしばらく、その前に佇んでいたが、ぜひなく踵を回らして、その日は帰った。
次の日も早朝に、また来てみたが依然として避客牌は彼を拒んでいた。
あくる日は夕方をえらんで、府門へ来てみた。
門
は、夕べの中に、
啞のごとく、
盲のごとく、閉じられてある。
関羽はむなしく立ち帰ると、下邳このかた随身している手飼いの従者二十人ばかりを集めて、
「不日、二夫人の御車を推して、この内院を立ち去るであろう。物静かに、打ち立つ用意に取りかかれ」
と、いいつけた。
甘夫人は、狂喜のいろをつつんで、関羽にたずねた。
「将軍、ここを去るのは、いつの日ですか」
関羽は、口すくなく、
「朝夕のあいだにあります」と、漠然答えた。
彼はまた、出発の準備をするについて、二夫人にも言いふくめ、召使いたちにも、かたく言い渡した。
「この院に備えてある調度の品はもちろんのこと、日ごろ、曹操からそれがしへ贈ってきた金銀緞匹、すべて封じ遺して、ひとつも持ち去ってはならない」
なお彼は、その間も、毎日、日課のように、府門へ出向いてみた。そしては、むなしく帰ることが七、八日に及んだ。
「ぜひもない。......そうだ、張遼の私邸をたずねて、訴えてみよう」
ところがその張遼も、病気と称して、面会を避けた。何と訴えても、家士は主人に取り次いでくれないのである。
「このうえはぜひもない!」
関羽は、長嘆して、ひそかに意を決するものがあった。真っ正直な彼は、どうかして曹操と会い、そして大丈夫と大丈夫とが約したことの履行によって、快く訣別したいものだと日夜苦しんでいたのであるが、いまはもう百年開かぬ門を待つものと考えた。
「何とて、この期に、意を翻さんや」
その夜、立ち帰ると、一封の書状をしたためて、寿亭侯の印と共に、庫の内にかけておき、なお庫内いっぱいにある珠玉金銀の筥、襴綾種々、緞匹の梱、山をなす名什宝器など、すべての品々には、いちいち目録を添えて遺し、あとを固く閉めてから、
「一同、院内隈なく、大掃除せよ」と、命じた。
清掃は夜半すぎまでかかった。その代わりに、仄白い残月の下には、塵一つなく浄められた。
「いざ、お供いたしましょう」
一輛の車は、内院の門へ引きよせられた。二夫人は簾の裡にかくれた。
二十名の従者は、車に添ってあるいた。関羽はみずから赤兎馬をひきよせて打ちまたがり、手に偃月の青龍刀をかかえていた。そして、車の露ばらいして北の城門から府外へ出ようとそこへさしかかった。
城門の番兵たちは、すわや車の裡こそ二夫人に相違なしと、立ち塞がって留めようとしたが、関羽が眼をいからして、
「指など御車に触れてみよ、汝らの細首は、あの月辺まで飛んでゆくぞ」
そして、からからと笑ったのみで、番兵たちはことごとく震い怖れ、暁闇のそこここへ逃げ散ってしまった。
「さだめし、夜明けと共に、追っ手の勢がかかるであろう、そち達は、ひたすら御車を守護して先へ参れ。かならず二夫人を驚かし奉るなよ」
言いふくめて、関羽はあとに残った。そして北大街の官道を悠々、ただひとり後からすすんでいた。
〔第四巻 終〕
●『三国志』解説/渡部昇一
【第4巻】
もう1つ、吉川三国志を読んで感心したのが、漢字が多用されているというところです。昔の本というのは、漢字にはみな仮名が振られおり、『三国志』もそうでした。仮名が振られていれば、誰でも漢字を読むことができます。ですから、読書力が非常に身に付くんですよ。また、読んでいくうちに漢字も覚えられます。書けるとまではいかなくても、意味は分かるようになります。そうやって昔はみな本を読むことで字を覚えていったのです。学校で新しい漢字を覚える、なんてことはなかったですね。書くことに関しては、学校で習いましたが。
最近の若い人はあまり漢字を知らない、といわれていますが、書けることは別次元の問題なので措いておくとして、とりあえずは読めるようになった方がいいと思います。それには、この『三国志』を読むということは、まさにうってつけですよ。出てくる漢字の中には、大学の中国文学科なんかに行かないと出てこない漢字もありますから。それが仮名付きで読めるので、本当にいいことだと思います。
また、漢文の専門家である白川静先生という方がいらして、以前対談させていただいたことがあるのですが、その時に「漢文は人を大人にする」とおっしゃっていました。この言葉は、今でもそうだなと思っています。漢文というのは『中国人が書いたもの』といった単純なものではなく、春秋戦国時代のものを指します。そしてこの時代の民族は、三国時代までにみんな消えてしまうのです。それ以降の中国には、面白いものがないと思っています。明の時代に『金瓶梅』なんていう、くだらない小説が出てきたくらいで。それまでは、たくさんの国が戦い、権謀術数いろいろあったのです。これらがみな、漢文に出てくるんですよ、ことわざみたいにして。だから『十八史略』などでもいいのだけれど、そういったものを読むと、大人の世界が分かるんですよ。
そして、白川先生がおっしゃった「漢文が大人を作る」ですが、それは今の政治家を見るとそうだなと思います。どうも幼稚に見えてしまうのは、自分が年を取ったというだけではなくて、漢文の教養がないからだと思うのです。昔の政治家、岸信介しかり吉田茂しかり、みな漢文からの叩き上げでしたから、どこか凛としたところがありました。もちろん、今の人たちに漢文を勉強しろと言うのは難しいですけれど、『三国志』を読めば漢文をしっかり勉強する代わりとまではいきませんが、かなり学べるとは思いますね。前にもお話したように、『鶏肋』といった各章のタイトルだけでもそれなりの知恵になるものが、かなりありますから。
【第5巻につづく】
関羽千里行
一
時刻ごとに見廻りに来る巡邏の一隊であろう。
明け方、まだ白い残月があるころ、いつものように府城、官衙の辻々をめぐって、やがて大きな溝渠に沿い、内院の前までかかって来ると、ふいに巡邏のひとりが大声でいった。
「ひどく早いなあ。もう内院の門が開いとるが」
すると、他の一名がまた、
「はて。今朝はまた、いやに隈なく箒目立てて、きれいに掃き浄めてあるじゃないか」
「いぶかしいぞ」
「なにが」
「奥の中門も開いている。番小屋にはだれもいない。どこにもまるで人気がない」
つかつか門内へ入っていったのが、手を振って呶鳴った。
「これやあ変だ! まるで空き家だよ!」
それから騒ぎ出して、巡邏たちは奥まった苑内まで立ち入ってみた。
するとそこに、十人の美人が啞のように立っていた。
「どうしたのだ? ここの二夫人や召使いたちは」
巡邏がたずねると、美姫のひとりが、黙って北の方を指さした。
この十美人は、いつか曹操から関羽へ贈り、関羽はそれをすぐ二夫人の側仕えに献上してしまい、以来、そのまま内院に召し使われていた者たちであった。
関羽は曹操から贈られた珍貴財宝は、一物も手に触れなかったが、この十美人もまた他の金銀緞匹と同視して、置き残して去ったものである。
──その朝、曹操は、虫が知らせたか、常より早目に起きて、諸将を閣へ招き、何事か凝議していた。
そこへ、巡邏からの注進が聞こえたのである。
「──寿亭侯の印をはじめ、金銀緞匹の類、すべてを庫内に封じて留めおき、内室には十美人をのこし、その余の召使い二十余人、すべて関羽と共に、二夫人を車へのせて、夜明け前に、北門より立ち退いた由でございます」
こう聞いて、満座、早朝から興をさました。猿臂将軍蔡陽は言った。
「追っ手の役、それがしに承わらん。関羽とて、何ほどのことやあろう。兵三千を賜わらば、即刻、召し捕らえて参りまする」
曹操は、侍臣のさし出した関羽の遺書をひらいて、黙然と読んでいたが、
「いや待て。──われにこそ無情いが、やはり関羽は真の大丈夫である。来ること明白、去ることも明白。まことに天下の義士らしい進退だ。──其方どもも、良い手本にせよ」
蔡陽は、赤面して、列後に沈黙した。
すると程昱は、彼に代わって、
「関羽には三つの罪があります。丞相の御寛大は、かえって味方の諸将に不平をいだかせましょう」
と面を冒して言った。
「程昱。なぜ、関羽の罪とは何をさすか」
「一、忘恩の罪。二、無断退去の罪。三、河北の使いと密かに密書を交わせる罪──」
「いやいや、関羽は初めから予に、三ヵ条の約束を求めておる。それを約しながら強いて履行を避けたのは、かくいう曹操であって、彼ではない」
「でも今──みすみす彼が河北へ走るのを見のがしては、後日の大患、虎を野へ放つも同様ではありませぬか」
「さりとて、追い討ちかけて、彼を殺せば、天下の人みな曹操の不信を鳴らすであろう。──如かず! 如かず! 人各々その主ありだ。このうえは彼の心の赴くまま故主の許へ帰らせてやろう。......追うな、追うな。追い討ちかけてはならんぞ」
最後のことばは、曹操が曹操自身へ戒めているように聞こえた。彼のひとみは、そういうあいだも、北面したままじっと北の空を見つめていた。
二
ついに関羽は去った!
自分をすてて玄徳の許へ帰った!
辛いかな大丈夫の愛。──恋ならぬ男と男との義恋。
「......ああ、生涯もう二度と、ああいう真の義士と語れないかもしれない」
憎悪。そんなものは今、曹操の胸には、みじんもなかった。
来るも明白、去ることも明白な関羽のきれいな行動にたいして、そんな小人の怒りは抱こうとしても抱けなかったのである。
「............」
けれど彼の淋しげな眸は、北の空を見まもったまま、いかんともなし難かった。涙々、頰に白いすじを描いた。睫毛は、胸中の苦悶をしばだたいた。
諸臣みな、彼の面を仰ぎ得なかった。しかし程昱、蔡陽の輩は、
「いま関羽を無事に国外へ出しては、後日、かならず悔い悩むことが起こるに相違ない。殺すのは今のうちだ。今の一刻を逸しては......」
と、ひそかに腕を扼し、足ずりして、曹操の寛大をもどかしがっていた。
曹操はやがて立ち上がった。
そして、四辺の諸大将に言った。
「関羽の出奔は、あくまで義にそむいてはいない。彼は七たびも暇を乞いに府門を訪れているが、予が避客牌をかけて門を閉じていたため、ついに書を遺して立ち去ったのだ。大方の非礼はかえって曹操にある。生涯、彼の心底に、曹操は気心の小さいものよと嗤われているのは心苦しい。......まだ、途も遠くへは距たるまい。追いついて、彼にも我にも、後々までの思い出のよい信義の別れを告げよう。──張遼供をせい!」
やにわに彼は閣を降り、駒をよび寄せて、府門から馳け出した。
張遼は、曹操から早口にいいつけられて路用の金銀と、一襲の袍衣とを、あわただしく持って、すぐ後から鞭を打った。
「......わからん。......実にあの御方の心理はわからん」
閣上にとり残された諸臣はみな呆っ気にとられていたが、程昱、蔡陽の輩はわけても茫然、つぶやいていた。
× × ×
山はところどころ紅葉して、郊外の水や道には、翻翻、枯葉が舞っていた。
赤兎馬はよく肥えていた。秋まさに更けている。
「......はて。呼ぶものはだれか?」
関羽は、駒をとめた。
「...おおういっ」
という声。──秋風のあいだに。
「さては! 追っ手の勢」
関羽は、かねて期したる事と、あわてもせず、すぐ二夫人の車のそばへ行った。
「
従の人々。おのおのは御車を推して先へ落ちよ。関羽一人はここにあって路傍の妨げを取り除いたうえ、
悠々と、後から参れば──」
と、二夫人を愕かさぬように、わざとことば柔らかに言って駒を返した。
遠くから彼を呼びながら馳けて来たのは、張遼であった。張遼はひっ返して来る関羽の姿を見ると、
「雲長。待ちたまえ」と、更に駒を寄せた。
関羽はにこと笑って、
「わが字を呼ぶ人は、其許のほかにないと思っていたが、やはり其許であった。待つことかくのごとく神妙であるが、いかに御辺を向けられても、関羽はまだ御辺の手にかかって生け捕られるわけには参らん。さてさて辛き御命をうけて来られたもの哉──」
と、はや小脇の偃月刀を持ち直して身がまえた。
「否、否、疑うをやめ給え」と、張遼はあわてて弁明した。
「身に甲を着ず、手に武具を携えず──拙者のこれへ参ったのは、決して、あなたを召し捕らんがためではない。やがて後より丞相が御自身でこれに来られる故、その前触れに来たのでござる。曹丞相の見えられるまで、しばしこれにてお待ちねがいたい」
三
「なに。曹丞相みずからこれへ参るといわれるか」
「いかにも、追ッつけこれへお見えになろう」
「はて、大仰な」
関羽は、何思ったか、駒をひっ返して覇陵橋の中ほどに突っ立った。
張遼は、それを見て、関羽が自分のことばを信じないのを知った。
彼が、狭い橋上のまン中に立ち塞がったのは、大勢を防ごうとする構えである。──道路では四面から囲まれる惧れがあるからだ。
「いや。やがてわかろう」
張遼は、あえて、彼の誤解に弁明を努めなかった。まもなく、すぐあとから曹操はわずか六、七騎の腹心のみを従えて馳けて来た。
それは、許褚、徐晃、于禁、李典なんどの錚々たる将星ばかりだったが、すべて甲冑を着けず、佩剣のほかは、ものものしい武器を携えず、極めて、平和な装いを揃えていた。
関羽は、覇陵橋のうえからそれをながめて、
「──さては、われを召し捕らんためではなかったか。張遼の言は、真実だったか」
と、やや面の色をやわらげたが、それにしても、曹操自身が、何故にこれへ来たのか、なお怪しみは解けない容子であった。
──と、曹操は。
はやくも駒を橋畔まで馳け寄せて来て、しずかに声をかけた。
「オオ羽将軍。──あわただしい、御出立ではないか。さりとはあまりに名残惜しい。何とてそう路を急ぎ給うのか」
関羽は、聞くと、馬上のまま慇懃に一礼して、
「その以前、それがしと丞相との間には三つの御誓約を交わしてある。いま、故主玄徳事、河北にありと伝え聞く。──幸いに許容し給わんことを」
「惜しいかな。君と予との交わりの日のあまりにも短かりしことよ。──予も、天下の宰相たり、決して昔日の約束を違えんなどとは考えていない。......しかし、しかし、あまりにも御滞留が短かかったような心地がする」
「鴻恩、いつの日か忘れましょう。さりながら今、故主の所在を知りつつ、安閑と無為の日を過ごして、丞相の温情にあまえているのも心ぐるしく......ついに去らんの意を決して、七度まで府門をお訪ねしましたが、つねに門は各々閉ざされていて、むなしく立ち帰るしかありませんでした。お暇も乞わずに、早々旅へ急いだ罪はどうか御寛容ねがいたい」
「いやいや、あらかじめ君の訪れを知って、牌をかけ置いたのは予の科である。──否、自分の小心の為せる業と明らかに告白する。いま自身でこれへ追って来たのは、その小心をみずから恥じたからである」
「なんの、なんの、丞相の寛闊な度量は、何ものにも、較べるものはありません。だれよりも、それがしが深く知っておるつもりです」
「本望である。将軍がそう感じてくれれば、それで本望というもの。別れたあとの心地も潔い。......おお、張遼、あれを」
と、彼はうしろを顧みて、かねて用意させて来た路用の金銀を、餞別として、関羽に贈った。が関羽は、容易にうけとらなかった。
「滞府中には、あなたから充分な、お賄いをいただいておるし、この後といえども、流寓落魄貧しきには馴れています。どうかそれは諸軍の兵に頒けてやってください」
しかし曹操も、また、
「それでは、折角の予の志もすべて空しい気がされる。今さら、わずかな路銀などが、君の節操を傷つけもしまい。君自身はどんな困窮にも耐えられようが、君の仕える二夫人に衣食の困苦をかけるのは傷ましい。曹操の情として忍び難いところである。君が受けるのを潔しとしないならば、二夫人へ路用の餞別として、献じてもらいたい」と強って言った。
四
関羽は、ふと、眼をしばだたいた。二夫人の境遇に考え及ぶと、すぐ断腸の思いがわくらしいのである。
「御芳志のもの、二夫人へと仰せあるなら、ありがたく収めて、お取り次ぎいたそう。──長々お世話にあずかった上、些少の功労をのこして、いま流別の日に会う。......他日、萍水ふたたび巡り遇う日来れば、べつにかならず、余恩をお報い申すでござろう」
彼のことばに、曹操も満足を面にあらわして、
「いや、いや、君のような純忠の士を、幾月か都へ留めておいただけでも、都の士風はたしかに良化された。また曹操も、どれほど君から学ぶところが多かったか知れぬ。──ただ君と予との因縁薄うして、いま人生の中道に袂を別つ。──これは淋しいことにちがいないが、考え方に依っては、人生のおもしろさもまたこの不如意のうちにある」
と、まず張遼の手から路銀を贈らせ、なお後の一将を顧みて、持たせて来た一領の錦の袍衣を取り寄せ、それを関羽に餞別せん──とこう言った。
「秋も深いし、これからの山道や渡河の旅も、いとど寒く相成ろう。......これは曹操が、君の芳魂をつつんでもらいたいため、わざわざ携えて来た粗衣に過ぎんが、どうか旅衣として、雨露のしのぎに着てもらいたい。これくらいの事は君がうけてもだれも君の節操を疑いもいたすまい」
錦の袍を持った大将は、直ちに馬を下りて、つかつかと覇陵橋の中ほどへすすみ、関羽の駒のまえにひざまずいて、恭しく錦袍を捧げた。
「かたじけない」
関羽はそこから目礼を送ったが、その眼ざしには、もし何かの謀略でもありはしまいかとなお充分警戒しているふうが見えた。
「──せっかくの御餞別、さらば賜袍の恩をこうむるで御座ろう」
そういうと、関羽は、小脇にしていた偃月の青龍刀をさしのべてその薙刀形の刃さきに、錦の袍を引っかけ、ひらりと肩に打ちかけると、
「おさらば」と、ただ一声のこして、たちまち北の方へ駿足赤兎馬を早めて立ち去ってしまった。
「見よ。あの武者ぶりの良さを──」
と、曹操は、惚れ惚れと見送っていたが、つき従う李典、于禁、許褚などは、口を極めて、怒りながら、
「なんたる傲慢」
「恩賜の袍を刀のさきで受けるとは」
「丞相の御恩につけあがって、すきな真似をしちらしておる」
「今だっ。──あれあれ、まだかなたに姿は見える。追いかけて! ......」
と、あわや駒首をそろえて、馳け出そうとした。
曹操は、一同をなだめて、
「むりもない事だ。関羽の身になってみれば、──いかに武装はしていなくとも、こちらはわが麾下の錚々たる者のみ二十人もいるのに、彼は単騎、ただひとりではないか。あれくらいな要心はゆるしてやるべきである」
そしてすぐ許都へ帰って行ったが、その途々も左右の諸大将にむかって、
「敵たると味方たるとをとわず、武人の薫しい心操に接するほど、予は、楽しいことはない。その一瞬は、天地も人間も、すべてこの世が美しいものに満ちているような心地がするのだ。──そういう一箇の人格が他を薫化することは、後世千年、二千年にも及ぶであろう。其方たちも、この世でよき人物に会ったことを徳として、彼の心根に見ならい、おのおの末代にいたるまで芳き名を遺せよ」と、訓戒したということである。
このことばから深く窺うと、曹操はよく武将の本分を知っていたし、また自己の性格のうちにある善性と悪性をも弁えていたということができる。そして努めて、善将にならんと心がけていたこともたしかだと言い得よう。
五
思いのほか手間どったので、関羽は二夫人の車を慕って、二十里余り急いで来たが、どこでどう迷ったか、先に行った車の影は見えなかった。
「......はて。いかが遊ばしたか」と、とある沢のほとりに駒をとめて、四方の山を見まわしていると、一水の渓流を隔てたかなたの山から、
「羽将軍、しばらくそこにお停まりあれ」と、呼ばわる声がした。
何者かと眸をこらしていると、やがて百人ばかり歩卒をしたがえ、まっ先に立って来る一名の大将があった。
打ち眺めれば、その人、まだ年歯二十歳がらみの弱冠で、頭は黄巾で結び、身に青錦の袍を着て、たちまち山を馳け降り、渓河をこえて、関羽の前に迫った。
関羽は青龍刀を把り直して、
「何者ぞ、何者ぞ。はやく名字を申さぬと、一颯の下に、素首を払い落とすぞ」
と、まず一圧を加えてみた。
すると、壮士はひらりと馬の背をおりて、
「それがしはもと襄陽の生まれ、廖化と称し、字な元倹という者です。決して将軍に害意をふくむ者ではありませんから、御安心ください」
「して、何のために、卒をひきいて、わが行く道を阻めるか」
「まず、私の素志を聞いて戴きたい。実は私は、少年の客気、早くも天下の乱に郷を離れて、江湖のあいだを流浪し、五百余人のあぶれ者を語らい、この地方を中心として山賊を業としている者です。ところが、同類の者に、杜遠という男がいます。これがつい今し方、街道へ働きに出て、二夫人の車を見かけ、よい獲物を得たりと、劫掠して山中へ引き連れて来たわけです」
「なに。──では二夫人の御車は汝らの山寨へ持ち運ばれて行ったのか」
すぐにも、そこへと、関羽が気色ばむのを止めて、
「が、お身には、何のお障りもありません。まず、私の申すことを、少しお聞き下さい。......私は簾中の御方を見て、これは仔細ありげなと感じましたので、ひそかに、車についた従者の一名に、いかなるわけの御人かとたずねたところ、なんぞ知らん、漢の劉皇叔の夫人なりと伺って、愕然といたしました。.........で早速、仲間の杜遠に迫り、かかる御人を拉し来って何とするぞ、すぐもとの街道へ送って放し還そうではないかと、切にすすめましたが杜遠は、頑としてきき入れません。のみならず、けしからぬ野心すら仄かしましたから、不意に、剣を払って、杜遠を刺し殺し、その首を取って、将軍に献ぜんために、これにてお待ちしていた次第でございます」
と、一級の生首を、そこへ置いて再拝した。
関羽は、なお疑って、
「山賊の将たる汝が、何故、仲間の首を斬って縁もない自分に、さまでの好意を寄せるか、何とも解し難いことである」と容易に信じなかった。
「御もっともです──」と、廖化は、山賊という名に卑下して、
「二夫人の従者から将軍が今日にいたるまでの御忠節をつぶさに聞いて、まったく心服したためであります。緑林の徒とても、心まで獣心ではありません」
と言ったが、たちまち、馬に乗ったかと思うと、ふたたび以前の山中へ馳けもどった。
しばらくすると、廖化はまた姿を見せた。
こんどは百余人の手下に、二夫人の車を推させて、大事そうに山道を降りて来たのである。
関羽は初めて、廖化の人物を信じた。何よりも先に、車の側へ行って、かかる御難儀をおかけしたのは臣の罪であると、甘夫人に深く謝した。
夫人は簾の裡から言った。
「もし、廖化が居なかったら、どんな憂き目をみたかしれぬ。その者に将軍からよく礼をいうて賜もれ」
六
車を護っている従者たちも、口々に廖化の善心を賞めて関羽に告げた。
「仲間の杜遠が、二夫人を分けてお互いの妻にしようじゃないかというのを、廖化は断然拒んで、杜遠を刺し殺したのでした。どうしてあんな正義心の強い男が、山賊などしているのでしょうか」
関羽は、あらためて廖化の前にすすみ、
「二夫人の御無事はまったく貴公の仁助である」と深く謝した。
廖化は、謙遜して、
「当たり前の事をしたのに、あまりな御過賞は、不当にあたります。ただ願うらくは、私もいつまで緑林の徒と呼ばれていたくありません。これを機に、御車の供をお命じくだされば、幸いここに百十余の歩卒もおりますから、守護のお役にも立つかと思われますが」と、併せて希望を述べた。
しかし、関羽は、その好意だけをうけて、
従の願いは許さなかった。かりそめにも山賊を供に加えて歩いたと聞こえては、故主玄徳の名にもかかわるという潔癖からである。
廖化はまた、せめて路用のたしにもと、金帛を献じたが、それも強って断わったけれど、その志には深く感じて、関羽は別るるに際して、この緑林の義人へこう約した。
「今日の御仁情は、かならず長く記憶しておく。いつか再会の日もあろう。関羽なり、わが主君なり落ち着きを聞かれたら、ぜひ訪ねて参られよ」
車は、ふたたび旅路へ上った。
道は遠く、秋の日は短い。
三日目の夕方、車につき添うた一行は、疎林の中をすすんでいた。
片々と落ち葉の舞う彼方に、一すじの炊煙がたちのぼっている。隠士の住居でもあるらしい。
訪うて宿をからんためであった。関羽が訪うと、ひとりの老翁が、草堂の門へ出て来てたずねた。
「あんたは、どこのだれじゃ」
「劉玄徳の義弟、関羽というものですが」
「えっ......関羽どのじゃと。あの顔良や文醜を討ったるお人か」
「そうです」
老翁は、かぎりなく驚いている。そして重ねて、
「あのお車は」と、たずねた。
関羽はありのまま正直に告げた。老翁はますます驚き、そして敬い請じて門のうちに迎えた。
二夫人は、車を降りた。翁は、娘や孫娘をよんで、夫人の世話をさせた。
「たいへんな貴賓じゃ」
翁は清服に着かえて、改めて二夫人のいる一室へあいさつに出た。
関羽は、二夫人のかたわらに、叉手したまま侍立していた。
老翁は、いぶかって、
「将軍と、玄徳様とは、義兄弟のあいだがら、二夫人は嫂にあたるわけでしょう。......旅のお疲れもあろうに、寛ぎもせず、なぜそのような礼儀を守っておいでかの?」
関羽は、微笑をたたえて、
「玄徳、張飛、それがしの三名は、兄弟の約をむすんでおるが、義と礼においては君臣のあいだにあらんと、固く、乱れざることを誓っていました。故に、ふたりの嫂の君とともに、かかる流寓艱苦の中にはあっても、かつて君臣の礼を欠いたことがありません。家翁のお目には、それがおかしく見えますか」
「いや、いや、滅相もない。いぶかったわしこそ浅慮でおざった。さても今時にめずらしい御忠節」
それから老翁はことごとく関羽に心服して自分の小斎に招き、身の上などうちあけた。この老翁は胡華といって、桓帝のころ議郎まで勤めたことのある隠士だった。
「わしの愚息は、胡班といって、いま滎陽の太守王植の従事官をしています。やがてその道もお通りになるでしょうから、ぜひ訪ねてやってください」と、自分の息子へ、紹介状をしたためて、あくる朝、二夫人の車が立つ折、関羽の手にそれを渡していた。
五関突破
一
胡華の家を立ってから、破蓋の簾車は、日々、秋風の旅をつづけていた。
やがて洛陽へかかる途中、一つの関所がある。
曹操の与党、孔秀というものが、部下五百余騎をもって、関門をかためていた。
「ここは三州第一の要害。まず、事なく通りたいものだが」
関羽は、車を駐めて、ただ一騎、先に馳け出して呶鳴った。
「これは河北へ下る旅人でござる。ねがわくは、関門の通過をゆるされい」
すると、孔秀自身、剣を扼して立ちあらわれ、
「将軍は雲長関羽にあらざるか」
「しかり。それがしは、関羽でござる」
「二夫人の車を擁して、いずれへ行かれるか」
「申すまでもなく、河北におわすと聞く故主玄徳のもとへ立ち帰る途中であるが」
「さらば、曹丞相の告文をお持ちか」
「事火急に出で、告文はつい持ち忘れてござるが」
「ただの旅人なれば、関所の割り符を要し、公の通行には告文なくば関門を通さぬことぐらいは、将軍も御承知であろう」
「帰る日が来ればかならず帰るべしとは、かねて丞相とそれがしとのあいだに交わしてある約束です。なんぞ、掟に依ろうや」
「いやいや、河北の袁紹は、曹丞相の大敵である。敵地へゆく者を、無断、通すわけにはまいらぬ。......しばらく門外に逗留したまえ。その間に、都へ使いを立て、相府の命を伺ってみるから」
「一日も心のいそぐ旅。いたずらに使いの往還を待ってはおられん」
「たとい、なんと仰せあろうと、丞相の御命に接せぬうちは、ここを通すこと相ならん。しかも今、辺境すべて、戦乱の時、なんで国法をゆるがせにできようか」
「曹操の国法は、曹操の領民と、敵人に掟されたもの。それがしは、丞相の客にして、領下の臣でもない、敵人でもない。──強って、通さぬとあれば、身をもって、踏みやぶるしかないが、それはかえって足下の災いとなろう。快く通したまえ」
「ならんというに、
しつこいやつだ。もっとも、
其方の連れている車のものや、
従のもの
総てを、人質としてここに
留めておくならば、
汝一人だけ、通ることをゆるしてやろう」
「さようなことは、此方としてゆるされん」
「しからば、立ち帰れ」
「何としても?」
「くどい!」
言い放して、孔秀は、関門を閉じろと、左右の兵に下知した。
関羽は憤然と眉をあげて、
「盲夫っ、これが見えぬか」
と、青龍刀を伸ばして、彼の胸板へ擬した。
孔秀は、その柄を握った。あまりにも相手を知らず、おのれを知らないものだった。
「猪口才な」と、罵りながら、部下の関兵へ大呼して、狼藉者を召し捕れとわめいた。
「これまで」と、関羽は青龍刀を引いた。
うかと、柄を握っていた孔秀は、あっと鞍から身を浮かして、佩剣へ片手をかけたが、とたんに、関羽が一吼すると、彼の体軀は真二つになって、血しぶきと共に斬り落とされていた。
あとの番卒などは、ものの数ではない。
関羽は、縦横に薙ぎちらして、そのまに二夫人の車を通し、さて、大音に言って去った。
「覇陵橋上、曹丞相と、暇をつげて、白日ここを通るものである。なんで汝らの科となろう。あとにて、関羽今日、東嶺関をこえたりと、都へ沙汰をいたせばよい」
その日、車の蓋には、ばらばらと白い霰が降った。──次の日、また次の日と、車のわだちは一路、官道を急ぎぬいて行く。
洛陽──洛陽の城門ははや遠く見えて来た。
そこももちろん、曹操の勢力圏内であり、彼の諸侯のひとり韓福が守備していた。
二
市外の函門は、ゆうべから物々しく固められていた。
常備の番兵に、屈強な兵が、千騎も増されて附近の高地や低地にも、伏せ勢がひそんでいた。
関羽が、東嶺関を破って、孔秀を斬り、これへかかって来るという飛報が、はやくも伝えられていたからである。
──とも知らず、やがて関羽は尋常に、その前に立って呼ばわった。
「それがしは漢の寿亭侯関羽である。北地へ参るもの、門をひらいて通されい」
聞くやいなや、
「すわ、来たぞ」と、
鉄
と鉄甲はひしめいた。
洛陽の太守韓福は、見るからにものものしい扮装ちで諸卒のあいだから颯と馬をすすめ、
「告文を見せよ」とのっけから挑戦的に言った。
関羽が、持たないというと、告文がなければ、私かに都を逃げて来たものにちがいない。立ち去らねば搦め捕るのみと──豪語した。
彼の態度は、関羽を怒らせるに充分だった。関羽は、さきに孔秀を斬って来たことを公言した。
「汝も首を惜しまざる人間か」と、言った。
そのことばも終わらぬまに、四面に銅鑼が鳴った。山地低地には金鼓がとどろいた。
「さてはすでに、計をもうけて、われを陥とさんと待っていたか」
関羽はいったん駒を退いた。
逃げると見たか、
「生擒れ。やるなっ」
とばかり、諸兵はやにわに追いかけた。
関羽はふり向いた。
碧血紅漿、かれの一颯一刃に、あたりはたちまち彩られた。
孟坦という韓福の一部将はすこぶる猛気の高い勇者だったが、これも関羽のまえに立っては、斧にむかう蟷螂のようなものにしか見えなかった。
「孟坦が討たれた!」
怯み立った兵は、口々に言いながら、函門のなかへ逃げこんだ。
太守韓福は門のわきに馬を立てて、唇を嚙んでいたが、群雀を追う鷲のように馳けて来る関羽を目がけて、ひょうっと弓につがえていた一矢を放った。
矢は関羽の左の臂にあたった。
「おのれ」と、関羽の眼は矢の来た途をたどって、韓福のすがたを見つけた。
赤兎馬は、口をあいて馳け向かって来た。韓福は怖れをなして、にわかに門のうちへ騎を翻そうとしたがその鞍尻へ、赤兎馬が嚙みつくように重なった。
どすっーと、磚のうえに、首がころげ落ちた。韓福の顔だった。あたりの部下は胆をひやして、われがちに赤兎馬の蹄から逃げ散った。
「いでや、このひまに!」
関羽は、血ぶるいしながら、遠くにいる車を呼んだ。くるまは、血のなかを、ぐわらぐわらと顫き旋って、洛陽へ這入ってしまった。
どこからともなく、車をめがけて、矢の飛んで来ることは、一時はしきりだったが、太守韓福の死と、勇将孟坦の落命が伝わると、全市恐怖にみち、行く手をさえぎる兵もなかった。
市城を突破して、ふたたび山野へ出るまでは、夜もやすまずに車を護って急いだ。簾中の二夫人も、この一昼夜は繭の中の蛾のように、抱きあったまま、恐怖の目をふさぎ通していた。
それから数日、昼は深林や、沢のかげに眠って、夜となると、車をいそがせた。
沂水関(河南省・洛陽郊外)へかかったのも、宵のころであった。
ここには、もと黄巾の賊将で、のちに曹操へ降参した弁喜というものが固めていた。
山には、漢の明帝が建立した鎮国寺という古刹がある。弁喜は、部下の大勢をここに集めて、
「──関羽、来らば」と、何事か謀議した。
三
夜あらしの声は、一山の松に更けて、星は青く冴えていた。
折ふし、いんいんたる鐘の音が、鎮国寺の内から鳴り出した。
「来たっ」
「来ましたぞっ」
山門のほうから飛んで来た二人の山兵が廻廊の下から大声で告げた。
謀議の堂からどやどやと人影があふれて出て来た。大将弁喜以下十人ばかりの猛者や策士が赤い燈灯の光をうしろに、
「静かにしろ」と、たしなめながら欄に立ちならんで山門の空を見つめた。
「来たとは、関羽と二夫人の車の一行だろう」
「そうです」
「山麓の関門では、何もとがめずに通したのだな」
「そうしろという大将の御命令でしたから、そのとおりにいたしました」
「関羽に充分油断を与えるためだ。洛陽でも東嶺関でも、彼を函門で拒もうとした故、かえって多くの殺傷をこうむっている。ここでは計をもって、かならずきゃつを生け捕ってくれねばならん。......そうだ、迎えに出よう。坊主どもにも、一同出迎えに出ろと言え」
「いま、鐘がなりましたから、もうみな出揃っているはずです」
「じゃあ、各々」
弁喜は左右の者に眼くばせをして、階を降りた。
この夜、関羽は麓の関所も難なく通されたのみか、この鎮国寺の山門に着いて、宿を借ろうと訪れたところ、たちまち一山の鐘がなり渡ると共に、僧衆こぞって出迎えに立つという歓待ぶりなので、意外な思いに打たれていた。
長老の普浄和尚は車の下にぬかずいて、
「長途の御旅、さだめし、おつかれにおわそう。山寺のこと故、雨露のおしのぎを仕るのみですが、御心やすくお憩いを」と、さっそく、簾中の二夫人へ、茶を献じた。
その好意にも関羽はわが事のように歓んで、慇懃に礼をのべると、長老の普浄はなつかしげに、
「将軍。あなたは郷里の蒲東を出てから、幾歳になりますか」と、たずねた。
「はや、二十年にちかい」
関羽が答えると、また、
「では、わたくしをお忘れでしょうな。わたくしも将軍と同郷の蒲東で、あなたの故郷の家と、わたくしの生家とは、河ひとつ隔てているきりですが......」
「ほ。長老も蒲東のお生まれか」
そこへ、ずかずかと、弁喜が佩剣を鳴らして歩いて来た。そして普浄和尚へ、
「まだ堂中へ、お迎えもせぬうちから、何を親しげに話しておるか。賓客にたいして失礼であろう」
と、疑わしげに、眼をひからしながら、関羽を導いて、講堂へ招じた。
その折、長老の普浄が、意味ありげに、関羽へ何か眼をもって告げるらしい容子をしたので、関羽は、さてはと、はやくも胸のうちでうなずいていた。
果たして。
弁喜の巧言は、いかにも関羽の人格に服し、酒宴の燭は歓待を尽くしているかのようであったが、廻廊の外や祭壇の陰などには、身に迫る殺気が感じられた。
「ああ。こんな愉快な夜はない。将軍の忠節と風貌をお慕いすることや実に久しいものでしたよ。どうか、お杯をください」
弁喜の眼の底にも、爛々たる兇悪の気がみちている。この侫獣め、と関羽は心中すこしの油断もせずにいたが、
「一杯の酒では飲み足るまい。汝にはこれを与えよう」
と、壁に立てておいた青龍刀を把るよりはやく、どすっと、弁喜を真二つに斬ってしまった。
満座の燭は、血けむりに暗くなった。関羽は、

を
蹴って、廻廊へおどり立ち、
「死を急ぐ人々は、即座に名乗り出でよ。雲長関羽が引導せん」
と、大鐘の唸るがごとき声でどなった。
四
震い怖れた敵は十方へ逃げ散ってしまったらしい。ふたたび静かな松籟が返って来た。
関羽は、二夫人の車を護って、夜の明けぬうち鎮国寺を立った。
別れるにのぞんで慇懃に、長老の普浄に礼をのべて、御無事を祈るというと、普浄は、
「わしも、もはやこの寺に、衣鉢をとどめていることはできません。近く他国へ雲遊しましょう」
と、言った。
関羽は、気の毒そうに、
「此方のために、長老もついに寺を捨て去るような仕儀になった。他日、ふたたび会う日には、かならず恩におこたえ申すであろう」
つぶやくと、呵々と笑って、普浄は言った。
「岫に停まるも雲、岫を出ずるも雲、会するも雲、別るるも雲、何をか一定を期せん。──おさらば、おさらば」
彼に従って、一山の僧衆もみな騎と車を見送っていた。かくて、夜の明けはなれるころには、関羽はすでに、沂水関(河南省・洛陽郊外)をこえていた。
滎陽の太守王植は、すでに早打ちをうけとっていたが、門をひらいて、自身一行を出迎え、すこぶる鄭重に客舎へ案内した。
夕刻、使いがあって、
「いささか、小宴を設けて、将軍の旅愁をおなぐさめいたしたいと、主人王植が申されますが」
と、迎えが来たが、関羽は、二夫人のお側を一刻も離れるわけにはゆかないと、断わって、士卒とともに、馬に秣糧を飼っていた。
王植は、むしろ欣んで、従事胡班をよんで、ひそかに、謀計をさずけた。
「心得て候」とばかり、胡班はただちに、千余騎をうながして、夜も二更のころおい、関羽の客舎をひそやかに遠巻きにした。
そして寝しずまるころを待ち、客舎のまわりに投げ炬火をたくさんに用意し、乾いた柴に焰硝を抱きあわせて、柵門の内外へ搬びあつめた。
「──時分は良し」と、あとは合図をあげるばかりに備えていたが、まだ客舎の一房に燈火の影が見えるので、何となく気にかかっていた。
「いつまでも寝ない奴だな。何をしておるのか?」
と、胡班は、忍びやかに近づいて房中を窺った。
すると、紅蠟燭のごとく赤い面に漆黒の髯をふさふさと蓄えている一高士が、机案に肱をついて書を読んでいた。
「あっ? ......この人が関羽であろう。さてさてうわさに違わず、これは世のつねの将軍ではない。天上の武神でも見るような」
思わず、それへ膝を落とすと、関羽はふと面を向けて、
「何者だ」と、しずかに咎めた。
逃げる気にも隠す気にもなれなかった。彼は敬礼して、
「王太守の従事、胡班と申すものです」と言ってしまった。
「なに、従事胡班とな?」
関羽は、書物のあいだから一通の書簡をとり出して、これを知っているかと、胡班へ示した。
「ああこれは、父の胡華よりわたくしへの書状」
驚いて、読み入っていたが、やがて大きく嘆息して、
「もしこよい。父の書面を見なかったら、わたくしは天下の忠臣を殺したかもしれません」
と王植の謀計を打ち明けて、一刻もはやくここを落ち給えと促した。
関羽も一驚して、取るものも取りあえず、二夫人を車に乗せて、客舎の裏門から脱出した。
慌ただしい轍の音を聞き伝え、果たして八方から炬火が飛んで来た。客舎をつつんでいた枯れ柴や焰硝はいちどに爆発し、炎々、道を赤く照らした。
その夜。王植は城門を擁してきびしく備えていたが、かえって関羽のため、忿怒の一刃を浴びて非業な死を求めてしまった。
五
胡班は、彼を追うと見せて、城外十数里まで、追撃して来たが、東の空が白みかけると、遠く、弓を振って、それとなく関羽へ別れを告げた。
日をかさねて、関羽たちは、滑州(河南省・黄河の河港)の市城へはいった。
太守劉延は、弓槍の隊伍をつらねて、彼を街上に迎えて、試問した。
「この先に大河がある。将軍は、何に依って渡るおつもりか」
「もちろん船で」
「黄河の渡口には夏侯惇の部下秦琪が、要害を守っておる。かならず、将軍の渡るをゆるすまい」
「願わくは、足下の船をからん。それがし等のために、便船を発せられい」
「船は多くあるが、将軍に貸す船はない。何となれば、曹丞相からさようなお沙汰はとどいていないからである」
「無用の人かな」
と、関羽は、一笑の下につぶやいて、そのまま車を押させ、直接、秦琪の陣へおもむいた。
河港の入り口に、猛兵を左右にしたがえ、
駒を立てていた
眉犬牙の荒武者がある。
「止まれっ。──来れるものは何奴であるか」
「秦琪は、足下か」
「そうだ」
「われは漢の寿亭侯関羽」
「どこへ参る」
「河北へ」
「告文を見せろ」
「無し」
「丞相の告文がなくば、通過はゆるさん」
「曹丞相も、漢の朝臣、それがしも漢の一臣たり、なんで曹操の下知を待とうぞ」
「翼があるなら飛んで渡れ。さような大言を吐くからには、なおもって、一歩もここを通すことはまかりならぬ」
「知らずや、秦琪!」
「なんだと」
「途々、此方を遮ったものは、ことごとく首と胴とを異にしておる事実を。名もなき下将の分際をもって、顔良、文醜にも立ち勝れりと思いあがっておるこそ不愍なれ。むだな死は避けよ。そこを退け」
「だまれ。おれの手なみを見てから吐ざけ」
秦琪は、そう吠えると、やにわに刀を舞わして躍りかかり、彼の従兵も、関羽の前後から喚きかかった。
「ああ、小人、救うべからず!」
偃月の青龍刀は、またしても風を呼び、血を降らせた。
秦琪の首は、地に落ちている。そしてその首は、赤兎馬のひづめに懸けられたり、逃げまどう部下の足に踏まれたりして、血と砂で真っ黒にまぶされていた。
埠頭の柵を破壊して、関羽は、繫船門を占領してしまった。
刃向かう雑兵群を追いちらし追いちらして一艘の美船を奪い、二夫人の車をそれへ移すやいなや、纜を解き、帆を張って、満々たる水へ漂い出した。
ついに、河南の岸は離れた。
北の岸は、すでに河北。
関羽は、ほっと、大河と大空に息をついた。
顧みれば──都を出てから、五ヵ所の関門を突破し、六人の守将を斬っている。
許都を発してからは、踏破して来たその地は。
襄陽(漢口より漢水上流へ二百八十キロメートル)
覇陵橋(河南省・許州)
東嶺関(河南省許州より洛陽への途中)
沂水関(洛陽郊外)
滑州(黄河渡口)
「よくも、ここまで」
われながら関羽はそう思った。
しかもまだ行くての千山万水がいかなる艱苦を待つか、歓びの日を設けているか? ──それはなお未知数といわなければならない。
けれど、共に立った二夫人は、もうここまで来ればと──はやくも劉玄徳との対面を心に描いて、遠心的な眸を恍惚と水に放っていた。
のら息子
一
船が北の岸につくと、また車を陸地に揚げ、簾を垂れて二夫人をかくし、ふたたび蕭々の風と、渺々の草原を縫う旅はつづいてゆく。
そうした幾日目かである。
かなたからひとりの騎馬の旅客が近づいてきた。見れば何と、汝南で別れたきりの孫乾ではないか。
互いに奇遇を祝して、まず関羽からたずねた。
「かねての約束、どこかでお迎えがあろうと、ここへ参るまでも案じていたが、さてかく手間どったのはどうしたわけです」
「実は、
袁紹の
帷幕にいろいろ内紛が起こって、そのために、汝南の
劉辟、
龔都のむねをおびて河北へ使したてまえの計画が、みな

いちがってしまったのです。──さもなければ、袁紹を説き伏せて
劉皇叔を汝南に派遣するように仕向け、てまえは途中に御一行を待って、御対面のことを計るつもりでしたが」
「では、劉皇叔には、ともあれ御無事に、いまも袁紹の許においで遊ばすか」
「いや、いや。つい二、三日ほど前、てまえが行って、ひそかに諜しあわせ、河北を脱出あそばして汝南へさして落ちて行かれた」
「して、その後の御安否は」
「まだ知れぬが、──一方、貴殿とのお約束もあり、二夫人のお身の上も心がかりなので、取りあえず、てまえはこの道をいそいで来た次第です。──将軍もお車も、このまま何も知らずに河北へ行かれたら、みずから檻の中へ這入ってゆくようなもの。危険は目前にあります。すぐ道を更えて、汝南へ向けておいそぎ下さい」
「よくぞ知らせてくれた。しからば劉皇叔だにおつつがなく遁れ遊ばせば、汝南において、御対面がかなうわけだな」
「そうです。玄徳様にも、どれほどお待ちかわかりません。何しろ、河北の陣中におられるうちには、たえず周囲の白眼視をうけ、袁紹には、二度まで斬られようとした事さえおありだった由ですから」と、なお玄徳のきょうまでの隠忍艱苦のかずかずを物語ると、簾の裡で聞いていた二夫人もすすり泣き、関羽も思わず落涙した。
「そうだ。心せねばならん。汝南はもう近いが、何事も、もう一歩という手まえで、心も弛み、思わぬ邪げも起こるものだ。──孫乾、道の案内に先へ立ち給え」
関羽は、自分を戒めるとともに、
従の人々へも、
訓えたのである。
「心得申した」
急に、道を更えて、汝南の空をのぞんで急ぐ。
すると、行くことまだ遠くもないうちであった。うしろの方から馬煙あげて追っかけて来る三百騎ほどな軍隊があった。たちまち追いつかれたので、関羽は、孫乾に車を守らせ、一騎引っ返して待ちかまえた。
まっ先に躍って来る馬上の大将を見ると、片眼がつぶれている。さてこそ、曹操の第一の大将夏侯惇よなと、関羽も満身を総毛だてて青龍刀を構え直していた。
「やあ、居るは関羽か」
夏侯惇から呼ばわると、
「見るがごとし」
と、関羽は嘯いた。
虎をみれば龍は怒り、龍を見れば虎はただちに吠える。双方とも間髪を容れない殺気と殺気であった。
「汝みだりに、五関を破り、六将を殺し、しかもわが部下の秦琪まで斬ったと聞く。つつしんで首をわたすか、しからずんば、おれの与える縛をうけよ」
聞くと、関羽は大笑して、それに答えた。
「その以前、座談のなかではあったが、われ帰らんとする日、もし遮るものあれば、いちいち殺戮して、屍山血河を渉っても帰るであろうと──曹丞相と語ってゆるされたことがある──いまそを履行してあるくのみ。貴公もまた、関羽のために、血の餞別にやって来たか」
二
「あな、面憎や。天下、人もなげなる大言を、吐ざきおる奴」
夏侯惇は、片眼をむいて、すばらしく怒った。
はやくも彼のくり伸ばした魚骨鎗は、ひらりと関羽の長髯をかすめた。
戞然──。関羽の偃月の柄と交叉して、いずれかが折れたかと思われた。逸駿赤兎馬は、主人とともに戦うように、くわっと、口をあいて悍気をふるい立てる。
十合、二十合、彼の鎗と、彼の薙刀とは閃々烈々、火のにおいがするばかり戦った。
ところへ、後方から、
「待たれよ! 双方戦いは止めたまえ」
と、声をからして叫びながらかけて来る一騎の人があった。曹操の急使だったのである。
来るやいな、馬上のまま、丞相直筆の告文を出して、
「羽将軍の忠義をあわれみ、関所渡口すべてつつがなく通してやれとのおことばでござる。御直書かくのごとし」と、早口に言って制したが、夏侯惇はそれを見ようともせず、
「丞相は、関羽が六将を殺し、五関を破った狼籍を知ってのことか」
と、かえって詰問した。
告文はそれより前に、相府から下げられたものであると、使者が答えると、
「それ見ろ。御存じならば、告文など発せられるわけはない。いでこの上は、きゃつを生擒って都へさし立て、そのうえで丞相のお沙汰をうけよう」
豪気無双な大将だけに、あくまで関羽をこのまま見遁そうとはしなかった。
なお、人交ぜもせず、両雄は闘っていた。すると二度目の早馬が馳けて来て、
「両将軍、武器をおひきなされ、丞相のお旨でござるぞ」
と、さけんだ。
夏侯惇は、すこしも鎗の手を休めずに、
「待てとは、生擒れという仰せだろう。わかってるわかってる」
と、どなった。
近づき難いので、早馬の使者は遠くを繞りながら、
「さにあらず、道中の関々にて、割り符を持たねば、通さぬは必定、かならず所々にて、難儀やしつらんと、後にて思い出され、次々と三度までの告文を発せられました」
大声で言ったが、夏侯惇は耳もかさない。関羽も強いて彼の諒解を乞おうとはしない。
馬もつかれ、さすがに、人もつかれかけたころである。また一騎、ここへ来るやいな、
「夏侯惇! 強情もいいかげんにしろ、丞相の御命令にそむく気か」
と、叱咤した人がある。
それも許都からいそぎ下って来た早馬の一名、張遼であった。
夏侯惇は、初めて、駒を退き、満面に大汗を、ぽとぽとこぼしながら、
「やあ、君まで来たのか」
「丞相にはひとかたならぬ御心配だ......貴公のごとき強情者もおるから」
「なにが心配?」
「東嶺関の孔秀が関羽を阻めて斬られた由を聞かれ、さて、わが失念の罪、もし行く行く同様な事件が起きたら、諸所の太守をあだに死なすであろうと──にわかに告文を発しられ、二度まで早打ちを立てられたが、なお御心配のあまり、それがしを派遣された次第である」
「どうしてさように御愍情をかけられるのやら」
「君も、関羽のごとく、忠節を励みたまえ」
「やわか、彼ごときに、劣るものか」
と、負けず

いに、
唾をはきちらして、なお
憤々と言いやまなかった。
「関羽に殺された秦琪は、猿臂将軍蔡陽の甥で、特に蔡陽が、おれを見込んで、頼むといってあずけられた部下だ。その部下を討たれて、なんでおれが......」
「まあ待て、その蔡陽へは、それがしから充分にはなしておく。ともあれ、丞相の命を奉じたまえ」
宥められて、夏侯惇もついに渋々、軍兵を収めて帰った。
三
張遼はあとに残って、関羽へ、
「にわかに道を更えられ、いったいどこへ行くおつもりか」と、解せぬ顔できいた。
関羽は、あからさまに、
「玄徳の君には、袁紹のもとを脱し、もうそこには居給わぬと途中で聞いたもので」
「おう、そうですか。もし彼の君の所在が、どうしても知れなかったら、ふたたび都へ回って、丞相の恩遇をうけられたがいい」
「武人一歩を踏む。なんでまた一歩を回しましょうや。舌をうごかすのさえ、一言金鉄のごとしというではありませんか。──もし御所在の知れぬときは、天下を遍く巡ってもお会いするつもりでござる」
張遼は黙々と都へ帰った。別れる折、関羽は言伝てに、曹操の信義を謝し、また大切な部下を殺めたことを詫びた。
孫乾に守られて、車はもう先へ行っていた。しかし赤兎馬の脚で追いつくことは容易であった。
さきの車も、あとの彼も、冷たい通り雨に会って濡れた。──
で、その晩、泊めてもらった民家の炉で、人々は衣類を火にかざし合った。
ここの主は、郭常という人の良さそうな人物だった。羊を屠って焙り肉にしたり、酒を温めて、一同をなぐさめたりしてくれた。
田舎家ながら後堂もある。
二夫人はそこにやすんだ。
衣服も乾いたので、関羽、孫乾は、屋外へ出て、馬に
秣を飼ったり、
従の歩卒たちにも、酒を
頒けてやったりしていた。
──と。この家の塀の外から、狐のような疑い深い眼をした若者が、しきりに覗いていたが、やがて無遠慮に入って来て、
「なんだい、今夜の厄介者は」と、大声で言い放っていた。
「しっ......。高貴なお客人にたいして、なんたる言いぐさだ。莫迦」
主の郭常はたしなめていたが、あとでその若者のいない折、炉辺を囲みながら、涙をながして、関羽と孫乾に愚痴をこぼした。
「さきほどのがさつ者は、実は、倅でございますが、あのとおり明け暮れ狩猟ばかりして、少しも農耕や学問はいたしません。どうも手におえない困り者で」
「なに、そう見限ったものでもないよ。狩猟も武のひとつ、儒学や家事の手伝いも、いまに励み出そうし」
ふたりが、慰めてやると、
「いえいえ狩猟だけなら、まだようございますが、村のあぶれ者とばくちはするし、酒、女、何でも止めどのない奴ですから。......時には、わが子ながら、あいそが尽きる事も、一度や二度ではございません」
その晩、みな寝しずまってから、一つの事件が起こった。
五、六人の悪党が忍び込んで、厩の赤兎馬を盗み出そうとしたところ、悍気のつよい馬なので、なかの一人が跳ねとばされたらしく、その物音に、みな眼をさまして大騒ぎとなったのだった。
しかも、孫乾や、車の

従たちが包囲して
捕まえてみると、その中のひとりは
宵にちらと見たこの家の
のら息子だった。
数珠つなぎに縛りあげて、
「斬ってしまえ」
と、孫乾が息まいているとき、主の郭常は、関羽のところに慟哭しながら転げこんで来た。
「お慈悲です。あんな出来損ないではございますが、てまえの老妻には、あれがいなくては、生きがいもないくらい、可愛がっている奴でございます。どうぞお慈悲をもって、あれの一命だけは」
と、十ぺんも莚へ額をすりつけて詫びた。
関羽の一言で、泥棒たちは、放された。
郭常夫婦はわが子の恩人と、あくる朝も、首をならべて百拝した。
「こんな良い親をもちながら、もったいないことを知らぬ息子だ。これへ呼んでくるがいい、置き土産にそれがしが訓戒を加えてやろう」
関羽のことばに、老夫婦は欣んで連れに行ったが、のら息子は、家の中にいなかった。召使いのことばによると、早暁また悪友五、六人と組んでどこへともなく、出かけてしまったということであった。
四
翌日の道は、山岳にはいった。
ひとつの峠へ来た時である。百人ばかりの手下をつれた山賊の大将が、馬上から、
「おれは黄巾の残党、大方裴元紹というものだ。この山中を無事に越えたいと思うなら、その赤兎馬をくれてゆけ」
と、道のまん中を塞いで名乗った。おかしさに、関羽は自分の髯を左の手ににぎって見せ、
「これを知らぬか」と、ただ言った。
すると、裴元紹は、はっとした容子で、
「髯長く、
面赤く、
眼の切れ
暢びやかな大将こそ、関羽というなりとは、

だけに聞いていたが......もしやその関羽は?」
「そちの眼のまえにいる者だ」
「あっ、さては」
驚いて馬から跳び下りたと思うと、裴元紹は、ふいに後ろの手下の中から、ひとりの若者を引きずり出して、その髻をつかむやいな、大地へ捻じ伏せた。
関羽には、何をするのか、彼の意志がわからなかった。
「羽将軍、この青二才にお見覚えありませんか、麓に住む郭常のせがれで......」
「おお、あののら息子か」
「実は、てまえの山寨へ来て、きょう峠へかかる旅客は天下無双の名馬、赤兎馬というのに跨がっている。金も持っている。女もつれている。そう告げに来て、儲けの分け前を求めました。......こう言っては、賊のくせに、口ぎれいな事をと、お嗤いでしょうが、金銀や女などに、そう目をくれる自分ではありません。しかし天下の名駿と聞いては見のがせない気がしました。羽将軍とは思いもよらなかったために......」
「それで読めた。その息子は、昨夜から此方の馬を狙っていたのだ。だが、力が足らないので、そちの山寨へケシかけに行ったものと見える」
「太え奴」と、裴元紹は、のど首を締めつけて、いきなり短剣でその首を搔き落とそうとした。
「あ。待て、待て、その息子を、殺してはならん」
「なぜですか。せっかく、こいつの首を献じて、お詫びを申そうとするのに」
「放してやってくれい。そののら息子には、老いたる両親がある。またその両親には二夫人以下われわれどもが、一夜の恩をこうむっておれば......」
「ああ、あなた様は、やはり

に聞いていたとおりの羽将軍でした」
そう言うと、裴元紹は、のら息子の襟がみをつかんで、道ばたへ抛り出した、のら息子は、生命からがら、谷底へ逃げこんだ。
関羽は、山賊の将たる彼が、いちいち自分に推服の声をもらしているので、どうして自分を知っているかと問いただした。
裴元紹は、答えて、
「ここから二十里ほど先の臥牛山(河南省・開封附近)に、関西の周倉という人物が棲んでいます。板肋虬髯、左右の手によく千斤をあぐ──という豪傑ですが、この者が、将軍をお慕いしていることは、ひと通りではありません」
「いかなる素姓の人か」
「もと黄巾の
張宝に従っていましたが、いまは山林にかくれて、ただ将軍の威名を慕い、いつかは拝姿の日もあろうにと、常々、その
周倉からてまえもお

を聞かされていたのです」
「山林のなかにも、そんな人物がおるか。そちも周倉に昵懇なれば、邪を抑え、正をふるい、明らかな人道を大歩して生きたらどうだ」
裴元紹は、つつしんで、改心をちかった。そして山中の道案内を勤めて、およそ十数里すすむと、かなたの地上、黒々と坐して拝跪している一団の人間がある。
近づいてみると、中にも一人の大将は、路傍にうずくまって、関羽、孫乾、車のわだちへ、拝礼を施していた。
裴元紹は、馬をとどめて、
「羽将軍、そこにお迎えしておるのが、関西の周倉です。どうかお声をかけてあげて下さい」
と、彼の注意を求めた。
古 城 窟
一
何思ったか、関羽は馬を下り、つかつかと周倉のそばへ寄った。
「御辺が周倉といわれるか。何故にそう卑下めさるか。まず地を立ち給え」と、扶け起こした。
周倉は立ったが、なお、自身をふかく恥じるもののように、
「諸州大乱の折、黄巾軍に属して、しばしば戦場でおすがたを見かけた事がありました。賊乱平定ののちも、前科のため、山林にかくれて、ついに盗賊の群れに生き、いまかくのごとき境遇をもって、お目にかかることは、身を恨みとも思い、天にたいしては、天の賜と、有り難く思います。将軍どうかこの馬骨を、お拾いください、お救い下さい」
「拾えとは? 救えとは?」
「将軍に仕えるなら、御馬前の一走卒でも結構です。邪道を脱して、正道に生き回りたいのでござる」
「ああ、御辺は善性の人だ」
「おねがいです。しかるうえは、死すともいといません」
「が、大勢の手下は、どうするか」
「つねに皆、将軍の名を聞いて、てまえ同様お慕いしています。自分が従うてゆけば、ともども、お手に付いてゆきたい希望にござりまする」
「待ちたまえ、御簾中に伺ってみるから」
関羽は静かに車のそばへ寄って、二夫人の意をたずねてみた。
「妾たちは、女子のこと、将軍の胸ひとつで......」と、甘夫人は言ったが、しかしここへ来るまでの間、たとえば東嶺の廖化などでも、山賊を従えては故主のお名にかかわろう──と、かたく断わった例もあるし、世上のきこえがどんなものであろうかと、そのあとで言い足した。
「御もっともでござる」
と、関羽も同意だったので、周倉のまえに戻ってくると、気の毒そうに言い渡した。
「御簾中には、しかじかのおことばでござる。──ここはひとまず、山寨へ帰って、またの時節を待ったがよかろう」
「至極な仰せ。──身は緑林におき、才は匹夫、押して申しかねますなれど、きょうの日は、てまえに取って、実に、千載の一遇といいましょうか、盲亀の浮木というべきか、逸し難い機会です。もはや一日も、悪業の中には生きていられません」
周倉は、哭かんばかりに言った。真情をもって訴えれば、人をうごかせないこともあるまいと、縷々、心の底から吐いて縋った。
「......どうか、どうか、てまえを人間にして下さい。いま将軍を仰ぐこと、井の底から天日を仰ぐにも似ております。この一筋の御縁を切られたら、ふたたび明らかな人道に生き回るときが、あるや否や覚つかなく思われます。......もし大勢の手下どもを引き具してゆくことが、世上に憚られての御意なれば、手下の者は、しばらく裴元紹にあずけ、この身ひとつ、馬の口輪をとらせて、おつれ願いとう存じまする」
関羽は、彼の誠意にうごかされて、ふたたび車の内へ伺った。
「あわれな者、かなえてつかわすがよい」
夫人のゆるしに、関羽もよろこび、周倉はなおの事、欣喜雀躍して、
「ああ、有り難い!」と、天日へさけんだほどだった。
だが、裴元紹は、周倉が行くなら自分にも
従をゆるされたいと、彼につづいて、関羽に訴えた。
周倉は、彼を諭して、
「おぬしが手下を預かってくれなければ、みな散り散りに里へ降りて、どんな悪行をかさねるかもしれない。他日かならず誘うから、しばらく俺のため山に留まっていてくれ」
やむなく裴元紹は手下をまとめて、山寨へひきあげた。
周倉は本望をとげて、山また山の道を、身を粉にして先に立ち、車を推しすすめて行った。
ほどなく、目的の汝南に近い境まで来た。
その日、一行はふと、かなたの嶮しい山の中腹に、一つの古城を見出した。白雲はその望楼や石門をゆるやかに繞っていた。
二
「はて、あの古城には、煙がたちのぼっている。何者が立て籠っているのであろうか」
関羽と孫乾が、小手をかざしている間に、周倉は機転よくどこかへ走って行って、土地の者を引っ張って来た。
その土民は猟夫らしい。人々に問われてこう話した。
「三月ほど前のことでした。名を張飛とかいう恐ろしげな大将が四、五十騎ほどの手下を連れて来て、にわかにあの古城へ攻めかけ、以前からそこを巣にして威を振っていた千余のあぶれ者や賊将をことごとく退治してしまいました。そしていつの間にか壕を深くし、防柵を結び、近郷から兵糧や馬をかりあつめ人数もおいおいと殖やして来て、今では、三千人以上もあれに立て籠っているそうで......何にしても土地の役人や旅の者でも、震い怖れて、あの麓へ近づく者はありません。旦那方も、道はすこし遠廻りになりますが、こっちの峰の南を廻って、汝南へお出でになったほうが御無事でございましょうよ」
さりげない態を装って聞いていたが、関羽は心のうちで飛び立つほど歓んでいた。
土民を追い放すと、すぐ孫乾をかえりみて、
「聞いたか、いまの話を。まぎれもない義弟の張飛だ。徐州没落ののち、各々離散して半年あまり、計らずもここで巡り会おうとは。──孫乾、貴公すぐに、あの古城へ走せ参って、仔細を告げ、張飛に会って、二夫人の御車をむかえに出よと伝えてくれい」と言った。
孫乾も勇み立って、「心得て候う」とばかり直ちに駒をとばして行った。
飛馬は見るまに渓谷へ駈け下りて、またかなたの山裾をめぐり、ほどなく目的の古城の下に近づいた。
その昔、いかなる王侯が居を構えていたものか、規模広大な山城であるが、山嶂の塁壁望楼はすべて風化し、わずかに麓門や一道の石階などが、修理されてあるかに見える。刺を通じると、番卒から部将に、部将から張飛にと、孫乾の来訪が伝えられた。
「孫乾が来るわけはない。偽者だろう」
張飛の大声が中門に聞こえた。孫乾は思わず、
「俺だよ、俺だよ」と、麓門の側でどなった。
「やあ、やはりおぬしか。どうしてやって来た」
彼の元気は相変わらずすばらしい。高い石段の上から手をあげて呼び迎える。やがて通されたのは山腹の一閣で、張飛はここに構えて王者を気取っているようである。
「絶景だな。うまい所を占領したものじゃないか。これで一万の兵馬と三年の糧食があれば一州を手に入れることは易々たるものだ」
孫乾が言うと、張飛は、呵々と笑って、
「住んでからまだ三月にしかならないが、もう三千の兵は集まっている。一州はおろか、十州、二十州も伐り従えて故主玄徳のお行方が知れたら、そっくり献上しようと考えておるところだ。おぬしも俺の片腕になって手伝え」
「いや、劉皇叔のためには、手伝うも手伝わんもない。われ等はみな一体のはずだろう。実は、今日これへ参ったのも、その皇叔の二夫人を護って、汝南へ赴く途中を関羽どののことばに依って拙者が先触れに来た次第である。──すぐ古城を出て二夫人の車を迎えに出られたい」
「なに、関羽が来ているとの?」
「許都を立って、これより汝南の劉辟のもとへ行く御予定だ。そこには、河北の袁紹にしばらく身をよせていた御主君も、先に落ちのびていられるはずだから......」
と、なお細々と、前後のいきさつを物語ると、張飛は何思ったか、にわかに城中の部下へ陣触れを命じ、自身も一丈八尺の蛇矛を携えて、
「孫乾、あとから来いよ」
と、急な疾風雲のように、山窟の門から駆け出して行った。
その様子がどうも、穏やかでないので、置き去りを

った孫乾も、あわてて馬にとび乗った。
三
闊い沢を伝わって、千余の兵馬がこちらへさして登って来る。二夫人の車を
停めていた
従の人々は、
「あれあれ、張飛どのが、さっそく勢を率いて迎えに来る──」
と、喜色をあらわしてどよめき合っていた。
ところが、やがてそこへ駈け上がって来た張飛は、奔馬の上に蛇矛を横たえ、例の虎髯をさかだてて、
「関羽はどこにいるか。関羽、関羽っ」
と、吠えたてて、近寄りも出来ない血相だった。
関羽は、声を聞いて、
「おう、張飛か。関羽はこれにおる。よくぞ無事であったな」
と、何気なく進んで来ると、張飛は、やにわに矛を突ッかけて、落雷が木を裂くように、
「居たかっ、人非人!」と、奮いかかって来た。
関羽は驚いて、猛烈な彼の矛さきを躱しながら、
「何をするっ張飛。人非人とは何事だ」
「人非人でわからなければ、不義者といおう。何の面目あって、のめのめ俺に会いに来たか」
「けしからぬことを。この関羽がいかなる不義を働いたか」
「だまれっ。曹操に仕えて、寿亭侯に封ぜられ、さんざ富貴をむさぼって、義を忘れ果てながら、許都の風向きが悪くなったか、これへ落ちて来てぬけぬけ俺をも欺こうとするのだろう。ひとたびは義兄弟の誓いはしたが、犬畜生にも劣るやつを、兄貴とは立てられない。さあ勝負をしろ、勝負を! 汝を成敗したら俺は生きているが、汝が生きているくらいなら俺はこの世に居たくないんだ。さあ来い関羽!」
「あははは、相変わらず粗暴な男ではある。此方の口からいいわけはせぬ。二夫人の御簾を拝して、とくと、許都の事情をうけたまわるがよい」
「おのれ、笑ったな」
「笑わざるを得ない」
「盗ッ人の小謡というやつ。もう堪忍ならぬ」
りゅうりゅうと矛をしごいて、ふたたび関羽に突きかかる様子に、車上の二夫人は思わず簾を払って、
「張飛、張飛。なんで忠義の人に、さは怒りたつぞ。ひかえよ」と、さけんだ。
張飛は、振り向いただけで、
「いやいや御夫人、驚きたもうな。この不義者を誅罰してから、それがしの古城へお迎えします。こんな二股膏薬に欺されてはいけませんぞ」と、言い放った。
甘夫人は悲しんで、出ない声をふりしぼり、張飛の誤解であることを早口になだめたが、落ち着いて他のことばに耳をかしているような張飛ではない。
「関羽がどう言い飾ろうと、真の忠臣ならば、二君に仕える道理はない」と、肯かないのである。
ところへ、後から来た孫乾は、この態を見て、あれほど自分からも説明したのにと、腹を立てて、
「わからずやの虎髯め、粗暴もいい加減にいたせ。関羽どのが一時、曹操に降ったのは、死にもまさる忍苦と遠謀があってのことだ。汝のごとき短慮無策にはわかるまいが、謹んで矛をうしろに置き羽将軍のことばを落ち着いて聞くがいい」と傍らから呶鳴った。
張飛は、よけい赫怒して、
「さては、汝ら一つになって、われらを生け捕らんものと、曹操の命をおびて来たものだろう。よしその分ならば」と、いきり立つを、関羽はあくまで宥めて、
「おぬしを生け捕るためならば、もっと兵馬を引き具して来ねばなるまい。見よ、それがしの従えている士卒は、二夫人の御車を推す人数しかおらんではないか。何という邪推ぶかさよ。ははは」
と、笑ったが、時も時、後方から一彪の軍馬が、地を捲いてこれへ襲せて来た。さてはとばかり張飛はいよいよ疑って、本格的に身構えをあらためた。
四
身構える張飛のまえをひらと避けて、関羽は赤兎馬の背から振り向いた。
「──あれ見ろ、張飛。いま此方があれへ来る追っ手の大軍を蹴ちらして、おぬしに詐りなき証拠を見せてやるから」
「さては。かなたへ寄せて来たのは曹操の部下だな、貴様と諜しあわせて、この張飛を討ちとらんためだろう」
「まだ疑っているか。その疑いは、眼のまえで晴らしてみせる。しばらくそこで待っておれ」
「よしっ、しからば、見物してやろう。だが、俺の部下が三通の鼓を打つあいだに、追っ手の大将の首をこれへ持って来ないときは、俺はただちに、俺の意志に依って行動するからそう思え」
「よろしい」
関羽はうなずいて、約半町ほど駒をすすめ、見まもる張飛や二夫人の車をうしろに、敵勢を待ちかまえていた。
彪々と煙る馬車のうえに三旒の火焰旗をなびかせて追撃の急速兵はたちまち関羽のまえに迫った。
関羽は、なお不動のすがたを守ったまま、
「来れるは、何者かっ」
と、二度ほども大音をあげただけだった。
すると、鉄甲にきびしく鎧った一名の大将が、真っ先に出て、
「われは是猿臂将軍の蔡陽である。汝、各地の関門をやぶり、よくもわが甥の秦琪まで殺しおったな。汝の首を取って、丞相に献じ、功として、汝の寿亭侯は此方にもらいうける所存で参った。覚悟せよ、流亡の浮浪人」
「笑うべし。豎子っ」
関羽が、言うやいな、うしろの方で、張飛の部下が、高らかに一鼓を打ち鳴らした。
二鼓、三鼓──
三通の鼓声がまだ流れ終わらないうちに、関羽はもうどよめく敵の中から身を脱して、張飛のまえに駈けもどっていた。
そして、
「それ、蔡陽が首!」
と、張飛の足もとへ、首を抛り投げると、ふたたび敵を蹴ちらしに駈けて行った。
張飛は、あとを追いかけて、
「見とどけた。やはり関羽はおれの兄貴。おれも助勢するぞ」
と、蔡陽の軍を、滅茶苦茶に踏みつぶした。
さなきだに、大将を失って浮き足立つ残軍、なんでひと支えもできよう。羽、飛両雄の馬蹄の下に、死骸となる者、逃げ争う者、笑止なばかり脆い潰滅を遂げてしまった。
張飛は、一人の旗持ちを生け捕りにして、引っ吊るして来たが、その者の自白によって、なおさら関羽にたいする疑念は氷解した。
旗持ちの自白によると、蔡陽は甥の秦琪が黄河の岸で討たれたと聞いて、関羽にたいする私憤やるかたなく、たびたび曹操へむかって復讐を願い出たが、曹操はゆるさなかった。──だが、折から汝南の劉辟を討伐に下る軍勢が催されたので、蔡陽にもその命が下った。
蔡陽は命をうけると、即刻、許都を発したが、汝南へは向かわず、途中へ来てから、われは関羽を討つため追撃して来たのだと公言した。
(関羽を生かしておくのは、将来とも丞相のおためにならない。丞相は一時の情で関羽を放してしまったが、やがてすぐ後悔するにきまっている)と、いう独断からであった。
それらの仔細を知ると、張飛は間が悪そうに、関羽の前へ来て、しきりと顔ばかり撫でまわしていた。
「どうも、相済まん。兄貴、悪く思ってくれるな。......ともかく、おれの古城へ来てくれ。落ち着いてゆっくり話そう」
「わかったか、それがしに二心のないことが」
「わかった、わかった。もう言うな」
張飛は大いにてれた顔をして、三千の手下に向かい、二夫人の御車を擁して、谷間を越え渡れと大声で下知しはじめた。
兄弟再会
一
その晩、山上の古城には、有るかぎりの燭が燈され、原始的な音楽が雲の中に聞こえていた。
二夫人を迎えて張飛がなぐさめたのである。
「ここから汝南へは、山ひとこえですし、もう大船に乗った気で、御安心くださるように」
ところが、その翌日。望楼に立っていた物見が、
「弓箭をたずさえた四、五十騎の一隊がまっしぐらに城へ向かって寄せてくる」
と、城中へ急を告げた。張飛は聞いて、
「何奴? 何ほどのことかあらん」
と、自身で南門へ立ち向かった。騎馬の弓箭隊は、ことごとくそこで馬を降りていた。見れば、徐州没落のとき別れたきりの味方、糜竺、糜芳の兄弟が、そのなかに交じっている。
「やあ、糜兄弟ではないか」
「オオやはり張飛だったか」
「どうしてこれへは?」
「されば、徐州このかた皇叔のお行方をたずねていたが、皇叔は河北にかくれ、関羽は曹操に降服せりと、頼りない便りばかり聞いて、いかにせんかと、雁の群れのごとく、こうして一族の者どもと、諸州を渡りあるいていたところ、近ごろこの古城に、虎髯の暴王が兵をあつめしきりと徐州の残党をあつめておると聞き、さては足下にちがいあるまいと、急にこれへやって来たわけだが」
「そいつは、よく来てくれた。関羽はすでに都を脱して、昨夜からこの城中におる」
「えっ、関羽もおるとか」
「皇叔の二夫人もおいで遊ばす」
「それは意外だった」
糜竺兄弟は、さっそく通って、二夫人に謁し、また、関羽に会って、こもごも、久闊の情を叙した。
二夫人は、人々にたいして、許都逗留中の関羽の忠節をつぶさに語った。
張飛は今さら面目なげに、感嘆してやまなかった。
そして羊を屠り山菜を煮て、その夜も酒宴をひらいた。
けれど関羽は、
「ここに家兄皇叔がおいであれば、どんなにこの酒も美味かろう。家兄を思うと、酒も喉を下らない」と、時折嘆息していた。
孫乾が言った。
「もう汝南は近いのですから、明日でも、早速あなたと行って、皇叔にお目にかかりましょう」
関羽としては、何よりそれを望んでいたのである。夜が明けるか明けぬうちに、彼はもう孫乾と連れ立って、汝南へ道を急いでいた。
そして、汝南城へ行って、劉辟に対面したところ、劉辟がいうには、
「いや、その劉玄徳どのなら、四日ほど前までここにおられたが、城中の小勢を見て、この勢力では事を成すに至難だと仰せられ──また各々の消息も、皆目知れないので、ふたたび河北の方へもどって行かれた。まったく一足ちがい──」
しきりと惜しがって劉辟はいうのである。
一歩の差が時によると千里の距てとなる例もままある。関羽は憂いを面にみなぎらし、怏々と汝南を去った。
むなしく古城へ帰って来たが、孫乾はなぐさめて、
「この上は、拙者がもう一度、河北へ行ってみましょう。御心配あるな。かならずお伴れ申しますから」
すると張飛が、河北へなら自分が行こう、と進んで言い出した。けれど関羽は、
「いま、この一つの古城は、われわれ家なき義兄弟にとっては、重要な拠点だから君は断じてここを動いてはいかん」と、ついに孫乾を案内とし、わずかの従者をつれて、関羽は遠く河北まで、玄徳をさがしに立った。
その途中、臥牛山の麓まで来ると、彼は周倉を呼んで、
「いつぞや、ここで別れた裴元紹のところへ、使いに参ってくれい」
と、一言を託した。
二
周倉はひとり関羽に別れて、臥牛山の奥へはいって行った。そこには、さきに機会を待てと止めてある裴元紹が、約五百の手勢と五、六十匹の馬をもってたて籠っている。関羽はその裴元紹にむかって、
「近いうちに自分が皇叔をお迎えして帰りにはここを通るから、その折に、一勢を引き具して、途中でお迎えしたがよかろう」と、伝言してやったのである。
孫乾はそばでそれを聞いていたので、関羽がだれにたいしても、かならず約束をたがえないのに感心していた。
日を経て関羽と孫乾は、やがて冀州の堺まで来た。
明日からの道は、もう袁紹の領土である。孫乾は大事を取って、
「あなたは、この辺で仮の宿をとって、待っていて下さい。拙者はただひとり、冀州に入って、ひそかに皇叔にお会いし、計をめぐらして脱れて来ますから」と、告げて別れた。
関羽はわずかな従者と共に、近くの村へ入ってただの旅人のごとく装い、村のうちでもたたずまいのいい一軒の門をたたいた。
主は、快く泊めてくれた。数日居るうちに、その心根もわかったので、何かのはなしの折、主の問うまま、自分は関羽であると姓氏を打ち明けた。
主は、驚きもしたり、また非常な歓びを示して、
「それはそれは何たる奇縁でしょう。てまえの家の氏も関氏で、わたくしは関定というものです」
と、二人の子息を呼んで、ひきあわせた。
どっちも秀才らしい良い息子だった。兄は関寧といって、儒学に長じ、弟のほうは関平とて、武芸に熱心な若者だった。
二十騎の従者をこの家にかくして、関羽はひたすら孫乾の便りを待っていた。──その孫乾は、冀州へまぎれ入って、やがて首尾よく玄徳の居館をさぐり当て、ようやく近づくことができた。
その後の一部始終から一族の健在を聞いて、玄徳のよろこびは何に譬えんようもなかった。しかし今にして悔ゆることは、この冀州の領内へわざわざ帰ってしまった事である。
「もう一度の脱出を、どうして果たそうか。何せい、わしの行動はいま、袁紹や藩中の者どもから、注目されている折ではあるし......」
玄徳の心は、飛び立つほどだったが、身は鉄鎖に囲まれていた。
「......そうだ、簡雍の智恵をかりてみよう。簡雍は近ごろ、袁紹にも信頼されて、おるらしいから」
と急に使いをやって、呼びよせた。
「えっ、簡雍もここに来ていたのですか」
孫乾は、初耳なので、驚きの目をみはった。
その簡雍も、以前の味方だ。聞けば近ごろ玄徳を慕って、この冀州へ来ていたが、そう見えては袁紹の心証がよくあるまいと察して、わざと玄徳には冷淡にして、努めて袁紹の気に入るよう城中に仕えているということだった。
そういう間がらなので、簡雍はちょっと来てすぐ帰ったが、目的はその短時間に足りていた。
簡雍から授けられた策を胸に秘して、玄徳は次の日、冀州城に上り、袁紹に会ってこう説いた。
「曹操とお家との戦いは、否応なく、ついに長期にわたりそうです、強大両国の実力は伯仲していずれが勝れりともいえません。......けれどここに外交と戦争とを併行して、荊州の劉表を味方に加えるの策に成功したら、もはや曹操とて完敗の地に立つしかありますまい」
「それはそうだとも。......しかし劉表も、ここは容易にうごくまい。龍虎ともに傷つけば、かれは兵を用いずして、漁夫の利を獲る位置にある」
「いや、それが外交です。九郡の大藩荊州を見のがしておくなど愚ではありませんか」
「それは貴公がいわなくても、とくに気づいて、数度の使者をつかわしたが、劉表あえて結ぼうとせんのじゃ。この上の使は、わが国威を落とすのみであろう」
「いえいえ、不肖玄徳が参れば、期してお味方に加えて見せます。なんとなれば、私と彼とは、共に漢室の同宗で、いわば遠縁の親族にあたりますから」
三
袁紹は考えこんだ。大いに意のうごいた容子である。玄徳はかさねて言った。
「それに近ごろまた、関羽も許都を脱出して、諸所を彷徨うておるやに伝えられております。私をして、荊州へお遣わし下さるならかならず関羽にも会い、お味方に伴れもどりましょう」
「なに関羽を」
袁紹は急に面をあらためて、
「彼は、顔良、文醜を討った讐ではないか。わしにその関羽を献じて、首を刎ねよと申すのか」
「いえいえ、そんなわけではありません。顔良、文醜のごときは、たとえば二匹の鹿です。二つの鹿を失っても、一匹の虎をお手に入れれば、償うて余りあるではございませんか」
「あははは、いや今のは、いささか戯れを言うてみたまでのこと。わしも実は深く関羽を愛しておる。真実、其許が荊州に赴いて劉表を説き、併せて関羽を連れて来るなら、何でわしが不同意を言おう。すぐ出発してくれい」
「承知しました。......が、大策は前に洩れると行なえません。私が荊州に行き着くまでは、お味方に極めて御内分になしおかれますように」
玄徳はそう言って、一夜に身支度をととのえ、翌日ひそかに袁紹の書簡をうけ、風のごとく関外へ走り去った。
そのあとで、すぐ簡雍は袁紹の前へ出た。そして袁紹を不安に陥れた。
「彼を荊州へお遣わしになったそうですが、実にとんでもない事をなされました。玄徳はあのように温和な人物ですから、反対に劉表に説き伏せられて、荊州へ付いてしまう惧れがありはしませんか。劉表も遠大な野心を抱いていますし、彼と彼とは、共に宗族で親類も同様ですからな」
「木乃伊取りが木乃伊になっては何もならん。いや後日の大害だ。どうしたらいいだろう」
「てまえが追いかけて呼び返して参りましょう」
「それもあまりにわしの面目にかかわるが」
「では、てまえが随員として、玄徳について行きましょう。断じて、御使命を裏切らぬように」
「そうだ、それが上策。すぐ追ってゆけ」と、関門の割り符を与えてしまった。
簡雍が馬を飛ばして、どこかへ急いで行ったというのを、郭図が耳にしたのは夕方だった。部下に調べさせてみると、その前に玄徳は荊州の旅へ立って行ったという。
「しまった!」
愴惶として、郭図は冀州城にのぼり、袁紹に謁してこう忠言した。
「何たる不覚をなされたのですか。さきに玄徳が汝南から帰って来たのは、汝南はまだ兵力も薄く、自分の事を計るには足らないから見限って来たのです。こんどはそうは行きません。荊州へ行ったら必ず二度と帰っては来ますまい。それがしに追い討ちをおゆるしあれば、長駆追撃して、彼を首とするか、生け捕って来るか、どっちかします。どうか御決断ください」
しかし袁紹はゆるさなかった。玄徳のことばだけでは、まだ惑ったかも知れないが、簡雍が二重の計にかけてあるので、深く信じこんでおり、疑ってみようともしないのである。
郭図は、長嘆したが、黙々退出するしかなかった。
簡雍はすぐ玄徳に追いついていた。うまく行ったな、と相顧みて一笑した。
冀州の堺も無事に脱けた。
孫乾はさきに廻って、ふたりを待ちうけ、道の案内をしてやがて関定の家へ着いた。見れば──
関定の家の門前には、主の関定やら関羽以下の面々が立ち並んで出迎えている。久しやと、相見交わす眼は、彼もこなたも、共にはやいっぱいな涙であった。
四
「おう」
「オー......」
瞬間ふたりの唇から洩れたものは、それでしかない。
関羽も玄徳も、無言は百言にまさる思いだった。
関定は二人の子息とともに、門を開いて玄徳を奥に招じた。住居は侘しい林間の一屋ながら、心からな歓待は、これも善美な贅にまさるものがある。
やや人なき折を見て玄徳と関羽は、はじめて手を取りあって泣いた。関羽は、玄徳の沓に頰を寄せ、玄徳はその手を押しいただいて額につけた。
その小やかな歓宴の座で、玄徳は、関定の子息関平のどこやら見どころある為人を愛でて、
「関羽にはまだ子もないから、次男の関平を養子に乞いうけてはどうか」と、言った。
ふたりある息子のひとりである。関定は願ってもないことと歓んだ。関羽もひそかに関平の才を愛していたし、談はたちどころに纏まった。
「袁紹の討っ手が向かわぬうちに」と、一同は次の朝すぐここを出発した。
急ぎに急いで、旅は日ごとに捗った。やがて雲表に臥牛山の肩が見えだす。次の日にはその麓路へさしかかっていた。
すると、かねて関羽のさしずで、この附近へ手勢をひきいて出迎えに出ているはずの裴元紹の手下が、かなたから猛風に趁われたように逃げ散って来た。
「何故の混乱か」と、関羽は、その中にいた周倉を見つけて質すと、周倉が言うには、
「だれやら為体がわかりませぬ。われわれどもが、今日のお迎えのため、勢揃いして山上から降りてまいると、途中一名の浪人者が、馬をつないで路上に鼾睡しています。先頭の裴元紹が、退けと罵ると、山賊の分際で白昼通るは何奴かと、刎ね起きるやいな裴元紹を斬り伏せてしまったのでござる。──それっと手下の者ども、総がかりとなって、相手の浪人を蔽いつつみましたが、その者の膂力絶倫で、当たれば当たるほど猛気を加え、いかんとも手がつけられません。およそ世の中にあんな武力の持ち主というものは見たこともありません」
関羽は、聞き終わると、
「さらば、その珍しい人物の戟と、この青龍刀とを、久しぶりに交えてみよう」
と、一騎でまっ先に立って、山麓の高所へ馳け上って行った。
玄徳も鞭をあててすぐその後につづいた。すると、かなたの岩角に、鷲のごとく、駒を立てていた浪人者は、玄徳のすがたを見ると、たちまち鞍から降りて、関羽が来てみた時は、もう地上に平伏していた。
「やあ、趙雲ではないか」
玄徳も関羽も、ひとつ口のように叫んだ。浪人者は面をあげて、
「これは計らざる所で、・・・・・・」とばかり、しばしはただなつかしげに見まもっていた。
これなん真定常山の趙雲、字は子龍その人であった。
趙子龍はずっと以前、公孫瓚の一方の大将として、玄徳とも親交があった。かつては玄徳の陣にいたこともあるが、北平の急変に公孫瓚をたすけ、奮戦百計よく袁紹軍を苦しめたものである。が、力ついに及ばず、公孫瓚は城とともに亡び、以来、浪々の身によく節義をまもり、幾度か袁紹にも招かれたが袁紹には仕えず、諸州の侯伯から礼をもって迎えられても禄や利に仕えず、飄零風泊、各地を遍歴しているうち、汝南州境の古城に張飛がたて籠っていると聞いてにわかにそこを訪ねてみようものと、ここまで来た途中である。──と語った。
玄徳はここで君に会うとは、天の賜であると感激して、さらに言った。
「君を初めて見た時から、ひそかに自分は、君に嘱す思いを抱いていた。将来いつかは、刎頸を契らんと──」
すると、趙子龍も言った。
「拙者も思っていました。あなたのような方を主と仰ぎ持つならば、この肝脳を地にまみれさせても惜しくはないと──」
五
関羽にあい、また、ゆくりなくも趙子龍に出会って、玄徳の左右には、兵馬の数こそ乏しいが、はやくも将星の光彩が未来を耀かしていた。
やがて、古城は近づいた。
待ちかねていた望楼の眸は、はやそれと遠くから発見して、
「羽将軍が劉皇叔をお迎えして参られましたぞ」と、大声で下へ告げた。
喨々たる奏楽がわきあがった。奥の閣からは二夫人が楚々たる蓮歩を運んで出迎える。服装こそ雑多なれ、ここの山兵もきょうはみな綺羅びやかだった。大将張飛も最大な敬意と静粛をもって、出迎えの兵を閲し、黄旗青旗金繡旗日月旗など、万朶の花の一時にひらくがごとく翩翻と山風になびかせた。
玄徳以下、列のあいだを、粛々と城内へとおった。
「あの君が、これからの総帥となるのか。あの人が、関羽というのか」
通過のあいだに、ちらと見ただけで、兵卒たちの心理は、その一瞬から変わった。もう古城の山兵でも烏合の衆でもなかった。
楽器の音は、山岳を驚かせた。空をゆく鴻は地に降り、谷々の岩燕は、瑞雲のように、天に舞った。
まず何よりも、二夫人との対面の儀が行なわれた。関羽は、堂下に泣いていた。
夜は、牛馬を宰して、聚議の大歓宴が設けられた。
「人生の快、ここに尽くる」
関羽、張飛がいうと、
「何でこれに尽きよう。これからである」と、玄徳は言った。
趙雲、孫乾、簡雍、周倉、関平などみな杯を交歓して、
「これからだっ! これからだっ!」と、どよめき合った。
使者をうけて、汝南の劉辟と龔都もやがて馳けつけ、賀をのべてさて言った。
「この狭隘な地では、守るによくとも、大志は展べられません。かねてのお約束、汝南を献じます。汝南を基地として、次の大策におかかりください」
古城には、一手の勢をのこして、玄徳は即日、汝南へ移った。徐州没落このかた、実に何年ぶりだろうか。こうして君臣一城に住み得る日を迎え取ったのは。
顧みれば──
それはすべて忍苦の賜だった。また、分散してもふたたび結ばんとする結束の力だった。その結束と忍苦の二つをよく成さしめたものは、玄徳を中心とする信義、それであった。
さて、日の経つほどに。
ようやく、焦躁と不安に駆られていたのは袁紹である。
「荊州からなんの消息も来るわけはありません。玄徳は関羽、張飛、趙雲などを集めて、汝南にたて籠っておる由です」
そう聞いたときの彼の憤激はいうまでもない。
河北の大軍を一度にさし向けようとすら怒ったほどである。
郭図が、うまい事を言った。
「愚です。玄徳の変は、いわばお体にできた癬疥の皮膚病です。捨ておいても、今が今というほど、生命取りにはなりません。何といっても、心腹の大患は、曹操の勢威です。これを延引しておいては、御当家の強大もついには命脈にかかわりましょう」
「そうか。......ううム、しかしその曹操もまた急には除けまい。すでに戦いつつあるが、戦いは膠着の状態にある」
「荊州の劉表を味方にしても、大局は決しますまい。何となれば、彼には大国大兵はあっても、雄図がありません。ただ国境の守りに怯々たる事勿れ主義の男です。──あんな者に労を費やすよりは、むしろ南方の呉国孫策の勢力こそ用うべきでありましょう。呉は、大江の水利を擁し、地は六郡に、威は三江に奮い、文化たかく産業は充実し、精兵数十万はいつでも動かせるものと観られます。いま国交を求むるとせば、新興の国、呉を措いてはありません」と、熱心に説いた。
袁紹の重臣陳震が、書を載せて、呉へ下ったのはそれから半月ほど後のことだった。
于吉仙人
一
呉の国家は、ここ数年のあいだに実に目ざましい躍進をとげていた。
浙江一帯の沿海を持つばかりでなく、揚子江の流域と河口を扼し、気温は高く天産は豊饒で、いわゆる南方系の文化と北方系の文化との飽和に依って、宛然たる呉国色をここに劃し、人の気風は軽敏で利に明るく、また進取的であった。
彗星的な風雲児、江東の小覇王孫策は、当年まだ二十七歳でしかないが、建安四年の冬には、盧江を攻略し、また黄祖、劉勲などを平らげて、恭順を誓わせ、予章の太守もまた彼の下風について降を乞うて来るなど──隆々たる勢いであった。
彼の臣、張紘は、いくたびか都へ上り、舟航して、呉と往来していた。
孫策の「漢帝に奉るの表」を捧げて行ったり、また朝廷への貢ぎ物を持って行ったのである。
孫策の眼にも漢朝はあったけれど、その朝門にある曹操は眼中になかった。
孫策はひそかに大司馬の官位をのぞんでいたのである。けれど、容易にそれを許さないものは、朝廷でなくて、曹操だった。
はなはだおもしろくない。
だが、並び立たざる両雄も、あいての実力は知っていた。
「彼と争うは利でない」
曹操は、獅子の児と嚙みあう気はなかった。
しかし獅子の児に、乳を与え、冠を授けるようなことも、極力回避していた。
ただ手なずけるを上策と考えていた。──で、一族曹仁の娘を、孫策の弟にあたる孫匡へ嫁入らせ、姻戚政策を取ってみたが、この程度のものは、ほんの一時的な偽装平和を彩ったまでにすぎない。日がたつと、いつとはなく、両国のあいだには険悪な気流がみなぎってくる。乳を与えなくても、獅子の児は牙を備えて来た。
呉郡の太守に、許貢という者がある。その家臣が、渡江の途中、孫策の江上監視隊に怪しまれて捕らわれ、呉の本城へ送られて来た。
取り調べてみると、果たして、密書をたずさえていた。
しかも、驚くべき大事を、都へ密告しようとしたものだった。
(呉の孫策、度々、奏聞をわずらわし奉り、大司馬の官位をのぞむといえども、御許容なきをうらみ、ついに大逆を兆し、兵船強馬をしきりに準備し、不日都へ攻めのぼらんの意あり、疾くよろしくそれに備え給え)
こういう内容である。
孫策は怒って、直ちに、許貢の居館へ詰問の兵をさし向けた。そして許貢をはじめ妻子眷族をことごとく誅殺してしまった。
阿鼻叫喚のなかから、あやうくも逃げのがれた三人の食客があった。当時、どこの武人の家でも、有為な浪人はこれをやしきにおいて養っておく風があった。その食客三人は、日ごろふかく、許貢の恩を感じていたので、
「何とかして、恩人の讐をとらねばならぬ」
と、ともに血を啜りあい、山野にかくれて、機を窺っていた。
孫策はよく狩猟にゆく。
淮南の袁術に身を寄せていた少年時代から、狩猟は彼の好きなものの一つだった。
その日も──
彼は、大勢の臣をつれて、丹徒という部落の西から深山にはいって、鹿、猪などを、趁っていた。
するとここに、
「今だぞ、復讐は」
「加護あれ。神仏」
と、かねて彼を狙っていた例の食客浪人は、箭に毒を塗り、槍の穂を石で研いて、孫策の通りそうな藪陰にかくれ、一心天を念じていたのであった。
二
孫策の馬は、稀世の名馬で「五花馬」という名があった。多くの家臣をすてて、あちらこちら、平地を飛ぶように馳駆していた。
彼の弓は、一頭の鹿を見事に射とめた。
「射たぞ、だれか、獲物を拾え」
振り向いた時である。孫策の顔へ、ひゅっと、一本の箭が立った。
「あっ」
顔を抑えると、藪の陰から躍り出した浪人三名が、「恩人許貢の仇、思い知ったか」と、槍をつけて来た。
孫策は、弓をあげて、一名の浪人者を打った。しかし、また一方から突いて来た槍に太股をふかく突かれた。五花馬の背から転げ落ちながらも、孫策はあいての槍を奪っていた。その槍で自分を突いた相手を即座に殺したが、同時に、
「うぬっ」と、うしろから、二名の浪人もまた所きらわず、彼の五体を突いていた。
うう──むッと、大きなうめきを発して、孫策が仆れたとき、残る二名の浪人もまた、急を見て馳けつけて来た呉将程普のために、ずたずたに斬り殺されていた。その附近は、おびただしい血しおで足の踏み場もないほどだった。
何にしても、国中の大変とはなった。応急の手当てを施して、すぐ孫策の身は、呉会の本城へ運び、ふかく外部へ秘した。
「
華陀を呼べ。華陀が来ればこんな
瘡は

る」
うわ言のように、当人はいいつづけていた。さすがに気丈であった。それにまだ肉体が若い。
いわれるまでもなく、名医華陀のところへは、早馬がとんでいた。すぐ呉会の城へのぼった。けれど華陀は眉をひそめた。
「いかんせん、鏃にも槍にも、毒が塗ってあったようです。毒が骨髄に沁みとおっていなければよろしいが......?」
三日ばかりは、昏々とただ呻いている孫策であった。
けれども二十日も経つと、さすがに名医華陀の手をつくした医療の効はあらわれて来た。孫策は時折、うすら笑みすら枕頭の人々に見せた。
「都に在任していた蔣林が帰りましたが、お会いなされますか」
すっかり容体が快いので、侍臣がいうと、孫策はぜひ会って、都の情勢を聞きたいという。
蔣林は病牀の下に拝跪して、何くれとなく報告した。
すると孫策が、
「曹操は近ごろおれの事をどう言っているか」と、訊ねた。蔣林は、
「
獅子の
児と
喧嘩はできぬと言っているそうです」と、

のまま話した。
「そうか。あははは」
めずらしく、孫策は声をだして笑った。非常な
御機
だと思ったので、蔣林は
訊かれもしないのに、なお
喋舌っていた。
「──しかし、百万の強兵があろうと、彼はまだ若い。若年の成功は得て思い上がり易く、図に乗ってかならず蹉跌する。いまに何か内争を招き、名もない匹夫の手にかかって非業な終わりを遂げるやも知れん。......などと曹操は、そんな事も言っていたと、朝廷の者から聞きましたが」
見る見るうちに孫策の血色は濁って来た。身を起こして北方をはったと睨み、やおら病牀を降りかけた。人々が驚いて止めると、
「曹操何ものぞ。瘡の

えるのを待ってはいられない。すぐわしの
戦袍や
盔をこれへ持て、陣触れをせいっ」
すると張昭が来て、
「何たることです。それしきの

に激情をうごかして、千金の御身を軽んじ給うなどということがありますか」と、
叱るがごとく
宥めた。
ところへ、遠く河北の地から、袁紹の書を持って、陳震が使いに来た。
三
ほかならぬ袁紹の使と聞いて、孫策は病中の身を押して対面した。
使者の陳震は、袁紹の書を呈してからさらに口上をもって、
「いま曹操の実力と拮抗し得る国はわが河北か貴国の呉しかありません。その両家がまた相結んで南北から呼応し、彼の腹背を攻めれば、曹操がいかに中原に覇を負うとも、破るるは必定でありましょう」と、軍事同盟の緊要を力説し、天下を二分して、長く両家の繁栄と泰平を計るべき絶好な時機は今であると言った。
孫策は大いに歓んだ。彼も打倒曹操の念に燃えていたところである。
これこそ天の引き会わせであろうと、城楼に大宴をひらいて陳震を上座に迎え、呉の諸大将も参列して、旺なもてなし振りを示していた。
すると、宴も半ばのうちに、諸将は急に席を立って、ざわざわとみな楼台から降りて行った。孫策はあやしんで、何故にみな楼を降りてゆくかと左右に訊ねると、近侍の一名が、
「于吉仙人が来給うたので、その御姿を拝さんと、いずれも争って街頭へ出て行かれたのでしょう」
と、答えた。
孫策は眉毛をピリとうごかした。歩を移して楼台の欄干に倚り城内の街を見下ろしていた。
街上は人で埋まっていた。見ればそこの辻を曲がっていま真っすぐに来る一道人がある。髪も髯も真っ白なのに、面は桃花のごとく、飛雲鶴翔の衣をまとい、手には藜の杖をもって、飄々と歩むところ自ら微風が流れる。
「于吉さまじゃ」
「道士様のお通りじゃ」
道をひらいて、人々は伏し拝んだ。香を焚いて、土下座する群衆の中には、百姓町人の男女老幼ばかりでなく、今あわてて宴を立って行った大将のすがたも交じっていた。
「なんだ、あのうす汚い老爺は!」
孫策は不快ないろを満面にみなぎらして、人をまどわす妖邪の道士、すぐ搦め捕って来いと、はなはだしい怒りようで、武士たちに下知した。
ところが、その武士たちまで、口を揃えて彼を諫めた。
「かの道士は、東国に住んでいますが、時々、この地方に参っては、城外の道院にこもり、夜は暁にいたるまで
端坐してうごかず、昼は香を焚いて、道を講じ、
符水を施して、諸人の万病を救い、その
霊験によって

らない者はありません。そのため、道士にたいする信仰はたいへんなもので、生ける神仙とみな
崇めていますから、めったに召し捕ったりしたら、諸民は
号泣して国主をお
怨みしないとも限りませぬ」
「ばかを申せっ。貴様たちまで、あんな乞食老爺にたばかられているのかっ。否やを申すと、汝らから獄へ下すぞ」
孫策の大喝に会って、彼らはやむなく、道士を縛って、楼台へ引っ立てて来た。
「狂夫っ、なぜ、わが良民を、邪道にまどわすかっ」
孫策が、叱って言うと、于吉は水のごとく冷ややかに、
「わしの得たる神書と、わしの修めたる行徳をもって、世人に幸福を頒かち施すのが、なぜ悪いか、いけないのか、国主はよろしく、わしにたいして礼をこそ言うべきであろう」
「だまれっ。この孫策をも愚夫あつかいにするか。だれぞ、この老爺の首を刎ねて、諸民の妖夢を醒ましてやれ」
だが、だれあって、進んで彼の首に剣を加えようとする者はなかった。
張昭は、孫策をいさめて、何十年来、なに一つ過ちをしていないこの道士を斬れば、かならず民望を失うであろうと言ったが、
「なんの、こんな老いぼれ一匹、犬を斬るも同じことだ。いずれ孫策が成敗する。きょうは首枷をかけて獄に下しておけ」と、ゆるす気色もなかった。
四
孫策の母は、愁い顔をもって、嫁の呉夫人を訪れていた。
「そなたも聞いたでしょう。策が于道士を捕らえて獄に下したということを」
「ええ、ゆうべ知りました」
「良人に非行あれば、諫めるのも妻のつとめ。そなたも共に意見してたもれ。この母も言おうが、妻のそなたからも口添えして下され」
呉夫人も悲しみに沈んでいたところである。母堂を始め、夫人に仕える女官、侍女など、ほとんど皆、于吉仙人の信者だった。
呉夫人はさっそく良人の孫策を迎えに行った。孫策はすぐ来たが、母の顔を見ると、すぐ用向きを察して先手を打って言った。
「きょうは妖人を獄からひき出して、断乎、斬罪に処するつもりです。まさか母上までが、あの妖道士に惑わされておいでになりはしますまいね」
「策、そなたは、ほんとに道士を斬るつもりですか」
「妖人の横行は国のみだれです。妖言妖祭、民を腐らす毒です」
「道士は国の福神です、病を

すこと神のごとく、人の
禍を予言して誤ったことはありません」
「母上もまた彼の詐術にかかりましたか、いよいよもって許せません」
彼の妻も、母とともに、口を極めて、于吉仙人の命乞いをしたが、果ては、
「女童の知るところでない」と、孫策は袖を払って、後閣から立ち去ってしまった。
一匹の
毒蛾は、数千の卵を生みちらす。数千の卵は、また数十万の蛾と化して、民家の灯、王城の
燭、後閣の
鏡裡、ところ、

わず妖舞して、限りもなく害をなそう。孫策はそう信じて、母のことばも妻のいさめも耳に入れなかった。
「典獄。于吉を曳き出せ」
主君の命令に、典獄頭は、顔色を変えたが、やがて獄中から曳き出した道士を見ると、首枷が懸けてない。
「だれが首枷を外したか」
孫策の詰問に典獄はふるえ上がった。彼もまた信者だったのである。いや、典獄ばかりでなく、牢役人の大半も実は道士に帰依しているので、いたくその崇りを恐れ、繩尻を持つのも厭う風であった。
「国の刑罰を執り行なう役人たるものが、邪宗を奉じて司法の任にためらうなど言語道断だ」
孫策は怒って剣を払い、たちどころに典獄の首を刎ねてしまった。また于吉仙人を信ずるもの数十名の刑吏を武士に命じてことごとく斬刑に処した。
ところへ張昭以下、数十人の重臣大将が、連名の嘆願書をたずさえて、一同、于吉仙人の命乞いに来た。孫策は、典獄の首を刎ねて、まだ鞘にも納めない剣をさげたまま嘲笑って、
「貴様たちは、史書を読んで、史を生かすことを知らんな。むかし南陽の張津は、交州の太守となりながら、漢朝の法度を用いず、聖訓をみな捨ててしまった。そして、常に赤き頭巾を着、琴を弾じ、香を焚き、邪道の書を読んで、軍に出れば不思議の妙術をあらわすなどと、一時は人に稀代な道士などといわれたものだが、たちまち南方の夷族に敗られて幻妙の術もなく殺されてしまったではないか。要するに、于吉もこの類だ、まだ害毒の国全体に及ばぬうちに殺さねばならん。──汝等、無益な紙筆を費やすな」
頑として、孫策はきかない。すると、呂範がこうすすめた。
「こうなされてはいかがです。彼が真の神仙か、妖邪の徒か、試みに雨を祈らせてごらんなさい。幸いにいま百姓たちは、長い旱に困りぬいて、田も畑も亀裂している折ですから、于吉に雨乞いの禱りを修させ、もし験しあれば助け、効のないときは、群民の中で首を刎ね、よろしく見せしめをお示しになる。その上の御処分なら、万民もみな得心するでしょう」
五
「よかろう」
孫策は快然と笑って即座に吏に命じた。
「さっそく、市中に雨乞いの祭壇をつくれ、きゃつが化けの皮を脱ぐのを見てやろう」
市街の広場に壇が築かれた。四方に柱を立て彩筆をめぐらし、牛馬を屠って雨龍や天神を祭り、于吉は沐浴して壇に坐った。
麻衣を着更えるとき、于吉はそっと、自分を信じている吏にささやいた。
「わしの天命も尽きたらしい。こんどはもういけない」
「なぜですか、霊験をお示しあればいいでしょう」
「平地に三尺の水を呼んで百姓を救うことはできても、自分の命数だけはどうにもならんよ」
檀の下へ、孫策の使いが来て、高らかに言いわたした。
「もし、今日から三日目の午の刻までに、雨が降らないときは、この祭檀とともに、生きながら焼き殺せとの厳命であるぞ。よいか、きっと心得ておけよ」
于吉はもう瞑目していた。
白髪のうえからかんかん日があたる。夜半は冷気肌を刺す。祭壇の大香炉は、縷々として香煙を絶たず、三日目の朝となった。
一滴の雨もふらない。
きょうも満天は焦げて、烈々たる太陽だけがあった。ただ地上には、聞き伝えて集まった数万の群れが、それこそ雲のごとくひしめいていた。
すでに午の刻となった。陽時計を睨んでいた吏は、鐘台へ馳けあがって、時刻の鐘を打った。数万の百姓は、それを聞くと、大声をあげて哭いた。
「見ろ! およそ道士だの神仙だのというやつは、たいがいかくのごときものだ。ただちにあの無能な老爺を焚き殺せ」と、孫策が城楼から下知した。
刑吏は、祭壇の四方に、薪や柴を山と積んだ。たちまち烈風が起こって、于吉のすがたを焰の中につつんだ。
火は風をよび、風はまた砂塵を呼んで、一すじの黒気が濃い墨のように空中へ飛揚して行った。──と見るまに、天の一角にあたって、霹靂が鳴り、電光がはためき、ぽつ、ぽつ、と痛いような大粒の雨かと思ううち、それも一瞬で、やがて盆をくつがえすような大雷雨とはなって来た。
未の刻まで降り通した。市街は河となって濁流に馬も人も石も浮くばかりだった。それ以上降ったら万戸洪水に浸されそうに見えたが、やがて祭壇の上からだれやらの大喝が一声空をつんざいたかと思うと、雨ははたと霽み、ふたたび煌々たる日輪が大空にすがたを見せた。
刑吏が驚いて、半焼けの祭壇のうえを見ると、于吉は仰向けに寝ていた。
「ああ、真に神仙だ」
と、諸大将は駈け寄って、彼を抱き下ろし、われがちに礼拝讃嘆してやまなかった。
孫策は
轎に乗って、城門から出て来た。さだめし
赦免されるであろうとみな思っていたところ彼の
不機
は前にも増して険悪であった。武将も役人もことごとく衣服の濡れるもいとわず于吉のまわりに
拝跪した
ざまが、彼の
眼には見るに耐えなかった。
「大雨を降らすも、炎日のつづくも、すべて自然の現象で、人間業で左右されるものではない。汝ら諸民の上に立つ武将たり市尹たりしながら、なんたる醜状か。妖人に組して、国を紊すも、謀叛してわれに弓をひくも、同罪であるぞ。斬れッ、その老爺を!」
諸臣、黙然と首をたれているばかりで、だれも、于吉を怖れて進み出る者もなかった。
孫策はいよいよ憤って、
「なにを臆すかッ、よしっ、このうえは自ら成敗してくれん。見よわが宝剣の威を」
と、戛然、抜き払った一閃の下に、于吉の首を刎ねてしまった。
日輪は赫々と空にありながら、また沛然と雨が降りだした。怪しんで人々が天を仰ぐと、一朶の黒雲のなかに、于吉の影が寝ているように見えた。
孫策はその夕方ごろから、どうもすこし容子が変であった。眼は赤く血ばしり、発熱気味に見うけられた。
孫権立つ
一
「あっ、何だろう?」
宿直の人々は、吃驚した。真夜半である。燭が白々と、もう四更に近いころ。
寝殿の帳裡ふかく、突然、孫策の声らしく、つづけさまに絶叫が洩れた。すさまじい物音もする。
「何事?」と、典医や武士も馳けつけて行った。──が、孫策は見えなかった。
「オオ、ここだ。ここに仆れておいでになる」
見れば、孫策は、牀を離れて床のうえに俯伏していた。しかも、手には剣の鞘を払って。
その前にある錦の垂帳はズタズタに斬り裂かれていた。
宿直の武士がかかえて牀にうつし、典医が薬を与えると、孫策はくわっと眼をみひらいたが、昼間とは、眸のひかりがまるでちがっていた。
「于吉め! 妖爺めッ。どこへ失せたか」
口走るのである。明らかに、ただならぬ症状であった。
しかし夜が明けると、昏々と眠りに落ち、日が高きころ目をさまして、平常に回って来た。
彼の母とともに夫人も見舞いにきていた。老母は涙をうかべて言った。
「そなたはきのう神仙を殺したそうじゃが、なんでそんなことをしてくれたか。どうぞきょうから祭堂に籠って仙霊に懺悔し、七日のあいだ善事を修行してくだされ」
「ははは──」孫策は哄笑して──「母上、この孫策は、父孫堅にしたがって、十六七歳から戦場に出で、今日まで名だたる敵を斬ることその数も知れません。なんで妖法をなす乞食老爺ひとりを殺したからといって、祭堂に籠って天に詫びることをする要がありましょう」
「いえいえ、于吉は、凡人ではない。神仙です。神霊の祟りをそなたは恐れぬのか」
「恐れません。わたくしは、呉の国主です」
「まあ、いくら諫めても、そなたは強情な......」
「もうおっしゃって下さるな、人には人の天命ありです。いくら妖人が崇ろうと、人命を支配するなどという理はうなずけません」
やむなく老母と夫人は、愛児のため、良人のため、自身が代わって修法の室に籠り、七日のあいだ潔斎して禱りを修めていた。
けれどその効もなく、毎夜、四更のころとなると、孫策の寝殿には怪異なる絶叫がながれた。
于吉のすがたが現われて、彼の寝顔をあざ笑い、彼の牀を繞り、彼が剣を抜いて狂うと、忽然、夜明けの光とともに搔き消えてしまうらしい。
目に見えるほど

せてきた。そして孫策は、昼間も
昏々つかれて眠り落ちている日が多かった。
母は、枕元へ来て、頼むようにまた言った。
「策。どうぞ、おねがいですから玉清観へお詣りに行ってください」
「寺院に用はありません。父の命日でもありますまい」
「わたくしから、玉清観の道主におすがりしたのじゃ。天下の道士を請じて香を焚き、行を営んで、鬼神のお怒りをなだめて戴くように」
「孫策は幼少からまだ、父が鬼神を祭ったのは、見たこともありませんが」
「そんな理窟はもう言わないでおくれ。英魂も怨みをのこしてこの土に執着すれば鬼神になる。まして罪もなく殺された神仙の霊が崇りをなさずにいましょうか」
老母はよよと泣く。夫人も泣きすがって諫める。孫策もそれには負けて、ついに轎の用意を命じ、道士院の玉清観へ赴いた。
「ようこそ」
と、国主の参詣をよろこんで、道主以下、大勢して彼を出迎え、修法の堂へ導いた。
気のすすまない顔をして、孫策は中央の祭壇に向かい、まるで対峙しているように睨みつけていたが道主に促されて、やむなく香炉へ香を焚いた。
「──おのれッ!」
何を見たか、とたんに孫策は、帯びたる短剣を、投げつけた。剣は侍臣のひとりに突き刺さったので、異様な絶叫が、堂に籠った。
二
縷々とのぼる香のけむりの中に于吉のすがたが見えたのである。
投げた剣は侍臣を仆し、その者は、七穴から血をながして即死しているのに、孫策の眼には、なお何か見えてくるらしく、祭壇を蹴とばしたり、道士を投げたりして暴れ狂った。
そのあとはまた、いつものように疲れきって、昏々と眠るがごとく、大息をついていたが、われに回ると急に、
「帰ろう」と、ばかりに玉清観の山門を出て行った。
──と、路傍に沿って、飄々と一緒について来る老人がある。孫策が轎の内からふと見ると、于吉だった。
「老いぼれっ、まだ居るかっ」
叫んだとたんに、彼は、簾を斬り破って轎から落ちていた。
城門を入るときにも、狂い出した。瑠璃瓦の楼門の屋根を指さして、そこに于吉が居る。射止めよ槍を投げよと、まるで陣頭へ出たように、下知してやまないのであった。
暴れ出すと、大勢の武士でも、手がつけられなかった。寝殿は毎夜、不夜城のごとく灯をともし、昼も夜も、侍臣は眠らなかったが一陣の黒風が来ると、呉城全体があやしく揺れ震くばかりだった。
「この城中では眠れない」
ついに孫策もそう言い出した。で──城外に野陣を張り三万の精兵が帷幕をめぐって警備についた。彼の眠る幕舎の外には、屈強な力士や武将が斧鉞をもって、夜も昼も、四方を守っていた。
ところが、于吉のすがたは、眦を裂き、髪をさばいて、それでも毎夜彼の枕頭に立つらしかった。そして彼に会う者はみな、彼の形容が変わって来たのに驚いた。
「......そんなに

せ衰えたろうか」
孫策はある折、ひとり鏡を取り寄せて、自分の容貌をながめていたが、愕然と、鏡を抛って、
「
妖魔め」と、剣を払い、虚空を
斬ること十数遍、ううむ──と一声うめいて
悶絶してしまった。典医が
診ると、せっかく一時

っていた
金瘡がやぶれ、全身の古傷から出血していた。
もう名医華陀の力も及ばなくなった。孫策も、ひそかに、天命をさとったらしく、はなはだしい衰弱のなおつづくうちにもその後はやや狂暴もしずまって、ある日、夫人を招いておとなしく言った。
「だめだ......残念ながらもうだめだ......こんな肉体をもって何でふたたび国政をみることができよう。張昭をよんでくれ。そのほかの者どももみなここへ呼びあつめてくれ。......言い遺したいことがある」
夫人は、慟哭して、涙に沈んでいるばかりだった。典医や侍臣たちは、
「すこし、御容子が......」と、すぐ城中へ報らせた。
張昭以下、譜代の重臣や大将たちが、ぞくぞくと集まった。
孫策は、牀に起き直ろうとしたが、人々が強いてとめた。わりあいに彼の面色は平静であったし、眸も澄んでいた。
「水をくれい」と求めて、唇の渇きを潤してから、静かに彼はいい出した。
「いまわが中国は、大きな変革期にのぞんでいる。後漢の朝はすでに咲いて凋落におののく花にも似ている。黒風濁流は大陸をうずまき、群雄いまなおその土に処を得ず、天下はいよいよ分かれ争うであろう。......ときに、わが呉は三江の要害にめぐまれ、居ながらにして、諸州の動向と成敗を見るに充分である。とはいえ、地の利天産に恃むなかれ。......あくまで国を保つものは人である。汝等、われ亡きあとは、わが弟を扶け、ゆめ怠るな」
そう言って、細い手を、わずかにあげて、
「弟、弟......孫権はいるか」と見まわした。
「はい、はい、孫権はここにおりまする」
群臣のあいだから、あわれにもまだ年若い人の低い声がした。
三
それは弟の孫権だった。
孫権は、泣き腫らした眼を俯せながら、兄孫策の枕頭へ寄って、
「兄上、お気をしっかり持って下さい。いまあなたに逝かれたら、呉の国家は、柱石を失いましょう。そこにいる母君や、多くの臣下を、どうして抱えてゆけましょう」
と、両手で顔をつつんで泣いた。
孫策は、いまにも絶えなんとする呼吸であったが、強いて微笑しながら、枕の上の顔を振った。
「気をしっかり持てと。......それはおまえに言い遺すことだ。孫権、そんなことはないよ。おまえには内治の才がある。しかし江東の兵をひきいて、乾坤一擲を賭けるようなことは、おまえはわしに遠く及ばん。......だからそちは、父や兄が呉の国を建てた当初の艱難をわすれずに、よく賢人を用い有能の士をあげて、領土をまもり、百姓を愛し、堂上にあっては、よく母に孝養せよ」
刻々と、彼の眉には、死の色が兆して来た。病殿の内外は、水を打ったように寂として、極めてかすかな遺言の声も、いちようにうなだれている群臣のうしろの方にまで聞こえてくるほどだった。
「......ああ不孝の子、この兄は、もう天命も尽きた。慈母の孝養をくれぐれ頼むぞ。また諸将も、まだ若い孫権の身、何事も和し、そして扶けてくれるように。孫権もまた、功ある諸大将を軽んじてはならんぞ。内事は何事も、張昭に諮るがよい。外事の難局にあわば周瑜に問え。......ああ周瑜。周瑜がここにいないのは残念だが、彼が巴丘から帰って来たらよう伝えてくれい」
そう言うと、彼は、呉の印綬を解いて、手ずからこれを孫権に譲った。
孫権は、おののく手に、印綬をうけながら、片膝を床について、滂沱......ただ滂沱......涙であった。
「夫人。......夫人......」
孫策は、なお眸をうごかした。泣き仆れていた妻の喬氏は、みだれた雲鬢を良人の顔へ寄せて、よよと、むせび泣いた。
「そなたの妹は、周瑜に娶合わせてある。よくそなたからも妹に言って、周瑜をして、孫権を補佐するよう......よいか、内助をつくせよ。夫婦、人生の中道に別れる、これほどな不幸はないが、またぜひもない」
次に、なお幼少な小妹や弟たちを、みな近く招きよせて、
「これからはみな、孫権を柱とたのみ、慈母をめぐって、兄弟相背くようなことはしてくれるなよ。汝ら、家の名をはずかしめ、義にそむくような事があると、孫策のたましいは、九泉の下にいても、誓ってゆるさぬぞ。......ああ!」
言い終わったかと思うと、忽然、息がたえていた。
孫策、実に二十七歳であった。江東の小覇王が、こんなにはやく夭折しようとは、たれも予測していなかったことである。
印綬を継いで、呉の主となった孫権は、この時、まだわずか十九歳であった。
けれど、孫策が臨終にも言ったように、兄の長所には及ばないが、兄の持たないものを彼は持っていた。それは内治的な手腕、保守的な政治の才能は、むしろ孫権のほうが長じていたのである。
孫権、字は仲謀、生まれつき口が大きく、頤ひろく、碧眼紫髯であったというから、孫家の血には、多分に熱帯地の濃い南方人の血液がはいっていたかもしれない。
彼の下にも、幼弟がたくさんあった。かつて、呉へ使いに来た漢の劉琬は、よく骨相を観るが、その人がこう言ったことがある。
「孫家の兄弟は、いずれも才能はあるが、どれも天禄を完うして終わることができまい。ただ弟の孫仲謀だけは異相である。おそらく孫家を保って寿命長久なのはあの児だろう」
この言は、けだし孫家の将来と三児の運命を、ある程度予言していた。いやすでに孫策にはその言が不幸にも的中していたのである。
四
呉は国中喪に服した。空に哀鳥の声を聞くほか、地に音曲の声はなかった。
葬儀委員長は、孫権の叔父孫静があたって、大葬の式は七日間にわたって執り行なわれた。
孫権は喪にこもって、ふかく兄の死をいたみ、ともすれば哭いてばかりいた。
「そんなことでどうしますか。豺狽の野心をいだく輩が地にみちているこの時に。──どうか前王の御遺言を奉じて、国政につとめ、外には諸軍勢を見、四隣にたいしては、前代に劣らぬ当主あることをお示し下さい」
張昭は、彼を見るたびに、そう言って励ました。
巴丘の周瑜は、その領地から夜を日についで、呉郡へ馳けつけて来た。
孫策の母も、未亡人も、彼のすがたを見ると、涙を新たにして、故人の遺託をこまごま伝えた。
周瑜は、故人の霊壇に向かって拝伏し、
「誓って、御遺言に添い、知己の御恩に報いまする」と、しばし去らなかった。
そのあとで、彼は孫権の室に入って、ただ二人ぎりになっていた。
「何事も、その基は人です。人を得る国は昌になり、人を失う国は亡びましょう。ですからあなたは、高徳才明な人を側らに持つことが第一です」
周瑜のことばを、孫権は素直にうなずいて聞いていた。
「家兄も息をひく時そう言われた。で、内事は張昭に問い、外事は周瑜に諮れと御遺言になった。きっと、それを守ろうと思う」
「張昭はまことに賢人です。師傅の礼を執って、その言を貴ぶべきです。けれど、私は生来の駑鈍、いかんせん故人の寄託は重すぎます。ねがわくは、あなたの輔佐として、私以上の者を一人おすすめ申しあげたい」
「それはだれですか」
「魯粛──字を子敬というものですが」
「まだ聞いたこともないが、そんな有能の士が、世にかくれているものだろうか」
「野に遺賢なしということばがありますが、いつの時代になろうが、かならず人の中には人がいるものです。ただ、これを見出す人のほうが居ません。また、それを用うる組織が悪くて、有能もみな無能にしてしまうことが多い」
「周瑜。その魯粛とやらは一体どこに住んでいるのか」
「臨淮の東城(安徽省・東城)におります。──この人は、胸に六鞱三略を蔵し、生まれながら機謀に富み、しかも平常は実に温厚で、会えば春風に接するようです。幼少に父をうしない、ひとり母に仕えて孝養をつくし、家は富んでいるものですから東城の郊外に住んで、悠々自適しています」
「知らなかった。自分の領下に、そういう人がおろうとは」
「仕官するのを好まないようです。魯粛の友人の劉子揚というのが、巣湖へ行って鄭宝に仕えないかとしきりにすすめている由ですが、どんな待遇にも、寄ろうとしません」
「周瑜、そんな人が、もし他へ行ったら大変だ。御辺が参って、なんとか、召し出して来てくれないか」
「さっきも言ったとおり、いかなる人材でも、それをよく用いなければ、何にもなりません。あなたに真の熱情があるなら、私がかならず説いて連れて来ますが」
「国のため、家のため、なんで賢人を求めて、賢人を無用にしよう、いそいで行って来てくれい、御苦労だが」
「承知しました」
周瑜はひきうけて、次の日、東城へ立った。そして魯粛の田舎を訪ねるときは、わざと供も連れず、ただ一騎で、そこの門前に立った。
ちょうど田舎の豪農というような家構えだった。門の内には長閑に臼を挽く音がしていた。
五
その家の門をくぐれば、その家の主人の嗜みや家風は自らわかるものという。
周瑜は、門の内へはいって、まず主人魯粛の為人をすぐ想像していた。
門を通っても咎める者なく、内は広く、そして平和だった。あくまでこの地方の大百姓といった構えである。どこやらで牛が啼いている。振り向くと村童が二、三人、納屋の横で水牛と寝ころんで嘻々と戯れている。
「御主人はおいでかね」
近づいて、周瑜が問うと、村童たちは、彼の姿をじろじろと見まわしていたが、「いるよ、あっちに」と、木の間の奥を指さした。
見るとなるほど、田舎びた母屋とはかけ離れて一棟の書堂が見える。周瑜は童子たちに、
「ありがとう」と、愛想を言って、そこへ向かう、疎林の小径を歩いて行った。
すると、立派な
風
をした武人が供を連れて、
鷹揚に歩いて来た。魯粛の訪客だなと思ったので、すこし道を
躱していると、客は
周瑜に会釈もせず、威張って通りすぎた。
周瑜は気にもかけなかった。そのまま書堂の前まで来ると、ここには今、柴門をひらいて、客を見送ったばかりの主がちょうどそこに佇んでいた。
「失礼ですが、あなたは当家のお主魯粛どのではありませんか」
周瑜がいんぎんに問うと、魯粛は豊かな眼をそそいで、
「いかにも、てまえは魯粛ですが、してあなたは」
「呉城の当主、孫権のお旨をうけて、突然お邪魔に参ったもの。すなわち巴丘の周瑜ですが」
「えっ、あなたが瑜君ですか」
魯粛は非常におどろいた。巴丘の周瑜といえば知らぬ者はなかったのである。
「ともあれ、どうぞ......」と、書堂に請じて、来意をたずねた。
うわさにたがわぬ魯粛の人品に、内心すっかり感悦していた周瑜は、辞を低うしてこう説いた。
「今日の大事は、もちろん将来にあります。将来を慮かるとき、君たる者はその臣を選ばねばならず、臣たらんとする者も、その君を選ぶことが、実に生涯の大事だろうと存ぜられる。──それがしは夙にあなたの名を慕っていたが、お目にかかる折もなかったところ、御承知のとおり呉の先主孫策のあとを継がれて、まだお若い孫権が当主に立たれた。こう申しては、我田引水とお聞きかも知れぬが、主人孫権は稀に見る英邁篤実のお方で、よく先哲の秘説をさぐり、賢者を尊び、有能の士を求めること、実に切なるものがある」
と、冒頭して、
「どうです、呉に仕えませんか。あなたも一箇の書堂におさまって文人的な閑日に甘んじたり、終生、大百姓でいいとしているわけでもありますまい。世が泰平ならば、あるいはそれも結構ですが、天下の時流はあなたのような有能の士を、こんな田舎におくことは許しません。──巣湖の鄭宝に仕えるくらいなら......あえてそれがしは言いきります。あなたは、呉に仕えるべきであると」
周瑜は力弁した。
魯粛はにこやかに頷いて、
「いまここから帰って行った客と、お会いでしたろう」
「お見かけしました。やはりあなたを引き出しに来た劉子揚でしょう」
「そうです。再三再四、これへ参って鄭宝へ仕官せよと、根気よくすすめてくれるのですが」
「あなたの意はうごきますまい。良禽は樹をえらぶ。──当然です。それがしとともに呉に来てください」
「......?」
「お

ですか」、切り込むと、
「いや、待って下さい」
と、魯粛はふいに立つと、客をそこへのこして、独り母屋の方へ行ってしまった。
六
「失礼しました──」と魯粛はまもなく戻って来て、
「自分には一人の老母がおるものですから、老母の意向もたずねて来たわけです。ところが老母もそれがしの考えと同様に、呉に仕えるがよかろうと、歓んでくれましたから、早速お招きに応じることにしましょう」と、快諾の旨を答えた。
周瑜は雀躍りして、
「これでわが三江の陣営は精彩を一新する」
と、直ちに駒を並べて、呉郡に帰り、魯粛をみちびいて、主君孫権にまみえさせた。
彼を迎えて、孫権がいかに心強く思ったかはいうまでもない。以来、喪室の感傷を一擲して、政務を見、軍事にも熱心に、明け暮れ魯粛の卓見をたたいた。
ある日は、ただ二人酒を飲んで、臥すにも床を一つにしながら夜半また燭を掲げて、国事を談じたりなどしていた。
「御身は漢室の現状をどう思う? また、わが将来の備えは?」
若い孫権の眸はかがやく。
魯粛は答えて言う。
「おそらく漢朝の隆盛はもう過去のものでしょう。かえって寄生木たる曹操の方が次第に老いたる親木を蝕い、幹を太らせ、ついに根を漢土に張って、繁茂して来ること必然でしょう。──それに対して、わが君は静かに時運をながめ、東江の要害を固うして、河北の袁紹と、鼎足の形をなし、おもむろに天下の隙を窺っておられるのが上策です。一朝、時来れば黄祖を平らげ、荊州の劉表を征伐し、一挙に遡江の態勢を拡大して行く。曹操はつねに河北の攻防に暇なく、呉の進出を妨げることはできません」
「漢室が衰えたあと、朝廟はどうなるであろう」
「ふたたび、漢の高祖のごとき人物が現われ、帝主の業が始まりましょう。歴史は繰り返されるものです。この秋に生まれ、地の利と人の和を擁し、呉三江を継がれたわが君は、よくよく御自重なさらねばなりますまい」
孫権はじっと聞いていた。彼の耳朶は紅かった。
その後、数日の暇を乞うて、魯粛が田舎の母に会いに行く時、孫権は、彼の老母へといって、衣服や帷帳を贈った。
魯粛はその恩に感じ、やがて帰府するとき、更にひとりの人物を伴って来て、孫権に推薦した。
この人は、漢人にめずらしい二字姓をもっていたから、だれでもその家門を知っていた。
姓は諸葛、名を瑾という。
孫権に、身の上をたずねられて、その人は語った。
「郷里は、瑯琊の南陽(山東省・沂州)であります。亡父は諸葛珪と申して、泰山の郡丞を勤めていましたが、私が洛陽の大学に留学中亡くなりました。その後北支に戦乱がつづいて、継母の安住も得られぬため、継母をつれて江東に避難いたし、弟や姉は、私と別れて荊州の伯父のところで養われました」
「伯父は、何をしているか」
「荊州の刺吏劉表に仕え重用されていましたが、四、五年前乱に遭って土民に殺され、いまはすでに故人となっています」
「御身の年齢は」
「ことし二十七歳です」
「二十七歳。すると、わが亡兄の孫策と同年だの」
孫権は非常になつかしそうな顔をした。
魯粛はかたわらから、
「諸葛兄は、まだ若いですが、洛陽の大学では秀才の聞こえがあり、詩文経書通ぜざるはありません。ことに自分が感服しているのは継母に仕えること実の母のようで、その家庭を見るも、瑾君の温雅な情操がわかる気がします」と、その為人を語った。
孫権は、彼を呉の上賓として、以来重く用いた。
この諸葛瑾こそ、諸葛孔明の実兄で、弟の孔明より年は七つ上だった。
霹靂車
一
呉を興した英主孫策を失って、呉は一たん喪色の底に沈んだが、そのためかえって、若い孫権を中心に輔佐の人材があつまり、国防内政ともに、著しく強化された。
国策の大方針として、まず河北の袁紹とは絶縁することになった。
これは諸葛瑾の献策で、瑾は長く北支にいたので袁紹の帷幕内輪揉めをよく知っていたからである。
しばらく曹操にしたがうと見せ、時節が来たら曹操を討つ!
それが方針の根柢だった。
そうきまったので、河北から使者に来て長逗留していた陳震はなんら得るところなく、追い返されてしまった。
一方、曹操の方でも。
呉の孫策死す! ──という大きな衝動をうけて、にわかに評議をひらき、曹操はその席で、
「天の与えた好機だ。ただちに大軍を下江させて、呉を伐ち取らん乎」
と提議したが、折ふし都へ来ていた侍御史張紘がそれを諫めて、
「人の喪に乗じて、軍を興すなどとは、丞相にも似あわしからぬことでしょう。古の道にも、聞いた例がありません」と言ったので、曹操もその卑劣をふかく恥じたとみえ、以後、それを口にしないばかりでなく、上使を呉へ送って後継者の孫権に恩命をつたえた。
すなわち孫権を討虜将軍、会稽の太守に封じ、また張紘には、会稽の都尉を与えて帰らせた。
彼が選んだ方針と、呉がきめていた国策とは、その永続性はともかく孫策の死後においては、端なくも一致した。
──だが、おさまらないのは、河北の袁紹であった。
使者は追い返され、呉はすすんで曹操に媚び、曹操はまた、呉の孫権に、叙爵昇官の斡旋をとって、両国提携の実を見せつけたのであるから、孤立河北軍の焦躁や思うべしであった。
「まず、曹操を打倒せよ」
令に依って。
冀州、青州、幷州、幽州、など北支の大軍五十万は官渡(河南省・開封附近)の戦場へ殺到した。
袁紹も、曠のいでたちを着飾って、冀北城からいざ出陣と馬をひかせると、重臣の田豊が、
「かくのごとく、内を虚にして、みだりにお逸りあっては、かならず大禍を招きます。むしろ官渡の兵を退かせ、防備をなさるこそ、最善の策と存じますが」と、極力その不利を説いた。
かたわらに居た逢紀は、日ごろから田豊とは犬猿の間がらなので、この時とばかり、
「出陣にあたって不吉なことを言われる。田豊には、主君の敗北を期しているとみえるな。何を根拠に、大禍に会わんなどと、この際断言されるか」と、ことさら、大仰に咎めだてした。
出陣の日は、わずかな事も吉凶を占って、気にかけるものである。不吉な言をなしたというのは大罪に値する。まして重臣たるものである。
袁紹も怒って、田豊を血祭りにせんと猛ったが、諸人が哀号して、助命を乞うので、
「──首枷をかけて獄中へ抛りこんでおけ。凱旋ののちきっと罪を正すであろう」
と言い払って出陣した。
ところが途中、武陽(河北省・広平附近)まで進むと、また沮授が来て諫言を呈した。
「曹操は速戦即決をねらっています。後の整備や兵糧が乏しいためです。しかるに、その図に乗って急激にこの大軍で当たられるのは心得ません。味方は大軍ですが、その勇猛と意気にかけてはとても彼に及ぶものではないに」
「だまれ。汝もまた、田豊を真似て、みだりに不吉の言を吐くか」
袁紹は、彼の首にも首枷をかけて、獄に抛ってしまった。
かくて、官渡の山野、四方九十里にわたって、河北の軍勢七十余万、陣を布いて曹操に対峙した。
二
この日、馬煙は天を蔽い、両軍の旗鼓は地を埋めた。なにやら燦々と群星の飛ぶような光を、濛々のうちに見るのだった。
午。陽はまさに高し。
折から三通の金鼓が、袁紹の陣地からながれた。
見れば、大将軍袁紹が、門旗をひらいて馬をすすめて来る。
黄金の
盔に
錦袍銀帯を
鎧い、
春蘭と呼ぶ
牝馬の
名駿に
螺鈿の
鞍をおき、さすがに河北第一の名門たる
風
堂々たるものを示しながら、
「曹操に一言申さん」と、陣頭に出た。
西軍の鉄壁陣は、許褚、張遼、徐晃、李典、楽進、于禁などの諸大隊をつらねて、あたかも人馬の長城を形成している。
──その真ん中をぱっと割って、
「曹操これにあり、めずらしや河北の袁紹なるか」と、乗り出して来たもの、いうまでもなく、いま天下の動向この人より起こると視られている曹操である。
曹操はまず言った。
「予、さきに、天子に奏して、汝を冀北大将軍に封じ、よく河北の治安を申しつけあるに、みずから、叛乱の兵をうごかすは、そも、何事か」
彼が敵に与える宣言はいつもこの筆法である。袁紹は当然面を朱に怒った。
「ひかえろ曹操。天子のみことのりを私して、濫りに朝威をかさに振る舞うもの、すなわち廟堂の鼠賊、天下のゆるさざる逆臣である。われ、いやしくも、遠祖累代、漢室第一の直臣たり。天に代わって、汝がごとき逆賊を討たでやあるべき。また是、万民の望む総意である」
宣言の上では、だれが聞いても、袁紹のほうが勝れている。
だから曹操はすぐ、
「問答無用」と、駒を返して、「張遼、出でよ」と、高く鞭を振った。
弩弓、鉄砲など、いちどに鳴りとどろく、飛箭のあいだに、
「見参!」
と、張遼は馳けすすんで来て、袁紹へ迫ろうとしたが、袁紹のうしろから突として、
「罰当たりめ。ひかえろ」
と、叱りながら、河北の勇将張郃がおどり出して、敢然、戟を交えた。
二者、火をちらして激闘すること五十余合、それでも勝負がつかない。
曹操は、遠くにあって、驚きの目をみはりながら、
「そも、あの化け物はなんだ」と、つぶやいた。
差し控えていた許褚は、こらえかねて大薙刀を舞わし、奮然、突進して行った。河北軍からは、それと見て、
「われ高覧なるを知らずや」と、槍をひねって向かって来る。
──その時、将台の上に立って、軍の大勢をながめていた袁紹方の宿将審配は、いま曹軍の陣から、約三千ずつ二手にわかれて、味方の側面から挾撃して来るのを見て、
「それっ、合図を」と、軍配も折れよと振った。
かかる事もあろうかと、かねて隠しておいた弩弓隊や鉄砲隊の埋伏の計が、果然、図にあたったのである。
天地も裂くばかりな轟音となって、矢石鉄丸を雨あられと敵の出足へ浴びせかけた。側面攻撃に出た曹軍の夏侯惇、曹洪の両大将は、急に、軍を転回するいとまもなく、散々に討ちなされて潰乱また潰乱の惨を呈した。
「いまぞ追いくずせ」
袁紹は、勝った。まさにこの日の戦は、河北軍の大捷であり、それにひきかえ、曹操の軍は、官渡の流れを渡って、悲壮なる退陣をするうちに、日ははや暮れていたのであった。
三
元来この官渡の地勢は、河南北方における唯一の要害たる条件を自ら備えていた。
うしろには大山が聳え、その麓をめぐる三十余里の官渡の流れは、自然の濠をなしている。曹操は、その水流一帯に、逆茂木を張りめぐらし、大山の嶮に拠って固く守りを改めていた。
両軍はこの流れをさし挾んで対陣となった。地勢の按配と双方の力の伯仲しているこの軍は、ちょうど我が朝の川中島における武田上杉の対戦に似ていると言ってもよい。
「いかに、河北の軍勢でも、これでは近づき得まい」
と、曹軍はその陣容を誇るかのようだった。
さすがの袁紹も、果たして、
「力攻めは愚だ」と、覚ったらしく、ここ数日は矢一つ放たなかった。
ところが、一夜のうちに、官渡の北岸に、山が出来ていた。そも、袁紹は何を考え出したか、二十万の兵に工具を担わせて、人工の山を築かせたのである。十日も経つと、完全な丘になった。
「これは?」と知った曹操の方では、陣所陣所から手をかざして、なにか評議を凝らしていたが、ついに施す策もなかった。
「......やあ、こんどはあの築山の上に、幾つも高櫓を組み立てているぞ」
「なるほど、仰山なことをやりおる、どうする気だろう?」
その解答は、まもなく袁紹の方から、実行で示して来た。
細長い丘の上に、五十座の櫓を何ヵ所も構築して、それが出来あがると、一櫓に五十張りの弩弓手がたて籠り、いっせいに矢石を撃ち出して来たのである。
これには曹操も閉口して、前線すべて山麓の陰へ退却してしまうしかなかった。
「渡河の用意!」
当然、袁紹の作戦は次の行動を開始していた。夜な夜な河中の逆茂木を伐りのぞき、やがて味方の掩護射撃の下に敵前上陸へかかろうものと機を窺っていた。
曹操も、内心、恐れを覚えて来たらしい。
「官渡の守りも、この流れあればこそだが? ......」
すると幕僚の劉曄が、
「まず敵の築丘や櫓をさきに粉砕してしまわなければ味方はどうにも働くことができません。それには発石車を製して虱つぶしに打ち砕くがよいでしょう」と献策した。
「発石車とは何か」
「それがしの領土に住む、名もない老鍛冶屋が発明したもので、硝薬を用い、大石を筒にこめて、飛爆させるものであります」と、図に描いてみせた。
曹操はよろこんで、直ちに、その無名の老鍛冶屋を奉行にとりたて、鍛冶、木工、石屋、硝石作りなど、数千人の工人を督励して、図のように発石車を数百輛作らせた。
まさに科学戦である──近代兵器のそれとは比較にならないがその精神や戦法は、たしかにそこを目ざして飛躍している。
車砲は口をそろえて烈火を吐いた。大石は虚空にうなり、河をこえて、人工の丘に、無数の土けむりをあげ、また、敵の櫓をみな木端微塵に爆破してしまった。
「何だろう。あの器械は」
敵はもとより、味方のものまで目に見た科学の威力に、ひとしく畏怖した。
「霹靂車だ......。あれは西方の海洋から渡って来た夷蛮の霹靂車という火器だ」
物識りらしく言う者があって、いつかそのまま霹靂車と称び慣わされた。
それはともかく。河北軍はまた新しい一戦法を案出して、曹操を脅かした。
四
掘子軍というものを編成したのである。
これは土龍のように、地の底を掘りぬいて、地下道をすすみ敵前へ攻め出るという戦法である。河北軍が得意とするものとみえて、さきに北平城の公孫瓚を攻め陥した時も、この奇法で城内へ入り込み、放火隊の飛躍となって、首尾よく功を奏した前例がある。
こんどの場合は、城壁とちがい、官渡の流れが両軍のあいだにあるが、水深は浅い。深く掘りすすめば至難ではなかろう。
こう審配が献策したので、
「よかろう」と、袁紹は直ちに実行させたのである。二万余の土龍は、またたくうちに、一すじの地道を対岸のかなたまで掘り延ばして行った。
曹操は早くもそれを察していた。なぜならば、坑の口から外へ出した土の山が、蟻地獄のように、敵陣の諸所に盛られ始めたからである。
「どうしたら防げるか」
彼はまた、劉曄にたずねた。
劉曄は笑って、
「あの策はもう古いです。これを防ぐには、味方の陣地の前に、横へ長い壕を掘り切っておけばいい。──またその壕へ、官渡の水を引きこんでおけば更に妙でしょう」と、言った。
「なるほど」
苦もなく防禦線は出来た。
物見によって、それと知った袁紹は、あわてて掘子軍の作業を中止させた。
こんなふうに、対戦はいたずらに延び、八月、九月も過ぎた。
輸送力に比して、大軍を擁しているため、長期となると、かならず双方とも苦しみ出すのは、兵糧であった。
曹操は、そのため、幾度か官渡をすてて、一度都へ引き揚げようかと考えたほどだったが、ともあれ、荀彧の意見をたずねてみようと、都へ使いを立てたりしていた。
すると、徐晃の部下の史渙という者が、その日、一名の敵を捕虜として来た。
徐晃が、この捕虜を手なずけて、いろいろ問いただしてみると、
「袁紹の陣でも、実は、兵糧の窮乏に困りかけています。けれど、近ごろ、韓猛というものが奉行となって、各地から穀物、糧米なんどおびただしく寄せて来ました。てまえは、その兵糧を前線へ運び入れる道案内のために行く途中を、運悪く足の裏に刃物を踏んで落伍してしまったのです」
と、噓でも無さそうな自白であった。
で──徐晃はさっそく、その趣を、曹操へ報告した。
曹操は、聞くと手を打って、
「その兵糧こそ、天が我が軍へ送ってくれたようなものだ。韓猛という男は、ちょっと強いが、神経の粗い男で、すぐ敵を軽んじるふうのある部将だ。......だれか行って、その兵糧を奪って来るものはないか」
「だれ彼と仰せあるより、それがしが史渙を連れて行って来ましょう」
徐晃は、その役を買って出た。
壮なりとして、曹操はゆるしたけれど、敵地に深く入りこむことなので、徐晃の先手二千人のあとへ、更に、張遼と許褚の二将に五千余騎を授けて立たせた。
その夜。
河北の兵糧奉行たる韓猛は、数千輛の穀車や牛馬に鞭を加えて、山間の道を蜿蜒と進んで来たが、突然、四山の谷間から、鬨の声が起こったので、
「さては?」と、急に防戦のそなえをしたが、足場はわるし道は暗いし、牛馬は暴れ出すし、まだ敵を見ぬうちから大混乱を起こしていた。
徐晃の奇襲隊は、用意の硫黄や焰硝を投げつけ、敵の糧車へ、八方から火をつけた。
火牛は吠え、火馬は躍り、真っ赤な谷底に、人間は戦い合っていた。
五
真夜中に、西北の空が、真っ赤に焦け出したので、袁紹は陣外に立ち、
「何事だろう?」と、疑っていた。
そこへ韓猛の部下が続々逃げ返って来て、
「兵糧を焼かれました」と告げたから袁紹は落胆もしたし、韓猛の敗退を、
「腑がいなき奴」と憤った。
「張郃やある! 高覧も来れ」
彼は、にわかに呼んで、その二将に精兵をさずけ、兵糧隊を奇襲した敵の退路を断って殲滅しろと命じた。
「心得ました。味方の損失は莫大のようですが、同時に、兵糧を焼いた敵のやつらも、一匹も生かして返すことではありません」
二大将は手分けして、大道をひた押しに駈け、見事、敵路を先に取った。
徐晃は使命を果たして、意気揚々と、このところへさしかかって来た。
待ちかまえていた高覧、張郃の二将は、
「賊は小勢だぞ。みなごろしにしてしまえ」
と、無造作に包囲して、馬を深く敵中へ馳け入れ、
「徐晃は汝か」と、彼のすがたを探しあてるやいな、挾み撃ちにおめきかかっていた。
ところが。
背後の部下はたちまち蜘蛛の子みたいに逃げ散った。怪しみながら両将も逃げ出すと、何ぞ計らん敵には堂堂たる後詰めがひかえていたのである。
すなわち一軍は許褚、一軍は張遼、あわせて五千余騎が、いちどに喊声をあげて、逃げる兵を虱つぶしに殲滅しているではないか。
高覧は仰天して、
「これは及ばん」と、戦わずして逃げ走り、張郃も、
「むだに命は捨てられん」とばかり、逃げ鞭たたいて逸走してしまった。
徐晃は、後詰めの張遼、許褚と合流して、悠々、官渡の下流をこえて陣地へ帰ったが、曹操が功を称えると、
「いや御過賞です。せっかく御使命を買って出ながら、功は半ばしか成りませんでした」
と言って自ら恥じた。
「なぜ恥じるか」と、曹操が訊くと、
「でも、敵の兵糧を焼いて帰って来ただけでは味方の腹はくちくなりませんから」と、答えた。
「ぜひもない。そこまでは慾が張りすぎよう」
曹操が慰めたので、諸将はみな苦笑したが、まったくこの戦果に依っては、少しも兵糧の窮乏は解決されなかった。
しかし、これを袁紹のほうに比較すると、士気を昂げただけでも、やはり充分に、徐晃の功は大きかったと言っていい。
袁紹は、期待していた兵糧の莫大な量をむなしく焼き払われたので、
「韓猛の首を陣門に曝させい」と、赫怒して命じたが、諸将があわれんで、しきりに命乞いしたため、将官の任を解いて、一兵卒に下してしまった。
この難に遭ってから審配は、
「烏巣(河北省)の守りこそは実に大事です。敵の飢餓して来るほど、そこの危険は増しましょう」
と、大いに袁紹へ注意するところがあった。
烏巣、鄴都の地には、河北軍の生命をつなぐ穀倉がある。言われてみるとなおさら袁紹は心安からぬ気がして来たので、審配をそこへ派遣して、兵糧の点検を命じ、同時に淳于瓊を大将として、およそ二万騎を穀倉守備軍として急派した。
この淳于瓊というのは、生来の大酒家で、躁狂広言の癖がある人物だったから、その下に部将としてついて行った呂威、韓莒子、眭元などは、
「また失態をやり出さねばよいが」と、内心不安を抱いていた。
けれど烏巣そのものの地は天嶮の要害であった。それに安心したか、果たして、淳于瓊は毎日、部下をあつめて飲んでばかりいた。
六
ここに、袁紹の軍のうちに、許攸という一将校がいた。年はもう相当な年配だが、掘子軍の一組頭だったり、平常は中隊長格ぐらいで、戦功もあがらず、不遇なほうであった。
この許攸が、不遇な原因は、ほかにもあった。
彼は曹操と同郷の生まれだから、あまり重用すると、危険だと視られていたのである。
酒を飲んだ時か何かの折に、彼自身の口から、
「おれは、子供のころから、曹操とはよく知っている。いったい、あの男は、郷里にいた時分は、毎日、女を射当てに、狩猟には出る、衣装を誇って、村の酒屋は飲みつぶして歩くといったふうで、まあ、不良少年の大将みたいなものだったのさ。おれもまた、その手下でね、ずいぶん乱暴をしたものだ」
などと、自慢半分に喋舌ったことが崇りとなって、つねに部内から白眼視されていた。
ところが、その許攸が、偶然、一つの功を拾った。
偵察に出て、小隊と共に、遠く歩いているうち、うさん臭い男を一名捕まえたのである。
拷問してみると、計らずも大ものであった。
さきに曹操から都の荀彧へあてて書簡を出していたが、以後、いまもって、荀彧から吉報もなし、兵糧も送られて来ないので、全軍餓死に迫る──の急を報じて、彼の迅速な手配を求めている重要な書簡を襟に縫いこんでいたのである。
「折り入ってお願いがあります。わたくしに騎馬五千の引率をおゆるし下さい」
許攸は、ここぞ日ごろの疑いをはらし、また自分の不遇から脱する機会と、直接、袁紹を拝してそう熱願した。
もちろん証拠の一書も見せ、生擒った密使の口書きもつぶさに示しての上である。
「どうする。五千の兵を汝に持たせたら」
「間道の難所をこえ、敵の中核たる許都の府へ、一気に攻め入ります」
「ばかな。そんな事が易々として成就するものなら、わしを始め上将一同、かく辛労はせん」
「いや、かならず成就してお見せします。なんとなれば、荀彧が急に兵糧を送れないのは、その兵糧の守備として、同時に大部隊をつけなければならないからです。しかし、早晩その運輸は実行しなければ、曹操を始めとして、前線の将士は飢餓に瀕しましょう。──わたくしが思うには、もうその輸送大部隊は、都を出ている気がします。さすれば、洛内の手薄たることや必定でありましょう」
「そちは上将の智を軽んじおるな。さようなことは、だれでも考えるが、一を知って二を知らぬものだ。──もしこの書簡が偽状であったらどうするか」
「断じて、偽筆ではありません。わたくしは曹操の筆蹟は、若い時から見ているので」
彼の熱意は容易に聞き届けられなかったが、さりとて、思い止まる気色もなく、なお懇願をつづけていた。
袁紹は途中で、席を立ってしまった。審配から使いが来たからである。すると、その間に、侍臣がそっと彼に耳打ちした。
「許攸の言はめったにお用いになってはいけません。下将の分際で、嘆願に出るなど、僭越の沙汰です。のみならず、あの男は、冀州にいたころも、常に行ないがよろしくなく、百姓を脅して、年貢の賄賂をせしめたり、金銀を借りては酒色に惑溺したり、鼻つまみに忌まれているような男ですから」
「......ふム、ふム、わかっとる、わかっとる」
袁紹は二度目に出て来ると、穢いものを見るような眼で、許攸を見やって、
「まだ居たのか、退がれ。いつまでおっても同じことじゃ」と、叱りとばした。
許攸は、むっとした面持ちで、外へ出て行った。そしてひとり憤懣のあまり、剣を抜いて、自分の首を自分の手で刎ねようとしたが、
「豎子、われを用いず。いまに後悔するから見ていろ。──そうだ、見せてやろう。おれが自刃する理由は何もない」
急に、思い直すと、彼はこそこそと塹壕のうちにかくれた。そしてその夜、わずか五、六人の手兵とともに、暗にまぎれて、官渡の浅瀬を渡り、一散に敵の陣地へ馳けこんで行った。
溯巻く黄河
一
槍の先に、何やら白い布をくくりつけ、それを振りながらまっしぐらに駈けて来る敵将を見、曹操の兵は、
「待てっ、何者だ」と、たちまち捕らえて、姓名や目的を詰問した。
「わしは、曹丞相の旧友だ。南陽の許攸といえば、きっと覚えておられる。一大事を告げに来たのだからすぐ取り次いでくれい」
その時、曹操は本陣の内で、衣を解きかけて寛ごうとしていたが、取り次ぎの部将からその事を聞いて、
「なに、許攸が?」と、意外な顔して、すぐ通してみろと言った。
ふたりは轅門のそばで会った。少年時代の面影はどっちにもある。おお君か──となつかしげに、曹操が肩をたたくと、許攸は地に伏して拝礼した。
「儀礼はやめ給え。君と予とは、幼年からの友、官爵の高下をもって相見るなど、水くさいじゃないか」
曹操は、手をとって起こした。許攸はいよいよ慚愧して、
「僕は半生を過った。主を見るの明なく、袁紹ごときに身を屈め、忠言もかえって彼の耳に逆らい、今日、追われて故友の陣へ降を乞うなど......なんとも面目ないが、丞相、どうか僕を憐れんで、この馬骨を用いて下さらんか」
「君の性質はもとよりよく知っている。無事に相見ただけでも欣しい心地がするのに、更に、予に力を貸さんとあれば、なんで否む理由があろう。歓んで君の言を聞こう。......まず、袁紹を破る計があるなら予のために告げたまえ」
「実は、自分が袁紹にすすめたのは、今、軽騎の精兵五千をひっさげて、間道の嶮をしのび超え、ふいに許都を襲い、前後から官渡の陣を攻めようということで御座った。──ところが、袁紹は用いてくれないのみか、下将の分際で僭越なりと、それがしを辛く退けてしまった」
曹操は愕いて、
「もし袁紹が、君の策を容れたら、予の陣地は七花八裂となるところだった。ああ危うい哉。──して、君は今、この陣へ来て、逆に彼を破るとしたら、どう計を立てるか」
「その計を立てるまえに、まず伺いたいことがある。いったい丞相の御陣地には今、どれくらいな兵糧の御用意がおありか?」
「半年の支えはあろう」
曹操が、即答すると、許攸は面を苦りきらせて、じっと曹操の眼をなじッた。
「噓をお言いなさい。せっかく自分が、旧情を新たにして、真実を吐こうと思えば、あなたはかえって詐りを言う。──あれを欺こうとする人に真実は言えないじゃありませんか」
「いや、いまのは戯れだ。正直なところを言えば、三月ほどの用意しかあるまい」
許攸はまた笑って、
「むべなる哉。世間の人が、曹操は
奸雄で、悪賢い鬼才であるなどと、よく

にも言うが、なるほど、当たらずと
雖も遠からずだ。あなたはあくまで人を信じられないお方と見える」
と、舌打ちして、嗟嘆すると、ややあわて気味に、曹操は彼の耳へいきなり口を寄せて、小声にささやいた。
「軍の機秘。実は味方に秘しているが、君だからもうほんとの事を言ってしまう。実は、すでに涸渇して、今月を支えるだけの兵糧しかないのだ」
すると許攸は、憤然、彼の口もとから耳を離して、ずばりと刺すように言った。
「子ども
詐しのような噓はもうおよしなさい。丞相の陣にはもはや一粒の兵糧もないはずです。馬を

い草を
嚙むのは、兵糧とは言えませんぞ」
「えっ......どうして君は、そこまで知っているのか」
と、さすがの曹操も顔色を失った。
二
許攸は、懐へ手を入れた。
そして、封のやぶれている書簡を出して、曹操の眼の前へつき出した。
「これは一体、だれの書いたものでしょう」
許攸は鼻の上に皮肉な小皺をよせて言った。それは先に曹操から都の荀彧へ宛てて、兵糧の窮迫を告げ、早速な処置を促した直筆のものであった。
「や。どうして予の書面が、君の手にはいっているのか」
曹操は仰天してもう噓は効かないと覚った容子だった。
許攸は、自分の手で、使いを生け捕ったことなど、つぶさに話して、
「丞相の軍は小勢で、敵の大軍に対し、しかも兵糧は尽きて、今日にも迫っている場合でしょう。なぜ敵の好む持久戦にひきずられ、自滅を待っておいでになるか、それがしにわかりません」
と、言った。
曹操はすっかり兜を脱いで、速戦即決に出たいにも名策はないし持久を計るには兵糧がない。いかにせば、ここを打開できるだろうかと、辞を低うして訊ねた。
許攸は初めて、真実をあらわして言った。
「ここを離るること四十里、烏巣の要害がありましょう。烏巣はすなわち袁紹の軍を養う糧米が蓄えある糧倉の所在地です。ここを守る淳于瓊という男は、酒好きで、部下に統一なく、ふいに衝けば必ず崩れる脆弱な備えであります」
「──が、その烏巣へ近づくまでどうして敵地を突破出来よう」
「尋常なことでは通れません。まず屈強なお味方をすべて北国勢に仕立て、柵門を通るたびに袁将軍の直属蔣奇の手の者であるが、兵糧の守備に増派され、烏巣へ行くのだと答えれば──夜陰といえども疑わずに通すにちがいありません」
曹操は彼の言を聞いて、暗夜に光を見たような歓びを現わした。
「そうだ、烏巣を焼き討ちすれば袁紹の軍は、七日と持つまい」
彼は直ちに、準備にかかった。
まず河北軍の偽旗をたくさんに作らせた。将士の軍装も馬飾りも幟もことごとく河北風俗に倣って彩られ、約五千人の模造軍が編成された。
張遼は、心配した。
「丞相、もし許攸が、袁紹のまわし者だったら、この五千は、ひとりも生き還れないでしょうが」
「この五千は、予自身が率いてゆく。なんでわざわざ敵の術中へ墜ちにゆくものか」
「えっ丞相御自身で」
「案じるな。──許攸が味方へとびこんで来たのは、実に、天が曹操に大事を成さしめ給うものだ。もし狐疑逡巡して、この妙機をとり逃がしたりなどしたら、天は曹操の暗愚を見捨てるであろう」
果断即決は、実に曹操の持っている天性の特質中でも、大きな長所の一つだった。彼には兵家の将として絶対に必要な「勘」のするどさがあった。他人には容易に帰結の計りがつかない冒険も、彼の鋭敏な「勘」は一瞬にその目的が成るか成らないか、最終の結果を覚るに早いものであった。
──が、彼にとって、恐いのは行く先の敵地ではなく、留守中の本陣だった。
もちろん許攸はあとに残した。態よく陣中に歓待させておいて、曹洪を留守中の大将にさだめ、賈詡、荀彧を助けに添え、夏侯淵、夏侯惇、曹仁、李典などもあとの守りに残して行った。
そして、彼自身は。
五千の偽装兵をしたがえ、張遼、許褚を先手とし、人は枚をふくみ馬は口を勒し、その日のたそがれごろから粛々と官渡をはなれて、敵地深く入って行った。
時、建安五年十月の中旬だった。
三
袁紹の臣沮授は、主君袁紹に諫言して、かえって彼の怒りを購い、軍の監獄に投じられていたが、その夜、獄中に独坐して星を見ているうちに、
「......ああ。これはただ事でない」と、大きく呟いた。
彼の独り言を怪しんで、典獄がそのわけを問うと、沮授は言った。
「こよいは星の光いとほがらかなのに、いま天文を仰ぎ見るに、太白星をつらぬいて、一道の妖霧が懸かっている。これ兵変のある凶兆である」
そして彼は、典獄を通して、主君の袁紹に会うことをしきりに──しかも、火急に嘆願したので、折から酒をのんでいた袁紹は、何事かと、面前に曳かせて見た。
沮授は、信念をもって、
「こよいから明け方までの間に、かならず敵の奇襲が実行されましょう。察するに、味方の兵糧は烏巣にありますから、智略のある敵ならきっとそこを脅かそうとするに違いありません。すぐさま猛将勇卒を急派して、山間の通路にそなえ、彼の計を反覆して、凶を吉とする応変のお手配こそ必要かと存ぜられます」と進言した。
袁紹は聞くと、苦りきって、
「獄中にある身をもって、まだ猥りに舌をうごかし、士気を惑わそうとするか。賢才を衒う憎むべき囚人め。退がれっ」と、ただ一喝して、退けてしまった。
それのみか、彼の嘆願を取り次いだ典獄は、獄中の者と親しみを交わしたという罪で、その晩、首を斬られてしまったと聞いて、沮授は独り哭いて、獄裡に嘆いていた。
「もう眼にも見えて来た。味方の滅亡は刻々にある。──ああ、この一身も、どこの野末の土となるやら......」
──かかる間に、一方、曹操の率いる模擬河北軍は、いたるところの敵の警備陣を、
「これは九将蔣奇以下の手勢、主君袁紹の命をうけて、にわかに烏巣の守備に増派されて参るものでござる」と呶鳴って、難なく通りぬけてしまった。
烏巣の穀倉守備隊長淳于瓊は、その晩も、土地の村娘など拉して来て、部下と共に酒をのんで深更まで戯れていた。ところが、陣屋の諸所にあたってバリバリと異様な音がするので、あわてて、飛び出してみると、四面一体は、はや火の海と化し、硝煙の光、投げ柴の火光などが火の襷となって入り乱れているあいだを、金鼓、矢うなり、突喊のさけび、たちまち、耳も聾せんばかりだった。
「あっ、夜討ちだっ」
狼狽を極めて、急に防戦してみたが、何もかも、間に合わない。
半数は、降兵となり、一部は逃亡し、踏みとどまった者はすべて火焰の下に死骸となった。
曹操の部下は、熊手をもって淳于瓊をからめ捕った。
副将の眭元は行方知れず、趙叡は逃げそこねて討ち殺された。
曹操は存分に勝って淳于瓊の鼻をそぎ耳を切って、これを馬の上にくくり付け、凱歌をあげながら引き返した。──夜もまだ明けきらぬうちであった。
ときに袁紹は、本陣のうちで、無事を貪って眠っていたが、
「火の手が見えます!」と不寝の番に起こされ、初めて烏巣の方面の赤い空を見た。
そこへ、急報が入った。
袁紹は驚愕して、咄嗟に執るべき処置も知らなかった。
部将張郃は、
「すぐに烏巣の急を救わん」
とあせり立ち、高覧はそれに反対して、
「むしろ、曹操の本陣、官渡の留守を衝いて、彼の帰るところ無からしめん」と主張した。
火の手を見ながらこんなふうに袁紹の帷幕では議論していたのであった。
四
焦眉の急をそこに見ながら、袁紹には果断がなかった。帷幕の争いに対しても明快な直裁を下すことができなかった。
彼とても、決して愚純な人物ではない。ただ旧態の名門に生まれて、伝統的な自負心がつよく、刻々と変わって来る時勢と自己の周囲に応じてよく処することを知らなかった日ごろの科が、ここへ来てついに避け難い結果をあらわし、彼をして、ただ狼狽を感じさせているものと思われる。
「やめい。口論している場合ではない」
たまらなくなって、袁紹はついに呶鳴った。
そして、確たる自信もなく、
「張郃、高覧のふたりは、共に五千騎をひっさげて、官渡の敵陣を衝け。また、烏巣の方面へは、兵一万を率いて、蔣奇が参ればよい。はやく行け、はやく」
と、ただ慌ただしく号令した。
蔣奇は心得てすぐ疾風陣を作った。一万の騎士走卒はすべて馳け足でいそいだ。烏巣の空はなお炎々と赤いが、山間の道はまっ暗だった。
するとかなたから百騎、五十騎とちりぢりに馳けて来た将士が、みな蔣奇の隊に交じりこんでしまった。もっとも出合いがしらに先頭の者が、
「何者だっ?」と充分に糺したことは言うまでもないが、みな口を揃えて、
「淳于瓊の部下ですが、大将淳于瓊は捕らわれ、味方の陣所は、あのように火の海と化したので逃げ退いて来たのです」と言うし、姿を見れば、すべて河北軍の服装なので、怪しみもせず、急援軍のなかに加えてしまったものであった。
ところが、これはみな烏巣から引っ返して来た曹操の将士であったのである。中には、張遼だの許褚のごとき物騒な猛将も交じっていた。馳け足の行軍中、蔣奇の前後にはいつのまにかそういう面々が近づいていたのであった。
「やっ、裏切り者か」
「敵だっ」
突然混乱が起こった。暗さは暗し、敵か味方かわからない間に、すでに蔣奇は何者かに鎗で突き落とされていた。
たちまち四山の木々岩石はことごとく人と化し、金鼓は鳴り刀鎗はさけぶ。曹操の指揮下、蔣奇の兵一万の大半は殲滅された。
「追い土産まで送って来るとは、袁紹も物好きな」
と、大捷を博した曹操は、会心の声をあげて笑っていた。
その間に、彼はまた、袁紹の陣地へ、人をさし向けてこう言わせた。
「蔣奇以下の軍勢はただ今、烏巣についてすでに敵を蹴ちらし候えば、袁将軍にもお心を安んじられますように」
袁紹はすっかり安心した。──が、その安夢は朝とともに、霧のごとく醒めてふたたび惨憺たる現実を迎えたことはいうまでもない。
張郃、高覧も、官渡へ攻めかかって、手痛い敗北を喫していたのである。彼に備えが無かったら知らないこと、あらかじめかかる事もあろうかと、手具脛ひいていた曹仁や夏侯惇の正面へ寄せて行ったので敗れたのは当然だった。
そのあげく、官渡から潰乱して来る途中、運悪くまた曹操の帰るのにぶつかってしまった。ここでは、徹底的に叩かれて、五千の手勢のうち生き還ったものは千にも足らなかったという。
袁紹は茫然自失していた。
そこへ淳于瓊が、耳鼻を削がれて敵から送られて来たので、その怠慢を詰問り、怒りにまかせて即座に首を刎ねてしまった。
五
淳于瓊が斬られたのを見て、袁紹の幕将たちは、みな不安に駆られた。
「いつ、自分の身にも」と、巡る運命におののきを覚えたからである。
中でも、郭図は、
「これはいかん......」と、早くも、保身の智恵をしぼっていた。
なぜならば、ゆうべ官渡の本陣を衝けば必ず勝つと、大いにすすめたのは、自分だったからである。
やがてその張郃、高覧が大敗してここへ帰って来たら、必定、罪を問われるかも知れない。今のうちに──と彼はあわてて、袁紹にこう讒言した。
「張郃、高覧の軍も、今暁、官渡において、惨敗を喫しましたが、ふたりはもとから、味方を売って曹操に降らんという二心が見えていました。さてこそ、昨夜の大敗は、わざとお味方を損じたのかも知れませぬぞ。いかになんでも、ああ脆く小勢の敵に敗れるわけはありません」
袁紹は、真っ蒼になって、
「よしっ、立ち帰って来たら、必ず彼らの罪を正さねばならん」
と、言うのを聞くと、郭図はひそかに、人をやって、張郃、高覧がひき揚げて来る途中、
「しばし、本陣に還るのは、見合わせられい。袁将軍は御成敗の剣を抜いて、貴公たちの首を待っている」と、告げさせた。
二人が、それを聞いているところへ、袁紹からほんとの伝令が来て、
「早々に還り給え」と、主命を伝えた。
高覧は、突然剣を払って、馬上の伝令を斬り落とした。驚いたのは張郃である。
「なんで主君のお使いを斬ったのか。そんな暴を働けば、なおさら君前で言い開きが立たんではないか」と絶望して悲しんだ。
すると高覧は、つよくかぶりを振って、
「われら、豈、死を待つべけんや。──おい、張郃。時代の流れは河北から遠い。旗を回して、曹操に降ろう」と、共に引っ返して、官渡の北方に白旗をかかげ、その日ついに、曹操の軍門に降服してしまった。
諫める者もあったが、曹操は容れるに寛い度量があった。
降将張郃を、偏将軍都亭侯に、高覧を同じく偏将軍東萊侯に封じ、
「なお、将来の大を期し給え」と、励ましたから、両将の感激したことはいうまでもない。
彼の二を減じて、味方に二を加えると、差し引き四の相違が生じるわけだから、曹操軍が強力となった反対に、袁紹軍の弱体化は目に見えて来た。
それに烏巣焼き打ち以後、兵糧難の打開もついて、丞相旗のひるがえるところ、旭日昇天の概があった。
許攸も、その後、曹操に好遇されていた。彼はまた、曹操に告げて、
「ここで息を抜いてはいけません、今です。今ですぞ」と励ました。
昼夜、攻撃また攻撃と、手をゆるめず攻めつづけた。しかし何といっても、河北の陣営はおびただしい大軍である。一朝一夕に崩壊するとは見えなかった。
「──敵の勢力を三分させ、箇々殲滅してゆく策をおとりになってはいかがですか。まずそれを誘導するため、味方の勢を実は少しずつ──黎陽(山西省黎城附近)鄴都(河北省)酸棗(河北省)の三方面へ分け、詐って、袁紹の本陣へ、各所から一挙に働く折を窺うのです」
これは荀彧の献策だった。こんどの戦いで、荀彧が口を出したのは初めてであるから、曹操も重視してその説に耳を傾けた。
六
鄴都、黎陽、酸棗の三方面へ向かって、しきりに曹操の兵がうごいてゆくと聞いて、袁紹は、
「すわ、また何か、彼が奇手を打つな」
と、大将辛明に、五万騎をつけて、黎陽へ向かわせ、三男袁尚にも、五万騎をさずけて、鄴都へ急派し、さらに酸棗へも大兵を分けた。
当然、彼の本陣は、目立って手薄になった。探り知った曹操は、
「思うつぼに」と、ほくそ笑んで、一時三方へ散らした各部隊と聯絡をとり、日と刻を諜し合わせて、袁紹の本陣へ急迫した。
黄河は逆巻き、大山は崩れ、ふたたび天地開闢前の晦冥が来たかと思われた。袁紹は甲を着るいとまもなく、単衣帛髪のまま馬に飛び乗って逃げた。
あとには、ただ一人、嫡子の袁譚が従いて行ったのみである。
それと知って、
「われぞ、手擒に!」
と張遼、許褚、徐晃、于禁などの輩が争って追いかけたが、黄河の支流で見失ってしまった。
一すじや二すじの河流なら見当もつくが、広茫の大野に、沼やら湖やら、またそれを繫ぐ無数の流れやらあって、どっちへ渡って行ったか──水に惑わされてしまったからであった。
なお諸所を捜査中、捕虜とした一将校の自白によると、
「嫡子袁譚のほかに、約八百ほどの旗下の将士が従いて、北方の沼を逃げ渡られた」
と、いう事だった。
そのうちに集結の角笛が聞こえたので、一同むなしく引き揚げた。この日の戦果は予想外に大きかった。敵の遺棄死体は八万と数えられ、袁紹の本陣附近から彼の捨てて行った食料、重大の図書、金銀絹帛の類など続々発見されたし、そのほか分捕りの武器馬匹など莫大な額にのぼった。
また、それらの戦利品中には、袁紹の座側にあった物らしい金革の大きな文櫃などもあった。曹操が開いてみると、幾束にもなった書簡が出て来た。
思いがけない朝廷の官人の名がある。現に曹操のそばにいて忠勤顔している大将の名も見出された。そのほか、日ごろ、袁紹に内通していた者の手紙は、すべて彼の眼に見られてしまった。
「実に呆れたもの、この書簡を証拠に、この際、これらの二心ある醜類をことごとく軍律に照らして断罪に処すべきでしょう」
荀攸がそばから言うと、曹操はにやにや笑って、
「いや待て。──袁紹の勢いが隆々としていたひところには、この曹操でさえ、いかにせんかと、惑ったものだ。いわんや他人をや」
彼は、眼のまえで、革櫃ぐるみ書簡もすべて、焼き捨てさせてしまった。
また、袁紹の臣沮授は、獄につながれていたので、当然、逃げることもどうすることも出来ず、やがて発見されて、曹操の前に曳かれて来た。曹操は見るとすぐ、
「おう、君とは、一面の交わりがある」
と、自身で縄を解いてやったが、沮授は声をあげて、その情けを拒んだ。
「わしが捕らわれたのは、やむを得ず捕らわれたのだ。降参ではないぞ。早く首を斬れ」
しかし曹操は、あくまでその人物を惜しんで陣中におき、篤くもてなしておいた。ところが、沮授は隙を見て、兵の馬を盗み出し、それに乗って逃げ出そうとした。
「......あっ」
沮授が、鞍につかまった刹那、一本の矢が飛んで来て、沮授の背から胸まで射ぬいてしまった。曹操は自分のした事を、
「ああ。われついに、忠義の人を殺せり」
と悲しんで、手ずから遺骸を祭り、黄河のほとりに墳を築いて、それに「忠烈沮君之墓」と碑に刻ませた。
十面埋伏
一
袁紹はわずか八百騎ほどの味方に守られて、辛くも黎陽まで逃げのびて来たが、味方の聯絡はズタズタに断ち切られてしまい、これから西すべきか東すべきか、その方途にさえ迷ってしまった。
黎山の麓に寝た夜の明け方ごろである。
ふと眼をさますと。
老幼男女の悲泣哀号の声が天地にみちて聞こえた。
耳をすましていると、その声は親を討たれた子や、兄を失った弟や、良人を亡くした妻などが、こもごもに、肉親の名を呼びさがす叫びであった。
「逢紀、義渠の二大将が、諸所のお味方をあつめて、ただ今、ここに着きました」
旗下の報らせに、袁紹は、
「さては、あの叫びは、敗残のわが兵を見て、その中に身寄りの者がありやなしやと、案じる者どもの声だったか......」と、思いあわせた。
しかし逢紀、義渠の二将が追いついてくれたので、彼は蘇生の思いをし、冀州の領へ帰って行ったが、その途々にも、人民たちが、
「もし田豊の諫めをお用いになっていたら、こんな惨めは見まいものを」
と、部落を通っても、町を通っても、沿道に人のあるところ、必ず人民の哀号と恨みが聞こえた。
それもそのはずで、こんどの官渡の大戦で、袁紹の冀北軍は七十五万と称せられていたのに、いま逢紀、義渠などが附随しているとはいえ、顧みれば敗残の将士はいくばくもなく、寥々の破旗悲風に鳴り、民の怨嗟と哀号の的になった。
「田豊。......ああそうだった。実に、田豊の諫めを耳に入れなかったのが、わが過ちであった。なんの面目をもって彼に会おうか」
袁紹がしきりと悔い詫びるのを聞いて、田豊と仲のよくない逢紀は、冀北城に近づくと、やがて彼が袁紹に重用されようかと惧れて、こう讒言した。
「城中からお迎えのため着いた人々のはなしを聞くと、獄中の田豊は、お味方の大敗を聞いて、手を打って笑い、それ見たことかと、誇りちらしているそうです」
またしても袁紹は、こんな讒言の舌にうごかされて、内心ふたたび田豊を憎悪し、帰城次第に、斬刑に処してしまおうと心に誓っていた。
冀州城内の獄中に監せられていた田豊は、官渡の大敗を聞いて沈吟、食も摂らなかった。
彼に心服している典獄の奉行が、ひそかに獄窓を訪れてなぐさめた。
「今度という今度こそ、袁大将軍にも、あなたの御忠諫がよくわかったでしょう。御帰国のうえは、きっとあなたに謝して、以後、重用遊ばすでしょう」
すると田豊は顔を振って、
「否とよ君。それは常識の解釈というもの。よく忠臣の言を入れ、奸臣の讒を観やぶるほどな御主君なら、こんな大敗は求めない。おそらく田豊の死は近きにあろう」
「まさか、そんな事は......」と、典獄も言っていたが、果たして、袁紹が帰国すると即日、一使が来て、
「獄人に剣を賜う」と、自刃を迫った。
典獄は、田豊の先見に驚きもし、また深く悲しんで、別れの酒肴を、彼に供えた。
田豊は自若として獄を出、莚に坐って一杯の酒を酌み、
「およそ士たるものが、この天地に生まれて、仕える主を過つことは、それ自体すでに自己の不明というほかはない。この期に至って、なんの女々しい繰り言を吐かんや」
と、剣を受けて、みずから自分の首に加えて伏した。黒血大地を更に晦うし、冀州の空、星は妖しく赤かった。田豊死すとつたえ聞いて、人知れず涙をながした者も多かった。
二
本国に帰ってからの袁紹は、冀州城内の殿閣にふかく籠って、怏憂、煩憂の日を送っていた。
衰退が見えてくると、大国の悩みは深刻である。
外戦の傷手も大きいが、内政の患いはもっと深い。
「あなたがお丈夫なうちに、どうか世嗣を定めてください。それを先に遊ばしておけば、河北の諸州も一体となって、きっと御方針が進めよくなりましょう」
劉夫人はしきりにそれを説いた。──が、実は自分の生んだ子の三男袁尚、河北の世嗣に立てたいのであった。
「わしも疲れた。......心身ともにつかれたよ。近いうちに世嗣を決めよう」
つねに劉夫人からよい事だけを聞かされているので、彼の意中にも、袁尚が第一に考えられていた。
だが、長男の袁譚は、青州にいるし、次男の袁熙は、幽州を守っている。
その二人をさしおいて、三男の袁尚を立てたら、どういうことになるだろうか?
袁紹はそこに迷いを持ったのであった。つねに側において可愛がっている袁尚だけに、悩むまでもない明白な問題なのに、彼は迷い苦しんだ。
重臣たちの意向をさぐると、逢紀、審配のふたりは、袁尚を擁立したがっているし、郭図、辛評の二名は、正統派というか、嫡子袁譚を立てようとしているらしい。
だが、自分から自分の望みを
仄めかしたら、そういう連中も、一致して袁尚を支持してくれるかも知れぬ──と考えたらしく袁紹はある日、四大将を
眉廟の内に招いて、
「時に、わしもはや老齢だし、諸州に男子を分けて、それぞれ適する地方を守らせてあるが、宗家の世嗣としては、もっとも三男袁尚がその質と思うている。──で、近く袁尚を河北の新君主に立てようと考えておるが、そち達はどう思うな?」
と、意見を問いながら暗に自分の望みを打ち明けてみた。
すると、だれよりも先に郭図が口をひらいて、
「これは思いもよらぬおことばです。古から兄をおいて弟を立てて、宗家の安泰を得たためしはありますまい。これを行なえば乱兆たちまち河北の全土に起こって、人民の安からぬ思いをするは火を睹るよりもあきらかです。しかも、今一方には、曹操の熄まざる侵略のあるものを。......どうか、家政を紊し給わず、一意、国防にお心を傾け給わるよう、痛涙、御諫言申しあげまする」
と、面を冒して言った。
沮授や田豊などという忠良の臣を失って、そのことばが時折、悔いの底に思い出されていたところなので、袁紹もこんどは
「さようか......。む、む」
と、気まずい顔いろながらも、反省して、考え直しているふうであった。
すると、それから数日の間に。
幷州にいる甥の高幹が、官渡の大敗と聞いて、軍勢五万をひきいて上って来たところへ、長男の袁譚も、青州から五万余騎をととのえて駈けつけ、次男袁煕もまた前後して、六万の大兵をひっさげ、城外に着いて、野営を布いた。
ために冀州城下の内外は、それらの味方の旗で埋められたので、一時は気を落としていた袁紹も大いに歓んで、
「やはり何かの場合には、気づよいものは子どもらや肉親である。かく、新手の兵馬がわれに備わるからには、長途を疲れて来る曹操のごときは何ものでもない」と、安心をとり戻していた。
一方、曹操の軍勢は、どう動いているかと、諸所の情報をあつめてみると、さすがに急な深入りもせず、大捷を収めたのち、彼はひとまず黄河の線に全軍をあつめ、おもむろに装備を改めながら兵馬に休養をとらせているらしかった。
三
ある日、曹操の陣所へ、土民の老人ばかりが、何十人もかたまって訪ねて来た。髪の真っ白な者、山羊のような鬚を垂れた者、杖をついた者、童顔の翁など、ぞろぞろつながって、
「丞相へお祝いを述べに来ましたのじゃ」と、卒へ言う。
卒の取り次ぎを聞くと、曹操はすぐ出て来た。そして一同に席を与え、
「おまえ達は、幾歳になるか」と、訊ねた。
一人は百四歳と答える。一人は百二歳という。最低の者でも八十、九十歳だった。
「めでたい者達だ」と、曹操は、酒を飲ませたり、帛を与えたりした。
そしてなお、言うには、
「予は老人が好きだ、また老人を尊敬する。なぜなら、多難な人生を、おまえ達の年齢まで生きて来ただけでも大変なものじゃないか。生きて来たというだけでも充分に尊敬に値するが、また、悪業をやって来た者では、そこまで無事でいるわけがない。だから高齢者はすべて善良であり、人中の人である」
老人達はすっかり歓んでしまった。百何歳という中の一翁が、謹んで答えた。
「いまから五十年前──まだ桓帝の御宇のころです。遼東の人で殷馗という予言者が村へ来たとき申しました。近ごろ、乾の空に黄星が見える。あれは五十年の後、この村に稀世の英傑が宿する兆せじゃと。......その後、村は袁紹の治下になって悪政に苦しめられ、いつまでこんな世がつづくのかと思っていましたところ、まさに今年は、殷馗の予言した五十年目にあたりますのじゃ。そこで一同打ち揃って、お歓びに参ったわけでござりまする」
と、携えて来た猪や鶏を献物に捧げ、簞食壺漿して、賑やかに帰った。
曹操は、軍令を出して、
一、農家耕田ヲ荒ラス者ハ斬ル
一、一犬一鶏タリト盗ム者ハ斬ル
一、婦女ニ戯ルル者ハ斬ル
一、酒ニ紊レ火ヲ弄ブ者ハ斬ル
一、老幼ヲ愛護シ仁徳ヲ施スハ賞ス
と、諸軍に法札を掲げさせた。
「善政来!」
「泰平来!」
土民が彼を謳歌したことはいうまでもない。ために彼の軍はその後、兵糧や馬糧にも困らなかったし、しばしば土民から有利な敵の情報を聞くことも出来た。
敵の袁紹は、捲土重来して、四州三十万の兵を催し、ふたたび倉亭(河北省)のあたりまで進出して来たと早くも聞こえた。
曹操も全軍を押し進め、戦書を交わして、堂々と出会った。
開戦第一の日。
袁紹は一人の甥と三人の子をうしろに従え、陣前へ出て曹操へ呼びかけた。
曹操は、颯爽と、鼓声に送られて、姿を示し、
「世に無用なる老夫。なお、曹操の刃を煩わさんとするか」と、罵った。
袁紹は怒って、直ちに、「世に害をなすあの賊子を討てッ」と、左右へ叱咤した。
三男の袁尚が、父の眼に、手柄を見せようものと、声に応じて、曹操へ討ってかかる。
曹操は、その弱冠なのに、眼をみはって、
「あわれ、この青二才は、何者か」
と、うしろへ訊いた。
「袁紹の子三男袁尚です。それがしが承らん」
と、鎗をひねって、躍り出た者がある。徐晃の部下、史渙だった。
彼の鋭い鎗先に追われて、袁尚はたちまち逃げ出した。のがさじと、史渙は追い捲くる。すると袁尚はしり眼に振り向いて、矢ごろを測り、丁と弓弦を切って、一矢を放った。
矢は、史渙の左の目に立った。
どうっと、転び落ちる土煙と共に、袁紹以下、旗下達も、声をあわせて、御曹司袁尚の手柄をどっと賞めたたえた。
四
我が子の武勇を眼のあたり見て、袁紹も大いに意を強めた。
その装備においても、兵数の点でも、依然、河北軍は圧倒的な優位を保持していた。接戦第一日も、二日目も、更にその以後も、河北軍は連戦連捷の勢いだった。
曹操は敗色日増しに加わる味方を見て、
「程昱、何としたものだろう」と傍らの大将に諮った。
程昱は、この時、十面埋伏の計をすすめたと言われている。
曹操の軍は、にわかに退却を開始し、やがて黄河をうしろに、布陣を改めた。
そして部隊を十に分け、各々、緊密な聯絡をもって、迫り来る敵の大軍を待っていた。
袁紹はしきりに物見を放ちながら三十万の大軍を徐々に進ませて来た。
──敵、背水の陣を布く!
と聞いて、河北軍も、うかつには寄らなかったが、一夜、曹操の中軍前衛隊の許褚が、闇に乗じて、味方を奇襲して来たので、
「それッ、包囲せよ」と、五寨の備えは、ここに初めて行動を起こして、許褚の一隊を捕捉せんものと、引っ包んで、天地を揺がした。
許褚は、かねて計のあることなので、戦っては逃げ、戦っては逃げ、ついに黄河の畔まで敵を誘い、敵の五寨の備えをある程度まで変形させることに成功した。
「うしろは黄河だ。背水の敵は死に物狂いになろう。深入りすな」
と袁紹父子が、その本陣から前線の将士へ、伝騎を飛ばした時は、すでに彼等の司令本部も、五寨の中核からだいぶ位置を移して、前後の聯絡はかなり変貌していたのであった。
突如として、方二十里にわたる野や丘や水辺から、かねて曹操の配置しておいた十隊の兵が、鯨波をあげて起こった。
「大丈夫だ」
「なんの、躁ぐことはない」
袁紹父子は、最後に至るまで総司令部と敵とのあいだに、分厚な味方があり、距離があることを信じていた。
──何ぞ知らん。彼の信じていた五寨の備えは、すでに間隙だらけであったのである。
またたく間に、味方ならぬ敵の喊声はここに近づいていた。しかも、十方の闇からである。
「右翼の第一隊、夏侯惇」
「二隊の大将、張遼」
「第三を承るもの李典」
「第四隊、楽進なり」
「第五にあるは、夏侯淵」
「──左備え。第一隊曹洪」
「二隊、張郃、三、徐晃。四、于禁。五、高覧」
と、いうような声々が潮のように耳近く聞かれた。
「すわ。急変」と、総司令部はあわて出した。
どうしてこう敵が急迫して来たのか三十万の味方が、いったいどこで戦っているのか。皆目、知れないし、考えている遑などもとよりなかった。
袁紹は、三人の子息と共に、夢中で逃げ出していた。
うしろに続く旗下の将士も、途中敵の徐晃や于禁の兵に挾まれて、散々討ち死にを遂げてしまった。
いや、彼等父子の身も、いくたびか包まれて、雑兵の熊手にかかるところだった。
馬を乗り捨て、また拾い乗ること四度、辛くも倉亭まで逃げ走って来て、味方の残存部隊に合し、ほっとする間もなく、ここへも曹洪、夏侯惇の疾風隊が、電雷のごとく突撃して来た。
次男の袁熙は、ここで深傷を負い、甥の高幹も、重傷を負った。
夜もすがら、逃げに逃げて、百余里を走りつづけ──翌る日、友軍をかぞえてみると、何と一万にも足らなかった。
五
逃げては迫られ、止まればすぐ追われ、敗走行の夜昼ほど、苦しいものはないだろう。
しかも一万の残兵も、その三分の一は、深傷や浅傷を負い、続々、落伍してしまう。
「あっ? 父上、どうなされたのですか」
遅れがちの父の袁紹をふと振り返って三男の袁尚が、仰天しながら駒を寄せた。
「兄さん! 大変だっ、待ってくれい」
ふたたび彼は大声で、先へ走ってゆく二人の兄を呼びとめた。
袁譚、袁煕の二子も、何事かとすぐ父のそばへ引き返して来た。全軍も、混乱のまま、潰走を止めた。
老齢な袁紹は、日夜、数百里を逃げつづけて来たため、心身疲労の極に達し、馬のたてがみへ俯伏したまま、いつか、口中から血を吐いていたのであった。
「父上っ」
「大将軍っ」
「お気をしっかり持って下さい」
三人の子と、旗下の諸将は、彼の身を抱き降ろして懸命に手当てを加えた。
袁紹は、蒼白な面をあげ、唇の血を三男に拭かせながら、
「案じるな。......何の」と、強いて眸をみはった。
すると、遙か先に、何も知らず駆けていた前隊が、急に、雪崩を打って、戻って来た。
強力な敵の潜行部隊が、早くも先へ迂回して、道を遮断し、これへ来るというのである。
まだ充分意識もつかない父を、ふたたび馬の背に乗せて、長男袁譚が抱きかかえ、それから数十里を横道へ、逃げに逃げた。
「......だめだ。苦しい。......降ろしてくれい」
袁譚の膝で、袁紹のかすかな声がした。いつか白い黄昏の月がある。兄弟と将士は、森の木陰に真っ黒に寄り合った。
草の上に、戦袍を敷き、袁紹は仰向けに寝かされた──にぶい眸に、夕月が映っている。
「袁尚。袁譚も......袁煕もおるか。わしの天命も、尽きたらしい。そちたち兄弟は、本国に還り、兵をととのえて、ふたたび、曹操と雌雄を決せよ。......ち、ちかって、父の怨みを散ぜよ。いいか、兄弟ども」
言い終わると、かっとも黒血を吐いて、四肢を突っ張った。最後の躍動であった。
兄弟は号泣しながら、遺骸を馬の背に奉じて、なお本国へ急いだ。そして冀州城へ入ると、袁紹は陣中に病んで還ったと触れ、三男袁尚が、仮に執政となり、審配その他の重臣がそれを扶けた。
次男の袁煕は幽州へ、嫡子袁譚は青州に、それぞれ守るところへ還り、甥の高幹も、
「かならず再起を」と約して、ひとまず幷州へと引き揚げた。
──かくて大捷を獲た曹操は、思いのまま冀州の領内へ進出して来たが、
「いまは稲の熟した時、田を荒らし、百姓の業を妨げるのは、いかがなものでしょう。ことに味方も長途に疲れ、後方の聯絡、兵糧の補給は、いよいよ困難を加えますし、袁紹病むといえども、審配、逢紀などの名将もおること、これ以上の深入りは、多分に危険も伴うものと思慮せねばなりません」と、諸将みな諫めた。
曹操は釈然と容れて、
「百姓は国の本だ。──この田もやがて自分のものだ。憐れまないで何としよう」
一転、兵馬を回して、都へさして来る途中、たちまち相次いで来る早馬の使いがこう告げた。
「いま、汝南にある劉玄徳が、劉辟、龔都などを語らって、数万の勢をあつめ、都の虚をうかがって、にわかに攻め上らんとするかのごとく、動向、容易ならぬものが見えまする!」
泥魚
一
途中、しかも久しぶりに都へ還る凱旋の途中だったが──曹操はたちどころに方針を決し、
「曹洪は、黄河にのこれ。予は、これより直ちに、汝南へむかって、玄徳の首を、この鞍に結いつけて都へ還ろう」と、言った。
一部をとどめたほか、全軍すべて道を更えた。彼の用兵は、かくのごとく、いつも滞ることがない。
すでに、汝南を発していた玄徳は、
「よもや?」と、思っていた曹操の大軍が、あまりにも迅く、南下して来たばかりか、逆寄せの勢いで攻めて来たとの報に、
「はや、穣山(河北省)の地の利を占めん」と、備えるに狼狽したほどであった。
劉辟、龔都の兵をあわせ、布陣五十余里、先鋒は三段にわかれて備えを立てた。
東南の陣、関羽。
西南には張飛。
南の中核に玄徳、脇備えとして趙雲の一隊が旗をひるがえしていた。
地平線のかなたから、真っ黒に野を捲いて来た大軍は、穣山を距ること二、三里、一夜に陣を八卦の象に備えていた。
夜明けと共に、弦鳴鼓雷、両軍は戦端を開始していたが、やがて中軍を割って、曹操自身すがたを現わし、
「玄徳に一言言わん」と、告げた。
玄徳も、旗をすすめ、駒を立てて、彼を見た。
曹操は大声叱咤して言った。
「以前の恩義をわすれたか。唾棄すべき亡恩の徒め。どの面さげて曹操に矢を射るか」
玄徳は、にこと笑い、
「君は、漢の丞相というが帝の御意でないことは明らかだ。故に、君がみずから恩を与えたというのは不当であろう。記憶せよ、玄徳は漢室の宗親であることを」
「だまれ、予は、天子の勅をうけて、叛くを討ち、紊すを懲らす。汝もまた、その類でなくて何だ」
「いつわりを吐き給うな。君ごとき覇道の奸雄に、なんで天子が勅を降そう。まことの詔詞とは、ここにあるものだ」と、かねて都にいた時、董国舅へ賜わった密書の写しを取り出し、玄徳は馬上のまま声高らかに読みあげた。
その沈着な容子と、朗々たる音吐に、一瞬敵味方とも耳をすましたが、終わると共に、玄徳の兵が、わあっと正義の軍たる誇りを鯨波としてあげた。
いつも、朝廷の軍たることを、真っ向に宣言して臨む曹操の戦いが、この日初めて、位置を更えて彼に官軍の名を取られたような形になった。
彼が憤怒したこというまでもない。鞍つぼを叩いて、
「偽詔をもって、みだりに朝廷の御名を騙る不届き者、あの玄徳めを引っ摑んで来いっ」
眦を裂いて命じた。
「おうっ」と、吠えて、許褚がすすむ。
迎えたのは趙雲。
戟、剣、馬蹄から立つ土けむりの中に、戞々と火を発し、閃々とひらめき合う。
勝負──つくべくも見えなかった。
関羽の一陣、横から攻めかかる。
張飛の手勢も、猛然、声をあわせて、側面を衝いた。
曹操の八卦陣は、三方から揉みたてられて、ついに五六十里も退却してしまった。
「幸先はよいぞ」
その夜、玄徳がよろこびを見せると、関羽は首を振って言った。
「計の多い曹操の事です。まだまだ歓ぶところには行きません」
「いや、彼の退却は、長途の疲れを、無理して来たためで、計ではなかろう」
「では、試みに、趙雲を出して、挑んでごらんなさい」
次の日、趙雲が進んで、挑戦してみたが、曹操の陣は、啞のごとく、鳴りをしずめたきり動かない。
──七日、十日と過ぎても、一向戦意を示さなかった。
二
「はて、──曹操の備えとしてはいつにない守勢だ。彼はそんな消極的な戦法を好む性格ではないが?」
ひとり関羽は怪しんでいた。曹操を知るもの、関羽以上の者はない。
果たせるかな、変が顕れた。
「汝南から前線へ、兵糧の運輸中龔都の隊は、道にて曹操の伏勢に囲まれ、全滅の危うきに瀕しています!」と、いう後方からの飛報だった。
すると、また、次の早馬の伝令には、
「──強力な敵軍が、遠く迂回して来て、汝南の城へ急迫し、留守の守りは、苦戦に陥っている!」と、ある。
玄徳は、色を失って、
「留守の城には、われを始め、人々の妻子もおること」
と、関羽をして、救いのため、そこへ急派し、同時に張飛には、兵糧輸送隊の急援を命じた。
だが、その張飛の手勢も、現地まで行かないうちに、またも敵に包囲されたと聞こえて来たし、関羽の方とは、それきり聯絡も絶えて、玄徳の本軍は、ようやく孤立の相を呈して来た。
「進まんか。退かんか?」
玄徳は、迷った。
趙雲は、討って出て、前面の敵と雌雄を決すべきだと、悲壮な覚悟をもって言ったが、
「いや、それは捨て身だ。軽々しく死ぬときではない」
と、玄徳は自重して、ひとまず穣山へ退却しようと決めた。
しかし、万全な退却は、進撃よりも難しい。昼は、陣地を固く守って、士気を養いひそかに準備をしておき、翌晩、闇夜を幸いに、騎馬を先とし、輸車歩兵をうしろに徐々と退却を開始した。そして約五六里──穣山の下までさしかかった時である。突然断崖のうえで声がした。
「劉玄徳を捕り逃がすなっ!」
それに答える喊声と共に、山の上から太い火の雨が降って来た。無数の松火が焰の尾を曳いて、兵馬の上へ浴びせかかって来たのである。
山は吠え、鼓は鳴り、岩石は陥ちてくる。
逃げまどう玄徳の兵は明らかに次の声を耳に知った。
「曹操は、ここにある。降る者はゆるすであろう。弱将玄徳ごときに従いて、犬死にする愚者は死ね。生きて楽しもうとする者は、剣をすてて、予の軍門に来れ」
火の雨の下、降る石の下に、阿鼻叫喚して、死に物狂いに退路をさがしていた兵は、そう聞くと争って剣を捨て、槍を投げ、曹操の軍へ投降してしまった。
趙雲は、玄徳の側へ寄り添って、血路を開きながら、
「怖れることはありませんぞ。趙雲がお側にあるからは」と、励まし励まし逃げのびた。
山上からどっと、于禁、張遼の隊が襲せて来て、道を塞ぐ。
趙雲は、槍をもって、遮る敵を叩き伏せ、玄徳も両手に剣を揮って、しばし戦っていたが、またまた、李典の一隊が、うしろから迫って来たので、彼はただ一騎、山間へ駈けこみ、ついにその馬も捨てて身ひとつを、深山へ隠した。
夜が明けると、峠の道を、一隊の軍馬が、南の方から越えてきた。驚いて、隠れかけたが、よく見ると、味方の劉辟だった。
孫乾、糜芳なども、その中にいた。聞けば、汝南の城も支えきれなくなったので、玄徳の夫人や一族を守護して、これまで落ちのびて来たのであるという。
汝南の残兵千余をつれて、まず関羽や、張飛と合流してから、再起の計を立てようものと、そこから三、四里ほど山伝いに行くと。敵の高覧、張郃の二隊が、忽然、林の中から紅の旗を振って突撃して来た。
劉辟は高覧と戦って、一戟の下に斬り落とされ、趙雲は高覧へ飛びかかって、一突きに、高覧を刺し殺した。
しかし、わずか千余の兵では、ひとたまりもない。玄徳の生命は、暴風の中にゆられる一穂の燈火にも似ていた。
三
勇にも限度がある。
趙雲子龍も、やがては、戦いつかれ、玄徳も進退きわまって、すでに自刃を覚悟した時だった。
一方の嶮路から、関羽の隊の旗が見えた。
養子の関平や、部下周倉をしたがえ、三百余騎で馳せ降って来た。
猛然、張郃の勢を、うしろから粉砕し、趙子龍と協力して、とうとう敵将張郃を屠ってしまった。
玄徳は測らぬ助けに出会って、歓喜のあまり、この時、天に両手をさしのべて、
「ああ、我また生きたり!」と、叫んだという。
そのうちに、おとといから敵中に苦戦していた張飛も、麓の一端を突破して、山上へ逃げのぼって来た。
玄徳に出会って、
「味方の輸送部隊にあった龔都も惜しいかな、雄敵夏侯淵のために、討ち死にをとげました」
と、復命した。
「ぜひもない......」
玄徳は、山嶮に拠って、最後の防禦にかかった。けれど、俄造りの防寨なので、風雨にも耐えられないし、兵糧や水にも困りぬいた。
「曹操自身、大軍を指揮して、麓から総がかりに襲せて来ます」
物見はしきりと、ここへ急を告げた。──玄徳は、怖れ慄えた。夫人や老幼の一族を、いかにせん? ──と憂い悩んだ。
「孫乾を、夫人や老少の守護にのこし、その余の者は、のこらず出て、決戦しよう」
これが大部分の意見だった。
玄徳も決心した。関羽、張飛、趙子龍など、挙げて、麓の大軍へ逆落としに、突撃して行った。
半日の余にわたる死闘、また死闘の物凄まじい血戦の後、月は山の肩に、白く冴えた。
その夜、曹操は、
「もはや、これ以上、痛めつける必要もあるまい」
と、敗将玄徳の無力化したのを見とどけて、大風の去るごとく、許都へ凱旋してしまった。
わずかな残軍を、さらに散々に討ちのめされた玄徳、わずかな将士をひきつれて、ここかしこ流亡の日をつづけた。
ひとつの大江に行きあたった。
渡船をさがして対岸へ着き、ここはどこかと土地の名を漁夫に訊くと、
「漢江(湖北省)でございます」と、いう。
その漁夫が知らせたのであろう、江岸の小さい町や田の家から、
「劉皇叔様へ──」と、羊の肉や酒や野菜などをたくさん持って来て献じた。
一同は河砂のうえに坐って、その酒を酌み、肉を割いた。
汀のさざ波は、玄徳の胸に、そぞろ薄命を嘆かせた。
「関羽といい、張飛といい、また趙雲子龍といい、そのほかの諸将も、みな王佐の才あり、稀世の武勇をもちながら、わしのような至らぬ人物を主と仰いで従って来たため、ことごとに憂き目にばかり遭わせて来た。それを思うと、この玄徳は、各々に対してあげる面もない心地がする。──にもかかわらず、各々は他に良き主を求め、富貴を得ようともせず、こうして労苦を共にしてくれるのが......」
杯の酒にも浮かず、玄徳がしみじみ言うと、諸将みな沈湎、頭を垂れてすすり泣いた。
関羽は杯を下において、
「むかし漢の高祖は、項羽と天下を争って、戦うごとに負けていましたが、九里山の一戦に勝って、ついに四百年の基礎をすえました。不肖、われわれも皇叔と兄弟の義をむすび、君臣の契りを固め、すでに二十年、浮沈興亡、極まりのない難路を越えて来ましたが、決してまだ大志は挫折しておりません。他日、天下に理想を展べる日もあらん事を想えば、百難何かあらんです。お気弱い事を仰せられますな」と切に励ました。
四
「勝敗は兵家のつね。人の成敗みな時ありです。......時来れば自ら開き、時を得なければいかにもがいてもだめです。長い人生に処するには、得意な時にも得意に驕らず、絶望の淵にのぞんでも滅失に墜ち入らず、──そこに動ぜず溺れず、出所進退、悠々たることが、難しいのではございますまいか」
関羽は、しきりと、言葉をつづけた。ひとり玄徳の落胆を励ますばかりでなく、敗滅の底にある将士に対して、ここが大事と思うからであった。
彼はふと、乾き上がっている河洲の砂上を見まわして、
「──ごらんなさい」と、指さして言った。「そこらの汀に、泥にくるまれた蓑虫のようなものが無数に見えましょう。虫でも藻草でもありません。泥魚という魚です。この魚は天然によく処世を心得ていて、旱天がつづき、河水が乾あがると、あのように頭から尾まで、すべて身を泥にくるんで、幾日でも転がったままでいる。餌を漁る鳥にも啄まれず、水の干た河床でもがき廻ることもありません。──そして、自然に身の近くに、やがて浸々と、水が誘いに来れば、たちまち泥の皮を剝いで、ちろちろと泳ぎ出すのです。ひとたび泳ぎ出すときは、彼等の世界には俄然満々たる大江あり、雨水ありで、自由自在を極め、もはや窮することを知りません。......実におもしろい魚ではありませんか。泥魚と人生──。人間にも幾たびか泥魚の隠忍に倣うべき時期があると思うのでございまする」
関羽の話に人々は現実の敗戦を見直した。そこに人生の妙通を悟った。
孫乾はにわかに言い出した。
「荊州の地は、ここから遠くないし、太守劉表は九郡を治めて、当世の英雄たり、一方の重鎮たる存在です。──ひとまず、わが君には荊州へおいであって、彼をお頼み遊ばしてはいかがですか。劉表は喜んでかならずお扶けすると存じますが」
玄徳は、考えていたが、
「なるほど、荊州は江漢の地に面し、東は呉会に連なり、西は巴蜀へ通じ、南は海隅に接し、兵糧は山のごとく積み、精兵数十万と聞く。ことに劉表は漢室の宗親でもあるから、同じ漢の苗裔たる自分とは遠縁の間がらでもあるが......絶えて音信を交わしたこともないのに、急に、この敗戦の身と一族をひき連れて行ってどうであろうか?」
と、先方の思惑を憚って、ためらう容子だった。孫乾は進んで自分がまず荊州へ行かんと言い、一同の賛意を得ると、すぐその場から馬をとばして使いに立った。
劉表は、彼を城内に引いて、親しく玄徳の境遇を聞きとると、即座に、快諾してこう言った。
「漢室の系図によれば、この劉表と劉備とは、共に宗親のあいだがらであり、遠いながら彼は予の義弟にあたる者である。いま九郡十一州の主たる自分が、一人の宗親を見捨てて扶けなかったとあれば、天下の人が笑うだろう──すぐ荊州へ参られよと、伝えてくれい」
すると、侍側の大将、蔡瑁がそばから拒んだ。
「無用無用。その儀は、お見合わせがよいでしょう。──玄徳は義を知らず恩を忘れる男です。はじめは呂布と親しみ、のち曹操に仕え、近ごろまた、袁紹に拠って、みな裏切っています。それをもってその人を知るべしで、もし玄徳を当城に迎えたら、曹操が怒って、荊州へ攻め入って来る惧れもありましょう」
聞くと、孫乾は色を正して、
「呂布は、人道の上において、正しき人であったか。曹操は真の忠臣か。袁紹は、世を救うに足る英雄か。御辺はなぜ、ことばを歪曲して、無用な讒言をなさるか」と、つめ寄った。
劉表も叱りつけて、
「要らざるさし出口はひかえろ」
と一喝したので、蔡瑁も顔赫らめて黙ってしまった。
自壊闘争
一
玄徳が、その一族と共に、劉表を頼って、荊州へ赴いたのは、建安六年の秋九月であった。
劉表は郭外三十里まで出迎え、互いに疎遠の情を叙べてから、
「この後は、長く唇歯の好誼をふかめ、ともども、漢室の宗親たる範を天下に垂れん」
と、城中へ迎えて、好遇すこぶる鄭重であった。
この事は早くも、曹操の耳に出こえた。
曹操はまだ汝南から引き揚げる途中であったが、その情報に接すると、愕然として、
「しまった。彼を荊州へ追いこんだのは、籠の魚をつかみ損ねて、水沢へ逃がしたようなものだ。今のうちに──」
と、直ちに、軍の方向を転じて、荊州へ攻め入ろうとしたが、諸将はひとしく、
「今は、利非ずです。来年、陽春を待って、攻め入っても遅くありますまい」
と、一致して意見したので、彼も断念して、そのまま許都へ還ってしまった。
──が、翌年になると、四囲の情勢は、また微妙な変化を呈して来た。建安七年の春早々、許都の軍政はしきりに多忙であった。
荊州方面への積極策は、一時見合わせとなって、ただ夏侯惇、満寵の二将が抑えに下った。
曹仁、荀彧には、府内の留守が命ぜられ、残る軍はこぞって、
「北国へ。──官渡へ」
と、冀北征伐の征旅が、去年にも倍加した装備をもって、ここに再び企図まれたのであった。
冀州の動揺はいうまでもない。
「ここまで、敵を入れては、勝ち目はないぞ」
と、青州、幽州、幷州の軍馬は、諸道から黎陽へ出て、防戦に努めた。
けれど曹軍の怒濤は、大河を決するように、いたる所で北国勢を撃破し、駸々と冀州の領土へ蝕いこんで来た。
袁譚、袁熙、袁尚などの若殿輩も、めいめい手痛い敗北を負って、続々、冀州へ逃げもどって来たので、本城の混乱はいうまでもない。
のみならず、袁紹の未亡人劉氏は、まだ良人の喪も発しないうちに、日ごろの嫉妬を、この時にあらわして、袁紹が生前に寵愛していた五人の側女を、武士にいいつけて、後園に追い出し、そこここの木陰で刺し殺してしまった。
「死んでから後も、九泉の下で、魂と魂とがふたたび巡り合うことがないように」
という思想から、その屍まで寸断して、ひとつ所に埋けさせなかった。
こんな所へ、三男袁尚が先に逃げ帰って来たので、劉夫人は、
「この際、そなたが率先して父の喪を発し、御遺書をうけたと称えて、冀州城の守におすわりなさい。ほかの子息が主君になったら、この母はどこに身を置こうぞ」と、すすめた。
長男の袁譚が、後から城外まで引き揚げて来ると、袁紹の喪が発せられ、同時に三男の袁尚から大将逢紀を使いとして、陣中へ向けてよこした。
逢紀は印を捧げて、
「あなたを、車騎将軍に封ずというお旨です」と、伝えた。
袁譚は、怒って、
「何だ、これは?」
「車騎将軍の印です」
「ばかにするな。おれは袁尚の兄だぞ。弟から兄へ官爵を授けるなんて法があるか」
「御三男は、すでに冀州の君主に立たれました。先君の御遺言を奉じて」
「遺書を見せろ」
「劉夫人の御手にあって、臣等の窺い知るところではありません」
「よし。城中へ行って、劉氏に会い、しかと談じなければならん」
郭図は、急に諫めて、彼の剣の鞘をつかんだ。
「いまは、兄弟で争っている時ではありません。何よりも、敵は曹操です。その問題は、曹操を破ってから後におしなさい。──後にしても、いくらだって取る処置はありましょう」
二
「そうだ、内輪喧嘩は、あとの事にしよう」
袁譚は、兵馬を再編成して、ふたたび黎陽の戦場へ引き返した。
そして健気にも、曹軍にぶつかって、さきの大敗をもり返そうとしたが、兵を損じるばかりだった。
逢紀は、どうかしてこの際、袁譚、袁尚の兄弟を仲よくさせたいものと、独断で、冀州へ使をやり、「すぐ、援けにお出でなさい」と袁尚の来援を促した。
しかし、袁尚の側らにいる智者の審配が反対した。──そのまに袁譚はいよいよ苦戦に陥ってしまい、逢紀が独断で、冀州へ書簡を送ったことも耳にはいったので、
「けしからん奴だ」と、その僭越をなじり、自身、手打ちにしてしまった。そして、
「この上は、ぜひもない、曹操に降って、共に冀州の本城を踏みつぶしてやろう」
と、やぶれかぶれな策を放言した。
冀州の袁尚へ、早馬で密告したものがある。袁尚も愕き、審配も愕然とした。
「そんな無茶をされて堪るものではない。大挙すぐ援軍にお出向き遊ばせ」
審配のすすめに、彼と蘇由の二人を本城にとどめて、袁尚自身、三万余騎で駈けつけた。それを知ると袁譚も、
「なにも好んで曹操へ降参することはない」
と、意を翻して、袁尚の軍と、両翼にわかれ、士気を革めて曹軍と対峙した。
そのうち、二男の
袁熙や
甥の
高幹も、一方に陣地を構築し、三面から曹操を防いだのでさしもの曹軍も、やや

いとめられ、戦いは翌八年の春にわたって、まったく
膠着状態に入るかと見えたが、
俄然二月の末から、曹軍の猛突撃は開始され、河北軍はなだれを打って、その一角を
委ねてしまった。
そしてついに曹軍は、冀州城外三十里まで迫ったが、さすがに北国随一の要害であった。犠牲を顧みず、惨憺たる猛攻撃をつづけたが、ここの堅城鉄壁は揺るぎもしないのである。
「これは胡桃の殻を手で叩いているようなものでしょう。外殻は何分にも堅固です。けれど中実は虫が蝕っているようです。兄弟相争い、諸臣の心は分離している。やがてその変が現われるまで、ここは兵をひいて、悠々待つべきではありますまいか」
これは曹操へ向かって、郭嘉がすすめた言葉であった。曹操も、実にもと頷いて、急に総引き揚げを断行した。
もちろん黎陽とか官渡とかの要地には、強力な部隊を、再征の日に備えて残して行ったことはいうまでもない。
冀州城は、ほっと、息づいた。──が、小康的な平時に返ると、たちまち、国主問題をめぐって、内部の葛藤が始まった。
袁譚はいまなお、城外の守備にあったので、
「城へ入れろ」
「入るをゆるさん」と、兄弟喧嘩だった。
すると一日、その袁譚から、急に折れて、酒宴の迎えが来た。兄の方からそう折れて出られると、拒むこともできず、袁尚が迷っていると、謀士審配が教えた。
「あなたを招いて、油幕に火を放ち、焼き殺す計であると──ある者からちらと聞きました。お出向き遊ばすなら、充分兵備をしておいでなさい」
袁尚は、五万の兵をつれて、城門からそこへ出向いた。袁譚は、そう知ると、
「面倒だ、ぶつかれ」と、急に、鼓を打ち鳴らして、戦いを挑んだ。
陣頭で、兄弟が顔を合わせた。一方が、兄に刃向かいするかと罵れば、一方は、父を殺したのは汝だなどと、醜い口争いをしたあげく、ついに、剣を抜いて、兄弟火華を散らすに至った。
袁譚は敗れて、平原へ逃げた。袁尚はさらに兵力を加え、包囲して糧道を断った。
「どうしよう、郭図」
「一時、曹操へ、降服を申し入れ、曹操が冀州を衡いたら、袁尚はあわてて帰るにちがいありません。そこを追い討ちすれば、難なく、囲みは解け、しかも大捷を得ること、火を見るより明らかでしょう」
郭図は袁譚へそう奨めた。
三
「たれか使いの適任者はいるだろうか。曹操に会ってそれを告げるに」
「あります。平原の令、辛毘ならきっといいでしょう」
「辛毘ならわしも知っている。弁舌爽やかな士だ。早速運んでくれい」
袁譚のことばに、郭図はすぐ人を派して辛毘を招いた。
辛毘は欣然と会いに来て、袁譚から手簡を受けた。袁譚は使の行を旺にするため、兵三千騎を附してやった。
その時、曹操はちょうど、荊州へ攻め入る計画で河南の西平(京漢線西平)まで来たところだったが、急に陣中へ袁譚の使いが着いたとのことに、威容を正して辛毘を引見した。辛毘は、書簡を呈して、袁譚の降参の旨を申し入れた。
「いずれ評議の上で」と軽くうけて、曹操は、辛毘を陣中にとどめ、一方諸将をあつめて、
「どうするか」を議していた。
諸説まちまちに出たが、曹操は衆論のうちから、荀攸の卓見を採用した。荀攸が説くには、
「劉表は四十二州の大国を擁しているが、ただ境を守るだけで、この時代の大変革期に当たりながら何ら積極的な策に出たという例がない。要するに規格の小さい人物で大計のない証拠である。だからそこは一時さし措いても大したことはないでしょう。むしろ冀北四ヵ国のほうが厄介物です。袁紹没し、敗軍たびたびですが、なお三人の男あり、精兵百万、富財山をなしています。もしこれに良い謀士が付いて、兄弟の和を計り、よく一体になって、報復を計って来たら、もう手だてを加えようも勝つ策もありますまい。──今、幸いにも兄弟相争って、一方の袁譚が打ち負け、降服を乞うて来たのは、実に天のお味方に幸いし給うところです。宜しく袁譚の乞いを容れ、急に袁尚を亡ぼして、その後、変を見てまた袁譚その他の一族を、順々に処置して行けば万過ちはありますまい」というにあった。
曹操はまた、辛毘を招いて、
「袁譚の降服は、真実か詐りか。正直に述べよ」
と、言って、その面を烱々と見つめた。
辛毘のひとみは、よく彼の凝視にも耐えた。虚言のない我の顔を見よといわぬばかりである。やがて涼やかに答えて言う。
「あなたは実に天運に恵まれた御方である。たとい袁紹は亡くても、冀北の強大は、普通ならここ二代や三代で亡ぶものではありません。しかし、外には兵革に敗れ、内には賢臣みな誅せられ、あげくの果て、世嗣の位置を繞って骨肉たがいに干戈を弄び、人民は嘆き、兵は怨嗟を放つの有り様、天も憎しみ給うか、昨年来、飢饉蝗害の災厄も加わって、いまや昔日の金城湯池も、帯甲百万も、秋風に見舞われて、明日も知れぬ暗雲の下におののき慄えているところです。──ここを措いて、荊州へ入らんなどは、平路を捨てて益なき難路を選ぶも同様です。直ちに、一路鄴城をお衝きなさい。おそらくは秋の木の葉を陣風の掃って行くようなものでしょう」
「............」
終始、耳を傾けて、曹操は黙然と聞いていたが、
「辛毘。なんでもっと早く君と会う機会が無かったか恨みに思う。君の善言、みな我が意にあたる。即時、袁譚に援助し、鄴城へ進むであろう」
「もし、丞相が冀北全土を治められたら、それだけでも天下は震動しましょう」
「いや曹操は何も、袁譚の領土まで奪り上げようとは言わんよ」
「御遠慮には及びますまい。天があなたに授けるものなら」
「むむ、間違えば予の生命を人手に委してしまうかもしれぬ大きな賭け事だからな。遠慮は愚であろう、すべては行く先の運次第だ。たれか知らん乾坤の意を」
その夜は、諸大将も加えて盛んなる杯を挙げ、翌日は陣地を払って、大軍ことごとく冀州へと方向を転じていた。
邯鄲
一
冬十月の風とともに、
「曹操来る。曹軍来る」の声は、西平の方から枯れ野を掃いて聞こえて来た。
袁尚は愕いて、にわかに平原の囲みを解き、木の葉のごとく鄴城へ退却し出した。
袁譚は城を出て、その後備えを追撃した。そして殿軍の大将呂曠と呂翔のふたりを宥めて、味方に手懐け、降人として、曹操の見参に入れた。
「君の武勇は父の名を恥ずかしめないものだ」と、曹操は甘いところを賞めておいた。
その後また、曹操は、自分の娘を、袁譚に娶せた。
都の深窓に育って、まだ十五、六になったばかりの花嫁を妻にもって、袁譚はすっかり喜悦していた。
郭図はすこし将来を憂えた。ある時、袁譚に注意して、
「聞けば曹操は呂曠と呂翔のふたりにさえ、列侯位階を与え、ひどく優待している由です。思うにこれは、河北の諸将を釣らんためでしょう。──またあなたへ自身の愛娘を娶せたのも、深い下心あればこそで、その本心は、袁尚を亡ぼして後、冀北全州をわが物とせん遠計にちがいありません。ですから、呂曠、呂翔の二人には、あなたから密意を含ませておいて、いつでも変あれば、内応するように備えておかなければいけますまい」
「大きにそうだ。しかしいま、曹操は黎陽まで引き揚げ、呂曠と呂翔も伴れて行ってしまったが、何かよい工夫があるかの」
「二人を将軍に任じ、あなたから将軍の印を刻んでお贈りになったらいいでしょう」
袁譚は、げにもと頷いた。印匠に命じて早速、二顆の将軍印を造らせた。
あどけない新妻は、彼が掌にしている金印をうしろから覗いて訊ねた。
「あなた、それは何ですの?」
「これかい──」と、袁譚は掌のうえに弄びながら、新妻に笑顔を振り向けた。
「使いに持たせて、舅御の陣地まで贈るものだよ」
「翡翠か白玉なら、妾の帯の珠に造らせるのに」
「冀州の城へ還れば、そんなものは山ほどあるよ」
「でも、冀州は、袁尚のお城でしょう」
「なあに、おれの物さ。父の遺産を、弟のやつが、横奪りしているのだ。いまに舅御が奪り返してくれるだろう」
将軍の金印は、ほどなく、黎陽にある呂曠、呂翔の兄弟の手に届いた。
二人とも、すでに曹操に心服して、曹操を主と仰いでいたので、
「袁譚からこんな物を贈って来ましたが」と、彼へ披露してしまった。
曹操は、あざ笑って、
「贈って来たものなら、黙って受けておくがいい。袁譚の肚は、見え透いている。折が来たら、其方たちに内応させて、この曹操を害さんとする下準備なのだ。......あははは、浅慮者がやりそうな事だろう」
この時から曹操も、心ひそかに、いずれ長くは生かしておけぬ者と、袁譚に対する殺意をかためていた。
冬のうち戦いもなく過ぎた。
しかし曹操はこの期間に、数万の人夫を動員して、淇水の流れをひいて白溝へ通じる運河の開鑿を励ましていた。
翌、建安九年の春。
運河は開通し、おびただしい兵糧船は水に従って下って来た。
その船に便乗して都から来た許攸が、曹操に会うと言った。
「丞相には、袁譚、袁尚が今に雷にでも搏たれて、自然に死ぬのを待っているのですか」
「はははは、皮肉を申すな、これからだ」
二
袁尚は、今鄴城にあった。
彼の輔佐たる審配は、たえず曹軍の動静に心していたが、淇水と白溝をつなぐ運河の成るに及んで、
「曹操の野望は大きい。彼は近く冀州全土を併呑せんという大行動を起こすにちがいない」
と、察して、袁尚へ献言し、まず檄を武安の尹楷に送って、毛城に兵を籠め、兵糧をよび寄せ、また沮授の子の沮鵠という者を大将として、邯鄲の野に大布陣を展いた。
一方、袁尚自身は、あとに審配をのこして本軍の精鋭をひきい、急に平原の袁譚へ攻めかけた。
袁譚から急援を乞うとの早打ちをうけると曹操は、許攸に向かって、
「これからだと、いつか申したのは、こういう便りの来る日を待っていたのだ」
と、会心の笑みをもらした。
「曹洪は、鄴城へ出よ」
と、一軍を急派しておき、彼自身は毛城を攻めて,大将尹楷を討ち取った。
「降る者は助けん。いかなる敵であろうと、今日降を乞うものは、昨日の罪は問わない」
曹操一流の令は、敗走の兵に蘇生の思いを与えて、ここでも大量な捕虜を獲た。
大河の軍勢は戦うごとに、一水また一水を加えて幅を拡げて行った。
そして、邯鄲の敵とまみえて、大激戦は展開されたが、沮鵠の大布陣も、ついに潰乱のほかはなかった。
「鄴城へ。鄴城へ」
逆捲く大軍の奔流は、さきにここを囲んでいた味方の曹洪軍と合して、勢いいやが上にも振った。
総がかりに、城壁を朱に染め、焰を投げ、万鼓千喊、攻め立てること昼夜七日に及んだが、陥ちなかった。
地の下を掘りすすんで、一門を突破しようとしたが、それも敵の知るところとなって、軍兵千八百、地底で生き埋めにされてしまった。
「ああ、審配は名将かな」
と、攻めあぐみながらも曹操は敵の防戦ぶりに感嘆したほどだった。
平時の名臣で、乱世の棟梁でもある雄才とは、彼のごときをいうのかも知れない。彼はまた、前線遠く敗れて、帰路を遮断されていた袁尚とその軍隊を、怪我なく城中へ迎え入れようという難題にぶつかって、その成功に苦心していた。
その袁尚の軍隊はもう陽平という地点まで来て、通路のひらくのを待っていた。その通路は城内から切り開いてやらなければならなかった。
主簿の李孚は、審配へ向かって、こういう一案を呈した。
「この上、外にある味方の大兵が城内に入ると、たちまち兵糧が尽きます。けれども、城内には、何の役にも立たない百姓の老弱男女が、何万と籠っています。それを外へ追い出して、曹操へ降らせ、そのあとからすぐ、城兵も奔出します。兵馬が出きった途端に、城中の柴や薪を山と積んで、火の柱をあげ、陽平にある袁尚様へ合図をなし、内外呼応して血路を開かれんには、難なくお迎えすることができましょう」
「そうだ、その一策しかない」
審配は直ちに用意にかかった。そして準備が成ると、城内数万の女子どもや老人を追い立て、戦門を開いて一度に追い出した。
白いぼろ布れ、白い旗など、手に手に持った百姓の老幼は、海嘯のように外へ溢れ出した。
そして、曹丞相、曹丞相とも降をさけんで、彼の陣地へ雪崩れこんで来た。
曹操は、後陣を開かせて、
「予の立つ大地には、一人の餓死もさせぬぞ」と、すべてを容れた。
数ヵ所の大釜に粥が煮てあった。餓鬼振る舞いにあった飢民の大群は、そばへ矢が飛んできても前方で激戦の喚きが起こっても、大釜のまわりを離れなかった。
三
曹操は審配の計を看破していたので、数万の飢民が城門から押し出されて来ると、すぐ大兵を諸所に伏せて、飢民のあとを尾いて奔河のごとく出て来た城兵を直ちに挾撃してこれに完全なる殲滅を加えた。
城頭では合図の篝を、天も焦がすばかり赤々と揚げていたが、城門を出た兵はたちまち壕を埋める死骸となり、生けるものは、狼狽を極めて城中へ溢れ返って来た。
「今だぞ。続けや」
曹操は、その図に乗って、逃げる城兵と一緒に、城門の内へ這入ってしまった。彼はその際盔のいただきへ、二条まで矢をうけて一度は落馬したが、すぐとび乗って、ものともせず将士の先頭に立った。
しかし、審配は
毅然として、
防禦の
配を
揮った。ために、外城の門は
陥ちたが内城の壁門は依然として固く、さしもの曹操をして、
「まだかつて、自分もこんな難攻の城に当たったことがない」と嘆ぜしめた。
「手を換えよう」
彼は、転機に敏い。──頭を壁にぶつけて押しくらするような愚を避けた。
一夜、彼の兵はまったく方向を転じて、滏水の境にある陽平の袁尚を攻めた。
まず弁才の士を遣って、袁尚の先鋒たる馬延と張顗のふたりを味方へ誘引した。二将が裏切ったので、袁尚は一たまりもなく敗走した。
濫口まで退去して、ここの要害に拠ろうと布陣していると、四方から焼き打ちをかけて、またも進退きわまってしまったので、袁尚はついに、降伏して出た。曹操は快くゆるして、
「明日、会おう」と、全軍の武装を解かせ、降人の主従を一ヵ所に止めさせておいたが、その晩、徐晃と張遼の二将を向けて、袁尚を殺害してしまおうとした。
袁尚は、間一髪の危機をからくものがれて、中山(河北省保定)方面へ逃げ走った。その時印綬や旗幟まで捨てて行ったので、曹操の将士からよい物笑いにされた。
一方を片づけると、大挙して、曹操はふたたび城攻めにかかった。こんどは内城の周囲四十里にわたって漳河の水を引き、城中を水攻めにした。
さきに袁譚の使として、曹操のところに止まっていた辛毘は、袁尚の捨てて行った衣服、印綬、旗じるしなどを、槍の先にあげて、
「城中の人々よ、無益な抗戦はやめて、はやく降伏し給え」と、陣前に立ってすすめた。
審配は、それに答えて、城中に人質としておいた辛毘の妻子一族四十人ほどを、櫓に引き出して首を斬り、いちいちそれを投げ返して言った。
「汝、この国の恩を忘れたか」
辛毘は悶絶して、兵に抱えられたまま、後陣へひき退がった。
けれど彼は、その無念をはらすため、審配の甥にあたる審栄へ、矢文を送って、首尾よく内応の約をむすび、とうとう西門の一部を、審栄の手で中から開かせることに成功した。
冀州の本城は、ここに破れた。淊々、濁水をこえて、曹軍は内城にふみ入った。審配は最後まで善戦したが力尽き捕らえられた。
曹操は、彼に苦しめられたことの大きかっただけに、彼の人物を惜しんで、
「予に仕えぬか」と、言った。
すると辛毘が、この者のために、自分の妻子一族四十何名が殺されている。ねがわくは、この者の首を自分に与えられたいと側らから言った。
審配は、聞くと、その二人に対して、毅然とこう答えた。
「生きては袁氏の臣、死しては袁氏の鬼たらんこそ、自分の本望である。阿諛軽薄の辛毘ごときと同視されるさえ穢らわしい。すみやかに斬れッ」
言い放ちながら、歩むこと七歩──曹操の眼くばせに、刑刀を払った武士が飛びかかる。
「待てッ」
と一喝し、静かに、袁氏の廟地を拝して後、従容と首を授けた。
野に真人あり
一
亡国の最後を飾る忠臣ほど、あわれにも悲壮なものはない。
審配の忠烈な死は、いたく曹操の心を打った。
「せめて、故主の城址に、その屍でも葬ってやろう」
冀州の城北に、墳を建て、彼は手厚く祠られた。
建安九年の秋七月、さしもの強大な河北もここに亡んだ。冀州の本城には、曹操の軍馬が充満した。
曹操の嫡子曹丕は、この時年十八で、父の戦に参加していたが、敵の本城が陥ちるとすぐ随身の兵をつれて城門の内へ入ろうとした。
当然、落城の直後とて、そこは遮断されている。番の兵卒が、
「待てっ、どこへ行くか──。丞相の御命令だ。まだ何者でも、ここを通ってはならん」
と、遮った。
すると曹丕の随臣は、「御曹司のお顔を知らんか」と、あべこべに叱りとばした。
城内はまだ余燼濛々と煙っている。曹丕は万一、残兵でも飛び出したらと、剣を払って、片手にひっさげながら、物珍しげに、諸所隈なく見て歩いた。
すると、後堂の仄暗い片隅に、一夫人がその娘らしい者を抱いて竦んでいた。紅の光が眼をかすめた。珠や金釵が泣きふるえているのである。
「──だれだっ?」
曹丕も足をすくめた。
微かな声で、
「妾は、袁紹の後室劉夫人です。むすめは、次男の袁熙の妻......」
と、眸に、憐れを乞うように告げた。
なお問うと、袁熙は遠く逃げたという。──曹丕はつと寄って、むすめの前髪をあげて見た。そして自分の錦袍の袖で、娘の容顔を拭いてやった。
「ああ! これは夜光の珠だ」
曹丕は、剣を拾い取って、舞わんばかり狂喜した。そして自分は曹操の嫡子であると二女に明かして、
「助けてやる! きっと一命は守ってやる! もう慄えなくともいい」と言い渡した。
その時、父の曹操は、威武堂々、ここへ入城にかかっていた。すると、彼の郷里の旧友で、黄河の戦いから寝返りして従いていた例の許攸が、いきなり前列へ躍り出して、
「いかに阿瞞。もしこの許攸が、黄河で計を授けなかったら、いくら君でも、今日この入城は出来なかっただろう」
と、鼻高々、鞭をあげて、吩咐けられもしないのに一鼓六足の指揮をした。
曹操は非常に笑って、
「そうだそうだ。君の言う通りである」と、彼の得意をなお煽った。
城門からやがて府門へ通るとき、曹操は何かで知ったとみえ、番兵に詰問した。
「予の前に、ここを通過した者はだれだ! 何奴か!」
番の将士は戦慄して、
「世子でいらせられます」
と、ありのまま答えると、曹操は激色すさまじく、
「わが世子たりとも軍法を紊すにおいては、断乎免じ難い。荀攸、郭嘉、其方どもはすぐ曹丕を召し捕って来い。斬らねばならん」
郭嘉は諫めて、世子でなくてだれがよく城中を踏み鎮めましょうと言った。曹操は救われたように、
「むむ、それも一理ある」
と不問に付して馬を降り、階を鳴らして閣内へ通った。
劉夫人は、彼の脚下に拝して、曹丕の温情を嬉し泣きしながら告げた。曹操はふと、娘の甄氏を見て、その天麗の美質に愕きながら、
「なに。曹丕が。そんな優しい情を示したというか。それはおそらくこの娘が嫁に欲しいからだ。曹丕の恩賞には、これ一つで足りよう。他愛のないやつではある」
粋な父の丞相は、冀州陣の行賞として、甄氏を彼に賜わった。
二
冀州政略もひとまず片づくと、曹操は第一着手に、袁紹と袁家累代の墳墓を祠った。
その時、彼は亡家の墓に焚香しながら、
「むかし洛陽で、共に快談を交じえたころ、袁紹は
河北の富強に
拠って、大いに南を図らんといい、自分は
徒手空
をもって、天下の新人を
糾合し、時代の革新を策さんと言い、大いに笑ったこともあったが、それも今は昔語りとなってしまった......」と述懐して涙を流した。
勝者の手向けた一掬の涙は、またよく敵国の人心を収攬した。人民にはその年の年貢をゆるし、旧藩の文官や賢才は余さずこれを自己の陣営に用い、土木農田の復興に力をそそがせた。
府堂の出入りは日ごと頻繁を加えた。ある日、許褚は馬に乗って東門から入ろうとした。すると例の許攸がそこに立っていて、
「おい許褚。ばかに大きな面をして通るじゃないか。はばかりながらかく言う許攸が居なかったら、君等がこの城門を往来する日は無かったのだぜ。おれの姿を見たら礼儀ぐらいして通ったらどうだ」と、広言を吐いた。
いつぞや曹操が入城する時も、同様な高慢を言いちらして、諸将が顰蹙していたのを思い出して、許褚はぐっと持ち前の癎癪を面上にみなぎらせた。
「匹夫。側へ寄れ!」
「なに。おれを匹夫だと」
「小人の小功に誇るほど、小耳にうるさいものはない。往来の妨げなすと蹴ころすぞ」
「蹴ころしてみろ」
「造作もないことだ」
まさかと多寡をくくっていると、許褚はほんとに馬の蹄をあげて、許攸の上へのしかかって来た。
それのみか、咄嗟に剣を抜いて、許攸の首を斬り飛ばし、すぐ府堂へ行って、この由を曹操へ訴えた。
曹操は、聞くと、瞑目して、しばらく黙っていたが、
「彼は、馭し難い小人にはちがいないが、自分とは幼少からの朋友だ。しかもたしかに功はある者。それを私憤に任せてみだりに斬り殺したのはけしからん」
と、許褚を叱って、七日の間、謹慎すべしと命じた。
許褚が退くと、入れ代わりに、一名の高士が、礼篤く案内されて来た。河東武城の隠士、崔琰であった。
先ごろから家へ使を派して、曹操は再三この人を迎えていたのである。なぜならば、冀州国中の民数戸籍を正すには、どうしても崔琰に諮問しなければ整理ができなかったからである。
崔琰は乱雑な民籍をよく統計整理して、曹操の軍政経済の資に供えた。
曹操は、彼を別駕従事の官職に封じ、一面、袁紹の子息や冀州の残党が落ちのびて行った先の消息も怠らず探らせていた。
その後、長男の袁譚は、甘陵、安平、渤海、河間(河北省)などの諸地方を荒らして、追い追い、兵力をあつめ、三男袁尚が中山(河北省保定)にいたのを攻めて、これを奪った。
袁尚は中山から逃げて、幽州へ去った。ここに二男袁熙がいたので、二弟合流して長兄を防ぐ一面、
「亡父の領地を奪り回さねば」と、弓矢を研いで、冀州の曹操を遠く窺っていた。
曹操は、それを知って、試みに袁譚を招いた。袁譚は気味悪がって、再三の招きにもかかわらず出向かずにいた。
口実ができた。──曹操はすぐ断交の書を送って、一軍をさし向けた。袁譚は怖れて、たちまち中山も捨て平原も捨て、ついに劉表へ使を送って、
「急を救い給われ」と、彼の義心を仰いだ。
劉表は、使を返してから、玄徳にこれを計った。玄徳は、袁兄弟がみな、日ならずして曹操に征伐される運命にある旨を予言して、
「まあ、見て見ぬ振りしておいでなさい。他人事よりは、御自身の国防は大丈夫ですか」
と、注意をうながした。
三
荊州へ頼ろうとしたが、劉表から態よく拒否された袁譚は、ぜひなく南皮(河北省南皮)へ落ちて行った。
建安十年の正月。曹操の大軍は氷河雪原を越えて、ここに迫った。
南皮城の八門をとざし、壁上に弩弓を植え並べ、濠には逆茂木を結って、城兵の守りはすこぶる堅かったが、襲せては返し、襲せては返し、昼夜新手を変えて猛攻する曹軍の根気よさに、袁譚は夜も眠られず、心身ともに疲れてしまった。
その上、大将彭安が討たれたので、辛評を使として、降伏を申し出た。
曹操は、降使へ言った。
「其方は、早くから予に仕えておる辛毘の兄ではないか。予の陣中に留まって、弟と共に勲を立て、将来、大いに家名を揚げたらどうだ」
「古語に曰う。──主貴ケレバ臣栄エ、主憂ウル時ハ臣辱シメラルト。弟には弟の主君あり、私には私の主君がありますから」
辛評は空しく帰った。降をゆるすとも許さぬとも、曹操はそれに触れないのだ。言うまでもなく、曹操はすでに冀州を奪ったので、袁譚を生かしておくことは好まないのである。
「和議は望めません。
所
、決戦のほかございますまい」
ありのままを、辛評が告げると、袁譚は彼の使いに不満を示して、
「ああそうか。そちの弟は、すでに曹操の身内だからな。その兄を講和の使にやったのはわしの過りだったよ」
と、ひがみッぽく言った。
「こは、心外なおことばを!」
一声、気を激して、恨めしげに叫ぶと、辛評は、地に仆れて昏絶したまま、息が絶えてしまった。
袁譚はひどく後悔して、郭図に善後策を諮った。郭図は強気で、
「なんの、彭安が討たれても、なお名を惜しむ大将は数名います。それと南皮の百姓をすべて徴兵し、死に物狂いとなって、防ぎ戦えば、敵は極寒の天地に曝されている遠征の窮兵、勝てぬという事があるものですか」と、励まして、大決戦の用意にかかった。
突如、城の全兵力は、四方を開いて攻勢に出て来た。雪に埋もれた曹軍の陣所を猛襲したのである。そして民家を焼き、柵門を焼き立て、あらゆる手段で、曹軍を搔きみだした。
飛雪を浴びて、駆けちがう万騎の蹄、弩弓の唸り、鉄箭のさけび、戞々と鳴る戟、鏘々火を降らしあう剣また剣、槍は砕け、旗は裂け、人畜一つ喚きの中に、屍は山をなし、血は雪を割って河となした。
一時、曹軍はまったく
潰乱に
墜ちたが、
曹洪、
楽進などがよく戦って

い止め、ついに大勢をもり返して、城兵をひた押しに
濠際まで追いつめた。
曹洪は、雑兵には目もくれず、乱軍を疾駆して、ひたすら袁譚の姿をさがしていたが、とうとう目的の一騎を見つけ、名乗りかけて、馬上のまま、重ね打ちに斬り下げた。
「袁譚の首を挙げたぞ。曹洪、袁譚の首を打ったり」
という声が、飇々、吹雪のように駆けめぐると、城兵はわっと戦意を失って、城門の橋を逃げ争って駆けこんだ。
その中に、郭図の姿があった。曹軍の楽進は、
「あれをこそ!」
と、目をつけ、近々、追いかけて呼びとめたが、雪崩れ打つ敵味方の兵に遮られて寄りつけないので、腰の鉄弓を解いて、やにわに一矢を番え、人波の上からぴゅっと弦を切った。
矢は、郭図の首すじを貫き、鞍の上からもんどり打って、五体は、濠の中へ落ち込んで行った。楽進は首を取って、槍先にかざし、
「郭図亡し、袁譚なし、城兵ども、何をあてに戦うか」と声かぎりに叫んだ。
南皮一城もここに滅ぶと、やがて附近にある黒山の強盗張燕だとか、冀州の旧臣の蕉触、張南などという輩も、それぞれ五千、一万と手下を連れて、続々、降伏を誓いに出て来る者が、毎日ひきもきらぬほどだった。
四
楽進、李典の二手に、降将の張燕を加えて、新たに十万騎の大隊が編成されると、
「幷州へ入って、高幹に止めを刺せ」と、曹操はそれに命令を下した。
そして自身はなお幽州へ進攻して、袁熙、袁尚のふたりを誅伐すべく準備に怠りなかったが、その間にまず袁譚の首を、城の北門に梟けて、
「これを見て歎く者があれば、その三族を罰すであろう」と、郡県に普く布令た。
ところがある日、布冠をいただいて、黒い喪服を着た一処士が番の兵に捕まって、府堂へ引っ立てられて来た。
「丞相のお布令にもかかわらず、こやつは袁譚の首を拝し、獄門の下で慟哭しておりました」というのである。
人品の常ならぬのを見て、曹操は自身で糺した。
「汝はどこの何者か」
「北海営陵(山東省濰県)の生まれ王修、字を叔治という者です」
「郡県の高札を見ていないのか」
「眼は病んでおりません」
「しからば、自身のみならず、罪三族に及ぶことも承知だろうな」
「歓びを歓び、悲しみを悲しむ、これ人間の自然で、どうにもなりません」
「汝の前身、何していたか」
「青州の別駕を努め、故袁紹の大恩をうけた者です」
「わが前で口を憚らぬ奴。小気味のいい言い方だ。しかしその大恩をうけた袁紹となぜ離れていたか」
「諫言をすすめて、主君に容れられず、政務に忠ならんとして、朋人に讒せられ、職を退いて、野に流れ住むこと三年になるが、何とて、故主の恩を忘れ得ましょうや。いま国亡んで、嫡子の御首を市に見、哭くまいとしても、哭かずにはいられません。──もしこの上、あの首を私に賜わり、篤く葬ることをお許し下さるなら、身の一命はおろか、三族を罪せられようとも、お恨みは仕りません」
王修は憚る色もなくそう言った。
どんなに怒るかと思いのほか、曹操は堂中の諸士を顧みて、嘆久しゅうした。
「この河北には、どうして、かくも忠義な士が多いのか。思うに袁紹は、こういう真人を用いず、可惜、野へ追いやって、ついに国を失ってしまったのだ」
即ち、彼は王修の乞いを許し、その上、司金中郎将に封じて、上賓の礼を与えた。
幽州(冀東)の方面では、早くも、曹軍の襲来を伝えて、大混乱を起こしていた。
所
、かなわぬ敵と
怖れて、袁尚はいち早く、
遼西(
熱河地方)へさして逃げのび、州の別駕、
韓珩一族は、城を開いて、曹操に
降った。
曹操は降を容れ、韓珩を鎮北将軍に任じて、更に、幷州方面の戦況を案じ、みずから大兵を率いて、楽進李典などの加勢に赴いた。
袁紹の甥高幹は、幷州の壺関(河北省境)を死守して、なお陥ちずにあった。
すると、わずか数十騎を連れた二人の大将が、城門まぢかまで来て、
「高君、高君。開け給え」と、救いを呼んでいた。
高幹が櫓から見下ろすと、旧友の呂曠と呂翔だった。
ふたりが大声で言うには、
「一度は故主に反いて、曹操に降ったが、やはり降人あつかいされて、ろくな待遇はしてくれない。もと木に勝るうら木なしだ。今後は協力して曹操に当たらん。旧誼を思い出し給え」
高幹は、なお疑って、兵は門外にとどめ、二人だけを城中に迎え入れた。
「曹操はたったいま幽州から着いたばかりだ。今夜、討って出ればまだ陣容もととのわず遠路の疲れもある。きっと勝てる」
浅慮にも、高幹は、二人の策に乗ってしまった。堅城壺関も、その夜ついに陥落し、高幹は命からがら北狄の境をこえて、胡の左賢王を頼って行ったが、途中家来の者に刺し殺されてしまった。
遼西・遼東
一
いまや曹操の勢いは旭日のごときものがあった。
北は、北狄とよぶ蒙古に境し、東は、夷狄と称する熱河の山東方面に隣するまで───旧袁紹治下の全土を完全に把握してしまった。彼らしい新味ある施政と威令とは、沈澱久しかった旧態を一掃して、文化産業の社会面まで、その相貌はまったく革まって来た。
しかも、曹操は、まだ、
「──これで可い」と、しなかった。
彼の胸中は、大地の広大のごとく、果てが知れなかった。
「いま、袁熙、袁尚の兄弟は、遼西の烏丸(熱河地方)におるという。この際、放棄しておいては、後日の禍になろう。遼西、遼東の地を併せ定めておかなければ、冀北、冀東の地も永久に治まるまい」
彼の壮図の下に、ふたたび大軍備が命ぜられたが、もとよりこれには曹洪以下、だいぶ異論も多かった。
ここはすでに遠征の地である。遠征からまた遠征へ、そうした果てなき制覇に邁進している間に、遠い都に変が起こったらどうするか。また荊州の劉表、玄徳などが、留守を窺って、虚を衝いたらどうするか。
実に当然な憂いであった。
──が、ひとり郭嘉は、曹操の大志を支持して、
「冒険には違いないが、千里の遠征も、制覇の大事も、そう二度三度は繰り返されません。すでに都を去ってここまで来たものを千里征くも、二千里征くも大差はない。ことに、袁紹の遺子を流浪させておけば、連年、どこかで叛乱を起こすにちがいありません」
議事は決した。
遼西、遼東は、夷狄の地とされている。かつて体験のない外征であった。ために、軍の装備や糧食の計には万全が尽くされた。戦車、兵粮車だけでも数千輛という大輜重隊が編成された。
そのほか、純戦闘隊数十万、騎馬あり徒歩あり、輿あり、また弩弓隊あり軽弓隊あり、鉄槍隊あり、工具ばかり担ってゆく労兵隊などまで実にものものしいばかりな大行進であった。
盧龍寨(河北省劉家営)まで進んだ。
すでに夷境へ近づくと、山川の気色も一変し、毎日狂風が吹き荒れて──いわゆる黄沙漠々の天地が蟻のようなこの大行軍の蜿蜒をつつんだ。
そして易州まで来ると、曹操にとって、不慮の心配事ができた。それは彼を扶けて常に励まして来た郭嘉が、風土病にかかって、輿にも乗っているに堪えなくなったことである。
郭嘉は、大熱を怺えながら、なお曹操に献策していた。
「どうも、行程が捗どらないようです。かくては、千里の遠征に、功は遂げても、年月を費やしましょう。また敵の備えも固まりましょう。──如かずあなたは、軽騎の精猛のみを率い、道の速度を三倍して、夷狄の不意を衝きなさい。その余の軍勢は、不肖がお預かりして病を養いながら、お待ちしております」
曹操は彼の言を容れて、初めの大軍を改編し、雷挺隊と称する騎馬と車ばかりの大部隊をひいて、遮二無二、遼西の境へ侵入した。
道の案内には、もと袁紹の部下だった田疇という者が立った。
泥河あり、湖沼あり、断崖あり──あらゆる難路が横たわっているので、もし田疇がいなかったら、地理の不案内だけでも、曹軍は立ち往生したかも知れなかった。
かくて、ようやく夷狄の大将冒頓の柳城(熱河省)へ接近した。
時、建安の十一年、秋七月だった。
二
柳城の西、白狼山を陥とし、曹操はこれに立って、敵を俯瞰した。そして言うには、
「おびただしい夷族の整備ではある。けれど悲しいかな、夷族はやはり夷族。あの配陣はまるで兵法を知らないものの児戯だ。一戦に蹴破ってよろしい」
すなわち張遼を先鋒に、于禁、許褚、徐晃などを、三面から三手に分け、城外の敵を一塁一塁踏み破り、ついに夷将冒頓を討ち取って、七日のうちに柳城を占領してしまった。
袁煕と袁尚はここに潜んで督戦していたが、またも拠るところを失ったので、わずか数千の兵をつれて遼東の方へ逃げ足早く落ちて行った。
そのほかの夷兵は全部、降参して出た。曹操は、田疇の功を賞して、柳亭侯に封じたが、田疇はどうしても受けない。
「それがしは以前、袁紹に仕えて、なお生きている身なのに、旧主の遺子を追う戦陣の道案内に立って、爵禄を頂戴するなど、義において忍びません」と言うのである。
「苦衷。もっともな事だ」
曹操は思いやって、代わりに議郎の職を命じ、また柳城の守りをいいつけた。
律令正しい彼の軍隊と、文化的な装備やまた施政は、著しく辺土の民を徳化した。近郡の夷族は続々と、貢ぎ物を齎して、柳城市を群れをなし、みな曹操に恭順を示した。
なかには騎馬一万匹を献納した豪族もある。曹操の軍力はかくて大いに富強された。けれど彼は、日々、易州に残して来た愛臣郭嘉の病態を思うことを忘れなかった。
「......どうも捗々しくなく、九分まではむずかしいそうです」
易州の便りでそれを知った彼の秘書は憂わしげに告げた。曹操は、急に、
「ここは田疇にまかせて還ろう」と、言い出した。
すでに冬にかかっていた。車騎大兵の行路は、困難を極めた。時には二百余里のあいだ一滴の水もなくて、地下三十丈を掘って求めなければならなかったし、青い物は一草もないので、馬を
斃して

い、病人は続出する有り様だった。
ようやく、易州に回り着いて、曹操はまずなにを第一に為したかというと、先に、夷境への遠征を諫言した大将たちに、
「よく、善言を言ってくれた」と、恩賞を頒け与えたのである。そしてなお言うには、
「幸いに、勝つ事を得、身も無事に還って来たが、これはまったく奇蹟か天佑というほかはない。獲る所は少なく、危険は実にはなはだしかった。この後、予に短所があれば、舌に衣を着せず、万、諫めてもらいたい」
次に彼は、郭嘉の病床を見舞った。郭嘉は彼の無事なすがたを見ると、安心したか、その日に息をひきとった。
「予の覇業は、まだ中道にあるのに、折角、ここまで艱苦を共にして来た若い郭嘉に先立たれてしまった。彼は諸将の中でも、一番年下なのに」
と、彼は骨肉のひとりを失ったように、涙をながして悲しんだ。喨々、哀々、陣葬の角笛や鉦は、三日にわたって、冬空の雲を哭かしめていた。
祭が終わると、郭嘉の病床に始終仕えていた一僕が、そっと、一封の書面を、曹操に呈した。
「これは、亡くなられた御主人の御遺言でした。死期を知ると、御主人はみずから筆をとって認め、自分が死んだら、あとで御主君に渡してくれよ、ここに書いたようになされば、遼東の地は、自然に平定するであろうとおっしゃいました」
曹操は、遺書を額に拝した。
数日の後には、早くも、諸将のあいだに、
「遼東をどうするか?」──が、粉々と私議論争されていた。
袁熙、袁尚の二名は、その後、遼東へ奔って、太守公孫康の勢力をたのみ、またまた、禍の兆しが見えたからである。
「捨てておいても大事ない。やがて近いうちに、公孫康から、袁兄弟の首を送って来るだろう」
曹操は今度に限ってひどく落ち着きこんでいた。
三
逃亡から逃亡へ、今は身のおき所もなく、遼東へ頼って来た袁煕、袁尚の兄弟に対して、太守公孫康は、
「扶けたがいいか、いっそ、殺すべきだろうか」を、今なお迷っていた。
──というのは、一族の者から、扶ける必要はないと、異論が出たからである。
「彼等の父袁紹が在世中には、つねにこの遼東を攻略せんと計っていたものである。しかし実現に至らぬうち、自分が敗れ去ったのだ。怨みこそあれ恩顧はない」
そして、なおこう極言する者もあった。
「──鳩は鵲の巣を借りて、いつのまにか鵲を追って巣を自分の物にしてしまう。亡父の遺志を思い出して、袁兄弟も、後には鳩に化けないこともない。むしろこの際、彼等の首を曹操へ送ってやれば、曹操は遼東を攻める口実を失い、遼東もこのまま安泰なるばかりでなく、翻然、御当家を重んじないわけに行かなくなる」
公孫康は、その儀もっともなり──と決心して、一方人を派して、曹軍の動静をうかがわせ、曹軍の攻め入る様子もないと見極めると、ある日、城下にある袁兄弟へ使いをやって、酒宴に迎えた。
袁煕と袁尚は、
「さてはそろそろ出陣の相談かな? 何といっても曹操の脅威をうけている折だから、吾々の協力もなくてはかなうまい」
などと談じ合いながら登城して来た。
ところが、一閣の室に通されて見ると、この寒いのに、暖炉の備えもなく榻の上に裀を敷いてなかった。
ふたりは面を膨らせて、
「われわれの席はどこですか」と、尊大振った。
公孫康は、大いに笑って、
「今から汝等二つの首は、万里の遠くへ旅立つのに、なんで温かき席が要ろうや」
と、言うや否、帳の陰を振り顧って、それっと合図した。
十余名の力者はいっせいにおどり出して、二人へ組みつき、左右から脾腹に短剣を加え、袁煕、袁尚ともども無造作に首にしてしまった。
易州に陣取ったまま、曹軍は依然、動かずにあったが、夏侯惇、張遼などは、その間、しばしば曹操へ諫めた。
「もし遼東へ攻め進むお心がないならば、はやく都へ御凱旋あってはいかがです。為すこともなく、こんな所に滞陣しているのは無意味でしょう」
すると曹操は、
「決して無為に過ごしているわけではない。今に遼東から、袁煕、袁尚の首を送って来るであろうから、それを待っているのだ」と、答えた。
諸将は、彼の心事を怪しみ、また嘲笑を禁じ得なかった。ところが半月ほどすると、太守公孫康の使者は、ここに到着し、書を添えて、匣に入れた塩漬けの首二顆を正式に献じた。
さきに嘲り笑っていた諸人は驚いた。曹操は限りなく笑い興じて、
「郭嘉の計に違わず、故人の遺書のとおりになった。彼も地下で満足したろう」
と、種明かしをして聞かせた。
それに依ると、郭嘉は、遺書のうちに、「遼東ハ兵ヲ用イズシテ攻ムベシ。動カザレバ即チ、坐シテ袁二子ノ首級自ラ到ラン」と極力、進攻を戒めていた。
つまり彼は、遼東の君臣が、袁家の圧力に対して、多年伝統的に、反感や宿怨こそ持っているが、何の恩顧も好意も寄せていないことを、疾くに洞察していたからである。
こういう先見の明もありながら、ここ易州の軍旅のうちに病死した郭嘉は、年まだ三十八歳であった。
さて曹操は、遼東の使者を厚くねぎらい、公孫康へ報ゆるに襄平侯左将軍の印をもってした。そして郭嘉の遺髪を手厚く都へ送り、やがて自身も、全軍を領して、冀州まで帰った。
食客
一
北方攻略の業はここにまず完成を見た。
次いで、曹操の胸に秘められているものは、いうまでもなく、南方討伐であろう。
が、彼は、冀州城の地がよほど気に入ったとみえて、ここに逗留していること久しかった。
一年余の工を積んで、漳河の畔りに銅雀台を築いた。その宏大な建物を中心に、楼台高閣を繞らして、一座の閣を玉龍と名づけ、一座の楼を金鳳と称え、それらの勾欄から勾欄へ架するに虹のように七つの反り橋をもってした。
「もし老後に、閑を得たら、ここに住んで詩でも作っていたい」
とは、父としての彼が、次男の曹子建にもらした言葉だった。
曹操の一面性たる詩心──詩のわかる性情──をその血液からうけ継いだ者は、ほかに子も多いが、この次男だけだった。
で、曹操は、日ごろ特に、彼を愛していたが、自分はやがて都へ還らなければならない身なので、「よく兄に仕えて、父が北方平定の業を、空しくするなよ」と訓え、兄の曹丕と共に鄴城へとどめて、約三年にわたる破壊と建設の一切を完了し、兵雲悠々と許都へひきあげた。
まず久しぶりに参内して、天子に表を捧げ、朝廟の変わりない様をも見、つづいて大規模な論功行賞を発表した。また郭嘉の子郭奕を取り立てなどして、帰来、宰相としての彼は、陣中以上、政務に繁忙であった。
× × ×
食客は天下到るところにいる。
主は好んで客を養い、客は卑下なく大家に蟠踞して、共に天下を談じ、後日を期するところあらんとする。──そうした風潮は、当時の社会の慣わしで、べつに異とするほどな事ではなかった。
三千の兵、数十の将、二名の兄弟、そのほか妻子眷族まで連れていても、国を失って、他国の庇護の下に養われれば、これもまた「大なる食客」であった。
いま荊州にある玄徳は、そうした境遇であった。けれど、食客もただ徒食してはいない。国は遊ばせておかない。
江夏の地に、乱が興った。張虎、陳生という者が、掠奪、暴行から進んで叛乱の火を揚げたのである。
玄徳は、自ら望んで、その討伐に向かった。そして地方の乱を鎮定し、その戦で、賊将張虎が乗っていた一頭の名駿を手に入れて帰った。
張虎、陳生の首を献じて、
「もうあの地方には、当分、御心配の必要はないでしょう」
と、報告をすました。劉表は彼の功を賞して、はなはだしく歓んだが、幾日か過ぎると、また、
「憂いのたねは尽きないものだ」と、嘆息して、玄徳に諮った。
「御辺のような雄才が、わが荊州にいる以上、大安心はしているが、漢中の張魯と、呉の孫権はいつも頭病のたねだ。ことに南越の境には、のべつ敵の越境沙汰が絶えない。この患いを除くにはどうしたものであろう?」
「さあ、人間の住む地には、万全というものは有り得ないものですが、やや安泰をお望みあるなら、私の部下の三名をお用いあって、張飛を南越の境に向け、関羽に固子城を守らせて漢中に備えさせ、趙雲に兵船を支配させて、三江の守備を厳になされたらいかがです。彼等はかならず死守して荊州の寸土も敵に踏ませることではありません」と、思うまま述べた。
劉表は同意した。玄徳の雄将たちを、自国のためそこまで有効に使えれば──と、その歓びを大将蔡瑁に語ったところが、
「ははあ、なるほど」と、いう程度で蔡瑁はあまり感服しない顔色だった。
彼は、劉表の夫人蔡氏の兄である。それかあらぬか、彼はさっそく後閣を訪ねて、何か夫人と囁きあっていた。もちろん問題は玄徳のことらしい。
二
主君の夫人たりまた自分の妹でもある彼女へ、蔡瑁はこう囁いた。
「御身からそれとなく諫めた方がよかろう。此方から申し上げれば、表立って、自然、角も立つからな」
蔡夫人は頷いた。
その後、良人の劉表と、ただ二人きりの折、彼女は女性特有な細かい観察と、針をふくむ綿のような言葉で、
「すこしは御要心遊ばして下さいませ。あなたはあなた御自身のお心で、世間の者もみな潔白だと思って、すぐ御信用になりますけれど、どうして、玄徳などという人には、油断も隙もなりはしません。──あの人は以前沓売りだったというじゃありませんか。義弟の張飛は、ついこの間まで、汝南の古城に籠って強盗をしていたというし。......何だか、あの人が御城下へ来てから、とても藩中の風儀が悪くなったような気がします。御譜代の家臣たちも、みな胸を傷めているそうでございますし」と、ある事ない事、さまざまに誹った。
それをみな真にうけるほど、劉表も妻に甘くはないが、なんとなく玄徳に対して、一抹の不安を持ったことは否めない。
閲兵のため、城外の馬場へ出た日である。劉表は、ふと、玄徳の乗っている駿壮の毛艶とその逞しい馬格を見て、
「すばらしい逸足ではないか」と、嘆賞してやまなかった。
玄徳は、鞍から降りて、
「そんなにお気に召したものなら、献上いたしましょう」と自ら口輪をとって進めた。
劉表はよろこんで受けた。すぐ乗り換えて城中へ帰って来ると、門側に立っていた蒯越という者が、
「おやッ、的盧だ」と、つぶやいた。
劉表は聞き咎めて、
「蒯越、なにを愕くか」
と、たずねた。蒯越は拝伏して、理由を述べた。
「私の兄は、馬相を見ることの名人でした。ですから自然、馬相に就いて教わっていましたが、四本の脚が、みな白いのを四白といい、これも凶馬とされていますが、額に白点のある的盧は、もっと凶いといわれています。それを乗用する者に、必ず祟りをなすと古来から忌まれているもので、ために、張虎もこの馬に乗って討ち死にしました」
「......ふウむ?」
劉表はいやな顔してそのまま内門深く通ってしまった。
次の日。酒宴の席で、彼は玄徳に杯を与えながら言った。
「きのうは、心にもない無心をした。あの名馬は、御辺に返そう。城中の厩に置かれるよりは、君のごとき雄材に、常に愛用されていたほうが、馬もきっと本望だろうから」
と、さり気なく、心の負担を返してから、彼はまた、
「──時に御辺も、館に居ては市街に住み、出ては城中の宴に列し、こう無事退屈の中におられては、自然、武芸の志も薄らごう。わが河南の襄陽のそばに新野(河南省新野)という所がある。ここは武具兵糧も籠めてあるから、ひとつ一族部下をつれて、新野城に行ってはどうか。あの地方を一つ守ってくれんか」
もちろん否やはない。玄徳は即座に命を拝して、数日の後、新野へ旅立った。
劉表は城外まで見送った。一行は荊州の城下に別れを告げ、やがて数里を来ると、ひとりの高士が彼の馬前に長揖して告げた。
「先ごろ城内で、蒯越が劉表に説いていました。──的盧は凶馬と──乗る人に祟りをなすと。──どうかその御乗馬はお換えください」
何人か? と見ると、それは劉表の幕賓で、伊籍字を機伯という者だった。
玄徳は馬を降りて、
「先生、おことばは謝しますが、憂はおやめ下さい。──死生命アリ、富貴天ニアリ──何の馬一匹が私の生涯を妨げ得ましょう」
と、手を取って笑い、爽やかに別れを告げて、ふたたび新野の道へ向かった。
三
新野は一地方の田舎城である。
けれど、河南の春は平和に、ここへ来てから、玄徳に歓び事があった。
正室の甘夫人が、男児を産んだのである。
お産の暁方には、一羽の鶴が、県衙の屋根に来て、四十余声啼いて西へ翔け去ったという。
また、妊娠中に夫人が、北斗星を呑んだ夢を見たというので、幼名を「阿斗」とつけ、すなわち劉禅阿斗と称した。
時は、建安十二年の春だった。
ちょうどその前後、曹操の遠征は、冀州から遼西にまで及んで、許昌の府は、ほとんど手薄と窺われたので、玄館は再三再四、劉表に向かって、
「今こそ、志を天下に成す時ですが」と、すすめたが、劉表の答えはきまってこうであった。
「いや自分は、荊州九郡を保ってさえいれば、家は富み国は栄えるばかりだ。この上に何を望もう」
玄徳は失望した。
むしろこの人は、天下の計よりも、内心の一私事に煩っているのではないか。
かつて、劉表から打ち明けられた家庭上の問題を、玄徳は思い出してみた。
劉表には二子があった。
劉琦は、前の妻陳夫人の腹であり、次男劉琮は、蔡夫人の産した子である。
長男の琦は、賢才の質だが柔弱だった。そこで次男の琮を立てようとしたが、長子を廃するのは国乱の始めなりと、俄然、紛論が起こって、沙汰止みとされ、やむなく礼に順って、次男を除こうとしたところ、蔡夫人、蔡瑁などの勢力が隠然とものを言って、背後から彼を苦しめ惑わすのであった。
折々、登城しては、その劉表に向かって、天下の機微や風雲を語ってみても、こんな女々しい愚痴ばかり聞かされるので、玄徳もひそかに見限っていた。するとある折、酒宴の半ばに、玄徳は厠へ立って、座に帰ると、しばらくのあいだ黙然と興も無げにさし俯向いていた。
劉表は怪訝って、
「どう召されたか。何ぞ、わしの話でも、気に障られたか」と、たずねた。
玄徳は面を振って、
「いえいえ御酒宴を賜わりながら、愁然と鬱ぎこみ、私こそ申しわけありません。仔細はこうです。ただ今、厠へ参って、ふとわが身を顧みると、久しく美衣美食に馴れたせいでしょう、髀の肉が肥え脹れて参りました。──かつては、常に身を馬上におき、艱苦辛酸を日常としていた自分が──ああ、いつのまにこんな贅肉を生じさせたろうか。日月の去るは水の流るるごとく、かくて自分もまた、為すこともなく空しく老いて行くのか......と、ふとそんな事を考え出したものですから、思わずわれとわが身を恥じ、不覚な涙を催したわけでした。どうか、お心にかけないで下さい」と、詫びて、瞼をかろく指の腹で拭った。
劉表は、思い出したように、
「そうそう、ずっと以前、許昌の官府で、君と曹操と、青梅の実をとり酒を煮て、共に英雄を論じた時、どちらが言ったか知らないが、天下の群雄もいま恐れるに足るものはない、まず真の英雄とゆるされる者は御辺と我ぐらいなものであろう──と語ったそうだが、その一方の御身が、先ごろからこの荊州に来ていてくれるので、この劉表もどんなに心強いか知れぬ」と、言った。
玄徳もその日は、いつになく感傷的になっていたので、
「曹操ごとき何かあらんです。もし私が貧しくも一国を持ち、それに相応する兵力さえ持てば......」
と、つい口を、辷らせかけたが、ふと劉表の顔色が変わったのに気づいて、後は笑いに紛らして、わざと杯をかさねて大酔したふりをしてそこに眠ってしまった。
四
横になると、手枕のまま、玄徳はもう大鼾をかき始めた。寝涎を垂らして眠っている。
「......?」
劉表は、猜疑に囚われた眼で、その寝顔を見まもっていた。自分の住居の中に、巨大な龍が横たわっているような恐怖をおぼえたのである。
「やはり怖ろしい人間だ!」
彼もあわてて座を立った。
すると、衝立の陰に佇んでいた妻の蔡夫人が、ふと寄り添って囁いた。
「あなた、いまの玄徳のことばを、何とお聞きになりましたか。常には慎んでおりましても、酔えば性根は隠せません。本性を見せたのです。わたしは、恐ろしさにぞくぞくしました」
「......ううむ」
劉表は、呻いたきり、黙然と奥の閣へかくれてしまった。
良人の煮えきらない容子に蔡夫人は焦々しく思った。だが、良人はもう充分、玄徳に疑いを抱いていることは確かなので、急に兄の蔡瑁を呼んで、
「どうしたものであろう」と、諮った。
蔡瑁は自分の胸を叩いて、
「此方にお任せ下さい」と、あわてて退がった。
夕方までに、彼は極秘裡に一団の兵をととのえ、夜の更けるのを待っていた。翌日となれば、玄徳は新野へ帰る予定である。大事の決行は急を要したが、その客舎を襲撃するには、宵ではまずい。夜半か、夜明けか、寝込みを襲うが万全と考えていたのである。
──ところが。
日ごろから玄徳に好意をもっている幕賓の伊籍がちょうど城下に来ていて、ふとこの事を耳にはさんだので、
「これは、捨てておけない」
と早速、彼の客舎へ贈り物として菓物を届け、その中へ密封した一書をかくしておいた。
玄徳はそれを見て愕いた。夜半に蔡瑁の兵がここを取り囲むであろうとある。彼は、夕方の食事も半ばにして、客舎の裏から脱出した。従者もちりぢりに後から逃げて彼に追いついた。
蔡瑁は、そんな事とも知らず、五更のころを見はからって、いっせいに鉦を鳴らし、鼓を打ち、ここへ殺到した。
もちろん、藻抜けの殻。彼は、
「不覚っ」と、地だんだを踏み、追っ手をかけてみたが、獲るところもなかった。
そこで彼は、一計を案じて、自分の作った詩を、部下のうちで偽筆の巧みな者に命じ、墨黒々、客舎の壁に書かせておいた。
そして、急遽、
「一大事でござる」と城へ行って、劉表に会い、真しやかにこう告げた。
「堂々、玄徳とその部下の者どもが、この荊州を奪わんとし、御城下に参るたび、地形を測り攻め口を考究し、不穏な密会あると聞き及びおりますため、昨夜、小勢の兵を
窺わせ、様子を
捜らせておりましたところ、早くも事の発覚と見、一詩を壁に書き残したまま、風を

らって
新野へ逃げ
失せましてございます。──御当家の御恩もわすれて、
寔に言語道断な振る舞いで」
劉表はみなまで聞かないうち蒼白になっていた。急いで駒を命じ、自身、客舎へ行って、彼が書きのこして行ったという壁の詩を見つめた。
困シテ荊襄ヲ守ル已ニ数年
眼前空シク旧山川ニ対ス
蛟龍豈コレ池中ノ物ナランヤ
臥シテ風雷ヲ聴キ飛ンデ天ニ上ル
「......?」
劉表の鬢髪はふるえを見せていた。蔡瑁は今こそと、馬をすすめて、
「兵の用意はできています。いざ新野へ御出陣を」
と、言ったが、劉表はかぶりを振って
「詩などは、戯れに作ることもある。もう少し彼の様子を見てからでも......」
と、そのまま城中へ戻ってしまった。
檀渓を跳ぶ
一
蔡瑁と蔡夫人の諜略は、その後も熄まなかった。一度の失敗は、かえってそれを募らせた傾きさえある。
「どうしても、玄徳を除かなければ──」と、躍起になって考えた。
けれども肝腎な劉表がそれを許さない。同じ漢室の裔ではあるし、親族にもあたる玄徳を殺したら、天下に外聞が悪いというのである。
まだ、口には出さないが、そのため、継嗣の争いや閨閥の内輪事が、世間へ漏れることも極力避けようと努めているらしい。総じて、彼の方針は、事勿れ主義をもって第一としていた。
蔡夫人は、
良人のそうした態度に
焦々して、兄の蔡瑁に、事を急ぐこと
頻りだった。
閨門と食客とは、いつも不和を
醸すにきまったものだが、彼女が玄徳を
忌み

うことは、実に
執拗であった。
「まあ、おまかせあれ」
蔡瑁は、彼女を宥めて、しきりと機を測っていたらしかったが、ある時、劉表にまみえて、謹んで献言した。
「近年は五穀よく熟して、豊作が続いています。ことにことしの秋はよく実のり、国中豊楽を唱えておりますれば、この際、各地の地頭官吏を始め、田吏にいたるまでを、襄陽にあつめて、慰労の猟を催し大宴を張り、もって御威勢を人民に示し、また諸官吏を賓客として、御主君みずから犒い給えば荊州の富強はいよいよ万々歳と思われますが、ひとつお気晴らしに、お出ましあってはいかがなもので」
劉表はすぐ顔を振った。左の髀を撫でながら、顔を顰めて、
「案はいいが、わしは行かぬ、劉琦か劉琮でも代理にやろう」
と言った。近ごろ、劉表は神経痛に悩んで、夜も睡眠不足であることを、蔡夫人から聞いてよく知っているはずだった。
「困りましたな。御嫡子方は、まだ御幼年ですから、御名代としても、賓客に対して礼を欠きましょうし......」
「では、新野におる玄徳は、同宗の裔だし、わしの外弟にもあたる者。彼を請じて、大宴の主人役とし、礼を執り行なわせたらどんなものだろう」
「至極結構と存じます」
蔡瑁は、内心仕すましたりと歓んだ。早速「襄陽の会」の招待を各地へ触れると共に、玄徳へ宛てて劉表の意なりと称し、主人役を命じた。
あれから後、玄徳は新野へ帰っても、快々として楽しまない容子だったが、この飛状に接すると、ふたたび、
「ああ。また何か無ければよいが」と、先ごろの不愉快な思い出が胸に疼いてきた。
張飛は、仔細を知ると、「御無用御無用、そんな所へ行って、何の面白い事があろう。断わってしまうに限る」と、無造作に止めた。
孫乾もほぼ同意見で、
「お見合わせがよいでしょう。おそらくは、蔡瑁の詐計かも知れません」と、看破してしまった。
けれど関羽、趙雲のふたりは、
「いま命に反けば、いよいよ劉表の疑心を買うであろう。如かず、ここは眼をつぶって、軽くお役目だけを勤めてすぐお立ち帰りある方が無事でしょう」
と、すすめた。玄徳もまた、
「いや、わしもそう思う」
と、三百余騎の供揃いを立て、趙雲一名を側らに連れて、即日、襄陽の会へ出向いて行った。
襄陽は新野を距ること遠かった。約八十里ほど来ると、すでに蔡瑁以下、劉琦、劉琮の兄弟だの、また王粲、文聘、鄧義、王威などという荊州の諸大将まで、すべて旺な列伍を敷いて、玄徳を出迎えるため立ち並んでいた。
二
この日、会するもの数万にのぼった。文官軍吏の賓客、みな盛装を凝らし、礼館の式場を中心に、宛として秋天の星のごとく埋まった。
喨々たる奏楽裡、玄徳は国主の代理として、館中の主座に着席した。
この平和な空気に臨んで、玄徳は心にほっとしていたが、彼のうしろには、爛たる眼をくばり、大剣を佩いて、
「わが主君に、一指でも触るる者あれば免さんぞ」
と、言わんばかりな顔して侍立している趙雲子龍があり、またその部下三百人があって、かえって、玄徳の守備の方が、ものものし気に見え過ぎていた。
式は開かれた。玄徳は、劉表に代わって、国主の「豊饒を共に慶賀するの文」を読みあげた。
それから諸賓を犒う大宴に移って、管鼓琴絃沸くばかりな音楽の裡に、料理や酒が洪水のごとく人々の華卓に饗された。
蔡瑁は、この間に、そっと席を外して、
「君、ちょっと、顔を貸してくれぬか」と、大将蒯越に耳打ちした。
ふたりは人無き一閣を閉め切って、首を寄せていた。
「蒯越。足下も玄徳の毒にあてられるな。あれが真の君子なら世の中に悪党はない。彼は腹ぐろい梟雄だ」
「......さようかなあ?」
「まず嫡男の劉琦君をそそのかして、後日、荊州を横奪せんと企んでおるのを知らんか。彼を生かしておくのは、われわれの国の災いだと思う」
「ではあなたは、今日、彼を殺さんというお心なのか」
「襄陽の会は、実にそれを謀るために催したと言ってもよろしい。彼を除く事の方が、一年の豊饒を歓ぶよりも、百年の安泰を祝すべき事だと信じる」
「でも、玄徳という人物には、不思議にも隠れた人望がある。この荊州に来てからまだ日も浅いが、しきりと彼の名声は巷間に伝えられておる。──それを罪もなく殺したら、諸人の輿望を失いはすまいか」
「討ち取ってしまいさえすれば、罪は何とでも後から称えられる。総ては、この蔡瑁が御主君より任せられているのだから、ぜひ足下にも一臂の力を貸してもらわねばならん」
「主命とあれば黙止がたい。御念までもなく、助太刀いたすが、して、あなたにはどんな用意があるのか」
「実はすでに──東の方は峴山の道を、蔡和の手勢五千余騎で塞がせ、南の外門路一帯には、蔡仲に三千騎をさずけて伏兵とさせてある。なお、北門には、蔡勲の数千騎が固めて蟻の這い出る隙もないようにしているが、......ただ西の門は、一路檀渓の流れに行き当たり、船でもなければ渡ることは出来ないから、ここはまず安心して、ざっと、以上のとおり手配はすべて調っておる」
「なるほど、必殺の御用意、この中に置かれては、いかな鬼神でも、遁れる術はござるまい。──けれど、あなたは主命をおうけかも知らぬが、此方には直接のおいいつけない事故、後日に悔いのないよう、なるべく彼を生け擒りにして荊州へ曳かれたほうがよろしくはあるまいか」
「それはいずれでもよいが」
「それと、注意すべき人間は、玄徳のそばに始終立っている趙雲という大剛な武将。あれが眼を光らしているうちは、迂闊に手は下せませぬぞ」
「きゃつが居ては、おそらく手に余るかも知れぬ。その儀は、自分も思案中だが」
「趙雲を離す策を先にすべきでしょう。味方の大将、文聘、王威などに、彼を歓待させて、別席の宴楽へ誘い、その間に、玄徳もまた、州衙主催の園遊会へ臨む予定がありますから、その方へ連れ出して討ち取れば、難なく処分ができましょう」
蒯越の同意を得、また良策を聞いて、蔡瑁は、事成就と歓んで、すぐ手筈にかかった。
三
州の主催にかかる官衙の園遊会は、要するに、知事以下の官吏や州の有力者が、この日の答礼と歓迎の意を表したものである。
玄徳は迎えられて、そこへ臨んだ。
馬を後園に繫がせて、定められた堂中の席に着くと、知事、州吏、民間の代表者など、こもごも、拝礼を行なって満堂に列坐し、さまざまに酒をすすめて玄徳をもてなした。
酒三巡のころにいたると、かねて肚に一物のある王威と文聘は、玄徳のうしろに屹と侍立している趙雲の側へ寄って、
「いかがです、一献」と、杯をすすめ、「そう厳然と立ち通しでは大変です。今日は上下一体、和楽歓游の日で、はや公式の席はあちらで相済んだ事でもありますから、足下もひとつ寛いで下さい。ひとつ別席へ参って、われわれ武骨者は武骨者同士で大いに飲りましょう」と促した。
「いや御辞退申す」
趙雲は膠もない。
「──折角だが断わる」とのみで、どう誘っても、そこから動こうとはしない。
けれど文聘や王威が怒りもせず、あくまで根よく慫慂している様子を、玄徳は見るに見かねて、
「これこれ、趙雲」と振り向いて──
「そちはよかろうが、そちの侍立しているうちは、部下の者どもも動くことができまい。それに折角のおもてなしに対してあまり固辞するも礼を欠く。──諸君のおことばに甘え、しばし退がって休息いたすがよい」と、言った。
趙雲は、はなはだぶっきら棒に、
「主命とあれば......」
是非がない! といわんばかりな顔して、文聘や王威等と共に、別館へ退がった。
部下五百の者も、同時に、自由を与えられて、各々遠く散らかった。
蔡瑁は、心の裡で、
「わが事成れり」と、早くも座中の空気を見廻していた。すると、大勢の中にあった伊籍が、玄徳にそっと目くばせして、
「まだ御正服のままではありませんか。衣をお着更えなされてはいかが」と、囁いた。
意を悟って、玄徳は、厠へ立つ振りをして後園に出て見ると、果たして、伊籍が先に廻って木陰に待っていた。
「今やあなたの一命は風前の燈火にも似ている。すぐお逃げなさい! 一瞬を争いますぞ」
伊籍のことばに、さてはと、玄徳も直感して、すぐ駒を解いて引き寄せた。
伊籍はかさねて、
「東門、南門、北門、三方すべて殺地。ただ西の門だけには、兵をまわしていないようです」
と、教えた。
「かたじけない、後日、生命あればまた」
言い残したまま、玄徳は後ろも見ずに走り出した。西門の番兵が、あッとなにか呶鳴ったようだが、飛馬の蹄は、一塵の下に彼の姿を遠くしてしまった。
鞭も折れよと、馳け跳ぶこと二里余り、道はそこで断たれていた。ただ見る檀渓(湖北省。襄陽の西、湘江の一支流)の偉観が前に横たわっている。断層をなした激流の見渡すかぎりは、白波天にみなぎり奔濤は渓潭を嚙み、岸に立つや否、馬嘶き衣は颯々の霧に濡れた。
玄徳は馬の平首を叩いて、
「的盧的盧。汝、今日われに祟りをなすか、またわれを救うや。──性あらば助けよ!」
と叫び、また心に天を念じながら、いきなり奔流へ馬を突っ込んだ。激浪は人馬をつつみ、的盧は首をあげ首を振って濤と闘う。そしてからくも中流を突き進むや、約三丈ばかり跳んで、対岸の一石へ水煙と共に跳び上がった。
四
玄徳も、またその乗馬も、共に身ぶるいして、満身の水を切った。
「ああ! 我生きたり」
無事、大地に立って檀渓の奔流を振り返ったとき、玄徳は叫ばずにはいられなかった。そして、
「どうして、越え得たろう?」と後からの戦慄に襲われて、茫然、なおも身を疑っていた。
すると渓を隔てて、おうーいっと、だれやら呼び声がする。だれかと見れば、蔡瑁であった。
蔡瑁は、玄徳が逃げたあとで、番兵から急を聞くと、すぐ悍馬を励まして追いかけて来たが、すでに玄徳の姿は対岸にあって、眼前の檀渓にただ身を寒うするばかりだった。
「劉使君。劉使君。何を怖れて、そのように逃げ走るか」
蔡瑁の呼ばわるに、玄徳もこちらから高声で答えた。
「われと汝と、なんの怨恨かある。しかるに、汝はわれを害せんとする。逃ぐるは君子の訓えに従うのみ」
「やあ、何ぞこの蔡瑁が御身に害意を抱こうや。疑いを去りたまえ」
と言いながら、密かに弓を把って、馬上に矢を番えている容子らしいので、玄徳はそのまま南漳(湖北省・南漳)の方をさして逃げ落ちて行った。
「ちぇっ......みすみすきゃつを」
蔡瑁は歯ぎしりを嚙むだけだった。切って放った一矢も、檀渓の上を行くと、一すじの藁みたいに奔濤の霧風に弄ばれて舞い落ちてしまうに過ぎない。
「残念。何とも無念な......」
幾度か悔やんだが、またひそかに思うには、この檀渓の嶮を、易々と無事に渡るなど、到底、凡人のよくなし能う業ではない。玄徳には、おそらく神明の加護があるからだろう。神力には抗し難し、──如かずここは引っ返して他日を待とう。そう彼は自分を宥めて、空しく道をもどった。
と──彼方から馬煙あげてこれへ来る一陣の兵馬があった。見ると真っ先に趙雲子龍、あとには三百の部下が彼と共に眼のいろ変えて喘ぎ喘ぎ馳け続いて来る。
「やっ、趙雲ではないか。どこへ参られる?」
蔡瑁は、先手を打って空惚けた。
「──どこへといって、わが主君のお姿が見えぬ。そのためこうして、八方お捜し申しておる。足下は御存じないか」
「実は自分も、それを案じて、ここまで見に参ったが、いっこう見当たらん。いったい、どこへ行かれたのやら?」
「不審だ!」
「まったく不思議だ」
「いや、汝の態度を言ったのだ」
「此方に何の不審があるか」
「今日、襄陽の会に、何を目的に、あんなおびただしい軍兵を、諸門に備えたか」
「此方は、荊州九軍の大将軍、また明日は、大宴に続いて、国中の武士を寄せ、狩猟を催すことになっておる。大兵はその勢子だ。何の不審があるか」
「ええ、こんな問答はしておられぬ!」
趙雲は、渓に沿って、馳け去った。部下を上流下流に分け、声も嗄れよと呼んでみたが、答えるものは奔潭の波だけだった。
いつか日は暮れた。
趙雲はかさねて襄陽の城内へ戻ってみたが、そこにも玄徳の姿は見えない。──で、彼は悄然と、夜を傷みつつ、新野の道へ帰って行った。
琴を弾く高士
一
澄み暮れてゆく夕空の無辺は、天地の大と悠久を思わせる。白い星、淡い夕月──玄徳は黙々と広い野をひとり彷徨ってゆく。
「ああ、自分も早、四十七歳となるのに、この孤影、いつまで無為飄々たるのか」
ふと、駒を止めた。
茫乎として、野末の夕霧を見まわした。そして過去と未来をつなぐ一すじの道に、果てなき迷いと嘆息を抱いた。
すると、かなたから笛の音が聞こえた。やがて夕霧の裡から近づいて来たのは、牛の背に跨がった一童子である。玄徳はすれちがいながら童子の境遇を羨ましく思った。
──と、童子はふり返って、
「将軍将軍。もしやあなたは、そのむかし
黄巾の
賊を平らげ、近ごろは
荊州に居るという

の
劉予州様とちがいますか」と、いきなり
訊ねた。
玄徳は驚きの目をみはって、
「はて、かく草深い里の童が、どうして我が名を存じておるのか、いかにも、自分は劉備玄徳であるが......」
「あっ、やはりそうでしたか。私の仕えている師父が、常に客と話すのを聞いていたので、劉予州とは、どんな人かと、日ごろ、胸に描いていましたところ、いまあなたの耳をみると、人並み優れて大きいので、さては、大耳子と綽名のある玄徳様ではないかと思い付いたんです」
「して、そちの師父とは、いかなる人か」
「──司馬徽、字は徳操。また道号を水鏡先生と申されます。産まれは頴川ですから黄巾の乱なども、よく見聞しておいでになります」
「平常、交わる友には、どんな人々があるか」
「襄陽の名士はみな往来しております。就中、襄陽の龐徳公、龐統子などは特別親しくして、よくあれなる林の中に訪うて参ります」
童子の指さす方へ、玄徳も眼を放ちながら、
「......では、あれに見える一叢の林中に、そちの仕える師父の庵があるとみえるな」
「はい」
「龐徳公、龐統子とは、よく知らぬが、どういう人物か」
「この二人は、叔父甥の間がらで、龐徳公は字を山民といい、師父よりも十歳ほど年下です。また龐統子は士元と称し、この人も、私の師父よりまだ五歳ほど若く、この間もふたりして、先生の庵にやって来ました。──ちょうど師父は裏へ出て柴を採っていましたが、その柴を焚いて、茶を煎、酒をあたためて、終日、世間の盛衰を語り、英雄を論じ、朝から晩まで倦むことがありませんでした。よほど、話し好きな人とみえます」
「そうか。......そちの言葉を聞いて、儂もどうやら先生の庵を訪うてみたくなった。童子、わしを案内して参らぬか」
「お易いこと。師父もきっと思わぬ珍客とお歓びになるでしょう」
童子は牛をすすめて行く。導かれて、およそ二里ほど行くと、ちらと、林間の燈が見えた。幽雅な草堂の屋根が奥のほうに望まれ、潺湲たる水音に耳を洗われながら小径の柴門を入ると、内に琴を弾く音が洩れ聞こえた。
牛屋へ牛を繫いで、
「大人。あなたの駒も、奥へ繫いでおきましたよ。さあ、こちらへおすすみ下さい」
「童子。まずその前に、先生にわしの来たことを取り次いでくれ。無断で入っては悪しかろう」
草堂の前に
佇んで、彼が遠慮していると、
はたと、琴の音がやんで、たちまちひとりの老人が、内から

を排して外へ
咎めた。
「たれじゃ、それへ参ったのは。......いま琴を弾じておるに、幽玄清澄の音いろ、にわかに乱れて、殺伐な韻律となった。かならず、窓外へ来たものは、血腥い戦場から彷徨うて来た落ち武者かなんぞであろう。......名を申せ。たれじゃ、何者じゃ......」
玄徳はおどろいて、ひそかにその人を窺うに、年は五十余りとおぼしく、松姿鶴骨、見るからに清々しい高士の風を備えている。
二
ああさては──これが司馬徽、道号を水鏡先生という人か。
玄徳は身をすすめて、
「お召し仕えの童子の案内に従い、はからず御尊顔を拝す。私としては、歓びこの上もありませんが、御静居を躁がせた罪は、どうぞおゆるし下さい」と、慇懃、礼をほどこして詫びた。
すると、童子が傍らから、
「先生、この方が、いつも先生やお友達がよく

しておいでになる
劉玄徳というお人ですよ」
と、告げた。
司馬徽は非常におどろいた態である。恭しく礼を返して、草堂の内に迎え入れ、改めて賓主の席を頒かち、さて、
「ふしぎな御対面ではある」と、こよいの縁を喞ち合った。
塵外の住居とはこういうものかと、玄徳はその辺りを見廻してそぞろ司馬徽の生活を床しく思った。架上には万巻の詩書経書を積み、窓外には松竹を植え、一方の石床には一鉢の秋蘭が薫り、また一面の琴がおいてある。
司馬徽は、玄徳の衣服が濡れているのを見て、やがて訊ねた。
「今日はまた、どうした御災難にお遭いなされたのじゃ。おさしつかえ無くば聞かせて下さい」
「実は檀渓を跳んで、九死の中に遁れて来ましたので、衣服もこんなに湿うてしまいました」
「あの檀渓を越えられたとすれば、よほどな危険に追いつめられたものでしょう。うわさどおり、今日の襄陽の会は、やはり単なる慶祝の意味ではなかったとみえますな」
「あなたのお耳にも、すでにそんな風説が入っておりましたか......実はこういう次第でした」
玄徳がつつまず物語ると、司馬徽は幾度か頷いて──さもあらんといわぬばかりの面持ちではあったが、
「ときに、将軍にはただ今、どういう官職におありですかな」
「左将軍宜城亭侯、予州の牧を兼ねておりますが」
「さすれば、すでに立派な朝廷の藩屛たる一人ではおざらぬか。しかるに、なんで区々たる他人の領に奔命し、つまらぬ小人の奸言に追われていたずらに心身を疲らせ、空しく大事なお年ごろを過ごしたもうか」
しみじみ、司馬徽は言って、
「......惜しいかな」と、あとは口うちで呟いた。
玄徳、面目無げに、
「──時の運はいかんともいたし難い。事志と違うために」と、答えた。
すると司馬徽は、顔を振って打ち笑いながら、
「否々、運命のせいにしてはいけない。よく顧み給え。わしをして忌憚なく言わしめるなら、将軍の左右に、良い人がいないためだと思う」
「こは意外な仰せです。玄徳は不肖の主ながら、生死を一つに誓う輩には、文に孫乾、糜竺、簡雍あり、武には関羽、張飛、趙雲あり。決して人なしとは思われません」
「あなたは元来、家来思いな御主君じゃ。故に、家臣に人なしと言われると、すぐそのとおり家臣を庇う。君臣の情においては寔に美しゅう見ゆるが、主君として、それのみで足るものではない。──箇々その文事や勇気の長を愛でるに止まらず、自分自身も加えて、一団体としてよく自己を御覧ぜられよ。なお何等か、不足している力はないか」と、問いつめて、更に、「関羽、張飛、趙雲の輩は、一騎当千の勇ではあるが、権変の才はない。孫乾、糜竺、簡雍たちも、いわば白面の書生で、世を救う経綸の士ではない。かかる人々を擁して、豈王覇の大業が成ろうか」と、極言した。
三
玄徳は、黙考していた。司馬徽の言に、服するごとく、服せざるがごとく、しばしさし俯向いていたが、やがて面をあげて、
「先生の言は至極御もっともではありますが、要するに、あまりに先生の理想であって、現実を離れているきらいがありはしないでしょうか。不肖わたくしも、身を屈して、山野に賢人を求めること多年ですが、今の世に、張良、蕭何、韓信のような人物を望むほうが無理だと思います。そんな俊傑が隠れているはずはありませんから」と、真摯な態度で酬いた。
すると、司馬徽は、聞きもあえず、面を振って、
「否々。いつの時代でも、決して人物が皆無ではない、ただそれを真に用うる具眼者がいないのじゃ。孔子も曰っているではないか。十室ノ邑ニハ必ズ忠信ノ人アリ──と。何でこの広い諸国に俊傑がいないといえよう」
「不肖、愚昧のせいか、それを識る眼がありません。ねがわくは、御教示を垂れたまえ」
「ちかごろ諸方で謡う小児の歌をお聞きにならぬか。童歌はこう曰っている......
八九年間始メテ衰エント欲ス
十三年ニ至ッテ孑遺無ケン
到頭天命帰ス所アリ
泥中ノ蟠龍天ニ向カッテ飛ブ
これをあなたはどう判じられるか? ......」
「さあ、わかりませんが」
「建安の八年、大守劉表は、前の夫人を亡くされた。荊州の亡兆ここに起こり、家始めて乱れ出したのです。十三年に至って孑遺無けん──とあるのは、劉表の死去を予言しているものでしょう。そして天命帰する所ありです。──天命帰するところあり!」
司馬徽は繰りかえして、玄徳の面を正視し、かさねて言った。
「──帰するところいずこ? すなわちあなたしかない。将軍、あなたは天命に選ばれた身であることを、自身、自覚されておいでかの?」
玄徳は大きな眼をしてさも驚いたように、
「滅相もない仰せ。いかでか私のような者が、そんな大事に当たることができましょう」
「そうでない。そうでない」
司馬徽は穏やかに否定して、
「いま天下の英才は、ことごとくこの地に集まっておる。襄陽の名士また、ひそかに卿の将来に期待しておる。この機運に処し、この人を用い、よろしく大業の基礎を計られたがよい」
「いかなる人がおりましょうか。その名を、お聞かせ下さい」
「臥龍か、鳳雛か。そのうちの一人を得給えば、おそらく、天下は掌にあろう」
「臥龍、鳳雛とは?」
思わず、身を前にのり出すと、司馬徽はふいに手を打って、
「好し好し、好し好し」と、言いながら笑った。
玄徳は、彼の唐突な奇言には、戸惑いしたが、これはこの高士の癖であることを後で知った。
日常、善悪何事にかかわらず司馬徽は、きまって(好し好し)と、いうのが癖だった。
ある時、知人が来て、悲しげに、自分の子の死んだ由を告げると、司馬徽は相変わらず、好し好しとのみ答えていた。知人の帰ったあとで、彼の妻が、
(いくらあなたのお癖とはいえ、お子さんを亡くした人にまで、好し好しとは、あまりではございませんか)
と、たしなめた。すると司馬徽も、われながら可笑しくなったとみえ、好し好し、おまえの意見も、大いに好し好し。
といったそうである。
四
童子が来て、質素な酒食を玄徳に供えた。司馬徽も、食事を伴にし、やがて、
「お疲れであろう。まあ、こよいは臥房へ入っておやすみなさい」と、すすめた。
「では、おことばに甘えて」
と、玄徳は、別の部屋にはいったが、枕に頭をつけても、なかなか寝つかれなかった。
そのうちに、深夜の静寂を破って、馬のいななきが聞こえ、屋の後ろのほうで人の気はいや戸の音がする。
「......はてな?」
風の音にも心をおく身である。思わず耳をすましていた。
屋は手狭なので、裏口から主の部屋へ入って行く沓音までよく聞こえる。
「やあ、徐元直ではないか。いまごろ、どうして来たのか」
主の司馬徽が声であった。
それに答えたのは、壮年らしい錆のある声音の持ち主で、
「いや先生。実は
荊州へ行っていました。荊州の
劉表は近ごろの名主なりと、ある者から聞いたので、行って仕えていましたが、聞くと
看るとは、大きな違い、
から駄目な太守です。すぐ
気がさして来ましたから、
邸へ
遺書をのこして逃げて来たわけです。あははは。夜逃げですな」
磊落に笑ったが、しばらく間をおいて、司馬徽の声がした。その壮気の持ち主を、厳格な語気で叱っているのである。
「なに、荊州へ参ったとか。さてさて、汝にも似げない浅慮な。──いまのような時代には、賢愚混乱して、瓦が珠と化けて仕え、珠は瓦礫の下にかくされ、掌に乗するも、人に識別なく、脚に踏むも、世はこれを見ないのが通例じゃ。──汝、王佐の才をいだきながら、深く今日の時流も認識せず、自然に出ずべき時も待たず、劉表ごときへ身を売り込んで、かえって己れを辱しめ、仕官を途中にして逃げ去るなどとは何事だ。どう贔屓目に見ても褒められた事ではない。もう少し自分を大事にせねばいかん」
「恐れ入りました。重々拙者の軽率に相違ございません」
「古人子貢の言葉にもある──ココニ美玉アリ、匵ニ収メテ蔵セリ、善キ価ヲ求メテ沽ラン哉──と」
「大事にします。これからは」
間もなく、客は帰ったらしい。
玄徳は夜の明けるのを待って、司馬徽にたずねた。
「昨夜の客は、どこの者ですか」
「むむ、あれか。──あれは多分、良い主君を求めるため、もう他国へ出かけたろう」
「そうですか。時に、昨日先生の仰せられた臥龍鳳雛とは一体どこのだれの事ですか」
「いや、好し好し」
玄徳は、やにわに彼の脚下へひざまずいて、再拝しながら、
「玄徳、不才ではありますが、望むらくは、先生を請じ、新野へ伴い参らせて、共に、漢室を興し、万民を扶け、今日の禍乱を鎮めんと存じますが......」
言いもあえず、司馬徽はからからと笑って、
「愚叟は山野の閑人に過ぎん。わしに十倍百倍もするような人物が、いまに必ず将軍を、お扶けするじゃろう。いや、そういう人物をばせいぜい尋ねられたがよい」
「では、天下の臥龍を?」
「好し好し」
「それとも鳳雛をですか?」
「好し好し」
玄徳は必死になって、その人の名と所在を訊き糺そうとしたが、そのとき童子が馳けこんで来て、
「数百人の兵をつれた大将が、家の外を取り囲みましたよ!」と、大声して告げた。
玄徳が出て見るとそれは趙雲の一隊だった。ようやく、主君玄徳の行方を知って、これへ迎えに来たものであった。
吟嘯浪士
一
主従は相見て、狂喜し合った。
「おう、趙雲ではないか。どうして、わしがここに居るのがわかった」
「御無事なお姿を拝して、ほっと致しました。この村まで来ると、昨夜、見馴れぬ高官が、童子に誘われて、水鏡先生のお宅へ入ったと百姓から聞きましたので、さてはと、まっしぐらにお迎えに来たわけです」
主の司馬徽も、そこへ来て、共に歓びながら、こう注意した。
「百姓たちの

にのぼっては、ここに長居も危険です。部下の方々の迎えに見えられたこそ幸い、速やかに新野へお立ち帰りあれ」
実にもと、玄徳はすぐ暇を告げて、水鏡先生の草庵を去った。そして十数里ほど来ると、飛ぶがごとく一手の軍勢の来るのに出会った。
趙雲と同じように、夜来、玄徳の身を案じて、狂奔していた張飛と、関羽の一軍であった。
かくて、新野へ帰ると、玄徳は城中の将士を一堂に集めて、
「皆の者に、心配をかけてすまなかった。実は昨日、襄陽の会で、蔡瑁のため、危うく謀殺されようとしたが、檀渓を跳んで、九死に一生を拾って帰ったような始末......」
と、有りし顚末をつぶさに物語った。
愁眉をひらいた彼の臣下は、同時に、蔡瑁を憎み憤った。
「おそらく、劉表は、何も知らない事に違いありません。あなたを殺す計画に失敗した蔡瑁は、自己の罪を蔽うために、こんどはいかなる讒訴を劉表へするかも知れたものではない。こちらからも早く、有りし次第を、明白に訴えておかなければ、いよいよ彼奴の乗ずるところとなりましょう」
孫乾の説であった。
大いに理由がある。一同も彼の言を支持したので、玄徳は早速一書をしたため、孫乾にさずけて荊州へ遣わした。
劉表は、玄徳の書簡を見て、襄陽の会が蔡瑁の陰謀に利用され終わったことを知り、もってのほかに立腹した。
「蔡瑁を呼べっ」
いつにない激色である。そして蔡瑁が階下に拝をなすや否、頭から襄陽の会の不埒をなじって武士たちに、彼を斬れと命じた。
蔡夫人は、兄の蔡瑁が召し呼ばれたと聞いて、後閣から馳け転ぶようにこれへ来た。そして良人の劉表へ極力、命乞いをした。妹の涙で蔡瑁は助けられた。孫乾もまた、
「もし、御夫人の兄たるお方を、お手討ちになどされたら、主君玄徳は、かえって二度と荊州へ参らないかも知れません」と、側から口添えしたので、劉表も彼を免すに免しよかった。
けれど、劉表は、なお心が済まなかった。孫乾の帰るとき、嫡子の劉琦を共に新野へやって、深く今度の事を謝罪した。
玄徳は、かえって痛み入るおことばと、劉琦に厚く答礼した。その折、劉埼はふと、日ごろの煩悶を彼に洩らした。
「継母の蔡夫人は、弟の琮を世継ぎに立てたいため、なんとかして、私を殺そうとしています。一体、どうしたらこの難をのがれることができましょうか」
「ただよく孝養をおつくしなさい。いかに御継母であろうと、あなたの至孝が通じれば、自然禍は去りましょう」
あくる日、琦が荊州へ帰る折、玄徳は駒をならべて、城外まで送って行った。琦は、荊州へ帰るのを、いかにも楽しまない容子であった。それを玄徳が優しく慰めれば慰めるほど、涙ぐんでばかりいた。
琦を送って、その帰り途、玄徳が城中へ入ろうとして、町の辻まで来ると布の衣に、一剣を横たえ頭に葛の頭巾をいただいた一人の浪士が白昼、高らかに何か吟じながら歩いて来た。
二
ふと、駒をとめて、市の騒音の中に、玄徳は耳を澄ましていた。孤剣葛巾の浪士は、飄々乎として辻を曲がってこなたへ歩いて来る。
その歌うのを聞けば、──
天地反覆火殂セント欲ス
大廈崩レントシ一木扶ケ難シ
四海ニ賢アリ明主ニ投ゼントス
聖主ハ賢ヲ捜ルモ却ッテ吾ヲ知ラズ
「......はてな?」
玄徳は何か自分の身を歌われているような気がした。そして、司馬徽が言った、臥龍、鳳雛の一人がもしやその浪士ではないかしらなどと思った。
彼は馬から降りて、浪士が側を通るのを待っていた。布衣草履少しも身は飾っていないが、どこかに気概の凛たるものを備え、赭顔疎髯、寔に渋味のある人物だ。
「あいや、御浪人」
玄徳は呼んで話しかけた。浪士は怪しんでじろじろ彼を視つめる。物言えば錆のある声で、眼光はするどいが、底に堪らない情味をたたえていた。
「何ですか。──お呼びになったのは拙者のことで?」
「そうです。寔に唐突ですが、何ですか、あなたと私とは、路傍でこのまま相距ってしまう間がらではないような気がしてなりません」
「ははあ......?」
「いかがでしょう、私と共に、城中へお越し下さるまいか。一献酌みわけて、錆のあるあなたの吟嘯を、清夜、更に心腸を澄まして伺いたいと思うが」
「ははは、拙者の駄吟などは、お耳を汚すには足りません。けれど路傍の人でない気がするとおっしゃったお言葉に感謝する。──お伴しましょう」
浪士は気軽であった。
城中へ来てみると、小城ながら新野の城主とわかって、気軽な彼もやや意外な顔していたが、玄徳は上賓の礼をもって、これを迎え、酒をすすめながら、さて名をたずねた。
「拙者は、頴上の単福と申し、いささか道を問い、兵法を学び、諸国を遊歴している一介の浪人に過ぎません」
単福は、それ以上、素姓も語らず、たちまち話題を一転して、こう求めた。
「最前、あなたの乗っていた馬をもう一度、庭上へ曳き出して、拙者に見せて下さいませんか」
「お易いことです」
玄徳は、直ちに、馬を庭上へ曳かせた。単福は、つぶさに馬相を眺めて、
「これは千里の駿足ですが、かならず主に祟りをなす駒です。よく今まで何事もありませんでしたな」
「されば、人からも、たびたび同じ注意をうけましたが、祟りどころか、先ごろ、檀渓の難をのがれ、九死に一生を得たのはまったくこの馬の力でした」
「それは、主を救うたとも言えましょうが、馬が馬自身を救ったのだとも言えましょう。ですから祟りは祟りとして、一度はきっと、飼い主に禍します。──が、その禍を未然に除く方法も決して無いではありません」
「そういう方法があるならば、是非、お教えを仰ぎたいが」
「お伝えいたそう。その方法とは、すなわち彼の馬を、しばらくの間近習の士に貸しておくのです。そしてその者が祟りをうけて後、君の手に取り戻して御乗用あれば、まずもって心配はありません」
聞くと、玄徳は急に、不愉快な色を面にあらわして、家臣を呼び、
「湯を点ぜよ」
と、素ッ気なくいいつけた。
湯を点ぜよ──ということは、ちょうど、酒客に対して茶を出せとか、飯にしろとか、主人が給仕の家族へ促すのと同じことである。つまり主人から酒の座を片づける意味を表示したことになる。
「お待ちなさい。わざわざ拙者を呼び迎えながら、湯を点ぜよとは、何事であるか、何で急に客を追い立て給うか」
単福としてはなお、面白くないに違いない。杯を下において、こう開き直った。
三
──すると玄徳も、容をあらためて単福へ言った。
「君を伴って、ここへ客として迎えたのは、君を志操の高い人と見たからであった。しかるに今、汝の言を聞けば、仁義を教えず、かえって、不仁の佞智をわれに囁く。玄徳はそういう客へ礼遇はできない。早く立ち帰ったがよかろう」
「ははは、なるほど、劉玄徳は、うわさに違わぬ仁君だ......」と、単福はさも愉快そうに手を打って、
「お怒りあるな。実はわざと心にもない一言を呈して、あなたの心を試してみたまでです。どうか水に流して下さい」
「いや、それなら歓ばしい限りです。願わくは、真実の言を惜しまれず、玄徳のために、仁政を論じ、善き経綸をお聞かせ賜わりたい」
「拙者が頴上からこの地方へ遊歴して来る途中、百姓の謡うのを聞けば──新野ノ牧劉皇叔、ココニ到リテヨリ地ニ枯田ナク天ニ暗日無シ──と言っていました。故に、ひそかにお名を心に銘じ、あなたの徳を慕っていた拙者です。もし菲才をお用いくださるなら何で労を惜しみましょう」
「かたじけない。人生の長い歳月のうちでも、賢に会う一日は最大の吉日とかいう。今日は何という幸いな日だろう」
玄徳の歓びようと言ったらなかった。彼は今、新野にあるとはいえ、その兵力その軍備は、依然、徐州の小沛にいた当時とすこしも変わりない貧弱さであった。けれどその弱小も貧しさも嘆きはしなかった。ただ、絶えず心に求めて熄まなかったものは「物」でなく、「人物」であった。司馬徽に会ってからは、なおさら、その念を強うし、明けても暮れても、人材を求めていたことは、その日の彼の歓び方をもっても察することができる。
そうした玄徳であるから、
(この人物こそ)と見込むと、実に思いきった登用をした。すなわち単福をもって、一躍軍師に挙げ、これに指揮鞭を授けて、
(わが兵馬は、足下に預ける。足下の思うまま調練し給え)と、一任した。
そして黙って見ていると、単福は練兵調馬の指揮にあたるや、さながら自分の手足を動かすように自在で、しかも精神的にこれを鍛錬し、科学的に装備してゆくので、新野の軍隊は小勢ながら目立って良くなって来た。
この日ごろ──曹操はもう北征の業をひとまず終わって、都へ帰っていたが、ひそかに次の備えとして、荊州方面を窺っていた。
その瀬踏みとして、一族の曹仁を大将とし、李典、呂曠、呂翔の三将を添えて、樊城へ進出を試み、──そこを拠点として、襄陽、荊州地方へ、ぼつぼつ越境行為をあえてやらせていた。
「いま、新野に玄徳がいて、だいぶ兵馬を練っています。後日、強大にならない限りもないし、荊州へ攻め入るには、いずれにしても足手まとい。まず先に、新野を叩き潰しておくのは無駄ではありますまい」
呂曠、呂翔が献策した。
曹仁は二人の希望にまかせて、兵五千を貸し与えた。呂軍はたちまち境を侵して、新野の領へ殺到した。
「単福、何とすべきか?」
玄徳は、軍師たる彼に計った。到底、まだ他と戦って勝てるほどな軍備は出来ていなかった。
「お案じ召さるな。弱小とはいえお味方をのこらず寄せれば、二千人はあります。敵は五千と聞きますから、手ごろな演習になりましょう」
実戦に立って、単福が軍配を

ったのは、この合戦が初めてであった。
関羽、張飛、趙雲なども、よく力戦奮闘したが、単福の指揮こそ、まことに鮮やかなものだった。
敵を誘い、敵を分離させ、また個々に敵団を剿滅して、はじめ五千といわれた越境軍も、やがて樊城へ逃げ帰ったのは僅々二千にも足らなかったという。何しても、単福の用兵には、確乎たる学問から成る「法」があった。決して偶然な天佑や奇勝でないことは、だれにも認められたところであった。
軍師の鞭
一
樊城へ逃げ帰った残兵は、口々に敗戦の始末を訴えた。しかも呂曠、呂翔の二大将は、いくら待っても城へ帰って来なかった。
するとほど経てから、
「二大将は、残りの敗軍をひきいて帰る途中、山間の狭道に待ち伏せていた燕人張飛と名乗る者や、雲長関羽と呼ばわる敵に捕捉されて、各々、斬って捨てられ、その他の者もみなごろしになりました」との実相がようやく聞こえて来た。
曹仁は、大いに怒って、小癪なる玄徳が輩ただちに新野へ押し寄せて、部下の怨みを雪ぎ、眼にもの見せてくれんといきり立ったが、その出兵に当たって、李典に諮ると、李典は断じて反対を称えた。
「新野は小城であるし彼の軍隊は少数なので、つい敵を侮ったため、呂曠、呂翔も惨敗をうけたものです。──何でまた、貴殿まで同じ轍を踏もうとなさるか」
「李典。御辺はそれがしもまた、彼等に敗北するものと思っておるのか」
「玄徳は尋常の人物ではない。軽々しく見ては間違いでござる」
「必勝の信なくしては戦に勝てぬ。御辺は戦わぬうちから臆病風に吹かれておるな」
「敵を知る者は勝つ。怖るべき敵を怖るるは決して怯気ではない。よろしく、都へ人を上せて、曹丞相より精猛の大軍を乞い、充分戦法を練って攻めかかるべきであろう」
「鶏を割くに牛刀を用いんや。そんな使いを出したら、汝等は藁人形かと、丞相からお嗤いをうけるだろう」
「強って、進撃あるなら、貴殿は貴殿の考えで進まれるがよい。李典にはそんな盲戦はできぬ。城に残って、留守をかためて居よう」
「さては、二心を抱いたな」
「なに、それがしに二心あると?」
李典は、勃然と言ったが、曹仁にそう疑われてみると、あとに残っているわけにも行かなかった。
やむなく、彼も参加して、総勢二万五千──先の呂曠、呂翔の勢より五倍する兵力をもって、樊城を発した。
まず白河に兵船をそろえ、糧食軍馬をおびただしく積みこんだ。檣頭船尾には幡旗林立して、千櫓いっせいに河流を切りながら、堂々、新野へ向かって下江して来た。
戦勝の祝杯をあげているいとまもなく、危急を告げる早馬は頻々新野の陣門をたたいた。
軍師単福は立ち躁ぐ人々を制して、静かに玄徳に会って言った。
「これはむしろ、待っていたものが自ら来たようなもので、慌てるには及びません。曹仁自身、二万五千余騎をひきいて、寄するとあれば、必定、樊城はがら空きでしょう。たとえ白河を距てた地勢に不利はあろうとも、それを取るのは、掌の裡にあります」
「この弱小な兵力をもって、新野を守るのすら疑われるのに、どうして樊城など攻め取れようか」
「戦略の妙諦、用兵のおもしろさ、勝ち難きを勝ち、成らざるを成す、すべてこういう場合にあります。人間生涯の貧苦、逆境、不時の難に当たっても、道理は同じものでしょう。かならず克服し、かならず勝つと、まず信念なさい。暴策を用いて自滅を急ぐのとは、その信念はちがうものです」
悠々たる単福の態度である。その後で彼は何やら玄徳に一策をささやいた。玄徳の眉は明るくなった。
新野を距たるわずか十里の地点まで、曹仁、李典の兵は押して来た。これ、わが待つところの象──と、単福は初めて味方を操り、進め、城を出て対陣した。
先鋒の李典と、先鋒の趙雲のあいだにまず戦いの口火は切られた。両軍の戦死傷はたちまち数百、戦いはまず互角と見られたがそのうち趙雲自身深く敵中へはいって李典を見つけ、これを追って、散々に馳け立てたため、李典の陣形は潰乱を来し、曹仁の中軍まで皆なだれこんで来た。
曹仁は、赫怒して、
「李典には戦意がないのだ。首を刎ねて陣門に梟け、士気を革めねばならん」
と、左右へ罵ったが、諸人に宥められてようやくゆるした。
二
曹仁は次の日、根本的に陣形を改めてしまった。自身は中軍にあって、旗列を八荒に布き、李典の軍勢は、これを後陣において、
「いざ、来い」と、いわぬばかり気負い立って見えた。
新野軍の単福は、その日、玄徳を丘の上に導き、軍使鞭をもって指しながら、
「御覧あれ、あの物々しさを。わが君には、今日、敵が布いた陣形を、何の備えというか、御存じですか」
「いや知らぬ」
「八門金鎖の陣です。──なかなか手際よく布陣してありますが、惜しむらくは、中軍の主持に欠けているところがある」
「八門とは」
「名づけて休、生、傷、杜、景、死、驚、開の八部を言い、生門、景門、開門から入るときは吉なれど、傷、休、驚の三門を知らずして入るときは、かならず傷害をこうむり、杜門、死門を侵すときは、かならず滅亡すと言われています。──いま諸部の陣相を観るに、各々よく兵路を綾なし、ほとんど完備していますが、ただ中軍に重鎮の気なく、曹仁ひとり在って李典は後陣にひかえている象、こここそ乗ずべき虚であります」
「──が、その中軍の陣を乱すには」
「生門より突入して、西の景門へ出るときは全陣糸を抜かれて綻ぶごとく乱れるに相違ありません」
理論を明かし、実際を示し、単福が用兵の妙を説くこと、実に審らかであった。
「御身の一言は、百万騎の加勢に値する」
と玄徳は非常な信念を与えられて直ちに趙雲をまねき、授けるに手兵五百騎をもってして、
「東南の一角から突撃して、西へ西へと敵を馳けちらし、また、東南へ返せ」
と命じた。
蹄雲一陣、金鼓、喊声をつつんで、たちまち敵の八陣の一部生門へ喚きかかった。いうまでもなく趙雲子龍を先頭とする五百騎であった。
同時に、玄徳の本軍も遠くから潮のような諸声や鉦鼓の音をあげていた。
全陣の真っ只中を趙雲の五百騎に突破されて、曹仁の備えは、たちまち混乱を来した。崩れ立つ足なみは中軍にまで波及し、曹仁自身、陣地を移すほどな慌て方だったが、趙雲は、鉄騎を引いて、その側を摺れ摺れに馳け抜けながらあえて大将曹仁を追わなかった。
西の景門まで、驀走をつづけ、遮る敵を蹴ちらすと、またすぐ、
「元の東南へ向かって返れ」と、蹂躙また蹂躙をほしいままにしながら、元の方向へ逆突破を敢行した。
八門金鎖の陣もほとんど何の役にも立たなかった。ために、総崩れとなって陣形も何も失った時、
「今です」と、単福は玄徳に向かって、総がかりの令を促した。待ちかまえていた新野軍は、小勢ながら機を摑んだ。よく善戦敵の大兵を屠り、存分に勝ち軍の快を満喫した。
醜態なのは、曹仁である。
莫大な損傷をうけて、
李典にすこしも合わせる顔もない立場だったが、なお、

せ
意地を張って、
「よし、今度は夜討ちをかけて、たびたびの恥辱を雪いでみせる」と、豪語をやめなかった。
李典は、苦笑を歪めて、
「無用無用。八門金鎖の陣さえ、見事それと看破して、破る法を知っている敵ですぞ。玄徳の
帷幕には、かならず有能の士がいて、軍配を

っているにちがいない。何でそんな
常套手段に乗りましょうや」
忠言すると、曹仁はいよいよ意地になって、
「御辺のように、そういちいち物怯じしたり疑いに囚われるくらいなら、初めから軍はしないに限る。御辺も武将の職を辞めたらどうだ」と、痛烈に皮肉った。
三
彼の椰揄に、李典は一言、
「自分が惧れるのは、敵が背後へ廻って、樊城の留守を衝くことだ。ただ、それだけだ」
と、あとは口を緘して、何も言わなかった。
曹仁は、その晩、夜襲を敢行した。けれど、李典の予察にたがわず、敵には備えがあった。
敵の陣営深く、討ち入ったかと思うと、帰途は断たれ、四面は炎の墻になっていた。まんまと、自らすすんで火殺の罠に陥ちたのである。
さんざんに討ち破られて、北河の岸まで逃げて来ると忽然、河濤は岸を搏ち、蘆狄はみな蕭々と死声を呼び、曹仁の前後、見るまに屍山血河と化した。
「燕人張飛、ここに待ちうけたり。ひとりも河を渡すな」と、伏勢の中で声がする。
曹仁は立ち往生して、すでに死にかかったが、李典に救われて、からくも向こう岸に這い上がった。
そして
樊城まで、一散に逃げて来ると、城の
門
を八文字に開いて、
「敗将曹仁、いざ入り給え。劉皇叔が弟臣、雲長関羽がお迎え申さん」
と、金鼓を打ち鳴らして、五百余騎の敵が、さっと駈け出して来た。
「あっ?」
仰天した曹仁は、疲れた馬に鞭打ち、山にかくれ、河を泳ぎ、赤裸同様な姿で都へ逃げ上ったという。その醜態を時人みな「見苦しかりける有り様なり」と嗤った。
三戦三勝の意気昂く、やがて玄徳以下、樊城へ入った。県令の劉泌は出迎えた。
玄徳はまず民を安んじ、一日城内外を巡視して劉泌の邸へ入った。
県令の劉泌は、もと長抄の人で玄徳とは、同じ劉姓であった。漢室の宗親、同宗の誼みという気もちから特に休息に立ち寄ったものである。
「こんな光栄はございません」
と、劉家の家族は、総出でもてなした。
酒宴の席に、劉泌はひとりの美少年を伴れていた。玄徳がふと見ると、人品尋常でなく、才華玉のごときものがある。で、劉泌にそっと訊ねてみた。
「お宅の御子息ですか」
「いえ、甥ですよ──」
と、劉泌はいささか自慢そうに語った。
「もと寇氏の子で、寇封といいます。幼少から父母を喪ったので、わが子同様に養って来たものです」
よほど寇封を見込んだものとみえて、玄徳はその席で、
「どうだろう、わしの養子にくれないか」と、言い出した。
劉泌は、非常な歓びかたで、
「願うてもない倖せです。どうかお連れ帰り下さい」
と、当人にも話した。寇封の歓びはいうまでもない。その場で、姓を劉に改め、すなわち劉封と改め、以後、玄徳を父として拝すことになった。
関羽と張飛は、ひそかに眼を見あわせていたが、のち玄徳へ直言して、
「家兄には、実子の嫡男もおありなのに、なんで螟蛉を養い、後日の禍を強いてお求めになるのですか。......どうもあなたにも似合わないことだ」と諫めた。
けれど父子の誓約は固めてしまったことだし、玄徳が劉封を可愛がることも非常なので、そのままに過ぎているうちに、
「樊城は守るに適さない」
という単福の説もあって、そこは趙雲の手勢にあずけ、玄徳はふたたび新野へ回った。
徐庶とその母
一
河北の広大を併せ、遼東や遼西からも貢ぎせられ、王城の府許都の街は、年々の殷賑に拍車をかけて、名実ともに今や中央の府たる偉観と規模の大を具備して来た。
いわゆる華の都である。人目高いその部門へ、赤裸同様な態たらくで逃げ帰って来た曹仁といい、またわずかな残兵と共に遁れ帰った李典といい、不面目なことはおびただしい。
「呂曠、呂翔の二将軍は帰らぬ」
「みな討ち死にしたそうだ」
「三万の兵馬が、いったい何騎帰って来たか」
「あまりな惨敗ではないか」
「丞相の御威光を汚すもの」
「よろしくふたりの敗将を馘って街門に曝すべしだ」
などと都雀は口喧しい。
ましてや丞相の激怒はどんなであろうと、人々はひそかに語らっていたが、やがて曹仁、李典のふたりが、相府の地に拝伏して、数度の合戦に打ち負けた報告をつぶさに耳達する当日となると、曹操は聞き終わってから、一笑の下にこう言った。
「勝敗は兵家の常だ。──よろしい!」
それきり敗戦の責任に就いては、なにも問わないし、咎めもしなかった。
ただ一つ、彼の腑に落ちなかったことは、曹仁という戦巧者な大将の画策をことごとく撃砕して、鮮やかにその裏を搔いた敵の手並みのいつにも似ない戦略振りにあった。
「こんどの戦には、始終玄徳を扶けて来た従来の帷幕のほかに、何者か、新たに彼を助けて、計を授けていたような形跡はなかったか」
彼の問いに曹仁が答えて、
「されば、御名察のとおり、単福と申すものが、新野の軍師として、参加していたとやら聞き及びました」
「なに、単福?」
曹操は小首を傾けて、
「天下に智者は多いが、予はまだ、単福などという人間を聞いたことがない。汝等のうちでだれかそれを知る者はいるか」
従の群星を見まわして
訊ねると、
程昱がひとり
呵呵と笑い出した。
曹操は視線を彼に向けて、
「程昱。そちは知っておるのか」
「よく知っています」
「いかなる縁故で」
「すなわち頴上(安徽省、頴州)の産ですから」
「その為人は?」
「義胆直心」
「学は?」
「六韜をそらんじ、よく経書を読んでいました」
「能は?」
「この人若年から好んで剣を使い、中平年間の末、人にたのまれて、その
仇を討ち、ために
議に遭って、
面に炭の粉を塗り、わざと髪を振り乱し、狂者の真似して町を
奔っていましたが、ついに奉行所の手に捕らわるるも、名を答えず、ために、車の上に縛られて、
市に引き出され──知る者はなきか──と
曝し
廻るも、みな彼の義心をあわれんで、一人として奉行に訴える者がなかったと言われております」
「うむ、うむ......」
曹操は、聞き入った。非常な興味を持ったらしく、程昱の唇もとを見つめていた。
「──しかもまた、日ごろ交わる彼の朋友たちは、一夜、結束して獄中から彼を助け出して、繩を解いて、遠くへ逃がしてやったのです。これに依って、以後苗字をあらため、一層志を磨き、疎巾単衣、ただ一剣を帯びて諸国をあるき、識者に就き、先輩に学び、浪々幾年かのあげく、司馬徽の門を叩き、司馬徽を繞る風流研学の徒と交わっているものと聞き及んでおりました。──その人は、すなわち頴上の産まれ徐庶字は元直──単福とは、世をしのぶ一時の変名に過ぎません」
二
徐庶の生い立ちを物語って、程昱のはなしは、寔に審らかであった。曹操は、それの終わるのを待ちかねていたように、すぐ畳みかけて質問した。
「では、単福というのは、徐庶の仮名であったか」
「そうです、頴上の徐庶といえば、知る人も多いでしょうが、単福では、知る者もありますまい」
「聞けば聞くほど、ゆかしいもの。士道──借問するが、程昱、そちの才智と徐庶とを比較したら、どう言えるか」
「到底、それがしのごときは、徐庶の足もとにも及びません」
「謙遜ではないのか」
「徐庶の人物、才識、その修業を十のものとして、たとえるならば、それがしの天稟はその二ぐらいにしか当たりますまい」
「ウーム。そちがそれほどまで称えるところを見れば、よほどな人物に違いない。曹仁、李典が敗れて帰って来たのはむしろ道理である。......ああ」と、曹操は嘆声を発して、
「惜しい哉、惜しい哉、そういう人物を今日まで知らず、玄徳の帷幕に抱えられてしまったことは。かならずや、後に大功を立てるであろう」
「丞相。その御嘆声はまだ早いかと存ぜられます」
「なぜか」
「徐庶が玄徳に随身したのは、ごく最近の事と思われますから」
「それにしても、すでに軍師の任をうけたとあれば」
「かれが、玄徳のために大功をあらわさぬうちに、その意を一転させることは、さして、至難ではありません」
「ほ。その理由は?」
「徐庶は、幼少のとき、早く父を喪い、ひとりの老母しかおりません。その老母は、彼の弟徐康の家におりましたが、その弟も、近ごろ夭折したので、朝夕親しく老母に孝養する者が居ないわけです。──ところが徐庶その人は、幼少より親孝行で評判だったくらいですから、彼の胸中には、今、旦暮、老母を想うの情がいっぱいだろうと推察されます」
「なるほど──」
「故にいま、人をつかわして、懇ろに老母をこれへ呼びよせ、丞相より親しくお諭しあって、老母をして子の徐庶を迎えさせるようになすったら、孝子徐庶は、夜を日に継いで都へ駈けて参るでしょう」
「むむ。いかにも、おもしろい考えだ。さっそく、老母へ書簡をつかわしてみよう」
日を経て、徐庶の母は、都へ迎え取られて来た。使者の鄭重、府門の案内、下へも置かない扱いである。
けれど、見たところ、それは平凡な田舎の一老婆でしかない。寔に質朴そのものの姿である。幾人もの子を生んだ小柄な体は、腰が曲がりかけているため、よけい小さく見える。人に馴れない山鳩のような眼をして、恟々と、貴賓閣に上り、あまりに豪壮絢爛な四壁の中に置かれて、すこし頭痛でも覚えて来たように迷惑顔をしていた。
やがてのこと 曹操は群臣を従えて、これへ現われたが、老母を見ると、まるでわが母を拝するように犒って、
「ときに、おっ母さん、あなたの子、徐元直はいま、単福と変名して、新野の劉玄徳に仕えておるそうですな。どうしてあんな一定の領地も持たない漂泊の賊党などに組しておるのですか。──あたら、天下の奇才を抱きながら」
と、ことばもわざと俗に嚙み砕いて、やんわりと問いかけた。
三
老母は、答えを知らない。相かわらず、山鳩のような小さい眼を、しょぼしょぼさせて、曹操の顔を仰いでいるだけだった。
無理もない──
曹操は、充分に察しながら、なおもやさしく、こう言った。
「のう、そうではないか、徐庶ほどな人物が、何を好んで、玄徳などに仕えたものか。まさか、おっ母さんの同意ではあるまいが。──しかも玄徳は、やがて征伐される運命にある逆臣ですぞ」
「.........‥...」
「もし、あなたまでが同意で奉公に出したなら、それは掌中の珠をわざわざ泥うちへ落としたようなものだ」
「.........‥...」
「どうじゃな、おっ母さん。あんたから徐庶へ手紙を一通書かれたら? ......。わしは深くあなたの子の天質を惜しんでおる。もしあなたが我が子をこれへ招きよせて、よき大将にしたいというなら、この曹操から、天子へ奏聞いたして、かならず栄職を授け、またこの都の内に、宏壮な庭園や美しい邸宅に、多くの召使いを付けて住まわせるが......」
すると、──老母は初めて唇をひらいた。何か言おうとするらしい容子に、曹操はすぐ唇をとじて、労るようにその面を見まもった。
「丞相さま。この媼は、ごらんのとおりな田舎者、世の事は、何も弁えませぬが、ただ劉玄徳というお方のうわさは、木を伐る山樵でも、田に牛を追う爺でも、よう口にして申しておりまするが」
「ほ。......何というているか」
「劉皇叔こそ、民のために生まれ出て下された当世の英雄じゃ、まことの仁君じゃと」
「はははは」──曹操はわざと高く笑って、
「田野の黄童や白叟が何を知ろうぞ。あれは沛郡の匹夫に生まれ、若くして沓を売り、莚を織り、たまたま、乱に乗じては無頼者をあつめて無名の旗をかざし、うわべは君子のごとく装って内に悪逆を企む不逞な人物。地方民をだましては、地方民を苦しめて歩く流賊の類にすぎん」
「......はてのう。媼が聞いている世評とは、たいそう違いすぎまする。劉玄徳さまこそ、漢の景帝が玄孫におわし、堯舜の風を学び、禹湯の徳を抱くお方。身を屈して貴をまねき、己れを粗にして人を貴ぶ。......そう称えぬものはありませぬがの」
「みな玄徳の詐術というもの。彼ほど巧みな偽君子はない。そんな者にあざむかれて、万代に悪名を残さんよりは、今もいうたとおり、徐庶へ手紙を書いたがよかろう。のう老母、ひと筆書け」
「さあ? ......それは」
「何を迷う。わが子のため、また、そなた自身の老後のために。......筆、硯もそこにある。ちょっと認めたがいい」
「いえ。いえ」
老母は、にわかに強くかぶりを振った。
「わが子のためじゃ。──たといここに生命を落とそうと、母たるこの媼は、決して筆は把りませぬ」
「なに。

じゃと」
「いかに草家の媼とて、順逆の道ぐらいは知っておりまする。漢の逆臣とは、すなわち、丞相さま、あなた自身ではないか。──何でわが子を、盟主から去らせて、暗きに向かわせられようか」
「うむ、婆! この曹操を逆臣と言うたな」
「言いました。たとい

せ
浪人の母として、世を細々としのごうとも、お
許のごとき悪逆の手先にわが子を仕えさすことはなりませぬ」
きっぱりと言い断った。そして、さっきから目の前に押しつけられていた筆を取るやいな、やにわに庭へ投げ捨ててしまった。当然曹操が激怒して、この糞婆を斬れと、呶号して突っ立つと、とたんに、老母の手はまた硯をつかんで、発矢と、曹操にそれを投げつけた。
四
「斬れっ、婆の細首を捻じ切って取り捨てろっ」
曹操の呶号に、武士たちは、どっと寄って、老母の両手を高く拉した。
老母は自若として躁がない。曹操はいよいよ業を煮やして、自ら剣を握った。
「丞相、大人気ないではありませんか」
程昱は、間に立って、宥めた。
彼は言う。
「ごらんなさい。この老母の自若たる態を。老母が丞相を罵ったのは、自分から死を求めている証拠です。丞相のお手にかかって殺されたら、子の徐庶は、母の敵と、いよいよ心を磨いて、玄徳に仕えましょうし、丞相は、かよわき老母を殺せりと、世上の同情を失われましょう。──そこに老母は自分の一命を価値づけ、ここで死ぬこそ願いなれと、心のうちでホホ笑んでいるにちがいありません」
「ううム、そうか。──しからばこの婆をどう処分するか」
「大切に養っておくに限ります。──さすれば徐庶も、身は玄徳に寄せていても、心は老母の所にあって、思うまま丞相に敵対は成りますまい」
「程昱、よいように計らえ」
「承知しました。老母の身は、私が大切に預かりましょう。......なお一策がありますが、それはまた後で」
彼は自分の邸へ、徐庶の母を伴れて帰った。
「むかし同門のころ、徐庶と私とは兄弟のようにしていたものです。偶然あなたを家に迎えて、何だか自分の母が還って来たような気がします」
程昱は、そう言って朝夕の世話も実の母に仕えるようだった。
けれど、徐庶の母は、贅美をきらい、家族にも遠慮がちに見えるので、別に近くの閑静な一屋へ移して、安らかに住まわせた。
そして折々に珍しい食物とか衣服など持たせてやるので、徐庶の母も、程昱の親切にほだされて、たびたび、礼の文など返して来た。
程昱は、その手紙を丹念に保存して、老母の筆ぐせを手習いしていた。そしてひそかに主君曹操としめし合い、ついに巧妙なる老母の偽手紙を作った。いうまでもなく、新野にある老母の子徐庶へ宛てて認めた文章である。
単福──実は徐元直はその後、新野にあって、士大夫らしい質朴な一邸を構え、召使いなども至って少なく、閑居の日は、もっぱら読書などに親しんで暮らしていた。
するとある日の夕べ、門辺を叩く男がある。母の使いと、耳に聞こえたので、徐庶は自身走り出て、
「母上に、何ぞ、お変わりでもあったのか」と、訊ねると、使いの男は、
「御文にて候や」と、すぐ一通の手紙を出して徐庶の手にわたし、
「てまえは他家の下僕ですから、何事も存じません」と、立ち去ってしまった。
自分の居間にもどるやいな、徐庶は燈火を搔きたてて、母の文をひらいた。孝心のあつい彼は母の筆を見るともう母のすがたを見る心地がして、眼には涙が溜まってくる──
庶よ、庶よ。つつがないか。わが身も無事ではいるが、弟の康は亡くなってしもうたし、孤独の侘しさといってはない。そこへまた、曹丞相の命で、わが身は許都へさし立てられた。子が逆臣に与したという科で、母にも縲紲の責めが降りかかった。が、幸いにも程昱の情けに扶けられ安楽にはしているが、どうぞ、そなたも一日も早く母の側に来てたもれ。母に顔を見せて下され──
ここまで読むと徐庶は、潸然と流涕して燭も滅すばかり独り泣いた。
立つ鳥の声
一
次の日の朝まだき。
徐庶は小鳥の声とともに邸を出ていた。ゆうべは夜もすがら寝もやらずに明かしたらしい瞼である。今朝、新野の城門を通った者では、彼が一番早かった。
「単福ではないか。いつにない早い出仕。何事が起こったのか」
玄徳は、彼をみて、その冴えない顔色に、まず、憂いを共にした。
徐庶は、面を沈めたまま、黙拝また黙拝して、ようやく眉をあげた。
「御主君。あらためて、今日、お詫びしなければならないことが御座います」
「どうしたのか」
「実は、単福と申す名は、故郷の難をのがれて来たときの仮り名です。まこと私は、頴上の生まれ徐庶、字を元直と申すものです。初め、荊州の劉表は当代の賢者なりと聞いて、仕官に赴きましたが、ともに道を論じても、実際の政治を見ても、無用の凡君なりと知りました。で、一書を遺して、同地を去り、悶々、司馬徽が山荘に行って、事の次第を語りましたところ、水鏡先生には、拙者を叱って、──汝、眼をそなえながら、人を見るに何たる不明ぞや。いま新野に劉予州あり、行いて予州に仕えよ──とのおことばでした」
「............」
玄徳は心のうちで、さてはと、過ぐる夜の水鏡山荘を思い泛かべ、その折、主と奥で語っていた深夜の客をも思い合わせていた。
「──で、拙者は、狂喜しました。さっそく新野に行きましたが、なんの手蔓とてない素浪人、折もあれば、拝姿の機会あるべしと、日々、戯歌を謡って、町を彷徨うておりました。そのうちに、念願が届いて、ついにわが君に随身の機縁を得、なお素姓も定かならぬそれがしを、深くお信じ下されて、軍師の鞭を賜わるなど、過分な御恩は忘れんとしても忘れることはできません。──士は己れを知る者のために死す、以来、心ひそかに誓っていた心は、それ以外にないのでした」
「............」
「ところが。......これ、御覧下さりませ」と、徐庶は母の文を取り出して、玄徳に示しながら、
「かくのごとく、昨夜、老母より手紙が参りました。愚痴には似たれど、この老母ほど、世に薄命なものは御座いません。良人には早く別れ、やさしき子には先立たれ、いまは拙者ひとりを、杖とも力ともしておるのでした。しかるに、この文面に依れば、許都に囚われて、明け暮れ悲嘆に暮れておるらしゅうございます。元来、自分は幼年から武芸が好きで、郷里に居れば郷党と喧嘩ばかりし、罪を得ては流浪するなど、母親に心配ばかりかけて来ました。──それ故つねに心のうちでは、不孝を詫びておりまする。母を思うと居ても立ってもいられないのです。......実に実に......申し上げ難い儀には御座りますが、どうぞ拙者に、しばらくのお暇をおつかわし下さい。許都へ行って母をなぐさめたいのです。母に老後の安心を与え、母の行く末を見終わりましたら、かならず再び帰って来ます。──わが君さえ棄て拾わずば、きっと帰参いたします故、それまでのお暇をいただきたいのでございまする」
「ああ、よいとも......」玄徳は快く承諾した。彼も貰い泣きして、眼には涙をいっぱいに湛えていた。
玄徳にもかつては母があった。世の母を思うとき、今は亡きわが母を憶わずにいられない。
「なんで御身の孝養を止めよう。母います日こそ尊い。くれぐれ恩愛の道にそむき給うな」
終日、ふたりは尽きぬ名残を語り暮らしていた。
夜に入っては、幕将すべても集めて、彼のために餞行の礼を盛んにした。餞行の宴──つまり送別会である。
二
一杯また一杯、別れを惜しんで、宴は夜半に及んだ。
けれど徐庶は、酔わない。
時折、杯をわすれて、こう嘆じた。
「ひとりの母が、許都に囚われたと知ってからは、粟にも粟の味わいなく、酒にも酒の香りはありません。金波玉液も喉に空しです。人間、恩愛の情には、つくづく弱いものだと思いました」
「いや、無理もない。まだ主従の日も浅いのに、いま御辺と別れるに臨んで、この玄徳ですら、左右の手を失うような心地がする。龍肝、鳳髄も舌に甘からずです......」
いつか、夜が白みかけた。
諸大将も、惜別のことばを繰り返しながら、最後の別杯をあげて、各々、休息に過がった。
まどろむほどの間もないが、牀に寄って、玄徳も独り居眠っていると、孫乾がそっと訪ねて、
「わが君。どう考えても、徐庶を許都へやるのは、大きな不利です。あのような大才を、曹操の所へわざわざ送ってやるなど、愚の至りです。何とか彼をお引き留めになったら、いかがですか。今のうちなら、いかなる策も施せましょう」と、囁いた。
玄徳は、黙然としていた。
孫乾は、なお語を強めて、
「それのみならず、徐庶は、味方の兵数、内状、すべてに精通していますから、その智を得て、曹操の大軍を襲せて来たら、いかんとも防ぎはつきますまい」
「............」
「禍を転じて、福となすには、徐庶をこの地に引きとどめ、ますます、防備を固めるにあります。必然、曹操は、徐庶に見切りをつけて、その母を殺すでしょう。しかる時には、徐庶にとって、曹操は母の仇となりますから、いよいよ敵意を励まして、彼を打ち敗ることに、生涯を賭けるにちがいありません」
「だまれ」
玄徳は、胸を正した。
「いけない。そんな不仁なことは自分には出来ない。──思うてもみよ。人にその母を殺させて、その子を、自分の利に用いるなど、君たるもののする事か。たとい、玄徳が、この一事のため、亡ぶ日を招くとも、そんな不義なことは断じて出来ぬ」
彼は、身支度して、早くも帳裡から出て行った。馬を曳け、と侍臣へ命じる。小禽は朝晴れを歌っていた。けれど玄徳の面は決して今朝の空のようではない。
関羽、張飛などが騎従した。玄徳は城外まで、徐庶の出発を見送るつもりらしい。人々はその深情に感じもし、また徐庶の光栄を羨みもした。
郊外の長亭まで来た。徐庶は恐縮のあまり、
「もう、どうぞここで」と、送行を辞した。
「では、ここで別れの中食を摂ろう」と、一亭のうちで、また別杯を酌んだ。
玄徳はしみじみと、
「御身と別になっては、もう御身から明らかな道を訊くこともできなくなった。けれど、だれに仕えても、道に変わりはない。どうか新しい主君にまみえても、よく忠節を尽くされ、よく孝行をして、士道の本分を完うされるように」と、繰り返して言った。
徐庶はなみだを流して、
「おことば有り難う存じます。才浅く、智乏しい身をもって、君の重恩をこうむりながら、不幸、半途でお別れのやむなきに至り、慚愧にたえません。母を養うねがいは切々にありますが、曹操にまみえて、どう臣節を保てましょうか、自信は持ち得ません」
「自分も、御辺という者を失っては、何か、大きな気落ちを、どうしようもない。いっそ、現世の望みを断って、山林にでも隠れたい気がする」
「かいなき事を仰せられますな、それがしごとき菲才を捨てて、より良き賢士をお招きあれば、御武運は更に赫々たるものです」
「御辺に優る賢士など、おそらく当代には求められまい。絶対に、無いといえよう」
玄徳は沈痛な語気で言った。──それくらいなら何もこのように落胆はしないと言う風に。
三
亭の外にひかえていた関羽、張飛、趙雲などの諸将も、みな一面は多感の士である。涙を抑えてことごとく俯向いていた。
徐庶は、亭上からその人々を顧みて、
「拙者の去った後は、諸公におかれても、今日以上、一倍結束して、互いに忠義を磨き、名を末代におのこしあるよう、許都の空より禱っておりますぞ」と、言った。
玄徳はついに鳴咽し、しばしば涙雨のごとくだった。そしてなお、ここで別れるに忍びないで、
「もう四、五里ほど」と、ともに轡をならべて徐庶を送って行った。
「もう、この辺で......」
徐庶は、固辞したが、
「いや、もう少し送ろう。互いに天の一方にわかれては、またいつの日か会えよう」
と、思わず十里ほど来てしまった。
徐庶の馬もつい進まず、
「御縁だにあれば、これも一時のお別れになりましょう。お体を御大事にして、徐庶が再び帰る日をお待ちあそばし下さい」と、なぐさめた。
かくてまた、いつか七、八里も来ていた。城外を距つことかなり遠い田舎である。諸将も帰途を案じて、
「いくら行っても、お名残は尽きますまい。もはやここで」と、一同して馬を控えた。
玄徳は馬上から手をさしのべた。徐庶もまた手を伸ばした。かたく握りあって、ふたりの眸はしばし無言の熱涙を見交わしていた。
「......では。健やかに」
「あなた様にも」
「おさらば」
しかも玄徳の手はなお、徐庶の手をかたく握っていて離さなかった。
滂沱たる涙と共に、手もまた震え哭くかのようだった。
「──おさらばです」
ついに徐庶は捥ぎ離して、駒のたてがみに、面を沈めながら馳け去った。
諸将は、いっせいに、手を振って、そのうしろ影へ、
「さらば」
「さらば──」
を告げながらどやどや駒を回し始めた。そして玄徳を包んで元の道へせわしく引っ返した。
未練な玄徳は、なお時々、駒を佇ませて、徐庶の影を遠く振り向き、
「おお、あの林の陰にかくれ去った。徐庶の影を距てる林の憎さよ。ままになるならあの林の木々をみな伐り捨てたい! ......」と、声を放って泣いた。
いかに君臣の情の切なる溢れにせよ、あまりな愚痴をと思ったか、諸将は声を励まして、
「いつまで、

なきお嘆きを。──いざいざ
疾くお帰りあれ」
と、促した。
そして六、七里ほど引っ返して来たころである。後ろの方から、
「おうーい。おういっ」と、呼ぶ声がする。
見れば、こはいかに、かなたから馬に鞭打って追いかけて来るのは、徐庶ではないか。徐庶が帰って来たではないか。
(さては彼も、別れ切るるに忍びず、ついに志を変えて戻って来たか)
人々は、直感して、どよめき迎えた。
すると徐庶は、そこへ近づいて来るやいな、玄徳の鞍わきへ寄って、早口にこう告げた。
「夜来、心みだれて麻のごとく、つい、大事な一言をお告げしておくことを忘れました。──彼方、襄陽の街を西へ距つこと二十里、隆中という一村落があります。そこに一人の大賢人がいます。──君よ。いたずらなお嘆きをやめて、ぜひぜひこの人をお訪ねなさい。これこそ、徐庶がお別れの置き土産です」
言い終わると、徐庶はふたたび元の道へ、駒を急がせた。
四
隆中。
襄陽の西二十里の小村落。
そんな近いところに?
玄徳は、疑った。
茫然──つい茫然と聞き惑っていた。
そのまに、徐庶の姿はもう先へ遠ざかりかけていた。
玄徳は、はっと、われに返って、思わず手と共に大声をあげた。
「徐庶っ、徐庶っ。もうしばし待て。待ってくれい」
徐庶はまた、駒を返して来た。玄徳のほうからも馬をすすめて、
「隆中に、賢人ありとは、かつてまだ聞いていなかった。それは真実のことか」と、念を押した。
徐庶は答えて、
「その人は、極めて、名利に超越し、交わる人たちも、限られていますから、彼の賢を知るものは、ごく少数しかないわけです。──それに、君には、新野の地にもまだ日浅く、周囲には荊州の武弁、郡県の俗吏しか近づいていませんから、御存じないのは当然です」
「その人と、御辺との縁故は」
「年来の道友です」
「経綸済世の才、御辺みずから、その人と比しては?」
「拙者ごときの類ではありません。──それを今日の人物に比較することは困難で、古人に求めれば、周の太公望、漢の張子望などなら、彼と比肩できるかもしれませぬ」
「御辺の友人のあいだならば、願うてもないこと、旅途を一日のばして、玄徳のために、その人を新野へ伴うてはくれまいか」
「いけません」
膠もなく、徐庶は、顔を横に振った。
「どうして、彼が、拙者の迎えぐらいで出て参るものですか。──君御自身、彼の柴門をたたいて、親しくお召し遊ばさねばだめでしょう」
聞くとなお、玄徳は喜色をたたえて言った。
「ねがわくば、その人の名を聞こう。──徐庶、もっと審らかに語り給え」
「その人の生地は瑯琊陽都(山東省・沂州)と聞き及んでおります。漢の司隷校尉、諸葛豊が後胤で、父を諸葛珪といい、泰山の郡丞を努めていたそうですが、早世されたので、叔父の諸葛玄にしたがって、兄弟等みなこの地方に移住し、後、一弟と共に、隆中に草盧をむすび、時に耕し、時に書をひらき、好んで梁父の詩をよく吟じます。家のあるところ、一つの岡をなしているので里人これを臥龍岡とよび、またその人をさして臥龍先生とも称しています。──すなわち、諸葛亮字は孔明。まず当代の大才といっては、拙者の知る限りにおいて、彼をおいては、ほかに人はありません」
「......ああ。いま思い出した」
玄徳は肚の底から長息を吐いて、さらにこう訊ねた。
「それで思い当たる事がある。いつか司馬徽の山荘に一夜を送った時、司馬徽のいうには、いま伏龍鳳雛、二人のうちその一人を得れば、天下を定めるに足らんと。──で、自分が幾度か、その名を訊ねてみたが、ただ好し好しとばかり答えられて、明かされなかった。──もしや、諸葛孔明とはその人ではあるまいか」
「そうです。伏龍、それがすなわち孔明のことです」
「では、鳳雛とは、御辺のことか」
「否! 否!」
徐庶はあわてて、手を振って言った。
「鳳雛とは襄陽の龐統、字を士元という者のこと。われ等ごときの綽名ではありません」
「それではじめて、伏龍、鳳雛の疑いも晴れた。ああ知らなかった! 現在、自分も共に住むこの山河や市村の間に、そんな大賢人が隠れて居ようとは」
「では、かならず孔明の廬をお訪ねあそばすように」
徐庶は、最後の拝をして、一鞭、飛ぶがごとく、許都の空へと馳け去った。
諸葛氏一家
一
孔明の家、諸葛氏の子弟や一族は、のちに三国の蜀、呉、魏──それぞれの国にわかれて、各々重要な地位をしめ、また時代の一方をうごかしている関係上、ここでまず諸葛家の人々と、孔明そのものの為人を知っておくのも、決してむだではなかろうと思う。
が、何ぶんにも、千七百余年も前のことである。孔明の家系やその周囲に就いては、正確にわからない点も多分にある。
ほぼ明瞭なのは、さきに徐庶が玄徳へも告げているように、その祖先に、諸葛豊という人があったということ。
また、その諸葛豊は、前漢の元帝のころ、時の司隷校尉の役にあり、非常に剛直な性で、法律にしたがわない輩は、どんな特権階級でも、容赦しなかった警視総監らしい。
それを証するに足るこんなはなしがある。
元帝の外戚にあたる者で、許章という寵臣があった。これが国法の外の振る舞いをしてしかたがない。諸葛豊は、その不法行為をにらんで、
「いつかは」と、法の威厳を示すべく誓っていたところ、ある折、またまた、国法を紊して、恬として顧みないような一事件があった。
「断じて、縛る」と、警視総監みずから、部下をひきつれて捕縛に向かった。ちょうど許章は宮門から出て来たところだったが、豊総監のすがたを見て、あわてて禁門の中へかくれこんでしまった。
そして、彼は、天子の寵をたのみ、袞龍の袖にかくれて哀訴した。しかも、豊は国法曲ぐべからざることを説いてゆるさなかったので、天子はかえって彼を憎み、彼の官職を没り上げて、城門の校尉という一警手に左遷してしまった。
それでも、彼はなお、しばしばけしからぬ大官の罪をただして仮借しなかったため、ついにそういう大官連から排撃されて、やがて免職をいい渡され、ぜひなく郷土に老骨をさげて、一庶民に帰してしまった人だとある。
その祖先の帰郷した地が、瑯琊であったかどうか明瞭でないが──孔明の父、諸葛珪のいたころは、正しく今の山東省──瑯琊郡の諸城県から陽都(沂水の南)に移って一家をかためていた。
諸葛という姓は初めは「葛」という一字姓だったかも知れない。諸国を通じての漢人中にも、二字姓は至って稀である。
もとは単に「葛氏」であったが、諸城県から陽都へ家を移した時、陽都の城中に憚る同姓の家がらがあったので、前の住地の諸城県の諸をかぶせ、以来「諸葛」という二字姓に改めたという説などもある。
孔明の父珪は、泰山の郡丞をつとめ、叔父の玄は、予章の太守であった。まずそのころも、家庭は相当に良かったといっていい。
兄妹は四人あった。
三人は男で、ひとりは女子である。孔明はその男のうちの二番目──次男であった。
兄の瑾は、早くから洛陽の大学へ入って、遊学していた。
そのあいだに彼の生母はこの世を去った。父には後妻が来た。
ところが、その後妻をのこして、こんどは彼等の父の珪が死去したのである。孔明はまだ十歳になるかならないころであった。
「どうしよう?」
腹ちがいの子三人の幼い者を擁して、後妻の章氏も途方にくれていた。
ところへ、大学をほぼ卒業した長男の瑾が、洛陽から帰って来た。
そして洛陽の大乱を告げた。
「これから先、世の中はまだまだどんなに混乱するかわかりません。黄巾の乱は諸州の乱となり、とうとう洛陽まで火は移って来ました。この北支の天地も、やがて戦乱の巷でしょう。ひとまず南の方へ逃げましょう。江東(揚子江流域、上海、南京地方)の叔父さんを頼って行きましょう」
瑾は義母を励ました。
この長男も世の秀才型に似あわず至って謹直で、よく継母に仕えその孝養ぶりは、生みの母に仕えるのと少しも変わりはないと、世間の褒められ者であった。
二
戦乱があれば、戦乱のない地方へ、洪水や飢饉があれば、災害のなかった地方へ──大陸の広さにまかせて、大陸の民は、流離漂泊に馴れている。
「南へ行きましょう」と、諸葛氏の一家が、北支から避難したときも、黄巾の乱後の社会混乱が、どこまでつづくか見通しもつかなかったころなので、
「南へ」
「南の国へ」と、北支や山東の農民は、水の低きへつくように、各々、世帯道具や足弱を負って江東地方(揚子江の下流域、南京、上海)へ逃散して行くものが大変な数にのぼっていた。
まだ十三、四歳でしかない孔明の眼にも、このあわれな流離の群れ、飢民の群れの生活が、ふかく少年の清純なたましいに、
(──愍れな人々)として烙きついていたにちがいない。
(どうして、人間の群れは、こんなにみじめなのか。苦しむために生まれたのか。......もっと、生を楽しめないのか)
そんな事も考えたであろう。
いや、もう十三、四歳といえば、史書、経書も読んでいたであろうから、
(こんなはずではない。この世の中のうえに、ひとりの偉人が出れば、この無数の民は、こんな
恟々した
眼や、

せこけた顔を持たないでもいいのだ。──天に
日月があるように、人の中にも日月がなければならないのに、そういう大きな人があらわれないから、小人同士が、人間の悪い性質ばかり出しあって、世の中を混乱させているのだ。──かわいそうなのは、何も知らないで果てなく大陸をうろうろしている何億という百姓だ)
と、いう程度の考えは、もう少年孔明の胸に、人知れず醱酵していたにちがいない。
なぜならば、彼の一家も、大学を卒業したばかりの兄の瑾ひとりを杖とも柱とも頼み、家財道具と継母とを車に乗せて、孔明の弟の均や妹たちを励ましながら──わずかな奴僕等に守られつつ、それらの飢民の群れに交じって、毎日毎日曠野や河ばかりの果てなき旅をつづけている境遇にあったからである。
旅は苦しい。辛い。
いやしばしば生命の危険すらあった。また大自然の暴威──大陸の砂塵や豪雨や炎熱にも虐げられ、野獣、毒虫の恐怖にも襲われた。
二十歳だいの長男。まだ十三、四歳の孔明。その下の弟妹たちは、このあいだにこそ、たしかに大きな「生きぬく力」を学んだにちがいない。
それは、流離の土民の子も、同じように通って来た錬成の道場だったが、出す素質がなければ艱難はただ意味なき艱難でしかない。──幸いにも、諸葛家の子たちには、天与の艱難を後に生かす質があった。
──かくて、ようやく。
叔父の諸葛玄を頼って、そこへ辿りついたのが、初平四年の秋──ちょうど長安の都で、董卓が殺された大乱の翌年であった。
そこへ、半年ほどいるうち、叔父の玄は、劉表の縁故があるので、荊州へゆくことになった。
孔明と、弟の均とは、叔父の家族とともに、荊州へ移住したが──それを機に、長男瑾は別れを告げて、
「わたくしも何か、一家の計を立てますから」
と、継母の章氏を伴って、暮帆遠く、江を南に下って、呉の地方へ、志を求めて行った。
三
当時すでに、想いを将来に馳する若人にも、南方支那の開発こそ、好個の題目として、理想の瞳に燃え映っていたにちがいない。
北支の戦禍を避けて、南へ南へ移住して来る漢民族は、その天産と広い沃地へわかれて、たちまち新しい営みをし始めていた。
流民の大部分は、もとより奴婢土民が主であったが、その中には、諸葛氏一家のような士大夫や学者などの知識階級もたくさんいた。彼等は、各々、選ぶ土地に居を求めて、そこで必然、新しい社会を形成し、新しい文化を建設して行った。
その分布は、
南方の沿海、江蘇方面から、安徽、浙江におよび、江岸の荊州(湖南、湖北)より、さらに遡って益州(四川省)にまでちらかった。
継母をつれた諸葛瑾が、呉の将来に嘱目して、江を南へ下ったのは、さすがに知識ある青年の選んだ方向といっていい。
そして、やがてそれから七年目。
呉の孫策が没した年、継いで呉主として立った孫権に見い出されて、それに仕える身となったことはさきに書いたとおりである。
けれど一方──叔父の玄やその家族に伴れられて荊州へ移った孔明と末弟の均の方は、そのときこそ、保護者の手で安全な方向を選ばれたかのように思われたが、以後の運命は、兄の瑾と相反していた。世路の波瀾は、はやくも少年孔明を鍛えるべく、試すべくあらゆる形で襲って来た。
「荊州は、大きな都だよ。おまえたちの見たこともない物がたくさんにある。叔父さまは荊州の劉表さまとお友だちで、ぜひ来てくれとお招きをうけて今度行くんだから、都の中に、お城のようなお住まいを持つんだよ。おまえ達も、大勢の家来から、若さまといわれるのだから、品行をよくしなければいけませんよ」
叔母や叔父の身寄りから、そんな前ぶれを聞かされて、少年孔明の胸はどんなにおどったことだろう。
そして荊州の文化に、いかに眼をみはったことか。
ところが、居ることわずか一年足らずで、叔父の玄はまた、劉表の命で、
「予章を治めてくれ。いままでやっておった周術が病死したから」
と、その後任に、転任をいい渡された。
こんどは、太守の格である。栄転にはちがいないが、任地の南昌へ行ってみると、ずっと文化は低いし、土地には、新任の太守に服さない勢力が交錯しているし──もっと困った問題は、
「彼は、漢の朝廷から任命された太守ではないんだ。われわれはそういう朦朧地方官に服する理由をもたない」と、弾劾する声の日にまして高くなって来たことである。事実、中央からは、漢朝の辞令を帯びた朱皓というものが、公然任地へ向かって来たが、もう先に、べつな太守が来て坐っているため、城内へ入ることができなかった。
当然、戦争になった。
(おれが予章の太守だ)
(いや、おれの方こそ正当な太守だ)
という変わった戦いである。
朱皓の方には、笮融だの劉繇などという豪族が尻押しについたので、玄はたちまち敗戦に陥り、南昌の城から追い出されてしまった。
少年の孔明や弟の均は、このとき初めて、戦争を身に知った。
叔父の一家とともに、乱軍のなかを落ちて、城外遠くに屯して、再起を計っていたが、ある夜、土民の反乱に襲われて、叔父の玄は、武運つたなく、土民たちの手にかかって首を取られてしまった。
孔明は、弟の均を励ましつつ、みじめな敗兵と一緒に逃げあるいた。──叔母も身寄りもみな殺されて知らない顔の兵ばかりだった。
四
そのころ、頴川の大儒石韜は、諸州を遊歴して荊州に来ていた。
由来、荊州襄陽の地には、好学の風が高く、古い儒学に対して、新しい解義が追求され、現下の軍事、法律、文化などの政治上に学説の実現を計ろうとする意図が旺であった。
林泉あるところ百禽集まるで、自然、この地方に風を慕って来る学徒や名士が多かった。頴上の徐庶、汝南の孟建なども、その輩だった。
叔父の玄を亡い、頼る者とてなく、年少早くも世路の辛酸を舐めつつあった孔明が初めて、石韜の門をくぐって、
「学僕にして下さい」と、訪れたのは、彼が十七のころだった。
石韜は翌年、近国へ遊学にあるいた。その時、師に従って行った弟子のなかに、白面十八の孔明があり、一剣天下を治むの概を持つ徐庶があり、また温厚篤学な孟建がいた。
だから孟建や徐庶は、孔明より年もずっと上だし、学問の上でも先輩であったが、ふたりとも決して、孔明を侮らなかった。
「あれは将来、ひとかどになる秀才だ」
と、早くも属目していたのである。ところがそれは二人の大きな認識不足だった。
なぜならば、その後の孔明というものは、ひとかどどころではなかった。石韜を繞る多くの学徒の中にあって、断然群を抜いていたし、その人物も、年とるほど、天質をあらわして、いわゆる世間なみの秀才などとは、まったく型がちがっていた。
だが彼は、二十歳を出るか出ないうちに、もう学府を去っていた。学問のためにのみ学問する学徒の無能や、論議のために論議のみして日を暮らしている曲学阿世の仲間から逃げたのである。
では、それからの彼は、どうしていたかというと、襄陽の西郊にかくれて、弟の均と共に、半農半学者的な生活に入ってしまったのだった。
晴耕雨読──その文字どおりに。
「いやに、老成ぶったやつではないか」
「いまから隠棲生活を気どるなんて」
「彼は、形式主義者だ」
「衒いに過ぎん」
学友はみな嘲笑した。多少彼を認め彼を尊敬していた者まで、月日と共にことごとく彼を離れた。
ただ、その後も相かわらず、彼の草盧へよく往来していたのは、徐庶、孟建ぐらいなものだった。
襄陽の市街から孔明の家のある隆中へ行くには、郊外の道をわずか二十里(わが二里)ぐらいしかない。
隆中は山紫水明の別天地といっていい。遠く湖北省の高地から来る漢水の流れが、桐柏山脈に折れ、淯水に合し、中部支那平原を蜒って、名も沔水と変わって来ると、その西南の岸に、襄陽を中心とした古い都市がある。
孔明の家から、晴れた日は、その流れ、その市街がひと目に見えた。彼の宅地は隆中の小高い丘陵の中腹にあり、家のうしろには、楽山とよぶ山があった。
──歩みて斉の城門を出づ
遙かにのぞむ蕩陰里
里中、三墳、塁として相似たり
問うこれ、誰が家の塚ぞ
田彊・古冶氏
力はよく南山を排し
文はよく地紀を絶つ
畑の中で、真昼、よくこんな歌が聞こえる。
歌はこの辺の民謡でなく、山東地方の古い昔語りを謡うものだった。
孔明の故郷──斉国の史歌である。
声の主は、鍬をもって畑を打つ孔明か、豆を苅って、莢を莚に叩く弟の均であった。
五
隆中の彼の住居へ、ある日、友人の孟建が、ぶらりと訪ねて来て言った。
「近日、故郷へ帰ろうと思う。きょうはお別れにやって来た」
孔明は、そういう先輩の面を、しばらく無言で見まもっていたが、
「なぜ帰るのです?」と、さも不審そうに訊いた。
「なぜという事もないが、襄陽はあまりに平和すぎて、名門名族の士が、学問に遊んだり政治批評を楽しんで生活しておるにはいいかも知れんが、われわれ書生には適さない所だ。そのせいか、近ごろしきりと故郷の
汝南が恋しくなった。退屈病を

しに帰ろうと思うのさ」
聞くと、孔明は、静かに顔を横に振って、
「こんな短い人生を、まだ半途も歩まないうちに、君はもう退屈しているのか。襄陽は平和すぎると言われるが、いったいこの無事が百年も続くと思っているのかしら? ──ことに、君の郷里たる中国(北支)こそ、旧来の門閥は多いし、官吏士大夫の候補者はうようよしているから、何の背景もない新人を容れる余地は少ない。むしろ南方の新天地に悠々時を待つべきではないかな」
と、言って止めた。
孟建は孔明よりも年上だし、学問の先輩でもあったが大いに啓蒙されて、
「いや、思い止まろう。なるほど君の言うとおりだ。人間はすぐ眼前の状態だけに囚われるからいかんな。──閑に居て動を観、無事に居て変に備えるのは難しいね」と述懐して帰った。
孟建などが

するせいか、
襄陽の名士のあいだには、いつか、孔明の存在とその人物は、無言のうちに認められていた。
いわゆる襄陽名士なる知識階級の一群には、崔州平、司馬徽、龐徳公などという大先輩がいたし、中でも河南の名士黄承彦はすっかり孔明を見込んで、
「自分にも娘があるが、もし自分が女だったら隆中の一青年に嫁ぐだろう」とまで言っていた。
するとまた、ぜひ媒酌しようという者が出て来て、黄承彦のことばは、ついに実現した。──と言っても、もちろん、黄承彦が嫁入りするわけはない。孔明へ嫁いだのは、その娘である。
ところが花嫁は、父の黄承彦の顔を、もう少し可愛らしくした程度の不美人であった。貞淑温雅で、名門の子女としての教養は申し分なくあるが、天質の容姿はいたって恵まれていなかった。
「瓜田の変屈子には、お似合いの花嫁さま──」
と、孔明を無能の青年としか見ていない仲間は、ひどく興がってよろこんだ。
しかし、孔明とその新妻とは、実にぴったりしていた。相性というか、琴瑟相和してという文字どおり仲がよい。
かくて彼の隆中における生活もここ数年を実に平和に過ごして来た。
六
彼の身の丈は、人なみすぐれていた。肉はうすく、漢人特有な白晳長身であった。
その長い膝を抱えて、居眠るごとく、ある日、孔明は友達の中にいた。
彼を繞る道友たちは、各々、時局を談じ、将来の志を語りあっていた。
孔明は、微笑しながら、黙々とそれを聞いていたが、
「そうだ、君がたが、こぞって官界へ出て行けば、きっと刺史(州の知事)か郡守(郡の長官、即ち太守)ぐらいには登れるだろう」と、言った。
友の一名が、すぐ反問した。
「じゃあ、君は。──君はどんなところまで成れるつもりか」
「僕か」
笑而不答──孔明はにやにやしていたきりであった。
彼の志は、そんな所にあるのではなかった。官吏、学者、栄達の門、みな彼の志を入れるには窄かった。
春秋の宰相管仲、戦国の名将軍楽毅、こうふたりを心に併せ持って、ひそかに、
(わが文武の才幹は、まさにこの二人に比すべし)
と、独り矜持を高くもっていたのである。
楽毅は春秋戦国の世に、燕の昭王を佐けて、五国の兵馬を指揮し、斉の七十余城を陥としたという武人。──また管仲は、斉の桓公を輔佐して、富国強兵政策をとり、春秋列国のなかに、ついに覇を称えしめて、その主君桓公から、一にも仲父(管仲の称)二にも仲父と恃まれたほどな大政治家である。
いまは、時あたかも、春秋戦国のころにも劣らぬ乱世ではないか。
若い孔明は、そう観ている。
管仲、楽毅、いまいずこにありや! ──と。
また彼は想う。
「自分を措いてはない。不敏といえども、それに比すものは自分以外のだれが居よう」
不断の修養を怠らなかった。
世を愛するために、身を愛した。世を思うために、自分を励ました。
口にこそ出さないが、膝を抱えて、黙然、嘯いている若い孔明の眸にはそういう気慨が、潜んでいた。
時にまた、彼は、家の裏の楽山へ登って行って、渺々際崖無き大陸を終日ながめていた。
すでに、兄の瑾は呉に仕え、その呉主孫権の勢いは、南方に赫々たるものがある。
北雲の天は、相かわらず晦い。袁紹は死し、曹操の威は震雷している。──が、果たして、旧土の亡民は、心からその威に服しているかどうか。
益州──巴蜀の奥地は、なおまだ颱風の圏外にあるかのごとく、茫々の密雲にとざされているが、長江の水は、そこから流れてくるものである。
水源、いつまで、無事でいよう。かならずや、群魚の銀鱗が、そこへ溯る日の近いことは、わかりきっている。
「ああ、こう観ていると、自分のいる位置は、まさに呉、蜀、魏の三つに別れた地線の交叉している真ん中にいる。荊州はまさに大陸の中央である......が、ここにいまだれが時代の中枢をつかんでいるか。劉表はすでに、次代の人物ではないし、学林官海、ともに大器と見ゆるひともない。......突としてここに宇宙から降り立つ神人はないか。忽として、地から湧いて立つ英傑はないか」
やがて、日が暮れると、若い孔明は、梁父の歌を微吟しながら、わが家の灯を見ながら山を降りて行く──。
歳月のながれは早い。いつか建安十二年、孔明は二十七歳となっていた。
劉備玄徳が、徐庶から彼のうわさを聞いて、その草廬を訪う日を心がけていたのは、実に、この年の秋もはや暮れなんとしているころであったのである。
臥龍の岡
一
さて。
ここで再び、時と場所とは前にもどって、玄徳と徐庶とが、別離を告げた道へ還るとする。
× × ×
「骨肉の別れ、想思の仲の別れ。いずれも悲しいのは当然だが、男子としては、君臣の別れもまた断腸の一つだ。......ああ、きょうばかりは、何度思い止まろうかと迷ったか知れぬ」
徐庶は、駒を早めていた。
今なお、玄徳の恩に、情に、うしろ髪を引かれながら──。
だが、都に囚われている母の身へも、心は惹かれる。矢のように急がれる。
徐庶の心は忙しかった。
また、そんな中でも、後に案じられるもう一つの事は、別れ際に自分から玄徳へ推薦しておいた諸葛孔明のことである。かならず主君玄徳は、近日、孔明を訪れるであろうが、果たして、孔明が請いを容れるかどうか?
「彼のことだ、おそらく、容易にはうごくまい」
徐庶は、責任を感じた。また、玄徳のために、途々、苦念した。
「そうだ......隆中へ立ち寄っても、さして廻り道にはならぬ。──別辞かたがた孔明にもちょっと会って行こう。そして主君玄徳の懇望があったら、ぜひ召しに応じてくれるよう、自分からもよく頼んでおこう」
そう考えつくと、彼は、にわかに道を更えて、襄陽の西郊へ廻って行った。
臥龍の岡は、やがてかなたに見えて来る。龍が寝ているような岡というのでその名がある。
徐庶の馬は、やがてそこの岡をのぼって行く。久しく無沙汰していたので、そこらの木々も石もみな旧友のごとくなつかしく見える。
折から晩秋なので、満山は紅葉していた。めったに訪う人もない孔明の家の屋根は、落葉の中に埋まっていた。門前に馬を降りて、徐庶はその柴門を叩く。訪れの声をかける──。
が、園内は寂として、木の葉の落ちる音ばかりだ。
しばらく佇んでいると、童子の歌う声がする。
蒼天は円蓋の如し
陸地、碁局に似たり
世人黒白して分かれ
往来に栄辱を争う
「おうい、童子。ここを開けてくれ。先生はいらっしゃるか。──わしだよ。徐庶が来たと取り次いでくれ」
外の客は、しきりと訪れていたが、童子はなお気づかないもののごとく、
栄うる者は自ら安々
辱しめらるる者は定めて碌々
南陽に隠君有り
高眠臥して足らず
と、歌いながら、

の鳥の巣を仰いでいた。
すると、どこやらで、童子童子と呼ぶ声がして、門外に客のあることを教えていた。
「え。だれか来たのかい」
童子は、飛んで来た。──そして内から柴門をあけて、客のすがたを見ると、
「ああ、元直さまか」と、馴れ馴れしく言った。
徐庶は、傍らの木へ、駒をつないで、
「先生はいられるかね?」
「おいでになります」
「お書斎か」
「ええ」
「おまえはなかなか歌がうまいな」
「元直さまは、急にこのごろ、美々しくなりましたね。剣も、着物も、お馬の鞍まで」
園の小径を、奥へ歩いてゆく徐庶のあとから、童子は口達者にそう言った。徐庶は、そう言われて、心に顧みた。──かつての破衣孤剣の貧しい自分のすがたを。──そしてここの簡素な家の主に対して、何か、会わないうちから気恥ずかしい心地をおぼえた。
二
童子は、茶を煮る。
客と主は、書斎のうちに対話していた。
「秋も暮れますなあ」
徐庶がいう。
孔明は、膝を抱いて、
「冬を待つばかりだ。すっかり薪も割ってある」
と、言った。
徐庶は、いつまでも、言い出せずにいた。すると孔明のほうから、訊ねた。
「徐兄。きょうのお越しは、何か用あり気らしいが、そも、なんのために、孔明の廬へお立ち寄りか」
「されば」と、ようやく、緒口を得て、
「──実はまだ、先生にもお告げしてないが、拙者は先ごろから、新野の劉玄徳に仕えていました」
「はあ。そうでしたか」
「ところが、田舎にのこしておいた老母が、曹操の部下に曳かれて、いまはひとり都に囚われの身となっている。......その老母より綿々と侘しさを便りして参ったので、やむなく、主君にお暇をねがい、これより許都へ上ろうという途中なのです」
「それは、よい事ではないですか。身の仕官など、いつでも出来る。御老母をなぐさめておあげなさい」
「就いてはです。──お別れに臨んで、この徐庶から折り入って、おねがいしておきたい儀があります。お聞き入れ賜わらぬか」
「まあ、おっしゃってごらんなさい」
「ほかではありませんが、今日、御主君自身、遠く途中まで見送って下されたが、その別れ際に、実は、平素から心服しているため、隆中の岡に、かかる大賢人ありと、口を極めて、先生の大方を、御推薦しておいたわけです。──で、まことに御迷惑でしょうが、やがて玄徳公からお沙汰のあった節は、枉げても、召しに応じていただきたい。かならず、御辞退なきように、旧友の誼に縋っておねがい申し上げる」
徐庶は、学歴や年齢からも、遙かに孔明よりは先輩だったが、今では孔明を先生と称して、心から尊敬を払っているのである。しかもこの事たるや、容易ならぬ問題でもあるし、一朝一夕に孔明が承諾しようとも考えられないので、衷情を面にあらわして、なお縷縷その間の経緯やら自己の意見をも併せ陳べた。
すると、終始、半眼に睫毛をふさいで、静かに聞いていた孔明は、語気勃然と起って、
「徐兄。──御辺はこの孔明を、祭りの犠牲に供えようというおつもりか」
そう言い捨てるやいな、袖を払って、奥の室へかくれてしまった。
徐庶は、はっと、色を変じた。
祭りの犠牲──
思い当たることがある。
むかし、某君が、荘子を召し抱えたいと思って、使者をさしむけたところ、荘子は、その使に答えて曰ったという。
(子よ、犠牲になる牛を見ずや。首に錦鈴を飾り、美食を飼わしているが、曳いて大廟の祭壇に供えられるときは血をしぼられ、骨を解かれるではないか)
徐庶は、孔明のことばに、慚愧した。もとより畏敬する友を牛として売る気などは、毛頭もないが、折角の交友に、ふと、気まずいものを醸しただけでも、すくなからず後悔させられた。
「いつか詫びる日もあろう」
彼はぜひなく席を去った。外に出て見れば、黄昏の空に落葉飄々と舞って、はや冬近いことを想わせる。
泊まりを重ねて、徐庶が、都へ着いたときは、まったく冬になっていた。──建安十二年の十一月だった。
すぐ相府に出て、着京の由を届けると、曹操は、荀彧、程昱のふたりをして、鄭重に迎えさせ、翌日、曹操自身、彼を引いて対面した。
「御辺が、徐庶元直か。老母は息災であるから、まずその儀は安心したがよいぞ」
三
「御恩をふかく謝します──」と徐庶はまず拝礼して、
「して、母はどこにおりましょうか。願わくは、一刻も早く、遠路より来た愚子に対面をおゆるし下さい」と、言った。
曹操は、幾度も頷いて見せたが、
「お身の老母は、つねに程昱に守らせて、朝夕、何不自由なくさせてあるが、今日は御辺がこれに参るとのことに、かなたの一堂に迎えてある。後刻ゆるりと会うもよし、またこれからは、長く側に仕えて、子たるの道をつくせ。予もまたそちの側らに在って、日々、有義な教えを聞きたい」
「丞相の慈念をこうむり、徐庶は愧感に堪えません」
「だが、御辺のような、孝心に篤い、そして達見高明の士が、なんで身を屈して玄徳などに仕えたのか」
「偶然なる一朝の縁でございましょう。放浪のうち、ふと新野で拾い上げられたに過ぎません」
さりげなく、二、三の雑談を交わして後、やがて、徐庶は曹操のゆるしを得て、奥の一堂にいる老母のところへ会いに行った。
「あの内においでなされる」
と、案内の者は、指さしてすぐ戻って行く。──徐庶は清らかな園の一方に見える一棟を見るよりもう胸がいっぱいになっていた。彼は、そこの堂下に額ずいて、
「母上! 徐庶です。徐庶が参りました」と、声をかけた。
すると、彼の老母は、さも意外そうに、わが子のすがたを見まもって訊ねた。
「おやっ? 元直ではないか。そなたは近ごろ、新野にあって、劉玄徳さまに仕えておると聞き、よそながら歓んでいたものを。......なんでこれへ来やったか?」
「えっ。不審しいことをおっしゃいます。母上よりのお手紙に接し、主君よりおいとまを乞うて夜を日に継いでこれへ駈けつけて参りましたものを」
「何をうろたえて。......この母の胎から生まれ出ながら、年三十有余にもなって、まだこの母が、そのような文を子に書く母か否かわからぬか」
「でも、......このお手紙は」と、出発の前に、新野で受け取った書簡を出してみせると、老母は、もってのほか怒って、顔の色まで変じ、
「これ! 元直」と、身を正して叱った。
「そなたは、幼きころから儒学をおさめ、長じては世上を流浪しやることも十数年、世上の艱苦、人なかの辛苦も、みな生ける学びぞと、常にこの母は、身の孤独も思わず、ただただそなたの修業の積むことのみ、陰で楽しみにしていたに──、このような偽文を受け取って、その真偽も正さず、大切な御主君を捨てて来るとは何ごとか」
「あっ......では...・・・それは母上のお筆ではありませんでしたか」
「孝に眼をあけているつもりでも、忠には盲目。そちの修業は片目とみゆる。いま玄徳さまは、帝室の冑たり、英才すぐれておわすのみか、民みなお慕い申しあげておる。そのような君に召しつかわれ、そちの大幸、母も誉れぞと、ひそかに忠義を祈っていたものを......ええ......匹夫のような」
と身をふるわせて、よよと泣いていたが、やがて黙然と、帳の陰へかくれたきり姿も見せなかった。
徐庶も、慚愧に打たれて、母の厳戒を心に嚙み、自身の不覚を悔い悩んで、共に泣き伏したまま悩乱の面も上げず俯っ伏していたが、ふと帳のうしろで、異様な声がしたので、愕然、駈け寄ってみると、老母はすでに自害して死んでいた。
「母上っ......。母上っ」
徐庶は、冷たい母の空骸をかかえて、男泣きにさけびながら、その場に昏絶してしまった。
はや冬風のすさぶ中、許都郊外の南原に、立派な棺槨(墓地)が築かれた──。老母の死後、曹操が徐庶をなぐさめて贈ったものの一つである。
孔明を訪う
一
徐庶に別れて後、玄徳は一時、なんとなく空虚だった。
茫然と、幾日かを過ごしたが、
「そうだ。孔明。──彼が別れる際に言い遺した孔明を訪ねてみよう」
と、側臣を集めて、急に、その事に就いて、人々の意見を徴していた。
ところへ、城門の番兵から、取り次ぎが来た。
「玄徳に会いに来たと、その翁は、ひどく気軽に言うのですが......?」
と、取り次ぎは怪しむのであった。
「どんな
風
の
老翁か」と、
訊くと、
「峩い冠をいただいて、手に藜の杖をついています。眉白く、皮膚は桃花のごとく、容貌なんとなく常人とも思われません」と、ある。
「さては、孔明ではないか」と、推量する者があった。──玄徳もそんな気がしたので、自身、内門まで出迎えに行ってみると、何ぞはからん、それは水鏡先生司馬徽であった。
「おう、先生でしたか」
玄徳は歓んで、堂上に請じ、その折の恩を謝したり、以後の無沙汰を詫びて、
「いちど、軍務のひまを見て、仙顔を拝したいと存じていたところ、さきにお訪ねをたまわっては、恐縮にたえません」と、繰り返して言った。
司馬徽は、顔を振って、
「なんの、わしの訪問は、礼儀ではない、気紛れじゃ。近ごろ、この所に、徐庶が仕えておると聞き、一見せんと、町まで来たついでに立ち寄ったのじゃが」
「ああ、徐庶ですか。──実は数日前に、この所を去りました」
「なに、また去ったと」
「田舎の老母が、曹操の手に囚われ、その母より招きの手紙が参ったので」
「何、何。......囚われの母から書簡が来たと。......それは解せん」
「先生、何を疑いますか」
「徐庶の母なら、わしも知っとる。あの婦人は、世にいう賢母じゃ。愚痴な手紙などよこして子を呼ぶような母ではない」
「では、偽書でしたろうか」
「おそらくはしからん──。ああ惜しいことをした。もし徐庶が行きさえしなければ、老母も無事だったろうに、徐庶が行っては、老母もかならず生きておるまい」
「実は、その徐庶が、暇を乞うて去る折に、隆中の諸葛孔明なる人物をすすめて行きましたが、何分、途上の別れ際に、詳さな事も訊くいとまがありませんでしたが......先生には、よく御存じでしょうか」
「は、は、は」と、司馬徽は笑い出して──
「己れは他国へ去るくせに、無用な言葉を吐いて、他人に迷惑を遺して行かなくてもよさそうなものじゃ。やくたいもない男かな」
「迷惑とは?」
「孔明にとってじゃよ。また、わし等の道友にとっても、彼が仲間から抜けてはさびしい」
「お仲間の道友とは、いかなる方々ですか」
「博陵の崔州平、頴州の石広元、汝南の孟公威、徐庶その他、十指に足らん」
「各々知名の士ですが、かつて孔明の名だけは、聞いておりません」
「あれほど、名を出すのを厭う男はない。名を惜しむこと、貧者が珠を持ったようじゃ」
「道友がたのお仲間で、孔明の学識は、高いほうですか、中くらいですか」
「彼の学問は高いも低いもない。ただ大略を得ておる。──すべてにわたって、彼はよく大略を摑み、よく通ぜざるはない」と、言いながら、杖を立てて、「どれ......帰ろうか」と、つぶやいた。
二
玄徳はなお引きとめて、何かと話題を切らさなかった。
「この荊州襄陽を中心として、どうしてこの地方には、多くの名士や賢人が集まったものでしょうか」
司馬徽は、杖を上げて、起ちかけたが、つい彼の向ける話題につり込まれて、
「それは偶然ではありますまい。むかし殷馗というて、よく天文に通じていた者が、群星の分野を卜して、この地かならず賢人の淵叢たらん──と予言したことは、今も土地の故老がよく覚えていることだが、要するに、ここは大江の中流に位し、蜀、魏、呉の三大陸の境界と、その中枢に位置しているため、時代の流れは自らここに人材を寄せ、その人材は、過去と未来のあいだに静観して、静かに学ぶもあり、大いに期するもあり、各々現在に処しているというのが実相に近いところであろう」
「なるほど、おことばに依って、自分の居る所も、明らかになった気がします」
「──そうじゃ、自分のいる所──それを明らかに知ることが、次へ踏み出す何より先の要意でなければならぬ。御身をこの地へ運んで来たものは、御身自体が意志したものでもなく、また他人が努めたものでもない。大きな自然の力──時の流れに漂わされて来た一漂泊者に過ぎん。けれどお身の止まった所には、天意か、偶然か、陽に会って開花を競わんとする陽春の気が鬱勃としておる。ここの土壌に潜むそういうものの生命力を、御辺は目に見ぬか、鼻に嗅がぬか、血に感じられぬか」
「──感じます。それを感じると、脈々、自分の五体は、ものに疼いて、居ても立ってもいられなくなります」
「好し好し」
司馬徽は、呵々と笑って、
「それさえ覚っておいであれば、あとは余事のみ──やれ、長居いたした」
「先生、もう暫時、お説き下さい。実は近いうちに隆中の孔明を訪れたいと思っていますが──聞説、彼はみずから、自分を管仲楽毅に擬して、はなはだ自重していると聞きますが、やや過分な矜持ではないでしょうか。実際、彼にそれほどな素質がありましょうか」
「否々。あの孔明が何でみだりに自己を過分に評価しよう。わしから言わせれば、周の世八百年を興した太公望、あるいは、漢の創業四百年の基礎をたてた張子房に較べても決して劣るものではない」
司馬徽はそう言いながらおもむろに階を下りて一礼し、なお玄徳がとどめるのを一笑して、天を仰ぎ、
「──ああ、臥龍先生、その主を得たりと雖も、惜しい哉、その時を得ず! その時を得ず!」
と、ふたたび呵々大笑しながら、飄然と立ち去ってしまった。
玄徳は深く嘆じて、あの高士があれほどに激賞するからには、正しく深淵の蛟龍。まことの隠君子にちがいない。一日もはやく孔明を尋ね、親しくその眉目に接したいと、左右の人々へくり返して喞った。
一日、ようやく閑を得たので、玄徳は、関羽、張飛のほか、従者もわずか従え、行装も質素に、諸事美々しからぬを旨として、隆中へ赴いた。
静かな冬日和だった。
道すがら田園の風景を愛で、恵まれた閑日を吟愛し、ようやく郊外の村道を幾里か歩いてゆくと、冬田の畦や、菜園のほとりで、百姓の男女が平和に謡っていた。
蒼天は円い、まん円い
地上は狭い、碁盤の目のように。
世間はちょうど、黒い石、白い石
栄辱を争い、往来して戦う。
さかえる者は、安々たり
敗るるものは、碌々とあえぐ。
ここ南陽はべつの天地
高眠して臥すは誰ぞ
誰ぞ、臥してまだ足らない
顔をしているのは。
玄徳は馬をとめて、試みに、一農夫にたずねてみた。その謡は、だれの作かと。
「はい、臥龍先生の謡でがす」と、百姓はすぐ答えた。
三
「先生の作と申すか」
「へい。先生の作った謡じゃと申しまする」
「その臥龍先生のお住まいは、どの辺にあたるか」
「あれに見える山の南の、帯のような岡を、臥龍の岡と申しますだ。そこから少し低いところに、一叢の林があって、林の中に、柴の門、茅葺の廬がありますだよ」
農夫は、答えるだけ答えてしまうと、傍目もふらず、畑に屈んで働いている。
「この辺の民は、百姓にいたるまで、どこか違っている......」
玄徳は、左右の者に語りながら、また駒をすすめて三、四里ほど来た。道はすでに、岡の裾にかかっていた。
冬の

は、青空を透かして見せ、
百禽の声もよく澄みとおる。
淙々とどこかに小さい滝の音がするかと思えば、
颯々と
奏でている一
幹の巨松に出会う。──坂道となり山陰となり渓橋となり、
遠方此方の風景は
迎接に
遑なく、かなり長い登りだが道の疲れも忘れてしまう。
「おお、あれらしい」
関羽は、指さして、玄徳をふり向いた。玄徳はうなずいて、はや駒を降りかけている。
清楚な編み竹の垣を繞らした柴門のほとりに、ひとりの童子が猿と戯れていた。小猿は見つけない人馬を見て、にわかに声を放ち、墻の上から樹の枝へ攀じて、なおもキイキイ叫びつづける。
玄徳は、歩み寄って、
「童子。孔明先生のお住まいはこちらであるか」と、たずねた。
童子は不愛想に、
「うん」と、一つ頷いたきり、後に続く関羽、張飛などの姿へ、棗のような眼をみはっている。
「大儀ながら、廬中へ取り次いでもらいたい。自分は、漢の左将軍、宜城亭侯、領は予州の牧、新野皇叔劉備、字は玄徳というもの。先生にまみえんため、みずからこれへ参ったのであるが」
「待っておくれ」
童子は、ふいに遮って言った。
「──そんな長い名は、覚えきれやしない。もう一度言ってください」
「なるほど。これはわしが悪かった。ただ、新野の劉備が来ました──と、そう伝えてくれればよい」
「お生憎さま。先生は今朝旱天に出たまま、まだ帰っておりません」
「いずこへ御出でなされたか」
「どこへお出かけやら、ちっともわかりません。──行雲踪蹟不定で──」
「いつごろ、お帰りであろうか」
「さあ。時によると三五日。あるいは十数日。これも料り難しですね」
「............」
玄徳は、落胆して、いかにも力を失ったように、惆悵久しゅうして、なお佇んでいたが、そう聞くと、側から張飛が、
「居ないものは仕方がない。早々帰ろうじゃありませんか」と言った。
関羽も共に、
「また他日、使いでも立てて、在否を訊かせた上、改めてお越しあってはいかがです」
と、駒を寄せて促した。
孔明の帰って来るまでは、そこに佇んででも居たいような玄徳であったが、是非なく、童子に言伝てを頼んで悄然、岡の道を降りて行った。
秀雅にして高からぬ山、清澄にして深からぬ水、茂盛した松や竹林には、猿や鶴が遊んでいる。玄徳は、ここの山紫水明にも、うしろ髪を引かれてならなかった。
すると、岡のふもとから身に青衣をまとい、頭に逍遙頭巾をいただいた人影が、杖を曳いて登って来た。
近づいてみると、眉目清秀な高士である。どこか幽谷の薫蘭といった感じがする。玄徳は心のうちで、
(これなん、諸葛亮その人であろう)
と、思い、急に馬から降りて、五、六歩あるいた。
四
ふいに馬を降りて来て、自分へ慇懃に礼をする玄徳を見て──烏巾青衣のその高士は、
「なんです? どなたですか、いったい?」
と、さもうろたえ顔に、杖をとめて、訊ね返した。
玄徳は、謹んで、
「いま先生の廬をお訪ねして、むなしく戻って来たところです。計らずもここでお目にかかり、大幸、この上もありません」と、言った。
青衣の高士は、なお愕いて、
「何か、人違いではありませんか、いったい将軍は、いずこの御人ですか」
「新野の劉備玄徳ですが?」
「えっ、あなたが?」
「孔明先生は、其許でしょう」
「ちがいます! ちがいます! ......霊鳥と鴉ほど違います」
「では、何人でおわすか」
「孔明の友人、博陵の崔州平ともうす者です」
「おう、御友人か」
「将軍のお名まえも、夙に伺っておりますが、かくは御軽装で、にわかに彼の廬をお訪いになるとは、そも、いかなる理ですか」
「いや、それに就いては、大いにおはなし申したい。まず、そこらの岩へでもおかけなさい。予も、座をいただく」と、路傍の岩に腰をおろして、
「──自分が、孔明を尋ねて来たのは、国を治め民を安んずる道を問わんがためで、その他にも何もない」と、言った。
すると、崔州平は、大いに笑って、
「善い事ですな。けれど、あなたは治乱の道理を知らないとみえる」
「あるいは──しからん。ねがわくは治乱の道を、説いて聞かせたまえ」
「山村の一儒生が烏滸なる言とお怒りなくば、一言申してみましょう。──一体、治乱とは、この世の二つの相かまた一相か。古から観るに、治きわまれば乱を生じ、乱きわまるとき治に入ること、申すもおろかでありますが、現代はいかにというに、光武の治より今にいたるまで二百余年、平和をつづけて、近ごろようやく、地に干戈の音、雲に戦鼓の響き、いわゆる乱に入り始めたものではありませんか」
「そうです。......乱兆が見え始めてからここ二十年にわたるでしょう」
「人の一生からいえば、二十年の乱は長しと思えましょうが、悠久なる歴史の上から観れば、実はほんの一瞬です。大颱風を知らせる冷風が、そよめき出して来た程度にすぎますまい」
「故に、真の賢人を求め、万民の災害を、未然に防ぐこと、あるいは、最小最短になすべく努めることをもって、劉備は自分の使命なりと信じているわけですが」
「善い哉、理想は。──けれど、天生天殺いつの日か終わらんです。ごらんなさい、黄土の人族起って以来の流れを。また秦漢の政体や国々の制が立って以来の転変を。──歴史は窮まりなく繰り返してゆくらしい。──万生万殺──一殺多生──いずれも天理の常でしょう。自然の天心からこれを観れば、青々と生じ、翻翻と落葉する──それを見るのとなんの変わりもない平凡事に過ぎますまい」
「われわれは凡俗です。高士のごとく、冷観はできません。ひとしく生き、ひとしく人たる万民が、塗炭の苦しみにあえぐを見ては。また、果てなき流血の宿命をよそには」
「英雄の悩みはそこにありましょう。──けれど、あなたが孔明を尋ねて、いかに孔明をお用いあろうと、宇宙の天理をいかになし得ましょうか。たとい孔明に、天地を廻旋するの才ありとも、乾坤を捏造するほど力があろうとも、到底、その道理を変じて、この世から戦をなくすることはできないにきまっている。いわんや、あの人も、そう丈夫な体でもないし、限りのある生命と知れている人間ではありませんか。......はははは」
五
玄徳は終始、慎んで聞いていたが、崔州平のことばが終わると、
「御高教、寔にかたじけない」と、ふかく謝して、
「──時に、今日は思いがけないお教えをうけ、一つの幸いであったが、ただ孔明に会えずに帰ることだけは、何とも残念に心得る。もしや、彼の行く先を、御存じあるまいか」
と、話を戻してたずねた。
「いや実は、私もこれから孔明の家を訪ねようと思って、これまで来たところです。留守とあれば、自分も帰るしかありません」と、崔州平は腰をあげた。
玄徳も共に起ち上がりながら、
「いかがです、玄徳と共に、新野へ来ませんか。なおいろいろ貴公について、善言を伺いたいと思うが」と、誘った。
崔州平は、かぶりを振って、
「山野の一儒生、もとより世上に名利を求める気はありません。御縁があればまた会いましょう」
と、長揖して立ち去った。
玄徳も馬に乗って、やがて臥龍の岡をうしろに帰った。
途中、関羽は、玄徳のそばへ騎を寄せてそっと訊ねた。
「最前の隠士が言った治乱の説を君には真理と思し召すか?」
「──否」
玄徳は、にことして答えた。
「彼の曰うところは、彼等の中の真理であって、万民俗衆の真理ではない。この地上の全面を占めるものは億兆の民衆で、隠士高士のごときは、何人と数えられるほどしかおるまい。そういう小数の中だけでもてあそぶ真理なら、どんな理想でも唱えていられよう」
「それほど、治乱の理を、明らかに御承知でいながら、なんで長々と、崔州平の言などを慎んで聞いて居られたのですか」
「もしや? ......一言半句でも、そのうちに、世を救い万民の苦悩に通じることばでもあろうかと、あくまで語らせておいたのだが」
「ついに、ありませんでしたな」
「ない。......無かった。......それを聞かせてくれる人にわしは渇している。まだ見ぬ孔明に自分が求めて熄まないのも、その声だ。その真理だ」
かくて、その日は、むなしく暮れたが、新野に帰城してから、数日の後、玄徳はまた人をやって、孔明の在否を窺わせていた。
やがて、その者から報らせて来た。ここ一両日は、たしかに孔明は家に帰っているようです。すぐお出ましあれば、こんどこそ草盧に籠っておりましょう──と。
「さらば、今日にも」と、玄徳は急に、馬の具えや供の支度を命じた。
張飛は、馬の側へ来て、やや不平そうに、鞍上の玄徳へ言った。
「いやしい田夫の家へ、御自身で何度も出かけるなどは、領民のてまえも、変なものでしょう。使いをやって、孔明を城へ呼び寄せてはどんなものですか」
「礼に欠ける。そんなことで、どうして、彼のごとき稀世の賢人を、わが門へ迎えられよう」
「孔明とやら、いかに学者か賢人か知らぬが、多寡が狭隘な書斎と十畝の畑しか知らない奴、実社会はまたちがう。もしお高くとまって、来るのこないのと言ったら、張飛が提げて参るとも、なんの造作はあるまいに」
「みずから門を閉じるものだ。書物をひらいて、すこし孟子の言葉でも嚙みしめてみるがいい」
この前と同じぐらいな供の数だった。城門を出て、新野の郊外へかかるころから、霏々として、灰色の空から雪が降り出して来た。
ちょうど十二月の中旬である。朔風は肌をさし、道はたちまち蔽われ、雪は烈しくなるばかりだった。
雪千丈
一
一行が、隆中の村落に近づいたころは、天地の物、ことごとく真っ白になっていた。
歩一歩と、供の者の藁沓は重くなり、馬の蹄を埋めた。
白風は衣を撲ち、馬の息は凍り、人物の睫毛はみな氷柱になった。
「ああ、途方もない寒さだ。──馬鹿げているわい」
張飛は、顔を顰めながら、雪風の中で聞こえよがしに呟いていたが、玄徳のそばへ寄って、またこう言った。
「家兄、家兄。いい加減にしようじゃありませんか、軍もせず、こんな思いを忍んで、無益な人間を尋ねて一体どうするんです? しばしそこらの民家へ立ち寄って寒気をしのぎ、新野へ引き返されてはいかがですか」
聞くと、玄徳は、
「ばかを申せ」と、叱って、
「おまえは、厭か、寒いか」
と、常になく烈しい眉を風雪に曝しながら言った。張飛も負けずに、赤い面を膨らせて、
「戦をするなら、死ぬのも厭いはしないが、こんな苦労は意味がない。なんのために、こんな馬鹿げた労苦をしてゆくのか、だれにだってわかりやしません」
「予の訪う孔明に対し、予の熱情と慇懃を知らしめんためである」
「それは、家兄だけの独り合点というものでさ。冗談でしょう。こんな大雪の日に、どやどや客に来られたひには、先だって大迷惑する」
「──たれか知らん
千丈の雪。おまえは黙って
従いて来い。また、歩くのが

なら一人で
新野へ帰れっ」
もう村の中らしい。道の両側、ところどころに家が見える。雪に埋もれた土の窓から、土民の女房が眼をまろくして一行をながめていた。また貧しい煙の這う壁の奥から嬰児の声が道へ聞こえて来る。
こういう寒村の窮民を見ると、玄徳は、自分の故郷涿県の田舎と、そのころの貧乏生活を思い出す......。同時に、この地上に満ち満ちている幾億の貧乏人の宿命を思いやらずにいられない
彼はそこに、自分の志に大きな意義と信念を見いだすのであった。きょうばかりではない。二十年来のことである。
壮士の高名、尚未だ成らず
嗚呼久しく、陽春に遇わず
君見ずや
東海の老叟荊榛を辞す
石橋の壮士誰かよく伸びん
広施三百六十釣
風雅遂に文王と親し
八百の諸侯、期せずして会す
黄龍舟を負うて孟津を渉る......
どこだろう?
何者が歌うのであろう?
凜々、心腸をしぼるばかり高唱して歇まない者がある。
「はて。あの声は」
玄徳は思わず駒をとめた。
道の雪、降る雪、そこらの屋根の雪が、白毫の旋風となって眼をさえぎる。──ふと、傍らを見ると、傾いた土の家の門に、一詩を書いた聯と居酒屋のしるしの小旗が立っていた。
歌う声は、その中から聞こえてくるのだった。錆のある声調と、血のかよっている意気が聞きとれる。
牧野の一戦、血、杵を漂わす
朝歌一旦、紂君を誅す
又見ずや
高陽の酒徒、草中に起こる
長揖山中隆準公
高く大覇を談じて人耳を驚かす
二女足を濯うて何れの賢に逢わん......
玄徳は、そのまま、雪に埋もれかけてゆくのも忘れて、じっと、聞き惚れていた。
二
するとまた、別人の声が、卓をたたいて高吟し出した。ひとりは、それに合わせて、箸で鉢を叩く。
漢皇剣を提げて寰宇を清め
一たび強秦を定む四百載
桓霊未だ久しからず火徳衰う
奸臣賊子鼎鼐を調え
群盗四方にある聚る蟻のごとし
万里の奸雄みな鷹揚
吾等大嘯、空しく手を拍つのみ
悶え来って村店に村酒を飲む......
歌い終わると、
「あははは」
「わははは」
梁の塵も落とすような笑い声である。
「さては、──」と、玄徳は、歌の意味から察して、
「どちらか一方は、かならず孔明にちがいあるまい」
と、急に馬を降りて、居酒屋のうちへずかずか這入って行った。
ただの板を打った、細長い卓に凭って、二人の処士が飲んでいた。ふいに門口から這入って来た、玄徳のすがたを見──啞然として──どっちも眼をまろくする。
向こう側の老人は、木瓜の花みたいに真っ赤な顔はしているが、容貌は奇古清潔で、どこか風格がある。
幅のある背を向けて、老人と対しているのは、白晳黒鬢の壮士で、親子か友人か、よほど親しい仲らしい。
玄徳は慇懃に、酒興を醒ました無礼をわびて、
「それに在すは、臥龍先生とはちがいますか」と、老人へ向かって言った。
「ちがう......」
老人は顔を振って苦笑する。
玄徳は、更に、若いほうの人物に対って、
「もしや孔明先生は、其許ではありませんか」と、訊いてみた。
「ちがいます」と、若い方も、明晰に否定する。
老人はいぶかしげに、次に自分のほうから訊ねた。
「かかる雪中、臥龍をおたずねあるは、そも、何事ですか。また将軍こそ、いかなるお人か?」
「申しおくれた。自分は漢の左将軍、予州の牧、劉玄徳というもの。──孔明先生を訪うわけは、乱世の現状を治め、済民の道を問わんがためです」
「えっ、では新野の御城主ではありませんか」
「そうです。今、戸外を通るに、旺な声をして慷慨の歌を吟ずる声がしました。察するに必ず先生ならんと──われを忘れてこれへ這入って来たわけですが」
「それはどうも」
二人は、顔を見合わせて、
「折角でしたが、われわれはいずれも、孔明ではありません。ただ臥龍の友だちどもです。それがしは、頴州の石広元と申し、てまえの前におる壮士は、汝南の孟公威という者でござる」
玄徳は、失望しなかった。なぜなら石広元といい、孟公威といい、いずれも襄陽の学界で著名な人士である。ここで会ったのは何よりの幸せ、相伴って臥龍先生の廬を訪おうではないか──と彼がすすめると、石広元は、かぶりを振って、
「いやいやわれらは、山林に高臥し、懶情に馴れた隠者ですから、いかで治国安民の経策になど関われましょう。資格のない人間どもです。まずまず、臥龍をお訪ねあるが何よりでしょう」
と、巧みに避けた。
やむなく玄徳は二人にわかれて、居酒屋の戸外へ出た。雪は相変わらずひょうひょうと降りしきっている。供の関羽、張飛たちは、きょうばかりは然々と雪を冒してゆくばかりだった。
やがて岡の家──孔明の廬たる柴門へようやく辿りついた。柴を叩いて、先生ありやと、先日の童子に在否を訊ねると、
「はい、何だか、きょうは書堂の内に居るようです。あの堂です。行ってごらんなさい」
と、奥を指した。
三
供や馬を柴門の陰に残して、関羽、張飛のふたりだけを連れ、玄徳は雪踏み分けて、園の奥へ通って行った。
書斎らしい一堂がある。
縁も廂も、雪に埋もれ、堂中はひそとしている。
破れ芭蕉の大きな葉が、雪の窓を蔽っていた。玄徳はひとり階下へ寄って、そっと室内を窺ってみた。
──と、そこに、
寂然と膝を抱いて、炉に凭っている若者がある。若者は眉目秀明であった。堂外に佇む人のありとも知らぬ容子で、独り口のうちで微吟していた。
鳳凰は、千里を翔けても
珠なき樹には棲まずという
われ困じて一方を守り
英主にあらねば依らじとし
自ら隴畝を耕して
いささか琴書に心をなぐさめ
詩を詠じて鬱を放ち
以て天の時を待つ
一朝明主に逢うあらば
何の遅きことやあらん......
玄徳はそっと階をのぼって、廊の端に佇んでいた。だが、興を妨げるも心ない業と、なおしばらく耳をすましていたが、微吟の声はそれきり聞こえない。
畏る畏る堂中を窺ってみた。炉に凭ったまま、その人は膝を抱いて居眠っているのである。さながら邪心の無い嬰児のように。
「先生。お眠りですか」
試みに、玄徳がこう声をかけてみると、若者は、ぱっと眼をみひらいて、
「あっ。......。どなたですか」と、愕きながらも、静かにたずねた。
玄徳は、それへ跼って、礼を施しながら、
「久しく先生の尊名を慕っていた者です。実はさきに徐庶のすすめに依り、幾たびか仙荘へ来ましたが、いつも拝会の縁にめぐまれず、空しく立ち帰っておりましたが、今日、風雪を冒して参ったかいあって、親しく尊顔を拝し、こんな歓びはありません」
──すると、彼の若者は、急にあわてて、身を正し、答礼して言った。
「将軍は新野の劉皇叔でしょう。きょうもまた、私の兄をばお訪ね下すったのですか」
玄徳は、色を失って、
「では、あなたもまた、臥龍先生ではないのですか」
「はい。私は臥龍の弟です。──われ等には同腹の兄弟が三人あります。長兄は諸葛瑾と申し、呉に仕えて孫権の幕賓たり。二番目の兄が、諸葛亮、すなわち孔明で──私は臥龍の次にあたる三番目の弟、諸葛均でございます」
「ああ、そうでしたか」
「いつもいつも遠路をお訪ねたまわりながら失礼ばかり......」
「して、臥龍先生には」
「あいにく、今日も不在です」
「どこへお出かけでしょうか?」
「今朝ほど、博陵の崔州平が参って、どこかへ誘い、飄然と出て行きましたが」
「お行く先はわかりませんか」
「ある日は、江湖に小舟を泛かべて遊び、ある夜は、山寺へ登って僧門をたたき、また、僻村の友など訪ねて琴棋を弄び、詩画に興じ、まったく往来の測り難い兄のことですから......今日もいずこへ行きましたことやら?」と、均は気の毒そうにも外の雪を見ながら答えた。
玄徳は、長嘆して
「どうしてこう先生と自分とは、お目にかかる縁が薄いのだろう」と、思わず呟いた。
均は黙って、次の室へ立って行った。小さな土炉へ火を入れて、客のために茶を煎るのであった。
「家兄、家兄、孔明が留守とあれば、仕方がないでしょう。さあ、帰ろうじゃありませんか」
堂外はひどい吹雪。張飛は階下から、こう喚いて急きたてた。
四
茶が煮えると、諸葛均は、うやうやしく玄徳に、一碗の薫湯を献じて、
「そこは雪が吹きこみます。少しこちらの席で御休息を」と、すすめた。
しきりに帰りを促す張飛の声をうしろに、玄徳は、落ち着きこんで、茶を啜りながら、
「孔明先生には、よく六韜を諳んじ、三略に通ずと、かねがね伺っていますが、日々、兵書をお読みですか」
などと雑談を向け始めた。
均は、つつましく、
「存じません」と、答えるのみ。
「兵馬の修練はなされておいでですか」
「知りません」
「御舎弟のほか、御門人は」
「ありません」
吹雪の中で、張飛は、さもさも焦れ切っているように、
「家兄っ。無用の長問答は、もうよいほどにして下さい。雪も風も募るばかり、日が暮れますぞ、ぐずぐずしていると」
玄徳は、振り向いて、
「野人。静かにせい」と、叱った。
そして、均にむかい、
「かく、お妨げ申していても、この吹雪では、今日のお帰りは期し難いでしょう。他日、あらためてまた、推参することにします」
「いえ、いえ。たびたび駕を枉げ給うては、恐縮の至りです。そのうち気が向けば、兄のほうからお伺いするでしょう」
「なんぞ先生の回礼を待たん。また日をおいて、自身おたずねするであろう。ねがわくは、紙筆を貸したまえ。せめて先生に一筆のこして参りたく思う」
「おやすいこと」
諸葛均は、立って、几上の文房四具を取り揃え、玄徳の前にそなえた。
筆の穂も凍っている。玄徳は雲箋を手にして、次の一文を認めた。
漢の左将軍宜城の亭侯司隷校尉領予州の牧劉備。歳両番を経て相謁して遇わず、空しく回っては惆悵快々として言うべからざるものあり。
切に念う、備や漢室の苗裔に生まれ忝けなくも皇叔に居、濫りに典郡の階に当たり、職将軍の列に係る。
伏して観る、朝廷陵替、綱紀崩摧、群雄国に乱るの時、悪党君をあざむくの日にあたりて、備、心肺ともに酸く、肝胆ほとんど裂く。
玄徳はここで筆を按じ、瞳を、外の霏々たる雪に向けていた。
張飛は、聞こえよがしに、
「ううっ、たまらぬ、家兄は詩でも作っているのか。さりとは、風流な」
それを耳にもかけない玄徳であった。更に、筆を呵して──
匡済の忠はありと雖も、経綸の妙策なきを如何にせん。仰いで啓す。
先生の仁慈惻隠、忠義慨然、呂望の才を展べ子房の大器を施すを。備、これを敬うこと神明の如く、之を望むや山斗の如し。一見を求めんとして得べからず、再び十日斎戒薫沐して、特に尊顔を拝すべし。乞う、寛覧を垂れよ。鑒察あらば幸甚。
建安十二年十二月吉日再拝
「帋筆をお下げあれ」
「おすみになりましたか」
「先生がお帰りになられたら憚りながらこの書簡を座下に呈して下さい」
言い遺して、玄徳は堂を降り、関羽、張飛をつれて、黙々、帰って行った。
門外に出て、馬を寄せ、すでにここを去ろうとした時である、送って来た童子は客も捨ててかなたへ高く呼びかけていた。
「老先生だ。──老先生! 老先生!」
五
童子は待ちきれず、かなたへ馳け出して行った。
玄徳の一行もやや進んでいた。
孔明の家の長い籬の断れたところに、狭い渓へ架かっている小橋がある。
見ると今、そこを渡って来る驢馬の上に、暖かそうな頭巾を被った老翁のすがたがある。身には狐の皮衣をまとい、酒を入れた葫蘆を、お供の童子に持たせて来る。
籬の角から渓へ臨んで、寒梅の一枝が開きかけていた。
老翁はそれを仰ぐと、興を催したらしく、声を発して、梁父の詩を吟じた。
一夜北風寒し
万里彤雲厚く
長空雪は乱れ飄る
改め尽くす山川の旧きを
白髪の老衰翁
盛んに皇天の祐けを感ず
驢に乗って小橋を過ぎ
独り
梅花の

せを嘆ず
玄徳は、詩声を聞いて、その高雅その志操を察し、かならずこの人こそ、孔明であろうと、橋畔に馬を捨てて、
「待つこと久し。先生、ただ今、お帰りでしたか」と、呼びかけた。
老翁は、びっくりした容子で、すぐさま馬を降り、礼を回して、
「てまえは、臥龍の岳父の黄承彦というものじゃが......して、あなた様は?」と、怪訝った。
またしても、人違いだったのである。孔明の妻、黄氏の父だった。玄徳は、卒爾を謝して、
「そうでしたか。私は新野の玄徳ですが、臥龍の廬を訪うこと二回、今日もむなしく会えずに帰るところです。いったい、あなたの賢婿さんはどこへ行ったのでしょう?」
「さあ。てまえもこれからその婿をたずねに行く途中ですが、......それでは今日も留守ですかい」
やれやれと言わぬばかりに、老翁は眉を降りしきる雪に上げて考えていたが、
ここまで来たこと、てまえは娘にでも会いましょう。ひどい雪じゃ、途中の坂道をお気をつけなされ」と、ふたたび驢馬に乗って立ち別れた。
意地悪く、雪も風もやまない。道の難渋は言うまでもなかった。来がけに立ち寄った例の居酒店のある村まで来たときは、すでに日も暮れかけていた。
いくら長尻でも大酒でも、昼の石広元や孟公威はもうそこには居ないだろう。その代わりに、ほかのお客が混みあっているらしい。飲んだり騒いだり盛んにがやがややっている。そして鉢を叩きながら、その客達が謡うのを聞けば──
莫レ 学 孔 明 択レ 婦
止レ 得二 阿 承 醜 女一
これをもっと俗歌的にくだいて、おまけにこの辺の田舎訛りを加え、
嫁えらみも、たいがいに
孔明さんがよい手本
択りに択ったその末が
醜女のあしょうを引きあてた。
と、笑い囃しているのであった。
孔明の新妻が、
不緻縹なことは、この
俚謡も言っているとおり、村では

のたねらしい。
さっき小橋で出会ったのが嫁さんの父親である。その黄承彦さえ、娘をやる時、
(われに一女あり、色は黒く、髪は赭く、容色は無けれど、才は君に配するに堪えたり)
と、断わって嫁がせたというほどであるから、親でも自慢できなかった不美人だったにちがいない。
居酒店の前を通りながら、その俚謡を耳にした張飛は、玄徳へ言った。
「どうです。あの謡は、およそ彼の家庭も、あれでわかるじゃありませんか。新妻にあきたらないので、孔明先生、時々よそへ、美しいのを見に行くのじゃありませんかな?」
と、戯れた。
玄徳は返辞もしなかった。満天の雪雲のように、彼の面は快々と閉じていた。
立春大吉
一
年はついに暮れてしまった。
あくれば建安十三年。
新野の居城に、歳暮や歳旦を迎えているまも、一日とて孔明を思わぬ日のない玄徳は、立春の祭事が済むと、卜者に命じて吉日をえらばせ、三日の潔斎をして身を浄めた。
そして、関羽、張飛をよび、
「三度、孔明を訪れん」と、触れ出した。
ふたりとも歓ばない顔をした。口を揃えて諫めるのである。
「すでに両度まで、駕を枉げたまい、このうえまた、君よりお訪ねあるなどは、あまりに礼の過ぎたるもの。それがしどもの思うには、孔明はいたずらに虚名を売り、実は内容のない似非学徒に相違なく、それ故、わが君に会うのを惧れ、とやかく、逃げのがれているものかと存じられます。──そんな人物に惑わされて、無用なお心を労うなど、巷の嘲笑も思いやらるるではございませぬか」
「否!」
玄徳の信は固かった。
「関羽は春秋も読んで居よう。斉の景公は、諸侯の身で、東郭の野人に会うため、五度も尋ねているではないか」
関羽は、長嘆して、
「あなたが賢人を慕うことは、ちょうど太公望のところへ通った文王のようです。御熱意にはほとほと感じ入るほかありません」
すると張飛は、横口をさし入れて、こう大言した。
「いやいや、文王が何だ、太公望が何者だ。われら三人が、武を論ぜんに、たれか天下に肩をならべる者やある。それを、たった一人の農夫に対して、三顧の礼を尽くすなど、実に、愚の至りというべきだ。孔明を招くには、一条の麻縄があれば足りる。それがしにお命じあれば、立ちどころに縛しあげて来て、家兄の御覧に入れるものを!」
「張飛は、近ごろまた、持ち前の狂躁病が起こっておるらしいな」
と、玄徳は、叱って、
「むかし、周の文王が、渭水に行って、太公望をたずねたとき、太公望は釣りを垂れていて、顧みもしなかった。文王はそのうしろに佇ったまま、釣りを邪げず、日の暮れるまで待っていたという。──太公望もその志に感じ、ついに文王を佐ける気になって、その功はやがて、周代八百年の基を開いたのである。──古人の賢人を敬うことは、みなこのようであった。思い見よ、汝自身の天性と学問を。──もし先方へ参って、今のような無礼を放言したら、玄徳の礼も、空しきものとなる。関羽一名を供にして行くから、汝は留守をしておるがいい」
言い捨てて、玄徳は早、城中から馬をすすめていた。
ひどく叱られて、張飛は、一時ふくれていたが、関羽も供に従いてゆくのを見ると、
「一日たりとも、家兄の側を離れているのは、一日の不幸だ。おれも行く」
と、後から追いかけて、供のうちに加わった。
春は浅く、残んの雪に、まだ風は冷たかったが、清朗の空の下、道は快く捗った。
やがて、臥龍の岡につく。
駒を降りて。玄徳は、歩行してすすむこと百歩、
「臥龍先生は御在宅か」と、慇懃、叩門して、内へ言った。
飄として、ひとりの書生が、奥から馳けてきて、門をひらいた。
「おお......」
相見れば、それはいつぞやの若者──諸葛均であった。
「ようこそ、お越しなされました」
「きょうは、お兄上には?」
「はい。昨日の暮れ方、家に帰って参りました」
「おお。おいでですか!」
「どうか、お通りあって、御随意にお会いくださいまし」
均は、そう言うと、ただ長揖して、立ち去ってしまった。
張飛は見送って、
「案内にも立たず、勝手に会えとは、何たる非礼。小面の憎い青二才め」
と、何かにつけて、腹ばかり立てていた。
二
柴門を入って、園を少しすすむと、また、傍らに風雅な内門が見える。
いつもは開いているそこの木戸が、今日のみは閉まっていた。ほとほと訪れて叩くと、墻の梅が繽紛とこぼれ落ちてくる。
「どなたですか」
内から開けて、顔を出したのは、いつも取り次ぎに出る童子だった。
玄徳は、笑顔をたたえ、
「おお仙童たびたび労を煩わして、大儀ながら、先生に報じてくれぬか。新野の玄徳が参ったと」
すると童子も、きょうは日ごろとちがって、ことばつきまで丁寧に、
「はい。先生は家においでなさいますが、今草堂で午睡していらっしゃいます。まだお眼醒めになりませんが」
「お午睡中か。......では、そのままにしておいて下さい」
そして関羽と張飛に、
「そち達は、内門の外に控えておれ。──お眼醒めになるまでしばしお待ちしよう」
と、独り静かに入って行った。
草堂の周りは早春の光和やかに幽雅な風色につつまれている。ふと、堂上を見れば、几席のうえに暢び暢びと安臥している一箇の人がある。
これなん、孔明その人ならんと、玄徳は階下に立ち、叉手して、彼が午睡のさめるのを待っていた。
白い、小蝶が、牀のあたりにとまっていたが、やがて書斎の窓の外へ舞ってゆく。
中天にあった陽は、書堂の壁を、一寸二寸と陰ってきた。──玄徳は倦まず動かず、なお凝然と、醒める人を待っていた。
「あーっ。眠くなった。家兄はいったいどうしたんだい」
こう大欠伸を放って、無作法に言う声が、墻の外で聞こえた。あまり長いので退屈してきた張飛らしい。
「......おや。家兄は、階下に佇ったままじゃないか」
張飛は、墻の破れ目から、中を
覗きこんでいたが、たちまち、
面に朱をそそいで、関羽へ

ってかかるように言った。
「ふざけた真似をしていやがる。まあ、中を窺ってみろ。われわれの主君を、一刻あまりも階下に立たせておいたまま、孔明は牀の上で、悠々と午睡していやがる。......なんたる無礼、傲慢、もう勘弁相ならぬ」
「しっ。しっ......」
関羽は、また彼の虎髯が、逆立ちかけてきたのを見て、眼で抑えた。
「墻の内へ聞こえるではないか。静かに、もうしばらく、容子を見ていろ」
「いや、聞こえたってかまわん。あの似非君子が、起きるか起きないか、試しに、この家へ火を放けてみるんだ」
「ばかな真似をするな」
「いいよ。離せ」
「また悪い癖を出すか。さような無茶をすると、貴様の髯に火を放けるぞ」
ようやく宥めているうちにも、書窓の廂に、陽は遅遅と傾きかけながら、堂上の人の眠りは、いつ醒めるとも見えなかった。
「............」
ふと、孔明が寝がえりを打った。
起きるかと見ていると、また、そのまま、壁のほうへ向かって、昏々と眠ってしまう。
童子が側へ寄って、呼び起こそうとするのを、玄徳は階下から、黙って、首を振ってみせた。
そしてまた、半刻ほど経った。
すると、寝ていた人は、ようやく眼を醒まし、身を起こしながら、低声微吟して曰うらく、
大夢誰か先ず覚む
平生我れ自ら知る
草堂に春睡足って
窓外に日は遅々たり
吟じおわると、孔明は、身をひるがえして、几席を離れた。
「童子、童子」
「はい」
「たれか、客が見えたのではないか。そこらに人の気はいがするが」
「お見えです、劉皇叔──新野の将軍が、もう久しいこと、階下に佇って、お待ちになっておられます」
「......劉皇叔が」
孔明は切れの長い眼を、しずかに玄徳の方へ向けた。
三
「なんで早く告げなかったか」
孔明は、童子へ言うと、つと、後堂へ入って行った。口を嗽ぎ、髪をなで、なお、衣服や冠もあらためて、ふたたび出て来ると、
「失礼しました」と、謹んで、客を迎え、なおこう言って詫びた。
「一睡のうちに、かかる神雲が、茅屋の廂下に降りていようなどとは、夢にも覚えず、まことに、無礼な態をお目にかけました。どうか、悪しからず」
玄徳は、たえず微笑をもって、悠揚と、座に着きながら、
「なんの、神雲は、この家に常に漂うもの。わたくしは、漢室の鄙徒、涿郡の愚夫。まあ、そんな者でしかありません。先生の大名は、耳に久しく、先生の神韻縹渺たるおすがたには、今日、初めて接する者です。どうかこの後は、よろしく御示教を」
「御謙遜でいたみ入る。自分こそ、南陽の一田夫。わけて、かくのごとく、至って懶惰な人間です。あとで、あいそをお尽かしにならないように」
賓主は、座をわかって、至極、打ち解けた容子である。そこへ、童子が、茶を献じる。
孔明は、茶をすすりながら、
「旧冬、雪の日に、お遺しあった御書簡を見て、恐縮しました。──そして将軍が民を憂い国を思う情の切なるものは、充分に拝察できましたが、いかんせん、私はまだ若年、しかも菲才、御期待にこたえる力がないことを、ただただ遺憾に思うばかりです」
「............」
玄徳はまず彼の語韻の清々しさに気づいた。低からず、高からず、強からず、弱からず、一語一語に、何か香気のあるような響きがある。余韻がある。
すがたは、坐していても、身長ことにすぐれて見え、身には水色の鶴氅を着、頭には綸巾をいただき、その面は玉瑛のようだった。
譬えていえば眉に江山の秀をあつめ、胸に天地の機を蔵し、もの言えば、風ゆらぎ、袖を払えば、薫々、花のうごくか、嫋々竹そよぐか、と疑われるばかりだった。
「いやいや。あなたをよく知る司馬徽や徐庶のことばに、豈、過りがありましょうか。先生、愚夫玄徳のため、まげてお教えを示して下さい」
「司馬徽や徐庶は、世の高士ですが、自分はまったく、ありのままな、一農夫でしかありません。何で、天下の政事など、談じられましょう。──将軍はおそらく玉を捨てて石を採るようなお間違いをなされている」
「石を玉と見せようとしてもだめなように、玉を石と仰せられても、信じる者はありません。いま、先生は経世の奇才、救民の天質を備えながら、深く身をかくし、若年におわしながら、早くも山林に隠操をお求めになるなどとは──失礼ながら、忠孝の道に背きましょう。玄徳は惜しまずにいられません」
「それは、どういうわけですか」
「国みだれ、民安からぬ日は、孔子でさえも民衆の中に立ち交じり、諸国を教化して歩いたではありませんか。今日は、孔子の時代よりも、もっと痛切な国患の秋です。ひとり廬に籠って、一身の安きを計っていていいでしょうか。──なるほど、こんな時代に、世の中へ出てゆけば、たちまち、俗衆と同視せられ、毀誉褒貶の口の端にかかって、身も名も汚されることは知れきっていますが──それをしも、忍んでするのが、真に国事に尽くすということではありませんか。忠義も孝道も、山林幽谷のものではありますまい。──先生、どうか胸をひらいて、御本心を語ってください」
再拝、慇懃、態度は礼を極めているが、玄徳の眼には、相手へつめ寄るような情熱と、吐いて怯まない信念の語気とを持っていた。
「............」
孔明は、細くふさいでいた睫毛を、こころもち開いて、静かな眸で、その人の容子を、ながめていた。
〔第五巻 終〕
●『三国志』解説/渡部昇一
【第5巻】
小説としても読み応えがあり、読むことで教養や学も付く『三国志』は、正史として書かれていたとしても堅い書物をうんと延ばして作られた小説『三国志演義』が元になっています。そして、それを元にした講談が作られ、その講談が江戸時代に日本にも入ってきて、広く民衆に受け入れられたのです。
『三国志』には、実にたくさんの魅力的な武将が出てきますが、江戸時代からやはり人気だったのは諸葛孔明でした。物語の前半、劉備や曹操がメインで書かれているところは、中国人の物語という要素が強いんですよね。曹操という人物が、非常に中国人っぽいですから。ところが諸葛孔明は、『太平記』の楠木正成のような感じがあって、日本人に受け入れやすい人物なんですよ。ですから、孔明贔屓になる下地は十分にあったわけです。それこそ、江戸時代に川柳で『孔明をもう2、3冊生かしたい』というのが作られたほど。これは、孔明が活躍する物語をもっと読みたい、という意味であり、このような川柳ができるほど、孔明は絶大な人気を誇っていたのです。
私も、1番好きな武将は誰かと聞かれたら、やはり孔明を挙げますね。吉川三国志は、孔明の死が最終巻で書かれていますが、これを読んだ時には本当にもう2、3冊生きて活躍してほしかった、と昔の人が川柳で読んだようなことを私も思いましたよ。それくらい、魅力的な人物でしたね。
その次に挙げるとしたら、趙雲です。彼が赴いた戦地は、必ず勝つんですよね。こんなに勝つ武将がいるのに、なぜ蜀は伸び悩んだのか不思議でしょうがない、そんな風に思うくらい強いのですから。それに、関羽の偉さとは違う、どこかすっきりとした感じも良かったですね。前に出過ぎず、でも劉備の息子を救うために敵の中を一騎で駆け抜ける剛胆さがあったり。本当にいい武将として書かれています。
このように、中学生で読んでいた当時は、贔屓の武将の話を友達としていました。お互いの好きな武将が、敵対する国同士だったりしたら、喧嘩にまではなりませんが、「お前はあんなのが好きなのか」みたいな楽しい言い合いにはなりましたよ。
それくらい、『三国志』にはたくさんの武将が登場し、関羽や張飛なんかは非常に豪傑な人物としか書かれています。しかし、よく見ると関羽も張飛もそんなに強くはないんです、しょっちゅう負け戦をしていますから。一方で、あまり詳しく書かれていないけれども、強い人物というのもいます。物語の後期に出てくる、呉の陸遜なんかはすごく偉い人物ですから。彼のように、名前は出てくるけどあまり詳しくない人にもいい武将はたくさんいるんですよ、吉川さんの書き損じなのではないかと思うくらいに、です。
【第6巻につづく】
出廬
一
十年語り合っても理解し得ない人と人もあるし、一夕の間に百年の知己となる人と人もある。
玄徳と孔明とは、お互いに、一見旧知のごとき情を抱いた。いわゆる意気相許したというものであろう。
孔明は、やがて言った。
「もし将軍が、おことばのごとく、真に私のような者の愚論でもお咎めなく、聴いて下さるとおっしゃるなら、いささか小子にも所見が無いわけでもありませんが......」
「おお。ねがわくは、忌憚なく、この際の方策を披瀝したまえ」
と、玄徳は、襟を正す。
「漢室の衰兆、蔽い難しと見るや、姦臣輩出、内外を紊し、主上はついに、洛陽を捨て、長安をのがれ給い、玉車に塵を蒙ること二度、しかもわれ等、草莽の微臣どもは、憂えども力及ばず、逆徒の猖獗にまかせて現状に至る──という状態です。ただ、ただ今も失わないのは、皎々一片の赤心のみ。先生、この時代に処する計策は何としますか」
孔明は、曰う。
「されば。──董卓の変このかた、大小の豪傑は、実に数えきれぬほど、輩出しております。わけても河北の袁紹などは、そのうちでも強大な最有力であったでしょう。──ところが、彼よりも遙かに実力もなければ年歯も若い曹操に倒されました」
「弱者がかえって強者を仆す。これは、天の時でしょうか。地の利にありましょうか」
「人の力──思想、経営、作戦、人望、あらゆる人の力に依るところも多大です。その曹操は、いまや中原に臨んで、天子をさしはさみ、諸侯に令して、軍、政二つながら完きを得、勢い旭日のごときものがあり、これと鉾を争うことは、けだし容易ではありません。──いや。もう今日となっては、彼と争うことは出来ないといっても過言ではありますまい」
「......ああ。時はすでに、去ったでしょうか」
「いや。なおここで、江南から江東地方を観る要があります。ここは孫権の地で、呉主すでに三世を歴しており、国は嶮岨で、海山の産に富み、人民は悦服して、賢能の臣下多く、地盤まったく定まっております。──故に、呉の力は、それを外交的に自己の力とする事は不可能ではないにしても、これを敗って奪ることはできません」
「むむ。いかにも」
「──こう観てまいると、いまや天下は、曹操と孫権とに二分されて、南北いずれへも麒足を伸ばすことができないように考えられますが......しかしです......ただここにまだ両者の勢力のいずれにも属していない所があります。──それがこの荊州です。また、益州です」
「おお」
「荊州の地たるや、まことに、武を養い、文を
興すに足ります。四道、交通の
要衝にあたり、南方とは、貿易を営むの利もあり、北方からも、よく資源を求め得るし、いわゆる天府の地ともいいましょうか。──加うるに、今、あなたにとって、またとなき
僥倖を天が授けているといえる理由は──この荊州の国主
劉表が優柔不断で、すでに老病の人たる上に、その子
劉琦、
劉琮も、
凡庸頼むに足りないものばかりです。──益州(
四川省)はどうかといえば、要害堅固で、長江の深流、万山のふところには、
沃野広く、ここも将来を約されている地方ですが、国主
劉璋は、至って時代に
晦く、性質もよくありません。
妖教跋
し、人民は悪政にうめき、みな明君の出現を渇望しております。──さあ、ここです。この荊州に起こり、益州を討ち、両州を
跨有して、天下に臨まんか、初めて、曹操とも対立することができましょう。呉とも和戦両様の構えで外交することが可能です。──更に、
竿頭一歩、漢室の復興という希望も、早、痴人の夢ではありません。その実現を期することができる......と、私は信じまする」
孔明は、細論して余すところなかった。かくその抱負を人に語ったのは、おそらく今日が初めてであろう。
二
孔明の力説するところは、平常の彼の持論たる
=支那三分の計=であった。
一体、わが大陸は広すぎる。故に、常にどこかで騒乱があり、一波万波をよび、全土の禍となる。
これを統一するは容易でない。いわんや、今日においてはである。
いま、北に曹操があり、南に孫権ありとするも、荊州、益州の西蜀五十四州は、まだ定まっていない。
ちと、遅蒔きながら、起つならば、この地方しかない。
北に拠った曹操は、すなわち天の時を得たものであり、南の孫権は、地の利を占めているといえよう。将軍はよろしく人の和をもって、それに鼎足の象をとり、もって、天下三分の大気運を興すべきである──と、孔明は説くのであった。
玄徳は、思わず膝を打って、
「先生の所説を伺い、何かにわかに、雲霧をひらいて、この大陸の隈なき果てまで、一望に大観されて来たような心地がします。益州の精兵を養って、秦川に出る。ああ、今までは、夢想もしていなかった......」と、その眸は、将来の希望と理想に、はや燃えるようだった。
この時、孔明は、童子を呼んで、
「書庫にあるあの大きな軸を持って来て、御覧に入れよ」と、命じた。
やがて童子は、自分の脊丈よりも長い一軸を抱えて来て、壁へ懸けた。
西蜀五十四州の地図である。
それを指して、
「どうです、天地の大は」
と、孔明は世上に血まなことなっている人々の、瞳孔の小ささを嗤った。
──が、玄徳は、ここにただひとつのためらいを抱いた。それは、
「荊州の劉表といい、益州の劉璋といい、いずれも、自分と同じ漢室の宗親ですから、その国を奪うにしのびません。いわゆる同族相せめぐの誹りも、まぬがれますまい」という点であった。
孔明の答えは、それに対して、すこぶる明確なものだった。
「御心配には及びません」と、彼は断じるのである。
「劉表の寿命は、早晩、おのずから尽きるでしょう。かれの病はかなり篤いと、襄陽のさる医家から、耳にしています。痼疾が無くても、すでに年齢が年齢ではありませんか。その子たちは、これまた、言うに足りません。一方、益州の劉璋は、なお健在なりとはいえ、その国政の紊れ、人民の苦しみ、たれか、それを正すを、仁義無しといいましょう。むしろ、そういう塗炭の苦しみを除いて、民土に福利と希望を与えてやるこそ、将軍の御使命ではありませんか。──しからずして、あなたが、天下に呼号し、魏・呉を向こうにまわして、鼎立を計る意義がどこにありまするか」
一言の下に、玄徳は心服して、その蒙を謝し、
「いや、よくわかりました。思うに、愚夫玄徳の考えは、事ごとに、大義と小義とを、混同している所から起こるものらしい。豁然と、いま悟られるものがあります」
「総じて、皆人のもっている弱点です。将軍のみではありません」
「ねがわくは、どうか、朝夕帷幕にあって、遠慮なく、この愚夫をお教え下さい」
「いや」と、孔明は、急にことばを更えて言った。
「今日、いささか所信を述べたのは、先ごろからの失礼を詫びる寸志のみです。──朝夕お側にいるわけにはゆきません。自分はやはり分を守って、ここに晴耕雨読していたい」
「先生が起たれなければ、ついに漢の天下は絶え果てましょう。ぜひなきこと哉」
と、玄徳は落涙した。
三
至誠は人をうごかさずに措かない。玄徳は天下のために泣くのであった。その涙は一箇のためや、小さい私情に流したものではない。
「............」
孔明は、沈思しているふうだったが、やがて唇を開くと、静かに、しかし力づよい語韻で言った。
「いや、お心のほどよくわかりました。もし長くお見捨てなくば、不肖ながら、犬馬の労をとって、共に微力を国事に尽くしましょう」
聞くと、玄徳は、
「えっ。では、それがしの聘に応じて、御出廬くださいますか」
「何かの御縁でしょう。将軍は私に巡り会うべく諸州をさまよい、私は将軍のお招きを辱のうすべく今日まで田野の廬にかくれて陽の目を待っていたのかも知れません」
「あまりにうれしくて、何やら夢のような心地がする」
玄徳は、関羽と張飛を呼んで仔細を語り、また供に持たせて来た金帛の礼物を、
「主従固めの印ばかりに」と、孔明へ贈った。
孔明は辞して受けなかったが、大賢を聘すには礼儀もある。自分の志ばかりの物だからといわれて、
「では、有り難く頂きましょう」
と、家弟の諸葛均にそれを収めさせた。
孔明は、それと共に、弟の均へ、こう言いふくめた。
「たいして才能もないこの身に対して、劉皇叔には、三顧の礼をつくし、かつ、過分な至嘱をもって、自分を聘せられた。性来の惰夫も起たざるを得ぬではないか。──兄はただ今より即ち皇叔に附随して新野の城へ赴くであろう。汝は、嫂と睦しみ、草廬をまもって、天の時をたのしむがよい。──もし幸いに、功成り名をとげる日もあれば、兄もまたここへ帰って来るであろう」
「はい......。その日の来るのを楽しみに、留守をしております」
均は、つつしんで、兄の旨を領諾した。
その夜、玄徳は、ここに一泊し、翌る日、駒を並べて、草庵を立った。
かくて岡を降って来ると──前の夜にこの趣を供の者が新野に告げに行ったとみえて、──迎えの車が村まで来ていた。
玄徳は孔明とひとつ車に乗り、新野の城内へ帰る途中も、親しげに語り合っていた。
このとき孔明は二十七歳、劉備玄徳は四十七であった。
新野に帰ってからも、ふたりは寝るにも、室を共にし、食事をするにも、卓をべつにした事がない。
昼夜、天下を論じ、人物を評し、史を按じ、令を工夫していた。
孔明が、新野の兵力を視ると、わずか数千の兵しかない。財力も極めて乏しい。そこで劉備にすすめた。
「荊州は、人口が少ないのでなく、実は戸籍に載っている人間が少ないのです。ですから、劉表にすすめて、戸簿を整理し、遊民を簿冊に入れて、非常の際は、すぐ兵籍に加え得るようにしなければいけません」と言った。
また自分が、保券の証人となって、南陽の富豪大姓黽氏から、銭千万貫を借りうけ、これをひそかに劉備の軍資金にまわして、その内容を強化した。
とまれ、孔明の家がらというものは、その叔父だった人といい、また現在呉に仕えている長兄の諸葛瑾といい、彼の妻黄氏の実家といい、当時の名門にちがいなかった。しかも、孔明の誠実と真摯な人柄だけは、だれにも認められていたので──彼を帷幕に加えた玄徳は──同時に彼のこの大きな背景と、他方重い信用をも、併せて味方にしたわけである。
遠大なる「天下三分の計」なるものは、もちろん玄徳と孔明のふたりだけが胸に秘している大策で、当初はおもむろに、こうしてその内容の充実をはかりながら、北支・中支のうごき、また、江西・江南の時の流れを、極めて慎重にながめていたのであった。
呉の情熱
一
眼を転じて、南方を見よう。
呉は、その後、どういう推移と発展を遂げていたろうか。
ここ数年を見較べるに──
曹操は、北方攻略という大事業をなしとげている。
玄徳のほうは、それに反して、逆境また逆境だったが、隠忍よく生きる道を見つけては、ついに孔明の出廬をうながし、孔明という人材を得た。
広大な北支の地を占めた曹操の業と、一箇の人物を野から見出した玄徳の収穫と、いずれが大きく、いずれが小さいか、この比較は、その結果を見るまでは、軽々しく即断はできない。
この間にあって、呉の発展は、あくまで文化的であり、内容充実にあった。
何しろ、先主孫策のあとを継いで立った孫権は、まだ若かった。曹操より二十八も年下だし、玄徳とくらべても、二十二も若い当主である。
それと、南方は、天産物や交通にめぐまれているので期せずして、人と知識はここに集まった。文化、産業、ひいては軍需、政治などの機能が活発な所以である。
時。──建安の七年ごろだった。──すなわち孔明出廬のときより溯ること六年前である。
美しい一艘の官船が檣頭に許都政府の旗をかかげて、揚子江を下って来た。
中央からの使者であった。
使者の一行は、呉会の賓館にはいって、のち城中に登り、曹操の旨をつたえて、
「まだ御幼少にいらせられる由ですが、孫閣下の御長男を、このたび都へ召されることになりました。朝廷において御教育申しあげ、成人の後は、官人となされたいお心からです。──もちろん帝の有り難い思し召しも多分にあることで」と、申し入れた。
ことばの上から見ると非常な光栄のようであるが、言うまでもなく、これは人質を求めているのである。
呉の方でも、そこは知れきっていることだが、恭しく恩命を謝して、
「いずれ、一門評議のうえ、あらためて」
と、答えて、問題は延引策を取っていた。
その後も、たびたび、長子を上洛せよと、曹操のほうから催促が来る。朝廷を擁しているだけに、彼の命は、すでに彼の命にとどまらない絶対権をおびていた。
「母君。いかがしたものでしょう」
孫権はついに、老母の呉夫人の耳へも入れた。
呉夫人は、
「あなたにはもう良い臣下がたくさんあるはずです。なぜこんな時こそ、諸方の臣を招いて衆智に訊いてみないのか」と言った。
考えてみると、問題は、子ども一人のことではない。質子を拒めば、当然、曹操とは敵国になる。
そこで、呉会の賓館に、大会議をひらいた。
当時、呉下の智能はほとんど一堂に集まったといっていい。
張昭、張絋、周瑜、魯粛などの宿将を始めとして、
彭城の曼才、会稽の徳潤、沛県の敬文、汝南の徳枢、呉郡の休穆、また公紀、鳥程の孔休など。
かの水鏡先生が、孔明と並び称して──伏龍、鳳雛といった──その鳳雛とは、襄陽の龐統のことだが、その龐統も見えている。
そのほか、汝陽の呂蒙とか、呉郡の陸遜とか、瑯琊の徐盛とか──実に人材雲のごとしで、呉の旺なことも、故なきではないと思わせられた。
「いま曹操が、呉に人質を求めて来たのは、諸侯の例に依るものである。質子を出すは、曹操に服従を誓うものであり、それを拒むことは、即敵対の表示になる。いまや呉は重大な岐路に立ち至った、いかにせばよいか、どうか、各位、忌憚なく御意見を吐露していただきたい」
張昭が議長格として、まず席を起ち、全員へこう発言を求めた。
二
こもごもに起って、各自が、説くところ論じるところ、いろいろである。
質子、送るべし。
となす者。
質子、送るべからず。
と、主張する者。
ようやく、会議は、二派にわかれ、討論果てしなく見えたが、
「周瑜に一言させて下さい」と、初めて彼が発言を求めた。
呉夫人の妹の子である周瑜は、先主孫策と同い年であったから、孫権よりは年上だが、諸大将のうちでは、最年少者であった。
「そうだ、周瑜のことばを聞いてみよう。説きたまえ」
人々は、しばらく彼に耳を藉した。
周瑜は、起立して言う。
「僭越ですが、私は、楚国の始めを憶い起こします。楚は初め、荊山のほとり、百里に足らない土地を領し、実に微々たるものでしたが、賢能の士が集まって、ついに九百余年の基をひらきました。──いまわが呉は、孫将軍が、父兄の業をうけて、ここに三代、地に六郡の衆を兼ね、兵は精にし、粮は豊山を鋳て銅となし、海を煮て塩となす。民乱を思わず、武士は勁勇、むかうところ敵なしです」
「............」
彼の演舌を聞くのは初めての人々もあったらしく、多くは、その爽やかな弁と明白な理論に、意外な面持ちを見せていた。
「......しかるに、何を恐れて、いま曹操の下風に媚びる必要がありましょう。質子を送るは、属領を承認するも同じです。招かれれば、呉将軍たりと、いつでも都へ上らねばならぬ。しかるときは、相府に身を屈め、位階は一侯をいでず、車数乗、馬幾匹定め以上の儀装もできません。いわんや、南面して、天下の覇業を行なわんなど、思いもよらぬ夢でしょう。──まずここは、あくまで、無言をまもり質子も送らず、曹操のうごきを見ている秋ではないでしょうか。曹操が真に漢朝の忠臣たる正義を示して天下に臨むなら、その時初めて、国交を開いても遅くはありません。またもし、曹操が暴逆をあらわし、朝廷に忠なる宰相でないようなら、その時こそ、呉は天の時を計って、大いに為すある大理想をもたねばなりますまい」
「......しかり矣」
「そうだ。その時だ」
述べおわって、周瑜が、席へついても、しばらくは皆、感じ合ったまま、粛としていた。
意見は、完全に、一致を見た。無言のうちに、ひとつになっていた。
この日、簾中に、会議のもようを聴いていた呉夫人も、甥の周瑜の器量をたのもしく思って、後に、近く彼を招き、
「おまえは、孫策と同年で、一月おそく生まれたばかりだから、わが子のように思われる。これからも、よく孫権を扶けて賜も」と、懇ろなことばであった。
かくて、この問題は、呉の黙殺により、そのままになってしまった。が中央の威権は、いたく傷つけられたわけである。
曹操も、以来、使を下して来なかった。──ある重大決意を、呉に対して抱いたであろうことは想像に難くない。
宣戦せざる宣戦──無言の国交断絶状態にはいった。
が、長江の水だけは、千里を通じている。
そのうちに。
建安八年の十一月ごろ。
孫権は、出征の要に迫った。荊州の配下、江夏(湖北省・武昌 )の城にある黄祖を攻めるためだった。
兵船をそろえ、兵を満載して、呉軍は長江を溯ってゆく。
その軍容はまさに、呉にのみ見られる壮観であった。
三
この戦では、初め江上の船合戦で、呉軍のほうが、絶対的な優勢を示していたが、将士ともに、
「黄祖の首は、もう掌のうちのもの」
と、あまりに敵を見くびりすぎた結果、陸戦に移ってから、大敗を招いてしまった。
もっとも大きな傷手は、孫権の大将凌操という剛勇な将軍が、深入りして、敵の包囲に遭い、黄祖の麾下甘寧の矢にあたって戦死したことだった。
ために、士気は沮喪し、呉軍は潰走を余儀なくされたが、この時、ひとり呉国の武士のために、万丈の気を吐いた若者があった。
それは将軍凌操の子凌統で、まだ十五歳の年少だったが、父が、乱軍の中に射仆されたと聞くや、ただ一名、敵中へ取って返し、父の屍をたずねて馳せ返って来た。
孫権は、いち早く、
「この軍は不利」と、見たので、思いきりよく本国へ引き揚げてしまったが、弱冠凌統の名は、一躍味方のうちに知れ渡ったので、
「まるで、凌統を有名にするために、戦いに行ったようなものだ」と、時の人々は言った。
翌九年の冬。
孫権の弟、孫翊は、丹陽の太守となって、任地へ赴いた。
なにしろ、まだ若い上に、孫翊の性格は、短気で激越だった。おまけに非常な大酒家で、平常、何か気に入らない事があると、部下の役人であろうと士卒であろうと、すぐ面罵して鞭打つ癖があった。
「殺ってしまおう」
「貴様がその決意ならば、俺も腕をかす」
丹陽の都督に、嬀覧という者がある。同じ怨みを抱く郡丞の戴員と、ついにこういう肚を合わせ、ひそかに相手の出入りを窺っていた。
しかし、孫翊は、若手ながら大剛の傑物である。つねに剣を佩いて、眼気に隙も見えないため、むなしく機を過ごしていた。
そこで二人は、一策を構え、呉主孫権に上申して、附近の山賊を討伐したい由を願った。
すぐ、許しが出たので、嬀覧はひそかに、孫翊の大将辺洪という者を同志に抱きこんで、県令や諸将に、評議の招きを発した。評議のあとは、酒宴ということになっている。
孫翊も、もちろん欠かせない会合であるから、時刻が来ると、身支度して、
「じゃあ、行って来るぞ」と妻の室へ声をかけた。
彼の妻は、徐氏という。
呉には美人が多いが、その中でも、容顔世に超えて、麗名の高かった女性である。そして、幼少から易学を好み、卜を能くした。
この日も、良人の出るまえに、独り易を立てていたが、
「どうしたのでしょう。今日に限って、不吉な卦が出ました。なんとか口実をもうけて、御出席は、お見合わせ遊ばして下さいませ」
しきりと、ひきとめた。
けれど孫翊は、
「ばかを言え、男同士の会合に、そうは行かないよ。ははは」
気にもかけず出かけてしまった。
評議から酒宴となって、帰館は夜に入った。大酒家の孫翊は、蹌踉と、門外へ出て来た。かねて諜し合わせていた辺洪は、ふいに躍りかかって、孫翊を一太刀に斬り殺してしまった。
すると、その辺洪をそそのかした嬀覧、戴員のふたりが、急に驚いた態をして、
「主を害した逆賊め」と、辺洪を捕らえ、市へ引き出して、首を斬ろうとした。
辺洪は、仰天して、
「約束がちがう。この悪党め。張本人は、貴様たちではないか」
と、喚いたが、首は喚いている間に、地へ落ちていた。
四
嬀覧の悪は、それだけに止まらない。なお、べつな野望を抱いていたのである。
一方、孫翊の妻の徐氏は、良人の帰りがおそいので、
「もしや、易に現われたように、何か凶事があったのではないか」
と、自分の卜が的中しないことを今はしきりに禱っていた。気のせいか、こよいに限って、燈火の色も凶い。
「どうして、こんなに胸騒ぎが......?」
ふと、帳を出て、夜の空を仰いでいると、中門の方から歩廊へかけて、どやどやと一隊の兵が踏みこんで来た。
「徐氏か」
先頭のひとりが言う。
見ると、刀を横たえた都督嬀覧だった。
兵をうしろに残して、ずかずかと十歩ばかり進んで来ると、
「夫人。あなたの良人孫翊は、こよい部下の辺洪のため、会館の門外で斬り殺された。──が下手人辺洪は、即座にひッ捕らえて、市へ曳き出し首を打ち落として、讐を取った。──この嬀覧があなたに代わって仇を打ってあげたのだ」
恩着せがましく、こう言って、
「もう悲しまぬがよい。何事もこれからは、嬀覧がお力になってあげる。この嬀覧に御相談あるがよい」と、腕をとらえて、彼女の室へはいろうとした。
「............」
徐氏は一時茫然としていたが、軽く、腕を払って、
「いまは、何も、御相談を願うこともありません」
「では、また参ろう」
「人の眼もあります。月の末の──晦日にでも」
徐氏が涙を含まないのみか、むしろ媚すら見える眸に、嬀覧は独り頷いて、
「よろしい、では、その時に」と、有頂天になって帰った。
底知れぬ悪党とは、嬀覧のごときを言うのだろう、彼は疾くから徐氏の美貌を窺って毒牙を磨いていたのである。
徐氏は、悲嘆のうちに、良人の葬儀を終わって、後、ひそかに亡夫の郎党で、孫高、傅嬰という二人の武士を呼んだ。
そして、哭いて言うには、
「わが夫を殺した者は、辺洪ということになっているが、妾は信じません。真の下手人は、都督嬀覧です。卜のうえで言うのではない、証拠のあることです。そなた達へ向かって、口にするも恥ずかしいが、嬀覧は妾に道ならぬ不義を挑みかけている。妻になれと迫るのです。......で、虫をころして、晦日の夜に来るように約束したから、そのときは、妾の声を合図に、躍りかかって、良人の仇を刺して賜も。どうかこの身に力をかして賜もれ」
忠義な郎党と、彼女が見抜いて打ち明けた者だけに、二人は悲涙をたたえて、亡君の恨み、誓って晴らさんものと、その夜を待っていた。
嬀覧は、やって来た。──徐氏は化粧して酒盞を清めていた。
すこし酔うと、
「妻になれ、否か応か」
嬀覧は、本性をあらわして、徐氏の胸へ、剣を擬して強迫した。
徐氏は、ほほ笑んで、
「あなたのでしょう」と、言った。
「もちろん、俺の妻になれというのにきまっている」
「いいえ、良人の孫翊を殺させた張本人は」
「げっ? な、なんだ」
徐氏は、ふいに、彼の剣の手元をつかんで、死に物狂いに絶叫した。
「良人の仇っ。──傅嬰よ! 孫高よ! この賊を、斬り伏せておくれっ」
「──応っ」
と、躍り出た二人の忠僕は、嬀覧のうしろから一太刀ずつあびせかけた。徐氏も奪い取った剣で敵の脾腹を突きとおした。そして初めて、朱の中に俯っ伏しながら哭けるだけ哭いていた。
鈴音
一
孫高、傅嬰の二人は、その夜すぐ兵五十人をつれて、戴員の邸を襲い、
「仇の片割れ」と、その首を取って主君の夫人徐氏へ献じた。
徐氏はすぐ喪服を被って、亡夫の霊を祭り、嬀覧、戴員二つの首を供えて、
「お怨みをはらしました。妾は生涯他家へは嫁ぎません」と、誓った。
この騒動はすぐ呉主孫権の耳へ聞こえた。孫権は驚いて、すぐ兵を率いて、丹陽に馳せつけ、
「わが弟を討った者は、われに弓を引いたも同然である」
と、一類の者、ことごとく誅罰した後、あらためて、孫高、傅嬰のふたりを登用し、牙門督兵に任じた。
また、弟の妻たる徐氏には、
「あなたの好きなように、生涯を楽しんでください」と、禄地を添えて、郷里の家へ帰した。
江東の人々は、徐氏の貞烈を称えて、
「呉の名花だ」と、語りつたえ、史冊にまで名を書きとどめた。
それから三、四年間の呉は、至極平和だったが建安十二年の冬十月、孫権の母たる呉夫人が大病にかかって、
「こんどは、どうも?」と、憂えられた。
呉夫人自身も、それを自覚したものとみえる。危篤の室へ、張昭や周瑜などの重臣を招いて遺言した。
「わが子の孫権は、呉の基業をうけてからまだ歳月も浅く年齢も若い。張昭と周瑜のふたりは、どうか師傅の心をもって、孫権を教えてください。そのほかの諸臣も、心を協せて、呉主を扶け、かならず国を失わぬように励まして賜もれ。江夏の黄祖は、むかしわが夫の孫堅を滅した家の敵ですから、きっと冤を報じなければなりませぬ......」
また、孫権にむかっては、
「そなたには、そなただけの長所もあるが、短所もある。お父上の孫堅、兄君の孫策、いずれも寡兵をひっさげて、戦乱の中に起ち、千辛万苦の浮沈をつぶさにお舐め遊ばして、始めて、呉の基業をおひらきなされたものじゃが、そなたのみは、まったく呉城の楽園に生まれて楽園に育ち、今、三代の世を受け継いで君臨しておられる。......ゆめ、驕慢に走り、父兄の御苦労をわすれてはなりませんぞ」
「御安心ください」
孫権は、老母の手を、かろく握って、その細さに愕いた。
「──それから張昭や、周瑜などは、良い臣ですから、呉の宝ぞと思い、平常、教えを聞くがよい。......また、わたくしの妹も、後堂にいる。いまから後は、そなたの母として、仕えなければいけません」
「......はい」
「わたくしは、幼少のとき、父母に早くわかれ、弟の呉景と、銭塘へ移って暮らしているうち、亡き夫の孫堅に嫁したのでした。そして四人の子を生んだ。......けれど、長男の孫策も若死にしてしまい、三男の孫翊も先ごろ横死してしもうた。......残っているのは、そなたと、末の妹のふたりだけじゃ、......権よ。あのひとりの妹も、よく可愛がってやっておくれ。......よい婿をえらんで嫁がせてくださいよ。......もし、母のことばを違えたら、九泉の下で、親子の対面はかないませんぞ」
言い終わると、忽然、息をひきとった。
枕頭をめぐる人々の鳴咽の声が外まで流れた。
高陵の地、父の墓のかたわらに、棺槨衣衾の美を供えて、孫権はあつく葬った。歌舞音曲の停まること月余、ただ祭祠の鈴音と鳥の啼く音ばかりであった。
二
喪の冬はすぎて、歳は建安十三年に入った。
江南の春は芽ぐみ、朗天は日々つづく。
若い呉主孫権は、早くも衆臣をあつめて、
「黄祖を伐とうではないか」と評議にかけた。
張昭は言う。
「まだ母公の忌年も周って来ないうちに、兵を動かすのはいかがなものでしょう」
周瑜はそれに対して、
「黄祖を伐てとは、母君の御遺言の一つであった。何で喪に拘わることがあろう」と酬いた。
いずれを採るか、孫権はまだ決しかねていた。
ところへ、都尉呂蒙が来て、一事件を披露した。
「それがし龍湫の渡口を警備しておりますと、上流江夏の方から、一艘の舟が漂い来って、約十名ほどの江賊が、岸へ上がって参りました」
呂蒙はまず、こう順を追って、次のように話したのである。
「──すぐ取り囲んで、何者ぞと、問い糺しましたところ、頭目らしき真っ先の男が言うには──自分事は、黄祖の手下で、甘寧字を興覇とよぶ者であるが、もと巴郡の臨江に育ち、若年から腕だてを好み、世間のあぶれ者を集めては、その餓鬼大将となって、喧嘩を誇り、伊達を競い、常に強弓、鉞を抱え、鎧を重ね、腰には大剣と鈴をつけて、江湖を横行すること多年、人々、鈴の音を聞けば......錦帆の賊が来たぞ! 錦帆来! と逃げるのを面白がって、ついには同類八百余人をかぞうるに至り、いよいよ悪行を働いていたなれど、時勢の赴くを見、前非を悔いあらため一時、荊州に行って劉表に仕えていたけれど、劉表の人となりも頼もしからず、同じ仕えるなら、呉へ参って、粉骨砕身、志を立てんものと、同類を語らい、荊州を脱して、江夏まで来たところが、江夏の黄祖が、どうしても通しません。やむなく、しばらく止まって、黄祖に従っておりましたが、もとより重く用いられるわけもない。......のみならずです、ある年の戦いに、黄祖敵中にかこまれて、すんでに一命も危ないところを、自分がただ一人で、救い出してきた事などもあったが、かつて、その恩賞すらなく、あくまで、下役の端に飼われているに過ぎないという有り様でした。──しかるにまた、ここに黄祖の臣で蘇飛という人がある。この人、それがしの心事にふかく同情して、ある時、黄祖に向かい、それとなく、甘寧をもっと登用されてはいかにと──推挙してくれたことがあったのです。すると黄祖の言うには、──甘寧はもと江上の水賊である。なんで強盗を帷幕に用うべき。飼い置いて猛獣の代わりに使っておけば一番よろしい。──そう申したので、蘇飛はいよいよそれがしを憐れみ、一夜配宴の折、右の事情を打ち明けて──人生いくばくぞや、早く他国へ去って、如かじ、良主を他に求め給え。ここにいては、足下はいかに忠勤をぬきん出ても、前科の咎を生涯負い、人の上に立つなどは思いよらぬことと教えてくれました。......ではどうしたらいいかを、更に蘇飛に訊くと、近いうちに、鄂県の吏に移すから、その時に、逃げ去れよとのことに、三拝して、その日を待ち、任地へ赴く舟と偽って、幾夜となく江を下り、ようやく、呉の領土まで参った者でござる。なにとぞ、呉将軍の閣下に、よろしく披露したまえと──以上、甘寧はつぶさに身の上を物語って、それがしに取り次ぎを乞うのでございました」
「うむ。......なるほど」
孫権を始め、諸将みな、重々しくうなずいた。
呂蒙は、なおこう言い足して、報告を結んだ。
「甘寧といえば、黄祖の藩にその人ありと、隣国まで聞こえている勇士、さるにても、憐れなることよと、それがしも仔細を聞いて、その心事を思いやり......わが君がお用いあるや否やは保証の限りではないが、有能な士とあれば、篤く養い、賢人とあれば礼を重うしてお迎えある明君なれば、ともあれ御前にお取り次ぎ申すであろうと、矢を折って、誓を示したところ、甘寧はさらに江上の船から数百人の手下を陸へ呼びあげて──否やお沙汰の下るまで慎んで待ちおりますと──ただ今、龍湫の岸辺に屯して、さし控えておりまする」
三
「時なるかな!」と、孫権は手を打ってよろこんだ。
「いま、黄祖を討つ計を議するところへ、甘寧が数百人を率いて、わが領土へ亡命して来たのは、これ潮満ちて江岸の草の戦ぐにも似たり──というべきか。天の時が来たのだ。黄祖を亡ぼす前兆だ。すぐ、甘寧を呼び寄せい」
こう孫権の命をうけ、呂蒙も大いに面目をほどこして、直ちに、龍湫へ早馬を引っ返して行った。
日ならずして、甘寧は、呉会の城に伴われて来た。
孫権は、群臣をしたがえて彼を見た。
「かねて、その方の名は承知しておる。また、出国の事情も呂蒙から聞いた。この上は、ただわが呉のために、黄祖を破るの計はいかに、それを訊きたい。忌憚なく申してみよ」
孫権はまず言った。
拝礼して甘寧は答える。
「漢室の社稷は今いよいよ危うく、曹操の驕暴は、日と共に募りゆきます。おそらく簒奪の逆意をあらわに示す日も遠くありますまい」
「荊州は呉と隣接しておる。荊州の内情をふかく語ってみよ」
「江川の流れは山陵を縫い、攻守の備えに欠くるなく、地味は拓けて、民は豊かです。......しかしこの絶好な国がらにも、ただ一つ、脆弱な短所があります。国王劉表の閨門の不和と、宿老の不一致です」
「劉表は、温良博学な風をそなえ、よく人材を養い、文化を愛育し、ために天下の賢才はみなかの地に集まると、世上では申しているが──」
「まさにそのとおりです。けれどそれはもっぱら劉表の壮年時代の定評で、晩年、気は老い、身に病の多くなるにつれ、彼の長所は、彼の短所となり、優柔不断、外に大志なく、内に衰え、虚に乗じて、閨門のあらそいを繞り、嫡子庶子のあいだに暗闘があるなど、──ようやく亡兆の蔽い得ないものが見えだしました。討つなら今です」
「その荊州に入るには」
「もちろん江夏の黄祖を破るのを前提とします。黄祖は怖るるに足りません。彼もはや老齢で、時務には昏昧し、貨利をむさぼる事のみ知って、上下、心から服しておりませぬ」
「兵糧武具の備えはどうか」
「軍備は充実していますが、活用を知らず、法伍の整えなく、これを攻めれば、立ち所に崩壊するだろうと思います。──君いま、勢いに乗って、江夏、襄陽を衝き、楚関にまで兵をおすすめあれば、やがて、巴蜀を図ることも難しくはございますまい」
「よく申した。まことに金玉の論である。この機を逸してはなるまい」
孫権はすぐ周瑜に向かって、兵船の準備をいいつけた。
張昭は、憂えて、
「いま、兵を起こし給わば、おそらく国中の虚にのって、乱が生じるでしょう。せめて母公の喪のおすみになるまで、国内の充実にお心を傾けられてはどうですか」と、あえて苦言した。
甘寧は、遮って、
「それ故に、国家は今、蕭何の任を、御辺に附与するのである。乱を憂えられるなら、よく国を守って、後事におつくしあるようねがいたい」
「すでにわが心は決まった。張昭も他事をいうな。一同して、盃を挙げよう」
孫権は、一言をもって、衆議を抑えた。
そして、また甘寧にむかい、
「その方をさし向けて、黄祖を討つ事は、例えばこの酒のごとしじゃ。一気に呑みほしてしまうがよい。もし黄祖を破ったら、その功は、汝のものであるぞ」
と、盃になみなみと酒を湛えて与えた。
かくて、周瑜を大都督に任じ、呂蒙を先手の大将となし、董襲、甘寧を両翼の副将として、呉軍十万は、長江を溯って江夏へおしよせた。
四
鴻はみだれて雲にかくれ、柳桃は風に騒いで江岸の春を晦うした。
舳艫をそろえて、溯江する兵帆何百艘、飛報は早くも、
「たいへん!」
と、江夏に急を告げ、また急を告げてゆく。
黄祖の驚きはひととおりではない。
が、──先に勝った覚えがある。
「呉人の青二才ども、何するものぞ」
蘇飛を大将として、陳就、鄧龍を先鋒として、江上に迎撃すべく、兵船をおし出し、準備おさおさ怠りない。
大江の波は立ち騒いだ。
呉軍は、沔口の水面をおもむろに制圧し、市街の湾口へとつめてきた。
守備軍は、小舟をあつめて、江岸一帯に、舟の砦を作り、大小の弩弓を懸けつらね、いっせいに射かけてきた。
呉の船は、さんざん射立てられ、各船、進路を乱して逃げまどうと、水底には縦横に大索を張りめぐらしてある事とて、櫓を奪われ、舵を折り、
「大勢、ふたたび不利か」と、一時は、周瑜をして、眉を曇らせたほどだった。
時に、甘寧は、
「いで。これからだ」と、董襲にも促し、かねて諜し合わせておいたとおり、決死、敵前に駆け上がるべく、合図の旗を檣頭にかかげた。
百余艘の早舟は、たちまち、江上に下ろされて、それに二十人、三十人と、死をものともせぬ兵が飛びのった。
波間にとどろく金鼓、喊声につれて、決死の早舟隊は、無二無三、陸へ迫ってゆく。
ある者は、水中の張り綱を切りながし、ある者は、氷雨と飛んでくる矢を払い、また、舳に突っ立った弓手は、眼をふさいで、陸上の敵へ、射返して進んで行った。
「防げ」
「陸へ上げるな」
敵の小舟も、揉みに揉む。
そして、火を投げ、油をふりかけてくる。
白波は、天に吼え血は大江の夕空のごとく染めた。
黄祖の先鋒の大将、陳就は岸へとび上がって、
「残念、舟手の先陣は、破られたか。二陣、陸の柵をかためろ」
声を嗄らして、左右の郎党に下知しているのを、呂蒙が見つけて、
「うごくなっ」と、近づいた。
岸へとび上がるやいな、槍をふるって突きかけた。──陳就は、あわてて、
「やっ、呉の呂蒙か」と、剣を揮って、防ぎながら、
「気をつけろ。もう敵は上陸っているぞ」
と、部下へ注意しながら逃げ惑った。
こうまで早く、敵が陸地に迫っていようとは思っていなかったらしい。呂蒙は、
「おのれ、名を惜しまぬか」と、陳就を追って、うしろから一槍を見舞い、その仆れたのを見ると、大剣を抜いて、首をあげた。
舟手の崩壊を救わんものと、大将の蘇飛は、江岸まで馬をすすめてきた。──それと見た呉軍の将士は、「われこそ」と、功に逸って、蘇飛のまわりへむらがり寄ったが、燈にとびつく夏の虫のように、彼のまわりに、死屍を積みかさねるばかりだった。
すると、呉の一将に、潘璋という剛の者があった。立ち騒ぐ敵味方のあいだを駆けぬけ、真っすぐに、蘇飛のそばへ近づいて行ったかと思うと、馬上のまま引っ組んで、さすがの蘇飛をも自由に働かせず、鞍脇にかかえて、たちまち、味方の船まで帰ってきた。
そして、孫権に献じると、孫権は眼をいからして、蘇飛を睨みつけ、
「以前、わが父孫堅を殺した敵将はこいつだ。すぐ斬るのは惜しい。黄祖の首と二つ並べて、凱旋の後父の墓を祭ろう。檻車へ抛りこんで本国へさし立てろ」
と、言って、部下に預けた。
蜂と世子
一
呉はここに、陸海軍とも大勝を博したので、勢いに乗って、水陸から敵の本城へ攻めよせた。
さしも長い年月、ここに、
(江夏の黄祖あり)
と誇っていた地盤も、いまは痕形もなく呉軍の蹂躙するところとなった。
城下に迫ると、この土地の案内にだれよりもくわしい甘寧は、まッ先に駆け入って、
「黄祖の首を、余人の手に渡しては恥辱だ」と、血まなこになっていた。
西門、南門には、味方が押しよせているが、だれもまだ東門には迫っていない。黄祖はおそらくこの道から逃げ出して来るだろうと、門外数里の外に待ち伏せていた。
やがて、江夏城の上に、黒煙があがり、望閣楼殿すべて焰と化したころ、大将黄祖は、さんざん討ち崩されて、部下わずか二十騎ばかりに守られながら東門から駆け出して来た。
すると、道の傍らから、鉄甲五、六騎ばかり、不意に黄祖の横へ喚きかかった。甘寧は先手を取られて、
「だれか?」と見ると、それは呉の宿将程普とその家臣たちであった。
程普が、きょうの戦いに、深く期して、黄祖の首を狙っていたのは当然である。
黄祖のために、むなしく遠征の途において敗北した孫堅以来、二代孫策、そしていま三代の孫権に仕えて、歴代、武勇に負けをとらない呉の宿将として──
「きょうこそは」と、晴れがましく、故主の復讐を祈念していたことであろう。
けれど、甘寧としても、指を咥えて見てはいられない。
出遅れたので、彼はあわてて、腰なる鉄弓をつかみ把り、一矢を番えて、丁ッと放った。
矢は、見事に、黄祖の背を射た。──どうと黄祖が馬から落ちたのを見ると、
「射止めた! 敵将黄祖を討った!」
と、どなりながら駆け寄って、程普とともに、その首を挙げた。
江夏占領の後、二人は揃って黄祖の首を孫権の前に献じた。
孫権は、首を地に抛って、
「わが父、孫堅を殺した仇。匣に容れて、本国へ送れ。蘇飛の首と二つそろえて、父の墳墓を祭るであろう」と、罵った。
諸軍には、恩賞をわかち、彼も本国へひき揚げることになったが、その際、孫権は、
「甘寧の功は大きい。都尉に封じてやろう」と言い、また江夏の城へ兵若干をのこして、守備にあてようと諮った。
すると、張昭が、「それは、策を得たものではありません」と、再考を促して、
「この小城一つ保守するため、兵をのこしておくと、後々まで、固執せねばならなくなります。しかし長くは維持できません。──むしろ思い切りよく捨てて帰れば劉表がかならず、兵を入れて、黄祖の仕返しを計って来ましょう。それをまた討って、敵の雪崩れに乗じて、荊州まで攻め入れば、荊州に入るにも入り易く、この辺の地勢や要害は味方の経験ずみですから二度でも三度でも、破るに難い事はありますまい」
と、江夏を囮として劉表を誘うという一計を案出して語った。
「至極、妙だ」
孫権も、賛成して、占領地はすべて放棄するに決し、総軍、凱歌を兵船に盛って、きれいに呉の本国へ還ってしまった。
さてまた。
檻車に抛り込まれて、さきに呉へ護送されていた黄祖の臣──大将蘇飛は、呉の総軍が、凱旋して来たと人伝てに聞いて、「そうだ、以前、自分が甘寧を助けてやったこともあるから......甘寧に頼んでみたら、あるいは助命の策を講じてくれるかもしれない」と、ふと旧誼を思い出し、書面を書いて、ひそかにその手渡しを人に頼んだ。
二
凱旋の直後、孫権は父兄の墳墓へ詣って、こんどの勝ち軍を報告した。
そして功臣と共に、その後で宴を張っていると、
「折り入って、お願いがあります」と、甘寧が、彼の足もとに、ひざまずいた。
「改まって、何だ?」と、孫権が訊くと、
「てまえの寸功に恩賞を賜わる代わりとして、蘇飛の一命をお助けください。もし、以前に、蘇飛がてまえを助けてくれなかったら、今日、てまえの功はおろか一命もなかったところです」
と頓首して、訴えた。
孫権も考えた。──もし蘇飛がその仁をしていなかったら、今日の呉の大勝もなかったわけだと。
しかし、彼は首を振った。
「蘇飛を助けたら、蘇飛はまた逃げて、呉へ仇をするだろう」
「いえ、決して、そんなことはさせません。この甘寧の首に誓って」
「きっとか」
「どんな誓言でも立てさせます」
「では......汝に免じて」と、ついに蘇飛の一命はゆるすと言った。
それに従って、甘寧の手引きした呂蒙にも、この廉で恩賞があった。──以後横野中郎将と称うべしという沙汰である。
するとたちまち、こういう歓宴の和気を破って、
「おのれッ、動くな」
と怒号しながら、剣を払って、席の一方から甘寧へ跳びかかってきた者がある。
「あっ、何をするかっ」
叱咤しつつ、甘寧も仰天して、前なる卓を取るやいな、さっそく相手の剣を受けて、立ち向かった。
「ひかえろ! 凌統っ」
急場なので、左右に命じている遑もない。孫権自身、狼藉者をうしろから抱きとめて叱りつけた。
この乱暴者は、呉郡余抗の人で、凌統字を公績という青年だった。
去ぬる建安八年の戦いに、父の凌操は、黄祖を攻めに行って、大功をたてたが、そのころまだ黄祖の手についていたこの甘寧のために、口惜しくも、彼の父は射殺されていた。
そのとき凌統は、まだ十五歳の初陣だったが、いつかはその怨みをすすごうものと、以来悲胆をなだめ、血涙を嚥み、日ごろ胸に誓っていたものである。
彼の心事を聞いて、
「そちの狼藉を咎めまい。孝子の情に免じて、ここの無礼はゆるしおく。──しかし家中一藩、ひとつ主をいただく者は、すべて兄弟も同様ではないか。甘寧がむかしそちの父を討ったのは、当時仕えていた主君に対して忠勤を尽くしたことにほかならない。今、黄祖は亡び、甘寧は、呉に服して、家中の端に加わる以上──なんで旧怨をさしはさむ理由があろう。そちの孝心は感じ入るが、私怨に執着するは、孝のみ知って、忠の大道を知らぬものだ。......この孫権に免じて、一切のうらみは忘れてくれい」
主君から諭されると、凌統は剣を置いて、床に俯伏し、
「わかりました。......けれど、お察し下さい。幼少から君の御恩を受けたことも忘れはしませんが......父を奪われた悲嘆の子の胸を。またその殺した人間を、眼の前に見ている胸中を」
頭を叩き、額から血をながして、凌統は慟哭してやまなかった。
「予にまかせろ」
孫権は、諸将と共に、彼をなぐさめるに骨を折った。──凌統はことしまだ二十一の若年ながら、父に従って江夏へ赴いた初陣以来、その勇名は赫々たるものがある。その為人を、孫権も愛で惜しむのであった。
後。
凌統には、承烈都尉の封を与え、甘寧には兵船百隻に、江兵五千人をあずけ、夏口の守りに赴かせた。
凌統の宿怨を、自然に忘れさせるためである。
三
呉の国家は、日ましに勢いを加えてゆく。
南方の天、隆昌の気が漲っていた。
いま、呉の国力が、もっとも力を入れているのは、水軍の編成であった。
造船術も、ここ急激に、進歩を示した。
大船の建造は旺だった。それをどんどん鄱陽湖にあつめ、周瑜が水軍大都督となって、猛演習をつづけている。
孫権自身もまた、それに晏如としてはいなかった。叔父の孫静に呉会を守らせて、鄱陽湖に近い柴桑郡(江西省・九江西南)にまで営をすすめていた。
そのころ。
玄徳は新野にあって、すでに孔明を迎え、彼も将来の計にたいして、準備おさおさ怠りない時であった。
「──はてな。一大事があるといって、荊州から、迎えの急使が見えた。行くがよいか。行かぬがよいか?」
その日、玄徳は、劉表の書面を手にすると、しきりに考えこんでいた。
孔明が、すぐ明らかな判断を彼に与えた。
「御出向きなさい。──おそらく、呉に敗れた黄祖の冦を討つための御評議でしょう」
「劉表に対面した節は、どういう態度をとっていたがよいだろうか」
「それとなく、襄陽の会や、檀渓の難の事をお話しあって、もし劉表が、呉の討っ手を君へお頼みあっても、かならずお引き受けにならないことです」
張飛、孔明などを具して、玄徳はやがて、荊州の城へ赴いた。
供の兵五百と張飛を、城外に待たせておき、玄徳は孔明とふたりきりで城へ登った。
そして、劉表の階下に、拝をすると、劉表は堂に迎えて、すぐ自分の方から、
「先ごろは襄陽の会で、貴公に不慮の難儀をかけて申しわけない。蔡瑁を斬罪に処して、お詫びを示そうとぞんじたが、当人も諸人も慚愧して嘆くので心ならずもゆるしておいた。どうかあの事は水にながして忘れてもらいたい」と、言った。
玄徳は、微笑して、
「なんの、あの事は、蔡将軍の仕業ではありません。おそらく末輩の小人輩がなした企みでしょう。私はもう忘れております」
「ときに、江夏の敗れ、黄祖の戦死を、お聞き及びか」
「黄祖は、自ら滅びたのでしょう。平常心の躁がしい大将でしたから、いつかこの事あるべきです」
「呉を討たねばならんと思うが......?」
「お国が南下の姿勢をとると、北方の曹操が、すぐ虚にのって、攻め入りましょう」
「さ。......そこが難しい。......自分も近ごろは、老齢に入って、しかも多病。いかんせん、この難局に当たって、あれこれ苦慮すると、昏迷してしまう。......御辺は、漢の宗族、劉家の同族。ひとつわしに代わって、国事を治め、わしの亡いあとは、この荊州を継いではくれまいか」
「おひきうけ出来ません。この大国、またこの難局、どうして菲才玄徳ごときに、任を負うて立てましょう」
孔明は傍らにあって、しきりと玄徳に眼くばせしたが、玄徳には、通じないものか、
「そんな気の弱いことを仰せられず、肉体の御健康に努め、心をふるい起こして、国治のため、更に、良策をお立て遊ばすように」
とのみ言って、やがて、城下の旅館に退がってしまった。あとで、孔明が言った。
「なぜお引き受けにならなかったのですか」
「恩をうけた人の危ういのを見て、それを自分の歓びにはできない」
「──でも、国を奪うわけではありますまいに」
「譲られるにしても、恩人の不幸は不幸。自分にはあきらかな幸い。......玄徳には忍びきれぬ」
孔明は、そっと嘆じて、
「なるほど、あなたは仁君でいらっしゃる」と、是非なげに呟いた。
四
そこへ、取り次ぎがあった。
「荊州の御嫡子、劉琦さまが、お越し遊ばしました」
玄徳は驚いて出迎えた。
劉表の世子劉琦が、何事があって、訪ねて来たのやら? と。
堂に迎えて、来意を訊くと、劉琦は涙をうかべて告げた。
「御身もよく知っておられるとおり、自分は荊州の世継ぎと生まれてはいるが、継母の蔡氏には、劉琮があるので、つねにわしをころして琮を跡目に立てようとしている。......もう城にいては、わしはいつ害されるかわからない。玄徳、どうか助けてください」
「お察し申しあげます。──けれど、御世子、お内輪のことは、他人が容喙して、どうなるものでもありません。苦楽いろいろ、人の家にはだれにもあるもの。それを克服するのは、家の人たるものの務めではありませんか」
「......でも。ほかの事なら、なんでも忍びもしようが、生命が危ないのです。わしは、殺されたくはない」
「孔明。なにかよい思案はないだろうか。御世子のために」
孔明は、冷然と、顔を横に振って答えた。
「一家の内事、われわれの知ることではありません」
「............」
劉琦は、悄然と、帰るしかなかった。玄徳は気の毒そうに送って出て、
「明日、御世子のお館まで、そっと孔明を使いにやりますから、その時、こういうようにして、彼に妙計をおたずねなさい」と、なにか耳へささやいた。
翌日、玄徳は、
「きのう世子の御訪問をうけたから、回礼に行かねばならぬが、どうしたのか、今朝から腹痛がしてならぬ。わしに代わって、御挨拶に行ってくれぬか」と、孔明に言った。
で──孔明は、劉琦の館へ出向いた。すぐ帰ろうとしたが、劉琦が礼を篤くして、酒をすすめるので、帰ろうにも帰れなかった。
酒、半酣のころ、
「先生にお越しを賜わったついでに、ぜひ御一覧に供えて、教えを仰ぎたい古書があります。重代の稀書だそうです。ひとつ御覧くださいませぬか」
彼の好学をそそって、ついに閣の上に誘った。孔明は、室を見廻して、
「書物はどこですか」と、不審顔をした。
劉琦は、孔明の足もとに、ひざまずいて、涙をたれながら百拝していた。
「先生、おゆるし下さい。あなたをここへ上げたのは、きのうおたずね致した自分の危難を救っていただきたいからです。どうか、死をまぬがれる良計をお聞かせ下さい」
「知らん」
「そんなことをおっしゃらずに」
「なんで、他家の家庭の内事に立ち入ろう。そんな策は持ち合わせません」
袂を払って、閣を下りようとすると、いつのまにか、そこの梯を下から外してあった。
「あ? ......御世子には、孔明をたばかられたな」
「先生を措いては、この世に、訊く人がありません。琦にとっては、生死のさかいですから......」
「いくらお訊ねあろうと、無い策は教えられません。難をのがれ、身の生命を完うなされたいと思し召すなら、御自身、智をふるい、勇を起こして、危害と闘うしかないでしょう」
「では、どうしても、先生のお教えは乞えませんか」
「疎きは親しきを隔つべからず、新しきは旧きを離間すべからず。このことばのとおりです」
「ぜひもございません」
琦は、ふいに剣を抜いて、自分の手で自分の頸を刎ねようとした。
孔明は、急に、押しとどめて、
「お待ちなさい」
「離してください」
「いや、良計を教えましょう。それほどまでの御心底なら」
「えっ、ほんとですか」
琦は、剣をおいて、孔明の前にひれ伏し、急に眼をかがやかした。
五
孔明は、懇ろに話した。
「むかし、春秋の時代に晋の献公の夫人には、二人の子があった。兄を申生といい、弟を重耳という」
例話をひいて、劉琦に教えるのである。劉琦は、全身を耳にして熱心に聞いた。
「──ところが、やがて献公の第二夫人の驪姫にもひとりの子が生まれた。驪姫はその子に国を継がせたく思い、つねに正室の子の申生や重耳を悪く言っていた。けれど献公が見るに、正室の子はいずれも秀才なので、驪姫が讒言しても、それを廃嫡する気にはなれずにいた......」
「その申生は、さながら、私のいまの境遇とよく似ております」
「──で、驪姫は、春あたたかなある日、献公を楼上に迎えて、簾のうちから春園の景をうかがわせ、自分はひそかに、襟に蜜を塗って申生を園に誘い出したものです。──すると、多くの蜂が当然、甘い蜜の香を嗅いで、驪姫の髪や襟元へむらがって来ました。......あなやと、なにも知らない申生は驪姫の身を庇いながらその襟を打ったり背を払ったりしました。楼上から見ていた献公はそれを眺めて、怖ろしく憤りました。驪姫にたわむれたものと疑ったのです。──以来申生を憎むことふかく、年々に子を邪推するようになりました」
「ああ。......蔡夫人もそんな風です。いつかしら、理由なく、私も父の劉表にはうとんじられておりまする」
「一策が成功すると、驪姫の悪は勇気づいて、また一つの悪策をたくらみました。先后の祭りのときです。驪姫はそっと供え物に、毒を秘めておいて、後、申生に言うには母上のお供え物を、そのまま厨房に退げてはもったいない。父君におすすめなさいと。──申生は驪姫に言わるるまま父の献公へそれをすすめた。ところへ驪姫が入って来て、外から来た食べ物を試みず召し上がってはいけません──そう言って一箇を犬へ投げ与えた、犬はたちどころに血を吐いて死んだ。献公はうまうま驪姫の手にのって申生を殺してしまわれた」
「ああ。そして、弟の重耳のほうは、どうしましたか」
「次には、わが身へくる禍と重耳は未然に知りましたから、他国へ走って、身をかくしました。そして十九年後、初めて世に出た晋の文公は──すなわちそのむかしの重耳であったのです。......今、荊州の東南、江夏の地は、呉のために黄祖が討たれてから後守る人もなく打ち捨ててあります。御世子、あなたが、継母の禍をのがれたいと思し召すなら、父君に乞うて、そこの守りへ望んで行くべきです。重耳が国を出て身の難をのがれたのと同じ結果を得られましょう」
「先生。ありがとう存じます。琦は、にわかになお、生きてゆかれる気がして来ました」
彼は、幾度も拝謝して、手を鳴らして家臣を呼び、降り口に梯子をかけさせて、孔明を送り出した。
孔明は立ち帰って、この事を、ありのままに、玄徳に告げると、玄徳も、
「それは良計であった」と、共に歓んでいた。
間もなくまた、荊州からの迎えの使いが来た。玄徳が登城してみると、劉表はこう相談を向けた。
「嫡男の琦が、なにを思い出したか、急に、江夏の守りに遣ってくれと申すのじゃ、どういうものであろうか」
「至極、結構ではありませんか、お膝下を離れて、遠くへ行く事は、よい御修行にもなりましょうし、また、江夏は呉との境でもあり、重要な地ですから、どなたか御近親をひとり置かれることは、荊州全体の士気にもよい事と思われます」
「そうかなあ」
「総じて、東南の防ぎは、公と御嫡子とで、お計りください。不肖劉備は、西北の防ぎに当たりますから」
「......むむ。聞けば近ごろ、
曹操も
玄武池に兵船を造って、
舟手の教練に怠りないという

じゃ。いずれ南征の野心であろう。切に
御辺の精励を
恃むぞ」
「どうか、御安心下さい」
玄徳は新野へ帰った。
臨戦第一課
一
この当時である。曹操は大いに職制改革をやっていた。つねに内政の清新を図り、有能な人物はどしどし登用して、閣僚の強化につとめ、
(事あれば、いつでも)という、いわゆる臨戦態勢をととのえていた。
毛玠が東曹の掾に任じられ、崔琰が西曹の掾に挙げられたのもこのころである。わけて出色な人事と評されたのは、主簿司馬朗の弟で、河内温の人、司馬懿、字を仲達というものが、文学の掾として、登用されたことだった。
その司馬仲達は、もっぱら文教方面や選挙の吏務にあったので文官の中には、異色を認められていたが、軍政方面には、まだ才略の聞こえもなかった。
やはり軍部に重きをなしているのは依然、夏侯惇、曹仁、曹洪などであった。
一日、南方の形勢について、軍議のあった時、その夏侯惇は、進んでこう献議した。
「いま劉玄徳は、新野にあって、孔明を師となし、しきりに兵馬を調練しておるとか、捨ておいては後日の大患。まず、この邪魔石を取り除いて、しかる後、次の大計に臨むのが順序でしょう」
諸大将のうちには、異論を抱くらしい顔色も見えたが、曹操がすぐ、
「その議、よろしかろう」と言ったので、即座に、玄徳討伐の事は、決定を見てしまった。
すなわち、夏侯惇を総軍の都督とし、于禁、李典を副将とした十万の軍団は編成され、吉日をえらんで発向することとなった。
その間に、荀彧は、二度ばかり曹操の前で、異論を立てた。
「──きくならく、孔明というものは、尋常一様な軍師ではないようです。かたがた、いま軽々しく、玄徳に当たることは、勝っても、利は少なく、敗れれば、中央の威厳を陥とし、失うところが大きいでしょう。よくよくここはお考えあってはいかがですか」
夏侯惇は、側で笑った。
「玄徳、孔明など、いずれも定まった領地もない野鼠の輩でしかない。そのお説はあまりに取り越し苦労すぎる」
「いやいや、将軍、決して玄徳は侮れませんぞ」
ふいに、横あいから、荀彧に加勢して言った者がある。見ると、先ごろまで新野にいて親しく玄徳の近況を知っている徐庶であった。
「おお、徐庶か──」と、曹操は彼の存在を見出して急にたずねた。
「新たに、玄徳の軍師となった孔明とは、そも、どんな人物か」
「諸葛亮、字は孔明、また道号を臥龍先生と称して、上は天文に通じ、下は地理民情をよくさとり、六韜をそらんじ、三略を胸にたたみ、神算鬼謀、実に、世のつねの学徒や兵家ではありません」
「その方と較べれば......?」
「それがしなどは、較べものになりません。それがしを螢とすれば、孔明は月のようなものでしょう」
「それほどか」
「いかで彼に及びましょう」
すると、夏侯惇は、徐庶のことばを叱って、更に、大言した。
「孔明も人間は人間であろう。そう大きな違いがあって堪るものではない。総じて、凡人と非凡人との差も、紙一重というくらいなものだ。この夏侯惇の眼から見れば若輩孔明のごときは、芥にひとしい。第一、あの黄口児はまだ実戦の体験すら持たないではないか。もしこの一陣で、彼を生け捕って来なかったら、夏侯惇はこの首を自ら丞相の台下に献じる」
曹操は、彼のことばを壮なりとして、欣然、出陣の日は、自身、府門に馬を立てて、十万の将士を見送った。
二
一方。新野の内部には、孔明がそこに迎えられて来てから、ちょっと、おもしろくない空気が醸されていた。
「若輩の孔明を、譜代の臣の上席にすえ、それに師礼を執らるるのみか、主君には、彼と起居を共にし、寝ては牀を同じゅうして睦み、起きては卓を一つにして箸を取っておるなど、御寵用も度が過ぎる」という一般の嫉視であった。
関羽、張飛の二人も、心のうちで喜ばないふうが、顔にも見えていたし、ある時は、玄徳へ向かって、不遠慮にその不平を鳴らしたこともある。
「いったいあの孔明に、どれほどな才があるのですか。家兄には少し人に惚れ込み過ぎる癖がありはしませんか」
「否、否」
玄徳は、ふっくらと笑いをふくんで、
「わしが、孔明を得たことは、魚が水を得たようなものだ」と、言った。
張飛は、不快極まるごとき顔をして、その後は、孔明のすがたを見かけると、
「水が来た。水が流れてゆく」
などと嘲った。
まことに、孔明は水のごとくであった。城中に居ても、居るのか居ないのかわからない、常に物静かである。
ある時、彼はふと、玄徳の結髪を見て、その静かな眉をひそめ、
「何ですか、それは」と、訊ねた。
玄徳には一種の容態を飾る好みがあるらしい。よく珍しい物で帽を結い、珠をかざる癖があるので、それを咎めたらしいのである。
「これか。......これは犁牛の尾だよ。たいへん珍しい物だそうだ。襄陽のさる富豪から贈ってよこしたので、帽にして結わせてみた。おかしいかな」
「よくお似合いになります。──が、悲しいではありませんか」
「なぜ」
「婦女子のごとく、容姿の好みを遊ばして、それがなんとなりますか。君には大志がない証です」
孔明がやや色をなしてそう詰問ると、玄徳はいきなり犁牛の帽を抛って、
「なんで、本心でこんな真似をしよう。一時の憂さを忘れるために過ぎぬ」と、彼も顔容を正した。
孔明は、なお言った。
「君と劉表を比べてみたらどうでしょう?」
「自分は劉表に及ばない」
「曹操と比べては」
「及ばぬこと更に遠い」
「すでに、わが君には、この二人にも及ばないのに、ここに抱えている兵力はわずか数千に過ぎますまい。もし曹操が、明日にでも攻めて来たら何をもって防ぎますか」
「......それ故に、わしは常に憂えておる」
「憂えは単なる憂えにとどめていてはなにもなりません。実策を講じなければ」
「乞う、善策を示したまえ」
「明日から、かかりましょう」
孔明はかねてから新野の戸籍簿を作って、百姓の壮丁を徴募しておいた。城兵数千のほかに、農兵隊の組織を計画していたのである。
次の日から、彼はみずから教官となって、三千余人の農民兵を調練しはじめた。歩走、飛伏、一進一退、陣法の節を教え、克己の精神をたたき込み、刺撃、用剣の術まで、習わせた。
ふた月も経つと、三千の農兵は、よく節を守り、孔明の手足のごとく動くようになった。
かかる折に、果たして、夏侯惇を大将とする十万の兵が、新野討滅を名として、南下して来るとの沙汰が聞こえて来たのである。
「十万の大兵とある。いかにして防ぐがよいか」
玄徳は恐怖して、関羽、張飛のふたりへ洩らした。すると張飛は、
「たいへんな野火ですな。水を向けて消したらいいでしょう」
と、こんな時とばかり、苦々しげに面当てを言った。
三
些末な感情などにとらわれている場合ではない。玄徳は二人へ言った。
「智は孔明をたのみ、勇は二人の力に恃むぞ。よいか。くれぐれも」
張飛と関羽が退がって行くと、玄徳はまた孔明を呼んで、同じように、この急場に処する対策を依嘱した。
「御心配は無用です」
孔明はまずそう言ってから、
「──ただ、この際の憂えは、外よりも内にあります。おそらくは関羽、張飛のふたりが私の命に伏しますまい。軍令が行なわれなければ、敗れることは必然でしょう」
「実に困ったものだ。それにはどうしたらいいだろう」
「怖れながら、わが君の剣と印とを孔明にお貸しください」
「易いこと。それでよいか」
「諸将をお召しください」
孔明の手に、剣と印を授けて、玄徳は諸将を呼んだ。
孔明は、軍師座に腰をすえ、玄徳は中央の床几に倚っていた。孔明は厳然と立ちあがって、味方の配陣を命じた。
「ここ新野を去る九十里外に、博望坡(河南省・新野の北方)の嶮がある。左に山あり、予山という。右に林あり、安林という。──各々ここを戦場と心得られよ」と、まず地の理を指摘して、「──関羽は千五百をひきいて予山にひそみ、敵軍の通過、半ばなるとき、後陣を討って、敵の輜重を襲い、火を放けて焚殺せられよ。張飛は、同じく千五百の兵を、安林に入れて、後ろの谷間へかくれ、南にあたって、火のあがるを見るや、無二、無三、敵の中軍先鋒へ当たってそれを粉砕し給え。──また、関平と劉封とは各五百人を率して、硫黄煙硝をたずさえ、博望坡の両面より、火を放って敵を火中につつめ」
次に、趙雲を指命して、
「御辺には先手を命じる」と、言った。
趙雲が、よろこび勇むと、孔明はたしなめて、
「ただし、一箇の功名は、きっと慎み、ただ詐り負けて逃げて来られよ。勝つことをもって能とせず、敵を深く誘いこむのが貴公の任である。ゆめ、全軍の戦機をあやまり給うな」と、諭した。
そのほか、すべての手分けを彼が命じ終わると、張飛は待っていたように、いきなり孔明へ向かって大声で言った。
「いや、軍師のおさしず、いちいちよく相わかった。ところで一応伺っておきたいが、軍師自身は、いずれの方面に向かい給うか」
「わが君には、一軍をひきい、先手の趙雲と、首尾のかたちをとって、すなわち敵の進路に立ち塞がる──」
「だまれ、わが君のことではない。御辺みずからは、どこで合戦する覚悟かと訊いておるのだ」
「かく申す孔明は、ここにあって新野を守る」
張飛は、大口あいて、不遠慮に笑いながら、
「わははは、あははは。さてこそさてこそ、この者の智慧のほどこそ知られけり──だ、聞いたか、方々」と、手を拍って、
「主君をはじめ、われわれにも、遠く本城を出て戦えと命じながら自分は新野を守るといっておる、──安坐して、おのれの無事だけを守ろうとは......うわ、は、は、は。笑えや、各々」
孔明は、その爆笑を一喝に打ち消して、涼然、こう叱りつけた。
「剣印ここにあるを、見ぬか。命にそむく者は、斬るぞっ。軍紀をみだす者も同じである!」
眸は、張飛を射すくめた。奮然張飛は反抗しかけたが、玄徳になだめられて、不承不承、出て行った。嘲笑いながら、出陣した。
四
表面、命令に従って、それぞれ前線へ向かっては行ったが、内心、孔明の指揮をあやぶんでいたのは関羽、張飛だけではなかった。
関羽なども、張飛をなだめてはいたが、
「とにかく、孔明の計があたるか否か、試みに、こんどだけは、下知に従っていようではないか」
と、言った程度であった。
時、建安十三年の秋七月という。夏侯惇は十万の大軍を率いて、博望坡まで迫って来た。
土地の案内者を喚んで、所の名をたずねると、
「うしろは羅口川、左右は予山、安林。前はすなわち博望坡です」と、答えた。
兵糧輜重などを主とした後陣の守りには、于禁、李典の二将をおき、自身は副将の夏侯蘭、護軍の韓浩の二人を具して、更にすすんだ。
そしてまず、軽騎の将数十をつれて、敵の陣容を一眄すべく、高地へ駆けのぼって行ったが、
「ははあ。あれか。わははは」と夏侯惇は、馬上で大いに笑った。
「何がそんなに可笑しいので」と、諸将がたずねると、
「さきに
徐庶が、
丞相の御前で、孔明の才を
称え、まるで神通力でもあるような事を言ったが、今、彼の布陣を、この
眼に見て、その愚劣を知ったからだ。──こんな貧弱な兵力と愚陣を配して、われに向かわんとは、
犬羊をケシかけて
虎
と闘わせようとするようなもの──」
と、なお笑い止まず、自分が曹操の前で、玄徳と孔明を生け捕って見せると大言したことも、これを見れば、もう掌に在るも同様だと言い足した。
すでに敵を呑んだ夏侯惇は、先手の兵にむかって、一気に衝き崩せと号令をかけ、自身も一陣に駆け出した。
時に、趙雲もまたかなたから馬を飛ばして、夏侯惇の方へ向かって来た。夏侯惇は、大音をあげて言う。
「
鼠将玄徳の
粟を

って、共に国を
賊む
醜類、いずこへ行くか。夏侯惇これにあり、首をおいてゆけ」
「何をっ」
趙雲は、まっしぐらに、鎗を舞わしてかかって来る。丁々十数戟、詐って、たちまち逃げ出すと、
「待てっ、怯夫っ」と、夏侯惇は、勝ち誇って、あくまで追いかけて行った。
護軍韓浩は、それを見て、夏侯惇に追いつき、諫めて言った。
「深入りは危険です。趙雲の逃げ振りを見ると、取って返して誘い、誘ってはまた逃げ出す様子、伏兵があるにちがいありません」
「何を、ばかな」
夏侯惇は一笑に付して、
「伏せ勢があれば伏せ勢を蹴ちらすまでだ、これしきの敵、たとえ十面埋伏の中を行くとも、なんの恐るるに足るものか。──ただ追い詰め追い詰め討ちくずせ」
かくて、いつか彼は博望の坡を踏んでいた。
すると果たして、鉄砲の轟と共に、金鼓の声、矢風の音が鳴りはためいた。旗を見れば玄徳の一陣である。夏侯惇は大いに笑って、
「これがすなわち、敵の伏せ勢というものだろう。小ざかしき虫けらども、いで一破りに」
と、言い放って、その奮迅に拍車をかけた。
気負いぬいた彼の麾下は、その夜のうちにも新野へ迫って、一挙に敵の本拠を抜いてしまうばかりな勢いだった。
玄徳は一軍を率いて、力闘に努めたが、もとより孔明から授けられた計のあること、防ぎかねた態をして、たちまち趙雲とひとつになって潰走し出した。
五
いつか陽は没して、霧のような蒸雲のうえに、月の光が幽かだった。
「おうーいっ、于禁。おういっ──しばらく待て」
うしろで呼ばわる声に、馬に鞭打って先へ急いでいた于禁は、
「李典か。何事だ」と、大汗を拭いながら振り向いた。
李典も、喘ぎあえぎ、追いついて来て、
「夏侯都督には、いかがなされたか」
「気早の御大将、何かは猶予のあるべき。悍馬にまかせて真っ先に進まれ、もうわれ等は二里の余もうしろに捨てられている」
「危ういぞ。図に乗っては」
「どうして」
「あまりに盲進しすぎる」
「蹴ちらすに足らぬ敵勢、こう進路の捗どるのは、味方の強いばかりでなく、敵が微弱すぎるのだ。それを、何とて、びくびくするのか」
「いや、びくびくはせぬが、兵法の初学にも──難道行くに従って狭く、山川相迫って草木の茂れるは、敵に火計ありとして備うべし──。ふと、それを今、ここで思い出したのだ」
「むむ。そう言われてみると、この辺の地勢は......それに当たっている」
と、于禁も急に足を竦めた。
彼は、多くの兵を、押しとどめて、李典に言った。
「御辺はここに、後陣を固め、しばらく四方に備えて居給え。......どうも少し地勢が怪しい。拙者は大将に追いついて、自重するよう報じて来る」
于禁は、ひとり馬を飛ばし、ようやく夏侯惇に追いついた。そして李典のことばをそのまま伝えると、彼もにわかに覚ったものか、
「しまったっ。少し深入りしたかたちがある。なぜもっと早く言わなかったのだ」
そのとき──一陣の殺気というか、兵気というものか、多年、戦場を往来していた夏侯惇なので、なにか、ぞくと総身の毛あなのよだつようなものに襲われた。
「──それっ、引っ返せ」
馬を立て直しているまもない。四山の沢べりや峰の樹陰樹陰に、チラチラと火の粉が光った。
すると、たちまち真っ黒な狂風を誘って、火は万山の梢に這い、渓の水は銅のように沸き立った。
「伏兵だっ」
「火攻め!」
と、道にうろたえ出した人馬が、互いに踏み合い転げあって、阿鼻叫喚をあげていたときは、すでに天地は喊の声に塞がり、四面金鼓のひびきに満ちていた。
「夏侯惇は、いずれにあるか。昼の大言は、置き忘れて来たか」
趙雲子龍の声がする。
さしもの夏侯惇も、渓川に墜ちて死ぬものやら、馬に踏まれて落命するなど、おびただしい味方の死傷を見ては、ひっ返して、趙雲に出会う勇気もなかったらしい。
「馬に頼るな、馬を捨てて、水に従って逃げ落ちよ」
と、味方に教えながら、自身も徒歩となって、身一つを遁れ出すのがようやくであった。
後陣にいた李典は、
「さてこそ」
と、前方の火光を見て、急に救いに出ようとしたが、突如、前に関羽の一軍があって道をふさぎ、退いて、博望坡の兵糧隊を守ろうとすれば、そこにはすでに、玄徳の麾下張飛が迫って、輜重をことごとく焼き払ったあげく、
「火の網の中にある敵、一匹ものがすな」と、後方から挾撃して来た。
討たるる者、焼け死ぬ者、数知れなかった。夏侯惇、于禁、李典などの諸将は輜重の車まで焼かれたのをながめて、
「もう、いかん」と、峰越しに逃げのびたが、夏侯蘭は張飛に出会って、その首を搔かれ、護軍韓浩は、炎の林に追いこまれて、全身、大火傷を負ってしまった。
六
戦は暁になって熄んだ。
山は焼け、渓水は死屍で埋もれ、悽愴な余燼のなかに、関羽、張飛は軍を収めて、意気揚々、ゆうべの戦果を見まわっていた。
「敵の死骸は、三万をこえている。この分では無事に逃げた兵は、半分もないだろう」
「まず、全滅に近い」
「幸先よしだ。兵糧その他、戦利品も莫大な数にのぼろう。かかる大捷を博したのも、日ごろの鍛錬があればこそ──やはり平常が大事だな」
「それもあるが......」と、関羽は口を濁しながら、駒を並べている張飛の顔を見て言った。
「この作戦は、一に孔明の指揮に出たものであるから、彼の功は否みがたい」
「むむ。......計は、図にあたった。彼奴も、ちょっぴり、味をやりおる」
張飛はなお幾らかの負け惜しみを残していたが、内心では、孔明の智謀を認めないわけにはゆかなかった。
やがて、戦場をうしろに、新野のほうへ引きあげて行くと、かなたから一輛の車を推し、簇擁として、騎馬軍旗など、五百余の兵が近づいて来る。
「だれか?」
と見れば、車のうえには悠然として軍師孔明。──前駆の二大将は糜竺、糜芳のふたりだった。
「オオ、これは」
「軍師か」
威光というものは争えない。関羽と張飛はそれを見ると、理窟なしに馬を降りてしまった。そして車の前に拝伏し、夜来の大捷を孔明に報告した。
「わが君の御徳と、各々の忠誠なる武勇に依るところ。同慶の至りである」
孔明は車上から鷹揚にそう言って、大将たちを犒った。自分より遙かに年上な猛将たちを眼の下に見て、そう言えるだけでも、年まだ二十八歳の弱冠とは見えなかった。
やがて、またここへ、趙雲、関平、劉封などの諸将も各々の兵をまとめて集まった。
関羽の養子関平は、敵の兵糧車七十余輛を分捕って、初陣の意気軒昂たるものがあった。
更に、白馬に跨がった玄徳のすがたが、これへ見えると、諸軍声をあわせて、勝鬨をあげながら迎えた。
「御無事で」
「めでたく」
「しかも、大捷を占めての御帰城──」と、人々は欣び勇んで、新野へ凱旋した。旗幡翻々と道を埋め、土民はそれを迎えて拝舞雀躍した。
孫乾は、留守していたので、城下の父老をひきいて、郭門に出迎えていた。その老人たちは、口をそろえて、
「この土地が、敵の蹂躙から免れたのは、ひとえにわが御領主が、賢人を厚くお用いなされたからじゃ」と、玄徳の英明を称え、また孔明を徳として仰いだ。
しかし孔明は誇らなかった。
城中に入って、数日の後、玄徳が彼に向かって、あらゆる歓びと称讃を呈しても、
「いやいや、まだ決して、安心はなりません」と、眉をひらく風もなかった。
「いま、夏侯惇の十万騎は、残り少なに討ちなされて、ここしばらくは急もありますまいが、必定、この次には、曹操自身が攻め下って来るでしょう。味方の安危いかんはその時かと思われます」
「曹操がみずから攻めて来るようだったら、それは容易ならぬことになる。北方の袁紹ですら一敗地に滅び、冀北、遼東、遼西まで席巻したあの勢いで南へ来たら?」
「かならず参ります。故に、備えておかなければなりますまい。それにはこの新野は領堺も狭く、しかも城の要害は薄弱で、恃むには足りません」
「でも、新野を退いては」
「新野を退いて拠るべき堅固は......」
と、孔明は言いかけて、そっと四辺を見まわした。
許都と荊州
一
「ここに一計が無いでもありません」
と、孔明は声を憚って、ささやいた。
「国主の劉表は病重く、近ごろの容体はどうやら危篤のようです。これは天が君に幸いするものでなくてなんでしょう。よろしく荊州を借りて、万策をお計りあれ。それに拠れば、地は広く、嶮は狭く、軍需財源、すべて充分でしょう」
玄徳は顔を横に振った。
「それは良計には違いなかろうが、わしの今日あるは、劉表の恩である。恩人の危うきにつけ込んで、その国を奪うようなことは忍び得ない」
「この際小乗的なお考えは捨て、大義に生きねば成りますまい。いま荊州を取っておかなければ、後日になって悔ゆるとも及びませぬ」
「でも、情にもとり、義に欠けるようなことは」
「かく言ううちにも、曹操の大軍が襲来いたしたなら、何となさいますか」
「いかなる禍にあおうと、忘恩の徒と誹られるよりはましである」
「ああ。真に君は仁者でいらせられる!」
それ以上、強いることばも、諫める辞もなく、孔明は口をつぐんだ。
さてまた夏侯惇は、口ほどもない大敗を喫して、命からがら都へ逃げ上り、みずから面縛して──死を待つ意味で罪人のように眼隠しを施し──畏る畏る相府の階下に跼ずいた。
(面目なくて会わせる顔もありません)と言わぬばかりな姿である。
曹操は出座して、それを見ると苦笑した。
「あれを解いてやれ」と、左右の者へ顎でいいつけ、階を上ることを免した。
夏侯惇は、庁上に慴伏して、問わるるまま軍の次第を報告した。
「何よりの失策は、敵に火計のあることを覚らず、博望坡をこえて、渓林のあいだへ深入りし過ぎた一事でございました。ために丞相の将士を数多亡い、罪万死に値します」
「幼少より兵学を習い、今日まで幾多の戦場を往来しながら、狭道には必ず火攻めのあることぐらい気づかないで軍の指揮ができるか」
「今更、何の言い訳もございません。于禁はそれを覚って、それがしにも注意しましたが、後悔すでに及ばなかったのであります」
「于禁には大将軍たる才識がある。汝も元来の凡将ではないはず。この後の機会に、今日の恥を雪ぐがよい」と叱ったのみで、深くも咎めなかった。
その年の七月下旬。
曹操は八十余万の大軍を催し、先峰を四軍団にわかち、中軍に五部門を備え、後続、遊軍、輜重など、ものものしい大編成で、明日は許都を発せんと号令した。中大夫孔融は、前の日、彼に諫めた。
「北国征略のときすら、こんな大軍ではありませんでした。かかる大動員をもって大戦に臨まれなば、おそらく洛陽、長安以来の惨禍を世に捲き起こしましょう。さる時には、多くの兵を損ない、民を苦しめ、天下の怨嗟は挙げて丞相にかかるやも知れません。なぜならば、玄徳は漢の宗親、何ら朝廷に反いたこともなく、また呉の孫権たりといえど、さして不義なく、その勢力は江東江南六郡に股がり、長江の要害を擁しているにおいては、いかにお力をもってしても......」
「だまれ。晴れの門出に」
曹操は叱って、「なお申さば、斬るぞ」と、一喝に退けてしまった。
孔融は、慨然として、府門を出ながら、
「不仁をもって仁を伐つ。敗れざらん乎。ああ!」
と、嘆いて帰った。
附近に佇んでいた厩の小者が、ふと耳にして、主人に告げ口した。その主人なる男は、日ごろ、孔融と仲のわるい郄慮だったから、早速、曹操にまみえて、輪に輪をかけて讒言した。
二
些細なことを捉えて、棒ほどに訴える。
そして、主たる位置にある人の誇りと弱点につけこむ。
讒者の通有手段である。
そんな小人の舌に乗せられるほど曹操は甘い主君では決してない。けれど、どんな人物でも、大きな組織のうえに君臨していわゆる王者の心理となると、立志時代の克己や反省も薄らいでくるものとみえる。人間通有の凡少な感情は、抑えてのないまま、かえって普通人以上、露骨に出てくる。
無能な小人輩は、甘言と佞智を弄すことを、職務のように努めはじめる。曹操のまわりには、つねに苦諫を呈して、彼の弱点を輔佐する荀彧のような良臣もいたが、その反対も当然多い。
「どうも孔融は、丞相にたいして、お怨みを抱いているようです。......昨夕も退庁の際、ひとり言に、不仁をもって仁を伐つ、敗れざらん乎──などと罵って帰りましたし、日ごろの言行に照らしても、不審のかどがいくらもありますし」
讒者は、辞をふるって、日ごろから胸にたたんでおいた材料を、舌にまかせて並べたてた。
「──いつでしたか、丞相が禁酒の法令を発せられましたときも、孔融は笑って、天に酒旗の星あり、地に酒群あり、人に喜泉なくして、世に何の歓声あらん。民に酒を禁じるほどなら、今に婚姻も禁じるであろう、などと途方もない暴説を吐いておりましたし」
「............」
「また。あの孔融はですね。ずっと以前ですが、朝廷の御宴の折、赤裸になって丞相を辱しめた禰衡──あの奇舌学人とは──古くから親交がありまして、禰衡にあんな悪戯をさせたのも、後で聞けば、孔融の入れ智慧だったということです」
「............」
「いえ、まだまだ、それのみではありません。彼は荊州の劉表とは、ずいぶん以前から音信を交わしております。また玄徳とは、わけても昵懇と聞いております故、この辺の虚実は彼の邸を、突然襲って家探ししてごらんになれば、きっと意外な証拠が現われるのではないかと思われます。──明日、荊州へ御発向の前に、ぜひその一事は、明らかに調べて御出陣ありますように」
「............」
かなり長いあいだ喋舌らせておいた。曹操は一語も発せずにいたが、非常にいやな顔つきをしていた。そして聞くだけ聞き終わるといきなり、
「うるさい、あっちへ行け」
と、顎をあげて、蠅のように、その家臣を目さきから追い払った。
さすがに、讒者の肚を、看破したのかと思うと、そうでもない。いや、その反対だったのである。
たちまち廷尉を呼んで、
「すぐ行け」と、何かいいつけた。
廷尉は、一隊の武士と捕吏をひきつれ、不意に孔融の邸を襲った。
孔融は、なんの抵抗をするまもなく、召し捕られた。
召使いのひとりが奥へ走って、
「たッ、大変ですっ。御父君にはいま、廷尉に捕縛されて、市へ曳かれて行きました!」
と、そこに居る孔融の息子たちへ、哭き声で知らせた。
二人の息子は、碁を囲んで遊んでいたが、すこしも驚かず、
「──巣すでに破れて、卵の破れざるものあらん乎」
と、なお二手三手さしていた。
もちろん、たちまち踏みこんで来た捕吏や武士の手にかかって、兄弟とも斬られてしまった。
邸は炎とされ、父子一族の首は市に梟けられた。
荀彧は、後で知って、
「どうも、困ったものです」と、苦々しげに言ったきりで、いつものごとく、曹操へ諫言はしなかった。諫言も間に合わないし、また無言で居るのも、一つの諫言になるからであろう。
三
曹操みずから、許都の大軍をひきいて南下すると、頻々、急を伝えて来る中を、荊州の劉表は、枕も上がらぬ重態をつづけていた。
「御身と予とは、漢室の同宗、親身の弟とも思うているのに......」
病室に玄徳を招いて、彼は、喘れぎれな呼吸の下から説いていた。
「予の亡い後、この国を、御身が譲りうけたとて、だれが怪しもう。奪ったなどといおう。......いや、いわせぬように、予が遺言状をしたためておく」
玄徳は、強って辞した。
「せっかくの尊命ですが、あなたには御子達がいらっしゃいます。なんで私が御国を継ぐ必要などありましょう」
「いや、その孤子の将来も、御身に託せば安心じゃ。どうかあの至らぬ子等を扶け、荊州の国は御身が受け継いでくれるように」
遺言にひとしい切実な頼みであったが、玄徳はどうしても受けなかった。
孔明は後にその由を聞いて、
「あなたの律義は、かえって、荊州の禍を大にしましょう」と、痛嘆した。
その後、劉表の病は重るばかりな所へ、許都百万の軍勢はすでに都を発したと聞こえて来たので、劉表は気魂も顫き飛ばして、遺言の書をしたためて後事を玄徳に頼んだ。──御身が承知してくれないならば、嫡子の劉琦を取り立てて荊州の主に立ててくれよというのであった。
蔡夫人は、穏やかならぬ胸を抱いた。彼女の兄蔡瑁や腹心の張允も、大不満を含んで、早くも、
「いかにして、琦君を排し、劉琮の君を立てるか」を、日夜、ひそひそ凝議していた。
──とも知らず、劉表の長男劉琦は、父の危篤を聞いて、遠く江夏の任地から急いで荊州へ帰って来た。
そして旅舎にも憩わず、直ちに城へ入って来ると、内門の

はかたく彼を拒んで入れなかった。
「父の看護に就こうものと、はるばる江夏から急いで来た劉琦なるぞ。城門の者、番の者、ここを開けい。通してくれよ」
すると、門の内から蔡瑁は声高に答えた。
「父君の御命をうけて、国境の守りに赴かれながら、無断に江夏の要地をすてて、御帰国とは心得ぬお振る舞い。いったいだれのゆるしをうけてこれに来られたか。軍務の任の重きことをお忘れあったか。たとえ御嫡子たりともここをお通しするわけには参らん。──とくとくお帰りあれ、お帰りあれ」
「その声は、瑁伯父ではないか。せっかく遠路を参ったのに、門を入れぬとは無情であろう。すぐ江夏へ帰るほどに、せめて父君にひと目会わせてくれい」
「ならぬ」と、伯父の権を、声に加えて、蔡瑁は、更にこッぴどく言って、追い払った。
「病人にせよ、会えばお怒りときまっている。病を重らすだけの事だ。さすれば孝道にも背くことに相成ろう。不孝をするため、わざわざ来られたわけでもあるまい!」
劉琦はややしばらく門外に佇んで哭き声をしのばせていたが、やがてしおしおと馬を回して立ち去った。
秋八月の戊申の日、劉表は、ついに臨終した。
蔡夫人、蔡瑁、張允などは、偽の遺言書を作って、
──荊州の統は、弟劉琮をもって継がすべし
と披瀝した。
蔡夫人の生んだ二男劉琮は、その時まだ十四歳であったが、非常に聡明な質だったので、宿将幕官のいるところで、ある折、
「亡父君の御遺言とはあるが、江夏には兄上がいるし、新野には外戚の叔父劉玄徳がいる。もし兄や叔父がお怒りの兵を挙げて、罪を問うて来たら何とするぞ」
と質問し出したので、蔡夫人も蔡瑁も、顔いろを変えてあわてた。
四
すると、末席にいた幕官の李珪という者が、劉琮の言へ即座にこたえて、
「おう若君、よくぞ仰せられました。げに天真爛漫、いまの君のおことばこそ、人間の善性というものです。君臣に道あり、兄弟に順あり、お兄君をしのいでお継ぎになるなど、もとより逆のはなはだしいものです。いそぎ使いを馳せて江夏より兄君を迎えられ、琦君を国主とお立て遊ばし、玄徳を輔佐としてまず内政を正し、しかる後、北は曹操を防ぎ、南は孫権にあたり、上下一体となるのでなければ、この荊州の滅乱はまぬかれません!」と、憚る色もなく直言した。
蔡瑁は、赫怒して、
「みだりに舌をうごかして、故君の御遺書を辱しめ、部内の人心を攪乱する賊臣め。黙れっ、黙りおろうっ」と、大喝しながら、武士と共に、李珪の側らへ駆け寄って、「これへ出ろ」と、引き摺り出した。
李珪は悪びれずになおも、
「国政にあずかる首脳部の方々からして、順を紊し、法をやぶり、何とて他国の侵攻を防ぎ得ましょうや。この国の亡ぶは眼に見えている」と、叫んで熄まなかったが、途端に蔡瑁が抜き払った剣の下に、あわれその首は斬り落とされていた。
死屍は市の不浄墳に取り捨てられたが、市人は伝え聞いて、涙を流さぬは無かったという。
襄陽の東四十里、漢陽の壮麗なる墓所に、故劉表の柩は国葬された。蔡氏の閥族は、劉琮を国主として、これから思うままに政をうごかしたが、時まさに未曾有の国難の迫っている折から、果たしてそんな態勢で乗り切れるかどうか、心あるものは危ぶんでいた。
蔡夫人は、劉琮を守護して、軍政の大本営を襄陽城に移した。
時すでに、曹操の大軍は刻々南下して、
「はや宛城近し!」
とさえ聞こえて来たのである。
幼主と蔡夫人を主座に仰ぎ、蔡瑁、蒯越以下、宿将群臣たちは日々評議に余念なかった。
「一戦いなみ難し」とする軍の主戦論は、濃厚であったが、文官側になお異論が多い。
なかんずく、東曹の掾公悌は、
「三つの弱点がある」と、国内の不備をかぞえて、非戦論を主張した。
その一は、江夏の劉琦が、国主の兄でありながら、まったく排け者にされている不満から、いつ荊州の背後を突くか知れないという不安。
二には、玄徳の存在である。しかも玄徳のいる新野は、この襄陽と江水ひとつを隔てた近距離にある。おそらく玄徳の向背はこの際、測り知れないものがあろうという点。
三つには、故太守の没後、まだ日も経っていないので、諸臣の不一致、内政の改革、あらゆる備えが、まだ完き臨戦態勢に至っていない──というのであった。
「その説に自分も同感である。自分をもっていわせれば、更に三つの不利がある」
と、続いて山陽高平の人、王粲字は仲宣が起って戦に入る三害を力説した。
一、中国百万の軍は、朝廷をひかえ、抗するものは、違勅の汚名をうける。
一、曹操は威雷電のごとく、その強馬精兵は久しく名あるところ。荊州の兵は、久しく実戦の体験がない。
一、たとえ玄徳を恃みとするも、玄徳の拒ぎ得る曹操ではない。もしまた、曹操に当たり得るほどな実力を彼に附与すれば、なんで玄徳が、わが君の下風に屈していよう。
公悌の言う三弱、王粲の挙げた三害、こう数えたてれば、荊州は到底、中国百万の軍と雌雄を決して勝てる強味はどこにもない。
結局、降服の道しかなかった。即ち、和を乞うの書を携えて、襄陽の使いは南進中の曹操の軍へ、急遽派遣されたのであった。
新野を捨てて
一
百万の軍旅は、いま河南の宛城(南陽)まで来て、近県の糧米や軍需品を徴発し、いよいよ進撃に移るべく、再整備をしていた。
そこへ、荊州から降参の使いとして、宋忠の一行が着いた。
宋忠は、宛城の中で、曹操に謁して、降参の書を奉呈した。
「劉琮の輔佐には、賢明な臣がたくさんいるとみえる」
曹操は大満足である。
こう使いを賞めて、「劉琮を忠烈侯に封じて、長く荊州の太守たる保証を与えてやろう。やがてわが軍は、荊州に入るであろうから、その時には、城を出て、曹操の迎えに見えるがいい。──劉琮に会って、その折、なお親しく語る事もあろう」と、言った。
宋忠は、衣服鞍馬を拝領して、首尾よく荊州へ帰って行った。
その途中である。
江を渡って、渡船場から上がって来ると、一隊の人馬が駆けて来た。
「何者だっ、止まれっ」
と、誰何されて、馬上の将を見ると、この辺の守りをしていた関羽である。
「しまった」
と思ったが、逃げるにも逃げきれない。宋忠は彼の訊問にありのままを答えるしかなかった。
「何。降参の書を携えて、曹操の陣へ使した帰りだと申すか?」
関羽は、初耳なので、驚きに打たれた。
「これは、自分だけが、聞き流しにしているわけには参らぬ」
有無を言わせず、彼は、宋忠を引ッさげて、新野へ駆けた。
新野の内部でも、この政治的な事実は、いま初めて知ったことなので、驚愕はいうまでもない。
わけて、玄徳は、
「何たる事か!」
と、悲涙に咽んで、昏絶せんばかりだった。
激し易い張飛のごときは、
「宋忠の首を刎ねて血祭りとなし、ただちに兵をもって荊州を攻め取ってしまえ。さすれば無言のうちに、曹操へ遣った降参の書は抹殺され、無効になってしまう」
と、喚きちらして、いやが上にも、諸人を動揺させた。
宋忠は生きた心地もなく、おどおどして、城中に漲る悲憤の光景をながめていたが、
「今となって、汝の首を刎ねたところで、何の役に立つわけもない。そちは逃げろ」
と、玄徳は彼を宥して、城外へ放ってやった。
ところへ、荊州の幕賓、伊籍がたずねて来た。宋忠を放った後で、玄徳は、孔明その他を集めて評議中であったが、ほかならぬ人なのでその席へ招じ、日ごろの疎遠を謝した。
伊籍は、蔡夫人や蔡瑁が、劉琦をさしおいて、弟の劉琮を国主に立てたことを痛憤して、その鬱懐を、玄徳へ訴えに来たのであった。
「その憂えを抱くものは、あなたばかりでありません」と、玄徳はなだめて後、
「──しかも、まだまだあなたの憂えはかろい。あなたの御存じなのは、それだけであろうが、もっと痛心に耐えない事が起こっている」
「何です? これ以上、痛心にたえない事とは」
「故太守が亡くなられて、まだ墳墓の土も乾かないうち、この荊州九郡をそっくり挙げて、曹操へ降参の書を呈したという一事です」
「えっ、ほんとですか」
「偽りはありません」
「それが事実なら、なぜ貴君には、直ちに、喪を弔うと号して襄陽に行き、あざむいて幼主劉琮をこちらへ、奪い取り、蔡瑁、蔡夫人などの奸党閥族を一掃してしまわれないのですか」
日ごろ、温厚な伊籍すら、色をなして、玄徳をそう詰問るのであった。
二
孔明も共にすすめた。
「伊籍のことばに、私も同意します。今こそ御決断の時でしょう」
しかし玄徳は、ただ涙を垂るるのみで、やがてそれにこう答えた。
「いやいや臨終の折に、あのように孤子の将来を案じて、自分に後を託した劉表のことばを思えば、その信頼に背くような事はできない」
孔明は、舌打ちして、
「いまにして、荊州も取り給わず遅疑逡巡、曹操の来攻を、拱手してここに見ているおつもりですか」と、ほとんど、玄徳の戦意を疑うばかりな語気で詰問った。
「ぜひもない......」と、玄徳は独りでそこに考えをきめてしまっているもののように──
「この上は新野を捨てて、樊城へ避けるしかあるまい」と、言った。
ところへ、早馬が来て、城内へ告げた。曹操の大軍百万の先鋒はすでに博望坡まで迫って来たというのである。
伊籍は倉皇と帰ってゆく。城中はすでにただならぬ非常時色に塗りつぶされた。
「とまれ、孔明あるからには、御心をやすんじ給え」
玄徳をなぐさめて、孔明はただちに、諸将へ指令した。
「まず、防戦の第一着手に、城下の四門に高札を掲げ──百姓商人老幼男女、領下のものことごとく避難にかかれ、領主に従って難を避けよ、遅るる者は曹操のため、かならずみなごろしに成らん──と誌して布令なす事」と、手配の順に従って、なお、次のようにいいわたした。
「孫乾は西河の岸に舟をそろえて避難民を渡してやるがよい。糜竺はその百姓たちを導いて、樊城へ入れしめよ。また関羽は千余騎をひきいて、白河上流に埋伏して、土囊を築いて、流れを堰き止めにかかれ」
孔明は、諸将の顔を見わたしながら、ここでちょっと、ことばを休め、関羽の面にその眸をとどめて言い足した。
「──明日の夜三更のころ、白河の下流にあたって、馬のいななきや兵のさけびの、もの騒がしゅう聞こえたときは、すなわち曹軍の潰乱なりと思うがよい。上流にある関羽の手勢は、ただちに土囊の堰を切って落とし、いっせいに、激水と共に攻めかかれ。──更に、張飛は千余騎をひっさげて、白河の渡口に兵を伏せ、関羽と一手になって曹操の中軍を完膚なきまで討ちのめす事」
孔明のひとみは、関羽から張飛の面へ移って言いつける。張飛はらんとした眼をかがやかして、大きくそれへ頷く。
「趙雲やある!」
孔明が、名を呼んだ。
諸将のあいだから趙雲は、おうっと答えながら、一歩前へ出た。
「御辺には、兵三千を授ける」
孔明は厳かに言って、
「──乾燥した、柴、蘆、茅など充分に用意されよ。硫黄煙硝をつつみ、新野城の楼上へ積みおくがよい。明日の気象を考えるに、おそらく暮れ方から大風が吹くであろう。勝ち驕った曹操の軍は、風と共に、やすやすと、陣を城中にうつすは必然である。──時に御辺は、兵を三方にわけて、西門北門南門の三手から、火矢、鉄砲、油礫などを投げかけ、城頭一面火焰と化すとき、いっせいに、兵なき東の門へ駆け迫れ。──城内の兵は周章狼狽、ことごとくこの門から逃げあふれて来るであろう。その混乱を存分に討って、よしと見たらすぐ兵を引っ返せ。白河の渡口へ来て関羽、張飛の手勢と合すればよい。──そして樊城をさして急ぎに急げ」
あらましの指令を終わった。命をうけた諸将は勇躍して立ち去ったが、なお糜芳、劉封などが残っていた。
「二人には、これを」と孔明は、特に近く呼んで、糜芳へは紅の旗を与え、劉封には青い旗を渡した。いかなる計を授けられたか、その二将もやがて各々千余騎をしたがえて、──新野を距ること約三十里、鵲尾坡の方面へ急いで行った。
三
曹操はなおその総軍司令部を宛城において、情勢を大観していたが、曹仁、曹洪を大将とする先鋒の第一軍十万の兵は、許褚の精兵三千を加えて、その日すでに、新野の郊外まで殺到していた。
一応、そこで兵馬を休ませたのが、午のころであった。
案内者を呼びつけて、
「これから新野まで何里か」と、訊くと、
「三十余里です」と、言う。
「土地の名は」と、いえば、
「鵲尾坡」と答えた。
そのうちに、偵察に行った数十騎が、引き返して来て言うには、
「これからやや少し先へ行くと、山に拠り、峰に沿って陣を取っている敵があります。われわれの影を見るや、一方の山では、青い旗を打ち振り、一方の峰では、紅の旗をもってそれに答え、呼応の形を示す有り様、何やら充分、備えている態が窺われます。どうもその兵力の程は察しきれませんが......」
許褚は、その報を、受けるやいな、自身、当たって見ると称して、手勢三千を率いて、深々と前進してみた。
鬱蒼とした峰々、岩々たる山やその尾根、地形は複雑で、容易に敵の態を見とどけることができない。しかし、たちまち一つの峰で、颯々と、紅の旗がうごいた。
「あ。あれだな」
凝視していると、また、後ろの山の肩で、しきりに青い旗を打ち振っているのが見える。何さま信号でも交わしている様子である。許褚は迷った。
山気は森として、鳴りをしずめている敵の陣容の深さを想わせる。──これは迂闊に懸かるべきでないと考えたので、許褚は、味方の者に、
「決して手出しするな」と、かたく戒め、ひとり駒を引き返して、曹仁に告げ、指令を仰いだ。
曹仁は一笑に付して、
「きょうの進撃は、このたびの序戦ゆえ、だれも大事を取るであろうが、それにしても、常の貴公らしくもない二の足ではないか。兵に虚実有り、実と見せて虚、虚と見せて実。いま聞く紅旗青旗の事なども、見よがしに、敵の打ち振るのは、すなわち、我をして疑わしめんがための計にちがいない。何のためらう事があろう」と、言った。
許褚は、ふたたび鵲尾坡から取って返し、兵に下知して、進軍をつづけたが、一人の敵も出て来ない。
「今に。......やがて?」と、一歩一歩、敵の伏兵を警戒しながら、緊張をつづけて進んだが、防ぎに出る敵も支えに立つ敵も現われなかった。
こうなると、張り合いの無いよりは一層、無気味な気抜けに襲われた。陽はいつか西山に沈み、山ふところは暗く、東の峰の一方が夕月に仄明るかった。
「やっ? ......。あの音は」
三千余騎の跫足がはたと止まったのである。耳を澄まして人々はその明るい天の一方を仰いだ。
月は見えないが水のように空は澄みきっていた。突兀と聳えている山の絶頂に、ひとりの敵が立って大擂を吹いている。......ぼ──うっ......ぼうううっ......と何を呼ぶのか、大擂の音は長い尾を曳いて、陰々と四山に谺してゆく。
「はてな?」
怪しんでなおよく見ると、峰の頂上に、やや平らな所があり、そこに一群の旌旗を立て、傘蓋を開いて対坐している人影がある。ようやく月ののぼるに従って、その姿はいよいよ明らかに見ることができた。一方は大将玄徳、一方は軍師孔明、相対して、月を賞し、酒を酌んでいるのであった。
「やあ、憎ッくき敵の応対かな。おのれ一揉みに」
許褚は愚弄されたと感じてひどく怒った。彼の烈しい下知に励まされて、兵は狼群の吠えかかるがごとく、山の絶壁へ取りすがったが、たちまちその上へ、巨岩大木の雨が幕を切って落とすように雪崩れて来た。
四
一塊の大石や、一箇の木材で、幾十か知れない人馬が傷つけられた。
許褚も、これは堪らないと、あわてて兵を退いた。そして、ほかの攻め口を尋ねた。
かなたの峰、こなたの山、大擂の音や金鼓のひびきが答え合って聞こえるのである。
「背後を断たれては」と、許褚はいたずらに、敵の所在を考え迷った。
そのうちに曹仁、曹洪などの本軍もこれへ来た。曹仁は叱咤して、
「児戯に類する敵の作戦だ。麻酔にかけられてはならん。前進ただ前進あるのみ」
と、遮二無二、猛進をつづけ、ついに新野の街まで押し入ってしまった。
「どうだ、この街の態は。これで敵の手のうちは見えたろう」
曹仁は、自分の達見を誇った。城下にも街にも敵影は見あたらない。のみならず百姓も商家もすべての家はガラ空きである。老幼男女はもとより嬰児の声一つしない死の街だった。
「いかさま、百計尽きて、玄徳と孔明は将士や領民を引きつれて、いち早く逃げのびてしまったものと思われる。──さてさて逃げ足のきれいさよ」と曹洪や許褚も笑った。
「追いかけて、殲滅戦にかかろう」という者もあったが、人馬もつかれているし、宵の兵糧もまだつかっていない。こよいは一宿して、早暁、追撃にかかっても遅くはあるまいと、
「やすめ」の令を、全軍につたえた。
そのころから風が募り出して、暗黒の街中は沙塵がひどく舞った。曹仁、曹洪等の首脳は城に入って、帷幕のうちで酒など酌んでいた。
すると、番の軍卒が、
「火事、火事」
と、外で騒ぎ立てて来た。部将たちが、杯をおいて、慌てかけるのを、曹仁は押し止めて、
「兵卒どもが、飯を炊ぐ間に、誤って火を出したのだろう。帷幕で慌てなどすると、すぐ全軍に影響する。躁ぐに及ばん」と、余裕を示していた。
ところが、外の騒ぎは、いつまでも熄まない。西、北、南の三門はすでにことごとく火の海だという。追い追い、炎の音、人馬の跫足など、ただならぬものが身近に迫って来た。
「あっ敵だっ」
「敵の火攻めだっ」
部将のさけびに曹洪、曹仁も胆を冷やして、すわとばかり出て見たときは、もう遅かった。
城中は濛々と黒煙につつまれている。馬よ、甲よ、矛よ、とうろたえ廻る間にも、煙は眼をふさぎ鼻をつく。
更に、火は風を喚び、風は火を呼び、四方八面、炎と化したかと思うと、城頭に聳えている三層の殿楼やそれに聯なる高閣など、一度に轟然と自爆して、宙天には火の柱を噴き、大地へは火の簾を降らした。
わあっと、声をあげて、西門へ逃げれば西門も火。南門へ走れば南門も火。こは堪らじと、北門へ雪崩れを打ってゆけば、そこも大地まで燃え旺っている。
「東の門には、火がないぞ」
だれいうとなく喚きあって、幾万という人馬がわれ勝ちに一方へ押し流れて来た。互いに手脚を踏み折られ、頭上からは火の雨を浴び、焼け死ぬ者、幾千人か知れなかった。
曹仁、曹洪等は、からくも火中を脱したが、道に待っていた趙雲に阻まれて、さんざんに打ちのめされ、あわてて後ろへ戻ると、劉封、糜芳が一軍をひきいて前を立ち塞いだ。
「これは?」と仰天して、白河のあたりまで逃げ走り、ほっと一息つきながら、馬にも水を飼い、将士も争って、河の水を口へ掬いかけていたが、──かねて上流に埋伏していた関羽の一隊は、その時、遠く兵馬のいななきを耳にして、
「今だ!」
と、孔明の計を奉じて、土囊の堰をいっせいに断った。さながら洪水のような濁浪は、闇夜の底を吠えて、曹軍数万の兵を雑魚のように呑み消した。
亡流
一
渦まく水、山のような怒濤、そして岸搏つ飛沫。この夜、白河の底に、溺れ死んだ人馬の数はどれほどか、その大量なこと、測り知るべくもない。
堰を切り、流した水なので、水勢は一時的ではあった。しかしなお、余勢の激流は滔々と岸を洗っている。
僥倖にも曹仁、曹洪の二大将は、この大難からからくも遁れて、博陵の渡口まで逃げて来たが、たちまち一彪の軍馬が道を遮断して呼ばわった。
「曹軍の残兵ども、どこへ落ちてゆくつもりだ。燕人張飛がこれに待ち受けているのも知らずに」
ここでもまた、潰滅をうけて、屍山血河を作った。曹仁の身もすでに危うかったが、許褚が取って返し、張飛と槍を合わし、万死のうちから彼を救った。
張飛は、大魚を逸したが、
「ああ愉快、久しぶりで胸がすいたぞ。これくらい叩きのめせば、まずよかろう」
と、兵を収めて江岸をのぼり、かねて諜し合わせてある玄徳や孔明と一手になった。
そこには劉封、糜芳などが、船をそろえて待っていた。
玄徳以下の全軍が対岸へ渡り終わったころ、夜は白みかけていた。
孔明は、命を下して、
「船をみな焼き捨てろ」と、言った。
そして、無事、樊城へ入った。
この大敗北は、やがて宛城にいる曹操の耳に達した。曹操は、すべてが孔明の指揮にあったという敗因を聞いて、
「諸葛匹夫、何者ぞ」と、怒髪をたてて罵った。
すでに彼の大軍は彼の命を奉じて、新野、白河、樊城など、一挙に屠るべく大行動に移ろうとした時である。帷幕にあった劉曄が切にいさめた。
「丞相の威名と、仁慈は、北支においてこそ、遍く知られておりますが、──この地方の民心はただ恐れることだけを知って、その仁愛も、丞相を戴く福利も知りません。──故に玄徳は、百姓を手なずけて、北軍を鬼のごとく恐れさせ、老幼男女ことごとく民のすべてを引き連れて樊城へ移ってしまいました。──この際、お味方の大軍が、新野、樊城などを踏み荒らし、その武威を示せば示すほど、民心はいよいよ丞相を恐れ、北軍を敬遠し、その徳になつくことはありません。──民なければ、いかに領土を奪っても、枯れ野に花を求めるようなものでしょう。......如かず、ここはぜひ御堪忍あって、玄徳に使いを遣り、彼の降伏を促すべきではありますまいか。玄徳が降伏せねば、民心のうらみは玄徳にかかりましょう。そして荊州のお手に入るのは目に見えている。すでに荊州の経略が成れば、呉の攻略も易々たるもの。天下統一の御覇業は、ここに完きを見られまする。──何をか、一玄徳の小悪戯に関わって、あたら、貴重な兵馬を損じ、民の離反を求める必要がございましょうか」
劉曄の献言は大局的で、一時いきり立った曹操にも、大いに頷かせるところがあった。しかし曹操は、
「それなら一体だれを、玄徳のところへ使いに遣るか」
という事になお考えを残しているふうだった。
劉曄は一言のもとに、
「それは、徐庶が適任です」と、言った。
ばかを言え──といわぬばかりに曹操は劉曄の顔をしり目に見て、
「あれを玄徳の許へやったら、再び帰ってくるものか」
と、唇をむすんで、大きく鼻から息をした。
「いやいや、玄徳と徐庶との交情は、天下周知のことですが、それ故に、もし徐庶が御信頼を裏切って、この使いから帰らなかったりなどしたら、天下の物笑いになります。彼以外に、この使いの適任者はありません」
「なるほど、それも一理だな」
彼はすぐ幕下の群将のうちから、徐庶を呼び出して、厳かに、軍の大命をさずけた。
二
徐庶は、命を奉じて、やがて樊城へ使いした。
「なに、曹操の使いとして、徐庶が見えたと」
玄徳は、旧情を呼び起こした。孔明と共に堂へ迎え、
「かかる日に、御辺と再会しようとは」と嘆じた。
語りあえば、久闊の情は尽きない。けれど今は敵味方である。徐庶はあらためて言った。
「今日、それがしを向けて、あなたに和睦を乞わしめようとする曹操の本志は、和議にあらず、ただ民心の怨嗟を転嫁せんための奸計です。これに乗って、一時の安全をはかろうとすれば、おそらく悔いを百世に残しましょう。不幸、自分はあなたの敵たる陣営に飼われる身となり、今は老母も死してこの世にはありませんが、もしこの使いから帰らなければ、世人はそれがしの節操を疑い、かつ嘲り笑うでしょう。──ぜひもない宿命、ただ今の一言を呈したのみで立ち帰りまする」
と、すぐ暇を告げ、なお帰りがけにも繰り返して言った。
「逆境また逆境、さだめし今のお立場は御不安でしょう。しかし以前と事ちがい、ただ今では、君側の人に、諸葛先生がおられます。かならずあなたの抱く王覇の大業を扶け、やがて今を昔に語る日があることを信じております。それがしは老母も死し、何一つ世のために計ることもできない境遇に置かれていますが、ただひとつ、あなたの御大成を陰ながら念じ、またそれを楽しみにしていましょう。......では、くれぐれも御健勝に」
徐庶が帰って、曹操に返辞をするまでのあいだに、玄徳は、ふたたび、城を捨て、他に安らかな地を求めなければならなかった。
せっかく誘降の使いをやったのにそれを拒絶したという報告を聞けば、曹操はたちまち、
(民を戦禍に投じたものは玄徳である)
と、罪を相手になすって百万の軍に存分な蹂躙を命じ、颱風のごとく攻めて来ることはもう決定的と見られたからである。
「襄陽に避けましょう。この城よりは、まだ襄陽の方が、防ぐに足ります」
孔明のすすめに、もちろん、玄徳は異議もなかったが、
「自分を慕って、自分と共に、ここへ避難している無数の百姓たちをどうしよう」
と、領民の処置を案じて、決しきれない容子だった。
「君をお慕い申し上げて、君の落ち行く先なら、どこまでと従いて来る可憐な百姓どもです。たとえ足手纏いになろうと、引き具してお移りあるべきで御座いましょう」
孔明のことばに、玄徳も、
「さらば──」と、関羽に渡江の準備を命じた。
関羽は、江頭に舟をそろえ、さて数万の百姓をあつめて、
「われ等と共に、赴かんとする者は江を渡れ。あとに残ろうと思う者は、去って旧地の田を耕やすがいい」と、言い渡した。
すると、百姓老幼、みな声をそろえて、共に哭いて、
「これから先、たとえ山を
拓いて

い、石を
鑿って水を

むとも、
劉皇叔さまに従って参りとうございます。ついに
生命を失っても
使君(玄徳のこと)をお恨みはいたしません」と、いった。
そこで関羽は、糜竺、簡雍などと協力して、この澎大なる大家族を、次々に舟へ盛り上げては対岸へ渡した。
玄徳も、舟に移って、渡江しにかかったが、折もあれ、この方面へ襲せて来た曹軍の一手──約五万の兵が、馬けむりをあげて樊城城外から追いかけて来た。
「すわや、敵が」と聞くなり岸に群れ惑う者、舟の中に哭きさけぶ者、過って河中に墜ち入る者など、男女老幼の悲鳴は、水に谺して、思わず耳を掩うばかりだった。
「あわれや、無辜の民ぐさ達、我あらばこそ、このような禍をかける。──我さえなければ」
と、玄徳はそれを眺めて、身悶えしていたが、突然、舷に立って、河中に身を投げようとした。
三
左右の人々はおどろいて玄徳を抱きとめた。
「死は易く、生は難し。もともと、生きつらぬく道は艱苦の闘いです。多くの民を見すてて、あなた様のみ先へ遁れようと遊ばしますか」
と、人々に嘆き諫められて、玄徳もようやく死を思い止まった。
関羽は、逃げおくれた百姓の群れを扶け、老幼を守って後から渡って来た。かくてようやく皆、北の岸へ渡りつくや、休むまもなく、玄徳は襄陽へ急いだ。
襄陽の城には、先ごろから幼国主劉琮、その母蔡夫人以下が、荊州から移住している。玄徳は、城門の下に馬を立て、
「賢姪劉琮、ここを開けたまえ、多くの百姓どもの生命を救われよ」と、大音をあげた。
すると、答えはなくて、たちまち多くの射手が矢倉の上に現われて矢を酬いた。
玄徳につき従う数万の百姓群の上に、その矢は雨のごとく落ちて来る。悲鳴、慟哭、狂走、混乱、地獄のような悲しみに、地も空も晦くなるばかりだった。
ところが、これを城中から見てあまりにもその無情なる処置に義憤を発した大将があった。姓は魏延、字は文長、突如味方のなかから激声をあげて、
「劉玄徳は、仁人である。故主の墳墓の土も乾かぬうちに、曹操へ降を乞い、国を売るの賊、汝等こそけしからん。──いで、魏延が城門をあけて、玄徳を通し申さん」と、言い出した。
蔡瑁は仰天して、張允に、
「裏切り者を討て」と命じた。
時すでに、魏延は部下をひきいて、城門の方へ殺到し、番兵を蹴ちらして、あわや吊り橋を降ろし、
「劉皇叔! 劉皇叔! はやここより入り給え」
と、叫んでいる様子に、張允、文聘などが、争ってそれを妨げていた。
城外にいた張飛、関羽たちは、すぐさま馬を打って駆け入ろうとしたが、城中の空気、鼎の沸くごとく、ただ事とも思われないので、
「待て、しばし」と、急に押し止め、
「孔明、孔明。ここの進退は、どうしたらいいか」と、訊ねた。
孔明は、うしろから即答した。
「凶血が煙っています。おそらく同士打ちを起こしているのでしょう。しかし、入るべからずです。道を更えて江陵(湖北省・沙市、揚子江岸)へ行きましょう」
「えっ。江陵へ?」
「江陵の城は、荊州第一の要害、銭糧の蓄えも多い土地です。ちと遠くではありますが......」
「おお、急ごう」
玄徳が引っ返して行くのを見ると、日ごろ、玄徳を慕っていた戦中の将士は、争って蔡瑁の麾下から脱出した。折ふし城門の混乱に乗じて、彼のあとを追って行く者、引きも切らないほどだった。
そうした玄徳同情者のうちでも最も堂々たる名乗りをあげた魏延は、張允、文聘などに取り囲まれて、部下の兵はほとんど討たれてしまい、ただ一騎となって、巳の刻から未の刻のころまで、なお戦っていた。
そしてついに、一方の血路を斬りひらき、満身血となって、城外へ逸走して来たが、すでに玄徳は遠く去ってしまったので、やむなくひとり長沙へ落ちて、後、長沙の太守韓玄に身を寄せた。
さて、玄徳はまた、数万の百姓をつれて、江陵へ向かって行ったが何分にも、病人はいるし、足弱な女も多く、幼を負い、老を扶け、おまけに家財を携えて、車駕担輿など雑然と続いて行く始末なので道はようやく一日に十里(支那里)も進めば関の山という状態であった。
これには、孔明も困りはてて、ついに対策もないかのように、
「身をかくす一物もないこの平野で、もし敵につつまれたら、ほとんど一人として生きることはできますまい。もう御決断を仰がなければなりません」
と、眉に悲壮なものを湛えて玄徳にこう迫った。
四
落ちて行く敗残の境遇である。軍自体の運命すら危ないのに、数万人の窮民をつれ歩いていたのでは、
所
、行動の取りようもない。
「背に腹はかえられません」
孔明は諭すのであった。玄徳の仁愛な心はよくわかっているが、そのため、敵の殲滅に会っては、なんの意味もないことになる。
「ここは一時、涙をのんでも、百姓、老幼の足手まといを振り捨て、一刻もはやく江陵へ行き着いて、処置をお急ぎなさらなければ、ついに曹軍の好餌となるしかありますまい」
というのであった。
が──玄徳は依然として、
「自分を慕うこと、あたかも子が親を慕うようなあの領民を、なんで捨てて行かれようぞ。国は人をもって本とすという。いま玄徳は国を亡ったが、その本はなお我に有りといえる。──民と共に死ぬなら死ぬばかりである」と言って肯かなかった。
このことばを孔明から伝え聞いて、将士も涙を流し、領民もみな哭いた。
さらばと、──孔明もついに心をきめて、領民たちに相互の扶助と協力の精神を徹底させ、一方、関羽と孫乾に、兵五百を分けて、
「江夏におられる嫡子劉琦君のところへ急いで、つぶさに戦況を告げ、江陵の城へお出会いあるべしと、この書簡をとどけられよ」と、玄徳のてがみを授けて、援軍の急派をうながした。
さてまた。
曹操はその中軍を進めて、宛城から樊城へ移っていた。
入城を終わるとすぐ、書を襄陽へ送って、
「劉琮に対面しよう」と、申し入れた。
幼年の劉琮は
怖ろしがって、「行くのは

だ」と、言って
肯かない。そこで名代として、
蔡瑁、
張允、
文聘の三人が赴くことになったが、その際、劉琮へむかって、そっと、すすめたものがある。
「いま曹軍を不意に衝けば、きっと曹操の首を挙げることができます。すでに荊州は降参せりと、心に驕りきって油断しておりますから。──そこで、天下は荊州になびきましょう。こんな絶好な機会などというものは、二度とあるものではありません」
これが蔡瑁の耳に入ったので、調べてみると、王威の進言だとわかった。
蔡瑁は怒って、
「無用な舌を弄して、幼少の君を惑わすもの」
と、斬罪にしようとしたが蒯越のいさめに依って、ようやく事なく済んだ。
こんな内輪揉めがあったのも、過日来、玄徳同情者の裏切りや脱走が続いて以来その後も、藩論まちまちにわかれ、武官文官の抗争があり、それに閨閥や党派の対立もからまって、荊州は今や未曾有な動揺をその内部に蔵していたからである。
しかし蔡瑁は強引に、この内部混乱を、曹操との講和によって、率いて行こうと考えていた。──で、彼が曹操にまみえて、降伏の礼を執ることや、実に低頭百拝、辞色諂佞を極めたものだった。
曹操は、高きに陳座して、蔡瑁以下のものを、鷹揚に見おろしながら、
「荊州の軍馬、銭糧、兵船の量は、およそどのくらいあるのか」と、たずねた。
蔡瑁は、答えて、
「騎兵八万、歩卒二十万、水軍十万。また兵船は七千余艘もあり、金銀兵糧の大半は、江陵城に蓄え、そのほか各地の城にも、約一年余ずつの軍需は常備してあります」
と、つつむ所もなかった。
曹操は満足して、
「劉表は存命中、荊州王になりたがっていたが、ついに成らずに死んだ。自分から天子に奏請して、子の劉琮は、いつかかならず王位に封じてやるぞ」と、約束した。
五
この日、曹操はよほど大満悦だったとみえ、更に、蔡瑁を封じて、平南侯水軍大都督とし、また張允を助順侯水軍副都督に任命した。
ふたりは深く恩を謝して、自国の降服を、さながら自己の幸運のごとく欣然として帰って行った。
「丞相はあまりに人を識らなすぎる。あんな諂佞の小人に、高官を授けて、水軍を任せるおつもりだろうか」
彼等の帰ったあとで、慨然と、はばからずこう放言していた者は、荀攸であった。
曹操は、それを遠くで聞くと、ニヤと唇を歪めながら、筍攸の方を見て、
「われ豈人を識らざらんや!」と、耳あらば聞けと言わぬばかりに言い返した。
「わが手の兵は、すべて北国そだちの野兵ではないか。水利水軍の法、兵舷の構造改修など精しく知る者はほとんどない。いま仮に彼等を水軍の大都督副都督とするも、用がすめばいつでも首にしてしまえばいい。──さりとは、筍攸も、人の肚の見えないやつだ」
面と向かって言われたのとちがって、これはかえって耳に痛い。筍攸は閉口して、顔を赤らめながら姿をかくしてしまった。
一方、蔡瑁と張允は、襄陽へ帰るやいな、蔡夫人と劉琮のまえに出て、
「上々の首尾でした。やがてはかならず、朝廷に奏請して、あなた様を王位に封じようなどと──曹丞相は
上機
で申されました」などと
細々話した。
翌日、曹操は、襄陽へ入城すると布令て来た。蔡夫人は劉琮をつれて、江の渡口まで出迎え拝礼して、城内へみちびいた。
この日、襄陽の百姓は、道に香華をそなえて、車を拝し、荊州の文武百官もことごとく城門から式殿の階下まで整列して、曹操のすがたを拝した。
曹操は、中央の式殿に、悠揚と陣座をとって、腹心の大将や武士に、十重二十重、護られていた。
蔡夫人は、子の劉琮に代わって、故劉表の印綬と兵符とを、錦の布につつんで、曹操の手へあずけた。
「神妙である。いずれ、劉琮には、命じるところがあろう」
曹操は、それを納め、諸員、万歳を唱えて、入城の儀式はまず終わった。式がすむと彼は、まず荊州の旧臣中から蒯越をよび出して、
「予は、荊州を得たことを、さして喜ばんが、いま足下を得たことを衷心からよろこぶ」
と言って──江陵の太守樊城侯に封じた。
以下、旧重臣の五人を列侯に封じ、また王粲や傅巽を関内侯に封じた。
それから、ようやく、劉琮にむかって。
「あなたは、青州へ行くがよい。青州の刺史にしてあげる」と至極、簡単に命じた。
劉琮は、眉を悲しませて、
「わたくしは、官爵に望みはありません。ただいつまでも亡父の墳墓のあるこの国に居たい」
と、哀訴した。
曹操は、にべもなく、かぶりを振って、
「いやいや、青州は都に近い良い土地がら、御成人ののちは、朝廷へすすめて、官人にしてあげる用意じゃ、黙って赴かれるがいい」と、突っ放した。
ぜひもなく、劉琮は母の蔡夫人と共に、数日の後、泣く泣くも生まれ故郷の国土をはなれた。そして青州への旅へ立ったが、変わり易い人ごころというものか、随き従う供の者とて幾人もなく、ただ王威という老将が少しばかり郎党を連れて、車馬を守って行ったきりだった。
そのあとである。曹操はひそかに于禁をよんで、なにか秘密な命令をさずけた。于禁は屈強なものばかり五百余騎をひッさげて、直ちにあとを追いかけた。
ここ何川か、何とよぶ曠野か、名知らぬ草を、朱にそめて、悽愴な殺戮は、彼等の手によって決行された。──蔡夫人や劉琮の車駕へ、五百騎の兵が狼群のごとく嚙みついたと思うと、たちまち、昼間の月も血に黒ずんで、悲鳴絶叫が、水に谺し、野を駆けまわった。
老将王威もまた、大勢に囲まれて、あえなく討ち死にし、そのほか随身すべて、ひとりとして、生き残った者もなかった。
母子草
一
于禁は四日目に帰って来た。
そのあいだ曹操は落ち着かない容子に見えた。しきりに結果を待ちわびていたらしい。
「ただいま立ち帰りました。遠く追いついて、蔡夫人、劉琮ともに、かくのごとく、首にして参りました」
于禁の報告に接して、初めてほっとした態である。劉表の血族は、これでほぼ絶えたに近い、運の末こそ哀れである。──曹操は一言、
「よし」と言ったきりであった。
また彼は、多くの武士を
隆中に派して、
孔明の妻や弟などの身寄りを
議させていた。
曹操が孔明を憎むことはひととおりでなかった。
「草の根を分けても、彼の三族を捕らえて来い」
という厳命を発している。命をうけた部将たちは、手下を督励して、かの臥龍岡の旧宅をはじめ近村あまねく捜し求めたが、どうしても知れなかった。すでに孔明はこの事あるを知って、家族を三江のかなたへ晦まし、里人も皆、彼の徳になついているので、曹操の捕手にたいして、何の手懸かりも与えなかった。
こんな事に暇どっている一方、曹操は毎日、荊州の治安やら旧臣の処置やら、また賞罰の事、新令発布の事など、限りもない政務に忙殺されていた。
「丞相。──お茶など献じましょうか」と、ある折、侍側の荀攸は、わざと彼の繁忙を妨げて言った。
「茶か。そうだな、一ぷく喫しようか」
「忙裏の小閑は命よりも尊し──とか。こういう時、一喫の茶は、生命を潤します」
「ときに税務の処理は、片づいたか」
「税務よりは、もっと急がねばならない事がおありでしょう」
「何じゃ、そんなに急を要する事とは」
「玄徳以下の者が、ここを逃げ去ってから、もう十日余りとなります。彼等がもし江陵の要害に籠り、そこの金銀兵糧などを手に入れたらいかがなさいますか」
「あっ、そうだ!」
曹操は、突然、卓を打って突っ立ちながら、
「忙に趁われ、些末に拘泥しておって、つい大局を見失っていた。荀攸! なぜその方は、もっと早く予に注意しなかったのだ」
「──でも、当の敵を、お忘れあるはずはないと思っていましたから」
「ばかを言え。こう忙しくては、だれしも、つい忘れる事だってある。早く軍馬の用意を命じ玄徳を追撃させい」
「御命令さえ出れば、決してまだ手遅れではありません。玄徳は数万の窮民を連れているので、一日の行程わずか十里という歩み方です。鉄騎数千、疾風のごとく追わせれば、おそらく二日のうちに捕捉することができましょう」
荀攸はすぐ諸大将を城の内庭に集めた。令を下すべく曹操が立って見わたすところ、荊州の旧臣中では、ひとり文聘の姿だけが見えなかった。
「なぜ文聘はこれへ来ないか」
と、呼びにやると、ようやく文聘はあとから来て、列将の端に立った。
「何故の遅参か。申しひらきあらば言え」
曹操から譴責されて、文聘は、愁然とそれに答えた。
「理由はありません。ただ恥ずかしいのです。故劉表に託されて、自分は常に漢川の境を守り、もし、外敵の侵攻あるとも、一歩も敵に主君の地は踏ませじ──と誓っていたのに、事志とたがい、ついに、今日の現実に直面するに至りました。──その愧を思えば、なんで人より先に立って人なかへ出られましょう」
さしうつ向いて、文聘は涙をたれた。曹操は感動して、
「いまの言葉は、真に国へ奉じる忠臣の声である」
と言って、即座に彼の官職をひきあげて、江夏の太守関内侯とした。
そして、まず、玄徳追撃の道案内として、文聘にそれを命じ、以下の大将に鉄騎五千をさずけて、「すぐ行け!」とばかり急きたてた。
二
数万の窮民を連れ歩きながら、手勢はわずかに二千騎に足らなかった。
千里の野を、蟻の列が行くような旅だった。道の捗らないことはおびただしい。
「江陵の城はまだか」
「まだまだ道は半ばにすぎません」
襄陽を去ってから、日はもう十幾日ぞ。──こんな状態でいったらいつ江陵へ着くだろうと、玄徳も心ぼそく思った。
「さきに江夏へ援軍をたのみにやった関羽もあれきり沙汰がない。──軍師、ひとつ御身が行ってくれないか」
玄徳のことばに、孔明は、
「行ってみましょう。どんな事情があるかわかりませんが、この際は、それしか恃む兵力はありませんから」と、承知した。
「
御辺が参って、援軍を
乞えば、
劉琦君も決して

とは申されまい。──御辺の計らいで、継母
蔡夫人の難からのがれた事も覚えておられるだろうから......」
「では、ここでお別れしましょう」
孔明は兵五百をつれ、途中から道を更えて、江夏へいそいだ。
孔明と別れてから二日目の昼である。ふと、一陣の狂風に野をふりかえると、塵埃天日を掩い、異様な声が、地殻の底に鳴るような気がされた。
「はて、にわかに馬の嘶き躁ぐのは──そも、何の兆だろう」
玄徳がいぶかると、騎をならべていた糜芳、糜竺、簡雍等は、
「これは大凶の兆せです。馬の啼き声も常とはちがう」と呟いて、みな怖れ顫えた。
そして、人々みな、
「はやく、百姓どもの群れを捨て先へお急ぎなさらねば、御身の危急」
と、口を揃えてすすめたが、玄徳は耳にも入れず、
「──前の山は?」と、左右に訊いた。
「前なるは、当陽県の水、うしろなる山は景山といいます」
ひとりが答えると、さらばそこまでいそげと、婦女老幼の群れには趙雲を守りにつけ、殿軍には張飛をそなえて、更に落ちのびて行った。
秋の末──野は撩乱の花と丈長き草に掩われていた。日もすでに暮れかけると、大陸の冷気は星を研き人の骨に沁みてくる。啾々として、夜は肌の毛穴を凍らすばかりの寒さと変わる。
真夜中のころである。
ふいに、人の哭きさけぶ声が、曠野の闇をあまねく揺るがした。──と思うまに、闇の一角から、喊声枯れ葉を捲き、殺陣は地を駆って、
「玄徳を逃がすな」
と、耳を打って来た。
あなや! とばかり玄徳は刎ね起きて、左右の兵を一手にまとめ、生命をすてて敵の包囲を突き破った。
「わが君、わが君。──はやく東へ」
と、教えながら、防ぎ戦っている者がある。見れば、後陣の張飛。
「たのむぞ」
あとを任せて、玄徳は逃げのびたが、やがて南の方──長坂坡の畔りにいたると、ここに一陣の伏兵あって、
「劉予州、待ちたまえ、すでに御運のつきどころ、潔く御首をわたされよ」
と、道を阻めて、名乗り立った一将がある。
見れば、荊州の旧臣、文聘であった。彼は、義を知る大将と、かねて知っていた玄徳は、
「おう足下は、荊州武人の師表といわれる文聘ではないか。国難に当たるや直ちに国を売り、兵難に及ぶやたちまち矛を逆しまにして敵将に媚び、その走狗となって、きのうの友に咬みかかるとは何事ぞ。その武者振りの浅ましさよ。それでも足下は、荊州の文聘なるか」と、罵った。
──と、文聘は答えもやらず、面を赤らめながら遠く駆け走ってしまった。次に、曹操の直臣許褚が玄徳へ迫って来たが、その時はすでに張飛があとから追いついていたので、からくも許褚を追って、一方の血路を切りひらき、無二無三、玄徳を先へ逃がして、なお彼はあとに残って、奮戦していた。
三
しかし、張飛の力も、無限ではない。結局、一方の敵軍を、

い
止めているに過ぎない。
その間に、なおも、玄徳を目がけて、
「遁さじ」
「やらじ」
と、駆け追い、駆け争って来る敵は、際限もなかった。逃げ落ちて行く先々を、伏兵には待たれ、矢風は氷雨と道を横ぎり、玄徳はまったく昏迷に疲れた。睫毛も汗に濡れて、陽も晦い心地がした。
「ああ。──もう息もつけぬ」
われを忘れて、彼はあえて馬から辷り降りた。五体は綿のごとく知覚もない。
「......おお」
見まわせば、随き従う者どもも、百余騎しかいなかった。彼の妻子、老少を始め、糜竺、糜芳、趙雲、簡雍そのほかの将士はみなどこで別れてしまったか、ことごとく散り散りになっていたのである。
「百姓たちはどうしたか。妻子従者の輩も、一人も見えぬはいかにせしぞ。たとい木石の木偶なりと、これが悲しまずにおられようか」
玄徳はそう言って、涙を流し、果ては声をはなって泣いた。
──ところへ......糜芳が満身朱にまみれて、追いついて来た。身に立っている矢も抜かず、玄徳の前に膝まずいて、
「無念です。趙雲子龍までが心がわりして、曹操の軍門に降りました」
と、悲涙をたたえて訴えた。
「なに、趙雲が変心したと?」玄徳は、鸚鵡返しに叫んだが、すぐ語気を更えて、糜芳を叱った。
「ばかなことを! 趙雲とわしとは、艱難を共にして来た仲である。彼の志操は清きこと雪のごとく、その血は鉄血のような武人だ。わしは信ずる。なんで彼が富貴に眼を晦まされて、その志操と名を捨てよう!」
「いえいえ、事実、彼が味方の群れを抜けて、まっしぐらに、曹軍の方へ行くのを、この眼で見届けました。確かに見ました」
すると、横合いから、
「さてこそ。ほかにもそれを、見たという声が多い」
と、呶鳴って、糜芳のことばを、支持したものがある。
殿軍を果たして、今ここへ、追いついて来た張飛だった。
気の立ッている張飛は、眦を裂いて言う。
「よしっ。もう一度引っ返して、事実とあれば、趙雲を一鎗に刺し殺してくれねばならん。君にはどこぞへ身をかくして、しばしお体をやすめて居て下さい」
「否々、それには及ばぬ、趙雲は決してこの玄徳を捨てるような者ではない。やよ張飛、はやまったこと致すまいぞ」
「何の! 知れたものではない」
張飛はついに肯かなかった。
二十騎ばかりの部下をひきつれ、再びあとへ駆け出して行く。すると一河の水に、頑丈な木橋が架かっていた。
長坂橋──とある。
橋東の岸に密林があった。張飛は部下に何かささやいて、二十騎を林にかくした。部下は彼の策に従って、各々馬の尾に木の枝を結いつけ、がさがさと林の中をのべつ往来していた。
「どうだ、この計は。まさか二十騎とは思うまい。四、五百騎にも見えようが」
北叟笑みして、彼はただ一人、長坂橋の上に馬を立てた。そして大矛を小脇に横たえ、西の方を望んでいた。
──ところで、

の趙雲は、どうしたかというに。
彼は襄陽を立つときから、主君の眷属二十余人とその従者や──わけても甘夫人だの、糜夫人だの、また幼主阿斗などの守護をいいつけられていたので、その責任の重大を深く感じていた。
ところが、前夜の合戦と、それからの潰走中に、幼主阿斗、二夫人を始め、足弱な老幼は、あらかた闇に見失ってしまったのである。
趙雲たるもの、何で、そのまま先を急がれよう、彼は、血眼となって、
「君にお合わせする顔はない」
と、夜来、敵味方の中を、差別なく駆けまわって、その方々の行方をさがしていたのだった。
四
面目──面目──何の面目あってこのまま主君にまみえん?
「生命のある限りは」
と、趙雲は、わずか三十余騎に討ち減らされた部下と共に、幾たびか敵の中へ取って返し、
「二夫人はいずこ? 幼君はいずれにお在すぞ」
と、狂気のごとく、尋ねまわっていた。
そうして、四方八面、敵味方の境もなく、駆け巡っている野にはまた、数万の百姓が、右往左往、あるいは矢にあたり、石に打たれ、または馬に蹴られ、窪に転び落ちなど、さながら地獄図のような光景を描いていた。親は子を求め、子は親を呼び、女は悲鳴をあげて夫を追い、夫は狂奔して一家をさがし廻るなどと、その声は野に満ち、天を蔽うばかりである。
「──やっ? だれか」
草の根に血は溝をなして流れている。趙雲はふと見たものに、はっとして駒を下りた。
俯っ伏している武者がある。近づいて抱き起こしてみると、味方の大将、簡雍であった。
「傷は浅いぞ、おうッいッ、簡雍っ──」
簡雍は、その声に、意識づいて、急にあたりを見廻した。
「あっ、趙雲か」
「どうした? しっかりせい」
「二夫人は? ......。幼主、阿斗の君は、どう遊ばされたか?」
「それは、俺から聞きたいところだ。簡雍、おぬしはここまで御供して来たのか」
「むむ、これまで来ると、一彪の敵軍につつまれ、俺は敵の一将を討ち取って、御車の側へすぐ引っ返してきたが、時すでに遅しで」
「や。生け擒りとなられたか」
「いや二夫人には、阿斗の君を抱き参らせて、御車を捨て、乱軍の中を、逃げ走って行かれたと──部下のことばに、すわ御危急と、おあとを追って行こうとした刹那、流れ矢にあたったものか、後ろから斬りつけられたのか......その後は何もわからない、思うに、気を失って居たとみえる」
「こうしてはおられぬ。──簡雍、おぬしは君のおあとを慕って急げ」
と、趙雲は彼を扶けて、駒の背に搔い上げ、部下を付けて先へ送らせた。
そして、彼自身は、
「たとえ、天を翔け、地に入るとも、御眷族の方々を探し当てぬうちは、やわか再び、君の御馬前にひざまずこうぞ」と、いよいよ、鉄のごとき一心をかためて、長坂坡の方へ馬を飛ばしていた。
一隊の兵がうろうろしていた。手をあげて、
「趙将軍。趙将軍」と、彼を見かけて呼ぶ。
それは、車を推す役目の歩卒たちである。趙雲は、振り向きざま、
「夫人のお行方を知らぬか」と、たずねた。
車兵はみな指を南へさして、
「二夫人には、御髪をふりさばき、跣足のままで、百姓どもの群れに交じり、南へ南へ、人浪にもまれながら逃れておいでになりました」と、悲しげに訴えた。
「さては」と趙雲は、なおも馬を飛ばすこと宙を行くがごとく、百姓の群れを見るごとに、
「二夫人はお在さぬか。幼君はおいでないか」と、声を嗄らしながら駆けて行った。
するとまた、数百人の百姓老幼の一群に会った。趙雲が馬上から同じことばを声かぎり繰り返すとわっと泣き放ちながら、馬蹄の前に転び伏した人がある。
甘夫人であった。
趙雲は、あなやと驚いて、鎗を脇に挾んで鞍から飛び降りざま、夫人を扶け起こして詫びた。
「かかる難儀な目にお遭わせ申しましたのも、まったく臣の不つつかが致した事、何とぞお怺えくださいまし。してしてまた、糜夫人と阿斗の君のお二方には、いずこにおいで遊ばしますか」
「若君や糜夫人とも、初めはひとつに逃げのびていたが、やがて一手の敵兵に駆け散らされ、いつかはぐれてしもうたまま......」
涙ながら甘夫人が告げているまに、辺りの百姓たちはまた、騒然と群れを崩して、蜘蛛の子のように逃げ出した。
宝剣
一
曹仁の旗下で、淳于導という猛将があった。
この日、玄徳を追撃する途中、行く手に立ち塞がった糜竺と戦い、ついに糜竺を手捕りにして、自分の鞍わきに縛りつけると、
「きょう第一の殊勲は、玄徳を搦め捕る事にあるぞ。玄徳との距離はもう一息」
と、淳于導はなおも勢いに乗って、千余の部下を励ましながら、驟雨のごとくこれへ殺到して来たものだった。
逃げまどう百姓の群れには眼もくれず、淳于導は、趙雲のそばへ駆け寄って来た。玄徳の一将と見たからである。
「やあ、生け捕られたは、味方の糜竺ではないか」
趙雲は、その敵と鎗を交えながら、驚いて叫んだ。
猛将淳于導も、こんどの相手は見損なっていた。かなわじと、慌てて馬の首をめぐらしかけた刹那、趙雲のするどい鎗は、すでに彼の体を突き上げて、一旋! 血を撒きこぼして、大地へたたきつけていた。
残る雑兵輩を追いちらして、趙雲は糜竺を扶け下ろした。そして敵の馬を奪って、彼を搔き乗せ、また甘夫人も別な駒に乗せて、長坂橋の方へ急いだ。
──と。
そこの橋の上に、張飛が馬を立てていた。さながら天然の大石像でも据えてあるような構えである。ただ一騎、鞍上に大矛を横たえ、眼は鏡のごとく、唇は大きくむすんで、その虎髯に戦々と微風は横に吹いていた。
「やあっ。それへ来たのは、人間か獣か」
いきなり張飛が罵ったので、趙雲も憤ッとして、
「退がれっ。甘夫人の御前を──」と、叱りとばした。
張飛は、彼のうしろにある夫人の姿に、初めて気がついて、
「おお、趙雲。貴様は曹操の軍門に降伏したわけじゃなかったのか」
「何をばかな」
「いや、その

があったので、もしこれへ来たら、一
颯のもとに、
大矛の
餌食にしてやろうと、待ちかまえていたところだ」
「若君と二夫人のお行方をたずね、明け方から血眼に駆けまわり、ようやく甘夫人だけをお探し申して、これまでお送りして来たのだ。して、我が君には?」
「この先の木陰にしばし御休息なされておる。君にも、幼君や夫人方の安否をしきりとお案じなされておるが」
「さもあろう。では張飛、御辺は甘夫人と糜竺を守って、君の御座所まで送りとどけてくれ。それがしは、またすぐここから取って返して、なお糜夫人と阿斗の君をおたずね申して来る」
言い残すや否や、趙雲は、ふたたび馬を躍らせて、単騎、敵の中へ駆けて行った。
するとかなたから十人ほどの部下を従えた若い武者が、ゆったりと駒をすすめて来た。背に長剣を負い、手に華麗な鎗をかかえている容子、しかるべき一方の大将とは、遠くからすぐわかった。
趙雲はただ一騎なので、近づくまで、先では、敵とも気がつかなかったらしい。不意に名乗りかけられて若武者はひどく驚愕した。従者もいちどに趙雲をつつんだが、もとより馬蹄の塵にひとしい。たちまち逃げ散ってしまい、その主人たる若武者は、あえなく趙雲に討たれてしまった。
その際、趙雲は、
「や。いい剣を持っている」と、眼をつけたので、すぐ死骸の背から剣を奪りあげて検めてみた。
剣の柄には、金を沈めて、青釭の二字が象嵌されている。──それを見て、初めて知った。
「あ。この者が、曹操の寵臣、夏侯恩であったか」──と。
伝え聞く、侯恩は、かの猛将夏侯惇の弟であり、曹操の側臣中でも、もっとも曹操に愛されていた一名といえる。──その証拠には曹操が秘蔵の剣「青釭・倚天」の二振のうち、倚天の剣は、曹操みずから腰に帯していたが、青釭の剣は、侯恩に佩かせて、
「この剣に位負けせぬほどな功を立てよ」
と、励ましていたほどである。
二
青釭の剣。青釭の剣。
趙雲は狂喜した。
かかる有名な宝剣が、はからずも身に授かろうとは。
「これは、天授の剣だ」
背へ斜めにそれを負うやいな、趙雲はふたたび馬へ跳びのって、野に満つる敵の中へ馳駆して行った。
そのとき曹操の軍兵はすでに視野のかぎり殺到していた。逃げおくれた百姓の老幼や、離散した玄徳の兵を、殺戮して余すところがない。趙雲は義憤に燃ゆる眦をあげて、
「鬼畜め」
むらがる敵を馬蹄の下に蹂躙しながら、なおも、声をからして、
「お二方あっ。お二方はいずこに」
と、糜夫人と幼主阿斗の行方を尋ねまわっていた。
すでに八面とも雲霞のごとき敵影だったが、彼は還ることを忘れていた。すると、傷を負って、地に仆れていた百姓の一人が、むくと首を上げて、彼へ叫んだ。
「将軍将軍。その糜夫人かも知れませんよ。左の股を敵に突かれ、かなたの農家の破れ墻の陰へ、幼児を抱いて、仆れている貴婦人があります。すぐ行ってごらんなさい。つい今し方のことですから」
指さして教え終わると、そのまま百姓は息が絶えた。
趙雲は、飛ぶがごとく、かなたへ駆けて行った。なかば兵火に焼かれたあばら家が、裏の墻と納屋とを残して焦げていた。馬を降りて、あちこちを見まわしていると、破れ墻の陰で、幼児の泣き声がした。
「おうっ、和子様っ」
彼の声に、枯れ草を被って潜んでいた貴婦人は、児を抱いたまま逃げ走ろうとした。しかし身に深傷を負っているとみえて、すぐばたりと仆れた。
「糜夫人ではありませんか。家臣の趙雲です。お迎えに来ました。もう御心配はありません」
「......おお、趙雲でしたか。......うれしい。どうか、和子のお身をわが良人の許へ、つつがなく届けて下さい」
「もとよりのこと。いざ、あなた様にも」
「いいえ! ......」
彼女は、強くかぶりを振った。そして阿斗の体を、趙雲の手へあずけると、急に、張りつめていた気もゆるんだか、がくと俯して、
「この痛手、この痛手。......たとえふたたび良人の許へ還っても、もう妾の生命はおぼつかない。もし妾のために、将軍の馬を取ったら、将軍は和子を抱いて、敵の中を、徒歩で行かねばならないでしょう。......もう我が身などにかまわず、少しも早く和子のお身をこの重囲の外へ扶け出して下さい。それが頼みです。臨終の際のおねがいです」
「ええ! お気の弱い! たとえ馬はなくとも、趙雲がお護りして行くからには」
「オオ......喊の声がする。敵が近づいて来るらしい。趙雲、何でそなたは、大事な若君を預かりながら、なお迷っているか。早くここを去ってたも。......妾などは見捨てて」
「どうして、あなた様おひとりを、ここに残して立ち去れましょう。さ、その馬の背へ」
駒の口輪を取って引き寄せると、糜夫人は突如身をひるがえして、傍らの古井戸の縁へ臨みながら、
「やよ趙雲。その子の運命は将軍の手にあるものを。妾に心をかけて、手のうちの珠を砕いて賜るな」
言うやいな、みずから井戸の底へ、身を投げてしまった。
趙雲は、声をあげて哭いた。草や墻の板を投げ入れて、井戸を蔽い、やがて甲の紐を解いて、胸当ての下に、しっかと、幼君阿斗のからだを抱きこんだ。
阿斗は、時に、まだ三歳の稚さであった。
三
阿斗を甲の下に抱いて、趙雲が馬に跨がると、墻の外、附近の草叢などには早、無数の歩兵が這い寄って、
「この内に、敵方の大将らしいのがいる」
と、農家のまわりをひしひしと取り巻いていた。
──が、趙雲は、ほとんど、それを無視しているように、馬の尻に一鞭加え、墻の破れ目から外へ突き出した。
曹洪の配下で晏明という部将がこれへ来た先頭であった。晏明はよく三尖両刃の怪剣を使うといわれている。今や趙雲のすがたを目前に見るやいな、それを揮って、
「待てっ」と、挑み掛かったが、
「おれを遮るものはすべて生命を失うぞ」
と、趙雲の大叱咤に、思わず気も竦んだらしく、あっとたじろぐ刹那、鎗は一閃に晏明を突き殺して、飛電のごとく駆け去っていた。
しかし行く先々、彼のすがたは煙のごとく起こっては散る兵団に囲まれた。馬蹄のあとには、無数の死骸が捨てられ、悍馬絶叫、血は河をなした。
時に、一人の敵将が、背に張郃と書いた旗を差し、敢然、彼の道を塞いで、長い鎖の両端に、二箇の鉄球をつけた奇異な武器を携えて吠えかかって来た。それは驚くべき腕力と錬磨の技をもって、二つの鉄丸をこもごも抛げつけ、まず相手の獲物を絡め取ろうとする戦法だった。
「しまった」と、さしもの趙雲も、この怪武器には鎗を奪られ、更に応接の遑もないばかり唸り飛んで来る二箇の鉄丸にたじたじと後ずさった。
(──今は強敵と戦って、功を誇っている場合ではない。若君のお身をつつがなく主君へお渡し奉るこそ大事中の大事)
そう気づいたので趙雲は、急に馬を返して、張郃の猛撃を避けながら駆け出した。
と、見て、張郃は、
「口ほどもない奴、それでも音に聞こゆる趙雲子龍か。返せっ」
と、悪罵を浴びせながらいよいよ烈しく迫って来た。
趙雲の武運がつきたか、懐にある阿斗の薄命か。──あッと、趙雲の声が、突然、埃につつまれたと思うと、彼の体は、馬もろとも、野の窪坑に墜ち転んでいた。「得たり乎」と、張郃はすぐ馬上から前屈みに、一端の鉄丸を抛りこんだ。ところが、鉄丸は趙雲の肩を外れて坑口の土壁にぶすッと埋まった。
次の瞬間に、張郃の口から出た声は、ひどく狼狽した叫びだった。粘土質の土壁に深く入ってしまった鉄丸は、いかに彼の腕力をもって鎖を引っ張っても、容易に抜けないからであった。
その隙に、趙雲は躍り立って、
「天この若君を捨てたまわず、われに青釭の剣を貸す!」
と、歓喜の声をあげながら、背に負う長剣を引き抜くやいな、張郃の肩先から馬体まで、一刀に斬り下げて、凄まじい血をかぶった。
後に、語り草として、世の人はみなこう言った。
(──その折、坑のうちから紅の光が発し、張郃の眼が晦んだ刹那に趙雲は彼を仆した。これみな趙雲のふところに幼主阿斗の抱かれていたためである。やがて後に蜀の天子となるべき洪福と天性の瑞兆であったことは、趙雲の翔ける馬の脚下から紫の霧が流れたということを見てもわかる)
しかし、事実は、紫の霧も、紅の光も、青釭の剣があげた噴血であったにちがいない。けれどまた、彼の超人的な武勇と精神力のすばらしさは、それに蹴ちらされた諸兵の眼から見ると、やはり人間業とは思えなかったのも事実であろう。紅の光! ──それは忠烈の光輝だといってもいい。紫の霧! ──それは武神の剣が修羅の中に曳いて見せた愛の虹だと考えてもいい。
ともあれ、青釭の剣のよく斬れることには、趙雲も驚いた。この天佑と、この名剣に、阿斗はよく護られて、ふたたび千軍万馬の中を、星の飛ぶように、父玄徳のいる方へ、またたくうちに翔け去った。
長坂橋
一
この日、曹操は景山の上から、軍の情勢をながめていたが、ふいに指さして、
「曹洪、曹洪。あれはだれだ。まるで無人の境を行くように、わが陣地を駆け破って通る不敵者は?」
と、早口に訊ねた。
曹洪を始め、その他群将もみな手を眉に翳して、だれか彼かと、口々に言い囃していたが、曹操は焦れッたがって、
「早く見届けて来い」と、ふたたび言った。
曹洪は馬をとばして、山を降ると、道の先へ駆けまわって、彼の近づくのを見るや、
「やあ、敵方の戦将。ねがわくは、尊名を聞かせ給え」と、呼ばわった。
声に応じて、
「それがしは、常山の趙子龍。──見事、わが行く道を、立ち塞がんとせられるか」
と、青釭の剣を持ち直しながら趙雲は答えた。
曹洪は、急いで後ろへ引っ返した。そして曹操へその由を復命すると、曹操は膝を打って、
「さては、かねて聞く趙子龍であったか。敵ながら目ざましい者だ。まさに一世の虎将といえる。もし彼を獲て予の陣に置くことができたら、たとえ天下を掌に握らないでも、愁いとするには足らん。──早々、馬をとばして、陣々に触れ、趙雲が通るとも、矢を放つな、石弩を射るな、ただ一騎の敵、狩猟するように追い包み、生け擒ってこれへ連れて来いと伝えろ!」
鶴の一声である。諸大将は、はっと答えて、部下を呼び立てた。──たちまち見る、十数騎の伝令は、山の中腹から逆落としに駆け降ると、すぐ八方の野へ散って馬けむりをあげて行く。
真の勇士、真の良将を見れば、敵たることも忘れて、それを幕下に加えようとするのは、由来、曹操の病といっていいほどな持ち前である。
彼の場合は、士を愛するというよりも、士に恋するのであった。その情熱は非常な自己主義でもあり、盲目的でもあった。さきに関羽へ傾倒して、あとではかなり深刻に後悔の臍を嚙んでいるはずなのに、この日また常山の子龍と聞いて、たちまち持ち前の人材蒐集慾をむらむらと起こしたものであった。
趙雲にとって、また無心の阿斗にとって、これもまた天佑にかさなる天佑だったといえよう。
行く先々の敵の囲みは、まだ分厚いものだったが、趙雲は甲の胸当ての下に、三歳の子をかかえながら、悪戦苦闘、次々の線を駆け破って──敵陣の大旆を切り仆すこと二本、敵の大矛を奪うこと三条、名のある大将を斬り捨てることその数も知れず、しかも身に一矢一石をうけもせず、ついに、さしもの曠野をよぎり抜けて、まずはほっと、山間の小道まで辿りついた。
するとここにも、鍾縉、鍾紳と名乗る兄弟が、ふた手に分かれて陣を布いていた。
兄の縉は、大斧をよくつかい、弟の紳は方天戟の妙手として名がある。兄弟しめし合わせて、彼を挾み討ちに、
「のがれぬ所だ。はやく降れ」と喚きかかった。
更に、張遼の大兵、許褚の猛部隊も、彼を生け擒りにせんものと、大雨のごとく野を掃いて追って来た。
「──あれに追いつかれては」
と、趙雲も今は、死か生かを、賭するしかなかった。
おそらく彼にしても、この二将を斃したのが最後の頑張りであったろう。前後して縉と紳の二名を斬りすてたものの、気息は奄々とあらく、満顔全身、血と汗にまみれ、彼の馬もまたよろよろに成り果てて、からくも死地を脱することができた。
そしてようやく長坂坡まで来ると、かなたの橋上に、今なおただ一騎で、大矛を横たえている張飛の姿が小さく見えた。
「おおーいっ。張飛っ」
思わず声を振りしぼって彼が手をあげた時である。執念ぶかい敵の一群は、もう戦う力もない趙雲へふたたび後ろから襲いかかった。
二
「救えっ、救えっ張飛。おれを助けろっ──」
さすがの趙雲も、声あげて、橋の方へ絶叫した。
馬は弱り果てているし、身は綿のように疲れている。しかも今、その図に乗って、強襲して来たのは、曹軍の驍将文聘と麾下の猛兵だった。
長坂橋の上から、小手をかざして見ていた張飛は、月に嘯いていた猛虎が餌を見て岩頭から跳び降りて来るように、
「ようしっ! 心得た」
そこに姿が消えたかと思うと、はや莫々たる砂塵一陣、駆けつけて来るや否、
「趙雲趙雲。あとは引き受けた。貴様はすこしも早く、あの橋を渡れっ」と、吠えた。
たちまち修羅と変わるそこの血けむりを後にして、趙雲は、
「たのむ」
と一声、疲れた馬を励まし励まし、長坂橋を渡りこえて、玄徳の憩んでいる森陰までやっと駆けて来た。
「おうっ、これに──」
と、趙雲は、味方の人々を見ると、馬の背からどたっと辷り落ちて、その惨澹たる血みどろな姿を大地にべたと伏せたまま、まるで暴風のような大息を肩でついているばかりだった。
「オッ、趙雲ではないか。──して、その懐に抱えているのは何か」
「阿斗公子です......」
「なに、わが子か」
「おゆるし下さい。......面目次第もありません」
「何を詫びるぞ、さては、阿斗は途中で息が絶えたか」
「いや......、公子のお身はおつつがありません。初めのほどは火のつくように泣き叫んでおられましたが、もう泣くお力もなくなったものとみえまする。......ただ残念なのは糜夫人の御最期です。身に探傷を負うて、お歩きもできないので、それがしの馬をおすすめ申しましたが、否とよ、和子を護って賜れと、ひと声、仰せられながら、古井戸に身を投げてお果て遊ばしました」
「ああ、阿斗に代わって、糜は死んだか」
「井には、枯れ草や墻を投げ入れて、御死骸を隠して参りました。その母の御霊が公子を護って下されたのでしょう、それがしただ一騎、公子を懐に抱き参らせ、敵の重囲を駆け破って帰りましたが、これこのとおりに......」
と、甲の胸当てを解いて示すと、阿斗は無心に寝入っていて、趙雲の手から父玄徳の両手へ渡されたのも知らずにいた。
玄徳は思わず頰ずりした。あわれよくもこの珠のごときものに矢瘡ひとつ受けずにと......われを忘れて見入りかけたが、何思ったか、
「ええ、だれなと拾え」
と言いながら、阿斗の体を、毱のように草むらへ抛り投げた。
「あっ、何故に?」
と、趙雲も諸大将も、玄徳のこころを測りかねて、泣きさけぶ公子を、大地からあわてて抱き取った。
「うるさい、あっちへ連れて行け」
玄徳は言った。
更にまた言った。
「思うに、趙雲のごとき股肱の臣は、またとこの世で得られるものではない。それをこの一小児のために、危うく戦死させるところであった。一子はまた生むも、得られるが、良き国将はまたと得難い。......それにここは戦場である。凡児の泣き声はなおさら凡父の気を弱めていかん。故に抛り捨てたまでのことだ。諸将よ、わしの心を怪しんでくれるな」
「.........」
趙雲は、地に額をすりつけた。越えて来た百難の苦も忘れて、この君のためには死んでもいいと胸に誓い直した。原書三国志の辞句を借りれば、この勇将が涙をながして、
(肝脳地にまみるとも、この御恩は報じ難し)
と、再拝して諸人の中へ退がったと誌してある。
三
曹操は景山を降りた。
旗や馬幟の激流は、雲が谿間を出るように、銅鑼金鼓に脚を早め、たちまち野へ展がった。
そのほか、
曹仁、李典、夏侯惇、楽進、張遼、許褚、──などの陣々騎歩もすべてその方向を一にして、長坂坡へ迫って来た。
「趙雲の逃げて行った方角こそ、すなわち玄徳のいる所にちがいない」と、それに向かって、最後の殱滅を加え、存分な戦果を捕捉すべく、ここに全軍の力点が集中されたものらしい。
するとかなたから文聘とその手勢が、さんざんな態になって逃げ乱れて来た。仔細を問うと、
「長坂橋の畔まで、趙雲を追いかけて行ったところ、敵の張飛という者が、ただ一騎で加勢に駆けつけ、丈八の蛇矛をもって、八面六臂にふせぎ立て、ついに趙雲をとり逃がしたばかりか、味方の勢もかくのごとき有り様──」
と、いう文聘の話に、許褚、楽進、などみな歯がみをして、
「さりとは腑がいなき味方の弱腰。いかに張飛に天魔鬼神の勇があろうと、この大軍と丞相の威光を負いながら、追い崩されて帰るとは何事だ。いで、われこそ彼奴を──」
と、諸将は争って、橋のこなたまで殺到した。
そこの一橋こそ、河を隔てた敗敵にとっては、恃みの一線である。いかにここを防がんかと、さだめしひしめき合っているであろうと予想して来てみると──こはそもいかに、楊柳は風もなく垂れ、水は淙々と奏で、陽ざしもいと麗かな長橋の上に、ただ一騎の人影が、ぽつねんと、そこを守っているきりだった。
「......はてな?」
疑いながら、諸将は駒脚をなだめて、徐々と橋口へ近づいて行った。──見れば、丈八の矛を横たえ、盔を脱いで鞍に掛け、馬足をしっかと踏み揃えた大武者が、物も言わず、動きもせず、かっと、睨みつけていた。
「あっ、張飛だ」
「張飛」
思わず口々を洩れる声に──馬は怖れをなしたか、たじたじと、蹄を立てて後ろへ退がった。
「.........」
張飛はなお一言も発しない。双の眼は百錬の鏡というもおろかである。怒れる鬼髯は左右にわかれ、歯は大きな唇を嚙み、眉、眦、髪のさき、すべて逆しまに立って、天も衝かん形相である。
「あれか、燕人張飛とは」
「知れたもの。いかに張飛であろうと」
「敵は一騎だ」
「それっ」
と、諸将は互いに励ましあって、あわやどっと、その馬蹄を踏み揃えて橋板へかかろうとしたとき、
「待てっ」と、うしろで止めた者がある。一人の声ではない。李典、曹仁、夏侯惇など、ことごとく軍勢の中に揉まれて、その中に雄姿を見せていた。
「丞相の御命令だ。待てっ。はやまるなっ──」
続いて後ろのほうに聞こえる。諸将はさっと橋畔の左右へ道を開いた。どうどうと押し流れて来る軍馬も旗もみな橋口を余して河の岸を埋めた。
やがて、中央の一軍団は林のような旄旗と五彩幡をすすめて来た。中にも白旄黄鉞の燦々たる親衛兵にかこまれている白馬金鞍の大将こそ、すなわち曹操その人であろう、青羅の傘蓋は珠玉の冠のうえに高々と揺らいで、威風天地の色を奪うばかりだった。
「うかと、孔明の計にのるな、橋上の匹夫は敵の囮だ。対岸の林には兵がかくしてあるぞ」
と、曹操はまず、はやりたつ諸将を制してから、かっと、張飛をねめつけた。
四
張飛は動じる態もなかった。
かえって、全身に焰々の闘志を燃やし、炬のごとき眼を爛と射向けて、
「それへ来たものは、敵の総帥たる曹操ではないか。われこそは、劉皇叔の義弟、燕人張飛である。すみやかに寄って、いさぎよく勝負を決しろ」
と、呼ばわった。
声は長坂の水に谺し、殺気は落ちかかる雷のようであった。その凄まじさに、曹操の周囲を守っていた者どもは、思わず傘蓋を取り落としたり、白旄黄鉞などの儀容を崩して、あッとふるえ顫いた。
いや、その雷圧は、曹軍数万の上にも見られた。濤のような恐怖のうねりが動いたあと全軍ことごとく色を失ったかのようであった。
躁ぎ立つ諸将を顧みながら曹操は言った。
「今思い出した。そのむかし関羽がわれに言った言葉を。──自分の義弟に張飛というものがある。張飛にくらべれば自分のごときは言うに足らん。彼がひとたび怒って百万の軍中に駆け入るときは、大将の首を取ることも囊の中の物をさぐって取り出すようなものだ──予にそう言ったことがある。さだめし汝等も張飛の名は聞いていたろう。いや怖ろしい猛者ではある!」
そう言って、驚嘆している傍らから、突然、夏侯覇という一大将が、
「何をばさように恐れ給うか。曹軍の麾下にも張飛以上の者あることを、今ぞしかと御覧あれ」
と喚きながら、馬の蹄をあげて、だだだだっと、橋板を踏み鳴らして、張飛のそばへ迫りかけた。張飛はかっと口をあいて、
「孺子っ。来たかっ」
蛇矛横に揮って一颯の雷光を宙にえがいた。
夏侯覇は、とたんに胆魂を消しとばして、馬上からころげ落ちた。その有り様を見ると、数十万の兵はなお動揺した。曹操も士気の乱れを察し、にわかに諸軍へ、
「退けっ」
と、令して引っ返した。
退け──と聞くや軍兵はみな山の崩れるように先を争い合った。ふしぎな心理がいやが上にも味方同士を混乱に突き陥としてゆく。だれの背後にも張飛の形相が追い駆けて来るような気がしていた。鉾を捨て、鎗を投げ、あるいは馬に踏みつぶされ、阿鼻叫喚が阿鼻叫喚を作ってゆく。
そうなると、実際、収拾はつかないものとみえる。曹操自身すら、その渦中に巻きこまれ、馬は狂いに狂うし、冠の釵は飛ばすし、髪はみだれ、旗下どもは後先になり、いやもう散々な態であった。
ようやく、追いついて来た張遼が、彼の馬の口輪をつかみ止めて、
「これは一体、どうしたという事です。たかがただ一人の敵にこれほどまで、狼狽なさる必要はありますまいに」と、歯がみをしながら言った。
曹操は初めて、夢の覚めたような顔して、全軍の立て直しを命じた。そしてやや間が悪そうに、
「予が怖れたのは決して一人の張飛ではない。橋のかなたの林中に敵の埋兵がたえず騒めいていたので、また何か孔明が策を設けているのではないかと、きょうは大事を取って退却を命じたまでだ」
と、言った。
その時、彼のてれ隠しを救うにちょうどよい煙が揚がった。敵は長坂橋を焼き払って退いたというのである。そう聞くと曹操は、
「橋を焼いて逃げるようでは、やはり大した兵力は残っていないに相違ない。しまった、すぐ三ヵ所に橋を架け、玄徳を追いつめろ」と、号令を革めた。
玄徳主従とその残兵は、初め江陵へさして落ちて来たのであるが、こんな事情でその方角へは到底出られなくなったので、にわかに道を変更して、沔陽から漢津へ出ようと、夜も昼も逃げつづけていた。
一帆呉へ下る
一
玄徳の生涯のうちでも、この時の敗戦行は、大難中の大難であったといえるであろう。
曹操も初めのうちは、部下の大将に追撃させておいたが、
「今を措いて玄徳を討つ時はなく、ここで玄徳を逸したら野に虎を放つようなものでしょう」
と、荀彧等にも励まされてか、俄然数万騎を増派して、みずから下知に当たり、
「どこまでも」と、その急追を弛めないのであった。
ために玄徳は、長坂橋(湖北省、当陽、宜昌の東十里)附近でもさんざんに痛めつけられ、漢江の渡口まで追いつめられて来たころは、進退まったく谷まって、
「わが運命もこれまで──」と、観念するしかないような状態に陥っていた。
ところが、ここに一陣の援軍があらわれた。さきに命をうけて江夏へ行っていた関羽が、劉琦から一万の兵を借りることに成功して夜を日についで駆けつけ、漢江の近くでようやく玄徳に追いついて来たものであった。
「ああまだ天は玄徳を見捨て給わぬか」
こうなると人間はただ運命にまかせているしかない。一喜一憂、九死一生、まるで怒濤と暴風の荒海を、行くても知れず漂っているような心地だった。
「ともあれ、一刻も早く」と、関羽の調えてくれた船に乗って、玄徳たちは危ない岸を離れた。──その船の中で、関羽は糜夫人の死を聞いて、大いに嘆きながら、
「むかし許田の御狩に会し、それがしが曹操を刺し殺そうとしたのを、あの時、あなた様が強ってお止めにならなければ、今日、こんな難儀にはお会いなさるまいものを」
と、彼らしくもない愚痴をこぼすのを、玄徳はなだめて、
「いや、あの時は、天下のために、乱を醸すまいと思い、また曹操の人物を惜しんで止めたのだが──もし天が正しきを助けるものなら、いつか一度は自分の志もつらぬく時節が来るだろう」
と、言った。
するとその時、江上一面に、喊の声や鼓の音が起こって、河波をあげながらそれは徐々に近づいて来る様子だった。
「さては、敵の水軍」と玄徳も色を失い、関羽もあわてて、船のみよしに立って見た。
見ればかなたから蟻のような船列が順風に帆を張って来る。先頭の一艘はわけても巨大である。ほどなく近々と白波をわけて進んで来るのを見ると、その船上には、白い戦袍へ銀の甲鎧を扮装った清々しい若武者が立っていて、しきりとこちらへ向かって手を打ち振っている。
「叔父、叔父。御無事ですか。さきにお別れしたきり小姪の疎遠、その罪まことに軽くありません。ただ今、お目にかかってお詫び申すつもりです」
彼の声もやがて聞こえてきた。すなわち江夏城(武昌)から来た劉琦なのである。
玄徳、関羽のよろこびはいうまでもない。舷々相触れると、玄徳は琦の手をとって迎え入れ、
「よくこそ、私の危急に、駆けつけて下すった」と、涙にくれた。
また、数里江上を行くと、一
簇の兵船が飛ぶがごとく
漕ぎよせて来た。──一
艘の
舳には、
綸巾鶴氅の高士か武将かと疑われるような
風
の人物が立っていた、すなわち
諸葛亮孔明だった。
ほかの船には、孫乾も乗っていた。──一体どうしてここへは? 人々が怪しんで問うと、孔明は微笑して、
「およそこの辺にいたら、各々と落ち合えるであろうかと、夏口の兵を少し募って、お待ちしていただけです」と、あまり多くを語らなかった。
二
危急に迫って、援軍を恃んでも、援軍の間に合う場合は少ないものであるが、それの間に合ったのは、やはり孔明自身行って、関羽や劉琦をよく動かしたからであろう。
しかし、それを審さに語るとなると、自分の口から自分の功を誇るようなものになるので、孔明は、
「さし当たって、次の策こそ肝腎です。夏口(漢口附近)の地は要害で水利の便もありますから、ひとまず彼処の城にお入りあって、曹操の大軍に対し、堅守して時節を待たれ、また劉琦君にも江夏の城へお帰りあって、わが君と首尾相助けながら、共に武具兵船の再軍備にお励みあるが万全の計でしょう」と、まず将来の方針を示した。
劉琦は、同意したが、
「それよりも、もっと安全なのは、ひとまず玄徳どのを、私の江夏城へお伴れして、充分に装備をしてから、夏口へお渡りあってはいかがですか。──いきなり夏口へ入られるよりもその方が危険がないと思われますが」と、一応自分の考えも述べた。
玄徳も孔明も、
「それこそ、しかるべし」と、意見は一致し、関羽に手勢五千を付けて、先に江夏の城へ遣った。そして何等の異変もないと確かめて後、玄徳や孔明、劉琦などは前後して入城した。
こうして、すでに長蛇を逸し去った曹操は、ぜひなく途中に軍の行動を停止して、各地に散開した追撃軍を漢水の畔に糾合したが、
「他日、玄徳が江陵に入っては一大事である」
と、更に湖南へ下ってそこを奪い、一部の兵を留めて、すぐ荊州へ引っ返して来た。
荊州には、鄧義とか劉先などという旧臣が守っていたが、もう幼主劉琮は殺され、襄陽は墜ち、軍民すべて曹操の下に服してしまっているので、
「もはやだれのために戦おう」と、城門をひらいてことごとく曹操に降服してしまった。
曹操は荊州に居すわって、いよいよ対呉政策に乗り出した。
──呉をいかにするか。
これは多年の懸案である。しかもこの対策に成功しなければ、絶対に統一の覇業は完成しないのである。
「檄文を作れ」
荀攸に命じて、檄を書かせた。もちろんそれは呉へ送るものである。
いま、玄徳、孔明の輩は、その余命をわずかに江夏、夏口に拠せて、なお不逞な乱を企ておる。予、三軍をひきいて、疾くこれに游漁す。君も呉軍をひきいて、この快游を共にし給わずや。漁網の魚は、これを採って一盞の卓にのぼせ、地は割譲て、ながく好誼をむすぶ引き出物としようではないか。
という意味のものだった。
ただし曹操としても、こんな一片の文書だけで、呉が降参して来ようなどとは決して期待していない。いかなる外交もその外交辞令の手もとに、
(これがお

なら、またべつな
御挨拶をもって)と言える「実力」が
要る。彼は呉へ
檄を送ると同時に、その実力を水陸から南方へ展開した。
総勢八十三万の兵を、号して百万と称え、西は荊陜から東は蘄黄にわたる三百里のあいだ、烟火連々と陣線をひいて、呉の境を威圧した。
この時、呉主孫権も、隣境の変に万一あるをおそれて、柴桑城(廬山、鄱陽湖の東南方)まで来ていたが、事態いよいよただならぬ形勢となったので、
「今こそ、呉の態度を迫られる時が来た。曹操についたが得策か、玄徳と結んだがよいか。ここの大方針は呉の興亡を決するものだ。乞う、そちの信じるところを忌憚なく聞かしてくれい」
呉の大賢といわるる魯粛は、孫権からじきじきにこう問われた。
三
魯粛は慎重に、孫権の諮問にこたえた。
「劉表の喪を弔うという名目をもって、私が荊州へ御使に立ちましょう」
「......そして?」
「帰途ひそかに江夏へ赴き、玄徳と対面して、よく利害を説き、彼に援助を与える密約をむすんで来ます」
「玄徳を援助したら、曹操は怒って、いよいよ鋭鋒を呉へ向けて来るだろう」
「いや、ちがいます。玄徳の勢いが衰退したので、曹操はたちまち呉へ大軍を転じて来たものです。故に、玄徳が強力となれば、背後の憂えがありますから、曹操は決して、思い切った侵攻を呉へ試みることはできません」
魯粛は、なお説いて、
「私が御使に立てば、それらの大策の決定は後日に譲るまでも、とにかく荊州から江夏にわたる曹操、玄徳、両方の実状をしかとこの眼で見てくるつもりです。それも重要な前提ですから」
と、言った。
呉の国のうごきは今、呉自身の浮沈を決する時であると共に、曹操の大軍にも、江夏の玄徳の運命にも、こうして重大な鍵をもっていた。
江夏の城中にあっても、その事について、たびたび、評議するところがあったが、孔明はいつも、
「呉は遠く、曹は近く、結局われわれの抱く天下三分の理想──すなわち三国鼎立の実現を期するには、あくまで遠い呉をして近い曹操と争わせなければなりません。両大国を相搏たせて、その力を相殺させ、わが内容を拡充する。真の大策を行なうのはそれからでしょう」
と、至極、穏当な論を述べていた。
「だが、そううまく、こちらの望みどおりにゆけばよいが?」
と、これは、玄徳だけの懐疑ではない。だれしも一応はそう考える。
これに対して、孔明は、
「ごらんなさい。今にきっと呉から使者が来るにちがいありません。しかるときは、わたくし自身、一帆の風にまかせて、呉国へ下り、三寸不爛の舌をふるって、孫権と曹操を戦わせ、しかも江夏の味方は、そのいずれにも拠らず、一方の亡れるのを見てから、遠大にしてなお万全な大計の道をおとりになるようにして見せます。──戦わば必ず勝つ戦いを戦うこと、三歳の児童も知る兵法の初学です」
──こう聞いても、人々はなお釈然となれなかった。むしろ不安にさえなった。
「孔明は何か非常な奇蹟でもあらわれるのをそら恃みにして、あんな言を吐いているのではないか」
そう思われる節がないでもないからである。
ところが、その奇蹟は、数日の後、ほんとうに江夏を訪れて来た。
「呉主孫権の名代として、故劉表の喪を弔うと称し、重臣魯粛と申される方の船が、いま江頭に着きました」と、いう知らせが、江岸の守備兵から城中へ通達されて来たのである。
「どうして軍師には、この事あるを、ああ疾くからおわかりになっておられたのか?」
騒めく人々の問いに、孔明は、
「いかに強大な呉国でも、常勝軍と誇る曹兵百万が、南下するに会っては、戦慄せざるを得ないにきまっている。加うるに呉は富強ではあるが実戦の体験が少ない。境外の兵備の進歩やその実力を測り知っておらぬ。──で、ひとまずは、使者を派して、君玄徳を説きつけ、あくまで曹操の背後を衝かせて置くの策を考えるものと私は観た」と語り──また劉琦を顧みて、呉の孫策が死んだ時、荊州から弔問の使者が会葬に行ったか否かをたずねて、琦がその事なしと答えると、
「それごらんなさい。呉と荊州とは、累代の仇。今それをも捨てて使者をよこしたのは、喪を弔うの使ではなく、実は虚実をさぐるための公然たる密命大使であることが、その一事でも明らかでしょう」と、笑って説明した。
四
やがて魯粛は賓閣へ迎えられた。彼は、劉琦に弔慰を述べ、玄徳には礼物を贈って、
「呉主孫権からも、くれぐれよろしく申されました」
と、まずは型のごとき使節ぶりを見せた。
後、後堂で酒宴となり、こんどは玄徳から遠来の労をねぎらった。
魯粛は、酔い大いに発すると、玄徳へ向かってずけずけ訊ね出した。
「あなたは年来、曹操から眼の仇にされて、彼と戦いを繰り返しておいでだから、よく御存じであろうが──いったい曹操という者は、天下統一の大野心を抱いているのでしょうか、それとも慾心はただ自己の繁栄に止まっている程度でありましょうか」
「さあ? ......どうであろう」
「彼の帷幕ではいま、だれとだれとが、もっとも曹操に用いられておりましょうな」
「よく知らぬが」
「では──」と、魯粛はたたみかけて、
「曹操の持つ総兵力というものは、実際のところ、どのくらいでしょう」
「その辺も、よく弁えぬ」
何を問われても、玄徳は空とぼけていた。これは孔明の忠告に依るものだった。
魯粛は少し色をなして、
「新野、当陽そのほか諸所において、曹操と戦って来たあなたが、敵に就いて、何の知識もない理由はないでしょう」と、詰問ると、玄徳はなお茫漠たる面をして、
「いや、いつの戦いでも、こちらは、曹操来ると聞けば、逃げ走ってばかり居たので、委しいことはまったく不明です。ただ孔明なら少しは心得ているであろうが」
「諸葛亮はどこにおられますか」
「いま呼んでおひきあわせ致そうと考えていたところだ。だれか、孔明を召し連れて来い」
玄徳の命にひとりが立ち去って行くと、やがて孔明もここへ姿をあらわして、物柔らかに席に着いた。
「亮先生。──自分は先生の実兄とは、年来の親友ですが」と魯粛は、個人的な親しさを示しながら、彼に話しかけた。
「......ほ。兄の瑾をよく御存じですか」と、孔明もなつかしげに瞳を細めた。
「されば、このたびの門出にも、お会いして来ました。何やらお言伝でも承わって参りたいと存じたが、公の御使、わざと差し控えて来ましたが」
「いや、余事は措いて、時に、わが主玄徳におかれては、かねてより呉の君臣に交友を求め、相携えて曹操を討たんと欲しられていますが、貴下のお考えではいかがであろうか」
「さあ、重大ですな」
「自惚れではありませんが、呉もまたわれわれと結ばなければ、存立にかかわりましょう。もしわが主玄徳が、一朝に意気地を捨てて、曹操につけば、これ自己の保身としては、最善でしょうが、呉にとっては脅威でしょう。南下の圧力は倍加するわけですから」
ことばは鄭重だがその言外に大国の使臣を強迫しているのである。魯粛は恐れざるを得なかった。孔明のいうような場合が実現しない限りもないからである。
「自分は呉の臣ですが──劉皇叔のために──個人としてここだけの事を言えば、貴国の交渉いかんによっては、わが主孫権も決して動かないことはなかろうと信じられます。ただ、その使節は大任ですが」
「では、脈があるというわけですな」
「まあ、そうです。幸い、亮先生の兄上は、呉の参謀であり、主君の御信頼もふかいお方ですから、ひとつ先生自身、呉へ使いされたらどうかと思いますが」
側らで聞いていた玄徳は顔のいろを失った。呉の計略ではないかと考えたからである。魯粛がすすめれば勧めるほど、彼は許す気色もなかった。
孔明は、宥めて、
「事すでに急を要します。信念をもって行って来ます。どうかお命じください」
と、再三、許しを仰いだ。そして数日の後には、ついに魯粛と共に、下江の船に乗ることを得た。
舌戦
一
長江千里、夜が明けても日が暮れても、江岸の風景は何の変化もない。水は黄色く、ただ滔々淙々と舷を洗う音のみ耳につく。
船は夜昼なく。呉の北端、柴桑郡をさして下っている。──その途中、魯粛はひそかにこう考えた。
「

せても枯れても、
玄徳は一方の勢力にちがいない。その軍師たり
宰相たる重職にある
孔明が、身に一兵も伴わず、まったくの単身で、呉へ行くという意気は
蓋し容易な覚悟ではない。──察するに孔明は一死を胸にちかい、得意の弁舌をもって、呉を説かんとする秘策をもっているものであろう」
同船して、幾日かの旅を共にしているうち、彼は悲壮なる孔明の心事に同情をよせていた。けれどまた、
「もし、孔明に説かれて、主君孫権が玄徳のために曹操と戦うような場合に立ち到るときは──勝てばよいが、負けたらその罪は?」
と、責任が自分に帰してくることをも、多分に惧れずにいられなかった。
で、魯粛は、船窓の閑談中に、それとなく孔明に入れ智慧を試みたりした。
「先生。──先生が孫権とお会いになったら、かならずいろいろな質問が出ましょうが、曹軍の内容については、何事も知らぬ態をしておられた方が得策かも知れませんな」
「どうして?」
孔明は、魯粛の肚を読みぬいているように、にやにや笑っていた。
「いや、どうといって、べつに深い理由はありませんが、あまり詳しいことを述べると、そう敵の内容を審らかに知っているわけはないから、曹操と同腹して、呉を探りに来たのではないか──などと疑われる惧れもありますからな」
「ははは。そんなお人ですか、孫将軍は」
魯粛はかえって赤面した。到底他人の入れ智慧などにうごかされる人物ではないと観て、魯粛もその後は口を慎んだ。
やがて船は潯陽江(九江)の入り江に入り、そこから陸路、西南に鄱陽湖を望みながら騎旅をすすめた。
そして柴桑城街につくと、魯粛は孔明の身をひとまず客館へ案内して、自身はただちに城へ登った。
府堂のうちでは折しも文武の百官が集まって、大会議中のところだった。魯粛帰れり! とそこへ聞こえたので孫権は、
「すぐ、これへ」と、呼び入れて、彼にも当然、一つの席が与えられた。
孫権は、さっそく訊ねた。
「荊州の形勢はどうだった?」
「よくわかりません」
「なに、わからぬ。──はるばる、江を溯って、その地を通過しながら、何も見て来なかったのか」
「いささか、所感がないでもありませんが、それがしの視察は別に御報告申しあげます」
「むむ......そうか」
と、孫権もあえて追求しなかった。そして手許にあった檄文の一通を、
「これ見よ」といって、魯粛へ渡した。
曹操からの「最後通牒」である。われに降って共に江夏の玄徳を討つや。それとも、わが百万の大軍と相まみえて、呉国を強いて滅亡へ導くつもりなりや否や、即刻、回報あるべし──という強硬なる半面威嚇、半面懐柔の檄文だった。
「このための御評議中でございましたか」
「そうだ。......早朝から今にいたるまで」
「して、諸員の御意見は」
「いまなお、決しないが......満座の大半以上は、戦わぬがいいということに傾いておる」
そう言って、孫権がふたたび沈吟すると、張昭そのほかの重臣は皆、口を揃えて、
「もし、呉の六郡と、呉の繁栄とを安穏に保ち、いよいよ富強安民を計らんとするなれば、ここは曹操に降って、彼の百万の鋭鋒を避け、他日を期すしかありません」
と、不戦論を唱えた。
二
百万の陸兵だけならまだ怖れるに足らぬとしても、曹操の手には今、数千艘の水軍も調っている。水陸一手となって、下江南進して来た場合、それを防ぐには、呉の兵馬軍船も大半以上損傷されるものと覚悟しなければならない。
不戦論を主張する人々は、挙ってその非を鳴らした。
「たとえ勝ったところで、その消耗から来る国の疲弊は、三年や四年では取り返しつきますまい、降伏に如くなしです」
評議は長くなるばかりだ。孫権の肚はなお決まらないのである。彼はやや疲れを見せて、
「衣服を更えてまた聴こう」
と、席を立って殿裡へ隠れた。衣を更えるとは、休息の意味である。
魯粛はひとり彼に従いて奥へ行った。孫権は意中を察して、
「魯粛。そちは最前、別に意見があると言ったが、ここでなら言えるであろう。そちの考えではどうか」と、親しく訊ねた。
魯粛は、重臣間に行なわれている濃厚な不戦論に接して、反感を唆られていた。その気持は、孔明に抱いていた同情とむすびついて、勃然と、主戦的な気を吐くに至った。
「宿将や重臣の大部分が、言い合わせたように、我が君へ降参をおすすめする理由は、みな自己の保身と安穏をさきに考えて、君のお立場も国恥も大事と考えていないからです。──彼等としては、主君を更えて、曹操に降参しても、すくなくも位階は従事官を下らず、牛車に乗り、吏卒をしたがえ、悠々、士林に交遊して、無事に累進を得れば、州郡の太守となる栄達も約束されているわけです。それに反して、我が君の場合は、よく行っても、車一乗、馬数匹、従者の二十人も許されれば、降将の待遇としては関の山でしょう。もとより南面して天下の覇業を行なわんなどという望みは、もう死ぬまで持つことはできません」
当然、若い孫権は動かされた。彼はなお多分に若い。消極論には迷いを抱くが、積極性のある説には、本能的にも、血が高鳴った。
「なお詳しい事は、臣が江夏から伴れて来た一客を召して、親しくそれにお訊ね遊ばしてごらんなさい」
「一客とはだれか」
「諸葛瑾の弟、孔明です」
「お。臥龍先生か」
孫権も彼の名は久しく聞いている。しかも自分の臣諸葛瑾の弟でもある。さっそく会いたいと思ったが、しかし、その日の事もあるので評議は一応取り止め、明日また改めて参集すべし──と諸員へ言い渡した。
次の日の早朝、魯粛は、孔明をその客館へ誘いに行った。前の夜から報せがあったので、孔明は斎戒沐浴して、はや身支度をととのえていた。
「きょう呉君にお会いになって、曹操の兵力を問われても、あまり実際のところをお言いにならない方がよいと思います。何分、文武の宿老には、事勿れ主義の人物が大半以上ですから」
魯粛は、親切に囁いたが、孔明には、別に確たる自信があるもののごとく、ただ頷いて見せるだけだった。
柴桑城の一閣には、その日、かくと聞いて、彼を待ちかまえていた呉の
智囊と英武とが二十余名、
峩冠をいただき、衣服を正し、
白髯黒髯、
細眼巨眼、
軀肥大、各々異色のある威儀と沈黙を守って、
(さて。どんな人物?)と、言わぬばかりに居並んでいた。
孔明は、すがすがしい顔をして、魯粛に導かれて入って来た。そして居並ぶ人々へ、いちいち名を問い、いちいち礼を施してから、
「いただきます」
と、静かに客位の席へついた。
その挙止は縹渺、その眸は晃々、雲を凌ぐ山とも見え、山にかくされた月とも思われる。
(さてはこの人、呉を説いて、呉を曹操に当たらせんため──単身これへ来たものだな)
さすが呉国第一の名将といわれる張昭は、じろと瞬間に、そう観やぶっていた。
三
一同こもごもの挨拶がすむと、やがて張昭は、孔明に向かって言った。
「
劉予州が、先生の
草廬を三たびまで訪ねて、ついに先生の出廬をうながし、魚の水を得たるがごとし──と
歓ばれたという

は、近ごろの話題として、世上にも伝えられていますが、その後、
荊州も
奪らず、
新野も追われ、惨めな敗亡をとげられたのは一体どういうわけですか。われわれの期待は破られ、人みな不審がっておりますが」
皮肉な質問である。
孔明はじっと眸をその人に向け直した。
張昭は、呉の偉材だ。この人を説服し得ないようでは、呉の藩論をうごかすことは至難だろう。──そう胸には大事を期しながら、孔明はにこやかに、
「されば。──もしわが君劉予州が荊州を奪ろうとなされば、それは掌を反すよりた易いことであったでしょう。けれど君と故劉表とは同宗の親、その国の不幸に乗って、領地を横奪するがごとき不信は、余人は知らず、わが仁君玄徳にはよく為さりません」
「これは異なことを承わる。それでは先生の言行に相異があるというものだ」
「なぜですか」
「先生はみずから常に自分を春秋の管仲、楽毅に比していたそうですが、古の英雄が志は、天下万民の害を除くにあり、そのためには、小義私情を捨てて大義公徳に拠り、良く覇業統一を成しとげたものと存ずるが──いま劉予州をたすけて、今日の管仲たり楽毅たらんと任ずるあなたが、出廬たちまち前後の事情や私心にとらわれ、曹操の軍に遭うては、甲を投げ矛をすてて、僻地へ敗走してしまうなど、どう贔屓目に見てもあまり立派な図とは思われぬが」
「はははは」
孔明は昂然と笑って、
「いや、あなた方のお
眼に、そう映るのは無理もありません。
大鵬という鳥がある。よく万里を
翔破します。しかし大鵬の志は
燕雀の知る限りではない。古人も
曰っている──善人が
邦を治めるには百年を期して良く
残に
克ち
殺を去って
為す──と。たとえば重い病人を治すには、まず
粥を与え、
和らかな
薬餌から始める。そして
臓腑血気の
調うのを待って、徐々、強食をすすめ、
精薬をもってその病根を
断る。──これを逆にして、気脈もととのわぬ重態に、いきなり肉食猛薬を与えたら、病人の
生命はどうなりましょう。いま天下の大乱は、重病者の気脈のごとく、万民の窮状は、
瀕死の者の気息にも似ている。これを医し

さんに、何で短兵急にまいろうか。──しかも天下の医たるわが
劉予州の君には、
汝南の
戦にやぶれ、
新野の
僻地に
屈み、
城郭堅からず、
甲兵完からず、
粮草なお乏しき間に、曹操が百万の強襲をうけ給う。これに当たるはみずから死を求めるのみ。これを避けるは兵家の常道であり、まだ百年の大志を後に期し給うからである。──とはいえ、
白河の激水に、
夏侯惇、
曹仁の
輩を奔流の計に
弄び、
博望の
谿間にその
先鋒を焼き
爛らし、わが軍としては、
退くも堂々、決して醜い
潰走はしていません。──ただ
当陽の野においては、惨めなる離散を一時体験しましたが、これとて、新野の百姓老幼数万のものが、君の徳を慕いまいらせ、陸続ついて来たために──一日の行程わずか十里、ついに
江陵に入ることができなかった結果です。それもまた主君玄徳の仁愛を証するもので、恥なき敗戦とは意義が違う。むかし
楚の
項羽は戦うごとに勝ちながら、
垓下の一敗に
仆るるや、
高祖に
亡ぼされているでしょう。
韓信は高祖に仕え、戦えど戦えど、ほとんど、勝った
例のない大将であるが、最後の勝利は、ついに高祖のものとしたではありませんか。これ、大計というもので、いたずらに晴れの場所で雄弁を誇り、局部的な勝敗をとって功を論じ、
社稷百年の計を、
坐議立談するがごとき軽輩な人では、よく解することは出来ますまい」
ことばこそ爽やかなれ、面こそ静かなれ、彼の態度は、微塵の卑下も卑屈もなかった。
四
張昭は沈黙した。さしもの彼も心を取り挫がれたような面持ちに見えた。
一座やや白けたかと見えた時である。突として立った者がある。会稽郡余姚の人、虞飜、字は仲翔であった。
「率直にお訊ねするの不遜をおゆるしありたい。いま曹操の軍勢百万雄将千員、天下を一呑にせんがごとき猛威をふるっておるが、先生には何の対策か有る。乞う、吾々のために聴かせ給え」
「百万とは号すが、実数は七、八十万という所でしょう。それも袁紹を攻めては、その北兵を編入し、荊州を併せては、劉表の旧臣を寄せたもの、いわゆる烏合の勢です。何怖れるほどなものがありましょう」
「あははは。言われたりな孔明先生。あなたは新野を自燼し、当陽に惨敗し、危うく虎口をのがれたばかりではないか。その口で、曹操ごときは怖るるに足らんというのは、ちと可笑しい。耳を掩うて鈴を盗むの類だ」
「いや、わが劉予州の君に従う者は、少数ながら、ことごとく仁義の兵です。何ぞ、曹操が残暴極まる大敵に当たって、自ら珠を砕くの愚をしましょう。──これを呉に較べてみれば、呉は富強にして山川沃地広く、兵馬は逞しく、長江の守りは嶮。しかるにです、その国政にたずさわる諸卿等は、一身の安きを思うて国恥を念とせず、御主君をして、曹賊の軍門に膝を屈せしめようとしておられるではないか。──その懦弱、卑劣、これをわが劉予州の麾下の行動と較べたら、同日の談ではありますまい」
孔明の面は淡紅を潮している。言語は徐々、痛烈になって来た。
虞飜が口を閉じると、すぐまた、一人立った。淮陰の歩隲、字は子山である。
「孔明──」こう傲然呼びかけて、
「あえて訊くが、其許は蘇秦、張儀の詭弁を学んで、三寸不爛の舌をふるい、この国へ遊説しにやって来たのか。それが目的であるか」
孔明は、にこと顧みて、
「御辺は蘇秦、張儀を、ただ弁舌の人とのみ心得ておられるか。蘇秦は六国の印を佩び、張儀は二度まで秦の宰相たりし人、みな社稷を扶け、天下の経営に当たった人物です。さるを、曹操の宣伝や威嚇に乗ぜられて、たちまち主君に降服をすすめるような自己の小才をもって推し測り、蘇秦、張儀の類などと軽々しく口にするはまことに小人の雑言で、真面目にお答えする価値もない」
一蹴に言い退けられて、歩隲が顔を赤らめてしまうと、
「曹操とは、何者か?」と、唐突に問う者があった。
孔明は、間髪を容れず、
「漢室の賊臣」と、答えた。
すると、質問した沛郡の薛綜は、その解釈が根本的な誤謬であると指摘して、
「古人の言にも──天下は一人の天下に非ず、すなわち天下の天下である──と曰っておる。故に、堯も天下を舜に譲り、舜は天下を禹に譲っている。いま漢室の政命尽き、曹操の実力は天下の三分の二を占むるにいたり、民心も彼に帰せんとしておる。賊といわば、舜も賊、禹も賊、武王、秦王、高祖ことごとく賊ではないか」
「お黙りなさい!」
孔明は、叱って言う。
「御辺の言は、父母もなく君もない人間でなければ言えないことだ。人と生まれながら、忠孝の本を弁えぬはずはあるまい。曹操は相国曹参の後胤で、累世四百年も漢室に仕えてその禄を食みながら、いま漢室の衰えるを見るや、その恩を報ぜんとはせず、かえって、乱世の奸雄たる本質をあらわして簒虐を企む。──思うに御辺は天数循環の歴史を、現実の一人間の野望に附加して、強いて理由づけようとしておられるらしい。そういうお考え方もまた逆心と言える。借問す、貴下は、貴下の主家が衰えたら、曹操のように、たちまち主君の孫権をないがしろになされるか」
五
呉郡の陸績、字は公紀。
すぐ続いて、孔明へ論じかけた。
「いかにも、先生のいわるるとおり、曹操は相国曹参の後胤、漢朝累代の臣たること、まちがいない。──しかし劉予州はいかに。これは自称して、中山靖王の末裔とはいい給えど、きくならく、その生い立ちは、蓆を織り履を商うていた賤夫という。───これを較ぶるに、いずれを珠とし、いずれを瓦とするや。おのずから明白ではあるまいか」
孔明は、呵々大笑して、
「オオ君はその以前袁術の席上において、橘を懐に入れたという陸郎であるな。まず安坐してわが論を聞け。むかし周の文王は、天下の三分の二を領しながらも、なお殷に仕えていたので、孔子も周の徳を至徳だと称えられた。これあくまで君を冒さず、臣は臣たるの道である。──後、殷の紂王、悪虐のかぎりを尽くし、ついに武王立って、これを伐つも、なお伯夷、叔斉は馬をひかえて諫めておる。見ずや、曹操のごときは、累代の君家に、何の勲だになく、しかも常に帝を害し奉らん機会ばかり窺っていることを。家門高ければ高きほど、その罪は深大ではないか。見ずやなおわが君家劉予州を。大漢四百年、その間の治乱には、必然、多くの門葉御支族も、僻地に流寓し、あえなく農田に血液をかくし給うこと、何の歴史の恥であろう。時来って草莽の裡より現われ、泥土去って珠金の質を世に挙げられ給うこと、また当然の帰趨のみ。──さるを履を綯えばとて賤しみ、蓆を織りたればとて蔑むなど、そんな眼をもって、世を観、人生を観、よくも一国の政事に参じられたものではある。民にとって天変地異よりも怖ろしいものは、盲目な為政者だという。けだし尊公などもその組ではないか」
陸績は胸ふさがって、二の句もつげなかった。
昂然、また代わって立ったのは、彭城の厳畯、字は曼才。
「さすがは孔明、よく論破された。わが国の英雄、みな君の弁舌に掩われて顔色もない。そも、君はいかなる経典に依ってそんな博識になったか。ひとつその蘊蓄ある学問を聴こうではないか」
と、揶揄的に言った。
孔明は、気を揮って、それへ一喝した。
「
末
を論じ、枝葉をあげつらい、章句に
拘泥して日を暮らすは、世の腐れ儒者の
所為。何で国を
興し、民を安んずる大策を知ろう。漢の天子を創始した
張良、
陳平の
輩といえども、かつて経典に
精しかったということは聞かぬ。不肖孔明もまた、区々たる
筆硯のあいだに、白を論じ黒を評し、無用の
翰墨と貴重の日を費やすようなことは、その任でない」
「こは、聞き捨てにならぬことだ。では、文は天下を治むるに、無用のものといわれるか」
駁して来たのは、汝南の程秉であった。孔明は面を横に振りながら、
「早のみ込みをし給うな。学文にも小人の弄文と、君子の文業とがある。小儒はおのれあって邦なく、春秋の賦を至上とし、世の翰墨を費やして、世の子女を安きに惑溺させ、世の思潮をいたずらに濁すを能とし、辞々句々万言あるも、胸中一物の正理もない。大儒の業は、まず志を一国の本におき、人倫の道を肉づけ、文化の健全に華をそえ、味なき政治に楽譜を奏で、苦しき生活に潤いを齎し、暗黒の底に希望をもたらす。無用有用はおのずからこれを導く政治の善悪にあって、腐文盛んなるは悪政の反映であり、文事健調なる──その国の政道明らかなことを示すものである。──最前から各々の声音を通して、この国の学問を察するに、その低調、愍然たるものを覚ゆる。この観察は御不平であるや、いかに」
すでに満座声もなく、鳴りをひそめてしまったので、ここに至って、こう孔明の方から一問した。
けれど、それに対して、もう起って答える者のなかった時、沓音高く、ここへ入って来た一人物があった。
火中の栗
一
──一同、その沓音にふりかえって、だれかと見ると、零陵泉陵の産、黄蓋、字は公覆といって、いま呉の糧財奉行、すなわち大蔵大臣格の人物だった。
ぎょろりと、大堂を見わたしながら、天井を揺するような声で、
「諸公はいったい何しとるんかっ。孔明先生は当世第一の英雄じゃ。この賓客にたいし、愚問難題をならべ、無用な口を開いていたずらに腸を客に見するなど、呉の恥ではないか。主君のお顔よごしでもある。慎まれいっ」
そして孔明に向かっては、極めて慇懃に、
「最前からの衆臣の無礼、かならずお気にかけて給わるな。主君孫権には、疾くより清堂を浄めて、お待ちしておりまする。せっかくな金言玉論、どうかわが主君にお聴かせ下さい」
と、先に立って、奥へ案内して行った。
ばかな目を見たのは、
むきになって討論に当たった諸大将であった。もとよりこれは黄蓋が
叱ったわけではない。だれか孫権へ告げた者があって、孫権の考えから、賓客のてまえ、こう一同に言わざるを得なくなり、黄蓋が
旨をふくんで来たものにちがいない。何にせよ、それからの
鄭重なことは国賓を迎えるようであった。黄蓋と共に、
魯粛も案内に立ち、粛々、中門まで通って来ると、開かれたる
燦碧金爛の
門
のかたわらに、黙然、出迎えている一名の重臣があった。
「おお......」
「おお......」
孔明は、はたと足をとめた。
その人も、凝然と、彼を見まもった。
これなん、呉の参謀、孫権が重臣、そして孔明にとって実の兄たる諸葛瑾であった。
久しいかな、兄弟相距ち、また相会うこと。
幼い者が手をつなぎあって、老いたる従者や継母などと一緒に、遠く北支の空から南へ流れ流れて来たころの、あの時代のお互いのすがたや、惨風悲雨の中にあった家庭のさまが、瞬間、ふたりの胸にはこみあげるように思い出されていたにちがいない。
「亮。この国へ見えられたか」
「主命をおびて罷り越しました」
「見ちがえるほどになった」
「家兄にも......」
「呉へ来たなら、なぜ早く、わしの邸へ訪ねてくれなかったか。旅舎からちょっと沙汰でもしてくれればよかったのに」
「このたびの下江は、劉予州の御使として来ましたので、わたくしの事は、すべて後にと控えていました。御賢察くださいまし」
「それも道理。──いやいずれ後でゆるりと会おう。呉君にもお待ちかねであらせられる」
諸葛瑾は、呉の臣に返って、恭しく賓客を通し、飄として、立ち去った。
豪壮華麗な大堂がやがて孔明の目前にあった。珠欄玉階、彼の裳は、一歩一歩のぼってゆく。
やおら身を搔い起こして、それへ立ち迎えに出て来たのは、呉主孫権であるこというまでもない。
孔明は、ひざまずいて再拝した。
孫権は鷹揚に、半礼を返し、
「まず......」
と、座へ請じた。
その上座を固く辞して、孔明は横の席へ着いた。
そして
玄徳からの礼辞を述べた。
声音すずやかで言葉にもむだがない。対する者をして何かしら快い感じを抱かせるような風が

み取られる。
「遠路、おつかれであろう」
孫権はねぎらう。
文武の大将は遠く排列して、ただひそやかに一箇の賓客を見まもっている。
孔明の静かなひとみは、時折、孫権の面にそそがれた。
孫権の人相をうかがうに碧瞳紫髯──いわゆる眼は碧にちかく髯は紫をおびている。漢人本来の容貌や形態でない。
また腰かけていると、その上軀は実に堂々と見えるが、起つと腰から下がはなはだ短い。これも彼の特徴であった。
孔明は、こう観ていた。
(これはたしかに一代の巨人にはちがいない。しかし感情昂く、内は強情で、精猛なかわりに短所も発し易い。この人を説くには、わざとその激情を励ますのがよいかも知れぬ)
二
香りの高い茶が饗された。
孫権は、孔明にすすめながら、共に茶を啜って、
「新野の戦はどうでした。あれは先生が劉予州を扶けて戦った最初のものでしょう」
「敗れました。兵は数千に足らず、将は五指に足りません。また新野は守るに不適当な城地ですから」
「いったい曹操の兵力は──実数はです──どのくらいのところが本当でしょう」
「百万はあります」
「そう号しているのですな」
「いや、確実なところです。北の青州、兗州を亡ぼした時、すでに四、五十万はありました。更に、袁紹を討って四、五十万を加え、中国に養う直属の精鋭は少なくも二、三十万を下るまいと思われます。私が百万と申しあげたのは、この国の方々が、曹操の実力百五、六十万ありと言ったら驚かれて気も萎えてしまうであろうと、わざと少なく評価してお答えいたしたのです」
「それに臨む帷幕の大将は」
「良将二、三千人。そのうち稀代の智謀、万夫不当の男など、選りすぐっても四、五十人は数えられましょう」
「先生のごとき人は?」
「私ごときものは、車に積み、枡で量るほどいます」
「いま、曹操の陣容は、どこを攻めるつもりであろうか」
「水陸の両軍は、江に添って徐々南進の態勢にあります。呉を図らんとする以外、どこへあの大量な軍勢の向け場がありましょうや」
「呉は、戦うべきか、戦わないがよいか」
「は、は、ははは」
ここで孔明は軽く笑った。
ほいと、交わされたかたちである。孫権は気がついたもののごとく、急に慇懃の辞をかさねて、
「──実は、魯粛が先生の徳操を称えること非常なもので、予もまた、久しく御高名を慕うていたところなので、ぜひ今日は、金玉の名論に接したいと考えていたのです。願わくは、この大事に当たってとるべき呉の大方向を御垂示にあずかりたい」
「愚存を申しあげてもよいと思いますが、しかしおそらく将軍のお心にはかないますまい。お用いなき他説をお聴きになっても、かえって迷う因ではありませんか」
「ともあれ拝聴しましょう」
「では忌憚なく申しあげる。──四海大いに乱るるの時、家祖、東呉を興したまい、いまや孫家の隆昌は、曠世の偉観といっても過言ではありません。一方、わが劉予州の君におかれても、草莽より身を起こし、義を唱え、民を救い、上江遠からず曹操の大軍と天下をあらそっています。これまた史上未曾有の壮挙にあらずして何でしょう。しかるに、恨むらくは、兵少なく、地利あらず、いま一陣にやぶれて、臣孔明に万恨を託され、江水の縁を頼って、呉に合流せんことを衷心希っているわけであります。──もし閣下が、偉大なる父兄の創業をうけて、その煌々たるお志をも統がんと欲するなれば、よろしくわが劉予州と合して、呉越の兵をおこし、天下分目のこの秋に臨んで、即時、曹操との国交をお断ちなさい。......またもしそのお志なく、到底、曹操とは天下を争うほどな資格はないと、御自身、諦めておいでになるなら、なおほかに一計が無きにしもあらずです。それは簡単です」
「戦わずに、しかも国中安穏にすむ、良い計策があるといわるるか」
「そうです」
「それは」
「降服するのです」
「降服」
「そのお膝をかがめて、曹操の眼の下に、憐れみを乞えば、これは呉の諸大将が閣下へすすめているとおりになる。甲を脱ぎ、城を捨て、国土を提供して、彼の処分にまかせる以上、曹操とても、そう涙のないことはしないでしょう」
「............」
孫権は、黙然と首を垂れていた。父母の墳に額く以外には、まだ他人へ膝をかがめたことを知らない孫権である。──孔明はじっとその態を見つめていた。
三
「閣下。おそらくあなたのお心には」──孔明はなお言った。孫権の俯向いている上へ、言いかぶせるように言った。
「大きな誇りをお持ちでしょう。またひそかには、男児と生まれて、天下の大事を争うてみたいという壮気も疼いておられましょう。......ところが呉の宿将元老ことごとく不賛成です。まず安穏第一とおすすめ申しあげておる。閣下の胸中も拝察できます。──けれど事態は急にしてかつ重大です。もし遅疑逡巡、いたずらに日をすごし、決断の大機を失い給うようなことに至っては、禍の襲い来ること、もう遠い時期ではありませんぞ」
「............」
孫権はいよいよ黙りこむ一方であった。孔明はしばらく間をおいてまた、
「何よりも、国中の百姓が、塗炭の苦しみをなめます。閣下のお胸ひとつのために。──戦うなら戦う、これも可し、降参するならする、これまた可しです。いずれとも、早く決することです。同じ降参するなら、初めから恥を捨てた方が、なお幾分、あなたに残されるものが残されるでしょう」
「......先生っ」と、孫権は面をあげた。内に抑えつけていた憤懣が眼に出ている、唇に出ている、色に出ている。
「先生の言を聞いておると、他人の立場はどうにでも言える──という俗言が思い出される。言わるるごとくならば、なぜ先生の主、劉予州にも降服をすすめられぬか。予以上、戦っても勝ち目のない玄徳へ、その言そのままを、献言されないか」
「いみじくも申された。むかし斉の田横は、一処士の身にありながら、漢の高祖にも降らず、ついに節操を守って自害しました。いわんやわが劉予州は、王室の宗親。しかもその英才は世を蓋い、諸民の慕うこと、水に添うて魚の遊ぶがごときものがある。勝敗は兵家のつね、事成らぬも天命です。いずくんぞ下輩曹操ごときに降りましょうや。──もし私が、閣下へ申しあげたような言をそのままわが主君へ進言したら、たちどころに斬首されるか、醜き奴と、生涯蔑まれるにきまっております」
言い終わらないうちである。
孫権は急に顔色を変えて、ぷいと席を起ち、大股に後閣へ立ち去ってしまった。
小気味よしと思ったのであろう。屛立していた諸大将は不しつけな眼や失笑を孔明に投げながらぞろぞろと堂後へ隠れた。
ひとり魯粛はあとに残って、
「先生。何たる事です」
「何がですか」
「あれほど私が忠告しておいたのに、私があなたに寄せた同情はだいなしです。あんな不遜な言を吐かれたら孫将軍でなくても怒るにきまっています」
「あははは。何が不遜。自分はよほど慎んで言ったつもりなのに。──いやはや、大気な人間を容れる雅量のないおひとだ」
「では別に何か先生には、妙計大策がおありなのですか」
「もちろん。──なければ、孔明のことばは、空論になる」
「真に大計がおありならば、もう一応、主君にすすめてみますが」
「気量のものを容れる寛度をもって、もし請い問わるるならば、申してもよい。──曹操が百万の勢も孔明から言わしめれば、群らがれる蟻のようなものです。わが一指をさせば、粉々に分裂し、わが片手を動かさば、大江の水も逆巻いて、立ちどころに彼が百船も呑み去るであろう」
炯々たる眸は天の一角を射ていた。魯粛は、その眸を、じっと見て、狂人ではないことを信念した。
孫権のあとを追って、彼は後閣の一房へ入った。主君は衣冠を更えている。魯粛はひざまずいて、再度すすめた。
「御短慮です。まだ孔明は真に腹臓を吐露してはおりません。曹操を討つ大策は、軽々しく言わぬと言っています。そしてまた、何ぞ気量の狭い御主君ぞと、大笑していました。......もう一度、彼の胸を叩いてごらん遊ばしませ」
「なに、予のことを、気量の狭い主君だと言っていたか」
孫権は、王帯を佩きながら、ふと面の怒気をひそめていた。
四
重大時期だ。国土の興亡のわかれめだ。孫権は、努めて思い直した。
「魯粛。もう一度、孔明にその大策を質してみよう」
「ああ、さすがは。──よくぞ御堪忍がつきました」
「どこにおる」
「賓殿にあのままでいます」
「だれも来るな」
随員をみな払って、孫権はふたたび孔明の前へ出た。
「先生、ゆるし給え。弱冠の無礼を」
「いや自分こそ、国主の威厳を犯し、多罪、死に値します」
「ふかく思うに、曹操が積年の敵と見ているものは、わが東呉の国と、劉予州であった」
「お気づきになりましたか」
「しかし、わが東呉十余万の兵は、久しく平和に馴れて、曹操の強馬精兵には当たり難い。もし敢然、彼に当たるものありとすれば、劉予州しかない」
「安んじたまえ。劉予州の君、ひとたび当陽に敗れたりとはいえ、後、徳を慕うて、離散の兵はことごとく回っております。関羽がひき連れて来た兵も一万に近く、また劉琦君が江夏の勢も一万を下りません。ただし、閣下の御決意はどうなったのですか。乾坤一擲のこの分かれ目は、区々たる兵数の問題でなく、敗れを取るも勝利をつかむも、一にあなたのお胸にあります」
「予の心はすでに決まった。われも東呉の孫権である。いかで曹操の下風につこうか」
「さもあらば大事を成すの機今日にあり! です。彼が百万の大軍もみな遠征の疲れ武者、ことには、当陽の合戦に、あせり立つことはなはだしく、一日三百里を疾駆したと聞く。これまさに強弩の末勢。──加うるにその水軍は、北国そだちの水上不熟練の勢が大部分です。ひとたび、その機鋒を拉がんか、もともと、荊州の軍民は、心ならずも彼の暴威に伏している者ばかりですから、たちまち内争紛乱を醸し、北方へ崩れ立つこと、眼に見えるようなものです。この賊を追わば、荊州へ一挙に兵を入れ給うて、劉予州と鼎足のかたちをとり、呉の外郭をかため、民を安んじ、長久の治策を計ること、それはまず後日に譲ってもよいでしょう」
「そうだ。予はふたたび迷わん。──魯粛魯粛」
「はっ」
「即時、兵馬の準備だ。曹操を撃砕するのだ。諸員に出動を触れ知らせい」
魯粛は、駆け走った。
孔明に向かっては、ひとまず客舎へもどって、休息し給えと言いのこして、孫権は力づよい跫足を踏みしめながら東郭の奥へ入った。
愕いたのは、各所に屯していた文武の諸大将や宿老である。
「開戦だっ。出動。出動の用意」という触れを聞いても、
「噓だろう?」と、疑ったほどであった。
それもそのはずで、つい今し方、賓殿の上で、孔明の不遜に憤って主君は、彼を避けて、奥へかくれてしまったと、愉快そうに評判するのを聞いていたばかりの所である。
「間違いだろう、何かの」
がやがや言っている所へ、魯粛は意気ごみぬいて、触れて廻って来た。やはり開戦だという。人々は急にひしめきあった。色をなして、開戦反対の同志をあつめた。
「孔明に出しぬかれた! いざ来い、打ち揃って、すぐさま君を御諫止せねばならん」
張昭を先に立て、一同気色ばんで、孫権の前へ出た。──孫権も、来たな、という顔を示した。
「臣張昭、不遜至極ながら、直言お諫めしたい儀をもって、これへ伺いました」
「なんだ」
「恐れながら、君御自身と、河北に亡んだ袁紹とを、御比較遊ばしてみて下さい」
「............」
「あの袁紹においてすら、あの河北の強大をもってすら、曹操には破られたではございませぬか。しかもそのころの曹操はまだ、今日のごとき大をなしていなかった時代です」
張昭の眼には涙が光っていた。
五
「伏して、御賢慮を仰ぎまする。──ゆめ、孔明ごとき才物の弁に、大事を計られ、国家を誤り給わぬように」
張昭のあとについて、顧雍も諫めた。他の諸大将も極言した。
「玄徳はいま、手も足も出ない状態に落ちている。孔明を使としてわが国を抱きこみ、併せて、曹操に復讐し、時至らば自己の地盤を拡大せんとするものでしかない」
「そんな輩に語らわれて、曹操の大軍へ当たるなど、薪を負うて猛火の中へ飛びこむようなものです」
「君! 火中の栗をひろい給うなかれ!」
この時、魯粛は堂外にいたが、様子を見て、
「これはいかん」と苦慮していた。
孫権はやがて、諸員のごうごうたる諫言に、責めたてられて、耐えられじと思ったか、
「考えておく。なお考える」と言って、奥なる私室へ急ぎ足にかくれた。
その途中を、廊に待って、魯粛はまた、自分の主張を切言した。
「彼等の多くは文弱な吏と、老後の安養を祈る老将ばかりです。君に降服をおすすめするも、ただただ、家の妻子と富貴の日を偸みたいの気もち以外に何もありはしません。決して、さような惰弱な徒の言に過られ給わぬように、しかと、揺るがぬ覚悟をすえて下さい。家祖孫堅の君には、いかなる御苦労をなされたか。また御兄君孫策様の御勇略はいかに。おふた方の血は正しくあなた様の五体にも脈々ながれているはずではございませぬか......」
「離せ」
ふいに、孫権は袂を払って、室の中へ身をひるがえしてしまった。後堂前閣の園をここかしこに、
「戦うべしだ」
「いや、戦うべからず」
と喧々囂々、議論のかたまりを持って流れ歩いて来る一組が、すぐ近くの樹陰にも見えたからであった。
何せよ、議論紛々だった。一部の武将と全部の文官は、開戦に反対であり、一部の少壮武人には、主戦論が支持されていた。それを数の上から見れば、ちょうど七対三ぐらいにわかれている。
私房にかくれた孫権は、病人のように手を額に当てていた。寝食も忘れて懊悩悶々と案じ煩っていた。東呉の国、興ってここに三代、初めての国難であり、また人間的には、彼という幸福に馴れた世継ぎが、生まれて初めてここに与えられた大きな試練でもあった。
「......どうしたのです?」
食事も摂らないというので、呉夫人が心配して様子を見に来た。
孫権は、有りのまま、つぶさに話した。当面の大問題。そして藩内の紛乱が、不戦主戦、二つに割れていることも告げた。
「まだまだ、そなたは坊っちゃまですね、そんなことで御飯もたべなかったのですか、何でもないではありませんか」
「この解決策がありますか」
「ありますとも」
「ど、どうするんですか」
「忘れましたか。そなたの兄孫策が、死に臨んで遺言されたおことばを」
「......?」
「──内事決せずんば是を張昭に問え。外事紛乱するに至らば是を周瑜に計るべし──とおっしゃったではなかったか」
「ああ......そうでした。思い出せば、今でも兄上の御声がする」
「それごらんなさい。日ごろも父や兄を忘れているからこんな苦しみにいたずらな煩悶をするのです。──内務はともかく、外患外交など、総じて外へ当たることは、周瑜の才でなくては成りますまい」
「そうでした! そうでした!」
孫権は夢でもさめたように、そう叫んで、急にからりと面を見せた。
「早速、周瑜を召して、意見を問いましょう。なぜ今日までそれに気がつかなかったのだろう」
たちまち彼は一書を認めた。心ききたる一名の大将にそれを持たせ、柴桑から程遠からぬ鄱陽湖へ急がせた。水軍都督周瑜はいまそこにあって、日々水夫軍船の調練にあたっていた。
酔計二花
一
周瑜は、呉の先主、孫策と同じ年であった。
また彼の妻は、策の妃の妹であるから、現在の呉主孫権と周瑜とのあいだは、義兄弟に当たるわけである。
彼は、廬江の生まれで、字を公瑾といい、孫策に知られてその将となるや、わずか二十四歳で中郎将となったほどな英俊だった。
だから当時、呉の人はこの年少紅顔の将軍を、軍中の美周郎と呼んだり、周郎周郎と持て囃したりしたものだった。
彼が、江夏の太守であったとき、喬公という名家の二女を手に入れた。姉妹とも絶世の美人で、
──喬公の二名花
と、いえば呉で知らない者はなかった。
孫策は、姉を入れて妃とし、周瑜はその妹を迎えて妻とした──。が間もなく策は世を去ったので、姉は未亡人となっていたが、妹は今も、瑜のまたなき愛妻として、国許の家を守っていた。
当時、呉の人々は、
(喬公の二名花は、流離して、つぶさに戦禍を舐めたが、天下第一の聟ふたりを得たのは、また天下第一の幸福というものだ)と言って祝福した。
わけて、青年将軍の周瑜は、音楽に精しく、多感多情の風流子でもあった。だから宴楽の時などでも、楽人の奏でる調節や譜に間違いがあると、どんなに酔っているときでも、きっと奏所の楽人をふり顧って、
(おや。いまのところは、ちょっとおかしいね)
と、注意するような眼をするのが常だった。
だから当時、時人の謡う中にも、
曲ニ誤リアリ
周郎、顧ミル
という歌詞すら有るほどだった。
こういう周瑜も、今は孫策亡きあとの呉の水軍提督たる重任を負って、鄱陽湖へ来てからは、家にのこしてある愛妻を見る日もなく、好きな音楽に耳を洗ういとまもなく、ひたすら呉の大水軍建設に当たっていた。
しかもその水軍がもの言う時機は迫っていた。魏の水陸軍百万ないし八十万というものが南下を取って、
我ニ質子ヲ送リ、
我軍門ニ降ルカ
我ニ兵ヲ送リ、
我粉砕ヲ受ケルカ
と、すこぶる高圧的に不遜な最後通牒を呉へ突きつけて来ているという。
もとより周瑜がそれを知らないはずはない。しかし、彼の任は政治になく、水軍の建設とその猛練習にある。──今日も彼は、舟手の訓練を閲して、湖畔の官邸へひきあげて来ると、そこへ孫権からの早馬が来て、
「すぐさま柴桑城までお出向きください。国君のお召しです」
と、権の直書を手渡して帰って行った。
「いずれは......」と、かねて期していたことである。周瑜は、ひと休みすると、すぐ出立の用意をしていた。ところへ、日ごろ、親密な魯粛がたずねて来て、
「いま、お召しの使いがあったでしょう。実は、その儀に就いて、あらかじめ提督にお告げしておきたい事があって参ったのです」と、孔明の来ている事情から、国臣の意見が二つに分かれている実情などをつぶさに話し、──それに加えて、ここで呉が曹操に降伏したら、すでに地上に呉はないも同様であると、自分の主張をも痛論した。
「よろしい。ともかく、孔明と会ってみよう。──柴桑城へ伺うのは、孔明の肚を訊ねてみてからでも決して遅くはあるまいから、ともかく彼を伴れて来給え。それまで登城をのばして待っているから」
周瑜のことばに、魯粛は力を得て、欣然、馬を回して行った。──すると、同日の午過ぎ、またもや、張昭、顧雍、張紘、歩隲などの非戦派が、打ち揃ってここへ訪れ、
「魯粛が来たのでしょう。実にけしからん漢だ。何の故か、彼は孔明のために踊らされて、国を売り、民を塗炭の苦しみに投げこもうと、ひとりで策動しておる。──この危機と岐路に立って、提督はいったいどういう御意見を抱いておられますか」
と、周瑜を囲んで、論じ立てるのであった。
二
四名の客を見くらべながら周瑜は言った。
「各々の御意見はみな、不戦論に一致しているわけかな?」
「もちろん吾々の議決はそこに一致しています」
顧雍の答えを聞いて、周瑜は大きく頷きながら、
「同感だな。実は自分も疾くから、ここは戦うべきに非ず、曹操に降って和を乞うのが呉のためだと考えていたところだ。明日は柴桑城にのぼって、呉君にも申し述べよう。きょうはひとまずお帰りあるがいい」と、言った。
四名は喜んで立ち帰った。しばらくするとまた、一群の訪客が押しかけて来た。黄蓋、韓当、程普などという錚々たる武将連である。
客間に通されるやいな、程普、黄蓋などこもごもに口をひらき出した。
「われわれは先君破虜将軍にしたがって呉の国を興して以来、ひとえに一命はこの国に捧げ、万代鎮護の白骨となれば、願いは足る者どもです。しかるにいま、呉君におかれては、碌々一身の安穏のみを計る文官たちの弱音にひかれて、ついに、曹操へ降伏せんかの御気色にうかがわれる。実に残念とも何ともいいようがありません」
「たとえ吾々の身が、ずたずたにされようとも、この屈辱には忍び得ない。誓って、曹操の前に、この膝は屈せぬつもりです。──提督はそも、この事態にたいし、いかなる御決心を抱いておらるるか。きょうはそれを伺いに来たわけですが」と、周瑜を囲んでつめ寄った。
周瑜は、反問して、
「では、この座にある方々は、すべて一戦の覚悟を固めておるのか」
黄蓋は主の言下に自分の首すじへ丁と手を当てて見せながら、
「この首が落ちるまでも、断じて、曹操に屈伏せぬ心底です」と、言った。
ほかの武将も、異口同音に、誓いを訴え、即時開戦の急を、激越な口調で論じた。
「よしよし、この周瑜も、もとより曹操ごときに降る気はない。しかし、きょうの所はひとまず静かに引き揚げたがいい。事は明日決するから」と、なだめて帰した。
夕方に迫って、また客が来た。刺を通じて、
「──これは闞沢、呂範、朱治、諸葛瑾などの輩ですが、折り入って、提督にお目にかかりたい」
なお附け加えて、
「国家の一大事に就いて」と申し入れた。
この人々は、いわゆる中立派であった。主戦、非戦、いずれとも考えがつかないために来たのである。
周瑜は、その中にある諸葛瑾を見て、まず問うた。
「あなたはどう考えているのですか。あなたの弟諸葛亮は、玄徳のむねをうけて、呉との軍事同盟をはかり、共に曹操に当たらんという使命をもって来ておる由だが」
「それ故に、てまえの立場は、非常に困っております。彼は孔明の兄だと観られておりますから。──で、実は、わざと商議にも関わらず、心ならずも局外に立って、この紛論をながめているわけです」
「それは、どうかと思うな」と周瑜は唇許を歪めて、
「御辺の立場はわかるが、兄であるとか弟であるとか、そんな事は私事だ。家庭の問題とはちがう。孔明はすでに他国の臣。御辺は呉の重臣。おのずから事理明白ではないか。呉臣として、貴公の信ずる所は、戦いにあるのか降伏にあるのか」
瑾は、沈黙していたが、
「降参は安く、戦うは危うし。呉の安全を考えるときは、戦わぬに限ると思います」
と、やがて答えた。
周瑜はゆがめていた唇許から一笑を放って、
「では、弟の孔明とは、反対なお考えだな。なるほど御苦衷だろう。──ともあれ大事一決の議は、明日、それがしが君前に伺った後にする。今日は帰り給え」
かくてまた、夜に入ると、呂蒙だの、甘寧だのという名だたる将軍や文官たちが、入れ代わり立ちかわり、ここの門へ入ってはたちまち出て行った。それは実におびただしい往来だった。
三
夜が更けても、客の来訪はやまない。そして、
「即時開戦せよ」
という者があるし、
「いや、和を乞うに如かず」
と、唱えるものがあるし、何十組となく客の顔が変わっても、依然、言っていることは、その二つのことを繰り返しているに過ぎなかった。
ところへ、取り次ぎの者が、そっと主の周瑜に耳打ちした。
「魯粛どのが、仰せに従って、ただ今、孔明を伴れて戻って見えられましたが」
周瑜も小声でいいつけた。
「そうか。では、他の客にはそっと、べつな部屋へ通しておけ、奥の水亭の一室がよかろう」
それから周瑜は、大勢の雑客に向かって、
「もう議論は無用にしてくれ。すべては明日君前で一決する。各々は立ち帰って明日のために熟睡しておくべきだろう。その方がどんなに意義があるかしれん」と、燭を剪って、
「わしも今宵はもう眠るから」と、追い返すように告げて別れた。
方なく一同が帰ってゆくと、周瑜は
衣を
更えて、魯粛と、孔明とを待たせてある水閣の一
欄へ歩を運んで来た。──どんな人物であろう?
これは主客双方で想像していたことであろう。周瑜のすがたを見ると、孔明は起って礼を施し、周瑜は、辞を低うして、初対面のあいさつを交わした。
鄱陽湖の水面は夜を抱いて眠っていた。ひそかな波音が欄下を搏つ。雲をかすめて渡る鳥の羽音すら燭にゆれるかのようである。恍惚──寂寞のなかに主客はややしばし唇をつぐみ合っていた。
楚々──いとも楚々として嫋やかな佳嬪が列をなして来た。各々、酒瓶肉盤をささげている。酒宴となった。哄笑、談笑、放笑、微笑。孔明と周瑜とはさながら十年の知己のように和やかな会話をやりとりした。
そのあいだに、
孔明は周瑜をどう観たか。
周瑜は孔明の腹をどう察したか。
傍人には知る限りでない。
やがて、座をめぐる佳人もみな退いて、主客三人だけとなったのを見すまして、魯粛は単刀直入に彼の胸をたたいてみた。
「提督のお肚はもう決まっておりましょうな。最後の断が」
「決まっておる」
「戦いますか。いよいよ」
「......いや」
「では、和を乞うおつもりなので?」
と、魯粛は眼をかがやかして、周瑜の面を見まもった。
「やむを得まい! どう考えてみたところで」
「えっ、しからば、提督までが、すでに曹操へ降参するお覚悟でおられるのですか」
「そう言えば、はなはだ屈辱のようだが、国を保つためには、最善な策じゃないかな」
「こは、思いがけないことを、あなたのお口から承わるものだ。そもそも、呉の国業は、
破虜将軍以来、ここに三代の基をかため、いまや
完き強大を成しておる。この富強は、われわれ臣下の子孫をして、
懦弱安穏をぬすむために、築かれて来たものではありますまい。一世
堅君の御創業の苦心、二世
策君の血みどろな
御生涯。それに
依って建国されたこの呉の土を、むざむざ敵将
操の手に
委していいものでしょうか。
々、一身の安全ばかり考えていていいでしょうか。それがしは思うだに髪の毛が逆立ちます」
「──が、百姓のため、また、呉のためであるなら仕方がないではないか。そうした三世にわたるわれわれの主家孫一門の御安泰を計ればどうしても」
「いやいやそれは、懦弱な輩のすぐ口にする口実です。長江の嶮に拠って、ひとたび恥を知り恩を知る呉の精猛が、一体となって、必死の防ぎに当たれば、操軍何者ぞや、寸土も呉の土を踏ませることではありません」
さっきから黙って傍らに聞いていた孔明は、ふたりが激越に言い争うのを見て、手を袖に入れ、何が可笑しいのか、しきりと笑いこけていた。
四
周瑜は、孔明の無礼を咎めるような眼をして、あえてこう詰問った。
「先生。あなたは何がおかしくて先刻からそうお笑いなさるのか」
「いや何も提督に対して笑ったわけではありません。あまりといえば、魯粛どのが時務にうといので、つい笑いを忍び得なかったのです」
傍らの魯粛は、眼をみはって、
「や、何をもって、この魯粛が時務にくらいとおっしゃるか。近ごろ、意を得ないおことばだ」
と、色をなして、共に、孔明の唇をみまもった。孔明は曰った。
「でも、考えても御覧なさい。曹操が兵を用いる巧みさは、古の孫子呉子にも勝りましょう。だれが何といったところで、当今、彼に匹敵するものはありません。──ただ独りわが主君劉予州は、大義あって、私意なく、その強敵と雌雄を争い、いま流亡して江夏に籠っておりますが、将来の事はまだ未知数です。──しかるに、翻って、この国の諸大将を見るに、どれもこれも一身一家の安穏にのみ囚われていて、名を恥じず、大義を知らず、国の滅亡も、ほとんど成り行きにまかせているとしか観られない。......そういう呉将の中にあって、粛兄ただ一名のみ、呶々、烈々、主義を主張してやまず、今も提督にむかって、無駄口をくり返しておらるるから、つい可笑しくなったまでのことです」
周瑜はいよいよ苦りきるし、魯粛もまたはなはだしく不快な顔をして見せた。孔明の言っていることは、まるで反戦的だからである。折角、周瑜へ紹介の労をとっているのに、まるでその目的も自分の好意も裏切っているような口吻に、憤りを覚えずにいられなかった。
「では、先生には、呉の君臣をして、逆賊操に膝を屈せしめ、万代に笑いをのこせと、あえて言わないばかりにおすすめあるわけですか」
「いやいや決して、自分は何も呉の不幸を祈っているわけではない、むしろ呉の名誉も存立も、事なく並び立つように、いささか一策をえがいて、その成功を念じておるものです」
「戦にもならず、呉の名誉も立派に立ち、国土も難なく保てるようになんて──そんな妙計があるものだろうか」
魯粛が、案外な顔をして、孔明の心を測りかねていると、周瑜もともに、その言に釣りこまれて、膝をすすめた。
「もし、そんな妙計があるなら、これは呉の驚異です。願わくは、初対面のそれがしのために、その内容を、得心の参るよう、つぶさにお聴かせ下さらんか」
「いと易いことです。──それはただ一艘の小舟と、ふたりの人間の贈り物をすれば足ることですから」
「はて? ......先生の言う事は何だか戯れのように聞こえるが」
「いや、実行して御覧あれば、その効果の覿面なのに、かならず驚かれましょう」
「二人の人間とは? ......いったいだれとだれを贈り物にせよと言われるのか」
「女性です」
「女性?」
「星の数ほどある呉国の女のうちから、わずか二名をそれに用いることは、たとえば大樹の茂みから二葉の葉を落とすよりやさしく、百年の倉廩から二粒の米を減らすより些少な犠牲でしょう。しかもそれに依って、操軍の鋭鋒を一転北方へ回すことができれば、こんな快事はないでしょう」
「ふたりの女性とは、そも、どこの何ものをさすのか、はやくそれを言ってみたまえ」
「まだ自分が隆中に閑居していたころのことですが──当時、操軍の北伐にあたって、戦乱の地から移って来た知人のはなしに、曹操は河北の平定後、漳河のほとりに楼台を築いて、これを銅雀台と名づけ、造営落工までの費え千余日、まことに前代未聞の壮観であると言っておりましたが......」
孔明は容易に話の中心に触れなかったが、しかも何か聴き人の心をつかんでいた。
五
「曹操ほどな英傑も、やはり人間はついに人間的な弱点に墜ち入りやすいものとみえます。銅雀台。──銅雀台のごとき大土木をおのれ一個の奢りのために起こしたという事こそ、はや彼の増長慢のあらわれと哀れむべきではありませんか」
「先生。それよりは、何が故に、ここにふたりの女性さえ彼に送れば、魏の操軍百万が、呉を侵すことなく、たちまち北方へ回るなどという予断が下せるのか。その本題に就いて、はやくお話を触れていただきたいものだが」
周瑜は二度も催促した。魯粛の聞きたいところもそこの要点だけだ。何を今更、銅雀台の奢り振りなどを、ここで審さに聞く必要があろうか──と言わんばかりな顔つきである。
「いや、北国の知人の話は、もっと詳しいものでしたが、では大略して、要を搔い摘んで申しましょう。──その曹操は、銅雀台の贅に飽かず、なおもう一つ大きな痴夢を抱いているというのです。それは呉の国外にまで聞こえている喬家の二女を銅雀台において、花の晨、月の夕、側らにおいて眺めたいという野心です。きくならく、喬家の二名花とは、姉を大喬といい、妹を小喬と呼ぶそうで、その傾国の美は、夙にわれわれも耳にしているものです。──思うに、古来英雄の半面には、こうした痴気凡情の例も、ままあるのが慣いですから、この際早速、提督には、人を派して、喬家の門へ黄金を積み、二女を求めて、曹操へお送りあれば、立ちどころに彼の攻撃は緩和され、衂らずして国土の難を救うことができましょう。──これすなわち范蠡が美姫西施を送って強猛な夫差を亡ぼしたのと同じ計になるではありませんか」
周瑜は顔色を変じて、孔明のことばが終わるや否、
「それは巷の俗説だろう。先生には、何か確たる根拠でもあって、そんな巷説を真にうけておられるのか」
「もとより確証なきことは言わん」
「ではその証拠をお見せなさい」
「曹操の第二子に、曹子建というものがある。父の操に似てよく詩文を作るので文人間に知られています。この子建に向かって、父の操が、銅雀台の賦を作らせていますが、その賦を見るに、われ帝王とならばかならず二喬を迎えて楼台の花とせんという操の野望を暗に歌っています。それがあたかも英雄の情操として美しい理想なるかのごとく──」
「先生にはその賦を覚えておられるか」
「文章の流麗なるを愛して、いつとなく暗誦じていますが」
「ねがわくはそれを一吟し給え。静聴しよう」
「ちょうど微酔の気はあり、夜は更けて静か。そぞろ私も何か低吟を唆られています。──どうか御両所とも盞をかさねながら、座興としてお聴きください」
孔明は、睫毛をとじた。
細い眸を燈にひらく。そして、静かに吟じ出した。抑揚はゆるく声は澄んで、朗々、聴く者をして飽かしめないものがある。
明后ニ従ッテ嬉遊シ層台ニ登ッテ情ヲ娯ム
中天ニ華観ヲ立テ飛閣ヲ西城ニ連ヌ
漳水ノ長流ニ臨ンデ園果ノ滋栄ヲ望ミ
双台ヲ左右ニ列シテ玉龍ト金鳳ト有リ
二喬ヲ東南ニ挾ンデ長空ノ螮蝀ノ如ク
皇都ノ宏麗ニ附シ
雲霞ノ浮動ヲ瞰ル
群材ノ来リアツマルヲ欣ンデ
飛熊ノ吉夢ニカナイ
春風ノ和穆ヲ仰ギテ百鳥ノ悲鳴ヲ聴ク......。
──ふいに、卓の下で、がちゃんと、何か砕ける音がした。周瑜が手の酒盞を落としたのである。そればかりか彼の髪の毛はそそけ立ち、面は石のごとく硬ばっていた。
六
「あ。お酒盞が砕けました」
孔明が、吟をやめて、注意すると、周瑜は憤然、酔面に怒気を燃やして、
「一箇の杯もまた天地の前兆と見ることができる。これはやがて魏の操軍が地に捨て去る残骸のすがただ。先生、べつな酒盞をとって、それがしに酌し給え」
「何か提督には、お気に障ったことでもあるのですか」
「操父子の作った銅雀台の賦なるものは、先生の吟によって今夜初めて耳にしたが、辞句の驕慢はともかく、詩中に仄めかしてある喬家の二女に対する彼の野望は見のがし難い辱しめだ。断じて、曹賊の飽くなき野望を懲らしめねばならん」
一盞また一盞、みずから酒をそそいで、彼の激色は火のような忿懣を加えるばかりである。孔明はわざと冷静に、そしてさも怪訝しげな眉をして問い返した。
「むかし匈奴の勢いが熾んなころ、しばしば中国を侵略して、時の漢朝も悩まされていた時代があります。当時天子は御涙を嚥んで、愛しき御女の君をもって、胡族の主に娶わせたまい、一時の和親を保って臥薪嘗胆、その間に弓馬をみがいたという例もあります。また元帝が王昭君を胡地へ送ったはなしも有名なものではありませんか。──なんで提督には、今この国家の危殆にのぞみながら、民間の二女を送るぐらいな事を、そう惜しんだり怒ったりされるのですか」
「先生はまだ知らぬのか」
「まだ知らぬかとは......?」
「喬家の二女は、養われて民間にあったことは事実だが、姉の大喬は疾くより先君策の室にむかえられ、妹の小喬は、かくいう周瑜の妻となっておる。いまのわが妻はその小喬なのだ」
「えっ、ではすでに、喬家の門を出ていたので。これは知らなんだ。惶恐、惶恐。知らぬこととは申せ、先ほどからの失礼、どうかおゆるし下さい。誤って、みだりに無用な舌の根をうごかし、罪、死にあたいします」
と、孔明は打ち慄えて見せながら平謝りに詫び入った。周瑜は、かさねて、
「いや、先生に罪はない。先生のいう巷の風説だけならまだ信じないかも知れぬが、銅雀台の賦にまで歌っている以上、曹操もそれを公然と揚言しているのであろう。いかで彼の野望に先君の後室や、わが妻を贄に供されよう。破邪の旗、膺懲の剣、われに百千の水軍あり、強兵肥馬あり、誓って、彼を撃砕せずにはおかん」
「──が、提督、古人も曰っております。事を行なうには三度よく思えと」
「いやいや、三度はおろか、きょうは終日、戦わんか、忍ばんか、幾十度、沈思黙考をかさねていたかしれないのだ。──自分の決意はもううごかない。思うに、身不肖ながら、先君の遺言と大託をうけ、今日、呉の水軍総都督たり。今日までの修練研磨も何のためか。断じて、曹操ごときに、身を屈めて降伏することはできない」
「しかし、ここから柴桑へ帰った諸官の者は、口を揃えて、周提督は、すでに和平の肚ぐみなりと、諸人のあいだに唱えていますが」
「彼等、懦弱な輩に、何で本心を打ち明けよう。仔細は輿論のうごきを察しるためにほかならない。ある者へは開戦といい、ある者へは降伏といい、味方の士気と異論の者の顔ぶれをながめていたのである」
「ああさすがは」
と、孔明は、胸を反らして、称揚するような姿態をした。周瑜はなお言いつづけて、
「いま、鄱陽湖の軍船を、いちどに大江へ吐き出せば、江水の濤もたちまち逆しまに躍り、未熟な操軍の船列を粉砕することもまたたく間である。ただ陸戦においては、やや彼に遜色を感じるものがないでもない。ねがわくは先生にも一臂の力をそえられい」
「その御決意さえ固ければ、もとより犬馬の労も惜しむものではありません。けれど呉君を始め、重臣たちの御意志のほども」
「いやいや、明日、府中へ参ったら、呉君には自分からおすすめする。諸臣の異論など問題とするにはあたらない。号令一下。開戦の大号令一下あるのみだ」
大号令
一
柴桑城の大堂には、暁天、早くも文武の諸将が整列して、呉主孫権の出座を迎えていた。
夜来、幾度か早馬があって、鄱陽湖の周瑜は、未明に自邸を立ち、早朝登城して、今日の大評議に臨むであろうと、前触れが来ているからである。
やがて、真っ赤な朝陽が、城頭の東に雲を破って、人々の面にも照り映えて見えたころ、
「周提督のお着きです」と、堂前遙かな一門から高らかに報らせる声がした。
孫権は威儀を正して、彼の登階を待ちかまえていた。それに侍立する文武官の顔ぶれを見れば、左の列には張昭、顧雍、張紘、歩隲、諸葛瑾、虞翻、龐統、陳武、丁奉などの文官。また右側には、程普、黄蓋、韓当、周泰、蔣欣、呂蒙、璠璋、陸遜などを始めとして、すべての武官、三十六将、各々、衣冠剣珮をととのえて、
「周都督が肚にすえて来た最後の断こそ、呉の運命を決するもの」
と、みな異常な緊張をもって、彼のすがたを待っていた。
周瑜は、ゆうべ孔明が帰ると、直ちに、鄱陽湖を立って来たので、ほとんど一睡もしていなかった。
しかしさすがに呉の傑物、いささかの疲れも見せず、まず孫権の座を拝し、諸員の礼をうけて、悠然と席についた姿は、この人あって初めてきょうの閣議も重きを成すかと思われた。
孫権は、口を開くなり直問した。
「急転直下、事態は険悪を極め、一刻の遷延もゆるさないところまで来てしまった。都督、卿の思うところはいかに、──忌憚なく腹中を述べてもらいたいが」
「お答えする前にあたって、一応伺いますが、すでに御評定も何十回となくお開きと聞いています。諸大将の意見はどうなのですか」
「それがだ。和戦両説に分かれ、会議のたび紛々を重ねるばかりで一決しない。故に卿の大論を聞かんと欲するわけだ」
「君に降参をおすすめした者はだれとだれですか」
「張昭以下、その列の人々だが」
「ははあ......」と、眸を移して、
「張昭が御意見には、この際、戦うべからず、降参に如くなしとの御方針か」
「しかり!」
と張昭は敢然答えた。すこし小癪にさわったような語気も交じっていた。なぜならば、昨日、周瑜の官邸で商談したときの態度と、きょうの彼の容子とは、まるで違って見えたからである。
「なぜ曹操に降参せねばならんのだろうか。呉は破虜将軍よりすでに三世を経た強国。曹操のごとき時流に投じた風雲児の出来星とはわけがちがう。──御意見、周瑜にはいささか解しかねるが」
「あいや。提督のおことばではあるが、時流の赴くところ、風雲の依って興るところ、決してばかにはなりますまい」
「もちろん。──しかし、東呉六郡をつかね、基業三代にわたるわが呉の伝統と文化は、決してまだ老いてはいない。いや隆々として若い盛りにあるのだ。呉にこそ、風雲もあれ、時流もあれ、豈、一曹操のみが、天下を左右するものであろうぞ」
「彼の強味は、何よりも、天子の勅命と号していることです。いかにわれわれが歯がみしてもこれに対しては」
「あははは」と、一笑して「──僭称の賊、欺瞞の悪兵。故にこそ、大いに逆賊操を討つべきではないか。彼が騙りの名分を立てるなら、われらはもって朝命を汚す暴賊を討つべしとなし、膺懲の大義を世にふるい唱えねばならん」
「さはいえ、水陸の大軍百万に近しと申す。名分はいずれにせよ、彼の強馬精兵に対するわれの寡兵と軍備不足。この実力の差をどうお考えあるか」
「優数常に勝たず。大船常に小船に優らず。要は士気だ。士気をもって彼の隙を破るのは、用兵の妙機にある。──さすがに御身は文官の長。兵事にはお晦いな」
と、苦笑を送った。
二
容貌の端麗に似あわず、周瑜には底意地のわるい所がある。君前、また衆臣環視のなかで、張昭を躍起にさせておいて、その主張をことごとく弁駁し、嘲笑し去って和平派の文官達の口を、まったく封じてしまったのである。
その上で。
彼は、やおら孫権に向かって、自己の主張を述べ出した。
何の事はない。今まで張昭を論争の相手にしていたのは、ここで言おうとする自己硬論を引っ立てるワキ役に引き出していたようなものだった。
「操軍の強勇なことは確かだが、それも陸兵だけのことだ。北国育ちの野将山兵に、何で江上の水軍が操れよう。馬上でこそ口をきけ、いかに曹操たりとも、わが水軍に対しては、一籌を輸するものがあろう」
まず和平派の一論拠を、こう駁砕してから、
「また、より以上、重要視すべきは、国そのものの態勢と四隣の位置でなければならん。わが呉は、南方は環海の安らかに、大江の嶮は東方を繞り、西隣また何の患えもない。──それに反して魏は、北国の平定もつい昨日の事、その残軍離亡の旧敵などたえず曹操の破れを窺っていることは言うまでもない。後ろにはそうした馬超、韓遂の輩があり、前には玄徳、劉琦の一脅威をひかえ、しかも許都の中府を遠く出て、江上山野に転戦していることは──われら兵家の者が心して見れば、その危うさは累卵にひとしいものがある......。いわばこの際は彼自ら呉境へ首を埋める墳を探しに来たようなものだ。この千載一遇の機会を逸すばかりか、跪いて、彼の陣前に国土をささげ恥を百世にのこすも是非なしと断じるなどは、まことに言語道断な臆病沙汰というほかはない。君公、願わくはまずそれがしに数万の兵と船とを授け給え。まずもって、彼の大軍を撃砕し、口頭の論よりは事実を示して、和平を唱える諸員の臆病風を呉国から一掃してごらんに入れます」
和平派は色を失った。
驚動を抑えながら、固く唇をとじ合ったまま今はただ一縷の望みを、呉主孫権の面につないでいた。
「おう周都督。いみじくも言われたり。曹賊の経歴を見れば、朝廷にあっては常に野心勃々。諸州に対しては始終、制覇統一の目標に向かって、夜叉羅刹のごとき暴威をふるっている。袁紹、呂布、劉表、およそ羅刹の軍に呪われたもので完き者は一名もない。ただ今日まで、ひとりこの孫権が残されていたのみだ。豈、坐して曹賊の制覇にまかせ、紹、劉表などの惨めな前例に倣おうぞ」
「では、君にも、開戦と、お心を決しられましたか」
「卿は、全軍を督し、魯粛は陸兵をひきい、誓って、曹賊を討て」
「もとより、呉のために、一命はかえりみぬ覚悟ですが、ただなお御主君が、微かでも、御決心をにぶらす事はなきやと、臣の惧れるのはただそれだけです」
「そうか」
孫権はいきなり立って、佩いている剣を払い、
「曹操の首を断つ前に、まずわが迷妄から、かくのごとく斬るっ!」
と、前の几案を、一揮に、両断して見せた。
そしてその剣を、高々と片手にふりあげ、
「今日以後、ふたたびこの問題で評議はすまい。汝等、文武の諸大将、また吏卒にいたるまで、かさねて曹操に降伏せんなどと口にする者あらば、見よ、この几案と同じものになることを!」
大堂の宣言は、階下にとどろき、階下のどよめきは中門、外門につたわって、たちまち全城の諸声となり、わあっ──と旋風のごとく天地に震った。
「周瑜。わしの剣を佩いて征け」
孫権は、その剣を、周瑜にさずけて、その場で、彼を呉軍大都督とし、程普を副都督に任じ、また魯粛を賛軍校尉として、
「下知に反く者あらば斬れ」と、命じた。
三
「断」は下った。開戦は宣せられたのである。張昭以下和平派は、ただ啞然たるのみだった。
周瑜は、剣を拝受して、
「不肖、呉君の命をうけて、今より打破曹操の大任をうく。それ、戦いにあたるや、第一に軍律を重しとなす。七禁令、五十四斬、違背あるものは、必ず罰せん。明暁天までに、総勢ことごとく出陣の具をととのえ、江の畔まで集まれ。所属、手配はその場において下知するであろう」
と、諸員へ告げた。
文武の諸大将は、黙々と退出した。周瑜は家に帰るとすぐ孔明を呼びにやり、きょうの模様と、大議一決の由を語って、
「さて。先生の良計を示し給え」
と、密かにたずねた。
孔明は、心のうちで「わが事成れり」と思ったが、色には見せず、
「いやいや、呉君のお胸には、なおまだ一抹の不安を残しおられているに違いありません。寡は衆に敵せず──この事は、御自身にも、深く憂えて、恟々の自信なく、いかがはせんかと、惑っている所でしょう。都督閣下には、労を惜しまず、暁天の出陣までに、もう一度登城して、つぶさに敵味方の軍数を説き示し、呉君に確たる自信をお与えしておく必要があるかと思われるが」
と、すすめた。
いやしくも呉の一進一退は、いまや玄徳の運命にも直接重大な関係を生じて来たとみるや、孔明が主家のために、大事に大事をとることは、実に、石橋を叩いて渡るように細心だった。
「──実にも」
と同意して、周瑜はふたたび城へ登った。もう夜半だったが、あすの暁天こそ、呉にとっては興亡のわかれを賭した大戦に臨む前夜なので、孫権もまだ寝もやらぬ様子だった。
すぐ周瑜を引いて、
「夜中、何事か」と、会った。
周瑜は、言った。
「いよいよ明朝は発向しますが、君の御決心にも、もう御変化はありますまいな」
「この期に至って、念にも及ばぬことではないか。......ただ、いまも眠りに就きかねていたのは、いかんせん、魏に対して、呉の兵数の少ないことだけだが」
「そうでしょう。実は、その儀について、退出の後、ふと君にもお疑いあらんかと思い出したので、急に、夜中をおしてお目通りに出たわけですが。......そもそも、曹操が大兵百万と号している数には、だいぶ懸け値があるものと自分は観ております」
「もちろん多少の誇大はあろうが、それにしても、呉との差はだいぶあろう。実数はどのくらいか」
「測るに......中国の操直属の軍は十五、六万に過ぎますまい。それへ旧袁紹軍の北兵の勢約七、八万は加えておりますが、もともと被征服者の特有として、意気なく、忠勇なく、ただ麾下についているだけのもの。ほとんど怖るるに足りません」
「なお、劉表の配下であった荊州の将士も、多分に加わっているわけだが」
「それとても、まだ日は浅く、曹自身、その兵団や将には、疑心をもって、よく、重要な戦区に用いることはできないにきまっています。こう大観して来ると、多く見ても、三十万か四十万、その質に至っては、わが呉の一体一色とは、較べものになりますまい」
「でも、それに対して、呉の兵力は」
「明朝、江岸に集まる兵は、約五万あります。君には、あと三万を召集して、兵糧武具、船備など充分に御用意あって、おあとからお進み下さい。周瑜五万の先陣は、大江を溯り、陸路を駆け、水陸一手となって、曹軍を突き破って参りますから」と勇気づけた。
そう聞いて孫権は初めて確信を抱いたもののごとく、なお大策を語りあって、未明にわかれた。
四
まだ天地は晦かった。夜明けにはだいぶ間がある。周瑜は、家に帰る道すがら、
「さてさて孔明という人間は、怖ろしい人物である。常に呉君に接して間近に仕えているわれわれ以上、呉君の胸中を観ぬいて少しも過っていない。人心を読むこと鏡にかけて睹るごとしとは、彼のごときをいうのだろう。どう考えても、その慧眼と智慮は、この周瑜などより一段上と思わなければならん」
嘆服するのあまり、ひそかに後日の恐怖さえ覚えて来た。──如かず、いまのうちに孔明を殺しておかないと、後には、呉の禍になろうも知れぬ。
「......そうだ」
自邸の館門をはいる時、彼はひとり頷いていた。すぐ使いをやって、魯粛をよび、
「呉の大方針は確定した。これからはただ足下と我が輩とが、よく一致して、君侯と呉軍のあいだに立ち、敵を破砕するあるのみだから、──孔明のような介在は、有っても無益、かえって後日の癌にならないとも限らない──どうだろう? いっそ今のうちに、彼を刺し殺しては」
と、密かに計ってみた。
魯粛は、眼をみはって、
「えっ、孔明を?」
と、二の句もつげない顔をした。
「そうだ、孔明をだ」と、周瑜はたたみかけて──「いま殺しておかなければ、やがて玄徳を扶け、魏と呉との死闘に乗じて、将来、あの智謀でどんなことを企むか測り知れない気がしてならん」
「無用です、絶対にいけません」
「不賛成か、足下は」
「もとよりでしょう。まだ曹操の一兵も破らぬうちに、すくなくもこの開戦の議にあずかって、たとえ真底からの味方ではないにしても、決して敵ではない孔明を刺してしまうなどは、どう考えても、大丈夫たる者のする事ではありません。世上に洩れたら万人の物笑いとなりましょう」
「......そうかなあ?」
さすがに、決しかねて、周瑜も考えこんでいる容子に、魯粛は、その懐疑を解くべく、べつに一策を囁いた。
それは、孔明の兄諸葛瑾をさしむけて、この際、玄徳と縁を断ち、呉の正臣となるように、彼を説き伏せることが、最も可能性もあり、また呉のためでもあろう──という正論であった。
「なるほど、それはいい。ひとつ折をみて、諸葛瑾にむねを含ませて、孔明を説かせてみよう」
周瑜もそれには異存はなかった。──が、かかるうちに早、窓外の暁天は白みかけていた。周瑜も魯粛も、
「では、後刻」
と別れて、たちまち、出陣の金甲鉄蓋を身にまとい、馬上颯爽と、江畔へ駆けつけた。
大江の水は白々と波打ち、朝の光耀は三軍に映えている。勢揃いの場所たる江の岸には、はや旌旗林立のあいだに、五万の将士ことごとく集まって、部署、配陣の令を待ちかまえていた。
大都督周瑜は、陣鼓のとどろきに迎えられて、やおら駒を降り、中軍幡や司令旗などに囲まれている将台の一段高い所に立って、
「令!」
と、全軍へ向かって伝えた。
「──王法に親なし、諸将はただよく職分に尽くせ。いま魏の曹操は、朝権を奪って、その罪のはなはだしさ、かの董卓にもこえるものがある。内には、天子を許昌の府に籠め奉り、外には暴兵を派して、わが呉をも侵さんとしておる。この賊を討つは、人臣の務めたり、また正義の擁護である。それ戦いにあたるや、功あるは賞し、罪あるは罰す。正明依怙なく、軍に親疎なし、奮戦ただ呉を負って、魏を破れ。──行軍には、まず韓当、黄蓋を先鋒とし、大小の兵船五百余艘、三江の岸へさして進み陣地を構築せよ。蔣欽、周泰は第二陣につづけ。凌統、潘璋は第三たるべし。第四陣、太史慈、呂蒙、第五陣、陸遜、董襲。──また呂範、朱治の二隊には督軍目付の任を命ず。以上しかと違背あるな」
五
その朝、諸葛瑾はひとり駒に乗って、街中にある弟孔明の客館を訪ねていた。
急に周瑜から密令をうけて、孔明を呉の臣下に加えるべく説きつけに行ったのである。
「おう、よくお越し下された。いつぞや城中では、心ならず、情を抑えておりましたが、さてもその後は、お恙もなく」
と孔明は、兄の手をとって、室へ迎え入れると、懐しさ、欣しさ、また幼時の思い出などに、ただ涙が先立ってしまった。
諸葛瑾も共に瞼をうるませて、骨肉相擁したまま、しばしは言葉もなかったが、やがて心をとり直して言った。
「弟。おまえは、古人の伯夷叔斉をどう思うね」
「え。伯夷と叔斉ですか」
孔明は、兄の唐突な質問をあやしむと同時に、さてはと、心にうなずいていた。
瑾は、情熱をこめて、弟に訓えた。
「伯夷と叔斉の
兄弟は、たがいに位を譲って国をのがれ、後、
周の
武王を
諫めて用いられないと、
首陽山にかくれて、
生涯周の
粟を

わなかった。そして餓死してしまったが、名はいまに至るまで
遺っている。思うに、おまえと私とは、骨肉の兄弟でありながら、幼少早くも郷土とわかれ、
生い長じてはべつべつな主君に仕え、年久しく会いもせず、たまたま、
相見たと思えば、
公の使節たり、また一方の臣下たる立場から、親しく語ることもできないなんて、......伯夷叔斉の美しい兄弟仲を思うにつけ、人の子として恥ずかしい事ではあるまいか」
「いえ、兄上。それはいささか愚弟の考えとはちがいます。家兄のおっしゃることは、人道の義でありましょう。また情でございましょう。けれど、義と情とが人倫の全部ではありません、忠、孝、このふたつは、より重いかと存ぜられます」
「もとより、忠、孝、義のひとつを欠いても、完き人臣の道とはいえないが、兄弟一体となって和すは、そもそも、孝であり、また忠節の本ではないか」
「否とよ、兄上。あなたも私もみなこれ漢朝の人たる父母の子ではありませんか。私の仕えている劉予州の君は、正しく、中山靖王の後、漢の景帝の玄孫にあたらせられるお方です。もしあなたが志をひるがえして、わが劉皇叔に仕官されるなら、父母は地下において、どんなに御本望に思われるか知れますまい。しかも、その事はまた、忠の根本とも合致するでしょう。どうか、末節の小義にとらわれず、忠孝の大本に帰って下さい。われわれ兄弟の父母の墳は、みな江北にあって江南にはありません。他日、朝廷の逆臣を排し、劉玄徳の君をして、真に漢朝を守り立てしめ、そして兄弟打ち揃うて故郷の父母の墳を清掃することができたら、人生の至楽はいかばかりでしょう。──よもや世人も、その時は、諸葛の兄弟は伯夷叔斉に対して恥じるものだとも言いますまい」
瑾は、二言もなかった。自分から言おうとしたことを、逆にみな弟から言い出されて、かえって、自分が説破されそうなかたちになった。
その時、江の畔の方で、遠く出陣の金鼓や螺声が鳴りとどろいていた。孔明は、黙然とさしうつ向いてしまった兄の心を察して、
「あれはもう呉の大軍が出舷する合図ではありませんか。家兄も呉の一将、大事な勢揃いに遅れてはなりますまい。また折もあれば悠々話しましょう。いざ、わたくしにお関いなく、御出陣遊ばしてください」と、促した。
「では、また会おう」
ついに、胸中のことは、一言も言い出さずに、諸葛瑾は外へ出てしまった。そして心のうちに、
「ああ、偉い弟」と、欣ばしくも思い、また苦しくも思った。
周瑜は、諸葛瑾の口からその事の不成立を聞くと、苦々しげに、瑾へ向かって、
「では、足下も、やがて孔明と共に、江北へ帰る気ではないか」と、露骨にたずねた。
瑾は、あわてて、
「何で呉君の厚恩を裏切りましょう。そんなお疑いをこうむるとは心外です」と、言った。
周瑜は冗談だよ、と笑い消した。しかし孔明に対する害意は次第に強固になっていた。
殺地の客
一
孔明の使命はまず成功したといってよい。呉の出師は思いどおり実現された。孔明はあらためて孫権に暇を告げ、その日、すこし遅れて一艘の軍船に身を託していた。
同舟の人々は、みな前線に赴く将士である。中に、程普、魯粛の二将もいた。
程普は由来、大都督周瑜と、あまりそりのあわない仲だったし、こんどの出師にも、反対側に立っていたが、いまは口を極めて、周瑜の人物を賞揚していた。
「何といっても、まだ若いし、どうかと実は危ぶんでおったが、今朝、江岸の勢揃いに、将台に立って三軍の令を言い渡した態度と威厳は、実に堂々たるものだったそうな──倅の程咨もそう言いおりました。稀代な英傑が呉に生まれたものだと」
魯粛もそれへ相槌を打って、
「いやあのお方は、青年時代、ひどく風流子のように言われ過ぎていたが、どうしてどうして外柔内剛です。これから戦場に臨んでみたら、いよいよその本質が発揮されるでしょう」と、言った。
程普は、いかにもと、打ち頷いて、
「自分なども今までは、周都督の人物にたいし、認識を欠いていた一人であったが、今日以後はいかにこの方等が年長であろうと実戦の体験に精しかろうと、問うところではない。ひたすら周都督の命令によって忠節をつくそうと思う。──実は慚愧にたえないので、出舷の前に、都督に会って、そう偽りのない気もちを語り、旧来の罪を謝して来たわけだ」と、しきりに懺悔していた。
孔明もそこにいたが、二人のその話には、何もふれて行かなかった。独り船窓に倚って、恍然と、外の水や空を見ていた。
三江を溯ること七、八十里、大小の兵船は蝟集していた。江岸いたる所に水寨を構え、周瑜はその中央の地点に位する西山をうしろに取って水陸の総司令部となし、五十里余にわたって陣屋、柵門を構築し、天日の光も遮るばかり、翻々颯々、旗幡大旆を植えならべた。
「孔明もあとから来ているそうだが......」
と彼はその本陣で、魯粛に会うとすぐ言った。
「だれか、迎えにやってくれないか」
「これへお召しになるのですか」
「そうだ」
「では、だれかれというよりも、自分で行って参りましょう」
魯粛は、すぐ江岸の陣屋へ行って、そこに休息していた孔明を伴って来た。
周瑜は、雑談の末、
「ところで、先生にお教えを乞いたい事がありますが」
「何ですか」
「白馬、官渡の戦いに就いて」
「あれは袁紹と曹操の合戦でしょう。私に何がわかりましょう」
「いや、先生の蘊蓄ある兵法に照らして、あの戦いに寡兵をもってよく大軍を打ち破った曹操の大捷利は、何に起因するものなるかを──それがしのために説き明かしていただきたいので」
「士気、用兵の敏捷、もとより操と紹との違いもありましょうが、要するに、曹軍の奇兵が、袁紹側の烏巣の兵糧を焼き払ったことが、まずあの大捷を決定的なものにしたといっても過言ではありますまい」
「ああ、愉快」と、周瑜は膝を打って、
「先生のお考えもそうでしたか、自分もあの戦いの分かれ目はその一挙にあったと観ておった。──思うに今、曹操の兵力は八十三万、わが軍の実数はわずか三万、当年の曹操はまさにその位置を顚倒して絶対優勢な側にある。これを破るには、われもまた、彼の兵糧運送の道を断つが上策と考えるが、先生もっていかんとなすか?」
「彼の糧地はどこか突きとめてありますか」
「百方、物見を派して探り得ておる。曹操の兵糧はことごとく聚鉄山にあるという。先生は少年のころから荊州住み馴れ、あの辺の地理には定めしおくわしいであろう。彼を破るは、共に主君の御ため、ひとつ決死の兵千余騎を貸しますから、夜陰、敵地に深く入って、彼の糧倉を焼き払って下さらんか。──あなたを措いては、この壮挙を見事成し遂げる人はいない」
二
孔明はすぐ覚った。これは周瑜が、敵の手をかりて、自分を害そうとする考えであるに違いない──と。
が彼は、欣然、
「承知しました」と、ことばをつがえて帰って行った。
側にいた魯粛は、周瑜のためにも孔明のためにも惜しんで、後からそっと孔明の仮り屋を窺ってみた。
帰るとすぐ、孔明は鉄甲を着け、剣を佩き、早くも武装して夜に入るのを待ちかまえている様子である。魯粛は怺えかねて、姿を見せ、気の毒そうにたずねた。
「先生、あなたは今宵の御発向に、必勝を期して行かれるのですか。それとも、やむなき破目と、観念されたのですか」
孔明は、笑いを含んで、
「広言のようですが、この孔明は、水上の船戦、馬上の騎兵戦、輸車戦車の合戦、歩卒銃手の平野戦、いずれにおいても、その妙を極めぬものはありません。──何で、敗北と諦めながら出向きましょう」
「しかし、曹操ほどな者が、全軍の生命とする糧倉の地に、油断のあるはずはない。寡兵をもって、それへ近づくなど、死地に入るも同様でしょう」
「それは、貴公の場合とか、また周都督ならそうでしょう。そう二者が一つになっても、ようやくこの孔明の一能にしか成りませんからな」
「二者にして一能にしか成らんとは、どういうわけですか」
「陸戦にかけては魯粛、水軍にかけては周瑜ありとは、よく呉の人から自慢に聞くことばです。けれど失礼ながら、陸の覇者たるあなたも、船戦にはまったく晦く、江上の名提督たる周閣下も、陸戦においては、河童も同様で、なんの芸能もありません。──思うに、完き名将といわるるには、智勇兼備、水陸両軍に精しく、いずれを不得手、いずれを得手とするがごとき、片輸車ではなりますまい」
「ほう。先生にも似あわしからぬ大言。この魯粛はともあれ、周都督を半能の人と仰せらるるは、近ごろちとおことばが過ぎはしませんか」
「いや、試みに、眼前の事実をごらんあればわかろう。この孔明に兵千騎を託して、それで聚鉄山の糧倉が焼き払えるものと考えているなどは、まったく陸戦に晦い証拠ではありませんか。──われもし今宵討ち死にせば、周都督の愚将たる名は一時に天下にとどろくでしょう」
魯粛は驚いて、倉皇と立ち去ったが、すぐその事を、周瑜の耳に入れていた。
由来、周瑜も感情家である。時々、その激血が理性を蹴る。いまも魯粛から、孔明の大言したことを聞くと、
「なに、この周瑜を、陸地の戦いには、まったく暗い愚将だと言ったか。半能の大将に過ぎないと言ったのだな。......よしっ、すぐもう一度、孔明のところへ行って、孔明の出陣を止めて来てくれ。こよいの夜襲には、われ自ら進んで、かならず敵の糧倉を焼き払ってみせる」
孔明に侮られたのを心外とするのあまり、意を決して、自身の手並みの程を見せ示そうとする気らしい。直ちに幕下へ発向の触れをまわして、兵数も増して五千余騎となし、夜と共に出で立つ準備にとりかかった。
かくと魯粛から聞いて、孔明はいよいよ笑った。
「五千騎行けば五千、八千騎行けば八千、ことごとく曹操の好餌となって、大将も生け捕られるであろう。周都督は呉の至宝、そうさせてはなるまい。足下は親友、よく理を説いて、思い止まらせてあげたがよい」
そしてなお、魯粛に言を託して、
「いま、呉とわが劉予州の君とが、真に一体となって曹操に当たれば、大事はきっと成るであろう。相剋し、内争し、相疑えば、かならず曹操に乗ぜられん。──またこのたびの出師に、その戦端を陸地から選ぶは不利。よろしく江上の船戦をもって、第一戦の雌雄を決し、敵の鋭気を挫いて後、徐々陸戦の機を測るべきであろう」と、言って遣った。
三
すでに一帯の陣地は黄昏れかけている。周瑜は馬を呼んでいた。五千の兵は、薄暮の中に勢揃いして、粛然、出立の令を待っているところであった。
そこへ魯粛が駆けて来て、孔明のことばを周瑜に伝えた。周瑜は聞くと、耳をそばだてて、
「ああ。おれの才は、ついに孔明に及ばないか」と、痛嘆した。
急に彼は、出立を取り消した。聚鉄奇襲の計画をあきらめてしまったのである。彼も決して暗愚なる大将ではない。孔明に言われないでも、その事の危険は充分に知っていたからだった。
しかし、その夜の挙は見合わせたにしても、孔明に対する害意に変更は来さなかった。むしろ孔明の叡智を恐れるのあまり、その殺意は、いよいよ深刻となり陰性となって、周瑜の胸の奥に、
(後日、またの機会に)
と、独り密かに誓われていたにちがいなかった。
──こうした南方の情勢一変と、孔明の身辺に一抹の凶雲が纏わって来つつある間に、一方、江夏(武昌)の玄徳は、そこを劉琦の手勢に守らせて、自身とその直属軍とは、夏口(漢口)の城へ移っていた。
彼は、毎日のように、樊口の丘へ登って、
「孔明はいかにせしか」と、長江の水に思慕を託し、また仰いでは、
「呉の向背やいかに?」と、江南の雲に安からぬ眸を凝らしていた。
ところへ、近ごろ、遠く物見に下江って行った一艘が帰帆して来て、玄徳に告げることには、
「呉はいよいよ魏軍へ向かって開戦しました。数千の兵船が、舳艫をならべて遡航しつつあるとのこと。また、三江の江岸一帯、前代未聞の水寨を構築しています。更に、北岸の形勢を窺うに、魏の曹操は、百万に近い大軍をもって、江陵、荊州地方から続々と行動を起こし、水陸にかけて真っ黒な大軍団が、夜も昼も、南へ南へと移動しつつあります」と、あった。
玄徳はその報告の半ばまで聞かないうちに、もう脈脈たる血のいろを面にあらわし、
「さては、わが策成れり」
と歓び勇んだ。
元来、玄徳は、よほどな事があっても、そう欣舞雀躍はしない性である。時によると、うれしいのかうれしくないのか、侍側の者でも、張り合いを失うほどすこぶるぼうとしていることなどある。
だが、この時は、よほど内心うれしかったようである。すぐ夏口の城楼に、臣下をあつめて、
「すでに、呉は起ったのに、今もって、孔明からは何の消息もない。だれか、江を下って、呉軍の陣見舞いに赴き、孔明の安否を探って来る者はないか」と、言った。
糜竺がすすんで望んだ。
「不才ながら、てまえが行って来ましょう」
「そちが行ってくれるか」
玄徳は適任だと思った。
糜竺はもともと外交の才があり臨機の智に富んでいる。彼は山東の一都市に生まれ、家は郯城切っての豪商であった。──いまは遠い以前となったが、玄徳が旗挙げ早々、広陵(江蘇省・江都県)のあたりで兵員も軍用金も乏しく困窮していたころ──商家の息子たる糜竺は、玄徳の将来を見こんで、その財力を提供し、兵費を賄い、すすんで自分の妹を、玄徳の室に入れ、以来、今日にいたるまで、専ら玄徳軍の財務経理を担当して来たという帷幕の中でも一種特異な人材であった。
「そちが行ってくれれば申し分はない。頼むぞ」
安心して、玄徳は彼を遣った。糜竺はかしこまって、直ちに、一帆の用船に、薫酒、羊肉、茶、その他沢山な礼物を積んで、江を下った。
呉陣の岸に着いて、番の隊将に旨をつたえ、すぐ本営に行って周瑜と会った。
「これは、懇ろな陣見舞いを」
と、周瑜は快く品々をうけ、また使糜竺をもてなしはしたが、
「どうか、御主君劉予公へ、よろしくお伝え賜わりたい」
と、どこかよそよそしく、孔明のうわさなどには、一切ふれて来なかった。
四
翌日、また次の日と、会談は両三回に及んだが、周瑜はいつも、話題の孔明に及ぶことを避けていた。
糜竺は三日目の朝、暇を告げに行った。すると、周瑜は初めて、
「孔明は今わが陣中に在るが、共に曹操を討つには、ぜひ一度、劉予公も加えて、緊密なる大策を議さねばなるまいかと考えておる。──幸いに、玄徳どのが、これまで来会してくれれば、これに越したことはないが」と、言った。
糜竺は、畏まって、
「何と仰せあるかわかりませんが、御意向の趣は、主君劉予州にお伝えしましょう」
と約して帰った。
魯粛はそのあとで、
「何のために、玄徳を、この陣中へお招きになるのですか」
と、周瑜の意中をいぶかって訊ねた。すると、周瑜は、
「もちろん殺すためだ」と、平然と答えた。
孔明を除き、玄徳を亡き者にしてしまう事が、呉の将来のためであると、周瑜はかたく信じているらしいのである。その点、魯粛の考えとは、非常に背馳しているけれど、まだ曹操との一戦も開始しないうちに、味方の首脳部で内紛論争を起こすのもおもしろくないことだし、先は、大都督の権をもってすることなので、魯粛も、
「さあ、どういうものですかな」
と、口を濁す程度で、あえて、強い反対もしなかった。
一方、夏口にある玄徳は、帰って来た糜竺の口から委細を聞いて、
「では自身、さっそく呉の陣を訪ねて行こう」
と、船の準備をいいつけた。
関羽をはじめ諸臣はその軽挙を危ぶんで、
「糜竺が行っても孔明に会わせない点から考えても、周瑜の本心というものは、多分に疑われます。態よく、返書でもお遣りになっておいて、もう少し彼の旗色を見ていてはいかがですか」
と、諫めたが、玄徳は、
「それでは、せっかく孔明が使して実現した同盟の意義と信義にこちらから反くことになろう。虚心坦懐、ただ信をもって彼の信を信じて行くのみ」と言って肯かない。
趙雲、張飛は、留守を命ぜられ、関羽だけが供をして行った。
一船の随員わずか二十余名、ほどなく呉の中軍地域に着いた。
江岸の部隊からすぐこの由が本陣の周瑜に通達された。──来たか! というような顔色で、周瑜は番兵にたずねた。
「玄徳はどれほどな兵を連れてやって来たか」
「従者は二十人ぐらいです」
「なに、二十人」
周瑜は笑って、
(わが事すでに成れり!)
と、胸中でつぶやいていた。
ほどなく、玄徳の一行は、江岸の兵に案内されて、中軍の営門を通って来た。周瑜は出て、賓礼を執り、帳中に請じては玄徳に上座を譲った。
「初めてお目にかかる。わたくしは劉備玄徳。将軍の名はひとり南方のみではなく、かねがね北地にあっても雷のごとく聞いていましたが、測らずも今日、拝姿を得て、こんな愉快なことはありません」
玄徳が、まず言うと、
「いやいや、まことに、区々たる不才。劉皇叔の御名こそ、かねてお慕いしていたところです。陣中、何の御歓待もできませんが」
と、型のごとく、酒宴に遷り、重礼厚遇、至らざるなしであった。
その日まで、孔明は何も知らなかったが、ふと、江岸の兵から、今日のお客は、夏口の劉皇叔であると聞いて、
「さては?」
と、愕きをなして、急に、周瑜の本陣へ急いで行った。──そして帳外に佇み、ひそかに主客の席を窺っていた。
狂瀾
一
本来、この席へ招かれていいわけであるが、孔明には、玄徳が来たことすら、聞かされていないのである。
もって、周瑜の心に、何が潜んでいるか、察することができる。
「......?」
帳の外から宴席の模様を窺っていた孔明の気持は、まさにわが最愛の親か子が、猛獣の檻に入っているのを覗いているような不安さであった。
──が、玄徳は、いかにも心やすげに、周瑜と話しているふうだった。
ただ、その背後には、剣を把って、守護神のごとく突っ立っている関羽が見える。──孔明はそれを見て、
「関羽があれに侍立しているからは......」
と、少し安心して、そっと屋外へ出ると、飄然、江岸にある自分の仮り屋の方へ立ち去った。
よもや、孔明がついこの席の外に佇んでいるとも知らない玄徳は、周瑜との雑談の末、軍事に及び、ようやく話も打ち解けて来たので、側らにいた魯粛をかえりみて、
「時に、臣下の孔明が、久しく御陣中に留まっておるそうですが、ちょうどよい折、これへ呼んでいただけますまいか」と、言ってみた。
すると、周瑜がすぐ返事を奪って、
「それは造作もないことだが、どうせ一戦は目前に迫っておること。曹操を破って後、めでたく祝賀の一会という時に、お会いになったらいいではないか」
と、すぐ話をわきへそらし、ふたたび、曹軍を討つ軍略や手配などを、しきりに重ねて言い出した。
関羽は、主君の袂をひいて、うしろからそっと眼くばせした。──その事に触れない方が御賢明ですよ、と注意するのであった。玄徳もすぐ覚って、
「そうですな。では今日の御杯も、これくらいでお預けしておきましょう。いずれ、曹操を打ち破った上、あらためて祝賀のお慶びに出直すとして──」
と、うまく席を立つ機をつかんで別れた。
あまりにあざやかに立たれてしまったので、周瑜もいささかまごついた形だった。実は、玄徳を酔わせ、関羽にも追い追い酒をすすめて、この堂中を出ぬまに、刺殺してしまおうと、四方に数十人の剣士力者を忍ばせておいたのであった。
それを、つい、うまく座を外されてしまったので、合図する遑すらなく、周瑜も倉皇と、轅門の外まで見送りに出て、空しく客礼ばかり施してしまった。
駒に乗って、本陣を去ると、玄徳は、関羽以下二十余人の従者を具して、飛ぶがごとく、江岸まで急いで来た。
──と、水辺の楊柳の蔭から手をあげて、
「御主君、おつつがもなく、お帰りでしたか」と、呼ぶ人がある。
見れば、懐かしや、孔明ではないか。玄徳は駒の背から飛び降りて、
「おお、孔明か」と、駆け寄り、相抱いて、互いの無事をよろこんだ。
孔明は、その歓びを止めて、
「私の身はいま、その象においては、虎口の危うき中にいますが、しかし安きこと泰山のごとしです。決して御心配くださいますな。──むしろこの先とも、お大事を期していただきたいのは、我が君の行動です。来る十一月の二十日は、まさしく甲子にあたります。お忘れなく、その日は、御麾下の趙雲に命じて、軽舸を出し、江の南岸にあって、私を待つようにお備えください。いま帰らずとも、孔明は必ず東南の風の吹き起こる日には帰ります」
「先生、どうして今から、東南の風の吹く日がわかりますか」
「十年、隆中の岡に住んでいた間は、毎年のように、春去り、夏を迎え、秋を送り、冬を待ち、長江の水と空ゆく雲をながめ、朝夕の風を測って暮らしていたようなものですから、それくらいな観測は、ほぼ外れない程度の予見はつきます。──おお、人目にふれないうちに、君には、お急ぎあって」
と、孔明は、主君を船へせきたてると、自分も忽然と、呉の陣営のうちに、姿をかくしてしまった。
二
孔明に別れて、船へ移ると、玄徳はすぐ満帆を張らせて、江を溯って行った。
進むこと五十里ほど、かなたに一群の船団が江上に陣を作している。近づいて見れば、自分の安否を気遣って迎えに来た張飛と船手の者どもだった。
「おうよくぞ、おつつがなく」
一同は、無事を祝しながら、主君の船を囲んで、夏口へ引き揚げた。
玄徳の立ち帰った後──呉の陣中では、周瑜が、掌中の珠を落としたような顔をしていた。
魯粛は、意地わるく、わざと彼にこう言った。
「どうして都督には、今日の機会を、みすみす逸して、玄徳を生かして帰してしまわれたのですか」
周瑜は、自分の
不機
を、どうしようもない──といったように、
「始終、関羽が玄徳のうしろに立って、この方が杯へやる手にも、眼を離さず睨んでおる。下手をすれば、玄徳を殺さないうちに、こっちが関羽に殺されるだろう。何にしても、あんな猛犬が番についていたんでは、手が出せんさ」
嚙んで吐き出すような返事であった。魯粛はむしろ呉のために、彼の計画の失敗したことを歓んでいた。
この事あってからまだ幾日も経たないうちの事である。
「魏の曹操から書簡を携えて、江岸まで使者の船が来ましたが?」とのしらせに、
「通せ。──しかし曹操の直書か否か、その書簡から先に示せと言え」
と、周瑜は、帷幕にあって、それを待っていた。
やがて、取り次ぎの大将の手から、恭しく彼の前へ一書が捧げられた。書簡は皮革をもって封じられ、紛れもない曹操の親書ではあった。
──けれど周瑜は、一読するや否、面に激色をあらわして、
「使者を逃がすな」と、まず武士に言いつけ、書簡を引き裂いて、立ち上がった。
魯粛が、驚いて、
「都督、なんとされたのです」
と、訊くと、周瑜は、足下へ破り捨てた書簡の断片を、足でさしながら罵った。
「それを見るがいい。曹賊め、自分のことを漢大丞相と署名し、周都督に付するなどと、まるでこの方を臣下あつかいに認めておる」
「すでに充分、敵性を明らかにしている曹操が、どう無礼をなそうと、怒るには足らないでしょう」
「だからこの方も、使者の首を刎ねて、それに答えてやろうというのだ」
「しかし、国と国とが争っても、相互の使は斬らないというのが、古来の法ではありませんか」
「なんの、戦争に入るに、法があろうか。敵使の首を刎ねて、味方の士気を振い、敵に威を示すは、むしろ戦陣の慣いだ」
言いすてて帳外へ闊歩して行った。周瑜は、そこへ使者を引き出させて、何か大声で罵っていたが、たちまち剣鳴一戞、首を打ち落として、
「従者。使の従者。この首はくれてやるから、立ち帰って、曹操に見せろ」と、供の者を追い返した。
そして、直ちに、
「戦備にかかれ」と、水、陸軍へわたって号令した。
甘寧を先手に、蔣欽、韓当を左右の両翼に、夜の四更に兵糧をつかい、五更に船陣を押しすすめ、弩弓、石砲を懸け連ねて、
「いざ、来れ」と、待ちかまえていた。
果たせるかな曹操は、使者の首を持って逃げ帰って来た随員の口々から、しかじかと周瑜の態度を聞きとって、
「今は」と、最後の臍をかため、水軍大都督の蔡瑁、張允を召し出して、
「まず、周瑜の陣を破れ、しかる後に、呉の全土を席巻せん」と、言いつけた。
江上は風もなく、四更の波も静かだった。時、建安十三年十一月。荊州降参の大将を船手の先鋒として、魏の大船団は、三江をさして、徐々南下を開始していた。
三
夜は白みかけたが、濃霧のために水路の視野も遮られて、魏の艨艟も、呉の大船陣も、互いに、すぐ目前に迫りあうまで、その接近を知り得なかった。
「おうっ、敵の船だっ」
「懸かれっ」
突如として、魏の兵船は、押し太鼓を打ち鳴らしながら、白波をあげて、呉船の陣列を割って来た。
時に、呉の旗艦らしい一艘の舳に立って、海龍の盔をいただいた一名の大将が、大音をあげて魏船の操縦の下手さを嘲った。
「荊州の蛙、北国の鼬どもが、人真似して軍船に乗りたる図こそ笑止なれ。水上の戦とは、こうするものだぞ。冥土の土産にわが働きを見て行くがいい」
と、まず船楼に懸け並べた弩弓の弦をいっせいに切って放った。
曹軍の都督蔡瑁は、人もなげな敵の豪語に、烈火のごとく怒って自ら舳に行こうとすると、すでに弟の蔡薫が、そこに立って、敵へ言い返していた。
「龍頭の漁夫、名はないのか。われは大都督の舎弟蔡薫だ。遠吠えをやめて、船を寄せて来い。一太刀に斬り落として、魚腹へ葬ってくれるから」
すると、遠くで、
「甘寧を知らないのは、いよいよ水軍の潜りたる証拠だ。腰抜けな荊州蛙の一匹だろう。大江の水は、井の中とはちがうぞ」
罵るやいな、甘寧は自身、石弩の弦を引きしぼって、ぶんと放った。
数箇の石弾は、捻りを立てて飛んで行ったが、その一弾が、蔡薫の面をつぶした。あっと、両手で顔を掩ったとき、また一本の矢が、蔡薫の首すじに突っ立ち、姿は真っ逆さまに、舳を嚙む狂瀾の中に呑まれていた。
まだ舷々相摩しもせぬ戦の真っ先に、弟を討たれて、蔡瑁は心頭に怒気を燃やし、一気に呉の船列を粉砕せよと声を嗄らして、将楼から号令した。
靄はようやく霽れて、両軍数千の船は、陣々入り乱れながらも、一艘も余さず見ることができる。真っ赤に昇り出づる陽と反対に、大江の水は逆巻き、咬みあう黒波白浪、さけびあう疾風飛沫、物すさまじい狂濤石矢の大血戦はここに展開された。
蔡瑁を乗せている旗艦を中心として、一隊の縦隊船列は、深く呉軍の中へ進んで行ったが、これは水戦に晦い魏軍の主力を、巧みに呉の甘寧が、味方の包囲形のうちに誘い入れたものであった。
ころを計ると──
たちまち、左岸から韓当の一船隊、右岸から蔣欽の一船群、ふた手に、白い水脈を曳きながら、敵の主力を捕捉し、ほとんど、前後左右から、鉄箭石弾の烈風を見舞った。
蕭々、帆は破れ、船は傾き、魏の船団は一つ一つ崩れ出した。船上いっぱい、朱となって、船が人力を離れて、波のまにまに漂い出すのを見ると、
「それっ、あれへ」
と、呉の船は、その鋭角を、敵の横腹へぶつけて、たちまち木ッ端微塵とするか、あるいは飛び移って、皆殺しとなし、それを焼き払った。
こうして、主力が叩かれたため、後陣の船は、まったく箇々にわかれて、岸へ乗りあげてしまうもあるし、拿捕されて旗を降ろすもあるし、そのほかは、帆を逆しまに逃げ出して、散々な敗戦に終わってしまった。
甘寧は、鐘鼓を鳴らして、船歌高く引きあげたが、戦が熄んでも、黄濁な大江の水には、破船の旗やら、焼けた舵やら、無数の死屍などが、洪水のあとのように流れていた。
そのたくさんな戦死者は、ほとんど魏の将士であった──かくとその日の戦況を耳にした曹操の顔色には、すこぶる穏やかならぬものがあった。
「蔡瑁を呼べ。副都督の張允も呼んで来い」
大喝、何が降るかと、召し呼ばれた二人のみか、侍側の諸将もはらはらしていた。
群英の会
一
敗戦の責任を問われるものと察して、蔡瑁、張允の二人は、はや顔色もなかった。
恟々として、曹操の前へすすみ、かつ百拝して、このたびの不覚を陳謝した。
曹操は、厳として言った。
「過ぎ去った愚痴を聞いたり、また過去の不覚を咎めようとて、その方たちを呼んだのではない。──要は、将来にある。かさねて敗北の恥辱を招いたら、その時こそ、きっと、軍法に正してゆるさんが、このたびだけはしばらく免じておく」
意外にも、寛大な言い渡しに、蔡瑁は感泣してこう言った。
「もとより、味方敗軍の責は、われらの指揮の至らないためにもありますが、もっとも大きな欠陥は、荊州の船手の勢が総じて調練の不足なのに比して、呉の船手は、久しく鄱陽湖を中心に、充分、錬成の実をあげていたところにあります。──加うるにお味方の北国兵は、水上の進退に馴れず、呉兵はことごとく幼少から水に馴れた者どもばかりですから、江上の戦においても、さながら平地と異ならず、ここにも多分な弱点が見出されます」
それは曹操も感じている事だった。しかし、この問題は、兵の素質と、長日月の訓練にあることなので、急場にはいかんともすることができないのである。
「では、どうするか」との問いに、蔡瑁は次のような献策をもって答えた。
「攻勢を止めて、守備の態をとることです。渡口を固め、要害を擁し、水中には遠くにわたって水寨を構え、一大要塞としておもむろに、敵を誘い、敵の虚を突き、そして彼の疲れを待って、一挙に、下江を図られてはいかがでしょう」
「ムム、よかろう。その方両名には、すでに水軍の大都督を命じてあるのだ。よしと信じることならいちいち計るには及ばん、迅速にとり行なえ」
こう言うことばの裏には、曹操自身にも、水上戦には深い自信のないことが窺えるのである。両都督の責を問わず、罪をゆるして励ましたのも、一面、それに代わるべき水軍の智囊が無かったからであると言えないこともない。
いずれにせよ蔡瑁、張允のふたりは、ほっとして、軍の再整備にかかった。まず北岸の要地に、あらゆる要塞設備を施し、水上には四十二座の水門と、蜿蜒たる寨柵を結いまわし、小船はすべて内において交通、連絡の便りとし、大船は寨外にも船列を布かせて、一大船陣を常備に張った。
その規模の大なることは、さすがに魏の現勢力を遺憾なく誇示するものだったが、夜に入ればなおさら壮観であった。約三百余里にわたる要塞の水陸には篝、煙火、幾万幾千燈が燃えかがやいて、一天の星斗を焦がし、ここに兵糧軍需を運送する車馬の響きも絡繹と絶えなかった。
「近ごろ、上流にあたる北方の天が、夜な夜な真っ赤に見えるが、あれはそも、何のせいか」
南岸の陣にある呉の周瑜は、怪しんである時、魯粛にたずねた。
「あれは、曹操が急に構築させた北岸の要塞で、毎夜、旺に焚いている篝や燈火が雲に映じているのでしょう」
魯粛が、更に、精しく説明すると、周瑜はこのところ甘寧の大捷に安んじて、曹軍怖るるに足らずと、大いに驕っていたところであったが、急に不安を抱いて、いちど要塞の規模を自身探ってみようと言い出した。
「敵を知るは、戦に勝つ第一の要諦だ」
と称して、一夜、周瑜はひそかに一船に乗りこみ、魯粛、黄蓋など八名の大将を連れて、曹軍の本拠を偵察に行った。
もちろん危険な敵地へ入るわけなので、船楼には、二十張の弩弓を張って、それぞれ弩弓手を配しておき、姿は、幔幕をめぐらして蔽い隠し、周瑜や魯粛などの大将たちは、わざと鼓楽を奏して、敵の眼をくらましながら、徐々、北岸の水寨へ近づいて行った。
二
星は暗く、夜は更けている。
船は、石の碇を下ろし、ひそかに魏の要塞を、偵察していた。
水軍の法に精しい周瑜も、四十二座の水門から寨柵、大小の船列、隈なく見わたして、
「いったい、こんな構想と布陣は、だれが考察したのか」
と、舌を巻いて驚いた。
魯粛は、その迂遠を嘲って、
「もちろん荊州降参の大将、蔡瑁、張允の二人です。彼等の智囊は、決して見縊ったものではありません」と、言った。
周瑜は、舌打ちして、
「不覚不覚。今日まで、曹操の方には、水軍の妙に通じた者はないと思っていたが、これはおれの誤認だった。蔡瑁、張允を殺してしまわないうちは、水上の戦いだからといって、滅多に安心はできないぞ」
語りながら、なお船楼の幕のうちで、酒を酌み、また碇を移し、あなたこなた、夜明けまではと、探っていた。
──と、早くも、魏の監視船から、この事は、曹操の耳に急達されていた。何の猶予やあらんである。それ捕擒にせよとばかり、水寨の内から一陣の船手が追いかけて来た。
けれど、周瑜の船は、いち早く逃げてしまった。水流にまかせて下るので船脚は著しく早い。ついに、取り逃がしたと聞いて、翌朝、曹操はひどく鋭気を削がれていた。
「敵に、陣中を見すかされては、またこの構想を一変せねばならん。こんな虚があるような事で、いつの日か、呉を破ることができるものぞ」
すると、侍列の中から、
「丞相、嗟嘆には及びません。てまえが周瑜を説いて、お味方に加えてみせます」
と言った者がある。
人々は、その大言に驚いて、だれかとみると、帳下の幕賓、蔣幹、字は子翼というものだった。
「おう、幹公か。足下は周瑜と親交でもあるのか」
「それがしは九江の生まれなので、周瑜とは郷里も近く、少年時代から学窓の友でした」
「それはよい手懸かりだな。もし呉から周瑜を外せば、呉軍は骨抜きになる。大いに足下の労に嘱すが、行くとすれば、何を携えてゆくか」
「何もいりません。ただ一童子と一舟を賜わらば充分です」
「説客の意気、そうなくては成らん、では、早速に」
と、彼のため一夕、旺なる壮行会を設けて。江に送った。
蔣幹は、わざと、綸巾をいただき、道服をまとい、一壺の酒と、一人の童子をのせただけで、扁舟飄々、波と風にまかせて、呉の陣へ下って行った。
「われは周都督の旧友である。なつかしさのあまり訪れて来た。──と称する高士風のお人が今、岸へ上がって来ましたが?」
と、聞いて、周瑜は、からからと笑った。
「ははあ、やって来たな、曹操の幕賓になっているとか聞いていた蔣幹だろう。よしよしこれへ通せ」
彼は、その間に、諸大将へ計を囁いて、
「さて、どんな顔をして来るか」と、蔣幹を待っていた。
やがて蔣幹は、それへ案内されて来て、
眼をみはった。いや
面
らったといった方が実際に近い。華やかな錦衣をまとい、
花帽をいただいた四、五百人の軍隊が、まずうやうやしく
轅門に彼を出迎え、さて営中に入ると、同じように
綺羅の
粧いをした大将が、周瑜の座を中心に、星のごとく居流れている。
「やあ、幹公か。めずらしい御対面、おつつがないか」
「周都督にも
御機
よう、慶祝にたえません」
蔣幹は、拝を終わると、特に、親しみを示そうとした。
周瑜も、意識的にくだけた調子で、
「途中、よく矢にも弾にも狙われず来られたな。こんな戦時下、はるばる、江を渡って、何しに来られたのだ。......曹操から頼まれてお越しになったのじゃないかな。あはははは、いや冗談冗談」
と、相手の顔色が変わったのを見ながら、すぐ自分で自分のことばを打ち消した。
三
蔣幹は内心、どきとしたが、さあらぬ態で、
「これはどうも、迷惑なお疑いですな。近ごろ、閣下の御高名が呉に振うにつけても、よそながら慶祝にたえず、竹馬の友たりしころの昔語りでもせんものと、お訪ねして来たのに。──曹操の説客ならんとは、心外千万じゃ」
と、わざと面膨らせて見せると、周瑜は笑って、その肩を撫で、かつ宥めて、
「まあ、そう怒りたもうな。隔てなき旧友なればこそ、つい冗談も出るというもの。......何しろ、よく来てくれた。陣中、歓待しもできないが、今夜は大いに久闊を叙べて楽しもう」
と、共に臂を組んで、酒宴の席へ誘った。
堂上堂下に集まった諸将はみな錦繡の袖をかさね、卓上には金銀の器、瑠璃の杯、漢銅の花器など、陣中とも思われない豪華な設けであった。
主客、席につくと、喨々、得勝楽という軍楽が奏された。周瑜は起って、幕下の人々へむかい、
「この蔣幹は、自分とは同窓の友で、今日、江北から訪ねてくれたが、決して、曹操の説客ではないから、心措きのないように」
と、客を紹介したはいいが、変な言いまわしをして、いよいよ蔣幹の心を寒からしめた。
のみならず、諸大将の中から、大史慈を呼び出して、自分の剣を渡し、
「こよいは懐かしい旧友と共に、夜を徹して、楽しもうと思うが、もし遠来の客に非礼があってはならぬ。御客が第一の迷惑とされることは、曹操の説客ならずやと、白眼視されることである。だからもしこの席上で、曹操とわが国との合戦の事など、かりそめにも口にする者があったら、即座に、この剣をもって斬って捨てい」と、命じた。
大史慈は、剣をうけて、席の一方に立っていた。蔣幹はまるで針の莚に坐っているような心地だった。
周瑜は、杯を把って、
「出陣以来、酒をつつしんで、陣中では一滴も飲まなかったが、今夜は、旧友幹兄のために、心ゆくまで飲むつもりだ。諸将も客にすすめて、共に鬱気をはらすがいい」
と、快飲し始めた。
満座、酒に沸いて、興もようやく酣であった。佳肴杯盤は巡り、人々はこもこも立って舞い謡い、また囃した。
「長夜の歓はまだ宵のうち、すこし外気に酔いをさまして、また飲み直そう」
周瑜は、蔣幹と臂を組んで、帳外へ拉して行った。そして陣中を逍遙しながら、武器兵糧の豊富にある所を見せたり、営中の士気の旺なる有様をそれとなく見せて歩いた。
そして、以前の席へ、戻って来たが、その途々にも、
「貴公とおれとは、同窓に書を読み、幼時から共に将来のことを語ったこともあるが、今日、呉の三軍をひきい、身は大都督の高きに在り、呉君は自分を重用して、自分の言なら用いてくれないことはない。こんなにまで、立身しようとは、あのころも思わなかったよ。故に今、古の蘇秦、張儀のような者が来て、いかに懸河の弁をふるってこの周瑜を説かんとしても、この心は金鉄のようなものさ。いわんや一腐れ儒者などが、常套的な理論をもって、周瑜の心を変えようなんて考えて来る者があるとすれば、これほど滑稽なことはない」と、大笑した。
蔣幹の体はあきらかに顫えていた。酔いもさめて顔は土気いろになっている。周瑜はまた、宴の帳内へ彼を拉して、
「やあ幹兄。すっかり酒気が醒めたようじゃないか。さあ、大杯で乾し給え」
と、杯を強い、さらに諸大将にも促して、後から後からと杯をすすめさせた。
杯攻めに会っている蔣幹の困り顔をながめながら、周瑜はまた、
「今夜、ここにいるのは、みな呉の英傑ばかりで、群英の会とわれわれは称している。この会の吉例として、それがしの舞いを一曲御覧に入れよう。──方々、歌えや」
そう言うと、彼は剣を抜いて、珠と散る燭の光を、一閃また一閃、打ち振りながら舞い出した。
四
大丈夫処世兮立功名
功名既立兮王業成
王業成兮四海清輝
四海清兮天下泰平
天下泰平兮吾将酔
吾将酔兮舞霜鋒
周瑜は剣を振ってかつ歌いかつ舞い、諸将は唱和して、また拍手歓呼し、夜は更けるとも、興の尽くるを知らなかった。
「ああ、愉快だった。幹公、今夜は御辺と同じ床に寝て、語り明かそう」
蹌踉として、周瑜は蔣幹の首にかじりつき、ともに寝所へ転びこんだ。
──と同時に、周瑜は、衣も脱がず帯も解かず、泥酔狼籍、牀をよそに、床の上へ仆れて寝てしまった。
「都督、都督。......そんなところへ眠ってしまわれてはいけません。お体の毒です。風邪でもひいては」と、蔣幹は幾度か揺り起こしてみたが、覚めればこそ、鼾声を増すばかりで、房中もたちまち酒蔵のような匂いに蒸れた。
ただただ胆を奪われて、宵のうちから酔えもせず、ただ恟々としていた蔣幹は、もちろんここへ入っても容易に眠りつくことができなかった。
夜はすでに四更に近い。陣中を巡邏する警板の響きがする。......周瑜はとみればなお前後不覚の態たらくだ。残燈の光淡く、浅ましい寝すがたに明滅している。
「......おや?」
蔣幹はむくと身を起こした。卓上に多くの書類や書簡が取り散らかっている。下にこぼれ落ちている五、六通を拾ってそっと見ると、みな陣中往来の機密文書である。
「......?」
怪しく手が顫えた。──蔣幹の眼は細かに動いて、幾たびも、周瑜の寝顔にそそがれ、また、書簡の幾通かを、次々に、迅い眼で読んで行った。
愕然、彼の顔色を変えさせた一片の文字がある。見覚えのあるような手蹟と思って、披いてみると、果たして、それは曹操の幕下で日常顔を見ている張允の手簡ではないか。
蔡瑁、張允啓白。
それがし等、一旦、曹に降るは、仕禄を図るに非ず、みな時の勢いに迫らるるのみ。今すでに北軍を賺めて寨中に籠めしむ。みな生等が復仇の意謀に因づいてかく牽制するところの現われなり。
今し、南風に託し、一便の牒状を齎したまわば、即ち、内に乱を発し、曹賊の首を火中に挙げて呉陣に献ぜん。是れ、故国亡主の怨みをすすぐ所にして、また天下のためなり。早晩人到り、回報疾風のごとくあらんことを。敬覆、深く照察を乞い仰ぐ。
「う、う。......うーむ」
ふいに周瑜が寝返りを打った。蔣幹はあわてて燈火をふき消した。そしてしばらく様子を見ていたが、また大鼾をかいて寝入ったらしいので、自分もそっと、衾を打ち被いで牀のうえに横たわっていた。
──すると、帳外の

を、だれかコツコツと
叩く者がある。蔣幹は息をころしていた。やがて
佩剣の音が入って来た。周瑜の腹心の大将らしい。しきりに揺り起こして、何か
囁いている声がする。
周瑜はやっと起き上がった。そして蔣幹の方を見て、
「この寝所へ、自分と共に寝こんだやつは、一体どこの何者だ」
などと訊ねている。
腹心の大将が、それは閣下の御友人とか言う蔣幹です、と答えると、非常に愕いた様子で、
「なに、蔣幹だと。それはいかん。......なぜもっと静かにものを言わんか」
と、急に、相手の声をたしなめながら、帳の外へ出て行った。
二人は、かなり長い間、何か立ち話をしているようであったが、時々、張允とか、蔡瑁とかいう名が、会話のうちに聞こえて来た。
五
そのうちにまた、べつな声で、北国訛りの男が何か喋舌り出した。呉の陣中に北兵がいるのは怪訝しいと蔣幹はいよいよ聞き耳をそばだてていた。
男はこの陣中の者ではない。江北から来た密使と見える。蔡大人とか、張都督とか、蔡瑁、張允のことを尊称していることばつきから見ても、彼の部下か、あるいはそれに頼まれて来た人間ということは想像がつく。
「......さては何か諜し合わせに」と、先刻、拾った書簡を思いあわせて、蔣幹は身の毛をよだてた。さても、油断のならぬことよ、心もおどおどして、もう空寝入りしているのも気が気ではない。
やがての事──密使の男と、ひとりの大将は、用談がすんだとみえて、跫音ひそかに立ち去った。周瑜もすぐ寝室へもどって来た。そして今度は、帳を引いて、寝床の中へ深々と潜りこんだ。──夜明けの待ち遠しさ。蔣幹は薄目をあいて窓外ばかり気にしていた。いい按配に、周瑜は再び大きな寝息をかき始めている。そして、窓の辺りが、仄かに明るくなりかけた。
「......うーむ。ああ、よく眠った」
蔣幹はわざと大きく伸びをしながらそう呟いてみた。周瑜は眼を覚まさない。しめたと、厠へ立つふりをして、内房から飛び出した。外はまだ暁闇、わずかに東天の空が紅い。
陣屋の轅門まで来ると、
「だれだっ?」
番兵に見咎められて、一喝を浴びた。蔣幹はぎょっとしたが、強いて横柄に構えながら、
「周都督の客にむかって、だれだとは何事だ。わしは都督の友人蔣幹じゃが」
と、肩を高くして振り向いた。
番兵等はあわてて敬礼した。蔣幹は悠々と背を向けたが、番兵たちの眼から離れると、風のごとく駆け出して、江岸の小舟へ飛び乗った。
曹操は彼の帰りを待ちかねていた。周瑜の降伏を深く期待していたのである。だが、立ち帰って来た蔣幹は、
「どうもその事はうまく行きませんでした」と、まず復命した。
あきらかに、曹操の面は失望の色に蔽われた。しかし──と、蔣幹は唇を舐めてそれに言い足し、
「より以上な大事を、呉の陣中から拾って来ました。これをもって、いささかお慰めください」
と、周瑜の寝室から奪って来た書簡の一つを差し出した。
味方の水軍都督蔡瑁、張允のふたりが、敵へ通謀して、しかも曹操の首を打つことは、逆意でも裏切りでもなく、故主劉表の復讐であると、それには揚言しているではないか。
「すぐ、二人を呼べ」
彼の忿怒は、尋常でなかった。武士の群れはたちまち走って、二人を捕らえて来た。──犬畜生でも見るように、曹操は、はッたと両名を睨めつけて、
「出しぬけに、先手を

って貴様たちは、さぞ
度胆を
潰したろう。身のほど
弁えぬ悪計を
企むと、運命というやつは、大概逆に転んでくるものだ。──だれでもよしっ、この剣をもって、そいつらの細首を打ち落とせ」と、
佩剣を武士に授けた。
蔡瑁、張允は仰天して、
「何を御立腹なのか、それがしどもには考えもつきません。理由を仰せ聞かせ下さい」
と、蒼白になって言った。
曹操は耳を仮さず、
「太々しい下司ども、これを見ろ。これはだれの書簡だ」
と、例の一通を、二人の眼の前に投げつけた。張允は見るやいなや、
「あっ、偽書だ。こんな、敵の謀略にのって」
と、跳び上がったが、その叫びも終わらないうちに、後ろにまわっていた武士の手から、戛然、大剣は鳴って、その首すじへ振り落とされた。つづいて、逃げようとした蔡瑁の首も、一刀両断の下に転がっていた。
陣中戯言なし
一
その後すぐ呉の諜報機関は、蔡瑁、張允の二将が曹操に殺されて、敵の水軍司令部は、すっかり首脳部を入れ替えたという事実を知った。
周瑜は、それを聞いて、
「どうだ、おれの計略は、名人が弓を引いて、翊ける鳥を射的てたようにあたったろうが」
と、魯粛へ誇った。
よほど得意だったとみえて、なお問わず語りに、
「あの蔡瑁、張允のふたりが、水軍を統率している間は油断がならぬと、先夜の事以来、憂えていたが、これでもう魏の船手も怖るるに足らん。早晩、曹操の運命は、この掌のうちにあろう」
と、言って、またふと、
「──だが、この深謀を、わが計と知るものは、今の所、味方にもないが、あるいは孔明だけはどう考えているかわからん。ひとつ、御辺がさあらぬ顔して、孔明を訪れ、彼がこの事を、なんと批判するか探ってみぬか。それも後々の備えに心得ておく必要があるからな」と、つけ加えた。
翌日、魯粛は、孔明の船住居を訪れた。一艘の船を江岸につないで、孔明は船窓の簾を垂れていた。
「このごろは、軍務に忙しく、つい御無沙汰していましたが、お変わりありませんか」
「見らるるごとく、至って無聊ですが──実は、今日にも一度出向いて、親しく周都督へ賀を陳べたいと思っていたところです」
「賀を? ......ほほう、一体、何のお慶びがあって?」
「あなたが御存じないわけがないが」
「いや、忙務に趁われていたせいか、まだ何も聞いてません。賀とは、何事をさして、おっしゃるのか」
「つまり周都督が、あなたをここに遣わして、私の胸をさぐらせようとなすった──その事です」
「えっ......?」
魯粛は、色を失って、茫然、孔明の顔をしばらく眺めていたが、
「先生。......どうしてそれを御承知なのですか」
「おたずねは愚です。蔣幹をすら首尾よくあざむき得た周都督の叡智ではありませんか。今に自然お覚りになるにちがいない」
「いや、どうも、先生の明察には愕きました。そう申されては、一言もありません」
「ともあれ、蔣幹を逆に用いて、蔡瑁、張允を除いたことは、周都督として、まことに大成功でした。仄聞するに、曹操は二人の亡きあとへ、毛玠、于禁を登用して、水軍の都督に任じ、専ら士気の刷新と調練に旦暮も怠らず──とか言われていますが、元来、毛玠も于禁も船軍の大将という器ではありません。やがて自ら破滅を求め、収拾にも窮せんこと火を睹るより明らかです」
何から何まで先を言われて、魯粛は口をひらく事もせず、ただ呆れ顔していた。そして非常に間のわるい気もするので、無用な世間ばなしなどを持ち出し、からくも座談をつくろってほうほうの態に立ち帰った。
彼の帰りかけるとき、孔明は、船の外まで送って来て、こう彼の口を誡めた。
「本陣へお戻りになっても、すでに孔明がこのたびの計を知っていたということは、周都督へも、どうか言わないでおいて下さい。──もし、それと聞けば、都督はまた必ずこの孔明を害そうとなさるにちがいない。人間の心理というものはふしぎなものに作用されがちですからな」
魯粛は、頷いて彼と別れて来たが、周瑜の顔を見ると、隠していられなかった。──ありのままを復命して、
「孔明の炯眼には、まったく胆をつぶされました。あながち、きょうばかりではありませんが」
と、つい周瑜に向かって、すべてを仔細に語ってしまった。
二
魯粛の復命を聞いて、周瑜はいよいよ孔明を怖れた。炯眼明察、彼のごとき者を、呉の陣中に養っておくことは、呉の内情や軍の機密を、思いのまま探ってくれと、こちらから頼んで、保護してやっているようなものである──と思った。
と、いって、今更。
孔明を夏口へ帰さんか、これまた後日の患いたるや必定である。たとい玄徳を呉の翼下に容れても、彼のごとき大才が玄徳についていては、決して、いつまでそれに甘んじているはずはない。
その時に到れば、孔明が今日、呉の内情を見ている事が、ことごとく呉の不利となって返って来るだろう。──如かず、いかなる手段と犠牲を覚悟しても、いまのうちに孔明の息の根をとめてしまうに限る!
「......そうだ、それに限る!」
周瑜が独りして大きく呟いたので、魯粛はあやしみながら、
「都督。それに限るとは、何の事ですか」と、たずねた。
周瑜は笑って、
「訊くまでもあるまい。孔明を殺すことだ。断じて彼を生かしておけんという信念をおれは改めてここに固めた」
「理由なく彼を殺せば、一世の非難をうけましょう。呉は信義のない国であると謳われては、呉のために、どうでしょうか」
「いや、私怨をもって殺すのはいけないだろう。しかし公道をもって、公然殺す方法がなくもあるまい」
数日の後、軍議がひらかれた。呉の諸大将はもちろん、孔明も席に列していた。かねて企むところのある周瑜は、評議の末に、ふと話題をとらえて、
「先生、水上の戦いに用うる武器としては、何をいちばん多量に備えておくべきでしょうか」
と、孔明を顧みて質問した。
「将来は、船軍にも、特殊な武器が発明されるかもしれませんが、やはり現状では、弩弓に優るものはありますまい」
孔明の答えを、思うつぼと、頷いて見せながら、周瑜はなお言葉を重ねた。
「むかし周の太公望は、自ら陣中で工匠を督して、多くの武器を製らせたと聞きますが、先生もひとつ呉のために、十万の矢を製っていただけまいか。もとより鍛冶、矢柄師、塗り師などの工匠はいくらでもお使いになって」
「御陣中には今、そんなに矢が御不足ですか」
「されば、江上の大戦となれば、いま貯蔵の矢数ぐらいは、またたく間に費い果たして、不足を来すであろうと考えられる」
「よろしい。製りましょう」
「十日のうちにできますか」
「十日?」
「無理は無理であろうが」
「いや、あすの変も知れぬ戦いの中。十日などと長い期間をおいては、その間に、どんな事が突発しようも知れますまい。十万の矢は、三日間の間に、必ず製り上げましょう」
「えっ、三日のうちに」
「そうです」
「陣中に戯言なし。よもお戯れではあるまいな」
「何でかかる事に、戯れを言いましょう」
三
散会した後の人なき所で、魯粛はそっと周瑜へ言った。
「どうもおかしい。孔明のきょうの言葉は、肚にもない詐りではないでしょうか」
「諸人の前で、好んで不信の言を吐くはずはあるまい」
「でも、三日の間に、十万の矢が製れるわけはありません」
「あまりに自分の才覚を誇り過ぎて、ついあんな大言を吐いてしまったのだろう。自ら生命を呉へ送るものだ」
「思うに、夏口へ逃げ帰るつもりではないでしょうか」
「いかに生命が惜しくても、孔明たる者が、笑いをのこして、醜い逃げ隠れもなるまいが......しかし念のためだ、孔明の船へ行って、またそれとなく彼の気色を窺って見給え」
夜に入ったので、魯粛は、あくる朝、早目に起き出て、孔明の船を訪ねた。
孔明は、外にいて、大江の水で顔を洗っていた──やあ、おはようと、晴れ晴れ言いながら近づき、楊柳の下の一石に腰かけて、
「きのうは、ひどい目にあいましたよ。粛兄とした事が、どうもお人が悪い」
と、平常の容子よりも、至極のどかな顔つきに見える。
魯粛も、強いて明るく、
「なぜですか。それがしが人が悪いとは」
「でも、大兄は、孔明があれほど固くお口止めしたのに、すぐありのまま、周都督へ私の意中をみな喋ってしまったでしょう。故に私は、周都督から油断のならぬ男と睨まれ、三日のうちに十万の矢を製るべし──と難題を命じられてしまいました。もし出来なかったら、軍法に照らされ、必ず斬罪に処せられましょう。何とかよい思案を授けて、私を助けてください」
「これは迷惑な仰せを承るもの。都督が初め十日以内にと言われたのを、先生自ら三日のうちに為て見せんと、好んで禍を求められたのではありませんか。今更、それがしにも、どうすることも出来はしませぬ」
「いや、都督へ向かって、約を解いて欲しいなどと、取り做しをおねがいする次第ではない。御辺の支配下にある士卒五、六百人ばかりと、船二十余艘とを、しばらく孔明のためにお貸しねがいたいのだが」
「それをどうするので」
「船ごとに、士卒三十人を乗せて、船体はすべて、青い布と、束ねた藁で蔽い、この岸に揃えて下されば、三日目までに、必ず十万の矢を製りあげ、周都督の本陣まで運ばせます。──ただしまた、この事も、決して周都督には御内密にねがいたい。あるいは、都督がお許しなきやも知れませんから」
魯粛は立ち帰って、またもそのとおりに周瑜へ告げた。──あまりにも孔明の言い分が奇怪でたまらないので、いったいどういう肚だろうかを、周瑜の意見に訊ねてみたい気もあったからである。
「......わからんなあ?」
周瑜も首を傾けて考えこんだきりであった。こうなると、ふたりとも、孔明が何を考えて、そんな不可思議な準備を頼むのか、やらせてみたい気がしないでもない。
「どうしましょう」
「まあ、やるだけの事を、やらせて、見ていたらどうだ。──充分、警戒は要するが」
「では、ともかく、船二十艘に望みの兵を貸してみましょうか」
「むむ。......しかし、油断するな」
「心得ています」
第二日目の日も過ぎて、三日目の夜となった。それまでに、二十艘の兵船は、孔明のさしずどおり、藁と布ですっかり偽装を終わり、各船に兵三十人ずつ乗りこんで、むなしく為す事もなく、江岸に繫がれていた。
「先生、いよいよ日限は、こよい限りですな」
魯粛が、様子を見に来ると、孔明は待っていたように、
「そうです、こよい一夜となりました。就いては、大儀ながら粛兄にも、一緒に来ていただけますまいか」
「どこへですか」
「江北の岸へ」
「何をしに」
「矢狩りに参るのです。矢狩りに......」
孔明は、笑いながら、怪訝がる魯粛の手をとって、船の内へ誘い入れた。
覆面の船団
一
夜靄は深くたれこめていた。二十余艘の兵船は、各々、纜から纜を一聯に長くつなぎ合い、徐々と北方へ向かって、溯航していた。
「とんと、わかりません」
「何がです」
「この船団の目的と、先生の心持ちが」
「は、は、は。今に自然おわかりになりますよ」
先頭の一船のうちには、孔明と魯粛が、細い燈火の下に、酒を酌み交わしていた。
微かな火光も洩らすまいと、船窓にも入り口にも帳を垂れているが、時折どうと船体を搏つ波音に灯も揺れ、杯の酒も揺れる。
「まるでこれは、覆面の船ですな、二十余艘すべて、藁と布で、隈なく船体を覆いかくしたところは」
「覆面の船。なるほど、覆面の船とは、おもしろい仰せではある」
「どうお用いになる気ですか、一体、これを」
魯粛はしきりに知りたがって訊ねたが、孔明はただ、
「この深い夜靄が霽れたらわかりましょう。まあ、御心配なく」
と、ばかりで、杯を舐めては、独り楽しんでいるかのようであった。
しかし、魯粛としては、気が気ではなかった。舳艫を連ねて北進して行く船は、行けども行けども溯っている。
「もしやこのまま、二十艘の軍船と兵と、この魯粛の身を土産に、夏口まで行ってしまうつもりではあるまいか?」
などと孔明の肚を疑って、魯粛はまったく安き思いもしなかった。
その夜の靄は、南岸の三江地方だけでなく、江北一帯もまったく深い晦冥につつまれて、陣々の篝火すら朧なほどだったから、
「かかる夜こそは、油断がならぬ。諸陣とも、一倍怠るなよ」
と、曹操は宵のうちから、特に江岸の警備に対して、厳令を出していた。
彼のあたまには始終、(呉兵は水上の戦によく馴れている。それに比して、わが魏の北兵は、演習が足りていない)という戒心があった。
敵の数十倍もある大軍を擁しながらも、なお驕らず、深く戒めているところは、さすがに曹操であり、驕慢が身を亡ぼした沢山な先輩や前人の例を見ているので、その轍を踏むまいと、常に反省していることもよく窺われる。
──で、その夜のごときも、部下を督励したばかりでなく、彼自身も深更まで寝ていなかった。
すると、案の定、夜も四更に近いころ、江上遠く、水寨のあたりで、喊の声がする。
「すわ!」
と、彼と共に、不寝の番をしていた徐晃、張遼の二将が、すぐ本陣から様子を見に駆け出してみると、呉の船団が、突忽と、夜靄を破って現われ、今し水寨へ迫って来た──との事に、張遼、徐晃は驚いて、
「呉軍の夜襲です」
と、あわただしく曹操へ急を知らせた。
「あわてるに及ばぬ」
かねて期したる事と、曹操は自身出馬して、江岸の陣地へ臨み、張遼、徐晃をして、すぐさま各射手三千人の弩弓隊を、三団に作らせ、水上の防寨や望楼に拠らせていっせいに射させた。
二
吠える波と、矢たけびに夜は明けて、濃霧の一方から紅々と旭日の光がさして来たころ、江上にあった怪船団の影はもう曹操の陣営から見えなくなっていた。
「曹丞相よ、夜来の御好意を感謝する。贈り物の矢はもう充分である。──おさらば!」
孔明は、江を下ってゆく船上から、魏の水寨を振り向いて言った。
彼を乗せた一艘を先頭として、二十余艘の船は、満身に矢を負って、その矢のごとく下江していた。
厚い藁と布をもって包まれた船腹船楼には、ほとんど、船体が見えないほど、敵の射た矢が立っていた。
「計られたり!」
と、あとでは曹操も気がついたのであろう、無数の軽舸をもって追撃させたが、孔明はさっそくゆうべから無数に獲た矢をもって射返した。しかも水は急なり、順風は帆を扶けて、たちまち、相距つこと二十余里、空しく魏船は、それを見送ってしまった。
「どうです粛兄。このたくさんな矢が、数えきれますか」
孔明は、魯粛に話しかけた。──魯粛はゆうべから孔明の智謀を覚って、今はまったく、その神算鬼謀に、ただただ舌を巻いて心服するのみだった。
「到底、数えきれるものではありません。先生が三日のうちに、十万の矢を製らんと約されたのは、つまりこの事でしたか」
「そうです。工匠を集めて、これだけのものを製ろうとすれば、十日でもむずかしいでしょう。なぜならば、周都督が工人どもの精励をわざと妨げるからです。──都督の目的は、矢を獲るよりは、孔明の生命を得んとなされているのですからな」
「あ、あ。それまで御存じでしたか」
「鳥獣すら殺手をのばせば、未然に感得して逃げるではありませんか。まして万物の霊長たるものが、至上の生命に対して、何で無感覚におられましょうや」
「真に敬服しました。それにしても、夜来の大霧を、どうして前日からお知りになっておられたろうか。それとも偶然、ゆうべのような絶好な夜靄にめぐりあったのですか」
「およそ、将たる人は、天文に通じ、地理に精しく、陣団の奇門を知らずしては、いわゆる将器とはいわれますまい。雲霧の蒸発などは、大地の気温と、雲行風速を案じ合すれば、漁夫のごとき無智な者にすら、予測のつくことです。三日のうちと周都督へ約したのも、そうした気象の予感が自分にあったからなので、もし意地悪く周都督が、わざとこの事を、七日先や十日先に仰せ出されたら、孔明もちと困ったにちがいありません」
淡々として孔明は他人事みたいに語るのである。すこしも智に慢じるふうは見えない。
ただ今朝の雲霧を破って、洋々と中天にのぼる旭光を満顔にうけて独りはなはだ心は楽しむかのように見えただけである。
やがて、全船無事に、呉の北岸に帰り着いた。兵を督して、満船の矢を抜かせてみると、一船に約六、七千の矢が立っていた。総計十数万という量である。
それを一本一本検めて、鏃の鈍角となったのは除き、矢柄の折れたのも取り捨て、すぐ使用できる物ばかりを、一把一把に束ねて、十万の矢は、きれいに山となって積みあげられた。
三
魯粛の語る始終を周瑜はさっきから頭を垂れて黙然と聞いていたが、やがて面をあげて、
「ああ......」
と、長大息すると、ありありと慚愧の色をあらわして、慨然とこう言った。
「誤てり、誤てり。ふと小我にとらわれて、ひたすら孔明の智を憎み、孔明を害さんとばかり考えていたが、彼の神機明察、到底われ等の及ぶところではない」
さすがに周瑜も一方の人傑である。省みて深く自分を羞じ、魯粛を走らせて、すぐ孔明を迎えにやった。
やがて、孔明が見えたと聞くと彼は自ら歩を運んで轅門の傍らに出迎え、慇懃、師の礼をとって上座へ請じたので、孔明はあやしんで、
「都督、今日の過分は何が故の御優遇ですか」と、問うた。
周瑜は偽らず、
「正直に言う。それがしはついにあなたの前に盔を脱ぎました。どうか今日までの非礼はおゆるしください。また、魯粛から承れば、敵地に入って敵の矢を蒐め、その十万本を見事、運んで来られた由。天来の妙計、ただただ驚嘆のほかはありません」
「はははは。そんな程度の詐術小計。なんで奇妙とするに足りましょうや。むしろ大器の者の恥ずるところです。いや、汗顔汗顔」
「お世辞ではありません。古の孫子呉子もおそらく三舎を避けましょう。きょうはお詫びのため、先生を正客にして一盞さしあげたい。魯粛とそれがしのために、願わくは、なお忌憚ない御腹中を聞かせ給わらぬか」
席をあらためて、酒宴に移ったが、その酒中でも、周瑜はかさねて言った。
「実はきのうも呉君孫権から御使いがあって、一日も早く曹操をやぶるべきに、空しく大兵大船を滞めて何をしているぞとのお叱りです。とはいえまだ不肖の胸には必勝の策も得られず、確たる戦法も立っておりません。お恥ずかしいが、曹操の堅陣に対し、その厖大な兵力を眼のあたりにしては、まったく手も脚も出ないというのが事実ですから仕方がない。どうか我々のために先生の雄策をもって、かの大敵を打ち破る手段もあらばお教えください。かくのとおり、頭を垂れておねがいします」
「なんのなんの、足下は江東の豪傑、碌々たる鈍才孔明ごときが、お教えするなどとは思いもよらぬ。僭越です。良策など、あろうはずもない」
「由来、先生は御謙遜にすぎる。どうかそう言わないで胸襟をおひらき下さい。──先ごろ、この魯粛を伴うて、暗夜、ひそかに江を溯り、北岸の敵陣を窺いみるに、水陸の聯鎖も完く、兵船の配列、水寨の構築など、実に法度によく叶っている。あれでは容易に近づき難い──と、以来、破陣の工夫に他念なき次第ですが、まだ確信を得ることができないのです」
「......しばらく、語るをやめ給え」と、制して孔明もややしばし黙考していたが、やがて、
「ここに、ただひとつ、行なえば成るかと思う計がある。......が、都督の胸中も、まったく無為無策ではありますまい」
「それは、自分にも、最後の一計が無いわけでもないが......」
「二人して各々掌のうちに書いて、あなたの考えと私の考えが、違っているか、同じであるか開き合ってみようではありませんか」
「それは一興ですな」
直ちに硯をとりよせると、互いに筆を頒かち、掌に何やら書いて、
「では」
と、

と

を出し合った。
「いざ御一緒に」
孔明はそう言いながら掌をひらいた。周瑜も共に掌をひらいた。
見ると──
孔明の掌にも、火の一字が書いてあったし、周瑜の掌にも、火の字が書かれてあった。
「おお、割り符を合わせたようだ」
二人は高笑してやまなかった。魯粛も盃を挙げて、両雄の一致を祝した。ゆめ、人には洩らすなかれと、互いに秘密を誓い合って、その夜は別れた。
風を呼ぶ杖
一
このところ魏軍江北の陣地は、士気すこぶる昂らなかった。
うまうまと孔明の計に乗って、十数万のむだ矢を射、大いに敵をして快哉を叫ばせているというはなはだ不愉快な事実が、後になって知れ渡って来たからである。
「呉には今、孔明があり、周瑜もかくれなき名将。ことに大江を隔てて、彼の内情を知る便りもありません。ひとつお味方のうちから人を選んで、呉軍の中へ、埋伏の毒を嚥ませてはいかがでしょう」
謀将の荀攸は、苦念の末、こういう一策を、曹操へすすめた。
埋伏の毒を嚥ます──という意味は、要するに、甘いものに包んだ劇毒を嚥み下させて、敵の体内から敵を亡ぼそうという案である
「さあ。それは最上の計だが、しかし兵法では最も難しい謀略といわれておるもの。──まず第一にその人選だが、だれか、よい適任者がおるだろうか」
曹操のことばに、荀攸は、考えを打ち明けた。
「先ごろ、丞相が御成敗になった蔡瑁の甥に、蔡和、蔡仲という者がいます。叔父蔡瑁がお手討ちになったため、いま謹慎中の身でありますが」
「おお。さだめし余を恨んでおるだろうな」
「そこです。当然だれもがひとしく、そう考えるであろう所こそ、この策謀の狙いどころであり、また重要な役割を果たしましょう」
「では蔡和、蔡仲のふたりを用いて、呉へ入れるというのか」
「さればで。──まず丞相が二人を召されて、よく彼等の心をなだめ、また利と栄達をもって励まし、江南へ放って、呉軍へ騙って降伏させます。──敵はかならず信じます。なぜなら、丞相に殺された蔡瑁の甥ですから」
「しかし、かえって、それをよい機に、ほんとに呉へ降って、味方の不利を計りはしまいか。予を、叔父の讐と恨んで」
「大丈夫です。荊州には、蔡和、蔡仲の養子が残っています。なんで、丞相に弓が引けましょう」
「あ。なるほど」
曹操はうなずいて、荀攸の心にまかせた。翌る日、荀攸は、謹慎中の二人を訪うて、まず赦免の命を伝えて恩を売り、やがて伴って曹操の前へ出た。
曹操は二人に酒をすすめ、将来を励まして、
「どうだ、叔父の汚名をそそぐ気で、ひとつ大功を立ててみぬか」と、計画を話してみた。
「やりましょう」
「進んで御命を拝します」
二人とも非常な意気込みを示した。曹操は満足して、この事が成功したあかつきには、恩賞はもちろん末長く功臣として重用するであろうと約した。
「お心を安んじて下さい。かならず周瑜、孔明の首を土産に帰って来ます」
大言をのこして、蔡兄弟は、次の日出発した。もちろん脱陣の偽装をつくってゆく必要がある。船数艘に、部下の兵五百ばかり乗せ、取る物も取りあえず、命がけで脱走して来たという風を様々な形でそれに満載した。
帆は風を孕み、水はこの数艘を送って、呉の北岸へ送った。──折ふし呉の大都督周瑜は、軍中を巡察中だったが、いま敵の陣から、二人の将が、兵五百をつれて、投降して来たと聞くと、明らかに喜色をあらわして、
「すぐ召しつれて来い」と、営中に待ちかまえていた。
やがて蔡和、蔡仲はきびしく護衛されながら引かれて来た。周瑜はまず二人へたずねた。
「足下たちは、なぜ、曹操の下を脱して、わが呉へ降って来たか。武門の人間にも似合わん不徳な行為ではないか」
二
悄然と、二人は頭を垂れて、落涙を装いながら答えた。
「われわれ両名は、曹操のために殺された魏の水軍司令、蔡瑁の甥にございます。──叔父の瑁は、罪もなく討たれたものの、故主の成敗を、悪しざまにいい呪えば、これも反服常なしと、人は眉をひそめましょう。家父とも頼む叔父に死なれ、主と仰ぐ人には忌まれ疑われ、寄るに陣地なく、ついに江北を脱してこれへ参りましたもの。──願わくはそれがし両名の寸命を用いて、良き死に場所をお与えください」
周瑜は、即座に、
「よろしい。誓って、呉のために尽くす気ならば、今日以後、わが陣中に留まるがいい」
と、これを甘寧の配下に附属させた。
ふたりは、心中に、
(仕済ましたり)
と、舌を吐きながらも、表面はいと悄々と、恩を謝して退出した。
魯粛は、そのあとで、
「都督、大丈夫ですか」と、疑わしげに、彼の心事を確かめた。
周瑜は、得々として、
「さしも忠臣といわれた蔡瑁なのに、罪もなく殺されては、彼の親身たるもの、恨むまいとしても、恨まずにはおられまい。曹操を離れて、われに来たのは、けだし、南風が吹けば南岸へ水禽が寄ってくるのと同じ理である。何を疑う余地があろう」と笑うのみで、省みる風もなかった。
魯粛は、その日、例の船中で孔明に会ったので、周瑜の軽忽な処置を、嘆息して語った。
すると、孔明もまた、にやにや笑ってばかりいる。何故、笑い給うかと、魯粛がなじると、
「あまりに要らぬ御心配をしておられる故、つい笑いがこぼれたのです」
と、孔明は初めて、周瑜の心に、計のあることに違いないと、自分の考えを解いて聞かせた。
「蔡和、蔡仲の降参は、あきらかに詐術です。なんとなれば、妻子は江北に残しておる。周都督も、それはすぐ看破されたに相違ないが、互いに江を隔てて、両軍とも戦いによき手懸かりもない所──これは絶好の囮と、わざと、彼の計に乗った顔して、実はこちらの謀略に用いようと深く企んでおられるものと考えられる」
「ああ、なるほど!」
「どうです、御自身でも笑いたくなりはしませんか」
「いや笑えません。どうしてそれがしは、こう人の心を見るに鈍なのでしょう。むしろ己れの不敏に哀れを催します」と、深く悟って帰った。
その夜、呉陣第一の老将黄蓋が、先手の陣からそっと本営を訪ねて来て、周瑜と密談していた。
黄蓋は孫堅以来、三代呉に仕えて来た功臣である。白雪の眉、炯々たる眸、なお壮者をしのぐものがあった。
「深夜、お訪ねしたのは、余の儀でもないが、かく対陣の長びくうちに、曹操はいよいよ北岸の要寨をかため、その船手の勢は、日々訓練を積んで、いよいよ彼の精鋭は強化されるばかりとなろう。しかのみならず、彼は大軍、味方は寡兵、これをもって、彼を討つには火計のほかに兵術はないと思う。......周都督、火攻めはどうじゃ、火術の計は」
「しッ」と周瑜は、老将の激し込む声音を制して、
「おしずかに、御老台。あなたは一体、だれからそんな事を教えられましたか」
「だれから? ......馬鹿を言わっしゃい。わしの本心から出た信念じゃ」
「ああ、ではやはり、御老台の工夫とも一致したか。──ではお打ち明けするが、実は、降人の蔡仲、蔡和の両名は、詐って呉へ投じて来たが、それを承知で、味方のうちに留めてあります。敵の謀略の裏を搔いて、こちらの謀略を行なわんためにです」
「ふむ。それは妙だ。してその降人を、都督には、どう用いて、曹操の裏を搔くおつもりか? ......」
三
「その奇策を行なうには、呉からも曹操の陣へ、詐りの降人を送りこむ必要がある。......が、恨むらくは、その人がありません。適当な人がない」
周瑜が、嘆息をもらすと、
「なぜ、ないと言わるるか」
黄蓋は、せき込むように、身をすすめて、詰問った。
「呉国、建って以来、ここに三代。それしきのお役に立つ人もないとは、周都督のお眼がほそい。──ここに、不肖ながら、黄蓋もおるつもりでござるに」
「えっ。......では御老台が、進んでその難に赴いて下さるとか」
「国祖孫堅将軍以来、重恩をこうむって、いま三代の君に仕え奉るこの老骨。国のためとあれば、たとい肝脳地に塗るとも、恨みはない。いや本望至極でござる」
「あなたにその御勇気があれば、わが国の大幸というものです。......では」
周瑜は、あたりを見まわした。陣中寂として、ここの一穂の燈火のほか揺らぐ人影もなかった。
何事か、二人は諜し合わせて、暁に立ち別れた。周瑜は、一睡してさめると、直ちに、中軍に立ち出で、鼓手に命じて、諸人を集めた。
孔明も来て、陣座のかたわらに床几をおく。周瑜は、命を下して、
「近く、敵に向かって、わが呉はいよいよ大行動に移るであろう。諸部隊、諸将は、よろしくその心得あって、各兵船に、約三ヵ月間の兵糧を積みこんでおけ」と命じた。
すると、先手の部隊から、大将黄蓋がすすみ出て言った。
「無用な御命令。いま、幾月の兵糧を用意せよと仰せられたか」
「三月分と申したのだが、それがどうした」
「三月はおろか、たとえ三十ヵ月の兵糧を積んだところで無駄な業、いかでか、曹操の大軍を破り得よう」
周瑜は、勃然と怒って、
「やあ、まだ一戦も交えぬに、味方の行動に先だって不吉なことばを! 武士ども、その老いぼれを引っ縛れ」
黄蓋も眦を裂いて、
「だまれ周瑜。汝、日ごろより君寵をかさに着て、しかも今日まで、碌々と無策にありながら、われら三代の宿将にも議を諮らず、必勝の的もなき命をにわかに発したとて、何で唯々諾々と服従できようか。──いたずらに兵を損ずるのみだわ」
「ええ、言わしておけば、みだりに舌をうごかして、兵の心を惑わす曲れ者め。誓って、その首を刎ね落とさずんば、何をもって、軍律を正し得ようか。──これっ、なぜその老いぼれに物を言わしておくか」
「ひかえろ、周瑜、汝ごときは、せいぜい、先代以来の臣ではないか。国祖以来三代の功臣たるこの方に、繩を打てるものなら打ってみよ」
「斬れっ。──彼奴を!」
面に朱をそそいで、周瑜の指は、閻王が亡者を指さすように、左右へ叱咤した。
「あっ、お待ち下さい」
一方の大将甘寧が、それへ転び出て、黄蓋に代わって罪を詫びた。
しかし黄蓋も黙らないし、周瑜の怒りもしずまらなかった。果ては、甘寧まで、その間から刎ね飛ばされてしまう。
「すわ、一大事」と諸大将も、今はみな色を失って、こもごもに仲裁に立った。いやともかく大都督周瑜に対して抗弁はよろしくないと、諸人地に額をすりつけて、
「国の功臣、それに年も年、なにとぞ憐れみを垂れたまえ」と、哀願した。
周瑜はなお肩で大息をついていたが、
「人々がそれほどまでに申すなれば、一時、命はあずけておく。しかし軍の大法は正さずにはおけん。百杖の刑を加えて、陣中に謹慎を申しつける」と、言い放った。
すなわち、獄卒に命じて、杖百打を加えることになった。黄蓋はたちまち衣裳甲冑を剝ぎとられ、仮借もなく、棍棒を振りあげて臨む獄卒の眼の下に、無残、老い細った肉体を、しかも衆人環視の中に曝された。
四
「打て、打てっ、仮借いたすなっ。ためらう奴は同罪に処すぞ!」
怒りに慄え、猛りに猛って、周瑜の耳は、詫び入る諸将のことばなど、まるで受けつけなかった。
「一打! 二打! 三打」
杖を持った獄卒は、黄蓋の左右から、打ちすえた。黄蓋は地に俯ッ伏して、五つ六つまでは、歯をくいしばっていたが、たちまち、悲鳴をあげて跳び上がった。
そこをまた、
「十っ......、十一っ......」
杖は唸って、この老将を打ちつづけた。血はながれて白髯に染み、肉はやぶれて骨髄も挫けたろうと思われた。
「九十っ。九十一っ......」
百近くなった時は、打ちすえる獄卒の方も、へとへとに疲れていた。もちろん黄蓋ははや虫の息となって、昏絶してしまった。周瑜もさすがに、顔面蒼白になって、睨めつけていたが、唾するように指して、
「思い知ったか!」
言い捨てると、そのまま、営中へ休息に入ってしまった。
諸将はその後で、黄蓋を抱きかかえ、彼の陣中へ運んで行ったが、その間にも、血は流れてやまず、蘇生してはまたすぐ絶え入ること幾度か知れないほどだったので、日ごろ、彼と親しい者や、また呉の建国以来、治乱のあいだに苦楽を共にして来た老大将たちは、みな涙をながして傷ましがった。
この騒ぎを後に、孔明はやがて黙々と、自分の船へ帰って行った。そして独り船の艫にいて、船欄から下を臨み、何事か沈吟に耽けりながら、流るる水を見入っていた。
魯粛は、彼のあとを追って来たらしく、孔明がそこに腰かけていると、すぐ前に現われて話しかけた。
「どうも、きょうの事ばかりは、胸が傷みました。周都督は、軍の総司令だし、黄蓋は年来の先輩。諫めようにも、あのお怒りでは、かえって、火に油をそそぐようなものですし......ただはらはらするのみでした。──けれど、先生は他国の賓客であり、先ごろから周都督も、心から尊敬を払っておられるのですから、もし先生が、黄蓋のために取りなして下さればとは、ひとり魯粛ばかりでなく、みなそう思っていたらしく見えました。......しかるに、先生は終始黙々、手を袖にして、ついに一言のお口添えもなさらず、ただ見物しておられた。......それには何か深いお考えでもあったのですか」
「はははは、それよりもお訊きしたいのは、貴公こそ、何故、この孔明を欺こうとはなさるるか」
「や? これは異な仰せ。あなたを呉へお伴れして参ってから以来、それがしはまだあなたを欺いたことなど一度もないつもりですが」
「──ならば、貴公はまだ、兵法に秘裏変表の不測あることを御存じないとみえる。周瑜が今日、朱面怒髪して、黄蓋に百打の笞を刑し、憤然、陣中の内争を外に発して見せたのは、みな曹操をあざむく計である。何でそれを孔明が諫めよう」
「えっ、ではあれも計略ですか」
「明白な企み事です。──が、粛兄。孔明がそう言ったということは、周都督へは、必ず黙っていて下さいよ。問われても」
「......ははあ! さては」
魯粛は、気の寒うなるのを覚えた。けれどなお半信半疑なここちで、その夜、ひそかに帳中で、周瑜と語ったとき、周瑜から先にこう言い出したのを幸いに、糺してみた。
「魯粛、きょうの事を、陣中の味方は皆、どう沙汰しているね」
「滅多に見ないお怒りようと、みな恟々としておりますよ」
「孔明は? ......何と言っておるかね」
「都督も、情けないお仕打ちをするといって、哀しんでおりました」
「そうか! 孔明もそう言っていたか」と手を打って、
「初めて孔明をあざむくことができた。孔明がそう信じるほどなら、このたびのわが計は、かならず成就しよう。いや、もう図にあたれりと言ってもいい」
周瑜は会心の笑みをもらして、初めて、魯粛に心中の秘を打ち明けた。
一竿翁
一
ここ四、五日というもの黄蓋は陣中の臥床に横たわったまま粥をすすって、日夜呻いていた。
「まったくお気の毒な目にあわれたものだ」
と、入れ代わり立ちかわり諸将は彼の枕頭を見舞いに来た。
ある者は共に悲しみ、ある者は共に傷み、またある者はひそかに周瑜の無情に対して共に恨みをもらした。
日ごろ親しい参謀官の闞沢も見舞いに来たが、彼のすがたを見ると、暗涙をたたえた。黄蓋は、枕頭の人人を退けて、
「よく来てくれた。だれが来てくれたより欣しい」と、無理に身を起こして言った。
闞沢は、傷ましげに、
「将軍はかつて、何か、周都督から怨まれていることでもあったのか」と、訊ねた。
黄蓋は顔を振って、
「何もない。......旧怨などは何もない」
「それにしては、あまりに今度の事は理に合わない御折檻ではありませんか。傍目にも疑われるほど......実に苛烈すぎる」
「いや、御辺のほかには、真実を語るものはない。それ故に、見えられるのを心待ちにしていたのだ」
「将軍。察するところ、過日、衆人の中であの責め苦をうけられたのは、何か苦肉の計ではないのですか」
「しッ。......静かにされよ。......して、それをば、いかにして察しられたか」
「周都督の形相といい、あの苛烈極まる責め方といい、あまりに度を過ぎたりと思うにつけ......日ごろのあなたと都督の交わりをも想い合わせて、実は九分までは察していました」
「ああ、さすがは闞沢。よく観られた。まさにそのとおりにちがいない。不肖、呉に仕えて、三代の御恩をうけ、いまこの老骨を捧げても、少しも惜しむところはない。......故に、自らすすんで一計を立て、まず味方を欺かんがためにわざと百打の笞をうけたものじゃ。この苦痛も呉国のためと思えば何でもない」
「さてはやはりそうでしたか。......が、それまで思い込まれた秘策をひとりこの闞沢にのみお打ち明け下すったのは、この闞沢をして将軍の懐刀とし、それがしに曹操へ使する大役を仰せつけたいお心ではありませんか」
「そうだ。まことに、御辺の察するとおり、御辺を措いて、だれにこの大事を打ち明け、更に、大事の使を頼めようか」
「ようこそ、お打ち明け下さいました。私を知って下さるものです」
「では、行ってくれるか?」
「大丈夫、ひとたび、信をうけて、なんで己れを知る人に反けましょうぞ。世に出て君に仕え、剣を佩いて風雲に臨みながら、一功も立てずに朽ちるくらいなら、生きていても生きがいはありません。まして老将軍すら、一命を投げ出して、計事にかかっておられるのに、どうして小生等が、微生を惜しみましょう」
「ありがたい」
黄蓋は彼の掌をとって、自分の額にあてながら、涙をながした。
「事、延引しては、機を誤るおそれがある。将軍、そうきまったら、直ちに、曹操へ苑てて一書をおかきなさい。それがしが、いかにもしてそれを携えて参りますれば」
「おお、その書簡はすでに人知れず認めて、これに隠してある」
枕の下から厚く封じた一通を手渡した。闞沢はそれを受け取ると、さりげなく暇を告げ、夜に入ると、いつか呉の陣中からすがたを消していた。
それから幾夜の後とも知れず、魏の曹操が水寨の辺りで独り釣り糸を垂れている漁翁があった。
悠々千里の流れに漁りして、江岸に住んでいる漁夫や住民は、もう連年の戦争にも馴れていて、戦いのない日には、閑々として網を打ち、鈎を垂れているなど、決してめずらしい姿ではなかった。
──だがこの所、ひどく神経の鋭くなっている曹軍の見張りは、あまりに漁翁が水寨に近づいて釣りしているので、
「怪しい老ぼれ?」
と見たか、たちまち走舸を飛ばして来て、有無を言わさず搦め捕り、そのまま陸へ引ッ立てて行った。
二
軍庁の一閣に、侍臣は燭をとぼし、曹操は寝房を出て、この深夜というに、ものものしく待ちかまえていた。
(呉の参謀官闞沢が、一漁翁に身をやつし、何ごとか曹丞相に謁して、直言申しあげたいとの事──)と、耳驚かす報らせが、たった今、曹操の夢を醒ましたのであった。
これに依ってみると、水寨の番兵に捕まった漁翁は、魏の陣中へ引かれてくるとすぐ、
(自分こそは、呉の参謀闞沢である)と、自ら名乗ったものとみえる。
──ほどなく。
曹操の面前には、見すぼらしい一竿翁が、部将たちに取り囲まれて引かれて来た。──が、さすがに一かどの者、端然と、階下に座をとり、すこしも周囲の威圧に動じるふうも見えなかった。
曹操も厳かに曰う。
「汝は、敵国の参謀官とか聞いたが、何を血迷うて、予の陣営へ来たか」
「...............」
黙然と、見つめていたが、やがて闞沢は、ふふふふと、唇を抑えて失笑した。
「見ると聞くとは大きな違い、曹丞相は、賢を愛し、人材を求むること、旱に雲霓を望むごとしと、世評には聞いていたが......。いやはや......これでは覚束ない。──ああ黄蓋も人を知らずじゃ! こんな似非英雄に渇仰して、とんでもない事をしてしまったものだ」
独り嘆じるがごとく、嘯いた。
曹操は、眉をひそめた。──変なことを言う漢かなと怪訝ったのであろう。急に怒る色もなく、
「敵国の参謀たるものが、単身、しかも漁翁に身を変えて、これへ来る以上、その真意を糺すは、当然であろう。なぜ、それに就いて、しかと答えぬか」
「さればよ! 丞相。これに来る以上、それがしとても、命がけでなくては能わぬ。しかるに、血迷うて何しに来たかなどと、決死の者に対して、揶揄するような言を弄さるる故、思いつめて来た張り合いも抜け、思わず思うまま嘆息したのじゃ」
「呉を滅さんは、わが畢生の希いである。その目的に添うことならば、あらためて非礼を謝し、謹んで汝の言を聞こう」
「丞相にとっては天来の好事である。敬うて聞かれよ。──呉の黄蓋、字は公覆、すなわち三江の陣にあって、先鋒の大将をかね呉軍の軍粮総司たり。この人、三代があいだ呉に仕え、忠節の功臣たること、世みな知る。──しかるを、つい数日前、寸言、周都督に逆らえりとて、諸大将のまっただ中にていたく面罵せられたるのみか、すでに老齢の身に、百打の刑杖を加えられ、皮肉裂け、血にまみれ、気は喪うにいたる。諸人、面を反むけ、ひそかに都督の酷薄をうらまぬはない。それがしは、黄蓋と古くより親交あり、日ごろ、兄弟の交わりをなせるものから、蓋老、病床に苦吟しつつ、ひそかに一書を認め、それがしに託して、丞相に気脈を寄せらる。──もとより骨髄に徹する恨みを、はらさんがためでござる。幸いにも、黄蓋は武具兵粮を司る役目にあれば、丞相だに、諾! と御一言あれば、不日、呉陣を脱して、呉の兵糧武具など、及ぶかぎり舷に積載してお味方へ投じるでござろう」
眼をみひらき、耳を欹てて、曹操は始終を聞き入っていたが、
「ふーむ。......して、黄蓋の書面なるものを、それへ持参したか」
「肌に秘して、持ち参りました」
「ともあれ、一見しよう」
「......いざ」
と、闞沢は、侍臣の手を通して、書面を曹操の卓へ提出した。
曹操は、
几の上に
披いて、十遍あまり読み返していたが、どんと

で案を
叩きながら、
「浅慮浅慮。これしきの苦肉の計に、いかでこの曹操が詐られようか。明白なる謀略だ。──それっ、部将輩、その船虫みたいな穢い老爺を、営外へ曳き出して斬ってしまえ」
言いすてるや否、黄蓋の書状は、その手に引き裂かれていた。
三
闞沢は、自若として、少しも躁がないばかりか、かえって、声を放って笑った。
「あははは。小心なる丞相かな。この首を所望なら、いつでも献上しようものを、さりとは、仰山至極。音に聞く魏の曹操とは、かかる小人物とは思わなかった」
「だまれ。かような児戯にひとしい謀計を携えて、予をたばからんとなす故、汝のそッ首を刎ねて、わが軍威を振い示さんは、総帥の任だというのに、汝こそ、何が可笑しいか」
「いや、それを嗤うのではない。あまりといえば黄蓋が、曹操などという人物を買い被っているのを愍笑したまでだ」
「無駄だ。巧言を止めろ、われも幼少から兵書を読み、孫子呉子の神髄を書に捜っている。別人ならば知らぬこと、この曹操がいかで汝や黄蓋ごとき者の企てに乗ろうぞ」
「いよいよ可笑しい。いや笑止千万だ。それほど、螢雪の苦を学びの窓に積み、弱冠より兵書に親しんで来たという者が、何故、この闞沢の携えて来た書簡に対し、一見、真か噓か、その実相すら摑み得ないのか。世の中にこれほどばかばかしい自慢はあるまい」
「では、冥途のみやげに、黄蓋の書簡をもって、予が詐術なりと看破した理由を言って聞かせてやろう。しかと耳の垢を払って聞くがいい──書中、黄蓋が言っているように、我への降参が、本心からのものならば、かならず味方に来る時の日限を明約していなければならん。しかるに書中にはその日時には何も触れておらぬ。これ、本心にない虚構の言たる証拠であろう」
「これは、異な説を聞くものだ。みだりに兵書を読めばとて、書に読まれて、書の活用を知らぬものは、むしろ無学より始末がわるい。そんな凡眼で、この大軍をうごかし、呉の周瑜に当たるときは、たちまち、敵の好餌──撃砕されるにきまっている」
「何、敗れるにきまっていると」
「しかり、小学の兵書に慢じ、新しき兵理を究めず、わずか、一書簡の虚実も、一使の言の信不信も、これを観る眼すらない大将が、何で、呉の新鋭に勝てようか」
「............」
ふと、曹操は唇をむすんで、何か考え込むような眼で、じっと、闞沢を見直していた。
闞沢は、自身の頸を叩いて、
「いざ、斬るなら、早く斬れ」と、迫った。
曹操は、顔を横に振って、
「いや、しばしその生命は預けておこう。この曹操がかならず敗戦するだろうという事に就いて、もう少し論じてみたい。もし理に当たるところがあれば、予も論じてみる」
「折角だが、あなたは賢人を遇する礼儀も知らない。何を言ったところで無益であろう」
「では、前言をしばらく詫びる。まず高論を示されい」
「古言にもある。主ニ反イテ盗ミヲ作ス安ンゾ期スベケンヤ──と。黄蓋いま、深恨断腸、三代の呉をそむいて、麾下に降らんとするにあたり──もし日限を約して急に支障を来し、来会の日をたがえたなら、丞相の心はたちまち疑心暗鬼に囚われ、ついに、一心合体の成らぬのみか、黄蓋は拠るに陣なく、帰るに国なく、自滅の外なきに至ります。故にわざと日時を明示せず、好機を計って参らんというこそ、事の本心を証するもの、またよく兵の機謀にかなうもの、これをかえって疑いの種となす丞相の不明を愍れまずにいられません」
「むむ、その言はいい」
曹操は、大きく頷いた。
「まことに、一時の不明、先ほどからの無礼は許せ」
彼はにわかに、こう謝して、賓客の礼を与え、座に請じて、あらためて闞沢の使をねぎらい、酒宴をもうけて、更に意見を求めた。
ところへ、侍臣の一名が、外から来て、そっと曹操の袂の下へ、何やら書状らしいものを渡して退がった。
「ははあ......。さては呉へ紛れ込んでいる蔡和、蔡仲から、何かさっそく密謀が来たな」
と感づいたが、闞沢は何げない態をつくろって、しきりと杯をあげ、かつ弁じていた。
裏の裏
一
酒のあいだに曹操は、蔡和、蔡仲からの諜報を、ちらと卓の陰で読んでいたが、すぐ袂に秘めて、さり気なく言った。
「さて闞沢とやら。──今は御辺に対して予は一点の疑いも抱いておらん。この上は、ふたたび呉へ回って、予が承諾した旨を黄蓋へ伝え、充分、諜しあわせて、わが陣地へ来てくれい。抜かりはあるまいが、くれぐれも周瑜に覚られぬように」
すると、闞沢は、首を振って断わった。
「いや、その使には、ほかにしかるべき人物をやって下さい、てまえはこれに留まりましょう」
「なぜか」
「二度と、呉へ帰らんなどとは、期してもおりません」
「だが、御辺ならば、往来の勝手も知る、もし他の者をやったら、黄蓋も惑うだろう」
再三、曹操に乞われて、闞沢は初めて承知した。──なお曹操が自分の肚をさぐるためにそう言ったのではないかということを闞沢は警戒していたのである。
──が、今は曹操も、充分、彼の言を信じて来たもののようだった。闞沢は仕すましたりと思ったが、色にも見せず、翌日、再会を約して、ふたたび帰る小舟に乗った。その折も曹操から莫大な金銀を贈られたが、
「大丈夫、黄金のために、こんな冒険はできませんよ」
と、手も触れず、一笑して、小舟を漕ぎ去った。
呉の陣所へもどると、彼はさっそく黄蓋と密談していた。黄蓋は事の成りそうな形勢に、いたく歓んだが、なお熟慮して、
「初めに疑っていた曹操が、後にどうして急に深く信じたのだろう?」と、糺した。
闞沢は、それに答えて、
「おそらく、てまえの弁舌だけでは、なお曹操を信じ切らせるには至らなかったでしょうが、折も折、蔡和、蔡仲の諜報が、そっと彼の手に渡されたのです。──てまえの言を信じない彼も腹心の者の密報には、すぐ信を抱いたものと見えます。しかもその密諜に依る呉軍内の情報と、てまえの語ったところとが、符節を合わせたごとく一致していましたろうから、疑う余地もないとされたに違いありません」
「むむ......なるほど。では御苦労だが足ついでに、甘寧の部隊へ行って、甘寧の下におる蔡和、蔡仲の様子をひとつ見ておいてくれんか」
闞沢は、心得て、甘寧の部隊を訪ねて行った。
唐突な訪れに、甘寧は、彼のすがたをじろじろ見て、
「なにしに見えたか」と、訊ねた。
闞沢が、いま本陣で、気にくわぬ事があったから、無聊をなぐさめに来たと言うと、甘寧は信じないような顔して、
「ふーム......?」と、薄ら笑いをもらした。
そこへ偶然、蔡和、蔡仲のふたりが入って来た。甘寧が、闞沢へ眼くばせしたので、闞沢も甘寧のこころを覚った。
──で、わざと不興げに、
「近ごろは、事ごとに、愉快な日は一日もない。周都督の才智は、われわれだって充分に尊敬しているが、それに驕って、人をみな塵か芥のように見るのは実によくない」
と、独り鬱憤をつぶやき出すと、甘寧もうまく相槌を打って、
「また何かあったのか、どうも軍の中枢で、そう毎日紛争があっちゃ困るな」
「ただ議論の争いならいいが、周都督と来ては、口汚く、衆人稠座の中で、人を辱しめるからけしからん。......不愉快だ、実に、我慢がならぬ」
と、唇を嚙んで憤りをもらしかけたが、ふと一方に佇んでいる蔡和、蔡仲のふたりを、じろと眼の隅から見て、急に口をつぐみ、
「......甘寧。ちょっと、顔をかしてくれないか」
と、彼の耳へ囁き、わざと隣室へ伴って行った。
蔡和と蔡仲は、黙って、眼と眼を見合わせていた。
二
その後も、闞沢と甘寧は、たびたび人のない所で密会していた。
ある夕、囲いの中で、また二人がひそひそ囁いていた。かねて注目していた蔡和と蔡仲は、陣幕の外に耳を寄せて、じっと、聞きすましていたが、颯と、夕風に陣幕の一端が払われたので、蔡和の半身がちらと、中の二人に見つけられたようだった。
「あっ、だれかいる」
「しまった」と、いう声が聞こえた。
──と思うと、甘寧と闞沢は、大股に、しかも血相変えて、蔡和、蔡仲のそばへ寄ってきた。
「聞いたろう! われわれの密談を」
闞沢がつめ寄ると、甘寧はまた一方で、剣を地に投げて、
「われわれの大事は未然に破れた。すでに人の耳に立ち聞きされたからには、もう一刻もここには留まり難い」と、足ずりしながら慨嘆した。蔡和、蔡仲の兄弟は、何か、頷き合っていたが、急にあたりを見廻して、
「御両所、決して決して絶望なさる必要はありませぬ。何を隠そう、われわれ兄弟こそ、実は、曹丞相の密命をうけ、詐って呉に降伏して来た者。──今こそ実を打ち明けるが、本心からの降人ではない」と言った。
甘寧と闞沢は穴のあくほど、兄弟の顔を見つめて、
「えっ、それは......真実なのか」
「何でかような大事を噓詐りに言えましょう」
「ああ! .........それを聞いて安堵いたした。貴公等の投降が、曹丞相の深遠な謀計の一役をもつものとは、夢にも知らなかった。思えばそれもこれも、ひとつの機運。魏いよいよ興り、呉ここに亡ぶ自然の巡り合わせだろう」
もちろん、先ごろから、甘寧と闞沢が、人なき所でたびたび密談していたことは──周都督に対する反感に堪忍の緒を切って──いかにしたら呉の陣を脱走できるか、どうしたら周都督に仕返しできるか、またいッその事、不平の徒を狩り集めて、暴動を起こさんかなどという不穏な相談ばかりしていたのであった。わざと、蔡兄弟に、怪しませるようにである。
蔡和、蔡仲の兄弟は、それが巧妙な謀計とは、露ほども気づかなかった。自分たちがすでに謀計中の主役的使命をおび、この敵地の中に活躍しているがために、かえって相手の謀計に乗せられているとは思いもつかなかった。
裏をもって謀れば、またその裏をもって謀る。兵法の幻妙はこの極まりない変通のうちにある。神変妙通のはたらきも眼光もないものが、下手に術を施すと、かえって、敵に絶好な謀計の機会を提供してしまう結果となる。
その晩、四人は同座して、深更まで酒を酌んでいた。一方は一方を謀り了わせたと思いこんでいる。
が、共に打ち解け、胸襟をひらきあい、共に、これで曹丞相という名主の下に大功を成すことができると歓びあって──。
「では、早速、丞相へ宛てて、一書送っておこう」
と、蔡仲、蔡和は、その場で、この事を報告する文を認め、闞沢もまた、べつに書簡をととのえてひそかに部下の一名に持たせ、江北の魏軍へ密かに送り届けた。
闞沢の書簡には、
──わが党の士、甘寧もまた夙に丞相をしたい、周都督にふくむの意あり、黄蓋を謀主とし、近く兵糧軍需の資を、船に移して、江を渡って貴軍に投ぜんとす。──不日、青龍の牙旗をひるがえした船を見たまわば、即ち、われら降参の船なりと御覧ぜられ、水寨の弩を乱射するを止めたまわんことを。
と、いう内容が秘められてあった。
しかし、やがてそれを受け取った日、さすがに曹操は、鵜呑みにそれを信じなかった。むしろ疑惑の眼をもって、一字一句を繰り返し繰り返しながめていた。
鳳雛・巣を出づ
一
いまの世の孫子呉子は我を措いてはなし──とひそかに自負している曹操である。一片の書簡を見るにも実に緻密冷静だった。蔡和、蔡仲はもとより自分の腹心の者だし、自分の息をかけて呉へ密偵に入れておいたものであるが、疑いないその二人から来た書面に対してすら慎重な検討を怠らず、群臣をあつめて、内容の是非を評議にかけた。
「......蔡兄弟からも、さきに呉へ帰った
闞沢からも、かように申し越して来たが、ちと、はなしが
巧過ぎる

いもある。さて、これへの対策は、どうしたものか」
彼の諮問に答えて、諸大将からもそれぞれ意見が出たが、その中で、例の蔣幹がすすんで言った。
「面を冒して、もう一度おねがい申します。不肖、さきに御命をうけて、呉へ使し、周瑜を説いて降さんと、いろいろ肝胆をくだきましたが、ことごとく、失敗に終わり、なんの功もなく立ち帰り、内心、はなはだ羞じておる次第でありますが──いまふたたび一命を擲つ気で、呉へ渡り、蔡兄弟や闞沢の申し越しが、真実か否かを、たしかめて参るならば、いささか前の罪を償うことが出来るように存じられます。もしまた、今度も何の功も立てずに戻ったら、軍法のお示しを受けるとも決してお恨みには思いません」
曹操はいずれにせよ、にわかに決定できない大事と、深く要心していたので、
「それも一策だ」と、蔣幹の乞いを容れた。
蔣幹は、小舟に乗って、以前のごとく、瓢々たる一道士を装い、呉へ上陸った。
そのとき呉の中軍には、彼より先に、ひとりの賓客が来て、都督周瑜と話しこんでいた。
襄陽の名士龐徳公の甥で、龐統という人物である。
龐徳公といえば中支で知らないものはない名望家であり、かの水鏡先生司馬徽ですら、その門には師礼をとっていた。
また、その司馬徽が、常に自分の門人や友人たちに、臥龍・鳳雛ということをよく言っていたが、その臥龍とは、孔明をさし、鳳雛とは、龐徳公の甥の──この龐統をさすものであることは、知る人ぞ知る、一部人士のあいだでは隠れもないことだった。
それほどに、司馬徽が人物を見こんでいた者であるのに、
(臥龍は世に出たが、鳳雛はまだ出ないのは何故か)
と、一部では、疑問に思われていた。
きょう、呉の中軍に、ぶらりと来ていた客は、その龐統だった。龐統は、孔明より二つ年上に過ぎないから、その高名にくらべては、年も存外若かった。
「先生には近ごろ、つい、この近くの山にお住まいだそうですな」
「荊州、襄陽の滅びて後、しばし山林に一庵をむすんでいます」
「呉にお力をかし賜わらんか、幕賓として、粗略にはしませんが」
「もとより曹軍は荊州の故国を蹂躙した敵。あなたからお頼みなくとも呉を助けずにおられません」
「百万のお味方と感謝します。──が、いかにせん味方は寡兵、どうしたら彼の大軍を撃破できましょうか」
「火計一策です」
「えっ、火攻め。先生もそうお考えになられますか」
「ただし渺々たる大江の上、一艘の船に火がかからば、残余の船はたちまち四方に散開する。──故に、火攻めの計を用うるには、まずその前に方術をめぐらし、曹軍の兵船をのこらず一つ所にあつめて、鎖をもってこれを封縛せしめる必要がある」
「ははあ、そんな方術がありましょうか」
「連環の計といいます」
「曹操とても、兵学に通じておるもの。いかでさような計略に陥ろう。お考えは至妙なりといえど、おそらく、鳥網精緻にして一鳥かからず、獲物のほうでその策には乗りますまい」
──こう話しているところへ、江北の蔣幹が、また訪ねて来たと、部下の者が取り次いで来たのだった。
二
それを機に、龐統は暇をつげて帰った。
周瑜は、それを送って、ふたたび営中にもどると、天地を拝礼して、喜びながら、
「われにわが大事を成さしむるものは、いまわれを訪う者である」と、言った。
やがて 蔣幹は、案内されて、ここへ通って来た。──この前のときと違って、出迎えもしてくれず、周瑜は、上座についたまま、傲然と自分を睥睨している様子に、内心、気味わるく思いながらも、
「やあ、いつぞやは......」と、さりげなく、親友ぶりを寄せて行った。
すると周瑜は、きっと、眼にかど立てて、
「蔣幹。また貴公は、おれを騙そうと思って来たな」
「えっ......騙そうとして? ......あははは、冗談じゃない。旧交の深い君に対してなんで僕がそんな悪辣なことをやるもんか。......それ所ではない、吾が輩は、実は先日の好誼にむくいるため、ふたたび来て、君のために一大事を教えたいと思っておるのに」
「やめたがいい」
周瑜は嚙んで吐き出すように、
「──汝の肚の底は、見えすいている。この周瑜に、降参をすすめる気だろう」
「どうして君としたことが、今日はそんなに怒りッぽいのだ。激気大事を誤る。──まあ、昔がたりでもしながら、親しくまた一献酌み交わそう。そのうえでとっくり話したいこともある」
「厚顔なる哉。これほど言っておるのにまだわからんか。汝、──いかほど、弁をふるい、智を弄ぶとも、なんでこの周瑜を変心させることができよう。海に潮が枯れ、山に石が爛れきる日が来ろうとも断じて、曹操ごときに降るこの方ではない。──先ごろはつい、旧交の情にほだされ、思わず酒宴に心を寛うして、同じ寝床で夢を共にしたりなどしたが、不覚や、あとになって見れば、予の寝房から軍の機密が失われている。大事な書簡をぬすんで貴様は逃げ出したであろうが」
「なに、軍機の書簡を......冗談じゃない、戯れもほどほどにしてくれ。何でそんなものを吾が輩が」
「やかましいっ」
と、大喝をかぶせて、
「──そのため、折角、呉に内通していた
張允、
蔡瑁のふたりを、まだ内応の計を起こさぬうちに、曹操の手で成敗されてしまった。明らかに、それは汝が曹操へ密報した結果にちがいない。──それさえあるに、またぞろ、のめのめとこれへ来たのは、近ごろ、
魏を脱陣して、この周瑜の
麾下へ投降して来ておる
蔡和、
蔡仲に対して、何か
策を打とうという
肚ぐみであろう。その手は

わん」
「どうしてそう──一体このわしを頭から疑われるのか」
「まだ言うか。蔡和、蔡仲は、まったく呉に降って、かたく予に忠節を誓いおるもの。豈、汝等の妨げに遭って、ふたたび魏の軍へ回ろうか」
「そ、そんな」
「だまれ、だまれっ、本来は一刀両断に
斬って捨てるところだが、旧交の
誼みに、
生命だけは助けてくれる。わが呉の軍勢が、曹操を撃破するのも、ここわずか両三日のあいだだ。そのあいだ、この辺に
繫いでおくのも足手まとい。だれかある! こやつを
西山の
山小舎へでも
抛りこんでおけ。曹操を破って後、
鞭の百打を

らわせて、江北へ追っ放してくれるから」
と、蔣幹を睨めつけ、左右の武将に向かって、虎のごとく言いつけた。
武士たちは、言下に、
「おうっ」
と、ばかり蔣幹を取り囲んで、有無をいわさず営外へ引っ立てて行った。そして、一頭の裸馬の背に搔き乗せ、厳しく前後を警固して西山の奥へ追い上げた。
山中に一陣の小舎があった。おそらく物見小舎であろう。蔣幹をそこへ抛り込むと、番の兵は、昼夜、四方に立って見張っていた。
三
蔣幹は、日々煩悶して、寝食もよく摂れなかったが、ある夜、番兵に隙があったので、ふらふらと小舎から脱け出した。
「逃げたいものだが?」
山中の闇を彷徨いながら、しきりと苦慮してみたが、麓へ降りれば、すべて呉の陣に満ちているし、仰げば峨々たる西山の嶮峰のみである。折角、小舎は出て来たものの、
「どうしたものぞ」と、悄然、行き暮れていた。
するとかなたの林の中にチラと燈火が見えた。近づいてみると、家があるらしい。林間の細道をなお進んでゆくと、朗々読書の声がする。
「はて? ......こんな山中に」
柴の戸を排して、庵の中を窺ってみるに、まだ三十前後の一処士、ただひとり浄几の前に、燈火をかかげ、剣をかたわらに懸けて、兵書に眼を曝している様子である。
「......あ。襄陽の鳳雛、龐統らしいが」
思わず呟いていると、気配に耳をすましながら庵の中から、
「だれだ」と、その人物が咎めた。
蔣幹は、駆け寄るなり、廂下に拝をして、
「先日、群英の会で、よそながら御姿を拝していました。大人は鳳雛先生ではありませんか」
「や。そう言わるるなら、貴公はあの折の蔣幹か」
「そうです」
「あれ以来、まだ、呉の陣中に、滞留しておられたか」
「いやいやそれ所ではありません。一度帰ってまた来たために、周都督からとんだ
疑をかけられて」
と、山小舎に監禁された始末を物語ると、龐統は笑って、
「その程度でおすみなら万々僥倖ではないか。拙者が周瑜なら、決して、生かしてはおかない」
「えっ......」
「ははは。冗談だ。まあお上がりなさい」
──と、龐統は席を頒けて燭を剪った。
だんだん話しこんでみると、龐統はなかなか大志を抱いている。その人物はかねて世上に定評のあるものだし、今、この境遇を見れば、呉から扶持されている様子もないので、蔣幹はそっと捜りを入れてみた。
「あなたほどの才略をもちながら、どうしてこんな山中に身を屈しているんですか。ここは呉の勢力下ですのに、呉に仕えている御様子もなし......。おそらく、魏の曹丞相のような、士を愛する名君が知ったら、決して捨てては措かないでしょうに」
「曹操が士を愛する大将であるということは、夙に聞いておるが.........」
「なぜ、それでは、呉を去って、曹操のところへ行かないので?」
「でも、何分、危険だからな。──かりそめにも、呉にいた者とあれば、いかに士を愛する曹操でも、無条件には用いまい」
「そんな事はありません」
「どうして」
「かくいう蔣幹が、御案内申してゆけば」
「何。貴公が」
「されば、私は、曹操の命をうけて、周瑜に降伏をすすめに来たものです」
「ではやはり魏の廻し者か」
「廻し者ではありません。説客として参ったものです」
「同じことだ。......が偶然、わしが先に言った冗談はあたっていたな」
「ですから、ぎょっとしました」
「いや、それがしは何も、呉から禄も恩爵もうけている者ではない。安心なさるがいい」
「どうですか、ここを去って、魏へ奔りませんか」
「勃々と、志は燃えるが」
「曹丞相へのおとりなしは、かならず蔣幹が保証します。曹操にも活眼ありです。何で先生を疑いましょう」
「では、行くか」
「御決意がつけば、こよいにも」
「もとより早いがいい」
二人は、完全に、一致した。その夜のうち 庵を捨て、龐統は彼と共に、呉を脱した。
道は、蔣幹よりも、ここに住んでいる龐統の方が詳しい。谷間づたいに、樵夫道をさがして、やがて大江の岸辺へ出た。
四
舟を拾って、二人は江北へ急いだ。やがて魏軍の要塞に着いてからは、一切、蔣幹の斡旋に依った。
有名なる襄陽の鳳雛──龐統来れり、と聞いて曹操のよろこび方はひととおりではなかった。
まず賓主の座をわけて、
「珍客には、どうして急に、予の陣をお訪ね下されたか」
と、曹操は下へも置かなかった。龐統も、この対面を衷心から歓んで見せながら、
「私をして、ここに到らしめたものは、私の意志と言うよりは、丞相が私を引きつけ給うたものです。よく士を敬い、賢言を用い、稀代の名将と、多年御高名を慕うのみでしたが、今日、幹兄のお導きに依って、拝顔の栄を得たことは、生涯忘れ得ない歓びです」
曹操は、すっかり打ち解けて、蔣幹のてがらを賞し、酒宴に明けた翌る日、共に馬を曳かせて、一丘へ登って行った。
けだし曹操の心は、龐統の口から自己の布陣に就いて、忌憚なき批評を聞こうというところにあったらしい。
だが、龐統は、
「──沿岸百里の陣、山にそい、林に拠り、大江をひかえてよく水利を生かし、陣々、相顧み相固め、出入自ら門あり、進退曲折の妙、古の孫子呉子が出て来ても、これ以上の布陣はできますまい」と、激賞してばかりいるので、曹操はかえって物足らなく思い、
「どうか先生の含蓄をもって、不備な点は、遠慮なく指摘してもらいたい」
と言ったが、龐統は、かぶりを振って、
「決して、美辞甘言を呈し、詐って褒めるわけではありません。いかなる兵家の蘊奥を傾けても、この江岸一帯の陣容から欠点を捜し出すことはできないでしょう」
曹操はことごとくよろこんで、更に、彼を誘って、丘を降り、今度は諸所の水寨港門や大小の舟行など見せて歩いた。
そして、江上に浮かぶ艨艟の戦艦二十四座の船陣を、誇らしげに指さして、
「どうですか、わが水上の城郭は」と、意見を求めた。
ああ──と龐統は感極まったもののごとく、思わず掌を打って、
「丞相がよく兵を用いられるということは、夙に隠れないことですが、水軍の配備にかけても、かくまでとは、夢想もしていませんでした。──憐れむべし、周喩は、江上の戦いこそ、われ以外に人なしと慢心していますから、ついに滅亡する日までは、あの驕慢な妄想は醒めますまい」
やがて立ち帰ると、曹操は営中の善美を凝らして、ふたたび歓待の宴に彼をとらえた。そして夜もすがら孫呉の兵略を談じ、また古今の史に照らして諸家の陣法を評したりなど、興尽きず夜の更くるも知らなかった。
「......ちょっと、失礼します」
龐統はその間に、ちょいちょい中座して室外に出ては、また帰って席に着き、話しつづけていた。
「......ちと、お顔色がわるいようだが? どうかなされたか」
「何。大したことはありません」
「でも、どこやら勝れぬように見うけらるるが」
「舟旅の疲れです。それがしなど生来水に弱いので四、五日も江上を揺られてくると、いつも後ではなはだしく疲労します。......いまも実はちと嘔吐を催して来ましたので」
「それはいかん、医者を呼ぶから診せたがいい」
「御陣中には、名医がたくさんおられるでしょう。おねがいします」
「医者が多くいるだろうとは、どうしてお察しになったか」
「丞相の将兵は、大半以上、北国の産。大江の水土や船上の生活に馴れないものばかりでしょう。それをあのようになすっておいては、この龐統同様、奇病に罹って、心身ともにつかれ果て、いざ合戦の際にも、その全能力をふるい出すことができますまい」
五
龐統の言は、たしかに曹操の胸中の秘を射たものであった。
病人の続出は、いま曹軍の悩みであった。その対策、原因について軍中やかましい問題となっている。
「どうしたらよいでしょう。また、何かよい方法はありませんか。願わくは御教示ありたいが」
曹操は初め、驚きもし、狼狽気味でもあったが、ついに打ち割ってこう言った。
龐統は、さもあらんと、うなずき顔に、
「布陣兵法の妙は、水も洩らさぬ御配備ですが、惜しいかな、ただ一つ欠けていることがある。原因はそれです」
「布陣と病人の続出とに、何か関聯がありますか」
「あります。大いにあります。その一短を除きさえすればおそらく一兵たりとも病人はなくなるでしょう」
「謹んでお教えに従おう。多くの医者も、薬は投じてもその原因に至っては、ただ風土の異なるためというのみで、とんとわからない」
「北兵中国の兵は、みな水に馴れず、いま大江に船を浮かべ、久しく土を踏まず、風浪雨荒のたびごとに、気を労らい身を疲らす。ために食すすまず、血環ること遅、凝って病となる。──これを治すには、兵をことごとく上げて土になずますに如くはありませんが、軍船一日も人を欠くべからずです。故に、一策をほどこし、布陣を革めるの要ありというものです。まず大小の船をのこらず風浪少なき湾口のうちに集結させ、船体の巨きさに準じて、これを縦横に組み、大艦三十列、中船五十列、小船はその便に応じ、船と船との首尾には、鉄の鎖をもって、固くこれを繫ぎ、環をもって連ね、また太綱をもって扶けなどして、交互に渡り橋を架けわたし、その上を自由に往来なせば、諸船の人々、馬をすら、平地を行くがごとく意のままに歩けましょう。しかも大風搏浪の荒日でも、諸船の動揺は至って少なく、また軍務は平易に運び、兵気は軽快に働けますから、自然、病に臥すものはなくなりましょう」
「なるほど、先生の大説、思いあたることすくなくありません」
と、曹操は、席を下って謝した。龐統は、さり気なく、
「いや、それも私だけの浅見かもしれません。よく原因を探究し、さらに賢考なされたがよい。お味方に病者の多いなどは、まずもって、呉のほうでは覚らぬこと。少しも早く適当な御処置を執りおかれたら、かならず他日呉を打ち敗ることができましょう」
「そうだ、この事が敵へもれては......」と、曹操も、急を要すと思ったか、たちまち彼の言を容れて、次の日、自身中軍から埠頭へ出ると、諸将を呼んで、多くの鍛冶をあつめ、連環の鎖、大釘など、夜を日についで無数に製らせた。
龐統は、悠々客となりながら、その様子を窺って、内心ほくそ笑んでいたが、一日、曹操と打ち解けて、また軍事を談じたとき、あらためてこう言った。
「多年の宿志を達して、いまこそ私は名君にめぐり会ったここちがしています。粉骨砕身、この上にも不才を傾けて忠節を誓っております。ひそかに思うに、呉の諸将は、みな周瑜に心から服しているのは少ないかに考えられます。周都督をうらんで、機もあればと、反り忠を目企むもの、主なる大将だけでも、五指に余ります。それがしが参って三寸不爛の舌をふるい、彼等を説かば、たちまち、旗を反して、丞相の下へ降って来ましょう。しかる後、周瑜を生け捕り、次いで玄徳を平らげることが急務です。──呉も呉ですが、玄徳こそは侮れない敵とお考えにはなりませんか」
そのことばは、大いに曹操の
肯
にあたったらしい。彼は、龐統がそう言い出したのを幸いに、
「いちど呉へ回って、同志を語らい、ひそかに計を施して給わらぬか。もし成功なせば、貴下を三公に封ずるであろう」と、言った。
竹冠の友
一
ここが大事だ! と龐統はひそかに警戒した。まんまと詐り了わせたと心をゆるしていると、案外、曹操はなお──間際にいたるまで、こっちの肚を探ろうとしているかも知れない──と気づいたからである。
で、彼は曹操が、
(成功の上は、貴下を三公に封ずべし)というのを、言下に、顔を横に振って見せながら、
「思し召しはありがとうございますが、私はかかる務めを、目前の利益や未来の栄達のためにするのではありません。ただ民の苦患をすくわんがためです。どうか丞相が呉軍を破って、呉へ攻め入り給うとも、無辜の民だけは殺さないようにお計らい下さい。そればかりが望みです」
と、ことばに力をこめて言った。
曹操も、その清廉を信じて、彼の憂えをなぐさめ顔に言った。
「呉の権力は討っても、呉の民は、すぐ翌日から曹操にとっても愛すべき民となるものだ。なんでみだりに殺戮するものか。その事は安心するがいい」
「天に代わって道を布き、四民を安んじ給うを常に旨とされている丞相のこと。丞相のお心は疑いませんが、何といっても、大軍が目ざす敵国へなだれ入るときは、騎虎の勢い、おびただしい庶民が災害に会っています。いま仰せをうけて江南に帰るに際し、なにか丞相のお墨付きでも拝領できれば、小家の一族も安心しておられますが」
「先生の一族はいまいずこに居住しているのか」
「荊州を追われ、ぜひなく呉の僻地におります。もし丞相から一札を下し置かれれば、兵の狼藉をまぬがれ得ましょう」
「いと易いこと」と、曹操はすぐ筆をとって、当手の軍勢ども、呉へ入るとも、龐統一家には、乱暴すべからず、違背の者は斬に処す──と誌し、大きな丞相印を捺して与えた。
龐統は心のうちで、彼がこれまでの事をする以上は、彼もまったく自分の言にすっかり乗ったものと思ってもいいなと思った。しかしその北叟笑みをかくして、あくまでさあらぬ態をまもり、
「では行って来ます」と、恩を謝して別れた。
「周瑜に気どられるなよ」と、幾たびも念を押しながら、曹操は自身で営門まで見送って来た。龐統は別れを惜しむかのごとく、幾たびも振り返りながら、やがて外陣の柵門をすぎ、江岸へ出て、そこにある小舟へ乗ろうとした。
するとさっきから岸の辺りに待ちうけていたらしい男が、この時、つと楊柳の陰から走り出して、
「曲者、待て」と、うしろから抱きついた。
龐統は、ぎょっとして、両の脚を踏んばりながら振り向いた。
その者は、身に道服を着、頭に竹の冠をいただいている。そして怖ろしい剛力だった。いかに身をもがいてみても、組みついた腕は、びくともしないのであった。
「曹丞相の客として、これに迎えられ、いま帰らんとするこの方にたいして、曲者とは何事だ、狂人か、汝は!」
叱りつけると、男は、満身から声をふりしぼって、
「しらじらしい勿体顔。その顔、その弁で、丞相はあざむき得たかも知れんが、拙者の眼はだまされぬぞ。──呉の黄蓋と周瑜がたくみに仕組んだ計画のもとに、先には苦肉の計をなして、闞沢を漁夫に窶して送り、また蔡仲、蔡和などに書面を送らせ、いままた、汝、呉のために来て、大胆不敵にも丞相にまみえ、連環の計をささやいたるは、後日の戦いに、わが北軍の兵船をことごとく焼き払わんという肚に相違ない。──何でこのまま、江南に放してよいものか。さあもう一度中軍へ戻れ」
ああ、百年目。
大事はここに破れたかと、龐統はたましいを天外に飛ばしてしまった。
二
彼は観念の眼を閉じた、
万事休す──いたずらにもがく愚をやめて、龐統は相手の男へ言った。
「いったい何者だ、おぬしは? 曹操の部下か」
「もとよりの事」と男は、彼のからだを後ろから羽交い締めにしたまま、
「──この声を忘れたか。この俺を見わすれたか」と重ねて言った。
「何? 忘れたかとは」
「徐庶だよ、俺は」
「えっ、徐庶だと」
「水鏡先生の門人徐元直。貴公とは、司馬徽が門で、石韜、崔州平、諸葛亮などの輩と、むかしたびたびお目にかかっているはず──」
「やあ、あの徐君か」と、龐統はいよいよ驚いて、彼の両手から、その体を解かれても、なお茫然立ち竦んで、相手のすがたを見まもりながら、
「徐庶徐庶。君ならば、この龐統の意中は知っているはずだ。わが計を憐れめ。もし貴公がここでものを言えば、この龐統の一命はともかく、呉の国八十一州の百姓庶民が、魏軍の馬蹄に蹂躙される憂き目に墜ちるのだ──億兆の呉民のために、見のがしてくれ」と、哀願した。
すると、徐庶は、
「それはそっちの言うことでしょう。魏軍の側に立っていえば、呉の民は救われるか知らぬが、あなたをここで見のがせば、味方八十三万の人馬はことごとく焼き殺される。殲滅的な憂き目に遭う。──豈、これも憐れと見ずにはおられまいが」
「ううむ。......ここで君に見つかったのは天運だ。いずれともするがいい。もともと、自分がこれへ来たのは、一命すらない覚悟のうえだ。いざ、心のままに、殺すとも、曹操の前へ曳いて行くともいたせ」
「ああさすがは龐統先生」と徐庶は、その顔色も全身の構えも、平常の磊落な彼に回って、
「もう、御心配は無用」と、微笑した。そして、「実を申せば、以前、それがしは新野において、劉皇叔と主従のちぎりを結び、その折うけた御厚恩は今もって忘れ難く、身は曹操の陣へおいても、朝暮、胸に銘記いたしておる。──ただこれ一人の老母を曹操にとらわれたため、やむなくその麾下に留まっていたものの、今はその老母も相果ててこの世にはおりません。......が皇叔とお別れの折、たとえ曹操の下へ去るとも、一生のあいだ、他人のためには、決して計を謀らずと、かたくお約束いたして来た。故に、それがしこの陣にあって、先ごろから曹操の許へ、密かに往来ある呉人の様子を窺って、ははあ、さてはと、独り心のうちで頷いてはいたが、だれにも、その裏に裏のあることは語らずにいたのです」
と、初めて本心を打ち明け、龐統の驚きをながめたが、さて困ったように、その後で相談した。
「......ですから、拙者は、何も知らない顔をしているが、やがて貴兄が呉へ
回って、
連環の計、
火攻の計など、一挙にその功を

ぐるにいたれば、当然、かくいう
徐庶が、
魏の陣中にあって、焼き殺されてしまう。何とか、これを未然に
遁れる工夫はないものでしょうか」
「それはいと易い事だ」と、龐統は、耳に口をよせて、何事かささやいた。
「なるほど、名案!」
徐庶は、手を拍った。それを機に、龐統は舟へとび乗る。──かくて二人は、人知れず、水と陸とに、別れ去った。
ほどなく、曹操の陣中に、だれからともなく、こういう風説が立ち始めた。それは、
「西涼の馬超が、韓遂と共に、大軍を催して、叛旗をひるがえした。都の留守を窺って、今や刻々、許都をさして進撃している......」
という
真しやかな

で、遠征久しき人心に多大な
衝動を与えた。
月烏賦
一
都門を距ること幾千里。曹操の胸には、たえず留守の都を憶う不安があった。
西涼の馬超、韓遂の徒が、虚を衝いて、蜂起したと聞いたせつな、彼は一も二もなく、
「たれか予に代わって、許都へ帰り、都府を守る者はないか。風聞はまだ風聞に過ぎず、事の実否は定かではないが、馳せ遅れては間にあわん。──だれぞ、すぐにでも打ち立てる面々は名乗って出よ」と、群臣を前にして言った。
「拙者が赴きましょう」
すすんでその役目を買って出たのは徐庶であった。他の諸将は、この呉を前にしてのこの大戦に臨みながら、都へ帰るのは潔しとしないような面持ちでだれも黙っていたところである。曹操は快然とうなずいて、
「徐庶か。よしっ、行け」と迅速に直命した。
「かしこまりました。身不肖ながら、叛軍いかに気負うとも、散開に斬り塞ぎ、要害に守り支え、もし急変があればふたたび速報申しあげます」
と、頼もしげに言い放ち、即刻三千余騎の精兵をひきいて都へ馳せ上った。
「まず、彼が行けば」
と曹操は、一応安心して、更に、呉を打ち破ることへ思いを急にした。
時、建安十二年の冬十一月であった。
風しずかに、波ゆるやかな夜なればとて、曹操は陸の陣地を一巡した後旗艦へ臨んだ。その大船の艫には、「帥」の字を大きく書いた旗を立て、弩千張と黄鉞銀鎗を舷側にたてならべ、彼は将台に坐し、水陸の諸大将すべて一船に集まって、旺なる江上の宴を催した。
大江の水は、素絹を引いたように、月光にかすんでいた。──南は遠く呉の柴桑山から樊山をのぞみ、北に烏林の峰、西の夏口の入り江までが、杯の中にあるような心地だった。
「ああ楽しいかな、男児の業。
眸は四遠の地景をほしいままにし、胸には天空の月影を

む。
俯して杯をとれば、
滾々湧くところの
吟醸あり、
起って剣を放てば、すなわち呉の死命を制す......じゃ。呉は江南
富饒の土地である。これをわが手に
享けるときは、かならず今日予とともに力を尽くす諸将にも長くその富貴を
頒与えるであろう。諸員それ善戦せよ。この期を外して悔いをのこすな」
曹操は、大杯をかさねながら、こう諸大将を激励し、意気虹のごとくであった。
諸将もみな心地よげに、
「われわれが長き鍛錬を経、また、君の御恩沢に甘んじて来たのも一に今日に会して恥なからんためであります。何で、後れをとりましょうや」
と、武者ぶるいしながら、各々杯の満をひいた。
酔いが発すると、曹操は、久しく眠っていた彼らしい情感と熱とを、ありありと眸に燃やしながら、
「みな、かなたを見ないか」
と、呉の国の水天を指した。
「──あわれむべし、周瑜も魯粛も、天の時を知らず、運の尽きるを知らぬ。彼等の陣中から密かに予に気脈を通じて来おる者すらある。そうしてすでに呉軍の内輪に心腹の病を呈しておるのだ。いかでわが水陸軍の一撃に完膚あらんや」
曹操は、なお言った。
「──これ、天の我を扶くるものである」
と、もちろん彼は士気を鼓舞激励するつもりで言ったのである。
が、そばにいた荀攸は、酔いをさまして、
「丞相丞相。めったに、さようなことは、お口にはしないものです」
と、そっと袖をひいて諫めた。
曹操は、呵々と肩をゆすぶって、
「この一船中にあるものは、みな予の股肱の臣たらざるはない。舷外は滔々の水、どこに異端の耳があろうぞ」と、気にとめる風もなかった。
二
興は尽きない。曹操の多感多情はうごいて止まないらしい。彼はまた、上流夏口の方を望みながら言った。
「呉を討った後には、まだもう一方に片づけなければならんちんぴらがおる。玄徳、孔明の鼠輩だ。いや、この大陸大江に拠って生ける者としては、彼等の存在など鼠輩というもおろか、目高のようなものでしかあるまい。いわんやこの曹操の相手としては」
酒に咽んで、彼は手の杯を下に措き、そのまましばし口をつぐんだ。
皎々の月も更け、夜気は際だって冷え冷えとして来た。いかに意気のみはなお青年であっても、身にこたえる寒気や、咳には、彼も自己の人間たることを顧みずにはおられなかったのであろう。ふと声を落として、しみじみと語った。
「予もことしは五十四歳になる。連年戦陣、連年制覇。わが魏もいつか尨大になったが、この身もいつか五十四齢。髪にも時々霜を見る年になったよ。だが諸君、笑ってくれるな。呉に討ち入るときには、予にも一つの楽しみがある。それはそのむかし予と交わりのあった喬公の二娘を見ることだ」
こんな述懐を他人に洩らしたことは珍しい。こよいの彼はよほどどうかしていたものと思われる。すっかり興に浸って心も寛ぎ、また彼自身の感傷を彼自身の詩情で霧のような酔心につつんで思わず出たことばでもあろう。
喬家の二女といえば、呉で有名な美人。時来らば江北に迎えんと、曹操はかねて二娘の父なる人に言ったことがある。その後、呉の孫策、周瑜が二女を室に迎えたとも聞こえているが、彼はまだ未練を捨てきれなかった。もし呉を平らげたあかつきには、かの漳水の殿楼──銅雀台に二女を迎えて、共に花鳥風月を娯みながら自分の英雄的生涯の終わりを安らかにしたいものだと、今なお心に夢みているのだった。
諸将は、彼の述懐をきくと、われらの丞相はなお多分に青年なりと、口々に言ってしばしば笑いもやまず、
「加盞加盞」
と彼の寿と健康を祝した。
時に帆檣のうえを、一羽の鴉が、月をかすめて飛んだ。曹操は左右に向かって、
「いま鴉の声が、南へ飛んで行きながら啼くのを聞いたが、この夜中に、何で啼くのか」
と、たずねた。
侍臣のひとりが、
「されば、月のあきらかなるまま、夜が暁けたかと思って啼いたのでしょう」と、早速に答えた。
「そうか」
と曹操は、もう忘れている。そしてやおら身を起こすと、船の舳に立って、江の水に三杯の酒をそそぎ、水神を祭って、剣を撫しながら、諸大将へ更に感慨をもらした。
「予や、この一剣をもって、若年、黄巾の賊をやぶり、呂布をころし、袁術を亡ぼし、更に袁紹を平らげて、深く朔北に軍馬をすすめ、翻って遼東を定む。いま天下に縦横し、ここ江南に臨んで強大の呉を一挙に粉砕せんとし、感慨尽きないものがある。ああ大丈夫の志、満腔、歓喜の涙に濡れる。こよいこの絶景に対して回顧の情、望呉の感、抑えがたいものがある。いま予自ら一詩を賦さん。汝等みな、これに和せよ」
彼は、即興の賦を、吟じ出した。諸将もそれに和して歌った。
その詩のうちに、
月は明らかに星稀なり
烏鵲南へ飛ぶ
樹を遶ること三匝
枝の依る可き無し
という詞があった。
歌い終わった後、楊州の刺史劉馥が、その詩句を不吉だと言った。曹操は興をさまされて赫怒し、立ちどころに剣を抜いて劉馥を手討ちにしてしまった。酔いがさめてからそれと知った彼はいたく沈痛な顔をしたが、その後悔も及ばず、子の劉煕に死骸を与えて故郷へ葬らせた。
鉄鎖の陣
一
数日の後。
水軍の総大将毛玠、于禁のふたりが、曹操の前へ来て、謹んで告げた。
「江湾の兵船は、すべて五十艘六十艘とことごとく鎖をもって連ね、御命令どおり連環の排列を成し終わりましたれば、いつ御戦端をおひらきあるとも、万端の手はずに狂いはございません」
「よし」
すなわち曹操は、旗艦に上って水軍を閲兵し、手分けを定めた。
中央の船隊はすべて黄旗をひるがえし、毛玠、于禁のいる中軍の目印とする。
前列の船団は、すべて紅旗を檣頭に掲げ、この一手の大将には、徐晃が選ばれる。
黒旗の船列は、呂虔の陣。
左備えには、翩々と青旗が並んで見える。これは楽進のひきいる一船隊である。
反対の右側へは、すべて白旗を植え並べていた。その手の大将は夏侯淵。
また。
水陸の救応軍には、夏侯惇、曹洪の二陣がひかえ、交通守護軍、監戦使には、許褚、張遼などの宗徒の輩が、さながら岸々の岩を重ねて大山を成すがごとく、水上から高地へかけて、固めに固めていた。
曹操は小手をかざして、
「今日まで、自分もずいぶん大戦に臨んだが、まだその規模の大、軍備の充溢、これほどまで入念にかかった例しはない」
われながら旺なる哉と思い、意中すでに呉を呑んでいた。
「時は来た」と、彼は、三軍に令した。
即日、この大艦隊は、呉へ向かって迫ることになった。
三通の鼓を合図に、水寨の門は三面にひらかれ、船列は一糸みだれず大江の中流へ出た。
この日、風浪天にしぶき、三江の船路は暴れ気味だったが、連環の船と船とは、鎖のために、動揺の度が少なかったので、士気ははなはだふるい、曹操も、
「龐統の献言はさすがであった」と、歓びをもらしていた。
だが、風浪が熄まないので、全艦艇は江を下ることわずか数十里の烏林の湾口に碇泊した。この辺までも陸地は要塞たることもちろんである。そしてここまで来ると、呉の本営である南の岸は、すでに晴天の日なら指さし得るほどな彼方にあった。
「丞相。また不吉なりと、お気に障るやも知れませんが、ふと、この烈風を見て、心にかかり出した事がありますが」
程昱が、こう彼に言い出したのである。
「何が不安か」
と、曹操が聞くと、
「なるほど、鎖をもって、船の首尾を相繫げばこういう日にも、船の揺れは少なく、士卒の間に船暈も出ず、至極名案のようですが、万一敵に火攻めの計を謀られたら、これは一大事を惹起するのではありますまいか」
「はははは。案ずるをやめよ。時いま十一月、西北の風はふく季節だが、東南の風は吹くことはない。わが陣は、北岸にあり、呉は南にある。敵がもし火攻めなど行なえば自ら火をかぶるようなものではないか。──呉に人なしといえ、まさかそれほど気象や兵理に晦いものばかりでもあるまい」
「あ。なるほど」
諸将は、曹操の智慮にみな感服した。何といっても、彼に従う麾下の将士は、その大部分が、青州、冀州、徐州、燕州などの生まれで、水軍に不馴れな者ばかりだったから、この連環の計に不賛成を称えるものは少なかった。
かくて、風浪のやや鎮まるのを待つうちに、もと袁紹の大将で、いまは曹操に仕えている燕の人、焦触、張南のふたりが、
「不肖、幼少から水には馴れている者どもです。ねがわくはわれわれに二十艘の船をかし給え、序戦の先陣を仰せつけ下されたい」と、自身から名乗って出た。
二
「そちたちは皆、北国の生まれではないか。船二十艘を持って、何をやるというのだ。児戯に類した真似をして、敵味方に笑われるな」
と、叱っただけで、曹操は二人の乞いをゆるさなかった。
焦触、張南は大いに叫んで、
「これは心外な仰せです。われ等は長江のほとりに育ち、舟を操ること、水を潜ること、平地も異なりません。万一、打ち負けて帰ったら軍法に糺して下さい」
「意気は賞めてつかわすが、何もそう逸って生命を軽んじないでもいい。──それに大船、闘艦はすべて鎖をもって繫ぎ、走舸、蒙衝のほかは自由に行動できぬ」
「もとより大船や闘艦を拝借しようとは申しません。蒙衝五、六隻、走舸十数艘、あわせて二十もあればよいのです」
「それで何とする気か」
「張南と二手にわかれて、敵の岸辺へ突入し、呉の気勢を挫いて、このたびの大戦の真っ先に立ちたいのです」
焦触は熱望してやまない。それほどに言うならばと、ついに曹操も彼の乞いを容れた。
「しかし、二十艘では危ない」
と、大事をとって、別に文聘に三十艘の兵船をさずけ、兵五百をそれに附した。
ここで一応、当時の船艦の種別や装備をあらまし知っておくのも無駄であるまい。大略、説明を加えておく。
闘艦=これは最も巨きくまた堅固にできている。艦の首尾には石砲を備えつけ、舷側には鉄柵が結いまわしてある。また楼には弩弓を懸け連ね、螺手鼓手が立って全員に指揮合図を下す。ちょうど今日の戦闘艦にあたるものである。
大船=と呼ぶふつう兵船型のものは、現今の巡洋艦のような役割をもつ。兵力軍需の江上運輸から戦闘の場合には闘艦の補助的な戦力も発揮する。
蒙衝=船腹を総体に強靭な生牛の皮で外装した快速の中型船。もっぱら敵の大船隊の中を駆逐し、また奇襲戦に用いる。兵七十人は乗る。
走舸=これは小型の闘艦というようなもの、積載力二十人あまり、江上一面にうんかのごとく散らかって、大船闘艦へ肉薄、投火、挺身、あらゆる方法で敵を苦しませる。
──このほかにもなお、雑多な船型や、大小の種類もあるが、総じて船首の飾りや船楼は濃厚な色彩で塗りたて、それに旌旗や刀槍のきらめきが満載されているので、その壮大華麗は水天に映じ、言語を絶するばかりである。
さて──。
呉の陣営の方でも、決戦の用意おさおさ怠りなかった。駆け交い駆け交い軽舸の齎して来る情報はひきもきらない。
また、附近の山のうえには、昼夜、物見の兵が江上に眼を光らし、芥の流れるのも見のがすまいとしていた。
今。──そこに監視していた部将と兵の一団が、突然、
「来たっ」
「おうっ、敵の船が」
と、大きく叫んだかと思うと、だだっと駆け降りて来て、周都督の本陣のうちで呶鳴っていた。
「二列、二手にわかれた敵の蒙衝と走舸が、波を衝いて、こなたへ襲せてきます。敵です! 敵です!」
それと共に、山の上からは、物見のあげた狼煙のひびきが、全軍へわたって、急を報らせていた。
「すわ」
周瑜もすぐ轅門に姿をあらわしたが、ひしめく諸将に向かって、
「立ち躁ぐには及ばん。たかの知れた小船隊だ。たれか進んで、江上に打ち砕き、序戦の祝いに手柄を立ててみる者はないか」と言った。
韓当、周泰のふたりが、
「仰せ、承りました」
と、すぐ江岸から十数艘の牛革船を解き放ち、左右から鼓を鳴らして敵船へ迫って行った。
三
周瑜は陣後の山へ駆けのぼって行った。望戦台から手をかざして見る。江上の接戦はもう飛沫の中に開かれている。
快速の舟艇ばかり三、四十が入り乱れて矢を射交わしている様子。魏の焦触、張南のふたりは、遮二無二、岸へ向かって突進をこころみ、
「第一に陸地を踏んだ者には、曹丞相に申しあげて、軍功帳の筆頭に推すぞ。怯むな面々」
と、声をからして奮戦を励ました。
呉の大将韓当は、それを防ぎ防ぎ自身、長槍を持って一艇の舳に立ち現われ、
「御座んなれ、みな好餌だ」と、横ざまに艇をぶつけて行った。
焦触は、何をとばかり、矛をふるって両々譲らず十数合ほど戦ったが、風浪が激しいため、舟と舟は揉みに揉みあい、勝負はいつ果てるとも見えない。
ところへ、呉の周泰がまた、船を漕ぎよせて、
「韓当韓当。いつまでそんな敵に手間どるのだ」
と、励ましながら、手の一槍を風に乗って、ぶうんと投げた。
敵の焦触は、見事、投げ槍に串刺しにされて、水中へ落ちた。彼の副将張南は、それと見るや、
「おのれっ」と、弩を張って、周泰の舟へ近づきながら、雨あられと矢を向けて来た。
周泰は舷の陰にひたと身を伏せたまま、矢面をくぐって敵艇へ寄せて行ったが、どんと、船腹と船腹のあいだに勢いよく水煙が揚がったせつなに、おうっと一吼して、相手の船中へ躍りこみ、張南をただ一刀に斬りすてたのみか、その艇を分捕ってしまった。
かくて水上の序戦は、魏の完敗に終わり、首将ふたりまで討たれてしまったので、魏の船はみだれみだれて風波の中を逃げちらかった。
「──おう、おうっ、味方の大捷だ。江上戦は有利に展開したぞ」
望戦台の丘に立ってこれを見ていた周瑜の喜色はたいへんなものである。──が、戦況の変はたちまち一喜一憂だ。やがて彼のその顔も暗澹として、毛穴もそそけ立つばかり不安な色を呈して来た。というのは、敗報をうけた曹操が、小癪なる呉の舟艇、一気に江底の藻屑にせん、と怒り立って、そのおびただしい闘艦、大船の艨艟をまっ黒に押し展き、天も晦うし、水の面もかくれんばかり、呉岸へ向かって動き出して来る様子なのである。
「ああ、さすがは魏。偉なるかな、その大船陣。われ水軍を督すること十年なれど、まだこんな偉容を水上に見たことはない。いかにしてこれを破るべきか」
眼に見ただけで、周瑜はすでに気をのまれたかたちだった。懊悩戦慄、施すべき術も知らなかった。
すると突然、江上の波は怒り、風吹き捲いて、ここかしこ数丈の水煙が立った。そして曹操の乗っている旗艦の「帥」字の旗竿が折れた。
「──あれよ」と、立ち騒ぐ江上の狼狽ぶりが眼に見えるようだった。臨戦第一日のことだ。これはだれしも忌む大不吉にちがいない。間もなく連環の艨艟はことごとく帆をめぐらし舵を曲げて、烏林の湾口ふかく引っ返してしまった。
「天の佑けだ。天冥の加護わが軍にあり」
と、周瑜は手をたたいて狂喜した。しかるに、江水を吹き捲いた龍巻は、たちまち一天をかき曇らせ、南岸一帯からこの山へも、大粒の雨を先駆として、もの凄まじく暴れまわって来た。
「あッ」
と、周瑜が絶叫したので、まわりにいた諸大将が仰天して駆けよってみると、周瑜のかたわらに立ててあった大きな司令旗の旗竿が狂風のため二つに折れて、彼の体はその下に圧しつぶされていたのだった。
「おおっ、血を吐かれた」
諸人は驚いて、彼の体をかかえ上げ、山の下へ運んで行ったが、周瑜は気を失ってしまったものらしく途中も声すら出さなかった。
孔明・風を祈る
一
よほど打ち所が悪かったとみえる。周瑜は営中の一房に安臥しても、昏々と呻き苦しんでいる。
軍医、典薬が駆けつけて、極力、看護にあたる一方、急使は、呉の主孫権へこの旨を報らせに飛ぶ。
「奇禍に遭って、都督の病は重態に陥った」
と聞こえ、全軍の士気は、落寞と沮喪してしまった。
魯粛はひどく心配した。呉魏決戦の火ぶたはすでに開かれている折も折だ。早速、孔明の住んでいる船へ出かけ、
「はや、お聞き及びでしょうが、どうしたものでしょうか」と、善後策を相談した。
孔明は、さして苦にする容子もなく、かえって彼に反問した。
「貴兄はこの出来事に就いてどう考えておられるか」
「どうもこうもありません。この椿事は、曹操には福音であり、呉にとっては致命的な禍と言えるでしょう」
「致命的? ......そう悲観するには当たりません。周都督の病たりとも、即時に

えればよいのでしょう」
「もとよりそんなふうに早く御全快あれば、国家の大幸というものですが」
「いざ、来給え。──これから二人してお見舞いしてみよう」
孔明は先に立った。
船を下り、驢に乗って、二人は周瑜の陣営奥ふかく訪ねた。病室へ入って見ると、周瑜はなお衣衾にふかくつつまれて横臥呻吟している。──孔明は、彼の枕辺へ寄って、小声に見舞った。
「いかがですか、御気分は」
すると周瑜は、瞼をひらいて、渇いた口からようやく答えた。
「オオ、亮先生か──」
「都督。しっかりして下さい」
「いかんせん、身をうごかすと、頭は昏乱し、薬を摂れば、嘔気がつきあげてくるし......」
「何が御不安なのです。わたくしの見るところでは、貴体に何の異状も見られませんが」
「不安。......不安などは、何もない」
「しからば、即時に、起てるわけです。起ってごらんなさい」
「いや、枕から頭を上げても、すぐ眼まいがする」
「それが心病というものです。ただ心理です。ごらんなさい天体を。日々曇り日々晴れ、朝夕不測の風雲をくりかえしているではありませんか。しかも風暴るるといえ、天体そのものが病み煩っているわけではない。現象です、気晴るるときはたちまち真を現わすでしょう」
「......ウムム」
病人は呻きながら襟を嚙み、眼をふさいでいた。孔明はわざと打ち笑って、
「こころ平らに、気順なるときは、一呼一吸のうちに、病雲は貴体を去ってゆきましょう。それ、更に病の根を抜こうとするには、やや涼剤を用いる必要もありますが」
「良き涼剤がありますか」
「あります。一ぷく用いれば、ただちに気を順にし、たちまち快適を得ましょう」
「──先生」
病人は、起ち直った。
「ねがわくは、周瑜のため、いや国家のために、良方を投じたまわれ」
「む、承知しました。.........しかしこの秘方は人に漏れては効きません。左右のお人を払って下さい」
すなわち、侍臣をみな退け、魯粛をのぞくほか、房中無人となると、孔明は紙筆を把って、それへ、
欲レ 破二 曹公一 宜用二 火攻一
万事倶備只欠二 東風一
こう十六字を書いて、周瑜に示した。
「都督。──これがあなたの病の根源でありましょう」
周瑜は愕然としたように、孔明の顔を見ていたが、やがて莞爾と笑って、
「畏れ入った。神通の御眼力。......ああ、先生には何事も隠し立てはできない」
と言った。
二
季節はいま北東の風ばかり吹く時である。北岸の魏軍へ対して、火攻の計を行なおうとすれば、かえって味方の南岸に飛び火し、船も陣地も自ら火をかぶる怖れがある。
孔明は、周瑜の胸の憂悶が、そこにあるものと、図ぼしをさしたのである。周瑜としては、その秘策はまだ孔明に打ち明けないことなので、一時は驚倒せんばかり愕いたが、こういう達眼の士に隠しだてしても無益だと悟って、
「事は急なり、天象はままならず、一体、いかがすべきでしょうか」
と、かえって、彼の垂教を仰いだのであった。
孔明は、それに対して、こういうことを言っている。
「むかし、若年のころ、異人に会うて、八門遁甲の天書を伝授されました。それには風伯雨師を祈る秘法が書いてある。もしいま都督が東南の風をおのぞみならば、わたくしが畢生の心血をそそいで、その天書に依って風を祈ってみますが──」と。
だが、これは孔明の心中に、べつな自信のあることだった。毎年冬十一月ともなれば、潮流と南国の気温の関係から、季節はずれな南風が吹いて、一日二日のあいだ冬を忘れることがある。その変調を後世の天文学語で貿易風という。
ところが、今年に限って、まだその貿易風がやって来ない。孔明は長らく隆中に住んでいたので年々つぶさに気象に細心な注意を払っていた。一年といえどもまだそれの無かった年はなかった。──で、どうしても今年もやがて間近にその現象があるものと確信していたのである。
「十一月二十日は甲子にあたる。この日にかけて祭すれば、三日三夜のうちに東風が吹き起こりましょう。南屛山の上に七星壇を築かせて下さい。孔明の一心をもって、かならず天より風を借らん」
と、彼は言った。
周瑜は、病を忘れ、たちまち陣中を出て、その指図をした。魯粛、孔明も馬を早めて南屛山にいたり、地形をみさだめて、工事の督励にかかる。
士卒五百人は壇を築き、祭官百二十人は古式に則って準備をすすめる。東南の方には赤土を盛って方壇二十四丈とし、高さ三尺、三重の壇をめぐらし、下の一重には二十八宿の青旗を立て、また二重目には六十四面の黄色の旗に、六十四卦の印を書き、なお三重目には、束髪の冠をいただいて、身に羅衣をまとい、鳳衣白帯した朱履方裙という者を四人立て、左のひとりは長い竿に鶏の羽を挾んだのを持って風を招き、右のひとりは七星の竿を掲げ、後のふたりは宝剣と香炉とを捧げて立つ。
こうした祭壇の下にはまた、旌旗、宝蓋、大戟、長槍、白旄、黄鉞、朱旛などを持った兵士二十四人が、魔を寄せ付けじと護衛に立つなど──何にしてもこれは途方もない大形な行事であった。
時、十一月二十日。
孔明は前日から斎戒沐浴して身を浄め、身には白の道服を着、素足のまま壇へのぼって、いよいよ三日三夜の祈りにかかるべく立った。
──が、その一瞬まえに、
「魯粛は、あるや」と、呼ばわった。
壇の下からただちに、
「これにあり」と、いう声がした。
孔明はさしまねいて、
「近く寄りたまえ」と、いい、そして厳かに、
「いまより、それがしは、祈りにかかるが、幸いに、天が孔明の心をあわれみ給うて、三日のうちに風を吹き起こすことあらば、時を移さず、かねての計をもって、敵へ攻め襲せられるように──御辺はこの由を周都督に報じ、お手ぬかりのないように万端待機せられよ」と、念を押した。
「心得て候」とばかり、魯粛はたちまち駒をとばして、南屛山から駆け下りて行った。
三
魯粛の去ったあとで、孔明はまた壇下の将士に戒めて言いわたした。
「われ、風を祈るあいだ、各々も方位を離れ、あるいは私語など、一切これを禁ず。また、いかなる怪しき事ありとも、愕き騒ぐべからず。行をみだし、法に反く者は立ち所に斬って捨てん」
彼は──そう言い終わると、踵をめぐらし、緩歩して、南面した。
香を焚き、水を注ぎ、天を祭ることやや二刻。
口のうちで、祝文を唱え、詛を切ること三たび。なお黙禱やや久しゅうして、神気ようやくあたりにたちこめ、壇上壇下人声なく、天地万象また寂たるものであった。
夕星の光が白く空にけむる。いつか夜は更けかけていた。孔明はひとたび壇を降りて、油幕のうちに休息し、そのあいだに、蔡官、護衛の士卒などにも、
「交わる交わる飯を喫し、しばし休め」と、ゆるした。
初更からふたたび壇にのぼり、夜を徹して孔明は「行」にかかった。けれど深夜の空は冷々と死せるがごとく、何の兆もあらわれて来ない。
一方、魯粛は周瑜に報じて、万端の手筈をうながし、呉主孫権にも、事の次第を早馬で告げ、もし今にも、孔明の祈りの験しがあらわれて、望むところの東南の風が吹いて来たら、直ちに、総攻撃へ移ろうと待機していた。
また、そうした表面的なうごきの陰には、例の黄蓋が、かねての計画どおり、二十余艘の兵船快舟を用意して、内に乾草枯れ柴を満載し、硫黄、煙硝を下にかくし、それを青布の幕ですっかり蔽って、水上の進退に馴れた精兵三百余を各船にわかち載せ、
「大都督の命令一下に」
と、ひそやかに待ち構えていた。
もちろんこの一舷隊は、初めから秘密に計を抱いているので、そこでは黄蓋と同心の甘寧、闞沢などが、敵の諜者たる蔡和、蔡仲を巧みにとらえて、わざと酒を酌み、遊惰の風を見せ、そしていかにも真しやかに、
(どうしたら首尾よく味方を脱して、曹操の陣へ無事に渡り得るか)
と、降伏行の相談ばかりしていたのである。
次の日もはや暮れて、日没の冬雲は赤く長江を染めていた。
ところへ、呉主孫権のほうからも、伝令があって、
「呉侯の御旗下、その余の本軍は、すでに舳艫をそろえて溯江の途中にあり、ここ前線を距つこと、すでに八十里ほどです」と、告げて来た。
その本陣も、ここ最前線の先鋒も中軍も、いまはただ周瑜大都督の下知を待つばかりであった。
自然、陣々の諸大将もその兵も、
固唾をのみ、

をにぎり、何とはなく、身の毛をよだてて、
「今か。今か」の心地だった。
夜は深まるほど穏やかである。星は澄み、雲もうごかない。三江の水は眠れるごとく、魚鱗のような小波をたてている。
周瑜は、あやしんで、
「どうしたということだ? ......いっこう祈りの験は見えて来ないじゃないか。──思うにこれは、孔明の詐り事だろう。さもなければ、つい広言のてまえ、自信もなくやり出した事で、今ごろは、南屛山の七星壇に、立ち往生のかたちで、後悔しているのではないかな」
呟くと、魯粛は、側らにあって、
「いやいや、孔明のことですから、そんな軽々しい事をして、自ら禍を求めるはずはありません。もうしばらく見ていて御覧なさい」
「......けれど、魯粛。この冬の末にも近くなって、東南の風が吹くわけはないじゃないか」
ああ、その言葉を、彼が口に
洩らしてから、実に、
二刻とて経たないうちであった。一天の星色次第に
革まり、水
颯々、
雲
々、ようやく風が立ち始めて来た。しかもそれは東南に特有な生温かい風であった。
四
「やっ? 風もようだが」
「吹いて来た」
周瑜も魯粛も、思わず叫んで、轅門の外に出た。
見まわせば、立て並べてある諸陣の千旗万旗は、ことごとく西北の方へ向かって翻っている。
「オオ、東南風だ」
「──東南風」
待ちもうけていたことながら二人は啞然としてしまった。
突然、周瑜は身ぶるいして、
「孔明とは、そも、人か魔か。天地造化の変を奪い、鬼神不測の不思議を為す。かかる者を生かしておけば、かならず国に害を為し、人民のうちに禍乱を起こさん。かの黄巾の乱や諸地方の邪教の害に照らし見るもあきらかである。如かず、いまのうちに!」
と、叫んで、急に丁奉、徐盛の二将をよび、これに水陸の兵五百をさずけて、南屛山へ急がせた。
魯粛は、いぶかって、
「都督、今のは何です?」
「あとで話す」
「まさか孔明を殺しにやったのではありますまいね。この大戦機を前にして」
「............」
周瑜は答えもなく、口をつぐんだ。その面を魯粛は「度し難き大将」と蔑むように睨みつけていた。その爛たる白眼にも刻々と生温かい風はつよく吹き募ってくる。
陸路、水路、ふた手に分かれて南屛山へ迫った五百の討っ手のうち、丁奉の兵三百が、真っ先に山へ登って行った。
七星壇を仰ぐと、祭具、旗など捧げたものは、方位の位置に、木像のごとく立ちならんでいたが、孔明のすがたはない。
「孔明はいずこにありや」と、丁奉は高声にたずねた。
ひとりが答えて、
「油幕のうちにお休み中です」と、言う。
ところへ、徐盛の船手勢も来て、ともに油幕を払ってみたが、
「──おらんぞ」
「はてな?」
雲をつかむように、捜しまわった。
不意に射手の一人が、
「逃げたのだ!」と、絶叫した。
徐盛は足ずりして、
「しまった。まだ、よも遠くへは落ちのびまい。者ども、追いついて、孔明の首をぶち落とせ」
と喚いた。
丁奉も、おくれじと、鞭打って馬を早めた。麓まで来て、一水の岸辺にかかると、ひとりの男に会った。かくかくの者は通らなかったかと質すと、男の言うには、
「髪をさばき、白き行衣を着た人なら、この一水から小舟を拾って本流へ出、そこに待っていた一艘の親船に乗って、霞のごとく、北のほうへ消えました」
徐盛、丁奉はいよいよあわてて、
「それだ。逃がすな」
と、相励ましながら、更に、長江の岸まで駆けた。
満々と帆を張った数艘が、白波を蹴って上流へ追った。
そしてたちまち先へ行く怪しい一艘を認めることができた。
「待ち給え、待ち給え。それへ急がるる舟中の人は、諸葛先生ではないか。──周都督より一大事のお言伝けあって、お後を追って参った者。使いの旨を聞きたまえ」
と、手をあげて呶鳴った。
すると果たして、孔明の白衣のすがたが、先にゆく帆の船尾に立った。そして阿々と笑いながらこちらへ答えた。
「よう参られたり、お使い、御苦労である。周都督のお旨は承わらずともわかっておる。それよりもすぐ立ち帰って、東南の風もかく吹けり、はや敵へ攻めかからずやと、お伝えあれ。──それがしはしばらく夏口に帰る。他日、好縁もあらばまたお目にかからん」
声──終わるや否、白衣の影は船底にかくれ、飛沫は船も帆もつつんで、見る見るうちに遠くなってしまった。
南風北春
一
「逃がしては」と、徐盛は、水夫や帆綱の番を励まして、
「追いつけ。孔明の舟をやるな」と、舷を叩いて励ました。
先へ舟を早めていた孔明は、ふたたび後から追いついて来る呉の船を見た。孔明は、笑っていたが、彼と船中に対坐していた一人の大将が、やおら起って、
「執念ぶかい奴かな。いで、一睨みに」
と、身を現わして、舷端に突っ立ち、徐盛の舟へ向かって呼ばわった。
「眼あらば見よ、耳あらば聞け。われは常山の子龍趙雲である。劉皇叔のおいいつけをうけて、今日、江辺に舟をつないで待ち、わが軍の軍師をお迎えして夏口に帰るに、汝ら、呉の武将が、何の理由あって阻むか。みだりに追い来って、わが軍師に何を働かんといたすか」
すると、徐盛も舳に立ち上がって、
「いやいや、何も諸葛亮を害さんためではない。周都督のお旨をうけ、いささか亮先生に告ぐる儀あり。しばらく待ち給えというに、なぜ待てぬか」
「笑止笑止。そのものものしい武者どもを乗せて、害意なしなどとは子どもだましの虚言である。汝らこれが見えぬか」と、趙子龍は、手にたずさえていた強弓に矢をつがえて示しながら、
「この一矢をもって、汝を射殺するはいと易いが、わが夏口の勢と呉とは、決して、対曹操のごときものではない。故に、両国の好誼を傷つけんことを怖れて、あえて、最前から放たずにいるのだ。この上、要らざる舌の根をうごかし、みだりに追いかけて来ぬがよいぞ」
と、大音を収めたかと思うと、途端に、弓をぎりぎりとひき絞って、徐盛の方へ、びゅっと放った。
「──あっ」と、徐盛も首をすくめたが、もともとその首を狙って放った矢ではない。矢は、彼のうえを通り越して、うしろに張ってある帆の親綱をぷつんと射断った。
帆は大きく、横になって、水中に浸った。そのため、船はぐると江上に廻り、立ち騒ぐ兵をのせたまま危うく顚覆しそうに見えた。
趙雲は、からからと笑って、弓を捨て、何事もなかったような顔して、ふたたび孔明と対い合って話していた。
水びたしの帆を張って、徐盛がふたたび追いかけようとした時は、もう遠い煙波のかなたに、孔明の舟は、一鳥のように霞んでいた。
「徐盛。むだだ、やめろやめろ」
江岸から大声して、彼をなだめる者があった。
見れば、味方の丁奉である。
丁奉は、馬にのって、陸地を江岸づたいに急ぎ、やはり孔明の舟を追って来たのであるが、いまの様子を陸から見ていたものと見え、
「到底、孔明の神機は、おれ達の及ぶところでない。おまけに、あの迎えの舟には、趙雲が乗っているではないか。常山の趙子龍といえば、万夫不当の勇将だ。長坂坡以来、彼の勇名は音に聞こえている。この少ない追っ手の人数をもって、追いついたところで、犬死にするだけのこと。いかに都督の命令でも、犬死にしては何もならん。帰ろう、帰ろう、引っ返そう」
手合図して、駒をめぐらし、とことこと岸をあとへ帰って行く。
徐盛もぜひなく、船を回した。そして事の仔細を、周瑜へ報告すると、
「また孔明に出し抜かれたか」と、彼は急に、臍を嚙むように罵った。
「これだから自分は、彼に油断をしなかったのだ。彼は決して、呉のために呉の陣地へ来ていたのではない。──ああ、やはり何としてでも殺しておけばよかった。彼の生きているうちは、夜も安らかに寝られん」
一度は、深く孔明に心服した彼も、その心服の度がこえると、たちまち、将来の恐怖に変わった。いっその事、玄徳を先に討ち、孔明を殺してから、曹操と戦わん乎。──などと言い出したが、
「小事に囚われて、大事を棄つる理がありましょうか。しかも眼前に、あらゆる計画はもう出来ているのに」と、魯粛に諫められて、迂愚ではない彼なので、たちまち、
「それは大きにそうだ!」
と、曹操との大決戦に臨むべく、即刻、手分けを急ぎ出した。
〔第六巻 終〕
●『三国志』解説/渡部昇一
【第6巻】
『三国志』はリーダー論や、人を動かす心得なども、読むことで学べるかと思います。どこを読めばいい、というのはありませんが、こんな間違った使い方があったのか、とか、こういう段取りがあったのか、などを読んでいるうちに感じられるのではないでしょうか。例えば、張飛みたいに酒を飲み過ぎて乱暴だと部下に寝首をかかれてしまう、とかですよね。
それに、控えめに書かれていますが、呉の3代目当主である孫権の振る舞いは、中小企業の2代目の人なんかが読むといいのではないかと思いますね。兄であり2代目当主の孫策は天才と言われ、父の意志を継いで呉を大きくしていったわけですが、志半ばで非業の死を遂げてしまう。その跡を継いだ孫権は凡庸だと言われながらも、いい部下に恵まれてしかも彼らを使うだけの器量は持ち合わせていたので、呉を他の2国と同等の大きさにまで発展させたわけです。そういう部分が、ビジネスに通じるところがあると思うのです。
人によっては、曹操を手本にする人もいるでしょうし、劉備だったり、彼亡き後に蜀を率いた孔明を手本にする人は、今の日本ではあまりいないと思いますが、それぞれで学べることがあることでしょう。そして、武将の立ち振る舞いからだけではなく、言葉からも学べることはあります。その最たるものが、孔明が奏上した『出師の表』で、ここには名文句がたくさんあると言われています。私と同じ年で、外務省に勤めていた岡崎久彦氏などは『俺は出師の表をみな暗記しているよ』と言っていましたが、このような人が昔はたくさんいたんですよ。ただ、この『出師の表』は誰もが読んで役に立つかというと、そういうわけではありません。読む人によって感じ方というのは違うので、どれがどのように役立つのかはその人の感じ方次第だからです。
実業家の方が『三国志』を読むと、受ける利益というのはかなり大きいと思います。ただ、先にも書いたように、どこをどう読めば利益になるとか正解だ、というのはありません。また、どの武将のどのエピソードを読んだ方がいい、といったようなことも本当に難しいので、何かを感じられるように読むことが大切だと思います。
【第7巻につづく】
降参船
一
「この大機会を逸してどうしましょうぞ」
という魯粛の諫めに励まされて、周瑜もにわかにふるい起ち、
「まず、甘寧を呼べ」と令し、営中の参謀部は、俄然、活気を呈した。
「甘寧にござりますが」
「おお、来たか」
「いよいよ敵へお蒐りになりますか」
「しかり。汝に命ずる」
周瑜は厳かに、軍をさずけた。
「かねての計画に従って、まず、味方の内へ紛れこんでいる蔡仲、蔡和のふたりを囮とし、是を逆用して、敵の大勢をくつがえす事。......その辺はぬかりなく心得ておろうな」
「心得ておりまする」
「汝はまず、その一名の蔡仲を案内者として、曹操に降参すと称え、船を敵の北岸へ寄せて、烏林へ上陸れ。そして蔡仲の旗をかざし、曹操が兵糧を貯えおく粮倉へ迫って、縦横無尽に火を放けろ。火の手の旺なるを見たら、同時に敵営へ迫って、側面から彼の陣地を攪乱せよ」
「承知しました。して残る一名の蔡和はいかがいたしますか」
「蔡和は、べつに使い途があるから残して行くがよい」
甘寧が退がって行くと、周瑜はつづいて、太史慈を呼び、
「貴下は 三千余騎をひっさげて、黄州の堺に進出し、合淝にある曹軍の勢に一撃を加え、まっしぐらに敵の本陣へかかり、火を放って焼き討ちせよ。――そして紅の旗を見るときは、わが主呉侯の旗下勢と知れかし」
第三番目に、呂蒙を呼んだ。
呂蒙に向かっては、
「兵三千をひいて、烏林へ渡り、甘寧と一手になって、力戦を扶けろ」
と命じ、第四の凌統へは、
「夷陵の境にあって、烏林に火のかかるのを見たら、すぐ喚きかかれ」
と、それへも兵三千をあずけ、更に、董襲へは、漢陽から漢川方面に行動させ、また潘璋へも同様三千人を与えて、漢川方面への突撃を命じた。
こうして、先鋒六隊は、白旗を目じるしとして、早くも打ち立った。――水軍の船手も、それぞれ活発なうごきを見せていたが、かねてこの一挙に反間の計を施さんものと手に唾して待っていた黄蓋は、早速、曹操の方へ、人を派して、
「いよいよ時節到来。今夜の二更に、呉の兵糧軍需品を能うかぎり奪り出して、兵船に満載し、いつぞやお約束のごとく、貴軍へ降参に参ります。依って、船檣に青龍の牙旗をひるがえした船を見給わば、これ呉を脱走して、お味方の内へ辷り込む降参船なりと知りたまえ」
と、言い送った。
密やかに、誠しやかに、こう曹操の方へは、諸事、諜し合わせを運びながら、黄蓋は着々とその夜の準備をすすめていた。まず、二十艘の火船を先頭にたて、そのあとに、四隻の兵船を繫けた。つづいて、第一船隊には、領兵軍官韓当がひかえ、第二船隊には同じく周泰、第三の備えに蔣欽、第四には陳武と――約三百余艘の大小船が、舳をならべて、夜を待ちかまえた。
すでに宵闇は迫り、江上の風波はしきりと暴れていた。今暁からの東南風は、昼をとおして、なおもさかんに吹いている。
何となく生温かい。そして気懶いほど、陽気外れな晩だった。
そのためか、江上一帯には、水蒸気が立ちこめていた。さい先よしと、黄蓋は、纜を解いて、いっせいに発動を命令した。
三百余艘の艨艟は、淙々と、白波を切って、北岸へすすんで行った。――そのあとについて、周瑜、程普の乗りこんだ旗艦の大軀も、颯々、満帆をはためかせながら動いてゆく。
後陣として続いてゆく一船列は、右備え丁奉、左備え徐盛の隊らしかった。
魯粛と龐統は、この夜、あとに残って、留守の本陣を守っていた。
二
その夕。
呉主孫権の本軍は、旗下の勢とともに、すでに黄州の境をこえて、前進していた。
兵符をうけて、その発向を知った周瑜は、すぐ一軍を派して、南屛山のいただきに大旗をさしあげ、まず先手の大将陸遜を迎え、続いて、孫権の許へも、
「いまはただ夜を待つばかりにて候」と、報じた。
かくて、刻々と、暮色は濃くなり、長江の波音もただならず、暖風しきりに北へ吹いて、飛雲団々、天地は不気味な形相を呈していた。
× × ×
ここに夏口の玄徳は、以来、孔明の帰るのを、一日千秋の思いで待ちわびていたところ、きのうから季節外れな東南風が吹き出したので、かねて孔明が言いのこして行ったことばを思い出し、にわかに、趙雲子龍をやって、
「孔明を迎えて来い」
と、ゆうべその船を立たせ、今朝も望楼にあがって、今か今かと江を眺めていた。
すると一艘の小舟が、鱖魚のごとく溯って来た。
近づいて見ると、孔明にはあらで、江夏の劉琦である。
楼上に迎えて、
「何の触れもなく、どうして急に参られたか」と、問うと、劉琦は、
「昨夜来、物見の者どもが、下流から続々帰って来て告げることには、呉の兵船、陸兵など、東南の風が吹くと共に、ものものしく色めき立ち、この風のやまぬうちに、必ず一会戦あらんという事でござります。皇叔のお手許にはまだ何等の情報も集まってまいりませんか」
「いや、夜来頻々、急を告げる報は来ているが、いかんせん、呉へ参っている軍師諸葛亮の帰らぬうちは......」と、語り合っている折へ、番将の一人が、馳け上がって来て、
「ただ今、樊口の方から、一艘の小舟が、帆を張ってこれへ参る様子。舳にひるがえるは、趙子龍の小旗らしく見えまする」と、大声で告げた。
「さては、帰りつるか」
と、玄徳は劉琦と共に、急いで楼を降り、埠桟に佇んで待ちかまえていた。
果たして、孔明を乗せた趙雲の舟であった。
玄徳のよろこび方はいうまでもない。互いに無事を祝し、袂をつらねて、夏口城の一閣に登った。
そして、呉魏両軍の模様を質すと、孔明は、
「事すでに急です。一別以来のおはなしも、いまは審らかに申しあげている遑もありません。君には、味方の者の用意万端、抜かりなく調えておいでになられますか」
「もとより、出動とあらば、いつでも打ち立てるように、水陸の諸軍勢を

えて、軍師の帰りを待つこと久しいのじゃ」
「しからば、直ちに、部署をさだめ、要地へ向け、指令を下さねばなりません。君に御異議がなければ、孔明はそれから先に済ましたいと思います」
「指揮すべて、軍師の権と謀りをもって、即刻にするがいい」
「僭越、おゆるし下さい」と、孔明は、壇に起って、まず趙雲を呼び、
「御身は、手勢三千をひきつれ、江を渡って、烏林の小路に深くかくれ、こよい四更のころ、曹操が逃げ走って来たなら、前駆の人数はやりすごし、その半ばを中断して、存分に討ち取れ。――さは言え、残らず討ちとめんとしてはならん。また、逃げるは追うな。ころあいを計って、火を放ち、あくまで敵の中核に粉砕を下せ」と、命じた。
趙雲は畏まって、退がりかけたが、また踵を回して、こう質問した。
「烏林には、二すじの道があります。一条は南郡に通じ、一条は荊州へ岐れている。曹操は、そのいずれへ走るでしょうか」
「かならず、荊州へ向かい、転じて許都へ帰ろうとするだろう。そのつもりでおれば間違いはない」
孔明はまるで掌の上をさすように言った。そして、次には張飛を呼んだ。
三
張飛に向かっては、
「御辺は、三千騎をひきつれ、江を渡って、夷陵の道を切り塞がれよ」と、孔明は命じた。
そして、なお、
「そこの葫蘆谷に、兵を伏せて相待たば、曹操はかならず南夷陵の道を避けて、北夷陵をさして逃げ来るであろう。明日、雨晴れて後、曹操の敗軍、この辺りにて、腰兵糧を炊ぎ用いん。その炊煙をのぞんで一度に喚きかかり給え」と、つぶさに教えた。
張飛は、孔明のあまりな予言を怪しみながらも、
「畏まった」と、心得て、直ちにその方面へ馳せ向かう。
次に、糜竺、糜芳、劉封の三名を呼び、
「御辺三人は、船をあつめて、江岸をめぐって、魏軍営、潰乱に陥ちたと見たら、軍需兵糧の品々を、悉皆、船に移して奪い来たれ。また諸所の道にかかる落人どもの馬具、物の具なども余すなく鹵獲せよ」と、いいつける。
また、劉琦に向かっては、
「武昌は、緊要の地、君かならず守りを離れたもうなかれ。ただ江辺を固め、逃げ来る敵あらば、捕虜として味方に加えられい」
最後に、玄徳を誘って、
「いで、君と臣とは、樊口の高地へのぼって、こよい周瑜が指揮なすところの大江上戦を見物申さん。――早、お支度遊ばされよ」と促すと、
「かくまでに、戦機は迫っていたか。儂もこうしてはおられまい」
と、玄徳も取り急いで、甲冑をまとい、孔明と共に、樊口の望台へ移ろうとした。
すると、それまで、なお何事も命ぜられずに、悄然と、一方に佇立したひとりの大将がある。
「あいや、軍師」と、初めて、この時、ことばを発した。
見れば、そこにただ一人取り残されていたのは、関羽であった。
知ってか、知らずか、孔明は、
「おう、羽将軍、何事か」と、振り返って、しかも平然たる顔であった。
関羽は、やや不満のいろを、眉宇にあらわして、
「先ほどから、いまに重命もあらんかと、これに控えていたが、なおそれがしに対して、一片の御示命もなきは、いかなるわけで御座るか。不肖、家兄に従うて、数十度の軍に会し、いまだ先駈けを欠いたためしもないのに、この大戦に限って、関羽ひとりをお用いなきは、何か、おふくみのある事か」と、眦に涙をたたえて詰め寄った。
孔明は、冷ややかに、
「さなり。御身を用いたいにも、何分ひとつの障りがある。それが案じらるるまま、わざと御身には留守をたのんだ」
「何。障りありと。――明らかに理由を仰せられい。関羽の節義に曇りがあると言わるるか」
「否。御辺の忠魂は、いささか疑う者はない。けれど、思い出し給え。その以前、御身は曹操に篤う遇せられて、都を去る折、彼の情誼にほだされて、他日かならずこの重恩に報ぜんと、誓った事がおありであろうが――今、曹操は烏林に敗れ、その退路を華容道にとって、かならず奔亡して来るであろう。故に、御辺をもって、道に待たしめ、曹操の首を挙げることは、まことに囊の物を取るようなものだが、ただ孔明の危ぶむところは、今言うた一点にある。御辺の性情として、かならず、旧恩に動かされ、彼の窮地に同情して、放し免すにちがいない」
「何の! それは軍師のあまりな思い過ぎである。以前の恩は恩として、すでに曹操には報じてある。かつて彼の陣を借り、顔良、文醜などを斬り白馬の重囲を蹴ちらして彼の頽勢を盛り返したなど――その報恩としてやったもので御座る。なんで、今日ふたたび彼を見のがすべきや、ぜひ、関羽をお向け下さい。万一、私心に動かされたりなどしたら潔く軍法に服しましょう」
四
関羽の切なることばを傍らで聞いていた玄徳は、彼の立場を気の毒に思ったか、孔明に向かって、
「いや、軍師の案じられるのも理由なきことではないが、この大戦に当たって、関羽ともある者が、留守を命じられていたと聞こえては、世上へも部内へも面目が立つまい。どうか、一手の軍勢をさずけ、関羽にも一戦場を与えられたい」と、取り做した。
孔明は、是非ない顔して、
「しからば、万一にも、軍命を怠ることあらば、いかなる罪にも服すべしという誓紙を差し出されい」と、言った。
関羽は、即座に、誓文を認めて軍師の手許へさし出したが、なお心外にたえない面持ちを眉に残して、
「仰せのまま、それがしはかく認めましたが、もし軍師のおことばと違い、曹操が華容道へ逃げて来なかったら、その場合、軍師御自身は、何と召されるか」と、言質を求めた。
孔明は、微笑して、
「曹操がもし華容道へ落ちずに、べつな道へ遁れたときは、自分も必ず罪を蒙るであろう」
と、約した。
そして、なお、
「足下は、華容山の裡にひそみ、峠の方には、火を放け、柴を焼かせ、わざと煙をあげて、曹操の退路に伏せておられよ。曹操が死命を制し得んこと必定であろう」と、命じた。
「おことばですが」と、関羽は、その言を遮って、
「峠に火煙をあげなば、折角、落ちのびて来た曹操も、道に敵あることを覚り、他へ方角を変えて逃げ失せはいたすまいか」
「否々」
孔明は、わらって、
「兵法に、表裏と虚実あり、曹操は元来、虚実の論に詳しき者、彼、行くての山道に煙のあがるのを見なば、これ、敵が人あるごとき態を見せかくるの偽計なりと看破し、あえて、冒し来るに相違ない。敵を謀るにはよろしく敵の智能の度を測るをもって先とす――とはこの事。あやしむなかれ。羽将軍、疾く赴き給え」
「なるほど」
関羽は、嘆服して、退くと、養子の関平、腹心の周倉などを伴って、手勢五百余騎をひきい、まっしぐらに華容道へ馳せ向かった。
そのあとで玄徳は、かえって、孔明よりも、心配顔していた。
「いったい、関羽という人間は、情けに篤く義に富むこと、人一倍な性質であるからは、ああは言って差し向けたものの、その期に臨んで、曹操を助けるような処置に出ないとは限らない。......ああ、やはり軍師のお考えどおり、留守を命じておいた方が無事だったかもしれない」
孔明は、その言を否定して、
「あながち、それが良策ともいえません。むしろ関羽を差し向けた方が、自然にかなっておりましょう」と、言った。
玄徳が、不審顔をすると、理を説いて、こうつけ加えた。
「なぜならば――です。私が天文を観じ人命を相するに、このたびの大戦に、曹操の隆運とその軍力の滅散するは必定でありますが、なおまだ、曹操個人の命数はここで絶息するとは思われません。彼にはなお天寿がある。――故に、関羽の心根に、むかし受けた曹操の恩に対して、今もまだ報じたい情があるなら、その人情を尽くさせてやるもよいではありませんか」
「先生。......いや軍師。あなたはそこまで洞察して、関羽を遣わしたのですか」
「およそ、それくらいなことがわからなければ、兵を用いて、その要所に適材を配することはできません」
言い終わると、孔明は、やがて下流の方に、火焰が天を焦がすのも間近であろうと、玄徳を促して、樊口の山頂へ登って行った。
五
東南風は吹く。東南風は吹く。
生温い異様な風だ。
きのうからの現象である。――さてこの前後、曹操の起居はいかに。魏の陣営は、どう動いていたろうか。
「これは不吉な天変だ。味方にとって歓ぶべきことではない」
こう言っていたのは、程昱であった。曹操に向かってである。
「丞相よろしく賢察し給え」と、あえて智を誇らなかった。
すると曹操は言った。
「何でこの風が味方に不吉なものか。思え。時は今冬至である。万物枯れて陰極まり、一陽生じて来復の時ではないか。この時、東南の風競う。何の怪しむことがあろうぞ」
こんな所へ、江南の方から一舟が翔けて来た。波も風もすべて、南からこの北岸へと猛烈に吹きつけているので、その小舟の寄って来ることも飛ぶがごとくであった。
「黄蓋の使です」と、小舟は一封の密書をとどけて去った。
「なに、黄蓋から?」
待ちかねていたものらしい。曹操は手ずから封を切った。読み下すひとみも何か忙しない。
書中の文に曰う。
かねての一儀、周瑜が軍令きびしきため、軽率にうごき難く、ひたすら好機を相待つうち、時節到来、先ごろより鄱陽湖に貯蔵の粮米そのほかおびただしき軍需の物を、江岸の前線に廻送のことあり、すなわち某をもってその奉行となす。天なる哉、この冥護、絶好の機逸すべからず。万計すでに備われり。かねがね御諜報いたしおきたるとおり、今夜二更のころ、それがし、江南の武将の首をとり、併せて、数々の軍需の品、粮米を満載して、貴陣へ投降すべし。降参船にはことごとく檣頭に青龍の牙旗を立つ。ねがわくは丞相の配下をして、誤認なからしめ給わんことを。
建安十二年冬十一月二十一日
「いかがいたしたかと案じていたが、さすが老巧な黄蓋である。よい機会を摑んだ。折ふしこの風向き、呉陣を脱して来るのも易かろう。おのおの、抜かりあるな」
と、曹操は大いに歓んで、各部の大将に旨を伝え、自身もまた多くの旗下と共に水寨へ臨んで、その中にある旗艦に坐乗していた。
この日、落日は鉛色の雲にさえぎられ、暮るるに及んで、風はいよいよ烈しく、江上一帯は波高く、千億の黄龍が躍るかとあやしまれた。
× × ×
さるほどに、宵は迫り、呉の陣営にも、ただならないものがあった。
すでに、黄蓋や甘寧も、陣地を立ち、あとの留守には、蔡和がひとり残っていた。
突然、一隊の兵が来て、
「周都督のお召しである。すぐ来い」
有無を言わせず、彼を囲んで、捕縛してしまった。
蔡和は、仰天して、
「それがしに何の罪やある!」と、叫んだが、
「仔細は知らん。言い開きは、都督の前でいたせ」と、兵は仮借なく引っ立てた。
周瑜は、待っていた。
彼を見るやいな、
「汝は、曹操の間諜であろう。出陣の血まつりに、軍神へ供えるには、ちょうどよい首と、今日まで汝の胴に待たせておいたが、もう好かろう。いざ祭らん」と、剣を抜き払った。
蔡和は、哀号して、甘寧や闞沢も自分と同腹なのに、自分だけを斬るのはひどいと喚いたが、周瑜は笑って、
「それはみな、自分がさせた謀略である」
と、耳もかさず、一閃の下に屠った。
赤壁の大襲撃
一
時すでに初更に近かった。
蔡和の首を供えて水神火神に禱り、血をそそいで軍旗を祭った後、周瑜は、
「それ、征け」と、最後の水軍に出航を下知した。
このときもう先発の第一船隊、第二船隊、第三船隊などは、舳艫をそろえて、江上へすすんでいた。
黄蓋の乗った旗艦には、特に「黄」の字を印した大旗をひるがえし、その余の大船小艇にも、すべて青龍の牙旗を立てさせていた。
宵深まるにつれて、烈風は小凪になったが、東南の風向きに変化はない。そして依然、大波天にみなぎり、乱雲のあいだから仄かな月光さえ映して、一瞬は晃々と冴え、一瞬は青白い晦冥となり、悽愴の気、刻々と盈ちていた。
三江の水天、夜愈々深く
万条の銀蛇、躍るが如し
戦鼓鳴を止めて、舷々歌う
幾万の夢魂、水寨にむすぶ
魏の北岸の陣中で、だれか吟詠している者があった。旗艦に坐乗していた曹操はふと耳にとめて、
「だれだ、歌っているのは」と側らの程昱にたずねた。
「艦尾に番している嗩兵です。丞相が詩人でいらっしゃるので、自ら部下の端にいたるまで、詩情を抱くものとみえます」
「ははは。詩はまずいが、その心根はやさしい。その嗩兵をこれへ呼んで来い。一杯の酒を褒美にくれてやろう」
旗下の一人が、すぐ席を起って、艦尾へ走りかけたが、それとほとんど同時に、
「――やっ? 船が見える。たくさんな船隊が、南の方から溯って来る!」
と、檣楼の上から呶鳴った。
「なに、船隊が見える?」と、諸大将、旗本たちは、総立ちとなって、船櫓へ登るもあり、舳へ向かって駈け出して行くものもあった。
――見れば、荒天の下、怒濤の中を続々と連なって来る船の帆が望まれる。月光はそれを照らして、鮮やかにするかと思えば、またたちまち、雲は月を蔽うと、黒白もつかぬ闇としてしまう。
「旗は見えんか。――青龍の牙旗を立ててはいないか」
下からいう曹操の声だった。
船楼の上から、諸大将が、口をそろえて答えた。
「見えます、龍舌旗が」
「すべての船の帆檣に!」
「青旗のようですっ。――青龍の牙旗。まちがいはありません」
曹操は、喜色満面に、
「そうかっ。よしっ」
と、うなずいて、自身、舳の方へ向かって、希望的な大歩を移しかけた。
するとまた、そこにいた番の大将が、
「遠く、後方から来る一船団のうちの大船には、『
黄』の字を印した大旗が
翻と立ててあるように見えまする」と、告げた。
曹操は、膝を打って、
「それそれ。それこそ、黄蓋の乗っている親船だ。彼、果たして約束をたがえず、今これへ味方に来るは、まさしく、わが魏軍を天が助けるしるしである」と、言い、更に自分の周囲へむらがって来た幕僚の諸将に向かって、
「よろこべ一同。すでに呉は敗れたり。わが掌は、もはや呉を握り奪ったも同様であるぞ」と語った。
東南風をうけて来るので、かなたの機船隊が近づいて来る速度は驚くほど迅かった。すでに団々たる艨艟は眼のまえにあった。――と、ふいに異様な声を出したのは程昱で、
「や、や? ......いぶかしいぞ。油断はならん」と、味方の人々を戒めた。
曹操は、聞き咎めて、むしろ不快そうに、
「程昱。何がいぶかしいと言うのか?」と、その姿を振り向いた。
二
程昱は、曹操の問いに対して、言下にこう答えた。
「兵糧武具を満載した船ならば、かならず船脚が深く沈んでいなければならないのに、いま眼の前に来る船はすべて水深軽く、さして重量を積んでいるとは見えません。――これ詐りの証拠ではありませんか」
聞くと、さすがは、曹操であった。一言を聞いて万事を覚ったものとみえる。
「ううむ! いかにも」と、大きく唸って、その眼を、風の中に、爛々と研いでいたが、くわっと口を開くやいな、「しまった! この大風、この急場、もし敵に火計のあるならば、防ぐ手だてはない。だれか行って、あの船隊を、水寨の内へ入れぬよう防いでおれ」
後の策は、後の事として、取りあえずそう命令した。
「おうっ」と答えて、
「それがしが防ぎとめている間に、早々、大策をめぐらし給え」
と、旗艦から小艇へと、乗り移って行ったのは、文聘であった。
文聘は、近くの兵船七、八隻、快速の小艇十余艘をひきつれて、波間を驀進し、たちまちかなたなる大船団の進路へ漕ぎよせ、
「待ち給え。待たれよ」
と、舳に立って大音に呼ばわった――
「曹丞相の命令である。来るところの諸船は、のこらず水寨の外に碇を下ろし、舵を止め、帆綱を弛められい!」
すると、答えもないばかりか、依然、波がしらを嚙んで疾走して来た先頭の一船から、びゅんと、一本の矢が飛んで来て文聘の左の臂にあたった。
わっと、文聘は船底へころがった。同時に、
「すわや。降参とは詐りだぞ」
と、船列と船列とのあいだには、まるで驟雨のような矢と矢が射交わされた。
このとき、呉の奇襲艦隊の真ん中にあった黄蓋の船は、颯々と、水煙の中を進んで来て、はや水寨の内へ突入していた。
黄蓋は、船楼にのぼって、指揮に声をからしていたが、腰なる刀を抜いて、味方の一船列をさしまねき、
「今ぞっ、今ぞっ、今ぞっ。曹操が自慢の巨艦大船は眼のまえに展列して、こよいの襲撃を待っている。あれ見よ。敵は混乱狼狽、為すことも知らぬ有様。――それっ、突っ込め! 突っ込んで、縦横無尽に暴れちらせ!」と、激励した。
かねて、巧みに偽装して、先頭に立てて来た一団の爆火船隊――煙硝、油、柴などの危険物を腹いっぱい積んで油幕をもって蔽い隠して来た快速艇や兵船は――いちどに巨大な火焰を盛って、どっと、魏の大艦巨船へぶつかって行った。
ぐわうっと、焰の音とも、濤の音とも、風の声ともつかないものが、瞬間、三江の水陸をつつんだ。
火の鳥のごとく水を

けて、敵船の巨体へ

いついた小艇は、どうしても、離れなかった。後でわかったことであるが、それらの小艇の
舳には、
槍のような
釘が植えならべてあり、敵船の横腹へ深く突きこんだと見ると、呉兵はすぐ木の葉のような小舟を降ろして逃げ散ったのであった。
なんで堪ろう。いかに巨きくとても木造船や皮革船である。見るまに、山のような、紅蓮と化して、大波の底に沈没した。
もっと困難を極めたのは、例の連環の計に依って、大船と大船、大艦と大艦は、ほとんどみな連鎖交縛していたことである。そのために、一艦炎上すればまた一艦、一船燃え沈めばまた一船、ほとんど、交戦態勢を作るいとまもなく、焼けては没し、燃えては沈み、烏林湾の水面はさながら発狂したように、炎々と真っ赤に逆巻く渦、渦、渦をえがいていた。
三
なにが炸裂するのか、爆煙の噴き揚がるたび、花火のような焰が宙天へ走った。次々と傾きかけた巨船は、まるで火焰の車輪のようにグルグル廻って、やがて数丈の水煙を被っては江底に影を没して行く。
しかも、この猛炎の津波と火の粉の暴風は、江上一面にとどまらず、陸の陣地へも燃え移っていた。
烏林、赤壁の両岸とも、岩も焼け、林も焼け、陣所陣所の建物から、糧倉、柵門、馬小屋にいたるまで、眼に映るかぎりは焰々たる火の輪を繫いでいた。
「火攻めの計は首尾よく成ったぞ。この機を外さず、北軍を撃滅せよ」
呉の水軍都督周瑜は、この夜、放火艇の突入する後から、堂々と、大船列を作って、烏林、赤壁のあいだへ進んで来たが、味方の有利と見るや、更に、陸地へ迫って、水陸の両軍を励ましていた。
優勢なる彼の位置に反して、ここに無残な混乱の中にあったのは、曹操の坐乗していた北軍の旗艦とその前後に集結していた中軍船隊である。
「小舟を降ろせ。右舷へ小舟をっ――」
と、黒煙の中で叫んでいたのは程昱か、張遼か徐晃か。
曹操を囲んで、炎の中から逃げようとする幕将にはちがいないが、その何人なるやさえも定かでなかった。
「迅くッ。迅く!」と、舷へ寄せた一小艇は、焰の下から絶叫する。揺々たる大波は沸え立ち、真っ赤な熱風はその舟も人も、またたく間に焼こうとする。
「おうっ」
「おうっ。いざ丞相も」
ばらばらと、幕将連はそれへ跳び下りた。曹操も躍り込んだ。各々、身ひとつを移したのがやっとであった。
けれど、それを見つけた呉の走舸や兵船は、
「生け捕れっ、曹操を!」
「のがすな、敵の大将を」
と、四方から波がしらと共に追って来る。
波の上には焦げた人馬の死体や、焼き打ちされた船艇の木材や、さまざまな物が漂っていた。曹操の一艇は、その中を、波にかくれ、飛沫につつまれ、無二無三、逃げまわっていた。
すると一艘の蒙衝(皮革艇)に乗って、こよいの奇襲船隊の闘将、呉の黄蓋が、曹操を討ちとる時は今なり、是が非でも、彼の首を挙げんものと、自身、快速なそれへ乗り移って、曹操を追いかけて来た。
「逃ぐるは醜し、魏の大丞相曹操たるものの名折れではないかっ、曹操、待てっ」
と、熊手を抱えて、舳に立ち、味方の数隻と共に、漕ぎよせて来た。
「推参な!」
と、曹操の側から、張遼が突っ立って、手にせる鉄弓からぶんと一矢を放った。矢は、黄蓋の肩に立ち、あッという声と共に、黄蓋は波間へ落ちた。
あわてた呉兵が、黄蓋の姿を水中に求めているまに、からくも曹操は、烏林の岸へ逃げあがった。しかし、そことて、一面の火焰、どこを見ても、面も向けられない熱風であった。
一時は、小歇みかと思われた風速も、この広い地域にわたる猛火にふたたび凄まじい威力を奮い出し、石も飛び、水も裂けるばかりだった。
「――夢じゃないか?」
顧みて曹操は、茫然とつぶやいた。さもあろう一瞬の前の天地とは、あまりな相違である。
対岸の赤壁、北岸の烏林、西方の夏水ことごとく火の魔か敵の影ばかりである。そして、彼の擁していた大艦巨船小艇――はすべて影を没し、あるいは今なお、猛烈に焼け爛れている。
「夢ではない! ああっ......」
曹操は、一嘆、大きく空へさけんで、落ち行く馬の背へ飛び乗った。
青史に遺る赤壁の会戦、長く世に謳われた三江の大殲滅とは、この夜、曹操が味わった大苦杯そのものを言う。そしてその戦場は、現今の揚子江流域の湖北省嘉魚県の南岸北岸にわたる水陸入り組んでいる複雑な地域である。
山谷笑う
一
八十余万と称えていた曹操の軍勢は、この一敗戦で、一夜に、三分の一以下になったという。
溺死した者、焼け死んだ者、矢にあたって

れた者、また陸上でも、馬に踏まれ、
槍に追われ、何しろ、山をなすばかりな死傷をおいて三江の
要塞から
潰乱した。
けれど、犠牲者は当然呉のほうにも多かった。
「救えっ。救うてくれっ」と、まだ乱戦中、波間に声がするので、呉将の韓当が、熊手で引き上げてみると、こよいの大殊勲者、黄蓋だった。
肩に矢をうけている。
韓当は、鏃を掘り出し、旗を裂いて瘡口をつつみ、早速、後方に送った。
甘寧、呂蒙、太史慈などは、疾くに、要塞の中心部へ突入して、十数ヵ所に火を放っていた。
このほか、呉の凌統、董襲、潘璋なども、縦横無尽に威力をふるい廻った。
だれか、その中の一人は、蔡仲を斬りころし、その首を槍のさきに刺して駈けあるいていた。
こんな有様なので、魏軍はその一隊として、戦いらしい戦いを示さなかった。逃げる兵の上を踏みつけて逃げまろんだ。敵に追いつかれて樹の上まで逃げあがっている兵もある。それが見るみるうちに、バリバリと、樹林もろともに焼き払われてしまう。
「丞相、丞相。戦袍のお袖に火がついていますぞ」
後から駈けて来る張遼が馬の上から注意した。先へ鞭打って落ちて行く曹操は、あわてて自分の袖をはたいた。
駈けても駈けても焰の林だ。山も焼け水も煮え立っている。それに絶えず灰が雨のごとく降って来るので、悍馬はなおさら暴れ狂う。
「おうーいっ。張遼ではないか。おおういッ」
後から追いついて来た十騎ばかりの将士がある。味方の毛玠だった。さきに深傷を負った文聘がその中に扶けられて来る。
「ここはどの辺だ」
息を喘ぎながら曹操は振り向く。
張遼がそれに答えた。
「この辺もまだ烏林です」
「まだ烏林か」
「林のつづく限り平地です。さしずめ敵勢も迅速に追いついて来ましょう。休んでいる間はありません」
総勢わずか二十数騎、曹操は顧みて、暗澹とならずにいられなかった。
恃むは、馬の健脚だった。さらに鞭打って、後ろも見ずに飛ぶ。
すると、林道の一方から、火光の中に旗を打ち振り、
「曹賊っ。逃げるなかれ」
と呼ばわる者がある。呉の呂蒙が兵とこそ見えた。
「あとは、それがしが殿軍します。ただ急いで落ち給え」と、張遼が踏みとどまる。
しかしまた、一里も行くと、一簇の軍勢が奔突して、
「呉の凌統これにあり。曹賊、馬を下りて降参せよ」
と、いう声がした。
曹操は、胆を冷やして、横ざまに林の中へ駈けこんだ。
ところが、そこにも、一手の兵馬が潜んでいたので、彼は、しまったと叫びながら、あわてて馬を回そうとすると、
「丞相丞相。もう恐れ給うことはありません。御麾下の徐晃です。徐晃これにお待ちしていました」と、さけぶ。
「おうっ、徐晃か」
曹操は、大息をついて、ほっとした顔をしたが、
「張遼が苦戦であろう。扶けて来い」と、言った。
徐晃は、一隊をひいて、駈け戻って行ったが、間もなく、敵の呂蒙、凌統の兵を蹴ちらして、重囲の中から張遼を助け出して来た。
二
そこで曹操主従はまた一団になって、東北へ東北へとさして落ちのびた。
すると、一彪の軍馬が、山に拠って控えていた。
「敵か」と、徐晃、張遼などが、ふたたび苦戦を覚悟して物見させると、それは元、袁紹の部下で、後、曹操に降り、久しく北国の一地方に屈踞していた馬延と張顗のふたりだった。
ふたりは、早速、曹操に会いに来た。そして言うには、
「実は、われわれ両名にて、北国の兵千余を集め、烏林の御陣へお手伝いに参らんものと、これまで来たところ、昨夜来の猛風と満天の火光に、行軍を止め、これに差し控えて万一を備えていたわけです」
曹操は大いに力を得て、馬延、張顗に道を開かせ、そのうち五首騎を後陣として、ここからは少し安らかな思いで逃げ落ちた。
そして十里ほど行くと、味方の倍もある一軍が、真っ黒に立ちふさがり、ひとりの大将が、駒を乗り出して何か言っている。――馬延は、自分に較べて、それも多分味方ではないかと思い、
「何者か」と、先へ近づいて訊いた。
すると、彼方の者は、大音をあげて、
「われこそは呉に彼有りとも言われた甘寧である。こころよく我が刃をうけよ」
言いも終わらぬうち、馬躍らせて近寄りざま、馬延を一刀の下に斬り落とした。
後ろにいた張顗は、驚いて、
「さては呉の大将か」と、槍をひねって、突きかかったが、それも甘寧の敵ではなかった。
眼の前で、張顗、馬延の討ち死にを見た曹操は、甘寧の勇にふるえあがって、さしかかって来た南夷陵の道を避け、急に、西へ曲がって逃げ走った。
幸いに、彼を探している残軍に出会ったので、
「あとから来る敵を防げ」と、馬も止めずに命じながら、鞭も折れよと、駈けつづけた。
夜はすでに、五更のころおいであった。振りかえると、赤壁の火花もようやく遠く薄れている。曹操はややほっとした面持ちで、駈け遅れて来る部下を待ちながら、
「ここは、どこか」と、左右へたずねた。
もと荊州の士だった一将が答えて言う。
「――烏林の西。宜都の北の方です」
「宜都の北とな。ああそんな方角へ来ていたか」
曹操は、馬上から、しきりに附近の山容や地形を見まわしていた。山川峨々として樹林深く、道はひどく嶮しかった。
「あはははは。あははは」
――突然、曹操が声を放って笑い出したので、前後の大将たちは奇異な顔を見合わせて彼にたずねた。
「丞相。何をお笑いになるのですか」――と。
曹操は、答えて言う。
「いや、べつだんな事でもない。今このあたりの地相を見て、ひとえに周瑜の浅才や、孔明の未熟がわかったから、つい可笑しくなったのだ。もしこの曹操が周瑜か孔明だったら、まずこの地形に伏兵をおいて、落ち行く敵に殲滅を加えるところだ。――思うに赤壁の一戦は、彼等の怪我勝ちというもので、こんな地の利を遊ばせておくようでは、まだまだ周瑜も孔明も成っておらぬ」
敗軍の将は兵を語らずというが――曹操は馬上から四林四山を指さして、なお、幕将連に兵法の実際講義を一席弁じていた。
ところが、その講義の終わるか終わらないうちに、たちまち左右の森林から一隊の軍馬が突出して来た。そして前後の道を囲むかと見えるうちに、
「常山の子龍趙雲これに待てりっ。曹操っ、待て」
という声が聞こえたので、曹操は驚きのあまり、危うく馬から転げ落ちそうになった。
三
敗走、また敗走、ここでも曹操の残軍は、さんざんに痛めつけられ、ただ張遼、徐晃などの善戦に依って、彼はからくも、虎口をまぬがれた。
「おう! 降って来た」
無情な天ではある。雨までが、敗軍の将士を苛んで降りかかる。それも、車軸を流すばかりな大雨だった。
雨は、甲や具足をとおして、肌に沁み入る。時しも十一月の寒さではあるし、道はぬかり、夜はまだ明けず、曹操を始め幕下の者の疲労困憊は、その極に達した。
「――部落があるぞ」
ようやく、夜が白みかけたころ。一同は貧しげな山村に辿りついていた。
浅ましや、丞相曹操からして、ここへ来るとすぐ言った。
「火はないか。何ぞ、食物はないか」
彼の部下は、そこらの農家へ争って入り込んで行った。おそらく掠奪を始めたのだろう。やがて漬け物甕や、飯櫃や、鶏や、干し菜や漿塩壺など思い思いに抱えて来た。
けれど、火を焚いて、それらの食物を胃ぶくろへ入れる間もなかった。なぜなら部落のうしろの山から火の手が揚がり、
「すわ。敵だっ」と、またまた、逃げるに急となったからである。
「敵ではないっ。敵ではないっ」と、その敵はやがて追いかけて来た。何ぞ知らん、味方の大将の李典、許褚そのほか将士百人ばかり、山越えで逃げて来たものだった。
「やあ、許褚も無事か。李典もおったか」
焼け跡から焼けのこった宝玉を拾うように、曹操は
歓ぶのだった。やがてともども、馬を

えて、道をいそぐ。――
陽は高くなって、夜来の大雨も
霽れ、皮肉にも
東南風すらだんだんに
凪ぎていた。ふと、
駒をとめて、曹操は、
眼の前にかかった二つの
岐れ道を、後ろへたずねた。
「さればです」と、幕将のひとりが言う。
「一方は、南夷陵の大道。一方は北夷陵の山路です」
「いずれへ出た方が、許都へ向かうに近いのか」
「南夷陵です。途中、葫蘆谷をこえてゆくと、非常に距離がみじかくなります」
「さらば、南夷陵へ」と、すぐその道をとって急いだ。
午すぎたころ、すでに同勢は葫蘆谷へかかった。肉体を酷使していた。馬も兵も飢えつかれていかんとも動けなくなって来た。――曹操自身も心身渾沌たるものを覚える。
「やすめっ。――休もう」
下知をくだすや否、彼は馬を降りた。そして、先に部落から掠奪して来た食糧を一ヵ所に集め、柴を積んで焚き火とし、士卒たちは、盔の鉢や銅鑼を鍋に利用して穀類を炊いだり鶏を焼いたりし始めた。
「ああ、やっとこれで、すこし人心地がついた」と、将士はゆうべからの濡れ鼠な肌着や戦袍を火に乾している。曹操もまた暖を取って後、林の下へ行って坐っていた。
憮然たる面持ちで、彼は、天を凝視していたが、何を感じたか、
「ははは。あははは」
と、独りで笑い出した。
諸将は、何か、ぎょッとしたように、彼へ向かって言った。
「さきにも丞相は、大いにお笑いになって、まさか、そのためでもありますまいが、趙雲子龍の追っ手を引き出しました。今また、何をそうお笑いになるのですか」
曹操は、なお、笑って言う。
「孔明、周瑜、ともに大将の才はあるが、まだ智謀の足らぬのを予は嘲うのだ。もし曹操が敵ならば、ここに一手の勢を伏せ――逸ヲ以テ労ヲ待ツ――の計を施すであろうに、さてさて抜かったり」
そのことば、まだ終わらぬうちに、たちまち、金鼓喊声、四山に谺し、あたりの樹林みな兵馬と化したかのごとく、四方八面に敵のすがたが見えて来た。
中に、声あって、
「曹操、よくぞ来た。燕人張飛これに待ったり。そこを去るな」
あなやと思うまに、丈八の蛇矛、黒鹿毛の逸足、燦燦たる甲盔が、流星のごとくこちらへ飛んで来た。
四
「張飛だっ」
名を聞いただけでも、諸将は胆を冷やした。士卒たちは皆、甲や下着を火に乾していたところなので、周章狼狽、赤裸のままで散乱するもある。
許褚のごときも、
「丞相の危機。近づけては」と、あわてて、
鞍もない馬へ飛び乗り、猛然、
駈け寄って来た張飛の前に立って戦い、ややしばし、

い止めていた。
その間に、
「すわこそ」と、張遼、徐晃など、からくも鎧を取って身に被り、曹操を先へ逃がしておいてから、馬を並べて、張飛へ蒐って行った。
とはいえ、張飛の揮りまわす一丈八尺の蛇矛には、当たるべくもない。その敵を討つというよりは、彼の猛烈な突進を、少しの間でも防ぎ支えているのがやっとであった。
曹操は、耳をふさぎ、眼をつぶって、数里の間は生ける心地もなくただ逃げ走った。やがてちりぢりに味方の将士も彼のあとを慕って追いついて来たが、どれを見ても、傷を負っていない者はない有様だった。
「また岐れ路へ出た。この二条の道は、どっちへ向かったがよいか」
曹操の質問に、
「いずれも南郡へ通じていますが、道幅の広い大道の方は五十里以上も遠道になります」
と、地理に詳しい者が答えた。
曹操は聞くと、うなずいて、山の上へ部下を走らせた。部下は立ち帰って来てから復命した。
「山路の方を窺ってみますと、かなたの峠や谷間の諸所から、仄かに、人煙がたち昇っております。必定、敵の伏兵がおるに違いございません」
「そうか」と、曹操は、眉根をきっと落ち着けて、
「しからば、山路を経て行こう。者ども、山越えしてすすめ」と、先手の兵へ下知した。
諸大将は驚きかつ怪しんで、
「山路の嶮を擁して、みすみす伏兵が待つを知りながら、この疲れた兵と御身をひっさげて、山越えなさんとは、いかなる御意志によるものですか」と、駒を抑えて質した。
曹操は、苦笑を示して、
「我聞く。この華容道とは、近辺に隠れなき難所だということを。――それ故に、わざと、山越えを選ぶのだ」
「敵の火の手を御覧ありながら、しかもその嶮へ向かわれようとは、あまりな物好きではありませんか」
「そうでない。汝等も覚えておけ。兵書に曰う。――虚ナル則ハ実トシ、実ナル則ハ虚トス、と。孔明は至って計の深いものであるから、思うに、峠や谷間へ、少しの兵をおいて煙をあげ、わざとものものしげな兵気を見せかけ、この曹操の選ぶ道を、大路の条へ誘いこみ、かえって、そこに伏兵をおいて我を討ち止めんとするものに相違ない。――見よ、あの煙の下には、真の殺気は漲っていない。かれが詐謀たること明瞭だ。それを避けて、人気無しなどと考えて大路を歩まば、たちまち、以前にもまさる四面の敵につつまれ、一人も生きるを得ぬことは必定である。あやうい哉あやうい哉、いざ疾く、山道へかかれ」と、言って駒をすすめたので、諸人みな、
「さすがは丞相の御深慮」と、感服しないものはなかった。
こうしている間にも、後から後から、残兵は追いつき、今は敗軍の主従一団となったので、
「はやく荊州へ行き着きたいものだ。荊州まで辿り着けば、何とかなろう」
と、喘ぎ喘ぎ華容山麓から峰越えの道へ入った。
けれど気はいくら焦心っても、馬は疲れぬいているし、負傷者も捨てては行けず、一里登っては休み、二里登っては憩い、十里の山道を喘ぐうち、もう先陣の歩みは、まったく遅々として停まってしまった。――折から山中の雲気は霏々として白い雪をさえ交えて来た。
功なき関羽
一
難路へかかったため、全軍、まったく進退を失い、雪は吹き積もるばかりなので、曹操は焦って馬上から叱った。
「どうしたのだ、先鋒の隊は」
前隊の将士は、泣かんばかりな顔を

えて、
雪風の中から答えた。
「ゆうべの大雨に、諸所、崖はくずれ、道は消え失せ、それにいたるところ渓川が生じてしまったものですから、馬も渡すことができません」
曹操は、癎癪を起こして、
「山に会うては道を拓き、水に遭うては橋を架す。それも戦の一つである。それに対って、戦い難いなどと、泣き面をする士卒があるかっ」
そして、彼自身、下知にかかった。傷兵老兵はみな後陣へ引かせ、屈強な壮士ばかりを前に出して、附近の山林を伐って橋を架け、柴や草を刈って、道を拓き、また泥濘を埋めて行った。
「寒気に怯むな。寒かったら汗の出るまで働け。生命が惜しくば怠るな。怠ける者は、斬るぞ」
剣を抜いて、彼は、土工を督した。泥と戦い、渓流と格闘し、木材と組み合いながら、まるで田圃の水牛みたいになって働く軍卒の中には、このとき飢餓と烈寒のため、斃れ死んだ者がどれほどあったか知れないほどであった。
「あわれ、矢石の中で、死ぬものならば、まだ死にがいがあるものを」と、天を恨み、また曹操の苛烈な命令に喚く声が、全軍に聞こえたが、曹操は耳にもかけず、かえって怒り猛って、
「死生自ら命ありだ。なんの怨むことやある。ふたたび哭く者は立ちどころに斬るぞ」と、言った。
こうして、凄まじい努力とそれを励ます叱咤で、からくもようやく第一の難所は越えたが、残った士卒をかぞえてみるとわずか三百騎足らずとなり終わっていた。
ことに、その武器と獲物なども今は、携えている者すらなく、まるで土中から発掘された泥人形の武者や木偶の馬みたいになっていた。
「もうわずかだ。目的の荊州までは、難所もない」
曹操は、鞭を指して、将士のつかれた心を彼方へ向けさせ、
「あとは、ただ一息だ。はやく荊州へ行き着いて、大いに身を休めよう。頑張れ、もう一息」
と、励ました。
そして、峠を越え、約五、六里ばかり急いで来ると、曹操はまた、鞍を叩いて独り哄笑していた。
諸将は、曹操に向かって、
「丞相。何をお笑いなさいますか」と、訊ねた。
曹操は、天を仰いで、なお、大笑しながら、
「周瑜の愚、孔明の鈍、いまこの所へ来て覚った。彼、偶然にも、赤壁の一戦に、我を敗って、勢い大いにふるうといえども、要するに弓下手にもまぐれあたりのあるのと同じだ。――もしこの曹操をして、赤壁より一気に、敗走の将を追撃せしめるならば、この辺りには必ず埋兵潜陣の計を設けて、一挙に敵のことごとくを生け捕るであろう。――さはなくて、無益な煙を諸所に揚げ、われをして平坦な大道の方に誘い、この山越えを避けしめんなど、まるで児ども騙しの浅い計といっていい」と、気焰を吐き、さらに、
「これが可笑しくなくてどうするか。あははは、わははは」と、肩を揺すぶりぬいた。
ところが、その笑い声の熄まないうちに、一発の鉄砲がかなたの林にとどろいた。たちまちに見る前面、後方、ふた手に分かれて来る雪か人馬かと見紛うばかりな鉄甲陣。そのまっ先に進んで来るのは紛れもなし、青龍の偃月刀をひっさげ、駿足赤兎馬に踏み跨がって来る美髯将軍――関羽であった。
二
「最期だっ。もういかん!」
一言、絶叫すると、曹操はもう観念してしまったように、茫然戦意も失っていた。
彼ですらそうだから、従う将士もみな、
「関羽だ。関羽が
襲せて来る――」とばかり
顫き震えて、今は
殲滅されるばかりと、生きた空もない顔を

えていたのは無理もない。――が、ひとり
程昱は、
「いや何も、そう死を急ぐにはあたりません。どんな絶望の底にあろうと、最後の一瞬でも、一縷の望みをつないで、必死を賭してみるべきでしょう。――それがし、関羽が許都にありしころ、朝夕に、彼の心を見て、およそその人がらを知っている。彼は、仁俠の気に富み、傲る者には強く、弱き下の人々にはよく憐れむ。義のために身を捨て、ふかく恩を忘れず、その節義の士たることすでに天下に定評がある。――かつて玄徳の二夫人に侍して、久しく許都にとどまっていた当時、丞相には、敵人ながら深く関羽の為人を愛で給い、終始恩寵をおかけ遊ばされたことは、人もみな知り、関羽自身も忘れてはおりますまい」
「............」
曹操は、ふと瞑目した。追憶は甦ってくる。そうだ! ......と思い当たったように、その眸をくわっと見ひらいた時――すでに雪中の喊声は四囲に迫り、真っ先に躍って来る関羽の姿が大きくその眼に映った。
「おうっ......羽将軍か」
ふいに、曹操は、自身の方からこう大きく呼びかけた。
そして、われから馬をすすめ、関羽の前へ寄るや否、
「やれ、久しや、懐かしや。将軍、別れて以来、つつがなきか」と、言った。
それまでの関羽は、さながら天魔の眷族を率いる阿修羅王のようだったが、はッと、偃月刀を後ろに引いて、駒の手綱を締めると、
「おう、丞相か」と、馬上に慇懃、礼をして、
「――まことに、思いがけない所で会うものかな。本来、久闊の情も叙ぶべきなれど、主君玄徳の命をうけて、今日、これにて丞相を待ちうけたる関羽は、私の関羽にあらず。――聞く、英雄の死は天地も哭くと。――いざ、いざ、潔くそれがしに御首を授けたまえ」と、改めて言った。
曹操は、歯を嚙み合わせて、複雑な微笑をたたえながら言った。
「やよ、関羽。――英雄も時に悲敗を喫すれば惨たる姿じゃ。いま、われ戦いに敗れて、この山嶮、この雪中に、わずかな負傷いのみを率いて、まったく進退ここに谷まる。一死は惜しまねど、英雄の業、なおこれに思い止まるは無念至極。――もし御辺にして記憶あらば、むかしの一言を思い起こし、予の危難を見のがしてくれよ」
「あいや、おことば、御卑怯に存ずる。いかにも、むかし許都に在りし日、丞相の御恩を厚く被りはしたものの、従って、白馬の戦いに、いささか献身の報恩をなし、丞相の危急を救うてそれに酬う。今日はさる私情に囚われて、私に赦すことは相成らぬ」
「いや、いや。過去の事のみ語るようだが、将軍がその主玄徳の行方をなお知らず、主君の二夫人に仕えて、敵中にそれを守護されていたことは、私の勤めではあるまい。奉公というものであろう。曹操が乏しき仁義をかけたのは、御辺の奉公心に感動したからだった。たれかそれを私情と言おうや。――将軍は春秋の書にも明るしと聞く。かの庾公が子濯を追った故事も御存じであろう。大丈夫は信義をもって重しとなす。この人生にもし信なく義もなく情美というものも無かったら、実に人間とは浅ましいものではあるまいか」
諄々と説かれるうちに、関羽はいつか頭を垂れて、眼の前の曹操を斬らんか、助けんか、悶々、情念と知性とに、迷いぬいている姿だった。
三
――ふと見れば、曹操のうしろには、敗残の姿も傷ましい彼の部下が、みな馬を降り、大地に跪ずき、涙を流して関羽の方を伏し拝んでいた。
「あわれや、主従の情。......どうしてこの者どもを討つに忍びよう」
ついに、関羽は情に負けた。
無言のまま、駒を取って返し、わざと味方の中へ交じって、何か声高に命令していた。
曹操は、はっと我に回って、
「さては、この間に逃げよとのことか」
と、士卒と共に、あわただしくここの峠から駈け降って行った。
すでに曹操等の主従が、麓の方へ逃げ去ったころになって関羽は、
「それ、道を塞ぎ取れ」と、ことさら遠い谷間から廻り道して追って行った。
すると、途中、一軍の惨めなる軍隊に行き会った。
見れば、曹操のあとを慕って行く張遼の一隊である。武器も持たず馬も少なく、負傷していない兵は稀だった。
「ああ惨たるかな」と、関羽は、敵のために涙を催し、長嘆一声、すべてを見遁して通した。
張遼と関羽とは、旧くからの朋友である。実に、情の人関羽は、この悲境の友人を、捕捉して殺すには忍びなかったのである。――おそらく張遼もそれを知って、心のなかで関羽を伏し拝みながらこの死線を駈け抜けて行ったろうと思われる。
こうして虎口の難をのがれた張遼は、やがて曹操に追いついて合体したが、両軍合わせても五百に足らず、しかも一条の軍旗すら持たなかったので、
「ああ。かくも、悲惨な敗北を見ようとは......」と、相顧みて、しばし惆然としてしまった。
この日、夕暮れに至って、また行く手の方に、猛気旺な一軍の来るのとぶつかったが、これは死地を設けていた伏せ勢ではなく、南郡(湖北省・江陵)の城に留守していた曹一族の曹仁が、迎えに来たものであった。
曹仁は、曹操の無事な姿を見ると、欣し泣きに泣いて、
「赤壁の敗戦を聞き、すぐにも駈けつけんかと思いましたが、南郡の城を空けては、後の守りも不安なので、ただ御安泰のみを祈っていました」と、曹操が生きて帰ってくれた事だけでも、無上の歓喜として、今はかえって怨むことも知らなかった。
曹操もまた、「今度ばかりは、二度とこの世でそちに会うことも無いかと思った」と、語りながら、共に南郡の城へ入って、赤壁以来、三日三夜の疲れを医し、ようやく、生ける身心地をとり戻した。
戦塵の垢を洗い、暖かい食物を摂り、大睡一快をむさぼると曹操は忽然、天を仰いで、
「......ああ。ああ」と、鳴咽せんばかり、涙を垂れて哭いた。
付き添う人々は、怪しんで、彼に問うた。
「丞相、どうして、そんなにお哭きになるんです。たとえ赤壁に大敗なされても、この南城に入るからには、人馬も武器も備わっているし、いつか再挙の日もありましょうに」
すると曹操は、かぶりを振りながら、
「夢に故人を見たのだ。遼東の遠征に陣没した郭嘉が、もし今日生きていたらと思い出したのだ。予も愚痴をいう年齢になったかと思うと、それも悲しい。諸将よ、笑ってくれ」
と、胸を打って、
「哀しいかな郭嘉。痛ましい哉、奉孝......ああ去って再び回らず」
それから、曹仁を近く呼んで、
「予に生命のある限り、赤壁の恨みは必ず、敵国に報いずには措かん、今は、しばらく都へ帰って、他日の再軍備にかかるしかない。汝はよく南城を守っていてくれよ。やがて敵の襲撃に会ってもかならず守るを旨とし、城を出て戦ってはならんぞ」と、諭した。
四
この荊州の南郡から襄陽、合淝の二城をつらねた地方は、曹操にとって、今は、重要なる国防の外郭線とはなった。
で、曹操は、都に帰るに際して、ふたたび曹仁へこう言い残した。
「この一巻のうちに、細々と、計策を書いておいたから、もしこの城の守りがいよいよ危急に迫った時は、これを開いて、わが言となし、すべて巻中の策に従って籠城いたすがよい」
また、襄陽城の守備としては、夏侯惇をあとに留め、合淝地方は、ことに、重要な地とあって、それへは、張遼を守りに入れた。更に楽進、李典の二名を副将としてそれに添えた。
こう万全な手配りをすまして、曹操はやがてここを去ったが、左右の大将も士卒もあらかた後の防ぎに残して行ったので、その時、曹操に従って都へ回った数は、わずか七百騎ほどに過ぎなかったという。
そのころ――
夏口城の城楼には、戦捷の凱歌が沸いていた。
張飛、趙雲、そのほかの士卒は、みな戦場から立ち帰って、敵の首級や鹵獲品を展じて、軍功帳に登録され、その勲功を競っていた。
閣の庁上では、玄徳を中心に、孔明も立って、戦勝の賀をうけていたが、折ふしここへ、関羽もその手勢と共に戻って来て、悄然と拝礼した。
「おお、羽将軍か。君にも待ちかねてお在したぞ。曹操の首を引っさげて来たものはおそらくあなたであろう」
「............」
「将軍。どうして、そのように不興気な顔をして俯向いておらるるか。いざ、功を述べて、勲功帳に記録を仰ぎたまえ」
「いや、......べつに何も......」
関羽はますます、うな垂れているのみで、そのことばさえ、女のように低かった。
孔明は、眉をひそめながら、
「どうなされたのか。べつに何も......とは?」
「実は。......それがしのこれに来たのは、功を述べるためではなく、罪を請うためでござる。よろしく軍法に照らして罰せられたい」
「はて。......では、曹操はついに華容の道へは逃げ落ちて来なかったと言わるるか」
「軍師の御先見にたがわず、華容道へかかっては来ましたが、それがしの無能なるため、討ち洩らしてござる」
「なに、討ち損じたと......あの赤壁から潰走した敗残困憊の兵でありながら、なお羽将軍の強馬精兵をも近づけぬほど、曹操はよく戦ったと申さるるか」
「......でも、御座らぬが、......つい、取り逃がしました」
「しからば、曹操は討たずとも、その手下の大将や士卒は、どれほど討ち取られたか」
「ひとりも生け捕りません」
「挙げたる首級は」
「一箇も無し――でござる」
「ウーム。......そうか」
孔明は、口をつぐんで、あとはただその澄んだ眸をもって、彼をながめているだけだった。
「関羽どの」
「はい」
「さては御辺には、むかし曹操よりうけた恩を思うて、故意に、曹操の危難を見のがされたな」
「今さら、何のことばも御座りませぬ。ただ御推量を仰ぐのほかは......」
「だまれっ」
孔明は、その白皙な面に紅を呈して、一喝、叱るやいな、後座の武士を顧みて、命じた。
「王法は、国家の典刑。私情をもって、軍令を無視した関羽の罪はゆるされん。諸君っ! 斬り捨ていッ、この柔弱漢を!」
五
孔明がこれほど心から怒ったらしい容子を見たのは、玄徳も初めてであった。
めったに怒らない優しい人が怒ったのは、ふつうの者の間でも怖ろしい気がするものである。いわんや軍師の座にあって、謹厳おのれを持していやしくもせず、日ごろはあまり大きな声すら出さない孔明が、断乎、斬れ! と命じたのであるから、人々みな慄然と恟み立って、どうなることかと思っていた。
「軍師――」と、急に彼のまえに迫って、膝を曲げないばかりに愍れみを仰いだのは、当の関羽ではなくて、玄徳であった。
「わしと、関羽とは、むかし桃園に義を結んで、生死を倶にせんと誓ってある。いわば関羽の死はわしの死を意味する。きょうの罪は赦しがたいものに違いないが、わしに免じて――いやわしにその罪科をしばし預けてくれい。後日、かならずこの罪を償うほどの大功を挙げさせるから。......軍師、大法を歪曲するのではなく、仮にしばらくこの法断を待って欲しいのじゃ。たのむ」
身、主君たる位置にありながら、玄徳は、臣下の一命のために、臣下に対して、ひれ伏さないばかりであった。
何でそれまでを、孔明とて一蹴できよう。彼はわずかに面をそむけて、
「赦すことはできません。軍紀はあくまで厳然たる軍紀ですが、思し召しのまま暫時、処断は猶予しましょう。関羽の罪は、おあずけしておきます」
とついに言った。
× × ×
数万人の捕虜は、赤壁から呉へ運ばれて行った。
呉軍は、そのすべてを包有して、一躍大軍となり、また整備を増強して、江北へ押し渡って来た。
「玄徳から賀使が見えました。家臣の孫乾という者が、贈り物を献じ、戦勝のお祝いを述べるためにと――玄徳の使いで」
中軍にある周瑜のところへ、ある日、こういう取り次ぎがあった。赤壁の大戦捷に、周瑜ばかりでなく、呉軍全体は、破竹の勢いを示し、士卒の端にいたるまで、無敵呉軍の誇りに燃えて、当たるべからざるものがある。――この図に乗せてと、周瑜は、南郡へ攻略をすすめ、五ヵ所の寨を粉砕して、いまやそこの南郡城に肉迫して陣を取った日であった。
「ほう、玄徳からとな? ......そうか、すぐ通せ」
周瑜のことばに、使者孫乾は、直ちに案内されて来た。
四方山の話のすえに、周瑜は孫乾にこうたずねた。
「御主君の玄徳や孔明は、目下どこにおられるか」
「されば、油江口におられます」
「えっ、油江口に」
何か、驚いたらしい顔である。それからは、話も弾まなかったが、宴の終わるころ、
「いずれ、それがし自身、御返礼に出向くであろう。よろしく申し伝えてくれ」
と、追い帰すように、孫乾を帰した。
あくる日。――魯粛が、
「都督、きのうは、何であんな意外なお顔をなすったのですか」
「ムム。玄徳が油江口におる事でか。それは聞き捨て成らんではないか」
「なぜです」
「彼が油江口へ陣を移したとすれば、それは明らかに、南郡を攻め取ろうという野心があるからだ。われわれ呉軍が、莫大な軍馬銭粮を消費して、赤壁に勝っても、まだその戦果は摑んでおらぬ。――それを玄徳に先んじられては何のために戦ったか、意味はなさぬことになる」
「その儀は、疾くから私も、油断がならんと思っていました」
「さっそく、玄徳の陣を訪問したうえ、一本釘を打っておこう、――供の兵馬や贈り物の準備をしてくれい」
「承知しました。私も共に参りましょう」
一摑三城
一
一方、孫乾は油江口にある味方の陣に帰ると、すぐ玄徳に、帰りを告げて、
「いずれ周瑜が自身で答礼に参ると言っておりました」と、話した。
玄徳は、孔明と顔見合わせて、
「これほどな儀礼に、周瑜が自身で答礼に来るというのはおかしい。何のために来るのであろう」
「もちろん、南郡の城が気にかかるので、こちらの動静を見に来るのでしょう」
「もし兵を率いて来たらどうしようか」
「御心配はありません。まずこんどは探りだけのことでしょう。御対談のときには、かようにお答え遊ばされい」
孔明は、何事か囁いた。
先触れのあった日、油江口の岸には、兵船をならべ、軍馬兵旗を整々と立てて、周瑜の着くのを待っていた。
周瑜は、随員と守護の兵三千騎を連れて、船から上陸した。――見るに、陸上にも江辺にも、兵馬や大船が整然と旗幟をそろえているので、
「案外、馬鹿にはならぬ兵力を持っておるな」
と言わんばかりな流し目をくばりながら、趙雲の一隊に迎えられて、陣の轅門へ入って行った。
もちろん、玄徳、孔明、その他の部将は、篤く出迎え、大賓の礼をとって、会宴の上座へすすめた。
酒、数巡。
玄徳は杯をあげて、しきりに、赤壁の大勝を激賞しながら、
「ときに、引き続いて、江北へ御進撃と承り、いささか戦いのお手助けを申さんと、急遽、この油江口まで陣を進めて来ましたが、もし周都督の方で、南郡をお取りになる御意志がなければ、玄徳の手をもって、攻め取りますが」と、軽く言った。
すると周瑜も、気軽に笑って、戯れた。
「どう致しまして――。とんでもない。呉が荊州を併呑せんと望んでいたことは実に久しいものです。いま、南郡はすでに、呉の掌にあるものを、決して、御心配下さるに及ばん」
「けれど、世の諺にも、掌中ノモノ必ズシモ掌中ノ物ナラズ――という事もあります。曹操が残して行った曹仁は北国の万夫不当。おそらく周都督のお手には易々と落ちないのではないかと案じられますが」
周瑜は、眉のあいだに、憤然と憤炎をあらわしたが、すぐ皮肉な嘲笑にそれを代えて、
「もし、それがしの手に奪れなかったら、あなたの手で奪ったらよかろう」
「ほ、そうですか、それは恭ない。――ここには、魯粛、孔明という生き証人もいること、都督の今のおことばをよく聞いておいてもらいたい」
「大丈夫の一言、何の、証人などが要ろう」
「あとで御後悔はありますまいな」
「ばかな」
周瑜は、一杯を干して、また一笑した。
そのそばから孔明はこう言って、旺に、周瑜の言を賞めあげた。
「さすがに、周都督の一言は、呉の大国たる貫禄を示すにあまりある公論というものです。荊州の地は、当然まず呉軍からお攻めあるのがほんとです。そして万が一にも、呉の手に余ったときは、劉皇叔が試みにそれを攻め取ってみられるがよいでしょう」
周瑜等が帰った後である。
玄徳は、嘆かわしい顔して、孔明を責めた。
「――周瑜と対談の時は、ああ言え、こう答えよと、先生がこの玄徳に教えたので、予はそのとおりに応対していた。それなのに、先生自身、周瑜に向かって、南郡を取れと言わんばかり励まして帰したのは一体どういうつもりか」
「その以前、私が荊州をお取りなさいと、あんなにおすすめ申したのに、君にはさらに耳へお入れがなかった」
「わが一族、わが味方、拠るに地もなく、ほとんど今は孤窮の境界。むかしを問うてくれるな。事情も変わっている」
「御心配には及びません。べつに孔明に一計があります。近いうちに必ず君を南郡城に入れて御覧にいれまする」
二
周瑜は、自軍の陣へ帰ると、すぐに南郡城へ向かって、猛烈な行動を起こすべく、指令を出していた。
魯粛がその間に言った。
「玄徳とお会いなされた折、なぜ彼に対してもし呉軍の手に余るときは、そっちで南郡を攻め取るも随意だ――などと言われたのですか」
「それは君、ことばの上だけのものさ。人情の余韻を残すというものだ。すでに赤壁においてすらあの大捷を博した我が軍のまえに、南郡の城のごときは鎧袖一触、あんなものを取るのは手を反すより易しいことじゃないか」
先手五千の兵には、蔣欽が大将として進み、副将丁奉、徐盛それにつづき、周瑜の中軍も前進して、堂々城へ迫った。
このときまで、城中の曹仁は、曹操の残して行った誡めを鉄則として、
「出るな。守れ」
の一方でただ要害をきびしくするに
々としていたが、部下の
牛金はしきりに勧めた。
「要害の守りというものはある期間だけのものです。古来、
陥ちない城というものはない。いますでに呉軍が城下に迫っているのに、城を出てこれを撃つという変もなければ、城中の士気は、消極的になるばかりで、
所
、長く持てるものではありません」
「それも一理ある」
曹仁は、牛金の乞いを容れて、兵五百をさずけ、機を計って奇襲を命じた。
牛金は、城門から突出して、敵の先鋒、丁奉の軍を蹴散らした。丁奉は、牛金を目がけて、一騎打ちを挑んだが、たちまち後ろを見せて逃げ出した。
牛金の五百騎は、逃げる丁奉を追い捲って、つい深入りした。にわかに、さっと回した丁奉軍は、鼓を鳴らして、味方を糾合し、追い疲れた牛金軍五百を袋の鼠としてしまった。
「戦況いかに?」と、城中の櫓から眺めていた曹仁は、牛金の危急を見て、自身手勢を率いて、救いに出ようとした。
すると長史陳矯が、
「丞相がこの城を託して都へ帰らるる時、何と宣われましたか」
と、口を極めて、軽率な戦いを諫めた。
だが、曹仁は、
「牛金は大事な大将だし、部下五百は、城中で重きをなす精鋭ばかりだ。それを見殺しにするは、この城の自殺にひとしい」とばかり、耳もかさず、馬に打ち乗り、屈強な兵千余を率いて、城外へ渦まき出たので、陳矯もやむなく櫓へ駈けのぼり、太鼓を打って勢いを添えた。
かくて、曹仁は、呉軍の真っ只中へ駈け入って、まず徐盛の一角を蹴破り、牛金と合流して、首尾よく彼を救い出した。
けれどまだ、あと五、六十騎の者が、重囲の中に残されているのを知ると、
「よしっ、もう一度行って来る」
と、ふたたび馳け入り、あとの者をも一人も余さず救出して帰って来た。
すると、呉の先鋒の大将蔣欽が、道をさえぎって、曹仁を討ち止めようと試みた。けれど曹仁の勇は、それらの阻害を物ともせず、四角八面に奮戦し、また牛金もそれを助け、城中からも曹仁の弟の曹純が加勢に出て、むらがる敵へ当たったので、ついに、その日は首尾よく、目的を達して、
「曹仁ここにあり」
の重きを敵へ知らしめた。
で、城中では、その夜、
「まず、合戦のさい先はいいぞ」
と、大いに勝ち戦を賀して、杯をあげていたが、それに反して、序戦に敗れた呉軍の営内では、
「敵に数倍する勢を擁しながら、しかも城中から出て来た兵に不意を衝かれるとは何たる醜態だ」
と、蔣欽、徐盛のともがらは、都督周瑜の面前で、その責を問われ、さんざん痛罵されていた。
三
「この上は、自身、南郡の城を一揉みに踏みつぶしてみせる」
周瑜は、怒った後で、こう豪語した。
ここ連戦連勝の勢いに誇っていたところなので、蔣欽の些細な一敗も、彼にはひどくケチついたような気がしたものとみえる。
「御自身、軽々しい戦いはまず為さらぬ方がよいでしょう」
諫めたのは、甘寧である。
甘寧は、説いた。
「南郡と埼角の形勢を作って、一方、夷陵の城も戦備をかためています。そしてそこには、曹仁と呼応して、曹洪がたて籠っていますから、迂闊に南郡だけを目がけていると、いついかなる変を起こして、側面を衝いて来るかもしれません」
「――では、どうしたがいいか」
「それがしが三千騎を拝借して、夷陵の城を攻め破りましょう」
「よし。そのまに、南郡の城は、わが手に片づける」
手配は成った。
甘寧は、江を渡って、夷陵城へ攻めかかった。
南郡の城の櫓から、それを眺めた曹仁は驚いた。
「これはいかん。寄せ手の一部が夷陵へ迫った。夷陵の曹洪は困るだろう。何しろまだ防備が完全でないから」と、陳矯に、急場の処置を諮ったところ、
「御舎弟の曹純どのに、牛金を副将とし、直ちに急援をおつかわしになったらよいでしょう。夷陵の城が陥ちたら、この南郡城も瀕死になります」と、彼もあわて出した。
そこで曹純と牛金は、にわかに夷陵の救いに馳せつけた。曹純は外部から城内の曹洪と聯絡をとって、
「力に依らず、謀略を主として、敵を欺こうではないか」と、一計を約束した。
甘寧は、それとも知らず、前進また前進をつづけ、敗走する城兵を追いこんで、
「意外に脆いぞ」
と、一挙、占領にかかった。
曹洪も出て奮戦したが、実は、策なので、たちまち支え難しと見せかけて、城を捨てて逃げた。
日暮れに迫って、甘寧の軍勢は、残らず城内へなだれ入り、凱歌をあげて、誇っていたが、なんぞ測らん、曹純、牛金の後詰めが、諸門を包囲し、また曹洪も引っ返して来て、勝手を知った間道から糧道まで、すべて外部から遮断してしまったので、寄せ手の甘寧は曹純とまったく位置を更えて、孤城の中に封じこまれてしまった。
この報らせが、呉軍に聞こえたので、周瑜は重ね重ね眉をしかめ、
「程普。何か策はないか」と、評議に集まった面々を見まわした。
程普は言う。
「甘寧は、呉の忠臣、見殺しはできません。しかりといえど、今、兵力を分けて、夷陵へかかれば、敵は南郡の城を出て、わが軍を挾撃して来ましょう」
呂蒙がそれにつづいて、こう意見を吐いた。
「ここの抑えは、凌統に命じて行けば、充分に頑張りましょう。やはり甘寧を救うのが焦眉の急です。てまえに先鋒をお命じあって、都督がお続きくださるなら、必ず十日以内に、目的は達せられるかと思われるが......」
周瑜はうなずいて、更に、
「凌統。大丈夫か」と、念を押した。
凌統は、ひきうけたが、
「――ただし、十日間がせいぜいです。十日は必ず頑張って御覧に入れますが、それ以上日数がかかると、それがしはここで討ち死にのほかなきに至るかもしれません」と、言った。
「そんなに日の費るほどな敵でもあるまい」
と、周瑜は、兵一万に凌統をあとに残して、そのほかの主力をことごとく夷陵方面へうごかした。
四
途中で、呂蒙が献策した。
「これから攻めに参る夷陵の南には、狭く嶮しい道があります。附近の谷へ五百ほどの兵を伏せ、柴薪を積んで道をさえぎり置けば、きっと後でものを言うと思いますが」
周瑜は、容れて、
「その計もよからん」と、手筈をいいつけ、更に、前進して夷陵へ近づいた。
夷陵の城は桶のごとく敵勢に囲まれている。だれかその鉄桶の中へ入って、城中の甘寧と聯絡をとる勇士はないか――と周瑜が言うと、
「それがしが参らん」と、周泰がすすんでこの難役を買って出た。
彼は、陣中第一の駿足を選んでそれに跨がり、一鞭を加えて、敵の包囲圏へ駈けこんで行った。
ただ一騎、弾丸のように駈けて来た人間を、曹洪、曹純の部下はまさか敵とも思えなかった。ただ近づくや否、
「何者だっ」
「待てっ待てっ」と、遮った。
周泰は、刀を抜いて剣舞するようにこれを馬上で旋しながら、
「遠く都から来た急使だ。曹丞相の命を帯ぶる早馬なり、貴様たちの知ったことじゃないっ。近づいて蹴殺されるな」と、喚き喚き、疾走して行った。
その勢いで、二段三段と敵陣を駈け抜けてしまい、ついに、夷陵の城下へ来て、
「甘寧、城門を開けてくれ」と、どなった。
櫓からそれを見た甘寧は、どうして来たかと、驚いて迎え入れた。周泰は言った。
「もう大丈夫。安心しろ。周都督が御自身で救いに来られた。そして作戦はこう......」
と、一切を諜し合い、ここに完全な聯絡をとった。
きのう、おかしな男が、ただ一騎、城中へ入ったというし、それから俄然城兵の士気が昂っているのを眺めて、寄せ手の曹洪、曹純は、
「これはいかん」と、顔見あわせた。
「周瑜の援軍が近づいた証拠だ。ぐずぐずしておれば
挾撃を

う。どうしよう?」
「どうしようと言っても急には城も陥ちまい。甘寧をわざと城へ誘いこんで袋叩きにするという策は、名案に似て、実は下の下策だったな、こうなってみると」
「今さらそんな繰り言を言ってみても仕方はない。南郡へも使いが出してあるから、兄の曹仁から加勢に来るのを待つとするか」
「ともかくも一両日、頑張ってみよう」
何ぞ無策なると心ある者なら歯痒く思ったにちがいない。すぐ次の日にはもう周瑜の大軍がここへ殺到した。曹洪、曹純、牛金などあわてふためいて戦ったものの、もとより敵ではなかった。陣を崩してたちまち敗走の醜態を見せてしまう。
のみならず、周瑜の急追いをよけて、山越えに出たはいいが、途中のけわしい細道までかかると、道に積んである柴や薪に足をとられ、馬から谷へ落ちる者や、自ら馬をすてて逃げ出すところを討たれるやらで、散散な態になってしまった。
呉の軍勢は、勝ちに乗って、途中、敵の馬を鹵獲すること三百余頭、更に進撃をつづけて、ついに南郡城外十里まで迫って来た。
南郡の城に入った曹洪、曹純などは、兄の曹仁を囲んで、
暗澹たる顔つきを

えていた。今にして、この一族が悔いおうていることは、
「やはり丞相のおことばを守って、絶対に城を出ずに、最初からただ城門を閉じて守備第一にしておればよかった」という及ばぬ愚痴だった。
「そうだ! 忘れていた」
曹仁は、その愚痴からふと思い出したように、膝を打った。それは曹操が都へ帰る時、いよいよの危急となったら封を開いてみよ、と言って遺して行った一巻の書である。その中にどんな秘策が認めてあるかの希望であった。
五
ここ、周瑜の得意は思うべしであった。まさに常勝将軍の概がある。夷陵を占領し、無事に甘寧を救い出し、更に、勢いを数倍して、南郡の城を取り囲んだ。
「......はてな? 敵の兵はみな逃げ支度だぞ。腰に兵糧をつけておる」
城外に高い井楼を組ませて、その上から城内の敵の防禦ぶりを望見していた周瑜は、こうつぶやきながらなお、眉に手をかざしていた。
見るに、城中の敵兵は大体三手にわかれている。そしてことごとく外矢倉や外門に出て、その本丸や主要の堰の陰には、すこぶる士気のない紙旗や幟ばかり沢山に立っていて、実は人もいない気配であった。
「さては、敵将の曹仁も、ここを守り難しと覚って、外に頑強に防戦を示し、心には早くも逃げ支度をしておると見える。――よし、さもあらばただ一撃に」と、周瑜は、みずから先手の兵を率い、後陣を程普に命じて、城中へ突撃した。
すると一騎、むらがる城兵の中から躍り出て、
「来れるは周瑜か。湖北の驍勇曹洪とは我なり。いざ、出で会え」と、名乗りかけて来た。
周瑜は、一笑を与えたのみで、
「夷陵を落ちのびた逃げ上手の曹洪よな。さる恥知らずの敗将と矛を交えるがごとき周瑜ではない。だれか、あの野良犬を撲殺せい」と、鞭をもって部下をさしまねいた。
「心得て候」と、陣線を越えて、かなたへ馬を向けて行ったのは呉の韓当であった。
人交ぜもせず、二人は戦った。交戟三十余合、曹洪はかなわじとばかり引き退く。
すると、すぐ、それに代わって、曹仁が馬を駈け出し、大音をあげて、
「気怯れたか周瑜、こころよく出て、一戦を交えよ」と、呼ばわった。
呉の周泰がそれに向かって、またまた曹仁を追い退けてしまった。ここに至って、城兵は全面的に崩れ立ち、呉軍は勢いに乗って、淊々と殺到した。
喊鼓、天をつつみ、奔煙、地を捲いて、
「今なるぞ。この期を外すな」
と、周瑜の猛声は、味方の潮を率いてまっ先に突き進んでゆく。
息もつかせぬ呉兵の急追いに、度を失ったか曹仁、曹洪をはじめ、城門へも逃げ込み損ねた守兵は、みな城外の西北へ向かって雪崩れ打って行った。
すでに周瑜は城門の下まで来ていた。見まわすところ、ここのみか城の四門はまるで開け放しだ。――いかに敵が狼狽して内を虚にしていたかを物語るように。
「それっ、城頭へ駈け上がって、呉の旗を立てろ」と、もう占領したものと思いこんでいた周瑜は、うしろにいる旗手を叱咤しながら、自身も城門の中へ駈けこんだ。
すると、門楼の上からその様子を窺っていた長史陳矯が、
「ああ、まさにわが計略は図にあたった。――曹丞相が書き遺された巻中の秘計は神に通ずるものであった!」と、感嘆の声を放ちながら、傍らの狼煙筒へ火を落とすと、轟音一声、門楼の宙天に黄いろい煙の傘がひらいた。
とたんに、辺りの墻壁の上から弩弓、石鉄砲の雨がいちどに周瑜をめがけて降りそそいで来た。周瑜は仰天して、駒を引っ返そうとしたが、あとから盲目的に突入して来た味方に揉まれ、うろうろしているうちに、足下の大地が一丈も陥没した。
陥とし穽であったのだ。上を下へと蠢く将士は、坑から這い上がるところを、殲滅的に打ち殺される。周瑜は、からくも馬を拾って、飛び乗るや否、門外へ逃げ出したが、一閃の矢うなりが、彼を追うかと見るまに、グサと左の肩に立った。
どうっと馬から転げ落ちる。そこを敵中の一将牛金が、首を搔こうと駈けてくるのを、呉の丁奉、徐盛等が、馬の諸膝を薙ぎ払って牛金を防ぎ落とし、周瑜の体をひっかついで呉の陣中へ逃げ帰った。
六
壕に陥って死ぬ者、矢にあたって斃れる者など、城の四門で同様な混乱に墜とされた呉軍の損害は、実におびただしい数にのぼった。
「退き鉦っ。退き鉦をっ」と、程普はあわてて、総退却を命じていた。
そして、南郡の城から、思いきって遠く後退すると、早速、
「何よりは、都督のお生命こそ......」
と、軍医を呼んで、中軍の帳の内に横たえてある周瑜の矢瘡を手当てさせた。
「ああ、これは御苦痛でしょう。
鏃は左の肩の骨を割って中に

いこんでいます」
医者はむずかしそうな顔をしかめて、患部をながめていたが、傍らの弟子に向かって、
「鑿と木槌をよこせ」と、言った。
程普が驚いて、
「こらこら、何をするのだ」と、怪しんで訊くと、医者は、患者の瘡口を指さして、
「ごらんなさい。素人が下手な矢の抜き方をしたものだから、矢の根本から折れてしまって、鏃が骨の中に残っているではありませんか。こんなのが一番われわれ外科の苦手で、荒療治をいたすよりほか方法はありません」と、言った。
「ううむ。そうか」
と、ぜひなく唾をのんで見ていると、医者は鑿と槌をもって、かんかんと骨を鑿りはじめた。
「痛い痛いっ。堪らん。やめてくれ」
周瑜は、泣かんばかり、悲鳴を発した。医者は、弟子の男と、程普に向かって、
「こう、暴れられては、手術ができません。手脚を抑えていてくれ」
と、その間も、こんこん木槌を振っていた。
荒療治の結果はよかった。苦熱は数日のうちに

え、周瑜はたちまち病床から出たがった。
「まだまだ、そう軽々しく思ってはいけません。何しろ鏃には毒が塗ってありますからな。なにかに怒って、気を激すと、かならず骨傷と肉のあいだから再び病熱が発しますよ」
医者の注意を守って、程普はかたく周瑜を止めて中軍から出さなかった。また諸軍に下知して、「いかに敵が挑んで来ても、固く陣門を閉ざして、相手に出るな」と、厳戒した。
城兵は以来ふたたび城中に戻って、いよいよ勢いを示し、中でも曹仁の部下牛金は、たびたびここへ襲せて来ては、
「どうした呉の輩。この陣中に人はないのか。中軍は空き家か。いかに敗北したからとて、いつまで、ベソを搔いているのだ。潔く降伏するなり、しからずんば、旗を捲いて退散しろ」と、さんざんに悪口を吐きちらした。
けれど、呉陣は、まるでお通夜のようにひッそりしていた。牛金はまた日をあらためてやって来た。そして、前にもまさる悪口雑言を浴びせたが、
「静かに。静かに......」と、程普は、ただ周瑜の病気の再発することばかり怖れていた。
牛金の来訪は依然やまない。来ては
辱しめること七回に及んだ。程普はひとまず兵を収めて、呉の国元へ帰り、周瑜の
瘡が完全に

ってから出直そうという意見を出したが、諸将の衆評はまだそれに一致を見なかった。
かかる間に、城兵は、いよいよ足もとを見すかして、やがては曹仁自身が大軍をひきいて襲せて来るようになった。当然、いくら秘しても周瑜の耳に聞こえてくる。周瑜もさすがに武人、がばと病床に身を起き直して、
「あの喊の声はなんだ」と、訊ねた。
程普が、答えて、
「味方の調練です」と言うと、なお耳をすましていた周瑜は、俄然、起ち上がって、
「鎧を出せ。剣をよこせ」と、罵った。そして、「大丈夫たる者が、国を出て来たからには屍を馬の革につつんで本国に帰るこそ本望なのだ。これしきの負傷に、無用な気づかいはしてくれるな」
と、言い放ち、ついに帳外へ躍り出してしまった。
七
まだ

えきらない裏傷の身に
鎧甲を着けて、周瑜は剛気にも馬にとびのり、自身、数百騎をひきいて陣外へ出て行った。
それを見た曹仁の兵は、
「やッ周瑜はまだ生きていたぞ」と、大いに怖れて動揺した。
曹仁も、手をかざして、戦場を眺めていたが、
「なるほど、たしかに周瑜にちがいないが、まだ
金瘡は

っておるまい。およそ金瘡の病は、気を激するときは破傷して再発するという。一同して彼を
罵り
辱しめよ」と、軍卒どもへ命令した。
そこで、曹仁自身も先に立ち、
「周瑜嬬子。さきごろの矢に閉口したか。気分はいかに。矛は持てるや」
などと嘲弄した。
彼の将士も、その尾について、さんざん悪口を吐きちらすと、たちまち、怒面を朱泥のようにして、周瑜は、
「たれかある、曹仁匹夫の首を引き抜け」
と叫び、自身も馬首を奮い立てて進まんとした。
「潘璋これにあり。いでそれがしが」
と、周瑜のうしろに控えていた一将が、駈け出そうとする途端に、周瑜は、くわっと口を開き、血でも吐いたか、矛を捨てて、両手で口を塞ぎながら、どうと、馬の背から転げ落ちた。
それと見て、敵の曹仁は、
「ざまを見よ。彼奴、血を吐いて死したり」と、いっせいに斬り入って来た。
呉軍は色を失って、総くずれとなり、周瑜の身を拾って、陣門へ逃げこんだ。この日の敗北もまた惨たるものであった。
憂色深き中に周瑜は取り巻かれていた。だが、彼は案外、元気な容子で、医者のすすめる薬湯など飲みながら、味方の諸将へ話しかけて、
「きょう馬から落ちたのは、
わざとしたので、金瘡が破れたのではない。曹仁が
漫罵の計を逆用して、急に血を吐いた真似をして見せたのだ。さっそく陣々に喪旗を立て、弔歌を奏でて、周瑜死せりと

するがいい」と、言った。
次の日の夕方ごろ、曹仁の部下が城外で、呉兵の一将隊を捕虜にして来た。訊問してみると彼等は、
「昨夜ついに、呉の大都督周瑜は、金瘡の再発から大熱を起こして
陣歿されました。で、呉軍は急に本国へ引き揚げることに内々きまったようですから、
所
、呉に勝ち目はありません。勝ち目のない軍について帰っても、
雑兵は、いつまで雑兵で終わるしかありませんから、一同談合して降参に来たわけです。もしわれわれをお用い下さるなら、今夜、呉陣へ案内いたします。喪に服して
意気銷沈している所へ押し
襲せれば、残る呉軍を
殲滅し得ることは疑いもありませぬ」
曹仁、曹洪、曹純、陳嬉、牛金などは、鳩首し密議にかかった。その結果、深更に及んで、呉の陣へ、大襲を決行した。
ところが、陣中は、旗ばかり立っていて、人影もなかった。寥々として、捨て篝が所々燃え残っている。
「さては早、ここを払って、引き揚げたか?」
と疑っていると、たちまち、東門から韓当、蔣欽、西門から周泰、潘璋。南の門からは徐盛、丁奉。北の柵門からも陳武、呂蒙などという呉将の名だたる手勢手勢が、喊を作り、銅鑼をたたき、一度に取り籠めて猛撃して来たため、空陣の袋に入っていた曹仁以下の兵は、度を失い、躁ぎ立って、蜂の巣のごとく叩かれた挙げ句、士卒の大半を打たれて、八方へ潰乱した。
曹仁、曹純、曹洪など、みな自分等の南郡へ向かって逃げたが、途中、呉の甘寧が道をさえぎっていたので、城内へ入ることもできず、ついに、襄陽方面へ遁走するのほかなかった。
死せる周瑜は生きていた。この夜、周瑜は十分に勝ちぬいて、意気すこぶる旺に、程普を伴れて、乱軍の中を縦横し、いでこの上は南郡の城に、呉の征旗を高高と揚げんものと、濠の辺まで進んで来ると、こはそもいかに、城壁の上には、見馴れない旗や幟が、夜明けの空に、翩翻と立ちならんでいる。
そしてそこの高櫓の上には、ひとりの武将が突っ立って、厳に城下を見下ろしていた。
八
怪しんで、周瑜が、「城頭に立つは、何者か」と、壕際から大音にいうと、先も大音に、
「常山の趙雲子龍、孔明の下知をうけて、すでにこの城を占領せり。――遅かりし周瑜都督、お気の毒ではあるが、引っ返し給え」と、城の上から答えた。
周瑜は仰天して、空しく駒を返したが、すぐ甘寧をよんで荊州の城へ馳せ向け、また凌統をよんで、
「即刻、襄陽を奪い取れ」と、命じた。
――われ孔明に出しぬかれたり!
周瑜の心中は、すこぶる穏やかでなかったのである。この上は、時を移さず、荊州、襄陽の二城を取って、その後に南郡の城を取り返そうと肚をきめたものだった。
ところが、たちまち、早馬が来て、
「荊州の城にもすでに張飛の手勢が入っている」と、告げた。
「げッ、何として?」と疑っているところへ、またまた、襄陽からも早馬が飛んで来て、
「時すでに遅しです。襄陽城中には、関羽の軍がいっぱいに入って、城頭高く、玄徳の旗をひるがえしている」と、報らせて来た。
その仔細を聞くと、孔明は南郡の城を取るや否や、すぐ曹仁の兵符を持たせて人を荊州に派し、(南郡あやうし、すぐ救え)と言い送った。
荊州城の守将は、兵符を信じて、すぐ救援に駈け出した。留守を測っていた孔明は、すぐ張飛を向けてそこを占領し、同時にまた、同様な手段で、襄陽へも人をやった。
(われ今あやうし、呉の兵を外より破れ)と、いう檄である。
襄陽を守っていた夏侯惇も、曹仁の兵符を見ては、疑っている遑もなく、直ちに城を出で、荊州へ走った。
かねて孔明の命をうけていた関羽は、すぐ後を乗っ取ってしまった。かくて南郡、襄陽、荊州の三城は、血もみずに、孔明の一握に帰してしまったものである。
周瑜の驚きかたは、ひと通りや二通りではない。失神せんばかり面色を変えて、
「いったい、どうして、曹仁の兵符(印章)が、孔明の手になんかあったのか」と、叫んだ。
程普が、首を垂れて言った。
「孔明すでに荊州を取る。荊州の城にいた魏の長史陳矯は、城に旗の揚がるよりも先に、孔明に生擒られてしまったにちがいありません。兵符は常に、陳矯が帯びていたものです」
聞くや否、周瑜は、
「――あっ」と床に仆れた。
怒気を発したため、金瘡の口が破れたのだった。こんどは計ではない。ほんとに再発したものである。
だが、人々の看護に依って、ようやく蘇生の色をとりもどすと、周瑜はなお牙を嚙んで、
「だから、だからおれは疾くから、孔明を危険視していたのだ。もし孔明を殺さずんば、いつの日かこの心は安んずべき。見よ、今に!」と、罵った。
そしてひたすら南郡の奪回を策していると、ある日、魯粛が来て、
「いかがです。御気分は」と、見舞った。
周瑜はもう寝てなどいなかった。意気軒昂を示して、
「近々のうち、玄徳、孔明と一戦を決し、かの南郡を手に入れた上はいちど呉へ帰って少し養生しようと思う」と、語った。
すると、魯粛は、
「無用です、無用無用」と、首を振った。
九
魯粛は言う。
「いま、曹操と戦って赤壁に大捷を得たといっても、まだ曹操そのものは仆しておりません。成敗の分かれ目はこれからです。一面に、呉君孫権には、先ごろからまた、合淝方面を攻めておらるる由。――そんな態勢をもって、ここでまたも、玄徳と戦端を開いたら、これは曹操にとって、もっとも乗ずべき機会となりましょう」
周瑜にも、その不利は、当然わかっていたが、彼のやみ難い感情が、頑として、言うのであった。
「わが大軍が、赤壁に魏を打ち破るためには、いかに莫大なる兵力と軍費の犠牲を払ったか知れない。しかるに、その戦果たる荊州地方を何もせぬ玄徳に横奪りされて黙止しておられるか」
「ごもっともです。それがしが玄徳に対面して、篤と、道理を説いてみましょう」
魯粛はすぐ南郡城へ使した。その姿を見るや、城頭のいただきから、守将趙雲が声をかけた。
「呉の粛公。何しに見えられたか」
「備公にお目にかからんがために」
「劉皇叔には、荊州の城においで遊ばされる。荊州へ行き給え」
ぜひなく、彼はその足で、荊州へ急いだ。
荊州の城を訪うてみると、旌旗も軍隊も街の声も、今はすべて玄徳色に彩られている。――ああと、魯粛は嘆ぜざるを得なかった。
「やあ、お久しゅうございました」
迎えたのは、孔明である。礼儀は極めて篤い。賓主の座をわかつやすぐ、魯粛は彼を責めた。
「曹軍百万の南征で、第一に擒人となるものは、おそらくあなたの御主君備公であったろうと思う。それをわが呉の国が莫大な銭粮を費やし、兵馬大船を動員して、必死に当たったればこそ、彼を撃破し、お互いに難なきを得ました。その戦果として、荊州は当然、呉に属していいものと考えられるが、御辺はどう思われるか」
孔明は、笑って、
「これは異なおことば。荊州は荊州の主権のもので、曹操のものでもなし、呉に属さねばならぬ理由もない国です」
「とは、なぜか」
「荊州の主、劉表は死なれた。しかし遺孤の劉琦――すなわちその嫡子はなおわが劉皇叔の許に養われている。皇叔と劉琦とは、もとこれ同宗の家系、叔父甥のあいだがら、それを扶けて、この国を復興するに、何の不道理がありましょうや」
魯粛は、ぎくとした。
ここまでの深謀が孔明にあったとは、さすがの彼も気づかなかったからである。
「いや。......その劉琦は、たしか江夏の城にいると聞いている。よも、この荊州の主としてはおられまい」
孔明は、左右の従者に向かって、
「――賓客には、お疑いと見える。琦君をこれへ」と、小声で命じた.
やがて後ろの屛風が開くと、弱々しい貴公子が、左右の手を侍臣に取られて、数歩前に歩いて客に立礼した。見ると、まぎれなき劉琦である。
「御病中なれば、失礼遊ばされよ」
孔明のことばに、琦君は、すぐ屛を塞いで奥へかくれた。魯粛は、黙然と首をたれてしまう。孔明はなお言った。
「琦君、一日あれば、一日荊州の主です。あの御病弱故、もし夭折されるような御不幸があれば、また別ですが」
「では、もし劉琦が世を辞し給う日となったら、この荊州は、呉へ還し給え」
「公論、明論。それならだれも異論を立てるものはありますまい」
それから大いに馳走を出して歓待したが、魯粛は心もそぞろに、帰りを急ぎ、すぐ周瑜に会って仔細を話した。
「――長いことはありません。劉琦の血色をみるに、近々、危篤に陥りましょう。ここしばらく」と、宥めているところへ、折も折、呉主孫権から早馬が来て、総軍みな荊州をすてて柴桑まで引き揚げろ、という軍令であった。
白羽扇
一
荊州、襄陽、南郡三ヵ所の城を一挙に収めて、一躍、持たぬ国から持てる国へと、その面目を一新しかけて来た機運を迎えて、玄徳は、
「ここで好い気になってはならぬ――」と、大いに自分を慎んだ。
「亮先生」
「何ですか」
「労せずして取った物は、また去ることも易しとか。三ヵ所の城は、先生の計一つで、あまりにも易々とわが手に落ちたが、それだけに長久の策を思わねばならんと考えるが」
「御もっとものお言葉には似ておりますが、決してしからずです。三ヵ所の城が一挙にお手に入ったのも、実にわが君が多年の辛苦から生まれたもので、易々と転げこんで来たのではありません」
「でも、一戦も交えず、一兵も損せずに、この中央にわが所を得たのは、あまりに好運すぎる」
「御謙遜です。みな君の御徳と、積年の労苦がここに結集したものです。はやい話が、君にその積徳と御努力が過去になかったら、この孔明ひとりでも、今日、お味方の内にはいなかったでしょう」
「では先生、どうか更に、玄徳が労苦をかさね、徳を積んでゆく長久の計をさずけて欲しい」
「人です。すべては人にあります。領地を拡大されるごとに、さらにそれを要としましょう」
「荊、襄の地に、なお遺賢がいるだろうか」
「襄陽宜城の人で、馬良、字を季常という、この者の兄弟五人は、みな才名高く、馬氏の五常と世間から言われていますが、中で馬良はもっとも逸材で、その弟の馬謖も軍書を明らかに究め、万夫不当の武人です」
「召したら来るだろうか」
「幕賓の伊籍は親しいと聞いております。伊籍から迎えさせてはいかがです」
「そうしよう」
早速、玄徳は、伊籍に諮って、迎えの使いをやった。
馬良はやがて城へ来た。雪を置いたように眉の白い人であった。馬氏の五常、白眉を良しと、世間に評があった。
玄徳は、彼にたずねた。
「御身はこの地方の国情には詳しかろう。わしは近ごろ、三城を占めて、ここに君臨したものだが、この先の計は、どうしたが最も良いか」
「やはり劉琦君をお立てになることでしょう。御病体ですからこの荊州の城に置かれて、旧臣を喚び迎え、また都へ表を上せて、琦君を荊州の刺史に封じておあげなさい。人心はみな、あなたの御仁徳と公明な御処置に随喜して馴ずきます。――それを強味に、それを根本に持って、あなたは南の四郡を伐り取ったがよろしいかと思われます」
「その四郡の現状は」
「――武陵には太守金旋があり、長沙には韓玄、桂陽には趙範、零陵には劉度などが、各々地盤を占めております。この地方は総じて、魚米の運輸よろしく、地も中原に似て、肥沃です。もって長久を計るに足りましょう」
「それへ攻め入るには」
「湘江の西、零陵(湖南省・永州)から手をつけるのが順序でしょう。次に桂陽、武陵と取って、長沙へ進攻するのが自然かと思います。要するに、兵の進路は流れる水です。水の行くところ、自然の兵路と言えるでしょう」
賢者は言は、みな一つだった。玄徳は自信を得た。味方のだれにも異論はなかった。
建安十五年の春、彼の部下一万五千は、南四郡の征途に上った。
趙雲は後陣に従く。
もちろん玄徳、孔明はその中軍にあった。
この時も、関羽は留守をいいつかり、あとに残って、荊州の守りを命ぜられた。
玄徳の軍来る! ――の報は、たちまち零陵を震駭せしめた。戦革の世紀にあっては、どこの一郡一国であろうと、この世紀の外に安眠を貪っていることはできなかったのである。
二
零陵の太守劉度は、嫡子の劉延をよんで、
「いかに玄徳を防ぐか」を、相談した。
父の顔色には怯えが見えている。劉延は切歯して、
「関羽、張飛などの名がものものしく鳴り響いていますが、わが家中にも、邢道栄があるではありませんか」と、励ました。
「邢道栄ならそれに当たり得るだろうか」
「彼ならば、関羽、張飛の首を取るのも、さしたる難事ではありますまい。つねに重さ六十斤の大鉞を自由に使うという無双な豪傑ですし、胸中の武芸もまた、いにしえの廉頗、李牧に優るとも劣るものではありません。日ごろから豪勇の士を何のために養っておかれるのですか」
劉延は、そう言って父に一万騎を乞い、その邢道栄を先陣に立てて、城外三十里に陣取った。
玄軍一万五千は、すでにこの辺まで殺到した。漠々の戦塵はここに揚がり、刻一刻、その領域は侵された。
「反国の賊、流離の暴軍、なに故、わが境を侵すか」
乱軍の中へ馬を出し、邢道栄は大音に言って迫った。有名なる彼の大鉞は、すでに鮮血に塗られていた。
すると、彼の前に、一輛の四輪車が、埃をあげて押し出されて来た。見ればその上に、年まだ二十八九としか思われぬ端麗な人物が、頭に綸巾をいただき、身には鶴氅を着、手に白羽扇を持って、悠然と乗っている。――何かしらぎょッとしたものを受けたらしく、邢道栄が悍馬の脚を不意に止めると、車上の人は、手の白羽扇をあげて麾きながら、
「それへ来たのは、鉞をよく振るとかいう零陵の小人か。われはこれ南陽の諸葛亮孔明である。聞きも及ばずや、さきに曹操が百万の軍勢も、この孔明が少しばかりの計を用うるや、たちまち生きて帰る者はひとりもない有様であった。汝等、湘南の草民ずれが、何するものぞ。すみやかに降参して、民の難を少なくし、身の生命をひろえ」
「わははは。聞き及ぶ孔明とかいう小利巧者は貴様だったか。青二才の分際で、戦場に四輪車を用うるなどという容態振りからして嘔吐が出る。赤壁で曹操を破ったものは、呉の周瑜の智とその兵力だ。小賢しいわれこそ顔、片腹いたい」
喚き返すやいな、大鉞を頭上にふりかぶり、悍馬の足を、ぱっと躍らせて来た。
孔明の四輪車は、たちまち、ぐわらぐわらッと一廻転した。後ろを見せて逃げ出したのである。進むにも退くにも、それは大勢の力者が押し、そして無数の刀槍でまわりを守り固めて行く。
「待てッ」
邢道栄は、追いかけた。
車は渦巻く味方を搔き分けて深く逃げこみ、やがて柵門の中へ駈け入ってしまった。
「孔明孔明。首をおいて行け」
邢道栄はあきらめない。大波を割るように、鉞の下に、敵兵を睥睨し、いつか柵門もこえて、なおあちらこちら、四輪車の行方をさがしていた。すると、山の腰に黄旗を群れ立てて、じっとしていた一部隊が、むくむくとこちらへうごいて来た。その真っ先に馬を躍らして来た一人の大将は、偉大な矛を横たえて、
「劉皇叔の下に、人ありと知られたる、燕人張飛とは、すなわちわが事。おのれは果報者だぞ、おれの手にかかるとは」
と、雷のように蒐って来た。
「何をっ。――この鉞が目に見えぬか」
邢道栄は、自信満々、大きな表情をしてそれを迎えたが、一丈八尺の大矛と、六十斤の鉞では得物において互角だったが、力量にかけて邢道栄は張飛に及ばぬこと遠かった。
「かなわん」と、見きりをつけて、大鉞は逃げ出した。ところが、その先へ迫って、また一名の強敵が、彼の道へ立ち塞がった。
「常山の趙雲子龍とはそれがしなり。道栄っ、無用の鉞を地に捨てよ」
三
邢道栄は、馬を下りた。馬を下りることは、降参を意味する。
趙雲はすぐ彼を縛りあげて、本陣へ引っ立てた。
玄徳は、ひと目見て、
「斬れ」と、言ったが、孔明はそれを止めて、邢道栄にこう告げた。
「どうだ、汝の手で、劉延を生け捕って来れば、助命はもちろん、重く用いてつかわすが」
「いと易いこと。この繩目を解いて、それがしを放ち帰して下さるならば――」
「しかし、どういう方法で、劉延を生け捕るか」
「夜を待って、こよい劉延の陣へ攻め入り給え。それがし内より内応して、かならず劉延を擒人としてみせます。劉延が捕らわれれば、その父なる太守劉度も、御陣門に降って来るにきまっておる」
傍らで玄徳は聞いていたが、彼の口吻の軽々しいのを察して、
「詐言はおのずから色にあらわれる。軍師、こんな者を用いるのは無用である。はやく首を刎ねられよ」と、重ねて言った。
孔明はなお、そのことばに反いて、顔を横に振りながら、
「いやいや、私が観るに、邢道栄の言に噓はないようです。人物にも観どころがある。有能は之を惜しみ、努めて是を生かすことが、真の大将たるものの任です。よろしく彼の計にしたがい、今夜の事を決行しましょう」
即座に、その繩を解いて、彼は邢道栄を放してやった。
命びろいをして、邢道栄は味方の陣へ逃げ帰り、すぐ劉延の前へ出て、
「今夜が決戦の分かれ目に相成ろう」と、仔細を告げた。
「すわ、油断ならじ」と、劉延は防ぎにかかった。しかし昼間の合戦で、玄徳軍の当たるべからざる手並を見ているので、正防法に依らず、奇防策を採った。
陣中の柵内には、旗ばかり立てて、兵はみなほかに埋伏していた。そして夜も二更のころになると果たして、一団の軍勢が、手に手に炬火をもち、喊声をあげ、近づくやいな陣屋陣屋などへ火を放けた。
「来たぞ。引っ包め」
劉延、邢道栄の兵は、あらぬ方角から二手に分かれて殺到し、押し包んでこれを殲滅にかかった。
寄せ手の兵は、隊を崩して、どっと逃げ退く。
勝ちに乗って、劉延、邢道栄は、それを追い捲し、追い捲して、十里の余も駈けた。
――だが、案外、逃げた兵数は薄いのに気がついた。いくら追っても、それだけの兵で、後続も側面もなく、いわゆる軍の厚みがない。
「深入りすな」
劉延は、邢道栄を呼びとめた。そして、
「陣屋の火も消さねばならん。これだけ勝てば、まず充分。この辺で引き揚げよう」
と、取って返した。その帰り途である。
「道栄道栄。どこをまごついているのだ。張飛ならこれにおるぞ」
と、道の傍らから殺出して来た人影がある。それへつづく一隊は、逃げた敵とは全然士気を異にして、破竹のごとく、劉延、邢道栄の軍を中断して、不意をついた。
「や、や。さては敵にも、何か計があったか」
あわてふためいて、彼等は自陣へ逃げ込もうとした。すると、その火はもうあらかた消されていたが、その余燼の内から、
「趙雲子龍。これにて、汝等の帰るを待てり」
と、思わぬ一軍が、自分たちの陣中から現われたのみか、狼狽して逃げ戻ろうとした邢道栄は、ついにここで趙雲子龍の槍にかけられ、無残な死をとげてしまった。劉延も、生け捕られた。
夜の白々明けには、孔明の四輪車の前に、劉延の父劉度もまた、降伏を誓いに出ていた。
四
玄徳、孔明は轡をならべて、零陵へ入城した。
前の太守劉度は、そのまま郡守としてここに置き、子の延は軍に加えて、さらに、桂陽(湖南省・汝陽の西北)へ進んだ。
桂陽へ攻め寄る日。
「たれがまず先陣するか」と、玄徳が諸将を見わたした。
「それがしが!」と、一人が手を挙げたとたんにすぐ、張飛もおどり出て、
「願わくはこの方を!」と、希望した。
先に手を挙げたのは趙子龍であった。孔明は、
「趙雲の答えが少し早かった。早いほうに命ぜられては」
孔明が、迷っている玄徳へそう言った。ところが、張飛は肯かない。
「返事の早いか遅いかで決めるなど、前例がありません。何故、てまえをお用いなされぬか」
「争うな」
孔明は、仕方なく前のことばを撤回した。そして、
「さらば、鬮をひけ」と責任をのがれた。
趙雲が「先」という字の鬮に当たった。張飛の引いたのは「後」である。
「冥加、冥加」
と趙雲はよろこび勇んだが、張飛ははなはだよろこばない。なおまだぐずぐず言っていたが、
「未練というものだぞ」と、玄徳に叱られて、ようやく陣列へすがたを退いた。
趙雲は、手勢三千を申し受けた。孔明から、
「それで足りるか」
と念を押されて、
「もし敗戦したら軍罰を蒙りましょう」と、豪語した。
このことばを誓紙として、趙雲子龍は、一挙に桂陽城奪取に馳せ向かった。
桂陽城には、世に聞こえた二人の勇将がいた。ひとりは鮑龍といい、よく虎を手擒りにするといわれ、もう一名は陳応と称して、いわゆる力山を抜くの猛者だった。
「いま、玄徳の軍を見てからでは、もう防塁を築くことも、強馬精兵を作る日の遑もない。しかず、早く降参して、せめて旧領の安泰を縋ろうではないか」
太守の趙範は、すこぶる弱気だった。それを叱咤して、
「かいなきことを宣うな。藩中に人なきものならいざ知らず――」
と、強硬に突っ張っていたのは前に掲げた鮑龍、陳応の二将であった。
「敵の
劉玄徳は、天子の
皇叔なりなどと
称していますが、事実は辺土の小民、その生い立ちは
履売りの子に過ぎません。――関羽、張飛、また
不
の暴勇のみ、何を恐れて、桂城の誇りを、自ら彼等の足もとへ
放擲なさろうとしますか」
「でも、これへ向かって来ると聞く趙雲子龍は、かつて当陽の長坂坡で、曹軍百万の中を駈け破った勇者ではないか」
「その趙雲と、この陳応と、いずれが真の勇者であるか、篤と見届けてから降参しても遅くはありますまい」
非常な自信である。
太守趙範も、やむなく抗戦ときめた。陳応は四千騎をひっさげて、城外に陣を展き、
「破れるものなら破ってみよ」と、強烈な抗戦意志を示した。
寄せ手は近づいた。
両軍接戦となるや、趙雲子龍は馬躍らせて、敵将陳応に呼びかけ、
「劉皇叔。さきに世を去り給いし劉表の公子琦君をたすけて、ここに安民の兵馬をすすめ給う。矛を投げ、城門をひらいて迎えよ」と言った。
陳応はあざ笑って、
「われわれが主と仰ぐは、
曹丞相よりほかはない。
汝等はなぜ
許都へ行って、丞相の
御履でも

えないか」と、からかった。
五
この陳応という者は、飛叉と称する武器を良く使う。二股の大鎌槍とでも言うような凄い打ち物である。
だが、趙雲に向かっては、その大道具も児戯に見えた。
馬と馬を駈け合わせて戦うこと十数合。もう陳応は逃げ出していた。
「口ほどでもないやつ」と、追いかけると、陳応は、何をっと喚いて、飛叉を投げつけた。趙雲は、それを片手に受けて、
「返すぞ」と、咄嗟に投げ返した。
陳応の馬が、竿立ちになった。趙雲は猿臂をのばして、その襟がみを引っ摑み、陣中へ持ち帰って訓戒を与えた。
「およそ喧嘩をするにも、相手を見てするがいい。汝等の恃む兵力と、劉皇叔の精鋭とは、ちょうど今日のおれと貴様との闘いみたいなものだ。今日のところは、放してやるから、城中へ戻って、よく太守趙範にも告げるがいい。何を求めて滅亡するにはあたるまい」
と陳応は野鼠のように城へ逃げ帰った。
太守の趙範は、
「それ見たことか」と、初めに強がった陳応をかえって憎み、城外へ追い出してしまった後、あらためて趙雲子龍へ、降参を申し入れた。
趙雲は満足して、この従順な降将へ、上賓の礼を与え、更に酒など出してもてなした。
趙範は、途方もなく喜悦して、
「将軍とてまえとは、同じ趙氏ですな。同姓であるからには、先祖はきっと一家の者だったにちがいない。どうか長く一族の好誼をむすんで下さい」
と、兄弟の盃を乞い、なお生まれ年をたずねたりした。
生まれた年月を繰ってみると、趙雲のほうが四ヵ月ほど早く生まれている。趙範は額を叩いて、
「じゃあ、あなたが兄だ」と、もう独りぎめに決めて、嬉しいずくめに包まれたような顔して帰った。
次の日。書簡が来た。
実に美辞麗句で埋まっている。
そんな物をよこさなくても、趙雲は堂々入城する予定であったから、部下五十余騎を引率して、城内へ向かった。
許都、襄陽、呉市などから較べれば、比較にならないほど規模の小さい地方の一城市だが、それでもこの日は、郡中の百姓みな香を焚いて辻に出迎え、商戸や邸門はすべて道を掃いていた。城に入ると、趙雲はすぐ、
「四門に札を揚げい」と命じた。
四民に対して、政令を示すことだった。これは、一城市を占領すると、例外なく行なわれることである。
終わると、趙範は、自ら迎えて、彼を招宴の席に導いた。
そこで降参の城将が、この後の従順を誓う。
趙子龍は大いに酔った。
「席を更えましょう。興も革まりますから」
後堂へ請じて、また佳肴芳盞をならべた。後堂の客は、家庭の客である。下へも措かないもてなしとはこの事だった。
だいぶ酩酊して、
「もう帰る」と、趙子龍が言い出したころである。まあまあと引き止めているところへ、ぷーんと異薫が流れて来た。
「おや?」と、趙子龍が振り向いてみると、雪のような素絹を纏った美人が楚々と入って来て、
「お呼び遊ばしましたか」と、趙範へ言った。
趙範はうなずいて、
「ああ。こちらは、子龍将軍でいらっしゃる。しかもわが家と同じ趙姓だ。お昵懇をねがって、何とかおもてなしするがいい」と、席へ倚らせた。
趙子龍は改まって、
「こちらはどなたですか」
と、その美貌に、眼を醒ましたように、趙範を顧みて訊ねた。
六
「私の嫂です」
と、趙範はにやにや紹介した。
すると、趙子龍は、容をあらためて、ことばも丁奉に、
「それは知らなかった。召使いと思うて、つい」と、失礼を詫びた。
趙範は、傍らからその美人へ向かって、お酌をせいとか、そこの隣りへ坐れとか、しきりに世話を焼き出したが、趙子龍が、
「無用、無用」と、疫病神でも払うように手を振ってばかりいるので、折角の美人もつまらなそうに、立ち去ってしまった。
趙雲は、その後で、趙範に咎めた。
「何だって嫂ともあるお方を、侍婢かなんぞのように、軽々しく、客席へ出されるのか」
「いや、――実はこうです。その理というのは、彼女はまだ若いのですが、てまえの兄にあたる良人に死に別れ、寡となってから三年になります。もうしかるべき聟をとったらどうだと、それがしにすすめていますが、嫂には、三つの希望があるのです。一つは、世に高名を取り、二つには先夫と氏姓の同じな者、三つには文武の才ある人という贅沢なのぞみなので」
「うーむ」
趙雲は、失笑をもらした。
けれど趙範は熱心に、
「いかがでしょう。将軍」
「なにがだ」
「嫂の日ごろの希望は、さながら将軍の世にあるを予知して、これへ見えられる日を待っていたように、将軍の御人格とぴったり合っています。ねがわくは妻として将軍の室に入れて下さらんか」
聞くと、趙雲は、
眼をいからして、いきなり

をふりあげ、
「不埒者っ」
ぐわんと、趙範の横顔を、撲りつけた。
趙範は、顔をかかえて、わっと、転がりながら、
「何をするのだ。無態な」と、喚いた。
趙雲は起ち上がって、
「無態もくそもあるか。汝のような者を蛆虫というのだ」
と、もう一つ蹴とばした。
「蛆虫とな。け、けしからんことを。――慇懃に、かくのごとく、礼を厚うしているそれがしに、蛆虫とは」
「人倫の道を知らぬやつは蛆虫にちがいなかろう。嫂をもって、客席へ侍らすさえ、言語道断だ。それをなお、この方の妻にすすめるとは女衒にも劣る畜生根性。――貴様の脊骨はよほど曲がっているな」と、さらに、趙範をぎゅうぎゅう踏みつけて、ぷいと、そこを出てしまった。
趙範は起き上がって、うろうろしていたが、やがて陳応、鮑龍を呼んで、
「忌々しい趙子龍めが、どこへ行ったか」と、肩で息して見せた。
二人は口を

えて、
「ここを出るや、馬に飛び乗って城外へ馳けて行きました」と、告げた。そしてまた、「こうなったら徹底的に勝敗で事を決めるしかありますまい。われわれ両名は、詐って、これから子龍の陣へ行き、彼をなだめておりますから、太守には夜陰を待って、急に襲撃して下さい。さすれば、われわれ両名が、陣の中から呼応してきゃつの首を搔き取ってみせます」
諜し合わせて、二人は城下へ出て行った。
一隊の兵に、美酒財宝を持たせ、やがて趙子龍の陣所へ訪れた。そして地上に拝伏して、
「どうか、主人の無礼は、幾重にもおゆるし下さい。まったく悪気で申しあげたわけではないと言っておりますから」と、額を叩いて詫び入った。
趙子龍は彼等の詐術であることを看破していたが、わざと面をやわらげ、土産の酒壺を開かせて、「きょうは、折角の所を、酔い損ねてしまった。大いに酔い直そう」と言って、使いの二人にも、大杯をすすめた。
七
陳応、鮑龍のふたりは、「わが事成る」と、すっかり油断してしまったらしい。趙雲のもてなしに乗って泥のように酔ってしまった。
趙雲は、ころを計って、至極簡単に二人の首を斬り落とした。そして彼の部下等にも酒を振る舞い、引き出物を与えなどしておいて、
「この方の手勢に従いて働けばよし、さもなくば、陳応、鮑龍のようにするがどうだ」
と、首を示して説いた。
五百の部下は、降伏して、たちまち趙雲の手勢に加わることを約した。趙雲はその夜のうちに、この五百名を先頭に立たせ、後から千余騎の本軍をひきいて、桂陽の城へ押し襲せた。
城主趙範は、使いにやった鮑龍、陳応が帰って来たものとばかり信じていた。門を開けて、
「首尾はどうだった」と、味方の五百人へ訊ねた。
すると、その後から、趙子龍以下、千余の軍勢がなだれこんで来たので、仰天したが、もう間に合わなかった。
趙子龍は何の苦もなく、趙範を生け捕りとし、城旗を蹴落として、新たに玄徳軍の旗をひるがえし、
「桂陽の占領は成り終わんぬ」と、事の次第を、はるかなる玄徳、孔明のところへ早馬した。
日を経て、玄徳は入城した。孔明は直ちに、虜将趙範を趙雲に曳かせて、階下に引きすえ、一応、その口述を聞いた。
趙範は、哀訴して、
「もともとてまえは本心から降参して御麾下に加わることを光栄としていたのです。ところが、てまえの嫂を子龍将軍に献じようと申したのが、なぜか将軍の怒りにふれて、再度城を攻撃され、それがしまで、このような繩目にかけられた次第でして、何故の罪科をもってこんな目に遭うのか諒解に苦しみます」
孔明はまた趙子龍に向かって、
「美人といえば愛さぬ人はないのに、御身はなぜ怒ったのか」と、訊いてみた。
趙子龍はそれに答えた。
「そうです。私も美人は

いではありません。けれど、趙範の兄とは、遠い以前、故郷で一面識があるものです。今、それがしがその人の妻をもって妻としたら、世の人に
唾されましょう。また、その婦人がふたたび嫁ぐときは、その婦人は貞節の美徳を失います。次にはそれを拙者にすすめた趙範の意中もただ真偽のほどは知れず、更に考えさせられた事は、わが君が、この
荊州を領せられても、まだ日は浅いという事でした。新占領治下の民心は決してまだ安らかではありません。しかるにその翼臣たるそれがし
輩が、いち早く
驕りを示し人民の範たることを打ち忘れ、
政治を怠りなどしていたら、折角、わが君の大業もここに
挫折するやも知れません。すくなくも、ここに民望をつなぎ得ることはできません。――以上の諸点を考えては、いくら好きな美人であろうとそれがしの
意をとらえるには足りません」
温顔に笑みを含んで聞いていた玄徳は、そのとき側らから口を開いてまた、子龍に言った。
「――しかし、今はもうこの城も、わが旗の下に、確乎と占領されたのだから、その美人を娶って、溺れない程度に、そちの妻としてもだれも非難するものはないだろう。玄徳が媒人してとらせようか」
「いや、お断わりします。天下の美人、豈、一人に限りましょうや。それがしは、ただそれがしの武名が、髪の毛ほどでも、天下に名分が立たないような事があってはならん――と、それのみを怕れとします。何で妻子が無いからといって、武人たるものが、憂愁を抱きましょう」
玄徳も孔明も、黙然とふかく頷いたまま、後は多くも言わなかった。趙子龍こそ真に典型的な武人であると、後には人にも語ったことであったが、その時はわざと一片の恩賞をもって賞したに止まった。
黄忠の矢
一
このところ脾肉の嘆にたえないのは張飛であった。常に錦甲を身に飾って、玄徳や孔明の側らに立ち、お行儀のよい並び大名としているには適しない彼であった。
「趙雲すら桂陽城を奪って、すでに一功を立てたのに、先輩たるそれがしに、欠伸をさせて置く法はありますまい」
と、変に孔明へ絡んで、次の武陵城攻略には、ぜひ自分を――と暗に望んだ。
「しかし、もし御辺に、不覚があった場合は」
孔明が、わざと危ぶむがごとく、念を押すと、
「軍法にかけて、この首を、今後の見せしめに献じよう」
張飛は、憤然、誓紙を書いて示した。
「さらば行け」と、玄徳は彼に兵三千をさずけた。張飛は勇躍して、武陵へ馳せ向かった。
「大漢の皇叔玄徳の名と仁義は、もうこの辺まで聞こえています。また張飛は、天下の虎将。――その軍に向かって抗戦は無意味でしょう」
こう言って、太守金旋をいさめたのは、城将のひとり鞏志という者だった。
「裏切り者。さては敵に内通の心を抱いているな」
金旋は怒って、鞏志の首を斬ろうとした。
人々が止めるので、その一命だけは助けてやったが、彼自身は即座に戦備をととのえて、城外二十里の外に防禦の陣を布いた。
張飛の戦法はほとんど暴力一方の驀進だった。しかも無策な金旋はそれに蹴ちらされて、さんざんに敗走した。
そして城中へ逃げて来たところ、楼門の上から鞏志が弓に矢をつがえて、
「城内の民衆は、みな自分の説に同和して、すでに玄徳へ降参のことにきまった」
と、呶鳴りながら、びゅうんと弦を反した。
矢は、金旋の面にあたった。鞏志は、首を奪って、城門をひらき、張飛を迎え入れて、元来、玄徳を景慕していた由を訴えた。
張飛は、軍令を掲げて、諸民を安んじ、また鞏志に書簡を持たせて、桂陽にいる玄徳の許へ、その報告に遣った。
玄徳は、鞏志を、武陵の太守に任じ、ここに三郡一括の軍事もひとまず完遂したので、荊州に留守をしている関羽のところへもその由を報らせて、歓びを頒けてやった。
すると、関羽からすぐ、返書が来て、
(張飛も趙雲も、各々ひとかどの働きをして実に羨ましく思います。せめて関羽にも、長沙を政略せよとの恩命があらば、どんなに武人として本望か知れませんが......)
などと、独り留守城にいる無聊を綿々と訴えて来た。
玄徳はすぐ、張飛を荊州へ返して、関羽と交代させた。そしてわずか五百騎の兵を貸して、
「これで長沙へ行け」と、関羽の希望にこたえた。
関羽は、もとより人数の多寡など問うていなかった。即日、長沙へ向かうべく準備していると、孔明が、
「羽将軍には注意するまでもないと思うが、戦うにはまず敵の実質を知ることが肝要です。長沙の太守韓玄は取るにも足らん人物だが、久しく彼を扶け、よく長沙を今日まで経営して来た良将がひとり居る。その人はもう年六十に近く、髪も髯も真っ白になっているだろう。しかし、戦場に立てば、よく大刀を使い、鉄弓を引き、万夫不当の勇がある。すなわち湖南の領袖、黄忠という――。故に決して軽々しくは戦えない。もし御辺がそれに向かうなれば、さらに、三千騎をわが君に仰いで、大兵をもって当たらなければ無理であろう」と告げた。
しかし、何と思ったか、関羽は孔明の忠告も、耳に聞いただけで、加勢も仰がず、たった五百騎を連れてその夜のうちに立ってしまった。
孔明は、その後で、玄徳へ対して、こう注意した。
「関羽の心裡には、まだ赤壁以来の感傷が残っています。悪くすると黄忠のために討ち死にするやも知れません。それに小勢過ぎます。わが君自ら後詰めして、ひそかに力を添えてやる必要がありましょう」
二
げにもと、玄徳は頷いて、すぐ関羽のあとから一軍を率いて、長沙へ急いだ。
彼が、目的地に着いたころ、すでに長沙の城市には、煙が揚がっていた。
関羽の手勢は、短兵急に外門を破り、すでに城内で市街戦を起こしていた。
楊齢というのは、長沙の太守韓玄の股肱の臣で、防戦の指揮官を自分から買って出た大将だったが、この日、関羽がその楊齢を一撃に屠ってしまったので、長沙の兵は潰乱してたちまち城地の第二門へ逃げこんでしまった。
すると、城中からひとりの老将が、奔馬に跨がり、大刀をひっさげて出現して来た。
関羽は、ひと目見るとすぐ、
(さては、孔明が自分に言った黄忠というのは、この老将だな)と感じたので、さっと、彼の前を遮って、呼びかけた。
「来る者に、黄忠ではないか」
「そうじゃ。汝は、関羽よな」
「しかり。その白髪首を所望に参った」
「猪口才であろう。まだ汝等のような駈け出しの小僧に首を持って行かれるほど、長沙の黄忠は老いぼれてはおらぬ」
なるほど――と関羽も戦いに入ってから舌を巻いた。
彼の偃月の青龍刀も、黄忠の大刀に逆らわれては、いかんとも敵の体へ触れることが出来なかった。
この決戦は、実に堂々たる一騎打ちの演出であったとみえ、両軍とも、あまりの見事さに、固唾をのんで見恍れてしまったと言われている。しかも、なお勝負のつく色も見えなかったが、城の上からそれを眺めていた太守韓玄は秘蔵の一臣を、ここで討たれては味方の大事と心配し出して、
「退き鉦を打て、黄忠を退かせろ」と、高矢倉から叫び出した。
たちまち耳を打つ退き鉦の音に黄忠は、ぱっと馬を回した。そして急速度に城中へ駈けこむ兵に交じって、彼の馬もその影を没しかけた。
「好敵、待ち給え」
関羽は、追撃して、
執拗に敵へ

い下がった。ぜひなく、黄忠もまた馬を
旋らして二、三十合
斬りむすんだが、
隙を見て、
濠の橋を渡り越えた。
「卑怯なり。名ある武将のする業か」と辱しめながら、関羽の馬蹄は、なお橋を踏み鳴らして、しかも今度は、前よりも近く、黄忠の姿を、偃月刀の下に見降したのであった。
けれど関羽は、折角、振りかぶった大青龍刀を、なぜか、敵の頭に下さなかった。
そして、
「あら無残。早々、馬を乗り代えて、快く勝負を決せられよ」と言った。
黄忠は、馬と一緒に、地上に転んでいたのである。何かに躓いて彼の乗馬が前脚を挫き折ってしまったためだった。
しかし、乗り代える馬もないので黄忠は味方の歩兵に交じって、危うくも、城壁の内へ馳けこんだ。この間にも、追えば追いつけるものを、関羽はかなたへ引っ返してしまった。
太守韓玄は、冷や汗をながしていたらしく、黄忠を見ると、すぐ言った。
「きょうの不覚は、馬の不覚。汝の弓は、百度放って、百度あたる。明日は、関羽を橋のあたりまで誘き寄せ、手練の矢をもって、きゃつを射止めて見せてくれ」
と励まし、自分の乗馬の蘆毛を与えた。
夜が明けると、関羽はまた、手勢わずか五百ばかりだが、勇敢に城下へ迫って来た。
黄忠は、きょうも陣頭に姿をあらわし、関羽と激闘を交えたが、やがて昨日のように逃げ出した。そして橋の辺まで来ると、振り顧って弓の弦をぶんと鳴らした。関羽は身をすぼめたが、矢は来なかった。
橋を越えると、黄忠はまた、弓を引きしぼった。しかし今度も弦は空鳴りしただけだった。
ところが、三度目には、ひょうッと矢うなりがして、正しく一本の矢が飛んで来た。そしてその矢は、関羽の盔の纓を、ぷつんと、見事に射止めていた。
三
関羽も胆を寒うした。黄忠の弓術は、いにしえの養由が、百歩を隔てて柳の葉を射たという――それにも勝るものだと思った。
「さては、きのうのわが情けを、今日の矢で返したものか」
そう覚ったので、関羽は、なおさら舌をふるって、その日は兵を退げてしまった。
一方の黄忠は、城中へもどるとすぐ、太守韓玄の前へ理不尽に引っ立てられていた。
韓玄はもってのほかの立腹だ。声を烈まして、黄忠を罵り辱しめた。
「城主たるわしに眼がないと思っているのか。三日の間、わしは高櫓から合戦を見ていたのだぞ。しかるに、きょうの戦は何事だ。射れば関羽を射止め得たのに、汝は、弓の弦ばかり鳴らして、射たと見せかけ、故意に助けたのではないか。言語道断。察するところ、敵と内通しているにちがいない。恩知らずめ。その弓は、やがて主へ向かって引こうとするのだろう」
「ああ、御主君!」
黄忠は、涙をたれながら、なにか絶叫した。――早口に、その理由を、言い開こうとしたのである。
だが、耳をかす韓玄ではなかった。即刻、刑場へ曳き出して斬れと呶鳴る。諸将が見かねて、哀訴嘆願をこころみたが、
「うるさいっ。やかましい。諫めるものは同罪だぞ」と、いう始末。
長沙の名将黄将軍も、今は刑場の鬼と化すかと、刑にあたる武士や吏員までがかなしんでいたが、たちまち、その執行直前に、周囲の柵を蹴破って、躍りこんで来た壮士がある。
この人、面は丹で塗った棗のごとく、目は朗らかにして巨きな星に似ていた。生まれは義陽。魏延、字は文長という。
もと荊州の劉表に仕え、一方の旗頭に推されていたが、荊州没落の後、長沙に身を寄せていたものである。
しかし、日ごろから韓玄は、彼の偉材を、かえって
忌み

い、むしろ他国へ
逐いやってしまいたいような扱いをしていたので、魏延はひそかに、今日の機会を、待っていたものと思われる。
「あれよ」と、人々の噪ぐまに、彼は、黄忠の身を攫って、刑場から脱してしまった。それからわずか半刻の後には、自分の部下を引き具して、城中の奥へ駈け入り、太守韓玄の首を斬って、関羽の陣門へ降っていた。
「さらば、疾く」
と、関羽は一挙に長沙の城へ入って、城頭に勝旗をかかげ、城下一円に軍政の令を布いた。
「黄忠は、どうしているか」
その後ですぐ訊ねると、魏延は、
「それがしが韓玄を斬るべく奥へ向かった時、眼をふさぎ耳を抑えて、自分の邸へ駈けこんで行きました」
「戦は熄んだ。では、迎えをやろう」
と、再三、関羽から使いを出したが、黄忠は病に託して出て来ない。
かかるうちに玄徳は、関羽の早馬をうけて、
「さすがは」と、彼の功を賞しながら、孔明と馬をならべて、長沙の市門へ急いでいた。
その途中、先頭に立てていた青い軍旗の上に、一羽の鴉が舞い下がって啼くこと三度、北から南の空へ飛び去った。
「先生。何か凶兆ではないでしょうか」と、孔明に訊くと、
「いや、吉兆です」と、孔明は、衣の下で何か指を繰りながら、トをたてて答えた。
「これは、長沙の陥落と共に、良将を獲たことを祝福して、鴉が天告を齎して来たものです。かならず何かいい事がありましょう」
果たせるかな、玄徳は、黄忠、魏延のことを、間もなく、出迎えの関羽から聞いた。
「――病に託して門を出ないのは、黄忠の旧主にたいする忠誠にほかならない。自分が行って迎えて来よう」
と、玄徳は、直ちに駕を命じて、黄忠の閉ざせる門を訪れた。その礼に感じて、ついに黄忠も、私邸の門をひらいて降参し、同時に、旧主韓玄の屍を乞うて、城の東へ手あつく葬った。
四
玄徳は即日、法三章を掲げて、広く新領土の民へ布告した。
一、不忠不孝の者斬る
一、盗む者斬る
一、姦する者斬る
また、功ある者を賞し、罪ある者を罰して、政を明らかにした。
関羽がひとりの壮士を携えて出頭したのは、そうした繁忙の中であった。
「たれだ、その者は」
玄徳がたずねると、関羽は、自分の傍らに拝跪礼を執っている男へ向かって、
「劉皇叔でいらせられる。御挨拶を申し上げなさい」と、言った。
男は、叉手の礼をしたまま、黙然と面をあげた。朱面黒眉唇大きく鼻秀で、容貌見るべきものがある。
「これはかねて、お耳に入れておいた魏延です。善政の初めに、魏延の功にも、御一言なりと下し給わらば有り難うぞんじまする」
関羽のことばに、玄徳は、おおと膝を打って、
「黄忠を救い、真っ先に長沙の城門を開いた勇士魏延か。さすがに名ある武者の骨柄も見ゆる。賞せずに措こうや」と、まず敬って、階の上に請じようとすると、突如、
「不義士っ。階を汚すなかれ!」
勃然と叱った者がある。
あっと驚いて、その人を見ると、孔明だった。孔明はまた玄徳へ向かって直言した。
「魏延に賞を賜うなどもってのほかです。彼、もとより韓玄とは、何の仇あるに非ず。かえって、一日でもその禄を食み、かりそめにも、主君とたのみ、仰いでいた人です。それを、一朝の変に際し、たちまち殺して御麾下に馳せ参ず。――これ味方にとっては大幸といえますが、天下の法を道に照らしては、免し難き不忠不義です。君いまこの不仁の徒を見給い、これを斬って諸人に示すほどな御公明がなければ、新領土の民も服しますまい」
孔明は、武士を呼んで、即座に魏延を斬れと命じた。
玄徳は、明らかに、その決断を欠いた。いやかえって、孔明の命を遮って、
「待て、待て」
と、武士たちを制し、孔明をなだめて、魏延のために、命乞いをすらしたのである。
「味方に功を寄せ、また降順をちかい、折角、わが麾下へ跪ずいて来た者を、たちまち、罪をかぞえて斬りなどしたら、以後、玄徳の陣門に降を乞う者はなくなるだろう。魏延はもと荊州の士、荊州の征旗を見て帰参したのは、決して不義ではない。韓玄に一日の禄を恃んだといえ、韓玄も実心をもって彼を召し抱えたわけでもなく、魏延もそれに臣節をもって仕えたわけではなかろう。彼の心はもとから荊州へ復帰したい念願であったにちがいない。いかなる人間でも落ち度をかぞえれば罪の名を附すことができる。どうか一命は助けてとらすように」
玄徳の弁護は、まるで骨肉を庇うようだった。孔明は、沈黙してしまったが、なおそれを免すにしても、こう彼自身の信念を注意しておくことを忘れなかった。
「露骨に言いますと、今、私が魏延の相を観るに、後脳部に叛骨が隆起しています。これ謀叛人によくある相であります。ですから、いま小功を挙げて、これを味方にするも、後々、かならず叛くに違いありません。むしろ今、誅を加えて、禍の根を断ったほうが宜しいかと存じたのでありますが、わが君がそれほどまで、御不愍をおかけ遊ばすものを、孔明とて、いかんとも致し方はありません」
「魏延、聞いたか。かならず今日の事を忘れずに、異心を慎めよ」
玄徳にやさしく諭されて、魏延はただ感泣に咽せていた。
玄徳はまた、劉表の甥の劉磐という者が、荊州滅亡の後、野に隠れていることを黄忠から耳にして、わざわざこれを捜し求め、すなわち長沙の太守として、少しも惜しむところがなかった。
針鼠
一
ほどなく玄徳は、荊州へ引き揚げた。
中漢九郡のうち、すでに四郡は彼の手に収められた。ここに玄徳の地盤はまだ狭小ながら初めて一礎石を据えたものと言っていい。
魏の夏侯惇は、襄陽から追い落とされて、樊城へ引き籠った。
彼に従いてそこへ行かずに、身を転じて、玄徳の勢力に附属して来る者も多かった。
玄徳はまた北岸の要地油江口を公安と改めて、一城を築き、ここに軍需品や金銀を貯えて、北面魏をうかがい、南面呉にそなえた。風を慕って、たちまち、商賈や漁夫の家が市をなし、また四方から賢士剣客の集まって来るもの日を逐うて殖えていた。
一方。
呉の主力は、呉侯孫権の直属として、赤壁の大勝後は、その余勢をもって、合淝の城(安徽省・廬州)を攻めていた。
ここの守りには魏の張遼がたてこもっていた。さきに曹操が都へ帰るに当たって、特に、張遼へ託して行った重要地の一つである。
赤壁に大捷した呉軍も、合淝を攻めにかかってからは、いっこう振わなかった。
それもそのはず張遼の副将にはなお李典、楽進という魏でも有名な猛将が城兵を督していたのである。寄せ手は連功連襲をこころみたが、不落の合淝に当たり疲れて城外五十里を遠巻きにし、
「そのうちに食糧がなくなるだろう」と空恃みに恃んでいた。
ところへ、魯粛が来た。
孫権が、馬を下りて、陣門に出迎えたので、
「粛公は大へんな敬いをうけたものだ」と、諸兵みな驚いた。
営中に入ると、孫権は、魯粛に向かって、意識的に言った。
「きょうは特に馬を下りて出迎えの礼をとった。この好遇は、いささか足下のなした赤壁の大功を顕わすに足りたろうか」
魯粛は、首を振った。
「言うに足りません。その程度の表彰では」
孫権は、眼をみはって、
「では、どれほどに優遇したら、そちの功を顕わすに足りるというのか」
「さればです」と、魯粛が言った。
「わが君が、一日も早く、九州のことごとくを統べ治めて、呉の帝業を万代にし給い、そのとき安車蒲輪をもって、それがしをお迎え下されたら、魯粛の本望も初めて成れりというものでしょう」
「そうか。いかにも!」
二人は手を打って、快笑した。
けれど魯粛はその後で、せっかく
上機
な呉侯に、ちといやな報告もしなければならなかった。
それは、周瑜が金瘡の重態で仆れたことと、荊州、襄陽、南郡の三要地を、玄徳に取られた事の二つだった。
「ふうむ......周瑜の容態は、再起もおぼつかないほどか」
「いや、豪気な都督のことですから、間もなく、以前のお元気で恢復されることとは思いますが......」
話しているところへ、今、合淝の城中から一書が来ましたと、一人の大将が、恭しく、呉侯の前に書簡をおいて行った。披いてみると、張遼からの決戦状であった。
呉の大軍は蠅か蛾か。いったいこの城を取り巻いて、何を求めているのであるか。
文辞は無礼を極め、はなはだしく呉侯を辱しめたものだった。孫権は、赫怒して、
「よしっ、その分ならば、わが真面目を見せてくれよう」
と、翌早朝に陣門をひらいて、甲鎧燦爛と、自身先に立って旭の下を打って出た。
城からも、張遼をまん中に、李典、楽進など主なる武者は、総出となって押しよせて来た。
「呉侯、見参っ」
と、張遼は一本槍に、その巨物を目がけて行った。すると、馬蹄に土を飛ばして、
「下司っ、ひかえろ」
と、一大喝しながら立ち塞がった者がある。呉の大将太史慈であった。
二
呉の太史慈といえばその名はかくれないものだった。呉祖孫堅以来仕えて来た譜代の大将であり、しかも武勇はまだ少しも老いを見せていない。
魏の張遼とはけだし好敵手と言ってよかろう。双方、長鎗を交えて烈戦八十余合に及んだが、勝負は容易につかなかった。
この間隙に、楽進、李典のふたりは、大音をあげて、
「あれあれ、あれに黄金の盔をいただいたる者こそ、呉侯孫権にまぎれもない。もしあの首一つ取れば、赤壁で討たれた味方八十三万人の仇を報ずるにも足るぞ。励めや、者ども」
と下知して、自分たちもまっしぐらに喚きかかった。
孫権の身は、今や危うかった。電光一撃、李典の鎗が迫った時である。
「さはさせじ!」と、敢然横合いからぶつかって行った者がある。これなん呉の宗謙。
それと見て、楽進が、
「邪魔なっ」
と、間近から、鉄弓を射た。矢は宗謙の胸板を射抜く。どうっと、宗謙が落ちる。とたんに、砂煙を後に、孫権は逃げ走っていた。
張遼と太史慈とは、まだ火をちらして戦っていたが、この中軍の崩れから、敵味方の怒濤に押されついにそのまま、引き分かれてしまった。
孫権は逃げる途中、なお幾度か危機に曝されたが、程普に救われて、ようやく無事なるを得た。
しかし、この日の敗戦が彼の心に大きな痛手を与えたことは争えない。帰陣の後、涙をながして、
「宗謙を失ったか」と、痛哀して歇まなかった。
長史張紘は、よい時と考えて、
「こういう失敗は、良き教訓です。君はいま御年も壮なために、ともすれば血気強暴に逸り給い、呉の諸君は、ためにみな、しばしば、心を寒うしています。どうか匹夫の勇は抑えて、王覇の大計にお心を用いて下さい」と、諫めた。
孫権も、理に服して、
「以後は慎む」と、打ち悄れていたが、翌日、太史慈が来てこういうことを耳に入れた。
「それがしの部下に、戈定という者がいます。これが張遼の馬飼いと兄弟なのです。依って、密かに款を通じ、城中から火の手をあげて、張遼の首を取ってみせんと言っております。で、それがしに今宵五千騎をおかし下さい。宗謙が仇を取ってみせましょう」
孫権は、たちまち心をうごかして、
「その戈定はどこにいるのか」と、たずねた。
太史慈は答えて、
「もう城中にいるのです。昨日の合戦に、敵勢の中に紛れて、難なく城中に入りこんで居るわけで」
「では首尾はよいな」
「大丈夫です。こんどこそは」
太史慈は自信にみちて言った。
孫権がこれをもって、昨日の敗辱を雪ぐには好機措くべからざるものと乗り気になったことは言うまでもない。
馬飼いというのは、いわゆる馬廻り役の小者であろう。張遼の馬飼いと、太史慈の部下戈定とは、その晩、城中の人なき暗がりで囁きあっていた。
「ぬかるな。......丑の刻だぞ」
「心得た。おれが、馬糧小屋を始め諸所へ火を放けて廻るから、おめえは、謀叛人だ、裏切り者だ、と呶鳴ってまわれ」
「よしよし。おれも一緒になって火を放けながら、呶鳴りちらす」
「火の手と共に、城外から太史慈様が攻めこむことになっている。どさくさ紛れに、西門を内から開くことも忘れるなよ」
「合点合点。忘れるものか。一代の出世の鍵は今夜にありだ」
「......しっ。だれか来た」
ふたりは人の跫音に、あわてて左右にわかれてしまった。
三
守将の張遼は、きのうの城外戦で、大きな戦果をあげたにも拘わらず、まだ部下に恩賞も頒かたず、自分も甲の緒すら解いていなかった。
多少、不平の気を帯びた副将や部将たちは、暗に、彼の小心を嗤った。
「敵はきのうの大敗で、すでに遠く陣地を退げてしまったのに、遼将軍にはなぜいつまで、甲も解かず、兵に休息もさせないのですか」
張遼は、答えた。
「勝ったのは、昨日の事で、今日はまだ勝っていない。明日の事もまだ勝っていない。いわんや全面的な勝敗はまだまだ先が知れん。およそ将たるものは、一勝一敗にいちいち喜憂したりするものではない。こよいはことに夜廻りをきびしくし、すべて、物の具を解かず、昼夜四交代の制をそのまま、かりそめにも防備の気を弛ませぬように励まれよ」
すると果たしてその夜の深更に至って、妙に城中がざわめき出したと思うと、
「謀叛人があるぞっ」
「裏切り者だ、裏切り者だ」と、いう声が聞こえ出した。
張遼には、狼狽はなかった。すぐ寝所から出て城中を見廻した。濛々と何か煙っている。諸所にぼうと赤い火光も見える。
「おう、将軍ですか」
楽進がそこへ駈けつけて来た。眼色を変えて、次に言った。
「城中に謀叛人が起こったようです。軽々しく外へお出にならん方がよろしい」
「楽進か。何をあわてているのだ大丈夫、あわてるな」
「でも、あの喊声、あの火の手、由々しき騒動です」
「いやいや、わしは最初から眼を醒ましていたからよく聞いていた。裏切り者と呶鳴る声も、出火だ、謀叛人だと告げ廻っている声も、ふた色ぐらいな声でしかない。おそらく、一両人の者が城中を攪乱するためにやった仕事だろう。それに乗せられて混乱する味方自身のほうがはるかに危険だ。――足下はすぐ城兵を取り鎮めに行け。みだりに騒ぐ者は斬るぞと触れまわれ」
楽進が去ると間もなく、李典が二人の男を縛って連れて来た。城内攪乱を目論んでたちまち看破されてしまった張本人の戈定と馬飼いの小者だった。
「こやつか。斬れっ」
二つの首は、無造作に斬って捨てられた。――とも知らず、かねてその二人と諜し合わせのあった寄せ手の一軍と、その首将太史慈は、
「しめた。火の手は上がった!」とばかり、城門へ殺到した。
咄嗟に、この事あるを覚った張遼は、城兵を用いて、わざと、
「謀叛人があるぞ」
「裏切り者だぞ」と、諸方で連呼させながら、西の一門を、故意に内から開かせた。
「――すわや」と、太史慈はよろこび勇んで、手勢の先頭に立って壕橋を駈け渡り、西門の中へどっと喚き込んだ。とたんに、一発の鉄砲が、轟然と四壁や石垣をゆるがしたと思うと、城の矢倉の陰や剣塀の上から、まるで滝のように矢が降り注いで来た。
「あっ! しまった」
太史慈は、急に引き返したが、一瞬のまに射立てられた矢は全身に刺さってまるで針鼠のようになっていた。
李典、楽進の輩は、この図にのって城中から大反撃に出た。ために、呉軍は大損害をこうむり、逆に、攻囲の陣を払って、南徐の潤州(安徽省・巣湖)あたりまで敗退するの已むなきに至ってしまった。
しかもまた、譜代の大将太史慈をもついにこの陣で失ってしまった。死に臨んで太史慈はこう叫んで逝ったという。
「大丈夫たるもの、三尺の剣を帯びて、この中道に仆る。残念、言うばかりもない。しかし四十一年の生涯、呉祖以来三代の君に会うて、また会心な事がないでもなかった。ああ、しかしなかなか心残りは多い」
柳眉剣簪
一
その後、玄徳の身辺に、一つの異変が生じた。それは、劉琦君の死であった。
故劉表の嫡子として、玄徳はあくまで琦君を立てて来たが、生来多病の劉琦は、ついに襄陽城中でまだ若いのに長逝した。
孔明はその葬儀委員長の任を済まして、荊州へ帰って来ると、すぐ玄徳へ求めた。
「琦君の代わりに、だれか、直ちに彼処の守りにお遣わし下さい」
「だれがよいか」
「やはり関羽でしょうな」
孔明も心では、何といっても、関羽の人物を認めていた。
劉琦の死後、玄徳の胸には、一つの不安が醸されていた。呉の孫権が待っていたとばかりに、荊州を返せと言って来るにちがいない事である。
「それはやがて必ず言って来ることでしょうな。琦君が死んだら荊州を返すと先に約束したことですから......が、御心配には及びません。そのときは孔明がよろしきように応対します」
孔明がそう慰めていると、それから二十日ばかり後、果たして、
「琦君の喪を弔うため、呉侯孫権の御名代に」と称して、魯粛が使いに来た。
魯粛は、城中の祭堂に、呉侯からの礼物を供え、悔やみを述べた後、玄徳が設けの酒宴に迎えられて、四方山のはなしに時を移していたが、やがてこう切り出した。
「赤壁の大戦の後、わが呉侯から荊州の地を接収に参ったとき、劉皇叔には、琦君の世にあるかぎりは荊州は故劉表の遺子のものであると仰せられた。いまはその琦君も世を去ったこと故、もうこの荊州は、呉へお返しあるべきでしょう。――実は、弔慰をかねて、その事も取りきめて参れと、主君から申しつけられて来たわけですが」
「いや、その事は、いずれまたあらためて、談合しましょう」
「またとは、いつですか」
「まあ、ここは宴席ですから、国事は」
「後でもおよろしいが、かならず前約を違え給わぬように」
そう魯粛がしつこく念を押していると、突如、孔明が傍らから言葉に気概をこめて言った。
「粛公、あなただけは、呉の群臣の中でも、物のわかったお人かと思っていたら、今の仰せでは、あまりにも世の本義と事理に没常識すぎるではないか。主君玄徳は、あなたを弔問の賓客として、懇ろにもてなそうとしているのに、露に言うを避けておいで遊ばす故、私が代わって一応の道理を申し述べよう。心をしずめてよく聞き給え」
面色をあらためて孔朗がそう言い出したので、魯粛は、気をのまれたのか、茫然、その顔を見まもっていた。
「天下は一人の天下にあらず、すなわち天下の人の天下である。高祖、三尺の剣を提げて、義を宇内に唱え、仁を布き、四百余年の基を建てられしも、末世現代にいたり、中央は逆臣の府、地方は乱賊の巣と化し、紊れに紊れ、百姓の塗炭は連年歇まざる状態にある。時に、我が君劉玄徳には、その血液に漢室の正脈をつたえ、その義においては、救世の実を天地に誓う。すなわち中山靖王の後裔におわし、現皇帝の皇叔にあたられる。いわんや、荊州の故主劉表とは、血縁の間柄にて、我が君の義兄たり、いまその血統絶え、荊州に主なきにあたって、義弟とし義兄の業を承け継ぐに、何の不義、何の不可とする理由があろう。――翻って、呉侯孫権の素姓をたずぬれば、もとこれ銭塘の小吏の子たるに過ぎず、何等朝延に功もなく、ただ呉祖の暴勇に依って、江東六郡八十一州を横奪し得たるにとどまる――。今、孫権その遺産をうけて、何の能もなきに、更に、慾心を驕り、荊州をも呑まんとするは、身の程知らずもはなはだしい。思え、君臣の統を論ずるなら、我が君の姓は劉、汝の主人の姓は孫、大漢は劉氏の天下たるを知らないか。よろしく百歩の田地を我が君に乞うて、身を農夫と卑下るのが孫権の安全な途というものである。――更に、赤壁の大捷がだれの功に依るか、という問題になれば、なお大いに議論があるが、それは言わぬことにする。あえて、ここでは言わぬことにしておく」
二
弁は水の流るるごとく、理は炎の烈々たるに似ている。
その真理と雄弁のまえには、魯粛もさし俯向いてしまうしかなかった。
――が、彼は恨むがごとく、孔明に答えた。
「公論明白、そうおっしゃられては、何の抗弁もありません。しかし、それでは先生も、あまりに利己主義だと言われても仕方がありますまい」
「なぜ、私が、利己主義か」
「思い給え」と、こんどは魯粛が攻勢になって――
「その以前、劉皇叔が曹操のため大敗をこうむって、当陽にやぶれ果てた後、先生を一帆に乗せて呉の国へ伴い、切に、わが主孫権を説き、周瑜をうごかして、当時まだ保守的であった呉をしてついに全面的な出兵を見るに至らしめたのはいったいだれでしたろうか」
「それは言うまでもなくあなただ」
「その魯粛は、今日、ここに至って、主君には面目を失い、軍部には不信を問われ、おめおめ国へ帰ることもできぬ窮地に墜ちています。先生には、私の立場には、何の同情もお持ちにならないとみえる」
「............」
魯粛の温厚なる抗議には、孔明もやや気の毒を覚えたらしい。しばらく考えこんでいたが、やがて新たにこう提議した。
「では、あなたの面目をたてて、荊州はしばらくわが劉皇叔がお預かりしているということにしよう。後日、どこか適当な領地を攻略したら、その時、荊州は呉へ開け渡すということにして、証書を入れたら、あなたも主君にお顔が立つであろう」
「どこの国を取って荊州をお返し下さるというのですか」
「中国はすでに、どこへ向かっても、魏か呉かに接触する。ひそかに図るに、長江千里の流れ起こるところ、西北の奥域、蜀の天地は、まだ時代の外におかれているといっていい」
「では、蜀の国を取らんとお望みになっておられるので」
「しかり。蜀を得たあかつきには、荊州をお返しするであろう」
孔明は、紙筆を取り寄せて、玄徳にそれを進め促した。玄徳は黙々、呉侯への国際証書を認めて、印章を加え、
「これでよいのか」と、孔明へ内示した。
孔明もまた筆を執って、保証人として連署した。だが、君臣一家の連帯では、公約にならないから、あなたもこれに名字を載せたがいいと求められて、魯粛もついに妥協するほかなかった。
魯粛は、この一札を持って、呉へ帰った。途中、柴桑へ寄って、周瑜の病状を見舞いがてら、逐一物語ると、
「ああ、また貴公は、孔明に出し抜かれたのか、何たるお人好しだ。孔明は狡猾の徒、玄徳は奸雄。こんな証文が何になろう。おそらくそのまま呉侯に復命されたら、たちどころに、貴公の首はあるまい。いや、罪九族にも及ぶだろう」と、痛嘆した。
そう言われてみると、呉侯孫権の怒り方が眼に見えてくる。魯粛もその点ははなはだ心許なかったのである。――が、今となっては、どうしようもない。途方に暮れるばかりだった。
周瑜も、腹を立てたが、心では魯粛のお人好しに、充分、同情を抱いた。それに彼は、むかし困窮していたころ、魯粛の田舎の家から糧米三千石を借りて助けられたことがある。――それを思い出したので、共に腕を拱いて、
(どうしたらいいか?)と、懸命に思案した。
ふと、周瑜のあたまに浮かんだのは、主君孫権の妹にあたる弓腰姫であった。――佳人年はまだ十六、七。
弓腰姫というのは、臣下がつけた綽名である。深窓の姫君でありながら、この呉妹は、生まれつき剛毅で、武芸をこのみ、脂粉霓裳の粧いも凜々として、剣の簪をむすび、腰にはつねに小弓を佩き、その腰元たちもみな薙刀を持って室に侍しているというまことに一風変わった女性であった。
三
急に、周瑜は声を落として、魯粛に教えた。
「貴公は、呉侯の御妹君に、謁したことがありはしないか」
「一、二度、お目通りしましたが」
「あの姫を、玄徳へ、嫁がすように、ひとつここで貴公は、その婚縁の媒人、骨を折ってみられるがよい。――これは貴公の失敗を償い、また荊州を取り回すに、絶好な妙策であり、今がそのまたなき機会だ」
「えっ。......呉侯の御妹君を玄徳へですって?」
鸚鵡がえしに呟きながら、魯粛は、啞然たる顔つきを示した。
周瑜は、笑って、
「いや、わしの言い方が唐突だから、貴公は吃驚したかも知れんが、何もこれは決して、突飛な思いつきではない。極めて合理的に相談は運んで行けると思う」
「どうしてですか。玄徳には正室の甘夫人があるのに、まさか呉侯の御妹君を、彼の側室へなどと......第一そんな縁談を呉侯のお耳へ入れることだって憚られるではありませんか」
「いやいやそうではない。貴公はまだ知らんのだ。玄徳の正室甘夫人は、病に斃れて逝くなっている。赤壁の戦やらその後の転戦で、葬儀も延ばしていたが、間者の報らせでは、荊州城には白い弔旗を掲げていたということだ」
「それは、劉琦の死を悼んでいたのではありませんか」
「ちょうど、劉琦の死とつづいたので、そう思っている者もあるらしいが、わしが聞いたのは、その以前だ。まだ劉琦も死なぬうちに、荊州の城外に新しい墳墓を築いていたというから、よもや劉琦の葬儀ではないだろう」
「それは少しも知りませんでした。では今、玄徳に正室はないわけですか、それにしてもすでに彼は五十歳です。一方、妙齢の呉妹君はお十六かお十七でしょう。......どんなものでしょうな、この花嫁花婿の縁むすびは」
「どうも貴公は、何事もすぐそのまま、真正直に考えるので融通が利かん。もとよりこの婚儀は初めから謀略にきまっている。さきに玄徳は孔明を用いて呉を謀ったから、こんどはこちらから計を酬うてくれるのだ。すなわち、そういう斡旋に物馴れた人物をもって、この際、呉国との友交を、より以上親密にせんという理由を表面に立てて、同時に呉妹君との縁談を運ばせるにある」
「さあ? どうでしょうか」
「何を不安な顔して喞たるるか」
「だれよりも、呉侯が御承知にならないでしょう。非常に可愛がっている御妹ですからな」
「だから何も、婚儀は取りむすんでも、輿入れまでなさるには及ばんさ。式典は呉で挙げればいい。婚儀の挙式がすんだら荊州へお伴れなさいというわけだ。玄徳に否やはあるまい。要するに、彼を呉へ招いて、花嫁の顔を見せただけで済む。いずれ挙式の前後に、機を計って、刺し殺してしまうのだから」
「ははあ。するとつまり彼を殺害するために、婚儀を行なうわけですな」
「もちろん、その目的もなく、何でこんな縁談が言い出せるものか」
「それにしても、それがしから呉侯へおすすめ申すのは、どうも少しまずいと思いますが」
「よろしい。貴公はただ側面から、それとなく主君の御意をうごかし給え。仔細の事やこちらの謀略は、べつに詳しく認めて、この周瑜から呉侯へ手紙を書くから」
「いや、そう願えれば、非常に助かります」
魯粛は、彼の書簡を預かって、それを力に呉都へ帰った。そして早速、呉侯孫権にまみえ、ありのままを復命し、また帰路、周瑜から預かって来た手紙も共に差し出した。
四
はじめに、玄徳の証文を見たときは、案のじょう、孫権は苦りきって、たちまち、魯粛の上へ大鉄槌でも下しそうだったが――次に周瑜からの書簡を披いて一読し終わると、
「ウーム、なるほど、周瑜の考えは至極妙だ。これこそ天来の鬼謀というものだろう」
と、しばらく、熟慮に耽り、やがて魯粛には、最初の気色とは打って変わって、
「御苦労だった。長途の旅、疲れたろう。きょうはまず休息せい」と、犒った。
数日の後、また召された。こんどは重臣呂範も同席だった。孫権を中心に、周瑜の献策が密々協議されたことはいうまでもない。
その結果、呂範が、荊州へ使いに行くことにきまった。もちろん表面は呉の修交使節としてであるが、目的は例の呉妹君の婚縁にある。
荊州に着いて、玄徳に会うと、呂範はまず両国友交の緊密を力説してから、おもむろに縁談をもちかけた。
「実は、皇叔の夫人甘氏には、疾く逝去られて、今ではお独りとの御事情をうけたまわり、ちと差し出がましいが、媒人の労をとらして戴きたいと思うてこれへ来たわけです。どうです、子孫のため、双つの国家のため、若い御正室をお娶えになられては」
「御親切は感謝します。仰せのとおり妻を亡うて、玄徳はいま家庭的には孤独ですが、さりとて、妻とわかれてから、肉まだ寒やかというほどの月日も経っていないうちに、どうして後添えなど持つ気になれましょう。正直、まだ望んでもおりません」
「それはそうでしょうが、家庭に妻のないのは、家屋に梁がないようなものです。皇叔の御前途はなお洋洋たるものですのに、何故、一家の事を中道に塞して、人倫を廃さるるのです。――私がおすすめ申したいのは、わが主呉侯のお妹君で、媒人口ではありません。必ず徳操才色ふたつながら兼備した佳人とはあの御方と存じます。もし皇叔にして、娶ってもいいというお心ならば、すみやかに呉の国へお出で下さい。孫権は歓んでお迎えしましょうし、われわれ侍側の者も、こぞって、両国の平和のため、この実現に対して、どんな労でも取りますから」
「............」
玄徳はしばらく黙考していたが、やがてこう訊ねた。
「その事は、あなた一箇のお考えですか。それとも周瑜あたりから言い出された事ですか。もしくはまた、呉侯の御内意でもあるか......」
「内々、呉侯の御命がなくて、どうして私一箇の思案などから、かような大事をおすすめ出来ましょう。ただ素気ないお断わりでもうけると、呉妹君のお名にもさわることですから、それで実はそっと、御意向を窺ってみるわけですが」
「......いや、そうでしたか。希うてもない良縁ではありますが、玄徳も大丈夫をもって任じてはいるものの、年すでに五十、御覧のごとく、鬢髪にはやや白いものを呈しておる。きくならく、呉侯のお妹は、なお妙齢佳春の人という。私とはあまりにふさわしくない配偶ではありませんか」
「いや、いや」
呂範は大きく手を振った。
「年の近いとか少ないとか、そんな数合わせみたいな問題ではありませんよ。これは結婚です。しかも二つの国の平和に関わる問題です。呉侯も実に大事を取っておられ、母公のお案じも、呉妹君のお望みも、一通りなものでない事は、くどくど申すまでもありません。......枉げてもひとつ、皇叔の御来遊を願って、この祝事を成功させたい所以は、だれよりも呉妹君に実は御希望があるわけなのです。......というのは、あのお妹君は、女性におわしながら、志は男子より高く、日ごろより、天下の英雄にあらずんばわが夫とはせじ――とおっしゃっているほどですから、もってお察しがつきましょう。いま、皇叔をもって、あの女性と配せば、それこそ所謂――淑女ヲ以テ君子ニ配ス――という古語のとおりになると思うのです。ともあれ、ぜひいちど、呉の都へお遊びにお出まし下さいませんか」
呂範はさすがこの使に選ばれただけの才弁であった。この日、孔明は、そこに顔を見せず、次室の屛風の陰にいて、じっと、主客のはなしを聞いていた。彼の几の上には、いまたてた易占の算木が、吉か凶か、卦面の変爻を示していた。
五
呂範はひとまず客館へ退がり、玄徳の返辞を待つこととした。
その夜。玄徳は、孔明以下腹心の諸将をあつめて、呉妹を娶る事の可否、また呉へ行く事の善悪などについて忌憚なき意見を求めた。
「それはぜひ御承諾をお与えなさい。そして呉へお出でなさい」
率直にこう勧めたのは孔明であった。玄徳が呂範と対面中に、易をたてて占ってみたところ、大吉の卦が出たというのである。
「――のみならず、ここは彼の策に乗って、かえって我が策を成すところでしょう。すみやかに御許容あって、呉の国に臨み、御婚儀の典を挙げられるがよいかと思います」
そういう孔明の説に対して、
「いや、これは周瑜の遠謀にちがいない」
とか、
「求めて虎口に入るようなもの」
とか、それを危険なりとする議論ももとより百出したが、より以上、玄徳にも重視された問題は、折角いま克ち獲たところのこの荊州地方の地盤を、次の躍進に入る段階まで無事に持ち堪えるには、どうしても呉との衝突を避けなければならないと考えられる事だった。
「万事は、私の胸に、お委せ下さい。決して、諸将が憂えるような破滅に君を立ち到らせるような愚はしません」
孔明のことばに信頼して、諸臣も、
「では、異議なし」と、一致した。
玄徳はなお危ぶんでいたが、孔明はそれを力づけて、まず答礼の使を遣ってみることにした。呂範と共に、その意味で、呉に下って行った者は家中の孫乾であった。
月日を経て、その孫乾は、呉から帰って来た。そして言うには、
「呉侯は、それがしを見ると、落胆しました。理由は、呂範と共に、わが君が、すぐにでも呉へお出でになるものと、独り決めに、予期していたらしいのです。それほどに、呉侯自身は、この縁談の成立を熱望しています。もし、この縁が結べれば、両国の平和のため、大慶この上もないことだ。ぜひ、一日も早く参られるよう劉皇叔にすすめて貰いたいと、懇ろな御希望でした」
とある。
けれどなお、玄徳には、迷っているふうがあった。しかし、孔明は、着々と準備を運び、随員の大将をも、趙雲子龍に任命した。
そして趙雲に、手ずから三つの錦囊を授けた。呉へ行って事極まる時は、この囊を開けて見るがいい。あらかじめ、自分が肝胆を砕いた三ヵ条の計は、この錦の囊に秘めておいた。これをもって、孔明も共にわが君に随員しておるものと思い、惧るる事なく御供して参るがよいとくれぐれも諭した。
建安十四年の冬の初め、華麗なる十艘の帆船は、玄徳、趙雲以下、随行の兵五百人を乗せて、荊州を離れ、長江の大河に入り、悠々千里を南下して呉へ向かった。
呉の都門へ入るに先だって、趙雲は孔明から渡された錦の囊を思い出し、その第一の囊を開けてみた。すると中の一文には、
(まず、喬国老を訪え)と、書いてあった。
喬家の老主といえば、隠れもない呉の名家である。かつては、曹操までが想いを寄せていたといわれる姉妹の二美人――二喬の父であるばかりでなく、その姉は、呉侯の先代孫策の室に入り、妹は現に、周瑜の夫人となっているので、今では自らこの国の元老と目され、しかもそれに驕らず、彼自身の人がらは昔どおり至って正直律義なところから、なおさら上下の信望は篤く、
喬国老、喬国老。
と、国宝的に一般から崇敬されている人だった。
――まずこの人を訪え。
という孔明が囊中の言にしたがって、玄徳と趙雲は、相諮って、船中の佳宝や物産を掲げ、また兵士をして、羊を牽かせ、酒を担わせ、都街の人目をそばだたせながら、まず喬国老の家へいきなり行った。
鴛鴦陣
一
喬国老の邸では、この大賓をふいに迎えて、驚きと混雑に、ごった返した。
「えっ。皇叔と呉妹君との結婚の談があったのですって?」
初耳とみえて、喬国老は、桃のような血色を見せながら、眼をまろくした。
「しかし、それは何にしても、大慶のいたりだ。この女性なら皇叔の正室となされても、決して悔いはあるまい。......ところで、呉城の宮中へは、今日御着船の由を、お届け召されたかの」
玄徳が、上陸早々、御訪問申したので、まだ呉城へは告げないと言うと、
「それは、いかん、早速にも」と、すぐ家臣を走らせ、また家族たちに命じては、玄徳の一行を心から歓待させて、「ともあれ、わしも一応、宮中へ伺って来る」と白馬に乗って登城した。
殿中でも大奥でも、国老は出入り自在である。呉侯の老母、呉夫人に会って、すぐ慶びを述べた。
すると呉夫人は、怪訝な顔をして、
「なんじゃと、あの玄徳が、権の妹を娶いに来たのですって。......まあ厚顔ましい」
と、舌を鳴らした。
喬国老は、あわてて手を振りながら、
「ちがう、ちがう。呉侯の方から呂範を婚姻の使いにやって、切に望んだので、はるばる、玄徳も呉へやって来たわけじゃ」
「噓、噓。国老はわらわをかついで笑おうと召さるの」
「ほんとです。噓と思し召すならば、街へ人を遣ってごらんなさい」
呉夫人は、まだ信じない顔で、家士の一名に、城下の見聞をいいつけた。
その者は、街を見て帰ると、すぐ呉夫人の前へ来て語った。
「なるほど、大変に
賑やかです。河口には十
艘の美船が着き、玄徳の随員だの、五百の兵士は、物珍しげに、市中を見物して歩きながら、
豚、酒、土産物の
種々など、しきりに買い物しながら、わが主
劉皇叔には、このたび、呉侯のお妹姫と婚礼を挙げるのじゃと、あちこちで自慢半分に
喋舌ったものですから、御城下ではもう慶祝気分で寄るとさわるとそのお

ですよ」
呉夫人は、哭き出した。
たちまち彼女は、わが子の呉侯孫権のいる閣へと、顔を袖で蔽ったまま走って行った。
「母公、どうなさいましたか」
「おお権か。いかに老いても、わらわは御身の母ですぞ」
「何をおっしゃいます、今さら」
「それほど、親を親と思うなら、なぜわらわに無断で、女子の大事な生涯を決めました」
「わけがわかりません。なんの事ですか、いったい」
「それそのとおり、わらわを偽こうとするではないか。汝の妹にせよ、彼女はわらわの子。玄徳へ嫁がす事などいつ許しましたか」
「あっ。だれが、そんな事をお耳へ入れましたので」
「国老に訊いて御覧なさい」
と、母公は眼できめつけた。
呉夫人のうしろへ来て立っていた喬国老は、
「そう御母子のお仲で争うことはないでしょう。もう国中の人民も知っていることですから。わしもそのため、お慶びを申しあげに来たわけじゃ」
と、うららかに胸を伸ばして万歳の意を表した。
孫権は、難渋した顔いろで、
「いや、その事なら、実はすべて周瑜の謀略なのだ。いま荊州を取らんには、またぞろおびただしい軍費と兵力を消費せねばならん。詐って婚礼と号し、玄徳をわが国へ呼び入れて、これを殺せば、荊州は難なく呉のものとなる。それ故に、呂範をやって......」
言いかける口を圧えて、
「聞く耳は持ちません!」
と、呉夫人は前にも増して怒り出した。そして口を極めてその計を誹った。
「憎や、周瑜ともある者が、匹夫にも劣る考え。おのれ、呉の大都督として、八十一州の兵を閲、君の大禄をいただきながら、荊州を攻め取るぐらいな事もできず、わらわの最愛な息女を囮にして玄徳を誘い、騙し討ちに殺して事を成そうとは......ええ、なんたる無能ぞ。わらわの生きている間は、決して彼女をそんな謀略の囮に用いることは許しません」
二
母公にとっては、孫権よりも、その妹のほうが、可愛くて可愛くて、堪らないものらしいのである。
また、なんといっても、この我が儘な老女性には、敵国を謀るなどという問題には興味もなかった。それよりは、ひとり息女の盲愛のほうが、はるかにはるかに大きかった。
だから、かりそめにも、その息女を生け贄として遂げようとする謀略と開いては、それが呉国のためであるとか無いとかなどは問題でなく、頭から老いの感傷と怒りを震わせて、
「成りません、成りません。だれがなんといおうと、むすめの一生を誤らすような事は、わらわの眼の黒いうちは断じてなりません。そんな事をもし周瑜がすすめたのなら、周瑜は自分の功のために、主家のむすめを売る憎い人間じゃ。わらわが命じる。すぐ周瑜を斬っておしまい」
という権まくであった。
(手がつけられない――)
と、痛嘆を嚥んでいるもののごとく、孫権はただ老母の血相に黙然としていた。
しかも喬国老までが母公と同意見で、
「いやしくも呉侯呉妹の御兄弟が、婚礼に事よせて、玄徳を殺したなどと聞こえては、たとい天下を取ろうと、民心は服しまい。呉の国史に泥を塗るだけじゃ」と、周瑜の計に反対し、それよりも、この際やはり玄徳を婿と定めて、彼の帝系たる家筋とその徳望を味方に加え、常に呉の外郭にその力を用いたほうが賢明ではあるまいかと、思うところを述べた。
ところが、母公としては、それも気のすすまない顔で、
「聞けば、劉玄徳とやらは、年も五十路というではないか。なんでまだ世の憂き風も知らぬあのむすめを、他国のそんな所へ、しかも後添いになど嫁れましょうぞ」
と、言ってみたが、喬国老が、しきりに、
「いやいや、よく考えてごらんあれ。年齢の少ない者にも老人があるし、年は老っても壮者をしのぐ若さの人もある。劉皇叔は、当代の英雄、その気宇はまだ青春です。凡人並みに、年の数で彼を律することは当たりません」と、説いたので、やや心をうごかし、それでは明日、その玄徳を一目見て、もし自分の心にかなったら、むすめの婿としてもいいが――と言い出した。
孫権はもとより孝心の篤い人なので、心の裡では煩悶したが、老母の意志には少しも逆らうことが出来ない。その間に、母公と喬国老とは、明日の対面の場所や時刻まできめてしまった。
場所は城西の名刹甘露寺。――喬国老はいそいそ邸へ帰ると、すぐ使いを出して、玄徳の客館へ旨を伝えに遣った。
事、志とちがって来たので、孫権は一夜煩悶したが、ひそかにこれを呂範へ相談すると、呂範は事もなげに片づけて言った。
「なにも、それならそれで、よろしいではありませんか。そっと、大将賈華へお命じなさい。甘露寺の廻廊の陰に、屈強な力者や剣客の輩を選りすぐって、三百人も隠しておけば大丈夫です。――そしてよい機に」
「む。む。絶好な場所だ。そうしよう。......だが呂範、もし母上と玄徳と対面中に、母上が、彼の人物を見て心にそまぬようだったら、すぐ殺ってくれ」
「もし、母公のお心にかなったような御容子のときは」
「そんな事はないと思うが......もしそう見えたら......そうだな、時を措いて、母上のお気持ちが彼に対して変わるまで待とう」
次の日――早朝。
呂範は、媒人役として、当然、玄徳の客館へ、その日の迎えに出向いた。
玄徳は、細やかな鎧の上に、錦の袍を着、馬も鞍も華やかに飾って、甘露寺へ赴いた。
趙雲は、五百の兵をつれて、それに随行した。甘露寺では、国主の花聟として、一山の僧衆が数十人の大将と迎えに立ち、呉侯孫権を初め、母公、喬国老など、本堂から方丈に満ち満ちて待ちうけていた。
三
玄徳の態度は実に堂々としていた。温和にして諂わず、威にして猛からず、儀表俗を出て、清風の流るるごとく、甘露寺の方丈へ通った。
「さすがは」と、一見して、呉侯孫権も、畏敬の念を、禁じ得なかった。
争えないものは、人間と人間との接触に依る相互の感情である。ひと目見て、孫権以上、彼に傾倒したのは母公であった。
その喜悦のいろを窺うと、喬国老は、母公へささやいた。
「どうです。人物でしょう。こんな佳い婿が求めたってありましょうか」
母公はただもうほくほく慶びぬいている。孫権はわれとわが心を圧しつぶして、玄徳に対して起こる尊敬や畏れを強いて戒めていた。
「さあ、寛ぎましょう。婿君よ、威儀厳めしいものの、内輪ばかりじゃ、心おきなく杯をあげられい。喬老、そなたも、佳賓におすすめ申しあげて賜も」
母公の
御機
は一通りでない。きのうの彼女と、人がちがうようだった。やがて大宴となる。呉海呉山の珍味は
玉碗銀盤に盛られ、南国の
芳醇は
紅酒、青酒、
瑪瑙酒など七つの杯に
七種注がれた。
喨々たる奏楽は満堂の酔をして更に色に誘った。母公はふと、玄徳のうしろに屹立している武将に眼をそそいで、
「だれか」と、たずねた。
玄徳が、これはわが家臣、常山の趙子龍と答えると、母公はまた、
「では、当陽の戦いに、長坂で和子の阿斗を救ったというあの名誉の武将か」と、言った。
「そうです」と頷くと、母公は、彼に酒を賜えとすすめた。趙雲は拝謝して杯をいただきながら、玄徳の耳へ、そっと囁いた。
「御油断はなりませんぞ。廻廓の陰に、大勢の伏兵が隠れている気配です」
「............」
玄徳はしばし素知らぬ顔をしていたが、母公の機

のいよいよ麗しいころを見て、急に杯を措いて、憂い沈んだ。
母公が怪しんで、理を訊くと、玄徳は鳳眼にかなしみを湛えて、
「もし私の生命をちぢめんと思し召すなら、どうか明らさまに剣をお与え下さい。廻廊の外や、縁の下には、ひしひしと、殺気をもった兵が隠れているようで、恐ろしくて杯も手に触れられません」と、小声で訴えた。
母公は、愕然として、
「呉侯。あなたですか。そんな企みをいいつけたのは」
と、孫権を顧みて、たちまちけんもほろろに叱った。
孫権は、狼狽して、
「いや、知りません。呂範でしょう」
「呂範をこれへお呼び」
「はい」
しかし、呂範も、強情を張って知らないで通した。そして、
「賈華かもしれません」と、言いのがれた。
賈華は、母公の前に立たせられた。彼は、知らないと言わなかったが、また、自分の所為であるとも言わなかった。ただ黙然と首を垂れていた。母公の怒りは極度に昂ぶった。
「喬老。武士たちに命じて、賈華を斬りすてておしまいなさい。わが佳婿がねの見ていらっしゃる前で」と、罵った。
玄徳はあわてて命乞いをした。ここに血を見ては慶事の不吉と止めた。孫権は直ちに賈華を追い出した。喬国老は廻廓の外や縁の下の者どもを叱りとばした。鼠のように頭をかかえてそこから大勢の兵が逃げ散って行った。
かくて酒宴は夜に及び、玄徳は大酔して外へ出た。ふと庭前を見ると、そこに巨きな岩がある。玄徳はじっと見ていたが、何思ったか、天に祈念を凝らし、剣を抜いて振りかぶった。
「......?」
孫権は木陰から見ていた。
四
終日、歓宴の中に酔っても、玄徳の胸には前途の茫々たる悩みがあった。彼はふと、人なき庭園出て、酔いを醒まさんとしながら、発作的に、天を仰いでから祈念したのであった。
「わが覇業成らぬものなら、この岩は斬れじ、わが生涯の大望、成るものならば、この岩斬れよ!」
発矢、振り下ろした剣は、火華をとばし、見事、その巨岩を両断していた。
物蔭から人が歩いて来た。
「皇叔、何をされたのです、」
「おお、呉侯でおわすか。......実は、こうです。貴家の一門となって、共に曹操を亡ぼし得るなら、この岩斬れよ。しからずんば、この剣折れん――と天に念じて斬ったところ、このとおり斬れました」
「ほ。......なるほど。では予も試みてみよう」
孫権も、剣を抜いた。同じように天へ祈念を凝らして、大喝一声すると、剣石とも響いた。
「やっ......斬れた」
「オオ。斬れましたな」
この奇蹟は、後世の伝説となって、甘露寺の十字紋石とよばれ、寺中の一名物になったという。
「どうです。皇叔、方丈へもどって、更に杯を重ねようじゃありませんか。長夜の宴です」
「いや、座にたえません。あまり大酔したものですから」
「では、一醒まししてからまた」
袖を連ねて、門外へ逍遙に出た。
月小さく、山大きく、加うるに長江の眺め絶佳なので、玄徳は思わず、
「ああ、天下第一の江山」と嘆賞した。
後世、甘露寺の門に「天下第一江山」の額が掛けられたのは、彼の感嘆から出たものと言い伝えられている。
玄徳はまた、月下の江上を上下してゆく快舸を見て、
「なるほど、北人はよく馬に騎り南人はよく舟を走らすと世俗の諺にもありましたが、実に、呉人は水上を行くこと平地のようですね」と、言った。
孫権は、どう勘ちがいしたか、
「なに、呉の国にも、良い馬もあり、上手な騎手もいます。一鞍当てましょうか」
たちまち、二頭の駿馬を曳き、ふたり轡をならべて、江岸の坡まで駈けた。玄徳もよく走り、孫権もさすが鮮やかだった。そして、相顧みて、快笑した。
呉の土民がここを後に「駐馬坡」と称んだわけは、この由謂に依るものだとか。
こんな事もあったりして、玄徳はつい逗留十数日を過ごした。その間、試されたり、脅かされたり、しかも日々夜々歓宴、儀礼、見物、招待ずくめで、心身も疲れるばかりだった。
趙雲子龍も心配顔だし、喬国老も案じてくれた。国老はそのためしばしば呉の宮中に通って母公をうごかし、孫権をなだめ、ついに吉日を卜して、劉玄徳と呉妹君との婚礼を挙げるところまで漕ぎつけてしまった。
華燭の典の当日まで、趙子龍は主君の側を離れず喬国老に頼んで五百の随員――実は手勢の兵も呉城に入れることの許可を得、間断なく玄徳の身を護っていたが、婚礼の夜いよいよ後堂の大奥へ花婿たる玄徳が入ることになると、さすがにそこから先の禁門には入れもしなかったし、入れてくれとも頼めなかった。
女宮の深殿に導かれた玄徳は、気も魂もおののいた。
なぜなら閨室の廊欄には燈火をつらね、そこに立ちならぶ侍女から局々の女たちまで、みな槍薙刀を携えて、閃々眼も眩むばかりだったからである。
「ホ、ホ、ホ、ホ。貴人。何もそのように怖れ給うことはありません。呉妹君はお幼きころから、剣技をお好み遊ばし、騎馬弓矢の道がお好きなのです。決して貴人に危害を加えるためではありません」
房の内外を司る管家婆という役目の老女が、こう言って、玄徳の小心を笑った。
玄徳はほっとして、老女侍女など千余人の召使いに、莫大な金帛を施した。
朝の月
一
七日にわたる婚儀の盛典やら祝賀の催しに、呉宮の内外から国中まで、
「めでたい。めでたい」
と、千載万歳を謳歌している中で、独りひそかに、
「何たることだ」と、予想の逆転と、計の齟齬に、鬱憤のやりばもなく、仮病を称えて、一室のなかに耳をふさぎ眼を閉じていたのは呉侯孫権だった。
すると、柴桑の周瑜から、たちまち早馬をもって、一書を送って来た。
うわさを聞いて、周瑜も仰天したらしい。
金瘡の病患がまだ

えぬため、参るにも参られず、ただ歯がみをしておるばかりですが、かくてやはあると、自ら心を励まし病中筆を執って書中に一策を献ず。ねがわくは賢慮を垂れ給え――
という書き出しに始まって、縷々と今後の方策が認めてあった。
「周瑜からこういう謀を施せと言って来たが、この計はどうだろう。また失敗に終わったら何もならぬが」
張昭に相談すると、張昭は、書簡の内容を検討してから、
「さすがに都督の遠謀、感心しました。――元来、劉玄徳は、少年早くより貧賤にそだち、その青年期には、各地を流浪し、まだ人間の富貴栄耀の味は知りません。......ですから周瑜都督が示された計のごとく、彼に、恣なる贅沢を与え、大厦玉楼に無数の美女をあつめ、金繡の美衣、山海の滋味と佳酒、甘やかな音楽、みだらな香料など、あらゆる悪魔の歓びそうな物をもって、彼の英気を弱め鈍らせ、荊州へ帰ることを忘れさせれば、彼の国許にある孔明、関羽、張飛等も、あいそを尽かし、怨みをふくんで、自然、離反四散してしまうにちがいありません」
と、案を打って賛同した。
孫権はよろこんで、
「では、玄徳の骨も腐るまで、贅沢の蜜漬けにしてくれよう」
と、密かにその方針へかかり始めた。
すなわち呉の東府に一楽園を造築した。楼官の結構は言語に絶し園には花木を植え、池畔には宴遊船をつなぎ、廊廂には数百の玻璃燈を懸けつらね、朱欄には金銀をちりばめ、歩廊はことごとく大理石や孔雀石をもって張った。
「兄君もやはり心では妹が可愛いんですね。わたくしたち二人のために、こんなにまでして下さるなんて」
呉妹――今では玄徳の妻たる新夫人は、そう言って感謝した。
この若い新妻を擁して、玄徳はここに住んだ。金珠珍宝、無いものはない。綺羅錦繡、乏しいものはない。
食えば飽満の美味、飲めば強烈な薫酒、酔えば耳に猥歌甘楽、醒むれば花鳥また嬋娟の美女、――玄徳はかくて過ぎてゆく月日をわすれた。――いや世の中の貧乏とか、艱苦とか、精進とか、希望とかいうものまでをいつか心身から喪失していた。
「......ああ、困ったものだ」
それを見て、毎日、溜め息ばかりついていたのは、彼の臣、趙雲子龍だった。
「そうだ......一難一難、思案にあまったら囊をひらけと軍師には言われた。あの錦の囊の第二は今開くときだろう」
孔明から餞別に送られたその内の一つを、趙雲は急に開けてみた。すると果たして孔明の秘策が今の心配によく当て嵌っていた。彼はさっそく侍女を通じて、玄徳に目通りを求めた。
「たいへんです。こうしては居られません」
いきなり告げたので、玄徳も驚かされた。
「何事が起こったのか?」
「赤壁の怨みをそそぐなりと号して、曹操みずから五十万騎を率い、荊州へ攻めこんで来たとあります」
「えっ、荊州へ。......た、たれが報らせて来た、そのような事を」
「孔明が早舟を飛ばして、自身、呉の境まで注進に来たのです。荊州の危機、今に迫る。国許へ君を迎えて、一刻もはやく対策を講ぜねば、荊州の滅亡は避け難し――とあって」
「それは、一大事」
「さ。すぐ御帰り下さい」
二
「ううむ。そうか......」とのみで、しばらく沈思していたが、やがて玄徳は、肚を決めたもののように面をあげ趙雲へ言った。
「よし。帰ろう」
「では、直ちに」
「いや少し待て。妻にもこの事を諮るから」
「それはいけません。御夫人に相談遊ばせば、お引き留めあるは必定です」
「そんな事はない。予にも考えがある」
玄徳は、奥へかくれた。
そして妻の室を訪うと、夫人は良人を迎えながらすぐ言った。
「どうしても今度は荊州へお帰りにならねばなりませんか」
「えっ。......だれにそれを聞きましたか」
「ホホホ。あなたの妻ですのに、それくらいなことがわからないでどうしましょう」
「はや承知なれば、多くも言わぬ。玄徳はすぐ帰国せねばならん。荊州は滅亡の危うきに瀕している。そなたの愛に溺れて、国を失うたとあっては、世の物笑い、末代までの廃れ者になろう」
「もとよりです。武門の御身として、この期に、未練がましい事あっては、生涯人中に面は出せません」
「よく言うてくれた。戦場に臨むからにはいつ討ち死にを遂げるやもしれん。そなたともまた再会は期し難い。長春数旬の和楽、それも短い一夢になった」
「なぜそのような不吉を仰せ出されますか、夫婦の契りはそのように儚いものではありますまい。また短いものとも思いません。生ける限りは――いえいえ九泉の下までも」
「さは言え、別れねばならぬ身をどうしよう」
「わたしも共に参りまする」
「えっ、荊州へ」
「当然では御座いませんか」
「呉侯が許すまい。母公も決して許されまいが」
「兄に知れたら大変でしょう。けれど母には別に説く途があります。必ずお心を苦しめ給うには及びません」
「どうしてこの呉城の門を出るか」
「もう今年も暮れます。元日の晨までお待ち遊ばせ。わたくしはその前に老母の許へ行って告げましょう。元日の朝、朝賀のため、江の辺に出て、先祖をお祀りして参りますと。――母は信心家ですからそういう事をするのは大変歓びます」
「なるほど、それは名案だが、そなたはなお、それから先の途上の艱苦や、戦乱の他国へ行っても、後に呉を離れたことを悔いたり悲しんだりしないでいられるだろうか」
「お別れして、ひとり呉に残っていたとて、なんの楽しみがありましょう。良人の側にさえいるなら、災いの裡、水の中、どこにでも生き甲斐があると信じます」
玄徳は嬉しさに涙を催した。彼はまた密かに趙雲を人無き所へよんで、妻の真情を語り、また策を囁いて、
「元日の朝、人目に立たぬよう、長江の岸へ出て待っておれ」と、打ち合わせた。
趙雲は念を押して、
「昔日の事をお忘れなく、必ずとも、孔明の計と齟齬遊ばさぬように」と言って去った。
明くれば、建安十五年となる。その元旦は、まだ暁闇深く、朝の月を残していたが、東天の雲には早、旭日の光がさし昇りかけていた。
吉例どおり、呉官の正殿には、除夜の万燈が点されたまま、堂には文武の百官がいならび、呉侯孫権に拝賀をなし、万歳を唱え、それから日の出と共に、酒を賜わることになっている。
折もよし、人目は少ない。
玄徳は夫人呉氏とともに、母公の官房をそっと訪うて、
「では、これから江の畔へ行って、先祖の祀りをして参ります」と告げた。
玄徳の父母祖先の
墳墓は、すべて
涿郡にあるので、母公は、婿の孝心を
嘉し、それに従うのはまた、妻の道であると、
機
よく
夫婦を出してやった。
三
宮門を出るには、女房車の備えがある。夫人はそれに乗った。玄徳は美しい鞍をおいた駒に跨がる。
中門を出る。城楼門を出る。
だれも怪しまない。
番卒たちは、
「ほ、婿様と呉夫人が、おそろいで、どこへお出ましか」
と、羨望の眼を送るだけであった。
元旦の朝まだきである。人はみな酔っていた。まだ明けきらぬ暁闇の空には、白い朝の月があった。
外城門まで出ると、玄徳は、車を押す者や、供の武士たちを顧み、
「あの森の中に新泉がある。そち達はみな垢を浄めて来い。きょうは江の畔、先祖の祀りに行く。不浄は忌む」
と、言ってそこへ追い払った。
かねて諜し合わせていた事なので、彼女はすでに車の中で身支度していた。平常でも腰に小剣を離さない夫人である。小さい弓を軽装に吊るし、頭から半身は被衣のような布で隠していた。
車を降りると、彼女は、従者の置いて行った一頭の駒へ、ひらと蝶のように縋りついた。玄徳もすぐ鞭を当てる。
「うまく行きましたね」
「いや、これからだよ、運のわかれ目は」
しかし玄徳はニコと笑った。
呉夫人も微笑んだ。朝の月を避けた被衣の陰でもその顔は梨の花より白かった。
またたく間に、長江の埠頭まで来た。このころ、日はすでに登って揚子江の水は眩ゆいばかり元朝の紅波を打っていた。
「あっ、わが君、オオ、御夫人にも」
「趙雲か。とうとう来た。ここまでは上首尾だったが、すぐ追っ手が来ようぞ、急ごう」
「もとより覚悟のこと、趙雲がお供仕るからには御心配には及びません」
かねて五百の手勢は、趙雲と共にここに待ち受けていたので、玄徳と夫人を警固し、まっしぐらに陸路をとって国外へ急いだ。
幸いにも、この事が、呉侯の耳に入るまでには、それから半日以上も暇がかかった。原因は、外城門まで、夫人の車を押して出た士卒や供の武士が、
「どこまでお出でになったのか」と、かかる出来事とも知らず、江辺を捜し廻ったり、後難を惧れていたずらに上訴の時を移していたためである。
いよいよそれと真相が判明したのはすでに夕方に迫っていた。終日の宴に呉侯は大酔して眠っていたところであったが、聞くや否、冲天の怒気をなして、
「おのれっ履売り奴、恩を仇で返すばかりか、わが妹を奪って逃げるとは」
と、傍らの几にあった玉硯をつかんで床に砕いたという。
それからの慌ただしい評議。間もなく宵の城門を、五百余りの精兵が、元日の夜というのに、剣槍閃々と駈け出してゆく。
呉侯孫権の怒りはしずまらず、彼の罵る声が、夜になっても呉城の灯を顫かせていた。急を聞いて登城した程普が、畏る畏る彼にたずねた。
「追っ手の将には、だれとだれをお遣わしになりましたか」
「陳武と潘璋をやった」
「御人数は」
「五百」
「ああ、それではだめです」
「なぜだ」
「すでに呉妹君には、一たん良人と契られた玄徳に深く同意あそばして、この御脱出とぞんじます。さすれば、女性ながら、日ごろより尚武の御気質、あの男まさりな御剛気は、呉の将士とはいえ、みな深く怖れているところです。いわんや陳武、潘璋のごときでは」
孫権はそう聞くと、いよいよ憤って、たちまち、蔣欽、周泰の二将を喚び立て、
「汝等、この剣を持って、玄徳を追いかけ、必ず彼奴を両断し、また予の代わりに、妹の首をも打って持って来い。もし命に違うときは、きっと、其方どもを罪に問うぞ」
と、身に佩いたる剣を取り外し、手ずから二将に授けて、早く行けと急きたてた。
凜凜細腰の剣
一
夜も日も馬に鞭打ちつづけた。さるほどにようやく柴桑の地へ近づいて来る。玄徳はややほっとしたが、夫人呉氏は何といっても女性の身、騎馬の疲れは思いやられた。
だが幸い、途中の一豪家で車を求めることができ、夫人は車のうちに移した。そしてなお道を急いで落ち延びた。
「やよ待て、玄徳の一行、呉侯の御命令なるぞ。繩をうけろ」
山の一方から大声がした。約五百の兵がふた手になって追って来たのだ。
趙雲は騒ぐことなく、
「あとは、それがしが支えます。君には、遮二無二お先へ」
と、玄徳と夫人を、なお奔らせた。
この日の難は、一応のがれたかに見えたが、次の日、また次の日と、玄徳の道は、先へ行くほど、塞がれていた。
すなわち柴桑の周瑜と、呉の孫権の廻符はもう八方に行きわたっていた。水路も陸路も、往来には木戸の検めが厳重を極め、要所には徐盛、丁奉の部下三千が遮断していた。
「ああ、いけない。この先には呉兵が陣している。今は進退谷まったか」
玄徳が痛嘆すると、
「いや、孔明軍師は、あらかじめかかる場合にも、囊の中から訓えられています。こう遊ばせ」
趙雲がそれを彼の耳へ囁いた。玄徳はいくらか希望を取り戻して、やがて夫人の車へ近づき、涙声をふるわせて彼女へ告げた。
「妻よ、わが妻よ。ここまでは共に来たが、玄徳はついにここで自害せねばならぬ。御身は無い縁とあきらめて、ここより呉へもどられよ。九泉の下で後の再会を待つであろう」
夫人は、簾をあげて、愕きと涙の面をあらわした。
「再び呉へ帰るくらいなら、ここまでも参りません。どうして急にそんな事をおっしゃるのですか」
「でも、呉侯の追っ手は前後に迫って来るし、周瑜もそれを励まして、百方
路を塞いでいる。
所
、捕らわれて
曳かれるものなら、生き
辱をかかないうちに、潔く自害して果てたが増しと思うからだ」
ところへ早くも、徐盛と丁奉は、部下を率いてここへ殺到した。夫人はあわてて玄徳を車のうしろに隠し、簾を払って地上へ跳び降りた。
「それへ来たのは何者です。主君の妹に指でもさして御覧、おまえたちの首は、わたくしの母君が半日だってそのままにしておきはしませんから」
と、鈴音を振り鳴らすように声を張って言った。
「おお、呉妹君におわすか」
と、徐盛と丁奉とは、思わず地へ跪いた。主筋ではあるし、この女性のただの女性でないことは、呉の臣下はみな知っていた。いや知っているだけでなく、その男まさりな凜々たる気性や、母公だの兄孫権だのを動かす勢力にはある懼れすら抱いていたのだった。
「丁奉に徐盛ではないか」
「はっ。さようでございます」
「弓箭を帯し、兇兵を連れて、主人の車に迫るなど、謀叛人のすることです。お退がりっ」
「でも、呉侯の御命。また周都督のおさしずでもあります」
「周瑜が何ですか。周瑜のいいつけならおまえ方は謀叛もすると言うのですか。兄の孫権とわたしの事ならば兄妹の仲です。家臣の差し出るところではない」
「いや、あなた様に危害を加えるのではありませぬ。ただ玄徳を」
「おだまりっ。玄徳さまは大漢の皇叔、そして今はわが夫です。ふたりは母公のおゆるしを賜い、天下の前で婚礼したのです。おまえ方匹夫ずれが、指でもさしたら承知しませぬぞ」
柳眉を立て、紅の眦をあげて、夫人はその細腰に帯している小剣の柄に手をかけた。徐盛、丁奉はふるえ上がって、
「しばらく。......しばらくお怒りをおしずめ下さい」
と、あわてて手を振った。
二
夫人は耳も藉さない。また怒りの色も収めなかった。いよいよ叱って言うのである。
「おまえ方は、ひとえに周瑜ばかり怖れているのであろう。早く立ち帰って、いま私が言ったとおりに、周瑜に伝えるがよい。もし周瑜がおまえ方を命に従わぬ者として斬ったなら周瑜のごとき匹夫、立ちどころに私がこの剣で成敗してみせる」
徐盛も丁奉も、夫人の烈しいことばの下に、まったく慴伏してしまった。夫人はそれと見るや、車のうちへ翻りと身を移して、
「それ、駈けよ。車を早めよ」と、たちまち道を急がせた。
玄徳も馬の背に伏して駈け通った。五百の兵もどかどかと足を早めた。丁奉、徐盛はみすみす眼の前にそれを見たが、趙雲子龍がすさまじい眼を耀かせて、道傍に殿軍していたため、空しく一行を遣り過ごし、やがて二、三里ばかりすごすごと戻って来た。
「やあ、どうした」
かなたから来た馬上の二将軍は、ふたりを見かけて声をかけた。呉侯の命で後から大兵を率いて来た陳武と潘璋であった。
「実は、これこれです。いかんせん先は主君の御妹、こちらは臣下。頭から叱りつけられては、どうすることもできないので......」
「何、何。取り逃がしたとか。さりとは気弱な。さあ続いて来い。妹君の叱咤など何か怖れん。こちらは、呉侯の直命をうけて来たのだ。否やを言わばお首にしても!」
と、馬煙を立てて追いかけた。
先にゆく夫人の車と玄徳の一行は、長江の岸に沿って急いでいたが、またまた、呼び止める者があるので、騒然一団になって立ち淀んでしまった。
夫人はふたたび車から降りて追っ手の大将どもを待つ。その姿を目がけ、陳武以下の四将は馬に鞭を加えてこれへ駈け込んで来た。
「何ですっ、その無礼な態は。馬を降りなさい!」
凜々たる夫人の一声を浴びて、四人は思わず馬から飛び降りた。そして叉手の礼を執って起立していると、夫人は真っ白な指を屹と四人の胸にさして、
「おまえ方は、緑林の徒か、江上の舟賊か。呉侯の臣ならばそんな不作法な真似をするわけがない。主君の妹に対してする礼儀を知らないのか。お坐りっ。跪ずいて拝礼をするものです!」
四人の大将は、彼女の威と、絶倫な美と、その理に打たれて、不承不承、大地に膝をつき叉手を頭の上にあげて最大な敬礼をした。
ようやく、すこし面を和らげて、それから夫人が訊ねた。
「いったい、何しに、またこれへ来たんですか」
潘璋が言った。
「お迎えのためにです」
と、夫人は首を振った。
「呉へは帰りません」
「でも、呉侯の御命ですぞ」
「わたし達は、母のゆるしに依って城を出たのです。孝行な兄孫権が、母の意に逆らうわけはない。おまえ方は何か聞きちがえて来たのでしょう」
「いやいや。呉侯の仰せには、首にしてもとの厳命でした」
「わたくしを、首に?」
「............」
「首にしてもですって?」
「......いや、その、失言しました。玄徳の方をです」
「おだまりなさい!」
「はっ」
「この身に刃を擬すも、わが夫に刃を擬すも、夫婦であるからには主筋に害意をさし挾む不敵は同じことですぞ。かりそめにも、そんな真似をしてごらんなさい。たとえ夫婦はとこに死すとも、ここに居る趙雲がおまえ方を宥しては帰しません。また無事に逃げ帰ったところで、呉にいますわが母が、何でおまえ方をただ措きましょう」
「さ。お起ち。それが覚悟なら矛なり槍なり持って、わたくしの前に起って御覧」
四人の大将は、ひとりも起ち得なかった。それにいつのまにか、玄徳は辺りに見えず、例の趙雲だけが、眼をいからして、夫人の傍らから離れずにいた。
三
追っ手の大将四人は、空しく夫人の事を見送ってしまった。この時も趙雲は、一手の軍兵を持って、最後まで四人の前に殿軍していたため、手出しはおろか、私語する隙間もなかったのである。
「残念だな」
「だが、あの女丈夫には、なんとも敵わん」
是非なく、四人は道を回した。そして十数里も来たころである。一彪の軍馬と、颯爽たる大将が、かなたから来て呼びかけた。
「玄徳の行方はいかに」
「夫人はどこにおらるるか」
見れば、呉の蔣欽。またもう一人は周泰である。
面目なげに、陳武が言った。
「だめです......どうも」
「何がだめだ?」
「追いついて捕らえんとしましたが、夫人が言うには、母公のおゆるしをうけて城を出たのだから、母公のおいいつけでなければ帰らぬと仰せられます」
「何の。口巧者な。な、なぜ言わん。こちらは呉侯の厳命であるぞ」
「呉侯はわが兄。兄妹の間のことを、臣下の分際で、何を差し出がましく言うぞとのみ、お耳にかけるふうもありません」
「えい、そんな事で、どうして追っ手の任が果たせるか。かくなる上は、玄徳も、また主君の御妹たりとも、首にしてしまうまでの事。見よ。このとおり、仮借すなとて、主君孫権には、お手ずから我等に剣をおあずけになった!」
「やっ。御剣ですか」
「知れたこと。――思うに玄徳の一行は大半が徒歩武者、馬を飛ばせば、ふたたび瞬く間に追いつこう。徐盛、丁奉のふたりは、早々先へ走せ廻って周瑜都督にこの由を告げ、水上より早舟を下して江岸江上を塞がれい。われら四人は、陸路を追い詰め、かならず柴桑の附近において彼奴等をことごとく網中の魚とするであろう」
刻々と迫るこういう危険な情勢の中を、玄徳と夫人の車は、なお逃げ落ちられる所まではと、ただ一念一道をひた奔りに急いでいた。
いつか、柴桑の城市を横に見、その郊外を遠く迂回して、また道は江に沿って来た。そして劉郎浦とよぶ一漁村まで辿りついた。
「舟はないか」
「舟は? 舟は?」
玄徳も趙雲も、ここへ来てはたと、それに当惑した。
漁村らしいのに、どうしたのか船は一つも見当たらない。のみならず、一方は渺々たる江水天に漲り、前は自然の湾口をなして、深くかなたの遠い山裾まで続き、いずれへ渡るにも、舟便に依らなければ、もうどっちへも進めない地形だった。
「趙雲。趙雲」
「はい。御主君......」
「ついに虎口に落ちた。最後へ来たな」
「いや、まだ御失望は早過ぎます。今、例の錦の囊の最後の一つを開いてみました。すると。――劉郎浦頭蘆荻答エン、博浪激波暫シ追ウモ漂イ晦ム勿レ、破車汗馬茲ニ業ヲ終エテ一舟ニ会セン......そんな文があらわれました。察するところ軍師孔明には、必ず何か宜しき遠謀があるにちがいありません。まずまず、あまりお案じなさいますな」
趙雲はなぐさめた。しかし玄徳は黙然と灰色の空や水を見まわして、車のうちの夫人にものも言えず、暗然と佇んでいるだけだった。するとたちまち、山際のあたりの夕雲が、むくむくと動き、鼓の声や銅鑼が水に響いた。言うまでもなく、ここに包囲を計った追っ手の大軍だった。
「おおいかにせん」
玄徳は、身を揉んだ。
夫人も今はと覚悟して、簾のうちから飛び降りる。
「すわ!」と、近づく喊の声、はや矢ばしりの響き。玄徳の少ない手勢は、すでに色を失って、四方へ逃げかけた。
すると、たちまち、郎浦湾の汀、数里にわたる蘆荻がいちどにザザザザと戦ぎ立った。見れば、葭や蘆のあいだから帆を立て、櫓を押し出した二十余艘の快足舟がある。こなたの岸へ漕ぎ寄せるや否、
「乗り給え。早く早く」
「皇叔。いざ疾く」
と、手を打ち振って口々に呼ぶ。
その中に、いま舟底から這い出して、ともども呼んでいた道服の一人物があった。一目に知れる頭の綸巾、すなわち諸葛孔明だった。
周瑜・気死す
一
孔明の従えて来た荊州の舟手の兵は、みな商人に姿を変えていた。玄徳と夫人、また随員五百を各々の舟に収容すると、たちまち、櫓櫂を操り、帆を揚げて、入り江の湾口を離れた。
「やあ、その舟返せ」
呉の追っ手は、遅れ馳せに来て、あとの岸にひしめき合っていた。
孔明は一舟の上からそれを指さして、
「すでにわが荊州は一国たり。一国が一国を謀るもよし攻めるもよいが、美人をもって人を釣るような下策はあまりにも拙劣極まる。汝等、呉へ帰ったら周瑜へ告げよ。ふたたびかかる錯誤はするなと」
と、岸へ向かって言った。
多くの舟から、どっと嘲笑が揚がった。
それに答えて岸からは、雨のように矢が飛んで来たが、みな江波に落ちて藁のように流されてしまった。
しかし、江上を数里進んで、ふと下流を望むと、追い風に満帆を張った兵船が百艘ばかり見えた。中央に『帥』の字の旗をたてて、明らかにそれには大都督周瑜が坐乗しているらしい。そして左には黄蓋の旗じるしが見え、右には韓当の船が並び、その陣形は、あたかも鳳翼を開くように迫って来た。
「おおっ、呉の大船隊が」
と、玄徳を始め人々がみな色を失うと、孔明は、舟手の者にすぐ進路を指揮し、
「かねて予測されていたこと。お愕きには及びません」
と、速やかに岸へ寄せ、そこからは陸地を取って逃げ奔った。
当然、呉の水軍も、船をすてて陸地へ駈け上がって来た。黄蓋、韓当、徐盛など、皆飛ぶがごとく馬を早めて来る。
周瑜もその中にあって、
「ここはどの辺だ?」と、諸将にたずねていた。
「黄州の境にあたります」
徐盛が答えた時である。忽然、鼓の声が、四沢の静寂を破った。
一彪の軍馬が、それと共に、山の陰から奔進して来る。見れば玄徳の義弟関羽である。たちまち、八十二斤の青龍刀は周瑜の身に迫って来た。
「すわ。敵に何か、備えがあるらしいぞ」
急に退きかけると、
「われこそ、黄忠」
「魏延を知らずや」
左の沢からも、右手なる峰からも、待ちかまえていた猛兵が、乱れ立った彼の虚を衝いていよいよ駈け散らした。
呉の将士は、存分な戦いもせずに、続々、討ち死にを遂げた。周瑜は、上陸した元の所まで、馬に鞭打って逃げのび、あわてて船へ身を移すと、その時、もう遠い先へ行っているはずの孔明が、忽然と、一隊の兵を率いて、江岸に姿を現わし、大音に言った。
周郎ノ妙計ハ天下ニ高シ
夫人ヲ添エ了ッテ
又、兵ヲ折ク
それを二度も繰り返し、一同にどっと笑い囃したので、周瑜は、勃然と怒って、
「おのれ。その儀なれば、陸へ戻って、もう一戦せん。諸葛亮、そこをうごくな」
と、地だんだ踏みながら、船を岸へ寄せろと呶鳴ったが、黄蓋、韓当などは、味方はあらまし討たれ、残る士卒も戦意を喪っているのを見て、
「ここが我慢のしどころです」と、踠く周瑜を抱き止めながら、船手の者に、
「帆を張りあげろ。早く船を中流へ出せ」と、命じた。
周瑜はなお、眦に血涙をたたえて、
「無念。実に無念。かかる恥をうけ、かかる結末をもって、なんで、大都督周瑜たるものが、再び呉国へ帰れよう。おめおめと呉侯にお目にかかれよう。――おれは恥を知っている!」
と、叫びながら、歯をギリギリ咬み鳴らしたと思うと、その日からかっと真っ赤な血を吐いて、朽ち木仆れに船底へ仆れてしまった。
二
「都督っ。周都督」
「お気をたしかに持って下さい」
呉の諸将は、周瑜の体を抱き起こし、左右から悲痛な声をふり絞った。
しばらくして、周瑜はようやく、うす目をひらいた。
「......船を。船を呉へ向けてくれ」
微かな声で言った。
蔣欽と周泰は、病都督の身を守って、柴桑まで帰った。
周瑜は恨みをのみながら、ふたたび病牀に親しむのほかなかった。
けれど、やがてこの始末を知った呉侯孫権の鬱憤はやりばもなく、日夜、
「どうしてこの報復を」と、玄徳を憎んでいた。
ところへまた、病中の周瑜から、長文な書簡が来た。
――君。一日も早く、兵馬を強大にし、荊州を討ち懲らし給え。と、ある。
さらぬだに苦い孫権、そう励まされなくても、鬱心勃々であった孫権。たちまち、その気になって、軍議を会そうとした。
「急に、何の御軍議ですか」
重臣張昭は、それと聞くや、すぐ彼の前に出て諫めた。
彼は、最初からの平和論者――というよりも自重主義の文治派であった。
「いま、赤壁の恥をそそがんと、曹操が日夜再軍備にかかっていることをお忘れですか。曹操がすぐにも大兵の再編成をして来ないのは、力がないからではありません。また、呉を怖れているからでもありません。呉と玄徳との聯合を怖れているのです。それを今もし呉が玄徳を攻め、両者の間に完全な戦争を生じれば、曹操は時機到来と、魏の全軍をあげて襲来しましょう」
「では、どうしたらいいか」
「それをいかにするかという問題より前に、為ておかなければならない懸案があります」
「それは?」
「玄徳が曹操と和を結ばないように、処置を講じておくことですし
孫権はちょっと色を変えた。
「玄徳が――曹操と結ぶだろうか?」
「当然、有り得ることでしょう。有り得ないこととこちらが多寡を括っていればなおさら、その可能性は濃くなります」
「それは未然に警戒を要する」
「ですから――何よりもそれが当面の急です。てまえが思うには、この呉にも、曹操の隠密がかなり入りこんでいますから、すでにわが君が玄徳と面白からぬ感情にあることは、はや許都の曹操にも知れておりましょう。曹操は機を知ることだれよりも敏ですから、あるいはもう使いを出して玄徳へ水を向けているかもしれません。早くなければなりません――この対策は」
「むむ。一朝、玄徳が魏と同盟するとなると、これは呉にとって、重大な脅威になる。――それをどう防ぐかだが、なんぞ、良策があるか」
「すぐにも都へ使を上せ、朝廷へ表をささげて、玄徳を荊州の太守に封じるのが何よりと思いますが」
「............」
孫権はおもしろくない顔をした。
張昭はたたみかけて、苦い主君を喩した。
「すべて外交の
計は苦節です隠忍です。玄徳に出世を与える。もちろん、お

で
堪らないでしょうが、その効果は大きい。何となればそれに
依って曹操は、呉と玄徳との間に
破綻を
見出すことができません。玄徳もまたそれに感じて呉を恨む念を忘れましょう。......かかる状態に一応現状を訂正しておいてから、呉としては、
間諜を用いて徐々に曹操と玄徳との抗争を誘い、玄徳のそれに疲弊して来たころを計って荊州を
奪り上げてしまえばよいのです」
「敵地へ行って、そういう遠謀を巧みに植えつけるような間諜が、さし当たって、居るだろうか」
「おります。平原の人で華歆、字を子魚という者。もと曹操に愛せられた男ですが、これを用いれば適役でしょう」
「呼べ。早速」
孫権は、その気になった。
文武競春
一
冀北の強国、袁紹が亡びてから今年九年目、人文すべて革まったが、秋去れば冬、冬去れば春、四季の風物だけは変わらなかった。
そして今し、建安十五年の春。
鄴陽城(湖北省)の銅雀台は、足かけ八年にわたる大工事の落成を告げていた。
「祝おう。大いに」
曹操は、許都を発した。
同時に――造営の事も終わりぬれば――とあって、諸州の大将、文武の百官も、祝賀の大宴に招かれて、鄴陽の春は車駕金鞍に埋められた。
そもそも、この漳河のながれに臨む楼台を「銅雀台」と名づけたのは、九年前、曹操が北征してここを占領した時、青銅の雀を地下から掘り出したことに由来する。
城から望んで左の閣を玉龍台といい、右の高楼を金鳳台という。
いずれも地上から十余丈の大厦である。そしてその空中には虹のような反り橋を架け、玉龍金鳳を一廓とし、それを繞る千門万戸も、それぞれ後漢文化の精髄と芸術の粋を凝らし、金壁銀砂は目もくらむばかりであり、直欄横檻の珠玉は日に映じて、
「ここは、この世か。人の住む建築か」と、佇む者をして恍惚と疑わしめるほどだった。
「いささか予の心に適うものだ」
由来、英雄は土木の工を好むという。
この日、曹操は、七宝の金冠をいただき、緑錦の袍を着、黄金の太刀を玉帯に佩いて、足には一歩一歩燦爛と光を放つ珠履を穿いていた。
「規模の壮大、輪奐の華麗、結構とも見事とも、言語に絶して、申し上げようもありません」
文武の大将は彼の台下に侍立した。そして万歳を唱し、全員杯を挙げて祝賀した。
「何かな、この佳い日、興じ遊ぶことはないか」
曹操は考えているふうであったが、やがて左右に命じて、秘蔵の赤地錦の戦袍を取り寄せ、それを広苑のかなたなる高い柳の枝に懸けさせた。そして武臣の列に向かい、
「各々の弓を試みん。柳を距つこと百歩。あの戦袍の赤い心当てを射たものには、すなわちあの戦袍を褒美にとらすであろう。われと思わん者は出て射よ」と、言った。
「心得て候」とばかり、自ら選手を希望して出た人々は、二行に列を作って、柳に対した。曹氏の一族はみな紅袍を着し、外様の諸将はすべて緑袍を着ていた。
選手はみな馬に乗り、手に雕弓をたずさえて、合図を待つ。
曹操はふたたび告げた。
「もし、射損じたものは、罰として、漳河の水を腹いっぱい呑ますぞ。自信のないものは、今のうちに列から退がれ。そしてこれへ来て罰盃を飲め」
だれも、退かなかった。
馬は勇み、人々の意気は躍る。
「よし!」
と曹操の言下に、合図の鉦鼓が鳴り渡った。とたんに一人、馬を出し、馬上に弓矢をつがえた。
諸人これを見れば、すなわち曹操の甥で、曹休字は文烈という若武者。一鞭して広苑の芝生を奔らすこと三遭、柳を百歩距って駒足をひたと停め、心ゆくばかり弦をひき絞って丁ッと放った。
見事。矢は的を射た。
「ああ! 射たり、射たり」
と、感嘆の声は堂上堂下に湧いてしばし拍手は鳴りやまない。
その間に、近侍のひとりは、柳の側へ走って、懸けてある紅の袍を下ろし、それを曹休に与えようとすると、
「待ち給え。丞相の賞は、丞相の御一族で取るなかれ。それがしにこそ与え給え」
と呼ばわりながら、はや馬をすすめて、馬馴らしに芝生を駈け廻っている一将がある。
だれかと見ればすなわち、荊州の人文聘、字は仲業であった。
二
文聘は鐙に立った。弓手は眉を横に引きしぼる。
矢はひょうッと飛んだ。
とたんに、鉦鼓は鳴り轟き、諸人の感称もわっと揚がった。
「あたった、あたった。柳に懸けたる紅の袍は、快くそれがしに渡し給え」
大音あげて、文聘が言うと、
「何者ぞや、花盗人は。袍はすでに、先に小将軍が射られたり。わが手並みを見てから広言を払え」
と、また一騎、駈け出た。
曹操の従弟、曹洪であった。
握り太な雕弓の満を引いて、びゅッと弦を切って放つ。その矢も見事、かなたの袍の心当てを射抜いた。
陣々の銅鑼、陣々の鼓、打ち囃し、賞め囃し、観る者も、射る者も、今や熱狂した。
すると、また一人、
「笑うべし、文聘の児戯」と、馬おどらせて、辺りに威風を払って見せた大将がある。諸人これを見れば夏侯淵であった。馬を走らすこと雷光のごとく、首を回して、後ろ矢を射た。しかもその矢は三人が射立てた矢の真ん中をぴったり射あてた。
夏侯淵は矢を追いかけて、柳の下へ駈け出した。そして、
「この袍は有り難く、それがしが拝領仕る」
と、馬上から枝へ、手を伸ばそうとすると、遠くから、
「待ッた! 曲者」と、大声に叱って、かなたから一矢、羽唸り強く、射て来た者がある。
これなん徐晃の放った矢であった。
「――あっ」
と、諸人は胆をつぶした。彼の矢は、あまりにも見事に、柳の枝を射切っていたからである。柳葉繽紛と散りしだき、紅錦の袍は、ひらひらと地に落ちて来た。
同時に、徐晃は駈け寄りざま、馬袍を掬い取って、自分の背なかに打ちかけ、馬をとばしてすぐ馳せ戻り、楼の台上を仰いで、
「丞相の賜物、謹んで拝謝し奉る」
と、呶鳴った。
「ひどいやつだ」と、諸人みな、呆れ顔して騒然と囃していると、台下に立っていた群将の中から駈け出した許褚が、物も言わず徐晃の弓を握って、いきなり馬の上から彼を引き摺り下ろした。
「やっ。狼藉な」
「何の。まだ丞相のおゆるしは無し。その袍の受領者は、いずれに行くか、腕のうちに有りだ」
「無法無法」
「渡せ。いで渡せ」
とうとう、二人は引っ組んで、四つになり、諸仆れになり、さんざん肉闘して、肝腎な錦の袍もために、ズタズタに引き裂いてしまった。
「分けろ、引き分けろ」
曹操は台上から苦笑して命じた。
ものものしく、退き鉦打たせて、曹操はその二人を始め、弓に鍛えをあらわした諸将を一列に招き呼んで、
「いや、いずれ劣らぬ紅や緑。日ごろのたしなみ、武芸の励み、見とどけたぞ。――なんで汝等の精励に対して、一裲の衣を惜しもうか」
と、
大機
で、一人一人の者へ
蜀紅の錦一匹ずつ
頒け与え、
「さあ、位階に従って席に着け。更に杯の満を引こう」と、促した。
三
その時、楽部の伶人たちは、いっせいに音楽を奏し、天には雲を闢き、地には漳河の水も答えるかと思われた。
水陸の珍味は、列座のあいだに配され、酒はあふれて、台上台下の千杯万杯に、尽きることなき春を盛った。
「武府の諸将は、みな弓を競って、日ごろの能をあらわした。江湖の博学、文部の多識も、何か、佳章を賦して、きょうの盛会を記念せずばなるまい」
酒酣のころ、曹操が言った。
万雷のような拍手が轟く、王朗、字は景興、文官の一席から起って、
「釣命に従って、銅雀台の一詩を賦しました。つつしんで賀唱いたします――」
銅雀台高ウシテ帝畿壮ナリ
水明ラカニ山秀デ光輝ヲ競ウ
三千ノ剣佩黄道ヲ趨リ
百万ノ貔貅ハ紫微ニ現ズ
と朗々吟じた。
曹操は、大いに興じて、特に秘愛の杯に酒を注ぎ、
「杯ぐるみ飲め」
と、王朗に与えた。
王朗は 酒を乾して、杯は袂に入れて退がった。文官と武官と湧くごとく歓乎した。
すると、また一人、雲箋に詩を記して立った者がある。東武亭侯侍中尚書、鍾繇、字は元常であった。
この人は、当代において、隷書を書かせては、第一の名人という評がある。すなわち七言八絶を賦って――
銅雀台ハ高ウシテ上天ニ接ス
眸ヲ凝ラセバ遍クス旧山川
欄干ハ屈曲シテ明月ヲ留メ
窓戸ハ玲瓏トシテ紫烟ヲ圧ス
漢祖ノ歌風ハ空シク筑ヲ撃チ
定王ノ戯馬謾ニ鞭ヲ加ウ
主人ノ盛徳ヤ堯舜ニ斉シ
願ハクハ昇平万々年ヲ楽シマン
と、高吟した。
「佳作、佳作」
曹操は激賞して措かなかった。そして彼には、一面の硯を賞として与えた。拍手、奏楽、讃礼の声、台上台下に盈ちあふれた。
「ああ、人臣の富貴、いま極まる」
曹操は左右の者に述懐した。彼はこういう中でも反省した。
「――とは言え、もしこの曹操が出なかったら、国々の反乱はなお熄まず、かの袁術のごとく、帝王を僭称するものが幾人も輩出したろう。幸いに、自分は袁紹、劉表を討平し、身は宰相の重きにあるといえ、あるいは疑いを抱いて、曹操も天下を簒奪する野心があるのでないかなどと言う者があるかもしれぬが、われ少年の日、楽毅之伝を読むに――趙王が兵を起こして燕国を討とうとしたとき、楽毅は地に拝伏し、その昔日、臣は燕王に仕えり、燕を去るも燕王を思うこと、なお今日、あなたに仕える真心と少しも変わりはない。むしろ死すとも、不義の戦はすまじと哭いて言ったという。――楽毅伝のあの一章は少年の日、頭にふかく沁みこんで今日になっても、この曹操はそれを忘れることができない。自分が四隣の乱をしずめ、府にあっては宰相の権をにぎり、出ては兵馬を司るのも、こうしなければ、四方の暴賊はみな私権を張り、人民はいつまで戦禍の苦しみから救われず、秩序は乱れるばかりで、ついには無政府状態に墜ち入り、当然、漢朝の天下も亡びるに至ることを憂えたからにほかならない。――わが文武の諸将は、みなよく曹操の旨を諒せよ」
彼は、侍坐の重臣に、そう語り終わると、また数杯をかたむけて、面色大いに薫酔を発した。
「筆と硯をこれへ」
彼もまた、雲箋を展べて、即興の詩句を書いた。そしてそれへ、
吾高台ニ独歩シテ兮
俯シテ万里ノ山河ヲ観ル
という二句まで書きかけたところへ、たちまち、一騎の早打ちが、何事かこれへ報らせに飛んで来た。
四
大宴満酔の折も折、席も席であったが、
「時務は怠れない」と、曹操は、早打ちの者を、すぐ階下によびよせて、
「何事やある?」と、許褚からの報らせを訊いた。
「まず、相府の書を」と、使は、官庁からのそれを曹操へ捧じてから、あとを口上で告げた。
「湖北へお出ましの後、江南の情報が、しきりと変を伝えて来ました。それによると、呉の孫権は華歆というものを使者に立て、玄徳を荊州の太守に推薦し、一方、天子に表を上って、御ゆるしを仰いでいます。それも、事後承諾のかたちです。――のみならずまた彼孫権は、どうしたのか旧怨を捨て、自分の妹を玄徳の夫人として嫁がせ、その婚姻の引き出物に、荊州九郡の大半も、玄徳に属すものと成り終わったということです。要するに玄、孫、二者の結合は、当然、わが魏へ向かって、何事か大きな影響を及ぼさずにはいないものと――許都の府においても、みな心痛のまま、かくは早打ちをもって、御耳にまで達しに参りました」
「なに。呉侯の妹が、玄徳へ嫁いだ......?」
曹操は思わず、手に持っていた筆を取り落とした。
その愕きが、いかに大きく、彼の心を搏ったかは、とたんに手脚を張って、茫然と、空の雲へ向けていた放心的な眼にも明らかであった。
程昱が、筆を拾って、
「丞相、どう遊ばしました。敵軍の重囲に墜ち給うて、矢にあたり石に打たれても、なお顚倒されたことのない丞相が......?」
「程昱、これが驚かずにいられるか。玄徳は人中の龍だ。彼、平生に水を得ず、伸びんとしてついに伸び得ず、深く淵にいたものが、いま荊州を獲たとあっては、これ龍が水に会うて大海へ出たようなもの......豈、驚かずにいられよう」
「まことに、晴天一朶の雲です。けれど、彼の計を、更に計るの策はありませぬか」
「水と龍と、相結んだものを、断り離つのは難しいだろう」
「程昱はさほどまでには思いません。なぜならば、元来、孫権と玄徳とは、水籠二つのごとく、性の合ったものではありません。むしろ孫権としては、玄徳を憎むこと強く、これを謀ろう謀ろうとしている気振りが見える。およそこんどの婚儀も、何か底に底ある事情からでしょう――故に、水龍相搏たせ、二者をして、争い闘わせる手段が、絶無とはいえません」
「聞こう。その計は」
「愚存を申しますれば、なんといっても孫権が恃みとしているのは、周瑜です。また、重臣の雄なるは程普でしょう。......ですから丞相には早速許都へお帰りあって、まず呉の使の華歆にお会い遊ばし、華歆を当分、呉へ帰さないことです」
「そして」
「別に勅を仰いで、周瑜を南郡の太守に封じます。また程普を江夏の太守とします。――江夏、南郡ともに今なお玄徳の領有している所ですから、これを呉使華歆に伝えてもおそらくお受けしますまい。ですから華歆には更に官職を与えてしばし朝廷にとどめおき、別に勅使を下して、これを呉の周瑜、程普に伝えます。かならず拝受感激いたすに違いありません」
「......むむ。そうか」
曹操は、程昱が考えたところのものを、もう結果まで読みとっていた。
その夕、彼は、銅雀台が遊楽も半ばに、漳河の春にも心を残しながら、にわかに車駕をととのえて許昌の都へ帰って行った。
そして、呉使華歆に、大理寺少卿という官爵を与え、彼を都へとどめておく一方、勅命を乞うて、程昱の献策どおり、勅使を呉の国へ馳せ下した。
荊州往来
一
周瑜は、その後も柴桑に居て瘡養生をしていたが、勅使に接して、思いがけぬ叙封の沙汰を拝すると、たちまち病も忘れて、呉侯孫権へ次のような書簡をしたためて送った。
天子、詔を降して、いま不肖周瑜に、南郡の太守に封ずとの恩命がありましたが、南郡にはすでに玄徳あり、臣の得る地は一寸もありません。しかもその玄徳は今、主家の御妹君の婿たり。臣、朝命に忠ならんとすれば、主家の親族に反く科を得べく、主家に忠ならんとすれば、朝命にもとることと相成ります。
ねがわくは、周瑜の心情を憐れみ給い、君公の御賢察を仰ぎ奉る――
孫権は近ごろ、呉の南徐(南京附近)に都していたが、すぐ魯粛を呼んで言った。
「困ったことになった。周瑜からはこう言って来るし、玄徳はわが妹婿となったのを名として、いよいよ荊州を呉へ回す肚などあるまい」
「いえ、蜀の国を取ったら、荊州はお回し申すと、孔明も連判して、固い証約を取ってありますから」
「黙れ、黙れ。そんな反故を信用して、彼が蜀の国を取るまで待つくらいなら、なにも心配はせん。もし玄徳が一生のうちに蜀へ入ることが出来なかったらどうするか」
「恐れ入ります。そこまでは」
「それみい。其方とて、必ずそういう時期があるとは保証できまい。ましてや彼には孔明という者が附いている以上、素直に荊州を渡すわけはない」
「私の責任です。願わくはもう一度、荊州へ私をお遣わし下さい」
「きっと話をつけて来るか」
「あくまで、談じて参ります」
ここ、各地の合戦は、すこし歇んでいるようだが、四囲の情勢は依然わるい。到底、このまま天下が平和に入るような兆候は、何を観ても考えられない。
荊州を中心に、今や玄徳は、孔明を師とし、関羽、張飛、趙雲などを翼尾として、日夜、軍馬を調練していた。軍事そのものばかりでなく、政策、経済、交通、あらゆる部門に、次の必然なるものの到来に備えていた。
「亮軍師。また、魯粛が呉から使いに来たそうだが、会ったらどう言おう」
玄徳は、孔明に諮った。
孔明はこう教えた。
「もし魯粛が、例の問題を持ち出して、荊州の事を言い出したら、君には、声を放って、お哭きになられたがよいでしょう」
「そして?」
「あとは私が、よいように、そこの所を計らいますから」
やがて魯粛はこれへ着いて、堂上に迎えられ、かつ上席に請ぜられた。
「恐縮です。魯粛ごときに、上座をお譲り遊ばすとは」
「なぜ、御遠慮あるか」
「以前はともあれ、今はわが主君の婿君たるあなた様を措いて、臣下の私が上に坐るいわれはありません」
「いや、旧交を思うての事、さように謙譲にせずともよい」
「でも、礼儀だけは」と、物堅い魯粛は、あくまで辞退して、横に席を取った。
だが、答礼も終わって、いよいよ用件の段階に入ると、さすがにその謙虚も払って、
「呉侯の御命をうけて、再度、それがしがこれへ参った仔細は、疾く御推察であろうが、専ら荊州譲渡の事を議せんためであります。すでに呉家と劉家とは、御婚姻に依って、まったく一和同族の誼みすらある今日、なお久しく借り給うてお還しなきは、世上の聞こえにも、将来の御ためにも、おもしろからぬ事かと存ぜられる。このたびはぜひそれがしの顔もたてて、御快く御返却ねがいたいと思います」
魯粛が、厳重な語気を裡につつんで、そう切り出すと、劉玄徳は、彼のことばの半ばから面を掩って、よよと、声を洩らして哭き出した。
魯粛は愕いて、
「......これは?」と、ばかり玄徳の哭く様子を見まもっていた。
二
孔明は、その機に、衝立の後ろから歩いて来て、魯粛へ言った。
「粛公。あなたは、皇叔がなんで嘆き悲しむか、仔細を御存じか」
「わかりません」
「蜀の劉璋は、漢朝の骨肉、いわば皇叔とは、血において、兄弟も同じです。もし故なく兵を起こして、蜀へ攻め入れば、世人は唾して不徳を罵るであろう。――さりとて、もし荊州を呉侯へ返せば、身を置く国もありますまい」
「わかりました」
魯粛は、座を起って、なお哭き悶えている玄徳の肩へ顔をよせて慰めた。
「皇叔、皇叔......。さのみ嘆き給いそ。私と孔明とで、何か良い思案をめぐらしますから」
魯粛が、情にうごいた容子を見て、孔明はここぞと、共に情をこめて玄徳へ言った。
「わが君、そのように御悲嘆ありましては、ついには、心身を害ねましょう。万事は魯粛どのの仁俠と義心にお頼みあそばして、心を寛くお持ち下さい。――また粛公には、呉侯に対して皇叔がこのように苦衷しておられる仔細を、何とぞよろしきように、お伝え給われ。よも、呉侯とて、お怒りはなさるまい」
魯粛は、急に我に回って、大げさに手を振りながら、
「待って下さい。またしても、空しく、そんな御返事を齎して帰ったら、今度こそ呉侯も、どうおっしゃるかわかりません」
「いやいや、すでに御自分の妹君を娶合わせられた呉侯が、その婿たる御方のかくばかりな苦境をば、何とて他に見ましょうぞ。臣下に対して、表向き、厳しく約束の履行をおっしゃるでしょうが、本心から御立腹なさる理はありません」
温厚寛仁な魯粛は、そう言われると、とかくの議論にも及ばず、ただ玄徳の立場に同情し、ひいては主君の意思の裏にも、一片の情けはあるはずだと思いこんでしまった。
ついに今度も、
空手で帰国の途につくしかなかったが、途中、
柴桑に船をよせて一泊したついでに、周瑜を訪ねて、この次第を話すと、周瑜はまたしても
卿は孔明に一杯

わされたのだと言い、魯粛のあまりにも善意的な見解をなじって、
「君の性質は、全然、外交官としては零だ。ただ篤実な長者でしかない」
馬鹿と言わないばかりに、腹を立てて言った。
「考えても見給え。劉表に身を寄せていたころから、常に劉表の後釜を窺っていた玄徳じゃないか。いわんや、蜀の劉璋などに、なんの斟酌を持っているものか。すべて彼と孔明の遷延策にほかならぬものだ。そして何とかかんとか言って荊州を呉へ回さない算段をめぐらしているにきまっておるさ!」
魯粛は、青くなった。
呉侯に取り次ぐ言葉がないからである。
「もう一度、荊州へ行って来給え。そんな回答を携えて、呉侯の前でおめおめと当たり前みたいな顔して申し上げたら、おそらく卿の首はその場でなくなるにきまっている」
周瑜は一大秘策を授けた。
(君は篤実な長者とはいえるが、外交官としてはゼロだよ)と、彼に言われた魯粛は、それを不名誉とも思わず、あくまで自己の性格の命ずるまま、周瑜の秘策を持ってそこから再び荊州へ引っ返した。
そして玄徳に会うと、こう告げた。
「立ち帰って、あなたの御苦衷と、おなげきの態を、主君孫権へ、ありのまま、お伝えいたした所、主君も大いに同情の色を現わし、群臣と共に、御評議の結果、こういう一案をお立てになりました。おそらく、これには皇叔とても、よも異存はあるまいとの衆議からで――」と、ここに周瑜の智謀から出た退っぴきさせぬ一要求を持ち出した。それは、玄徳の名で蜀へ攻め入るのがまずいならば、呉の大軍をもって、呉が直接、蜀を取る。――だが、その節には、荊州を通過することと、多少の軍需兵糧を補給するという確約をむすんでもらいたいという条件であった。
三
玄徳は、異議なく、協力を誓った。
その前に、孔明から言われていたので、むしろ歓びを現わして、
「呉の兵力をもって、蜀を攻めていただければ、これに越した事はない。御軍勢の領内通過は、当然なことで、許すも許さないもありません。こう好都合に話が纏まったのも、みな足下のお骨折りと申さねばなるまい」と、魯粛に恩を謝した。
(このたびこそ上首尾に)
魯粛も心ひそかに喜悦して、早速、柴桑へ帰って行った。玄徳はそのあとで孔明に訊ねていた。
「呉の軍勢をもって、蜀を攻め、それを取って、この玄徳に与えようとは、いったいどういう呉侯の肚だろうか」
「いや、呉侯の肚ではありますまい。またしても周瑜の策です。愍れむべし、自分の策のために、周瑜の死に際はいよいよ近づいて来たようです」
「なぜ、そう言えるか」
「魯粛はまだ呉の南徐まで帰ったのではありません。途中柴桑に寄って、周瑜に会い、彼の策をそのまま持って、再びこれへ来たものです」
「なるほど。往来の日数から数えても、ちと早過ぎるとは思ったが」
「蜀を攻めるを名として、荊州の通過を申し入れて来たのは、明らかに周瑜の考えそうな謀略で、実は荊州を取るつもりです」
「それを知りつつ、なぜ軍師には彼の要求を容れよと、予にすすめたのか」
「時節到来です。お案じ遊ばすな」
趙雲をその場に呼び、何事か策をさずけて走らす一方、孔明自身も、やがて来るべきものに対し、万端の備えをしていた。
一方。
魯粛の返事を聞いて、柴桑の周瑜は、手を打ってよろこんだ。そして快然と、こう言った。
「今度こそ、してやったり、初めて孔明をあざむき得たぞ」
魯粛は、船をいそがせて、南徐に下り、呉侯に会って、云々と報告した。
「さすがは周瑜、これほどな智謀の持ち主は、呉はおろか、当代どこにもおるまい。玄徳、孔明の運命も、ここに極まったり」と、呉侯の共鳴もすばらしいものである。直ちに、早打ちをやって、周瑜を励まし、また程普を大将として、彼を助けしめた。
このとき周瑜は、
瘡もあらかた
平
して、
膿水も止まり、歩行には不自由ない程度になっていたので、彼は勇躍身を
鎧って、みずから戦陣に臨むべく決心した。
甘寧を先手に、徐盛、丁奉を中軍に、凌統、呂蒙を後陣として、総勢五万、水陸軍に編成し、彼自身は、二万五千をひきいて柴桑を船で出た。
時の記録には、彼の心事を描いて、
心ノウチ仕済マシタリト打チヨロコビ
笑イ楽シンデ、溯江数百里、夏口マデ来リケル。
と、ある。
おそらく彼の心境はそうだったろうと思われる。夏口へ着くと、彼は土地の役人に訊ねた。
「たれか荊州から迎えは来ていないか」
役人は叩頭して答えた。
「劉皇叔の命をおび、糜竺と仰せられる大官が来ていらっしゃいます」
間もなく、江頭から小舟が漕いで来た。糜竺であった。
「御遠征、まことに御苦労にぞんじます。主人もすでに、御軍需の用に供える金銀兵糧の用意を済まし、また、諸軍の御慰労などもどうしたがよいかと、心をくだいておられます」
船上に登って、糜竺が、こう拝伏して告げると、周瑜は尊大に構えて、
「劉皇叔には、今どこにおらるるか」
と、質し、すでに荊州の城を出て、貴軍の到着を待っていると聞くと、周瑜は、
「こんどの出陣は、蜀を取って、皇叔に進上せんためであって、まったく貴国のために働くのであるから遠路を来たわが将士には、充分なもてなしと礼をもって迎えられよ」と、特に言った。
四
唯々諾々である。靡竺は命ぜられるまま、倉皇として帰って行った。
そのあとから周瑜もすぐ上陸した。江上一帯に、兵船の備えを残して 陸路、荊州へ赴いた。
ところが、公安まで来ても、劉玄徳の出迎えはおろか、小役人の迎えにも会わない。
「荊州までどのくらいあるか。あとの道程は?」
心に怪しみながら周瑜がたずねると、
「もうわずか十里しかありませぬ」と、彼の幕下たちも眉をひそめ合っている。
「はて。いぶかしい?」と、休息しているところへ、先手の斥候が馬をとばして来て、
「何か、様子が変です。はるか見渡すかぎり、人の影も見えず、荊州の城を望めば、まるで葬式のように、二旒の白旗がしょんぼりなびいているだけなんです」
周瑜は、聞くや否、
「甘寧、丁奉と来い」と、精兵千騎だけをつれて、まっしぐらに荊州城下まで駈け通した。
「孔明も、馬鹿ではない。あるいは、こっちの肚を察して、いち早く、城を明けて逃げ出したのかも知れない」
周瑜が八九分まで信じていたものは、そういう見解だった。ところが城門へ来て、門を開けよと呼ばわると、中から、
「何者だっ」と、案外、気の強い声がした。
「呉の大都督周瑜である。なぜ劉皇叔には、出迎えに出ないかっ」
大音に叱り返すと、とたんに城頭の白旗がばたんと仆れた。そしてたちまち、それに代わって炎のような紅の旗が高々と揚げられ、
「周都督。何しに来たか」
と、いう者がある。
仰いで天を見ると、櫓の上に、一人の大将の姿が小さく見えた。
「オオ趙雲ではないか。玄徳はいかがしたか」
「知らず!」と、嚙んで吐き出すように、趙雲は下を覗いて言った。
「わが軍師孔明には、すでに足下が――道ヲ借リテ草ヲ枯ラス――の計を推量し、それがしをここの番に附け置かれた。他所をさがし給え。それとも、城中の趙雲に御用があるか」
と、槍を頭上に翳して、今にも投げ落とそうとする姿勢を示した。
周瑜は愕いて、馬を引っ返した。城下の町角から『令』の一字を書いた旗を背にした一騎が近寄って来て、
「いよいよ、怪しいことばかりです。いま諸方の巡警からしらせて来たところによると、関羽は江陵より攻め来り、張飛は秭帰より攻め来り、また、黄忠は公安の山陰から現われ、魏延は孱陵の横道から殺到しつつあるということです。兵数その他、事態はまだよくわかりませんが、なにしろ喊の声は、遠近にひびき、さながら四方五十余里まるで敵に埋まったかのような空気で――そこらの部落や下民どもまで、口々に玄徳、孔明の叫びを真似て――呉客周瑜を生け捕りにしろ、周瑜をころせ――と喚き伝えているそうです」
「ううむっ...」
がばと、周瑜は、馬のたてがみに、俯っ伏してしまった。
せっかく

りかけていた
金瘡ことごとくやぶれて、ぱっと、血を吐いたかと思うと、そのままくたっと、馬の背から落ちてしまった。
諸将は、仰天して、周瑜の身をかかえ、からくも救命薬を与えて蘇生させた。ところへまた、物見が来て、
「孔明と玄徳は、ついこの先の山上に、莚を展べ、幕をめぐらし、酒を飲んで、さながら遊山でもしているように、楽しみ興じている態です」
と、告げたので、周瑜はいよいよ
歯咬みをして、無念の

をにぎりしめた。
五
周瑜の侍医や近侍たちは、こもごもになだめて、安臥をすすめた。
「怒気をお抱き遊ばすほど、破傷の御苦痛は増すばかりです。なにとぞお心をしずめて、静かに、しばし御養生を」
大軍を率いて遠く溯江し、上陸第一日にこの凶事だったから、諸人の気落ちと狼狽は無理もなかった。
ところへ、呉侯孫権の弟孫瑜が援軍を引いて到着したと報じて来た。周瑜が、
「会いたい」
というので、早速、馬をとばして迎えにやると、孫瑜はすぐ駈けつけて、こう慰めた。
「都督、あまり焦々せぬがよい。予がこれへ来たからには、万事、呉侯に代わって指揮いたす故、御身はしばらく船中へ退いて、何よりも身の養生に努めるがいい」
しかし、周瑜はなお、身の苦痛など口にも出さない。火のごとき憤念を吐いて、
「誓って、荊州を取り、玄徳、孔明の首を見なければ、なんの顔をもって呉侯にまみえよう」
血涙をたたえて言った。
孫瑜は、その激越を気づかってわざと相手にならない。そして直ちに病輿を命じて彼を乗せ、ひとまず夏口の船場まで退くことにした。
その途中である。巴丘という所まで来ると、かなたに荊州の一軍が江頭の道を切り塞いだという。物見を放って窺わせると、関羽の養子関平と劉封の二将が、
「周瑜来らば――」と、虎を狩るように、厳しく陣をめぐらして居るとある。
周瑜は聞くと、輿の中で、身をもがいて叫んだ。
「降ろせっ。輿の中よりわしを出せ。猪口才な孔明の手先、蹴ちらして通る」
けれど病輿はどんどん道を更えて他の方向へ走っていた。孫瑜の命令で、夏口にある船の一艘をべつな江岸へ呼び、そこからかろうじて周瑜の身を船へ移した。
するとそこへ、荊州の軍使と称する者が来て、一書を、周瑜へ渡して去った。――見れば孔明の手蹟である。
その文に曰う。
漢ノ軍師中郎将諸葛亮、書ヲ大都督公瑾(周瑜)先生ノ麾下ニ致ス。
亮、柴桑ノ一別ヨリ、今ニ至ッテ恋々ト忘レズ。
聞ク、足下、西川(蜀)ヲ取ラント欲スト。
亮思エラク、不可ナリ。益州(蜀)民ハ強クシテ地ハ険。劉璋ノ暗弱ヲ以テシテモ守ルニ足レリ。今、師ヲ挙ゲテ遠征シ転運万里、全功ヲ収メント欲シ、呉起ツト雖モソノ規ヲ定ムルコト能ワザラン。
抑、天下如何ナル愚人ゾ。曹操ガ赤壁ノ大敗ヲ見テ、マタ、ソノ愚轍ヲ敢テ趁ワントスルトハ。
今、天下三分シ、操ハソノ二分ヲ占メ、猶、馬ヲ滄海ニ水飼イ呉会ニ兵ヲ観ンコトヲ望ム。時呉兵ヲシテ遠伐ニ赴カシメ、自ラ守ルヲ虚シュウスルハ長計ニ非ザル也。操ガ兵一度至ラバ、江南粉滅サレ尽クサン。
坐シテ視ルニ忍ビズ、ココニ告グ。幸イニ昭鑒ヲ垂レヨ。
読み下してゆくうちに、周瑜は恨気胸に塞がり、手はわななき、顔色も壁土のようになってしまった。
「ううむっ......」と、太く、苦しげに、長嘆一声すると、急に、
「筆、筆、筆。......紙を。硯を」
と、さけび、引っ奪くるように持つと、必死の形相をしながら、なにか懸命に書き出した。文字はみだれ、墨は散り、文は綿々と長かったが、ついに書き終わるや否、筆を投げて、
「ああ、無念っ......無情や人生。皮肉なることよ宿命......。天すでに、この周瑜を地上に生ませ給いながら、何故また、孔明を地に生じ給えるや!」
言い終わると、昏絶して一たん、眼を閉じたが、ふたたびくわっと見ひらいて、
「諸君。不忠、周瑜はここに終わったが、呉侯を頼む。忠節を尽くして......」
忽然、うす黒い瞼を落とし、まだ三十六歳の若い寿に終わりを告げた。時、建安十五年の冬十二月三日であったという。
鳳雛去る
一
喪旗を垂れ、柩を載せた船は、哀々たる弔笛を流しながら、夜航して巴丘を出て、呉へ下って行った。
「なに、周瑜が死んだと?」
孫権は、彼の遺書を手にするまで、信じなかった。いや信じたくなかった。
周瑜の遺書には、
瑜死ニ臨ミ、泣血頓首シテ、書ヲ主君明公ノ麾下ニ致ス
と書き始めて、縷々といま斃れる無念を陳べ、呉の将来を憂い、その国策を誌し、そして終わりには、
(自分の亡い後は、魯粛を大都督として職をお任せあれば、彼は篤実忠良な仁者ですから、外に過たず、内に人心を獲ましょう)
とも言い遺してあった。
孫権の悲嘆はいうまでもない。暗澹と、彼の将来を思って、
「周瑜のような王佐の才を亡くして、この後何を力と恃もう」
と慟哭した。
けれどいつまで嘆いている所ではないと、張昭その他の重臣たちに励まされて、周瑜の遺言を守り、魯粛を大都督に任命した。以後、呉の軍事はすべて、彼の手に委ねられた。
もちろん、国葬をもって、遣骸は篤く葬られた。国中、喪に服して、哀号の色もまだ拭われないうちに一船、江を下って来て、
「元勲、瑜公の死を聞き、謹んで遠くよりおくやみに来ました」と告げた者がある。
そう関門へ告げに来た者は、すなわち趙雲子龍であったが、正使は諸葛孔明その人であり、玄徳の名代として従者五百余をつれて上陸した。
喪を弔う――と称して来た者を拒むわけにもゆかなかった。魯粛が迎えて対面した。しかし故人周瑜の部下や、呉の諸将も口々に、
「斬ってしまえ」
「これへ来たこそ幸いなれ、彼の首を、霊前に供え、故人の怨恨を今ぞ晴らさん」
と、ひしめきあった。
けれど、孔明のそばには、たえず趙雲が油断なく眼をくばっているので、容易に手が下せなかった。
しかも孔明は塵ほどな不安も、姿にとめていなかった。
殺気満ち盈つ中を、歩々、水のごとくすすんで、周瑜の祭壇に到るや、その前に額いて、やや久しく黙拝していたが、やがて携えて来た酒、その他の種々を供え、霊前に向かって恭しく自筆の弔文を読んだ。
惟、大漢ノ建安十五年。南陽、諸葛亮、謹ンデ祭ヲ大都督公瑾周府君ノ霊前ニ致シテ曰。
鳴呼公瑾不幸ニシテ夭亡ス、天人俱ニ傷マザルハ非ズ......
孔明の声は、一語一句、呉将の肺腑に滲みた。弔文は長い辞句と切々たる名文によって綴られ、聞く者、哭くまいとしても哭かずにいられなかった。
――亮ヤ不才、計ヲ問イ、謀ヲ求ム、皆君ガ神算ニ出ヅ。呉ヲ扶ケ、曹ヲ討チ、劉ヲ安ンジ、首尾犄角、為ニ完シ、嗚呼公瑾今ヤ永ク別ル。
何ヲ慮リ何ヲカ望マン。冥々滅々、霊アラバ我ガ心ヲ鑑ラレヨ。コレヨリ天下再ビ知音無カラン。鳴呼痛マシイ哉。
読み終わると、孔明は、ふたたび地に伏して大いに哭き、哀慟の真情、見るも傷ましいばかりだったので、並び居る呉の将士もことごとく貰い泣きして、心ひそかに、皆こう思った。
(周瑜と孔明とは、たがいに仲が悪く、周瑜はつねに孔明を亡き者にしようとし、孔明もまた周瑜に害意をふくんでいると聞いていたが......この容子ではまるで骨肉の者と別れたような嘆き方だ。察するところ、周瑜の死は、まったく孔明のためではなく、むしろ周瑜自身の狭量が、みずから求めて死を取ったものだろう。どうもそれでは致し方もない......)
初めの殺意は、かえって、後の尊敬となって、魯粛以下、みな引き留めたが、孔明は長居は無用と、惜しまれる袂をふり切って、その日のうちにすぐ船へ帰って行った。
ところが、ここにただ一人、城門の陰から見え隠れに、孔明のあとを尾けて行った破衣竹冠のみすぼらしい浪人者があった。
二
魯粛は、江の岸まで孔明を送って来た。
別れて孔明が、船へ乗ろうとした時である。竹冠の浪人は、
「待てっ」
いきなり駈け寄りざま、臂を伸ばして、孔明の肩を引っ摑んだ。そして、大声に、
「すでに周都督を、気をもて殺しながら、口を拭いて、自らその喪を弔うと称し、呉へ来るなどは、呉人を盲にした不敵な曲者、呉にも眼あきは居るぞ」
と、片手に剣を抜いて、あわや孔明を刺そうとした。
別れて十歩ほど、そこを去りかけた魯粛も、この声に仰天して、
「何をするかっ、無礼者」と馳けもどるなり浪人の腕をつかんで振り飛ばした。
すると浪人は、自身ひょいと飛びのいて、
「あははは、冗談です」
と、もう剣を鞘に収めていた。
見れば、脊の低い、そして鼻の平たい、容貌といい風采といい、まことに人品のいやしげな男だった。
孔明は、にこと笑って、
「やあ、だれかと思うたら、龐統ではないか」
と、親しげに寄って、その肩を打ち叩いた。
「なんだ、貴君か」
と魯粛も気抜けしたり、ほっと胸を撫でたりして、
「悪いお戯れをなさる。部下の血気者でも狼藉に及んだかと思って、ぎょッとしましたよ」
一笑して、彼はそのまま、城内へ帰って行った。
龐統、字は士元、襄陽名士のひとりで、孔明がまだ襄陽郊外の隆中に居住していたころから、はやくも知識人たちの間には、
龐統ハ、鳳凰ノ雛。
孔明ハ、臥セル龍ニ似ル。
――と、その将来を嘱目されていたのだった。
荊州滅亡の後、その龐統は呉の国に漂泊しているとは、かねて孔明も人のうわさに聞いていたが、ここで相見たのは、まことに意外であった。
で、孔明は、船が纜を解くまでの寸間に、一書をしたためて、彼にこう告げて手渡した。
「おそらく、御身の大才は、呉の国では用いられまい。君も一生そう浪人しているつもりでもあるまいから、もし志を得んと思うなら、この書を携えて、いつでも荊州へやって来給え。わが主玄徳は寛仁大度、かならず君が補佐して、君の志も、共に達することができよう」
孔明の船は、江を遡って、遠く見えなくなった。
船影が見えなくなるまで、龐統は岸に佇んでいたが、やがて飄乎として、どこかへ立ち去った。
その後、呉では、周瑜の柩をさらに蕪湖(安徽省・蕪湖)へ送った。蕪湖は周瑜の故郷であり、そこの地には故人の嫡子や女などもいるし、多くの郷党もみな嘆き悲しんでいるので、名残を篤うさせたのであった。
けれどいくら死後の祭りを盛大にしてやっても、なお
恋々と故人の才を惜しんでは日夜痛嘆していたのは孫権自身であった。すでに乗り出してしまった大業に向かって、まだ
赤壁の一戦に
大捷を
克ち獲たきりである所へ、
恃む
股肱を失ったのであるから、その精神的な
傷手の容易に

えないのも無理はなかった。
それに代わる柱石として、魯粛を大都督に任じたものの、魯粛の温厚篤実では、この時代をよく乗り切って呉の国威を完うし得るかどうかすこぶる疑わしい。――それはだれよりも魯粛自身がよく知っていた。
「私は元来、取るに足らない凡庸です。周都督の御遺言といい、君命もだし難く、一応おうけ致したものの、決して天下人なきわけではありません。ぜひ、孔明にも勝るところの人物を挙げてその職にあたらせて戴きとう存じます」
彼の正直なことばを孫権もそのまま容れて、しかし一体、そのような人物が居るだろうかと反問した。もし居るならば推薦せよと言わぬばかりに。
三
「おります。ただ一人」と、魯粛は、主君の言下に、こう推薦した。
「世々襄陽の名望家で、龐統、字は士元、道号を鳳雛先生ともいう者ですが」
「おお、鳳雛先生か。かねて名だけは聞いておる。周瑜と人物を較べたら?」
「故人の評は言えません。しかし、孔明も彼の智には深く伏しています。また襄陽人士のあいだでも、二人を目して、兄たり難く弟たり難しと言っています」
「そんな偉才か」
「上天文に通じ、下地理を暁り、謀略は管仲、楽毅に劣らず、枢機の才は孫子、呉子にも並ぶ者といっても過言ではないでしょう」
孫権は渇望の念を急にした。すぐ召し連れよとある。魯粛が数日のあいだ龐統を市中に探している間も、
「まだか。まだか」
幾度も催促したほどだった。
けれどやがて魯粛がたずね当てて呉の宮中へ伴れて来たのを一見すると、孫権はひどくがっかりした顔をした。
何分にも、風采が揚がらない。面は黒疱瘡のあとでボツボツだらけだし、鼻はひしげているし、髯は髯というよりも、短い不精髯でいっぱいだ。
(こんなまずい男様も少ない)と孫権は、古怪を感じながら、それでも二、三の問いを試みた。
「足下。何の芸があるか」
龐統は答えた。
「飯を

い、やがて死ぬでしょう」
「才は?」と訊くと、
「ただ機に臨んで、変に応じるのみ」と、ぶっきら棒である。
孫権はいよいよ蔑みながら、
「足下と、周瑜とも較べたら」
「まず、珠と瓦でしょうな」
「どっちが」
「御判断にまかせます」
明らかに、この黒あばたが、自ら珠をもって任じている顔つきなので、孫権は、ぷっと怒りを含んで奥へかくれてしまった。そして、魯粛を呼び、
「あんな者はすぐ追い返せ」と言った。
魯粛は、彼の感情に曇った鑑識を極力、訂正に努めた。
「一見、狂人に似、風采も揚がらない男ですが、その大才たる証拠には、かの赤壁の戦前に、周瑜に教えて、連還の計をすすめ、一夜にあの大功を挙げ得た陰には、実に龐統の智略があったのです。――故人の偉勲を傷つけるわけではありませんが」
「いやいや、予は、虫が好かんのだ」
「御意にかないませぬか」
「天下人なきに非ずと、そちも言ったではないか。何を好んで......」
「ぜひも御座いません」
夜に入っていた。
魯粛は、気の毒にたえないので、自ら城門の外まで彼を送って来た。そして人無き所まで来ると、声をひそめて慰めた。
「きょうの不首尾、まったく要らざる推挙をした私の罪です。先生もさぞ御不快だったでしょう」
龐統はただ笑っている。
魯粛はことばをかさねて、
「先生はこれを機に、呉を去るお意でしょう」
「去るかもしれない」
「国外へ出て、もし主君をお選びになるとしたら、だれに仕えますか」
「もちろん魏の曹操さ」
もし曹操の許へ彼に奔って行かれては堪らないと魯粛は思っていた。で、一書を袂から取り出して、
「荊州の玄徳にお仕えなさい。かならず貴君を重用しましょう」
と、極力、玄徳の徳を称えて、紹介状を渡した。
「あははは。曹操につくといったのは戯れだよ。ちょっと君の心を量ってみたまでさ」
「それで安心しました。先生が玄徳を扶けて、曹操を討つ日が早く来れば、呉にとっても大慶ですから。
――では、
御機
よう」
「おさらば」
ふたりは、相別れたが、なお幾度も振り向き合った。
酔県令
一
ここしばらく、孔明は荊州にいなかった。新領治下の民情を視、四郡の産物など視察して歩いていた。
彼の留守である。龐統が荊州へ来たのは。
「予に会いたいというのか」
「おそらく仕官を求めに来たものと思われますが」
「名は」
「襄陽の龐統なりと申しました」
「さては、鳳雛先生か」
玄徳は驚いて、取り次ぎの家臣へ、すぐ鄭重に案内せよと命じた。
かねて孔明からうわさを聞いていたからである。龐統はやがて導かれて来た。しかし堂に迎えられても、長揖して拝すでもなく、すこぶる無作法に佇立しているので、
「はて、このような男が、名声の高い鳳雛だろうか」と、玄徳は疑いを生じた。
のみならず、風態は卑しげだし、容は醜いと来ているので、玄徳もすっかり興ざめ顔に、
「遠く御辺のこれへ来られたのは、そも、いかなる御用があっての事か」
と、とおり一遍の質問をした。
龐統はかねて孔明から貰ってある書状もあるし、魯粛の紹介状を携えていたが、わざとそれを出さなかった。
「されば、劉皇叔が、この地に新政を布いて弘く人材を求めらるる由をはるかに承り、もし御縁あらばと来てみたわけです」
「それは生憎なことだ。荊州はすでに治安秩序も定まり、官職の椅子も今は欠員がない。――ただここから東北地方の田舎だが、来陽県の県令の職がひとつ空いておる。もしそこでもと望むならば、赴任して見らるるがよい」
「田舎の県令ですか。それも暢気でいいかも知れませんな」
龐統は辞令うけると、即日、任地へ立って行った。荊州東北、約百三十里の小都会である。
だが彼はそこの知事として着任しても、ほとんど役所の時務は何も見なかった。地方時務の多くは民の訴え事であるが、訴訟などはてんで抛り出しておくため、書類は山積して塵に埋まっている。
当然、地方民の怨嗟や糾弾の声が起こった。そして中府の荊州にもこの非難が聞こえてきたので、温厚な玄徳も、
「憎い腐れ儒者ではある」と、直ちに、張飛と孫乾にいいつけ、来陽県を巡視して、もし官の不法、怠慢のかどなど発見したら、厳しく実状を糺して来いと言った。
「心得ました」
二人は、数十騎の侍をつれ、吏務検察として赴いた。郡民や小吏は聞きつたえて、
「お待ちもうしておりました」と、ばかりこぞって出迎えに立ったが、県令の顔は見あたらない。
「役所の者はおらんのか」
張飛がどなると、一役人が、
「これに出ておりますが」
と、恐惶頓首して答えた。
「お前たちじゃない。県令はどうしたか」
「それが、......その何とも」
「明らかに言え。お前たちを罰しに来たのじゃない」
「何ぶんにも、県令龐統には、御着任以来、今日のような場合に限らず、すべて公の事には、見向いたこともありませんので」
「そして、何しておるのだ。毎日......」
「たいがいは、酒ばかり飲んでいらっしゃいます」
「毎日、酒びたりか」
張飛はちょっと、羨ましいような顔したが、すぐ、
「けしからん」と言い放ちながら、その足で、県庁の官舎へ押しかけ、
「龐統はおらんか」と、どなった。
すると奥から衣冠もととのえぬ酔いどれが、赤い蟹みたいな顔してよろよろ出て来た。そして、
「わしが龐統だが」と、昼から酒くさい息を吐いて言った。
二
「貴様か。県令の龐統とは」
「ふん。わしだよ」
「何だ。その態は」
「まあ、掛けたまえ。耳の穴へ蜂が這入ったようじゃないか。君か、張飛とかいう男は」
龐統は驚かない。
自分の眼光に会ってこんなに驚かない男を張飛はあまり知らない。
「一杯参らんか」
「酒どころではない、おれは家兄玄徳の命をうけて、吏道を正しに来たものだ。赴任以来、汝はほとんど官務を見ていないというじゃないか」
「ぼつぼつやろうと思っている」
「けしからん怠慢だ。公事訴訟も山ほどつかえているというに」
「やる日になれば造作はない。政事は事務ではないよ。簡単なるほどよろしいのだ。民の善性を昂め、邪性を圧える。圧えるではまだまずい。ほとんど、邪悪の性を忘れしめる。どうじゃ、それでよろしいのじゃろう」
「口は達者らしいな」
「飲ける方だ」
「酒の事ではないッ」と、張飛は虎が伸びするように身を起こして呶鳴った。
「では、明日中に、その実をおれの眼に見せろ。その上で汝の広言に耳をかそう。しからずんば、引っ縛って、汝を白洲にすえるぞ」
「よろしい」
龐統は手酌で飲んでいた。
張飛と孫乾は、わざと民家に泊まった。そして翌日、庁へ行ってみると、訴訟役所から往来まで行列がつづいている。
「何事だ、いったい?」
訊いてみると、きょうは未明のころから、県令龐統が急に裁判を白洲に聴いて、いちいち決裁を与えているのだという。
田地の争い、商品の取り引き違い、喧嘩、家族騒動、盗難、人事、雑多な問題を、龐統は二つの耳で訊くとすぐ、
「こういたせ」「こう仲直り」「それは甲が悪い、笞を打って放せ」「これでは乙が不愍である、丙はいくらいくらの損害をやれ」――などと、その裁決は水のながれるようで、山と積まれた訴訟も夕方までには一件も余さず片づけてしまった。その上で、
「いかがです。張飛先生」
龐統は笑って、晩餐を共にとすすめた。
張飛は、床に伏して、
「まだかつて、大兄のごとき名吏を見たことがない」と、先の言を深く謝した。
龐統は、張飛が帰るとき、一書を出して、
「主君に渡してくれ」と頼んだ。
魯粛から貰っていた紹介状である。玄徳は、報告を聞き、またその書簡を見て、非常にびっくりした。
「ああ、あやうく大賢人を失うところだった。人は、風貌ばかりではわからない......」
そこへ四郡の巡視を終わって孔明が帰って来た。

を聞いていたとみえ、
「龐統は恙なくおりますか」
玄徳は間の悪い顔をしながら、実は来陽県の知事にやってあるというと、孔明は、
「あのような大器を、そんな地方の小県になどやっておいたら、閑に飽いて酒ばかり飲んでおりましょう」
と、言った。
「いや、そのとおりである」と、玄徳が実状を告げると、孔明は、
「わたくしからも君へ推挙の一筆を渡してあるのに、それに出しませんでしたか」
「見せもせぬし、語りもしなかった」
「とにかく、県令にはだれか代わりをやって、早くお呼び戻しになるがよいでしょう」
やがて、龐統は、荊州へ帰って来た。
玄徳は、不明を謝し、なお、孔明と龐統のふたりに、酒を賜わって、心から言った。
「――むかし司馬徽先生、徐庶が、もし伏龍鳳雛ふたりのうち一人でも味方にすることができたら、天下の事も成ろうと予に言われたことがある。......こんな不明な玄徳に、その二人までが、俱に自分を扶けてくれようとは、ああ思えば玄徳は果報すぎる。慎まねばならん。慎まねばならん」
馬騰と一族
一
龐統はその日から、副軍師中郎将に任ぜられた。
総軍の司令を兼ね、最高参謀府にあって、軍師孔明の片腕にもなるべき重職に就いたわけである。
建安十六年の初夏のころ。
魏の都へ向かって、早馬を飛ばした細作(諜報員)は、丞相府へ右の新事実を報告かたがた、つけ加えてこう述べた。
「決してばかにできないのは荊州の勃興勢力です。孔明の下に、関羽、張飛、趙子龍の三傑があるところへ、今度は副軍師龐統を加え、参謀府に龍鳳の双璧が並び、その人的陣容は、完くここに成ったという形です。
――故に近ごろは、専ら兵員拡充と、軍需の蓄積に全力をそそぎ、いまや荊州は毎日、兵馬の調練、軍需の増産や交通、商業などの活発なこと、実に目ざましいものがあります」
これはやがて、曹操の耳へ届いて、少なからず彼の関心を喚び起こした。
「果たせる哉。月日を経るほど、玄徳は、魏にとって最大な禍となって来た。――荀攸、そちに何か考えはないか」
「捨てては
措けず、と言って、今すぐに、大軍を催すには、いかんせん、わが魏にはなお、
赤壁の痛手の

えきらないものがありますから、にわかに無理な出兵も考えものです」
さすがに荀攸は、常に君側にいても、よく軍の内容を観ていた。
曹操もうなずいて、
「それを実は、予も、敵国の勃興以上に、憂えているところだ」と、正直に言った。
「こうなさい――」荀攸はたちどころに献策した。
「西涼州(甘粛省・陝西奥地一帯)の太守馬騰をお召しになり、彼の擁している匈奴の猛兵や、今日まで無傷に持たれている軍需資源をもって、玄徳を討たせるのです。そしてなお大令を発し給えば、各地の諸侯もこぞって参戦しましょう」
「そうだ。辺境の奥地には、まだ人力も資材も無限に埋蔵されている」
曹操はすぐ人を選んで西涼へ早馬を立て、二の使いとして、すぐ後からまた、有力な人物を向けて、軍勢の催促を言い遣った。
涼州の地は支那大陸の奥曲輪である。黄河の上流遠く、蒙疆に境する綏遠、寧夏に隣接して、未開の文化は中原のように華やかでないが、多分に蒙古族の血液を交え、兵は強猛で弓槍馬技に長じ、しかも北方の民の伝統として、常に南面南出の本能を持っている。
ところで、太守馬騰は、字を寿成といい身長八尺余、面鼻雄異、しかし性格は温良な人だった。
もと、漢帝に仕えた伏波将軍馬援の子孫で、父の馬粛の代に、官を退いて、馬騰を生んだのである。
だから馬騰の血の中には、蒙古人が交じっている。嫡子を超といい次男を休といい、三男を鉄という。
「詔とあれば、行かなければなるまい」
馬騰は一門の者に別れを告げて都へ上った。三人の子息は国に残し甥の馬岱を連れて行った。
許都に来て、まず曹操に会い、荊州討伐の任をうけ次の日朝廷に上って天子を拝した。
命は、曹操から出ても、名は勅命である。曹操の意志は決して、天子の御心ではなかった。
「このたびは老骨に、荊州討伐の大命を仰せつけられて......」と、馬騰が拝命のお礼を伏奏すると、帝は無言のまま彼を伴って、麒麟閣へ登って行かれた。
そしてだれもいない所で、帝は初めて口を開かれ、
「汝の祖先馬援は、青史にも遺っているほどな忠臣であった。汝も、その祖先を辱しめることはあるまい。――思え。玄徳は漢室の宗親である。漢朝の逆臣とは、彼にあらず、曹操こそそれだ。曹操こそ朕を苦しめ、漢室を晦うしている大逆である。馬騰! そちの兵はそのいずれを伐ちに来たのか」
二
帝の御目には、涙があふれかけていた。
恐懼して、ひれ伏したまま、馬騰は御胸のうちを痛察した。
ああ、朝廷のこの式微。
見ずや、許都の府は栄え、曹操の威は振い、かの銅雀台が春の遊びなど、世の耳目を羨ますほどのものは聞くが、ここ漢朝の宮廷はさながら百年の氷室のようだ。楼台は蜘蛛の巣に煤け、珠簾は破れ、欄は朽ち、帝の御衣さえ寒げではないか。
「......馬騰。忘れはおるまいな。むかし国舅の董承と汝へ降した朕の衣帯の密詔を......あの折は、未然に事やぶれたが、このたびそちが上洛の由を聞いて、いかに朕が心待ちしていたかを察せよ」
「かならず宸襟を安め奉りますれば、何とぞ、御心つよくお持ち遊ばすように」
馬騰は泣いた眼を人に怪しまれまいと気づかいながら宮門を退出した。
邸に帰ると、ひそかに一族を呼んで、帝の内詔を伝え、
「かくとも知らず、いま曹操はこの馬騰に兵馬をあずけて、南方を伐てという。これこそ、実に天の与えた秋ではないか」
と、勤王討曹の旗挙げを密議した。
それから三日目である。
曹操の門下侍郎黄奎というものが、馬騰を訪れて、
「丞相の御内意ですが、何分、南伐の出兵は、急を要します。御発向はいつに相成ろうか。それがしも行軍参謀として参加するが」と、催促した。
「直ちに立ちます。明後日には」
馬騰は、酒を出して、黄奎をもてなした。
すると黄奎は、大いに酔って、古詩を吟じ、時事を談じたりした挙げ句、
「将軍はいったい、真に伐つべきものは、天下のどこにいると思うておられるか」
などと言い始めた。
馬騰は警戒していた。あぶない口車と感じたからである。すると黄奎は、その卑怯を叱るように眦をあげ唇を咬んで、
「自分の父の黄琬は、むかし李傕郭汜が乱をなした時、禁門を守護して果てた忠臣です。その忠臣の子がいまは、心にもなく、僭上な奸賊の権門に屈して、その禄を食んでいるとは実になさけない。しかし、将軍のごときは、西涼州の地盤と精猛な兵を多く持っているのに、何だって不忠な奸雄に頤で使われて甘んじておらるるのか」
と、まるで馬騰を責めるような口吻になって来た。
馬騰はいよいよ空とぼけて、
「奸賊の、不忠のと、それはそも、だれのことを言われるのか」
「もちろん曹操のことだ」
「大きな声を召さるな。丞相は足下の主君ではないか」
「それがしは漢の名将の子、将軍も漢朝の忠臣馬援が後胤ではないか。そのふたりが漢朝の宗室たる劉玄徳を伐ちに向かわれるか。しかも逆臣の命に頤使されて」
「いったい、足下はそのような言を本気で言うのか」
「ああ、残念。将軍はそれがしの心底をなお疑っておられると見える」
黄奎は指を咬んで血をそそぎ、天も照覧あれと盟した。
行軍参謀たるこの人物が同心ならば、いよいよ事は成就に近い。馬騰はついに本心を明かした。黄奎は聞くと、膝を打って、
「ほかならぬ将軍の事。さもあらんと思っていたが、果たせる哉、密々詔まで賜っておられたか。 ――ああ、時節到来」と、狂喜した。
そこでまず二人は、
関西の兵を促す
檄文を起草し、都下出発の朝、
勢
いと称して、曹操の閲兵を
乞い、急に
陣鉦を鳴らすを合図に、曹操を刺し殺してしまおうと、すべての
手筈まで
謀し合わせた。
黄奎は夜晩く家へ帰った。さすがに酒も発せず、すぐ寝房へ入った。彼には妻がなく李春香という姪が彼の面倒を見ていた。
李春香には自分から嫁ぎたく想っている男があったが、心がらが良くないので叔父の黄奎が承知してくれない。今宵もそれが遊びに来たらしく、彼女は仄暗い廊の蔭で男と何か立ち話をしていた。
三
男は李春香の耳へ囁いた。
「今夜にかぎって、黄奎の様子がどことなく変じゃないか」
「そんな事はないでしょう」
「いや、おれの弟が、馬騰の邸に、多年お留守居役をしているが、その弟から妙な事を報らせて来た。――春香、おまえが訊けば、たった一人の可愛い姪だ。黄奎は何か打ち明けるにちがいない。そっと訊いてごらん」
春香はまだ世間の怖さも複雑さも知らなかった。言わるるままその夜叔父の心をそれとなく訊いてみた。すると黄奎は驚いた顔して、
「わしの様子がどことなく変だということが、おまえみたいな小娘にもわかるかい。ああ争われないものだ」
彼は嘆息して、実は大事を計画しているため、その準備やら万一の事まで案じているせいだろうと、つい相手が身内の者ではあり、世間へも出ない小娘なので、心中の秘を語ってしまった。
そしてなお、
「この事が成功すれば、わしは一躍、諸侯の列に入るがもし失敗したらたちまち生きていないだろう。そうしたらおまえは、何もかも捨てて郷里の老人達のところへ逃げて、当分、嫁にもゆかないがいい」と、遺言めいたことまで言った。
室外に立ち聞きしていた男は、春香がそこから出て来たときはもう居なかった。彼は深夜の町を風のごとく奔っている。そして丞相府の門を叩いた。
「たいへんです。お膝下に恐ろしいことを計っている謀叛人がおりますっ」
下役から部長へ、部長から中堂司へ、次々に伝申されて、深更ながら曹操の耳にまで入った。
「すぐその者を聴問閣の下へ曳け」
曹操はがばと起きた。
ひとたび眠るごとく消されていた相府の閣廊廻廊の万燈は、煌々と昼のように眠りをさました。
馬騰の飛檄に依って、関西の兵や近くの軍馬は、続続、許都へさして動きつつあった。馬騰は書をもって曹操に、
「はや発向の準備もなり、近日
勢
い
仕りますれば、その節は都門にお馬を立てられ、親しく御閲兵の上、征途に上る将士にたいし、一言の御激励ねがわしゅう存ずる」との
旨を告げて来た。
曹操は、奥歯に苦笑を嚙みしめながら、口のうちで罵った。
「たれがそんな罠にかかるか」
そして直ちに、密軍二隊を奔らせ、一手は黄奎を捕縛し、一手は馬騰の家を襲って、即座に二人を召し捕って来させた。
相府の白洲で、黄奎の顔をちらと見ると、馬騰は、口を裂き、牙を剝いて、
「この腐れ儒者め! 何とてかかる大事を口外したか。ああ、止んぬる哉、天も漢朝を捨て給うと見えたり。二度まで計って二度まで未然にやぶれ去るとは」
曹操は、指をさして、その狂態を笑い、武士に命じて、一刃の下にその首を刎ねた。
黄奎も首を打たれた。――また、馬騰の拉致されたあと、大勢の密軍兵は、捕吏と共に、馬騰の邸を四面から焼きたてて、内から逃げ転び悲しみまどい、阿鼻叫喚をあげて、溢れ出て来る家臣、老幼、下の召使いの男女などことごとく捕らえて、あるいは首を切り、あるいは市に曝し、惨状、無残、目を蔽わずにいられないほどだった。
その中には、父を慕って本国から着いた馬騰の子二人も殺害されたが、甥の馬岱だけは、どう遁れたか、関外へ逃走していた。
ここに笑止なのは密告して褒美にありつこうとした苗沢という男である。事件後、曹操に願いを出して、李春香を妻に賜わりたいと乞うと、曹操はあざ笑って、
「汝にはべつに与えるものがある」
と城市の辻に立たせ、首を刎ねて、不義佞智の小人もまたかくのごとしと、往来の見世物にしておいた。
不俱戴天
一
このとき丞相府には、荊州方面から重大な情報が入っていた。
「荊州の玄徳は、いよいよ蜀に攻め入りそうです。目下、彼の地では活発な準備が公然と行なわれている」
曹操はかく聞いて胸をいためた。もし玄徳が蜀に入ったら、淵の龍が雲を獲、江岸の魚が蒼海へ出たようなものである。ふたたび彼を一僻地へ屈伏せしめることはもう出来ない。魏にとって重大な強国が新たに出現することになろう。彼は数日、庁の奥にとじ籠って対策を練っていた。
ここに丞相府には治書侍御史参軍事で陳羣、字を長文というものがあった。彼が曹操に向かって言うには、
「玄徳と呉の孫権とは今、心から親睦でないにせよ、形は唇と歯のような関係に結ばれています。ですから、玄徳が蜀へ進んだら、丞相は大軍をもって、反対に呉をお攻めになるがよいでしょう。なぜならば、呉はたちまち玄徳へ向かって、協力を求め、援けを強いるにちがいありません」
「ふむ。さすれば玄徳は、進むに進み得ず、退くに退き得ず、両難に陥るというわけか。――いやそうは参るまい。彼にも孔明がついている。軽々しく呉の求めにうごいたり、軍の方向に迷うようなことはせぬ」
「それこそ、わが魏にとって望むところではありませんか。もし玄徳の援助なく、玄徳は入蜀の事に没頭して、呉を顧みるに暇なければ、ここ絶好な機会です。更に大軍を増派し、一挙に呉国をお手に入れてしまわれてはいかがです。玄徳なく、ただ魏と呉との対戦なら、御勝利は歴々です」
「げにも。げにも」
曹操は、眉をひらいた。
「あまりむずかしくばかり考えこむものじゃないな。わしはちと重大と思い過ぎて思案が過っておったよ。人間日々大小万事、ここにいつも打開があるな」
即時、三十万の大軍は、南へうごいた。檄は飛んで、合淝城にある張遼に告げ、
――汝、先鋒となって、呉を突くべし。
とあった。
大軍まだそこへ到らぬうち、呉の国界は大きな衝動に打たれ、急はすぐさま呉王孫権に報じられる。
孫権は、急遽、諸員を評定に召集して、それに応ずべき策を諮った。その結果、
「こういう時こそ、玄徳との好誼を活かし、お使いを派して、彼の協力をお求め遊ばすのがしかるべきでしょう」と、決まった。
すなわち魯粛の書簡を持って、使は荊州へ急いでゆく。
玄徳はそれを披見して、ひとまず使者を客館にもてなしておき、その間に、孔明が帰るのを待っていた。
南郡地方にいた孔明は、召しをうけるや馬を飛ばして帰って来た。そして、玄徳から、仔細を開き、また魯粛の書簡を見ると、
「御返辞は」と、玄徳の面を窺った。
「まだ答えてない。御身に諮った上で、承諾とも拒絶するとも答えようと思って」
「では、この返書は、わたくしにお任せおき下さいますか」
玄徳はうなずいた。
「よきように」と。
孔明は一書を認めた。それには、呉へ向かってこう告げてある。
乞う、安んじられよ。呉国の人々は枕を高うして可なり。もし魏軍三十万の来るあらば、孔明これにあり。直ちに彼を撃攘せん。
呉の使は、書面を持って帰って行った。しかし玄徳は安からぬここちがした。
「軍師。あのような大言を申し遣ってよろしいのか」
「大丈夫です」
「許都の魏兵三十万のみでなく、合淝の張遼も合して来るだろう」
「大丈夫です」
「どういう自信があって?」
「西涼の馬騰が、つい先ごろ、都で殺されたそうです。その子二人も禍に遭ったようですが、本国には馬氏の嫡男馬超が残っていたはずです。この人へわが君から密使をおやりなさい。いま馬超を語らうことは至極たやすく、しかも馬超ひとりを動かせば、曹操以下三十万の精兵も魏一国に金縛りにしてしまうことが出来ましょう」
二
西涼州の馬超は、ある夜、ふしぎな夢をみた。
「吉夢だろうか。凶夢だろうか」
あくる日、八旗の将に、この夢のことをはなした。
八旗の将とは、彼を繞る八人の優れた旗本組のことである。
それは、
侯選。程銀。李堪。張横。梁興。成宜。馬玩。楊秋。
などの面々だった。
「さあ、わからんなあ。吉夢やら凶夢やら」
みな武弁ばかりなので、彼の夢に判断を下し得る者もなかった。
馬超のみた夢というのは、千丈もある雪の中に行き暮れて仆れているところへ、多くの猛虎が襲いかかって来て危うく咬みつかれようとしたところで眼がさめたというのである。いい夢らしくもあり、悪夢らしくも考えられた。――するとこの座へ突然、
「いや、それは大悪夢だ」
と言いながら帳を排して入って来た一人物がある。南安狟通の人で姓名を龐徳、字は令明というものであった。
「むかしから雪中に虎に遭うの夢は不祥の兆としてある。もしや上洛中の大殿騰将軍の君に、何か凶事でも起こったのではなかろうか」
龐徳のことばに、馬騰の嫡男たる馬超は、当然、面を曇らせた。
いや馬超ばかりでなく、この西涼に留守して、遠くにある主君の身を明け暮れ案じている八旗の将もみな浮かない顔をしてしまった。
「しかし逆夢ということもあれば、若大将には、一図に御心配なさらぬがようござる、なんの、夢などあてになるものですか」
わざと酒宴をすすめて、馬超の心をまぎらわせていた。
けれど、この夢は、やはり正夢であった。――その夜の事、見る影もない姿となって、許都から逃げ落ちて来た従兄弟の馬岱が、
「叔父の将軍には、曹操の凶刃に害され給い、御子達二人も、ほか御一族、家中の者、老幼の端にいたるまで八百余人、残らず一つ邸のうちにあって火を放けられ、あらかたは殺され、あるいは首斬られ、目もあてられぬ災難でした。それがしはいち早く墻を跳びこえ、このとおり身を乞食に窶してしてこれまで逃げのびて来た次第。......語るも無念で堪りません」と、涙ながら報じた。
「えっ、父上が殺されたと」
馬超は、愕然とさけんだ。そして蒼白な顔をうむ、と呻いて仰向けたと思うと、うしろへ仆れて昏絶してしまった。
もちろん典医や大勢の介抱ですぐ意識は蘇ったが、終夜、寝房のうちから無念そうな泣き声が洩れてきた。
こういう中に玄徳の書簡ははるばると荊州から来た密使に依って、馬超の手に渡されたのである。その文章はおそらく孔明が起草したのであろう。まず漢室の式微を言い、馬騰の非業の死を切々と弔い、曹操の悪逆や罪状を説くに極めて峻烈な筆鋒をもって是を糺し、そして馬超が嘆きをなぐさめかつ激励して、
――貴君にとっては俱に天を戴かざる父の仇敵、四民にとっては悪政専横の賊、漢朝にとっては国を紊し帝威を冒す姦党、これを討たずして武門の大義名文があろうか。ねがわくは君、涼州より攻め上れ、劉玄徳また北上せん。
と、結んであった。
次の日である。
父馬騰と親友だった鎮西将軍韓遂からそっと迎えが来た。行ってみると、人払いした閑室へ馬超を通して、
「実は、こんな書面が曹操から来ているよ」
と、それを見せてくれた。
もし馬超を生け捕って檻送してよこせば、汝を封じて、西涼に侯してやろう、という意味のものだった。
馬超は自ら剣を解いて、
「あなたの手にかかるものなら仕方がない。いざ、都へ差し立てて下さい」
と、神妙に言った。
韓遂は、叱って、
「それくらいなら何もわざわざここへ御身を呼びはしない。もし御身に、父の讐たる曹操を討つ気があるなら、義に依って、わしも一臂の力を添えたいと思ったからだ。いったい御身の覚悟はどうなのだ」と、かえって、馬超の本心を詰問した。
三
馬超はふかく礼をのべて、
「その御返辞は、後ほど邸から致します」と言って帰った。
彼はすぐ曹操の使者を斬ってしまい、その首を、韓遂のところへ届けた。
「それでこそ、君は馬騰の子だ。君がその決心ならば」
と、韓遂は即日やって来て、馬超軍に身を投じた。
西涼の精猛数万、殺到して、ここに、潼関(陝西省)へ攻めかかる。
長安(陝西省・西安)の守将鐘繇は、驚死せんばかりに仰天して、曹操の方へ、早馬をもって、急を告げる一方、防ぎにかかったが、西涼軍の先鋒馬岱に蹴ちらされて、早くも、長安城へ逃げ籠る。
長安は、今廃府となっていたが、むかし漢の皇祖が業を定めた王城の地。さすがに、要害と地の利は得ている。
「この土地の長く栄えない原因は、二つの欠点があるからです。土質粗く硬く、水は鹹くて飲むにたえません。もう一つの欠所は山野木に乏しく、常に燃料不足な事です。......ですからこういう謀計を用いれば、難なく陥るにちがいありません」
龐徳の言であった。
そのことばを容れたものか、馬超は急に包囲を解いて、数十里、陣を退いた。
守将の鐘繇は、
「寄せ手が囲みを解いたからといって、みだりに城外へ出てはならん。敵にどんな計があろうも知れない」と、軍民を戒めていた。
しかし三日たち四日経つうちに、無事に馴れて、一つの城門が開くと、西も東も、各所の門で、城外との往来が始まった。
みな水を

みに行き、
薪を取りに行く。その他の食糧なども、この間にと、争って運び入れた。
「何事もありませんね」
「敵はあんな遠くですからな」
「さよう。もしもの時は、敵を見てから城内へ逃げこんでも、結構、間に合いますよ」
うららかなものだった。
果ては、旅芸人や雑多な商人まで、自由に出入りし始めた。
ところへ急に、西涼軍がまた攻めて来た。軍民は夕立ちに出会ったように城内へかくれ込む。馬超は、西門の下まで、馬を寄せて、
「ここを開けなければ、城内の士卒人民、ことごとく焼き殺すぞ」と、罵った。
鐘繇の弟、鐘進がここを守っていたが、からからと笑って、
「馬超。口先で城は陥ちるものじゃないよ」
と、矢倉から嘲った。
すると、日没ごろ、城西の山から怪しい火が燃え出した。鐘進が先に立って消火に努めていると、夕闇の一角から、
「西涼の龐徳。すでに数日前より、城内に在って、今宵を待てり」
という大音が聞こえ、敵やら味方やら知れない混雑の中に、鐘進は一刀両断に斬りすてられた。
早くも、龐徳の部下は、西門を内から開いて、味方を招き入れた。馬超、韓遂の大軍はいちどに流れこみ、夜のうちに長安全城を占領してしまった。
鐘繇は、東門から逃げ出し、次の潼関に拠って、急を早馬に託し、
「至急、大軍の御来援なくば、長くは支えきれない」
と、許都へ向かって悲鳴を揚げた。
曹操の驚愕は、いうまでもない。――急に、方針を変えて、
「ひとまず、征呉南伐の出兵は見合わせる」
と、参謀府から宣言を発し、また直ちに、曹洪と徐晃を招いて、
「すぐ潼関へ行け」と、兵一万をさずけた。
曹仁がそのとき、
「曹洪も徐晃も、若過ぎますから、血気の功に焦心って、大局を過る惧れはありませんか」
と、注意した。そして自分も彼等と共に先駆けせんと願ったが、
「そちは、予に従って、兵糧運輸のほうを司れ」
と、ほかの役目を命じられてしまった。
曹操は約十日の後、充分な軍備をととのえて出発した。彼も西涼の兵には、よほど大事を取っていることがこれを見てもわかる。
四
潼関に着いた曹洪と徐晃は、一万の新手をもって鐘繇に代わり、堅く守って、
「われわれが参ったからには、これから先、尺地も敵に踏みこませることではない」
と、曹操の来着を待っていた。
西涼の軍勢は、力攻めを熄めてしまった。毎日、壕のかなたに立ち現われて、大欠伸をしてみせる。手洟をかむ。尻を叩く、大声たて悪たれをいう。
挙句の果てには、草の上に寝ころんだり、頰杖ついて、
敵はどこかね
潼関の関中だそうだ
櫓にいたのは鴉じゃないのか
なあに曹洪と徐晃さ
そんなら大して変わりはない
腰抜け相手の戦争は退屈だ
いまに曹操が来るだろう
昼寝でもして待つとするか
乞う戦友、耳垢でも取ってくれ
などと悪罵にふしを付けて唄っている。
「待っていろ。目にもの見せてやるから」
歯嚙みをした曹洪が、城門から押し出そうとするのを見て、徐晃がいさめた。
「丞相のおことばを忘れたか。十日の間は固く守れ。手出しはすなと仰せられた」
しかし、若い曹洪は振り切って、駈け出した。
関中の大軍は、いちどに溢れ出て、鬱憤をはらした。
あわてふためく西涼軍を追い捲って、
「思い知ったか」と、四角八面に分かれ討った。
徐晃の手勢も、ぜひなく後から続いて出たが、
「長追いすな、長追いすな」と、大声で止めてばかりいた。
すると、長い堤の蔭から、突忽として鼓の声、銅鑼のひびき、天地を震わせ、
「西涼の馬岱これにあり」と、一彪の軍馬が衝いてくる。
いささかたじろいで、陣容をかため直そうとする間もなく、
「たいへんだ、敵の龐徳が、退路を断った」と、いう伝令。
「まずい! 引き揚げろ」
踵を巡らしたときは機すでに遅しである。どう迂回して出たか、西涼の馬超と韓遂が関門を攻めたてている。いや徐晃、曹洪が出払ったあとなので、守りは手薄だし、油断のあった所だし、精悍西涼兵は、芋虫のように、ぞろぞろ城壁へよじ登っているではないか。
留守の鐘繇はもう逃げ出している始末、罵り合ってみたものの追いつかない。曹洪、徐晃も支え得ず、関の守りを捨てて走った。
馬超、龐徳、韓遂、馬岱、万余の大軍は関中を突破すると、潼関の占領などは目もくれず、ひたすら潰走する敵を急追いして、「殲滅を加えん」と、夜も日も、息をつかせず、後から追った。
曹洪も徐晃も、途中多くの味方を失い、わずかに身ひとつ遁れ得た有様である。――が、許都へさして落ちる途中まで来ると、許都を立って来た本軍曹操の先鋒に出会い、からくもその中に助けられた。
曹操は、聞くと、
「すぐ連れて来い」と、中軍へ二人を呼び、そして軍法にかけて、敗戦の原因を糺問した。
「十日の間は、かならず守備して、うかつに戦うなと命じておいたに、なぜ軽忽な動きをして、敵に乗ぜられたか。曹洪は若手だからぜひもないが、徐晃もおりながら、何たる不覚か」
叱られて、徐晃は、ついこう自己弁護してしまった。
「おことばのごとく、切にお止めしたのですが、洪将軍には、血気にまかせて、頑として肯かないのでした」
曹操は、怒って、
「軍法を正さん」と、自身、剣を抜いて、甥の曹洪に、剣を加えようとした。
「――いや、それがしも同罪ですから、罪せられるなら手前も共に剣をいただきます」
徐晃も、身をすすめて、神妙にそういうし、諸人も皆、曹洪のために命乞いしたので、曹操もわずかに気色を直し、
「功を立てたら宥してやろう」
と、しばらく斬罪を猶予した。
渭水を挾んで
一
曹操の本軍と、西涼の大兵とは、次の日、潼関の東方で、堂々対戦した。
曹軍は、三軍団にわかれ、曹操はその中央にあった。
彼が馬をすすめると、右翼の夏侯淵、左翼の曹仁は、共に早鉦を打ち鼓を鳴らして、その威風に更に気勢を加えた。
「胡夷の子、朝威を怖れず、どこへ赴こうとするか。
あらば出でよ。人間の道を説いてやろう」
曹操の言が、風に送られて、かなたの陣へ届いたかと思うと、
「おう、馬騰の子、馬超字は孟起。親の讐をいま見るうれしさ。曹操、そこをうごくなよ」
とどろく答えと共に、陣鼓一声、白斑な悍馬に乗って、身に銀甲をいただき鮮紅の袍を着、細腰青面の弱冠な人が、さっと、野を斜めに駈け出して来た。
「若大将を討たすな」と案じてか、それにつづく左右の将には龐徳、馬岱。また八旗の旗本、鏘々とくつわを並べて駈け進んでくる。
「あれか。馬超とは」
近づかぬうちから、曹操は内心一驚を喫した様子である。文化に遠い北辺の胡夷勢と侮っていたが、決して、彼は未開の夷蛮ではない。
「やよ。馬超」
「おうっ。曹操か」
「汝は、国あって、国々のうえに、漢の天子あるを知らぬな」
「だまれ、天子あるは知るが、天子を冒して、事々に、朝廷をかさに着、暴威を振う賊あることも知る」
「中央の兵馬は、即ち、朝廷の兵馬。求めて、乱賊の名を受けたいか」
「盗人猛々しいとは、其方のこと。上を犯すの罪。天人ともにゆるさざる所。あまつさえ、罪もなきわが父を害す。たれか、馬超の旗を不義の乱といおうぞ」
言うことも、しっかりしている。これは口先でもいかんと思ったか、曹操は馬を退いて、
「あの童を生け捕れ」と、左右の将にまかせた。
干禁と張郃が、同時に、馬超へおどりかかった。馬超は、左右の雄敵を、あざやかに交わしながら、一転、馬の旗を高く覗かせて、うしろへ廻った敵の李通を槍で突き落とした。
そして、悠々、槍をあげて、
「おおういっ......」と一声さしまねくと、雲霞のようにじっとしていた西涼の大軍が、いちどに、野を掃いて押し襲せて来た。
その重厚な陣、粘り強い戦闘力、到底、許都の軍勢の比ではない。
たちまち駈け押されて、曹軍は散乱した。馬岱、龐徳は、
「この手に、曹操の襟がみを、引っ摑んでみせる」
と、乱軍を潜り、敵の中軍へ割りこみ、血まなこになって、その姿を捜し求めた。
そのとき、西涼の兵が、口々に、
「紅の戦袍を着ているのが、敵の大将曹操だぞ」
と、呼ばわり合っているのを聞いて、当の曹操は逃げ奔りながら、
「これは目印になる」と、あわてて戦袍を脱ぎ捨ててしまった。
するとなお執拗に追いかけて来る西涼兵が、
「髯の長いのが曹操だ。曹操の髯には特長がある」と、叫んでいた。
曹操は、自分の剣で、自分の髯を切って捨てた。
今日こそは――と期して、味方の馬岱、龐徳よりも先んじて曹操を捜していたのはもちろん馬超で、父の讐たる彼の首を見ぬうちは退かじと馬を駈け廻していたが、ひとりの部下が、彼に告げて、
「髯の長いのを目あてに捜してもだめです。曹操は髯を切って逃げました」と、教えた。
そのとき、曹操は、乱軍の中に交じって、すぐそばを駈けていたので、そのことばを小耳に挾むと、
「これはいかん」と、あわてたものとみえ、旗を取って面を包み、無二、無三、鞭を打った。
「首を包んだものが曹操だぞ」
また、四方で声がする。曹操はいよいよ魂をとばして林間へ駈けこんだ。するとだれか、槍を伸ばして突いた者がある。運よく槍は樹木の肌を突いて、容易に抜けない。曹操はその間髪にからくも遠く逃げのびた。
二
「きょうの乱軍に、絶えず予の後ろを守って、よく
馬超の追撃を

い止めていたのはだれだ」
曹操は、味方の内へ帰ると、すぐこう訊ねた。
夏侯淵が答えて、
「曹洪です」
と言うと、曹操はさもありなんという顔して、うれし気に、
「そうか。多分彼だろうとは思ったが......。先日の罪は、今日の功をもって宥し措くぞ」
やがてその曹洪は夏侯淵に伴われて恩を謝しに出た。曹操は、今日の危急を思い出して、幾度か死を覚悟した事など語り出し、
「自分も幾度となく、戦場にのぞみ、また惨敗を蒙ったこともあるが、およそ今日のような烈しい戦いに出合ったことはない。馬超という者は敵ながら存外見上げたものだ。決して汝等も軽んじてはならぬ」と戒めた。
敗軍をひき纏めた曹操は、河を隔てて岸一帯に逆茂木を結いまわし、高札を立てて、
「みだりに行動する者は斬る」と、軍令した。
建安の秋十六年、その八月も暮れかけていたが、曹軍は、秋風の下に寂と陣して固く守ったまま、一戦も交えなかった。
「胡夷の兵め。また対岸で悪口を放っているな。いまいましい奴らだ」
業を煮やした曹軍の諸将が、ある時、曹操をかこんで、
「いったい北夷の兵は、長槍の術に長け、また馬の良いのを持っているので、接戦となると、剽悍無比ですが、弓、石火箭などの技術は、彼等のよくするところでありません。ひとつ、専ら弩をもって一戦仕掛けてはいかがでしょう」と、進言した。
すると、曹操は苦りきって、
「戦うも、戦わぬも、みなその腹一つにあることで、何も敵の心にあるわけじゃない」と、言い、そしてまた、
「下知に反くものは、軍罰に処すぞ。ただ部署に就いて、守りを固うし、一歩も陣外へ出てはならん」と、再度の布令を出した。
曹操の肚をふかく察しない部将たちは、囁き合って、首を傾げた。
「どうしたんだろう。いくら馬超に追い捲られて、お懲りになったからといえ、今度に限って、ひどく消極戦法の一点張りじゃないか」
「そろそろ、お年齢のせいかも知れんよ、銅雀の大宴を境として、御髪にもすこし白いものが見えて来たしな。......花にも人間にも、盛衰はある、春秋は拒まれぬ」
果たして、曹操には、もうそのような老いが訪れ出したのだろうか。
凡人の客観と、英雄自身の主観とには自ら隔たりもあり、信念のちがいもある。
われ老いたり、などとは曹操自身、まだ、夢にも思っていないらしい。いやその肉体や精神のつかれ方などに、若いころの自身とくらべて、多分な相違が自覚されても、おそらく、彼自身そんな気持がふとでも湧くときは、強いてそれを抑圧して、
我なお若し!
という血色を漲らそうと努めているのにちがいなかった。
数日の後、味方の斥候がこう告げた。
「潼関の馬超軍、またまた、新手の敵兵が、約二万も増強されたようです。しかも今度の新手もことごとく北の精猛な胡夷ばかりです」
聞くと、曹操は、なぜか独り大いに笑った。
「丞相何でお笑いなさるのですか。敵が強力になったと聞かれて」
ひとりが問うと、
「まず、酒宴して、祝おうか」と、のみで、その夕べ、大いに慶賀して、共に盃を傾けた。
しかし、今度は、幕将たちの方がくすくす笑った。
曹操は酔眼を向けて、
「卿等は、予が、馬超を討つ計がないのを笑うのであろう」
みな恐れて口をつぐんでしまった。曹操は追求して、
「ひとを笑うほどな計策のある者は、大いにここで蘊蓄を語れ。予も聞くであろう」と、言った。
三
みな顔を見あわせた。
ひとり徐晃は進んで、忌憚なく答えた。
「このまま、潼関の敵と睨みあいしていたら、一年たっても勝敗は決しますまい。それがしが考えるには、渭水の上流下流は、さしもの敵も手薄でしょうから、一手は西の蒲津を渡り、また丞相は河の北から大挙して越えられれば、敵は前後を顧みるに遑なく、陣を乱して潰滅を早めるにちがいないと思いますが......」
「徐晃の説は大いに良い」
曹操は賞めて、
「では今、汝に四千の兵を与えるから、朱霊を大将とし、それを扶けて、先に河の西を渡り、対岸の谷間に潜んで予の合図を待て。――予も直ちに、渭水の北を渡って、呼応の機を計るであろう」
と、即座に手筈をきめた。
それから間もなく、西涼が陣営馬超の手許へ、すぐ早耳迅眼の者が、
「曹操の方では、船筏を作ってしきりと渡河の準備をしています」という情報をもたらした。
韓遂は手を打って、
「若将軍、敵はついに、自ら絶好な機会を作って来ましたぞ。兵法に曰う。――兵半バヲ渉ラバ撃ツ可シ――と」
「ぬかるな、諸将」
八方に間者を放って、曹操が河を渡る地点を監視していた。
とも知らず、曹操は、大軍を三分して、渭水のながれに添い、まず一手を上流の北から渡して、その成功を見とどけ、
「まず、首尾はよさそうだ」
と、水際に床几をすえながら、刻々と報らせて来る戦況を聞いていた。
「上陸した御味方は、すでに対岸の要所要所、陣屋を組み、土塁を構築しにかかっています」
すると、第二第三とつづいて来る伝令が言った。
「今、南の方から、敵とも御味方ともわからぬ一隊が、馬煙をあげて、これへ来ます」
第五番目の伝令は、
「御油断はなりません。御用意あれっ」と、呶鳴って、
「白銀の甲、白の戦袍を着た大将を先頭にし、約二千ばかりの敵が、どこを渡って来たか、逆襲して来ます。――いや、うしろの方からです」と狼狽して言う。
その時、大軍は河を渡りつくして、曹操のまわりには、たった百余人しかいなかった。
「馬超ではないか」
愕然と、人々は騒ぎ立ったが、剛愎な曹操は、
「騒ぐな」と、のみで床几から起とうともしない。
ところへ、許褚が舟を引き返して来て、その態を見るやいな、
「丞相丞相。敵は早くも、味方の裏を搔いて、背後に廻っていますっ。早くお船へお移り下さい」と、呼ばわった。
曹操はなお、
「馬超が来たとて、何ほどの事があろう。一戦を決するまで」
と、自若としていたが、もうそのときかなたの馬煙は辺り間近に、土砂を降らせて、馬超、龐徳を始め、西涼の八旗など、猛然、百歩のところまで迫っていた。
「すわ。一大事」と、許褚は躍り上がって、曹操の側へ馳けつけ早く早くと促したが、事の急に、いきなり曹操の体を背中へ負ってしまった。
そして岸辺まで、一気に馳け出したが、船は漂い出して渚から一丈を離れていた。それを許褚は、曹操を背に負ったまま、
「おうっ」
と叫んで、一跳びに身を躍らせ、危うくも舟の中へ乗り移った。
百余人の近侍、旗本たちは、ざぶざぶと水に浸って、溺れるもあり、泳ぎ出すもあり、そこらの小舟や筏へすがりつき、あるいは見境なく、曹操の舟へしがみついて来るのもある。
「たかるな。舟が傾く」
許褚は、それらの味方を、棹で払い退けながら、逃げ出したが、水勢は急で、見るまに下流へ押しながされて行く。
「のがすな」
「あれこそ、曹操」
西涼の兵は、弓を

えて、雨のごとく
乱箭を送った。許褚は、片手に馬の
鞍を持ち、片手に
鎧の
袖をかざして、曹操の身を
庇っていた。
四
曹操ですら九死に一生を得たほどであるから、このほか、いたる所で、曹軍の損害はおびただしいものがあった。
渭水の流れがたちまち赤く変じたのでもわかる。浮きつ沈みつ流れて来る人馬はほとんど魏の兵であった。
それでも、この損害は、まだ半分で済んでいたと言ってよい。なぜならば、曹軍の敗滅急なりと見て、ここに渭南の県令丁斐という者が、南山の上から牧場の牛馬を解放して、一散に山から追い出したのである。奔牛悍馬は、止まる所を知らず、西涼軍の中へ駈けこんで暴れまわった。
いや、暴れただけなら、何も戦闘力を失うほどでもなかったろうが、根が北狄の夷兵であるから、
「良い馬だ。もったいない」と、奪いあい、牛を見ては、なおさらのこと、
「あの肉は美味い」と、食慾を奮い起こして、思いがけない利得に夢中になってしまったものだった。
そのために西涼軍は、せっかくの戦を半ばにして、角笛吹いて退いてしまった。
そのころ、曹操は北岸へ上がって、一息ついているというので、魏の諸将も追い追い集まって来た。許褚は満身に矢を負うこと、蓑を着たようであったが、人人の介抱を拒んで、
「丞相はおつつがないか」と、そればかり口走っていた。
「貴体には何の御異状もない」と、人々は慰めて、ようやく彼を陣屋の中に寝かしつけた。
曹操は、部下の見舞いをうけながら、はなはだしく快活に、終始きょうの危難を笑いばなしに語っていたが、
「そうそう、渭南の県令を呼んでくれ」と、丁斐を召し寄せ、
「今日、南山の牧を開いて、官の牛馬をみな追い出したのはおまえか」と、質した。
丁斐は当然、罪をこうむるものと思って、
「私です。御処罰を仰ぎます」
と、悪びれずに言った。
「処分してやる」
と、曹操は祐筆を顧みて何か言った。祐筆はすぐ一通の文を認めて来て、丁斐に授けた。
「丁斐、披見してみろ」
丁斐が畏る畏る開いてみると、今日ヨリ汝ヲ典軍ノ校尉ニ命ズ、という辞令であった。
校尉丁斐は、感泣して、
「長くこの渭南に県令としておりましたので、いささか地理には精通しています。鈍智の一策をお用い賜わらば、光栄これに過ぎるものはありません」
と、恩に感じるのあまり、自分の考えている一計略を進言した。
一方、西涼の馬超は、
「きょうばかりは、残念だった」と、韓遂に向かって、無念そうに語っていた。
「もう一歩で、曹操を、手捕りにできた所を、何という男か、曹操を背なかに負って、船へ跳び移ってしまった。今でも目に見える心地がするが、敵ながらあの男の働きは、凡夫の業でない」
韓遂は何度も頷いて、
「それは道理です。あれは有名な魏の一将、許褚ですからね」
「許褚というか」
「お味方に、八旗の旗本あるごとく、曹操もその旗本の精鋭中の精鋭を選び、これを虎衛軍と名づけて、常に親衛隊としていました。その大将に二名の壮将を置き、ひとりは陳国の人、典韋と申し、よく鉄の重さ八十斤もある戟を使って、勇猛四隣を震わせていましたが、この人はすでに戦歿して今はおりません。その残るひとりが譙国の人、すなわち許褚です。強いわけですよ」
「なるほど、それでは――」
「その力は、猛る牛の尾を引いて曳きもどしたというほどですからな。――で世間のものは、彼を綽名して、虎癡といっています。また、虎侯ともいうそうです」
そしてまた、韓遂は、かたく馬超に忠告した。
「以後は、あの男を陣頭に見ても、一騎討ちはなさらない方がよろしい」
斥候の報告に依ると、曹操の軍は、それから後しきりと河を越えて、西涼の背後を衝こうとする態勢にあるとあった。
五
韓遂は重ねて言った。
「味方にとって、ここに一つの悩みがあります。それはこの戦いが延引すると、曹操が今の陣地に塁壕を構築して、不落の堅城としてしまうことで、そうなると、容易に渭水を抜くことはできません」
馬超も同感だった。
「いかにも、攻めるなら今のうちだが」
「軽兵を率いて、この韓遂が、曹操の中軍へ突撃しましょう。あなたは、北岸を防いで、敵兵が河を越えて来ないように、よくこの本陣を固めていてください」
「よし。防ぐには、自分一手で足りる。御身ひとりでは心もとない。龐徳をも連れて行かれるがよかろう」
韓遂と龐徳とは、直ちに、西涼の壮兵千余騎を選んで深夜から暁にかけて、曹操の陣を奇襲した。
けれど、この計画は、まんまと曹操の思うつぼに落ちたものであった。かねてこの事あるべしと、曹操は、渭南の県令から登用した校尉丁斐の策を用いて、河畔の堤の蔭に沿うて仮陣屋を築かせ、擬兵偽旗を植えならべて、実際の本陣は、すでにほかへ移していたのである。
のみならず、附近一帯に、塹をめぐらし、それへ棚をかけて、また上から土をかぶせ、陥とし穽を作っておいたのを、西涼勢はそうとも知らず、
「わあっ」
と、喊声をあげながら殺到したのだった。
当然、大地は一時に陥没し、人馬の落ちた上へ、また人馬が落ち重なった。
阿鼻、叫喚、救けを呼ぶ声、さながらの桶の泥鰌を見るようだった。
「しまった」
龐徳は、手足に絡む味方を踏みつぶして、ようやく坑から這い出して、坑口から槍の雨を降らしている敵兵十人余りを一気に突き伏せ、
「韓遂っ。韓遂っ」
と、呼びながら、主将のすがたを捜していた。
そのうちに、敵の曹仁の一家曹永というものに出合った。
龐徳は、渡り合って、一刀の下に、曹永を斬り伏せ、その馬を奪って、更に、敵の中へ猛走して行った。
韓遂も、坑に墜ちて、すでに危うかったが、龐徳が一時敵を追いちらしてくれたので、その間に、土中から躍り出し、これも拾い馬に跳び乗って、からくも死地をのがれることが出来た。
何にしても、この奇襲は、大惨敗に終わってしまった。
敗軍を収めてから、馬超が損害を調べてみると、千余騎のうち三分の一を失っていた。
数としては、少なかったともいえるが、馬超の心をひどく挫いたものは、かの旗本八旗のうちの程銀と張横のふたりがあえない死をとげたことだった。
しかし壮気さかんな馬超に、
「こうなれば、なおさら、曹操が野陣しているうちに撃砕してしまわねば、永久に味方の勝ち目はない」
と、その日のうちに、第二次襲撃を企てて、今度は身みずから先手に進み、馬岱、龐徳をうしろに備えて、ふたたび魏の野陣を夜襲した。
ところが、さすがに曹操は、百錬の総帥だけあって、
「今夜、また来るぞ」と、それを予察していた。
馬超の性格と、初度の敵の損害の少なかった点から観て、早くも、そう覚っていたから、馬超の第二次強襲も、なんの意味もなさなかった。
六里の道を迂回して、西涼の夜襲隊が、曹操の中軍めがけて、不意に突喊してみたところ、そこは四方に立ち並ぶ旗や幟ばかりで、幕舎のうちには、一兵もいなかったのである。
「やや。空陣だ」
「さては」
と、空を摶ってうろたえた悍馬や猛兵が、むなしく退き戻ろうとするとき、一発の轟音を合図に、四面の伏せ勢がいちどに起こって、
「馬超を生かして還すな」と、ひしめいた。
西涼軍の一将成宜はこのとき魏の夏侯淵に討たれ、そのほかの将士もおびただしく傷つけられた。馬超、龐徳、馬岱など、火花をちらして善戦したが、結局、敗退のほかなかった。
かくて、西涼軍と中央軍とは、渭水を挾んで一勝一敗を繰り返し、勝敗は容易につかなかった。
火水木金土
一
渭水は大河だが、水は浅く、流れは無数に岐れ、河原が多く、瀬は早い。
所に依って、深い淵もあるが、浅瀬は馬でも渡れるし、徒渉もできる。
ここを挾んで、曹操は、北の平野に、野陣を布いて、西涼軍と対していたが、夜襲朝討ちの不安は絶え間がない。
「曹仁、早くせい」
曹操は常に急き立てていた。
半永久的な寨の構築をである。曹仁は、築造奉行となって、渭水の淵に船橋を架け、二万人の人夫に石材木を運搬させ、沿岸三ヵ所に仮城を建つべく、日夜、急いでいた。
西涼の馬超は、知っていたが、
「まあ、造らせておけ」
そして工事が八、九分ぐらいまで出来たかと見えたところで、
「それ、焼き討ちにかかれ」と、河の南北から渉って、焔硝、枯れ柴、油弾などを仮城へ投げかけ、河には油を流して火をかけた。
船筏も浮き橋も、見事に炎上してしまった。何で製したものか、梨子か桃の実ぐらいな鞠をぽんぽん抛る。踏み潰しても消えない。ばっと割れると油煙が立ち、大火傷をする。そしてなお燃え旺る。
こういう厄介な武器を持つ西涼軍に対して、さすがの曹操も、ほとんど頭を悩ましてしまった。
智者荀攸が言う。
「渭水の堤を利用し、土塁を高く築いて、蜿蜒、数里のあいだを、壕と土壁との地下城としてしまうに限りましょう」
「地下城。なるほど。土の地下城では、焼き討ちも計れまい」
さらに、人夫三万を加え、孜々として、地を掘らせた。
坑から上げた土は、厚い土壁とし、数条の堤となし、壇となし、ここに蟻地獄のような土工業が約一ヵ月も続いた。
さながら埃及のピラミッドを見るような土城が竣工しつつある。西涼軍の方からも眺められていたにちがいない。しかし、手を下しかねているものか、しばらく夜襲も焼き討ちもなかった。
すると、渭水の水が一日増しに涸れて来た。かなり雨が降り乾いても水が増えない。変だと思っていると、一夜、豪雨が降りそそいだ。その翌朝である。
「津波だっ」
「洪水だっ」
物見が絶叫した。
人馬を高い所へ移すいとまもなく、はるか上流の方から、真っ黒な水煙をあげて、奔々と激浪が押して来た。
遠い上流の方で、もう半月も前から、西涼軍が、堰を作って、河水を溜めていたものである。
なんで堪ろう。小石交じりの河原土なので、土城は一朝にして崩れてしまった。壕も坑も埋まって跡形もない。
九月に入った。
北国のならいで、もう雪が降り出してくる。灰色の密雲がふかく天を蔽って、ここ幾日も雪ばかりなので、両軍とも、兵馬をひそめたまま睨み合っていた。
「西涼の胡夷どもは、寒さに強いし、また潼関へも引き籠れるが、味方はこの野陣のままでは、冬中吹雪に曝されておらねばならぬ。何とか、よい工夫にないか」
曹操とその幕将が、その日もしきりに討議しているところへ、飄然、名を告げて、この陣営へ訪れて来たものがある。
「これは、終南山の隠居、道号を夢梅という翁でござる」
容も凡ではない。
曹操が、見て、
「何しに来たか」
と、問うと、夢梅は、
「この夏ごろから、丞相には、渭水の北に城寨を築こうとなされているらしいが、なぜ火水に潰えぬ城をお造りにならぬかと、愚案を申しあげに来ましたのじゃ」と、言う。
なお、夢梅道人が言うには、
「これから必ず北風が吹きましょう。小石交じりの河原土でも、急に、それを構築し、築地した後へすぐ水をかけておけば、一夜にして凍りつき、いちど凍った堅さは、これから春までは解けません。要するに、氷の城ですから、火に焼かれる惧れもなく、河水に流される心配もありますまい」
告げ終わると、老翁はすぐ、飄乎として、どこかへ立ち去った。
二
一日、北風が吹き出した。曹操は、夢梅居士の教えを行なう日と、昼から三、四万の人夫を動員しておいた。
日が暮るるとすぐ、
「夜明けまでに、もう一度、土城を築け」と、命じた。
この夜は、将士もすべて、総懸かりに、それへかかった。
基礎のあった上であるから、夜明け近くにはほぼ構築された。
「水を注げ、全城へ水をかけろ」
数万の
縑の
囊や革の囊が用意されてあった。河水を

んでは手渡しから手渡しに運び、土門、土楼、土壁、土塁、
土孔、土房、土窓、築くに従って水をかけ、また水をかけた。
西涼の軍勢は、夜明けの光に、対岸をながめ、驚き合っていた。
「やあ、城が出来ている」
「いつの間」
「たった一夜のうちだ」
「見ろ。あれは、この前の土城ではない。氷の城郭だ。氷城だ」
馬超、韓遂なども出て、大いに怪しみながら、小手をかざしていたが、
「また何か、曹操の小策に違いあるまい。馳け破って、城郭の正体を見届けてくれん」
と、にわかに、鼓を打ち、大兵を集結して、河を渉った。
「来たか、北夷の子」
曹操は馬を進めて、待っていた。
馬超は、例に依って、
「おのれっ」と、牙を咬み、一躍して、曹操を突き殺そうとしたが、その側に、朱面虎髯、光は百錬の鏡にも似た眼を、じっとこちらへ向けている武将が身構えていて油断もない。
(これだな、虎癡の綽名のある例の男は?)
直感したので、馬超は、いつになく自重して、わざと試しに言ってみた。
「西涼の大将たるものは、言えば必ず行ない、行なえば必ず徹底して実を示す。聞き及ぶ、曹操は、口頭の雄で、逃げ上手だというが、汝そこを動かず、必ず馬超と一戦するの勇気があるか」
すると、曹操は、
「知らないか、田舎漢、予の側には常に、虎癡許褚という猛将がおることを。――なんで天下の鼠を憚ろうや」
言いもあえず、曹操の傍らから馬を乗り出したその虎癡が、
「すなわち、譙郡の許褚とはおれの事。汝、そこを動かず、一戦するの勇気があるのか」
と、言った。
その声は人臭いが、猛気は百獣の王に似ている。
いつぞや韓遂に言われたことばを思い出して、馬超も、心に怕れを生じたか、
「また、会おう」と言い捨てたまま馬を回し、軍を退いてしまった。
これを見ていた両軍の兵は、駭然として、
(馬超すら恐れる許褚というものはいったいどれほど強いのか)
と、身の毛をよだてぬ者はなかったという。
曹操は、氷城の陣営にかくれると諸将をあつめて、
「どうだ、きょうの虎侯、皆見たか。真にわが虎侯というべしである」と賞め称えた。
許褚は、大面目を施したので、
「明日はかならず、馬超を生け捕って御覧に入れん」と、高言した。
すなわち、その日彼は、敵へ宛てて決戦状を送り、
「明日、出馬しなかったら、天下に嗤ってやるぞ」
と、言い送った。
馬超は怒って、
「確かに、出会わん」
と返書して、夜が白むや、龐徳、馬岱、韓遂など、陣容ものものしく、押し寄せて来た。
「待っていた」とばかり、許褚は馬を躍らせて、馬超へ呼びかけた。おうっと、一言、馬超もきょうは敢然と出て戦った。
戦うこと百余合、双方とも、馬を疲らせてしまったので、各々陣中に引き分かれ、ふたたび馬を更えて人交ぜもせず戦い直した。
三
勝負は果てない。
火華をちらし、槍を砕き、また戟を更えて、鏘々、戞々、斬り結ぶとと共に百余合。
「ああ」
と、両軍の陣は、ただ手に汗を握り、うつろに謐まり返って見ているだけだった。
(――虎癡許褚を相手に、あれほど戦い得る馬超も馬超なり、また西涼の馬超を敵にまわして、これほどに戦う者も、許褚をおいては有るまい。げに、虎癡も虎癡なり)
と、ことばに出す余裕もないが、だれとて、感嘆しないものはなかった。
そのうちに、許褚は、
「ああ暑い。この大汗では眼をあいて戦えぬ。馬超、待っておれ」
斬り合っているうち、ふいに、こう吐き捨てると、またまた、ぷいと味方の陣中に引っ込んでしまった。
(どうしたのか?)
怪しんでいると、許褚は、甲盔も戦袍も脱ぎ捨てて、赤裸になるやいな、
「さあ、来い」
ふたたび大刀をひっさげて現われて来た。
その間に、馬超も汗を押しぬぐい、新しい槍を持ち更えて、一息入れていた様子。――すなわち、砂塵を捲いて、霹靂に似た喚きに狂う龍虎両雄の、三度目の一騎討ちが始まった。
威震八荒の許褚 、
「おうっッ」
と、吠えて、馬上、相手へ迫ると、馬超もまた、壮年悍勇、さながら火焰を噴くような烈槍を、りゅうりゅう眼もとまらぬ早業で突き捲してくる。
一刀、かつんと、槍の柄に鳴った。――馬超、さッと引く。許褚ふたたび振り被る。
「やおうッ」
身を交わしざま、馬超は、敵の心板を狙って、猛烈に突いた。
「くそっ」と、牙を咬んで、許褚はそれを横に払い、刀を地に投げるや否、退く槍の柄をつかんで、ぐいと、小脇に挾んでしまった。
奪られじ。
奪らん。
ふたりの阿呍は、雷と雷が黒雲を捲いて吠え合っているようだった。――奪られた方がすぐその槍で突かれるのだ。渡せない。離せない。
ばきッと、槍が折れた。だだだだっと、双方の駒がうしろへ蹌めく。嘶いて竿立ちになる。すでにまた、ふたりは槍の半分ずつを持って猛烈な激闘を交えていた。
「退き鉦、退き鉦打て」
曹操はさけんでいた。大事な虎癡に万一があっては、全軍の士気にも関わると見たからである。
が、この微妙な戦機に、龐徳、馬岱の勢は、いちどに、曹軍の陣角へ、わっと強襲してかかった。
その手の敵、夏侯淵、曹洪など、面もふらず戦ったが、全体的には西涼軍の士気強く、ひた押しに圧され、乱軍中、許褚も肘へ二本の矢をうけたほどだった。
「守って出るな」
曹操は、氷城を閉ざした。氷の城郭も、こうなるとものをいう。この日馬超も、軍を収めてから、
「自分も幼少からずいぶん手強い人間にも遭ったが、まだ許褚のごときものは見ない。真に彼は虎癡だ」と、舌を巻いていた。
その後、曹操の方にも、何等、良計はなく、徐晃と朱霊のふたりに四千騎をさずけて、渭水の西に伏せ、自身、河を渉って、正面を衝こうとしたが、事前に、馬超の方から軽兵数百騎をひきい、氷城の前に迫り、人も無げに、諸所を蹂躙して去った。
土楼の窓から、それを眺めていた曹操は、被っていた盔を抛って、
「実に馬超という敵は尋常な敵ではない。彼の生きてあらん限りはこの曹操の生は安んじられない」と言った。
それを聞いていた夏侯淵は、
「これほど御味方に人もあるものを、ただ一人の馬超のため、それまで御心を傷ましむるとは、何たることか。われ誓って、馬超と共に刺し交えん」
と、その夜、曹操が止めるもきかず、部下千騎をひきいて討って出た。
四
案のじょう、それからほどなく夏侯淵の手勢、苦戦に陥つ、と報らせが来た。
捨てても措けず、曹操はすぐ自身救援に赴いたが、敵勢は、「曹操が出て来たぞ」と伝えあうや、かえって、意気を旺にした。
のみならず、馬超は、曹操の中軍を割って、
「天下の賊。逃げるな」と、彼を追い馳け追い廻した。
所
、力ずくでは
敵わぬと思ったか、曹操はまた氷の
城塞へ逃げこんでしまった。しかし、その間に、苦戦をしのんで、一方の兵力を
割き、渭水の西から、大兵を渡していた。
「出よ、曹操。――汝は蓑虫の性か、穴熊の生まれ変わりか」
馬超は氷城の下まで迫って、罵っていた。
ところへ、後陣の韓遂から伝令があって、
「後方に異状が見える」
と、いう急報。
暁早く、馬超は総勢を収めて、陣地へ帰った。その日、情報に依ると、
「昨夜、渭水の西を渉った大軍は早くもお味方の背後へまわって、陣地の構築を始めています」
掌から水が漏れたように、韓遂は、
「うしろへ廻ったか。......ついにうしろへ」
駭然とさけんだ。
そこで韓遂は、万事は休すと思ったか、方針一転を馬超に献言した。如かず、これまで斬り取った地を一時曹操に返し、和睦をして、この冬を休戦し、春と共にべつな計をお立てなさい、というのである。戦機を観ること、さすが慧眼だった。
楊秋、侯選などの幕将も、
「もっともなお説」
と、みな馬超を諫めた。
数日の後、楊秋は一書を携えて、曹操の陣へ使した。和睦の申し入れである。
曹操は内心、渡りに舟と思ったが、まず使者を返して後、謀将の賈詡にこれを計った。
賈詡はいう。
「明らかに偽降です。が、突き放す策もよくありません。和睦をゆるし、こちらはこちらで、手を打てばよい」
「手を打つとは」
「馬超の強さは、韓遂の戦略があればこそです。韓遂の作戦は、馬超の勇があってこそ、生きて来ます。ふたりを相疑わせて疎隔してしまえば、西涼勢とて、枯れ葉を掃くようなものじゃありませんか」
次の日。
馬超の手もとへ、曹操から返簡が来た。色よい返事である。しかし、馬超はなお数日疑っていた。
「曹軍は、この二三日、後方の支流に浮き橋を架けて、都へ引き揚げる通路を作っているが、いかにもわざとらしい。曹操の部下徐晃と朱霊の軍は、なお渭水の西にあってうごかないじゃないか」
「奇、正。この二態は、軍隊の性格で怪しむに足りません。しかし要心は必要でしょう」
と、韓遂も油断せず、一陣は西に備え、一陣は曹操の正面に向け、厳として気を弛めなかった。
敵方の警戒ぶりを聞くと、曹操は、賈詡をかえりみて笑った。
「まず、成就だな」
やがて約束の日、曹操は盛装を凝らして、おびただしい諸大将や武具をひきつれ、自身条約のため、場所へ出向いた。
まだこのような豪壮絢爛な軍隊を見たこともなく、曹操の顔も知らない西涼の兵隊は、途々に堵列して、
「あれは何だろ?」
「あれが曹操か」
などと物珍しげに、指さし合う。
曹操は、駿馬に跨がり、金袍金冠のまばゆき姿を、すこし左右にうごかして、
「やよ、西涼の兵ども、予を見て、珍しと思うか。見よ、予にも、眼は四つは無く、口は二つないぞ。ただ異なるのは智謀の深さだけだ」と、戯れを言った。
戯れにはちがいないが、西涼の軍勢は、その笑い顔に震い怖れて、みな口を結んでしまった。
敵中作敵
一
韓遂の幕舎へ、ふいに曹操の使いが見えた。
「はて。何か?」
使の齎した書面を披いてみると曹操の直筆にちがいなく、こう認めてある。
君ト予トハ元ヨリ仇デハナク、君ノ厳父ハ、予ノ先輩デアリ、長ジテハ、君ト知ッテ、史ヲ語リ、兵ヲ談ジ、天下ノ為、大イニ成スアランコトヲ、誓イアッタ友ダッタ。
端ナクモ、過グル頃ヨリ敵味方トワカレ、矢石ノアイダニ別ルルモ、旧情ハ一日トテ、忘レタコトハナイ。
イマ幸イニ、和議成ッテ、予ナオ数日、渭水ノ陣ニアリ。乞ウ、一日、旧友韓遂トシテ来リ給エ。
「ああ、彼も、忘れずにいるか」
韓遂は、旧情をうごかされて、翌日、甲も着ず、武者も連れず、ぶらりと、曹操を訪れた。
「やあ、ようこそ」
曹操はなぜか、内へ導かない。自分の方から陣外へ出て来て、いとも親しげに、平常の疎遠を詫びた。
そして、なお、言うには、
「お忘れではあるまい。あなたの厳父とは、共に孝廉に挙げられ、少壮のころには、いろいろお世話になったものだ。後あなたも都の大学を出、共に官途へ進んでからは、いつともなく疎遠に過ぎたが、今は、お幾歳になられるか」
「それがしも、すでに四十です」
「むかし、都にあって、共に、青春の少年であった時代は、よく書を論じ、家を出ては、白馬金鞍、花を尋ねて遊んだこともあったが、そのあなたも、早、中老になられたか」
「丞相も、変わりましたな。少し鬢にお白いものが見える」
「ははは。いつか、ふたたび太平の時を得て、むかしの童心に返ろうではないか。――おう今日は、折角、此方から書面しながら失礼ですが、幕中、折わるく諸将を会して要談中なので」
「いや、また会いましょう」
韓遂は、気軽に戻った。
この態を、見ていたものが、すぐ馬超へ、ありのままを話した。
安からぬ顔色をしていたが、翌る日、馬超はほかの用事にことよせて、韓遂を呼び、
「時に、貴公は昨日、渭水のほとりで、曹操と、何か親しげに、密談をしておられた由だが......」
「密談を」――韓遂は、眼をまろくしながら、顔の前で手を振った。
「青空の下の立ち話。密談などした覚えはない。また軍事に就いては、爪の垢ほども、語りはしません」
「いや、貴公が言い出さなくとも、曹操の方から何か」
「少年時代、共に都にあった事どもを、二三話して別れただけです」
「そうか。そんなに古くから、彼とは、親しい仲であられたのか」
馬超は、嫉ましげな眸をした。が、韓遂は、まったく、何の後ろ暗いこともないので、笑い話をして帰った。
ひそやかな、陣中の一房へ、曹操はその晩、賈詡を呼びよせていた。
「どう見えた。きょうの計は」
「妙趣、御奇想天外です」
「西涼兵の眼に、映ったろうな」
「もちろん、もう馬超の耳へ入っておりましょう。が、もう一つ足りません。あれでは、まだ韓遂を、心から疑わせるまでには行きますまい」
「それには、どうしたらよいか」
「丞相からもう一度、親書を韓遂にあててお書きなさい」
「そうそう、用もないのに、書簡をやるのもおかしかろう」
「かまいません。文章をもって、相手を動かすのが目的ではありませんから。――文字などもわざと朧に認め、肝要らしい所は、思わせ振りに、朱筆で塗りつぶし、また削り改めたりなどして、一見、怖ろしく複雑で重要そうに見えさえすればよろしいのです」
「むずかしいのう」
「兵馬を費う事を考えれば、そのくらいな労は、何ほどでもありますまい。必定、受け取った韓遂も、一体、何だろうと、愕き怪しんで、きっとそれを、馬超の所へ見せに行くに違いありません。ここまで来れば、はや計略は、成就したも同じことです」
二
その後、馬超は、腹心の男をして、ひそかに、韓遂の陣門に立たせ、出入りを見張りさせていた。
「今夕、またも、曹操の使いらしい男が、韓遂の営内へ、書簡を届けて立ち去りましたが?」
腹心の者から、こう報らせがあったので、馬超は、
「果たして!」と、自分の猜疑を裏書きされたもののごとく、夜食も摂らぬまに、ぷいと出て、韓遂の陣門を叩いた。
「何事ですか、おひとりで」
韓遂は、驚いて迎えた。休戦中ではあるし、幾分の寛ぎもあって、晩餐に向かっていた所だった。
「いや、急に戦いも歇んで、何やら手持ち不沙汰だから、一盞、馳走になろうかと思って」
「それならば、前もって、お使いでも下されば、何ぞ、陣中料理でもしつらえて、盞を洗ってお待ち申しておりましたのに」
「なに、こういう事は、不意のほうが興味がある。ひとつ貰おうか」
「恐縮です。このままの杯盤では」
「いやいや、構わん」と、一杯うけて、
「ときに、その後は、曹操から何か言って来たかね」
「あれきり会いませんが、たった今、妙な書簡をよこしたので、飲みながら独りここへ置いて、判じ悩んでいるところです」と、卓の上に披げてある書面へ眼を落として答えた。
馬超は、初めて、それへ気がついたような顔して、
「どれ、......」と、すぐ手を伸ばして取った。
「なんの意味やら、読解がおつきになりますまい。それがしにもわからないのですから」
馬超は返事も忘れてただ見入っていた。
辞句も不明だし、諸所に、克明な筆で、塗りつぶしたり、書き入れがしてある。いかにも怪しげな書簡だ。馬超は袂へ入れて、
「借りて行くぞ」
「どうぞ......」とは答えたものの韓遂は妙な顔をしていた。――そんな物を何にする気かと。
すると翌日、使者が来た。馬超からの召し出しである。もちろん、彼はすぐ出向いたが、馬超はすこし血相を変えていた。
「ゆうべ、立ち帰ってから、曹操の書簡を灯に透かしてみると、どうも不穏な文字が見える。御身は、まさかこの馬超を、曹操へ売る気ではあるまいな」
「けしからぬお疑い」と、韓遂も、色を作したが、
「それで先ごろからの、変な御様子の原因が解けました。言い訳もお耳には入りますまい」
「いや、申し開きがあるならば言ってみたがいい」
「それよりは、事実をもって、君に対する信を明らかにします。明日、それがしが、わざと曹操の城寨を訪ね、過日のように、陣外で曹操と談笑に時を過ごしますから、あなたは附近に隠れて、不意に、曹操を討ち止めて下さい。曹操の首を挙げれば、それがしのお疑いなど、自ら釈然と氷解して下さるでしょう」
「御身はきっと、それをして見せるか」
「御念には及びません」
即ち、韓遂は翌る日、幕下の李湛、馬玩、楊秋、侯選などを連れて、ぶらりと、曹操の城寨を訪ねた。
曹操は先ごろから、例の氷城にもどっている。取り次ぎのことばを聞くと、
「曹仁。代わりに出ろ」
と、居合わせた曹仁の耳へ、何か囁いた。
曹仁は、衆将を従えて、恭しく陣門を出て来ると、馬上のまま韓遂の側へ寄り添って、
「いや、昨夜は、お手紙を有り難う。丞相もたいへん欣んでおられる。しかし、事前に発覚しては一大事、ずいぶん御油断なく、馬超の眼に御注意を」
言いすてると、さっと立ち去って、何言うまもなく、陣門を閉めてしまった。
物陰にいた馬超は激怒して、韓遂が帰るや否、彼を成敗すると猛ったが、旗本たちに抱き止められて、悶悶と一時剣を収めた。
三
悄然と、韓遂は自分の営へ、戻って来た。
八旗の中の五人の侍大将たちが、早速やって来て慰めた。
「われわれは将軍の二心なき忠誠を知っています。それだけに心外で
堪りません。馬超は勇あれど
智謀足らず、
所
は曹操に敵しますまい。いっその事、今のうちに、将軍も曹操に
降って、安身長栄の工夫をなすってはいかがです」
「慎め、卿等は何をいうか。この韓遂が起ったのは、馬超の父馬騰に対して生前の好誼に酬う義心一片。何で今さら、彼を捨てて、曹操に降ろうぞ」
「いやいや、それに将軍の片思いと言うもの。馬超の方では、かえって、あなたを邪視しているのに、そんな節義を一体だれに尽くすつもりですか」
楊秋、李湛、侯選など、交わる交わる離反をすすめた。かの五旗の侍大将は、すでに馬超を見限っているもののようであった。
ここに至って、ついに、韓遂も変心を生じてしまった。楊秋を密使に立て、その晩、ひそかに曹操に款を通じた。
「成就、成就」
曹操は手を打ってよろこんだにちがいない。懇篤な返書とともに極めて綿密な一計をさずけて来た。すなわち曰う。
明夕、馬超ヲ招イテ、宴ヲ為スベシ。油幕ノ四囲ニ枯レ柴ヲ積ミ、火ヲ以テマズ巨鼠ヲ窒息セシメヨ。火ヲ見ナバ曹操自ラ迅兵ヲ率シテ協力シ、鼓声喊呼ニツツンデ馬超ヲ生ケ捕リニセン。
韓遂は翌日、五旗の腹心をあつめて、協議していた。
曹操から言ってよこした策は必ずしも万全と思えないからであった。
「いま招いても、馬超の方でこれへ参るまい」
韓遂の心配はそこにある。
「いや、案外来るかもしれませんよ。将軍が、謝罪するとおっしゃれば」
楊秋がいうと、侯選も、
「何といっても、若い所のある大将だから、口次第ではやって来ましょう」と、言う。
李湛もまた、
「弁舌をもって、きっと、馬超を案内して来ます。その点はわれわれにお任せ下さい」
と自負して去った。
では、時刻を待つとて、油幕を張り、枯れ柴を隠し、宴席の準備をした。そして韓遂を中心に、まず前祝いに一献酌み交わして、手筈をささやいていると、そこへ突然、
「反逆人どもっ。うごくな」と、罵りながら入って来た者がある。
見ると、馬超ではないか。
「あっ。......これは」
不意をつかれて、狼狽しているまに、馬超は剣を抜くや否、韓遂に飛びかかり、
「おのれっ、昨夜から、何を密議していたか」と、斬りつけた。
韓遂は、戟を把るまもなかったので、左の肘を上げて、身を防いだ。馬超の剣は、その左手を腕の付け根から斬り落とし、なおも、
「どこへ逃げる」
追い廻していると、五旗の侍大将が、左右から馬超へ打って蒐って来た。
油幕の外は火になった。馬超は血刀をひっさげて、
「韓遂は、韓遂は」
血まなこに捜している。
彼の前を邪げた馬玩は立ちどころに殺されたし、彼に従って来た龐徳、馬岱なども、韓遂の部下を手当たり次第に誅殺していた。ところがたちまち渭水を渡って来た一陣、二陣、三陣の騎兵部隊が、ものも言わず、焰の中へ駈けこんで来て、
「馬超を生け捕れっ」
「雑兵に眼をくれず、ただ、馬超を討て」
と、励まし合った。
その中には、
虎癡許褚をはじめとして、
夏侯淵、
徐晃、
曹洪などの曹軍中の
驍将はことごとく
出
っている。馬超は、ぎょッとして、
「さてはすでに、手筈はととのっていたか」
と、急に陣外へ駈け出したが はや龐徳は見えず、馬岱も見あたらない。
彼ですらそれほどあわてたくらいだから、西涼勢の混乱はいうまでもなく、各所の陣営からは濛々と黒煙が揚がっていた。
日は暮れたが、焰は天を焦がし、渭水のながれは真っ赤だった。
兵学談議
一
戒めなければならないのは味方同士の猜疑である。味方の中に知らず知らず敵を作ってしまう心なき業である。
が、その反間苦肉をほどこした曹操の方から観れば、いまや彼の軍は、西涼の馬超軍に対して、完全なる、
敵中作敵
の計に成功したものといえる。
味方割れ、同時に、和睦の決裂だ。――馬超は、自ら放けた火と、自ら招いた禍の兵に趁われて、からくも、渭水の仮橋まで逃げのびて来た。
顧みると、龐徳、馬岱とも散り散りになり、つき従う兵といえば、わずか百騎に足らなかった。
「やああれに来るは、李湛ではないか」
西涼を出るときは、八旗の一人と恃んでいた旗本。
もちろん味方と信じていると、その李湛は、手勢をひいてこれへ近づくや否、
「や、あれにおる。討ち洩らすな」
と、自身も真っ先に、鎗をひねって馬超へ撃って蒐った。
馬超は驚いて、
「貴様も謀反人の片割れか」
赫怒して、これに当たると、李湛は、その勢いに恐れて、馬を回しかけた。
すると、一方からまた、曹操の部下于禁の人数が、わっと迫り、于禁は軍勢の中に揉まれながら、矢をつがえて、馬超を遠くから狙っていた。
弦音と共に馬超は馬の背へ屈みこんだので、矢はぴゅんと、反れていった。
皮肉にも、そのそれ矢は、李湛の背にあたって、李湛は馬から落ちて死んだ。
馬超は、わき目もふらず、于禁の人数へ駈け入った。そしてさんざんに敵を蹴ちらし、渭水の橋の上に立って、ほっと大息をついていた。
夜は更け、やがて夜が明けそめる。
馬超は橋上に陣取って、味方の集合を待っていたが、やがて集まって来たのは、ことごとく敵兵の声と敵の射る箭ばかりだった。
橋畔の敵勢は、刻々と水嵩を増す大河のように、囲みを厚くするばかりである。かくてはと、馬超は幾度も橋上から奮迅して、敵の大軍へ突撃を試みたが、そのたびに、五体の手傷を殖やして、空しくまた、橋上に引っ返すほかなかった。
のみならず、左右の部下は、ふたたび橋の上に帰らず、ある者は矢にあたって、ばたばた目の前に仆れてゆくので、
「ここで立ち往生を遂げるくらいなら、もう一度、最後の猛突破を試み、首尾よく重囲を斬り破れば、一方へ拠って再挙を計ろう。またもしそれも成らずに斃れるまでも、ここで満身に矢をつけて空しく死ぬよりまだ増しだぞ」
残る面々をうち励まして、わうっと、猛牛が火を負って狂い奔るように、馬超はふたたび橋上を駈け出した。
「つづけ」
「離れるな」
と、馬超の将士四、五十人も死に物狂いに突貫した。人、人を踏み、馬、馬を踏み、曹軍の一角は、血を煙らせて、わっと分かれる。
けれど、馬超に従う面々は、随処にその姿を没し、彼はいつか、ただ一騎となっていた。
「近づいてみろ。この命のあらん限りは」
鎗は折れたので、疾うに投げ捨てている。敵の矛を奪って薙ぎ、敵の弩弓を取って、撲りつけ、馬も人も、さながら朱で描いた鬼神そのものだった。
――が、いくら馬超でも、その精力には限度がある。もうだめだと、ふと思った。
(もう駄目)
それをふと、自分の心に出した時が、人生の難関は、いつもそこが最後となる。
「くそっ、まだ、息はある」
馬超は気づいて、自分の弱音を叱咤した。そしてまた、目にも見余る敵軍に押し揉まれながら、小半刻も奮戦していた。
折しも西北の方から一手の軍勢がこれへ馳けて来た。思いもよらず味方の馬岱、龐徳だった。曹軍の側面を衝いてたちまち遠く馳けちらし、
「それっ、いまの間に」と、ばかり馬超の身を龐徳が鞍わきに抱きかかえると、雲か霞かのように、遠く落ちて行った。
二
敵中作戦の計が見事成功したのを望んで、曹操は馬を前線へ進めて来た。そして、馬超を逸したと聞くと、
「画龍点睛を欠く」
と、つぶやいて、すぐ馬前の人々へ言った。
「馬超に従いて落ちて行った兵力はどの位だったか」
ひとりの大将が答えて言う。
「龐徳、馬岱などの、約千騎ばかりです」
「なに、千騎。――それならもう無力化したも同じものだ。汝等、日夜をわかたず、彼を追いかけて、殊勲を競え。もし馬超の首を携えて来たら、その者には、千金を賞するであろう。また馬超を生け捕って来た者には、身分を問わず、万戸侯に封じて、一躍、諸侯の列に加えてやろう」
これは大きな懸賞である。いでやとばかり、下は一卒一夫まで、奪い立って、馬超追撃を争いあった。
こういう
慾望と情勢の目標にされては、いかに馬超でも
堪るものではない。追い詰められ追い詰められ、また、取って返しては敵に当たり、踏み
止まっては追っ手と戦い、果ては、わずか三十騎に討ち減らされ、夜も寝ず、昼も

わず、ひたすら
西涼へさして逃げ落ちた。
龐徳と馬岱とは、途中、馬超とも別れ別れになってしまい、遠く隴西地方を望んで敗走したが、それと知って、曹操は自身、
「いま彼等を地方へ潜伏させては」
と、禍の根を刈るつもりで、あくまでも追撃を加えていた。
そして、長安郊外まで来ると、都から荀彧の使が、早馬に乗って、一書を齎して来た。
「北雲急なりと見て、南江の水しきりに堤を断らんとす。すこしも早く、兵を収めて、許都に還り給わんことを」と、ある。
そこで曹操は、全軍をまとめ、
「ひとまず引き揚げよう」と、軍令を一下した。
左の手を斬り落とされた韓遂を西涼侯に封じ、また彼と共に降参した楊秋、侯選なども、列侯に加えて、それには、
「渭水の口を守れ」と、命じた。
ときに元、涼州の参軍で、楊阜という者、すすんで彼にこう意見をのべた。
「馬超の勇は、いにしえの韓信、英布にも劣らない者です。今日、彼を討ち洩らしてのお引き揚げは、山火事を消しに行って、また山中に火だねを残して去るようなもので、危険この上もありません」
「いうまでもなく、それは案じている。せめて彼の首を見、予自身半年もいて、戦後の経略までして還れば万全だが、何せい、都の事情と南方の形勢は、それをゆるさぬ」
「以前、それがしと共に、涼州の刺史を務めていた者で、韋康という人物があります。よく涼州の事情に通じ民心を得ていますから、この者に、冀城を守らせ、一軍を領せしめておいたら、大きな抑えともなり、たとい馬超が再起を計っても、やがて自滅して行くものと考えられますが」
「では、その任を、其方に命じよう。汝と、その韋康と、よく心を協せて、ふたたび馬超が勢いの根を蔓らせぬように努めるがいい」
「それには、一部の御味方をとどめて、長安の要害だけは、充分お守り下さるように」
「もちろんだ。長安の堺には、充分な兵力と、だれかしかるべき良将も残して行こう」
すなわち夏侯淵に対して、命は下った。
「旧都長安には、韓遂をとどめておくが、彼は、左腕を失って、身のうごきもままになるまい。汝は、予が腹心、予に成り代わってよく堺を守れよ」
すると、夏候淵が、
「張既、字を徳容という者がいます。高陵の生まれです。これを京兆の尹にお用い下さい。張既と力を協せて、必ず、丞相をして二度と西涼の憂を無からしめてみせます」
「よろしい。張既ものこれ」
曹操は、乞いをゆるした。
三
あすは都へ還るという前夜、曹操は諸大将と一夕の歓を共にした。
その席上で、一人の将が、曹操に訊いた。
「後学のため、伺いますが。――合戦の初めに、馬超の軍勢は、潼関に拠っていましたから、渭水の北は遮断された形でした」
「ムム」
「で当然、河の東を攻めて、お進みかと思いのほか、さはなくて、いたずらに野陣の危険に曝されたり、後また北岸に陣屋を作り、いつになく、戦法に惑いがあるように見えましたが......」
「それは、難きを攻めず、易きを衝く、兵法の当然を行なったまでだ」
「それならわかりますが、今度はその反対のように動いたとしか思われませんでしたが」
「その条件を、敵方に作らせるよう、初めには、わざと敵の充実している正面に当たると見せ、敵兵力をことごとく味方の前に充実させておいてから、徐晃、朱霊などの別働隊をもって、敵兵力の薄い河の西からたやすく越えさせたわけじゃ」
「なるほど、では丞相の主目的は、むしろ別働隊のほうにあったわけですな」
「まず、そんなものか」
「後、わが主力は北へ渡り、堤にそって寨を構築し、しばしば失敗したあげく、氷の城まで築かれましたが、丞相も初めには、こう早く戦が終わろうとはお思いなさらなかったものでしたか」
「いやいや、あれはわざと、味方の弱味を過大に見せ、敵を驕り誇らせるためと、もう一つは、西涼の兵は悍馬のごとく気短かだから、その鋭角を鈍らすため、ことさらに、悠長を見せて彼を焦立たせたまでの事」
「敵中作敵の計は、疾く前から考えのあったことですか」
「戦機は勘だ。また天来の声だ。常道ではいえない。戦前の作戦は、大事をとるから、ただ敗けない主義になり易い。それがいざ戦に入ると、疾風迅雷を要してくる。また序戦では、参謀の智囊と智囊とは敵味方とも、いずれ劣らぬ常識戦で対峙する。だがそのうちに、天来の声、いわゆるカンをつかみ、いずれかが敵の常道を覆すのだ。ここが勝敗のわかれ目になる。すべて兵を用いるの神変妙機は一概にはいい難い」
かれの解説は、子弟に講義しているように、懇切であった。諸将はまた、口々に訊ねた。
「出陣の初め、丞相には、西涼軍の兵力が刻々と増し、その中には八旗の旗本、猛将なども多いと聞かれたとき、手を打ってお歓びになりましたが、あれはいかなるお気持ちであったのですか」
「西涼は、国遠く、地は険に、中央から隔てられている。その王化の届かぬ暴軍が、いちどに集まって来てくれれば、これは労せず招かず猟場に出てくれた鹿や猪と同じではないか」
「ははあ、なるほど」
「もし、彼等が、西涼を出ず、王威にも服さず、ただ辺境にいて、威を逞しゅうしているのを、遠征しようとするならば、莫大な軍費と兵力と年月を必要とする。おそらく一年や二年ぐらいでは、今度ほどな戦果を収めることはできなかったろう。......で思わず、西涼軍が大挙して来ると聞いたとき、嬉しさのあまり、歓びを発したが、それに不審を抱いたことは、そち達もようやく兵を語る眼がすこしあいて来たというものである。この上とも実戦のたびには、日ごろの小智に囚われず、よく大智を磨くがよい」
語り終わって、曹操は、杯をあげた。諸大将もみな嘆服して、
「丞相いまだ老いず」
と、心から賀した。
都に還ると、献帝はいよいよ彼を怖れ給うて、自身、鸞輿に召して、凱旋軍を迎え、曹操を重んじて、漢の相国蕭何のごとくせよと仰せられた。すなわち彼は、履のまま殿上に昇り剣を佩いて朝廷に出入りするのも許される身となったのである。
蜀人・張松
一
近年、漢中(陜西省・漢中)の土民のあいだを、一種の道教が風靡していた。
五斗米教。
仮にこう称んでおこう。その宗教へ入るには、信徒になるしるしとして、米五斗を持ってゆくことが掟になっているからである。
「わしの家はなぜか病人がたえない」とか、
「こう災難つづきなのは、何かのたたりに違いない」とか、それと反対に、
「うちの躄が立った」などというのもあるし、
「五斗米教のお札を門に貼ってから、奇妙に盗賊が押し掛けて来ない」
などと、迷信、浮説、噓、ほんと、雑多な声に醸されながら、いつのまにか漢中におけるこの妖教の勢力とその殿堂は、国主を凌ぐばかりであった。
教主は、師君と称している。その素姓を洗えば、蜀の鵠鳴山にいてやはり道教をひろめていた張衡という道士の子で、張魯、字を公棋という人物だった。
これが、漢中に来て、いわゆる五斗米教を案出し、
「あわれな者よ。みなわれに縋れ。汝等の苦患はみな張魯がのぞいてやる」
と、愚民へ呼びかけた。
民衆の逆境は、このときほどはなはだしい時代はない。どこを捜したって満足に家内

ってその日を楽しんでいるなどという家はない。しかも教養なく、あしたの希望もない民衆は、
「これこそ天来の道士様」
と、たちまち五斗米をかついで礼拝に来る者が、
門に
市をなした。
師君の張魯をめぐって、治頭、大祭酒などという道者がひかえ、その下に鬼卒とよぶ祭官が何百人とある。
不具、病人などが、祈禱をたのむと、
「懺悔せよ」と、暗室に入れ、七日の後、名を書いたお札を、一通は山の上に埋けて、天神に察するものだといい、一通は平地に埋けて地神に詫びをするといい、もう一通は水底に沈めて、
「おまえの罪業は、水神にねがって、流してもらった」と、言い聞かせる。
愚民は信ずるのだった。その
妄信から時々、
奇蹟が生ずる。すると、大祭を行なう。漢中の街は、邪宗門のあくどい
彩で塗りつぶされ、

門には豚、鶏、織物、砂金、茶、あらゆる奉納品が山と積まれ、五斗入り袋は、十
倉の
棟にいっぱいになる。
こうして、邪教の猖獗、年ごとにはなはだしくなり、今年でもう三十年にもなるが、いかにせん、その悪弊は聞こえて来ても、中央に遠い巴蜀の地である。 令をもって禁止することも、兵を向けて一掃することもできない。
そこでかえって、教主張魯に対しては、卑屈な懐柔策を取って来た。彼に鎮南中郎将という官職を与え、漢寧の太守に封じて、そのかわりに、
「年々の貢を怠るなかれ」と誓わせて来たのである。
従って、五斗米教は、中央政府の認めている官許の道教として、いよいよ毒を庶民に植えつけて、今や巴蜀地方は、一種の教門国と化していた。
すると、ついこのごろのこと。
漢中の一百姓が、自分の畑から、黄金の玉璽を掘り出しびっくりして庁へ届けて来た。
張魯の群臣は、みな口をそろえて、
「これこそ、天が、漢寧王の位に即くべしと、師君へ授け給うたもの」
と、彼に、王位に即くことをすすめた。
すると、閻圃という者が、思慮ありげに、こう進言した。
「なるほど今は、中央の曹操、西涼の馬超を討って、気いよいよ驕り、人臣としては、いわゆる天井をついた象。たしかに撃つべきときに違いないが、まず我等は、蜀四十一州を内に併合統一して、しかる後、彼に当たるのが、正しくないかと考えられますが。――師君の御賢慮はいかがでしょうか」
二
師君張魯の弟に、張衛という大将がいる。
いま、閻圃の言を聞くと、その張衛は、
「しかり、しかり。閻圃の説こそ、大計というものである」
と言いながら前へ進んで、彼の献策を更に裏書きして、こう大言した。
「先ごろ来、西涼の馬超が破れた事から、領内混乱に陥り、西涼州の百姓たちの逃散して、漢中に移り来るもの、すでに数万戸にのぼると聞く。――加うるに、従来、漢川の民、戸数十万に余り、財ゆたかに糧は盈ち足り、四山谿流、道は嶮岨にして、一夫これを守れば万卒も通るを得ず、と古来から言われておる。もしこれに蜀を加えて、統合を施し、よく武甲と仁政をもって固め、上に帝王を定むるならば、それこそ千年の基業を開くことができるに相違ない。――家兄、願わくは不肖張衛に、入蜀の兵馬を授けたまえ。誓って、この大理想を顕現してお目にかけん」
両者の言に、張魯も意をうごかされて、
「よろしかろう。疾く準備にかかれ」と、聴許した。
かくて、漢中の兵馬が、ひそかに、蜀を窺っているとき、その蜀は今、どんな状態にあったろうか。
巴蜀。すなわち四川省。
長江千里の上流、揚子江の水も三峡の嶮に狭められて、天遠く、碧水いよいよ急に、風光明媚な地底の舟行を数日続けてゆくと、豁然、目のまえに一大高原地帯が展ける。
亜細亜の屋根、パミール高原に発する崑崙山系の起伏する地脈が、支那西部に入っては岷山山脈となり、それらの諸嶺をめぐり流れる水は、岷江、金沱江、涪江、嘉陵江などに岐れてはまたひとつ揚子江の大動脈へ注いで来る。
四川の名は、それに起困る。河川流域の盆地は、米、麦、桐油、木材などの天産豊かであり、気候温暖、人種は漢代初期からすでに多くの漢民族が入って、いわゆる巴蜀文化の殷賑を招来していた。その都府、中心地は、成都である。
ただこの地方の交通の不便は言語に絶するものがある。北方、陝西省へ出るには有名な剣閣の嶮路を越えねばならず、南は巴山山脈に遮られ、関中に出る四道、巴蜀へ通ずる三道も、嶮峻巍峨たる谷あいに、橋梁をかけ蔦葛の岩根を攀じ、わずかに人馬の通れる程度なので、世にこれを、
「蜀の桟道」と呼ばれている。
さて、こういう蜀も、ついに、時代の外の別天地ではあり得なかった。
蜀の劉璋は漢の魯恭王が後胤といわれ、父劉馬が封を継いでいたが、その家門と国の無事に馴れて、いわゆる遊惰脆弱な暗君だった。
「漢中の張魯が攻めて来るとか。いかがすべきぞ。ああ、どうしたらいいか」
彼は、生まれて初めて、敵というものが、すぐ隣にいたのを知ったのである。
蜀の諸大将も、みな怯えた。するとひとり、評議の席を立って、
「不肖ですが、それがし、三寸の舌をうごかして、よく張魯が軍勢を退けて御覧にいれる。乞う、お案じあるな」と、言った者がある。
見れば、その人は、脊丈五尺そこそこしかなく、短身長臂、おまけに、鼻はひしげ、歯は出ッ歯で、額は鋤の刃みたいに広くて生え際がてらてらしている。
ただ大きいのは声だけだ。声は鐘を撞くように余韻と幅がある。
「やあ、張松か。いかなる自信があって、さような大言を吐くか」
劉璋以下、諸大将が半ば危ぶみながら問うと、
「百万の兵も、一心に動く。一心の所有者に、それがしの一舌をもって説く。なんで、動かし得ぬことがありましょうか」と。許都に上って、曹操に会見し、将来の利害大計を述べて、この禍を変じて、蜀の大幸として見せん――と、諄々、腹中の大方策を披瀝した。
張松の考えているその内容とはどんなものか、とにかく、彼の献策は用いられることとなり、彼は早速、遠く都へ使して行くことになった。
その旅行の準備にかかるかたわら、彼は自分の家に、画工を雇って、西蜀四十一州の大鳥瞰図を、一巻の絵巻にすべく、精密に写させていた。
三
画工は五十日ほどかかってようやくそれを描き上げた。四十一州にわたる蜀の山川谿谷、都市村落、七道三道の通路、舟帆、駄馬の便、産物集散の模様まで、一巻数十尺の絵巻のうちに写されていた。
「これを開けば、いながらにして、蜀に遊ぶようなものだ。よしよし。上出来」
張松は、画工を犒った。
彼は直ちに、劉璋に謁して、出発の準備も調いましたればと、暇を告げた。
劉璋は、かねて用意しておいた金珠錦繡の贈り物を、白馬七頭に積んで、彼に託した。もちろん曹操への礼物である。
千山万峡、嶮岨を越えて、使者の張松は都へ向かった。
時、曹操は銅雀台へ遊びに行って、都へ還ったばかりであった。
江南の風雲は、なお測り難いものがあるが、西涼の猛威を、一撃に粉砕し、彼の意はいよいよ驕り、彼の臣下はますます慢じ、いまや、曹操一門でなければ人でないような、我が世の春を、謳歌していた。
「さすがは、花の都」
張松も、眼を驚かされた。魏の文化の眩さに、白馬七頭に積んで来た礼物も、曹操の前に出すには気恥ずかしいような気がした。
ひとまず旅館に落ち着き、相府に入国の届けを出し、また迎使部の吏を通じて、拝謁簿に姓氏官職などを記録し、
「やがて丞相からお沙汰のあるまで相待つように」
という吏員のことばに従って、その日の通知を待っていた。
ところが、幾日たっても、相府からの召しがないので怪しんでいると旅亭の館主が、
「それは、姓氏を簿に書き上すとき、賄賂を吏員に贈らなかったからでしょう」
と、注意してくれた。
そこで、客舎の主人から莫大な賄賂を相府の吏員に贈ると、ようやく五日目ごろに、沙汰があって、張松は、曹操に目通りすることができた。
曹操は、一眄をくれて、
「蜀はなぜ毎年の貢物を献じないか」
と、罪を責めた。
張松は、答えて、
「蜀道は、嶮岨な上に、途中盗賊の害多く、到底、貢を送る術もありません」
と、言った。
曹操は、はなはだしく、自分の威厳を損ぜられたような顔をして、
「中国の威は、四方に遍く、諸州の害を掃って、予は今やいながらに天下を治めておる。なんで、交通の要路に野盗乱賊が出没しようか」
「いやいや。決してまだ天下は平定していません、漢中に張魯あり、荊州に玄徳あり、江南に孫権の存在あり。加うるに、緑林山野、なお無頼の巣窟に適する地方は、どれほどあるかわからない」
曹操は急に座を起って、ぷいと後閣へ入ってしまった。激怒した容子である。張松は、ぽかんと、見送っていた。
階下に整列していた近臣も、興を醒まして、張松の愚を嗤った。
「外国の使臣として、はるばる参りながら、あえて丞相の御心に逆らうとは、いやはや、不束千万。再度のお怒りが降らぬうち、疾く、疾く蜀へ帰り給え」
すると張松は、その低い鼻の穴から、ふふふと、
笑をもらした。
「さてさて、魏の国の人は噓で固めているとみえる。わが蜀には、そんな媚言や諂いを言う佞人はいない」
「だまれ。しからば魏人は諂佞だというか」
「おや、だれだ?」
声に驚いて、張松が振り向くと、侍立の諸臣のうちから、一人の文化的な感じのする青年が、つかつかと進んで、張松の前へ立った。
年のころまだ二十四、五歳。神貌清白、眉ほそく、眼すずやかである。これなん弘農の人で、一門から六相三公を出している名家楊震の孫で、楊修、字は徳祖という。いま曹操に仕えて、楊郎中といわれ、内外倉庫の主簿を勤めていた。
「外国の使臣といえ、黙って聞いておれば、けしからんことを言う。すこし君に談じつける儀があるから、僕に従ってこっちへ来給え」
楊修はそういって、張松を閣の書院へひっぱって行った。張松は、この青年の魅力に何か心をひかれたので、黙って彼のあとに従いて行った。
孟徳新書
一
「ここは奥書院、俗吏は出入りしませんから、しばし静談しましょう。さあ、お着席ください」
楊修は、張松へ座をすすめ、自ら茶を煮て、遠来の労を慰めた。
「蜀道は天下の嶮岨とうけたまわる。都まで来るには、ひとかたならぬ御辛苦だったでしょう」
張松は頭を振って、
「君命をうけて使するに、なんの万里も遠しとしましょう。火を踏み、剣を渡るも、厭うことではありません」と、答えた。
楊修はかさねて訊いた。
「蜀の国情や地理は、老人のはなしとか、書物とかで知るのみで、直接蜀の人から伺ったことがない。ねがわくは、御本国の概要を聞かせ給え」
「されば、蜀はわが大陸の西部に位し、路に錦江の嶮をひかえ、地勢は剣閣の万峰に囲まれ、周囲二百八程、縦横三万余里、鶏鳴狗吠白日も聞こえ、市井点綴、土はよく肥え、地は茂り、水旱の心配は少なく、国富み、民栄え、家に管絃あり、社交に和楽あり、人情は密に、文をこのみ、武を尚び、百年乱を知らずという国がらです」
「おはなしを承っただけでも、一度遊びに行ってみたくなりますね。して、あなたはその蜀で、どんな役目を勤めておられますか」
「お恥ずかしい微賤です、劉璋の家中において、別駕の職に就いております。失礼ながら其許は?」
「丞相府の主簿です」
「名門
楊家は、数代
簪纓の誉れ高く御父祖はみな
宰相や大臣の職にあられたのではないか。その子たる者が、何故、丞相府の一官吏となって、
賤しき
曹操の
頤使に甘んじておらるるか、なぜ、
堂に立って、天子を
佐け、四海の
政事に身命をささげようとはなさらぬか」
「............」
楊修は、身を辱ずるかのごとく、顔紅らめたまま、しばらく俯向いてたが、
「いや、丞相の門下にあって、軍中兵粮の実務を学び、また平時には御書庫を預かって、庫中万巻の書を見る自由をゆるされているのは、自分にとって大きな勉強になりますからね」
「ははは、曹操に就いて学ぶことなどがありますかな。きくならく、曹丞相は、文を読んでは、孔孟の道も明らかにし得ず、武をもっては、孫呉の域にいたらず、要するに、文武のどちらも中途半端で、ただ取り得は、覇道強権を徹底的にやりきる信念だけであると。――こうわれわれは聞いておるが」
「松君。それは君の認識がちがう。蜀の辺隅にいるため、いかんせん、君の社会観も人物観も、ちと狭い。丞相の大才は、到底おわかりになるまい」
「いやいや、僕の偏見よりは、かえって、中央の都府文化に心酔し、それを万能として、天下を見ている人の主観には、往々、病的な独善がある。曹操の大才とは、一体どれほどなものか、何か端的にお示しあるなら、伺いたいものだが」
「よろしい、たとえば、これを御覧なさい」
楊修は起って、書庫の棚から、一巻の書を取り出し張松の手に渡した。
題簽には、孟徳新書とある。
張松は、ざっと内容へ目を通した。全巻十三篇、すべて兵法の要諦を説いたものらしい。
「これは、だれの著ですか」
「曹丞相が御自身、軍務の余暇に筆をとられて、後世兵家のために著わされた書物です」
「ははあ、器用なものだな」
「古学を酌んで、近代の戦術を説き、孫子十三篇に擬えて、孟徳新書と題せらる。この一書を見ても丞相の蘊蓄のほどが窺えましょう」
張松はわらって、楊修の手へ、書物を返しながら、
「わが蜀の国では、これくらいな内容は、三尺の童子も知り、寺小屋でも読んでおる。それを孟徳新書などとは......あははは、新書とは、人をばかにしたものだ」
「聞き捨てにならぬおことば、しからばこの書の前に類書があると言わるるか」
「戦国春秋のころ、すでにこれとそっくりな著書が出ておる。著者がだれとも知れぬもの故、丞相はそのまま、書き写して、自分の頭から出たもののように、無学の子弟に自慢しているもので御座ろう。いやはや、とんだ新書もあるものだ」
哄笑また哄笑して、張松はわらいを止めなかった。
二
多少、張松に好意をもっていたらしい楊修も、彼の無遠慮なわらい方と、その大言に、反感をおぼえたらしく、眼に蔑みをあらわして言った。
「いくら何でも、まさか三尺の童子が、このような難解な書を、暗誦じているなどという事はありますまい。法螺もおよそにおふきにならんと、ただ人に片腹痛い気持ちを起こさせるだけですよ」
「噓だとお思いなさるのか」
「たれも真にうける者はないでしょう。試みに、御身がまず自分で暗誦してごらんなさい。出来ますか」
「三尺の童子でもなすことを、なんでそれがしにお試しあるか」
「まあまあ、事実を示してから、お説は聞くとしようではありませんか」
「よろしい。お聞きなさい」
張松は、胸を正し、膝へ手をおくと、童子が書物を声読するように、孟徳新書の初めから終わりまで、一行一字もまちがいなく誦んだ。
楊修はびっくりした。
急に、席を下って、恭しく、張松を拝し、
「まったく、お見それ申しました。私もずいぶん著名な学者や賢者にも会いましたが、あなたのような人物に会ったのは初めてです、......しばらくこれにお待ちください。曹丞相に申しあげて、もう一度、改めて、御辺と対面なさるように、お勧め申して来ますから」
楊修は青年らしい興奮を面にもって、すぐ曹操のところへ行った。そして、なぜ蜀の使にあんな冷淡な態度をお示しになったのか、とその理由を詰問った。
曹操が言うには、
「一見してわかるではないか。あの倭短長臂な体つきは、まるで手長猿だ。予は歓ばん」
「容や貌をもって、人物を選りわけていたら、偽者ばかりつかんで、真人を逸しましょう。そうそう、むかし禰衡という畸人がいましたが、丞相は、あの人間さえ用いたではありませんか」
「それは、禰衡には、一代の文才と、その文の力をもって、民心をつかんでいた能があったからだ。いったい張松などになんの能があるか」
「どうして、どうして、決して端倪するわけにゆきません。海を倒にし、江を翻す弁才があります。丞相の著わされたかの孟徳新書をたった一度見ただけで、経を誦むごとく、暗誦じてしまいました。のみならず、博覧強記、底が知れません。あの書は、戦国時代の無名氏の著書で、おそらく丞相の新著ではない。蜀の国では、三尺の童子も知っているなどとも言っていました」
楊修はやや賞めすぎた。青年だから是非もないが、曹操がどんな顔して最後のほうのことばを聞いていたか、気もつかずに、賞めちぎってしまった。
「中国の文化にうとい遠国の使者だ。わが大国の気象も真の武威も知らんのでそんな囈言うを申すとみえる。――楊修」
「はい」
「明日、衛府の西教場で、大兵調練の閲兵をなすことになっておるから、汝は、張松を連れて、見物に来い。あれに、魏の軍隊のどんなものかを見せてやれ」
畏まって、楊修は次の日、張松をつれて、練兵場に赴いた。
この日、曹操は、五万の軍隊を、衛府の練兵場に統率し、甲鎧燦爛、龍爪の名馬にまたがって、閲兵していた。
虎衛軍五万、槍騎隊三千、儀仗一千、戦車、石砲、弩弓手、鼓手、螺手、干戈隊、鉄弓隊など四団八列から鶴翼にひらき、五行に列し、また分散して鳥雲の陣にあらたまるなど、雄大壮絶な調練があった後、曹操は、桟敷の下へ馬を返して来た。
そして、少し汗ばんだ面には紅を呈し、さも得意そうに、張松を見つけて呼びかけた。
「どうだな、蜀客。蜀にはこういう軍隊があるか」
張松はさっきから眼を斜めにして見物していたが、にこと笑って、
「ありません。――が蜀はよく文治と道義によって治まり、今日までのところ、兵革の必要はなかったのです。貴国のごとくには」
と、答えた。
またしても、曹操の心を損じはしないかと、楊修はそばで気をもんでいた。
西蜀四十一州図
一
覇者は己れを凌ぐ者を忌む。
張松の眼つきも態度も、曹操は初めから虫が好かない。
しかも、彼の誇る、虎衛軍五万の教練を陪観するに、いかにも冷笑している風がある。曹操たる者、怒気を発せずにはいられなかった。
「張松とやら。いま汝は、蜀は仁政をもって治める故、兵馬の強大は要らんとか申したが、もし曹操が西蜀を望み、この士馬精鋭をもって押しよせたときはいかに。蜀人みな鼠のごとく、逃げ潜む術でも自慢するか」
「はははは。何を仰せられる」
張松は口を曲げて答えた。
「説聞。魏の丞相曹操は、むかし濮陽に呂布を攻めて呂布に弄ばれ、宛城に張繡と戦うて敗走し、また赤壁に周瑜を恐れ、華容に関羽に遭って泣訴して命を助かり、なおなお、近くは渭水潼関の合戦に、髯を切り、戦袍を被ってからくも逃げのがれ給いしとか。さる御名誉を持つ幕下の将士とあれば、たとい百万、二百万、挙げて西蜀に攻め来ろうとも、蜀の天嶮、蜀兵の勇、これをことごとく屠るに、なんの手間暇が要りましょうや。丞相もし蜀の山川風光の美もまだ見給わずば、いつでもお遊びにおいでください。おそらくふたたび銅雀台にお還りの日はないでしょう」
どっちが威圧されているのかわからない。ずいぶん他国の使臣には会ったが、曹操のまえでこれほど思いきったことを言った男はかつて一人もない。
当然、曹操は赫怒した。楊修に向かって、
「言語道断な曲者。その首を、塩桶に詰めて、蜀へ送り返せ」
と、身をふるわせて罵った。
楊修は極力弁護した。不遜な言は吐くが、張松の奇才は実に測り知れない。どうか寛大な御処置を垂れてください。私の身に代えてもと嘆願した。
「いかん。断じて成らん」
曹操はきかない。しかし、荀彧まで出て、かかる奇能の才を殺すことは、やがて天下に聞こえると、必ず丞相の不徳を鳴らす素因の一つに数えられましょう。殺すことだけはお止めになったほうが宜しい。そう言ってともども諫めた。
「しからば、百棒を加えて、場外へ叩き出せ」
こんどは、兵に命じた。
張松はたちまち大勢の兵に囲まれて
遮二無二、練兵場の外に引きずり出された。そして
鉄
を浴び、
足蹴をうけ、半死半生にされて突き出された。
「無念」
張松はすぐに本国へ帰ろうと思った。しかし、つらつら思うに、自分が魏に来た心の底には、蜀は到底、いまの暗愚な劉璋では治まらない、いずれ漢中に侵略される運命にある。で、こんどの使命を幸いに、もし曹操の人物さえよかったら、魏の国に蜀を合併させるか、属国となすか、いずれにせよ、蜀は曹操に取らしてもよい考えでいたのである。
「よしっ。この報復には、きっと彼に後悔をさせてみせるぞ。自分も、国を出るとき、諸人の前で大言を放って来たてまえ、空しくこんな辱を土産にしては帰れない」
彼は、腫れ上がった顔に、療治を加えると、すぐ翌る日、相府にも断わらず、従者を連れて許都を去ってしまった。
「蜀の小男が、よけい小さくなって、蜀へ帰って行った」
都の者は、笑っていたが、なんぞ知らん、彼は途中から道を更えて、荊州の方へ急いでいたのだった。そして、郢州の近くまで来ると、かなたから一隊の軍馬が、整然と来て、
「それへ参られたは、蜀の別駕張松どのではなきや」
と、先なるひとりの大将がいう。張松が、しかり、と答えると、その武将はひらりと馬を降りて、礼を施し、
「それがしは、荊州の臣、趙雲子龍。主人玄徳の命をうけ、これまでお出迎えに参りました。遠路、難所を越えられ、さだめしお疲れでしょう、いざあれにて御休息を」
導いた一亭には、酒を備え、茶を煮、洗浴の設けまでしてあった。
二
魏に使して、使を果たさず、失意と辱を抱いて落ちて来た客が、かくばかり鄭重な出迎えをうけようとは、張松も、意外であったらしい。
「どうして、劉皇叔には、このように張松を篤くお迎え下さるのか」
訊くと、趙雲は、
「いや、御辺のみに、こう成されるのではありません。総じて、わが主君は客を愛す御方ですから」と、答えた。
そこからは趙雲の案内で、途中の不自由も不安もなく進んだ。
日をかさねて、荊州の境に入る。そして黄昏れごろ、駅館へ着いた。
すると、門外に、百余人の兵が、二行にわかれて整列した。
張松のすがたを見ると、いっせいに鼓を打ち鉦を鳴らして歓迎したので、張松が、びっくりして立ち止まると、たちまち、長髯長軀の大将が、彼の馬前に来て、
「賓客、ようこそ御無事で」
と、にこやかに、出迎えの礼をなし、自身、馬の口輪をとって導いた。
張松はあわてて馬を降り、
「あなたは、関羽将軍ではありませんか」と、たずねた。
「さよう、此方は羽です。どうぞお見知りおきを」
「恐縮恐縮。知らぬこととは申せ、つい馬上にて失礼。おゆるし下さい」
「なんの、此方はあなたの出迎えを命ぜられた皇叔の一臣に過ぎません。国賓たる御辺に、さような御遠慮を抱かせては此方の役目不つつかに相成る。どうか、何なりと御用あれば仰せ下さるように」
館中に入ると、関羽は、客のために、夜もすがらもてなし、その接待は懇切を極めた。
次の日はいよいよ荊州城市へ入った。見ると、城市の門まで、道は塵もとめず掃き清められ、たちまち、かなたから錦幡五色旗をひるがえして、一簇の人馬がすすんで来る。
嚠喨として喇笛が吹奏され、まっ先に来る鞍上の人を見れば、これなん劉玄徳。左右なるは、伏龍孔明、鳳雛龐統の二重臣と思われた。
張松は驚いて、馬を降り、あわてて路上に拝跪の礼を執ろうとすると、すでに玄徳も馬を降りて、その手を取り、
「かねて、大夫の御高名は、雷のごとく承っていましたが、雲山はるかに隔てて、教えを仰ぐこともできなかった。しかるに今日、御国へ還りたもうと聞き、慈母を待つごとく、お待ちしていました。しばしなと、渇仰の情を叙べさせて下さい。私の城へ来て」
「垢汚みたこの貧客に、御家中まで遣わされ、かつ今日は、過分なお出迎え。張松ただただ恐縮のほかございません」
曹操のまえでは、あのように不遜を極めた張松も、玄徳のまえには、実に、謙虚な人だった。
人と人との応接は、要するに鏡のようなものである。
驕慢は驕慢を映し、謙遜は謙遜を映す。人の無礼に怒るのは、自分の反映へ怒っているようなものと言えよう。
城中の歓迎は、豪奢ではないが、雲山万里の旅客にとっては、温か味を抱かせた。
その際玄徳は、世上一般の四方山ばなしに興じているだけで、蜀の事情など少しも訊ねなかった。
かえって、張松のほうから、話題に飽いて、こんな質問をし出した。
「いま、皇叔の領せられる土地は、荊州を中心に、何十州ありますか」
孔明がそばから答えた。
「州郡もすべて借り物です。われわれは御主君に、これを奪って領有することが、何の不義でもないことを力説していますが、わが御主君は物堅く、呉の孫権の妹君を夫人にしておられる関係に義を立てて、いまなお真に御自身の国というものをお持ちになっておりません」
龐統も、口をそろえて、
「わが主玄徳は、人みな知るとおり、漢朝の宗親でありながら、少しも自分というものを強く主張しようとなさらんのです。......今、その漢朝にあって、位人臣を極め、専政をほしいままにしている者のごときは、もともと、匹夫下郎にもひとしいのですが」
と、いかにも歯痒そうに言って、張松へ杯をさした。
三
「そうです。そうです」と何度も頷いて、張松は杯を受けながら共鳴を誇張した。
「ただ徳ある人に依ってのみ、天下はよく保たれる。すなわちまた、諸民の安心楽土もそこにしかない。不肖思うに劉皇叔は、漢室の宗親。仁徳すでに備わり自ら四民もその高風を知っていますから、一荊州を領し給うにとどまらず、正統を受け継いで、帝位に即かれたところで、だれも非難することはできないでしょう」
玄徳は、耳無きごとく、有るごとく、ただ、手を交叉したまま、穏やかに顔を横に振っていた。そして、
「先生の御過賞に、ちと当たりません。なんで玄徳にそのような天資と徳望がありましょう」
とのみ言って笑った。
逗留三日、張松はこの城中にもてなされて、しかも一日でも一刻でも、不愉快なことは覚えなかった。
四日目、張松は別れを告げて、蜀へ立った。玄徳は名残を惜しみ、十里亭まで、自身送って来た。
ここに少憩して小やかな別宴をひらき、共に杯を挙げて、前途の無事を祈りながら、玄徳は眼に涙をふくんで、
「先生と交わりをむすぶこと、わずか三日、またいつの日か、お教えを仰ぐことができましょう。人生多事、蜀へ帰られてはお忙しいでしょうが、折に触れ、荊州に玄徳有りと思い出して下さい。鴻雁西へ行くときには、仰いで玄徳も、西蜀に先生あることを胸に呼びかえしているでしょう」
と、言った。
張松はこのとき胸に誓った。蜀に迎えて、蜀の新天地を創造する人は、まさにこの人以外にはないと。
「いや、このたびは、三日の間、朝暮御恩に甘え、何等のお報いもなさず、今お別れに際して慚愧にたえません。ただ、皇叔のために、ここで一言申し遺すならば、荊州の地は決してあなたの永住に適する領土でありますまい。南に孫権があって、常に鯨呑の気を示し、北に曹操があって、虎踞の象を現わしています」
「先生。玄徳もそれを知らぬのではありませんが、いかにせん、他に身を安んずる所がないのです」
「乞う。眼を転じて、西蜀の地を望み給え。そこは、四方みな嶮岨といえ、ひとたび峡水をこゆれば、沃野千里、民は辛抱づよく国は富む。いましも荊州の兵をひきい、ここを占むれば、大事を興さんこと目前にありと言えましょう」
「言うをやめよ先生。それも知らないではないが、蜀の
劉璋は、これもまた、漢室のながれを

む家。血すじにおいて、わが同族。なんでその国家を犯してよいものぞ」
「否々。そのお考えは、小義を知って大義に晦いものと申さねばならん。元来、劉璋は暗弱の太守、無能の善人、いかにこの時代の大きな変革期を乗りきれましょうや。現状のままでは、明日にも漢中の張魯に侵されて五斗米の邪教軍に蹂躙されてしまうしかありません。――如かず、魏の曹操に蜀を取らせ、張魯の侵略を防いで、蜀の民を守らんにはと――このたび張松が上洛の心中には、そうした決意があったのです。いわば蜀の国をわざわざ彼に献じに出向いたものなのでした」
「............」
「しかるにです。ひとたび、許都の府に足を入れるや、私は眉を顰めました。そこの都市文化はあまりに早、爛熟を呈し、人は驕り、役人は賄賂を好み、総じて唯物的風潮がみなぎっている。果たせる哉。曹操の人物を見るに及んでも、その軍隊の教練を見ても、事大主義で恫愒的で、私はいたずらに、反感を唆られるばかりでした。――思うに、将来久しからずして、彼曹操かならず漢朝に大きな禍をするでしょう。......皇叔、決して、おだてるのではありません。媚びるのでもありません。どうか御自重、また大志を抱き、かつ天下万民のため、小義にとらわれないで下さい」
張松は従者を呼んだ。
そして馬の背の荷物のうちから一箇の筥を取り寄せた。
蓋を開いて、これを展じれば、千山万水、峨々たる山道、沃野都市部落、一望のうちに観ることができる。すなわち、彼が蜀を立つときから携え歩いていた『西蜀四十一州図』の一巻だった。
四
「ごらんなさい。蜀の図です」
「ああ。これは精密なもの。行程の遠近、地形の高低、山川の険要、府庫、銭粮、戸数にいたるまで......まるでいながら観るようである」
玄徳は眸を離さなかった。
「皇叔。速やかに思し召しをここに立て給え」と張松はそばから熱心に彼の意をふるい促した。
「――私に深く交わる心友がふたりいます。法正、字は孝直。もう一名は孟達、字を子慶といいます。他日、そのふたりが訪ねて参ったときは、諸事わたくし同様に、御相談あっても、たしかな人物ですから、どうか御記憶にとめておいて下さい」
「青山老イズ緑永長ク存ス。いつか先生の芳志に報うことができるかも知れない」
「この西蜀四十一州図の一巻は、他日、入蜀の道しるべ。また、今日のお礼として、お手許に献上します。どうかお納め置き下さるように――」
かくて、彼は、先へ立った。
玄徳は十里亭から戻ったが、関羽、趙雲などは、なお数十里先まで張松を送って行った。
× × ×
益州。それは巴蜀地方の総称である。漢代から蜀は益州、あるいは巴蜀とひろく呼ばれていた。
実に遠い旅行だった。張松は日を経て、ようやく故国益州へ帰って来た。
すでに首都の成都(四川省・成都)へ近づいて来たころ、道の傍らから、
「やあ、ようこそ」
「御無事で何よりだった」
と、二人の友が早くも迎えに出ていて、その姿を見るなり近づいて来た。
「おお、孟達か。法正も来てくれたのか」
張松は馬を降りて、こもごも、手を握り合った。
「久しく、蜀の茶の味に渇いていたろう。そう思って、かなたの松下に、小さい炉をおいて、二人で茶を煮て待っていた。すこし休息して行き給え」
友は彼を誘って、松の下へ来た。茶を喫し、道中の話などに耽ったが、そのうちに、張松は、
「君たちも、現状のままでは、必然、蜀が亡ぶしかないことは知っているだろうが、もしそうとしたら、この蜀に、たれを起死回生の主君と仰ぎたいかね」と、ふたりに訊ねた。
法正は、怪訝な顔して、
「そのために君は、遠く使して、魏の曹操に会って来たのじゃないか。曹操との交渉に、何かまずい事でもあったのかね」
「まずい。はなはだまずい結果になった。で、実は、君達だけに打ち明けるが、おれは途中から気持ちが変わった。蜀へ曹操などを入れたら、蜀の破滅を意味するだけで、蜀の民の幸福にはならん」
「では、だれを迎えるのか」
「だから今、君たちに、そっと意中を訊いてみたわけさ。忌憚ないところを言ってくれ給え」
「それはほんとか」
「たれが君等を欺こう」
「ふーむ......」と、法正はうめいて、「わしならば、荊州の劉玄徳とむすびたいと思うが」
孟達の顔を見ると、孟達も、ひとみを耀かして、
「そうだ、曹操へ蜀を献じるくらいなら、玄徳を主と仰いだほうがはるかにいい。本来、初めから玄徳へ使すべきであったよ」
聞くと、張松は、莞爾として「実は......」と、あたりを見まわした。そして二人の顔へ、顔を寄せて、許都を去ってから荊州へ立ち寄った事情やら、玄徳とある黙契をむすんで来た事実を打ち明けた。
「そうか。では偶然、三人の考えが、一致したわけだ。よし、そうなれば大いに張り合いもある。張兄、抜かるな」
「万事は胸にある。もし、この儀に就いて、劉璋から君たちに召し出しがあったら、君等こそ抜からずに頼むぞ」
「よいとも」
三人は、血盟して別れた。
次の日張松は、成都に入り、劉璋に謁して、使いの結果をつぶさに復命した。
もちろん、曹操のことは、極力悪しざまに言った。
彼には早くから蜀を奪う下心があったので、こちらの交渉など耳にもかけないばかりか、かえって張魯の先を越して、蜀へ攻め入って来るような気配すら見えたと告げた。
進軍
一
劉璋は面に狼狽のいろを隠せなかった。
「曹操にそんな野心があってはどうもならん。張魯も蜀を狙う狼。曹操も蜀を窺う虎。いったいどうしたらいいのじゃ」
気が弱い、策が無い。劉璋はただ不安に駆られるばかりな眼をして言った。
「お案じには及びませぬ」
張松は語を強めた。そして言うには、
「この上は、荊州の玄徳をおたのみなさい。御当家とは漢朝の同流同族。のみならず、こんどの旅行中、諸州のうわさを聞いても、彼は仁慈、寛厚、稀に見る長者であると、一世の人望を得ています」
「だが、その
劉玄徳とは、今日までなんの交渉も持っていない。彼も漢の
景帝の流れを

む同族とはかねて聞いていたが」
「ですから、この際、鄭重なる書簡をいたせば、玄徳としても、欣然交安国の誼みを結ぶにちがいありません」
「では、その使には、だれをつかわしたらよいと思う」
「孟達、法正。この二人に超えるものはないでしょう」
するとこの時、帳の外から大声して呼ばわった者がある。
「御主君っ、耳に蓋し給え。張松の申す事などに引かされたら、この国四十一州は他人の物になりますぞ」
驚いて振り向くと黄権、字は公衡という者、額に汗しながら入って来た。
劉璋は眉を顰めて、
「なぜそんなことを言う。たしなめ」
と、一喝した。
黄権は屈せず、面を冒してなお言った。
「君、知り給わずや。当時玄徳といえば、曹操だも恐るる人物。寛仁よく人を馴ずけ、左右に鳳龍二軍師あり、幕下に関羽、張飛、趙雲の輩あり、もしこれを蜀に迎え入れたら、人心たちまち彼に有らんも知らず。国に二人の主なし。累卵の危機を招くは必然でしょう。――それに張松は魏に使しながら、帰途は荊州をまわって来たという取り沙汰もある。かたがた、御賢慮をめぐらし給え」
こうなると、張松も黙っていられない。国家の危機とは、これからの事ではない、今やすでにその危機にある蜀である。もし漢中の張魯と魏の曹操が結んで今にも国内へ進撃して来たらどうするか。ただ強がるばかりが愛国ではないぞ、他に良策があるならここで聞かせよ、と詰問り寄った。
と、ふたたび帳外から、
「無用無用。わが君。張松の弁舌にうごかされ給うな」
言いつつ大歩して君前に罷り出て来た人物がある。従事官王累であった。
王累は、頓首して、
「たとい漢中の張魯が、わが国に仇をなすとも、それは疥癬(皮膚病)の疾にすぎぬ。けれど玄徳を引き入れるのは、これ心腹の大患です。不治の病を求めるも同じことです。断じて、その儀は、お見合わせあるように」
――だが、劉璋の頭には、もう先に聞いた張松のことばが、頑として、先入主になっている。張松は実地に諸州の情勢を見て来た者だし、王累や黄権は、国外の実情にうとい。そう単純に区別してでもいるのか、怖ろしく感情を損ねて叱り出した。
「うるさく言うな。人望もなく実力もないような玄徳なら、なにも求めて提携する必要もないではないか。わが家とは血縁もあり、かたがた曹操すら一目も二目もおく者と聞けばこそ、予も頼もしくて思うて彼の力を借りるのじゃ。汝等こそ二度と要らざる舌をうごかすまい」
かくてついに、張松のすすめは劉璋の容れるところとなってしまった。使を命じられた法正は、前日の諜し合わせもあり、張松とはどこまでも主義を同じくしているので、劉璋の書簡を持つと、道を早めて荊州へ赴いた。
「なに、蜀の法正とな?」
玄徳は、使者の名を聞いて、すぐ張松と別れた日のことばを胸に想いうかべた。
直ちに、法正を見、かつ書簡をうけて、その場でひらいた。
族弟劉璋、再拝。一書ヲ
宗兄タル将軍ノ麾下ニ致ス
書面の冒頭にはこう書き出してあった。
二
その夜、玄徳は独りで、一室に考えこんでいた。
龐統が来て言った。
「孔明はどうしました」
「蜀の使者法正を、客館まで送って行ってまだ戻らぬ」
「そうですか。して、君より法正へは、すでに御返辞をお与えになりましたか」
「なお考え中である」
「張松が去るとき、あれほど申し遺して行ったのに、まだお疑いとは」
「疑いはせぬが」
「では、なにをそのように、無用にお心を煩うておられるのですか」
「思うてもみい。いま予と水火の争いをなす者はだれか」
「曹操こそ最大の敵です」
「その曹操を敵として戦うに、これまではすべて彼の反対をとって我が方略としていた。彼が急をもってすれば、われは寛をもってし、彼が暴を行なえば、我は仁を行ない、彼が詐りをなせば、我は誠をもってして来た。それを自ら破るのが辛い」
「はて。意を得ませぬが」
「張松、法正、孟達たちのすすめにまかせて、蜀に伐り入らんか、当然、劉璋は亡び去ろう。彼は、いつも言うように、わが族弟。玄徳、同族の者を欺いて蜀を取れりといわれては、予が今日まで守って来た仁義はなくなる。小利のため、大義を天下に失うは辛いというのだ」
龐統は一笑に附して言う。
「火事場の中で、日ごろの礼法をしていたら、寸歩もあるけますまい。あなたのおことばは天理人倫にかなっていますが、世はいま乱国、いわば火事場です。晦きを攻め、弱きを併せ、乱るるは鎮め、逆は取って順に従わす、これ兵家の任です。また民の安息を守るものです。蜀の状態はいまやそれに当たっている。天に代わって事を定め、事定まった上、報ゆるに義をもってしてもよいでしょう。今日もしわが君が蜀に入るを避けても、明日は他人が奪っているかも知れません――。族弟の縁をたいへん気にかけておられるようですが、劉璋には今申したとおり、他に方法をもって、仁愛を示されれば、あえて信義に背くことにはなりますまい。むしろそうした小義に囚われておらるるこそ、兵家の卑屈と申さねばなりません」
諄々として、彼は説いた。道をあきらかにする、これは大きな行動のまえに大切な事にはちがいない。
玄徳もようやくうなずいた。蜀へ入りたいのは彼とて山々のところである。何せい荊州は戦禍に疲弊している。地理的には東南に孫権、北方に曹操があって、たえず恟々と守備にばかり気をつかわなければならない。ただ一方、門戸のあるのが西蜀であった。しかも張松が置き残して行った図巻を見れば、その国の富強、地理の要害、到底この荊州の比ではない。
「ようわかった。先生の啓示は、まさに金玉の教えと思う。それに張松たちが、かくまで手を尽くして、予を迎えようとするのも、いわゆる天意というものであろう」
「では、御決心なさいますか」
「孔明が帰って見えたら、早速それについて評議いたそう」
ほどなくその孔明も姿をあらわした。三名は鳩首して、軍議に耽った。
翌日、
法正にも、この
旨をつたえ、同時に陣触れを発して、いよいよ入蜀軍の
勢
いをした。
玄徳はもちろんその中軍にある。
龐統を軍中の相談役とし、関平劉封も中軍にとどめ黄忠と魏延とは一を先鋒に、一を後備に分け、遠征軍の総数は精鋭五万とかぞえられた。
しかし、何より大事なのは、荊州の守りである。万一にも、この遠征軍がやぶれた時、あるいは、南に孫権がうごくか、北の曹操が留守の間隙をうかがうなど不測な事態が生じたとき、万全な備えがなくてはならない――。また征旅に上る玄徳にしても、その安心がなくては、腰をすえて蜀へ入れない。
で、荊州には、孔明が残ることになった。
その配備は。
襄陽の堺に関羽。
江陵城に趙雲子龍。
江辺四郡には張飛。
と言ったように 名だたる者を要所要所にすえ、孔明がその中央荊州に留守し、四境鉄壁の固めかたであった。
鴻門の会に非ず
一
建安十六年冬十二月。ようやくにして玄徳は蜀へ入った。国境にかかると、
「主人の命によって、これまでお迎えに出た者です」
と、道の傍らに五千余騎が出迎えていた。将の名を問えば、
「孟達です」
と、ことば短かに言う。
玄徳はにことして孟達の眼を見た。孟達も、眼をもって意中の会釈をした。
さきに法正が齎した返辞によって、玄徳が来援を承諾したと聞き、太守劉璋は無性に歓んでいたらしく、道々の地頭や守護人に布令て、あらゆる歓待をさせた。
そのうえ彼自身、
成都を出て、
涪城(
四川省・
重慶の東方)まで出迎えると、車馬、武具、
幕など、ここを晴れと準備していた。
「危険です。見ず知らずな国から来た五万の軍中へ、自らお出であるなどとは」
黄権がまた諫めた。
侍側にいた張松は、劉璋が口をあかないうちに、
「黄権。足下は何をもって、みだりに盟国の兵を疑い、主君の宗族を離間しようとするのか」
と、詰問った。
劉璋もともに、
「そうだとも。玄徳はわが宗族だ。故にはるばる、蜀の国難を扶けんと来てくれたのだ。ばか、ばかを申せっ」
黄権はかなしんで、
「平常、
恩禄を

みながら、今日君の御恩に報いる事ができないとは何事か」
と、頭を地にぶつけ、面に血をながして、なお諫言した。
「うるさいっ」
劉璋は、袂を振り払った。黄権は離さじと、主人の袂を嚙んでいたので、前歯が二本へし折れた。
城門から出ようとすると、また声をあげて、彼の車にとり縋った家臣がある。李恢という者で、泣かんばかり訴えた。
「むかしから、天子を諫める良臣七人あれば、天下失われず、諸侯に諫める善臣五人あれば、国みだるるも国失われず、大夫に諫める忠僕三人あれば、その主無道なりとも家失われずとか聞き及びます。いま黄権の諫めをお用いなく、玄徳を国にお入れあるは、求めて御身を滅ぼすようなものですっ」
劉璋は耳をふさいだ。
「車を進めい。車の輪を離さぬならば轢き放してゆけ」
そこへまた、一人の下僕が、狂わしげに訴えて来た。泣き喚いて言うのを聞けば、
「わたくしの主人王累が、どうかしてわが君のお心を翻そうと、自分の身を繩でくくり、楡橋門の上から身を倒さまにして吊り下がりました。お願いです。どうか助けて下さいっ」
張松は、車を護る前後の人々にむかい、
「なにを猶予あるか、はやはや進まれよ」
と叱咤し、また車の側らへ行って、劉璋にささやいた。
「彼等はみな、忠義ぶったり、狂態を見せて、君を脅かさんなど企んでいますが、要するに本心は、漢中との戦端を避けて、一日でも安逸を偷んでいたい輩なんです。妻子愛妾の私情にもひかれているに違いありません」
そのうち楡橋門へかかった。仰ぐと、驚くべき決意を示した人間がひとり宙にぶら下がっている。さきに下僕が泣き狂って訴えていた王累だ。その王累にちがいない。
右手に剣を持ち左の手には諫めの文を摑んでいる。繩に吊られて、両足を天にし、首を地に垂れて、睨んでいた。
驚いて、車が停まると、王累はくわっと口を開いて言った。
「わが君、お待ち下さい」
そして、諫言の文を、哭くがごとく、訴うるがごとく、また怒るがごとく読み出した。もしお聞き入れなければ、この剣をもって、自らこの繩を切り、地に頭を砕いて死なんと怒鳴った。
劉璋は、さっき張松から、卑怯な家臣がみな自分を脅迫するのだと聞いていたので、
「だまれっ。汝らのさしずはうけん」
と、一喝すると、王累は、
「惜しい哉、蜀や!」
と一声叫んで、右手の剣を宙に振り、自ら繩を切って、地上の車の前に脳骨を打ち砕いてしまった。
二
従の人数三万、金銀兵糧を積んだ車千
余輛、ついに
成都を
距ること三百六十里、
涪城(
重慶の東方)まで迎えに出た。
一方の玄徳は、途々沿道の官民のさかんな歓迎をうけながら、すでに百里の近くまで来ていた。
と。その案内に立っている法正のところへ、張松から早馬で密書が来た。法正はそれをそっと龐統に見せて、
「この時を外すなと、張松の方から言ってよこしました。お抜かりないように」
と、諜しあわせた。
龐統も、大事を成すは、今にありと言って、
「その機に臨むまで、足下も部下のものに気取られるな」と注意した。
かくて、涪城城内、劉璋と玄徳との対面の日は来た。
両者の会見は、和気藹々たるものであった。
「世は遷り変わるとも、おたがい宗族の血はこうして世に存し、また巡り会って、今日をよろこぶことができる、力を協せて、ふたたび漢朝の栄えを見ることに兄弟ひとつになろうではありませんか」
情を叙べるに玄徳は涙し、劉璋も力を得て、彼の手を押し戴き、
「これで蜀も外から侵される心配はない」と、かぎりなく歓んだ。
歓宴歓語、数刻に移って、玄徳はあっさり帰った。彼のつれて来た五万の軍勢は、城外の涪江江畔においてあるからである。
玄徳が帰ると、劉璋は左右のものへすぐ言った。
「どうだ。聞きしにも優る立派な人物ではないか。王累、黄権などは、人を見る明がなく、世の毀誉褒貶を信じて予を諫め、自ら死んだからいいようなものの、生きていたら予にあわせる顔もあるまい」
蜀中の文武の大将は、これを聞いて、なおさら案じた。鄧賢、張任、冷苞などこもごもに出てはそれとなく、
「人は見かけに依らぬというたとえもあること。まして外柔なるは内剛なり。万一の変あるときは取り返しがつきません」と、用心を促したが、劉璋は笑って、
「そういちいち人を疑っていたら、人の中には住めまいが」
彼は自身言うがごとき好人物であった。もし庶民のあいだに生まれていたら、少なくも家産はつぶし、人にものべつ欺されていたろうが、その代わりに、
(彼はよい男だよ)と、愛されもしたろう。
けれど、蜀の主権者であり万民に臨む太守としては、ほとんど、その資格無きものといっていい。
「どうでした。劉璋とお会いになってみた感じは」
玄徳が帰るとすぐ龐統がたずねた。玄徳は一言、
「真実のある人だ」
と言った。しかし、龐統はそのことばの裏を読んで、
「愚誠の人物ともいえましょう」と、答えた。
玄徳はだまって眼をしばたたいた。劉璋に対して愍然たるものを抱いているような眸である。
「ああ。お気の弱い」――龐統は彼の胸をすぐ看破した。そして、
「君。何のために、この山川の嶮しきをこえ、万里の遠くへ、将士をつれて来ました」
と、直言し、さらに、
「明日の答礼の酒宴にことよせて劉璋をお招きなさい。決断が大事です。小さい情に囚われているときではありません」と、切々説いた。
そこへ法正も来て、
「成都へ留守している張松も、疾く書簡をよこして、この期を失わず、事を計れと、内応の諜しあわせを言いよこしています。......あなたが蜀をお取りにならなければ、結局この蜀は、漢中の張魯か、魏の曹操に奪られるものです。なにを今さら、お迷いになることがありましょうぞ」
と、口を極めて励ました。
もとより入蜀の目的はそれにある。玄徳とてここに来て思い止まったわけではない。彼はただ自己の心の中の情念と闘っているだけだ。すなわち建安十七年の春正月、こんどは彼が主人になって、劉璋を招待することにきめた。
三
「長夜の宴」とか「酒国長春」とかいうことばは、みな支那のものである。この民族の歴史ほど宴楽に始まって宴楽に終わる歴史を編んで来た民族は少ない。平時はもちろん戦争の中でも実に宴会する。別離歓迎、式典葬祭、権謀術策、生活兵法、ことごとく宴会の間と卓とに依って行なわれる。
ことし壬辰之初春さきに招かれた答礼として、こんどは玄徳が席をもうけて太守劉璋を招待した宴会は、けだし西蜀開闢以来といってもよい盛大なものだった。
はるばる、荊州から携えて来た南壺の酒、襄陽の美肴に、蜀中の珍膳をととのえ、旗幡林立の中に、会場を彩って、やがて臨席した劉璋以下、蜀の将軍文官たちに、心からなるもてなしを尽くした。
やがて宴に酣に入ったころ、龐統はちらと法正に眼くばせして外へ出た。
人無きところへ行って、ふたりは声をひそめ合っていた。
「うまく運んだ。大事はすでに掌にありだ。面倒な手段はいらん。ただ席上において一気に斬り殺せばいい」
「かねてのおさしずは、魏延どのに篤と申し含めてあります。きっとうまくやるでしょう」
「場内に血を見ると同時に、劉璋の兵が、外で騒ぎ出すにちがいない。その方も手抜かりのないようにたのむ」
「心得ております」
ふたりはさり気ない顔して、もとの席へ返っていた。
宴席は歓語笑声に盈ち、主賓劉璋の面にも満足そうな酔いが赤くのぼっていた。
ときに、荊州の大将たちの席から、突如、魏延が立ち上がって、酔歩蹌踉と、宴の中ほどへ進み出で、
「せっかくの
台臨を仰ぎながら、われわれ長途の軍旅にて、今日のもてなしに、恨むらく音楽の
応を欠いておる。依ってそれがし、
剣の舞をなして、太守の一笑に供え奉る。――」
言うかと思えば、はや腰なる長剣を抜いて、舞い出していた。
「あ。あぶない」
こはただ事の馳走に非ずと、劉璋の左右にあった文武の大将は、みな顔色を変えたが、咎める術もなかった。
すると、従事官張任という蜀の一将、やにわにまた、剣を抜いて、魏延のまえに躍り出で、
「古来、剣を舞わすには、かならず相手が立つと承る。武骨、不風流者ながら、君に倣って、お相手をいたそう」と、魏延の舞に縺れて、共に舞い始めた。
閃々、たがいに白虹を描き、鏘々、共に鍔を震き鳴らす。――そして魏延の足が劉璋へ近づこうとすれば張任の眼と剣は、屹と、玄徳へ向かって、殺気を迸らせた。
(剣の舞の相手よ。汝がもしわが主人に危害を加えるならば、われは直ちに汝の主人玄徳を刺すぞ)
無言のうちに張任は舞いつつ魏延を牽制していた。
龐統は、それを眺めて、「ちいっ」と、この測らざる邪魔者に舌打ち鳴らしながら、傍らにいた劉封へきっと眼くばせした。
心得たりと、劉封もすぐ身を起こし、剣を抜いて、ふたりの間へ、
「あら、おもしろや」と、舞うて入る。
とたんに、ざわざわと、劉璋の周囲がいっせいに立った。
冷苞、
劉
、
鄧賢などという幕将たち、手に手に剣を抜きつれて、
「いざ、舞わん乎」
「それ舞わん乎」
「舞わん乎、舞わん乎」
「いざ来れ」
と、満座ことごとく剣に満つるかと思われた。
玄徳は愕いて、自分も、剣を抜いて、高く掲げ、
「無礼なり、魏延、劉封、ここは鴻門の会ではない。われら宗親の会同に、なんたる殺伐を演ずるか。退がれっ、退がれっ」と叱った。
劉璋も、家臣の非礼を叱って、玄徳と自分とは、同宗の骨肉、無用な猜疑をなすは、汝らこそ、兄弟の仲を裂くものであると、たしなめた。
しかし、この夜の宴は、失敗に似て、かえって成功だった。劉璋はいよいよ玄徳に信頼の念を深めた。
珠
一
その後も、蜀の文武官は、劉璋に諫めることたびたびであった。
「玄徳に二心はないかもしれません。しかし玄徳の幕下は皆、この蜀に虎視眈々です。何とか口実を設けて今のうちに荊州軍を引き揚げさせる御工夫をなされてはいかがですか」
劉璋は依然、頷かない。
「さのみ疑うことはない。強ってのことばは、宗族の間に、強いて波瀾を起こさせようとする気か」
そう言われてはもう衆臣も二の句がない。ただひたすら家臣結末して、荊州軍のうごきに警戒の眼を払っているだけだった。
かかるうちに国境の葭萌関から飛報が来た。
「漢中の張魯が、ついに大兵をあげて攻めよせて来た!」とある。
「それみよ、禍はそこだ」
劉璋はむしろ得意を感じたらしい。早速にこの由を玄徳へ伝え、協力を乞うと、玄徳はすこしも辞すところなく、直ちに、兵を率いて国境へ馳せ向かった。
蜀の諸将はほっとした。
「いざ、この間に、蜀は自国の守りを鉄壁になし給え。内外、万全の御用意を」
と、劉璋へ再三再四、献言した。
劉璋も、あまりに諸臣が憂えるので、さらばと彼等の意にしたがい即ち、蜀の名将白水之都督楊懐、高沛のふたりに涪水関の守備を命じて、自分は成都へ立ち回った。
× × ×
蜀境の戦乱は、まもなく、長江千里の南、呉へ聞こえて来た。
「玄徳の野心は、ついに鋒鋩をあらわした。汝等、何と思うか」
孫権は、呉の重臣を一堂に集めて、こう穏やかでない顔して言った。
顧雍が答えていう。
「彼はついに、火中の栗を拾いに出たものです。自ら手を焼くにちがいありません。情報なお審らかでありませんが、荊州の兵力を二分して、その一をもって蜀に入り、長途のつかれを持つ兵をして、強いて国境の嶮岨に拠らしめ、今や漢中の張魯と、血みどろの戦をなしていると聞こえまする。思うに、呉の無事なる兵をもって、荊州の留守を突かば、一鼓して、彼の地盤はくつがえりましょう」
「予もそう考えていた所だ。諸卿よろしく出師の準備にかかれ」
すると、議堂の屛風の蔭から、だれかひとり進み出て、甲高い声して言った。
「だれじゃ、わが女に、危害を加えようとするものは」
愕いて、その人を見れば、これは孫権の母公、呉夫人であった。
母公は猛りたって、
「そちたちは、江東八十一州の遺領を、いながらにうけて、父祖の恩に、今日を豊かに送りながら、なお荊州を望んで、どうするというのじゃ。荊州には、可愛い娘を嫁がせてある。玄徳はこの老母が婿ではないか」
孫権は沈黙して、ただ老母のまえに、叱りをうけているだけだったために、評議は、一決せずに終わってしまった。
――今、荊州を収めなければまたいつの日機会があろうと、孫権は爪をかみながら、一室に沈吟していた。
張昭が、そっと来て彼の前に囁いた。
「べつに計をおたてになればよいでしょう。母公のお叱りは、ただただ、遠国におわすあなたの妹君をいじらしき者、可愛いものと、情にひかれておいでになるだけの事ですから」
「では、どうして母をなだめるか」
「一人の大将に五百騎ほどをさずけ、急遽、荊州へさし向けられ、玄徳の御内方たる妹君へ、そっと密書を送って、母公の病篤し、命旦夕にあり、すぐ回り給えとうながすのです」
「む、む」
「その折、玄徳の一子、阿斗をも連れて、呉へ下って来られたなら、あとはもうこっちのものです。それを人質に、荊州を返せと迫れば」
「その策は実に妙計だ。してだれをやろうか」
「周善なれば、仕損じますまい。彼は、力鼎をあげ、胆斗のごとき大将で、しかも忠烈ならびなき大将です」
「すぐ、ここへ呼べ」
孫権ははや、筆墨をよせて、妹に送る密書をしたため出した。
二
その日、孫権に召された周善は、張昭にも会って、審さに密計を授けられ、勇躍して、夜のうちに揚子江を出帆した。
五百の兵はみな商人に仕立て、上流へ交易に行く商船に偽装し、船底には武具を蔵していた。
やがて目的地の荊州に着く。
周善は伝手を求めて、首尾よく荊州城の大奥へ入り込んだ。そして多くの賄賂をつかい、ようやく玄徳の夫人に会うことができた。
夫人は、寝耳に水の愕きに打たれ、
「えっ。母公には、明日も知れぬ御危篤ですって?」
兄孫権の手紙を読むうちに、もう紅涙潸々、手もわななかせ、顔も象牙彫りのように血の色を失ってしまった。
「一刻もお早く、呉へお下りください。せめて息のあるうちに、ひと目なと、お姿を見たいと、御母公におかせられては、苦しき御息のひまにも、夜となく昼となく、囈言にまで御名を呼んでおられまする」
周善のことばを聞くと、玄徳夫人は、いよいよ身を揉んで、
「会いたい、行きたい、周善、どうしようぞ......」と、泣き沈んだ。
ここぞと、周善は、
「翼ある御身なれば、すぐにも御対面はかないましょうが、いかにせん長江の水速しといえども、船旅では幾日もかかります。すぐ御用意あって、それへ御召し遊ばさねば、ついに御臨終には間にあいますまい」
「......というて、いまは良人玄徳は蜀へ入って、この城においで遊ばさず」
「それは御兄上の孫将軍から後にお詫びをして貰えばよいでしょう。親への大孝。よもお叱りはありますまい」
「でも、孔明が何というかしれない。留守の出入りは孔明がきびしく守っているのですから」
「あの人に告げたら、断じて、呉へ下る事など、許すはずはありません。自身の責任のみ大事に思いましょうから」
「飛んでも行きたい思いがする。......周善よい智恵をかして賜も」
「されば、いずれこの事は尋常ではかなわじと考え、張昭のさしずにより帆足速き一艘を江岸へ着けて置きました。御決意だにあらば、すぐ御案内いたしましょう」
なにものも要らない気になった。ついに彼女は身支度した。周善は諸方の口を見張りながら、その間に早口に告げた。
「そうそう、和子様もお連れ遊ばせよ。御母公には、日ごろから劉皇叔の家には、愛らしい一子ありとお聞きになって、一目見たいと口癖におっしゃっておられました。和子様は懐にでもお抱きになって――ようございますか和子様も」
彼女の心はもう呉の空へ飛んでいる。なにをいわれても唯々として言われるままにうごいていた。嬋娟にして男まさりな呉妹君といわれ、その窈窕たる武技も有名な夫人であったが国外遠く嫁いで、母の危篤と聞いては、やはり弱い女に過ぎなかった。
黄昏れころ。
ことし五歳の阿斗をふところに、夫人は、車にかくれて、城中から忍び出た。
呉以来、側近く侍いている三十余人の侍女は、みな小剣を腰に佩き、弓を携えて夜道をいそいだ。
沙頭鎮の埠頭に、車はつく。船の燈は暗く波間にゆれていた。
ざわめく蘆荻のあいだから船は早くも離れかけた。
帆車が軋る。怪鳥のつばさのように帆は風を孕む。
「待てっ。その船待てっ」
岸の暗がりに、馬の嘶きやら剣槍のひびきが聞こえた。
周善は艫に立って、
「いそげ、振り向くな」
と、水夫たちを叱咤した。
江頭の人影は、刻々、多くなって、騒ぎ立っている。中にひとり目立っているのは、常山の趙子龍、即ち江辺守備の大将であった。
三
「おういっ。待て」
船の影を追いながら、趙雲は岸に沿って馬を飛ばした。部下の兵も口々に、
「のがすな、あの船を」と、十里も駆けた。
一漁村へかかった。
趙雲は駒をすてて、漁夫の一舟へ飛び乗り、
「あの船へ漕ぎ寄せろ」と、先に廻っていた。
呉の船は帆うなりをあげながら下って来た。趙雲の小舟がそれへ近づこうとすると、船の周善は、長い戈を持って、
「射殺せ、突き殺せ」
と、必死の下知に声をからした。
舷に並んだ呉の兵は、弓を引き絞り、戟を伸ばして、小舟を寄せつけまいと防ぎながら、その船脚はなお颯々と大江の水を切って走ってゆく。
「やわか。通すべき」
趙雲は、槍をなげすてた。
腰なる青釭の剣は、たちまち雨と降る矢を切り払う。そして小舟のへさきが、敵船の横へ勢いよくぶつかった瞬間に、
「おおうッ。おのれ」
喚きながら身をもって、舷へ飛びつき、無二無三、攀じのぼって、ついに船中へ躍りこんで来た。
呉の兵は、彼の形相に怖れて、わっと逃げかくれる。趙雲はあたりを睥睨しながら、大股に船屋形の内へ入って、
「夫人っ、どこへおいでになるのですっ」
と、鏡のような眼をいからせて咎めた。
その声に、夫人のふところに眠っていた幼君の阿斗が泣き出した。侍女たちは怖れてみな片隅に打ち慄えている。しかし、さすがに夫人は気位が高い。
「無礼でしょう趙雲。なんですかその血相は」
「お留守をあずかる孔明にも何のお断わりすらなく、城中を出られるのみか、呉船に召されて江を下るなど、あなたこそ劉皇叔の御夫人として、穏やかならぬ御行動ではありますまいか」
「呉にいます母公が、あすも知れぬ御重態との知らせに、軍師に相談している暇もなく、急いで便船に乗ったのです。わが母の危篤に駈けつけるのがなぜいけないか」
「しからば、何故、阿斗の君をおつれ遊ばすか。皇叔にとっても、わが国にとっても、たったお一方の大事な珠玉。かつて当陽の戦には、趙雲が、命にかけて、長坂にむらがる敵大軍の中より救いまいらせたこともある。――さ、お返しなさい、阿斗の君を」
「おだまりなさい」
夫人は、蘭花の眦をあげて、
「そちはただこれ陣中の一武士。劉家の家事に立ち入るなど僭越であろう」
「いやいや、あなたが呉へお還りあるのを止めはいたさぬ。ただ幼君の御身は、だれがなんといおうが、国外へ遣るわけには参りませぬ」
「国外とは何事ぞ。呉と荊州とは境こそあれ、この身と皇叔とに依って契られている間ではないか」
「なんと仰せあろうと、幼君はおあずけできません。お渡しなさい」
「あ。何をしますかっ」
夫人は、悲鳴をあげながら、侍女たちを振り向いて、
「この無礼者を、追い出して賜も」
と、さけんだ。
だが、趙雲は苦もなく、夫人の膝から、阿斗を取り返して、自分の腕に抱えてしまった。
そしてさっと、船上を走って、艫まで出たが、小舟はすでに流されているし、夫人や侍女は、船中の兵を呼びたてながら悲鳴を浴びせて、すぐ後ろへ迫っている。
かかる間も、大船の帆はいっぱいな風をうけて風の速さと速力を競っている。
「近づく者は、一刀両断にするぞ。生命の要らぬ者は寄って来い」
青釭の剣を片手にふりかぶり、片手に阿斗の身を抱えたまま趙雲はそこに立ち往生していた。
弓と槍と戈と、あらゆる武器はみな彼の身一つに向かって、遠巻きに取り囲んでいたが、そのすさまじい姿にはあえてだれひとり近づく者もなかった。
すると、いつのまにか近づいていた田舎町の河港の口から十数艘の早舟の群れが扇なりに展開しながら近づいて来た。
四
近づくに従って、その早舟の群れからは、鼓の音や喊の声が聞こえた。
「さては、呉の水軍」
趙雲は愕然、色を失った。
この上は、幼君を抱きまいらせたまま、水中に身を投ぜんか。斬って斬って斬り死にせんかと、さいごの肚をきめていた。
ところが、水中から声があって、
「呉の船待てっ。わが君の留守を窺って、幼君阿斗をいずこへ伴い参らすぞ。燕人張飛これにあり、船を止めろっ」と、龍神が吼えるかと疑われるばかり聞こえた。
「おお、張飛か」
呼びかけると、一舟の中から、
「趙雲そこにいたか」
と、下からも呼び返しながら、はやその張飛をはじめ、荊州の味方は、たちまち、八方から鈎繩を飛ばして、呉船のまわりに手繰りついた。
張飛が船上へとび上がると、出合い頭に、周善が戈をもって斬りかけて来た。龍車に向かう蟷螂の斧にひとしい。張飛が、
「くわっ」
と言ったとたんに、彼の一振した一丈八尺の蛇矛は、周善の首を遠く飛ばしていた。
「虫けらどもが」
張飛の眼にふれたらさいご、その者の命はない。呉の兵は人の跫音を聞いた蝗のように船じゅうを逃げまわった。
「一匹も生かすな」
殺伐するに仮借のない張飛は、歩むところに朱をのこしながら胴の間を闊歩した。
すると一隅に、侍女たちに囲まれたまま、立ちすくんでいた玄徳夫人のすがたがあった。
「............」
「............」
夫人は必死な気位を持って彼を見下そうとした。
しかし張飛のらんらんと燃える眼は、決して、夫人の眸を避けなかった。
やがて、彼が言う。
「夫人たる御方は、良人の留守を守るのが道であるのに、いま荊州を去るとは何事か。それが呉の婦道か」
「......家臣たるものが、主にたいして、そのようなことばを吐いてよいものか。それがそち達の士道か」
「......君家を護るは、いうまでもなく、士道のひとつ。たとえ主君の夫人であろうと、それがしはあえて言う。お帰んなさい。帰らなければ、引っ吊るしても、荊州城の奥へ抛りこみますぞ」
夫人は白く顫いた。
「......ゆ、ゆるしておくれ。故なく城を出たのではない。母公の御危篤に前後もなくお枕許へゆくのですから。......もしそち達が、強ってわたくしを荊州へ連れもどるというならば、長江へ身を投げて、この悲しみからのがれるばかりです」
「なに、入水する?」
これには張飛も脅かされた。
「おうい、趙雲、ちょっと来てくれ」
「なんだ」
「こういう次第だが、どう処置したらいいか。もし夫人が入水して死んだら、やはりわれ等は、臣道にそむくだろうか」
「もちろん、かりそめにも、主君の夫人、また皇叔のお嘆きを考えてもむざむざ、夫人の死を見ているわけにもゆくまい」
「では、幼君だけ取り回して、夫人はこのまま呉へやるとするか」
「そうするしかあるまい」
「よし、もう一言、いい分を言っておこう」
張飛は、夫人の前へ戻って、
「あなたの良人は、いやしくも大漢の皇叔。故にわれわれは、臣節を尊んで、あえてあなたを辱しめず、ここでお別れ申すとする。しかし、御用がおすみになったら、早々、ふたたび良人の国へお立ち帰りあれよ」
告げ終わると、
「おい、趙雲。行こうか」
と、早舟へ跳び移った。
趙雲も阿斗を抱いて、一艘のうちへ跳び下りる。
そしてその余の早舟十数艘を漕ぎ連れて、近くの油江口へ上陸し、馬に乗って荊州へ帰った。
「よかった。――実によかった。阿斗の君の無事を得たのは、真に二人の働きである」
孔明は、仔細の報告を、そのまま詳しく書簡にしたため、すぐ蜀の葭萌関にある玄徳の許へ早馬をたてて報告しておいた。
〔第七巻 終〕
●『三国志』解説/渡部昇一
【第7巻】
私が思うに、経営者の方が『三国志』を読む場合、孔明は劉備がいた時にはよく戦えたのに、劉備が亡くなってしまったらあまり奮わなくなってしまったのはなぜなのか、と考えながら読むのがいいと思います。私は、この部分が不思議に思って、ずっと頭の中に残っていました。だって、劉備なんていい人だという以外は、漢の子孫だと言っていますが、特に取り柄がないではないですか。しかし、その彼の人徳によって、さまざまな名将が集ってきたから、蜀という国を興せたわけなんですよ。また、孫権にもいい武将が集まっていましたよね。ここが、孔明との違うところなのです。
そしてこの点も、日本人の孔明贔屓の下地にもなっているんですよ。というのも、こういった境遇が先に指摘した楠木正成と類似しているからです。孔明の元で秀でた武将として挙げられるのは、姜維くらいと言われています。『三国志』ではかなり高く買われているのですが、実際に魏からはそれほど問題視されるような武将ではありませんでした。かなり若くして、孔明の意志を継いでよく戦っている、というくらいだったのです。ただこれが、楠木正成の死後に意志を継いで戦った子の正行や正隆のイメージと重なったのでしょうね。話が少し逸れてしまいましたが、戦において勝つ方の要因といったところを、経営者の方やこれから目指す人は注目すべきところなのではないかと思いますね。
また、魏呉蜀それぞれを会社に見立ててみるというのも、いいかもしれません。そして、人物は日本の戦国武将などで考えるとわかりやすいと思います。例えば曹操、彼は風雲児ですから大した人物ですよね。日本で言えば、たぶん信長になるでしょう。最後には天下が取れなかったという点などが似ていますから。劉備を戦国武将で例えるのは、難しいところですね。無能そうだけれども担がれる徳は持っている、ということですから、毛利輝元あたりでしょうか。ただ彼は、孫権にも似ているんですよね、家来にいい人がたくさんいましたから。
といったように、いろんな戦国武将とリンクさせてみると、実業に関する人はいろんなものが見えてくると思います。ちなみに、魏呉蜀どれがいいとか悪いとかいう明確な答えはないですね。これは言ってもしょうがないことですから。
【第8巻につづく】
日 輪
一
呉侯の妹、玄徳の夫人は、やがて呉の都へ帰った。
孫権はすぐ妹に質した。
「周善はどうしたか」
「途中、江の上で、
張飛や
雲に
阻められ、
斬殺されました」
「なぜ、そなたは、阿斗を抱いて来なかったのだ」
「その阿斗も、奪り上げられてしまったのです......それよりは、母君の御病気はどうなんです。すぐ母君へ会わせて下さい」
「会うがよい、母公の後宮へ行って」
「ではまだ......御容体は」
「至極、お達者だ」
「えっ。お達者ですって」
「女は女同士で語れ」
いぶかる妹を、にべもなく後宮へ追い立て、孫権はすぐ政閣へ歩を移して、群臣に宜言した。
「予の妹は、玄徳の留守に、その家臣どもから追われ、今日、呉へ立ち帰った。かくなる上は、呉と荊州とは、事実上、なんらの縁故もないことになった。即時、大軍を起こして、荊州を収め、多年の懸案を一挙に解決してしまおうと思う。それについて、策あらば申し立てよ」
すると、議事の半ばに、江北の諜報がとどいて、
「曹操四十万の大軍を催し、赤壁の仇を報ぜんと、刻刻、南下して参る由」と、あった。
俄然、軍議は緊張を呈した。
ところへまた、内務吏から、
「重臣の張紘、先ごろから病中にありましたが、今朝、息をひきとるにあたり、遺言の一書を、わが君へと、認め終わって果てました」
「なに、張紘が死んだ」
折も折である。呉の建業以来の功臣。孫権は涙しながらその遺書を見た。
張紘の遺書には縷々として、生涯の君恩の大を謝してあった。そして、自分は日ごろから、呉の都府は、もっと中央に地の利を占めなければならぬと考え、諸州にわたって地理を按じていたが、秣稜(南京付近)の山川こそ実にそれに適している。万世の業礎を固められようとするなら、ぜひ遷都を実現されるように。これこそいま終わりに臨んでなす最後の御恩報じの一言であると結んであった。
「忠義なものである。この忠良な臣の遺言をなんで反古にしてよいものではない」
孫権は、一方には、刻々迫る戦機を見ながら、一面直ちに、その居府を、建業(江蘇省・南京)へ遷した。
かくてその地には、白頭城が築かれ、旧府の市民もみな移って来た。
また、呂蒙の意見を容れて、濡須(安徽省・巣湖と長江の中間)の水流の口から一帯にかけて、堤を築いた。これに使役される人夫は日々数万人、呉の国力の旺なることは、こうした土木建築にも遺憾なくあらわれた。
もちろんこれは、やがて来るべきものに対する国防の一端である。来るべきもの、それは曹操の南下だ。
曹操はそれよりもずっと早くから宿望の南征と呉への報復にもっぱら軍備の拡充を計っていた。
すでに四十万の大編成は、
「いつでも」と、いう態勢を整えたので、いよいよ許都を発しようとすると、長史董昭が諂って彼にこうすすめた。
「およそ古来から、臣として、丞相のような大功をあげられた御方は、是を歴史に見ても、求めることはできません。周公も呂望も、比較にはならないでしょう。乱世に立って、群盗乱臣を平らげ、風に櫛けずり雨に浴みし給うなど、三十余年、万民のために、また漢朝のために、身をくだかれて来たことは、ひとしく天人ともに知るところです。今はよろしく、魏公の位に登って、九錫を加え、その威容功徳を、天下に見せ示すべきでありましょう」
二
どんな英傑でも、年齢と境遇の推移と共に、人間のもつ平凡な弱点へひとしく落ちてしまうのは是非ないものとみえる。
むかし青年時代、まだ宮門の一警手にすぎなかったころの曹操は、胸いっぱいの志は燃えていても、地位は低く、身は貧しく、たまたま、同輩の者が、上官に媚びたり甘言につとめて、立身を計るのを見ると、(何たるさもしい男だろう)と、その心事を愍み、また部下の甘言をうけて、人の媚びを喜ぶ上官にはなおさら、侮蔑を感じ、その愚をわらい、その弊に唾棄したものであった。
実に、かつての曹操は、そういう颯爽たる気概をもった青年だった。
ところが、近来の彼はどうだろう。赤壁の役の前、観月の船上でも、うたた自己の老齢をかぞえていたが、老来まったく青春時代の逆境に嘯いた姿はなく、ともすれば、耳に甘い近側のことばにうごく傾向がある。
彼もいつか、むかしは侮蔑し、唾棄し、またその愚を笑った上官の地位になっていた。しかも今の彼たるや人臣の栄爵を極め、その最高にある身だけに、その巧言令色にたいする歓びも受け容れかたも、到底、宮門警手の一上官などの比ではない。
いま重臣董昭から、
(この際、魏公の位に登って九錫を加えられてはいかがですか)
と、すすめられると、曹操はなにを憚る考えもなくすぐに、
(そうだ、なぜ自分は、今まで九錫を持たなかったろう)
と、すぐその気になって、朝廷にそのゆるしを求めた。もちろんその意のままになる。彼は以後、魏公と称し、出るも入るも、九錫の儀杖に護られる身となった。
九錫の礼というのは、
一 車馬 大輅、戎輅。大輅ハ金車、戎輅ハ兵車ノ事。黄馬八匹。
二 衣服 王者ノ服。袞冕赤舃。朱ノ履タル事。
三 楽県 軒県ノ楽、堂下ノ楽。昇降必ズ楽ヲ奏ス。
四 朱戸 門戸ハ紅門ヲ以テ彩ル。
五 納陛 朝陛ヲ登ル自由。
六 虎賁 常時門ヲ衛ル軍三百人、虎賁軍トイウ。
七 鈇鉞 鈇鉞各々一、鈇ハスナワチ金斧、銀斧ナリ。
八
弓矢 彤弓一、
彤矢百、
弓十、
矢一千、
朱弓、
黒弓ナリ。
九 秬鬯 祭祀ヲ行ナウタメノ酒。
これをみた荀彧はかなしんだ。以前の曹操とは次第に変わって来るのを冷静に彼のそばで眺めていたのは、彼よりは年下のこの荀彧という忠良な一忠臣だった。
「丞相。すこしあなたも、お年をお召しになり過ぎはしませんか」
「なぜだ」
「愚に返ったところがお見うけされます」
「予が九錫の礼を持ったことを言うのか」
勃然と、曹操は、色をうごかした。荀彧は、静かに、
「そうです。功いよいよ高きほど、御自身は、退謙をお示しあるべきです。しからずんば、折角、三十余年、旗に漢室への忠誠をかざし、口に万民のためと称しながら、結局、あなた御自身の慾望に過ぎなかったということになりましょう。弱冠、生死の迷妄を捨て、百戦苦闘、今日を築いて来ながら、その精神と節操を、門の飾りや往来の見得などと取り替えるなどは、実につまらぬ人生の落ちではありませんか」
涙をふくんで諫めると、曹操はぷいと席を去って、
「おいおい、董昭をよべ」と、近侍へいいつけながら、大歩して去ってしまった。
以来、荀彧は、病と称して、自邸にひき籠ってしまった。建安十七年冬十月、いよいよ南下の大軍は都を出ることになったが、彼はなお、曹操から呼びに来ても、
「このたびは御供できません」
と、参加を辞した。
ついに、使者が来た。
「魏公からのお見舞いである」
と、使者は、食物の入っている一器を彼の前に贈った。
見ると、器の上には「曹操親ラ之ヲ封ス」という紙が懸けてある。あとで開いてみると、器の中には何も入っていなかった。
「お気持ちはわかった。......ああ」
荀彧は、その夜、自ら毒を服んで死んだ。
三
すでに南征の大軍は、水陸から続々と呉へ下っていた。
途中、曹操へ、都から知らせがあった。
「荀彧が毒を服みました」
「......自害したか」
曹操は瞼をとじた。ほろ苦い眉をひそめて。
しばらく黙っていたが、やがて、
「荀彧は、ちょうど五十歳だったな。不愍なことをした。敬侯と諡してやれ」
それきり何も言わなかった。多少、悔ゆる色が無いでもない。
日をかさねて、行軍は安徽省に入り、濡須の堤を前にして、二百余里にわたる陣を布いた。
「まず、敵の大勢を見よう」
曹操は、山へ登った。そしてはるかに、呉の陣を見わたすと、長江の支流は百腸のように曠野を縦横にうねり、その一つの大きな江には数百艘の兵船が望まれる。
敵はその辺りを中枢として水陸に充満していた。船櫓の鳴るところ旗ひらめき、剣槍の耀くところ士馬の声震い、草木も挙って、国を防ぐために戦いているかと思われた。
「ああさすがに呉は南方の強国だ。この士気では油断はできぬ。汝等も努めてふたたび赤壁の不覚をくりかえすなよ」
左右の大将を戒めながら彼が山を降りかけた時である。轟然、どこかで一発の石砲がとどろいた。その砲声からしてすでに北国にはない強力な硝薬の威力を示している。
「すわ」
と、噪ぎたつ間もない。山の麓近くの江から忽然と喊声が起こった。いつのまにか附近の蘆荻の蔭から無数の小艇があらわれ、呉の精猛が煙のように堤をこえて突貫して来る。まさに、魏の中軍へいきなり楔を打ちこんで来たかたちだ。
「退くな。奇襲の敵は少数ときまっている」
曹操は、山を降りると、敢然、陣頭に出て乱れ立つ味方をととのえた。
するとかなたの堤の上に、青羅の傘蓋を翳し、星のごとき群将に守られていた呉侯孫権が曹操を認めると、馬をとばして馳けて来た。
「赤壁の亡将、まだ生命をぬすんでいたか」
その声に、曹操は振り向いた。
碧眼、紫髯、胴長く、脚短く、しかも南人特有な精悍の気満々たる孫権。槍をふるって、石弾のごとく突いて来た。
「何者だっ」
わざと曹操は大喝した。自分よりはるかに若い孫権と、剣槍をもって闘う気はない。威だけを示して逃げようとした。
「逃ぐるなかれ。魏賊」
と、その気を察して、孫権の左右から、韓当、周泰のふたりが分かれて、曹操のうしろへ迫った。
危地に陥ったかと曹操の身が困難に見えたとき、彼の味方もまた、鼓を鳴らして、孫権のうしろを突き崩し、乱軍の相を呈しかけた機に、魏の許褚は、刀を舞わして周泰、韓当を退け、辛くも曹操を救い出して、中軍へ帰った。
この晩、いちど退いたかとみえた呉軍が夜半にまた、四面の野や小屋に火をはなって、夜襲して来た。
遠征の疲労にあった魏の兵は、不覚にも不意をくって、呉の勢に馳け破られ、おびただしい死者をすてて総軍五十里ほど陣を退くのやむなきに立ち至った。
「われながら、まずい戦」
曹操は悶々、自己を責めた。幾日かを空しく守りながら陣小屋の内にかくれて、じっと軍書にばかり眼を曝していた。
なにか、天来の妙計を、それから求めようとしている悶えがわかる。跫音をしのばせて、そっと入って来た程昱が、
「丞相。おつかれではありませぬか」と、声ひくく慰めた。
「......おお、程昱か。呉の堅陣に対して打つ手がない。初手の戦も、彼の攻勢に、味方はようやく防いだのみだ」
「そもそも。このたびの御出陣は遷延また遷延をかさね、ちと遅すぎました。故に呉は国防に全力を賭し、その期間に濡須の堤まで築いてしまったほどです。如かず、一応引き揚げて、ふたたび御出征を図られてはどうですか」
その晩、曹操は、ふしぎな夢を見た。
焰々たる日輪が雲を

いて、空中から大江の波間に落ちたとみて
眼がさめたのである。
四
あくる日。
五、六十騎をつれて、彼は陣中を見まわり、何気なく江の畔を歩いて来た。
ちょうど真っ赤な夕陽が、江の上流の山に沈みかけていたので、曹操はゆうべの夢を憶い出して、
「昨夜ふしぎな夢を見たが、吉夢だろうか、凶夢だろうか」
と、左右の将に語っていた。
すると、夕陽の光線と、江の波光とが相映じて、眩ゆいばかりぎらぎら燃えているかなたの赤い靄の中から、一旗、二旗、三旗、無数の旗が見え初めた。
「や。敵?」
いうまもない。
黄金の盔に、紅の戦袍を着、真っ先に進んで来た大将が、鞭をあげて、曹操をさしまねきながら揶揄して言う。
「国を侵す賊は何者だ」
「孫権か。予は、曹操である。王室の順に従わぬ者は討てとの、勅を奉じて下った天子の軍である」
「あら、笑止」
孫権は、哄笑した。
「天子の尊きは、たれも知る。故に、天子の御名を詐るものは、人ゆるさず、地ゆるさず、天ゆるさず。孫権もまたゆるさぬ。人中第一の悪人曹操、首をさしのべよ」
これを聞くと曹操の気は怒るまいとしても怒らざるを得なかった。彼はまたも、敵の仕掛けた戦に誘われて戦った。この日の戦闘も、惨烈をきわめたが、結果は、魏の大敗に帰してしまった。
「どうも、こんどの遠征は、いつもの丞相らしい冴えがない」
諸将はいぶかった。
許都を発するとき荀彧が毒を服んで死んだことなどが、なにか、丞相の心理に影響しているのではあるまいか、などと囁く者もいた。
いずれにせよ、連戦連敗をかさねて、その年の暮れてしまったことは現実だった。
翌建安十八年、正月となっても、はかばかしい戦況の展開はなく、二月に入ると、毎日、ひどい大雨がつづいて、戦争どころでなくなってしまった。
人類がこの地上で遭遇した大雨の記録を破ったろうと思われるほどな雨量だった。日夜大雨はやまず、陣小屋も馬つなぎも、ことごとく流され、曹操の中軍すら、筏を組んで、はるかな北方の山上へ移って行ったような有様だった。
次には当然、食糧難が起こって来た。兵はうらみを含み郷愁を思う。
諸将の意見もまちまちだった。硬論を主張するものは、陽春の候もやがて近し、死馬を

って
頑張っても、その時を待って一戦を決せずんば、はるかに南下した
効もないと言う。
こういう状態の中へ、呉侯孫権から一書が来た。文に曰く。
予モ君モ共ニ漢朝ノ臣タリ、マタ民ヲ
泰ンズルヲ
以テ徳トシ任トスル武門ノ
棟梁デハナイカ。仁者相争ウヲ

ッテカ天ハ
洪洪ノ春水ヲ
漲ラシ、君ノ帰洛ヲ促シテ居ル。賢慮セヨ君、再ビ
赤壁ノ
愚ヲ繰リ返スコトナキヲ。
建安十八年春二月呉侯孫権書。
ふと、書簡の裏を見ると、また、
足下不死
孤不得安
と、書いてある。
曹操は苦笑して、次の日、
「帰ろう」
あっさりと、引き揚げを命令した。
呉軍も、それを見て、みな秣陵の建業(南京)へ帰った。
孫権はすっかり自信を得て、
「曹操すら恐れて帰った。いま玄徳は蜀境に動いている。この時を措かず荊州へ進もうではないか」と、群臣に諮った。
宿老の張昭は、いつも若い孫権に歯止めの役割をしていたが、このときも次のように言った。
「蜀の劉璋へ、一書をおつかわしあって、玄徳は呉へ後詰めを頼んで来ている。必ずや蜀を横奪する考えにちがいない、とまず劉璋を疑わせ、また漢中の張魯へも、物資軍需の援助を言い遣り、しばらく玄徳を苦しませて、後おもむろに荊州を取るのが一番の良策でしょう」
上・中・下
一
葭萌関は四川と陝西の境にあって、ここは今、漢中の張魯軍と、蜀に代わって蜀を守る玄徳の軍とが、対峙していた。
攻めるも難、防ぐも難。
両軍は悪戦苦闘のままたがいに譲らず、はや幾月かを過ごしていた。
「曹操が呉へ攻め下ったという報らせが来た。濡須の堤をはさんで、魏呉、死闘の大戦を展開中であるという。......龐統、いかがしたらよいか」
玄徳がたずねた。答える者は、龐統。孔明に代わって従って来た唯一の軍師である。
「遠い遠い江南の大戦。ここの戦局には、何も関わりはないでしょう」
「いや、大いにある」
「なぜです?」
「もし曹操が勝てば、翻って、荊州も併せ呑んでしまうであろうし、また呉の孫権が勝利を得れば、その勢いにのって、進んで荊州をも占領するであろうことは、火をみるよりも明らかである。いずれにせよ、わが本国の荊州にとっては、滅亡もまぬかれぬ危機ではないか」
「孔明がおります。荊州の留守について、そんな御心配を征地で抱かれるなどと聞いたら、孔明は嘆きましょうよ。――自分はまだそんなにも君の御力と成るに足らない者かと」
「そうかな......」
「むしろこの際、その聞こえを利用して、蜀の劉璋へ一書をお送り下さい。いま曹軍が南下したので、呉の孫権から、荊州へ救いを求めに来ている。呉と荊州とは、唇歯の関係にあるし、姻戚の義理もある。――依って駈けつけねばならないが、魏の曹軍に対しては、いかんせん兵力も兵粮も足らない。精兵三、四万に兵粮十万石を合力されたい。......こう言い遣ってごらんなさい」
「ちと、求めるのが、莫大すぎはしないか」
「同宗のよしみと、こんどの事を恩にきせて、ともあれそれ位な要求をしてみると、劉璋の心底も見当がつきましょうし、巧く望みどおりの力を貸してくれれば、そのあとで龐統にもいささか策がありますから」
「それもよかろう」
使者は、成都へ向かって行った。
途中、涪水関(重慶の東方)にかかると、その日も、山上の関門から手をかざして麓の道を監視していた番兵が、
「玄徳の部下らしく、小旗を持った荊州の使者が、今これへかかって来ます。通しますか、拒みますか」と、蜀の二将、楊懐と高沛の前に告げた。
山中の退屈まぎれに、二人は碁を囲んでいたが、玄徳と聞くと、すぐ眼角をたてて、
「待て待て。滅多に通すな」と、番兵を戒め、何か、首をよせて、相談していた。
成都に赴く使者は、玄徳の書簡を、関門役人に内示した。見せなければ通さん、というのでぜひなく証拠として示したのである。高沛と楊懐は蔭で読んでしまった。
「お通りなさい」
ゆるされて、書簡も返されたが、大将楊懐が兵をつれて、
「成都まで御案内申す」と、従いて来た。
いまや蜀の内部には、反玄徳気勢が昂まっていた。楊懐もそのひとりで、早速、劉璋の前へ出て、こう進言した。
「玄徳から莫大な兵と粮食を借り求めて来たようですが、決してお貸しになってはいけません。彼の野望の火へ、わざわざ乾いた柴を積んでやるようなものでしょう」
劉璋は相かわらず煮えきらない顔いろである。恩義もあるし、同宗の誼みもあるし、などと口のなかで繰り返している。それを見て、侍将のひとり劉巴、字は子初というものが、
「わが君。私情にとらわれて国を亡くし給うな。彼に粮を与え、兵をかすは、虎に翼を添えて、わざとこの国を蹂躙せよというようなものです」
居合わせた黄権もまた進み出て、
「楊懐、劉巴のことばこそ、真に国を憂うる忠誠の声とぞんずる。何とぞ、御賢慮をたれ給え」
と、口を酸っぱくして諫めた。
こう重臣のすべてが反対では劉璋もそれに従わざるを得ない。
しかしただ断わるのもわるいというので、戦線には用いられないような老朽の兵ばかり四千人と穀物一万石、それと廃物にひとしい武具馬具などを車輛に積んで、使者と共に、玄徳へ送りとどけた。
玄徳はその冷淡に怒った。
二
彼が怒ったのはめずらしい。
劉璋の返簡を、使いの前で裂き捨てて見せた。
「わが荊州の軍は、はるばるこの蜀境に来て、蜀のために戦い、多くの人命と資材を費やしているのに、わずかな要求を惜しんで、粮も兵も、こんな申し訳ばかりのものを送って来るとは何事か、これを眼に見た士卒に対し、どういう辞をもって、よく戦えと励ますことが出来るかっ。――立ち帰ってよく劉璋に告げるがいい」
輸送に当たって来た奉行はほうほうの態で成都へ帰った。
そのあとで、龐統が、
「由来、皇叔というお方は仁愛に富まれ、怒ることを知らない人といわれていましたのに、今日の御立腹は近ごろの椿事でした。あと味はどうですか」
「たまにはよいものと思った。――が先生、このあとの策は予にないのだ。何ぞ賢慮はないかな」
「策は三つあります。どれでもわが君の意に召した計をお採りになるがよいでしょう。一策は、今からすぐ昼夜兼行で道をいそぎ、有無なく成都を急襲する。このこと必ず成就します。故にこれを上策とします」
「む、む」
「第二は、いま詐って、荊州へ還ると触れ、陣地の兵をまとめにかかる。すると楊懐、高沛などは、かねてより希望していることですから、かならず面に歓びをかくし口に惜別を述べて送りに来ましょう。そのときこの蜀の名将二人を一席に殺して、たちまち兵馬を蜀中へ向け、一挙、涪水関を占領してしまう。これは中策と考えられます」
「む、む。もう一計は」
「ひとまず、兵を退いて、白帝城にいたり、荊州の守備を強固となし、心しずかに、次の段階を慮ること是です。......が、これは下策に過ぎません」
「......下策はとりたくない。また第一の案も急に過ぎて、一つ躓けば、一敗地に塗れよう」
「では、中計を」
「中庸。それは予の生活の信条でもある」
日を経て、成都の劉璋の手許へ、玄徳の一書がとどいた。それには、呉境の戦乱がいよいよ拡大して来たことを告げ、荊州の危急はいま援けにゆかなければ絶望になる。まこと本意ないが、葭萌関にはだれか良い蜀の名将をさし向けられたい。自分は急遽、荊州へ回ると──認めてあった。
「それみい、玄徳は回るというて来たではないか」
劉璋はかなしんだ。
しかし、反玄徳勢力は、ひそかに胸で凱歌を奏している。
ひとり悶えたのは、大勢をここまで引っ張って来た張松である。彼の立場は当然苦境に落ちる。
「そうだ」
邸に帰ると、張松は、筆を
把って、玄徳へ激励の文を書いた。折角、ここまで大事をすすめながらいま荊州へ引き揚げては、百事
水
に帰すではないか。何ぞ一
鞭して、あなたはこの成都へやって来ないか。実に
遺憾だ。成都の同志は首を長くしてあなたの兵馬を待っているものを。
そう書いているところへ「お客さまです」と、家人が告げに来た。
張松はあわてて手紙を袂へかくして、客間へ出てみた。見ると酒好きな兄の張粛が、もう酒の瓶をあけて飲んでいた。
「なんだ。あなただったのか」
「顔いろが悪いじゃないか」
「つかれですよ、公務が忙しいので」
「つかれなら薬を飲め。さあ、酌いでやろう」
張松も思わず酒をすごした。兄はなかなか帰らない。長尻につられて彼も酔った。そのうちに二度厠へ立ったが、急に、兄の張粛は帰るといって出て行った。間もなく、入れ代わりに、成都の兵がどやどやと入って来た。有無をいわせず張松を搦め捕り、家人召使い、一人のこらず拉致して行った。
翌る日、市街の辻に、首斬りが行なわれた。みな張松の一家であった。罪状書の高札には、売国奴たる大罪が箇条書してある。直訴人はその兄だったと街のうわさは喧しい。その兄と飲んでいるうち張松が酔中に袂から落とした自筆の手紙が証拠になったものだという。
酒 中 別 人
一
葭萌関を退いた玄徳は、ひとまず涪城の城下に総軍をまとめ、涪水関を固めている高沛、楊懐の二将へ、
「お聞き及びのとおり、にわかに荊州へ立ち帰ることとなった。明日、関門をまかり通る」
と、使いをやって開門を促しておいた。
高沛は手を打って、
「楊懐、絶好な時が来たぞ。明日、玄徳がここを通過したら、軍旅の労をねぎらわんと、酒宴を設けてその場で刺し殺してしまおう。――蜀の憂患を除くためだ。抜かり給うな」
と、ここでは二人が手に唾して夜の明けるのを待っていた。
翌る日、玄徳は大行軍の中にあって、龐統と駒をならべ、何か語りながら涪水関へ向かって来た。
すると、一陣の山風に、旗竿の竿が折れた。玄徳は、眉を曇らせて、
「や、や。これは何の凶兆か」
と、駒を止めた。
龐統は、一笑して、
「これは天が前もって凶事を告知してくれたものです。故に、凶ではありません。むしろ吉兆というべきでしょう。――思うに楊懐、高沛がきょうこそ君を刺殺せんと待ちうけているものと考えられる。わが君、御油断あそばすな」
「その事ならば」
と、玄徳は、身に鎧を重ね、宝剣を佩き、悪鬼羅刹も来れと、心をすえて更に駒をすすめた。
龐統は、幕将の魏延、黄忠などに、何事かささやいて、一歩一歩のあいだにも、戦態を作りながら前進していた。
すでに、関門の大厦が、近々とかなたの山峡に見えたころである。
楽を奏しながら、綿繡の美旗をかかげて、かなたから来る一群の軍隊がある。
真っ先に来た大将が言った。
「今日、荊州へ御帰還あるという劉皇叔におわさずや。遠路の途中をおなぐさめ申さんがため、いささか粗肴と粗酒を献じたく、これまでお迎えに出たものです。何とぞお納めをねがいたい」
龐統が出て挨拶した。
「これはこれは過分な礼物。皇叔にもいかばかりお歓びあるやしれません。高沛、楊懐の二兄にもよしなにお伝えおき下さい」
「いずれ後刻、陣中御見舞いに伺う由ですが 取り敢えず、酒肴をお目にかけよとのことに、あれへ品々を担わせて来ました」と、おびただしい酒の瓶、小羊、鶏の丸焼きなどを、それへ並べて帰った。
一行はそこに幕舎を張って、酒の瓶を開き、山野の風物に一息入れながら、杯を傾けて休息していた。そこへ高沛と楊懐が、兵三百を供につれて、
「お名残惜しいことです。せめて今日は、親しくお杯を賜わりたいもので」
と、素知らぬ顔をもって陣中見舞いに訪れた。
「さあ、どうか」
迎え入れて、幕舎の酒宴は賑わった。――玄徳が常に似合わずよく飲むので、龐統は心配していたが そのあいだに、かねて言い含めておいたとおり、関平、劉封の二人は、席を抜けて、外にいた三百余の関門兵を、遠くへ引き退がらせてしまった。
そして引き返すと二人は幕の蔭から躍り出て、
「刺客っ。神妙にしろ」
と、不意に、楊懐を蹴とばし、高沛に組みついて、うしろ手に縛りあげてしまった。
「何をするかっ。客に対して」
楊懐が、威猛高に吼えると、関平は彼のふところを探って、秘していた短剣を取りあげた。高沛の懐からも短剣があらわれた。
「これを何に使うつもりで来たか」
と、突き付けると、
「剣は武人の護りだっ」
と、屈せずにいう。
関平、劉封は共に腰なる長剣を抜いて、
「武人の護りとは、こういう正々堂々の剣をいうのだ。この護りは、もって、卑劣なる汝等害獣を天誅するために研がれている。さ。斬れ味をみろ」
と、幕外へ曳き出して、有無を言わせず二つの首を落としてしまった。
二
「わが君。何を無言に鬱ぎこんでおられますか」
「今、ここでともに酒をのんでいた高沛、楊懐がもう首になったかと思うと、あまり快い気がしない」
「そんなお気の弱いことで、よく今日まで、百戦を経ておいでになりましたな」
「戦場はまたちがう」
「ここも戦場です。まだ涪水関は占領していません」
「高沛、楊懐が供につれて来た三百の関門兵はどうしたか」
「そっくり捕虜にしてあります。いまは一網にして酒をのませ、
肴を

らわせているので、彼等は狂喜している様子で」
「なぜ擒人の兵にそんな馳走するのか」
「黄昏まで、歓楽させておきましょう。その後、彼等を用いる一計がありますから」
龐統が小声に何かささやくと、玄徳は頷いて、妙案妙案と呟いた。
日の暮るるまで、幕舎のまわりでは、歌曲の声が湧き、時々歓声があがり、酒宴は熄まずに続いているような態であった。
「星が出た」
一吹の角笛と共に、龐統は一軍をあつめて、徐々、涪水関の下へ近づいて行った。
先頭には、捕虜の関門兵三百を立たせていた。この者どもはもう完全に寝返って、龐統の薬籠中のものになっているらしい。岩乗絶壁のような鉄門の下に立ってこう呶鳴った。
「楊将軍、高将軍のお戻りであるぞ。開門開門」
昼間の出来事は何も知らない関門の蜀兵は、声に応じて、
「おうっ」
と、
鉄
を八文字に開いた。
「すすめっ」
喊声をあげながら、怒濤の兵は関門へ突入した。ほとんど衂らずに、涪水関は占領された。
玄徳は直ちに、諸軍をわけて要害の部署につかせ、
「蜀すでにわが掌にあり」
と、三たびの凱歌をあげさせた。
山谷のどよめく中に、庫中の酒は開かれ、将士は祝杯をほしいままにした。
玄徳も昼から酒に親しんでいたので、夜半から暁にかけて、幕僚の将を会して杯をかさねると、泥のように酔ってしまった。
大きな酒瓶に凭れて、彼は前後も知らず眠り始めた。ふと、眼をさましてみると、龐統はまだ独り残って痛飲している。
「まだ、夜は明けぬか」
龐統は笑って、
「とうに小鳥が囀っていますよ。どうです。もう一献」
「いや、夜が明けたら、酒どころではない」
「でも、人生の快味は、こういう時ではありませんか」
「そうだ。ゆうべは実に愉快だったな。酒を飲みつつ一城を奪ったようなものだ」
「へエ、そんなに愉快でしたか」
と、龐統は例のひしげた鼻に皮肉な小皺をよせて、
「――人の国を奪って、楽しみとするは、仁者の兵にあらず、あなたらしくもありませんな」
玄徳は酔後の顔を逆さまに撫であげられたような気がしたのだろう。むっとして色をなしてすぐ言った。
「昔武王は、紂を討って、初めに歌い、後に舞ったという。武王の兵は、仁義の兵でなかったか。ばか者っ退け」
龐統は恐れをなして、そうそうに退出した。玄徳はまだ酔っていたとみえる。左右の者に介添えされて、ようやく後堂の寝所へはいった。
大睡の後、眼をさまして、衣を着更えていると、近侍の者から、
「今朝ほどは、大へんな御剣幕で、さすがの龐統も、胆をちぢめて引き退がりましたよ」
と、酔態を語られて、
「えっ、そんなに彼を叱ったか」
と玄徳は急に、衣を正して、龐統をよんだ。そして辞を低うして、
「先生。今暁の無礼は、酔中の不覚、ゆるしてください」
と言った。
龐統は耳の無い人間みたいに黙っていたが、玄徳が重ねて詫びると、初めて口を開き、
「君臣ともに、酔中の浮魚。戯歌水游、みな酒中のこと。酒中別人です、酒中別人です。わたくしの皮肉もお気にかけて下さるな」
と、ともども、手をたたいて、朗らかに笑った。
魏延と黄忠
一
玄徳、涪城を取って、これに拠る。――と聞こえわたるや、蜀中は鳴動した。
とりわけ成都の混乱と、太守劉璋の愕きかたといったらない。
「料らざりき、今日、かくのごとき事あらんとは」
と、痛嘆する一部の側臣を
尻目にかけ、
劉
、
冷苞、
張任、
鄧賢などは、
「それ見たことか」
と、自分たちの先見を誇ってみたものの、いまは内輪揉めしていられる場合でもない。
「お案じあるな、われわれ四将が、成都の精鋭五万をひっさげ、直ちに馳せ赴いて、雒県の嶮に彼等を防ぎ止めますから」
劉璋もいまは、迷夢からさめたように、
「よいように」
と、それらの人々に防ぎを一任するしかなかった。
大軍の立つ日である。四将のひとり劉

が他の三将に
諮った。
「前々から聞いていたことだが、錦屛山の岩窟にひとりの道士がいるそうな。紫虚上人といわれ、よく占トを修め、吉凶禍福の未来を問うに、掌を指すようによくあたるという。いま玄徳に向かって成都の大軍をうごかすにあたり、勝ちか敗けかひとつ卜わせてみるのも無駄ではあるまい。易によって、また大利を得るかもしれん。どうだろう諸公」
張任は笑って、
「ばかを言いたまえ、一国の興亡を負って、その軍を指揮するものが、山野に住む一道士の言を訊かねば、戦う自信が持てないようなことでは、士気を昂揚することもできはしない」
「いやいや、何も戦に臆して、吉凶を卜わせようというわけではない。この一戦こそ蜀の運命を左右するものだから、万全を期して、凶を招くようなことは、少しでも踏むまいと念ずるからだ。これも国を思えばこそで、けっして単なる迷いや臆病から言うのではない」
「それほどに仰せあるなら、何も強いて止めはせん。貴公ひとりで訪ね給え」
「よろしい、行ってくる」
部下数十騎をつれて、劉

はすぐ
錦屛山へ登った。
一窟の前に、紫虚上人は、霧を吸って、瞑想していた。
劉
がひざまずいて、
「上人。何が見えますか」
と、たずねた。
紫虚上人は、ぶあいそに、
「蜀中が見えるよ」
と、いった。
かさねて、劉

が、
「西蜀四十一州だけですか。天下は見えませんか?」
すると、紫虚上人は、
「よけいなことを訊かいでもいいじゃろう。御身の知りたがって来たことだけに答えてやる。童子」
と、うしろにいた子供に命じて、紙と筆をとりよせ、一文を書いて劉

へさずけた。
読んでみると、
左 龍 右 鳳
飛 入二 西 川一
鳳 雛 墜レ地
臥 龍 昇レ天
一 得 一 失
天 数 如 然
宜 帰二正 道一
勿レ喪二九 泉一
「上人。......蜀は勝つでしょうか」
「定業のがれ難し、じゃよ」
「われわれ四将の気数運命はどうでしょう」
「定業の外ではあり得ない」
「と言うと?」
「それだけだよ」
「では、玄徳の軍は、蜀において成功しますか、それとも失敗しますか」
「一得一失。それに書いてあるのを見ないか。諄い。もう問うな」
眼をふさぐと、石みたいに、もう何を訊いても、返事をしなかった。
劉

は、山を降りて、
「慎まねばいかん。どうも蜀にとって良い予言ではないようだ」
と、三将へ伝えると、張任はひどくおかしがって、
「いやはや、劉

は迷信家だ。山野の狂人の
譫言をそれほどに尊重するなら、馬の
嘶きにも、
狗の
啼き声にも、いちいち進退を問わねばなるまい。――外敵に当たるまえに、まず心中の敵を退治るのが肝要。いざ、迷わずに」
と、即日、軍をすすめた。
二
雒県の山脈と、往来の咽喉を扼している、雒城の要害とは、ちょうど成都と涪城のあいだに在る。
涪城から玄徳が放しておいた斥候の一隊は、倉皇と立ち帰って来てこう報せた。
「蜀の四将が、全軍五万を、二手にわけて、一は雒城をかため、一は雒山の連峰をうしろにして、強固な陣地を構築しております」
玄徳はすぐ諸将に諮った。
「敵の先陣は、蜀の名将、冷苞、鄧賢の二将と聞く。これを破るものは、成都に入る第一の功名といえよう。だれかすすんでそれを撃破してみせるものはないか」
すると、幕将のうちでもいちばん老ぼれて見える老将黄忠が、身をゆるがして、
「此方にお命じください」と、言った。
言い終わるか終わらぬうちに、それとはまるで声からしてちがう若者が、
「あいや、老黄忠のお年では、ちと敵が強過ぎよう。その先陣は、それがしにお命じ賜わりたい」
と、横からその役を買って出た。
だれかと見れば、魏延である。序戦の勝敗は大局に影響する。なんぞ老将の手を借らんやと、魏延は気を吐いて、切に自身先鋒たらんことを希った。
「これは異な仰せかな」
と、老黄忠も黙っていない。
「御辺が魁の功名をねがわるるは御随意だが、この黄忠を無用のごとくいわるるは聞きずてならん。何故、此方には勤まらぬといわれるか」
詰め寄ると、魏延、
「あらためて申すまでもない。老いては血気弱く、あなたばかりではなく、だれにせよ、強敵を破るはまず難しいというのが常識であろう」
「お黙りなさい。老骨は必ず若い者に敵せぬという定則はない。むしろ御辺のように、ただ若きにのみ恃む者こそ危ういといわねばなるまい」
「お年寄りとゆるしてほどよく答えておれば口幅ったい広言。しからばいま君前において、いずれの志力腕力が秀でておるか勝負に及ばん。黄忠どの、起てっ」
「おう、否みはいたさぬ」
と、黄忠も階を降り、魏延も堂を下りて、すんでに、若虎老龍が戈をとって闘おうとする様子に、玄徳は驚いて堂上から一喝に制した。
「ふたりとも控えぬか。ここに私闘を演じて我が軍に何の利があるぞ。敵を前に両名とも大人げない争い。断じて汝等には、わが先鋒の大役は命ぜられぬ」
叱られて、黄忠も魏延も、ともに地へひざまずき、面目なげに俯向いてしまった。
――と、龐統が、玄徳の気色をとりなして、かくまでに熱望するものを他人に命ぜられては、折角の英気をいたく挫きましょう。かくなされてはいかがと、一策を出して、玄徳の許容を求めた。
もとより玄徳も本心から怒ったのではない。むしろ幕下の大将がかくまで旺盛な戦意を抱いていることは彼として欣ばしいほどであったから、
「龐統にまかせる。よいように裁け」といいつけた。
で、龐統が二人へいうには、
「いま蜀の冷苞、鄧賢の二将は、雒山山脈を負うて左右二翼にわかれて陣取る。御身等も二手にわかれて各各、その一方に当たれ。いずれでも早く敵陣を粉砕して味方の旗を掲げたものを第一の功名とするであろう」
黄忠、魏延は勇躍して進軍した。龐統はまた玄徳にいった。
「あのふたりは必ず途中で味方喧嘩をしますよ。君にも即刻、兵をつれて彼等の後陣におつづき下さい」
「涪城の守りは」
「龐統が承ります」
「さらば」と、玄徳もまた用意して、関羽の養子関平と、劉封の二将をつれ、その日ただちに雒県へ急いだ。
三
黄忠勢、魏延の勢、ほとんど一軍のように、やがて敵前に、先鋒の備えを立てた。
魏延は、物見の兵に訊ねた。
「どうだ。黄忠の軍勢も、もう布陣を終わったか」
「整然と終わっています。夕刻を過ぎてから、ふたたび兵糧を炊ぐ煙が上がっていましたから、察するに、深更、陣を払い、左の山路をとって夜明けに敵へ攻めかかろうとしているのではないかと思われます」
「そいつは、油断がならぬ。愚図愚図していると、黄忠に出し抜かれよう」
魏延の眼中には早、敵はない。ただ味方の黄忠に先んじられて、味方の者に面目を欠くことのみいたく惧れた。
いや、黄忠を押しのけて、独り功名を誇ろうとする気ばかり募った。
「わが隊は、二更に兵糧をつかい、三更にここを立つぞ」
魏延の命令は、士卒たちの予想を超えて、ひどく急だったから、一同は大いに慌てた。
元来、涪城を発するとき、二将は玄徳の前で、あらかじめ作戦の方針を聞き、
(黄忠は敵の冷苞に当たり、魏延は鄧賢の陣を突破する)
と約束して来たのであるが、ここに来てから魏延の思うらく、
(それだけでは、さまでの功ともいえない。自分一手で、冷苞の陣も破り、続いて、鄧賢の軍も粉砕して、老黄忠の鼻をあかしてくれねばならん)――と。
そこで彼は、にわかに、陣払いの時刻を早め、道も更えて、黄忠の進むべき左の山へ進路をとった。
夜どおし山を踏み越えてゆくと未明に敵陣が見えた。
「見ろ。敵は霧の底にまだ眠っている。一気に蹴やぶれ」
どっと、山を離れて、敵営へ迫った。
「来たか、魏延」
思いがけなくも、敵は八文字に営門をひらいて、堂堂、彼の軍を迎えいっせいに弓鉄砲を撃ち出した。
冷苞はその中から馬をすすめて魏延に決戦を挑む。望むところと魏延は大いに戦ったが、そのうちに後方から崩れ出した。
「はて?」と、気をくばってみると、不覚不覚、山路の方から敵の伏兵が現われたらしい。いつのまにか魏延の隊は腹背ともに攻め鼓につつまれていた。
「南無三」
魏延は冷苞を捨てて野の方、五、六里も逃げ退いた。
ところが、野末の森や山際からむらむらと起こって来た一軍が、
「魏延魏延。どこへ行く気か」
「快く降参してしまえ」
と、口々に呼ばわりながら鼓を鳴らし喊声を震わせて被いつつんで来た。
「やや。鄧賢の兵か」
魏延は、狼狽して、また逃げ道を更えた。
「卑怯ッ」
だれか、追って来る。
振り向いてみると、これなん蜀の猛将鄧賢だった。
「待て、魏延ッ」
鄧賢は、大槍を頭上に持って、悍馬の背にのびあがった。
あわや、槍は飛んで、魏延の背を串刺しにするかと思われた。
そのとき一本の
白羽
が風を切ってどこからか飛んで来た。あッと、
虚空へ絶叫をあげたのは鄧賢だった。白い矢は彼の
喉ぶえ深く

いついていたのである。長槍を持ったままその体は勢いよく地上へ転げている。
鄧賢の戦友冷苞は、それと見るや鄧賢に代わって、更に、魏延を追いまわした。魏延の周囲にはもう味方の一兵も見えなかった。
するとたちまち、堂々の金鼓、颯々の旗、一彪の軍馬は、野を横ぎって、冷苞勢の横を打って来た。
「黄忠ここにあり、怯むなかれ魏延」
真っ先にあるは老将黄忠であった。弓を持っている。矢を放って、先に彼の危急を救ったのも、彼だった。
この奇襲に、冷苞の勝色は、たちまち変じて、敗色を呈し、算をみだして、
劉
の陣地へ退却して行ったが、
愕くべし、そこの営内にはすでに
見馴れない他人の旗が
翻とたなびいていた。
四
先に廻って、ここを占領していたのは、玄徳の命をうけた関平の一軍だった。
「や、や。いつのまに」
冷苞は帰るに陣もなく、狼狽の極、馬を回らして山間へ逃げこんだ。
「かかったぞ。網の中に」
たちまち、熊手や投げ繩が、八方の叢林から飛び出して、彼を馬の背から搦め落とした。
「大物を捕ったぞ」
ここに彼を待って奇功を獲たのは、魏延であった。魏延の得意なことはいうまでもない。
実は、彼としては、軍法を犯してまで黄忠を抜け駈けしたものの、序戦には大敗を喫し、多くの兵を損じたので、(何か一手功立てねば味方の者にあわせる顔もないが)と、独り焦躁していたところに敵の一大将を捕虜にしたのであるから、その満足感はなおさら大きかった。
蜀兵の捕虜は、このほかにも夥しく玄徳の後陣へ送られて来た。とまれ第一線はまず味方の大勝に帰したわけであるから、玄徳は将士に恩賞を頒かち、降兵はことごとくゆるして、それぞれの部隊に配属させた。
ときに、老黄忠は、玄徳の前に出てこう訴えた。
「抜け駈けは軍法の大禁。魏延はまさに公然それを犯したものです。御処分を下し給わねば軍紀の紊れとなりましょう」
「魏延を呼べ」
玄徳の使いに、魏延は直ちに、虜将冷苞を自身で曳いて来た。
それを見ると玄徳は、この若い勇将を軍法に処す気になれなかった。その愛を内に秘めて彼はこう魏延を叱った。
「聞けばそちは、すでに危ういところを、黄忠の矢に救われたというではないか。予のまえで黄忠に恩を謝せ」
魏延は、黄忠に向かって、
「貴公の一矢がなければ、鄧賢のために討たれていたかも知れない。つつしんで高恩を謝します」と、ひざまずいて頓首した。
玄徳はそれを見ながら、もう一言詫びよと言った。魏延は抜け駈けのことだと察したので、
「それがし、若輩のため、気のみ逸って、時刻や進路を過り、自ら危地へ陥ったこと、面目もありません。しかしこれもみないちず君恩に応えんためのみ、どうか御寛容ねがいたい」
黄忠はもう何も言えなくなった。玄徳は老黄忠の年にめげなき働きを賞して、
「目ざす成都に入城したあかつきには必ず重く賞すであろう」と、約した。
玄徳はまた捕虜の大将冷苞を説いて、
「君に鞍馬を与えよう。雒城へ帰って、君の友を説き、城をひらいて無血に予へ渡されい。しかる後には、かならず重く用い、卿等の一門にも、以前にまさる繁栄を約束するが」
繩を解かれた上、懇ろに陣外へ放されたので、冷苞は大よろこびで雒城へ飛んで行った。――魏延は見送って、
「あいつ、きっと、帰って来ませんぞ」
と、忌々しげに呟いたが、玄徳は、
「帰らなければ、彼が信義を失うので、予の仁愛の主義に傷はつかない」
と、言った。
果たせるかな、冷苞は帰らない。雒城へ入ると、味方の
劉
や
張任に会って、
「いちどは敵に生け捕られたが、番の兵を斬殺して逃げて来た」
と偽り、序戦は敗れたかたちだが、玄徳のごとき、何ものでもない。などと敗将の気焰はかえって旺盛なものだった。
「何よりは、もっと兵力を」
と、この三将から成都へ頻々と援軍が求められた。
ほどなく、劉璋の嫡子劉循、その祖父呉懿、二万余騎をひきいて、雒城へ援けに来た。この軍のうちには、蜀軍の常勝王といわれた呉蘭将軍、雷同将軍なども加わっていた。
だが総帥は、その年齢からいっても、太守劉璋の舅たる格からいっても当然、呉懿その人であった。
「いま、涪江の水嵩は高い。敵の陣地を一水に洗い流してしまえ」
呉懿はここへ着くとこういう命令を出した。そこで五千の鋤鍬部隊は、夜陰を待って、涪江の堤防を決潰すべく、待機を命じられた。
短 髪 壮 士
一
奪取した二ヵ所の陣地に、黄忠と魏延の二軍を入れて、涪水の線を守らせ、玄徳はひとまず涪城へ回った。
折からまた、遠くへ行った細作が帰って来て、蜀外の異変を齎した。
「呉の孫権が、漢中の張魯へ、謀略の密使をさし向けました。呉は満腔の同情をもって、貴国へ対し、兵力軍需の援助を惜しまぬものであると。――煽てに乗って張魯はたちまち力を得、かねての野望を達せんと、漢中軍をもって葭萌関へ攻めかかりました」
玄徳は驚倒せんばかり顔いろを変えた。すぐ龐統をよび、
「もし葭萌関を張魯に扼されてしまったら、蜀と荊州の連絡は断たれ、退くも進むもできなくなる。だれを防ぎにやったらよかろう」
「孟達がよいでしょう」
すぐ孟達は呼ばれた。けれど彼はこう献策して、もう一人の大将を求めた。
「もと荊州にいて、劉表の中郎将だった霍峻というものが、御陣中に従っております。地味な人物で、これまでもあまり華やかな軍功はありませんが、この人と共に行くなら、万全を期せられるかと思います」
「望みにまかせる」
ゆるされて、霍峻にも同様の命が下り、即日ふたりは葭萌関の守備に急いだ。
その出立を励まして、龐統が仮の自邸へ帰って来た日である。居室に落ち着いていると、門衛の者が、あわてて
「変なお客が見えましたが」と、主人の意を伺いに来た。
「変な客? ......いったいどんな風采をした男かね」
「身長七尺もありそうです。おかしいのは、髪を短く切って、襟の辺に垂らしていることで、容貌はまず、雄偉とでも言いましょうか。まあ、壮士でございますよ、ひと口にいえば」
「どれ、どれ」
無造作な主は、ずかずか自分で出て行ってみた。
見ると、玄関を上って、そこの床の上に、仰向けに寝ている男がある。浪人生活は自分も長年体験している龐統も、この不作法な壮士には、あきれ顔に、眼をみはった。
「おい。先生」
「やあ、君が主人か」
「主人かもないもんだ。いったい足下は、どこの何者だ」
「汝は客を敬うことを知らんか。まず礼を尽くせ。その後に天下の大事を語ろう」
「おどろいたな」
「何を愕く。龐統ともあろうものが」
「はははは。まず起き給え」
「まず酒食の支度をさきにしろ」
「もうできている」
「では通ろう。どこだ」
「こちらへ来給え」
室へ導いて、上座を与え、酒食をすすめると、遠慮などはしない。実によく

う。また痛飲する。
だが、天下の大事はなかなか言い出さない。そのうちに、飲むだけ飲むと、ごろりと横になって寝てしまった。
「ひどい奴もあるものだ」
その不敵さに、舌を巻いていると、法正が急ぎ足にやって来た。法正なら蜀の事情にも人物にも通じているにちがいないから、客の飲んでいるあいだに、使いを走らせて、招いたのである。
「やあ、御足労を煩わして申しわけない。実は、そこに大酔して眠っている人間だが、いったいこれは何者ですかな」
法正は、その寝顔をのぞきこむと、手を打って、
「永年だ。これに、永年という愉快な男ですよ」と、言った。
その声に眼をさまして、永年はむくむくと起き出した。
そして顔を見合うと、
「なんだ、法正か」と、おたがいにまた、手をたたいて笑った。
龐統は、呆っ気にとられて、
「親友か、おふたりは」と、たずねた。
「そうです」と、法正は誇るように肯定して、かつ紹介した。
「この人は、彭義、字を永年といい、蜀中の名士です。ところが、主君劉璋に直言を呈し、あまり強く諫めたため、官職を剝がれた上に、髪を短く切られ、奴の仲間へ落とされてしまったのですよ。あはははは」
「わはははは」
他人事みたいに、永年も一緒になって笑っている。
二
蜀に入る前は、蜀は弱しと聞いていた。国に人物なしという評も信じていた。ところが、案外である。士卒は強く、人材は多い。
真の国力は、その国に事が起こってみないとわからない。
龐統はふとそんな事を感じながら、客の永年にあらためて礼を施し、また法正をも誘って、
「せっかく先生の来臨。劉皇叔にもおひき合わせしたいが」
と、言うと、法正は、
「どうだね永年。涪城まで行ってくれるか」と、友に訊く。
永年はきっぱりと、
「行くとも、言いに来たのだ。玄徳に会えるならなお張り合いがある」と、言う。
三名は連れ立って、早速、涪城へ上った。玄徳に会うと、永年はたちまち胸をひらいて言った。
「この眼で小生が視るところでは、涪水の線にあるお味方は、実に、危ない死地に曝されてある。あれは御承知の上のことか」
「黄忠、魏延の二陣をさして仰せあるか」
「もちろん」
「危ないとは、何故ですか」
「あの辺一帯の平地は、広袤として、一目にちょっと気づかれぬが、仔細に地勢を察するなら、湖の底にいるも同じだということがわかるはずだ」
「え。湖の底に」
「されば、涪江の流れは、数十里の長堤に防がれておるが、ひとたび堤を切らんか、水は低きに従って、あの辺り一円深さ一丈余の湖底と化し、一人も助かるものはあるまい」
玄徳は驚いた。龐統もさすがにすぐ覚った。
「よくぞ御忠言下された」
敬って、彼を幕賓となし、すぐ早馬をやって、魏延、黄忠の陣へ、
「堤防に心せよ」
と、警報した。
こういう注意があったため、魏延の陣地でも、黄忠の方でも、連絡を密にして、昼夜巡見を怠らずにいた。
そのため、雒城の鋤鍬部隊は、毎夜のように堤防を窺うが、どうしてもこれの決潰に手を下すことができない。
とかくするうち一夜、雨風が烈しく吹き荒んだ。
「こよいこそは」と、五千の鋤鍬部隊は、墨のような夜をひそかに出て、涪江の堤に接近し、無二無三堤を決って、濁水を地に漲らせんと働いた。
ところが、思いもよらず、うしろの方から、突如として伏兵が起こった。暗さは暗し、敵の行動も人数もわからずで、鋤鍬部隊の五千は、同士討ちを起こすやら、方角をちがえて後戻りして来るやら、大混乱の中に、この夜の大将であった冷苞も見失ってしまった。
冷苞は、逃げ走る途中、魏延に待たれて、またまた彼の手に生け捕られてしまったのだった。
蜀の呉蘭、雷同の二将は、それと知って、彼を奪り返すべく、雒城を出て追いかけたが、道に黄忠の待つものあって、これまた散々に追い退けられてしまった。
で、冷苞は、翌る日ふたたび捕虜として、涪城へ送られた。
玄徳は、彼の不信を責めて、
「予は、足下に武人として礼を与え、また足下に仁義をもって宥した。しかるに、汝はその反対なものをもって予に酬いた。いまは汝の首を斬るも、一匹の蠅をたたくほどな憐愍も感じ得ない」
言い渡すと、すぐ将士に渡して城外で、首を刎ねさせた。
魏延、黄忠へは、賞状を送り、幕賓の永年には、結果を告げて、
「実に、あなたの一言は、わが軍に幸いした」
と、あつく礼遇した。
この前後、荊州から馬良が使いに来た。馬良は、荊州の留守をまもる孔明の命をうけ、その書簡を肌深く秘めてはるばる齎して来たのであった。
落 鳳 坡
一
「あら、なつかしの文字」
玄徳は、孔明の書簡をひらくと、まずその墨の香、文字の姿に、眸を吸われてから、読み入った。
龐統はその側らにいた。
側に人のいるのも忘れて、玄徳は繰り返し繰り返し、孔明の書簡に心を奪られている。
その真情の濃さ。遠く離れているせいもあろうが、何たる君臣の仲の美しさか。
「............」
龐統は胸のうちで溜め息をおぼえた。ふしぎな溜め息ではある。彼自身でさえ、自分のうちにこんな性格があったろうかと怪しまれるような気持ちが抑えきれなかった。それは嫉妬に似た感情だった。
「先生。孔明は留守にあっても絶えず予の身の上を案じているらしい。荊州は至極無事とは書いてあるが、近ごろ、天文を按じてみると、西方になお恒星耀き、客星の光芒弱く、今年はなお征軍に利あらず、大将の身には凶事の兆すらあり、くれぐれ身命を慎み給えと認めてある」
「ほ。そうですかな」
龐統は気のない返辞をした。
「――で、つらつら思うに、大事は急を思ってはならない。ひとまず使いの馬良を先に返し、予も荊州へ一度立ち還って、孔明と会った上よく協議してみたいと思う。それが万全と思うがどうだろう」
「さあ......?」
龐統はしばらく答えない。
彼は彼自身と胸のなかで闘っていた。抑えようもなく心の底にむらむら起こってくるふしぎな嫉み心を自ら辱じて、打ち払おうと努めていたが、結果は、われにもなくその理性と反対なことを口に出していた。
「これは意外な御意。命は天にあり、あに、人にありましょうや。いま征馬をここまですすめながら、孔明の一片の書簡にお心を惑わされ給うなどとは、何たることですか」
ここまで言うと、龐統はもう真っ向に孔明の説に反対を唱える者になっていた。おそらく孔明は蜀において、この龐統が大功を納めてしまいそうな形勢をみて、ひそかにそれをそねんでいるにちがいない。で、何のかのと、意見を提出して、留守にいても玄徳の心をつかみ、西蜀征伐の功の一半を逸すまいという心があるにきまっている。
龐統は、こう取っていた。いつになく彼は舌に粘りをもって、なお玄徳へ言った。
「不肖、それがしもまた、少しは天文を心得ています。暦数を考えるに、必ずしも今年は皇叔にとって大吉ではありませんが、さりとて悪年では決してない。また恒星西方にあることも知っていますが、それはやがて皇叔が成都に入るの兆です。むしろ速やかに、兵をおすすめあれ。いつまで魏延、黄忠を涪水の線に立たせておくは下策です」
励まされて、玄徳は、次の日涪城を発し、前線へ赴いた。
「雒城の要害はまさに蜀第一の嶮。いかにせばこの不落の誇りを破り得ようか」
以前、張松から彼に贈った西蜀四十一州図を展げて、玄徳はそれと睨みあっていた。
法正がまた一本の絵図を携えて来て、
「雒山の北に、一すじの秘密路があります。それを踏み越えれば、雒城の東門に達すということです。――またあの山脈の南にも一道の間道があって、それを進めば同じく雒城の西門に出るという。――この絵図と、張松の絵図とを、照らし合わせてごらん下さい」
仔細に見くらべると、まさにそのとおりであった。
玄徳は、信念を得て、
「軍を二つに分かち、統先生には北方の道をすすむがいい。予は一手をひきいて南から山を越えてゆき、目ざす雒城で落ち会おう」と、言った。
龐統は不足な顔をした。なぜなら北山の道は広くて越え易いが、南山の道は狭くはなはだしく嶮岨であるからだ。彼の顔いろを見て玄徳はこう言い足した。
「ゆうべ、夢に怪神があらわれて、予の右の臂を、鉄の如意で打った。今朝までも痛む気がした。故に、軍師の身が気づかわれるのだ。いっその事、涪城へ回って、御身はあとを守っておらぬか」
もとより龐統は一笑に附して出発にかかった。ところが陣払いして立つ朝、彼の馬が妙に狂って、右の前脚を折った。そのため不吉にも彼は落馬の憂き目をみた。
二
龐統が落馬したのを見て、玄徳は馬から降りて、彼を扶け起こした。
「軍師、なぜこんな癖の悪い馬に乗られるのか。馬を換えてはいかが」
龐統は腰を撫でて起きあがりながら、
「年久しく乗り馴れている馬で、かつてこんな悪癖を出したことはないのですが」
と、首を傾けた。
玄徳はふと眉を曇らせた。出陣に臨んでこんな事のあるのは決して吉兆ではない。自身の乗用していた素直な白馬の手綱を曳いて、
「軍師。これへ乗ってゆくがいい。これなら過ちはない」と、彼に贈った。
君恩のありがたさに、龐統もこの時ばかりは眼のうちに涙をためていた。拝謝して、白馬に乗り換え、ここで玄徳と別れて道を北の大路へとった。
後に思いあわせれば、進撃に易しい大路へ向かったのが、かえって龐統一代の大禍の道を選んでいたのであった。
蜀軍随一の名将
張任、蜀中の勇将
呉懿、
劉
などの将軍たちは、さきに味方の
冷苞を討たれて
遺恨やるかたなく、
雒城の内に額をあつめて、一意報復を議していたが、折から前衛の
斥候隊から、玄徳の大軍が南北二道にわかれて前進して来ると伝えて来たので、
「御座んなれ。この時」と、ばかり、張任は各将軍と手筈をさだめ、自身は何か思うところあるか、屈強な射手三千人を選りすぐって、山道の嶮岨に伏せ、斥候の第二報を待ちかまえていた。
「見えました。確かに」
やがて、斥候頭が喘ぎ喘ぎ、ここへ来て張任へ告げた。
「御推察にたがわず、これへ向かって来る敵軍の大将らしき者は、正しく鮮やかな月毛の白馬に乗っています。今しも、その大将の指揮の下に、敵全軍は、炎熱を冒して、えいやえいやとこれへ攀じ登ってくる様子で――」
聞くと、張任は、
「さてこそ!」
膝を打って歓んだ。
「その白き馬に乗りたる者こそ紛れもなき劉玄徳。これへかからば、白馬を目じるしに狙いを蒐め、矢数石弾のあるかぎり浴びせかけろ」と、三千の射手に命じた。
射手は、心得たりと、弩弓を懸けつらね、鉄弓の満を持し、敵の来るも遅しとばかり待っていた。
――時は、夏の末。
草も木も猛暑に萎えて、虻や蜂のうなりに肌を刺されながら、龐統の軍隊は、燃ゆるがごとき顔を並べて、十歩攀じては一息つき、二十歩しては汗をぬぐい、喘ぎ喘ぎ踏み登って来た。
そのうちに、ふと前方を仰ぐと、両側の絶壁は迫り合って、樹木の枝は相交叉し、天もかくれるばかり鬱蒼たる嶮隘な道へさしかかった。
陽蔭に入って、龐統は、ほっと肌に汗の冷えを覚えながら、
「おそらく、こんな嶮しい山道は、蜀のほかにはあるまい。ここはそも、何という地名の所か」
と、途中で捕虜にした敵の兵にたずねた。
降参の兵は、言下に、
「落鳳坡とよび申し候」と、答えた。
「なに、落鳳坡?」
龐統は、なぜか、さっと面色を変えて、急に馬をとめた。
「わが道号は鳳雛という。落鳳坡とは、あら忌まわし」
彼は馬を向け直した。そしてにわかに全軍へ向かって、
「もどれ。もどれっ。道を更えて、ほかから越えろ」
と、鞭をさしあげて振った。
その鞭こそ、彼自身、死を呼ぶ合図となってしまった。
突然、峰谷も崩るるばかり石砲や
火
の
轟きが
谺した。
「あっ」
身をかくす
隙もあらばこそ、矢風の中に
嘶いた彼の白馬はたちまち紅に染まり、雨よりしげき
乱
の下に、あわれむべし鳳雛先生――
龐統は、
稀世の雄才をむなしく抱いて、白馬とともに
斃れ死んだ。時、年まだ三十六歳の若さだった。
三
蜀の張任は、白馬の主を、玄徳とばかり思いこんでいたので、絶壁の上から遠く龐統の死を見とどけると、
「敵の総帥は射止めたぞ。すでに首将を失った荊州の残兵ども一兵ものこさず蹴ちらして谷を埋めよ」と、歓喜して号令した。
山もゆるがす勝ち鬨をあげながら蜀兵はうろたえ惑う龐統軍へ喚きかかった。何かはたまるべき、荊州の兵は、釜中の魚みたいにただ逃げ争って蜀兵の殺戮にたいし手向かう意志も失っていた。山を攣じ、谷へのぞんで逃げ出した兵も、猿のように敏捷な蜀兵に追われ、その戈や槍から遁れることはできなかった。
このとき、魏延は龐統の中軍に先んじて、すでにはるかな前方へ進んでいたが、
「後続部隊に戦闘が起こった――」
という伝令を受け取って、
「さては、先鋒と主隊との連絡を断とうとする敵の作戦だろう」
ぐらいに考えて、進路を後ろへ引っ返して来た。
ところが、途中、聳え立つ岩山の横をくり抜いた洞門のてまえまで来ると、張任の一手が上から岩石や矢をいちどに注ぎ落とした。
「だめだ。伏兵がいる」
「人馬の
死骸と岩石のために、洞門の口も
塞がってしまい、
所
、あとへ戻ることもできません」
前隊の者が押し返して来てのことばに、魏延もいまは進退きわまってしまった。
「よし、この上は、単独で雒城まで押し通り、南路から越えてゆかれた皇叔の本軍と連絡をとろう」
ふたたび考え直すと、魏延は馬を廻らして、更に予定の前進をつづけた。
ようやく 雒山の背をこえ、西の麓をのぞんで降りてゆくと、真下に雒城の西曲輪が見え、峨眉門、斜月門、鉄鬼門、蕀冠門などが、さらに次の山をうしろにして鋭い反り屋根の線を宙天にならべていた。
当然、それらの門々は、敵を見るや、警鼓戦鉦をうち鳴らし、煙のごとく軍兵を吐き出して、
「みなごろしにせよ」
と、魏延をかこんだ。
指揮するものは呉蘭、雷同、音に聞こえた蜀の大将である。中軍をあとに残して、頭部だけで敵地に入った魏延はもとより討ち死にを覚悟した。ただ、
「死出のみやげ」と、当たるにまかせて血闘奮力の限りを尽くした。
ときに突然、背面の山から、またまた、金鼓を鳴らし、喊声をあげて、この大血河へ、更に、剣槍の怒濤を加えて来たものがある。
「うれしや、劉皇叔か」と思えば、何ぞはからん、張任の軍隊だった。
「全滅、ぜひなし」
魏延も、いまは観念した。
ところへ、南路の山道から、
「黄忠これに来る。魏延安んぜよ」
と呼ばわりながら、玄徳の先鋒が駈けつけて来た。玄徳の中軍も来た。ために、双方の戦力は伯仲して、いよいよ激戦の相をあらわしたが、玄徳は、龐統が見えないのを怪しんで、
「退け。涪城へ」と、帰りには、街道の関門を突破して、引く潮のようにひきあげた。
関平、劉封などの留守隊は、涪城を出て、玄徳を迎え入れた。時早くも、
「軍師龐統は、山中の落鳳坡とよぶ所にて、無惨な討ち死にをとげた」という事実が、逃げ回って来た残兵の口から伝えられた。
玄徳の悲嘆はいうまでもない。
「虫の知らせであったか」
と、後になっては、かずかずの兆せを思い当たるのだ。
夕星白き下、祭りの壇をきずいて、亡き龐統の魂魄を招き、遠征の将士みなぬかずいて袖をぬらした。
魏延、劉封などの若武者は、
「涪城をふみ潰さずには」
と、雪辱に逸り立ったが、玄徳は愁いと共に城門を閉じて、
「決して出るな」と、ただ堅きを守った。
そして関平を荊州へ急がせ、一刻もはやく蜀に来れ、と孔明にあてた書簡を持たせてやった。
破 軍 星
一
七夕の宵だった。
城内の街々は、紅燈青燈に彩られている。
荊州の城中でも、毎年の例なので、孔明は、主君玄徳の留守ながら、祭りを営み、酒宴をもうけて、諸大将をなぐさめていた。
すると、夜も更けて来たころ、一つの大きな星が、妖しい光芒を曳いて、西の空へ飛んだと思うと、白い光煙をのこして、ぱっと砕けるごとく、大地へ吸いこまれた。
「ああ、破軍星」
孔明は、杯を落として、哀しいかなと、ふいに叫んだ。
満座の人々は、酔いをさまして、
「軍師、なにをそのように、悲しまれるのですか」と、皆杯を下にした。
「諸公。今日からは皆、かならず遠くへ出給うな。凶報かならず数日のうちに到らん」
と、予言した。
果たして、それから七日の後、玄徳の使として、関羽の養子関平が征地から帰って来た。
「軍師龐統は戦死し、我が君以下は、涪城に籠って、四面皆敵、いまは進退きわまっておられます」
更に、玄徳の書簡を出した.
孔明はそれを読んで泣いた。そしてすぐ主君の救援に赴くべく準備を令したが、案ぜられるのは、自分が出たあとの荊州の守りである。
「関羽、貴公と関平とで、あとの留守を固め、東は呉に備え、北は曹操を防ぎ、君公の御出征中を、寸地もゆずらず守っていてくれまいか。この大任は、蜀に入って戦う以上の大役である。貴公に嘱するほかに人はない。むかし、桃園の義を、ここに思い、その難役に当たってくれい」
孔明から説かれて、関羽は、
「桃園の義を仰せられては一言の否みもありません。安んじて、蜀へお急ぎください。あとはひきうけました」
「では」
と 孔明は、玄徳から預けられていた荊州総大将の印綬を彼に渡した。
関羽は、拝受して、
「大丈夫、信をうけて、しばしなりと、一国の大事を司るうえは、たとい死んでも、惜しみはない」と、感激して言った。
孔明はよろこばない顔をした。関羽に、死を軽んずるような口吻があったからである。一国を司る者が、そのように一死を軽んずるようでは留守が案ぜられる。で彼は、関羽に、試問を呈してみた。
「貴公のことだ。万に一も過りはあるまいが、もし呉の孫権と、北の曹操とが、同時にこの荊州を攻めて来たときはどう防ぐか」
「もちろん兵を二分して、二手にわかれ、一を撃破し、また一を討ちます」
「危ない、危ない。それがしが、八字をもって、貴公に教えておく」
「八字の兵法とは」
「北ハ曹操ヲ拒ギ、東ハ孫権ト和ス。お忘れあるな」
「なるほど......。肺腑に銘じて忘れぬようにいたします」
「たのむ」
すなわち印綬の授受はすんだ。
関羽を輔佐する者としては文官に、伊籍、糜竺、向郎、馬良などをとどめ、武将には、関平、周倉、廖化、靡芳などをあとに残して行った。
そして、孔明のひきいて行った荊州の精兵といえば、わずか一万に足らなかった。
張飛をその大将とし、峡水の水路と、嶮山の陸路との、二手になってすすんだ。
「まず張飛は、
巴郡をとおり、
雒城の西に
出でよ。自分は
雲を先手とし、船路をとって、やがて雒城の前にいたらむ」と、告げた。
二道に軍を分かって立つ日、野宴を張って、
「どっちが先に雒城へ着くか、先陣を競おう。いずれも、健勝に」
と、杯を挙げて、おたがいの前途を祝しあった。
二
別れに臨んで、孔明は、張飛に忠言した。
「蜀には、英武の質が多い。貴下のごとき豪傑は幾人も居る。加うるに地は剣山刀谷である。軽々しく進退してはならない。またよく部下を戒め、かりそめにも掠め盗らず虐げず、行くごとに民を憐れみ、老幼を馴ずけ、ただ、徳をもって衆にのぞむがいい。なおまた、軍律は厳かにするとも、猥りに私憤をなして士卒を鞭打つようなことはくれぐれも慎しまねばならぬ。そして迅速に雒城へ出で、めでたく第一の功を克ち取られよ」
張飛は拝謝して、勇躍、さきへ急いだ。
彼の率いた一万騎は、漢川を風靡した。しかし、よく軍令を守って、少しも掠奪や殺戮の非道をしなかったので、行く先々の軍民は、彼の旗をのぞんでみな降参して来た。
やがて巴郡(重慶)へ迫った。
蜀の名将厳顔は、老いたりといえど、よく強弓をひき太刀を使い、また士操凛々たるものがあった。
張飛は、城外十里へ寄せて、使いを立て、
「厳顔老匹夫。わが旗を見て、何ぞ城を出て降らざるや。もし遅きときは、城郭をふみ砕いて、満城を血にせん」
と言い送った。
「笑止なり。放浪の

せ
狗」
厳顔は、使いの耳と鼻を切って、城外へ抓み出した。張飛が赫怒したことはいうまでもない。
「みろ。きょうの中にも、巴城を瓦礫と灰にしてみせるから」
まっ先に馬をとばし、空壕の下に迫った。
けれど、城内は、城門を閉じ、防塁を堅固にして、一人も出て戦わなかった。のみならず、矢倉から首を出して、さんざんに張飛を悪罵したので、張飛は、
「その舌の根を忘れるな」と日没まで猛攻をつづけた。
しかし、頑として、城は墜ちない。無二無三、城壁へとりついて、攀じ登ろうとした兵も、ひとり残らず、狙い撃ちの矢石にかかって、空壕の埋め草となるだけだった。
張飛は、そこに野営して、翌日も早天から攻めにかかった。すると矢倉の上に、老雄厳顔が初めて姿をあらわして、
「先ごろ、使いの口上で、満城を血にせんと言ったのは、さては、寄せ手の血漿をもって彩ることでありしか。いや見事見事。御苦労御苦労」と、からかった。
張飛の顔は朱漆を塗ったように燃えた。その虎髯の中から大きく口をあいて、
「よしっ。汝を生け捕って、汝の肉を啖らわずには措かんぞ」
言った途端である。
厳顔の引きしぼった強弓の弦音が朝の大気をゆすぶって、ぴゅっと、一矢を送って来た。張飛が、
「あっ」
と、馬のたてがみへ、身を伏せたので、矢は彼の甲の脳天に刎ね返った。
幸いにも、鉢金は射抜けなかったが、じいんと烈しい金属的な衝撃が脳髄から鼻ばしらを通って、眼から火となって飛び出したような気がした。
さすがの張飛も、ふらふらと眩いを覚えて、
「きょうはいかん」と、そうそう、後陣へかくれてしまった。
「なるほど、蜀には相当な者がいる」
張飛が敵に感心したことはめずらしい。しかし、敵を尊敬することに依って、彼も、ただ力ずくな攻城がいかに労して効の少ないものかを教えられた。
城の一方にかなり高い丘陵がある。ここに登って彼は城内を窺った。城兵の部署隊伍は整然としていてはなはだ立派だ。張飛は、声の大きな部下を選んで、ここからさまざまな悪口を城中へ放送させた。
けれど、城の者は、一人も出て来ないし、相手にもならない。
誘いの兵を少しばかり近づかせて、偽って逃げる態をなし、城兵が迫って来たら、たちまちこれを捕捉し、またそこの門から一気に突入しようなどという計画も行なってみたが、
「彼の戦法は、まるで児童の戦遊び。抱腹絶倒に値する」
と、厳顔は、一笑の下に、その足搔きを見ているだけで、張飛の策にはてんで乗って来ないのであった。
草 を 刈 る
一
百計も尽きたときに、苦悩の果てが一計を生む。人生、いつの場合も同じである。
張飛は、一策を案出した。
「集まれ」
七、八百の兵をならべて命じた。
「貴様たちはこれから鎌を持って山路を尋ね、馬糧の草を刈って来い。なるべく巴城の裏山に面した所の奥深い山の草を刈って参れ」
鎌を携えた草刈り部隊は、各々、城の裏山へ分け入った。
次の日も、次の日も、草刈り隊はさかんに草を本隊へ運んだ。城中の厳顔は、これを知って、
「はて、張飛のやつ、何のつもりで、にわかに山の草を刈り出したのか?」
いかに城外から挑んでも、城を閉じて、相手にしなかったので、張飛もこの城へ手を下しようがなく、先ごろから怏々として、作戦に窮していた状はよく窺われたが、急に攻め口の活動も怠って、山路に兵を入れているのは、なんのためか、厳顔にも察しがつかなかった。
「鎌を持て。そして城の搦手に集まれ」
厳顔は、十名の物見を選んで、こういいつけた。
密偵の者は、鎌を携えて夕方搦手門に集まった。厳顔が出て来て、こう密命をくだした。
「夜のうちに、裏山へ入りこみ、夜明けとなって、張飛の兵がやって来たら、巧みに、彼の草刈り隊に紛れこみ、終日、草を刈って馬に積んだら、そのまま張飛の兵になりすまして、敵の本陣へついて行け。そして、彼等が何のために働いているか探り知ったら、早速、脱け出して、その真相を城へ告げい。早く正しい報告を持って来た者へ順に恩賞を与えるであろう」
草刈り兵になりすました厳顔の密偵たちは、心得て、各々夜のうちに山へかくれていた。
翌日の夕方。
例のとおり張飛の兵は、馬に草を積んでぞろぞろ本陣へ帰って行ったが、そのうちの組頭が、張飛の顔を見ると言った。
「大将。決して労を惜しむわけではありませんが、雒城へ通るには、何もあんな道なき所を伐り拓かなくても、べつに、巴城の搦手の上から巴郡の西へ出る間道がありました。なぜあの隠し道をおすすみにならないのですか」
すると、張飛は初めて知ったように、眼をみはって、
「何、何。そんな間道があったのか。馬鹿野郎っ。そのような道のあることを存じながら、なぜ今日まで黙っていたのだ」
張飛の大喝は、獅子の吼えるように、草刈り兵ばかりでなく、全軍を震えあがらせた。
「猶予はならん。すぐ進発の準備をしろ。ここの巴城などは打ち捨て、一路雒城へ通らんことこそ、おれの狙いだ。兵糧を炊け、輜重を備えろ」
にわかの軍令に、宵闇は一時大混雑を起こした。
二更、兵糧をつかう。
三更、兵馬の隊伍成る。
四更、月光を見ながら、枚を銜み馬は鈴を収め、降る露を浴びながら、粛々と山の隠し道へすすんで行く。
厳顔の廻し者はかくと知るや、宵の間に、ここを脱出して、城中へ前後して走り帰った。
一番に戻って来た者も、二番に帰って来た者の言葉も、次々の者のいう報告も、すべて一致していたので、
「さてこそ」と、厳顔は手を打って言った。
「あくまで、城方が出て戦わぬに気を悩まし、ついにここを避けて、間道より雒城へ押し通らん彼の所存とみゆる。――愚や、愚や張飛。それこそわが望むところ」
厳顔もまた城中の勢をことごとく手分けして、勝手を知る間道の要所要所に、兵を伏せて待っていた。
おそらくは、張飛の先陣、中軍が山を越えるころ、輜重兵糧の車馬はなお遅れて遠く後陣にあろう。そのころ、合図の鼓とともに、いちどに繰り出して、敵軍を寸断せよ。個々撃滅して、みなごろしにすべし――と厳顔は味方の部将につたえていた。
やがて、木々のしげる間を、黒々と敵の先鋒中軍は通って行った。まぎれもない張飛の姿も見えた。それをやりすごして、輜重部隊の影を見たころ、
「今ぞ」
と、厳顔は、合図の鼓を高らかに打たせた。
二
四面の伏兵は、喊声をあげながら、まず敵行軍を両断し、後尾の輜重隊を包囲した。
すると、愕くべし。すでに先刻、中軍にあって先へ通って行ったはずの張飛が、その輜重隊から躍り出て、
「厳顔老匹夫、よく来た」
と、大声に言った。
厳顔は仰天して、馬からころげ落ちそうになった。
振り向けば、
頭炬眼、その
虎髯も張飛にまちがいはない。
「おうっ、出会うたは、幸いである。張飛うごくな」
部下のてまえぜひなく彼は、敢然、馬をとばして、張飛の大矛へ、甲体を投げこんで行った。
「年よりの冷や水」
あざ笑いながら、張飛は、丈八の矛も用いず、片手をのばして、厳顔の上帯をつかみよせてしまった。そして、
「それっ、受け取れ」
と、自分の部隊の中へ抛り投げた。
さすが、武芸のたしなみ深い老将なので、投げられても、醜く腰は打たなかった。ただよう足を踏み止めて、直ちに四囲の雑兵と戦った。けれどいかにせん老齢だ。力尽きて、高手小手に縛りあげられてしまった。
さきに中軍を率いて通った張飛らしいのは、部下の似ている者を偽装させた影武者だった。その先鋒も、またたちまち、取って返して来て城兵を

いつつんだ。
「厳顔はすでにわが軍の捕虜となったぞ。降る者はゆるさん。刃向かうものは八ッ裂きにして猪狼の餌にするぞ」
張飛の声を聞くと、城兵は争って甲や戈を投げ捨て、その大半以上、降人になった。こうして張飛は、ついに巴城に入って、郡中を治めた。
法三条を出して、
民ヲ犯スナ
旧城文物ヲ破壊スナ
旧臣土民ヲ愛撫セヨ
と掲げたので、巴城の土民は、
(張飛という大将は、聞くと見るとは、大きなちがいだ)
と、みな彼になずいた。
張飛は、厳顔を曳かせて、庁上から彼を見た。
厳顔はひざまずかない。
張飛は、眼をいからして、
「汝、礼を知らぬか」と、叱咤した。
あざ笑って、厳顔は、
「われ、敵にする礼を知らず」と.冷ややかに嘯いた。
張飛は、階をとび降りた。そして佩剣に手をかけて、
「老匹夫、囈言をやめろ。今のうちに、降参すると言わぬと、もうその首が前に落ちるぞ」
「そうか。......首よ。わが多年の首よ。おさらばであるぞ。......張飛、猶予すな。いざ、斬れっ」
みずから頸を伸ばした。
張飛はふいに彼のうしろへ寄ってその繩を解いた。そして手を取って庁上へ誘い、みずから膝を折って再拝した。
「厳顔。あなたは真の武将だ。人の節義を辱しめるは我が節義に恥じる。さっきからの無礼はゆるしたまえ」
「君。節義を知るか」
「聞かずや厳顔。皇叔と関羽とこの張飛との桃園の誓いを」
「ああ、聞いておる。君ですらかくのごとし。関羽や玄徳はどんな立派な人だろう」
「どうか、その人々と、ともに交わって、蜀の民を安んじてやって下さい」
「君も味なことをいう男だ」
厳顔は張飛の恩に感じて、ついに降伏をちかい、成都に入る計を教えた。
「ここから雒城までの間だけでも、途中の関門には、大小三十七ヵ所の城がある。力業で通ろうとしたら百万の兵をもって三年かかっても難しいであろう。しかし、この厳顔が先に立って、我すらかくのごとし、いわんや汝等をや――と諭してゆけば、風をのぞんで帰順するでしょう」
事実、彼を先鋒に立てて進むほどに、関は門を開き、城は道を掃いて、血を見ずにすべての要害を通ることができた。
金 雁 橋
一
孔明が荊州を立つときに出した七月十日附けの返簡の飛脚は、やがて玄徳の手にとどいた。
「おう、水陽二手にわかれ、即刻、蜀へ急ぐべしとある。――待ち遠しや、孔明、張飛のここにいたるは何日」
涪城に籠って、玄徳は、行く雲にも、啼き渡る鳥にも、空ばかり仰いでいた。
「皇叔。このごろ、寄せ手のていを窺ってみますと、蜀兵も、この涪城を出ぬお味方に攻めあぐね、みな長陣に倦み飽いて、惰気満々のていたらくです。――これへ孔明の援軍が来れば、たちまち敵も士気をふるい陣容を正しましょう。むなしく援軍の到着を待つのみでなく、彼の虚と紊れを衝いて、一勝を制しておくことは、大いに成都の入城を早めることになろうと存じますが」
これは、ある日、黄忠が玄徳に呈した言であった。
思慮ふかい玄徳も、
「一理ある」と、意をうごかされた。
偵察の者も、黄忠のことばを裏書きしている。果断をとって、ついに涪城の軍は、百日の籠居を破って出た。
もちろん、夜陰奇襲したのである。案のじょう野陣の寄せ手はさんざんに混乱して逃げくずれた。面白いほどな大快勝だ。途中、莫大な兵糧や兵器を鹵獲しつつ、ついに雒城の下まで追いつめて行った。
潰走した蜀兵はみな城中にかくれて、ひたと四門をとじてしまった。蜀の名将張任の命はよく行なわれているらしい。
この城の南は二条の山道。北は涪水の大江に接している。玄徳はみずから西門を攻めた。黄忠、魏延の二軍は、東の門へ攻めかかる。
けれど、陥ちない。びくともしない。まる四日間というもの、声も嗄れ、四肢も離れ離れになるばかり、東西両門へ力攻めしたが、さしたる損害も与え得なかった。
蜀の張任は、
「もうよかろう」と、呉蘭、雷同の二将軍へ言った。二将軍もよかろうと言う。
すなわち、ここまでは、本心の戦をなしていたのではない。要するに誘引の計をもってひき出し、更に、玄徳軍の疲労困憊を待っていたのである。
南山の間道から、蜀兵はぞくぞく山地に入り、遠く野へ降りて迂回していた。また、北門は江へ舟を出して、夜中に対岸へあがり、これも、玄徳の退路を断つべく、枚を銜んで待機する。
「城内の守りは百姓だけでよい。一部の将士のほかは、みな城を出て、玄徳の軍をこの際徹底的に殲滅せよ」
張任は、こう勇断を下して、やがて一発の烽火をあいずに、銅鑼、鼓の震動、喊声の潮、一時に天地をうごかして、城門をひらいた。
時刻は黄昏であった。ここ数日のつかれに、玄徳の軍馬は鳴りをひそめ、今しも夕方の炊煙をあげていたところ。当然、間に合わない。
あたかも黄河の決潰に、人馬が濁流にながされるのを見るようだった。まったく一支えもせず、八方へ逃げなだれた。
「それ撃て」
「すすめ」
と、その先には、山と江から迂回していた蜀兵が、手に唾して、陣を展開していた。呉蘭、雷同の二将軍とその旗本は、ほとんど、血に飽くばかり勇をふるった。
「あな、あわれ。こんな事が、いったいなぜ昨日にも覚れなかったろう」
玄徳は、悲痛な顔を、馬のたてがみに沈めながら、魂も身に添わず、無我夢中で逃げていた。
見まわせば、一騎とて自分のそばには居なかった。
啾々、秋の風に、星が白い。――幸いにも、夜だった。
彼は、鞭打って、疲れた馬を、からくも山路へ追いあげた。
だが、うしろから蜀兵の声がいつまでも追ってくる。
谷や峰にも、蜀兵の声がする。
「天もわれを見離したか」
玄徳は哭いた。
しかし、たちまち、山上から駆け下って来る一軍のあるを知って、きっと涙をはらい、静かに最期の心支度をととのえた。
二
「名ある敵の大将とみえるぞ。生け捕れっ」
はや、殺到した軍馬の中からそういう声が、玄徳の耳にも聞こえた。
すると、聞き覚えのある声で、
「待て待て。手荒にするな」と、将士を制しながら、玄徳のそばへ馬乗り寄せて来た者がある。見れば、何事ぞ、それは張飛ではないか。
「おうっ、そちは」
「やあ、皇叔にておわすか」
張飛は馬を飛び降りた。そして玄徳の手をとって、この奇遇に涙した。
蜀兵は山のふもとまで迫っている。事態は急なり、仔細のお物語はあとにせんと、張飛はたちまち全軍を配備し、蜀兵を反撃してさんざんに追い討ちした。
蜀将張任は、ふしぎな新手が忽然とあらわれて、精勇潑剌、当たるべくもない勢いをもって城下まで追って来たので、
「濠橋を引け、城門を閉じよ」
と、全軍を収容して、見事に鳴りをしずめてしまった。後に、人々は言った。
(あの日の敗戦には、当然、劉皇叔もすでにお命はないはずであったのに、巴郡を越えて、山また山を伝い、厳顔を案内として雒城へさして来た張将軍の援軍と日約したように出会うて、九死一生の危難を救われ給うなどということはただの奇蹟や奇遇ではない。まったく、後に天子に成られるほどな洪福を、生まれながら身に持っておられたからだろう)――と。
ともかく玄徳は、無事涪城にもどって、張飛から厳顔の功労を聞くと、金鎖の甲を脱いで、
「老将軍。これは当座の寸賞です。あなたのお力がなければ、到底、この義弟もかく早く、途中三十余ヵ城の要害を踏破して来ることはできなかったでしょう」と、ななめならず歓んだ。
事実、厳顔が説いて、途中三十余ヵ城を無血招降してきたために、張飛の兵力は、これへ来るまでにその新しい味方を加えて数倍になっていた。
涪城はにわかに優勢になった。それを計らずに、それから数日の後、雒城を出てここへ強襲して来た蜀の呉蘭と雷同の二将軍は、その日の一戦に、張飛、黄忠、魏延などの策した巧妙なる捕捉作戦にまんまと陥って、ふたりとも捕虜となり、ついに玄徳のまえで降伏をちかうというような情勢に逆転して来た。
雒城の内では、
「
腑甲斐なき二将軍かな」と、同僚の
呉懿、
劉
たちが歯ぎしり
嚙んで、
「しかず、この上は、のるかそるかの一戦をこころみ、一方、成都に急を告げて、更に大軍の増派を仰ごう」と、いきりぬいた。
名将張任は、沈痛に言った。
「それもよいが、まず、こうしてみては」
筆をとって作戦図を書きながら、何事かささやいた。
翌日、張任は、一軍の先に馬を飛ばして城門から繰り出した。張飛が見かけて、
「張任とは汝よな」
丈八の大矛をふるい、初見参と呶鳴ってかかった。戦うこと十数合、
「あなや。あなや」
叫びながら張任は逃げ奔る。
城北は、山すそから谷へ、また涪水の岸へもつづき、地形はひどく複雑である。張飛はいつか張任を見失い、味方の小勢と共に遠方此方馳けあるいていたが、そのうちに四山旗と化し、四谷鼓を鳴らし、
「あの虎髯を生け捕れ」
と、蜀兵の重囲は張飛の部下をみなごろしにしてしまった。ひとり辛くも、張飛は血の中を奔って涪水の方へ逃げのびた。――卑怯卑怯と罵りながら追っていた蜀将の呉懿は、そのとき一方の堤をこえて躍り馳けて来た大将に、横合いから槍をつけられ、戦い数合のうちに得物を奪られて生け捕られてしまった。
「おういっ、張飛。おれだ、おれだ。引っ返して、共に雑兵を蹴ちらしてしまえ」
その大将の声に、味方のだれかと怪しみながら戻ってみると、それは
荊州を共に立って、途中、孔明とひとつになって別れた
常山の
子龍
雲であった。
三
長江から峡水に入り、舟行千里を溯って、孔明の軍は、ようやく、涪水のほとりへ着いたのであった。
敵の雑兵を蹴ちらして後、

雲が、そう語ると、
「では、軍師には、もう涪城へ入ったのか」と訊ね、しかりと聞くや、
「急ごう」
と、急に連れ立って、涪城へ帰った。

雲は、入城の手土産に、途中で生け捕った
蜀の
呉懿をひっさげていた。
玄徳がやさしく、
「予に従わないか」
というと、呉懿は、彼のただならぬ人品を仰いで、心から降参した。
孔明も、そこに来ていた。この降将に上賓の礼をあたえて、
「雒城のうちの兵力は何ほどか。劉璋の嫡子劉循を扶けておるという張任とはどんな人物か」などと質問した。
呉懿はいう。
「
劉
はともかく、張任は
智謀機略、衆をこえています。まず蜀中の名将でしょう。容易に、雒城は抜けますまい」
「ではまず、その張任を生け捕ってから、雒城を攻めるのが順序ですな」
孔明が、座談的に、まるで卓上の椀でも取るようなことを言ったので、呉懿は、
(この人、大言癖があるのか、それとも気が変なのか)
と、あやしむような眼でその面を見まもった。
あくる日、呉懿を案内に、孔明は附近の地勢を視察にあるいた。
帰って来ると、魏延、黄忠をよんで、
「
金雁橋の
畔、五、六里のあいだは、
蘆や
葭がしげっているから、兵を伏せるによい。――
戦の日、魏延は
鉄鎗部隊千人をあの左にかくして、敵がかかったらいっせいに突き落とせ。また黄忠は右にひそみ、総勢すべてに
薙刀を持たせて、ただ馬の足と人の足を
薙ぎつけるがいい。張任は不利と見るとき、かならず東方の山地へ向かって逃げるであろう」と、さながら
盤の
こまでもうごかすように言って、更に、張飛と

雲へも、べつに策をさずけた。
雒城の前に、金鼓が鳴った。城兵への挑戦である。
望楼から兵機をながめていた張任は、寄せ手の後方に連絡がないのを見て、
「孔明兵法に暗し」
と思った。
能うかぎり手近にひきよせておいて、大殲滅を計ったのである。寄せ手はひたと、濠へ近づき、城壁へたかりだした。
「よしっ。出ろ」
八門をひらいて、城外へ出る。同時に、南北の山すそに埋伏しておいた城兵も、鵬翼を作って、寄せ手を大きく抱えてきた。
潰乱、惨滅、玄徳軍は討たれ討たれ後ろへ退く。
「時は、今ぞ」
張任は、ついに陣前へあらわれた。荊州外、兵を根絶する日、このときに措いて他日なしと、みずから指揮し、みずから戦い、金雁橋をこえること二里まで奮迅して来た。
「しまった」
そのとき振り向くと、うしろに敵の一団が見える。しかも金雁橋は滅茶滅茶に破壊されている。
「油断すな。敵の
子龍がうしろにいるぞ」
あわてて回ろうとすると、左右の蘆荻のしげみから、槍の穂が雨と突いてくる。なだれ打って、避け合おうとすれば、また一方から薙刀の群れが、馬の脛を払い、人の足を斬る。
「残念、南へ退け」
しかし、そこもすでに荊州の兵が占めていた。
ぜひなく、涪水の支流に沿って、東方の山地へ逃げた。
浅瀬をこえて、ようやく対岸の広野へ渉る。――ところが、そこも怪しげなる一陣の兵がまんまんと旗を立てて一輛の四輪車を護っていた。
「や。あの車上に坐し、羽扇をもって、わしを招いているのはだれだ?」
張任が、部下へきくと、あれこそ新たに玄徳の陣に加わったと聞く軍師の孔明でしょうと、だれかうしろで答えた。
「あははは。あれが孔明か」
張任は肩をゆすって笑った。
四
――なぜならば、孔明の四輪車を囲んでいる兵は、みな弱そうな老兵であり、そのほかの兵もみなぶよぶよに肥えて、見るからに脆弱な士卒ばかりだったからである。
「いやはや、目前に見る孔明と、かねて耳に聞いていた孔明とは、大きなちがいである。用兵神変、孫子以来の人だなどと、取り沙汰されておるが、あの陣容とあの兵気は何事か。芥の山を踏むより易いぞ、蹴ちらせ、あの塵芥を」
張任の一令に、なお背後にのこっていた数千の兵は、どっと喚きかかって行った。
四輪車は逃げ出した。
右往左往のていで。
「車上の片輪者待て」
手づかみにして、生け捕ることも易しと、張任は馬を打ってとびこみ、雑兵には目もくれず、あわや車蓋のうえから巨腕をのばそうとしかけた。
「捕ったっ」
それは足もとの声だった。何事ぞ、いきなり下から馬の脚を担いで引っくり転した猛卒がいる。
ずでんと、見事な落馬だった。たちまち、またひとりが跳びかかる。これも雑兵にしては愕くべき怪力の持ち主だった。
それもそのはず、この二人は、雑兵の中にかくれていた魏延と張飛だった。
破壊したと見せた金雁橋も、実は完全破壊はしていなかった。張任があきらめて、上流の支川へ避け、浅瀬を渉って城のほうへ迂回したと見るや、蘆茅の中にいた全軍は四輪車をつつんで対岸へ越え、ここに先廻りして待っていたものだ。
山地へ谷間へ逃げこんだ蜀兵もあらまし討たれるか降伏した。
その中には、つい前日成都から援軍に来たばかりの卓膺という大将なども交じっていた。
張飛、黄忠、魏延などの諸隊も、各々、功をあげて、ここに圧縮して来た。開いた花の蕾むように、総勢一軍となった後の陣容行軍はいかにも鮮やかだった。
「ああ、蜀の革まる日は来た」
捕虜として檻送されてゆく途中、張任は天を仰いで長嘆していた。涪城について後、玄徳が、
「蜀の諸将はみな降った。貴公ひとり降伏せぬ法もなかろう」
というと張任は、
「不肖ながら、自ら蜀の忠臣をもって任ずるものである。豈、二君にまみえよう」
と、昂然と拒んだ。
玄徳はその人物を惜しんで、いろいろ説いたがどうしても、肯かない。ただ声をはげまして、
「疾く首を打て」と、いうのみである。
孔明は見るに見かねて、
「あまりに諄く強いるは、真の忠臣を遇する礼ではありません。大慈悲の心をもって疾く首を刎ね、その忠節を完うさせておやりなさい」
と、玄徳にすすめた。
すなわち、張任の首を斬り、その屍を収めて、金雁橋のかたわらに、一基の忠魂碑をたててやった。鴻雁群れて、暮夜、碑をめぐって啼いた。
かくて雒城は、本格的な包囲の中に置かれた。
降参の大将、呉懿、厳顔の輩が、陣前に出て、城中の者へ説いた。
「無益な籠城は、いたずらに城内の民を苦しめるばかりであろう。我等すら降ったものを、汝らの手でいかんとする気か。犬死にすな」
すると、矢倉の上に、残る一将の
劉
があらわれて、
「蜀の恩顧をわすれた人間どもが何をいうか」と、罵った。
途端に彼は、矢倉の窓から下へ蹴落とされていた。何者かが後ろから弱腰を突いたものとみえる。同時に、城門は内から開いた。
たちまち、城頭に、玄徳の旗がひるがえった。城中の者、ほとんど七割まで、降伏した。
劉璋の嫡子劉循は、この急変におどろいて、北門の一方からわずかな兵と共に、取る物もとりあえず、逃げ出していた。一目散、成都をさして。
「劉

を矢倉から蹴落としたものはだれか」
占領後、玄徳がただすと、
「――武陽の人張翼、字を伯恭というものです」
と、侍側から申達した。
すなわち謁を与えて、玄徳は、張翼を重く賞した。
五
雒城の市街は、平静に回った。避難した民も城下へ続々帰って来て、
「やれやれ、ありがたいお布令が出ている」
と、高札を囲んで、新しい政道を謳歌した。
孔明は、微行して、一巡城下の空気を視察してもどると、
「御威徳はよく下まで行き渡ったようです。この上は、成都の攻略あるのみですが、功を急いで、足もとを浮かしてはなりません。まず雒城を中心として、附近の州郡にある敵性を馴ずけ、悠々成都に迫るもおそくないでしょう」と、玄徳へ言った。
「いかにも」
と、玄徳も同じ気もちであったとみえ、すなわち隊を分かって、各地方へ宣撫に赴かせた。
すなわち、厳顔、卓膺には張飛をつけて、巴西から徳陽地方へ。
また
張翼、
呉懿には、

雲を添えて、
定江から
犍為地方へ
遣った。
それらの諸隊が、地方宣撫の功をあげている間に、孔明は、降参の一将を招いて、成都への攻進を工夫していた。
「この雒城から成都までのあいだに、どういう要害があるかね」
降参の将がいう。
「まず、要害といっては、綿竹関が第一の所でしょう。そのほかは、待来を検める関所の程度で、取るに足りません」
そこへ、法正が来た。法正も早くから内応して、玄徳の帷幕に参じている者なので、蜀の事情には精通している。
「いずれ後には、成都の人民は御政下につくものです。その民を驚かし、苛烈な戦禍に怯えさせることは好ましくありません。まず、四方に仁政を示し、徐々恩徳をもって、民心を得ることを先とすべきでしょう。一方それがしから書簡をもって、よく成都の劉璋を説きます。劉璋も、民の離れるのを覚れば、自然に来て降るにちがいありません」
「貴下の言は大いによい」
孔明は法正の考えを、非常に賞揚し、その方針によることにきめた。
一方、成都のうちは、いまにも玄徳が攻めて来るかと、人心は動揺してやまず、府城の内でも恟々と対策に沸騰していた。
太守劉璋を中心に、
「いかに、防ぐか」の問題が、きょうも軍議され、その席上で従事鄭度は、熱弁をふるって演説した。
「国家の急なるときは、自然、防禦の力も数倍してくる。官民一致難に当たるの決意をもてば、長途遠来の荊州軍など何の怖れるほどのことがあろう。いかにここまでは、彼の侵略が功を奏して来たにしても、占領下の蜀の民は、まだ心から玄徳に服しているのではない。今、巴西地方からすべての農民を追って、ことごとく、涪水以西の地方へ移してしまい、それらの部落部落には鶏一羽のこすことなく、米穀は焼きすて、田畑は刈り、水には毒を投じ、もって彼等がこれに何を求むるも、一飯の糧もないようにしておけば、おそらく彼等は百日のうちに飢餓困憊をさまようしか道を知らないであろう。――そして成都、綿竹関の二関をかため、夜となく昼となく、奇策奇襲をもって、彼を苦しめぬけば、おそらくこの冬の到来とともに、玄徳以下の大軍は絶滅を遂げるにちがいないと考える。いやそう信じる、諸公のお考えいかがあるか」
たれも黙っていた。すると、太守劉璋が、
「むかしから、国王は、国をふせいで民を安んずるということは聞いておるが、まだ、民を流離させて敵を防ぐということは聞いたことがない。それはすでに敗戦の策だ。おもしろくない」
と、いつもに似げない名言を吐いて、鄭度の策を否決した。
するとそこへ、法正から正式の書簡が来た。書中には、大勢を説いて、いまのうちに玄徳と講和するの利を弁じ、また、そうして、家名の存続を保つことの賢明なことをすすめてあった。
「国を売って敵へ走った忘恩の徒が、何の面目あって、わしにこの醜墨をみずから示すか」
劉璋は怒って、法正の使いを斬ってしまった。
直ちに、綿竹関の防禦へ、増軍を決行し、同時に、家臣董和のすすめをいれて、漢中の張魯へ、急使を派遣した。背に腹は更えられぬと、ついに、危険なる思想的侵略主義の国へ泣訴して、その援助を乞うという苦しまぎれの下策に出たのであった。
西涼ふたたび燃ゆ
一
忽然と、蒙古高原にあらわれて、胡夷の猛兵をしたがえ、隴西(甘粛省)の州都をたちまち伐り奪って、日に日に旗を増している一軍があった。
建安十八年の秋八月である。この蒙古軍の大将は、さきに曹操に破られて、どこへか落ちて行った馬騰将軍の子馬超だった。
「父の仇、曹操を亡くさぬうちは」と、馬超はあれ以来、蒙古族の部落にふかくかくれて、臥薪嘗胆、今日の再興に励んできたのであった。
「何度でも再起する。曹操の首を見るまでは、倒るるもやまじ」
とする意気があるので、征くところ草を薙ぐように、敵を風靡し、この軍団は、強大になった。
ところが、ここに冀県の城一つだけが、よく支えて、容易に抜けない。
城の大将は韋康という者だった。韋康は、長安の夏侯淵へ使いをとばし、その援軍を待っていたが、
「中央の曹丞相のおゆるしを待たずには、兵をうごかし難い」
という夏侯淵の返書に、韋康は落胆して、
「それでは到底、この小勢でこの城は保ち難い。見ごろしに見ている味方を恃むよりは」
と、ついに降伏を思った。
同僚に参軍の楊阜という将校がある。楊阜は反対して、極力諫めた。けれど韋康はついに門をひらいて、寄せ手の馬超へ膝を屈してしまった。
「よしっ」
馬超は、降を容れて、城中へなだれこむとともに、韋康以下、その一類四十余人を搦め捕って、数珠つなぎにその首を刎ねて、
「この時になって降伏するなどという人間は、義において欠けるし、味方に加えても、どうせ使いものにはならんやつ等だ」
と、悔いも惜しみもしなかった。
侍臣が、図に乗って言った。
「楊阜はお斬りにならないのですか。彼は韋康を諫めて、降参に反対した曲者ですが」
「それが義だ。弓矢の道だ。楊阜は斬らん」
馬超は、かえって、楊阜を助けたばかりか、用いて参事となし、冀城の守りをあずけた。
楊阜は心のうちに深く期すものがあるので、表面は従っていたが、ある時、馬超に告げて、数日の休暇を願った。
「わたくしの妻は、もうふた月も前に、故郷の臨兆で死にましたが、このたびの戦乱で、その葬いにも行っておりません。郷土の縁者や朋友のてまえ、一度は行って来なければ悪いのですが」
馬超は即座に、
「よしよし。行って来い」
楊阜は、帰郷した。しかし目的は、歴城の叔母を訪ねることにあった。この叔母は、近国までも、「貞賢の名婦」と、聞こえているひとだった。
「――面目もありませぬ」
叔母なる人に会うと、楊阜は床に伏して拝哭した。
「残念です。いま私は、甘んじて敵に飼われています。けれど心まで馬超にゆるしてはいません。今日、これへ来たのは、ほかに心外なことがあるからでした」
「楊阜。なぜそんなに女々しく哭くのかえ。人間は最後に真をあらわせばいいのです。生きているうちの毀誉褒貶など心におかけでない」
「有り難うぞんじます。――が、私が哭いたのは、自分の辱をめそめそしたわけではありません。あなたの息子たる者のために、憤慨にたえないのです」
「おや。どうしてだえ?」
「この歴城にありながら、乱賊馬超の蹂躙にまかせ、一州の士大夫ことごとく辱をうけている今日をよそに、何を安閑としているのでしょう。あの若さで。......私はそれを憤りに参ったのです。あれでも貞賢な叔母上の息子かと疑って」
「......たれか居ませんか。姜叙をお呼び。姜叙を」
彼女が、侍女の部屋へ、こう告げると、一方の帳を払って、
「母上。姜叙はこれにおります。お起ちには及びません」
と、ひとりの青年が入って来た。これなん歴城の撫夷将軍姜叙だった。
二
いうまでもなく姜叙と楊阜とは従兄弟のあいだがらになるし、また、姜叙と韋康とは、主従の関係にある。
当然、歴城の兵をひきいて、韋康を赴援すべきであったが、その滅亡の早かったため、兵をととのえて馳けつけるに間に合わなかったものである。
「さきほどから帳の蔭でおはなしを伺っていると、阜兄はこの姜叙が安閑としているのを、ひどく御憤慨のようですがそういうあなたこそ、一戦にも及ばず馬超に降伏して、冀城を渡してしまったではありませんか。それをいまとなって、世上のことは何も知らぬ私の母などへ、私の怠慢か卑怯みたいに誹られるのは、自分のことを棚へ上げて、人のあらをさがす下司の根性というものではありませんか」
若い姜叙は、母の前もわすれて、客の従兄弟を罵倒した。
すると楊阜はかえってその意気を歓び、自分の降伏は、一時の辱をしのんで、主君の仇を打たんがためであると説明し、
「もし叙君が、郷党の兵をひきいて、冀城へ攻めて来られるなら、自分は城中から内応しよう。何をかくそう、郷里の妻の葬いと偽って、馬超から暇をもらい、これへ君を訪ねて来たのは、そのためにほかならないのだ」と、言った。
姜叙、もとより多感な青年である。義のためには一身を亡ぼすも惜しみはないと、ここに義盟を結び、ひそかに兵備にかかった。
歴城のうちに、姜叙が信頼している二名の士官がいる。統兵校尉の
尹奉と
昂とであった。

昂の子の
月は、
冀城落城のこのかた、馬超のそば近くに小姓として仕えている。

昂は家に帰ると、妻へ嘆いた。
「きょう姜叙の君から命をうけて、馬超を討つ兵備をせよと命じられたが、いかにせん、わが子は敵の城に
在る。もしその父が姜叙に味方していると知れたら、たちまち、

月は殺されてしまうだろう。いったいどうしたらよいか。そなたに何か名案はないか」

昂の妻は、聞くと涙をうかべたが、その涙をみずから
叱るように、声を励まして、
良人へ言った。
「ひとりの子を顧みて、主命を過ち、郷党を裏切りなどしたらあなたの武士が立たないのみか、御先祖を汚し、子孫に生き恥を曝させるものではありませんか。何を迷っていらっしゃるのですか。もしあなたが大義をすてて不義へ走るようなことがあったら、妾とて生きてはおりません」
多年連れ添ってきた妻ながら、彼女の良人は、自分の妻の立派なことばに今更のごとく驚いた。
「よし。もう惑わぬ」
姜叙、
楊阜は歴城に
屯し、尹奉と

月は、郷党の兵をひきいて、
冀山へ進出した。
すると、

昂の妻は衣服や髪飾りを、のこらず売り払って、冀山の陣へ行き、
「門出の心祝いです。どうかこれを収めて、士卒の端にいたるまで、一盞ずつ頒けてあげて下さい」と、途中、酒賈から購ってきた酒壺をたくさんに陣中へ運ばせた。
「これは、昂校尉の奥さんが髪かざりや衣服を売り払って、われわれの餞別に持って来て下すったお酒だぞ」
そう言い聞かされて、兵隊たちへ酒を頒かつと、みな感激して、涙と共に飲み、士気は慨然とふるい昂った。
一方、この事はすぐ冀城へ聞こえたので、馬超の怒りはいうまでもない。
「

昂の子、

月の首を
刎ねて、血まつりにしろ」
一令、全軍を血ぶるいさせた。
龐徳、
馬岱はすぐ発向した。馬超ももちろん猶予していない。殺気地を

いて歴城へかけてきた。
するとあたかも白鷺の大群のような真っ白な軍隊が道を阻めて待っていた。見れば、姜叙、楊阜以下、すべて白い戦袍に白い旗をかかげて、
「亡主の仇馬超を討ち、もって泉下の霊をなぐさめん」
と、弔い合戦を決意した郷兵軍が、悲壮な陣を布いていたものであった。
「洒落くさい匹夫めらが」
馬超は一笑して、雪を蹴立つがごと、白色軍を蹴ちらし始めた。
三
馬超の勇は万夫不当だ。当然のように歴城の兵はふみつぶされてしまった。姜叙、楊阜もその敵ではなく、さんざんに敗れてひき退く。
しかし、
祁山に陣していた尹奉と

昂とは、
「このためにわれここにあり」
と、言わんばかり、突如、鼓を鳴らして、馬超の側面へかかった。
姜叙、楊阜は急に取って返して、
「馬超、罠に落つ」
と、郷兵の士気をはげましつつ側面へ出た味方と呼応して挾撃のかたちをとった。
馬超の軍勢も一時は苦境に立った。けれど、装備の悪い地方郷党軍と、完全な装備を持った胡北の猛兵とは、到底、比較にならなかった。
たちまち馬超軍は、その陣形の不利をもり返して、反撃に出てきた。またも、姜叙の歴城軍は、算をみだし、死屍を積み、いまや潰滅に瀕していた。
ところへ、思わざる新手の大軍が、山をこえて、馬超軍のうしろからひた押しに攻めてきた。これなん長安の夏侯淵であって、
「今や、曹丞相のお下知によって乱賊馬軍の征伐に下る。生命を保ちたいと願うならば、中央政府の旗幟のもとに拝跪せよ」と、諸将の口をもって、陣頭に呼ばわらせた。
もとよりこの手勢は訓練もあり装備もすぐれている中央軍なのでさしもの馬超軍も躁ぎ乱れ、
「よし、その分ならば出直して――」と大将馬超も逃げるしかなくなった。
馬超は冀城まで引き揚げてきた。ところが城へ近づくと、味方であるはずの城中から雨霰と矢を射てくる。
「莫迦者っ。うろたえるな。よく眼をあいて我を見ろ」
叱りながらなお城門の前へかかると、壁上から彼の眼のまえへ、いくつもの亡骸を抛り投げて来た。
「や。やっ?」
見ればその一つは、わが妻の楊氏であった。また、ほかの三つは馬超の三人の子であった。
なお、限りなく、城の上から死骸を抛り落としてくる。そのすべてが、馬超の縁につながる肉親や一族たちであった。
「ううむっ......」
胸ふさがって、さすがの馬超も馬から転げ落ちんとした。そこへ、馬岱と龐徳が追いついて来て、
「城中の
梁寛、
衢のふたりが留守を奇貨として、反旗をかかげ夏侯淵に内応したものと思われます。ここにいては御一身も危ういでしょう。いざ
疾くほかへ」
と、促して途々むらがる敵を払いながら、終夜、馳けとおした。
忽然と、朝霧の中に、一城の門が見えた。馬超は大いに恐れて、
「ここはどこか」
すると龐徳が言った。
「敵の歴城ですよ」
「えっ、歴城」
馬超はたじろいだ。つき従う味方の兵は、零々落々わずか五、六十騎。いかに励んでも勝算はないと思ったからである。
こういう窮極の壁を突破することに依って、龐徳は一つの打開をつかむ機智をもっていたらしい。馬超、馬岱を励まして、自ら先に立ち、
「姜叙の旗本である」と、呶鳴りながらどんどん城門内に入ってしまった。
夜来、続々、勝戦の報を聞いて誇りぬいていた城兵は、突然、自分たちの懐の内から、大混乱が起こったので、上を下へと騒動した。
城中へ入った馬超の一党は、姜叙の住居を襲って、その母を殺した。
また
尹奉、
昂の
邸を包囲し、その妻子召使いまで、みなごろしにしてしまった。ただ、かの貞節な

昂の妻だけは、
祁山の陣へ行っていたので、その難をのがれた。
手薄な城兵も、みな逃げるか討たれるかして、歴城はわずか五、六十名の馬超軍によって占領されたが、しかし、それはたった一夜の安眠でしかなかった。
あくる日になると、夏侯淵、姜叙、楊阜の軍が攻めて来て、たちまちこれを奪回し、馬超は乱軍のなかをよく戦いつつ、一族の馬岱、龐徳などと共に、国外遠く、いずこともなく逃げ落ちて行った。
馬超と張飛
一
彗星のごとく現われて彗星のようにかき失せた馬超は、そも、どこへ落ちて行ったろうか。
ともあれ、隴西の州郡は、ほっとして旧の治安をとりもどした。
夏侯淵は、その治安の任を、姜叙に託すとともに、
「君はこのたびの乱に当たってよく中央の威権を保った勲功第一の人だ」
と、楊阜を敬って、車に乗せ、強いて都へ上洛させた。そのとき楊阜は、身に数ヵ所の戦傷を負っていたので。
やがて、車が許都へつくと、曹操はその忠義を称え、「以後、関内侯に封ぜん」と、言った。
楊阜は、かたく辞して、
「冀城に主を失い、歴城に一族を鬼と化し、なお馬超は生きている今、何の面目あって、身ひとつに栄爵を飾れましょう、恥ずかしい極みであります」
と、恩爵をうけなかったが、かさねて曹操から、
「御辺の進退、その謙譲。西土の人々、みな美談となす。もしその忠節を顕わさなければ、曹操は暗愚なりと言われよう。栄爵はひとり御辺を耀かすものではなく、万人の忠義善行の心を振い磨く励みとなすものであることをよく察せよ」
と、いうことばに、楊阜もついに否みがたく、恩を拝して、一躍、関内侯の大身になった。
× × ×
さて、馬超とその部下、馬岱、龐徳などの六、七名は、流れ流れて漢中に辿りつき、この国の五斗米教の宗門大将軍張魯のところへ、身をよせた。
張魯に年ごろのむすめがある。張魯の思うには、
「馬超は世にならびなき英傑といってよい。年も若いし、彼女を馬超にめあわせて、張家の婿とするときは、漢中の基業はまさに確固なものとなろう。そして、将来の対蜀対策にも強味を加えることに言うを俟たない」
これを、一族の大将楊柏に相談すると、楊柏は、
「さあ、どうでしょうか?」と、すこぶる難色ある顔つきだ。
「いけないかね」
「考えものでしょうな」
「どうして」
「勇はあっても、才略のない人ですからな。それに馬超その人の性行をみるに、父母妻子をかえりみず、ただ世に功名をあせっているんじゃないでしょうか。自分の父母妻子にすらそのような人間が、どうして、他人を愛しましょう」
これで縁談は止んでしまった。
ところが、それを馬超が小耳にはさんで、楊柏に恨みをふくんだ。要らざることを言って水をさすやつだ――というわけである。楊柏は彼に殺されるかもしれないと思って恐れだした。で、兄の楊松を訪ねて、
「助けて下さい。何とか考えて下さい」と、泣訴した。
ところへ蜀の太守劉璋の密使として、黄権がこの国へ来た。ちょうどその日楊松は黄権と密談する約束だったので、弟を邸に待たせておいて、彼の客館を訪問した。
黄権がいうには、
「先ごろから正式に使をもって、たびたび張魯将軍へ援けをおねがいしてあるが、容易に蜀を援けんとはおっしゃらない。今もし玄徳のために蜀が敗れたら、必然、そのあとは漢中の危機となることは、両国唇歯の関係にある地勢歴史の上から見てもあきらかなことですのに」
そして更に黄権は、もし漢中の兵をもって、玄徳を退治してくれるなら、蜀の二十州を頒けて、漢中の領土へ附属せしめる用意がこちらにはあると、外交的な熱意と弁を尽くした。
「よろしい。もういちど、張魯将軍の御前で評議してみましょう」
楊松は、尽力を約して、張魯の法城へのぼった。そしてこの懸案を再度議していると、折から見えた馬超が、
「それがしに一軍をお貸しあれば、葭萌関を破って、一路蜀に入り、玄徳を伐って、今日の厚恩におむくいして見せん」と、断言した。
馬超が征けば、成功疑いなしと思った。張魯はここに意を決して、一軍を彼にさずけ、楊柏を軍奉行として、ついに援蜀政策を実行に移した。
二
日は没しても戦雲赤く、日は出でても戦塵に晦かった。
玄徳軍と、蜀軍と。
いまや成都は指呼のあいだにある。綿竹関の一線を堺として。
ここが陥ちれば、蜀中はすでに玄徳の掌にあるもの。ここに敗れんか、玄徳の軍は枯葉と散って、空しく征地の鬼と化さねばならぬ。
「や。あれは?」
玄徳は今、その本陣にあって、耳を聾せんばかりな鉦鼓を聞いた。しかし彼の眉は晴れ晴れとひらいた。そこへ麓から使番が馳せて来て大声に披露した。
「綿竹関第一の勇将李厳を、お味方の魏延が縛め捕りました」
「おお、その凱歌か」
玄徳は、伸び上がって待ち受けていた。
魏延が、捕虜の李厳を曳いて来た。玄徳は魏延の功を称するとともに、李厳の繩を解いて敬った。
「平時ならば、人の亀鑑ともいわれる士大夫を、いかに勝敗の中といえ、辱しめるにしのびない」
李厳は、恩に感じて、随身の誓いを入れ、同時に暇を乞うて、綿竹関へひとたび回った。
綿竹関の大将費観と彼とは、莫逆の友である。すなわち李厳は、この友に、玄徳の高徳を説いた。
「君がそれほど賞めるくらいなら、玄徳は正しく真の仁君かもしれない。もとよりお互いに生死を共に誓った仲だ。君のすすめにまかせて城をあけ渡そう」
費観は伴われて、城を出た。かくて綿竹関も、ついに玄徳の入城をゆるした。
この前後の事である。地理的に観て、ほとんど、遠い異境の英雄とのみ思われていた西涼の馬超という名が、忽然とこの蜀にまで聞こえて来たのは。
しかも、頻々、早馬の急報によれば、その馬超が、漢中の兵馬を率いて、葭萌関へ殺到しつつあるという。
「さては、成都の劉璋が、窮するあまりに、国を割いて漢中に附与し、張魯へ膝を屈した結果とみえる」
玄徳は孔明に対策をたずねた。孔明は意を体して、張飛をよびよせ、「時に、相談があるが」と言った。
「何事ですか」
「関羽のことだが」
「関羽がどうかしましたか。荊州の留守中に」
「いや、どうもせぬが、関羽をよばねばならない事が起こった。御辺と、留守を交代してもらおうかと思って」
「それがしを留守に廻して関羽を召し呼ばれるとはどういうわけでござるか」
もう張飛は顔色に出している。不平なのだ。理由に依ってはと、開き直りそうな構えである。
孔明は、あっさり話した。葭萌関へ新たにかかって来た敵は馬超という西涼第一の豪雄である。関羽ならでは、よくその馬超に敵し得まい。故に、御辺と代わってもらおうかと考慮中であるが――と言う。
「これは、亮軍師には、けしからんことを言われる。何故、この張飛を軽んじ給うか。馬超匹夫。何ほどのことかあらん。むかし長坂橋に百万の曹軍をこの両眼で睨み返した者はだれであるか御存じないか」と、眦を昂げた。
孔明は、なお微笑して、
「しかし馬超の勇は、おそらくその長坂橋の豪傑以上と自分には思われるが」と、首をかしげた。
張飛は、指を嚙んで、
「もし、この張飛が、馬超にやぶれたら、いかなる軍罰にも処したまえ」
と、誓約書をかいて、血をそそぎ、哭いて、孔明と玄徳の前にさし出した。
「それまでに言うならば」と、すなわち張飛に参加をゆるしたが、孔明は、入念にも、その先鋒には魏延を附し、後陣には、玄徳を仰いだ。この編制を見ても、いかに彼が葭萌関の防ぎを重視したかがわかる。
三
葭萌関は四川と陝西の省境にあたる嶮要で、もしこれへ、玄徳の援軍が入ったら、いよいよ破ることは難しいと察していたので、漢中軍をひきいた馬超は、
「玄徳の新手が着かないうちに」と、連日、猛攻撃をつづけていたのだった。
しかし、すでにその先手も中軍も、関内へ到着して、この日、城頭には、新たな旌旗が目ざましく加わっていた。
「急変にあわてて、長途を駆けつけて来た玄徳以下、何の怖るることがあろう」
馬超の勢は、猛攻の手をゆるめず、いよいよ急激に関門へ迫っていた。
すると、関上から一彪の兵が、一人の大将を先にして、漢中軍の先鋒へ、決戦を挑んで来た。
「知らぬか、玄徳の麾下に魏延がおることを」
魏延と聞いて、漢中の楊柏は、
「よき敵」と、駆け寄って、十合あまり戦ったが、脆くも薙ぎ立てられて部下もろとも逃げだした。
「卑怯、卑怯っ」
勝ちに乗って、追いかけると、魏延はつい止まるのを忘れて、敵の中へ深く入ってしまった。
すでにそこは西涼の馬岱がひかえている陣地だった。馬岱の姿を見かけると、魏延は、
「これこそ馬超だろう」と思いこんで、閃々、刀を舞わして、喚きかかった。
馬岱は、紅槍をひねって、それを迎え、戦うことしばし、敵の力量を察して、
「強敵。油断ならじ」と思ったものか、咄嗟、馬をめぐらして、楯の蔭へ逃げこもうとした。
「待てッ」
魏延の声に振り向きながら、
「これかっ」
と、答えて、馬岱は、紅の槍を颯と投げた。
魏延が身を沈めた。
そのまに、馬岱は、腰の半弓をはずして、丁と番え、一矢送った。
矢は、魏延の右の臂にあたった。魏延はあやうく鞍輪をつかんで落馬をまぬかれたが、鮮血はあぶみを染めて朱にした。
これを機に、魏延は、駒を回して、葭萌関の内へ駆けこんでしまった。馬岱は、ひとたび崩れ出した味方を立て直して、また、関門の下へ潮のごとく襲せ返した。
すると関上から、改めて、更に一人の猛将が駆け下りて来た。――自ら大声に名乗るを聞けば、
「桃園に義を盟んだる燕人の張飛!」
という。
聞くや、馬岱は、
「長年、出会いたいと思っていた張飛とは汝か。願うてもない好敵。いざ」
と、大剣を鳴らして迫った。
すると張飛は、
「貴様は馬超か」と、訊いた。
「いや。俺は馬超の一族、馬岱というものだ」
「なに、馬岱。そんな者では相手にならん。馬超を出せ」
「だまれ。おれの手並みを見てからものを言え」
馬岱はもう斬り掛けていた。
しかし、一丈八尺の大矛は、すぐ馬岱の剣をたたき落としてしまった。馬岱が恐れて逃げかけると、
「こらっ馬岱。その首を置いてゆけ」
と張飛は、ほとんどからかい半分に呶鳴りながら追おうとした。
すると、関門の上から、張飛を呼びとめる人がある。戻ってみると、主君玄徳だった。玄徳は言う。
「あまりに敵を軽んじてはいけない。きょうはここへ着いたばかり。兵馬も疲れておる。関門を閉じて、兵にも馬にも休息を与えよ」
それから玄徳は矢倉へのぼって、敵陣を瞰望していた。すると、麓の近くに、静かなこと林のような一群の旌旗が見える。やがて、その陣前に馬をおどらせて、悠々、戦気を養っているひとりの大将をながめるに、獅子の盔に白銀の甲を着、長鎗を横たえて、威風ことにあたりを払ってみえる。
「ああ。馬超馬超。いま世上の人々が、馬超の英姿を称えて、西涼の錦馬超というとか。――あれに見ゆるは、まさにその者にちがいない。よい武者振りかな」
玄徳が賞めちぎっているのを聞くと、張飛は牙を咬んで、身をうずかせていた。
四
馬超は、関門の下へ来て、
「張飛はどこへ隠れたか。わが姿を見て逃げ怯じたか。蜂の巣の蜂よ。門をひらいて出て来ぬか」
と呼ばわっていた。
張飛は、矢倉の上から、
「おのれ、その口を」と、全身を瘤にし、腕を扼して、覗いていたが、傍らにある玄徳が、
「きょうは出るな」と、どうしても許さなかった。
翌日も馬超の軍は、これへ来て前日のように、城門へ唾をした。
「いまは行け」
と、ついに玄徳のゆるしを得、そこを八文字に開くやいな、丈八の矛を横たえて繰り出し、
「われこそ、燕人張飛なり。見知ったるか」と、立ちはだかった。
馬超は、哄笑した。
「わが家は、世々、公侯の家柄だ。なんで汝のような田舎出の匹夫など知るものか」
ここに両雄の凄まじい決戦が行なわれ出した。その烈しさは、見る者の胆をちぢめさせた。まさに猛鷲と猛鷲とが、相搏って、肉を咬みあい、雲に叫び合うようだった。
百合余り戦っては、馬を換えてまた出会い、五、六十合火をふらしては、水を求めてまた戦闘した。
このあいだ両軍の陣は遠くに退いて、ただ鉦を鳴らし鼓を打ち、自己の代表者を励ますべく、折々わあっ、わあっ、と声海嘯を揺るがしているだけなのである。
時間にすると、中天の陽が西の空へ傾くまで、さらに勝負もつかず、馬超も張飛も、いよいよ精気と神力をふるっていた。
そろそろ陽が昏くなりかけた。両軍のあいだに、使者の交換が行なわれ、
「篝を焚くあいだ、しばし軍を収めて、敵味方の二将軍にも、休息をねがい、更に、精気をあらためて決戦してはいかに」と、なった。
そこで、双方同時に、退き鉦をならす――馬超も張飛も、満面から湯気をたてて自陣へさがった。
時をおいて、ふたたび張飛が、関門を出ようとすると、玄徳が、
「夜に入った、戦は明日にいたせ」と関中に止めて放さなかった。
万一、張飛が負けて、馬超に討たれでもしてはと、きょうの合戦を見てから、にわかに心配になったからである。
ところが寄せ手は、夜に入っても退かず、明々の松明をつらね、篝火を焚き、
「張飛、もう出て来る精はないのか」と、あざ笑った。
「何をっ」
ついに、玄徳の命に反いて、無断、関門をひらき、馬超へ向かっておどりかかった。
馬超は、脆くも逃げ出した。もとより詐術である。それとは張飛も覚っていたが、彼の性格として、
「きたないぞ、馬超。最前の広言はどこへ置き忘れた」
と、追い掛け、追い掛け、つい深入りしてしまった。
急に、駒をとめたと思うと、馬超は振り向いて、矢を放った。張飛は身をかがめたまま、馬の鼻を突進させてゆく。
弓を捨てると、馬超は、銅づくりの八角棒を持って、張飛を待った。張飛の蛇矛は、彼の猿臂を加えて、二丈あまりも前へ伸びた。
「待て。張飛」
うしろの声だった。
玄徳が追って来たのである。玄徳は、馬超へ向かって言った。
「自分は天下へ向かって、仁義を旗じるしとし、きょうまで、まだ一度もあざむいたことはない。――自分を信じて、きょうは退き給え、それがしも退くであろう」
終日の戦に、さすが疲れていた馬超は、それを聞くと、
「さらば」
と、玄徳に一礼を投げ、きれいに陣を退き去った。
その夜、軍師孔明が、ここに着いた。
「戦況いかに」と案じて来たものであろう。つぶさにその日の状況を聞きとると、やがて玄徳の前に出て忠言した。
五
「馬超と張飛と、このまま、幾たびも戦わせておいたら、かならず一方は討ち死にするにきまっています。両方とも、稀世の英傑。これを殺すことは畏れながらあなたの御徳望を損ねましょう」
孔明はまず、その愚を止めた。玄徳ももとより同じ気持ちだった。しかし、敵の英傑を助けるには、その人を、味方に招く以外に方法はない。さもなければ、味方の禍であり、あらゆる手段をもってしても、これを除く工夫をしないわけにゆかない。
「――天恵です、それに一案があるのです。かならず馬超はお味方へ招いてみせます。私がにわかにこれへ来たのもそのためにほかならないのです」
孔明は言う。そして、疑う玄徳にむかい、その理由ある所以を次のように説明した。
「このところ、馬超が、つねにも増して、強いわけは、今や彼の立場は、進んでも敵、退いても敵、進退両難に陥っているためで、いわゆる捨て身の奮迅だからです」
こう冒頭して――
「なぜ馬超が、そんな苦しい立場に陥っているかというに、実は、それもかくいう臣孔明が、手をまわして、そのたねを蒔いておいたものでした。元来、漢中の張魯という野心家は、どうかして漢寧王の称号を得たいと常々から希っておるので、その腹心の人楊松へ私から密書をやっておきました。楊松はまた慾に目のない男ですから、多額な金品をあわせ賄賂うてくれたことも申すまでもありません。――そこで私の書中には――わが主玄徳が蜀を収めたら、天子に奏して、きっと張魯をして、漢寧王に封ずるように運動しよう。この事は確約してもよろしい。......しかしそのかわりに、馬超を葭萌関から呼び返し給え。そう申し遣わしたわけです」
「なるほど」
玄徳は孔明の遠謀に、今更ながら愕きの目をみはっていた。
「――交渉数回、もともとそれに野望のある張魯ですし、楊松へもいろいろ好条件をつけてやりましたから、私と漢中との、秘密外交はまとまっているのです。で、漢中の方針は、急角度に一変し、ここへ攻めて来ている馬超に対して、即時引き揚げよと、張魯から幾たびも早馬が来ておるはずです」
「ほう。そうであったか」
「しかしです。――馬超が素直にそれを肯くわけはありません。彼は国のない者です。この機会に自己の地盤なり兵力なりを持たなければ生涯の機を逸するものと深く思っているにちがいない。かたがた、諸州への外聞もある。――漢中の命令を耳にも入れず、かえっていよいよ急にここを攻めているものなのです」
「――む、む」
「張魯の心証は、俄然、馬超に対して悪化しました。弟の張衛もまた、楊松と親密なので、大いに馬超を讒言し始め、馬超は漢中の兵を借りたのを奇貨として、私に蜀を攻め取り、後には漢中へ弓をひく料簡だろう――と、そんなことを言い触らし始めたのです」
「張魯のこころは?」
「同様に怒り立って、ついに張衛に兵を与えて国境に立たせ、たとえ馬超が帰るも、漢中に入るるなかれと命令し、かつ、使者をもって、馬超の陣へ臨ませ――汝、命にそむいて、ここを引き揚げぬからには、一ヵ月のあいだに三つの功を遂げよ。一、蜀を取る。二、劉璋の首を刎ね、三、玄徳以下荊州軍をことごとく蜀外に追い払え。――と申し渡したとか。以上は、馬超の身を包んでいる事情です。その窮地を私は救ってやろうと考えます。どうか私の三寸の舌におまかせ下さい」
「軍師みずから行って馬超を説かんと言われるのか」
「そうです。それくらいな誠意をこちらも示さねば......」
「危ない。万一、不慮の事が生じたら取り返しがつかぬ」
「いや、御心配はありません。明日、朝の光を見たら、直ちに行って、馬超に面会を求めましょう」
「まあ、今夜一晩、考えてからにしよう」
玄徳は容易にゆるさない。しかし次の日となると、はからずもここへ、ひとりの適当な人物が、天の配剤かのごとく、玄徳を訪ねて来た。
六
その人は、
李恢、
字を
徳昂といい、蜀中の賢人といわれ、士民の尊敬も浅くないので、綿竹の城にある
雲からわざわざ書簡をそえて紹介して来たものであった。
李恢は玄徳に言った。
「孔明軍師がこちらへお出でになったでしょう」
「昨夜、関中に着いた」
「馬超を招き降さんがためではありませんか」
「どうしてわかる」
「俗に、傍目八目というではありませんか。第三者として傍観しておれば、孔明軍師がきょうまでのあいだに、漢中の張魯にたいして、どんな手だてを打っておるかは、楽屋から舞台を覗いているようによくわかるものです」
「待て待て。それは措いて、御辺はここへ何しに来たか」
「馬超を説かんとして来ました」
「ふうむ......馬超を説いて、予の帷幕に招いて来る自信があるか」
「あります。孔明軍師を除いては、おそらく、その使いをなすものは私のほかにありますまい」
「しかし、御辺はさきに、劉璋を諫めた人と聞いておる。いままた、この玄徳に言をなして、予のために働こうという。いったい御辺は、劉璋に忠ならんとするのか、玄徳に仕えんとするのか」
「
良禽は木を
撰ぶ。そんなことは
訊くだけ野暮ではありませんか。
皇叔、あなたも蜀を

い
潰しに来たのではないでしょう。蜀中に仁を施しに来たのではありませんか」
孔明は衝立のかげに聞いていたが、このとき現われて、
「李恢、私に代わって、馬超の陣へ行ってくれ。御身なら必ず使命を果たすだろう」と、言って、玄徳にゆるしを求め、かつ、書簡を仰いだ。
玄徳の一書を持って、李恢はやがて、関外へ出て行った。
馬超は、その本陣で、彼の訪問をうけると開口一番に、
「汝は、玄徳に頼まれて来た説客であろう」と言った。
李恢は悪びれもせず「そうだ」と、うなずき、
「しかし、頼まれて来たのは、玄徳ではないよ」
「では、だれだ」
「御身の亡き父親から」
「なに」
「不孝の子をよく訓えてくれとな。......夢でだよ」
「この風来人め、詭弁をやめよ、あの匣の中には、つい近ごろ、磨がせたばかりの宝剣があるぞ」
「幸いに、その剣が、そういう御自身の首を試みるものにならなければよいが」
「まだいうか」
「前途ある青年馬超を惜しむのあまりわしは言う! 聞き給え馬超、いったいおぬしの父親はだれに殺されたのだ。――そもそも、西涼の兵馬をあげて、俱に天をいただかずと、神明に誓った当の仇敵は、魏の曹操ではなかったか」
「............」
「その曹操のため、敗れて漢中に奔り、張魯のため、よい道具につかわれたあげく、一族の楊松などに讒せられ、腹背に禍をうけ、名もなき暴戦をして、あたら、有為の身を意義もなく捨て果てようとは。......さてさて、呆れた愚者。辱知らず。父の馬騰もあの世で哭いているだろう」
「――ううむ」
「何が、ううむだ。思え、泉下の父の無念を。......たとえ御身が玄徳に勝ったところで、歓ぶものはだれだか知っておるか。それは曹操ではないか」
「賢士。目がさめた。ゆるしたまえ。ああ誤った」
馬超は、がばと、身を崩して、李恢のまえに哭き仆れた。
このとき李恢は満身から声を発して、
「悪いと気がついたら、なぜ幕外に潜めておる兵を退けんかっ」
と、あたりを睨まえた。
隠れていた武士たちは胆をつぶして、こそこそ消えた。李恢は、馬超の腕をとって確と自分の腕に拱み、
「さあ、行こう。劉玄徳は御身を待っている。決して、辱しめはしないよ。わしが附いている。わしにまかせておくがいい」
成 都 陥 落
一
馬超は弱い。決して強いばかりの人間ではなかった。理に弱い。情けにも弱い。
李恢はなお説いた。
「玄徳は、仁義にあつく、徳は四海に及び、賢を敬い、士をよく用いる。かならず大成する人だ。こういう公明な主をえらぶに、何でうしろ暗い憚りをもつことがある。第一、玄徳に力を添えて曹操を討つは、大きくは四民万象のため、一身には、父母の仇を報じる大孝ではないか」
唯々として、彼はもう李恢と駒をならべて、関中へ向かっていた。
伴われて、玄徳に会った。
この英気ある青年の良心的な降伏に対して、間の悪いような思いをさせる玄徳でもない。
「ともに大事をなし、他日の曠世を楽しもうではありませんか」
ほとんど、上賓の礼をもって、彼を遇した。
青年馬超の感激はいうまでもなかった。恩を謝して、堂を降るとき、
「いま初めて、雲霧を払って、真の盟主を仰いだここちがする」
心からそう言った。
そこへ腹心の馬岱が、一箇の首級を齎して来た。すなわち漢中軍の軍監楊柏の首だった。
「もって、それがしの心証としてごらんください」
馬超はそれを玄徳に献じた。
こうして、葭萌関の守備も、いまは憂いも除かれたので、玄徳は最初のとおり霍峻と孟達の二将にあとの守りをまかせて、その余の軍勢すべてをひきい、ふたたび綿竹の城へ帰った。
綿竹へ着いた日も、ここは合戦で、蜀の劉晙、馬漢の二将がさかんに攻めている中だった。
にも
拘わらず、留守していた
黄忠や
雲は、常と変わらず出迎えに出たのみか、城中には、盛宴を張って、
「おめでとう存じます」と、玄徳に凱旋の賀をのべた。
そのうちに

雲が、
「ちょっと、中座いたします」
と、杯をおいて、城外へ出て行ったと思うと、やがて敵将馬漢と劉晙の首をひッさげて来て、
「賀宴のおさかなに」と披露した。
一堂の将はみな手をたたいた。馬超もこの中にいたので、
「ああ、さすがに英傑がいる」と、ひそかに舌をまいて愕きもし、また、こういう英雄たちの仲間に加わった自分の生きがいも大きくした。
そこで、馬超は、玄徳に向かって、
「御奉公の手始めに、私と、私の弟の馬岱と、ふたりして成都に赴き、劉璋に会って、張魯の野心を語り、また漢中の内情を告げ、劉皇叔の兵と戦うことの愚なることをよく説いてみたら――と思いますがどうでしょうか」と、進言した。
玄徳は、孔明に諮れという。孔明は、賛成した。そして教えた。
「もし劉璋が、君の言に服さなかったときは、こうこうし給え」と。
それから十数日の後。馬超と馬岱は、蜀の府城、成都門の壕ぎわに、駒をたてて、
「太守劉璋に、一言せん」と、呼ばわっていた。
城楼のはるかに、劉璋が立った。
馬超は、声を張って、
「公は、漢中の援けを待って、籠城しておられるのだろうが、百年お待ちになっても、張魯の援軍などは参りませんぞ」と、冒頭して、
「たとい、来たところで、それは蜀を救いに来るのでなく、蜀を横奪に来るのです。漢中の内情と、張魯一族の野望とは、公がお考えになっているようなものではない。現に、この馬超すら、彼等にあいそをつかし、楊柏を討って、劉玄徳に従ったほどです」とその経緯をことごとくはなした。
劉璋は、落胆のあまり、昏倒しかけた。侍臣にささえられて、楼台の内へかくれた様が、馬超と馬岱にも見えた。
ふたりは、馬を回して、城外に陣し、劉璋の返答を待っていた。
城中では、主戦派、籠城派、また和平派など幾つにもわかれて、二日二晩の評定に大論争がもつれていた。しかし結局は、玉砕か降伏か、その二つを出なかった。
二
この間にも、劉璋を見限って、城中を抜け出す投降者は続出していた。蜀郡の許靖までが城を踰えたと聞いて、劉璋は、
「成都も今が終わりか」と、一晩中、慟哭した。
あくる日、簡雍と名乗って、一輛の車が、城門の下へ来た。劉璋が門を開かせて、
「ともあれ迎えよ」というので、案内すると、簡雍は車のまま城中へ通ったのみか、ひどく尊大ぶって、迎えの将士を睥睨してゆくので、ひとりなお気概のある大将が、
「こらっ、ここをどこと心得る。蜀の本城に人はいないと思うかっ」
と、剣を抜いて、車上の者の鼻面へつきつけた。
簡雍はあわてて車から飛び降り、無礼をわびて、急に慇懃になった。
「先生のこれへ来られたのは何事ですか」
しかし劉璋は、彼を軽んじることなく、堂上に請じて、大賓の礼を執った。
「謹んで太守の賢慮を仰ぎ、蜀中の民を救わんがためです」
簡雍は、口を極めて、玄徳の人間を称え、その性は寛弘温雅、心をもって結べば、決して相害するような奸人ではないと告げた。
劉璋は、一晩、簡雍を泊めて、次の朝、翻然と悟ったもののごとく、印綬、文籍を簡雍に渡し、ともに城を出て降参の意を表した。
玄徳はみずから迎え立ち、劉璋の手をとって言った。
「私交としては、人情にうごかされるが、時の勢いと、公なる立場から、きのうまで、成都を攻め、今日、あなたの降を容れることとなった。かならず個人同志の情誼と、公人的な大義とを混同して、この玄徳を恨みたもうな」
玄徳の眼には、熱い涙すらみえたので、劉璋は、むしろ降伏の時を遅くしたことを、自身の罪と思ったほどであった。
成都の民は平和を謳歌した。香を焚き、花を剪って、道を清めた。玄徳と劉璋は、馬をならべて城中へ入った。
「蜀は、革まって新しい統治の下に、きょうをもって、その更生第一日とする。なお昨日にひとしい錯覚をいだいて、この一新に不平あるものは去れ」
府堂に上って、玄徳はこう宜言した。
蜀中の大将文官は、ほとんど階下に集まって、異存ない旨を誓ったが、ただ黄権と劉巴だけが、自邸に籠って、門を閉じたまま、ここに姿を見せていなかった。
「憎むべき反骨」
「なお異心あるにちがいない」
騒然と、その二人に対して、非難の声が起こったが、玄徳は、険悪な風気を予察して、
「もし私的に、二人へ危害を加えなどしたら、その者は大罪に処して、三族をも亡ぼすであろう」
と、かたく盲動を禁じた。
式が終わると、彼は自身足を運んで、劉巴の門前に立ち、また黄権の家の門にも立った。そして諄々と、時代の一転を説き、新政の意義を諭し、更に、これに逆行しようとする小さい反抗の、小我に過ぎないことを言い聞かせた。
「ああ、われ誤る」
と、まず黄権が出て、門外に額き、つづいて劉巴も恭順をちかった。
成都は収められた。こうして、蜀中は平定した。
孔明は、玄徳へすすめた。
「いまはもうよい時です。劉璋を荊州へお送りなさい」
「蜀の実権は、すでに劉璋にないのだから、あえて、遠くへ送る必要もないのでなかろうか。不愍に思われる」
「一国に二人の主なし。そんな婦人の仁に囚われてはいけません」
「......げにも」
玄徳はうなずいた。しかし彼としては、勇気を要した。
孔明がすべてを取り計らった。即ち劉璋を振威将軍に封じ、妻子一族をつれて、荊州へ赴くようにという令をくだしたのであった。
ここに劉璋は蜀を去って、荊州の南郡に移り、まったくその地位と所を更えて余生する身となった。
玄徳は次に、恩爵授与の大令を発した。譜代の大将部将幕賓はもちろん、降参の諸将にまでその封爵と行賞はあまねくゆきわたった。
三
封爵、栄進の恩に浴した将軍たちの名はいちいち挙げきれないが、玄徳は、この栄を留守の関羽に頒かつことも忘れなかった。
関羽のみでなく、その下にあって、よく後方を守ってくれた将士軽輩にいたるまで、恩典から洩れないようにした。そのために成都から黄金五百斤、銭五千万、錦一千匹を荊州へ送った。
なお、蜀中の窮民には、倉廩をひらいて施し、百姓の中の孝子や貞女を頌徳し、老人には寿米を恵むなど、善政を布いたので、蜀の民は、劉璋時代の悪政とひきくらべて、新政府の徳をたたえ、業を楽しみ、歓びあう声、家々に満ちた。
何にしても、蜀の国始まって以来の盈光が全土に漲った。新しい文化の光、人文の注入も、あずかって力がある。
「予は初めて、予の国をもった」
玄徳も万感を抱いたであろう。国ばかりでなく、このときほどまた、彼の左右に人物の集まったこともない。
軍師孔明。
盪寇将軍寿亭侯関羽。
征慮将軍新亭侯張飛。
鎮遠将軍
雲。
征西将軍黄忠。
揚武将軍魏延。
平西将軍都亭侯馬超。
そのほか。孫乾、簡雍、糜竺、糜芳、劉封、呉班、関平、周倉、廖化、馬良、馬謖、蔣琬、伊籍、汎々――などの中堅以外には、新たに玄徳に協力し、あるいは、戦後降参して、随身一味をちかった輩にて、
前将軍厳顔。
蜀郡太守法正。
掌軍中郎将董和。
長史許靖。
営中司馬龐義。
左将軍劉巴。
右将軍黄権。
などという錚々たる人物があるし、なお、呉懿、費観、彭義、卓膺、費詩、李厳、呉蘭、雷同、張翼、李恢、呂義、霍晙、鄧芝、孟達、楊洪あたりの人々でも、それぞれ有能な人材であり、まさに多士済々の盛観であった。
「自分が国を持ったからには、それらの将軍たちにも、田宅を頒け与えて、その妻子にまで、安住を得させたいが」
ある時、玄徳がこう意中をもらすと、

雲はそれに反対した。
「いけませんいけません。むかし秦の良臣は、匈奴の滅びざるうちは家を造らず、と言いました。蜀外一歩出れば、まだ凶乱を嘯く徒、諸州にみちている今です。何ぞわれら武門、いささかの功に安んじて、今、田宅を求めましょうか。天下の事ことごとく定まる後、初めて郷土に一炉を持ち、百姓とともに耕やすこそ身の楽しみ、また本望でなければなりません」
「
善い
哉、

雲の言」と、孔明もともに言った。
「蜀の民は、久しい悪政と、兵革の乱に、ひどく疲れています。いま田宅を彼等に返し、業を励ませば、たちまち賦税も軽しとし、国のために、いや国のためとも思わず、ただ孜々として稼ぎ働くことを無上の安楽といたしましょう。その帰結が国を強うすること申すまでもありません」
なおこの前後、孔明は、政堂に籠って、新しき蜀の憲法、民法、刑法を起草していた。
その条文は、極めて厳であったので、ある人が畏る畏る忠告した。
「せっかく蜀の民は今、仁政をよろこんでいる所ですから、漢中の皇祖のように法は三章に約し、寛大になすってはいかがですか」
孔明は笑って教えた。
「漢王は、その前時代の秦の商鞅が、苛政、暴法を布いて、民を苦しめたあとなので、いわゆる三章の寛仁な法をもって、まず民心を馴ずませたのだ。――前蜀の劉璋は、暗弱、紊政。ほとんど威もなく、法もなく、道もなく、かえって良民のあいだには、国家にきびしい法律と威厳のないことが、淋しくもあり悩みでもあったところだ。民が峻厳を求めるとき、為政者が甘言をなすほど愚なる政治はない。仁政と思うは間違いである」
四
孔明はなお言った。
「民に、恩を知らしめるは、政治の要諦であるが、恩に狎れるときは、民心が慢じてくる。民に慢心放縦の癖がついた時、これを正そうとして法令をにわかにすれば、弾圧を感じ、苛酷を誹り、上意下意、相もつれて熄まず、すなわち相剋して国はみだれ出す。――いま戦乱のあと、蜀の民は、生色をとりもどし、業についたばかりで、その更生の立ち際に、峻厳な法律を立てるのは、仁者の政でないようであるが、事実は反対であろう。すなわち、今ならば、民の心は、どんな規律に服しても、安心して生業を楽しめれば有り難いという自覚を持っているし、前の劉璋時代とちがって賞罰の制度が明らかになったのを知れば、国家に威厳が加わって来たものとして、むしろ安泰感を盛んにする。これ、民が恩を知るというものである。――家に慈母があっても、厳父なく、家の衰えみだれるを見る子は悲しむ。家に厳父あって、慈母は陰にひそみ、我儘や放埒ができなくとも、家訓よく行なわれ、家栄えるときは、その子等みな楽しむ。......一国の政法も、一家の家訓も、まず似たようなものではあるまいか」
「おそれ入りました。深いおこころも弁えず、無用なことを申し上げ、かえって、恥じ入りました」
法正は心から拝服して、以来、孔明を敬うこと数倍した。
数日の後、国令、軍法、刑法などの条令が布告され、西蜀四十一州にわたって、兵部が設けられた。内は民を守り、外は国防にあたり、再生の『蜀』はここに初めて国家の体をそなえた。
× × ×
千里の上流から、江を下って、漢中、西蜀あたりの情報はかなり迅く、呉へも聞こえて来る。
「玄徳はすでに成都を占領した」
「着々治安を正し、蜀中に新政を布告したという」
「もとの太守劉璋は、後方へ送られて、荊州の公安へ移って来たというではないか」
呉の諸臣は、政堂に会するたび、おたがいの早耳を交換していた。
一日、呉主孫権は、衆臣の中でこう言った。
「蜀の国を取れば、かならず荊州は呉へ返す。――これは玄徳が、かねがね呉に向かって、口癖に言っていた約束である。しかるに、今、蜀四十一州を取りながら、まだ何等の誠意も示して来ない。予の忍耐にもかぎりがある。いっその事、大軍をさしむけて、荊州をこっちへ収めてしまおうと考えるが、各々の所存はどうか」
すると、宿将張昭が、
「まだ、まだ」と、独り頭を振っていた。
孫権がみとめて、
「昭老はこの事に不同意であるか」と、問いかけた。
彼は、うなずいた。
「蜀、魏、呉の三国のうちで、いま最も恵まれている国は呉です。呉の位置です。国は安寧で、民は富を積み、兵は充分に英気を養っていられるところです。求めて大軍を起こすにあたりますまい」
「しかし、このままにしておいたらいつの日、荊州が呉に回るぞ」
「手を袖にして、荊州を取り返して御覧にいれましょう」
「そんな名案がある?」
「あります。――玄徳の恃みとする人物は諸葛孔明一人といっていいでしょう。その孔明の兄諸葛瑾は、久しく君に仕えて、呉にいるではありませんか。いま罪を称えて、彼を蜀へ使いに立て、もし荊州を還さなければ、孔明の兄たる筋をもって、この瑾を始め妻子一族は残らず斬罪に処されます――と彼に言わせてごらんなさい」
「なるほど。......孔明は情に悶え、玄徳は義理に悩もう。......その計は大いによい。――しかし瑾は、この孫権に仕えてからまだ一遍の落度すらない誠実な君子。なんでその妻子を獄に下せようか」
「いや。君のお旨を、よく申し聞かせ、計のためなりと、得心の上で、仮の獄舎へ移しておくなら、なんの碍げもないでしょう」
次の日、諸葛瑾は、君命をうけて、呉宮の内へ召されていた。
臨江亭会談
一
蜀の玄徳は、一日、やや狼狽の色を、眉にたたえながら、孔明を呼んで言った。
「先生の兄上が、蜀へ来たそうではないか」
「昨夜、客館に着いたそうです」
「まだ会わんのか」
「兄にせよ、呉の国使として参ったもの。孔明も蜀一国の臣。私に会うわけにはまいりません」
「何しに見えたのであろう」
「もとより荊州の問題でしょう」
孔明は、座へ寄って、玄徳の耳もとへ、何かささやいた。
「......そういうお気持ちで」
「......む、む。わかった」
玄徳はいささか眉をひらいた。
その晩、孔明はふいに、客舎にある兄を訪ねた。孔明に会うと、諸葛瑾は 声を放って、大いに哭いた。
「兄上。いったい、どうなすったのです」
「聞いてくれ。亮。わしの妻子一族はみな呉で投獄された」
「荊州を還さぬという問題をとらえてですか」
「そうじゃ。亮......察してくれよ」
「お気づかいには及びません。荊州さえ還せばみな獄から解かれましょう。兄上の妻子にまで御災難の及んでゆくのを、なんで孔明が坐視しておりましょう。君へ申しあげて、きっと荊州は呉へ還します」
「おお......そうしてくれるか」
諸葛瑾は、涙を喜色に更えて、弟に謝し、次の日ひそかに玄徳へ会った。そして、
「これは、呉侯からの御書簡ですが」
と、孫権からの一書を呈すると、玄徳はそれを披見して、たちまち色を作した。
諸葛瑾は、はっとした。側にいた孔明も、眼をみはった。玄徳の手にその書簡は引き裂かれ、その眸は、天の一方を見て、独り語にこう叫んだ。
「無礼なり孫権。――もとより荊州はいつか呉へ還さんとは思っていたが、汝、いたずらに小策を弄し、わが夫人を欺いて、呉へ呼び返すなど、玄徳の面目を無視し、夫婦の情を虐げ、いつかはこの恨みをと、骨髄に刻んでいた玄徳の心を知らないかっ。――むかし一荊州にありし時だに、汝ごときは物の数としていたわれでない。いわんや今、蜀四十一州を併せて、精兵数十万、肥馬無数、糧草は山野に蓄えて、国人みな時にあたるの覚悟をもつ。汝、いかに狡智を弄すとも、力をもって荊州を取ることを得んや」
胸中の憤怒を一時に吐いたような玄徳の激色に、ふたりは打たれたように一瞬沈黙していたが、そのうちに孔明が卒然と面を掩って哭きかなしんだ。
「もし兄上を始め、妻子一族まで、呉侯のために誅せられたら、孔明はどんな面をして、独り世に生き残っておられましょう......哀しいかな、この絆。ああ苦し、この事の処置」
仰いでは、涙を嚥み、伏しては肩を打ちふるわせた。
玄徳は、なお怒気忿々と、色を収めなかったが、次第に感情を抑制して、孔明の心も不愍と察しやるかのように、
「そう嘆かれては、予の胸もつらい。さりとて荊州は還し難し、軍師の悲嘆は黙し難し。......そうだ、ではこうしてつかわす。荊州のうち長沙、零陵、桂陽の三郡だけを呉へ還してくれる。それなら呉の面目も立ち、瑾の妻子も助けられよう」
「かたじけのう存じます」と孔明は拝謝し、また感激して、
「では、その趣を、御書簡に記して、兄上へおさずけ下さい。――兄上はそれを携えて荊州へ赴き、関羽と談合の上、移譲の手続きを運びましょうから」と、言った。
玄徳はすぐ書簡を書いて、瑾へ渡したが、
「予の義弟の関羽は、心性率直、情熱は烈火に似、われすらなお懼るるほどな男だから、衝突しないように、よく気をつけて語るがいいぞ」
と注意してやった。
諸葛瑾は、成都を去って山覊舟行数十日、荊州へ着くや、すぐ城を訪れて関羽に対面した。
二
関羽のそばには、養子の関平が侍立していた。
諸葛瑾は、玄徳の書簡を示して、さて、
「このたび荊州の内、三郡だけを呉へお還し給わることになりましたから、早速、その御手配をねがいたい」と、言った。
関羽は、うんもすんも言わない。瑾を睨めつけているのだ。瑾がかさねて、
「もし、将軍がお肯き入れなく、三郡すらお還し下さらぬときは、瑾の妻子はたちどころに誅せられ、私も呉へ帰る面目はありません。どうか、苦衷をお察しください」と、泣訴した。
関羽は、剣の柄を叩いて、
「ならんっ。断じて還さん。それはみな呉の計略というもの。ふたたび無用な口を開くと、この剣が答えるぞ」
と、大喝した。
関平は父をなだめた。
「この御方は孔明軍師の兄上です。およしなさい」
「知っておる。孔明の兄でもなければ、生かして帰すところじゃない」
と、関羽はなお恐ろしい形相を収めないのである。
諸葛瑾は、とりつくしまもなく、ここを去って再び蜀へもどり、玄徳へ訴えようとしたが、その玄徳は折から病中とあって典医が面会を許さず、弟の孔明に会おうとすれば、その孔明は郡県の巡察に出張して、しばらくは成都に帰るまいという。
千里の往来も空しい旅となって、瑾はぜひなく一応、呉へ帰って来た。呉主孫権は、それもこれもみな策士孔明のからくりにちがいないと、足ずりして怒ったが、
「さりとて、汝にも、汝の妻子にも罪があるわけではない」
と、仮に獄中へつないでおいた瑾の家族はみな家へ帰した。
孫権はまた、諸官吏を、荊州へ派して、
「すでに玄徳が還すといった長沙、零陵、桂陽の三郡は、臣下の関羽が、なんと拒もうと、正しく呉が接受すべきものである。強硬に交渉して、関羽の下の地方官吏を追い払い、汝らの手で郡の政庁を奪って代われ」
と、厳命した。
もちろん軍隊も付いて行った。しかしほど経てからそれらの官吏はみな逃げ帰って来た。反対に関羽の部下に追い払われて来たのだという。しかも軍隊などはほとんどひどい目に遭わされて、生きて帰って来た兵は三分の一しかなかった。
「とても、尋常一様な手段では荊州は還りますまい。私に御一任賜わるなら、遠く溯って、陸口(漢口の上流)の塞外、臨江亭に会宴をもうけ、一日、関羽を招いてよく談じ、もし肯かなければ、即座に彼を刺し殺してしまいますが......いかがでしょう、お任せ下さいますか」
これは魯粛の進言である。
呉中一といっても二と下らない賢臣の言だ。反対者もあったが、孫権はしかるべしと、その計を採用することに決し、
「いまを措いて、いつの日か荊州をわが手に取り還さん。はや行け」と、励ました。
船に兵を積み、表には、親睦の使と称えて、魯粛は、揚子江を遠く溯って行った。そして陸口城市の河港に近い風光明媚の地臨江亭に盛大な会宴の準備をしながら、一面、呂蒙だの甘寧などの大将に、「もし関羽が見えたときは、かくかくにして」と、すべての計をととのえていた。
臨江亭は湖北省にある。荊州はいうまでもなく湖南の対岸。――魯粛の使いは、舟行して江を渡った。しかもその使は、ことさら華やかに装い、従者に麗しい日傘を翳させて、いかにも悠暢に、会宴の招待にゆく使らしく櫓音も平和に漕いで行った。
彼はやがて、荊州の江口から城下に入り、謹んで、書を関羽に呈した。書面の内容はもとより魯粛の名文をもって礼を尽くし、蜜のごとき交情を叙べ、どうしても断われないように書いてあった。
三
「参る。よろしく言ってくれ」
簡単に承諾して、関羽は使いを返した。
関平は驚いた。かつ危ぶんで、父に諫めた。
「魯粛は、呉でも、長者の風のある人物とは聞いていますが、時局がこんな場合、いかなる陥穽を構えているか知れたものではありません。千鈞の重き御身を、そう軽々にうごかし遊ばすのは、いかがと思いますが」
「案じるな」
関羽はあくまで簡単に言う。
「供は、周倉一名をつれて行く。そちは精兵五百人に快舟二十艘をそろえ、こなたの岸に遠く控えておれ。――そしてもし父がかなたの岸で旗をあげて招くのを見たら、初めて船を飛ばして馳せつけて来い」
「かしこまりました」
関平は、父の命に従うしかなかった。
その日になると、関羽は、緑の戦袍を着、盛冠花鬢、一際装って小舟にのった。供の周倉は、面は蛟のごとく青く、唇は牙をあらわし、腕は千斤も吊るべしと思われる鉄色の肌をしている。その周倉が、桃園の義盟以来、関羽が常に離すことなき八十二斤の青龍刀を持って、主人のうしろに控えていた。
また、小舟には、紅の旗を一すじ立てていた。「関」の一大文字が書いてある。江風はゆるやかに波は凪いで舟中の関羽は眠くなりそうな眼をしていた。
「......や、ひとりで来る」
「あれが関羽か?」
対岸では、呉の人々が、眩しげに手を翳し合っていた。てッきり関羽は、大勢の兵をつれて来るだろう。――そう予期していたものらしい。もし大兵を連れて来たら、鉄砲を合図に、呂蒙と甘寧の二軍でふくろ包みにしてしまおう。これが、魯粛の備えておいた、第一段の計であった。
ところが案に相違して、関羽は常にもなく華やかに装い、供ひとりを従えて来たので、
「さらば、第二段の計で」
と、はやくも眼くばせを交わし合っていた。
会場臨江亭の庭後には、屈強な武士ばかり五十人を伏せて、ここへ関羽を迎えたのである。もちろん沿道の林間、園内随所の林泉の陰にも、雑兵は充満している。ひとたびここへ入ったからには、天魔鬼神でも生きて出ることはできないようになっている。とはいえもちろん客の視野には、一すじの素槍の光だに、眼に触れないように隠してあった。
亭は花や珍器に飾られ
蔭しきりに美鳥が
啼いていた。はるばる呉から
舶載して来た南方の
美味薫醸は、どんな貴賓を饗するにも恥ずかしいものではなかった。
魯粛は、拝伏して、関羽を上賓の席に請じ、さて、酒をすすめ、歌妓楽女をして、歓待させたが、話になると、眸を伏せた。関羽の眼をどうしても正視できなかった。
しかし酒半酣のころ、やや打ち寛いだ態を仕向けて言った。
「将軍もよく御存じでしょう。むかし荊州の問題で、呉侯の命をうけ、たびたび劉皇叔の御許へ、交渉の使いにまいりましたが、いやはや、えらい目に遭いました。あればかりは忘れられませんよ」
「どうしてです」
「すっかり翻弄されたようなものでしたからね」
「そんな事はないでしょう。わが主劉皇叔はかりそめにも信義には背かないお方です」
「けれどついに、今もって荊州はお返しして下さらないではありませんか」
「あはははは」
「笑い事ではありません。ために、呉侯からこの問題に就いて使を命じられたものはみな実に面目を欠いています。――やがて蜀四十一州を取ったら返すなどと宣いながら、いま蜀をお手に入れても実行なさらず、わずかに荊州の内三郡だけを返すと言われたかと思えば、羽将軍が妨げて、故意にそれすらお返しなさらない」
「考えてもごらんなさい。わが皇叔以下、われわれ臣下は、かの烏林の激戦に、みな命を抛ち矢石を冒して、血をもって奪った地ではないか。地下の白骨に対してもそうおいそれと他国へ譲れるものかどうか。――もし足下がわれらの立場としたらどうでしょう」
「待って下さい。......過去をいうならば、かの当陽の戦に、将軍たちを始め皇叔一族も、惨澹たる敗北をとげ、帰るに国もなく、拠るに味方もなく、百計尽き果てたところを助けてあげたのは、どこのだれでしたろう、呉の恩ではなかったでしょうか」
四
魯粛も呉の大才である。こう口を開いて、この会談の目的にふれて来ると、その舌鋒は、相手の急所をつかんで離さなかった。
「いや、恩着せがましく申しては、御不快かも知れぬが、あの折、敗亡遁竄の果て、御一身を容るる所もなき皇叔に、愍れみをかけた御方は、天下わが主おひとりであった。後なお、莫大な国費と軍馬を賭して、曹操を赤壁に破ったればこそ、皇叔にも、ふたたび時に遭うことができたというもの。――しかるに、蜀も取りながら、まだ荊州をお返しなきは、いわゆる飽くなき貪慾、凡下だに恥ずる所業と言われても仕方がありますまい。ましてや人の師表に立つ御方ではないか。将軍はどうお考えになりますか」
「............」
理の当然に、関羽も答えにつまって、頭を垂れていたが、なお、急所を押されると、苦しまぎれに、
「家兄の皇叔には、べつに正当な御意見があることでしょう。それがしの与り知ることではない」
と、言いのがれた。
魯粛はすかさず、なお語気に攻勢を取って、
「皇叔とあなたは、むかし桃園に義をむすんで、心もひとつぞ、生死も共にと、お誓い合った仲と承る。なんで、与り知らぬで世間が通しましょうぞ」と、たたみかけた。
すると、関羽の側に立っていた周倉が、主人の旗色悪しと視たので、突然、
「天上地下、ただ徳ある者が、これを保ち、これを政するは、豈、荊州を領する者、汝の主孫権でなくてはならぬという法があろうかっ」
家鳴りするような声でどなった。
はっと、色を変じながら、関羽は席から突っ立った。そして周倉に持たせておいた偃月の青龍刀を引っ奪くるように取ると、
「周倉、だまれっ。これは国家の重大事である。汝ごときが、みだりに舌をうごかすところではない!」と、叱りつけた。
騒然と、亭中が色めき立った。関羽がやにわに巨腕を伸ばして、魯粛の臂を摑んで歩き出したのみでなく、周倉が亭の欄まで走って、そこから江上へ向かって、しきりに、赤い旗を振ったのを見たからである。
「さあ、来給え」
関羽は、大酔したふうを装いながら、次第に大股を加え、
「すくなくも一国の大事を、軽々と酒間に談じるのは、よろしくない。かつははなはだしく久闊の情をやぶり、せっかくの酒興を傷つける。御返礼には、他日また、それがしが湖南に一会を設けて御招待するが、きょうはひとまずお別れとしよう。酔客のために、江岸の舟まで送って来給え」
人々が、あれよと立ち躁ぐ間に、もう亭を降り、園を抜け、門外へ出ていた。魯粛の肥えた体も、関羽の手にはまるで小児を提げて行くようであった。
魯粛は、酒もさめ果て、生きた空もない。耳のそばを、ぶんぶん風が鳴ったと思うと、たちまち、江岸の波打ち際が見えた。
ここには呂蒙と甘寧とが、大兵を伏せて、関羽を討ち漏らさじと鉄桶の構えを備えていたのであるが、関羽の右手に、見る眼も眩むばかりな大反りの偃月刀が持たれている事と、また片手に魯粛が摑まれているのを見て、
「待て」
「迂闊に出るな」
と、制し合っていた。
そのまに、周倉が寄せた小舟へ、関羽はひらりと飛び乗ってしまった。そして初めて、魯粛を岸へ突っ放し、
「おさらば」
と、一語、岸を離れてしまった。
甘寧、呂蒙の兵が、弓をならべて、矢を江上へ射ったが、一舟は悠々帆を張って、順風を負いながら、対岸から出迎えに来た数十艘の快舟のうちへ伍して去った。
交渉、ここに破れ、国交の断絶は、すでに避け難い。
魯粛のつぶさな書状を捧じて、早馬は呉の秣陵へ急ぎに急ぐ。
呉の国都には、これと同時に、べつな方面から魏の曹操が、三十万の大軍をもって、南下しつつあるという飛報が入っていた。
冬 葉 啾 啾
一
魏の大軍が呉へ押し
襲せて来るとの飛報は、

だけにとどまった。
噓でもなかったが、早耳の誤報だったのである。
この冬を期して、曹操が宿望の呉国討伐を果たそうとしたのは事実で、すでに南下の大部隊を編制し、各部の諸大将の任命も内々決定していたのであるが、参軍の傅幹という者が、長文の上書をして、
一、今はその時でない事
一、漢中の張魯、蜀の玄徳などの動向の重大性
一、呉の新城秣陵の堅固と長江戦の至難
一、魏の内政拡充と臨戦態勢の整備
等の項目にわたって諫言したので、曹操も思い直して出動を見あわせ、しばらくはなお、内政文治にもっぱら意をそそぐこととした。
新たに、文部の制を設け、諸所に学校を建てて、教学振興を計った。
彼がこうして少し、善政を布くと、すぐそれを誇大に称えて、お太鼓をたたく連中もできてくる。
宮中の侍郎王粲、和洽、杜襲などという軽薄輩で、
「曹丞相はもう魏王の位に即かるべきだ。魏王になられたところで、何のふしぎもない」
と、運動をしはじめた。
うわさを聞いて、荀攸が固く止めた。さすがに曹操を扶けて来た賢臣である。お太鼓連をたしなめてこう言った。
「さきに九錫の栄をうけて、魏公の金璽を持たれたのは、いわゆる人臣の位を極めたというもの。その上なお、魏王の位に進まれたら、俗にいう、天井を衝いて、人心の反映は、決して、曹丞相によい結果は齎さないでしょう。あなた方にしても、それでは贔屓のひき倒しということになろう」
これが人伝てに、曹操の耳へ入ったのである。もちろんその間に、ためにする者の肚も入っているから、曹操は非常な不快を感じた。
「荀攸もまた、荀彧に倣おうとするのか。ばかなやつだ」
非常に立腹して、そう罵ったと聞こえたから、それをまた、人伝てに耳にした荀攸は、いたく気に病んで、門を閉じて自ら謹慎したままついに、その冬、病死してしまった。
「五十八歳で世を去ったか。......彼も功臣のひとりだったが」
死んでみると、曹操は、痛惜にたえないように呟いて、盛んな葬祭を執り行なった。
で、魏王に即く問題は、しばらく
沙汰止みになっていたが、この事は、宮廷の
諫議郎
儼から、帝の御耳へも入っていた。
「......

儼が、市へ
曳き出されて、
斬られたそうです。おそろしい曹操」
玉座へこう告げに来た。
帝も、玉体を震わせ給うて、
「つい今朝までも、禁裡に仕えていたものが、夕べにはもう市で命を失うていたか。朕も后も、いつかは同じ運命に遭うであろう。曹操の増上慢が極まることを知らない限りは」
幽宮の秘窓に、おふたりの涙は渇かなかった。事実曹操の威と、許都の強大が、旺んになればなるほど、朝廷の式微は、反比例に衰えを増し、ここに献帝のおわすことすら魏の官民は忘れているようだった。
「こうして朝夕、針の莚にあえなく生きているよりは、わたくしの父伏完に、御決意のほどを、そっと御降しあれば、父はきっと、曹操を刺す謀をめぐらしましょう......。穆順なれば確かです。あれをお遣わし遊ばしませ」
伏皇后は、ついに思いきって帝の御意をこう動かした。
もとより献帝の御隠忍は年久しいことだったので、胸中の埋み火は、たちまち、理性の灰を除いてしまった。厳しい監視の眼をしのんで秘勅の一文を認められた。
これを穆順という一朝臣にあずけて、そっと、伏皇后の父君にあたる伏完のやしきへ持たせてやったのである。忠節無二な穆順は、御詔書を、髻の中にかくして、この命がけの使いに、一夜禁門から出て行った。
二
朝臣のうちにも、曹操のまわし者たるいわゆる「視る目嗅ぐ鼻」はたくさん居る。
すぐ密告して、曹操の耳へこう伝えた者がある。
「何かそそくさした様子で、穆順が内裏を出て、伏完の宅へ使いに行ったようです」
勘のよい曹操には、すぐ何かぴんと響くものがあったに違いない。彼は、わずかな武士を伴れて、自身、内裏の門に佇み、穆順がもどって来るのを待っていた。
もう深更だった。
穆順は何も知らずに、帰って来た。門の衛士には、出るとき賄賂をやってある。あたりに人影はない。すたすたと内裏の門へさしかかった。
「待て待て」
ふいに物蔭から呼び止める声がした。ふと横を見れば、曹操が立っているのだ。穆順はゾッとして毛孔をよだてた。
「どこへ参った」
「は。......はい」
「はいではない。返辞を求めるのだ。今ごろ、どこへ使いに出たか」
「実はその、御后さまが、夕刻からにわかに御腹痛をお催しあそばしたので、てまえに医師をつれて来いとの仰せに、医師を求めに参りました」
「うそをつけ」
「いえ。ほ、ほんとです」
「宮中にも典医はおる。なにしに市へ医を捜しにゆく要があろう。ほかの医者だろう、汝が、求めに行ったのは」
闇の方へさしまねいて、武士たちを呼び、「こいつの体を検めろ」と、曹操は命じた。
武士たちは、穆順の衣服を剝いで、足の先まで調べたが、一物も出ないので、科めるかどもなく、ついに、彼を放した。
虎の口をのがれたように、穆順は衣服を着直すとすぐ走りかけた。
すると、頭に被っていた帽子が、夜風に落ちた。
あわてて拾いかけると、
「こらっ、待て」
曹操は、自分でその帽子を取って、仔細に検めた。
帽子の中からも、何も出なかった。汚ない物を捨てるように、
「行け」
と、投げ返してやると、穆順は、両手に受けて、真っ蒼になった顔の上に、それを被った。
「いやいや、まだ行くな」
曹操は、三度呼びとめた。そして今度は、穆順が被り直した帽子を引きちぎって、その下の髻を、髪の根まで搔き分けた。
「果たして!」
曹操は舌を鳴らした。一通の紙片があらわれたのだ。細字が綿密に書いてある。伏完の筆蹟で、むすめの伏皇后にあてたものであった。
――こよい密かな内詔を拝して涙にくれた。何事も時節であるから、もうしばらく時を待つがよい。自分には期するところがある。遠き慮りをもって、蜀の玄徳と語らい、漢中の張魯を誘い、魏へ侵略の鉾を向けしむれば、曹操はかならず国外へ出て、兵事政策もすべて一方へ傾く。その虚を計って、内に密々同志を結び、一挙に大義を唱えて大事を成すならば、きっと成功を見るは疑いもない。帝の御宸襟もそのときには安んじ奉ることができよう。それまではかならず人に色を気どられ給うな。
文意はあらまし右のようなものだった。怒りの極度というものはかえって氷塊のごとく冷ややかである。曹操は一笑をたたえて、伏完の返簡を袖に納めると、「そいつを拷問にかけろ」と、命じて、府へ立ち帰った。
夜明けごろ、獄吏が、階下にひざまずいて、
「穆順を拷問にかけて、夜どおし責めましたが、一言も吐きません」
と、吟味に疲れた態で言った。
一方、伏完の宅を襲った兵たちは、帝の内詔を発見して持って来た。曹操は冷然と、武将に命をさずけた。
「伏完以下、彼の三族を召し捕って、獄につなげ。縁故の者は一名も余すな」
更に、御林将軍の郄慮に命じては、内裏へ入って、皇后の璽綬を奪りあげ、平人に落として罪をあきらかにせよと言った。
三
「魏公の命だ――」
ということは彼等にとって絶対だった。世はまさに逆しまである。鎧うた御林の兵(近衛軍)は大将の郄慮を先頭に禁園犯すべからざる所まで、無造作になだれこんで行った。
折ふし、帝は外殿に出御しておられたが、物音に愕かれて、
「何事ぞ」と、侍従たちを顧みられた。
郄慮が、ずかずかとそこへ来た。そして無礼極まる態度をもって、
「仔細これ有り、今日、魏公曹操のお旨により、皇后の璽綬を奪り収めらる。さようお心得ください」と、言った。
愕然、帝は色を失われた。
「さては」と、早くもお胸のうちに、穆順の捕らわれたことを覚られたからである。
すでに内裏の方ではただならぬ震動のうちに女官たちの悲鳴がながれていた。土足で後宮を馳けまわる暴兵たちは、口々に、
「皇后はどこへ隠れたか」と、罵り罵り捜していた。
伏皇后は、いちはやく、宮女に扶けられて、内裏の朱庫の内へかくれておられた。ここには二重壁があって、壁の中へ身を塗り蔵してしまう仕掛けがしてあった。
郄慮も来て、
「この中が怪しい。尚書令の華歆を呼んで来い」
と、協力をうながし、共に朱庫の

を破って、内部へおどりこんだ。
けれどもここにも見えなかった。郄慮は外へ戻ろうとしたが、尚書令はその職掌がらこの構造を知っているので、剣を抜いて壁を切り開いた。たちまち壁は鮮血を噴き、その中から伏皇后には悲鳴をあげて転び出られた。
忌むべし、
眼を

うべし。朝廷とか臣道とかの文字はあっても、自ら『道の国』と称しても、ひとたび
覇者の自我が振うときはこの国にはこんな非道が平然と行なわれたのであった。華歆は、后の黒髪をつかんで
曳きすえ、后が、
「助けよ」と、呼ばると、華歆は、
「直接、魏公に会って哭け」とばかり取り合わなかった。そして素足のまま引っ立てて、曹操のまえに連れてゆくと、曹操は、はッと后を睨みつけて、
「われかつて、汝を殺さざるに、かえって、汝われを殺さんと謀る。この結果は、いまに思い知らしてやる」
と、言った。そして、武士に命じて、鞭や棒で乱打を加えたから、皇后はもだえ苦しみながらついに息絶えてしまった。
その悲鳴や曹操の罵る声は、外殿の廊まで聞こえて来たほどだった。帝は御髪をつかみ、身を慄わせて、天へ叫び、地へ昏絶された。
「こんな事が、天日の下に、あってもいいものか、この地上は、人間の世か、獣の世か」
血も吐かんばかりな有様に、郄慮は武士の手を借りて、むりやりに帝を抱えまいらせ、秘宮のうちへ閉じ籠めた。
曹操は、毒に酔える人みたいに、もうどんな事でも平然とやって退けた。伏完の一門から穆順の一族縁類の端まで、総計二百何十人という男女老幼を、この日たった半日のまに残らず捕らえて、宮衙門の街辻で、首斬ってしまった。
とき建安十九年十一月の冬、天もかなしむか、曇暗許都の昼を閉じ、枯れ葉の啾々と御林に哭いて、幾日も幾日も衙門の冷霜は解けなかった。
「陛下。承れば供御の物も、連日お召りにならない由ですが、どうかもう宸襟を安んじていただきたい。臣も、なにとてこれ以上、情けのない業をしましょう。本来、無情は曹操の好んでする事ではないのですが、ああいう問題が表面化しては、捨ておくわけには参らないではありませんか」
曹操は、一日、朝へ出て、幽愁そのものの裡に閉じ籠っておられる帝へ奏した。
そしてまた、自身の女を、強いて皇后にすすめ参らせた。帝も拒むお力はなく、彼の言に従われて、ついに翌春の正月、晴れて曹操の一女は、宮中に入り、皇后の位に即いた。当然、それとともに曹操もまた、国舅という容易ならぬ身分を加えた。
漢 中 併 呑
一
(――急に、魏公が、あなたと夏侯惇のおふたりに内内密議を諮りたいとのお旨である。すぐ府堂までお越しありたい)
賈詡からこういう手紙が来た。使いをうけたのは、曹操の一族、曹仁である。
「なんだろう?」
曹仁は、洛中の邸から、すぐ内府へ急いだ。
ここの政庁の府でも、曹仁は魏公の一門に連なる身なので、肩で風を切るような態度で、どこの門も大威張りで通った。
すると、曹操の居る中堂の入り口まで来ると、
「こらっ、待て」と、何者かに誰何された。
見ると、許褚が、狛犬のように、剣をつかんで、番に立っている。咎めるのはもちろん彼である。
「なんだ、許褚」
「なんだではない。閣下には、どこへお通りあるつもりか」
「魏公にお目にかかりに来たのだ。わしの顔を知らぬ貴様でもあるまいに、なんで咎めるか」
「魏公にはただ今、お昼寝中である。通ってはならん」
「余人なら知らぬこと、わしが通るに、なんでさしつかえがあろう。お昼寝中でもかまわん」
「いや、いかん」
「何だ。上官に対して。――おれは魏公の肉親だぞ」
「たとい、どれほど親しい御方であろうと、断じて、君のおゆるしを仰がぬうちは御身辺へ寄せることは相成らぬ。許褚、身は微賤なりとはいえ、君の内侍を承り、御身辺の警固を仰せつけられて、ここに在るからには、その職権をもって、固く拒む。......魏公がお目醒め遊ばしたら、内意を伺って、御案内する。それまでは外でお控えなさい」
どうしても通さない。頑として曹仁を入れなかった。
やむなく、待っているうちに、ようやく曹操は昼寝から起きたとある。曹仁はやっと通されて、魏公に会うと、
「いや、きょうはひどい目に遭った。許褚というやつは、実に頑固な男ですな」
と、ありのまま話した。曹操は聞くと、
「それは、虎侯(許褚)らしい。彼のような男がいればこそ、予も枕を高くして臥すことができる」と、かえって、彼の忠誠を大いに賞めた。
間もなく、夏侯惇も来た。賈詡も顔を出した。
「ほかではないが」と、曹操は、三名を

えてから、きょうの用向きを語り出した。
「近ごろ、よくよく考えると、どうも蜀をあのまま放っておくのは、将来の大患だと思う。何とか、いまの内に、玄徳を蜀から切り離す方法はないだろうか」
夏侯惇がすぐ答えた。
「それを
為すには、まず問題は、漢中ということになるでしょう。漢中は
西蜀の

のようなものですから」
「大きにそうだが、漢中の状況はどうだ」
「いまならば、一鼓して打ち破れましょう。漢中には、どこといって、支持する国がほかにありませんから」
「では、西征の大旅団を、至急編成して、まず張魯を討つとするか」
「あそこを取れば蜀の兵は、

の口を封じられた糧倉の
鼠みたいなもので、中で
居
いをつづけていても、その運命は知れたものです」
それは賈詡の言だった。
漢中は、まもなく、騒動した。なかんずく、張魯とその一門は、連日、軍議に追われた。
「――魏の大軍が、三手にわかれて来るとある。一手は夏侯惇、一手は曹仁、一手は夏侯淵と張郃。そして曹操は自身、その中軍にあるという」
「どうして防ぐか」
「まず、漢中第一の嶮要、陽平関を中心に、守るしかあるまい」
張衛を大将に、楊昂、楊任など、続々、漢中から前線へ発した。
陽平関は、その左右の山脈に森林を擁し、長い裾野には、諸所に嶮岨もあり、一望雄大な戦場たるにふさわしかった。
関を距つこと十五里。すでに魏の西征軍の先鋒は、陣地を構築しはじめていた。
二
この陽平関の序戦では、魏の先鋒が、大敗を喫した。
敗因は、魏の兵が地勢に暗かった事と、漢中軍がよく奇襲を計って、魏の先陣を、各所で寸断し、その孤立した軍を捉えては殲滅を加えるという戦法に出たことが、奏功したものと見えた。
「若い若い。汝らの攻撃を見ていると、まだまるで児戯にひとしい」
曹操は、自己の中軍へ、前線からなだれ打って逃げて来た先鋒の醜態に怒って、その大将夏侯淵と張郃にそう言った。
そして自身、先陣を編制し、許褚と徐晃を従えて、一高地へ上った。
陽平関の敵が見える。曹操は鞭をさして、
「あれが張衛の陣か、ほどの知れた布陣、何ほどの事があろう」と、言った。
そのことばと同時に、背後の一山から、驟雨のように矢が飛んで来た。愕いて急に振りかえると、敵の楊昂、楊任、楊平などの旗じるしが、攻め鼓に士気を振って、
「網中の大鵬を逃がすな」と、麓の退路を断ちにかかった。
この日から次の日の戦争にかけて、魏軍はまたしても莫大な兵を損じた。三日目にも挽回がつかず、曹操も苦戦に陥ちて、万死のうち一生を拾って逃げ帰ったほどである。
陣を七十里ほど退いて、対峙すること五十余日、曹操も、容易に抜き難いことを覚ったか、
「ひとまず許都へ還って、更に出直そう」
と、布令た。
一夜のうちに、魏の旌旗は、忽然と搔き消えた。漢中軍の帷幕では、
「いまこそ退く魏兵を追って、徹底的に殲滅すべし」
となす楊昂の説と、
「いやいや、曹操は謀計の多い人物だ。うかとは追えない」
という楊任の説とが対立していたが、結局、楊昂は我説を張って、ついに、五寨の軍馬を挙げて、追撃に出てしまった。
漢中の破滅はこれが重大な一因を成した。せっかくこれまで勝ち続けていたものを、曹操の計に乗って一遍に無にしたものであった。
なぜならば、その日、霧風といって、大陸的な気流の烈しい中に、咫石もわかたぬほど濃霧がたちこめていたのである。楊昂の軍勢が出た夕方、
「開門っ、開門っ」
と、陽平関の下で、軍馬がひしめき叫ぶので、必定、味方が帰ったものと考え、門をひらくと共に、何ぞはからん、魏の夏侯淵が三千の精鋭をつれて、どっと突き入って来たのだった。
奇襲好きな漢中軍へ、こんどは逆手を取って、奇襲したものである。魏兵は城内へ混み入るなり八方へ火を放けた。夜に入るし、留守は手薄であったため、焰の城頭たかく、たちまち、魏の旗が立てられてしまった。
総司令の張衛は、いち早く、南鄭(陝西省・漢中の一部)へ逃げ落ちてしまい、楊昂は、後方の火の手に愕いて、追撃を止め、あわてて引っ返して来るとその途中、
「待っていた」とばかり隠れていた許褚の手勢に捕捉されて、完膚なきまでに粉砕され、楊昂自身も、あえなく屍を野にさらしてしまった。
残る楊任も、張衛のあとを追って南鄭関へと逃げのびて行ったが、この惨めな敗戦に、漢中の張魯は激怒して、
「それ以上、退く者は、即座に首を刎ねる」
と、厳重な督戦令を出した。そのため楊任は、ふたたび陽平関さして、戦いに帰って行ったが、途中、猛進して来た夏侯淵と出会って、これもまたあえなく路傍に戦死してしまった。
曹操の大軍は、切りひらく先鋒の快足につづいて、陽平関を抜き、続いて、南鄭関まで一息に来てしまった。
漢中の府は、すでに指呼のあいだにある、張魯は、事態の重大に、震えあがって、
「いまや存亡の最後に迫った。だれかこの危急に当たって、漢中を救うものはないか」
と、文武の百官に大呼した。
「それは龐徳しかありますまい。馬超がこの国へ連れて来たあの龐徳、字を令明というあの人物しかありません」
漢中の一将、閻圃はさけんだ。
三
「馬超はすでにこの国に居ないのに、馬超の一族の龐徳だけが、どうしてひとり漢中に残っているのか」
人々の中では、いぶかる者もあったが、張魯はもちろん知っていた。
馬超が、蜀の
葭萌関へ
征くとき、龐徳だけは、病のために、行を共にしなかったのである。その後、病も

えて、近ごろは元気だとも聞いている。
「なるほど、彼ならば!」
と、張魯は膝を打って、閻圃の進言を容れ、すぐ呼びにやった。
龐徳は、これへ来て、重大な命をうけるや、
「この国へ来て、一日の恩養をこうむる以上、この国の難を傍観して居ては義に反く」
と、一言のもとに伏して、張魯の手から将旗を受領し、兵一万余騎を併せうけて、直ちに前線へ赴いた。
――龐徳来る!
と、聞くと曹操は、
「彼は、西涼の勇将でまた、馬超の股肱であった者。何とかして手捕りになし、魏の味方にしたいものだ。各々その心得あれよ」と、全軍の諸将へ内示した。
「さらば彼を気労れさせん」と、諸軍はもっぱら神経戦をたくらんで、一番二番三番四番――と数段に備えを立て、いわゆる車掛かりとなって、順番に接戦してはたちまち退き、また新手が出てはすぐ次へ代わる――という戦法を取った。
しかし龐徳は疲れない。なかんずく、この間にさえ、許褚と馬を馳け合わせ、烈戦五十余合に及んで、勝負なしに引き分かれながら、なお余裕綽々として、次の備えに当たっていた。
「さすがは、西涼の龐徳。近ごろ見ない絶倫な武芸者だ」
敵ながら天晴なと、魏の全軍中で、大きな評判になった。
「さもあらん」と、曹操も北叟笑んで、あだかも森林の中で、美しい小禽でも追い廻している少年のような心理に似て、
「何とか、生け捕れんか」と、爪を嚙んだ。
賈詡が一計をさずけた。
そのせいか、翌る日の戦では、魏軍は崩れ立って、十数里退いた。
龐徳は魏の陣屋を占領したが、いつになく敵の勢に手ごたえがないので、決して油断はしていない。
果たせるかな、その夜半、魏の大軍が四方から起こって来た。龐徳は、「その策には乗らぬ」とばかり、鮮やかに、南鄭城内へ引き揚げた。
占領した陣屋には、たくさんな兵糧や軍需品があったので、それらの鹵獲品はみな先に城内へ搬入させ、漢中の張魯へは、
「莫大なる戦利品を獲、かつ曹操の一陣営を占領す」
と、吉報を知らせておいた。
ところが、この戦利品搬入の雑軍の中に、魏の間諜が変装して混じっていたものとみえ、城内に住む楊松の邸へ、その男がそっと訪ねて来た。
「てまえは、魏公曹操の腹心の者ですが――」と、男は怯みもなく正面を切って、さて、自分の肌に着けて来た黄金の「心当て」と、曹操直筆の書簡とを取り出して、
「まず、御一覧ください」と、言った。
楊松は漢中の重臣だが、つねに賄賂を好み、悪辣な貪慾家としては有名な者だったから、黄金の「心当て」を見るとまず眼を細めて、(......ほう。大した物)と、垂涎せんばかりな顔いろを示した。
のみならず曹操の文には、彼が夢想もしなかった恩爵の好餌をもって、裏切りをすすめてある。
「よろしい。畏まった」
一も二もなく、楊松は、内応を約した。
彼は、漢中へ行って、すぐ張魯へ讒言を呈した――すなわち龐徳の行動をである。
「馬超の身内は、やはり馬超の身内でしかありません。彼は本気で戦っていないのです。折角、魏の陣屋を占領しながら、たちまち、それを敵に返し、態よく南鄭城へ引っこんでいるという調子です。察するところ、曹操と内通しているかも知れません。ひとつお調べになる必要がありましょう」
張魯はこの佞弁にのせられて、すぐ龐徳を呼び返した。
四
何事かと、取るものも取りあえず帰ってみると、張魯は、龐徳のすがたを見るや否や、
「この忘恩の徒め。よくも曹操と内通して、わが軍を売ったな」
と、思いもよらぬ怒り方で、果ては首を刎ねんと罵った。
「まず、まず、そうお怒り遊ばしては、実も蓋もありません。一応、龐徳の陳弁を聞いて、身の潔白を称えるなら、再度、功を立てさせてみたらいかがなものでしょう」
これは、傍らに在った閻圃のとりなしであった。
結局、張魯は、閻圃の諫めに従って、
「――では、一命をあずけおくが、再び前線へ出て、大功を立てぬときは、必ず軍律に照らして、その首を陣門に梟けるであろう事を、よく胸に銘記しておけよ」
と、ひとまず宥した。
龐徳の胸中には察すべきものがある。彼は、怏々と楽しまぬものを抱いて、ぜひなく再び戦場へ出た。
「辛いかな一日の恩!」
彼は、あえて無謀な戦闘へ突入した。悲壮な自滅を覚悟したものとみえる。単騎、敵陣へ深く斬り入って帰ろうとしなかった。
そのとき一つの丘の上に、曹操のすがたが見えた。曹操は、そこから呼びかけた。
「龐徳龐徳。どうして急に犬死にを焦るか。なんで我に降伏して大丈夫の生命を完うしようと思わないのだ」
「なにを!」
龐徳は、丘へ向かって、馬を躍らせた。まさしく、またなき死出の道づれと眼をつけたものであろう。
しかるに、彼は忽然と、丘のふもとで、その影を地上から失ってしまった。深さ二十尺もある陥穽の底へ、馬もろとも落ちてしまったのである。
美禽はついに曹操の籠に入ったのだ。龐徳は、降伏して、その日から曹操の一臣に列した。
――伝え聞いた張魯は、
「楊松の言ったとおりだ」と、いよいよ楊松を信頼して、何事も彼に諮ったが、もう南鄭も落城し、漢中市街は、曹軍の鉄環につつまれんとしていた。
すでに外郭の防禦も抛棄して、味方は四散し出したと知ると、張魯の弟の張衛は、
「全市全城を焼き払おう」と、焦土戦術を主張し、楊松は反対して、
「すみやかに降伏し給え」と、無血譲渡をすすめた。
張魯は、顚倒の中にも、
「国財は、民の膏血から産まれた国家の物である。私にこれを焼棄するは、天を怖れぬものだ」
と、よく事理を分別して、城内の財宝倉廩に、ことごとく封を施し、一門の老幼をつれて、その夜二更のころ、南門から落ちのびた。
占領後、曹操は、
「官庫の財宝を封印して、兵火や掠奪から救い、そのまま、次代の司権者に渡すとなした張魯の行ないは、けだし張魯一代の善行といえよう。神妙な仕方というべきだ」
人を巴中に派して、もし降参するなら、一族は保護してやろうと言い送った。
楊松は、すすめたが、張衛は何としてもきかない。勝ち目のない抗戦をつづけ、我から求めて討ち死にしてしまった。
残敵を掃蕩しながら、曹操が巴中へ出馬して来たおりに、張魯は城を出て、ついにその馬前に拝伏した。
もちろん楊松が側についていた。楊松は内心、自分の功を、非常に高く評価している顔つきである。
それには眼もくれず、曹操は馬を降って、張魯の手を取った。そして慰めて言った。
「倉廩を封じて、兵燹から救われた事は、まさに天道の嘉すところである。曹操は、そのお志に対し、足下を鎮南将軍に封じるであろう」
なお、旧臣のうち、五人を選んで、列侯に加えたが、その中に、閻圃の名はあったが、楊松の名は洩れていた。
楊松は、ひそかに自負すらく、
「おれには、もっと大きな恩爵が、やがて沙汰されるにちがいない」――と。
漢中平定の祝賀日。
街の
辻に、
首斬りが行なわれた。罪人の首は細々と

せている。見物人は物を

いながら、早く細首を落とせと面白そうに騒いでいた。うらめしげに罪人は、見物人を見まわした。なんぞはからん、それが
楊松であった。
剣と戟と楯
一
司馬懿仲達は、中軍の主簿を勤め、この漢中攻略のときも、曹操のそばにあって、従軍していた。
戦後経営の施政などにはもっぱら参与して、その才能と圭角をぼつぼつ現わし始めていたが、一日、曹操にこう進言した。
「魏の漢中進出は、西蜀を震駭させ、玄徳を怕れ惑わせているようです。彼の性は、遅にして鈍重、もし丞相がこの時に、疾風迅雷のごとく蜀に入り給えば、玄徳の緒業は、瓦を崩すがごとく砕け去るにちがいありません」
重臣の劉曄も、
「仲達の意見は、まったくわれわれの考えを代表しています。年月を経ては、文治に
孔明あり、武門に
関羽、
張飛、
雲、
黄忠、
馬超などの五
虎あり、以前とちがって、
錚々たる勇将を

えているので、もう滅多に玄徳を破ることは難しくなると思います。討つなら、今のうちでしょう」
と、しきりに言った。
これが以前の曹操だったら、一議に及ばぬことであろうが、赤壁のころから、すでに彼も老齢に入る兆が見えていた。この時も、
「隴を得て、またすぐ何か、蜀を望まん。わが軍の人馬も疲れている。まあ、もうすこし休息させる必要もあろう」と、急に動く気色もなかった。
一面。蜀の実情は、魏軍の目ざましい進出に対して、たしかに深刻な脅威をうけ、流言蜚語は旺に、今にも曹操が、蜀境を突破して来るような事を流布していた。
何分にも、更生の蜀は、玄徳に依って、新秩序が立てられてから、まだ日も浅いので、玄徳自身、多大の危惧を感ぜずにいられなかった。
その対策について、相議する時、孔明は明確に、方針を説いた。
「魏が膨脹を欲するのは、たとえば伸びる生物の意慾みたいなものですから、その意慾を他へ向け更えて、ほかへ伸展し、ほかへその精気を注がしめれば、即ち当分のうちは、蜀は無事を保ち得ましょう。そのあいだに国防を充実することです」と、前提してから、「それには今、能弁な士を呉へ使いに立てて、先に約した荊州三郡を、確実に呉へ返し、かつ、時局の険悪と、利害を説き、孫権をして、合淝の城(安徽省・廬州)を攻めさせるのです。――ここは魏にとって重要な境なので、さきに曹操が張遼を入れて守らせてあるほどですから、魏はたちまち、そこに神経をあつめ、必然、蜀よりはまず南方へ伸びて行こうとするに違いありません」
「計ははなはだ遠大だが、さて、そんな外交手腕を、だれが任じてゆくか」
玄徳が、座中を見まわした時、ふと一人の者と眼を見あわせた。その者はすぐ起って、
「私が行きましょう」
と、神妙に言った。諸人が、だれかと見ると、それは伊籍であった。
「伊籍ならば」と、孔明もうなずいたし、満座もみな彼に嘱した。即ち玄徳の書簡を載せて、伊籍は遠く長江を下った。
呉へ着く前、伊籍は、荊州へ上陸して、ひそかに関羽に会った。もちろん玄徳の内意と孔明の遠謀を語って打ち合わせをすましておくためである。
呉では、この交渉をうけて、諸論まちまちにわかれた。ある者は、過日の関羽の無礼をなお憤っていて、
「断じて受けるな」といい、ある者は、
「それを拒んだら、荊州全体の領有まで、呉から棄権した事となろう。三郡だけでも受け取っておくべきだ」
と主張する者も多い。
また、使者の伊籍が説くには、
「――それと共に、呉が合淝をお攻めになれば、曹操は漢中に居たたまれず、急遽、都へ引き揚げましょう。玄徳は、直ちに、漢中を取ります。そして関羽を召し返して、漢中に入れ、荊州全土は、そっくり呉へ返上申す考えである」と言うのだった。
だから、三郡を受け取るには、条件付きのようなものだった。結局、張昭や顧雍などの意見も、みなそれに傾いたので、孫権もついに肚をきめて、伊籍からの交渉を全部容認し、ふたたび魯粛を荊州接収のため現地へ派遣した。
二
荊州の領土貸借問題は、両国の国交上、多年にわたる癌であったが、ここにようやく、その全部とまではゆかないが、一部的解決を見ることができた。
そこで、三郡の領土接収が無事にすむと、呉と蜀とは、初めて修交的な関係に入り、呉は、大軍を出して、陸口(漢口上流)附近に屯し、
「まず、魏の
城を取って、つづいて合淝を攻めん」
と、大体の作戦方針をそうきめた。
しかし

城の攻略は、決して楽でなかった。
呉としては、
呂蒙、
甘寧の二大将を先手とし、
蔣欽、
潘璋の二軍を後陣に、しかも中軍には、孫権みずから、
周泰、
陳武、
徐盛、
董襲なんどの雄将と
智能を
網羅した優勢をもってそれに臨んだのであるが、それにしても

城ひとつ落とすために払った犠牲はかなりなものであった。
満城の血潮もまだ乾かぬ中で、孫権は、占領の日、旺な宴をひらき、
「戦はこれからだ。しかも幸先はいい」と、士気を鼓舞していた。
ところへ、余抗の地から、遅れ馳せに、綾統が着いて、中途から宴に加わった。
「残念なことをした。もう二日も早く着いていたら、この一戦に間に合ったものを」
と、綾統が左右の人々に語っていると、
「いやいや、まだ先には、合淝の城がある。合淝を攻めるときは、それがしのごとく、一番乗りをし給え」と、上座の方から慰め顔に言った者がある。
見ると、甘寧であった。
甘寧は、こんどの

城陥落の際、一番乗りをしたので、きょう祝賀の宴に、呉侯孫権から
錦の
戦袍を拝領し、座中第一の面目をほどこして、いちばん酔い
耀いていたのである。
「......ふふん。甘寧か」
綾統は、鼻さきで笑った。さっきから
上機
な甘寧の容子は、たれの
眼にも武功自慢に見えた。――のみならず綾統は、彼と
眸を見あわせた途端に、
亡父のことを思い出していた。むかし甘寧に討たれて死んだ父のことがふと胸を
掠めた。
(......うぬ)と思ったせいか、甘寧のほうでも、
(この青二才が)
といわぬばかりな眼光を与えて、
「
綾統。何を

うか」
と、色を変えた。――いや、綾統が無意識に手をかけた剣の柄を、咎めるように睨めつけた。
綾統はハッとした。まったく我も場所がらも忘れて、剣にかけていた自分の手に、気がついたからだった。
「――あいや、私にはまだ武勲がないので、せめて座興に、剣の舞いでも舞って、諸兄の労をお慰め申さんかと存じまして」
言いながら彼はすぐ起って、剣舞をしはじめた。甘寧もさてはと、うしろの戟を把るや否、
「いや面白い。君が剣をもって舞うなら、それがしは戟をもって興を添えん」
と、両々たがいに閃々たる光を交じえ、舞うと見せて、実は、心中の遺恨を刃にふくんで、隙あらば父の仇を果たさん、隙あらば返り討ちに斬り捨てんと――虚実を尽くし合っていた。
「やあ、ちと面白すぎる。まるで炎と炎のようだ。俺が水を注してやろう」
素破、大事と見たので、呂蒙が楯を持って、ふたりの間へ飛びこんだ。そして巧みに、戟の舞いと、剣の舞いを、扱いつつ、舞い旋り舞い旋り、ようやく事無くその場を収めた。
初めは、何気なく見えていたが途中から孫権も気づいて、酔いも醒めんばかりな顔していた。しかし呂蒙の機転に、ふたりとも血を見ずに、席へもどったので、彼はほっとしながら、
「さてさて、鮮やかに舞ったな。ふたりとも優雅なものだ。杯を与える。

って、わが前へ来い」
と、さしまねき、両手の杯を、同時にふたりの手に授けて、
「いまや、呉は初めて、魏の敵地を踏んだところだ。呉の興亡を担うている御身等には、毛頭私心などあるまいと思うが、わたくしの旧怨などは、互いに忘れてくれよ、いいか、ゆめ思うな」
と、くれぐれ諭した。
遼 来 来
一
合淝の城をあずかって以来、張遼はここの守りを、夢寐にも怠った例はない。
ここは、魏の堺、国防の第一線と、身の重責を感じていたからである。
ところが、
呉軍十万の圧力のもとに、前衛の
城は一支えもなく
潰えてしまった。
洪水のような快足をもって、敵は早、この合淝へ迫ると、急を告げる早馬は、
櫛の歯をひくようだった。
また、漢中に出征中の曹操からも、変を聞いて、薜悌という者を急派して来た。これは曹操の作戦指導を、匣に封じて、齎して来たものだった。
「丞相の作戦には、守備とあるか、籠城せよとお示しあるか。はやくお開き」
同じ城にある副将の楽進と李典は、固唾をのんで、張遼の開ける匣を見ていた。
「では聞き給え、読み聞かせよう。......呉ノ積極ニ出デ来レル所以ハ、要スルニ予ノ遠ク漢中ニ在ルノ虚ヲ窺ウモノナリ。故ニ、呉ノ勢イミナ魏城ヲ軽ンズ。戦ワズシテタダ守ラバ、イヨイヨ彼等ヲ誇ラスノミ。マタ、出テ十万ノ寄セ手ト野戦ヲ構ウルハナオ拙ナリ。即チ、敵近ヅカバ、ソノ序戦ニオイテ、彼等ノ鋭気ヲ一撃シテ挫キ、味方諸人ノ心ヲマズ安泰ニ固メ置キテ後、固ク城ヲ閉ジ、防備第一トシテ、必ズ出テ戦ウナカレ。おわかりか。こういう御指令であるが」
「............」
李典は、日ごろ、張遼と仲がわるい。そのせいか、黙りこんだまま、返辞もしない。
一方の楽進は、すぐ言った。彼の意見は反対である。
「由来、守る戦で、勝てた戦はない。ましてこんな小勢で」
張遼はみなまで聞いていなかった。この際、議論は無用と肚はきまっていたからである。
「議論がやりたいなら、一人が議論してい給え。余人は知らず張遼には、私心をもって君の言を廃めることはできない。――漢中から御指揮どおり、我はまず城を出て、一戦に敵の出鼻をたたき、その後は、静かに籠城にかかるのみだ」
言い捨てて馬を呼び、はや戦場へ馳け向かおうとした。
すると、それまで黙然としていた――日ごろは彼と不和な李典が、ぬっくと起って、
「そうだ、これは国家の大事、豈、わたくしの心に囚われんや」
と決然、張遼につづいて、城門から馳け出して行くのを見て、楽進もひとりで議論しているわけにもゆかず、続いて城外へ馬を出した。
呉の大軍は、すでに逍遙津(安徽省・合淝附近)まで来ていた。先鋒の甘寧軍と、魏軍の楽進とのあいだに、小戦闘が行なわれたが、魏兵はたちまち潰走したので、呉侯孫権は、
「われに当たる者あらんや」
といよいよ勝ち驕って前進をつづけていた。
そして、逍遙津の地を離れかけたころ、突然、蘆荻のあいだから連珠砲を轟かして、右からは李典、左からの軍は張遼の旗が現われ、ふた手が渦巻いて、孫権の中軍へ不意討ちして来た。
先手の呂蒙や甘寧の軍は、あまりに敵を急追して、その快足にまかせたまま、中軍と距たり過ぎている。
後陣の綾統は、まだ逍遙津の一水を、全部渡河しきっていないらしい。
だが、はるかに、中軍の旗が、裂かれるごとく、乱れ立ったのを見て、綾統は、
「すわ。何事か、凶事が?」と、部下をも置き捨て、単騎、これへ馳けつけて来た。
見れば、孫権以下、中軍の旗本七百ばかりは、敵の奇襲に包囲されて、まったく殲滅寸前の危機にあった。
綾統は、声をあげて、乱軍のなかの孫権へ叫んだ。
「君っ、君っ、わが君。雑兵ごときを相手となし給わず、ひとまず小師橋を渡って、お退きあれ」
耳へとどいたか、孫権はふり向いて、
「おお、綾統か。案内せよ」
と言いながら、こちらへ向かって、一目散に馳けて来た。
だが二人して小師橋まで遁れて来たはいいが、すでに橋の南一丈ばかりは、敵の手に破壊されていた。
二
「やあ。しまった」
馬は、水に愕いて、竿立ちになって嘶く。
うしろからは、
張遼の兵、三千ほどが、ふたりの影を認めて、雨のごとく、

を射て来る。
「綾統。何としたものぞ」
孫権は、馬と共に、鞍上で身を揉んだ。
「いや、お躁ぎになるには当たりません。てまえのするようにして、後ろから続いておいでなさい」
綾統は水際から遠くへ、馬を回して、改めて、勢いよく馳け出した。そして破壊された橋の水際へ近づくや否、鞭も折れよと、馬のしりを打った。
馬は高く跳び上がって、水面を飛びこえ、かなたの橋の端へ立った。孫権も、その技に倣って、難なくそこを飛び越した。
河の上に、後陣の徐盛や董襲の船が見えた。綾統は、半分になっている橋の上から、
「主君をここへ置いてゆくから確とお守りをたのむぞ」
と、声をかけて、ふたたび前の所を飛び、岸へ上がったと思うと、敵の矢風へ向かって、まっしぐらに馳け向かってゆく。
遠く先へ出過ぎた甘寧と呂蒙もにわかに後ろへもどって、魏軍と接戦していたが、何分にも、虚を衝かれたため、その備えは、中軍や後陣と一致せず、各所で魏軍に包囲されたり、寸断されたりして、おびただしい戦死者を出してしまった。
わけて、惨たる潰滅をうけたのは、綾統の隊だった。孫権の急場を救うために、まったく隊形を失い、主将を見失っている間に、魏の李典軍の包囲下に圧縮されて、これはほとんど一人の生存者もなかったほど、ひどい屍山を築いてしまった。
隊長の、綾統も、二度目に引き返して来たときは、すでに部下の大半以上討たれていたので、その苦戦ぶりは言語に絶し、ついに全身数ヵ所の鑓瘡を負い、満身朱にまみれて、よろよろと、小師橋附近までのがれて来た。
もう彼には、馬に鞭を加えて、そこを一跳びに越すような気力などが到底なかったし、流れ入る血しおに、眼もかすんで、河も水も見えないような姿だった。
河中の舟から孫権が、その姿を見つけた。孫権は舟べりを叩いて、
「あれ助けよ。綾統に違いない」と、声も嗄るるばかり叫んだ。
ようやく一つの舟が、岸へ寄って、彼を拾って来た。そのほか敗残の味方も、次々に河の北へ収容した。敵に追われて、舟を待ついとまもなく、無慙に討たれる者や、河へ飛び亡んで溺れ去ってゆく者を見ても、どうにもならないような状態だった。
「不覚、不覚。なんたるまずい戦をしたものか」
孫権は、敗軍をまとめて、その損傷の莫大なのに、胆をすくめながら、無念そうに繰り返してばかりいた。
重傷の綾統は、全身の瘡をつつんで、なお君前にいたが、
「思い合わせれば、
城の
勝軍が、すでに今日の敗因を
醸していたものです。部下の端までが、あまりに勝ちに
驕って、敵を甘く見くびり過ぎた結果でしょう。わけてこの際、君には、よい御教訓となったことと思われます。御身すなわち呉の万民の主たることを、くれぐれお心に、御銘記あるようおねがいします。今日、お体だけでも無事だったのは、まったく天地神明の御加護というもの。むしろ
歓ぶべき事と存じます」と、歯に
衣着せず言った。
「慚愧にたえない。一生の戒めとする」
孫権も涙を流してつぶやいた。
しかし、大事はここに一頓挫をきたした。呉軍は、新手を加えて、再装備の必要に迫られ、ついに大江を下って、呉の濡須まで引き返してしまった。
遼来々。遼来々。
呉の国では、幼い子どもまでが、魏の張遼の名を覚えて、子が泣くと母はそう言って、泣く子をすかした。
もっていかに、張遼の勇と、その智が、呉兵の胆にふかく刻みこまれたかがわかる。
張遼は、みずから、
「これは、望外な奇捷だ」と、言っていた。
すぐ急使を漢中に送り、ひとまず戦況を報告して、なお他日のために、大軍の増派を要請した。
「このまま、蜀へ進まんか。ひとたび還って、呉を討つがよいか」
曹操も、この二大方向の去就に、迷っていたところだった。
鵞 毛 の 兵
一
いま漢中は掌のうちに収めたものの、曹操が本来の意慾は、多年南方に向かって旺であったことはいうまでもない。
いわんや、呉といえば、あの赤壁の恨みが勃然とわいて来るにおいてはである。
「漢中の守りは、張郃、夏侯淵の両名で事足りなん。われは南下して、直ちに呉の濡須にいたらん」
曹操は決断した。壮図なお老いずである。江を下る百帆の兵船、陸を行く千車万騎、すでに江南を呑むの概を示して、大揚子江の流れに出で、呉都秣陵の西方、濡須の堤へ迫った。
「来れ、遠路の兵馬」と、呉軍は待ち構えていた。彼が長途のつかれを討つべく。
その先陣を希望して、われに、自分にと、争った者は、またしても、宿怨ある甘寧と綾統だった。
「ふたりで行け、綾統を第一陣に、甘寧を二陣として」
孫権も、他の諸大将と、輪陣を作って、堂々、あとから押し出した。
濡須一帯は、戦場と化した。曹操の先鋒は、泣く子も黙る張遼と見えた。功に逸った綾統は、敵の見さかいもなくそれに当たった。巖に砕ける浪のように、ぶつかった方の陣形が徴塵になって分離するのが、遠く、孫権の本陣からも見えた。
「綾統が危ない。呂蒙呂蒙、馳せ行って、綾統を救い出せ」
「おうっ」
と、呂蒙は一軍を率いて駈け出した。
そのあとへ、甘寧が来て、
「案外、敵は堅固です。総勢約四十万、さすがにどの陣も、疲労を見せておりません。これに、長途の疲労あるものと、正面からかかっては、大きな誤算となりましょう。てまえに、屈強の兵百人をおあずけ下さい。今夜、曹操の本陣を脅かしてごらんに入れます」
「わずか百人で」
「仕損じたらお嘲い下すってもかまいません」
「おもしろい」と孫権は彼の希望を容れた。特に直属の精鋭中から百人を選んで与えた。
甘寧は夕方、その百勇士を自分の陣所に招いて、一列に円くなって坐り、酒十樽、羊の肉五十斤を供え、
「これは呉侯からの拝領物だから、存分に飲ってくれ」
と、まず自身、銀の碗で一息にほして、順々にまわした。
肉を

い、酒をあおり、百名は遺憾なく近来の
慾をみたした。そこで甘寧は、
「もっと飲め、もっと

え。今夜この百人で、曹操の中軍へ
斬り込むのだ。あとに思い残りのないようにやれ」と告げた。
一同は顔を見あわせた。酔った眼色も急にうろたえている。こんな百人ばかりな勢でどうして? ――と言わんばかりな顔つきだ。
甘寧は、さッと、剣を抜き、起って、慨然と、叱咤した。
「呉の大将軍たる甘寧すら、国のためには、生命を惜しまぬのに、汝等身を惜しんでわが命令に怯むかっ」
違背する者は斬らんという前触れである。ここで死ぬよりはと、百勇士はことごとく、剣の下に坐り直して、
「ねがわくは将軍に従って死を倶にしたいと思います」
と、ぜひなく誓った。
「よし。では銘々、合印として、これを盔の真っ向へ插してゆけ」
と、白い鵞の羽を一本ずつ手渡した。
夜も二更を過ぎるとこの一隊は筏にのって水跡を迂回し、堤にそい、野をよぎり、忍びに忍んで、ついに曹操の本陣のうしろへ出た。
「それっ、銅鑼を打て、鬨の声をあげろ」
柵へ近づくや、たちどころに
兵を斬り捨て、わっといっせいに、陣中へ入った。
たちまち、諸所に火の手があがる。
暗さは暗し、曹操の旗本は、右往左往、到る所で、同士討ちばかり演じた。
甘寧は、思う存分、あばれ廻った。時分はよしと、百人を一ヵ所にあつめ、一兵も損ぜず、風のごとく引き返して来た。
「将軍の胆は、さだめし曹操の魂を挫いだであろう。痛快、痛快」
孫権は、刀百口、絹千匹を贈って、彼を賞した。甘寧はそれをみな百人に頒けた。
魏に張遼あるも、呉に甘寧あり――と、呉の士気は、ために大いに振った。
二
昨夜の雪辱を期してであろう。夜が明けると共に、張遼は一軍を引いて、呉の陣へ驀然、攻勢に出て来た。
「きょうこそは、華々と」
呉の綾統も、手に唾してそれを邀えた。甘寧が昨夜すばらしい奇功を立てて、君前のお覚えもめでたい事は、もう耳にしている。で、勃然、(彼ごときに負けてなろうか)という日ごろの面目も、今日の彼には、充分意中にある。漠々とけむる戦塵の真っ先に、張遼のすがた、その左右に、李典、楽進など、呉の兵を蹴ちらし蹴ちらし馳け進んで来た。
綾統は、馬上、刀をひっさげて、疾風のように斜行し、
「来れるは、張遼か」
と、斬りつけた。
「おれは、楽進だ」
とその者は、槍をひねって、直ちに応戦して来た。
人違いか――と、舌打ちしたが、もうほかを顧みるいとまもない。楽進を相手に、五十余合も戦った。
すると、かなたの張遼のうしろから、曹操の御曹司曹休が、鉄弓を張って、ぶんと矢を放った。
綾統を狙ったのだが、すこし外れて、その馬にあたった。
「しめたっ」
と楽進は、槍を逆しまにして、地上へ向けた。綾統が勢いよく落馬していたからである。
ところが、その時また、どこからか一本の矢がひょうッと飛んで来た。楽進の真眉間に立ったので、楽進は、槍を投げて、鞍上からもんどり打った。
呉の将も倒れ、魏の将も傷ついたので、両軍同時にわっと混み合って、互いに味方を助けて退いた。
「またしても、不覚をとりました。残念でなりません」
孫権の前に出て、綾統が面目なげに詫びると、孫権は、
「兵家のつねだ」と慰めて、「きょう汝を救った者はたれぞと思うか」と言った。
綾統は、座の左右を見まわした。甘寧が黙ってひかえている。はっと思うと、孫権はかさねて、「楽進の眉間を射たものはそこにいる甘寧だ。日ごろの友誼を更に篤く思うだろう」と言った。
綾統は、涙をたれて、甘寧の前に手をつかえた。以来ふたりは、まったく旧怨をわすれ、生死の交わりをむすんだという。
次の日、魏の軍は、前日に倍加した勢で、水陸から、呉陣へ迫った。
「さては曹操も、焦躁立って、総攻撃にかかって来たな」
呉陣も、それに応ずる大軍を展列して、濡須に兵船の墻を作った。
この日、目ざましかったのは、徐盛、董襲などの呉軍だった。そのため、魏陣の一角――李典の兵は馳けくずされ、そのまま、曹操の中軍まで、すでに危険に陥るかとすら思われたが、たちまち、大風が吹き起こって白浪天を搏ち、岸辺の砂礫は飛んで面を打ち、陽もまだ高いうちなのに、天地も晦くなってしまった。
しかも董襲の兵船は、河の中で沈没し、そのほかの兵船も、帆を裂かれ、あちこちの岸にぶつけられ、さんざんな目に遭ったところへ、新手の魏軍が、徐盛の兵を包囲して、その半ばを、殲滅してしまった。
「あれ、救え」
と孫権の指揮をうけて、陳歩が呉陣から駆け出して来ると、魏の一軍が、堤の蔭から突と起って、
「ひとりも余すな」、と、またまた、ここに小鉄環を作って、みなごろしを計った。この手の大将は、漢中から従って来た魏軍の中では新参の龐徳だった。
かくて、この荒天の下、呉の旗色は、急に悪くなって、今は、総敗軍のほかなきに至ったが、若い孫権は、
「何事かあらん」
と、自身、中軍を引いて、濡須の岸へ、繰り出して来た。ところがここには、張遼、徐晃の二手が待ちかまえていた。
休 戦
一
曹操は百戦錬磨の人。孫権は体験少なく、ややもすれば、血気に陥る。
いまや、濡須の流域をさかいとして、魏の四十万、呉の六十万、ひとりも戦わざるなく、全面的な大激戦を現出したが、この、天候が呉に利さなかったといえ、呉は主将孫権の軽忽なうごきに依って、その軸枢をまず見失い、彼自身もまた、まんまと張遼、徐晃の二軍に待たれて、その包囲鉄環のうちに捉われてしまった。
曹操は小高い阜の上から心地よげに見ていた。
「今ぞ。孫権を擒にするのは」
それは自分を励ました声と、許褚は彼のそばを去るや否、馬をとばして、そこへ馳けつけ、叫喚一声、血漿けむる中へ躍り入った。
呉兵の死屍はいやが上にも累々と積まれて行った。ために、濡須の流れも紅になるかと怪しまれ、あまりの惨状に、主将孫権のすがたすら、どこにいるのかだれがだれなのか見分けもつかぬばかりだった。
呉の一将周泰は、その中をよく奮戦して、一方に血路をひらき、河流の岸までのがれて来たが、顧みると、主君孫権はなお囲みから出ることができず、かなたにあって揉みつつまれている様子。
「周泰はここにいますっ。周泰はこれにありっ。早くこちらへ来給え」
呼ばわりつつ、周泰は敵の背後へまわって、その包囲を脅かし、一角の崩れを見ると、
「いざ、いざ、こうなっては、何事もあとに任せて」
と、孫権と駒を並べ、ほとんど、わき目もふらず、敵の矢道を走り抜けた。
そこへ折よく、呂蒙の一軍が、中軍の大敗を案じて引っ返して来た。周泰は、
「舟をっ。舟をっ」と水へ向かって声を嗄らし、ともあれ孫権を、舟へ移した。
けれど、あとの戦場は、なお土煙や血煙に、濛々としている。孫権は、悲痛な声してさけんだ。
「徐盛はどうしたろう! 徐盛は......?」
「見て来ましょう」
周泰は、ふたたび戻って、むらがる魏の人馬の中へ、没して行った。孫権は、思わず、ああと、嘆賞して、
「自分を救い出すため、血路をひらいては、またあとへ戻ること三たび。更にまた、徐盛を助けるために、敢然、死地へ入って行った。――天よ、わが忠勇の士に、加護をたれ給え」
眉をふさいで、禱るがごとく、しばしそこに待っていた。
周泰は帰って来た。しかも徐盛を扶けて。
けれど二人とも、満身朱にまみれ、そこの水際まで来ると、「残念」と言いながら、はや歩む力もなく坐ってしまった。
呂蒙はその間に、射手百人の
弓陣を
布いて、追い迫って来る敵を

いとめ、更に、その弓陣を、船上に移し、孫権の身を守りながら、徐々と下流へ退陣した。
ここに悲壮な討ち死にをとげたのは、呉の陳武だった。彼は龐徳の勢につつまれて、退路を失い、次第に山間の狭隘へ追いこまれた末、ついに龐徳と闘って首を奪られた。それも鎧の袖を灌木の枝に絡まれて、あなやという間に、最期の善戦も充分にせず、龐徳の一撃に討たれたのであった。
曹操は、前夜、自己の中軍を攪乱された不愉快な思いを、きょう万倍にもして取り返した。孫権がわずかな将士に守られて、濡須の下流へ落ちて行くと見るや、
「あれ見失うな」と、自身江岸に沿って、士卒を励まし、数千の射手に、絶好な的を競わせたが、この日の風浪は、この時には孫権の僥倖となって矢はことごとく黒風白沫に弄ばれ、ついに彼の身にまで届く一矢もなかった。
その上、いよいよ広やかな河の合流点まで来ると、本流長江の方から呉の兵船数百艘が溯って来た。これなん一族の陸遜がひきいて来た十万の味方だった。
孫権は初めて蘇生の思いをなした。
二
十万の味方を見ても、孫権以下の諸将は、みな重軽傷を負っているので、
「きょうの戦もこれまで」
と、退く事しか考えていなかったが、陸遜は、断じて、その唸きに活を入れた。
「このまま総退軍しては曹操は呉に対して、いよいよ必勝の信念を持つ。また味方の兵も、魏は強しと、ふかく彼を恐れ、勝ちを忘れるにいたるであろう。――退くにせよ、呉にもなお後備の実力のあることを示してからでなければならん」
陸遜は壮語して、孫権や重傷者は船中にのこし、その余の残兵にこれを守らせておき、新手の十万をすべて岸へ上げて、呉のために死せよと命令した。
まず曹操は、この新手の堅陣が射る確かな矢風に射立てられ、
「こはそもいかに」
形勢の悪化に、狼狽せざるを得なかった。
「敵はみだれ出したぞ」
陸遜は、彼の怯み立った一刹那総突撃を敢行した。果然、十万の兵は、背を見せる魏兵へ咬みついた。突く、蹴る、刺す、撲る、踏み潰す、折り重なる、組み合ったまま水へ溺れる。
何しても、その兵数において、その新手の精気において、陸遜軍は圧倒的にすぐれていた。打ち取った盔首だけでも七百余級、雑兵に至ってはかぞえるにもかぞえきれない。分捕りの馬匹だけでも千余頭あった。
かくて陸遜は、魏の勢を遠く追って、完全なる呉の勝利を取り回したばかりでなく、きょう孫権が大敗した戦場まで行って、味方の死体や旗やおびただしい陣具まできれいに収容して来た。
その結果、部下の陳武は討たれ、董襲は水中に溺れ、そのほか日ごろの寵臣も無数に亡き数に入ったのを知って、孫権は声をあげて哭き、
「せめて、董襲の死骸なりともさがし求めよ」
と、水練に長じた者を入れて、その屍を求め、篤く船中に祭って、引き揚げたという。
さて、濡須城に帰るや、彼はまた一日、営中に宴をもうけて、みずから盃を取り、
「周泰。汝は呉の功臣だぞ。今日以後、われは汝と栄辱を倶にし、生命のあるかぎりこのたびの働きは忘れない」
と言い、その盃を彼の手に持たせた。
そしてまた、
「先ごろの傷はどんなか」と、肌を脱がせて、その痕を見た。周泰は、大勢の中なので憚ったが、主命のままに肌を脱いで示した。見れば満身縦横に腫れている創口は、まだ熱と紅色をふくんで、触るもいたましいばかりである。
「ああ、この創痕の一つ一つがみな汝の忠魂と義心を語っている。みなも見よ。武人の亀鑑を」
と、孫権は周泰の背をなでて、果てしなく彼の誠を称えた。
彼は、周泰の功を平常にも

かすべく、
羅の青い
蓋を張らせ、「陣中に用いよ」と与えた。
もちろん陸遜以下そのほかの諸将にも、各々、恩賞は行なわれ、依然、濡須の堅塁を誇って、
「呉の強さはかくのごとし。北国の魏賊、何かあらん」
と、全軍の末輩にいたるまで、意気いよいよ昂かった。
対陣一ヵ月の余になった。
曹操は、そのあいだみだりに動かなかったが、黙々と、戦備を充実し、兵力を加え、更に大規模な次期の作戦をえがいているように思われた。
呉の老臣、張昭が言った。
「決して、楽観をゆるしません。何といっても、曹操は曹操です。如かず、歩のよいところで、和議をおはかりあっては」
孫権の方から、やがて歩隲が、その使に立った。曹操も、この辺がしおどきと考えたか、「中央の府に対し、毎年、貢を献じるというならば」と案外、受けやすい条件を出して答えたので、和睦はたちまちまとまった。
けれど、真の平和の到来でないことは 魏にも呉にもわかっていた。曹操は全軍をひきいて都へ帰り、孫権は秣陵へ引き揚げたものの、その前線濡須の口も、魏の境界、合淝の守りも、双方ともいよいよ堅固に堅固を加え合うばかりだった。
柑子と牡丹
一
呉に年々の貢物をちかわせて来たことは、遠征魏軍にとって、何はともあれ、赫々たる大戦果といえる。まして、漢中の地が、新たに魏の版図に加えられたので、都府の百官は、曹操を尊んで、「魏王の位に即いていただこうじゃないか」と、寄り寄り、議していた。
侍中の王粲は、曹操の徳を頌した長詩を賦って、これを侍側の手から彼に見せたりした。
「そう皆が言うなら......」
と、曹操も王位に昇ろうという色を示していた。ところが諸人の議場で、尚書の崔琰が、
「御無用になさい。そんなばかな事をおすすめするのは」と、媚態派の人々を諫めた。
諸官は怒って、
「ばかな事とはなんだ。貴様も丞相から睨まれて、荀彧や荀攸みたいな終わりを遂げたいのか」
崔琰も、負けていずに、
「およそ、媚び諂う輩ほど、主を害するものはない。むかしから君を亡ぼす者は、敵でなくて――」
「何だと」
大喧嘩になった。
曹操の耳に聞こえた。もちろん媚態派の佞臣からである。曹操は憤怒して、
「舌でも嚙め」と、獄へ抛り込ませた。
崔琰は、曳かれながらも、
「漢の天下を奪う逆賊は、ついに曹操ときまった」
と、大声で罵りちらした。
それを聞くと曹操は、きっそく廷尉に命じて、
「やかましいから黙らせろ」と、いいつけた。
崔琰の声はもう聞こえなくなった。廷尉が棒をもって獄中で打ち殺してしまったのである。
建安二十一年五月。もろもろの官吏軍臣は、帝に奏して、詔を仰いだ。
――魏公曹操、功高ク、徳ハ宏大ニシテ、天ヲ極メ、地ヲ際ル。伊尹周公モ及バザルコト遠シ。ヨロシク王位ニススメ、魏王ノ位ヲ賜ワランコトヲ。
と、いうのである。
帝はやむなく、鍾繇に詔書の起草を命じ、すなわち曹操を冊立して、魏王に封じ給うた。
詔に接すると、曹操は固辞して、辞退の意を上書する。帝はまた、かさねて別の一詔をお降しになる。そこで初めて、
「聖命もだし難ければ」
と、曹操は王位をうけた。
十二旒の冠、金銀の乗用車、すべて天子の儀を倣い、出入りには警蹕して、ここに彼の満悦なすがたが見られた。
さっそく、鄴郡には、魏王宮が造営された。ここにはすでに玄武池がある。曹操の親衛隊は、ここで船術を練り、弓馬を調練していた。雄大な魏王宮は玄武池のさざ波に映じて、この世のものと思えなかった。
曹操には四人の子がある。みな男子だった。曹丕、曹彰、曹植、曹熊の順だ。けれども大妻丁夫人の子ではなかった。側室から出た者ばかりである。
このうちで、曹操が、(わが世嗣は、彼に)とひそかに思っていたのは三番目の曹植だった。曹植は子建と字し、幼少から詩文の才に長け、頭脳はあきらかで、またはなはだ上品な風姿をもっている。
嫡男の曹丕は、
(......けしからん)と、不満に思った。曹家は自分が嗣ぐべきであるときめているからだ。中大夫の賈詡をそっと招いて、何かと相談した。
「......こうなさいませ」
賈詡は囁いた。その後、曹操が遠い軍旅に立つ時が来た。三男の曹植は、詩を賦して、父との別れを惜しんだ。
だが曹丕は、賈詡にいわれたとおり、ただ城外まで見送りに立って、涙をふくみ、黙然、父が前を通るとき、眸をこらして見送った。
曹操は、あとで考えた。
「詩は巧み、珠玉の字をつらねているが、曹植のその才よりも、曹丕の無言のほうが、もっと大きな真情をもっているものじゃないかな?」
それから彼の子を観る眼がまたすこし変わった。
二
曹丕はその後も、父曹操の近衆たちへ、特に目をかけて、金銀を与えたり、徳を施したり、歓心を得ることにぬかりなく努めたので、
「御嫡子にはもう仁君の徳を自然に備えておいで遊ばされる」
と、もっぱら彼の評判はよかった。
曹操もやがて、すでに魏王の位にも昇ると世嗣のことが、彼の意中にさし迫る問題となっていた。そこである時、思い余って、賈詡を召した。
「――曹丕をあとに立てるべきだろうか。それとも曹植がよかろうか」
賈詡は、黙然たるままで、あえて明答を欲しないような顔色だった。が、再三、曹操から問われるに及んで、ただこう答えた。
「それは、私にお質しあるよりは、さきに亡んだ袁紹だの劉表などがよいお手本ではありませんか」
劉表も袁紹も、世子問題では、大きな内政の癌を作っている。いずれも正統の嫡男を立てていない。曹操は大いに笑い、
「いや、そうか。人間というものは、案外、わかりきっている事に分別を迷うものだ。はははは、よし、よし」
心は決したのである。その後間もなく、
――嫡子曹丕ヲ以テ我ガ王世子ト定ム
と、発表した。
冬十月。魏王宮の大土木も竣工した。その完成を祝う祝宴のため、府から諸州へ人を派して、
「各州、各々、特色ある土産の名物菓木珍味を、何くれとなく献上して、賀を表し候え」
と、布達した。
呉の福建は、荔枝と龍眼の優品を産し、温州は柑子(蜜柑)の美味天下に有名である。魏王の令旨とあって、呉では温州柑子四十荷を、はるばる人夫に担わせて都へ送った。
舟行馬背、また人の背、四十荷の柑子は、ようやく、鄴都の途中まで来た。そしてある山中で、その人夫の一隊が荷を下ろして休んでいると、そこへ忽然と、片目は眇、片足は跛行という奇異な老人がやって来て話しかけた。
「御苦労さまだな。みな疲れたろうに」
片輪の老人は、白い藤の花を冠に插し、青い色の衣を着ていた。
人夫のひとりが冗談に言った。
「爺さん。助けてくれ。これからまだ千里もあるんだ」
「よしよし」
老人は本気になって、一人の人夫の荷を担った。そして数百人のほかの仲間へ、
「おぬし等の荷は、みなわしが担ってやるぞ。わしの居る限り空身も同様じゃ。さあ続いて来い」
風のように先へ走り出した。
一荷でも失っては大変と、あとの者は、あわてて続いた。ところが、老人の言ったとおり、荷を担いでも、ほんとに身軽のようで、少しも重さを感じないので、疑い怪しまぬ者はなかった。
別れ際に、人夫の宰領が、老人に素性をたずねた。老人は、答えて言う。
「わしは、魏王曹操とは、同郷の友で、左慈、字を玄放といい、道号は、烏角先生とも呼ばれておる。曹操に会ったら、話してごらん。覚えているかもしれないから」
やがて鄴都の魏王宮に着いた。温州柑子が届いたと聞いて、曹操は久しくその甘味を忘れていたので、歓んで早速、大いなる一箇を盆から取って割った。ところが、柑子の実は空だった。怪しみながら三つ四つ取って裂いてみたがどれもみな殻ばかりで空しい。
「呉の奉行を質してみろ。これは何故かと」
奉行は調べられてもただ慄くばかりで、その何故かを知らなかった。ただ思い当たることとして、途中、左慈という奇怪な老人に出会ったことを語った。曹操は聞いて、
「はてな?」と、首を傾けている。同郷の友といえば少年時代のことだ。あまりに渺として思い出すに骨が折れるらしい。
ところへ、王宮の門へ、
「大王にお目にかかりたい」
と言って来た一老人があるという。召し入れて見れば、その左慈だった。曹操は、彼を見るや否や、柑子の科を責めた。すると、左慈は一本、二本しかない前歯を出して笑いながら、
「そんなはずはない。どれどれ」
と、自身で柑子を取って割ってみせた。芳香の高い果肉は彼の掌から甘い雫をこぼした。
三
「大王。まあこの柑子を一つ、召し上がってごらんなさい。いま木から毮いだように水々としていますから」
曹操は、驚いたが、油断ならずと思ったか、左慈に向かって、
「まず、毒味をせよ」と、言った。
左慈は笑って、
「柑子の美味を満喫するなら、てまえは一山の柑子の樹の実を、みな

べなければ納まりません。ねがわくは、酒と肉をいただきたいもので。柑子は口直しに後でいただきます」と、答えた。
酒五斗に、大きな羊を、丸焼きのまま銀盤に供えて

らわせた。左慈は、ぺろりと平らげて、まだ物足らない顔していた。
「これは凡人でない」
と思ったか、曹操も、やや辞を和らげて、御辺は、仙術でも得た者ではないかとたずねた。
左慈は、答えて、
「郷を出てから、西川の嘉陵へさまよい、蛾眉山中に入って、道を学ぶこと三十年。いささか雲体風身の術を悟り、身を変じ、剣を飛ばし、人の首を獲ることなど今はいと易きまでになり得ました。ところで、大王の今日を見るに、はや人臣の最高を極め これ以上の人慾は、人間の地上では望むこともないでしょう。――どうじゃな、ここでひとつ、一転して身を官途から退き、この左慈の弟子となって、ともに蛾眉山に入って、無限に生きる修行をなさらんか」
「......ふむ。それも一理ある言だな。しかし、まだ天下はほんとに治まっていないし、朝廷におかれても、この曹操に替わって、扶翼し奉る人がおらぬ。朝野の安危を見とどけずに、身ひとつ閑地に楽しむのは、曹操の心にそむくことだ」
「その辺は、御心配ないでしょう。劉玄徳は、天子の宗親。彼にまかせれば、大王がおられるよりも、万民は安んじ、朝廷も御安心になろう」
見る見るうちに曹操の顔は激色に焦きただれた。老来、これほど露骨に青すじを立てたことは珍しい。
「よく吐ざいた左慈。果たして汝は劉玄徳の廻し者であった事よ」
有無を言わせず、武士たちは左慈を縛めて、獄へ抛りこんだ。数十名の獄卒は、かわるがわるに左慈を拷問した。酷烈な拷問のたび獄庭に聞こえるのは、左慈の笑い声だった。
「この上は眠らせるな」
鉄の枷で、首を嵌めて両の足首を鎖で縛り、そして牢屋の柱に立て縛りに立たせておいた。
ところが、すこし時経つと、すぐ快げな高鼾が洩れて来る。怪しんで覗いてみると、鎖も鉄の伽も粉々に解きすて、左慈は、悠々と身を横にしていた。
曹操は、聞いて、
「食水を与えるな」と、一切の摂り物を禁じた。しかし七日たっても十日経っても、左慈の血色は衰えるどころか、かえって日々元気になってゆく。
「いったい、汝は魔か人間か」
ついに、獄から出して、曹操がたずねると、左慈は、呵々と哄笑して、
「一日に千
疋の
羊を

べても飽くことは知らないし、十年

わずにいても飢えることは決してない。そういう人間をつかまえて、大王のしていることは、まったく天に向かって
唾するようなものですよ」
魏王宮落成の大宴の日が来た。国々の美味、山海の珍味、調わざるなく、参来の武人百官は、雲か虹のごとく、魏王宮の一殿を埋めた。
ときに、高い木履を穿いて、藤の花を冠に插した乞食のような老人が、場所もあろうに、宴の中へ突忽として立ち、
「やあ、お

いだね」
と、馴れ馴れしく諸官を見まわした。
曹操は、きょうこそこの曲者を、困らしてやろうと考え、また客の座興にもしてやろうと、
「こら、招かざる客。汝は、きょうの賀に、何を献じたか」
と、言った。左慈は、直ちに、
「されば、季節は冬、百味の珍饌あるも、一花の薫色もないのは、淋しくありませんか。左慈は、卓の花を献じようと思います」
「花なら牡丹が欲しい。即座に、そこの大花瓶に、牡丹を咲かせてみよ」
「てまえも、そう思っていました」
左慈は、ぷっと、唇から水を噴いた。嬋娟たる牡丹の大輪が、とたんに花瓶の口に揺ら揺ら咲いた。
藤 花 の 冠
一
王宮の千客は、みな眼をこすり合った。眼のせいか、気のせいかと、怪しんだのであろう。
ところへ、各人の卓へ、庖人が魚の鱠を供えた。左慈は、一眄して、
「魏王が一代の御馳走といってもいいこの大宴に、名も知れぬ魚の料理とは貧弱ではないか。大王、なぜ松江の鱸をお取り寄せにならなかったか」
と、人も無げに言った。
曹操は、赤面しながら、
「温州の果実はともかく、鱸といっては生きていなければ値打ちがない。何で千里の松江から活けるまま持って来られよう」と、客の百官に言い訳した。
「はて、さて、造作もないのに」
「左慈、あまりに、戯れを言って客の興をみだすまいぞ」
「いや、ほんとですよ。釣り竿をおかしなさい」
左慈は、一竿を持って、欄の外へ、糸をたれた。玄武池の水は、満々とそよぎ立ち彼の袖が翻るたびに、たちまち、大きな鱸が何尾も釣りあげられた。
「大王、何尾ほど、御入用ですか。松江の鱸は」
「左慈、汝の釣ったのは、みな予が池に放しておいた鱸だ。その鱸ならば、料理番でも釣っておる」
「噓をおいいなさい。松江の鱸は、かならず腮が四つあります。そのほかの鱸は二つしかありません。見てごらんなさい」
試みに、客が、鱸の腮を調べてみると、どれもこれも、正しくエラが四枚あった。
曹操も、客も、愕然たらざるはなかったが、なお何かで困らせてくれんものと、
「いにしえから、松江の鱸を鱠にして賞味するときには、かならず紫芽の薑をツマに添えるという。薑はあるか」
「おやすいこと」
左慈は、左の袂へ手を入れた。そして幾つかみもの薑を黄金の盆へ盛ってみせた。
「怪しげな?」と呟きながら、曹操は、近侍の者に、盆をこれへと命じた。近侍が、盆を捧げた。しかるに、いつのまにか、薑は一巻の書物に変わっていた。
見ると「孟徳新書」という題簽がついている。曹操は、皮肉を感じて、むッとしたが、いずれは、打ち殺さんという肚があるので、さりげなく、
「左慈。これはだれの書いた書物か」と、空とぼけて訊いてみた。
「は、は、は、は。さてだれの著物でしょうな、どうせたいしたものじゃありますまい」
試みに、曹操は手に取って披いてみると、自分の書いたものと一字一句も違わないので、いよいよ心中に、この怪士、生かし措くべからずと誓った。
左慈は、側へすすんで来て、
「大王に、不老の千載酒をさしあげよう」
と、冠の上の玉を取って、盃の中ほどに一線を描き、その半分をまず自分が飲んで、曹操に献じた。
曹操が、その酒を啣んでみると、まるで水ッぽくて、飲めたものでない。思わず盃を下に置いて、癎癪を破裂させようとした刹那、さっと、左慈は手をのばして、盃を奪い取り、堂の天井へ向かって抛りあげた。
人々は、あッと、眼をあげた。愕くべし、盃は一羽の白鳩と変じ、羽ばたきして殿中を飛びまわっている。あるいは、低く降りて、酒をこぼし、花を仆し、客の肩に、顔に、戯れまわって、果てしがない。
あれよ、あれよ、とばかり満座みな怪しみうろたえている間に、左慈のすがたは、いつのまにか消えていた。それと気づいて、曹操が、
「しまった。宮門を閉じろ」
あわただしく、近侍から諸門へ布令させると、何事ぞ、
「青い衣を着、藤の花を冠に插した怪奇な老人は、もう靴を鳴らして、城外の街をうろついている由です」
と、外門の将から言って来た。
「捉えて来い。いかなる犠牲を払っても」
曹操の峻烈な命は、すなわち許褚へ下った。大袈裟にも、許褚は万一を思って、親衛軍中の屈強五百騎をひきいてそれを追いかけた。
左慈のすがたに追いついた。
飄乎として、かなたへ跛行をひいてゆくのが見える。――にもかかわらず、いかに悍馬に鞭打っても、少しもその後ろ姿に近づくことができなかった。
二
やがて、山の麓へ来た。
到底、追いつくべくも見えないので、許褚は、部下の五百騎に、
「射止めろ。弓で」と、大汗で励ました。
五百弓の弦がいちどに鳴った。ところが、かなたの左慈の姿は矢のさきに消えて、悠々と、地上に遊んでいる白雲のごとき羊の群れだけがあった。
「てッきり、この中にいる」と、許褚は、そこへ来るや否、数百の羊を、一匹のこらず打ち殺した。
そして、引っ返してくるとその途中、おいおいと泣いている一人の童子に会った。
「こら、子供。何を悲しむか」
許褚が訊ねると、童子は恨めしそうに、
「おらの飼っている羊を、自分の手下にみな殺させておきながら、何を悲しむかもないもんだ。莫迦野郎」
童子は、罵って、逃げだした。一人の部下は、あれも怪しいと、矢をつがえて、うしろから放った。
いくら射っても、矢はヘロヘロと地に落ちてしまった。その間に、童子はわが家へとびこんで、もっと大きな声して泣きぬいていた。
翌る日、童子の親が、王宮へ謝りに来た。――きのう家の腕白が、お城の大将にむかって、羊を殺された忌々しさのあまり、悪口をたたいて逃げたそうですが、今朝起きてみると、一夜のうちに、死んだ羊がみな生き甦って、いつものように牧場で群れ遊んでいる。ふしぎで堪りませんが、事実なので、何はともあれ、小せがれの罪をお詫びに参りました――というのである。
今朝、許褚の報告を聞いていたところへ、またこの奇怪な訴えだった。曹操は、悪寒がして来た。
「どうあっても探し出せ。どうあっても打ち殺してしまわねばならん」
王宮の画工を招いて、左慈の肖像を画かせた。その人相書を原本として、各地へわたり、数千の同じ図を配布した。
「召し捕りました」
「捉えました」
三日もするうちに、各県郡から四、五百人も同じ左慈を差し立てて来た。王宮の獄は、左慈だらけになってしまった。なぜならば、そのどれを見ても跛行で、眇目である。そして藤の花を冠に插し、青い衣を着ている。
「よいよい。いちいち調べるのも煩わしい」
曹操は命じて、城南の練兵場に、破邪の祭壇をしつらえさせた。そして羊や猪の血をそそぎ、四、五百人の左慈を数珠つなぎに曳いて来て、いっせいに、首を刎ねてしまった。
すると、
屍の山から一道の
青気がのぼって、空中に、霧のごとく、ひとりの左慈が姿を見せた。左慈はそのとき、白い
鶴に乗っていた。そして魏王宮の上を、
悠悠と
飛
しながら、やがて
掌を打ちたたき、
――玉鼠金虎ニ随ッテ、奸雄一旦ニ休マン。
と、宇宙から呼ばわった。
曹操は、諸将に下知して、雲も裂けよと、弓鉄砲を撃ちかけた。すると、たちまち狂風吹き起こって、沙を飛ばし、石を奔らせ、人々は地に面を掩い、天に眼をふさいだ。
この日、太陽は妙に白っぽく、雲は酔人の眼のように、赤い無数の虹を帯びていた。市人も、耕田の農夫も、
「これはいったい何の兆だろう?」と、懼れ怪しみながら、茫然、天地を仰いでいたが、そのあいだに、城南の練兵場から、黄いろい砂塵が漠々と走って、王宮の門を入って行ったのを見た者があるという。
あとで聞けば。
練兵場に積みあげられた四、五百の屍が、またたく間に、みなむくむく起き出して、それが一かたまりの濛気となり、王宮の内へ流れ入ると、やがて池畔の演武堂にはしり上がり、四、五百体の左慈そのままな姿をもった妖人が、あやしげな声を張り、奇なる手ぶり足ぶりをして、約一刻のあいだも、舞い狂っていたということだった。
さしも豪胆な魏の諸大将も、これにはみな慄えあがり、曹操もまた、諸人に扶けられて、後閣に狂風を避けたが、その夜から彼は、近侍の者に、
「何となく悪寒がする」だの、
「風邪気味のせいか、物の味がわるい」
などと言い始めていた。
神 卜
一
太史丞の許芝は、曹操の籠る病室へ召された。
曹操は、起きていたが、以来、何となくすぐれない容態である。
「許都に、卜の上手がいたな。どうも今度の病気はちとおかしい。ひとつ卜者に見てもらおうと思うのだが」
「大王。卜の名人ならば、許都にお求めになるよりは、この近くにおりますが」
「それは倖せだ。何というものか」
「管輅と申せば、世上、神卜の達人として、知らない者はありません」
「徒然だ。なぐさみにまず聞こう。いったい、その易者の卜は、どれほど神通なのか。何か、例を聞いていないか」
「たくさん聞いております」
許芝は、語り出した。
「――まず、素姓からいうならば、管輅、
字を
公明といい、平原の人です。
容貌は醜く、
風
はあがらず、酒をのみ、性疎狂なりと申しますから、ほかに取り
柄はない人間ですが、ただ幼にして、神童の聞こえがありました」
「神童。――神童に、長じてまで神童だった者はないぞ」
「ところがです、管輅は、今もって、その名を辱しめません。――八、九歳のころから天文が好きで、夜も星を見ては考え、風を聞いては按じ、ちと気ちがいじみていたので、両親が心配して、そんな事ばかりしていていったいおまえは何になる気か、と言ったところ、管輅は言下に、
――家鶏野鵠モ自ラ時ヲ知リ風雨ヲ知リ天変ヲ覚ル。イカニ況ヤ人タルモノヲヤ。豈、天文グライヲ知ラナイデ人間ト言エマスカ。
そう答えたそうです。また長ずるに及んでは、周易を究め、十五、すでに四方の学者もかなわなかったということです」
「そんなのは、世間、いくらもあるじゃないか。学究というものだ。しかもこの学究、案外、学究の外ではつかいものにならん」
「いや、管輅はさに非ずで、早くから天下を周遊し、日に百冊の古書を読んで、日に千語の新言を吐くという人です」
「すこしは学者らしいところがあるな。しかし、易の方では」
「それがたいしたもので。――ある折、旅の宿を求めると、家の主が、易者と知って、いまし方、わが家の屋根に、山鳩が来て、いつになく愁れな声で啼き去った。卜い給えと乞うと、管輅、易を案じて、
――午ノ刻ニ、主ノ親シキ者、猪ノ肉ト酒トヲ携エテ、訪イ来ラン、ソノ人、東ヨリ来テ、コノ家ニ悲シミヲ齎ス
と予言したそうです。果たしてその時刻に、主の叔母聟なる者が、肉と酒とを土産にもたらし、主と飲むうち、夜に入って、なお酒肴を求めるため、奴僕に、鶏を射てころせと、命じました。ところが奴僕の射た矢が、隣家の娘にあたったので、大へんな悲嘆やら騒動になったそうです」
曹操はまだそう感心したような顔を見せなかった。
許芝は、かまわず語りつづけて、
「
安平の
太守王基がそんな

を聞きましてね、その妻子に病人の多いのを卜わせ、その
禍を除いた事もあり、また
館陶の令、
諸葛原はわざわざ彼を招いて、衆臣とともに、彼の
卜占の
神凡を試したこともありました」
「ふうむ......どんなふうに」
「まず燕の卵と、蜂の巣と、蜘蛛とを、三つの盒にかくして、卦を立てさせたのです。――もとより厳秘の下にそれは行なわれました。さて管輅は、卦を立てて、個々の盒の上に、答えを書き付けてさし出しました。
その一には、
気ヲ含ンデ須ラク変ズ、堂宇ニ依ル。雌雄容ヲ以テ。羽翼ヲ舒べ張ル。コレ燕ノ卵ナリ。
その二には、
家室倒ニ懸カリ。門戸衆多。精ヲ蔵シ、毒ヲ育イ、秋ヲ得テ乃チ化ス。コレ蜂ノ巣ナリ。
その三には、
觳觫トシテ脚ヲ長ウシ。糸ヲ吐イテ網ヲ成ス。羅ヲ求メテ食ヲ尋ネ。利ハ昏夜ニ在リ。是、蜘蛛ナリ。
一つも外れていないのでした。これにはみな驚嘆したということです」
「......それから?」
曹操は、いくらでも、例話を聞きたがった。病中の徒然には、またなく興味をひいたらしい。
二
「――管輅の郷土に、牛を飼っていた女がいました。ある折、牛を盗まれたので、管輅のところへ泣いて卜を乞いに来たそうです。そこで管輅が一筮して言うには、
――北渓ノ西ヘ行ッテミナサイ。下手人ガ七人居ル。皮ト肉トハ、未ダ有ルダロウカラ。
と。――そこで女が行ってみると、果たして一軒の
茅屋に、七人の男が車座で、牛を煮て

いながら酒もりしていたそうです。すぐ所の役人へ訴えたので、七人の泥棒は
捕まり、皮と肉は、女の手へ戻されたそうです」
「おもしろいものだな。易というものは、そんなにもあたるものかの」
「今申し上げた牛飼いの女の事が、太守に聞こえたので、管輅を召し、山鶏の毛と、印章の囊を、べつべつな筥に匿して卜わせてみたところ、寸分たがわず、あてたと申しまする」
「ふふむ......」
「それから
顔の話は、もっと有名です。ある春の夕べ管輅が道を歩いていると、ひとりの美少年が通りかかりました。管輅は、人を見ると、すぐ人相を
観ることが習癖のようになっているので、思わず口走ったものとみえます。――ああ、少年、惜しいかな、三日のうちに死せんと。――それが凡人の言なら、戯れとも聞き流しましょうが、評判な
卜の名人の言でしたから、少年は泣き泣き走り去って、父親に告げました。父親も
蒼くなって、何とかして三日のうちに、死ぬことのないように、
禍をまぬがれる工夫はないものでしょうかと、管輅の家へ泣きついて来たのですな」
「それだ」と、曹操は、待っていたように、
「過ぎ去った事だの、筥の中に匿してある物をあてたところで、何の世人の益にもならない。未然の禍を防ぐということができるものか否か、わしはさっきから聞きたかったのだ。で、管輅は何といった?」
「人命はすなわち天命、人事及び難し。――断ったのです。けれど老父も美少年も泣いてやみません。あわれを覚えて、つい管輅が教えました。一樽の佳酒と鹿の脯、を携えて、あした南山を訪えと。そして、南山の大きな樹の下に、碁盤をかこんで、碁を打っている二人があろう。ひとりは北へ向かって坐し、紅衣を着、容姿も美しい。またひとりは、その貌、極めて醜いけれど、共に、貴人であるから謹んで近づき、酒をささげて、希いを乞うがよい。ただし管輅が教えたなどということは、おくびにも出してはいけないぞ。――そう固く戒められた上、老父と少年は翌日、酒を携えて、南山へ行きました。幽谷をさまようこと五、六里、果たして一樹の下に、碁を打っている二仙がいました。これなりこれなりと思ったので、静かに傍らに侍り、二人の興に乗じているところへ、酒をすすめました。二人とも夢中になって飲みかつ語り、また碁に熱していましたが、やがて打ち終わった様子に、老父が初めて、希いの趣を泣いて訴えると、紅衣の仙も、白衣の仙も、急にびっくりして、これはきっと、管輅の仕業だろう、困ったものだと、呟いていましたが、やがて懐から各々の簿を取り出し、――相顧みて――すでに人間の私的な施しをいま受けてしまったのだからもう仕方がない。この少年は本年で人生を終わることになっていたが、十九の上に、九の一字を加えてとらせん。いかにというと一方も、頷き笑って、九の字を書き加え、たちまち中天から鶴を呼んで、それに乗って飛び去ってしまったということです。――後に、少年の老父が、管輅に謝して、一体、あの碁を打っていた二人はだれですかと訊ねたところ、管輅がいうに。......紅き衣を着たひとは南斗、白い衣を着て容貌の醜いほうが北斗だよと言ったそうです。......何しても、そのため、十九歳で死ぬところだった少年が、九十九までは生きることになったというので、たいへん人々に羨まれていますが、その事あって以来管輅は、われ誤って天機を人界に洩らすの罪大なりと、自らふかくおそれつつしみ、以来、だれが何といっても、決してト筮を取らないことにしているそうです」
――だれが何といっても今は観ないと聞くと、曹操は急に、眼を爛とかがやかして、
「呼んで来い、ぜひ、その管輅を魏宮へつれて来い。どこにいるのか、今は」
「平原の郷里にかくれています」
「おまえが行って来い。迎えの使に」
「かしこまりました」
許芝は、倉皇と退出した。
三
管輅はかたく召しを拒んだ。けれど許芝が再三の懇望と、魏王の命というのにもだし得ず、ついに伴われて、曹操の前に出た。
曹操は、まず言った。
「卜聖。ひとつ予のために、予の人相を卜って観てくれぬか」
管輅は笑って答えた。
「大王はすでに位人臣を極めたお人。何の今更、相を観る余地がありましょう」
「しからば、予の病に就いて卜え。何か妖者の気でも崇っているのではないか。その辺のことをひとつ」
と、彼は近ごろしきりに気になっている左慈の事件を仔細にはなした。
すると管輅はなお笑って、
「それはみな世にいう幻術というものです。幻語幻気を吐いて、巧みに人の心眼を惑わし、即妙の振舞をして見せるものですが、もとより実相のものには非ず、大王何ぞ御心に病むことやある。奇妙というにも足らないではありませんか」と、言った。
曹操は急に気の霽れ上がったような顔をした。本来の彼の知識も彼を醒ました。
「いや、そうか。そう言われてみると、濛気の開けるような心地がする。――さらば、小さい私事を離れて、更に大きな問題に就いてたずねたいが、いったい将来の天下はどうなるだろう」
「茫々たる天数、何で、小さい人智をもって、測り得ましょう。訊く方が御無理です」
管輅はあえて天眼を誇らない。むしろ凡々と装って、そういう大事に語を避けた。
けれど曹操が、世間ばなしのごとく、打ち解けた
態をもって、諸州の形勢をものがたり、
玄徳、
孫権などの

に及び、それとなく各国の軍備や兵力、また文化の進展などに就いて、飽くなく話しかけると、管輅もそれに
釣られて、自己の見解を述べ、天数運行の理をもって、事ごとに、判断を下した。
曹操はすっかり傾倒してしまった。彼も天文や陰陽学には並ならぬ興味をもっているので、管輅が世の常のいわゆる売卜の徒でないことを早くも認めて、
「汝を太史官に補して、つねに魏宮に置きたく思うが、どうだ、予に仕えないか」
と、心をひいてみた。
管輅は、首を振って、
「折角ですが、私の人相は、官吏になる相でありません。額に坙骨なく、眼に守晴なく、鼻に梁柱なく、また、脚に天根なく、腹に三壬なし。もし私が官吏なったら身を敗るのみです。如かず、泰山にあって、鬼を治すべし。生ける人を治する器ではありません」
「さすがによく己れを識るものだ」と、曹操はいよいよ彼を信じて、その人を治すものは、どういう器だろうか。たとえばわが臣下のうちでは、だれとだれであろうかなどと問うたが、管輅は、
「それは、大王の御眼鑑のほうがはるかに確かでおいででしょう」
とのみで、あえて、明答しなかった。
曹操はかさねて、
「このところ、呉の国の吉凶はどうだろう」
と、敵の運命を質した。
管輅は言下に言った。
「呉では、だれか有力な重臣が死ぬと思われます」
「蜀は?」
「蜀は兵気さかんです。察するに、近日、界を侵して、他を犯すこと必然です」
すると、幾日もたたないうちに合淝の城から早馬が来て、
「呉の功臣魯粛が、病にかかって、過ぐる日、病死いたした由」と、報らせてきた。
更に、曹操を驚かせたものは、漢中からの使者による、
「蜀の玄徳、すでに内治の功をあげ、いよいよ馬超、張飛の二軍を先手として、漢中へ進攻の気勢を示す」という情報であった。
管輅の予言は、二つとも、的中していた。曹操はすぐ出馬を計ったが、管輅はふたたび予言して、
「来春早々、都のうちに、かならず火の禍がありましょう。大王は滅多に遠くへ征くべきでありません」
と、告げたため、彼は、曹洪に五万騎をさずけてさし向け、身は、鄴郡にとどまっていた。
正月十五夜
一
漢中の境を防ぐため、大軍を送り出した後も、曹操は何となく、安からぬものを抱いていた。
管輅の予言に。――明春早々、都のうちに、火の災あらん――とあるその事だった。
「都というからには、もちろん、この鄴都ではあるまい」
夏侯惇をよんで、兵三万を附与した。そして、
「許都に入らず、許都の郊外に屯して、不慮の災に備え、また長史王必を府内に入れて、御林の兵馬は、すべて彼の手に司らせよ」と命じた。
司馬仲達が、側で眉をひそめた。
「王必を御林軍の師団長に任ずるのはいかがなものでしょうか。彼は酒を好み、弛みのある男ですから、悪くすると、軍の統率を誤るかもしれません」
「いや、王必の短所は、予も知っているが、あれも長らく麾下にあって、予と艱難を共にし、まずまず忠実に勤めて来た者。今日、御林軍の師団長ぐらいに挙げてつかわしても、そう破格なこともあるまい」
曹操には、曹操にも有るのかしらと思われるような、こういう一面の寛度と情味もあった。ここらが、彼に仕える人物が長く彼を離れないでいる一つの理由というよりはうま味というものであったろう。
ともあれ、命をうけた夏侯惇は、兵をひきいて、許都の府外に宿営し、王必はそういうわけで、御林軍の長となって、日々、禁門や市街の警備にあたり、その営を東華門の外においていた。
これは曹操にしてみれば災を未然に防ぐ消極的な一工作に過ぎなかったが、皇城を中心として、彼の魏王僭称以来、とみに激化していた純粋な朝臣たちには、かなり大きな刺戟を与えた。
「近衛の司令を、王必に替え、府外に三万の兵を待機させておくは、何か容易ならぬ企みがあるに違いない」
「おそらく、曹操がこの次に望んでいるものは、魏王以上のものだろう。近いうちに、不逞な実行をあえてして、おのれ漢朝の世代を継いで皇帝を名乗らんとする下心にちがいない」
早くもこういう見解が、一派の漢朝の忠臣間に囁き伝えられた。さなきだに曹操が魏王を称して、天子にひとしい車服儀仗を用いるを眺めて、切歯扼腕していた一派の輩は、
「捨ておくべきでない」と、同志のあいだに、密々、連絡をとっていた。
ここに、耿紀字を季行という者があった。侍中の少府に奉仕し、つねに朝廷の式微を嘆き、同志の韋晃と血をすすり合って、
「いつかは」と、時節を期していたところが、この情勢なので、当然、大きな衝動をうけ、
「われら漢朝の旧臣たるもの、豈、曹操と共に大悪を成すべけんや」
と、ひそかに友の韋晃に心中を洩らしていた。
韋晃も言った。
「坐して、その大悪を見ているにも忍びない。むしろ、彼等の機先を制し、かねての大事をこの時に挙げるに如くはあるまい。――それには、もう一名、有力な味方も見つけておいた」
「それは頼もしいが、魏王に媚びざれば、人でないかのような今、そんな人がいるだろうか」
「漢の金日磾の末裔――あの金褘だ。実はその金褘と自分とは、友人以上の情をもって交わっている」
「それやあ、あてにならん」
耿紀は失望したばかりでなく、かえって、同志のひとりがそんな者と親しいのを、非常に不安がるような顔をして言った。
「金褘といえば、王必の親友じゃないか。その王必は、曹操の股肱だ。――君ひとりが金褘にとって無二の友だなんて己惚れていると、大きな間違いの因になりはせんか」
二
「いやいや。王必の交わりと、自分との交わりとは、まったく意味がちがう」――と、褘晃は自信をもって、
「試みに、君と僕と、ふたりして金褘を訪問し、彼の心をひいてみるのが一番いい」と、言った。
「さらば、金褘の志を、試したうえで」と、二人は早速、その邸へ出向いた。家園は郊外に近い閑静なところにあり、主の風雅と、清楚な生活ぶりが窺われる。
「これはおめずらしい。折角のお越しでも、何もないが、悠りと茶でも煮て語りましょう」
「いや御主人。きょうは友人の耿紀と一緒に、ちと俗なお頼みで来たので。詩画の談はあとにして下さい」
「わしに、お頼みとは?」
「余の儀でもありませんが、近いうちに、魏王曹操には、いよいよ漢朝の大統をみずからお継ぎになろうとするのではありませんか。――何となく情勢から推してそんな気がするのですが」
「ふむ。......そうかの」
「――と、成れば、きっと、尊台にも、御栄職に就かれ、いよいよ官位もお進みになりましょう。その折には、ぜひわれら両名にも、何か役儀を仰せつけ下すって、日ごろのよしみに御引き立てくださるよう。今からお願い申しに来たわけです」
ふたりが

って
頭を下げると、
金褘はその間に、黙って席を立ってしまった。そして、ちょうどそこへ、召使いが茶を運んで来ると、
「こんな客に茶など出さなくてもよい」
と、盆ぐるみ奪り上げて、庭園へ抛り捨てた。
むっとした色を見せて、韋晃も立ち上がり、耿紀も席を蹴った。
「こんな客とは何だっ、こんな客とは!」
「客というもけがらわしい。疾く帰り給え。人なりと思えばこそ、客として室に迎えたものの、君らは人間ですらない」
「けしからぬ暴言を。――ははあ読めた。やがて自分の出世も約束されているので、もう高位顕官と気どり込み、われわれごとき末輩とは同席もならんいうわけか。はてさて日ごろの誼みなどというものは頼りにならんものだ。おい耿紀、こんな所へ引き立てを頼みに来たのが過りだ、帰ろう」
すると今度は、
主の金褘が、

の口に立ちふさがって通さなかった。
「待てっ、虫螻どもっ」
「虫螻とは、聞き捨てならん。汝こそ、常日ごろの友達がいも知らぬ犬畜生。居てくれと言っても、もう居てやるものか。そこを退け」
「たれが、引き止めるものか。しかし一言言って聞かせることがある。よく聞け。そもそも、汝のごとき若輩でも心の友よと、ひそかにわしがゆるして居たのは、ただただ互いに漢朝の旧臣たり、また、年久しき帝の御悩みやら、朝儀の御式微を相嘆いて、いつかはこの浅ましき世を建て直し、ふたたび回天の日を仰ぎ見んものという志を同じゅうする者と思えばこそであった。――しかるに何ぞや、いま黙って聞いていれば、魏王がやがて漢朝の代を奪ることも近いであろうから、そのときには、よき官職に取り立ててくれと? ......よくそんな事が漢朝の臣として言えたものだ。実に聞くだに胸がむかついてくる。卿等の祖先はいったい、曹操の下僕だったのか。いやしくも歴代朝門に仕えて来た人々の末裔ではないか。泉下の祖先たちはおそらく慟哭しているだろう。――そしてこの金褘がかく罵ることばを、よく言ってくれたと、せめて慰めているにちがいない。ああ、言うだけの事を言って胸がすうっとした。もう用はない。絶交だ。とっとと裏口からでもどこからでも出て行くがいい」
「............」
耿紀、韋晃のふたりは、思わず眼を見あわせた。
そして、領きあうと、
「今のおことばは御本心ですか」
と、左右から摺り寄った。
金褘は、なお怒りを醒まさず、
「あたりまえだ。本心でなくてこんな事が言えるか。さあ、文句を言わずに出て行き給え」
と、身をひらいて、
口を指さした。
三
「先刻からの無礼はおゆるし下さい。実は、あなたのお心を試したのです。鉄石のごとき忠胆、いつに変わらぬ義心、よく見とどけました」
韋晃も、また耿紀も、そう言って、彼の足もとへひざまずいた。
金褘は茫然としていた。
そこで初めて、二人は意中を打ち明けた。今にして日ごろの素志を貫かなければ、ついに曹操の大野望は、難なくここに実現を見ることになろうと、近時の形勢から推論して、
「まず、彼に先んじて、王必を刺し殺し、御林の兵権をわれわれの手に収めてから、天子を擁して、急使を蜀へ奔らせ、蜀の玄徳に天子を扶けよと、綸旨を伝えるならば、この際、曹操を伐つことは決して難事ではないと考えられます。どうか、あなたはわれわれの上に立って、禁門方を指揮して下さい」と、涙をたれて赤心を吐いた。
金褘はもとよりそれにも勝る憂いを抱いていたので、互いに手を取って朝廷のために哭き、
「誓って国賊を除かん」
と、恨気天を衝くものがあった。
以来、日々夜々、同志は人目をしのんでは、金褘の家に会していたが、ある折、金褘が二人に諮った。
「卿等も、あるいは御承知だろうが、亡き大医吉平の子に二人の遺子がある。兄を吉邈といい、弟を吉穆という。父の吉平は、知ってのとおり、国舅の董承と計って、曹操をのぞかんとし、かえって事あらわれて、曹操に斬られた者だ。――今、その兄弟をよんで、われらの企みを話してやれば、おそらく、彼等は、勇躍して、父の仇を報ぜんというであろう。そしてかならず味方の一翼となること疑いないが、卿等はどう思われるか」
「それはぜひ呼んで下さい」
「異存なければ」と、金褘はすぐ使いを出した。
若い凜々しい男が二人、夜に入ってやって来た。大医吉平の子である。父を曹操に殺され、世にも出ず、人の情けで育てられて来たこの多感な若者たちが、金褘、韋晃などから大事を打ち明けられて、「時こそ来れり」と、感奮したことはいうまでもない。
かかるうちにその年も暮れた。そして正月十五日の夜は、毎歳、上元の佳節として、洛中の全戸は、紅い燈寵や青い燈を張りつらね、老人も童児も遊び楽しむのが例になっている。
一同は、この夜を、大事決行の時と、手ぬかりなく、諜しあわせていた。
その手筈は。
東華門の王必の営中に、火がかかるのを合図に、内外から起こって、まず彼を伐ち、すぐ一手になって、禁裡へ馳せつけ、帝に奏して、五鳳楼へ出御を仰ぎ、そこへ百官を召し集めて、画期的な宣言をする。同時に、帝の綸旨を、請う。
一面、吉邈兄弟は、城外に火を放って、声々に、
(天子の勅命によって、こよい国賊を伐つ。民は安んじて、ただ朝廷をお護りし奉れ。若き者は、錦旗の下に馳せつけ、一かたまりとなって、鄴都へすすめ。鄴都には悪逆無道、多年、天子を悩まし奉り、汝らを苦しめたる曹操があるぞ。蜀の玄徳も、すでに曹操を討つべく、西より大軍をさし向けつつあるぞ。行けや、行けや、時を移すな)
と呼ばわらせ、御林軍のほかに、民兵も大いに集めて、気勢を昂げようというのであった。
各々、秘密をちかい、天地に祈って、血をすすり、待つほどに、その日は来た。正月十五日の黄昏どき。
耿紀、韋晃たちは、前の日から休暇を賜わって、各各の邸にいた。手飼いの郎党から召使いの奴までを加えると四百余人はいる。また吉邈兄弟も、親類一族をかりあつめ、約三百余人の同勢を作って、
「郊外へ狩猟に行く」
と称し、ひそかに武具を

え、馬を
曳き出し、物見を放って、街の空気を
窺わせていた。
さて、もう一名の同志金褘は、王必と交わりがあるので、夕方から彼の招待をうけて、東華門の営へ出かけていた。
御 林 の 火
一
街は戸ごとに燈火をつらね、諸門の陣々も篝に染まり、人の寄るところ、家のあるところ、五彩の燈に彩られているため、こよい正月十五日の夜、天上一輪の月は、なおさら美しく見えた。
王必の営中では、宵の口から酒宴がひらかれ、将士はもとより、馬飼いの小者にいたるまで、怪しげな鳴り物を叩いたり、放歌したり、踊ったり、無礼講というので、いやもうたいへんな賑わいだった。
「もう、もう......飲けません。ぼつぼつ、お暇を」
金褘は、大酔を装って、酒席を退がりかけた。王必が、眼ばやく見つけて、
「いつになく、早いじゃないか。酒宴はこれからだ。まあ座に戻り給え。おいおい、金褘を帰してはいかんぞ」
盃を持った手を高く挙げて、遠くから声をかけていると、そのとき営中の二ヵ所から火が出たと告げる者があって、酒席は一瞬のまに暗黒となった。
「どこだ」「何事か」「過失か、
放け火か」「
喧嘩だろ」「いや、
謀
人だ」
騒然たる口々の声もすでにむせるような煙につつまれ出した。火はまさしく営内のすぐ裏と南門の傍から燃え出している。
金褘のすがたはいつの間にか見えなくなった。さては企む敵こそあれと、王必は、あわてふためいて、馬に打ち乗り、南門の火の手を望んで、奔り出して行ったかと思うと、その肩へ、矢があたって、彼は馬上から勢いよく転げ落ち、馬はそのまま、煙の中へ馳けこんでしまった。
そのとき西門、南門から営中へ
斬り込んで来た一隊の
乱軍がある。王必を射たのは、その先頭に立って来た
耿紀だった。ところが耿紀は、自分の射た敵が、まさか王必とは思わなかった。王必はもっと営中の奥深くにいると信じていたために
「余人や雑兵に眼をくるるな」
と、見す見す落馬していたものを馬蹄の下にして、先へ奔迅してしまった。
王必は、そのため命びろいしたようなものである。混乱の中に馬をひろい、燃えている南門の外から市街へ逃げ出した。彼の想像では何万という敵が足下から起こったように感ぜられたに違いない。
わっわっと、後ろから黒い人影が追って来る。彼の部下なのだ。しかし彼はそれすら、敵ではないかと、生きたそらもないらしい。
郊外にある夏侯惇の陣地まで急を告げに行くつもりだったろう。ところが、道を間違えて、あちこち、馳けまわるうち、肩の痍からあふれ出る血しおに、眩暈を覚えて、また馬を捨ててしまった。
「そうだ、金褘の邸は、たしかにこの辺......。金褘の家で痍の手当てをして行こう」
蹌踉と訪ねあてて、あわただしく、門を叩いた。
すると、邸のうちには、門番もいなければ、奴僕もいないらしい。ほどなく答えがあって、奥の方から、燭の光がうごいて来た。金褘の妻が自身そこを開けに近づいて来るようだった。
金褘の妻は、心のうちで、門を叩いているのは、
良人が帰って来たものとのみ思っていたのである。近づいて、

の
閂を内側から外しながら、
「オオ。お帰り遊ばせ。今すぐに開けまする。......王必は首尾よくお討ち取りになりましたか」
「えっ?」
王必は仰天した。
さては、こよいの

乱は、金褘が張本人だったかと、初めて
覚ったので、
「いや、門違いした。御免」
と言い捨てるや否、倉皇と馳け出して、こんどは、曹休の邸へ行った。
曹休の郎党は、みな物の具をつけて、戸外に整列し、火の手を見ながら、主人の命を待っていたところである。
「王必が、血まみれになって来ました」
と、家人の取り次ぎに、曹休はすぐ彼に会った。そして仔細を聞き取ると、
「それは容易ならぬ計画の下に行なわれた仕事に違いない。すぐ宮中へ行って、帝の御座を護れ」
と、居合わす一族と郎党をひきいて、火の粉の降りしきる下を禁門へ向かって馳け出した。
二
市中といわず、禁門の中といわず、火の狂うところには、
「逆、曹賊を殺して、順、漢室の復古を扶けよ」
という声があった。
また、諸声あわせて、
「死ねや死ねや。漢朝のために――」
と、悲壮な叫びが聞こえた。
けれど、
曹休を始め、曹氏の一族は、市街に戦い、禁門に争い、これもまた、命を惜しまず、
乱兵と
斬りむすび、よく宮中を守っていた。
かかるうちに、火は東華門から五鳳楼へ燃えて来たので、帝は御座所を深宮に遷され、ひたすら成り行きを見まもっておられた。
そのうち城外五里の地に屯していた夏侯惇の三万騎も、
「ただならぬ空の赤さ。何事か洛内に異変があるぞ」
と、早くも出動を開始して、続々、市街へ入って来た。
こうなってはもう金褘、韋晃、耿紀などの計画も、その成功を期することは覚束なかった。何よりは、帝の御動座を促して――と、禁中へ入ろうとしたが、すでに曹休が軍馬を並べており、王必を討ち取って、これへ合流するはずの金褘、耿紀などはいつまでも来ない。
当然、韋晃は苦戦に陥ったのみならず、こういう手違いと情勢の不振を見たため、御林軍の多くは、二の足を踏んでしまい、予定のとおり錦旗の下に集まって、反魏王、反曹一族の声明をすることすら避けてしまった。
あわれを止めたのは、大医吉平の子、吉邈兄弟である。民衆に檄を伝えて街頭から義兵を糾合するつもりで、大いに活躍していたが、たちまちこれへ殺到した夏侯惇の大軍に出会うや、ひと堪りもなく剿滅され、吉邈も吉穆も兄弟枕をならべて討ち死にしてしまった。
騒擾は、暁まで続いた。しかし余燼のいぶる朝空に、陽が昇ったころには、
「昨夜、洛内を騒がした反り忠の者ども、首謀者以下、あらまし召し捕り終わんぬ。ねがわくは、御安堵あらせ給え」と、夏侯惇の口上をうけた急使やら、戦況を告げにゆく早馬やらが、鄴郡へ向かって頻繁に立っていた。
曹操は、この訴えに、
「さてこそ、管輅の予言はこの事であったか」
と、思い当たると共に、朝廷の内深く潜んでいる漢朝旧臣派の根づよい結束に身の毛をよだてて、
「こういう時は、根を刈らねばならん。およそ漢朝の旧臣と名のつく輩は、その位官高下を問わず、一束にして、鄴郡へ送りよこせ」と、厳達した。
もちろんそれは、今度の魏王顚覆計画の実際運動には加盟していない者だけであって、いやしくも金褘や耿紀の徒と、少しでも交渉があったとか、日ごろの言動がくさいと睨まれている者は、ことごとく、市に引き出して、その首を刎ねてしまった。
熱血児耿紀は、うしろ手に縛されて、大路を曳かれて行きながら、天を睨んで、
「曹操曹操。今日、生きて汝を殺すあたわずとも、死して鬼となり、かならず数年のうちに、汝を鬼籍に招いてやるぞ。待っておれっ」
と、罵って熄まなかったという。
同志の韋晃は、刑場に坐って、すでにその頭へ、刃の下らんとする刹那、
「待てっ」
と、刑吏をにらみつけて、からからと自嘲を洩らしたと思うと、
「恨むべし、恨むべし。天にあらず、微忠のなお至らざるを」
と、大きく叫んで、頭上の一閃も待たず、自らその頭を大地へ叩きつけて、歯牙も頭蓋骨も粉々に砕いて死んでしまった。
金褘の三族も、すべて死を蒙った。燈寵祀りのあとは昼も晦く、燃えいぶった宮門禁裡の深く、冬木立に群るる寒鴉の声もかなしげだった。
わずかに、心から市人の胸を慰めたものは、御林軍の大将王必が、矢痍が因で、これも間もなく死んだという事だけであった。
三
代々漢朝の臣であり、累代の朝廷に仕えて来た公卿だという理由だけで、たくさんな官人たちは車に盛られ、馬の背に乗せられ、まるで流民のように、許都から、鄴都へさし立てられた。
ここへ来て、彼等は初めて曹操の魏王宮を見、その華麗壮大なのに、呆気にとられた。
そして、心ひそかに、
「ああ、もう都は、許都にはなく、鄴都にあるようなものだ......」
と、つぶやき合った。
曹操は、この汚ない百官の群れを、その壮麗な魏宮の庭園に立たせ、
「先ごろの乱のとき、汝等のうちには、門を閉じて、ただ慄え上がっていた者もあろうし、また、敢然出て火を鎮めんと、働いた者もあるであろう。いちいち調べるのは、面倒くさい。あれに紅白二旒の旗が立ててあるから、火を防ぎに出た者は、紅の旗の下に立て、また、門を閉じて、出なかった者は、白い旗の下にかたまれ」と、言いわたした。
まるで児童あつかいである、あわれや、衰えたりといえ、朝夕、禁裡に仕える身なるものをと、悲涙をのみ、憤怒を抑えていた者もあろうが、色にでも、そんな気ぶりを現わしたら、すぐ首が飛んでしまう。
「......?」
官人たちは、お互いに右を視、左を視、どっちへ行こうかと、迷っているふうだったが、期せずして、全人員の八割までが、ぞろぞろと、紅い旗の下へ馳け集まった。
これは、各々が、
「もし、門を閉じて、出なかったといえは、きっと過怠なりといって、咎めを受けるにちがいない。都下の騒擾と共に、火を防ぎに出たといえば、何の罪科にも触れはしまい」
という心理であった。
ところが、曹操は、高台の上からそれを見届けるや、叱呼して、武将に命じた。
「よしっ。紅の旗の下に集まった輩は、残らず、異心ある者と見てよろしい。一人のこらず引っ縛って、漳河の岸へ引っ立てろ。もちろんみな打ち首だ」
驚いたのは、四百余名の官人たちである。彼のいる高き台を仰いで、悲鳴を放った。
「罪なし、罪なし。われらに、何の罪があってぞ」
「非道ではないか」
「無情ぞや、魏王」
しかし曹操は、耳のない人のようにいや涙すらない巨像のように漳河の水のほうを見ていた。
残るわずかな官人――白旗の下に立った者だけは、是を赦して、許都へ返させた。
同時に宮廷の侍側、閣員、内外の諸宮人などに、大更迭が行なわれた。
鍾繇を相国に。
華歆をして御史大夫に。
また曹休を、王必亡きあとの、御林軍総督に任じ、更に侯位勲爵の制を、六等十八級にさだめて、金印、銀印、亀紐、鐶紐、紫綬などの大法を、勝手に改めたり、それを授与したり、ほとんど、朝廷を無視して、魏王の意のままとなした。
従って、曹操の一族とか、その一族に附随する者どもとかの専横、独善、依怙、驕慢ぶりなどは、推して知るべきものがあった。まことに、曹氏の縁につながり無くんば、人と生まれても人にはあらず、とだれやら慨嘆したことはそのまま、いまや許都の常識とまでなりつつあった。
その曹操も管輅の卜にはひどく、傾倒もし、感謝もしていたらしく、
「実に、よくあたった。実に汝の予言に従わず、予が漢中に遠征していたら、大事はもっと大事と化し、それこそ一夜に消せない火の災いとなっていたろう。――褒美をやる。管輅、何なりと望め」と、言った。
すると、管輅は、
「私には、火を防ぐ力も、水を支える力もありません。大王が鄴都にとどまったのも天の定数です。許都の乱も約束事です。また私が大王に見出されて、予言申し上げたのも、おそらく天意でしたろう。こう考えると、私が大王から恩爵をいただく理由はちっともない。拝謝いたします。御褒美の儀は御かんべん下さい」
どうしても彼はそれを受けなかった。
陣前公用の美酒
一
四川の巴西、下弁地方は、いまや漲る戦気に、雲は風を孕み、鳥獣も声をひそめていた。
魏兵五万は、漢中から積極的に蜀の境へ出、その辺の嶮阻に、霧のごとく密集して、
「寸土も侵させるか」と、ものものしくも嘯いていた。
正面の敵は、馬超だった。――馬超は下弁方面に、張飛は巴西から漢中を窺って来たのだ。
そして、魏のほうの総大将は曹洪、その下に張郃、兵力と装備においては、圧倒的に、魏のほうが優れてみえる。
序戦は、その主力と馬超の部下、呉蘭、任雙の兵とから開始され、その第一戦に、任雙は討たれ、呉蘭は敗走した。
「なぜ、敵を軽んじるか。以後は嶮を守って、滅多に動くな」
馬超は、呉蘭の軽忽な戦を大いに叱った。彼は、魏兵のあなどり難い強さを、骨身に沁みるほどよく知っていた。
曹洪は、怪しんで、
「どうしたのだろう。いくら攻めても、馬超は動かん。あの精悍な男が、こうじっとしたままでいるのは、何か謀略かも知れぬぞ」
緒戦の戦果を、後の大きな損害の代償にすまいと曹洪は大事をとって、一応、南鄭まで兵を退げた。
張郃は面白くない顔をした。
「将軍、何だって、せっかくの勝運を、図に乗せないで、退がったのですか」
「都を出るとき、管輅に卜を観てもらったら、彼が曰った。――このたびの戦場では、ひとりの大将を亡うであろうと。故に、あえて入念に作戦しているわけだ」
「あははは。これは意外。閣下もすでに、五十に近い御年齢。しかるに、卜などに心を惑わし給うとは。しかも鬼神も避けしめるという武将でありながら。――あははは、どうも人にはどこか弱いところがあるものですな」
それから後、張郃はまた、
「てまえに、兵三万をお頒かち下さい。巴蜀の方に、のこのこ頭を出して来た張飛の軍を、一叩き叩いて後の憂いを断って釆ますから」と、言った。
曹洪は、彼が、張飛をあなどっている様子を、かえって危うく思い、
「滅多には成るまい」と、容易にゆるさなかった。しかし張郃は、自信満々で、
「人はみな張飛をひどく恐れますが、てまえの眼には、小児のようにしか見えない。もし将軍が少しでも彼を恐怖するようだと、士卒までが、張飛と聞いただけで、負けるものときめてしまいますよ。それでもよろしいので御座るか」
と、
味まじりに、なお
執こく、自説の実行を求めるのだった。
曹洪も、そこまで言われては、自分が戦って見せるか、彼の乞いを許すしかない。しかし、なお一抹の不安を抱いて、
「そんなに言うが、もしそういう貴公が敗れを取ったらどうするか」
「御念には及びません。もし張飛を生け捕って来なかったら、軍法に正して、どう罪せられても、恨みとは存じ申さん」
「よろしい。軍誓状を書き給え」
「もちろんどんな誓紙でも書きます」
ついに、張郃は、三万の兵を乞いうけた。自分が総指揮官となって、意のままに作戦し、思うように戦ってみたかったのである。意気揚々、巴西へ向かった。
この巴西方面から閬中(重慶の北方)のあたりは、山みな峨々として、谷は深く、嶮峰は天にならび、樹林は千仭の下に埋ずもれ、いったいどこに陣し、どこに兵馬を歩ますか? ――ちょっと見定め難いような地勢ばかりだった。
張郃は、三ヵ所に、陣地を構築した。――というよりも、天嶮へ拠って、巣を作るようにたて籠った。
一ノ陣を、宕渠寨とよび、二ノ陣を蒙頭寨と号し、三ノ陣を、蕩石寨と称えた。
「いかにやいかに。敵も見よ」
と、まずその布陣を誇って、兵力の半数をそこに置き、あとの一万五千をひきいて、みずから敵の巴西間近へつめよせた。
二
張飛は、部下へ諮った。
「どうだ雷同。――来たそうだが」
「来たのは、張郃だそうで」
「一万五千。蟻のように、踏みつぶしてみたいな。守って戦うか。出て行くか」
「地勢の岨しい所です。出かけて行って、不意をついた方が、面白いかもしれません」
「よかろう。出陣だ」
各々、五千ずつの兵力をひッさげて、張飛、雷同の二隊は、巴西を発していた。
はからずも、この軍と、魏の張郃の兵とは、閬中の北三十里の山間で、約束したようにぶつかった。
「見たぞ、張郃の姿を」
張飛は、獅子を飛ばすように、馬を使って、渓谷や山間の敵を蹴ちらし始めた。
張郃は、予期しなかった敵にぶつかったのと、峰谷谷のすさまじい喚の声に、
「はてな?」と自分の位置を、危惧し出した。
振りかえってみると、後方の山にも、蜀の旗が立っているし、はるか下の方にも、蜀の旗が見える。彼は、退路に、危険を感じた。
こういう心理が首脳にうごいたとき、もう全軍は支離滅裂であった。いや張郃自身すら、
「おおういッ、待たんか」と、呼ばわり呼ばわり追いかけて来る張飛にうしろを見せていた。
つい先ごろ、曹洪の前で吐いた大言を、彼は途端にどこかへ忘れ飛ばしていた。それに張飛が飲み友達でも呼ぶように、暢気に呼ばわって来る声が、雷鳴に似た烈しさよりも、かえって不気味に聞こえるのだった。
「退けや、退けや。ひとまず退け」
部下にも、逃げることのみ励ました。そして、蜀の旗が見える山は避けて廻ったが、それはみな擬兵に過ぎなかったことがあとでわかった。先廻りした雷同が、諸所へ兵を登らせて、やたらに旗ばかり立てていたのである。
――が、そう知ったときは、すでに遅い。いちど崩れた陣形は、すぐ立て直しがつかなかった。ことに嶮岨な山岳地帯では。
「寨門を閉じろ」
からくも、辿りついた一寨――宕渠寨のうちへ味方を収めると、彼は、激しく岩窟の門をふさぎ、渓谷の柵門を固め、また絶壁の堅城にふかく隠れて、
「戦うなかれ」
を、旗じるしにしてしまった。
張飛もまた、かなたの一山にまで来て、山陣を張り、ここに山と山と、人と人と、相対して、
「いざ、来い――」の態勢をとった。
ところが、張郃は、絶対に戦わない。こっちの山陣から小手をかざして見ていると、宕渠寨の高地へのぼって、毎日、筵を展べ、帷幕の連中と共に、笛を吹いたり、鼓を打ったり、酒をのんだりしている様子である。
「味な真似をしおるぞ」
張飛は、むず痒い顔して、その態を遠望していた。
「――おい、雷同。見たか」
「癪ですな。御大将」
「ひとつ、思い知らして来い。だが、いずれあんな事を誇示するときは、敵に計略があるときときまっている。下手な手に乗るな」
「心得ました」
雷同は、一手の勢をひきいて、向こうの山の下へ迫った。そして、声かぎり、口のかぎり、張郃を悪罵し、魏兵に悪たれ口をたたいた。
「――いかんわい。何の手ごたえもありはしない。出直そう」
いたずらに、口ばかり草臥れさせてしまった。――戦うなかれ、の敵の鉄則はひどく固い。
次の日も、繰り返した。
そして、前の日にも勝るほど、声をそろえて、彼を罵り辱しめた。けれど、宕渠の一山は、頑固な啞のごとく、うんもすんも答えない。
「かかれっ! 攻め登れッ」
とうとう雷同は癎癪を起こして、まず渓流を踏みこえ、沢辺の柵門へかかった。ばりばりとそこらを踏み破る。声をあわせて、山の肌に取っつく。
そのときたちまち万雷の一時に崩れて来るかのような轟きがした。巨木、大岩石、雨のごとき矢、石鉄砲など。
「待っていた」と、ばかり浴びせかけて来たのである。蜀兵の死者数百人、過日の勝ちを、この日に埋め合わされて、戦は五分と五分となり、またまた山と山は睨み合いに入ってしまった。
三
張飛の心ははなはだ安らかでない。この上はみずから乗り出すよりないと、翌る日、向こうの山の下へ部下を伴って迫り、雷同に命じたように、自分でもまた、声かぎりにさまざまな悪罵をあびせた。
張飛の悪口となると、なかなか雷同などの比ではなく、辛辣を極めたものであったが、依然、敵は緘黙を守りつづけている。
「敵もさるもの。よく辛抱する。これでは壁に唾、馬に説法。......どうもならん。少し推移を観てやろう」と、張り合い抜けの形で、彼はすごすごもとの山陣に戻った。
幾日かすると――。
何としたことか、今度は、張郃の陣から、こちらの山に向かって、悪罵が飛んで来た。
はるかに望めば、魏兵が山上にうち

い、いっせいに大声を発し、
悪たれをついているのだ。雷同はこれを
眺めて
切歯した。
「なかなか憎い致し方、この上は一挙に......」
と、真っ赤になっていきまくのを、張飛は、
「いまこちらが動いては、まんまと敵の術中に陥るというもの、しばらく待て」と、おさえた。
しかし、こんな状態が五十日余りも続いては、部下の兵士も安らかではない。不穏な形勢さえ見えてきたので、張飛は一策を案じてまた山を下って敵前に陣を構えた。そしてそこへ酒を運ばせ部下とともに酒宴を張り、大いに酔っては、山上に向かって悪罵すること、前よりもはげしかった。いい気持ちになって部下どもも、大いに声を張り上げて、張飛に和して罵りつづけた。
だが、張郃はこのさまを見て、
「張飛もついに自暴になったわい。必ず手だしをすな」
と、命じたので、山中はかえって静まりかえってしまった。
成都にあって、軍勢いかんを案じていた玄徳は、使者を張飛のもとに送り復命を待った。
やがて、使者のもたらした報告は、
「張飛の軍、閬中の北方において、張郃の兵とぶつかり、双方対陣のまま五十余日に及びますが、張郃いかに謀れども出でて戦わず、ために張飛は敵を欺くと称し、山を下って敵前に構え、毎日酒を飲んで、敵を罵りおります」というのである。
玄徳は驚いて、早速、孔明を呼び、張飛が悪い癖を出している様子であるが、どうしたものかと問うた。
委細を聞いて、孔明はカラカラと笑い、
「閬中にはおそらく良い酒はありますまい。成都の美酒をあつめ、五十樽ほどを、車にのせて、早速送り届け、張飛に飲ませたらばよろしかろうと存じまする」
と、言った。
「とんでもないこと、大体、張飛は今までも、酒のために色々と失敗をしている。その上、成都の美酒を送れとは、解せぬことを申すものかな。彼美酒に酔うて、ついには張郃に害められるに至ろうとも知れぬ」と、忿懣の色を顔にみなぎらせた。
孔明は、またニコリとして、
「あなたは、張飛とは随分長い年月、兄弟のように交わっていられながら、彼の本当の胸のうちをまだ御存じないと見えます。張飛が、いつぞや、蜀に入る時に、厳顔をゆるして味方としたことを覚えておいででしょう。その折の計の深さは、とても、ただの武勇だけではできないことでした。いままた、宕渠の山前で、張郃と対陣し、しかも五十余日に及び、近ごろは酒を飲んで張郃を罵り、辱しめていると言う事ですが、こんな傍若無人ぶりは、彼の本心ではありますまい」
孔明の言葉は、玄徳を見つめたまま、熱をおびていた。
「必ずや、張郃をあざむくための、深慮遠謀あってのことと信じます。ただちに援けられた方がよろしいと思います」と、一気に言った。
玄徳はうなずいて、
「そうは思うが、どうも不安でならないのじゃ。言葉に随って、魏延を派遣して、援けるとしようぞ」と、孔明の説に動かされた。
四
孔明は玄徳の命をうけると、魏延を呼びよせて、
「成都の名酒五十樽を早速に調達せよ」と命じた。魏延は何事があるかと訝りながらも、ただちに集めて、孔明に示せば、孔明は黄色の旗に「陣前公用の美酒」と書きつけ、
「これを三輛の車に立て、ただちに宕渠の陣にある張飛が下に届けよ、とく行け」と、急がせた。
魏延はかしこまって、酒の輸送にあたった。
沿道の住民は、この異様な車輛に、目を
瞠って、何のおめでたかと

し合った。
宕渠の陣に着いた魏延から、この贈り物をうけた張飛は、大いに喜んで、その酒樽を拝した。
「わが事、これにて成就疑いなし」
と言って、魏延と雷同を呼び、
「魏延は、わが右翼にあれ、また雷同は同じく左翼に陣せよ、軍中紅き旗振るを合図として、その折は、全力をもって討って出よ」
と命じ、陣中は美酒を迎え、肴をあつめて、前にもました大酒宴をはじめた。
久しく軍旅にあって、口にしたくもできなかった、成都の名酒、宴ははずむばかりで、笑声山間に鳴るの感があった。
この様子をつぶさに眺めた張郃の見張りは、これを張郃に報じた。
「珍しきこともあるかな、どれ」
と、張郃は山上に現われ、はるかに張飛の軍を眺めやれば、張飛は中軍に陣して平坐、痛飲している様子。そして、二人の童子に相撲をとらせては、しきりと喜んでいるのがわかった。
対陣も久しきにわたっているし、心もそろそろ安らかでなくなっていた張郃は、
「張飛のやつ、いい気になって、あまりにも小馬鹿にした振舞、よし、今夜は山を下り、一気に敵陣を蹴散らして、目にもの見せてくれようぞ」と、蒙頭、盪石の二将に戦闘用意を命じ、これを左右とし、月明を利して、山を下り、張飛の軍に迫った。
敵前に近づいてから、なお眺めれば、依然として張飛は酒を飲んでいる。
折もよし、
「突っこめ!」の命ととも二ヵ所の勢、喊をつくって雪崩れ、鼓をうち、銅鑼を鳴らして、突っ込んで行った。
張郃は馬上にあって、目指すは張飛、今宵こそはといきまいて迫って行けば、酔いしれてわれを失ったか、目指す張飛の影は動こうともしない様子、馬を躍らせて手元にとびこみ、
「やあ!」と、一鎗に突き通した。
しかし、その手応えに、張郃は、はっとしてしまった。たしかに張飛と思ったのは、人に非ず草で作った人形だった。
「失敗った」と、あせり気味で後ろに退こうとすると、突然、鉄砲が響いた。それと同時に、一人の大将を先頭に、一群の兵が道をふさいだ。
先頭の大将は、と見れば、虎鬚さかさまに立ち、目は百錬の鏡に朱を注いだごとく、その叫ぶ声は雷も似て一丈八尺の大矛をふり廻し、
「やあ張郃。世にきこえた燕人張飛、ここにまかり出た。勝負ッ」
と言いざま、張郃の驚く鼻先へ切ってかかった。
張郃も咄嗟にこれをうけ、必死にうち合うこと四、五十合に及んだ。
その間に雷同、魏延の左右の軍も、それぞれ蒙頭、盪石の二手の勢と闘い、またたく間にこれを追いまくってしまった。
味方の崩れを見ながらも張郃はなお鋭い張飛の矛とうち合っていたが、かくするうちに、山上に、火がかかり、蜀の軍勢は勢いを得て、ますます数を増し、彼の周囲はすべて敵となってゆくのがわかる。
その上、退路も絶たれる様子に、このまま手間取っては、一命も危うしと感じたか、寸隙をねらって、馬に一鞭をあたえて逃げてしまった。
張飛は、この優位逃すべからずと、全軍になおも追撃をゆるめるなと号令して、遮二無二突進した。
敗 将
一
張飛の軍勢はすさまじい勢いで進撃した。魏延、雷同を両翼とした体勢もよかったのだ。逃げ足立った敵を追いまくり、切りふせ、蹴ちらして、凱歌は到るところに揚がった。
張郃が自信満々に構えた三ヵ所の陣は、またたく間に打ち破って、三万余騎の兵力もついに二万余人を失って、張郃自身、かろうじて瓦口関(四川省)にまで落ちのびて行った。
痛快極まる勝戦は、張飛の鬱積を吹きとばして、なおあまりがあった。早速に早馬を仕立てさせ、使者を成都の玄徳に送った。
玄徳の喜悦もまたひとしおで、
「孔明の明や深遠、清澄。閬中の勝報、わが想外にあり。善い哉、善い哉」と膝をうった。
瓦口関にまで逃げた張郃は、悲鳴をあげ曹洪に救援をもとめた。
曹洪はこの報らせをうけると、烈火のごとく怒って、
「張郃わが命を用いず、なまじ自信をもった戦をして、要害を奪われたのだ。今はわれに救援に送る兵なし、すべからく逆襲して、もとの本陣を奪取すべし」
と、峻烈な命を返してよこした。
曹洪の怒りを聞いて、張郃は驚き、怕れはひと通りでなく、新たに計を樹てて、まず残兵を集めて二手に分け、瓦口関の前に伏せ、本陣はなおも退却と見せかければ、張飛必ず追い来るに違いなし、そのときいっせいに打って出で、敵の退路を遮断すれば、挽回の端緒を得べしとなした。
「ものども、ぬかるなッ」と、厳命して、自ら一隊を率い、敵前に進み出た。
これを見た蜀の大将雷同、馬を飛ばして来て張郃にうってかかった。
御参なれ、と二、三合うち合った上、予定のごとく張郃は逃げにかかった。雷同は猛って、逃がさじと追って来る様子に、張郃ひそかに喜び、ころもよしと合図をすると、魏の伏せ勢一度に起こって、雷同の退路を断った。
「図られたかっ」と、気づいて、馬を回そうとするところを、張郃はにわかに追いかかって雷同を斬ってしまった。
このさまを見ていた張飛は、怒髪天をつき、馬を走らせて張郃に迫った。張郃は味をしめ、張飛としばしわたり合っては、逃げて誘おうとしたが、今度はこの計略もきかず、追って来ない。やむなく、張郃は戻りかえって刃を合わせては、一間でも二間でも引き込もうと骨を折ったが、張飛は限度を超えて深追いせず、そのうち馬首をめぐらして本陣に帰ってしまった。
引き上げた張飛は、早速魏延を呼びよせ、
「張郃め、まんまと計りおって、雷同の勢い立って深入りしたを、伏兵をもってあざむき殺してしまった。いま一戦を交えて、雷同の仇を討とうとしたが、敵に計のあるを見て引き返した。敵の計には計をもってせねばならぬと考えるが」
「して、そのお考えは」
魏延は友将を失って、気色ばんで訊ねた。
「うむ、われは一軍を率いて、明日、また正面より張郃にいどむ、汝は精兵をすぐり、敵の伏兵が、われの深入りを機会に、わが退路を断たんとするとき、山間に伏せて急に兵を二手に分け、敵の伏兵にあたり、一手は車輛に乾し草を山と積んで小路をふさぎ、これに火をつけよ。張郃を擒にして必ず雷同が仇を討ってみせる」
魏延は喜び勇み、配下の精鋭をすぐって、配備についた。
翌日。
張飛堂々と軍を進めて魏軍の正面を攻めた。
張郃はこれを見て、こりずにまたやって来おったかとばかり、みずから馬を進め、交戦十合ほどにして、きょうも、逃げの手をつかった。しかるに、来まいと思った張飛は、兵と一緒になって追って来る様子である。張郃はひそかに喜んで、伏兵の配陣よろしき地勢まで逃げた。
ここは山の腰のあたり、路は一筋、退路を断てば、敵の首筋を握ったと同然の地の利である。
「よし」と、思わず息を弾ませ、馬首をめぐらし、追い寄せ来た張飛の軍めがけて、一度に逆襲の形をとった。
二
雷同を討って、全軍気をよくしている矢先である。きょう目指すは張飛だ。張郃の下知は、水ももらさず行きわたって、見事に見える。
本軍と意気を合わせ、伏兵もたちまち左右から起こって、張飛の後ろを

ろうとしたが、なんぞはからん、目の前に立ちふさがったのは蜀の兵であった。逆に虚をつかれた張郃の兵は、たちまち乱れ、さんざんに打ち破られ
潰え、谷の中に追い込まれてしまった。
その上に、柴の車をもって細道を塞ぎ、いっせいにこれに火をかけたので、火焰は天に冲し、草木に燃えうつって、黒煙は土をおおい、張郃の兵は山中を逃げまどったが、森林地帯ではあり、思うに任せず、ついに一人も残らず焼死してしまった。
この一戦は、終始張飛の圧倒的な優勢裡にすすめられて、残り少ない敗残の手兵をあつめ、張郃は、命からがら瓦口関にのがれ、よじ登って、あたふたと門を閉じて、ここを死守すべく厳重に守った。
魏延を率いて、ここまで追いつめた張飛は、一気にこの関も破るべく、数日にわたって攻めたが、さすが名ある瓦口関である。要害は堅固で、また地勢嶮岨を極めて、揺ぎもしない。
張飛は正面攻撃をあきらめ、二十里後方に退いて、陣を構え、みずから手兵数十騎を選び伴い、山路の偵察を行なった。
ある日。
山道からふと見ると、百姓らしい男や女が幾人か、背に荷を負い、藤蔓にしがみつき、あるいは葛にとびついたりして、山を越えてゆく姿が張飛の眼にとまった。
張飛はこれを見て、魏延を側らに招き、馬上に鞭を上げて、
「魏延、あれを見たか。瓦口関を破る策は、あの百姓たちが訓えてくれるに違いない。それよりほかに破り得ることは不可能だ」と、確信に溢れた言葉。
魏延はすぐには、この意味が解し得ない様子で、
「............」
はるかに山上に姿を消してゆく人影を見送るばかりであった。
「だれか、直ちにあの百姓を追いかけ驚かさぬようにして、ここへ連れて来い」と張飛は命じた。
間もなく、兵は六名ほどの百姓を連れて来た。若い者も、老人も混じっていて、いずれも何か怯えた顔を土につけた。
張飛は、静かに、つとめて優しく、
「お前たちは、どうして、こんな嶮しい山路をたどって、この山を越えようとしているのか」
と、訊ねた。
年のいった百姓は、代表の格で幾分たじろぎながら、「はい、わたくしたちは、みんな漢中のものでございますが、いま、故郷へ帰ろうとここまで参りますと、なんでも、本道には激しい合戦があると聞きましたために、蒼渓をすぎて、梓潼山の檜釿川から漢中へ出ようと相談致しまして、この山へかかった訳でございます」と答えた。
「うむ」
大きくうなずきながら、張飛は再び質問を発した。
「この路は、瓦口関と余程離れているか」
「いや、それほどではございません、梓潼山の小路は、瓦口関の背後に通じております」
老人の答えは、思ったよりはっきりしていた。この答えに、張飛はいかばかり喜んだか知れなかった。百姓たちを本陣に連れて帰りそれぞれ褒美を与え、酒をふるまって犒った。
張飛は魏延を呼び寄せ、
「早速に兵を率い瓦口関正面に攻めかかれ、われは、あの百姓を案内とし、精兵五百あまりをひきつれ、小路を走って敵が背後に廻り、一気に張郃の軍の残余を潰減せしめよう」
と、全軍に下知し、張飛はすぐりの兵をつれ、魏延と瓦口関に勝利の再会を約して、左右に別れて発足した。
三
瓦口関に構えて一息ついていた張郃は、幾度かの敵襲も、堅固な関の救いに小揺るぎもなく、事なくすんだが、さて援軍が来なければ、ここから一歩も動きがとれない、ひたすら援軍を待つばかりであった。
しかし、待てど、暮らせど、友軍の来そうな気配が見えない。
日の経つにつれて、追い追いと心細くなって来るのを、どうすることも出来ない。物見を四方に立て、一刻も早く援軍来るの報を得ようと焦っている矢先、
「ただ今、関の正面に軍馬らしきもの近づいて参りました」と、物見の報告である。
「何、友軍か?」
「しかとはわかりませんが、魏延の兵と覚えます」
「何っ!」
張郃は顔色を変えたが、魏延の軍、いかに攻めようとも、また過日の悔いを再び味わうのみ、と努めて平然と、
「敵であれば、厳重に関を固めよ、そして、一部の兵はわれとともに来れ、堅塁を盾に、なおも一撃を加えてくれよう」
と、魏延の兵と一戦を交えようと、みずからも関を下って攻めかえそうとした。
その時、瓦口関の背後、八方から火の手があがり、たちまち燃えひろがる様子。
その煙の中を使者が駆け来って張郃に報告するには、
「いずこの兵かわかりませんが、突如火を放ち、背後から攻めて来て、関の兵は残念ながら乱れたっております」
張郃は馬首をかえして、瓦口関に戻り、敵はと見れば、旗をすすめて馬上にあるは、まぎれもない張飛の姿である。
彼は色を失った。
闘志はとうに無くなっている。逃げることだけが彼のすべてであった。
関の横を通じている小路をめがけ、馬を走らせたが、歩いて通るのもやっとの道であり、岩石が多く、馬は蹄を痛め、脚をすべらせ、思うようには動けない。もどかしくも鞭をあげて逃げる。
そこを逃がしはせじと、張飛はひたむきに追いかけてくる。
これまで、と、馬を乗り捨て、張郃は転ぶように、木の根にすがり、岩にかじりつき、生きた心地もなく、すり傷だらけになって逃げに逃げた。
やっと、追っ手をのがれてあたりを見ると、自分とともに助かったものは、情けなくも十四、五人、すごすごと南鄭にたどりついた時は、われながら、哀れな姿であった。
曹洪は張郃の敗戦を聞き、火のごとく怒って、
「われ再三、出ることなかれと命じたるに、汝は、勝手に軍令状を書いて、無用なる戦をなし、あまつさえ、敗戦あまたたび、貴重なる兵三万を失い、しかもなお汝のみ生きて帰るとは言語道断である。引き出して首を刎ね、この罪を謝さしめん」という
曹洪の怒りを聞いて、行軍司馬の官にあった太原陽興の出身で郭淮字を伯済と称していた者が曹洪を諫めて、
「三軍は得易く、一将は求め難し、と古人の詞にもございます。張郃がこのたびの罪は、誠に許しがたいものがありましょうけれども、しかし、魏王が前から愛されていた大将でございます。しばらく一命を助けられ、もう一度、御寛大な心から、五千余騎を彼に与え、葭萌関を攻めさせられたならば、蜀の軍勢は、この重要な関を守り固めるため、ことごとく引き返して参るに違いありません。さすれば、漢中はおのずから平安になるでありましょう」
郭淮の理をつくした言葉に、曹洪の怒りも幾分か和らいで来た様子だ。彼はなおも、
「もし、このたびの御命令もまた失敗するようでありましたならば、その時になってやむを得ぬことでございます。二つの罪によって、彼を誅すればよろしいでございましょう」
曹洪はこの言を容れ、張郃の一命は特に助けとらし、五千の兵を分かち与えて、蜀の葭萌関の攻撃を命じた。
老 将 の 功
一
郭淮の進言に面目をとどめた張郃は、この一戦にすべての汚名を払拭せんものと、意気も新たに、五千余騎を従えて、葭萌関に馬を進めた。
この関を守るは、蜀の孟達、霍峻の両大将であった。
張郃軍あらためて攻め来るの報を得て、軍議を開いた。
霍峻の説は、
「天然の要害にある葭萌関を、わざわざ出でて戦うは愚かである。関をたのんでよく守るが良策と思う」であった。
孟達はこれに反し、敵の来攻を待つは戦略の下である、すべからく関を出でて、即決進撃をはばむべしと称して退かなかった。
いくたびかの議は凝らされた結果、ついに孟達の議をとり、蜀兵は葭萌関を出陣して、張郃の軍と戦闘を交えた。孟達もみずから張郃にいどんだが、これはさんざんに敗れてしまった。
孟達が逃げ戻って来たのを見て、霍峻は驚き、成都に向かって救いの早馬を送った。
玄徳はこれを聞き、孔明を呼んで、策を議した。
孔明は、全軍の大将を集めて、
「ただ今、葭萌関から急使があった。一刻も早くだれか閬中に馳せ、張飛にこの旨を告げ知らせ、張飛の軍を葭萌関に回らせてはいかに」と口を切った。
これに対し、法正が立って、
「御説ではありますが、私の思いますに、張飛はいま瓦口関に兵をとどめ、閬中をすべて守っています。閬中はもちろん大切なところです。もし張飛を召しかえされると、必ず何か変事が起こるに違いありません。閬中はただ今のまま厳しく守らせ、だれかほかの大将をして葭萌関の危機を救援せしめ張郃を防がるるが良かろうと思います」
と、説を述べた。孔明はこれを聞いて笑いを浮かべ、
「張郃は張飛のため敗れたりといえ魏の名将です。尋常の男ではない。私の思うには、張飛でなくては彼と太刀打ちできるものはありますまい」
この言葉の終わるか終わらぬうち、激しく気色ばんだ老将の一人が立ち、声も荒々しく、
「軍師、貴殿は何故あって人を芥のごとく軽んじられるのか、我等、不才とは申せ、命あらは断じて征きて戦い、張郃の首を斬って参る覚悟があります。御言葉、非常に残念です」
と、一気に言った。
一座の瞳は、思わず彼に集まった。老将は即ち、黄忠であった。
孔明は、ゆっくりとうなずき、
「あなたの御言葉、まことに勇壮です。しかしながら、あなたは年すでに老い、とても張郃の相手にはなりますまい」と、言ってのけた。
黄忠は怒りに燃え、白髪さかしまに立てて、
「それがし、年老いたりとは申せ、臂力いまだ衰えは見せぬ、三本の弓一度に引き得べく、身は千斤の力をもっています。どうして老いたりと称してお用いにならぬのですか」
「いや、貴殿はすでに七十に近いのです。だれが老いていないと申せようか」
頑とした孔明の返事に、黄忠は業をにやし、つかつかと堂を下って、長刀を手にとり、これを水車のごとく右に左に、上に下にいと鮮やかに振り廻し、つづいて壁に掛けてあった強弓二張りをはずし、一息にこれを折って見せた。
黄忠のこの意気を眺め、覇気をみとめて孔明は、
「よろしい、では貴殿を救援に差し向けましょう。しかし、必ず副将を伴れてゆくことを命じます」
黄忠はいたく喜び、
「かたじけなし。厳顔はそれがしと共に、年老いています。共に参って、必ず敵を破り、万一あやまちあれば、老将二名、いのちに未練はありません、白髪の首を奉りましょう」
と、覚悟のほどを申し述べた。
終始、孔明と黄忠の論をうかがっていた玄徳は、老将の言葉にいたく満足して、黄忠の進発を許した。
二
玄徳の英断を、意外に思ったのは並いる諸将であった。わけても
雲たちは面白からず思って、
「いま張郃は兵を集め、葭萌関を攻めようとしている。誠に危急の時、何を好んでこんな老人を用いられ、子供の火遊びごときをなされますか、葭萌関にもしものことがあれば、蜀中に災いを起こし、またもし幸いに張郃を破った場合は、彼等は図にのって、きっと漢中を攻めとるに違いありません。危険なことです。軍師、どうか熟考なさっていただきたい」
と、縷々と述べた。孔明の考えは決まっていた。
「御身たちはみな、この二人の老人を見て軽んじているが、よろしくない。張郃を破って、漢中を取るのをこの二人の思うに任せたらよろしかろう」
孔明の言を聞いて、言うこともなく、冷笑して退散してしまった。
黄忠、厳顔の二将は、兵を率いて葭萌関に到着した。
これを見た孟達、霍峻は年老いた将の救援軍を大いに笑い、
「孔明は人を見る明がない。こんな老人は、戦争に出なくとも間もなく死んでしまうものを」
と、嘲って関守の印を渡した。
黄忠、厳顔は、二人の旗を山上に立て、敵にその名を知らしめた。そして黄忠がひそかに厳顔に言うには、
「諸所での

を聞きましたかな、いずこでも、われ等二人の老年を
嘲笑しておりますぞ。ひとつ力を合わせて、大なる功をあげ、
奴等を驚かせてくれよう」
と、誓いも堅く、兵を

えて出馬した。
この状を見て張郃も馬を出し、黄忠の陣に向かって叫んだ。
「汝、その年まで生をむさぼり、なお羞をも知らず、陣前に出て戦わんとするか、笑止、笑止!」
黄忠大いに怒り、
「汝、わが年の老いたるを笑うといえども、手の中の刃は、いまだ年をとらぬ。わが利刃を試みてから広言を吐け」と罵り返し、馬をすすめて張郃にあたった。張郃も鎗をひねって、戦うこと約二十余合、すると突如、張郃勢の背後から、厳顔の兵が小路を迂回して現われ挾撃したため張郃勢は一度に崩れ、喊の声に追われながら、ついに八、九十里退却してしまった。
曹洪は、このたびもまた張郃が敗れたと知って、いそぎ罪を糾さんと怒ったが、郭淮が、
「ただ今罪を問われるならば、張郃はきっと蜀の軍門に下ってしまうでしょう。かくては取り返しのつかぬこととなります。別に大将を派遣され、張郃を助け、ともに敵をふせぐことが上策と考えます」と諫めて、曹洪をして、夏侯惇の甥にあたる夏侯尚に、韓玄の弟の韓浩を副え、五千余騎を与えて、張郃援助の軍として差し向けさせた。
張郃は、新手の勢を見て大いに喜び、諸将を集めて軍議を開き、
「黄忠、年老いたりといえども、思慮深く、勇気もあり、その上厳顔も必死に協力しているので、軽々しくは戦えません」
と言えば、韓浩が口を開き、
「われ長沙にある折、よく黄忠が人となりに接していた。彼は、魏延と心を合わせ、わが兄を殺した憎い奴、今日、ここに会うたは天の御心、必ず仇を報ぜずにはおられません」
覚悟のほどを眉間に溢れさせた。
韓浩は、夏侯尚とともに新手の兵を率い、陣を構えて敵を待った。
黄忠は毎日、あたりの地理を調査しつつあった。きょうも、地勢を調べに歩いていると、厳顔が思い出したように、
「この近くに天蕩山と申す山があります。そこは曹操が兵粮を貯えて、遠大な計をめぐらした所です。もしこの山を攻め取ったならば、魏軍は粮食補給の路を断たれ、すべて漢中にとどまることが出来なくなるはずです」
と申し出で、天蕩山攻略についての計を、つぶさに黄忠に語った。
三
厳顔は黄忠と政略手段を打ち合わせ、一軍を率いていずこかに進発して行った。
居残った黄忠は、夏侯尚の軍が寄せて来たと聞いて、陣容を整えてこれを待つと、魏の軍中より、韓浩先頭に立ち現われ、
「逆賊黄忠いずこにありや、見参!」と鎗をかまえて打ってかかった。
黄忠が刀をまわし、立ち出でれば、夏侯尚は彼が背後へ、背後へと回らんとする。
情勢不利と見て、黄忠は折を測っては逃げ、立ち直っては戦い、また逃げして二十里あまり退がった。
彼の誘導作戦である。
夏侯尚は追いまくって、黄忠の陣を奪取した。
次の日も、同じような戦が行なわれて、またも二十里ほど進み、夏侯尚の意気は当たるべからざるものがある。韓浩も気勢をあげ、これにつづき、先に奪いとった黄忠の陣に着くと、すぐ張郃を呼び、跡の陣屋を守るよう頼んで、なおも進もうとした。
張郃は、この二将がいい気になって前進するのが危なく思われるので、
「黄忠ほどの剛の者が、易々と二日にわたって負けているのは解せない。必ず彼に何かの計があるに違いない。軽々と深追いせぬ方がよろしいと思うが」
と注意したが、夏侯尚はかえって怒り、
「汝がごとき、臆病者は、敵を怕れるばかり故、宕渠山の陣を破られ、数多の人馬を失い、見苦しき恥をさらすのだ。黙って、我等が武功を見物していればよろしいわい」
と、張郃の恥じ入って顔赧らめるを、小気味よげに見送りながら前進してしまった。
次の日も、敵は二十里退却した。
こうして、次々と敗走した形で、とうとう葭萌関に逃げ込んだまま、今度はどうしても出て来なくなった。
夏侯尚は、関前に陣を構えた。
この様子を見た孟達は、大事出来とばかり、玄徳のもとに早馬を飛ばし、黄忠が一戦ごとに負け、五ヵ所もの陣を敵に奪われたと告げた。玄徳も驚いて孔明にこの由を告げると、
「お驚きになることはありますまい。これは黄忠が驕兵の計に違いありません」
と、平然たる答えである。
しかし、

雲等も、孔明の言を信じられず、玄徳の不安もあって、ひそかに
劉封に一軍をつけて黄忠救援に赴かしめた。
劉封の兵が葭萌関に着くと聞いて、黄忠はいぶかり、
「なにゆえに、兵を伴ってここに来たか」と、問うた。
劉封は答えて、
「わが父、将軍の苦戦を知り、わたくしに援軍の命が下ったのです」
黄忠は笑って、
「これは、わしが驕兵の計じゃ。今宵の一戦に、見事敵を叩きのめすであろう。五ヵ所の陣を捨てたは、暫時敵にこれを貸し与え、つとめて兵粮などを貯えさせ、数日間の敗を一日にして取り戻さんためだ。よく見物してゆくがよい」と言い、全軍に戦闘準備を命じていそがした。
その夜半。
黄忠はみずから五千余騎を従え、直ちに門を開いて攻撃の火蓋を切った。
この時、魏の軍勢は、ここ数日間は静まりかえっていることとて、すっかり心をゆるめ、ことごとく眠っていたので、思いもかけぬ喊の声とともに、五千余騎の攻撃をくらい、武器のありかもわからず奪い合い、馬を乗り違えるなど、大混乱を起こし、みじめにも黄忠の軍に踏みにじられてしまった。
夏侯尚も、韓浩も、ともに乗馬さえ見当たらず、かろうじて徒歩で逃げて、一夜のうちに、折角取った陣のうち、三ヵ所まで奪取され、死傷の数もおびただしく生じた。
四
黄忠は、敵の遺棄していった、兵粮、兵器等を孟達に運搬を命じ、息もつかずなお猛攻を続けた。劉封は、
「配下の兵は、大変に疲れた模様に見受けられます。しばらく、ここで休息を与えられたらいかがです」と進言したが、黄忠は首を振り、
「古より、虎穴に入らずんば虎児を得ずと言われている。身を捨ててこそ、手柄も高名もあがる。息ついてはならぬ。者ども進めッ」と、みずから真ッ先に立って鼓舞した。
五千の精兵、真に飛ぶがごとく、追撃に追撃である。勢いにのった鋭さは乱れ立った魏の勢のよく及ぶところではない。
一ヵ所といえど、よく支える地点もなく、ひたすらな敗走は、自軍の兵の動きにも怯える始末で、ついに漢水の辺りまで退却のやむなきに至った。
漢水に入って、我に還った張郃は、ふと気付いて、夏侯尚、韓浩に、
「天蕩山は、味方の兵粮を貯蔵しあるところ、米倉山に続き、みなこれ漢中の軍が生命とたのむところである。万一、かの山に敵手が廻っては一大事である。漢中はたちまちにして破れるは必定だが、さて心配な事だ」と尋ねた。
夏侯尚は答えて、
「米倉山には、わが叔父の夏侯淵が大軍を率いて陣取り、定軍山に続いておりますから、少しも御心配はいらぬと思います。また、天蕩山には、わが兄の、夏侯徳が大分前から居るはずです。われわれも参って一緒になり、あすこを守ったがよかろうと思います」
と、張郃、韓浩とともに天蕩山に至り、夏侯徳に会見し、
「......黄忠、驕兵の計を用い、われを関の前におびき寄せ、勢いにのって逆襲し来り、終夜追われたため、兵粮、武具を捨ててこれまで逃げて参った」
と敗戦のさまを語れば、夏侯徳はうなずき、
「よろしい。全山に十万の兵あれば、汝これを分けて、再び押し寄せ、その陣屋を奪取したがよかろう」
と言えば、張郃は案じ、
「いや、攻めてはならぬ、ただあくまでも、ここを守って、敵の行動を看視するがよろしいと思う」
その言葉の終わるか終わらぬうち、突如として、鼓の音響き、喊の声が遠く近く聞こえ出して、陣中は騒然となった。
「黄忠の軍が攻めて来たぞ」
口々に叫び合う声もする。
夏侯徳は、悠然と笑って、
「黄忠、ここに攻め寄せて来るとは兵法を知らざるもはなはだしい。勢いにのった蛮勇のみ......」
張郃は誡めて、
「いや、さに非ず、必ず侮り給うな、黄忠は、智勇ともに備わった武将ですぞ」
「なんの、蜀軍は遠路を戦いつづけ、終夜軍を進めて疲労はなはだしいはずである。それを、軽々しくなお進めて、この重地に攻め入るなどは、兵法を知らざるもはなはだしいと思う」
張郃はなおも、
「早計に、そう決められるはいかがかと思われる。必ず敵に大なる計ありと見て、この陣を固め、必ず守勢を持して、出撃せぬが良策と存ずる」と強硬な態度を示した。
韓浩には、折角のこの言某も無駄であった。
「われに、三千余騎を与え給え、これより突きすすみ老将が首をひっさげて帰りましょう」
と、言えば、夏侯徳は健気なりと喜んで、兵を与えた。
韓浩は武者振いして三千余騎を従え、山を下って行った。
一方、黄忠は、ひたむきに馬を進めて、止まるところを知らず、日もすでに西山に没し、天蕩山の嶮は、いよいよはげしく前をはばむばかりである。劉封はこの情勢を見て、黄忠に向かい、
「日もすでに暮れ落ち、軍勢の疲労もますますつのるばかりです。長追いは無用かと思いますれば、このあたりにて、一応軍を留めてはいかがですか」と言った。
五
劉封のいさめを、黄忠はあざ笑って言った。
「昔、哲人は時に順って動き、智者は機を見て発す。今、天われを助け、不思議の功を与え給う、受けざるは、これ天に逆らうものぞ」
まっしぐらに上り、鼓を打たせ、喊をつくって勢いをあげた。
韓浩はこれをむかえ、坂路の途中に防ぎ、みずから馬を出して黄忠に挑みかかったが、かえって黄忠の水車のごとく廻す刀にかかり、一刀にして斬り伏せられた。
夏侯尚は韓浩斬らるの報を聞いて急に兵を率いて、黄忠の軍に迫れば、山上よりにわかの喊の声、天地を砕くがごとく聞こえ、陣所陣所と覚しき所より、火の手が上がった。
そのうちより一団の軍勢が討って出た。陣中にあった夏侯徳、大いに驚き、手兵に下知して消火につとめていた。これを見た厳顔は、刀をまわして討ってかかり、夏侯徳を馬より下に斬って落とした。
かくするうち、諸所より上がった火焰は、みるみるうち、峰を焦がし、谷に満ち、凄絶限りがなかった。
計の順調に運びたるを見て、黄忠、厳顔は心を合わせ、前後より攻め立てた。張郃、夏侯尚は防ぐことができず、ことに夏侯徳、韓浩が討たれたのを見て力を失い、天蕩山を捨ててわれ先にと逃げ、定軍山に落ちて集まり、夏侯淵と一手になった。
黄忠、厳顔はこの大勝を喜び合い、成都に早速この勝報を伝えた。玄徳は早馬をうけて限りなく喜び、諸大将を招して祝勝の宴を張った。
この席上、法正は進み出て、
「昔、曹操が、一鼓の進撃に張魯を破り、漢中を平定した折に、その勢いにのり、蜀を攻むることをせず、夏侯淵、張郃二人をその地にとどめて漢中を守らしめ、みずからは都に帰ったことがございます。これは、その志及ばざるに非ず、力の足らざるを知って、よくせざるのみです」
声は堂中にひびき、居並ぶ将星も彼の言葉に聴き入っている。
「......今、曹操は、都のうちにあり、内変のためみずから外征に赴くことが出来ず、いわんや、夏侯淵、張郃の才略にては、まことに一国の将帥としては器量不足を免れませぬ。もし蜀の大軍を起こし、君みずから攻め給わば、漢中を攻め取らんこと、掌を反すよりも易いかと存じます」
一座は、かすかながらこの言に動いた。
「漢中攻略の後は、兵粮を貯え、士卒の整備訓練に重点を置き、なお王室を尊んで、固く嶮岨を守り、曹操打倒の永遠の計をなすべきだと存じます。今日、全く天のわれ等に与え給うた好機、必ず失うべからずです」
と、熱した頰を振って述べた。
玄徳は、この法正の言の真なるを感じた。
即刻、十万の兵に動員は下り、よき日を選んで出撃すべく、手配はぬかりなく指令された。
時に建安二十三年秋七月。
玄徳十万の軍は、

雲を先手とし、
葭萌関に
出でて、陣を
据え、使者を立てて、黄忠、厳顔を天蕩山より呼びよせ、重き恩賞を賜い、
「諸人、汝等両名を老武者と侮りたるも、孔明はよくその能を知り、敵軍に向かわしめた。果たして世に稀なる勲功を立てたるはわが最も喜ぶところなり。漢中の定軍山はすなわち南鄭の要害、敵の兵站基地である。もしこの山を奪わば陽平の一道は、心にかかるところなし、汝等ゆきて、これを攻略すべきか、いかに」と問われた。
黄忠は欣然として命をうけ、早速に兵を率いて出発せんとすれば、孔明これをとどめて言うに、
「
御辺はまことに勇ありといえど、
所
、夏侯淵が相手ではありますまい、彼は深く
韜略に通じ、兵を用うるに卓絶し、機を見ること敏なり。曹操この故にこそ、彼を
西涼の
鎮守となし、今、漢中に出でしめ陣をとらしめてあるも、曹操が彼の大将の才を知れるからにほかならない。御辺はすでに張郃に勝ちたれど夏侯淵には及ぶまい、早く
荊州に帰り給え、
関羽を招いて、夏候淵と戦わすであろう」
絶 妙 好 辞
一
思いがけぬ孔明の言葉に、老将黄忠の忿懣はやるかたなく、色をなして孔明に迫るのだった。
「昔、
廉頗は年八十に及んで、
尚米一斗、肉十斤を食い、天下の諸侯、これを
怕れ、あえて

の国境を犯さなかったと言います。まして私は、いまだ七十に及ばず、何故に老いたりとて、さように軽んじられるのですか、それがしただ一人、三千余騎を率い、必ず、夏侯淵の首を取って参るでしょう」
孔明は、なお聴かない。黄忠は幾度となく、執念深く許しを乞うので、ついに孔明も折れて、
「強いて行かれるならば、法正を監軍として同伴なさい。そして万事合議して、慎重に事を行なうがよろしい。決して軽々になさってはなりません。我もまた兵をもって援助しましょう」
と条件を附して許した。
黄忠は文字どおり勇躍、兵を率いて出発した。その後、孔明は秘かに玄徳に向かい、
「老将黄忠、ただ簡単に許しては駄目なのです、ああして言葉をもって励まして、初めて責任も一層強く感じ、相手の認識も新たにすると申すものです。ただ今出発致しましたが、別に援兵を送る必要がありましょう」と言って、許しを乞い、早速
雲をよびよせ、
「御辺、一手の兵を率い、小路より奇兵を出し、黄忠に力を添えて欲しい。しかしながら、黄忠の軍勝ちにあらば、決して出ることなかれ、彼が敗色濃き折を見て援けよ」と命じ、また劉封、孟達は、ともに三千余騎をひきいて、山中の嶮岨なる所に、堂々と旗を立て、味方の勢いの壮んなるところを示して、敵の心を惑わすべしと申しつけた。そして厳顔には、巴西、閬中にゆかせ、張飛、魏延と交代して難所を守り固め、張飛、魏延は還って漢中攻略をなさんとし、また下弁へ人を派して、馬超に孔明の計を伝える、という、完璧の攻略手配を、秩序よく行なった。
孔明がひとたび断を下してからの進行ぶりは見事にも鮮やかなものである。
こちらは、天蕩山を追われ、定軍山に逃げのびて来た張郃、夏侯尚の両名は、夏侯淵に見え、
「味方は大将を討たれ、多くの兵を損じたり。その上、玄徳みずから蜀の大軍を配し、漢中を攻めんとの説あらば、即刻、魏王に救援の兵をもとめ給え」
と進言。夏侯淵大いに驚き、この旨を曹浩に向かって報じ、曹浩はまた早馬を飛ばして都の曹操に通じた。
曹操はこの報に接し、いそぎ文武の大将を召集して、緊急会議を開いた。
席上、長史劉曄は、
「漢中は土壌肥沃にして生産物多く、民はまた盛んにして、まことに国の藩屛と申すべきところ。万一敗れて、これが敵の手中におちては魏のうち震動するに違いありません。願わくは大王みずから労を憚らず、駕をすすめて全軍を指揮なさるべきでしょう」と、決意をうながした。
曹操は実にもとうなずき、
「さきごろも、汝が言を用いずして、今これを後悔している」
と称し、一議もなく、即時四十万の大軍を起こし、七月都を発って、九月には長安に入った。
ここで陣容を整え、まず全軍を三手に分かった。
即ち、主力の中軍に曹操。
先手陣、夏侯惇。
後陣、曹休。
曹操は白馬に跨がり、黄金の鞍をそなえ、玉をもってつくられた轡をとる。
錦の袍を着した武士、手に紅羅の傘蓋をささげて、左右には、金瓜、銀鉞、戈矛をさしあげ、天子の鑾駕の偉容を整えさせている。
また、龍虎になぞらえた近衛兵二万五千、これを五手に分け、いずれも五色の旗を持って、龍鳳日月の旗を中心に控えた有様は、目映ゆきばかりの美しさと、天下を睥睨する威容をつくって、見事なものであった。
二
絢爛たる軍容粛々と遠近を払って、潼関にまで進んだ。
曹操は、はるかに樹木の生い繁った所を見て、
「あれは、いずくぞ」と、従者に問う。
「藍田と申すところです。あの樹林のうちが、すなわち蔡邕の山荘でございます」
近侍の答えに、曹操は往事を思い出して、山荘を訪れようと言った。
むかし、蔡邕と交わりを深めていたころの話であるが、蔡邕に蔡琰という娘があった。縁あって、衛道玠に嫁いだが、韃靼に生け虜られ、胡のために無理に妻とせられてしまった。
蔡琰の悲嘆は、天地も崩れるばかりであったが、ついに胡の子二人までも生んだ。しかし明けるにつけ、暮るるにつけ、この砂漠不毛の国に囚われては、故郷恋しく、涙に袖の乾く間もなかった。
とりわけ、胡が好んで吹く、笳という笛を聴くたびに、郷愁はますばかりで、ついには、思慕の悲しさから、みずから十八曲を作曲した。
この曲がいつしか伝え伝わって、中国に流布されたのを、偶然曹操が聴き、その心情の哀れさに、韃靼国へ人を遣わして、千両の黄金をもって蔡琰を渡すよう交渉した。
胡の左賢王も、曹操が勢いの盛んなるを知っていたので、渋々ではあったが、蔡琰を還してよこした。
曹操はよろこんで、董紀に、その妻として蔡琰を妻わせた。
いまはからずも、蔡邕の荘と聞き、大軍を先に進ませ、みずからは近習のもの百騎ほどを連れて、董紀の宅を訪れた。
丁度主人の董紀は所用で留守であったが、曹操がわざわざの来駕と聞き、蔡琰は驚いてみずから鄭重に迎えた。
曹操は、堂に坐して、健勝をよろこび、堂内をうち眺め、壁に一つの碑文を書した画軸のあるのに気付き、
「これは、いかなるものか」
と訊ねた。蔡琰はかしこまって、
「これは、曹娥と申すものの碑文でございます。昔、和帝の朝、会稽の上虞というところに、曹盱と申す一人の師巫がおりました。この人は神楽の上手な人で、ある年の五月五日、したたか酒に酔いまして、舟の上で舞いますうち、あやまって川に落ち、水に溺れて、とうとう死にました。その人に十四歳になる娘がありましたが、これを哭き哀しみまして、毎日毎夜川のふちをめぐっておりましたが、七日七夜目、とうとう娘も淵に飛び込んでしまったのです」
曹操は、感じ入ったごとく、まじろぎもせず、蔡琰が語るを聴き入っていた。
「......それから五日目のことでございます。その娘が、父の屍を負うて、水面に浮かび出ましたので、里の人人は父を思う娘の一念に驚きましたが、この心を憐れに思いまして、岸の辺に懇ろに葬りました。ほどなく、このことが、上虞の令度尚と申す人から帝に奏され、孝女なりと仰せられ、邯鄲淳に文章を草すべく命ぜられ、石にその事を刻まれました。邯鄲淳はこのとき年歯わずかに十三歳で、筆を揮ってこの文を作し、一字も訂正しなかったと申します。父蔡邕はこの事を聞きまして、碑のもとに行き、その文を見ようとしましたが、日すでに没し、読むことができませんので、指で石を撫で、筆画を探って読み、感じて、碑背に八字を書きつけましたが、後になって里人が、その八字を刻みつけました。そちらにございますのが、父の筆の跡でございます」
蔡琰の指す方の軸を見れば、
「黄絹幼婦。外孫韲臼」
と八字が書かれてあった。
曹操は、この文を読み下して、蔡琰にむかい、
「汝、この八字の書の意味を知るか」と訊ねた。
蔡琰は、頰を染め、
「父が書きました書、その意を知りたくは思っておりましたけれど、いまだにその意味を解しかねております」
と答えた。
三
曹操は席にあった大将たちに向かって、
「だれか、この文意を解したものがあるか」
と
見廻したが、だれも解き得ないと見え、

ってただ首を
垂れて答える者はない。
すると、そのうちから一人、
「それがし、解き得たように存じます」
と立ち上がった者があった。見れば、主簿の役にある楊修であった。
曹操は楊修が、その文意を語りだそうとするのを押えて、
「さようか、しかし、しばらくそれを言わずにおるように、予も考案して見よう」
と馬に跨がり、山荘を出て行ってしまった。
しばらくして、莞爾とした顔を現わし、楊修に向かい、
「汝の考えを申して見よ」
と言う。楊修がかしこまって、
「これは確かに隠し詞に違いございません。黄絹と申すは即ち色の糸、文字にしますれば「絶」の字にあたります。幼婦は即ち少き女「妙」の字です。外孫は即ち女の子、これは「好」でありましょう、韲臼は即ち辛きを受ける器で「辞」の字に当たると考えます。これを連ねて「絶妙好辞」これは邯鄲淳の文を賛して、絶れて妙なる好き辞と褒めたものと存じますが」
淀みなく説明した。
曹操大いに愕いて、予の考えも全く同じであった、と楊修を賞した。山荘を出でて本軍を追い、日ならずして漢中に着いた。
漢中にあった曹洪はうやうやしくこれを出迎え、まず張郃がたびたびの戦に敗れたことを語った。
曹操は、
「これは張郃の罪ばかりではない、勝敗は、武士の常の道、とがむることはあるまい」
と、温かい心を示した。
曹洪は目下の情勢を、
「敵は玄徳みずから大軍を指揮致し、黄忠に命じて定軍山を攻めさせた様子ですが、夏侯淵はどうしたことか、大王がおいでになると聞いて、固く守るのみで、戦闘を致さぬ模様でございます」
と報告した。曹操は、これを聞き、
「いや、そんな事をしていてはならぬ、戦を挑まれながら、出でで戦わざるは、臆していると見られる。早く使者を遣わして予が令を伝え、潔く出でて戦うよう計らえ」と命じた。
劉曄は側らから、
「夏侯淵は性急の上に剛直ですから、おそらく敵の計略にかかって痛い目に逢うに違いありません、おやめになった方がよろしいでしょう」
と諫めたが、曹操は取り上げず、手ずから王命を書して、定軍山の夏侯淵の下に使を派した。
夏侯淵は、いつか必ず王命のあることと期待していた折であったので、喜んで親書を開いた。それには、
詔シテ夏侯淵ニコレヲ知ラシム。オヨソ将タルモノハ、マサニ剛柔ヲモッテ相済ウべク、イタズラニソノ勇ヲノミ恃ムべカラズ。シカレドモ将トシテハ、マサニ勇ヲモッテ本トナシ、コレヲ行ナウニ智計ヲモッテスべシ。モシタダニ勇ニ任ズル時ハ、コレ一愚天ノ敵ノミ。吾今大軍ヲ南鄭(漢中)ニ屯シ、卿ガ妙才ヲ観ント欲ス。二字ヲ辱シムルナクンバ可ナリ(妙才ハ夏侯淵ノ字)
とあった。彼は勇躍した。早速に兵を調え、張郃を呼んで言うには、
「ただ今、魏王の大軍は漢中に到着、予に命じて、敵を討たしめんとす。予、久しくこの所を守って、一度も会心の勝負をなさず、髀肉の嘆をかこち居たり、明日、みずから出でて、思うさま戦い、まず黄忠を生け捕って見しよう」
張郃はこれを危なかしく聞き、
「どうぞ軽々しく出撃なさらぬよう。黄忠は智勇ともに備え、加うるに法正と申すは、戦略にたけたる者、この地は幸いにして要害堅固なのですから、進まずに、堅く守られるが賢明と存じます」
と極力思いとどまらせようとした。
一 股 傷 折
一
張郃の言葉を不服そうに聞いていた夏侯淵は、自分の決意はまげられぬというように、
「予がこの地を守り、陣をなすこと久しい。このたびの決戦に、万一他の将に功を奪わるるがごとき事あらば、なんの面目あって魏王に見えん。御身、よろしくこの所を守り給え、予は山を下りて、決戦せん」と言いきって、さて、
「だれぞ、制先の勢となって、敵の様子を窺い来れ」
と下知すれば、夏侯尚は勇んで立ち、
「それがし、先鋒となって進みましょう」
「うむ、汝先陣となるか。されば黄忠と鋒を交じえ、詐り負けて退却せよ、われに深き計あれば、必ず黄忠を擒にして見せよう」と勇み励ました。
夏侯尚は命のとおり三千余騎を率いて山を下って行った。
そのとろ、黄忠は兵を従えて、法正とともに、定軍山の麓まで押し寄せ、数度となく攻め挑んだが、魏の軍は固く閉じて現われないため、すぐにも攻め上ろうとの試みも、山道はなかなか嶮岨であるし、あるいは敵に思わぬ計もあるかも知れぬと警戒して、山麓に陣を布き、随所に斥候の兵を出した。
間もなく、その斥候から、山上より魏兵来る、と報告してきたので、黄忠はみずから出陣しようとすると、大将の陳式がこれをとどめ、
「老将軍みずから、なんで敵に当たる必要がありましょう。私に千騎を任せられるならば、背後の細道より山上に向かい、両方より挾みうちに致して討ち果たしましょう」
と言う。黄忠は実にもと、これを許した.
陳式は山の後ろに廻って、喊をつくってどっとばかり、攻め上げれば、夏侯尚も御参なれとこれを迎えた。
しばらくするうち、夏侯尚は計略どおり、わざと負けたふりをして、逃げ上った。陳式はこれを見ていよいよ勢い立ち、逃さじと追って行った。
黄忠はこの様子を見て、敵に計ありと気づき、陳式を救うべく軍を動かしたが、山上から大木を投げ落とし、あるものは鉄砲を撃ち出したりしてきたため、進路をはばまれてしまった。
陳式も敵の気配を感じて、途中から引き返そうとしたが、この機を窺っていた夏侯淵が猛烈に進撃をはじめ、ついに生け捕られてしまった。陳式の部下も、意気地なく、魏軍に降ってしまった。
黄忠はこれを聞いて驚愕した。早速法正と協議すると、
「夏侯淵は性急で、ただ蛮勇ばかりの男です。意気を沮喪した味方の軍を、今一度励まして、急がず、次々と陣屋を造り、ゆるりと山上に押してゆけば、夏侯淵は必ず山を下って攻めて参るでしょう。これ反レ客為レ主の兵法です。およそ、居ながらにして敵をふせぐということは、逸った兵をもって、疲れた軍を討つことになり、寄せ手は弱く、防ぐ方は強いとされています。夏侯淵がもし参らば、必ず生け捕ってみせます」
黄忠はこの言に従って、早速諸軍に恩賞を与えて大いに励まし、みずから陣屋をつくり、数日そこに屯しては、また進んで陣屋を構築、一営一営と次第に進んで、山麓に近づいて行った。
夏侯淵はこれを眺めて、敵の近接を知り、そのままに居ることはならぬと、すぐにも出撃しようとするのを、張郃は引き留め、
「これは反レ 客為レ 主の計に違いありません。必ず軽々しく出てはなりませぬ。出てゆけばきっと敗れましょう」と言ったが、夏侯淵は耳を藉さず、夏侯尚を呼んで、敵にかかれと命令した。夏侯尚は直ちに数千の兵を引きつれ、夕闇をついて黄忠の陣に攻め入った。
しかし、張郃の言ったとおり、まんまと敵の計にのって、夏侯尚は黄忠と一戦を交えたまますぐ生け捕られてしまった。
魏の兵は乱れて逃げ帰り、夏侯淵に、
「大将夏侯尚どの、敵の擒になられました」と報告した。
「失敗った」と夏侯淵は顔色を失った。
二
甥の夏侯尚が敵に捕らえられたとあっては、夏侯淵としても放って置くこともならず、さりとて一気に攻めて、かえって夏侯尚を殺められては何にもならず、彼は夜も眠らずに、苦慮した。
そして考えた案は、陳式と夏侯尚との俘虜交換であった。まず黄忠の元に、
「陳式いまだ生きてわが陣にあり、願わくは夏侯尚と換えんことを」
と申し送った。黄忠からも、
「われもまた望むところなり。すなわち明日、陣前において快くこれを交換せん」
と返事があって、妥協は成立した。
翌日。
両軍ともに、山間の広き場所に出でて、それぞれ陣を張り、黄忠と夏侯淵はみずから馬に跨がって出合い、
「魏の将、夏侯尚をつれ申した」
「蜀の将、陳式、虜となりしをお返し申す」
と、問答の上、武装解除された二名を、素速く交換すると、
「やッ」
とばかり声を合わせて、自陣に引き上げたが、夏侯尚がまさに、軍列に入ろうとする時、どこからか、一本の矢が飛んで来て、彼の背にあたり、ばたりと地上に倒れた。
黄忠の策で、彼の射た矢であった。
夏侯淵は大いに怒り、黄忠めがけて馬を飛ばし、討ってかかって、十余合戦ううち、魏の陣に突如退陣の鉦が鳴り響き、いっせいに兵を収め始めた。
何事か、と夏侯淵は驚きあわてて黄忠との刃合わせの隙を見て戻ろうとすれば、黄忠は敵の動揺に感づき、勢いこめてうってかかり、魏の勢もまたさんざんに傷められて逃げ戻った。
本陣にかろうじて着いた夏侯淵は語気も荒々しく怒り、
「ばかめ、何で鉦など鳴らしたのだ」
と詰問した。すると、
「あの時、四方の山の間より、にわかに蜀の兵が起こり、蜀の旗が無数に現われたので、おそらく伏兵であろうと思い軍を収めたのです」
との返事なので、怒りのやりばもなくなってしまった。
それから、夏侯淵は固く守って、出ようともしない用心ぶりを示した。
黄忠は、おもむろに定軍山に迫り、法正としきりに軍議を重ねた。
きょうも、法正を伴って地形を調べていると、法正ははるかな山を指し示して、
「定軍山の西に、
巍然として

えた山がありましょう。あの山容を見ますと、四方みな
嶮岨で、容易には上り得ないところと思います、もしあの山を攻め取れば、定軍山の敵陣は一望にあり、配備、陣容は手にとるように知れましょう。さすれば、定軍山の攻略も
易きことと存じます」
という。黄忠もこれを聴きながら、その山を仰げば、相当な高さの山で、頂上は幾分平らかに見え、頂上附近にわずかの兵が守っているらしいのがわかる。
その夜二更、黄忠は兵を引いて、鉦を鳴らし、鼓を打ち、喊をつくって気勢をあげてこの山に攻め上った。
この山は、魏の副将杜襲が、数百の兵をもって守っていたが、突如蜀の大軍が攻め寄せると知って、戦を交えることもなく、逃げてしまった。
簡単に攻略を終わった黄忠は、定軍山と並び占めた位置を利して、敵状偵察に余念がない。
法正はその資料に基づいて兵略を立てた。
「敵がもし攻め寄せて来ましたなら、味方の兵を制して動かず、かれが退いてゆくところを見定めて白旗をかかげ、それを合図として、将軍みずからも山を下って討ってかかり、敵の陣構えの崩れたところを攻め給わば、これ即ち、逸をもって労を待つの計となりましょう。必ず大将を討ちとることも可能です」
黄忠もこの言にうなずいて、早速に明日を期して、まず敵軍の来襲をうながすようにと、山中の随所に旗を立てさせ、兵を動かしたりして、しきりに誘導戦法をはじめた。
三
山を逃げ下った杜襲は、敗軍の状を夏侯淵に報告した。夏侯淵は、対山に敵が陣を張った以上、即刻これを攻めねば、味方の不利であると、出軍の用意を命じた。
張郃はこれを知って諫めて言った。
「あの山を敵が攻略したのは、きっと法正が計でありましょう。将軍よ必ず出給うなかれ」
夏侯淵はこれを駁して、
「なにを申す、黄忠いま対山の頂にあり、日々わが陣の虚実を窺う。荏苒これを打ち破らざれば、わが軍の頽勢をいかがせん」
と。張郃はなおも、口を極めて諫めたが、ついに甲斐なく、夏侯淵は半数の兵を本陣に置いて守護を命じ、自らは残りの半数を率いて、黄忠の陣する山に向かった。
山麓に押し寄せ、敵陣めがけて罵声をさんざんに浴びせてみたが、黄忠の軍はひっそりと鳴りを静めて、出撃して来る気配もない。
山上からひそかにこの様子を望み見た法正は、魏軍の疲労はなはだしく、大半は馬上で居眠りなどしている様子に、折もよしと、さっと白旗をもって合図をすれば、待機の黄忠勢、山上より一度にどっと進撃を開始、鼓を鳴らし、角を吹き喊をあげ、潮のごとく大挙して下って行った。
黄忠もこの一戦を乾坤と思っていた。
眦を決して陣頭に馬首を立て、奮迅の勢いをもって進めば、魏の兵、乱れて打ちかかるものもなく、大刀一閃、夏侯淵が手元におどりかかって、首から肩にかけて真二つに斬って落とした。
魏の勢これを見て、ますます崩れ立ち、右往左往に逃げのびてゆく。黄忠は勝ちに乗じ、更に攻撃の手を緩めず、定軍山に攻め上った。
張郃は諫言の容れられなかったのを残念には思ったが、かくなる上は悔いても及ばず、兵を整えて迎え討ったが、黄忠は、陳式を背後に廻し、二手に別れて攻めまくったのでついに支えきれず、本陣に逃げ戻ろうとした。
すると
忽然として、山の
傍らから、大将を先頭にした一軍の勢が現われた。驚いた張郃は先頭に掲げた大旗を見れば、
雲と大書してある。

雲がここに合して攻めて来るようでは、退路をも失うかも知れぬ。一刻も早く、定軍山の本陣へ戻って、陣容を整え、新たな作戦に出なければならぬと、別の
路から退こうとした所へ、
杜襲が敗軍を率いて逃げてきて、
「定軍山の本陣、ただいま蜀の大将劉封、孟達どもに奪われてしまいました」と報じた。
張郃は気を失うばかりに落胆して、これまでとばかり杜襲を伴って漢水へ命からがら逃げのびて陣を張った。
敗将両名、見るも気の毒な姿である。
杜襲は張郃に向かい、
「夏侯淵が討たれた今、この陣に大将軍無きことになります。このままでは人心も動揺する憂いがありましょう。あなたが仮に都督を名乗って、人民の心を安んじたがよろしいと思います」
と忠言した。
張郃もなるほどと賛成し、早速に早馬をもって、急を曹操に告げた。
曹操は報を受けて憮然とし、夏侯淵の死を大いに哭いた。
それにしても戦の初めに、管輅がトを立てた詞を考えれば、
「三八縦横と言ったのは、すなわち建安二十四年にあたり、黄猪虎に遇うと申したのは、歳すなわち己亥にあたる。定軍の南一股を傷折せんというは、曹操と夏侯淵とは兄弟のごとく結ばれていたことを指したに違いない」
曹操は深く感じ入って、
「まことに稀有の神トであった。管輅に人を派して今一度よびよせよ」
と彼を訪ねしめたが、すでに管輅はその地になく、行方も杳として知れぬという報告であった。
子 龍
一
夏侯淵の首を獲たことは、なんといっても老黄忠が一代の誉れといってよい。
彼はそれを携えて葭萌関にある玄徳にまみえ、さすがに喜悦の色をつつみきれず、
「御一見を」と、見参に供えた。
玄徳がその功を称揚してやまないことも言うまでもない。即座に彼を、征西大将軍に封じ、
「老黄忠のために賀をなさん」と、その夜、大酒宴を張った。
ところへ、前線の大将張著から注進があった。急使のことばに依ると、
「夏侯淵が討たれたと聞いた曹操の憤恨は、ひととおりなものでありません。自身二十万騎をひきい、先陣には徐晃を立て、蒙々たる殺気をみなぎらして、漢水まで迫って来ましたが、何思ったか、そこで兵馬を停め、米倉山の兵粮を北山のほうへ移しておる様子です」
孔明は、すぐ情勢を判断して、玄徳に対策を洩らした。
「察するに、曹操は、二十万という大兵を持って来たため、その兵粮が続かなくなるのを惧れて、あらかじめ食糧の確保に心を用いているものと思われる。要するに、彼の弱点がそこにあることを自ら暴露しているものでしょう。いま味方の一軍を深く境外へ潜行させ、敵が虎の子にしているその輜重を奪うことに成功したら、それは今次の戦において第一の勲功といってもさしつかえありますまい」
傍らで聞いていた黄忠は、
「軍師。わしに命じられい。ふたたび行って、わしがその事を実現してみせる」と、望んだ。
孔明は冷静な面を横に振った。
「老将軍。――こんどの敵の張郃は、夏侯淵とはちと桁がちがいますよ。夏侯淵は単なる勇将。張郃はそう単純でない」
黄忠は老いの眼をぎらと光らした。そして、強って、自分にその難命を与えよと言い張った。孔明は彼にさんざん大言を吐かせておいてからようやく承知したが、
「では副将として
雲をつれておいでなさい。何事も、

雲と、協議のうえで作戦するように」
と、なお黄忠を危ぶむかのような口吻でゆるした。
それでも黄忠は勇躍して、席を退いた。

雲は、漢水まで来ると、黄忠に
訊いた。
「将軍、あなたは今度の事を、何の苦もなく引き請けてしまわれたが、一体、御胸中には、いかなる妙計がおありなので?」
「妙計。そんなものはない。ただ事成らねば、死を期しているだけだ。このたびばかりでなく、それが常に老黄忠の戦に臨む心事でござる」
「いや、あなたにそんな危地を踏ませることはできない。先陣はそれがしがする」
「何の、強いて命を乞うた黄忠が先に立つのが当然。足下は副将、後陣に尾け」
「同じ君に仕え、同じ忠義を尽くさんとするのに、何の主将副将の差別があろう。では、先陣後陣のことは鬮を引いてそれに従おうでほないか」
「鬮で? それはおもしろい」
そこで二人は鬮を引いた。黄忠が「先」を引き、

雲は「後」を引いてしまった。
「もし自分が、午の刻までに、敵地から帰らなかったら、その時には、援軍を繰り出してくれ」
黄忠はそう言い残すと、一軍をひきいて敵境深く入って行った。

雲はそれを見送った後、心もただならぬように、部下の
張翼へこう告げていた。
「老将軍が午の刻までに帰らなかったら、自分は直ちに漢水を渡って遮二無二敵の中へ深く駈け込むであろう。その時には、汝は慥と本陣を守り、滅多にここを動いてはならぬぞ」
一方――老黄忠はわずか五百の部下をつれて未明に漢水を渡り、夜明けごろには、敵の糧倉本部たる北山のふもとへ粛々と迫って、山上の兵気を窺っていた。
「柵はきびしいが、守備は手薄と思われたり。それっ、駈け上がって、満山の兵粮へ火を放て」
錆びたる声で、老黄忠は、一令を下した。それを耳にするや否、蜀の兵は朝霧をついて諸所の柵を打ち破り、まだ眠っていたらしい魏兵の夢を驚かした。
二
はるか漢水の東に陣していた張郃は、その朝、北山の煙を見て、
「すわ一大事」
と、仰天した。
にわかに兵を下知して、自身真っ先に立ち、北山に駈けつけて来てみたころは、すでに全山の糧倉は、炎につつまれ、諸所の山道や坂路では、黄忠の部下と、ここの守備隊の兵とが、入り乱れて戦いの最中であった。
「しまった」――と張郃は足ずりして「この上は、小癪な蜀の雑兵を踏み殺し、せめてはその首将たる黄忠の首でも挙げねば魏公に申しわけがない。さなくとも、彼黄忠は、夏侯淵の讐、討ちもらすな」と、部下を励ました。
山上山下、木も草も燃ゆるなかに、組む者、突きあう者、血みどろな白兵戦は、陽の高くなるまで続けられた。
早くもこの事は、曹操の本陣にも達したし、またそこからも、北山の黒煙がよく見えた。
「徐晃、行け」
曹操は更に増援を送った。
このとき、すでに
巳の刻は過ぎていた。漢水のかなた、今朝から
固唾をのんでいた蜀の

雲は、
「――まだ午の刻にはすこし間があるが、あの黒煙が空に見え出してから時も経つ。いでこの上は、老黄忠の安否を見届けん――」と腹をすえて、部下の張翼に、
「さきにも言ったとおり、汝は砦の狭間狭間に弩を張り、敵が迫るまで、みだりに動くな」
言い残すや否、三千の兵をさし招き、野を馳せ、数条の流れを越えて、ひたぶるに北山の黒煙へ近づいた。
「見つけたり。どこへ行く」
とばかり、魏の文聘が手下の慕容烈というもの、大剛を誇って、彼の道をさえぎった。
「うい奴だ、迎えに来たか」
と

雲は、ただ一突きに、突き殺して、血しぶきの中を、駈けぬけて行く。
「やあ、味方かと思えば、敵の新手か。大将、これへ出よ」
北山の麓まぢかく、重厚な一軍を構えて、こう呼ばわり阻める者があった。自ら名乗るを聞けば、
「われこそ魏の大将焦炳なり」と、いう。

雲は前へすすんで、
「先に来た蜀の一軍はどこにいるか」
と、言った。焦炳は、呵々と打ち笑いながら、
「なにを寝ぼけておるか。黄忠を始め、蜀の木ッ葉どもは、一兵のこらず討ち殺した。汝もまた、わざわざ骨を埋めに来たか」
言いつつ馬上から鋭い三尖刀をさしのべた。
「ほんとか!」と

雲は、ありッたけな声で、相手へ
吼えかかったかと思うと、
「では、弔い合戦の手始めだ」
とばかり、焦炳の胸いたへ、ぶすと槍を突きとおし、大空へ刎ねあげて、
「知らないか、
子龍がこれへ来たことを」
と魏軍のまん中へ馬を突っ込んだ。
兵か煙か、渦巻く中に、ただひとつ、彼の影のみは、堂々無数の群刃簇槍を踏みつぶしつつ、血しおの虹を撒いて、駈け廻っていた。
そのうちに、
張郃や
徐晃の囲みも、意識せずに突破していたが、だれあって、

雲の前に馬を立てることは出来なかった。
「

将軍だ。

将軍だ」
北山のここかしこで、敵の重囲に陥ち、殲滅の寸前にまで追い込まれていた黄忠軍は、彼が救いに来たと知ると、思わず歓呼をあげて、集まってきた。
五百の兵は、三分の一に討ち減らされていた。それでもその中に黄忠の顔が見えた。

雲は黄忠の身を抱えんばかり
鞍を寄せて、
「お迎えに来た。もう安心されい」と一散に走り出した。
黄忠はなお振り向いてばかりいて、部下の
張著が見えないと嘆いた。

雲はこれを聞くとまた取って返し、べつな囲みから更に張著を救い出して走り出した。
曹操は高きに登って、その日の戦況を見ていたが、大いに愕いて、
「あれは
常山の

子龍であろう。子龍以外にあんな戦い振りをする者はない。軽々しく前に立つな」と、急に陣鼓を打たせて、味方の大衆に、無用の命をすてるなかれと戒めた。
三
たち騒ぐ味方をまとめて、曹操は漢水のこなたに、陣容を革めた。彼自身、陣頭に出た。そして、散々な部下の敗北を、自身の采配に依って、取り返そうとするものらしく見えた。
すでに首尾よく黄忠や張著を救い出して、わが
城砦へ帰っていた

雲は、互いの無事をよろこび、きょうの
戦捷を賀して、
「思えば、危うい一戦だった」と、祝杯の用意を命じていた。
ところへ、後詰めの張翼が、馬煙を捲いて逃げ帰って来た。それはいいが、その同勢の慌て方といったらない。われがちに逃げこむや否、
「すわや、たいへんだぞ。諸門を閉めろ。吊り橋を揚げてしまえ」
と、まるで雷鳴の下に耳をふさぐ女子のように打ち震えて言う。

雲はまだ杯を持たない間に、この騒動を耳にしたので、
「何事か」と、部下に問わせた。
張翼はそこへ来て、祝杯どころではないと言わんばかりな顔をして告げた。
「一大事です。曹操が来ました。自身大軍をひきいてやがてこれへ来ます。いやその軍容のものものしさ、何万騎やらただ真ッ黒になって漢水を超えて来ます」
すると

雲は
炬のごとき眼をして、張翼の卑怯を
叱った。――知らずや
汝、むかし
長坂の
戦に、曹軍八十万の兵を
草芥のように
蹴ちらし去ったのはだれであったか――と。そして、すぐ張翼のほかの者をも激励した。
「すべての陣門を敵へ開け、射手はみな壕の中に身を伏せろ。旗は潜め、鼓は休めよ。そして、林のように、寂として、たとい敵が眼に映る所まで来てもかならず動くな」
かくて、しばらくすると、まったく鳴りをしずめた城内から濠橋へかけて、戞々と、ただ一騎の蹄の音が妙に高く聞こえた。
見れば、

雲ただ一騎、
槍を横たえてそこに突っ立っている。手をかざしてかなたを
眺めれば、
里余にわたる
黄塵の煙幕をひいて、魏の大軍がひたひたとこれへつめよせて来る。
――が、その雲脚のごとき勢いも、城の間近まで来たかと思うと、ぴたと止まって、ただ遠く潮騒に似た喊声が聞こえて来るのみだった。
「いぶかしいものがあるぞ、敵の城には」
「人も無いようにしんとしておる。大手の門を開け放して」
「だれかひとり濠橋の上に立っているようだが――よもや人形でもあるまいに」
「何か深く謀っているにちがいない。滅多には近づけぬぞ」
魏兵の先鋒は、疑心暗鬼にとらわれてそこから進み得なかった。
中軍にいた曹操は、
「何をためらっているか」と、みずから陣前へ出て、懸かれ懸かれとばかり、下知した。
日は暮れかけていた。暮靄を衝いて、徐晃の一隊が、わッと突進する。張郃の兵もどっと進む。
だが、橋上の

雲は、なお
びくとも動かないので、徐晃も張郃もいよいよ気味悪く思ったか、急にまた、途中から
駒を返そうとした。
すると初めて、

雲が、
「やあ、魏の人々。折角、これまで来ながら、ものも言わぬまに逃げ帰る法やある。待ち給え、待ち給え」と、呼びかけた。
はや曹操までが後ろから続いて来たので、張郃や徐晃も、ふたたび勇を鼓して、
濠際へと
馳け向かって来た。――今や、矢ごろと見たか、

雲が下へ向かって何か
呶鳴ると、とたん濠の
蔭から無数の矢が大地とすれすれに射放して来た。
魏の人馬は、
噓のように、バタバタ
仆れた。曹操は
肝を冷やして逃げ出した。すでに
遅し、蜀の別動部隊は、
米倉山の横道に
迂回しまた一手は北山のふもとへ出た。振り返れば、魏の陣々はいたるところ火の手である。曹操はいよいよ退却に急だったが、当然、城内から

雲以下の全軍が追撃して来たため、漢水の流れにかかるや、ここかしこに
溺るる者、討たるる者、その数も知れぬほどだった。
次 男 曹 彰
一
横道から米倉山の一端へ出て、魏の損害を更に大にしたものは、蜀 の劉封と孟達であった。
これらの別動隊は、もちろん
孔明のさしずによって、遠く
迂回し、敵も味方も不測な地点から、
黄忠と
雲たちを
扶けたものである。
それにしても、二人の功は大きい。わけて

雲のこんどの働きには、平常よく彼を知る
玄徳も、
「満身これ肝の人か」
と、今さらのように嘆称した。
その後、敵状を探るに、さしもの曹操も、予想外な損害に、すぐ立ち直ることもできず、遠く南鄭の辺りまで退陣して、
(この敗辱を雪がでやあるべき)と、ひたすら軍の増強を急ぎつつあるという。
ここに巴西岩渠の人で、王平字を子均という者がある。この辺の地理に詳しいところから曹操に挙げられて、牙門将軍として用いられ、いま徐晃の副将として、共に漢水の岸に立って、次の決戦を計っていたが、徐晃が、
「河を渡って陣を取らん」と言うのに、王平は反対して、
「水を背にするは不利だ」と、互いに、意見を異にしていた。
けれど徐晃は、
「韓信にも背水の陣があったことを知らぬか。孫子も言っている。死地ニ生アリ――と。御辺は、歩兵をひきいて岸に拒げ。おれは馬武者をひきいて、敵を蹴破るから」
と、ついに浮き橋を渡して、漢水を超えてしまった。
一歩対岸を踏んだらば、必ず蜀の勢が鼓を鳴らして来るだろうと予測していたところ、一本の矢すら飛んで来ないので、徐晃は拍子抜けしながらも、敵の柵を破壊し、壕を埋め、さんざんに振る舞って、やがて日没に近づくと、蜀の陣地へ対して、有る限りの矢を射た。
玄徳のそばに居て、この日、敵のなすままにさせていた
黄忠 や
雲は、
「ははあ、夜に入る前に、徐晃の手勢も退く気とみえます。あのようにむだ矢を射捨てている様子では」と、呟いて、その退路を脅かすのは今だが、と身をむずむずさせていた。
玄徳も、その機微を察したか、急に令を下して、二人を
急き立てた。勇躍した黄忠と

雲は、やがて薄暮の野に兵をうごかし始めた。
「臆病者めが、ようやく今ごろになって、居た堪れずに出て来たな」
徐晃は、蜀兵を見ると、終日の血の飢えを一気に満たさんとする餓虎のように喚き出た。
「まさしく黄忠。老いぼれ、またしても逃げるか」
敵の旗じるしを見て、彼は奮迅した。黄忠の部下は、一時、鼓を鳴らし、喊声をあげ、はなはだ旺に見えたが、脆くも潰えて、蜘蛛の子のように夕闇へ逃げなだれた。
「逃げ上手め、魏の徐晃が、それほど怖ろしいか」
徐晃はわざと敵を辱しめながら、どうかして黄忠を捕捉しようと試みたが、そのうちに、いつか背後の方で、敵のどよめく気配がする。
はっと、驚いて、振り向くと、漢水の浮き橋が、炎炎と燃えているのだった。不覚不覚、退路を敵に断たれている。徐晃は急に引っ返し全軍へ向かって、
「
渡渉退却!」と
喚いたが、そのとき河原の草や木は、ことごとく蜀の兵と化し、まっ先に、
雲子龍。うしろからは黄忠。ひとしく包囲して来て、
「ひとりも生かして帰すな」と、叫びに叫ぶ。
徐晃はようやく危地を切り抜け、ほとんど身一つで、漢水の向こうまで逃げて来た。その敗戦の罪を、あたかも副将の罪でもあるかのごとく当たりちらして、味方の王平へ罵った。
「なんだって足下は、おれの後詰めもせず、浮き橋を焼かれるのを見ていたのだ。この報告は、つぶさに魏王へ申しあげるぞ」
王平は黙然と、彼の罵言にこらえていた。けれど彼は、その意見を異にした時から、すでに徐晃の無能を蔑み、魏軍に見限りをつけていたものとみえて、その夜深更自分の陣地に火を放つや、ひそかに脱して漢水を越え、部下と共に、蜀へ投降してしまった。
「招かずして、王平が降って来たのは、われ漢水を取る前表である」
と、玄徳は彼を容れて、偏将軍に封じ、もっぱら軍路の案内者として重用した。
二
徐晃のしたまずい戦は、すべて王平の罪に嫁された。曹操は、忿懣に忿懣を重ね、再度、漢水を前面に重厚な陣を布いた。
一水を隔てて、玄徳は孔明と共に、冷静にそのうごきを眺めていた。
孔明が言う。
「この上流に、七丘を繞らして、一山を成している山地があります。蓮華のごとく、七丘の内は盆地で、よく多数の兵を匿すことができる。銅鑼鼓を持たせ、あれへ兵六、七百を埋伏させておけば、必ず後に奇功を奏しましょう」
「だれをやればよいか」
「万一、敵に見つかると、一兵のこらず、
殲滅の憂き目にあう
惧れもあれば、やはり

雲をやるしかありますまい」
次の日、孔明はまた、べつな一峰へ登って、魏の陣勢をながめていた。この日、魏の一部隊は、渡渉して来て、しきりに、矢を放ち、鉦をたたき、罵詈を浴びせたが、蜀は一兵も出さなかった。
魏兵も、より以上、軽々しく進出はしなかった。夜に入るとことごとく陣に収まり、篝火も幽かに、自重していた。
すると突然
真夜半の
静寂を破って、一発の石砲がとどろいた。銅鑼、鼓、
喊呼などを一つにして、わあっッという声が一瞬天地を

け去った。
「すわっ、夜襲だぞ」
「いや、敵は見えぬ」
「近くもなし、遠くもない?」
上を下への騒動である。曹操は安からぬ思いを抱いて、四方の闇を見まわしていたが、彼にも何の発見もなかった。
「いたずらに騒ぐを休めよ。立ち騒ぐ兵どもを眠らせろ」
曹操も枕についたが、またまた、爆音がする、鬨の声がする、それが一体、どこでするものか、見当がつかなかった。
三日のあいだ、毎晩である。曹操は士卒がみな寝不足になった容子を昼の彼等の顔に見て、
「これはいかん」
急に、三十里ほど退いて、曠野のただ中に、陣を営み直した。
孔明は笑って、
「曹操も
怪にとり
憑かれた」と言った。夜ごとの砲声や銅鑼は、もちろん上流の盆地にひそんだ

雲軍の仕業であったこと言うまでもない。
四日目の夜が明けてみると、蜀の軍は、その先鋒から中軍もみな河を渡り、漢水をうしろに取って陣容を展開していた。
「なに、背水の陣を取ったと」
曹操は、疑いもし、かつ敵の決意のただならぬものあるを覚って、今は、乾坤一擲、蜀魏の雌雄をここに決せんものと、
「明日、五界山の前にて会わん」と、玄徳へ戦書を送った。
戦書、すなわち決戦状である。玄徳もこころよく承知した。次の日、総軍の威風をあらゆる軍楽と旌旗に誇示しながら、蜀は前進した。
たちまち、真紅金繡の燃ゆるごとき魏の王旗を中心に、龍鳳の旗を立て列ね、一鼓六足、堂々とあなたから迫って来るもの――いうまでもなく魏の大軍だった。
「玄徳。あるや」
鞭をあげて、曹操が馬上からさしまねいている。蜀の陣から玄徳は、劉封、猛達の二人を左右に従えて、騎をすすめた。
「久しや曹操。君はむなしく、今日をもって、死なんとするのか」
曹操は怒って言い返した。
「だまれ。予は汝の忘恩を責め、逆罪をただしに来たのだ」
「この玄徳は、大漢の宗親。笑うべし、汝何者ぞ。みだりに天子の儀を僭す曲者。きょうこそ大逆を懲らしめん」
戦線数里にわたる大野戦はここに展開された。午の刻過ぎるまで、魏の大捷をもって終始した。蜀の兵は、馬ものの具を捨てわれ勝ちに潰走し出した。
「追うな、退き鉦打て」
曹操は急に、軍を収めた。なぜかと、魏の諸将は疑ったが、曹操は、蜀兵の潰走が、ほんとでないとみたので、大事をとったものだった。
ところが、魏が軍を退くと、果然、蜀は攻勢に転じて来た。どうも事ごとに、曹操は、自分の智恵と戦ってその智に敗れているかたちだった。
三
智者はかえって智に溺れるとかいう。――孔明が曹操に対しての作戦は、すべて、曹操自身の智をもって、曹操の智と闘わせ、その惑いの虚を突くにあった。
かくて、曹操が自負していた智謀も、かえって曹操の黒星を増すばかりとなって、ここはなはだしく生彩を欠いた魏軍は、南鄭から褒州の地も連続的に敵の手へ委して、一挙、陽平関にまで追われてしまった。
蜀の大軍は、すでに南鄭、閬中、褒州の地方にまで浸透して来て、宣撫や治安にまで取りかかり、遺漏のない完勝ぶりを示していた。
時に、陽平関の魏軍へ、またしても、味方の兵粮貯蔵地の危急がきこえた。曹操は、許褚を呼んで、
「この際、彼処の兵粮まで、蜀兵に奪われたら一大事である、汝よく兵粮奉行の手勢と力を協せて、危地にある兵粮全部を、後方の安全な地点へ移して来い」といいつけた。
千余騎は、許褚に引かれて、陽平関を出て行った。目的地につくと、兵粮奉行は歓喜して彼を迎え、
「この御来援がなかったら、おそらくあと二日か三日の間には、ここにある兵粮軍需品、すべて蜀の手へ奪られていたに違いありません」と、言った。
嬉しさのあまりか、奉行はすこし許褚を歓迎しすぎた。許褚は宴に臨んで大酔してしまったのである。だが、気概は反対に凜々たるものがあり、奉行が、褒州の境にある敵について注意すると、
「安心しろ万夫不当の許褚がついて行くのだ。今夜は月もよいから山道を歩くにいい。早々、馬匹車輛を押し出せ」と、促した。
宵に出て、夜半ごろ、この蜿蜒たる輜重の行軍は、褒州の難所へかかった。すると谷間から、一軍の蜀兵が、突貫して来た。
「敵は下の渓にいる。岩石を落としてみなごろしにしろ」
地の利をとって戦う気でいるといずくんぞ知らん、自分たちの頭の上から先に岩や石ころが落ちて来た。
伏兵は、山の上下にいる。寸断された百足虫のように、輜重車は、なだれ降って、谷間のふところへ出た。ここにも待っていた一隊の敵があった。許褚の影を見かけるや否、その敵将は、迅雷一電、
「許褚っ。さあ来いっ」
大矛をさしのべて、許褚の肩先を突いた。
不覚にも許褚は、戦わないうちに、痛手をうけたのみか、どうと馬からころげ落ちた。
張飛の二の矛が、飛龍のごとくそれへ向かって、止めを刺そうとした時、張飛の鞍の腰へも、大きな石が一つあたった。馬は刎ねる。とたんに許褚の部下たちが切っ先をそろえて立ち塞がる。
危うい中を、許褚は、手下の部将たちに助けられ、からくも一命は拾い得たが、ために輜重の大部分は、張飛の手勢に奪われて、ほうほうの態で陽平関へ逃げもどって来た。
時すでに陽平関は炎につつまれていた。敗れては退き、敗れては退き、各前線からなだれ来る味方は、関の内外に充満し、魏王曹操の所在も、味方にすら不明だった。
「すでに、北の門を出、斜谷をさして、退却しておられる」
と味方の一将に聞いて、許褚は事態の急に愕きながら、ひたすら主君を追い慕った。
曹操は、その
従や旗本に守られて、陽平関を捨てて来たが、斜谷に近づくと、かなたの
嶮は、天を

うばかりな黒煙をあげている。
彼は馬上にそれを見、
「やや、あれも孔明の伏兵か。もしそうであったら、我も生きる道はない」と、色を失った。
ところがそれは、彼の次男
曹彰が、五万の味方をひきつれて、これへ
駈けつけて来たものだった。曹彰は父とはべつに
代州烏丸(山西省・代県)の
夷の
乱を治めに行っていたのであるが、漢水方面の大戦、刻々味方に不利と聞き、あえて父の命もまたず、夜を日についで加勢に向かって来たのだった。
「なに、北国の乱も平らげた上、更に、父の加勢に来たというか。ういやつ、ういやつ。勇気はそれだけでも百倍する。もう玄徳に負けるものか」
よほど欣しかったとみえ、曹操は馬上から手をさしのべてわが子の手を握り、しばらくその手を離さなかった。
鶏 肋
一
ここまでは敗走一路を辿って来た曹操も、わが子曹彰に行き会って、その新手五万の兵を見ると、俄然、鋭気を新たにして、急にこういう軍令を宣した。
「ここに斜谷の天嶮あり、ここに北夷を平らげて、勇気凜絶の新手五万あり、加うるに、わが次男曹彰は、武力衆にすぐれ、この父の片腕というも、恥ずかしくない者である。こう三つの味方を得た以上は、盛りかえして、玄徳をやぶることも、掌中の卵をつぶすようなものだ。いざ斜谷に拠って、このあいだからの敗辱を一戦にそそごうではないか」
かくて、戦の様相は、ここにまた革まって、両軍とも整備と休養を新たにし、第二次の対戦となった。
玄徳は、諸将と共に、陣前に出て言った。
「おそらく曹操は、こんどの序戦に、わが子曹彰を自慢にして出すだろう。そのとき曹彰を迎えて、一撃に討ち、彼の気を挫くならば魏の雑兵何万をころすよりも、この戦局を一変し得るが......。たれが曹彰の首を完全に挙げられるだろうか」
「それがしこそ」
「いや、わたくしが」
ひとしく進み出たのは、孟達と劉封だった。
が――孟達は、劉封も望んで出たので、ちょっと、遠慮する容子を示した。劉封は、玄徳の養子。曹彰は曹操の実子。これは劉封としてはぜひとも買って出たい名誉の一戦であろうと斟酌したからである。
しかし玄徳は、将に対しても士に対しても、公平を期しているもののごとく、劉封がわが家の養子だからといって特に彼ひとりを選ぶようなことはしなかった。
「では、二人に命じる。各々五千騎をひきいて、先鋒の左右にひかえ、曹彰が出て来たら思い思いに功名をせい。その働きに依って恩賞するであろう」
「ありがとう存じます」
若い二人は勇躍して、各々五千騎を擁して、先頭の左右両翼に陣していた。
果たせるかな、やがて陣鼓堂々、斜谷に拠っている敵方の一軍が平野へ戦列を布いたかと思うと、ただ一騎、その陣列を離れて、
「玄徳はいるか。魏王の次男曹彰とは我である。父に代わって一戦せん。玄徳、これへ出よ」
と、大声あげて、さしまねいている若武者がある。遠目に見ても眩いばかりな扮装は、いうまでもなく曹家の御曹司曹彰にちがいはない。
孟達は、左翼から出ようとしたが、まず養子の劉封にここは譲るべきだと思ってひかえていた。すると右陣の劉封は、父玄徳の威をうしろに負って、これも華やかな鎧甲を誇りながら、たちまち駒を飛ばして出た。
だが、曹彰の前に近づいて、十合とも戦わないうちに、その一騎討ちは、だれの眼にも、曹彰の勝利とわかった。劉封の武芸は、到底、曹彰の相手ではなかったのである。
孟達は、急に駈け出して、
「封君。その敵は、それがしが引きうけた。お退きあれ」
と、入れ代わって、自身、曹彰にぶつかった。
劉封は、一言も言わず、うしろを見せて、逃げ走っていた。曹彰は、孟達の邪魔を、振り退けながら、
「逃げるのか劉封。養父の玄徳を嘲ってやるぞ。親の顔へ泥を塗ってもいいのか」
と辱しめながら追いかけた。
ところが、彼のひきいる魏の手勢が、うしろの方から崩れ出した。驚いて引っ返すと、蜀の呉蘭、馬超などが、いつのまにか斜谷のふもとへ出て、退路を断とうとしているらしい。
曹彰は、父に似て、兵機を
観るに敏だった。すでに多少の損害をうけたが、その
禍のまだ致命とならない間に、さっと軍をまとめ、敵将呉蘭の陣中を突風のごとく
蹴ちらして、首尾よく斜谷の本陣へ引き揚げてしまった。しかもその途中、道をさえぎる敵将の呉蘭を、馬上のまま一
閃に
薙ぎ払い、
悠々迫らず帰って来た武者ぶりは、さすが

の子は

の子、父曹操の若いころを
偲ばせるほどのものがあった。
二
劉封は面目を失った。養父の玄徳にあわせる顔もない気がした。しかし孟達に対しては、
「自分の負けが、よけいぶざまに見えたのは、彼が横から出しゃ張って、曹彰を追い退けたせいもある」と、変な妬みを抱いた。
以来、劉封と孟達とは、なんとなく打ち解けない仲になった。劉封は武勇に乏しいのみか器量においても玄徳の養子というには多分に欠けているものがあった。
しかし曹操の方でも、序戦以後は、日ごとに士気が衰えて行った。一曹彰が一劉封に勝ったと一時は
歓んでみても全面的には、刻々憂うべき戦況にあったのである。蜀の張飛、
魏延、馬超、
黄忠、
雲などという名だたる将は、陣をつらねて、斜谷の下まで迫っていた。
曹彰も、劉封には勝ったが、それ以後の合戦に出るたびごとに、蜀の猛将たちから目のかたきに追いまわされ、手も足も出せなかった。
ここは都に遠い斜谷(陝西省漢中と西安との中間)の地。もしこれ以上の大敗を喫して、多くの将士を失うときは、本国まで帰ることすらはなはだ覚つかない事になろう。――曹操も重なる味方の敗色につつまれて、心中悶々たるものがあった。
「兵を収めて、鄴都へ帰らんか、天下のもの笑いになるであろうし、止まって、この斜谷を死守せんか、日ごとに蜀軍は勢いを加え、ついにわが死地とならんも測り難い......」
こよいも彼は、関城の一室に籠って、ひとり頰杖ついて考えこんでいた。
ところへ、膳部の官人が、
「お食事を......」と、畏る畏る膳を供えて退がって行った。
曹操は思案顔のまま

べはじめた。温かい
盒の
蓋をとると、彼のすきな鶏のやわらか煮が入っていた。

らえども味わいを知らずであろう。彼は鶏の
肋をほぐしつつ口へ入れていた。
すると、夏侯惇が、帳を払って、うしろに立ち、
「こよいの用心布令は、何と布令ましょうか」と、たずねた。
これは毎夕定刻に、彼の指令を仰ぐことになっている。つまり夜中の警備方針である。曹操は何の気なしに、
「鶏肋鶏肋」と、つぶやいた。
鶏の骨をしゃぶっていたので、無意識に言い違えたものだろう。だが、夏侯惇は、曹操の言なので、何か含蓄のある命令にちがいないと呑みこんでしまい、
「はっ」と、そこを退がるや、城中の要所要所を巡って警固の大将たちへ、
「こよいの用心布令は鶏肋との仰せである。鶏肋鶏肋」と、布令廻った。
諸将は怪しみ合った。鶏肋とはいったい何のことか? だれにも解けない。諸人は疑義まちまち、当惑するばかりだった。ときに行軍主簿の楊修だけは、部下をあつめて、
「都へ帰る用意をせい。荷駄行装をととのえて、お引き揚げの命を待て」と、急にいいつけた。
夏侯惇はおどろいた。自分が布令たことであるが、実は自分にもわかっていないので、早速、楊修に向かって訊いた。
「どういうわけで、貴公の隊ではにわかに引き揚げの用意にかかられたか」
「されば、鶏肋というお布令を案じての事でござる。それ鶏の肋は、これを食らわんとするも肉なく、これを捨てんとするも捨て難き味あり、いま直面している戦は、あたかも肉なき鶏の肋を口にねぶるに似たりとの思し召しかと拝察いたす。それにお気付きあるからには、わが魏王も益なき苦戦は捨てるに如かずと、はや御決心のついたものと存ずる」
「なるほど」
夏侯惇は感服して、おそらく魏王の肺腑を見ぬいた言であろうと、ひそかにその旨をまた諸将へ告げた。
三
その夜も曹操は、心中の煩乱に寝もやられず、深更、みずから銀斧を引っさげて、陣々の要害を見廻っていた。
「夏侯惇は居ないか」
彼はもってのほか愕いた顔してる。馳けつけて来た夏侯惇のすがたを見るや否やこう訊ねた。
「諸将の部下どもは、なんでにわかに引き揚げの支度をしておるのか。いったいだれが、軍旅の荷駄をまとめよなどと命令したか」
「主簿の楊修が、わが君の御心を察して、かくは一同、用意にかかりました」
「なに、楊修が。――楊修をこれへ呼べ」
斧の柄を杖に立てて、曹操は険しい眉をしていた。楊修はやがてその前に平伏して、
「こよいの用心布令は鶏肋との仰せ出しなりと伺い、諸人お心の中を惻りかねて難儀しておりました故、それがしがおことばの御意中を解いて、人々に引き揚げの用意あってしかるべしと申しました」
と、憚りなく言った。
自分の胸奥を鏡にかけたように言いあてられて、曹操はひどく
惧れた。かつ
不機
はなはだしく、
「鶏肋とは、その意味で申したのではない。慮外者め」
と、一喝したのみか、直ちに夏侯惇をかえりみて、軍律を紊せる者、即座に首を打てと命じた。
暁寒き陣門の柱に、楊修はすでに首となって梟けられていた。昨夜の才人も、今朝は烏の餌に供えられている。
「ああ、儚い哉」
さすが武骨の将たちも、慄然として、曹操の冷虐な感情におぞ毛をふるい、また楊修の才を悼んだ。
実に、楊修の一代は、才をもって彩られていた。しかしその豊かな才も、あまりに曹操の才能をも越えて、常に曹操をして、怖れしめていたため、かえって、彼の忌み憎むところとなっていた。
かつて、こういう事もあった。――鄴都の後宮に一園を造らせ、多くの花木を移し植えて、常春の園ができあがった。......というので曹操は、一日その花園を見に出かけた。
曹操は、善いとも悪いともいわなかった。ただ帰る折に、筆を求めて、門の額を懸ける横木へ『活』の一字を書いて去った。
(どういう思し召しだろう)
造庭師も諸官の者も、ただ首を傾けて、曹操の意中を惧れあうばかりだった。
そこへ楊修が通りかかった。人々が彼に当惑を告げると、楊修は笑って、
(何でもない事ではありませんか。魏王のお胸は、花園にしてはあまりに闊すぎるからもっとちんまり造り直せという御註文にちがいない――なぜかとお訊ねか。はははは。門の中に活という文字をかけば、即ち闊となるでしょう)
(なるほど)
皆、感心してすぐ庭を造り直し、再度曹操の一遊を仰ぐと、曹操もこんどはひどく気に入ったらしく、
(たれが自分の心を酌んでこう直したのか)
と、たずねた。――で、庭造りの役人が、
(楊修にて候)
と答えると、曹操は急に黙って、喜ぶ色を濳めてしまった。
なぜというに、楊修の才には、曹操もほとほと感心しながら、あまりに、自分の意中をよく読み知るので、その感嘆もいつか妬みに似た忌避となり、ついには彼の才能にうるさいような気持ちを抱くようになっていたからである。
魏王の位についてからの曹操は当然、次の太子はだれに譲ろうかと、わが子をながめていた。ある時、彼は侍側の臣に命じて、
(明日、長男の曹丕と、三男の曹子建とを、鄴城へ招き呼ぶが、ふたりが城門へ来たら、決して通すな)と、いいつけておいた。
曹丕は、門で拒まれた。兵隊たちに峻拒されて、やむなく後へ帰ってしまった。
次に曹子建が来た。同じように関門の将士が、通過を拒むと、
(王命を奉じて通るに何人か我を拒まん。召しをうけて行くは
弦を離れた

のごときもので、再び後へ
回ることを知らぬ)と、言い捨てて通ってしまった。
曹操は聞いて、さすがは我が子だと、大いに子建を賞めたが、後になって、それは子建の学問の師楊修が教えたものだとわかり、がっかりすると共に、
(よけいな智慧をつけおる)と、彼の才に、その時も盾をひそめた。
四
また楊修は「答教」という一書を作って曹子建に与え、
(もし父君から何か難しいお訊ねのあったときは、これを御覧なさい)
と、言っていた。答教のうちには、父問三十項に対する答えがかいてあった。
こういうふうに、曹子建には、楊修のうしろ楯があったので長男の曹丕よりは、何事にまれ勝れて見えたが、やがて自分こそ、当然、太子たらんとしている曹丕は、心中大いに面白くなく、事ごとに楊修を父に讒していた。
(父子、世嗣の問題にまで、才気をさし挾むはいかに才ありとも、奸佞の臣たるをまぬかれぬ。いつかは、誅すべきぞ)と曹操の胸には、ひそかに誓っていたものがあったのかも知れない。何にしても、才人才に亡ぶの喩にもれず、楊修の死は、楊修の才がなした禍であったことに間違いはない。要するに、彼の才能は惜しむべきものであったが、もう少しそれを内に包んで、どこか一面は抜けている風があってもよかったのではあるまいか。
けれど、楊修の言は、揚修が死んでから三日とたたないうちに、そのことばの理由ある所以を現わし、魏の諸将をして、「鶏肋」の解釈をふたたび想い起こさせた。
蜀軍は、その日も次の日も、斜谷の陥落もはや旦夕にありと見て、息もつかず攻めたてていたのである。
ことに、最後の日は、両軍の接戦、惨烈を極めて、曹操自身も、乱軍の中に巻きこまれ、蜀の魏延と刃を交えているうちに、
「斜谷の城中から、裏切り者が火の手をあげた」
という混乱ぶりであった。
だが、魏の陣中からあがった火の手は、裏切りがあっての事ではなく、蜀の馬超が、斜谷の嶮をよじ登って、ふいに搦手から関内へ攻めこみ、後方攪乱の策に出た結果だった。
しかし城を出て戦っていた魏軍の狼狽はひととおりでない。
「すわ、総くずれだ」と、後方の騒動に前軍も混乱して、まったく統一を失い、収拾もつかぬ有様に、曹操に剣を抜いて味方の上に擬し、
「だれにもあれ、みだりに陣地を捨て、背を見せて退く者は、たちどころに斬るぞ」と、督戦した。
しかしその姿を見て、蜀の魏延、張飛などが、
「我こそ、彼の首を」と、喚きかかるし、退こうとすれば、部下を督戦して叫んでいる自己の言を裏切るものだし、曹操もまた自繩自縛に陥ってしまうような苦戦だった。
かくと見て、曹操のそばへ、馬をとばして助けに来たのは龐徳だった。剛雄魏延を身にひきうけて、
「いざ、今のうちに、一方の血路をひらいて、早々落ちたまえ」と主の前に立ち塞がり、魏延の手勢、張飛の部下など、入り代わり立ち代わり寄りたかって来る敵を、わき目もふらず防いでいた。
すると後ろであッという声がした。まさしく曹操の発したものである。龐徳はむらがる敵を蹴ちらして、
「いかがなされましたぞ」と、曹操の居るところへ駈け戻って来た。
曹操は落馬していた。のみならず両手をもって、口を抑えていた。
遠矢に面を射られて、二枚の前歯を欠いたのである。ために顔半分から両の手まで鮮血にまみれていた。
「軽傷です。お気を慥かにおもちなさい」
龐徳は、彼を馬上に抱えて、乱軍の中から落ちて行った。
すでに斜谷の関城は、全面、焰につつまれ、山々の樹木まで焼けつづけている。
魏軍は完敗した。今さらのごとく楊修のことばを思い出し、
(あのとき引き捧げていたら――)と、思うもの、ただ魏の将士のみではなかった。
曹操の面部は腫れ上がり、金瘡ははなはだ重かった。彼は、その病軀を氈車のなかに横たえ、敗戦の譜いたましく、残余の兵をひいて帰った。
その途中、
「......そうだ。楊修の屍は捨てて来たが、何か遺物はあるだろう。どこかへ篤く葬ってやりたいものだ」
氈車の中で、うわ言のように呟いていた。
更に、また来ると、途中を擁して待ちかまえていた蜀軍が、曹操の首をとらんと、猛烈に包囲して来た。車はようやく京兆府まで逃げ走ったが、一時は曹操も、ここに死すかと、観念の眼をふさいでいたようであった。
漢中王に昇る
一
魏の勢力が、全面的に後退したあとは、当然、玄徳の蜀軍が、この地方を風靡した。
上庸も陥ち、金城も降った。
申耽、申義などという旧漢中の豪将たちも、
「いまはだれのために戦わん」と言って、みな蜀軍の麾下へ、降人となって出た。
玄徳は、布告を発して、よく軍民の一致を得、政治、軍事、経済の三面にわたって、画期的な基礎をきずいた。
こうして彼の領有は、一躍、四川漢川の広大な地域を見るにいたり、いまや蜀というものは、江南の呉、北方の魏に対しても、断然、端倪すべからざる一大強国を成した。
時を観ていた孔明は、折々、諸大将と意見を交わして、
「いまや東西両川の民は、ことごとく君の徳になつき、ひそかにわが皇叔が、名実ともに王位に即かれて、内は民を定め、外には騒乱の賊を鎮め給わんことを、心から希っておる」
と、即位進言のこころを漏らすと、人々も異議なく、
「そうなくてはならない。ぜひ折を見て、亮軍師から皇叔へおすすめを仰ぎたい」
と、同意を表した。
孔明は、諸臣の代表として、法正を伴い、ある時、改まって、玄徳に謁した。そして、
「君にもはや、御齢五十をすぎ給い、威は四海に震い、徳は四民にあまねく、東除西討、いまや両川の地に君臨されて、名実ともに兼ね備わる。これは単なる人力のみの功績ではありません。天の理法、天の意というものも、思わねばなりません。よろしく君にはこの時に、天に応じて王位にお即きあるべきです」
と言うと、玄徳は、さもさも驚いたように、その面を左右に振った。
「何をいうぞ、軍師。予は漢室の一族にはちがいないが、なお許都には、皇帝がおわす。いついかなる所にあっても、身は臣下の分を忘れたことはない。もし王位を僭称し、曹操の驕りに倣うような真似をしたら、何をもって、国賊を討つ名分となすぞ」
「いやいや、帝位を称え給うには非ず。漢中王に即かるる分には、何のさしつかえがありましょう。いま宇内二分して、呉は南に覇をとなえ、魏は北に雄飛し、また君の御威徳によって、西蜀漢中の分野ここに定まるとはいえ、なお前途の大統一を思う同気の輩は、我が君が、あまりに世間の誹りを気にかけて、いわゆる謙譲の美徳のみを唯一の道としておいでになると、ついには君の大器を疑い、三軍の心、ために変ずるの憂いがないとはいえません。天ゆるし、地もすすめる時は、隆々の盛運に乗って、君御自身、更に雲階を昇って栄位に進み、歓びを、帷幕や三軍の将士に頒かつこそ、また国を旺にする大策たること疑いもありません。ねがわくは皇叔一個の御潔癖にのみとらわれず、御心を大にして、天地の欲するままに順応せられんことを」と、極力すすめた。
玄徳はなお容易に
肯んじなかった。いかに臣下や両川の民がそれを望んでも、あきらかに天子から勅命がない以上は、自称し
僭称するものである。そういう事は自分は

いだと言って、あくまでしりぞけた。
けれど孔明以下、
法正も
張飛も
雲もたびたび、進言して、玄徳の積極性をうながしたため、ついに彼もそれを許容することになり、ここに文官の
譙周が
表を作った。そして使は、許都の天子の
許へその表を呈し、玄徳が漢中王に
即くことを正式に奏した。
建安二十四年の秋七月。
沔陽(陝西省漢中の西方)、に式殿と九重の壇をきずいて、五色の幡旗をつらね、群臣参列のうえ、即位の典は挙げられた。
同時に、嫡子劉禅の王太子たるべき旨も宣せられた。
許靖をその太傅とし、法正は尚書令に任ぜられた。
軍師孔明は、依然、すべての兵務を総督し、その下に、
関羽、張飛、
馬超、
黄忠、

雲の五将をもって、
五虎大将軍となす旨が発布され、また
魏延は、漢中の太守に
封ぜられた。
二
即位の後、玄徳は、ふたたび表をもって、その趣を天子に奏した。
先に都へ使を立てて、捧げた表は、諸葛孔明以下、蜀臣百二十人の連署をもって奉上したものであり、後のは、劉備玄徳の認めたものである。
表はいずれも長文で、辞句荘重を極めている。朝廷はその秋ただちに、劉備玄徳にたいして、「漢中王領大司馬」の印綬を贈った。
「なに、むかし蓆を織っていた凡下が、ついに漢中王の名を冒したというか。憎むべき劉備の不遜、あくまで、この曹操と互角に対峙せん心よな」
魏王曹操が、ために大きな衝動をうけたことは、言うまでもない。
「起てよ、わが百万の鉾刃。――何ぞ、蜀の傍若無人なる。彼をして無事に、漢中王の名を僭称させておいては、身禁門を擁護する曹操として、何の面目やある」
魏王は、獅子吼した。
時に大議事堂に満つる群臣の中から起って、
「否とよ大王、一旦のお怒りに駆らるるは、上乗に非ず、すべからく蜀の内部に衰乱の兆すを待って、大挙、軍を向け給え」と、いさめた者がある。
諸人が、何人かと見れば、司馬懿、字 は仲達、近ごろ曹操の側臣中、彼ありと、ようやく認められて来た英才である。
曹操はじろと見て、
「――うむ、それもよかろう。しかし仲達、蜀の衰亡を、ただ拱手して待つわけでもあるまい。汝にいかなる計があって言うか」
「さればです。臣の察するに、呉の孫権は、先に妹を玄徳に嫁し、のち取り返して、以後、絶縁のままになっているものの、その心中には、歯をくいしばるの恨みを嚥んでおりましょう。――いま魏王の御名をもって、使を呉に立て、呉が荊州を攻むるならば、魏は呼応して、呉を援け、また玄徳の側面を突かん――と、利害をあきらかにおすすめあれば、孫権のうごくこと、百に一つも間違いはありません」
「呉を。......そうか、呉をしてまず、戦わせるか」
「荊州の危うきときは、漢川も危胎に瀕し、漢川を失えば蜀もまた窒息のやむなきに至りましょう。いずれにせよ、長江波高き日は、玄徳が一日も安らかに眠られない日です。彼は両川の兵をあげても、荊州の急を救わんとするでしょう。かかる状態を作っておいてから、わが魏の大軍がうごくにおいては、兵法の聖が言っているごとく、必勝を見て戦い、戦うや必ず勝つ、の図にあたりましょう」
「善言善言」
仲達の考えは容れられた。使者には満寵が選ばれた。彼はたびたび、呉へも行っているし、外交官として聞こえがある。
さてここに、呉の孫権も、遠く魏蜀の大勢をながめ、呉の将来も、決して今日の安泰を、明日の安泰としていられないものを自覚していた。
ところへ、魏使が着いた。
孫権はまず張昭にたずねた。張昭は答えて言う。
「おそらく修交を求めて来たのでしょう。ともあれ会ってごらんなさい」
孫権はそれに従った。満寵を引いて、主賓の座を分かち、礼おわって、来意をたずねた。満寵はつつしんで使いの旨を述べ、
「魏と呉とは、もとより何の仇もなく、ただ孔明の弄策に災いされ、過去数年の戦いを見たものです。その結果、利を獲たものほ、実に、呉でもなく魏でもなく、いまや蜀漢二川の地を占めている玄徳ではありますまいか。――魏王曹操も、非をさとり、貴国と長く唇歯の誼を結んで、共に玄徳を討たんという意思を抱いておられます。ねがわくは、相侵すなく、両国の修交共栄の基礎がここに定まりますように」と、魏王の書簡を孫権の座下に呈した。
三
使者の満寵は、やがて歓迎の宴に臨んだ。曹操の書簡を見てからの孫権ははなはだ気色が麗しい。満寵はひそかに、
(この外交は成功する)と、信じていた。
彼は酔って客館に退がった。だが、呉宮の殿堂は、深更まで、緊張を呈していた。重臣はみな残って、孫権を中心に、
(魏の申し出にどう答えるか)と、その修交不可侵条約の求めにたいして、検討評議にかかったのである。
「もちろん魏の大望は、天下を統一して、魏一国となすにあるので、これは曹操の詐りにきまっておるが、さればと言って、明らかに彼の申し出を拒み、魏の重圧を一方にひきうけて、蜀の立場を有利にさせ、呉の兵馬を消耗しては面白くない」
これは顧雍の説だった。
そのほか有力な呉人の国際観も、大概同じ見解をもっている。
要するに、不和不戦、なるべく魏との正面衝突は避け、他をもって戦わせ、そのあいだにいよいよ国力を充実し、起つ機会を充分に窺うべし――という意見である。
諸葛瑾が、一策を唱えた。
「ひとまず使者の満寵はお帰しあって、呉よりも改めて、一使を魏に派遣されたらいかがです。そのあいだに別な使者を荊州へ送るのです。いま荊州の守りは、例の関羽ですが、これに我が君より書簡をつかわし、大勢を説いて、呉に協力させまする。もし関羽だに承知して、呉に与するなら、断然、魏を拒んで、曹操と一戦なすも、決して、呉は敗るるものではありません」
張昭が中途で訊ねた。
「もし関羽が断わったら?」
「そのときは、直ちに魏の申し入れを容れ、相携えて荊州を攻め取るばかり」
「妙変、臨機、大いによろしい。けれど諸葛兄、それはほとんど、後者にきまっていよう。玄徳の信任も篤く、忠誠無比といわれる関羽が、一片の書簡に変じて、呉に協力しようとは思われん」
「さよう。単なる外交では望みはありますまい。けれど彼は情に脆い豪傑です。私の計は、婚姻政策です。関羽には一男一女がありますから、呉の世子にその娘を迎えたいがといったら、親心として、大よろこびで応じてくると考えますが」
孫権は諸葛瑾の案にうなずいた。さしずめ、瑾を使者として、荊州へ遣わそう。そして一方、魏の曹操にも、使いを立て、まず双方の機変を打診してみた上としても、呉が態度を定めるのは遅くもあるまい――と言うことに議をまとめて、次の日、満寵にはしかるべき礼物と答書を与えて、魏へ送り帰した。
魏の船が出ると、すぐ後から瑾の乗っている船が出た。その船は荊州へ着いた。
孔明の兄とは知っているが、呉の使者として来たと聞くと、関羽は出迎えもせず、悠然、これを待って対面し、
「何です。御辺の用向きは」と、応対まことに武骨だった。
瑾は不快とも思わない。むしろ武弁で正直な関羽の人柄に敬慕を覚えながら話した。
「将軍のお娘御も、もう妙齢とうかがいましたが、主人孫権にも一男あり、呉の人はみな、好世子と称えております。いかがでしょう、御愛嬢を、呉の世子に嫁がせるお心はありませんか」
聞くと、関羽は、毛ぶかい顔を歪めて、さも卑しむように、瑾の口許をながめ、
「無いなあ、そんな気は」と、にべなく、言った。
瑾がかさねて、
「なぜですか」とたたみかけると、関羽は、勃然と、髯の中から口を開き、
「なぜかって、犬ころの子に、虎の娘をだれが嫁るかっ」と、吐き出すように言った。
瑾は
頸をすくめた。それ以上、口をあくと、関羽の剣がたちまち

を脱して来そうな鬼気を感じたからであった。
烽火台
一
瑾の使は失敗に帰した。ほうほうの態で呉へ帰り、ありのままを孫権に復命した。
「推参なる長髯獣め。われに荊州を奪るの力なしと見くびったか」
孫権は、荊州政略の大兵をうごかさんとして、その健 業 城の大閣に、群臣の参集を求めた。
参謀の歩隲がその議場で反対をのべた。
「荊州進攻は、断じて御無用です。それは魏の思うつぼで、わが呉の兵馬を、曹操のために用いられるも同様ではありませんか」
しかりとする者、否とする者、議場は喧騒した。隠忍久しき呉も、いまや自信満々である。諸将の面上には、かつてのこの国には見られなかった覇気闘志が漲っている。
歩隲はかさねて言った。
「反対に、魏の兵馬を、呉の用に供せしめてこそ、上策と申すべきに、さる深慮もめぐらさず、ただひしめいて手ずから荊州を奪らんとするなど、一州を奪るにもどれほどな兵力と軍需を消耗するものか、国力の冗費を思わぬものだ」
すると、主戦的な人々は、声をそろえて、
「そんな巧いわけにゆくものか。犠牲なくして、国運の進展なし。また、国防なし」
と、あちこちで呶号した。
歩隲は、衆口を睥睨して、
「まず黙って聞き給え。いま曹操の弟
曹仁は、
襄陽から
樊川地方に陣取っている。これ、
隙あらば荊州に入らんと、機を
窺っているものであるが、彼もさるもの、まず呉に戦わせ、その後、
好餌を

らわんと、
唾をのんでひかえておる。――で、呉は今こそ、かねて懸案の対魏方策を一決して、彼の望みどおり同盟の
好誼をむすび、その代わりに、直ちに、曹仁の軍勢をもって荊州へ攻め入ることを条件とするならば、魏も否やを言う口実なく、われらの思いどおりな形勢に導くことになろうではないか」と、万丈の気を吐いた。
孫権は、歩隲の策を容れた。そう運べば、多年の宿志も一鼓して成るべしと、すぐさま呉の代表を送って、曹操に書簡を呈し、魏呉不可侵条約、ならびに軍事同盟の締結をいそいだ。
呉の外交官の一行が、入府したとき、曹操は歯医者を招いて入れ歯をさせていた。斜谷の乱軍中に口へ鏃をうけて、その折欠けた二本の前歯の修繕ができた日だったのである。
「できたできた。これでもう声も漏れないし、なんでも嚙める」
そう言いながら、彼は用の終わった歯医者を捨てて、大股に礼賓閣へ歩み、呉使を謁見して、すぐ条約の文書に調印を与えたのであった。
要するに、曹操の肚では、何よりも玄徳と孫権との提携を惧れていたのである。いまその蜀呉合作を未然に打破して、蜀を孤立させただけでも、大いなる成功であるとなし、呉の附帯条件も、文句なしに容れたものと思われる。
呉から提示して来た条件というのは、もちろん魏の即時荊州進攻の実行にある。曹操は、調印直後、満寵を樊川軍参謀に任じ、曹仁のいる前線拠地――樊城へ派遣して、彼を扶けさせた。
蜀はこの間に、もっぱら内治と対外的な防禦に専念し、漢中王玄徳は、成都に宮室を造営し、百官の職制を立て、成都から白水(陝西省白水、西安の北)まで四百余里という道中の次々には駅舎を設け、官の糧倉を建て、商工業の振興と交通の便を促進するなど、着着その実をあげていた。
もとよりこういう治民経世の策はその一切が孔明の頭脳から出ていたといってよい。孔明はかかる忙しい中に、荊州からの急使をうけたのである。即ち、魏の曹仁が、突如、堺を侵して、荊州へ行動を起こして来た――と。
「関羽がおります。御心配には及びますまい」
漢中王の驚愕をなだめて、彼は常とかわりなく、沈着にその事を処置した。
二
司馬費詩は、孔明の旨をうけて、荊州へ急行した。
関羽に会うと、彼は、漢中王の王旨であるといって、
「荊州の運命は、いまや将軍の一肩にある。よろしく州中の兵を起こして、ただ守るにとどまらず、敵の樊城をも攻め奪られよ」と、伝えた。
関羽は、自分を信頼してくれる玄徳の依然として篤い知遇に感泣した。けれど、その任の重大にしてかつ困難なことにも思い到らざるを得なかった。
費詩はまた言を重ねて、
「ついてはこの機に、閣下をも、五虎大将軍の一人に列せられました。ありがたく印綬をおうけ下さい」と、言った。
関羽は例の朴訥な気性からむっとした容子で、
「五虎大将軍とは何ですか」
「王制の下に、新たに加えられた名誉の職です。つまり蜀の最高軍政官とでも申しましょうか」
「だれとだれとがそれに任ぜられたのか」
「閣下のほかには、
張飛、
馬超、
雲、
黄忠の四将軍です」
「ははは。児戯にひとしい」と関羽は満心の不平を笑いに紛らせて言った。
「馬超は亡命の客将。黄忠はすでに老朽の好々爺。それらの人士と、われにも同列せよとのお旨であるか」
「羽将軍には、御不満らしいが、五虎大将軍の職制は、要するに、王佐の藩屛として、国家の必要上設けられたものであって、漢中王とあなたとの情義や信任の度をあらわしたものではありません。おそらくあなたは、むかし桃園に義をむすんだ劉玄徳という人を思い出して、自分と黄忠などを同視するのかと、ふと淋しい気がしたのでしょうが、それは大いなる国家の職制とわたくしの交情とを、混同されたお考えとぞんじますが」
関羽は急に費詩の前に拝伏して慚愧した。
――しかり、しかり、もし足下のあきらかな忠言を聞くのでなかったら、自分はここにおいて、君臣の道のうえに、ついに取り返しのつかぬ過誤を抱いてしまったであろう――と。
即ち、彼は卒然と、自分の小心を恥じて、その印綬をうけ、涕涙再拝して、
「小弟の愚かな放言をおゆるしください」と、はるか成都の方へ向かって詫びた。
荊州城の内外には、一夜のうちに彼の麾下なる駿足が集まった。関羽の令が常に厳としてよく守られていることがわかる。関羽は将台に登って、今や樊川の曹仁が、駸々と堺に迫りつつある事態を告げ、出でてこれを迎撃し、更に敵の牙城樊川を奪り、もって、蜀漢の前衛基地としてこの荊州を万代の泰きにおかねばならないと演説した。
彼の将士は、万雷のような拍手をもってそれに答え、各々の出陣に歓呼した。
先陣は廖化。その副将には関平。――参謀として馬良、伊籍。――留守の大将にはだれだれをと、その場で、各隊の部将や所属も任命された。
満城、その夜は篝を焚き、未明の発向というので、腰に兵粮をつけ馬にも飼糧を与え、陣々には少量の門出酒も配られて、東雲の空を待っていた。
関羽もすっかり身を鎧って「帥」の大字を書いた旗の下に、楯に倚って居眠っていた。――すると、どこからか、全身まっ黒な大猪が奔って来て、いきなり具足の上から関羽の足に咬みついた。
「......あっ」
と、愕きざま、抜き打ちに猪を斬ったかと思うと――眼がさめていた。夢だったのである。
「どうなさいました」
父の声に、養子の関平が来てたずねた。夢ではあったが、猪に咬まれたあとが、まだズキズキ痛むような気がするといって――関羽は苦笑した。
「猪 は龍象のうちと申しますからきっと吉夢でしょう」と、関平は言ったが、幕僚のうちには凶夢ではあるまいかと、ひそかに案じる者もあった。しかし関羽は、
「人間五十に達すれば、吉夢もなし、凶夢もなし。ただ清節と死所にたいして、いささか煩悩を余すのみ」と、言って笑った。
三
曹仁の大兵は、怒濤となって、すでに襄陽へ突入したが、
(関羽が全軍をひきいて、荊州を出た)
という情報に、にわかにたじろいで、襄陽平野の西北にものものしく布陣して敵を待っていた。
魏の進撃が、思いのほか遅かったのは、曹仁が樊城をたつときから、参謀の満寵と夏侯存などのあいだに、作戦上の意見に齟齬があって、容易に出足が一決しなかったためである。
で、たちまち関羽軍は、襄陽郊外に来て、彼と対陣した。
魏の翟元は、荊州の廖化へ挑んで、この戦の口火をひらいた。
一鼓一進、たがいに寄って、歩兵戦は開始され、やがてやや乱軍の相を呈して来たころ、廖化は偽って、敗走し出した。
そのころ、夏侯存と戦っていた関平もくずれ立ち、荊州軍は全面的な敗色につつまれたかに見えたが、やがて二十里も追われて来たころ、こんどは逆に、追撃また追撃と犯奔して来た曹仁や夏侯存などの魏軍が、突然、乱脈にさわぎ始めて、
「どこだ、どこだ?」
「あの鼓は。喊声は?」と、前の敵は措いて、うしろの埃に惑い合った。
濛々たる塵煙の中に、味方ならぬ旗さし物や人馬が見え出した。わけて鮮やかなのは「帥」の一字をしるした関羽の中軍旗であった。
「すわ、退路を断たれるぞ」
あわてて引っ返してゆく大将曹仁のまえに、さながら火焰のような尾を振り流した赤毛の駿馬が、莫と、砂塵を蹴って横ぎった。
これなん赤兎馬であり、馬上の人は関羽であった。
「――あっ、関羽」
と、思わず声を発して、胆をとばしたまま逃げてゆく曹仁の姿に気がつくと、関羽は振り向いて、
「やよ、魏王の弟。あまりあわてて馬より落ちるな。きょうはあえて汝を追うまい。悠々逃げよ」
と、手の青龍刀を遊ばせながら高々と笑った。
偽って敗走した関平、廖化の二軍は、はるかうしろに味方の鼓を聞くと、にわかに踵を回して、圧倒的な攻勢に出た。
作戦は成功したのである。魏軍は網中の魚にひとしい。けれどその朝、関羽からいわれている旨もあるので、
(序戦にまず敵の胆を挫げば足る)という程度に、長追いもせず、悪戦もせず、ただ退路を失って四方に潰乱した敵を、手ごろに捉えて潰滅を加えた。
で、荊州軍としては、ほとんど、損害という程度の兵も失わず、しかも敵に与えた損害と、心理的影響とは、相当大きなものだった。
なぜならば、曹仁はからくも生きて帰ったが、夏侯存は、関平に討たれ、翟元は廖化に追いつめられて、乱軍中に仆れ、いわゆる先陣の二将を、序戦に亡ったからである。
第二日、第三日も曹仁は、不利な戦ばかり続け、ついに襄陽市中からも撤退のやむなきにいたり、襄陽を越えて遠く退いてしまった。
関羽軍は、襄陽に入った。
城下の民衆は、旗をかかげ、道を掃き、酒食を献じたりして、
「羽将軍来る、羽将軍来る」と、慈父を迎えるような歓迎ぶりを示した。
司馬の王甫が、このとき一案を関羽に話した。
「幸いに、大捷を博しました。けれどこの勝利に酔っては危険です。いくら魏に打ち捷ってもです。――なぜならば呉というものがありますからな。按ずるに、いま陸口(湖北省・漢口の上流)には、呉の呂蒙が大将となって、一軍団を屯させています。これが虚を見て、うしろから荊州へ出動して来ると、ちょっと防ぐ術はありません」
「よく気づいた。自分の憂いも実はそこにある。陸口に変あらばたちまちそれを知るような工夫はなかろうか」
「要所要所に烽火台を築いて、いわゆるつなぎ烽火の備えをしておくに限ります」
「御辺に命じる。奉行となって、すぐその築工に取りかかれ」
「承知しました」
王甫はまず設計図を示してから関羽の工夫も取り容れ、急速にその実現を計った。
四
王甫はいちど荊州へ帰って、人夫工人を集め、地形を視察したうえ、烽火台工築に着手した。
烽火台は一ヵ所や二ヵ所ではない。陸口の呉軍に備えるためであるから、そこの動静を遠望できる地点から、江岸十里二十里隔きに、適当な阜や山地をえらび、そこに見張り所を建て、兵五、六十人ずつ昼夜交代に詰めさせておくのである。
そして、ひとたび、呉のうごきに、何か異変があると見るや、まず第一の監視所の阜から烽火を揚げる――夜ならば曳光弾を揚げる。――第二の監視所はそれを知るやまたすぐ同様に打ち揚げる。
第三、第四、第五、第六――というふうに、一瞬のまにその烽火が次々の空へと走り移って、数百里の遠くの異変も、わずかなうちにそれを本城で知り得るという仕組みなのである。
この「つなぎ烽火」の制は、日本の戦国時代にも用いられていたらしい、年々やまぬ越後上杉の進出に備えて、善光寺平野から甲府までのあいだを、その烽火電報に依って、短時間のまに急報をうけ取っていたという川中島戦下の武田家の兵劇などは、その尤なる一例であったということができる。
「着々、工事は進んでいます。――あとは人の問題ですが」
王甫はやがて襄陽へ戻って来て、関羽に告げた。
「江陵方面の守備は、糜芳、傅士仁のふたりですが、ちと、いかがと案じられます。荊州の留守をしている潘濬も、とかく政事にわたくしの依估が多く、貪慾だといううわさもあって、おもしろくありません。烽火台は出来てもそれを司る人に人物を得なければ、かえって平時の油断を招き、不時の禍を招く因とならぬ限りではありませんからな」
「......うむ。......人は大事だが」
関羽は生返事だった。自ら選んで留守をあずけ、あるいは江岸の守備に当たらせた以上、その者を疑う気にはなれない彼である。考えておこうという程度に王甫の言は聞き流してしまった。
「まず、後の憂いもない」
として、彼は、襄陽滞陣中に、充分英気を養った士卒をして、襄江の渡河を決行させた。
もちろんこの間に、船筏の用意そのほか、充分な用意はしてある。――当然、この渡河中には、手具脛ひいている敵の猛烈な強襲があるものと覚悟して。
ところが、大軍は難なく、舟航をすすめ、何の抵抗もうけず、続々、対岸へ上陸してしまった。
ここでも、樊城の魏軍は、その内部的な不一致を、暴露している。
さきに逃げ帰った曹仁は、その生命を保って来ただけに、以後、関羽の武勇を恐れることひととおりでない。
すでに荊州軍が、歴然と、渡河の支度をしているのを眺めながらも、
「どうしたらよいか」と、参謀の満寵に、ひたすら策を求めているような有様だったのである。
満寵は初めから関羽を強敵と見て、曹仁が襄陽へ陣を出すのをさえ極力いさめていたほどな守戦主義の参謀だったから、二言なく、
「城を堅固に、守るが第一です。出て戦っては、勝ち目はありません」と、言った。
ところが、城中一方の大将たる呂常などの考えは、まったくそれと背馳していた。城に籠るは最後のことだ。まして、軍書にも明らかに、
――敵、半バヲ渡ルトキハ、即チ討ツ。
と用兵の機微を教えてある。そこを摑まないで、どこを摑むか。機微の妙を知らないような大将と共に城を同じゅうするとは、何たる武運の尽きか、と痛嘆した。
前の夜、その激論に暮れてしまった。翌る朝には、もう関羽の旗が、こちらの岸へのぼっていた。
呂常はなお自説を曲げず、
「このうえは、われ一人でも出て戦ってみせる」
と豪語し、勇ましく一門を押しひらいて、なお上陸中の荊州軍を襲ったはよいが、関羽の雄姿を目に見ると呂常の部下は、
「あれが有名な長髯公か」
と、戦いもせず、彼をおいて、われ先にみな城門のうちへ逃げこんでしまうと言ったような有様だった。
生きて出る柩
一
樊城は包囲された。弱敵に囲まれたのとちがい、名だたる関羽とその精鋭な軍に包囲されたのであるから、落城の運命は、当然に迫った。
(――急遽、来援を乞う)
との早馬は、魏王宮中を大いに憂えさせた。曹操は評議の席にのぞむと、列座を見まわして、
「于禁。そちがいい。すぐ樊川へ急行軍して、曹仁の危機を助けろ」
と、その一大将を指さした。
魏王の指名をうけるなどということは、けだし大いなる面目といわねばならぬ。けれどそれだけに于禁は重責を覚えた。わけて曹仁は魏王の弟でもある。彼は、命を受くるとともに、こう願った。
「だれぞもう一名、先手の大将たるべき豪勇の人を、お添え給われば倖せにぞんじますが」
「おう、よかろう。たれか先陣に立って、関羽の軍を踏みやぶるものはいないか」
すると、声の下に、
「いまこそ国恩に報ずる時かと存ずる。ねがわくはそれがしにお命じ下さい」
人々の目は、期せずしてその偉丈夫にあつまった。
面は灰色をおび髪は
茶褐色をしている、
西涼の産まれというから、
胡夷の血を交えているにちがいない。その皮膚の色や髪の毛がそれを証拠だてている。すなわち、
龐徳、
字は
令明。漢中進攻のとき魏に
囚われて以来、
曹下の
禄を

んでいた者である。
曹操が思うに、龐徳なら関羽の良い相手になるであろう。勇略無双の聞こえある関羽に対して、恥なき戦いをするには于禁では実力が足らない。
「うむ、龐徳も征け。更に、予の七手組の者どもを加勢に添えてやろう」
曹操は念に念を入れた。七手組とは、彼の親衛軍七手の大将で、魏軍数百万のうちから選び挙げた豪傑たちであった。
面々、印綬をうけて退出した。ところがその夜、七人のうちの董衡が、ひそかに于禁をたずねて言った。
「われわれ一同も、あなたを大将にいただいて征くことは、この上もない光栄ですが、副将として龐徳が先陣にあたることはいささか不安がないでもありません。いや実をいえば一抹の暗雲を征旅の前途に感じますので」
「ほほう? それはいかなる仔細かの」
「龐徳は元来、西涼の産で、かの馬超の腹心であった者です。しかるに、その馬超はいま蜀にあって、玄徳に重用され、五虎将軍の一人に加えられているではありませんか。のみならず、現在、龐徳の兄龐柔も、蜀におります。そういう危険な陰影を持っている人物を先陣に立てて、蜀軍とまみえることは、何とも複雑な神経をわれわれまでが抱かせられる――という点を、ひとつ将軍からそっと魏王のお耳に入れて御再考を仰ぎたいと存ずる次第ですが......」
「いや、いかにも、七手組の不安は、無理ではない。早速、大王にお目通りして、御意見を伺ってみよう」
夜中だし、発向の準備に、忙しない中であったが、于禁は倉皇と、魏王宮に上って、その由を、曹操に告げた。
つぶさに聞くと、曹操も安からぬ気持ちに駆られた。でひとまず于禁には、
「聞きおく」として、急遽、べつに使いを出して、龐徳を呼びよせた。
そして軍令の変更を告げ、ひとたび彼にさずけた印綬を取り上げた。龐徳は、仰天して、
「いったい、どういうわけですか。大王の命を奉じて、明朝は打ち立たんと、今も今とて、一族や部下を集合し、馬や甲鐙をととのえて、勇躍、準備中なのに、このお沙汰は」
と、面色を変えて訴えた。
「されば――予としては毫も汝を疑ったこともないが、汝を先手の大将に持つことには、総軍から反対が出た。理由は、そちの故主馬超は、蜀にあって、五虎の栄官についておる。――おそらく汝とも何か脈絡を通じているであろう――と申すに在る。つまり二心の疑いをかけておるわけだな」
二
さもさも心外で堪らないような面持ちをたたえて、龐徳は凝然と口を緘していた。それを宥めるため、曹操はまた言い足した。
「汝に二心ないことは、予においては、充分わかっておるが、衆口はなんとも防ぎようがない。悪く思うな」
「............」
龐徳は冠を解いて床に坐し、頓首して自己の不徳を詫び、かつ告げた。
「それがし漢中以来、大王の御厚恩をうけて、平常、いつか一身をもって、御恩に報ぜんことのみを思っておりました。しかるに今日、かえって、衆口の疑いを起こし、お心を煩わし奉るとは、何たる不忠、何たる武運の拙さ。......御推察くださいまし」
巌のような巨きな体をふるわして嘆くのだった。彼はなお激して語りつづけた。いま蜀にいる兄の龐柔とは多年義絶している仲である事。また馬超とは、別離以来一片の音信も通じていない事。ことに馬超の方から自分をすてて単独、蜀へ降ったものであるから、今日その人に義を立てて、蜀軍に弓を引けないような筋合いはまったく無いのである。――と言々吐くたびに面へ血をそそいでいる。
――と、曹操は、みずから手を伸ばして彼の身を扶け起こし、いと懇ろにその苦悶をなだめた。
「もうよい。もうよい。汝の忠義はだれよりもこの曹操がよく知っておる。一応、諸人の声を取り上げたのも、わざわざそちに真実の言を吐かせて、諸人にそれを知らせんためにほかならぬ。いまの言明を聞けば、于禁の部下も、七手組の諸将も、釈然として疑いを消すであろう。――さあ征け。心おきなく征地に立って、人いちばいの功を立てよ」
印綬はかくて龐徳の手にまた戻された。龐徳は感涙にむせび、誓ってこの大恩にお応えせん、と百拝して退出した。
彼の家には、出陣の餞別を呈するため、知己朋友が集まっていた。帰るとすぐ、龐徳は召使いを走らせて、死人を納める柩を買いにやった。
そして、女房の李氏を呼び、
「お客はみな賑やかに飲んでいるか」
「宵から大勢集まって、あのようにあなたのお帰りを待っていらっしゃいます」
「そうか、ではすぐ席へ参るから、その前に、この柩を、酒席の正面に飾っておいてくれ」
「ま、縁起でもない。これは葬式に用いるものではありませんか」
「そうだよ。女の知ったことじゃない。おれの言うとおりにしておけばよい」
龐徳は衣服を着更え、やがて後から客間へのぞんだ。客はみな正面の柩を怪訝って、主人の意をあやしみ、お通夜のようにひそまり返っていた。
「やあ、失礼いたした。――実は、明朝の出陣をひかえて、突然、魏王からお召しがあったので、何事かと伺ってみると、実は思いもよらぬおことばで――」と、逐一こよいの顚末を話し、なお魏王の大恩に感泣して帰って来た心事を一同へ告げたうえ、
「――明日、
樊川へ向かって立つからには、敵の関羽と勝負を決し、大きくは君恩にこたえ、一身にとって、武門の潔白を
証し立てんと存ずるのである。
所
、このたびの出陣こそは、生還を期しては立てぬ、それ故、生前の親しみを、一夜に尽くして、お別れ申しておきたいと思う。どうか、夜の明けるまで、賑やかに飲んでもらいたい」
それから、女房の李氏へは、
「われもし関羽を討ち得なければ、われかならず関羽のため討ち果たされん。われ亡きのちは子を護り、父に勝る者を育てて、父の遺恨をすすがせよ。よいか、たのむぞ」と、言い遺した。
悲壮な主の決心を知って、満座みな袖をぬらしたが、妻の李氏は、かいがいしく侍女や僕をさしずして、夜の白むまで主人や客の酒間に立ち働き、ついに涙を見せなかった。
三
夜が白むと、鄴都の街には、鉦太鼓の音が喧しかった。于禁一族や七手の大将が、それぞれ出陣する触れである。
貝の音もする、銅鑼も聞こえる。龐徳の邸でも、はや門を開かせ、掃き浄めた道を、やがて主人が郎党を従えて来た。
見れば、彼の兵は、列の真っ先に、
白錦襴で

いをした柩を高々と担っている。門外に
堵列していた五百余人の部将や士卒はびっくりした。葬式が出て来たと思ったからである。
「一同、怪しむを休めい」
馬上ゆたかな姿をそこに現わした龐徳は、鞍の上から部下へ告げた。生きて還らぬ今度の決心と、そして魏王の大恩とを。
語をつづけて更に陳べた。
「日ごろ、其方どもの心根にも、おれは深く感じておる。もしこの龐徳が、関羽に討たれ、空しき屍となったときは、この柩に空骸を収め、回って魏王の見参に入れてくれい。――とはいえおれも一代武勇に鍛えた龐徳だ、むざとは討たれん。ただかくのごとく、生死を天に帰して、今朝の出陣をいたすまでである」
思い極めた大将の覚悟は、部下の心にも映らずにいない。かくて龐徳の出陣ぶりは、すぐ曹操の耳へ入った。
「うム、そうか。よし、よし」
曹操は聞くと、喜悦をあらわした。賈詡が、側らにあって、
「大王、何をお歓びですか」と、言った。曹操は、問うも野暮といわぬばかりに、われ龐徳の出陣の壮なるを悦ぶなり――と言った。
すると、賈詡は、
「おそれながら、大王には、ちと御推測を過っておられるようです。関羽は世の常の武将ではありません。すでに天下に彼の名が轟いてから三十年、いまだいちどの不覚を聞かず、不信の沙汰なく、無謀のうわさを知りません。いま、その武勇にかけて、関羽と対立し、よく互角の勝負をする者は、おそらく驍勇無比なる龐徳をおいては、ほかに人物はおりますまい。この点は大王のお眼鑑に、私も心服しておるものでございます。さりながらそれは武勇だけの問題です。智略はいかにとなると、これは到底、関羽の巧者には及ばないこと瞭らかです。――それを龐徳が悲痛なる決意と血気にまかせて、あのようにして出て行ったのは、実に、敵を知らざるもの、暴虎の勇、私には、危なくて見ていられませんでした。――諺にも、両剛闘えば一傷ありで、魏にとっては、またなき大将を、むざむざ死なせにやるような事は、国家のため、決して良計とは思われません。いまのうちに、少し彼の気持ちを、弱めたほうが、将来の計かと思われますが......」
「や。実にそうだ」
曹操はすぐ使いを派した。――龐徳の途中を追いかけさせてである。
使者は、追いついて、告げた。
「王命です。――戦場に着いても、かならず軽々しく仕懸けるな、敵を浅く見るな。敵将関羽は、智勇兼備の聞こえある者。くれぐれも大事をとって仕損じるなかれ――とのおことばでありまする」
「かしこまって候」
謹んで答えたが、使者が帰ったあとで、龐徳は非常に笑った。
「何をお笑いになるので?」と、諸人が訊くと、
「いや、大王の御入念があまりにも過ぎると、かえって、この龐徳の心を弱め給うようなことになる。それ故、われはわざと一笑して、この意志を弱めずと、誓い直しているのである」
と、言った。
于禁は元来が弱気なので、それを聞くや、眉をひそめ、
「概すでに敵を呑む将軍の意気は大いによろしいが、魏王の戒めも忘れ給うな。中道によく敵を見て戦われよ」と、忠告した。
「三軍すでに征旅に立つ。何の顧みやあらん。関羽関羽と、まるで呪符のように唱えるが、彼とてよも鬼神ではあるまい」
龐徳はあくまで淋漓たる戦気を帯びて、三軍の先鋒に立ち、一路樊川へ猛進した。
関 平
一
樊城の包囲は完成した。水も漏らさぬ布陣である。関羽はその中軍に坐し、夜中頻々と報じて来る注進を聞いていた。
曰く、
魏の援軍数万騎と。
曰く、
大将于禁、副将龐徳、さらに魏王直属の七手組七人の大将も、各々その士馬精鋭をひっさげ、旋風のごとく、進軍中と。
また曰う。
先鋒の龐徳は、関羽の首をあげずんば還らずと、白き旗に、「必殺関羽」と書き、軍卒には柩をかつがせ、すでにここから三十里余の地に陣し、螺鼓銅鉦を鳴らして、気勢ものすごきばかりにて候――と。
この報告を聞くと、関羽は、勃然と面色を変じ、その長い髯に風を呼んで言った。
「匹夫、われを辱しめるか、よしその儀なれは、まず龐徳の望みにまかせ、彼を持参の柩に納めてやろう」
直ちに、駒を寄せて跨がり、また養子の関平を呼んで言った。
「父が、龐徳と戦うあいだ、汝は油断なく、樊城を衝け、魏の援軍、城外三十余里のあなたに来れりと知れば、城兵の気は頓に昂まり、油断していると反撃して来るぞ」
関平は、父の乗馬の口輪をつかんだ。そしてその前に立ち塞がり、
「こは父上らしくもない事です。たとえ龐徳がどんな豪語を放とうと、珠をもって雀に抛ち、剣をもって蠅を追うような、もったいない事はなさらないで下さい。彼がごとき鼠輩を追うには、私でたくさんです。私をおつかわし下さい」
「うむ。......まず試みに、おまえが行って当たってみるか」
関羽は子の忠言に、よろこびを示した。――父をいさめるようにまで、わが子関平も成人したかと思うのであろう。
「行って来ます。吉左右をお待ち下さい」
若い関平は、たちまち馬上の人となり、部下一隊を白刃でさしまねくと、凜々、先に立って駈け出した。
やがて前方に、雲か霞を曳いたように、敵の第一陣線が望まれた。手をかざして見れば、皂い旗には「南安之龐徳」と印し、白い旗には「必殺関羽」と書いてあるのが見える。
関平は、駒をとどめて、
「西羗の匹夫、節操なき職業的武将。これへ出て、真の武将たるものに面接せよ」
と、大音で呼んだ。
遠く眺めていた龐徳は、
「あの青二才は何者か」と、左右にたずねた。
だれも知る者はいなかった。
けれど、言っている事は、一人前以上である。ついに怒気を発したか、
「小僧、一ひねりにしてくれん」
と、陣列を開かせて、颯々、関平の前にあらわれた。
「小輩、小輩、いったい汝はどこのちんぴらなるか」
龐徳が言うと、関平は、
「知らないか。われこそは五虎大将軍の首席関羽の養子、関平という者だ」
「あはははは。道理で乳くさい小せがれと遠目にも見ていたが、関羽の養子関平か。――帰れ帰れ。われはこれ、
魏王の命をうけて、汝の父の首を取りに来た者で、汝のようなまだ
褓のにおいがするような
疥癩の小児を、
馘りに来たのではない。――われ汝を殺さず、
汝この
旨を父に伝え、父の卑怯をいさめて、父をこれへ出して釆い」
「――なッ、なにを!」
関平は馬もろとも、いきなり龐徳へ跳びかかった。
閃々、刀を舞わし、龐徳に迫って、よく戦ったが、勝負はつかない。
ついに相引きの形で引きわかれたが、さすがに若くて猛気な関平も、肩で大息をつきながら、満身に湯気をたてていた。
関羽は合戦の様子を聞いて、次にはかならず関平が負けると思ったらしく、にわかに、その翌朝、部下の廖化に城攻めの方をあずけ、自分は、関平の陣へ来てしまった。
そして、きょうは自分が、龐徳を誘うから、父の戦いぶりを見物しておれと告げて、愛馬赤兎を、悠々両軍のあいだへ進めた。
二
戦場の微風は、関羽の髯をそよそよと撫でていた。
「龐徳はなきか」
と一声敵陣へ向かって、彼が呼ばわると、はるかに、月を望んで谷底から吼える虎のように、
「おうっ」
という答えが聞こえ、それを機に、わあっという喊声、そして陣鼓戦鉦など、一時に喧しく、鳴り騒いだ。
渦巻く味方のものものしい声援に送られて、ただ一騎、龐徳はこなたへ馬を向けて来た。その姿が関羽の前にぴたと止まると、魏の陣も蜀の陣も、水を打ったようにひそまり返ってしまった。
まず龐徳が大音をあげた。
「われはこれ、天子の詔をうけ、魏の直命を奉じて、汝を征伐に来た者である。汝、わが威を恐れてか、卑劣にも、養子の弱輩を出して、部下の非難をのがれんとするも、天道豈この期になって、兇乱の罪をゆるすべきか、それほど命が惜しくば、馬を下って、降人となるがいい」
関羽は苦笑してそれに答えた。
「西羗の鼠賊が権者の鎧甲を惜りて、人に似たる言葉を吐くものかな。われはただ今日を嘆く。いかなれば汝のごとき北辺の胡族の血を、わが年来の晃刀に汚さねばならぬか――と。やよ龐徳、はや棺桶をここへ運ばせずや」
「なにをっ」
馬蹄の下からぱっと黄塵が煙った。旋風のなかに龐徳の得物と関羽の打ち振る偃月刀とが閃々と光の襷を交わしている。両雄の阿呍ばかりでなくその馬と馬とも相闘うごとく、嘶きあい躍り合い、いつ勝負がつくとも見えなかった。
戦えば戦うほど、両雄とも精気を加えるほどなので、双方の陣営にある将士はみな酔えるがごとく手に汗をにぎっていたが、猛戦百余合をかぞえたころ、突然、蜀の陣で金鼓を鳴らすと、それを機に、魏の方でも引き揚げの鼓を叩き、龐徳も関羽も、同時に矛を収めて、各々の営所へ引き退いた。
これは養子の関平が、いかに英豪でも年とった父のこと、長戦になっては万一の事もあろうかと――急に退き鉦を打たせたのであった。
関羽は、本陣へ引いて、休息をすると、諸将や関平に向かって、話していた。
「なるほど龐徳という者は、相当な豪傑だ。彼の武芸力量は尋常なものではない。わが相手として決して恥ずかしくない敵だ」
「父上。諺にも、犢はかえって虎を恐れずとか申します。あなたが夷国の小卒を斬ったところで御名誉にはなりません。反対にもし怪我でもあったら漢中王の御心を傷ましめましょう。もう一騎打ちには出ないで下さい」
関平は諫めたが、関羽は笑っているのみである。彼もはや老齢にちがいないが、自身では年齢を忘れている。
一方の龐徳も、魏の味方のうちへ帰ると、口を極めて、関羽の勇を正直に称えていた。
「今日までは、人がみな関羽と聞くと、怯じ怖れるのを、何故かと嗤っていたが、真に、彼こそ稀代の英傑であろう。人のことばは、実にもと、つくづく感じ入った。死すにせよ、生きるにせよ、思えばおれは武門の果報者、この世にまたとない好い敵に出会ったものだ」
于禁が陣中見舞いに来て、そのはなしを聞き、到底、関羽に勝つことは尋常では難しい、生命を粗末にし給うな、と諫めた。
けれど、龐徳は、
「これほどの敵に会って、晴れの決戦を避けるくらいなら、初めから、武人にならない方がましだ。明日こそ、更にこころよく一戦して、いずれが勝つか斃れるか、生死を一決するから見物していたまえ」と、耳にもかけなかった。
あくる日、龐徳はふたたび、中原へ馬を乗り出して、
「関羽、出でよ」
と、敵へ挑みかけた。
三
きょうは龐徳から先に出て呼ばわっている。もとより関羽も待ちかまえていたところだ。直ちに駒をすすめ、賊将うごくなかれと喚きながら駈け合わせた。
戦い五十余合に至って、龐徳は急に馬を回らして逃げかけた。関羽はそれを偽計と察しながら、
「偽って、刀を引くは、大将らしからぬ戦いではないか。羗奴? 回せっ」
と、追いすがった。
すると不意に、陣地の内から馬を飛ばして駈け出して来た関平が、
「父上っ、彼の罠にかかり給うな。――あッ、龐徳が弓を引きますぞ」
父の危機と見てうしろから注意した。
とたんに早くも龐徳の放った矢が、びゅっと、関羽の顔を狙って飛んで来た。関羽は左の臂を曲げてこれを受けた。矢は臂に立って、面部はその撥ねた血にまみれたに過ぎなかった。
「父上っ」
関平は馬を寄せて父を抱いた。そして父を救うて戻ろうとしたが、かくと見るや、龐徳はまた、弓を投げ、刀を舞わして躍りかかって来た。
すわとばかり蜀の陣は鼓を打って動揺した。魏の陣も突貫して来た。双方はたちまち乱軍状態になる。そのあいだを潜って 関平は無二無三に、父を扶けて味方のうちへ駈け込んだ。
そのとき魏の中軍では、さかんに退き鉦を打ち叩いていた。龐徳は意外に思ったが、何か後方に異変でも起こったのではないかと、ともかく慌てて軍を収め、中軍司令の于禁に向かって、
「どうしたのです。何が起こったのであるか」と、訊ねた。
ところが于禁の答えは、彼にとって実に心外極まるものだった。彼は言う。
「いや別に何が起こったというわけではないが、都を立つ時、特に魏王から戒めの御使を派せられ、関羽は智勇の将、尋常の敵と思うて侮るなと、くれぐれ念を押された事であった。故に、万一彼の奸計に陥ち入ってはと存じ、部下の者の深入りを止めたまでの事である」
龐徳は歯ぎしりを嚙んでいた。于禁のため今日の勝機を逸しなければ、関羽の首を挙げ得たものをと、繰り返して止まなかった。
また一部の将の間には、それは于禁が自分の功を龐徳に奪われんことを怖れて、急に退き鉦を鳴らさせたものだと、穿った説をなす者もあった。
ともあれこの一日に、関羽は一

の傷をうけたわけであるから、
「次には、われの一刀を、龐徳に酬いずに措かん」と、臂の治療に手を尽くしていた。
傷口は浅いようだったが、薬の効きめはなかなか顕われない。関平や幕僚たちは、努めて彼を宥め、関羽が短慮に逸らないように、陣外の矢たけびなども、なるべく耳に知れないように、注意していた。
それをよい事にして、敵は毎日のように襲せて来た。龐徳の下知によるものらしい。龐徳はなんとかして関羽を誘い出さんものと、日々兵をして敵を罵り辱しめた。
「どうしても誘いに乗らん。このうえは策を変えて、わが先鋒と中軍は一手となり、彼の陣を突破して、一挙に樊城の味方と連絡をとげてはどんなものでしょう」
龐徳から于禁へこう献策をしてみたが、于禁はそれに対しても、魏王の訓戒を繰り返して、
「関羽ほどの者が、正面から敵に突破されるような陣構えをしているわけはない。足下の言は策というものではなく、ただ自己の勇に信念がお強いというだけのものだ。ところが戦争そのものは、一人の勇よりも万夫の結束と、それを用いる智によって勝敗のわかれるものだからな。まずまずおもむろに機を待つとしよう」と、容易に龐徳のすすめに賛成する気色もない。のみならず、その後、例の七手組の諸将を樊城の北十里の地点に移し、于禁自身は、中軍をもって、正面の大路に進撃を構え、龐徳の手勢は、至極出足のわるい山のうしろへ廻してしまった。――こういう指令を出した点から考えると、やはり彼の内心には、龐徳ひとりに功をとられてしまうことを、ひどく警戒しているものと思われる。
七軍魚鼈となる
一
父の
矢創も日ましに

えてゆく様子なので、一時は
悄れていた関平も、
「もう心配はない。この上は一転して、攻勢に出で、魏の慢心を挫ぎ、わが実力のほどを見せてくれねばならん」と、帷幕の人々と額をあつめて作戦を練っていた。
ところが魏軍はにわかに陣容を変えて、樊城の北方十里へ移ったという報告に、
「さては早くも蜀の攻勢を怖れて、布陣を変えたとみえる」
と、軽忽を戒め合って、すぐその由を関羽に告げた。
「どう陣立てを変えたか? ――」を見るべく、関羽は高地へ登って、はるかに手をかざした。
まず、樊城の城内をうかがえば、すでにそこの敵は外部と断たれてから、士気もふるわず旗色も萎微して、いまだに魏の援軍とは連絡のとれていないことがわかる。
また一方、城外十里の北方を見ると、その附近の山陰や谷間や河川のほとりには、なんとかして城中の味方と連絡をとろうとしている魏の七手組の大将が七軍にわかれて、各所に陣を伏せている様子が明らかに遠望された。
「関平。土地の案内者をここへ呼べ」
「――連れて参りました。この者が詳しゅうございます」
しきりと、地勢をながめていた関羽は、案内者へ向かってたずねた。
「敵の七軍が旗を移したあの辺りは、何という所か」
「罾口川と申しまする」
「なお、附近の河は」
「白河の流れ、襄江の激水、いずれも雨がふると、谷谷から落ちて来る水を加えて、もっと水嵩を増してまいります」
「谷は狭く、うしろは嶮岨だが、ほかに平地は少ないのか」
「されば、あの山向こうは、樊城の搦手で、無双な要害といわれておりますから、人馬も容易には越えられません」
「そうか、よし」と案内者を退けてから、関羽に何事かもう勝戦の成算が立ったもののように、
「敵将于禁を擒にすることは、すでにわが掌にあるぞ」と、言った。
諸将は、彼の意を測りかねて、その仔細をたずねたが、関羽は一言、
「罾口に入るもの生きて能く出でず――という語が何かの兵書にあったが、于禁はまさにその死地へみずから入ったものだ。見よ、やがてかの七陣が死相を呈してくるに違いないから」と、言ったのみで、その日以後は、もっぱら兵を督して、附近の材木を伐り、船筏を無数に作らせていた。
「陸戦をするのに、何だってこんなに船や筏ばかり作らせているのだろう」と、将卒はみなこの命令を怪しんでいたが、やがて秋八月の候になると、明けても暮れても、連綿と長雨が降りつづいた。
襄江の水は、一夜ごとに、驚くばかり漲り出して来る。白河の濁流もあふれて諸川みな一つとなり、やがては満々と四方の陸を沈めて、見るかぎり果てなき泥海と化って来た。
関羽は、高きに登って、敵の七陣を毎日見ていた。岸に近いところの陣も、谷間の陣も次第に増して来る水に趁われて、毎日毎日少しずつ高いところへ移ってゆく。......しかし背後の山は嶮峻である。もうそれ以上は高く移せない所へまで、敵の旗は山際に押し詰められていた。
「関平々々」
「はい」
「もうよかろう。かねて申しつけておいた上流の一川。そこの堰を切って押し流せ」
「心得ました」
関平は、一隊をひきつれて、雨中をどこかへ駈けて行った。襄江の水上七里の地に、更に岐れている一川があった。関羽は一ヵ月も前からそこに数百の部下と数千の土民を派して、ここの水を築堤で高く堰き止め、先ごろからの雨水を襄野一面に蓄えていたのであった。
二
その日、于禁の本陣へ、督軍の将、成何が訪れていた。成何は先ほどから口を酸くして、
「いつ晴れるか知れないこの長雨です。万一、襄江の水がこれ以上増したら諸陣は水底に没してしまいましょう。一刻も早く、この罾口川を去って他へ陣所をお移しあるように」
とすすめていた。なかんずく、成何が探ったところでは、蜀軍の方では営を高地に移して、しかも船や筏をおびただしく造らせている。これは何か敵方に考えがあっての事にちがいないから、わが魏軍も、こうして居るべきでないという点を力説した。
「よろしい、よろしい。もうわかっておる。足下はちと多弁でしつこすぎる」
于禁は苦りきって、無用な説を拒むような顔を示した。
「いくら降ったところで、襄江の流れが、この山を浸したような歴史はあるまい。つまらぬ危惧に理窟をつけて、督軍の将たる者が不用意な言を発しては困る」
成何は恥じ怖れて本陣を辞去した。けれど彼の憂いと不満は去らなかった。彼はその足で龐徳の陣所をたずねた。そして自分の考えと于禁のことばをそのまま友に訴えた。
龐徳はたいへん驚いた。眼をそばだて膝を叩いて、
「貴公もそこに気がついていたか、貴説、まさに当たれりである。しかし于禁は総大将という自負心が強いから、到底、我等の意見を用いるはずはない。この上は軍令に反いても、我々は思い思いに他へ陣を移してしまおう」
瀟々と外は間断なき雨の音だった。こんな時は鬱気を退治して大いに快笑するに限ると、龐徳は友を引き留めて酒など出した。そして二人とも陶然と雨も憂いも忘れかけていると、にわかにただならぬ雨風が吹き荒び、浪の音とも鼓の音ともわからぬ声が、一瞬天地をつつむかと思われた。
愕然、龐徳は杯をおいて、
「やっ、何事だ?」
帳を払って面を向けて見ると、驚くべし、山のような濁流の浪が、浪また浪を重ねて、すぐ陣前へ摶ち煙っている。
「や、や。洪水だ」
成何もそこを飛び出した。そして馬へ乗って帰ろうとすると、かなたの兵営や陣小屋が、どうと一つの大浪にぶつけられた。見るまに、建物も人馬も粉々と波上へ漂い出し、更に、次の浪、また次の浪が、それを大空へ揺りあげながら、当たる物を打ち砕いて、濁浪の口に呑まんとして来る。
しかし、その奔濤の中にも、溺れず沈まず、この凄まじい洪水の形相をむしろ楽しんでいるかのような影もあった。それは関羽の乗っている兵船や、蜀兵が弓槍を立て並べているたくさんな筏だった。
「筏にすがり、船へ漂いついて来る敵は、降人と見て、助けてつかわせ。激流に溺れゆく者は、いずれ助からぬ命、無駄矢を射るな」
関羽は兵船の上から悠々下知していた。
この日関平が上流の一川の堰を切ったため、白河と襄江のふたつが一時に岸へ搏って来たのだった。罾口川の魏軍は、ほとんど水に侵され、兵馬の大半は押し流され、陣々の営舎は一夜のうち跡形もなくなってしまった。
関羽は夜どおし洪水の中を漕ぎ廻り、多くの敵を水中から助けて降人の群れに加えていたが、やがて朝の光に一方の山鼻を見ると、そこにまだ魏の旗が翻って、約五百余の敵が一陣になっている。
「おう、あれにおるは、魏の龐徳、董起、成何などの諸将と見ゆるぞ。好い敵が一つ所におる。取り囲んでことごとく射殺してしまえ」
蜀の軍卒は、その兵船や筏をつらねて、旗の群れ立つ岬を囲んだ。
矢は疾風となってそこへ集まった。五百の兵は見るまに三百二百と減って行った。董起や成何は、
所
逃げる
途はないと諦めて、
「この上は、白旗をかかげて、関羽に降を乞うしかあるまい」
と言ったが、ひとり龐徳は、弓を離さず、
「降る者は降れ、おれは魏王以外の他人に膝を屈めることは知らん」
と言って、矢数のある限り、射返し射返し、奮戦していた。
三
「わずかな敵を、持てあまして、いつまで手間取ってるか」
と、関羽の一船もそこへ来て短兵急に矢石を岬の敵へ浴びせかけた。
魏の将士は、ばたばた仆れては水中へ落ちてゆく。しかもなお龐徳は、不死身のように、関羽の船を目がけて弦鳴りするどく、矢を射ては、生き残りの部下を励まし、また傍らの成何へも叫んだ。
「勇将ハ死ヲ怯レテ苟モ免レズ――という。今日こそは龐徳の死ぬ日と覚えた。御辺も末代まで汚名をのこされるなよ」
成何も今は死を決し、おうっとそれへ答えるや否や、槍を揮って、崖下へ駈け出した。敵の一つの筏がそこから岸へ上がろうとしていたからである。
だが、近づくが早いか、成何は大勢の敵に、滅多斬りにされてしまった。蜀の兵は喊声をあげながら龐徳の足下まで上ってきた。龐徳はそれと見るや、弓を捨て、岩石を抱え、
「汝等、何を望むか」
と、頭上へ落とした。血と肉と岩石は、粉になって飛んだ。
彼は手近な岩石をあらかた投げ尽くした。いかに巨きな岩も彼の手にかからない物はなかった。死力と言うか、鬼神の勇というか言語に絶した働きだった。
人も筏もその下にはみな影を没し去っていた。龐徳はまた弓を握った。しかし彼の周囲には累々たる部下の死骸があるだけで、もう生きている味方はなかった。
なお、ばしゃばしゃと四辺へ矢石が降り注がれて来る。さしもの龐徳も力尽きたか矢にあたったか、ばたっと仆れた。――近づきかねていた蜀勢のうちから、すばやく一艘の河船が漕ぎよせて来た。そしてそこの岬を占領したかと思うと、死を装うていた龐徳が、やにわに撥ね起きて、蜀兵を蹴ちらし、その獲物を奪い、ひらりと敵の船中へ飛び乗った。
またたくまに船中の兵七、八名を斬殺すると、彼は悠々岬を離れて、濁流の中へ棹さして遁れた。船は血に染まっている。あまりの迅さと不敵さに、蜀軍の船や筏は、ただただ胆を奪われていた。
すると、まるで征矢のごとく漕ぎ流して行った一船が、いきなり龐徳の河船の横腹へ、故意に舳をつよく打っつけた。そして熊手や鉤槍をそろえて、いきなり彼の舷へ引っ掛け、瞬時にその河船を覆してしまった。
「やったな、見事」
「だれだ、あの大将は」
蜀軍はそれを見て、みな声をあげ、手を振って賞めた。不死身の龐徳も船もろとも水煙の底へ葬られたからだ。
ところが、彼を葬った蜀の一将は、それをもって満足せず、直ちに、自分も濁流の中へ身を躍らした。そして渦巻く波を切って泳ぎ、当の相手龐徳と水中に格闘して、ついにその大物を生け捕ってしまったのである。
戦いすでに終わったので、関羽は船を岸に返し、その勇士が龐徳を曳いて来るのを待っていた。勇士の名は、蜀軍随一の水練の達者周倉であったことがもう全軍へ知れ渡っていた。
関羽の前には、魏の総司令于禁も捕虜になって引き立てられて来た。于禁は哀号して、助命を縋った。関羽は愍笑して、
「犬ころを斬っても仕方がない。荊州の獄へ送ってやるから沙汰を待て」と、言った。
次に龐徳が来た。
龐徳は傲然と突っ立ったまま、地へ膝をつけなかった。関羽はこの男の勇を惜しんで、
「汝の兄の龐柔も漢中王へ仕えている、儂が取り做してつかわすから、汝も蜀に仕えて長く生きたらどうだ」
と諭すと、龐徳は、不敵な口をあいて、呵々と大笑しながら、
「だれがそんな事を頼んだ。
要らざる
おせっかいはせぬがいい。おれは魏王のほかに
主というものを知らん。久しからずして
玄徳もおれのような姿になって魏王の前に
据えられるだろう。そのとき汝は、玄徳に向かって、魏の
粟を

ろうて生きよと、主にもすすめる気か」
関羽は激怒して、
「よろしい。汝の望み通り、汝の用意した柩を役立たせてやる。坐れッ」
と大喝した。
龐徳は黙って、地に坐った。その首を前へのばすや否や、戞然、剣は彼の頸を断った。
四
雨はやんでも、洪水は容易に減水を示さなかった。龐徳が奮戦した岬には、その後、一基の墳墓が建てられた。彼の忠死をあわれんで関羽が造らせたものだという。
一方、その地方の大洪水は、当然、樊川にもつづいて、樊城の石垣は没し、壁は水浸しの有様となった。さなきだに籠城久しきにわたって、疲れぬいていた城中の士気はいやが上にうろたえて、
「天なんぞこの城にかくも酷きか」
と、ただ自然を恨み、明日を儚み、まるで戦意を喪失してしまった。
けれどただ一つの僥倖は、この洪水のために、関羽側の包囲陣もいきおい遠く退いて、それぞれ高地に陣変えしなければならなくなった事で、ために実際の攻防戦は休止のすがたに立ち到った。
その間に、城将の多くは、首将の曹仁をかこんで、評議の未、
「今はもう餓死か落城かの二途しかありません。むしろこの隙に夜中ひそかに舟を降ろし、城をすててどこへなりとも一時御身を隠さるるが賢明かと思います」
と勧め、曹仁もその気になって、脱出の用意をしかけていた。
「腑がいない事を!」と、それを知って憤慨したのは満寵である。
「この洪水は、長雨の山水が嵩んだもの故、急には退かぬにせよ、半月も待てば必ずもとに回る、情報に依れば、許昌地方もこの水害に侵され、飢民は暴徒と化し、百姓は騒ぎ乱れ、事情は刻々険悪な状態にあると承る。――しかも関羽の軍が、その鎮定に赴かず、乱にまかせているのは、もし軍を割いて、それへ向かえば、たちまちこの樊城から後ろを追撃されるであろうと、大事をとって動かずにいるのです」
そう説明して、彼はまた曹仁のために、この際、処すべき道をあきらかにした。
「いやしくも将軍は魏王の御舎弟。そのあなたという者のうごきは魏全体に大きな影響をもちましょう。よろしくここは孤城を守り通すべきです。もしこの城を捨て給わば、関羽にとっては思うつぼで、たちまち、黄河以南の地は、荊州の軍馬で平定されてしまうにちがいない。しかる時は、なんの顔あって、魏王にまみえ、故国の人々にお会いなされますか」
満寵のことばは、曹仁の蒙をひらくに充分であった。彼は正直に自己の考えちがいを謝し、
「もし足下の教えがなければ、おそらく自分は大事を誤ったろう」
と、それまでの敗戦主義を城中から一掃するため、諸将をあつめて訓示した。
「正直にいう。自分は一時のまちがった考えにいま恥じておる。国家の厚恩をうけ、一城の守りを任ぜられ、かかる一期の時となって、城を捨てて遁れんなどという気持ちをふとでも起こしたのは漸愧に堪えない。御辺たちもまた同様である。もし今日以後も、城を出て一命を助からんなどと思う者があれば、かくのごとく処罰するからさよう心得るがいい」
曹仁は剣を抜いて、日ごろ自分の乗用していた白馬を両断にして、水へ斬り捨てた。諸将はみな顔色を失って、
「かならず、城と運命を共にし、生命のあらんかぎり防ぎ戦ってごらんに入れる」
と、異口同音に誓った。
果たしてその日ごろから、徐々に水は退いて来た。城兵は生気をとりもどし、壁を繕い石垣を修築し、更に新しい防塁を加えて、弩弓石砲をならべ、
「いざ、来れ」
と、大いに士気を昂げた。
二十日足らずののちに、洪水はまったく乾いた。関羽は、于禁を生け捕り、龐徳を誅し、魏の急援七軍の大半を、ことごとく魚鼈の餌として、勢い八荒に震い、彼の名は、泣く子も黙るという諺のとおり天下にひびいた。
時に、次男の関与が、荊州から来たので、関羽は、諸将のてがらと戦況をつぶさに書いて、
「これを漢中王におとどけせよ」
と、使いを命じて、成都へ遣った。
〔第八巻 終〕
●『三国志』解説/渡部昇一
【第8巻】
前巻では、なぜ孔明は劉備が亡くなった後、あまり奮わなかったのか、という疑問を持っていたと書きましたが、みなさんも『三国志』を読まれて疑問に思うことがいくつも出てくると思います。
例えば、先ほど出た孔明にいい家来が集まらなかった、という点に関して。これは、孔明があまりに頭が良すぎて、そしてあまりにも清廉潔白だったからなんですよ。中国人の中には、お金しか信じない、という考えが根底にあり、それが世界にネットワークしている華僑に繫がっています。だから、どんなことをしても下の人をどんどん儲けさせてくれるような人に、ついていくんですよ。ところが孔明は日本人的で、悪いことをよしとはしない性格だったんですね。そうなると、家来にしてみたら面白くないわけですからね。だから、いい武将が孔明の前には現れなかったのだと思います。
また、劉備のいた時代の蜀以上に、長らく武将の粒が

っていた呉が、なぜ統一できなかったのか、という疑問も出てくると思います。これに関しては、地理を見ればよくわかります。呉というのは、当時でいうと中国人ではなかったのです。朝廷があった漢というのは北方にありましたから。ちょうどこの三国時代から、揚子江以南が中国の歴史の中に入ってきたのです。要するに、呉は新開地だったので、揚子江を超えて天下統一しようという発想はなく、呉の地を守るみたいな気運だったのでしょう。だから、天下統一ができなかったというよりは、しなかったというのが正解だと思います。野心がなければ、天下統一なんてできませんからね。日本で言うと、毛利元就のような感じでしょうね。彼も、天下統一をしようという気持ちはなく、自分のテリトリーを守っていこうという人でしたから。
ちなみに、三国時代後も、呉があった江南という場所は、他の地域とは別の発展を遂げていきました。『江南の春』や『南朝文学』といった、まったく別の文化が発達していったのです。まあ、それも当たり前のことなんですよね。米を主食にしている地域と、高梁(トウモロコシ)を主食としているところが、同じ文化になるわけがありませんから。
【第9巻につづく】
目次
◆ 草

わぬ馬
骨を削る
一
まだ敵味方とも気づかないらしいが、樊城の完全占領も時の問題とされている一歩手前で、関羽軍の内部には、微妙な変化が起こっていたのである。
魏の本国から急援として派した七軍を粉砕し、一方、樊城城下に迫ってその余命を全く制しながら、あともう一押しという間際へ来て、何となく、それまでの関羽軍らしい破竹のごとき勢いも出足が鈍ったような観がある。
この理由を知っているのは、関平その他、ごく少数の幕僚だけだった。
今も、その関平や王甫などの諸将が、額をあつめて、
「......何にしても、全軍の死命に関わること、なおざりには致しておけぬ」
「一時の無念は忍んでも、ひとたび軍を荊州へ回し、万全を期して、出直すことがよいと考えられるが」
「......どうも困った事ではある」
沈痛に囁き交わしていた。
ところへ一名の参謀があわただしく営の奥房から走ってきて、
「羽大将軍のお下知である。――明日暁天より総攻撃を開始して、是が非でも、あすのうちに、樊城を占領せん。自身出馬する。各々にも陣々へ旨を伝え、怠りあるなかれ――との仰せです」
と、伝えて来た。
「えっ、総攻撃を始めて、戦場へ立たれると?」
人々は愕然と顔見合わせ、それは一大事であるといわぬばかりに、一同して営中の奥まった一房へ出向き、
「今日は御気分いかがですか」
と、恐る恐る帳中を伺った。
関羽は席に坐していた。骨たかく顔いろも勝れず、眼のくぼに青ぐろい疲れが窺われるが、音声は常と少しも変わることなく、
「おう、大したことはない。打ち

って、何事か」
「ただ今、お下知は承りましたが、皆の者は、さなきだに、御病体を案じていた所とて、意外に打たれ、もうしばし御養生の上になされてはと、お諫めに出た次第ですが」
「ははは。わしの矢瘡を案じてか。――案ずるなかれ。これしきの瘡に何で、関羽が屈するものか。また何で天下の事を廃されようぞ。あすは陣頭に馬をすすめ、樊城を一揉みに踏み潰さずには措かん」
王甫は膝を進めて、
「お元気を拝して、一同、意を強ういたしますが、いかなる英傑でも、病には勝てません。先ごろから御容態を拝察するに、朝暮のお食慾もなく、日々お顔のいろも冴えず、わけて御睡眠中のお唸きを聞くと、よほどな御苦痛にあらずやと恐察いたしておりまする。なにとぞ、蜀にとって唯一無二なるお身でもあり、かたがた、将来の大計のため、ここはひとたび荊州へお引き揚げあって、充分なる御加養をして戴きたいと存ずるのであります。......いま大将軍の御身に万一のことでもあっては、ただに荊州一軍ばかりでなく、蜀全体の重大なる損失ともなることですから」
「............」
黙然と聞いていた関羽は、やおら座をあらためて、王甫のことばを抑えた。
「王甫王甫。また関平もその他の者も、無用な時を費やしまた無用な心をつかわなくてもよい。わが生命はすでに蜀へささげてあるものだ。武人の一命は常に天これを知るのみ。樊城一つを攻めあぐねて、荊州へ引き揚げたりと聞いては以後、関羽の武名はともあれ、蜀の国威にかかわる。――一矢の瘡など何かあらん。戦場に立てば十矢百矢も浴びるではないか。黙って、わしの下知に服せ」
人々は、一言もなく、そこを退がったが、憂いはなお深い。その夜、関羽はまた、大熱を発し、終夜、痛み苦しんだ。龐徳に射られた左の臂の瘡である。あの鏃に、死んだ龐徳の一念がこもっているかのようだった。
総攻撃も、ために自然沙汰止みになった。
王甫や関平は、諸方へ人を派して、
「名医はないか」と、遍く求めさせた。
するとここに風来の一旅医士が童子一名をつれ、小舟にのって、呉の国の方から漂い着いた。沛国譙郡の人、華陀という医者だった。
二
江岸監視隊の一将が、華陀を連れて、関平の所へ来た。
「この旅医者は、呉の国から来たと申しますが、先ごろより諸州へ医師をお求めになっておる折から、あるいはお役に立つかも知れぬと存じて連れ参りましたが」
関平はよろこんで、ともあれ自分の幕舎へ迎え、まず鄭重にたずねた。
「先生の尊名は?」
「華陀、字は元化」
「さては、呉の大将周泰の傷を治したと聞く名医でおわすか」
「かねがね景仰する天下の義士が、いま毒矢にあたってお悩みある由を承り、遠く舟を繰って駈けつけたわけでござる」
「父は蜀の大将軍たり。先生は呉国の医たるに、そも何の故あって、はるばる渡られたか」
「医に国境なし。ただ仁に仕えるのみです」
「おお、では早速、父の毒傷を診て下さい」
華陀を伴って、彼は父の帳中へ行った。折しも関羽は馬良をあいてに碁を囲んでいた。大熱のため口中は渇いて蕀を含むがごとく、傷口は激痛して時々五体を慄わすほどだったが、豪毅な精神力はそれを抑えて、人には何気なく見えるほど平然と囲碁に紛らわしているのだった。
「父上。呉の名医華陀がはるばる見えました。ひとつ瘡の治療を請われてはいかがですか」
「む。む。......待て待て。馬良、こんどはわしの番か」
衣服を袒ぎながら、関羽は瘡を病んでいる片臂を医師の手にまかせ、なお、右手では碁盤に石を打っていた。
「どうじゃ馬良。名手であろうが」
「何の......その一石は、やがて馬良の好餌でしかありませんぞ」
二人とも碁に熱中していて、華陀の顔すら振り向かない。――が華陀は、関羽のうしろへ寄って、肌着の袖口をめくりあげ、じっと臂の傷口を診ていた。
侍側の諸臣はみな眼をみはった。瘡口はさながら熟れた花梨の実ぐらいに膨れあがっている。華陀は嘆息をもらした。
「これは烏頭という毒薬が鏃に塗ってあったためで、その猛毒はすでに骨髄にまで通っています。もう少し放っておかれたら片臂は廃物となさるしかなかったでしょう」
関羽は初めて華陀の顔を振り向きながら、
「今のうちなら治る法があるか」とたずねた。
華陀は自信をもって、
「ある事はありますが、ただ将軍が愕き給わんことを畏れます」
「ははは。死をだに顧みぬ大丈夫が、医師の手に弄られるぐらいな事で愕きはせぬ。よいように療治してくれ」と、片臂を委せたまま、ふたたび盤上の対局に余念なかった。
華陀は、薬囊を寄せて、中から二つの鉄の環を取り出した。一つの環を柱に打ち、一つの環に関羽の腕を入れて、繩をもって縛りつける準備をした。関羽は、異な事をするものかなと言わぬばかりに、わが腕を見て、
「華陀とやら、どうするのか」
と、訊いた。華陀は答えて、
「医刀をもって肉を裂き、臂の骨を取り出して、烏頭の毒で腐蝕したところや変色した骨の部分をきれいに削り取るのです。おそらくこの手術で気を失わぬ病人はありません。いかに将軍でも必ず暴れ苦しむに違いありませんから、動かぬように、しばらく御辛抱をねがうわけで」
「何かと思えば、そんな用意か。大事ない、存分に療治してくれい」
鉄環を除って、そのまま、手術を請うた。
華陀は瘡を切開しにかかった。下に置いた銀盆に血は満ち溢れ、華陀の両手もその刀もすべて血漿にまみれた。その上、臂の骨を鋭利な刃ものでガリガリ削るのであった。関羽は依然として碁盤から眼を離さなかったが、周りに居た関平や侍臣はみな真っ蒼になってしまい、中には座に耐えず面をそむけて立って行った者すらある。
ようやく終わると、酒をもって洗い、糸をもって瘡口を縫う。華陀の額にもあぶら汗が浮いていた。
建業会議
一
手術を了えて退がると、華陀はあらためて、次の日、関羽の容体を見舞いに来た。
「将軍。昨夜はいかがでした」
「いや、ゆうべは熟睡した。今朝さめてみれば、痛みも忘れておる。御身は実に天下の名医だ」
「いや、てまえも随分今日まで、多くの患者に接しましたが、まだ将軍のような病人には出会ったことがありません。あなたは実に天下の名患者でいらっしゃる」
「ははは。名医と名患者か。それでは病根も陥落せずにおられまい。予後の養生はいかにしたらよいか」
「怒らないことですな。怒気を発するのは禁物です」
「かたじけない。よく守ろう」
関羽は百金を包んで華陀に贈った。華陀は手にも取らない。
「大医は国を医し、仁医は人を医す。てまえには国を医するほどな神異もないので、せめて義人のお体でも

してあげたいと、はるばるこれへ来たものです。
金儲けに来たわけではありません」
飄然とまた小舟に乗って、江上へ去ってしまった。
そのころ、魏王宮を中心とし、許都、鄴都の府は、異様な恐慌に戦いていた。
早馬、また早馬。それがみな樊川地方の敗戦を伝え、七軍の全滅、龐徳の戦死、于禁の投降などが、ひろく国中へ漏れたため、庶民まで上を下へと騒動して、はやくも関羽軍が攻め入るものと怯え、逃散する百姓さえあった。
魏王宮ではきょうもその事について大会議が開かれていた。この会議でも、関羽の名を恐れ怯えた人々は、早くも魏王宮の遷都説まで叫んだが、司馬懿仲達が立って、その不可を論じ、
「要するに、こんどの大敗は、魏軍が弱かったのではなく、洪水の力が関羽に味方したためと言ってよい。関羽の勢いがあまりに伸びるのを欲しないのは呉の孫権である。いま呉を説いて、関羽のうしろを突けといえば、孫権はかならず呼応するにちがいない」と獅子吼した。
司馬懿仲達と共に、丞相府の主簿をしている蔣済も哭いて言った。
「自分と于禁とは、三十年来の友であったが、何ぞはからんこの期において、龐徳にすら劣ろうとは。いま仲達の申された策は金玉の言と思う。一刻も早く呉へ急使を派し、この大屈辱をわれ等も一致して拭わねばならん」
曹操は考えていたが、ただ弁舌の士のみ遣っても、あるいは呉が動かないかも知れない。あくまで、難には魏が当たる事実を示しておいて、しかる後に、呉を説こうと言った。
すなわちそのために、徐晃は大将に選ばれて、兵五万をさずけられ、急行軍して陽陵坡まで出陣した。
(呉が呼応するときまったら、すぐ関羽軍へ攻めかかれ)
徐晃軍は、命をふくんでそこに待機し、満を持すの形をとっていた。
魏の急使は、呉の主都、建業に着いて、いまや呉の向背こそ、天下の将来を左右するものと、あらゆる外交手段や裏面工作に訴えて、その吉左右を待っていた。
建業城中の評議はなかなか一決しない。呉にとっても重大な岐路である。のみならず、呉はひそかに先ごろから魏の繁忙を窺って、このときに江北の徐州を奪ってしまうべきでないかと考えていた所である。――が、曹操から内示して来た条件もなかなかいい。
(関羽を攻めて荊州を奪らんか。魏の要求を突っ刎ねて、徐州を奪るべきか)
そこに大きな迷いがある。
ところへ、上流陸口の守備をしていた呂蒙が急に帰国して来た。時局の急を察し、一大献策のために帰って来たと彼はいう。
孫権は招いてすぐ訊ねた。
「汝。いかなる策があるというか」
「さればです。いまこそわが呉は長江の天与を利し、荊州をとって、蜀魏の侵略に、永遠の国境を展いておかねばなりません。上流長江の嶮をもって境をし、強馬精兵を内に蓄えてさえおけば、徐州のごときはいつでも奪れる機会がありましょう」
呂蒙は作戦上にも、なお固く必勝の信念を抱いているらしく陳じた。
二
呂蒙の発言は、会議の方針を導くに充分な力があった。なぜならば、彼の守備している任地の陸口(漢口上流)は、魏、蜀、呉三国の利害が交叉している重要な地域だ。彼はその現地防衛司令の重任にあるのみでなく智慮才謀にかけても断然、呉では一流級の人物である。
「大策の決まった上は、現地のことすべて汝の思慮にまかす。適宜に対処せよ」
孫権は後で言った。すなわちこの間に呉の対魏問題も、時局方針も一決したものとみられる。
呂蒙は再び迅船で現地の陸口へ帰った。そしてすぐ荊州方面へ隠密を放って探ってみると、意外な備えのあることが発見された。
――というのは、沿岸二十里隔き三十里隔きの要所要所に、烽火台が築かれてあり、ひとたび呉との境に変があれば、瞬時にその「つなぎ烽火」は荊州本城へ急を告げて、応援の融通や防禦網の完備にも、整然たる法があって、水も洩らさぬ仕組みになっているとある。
予想外な関羽の要心なので、呂蒙はそれを探り知ると、ひどく舌打ち鳴らして、
「これはいかん」と、その日から仮病をつかい始め、宿痾の再発に悩んで近ごろ引き籠り中と、味方にまで深く偽っていた。
動くべきはずの陸口の兵が、依然うごかずにいるのみか、呂蒙が病にかかっていっさい人に顔も見せないである――という

に、
建業にある孫権もはなはだしく心配した。
「この重大時局に?」と、焦躁のあまり、呉郡の陸遜を見て、
「火急、陸口へ赴いて呂蒙の容体を見て来い」
と、いいつけた。陸遜は命をうけると、
「御心配には及びません。おそらく呂蒙の病は仮病でしょう」
と、言って出た。彼はすでに呂蒙の心を読みぬいていたのである。
が、陸口に着いてみると、呂蒙はほんとに病閣を閉じていた。陣中、寂として、将士も憂いに沈んでいる。
陸遜は、呂蒙に会うと、にやにや笑いながら言った。
「将軍。もう病床からお起きなさい。御病気は、それがしがすぐ

してあげる」
「遜君。御辺は病人をからかいに来たのか」
「いや君命に依って、閣下を診察に来たのだ。それがし不才なりといえども、先ごろ、将軍が建業に来られた時に、すでに胸中を察しておった。以後、現地に帰るとすぐ、呉侯の御期待を裏切って、急に御病気になったのは、思うに、荊州の防衛が全然将軍の予想に反していたためではありませんか」
呂蒙はむくむくと起き出して、急にあたりを見まわした。
「陸遜。静かに言い給え。帳外にだれか聞いておるといかん」
「大丈夫。衛兵も退けてある。荊州の関羽は一方で樊城と戦いながらも、呉との境には、寸毫油断していない。むしろ平時より防衛の兵力を強めていましょう。そしてすでに諸所の烽火台の工も完成しておりましょう。蒙閣下の病はまさにそこにあると存ずるが、私の診断は誤っていましたか」
「うーむ......。さすがは烱眼、恐れ入った。実はその通りだ」
「では、いよいよ大病なりと称して、ふたりで建業へ帰ろうではありませんか。ちょうど私が病人を迎えに来たという恰好になるのでちょうどよい」
「そして? それから?」
「すでに閣下の胸三寸にもお有りでしょうが、要するに、関羽が油断しないのは、陸口の堺に、あなたのような呉でも随一といわれる将軍が虎視眈々と控えておるからです。仮病をとなえて、閣下が職を退き、名もない将を交代させて、ひたすら荊州の鼻息を恐れるがごとき様子を見せれば、関羽の心もいよいよ驕って、ついにはここの兵を樊城の方へ廻すにちがいありません。――呉の大進出はまさにその時ではありませんかな」
呂蒙と陸遜
一
陸遜は呂蒙より十幾歳も年下だった。当時まだ呉郡の一地方におかれ、その名声は低く、地位は佐官級ぐらいに止まっていた。
だが彼の才幹は呉侯も日ごろから愛していた所だし、呂蒙はなおさら深く観てその将来に嘱目していた。
ふたりは同船して、ふたたび呉の建業へ帰り、呉侯孫権にまみえて、荊州の実状を詳しく告げた。併せて呂蒙は、自分の仮病は敵方に対する当面の一謀に過ぎない旨を語って、主君に心を煩わせたことを詫びた。
「この機会に、陸口の守りには、ぜひだれか別人を御任命ください。それがしがおっては、関羽は防禦の手を弛めません」
「其方の謀とあれば、今そちが病を称えて職を退くには至極よいが、しかし、陸口は呉にとって重要な地。御辺を措いて、ほかに一体だれを任命したらよいか」
「陸遜がよろしいでしょう。彼を措いて適任はないかと思います」
「陸遜を? ......」と孫権は面に難色を示しながら、
「むかし周瑜は呉の第一の要害は陸口なりとして、守備の大将に魯粛をえらび、その魯粛はまた御辺を推薦した。こんどはその三代に当たる守将であるから、もうすこし人望才徳、機略遠謀兼ね備わった人物をそちも推挙すべきであろう」
「ですから、それを兼備したものが、陸遜であると私は申し上げます。ただ陸遜に足らないものは地位、名声、年齢などでありますが、彼の名がまだ内外に知られていないことがむしろ好条件というべきで、陸遜以上に有能の聞こえある大将が代わって行ったのでは、関羽を欺くことはできません」
呉侯と彼のあいだにそんな内輪ばなしがあってから間もなく、陸遜は一躍、偏将軍右都督に昇った。そしてすぐ陸口への赴任を発令されたのでだれよりも当人が驚いてしまった。
「若輩不才の私。到底、蒙閣下のあとをうけて、そんな大任には耐え得ません。おそらく職に背いて、尊命を汚しましょう。どうか他の先輩にお命じ下さい」
陸遜はいくたびも辞したが、孫権は聴許せず、馬一頭、錦二段、酒肴を贈って、
「はや赴け」と、餞別した。
ぜひなく陸遜は任へ着いた。任地へ到ると彼はすぐ礼物に書簡を載せて、関羽の陣へ使いを立て、
(以後よろしく)と、新任の挨拶を申し送った。
使者を前において、関羽はたいへん笑った。――呂蒙病んで、いま、黄口の小児に陸口を守らしむ、時なるかな。
以後荊州の守りは安し。祝着祝着、と独り悦に入りながらしきりに笑っていたというのである。帰って来た使者の口からそのときの模様をそう聞いて、陸遜もまた、同じように、
「祝着祝着。それでよし」と、かぎりなく歓んだ。
その後、陸遜は、わざと軍務を怠り、ひたすらじっと関羽の動静を
窺っていると果たして、関羽はようやく
臂の
矢瘡も

えて来ると共に、
不落樊城の占領に意をそそぎ始め、先ごろから目立たぬように、陸口方面の兵力を
割いて、樊城の方へぼつぼつ動かし出した様子である。
「時到る」と、陸遜はその由を、すぐ建業へ急報した。
孫権はまた、その報を手にするや、時を移さず呂蒙を招いて、
「機は熟した。陸遜と協力して、荊州を攻め取れ、すぐ発向せい」
と命じ、後陣の副将として、自身の弟、孫皓を特に添えてやった。
三万の精兵は、一夜のうちに、八十余艘の速船や軍船に乗りこんだ。参軍の諸将には、韓当、蔣欽、朱然、璠璋、周泰、徐盛、丁奉など名だたる猛者のみ択ばれた。
そのうち十艘ほどは、商船仕立てに装い、商人態に変装した者ばかりが、山なす商品を上に積んで、高々と帆を張りつらね、半日ほど先に江を溯って行った。
二
日を経て、呉の擬装船団は、潯陽江(九江)の北岸へ漂いついた。漆のような闇を風浪の荒ぶ夜であったが、帆を憩めるいとまもなく、
「何者だっ、どこの船かっ」と、一隊の兵にすぐ発見され、すぐ船を出た七名の代表者は、そのまま彼等の屯営へ拉致されて行った。
番兵はみな関羽の麾下である。この象山には例の烽火台があり、陸路荊州まで斜めに数百里のあいだ同じ備えが諸所の峰にあった。
屯営はその烽火山の下にある。七人の代表者は厳重な調べをうけた。もちろんみな呉の武人であるが、ことば巧みに、
「てまえどもは年々、北の産物を積んでは南へ下江し、南の物資を求めては北へ溯り、ここの嘉魚のように季節次第で河を上下している商人どもに相違ございません。実はいつものように、むこう岸の潯陽江へ入って、明後日の市へ商品を出すつもりでしたのが、あいにくとこの烈しい浪と、この風向きのために、どうしてもかなたの岸へ寄せることができません。夜が明け次第に、風向きも変わりましょうから、さっそく退散いたしまする。ひとつお慈悲をもって、夜明けまで、ここの岸辺にいることをお許し願いたいもので」
こもごもに嘆願した上、船中から携えて来た南方の佳酒やら珍味を取り出して、まず番将へ賄賂すると、吟味もにわかに柔らいで、
「――ではまず大目に見ておくがここは烽火台もある要塞地帯じゃ、夜明け早々、潯陽の方へ船を移せよ」と、ある。
「はいはい。それはもう......」
と、七名は
揉み手を

えて、
「有り難いおことばを、船の者にもよく言い聞かせて置きますれば」
と、中の一人は岸へ戻った。
するとやがてその男が、更に十数名の船夫を連れて来た。手に手に酒の壺や食物を提げ、船中一同の感激を陳べ、更にこれを献上したいと申し出た。
「よかろう。取っておいてやれ」
番将は先に受けた酒を開けてすでに微酔い気分である。部下たちもたちまち酔い出した。船中から上がって来た面々は、蛮歌民謡などの隠し芸まで出して、彼等に興を添えた。
そのうちに、番兵のひとりが、
「はてな?」と、耳をそばだてた。
「風?」
「いや、おかしいぞ」
外へ飛び出して、烽火台の上を仰いだ。そこに、わっと声旋風が聞こえたからである。
「――あっ。敵だっ」
絶叫したとたんに、一陣の騎馬武者がもうここを取り巻いていた。別動隊は山の裏から這い上がって、すでに烽火台を占領していたのだった。
夜が明けてみれば、昨夜の商船ばかりか、八十余艘の艨艟が江上を圧している。荊州の守備兵はみな呆然とした顔つきで生け捕られた。
「愕くな、恐れるな。おまえ達の生命は取りはしない。むしろ汝らは、今日以後、手柄次第では、将来の大きな出世を約束されているものだ」
呂蒙は、上陸して捕虜を見ると、懇ろに諭した。そして金品を与え、実際に優遇を示して後、その中から更に確実な降人と見られるものを選んで、
「次の烽火台を守っている番将を説け。もし説き伏せて功を挙げたら、取り立ててやる」と放した。
この策は、次々に効を奏し、呂蒙の大軍は日々荊州へ近づいた。そして敵が非常に備えていた「つなぎ烽火」をほとんど効なきものとして、やがて荊州城下へなだれこんだ。
呂蒙はその前に、莫大な恩賞を賭けて、降人の一群を城下へ紛れ込ませ、流言を放って敵を攪乱しに出た。
またべつな降人の一隊は、荊州城の下へ来て、
「門を開けろ。一大事がある」
と喚き、城中の者が、味方と見て、そこを開けると、たちまち呉軍を招いてなだれ入り、八方へ放火して、ここも混乱のるつぼと化してしまった。
笠
一
荊州の本城は実に
脆く
陥ちた。
関羽はあまりに後方を軽んじ過ぎた。戦場のみに充血して、内政と
防禦の点には重大な手ぬかりをしていた

いがある。
烽火台の備えに恃みすぎていた事もその一つだが、とりわけまずいのは、国内を守る人物に人を得ていなかった点である。留守の大将潘濬も凡将であったし、公安の守将たる傅士仁も軽薄な才人に過ぎない。
選りに選ってなぜこんな凡将を残して征ったかといえば、樊城へ出陣の前、この二将に落ち度があった。関羽は軍紀振粛のため、その罪をいたく責めて、懲罰の代わりに、出征軍のうちから省いてしまった。留守に廻されるということは、武門として軍罰を蒙るよりも不名誉とされていたからである。
潘濬が真の人物ならば、この不名誉はむしろ彼を発奮させたろうが、潘濬も傅士仁も内心それを恨みに抱いて、もう関羽の麾下では将来の出世はおぼつかないと、商機を測るような考えを起こしていた。そして内政も軍事も全く怠っていたところへ――つなぎ烽火もなんの前触れもなく、いきなり攻めて来た呉の大軍であった。結果からみれば、実に当然な陥落だったともいえる。
一、みだりに人を殺すもの
一、みだりに物を盗むもの
一、みだりに流言を放つもの
以上。その一を犯す者も斬罪に処す。
呉軍大都督呂蒙
占領直後、まだ呉侯孫権も入城しないうちに、早くも町々にはこういう掲示が立ち、人民はみな帰服した。
荊州城にあった関羽の一族は、呂蒙のさしずに依って鄭重に他のやしきへ移され、不安なく不自由なく呉軍に保護されているのを見て、荊州の人民は、
「ありがたいことだ」と、呂蒙の名を口から口へ囁きつたえた。
呂蒙は日々、五、六騎の供をつれて、みずから戦後の民情を視て歩いた。一日、途中で俄雨に遭ったが、雨に濡れながらもなお巡視をつづけて来ると、かなたから一人の兵が、百姓の被る箬笠を持って、盔の上に翳しながら、一目散に馳けて来るのを見かけた。
「捕らえろ。あの兵を捕まえて来い」
呂蒙は鞭をさし向けた。
二頭の騎馬武者が雨中を馳けて、すぐその兵を引っ吊るして来た。見るとその兵は呂蒙もよく顔を知っている同郷の男だった。
――が、呂蒙はその兵を睨まえて言った。
「自分は日ごろから、同郷同姓の者は殺さずという誓いを持っていたが、それは私事で公務の誓いではない。汝はこの俄雨に遭って百姓の笠を盗んだ。高札の表に掲げてある一条を犯した以上は、たとえ同郷の者たりとも法を紊すわけにゆかん。首にして街へ梟けるから観念するがよい」
兵は仰天して、雨中に哀号しながら、呂蒙を伏し拝んで、
「命だけはお助け下さい。出来心でございます。何気なく、つい箬笠ぐらいと存じまして」
と、悲しみ訴えたが呂蒙はただ顔を横に振るだけだった。
「いかん、断じていかん。出来心はわかっている、また、一箇の箬笠に過ぎないこともわかっておる。しかしゆるすことはできない。それが法の厳正というものだ」
その兵の首と箬笠とが、獄門となって街に
曝された。市人は

をつたえ聞いて、
「何たる公平な大将だろう」
と、その徳に感じ、呉の三軍はふるい恐れて、道に落ちている物も拾わなかった。
江上に待っていた呉侯孫権は、諸将を率き従えて入城した。そして直ちに降参の将潘濬を見、その乞いを容れて呉軍に加え、また獄中にあった魏の虜将、于禁をひき出して、
「呉に仕えよ」
と、その首枷を解いて与えた。
荊州変貌
一
呉は大きな宿望の一つをここに遂げた。荊州を版図に加えることは実に劉表が亡んで以来の積年の望みだった。孫権の満悦、呉軍全体の得意、思うべしである。
陸口の陸遜も、やがて祝賀を陳べにこれへ来た。その折、列座の中で呂蒙は、
「荊州の中府はすでに占領したが、これで荊州の版図がわが掌に帰したとはいえない。公安地方にはなお傅士仁があり、南郡には糜芳の一軍がうごかずにいる。貴兄にそれを討つ良計はないか」
と、陸遜に問うた。
すると傍らの人がたちまち立って、
「その儀なれば、弓を張り、矢をつがえるにも及びません」
と、豪語した。だれかと見れば、会稽余姚の人虞飜である。孫権は、莞爾と見て、
「虞飜、いかなる計やある。遠慮なく言え」と、言った。
虞飜は一礼して、
「さればそれがしと傅士仁とは、幼少からの友だちです。かならずそれがしの説く利害には彼も耳をかしましょう。故に、公安の無血占領は信じて疑いません」
「おもしろい。行って説いてみろ」
孫権は彼に五百騎をさずけた。虞飜は自信にみちて公安へ赴いた。事実、彼は胸中にこの使いの成功を信じている。なぜならば傅士仁の日ごろの人間をよく知っていたから。
しかし一方の傅士仁たるや、このところ戦々兢々たるものがあった。壕を深め城門を閉じ、物見を放って鋭敏になっていた。
ところへ友人の虞飜が五百騎ほど連れて来ると聞いたが、なお疑心にとらわれて城中に鳴りをしずめていた。虞飜は近々と城門の下へ寄り、書簡を矢にはさんで城中へ射こんだ。
「何、矢文が落ちたと。......どれ、どう言って来たか?」
傅士仁はそれを披いて、虞飜の文言を読み下した。幾たびも繰り返して、蚤を見るように文字を見ていたが、彼の猜疑もついに怪しむ辞句を見出せなかった。
「そうだ、たとえここを守り通しても、いずれ関羽が帰れば、戦前の罪を問われ、罪と功が棒引きになるぐらいが上の部だ。もし呉軍に囲まれて、関羽の来援が間に合わなかったら、完全にここで自滅だ。虞飜の説くところは心から俺を思ってくれることばに違いない」
彼は駈け出して、卒に門をひらかせた。そして虞飜を迎え入れると、
「会いたかった」と、まず旧情を訴え、
「よろしく頼む」と、次に一切を委した。
「自分が来たからには、諸事安心し給え」
虞飜は彼を伴って、さっそく荊州へ帰った。孫権はもちろんこの結果を
上機
でうけ
容れた。虞飜には大賞を与え、また傅士仁に告げては、
「汝の心底を見たからには決して旧臣とわけ隔てはせぬ。立ち帰った上は、よく部下を諭し、呉に以後の忠誠を誓わせろ。そして前の通り公安の守将たることをゆるす」と寛度を示した。
恩を謝して傅士仁が退城しようとすると、呂蒙が呉侯の袖をひいた。
「あれをあのまま、お帰しになるつもりですか」
「今更、殺すわけにもゆかんではないか」
「手ぶらで帰してしまう事こそ、折角の人間をころして居るというものです。なぜ、彼にこういう使命を背負わせておやりにならないので......」
呂蒙に何かささやかれると、孫権は急に侍臣を走らせて、傅士仁をよび戻した。
そしてたちまち一問を発し、また命令した。
「南郡の糜芳とは親交があるだろう。当然、きのうまでの味方だから」
「はっ......。交わりがありますが」
「では、友情をもって、糜芳を説くことは、汝の義務だとも言えるな。もし彼を説いて、予の面前へつれて来たら、糜芳は厚く用い、汝には更に恩賞を加えるだろう。どうだ」
「さっそく南郡へ赴きましょう」
傅士仁は倉皇と帰ってゆく。孫権は呂蒙を顧みてにやりと笑った。
二
「たいへんな難役を背負ってしまった」
傅士仁は浮かない顔で、友の虞飜のところへ相談に行った。そして愚痴まじりに、
「どうも今になってみると、貴公のいうことをきいたのは、大きな過ちだったような気がする。呉侯の命に対して、――御難題です、糜芳を説きつけるなんて無理です。御免蒙りましょう、と言ったら、たちまち俺は二心ありと首にされ、公安の城はただ取りにされてしまうだろう。......と言って、何しろ糜芳は、蜀のうちでも余人とちがい、玄徳が微賤をもって旗上げしたころからの宿将だ。俺の舌三寸でおめおめ降るわけはないし」
と、困惑を訴えると、虞飜はその小心を笑って、彼の背を一つ打った。
「おいっ、しっかりせい。自己の浮沈の岐れ目じゃないか。いかに糜芳でも石仏ではあるまい。いや彼の一族は元来、湖北の豪商で大金持ちであった。たまたまその退屈な財産家が、玄徳という風雲児の事業に興味をもち、そっと裏面から軍資金を貢いでやったのが因で、いつか糜竺、糜芳の兄弟とも、玄徳の帷幕に加わってしまった。――というのが彼の経歴ではないか。それをもって察すれば、糜芳の胸は、今とてかならず数字算用ははっきりと持っているに違いない。名も生命もいらんという人間では手におえぬが、利害の明瞭な人物ほど説きよいものだ。......まあ信念をもって、ひとつこう出て見たまえ」
「こう出てみろとは?」
「すなわち、こう出るのだ」
有り合う紙片のうえに、虞飜は何か筆を走らせる。傅士仁は首を寄せて黙読していたが、急に悟ったような顔をして、
「あっ、そうか。なるほど」と、ひどく感心したかと思うと、たちまち勇気づいた様子で、
「では、行ってくる」と、立ち去った。
十騎ばかりを従えて、彼は南郡へ立った。糜芳は城を出て、友を出迎え、まず関羽の消息を問い、荊州の落城を嘆じて、悲涙を押し拭う。
「いや......実はその、その事で今日は、あなたへも相談に来たわけだが」
「相談とは、軍議に就いて?」
「なに、それがしとて、忠義は知らぬわけではない、荊州が敗れては、もはや万事休すだ。いたずらに士卒を死なせ、百姓に苦しみをかけるよりはと深思して、実はすでに、呉へ降伏を誓った」
「えっ。降参したと」
「足下も旗を巻いて、それがしと共に、孫権に謁し給え。呉侯はまだ若くて将来があるし、しかもなかなか名君らしい」
「傅士仁。人を見てものを言え。この糜芳と漢中王との君臣の契りを何と見ているか」
「......だが」
「だまれ。多年、厚恩をうけた漢中王をこの期になって裏切るごとき自分ではない」
ところへ慌ただしく、糜芳の臣が告げに来た。戦場の関羽から早馬打っての使者だとある。
「通せ」
糜芳は言った。使者はそこへ来て、火急の事ゆえ、口上をもって述べますと断わり、次のような関羽の要求を伝えた。
「樊川地方の大洪水のため、戦況は有利にすすんだなれど、兵粮の欠乏は言語に絶しており、全軍疲弊の極に達しておる。就いては、南郡公安の両地方から至急、粮米十万石を調達され、関羽の陣まで輸送していただきたい。もし怠りあらば、成都に上申し、厳罰に処すべしとの令でござる」
糜芳と傅士仁は顔見合わせた。まったく無理な注文である。粮米十万石も困難だし、荊州の陥ちた今、輸送方法もありはしない。
「どうしたものであろう」
糜芳は腕拱いて面を埋めてしまった。変心した傅士仁はもう相談あいてにならないし、関羽の命にそむけば、後々いかなる禍になるか測り知れない。
「――ぎゃッ!」
突然、血しぶきの下に、使者が仆れた。糜芳も驚いて跳び上がった。剣を抜いて、いきなり使者を斬ったのは傅士仁であった。その血刀を提げたまま、彼は更に糜芳へ迫ってきた。
三
糜芳は喪心したように、蒼白になって顫いていたが、やがて、
「乱暴にもほどがある。いったい貴公は、何故に、関羽の使者を斬り殺したのか......」
傅士仁も真っ青になって言う。
「御辺の決断を促すためだ。またわれわれの生命を保つためだ。足下には関羽の心が読めないのか。関羽はその不可能を知りながら無理難題をいいつけて、後に荊州の敗因をわれ等の怠慢にありとする肚黒い考えでおるのだ。――糜芳っ。さあ呉侯の許へ行こう。いずくんぞ手を束ねて犬死にせんやだ。さあ城を出よう!」
彼は剣を収めて、糜芳の手を引っ張った。もちろんこれは虞飜がさずけた策で、関羽の伝令も噓だし、その使いも偽使者であることはいうまでもない。
糜芳はなお迷っていた。多少の疑いをそれにも抱いたからである。ところがこの時、喊の声や鼓の音が地を震わすばかり聞こえてきた――愕然、城壁の上に走り出て見ると、呉の大軍がはや城を囲んでいた。
「なぜ足下は、生きることを歓ばないのだ」
と、傅士仁は、茫然自失している糜芳の腕を組んで、無理やりに城を出た。そして虞飜を介して呂蒙に会い、呂蒙はまた糜芳を伴って孫権にまみえた。
× × ×
魏の首府へ、呉の特使が情報を持って入った。
特使は言う。――呉すでに荊州を破る。魏はなぜこの機会をつかんで関羽を討たないかと。
もちろん曹操は、この形勢を無為に見ているものではない。ただ呉の態度の確然とするまで機を窺っていたものだ。
「今はよし」と、彼はうごき出した。魏の大軍をひきいて、洛陽の南へ出た。そこから更に南方の陽陵坡には、すでに先発していた徐晃軍五万が敵に対峙している。
「魏王御みずから出陣されて、このたびこそは敵関羽を完滅せしめんと御意遊ばされておる。不日、更に数十里、御前進あらん。徐晃軍にはまずその先鋒をもって、敵の先鋒陣に、一当て加えられよ」
軍使は、徐晃の陣へ臨んで、曹操の旨をそう伝えた。
「心得て候」と、徐晃は直ちに、徐商と呂建の二隊に、自身の大将旗をかかげさせて正攻法をとらせ、彼自身は五百余騎の奇襲部隊を編成して、沔水のながれに沿い敵の中核と見られる偃城の後方へ迂回した。
ときに関羽の子関平は、偃城に屯しており、部下の廖化は四冡に陣していた。その間、連々と十二ヵ所の寨塁を曠野の起伏につらね、一面樊城を囲み、一面魏の増援軍に備えていた。
「陽陵坡の魏軍がにわかに活動を起こしました。徐晃の大将旗をふり翳して」
偃城の兵はどよめき告げた。関平は手具脛ひいて、その近づくを待ち、
「徐晃みずから来るとあれば、敵にとって不足はない」と、精兵三千を引き具して城門を出、地の利をとって陣列を展開し、鼓をそろえて鉦を鳴らし、旌旗天を震うの概があった。
――が、魏の大将旗は、偽りである。その下から
駈け出して来たのは、
徐商であり
呂建であった。ふたりは
槍を

え、
「帰さぬぞよ、小童」と、関平を挾撃した。
けれど関平の勇は、徐商を追い、呂建を斬り立て、かえって彼等をあわてさせた。そしてついに逃げ走る二人を追いかけ追いかけ、十余里も追撃した。
すると全く予測していなかった方面から、一彪の軍馬が旋風となって側面へ蒐って来た。そして一人の大将が、
「知らずや関平。荊州はすでに呉の孫権に奪られておるぞ。――汝家なき敗将の小倅。何を目あてに、なお戦場をまごまごしておるかっ」と、罵った。
それが真の徐晃であった。
鬢糸の雪
一
「えっ、荊州が陥ちた?」
関平は戦う気も萎え、徐晃をすてて一散に引っ返した。混乱するあたまの中で、
「ほんとだろうか? まさか?」
と、わくわく思い迷った。
そして偃城近くまで駈けて来ると、こはいかに城は濛々と黒煙を噴いている。そして炎の下から蜘蛛の子のように逃げ分かれて来る味方の兵に問えば、
「いつのまにか搦手へ迫って来た徐晃の手勢が、火焰を漲らして攻め込んだ」と、口々に言う。
「さては今日の戦こそ、彼の思うつぼに嵌った味方の拙戦であったか」
地だんだ踏んで叫んだが、事すでに及ばない。関平は駒を打って、四冡の陣へ急いだ。
廖化は、彼を迎えて、営中へ入るとすぐ、
「きょうどこからともなく、荊州が陥ちた、荊州は呉に占領されたと、しきりに沙汰する声が聞こえて来ましたが、あなたもお聞きになりましたか」と、たずねた。
関平は剣を抜いて、味方の軍勢の中へ立ち、廖化へする返事を全軍へ向かってした。
「流言はすべて、敵の戦意をくじく謀だ。みだりに噓言を伝え、噓言に興味を持つ者は斬るぞ」
数日のあいだは、もっぱら守って、附近の要害と敵状を見くらべていた。四冡は前に沔水の流れをひかえて、要路は鹿垣をむすび、搦手は谷あり山あり深林ありして鳥も翔け難いほどな地相である。
「いま徐晃は勝ちに乗って、急激な前進をつづけ、かなたの山まで来ておると、偵察の者の報告だ。思うにあの裸山は地の利を得ていない。反対にわが四冡の陣地は、堅固無双、ここは手薄でも守り得よう。ひとつ御辺と自分とひそかに出て、彼を夜討ちにしようではないか」
偃城を失った関平は、勢いその雪辱にあせり気味だ。ついに、廖化を誘って、本拠を出た。もちろん連れてゆく兵は精鋭中の精鋭を択りすぐって。
曠野の一丘に、一の陣屋がある。いわゆる最前線部隊である。この小部隊は、点々と横に配されて、十二ヵ所の長距離に連なっている。
この線を敵に突破されることは恐い。一ヵ所突破されれば十二の部隊がばらばらになるからである。関平の血気に従って廖化のうごいた所以も、要するにその重要性があるからだった。
「今夜、敵の裸山へは、自分が攻め上ってゆく。御辺はこの線を守り、敵の乱れを見たら、十二陣聯珠となって彼を圧縮し、四散する敗兵をみなごろしになし給え」
言い遺して、廖化をあとに、関平だけが、深夜、裸山を急襲した。
ところが山上には、旗影だけで、人はいなかった。
「しまった」
急に駈け降ろうとすると、諸所の窟や岩の陰や、裏山の方から、いちどに地殻も割れたかと思うような喊声、爆声、罵声、激声――さながら声の山海嘯である。
呂建、徐商の二将は、
「小倅、汝の父は、逃げる事ばかり教えたのか」
と、関平を追いまわした。
山を離れて、野に出ても、魏軍はふえるばかりだった。草みな魏兵と化して関平を追うかと思われた。
廖化の守っていた線も、この怒濤をさえぎり切れず、いちどに崩壊してしまった。いやいや、そこはまだしも、四冡の陣からも、炎々たる火焰が夜空を焦き始めた。喘ぎ喘ぎ沔水のながれまで来てみれば、まっ先に徐晃が馬を立てて、
「ひとりも渡すな」
と、手落ちなき、殲滅陣をめぐらしている。
今は挽回の工夫もない。全面的な敗北だ。関平と廖化はやむなく樊城へ奔った。そして関羽の前へ出るや、
「面目もありません」
と、

で悲涙を
拭った。
「兵家の常だ」
関羽は
叱らなかった。けれど関平が
荊州方面の

を告げると、
「ばかな!」と叱って――「陸口の将は小児、烽火台の備えもあるし、荊州の守りは泰山の安きにある。そちまでが敵の流言に乗せられてどうするか」
と、語気あらく戒めた。
二
曹操の中軍も、徐晃の先鋒も、目ざましく進出した。何十万とも知れぬ大軍はいまや山野に満ちてひたひたと関羽の陣に迫っている。
「見えたるか、徐晃」
関羽が左の
臂の
矢瘡は、いまは全く

えたかに見えるが、その手に
偃月の
大青龍刀を握るのは、病後久しぶりであった。
「徐晃はお避けなさい」
関平は諫めたが、何の――と関羽は長髯を横に振って、
「徐晃はむかしの友だ。一言申し聞かせて、我いまだ老いじ――を見せ示しておかねばならん」
いよいよ、両陣の相接した日、関羽は馬を出して徐晃と出会った。徐晃はうしろに十余人の猛将をつれていた。
馬上、礼をほどこし、さて、彼は言う。
「一別以来、いつか数年、
想わざりき将軍の
鬢髪、ことごとく雪のごとくなるを。――昔それがし壮年の日、親しく教えを
蒙りしこと、いまも忘却は
仕らぬ、今日、幸いにお顔を拝す。感

まことに無量。よろこびに堪えません」
「おお、徐晃なるか。御辺も近来赫々と英名を成す。ひそかに関羽も慶賀しておる。さはいえ何ゆえ、わが子関平に、苛烈なるか。昔日の親密を忘れずとあらば、人に功は譲っても、自身は後陣に潜むべきではないか」
「否とよ将軍、すでにお忘れありしか。むかし少年の日、あなたが我に教えた語には、大義親を滅すとあったではないか。――それっ諸将。あの白髪首を争い奪れっ。恩賞は望みのままぞ!」
大声一呼、馬蹄に土を蹴るやいなや、うしろの猛将たちと共に、彼も斧をふるって、関羽へ撃ってかかった。
我老いず! 我老いず! と関羽は自己を叱咤しつつ、雷閃雷霆のなかに数十合の青龍刀を揮った。
――が
矢瘡はまだ
完く

えたとはいいきれない。わけて老来病後の身である。危ないこと実に見ていられない。わけて親子の情に駆らるる関平においてをやだ。関平はたちまち引き
鉦鳴らして兵を収めた。
この引き鉦は、まさに虫の知らせだった。同じころ、久しく籠城中の樊城の兵が、門を開いて突出して来た。これは死にもの狂いの兵なので、包囲は苦もなく突破され、そこにあった関羽軍は、襄江の岸へとなだれを打って追われた。
この二方面の頽勢から、関羽軍は全面的の潰えを来し、夜に入ると続々、襄江の上流さして敗走しだした。
道々、魏の大軍は、各所から起こって、この弱勢の分散へ拍車をかけた。わけて呂常の一軍の奇襲には、寸断の憂き目をうけて、江に溺れ死ぬもの、数知れぬほどだった。
ようやく江を渡って、襄陽に入り、味方を顧みれば、何たる少数、何たる惨鼻、さしもの関羽も悲涙なきを得なかった。
のみならず、ここに着いて、初めて
荊州陥落の
噓伝でないことがわかった。
呉の大将
呂蒙の手にかかってわが一族妻子も生かされている有様と聞き、関羽は

然また長嘆、天を仰いだまましばしことばもない。
魏軍はすぐ江上から市外にわたって満ち満ち、襄陽にも長く居られなかった。――さらば公安の城へとさして行けば、途中、味方の一将が落ちて来て、その公安も傅士仁が城を開いて呉へ渡してしまい、南郡の糜芳も彼に誘われて孫権へ降伏したという悲報を齎した。
「ううむ、いかなれば、かくは......」と、牙を咬み、恨気天を突いて、眦も裂けよと一方を睨んでいたと思うと、いかにしけん関羽はがばと、馬のたてがみへ俯っ伏してしまった。
臂の瘡口が裂けたのである。
抱き下ろして、人々は介抱を加えたが、関羽は、自己の不明を慚愧してやまず、呂蒙の策や烽火台の変を聞いては、
「われ過って、豎子の謀にあたる。何の面目あって、生きて家兄(玄徳)にまみえんや」
と、鎧の袖に面をつつんで声涙ともに咽んでいた。
一方、樊城を出て、一夜に攻守転倒、追撃に移っていた
曹仁は、その臣、
司馬
厳の、
「もうこれ以上、関羽を窮地へ追うのは愚です。呉に害を残しておくために――」という深謀に諫められ、いかにもと兵を収めて、曹操の中軍にことごとく集まった。
曹操は徐晃をこのたびの第一級の勲功とたたえ、平南将軍に封じて、襄陽を守らせた。
月落つ麦城
一
進まんか、前に荊州の呉軍がある。退かんか、後ろには魏の大軍がみちている。
渺々、敗軍の落ちてゆく野には、ただ悲風のみ腸を断つ。
「大将軍。試みに、呂蒙へお手紙を送ってみたらいかがですか。かつて呂蒙が陸口にいた時分は、よく彼の方から密書をとどけ、時来らば提携して、呉を討ち、魏を亡ぼさんと、刎頸の交わりを求めてきたものです。あるいは今もその気持ちをふかく抱いているやも知れません......」
家来の
累がすすめた。
「そうも致してみるか」
暗夜行路にひとしい。一点の灯なと見つけようと思う。
関羽は書簡をしたためた。
それを携えて、使いは荊州へ行った。――と聞いて呂蒙はわざわざ城外まで迎えに出、駒をならべて自身案内した。
「羽将軍の御使いが来たというぞ。関羽様の御家臣なら、樊川へ従軍したわし等の子の便りも知っていよう」
聞き伝えて、荊州の領民は、わが子の消息はどうか、わが良人、わが親ども、わが弟、わが叔父、わが甥どもは、生きているやら、戦死したことやら、その後の様子を知らせてよと、使者のまわりへ群れ集まった。
「帰りに。帰りに」と、使者はなだめて、ようやく城中へ入った。
呂蒙は書簡を見て、
「関将軍のお立場は察し入る。また旧交も忘れていません。しかし交わりは私のこと。今日の事は国家の命である。おからだを御大切に、ただよろしく申したとお伝えあれ」
使者には充分な馳走をし、土産には金帛を送って、懇ろに城門へ送った。
帰る使者の姿を見ると、荊州の民は、かねて書いておいた手紙やら慰問品を手に手に持って、
「これを子に届けて給われ、これをわが良人へ」と、使者に托した。
そしてなお口々に言うには、
「わし等はみな、呂蒙様の御仁政のおかげで、以前に増して温かく着、病む者には薬を下され、難に遭った者は救っていただくなど、少しも心配のない暮らしをしておりまするで、その事も、倅や良人に伝えてくだされ」
使者は辛かった。耳をふさいで逃げたかった。
やがて蕭条たる曠野の中の野陣へ帰って来て、関羽に、ありのままを告げると、関羽は長嘆久しゅうして、
「ああ、われは到底、呂蒙の遠謀には及ばない。今思うに、すべて呂蒙の遠い慮りであった。荊州の民をも、それまで帰服せしめてしまうとは、恐るべき人物......」
あとは口を閉じて何もいわなかった。ただ眼底の一涙がきらと光ったのみである。
野営は長く留まれない。大雨がくるとたちまち附近は沼となり河と化る。このうえは玉砕主義をとって、荊州へ突き進もう。呂蒙と一戦を交えるも快である。
命令を出して、明日は野陣を払って立つときめた。ところが、夜が明けてみると、兵の大半はいつの間にか逃げ落ちてしまい、いよいよ残り少ない軍力となってしまった。
「ああしまった。こんな事になるなら、荊州の民に頼まれた手紙や品物や、また言伝なども兵に聞かすのではなかったものを」
使者に行った将は、ひそかに悔いたが、もう間にあわない。残っている兵の顔にも、慕郷や未練のかげが濃く、戦意はまったく昂がらなかった。
「去る者は去れ。一人になっても我は荊州に入る」
関羽は断乎として進んだ。
けれど途中に、呉の蔣欽、周泰の二将が、嶮路を扼して待っていた。河辺にたたかい、野に喚きあい、闇夜の山にまた吠え合った。――しかもそこでは更に、呉の徐盛が、雷鼓して伏兵を起こし、山上山下から襲って来た。
「百万の敵も何かは」
日ごろと変わらない沈着の中に、関羽の武勇は疲れを知らなかった。けれど、山峡のあいだに、皎々として半月の冴えるころ、谺する人々の声を聞いては、さすがの彼も戦う力を失った。
親は子を呼び、子は親を呼ぶ。あるいは良人の名を、あるいは妻の名を、互いに呼び交わす声が悲風の中に絶え絶え聞こえる。そしてここかしこ、関羽の兵は、白旗を振って、荊州の方へ馳け込んでゆく。
「ああ。これも呂蒙の計か」
関羽は憮然として、月に竦み立っていた。
二
飛び去る鳥の群れは呼べども返らない。行く水は手をもて招いても振り向かない。およそ戦意を失い未練に駆られて離散逃亡し始めた兵の足を、ふたたび軍旗の下に呼び帰すことはどんな名将でもできないことである。もう手を拱いて見ているしかない。
「万事休す」
関羽のすがたは冷たい石像のように動かなかった。残る将士は四、五百に足らない有様だ。しかし関平と廖化とは、
「何とかして活路を見出したいもの」
と、わずかな手勢をまとめては敵の囲みを奇襲し、ようやく一方の血路をひらいて、
「ひとまず、麦城まで落ちのびましょう」と、関羽を護って、麓へ走った。
麦城はほど近い所にあった。けれどそこは今、地名だけに遺っている前秦時代の古城があるに過ぎない。もちろん久しく人も住まず壁石垣も荒れ崩れている。
「時にとって、五百の精霊が一体となって立て籠れば、これでも金城鉄壁といえないことはない」
ここへ入って、廖化がそう士気を鼓舞すると、関平もまず自ら気を旺にして、
「そうだとも。未練な弱兵はことごとく落ち失せて、ここに残った将士こそ篩にかけられた真の大丈夫ばかりである。一騎よく千騎に当たる猛卒のみだ。兵力の寡少は問題でない」
と、あえて豪語した。
さはいえその関平も廖化も内心では事態の最悪を充分に覚悟している。ふたりは関羽の前へ出てはまたこう進言した。
「ここから上庸の地はさして遠くありません。上庸の城には蜀の劉封、孟達などがおります。救いを求めて、彼の蜀軍を呼び、力を新たにして、魏を蹴散らすぶんには、荊州を奪り回すことは十中九まで確信してよいかと思われますが」
「まさにその一策しかない」
関羽は、矢倉へ上った。そして古城の外をながめた。愕くべし満地の山川ことごとく呉旗呉兵と化している。いわゆる蟻も通さぬ鉄桶の囲いである。しかも隊伍斉斉、士気は高く馬の嘶きも旺である。
関羽は顧みて言った。
「たれかよくこの重囲を破って上庸へ使いし得よう。出ればたちまち死の道だが」
聞くやいな廖化が答えた。
「誓って、それがしがお使いを果たしてみせます。もし能わぬときは、一死あるのみ。すぐ第二の御使者を出して下さい」
その夜、廖化は関羽の一書を衣に縫いこみ、人々に送られて、古城の一門から外へ紛れ出た。
たちまち、暗夜の途は金鼓鉄槍に鳴りひびいた。呉の大将丁奉の部下が早くも見つけて追って来る。それを城中から関平の一隊が出てさんざんに駈け乱した。廖化はようやく死線を越えた。
彼はあらゆる辛酸をなめ、乞食のような姿になって、ついに目的の上庸に行き着いた。そして城を訪れるやすぐ、劉封に会って仔細を告げ、
「さしもの関将軍もいまや麦城のうちに進退全くきわまっておられる。もし救いが遅延すれば関将軍は最期を遂げるしかありません。一日いや一刻も争うときです。すぐ援軍をお向けねがいたい」
と、一椀の水すら口にしないうちに極言した。
劉封はうなずいた。――が何と思ったか、
「ともかく孟達に相談してみるから」
と、彼を待たせておいて、にわかに孟達を呼びにやった。
やがて孟達は、べつな閣へ来ていた。劉封はそこへ行って、ただ二人きりで問題を凝議し出した。――何分この上庸でも今、各地の小戦争に兵を分散しているところであった。この上にも本城の自軍を割いて遠くへ送るなどという事は、二人にとって決して好ましい問題ではない。
蜀山遠し
一
閑話休題――
千七百年前の支那にも今日の中国が見られ、現代の中国にも三国時代の支那がしばしば眺められる。
戦乱は古今を通じて、支那歴史をつらぬく黄河の流れであり長江の波濤である。何の宿命かこの国の大陸には数千年のあいだ半世紀といえど戦乱の絶無だったという事はない。
だから支那の代表的人物はことごとく戦乱の中に人と為り戦乱の裡に人生を積んできた。また民衆もその絶えまなき動流の土に耕やし、その戦々兢々たる下に子を産み、流亡も離合も苦楽もまたすべての生計も、土蜂のごとく戦禍のうちに営んで来た。
わけて後漢の三国対立は、支那全土を挙げて戦火に連なる戦火の燎原と化せしめ、その広汎な陣炎は、北は蒙疆の遠くを侵し、南は今日の雲南から仏印地方にまでわたるという黄土大陸全体の大旋風期であった。大乱世の坩堝であった。
このときに救民仁愛を旗として起ったのが劉備玄徳であり、漢朝の名をかり王威を翳して覇道を行くもの魏の曹操であり、江南の富強と士馬精鋭を蓄えて常に溯上を計るもの建業(現今の南京)の呉侯孫権だった。
建安二十二年。
曹操が本来の野望を実現して、自ら魏王の位につき、天子の車服を冒すにいたり、劉備玄徳もまた、孔明のすすめに従って蜀の成都に漢中王を称えた。そして魏呉両国に境する荊州には関羽をおいて、しばらくは内政拡充に努めていたのである。
果然、蜀の大不幸は、その時に、その荊州から起こった。関羽の死と荊州の喪失とである。
後の史家は、紛議して、これを玄徳の順調と好運がふと招いた大油断であるといい、また王佐の任にある孔明の一大失態であるとも論じて、劉備と孔明のふたりを非難したりした。
けれど。
大局から観ると、蜀にとって、中原の大事は、荊州よりも、むしろ漢中にある。そしてその漢中には、魏の曹操が自ら大軍を率して、奪回を計っていた。――この際、当然、蜀の関心は曹操にそそがれていた。
その曹操と呉の孫権とは、赤壁以来の宿敵である。まさか一夜にしてその積年の障壁が外交工作によって除りのぞかれ、魏呉友好をむすんで、呉の大艦船が長江を溯り、荊州を圧そうなどとは夢想もできない転変だったにちがいない。
加うるに、劉備も孔明も、いささか関羽の勇略を恃みすぎていた。忠烈勇智、実に関羽は当代の名将にちがいなかった。けれどそれにしても限度がある。ひとたびその荊州の足場を失っては、さすがの関羽も、末路の惨、老来の戦い疲れ、描くにも忍びないものがある。
全土の戦雲今や酣の折に、この大将星が燿として麦城の草に落命するのを境として、三国の大戦史は、これまでを前三国志と呼ぶべく、これから先を後三国志と言ってもよかろうと思う。『後三国志』こそは、玄徳の遣孤を奉じて、五丈原頭に倒れる日まで忠涙義血に生涯した諸葛孔明が中心となるものである。出師の表を読んで泣かざるものは男児に非ずとさえ古来われわれの祖先も言っている。誤りなく彼も東洋の人である。もって今日の日本において、この新釈を書く意義を筆者も信念するものである。希わくは読者もその意義を読んで、常に同根同生の戦乱や権変に禍さるる華民の友国に寄する理解と関心の一資ともしていただきたい。
二
孔明の兄、諸葛瑾は、いつも苦しい立場にあり、またいつも辛い使いにばかり向けられた。
温厚にして博識、彼もひとかどの人物だったがあまりにずば抜けている弟孔明の偉さに消されて、とかく彼の名も振わず、その存在も忘れられがちである。
何しろ自分は呉に仕え、弟の孔明は蜀に居るのだ。呉侯を始め呉の将士から疑われもせず、呉の陣中にいるだけでも、彼がいかに正直で節操のある人物かということはわかる。
――にも関わらず、彼が用いられたり、使者として選ばれる時は、対蜀外交の策謀とか、関羽を味方へ抱き込む工作とか、どっちにしても間接に肉親へ弓を引くような苦しいそして至難な役目をいいつかる場合にのみ限られていた。
以前、荊州へ使いしたときも苦い思いを舐めたが、こんどもまた、麦城に入って、関羽を説くのに、心のうちでは、どんなに辛い気がしたか知れなかった。
「玄徳とは若いころに桃園で義兄弟の義をむすび、弟の孔明もつねに尊敬して措かないほどな将軍である。どんな好餌や甘言をもって説いたところで、あの人が節を変えて呉へ降るなどということは有り得ない」と、会わないうちからわかりきっていたからである。
だが、一縷の望みは、
「麦城の運命はもう知れている。糧もない、兵力もない、後方の援けもない、飢餓に迫っている部下五百を救うために、あるいは、人情脆い関羽のことだから、ついに降伏する気になるかもしれぬ」
という事だけであった。
けれどこれも諸葛瑾の空想だけにとどまっていた。毅然たる関羽の前に、彼はそんな使者に立って行ったことすら恥ずかしく思わずにいられなかった。何を説いても一笑に付せられたのみか、関羽の養子には剣をもって脅かされ、いわゆるほうほうの態で追い返されるの憂き目をあえて見てしまった。
「......惜しい。実に惜しい人物だ」
それでも彼はしみじみ独りつぶやいて帰った。
呉侯孫権は、寄せ手の本陣に、待ちわび顔であったが、瑾の帰りを見ると、
「どうだった?」
と、すぐ早口にたずねた。
「耳もかしません」
瑾はありのままを復命して、更に、
「関羽の心は鉄石そのものです。
所
、凡人を説くような利害で招こうなどとしても、徒労に過ぎないのみか、かえってわが君の御心事を、彼の
嘲笑に供えるだけのものにしかなりません」
と、つけ加えた。
すると側にいた呂範が、
「私が占ってみましょう」
と、孫権の顔を仰いだ。関羽が蜀へ寄せている忠烈を知れば知るほど、何とかして関羽を殺したくない、そして呉の帷幕に招き入れたいと、さまざまに手を尽くし心をくだいているらしい主君の胸が、呂範にもよく見えたからである。
「む、む。占ってみるか」
呂範は君前をさがるとすぐ浄衣に着更えて祭壇のある一房へ籠った。伏儀神農の霊に禱り、ひれ伏すこと一刻、占うこと三たび、地水師の卦を得た。
もう夜に入っていたが、ふたたび君前へもどって卦を披露に出ると、孫権と碁を囲んでいた呂蒙が、
「まさにその易はあたっている。――敵人遠くへ奔るという卦の象だ。それがしが思う所とよく一致する。おそらく関羽は麦城から遁れ出んものと今や必死に腐心しておる。それも大路は選ばず、城北へ細く険しい山道を目がけ、夜陰に乗じて突破を試みるに違いない」
と、掌をさすように言った。
孫権は手を打って、
「そのときだ。伏兵をして、彼を狭い山道に生け捕るのは」
と、あわてて軍令に立ちかけたが、呂蒙はまだ碁盤に向かって、独りにやにやと笑っていた。
三
「さあ、さしかけの局を、片づけてしまいましょう。今度はわが君の番ですが」
呂蒙は、碁盤をへだてて、孫権へ次の手をうながした。
孫権はもう心もそぞろに、
「それどころではない。碁をもうやめて、麦城の間道へ手配をせねば」
と言うと、呂蒙は、
「御心配には及びません。たとえ関羽に地を潜り空を翔る術ありとも、もう絶対にあの中から逃げることは出来ないまでに、作戦の手順は行き届いておりますから」
「では、城の搦手にも、裏山の方面にも、すでに伏兵が向けてあるのか」
「もちろんです。――さあ、次の手をどうなさいますか」
と、また盤をつきつけた。孫権もそう聞いて落ち着きを得、ふたたび局面に対って碁をさしているとこんどは呂蒙が急に、
「......そうだ、北の門の寄せ手がすこし手強すぎる。だれか、璠璋を呼んでくれぬか」
と、独り言をつぶやいて、うしろにいる武士へいいつけた。
すぐ璠璋が呼ばれて来た。呂蒙は碁をうちながら振り向いて、
「麦城の北門には、三千の寄せ手が向けてあるが、それを弱兵ばかり七、八百に減らして、ほかはすべて西北にあたる山中に埋伏するように、至急、君が行って指図してくれ」と、司令した。
璠璋が去ると、また、
「朱然を呼んでくれ給え」
と、近侍へたのみ、その朱然が見えると、
「新手四千騎を加えて、敵城の南、東、西の三方へいよいよ圧力を加え給え、そして足下はべつに千騎をひきい、北方の小道や山野など隈なく遊軍として見廻っているように」と、言った。
それからすぐ呂蒙は、碁盤の前を離れて、
「どうです、わたくしがやはり勝ったでしょう。せっかくですがまだ君公のお手のうちでは、呂蒙を降すことはできませんな」と、愉快そうに笑った。
負け碁となったが、孫権も共に哄笑した。囲碁には破れてもいまや敵城は余命旦夕、関羽を生け擒ることも神算歴々と、心に大きな満足がべつにあったからである。
――それにひき代えて。
昨日今日の、麦城の内こそ、実に惨たるものだった。
五百の兵は、三百人に減っていた。傷病者は殖え、脱走者は絶えない。夜に入ると、古城の外から呉の陣にある荊州兵が、
「邱よ、出て来い」
「李よ。李よ。逃げて来い」
などと声をひそめて呼び出しに来る。その誘惑は力があった。
さすがの関羽もいまは百計尽きたかのごとくであった。
王甫や
累にむかっても、
「もう最後である。顧みるに、この大敗を招いたのは、一に関羽の才が足らなかったと言うしかない。
廖化も途中で討たれたかどうしたか、
所
、援軍を待つ望みも絶えた」
と、絶望を洩らした。
義胆忠魂、一代に鳴らした英傑も、いまは末路を覚るかと、王甫は思わず涙をながして、
「いやいや、まだ決して、百計が尽きたとはいえません。まだ活路はあります。先ごろから窺うに北門の搦手は、敵も手薄、そこを破って、北方の山中へ馳せ入り、蜀へさして、お落ちあれば――何ぞきょうの悲運を敵に与え返すことの出来ぬわけがありましょうか。......あとは王甫が生命がけで固めています。城もろとも微塵になるまで殿軍しています。どうか少しも早く蜀へ」
と、落去をすすめた。
すでに糧もなく矢弾もない。関羽はついに涙をのんで王甫に別れた。すなわちわずか百余人を城中へ残し、あと二百足らずの兵をひきいて、一夜無月の闇を見さだめ麦城の北から不意に打って出たのであった。
四
関平と

累の二将が、関羽の先に立って、まず北門
附近の呉兵を
蹴ちらし、主従二百騎、ひたすら山へ向かって走った。
麦城の北に連なる峨々たる峰の背さえ越えれば、道は蜀に通じ、身は呉の包囲の外に立つ。
「そこまでの辛抱ぞ」
「そこまでは敵の伏兵に出合っても目をくれるな。ただ追い散らせ、ただ急げ」
合言葉のように言い交わしながら関羽を守り囲んだ同勢は、やがて初更の真っ暗な山の細道へ登りかけた。
――がしばらくは、出で合う敵もなく、草木を揺がす伏兵の気ぶりもなかった。
一山を越えて、また次の一山を迎えた。その間は西方の沢が裾をひいて、まるで漆壺のような闇の盆地を抱いている。淙々として白きは水、岸々として高きは岩、関羽や関平の駒は幾たびも石ころや蔓草に躓きかけた。
すると突然、前面の沢からチラチラと無数の火が見えた。左の山からも一団の炬火が馳け下って来た。右の峰からも、更に後ろの方からも、火光はここに集まって、やがて天を焦がすばかりの火となった。
「呉兵だ」
「伏兵だぞ」
すでに矢風は急雨のごとく身辺をかすめていた。
かねての覚悟、関羽は偃月刀を馬上に持ち直して、
「関平、道をひらけ」
と言った。
「父上、こうお進みなさい」
と先に立って、関平はむらがる伏せ勢の中へ斬って入った。続いて関羽も駒をすすめかけると、
「羽将軍、待ち給え」
と、呉の大将朱然が横あいから呼びかけた。
関羽は、ちらと振り向いたが、戦うを好まず、そのまま駈け出した。朱然は追い慕って、
「かつて羽将軍が、敵にうしろを見せた例は聞かないのに、こよいはいかが召されたか」
と執拗に槍をつけた。
「おうっ、それまでに、わが刃を首に欲するか」
関羽は馬を回らして、一颯、大青龍刀をうしろに送った。朱然は、面を伏せ、念力を凝らして、猛然突いてかかったが、もとより関羽の敵ではなく、やがて恐れ震えて逃げ出した。
「――追うまじ」
と戒めていたが、騎虎の勢いというものか、関平の姿もいつか見失い、味方の小勢も散り散りなので、彼はつい朱然を追って、いよいよ山の隘路まで行ってしまった。
そこは臨沮の小道といって、樵夫さえよくまごつく迷路だった。
突然、四山の岩は雪崩れて、駒の脚も埋めるかと思われた。彼の周りを離れずにいた七、八名の旗本もことごとく岩にあたって圧しつぶされた。
「おう、ここはこの世か、地獄か」
関羽はしまったと呟きながら急に馬を戻しかけたが、呉の大将璠璋の伏せ勢が、松明を投げて、彼の前後を阻み、いよいよ関羽が孤立して、そこに進退きわまっていることを確かめると、いっせいに鼓を打ち鉦を鳴らし、獣王を狩り立てている勢子のように、わあっと、友軍を呼び、またわあっと、友軍へこたえた。
「父上っ、父上っ......」
どこかで関平の声がする。関羽は心がみだれた。子はいずこ?
累その他の味方はいかにと。
「羽将軍羽将軍。すでに

累の首も打った。いつまで未練の苦戦をなし給うぞ。いさぎよく
盔をぬいで天命を呉に託されい」
呉将璠璋は、やがて馬をすすめて関羽へ言った。長髯に風を与えて、関羽は駈け寄るや否、
「匹夫っ。何ぞ真の武魂を知ろうや」
と、ふりかぶる大青龍刀の下に彼を睨んだ。十合とも太刀打ちせずに璠璋は逃げ奔った。追い捲って密林の小道へ迫りかけた時、四方の巨木から乱離として鈎の付いた投げ繩や分銅が降った。関羽の駒はまた何物かに脚を搦まれて嘶いた。天命はここに終われるか、同時に関羽は鞍から落ちた。そこで璠璋の部下の馬忠というものが、熊手を伸べ、刺股を懸けて、ついに関羽を捻じ圧さえ、むらがり寄って高手小手に縛めてしまった。
草
わぬ馬
一
関平も父の姿をさがし求めているうちに、朱然、璠璋の軍勢に生け捕られた。そして荒繩にかけられて呉侯孫権の陣へ曳かれてゆく間も、父関羽の名を叫び、無念無念を繰り返していた。
報を聞いて孫権は、翌る日、早暁に帳を出て、馬忠に関羽を曳かせ、すがすがしげに彼をながめて言った。
「自分はかねてより将軍を慕って、将軍の娘をわが子息へ迎えようとすらした事がある。何で足下はあの時わが懇志をしりぞけたか」
関羽は黙然たるのみであった。孫権は語をつづけて、
「また将軍は、常に天下無敵の人と思っていたが、なんで今日、わが軍の手に捕らわれたのか。われに降って、呉に仕えよと、天が御辺に諭しているものと思われる」
関羽はしずかに眸を向けて、
「思い上がるを止めよ、碧眼の小児紫髯の鼠輩。まず聞け、真の将のことばを」
と、容を正した。
「劉皇叔と此方とは、桃園に義をむすんで、天下の清掃を志し、以来百戦の中にも、百難のあいだにも、疑うとか反くなどということは、夢寐にも知らぬ仲である。今日、過って呉の計に墜ち、たとえ一命を失うとも、九泉の下、なお桃園の誓い有り、九天の上、なお関羽の霊はある。汝ら呉の逆賊どもを亡ぼさずにおくべきか。降伏せよなどとは笑止笑止。はや首を打て」
それきり口をつぐんで再びものを言わない。さながら巌を前に置いているようだった。孫権は左右を顧みて、
「一代の英雄をわしは惜しむ。何とかならんか」
と、囁いた。
主簿の左咸が意見した。
「おやめなさい。おやめなさい。むかし
曹操もこの人を得て、三日に小宴、五日に大宴を催し、栄誉には
寿亭侯の爵を与え、
煩悩には十人の美女を贈り、日夜、
機
をとって、引き留めたものでしたが、ついに曹操の下に
留まらず、五関の大将を
斬って、
玄徳の
側へ帰ってしまった例もあるではありませんか」
「............」
「失礼ですが、あの曹操にしてすらそうでした。いわんや呉の国へどうして居着くものですか。苦杯をなめた曹操も後に大きな悔いを抱きました。今彼を殺さなければ後には呉の大害となるにきまっています」
「............」
孫権はなお唇をむすんでしばらく鼻腔で息をしていたが、やがて席を突っ立つや否や、われにも覚えぬような大声で言った。
「斬れっ。斬るのだっ。――それっ関羽を押し出せ」
武士はかたまり合って関羽を陣庭広場まで曳き立てた。そして養子関平と並べてその首を打ち落とした。時、建安二十四年の十月で、この日、晩秋の雲はひくく
麦城の野を

い、雨とも霧ともつかぬ
濛気が冷ややかにたちこめた。
「馬忠への褒美には、関羽の乗っていた馬をとらせるであろう。関羽に恥じぬ手功をあらわすがいい」
関羽の愛馬は世にも名高い駿足赤兎である。孫権は、馬忠にそれを与え、また璠璋にはこれも関羽の遺物となった青龍の偃月刀を与えた。
(名将にあやかりたい)はだれもの心理とみえて、敵人ながら関羽の遺物はその片袖その一すじの紐まで呉の将士に欲しがられた。その意味で馬忠は皆から羨望の的になったが、
「......これはいかん。どうしたのだろう?」
四、五日すると、彼はひどく悄気てしまった。
なぜならば拝領の
赤兎馬は、関羽の死んだその日から草を

わなくなったからである。秋日の下に
曳き出して、いかに
香しい飼料をやっても、水辺に
覗かせても、首を振っては悲しげに麦城の方へ向かって
嘶くのみであった。麦城にはまだ百余人が
籠城していた。けれど、その後、呉軍が迫ると、すでに
王甫も関羽の死を知ったとみえ矢倉の上から飛び降りて死んだ。また関羽の片腕といわれた
周倉も自ら首を
刎ねて憤死した。
二
関羽の死後にはいろいろな不思議が伝えられた。彼の武徳と民望が、それを深く惜しみ嘆く庶民の口々に
醸されて、いつか神秘を加え説話を
創り、それが
巷に語られるのであろう。とにかくさまざまな

が生まれた。
荊州の玉泉山に、普静という一老僧がいる。これはもと、汜水関の鎮国寺にいた僧で、関羽とは若い時代から知っていた師であり心友であったという。
近ごろ。この普静和尚が、月の白い晩、庵のなかで独り寂坐していると、
「普静普静」
と空中から人の声がして、
還我頭来。還我頭来。
と二度まで明らかに聞こえた。
仰いでみると、雲間に関羽の顔がありありと現われ、右に周倉、左に関平、その他の将士も従っていた。普静は声をあげて、
「雲長関羽、いまどこに在るか」と訊ねた。
すると空中の声は、いとも無念そうに、
「呂蒙の奸計に陥ちて、呉の殺に遭えり。和尚、わが首を求めて、わが霊を震わしめよ」
と答えた。
普静は起って庭に出で、
「将軍、何ぞそれ迷うの愚を悟らざるか。将軍が今日まで歩み経て来た山野のあとには将軍と恨みをひとしゅうする白骨が累々とあるではないか。桃園の事はすでに終わる。いまは瞑して九泉に安んじて可なりである。喝!」
と、払子で月を搏つと、たちまち関羽の影は霧のように消え失せてしまった。
しかしその後も、月の夜、雨の夜、庵を叩いて、
「師の坊、高教を垂れよ」
とたびたび人の声がするというので、玉泉山の
郷人たちは相談して一
宇の

を建て、関羽の霊をなぐさめたという。
また。
呉の孫権は荊州戦ののち大宴をひらいて将士を犒ったが呂蒙が見えない。彼は呂蒙へその席から使いをやって、
「このたび荊州を得たのはみな汝の深慮遠謀に依るものだ。汝がすがたの見えないのは淋しい。予は汝の来るまで杯をとらずに待つであろう」と、言い送った。
呂蒙は過分なるおことばと恐縮してすぐ席へ来た。孫権は杯をあげて、
「周瑜は赤壁に曹操を破ったが不幸早く世を去った。魯粛も帝王の大略を蔵していたが荊州を取るには到らなかった。けれどこの二人はたしかに予の半生中に会った快傑であった。ところが今日、荊州は我が物となり、しかもわが呂蒙は眼前になお健在だ。こんな愉快なことはない。まさに御身は周瑜、魯粛にも勝るわが呉の至宝である」と、その杯を彼にとらせた。
すると呂蒙は、やにわに杯を擲って、孫権をはったと睨めつけ、
「碧眼の小児、紫髯の鼠賊、思い上がるを止めよ」
と、大喝して、なお何か罵り出した。
満座の人々は総立ちになって、彼の周りに集まり、ほかへ連れて行こうとしたが、呂蒙は怖ろしい力で振り放ち、愕き騒ぐ人々を踏みつけて、ついに上座を奪ってしまった。そして物の怪に憑かれた眼を怒らして、
「われ、戦場を縦横すること三十年、一旦、汝らの詐りに落ちて命を失うとも、かならず霊は蜀軍の上にあって呉を亡ぼさずには措かん。かくいう我はすなわち漢の寿亭侯関羽である」
と、吠ゆるがごとく言った。
孫権も諸人もみな震えあがってほかの閣へ逃げてしまった。だが燈は消えて真っ暗になったそこから呂蒙は出て来なかった。後、諸人がそっと灯を燈してそこへ行ってみると、呂蒙は自分の髪の毛をつかんで、悶え死んでいた。
これも当時流布された巷の話の一つである。もとより真相に遠いことは言うまでもなかろう。けれど荊州占領の後、いくばくもなくして呂蒙が病で世を去ったことだけは事実であった。
国 葬
一
呉侯は、呂蒙の死に、万斛の涙をそそいで、爵を贈り、棺槨をそなえ、その大葬を手厚く執り行なった後、「建業から呂覇を呼べ」と、いいつけた。
呂覇は呂蒙の子である。やがて張昭に連れられて荊州へ来た。孫権は可憐な遺子をながめて、
「父の職をそのまま襲ぐがよい」
と、なぐさめた。その折、張昭が訊ねた。
「関羽の葬いはその後いかがなさいましたか」
「斬に処したまま取り捨ててある。首は塩漬けにして保存してあるだろう」
「それは何とかしなければなりますまい」
「葬儀をか?」
「いや後日の備えをです。――彼と
玄徳と
張飛とは、生きるも死ぬもかならず
倶にせんと桃園に誓いを結んで来た仲です。その関羽が
斬られたことを知れば、
蜀は国をあげて、この
仇を報いずにいないでしょう。
孔明の
智、張飛の勇、
馬超、
黄忠、
雲などの精猛が命を惜しまず呉へ震い
蒐って来たら、呉はいかにしてそれを防ぎ得ますか」
「............」
孫権は色を失った。孫権とてそれを考えていないではないが、張昭が心の底から将来の禍を恐れているのを見ると、彼も改めて深刻にその必然を思わずにいられなかった。
張昭は更に言った。
「呉にとって、なお恐るべき問題は、もう一つあります。それは蜀が目的のためには一時の不利を顧みず魏へ接近を計るに相違ないと思われることです。蜀が一部の地を割いて曹操に与え、魏蜀提携して呉へ南下して来たら、呉はたちどころに、四分五裂の敗を喫し、ふたたび長江に覇を載せて遡ることはできないでしょう」
「......張昭。それを未然に防ぐにはどうしたらよいだろう」
「故にです。――死せりといえど関羽の処置はこれを重大に考えなければなりません。関羽の死は、もともと曹操のさしずであり、曹操の所業であると、この禍の鍵を魏へ転嫁してしまうに限る。張昭はさように考えるのです。――で、関羽の首を使いに持たせて、それを曹操の方へ送り届けるとしますか、曹操は、もとより先に呉へ書簡を送って、関羽を討てと言って来たことですから、嘉賞してそれを受け取るでしょう」
「なるほど」
「そして呉は盛んに、天下へ向かって、関羽を亡ぼしたものは魏であると、彼の功を称えるごとく吹聴する。――さすれば玄徳の怨みは当然、魏の曹操へ向けられて、呉は第三者の立場に立って、その先を処してゆかれます」
こういう国際的な対策に微妙な計を按ずるものは、さすがに張昭を措いてほかにはない。孫権はこの宿老の言を珍重してすぐ使者を選び、関羽の首を持たせて、魏へ派遣した。
そのとき曹操はすでに凱旋して洛陽に回っていたが、呉の使いが、関羽の首を献じて来たと聞き、
「ついに彼は首級となり、我は生きて、ここに会見する日が来たか」
と、遠い以前の事どもを追想しかたがた、孫権の態度も神妙なりと嘉して、群臣と共に使者を引いて、関羽の首を実検した。
すると、その席で、
「大王大王。御喜悦のあまりに、呉が送って来た大きな禍までを、共に受け取ってはなりませんぞ」
と、諸人の中から呶鳴った者がある。
人々の眼はその顔を求めた。曹操が、何ゆえかと、それへ向かって訊ねると、彼は、
「これは呉が禍を転じて、蜀のうらみを魏へ向けさせんとする恐ろしい謀計です。関羽の首をもって魏蜀の相剋を作り、二国戦い疲れるを待つ呉の奸智たることに間違いはありません」
と、憚りなく断言した。すなわち司馬懿、字は仲達であった。
二
呉の深謀も、ついに魏を欺けなかった。魏にも活眼の士はある。司馬仲達の言は、まさに完膚なきまで、呉の詐術を暴露したものであった。
曹操もおぞ毛を震って、仲達の言は、真に呉の意中を看破したものだと頷いた。そして、関羽の首はそのまま呉へ返そうかとまで評議したが、
「いや、それでは、大王の御襟度が小さくなります。ひとまず収めて、何気なく使者をお帰しになった上でまたべつにお考えを施せばよろしいでしょう」
と、それも仲達の意見だった。
やがて呉使が引き揚げると、曹操は喪を発して、百日のあいだ洛陽の音楽を停止させた。そして沈香の木をもって関羽の骸を刻ませ、首とともにこれを洛陽南門外の一丘に葬らせた。その葬祭は王侯の礼をもって執行され、葬儀委員長には司馬懿仲達がみずから当たった。大小の百官すべて見送りに立ち、儀仗数百騎、弔華放鳥、贄の羊、祀りの牛など、蜿蜒洛陽の街をつらぬいた。そしてなおこの盛大な国葬の式場へは、特に、魏王曹操から奏請した勅使が立って、地下の関羽へ、
「荊王の位を贈り給う」
と、贈位の沙汰まであった。
呉は、禍を魏へうつし、魏は禍を転じて、蜀へ恩を売った。
三国間の戦いは、ただその屍山血河の天地ばかりでなく、今は外交の駈け引きや人心の把握にも、虚々実々の智が火華を散らし始めて来た。これを曹操や玄徳が、世に出始めた序戦時代に較べると、もう戦争そのものの遂行も性格も全然違って来たことがわかる。すなわちかつてのように部分的な戦捷や戦果をもっては、われ勝てりと、祝杯に酔ってはいられなくなったのである。いまや蜀も魏も呉もその総力をあげて乾坤を決せねばならぬ時代に入ると共に、この三国対立の形が、一対一で戦うか、変じてその二者が結んで他の一へ当たるか、そういう国際的なうごきや外交戦の誘導などに、より重大な国運が賭けられて来たものと言ってよい。で、大戦展開の舞台裏にはなお戦争以上の戦争がつねに人智のあらゆるものを動員して戦っているものだという表裏の相を、この時代の戦争にもまた観ることができるのである。
時はすこし遡るが――
成都にある玄徳は、これより以前に、劉瑁の未亡人で呉氏という同宗の寡婦を後宮に納れ、新たに王妃としていた。
呉氏は、貞賢で、顔色も優れていた。玄徳が荊州にいた時代、呉国の孫権の妹を娶った事もあるが、この呉妹と別れ去ってからは、久しく寂莫な家庭におかれていた彼も、その後、若い王妃呉氏とのあいだに、ふたりの男子をもうけていた。
兄は劉永、字は公寿。
弟は劉理、字は奉孝という。
そのころ――
荊州方面から蜀へ来た者のはなしに、
「このごろ、呉の孫権が関羽を抱き込もうとして、関羽のむすめを呉侯の嫡子へ迎えようと、使者をやったところ、関羽は、虎の子を犬の児の嫁にはやれんと、断わったそうですよ」
と、面白可笑しく伝えた。
孔明の耳へ、

が入ったのは、だいぶ後だったので、孔明が、荊州に変が起こることを直覚して、
「だれか代わりをやって、関羽と交代させないと、荊州は危うくなりましょう」
と、玄徳へ注意したころには、すでに荊州から戦況を齎す早馬が日夜蜀へ入って来た。けれど、それは皆、勝ち戦の報ばかりだったので、玄徳もむしろ歓んでいると、やがて秋十月の一夜、彼は机に倚ってうとうとと居眠っているところを、王妃呉氏に呼び起こされ、今ふと見た夢に、慄然とあたりを見まわした。
成都鳴動
一
宮殿の廂をこえて、月の光は玄徳の膝の辺りまで映している。妃は、燭が消えているのに気づいて、侍女を呼んで明りを燈けさせながら、
「どうなさいましたか」
と、玄徳の側へ寄った。
「いや、几に倚って、独り書を読んでいたのだが......」
と、玄徳は呟いたが、すぐ自分の言葉を自分で否定するように、
「何か、わしの唸き声でも聞いたか」
と、反問した。
「ええ、うなされておいでになりました」
と、妃は微笑んで、二度までも大きなお声がしたので、何事かと見に来たのですと言った。
「そうか。ではいつか居眠って、夢でもみていたのだろう」
玄徳もようやくわれに返ったような笑顔を妃に見せた。そして和子たちを呼んで妃と共にしばらく興じていたが、やがて寝所に入った。
ところがその夜の明け方、彼はまたも、宵にみた夢と同じ夢を見た。
夢の中には、一痕の月があった。墨のごとき冷風は絶え間なく雲を戦がせ、その雲の声とも風の声ともつかない叫喚が熄むと、寝所の帳のすそに、だれか平伏している者がある。
愕然、夢の中で、玄徳はその者へ呶鳴った。
(や。わが義弟ではないか。――関羽、関羽。こんな夜更けに、そも、何しに来たか)
まさしくそれは関羽の影にちがいないのだが、いつもの関羽に似もやらず、容易に面もあげず、ただ凝然と涙を垂れている容子。――そして一言、
(桃園の縁も儚き過去と成り果てました。家兄、はやく兵の御用意あって、義弟のうらみを雪ぎ賜われ......)
と言ったかと思うと、黙然一礼して、水のごとく、帳の外へ出て行くのだった。
(待て、待て。義弟)
玄徳は夢中にさけびながらその影を追って、前殿の
廻廊まで走り出したが、そのとき宙天一痕の月が
鞠のように飛んで西山へ落ちたと見えたので、あっと面を

いながらそれへ倒れてしまった。
夢は夢に過ぎなかったが、彼が前殿の廊で
仆れていたのは事実であった。
孔明はその朝、常より早めに軍師府へ姿を見せていたが、
舎人から

を聞いて、すぐ漢中王の内殿を訪れた。
「すこしお顔色がわるいようでは御座いませんか。昨夜はよく御寝にならなかったのですか」
「オオ軍師か」と、玄徳は彼を待っていたように――
「実はゆうべ二度まで同じ夢をみたので、御辺を迎えにやろうかと思っていたところじゃ」と、ありのままを語った。
孔明は笑って、
「それはわが君がつねに、遠くある関羽の身を、朝となく夜となくお思い遊ばしておられるので、いわゆる煩悩夢を為すで、御心の疲れに描かれた幻想に過ぎません。まず今日は、秋園の麗かな下へ玉歩を運ばれて、妃や若君たちと終日嬉々とお遊びになられたがよいでしょう」
孔明はすぐ退がった。
そして中門廊まで来ると。太傅の許靖が、かなたから色を変えて急いで来る。彼は呼び止めて
「太傅、何事かある?」と、たずねた。
許靖は早口に告げた。
「荊州が破れました。――今暁の早打ちに依ると」
「なに。荊州が」
「呉の呂蒙に計られ、関羽は荊州を奪われ、麦城へ落ちのびたとかで」
「......ウウム。おそらくは事実であろう。夜々、天文を観るに、荊州の天に、一抹の凶雲がただようているように思うていた。そうか。......だが太傅、まだその儀は、漢中王に御披露せぬがよかろう。にわかに驚かれると、あるいはお体をそこねるやも知れぬ」
すると、廊の角に、玄徳が姿を見せて、
「軍師、さばかりは案じるな。予は健康である。また荊州の破れも関羽の変も、あらましは案じて、もう覚悟は致しておる」と、遠くから言った。
ところへ馬良や伊籍が来て、また各々の口から、荊州陥落の悲報を伝えた。更に、その日の午過ぎには関羽の幕下廖化が、まるで乞食のような姿をして、はるか麦城からこれへ辿りついた。
二
廖化の到着に依って、事態はいよいよ明瞭になった。玄徳の悲痛な色は、この時から憤りに変わった。
なぜならば、上庸にある劉封と孟達が、荊州の破れを見ても、関羽の窮状を知っても、また廖化がそこへ援兵を頼みに行ってさえ、頑として援兵を出さず、この大事態を、傍観しているという真相を、親しく、廖化の口から今聞いたからである。
「やわか、義弟の関羽を、見殺しになすべきぞ、かたがた憎むべき劉封、孟達の輩。断じて、罪せねばならぬ」
彼は、三軍に令し、自ら出陣せんと言って、閬中にある張飛へ向けても、
「変あり。すぐ来り会せよ」
と、早馬を遣った。
孔明は、彼の悲心と怒りを、極力なだめて、
「まずまず御心を静かに保ちたまえ。臣みずから一軍をひきいて、必ず孤立の関羽を救い出しましょう。劉封の君、孟達などの御処分は、後にしてしかるべきかと存じます」
やがて張飛も駈けつけ、蜀中の兵馬も、続々と成都に入り、ここ両三日、三峡の密雲も風を孕み、何となくものものしかった折も折、国中を悲嘆の底へつき堕とすような大悲報は、ついに、最後の早馬によって、蜀宮の門に報じられた。
(一夜、関羽軍は、麦城を出て、蜀へ走らんとし、途中、臨沮という所で、とうとう呉の大将璠璋の身内の馬忠という者の手で捕らわれました。そして即日、呉陣において、父子とも御首を打たれ、あえなき御最期を遂げられて候)という趣であった。
それを聞くと、かねて期していた事ながら、玄徳は愕然と叫びを発した。
「おおっ、関羽はついに、この世の人でなくなったか」
と、慟哭のあまり、昏絶して、以来三日のあいだ、食も摂らず、臣下にも会わなかった。――が、孔明だけは、強いて帳内に入ることを乞い、まるで婦人のように悲嘆してのみいる玄徳を仰いで叱るがごとく諫めた。
「死生命アリ富貴天ニアリ。桃園の誓いも約束なら、人の死や別離も当然な約束事ではありませんか。もしわが君までお体をそこねたら何といたしますか」
「軍師、嗤うてくれ。女々しいとは知りながら、凡情いかんともなし難い」
「お察し申しあげます。けれどお嘆きあるばかりで、御無念の容子がないのは不思議です」
「無念遣る方なければこそ、人に面を会わせずにいるのに、軍師にはなぜそのような咎めをなすか。見よ、誓って、呉と日月を倶にせず、呉にこの報復を与えずには措かん」
「その御心さえ慥と肚にお据えなれば、いつまで綿々嫋々と、婦女子の涙を真似ている秋ではございますまい。――以後次々と、また今朝も、府内に早馬が新しい報を齎して来ていますが、帳を閉ざして深くお籠り遊ばしているため、情報官もそれを御前へ披露に及ぶ由もなく、みな困っておりまする」
「悪かった。改めよう」
「今朝の情報では、呉は関羽の首を魏へ送り、魏ではそれを王侯の礼をもって国葬に附したということです」
「呉の意は何にあるのか」
「わが蜀の怨みを怖れ、魏へ禍を転嫁して、蜀の鉾を魏へ向けさせんとする企みです」
「たれか、そのような、偽瞞に乗せられようぞ。予は速やかに出陣する。そして呉を討ち、関羽の霊をなぐさめよう」
「はなはだよろしくありません」
「なぜだ? たった今、予の涙を、婦女子のようだと叱った御辺が、そのことばを為すは、矛盾であろう」
「時を待つべきです。関羽がなお生存ならばどんな犠牲も厭うものではありませんが、もう焦心っても無益です。――この上はしばらく兵を収めてじっと時の移りを観、呉と魏のあいだに、何らかの不和を醸し、両者が争いの端を発したとき、蜀は初めて起つべきでしょう。それまでは御無念も胸に畳んで措かれますように......」
この日、漢中王の名をもって、蜀中に喪は発せられ、成都宮の南門には関羽を祭る壇が築かれ、そして雪積む冬中も弔旗は寒天に凍っていた。
梨 の 木
一
戦陣に
在る日は、年を知らない
曹操も
凱旋して、すこし閑になずみ、
栄
贅沢を
恣にしていると、どこが痛む、ここが悪いと、とかく体のことばかり訴える日が多かった。
いかんせん彼もすでに今年六十五という老齢である。体のままにならないのは自然だったが、自分ではまだそう思わないらしい。「どうもこう近ごろのように勝れないのは、関羽の霊でも祟っているのではあるまいか――」などと時々気に病んで居たりした。
ある時、側臣たちが、
「この洛陽の行宮も、もうずいぶん殿宇が古くなっていますから、自然怪異の事が多うございます。居は気を更えると申しますから、べつに新殿を一宇お建てになられてはいかがですか」
と、すすめた。
その前から曹操は、建始殿と名づける大楼を建造したいという望みを抱いていたが、ただ彼の求めるような良工がまだ見つからなかった。で、今もその事を言うと侍側のひとりが、
「洛陽に蘇越という建築の名工がいます。これならきっとお気に入るにちがいありません」
と、言った。
賈詡に命じて、すぐ蘇越へその儀を達せよ、となった。蘇越は召されて後、賈詡の手を経て、設計図をさし出した。曹操が見ると、九間の大殿が中心となって、南楼北楼を連ね、奥の建始殿の構想など最も気に入ったらしかった。
けれど九間の大殿には、おそらくそんな長い棟木があるまいと思われたので、蘇越をよんで、
「そちの図はまことに良いが、画いた良さだけでは仕方がない。どこから、そんな巨きな材木を探して来るか」と、問うた。
蘇越は答えて言う。
「洛陽から三十里、躍龍潭の淵に、一つの祠があります。そこにある梨の木は高さ十余丈、千古の神木です。これを伐って棟梁といたしましてはいかがでしょうか」
「なに、梨の木。それは珍しい。天下に二つとない建築物になろう」
老いても奇を好む習癖は失せないらしい。曹操は直ちに大勢の人を派して伐らせた。ところがその神木の幹は、鋸の刃も斧もてんで受けつけないという事で、幾日経っても、材木は運ばれて来なかった。
曹操は聞いて、必定それは、人夫どもが祠の神木だという伝説に恐怖を抱いているせいだろう。自分がそこへ臨んで、彼等の迷信の蒙をひらいてやる、車の用意をせよ、と命じて、急に数百騎の供をつれ、躍龍潭へ出かけて行った。
車を降りて、梨の木を仰ぐと、

は雲に接し、根は百龍のごとく
淵に
蟠っている。
曹操は根もとへ寄って、
「普天の下、われに怪をなすものはない。いま汝を伐って、わが建始殿の棟梁とする。汝、精あらば後生の冥加を歓んでよかろうぞ」
剣を抜いて、丁っと一颯、梨の幹へ、一伐を加えた。
するとそれを眺めていた土地の老翁や神官などが、みなあッと、声を放って哭いた。その声と共に、震々、梨の木は葉をふりこぼし、幹は血のごとき樹液を迸らせた。
「すでに予が斧初めの刃を入れた。もし木の精が祟るなら曹操へ祟るだろう。もう心配はないから恐れずに伐れ」
彼は、工匠の蘇越や人夫どもへそう告げて、すぐ洛陽へ立ち帰った。
しかしその車を宮門で降りたときは、すでに彼の顔色は常でなかった。すこし気分が悪いと呟いてすぐ寝殿へ入ってしまったのである。
間もなく、あたふたと侍医がそこから退がって来て、
「どうも、お熱が高い」と、眉をひそめながら薬寮へ入って行った。
時々、寝殿の帳から、譫語が洩れて来た。そのたびに、侍臣が駈けこんで、枕頭を伺っていると、曹操は眦をあげて、
「梨の木の怪神はどこへ行った」と、じろじろ見まわした。
侍臣が、そんな者はおりませんと言うと、曹操はつよく首を振って、
「いや、真っ白な衣を着た怪神が、梨の精だと名乗って、幾たびも予の胸を圧した。探してみろ」
と、言い張って肯かなかった。
二
翌る日はなお頭痛を訴えて歇まない曹操であった。時折、梨の木の怪を口走ることも前夜と同じなのである。
侍医はあらゆる薬餌を試みたが、病人の苦悩は少しも減じない。そして日の経るに従って、曹操の面には古い壁画の胡粉が剝落してゆくように、げっそりと窶れが見えて来た。
めずらしく今朝はすこし気分が快いらしく、曹操は、見舞いに来た華歆とはなしこんでいた。華歆は、
「侍医の百計も、験がないと御意遊ばすなら、いま金城に住まいすると聞く華陀をお召しになってごらんなさい。華陀は天下の名医です」
と、しきりにすすめているのだった。
病人も意をうごかして、
「名医華陀の名は夙に聞いていた。沛国譙郡の産まれで、以前、呉の周泰を療治した者ではないか」
「よく御存知でいらっしゃいます。
仰せのとおりの人物で、彼の手にかかって

らない病人はないほどに言われておりまする。臓を
患い、
腹腑を腐らしたような重病人も、
麻肺湯を飲ますと、
須叟の間に
昏睡して、仮死の状態になります由で、即ち彼は、
刀を
把って腹を
解剖き、臓腑を薬洗して、たちまちもとのように収め、糸をもって傷口を縫うに、二十日を経ずして、まったく
快
した
例などもあるそうでございまする」
「ふふむ......そんな荒療治をいたすのか」
「いやいや、その間、病人は少しも痛みを覚えないと申しまする。またこんな例も聞きました。
甘陵の
相夫人ですが、妊娠して六月目のころ、どうしたのかひどく腹痛がして
苦悶三日三晩に及んだのを、華陀に
診てもらったのです。華陀は脈をみるとすぐ、ああこれは惜しい、
孕まれたのは折角男子らしいが、食毒にあたってすでに腹中で絶命している。いま

やさなければ母命も危ういところだろうと、即ち、調薬して病人に与えると、果たして
男胎が下り、夫人は七日を経てもとの体に
回ったそうです」
「そんなに神効があるものなら呼んでみよう。早速、計らってくれい」
病人は眸に希望をかがやかしてそう命じた。華歆は早速使いを走らせ、魏王の名とその勢力をもって、遠く金城の地から夜を日に次いで華陀を洛陽へ召きよせた。
華陀は到着すると、その日のうちに登殿して、曹操の病間へ伺候した。そして慎重に眼瞼や脈をしらべて、
「これは風息の病にちがい御座いません」と、診断した。
曹操はうなずいて、
「そうあろう、予の持病は偏頭風とか申して、それが発作すると、むしょうに頭が痛み、数日は飲食もできなくなるのが常だ。せっかく名医に来て貰ったことだから、なんとか、その持病を根治する方法はないだろうか」
「さよう......」
と、華陀はちょっと難しい顔をして考えこんでいたが、ややあって、
「ない事もありません。けれど非常に難しい手術を要します。御持病の病根は、
脳袋のうちにあるので、薬を召し
服がっても、
所
、病に何の
効もないのです。ただ一つの方法は、
麻肺湯を飲んで、仮死せるごとく、
昏々と意識も知覚も無くしておいてから、脳袋を
解剖き、
風涎の病根を切り除くので御座ります。さすれば十中の八、九は、根治するやも知れません」
「もし、十中の一でも、巧くゆかなかったら、どうなるか」
「畏れながら、御命数と、お諦め遊ばすしかございませぬ」
曹操は勃然と怒って、
「これ、やぶ医者。汝は予のいのちを、医刀の試みに用いるつもりか」
「はははは。私には自信がありますが、あえて謙遜して申しあげたのです。かつて荊州の関羽が毒矢にあたって苦しまれていた時も、手前が行って、その臂を切り、骨を削り、さしもの毒も取り除いて、全治させておりまする。何で大王には、それしきの手術を恐れて、華陀の医術をお疑い遊ばすか」
「だまれ、臂と脳袋と、同じに言えるか。ははあ、さては汝は、関羽と親しい間がらの者であるな、察するに、予の病を絶好の機として近づき、関羽の仇を報ぜんとするのであろう。――者ども、者どもっ。この曲者を搦め捕って、獄へ抛りこめ」
病人はがばと起き、阿修羅のごとく指さして罵った。
曹操死す
一
せっかく名医に会いながら、彼は名医の治療を受けなかった。のみならず華陀の言を疑って、獄へ投じてしまったのである。まさに、曹操の天寿もここに尽きるの兆というほかはない。
ところが、典獄の呉押獄は、罪なき華陀の災難を気の毒に思って、夜具や酒食を入れてやったり、拷問にかけよと命ぜられても、ひそかに庇って、ただ報告だけをしていた。
華陀はふかく恩を感じて、ある日、人目の無い折、
「呉押獄。情けはありがたいが、もし上司に知れたら、御身はたちまち免職になるであろう。わしもすでに老齢じゃ。長からぬ命といまは覚っておる。以後はどうか抛っておいて欲しい」
と、落涙して言った。
「いやいや、先生に罪があるなら私も決して庇いませんが、自分は呉にいたころから先生の人格と神技に深く敬慕を寄せていた者です。どうかそんな御心配なく」
「では、其許は呉の産か」
「ええ。姓も呉氏です。若い時分、医学が好きで、医者の書生となって勉強したこともありましたが、その方ではついに志を得ず、司法の役人になってしまったのです」
「......ふふむ、そうか。しからば恩返しの一端に、わしが秘伝の書として家に蔵しておる医書を御身へ譲ってやろう。わしの亡き後は、その神効をことごとく学び取って、世の病者を救ってやってくれい」
「えっ。先生、それはほんとですか」
「いま、郷里の家人へ宛ててわしが書簡を書くから、金城のわしの家まで行って、その医書を貰って参るがよい。書簡の内へも書いておくが、それは青囊の書といって、書庫の奥深くに秘して、今日まで他人に見せたことはないものじゃ」
華陀は留守の我が家へ宛てて手紙を書いた。そしてそれを呉押獄へ授けたが、折ふし曹操の病が重態を伝えられ、宮門の内外も各役所も何となく繁忙と緊張を加えていたので、彼は華陀から貰った手紙を深く肌身に秘して十日余りつい過ごしていた。
すると、ある日の早暁、突然、剣を提げた七名の武士がどやどやと獄府へ来て、
「魏王の御命令である。ここを開けろ」
と、
牢番に命じて、華陀のいる獄の

をひらかせ、中へ躍り込んだと思うと、一声、
唸き声が外まで聞こえた。
呉押獄がそこへ来て見た時は、ちょうど血刀を提げた七名が、悠々と帰って行くところであった。武士等は彼のすがたを顧みて、
「呉押獄、魏王の御命令で、ただ今、華陀は成敗したぞ、あいつめが、毎晩のように、お夢の中にあらわれる故、斬殺して来いとのお吩咐けに依ってだ」と言い捨てて行ってしまった。
呉押獄はその日のうちに、役を罷めて金城へ旅立った。そして華陀の家を尋ねて手紙を渡し、青囊の書を乞いうけて郷里へ帰った。
「おれは典獄をやめて、これからは医者で立つ。しかも天下の大医になってみせる」
久し振り、酒など飲んで、妻にも語り、その晩は我が家に寝た。
翌朝、ふと庭面を見ると、妻は庭の落ち葉を積んで、焚き火をしていた。呉押獄は、あっと驚いて、
「ばかっ。何をするか」
と、焚き火を踏み消して叫んだが、青囊の書はもう落ち葉の火と共に灰になっていた。
彼の妻は、血相を変えて怒り立つ良人へ、灰のごとく、冷ややかに言い返した。
「たとえあなたの身が、どんなに流行るお医者になってくれても、もしあなたの身が、この事から捕らわれて獄へ曳かれたら、それまでではありませんか。私は禍の書を焼き捨てたのです。いくら叱られてもかまいません。良人を獄中で死なすのを、妻として見ているわけには参りませんから」
――ために華陀の『青囊の書』はついに世に伝わらずにしまったものだということである。そして曹操の病も、そのころいよいよ重り、洛陽の雲は寒々と憂いの冬を迎えていた。
二
冬の初め、ひとたび危篤を伝えられたが、十二月に入ると、曹操の容態はまた持ち直して来た。
呉の孫権から、見舞いの使節が入国した。書簡のうちに、呉はみずから臣孫権と書いて、
(魏が蜀を討つならば臣の軍隊はいつでも両川へ攻め入り、大王の一翼となって忠戦を励むでしょう)
と、媚を示していた。
曹操は病褥のうちで嘲笑って、
「青二才の孫権が、予をして火中の栗を拾わしめようと謀りおる」
と、つぶやいた。
老龍ようやく
淵に潜まんとする気運を
観て、漢朝の廷臣や彼の侍中、
尚書などの職にある一部の策動家のあいだに、この
秋をもって、曹操を大魏皇帝の位にのぼせ、有るか無きにひとしい漢朝を廃して、自分たちも共に
栄
を計ろうとする運動がひそかにすすんでいた。
――が、曹操は、
「予はただ周の文王たればよし」
と、言うのみで、自身が帝位に即こうとは言わなかった。けれどそれをもって言外のものを察しるならば、わが子を帝位に即かせて、自分は歴朝の太祖として崇められてゆけば満足である、という意は充分にあるらしく窺われた。
またある折、司馬懿仲達がそっと、枕辺に伺候して、
「せっかく、呉使が来て、みずから臣と称え、魏の下風に屈して参ったものですから、この際、孫権へ何か加恩の沙汰を加え、それを天下に知らしめておくのが良策ではありますまいか」
と、将来のために一言した。
曹操は、至極とうなずいて、
「そう、そう、よく気づいた。孫権へ驃騎将軍、南昌侯の印綬を送ってやろう。そして荊州の牧を命ずと、発表するがよい」と、手続きを命じた。
その晩、彼は夢を見た。
三頭の馬が、一つの飼い
桶に首を入れて、
餌を争い

っているそんな夢を見たのである。朝になって、
賈詡へその事を話すと、賈詡は笑って、
「馬の夢は吉夢ではありませんか。ですから、馬の夢を見ると、民間では、お祝いをするくらいですよ」と言って、しきりに気に病む病人をよろこばせた。
いずくんぞ知らん、この一夢は、やがて曹家に代わって、司馬氏が天下をとる前兆ではあった、と後になっては、附会して語る人々もあった。冬雲の凍る十二月半ばのころから、曹操の容態はふたたび険悪に落ちた。一代の英雄児も病には克てない。彼は昼夜となく、悪夢にうなされた。洛陽の全殿大廈も震い崩るるような鳴動を時々耳に聞くのだという。そしてそのたびに、みなぎる黒雲の中から、かつて彼の命の下にあえなき最期をとげた漢朝の伏皇后や、董貴妃や、また国舅董承などの一族があらわれて、縹渺と、血にそみた白旗をひるがえして見せ、また雲の中に金鼓を鳴らし、喊の声をあげたり、そうかと思うと、数万の男女が、声をあわせてどっと笑ったかと思うと、たちまち搔き消えてしまったりするのだと言う。
「みなこれ、怪異のなす業、ひとつ天下の道士をあつめて、御祈禱を命ぜられてはいかがですか」
と、侍臣が言うと、曹操はなお苦笑して、
「日々千金を費やすとも、天命ならば一日の寿も購うことはできまい。いわんや、英雄が死に臨んで、道士に祓いをさせたなどと聞こえては、世のもの笑いであろう。無用無用」
と、退けて、その後で、重臣すべてを枕頭によびあつめ、
「予に、四人の子があるが、四人ともが、みな俊英秀才というわけにもゆかない。予の観るところは、平常のうちに、おまえたちにも語っておる。汝らよく我が意を酌み、忠節を継ぎ予に仕えるごとく、長男の曹丕を立てて長久の計をはかれよ。よろしいか」
厳かに、こう言うと、曹操はその瞬間に六十六年の生涯を一望に回顧したのであろう、涙雨のごとく頰をぬらし、一族群臣の嗚咽する眸の中に、忽然と最後の息を終わった。――時、建安二十五年の春正月の下旬、洛陽の城下には石のような雹が降っていた。
武 祖
一
曹操の死は天下の春を一時寂闇にした。ひとり魏一国だけでなく、蜀、呉の人々の胸へも言わず語らず、人間はついにだれであろうと免れ難い天命の下にあることを、今さらのように深く内省させた。
「故人となって見れば彼の偉大さがなおわかる」
「彼のごとき人物はやはり百年に一度も出まい。千年に一人もどうだか」
「短所も多かったが、長所も多い。もし曹操が現われなかったら、歴史はこうなって来なかったろう。何しても有史以来の風雲児だった。華やかなる
奸雄だった。彼

いて
寂寥なき
能わずじゃ」
ここしばらくの間というもの、洛陽の市人は、寄ると触ると、操の死を悼み、操の逸話を語り、操の人物を評し、何かにつけて、その生前を偲び合っていた。
われは漢の相国曹参の末裔たり。――とは、曹操みずからの称えていた事だが、事実はだいぶ違うようである。
彼の養祖父の曹騰は、漢朝の中常侍であるから、いわゆる宦官であり、宦官なるが故に、当然、子はなかった。――で、彼の父の嵩は他家から養子に来た者だし、いずれにしてもあまり良い家柄ではなかったらしい。
袁紹と戦ったとき、袁紹のために檄文を作った陳琳が、その文中に操をさして、
=姦奄の遺醜。
と、彼の痛いところを突いているのでもわかる。
少年から笈を負うて、洛陽に遊学し、大学を出てからも、放蕩任俠、後にやっと、宮門の警吏になって、久しく薄給で、虱のわいているような一帳羅の官服で、大言ばかり吐いていたのだから、だれも相手にする者がなかったのは無理もない。その時代に、彼を一見した子将が、
「君は、治世の能臣、乱世の奸雄だよ」
と、一言で喝破したのは、たしかに操の性格と生涯を言いあてた名言であった。当時、操もまた、子将のその評に対して、
「それは本懐です」と、答えて去ったというから、薄給弱冠の一小吏の胸には、すでにそのころから天下の乱雲を仰いで、独りかたく期していたものがあったことは疑いもない。
彼の
風
や趣向に就いて、古書の記述を
綜合してみると、
玄徳のごとく肥満してもいないし、
孫権のごとく胴長で脚の短い
軀つきでもなかった。

せ型で背が高く、これを『
曹瞞伝』の描くところに従って言えば、
――佻易ニシテ威ナク、音楽ヲ好ミ、倡優、側ラニ在リ、被服軽絹、常ニ手巾細物ヲ入レタル小囊ヲ懸ケ、人ト語ルニハ戯弄多ク、歓ンデ大笑スルトキハ、頭ヲ几ニ没スルマデニ至リ、膳ノ肴ヲ吹キ飛バスガゴトキ態ヲナス。
およそ彼の日常はこれで想像できるし、また彼が

せッぽちであった証拠には、『英雄伝』の所載に、
呂布が捕らわれて操の前へ
曳かれて来たとき呂布が、
「公。何ぞ

せたる」
と、揶揄したのに対して、操が言下に、
「
靖乱反正。わが

は、すなわち国事のためなり」
と、むしろ

せを誇っているような答えをなしているのでもわかる。
夜は経書を読み、朝には詩を詠んだ。わけて群書を博覧し、郷党のために学業の精舎を建て、府内には大文庫を設け、また古今の兵書を蒐蔵し、自分でも著わすなど、彼は決して、武のみの人ではなかった。
ただ彼のために惜しむ者は、彼の奸雄的性格が、晩年にいたって、忠良の臣の善言に耳もかさず、ついに魏王を僭称し、更に、漢朝の帝位をも窺うまでに増長した事にある。彼が若年から戦うごとに世の群雄へ臨む秘訣としていた「尊朝救民」の大旆は、ためにまったく自己が覇権を握るための噓言に過ぎなかったことを、その肝腎な晩節の時へ来てみずから暴露している事だった。――英雄も老ゆればまた愚に回るか、と長嘆直言した良臣も、いまは多く九泉の下へ去っている。
かくて魏は、次の若い曹丕の世代に入った。曹丕は父の死の時、鄴郡の城にいた。そしてやがて洛陽を出た喪の大列をここに迎えるの日、彼は哀号をあげて、それを城外の門に拝した。
二
曹丕は、曹家の長男である。
いま鄴都の魏王宮に、父の柩を迎えた彼は、そもそもどんな当惑と悲嘆を抱いたろう。あまりに偉大な父をもち、あまりに巨きな遺業を残された子は、骨肉の悲しみと共に、一時は為す術も知らなかったであろう。
――魏宮ノ上、雲ハ憂イニ閉ジ、殿裡ノ香煙、朝ヲ告ゲズ、日モ夜モ祭リヲナシテ、哭ク声タダ大イニ震ウ。
とある古書の記述もあながち誇張ではなかったに違いない。
時に、侍側の司馬孚は、
「太子には、いたずらに悲しみ沈んでおられる時ではありません。また左右の重臣たちも、なぜ嗣君を励まして、一日も早く治国万代の政策を掲げ、民心を鎮め給わぬか」
と、さも腑甲斐なき人々よと言わんばかりにたしなめた。
重臣たちはそれに答えた。
「さようなことは、御注意がなくてもわかっておるが、何よりも、魏王の御位へ太子をかしずき立て奉る事が先でなければならぬ。けれどいかにせん、いまだにそれを許すとの勅命が朝廷から降っていない」
すると兵部尚書陳矯がまたすすみ出て、やにわに声を荒らげ、
「やあ、いつもながら重臣方の優柔不断、聞くも歯痒い仰せではある。国に一日の主なきもゆるさず。いま魏王薨ぜられ、太子御柩の傍らに在り、たとえ勅命おそくとも、直ちに太子を上せて王位へ即け奉るに、たれかこれに従わぬ者があろうや。――もしまた、それを不可とし、阻め奉らん意志を抱く者があるなら、すすんでわが前にその名を名乗り給え」
と、剣を払って、睨めまわした。
重臣たちは、みな愕きの眼をすえて、二言と説を吐く者もなかった。
ところへ、故曹操の股肱の一人たる華歆が、許昌から早馬をとばして来た。華歆来れりという取り次ぎに、諸人はみな色を変じて、
「何事が勃発したのか」と、更に固唾をのみ合っていた。
華歆はこれへ来ると、まず先君の霊壇に額き、太子曹丕に、百拝を終わってから、満堂の諸臣を見まわして、
「魏王の
薨去が伝わって、全土の民は、天日を失ったごとく、
震動哀哭、職も手につかない心地で居る。御身等、多年
高祿を

みながら、今日この時、無為
茫然、いったい何をまごまごしておられるのか。なぜ一日も早く太子を立てて新しき政綱を掲げ、天下に魏の
不壊を示さないのか」
と、罵った。
諸人はまた口を

えて、すでにその事は議しているが、まだ漢朝から何等の
御沙汰が
降らないので、さしひかえて居るところであると陳弁した。
すると華歆はあざ笑って、
「漢の朝廷には今、そんな才覚のある朝臣もいないし、第一政事をなす機能すらすでに許都には無くなっているのに、手をつかねて、勅命の降るのを待っていたとて、いつの事になるか知れたものではない。故に、自分は直接、漢朝へ迫って、天子に奏し、ここに勅命をいただいて来た」
と、華歆は懐中から詔書を取り出して、一同に示したうえ、
「謹んで聴かれよ」
と、声高らかに読みあげた。
詔書の文は魏王曹操の大功を頌し、嗣子曹丕に対して、父の王位を即ぐことを命ぜられたもので――建安二十五年春二月詔すと明らかにむすんである。
重臣始め、諸人はみな眉をひらいて歓んだ。もとよりこれは漢帝の御本意でなかったこともちろんであろうが、その空気を察して、この際大いに魏へ私威を植えておこうとする華歆が、許都の朝廷へ迫ってむりに強請して来たものなのである。
が、名分はできた。形式はととのった。
曹丕はここに、魏王の位に即き、百官の拝賀をうけ、同時に、天下へその由を宣示した。
時に、一騎の早馬は、
(鄢陵侯曹彰の君。みずから十万の軍勢をしたがえ長安よりこれへ来給う)
という報を齎した。曹丕は、大いに疑って、
「なに。弟が?」
と、会わないうちからひどく惧れた。曹彰は操の次男で、兄弟中では武剛第一の男である。察するに、王位を争わんためではないかと、曹丕は邪推して兢々と対策を考え始めた。
三
曹家には四人の実子があった。
生前曹操が最も可愛がっていたのは、三男の曹植であったが、植は華奢でまたあまりに文化人的な繊細さを持ち過ぎているので、愛しはしても、
(わがあとを継ぐ質ではない)
と、夙に観ていた。
四男の曹熊は多病だし、次男の曹彰は勇猛だが経世の才に乏しい。で、彼が後事を託するに足るとしていたのは、やはり長男の曹丕でしかなかった。曹丕は親の目から見ても、篤厚にして恭謙、多少、俗にいう総領の甚六的なところもあるが、まず輔弼の任に良臣さえ得れば、曹家の将来は隆々たるものがあろうと、重臣たちにもその旨は遺言されてあった。
けれど王位継承のことは、兄弟同志の仲でもかねて無言のうちに自分を擬していた空気があるし、ことに遺子各々に付いている傅役の側臣中には歴然たる暗闘もあったことなので、今、兄弟中でも最も気の荒い曹彰が十万の兵をひいて長安から来たと聞いては、曹丕も安からぬ気がしたに違いなかった。
「お案じ遊ばすな。あの方の御気質はてまえがよく呑み込んでいます。まず私が参って、御本心を糺してみましょう」
そう言って、彼をなぐさめた諫議大夫の賈逵は、急いで魏城の門外へ出て行った。そして、曹彰を出迎えると、曹彰は彼を見るとすぐ言った。
「先君の印璽や綬はどこへやったかね?」
賈逵は色を正して答えた。
「家に長子あり、国に
儲君あり、亡君の印綬はおのずから
在るべき所に在りましょう。あえて、あなたが
御
議になる理由はいったいどういうお心なのですか」
曹彰は黙ってしまった。
進んで、宮門へかかると、賈逵はそこでまた釘をさした。
「今日、あなたがこれへ参られたのは、父君の喪に服さんためですか、それとも王位を争わんためですか。更に、忠孝の人たらんと思し召すか、大逆の子に成らんとお思い遊ばすか」
曹彰は勃然と言った。
「なんでおれに異心などあるものか。これへ来たのは父の喪を発せんためだ」
「それなら十万人の兵隊をつれてお入りになることはありますまい。すべて、この所から退けて下さい」
かくて曹彰はただ一人になって宮門に入り、兄の曹丕に対面すると、共に手をとって、父の死を愁み哀しんだ。
曹丕が魏王の位を統いだ日から改元して、建安二十五年は、同年の春から延康元年とよぶことになった。
華歆は功によって相国となり、賈詡は大尉に封ぜられ、王朗は御史大夫に昇進した。
そのほか大小の官僚武人すべてに褒賞の沙汰があり、故曹操の大葬終わるの日、高陵の墳墓には特使が立って、
――以後、諡して、武祖と号し奉る。
という報告祭を営んだ。
さて。葬祭の万端も終わってから、相国の華歆は、一日、曹丕の前へ出て言った。
「御舎弟の彰君には、さきに連れて来た十万の軍馬をことごとく魏城に附与して、すでに長安へお立ち帰りなされましたから、かの君にはまず疑いはありませんが、三男曹植の君と、四男の曹熊君には、父君の喪にも会し給わず、いまだに即位の御祝辞もありません。故に、令旨を下して、その罪をお責めになる必要がありましょう。不問に附して措くべきではありません」
曹丕はその言葉に従って、すぐ令旨を発し、二人の弟へ、各々使を派して、その罪を鳴らした。
曹熊の所へ赴いた使者は、帰って来ると、涙をながして告げた。
「常々、御病身でもあったせいでしょうが、問罪の状をお渡しすると、その夜、自らお頸を縊って、あわれ自害してお果て遊ばしました」
曹丕はひどく後悔したが、事及ばず、篤く葬らせた。
そのうちに、三男の曹植の許へ赴いた使者も帰って来たが、この使いの報告は、前のとは反対に、いたく曹丕を憤らせた。
七歩の詩
一
曹丕がはなはだしく怒った理由というのはこうであった。
以下、すなわち令旨を携えて、曹植のところから帰って来た使者の談話である。
「――私が伺いました日も、うわさに
違わず、
臨淄侯曹植様には、
丁儀、
丁廙などという
寵臣を侍らせて、前の夜から御酒宴のようでした。それはまアよいとしても、かりそめにも
御兄上魏王の令旨を
齎して参った使者と聞いたら、口を
含嗽し、席を清めて、謹んでお迎えあるべきに、
坐もうごかず、
杯盤の間へ私を通し、あまつさえ臣下の丁儀が頭から使者たる手前に向かって......
汝、みだりに舌を動かすな。そもそも、先王御存命のとき、すでに一度は、わが殿、曹植の君を太子に立てんと、明らかに
仰せ出された事があったのだ。しかるに、
讒者の
言に
邪げられ、ついにその事なく
薨去せられたが、その大葬のすむや否、わが曹植の君に、問罪の使を向けてよこすとは何事だ。いったい曹丕という君はそんな暗君なのか。......左右に良い臣もいないのか......。と、いやはや口を極めて
罵りまする。するとまた、もうひとりの丁廙という家臣も口をそろえて。......知らずや汝、わが主曹植の君には、学徳世に超えたまい、
詩藻は御ゆたかに、筆をとればたちまち
章をなし、たちまち珠玉を成す。しかも生まれながら王者の風を備えられておる。汝の
侍く曹丕などとは
天稟がちがう。わけて汝ら
堂の臣ども、みなこれ凡眼の愚夫、
豈、賢主暗君の見分けがつこうや。......と、まるでもう
てんから頭ごなしで、二の句も言わせぬ権
まくですから、ぜひなくただ令旨をお伝えしただけで、ほうほうの
態にて立ち帰って参りましたような次第で――」
かくて曹丕の一旦の怒りは、ついに兄弟牆にせめぐの形を取ってあらわれた。彼の厳命をうけた許褚は、精兵三千余をひっさげて、直ちに、曹植の居城臨淄へ殺到した。
「われらは王軍である」
「令旨の軍隊だぞ」
許褚の将士は、口々に言って、門の守兵を四角八面に踏みちらし突き殺し、拒ぎ闘うひまも与えず閣中へ混み入って、折ふし今日も遊宴していた丁儀、丁廙を始め、弟君の植をも、ことごとく捕縛して車に乗せ、たちまち、鄴の魏城へ帰って来た。
憎悪の炎を面に燃やして、曹丕は一類を階下に曳かせて、一眄をくれるや否、
「まず、その二人から先に誅殺を加えろ」
と、許褚に命じた。
剣光のひらめく下に、二つの首は無造作に転がった。階欄は朱に映え、地は紅の泉をなした。
そのとき曹丕のうしろに慌ただしい跫音が聞こえ、魂げるような老女の泣き声が彼の足もとへ縋った。――ふたりの家臣が目のまえに斬られて、血しおの中に喪心していた曹植が、その蒼ざめた顔をあげてふと見ると、それは自分たち兄弟を生んだ実の母たる卞氏であった。
「あっ......わが母公」
植は思わず伸び上がって嬰児のごとく哀れを乞う手をさし伸べると、老母は涙の目できっと睨めつけて、
「植......なぜ先王の御大葬にも会さなかったんですか。おまえのような不孝者はありません」
と、烈しく叱って、そして曹丕の裳を持った手は離さずに、
「丕よ、丕よ。ちょっと、妾のはなしを聞いておくれ。後生、一生のおねがいだから」
と、強ってわが子を引っ張って、偏殿の陰へ伴い、どうか同胞の情をもって、植の一命は助けてあげておくれと、老いの眼もつぶれんばかり泣き濡れて曹丕へ頼んだ。
「もう、もう......そんなにお嘆きなさいますな。なあに、もとより弟を殺す気なんかありません。ただ懲らしめのためですから」
曹丕はそのまま奥へ隠れて数日は政を執る朝にも姿を見せなかった。
華歆がそっと来て、彼の
機
を伺った。そしてはなしのついでに、
「先日、母公が何かおっしゃったでしょう。――曹植を廃すなかれ、と御意遊ばしはしませんか」
「相国はどこでそれを聞いておったのか?」
「いえ、立ち聞きなどは致しませんが、それくらいな事はわかりきっています。が、大王の御決心は、いったいどうなのか、それはいまだ私にはわかっておりません」
二
華歆はなおことばを続けた。
「あの御舎弟の才能は、好いわ好いわで抛っておくと、周囲の者が担ぎあげて、池中の物として措かんでしょう。今のうちに、除いておしまいにならないと、後には大きな患いですぞ」
「......でも。予は母公に、もう約束してしまったからの」
「何とお約束なさいました」
「かならず弟の曹植を廃すようなことはせぬと......」
「なぜそんな事を」と、華歆は舌打ちして、
「でなくてさえ、曹家の才華は植弟君にある、植弟君が口を開けば、声は章をなし、咳唾は珠を成すなどと、みな言っています。おそれながら、その衆評はみな暗に兄君たるあなたの才徳を晦うするものではありませんか」
「でも、ぜひがあるまい」
「否々。ひとつかように遊ばしてはいかが......」と、華歆は主君の耳へ口をよせた。曹丕の面は弟の天分に対して、嫉妬の情を隠しきれなかった。佞心の甘言は、若い主君の弱点をついた。
彼の入れ
智恵は、こうであった。今この所へ曹植を呼び出し、その詩才を試してみて、もし不出来だったらそれを口実に殺しておしまいなさい。また

のとおりな才華を示したら、官爵を
貶して、遠地へ追い、この天下繁忙の時代に、詩文にのみ
耽っている
輩の見せしめとしたらよろしいでしょう。一挙両得の策というものではありませんか。
「よかろう。すぐ呼び出せ」
曹丕の召しに、植は恐れわななきながら兄の室へ曳かれて来た。丕は、強いて冷ややかに告げた。
「こら弟、いや曹植。――平常の家法では兄弟だが国法においては君臣である。そのつもりで聞けよ」
「はい」
「先王も詩文がお好きだったので、汝はよく詩を賦して媚びへつらい、兄弟中でも一番愛せられていたが、そのころから窃かに他の兄弟たちも言っていた。植の詩は、あれは植が作るのではない、彼の側らに詩文の名家がいて代作しているのだと。――予も実は疑っておる。噓か実か、今日はここでその才を試してみようと思う。もし予の疑いがはれたら命は助けてやるが、その反対だった場合は、長く先王を欺き奉った罪を即座に糺すぞ。異存はないか」
すると曹植は、それまでの暗い眉を急ににこと開いて、
「はい。ありません」
と、神妙に答えた。
曹丕は、壁に懸かっている大幅古画を指さした。二頭の牛の格闘を描いた墨画で、それへ蒼古な書体をもって何人かが、
二頭闘二檣下一 一牛墜レ井死
と賛してあったが、その題賛の字句を一字も用いないで、闘牛の詩を作ってみよという難題を、植に与えた。
「料紙と筆をおかし下さい」
と乞いうけて、植はたちどころに一詩を賦して兄の手許へ出した。牛という字も、闘いという字も用いずに、立派な闘牛之詩が賦されてあった。
曹丕も大勢の臣も、舌をまいてその才に驚いた。華歆はあわてて几の下からそっと曹丕の手へ何か書いたものを渡した。曹丕は眼をふと俯せてそれを見ると、たちまち声を高めて次の難題を出した。
「植っ。起て――そして室内を七歩あゆめ。もし七歩あゆむ間に、一詩を作らなければ、汝の首は、八歩目に、直ちに床へ落ちているものと思え」
「はい......」
植は、壁へ向かって、歩み出した。一歩、二歩三歩、と。そして歩と共に哀吟した。
豆ヲ煮ルニ豆ノ箕ヲ燃ク
豆ハ釜中ニ在ッテ泣ク
本是レ同根ヨリ生ズルヲ
相煎ルコト何ゾ太ダ急ナル
「............」
さすがの曹丕もつい涙を流し、群臣もみな泣いた。詩は人の心琴を奏で人の血を搏つ。曹植の詩は曹植のいのちを救った。即日、安郷侯に貶されて、孤影を馬の背に託し、悄然兄の魏王宮から別れ去ったのである。
私情を斬る
一
漢中王の劉玄徳は、この春、建安二十五年をもって、ちょうど六十歳になった。魏の曹操より六ツ年下であった。
その曹操の死は、早くも成都に聞こえ、多年の好敵手を失った玄徳の胸中には、一抹落莫の感なきを得なかったろう。敵ながら惜しむべき巨人と、歴戦の過去を顧みると同時に、
「我もまた人生六十齢」
と、やがては自分の上にも必然来るべきものを期せずに居られなかったに違いない。
年を老ると気が短くなる――という人間の通有性は、大なり小なりそういう心理が無自覚に手伝って来るせいもあろう。劉玄徳も多分に洩れず、自身の眼の黒いうちに、呉を征し、魏を亡ぼして、理想の実現を見ようとする気が、老来いよいよ急になっていた。
折ふしまた魏では、曹丕が王位に即いて、朝廷をないがしろにする風はますますはなはだしいと聞き、玄徳はある日、成都の一宮に文武の臣を集めて、大いに魏の不道を鳴らし、また先に亡った関羽を惜しんで、
「まず呉に向かって、関羽の仇をそそぎ、転じて、驕れる魏を、一撃に討たんと思うが、汝らの意見はいかに」と、衆議に計った。
人々の眼はかがやいた。いまや蜀の国力も充分に恢復し、兵馬は有事の日に備えて鍛錬怠りない。それはだれも異存なき意志を示している眸であった。
ときに廖化が進んで言った。
「関羽を敵に討たせたのは、味方の劉封、孟達の二人でした。呉に仇を報う前に、彼等の御処分を正さなければ、復讐戦の意義が薄れましょう」
玄徳は大きく頷いて、その儀は我も一日も忘れずと言った。そして直ちに、劉封、孟達へ召し状を発して処断せんと言を誓うと、孔明が側らにあって、
「いや、火急に召し状を発せられては、かならず異変を生じましょう。まず両名を一郡の太守に転封し、後、ゆるゆるお計り遊ばすがよいかと思います」と、諫めた。叛乱の動機は、つねにそうした弾みから起こる。実にもと、人々は孔明の明察に感心した。
ところがその日の群臣のなかに彭義という者がいた。彼と孟達とは日ごろから非常に親しかった。会議が終わると、何かそそくさと急いで下城したようだったが、我が家へ帰るとすぐ書簡を認めて、
(君の命は危ない。転封のお沙汰が届いても、油断するな。関羽の問題が再燃したのだ)
と、密報を出した。
しかし、この密書を持った使いの男は、南城門の外で、馬超の部下の夜警兵に捕まってしまった。
馬超は、手紙の内容を見て、一驚したが、念のため彭義の家を訪れて、彼の容子を見届けることにした。なにも感づかない彭義は、
「よく遊びに来てくれた」
と、酒を出して引き留め、深更まで快飲したが、そのうちに馬超の口につり込まれて、
「もし上庸の孟達が旗挙げしたら、足下も成都から内応し給え。不肖、彭義にも、充分勝算はある。足下のごとき大丈夫が、いつまで祿々蜀門の番犬に甘んじておるわけでもあるまいが」
などと

然、胸底の気を吐いてしまった。
馬超は次の日、漢中王にまみえて、彭義の密書とともに前夜のことをことごとく告げた。玄徳は、直ちに彭義の逮捕を命じ、獄へ下して、なお余類を拷問にかけて調べた。
彭義は大いに後悔して、獄中から悔悟の書を孔明へ送り、どうか助けてくれと、彼の憐愍に訴えた。玄徳もその陳情を見て、
「軍師どうするか」と半ば、心を動かされた風であるが、孔明は冷然と、顔を振って、
「かかる愚痴は狂人の言と見ておかねばなりません。叛骨ある者は、一時恩を感じても、後またかならず叛骨をあらわしますから」
と、かえって急に断を下し、その夜、彭義に死を与えた。
彭義が誅されたことに依って、遠隔の地にある孟達も、さてはと、身に危急を感じ出した。彼にはもともと、離反の心があったものとみえ、その部下、申耽と申儀の兄弟は、
「魏へ走れば、曹丕が重く用いてくれるに違いありません」
と、主に投降をすすめ、同じ城にいる劉封にも告げず、わずか五、六十騎を連れて夜中、脱走してしまった。
二
劉封は夜が明けてから孟達の脱走を聞いたが、なお信じきれない顔して、
「彼の部下はそっくり残っているし、昨日も変わった容子はなかった。狩猟にでも出かけたのだろう」
と、左右の臣が、不審な実証をあげても、まさか? とのみで悠々としていた。
すると、国境の柵門から、早打ちが飛んで来た。約五十騎ほどの将士が関所を破って魏へ入ったという報せである。さてはと慌てて兵馬を糾合し劉封自身、追っ手となって急追いしたが、時すでに遅しで、空しく帰って来た。
「なんだって、孟達は、この地位と軍隊をすてて、魏へ入国してしまったのだろう?」
まだ何も覚らない劉封は、ただ彼の心事を怪訝るにとどまっていたが、やがて成都の急使は、漢中王の命をここに伝えて、
「孟達の反心は歴然。なぜ拱手して見ているか。直ちに上庸、綿竹の兵をあげて、彼の不義を鳴らし、彼の首を討ち取るべし」と、沙汰した。
これは孔明の深謀で、玄徳としては成都の蜀軍を派して、始末するつもりであったが、孔明はそれを上策でないとして、孟達の追い討ちを劉封に命じれば、その軍に勝っても敗れても劉封は成都へ帰って来るしかないから、その時に処断することが、対外策としても最良の方法であると説いたのであった。
一方、魏へ投降した孟達は、曹丕の前に引かれて、一応、訊問をうけた。曹丕は、内心この有力な大将の投降は歓迎していたが、なお半信半疑を抱いて、
「玄徳が特に汝を冷遇していたとは思われんが、一体、なんの理由で魏へ来たか」と質問した。
孟達は、それに答えて、
「関羽の軍が全滅に遭ったとき、麦城へ救いに行かなかった点を、旧主玄徳はあくまで責めて熄みません。関羽を見殺しになしたるは孟達なりと、害意を抱いておらるる由を、成都の便りに知ったからです」
ちょうど襄陽方面から急報が入った。劉封が五万余の兵を擁して、国境を侵し、諸所焼き払いながら進攻して来るという注進であった。曹丕は、孟達を試すには適当な一戦と思ったので、
「襄陽には、わが夏侯尚や徐晃などが籠っているから、決して不安はないが、試みに、足下はまず同地の味方に加勢して、劉封の首をこれへ持って来給え。御辺をいかに待遇するかは、その上でまた考えるから」と取りあえず、散騎常侍、建武将軍に役を任じて、襄陽へ赴かせた。
孟達が襄陽へ着いたとき、劉封の軍勢はすでに郊外八十里まで来ていた。彼は一通の書簡を認めて、軍使を仕立てて、
「返辞を求めて来い」と、劉封の陣へそれを持たせてやった。
劉封が受けてそれを開いてみると、次のような意味が友情的な辞句を借りて書いてあった。
思ウ所アッテ自分ハ魏ノ臣ニナッタ。君モ魏へ降ッテ将来ノ富貴ヲ約束シテハドウカ。君ト漢中王トハ、養父子ノ間ニナッテ居ルガ、モトモト、君ハ羅侯氏ノ子デアル。劉氏ノ統ハスデニ漢中王ノ実子ガ継グコトニナッテ居ル。君モ足元ノ明ルイウチニ、魏へ移ッテ、旧ノ羅侯氏ヲ興スべキデハナイカ。
劉封は読み終わるとすぐ引き裂いて捨てた。
「今日まではまだ彼に些かの友誼をのこしていたが、こんな不忠不孝を勧める悪人とわかればかえって思い切りがよい」
軍使の首を刎ねて、直ちに、兵を襄陽城へすすめた。
だが、劉封の戦いは、その日も次の日も、敗北を招いた。敵の陣頭にはいつも孟達が現われて、強かに劉封を痛めつけた。
加うるに襄陽城には魏の勇将として聞こえの高い徐晃がいるし、夏侯尚があるし、到底太刀打ちにならなかった。
惨敗をかさねた劉封軍は、敵の三将に包囲されて、殲滅的な打撃にあい、ついに、上庸へ潰走して来たが、そこもいつの間にか魏軍に占領されているというような惨めな有様であった。
彼はとうとう百余騎の残兵をつれて、成都へ逃げ帰るのほか途がなくなってしまった。孔明の先見はあたっていた。
三
劉封が敗れて帰って来たと侍臣から聞くと、玄徳は、
「堂上へ上げるな。階下に止めておけ」
と、侍者へいいつけ、孔明と顔見合わせて、そっと嘆息した。
彼は重い足を運んで、表の閣へ臨み、階下にひれ伏している養子の劉封をじろと見て言った。
「豎子。なんの面目があって、ここへ帰って来たか」
劉封は、ようやく面をあげて、
「叔父(関羽)の危難を救わなかったのは、まったく私の意志ではなかったのです。その折、孟達が頑強に拒んだため、つい彼のことばに惹かれ、心にもなく自分も援軍に行かなかったので」
と、その事を言われぬ先に弁解し出した。
玄徳は眉を怒らして、
「うるさい。そのような言い訳を今さら聞く耳はもたぬ。そちも定めて、人の

うものを

い、人の着る衣を着ている人間であろうに、孟達の
詭弁に同意し、みすみす恩ある叔父を見殺しになすとは犬か畜生か、
蔑げ果てたやつではある。
起てっ、去れっ。見るも
穢らわしい」
いよいよ、烈しく叱ったが、多年育てた子と思えば、私情はまたべつと見える。眼に涙をたたえ、面を横にしたきり、再び階下の子を正視しなかった。
「......まったく私の不敏です。いえ、大落度でした。なにとぞこのたびだけは、おゆるし下さいまし。この通りです」
劉封は涙を流して、何十遍も、額を地にすりつけていた。しかし、玄徳は横を向いたままである。自己を木石のごとく、私情を仇のごとく、じっと抑えていた。
そのうちに、劉封は、わっと嬰児のように咽び哭いた。その声には、さすがの玄徳も胸を搔きむしられた。ついに彼の怒れる眉は、慈父の面に変わろうとしかけた。
「............」
すると、それまで、口をつぐんで玄徳の容子を見ていた孔明は、眼をもって、彼の崩れかかる心をじっと支えた。意志の不足へ意志を補ったのである。玄徳は急に起って、
「武士ども。この豎子を押し出して、早く首を斬れ」と、左右の臣へ言い捨てるや否、ほとんど逃げ込むように面を沈めて奥の一閣へかくれてしまった。
閉じ籠ったまま、彼は独り悵然と壁に対していた。すると一名の老侍郎が畏る畏るそれへ来て言うには、「劉封の君に従いて、襄陽の戦場から落ちて来た部下たちに、手前がいろいろ訊いてみますと、すでに劉封様には、上庸におられた時からいたく前非を侮い、孟達が魏へ奔った後はなおさら慚愧にたえぬ御容子であったそうです。そして襄陽の陣でも、孟達から来た勧降の書を引き破り、その軍使も即座に斬って、戦をすすめられた由ですから、もって、その後の御心中はよくわかりまする。なんとか、御憐愍を垂れ給わんことを、我々臣下よりも切におねがい申し奉りまする」
さなきだに玄徳としては、助けたくてならなかったところである。彼は、だれかに、そう言って貰いたい折に、こう言う言葉を聞いたので、
「おお、彼にも、一片の良心はあったか。忠孝の何たるかは、少しでも弁えていたとみえる。不愍なやつ、殺すまでには及ぶまい」
転ぶがごとく、廊下へ出た。そして急に、助命を伝えよと、老侍郎を走らせた。
ところが、出合い頭に、数名の武士はすでに劉封の首を斬って、それへ持って来た。玄徳は一目見るや、
「な、なに。もはや斬に処してしまったとか。われとした事が、軽々しくも、怒りにまかせて、ついに一人の股肱を死にいたらしめてしまった。ああ、悲しいかな」
と、痴者のごとく呟いて、腰もつかないばかりに嘆いた。
そこへ孔明が来て、嘆きやまぬ彼を一室に抱き入れた。そしてことば静かに、
「お心もちはよくわかります。孔明とて木石ではありませんから。......けれど国家久遠の計を思うならば、ひとりの豎子、なんぞ惜しむに足らんやです。これしきの悲しみに会って、たちまち凡夫に回るような事で、どうして大業の基が建てられましょう。女童の情です、自らの御涙を自らお嗤いなさい。あなたは漢中王でいらせられますぞ」
「.........」
玄徳はうなずいた。しかし老齢六十の彼には、この事も、後の病の一因にはなった。
改 元
一
魏では、その年の建安二十五年を、延康元年と改めた。
また夏の六月には、魏王曹丕の巡遊が実現された。亡父曹操の郷里、沛の譙県を訪れて、先祖の墳を祭らんと沙汰し、供には文武の百官を伴い、護衛には精兵三十万を従えた。
沿道の官民は、道を掃いて儀仗の列にひれ伏した。わけて郷里の譙県では、道ばたに出て酒を献じ、餅を供え、
「高祖が沛の郷里にお帰りになった例もあるが、それでもこんなに盛んではなかったろう」
と、祝し合った。
が、曹丕の滞留はひどく短く、墓祭がすむ途端に帰ってしまったので、郷人たちは何か張り合い抜けした。老夏侯惇が危篤という報を受けたためであったが、曹丕が帰国したときは、すでに大将軍夏候惇は死んでいた。
曹丕は、東門に孝を掛けて、この父以来の功臣を、礼厚く葬った。
「凶事はつづくというが、正月以来この半歳は、どうも葬祭ばかりしておるようだ」
曹丕も呟いたが、臣下も少し気に病んでいたところが、八月以降は、ふしぎな吉事ばかりが続いた。
「石邑県の田舎へ鳳凰が舞い降りたそうです。改元の年に、大吉瑞だと騒いで、県民の代表がお祝いに来ました」
侍者が、こう取り次いで曹丕をよろこばせたと思うと、幾日か経って、
「臨淄に麒麟があらわれた由で、市民は檻に麒麟を入れて城門へ献上したそうです」
するとまた、秋の末ごろ、鄴郡の一地方に黄龍が出現したと、だれからともなく言い伝えられ、ある者は見たといい、ある者は見ないといい、喧しい取り沙汰だった。
おかしい事には、その

と同時に、魏の譜代の面々が、日々、閣内に集まって、
「いま、上天吉祥を垂る。これは魏が漢に代わって、天下を治めよ、という啓示にほかならぬものである。よろしく魏王にすすめ、漢帝に説き奉らせて受禅の大革を行なうべきである」
と、勝手な理窟をつけて、しかも帝位を魏に奪う大陰謀を、公然と議していたのである。
侍中の劉廙、辛毘、劉曄、尚書令の桓楷、陳矯、陳群などを主として、宗徒の文武官四十数名は、ついに連署の決議文をたずさえて、重臣の大尉賈詡、相国の華歆、御史大夫王朗の三名を説きまわった。
「いや、諸員の思うところはかねてわれらも心していたところである。先君武王の御遺言もあること、おそらく魏王におかれても御異存はあるまい」
三重臣のことばも、符節を合わせたように一致していた。麒麟の出現も、鳳凰の舞いも、この口吻から窺うと、遠い地方に現われたのではなく、どうやらこれ等重臣たちの額と額の間から出たものらしく思われる。
が、瓢箪から駒が出ようと、閣議室から黄龍が出現しようと、支那においては不思議でない。民衆もまた奇蹟を好む。鳳凰などというものは無いという説よりも、それは有るのだという説の方を専ら支持する通有性をもっている。朝廷を仰ぐにも、帝位についての観念も、この大陸の民は黄龍鳳凰を考えるのと同じぐらいなものしか抱いていなかった。それのはっきりしている上層中流の人士でもかつての自国の歴史に徴して、その時代時代に適応した解釈を下し、自分たちの人為をすべて天象や瑞兆のせいにして、いわゆる機運を醸し、工作を運ぶという風であった。
王朗、華歆、中将郎李伏、太史丞許芝などという魏臣はついに許都の内殿へ伺佐して、
「畏れ多いことですが、もう漢朝の運気は尽きています。御位を魏王に禅り給うて、天命におしたがいあらんことを」
と、伏奏した。いや、冠をつらねて、帝の闕下に迫ったというべきであろう。
二
献帝はまだ
御齢三十九歳であった。九歳の時
董卓に擁立されて、
万乗の御位について以来、戦火
乱
の中に幾たびか
遷都し、
荊棘の道に飢えをすら味わい、やがて
許昌に都して、ようやく後漢の
朝
に無事の日は来ても、曹操の専横はやまず、魏臣の無礼、朝臣の
逼塞、
朝はあって無きがごときものだった。
およそ天の恵福の薄かったことは、東漢の歴代中でも、この献帝ほどの方は少ないであろう。その御生涯は数奇にして薄幸そのものであったと言うほかはない。
しかも今また、魏の臣下から、臣下として到底口にもすべきでない事を強いられたのである。お胸のうちこそどんなであったろうか。
帝ももとより、そのようなことを、即座に承諾になるわけはない。
「朕の不徳は、ただ自らをうらむほかはないが、儂不才なりといえ、いずくんぞ祖宗の大業を棄つるに忍びん。ただ公計に議せよ」
と、一言仰せられたまま、内殿へ起たれてしまった。
華歆、李伏の徒は、その後ものべつ参内して麒麟、鳳凰の奇瑞を説いたり、また、
「臣等、夜天文を観るに、炎漢の気すでに衰え、帝星光をひそめ、魏王の乾象、それに反して、天を極め、地を限る。まさに魏が漢に代わるべき兆です。司天台の暦官たちもみなさように申しておりまする」と、暦数から迫ってみたり、ある時はなお、
「むかし三皇、五帝も、徳をもって御位を譲り、徳なきは徳あるに譲るを常とし、たとえ天理に伏さずとも、必ず自ら滅ぶか、あるいは次代の帝たる勢力に追われておりましょう。漢朝すでに四百年、決して、陛下の御不徳にも非ず、自然にその時期に際会されておられるのです。ふかく聖慮をそこに用いられて、あえて迷いを執ったり、求めて、禍を招いたり遊ばさぬよう御注意申しあげる」
などと言語道断な得手勝手と、そして半ば、脅迫に似た言をすら弄んだ。
しかし、帝はなお頑として、
「祥瑞、天象のことなどは、みな取るにも足らぬ浮説である。虚説である」と、明確に喝破し、「高祖三尺の剣をさげて、秦楚を亡ぼし、朕に及ぶこと四百年。なんぞ軽々しく不朽の基を捨て去らんや」と、あくまで彼等の佞弁を退け、依然として屈服遊ばす色を示さなかった。
だがこの間に、魏王の威力と、その黄金力や栄誉の誘惑はしんしんとして、
朝
の内官を
腐蝕するに努めていた。さなきだにもう心から漢朝を思う忠臣は、多くは
亡き数に入り、あるいは老いさらばい、または
野に退けられて、骨のある人物というものは全く居なかった。
滔々として、魏の権勢に媚び、震い怖れ、朝臣でありながら、魏の鼻息のみ窺っているような者のみが残っていた。
それかあらぬか、近ごろ帝が朝へ出御しても、朝廷の臣は、文武官なども、姿も見せない者が日にまし殖えて来た。あるいは病気と称し、あるいは先祖の祭日と称し、あるいは届けも無しに席を欠く者が実におびただしい。いやついには、帝おひとりになってしまわれた。
「ああ。いかにせばよいか」
帝はひとり御涙を垂れていた。すると、帝のうしろから后の曹皇后がそっと歩み寄られて、
「陛下。兄の曹丕からわたくしに、すぐ参れという使いがみえました。玉体をお損ね遊ばさぬように」
意味ありげにそう言いのこして、楚々と立ち去りかけた。
帝は、皇后がふたたび帰らないことを、すぐ察したので、
「お身までが、朕をすてて、曹家へ帰るのか」
と、衣の袖を抑えた。
皇后は、そのまま、前殿の車寄せまで、足をとめずに歩んだ。帝はなお追って来られた。すると、そこに佇んでいた華歆が、
「陛下。なぜ臣の諫めを用いて、禍をおのがれ遊ばさぬか。御后のことのみか、こうしていれば、刻々、禍は御身にかかって参りますぞ」
と、今は拝跪の礼も執らずに、傲然と言う有様であった。
三
なんたる非道、無礼。つねにお怺え深い献帝も、身をふるわせて震怒せられた。
「汝ら臣子の分として、何というか。朕、位に即いてより三十余年、兢々業々、そのあいだかりそめにも、かつて一度の悪政を命じた覚えもない。もし天下に今日の政を怨嗟するものがあれば、それは魏という幕府の専横にほかならぬ事を、天人ともによく知っておろう。たれか朕をうらみ、漢朝の変を希おうや」
すると、華歆もまた、声をあららげて、御衣のたもとをつかみ、
「陛下。お考え違いを遊ばすな。臣等とて決して不忠の言をなすものではありません。忠なればこそ、万一の禍を憂いておすすめ申しあげるのです。今は、ただ御一言をもって足りましょう。ここで御決意のほどを臣等へお洩らし下さい。許すとも、許さぬとも」
「............」
帝はわななく唇をかみしめてただ無言を守っておられた。
すると華歆が、王朗へきっと眼くばせしたので、帝は御衣の袖を払って、急に奥の便殿へ馳け込んでしまわれた。
たちまち、宮廷のそこかしこに、常ならぬ跫音が乱れはじめた。ふと見れば、魏の親族たる曹休、曹洪のふたりが、剣を佩いたまま殿階へ躍り上がって、
「符宝郎はどこにいるかっ。符宝郎、符宝郎っ」と、大声で探し求めていた。
符宝郎とは、帝室の玉璽や宝器を守護する役名である。ひとりの人品の良い老朝臣が、怖るる色もなく二人の前へ近づいた。
「符宝郎祖弼はわたくしですが......?」
「うム。汝が符宝郎の職にある者か。玉璽を取り出してわれわれに渡せ」
「あなた方は正気でそんなことを仰せあるのか」
「拒む気か?」
曹洪は剣を抜いて祖弼の顔へつき出した。――が祖弼は怯む色もなく、
「三歳の童子も知る。玉璽はすなわち天子の御宝です。何で臣下の手に触れしめてよいものぞ。道も礼も知らぬ下司ども、沓をぬいで、階下へ退がれっ」と、叱咤した。
洪、休のふたりは、憤怒して、やにわに祖弼を庭上に引きずり出し、首を斬って泉水へ抛り捨てた。
すでに禁門を犯してなだれこんだ魏兵は、甲を着、戈を持って、南殿北廂の苑に満ちみちていた。帝は、いそぎ朝臣をあつめて、御眦に血涙をにじませ、悲壮な玉音をふるわせて一同へ宣うた。
「祖宗以来歴代の業を、朕の世にいたって廃せんとは、そも、何の不徳であろうか。九泉の下にも、諸祖帝にたいし奉り、まみゆべき面目もないがいかにせん、事ついにここへ来てしもうた。この上は、魏王に世を禅り、朕は身をかくしてただひたすら万民の安穏をのみ祈ろうと思う......」
玉涙、潸として、頰をながれ、嗚咽する朝臣の声とともに、しばしそこは雨しげき暮秋の池のようであった。
すると、ずかずかここへ立ち入って来た魏臣賈詡が、
「おう、よくぞ御心をお定め遊ばした。陛下! 一刻もはやく詔書を降して、闕下に血をみるの難を未然におふせぎあれ」と、促した。
綸言ひとたび発して、国禅りの大事を御承認なされたものの、帝はなお御涙にくるるのみであったが、賈詡はたちまち桓楷、陳群などを呼んで、ほとんど、強制的に禅国の詔書を作らせ、即座に、華歆を使として、これに玉璽を捧げしめ、
「勅使、魏王宮に赴く」と、称えて禁門から出たのであった。もちろん朝廷の百官をその随員とし、あくまで帝の御意を奉じて儀仗美々しく出向いたので、沿道の諸民や一般には、宮中における魏の悪逆な行為は容易に洩れなかった。
「来たか」
曹丕は定めしほくそ笑んだであろう。詔書を拝すや、直ちに禅りを御受けせん、と答えそうな容子に、司馬懿仲達があわてて、
「いけません。そう軽々しくおうけしては」と、たしなめた。
四
たとえ欲しくて堪らないものでもすぐ手を出してはいけない。何事にも、いわゆる再三謙辞して、しこうして受く、というのが礼節とされている。まして天下の誹りを瞞ますには、より厳かに、その退謙と辞礼を誇大に示すのが、策を得たものではないでしょうか。――司馬仲達は眼をもってそう主君の曹丕へ言ったのである。
曹丕は、すぐ覚って、
「儂は到底、その生まれにあらず、万乗を統ぐはただ万乗の君あるのみ」
と、肚とはまったく反対なことばを勅使に答えて、恭しくも王朗に表を書かせ、いったん玉璽を返し奉った。
勅使の返事を聞かれて、帝はひどくお迷いになった。侍従の人々を顧みられて、
「曹丕は受けぬという。どうしたものであろう?」
と、いささかそれに依って御眉を開かれたようにすら見えた。
華歆は、お側を離れない。彼はすぐこう奏上した。
「むかし堯の御世に、娥皇、女英という二人の御娘がありました。堯が舜に世を禅ろうというとき、舜は拒んで受けません。そこで堯帝はふたりの御娘を舜王に娶わせて、後に帝位を禅られたという例がございます。......陛下。御賢察を垂れたまえ」
献帝はまたしても無念の
御涙をどうすることもできない面持ちを示された。ぜひなく、次の日ふたたび
高
使張音を勅使とし、最愛の皇女おふた方を車に乗せ、
玉璽を
捧げて、魏王宮へいたらしめた。
曹丕はたいへん歓んだ。けれど今度もまた謀臣賈詡が側らにいて、
「いけません。まだいけません」と言うような顔をして首を振った。
空しく勅使を返したあとで、曹丕は少し膨れ顔して彼を詰問った。
「堯舜の例もあるのに、なぜこんども断われと言ったのか」
「もうそんなにお急ぎになる必要はないではございませんか。賈詡の慮りは、ただただ世人の誹りを防がんためで、曹家の子、ついに帝位を奪えりと、世の智者どもが、口をそろえて誹り出しては、怖ろしい事でございますからな」
「では、三たび勅使を待つのか」
「いやいや、こんどはそっと、華歆へ内意を通じておきましょう。すなわち、華歆をして、一つの高台を造営させ、これを受禅台と名づけて、某月吉日をえらび、天子御みずから玉璽を捧げて、魏王にこれを禅るという、大典を挙げ行なうことをお薦め申すべきです」
実に、魏の僭位は、これほど念に念を入れた上に行なわれたものであった。
受禅台は、繁陽の地を卜して、その年十月に、竣工を見た。三重の高台と式典の四門は眩きばかり装飾され、朝廷王府の官員数千人、御林の軍八千、虎賁の軍隊三十余万が、旌旗や旆旛を林立して、台下に立ちならび、このほか匈奴の黒童や化外の人々も、およそ位階あり王府に仕えるものは挙って、この祭典を仰ぐの光栄に浴した。
十月庚午の日。寅の刻。
この日、心なしか、薄雲がみなぎって、日輪は寒々とただ紅かった。
献帝は台に立たれた。
そして、帝位を魏王に禅るという冊文を読まれたのである。玉音はかすれがちに時折はふるえておられた。
曹丕は、八盤の大礼という儀式の後、台にのぼって玉璽をうけ、帝は大小の旧朝臣を従えて、御涙をかくしながら階下に降られた。
天地の諸声をあざむく奏楽が同時に耳を聾すばかり沸きあがった。万歳の声は雲をふるわした。その夕方、大きな雹が石のごとく降った。
曹丕、すなわち魏帝は、
「以後国名を大魏と号す」
と宣し、また年号も、黄初元年とあらためた。
故曹操にはまた「太祖武徳皇帝」と諡された。
ここにお気のどくなのは献帝である。魏帝の使は仮借なく居を訪れて、
「今上の仁慈、汝をころすに忍び給わず、封じて山陽公となす。即日、山陽に赴き、ふたたび都へ入るなかれ」
という刻薄な沙汰をつたえた。公はわずかな旧臣を伴って、一頭の驢馬に召され、悄然として、冬空の田舎へ落ちて行かれた。
蜀また倣う
一
曹丕が大魏皇帝の位についたと伝え聞いて、蜀の成都にあって玄徳は、
「何たることだ!」と、悲憤して、日夜、世の逆しまを痛恨していた。
都を逐われた献帝は、その翌年、地方で薨去せられたという沙汰も聞こえた。玄徳は更に嘆き悲しんで、かげながら祭りをなし、孝愍皇帝と諡し奉って、深く喪に籠ったまま政務も見ない日が多かった。すべてを孔明に任せきって、近ごろは飲食もまことにすすまない容子だった。
「困ったものではある」
内外の経策から蜀の前途にたいする憂いまで、孔明の胸には案じても案じきれないほどな問題が積もっていた。
だが玄徳は六十一。彼はまだ四十一の若さであった。加うるに隠忍よく耐える人である。百忍自ラ憂イ無シ、としていた。彼は彼みずから、
(こういう生まれ性なのだ)と、苦労の中に独りなぐさめているふうだった。
彼はあまり動かない人である。口かずもきかないし、どっちかといえば少し陰気くさいところすらあった。だから玄徳でも閉じ籠っていると、彼も苦労負けして鬱いでいるように見える。無能のごとくちょっと見には見えるのであった。
――がほんとうの彼は一刻として休むを知らない頭脳の持ち主なので、だれよりもよくその性を知っている彼自身が、
(......こういう生まれ性なのだ)と、自らを慰める理由もそこにあるのであった。
後漢の朝廷が亡んだ翌年の三月ごろである。襄陽の張嘉という一漁翁が、
「夜、襄江で網をかけておりましたところ、一道の光とともに、河底からこんなものが揚がりましたので」と、はるばる、その品を、蜀へ携えて来て、孔明に献じた。
黄金の印章であった。
金色燦爛として、印面には、八字の篆文が刻してある。すなわちこう読まれた。
受命于天 既寿永昌
孔明はひと目見るやたいへん驚いて、
「これこそ、ほんとうの伝国の玉璽である。洛陽大乱のみぎり、漢家から持ち出されて、久しく行方知れずになっていると聞いておるあの宝章にちがいない。曹丕に伝わったものは、そのため、仮に朝廷で作られた後の物に相違なかろう」
彼は、太傅許靖や、光祿大夫譙周などを、にわかにあつめて、故典事例を調べさせた。人々は伝え聞いて、
「それこそ、漢朝の宗親たるわが君が、進んで漢の正統を継ぐべきであると、天の啓示されたものにちがいない」と言い囃し、また何事につけ天象を例にひく者たちは、
「そういえば近ごろ、成都の西北の天に、毎夜のごとく、瑞気ある光芒が立ち昇っている」
と、説いたりした。
要するに、孔明の思う気運というものが、大体蜀中に盛り上がって来たので、ある日、彼は諸臣とともに、漢中王の室へ伺候して、
「今こそ、皇帝の御位について、漢朝の
正閏を正し、
祖
の霊をなぐさめ、またもって、万民を安んずべき時でありましょう」
と、帝立の議をすすめた。
玄徳は、愕いて、
「そちたちは、予をして、末代までの不忠不義の人とするつもりか」と、ひどく怒った。
孔明は、襟を正して、
「逆子曹丕と、わが君とを、同一視するものではございません。彼のごとき弑逆の大罪を、いったいだれがよく懲らしますか。景帝の御嫡流たるあなた様以外には無いではございませんか」
「でも、ひとたび臣下の群れに落ちた涿郡の一村夫である。普天の下、率土の浜。まだ一つの王徳も施さないうちに、たとえ後漢の朝は亡んだにせよ、予がそのあとを襲ったら、やはり曹丕のような悪名をうけるであろう。ふたたび言うな。予にはそんな望みはない」
どうしても玄徳は肯き容れないのであった。
孔明は黙然と退出した。
そして、その事から後、病と称して、政議の一席にも、一切、顔を出さなくなった。
「よほど、重態のようか」
玄徳は心配し出した。ついに耐え難く思ったものか、一日、彼はみずから孔明の邸を訪うて、その病を親しく見舞った。
二
孔明は恐懼して病褥を出、清衣して、玄徳を迎えた。彼の病室へ入って来るなり玄徳はあわてて言った。
「横臥しておればよいに、無理をして病を重くしては、せっかく見舞いに来たのが、かえって悪いことになる。軍師、遠慮せずに、横になっておれ」
「もったいないことです。君侯御自ら臣下の家へお越し給わるさえ恐懼にたえませんのに、みぐるしい病人の枕頭へ親しくお見舞いくださるとは、何と申してよいかわかりません」
「すこし

せたのう。
食餌はどうか」
「あまりすすみませぬ」
「いったいどういう病か」
「心の煩いです。肉体には病はないつもりです」
「心の病とは」
「ただ御賢察ねがうほかありません」
孔明は、目をふさいだ。そして玄徳がいくら訊ねても、肉体に病はないが、心の病はいまや胸を焚くようです、としか答えなかった。
「軍師。先ごろの進言を予が拒んだので、それが煩いの因じゃと申すのか」
「さればです。臣、
草廬を出てよりはや十余年、
菲才をもって君に仕え、いま
巴蜀を取ってようやく理想の一端は実現されたかの感があります。しかしなおここに万代の基礎を
創てて、更に、この
鴻業、この

きを、不朽ならしめんとするに当たって、いかなる
思し召しやら、あなた様にはこの
期に至って、世の俗論を
惧れ、一身の名分にばかり
こだわり、ついに天下の
大宗たるお志も無いようであります。一世の紛乱の暗黒を
統べ
闢き、万代にわたる泰平の基を
創つるは、天に選ばれた人のみがよく
為しとげることで、志さえ立てればだれでも為し
能うものではありません。――
不肖臣亮が
廬を出てあなた様に仕えたのは全くその人こそあなた様を
措いてはほかにないと信じたからでした。またあなた様におかれても当年の大志は明らかに百世万民のために
赫々と燃えるような意気を確かにお持ちでした。......しかるに、ああ、ついに
劉皇叔ともあるお方も、老いては小成に安んじて、一身の無事のみが、ただ
希うところになるものかと、あれこれ思うものですから、臣の病も日々重くなるものとみえまする」
孔明のことばは沈痛を極めた。また彼のことばには裏にも表にも微塵の私心私慾はなかった。玄徳は服せざるを得なかった。
元来、彼は非常に名分を尊ぶ人である。世の毀誉褒貶を気にする性であった。それだけにこの問題については、当初から孔明の意見にも容易に従う色は見せなかったが、周囲の事態形勢、また蜀中の内部的なうごきも、ついに、玄徳の逡巡を今はゆるさなかった。
「よくわかった。予の思慮はまだあまりに小乗的であったようだ。予がこのまま黙っていたら、かえって、魏の
曹丕の即位を認めているように天下の人が思うかも知れない。軍師の病が

ったらかならず進言を
容れるであろう」
玄徳はそう約して帰った。
数日のうちに、孔明はもう明るい
眉を蜀営の政務所に見せていた。
太傅許靖、安漢将軍
糜竺、
青衣侯尚挙、
陽泉侯劉
、治中従事
楊洪、昭文博士
伊籍、学士
尹黙、そのほかのおびただしい文武官は毎日のように会議して大典の典礼故実を調べたり、即位式の運びについて、議をかさねていた。
建安二十六年の四月。成都は、成都が開けて以来の盛事に賑わった。大礼台は武担の南に築かれ、鸞駕は宮門を出、満地を埋むるごとき軍隊と、星のごとく繞る文武官の万歳を唱える中に、玄徳は玉璽をうけ、ここに蜀の皇帝たる旨を天下に宣したのであった。
拝舞の礼終わって、直ちに、
(章武元年となす)
と言う改元のことも発布され、また国は、
(大蜀と号す)
と定められた。
大魏に大魏皇帝立ち、大蜀に大蜀皇帝が立ったのである。天に二日なしと言う千古の鉄則はここにやぶれた。呉は、果たして、これに対してどう言う動きを示すだろうか。
三
蜀皇帝の位に即いてからの玄徳は、その容顔までが、いちだん変わって、自然に万乗の重きを漢中王のころとはまた加え、何ともいえぬ晩年の気品をおびて来た。
もっと異なって来たのは彼の気魄であった。一時は非常に引っ込み思案で、名分や人道主義にばかり囚われて、青春から壮年期にわたって抱いていた大志も、老来まったく萎んでしまったかと思われたが、孔明の家を見舞って、彼の病中の苦言を聞いてから後は、何か翻然と悟ったらしい人間の大きさと幅と、そして文武両面の政務にも労れを知らない晩年人の老熟とを示して来た。
「朕の生涯にはなおなさねばならぬ宿題がある。それは呉を伐つことだ。むかし桃園に盟をむすんだ関羽の仇を討つことである。わが大蜀の軍備はただその目的のために邁進して来たものといっても過言ではない。朕、いま傾国の兵をあげ、昔日の盟を果たさんことを、あえて関羽の霊に告ぐ。汝ら、それ努めよ」
一日。
蜀帝の力ある玉音は群臣のうえにこう宣した。朝に侍す百官は粛として
咳声もない。
綸言豈疑義あらんやと人はみな

く目をもって答え、血のさしのぼる
面をもって決意をあらわしていた。
すると
雲子龍が、
「無用無用」と、ひとり反対して憚る色もなく諫めた。
「呉はいま伐つべからずです。魏を伐てば呉は自然に亡ぶものでしょう。もし魏を後にして、呉へかからば、かならず魏呉同体となって蜀は苦境に立たざるを得ないだろうと思われます」
「何をいうぞ、

雲」
玄徳はその切れ長い眦から彼を一眄して、むしろ叱るがごとく言った。
「呉は倶に天を戴かざるの仇敵だ。朕の義弟を討ったばかりでなく、朕の麾下を脱した傅士仁、糜芳、璠璋、馬忠等の徒がみな拠って棲息しておる国ではないか。その肉を啖い、九族を亡ぼし、もって悪逆の末路を世に示さなければ、朕が大蜀皇帝として立った意義はない」
「あいや、骨肉のうらみも、不忠の臣の膺懲も、要するに、それは陛下の御私憤にすぎません。蜀帝国の運命はもっと重うございます」
「関羽は国家の重鎮、馬忠、傅士仁の徒はことごとく国賊。その正邪を正し、怨みを雪ぐは、当然、国家の意志ではないか。なんで私情の怒りというか。民もみな怒りきるほどの敵愾心と、戦いの名分が明らかにあってこそ、初めて戦いには勝つものだ。汝の言は、理としては聞こえるが、尊ぶには足らん」
蜀帝の決意は固かった。
その後、蜀帝の勅使は、ひそかに南蛮(雲南・昆明)へ往来した。
そして南蛮兵五万余を借り出すことに成功を見た。
その間に、張飛の一身に一奇禍が起こった。張飛はそのころ、閬中(重慶北方)にいたが、車騎将軍領司隷校尉に叙封され、また閬州一円の牧を兼任すべしとの恩命に接したのであった。
「わが家兄は、万乗の御位に即いても、なおこの至らない愚弟をお忘れないとみえる」
感情のつよい彼は、そう言って勅使の前で哭いた。
関羽の死が聞こえて以来、張飛はことに感情づよくなっていた。酔うては怒り、醒めては罵り、また独り哭いて、呉の空を睨み、
(いつかきっと、義兄貴のうらみをはらしてくるるぞ)と剣をたたき、歯をくいしばって居たりする事がままあった。陣中の兵は、この激情にふれて、よく撲られたり、蹴られたりした。故に、将士のあいだには、ひそかに張飛に遺恨を抱く者すらあるような空気だった。
恩爵の勅に接した日も、張飛は勅使をもてなした後で、
「なぜ、蜀の朝臣どもは、帝にすすめて、一日もはやく、呉を伐たんのか」
と、まるで勅使のせいのように激論をふっかけた。
桃園終春
一
斗酒を傾けてもなお飽かない張飛であった。こめかみの筋を太らせて、顔ばかりか眼の内まで朱くして、勅使に唾を飛ばして言った。
「いったい、朝廷の臣ばかりでなく、孔明なども実に腑抜けの旗頭だ。聞けば、孔明はこんど皇帝の補佐たる丞相の任に就いたそうだが、彼を始め、蜀朝の文武は、栄爵に甘んじて、もう戦争の苦しみなどは、ひそかに厭っておるんじゃないか。......実に、嘆かわしい小人どもではある。不肖、張飛のごときにまで、今日、有り難い恩爵を賜わって、不平どころか、有り難いと思うことは人一倍も感じておるが、それにつけても、関羽が世にいないことを思うと、呉に対して、いよいよ報復の軍を誓わずにおれん。......無念だ、残念だ、呉を亡ぼさぬうちに、自分たちのみが、こんな恩命に温まって無事泰平に暮らしておるのは、相済まなくて仕方がない。地下の関羽が、どんなに歯ぎしりしているかと思うと......」
張飛は哭き出した。
酔いと感情が、極点に達すると、彼はいつも、悲憤して哭くのが癖であった。
けれど、彼のことばは、決して一場の酔言ではなく、そうした気持ちは、常に抱いているものに違いない。
その証拠には、やがて勅使が帰ると、すぐその後で、蜀の蹶起を促さんと、彼も直ちに成都へ上っている。
ふかく桃園の盟を守って、ともに誓っていることは、皇帝玄徳といえども今も同じであった。身の老齢を思い、いったん人生の晩節を悟って、
(我呉と倶に生きず)と、宣言してからの彼は、以来毎日のように練兵場へ行幸して、みずから兵を閲し、軍馬を訓練し、ひたすらその日を期していた。
けれど、孔明を始め、社稷の将来を思う文武の百官は、
(陛下には、まだ
九五の御位について日も浅いのに、ふたたびここで大戦を起こすなどは、決して、
宗
の
政を重んずるゆえんでない)と、反対の説が多く、ために、玄徳も心ならずも、出兵を
遷延している状態であった。
折ふし張飛は成都へ出て来た。
その日も玄徳は朝廷を出て、練兵場の演武堂におると聞き、彼は禁門に入るまえにすぐそこへ行って帝に拝謁した。
その時張飛は、玉座の下に拝伏するや、帝の御足を抱いて、声を放って哭いたということである。
玄徳もまた張飛の背を撫でて、
「よく参った。関羽はすでに世に亡く、桃園に会した義兄弟も今はそちとただ二人ぞ。体は壮健か」と濃やかに彼の悲情を慰めた。
張飛が、

を
握って、
「陛下には、なおその昔の盟をお忘れありませんか。不肖も、関羽の仇を報ぜぬうちは、いかなる富貴も栄爵も少しも心の楽しみとはなりません」
と涙を払って言うと、玄徳もともに悲涙をたたえて、
「朕の心も同じである。いつの日にか必ず汝と共に呉へ攻め行くであろう」と、言った。
張飛は雀躍りして、
「陛下にその御勇気があるならば、いつの日かなどと言っていないで、すぐにも張飛はお供いたしたいと思います。はや平和の日に狎れて、ひたすら小我の安逸へ奔ろうとする文官や一部の武人に遮られていたら、生あるうちに、この恨みを胸から雪ぐ日はないでしょう」
「さなり、さなり」
と玄徳はこの一瞬に勇断を奮って、ついに張飛へ直接大命を降してしまったのである。
「直ちに、そちは軍備して閬中から南へ出でよ。朕、また大軍をひきいて、江州に出で、汝と合し、呉を伐つであろう」
張飛は、頭を叩いて歓び、階を跳び下りて、すぐ閬中へ帰って行った。
けれども、帝の軍備には、たちまち内部の反対が燃え、学士秦宓のごときは、直言して、その非を諫奏した。
「朕と関羽とは一体である。いまやその関羽なく、呉は驕り誇っている。なんで坐視するに忍ぼうや、汝らこれ以上、朕を阻むにおいては獄へ投じ、首を斬らん」
頑として、玄徳は耳も仮さなかった。彼の温和で保守的な性格からいえば、晩年のこの挙はまったく別人のような観がある。
二
孔明もまた、表を奉った。
――呉を伐つもよいが、いまはその時でありません。
と、極力諫奏したが、ついに玄徳を思い止まらすことは出来なかった。
蜀の章武元年七月の上旬、蜀軍七十五万は、成都を発した。
このうちには、かねて南蛮から援軍に借りうけておいた赤髪黒奴の蛮夷隊も交じっていた。
「御身は、太子を傅して、留守しておれ」と、孔明は成都に残した。
馬超、馬岱の兄弟も、鎮北将軍魏延とともに、漢中の守備にのこされた。ただし漢中の地は、前線へ兵糧を送るためにも、重要な部署ではあった。
で、発向した出征軍は、先陣に
黄忠、副将に
馮習、
張南。中軍護尉に
融、
廖淳。うしろ備えには直臣の諸大将。
宗徒の旗本など、堅陣雲のごとく、蜀の
峡中から南へ南へと、押し流れて行った。
――ところが。
ここに蜀にとって悲しむべき一事件が突発した。それは張飛の一身に起こった不測の災難である。
あれから閬中の自領へ急いで帰った張飛は、すでに呉を呑むごとき気概で、陣の将士に、
「すぐ出陣の用意をしろ」と令し、また部下の将、范疆、張達のふたりを招いて、
「このたび討呉の一戦は、義兄関羽の弔い合戦だ。兵船の幕から武具、旗、甲、戦袍の類まで、すべて白となし、白旗白袍の軍装で出向こうと思う。就いては、おまえ達が奉仕して、三日のあいだにそれを調えろ。四日の早天には閬中を出発するから、違背なくいたせよ」と、いいつけた。
「......は」とは言ったが、ふたりは眼をまろくした。無理な日限である。どう考えたって出来るわけではない、とすぐ思ったからだった。
けれど、張飛の性質を知っているので、いったん引き退がって協議してみた。そしてふたたび張飛の前に来て、
「少なくも十日の御猶予を下さい。到底、そんな短時日には、出来るわけがございません」
と、事情を訴えた。
「なに、出来ない」
張飛は、酒へ火が落ちたように、かっと青筋を立てた。側らには、参謀たちも居て、すでに作戦にかかり、彼の気もちは、もう戦場にある日と変わりないものになっていたのである。
「出陣を前に便々と十日も猶予しておられようか。わが命に違反なす奴、懲らしめてやれ」
武士に命じて、ふたりを縛り、陣前の大樹にくくり付けた。
のみならず、張飛は、鞭をもって二人を撲った。味方の者の見ている前で、この事を与えられた范疆兄弟は、絶対なる悔辱を覚えたにちがいない。
けれども二人は、やがて悲鳴の中から、罪を謝してさけんだ。
「おゆるし下さい。やります。きっと三日のうちに、御用命の物を調達いたします」
至極単純な張飛は、
「それみろ、やれば出来るくせに。放してやるから、必死になって、調えろ」
と、繩を解いてやった。
その夜、彼は諸将と共に、酒を飲んで眠った。平常もありがちな事だが、その晩はわけても大酔したらしく、帳中へはいると床のうえに、鼾をかいて寝てしまったのである。
すると、二更のころ。
ふたりの怪漢が忍びこんで、やや久しく帳内の壁にへばりついていた。范疆、張達の兄弟だった。張飛の寝息を充分にうかがいすまし、懐中の短剣をぎらりと持つや否、
「うぬ!」
と一声、やにわに寝姿へおどりかかって張飛の寝首を搔いてしまった。
首を提げて、飛鳥のごとく、外の闇へ走ったかと思うと、閬江のほとりに待たせてあった一船へ跳びこみ、一家一族数十人とともに、流れを下って、ついに呉の国へ奔ってしまった。
実に惜しむべきは、張飛の死であった。好漢惜しむらくは性情粗であり短慮であった。まだまだ彼の勇は蜀のために用うる日は多かったのに、桃園の花燃ゆる日から始まって、ここにその人生を終わった。年五十五であったという。
雁のみだれ
一
大暑七月、蜀七十五万の軍は、すでに成都を離れて、蜿蜒と行軍をつづけていた。
孔明は、帝に侍して、百里の外まで送って来たが、
「ただ太子の身をたのむ。さらばぞ」
と玄徳に促されて、心なしか愁然と、成都へ帰った。
すると、次の日。
野営を張って、途中に陣していると、張飛の部下、呉班という者が、馬も人も汗にぬれて、追いついて来た。
「ごらん下さい。これを」
息を喘って、ただ一通の表をさし出した。侍側の手から受け取って、玄徳は一読するや否、
「あっ? 張飛が!」
ぐらぐらと眩いを覚えたらしく、あやうく昏絶しそうになった額を抑えて、その後、
「ううむ......」
と、ただ唸いていた。
手脚はおののき、顔色は真っ蒼に変わり、額から冷たい汗をながしていたが、やがて、
「むしの知らせか、昨夜は、二度も夜半に眼がさめて、何となく、魂が愕いてならなかったが......」
と、つぶやき、やがてさんさんと涙して、
「ぜひもない宿命。せめてこよいは祭りをせん。壇を設けよ」
と、白い唇から力なく言った。
翌朝。この地を立とうとすると、ひとりの若い大将が、白い戦袍をつけ、白銀の盔甲を着て、一隊の軍馬をひきいて、これへ急いで来た。
「張飛の嫡子、張苞です」
と名乗ったので、直ちに、玄徳の前へ導くと、玄徳は見て、
「オオ、父に似て、勇ましい若者。呉班とともに、朕の先陣に立つか」
と、悲しみのうちにも一つの歓びと、大いに気をとり直した様子であった。
張苞は答えて言う。
「どうぞ先手の端にお加え下さい。そして父に代わって、父に勝るてがらを立てなければ、父も九泉の下で浮かばれまいと思われます」
ところが同じ日に、関羽の次男関興も、一手の兵をつれて、この軍に会した。
玄徳は、関羽の子を見て、また涙を新たにした。
この大戦の門出に、あまりに涙する事ばかり多いので、近側の大将は、
「――龍涙地に落つるは亢旱三年、という古言もあります。陛下、社稷の重きを思い給わば、何とぞ玉体をお損ね遊ばさぬように。そして努めて、士気の昂揚を御宸念あそばして下さい」
と、奏した。
「――いかにも」
玄徳もすぐ悟った。
年六旬をこえた身で、千里の境外に、七十余万の大軍をひきいて、今やその征途にあるのである。まだ戦いに入らぬうちに、心をいため、身をそこねてどうして呉に勝つことができよう。――そう彼自身も思い直すのであった。
また彼の一喜一憂がすぐ全軍の士気に大きく影響することももちろんで、将士のあいだには何となく、前途の吉凶にたいして、天文や地変をしきりと気にする声もあった。
陳震があるとき、玄徳にこう告げた。
「この附近に、青城山という霊峰があります。そこに棲む李意という一仙士は、天文地利をくわしく占い、当世の神仙と世人にいわれております。勅をもって、彼を招き、このたびの事の吉凶をいちど占わせてみてはいかがでしょうか」
玄徳はあまり気のすすまない態であったが、他の諸将にもすすめる者が多かったので、さらばと陳震を使いにして、李意を陣中へ招いてみることにした。
陳震はさっそく青城山へ上って行った。やがて山路へさしかかると、なるほど世人のうわさのごとく、清雲縹緲として、まことに神仙の住居はこんな所にこそあるであろうと思われた。
二
行くほどに、登るほどに、道はいよいよせばみ、水は渓をなし滝をなし、木々には瑞気の霧がゆるやかに渦巻いて、嶺のあらし、禽の声、耳も心も洗われて、陳震は自分の使命も忘れてしまった。
するとかなたからひとりの童子が歩いて来て、彼の前へ来ると足を止めてにこりと笑った。
「あなたは陳震先生でしょう」
いきなり言われたので、彼は大いに愕いて、
「どうしてわしの名を知っているのか」と目をまるくした。
「きのう私の師がおっしゃっていました。あしたあたり蜀帝のお使いで陳震という人が山へ登って来るだろうって......」
「えっ。ではお前の師というのは、李意仙士か」
「そうです。......けれど私の師は、だれが来たって、会わないよ」
「そんな事を言わずに、ぜひ案内してくれ。たのむ。......ほかならぬ天子の御使いじゃ。もし仙士がお会い下さらねば、わしは帰ることができない」
「じゃあ、お取り次ぎしてみるから、来てごらん」
童子は先に立って歩いた。
行くこと数里、平らかな一仙境があった。童子は庵へ入って、師の李意に告げた。李意はやむなく出て勅使を迎え、
「帝のお使いとは、何事ですか」と、たずねた。
陳震は、いま南征の途上にある蜀帝の旨を仔細に語って、
「ぜひ、仙翁を煩わして、お問いいたしたいと仰せられます。それがしがお供いたしますから、一日、下山して、蜀の陣まで御足労願われますまいか」
慇懃、礼を尽くして言った。
李意は渋っていたが、
「勅とあれば、ぜひもない」と、黙々、陳震について、山を降りて行った。
玄徳は、やがてこの仙翁を前に、忌憚なく述懐して質問した。
「すでにご存じであろうが、朕は弱冠のときより関羽、張飛と刎頸の交わりを結び、戎馬奔命の中に生きること三十余年、ようやく蜀を定めて後、諸人は、朕が中山靖王の裔であるところから帝位に推しすすめ、ここに基業を創てたが、計らずも、朕の義弟二人は害せられて、その讐たる者はことごとく呉の国に在る。故に、朕は意を決し、呉を伐つため、これまで進発して来た途中であるが、前途の吉凶いかがあろうか。忌憚なく、仙翁の卜う旨を聞かせてもらいたい」
李意は、にべもなく言った。
「それはわかりません。すべて天数――すなわち天運ですから」
「翁は、その天数にくわしいと承る。ねがわくば易を垂れよ」
「山中の賤人。何ぞ、そのような大宇宙の事をよく知り得ましょうや」
「いやいや、それは翁の謙遜にちがいない。どうか、一言なりと、朕に教えてくれ」
再三の下問に、李意もとうとう否みかねたか、
「では、紙と筆をこれへ」と求め、やがて黙然と、何か描き出した。
見ると、児どもの画のように、兵馬武器の類を描いて、それをまた、片っぱしから破いては捨てた。画いては捨て、画いては捨て、百帖の紙をみな反古にした。
そして、最後の一枚には、一箇の人形が仰向けに臥して、そばに一人の人物が土を掘ってその人形を埋めようとしている態を図に描いた。李意は少し筆をやすめて自分の絵を見ていたが、やがてその図の上に一字「白」と書いて筆を投じ、
「どうも畏れ多いことで」と、何やら意味のわからない事を呟いて玄徳を百拝し、霧のごとくすうと帰ってしまった。彼の去ったあとを眺めて、玄徳はよろこばない顔色をしていた。そして近側の大将たちへ、
「つまらぬ者を迎えて、無用な暇をつぶした。おそらくは狂人であろう。はやくこの紙屑を焼きすててしまえ」と、いいつけた。
ときに、張飛の子張苞が、帝座の下に来て、かく告げた。
「すでに前面へ呉の軍があらわれたようです。どうか、私に先陣をお命じください」
三
「オオ、壮んなる哉、その志。張苞、はや行って、功を立てよ」
玄徳は、先鋒の印綬を取って、手ずから張苞へ授けようとした。すると、階下の諸将の中からやにわにこう言う者があった。
「陛下。しばしお待ち下さい。先鋒の印は、かく申す私にこそ、曲げてお授け賜わるように」
だれかと、諸人目をそばだてて声の主を見ると、関羽の次男関興であった。
関興は進み出て、地に拝伏し、涙をながして、なお帝に向かって訴えた。
「それがしの亡き父こそ、実に今日の戦を――また私の働きをば、地下において、刮目して待っているものです。なんで、先鋒の一陣を、余人に任せてよいものですか。ぜひとも先鋒の役は、それがしに命じ賜わりますように......」
すると張苞が、
「やよ関興。御辺は何の能があって、あえて自ら先鋒を望むか」と、横から言いかけた。
関興はにことして、
「我いささか

をたしなむ」
と答えた。張苞もまた、
「武芸なら余人におくれをとる張苞ではない。此方とて張飛の子だ」
と、退かない色を示した。
玄徳はあいだにあってこの裁きには難儀な容子を示していたが、
「では、二人して、互いの武技を競うてみよ。勝れたる者へ、印綬を降さん」と、言い渡した。
「さらば、見給え」と張苞は気負って、まず三百歩のかなたに、旗を植えならべ、その旗の上に、紅の小さい
的を付けて、弓を放つに、一

一

、
紅的を砕いて、一つとして
過らなかった。
「さすがは、張飛の子よ」
と、諸人は万雷のごとき
喝
を送った。――と、関興もまた次に、弓を
把って前に進み、
「張苞の
弓勢ごときは、何も奇とするには足りない。広言に似たれど、わが

のゆく先を見よかし」と言いながら、身を半月のごとくそらし、引きしぼった

を宙天に向けた。
折々、雁の声が、雲をかすめていた。しばらく息をこめて、空をにらんでいるうちに、一列の雁行が真上にかかるや、関興は、弦音たかく一矢を放った。
一羽の雁は、矢うなりと共に、その矢を負って、ひらーと地に落ちて来た。あまりの見事さに、文武の諸官声をそろえて、
「射たりや、射たり」
と賞め称え、嘆賞のどよめきがしばし絶えなかった。
張苞は、躍起となって、
「やい関興。弓ばかりでは戦陣の役に立たんぞ。汝は、矛をあつかう術を知っているか」
と、呶鳴った。
関興も負けてはいず、すぐ馬に跳び乗って、
「たくさんは知らぬが、まずこのくらい」
と、剣を払って、張苞の頭上に擬した。
「なにを、猪口才」
と、張苞もまた、父の遺愛たる丈八の矛を持って、あわや一戦に及ぼうとした。
「ひかえろ! 子ども等」
玄徳は上から叱って、
「そちたちは、父の喪もまだ明けたばかりなのに、何で味方同士の喧嘩をするか。そもそもお前達の父と父とは、義を血にすすり、親を魂に結んでいた仲ではないか。もし一方に傷でも負わせたら、泉下の父は、どのように嘆くことか」
「はっ」と、ふたりは矛をすて馬をとび降りて、共に、その頭を、階下の地にすりつけた。
「これからは亡き関羽と張飛も同様に、汝らも仲よくせよ。そして年上のほうを兄と定め、父に劣らぬ交わりをしてゆくがよい」
帝のことばに、二人は再拝して違背なき旨を誓った。関興は張苞より一ツ年上なので、兄となって、兄弟のちかいを立てた。
敵軍はすでにだいぶ近づいて来たと、警報頻々であった。すなわち先陣水陸軍のふた手に、二人を立てて、玄徳自身、すぐその後から後陣としてつづいた。その日以後、行軍はもう臨戦態形になって、怒濤のごとく、呉の境へいそいだのであった。
呉の外交
一
――それより前に。
張飛の首を船底に隠して、蜀の上流から千里を一帆に逃げ降った范疆、張達のふたりは、その後、呉の都建業に来て、張飛の首を孫権に献じ、今後の随身と忠節を誓ったあげく、
「蜀軍七十余万が、近く呉へ向かって襲せて来ます。一刻もはやく国境へ大兵をお送りにならない事には、玄徳以下、積年のうらみに燃ゆる蜀の輩、堤を切った怒濤のごとく、この江南、江東を席巻してしまうでしょう」と、声を大にして告げた。
聞く者みな色を失った。孫権も寝耳に水であったから、即日、衆臣をあつめて、
「ついに玄徳は、蜀の力をあげて、乾坤一擲の気概をもって攻めて来た。思うに、関羽を討たれた恨みは、彼等の骨髄に徹しているだろう。どうしたらその猛攻を拒ぎ得るか」
彼の言は終わっても、座中しばらく答える者がなかった。敵の決戦的の意気の容易ならないものであることがだれにも戦慄をもって想像されたからである。
すると諸葛瑾が、
「一命を賭して、私が和睦の使に参りましょう」と、言った。
人々は冷笑の眼をもって彼をながめた。およそ諸葛瑾が行って使命に成功した例はないからだ。けれど、たとい不成功に終わるにせよ、その間に逸る敵の鋭気をなだめ、味方の軍備を万全となす効力はある。孫権はゆるした。
「そうだ、まず、和睦を試みろ」
命をうけると、諸葛瑾はすぐ江船の奉行に帆支度をいいつけ、書簡を奉じて長江を溯った。
とき、章武元年の秋八月であった。
そのころ、蜀帝玄徳は、すでに大軍をすすめて、夔関(四川省・夔州)に着き、その地の白帝城を大本営として、先陣は川口の辺りまで進出していた。
ところへ呉の使者として諸葛瑾が来たのである。玄徳にはもう会わないうちに呉の肚は読めていた。しかし黄権がしきりと、
「お会い遊ばさずに追い返してはかえって敵に狭量と見られましょう。むしろ彼を通して、こちらの言い分を、思うさま告げてお返しあれば、戦の名分も明らかに、また御威光も更に振うというものではございますまいか」
と、会見をすすめたので、さらばと、瑾を面前に通した。瑾は、伏して言った。
「臣の弟孔明は、陛下に仕えて、久しく蜀にあります。故に、余人より幾分か、陛下の御眷顧も仰がれようかと、主人孫権が、特に不肖を使いとなして、呉の衷心を申しあげる次第でございます」
「簡単に聞こう。使の主旨は、どういう事か」
「まず御諒解を仰ぎたい儀は、関羽将軍の死であります。呉はもとより蜀にたいし何のうらみもありません。荊州の問題も、さきに主人孫権の妹君を陛下の室にお娶わせしてからは、陛下の兵に依って治められるならば呉の領地も同じようなものだとまで、呉では超然とあきらめておりましたが、そこの守りたる関羽将軍には、呉の出先の呂蒙と事ごとに不和を醸し、平地に波瀾をまねいて、ついにあんな事に立ち到ってしまいました。実にこの事は主人孫権も、遺憾としておるところで、もし魏の圧迫さえなかったら、決して、関羽どのを討たすではなかったにと、その後も常に繰り返しているほどであります」
帝は目をふさいで、一語も発しない。諸葛瑾は、なお語をつづけて、
「関羽将軍の死も、蜀呉の葛藤も、つき詰めてみれば、みな魏の策略に躍らされているに過ぎない。両大国が戦って、魏に漁夫の利を占めさせるなどは、実に愚の骨頂というものである。どうか、矛を収めて、以前の親善を呼びもどし、呉に帰っている呉妹夫人を、もういちど蜀の後宮へ容れられて、長く唇歯の国交を継続していただきたい。主人孫権の望みはそれ以外の何ものでもありません――」と、弁をふるって説きつづけた。
二
しかもなお、玄徳は、無言を守りきっている。諸葛瑾は、畢生の弁舌と智をしぼって、もう一言つけ加えてみた。
「陛下にも夙に、御承知でありましょう、魏の曹丕の悪事を。――ついに漢帝を廃し、自身、帝位に昇って、億民を悲憤に哭かしめているではありませんか。いま、漢室の裔たる陛下が、仇を討つなら、魏をこそ討つべきで、その簒逆の罪も正し給わず呉へ戦いを向けられては、大義を知らず、小義に逸る君かなと、一世のもの笑いにもなりましょう。そこをも深く御賢慮遊ばして......」
ここで玄徳は、くわっと眼をひらいて、瑾の能弁を手をもって制した。
「呉使、大儀であった。もうよい。席を退がって呉へ立ち帰れ。そして孫権にかたく告げおけよ。朕ちかって近日まみえん。頸を洗うて待ちうけよと」
「......はっ」
と、威にうたれて、瑾は頭をさげた。
沓音があらく玉座に鳴った。面をあげてみると、もう玄徳はそこにいなかった。
温厚仁慈、むしろ引っ込み思案のひとと言われている玄徳が、かくまでの壮語を敵国の使者へ言い放ったためしはない。瑾も、ここまで努力してみたが、とたんに心中で、
(これはだめだ......)と、見きりをつけずに居られなかった。そしてこの陣に、弟の孔明が参加していないことも、いかに玄徳の決意が固いものであるかを証拠だてていると思った。
彼の帰国に依って、呉は更に大きな衝撃を感じた。
対戦一途。未曾有の決戦。そうした空気が急激に漲った。
すでに
江水また山野から、前線に出る兵馬は続々送られていた。その
慌ただしい中を、
中大夫
咨という者が魏へ向かって出発していた。
もちろんこれも呉の使節として赴いたものである。精馬強兵は北国の伝統であり、外交才能の優は南方人たる呉の得意とするところだ。いかなる変に臨んでも機に応じてまず側面の外交を試みる熱と粘りは怠らない。
「なに。呉の国が使節をもって、朕に表を捧げて来たとか」
大魏皇帝曹丕は、にやりと笑ってその表をざっと読んだ。
近ごろ、閑暇に富んでいるとみえ、曹丕は、使者の

咨に
謁見を与えた後、なおいろいろなことを
訊ねた。半ばからかい半分に、半ば呉の人物や内情を、談笑のうちに探ろうとするような、
口吻だった。
「使節に問うが、汝の主人孫権は、ひと口に言うと、どんな人物か」

咨は鼻の
ひしげた小男であったが、
毅然として、
「聡明仁智勇略のお方です」
と答え、それから臆面もなく、曹丕を正視して、眼をぱちぱちさせながら、
「陛下、何をくすくすお笑い遊ばしますか」と、反問した。
「されば、朕は笑うまいとするに苦しむ。なぜなれば、自分の主君というものは、そんなにも過大に見えるかと思うたからだ」
「これは心外な仰せを」
「なぜ心外か」
「てまえにすれば、陛下の御前なので、はなはだ遠慮して申し上げたつもりなのです。遠慮なくその理を述べよとおっしゃって下されば、陛下がお笑い遊ばさないようにお話しできると思います」
「申してみよ、存分に、孫権の豪さを」
「呉の大才魯粛を凡人の中から抜いたのは、その聡です。呂蒙を士卒から抜擢したのはその明です。于禁をとらえて殺さず、その智です。三江に拠って天下を虎視す、その雄です。身を屈して魏にしたがう、その略です。......豈、聡明智仁勇略の君といわずして何といいましょうか」
曹丕は笑いを収めて、この鼻曲がりの小男を見直した。――身を屈して魏に従うこれ略なり、とはよくも思いきって言えたもの哉と、魏の群臣もその不敵さに皆あきれていた。
三
曹丕は刮と眼をこらして彼を見くだしていた。大魏皇帝たる威厳を侵されたように感じたものとみえる。
やがて曹丕は、

咨にむかって、あえてこういう言葉を
弄した。
「朕はいま、心のうちに、呉を伐たんかと考えておる。汝はどう思うか」

咨は額をたたいて答えた。
「や。それも結構でしょう。大国に外征をする勢力があれば、小国にもまた守禦あり機略あり、何ぞ、ただ畏怖しておりましょうや」
「ふーむ。呉人はつねにも魏を怖れておらないというか」
「過大に恐れてもいませんが、過大に莫迦にしてもおりません。わが精兵百万、艦船数百隻、三江の嶮を池として、呉はただ呉を信じているだけであります」
曹丕は内心舌を巻いて、
「呉の国には、汝のような人物は、どれほどおるか」と、また訊ねた。
すると
咨は腹をかかえて笑い出し、
「それがし程度の人間なら桝で量って車に載せるほどあります」と、言った。
ついに曹丕は三嘆してこの使者を賞めちぎった。
「四方ニ使シテ君命ヲ辱シメズというのは実にこの男のために出来ていることばのようだ。うい奴、うい奴、酒をとらせよ」

咨はすっかり男を上げた。たいへんな歓待をうけたばかりでなく、彼の与えた好印象と呉の国威とは深く曹丕の心をとらえたとみえて、外交的にも予想以上の成功を収めた。
すなわち、大魏皇帝は、使者の帰国に際して将来の援助を確約し、また呉侯孫権にたいしては、
(封じて呉王となす)
と、
九錫の栄誉を加え、臣下の
太常卿刑貞にその
印綬をもたせて、

咨とともに呉へ赴かせた。
皇帝みずから定められたので、魏の朝臣はどうすることもできなかったが、呉使が都を去るや否、疑義嘆声、こもごもに起こって、
「あの小男めに一杯くわされたかたちだ」
となす者が多かった。
劉曄のごときは、面を冒して、皇帝に諫奏し、
「いま呉と蜀とが相戦うのは、実に天が彼等を滅ぼすようなもので、もし陛下の軍が呉蜀のあいだに進んで、内に呉を破り、外に蜀を攻めるなら、両国もたちどころに崩壊を現わすでしょう。それをあまりにはっきりと呉に援けを約されたのは、この千載一遇の好機をあたら、逃がしたようなものかと存ぜられます。このうえは、呉へ味方すると称して呉の内部から攪乱し、一面、蜀を伐つ計を急遽おめぐらし遊ばしますように」
「否々。それはいかん。信を天下に失うであろう」
「とはいえ今、呉の譎詐に乗ぜられて、彼に呉王の位を贈り給い、また九錫の重きをお加え遊ばしたのは、わざわざ虎に翼をそえてやったようなもので、抛っておいたら呉は急激に強大となり、将来事を醸したときはもういかんとも手がつけられなくなるでしょう」
「すでに彼は、朕に臣礼を執っておる。叛かぬ者を伐つ名分はない」
「それはまだ孫権の官位も軽く
驃騎将軍南昌侯という身分に過ぎないからでした。けれどもこれからは呉王と称して、陛下ともわずか一階を隔つる身になってくれば、自然心は
驕り、勢威はつき、何を言い出してくるかわかりません。そのとき陛下が
逆鱗あそばして討伐の軍を発せられましょうとも、世人はそれを見て、魏は
江南の富や美女を
掠めんとするものであると口を

えて非を鳴らすでしょう」
「否とよ。まあしばらく黙って見ておれ。朕は、蜀もたすけず、呉も救わず、ただ正統に居て、両者が戦って力の尽きるのを待っておる考えじゃ。多くを言うな」
そこまでの深慮遠謀があっての事なら、何をか言わんやと、劉曄は慚愧して、魏帝の前を退いた。
四
外交の大成功と、孫権が呉王に封ぜられた吉報とは、早くも内報的に建業城へ伝えられていた。
やがて、魏の勅使刑貞が船で着いたと聞こえた。到着の日を待ちかねていた孫権は、
「お迎えに出なければ悪かろう」と、あわてて支度しかけた。
建業にも骨ッぽい臣はいる。孫権がいそいそ浮かれ気味の容子を見て、さっきから苦りきっていた顧雍がついにこう言った。
「何も魏の臣下などをお迎えに出るに及ばないでしょう。わが君にはすでに江東江南の国主ではありませんか。豈、今さら他人の官爵などを有り難がって受ける必要があるものですか」
「いや、顧雍。それは気が小さいことばだぞ、むかし漢の高祖は項羽から封を受けたこともあったが、後には漢中の王になられたではないか。みな時世時節と申すものだ」
群臣を従えて、孫権は建業の門を出た。遠く出て迎えの礼を篤くするためである。
刑貞は上国の勅使というのですこぶる傲然とそれへ臨んだ。しかも彼はあえて車を降りずに城門を通ろうとした。すると呉の宿将張昭は、はなはだしく怒って、
「待て。車上の人間は、礼を知らぬ野人か、偽使者か。あるいは呉に人なしと思うての無礼か、呉に剣なしと侮っての所業か」と、大喝を加えた。
すると、堵列の群臣も、声をあわせて、
「呉国三代、まだ他国に屈したことはない。しかるにこの非礼なる使者を迎えて、わが君に、他人の官爵をいただかせることの口惜しさよ、無念さよ!」
中には、激して、哭き声を発する者さえあった。
刑貞はあわてて車からとび降りて詫びた。そして堵列の将士にむかい、
「いま、哭き声で叫んだのは、だれでしたか」と、たずねた。
すると、言下に、
「それは、此方だが、何とした?」
と、名乗って出た大将がある。見れば偏将軍徐盛だった。
「......あなたか」
刑貞はもう一ぺんその者に非礼を謝して通った。そして心ひそかに、
(呉、侮るべからず)と、痛感したようであった。
しかし孫権はあらゆる礼遇と歓待とをもって使節に接した。そして大魏皇帝の名によって贈られた呉王の封爵も、
「ありがたく拝受いたします」
と、心からよろこんで受け、また即日、建業城中にこれを告げて、文武百官の拝賀をもうけた。
刑貞はまずよかったと心を安んじた。そして近く魏へ帰国する日となると、呉王は江南の善を尽くし美を尽くした別宴をひらき、席上、おびただしい土産ものを山と積んで、
「どうかお持ち帰りください」と、披露した。
大魏の宮中にいて豪華に馴れている刑貞も、その土産物の莫大なのに思わず目をまろくしたほどだった。
珠玉、金銀、織物、陶器、
犀角、
玳瑁、
翡
、
珊瑚、
孔雀、
闘鴨、
鳴鶏、世の七宝百珍にあらざる物はない。そしてそれは
金鞍の白馬百頭の背に美しく積まれて、江岸の客船まで送りとどけられた。
あとで宿老の張昭はつぶやくごとく呉王を難詰った。
「魏帝はきっと思い上がりましょうよ。いくら何でも、あのような礼物はあまりに過大です。媚態すぎました」
孫権は軽く笑った。
「いやいや、慾には飽くことを知らないのが人間だ。先に取ってはさほど過大とは思わないだろう。要するに、彼とは利をもって結ぶしかない。だが後には、あんな礼物はみな石瓦に過ぎんさ」
「なるほど」
張昭は急に顔を解いてうれしそうに頷いた。呉三代の主君に仕えて来た宿老として、とかく幼稚に思われてならなかった孫権がいつのまにかかくのごとき大腹中の人となって来たことが、涙のこぼれるほど有り難かったに違いない。
並居るほかの臣下も皆、孫権の深慮に嘆服した。
此の一戦
一
その後、蜀の大軍は、白帝城も溢るるばかり駐屯していたが、あえて発せず、おもむろに英気を練って、ひたすら南方と江北の動静をうかがっていた。
ときに諜報があって、
「呉は魏へ急遽援軍を求めたらしいが、魏はただ呉王の位を孫権へ贈ったのみで、曹丕の態度は依然、中立を固持しています」と、伝えて来た。
「朕の予測に過たず、曹丕は漁夫の利を獲んとするのであろう。よし、さらば立て」
帝玄徳は、断乎として、ここに初めて、帷幕から令を降した。
ところへ、南蛮の沙摩柯が、蛮土の猛兵数万をしたがえて参加するし、洞渓の大将杜路、劉寧のふたりも手勢を挙げて加わったので、全軍の戦気すでに呉を呑み、水路の軍船は巫口(四川省・巫山)へ、陸路の軍は柹帰(湖北省・帰州)あたりまで進出した。
逆まく長江の波、頻々、伝わる上流の戦雲に対し、呉は、
――国難来る。
と、異常な緊迫感に襲われつつも、一方、魏のうごきと睨み合わせる心理を多分に持っていた。
この際、他を恃むことの、いかに危険でまた愚かなことかを、孫権はすぐ覚った。魏は依然兵を出さない。
――で孫権はいよいよ一国対一国の大勝負を決意し、群臣にこれを諮ったが、閣議は粛然と無言の緊張を持つのみで、たれひとり自らこの一戦に当たらんと意気を昂げる者もなかった。
すると、一隅から
起って、

然とさけんだ者がある。
「君が千日兵を養い給うのは、ただ一日の用に備えんためである。僕はまだまだ黄口の若年ですが、こんな時こそ、日ごろの机上の兵学を、この敵愾心と誠忠の心をもって、君に酬わんと思う者であります。どうか小生をまっ先に派遣してください」
だれかと見れば、孫権の甥にあたる武衛都尉の孫桓だった。年歯わずか二十五歳の青年である。
「おお、わが甥か」
孫権は眼ざしを注いで、いかにも欣ばしげに、彼の願いを許容した。
「そちの家には、李異と謝旌という万夫不当な勇将も二人養っているそうだ。大いによかろう、征って来い。なお副将には、老練な虎威将軍朱然をつけてやる」
かくて呉軍五万は、宜都(湖北省)までいそいだ。朱然は右都督、孫桓は左都督として、各々二万五千を両翼に分かって、蜀に対峙した。
白帝城を出、柹帰を経、この宜都までのあいだ、蜀軍は進むところを席巻して、地方地方の帰降兵を収容し、ほとんど、颱風の前に草木もないような勢いだった。
「聞くならく呉の孫桓もまだ青眉の若武者だそうです。この第一陣には、それがしを出して、彼と戦わせて下さい」
帝玄徳が敵をながめている日、関興はこう願い出た。
さきに先陣を争って、喧嘩になりかけた例があるので、帝玄徳は、
「義弟の張苞もつれて行け」と、条件付きでゆるした。
関羽の子、張飛の子、ふたりは勇躍して、手勢をわけ、まるで黒旋風のごとく、呉軍のなかへ駈け入った。
玄徳はすぐ馮習、張南の二大将を呼び、
「心もとない。いずれもかかる大戦に臨むのは初めての若者輩だ。すぐ強兵をすぐって彼等の後につづけ」と、命じた。
結果は、実に蜀の大勝利となった。呉の大将孫桓も若いし初陣でもあったので、関興、張苞に完膚なきまで全陣地を蹂躙された。しかも左右の旗下と恃んでいた謝旌は張苞に討たれてしまうし、李異は矢にあたって逃げるところを、うしろから迫った関興のために、その大青龍刀で真二つにされてしまうという惨敗を蒙ったのであった。
ただ、張苞はあまり深入りしたので、気がついて引っ返そうとすると、関興の姿が見えない。もしやと、更に敵中へ駈け入って、
「義兄。義兄よ」
と声かぎり探していた。父関羽も父張飛も、ふたりの勇とこの情誼に、霊あらば地下で哭いていただろう。
二
曠野に陽も落ちて、あたりが真っ暗になっても、まだ張苞は帰らない。関興も帰って来ない。
「きょうの戦は、味方の大捷」
と、続々引き揚げて来る将士の声をきいても、帝玄徳はさらに歓ばない容子で、
「ふたりはどうしたか」と、野辺の陣に立って、ひたすら待ちこがれていた。
ようやく、その二人は、馬を並べて引き揚げて来た。見れば一人の敵将を捕虜として連れている。呉でも有名な譚雄という猛者だった。これを追って生け捕るために、関興は味方を遠く離れてしまい、やっと張苞に会って共に帰って来たのだと、帝へ語った。
「どっちも、父の名を辱しめない者だ」
帝玄徳は二つの手で、二人の肩をたたいて賞めた。そして譚雄の首を刎ね、篝火を焚いて、人馬の魂魄をまつり一同へ酒を賜わった。
序戦に大敗を喫したのみか、三人の大将まで討たれ、呉の孫桓は慚愧した。取りあえず陣を一歩退いて、
「この辱を雪がずんば」と、備えを立て直し、兵は多く損じても、戦意はいやが上にも熾烈だった。
蜀軍は、徐々と次の戦機を窺いながらも、
「あの意気では、ふたたび同じ戦法で行っても、先ごろのような快勝はつかめまい」
馮習、張南、張苞、関興、すべて同意見だったので、一計をめぐらしひそかに手配にかかった。
呉の左翼たる陸軍は破れても、近き江岸にある右翼の水軍はまだ無傷だった。その江岸の哨戒隊がある日、蜀の一兵を捕らえて、水軍の都督部へ引っぱって来た。
「どうして捕まったか」
「道に迷いましたので」
「何で味方の陣を離れてこんな所へ迷って来たのだ」
「主人馮習の密命で、今夜、孫桓の陣へ火を放って、夜討ちをかけるから、昼の間に、附近へ潜んでいろと、五十人ばかり出て来ましたが、後から油を運んで来るあいだに、部隊の者とはぐれてしまったのです」
この調べを、都督の朱然が聞いて、手を打ってよろこんだ。
「兵を陸へ揚げて、蜀軍が夜討ちに進む退路を断ち、逆に、孫桓としめし合わせて挾み撃ちにしてやろう」
すぐ書簡をしたためて、使いを孫桓の陣へ遣った。
ところが、その使は、途中で待ち伏せしていた蜀の兵に斬られてしまった。これはまったく馮習や張南のめぐらした計略なので、未然に、使いの通るのを察していたためである。
とも知らず、その夕方、朱然は大軍を船から上げて、すでに進もうとした。しかし大将崔禹は、
「どうも、少しおかしい。一士卒のことばを盲信して、これだけの行動を起こすのは、ちと軽率です。都督にはやはり水軍を守ってここに居てください。それがしが行きますから」と注意した。
朱然も、げにもと思い直し、自身は水軍にひかえて、崔禹に計をまかせ、一万足らずの兵をあずけた。
案のごとく、二更のころ、孫桓の陣に、猛烈な火の手が揚がった。火攻めのあることは、昼のうちに朱然から通じてあるものとしていたが、その使いが、その途中で斬られている事までは崔禹も思い到らなかった。
「それ援けに行け」と、にわかに急ぐと、途中の森林や低地から待っていたとばかり伏兵が起こった。張苞、関興ふた手の軍勢だった。
崔禹は生け捕られ、部下は大打撃をうけて、なだれ帰って来た。朱然は周章して、その晩のうちに船手の総勢を五、六十里ほど下へ退げてしまった。
一度ならず二度まで敗北した孫桓は、陣営ことごとく敵に焼かれて、無念のまなじりを昂げながらやむなく夷陵の城(湖北省・宜都・宜昌の東北)へ退却した。
蜀は仮借なくこれを追い込み、崔禹の首を刎ねて、いよいよ威を示した。そして序戦二回の大敗報は、やがて呉の建業城中を暗憺とさせた。
「王、さまで御心をいためることはありません。呉建国以来の名将はすでに世を辞して幾人もありませんが、なお用うべき良将は十余人ありましょう。まず甘寧をお招きなさい」
宿老張昭は励ました。
冬将軍
一
冬が来た。
連戦連勝の蜀軍は、巫峡、建平、夷陵にわたる七十余里の戦線を堅持して、章武二年の正月を迎えた。
賀春の酒を、近臣に賜うの日、帝玄徳も微酔して、
「雪か、わが鬢髪か。思えば朕も老いたが、また帷幕の諸大将も、多くは年老い、冬の陣も耐うるに徹えて来た。しかし関興、張苞の若いふたりが役立って来たので、朕も大いに気づよく思うぞ」
などと述懐した。
するとその日の午過ぎ、
「黄忠がわずか十騎ばかり連れて呉へ投降してしまった」という風聞が伝わった。
帝玄徳は告げる者に笑って、
「いや黄忠は今朝ここにおった。さだめし老気を励まして呉へ討ち入ったものであろう。朕の述懐こそ心なき呟きであった。――あわれや彼も七十の老武者、過ちさせては不愍である。関興、張苞、すぐ行って彼を救え」と、言った。
玄徳の推察は過っていない。実に黄忠はその通りな気もちで、わずか十騎をつれて、敵中に一働きして見せんと、途中、味方の夷陵の陣地を通った。
馮習、張南が、見かけて、
「老将軍、どこへ行くのか」と、たずねた。
黄忠は、

然と、帝の述懐を物語って、
「帝は賀春の席で帷幕みな多くは老い、物の用に立つものが少ないと宣うた。それがし、年七十にあまれど、なお十斤の肉を啖い、臂に二石の弓をひく、故に、これから呉軍に一泡ふかせて、帝の御心を安んじ奉ろうと思うのでござる」と、馬から降りもせず答えた。
「老人。それは無茶だ」
張南は極力なだめた。それこそ年寄りの冷や水といわないばかりに。
彼は諫めて言う。いまや呉の陣は去年とは内容が一変している。若い孫桓を後方に下げて、前線は、新たに建業から大軍をひきいて来た韓当、周泰など老練を配し、先手には璠璋、うしろ備えには凌統、そして呉随一の戦上手といわれる甘寧が全軍をにらんで遊軍という位置にある。しかもその数十万という新鋭。そんな所へわずか十騎をつれて何しに参られるか、と教えかつ大いに笑った。
しかし黄忠は耳にもかけず、其許たちは見物して御座れ、と一言言い捨てて行ってしまった。張南、馮習はあきれ顔に見送っていたが、
「さてさて、死に神にでもとりつかれたか。というて見殺しにも出来ず――」と、あわてて一軍を追い慕わせた。
黄忠はやがて呉の璠璋の陣中へかかった。わずか十騎で平然と中軍まで通ってしまったのである。変に思って番兵が味方を呼び立てたときは、彼はすでに主将璠璋と戦っていたのである。
「関羽が仇を報ぜんと、単騎ここに来る。かくいうは蜀第一の老骨黄忠なり」
と、そこの帷幕へ迫って大声に名のりかけたからである。
戦線に異変なく、中軍の内から起こった戦である。璠璋の外陣はみな前をすてて、中心へかたまって来た。
そこへ張南の一軍が、黄忠を援けに来た。また少しおくれて関興、張苞が、数千騎をつれて吹雪のように翔け暴れて来た。乱軍となって、璠璋は討ちもらしたが、合戦としては十二分の捷を占めて、いちど蜀は野を隔てた。
「御無事でよかった。さあ老将軍、帰りましょう」
張苞、関興などが引き揚げをうながすと、
「ばかな」
と、老人はうごかない。
「あすも戦うのだ。次の日も。――関羽のかたき奴を討ち果たさんうちは」
そして翌日はまた、この七十余齢の武者は、突撃の先に立って、
「璠璋、出でよ」と、四角八面にあばれ廻っていた。
けれど、きょうは呉にも、備えがあった。彼は地の利の悪い危地へ取り籠められた。血路をひらいて遁れようとすると、四方から石が飛び黒風が捲いて来た。そして右の山から周泰、左の渓流から韓当、うしろの谷から馬忠、璠璋というふうに、呉の軍勢は霧のごとく彼の退路を塞いでしまった。
二
豪気な黄忠も、いまはどうする事もできない。身には幾すじも矢を負い、馬は石に当たって斃れた。精は尽き、眼はかすみ、
「いまはこれまで」と、自ら首を刎ねて死のうとした。
呉の大将馬忠は、そのとき馬を飛ばして砂礫とともに駈け下りて来た。それを知るや黄忠は、
「死出の道づれに、望むところの敵」
と、断末魔の勇を鼓して、馬忠のまえに幽鬼のごとく立ちふさがった。
「そのような白髪首をまだ惜しむか」
馬忠の突いてくる槍の柄にしがみついて、黄忠は離さなかった。そのうちに四方の呉軍が何事か騒ぎ出したので、馬忠はいよいよ持て余し、かえって老黄忠のために槍を奪われ、その槍でりゅうりゅうと突きまくられた。
関興、張苞のふたりは、この山間に黄忠が追い込まれているのをようやく知って、それを救うべくこれへ急襲して来たのである。馬忠は身の危険をさとるとにわかに相手を捨てて谷ふところへ逃げ去ってしまった。
「老将軍。もう御安心なさい」
耳元で言われたが、黄忠はそれから後の事は何も覚えなかった。彼が気づいてみたときは、味方の陣中に安臥して、関興や張苞の手で看護されていた。
いや、だれかうしろで、自分の背を撫でてくれる人があるので、苦痛をこらえて、ふと振り向いて見ると、それは帝玄徳だった。
「老将軍。朕が過ちをゆるしてくれよ」
「あ......」と、愕いて、黄忠は起き上がろうとしたが、おびただしい出血と老衰とに、ただ苦しげな悶えをその表情に見せるだけだった。
「否とよ陛下。......陛下のような高徳の御方のそばに、七十五歳のこの年まで、久しくお仕えすることができたのは、実に人と生まれた冥加この上もありません。この命、なんで惜しむに足らん。ただ、龍体を守らせ給え」
いい終わると、忽然、息が絶えた。
陣外には、白天地の夜を、吹雪が吹き暴れていた。
「ああまた一
虎は

いた。五虎の大将軍、すでに

くもの三人」
成都へ彼の棺廓を送るの日、玄徳は曠野に立って灰色の雪空を長く仰いでいた。
「かくては」と、玄徳は自ら心を励まし、御林の軍をひきいて、凍る帝旗を、更に、猇亭(湖北省・宜都の西方)まで進めた。
はからずもこの附近で、呉の韓当軍と会戦した。張苞は韓当の唯一の部下夏恂を打ち破り、関興は周泰の弟周平の首をあげた。帝はこれを眺めて、
「虎の子に犬の子なし」と、手を打って感嘆した。
一戦一進、蜀陣は屍の山を越え、血の流れを渡って進んだ。帝座のあたりを守る白旄黄鉞、また黄羅の傘蓋まで、ことごとく凍って、水晶の珠簾が揺ぎ進むようだった。
呉の水軍を統率していた甘寧は建業を立ってくる時から体がほんとでなかったので冬に入ってはいよいよ持病に悩み、味方の頽勢すこぶる憂うべきものがあったが、ぜひなく陸上軍の退却とともに、彼も江岸を馬に乗って落ちて行った。
すると途中、待ち伏せていた蜀軍の南蛮部隊が、いちどに起こってこれを猛襲した。彼の軍はその大半以上が船中にあるので従えていた部下はごく少数だった。それに蛮軍の大将沙摩柯の勇猛さはまるで悪鬼か羅刹のようだったので、ほとんど、生き残る者もないほどな大殺戮に会ってしまった。
甘寧は、病体のうえに、沙摩柯の射た矢に肩を射られ、富池口(湖北省・公安の南)までひとり逃げたが、最期を覚ったとみえて、馬を大樹の下に捨て、その樹の根元に坐ったままついに落命していた。
二月に入った。
猇亭方面ではなお激戦が繰り返されていた。蜀軍の兵にはもう必勝の信念がついていたし、呉兵には戦えば必ず負けるものという臆心がこびりついていた。
ところが、その日の戦に、全軍凱歌して、引き揚げて来たのに、どうしたのか夜に入っても関興だけが一人帰って来なかった。
「見て参れ。気がかりな」
と、帝は張苞にもいいつけ、その他の将にも、手分けして探せよと命じ、深夜まで眠りに就かなかった。
慰霊大望
一
奮迅奮迅、帰るも忘れて、呉の勢を追いかけた関興は、その乱軍のなかで、父関羽を殺した璠璋に出会ったのである。
やわか遁すべき――逃げ走る璠璋を追ってついに山の中まで入ってしまった。が、その仇は惜しや見失ってしまい、道に迷って闇夜の山中を彷徨っていたのだった。
一軒の山家から灯がもれていたので、立ち寄って一飯一宿の恩を乞うと、
「さあ、どうぞ」と、ひとりの老翁が柴の戸をあけて内なる一堂へ導いた。あっと、関興はそこに立つや否、愕いて拝伏した。正面の小さい壇に明々と燈火を照らし、亡父関羽の画像が祀られてあるではないか。
「老翁。わしの父とこの家と、どういう縁故があったのか」
「では、あなた様は関将軍の御子息でございますな」
「されば、その関興だが」
「この地は、かつて関将軍が治め給うた領地でした。将軍の生けるうちすら、わたくしどもは御恩徳を頌えて、家ごとに朝夕拝しておりました。いわんや今、神明と帰し給うをや」
老翁は、そう言って、関興をねぎらい、この奇縁をよろこび、床下に蓄えていた酒瓶を開いて夜もすがら歓待した。
すると深夜、外から

を
烈しく
叩く者があって、
「開けろ。ここを開けろ。それがしは呉の大将璠璋だが、道に迷って困却いたした。朝まで母屋を貸してくれ」と、大声して訪れた。
関興は突っ立って、
「あらふしぎ。これぞ亡父の引き合わせであろう」と、外へ躍り出るや否、
「父の仇、璠璋、逃げるなかれ」と、組みついた。
不意をくった璠璋は、組み敷かれて、ついに首を搔かれてしまった。関興は歓喜して、その首を馬の鞍わきに括りつけ、老翁に別れを告げて立ち去った。
すると麓の方から璠璋の部下の馬忠が上って来た。見ると、主人の首を鞍につけた若武者が降りて来る。しかもその手に抱えているのは、主人璠璋が、関羽を討ったとき功に依って呉王から賜わった、関羽が遺愛の有名なる偃月の青龍刀だ。
「やあ、何奴なれば」と、怒髪を逆だてるなり馬忠は打ってかかった。関興はオオッと迎えて、これも父の仇の片割れ、いざ来いと、力を尽くして闘った。
ときに一彪の軍馬が炬火を振って登って来た。玄徳の命をうけて、関興を探しに来た張苞の一軍だった。「すわ、大敵」と、馬忠は逃げてしまった。張苞、関興のふたりは手を携えて味方の本陣へ帰り、帝にまみえて璠璋の首を献じた。
会戦このかた、連戦連敗の呉軍は、また璠璋を亡ってから、士卒のあいだには、
「とても蜀には敵わぬ」
という空気がどことなく漂って来た。
もともとこの軍には、さきに関羽を離れて、呉の呂蒙へ降参した荊州兵が多かったので、蜀帝にたいしては戦わないうちから一種の畏怖を抱いていたし、中には二心の者も相当にあった。
それらの兵は、この負け続きの虚に乗って、
「蜀の天子が憎んでいるものは、蜀を裏切って、関将軍を敵に売った糜芳、傅士仁の二人だ。だからあの二人の首を取って、蜀帝の陣に献上申せば、きっと重き恩賞を下さるにちがいない」
と、寄り寄り囁いて、不穏な兆候をあらわした。
糜芳、傅士仁は、身の危険を感じ出すと、
「これは油断がならん。味方のうちからいつ暴動が起こるかもしれない。蜀帝の憎み給うものは、むしろ馬忠にちがいない。いま、われらして馬忠の首を持ち、蜀帝のまえに赴いて前非を悔ゆるなら、きっとお許しあるは疑いもないことだ」
と相談して、自分たちの首を取られない前に、一夜彼等は馬忠の寝首を搔いた。そしてその首を取るや否、脱走して蜀の陣へ駈け込んでしまった。
二
糜芳と傅士仁ふたりを脚下に見ると、帝玄徳は怒龍のごとき激色をなして罵った。
「見るも浅ましき人非人ども、なんの面目あってこれへ来たか。ひとたび窮すれば、関羽を呉へ売り、ふたたび窮すれば、呉を裏切って馬忠の首を咥え来る。その心事の醜悪、行為の卑劣、犬畜生と言うもなお足らぬ。もし汝等をゆるさば百世の武門を廃らし、世の節義は地に腐えるであろう。更に関羽の霊位に対しても、断じて生かしておくことはできない。――関興関興、この仇二人は汝に授ける。首を刎ねて、父の霊を祭るがよい」
関興は、雀躍りして、
「ありがとうございまする」
と両手にふたりの襟がみを摑んで関羽の霊前まで引き摺って行き、首を斬ってそこに供えた。
本望をとげた彼のよろこびに引き代えて、張苞は、ひとり悄れていた。帝はその心事を察して、
「まだ汝の亡父を慰めてやれぬが、やがて呉の国に討ち入り、建業城下に迫る日は、必ず張飛の仇も雪がずには措かぬ。張苞よ、悲しむなかれ」と、宥わった。
ところがこのころすでに、その仇なる范疆、張達の両人は、身を鎖で縛められ、檻車に乗せられて、呉の建業から差し立てられ、道中駅路駅路で庶民の見世物に曝されていたのであった。
なぜかというに。
相継ぐ敗戦の悲報で、呉の建業では、常に保守派と視られる一部の重臣側から、急激に和平論が擡頭していた。この一派の意見としては、
(もともと、蜀は呉と結びたがっていたものだ。それが今日のように国を挙げて敵愾心を奮い起こして攻めて来たのは呂蒙、璠璋、傅士仁、糜芳などに対する憤怒で、今はそれ等の者もみな亡んでしまった。残っているのは、范疆、張達の二名に過ぎない。しかしあんな人物のために、呉のおびただしい代償を払う理由などは毫もない。早々召し捕って、張飛の首と共に、蜀の陣へ返してやるべきである、――そして荊州の地も玄徳へもどしてやり、呉妹夫人も元の室へお送りあるように、表をもって和を求めたなら、蜀軍はたちまち旗を収め、これ以上、呉が天下に威信を墜とすことはないであろう。現状の推移にまかせていたら、ついにこの建業の城下に蜀の旗を見るような重大事に立ちいたるやも測り知れぬ)
と言うのであって、それにはもちろん、主戦派の猛烈な論争も火のごとく駁されたが、結局、一日戦えば一日呉の地が危うく見えて来たので、孫権もそれに同意する結果となってしまったのである。
で、程秉を使者として、書簡をささげて、猇亭へいたらしめた。すなわち彼は、檻車のうちに囚えて来た范疆、張達の二醜に添うるに、なお沈香の銘木で作った匣に塩浸しとした張飛の首を封じ、併せて、蜀帝玄徳の前にさし出した。
玄徳はこれを納めた。
そして、二醜は、
「孝子へ与えん」
と、張苞の手にまかせた。
張苞は、額をたたいて、
「これぞ、天の与えか」
と、躍りかかって、檻車の
鉄
を開き、ひとりひとり
摑み出して、猛獣を
屠殺するごとく
斬り殺した。
そして、二つの首を、父の霊に供えて、おいおい声をあげて哭いた。呉の使いの程秉は、それをながめておぞ毛をふるった。
玄徳は沈黙している。そこで程秉が、
「主君の仰せには、呉妹君をもとの室へお返しして、ふたたび長く好誼をむすびたいと、切に御希望しておられる次第ですが」
と回答をうながした。
玄徳は、明瞭に、その媚態外交を、一蹴した。そして、
「朕のねがいはこれしきの事にとどまらん。呉を討ち、魏を平らげ、天下ひとつの楽土を現じ、光武の中興に倣わんとするものである」
と明らかに宣した。
一書生
一
程秉は逃げ帰るように急いで
呉国へ引き揚げた。その結果、ふたたび
建業城中の大会議となって、閣員以下、呉の諸将は、今さらのごとく
蜀の
旺盛な戦意を再認識して、満堂の
悽気、
恐愕のわななき、

うべくもなかった。
「諸員。何をか恐れるか。呉には、幸いにも、国家の柱ともいうべき大才が生まれておる。なぜ各位は、かかる時、この人を王にすすめて、もって蜀を破ろうとしないのか」
ときに一議席からこう提唱した者がある。闞沢、字は徳潤であった。
孫権はにわかに
眼を

かして、
「わが呉下に、そのような大器量な人物が居ようとは、予もまだ知らなかった。いまや呉は危急存亡の境にある。もし呉を興すほどな真の大才にして野におるならば、我はその人の履を取って迎える事でもするであろう」と、そのだれなるかを、闞沢に質した。
闞沢がそれに答えて、
「余人でもありません。それはいま荊州にいる陸遜です」
と言うと、議場はたちまちがやがやし出して、中には、嘲笑の声すら聞こえた。
「......?」孫権は首をかしげている。諸人は騒然と非を囁く。そして張昭、顧雍などの重臣連も、苦笑をたたえて、こもごも反対した。
「呉の国柱と仰がれた人は、その初めを周瑜公となし、次いで魯粛公がこれを享け、先ごろまでは、呂蒙公をもって、国家の大事も、この人あればと、衆みな信望していたものでした。――ところが、いま呂蒙も亡く、国中この難局に心をいため、これ等の故人を、仰ぎ慕うこと、寔に切なるものがありますが、まだもって、黄口の一儒生にすぎない陸遜を目して、護国の英傑と恃むものは一人もないでしょう。闞沢はなにを勘ちがいされたか」
張昭がいうと、顧雍も、
「陸遜は元来、文字の人で、軍事には何の才もありはしない。それに年は若いし、世の儒生と同じように柔弱で、どう贔屓目に見ても、取り立てて是というほどな秀才とも思われぬから、おそらくは用いてみても、部下の諸将が彼に服すまい。上将に服せざるは乱の兆という。要するに、彼を用いて、蜀を破らんなどとは、痴人の夢にすぎないものだ」
と、痛烈にこき下ろした。
そのほか反対者はずいぶん多かったが、孫権は一同の反論を退けて、
「陸遜を呼べ」と、すぐ荊州へ早馬をもって命を伝えた。彼にその英断を下させたものは、闞沢が、
(もし私の言に誤りがあったら私の首をお取りになってもよい)
とまで、責めを一身に負って推挙に努めたにも依るが、もっと心をうごかしていたのは、死んだ呂蒙が生前に陸遜を賞めていたことばであり、また、
(あの呂蒙が、自分の代わりに荊州の境の守りに抜擢したほどの者とすれば、年は若くても、何か見どころのある人物にちがいあるまい)と、考えたからであった。陸遜は、召しに依って、急遽、建業へ帰って、呉王に謁した。そして呉王から、この大任をうけて、汝よくそれに応うる自信ありや、と問われると、陸遜は、
「国家存亡の時、辞すべきではありませんから、謹んで大命を拝します」
と、言外に自信をほのめかしてから、こう言い足した。
「御口ずから大命を降したもう以上、これで充分ですが、願わくば文武の諸大将をことごとく召して、厳かな儀式を営まれ、その上で御命の剣を臣にお授けください」
孫権は、承知した。
そこで建業城の北庭に、夜を日についで台を築かせ、百官を列し、式部、楽人を配して、陸遜を壇に登らせた。
そして呉王孫権手ずから剣を授け、また白旄、黄鉞、印綬、兵符などすべてを委して、
「いま足下を封じて大都督護軍鎮西将軍とし、拝して婁侯の称を贈る。以後、六郡八十一州ならびに荊州諸路の軍馬を総領せよ」
と、陸遜に大権をゆだねた。
二
陸遜が新たに総司令官として戦場へ臨むという沙汰が聞こえると、呉の前線諸陣地にある諸将は、はなはだしく不満をあらわして、口々に、
「あんな黄口の小児が、大都督護軍将軍に任ぜられるとはいったい何事だ」
「あんな文弱の徒に、軍の指揮ができると思うておられるのか」
「呉王のお旨が解し難い。これは何か周囲の者の策謀に依るものだろう」
などと、早くも呉の全面的崩壊を口に言う者すらあった。
そこへ陸遜は着任した。
荊州諸路の軍馬を集め、丁奉、徐盛などの諸将を新たに加えて、堂々と新鋭の旗幟を、総司令部に植えならべた。
けれど従前から各部署にいる大将連は、昂然として、みなあえて服さない色を示していた。賀を陳べて来る者すらない。
陸遜はすこしも気にかけるふうもなく、日を量って、(軍議をひらくに依り参集あるべし)と通告を発し、その日、やむなく集まって来た諸将を下に、彼は一段高い将台に立って、こう言い渡した。
「自分が建業を発するとき、呉王は親しくこの身に宝剣印綬を授けたまい、閾の内は王これを司らん、閾の外の事は将軍これを制せよ。もし配下に紊す者あらば、まず斬って後に報ずべしとまで仰せられた。――自分は王のこの御信任に感泣して、一身を顧みるいとまもなくかくは赴任して来たわけである」
と、まず抱懐の一端をのべて味方のうちにある根拠なき妄説の一つを粉砕し、また、
「軍中つねに法あり。王法に親なしとも言う。各部隊は層一層、軍律を厳に守られたい。もし肯かずんば、敵を破るまえに、内部の賊を斬らん」と、語尾つよく宣言した。
諸人は黙然としてただ仏頂面を反けていた。するとその不満組の一人たる周泰がすこしすすんで将台の上へ呼びかけた。
「さきに前線へ来て悪戦苦闘を続けておられたわが呉王の甥君たる孫桓は、先ごろから夷陵の城に取り籠められ、内に兵糧なく、外は蜀兵に遮断されておる。いま大都督の幸いにこれに臨まれた上は、一日もはやく妙計をめぐらして、まず孫桓を救い出し、もって呉王のお旨を安め奉り、あわせてわれ等の士気を昂揚されたい。――借問す、大都督には、かかる大計をお持ちなりや」
陸遜はほとんど問題にしなかった。
「夷陵の一城などは、枝葉にすぎない。それに孫桓はよく部下を用いる人だから必ず力を協せてよく守るだろう。急に救わなくても落城する気づかいはない。むしろ自分が破ろうとするのは蜀軍の中核にある。敵の中核が崩れれば、夷陵のごときはひとりでに囲みが解けてしまうのである」
聞くと諸将はみな、どっと嘲笑って、
「果たせるかな、この人、無策」と侮蔑のささやきを交わしながら退散した。
韓当、周泰のふたりなどは、
「かかる大都督を上にいただいていては滅ぶしかない」と、面色を変えたほどだった。
すると次の日、大都督の名をもって、各部署へ、(攻め口をかたく守り、あえて進まんとするなかれ。一人出でて戦うもこれ禁ず)
という軍令が迫った。
「ばかな。もう黙っては居られない」
諸将は、憤懣、不平の眦をそろえて、大都督部へ難詰に押しかけた。
「われわれは戦に来ているものだ。すでに命を捨ててここに来ている。しかるに、これ以上、手を拱いて、自滅を待つような命を発せられるとは、いかなるお考えであるか。よも、わが呉王としても、そんな消極的なお旨で貴公を任じられたわけではあるまい」
韓当、周泰などを先にして、各々、口を極めて反対すると、陸遜は手に剣をとって、
「自分は一介の書生にすぎぬが呉王に代わって諸君に令を下すものである。これ以上、異論をさしはさむにおいては、何者たるを問わず、斬って軍律を明らかにするぞ」
と声を励まして叱咤した。
三
諸将は黙った。恐れを抱いてみな帰ってしまった。しかしだれひとり陸遜に服しはしない。むしろ来た時よりも、憤懣を内にふくんで、
「青書生めが、急に権力をもつと、ああしてやたらに威張ってみたくなるのだろう」
などと帰路でめいめい口ぎたなく嘲笑を交わしていた。
こういう間に、士気いよいよ高い蜀の大軍は、猇亭から川口にいたる広大な地域に、四十余ヵ所の陣屋と壕塁を築き、昼は旌旗雲と紛い、夜は篝火に天を焦がしていた。
「呉軍の総司令は、こんど陸遜とかいう者に代わったそうだが、聞いたことのない人物である。たれか彼を知っておらぬか」
敵の組織に改革が行なわれたと伝えられて来た日、蜀帝はすぐ左右に問うた。
答えたのは、馬良である。
「敵は思いきった人物を登用したものです。陸遜は江東の一書生でまだ若年ですが、呉の呂蒙すら、先生と敬って、決して書生扱いにはしなかったと聞いています。深才遠計、ちょっと底が知れない男です」
「それほどな才略を、なぜ今日まで呉は用いずに来たのであろう」
「おそらく彼の親しい友人でも、彼にそんな器量があろうとは、だれも知らなかったのではないでしょうか。さすがに呂蒙は目が高かったとみえ、はやくから彼を用い、呉軍が荊州を襲ったのも、関羽を一敗地に仆したのも、呂蒙の奇略といわれていますが、実はすべて、陸遜の智囊から出たものでした」
「では、陸遜こそ、わが義弟を討った仇ではないか」
「そう言ってもよろしいでしょう」
「なぜはやく告げなかった。さる仇敵ならば一日とて、朕が旗の前に誇らしては置かなかったものを。すぐ兵を進めよ」
「まず、御熟慮を仰ぎます。陸遜の才は、呂蒙に劣らず、周瑜の下でもありません」
「汝は、朕の兵略が、黄口の豎子にすら及ばんというか」
馬良はこれ以上いさめる語を知らなかった。帝玄徳は、諸将に令して、陣を押し進めた。
とかく一致を欠いていた呉の陣営も、蜀の猛陣をまぢかに見ては、もう私議私憤をとり交わしてはいられない。俄然、団結して総司令部の帷幕にかたまり、いかに迎え撃つべきかの指令を、陸遜の眉に求めた。
「現状固守、みだりに動くなかれ。それだけだ」
陸遜はそれだけ言うと、
「や。あの山上は、韓当の持ち場ではないか。鋭気があり過ぎる」
心もとなく思ったか、自身馬をとばして、そこへ馳せて行った。そして、
「韓当。軽々しく山を下るな」
と、今しも、兵馬を

えて、敵前へ
駈け下ろうとする彼を押し
止めた。
韓当はいきり立って、
「大都督、あれを見ないか、野にひるがえる黄羅の傘蓋こそ、まさしく蜀帝の陣坐するところだ。目前、それを見ながら、内に屈んでいるほどなら、もう戦などはせぬがいい」
「敵の奇変を見ず、ただ形を見れば、そう思うのはむりもない。蜀の玄徳ともある者が目に見えるだけの布陣をもって、身を呉の陣前に曝すわけはない。――浅慮に彼の罠へ士卒を投じるの愚をなすな。幸いなる哉、ときは今、大夏のこの炎天。われ出でず戦わず、ひたすら陣を守って日を移しておるならば、彼は、曠野の烈日に、日々気力をついやし、水に渇し、ついには陣を引いて山林の陰へ移るであろう。そのときに至れば、かならず陸遜は号令一下、諸将の奮迅をうながすであろう。将軍、これも呉国のためだ。乞う、涼風を懐中に入れて、敵の盲動と挑戦を、ただ笑って見物して居給え」
全線どこの部署も、うごかないので、韓当もやむなく、

を握って、陸遜の命のままに、じっとしていた。
蜀軍はさんざん悪口嘲弄を放って、呉の怒りをしきりに誘った。
白帝城
一
敵を誘うに、漫罵愚弄して彼の怒りを駆ろうとするのは、もう兵法として古すぎる。
で、蜀軍はわざと虚陣の油断を見せたり、弱兵を前に立てたり、日々工夫して、釣り出しを策してみたが、呉は土龍のように、依然として陣地から一歩も出て来なかった。
一木の日陰もない曠野だった。夜はともかく昼の炎暑は草も枯れ土も燃えるようだった。それに水は遠くに求めなければならないし、病人は続出するし、士気はだれて、どうにも収拾がつかなくなった。
「いかん。一応、他へ陣を移そう。どこか涼しい山陰か水のある谷間へ」
帝玄徳も、ついにこの布令をなさずにはいられなくなった。
すると馬良が注意して、
「いちどにこれだけの軍を
退いては大変です。かならず
陸遜の追撃を

いましょう」と、言った。
「案じるなかれ、弱々しい老兵を殿軍にのこし、いつわり負けて逃ぐるをば、敵がもし図に乗って追って来たら、朕みずから精鋭を伏せて、これを討つ。敵に計ありと覚えれば、うかと長追いはして来ないだろう」
諸将は、それこそ帝の神機妙算なりと称えた。けれど、こう説明を聞いてもまだ馬良は不安そうに、
「このごろ、諸葛孔明はお留守のいとまに、折々、漢中まで出て来て、諸所の要害を、いよいよ大事と固めている由です。漢中といえば遠くもありませんから、大急ぎでこの辺りの地形布陣を図に写して使いにもたせ、軍師の意見を御下問になられてみた上、しかるべしとあれば、その後で陣をお移し遊ばしても遅くはないかと思われますが」
と、なお止めたい顔をしていた。玄徳は微笑して、
「朕も兵法を知らない者ではない。遠征の途に臨んで、何でいちいち孔明に問い合わせを出しておられよう。しかし折よく孔明が漢中まで来ておる時であるから、汝が行って、朕の近況を伝え、また戦の模様を語っておくのもよかろう。そして何か意見あらば聞いてまいれ」
と、馬良にその使いをいいつけた。
馬良は承って、敵味方の布陣から地形など、克明に写して行った。こう紙の上に描き取ってみると、それは四至八道という対陣になっていた。
次の日である。
呉の物見は、ひとつの山の上から鞠の転がるように駈け下りて、
「蜀の大軍が、次々と、遠い山林の方へ、陣を移し出しました」
と、韓当、周泰の前に急報した。
「やっ。そうか」
と、ふたりはまた、大都督陸遜の陣まで馬を飛ばして、
「ただ今、かくかくの報せがあった」と、告げた。
このときの陸遜の顔はちょうど旱天に雨雲を見たように、何ともいえぬ歓びを明るい眉にあらわしていた。
「オオ。そうか!」
「大都督。すぐ全軍へ、追撃の令を発して下さい」
「いや、待った。――来給え我輩と一緒に」
馬を並べて、高地へ馳けた。
報告だけでは、まだうかつに行動できないとするもののように、彼はその目で、曠野を一眸に見た。
「......なるほど鮮やか」
陸遜は、感嘆の声を放った。兵を退くのは進む以上の技術を要するという。今見れば蜀の大軍は掃いたようにもうあらかた引き揚げていた。そして、呉の陣線の前には、殿軍の一隊が、一万たらず、残っていた。
「しまった。兵機は一瞬に過ぎるというに、大都督の悠長さが、またしても、絶好なときを逸してしまったではないか。この上は、韓当とそれがしとで、あの一万だけでも、殲滅してくれねば気がすまん」
周泰が地だんだ踏んで言うと、陸遜はそれすら抑えて、
「いや、もう三日待ち給え」
と、鞭をあげて、あらぬ方角を指しながら、あえて、逸り立つふたりの言は、耳にもいれなかった。
二
周泰は、憤然として、
「一刻を過ったために、この勝機を逸したのに、三日も待っていたら、一体どうなるのだ」
相手にするも莫迦莫迦しいと言わんばかり横を向いて地に唾した。
しかし陸遜は、なお鞭をあげたままかなたを指して、
「そこの谷間、先の山陰などに、陰々たる殺気がある。思うに蜀の伏兵であろう。さるを殿軍に、弱体の老兵ばかり一万も残して、敵が遠く退いたのは、われを誘わんとする、見えすいた謀にちがいない」と説明した。そしてかたく一同の出撃を禁じ、本陣へ帰ってしまった。
「何たる懦弱さ」
「書生論の兵学だ。いやはや......」
人々は陸遜の怯懦を嘲って、もう成るようにしか成らない戦と――匙投げ気味に部署に就いていた。
その足もとをつけ込んでか、蜀の老兵は、呉の陣前で、わざと甲を解いて昼寝したり、大欠伸をしてみせたり、またさんざんに悪口を放ったりして、
「出て来い。来られまい」
と、揶揄しつづけた。
「もう我慢ができない」
と周泰、韓当などの諸将は、三日目にまた陸遜のところへ詰めかけて来た――が、陸遜は依然としてゆるさず、
「匹夫の勇に逸るなどは、各々の任ではあるまい」と、ほろ苦い顔して圧えた。
周泰は

ってかかるように、
「もし蜀勢がことごとく、遠く退陣してしまったら何となさる?」
と、たたみかけた。陛遜は一言の下に、
「それこそ我輩のねがう所で、大慶この上もない」と、言った。
人々は大いに笑った。なるほどそれを唯一の願いとしているのでは無理もない。呆れ果てた大都督よと、その人の目の前で手を叩くという有様であった。
するとここへまた、物見隊の一将が来て、
「今朝がた、靄ふかきうちに、敵の老兵ども一万も、いつのまにか殿軍の地を退いて消え失せ、間もなくまた、谷間の底地から、約七、八千の蜀勢があらわれ、黄羅の傘蓋を囲んで、悠々、遠くへ退いてゆくのが見えました」と、報告した。
「ああ、それこそ玄徳だ。討ち洩らしたり」
と諸将はまた口惜しがったが、陸遜は、次のような解釈を下して宥めた。
「玄徳は一世の英雄。いかに各々が切歯したところで、彼が正陣を布いているうちは、打ち破ることはできない。ただ長陣となっては、この炎暑と病人の続出と、士気の惰することは、いかんともすることができず、ために、水辺へ陣を移したのだが、それにも入念に計を設け、わざと弱々しい老兵軍をのこして我を誘い、自身は精鋭をそろえて、谷間にかくれていたものだろう。しかし、三日を待つといえども、わが呉軍がうごかないので、ついにしびれを切らして立ち去ってしまった。――順風徐々と我に利あり、見給え諸君、もう十日も出ないうちに、こんどこそ蜀軍は四分五裂の滅亡を遂げるから」
諸人は、またかという顔して、鼻先で聞いていた。ことに韓当は忌々しげに、
「なるほど。わが大都督は、立派な理論家でいらっしゃる」と、嘲言を弄した。
それらの者を目にも入れず、陸遜は即座に一書簡をしたためた。呉王孫権へ上すものであった。その書中にも彼は、
(蜀軍の全滅は近きにあります。大王以下、建業城中の諸公も、もはや枕を高うして可なりと信じます)と、書いていた。
蜀軍の方では、その主力を水軍に移し始めていた。陸路には猇亭の要害があり、陸遜の重厚な陣線がある。いずれも粘りづよく頑張るのでいたずらに日を費やすのみと、玄徳はやや急を求め始めたのだった。そして呉国の本土へ深く攻め入り、有無なく、呉王孫権との決戦を心に期していたものと思われる。
それかあらぬかここ数日間、蜀の軍船は続々と長江を下り、江岸いたるところの敵を追ってはすぐそのあとに基地とする水寨を築いていた。
三
蜀と呉の開戦は、魏をよろこばせていた。いまや魏の諜報機関は最高な活躍を示している。
大魏皇帝曹丕は、あるとき、天を仰いで笑った。
「蜀は水軍に力を入れて、毎日百里以上も呉へ前進しているというが、いよいよ玄徳の死に際が近づいて来た」
側臣は怪しんで訊ねた。
「そのおことばはいかなる御意に依るものですか」
「わからんか、お前たちには。すでに蜀軍は陸に四十余ヵ所の陣屋をむすび、今また数百里を水路に進む。この蜿蜒八百里にわたる陣線に、その大軍を配すときは、蜀七十五万の兵力も、極めて薄いものとなってしまう。加うるに、陸遜の陣を措いて、水路から突出したのは、玄徳が運の極まるものというべきだ。古語にも言う――叢原ヲ包ンデ屯スルハ兵家ノ忌ミ――と。彼はまさにその忌みを犯したものだ。見よ、近いうちに蜀は大敗を招くから」
だが、群臣はなお信じきれず、かえって蜀の勢いを怖れ、
「国境の備えこそ肝要ではありませんか」
と言ったが、曹丕は否と断言して――
「呉が蜀に勝てば、その勢いで、呉が蜀へ雪崩れこむだろう。この時こそ、わが兵馬が、呉を取るときだ」と、掌を指すごとく情勢を説き、やがて曹仁に一軍をさずけて濡須へ向かわせ、曹休に一軍を付けて洞口方面へ急がせ、曹真に一軍を与えて南郡へ遣った。かくて三路から呉を窺って、ひたすら待機させていたのは、さすがに彼も曹操の血をうけた者であった。
× × ×
蜀の馬良は、漢中に着いた。ときに孔明は漢中に来ていた。
「御意見もあらば伺って来いとの帝の仰せでありました。わが軍は、八百余里のあいだ、江に添い、山に拠り、いまや四十数ヵ所の陣地をむすび、その先陣は舟行続々呉へ攻め下っている勢いにあります」
自分で写して来た例の絵図をも取り出して、つぶさに戦況を伝えた。
しまったと言わぬばかりに、孔明ははたと膝を打って嘆じた。
「ああいけない! だれがそんな作戦をおすすめしたのか」
「他人の容喙ではありません。帝御自ら遊ばした布陣です」
「ううむ......漢朝の命数すでに尽きたか」
「なぜさように落胆なされますか」
「水流にまかせて攻め下るは易く、水を溯って退くは難い。これ一つ。また叢原をつつんで陣屋をむすぶは兵家の忌み、これ二つ。陣線長きに失して力の重厚を欠く、これ三つ。......そうだ、馬良、足下はすぐ大急ぎで戦場へ帰れ。そして孔明の言を奏して、禍を避け給えと、極力お諫め申しあげてくれ」
「もしその間に、陸遜の軍にお敗れ遊ばしたときは?」
「否々。陸遜は深くは追って来ない。何となれば、彼は魏が機会を狙っていることを、知らないでいるはずはない。――もし事急に迫った場合は、帝を白帝城に入れ奉るがよい。先年、自分が蜀に入るとき、後日のため、そこの魚腹浦に、十万の兵を伏せておいた。もし陸遜がうかうか追って来れば、彼は生け捕られるばかりだろう」
「魚腹浦なら何度も住来していますが、ついぞ一兵も見たことはありません、噓でしょう、今のおことばは」
「いや、今にわかる」
一章を認めて、孔明は成都へ帰り、馬良はふたたび呉の戦場へ馬をとばした。
× × ×
呉の陸遜はすでに行動を開始していた。――機到れりと、諸軍をわけて、まず江南第四の蜀軍を捕捉にかかったのである。
そこは蜀の一将傅彤が守っていた。これへの夜襲に、呉の凌統、周泰、韓当などが、われこそと挙って先鋒を志願したが、陸遜は何か思う旨があるらしく、
「淳于丹に命じる」
と、特に指名して五千騎をさずけ、徐盛、丁奉を後詰めにさし向けた。
四
特に選ばれた奇襲の任を名誉として、その夜、蜀の第四陣へ襲せた淳于丹は、思いもかけぬ南蛮勢や敵将傅彤の武勇に撃退されて、ひどい損害をうけたのみか、一命まで危ないところを、からくも後詰めの丁奉と徐盛の二軍に救われて帰って来た。
「面目もありません。軍律に照らして、敗戦の罪をお訊し下さい」
満身にうけた矢を抜きもあえず、彼は陸遜の前に出て詫び入った。
「少しも御辺の罪ではない」
陸遜はあえて科めない。むしろ自分の罪だと言って、
「まこと昨夜の奇襲は、蜀の虚実を知るため、淳于丹をもって、ちょっと当たらせてみただけに過ぎない。しかしそのため、我輩は蜀を破るの法を悟った」
徐盛が隙かさず質問した。
「昨夜のような事を繰り返していたらいたずらに兵を損じましょう。破る法とは?」
「それは今、天下に孔明よりほか知るものはないだろう。幸いに、この戦陣に孔明はいない。これ天が我輩に成功を与えるものだ」
螺手を呼んで、彼は貝をふかせた。陣々大小の将士はそれによってたちまち彼の前に集合した。すなわち陸遜は軍令壇に立って諸大将に大号令を下した。
「われ戦わぬこと百数十日。天雨を注がぬこと月余。いまや機は熟し、天の利、地の利、人の利ことごとく我にあり矣。――まず朱然は、茅柴の類を船手に積み、江上に出て風を待て、おそらくは明日の午の刻を過ぎるころから東南の風が波浪を捲くだろう。風起こらば江北の敵陣へ寄せ、硫黄焰硝を投げて、彼の陣々を風に従って焼き払え。――また韓当は一軍を率いて、同時に江北の岸へ上陸する。周泰は江南の岸へ攻めかかれ、そのほかの手勢は臨機に我輩のさしずを待て。かくて明夜をいでず、玄徳のいのちは呉の掌のうちのものとなろう。いざ征け」
大都督の就任以来、このように積極的な命令が発せられたのは初めてであるから、朱然、韓当、周泰などもみな勇躍して準備に就いた。
果たせるかな、翌日午の刻のころおいから、江上一帯に風波が立ちはじめた。その折、蜀の中軍に高々と翻っていた旗が折れた。
「そも何の兆か」
玄徳が眉をひそめると、程畿が奉答した。
「これ、夜襲ちの兆と古くから言われています」
するとそこへ江岸を見張っている番の一将が来て知らせた。
「昨夜から江の上に、無数の舟が漂って、この風浪にも立ち去りませんが」
玄徳は頷いて、
「それはもう聞いておる。擬兵の計であろう。令なきうちは、みだりに動くなと、舟手へも厳戒しておけよ」
次にまた一報があった。
「呉軍の一部が、東へ東へと、移動してゆくそうであります」
「しきりに誘いを試みておるものと思われる。まだうごく時機ではない」
やがて日没のころ、江北の陣地から煙があがった。失火だろうと眺めていると、少し下流の陣からもまた火が揚がった。
「この強風に心もとない。関興、見廻って来い」
宵になっても火は消えない。いや北岸ばかりでなく南岸にも火災が起こった。玄徳はすぐ張苞を走らせて、万一の救けにさし向けた。
「いぶかしい火である」
夜空はいよいよ真っ赤に焦げただれるばかりだった。波の音か、人間の叫喚か、すさまじい烈風が飛沫を捲き、砂をとばした。
「や、や。御本陣の近くにも」
だれやらがふいに絶叫した。
乾ききッている木の葉がちりちり焼け出している。それは帝玄徳の陣坐するすぐ附近の林からであった。
「すわ」
と、彼の帷幕が狼狽を起こしたときは、敵か味方か、見分けもつかぬ人影が、右往左往、煙の中を馳け乱れていた。
「敵だっ。呉兵だっ」
玄徳の
眼の前で、もう激しい戦闘が描き出された。彼は、諸人に囲まれて、馬の背へ押し上げられていた。けれど、そこから味方の
馮習の陣まで走るあいだに、
戦袍の
袖にも、馬の
鞍にも、火が燃えついていた。いや走る大地の草も空の

も火となっている。
五
――ところが、辿りついた馮習の陣も、真っ黒な混乱の最中だった。ここでは火ばかりでなく、呉の大将徐盛が襲って、猛烈な炎を味方として、攻め立てていたのである。
「こは、何事?」と、玄徳は茫然としかけた。敵の計の渦中に墜ちているときは、自身の位置が的確にわからないものだった。玄徳の心理はそれに似ていた。
「だめです。ここも危険です。この上は、白帝城へ、一刻も早く白帝城へ」
だれか、
従のうちで叫ぶ。その声はわななき、それに答える声は、煙にむせぶ。
夢中で、彼は駒をとばした。焰の中を。煙の中を。それを見て、馮習は、
「お供せん」と、十数騎つれて、追い慕って来たらしかったが、途中、徐盛に出合って、部下もろとも討たれてしまった。
「それ、玄徳を生け捕れ」
と馮習の首をあげた徐盛は、勢いを加えて、道を急いだ。
玄徳の前にはまた、呉の丁奉が一軍を伏せて待っていた。
当然、挾撃されて、進退きわまってしまった。
もしここへ、味方の傅彤や張苞などが馳けつけて来なかったら、彼の運命は呉の大将どもに託されていただろう。しかし折よく彼を慕って来た味方の救いが間に合ったので、だんだんと厚い囲みに守られ、馬鞍山をさして逃げ落ちた。
山の頂まで逃げ上って、玄徳は初めて人心地をよびもどした。さあれそこの高きから一方の闇を見渡せば、驚くべし、蜿蜒七十里にも連なる火焰の車輪陣が、地を焦き空を焦がしている。ここに立って初めて、玄徳は陸遜の遠大な火計の全貌を知ったのであった。
「恐るべきは陸遜だ」
時すでに遅く、彼が天を仰いで痛嘆したとき、その陸遜の軍は、馬鞍山のふもとを厚く取り巻いていた。そしてこの一山も火と化してしまうつもりか、諸方の山道から火をかけた。百千の大火龍は、宙をのぞんで、攀じのぼって来る。
金鼓のあらし、声のつなみ、玄徳を囲む一団は、立ち往生のほかなかった。しかし血気な関興、張苞などが側らにある。
「お気づかい遊ばすな」
と、火炎のうすい一道から江岸へ出る麓へ向かって遮二無二馳け降って行った。
ところが、焰の見えないこの道には陸遜軍の伏兵が待っていた。突破して、危地は抜けたものの、伏兵は数を加えてどこまでも追撃してくる。
「火攻めの敵は火で防げ」
だれやらが、咄嗟の機智で、道芝へ火をつけた。だが急場の支えに足りない火勢なので、蜀軍はみな矢を折り、甲を投げこみ、旗竿まで焼いて、火勢の助けとした。
そのため、火は樹々の枝へのぼって、いちどに猛烈な火力をあらわし、追撃して来る呉兵をようやく

いとめた。
しかしそうして江岸へ出るや、また新手の敵に出会った。呉の大将朱然がひかえていたのである。
引き返して、谷へ避けると、鬨の声とともに、谷の底から陸遜の旗が湧いてきた。いまは、ここに死なんと、玄徳が絶望のさけびを放ったとき、ふたたび思いがけない援軍が彼の前にあらわれた。
常山の
雲子龍であった。
どうして、

雲がこれへ来たかといえば、彼の任地江州は漢中よりもどこよりも最も戦場に近かったので、孔明が
馬良と別れて、成都へ帰る際に、
(即刻行って、帝を助けよ)
と、一書を飛ばしておいたものと思われる。
いずれにせよ、

雲の来援は、地獄に仏であった。が、それにしても何と変わったことだろう。かつて玄徳が初めてこの
白帝城に入ったときは、七十五万の大軍が
駐屯していたものなのに、今はわずか数百騎の供しか
従していなかったという。
もっとも

雲子龍や関興、張苞などの
輩は、帝が城に入るのを見とどけると敗軍の味方を
糾合すべく、すぐ城外から元の
路へ引き返していた。
石兵八陣
一
全軍ひとたび総崩れに陥ちてからは、七百余里をつらねていた蜀の陣々も、さながら漲る洪水に分離されて浮き島のすがたとなった村々と同じようなもので、その機能も聯絡も失ってしまい、各個各隊思い思いに、呉の滔々たる濁水の勢いと闘うのほかなかった。
そのため、わずか昨日から今日にかけて討ち死にをとげた蜀の大将は、幾人か知れなかった。
まず傅彤は呉の丁奉軍に包囲されて、
「勝ち目のない戦いに益なき死力を振うよりは、呉に降参して、長く武門の栄誉を担わんか」
と、敵からすすめられたのに対して、傅彤は、最期の姿を陣頭にあらわして、
「いやしくも我は漢の大将。何ぞ呉の犬に降らんや」
と、大軍の中へ駈け入って、華々しく玉砕を遂げた。
また蜀の祭酒程畿は、身辺わずか十数騎に討ち減らされ、この上は、舟手の味方に合して戦おうと江岸の畔まで走って来たところが、そこもすでに呉の水軍に占領されていたので、たちまち、進退きわまってしまった。
すると、呉軍の一将が、
「程祭酒程祭酒。水陸ともにもう蜀の一旗も立っているところはない。馬を降りて降伏せよ」
と、言った。
程畿は髪を風に立てて、
「われ君に従って今日まで、戦いに出て逃ぐるを知らず、敵に会っては敵を打ち砕く以外を知らない」と怒号して答え、四角八面に馬を躍らせて、これまた、自ら首を刎ねて見事な最期を遂げてしまった。
蜀の
先鋒張南は、久しく
夷陵の城を囲んで、呉の
孫桓を攻めたてていたが、味方の
融が馬を飛ばして来て、
「中軍が敗れたので、全線崩れ立ち、帝のお行方もわからない」と、告げて来たので、
「すわ」とにわかに囲みを解き、玄徳のあとをたずねて、中軍に纏まろうとしたが、
「時こそ来れ」
と、城中の孫桓が追撃に出て、各所の呉軍とむすびあい、張南、

融の行く先々を
塞いだので、二人も、やがて乱軍の中に、あえなく戦死してしまった。
こういう蜀軍の幹部が相継いで討たれたのみか、遠く南蛮から援軍に参加していた例の蛮将沙摩柯にいたるまで、呉の周奉軍に捕捉されて、ついにその首をあげられ、更に、蜀将の杜路、劉寧の輩は、手勢を引いて、呉の本営へ降人となって、余命を託すというあわれな始末だった。
「わが事成る、わが事成れり。いまは蜀帝玄徳を生け捕りにする一事あるのみだ」
と、呉の総帥陸遜は、今こそ本来の面目を示し、この大捷を機に、自ら大軍を率いて、敵に息つく間も与えず、玄徳の逃げた方向へ、ひた押しに追いつめて行った。
すでに、魚腹浦のてまえまで迫って来た。ここに古城の一関がある。陸遜は、野営して兵馬を休め、その夕、関上から前方をながめていたが、
「何事だろう。これは」
彼は非常に愕いた容子で、左右の大将を顧みて言った。
「はるか、山に添い、江に臨んで、一陣の殺気が天を衝くばかりに立ち昇っている。必定、敵の伏兵が、殺を含んで待ち受けているものと察せられる。進むべからず、進むべからず――」
にわかに、十里あまり陣を退いて、入念に行く先を窺わせた。
ほどなく、物見の兵が次々に帰って来たが、言い合わしたように、同じような報告ばかり齎した。
「おりません。敵らしい者は、一兵も見えません」
陸遜は怪しんで、
「はてな?」
ふたたび山へ登って、かなたの天をじっと見ていた。そして唸くように呟きながら降りて来た。
「濛々たる鬼気、凜々たる殺雲。どうして伏兵でないはずがあるものか。物見の未熟にちがいない。老練な隠密を選りすぐって更に入念に見とどけさせろ」
二
日も傾いて、夜に入ったが、陸遜はなお気にかかるとみえ、幾度も陣前に出て、魚腹浦の夜空をながめていた。
「ふしぎや、夜に入れば、昼よりもなお、殺気陰々たるものがある。そも、彼処の伏兵は、いかなる神変の兵であろうか」
さしもの陸遜も、懐疑逡巡して、夜もすがら心の平静を得なかったようである。
未明のころようやく、老練な物見の上手が、
「見届けて来ました」と、立ち帰って来て話した。
「いくら仔細に探っても、かしこに敵兵が居ないことは確実です。けれど江岸の磯から山と山の隘路にわたって、大小数千の石が、あたかも石人のように積んであります。そこに立つと蕭殺たる風を生じ、鬼気肌に迫るものが覚えられまする」
陸遜はついに意を決して、自身十数騎をつれて、まだ暁闇のころを、魚腹浦へ向かって、あちこち、視察して歩いた。
四、五名の漁夫がいたので、陸遜は駒をとめて、
「これこれ。土地の者。おまえ達なら知っているだろう。この辺の磯から山に沿って、諸所に堆く石の積んであるのはどういうわけだ。何か由謂があるのか」と、たずねた。
中でも年老った漁夫が答えて、
「先年、この土地へ、諸葛孔明という人が、蜀の国に入る途中船を寄せて、多くの兵を下ろし、幾日も合戦の調練や陣組をしておりましたが、やがて船に乗って帰ったあとを見ると、いつのまにか、この附近一帯に、石の門やら石の塔やら、人間に見えるような石組がおびただしく出来上がっておりました。それ以来、江の水も、妙な所へ流れ込み、時々、旋風が起こったりするので、だれもあの石陣の内には立ち入らないようになってしまいました」
陸遜は、これを聞いて、
「さては、孔明の悪戯か」と、ふたたび馬を打って、坡の上へ馳け上がってみた。
高きにのぼって見渡すと、一見乱立岸々たる石陣にも自ら整々たる布石の相があり、道に従って四方八面に門戸があった。
「擬兵、偽陣。これはただ人を惑わす詐術に過ぎない。こんなものに昨日から要らざる惑いを抱いていた事の恥ずかしさよ」
陸遜は、呵々と大笑して、やがて水に沿い、山に沿い、石陣の中を一遊して帰ろうとした。
「はてな。ここも行き止まりか」
「いや、こちらでしょう」
「いかん、いかん、こう来てはまた元の道へ出てしまう」
主従十数騎は、狐に憑ままれたように、あちこち迷い歩いた。どうしても、乱石の八陣から出られなくなってしまったのである。
そのうちに、陽は陰って、狂風砂を飛ばし、白波乱岸を搏って、天地は須臾のまに、険しい凶相をあらわして来た。
「や、や。軍鼓の音ではないか」
「いや波の音です。雲の叫び声です」
「過てり。われ擬兵と侮って、ついに孔明の計に陥つ。夜に入っていよいよ風波が加われば、空しくここに水漬く屍となり終わろうも知れぬ」
「日の暮れぬうちに、どこか出口を」
人々の眼は、しだいに血走ってきた。しかしなお石陣の外へは出られなかった。
すると、一人の白髪の翁が、ふと前に立って、にやにや笑った。何者かと訊けば、
「自分は諸葛亮の舅黄承彦の友で、久しくこの先の山に住んでいる者なり」という。
陸遜が礼を篤うして道を問うと、
「多分、お迷いになっているものであろうと思い、山を降りてこれへ来ました。さあこうお出でなさい」
杖を曳いて、老翁は先に立った。
苦もなく陸遜とその部下は八陣の外へ出た。
「さようなら。――てまえが八陣の内からあなた方を出してあげた事は、だれにもいわないで下さい。孔明の舅にあたる黄承彦にわるうございますからね」
白髪の翁は、そう言うと、飄々杖を風にまかせて、暮靄の山へ帰ってしまった。
「獲物を追う猟師山を見ず、陸遜たる者が、これまで深入りして来たのは大なる過ちであった。そうだ、わが軍はこれ以上進むべきではない」
どう考えたか、陸遜は急に、全軍へ令して、飛ぶがごとく、呉へ引き揚げてしまった。
孔明を呼ぶ
一
蜀を破ったこと疾風迅雷だったが、退くこともまた電馳奔来の迅さであった。で、勝ち驕っている呉の大将たちは、陸遜に向かって、
「せっかく白帝城へ近づきながら石の擬兵や乱石の八陣を見て、急に退いてしまったのは、一体いかなるわけですか、ほんものの孔明が現われたわけでもありますまいに」
と、半ばからかい気味に訊ねた。
陸遜は、真面目に言った。
「しかり、我輩が孔明を怖れたことは確かだ。けれど引き揚げた理由はべつにある。それは今日明日のうちに事実となって諸公にもわかって来るだろう」
人々は、一時のがれの遁辞だろうとおよそに聞いていたが、一日措いて二日目。この本営には、櫛の歯をひくような急変の報せが、呉国の諸道から集まって来た。すなわち曰う、
「魏の大軍が、三路にわかれ、一道は曹休軍が洞口に進出し、曹進は南郡の境に迫り、曹仁ははや濡須へ向かって、雲霞のごとく南下しつつあります」――と。
「果たして!」と、陸遜は手を打って、自分の明察の過たなかったことを自ら祝し、また呉国のために、大幸なりしよと、すぐさま対戦の姿勢をとった。
一方。――彼のために再起し能わぬ大敗をうけた帝玄徳は、白帝城にかくれて後、まったく往年の意気もどこへやら、
「成都に帰って群臣にあわせる顔もない」
と、深宮の破簾、ただこの人の傷心をつつんでいた。そのうちに、漢中で孔明に会った馬良が帰って来て、孔明のことばを伝えたが、帝は、
「今さら言っては愚痴になるが、丞相のことばに従っておれば、今日のような憂き目には立つまいに」と、いたく嘆いて、遠く彼を慕ったが、依然、成都帰還の事はなく、白帝城をあらためて永安宮と称んでいた。
そのころ、蜀の水軍の将
黄権が、魏に入って、
曹丕に
降ったという

が聞こえた。
蜀の側臣は、玄徳に告げて、
「黄権の妻子一族を斬ってしまうべきでしょう」
と、すすめたが、玄徳は、
「いやいや黄権が魏に降ったのは、呉軍のためまったく退路を遮断されて、行くにも戻るにも道がなくなったからであろう。黄権われを捨つるに非ず、朕が黄権を捨てた罪だ」
と言って、かえって彼の家族を保護するようにいいつけた。
その黄権は魏に降って、曹丕にまみえたとき、鎮南将軍にしてやるといわれたが、涙をながすのみで少しも歓ばなかった。で、曹丕が、
「いやか」
と、問うと、
「敗軍の将、ただ一死を免れるを得ば、これ以上の御恩はありません」
と、暗に仕えるのを拒んだ。
そこへ一名の魏臣が入って、わざと大声で、
「いま蜀中から帰った細作の報せによると、黄権の妻子一族は、玄徳の怒りにふれ、ことごとく斬刑に処されたそうであります」と、披露した。
聞くと、黄権は苦笑して、
「それはきっと何かのお間違いか、ためにする者の虚説です。わが皇帝はそんなお方では決してありません」と、かえってそれらの者の無事を信ずるふうであった。
曹丕は、もう何も言わずに、彼を退けた。そしてその後ですぐ三国の地図を拡げ、密かに賈詡を招き入れた。
「賈詡、朕が天下を統一するには、まず蜀を先に取るべきか、呉を先に攻めるべきだろうか」
賈詡は、黙考久しゅうして、
「蜀も難し、呉も難し......。要は両国の虚を計るしかありません。しかし陛下の天威、かならずお望みを達する日はありましょう」
「いま、わが魏軍は、その虚を計って、三道から呉へ向かっておる。この結果はどうか」
「おそらく何の利もありますまい」
「さきには、呉を攻めよといい、今は不可という。汝の言には終始一貫したものがないではないか」
曹丕の頭脳はなかなかするどい。謀士賈詡といえど、彼には時々やりこめられることがあった。
二
――だが、賈詡はなお面を冒して言った。
「そうです。さきに呉が蜀軍に圧されて敗退をつづけていた時ならば、魏が呉を侵すには絶好なつけ目であったに相違ございません。しかるにいまは形勢まったく逆転して、陸遜は全面的に蜀を破り、呉は鋭気日ごろに百倍して、まさに不敗の強味を誇っております。故に、今では呉へ当たり難く、当たるは不利だと申しあげたわけであります」
「もう言うな。御林の兵はすでに呉の境へ出ておる。朕の心もすでに定まっておるものを」
曹丕は耳もかさなかった。そして三路の大軍を補強して、更に、彼自身、督戦に向かった。
一面蜀を打ち、一面魏を迎え、この間、神速円転、用兵の妙を極めた陸遜の指揮のために、呉は何等のうろたえもなく、堂々、三道の魏軍に接して、よく防ぎよく戦った。
なかんずく。――呉にとってもっとも枢要な防禦線は、主都建業に近い濡須の一城であった。
魏は、この攻め口に、曹仁をさしむけ、曹仁は配下の大将王雙と諸葛虔に五万余騎をさずけて、濡須を囲ませた。
「ここだに陥とせば、敵府建業の中核へ、まさに匕首を刺すものである。全軍それ励めよ。大功を立つるは今ぞ」
魏王曹丕が督戦に臨んだ陣もまさにここであった。――で、魏の士気はいやがうえにも振い、江北江東の天、ために
晦溟、戦気紅白を

い、殺気地軸をゆるがした。
ときに、濡須の守りに当たった呉の大将は、年まだ二十七歳の朱桓であった。
朱桓は若いが胆量のある人だった。さきに城兵五千を割いて、羨渓の固めに出してしまったので、城中の兵は残り少なく、諸人がみな、
「この小勢では、とても眼にあまる魏の大軍を防ぎきれまい。今のうちにここを退いて、後陣と合するか、後陣をここへ入れて、建業から更に新手の後ろ備を仰がねば、互角の戦いをすることはできまい」
恟々と、ふるえ上がっているのを見て、朱桓は、主なる部下を会して告げた。
「魏の大軍はまさに山川を埋めている観がある。しかし彼は遠く来た兵馬であり、この炎暑にも疲労して、やがてかえって、自らの数に苦しむときが来るだろう。陣中の悪疫と食糧難の二つが彼を待っておる。それに反して、寡兵なりといえ、われは山上の涼地に籠り、鉄壁の険に加うるに、南は大江をひかえ、北は峩々たる山険を負う。――これ逸をもって労を待つ象。兵法にもこう言っておる。――客兵倍ニシテ主兵半バナルモノハ、主兵ナオヨク客兵ニ勝ツ――と。平川曠野の戦いは兵の数よりその掛け合いにあること古来幾多の戦いを見てもわかる。ただ士気乏しきは凶軍である。貴様たちはこの朱桓の指揮を信じて、百戦百勝を信念せよ。われ明日城を出て、その証を明らかに其方たちの眼にも見せてやるであろう」
次の日、彼はわざと、虚を見せて、敵勢を近く誘った。
魏の常雕は、短兵急に、城門へ攻めかけて来た。――が、門内は寂として、一兵もいないようであった。
「敵に戦意はない。あるいはすでに搦手から逃散したかもしれぬぞ」
兵はみな不用意に城壁へつかまり、常雕も壕の際まで馬を出して下知していた。
轟音一発。数百の旗が、矢倉、望楼、石垣、楼門の上などに、万朶の花が一ぺんに開いたように翻った。
弩や征矢が、魏兵の上へいちどに降りそそいで来た。城門は八文字にひらかれ、朱桓は単騎乱れる敵の中へ入って、魏将の常雕を、ただ一太刀に斬って落とした。
前隊の危急を聞いて、中軍の曹仁は、即座に、大軍をひきいて進んで来たが、何ぞはからん振り返ると、羨渓の谷間から雲のごとく湧き出した呉軍が、退路を切って、うしろからとうとうと金鼓を打ち鳴らして来る。
実に、この日の敗戦が、魏軍にとって、敗け癖のつき始まりとなった。以後、連戦連敗、どうしても朱桓の軍に勝てなかった。
ところへまた、洞口、南郡の二方面からも、敗報が伝わった。悪くすると、曹丕皇帝の帰り途すら危なくなって来たので、曹丕もついにここを断念し、無念をのみながら、敗旗を巻いて、ひとまず魏へ引き揚げた。
遺孤を託す
一
この年四月ごろから蜀帝玄徳は永安宮の客地に病んで、病状日々に篤かった。
「いまは何刻か?」
枕前の燭を剪っていた寝ずの宿直や典医が、
「お目ざめでいられますか。いまは三更でございます」と、奏した。
白々と

き出した燭を見つめながら病床の玄徳は独り語に、
「では、夢だったか......」と、つぶやいた。
そして夜の明くるまで、亡き関羽や張飛の思い出ばなしを侍臣に語った。
臣下はみな折あるごとに、
「成都へお帰りあそばして、ゆるゆる御養生あそばしては」
と、すすめたが、彼は、
「この敗戦をなして、何で成都の臣民にあわせる面があろうぞ」
と呉にやぶれた事を、今なおふかく辱じているらしく、そのたび眉をひそめられた。
病はようやく危篤にみえた。彼はすでに命を悟ったものか、
「丞相孔明に会いたい」
と、言い出した。
すでに危篤の急使はそのとき成都についていたのである。
孔明は、この報せに、すぐ旅装をととのえ、太子劉禅を都にのこして、まだ幼い劉永、劉理の二王子だけを伴うて、旅の道も夜を日に継ぎ、やがて永安宮に来りまみえた。
彼は、かわり果てた玄徳のすがたを見て、その床下に、拝哭した。
「......近う。もっと、近う」
帝は、近臣に勅して、龍床の上に座を与え、孔明の背へほそい御手をのばして、こう宣らせられた。
「丞相よ。ゆるせ。
朕、
浅陋の才をもって、帝業をなし得たのは、ひとえに丞相を得た
賜であったのに......。ついに御身の
諫めを用いずかかる敗れを招き、また身の病もいますでに危うきを知る。......朕なき後は、この上にもなお内外の大事すべて御身に託しおくしかない。......朕なき後も、孔明世に
在りと、それのみ唯一のたのみとし玄徳は

くぞよ」
滂沱、また、滂沱、病顔をたるるものは、孔明の頸を濡らすばかりであった。
「陛下。どうか龍体を保たんと、せめて太子が御成人のころまでは」
と、孔明が咽びながらなぐさめると、帝は、かろく面を横に振って、あたりの近臣をみな室の外へ遠ざけた。
その中に、馬良の弟、馬謖もいた。瞼を紅く泣き腫らした馬謖のすがたは傷々しく見えた。
玄徳は、ふと問うた。
「丞相は、馬謖の才を、日ごろからどう観ておるか」
「末たのもしい若者。将来の英雄と見ておりますが」
「いや、病中親しく見ておるに、ことば実に過ぎ、胆量才に劣り、行く末、難しい者と思われた。心して用いられよ」と、平常のごとくそんなことを語ったりしていた。しかし黄昏近く、にわかに容態が改まったと思うと、
「諸臣はみな詰めておるか」
と問い、孔明が臣下みな一睡もせず詰めております――と答えると、
「では、病帳を開け」
と命じて、龍床から一同のものへ最後の謁を与えた。そしてまた、
(太子劉禅に与うるの遺詔)
を諸臣にあずけ、かならず違背あるなかれと告げよと言い終わると、ふたたび眼をとじていたが、やがて孔明にむかい、
「朕、賤土に育ち、書はあまり読まなかったが、人生の何たるやは、この年までにほぼ解したつもりである。もういたずらに歎くをやめよ」
と言い、何か最期の一言を告げんとするらしく、その唇は儼かに息をととのえていた。
二
玄徳と孔明の仲も、今や両者の幽明の境は、わずか幾つかの呼吸をする間しかなかった。
われを忘れて、孔明は帝の龍床にすがり、面を寄せて、涙のうちに言った。
「何か仰せ遺す詔がありましたら、どうぞおつつみなくお命じ下さい。孔明、不才ですが、余命のあらんかぎりは、胆に御言葉を銘じて、必ずお心残りはないように仕りましょう」
「よく言うてくれた。玄徳はいまをもって世を去るであろう。わが為すことは尽きた。ただ丞相の誠忠を信じて、大事の一言を託しおけば、もう何らの気がかりもない」
「......一言の大事と仰せ遊ばすのは」
「丞相よ。人まさに死なんとするやその言よしという。朕の言葉に、いたずらに謙譲であってはならぬぞ。......君の才は、曹丕に十倍する。また孫権ごときは比肩もできない。......故によく蜀を安んじ、わが基業をいよいよ不壊となすであろう。ただ太子劉禅は、まだ幼年なので、将来はわからない。もし劉禅がよく帝たるの天質をそなえているものならば、御身が輔佐してくれればまことに歓ばしい。しかし、彼不才にして、帝王の器でない時は、丞相、君みずから蜀の帝となって、万民を治めよ......」
孔明は拝泣して、手足の措くところも知らなかった。何たる英断、何たる悲壮な遺詔であろう。太子が不才ならば、汝が立って、帝業を完うせよというのである。孔明は、龍床の下に頭を打ちつけ、両眼から血を流さんばかり哭いていた。
玄徳はさらに幼少の王子劉永と劉理のふたりを側近くまねいて、
「父のない後は、おまえたち兄弟は、孔明を父として仕えよ。もし父の言に反くときは不孝の子であるぞ。よいか......」
と、諭して、しばし人の親として名残惜しげの眼ざしを凝らしていたが、ふたたび孔明に向かって、
「丞相、そこに坐し給え。朕の子等をして、父たる人へ、誓拝をさせるであろう」
と、言った。
ふたりの王子は、孔明のまえに並んで、反かざることを誓い、また再拝の礼をした。
「ああこれで安心した」
と玄徳はふかい呼吸を一つして、
傍らの
雲子龍を顧み、
「御身とも、百戦万難の中を久しく共歓共苦して来たが、ついにきょうがお別れとなった。晩節を香しゅうせよ。また丞相とともに、あとの幼き者たちをたのむぞ」
と、一言し、また李厳にも、同じ言をくりかえし、そのほかの文武百官にたいしては、
「すでに命のせまるを覚ゆ。一々汝等に言を付嘱するを得ない。それみな一致して社稷を扶け、各々保愛せよ」
言い終わると、忽然、崩じた。とき寿齢六十三歳。蜀の章武三年、四月二十四日であった。
永安宮中、なげきかなしむ声のうちに、孔明はやがてその霊柩を奉じて、成都へ回った。
太子劉禅は、城を出て迎え、哀痛して、日々夜々の祭りを営んだ。
そして、父の遺詔をひらき、読み拝して、
「かならず泉下の御心を安んじ奉りまする」
という旨を、祭壇にこたえ、また群臣に誓った。
蜀の臣下もまた、先帝の遺詔を、暗誦するばかり繰り返し繰り返し読んで、かならず違背なきことを孔明に約した。
「国は一日も、君なくんばあらず」と、孔明は百官に議して、その年、太子劉禅を皇帝の位に上せて、漢の正統を継ぐの大式典を執り行なった。
同時に改元して、章武三年は、建興元年とあらためられた。
新帝劉禅、字は公嗣。ときまだ御年は十七歳であったが、父の遺詔を奉じて、よく孔明を敬い、その言を尊んだ。
帝のお旨によって、孔明は武卿侯に封ぜられ、益州の牧を領した。また、その年八月、恵陵の大葬がすむと、国議は、先帝劉玄徳に、昭烈皇帝と諡した。
大赦の令が発せられ、国中みな、昭烈皇帝の遺徳をたたえ、また新帝の治世に、その余光あれと祈った。
魚紋
一
玄徳の死は、影響するところ大きかった。蜀帝崩ず、と聞こえて、だれよりも歓んだのは、魏帝曹丕で、
「この機会に大軍を派せば、一鼓して成都も陥とすことができるのではないか」
と虎視眈々、群臣に諮ったが、賈詡は、
「孔明がおりますよ」と言わぬばかりに、その軽挙にはかたく反対した。
すると、曹丕の侍側から、ひとりつと起って、
「蜀を伐つは、まさに今にあり、今をおいて、いつその大事を期すべきか」
と、魏帝の言に力を添えた者がある。
「何人か?」と、人々が見れば、河内温城の人、司馬懿、字は仲達だった。曹丕は、ひそかに、会心の面持ちで、
「司馬懿。その計は」と、流し目にたずねた。
仲達は一礼して、
「ただ中原に軍を起こしてみても、事容易には、お味方の有利とは参りますまい。さりながら五路の大軍をもって、孔明に、首尾相救うことあたわざらしめれば、なんぞ、蜀の嶮も、破り得ぬことがありましょう。まして今、玄徳亡く、遺孤劉禅をようやく立てたばかりの敵の情勢においてはです」
「五路とは、いかなる戦法か」
「まず、遼東へ使をはせて、鮮卑国王へ金帛を送り、遼西の胡夷勢十万をかり催して、西平関へ進出させること。これ一路であります」
「うむ。第二路は」
「遠く、南蛮国へ密簡を送り、国王孟獲に、将来大利ある約束を与え、蛮兵十万を催促して、益州の永昌、越雋などへ働かせ、南方より蜀中を脅かさしめる――これ二路であります」
仲達の雄弁は、陳べるに従って懸河のごとき風があった。
「第三路は、すなわち隣好の策を立てて、呉をうごかし、両川、峡口に迫らせ、第四路には、降参の蜀将孟達に命じ、上庸を中心とする十万の兵をもって涪城を取らしめます。更に、第五路には、御一族の曹真将軍を、中原大都督となして、陽平関より堂々蜀に伐ち入るの正攻、大編隊を率いさせ給えば、たとい孔明が、どう智恵をめぐらしてみても、五路五十万という攻め口を防ぐことはできますまい」
規模の遠大、作戦の妙。言々信念をもって言うその壮重な声にも魅せられて満堂異議を言い立てる者もなく、わけて曹丕は絶大な満足をもって、
「直ちにその方針をとれ」
と、決定を与えた。
使者はたちまち五方に急ぎ、魏都の兵府はいまや、異様な緊張を呈した。ただ一抹のさびしさは、このころすでに、曹操時代の功臣たる張遼、徐晃などという旧日の大将たちは、みな列侯に封ぜられて、その領内に老後を養っている者が多かったことである。
さはいえ、また新進の英俊も決して少なしとはしない。曹操以来、久しく一文官として侍側するに止まっていた仲達が、嶄然、その頭角をあらわして来たことなども、まさに時代の一新を物語っているものであろう。
一方、蜀の成都は、その後、どういう情勢にあったかといえば、政務すべて孔明の裁断にまかせられ、旧臣みな結束して、玄徳の歿後も微動だにしないものを示していた。
そのあいだに、故車騎将軍張飛のむすめは、ちょうどことし十五になっていたので、幼帝劉禅の皇后として、正宮にかしずき入れることとなった。
ところが、この祝典があってからまだ幾日も経ないうちに、魏の大軍が五路より蜀に進む――という大異変が報ぜられた。しかもかんじんな
丞相孔明は、どうしたのかここ数日、
朝
にもそのすがたすら見せなかった。
二
国境五方面から危急を告げてくる早馬は櫛の歯をひくように成都の関門を通った。
事態の重大性と、朝野の不安は、そのたびに濃厚になった。伝えられる五路の作戦に依る魏の大侵略の相貌は、次のようなものだと一般のあいだにも喧伝された。
第一路は。 ――遼東鮮卑国(満洲)の兵五万が、西平間(甘粛省・西寧)を犯して四川へ進攻して来るもの。
第二路は。 ――南蛮王(貴州・雲南・ビルマの一部)の孟獲が、約七万をもって、益州の南部を席巻して来ようとするもの。
第三路は。 ――呉の孫権が長江をのぼって峡口から両川へ攻め入るもの。
また第四路は。 ――反将孟達を中心に上庸の兵力四万が漢中を衝く。
さらに第五路としては。 ――大都督曹真の魏軍の中堅をもってし、陽平関を突破し、東西南北四境の味方と呼応して、大挙、蜀に入って、成都をふみ潰さんとするもので――これら五路の総軍を合するとその兵力は五、六十万をこえるであろうと想像された。
幼帝劉禅の怯えられたことはいうまでもない。父帝とわかれたのもつい昨日、蜀の皇帝に立ったのもわずか昨今である。
「孔明はどうして見えぬか。疾く孔明を召しつれよ」
と、ひたすら丞相ひとりを力にされて幾度も問われた。
もちろん宮門からは何度となく孔明に使いが通っていた。けれど孔明は門を閉じて、
「近ごろ、病のために、朝にも参内し得ぬ始末」
とのみで、いかに事態の大変を取り次がせても、顔すら見せないというのであった。
後主劉禅は、いよいよ怖れかなしみ、勅使として、黄門侍郎董允と諫議大夫杜瓊のふたりをまたさしむけられた。
ふたりは、早速、丞相の府を訪ねた。ところが、

のとおり、門は閉ざされ、番人はかたく拒んで、何といっても通さない。やむなく二人は、門外から大音をあげて、
「魏の曹丕、五路の兵を起こし、わが国防はいま五面ことごとく危うきに瀕しておる。さるを、丞相ともある御方が病に託して、朝にもお出でなきは、一体いかなるお気持ちであるか。先帝孤を丞相に託されてより幾日も経ず、恵陵の墳墓の土もまだ乾いていない今日ではないか」
と、腹立ちまぎれに罵った。
すると、内苑を走ってきた人の跫音が、門を閉めたまま、内から答えた。
「
丞相には、明朝早天、府を出られて、
朝
に会し、諸員と議せんと
仰せられています。今日はおもどりあれ」
やむなく、二人は立ち帰って、ありのままを、帝に奏し、なお百官は、明日こそ丞相の参内ありと朝から議堂に集まっていた。
ところが午も過ぎ日は暮れても、ついに孔明は来なかった。紛々たる怨みや、非難の声を放って、百官はみな薄暮に帰り去った。
帝の心痛は一通りでない。次の日明けるや否、杜瓊を召されて、
「事は急なり、孔明はさらに朝せず、そも、このときをいかにせばよいか」と、諮られた。
「やむを得ません。この上は、帝おんみずから、孔明の門に行幸され、親しく彼の意中をお問い遊ばすしかないでしょう」
後主劉禅は、西宮に入って、母なる太后にまみえ、
「行って参ります」と、仔細を告げた。
太后も仰天されて、
「どうしてあの孔明が、先帝の遺勅に反くような事をもうするのであろうか」
と、自身駕を向けて、孔明に問わんと言われたが、太后の出御を仰ぐのはあまりに畏れ多いと、帝は直ちに丞相府へ行幸された。
愕いたのは、市吏や門吏の輩である。突然の行幸に、身のおくところを知らず、拝跪して、御車を迎えた。
「丞相はいずこに在るか」
帝は車を降りて、三重の門まで、歩行してすすみ、吏に問われると、吏は恐懼して拝答した。
「奥庭の池のほとりで、魚の遊ぶのを根気よく眺めておられます。多分、いまもそこにおいでかと思われますが」
三
帝はただおひとりでつかつかと奥の園へ通って行かれた。見ると果たして池の畔に立ち、竹の杖に倚って、じっと、水面を見ている者がある。
「丞相、何しておられるか」
帝がうしろから声をかけると、孔明は杖を投げて、芝の上に拝伏した。
「これは、いつの間に? ......お迎えもいたさず、大罪おゆるし下さいまし」
「そのような些事はともあれ、魏の大軍が、五路に進んで、わが境を犯そうとしている。丞相は知らないのか」
「先帝、崩ぜられんとして、不肖なる臣に、陛下を託され、また国事を嘱し給う。何で、昨今の大事を知らずにいてよいものですか」
「ではなぜ朝議にすがたを見せないのか」
「ただ宰相たるの故をもって、無為無策のまま臨んでも、かえって諸員に迷妄を加えるのみですから、しばしじっと、孤寂を守って、深思していたわけであります。そしてこうして、日々池の畔に立ち、魚の生態をながめ、波紋の虚と、魚游の実とを、この世の様に見立てて思案しているうちに今日ふと、一案を思い泛かべました。......陛下、もうお案じ遊ばされますな」
と、孔明は、帝を一堂に請じて、かたく人を遠ざけ、次のごとき対策を密かに奏上した。
「わが蜀の馬超は、もと西涼の産まれで、胡夷の間には、神威天将軍と称えられ、今もって、盛んな声望があります。故に、彼を向けて、西平関を守らせ、機に臨み、変に応じて、胡夷の勢をよく馴致するときは、この一路の守りは、決して憂うるに足りません」
また二路の防ぎに対しては、更に説いて、
「由来、南蛮の将兵は、猛なりといえども、進取の気はうすく、猜疑ふかく、喧騒多く、智をもって計るに陥り易い弱点をもっています。で、すでに臣檄文をとばして魏延に擬兵の計をさずけ、益州南方の要所要所へ配備させてありますから、これまた、宸襟を悩まし給うには及びませぬ」
と言い、
「――なお、
上庸の
孟達が、漢中へ進攻して来る形勢ですが、彼は元来蜀の一将であり、詩書には明るく、義においては、お味方の
李厳とすこぶる心交のあった人物です。義を知り、詩書を読むほどの人間に、良心のないわけはありませぬ。よって、生死の交わりをなした李厳を、その方面の防ぎに当て、私が文章を作って、それを李厳の書簡として書かせたものを、彼の手から孟達へ送らせるのです。――さすれば孟達の良心は自らの
苛責に、進むも得ず、退くも難く、結局、仮病をつかって、
逡巡日を過ごしてしまうでしょう。......次には、魏の中軍たる
曹真の攻め口、
陽平関の固めですが、
彼処は屈強な要害の地勢、加うるに、
雲子龍が
拠って守るところ、滅多に破られる
怖れはありません。――かく大観して来れば、以上の四路は憂うるに足らず、この同時作戦は、いかにも大掛かりではありますが、我にとっては、懸け声だけのものに過ぎぬと断じてもよいほどであります。しかし、なお念のために、臣さきに密命を下して、
関興、
張苞の二人に各々兵二万をさずけ、遊軍として、諸方の攻め口に万一のある場合、
奔馳して救うべしといいつけてありますから、どうか御心を安められますように」
と、初めてこの事を、帝劉禅の奏聞に入れて、万端のそなえを打ち明け最後に、
「ただ、ここに問題は、何といっても、呉のうごきでありましょう」
と、彼はここにいたると、眸をつよめ、語気をあらためて、要するに全対策の主眼は、一に呉にあるものであるという胸中の確信を、その容子にあらわして言った。
「臣、量るに、呉は魏が軍勢を催促しても、従来の感情、国交の阻隔などからも、決して軽々しく、その命に従うものではありますまい。......ただここに、ひとつの危険を予想されるのは、蜀境四路の戦況が、魏の有利にうごいて、蜀の敗れが見えた場合のみです。歴然、それと見えたときは、呉も雷同して、潮のごとく、峡口から攻め入って来るでしょう。けれど蜀の守りが不壊鉄壁と見えるあいだは、呉はうごきません。魏の下風に立つものではありません。......で今、私が思案中のものは、この際の重大な使命をおびて、その呉へ使いにゆく人物です。だれがよいか、その人をしきりに求めているところですが......さて?」
四
孔明とともに、深苑の一堂に入れられたまま、時経っても、帝のおもどりがないので、門外に佇立して、待ちくたびれていた徒従以下の供人たちは、
「どう遊ばしたのであろう?」
と、あやしみ疑い、はや還幸をおすすめ申さんかなどと、寄り寄りささやき合っていた。
ところへ孔明が帝のうしろに従ってようやくこちらへ歩いて来るのが拝された。帝の御気色は、これへ来る前とは別人のように晴れ晴れとして明るい笑靨すらたたえておられる。百官はその御容子を仰ぐとみな、
(これは何か孔明にお会い遊ばしてよい事があったにちがいない)
と推察し、御車に
従の面々まで、にわかに陽気になって、還幸の
儀仗ははなはだ
賑わった。
するとその御供のうちで、天を仰いで笑いながら、独りよろこびを為している者があった。孔明はちらと注意していたが、やがて御車が進みかけると、
「君だけ後に残っておれ」
と、その男を止め、お見送りをすましてから、
「こっちへ来い」
と、門内へ導いた。
そして一亭の牀に席を与えて質問した。
「君はどこの産まれか」
「義陽新野のものです」
「姓名は」
「鄧芝字は伯苗」
「いまの官職は」
「戸部尚書で、蜀中の戸籍をいま調査しておりますが」
「戸籍の事務などは君の適任であるまい」
「そんなことは思っておりません」
「なぜ最前、御供の列のうちで、ひとり笑っていたか」
「実に愉快でたまりませんから」
「何がそんなに楽しい?」
「何がって、魏五路進攻にたいして、確然たる大策をお示しになられたでしょう。蜀の一民として、これを歓ばずにおられましょうか」
「君は、油断のならぬ奴だ」
孔明は睨むような眼をした。しかしそれはむしろ鄧芝の才を愛するような眼だった。
「かりに君がその策を立てるとしたら、この際、いかなる方策をとるか」
「私はそんな大政治家ではありませんが、四路の防ぎは、易しいと思います。問題は呉に打つ手一つだと思いますが」
「よし。汝に命じる」
孔明はにわかに厳かに言って、更に彼を一堂に入れ、密談数刻に及んでいたが、やがて酒を饗応して帰した。
あくる日、孔明は、初めて朝にのぼった。そして後主劉禅に奏して、
「呉へ使いにやる男を見出しました。破格な抜擢ですが、勅許を賜わりますように」
すなわち、鄧芝を推薦したのであった。鄧芝は感激して、
「この使命を全うし得なければ生還を期さない」
と称えて、即日出発した。
このとき、呉は、黄武元年と改元し、いよいよ強大をなしていたが、魏の曹丕から、(共に蜀を伐って、蜀を二分せん。われに四路進攻の大計あり、よろしく呉貴国も大軍をもって、江を溯り、同時に蜀へなだれこめ)という軍事提携の申し入れにたいして、可とする者、非とするもの、両論にわかれて、閣議は容易に一決を見なかった。
孫権も、断乎たる命をくだしかねて、
(この上は、陸遜を呼んで、彼の意中をきいてみよう)
と、使を派して、急遽、彼の建業登城をうながしていた際であった。
建業の閣議に臨むと、陸遜は抱負をのべて、両途に迷っている国策に明瞭な指針を与えた。
「いま魏の申し入れを刎ねつければ、魏はかならず遺恨をむすび、あるいは、蜀と一時的休戦をして矛を逆しまにするやもしれない。さりとて、彼の頤使に甘んじて、蜀を伐つには、その戦費人力の消耗には、計り知れぬものがあり、これに疲弊すれば、禍はたちまち次に呉へ襲って来るであろう。また魏には賢才は多いが、蜀にも孔明がいる以上、そう簡単に敗れ去ろうとは思われぬ。――如かず、この際は、進むと見せて進まず、戦うと見せて戦わず、遷延これ旨として、魏軍の四路の戦況をしばらく観望しているに限る。もし魏の旗色が案外よければ、それはもう問題はない。我が軍も直ちに蜀へ攻め入るまでの事である」
蜀呉修交
一
要するに、陸遜の献策は。
一つには魏の求めに逆らわず、二つには蜀との宿怨を結ばず、三つにはいよいよ自軍の内容を充実して形勢のよきに従う。
という事であった。
呉の方針は、それを旨として、以後、軍は進めて、あえて戦わず、ただ諸方へ細作を放って、ひたすら情報をあつめ、蜀魏両軍の戦況をうかがっていた。
――と、果たせるかな、四路の魏軍は、
曹丕の目算どおり有利には進展していない。まず、
遼東勢は
西平関を境として、蜀の
馬超に撃退されている模様だし、
南蛮勢は、益州南方で蜀軍の擬兵の計に
遭って
潰乱し、
上庸の
孟達はうそかほんとか病と称して動かず、中軍
曹真もまた敵の
雲に要害を占められて、
陽平関も退き、
斜谷からも退き、まったく総敗軍の実状であると伝えられた。
「......ああ、実によかった。もし、陸遜のことばを容れずに、呉が進んでいたら、わが呉の苦境に至ったことは想像にもあまりあるものだった。まさに、陸遜の先見は、神算というものであった」
孫権も、今となっては、心から僥倖を祝して、その善言を献じた陸遜に対して、いよいよ信頼を加えた。
ところへ、蜀の国から鄧芝という者が使者として来たことが披露された。
張昭は、孫権に言った。
「これはかならず孔明の意中をふくんで来た者にちがいありません」
「どう待遇するか」
「まず、その使者を、試みてごらんなさい。どんな人物か。彼の申し出でに、どう答えるかは、その上でよいでしょう」
孫権は、武士に命じて、殿前の庭に、大きな鼎をすえさせた。それへ教百斤の油をたたえ、薪を積んで、ふつふつと沸らせた。
「蜀使を通せ」
孫権は群臣と共に、階を隔てて傲然と待ちかまえる。千余人の武士は、階下から宮門にいたるまで、戟、戈、鎗、斧などを晃々と連ねて並列していた。
この日、客館を出て、初めて宮門へ導かれた鄧芝は、
至極粗末な衣冠をつけ、元来
風
もあがらない男なので、供の者かと間違われるほど、威儀も作らず簡単に案内のあとから
従いて来た。
が、この男、呉宮城内に満つる剣槍にも、少しも怯れる色がないし、大釜に煮え立っている油の焰を見ても、ほとんど何らの感情もあらわさない。ただ、階下へ来るとニコとして、孫権の座壇を振り仰いでいた。孫権は、簾を巻かせて、見下ろすや否、大喝して、
「わが前に来て、拝を執らないやつは、どこの何者だ」
と、叱った。
鄧芝は昂然と、なお突っ立ったままで、
「上国の勅使は、小邦の国主に拝をしないのが慣いである」
孫権は、その顔を、油の鼎のようにして、
「小癪なやつ。汝、三寸の舌をもって、酈食其が斉王を説いた例にでも倣おうとするのか。あわれむべき奴。たとえ汝にいにしえの随何や陸賈のごとき弁ありとも、やわかこの孫権の心をうごかし得べきか。帰れ帰れ」
「ははは。あははは」
「匹夫、何を笑う?」
「呉には豪傑も多く賢人も星のごとしと聞いていたが、何ぞ知らん、一人の儒者を、これほど怖れようとは」
「だまれ、だれが汝がごときを怖るるか」
「ではなぜそれがしの舌を憂い給うか」
「汝を用いるは孔明である。量るに孔明は、使をもって、わが呉と魏のあいだを裂き、代わるに、呉と蜀との旧交をあたためんとするものであろうが」
「臣はかりそめにも蜀帝国の御使いであり、また蜀中より選ばれたる第一の使臣たり儒者たるもの。迎うるに、剣槍の荊路をもってし、饗するに、大釜の煮え油をもってするとは、何事であるか。呉王を初め建業城中の臣下には、よくこの一人の使を容れる器量をお持ちなきか。まことに、案外なことであった......」
憮然として言うと、さすがに衆臣も恥じ、孫権もやや自分の小量を顧みたものか、にわかに厳しい武士はみな退けて、初めて彼を殿上の座に迎え上げた。
二
「あらためて問うが、足下は蜀の説客として、この孫権に、何を説こうとして来たか」
「最前、大王がおっしゃった通り、蜀呉両国の修交を求めに来ました」
「それならば、予は大いに危ぶむ。すでに蜀王玄徳亡く、後主は幼少であるから、よく今後も国家の体面を保ち得るかどうか」
ここまで孫権が切り出して来ると、鄧芝はわがものだと胸のうちで確信をもった。
「大王も一世の英賢、孔明も一代の大器。蜀には山川の嶮あり、呉には三江の固めありです。これをもって、唇歯の提携をなすのに、なんの不足不安がありましょう。大王はこの強大な国力をもちながら、魏にたいして臣と称しておられますが、いまに見ていて御覧なさい、魏は口実をみつけて、かならず王子を人質に求めて来ましょう。そのときもし魏の命に従わなければ魏は万鼓して呉を攻め、併せてわが蜀には好条件を掲げて軍事同盟を促して来るにきまっている。――長江の水は下るに速し、かりに蜀軍の水陸軍が魏の乞いを容れるとしたときは、呉は絶対に安全であり得ましょうか」
「............」
「大王にはいかが思われますか」
「............」
「ああ。やんぬる哉。大王には初めからそれがしを説客と見ておられる。そして詭弁に詐かれまいというお気持ちが先になっている。それがしは決して私一箇の功のためにこの言を吐くものではありません。一に両国の平和を希い、蜀のため、呉のために、必死となって申し上げたのです。御返事はお使いをもって蜀へお達し下さい。もう申しあげるべき使者の言は終わりましたから、この身は自ら命を絶ってその偽りでないことを証明してお目にかけます」
鄧芝はこう言い切るや否、やにわに座から走り出して、階欄の上から油の煮え立っている大鼎の中へ躍り込もうとした。
「やあ、待ち給えっ、先生」
孫権がこう大呼したので、堂上の臣は馳け寄って、あわやと見えた鄧芝を後ろから抱き止めた。
「先生の誠意はよくわかった。他国に使して君命を辱しめぬ臣あり、またその人を観てよく用いる宰相のあるあり、蜀の前途は、この一事を見ても卜するに足る。――先生、まず上賓の席に着かれい。貴国の御希望は充分考慮するであろうから」
俄然、孫権は態度を更えた。たちまち侍臣に命じて、後堂に大宴を設け、上賓の礼を執って、鄧芝を迎えあらためた。
鄧芝の使命は大成功を収めた。彼の熱意が孫権をして翻然と心機一転させたものか、あるいはすでに孫権の腹中に、魏を見捨てる素地が出来ていたに依るものであろうか。いずれにせよ呉蜀の国交回復はここにその可能性が約されて、鄧芝は篤くもてなされて十日も建業に逗留していた。
その帰るにあたっては、呉臣張藴が、あらためて答礼使に任ぜられ、鄧芝とともに、蜀へ行くことになった。
だが、この張藴は、鄧芝にくらべると、だいぶん人物が下らしく、
(まだまだ易々と調印はゆるさぬ。この眼で蜀の実状を観た上のことだ。条約の成るか成らぬかはおれの復命一つにある)と言わぬばかりな態度で蜀へ臨んだ。
蜀では、対呉政策の一歩にまず成功を認めたので、後主劉禅以下、国を挙げて歓びの意を表し、張藴が都門に入る日などはたいへんな歓迎ぶりであった。
ために張藴はよけいに思い上がって、蜀の百官をしり眼に見くだし、殿に上っては、劉禅皇帝の左に坐して、傲然、虎のような恰好をしていた。
三日目には彼のための歓迎宴が成都宮の星雲殿にひらかれた。この晩も、張藴は傍若無人に振る舞っていたが、孔明はいよいよ重く敬って、その意のままにさせていた。
三
酒、半酣のころ、孔明は張藴に向かって、
「先帝の遺孤劉弾の君も、近ごろ宝位に即かれ、陰ながら呉王の徳を深くお慕い遊ばされておる。どうか御帰国の上は、呉王に奏してわが蜀と長久の好誼をむすび、共に魏をうって、共栄の歓びを頒かたん日の近きに来るように、あなたからも切におすすめ下さるよう、御協力のほど、かくのごとくお願い申しあげる」と、あくまで辞を低く、礼を篤く、繰り返して言った。
「ウむ。......まあ、どういう事になるか」
張藴は眼を斜めにして、そういう孔明を見やりながら、わざとほかへ話を反らしては、大人を気どって、傲慢な笑い方をしていた。
いよいよ帰る日となると、朝廷からはおびただしい金帛が贈られ、孔明以下、文武百官もみな錦や金銀を餞別けた。
張藴はほくほく顔だった。そして孔明の邸宅における最後の晩餐会にのぞんだところが、酒宴の中へ、ひとりの壮漢がずかずか入って来て、
「やあ、藴先生、明日はお帰りだそうですな。どうでした? あなたの対蜀観察は。ははは。まあ一杯いただきましょうか」と、主賓の近くに坐していきなり手を出した。
張藴は自分の尊厳を傷つけられたように、不快な顔をして、亭主の孔明にむかい、
「何者です。彼は」と、たずねた。
孔明が答えて、――益州の学士で秦宓、字は子勅です、と紹介すると、張藴はあざ笑って、
「学士か。いや、どうも近ごろの若い学士では」
すると秦宓は、色を正して、きっと、彼に眸を向けた。
「若いと仰せられたが、わが蜀の国では、三歳の童子もみな学ぶの風であります。故に年二十歳をこえれば、学問にかけてはもう立派な一人前のものをだれもそなえておる」
「では、汝は、何を学んだ?」
「上は天文から下は地理にいたるまで、三教九流、諸子百家、古今の興廃、聖賢の書およそ眼を曝さないものはない」と秦宓はあえて大言を放った後で、
「――呉の国ではいったい、何歳になったら学士として世間に通るのですか。六十、七十になってから、やっと学問らしいものを身に持っても、それでは世に貢献する年月は幾らもないではありませんか」と、反問した。
せっかく
御機
の良かった張藴は、
面を逆さに
撫でられたような顔をした。そして小憎い青二才、と思ったか、あるいは自己の学問を誇ろうとしたのか、
「しからば、試みに問うが」
と、天文、地理、経書、史書、兵法などにわたって、次から次へと難問を発した。
ところが、学士秦宓は、古今の例をひき、書中の辞句文章を暗誦していちいちそれに答えること、滔々としていささかの淀みもなく、聴く者をして、惚れ惚れさせるばかりだった。
張藴はまったく酒もさめ果てた顔して、
「蜀にはこんな俊才が何人もおるのかしら」
と、ついに口をつぐみ、また自ら恥じたもののように、いつの間にか退席してしまった。
孔明は、彼に恥を負わせて蜀を去らしては、と大いに心配して別室にいざない、
「足下はすでに、天下を安じ、国家を経営する実際の学識に達しておられるが、秦宓のごときはまだ学問を学問としか振り𢌞せない若輩で、いわば大人と子供のちがいですから、まあおゆるし下さい。酒間の戯談は、たれも一時の戯談としか聞いておりませんから」
と、ふかく謝して慰めた。
で、張藴も、
「いや、若い者のこと、私も何とも思ってはおりませんよ」
と、
機
を直した。そして次の日、帰国したが、そのときまた、蜀からふたたび回礼使として
鄧芝が同行した。
ほどなく、蜀呉同盟は成立を見、両国間に正式の文書が取り換わされた。
建艦総力
一
魏ではこのところ、ふたりの重臣を相継いで失った。大司馬曹仁と謀士賈詡の病死である。いずれも大きな国家的損失であった。
「呉が蜀と同盟を結びました」
折も折、侍中辛毘からこう聞かされたとき、皇帝曹丕は、
「まちがいであろう」と、ほんとにしなかった。
しかし次々の報告はうごかすべからざる事実を彼の耳に乱打した。曹丕は怒った。
「よしっ、そう明瞭になればかえって始末がいい。峡口の進攻にぐずぐずしていたのもこのために依るか。この報復は断じて思い知らせずには措かん」
一令、直ちに南下して、大軍いっせいに呉を踏みつぶすかの形勢を生んだ。
辛毘は、諫止した。
「蜀境へ当たった五路の作戦も不成功に終わった今日、ふたたび征呉の軍を起こさるるは、国内的におもしろくありますまい」
「腐れ儒者、兵事に口をさしはさむな。蜀呉の結ぶは何のためぞ。すなわちわが魏都を攻めるためではないか。安閑とそれを待てというのか」
逆鱗すさまじいものがある。ときに司馬仲達は、
「呉の守りは、長江を生命としています。水軍を主となして、強力な艦船を持たなければ、必勝は期し得ますまい」と、献言した。
この用意は、大いに曹丕の考えと一致するものだった。魏の水軍力はそれまでにも約二千の船と百余の艦艇があったが、更に、数十ヵ所の造船所で、夜を日に継いで、艦船を造らせた。
特にまたこんどの建艦計画では、従来にない画期的な大艦を造った。龍骨の長さ二十余丈、兵二千余人を載せることができる。これを龍艦と呼び、十数隻の進水を終わると、魏の黄初五年秋八月、他の艦艇三千余艘を加えて、さながら「浮かべる長城」のごとく呉へ下った。
水路は長江によらず、蔡潁から湖北の淮水へ出て、寿春、広陵にいたり、ここに揚子江をさしはさんで呉の水軍と大江上戦を決し、直ちに対岸南徐へ、敵前上陸して、建業へ迫るという作戦の進路を選んだのであった。
一族の曹真は、このときも先鋒に当たり、張遼、張郃、文聘、徐晃などの老巧な諸大将がそれを補佐し、許褚、呂虔などは中軍護衛として、皇帝親征の傘蓋旌旗をまん中に大軍をよせていた。
呉のうけた衝動は大きい。
「かくも急に彼が襲せて来ようとは――」
と、孫権も狼狽し、群臣も色を失った。ときに顧雍は、
「この軍は、蜀呉同盟が生んだものであるから、当然、蜀は国を挙げて、呉を扶ける義務がある。孔明に告げて、すぐ蜀軍をして長安方面を衝かせ、一方、呉は南徐の要害を固めなければなりません」と、説いたが、事態は到底、そんな小策では、いかんとも防ぎ難く思われた。
「陸遜を呼ぼう、陸遜を。――彼ならでは、良策も立つまい」
孫権は、急遽、荊州から彼を呼びもどそうとしたが、その日の議席にいた徐盛が、
「大王、大王の臣下はみな御手足と思っておるのに、何とて大王御自らの手足をさように軽んじ遊ばされますか」と、あえて恨めしげに称えた。
徐盛は
字を
文
といい、
瑯琊莒県の人、つとに武略の聞こえがあった。孫権は彼の方をながめて、
「おおそこに徐盛こそ居たか。もし汝が江南の守りに身をもって当たるというなら、何をか憂えんやである。建業南徐の軍馬をあずけ、汝を都督に任ずるがどうか」
と、その信念の度を窺うようにじっと正視した。
徐盛は、明答した。
「不肖徐盛にその大任を仰せつけ給わるならば、一死かならず、魏の大軍を粉砕してお目にかけます。もし成らざるときは、九族を誅して、罪を糺し給うとも、決してお恨みとは存じませぬ」
二
魏が全力をあげて来た征呉大艦隊は、すでに蔡潁(安徽省・潁州)から淮水へ下って、その先鋒は早くも寿春(河南省・南陽)へ近づきつつあると伝えられた。そしてこの飛報の至るごとに、いまや呉の全将士は国防の一線に生死を賭けて、
「ここに勝たずんばこの国なし。この国なくして我あるなし」と、総力を結集していた。
ところが新任の国防総司令徐盛の下知に対して、事ごとに反抗的に出る困り者がひとり現われた。孫権の甥にあたる若い将軍で、孫韶字を公礼という青年だった。
この孫韶は、持論として、
「一刻もはやく、軍馬をそろえて、江北へ渡り、魏の水軍を淮南(河南・淮水の南岸)で撃破すべきだ。国防国防と騒いで、空しく敵を待っていては、いまに魏の大軍がこれへ上陸した場合、国中の人民が震動して、収拾つかない結果になろう」と言うことを常に主張していた。
徐盛は大反対で、
「大江を渡って戦うということが、すでに味方の大不利である。魏の先手はことごとく老巧な名将を

えておる。何で軽々しい奇襲などに破れるものではない。――彼が勢いに乗って、江を渡り、これへ集まって来たときこそ、魏を
殲滅する時だ」
と、唱えて、万端の備えを、その方針の下にすすめていた。
すでにして魏の艨艟は淮水に押し寄せ、附近の要地はその陸兵の蹂躙に委されていると聞こえた。孫韶は切歯して、
「これが坐視しておられるか」と、再三再四、徐盛に迫った。そして彼の消極戦術の非を鳴らし、もし自分に一軍をかすならば江北へ押し渡って、魏帝曹丕の首級をあげて見せる。この決死行を許してもらいたい、もし許さなければ同志を作って暗夜に脱走しても征く――などと駄々を捏ねた。
徐盛もしまいには堪忍袋の緒を切って、
「軍律を紊す不届き者」と、叱りつけ、武士に命じて、「孫韶の首を斬れっ。かくのごとき我儘者をさし措いては、諸将に対して、わが命令を行なうことはできん!」と、断乎たる処置に出た。
武士たちは、孫韶を引いて、轅門の外へ押し出した。そして刑を行なおうとしたが、何せい呉王孫権が可愛がっている甥なので、
「お前が斬れ」
「いや貴様が斬れ」
と、執刀を譲り合って、がやがやと時を過ごしていた。
その間にだれか、呉宮へこの事を告げた者があったとみえて、愕きのあまり呉王自身、馬をとばして助けに来た。
孫韶は叔父の手に救われると、この時とばかり更に訴えた。
「私は前に広陵に居たことがありますから、あの辺の地理は手にとるごとく暗誦じています。で、徐盛に私の考えをすすめ、一軍をかしてくれと頼みましたが、彼は自分の尊厳を損われたように思って、かえって私を斬罪に処そうとしました」
孫権はこの甥が好きだったので、その健気な志を大いに買って、
「うむ、うむ......。では何か、汝は敵の曹丕が大艦を列ねて長江を渡って来ないうちに、こちらから駈け向かって彼を伐たんという意見を主張したのか」
「そうです。安閑と魏の大軍を待っていれば、呉は亡ぶと思いますから」
「よし、よし。徐盛はどういう考えでいるか、共に陣中へ行って問うてやる。予に従って来い」
と、刑吏や武士も供に加えて歩み出した。
徐盛は、王を迎えて、その来訪に驚きもしたが、また色を正して、王を責めた。
「臣を封じて、大都督とし給うたのは、あなたでは御座いませんか。今、それがしが軍紀の振粛を断行するに当たって、その大王御自身が、軍法をおやぶりになるとは何事ですか」
呉王も正しい理の前には、一言もなく、ただ孫韶の若年と、血気の勇を理由にして、
「ゆるせ。まあ、まあ、このたびだけは、ゆるしてやってくれ」
と、繰り返すのみだった。
淮河の水上戦
一
孫権にとって甥の孫韶は義理ある兄の子でありまた兄の家、兪氏の相続人であった。だから彼が死罪になれば、兄の家が絶えることにもなる。
身は呉王の位置にあっても、軍律の重きことばかりは、いかんともし難いので、孫権はそんな事情まで語って徐盛に甥の命乞いをした。
「大王の龍顔に免じて、死罪だけはゆるしましょう。しかし戦後あらためて罰するかもしれません。それだけはお含みおきを」
王の言葉に対して、徐盛も譲歩せざるを得なかった。孫権は、そばに居る甥に言った。
「都督にお礼を言え。拝謝せい」
すると、孫韶は、昂然として、
「いやです!」
と、首を振った。そしてなお、反対に声をあららげて、
「
懦弱極まる都督の作戦には、今後とも服しません。私が従わないのは、軍律に
反くかも知れませんが、呉国のためには最大の計であると信じています。この忠魂、なんぞ死を
怖れんやです。まして初志を曲げることなんか

なこッてす」と、
唾するように言い放った。
この強情には、呉王もあきれ果てたものとみえ、
「この我儘者め。徐盛、もうふたたび、こんな我儘者は陣中で使ってくれるな」
と、居たたまれなくなったように急に馬へ乗って宮門へ帰ってしまった。
すると、その晩、
「孫韶が部下三千を連れ勝手に兵船を出し江を渡ってしまいました」
という知らせが、徐盛の眠りを愕かした。
「ちえッ。ついに、脱け出したか」
徐盛は憤怒したが、さりとて見殺しにもできない。でにわかに、丁奉軍四千を、救援として、追いかけさせた。
その日、魏の大艦船隊は、広陵まで進んでいた。
先鋒の偵察船は、河流を出て揚子江を窺ったが、水満々たるのみで、平常の交通も絶え、一小船の影も見えない。曹丕は、聞くと、
「あるいは南岸の呉軍に、企図するものがあるのかも知れない。朕、親しく大観せん」
と言って、旗艦の龍船を、河口から長江へ出し、船楼に上って江南を見た。
旗艦の上には、龍鳳日月五色の旗をなびかせ、白旄黄鉞の勢威をつらね、その光は眼も眩むばかりであったし、広陵の河沿いから大小の湖には、無数の艨艟が燈火を焚いて、その光焰は満天の星を晦うするばかりだったが、江南呉の沿岸はどこを眺めても漆のような闇一色であった。
侍側蔣済がすすめた。
「陛下。この分では、一挙に対岸へ攻めよせても、大した反撃はないかもしれません」
「否々!」
と、あわてて制したのは劉曄である。彼は戒めた。
「実々虚々、鬼神も測るべからずという。そこが兵法であろう。功をあせらず、まず数日はよくよく敵の気色を窺うべきであろう」
「そうだ、あせる事はない」
曹丕も同意した。彼はすでに呉を呑んでいた。
やがて月光が映した。数艘の速舸が矢のごとく漕いで来る。敵地深く探って来た偵察船であった。その復命に依ると、
「呉の領一帯に、いずこの岸を窺ってみても、寂として、人民もいません。町にも一面の灯なく、部落も墓場のようです。お味方の襲来をつたえ、早くも避難してしまったのかもしれません」
曹丕も大いに笑った。
「さもあろうか」と、頷いていた。
五更に近づくと、江上一帯に濃霧がたちこめて来た。しばらくは咫尺も見えぬ霧風と黒い波のみ渦巻いていた。しかしやがて夜が明けて陽が高く昇ると、霧は吹き晴れて、対岸十里の先も手にとるようによく見える快晴であった。
「おお」
「あれはいかに?」
舷の将士はみな愕き指さし合っていた。ひとりの大将は船楼を駈け上がって、曹丕の室へ、何事か大声でその愕きを告げていた。
二
呉の都督徐盛も決して無為無策でいたわけではない。彼が固く守備を称えていたのもやがて積極的攻勢に移る前提であったことが、後になって思い合わされた。
いま夜明けと共に船上の将士が口々に愕きを伝えている中へ、曹丕もまた船房から出て、手をかざして見るに、なるほど、部下が胆を冷やしたのも無理はない。呉の国の沿岸数百里のあいだは一夜に景観を変えていた。
ゆうべまで、一点の燈もなく、一旒の旗も見られず、港にも部落にも、人影一つ見えないと、偵察船の者も報告して来たのに、いま見渡せば、港には陸塁水寨を連ね、山には旌旗がみちみちて翻り、丘には弩弓台あり石砲楼あり、また江岸の要所要所には、無数の兵船が林のごとく檣頭を集めて、国防の一水ここにありと、戦気烈々たるものがあるではないか。
「ああ、こはそもいかなる戦術か。呉には魏にも無い器量の大将がおるとみえる」
曹丕は思わず長嘆を発して、敵ながら見事よと賞め称えた。
要するにこれは、呉の徐盛が、江上から見えるあらゆる
防禦施設に、すべて草木や布を

い
被せ、あるいは住民を他へ移し、あるいは
城廓には迷彩を施したりしてまったく敵の目を
晦ましていたのだった。そして曹丕の旗艦以下、魏の全艦隊が、いまや
淮河の
隘路から長江へと出て来る気配を見たので、一夜に沿岸全部の偽装をかなぐり捨て、敢然、決戦態勢を示したものである。
「彼にこの信念と用意がある以上、いかなる謀があるやも測り難い」と、曹丕はにわかに下知して、淮水の港へ引っ返そうとしたところ、運悪く隘い河口の洲に旗艦を乗りあげてしまったため、日暮れまでその曳き卸しに混乱していた。
ようやく、船底が洲を離れたと思うと、今度は昨夜以上の烈風が吹き出して来て、諸船はみな虚空に飛揺し、波は船楼を砕き人を翻倒し、何しろ物凄い夜となって来た。
「危ない危ない。また乗りあげるぞ」
暗黒の中に戒め合いながら、疾風に揉まれていたが、そのうちに船と船とは衝突するし、舵を砕かれ、帆檣を折られ、暴れ荒ぶ天地の咆哮の中に、群船はまったく動きを失ってしまった。
曹丕は船に暈って、重病人のように船房の中に臥していた。それを文聘が背に負って、小舟に飛び移り、からくも淮河の懐を作している一商港に上陸った。
船暈いは土を踏むとすぐ忘れたように

る。ここには魏の陸上本営があるので、そこへ入ったときはもう平常の曹丕らしい元気だった。
「いやひどい目に遭うた。しかしこの荒天も暁までには収まるだろう」と、諸大将と共に語り合っていたが、それまた束の間であった。深夜に至ってからこの暴風雨の中を二騎の早打ちが着いて、
「
蜀の大将
雲が、
陽平関から出て、長駆わが長安を攻めて来ました」
という大事を告げたので、曹丕はまた色を失ってしまった。
「長安は魏の肺心に位する要地。わが遠征の長日にわたるべきを察して、孔明が敏くも虚を衝かんとする兆たりや必せりである。それは一刻も捨ておかれまい」
突如、夜のうちに、水陸両軍へ向かって、総引き揚げの命は発せられ、皇帝曹丕もまたやや風のおさまるのを待って元の龍艦へ立ち帰ろうとした。
すると、どこから江を渡って来たのか、約三千ほどの兵が、魏の本営に火を放って、これを一撃に殺滅し更に魏帝のあとを追撃して来た。
「味方か?」「失火か?」
と思っていたのが、呉軍だったので、魏帝と左右の諸大将は狼狽を極め、みるまに討たれては屍の山をなす味方をすてて、からくも龍艦に逃げもどり、淮河の上流へ十里ほど漕ぎつづけると、たちまち、左岸右岸、前方の湖も、一瞬に火の海と化った。
この辺は、大船の影もかくれるほどな芦葭のしげりであったが、呉軍はこれへ大量な魚油をかけておいて、こよい一度に火を放ったものであった。
魏の大艦小艇などの何千艘は、両方の猛焰、波上を狂いまわる油の火龍に、かなたに焼け沈み、こなたに爆発し、淮河数百里のあいだは次の日になっても黒煙濛々としてこの帰結を見ることもできなかった。
南蛮行
一
壮図むなしく曹丕が魏へ引き揚げてから数日の後、淮河一帯をながめると縹渺として見渡すかぎりのものは、焼け野原となった両岸の芦葭と、燃え沈んだ巨船や小艇の残骸と、そして油ぎった水面になお限りなく漂っている魏兵の死骸だけであった。
実にこのときの魏の損害は、かつて曹操時代にうけた赤壁の大敗にも劣らないものであった。ことに人的損傷はその三分の一以上に及んだであろうと言われ、航行不能になって捨てて行った船や兵糧や武具など、呉の鹵獲は莫大な数字にのぼり、わけても大捷の快を叫ばせたものは、
「魏の名将張遼も、計ち死にをとげた一人の中に入っている」
という事であった。
かくて呉の国防力には更に不落の自信が加えられた。その論功行賞にあたって、戦功第一に推された者は、孫権の甥の孫韶だった。
「果敢、敵地に入って、よく兵機をとらえ、魏の本営をつき、曹丕の左右を混乱に陥れ、敵の名だたる勇将を討つことその数を知らず――」
という都督徐盛からの上表であったが、孫権は、
「否々。魏軍を驕り誇らせて、淮河の隘口に誘い、周密に、この大捷を成すの遠謀をそなえていた都督の大計には比すべくもない。軍功第一は徐盛でなければなるまい」
と、称揚し、彼を一に、孫韶を二に、第三以下、丁奉やそのほかの者に順次恩賞が沙汰された。
翌年、蜀は建興三年の春を平和のうちに迎えていた。蜀の興隆は目に見えるものがあった。孔明はよく幼帝を扶け、内治と国力の充実に心を傾けて来た。両川の民もよくその徳になつき、成都の町は夜も門戸を閉ざさなかった。加うるに、ここ両三年は豊作がつづき、官の工役には皆すすんで働くし、老幼腹を鼓って楽しむというような微笑ましい風景が田園の随処に見られた。
けれどこういう楽土安民のすがたも四隣の情勢に依ってはまたたちまち軍国のあわただしさに回らざるを得ない。時に、南方から頻々たる早馬が成都に入って、
「南蛮国の王孟獲が、辺境を犯して、建寧、牂牁、越雋の諸郡も、みなこれと心を合わせ、ひとり永昌郡の太守王伉だけが、忠義を守って、孤軍奮闘中ですが、いつそれも陥ちるか知れない情勢です」と、急を伝えた。
このときの孔明は実に果断速決であった。その日に朝へ出て、後主劉禅に謁し、
「南蛮はどうしても一度これを討伐して、帝威をお示しにならなければ、永久に国家の患いとなるものでした。臣久しくその折を量っていましたが、今は猶予しておられません。陛下はまだ御年少ですからどうか、成都にあって私の居ないあいだ政務においそしみ遊ばしますように」
と、別れを告げた。
後主はいとも心細げに、
「南蛮は風土気候もただならぬ猛暑の地と聞く。たれかほかの大将を遣わしてはどうか」
と、別れともない容子をされたが、孔明は、否と顔を振って、
「私がおらなくても、四境の守りは大丈夫です。ことに、白帝城には李厳をこめておきましたから、あの者ならば、呉の陸遜の智謀もよく防ぐでしょう。また、魏は昨年、呉へ迫って、いたく兵力大船を損じていますから、にわかに、野望を他へ向ける気力はないものと見てさしつかえありません」
それからいろいろ慰めて、しばしの暇を仰ぐと、後主もついに頷かれたが、傍らにいた諫議大夫の王連がまた、
「
丞相は国家の柱とも
恃む存在であるのに、風土気候の悪い南方の蛮地へ遠征されるとは、われわれにとっても
心許ないことだ。蛮境の乱は、たとえば
癬疥という
腫物のようなもので、気にすればうるさい病だが、
抛っておけばまたいつのまにか

るものである。――何とかお考え直しはなりませぬか」と、しきりに止めた。
二
王連の忠言に対して、孔明はその好意を謝しながらも、なおこう言って初志を更えなかった。
「仰せは御もっともですが、南蛮の地は、不毛瘴疫、文明に遠く、わけて土民は王化に浴せず、これを統治するには、ただ武力だけでも難く、また利徳に狎れしめてもいけません。剛に柔に、武と仁と、時に応じて万全を計るには、やはり私自身が征かねばなりますまい。決して、孔明が小功を誇らんために望む次第ではありませぬ」
王連もなお再三諫めたが、孔明はあえてしたがわず、即日、数十名の大将を選んで、各部に分け、総軍五十余万、益州南部へ発向した。
その途中で、関羽の次男で、関興の弟にあたる――関索がただ一騎で参加した。
「今までどこにおられしか」
と、孔明は怪しみもし、また涙をたたえて言った。なぜならば、荊州陥落のとき、父関羽の手についていたので、今日まで、戦死と確認されていた者だからである。
「荊州の敗れた折、私は身に
深傷を負い、
鮑氏の家に
匿まわれておりました。今日丞相が南蛮へ御進発あるという

を聞いて、昼夜わかちなくこれまで
馳せつけて来たわけです」
「では、先鋒に加わって、お父上の名に恥じぬ功を立てられい。ここへ来られたのも、関羽どのの導きであろう。何にしても、すでに死んだと思っていた其許がふたたび蜀旗の下に立たるるとは幸先がよい」
と孔明のよろこびもひとかたでないし再生の関索も勇躍して先陣の軍に就いた。
すでにして、益州の南部に入った。山川は嶮しく気候は暑く、軍旅の困難は、到底、中原の戦とは較べものにならない。
建寧(雲南省・昆明)の太守は雍闓という者であったが、彼はすでに反蜀聯合の一頭目をもって自負し、背後には南蛮国の孟獲とかたく結び、左右には越雋郡の高定、牂牁郡の朱褒と一環の戦線を形成して、
「孔明が自ら来るとは望むところだ」
と、まず六万の軍を、その通路へ押し出して揉み潰さんと待ちかまえていた。
この六万の大将は鄂煥といって、面は藍墨で塗ったごとく、牙に似た歯を常に唇の外に露わし、怒るときは悪鬼のごとく、手に方天戟を使えば、万夫不当、雲南随一という聞こえのある猛将だった。
序戦第一日に、これに当たったのは、蜀の魏延であった。魏延は孔明から策を授けられていたので、いたずらに勇を用いず、専ら智略をもって彼を疲らせ、その第七日目の戦いに、盟軍の張翼、王平の二手と合して、猛将鄂煥をうまうまと重囲の檻に追い陥とし、これを擒人にしてしまった。
が、孔明は繩を解いて、彼を放し、その帰る間際に、こう諭した。
「君の主人は、越雋の高定であろう。高定は元来、忠義な人だ、野心家の雍闓に欺されて、謀反に与したものにちがいない。立ち帰ったらよく君からも高定に忠諫して上げるがいい」
命びろいをした鄂煥は自軍の陣地へ帰るとすぐ、主人高定に会って蜀軍の強さや、孔明の徳を話していた。すると折悪しくそこへ雍闓が訪ねて来た。雍闓は眼をまるくして鄂煥を見た。
「汝はきょうの戦いに、敵の俘虜になったと聞いたが、どうしてこれへ戻って来たのか」
高定がそれに答えて、
「孔明は実に仁者らしい、情理あわせて鄂煥に諭し、一命を免して帰してくれた」
すると雍闓は、吹き出して嗤った。
「それがきゃつの詐術というもんじゃよ。蜀人の仁なんていうものからしてそもそも俺たちの敵性じゃないか」
言っているところへ、夜襲があったので、話もそのまま雍闓は自分の城へ逃げ帰ってしまった。
翌日になると雍闓は城を出て、味方の高定と固く聯携し、しきりに、、蛮鼓貝鉦を打ち鳴らして、戦いを挑んで来たが、孔明は笑って見ているのみで、
「しばらく傍観しておれ」
と三日戦わず、四日も出撃せず、およそ七日ほどは、柵の内に鎮まり返っていた。
三
「蜀軍は弱いぞ」とあまく見たらしい。八日目のころ南蛮軍は大挙して迫って来た。
地上に図を画いたように、的確な謀をもって、孔明はそれを待っていた。そして大量な俘虜を獲た。
俘虜は二分して、二ヵ所の収容所に入れた。一方には雍闓の兵ばかり入れ、一方には高定の兵のみ押しこめた。
そしてわざと、孔明はそこらに風説を撒かせた。
「高定はもともと、蜀に忠義な者だから、高定の手下は放されるらしいが、雍闓の部下はことごとく殺されるだろう」
一つの収容所は歓喜した。一つの収容所では泣き悲しんだ。
日を措いて、孔明は、まず雍闓の手下から先に曳き出して、一群れずつ訊問した。
「汝らは、だれの部下だ」
「高定の兵です」
「相違ないか」
「高定の兵に相違ありません」
ひとりとして、雍闓の部下だと答えるものはない。
「よし、高定の兵なら、特に免じてやる。高定の忠義はだれよりもこの孔明が知っておる」
みな繩を解いて放した。
次の日。こんどはほんとの高定の部下を引き出して、これも繩を解いてやったあげく、酒まで振る舞ってやった。そして孔明は彼等の中に立ち交じって、
「汝等の主人高定は、実に愛すべき正直者だ。あんな律義な人間が蜀に謀叛するわけはない、まったく雍闓や朱褒に欺されているのだ。その証拠には、きょう雍闓から密使が来て、蜀帝に希って、所領の安全と、恩賞を約束してくれるなら、いつでも高定と朱褒の首を持って来ると告げて帰った。――わしは高定の律義と忠節を信じておるから追い返したが、そのひとつでも汝らの主人が雍闓のお先棒に使われているということがわかるではないか」
と、雑談のように話して聞かせた。
単純な南蛮兵は、放されて自分たちの陣地へ帰ると、みな孔明の寛大を賞めちぎり、主人の高定に向かっても、
「雍闓に油断なすってはいけませんぞ」
と忠告した。
高定も疑って、ひそかに雍闓の陣中へ、人をやって窺わせてみた。するとそこでも、雍闓の部下が、寄ると触ると、孔明を賞めているので、いったい孔明は敵か味方かわからなくなりましたよ――というその者の復命だった。
「......するとやはり雍闓と孔明とは内通しておるのかしら?」
彼はなお念のために、腹心の者をやって、孔明の陣中を探らせた。
ところがその男は、途中、蜀の伏兵に発見されてしまい、
「怪しい奴だ」
と、孔明の前に曳かれて来た。――それを孔明は一目見ると、
「いや、そちはいつぞや、雍闓の使いに来た男ではないか。その後、待ちに待っておるに、沙汰の無いのは、いかがいたしたものだ。疾く帰って、主人雍闓に、吉左右を相待ちおると、申し伝えい」
そして一通の書簡を認め、それを託して部下に危険のない地点まで送らせた。男は生命びろいしたと、雀躍りして、高定の陣へ帰って来た。待ちかねていた高定が、「首尾はいかに?」
と訊ねると、男は腹をかかえて笑いながら、
「途中、捕まったので、しまったと思いましたところ、孔明のやつは、手前を雍闓の使いと思いちがえたらしく、こんな手紙を認めて雍闓へ渡してくれと託しました。まず御覧ください」
と、主人の前に差し出した。
高定は見て愕いた。――高定、朱褒の首を取って降伏を誓うならば、蜀の天子に奏して重き恩賞を贈らん――という意味に加えて、それを一刻も早くにと督励している催促状である。高定は大きく呻いて、考えこんでいたが、やがて部将の鄂煥を呼んで、その手紙を示し、
「其方はこれをどう思う? また雍闓の本心を何と観るか」
と、息あらく相談した。
四
鄂煥ときては彼よりももっと神経の
粗いほうである。たちまち
牙をむいて
憤
した。
「こういう証拠のある以上、何も迷っていることはない。なお万一を顧慮されるなら、陣中に一宴を設けて、雍闓を試しに招いてごらんなさい。彼が公明正大ならやって来ようし、邪心があれば二の足を踏んで来ないだろう」
なお、第二案として、こうも勧めた。
「もし来なかったら、きゃつの二心は明白ですから、御自身、こよいの夜半に、不意討ちをおかけなさい。てまえは別軍を引いて、陣の後ろを襲いますから」
高定はついに意を決してその通り運んだ。案のじょう雍闓は軍議を口実にしてやって来ない。
高定は夜襲を決行した。これは雍闓にとってまったく寝耳に水である。おまけに雍闓の部下は、先ごろから何となく怠戦気分であった上、中には高定の兵と一緒になって、その潰乱を内部から助けた者も出たため、雍闓は一戦の支えも立たず、ただ一騎で遁走を企てた。
裏門へかかった鄂煥は、たちまち得意の戟を舞わして、一撃の下に彼の首を挙げてしまった。
夜明けと共に、高定は首を携えて、孔明の陣へ降った。孔明は首を実検すると、急に左右の武士を振り向いて、
「この曲者を斬り捨てろ」
高定は仰天した。かつ哀号し、かつ恨んで言った。
「丞相はこの合戦中、折あるごとに、不肖高定を惜しんで下さるとの事に、深く恩に感じ、いま降参を誓って参ったのに、即座に殺せとはいかなる仔細ですか。あなたは仁者の仮面を被った魔人か」
「いや、何と申そうと、汝の降参は詐にちがいない。われ兵を用いることすでに久しい、何で汝ごとき者の計に乗ぜられようか」
匣の中から一封の書簡を取り出して、これを見よ! と高定の前へ投げやった。まぎれもない朱褒の手蹟であった。彼はもう逆上していて、それを読む手も顫えてばかりいた。
「よく見たがよい、朱褒の書中にも、高定と雍闓とは刎頸の友ゆえ、油断あるなと、忠言してあろうが。――それをもってもこの首の偽首なる事、また汝の降伏が、彼と諜し合わせた謀計という事も推察がつく。――かく言えば何で朱褒の片言のみ信じるかと汝は更に抗弁するかも知れんが、朱褒が降伏を乞うことは、すでに再三ではない。ただまだ彼は自分を証拠だてる功がないために性急っておるだけに過ぎぬ」
聞くと、高定は歯を咬み、躍り上がってさけんだ。
「丞相丞相! 数日の命を高定にかして下さい。憎んでもあきたらぬ奴は朱褒です。初め、雍闓の謀反へ此方を引き入れたのも、きゃつなのに、今となって、この高定を売って、自己の反間の野心をなし遂げんとは、肉を啖い、骨を踏みつけても、飽きたらない犬畜生です。きゃつの反間にかかって、このままここで斬られては、高定、死んでも死にきれません」
「数日の命をかしたらどうするというのか」
「もちろんです。朱褒の首を引っ提げて身のあかしを立て、しかる後に、正当な御処分をうけるものなら死んでも本望です」
「よし。行き給え」
孔明は励ました。
三日ほどすると、高定は、前にも勝る手勢をつれて、ここの軍門へ帰って来た。
そして孔明の前に朱褒の首を置いて、
「これは偽首ではございませんぞ。よく眼をあいて見て下さい」
と、言った。
孔明、一目見るとすぐ、
「しかり、しかり」
と、膝をたたいてまた、
「前の首も、あれは雍闓に相違ないよ。わしはただ君のために、大功を立てさせたいために、あんな一時の放言をなしたのだ。悪く思わないでくれ」
と、一笑して、労をねぎらった。
この高定はほどなく益州三郡の太守に封ぜられた。
南方指掌図
一
益州の平定に依って、蜀蛮の境を紊していた諸郡の不良太守も、ここにまったくその跡を絶った。
したがって、孔明の来るまで、叛賊の中に孤立していた永昌郡の囲みも、自ら解けて、太守王伉は、
「冬将軍が去って、久しぶりに春の天日を仰ぐような心地です」
と、感涙に顔を濡らしながら城門をひらいて、孔明の軍を迎え入れた。
孔明は、城に入ると、王伉の孤忠を称えて、同時にこうたずねた。
「御辺には良い家臣がおると思われる。そも、だれが専ら力になって、御辺にこの小城をよく守らせたのであるか」
「それは呂凱という者です。おゆるしがあれは、すぐこれへ呼びますが」
「招いてくれ」
呂凱、字は季平。やがて孔明の前に拝伏した。
孔明は、高士として、彼を迎え、後、蛮国征伐について彼の意見をたたいた。
呂凱は携えて来た一巻の絵図を、それへ展いて言った。
「愚見を申し上げるよりも、これをお手許にお納め置き下されば、迂生の万言にも勝るかとぞんじます」
「これはいずこの絵図か」
「名づけて、平蛮討治図とも、南方指掌図とも言っております。南方蛮界の黒奴は、王化を知らず、文明になずまず、しかも自分たちの蛮勇と野性とその風習に驕り恃むこと強く、これを帰服させるには一朝の事には参りません。――で、迂生は多年の間、密かに蛮地へ人を遣って、その風俗習性や武器戦法を調べおき、かたがた、南蛮国の地理をつぶさに考察して、ついにこの一図を成したものにござります。図中、細々と書き入れてある註がいま申し上げた蛮地の事情やら気象風土などであります」
孔明は感心して、
「平時にこういう備えを黙々として来た者の功を戦時にも忘れてはならない」
と三嘆し、あらためて彼を征蛮行軍教授の要職に推した。
かくて、永昌の城に在るうちに、充分な装備と、蛮地の研究をして後、孔明はやがてその大軍をいよいよ南へ進めた。
日々百里、また数百里と、行軍の輸車労牛は、炎日の下を、蜿蜒と続いてゆく。孔明は一隊ごとに、軍医を配し、糧食飲料の事から、夜営の害虫や風土病などについて、全軍の兵のうえに細心な注意をそそいだ。
「天子のお使いが見えられました」
部将の言葉に、孔明は、
「なに、勅使とか」
自身、出迎えて、中軍へ請じた。
見ると、その使いに来たのは、馬謖だった。
孔明は彼のすがたを見たとたんにはっとしたらしい。なぜならば馬謖は無色の素袍を着し、白革の胸当てをつけ、いわゆる喪服していたからである。
敏にして賢い馬謖は、孔明の顔にうごいた微かなそれをも見遁さなかった。――で、言葉を急いで、
「御陣中へ、喪服して臨み、失礼はおゆるし下さい。実は、出立の前に、兄の馬良が亡くなりましたので――」と、逆さまながら私事を先に述べて、まず孔明の心をなだめてから、
「天子が、それがしを、御陣中へお遣わしなされたのは、何の異変も都にあるわけでなく、夷蛮の熱地を征く将士の労をおしのび遊ばされ、成都の佳酒百駄を軍へ御下賜あらせられました。――荷駄はやがて後より着きましょう。右までをお伝えいたします」
と、使いの要旨を述べた。
その夕、下賜の酒が着いた。孔明はこれを諸軍に頒かって、星夜の野営に、蛮土の涼を共に楽しみながら、また馬謖と対して、彼も一杯を酌んだ。
四方山のはなしの末に、彼は馬謖へ向かって試みにたずねた。
「いま蛮国を討治するに当たって、ひとつ君の高見を訊きたいものだ。忌憚のないところを言ってくれ」
馬謖は、黙然としていたが、やがて、
「それは実に難しいことですね。功を立てることは易しいが、実果を収めるのは難中の難事です」
と、若者らしく率直な言葉で言った。
二
「難しいとは、どう難しいのか」
孔明が鸚鵡返しに訊くと、馬謖は、
「古来、南蛮を討つに、成功した例はありません」と、冒頭して、
「――しかし、丞相の事ですから、今大軍を率いて、それに向かわれる以上、必ず大功を収めて、征伐を果たされるでしょう。けれどまた、ひとたび都へ回る時は、たちまち元の状態に戻って、蛮族どもは、乱を思い、虚を窺い、決して王化に服しきるものではありません」
と、憚りなく断言した。
孔明はうなずいて見せながら、
「しかもなお、そういう未開の夷族をして、王化の徳を知らしめ、心から畏服せしめるには、いかにせばよいと思う?」
「難中の難事たる所以は実にそこにあります。兵を用いるの道は、心を攻むるをもって上とし、武力に終わるは下なりと承っています。ねがわくば丞相の軍が、よく彼を帰服せしめて、恩を感じ、徳になつき、蜀軍が都へ引き揚げた後も、永劫に王化はあとに遺って、二度と背くことのないようにありたいものと存じます」
孔明は長嘆して、君の高論はまさに自分の思うところと一致したものだと言い、斜めならず彼の才志を愛でた。で、朝廷へは使いを派して、馬謖はそのまま陣中に留め、参軍の一将として常に自分の側においた。
馬謖の才は、夙に彼も認めているものであるが、彼のような若輩に対しても、南方経略の要諦を諮問しているところに、宰相孔明がみずから率いて向かった今度の南蛮征討に、いかに彼が腐心しているかを窺うことができる。
五十万という大軍の運命をその指揮に担っている重任はいうまでもない。かつはまた、従来の戦場とちがって、風土気候も悪いし、輸送の不便ははなはだしいし、嶮山密林、ほとんど人跡未踏の地が多い。
ひとたび敗れんか、魏や呉は、手を打って、奔河の堤を切るように蜀へなだれ込むだろう。帝はまだ幼くして、蜀都を守るにはあまりにまだお力がない。先帝玄徳からの直臣や忠良の士も尠くないとはいえ、遠隔の蛮地で、五十万が屍と化し、孔明すでにあらずと聞こえたら、成都の危うきは、累卵のごときものがある。内に叛臣あらわれ、外に魏呉の兵を迎え、どうして亡びずに居られるものではない。前途も多難、うしろも多事。征旅の夜にも、孔明の夢は、一夕たりとも、安らかではあり得なかったのである。
しかも、南蛮征服の軍は絶対に果たしておかなければ、魏呉と対しても、たえず蜀の地は、後顧の不安を絶つことができなかった。今をおいてその国患を根絶する時はないのだ。孔明は例の四輪車に乗り、白羽扇を手に持って、日々百里、また百里、見るものみな珍しい蛮土の道を蜿蜒五十万の兵とともに、果てなく歩みつづけた。
密林の猛獣も、嶮谷の鳥も、南へ南へと、逃げまわった。かくて蛮国の南夷には、
「孔明が攻めて来た」
という事が、天変のごとく、声から声に伝えられ、南蛮国王の孟獲は、すでに大軍を集結して、
「中国の奴輩に一泡ふかせてやる」
と、かえって、その蛮都から遠く、出撃して来た。
はやくも、蜀の偵察が探って来たところによると、蛮軍の総勢は約六万とわかった。そして各二万を三手に分かち、三洞の元帥と称する者――金環結を第一に、董荼奴を第二に、阿会喃を第三に備えて、待ちかまえているという。
それに対して、孔明は、
「
王平は左軍へ、
馬忠は右軍へ当たれ。自分は
雲、
魏延を率いて、中央へすすむ」
と、令した。
この令に、

雲や魏延はすこし不平顔だった。左右両軍は、
先鋒であり、自分たちは後ろに置かれたからである。
しかし孔明は、
「王平、馬忠は御辺たちよりも、地の理に詳しい。それに年もとっているから、奇道を行なっても過ちが少ない」と、ふたりの血気を制して、両翼がふかく進んだ後から中軍は出動した。そして帷幕の諸将に囲まれた四輪車の上に、孔明は悠々と羽扇をうごかして、異境の鳥や植物の生態などを眺めていた。
三
蛮軍は五渓峰の頂に防塞を築いて、三洞の兵を峰つづきに配し、ひそかに、
「中国の弱兵には、この嶮峻さえ登って来られまい」と、驕っていた。
月明を利してその下の渓道まで寄せて来た王平、馬忠の先手は、途中で捕らえた蛮兵の斥候を道案内として、間道を伝い、道なき道を攀じ、夜半、不意に敵の幕舎を東西から襲った。
喊の声と共に、各所から花火のような火が噴いた。流星のごとく炬火が飛ぶ。蛮陣の内は上を下への大混乱を起こしている。
蛮将の金環結は、手下を叱咤しながら、炎の中から衝いて出た。その影を見ると、蜀軍のうちからも、だれやら一将が現われて、猛闘血戦の末、ついにその首を取って、槍先につらぬき、
「手抗う者はみなこうだぞ」
蛮軍の兵に振り𢌞して見せた。
逃げるわ逃げるわ、土蛮の群れは、さながら枯れ葉を巻くように四散してゆく。そして董荼奴や阿会喃の陣へかくれこんだ。
魏延、

雲などの蜀の中軍は、そのころ、ここを攻め
喚いていた。南蛮勢は、前後に蜀軍を見て、いよいよ度を失い、
渓へ飛びこんで頭を砕く者、木へ攀じ登って焼け死ぬ者、また討たれる者や
降る者や、数知れないほどだった。
夜が明けた。蛮地の奇峰怪山のうえに、なお戦火の余燼が煙っている。孔明は快げに、朝の兵糧を喫し、さて夜来の軍功を諸将にたずねた。
「三洞の蛮兵は敗乱して、今朝すでに一個の影だに見えぬ。まことに諸公の大勇に依るものであるが、敵の大将は捕らえ得たであろうか」
「それがしが討った首は、敵将のひとり金環結と思われます。御実検ください」
「おお、

雲か。いつもながらのお働き、めでたい。して、そのほかの敵将は」
「遺憾ながらみな逃げたようであります」
「いや、実はここに生け擒っておる」
と、背後の帳へ向かって、曳いて来いと命じた。
人々は信じられなかったが、やがて帳を排して、数名の武士が、阿会喃と董荼奴の繩尻をとって、これへ現われ、
「蛮族。下に居ろ」と、ひきすえた。
「や。どうして?」
驚かぬ者はなかったが、やがて孔明の説明に依って、ようやく仔細は解けた。
孔明はかねて帷幕のうちに伴っている呂凱に就いてこの辺の地形を詳細に研究していたのである。で、中軍両翼が正攻法をとって前進する三日も前に、すでに張嶷、張翼のふたりに間道潜行隊をさずけ、これを遠く敵塞の後方に迂回させ、その道路に埋伏させておいたものだという。
「兵機の妙、鬼神も測り難しというのは、この事でしょう。さてさて、おかしげなる無智の蛮将ども、並べておいてすぐ首を刎ねましょうか」
諸将が称え言うと、孔明はその処断を制して、かえって、彼等の繩を解いてやれと命じた。そして、
「酒を与えよ」と、酒肴を出して慰め、更に、
「これはわが成都で産する蜀錦の戦袍である。お前たちにも似合うであろう。この恩衣を纏うて、常に王化の徳を忘れるなかれ」
と、諭して、やがて夜に入ると、小道からそっと二人を追放してやった。
董荼奴も阿会喃も、
「御恩は忘れません」と、涙を流して去った。
孔明はその後で、諸人に告げた。
「見よ、明日はかならず国王孟獲が自身でこれへ攻め寄せて来るにちがいない。――各々手に唾して、これを生け擒りにせよや」
その折にはかくかくと孔明は計策をさずけていた。どこへ向かって行くのか、

雲、
魏延は各五千騎を持ち、その他、
王平や
関索なども一手の兵をひきいて、翌朝
夙く本陣から別れて行った。
孟獲
一
南蛮国における「洞」は砦の意味であり、「洞の元帥」とはその群主をいう。
いま国王孟獲は、部下の三洞の大将が、みな孔明に生け擒られ、その軍勢も大半討たれたと聞いて、俄然、形相を変えた。
「よし、讐をとってやる」
この孟獲という者の勢威と地位とは、南方蛮界の国々のうちでは、最も強大なものらしい。彼が率いて来た直属の軍隊は、いわゆる蛮社の黒い
猛者どもだが、弓馬
剣鎗を

かし、怪奇な物の具を身につけ、
赤幡、
紅旗をなびかせ、なかなか中国の軍にも劣らない装備をもっているものだった。
これが、はしなくも、蜀の王平の先陣と、烈日の下に行き会った。王平は、馬を出して、
「野蛮王孟獲、ありや?」
と呼ばわった。
獅子のごとく猛然と、声に応じて駈け寄って来たのが、その孟獲と見えた。そのときの彼の扮装を原著にはこう描写している。
――孟獲、旗ノ下ニ、
捲毛赤兎ノ馬ヲオドラセ、
頭ニ
羽毛宝玉冠ヲ
戴キ、身ニ
纓絡紅錦ノ
袍ヲ着、腰ニ
碾玉ノ
獅子帯ヲ掛ケ、
脚ニ
鷹嘴抹緑ノ
靴ヲ

ツ。
昂然トシテ左右ヲ顧ミ、
松紋廂宝ノ剣ヲ手ニカケテ
曰ウ。
「中国の人間どもは、
孔明孔明とみな
怖れるが、この孟獲の
眼から見れば、一匹の象、一匹の
牝
にも足りない。いわんやその下の
野狐城鼠どもをや。――やい、
忙牙長、あいつを
圧し
潰せ」
と彼は振り向いて、部下の一将へ頤をさした。
忙牙長はおうっと吠えて、跨がっている怪獣の尻をぴしっと革で擲った。馬ではなく、それは大きな角を振り立てて来る水牛であった。
王平と五、六合戦ったが、尋常な剣技では比較にならない。忙牙長はたちまちにして追い立てられた。
部下の血を見ると孟獲は本来の蛮人性をあらわして、おのれと喚きざま、王平へ跳びかかって来た。王平は詐って逃げ出した。
「ざまを見ろ、
古
の番人め(武神の木像をさして言う)引っ返せ」
捲毛の赤馬に、旋風を立てながら、孟獲は追いかけて来た。(ころはよし――)と眺めた関索の一軍は、突として、彼のうしろを中断し、その背後を脅かすと、またたちまち、張翼は右から、張嶷は左から、蛮軍を被いつつんだ。
無智の軍と、兵法ある軍との優劣は、あまりにも明らかな結果を現わした。寸断された蛮軍は蜂の巣を叩かれたように混騒し、その逃げる方角すら一定の方向も持たない。
孟獲はうかと熱湯へ手を突っこんだように狼狽した。急に一方の囲みを破って、錦帯山の方へ奔ったが、そこの谷間へかかると、谷のうちからとうとうと金鼓や銅鑼の声がするし、道を更えて、峰へ登りかけると、岩の陰、木の陰から、彪々として、蜀の勇卒が、鼓を打ちつつ攻めて来る。
中に、蜀の大将
雲がいた。孟獲は
胆を消して、渓流を跳び、沢を
駈け、さながら美しき猛獣が最期を知るときのように逃げまわったが、すでに四山は蜀兵の
鉄桶と化し、
遁るべくもない有様であった。
さも無念そうに、独り唸きながら、彼は馬を捨てて渓流のそばへ寄った。そして身をかがめて水を飲もうとすると、四方からまた喊の声と金鼓が谺して鳴りひびく。
「......?」
脅えの中に必死を持った形相は、何とも
物凄い。彼は馬をそこへ捨てたまま、木の根、岩かどにしがみついて、道なき所を越えはじめた。そして
嶺の上に出て、ほっと一息ついているところを、

雲の手に
依って、難なく
囚えられてしまった。
繩目も、ただの繩をかけたのでは、ぷつぷつ断ってしまうし、暴れる、吠える、ほとんど手がつけられない。で革紐をもってきびしく縛め、屈強な力士が十重二十重に囲んでこれを孔明の本陣まで引っ立てて行ったが、陣内へ押し込むときも一暴れして、三、四人の兵が蹴殺されたほどだった。
しかし、営中まで引き摺って来ると、御林の旗幡は整々と並び、氷雪をあざむく戟や鎗は凜々と篝火に映え、威厳森々たるものがあるので、さすがの蛮王も身を竦めてただ爛たる眼ばかりキョロキョロうごかしていた。
二
営内の裏には、さきに俘虜とした大量の蛮兵が、真っ黒にかたまっていた。いま孔明はそこへ出て、戒諭を与えていた。
「汝らといえども、虫獣ではあるまい。父母もあろう。妻子もあろう。生け擒られたと聞いたら、それらの者は血をながして悲泣するであろうに、何で無益にその生命を争って捨てに来るのか。ふたたび孟獲のごとき兇悪を助けて、あたら生命を捨てるではないぞ」
もちろん、孔明は全部の者を解き放す考えである。のみならず、酒を飲ませ、糧を与え、負傷者には、薬治をして、追い放してやった。
無智な土蛮の者といえども、その恩にはみな感じた。いや中国の兵よりも正直に感銘して、振り返り振り返り立ち去った。
彼が営中の一房へもどって来ると、ちょうどそこへ武士たちが孟獲を引っ立てて来た。孟獲は孔明のすがたを見ると、牙を剝いて跳びかかりそうな顔をした。
「どうした? 孟獲」
孔明はすこし揶揄を弄びながら、温容なごやかに訊問した。
「わが蜀の先帝には、常々、蛮王蛮王と汝を称ばれて、汝に目をかけ給うたこと、一通りでなかった。さるを恩を忘れて魏と通じ、魏が屛息するや、また自ら無謀の乱を作すとは何事か」
孟獲はせせら笑った。何か咬んでいるようにもぐもぐ口の端から泡を出して独り語を言っていたが、やがて猩々が腹を搔くときのように、ぬうと胸を反らすと、ぎょろりと孔明をにらみつけて、
「ばかを言え。たわごとを吐かせ。もともと、両川の地は、旧蜀のもので、今の蜀のものじゃない。益州の南だってそうだ。この俺のものだ。玄徳の領分でもなかったし、劉禅の土地でもない。そこで俺が何をしようと、俺の勝手ではないか。境を侵したの、謀叛をするのと、俺の耳に通用しない文句を並べたところで、この孟獲にはちゃんちゃらおかしくなるばかりだ。あはッははは」
「気のどくだが孟獲、真面目になって、お前と理論を闘わす気にはなれぬよ。――そこで武力をもって教えたのだが、いかに歯ぎしりしても、汝はすでに、孔明に捕らわれている者だぞ、俘虜には何をいう権能もない。なぜ我が軍に生け擒られたか」
「錦帯山の道が狭くて思うまま俺の力が出せなかったからだ」
「そうか、地の利を得なかったためか」
「誤って生け擒られたが、たとえ身は縛し得ても、俺の心は縛し得まい」
「汝も時には、うまいことを言う。心から服さぬものは是非もない。繩を解いて放してつかわそう」
そう言ったら、たちまち情に打たれて面もやわらげ、急に生命をも惜しむか――とながめていると、孟獲の場合はまったく正反対であった。
「ようし。もし俺の繩を解いて放して帰すなら、きっと兵力を立て直して、ふたたびうぬと雌雄を決してみせる。尋常に戦えば、うぬ等に負ける孟獲じゃあない」
「おもしろい。ふたたび来て、ぜひ戦え。孔明も汝が心から服するまで戦うであろう」
彼は、武士に告げて、孟獲を解いてやれと言った。これを知って営中の諸大将は動揺した。せっかく捕ったものを――と残念がる者、いいのかしら? ――と不安がる者、さまざまな感情がそこへ反映したが、孔明は少しも意にかける容子とてなく、酒を取り寄せて、
「飲んで帰れ」と、孟獲にすすめていた。
初めは、非常に疑っている顔いろだったが、同じ酒壺の酒を孔明も共に飲んで他事なく話しかけるので、孟獲も果ては大盃でがぶがぶ飲み乾した。そして営門の裏から送り出されるや、罠を脱した猛虎が洞へ急ぐように、後ろも見ずにどこかへ消えて失くなった。

を
握りながら、それを見送っていた諸将は、口をそろえて、
「わからぬ。丞相のお心は我等にはとんと合点がまいらぬ」
不満と嘲笑を半ばにして言い合った。
孔明は笑った。
「何の、彼ごとき者を生け擒るのは囊の中から物を取り出すも同じ事ではないか」
輸血路
一
「大王が帰って来た」
「大王は生きている」
と、伝え合うと、諸方にかくれていた敗軍の蛮将蛮卒は、たちまち蝟集して彼をとり巻いた。そして口々に、
「どうして蜀の陣中から無事に帰って来られたので?」
と、怪訝顔して訊ねた。
「何でもないさ」
孟獲は事もなげに笑って見せながら、部下にはこう言った。
「運悪く難所に行き詰まって、一度は蜀軍に生け擒られたが、夜に入って、檻を破り、番の兵を十余人ほど打ち殺して走って来ると、また一隊の軍馬が来て、俺の道をさえぎったが、多寡の知れた中国兵、八方へ蹴ちらした末、馬を奪って帰って来たというわけだ。ははは、おかげで蜀軍の内部はすっかり覗いて来たが、なあに大したものじゃない」
もちろん、部下の南蛮兵は、彼の言を絶対に信じた。ただ阿会喃と董荼奴は、先に孔明に放されて、自分たちの洞中に引っ込んでいたが、孟獲から呼び出しが来ると、この二人だけは、
「どうもやむを得ない」
というような顔つきで、渋々やって来た。
孟獲は、新たにまた諸洞の蛮将へ触れを廻して、たちまち十万以上の新兵力を加えた。蛮界の広さと、その蛮界における彼の威力は底知れないものがある。
集まった諸洞の大将連は、その風俗服装、武器馬具、ほとんどまちまちで、怪異絢爛を極めた。孟獲はその中に立って、向後の作戦方針を述べた。
「孔明と戦うには、孔明と戦わないに限る。きゃつは魔法つかいだ。戦えばきっときゃつの詐術にひッかかる。そこで俺は思う。蜀の軍勢は千里を越えて、この馴れない暑さと土地の嶮しさに、かなりへたばッている様子だ。俺たちはこれから瀘水の向こう岸に移り、あの大河を前にして、うんと頑丈な防寨を築こう。削り立った山にそい崖にそい、長城を組んで矢倉矢倉にそれを連げば、いくら孔明でもどうすることもできまい。そして奴等がへとへととなったころを見て、みなごろしにする分には何の造作もない」
一夜のうちに蛮軍は風のごとくどこかへ後退してしまった。蜀軍の諸将は、
「はて?」と、怪しんだり、あるいは、孔明の大仁に服して、みな戦場を捨てて洞へ帰ってしまったのではないか、などと私語まちまちであったが、孔明は、
「ただ前進あるのみ」と、即日、進発を命令した。
蛮地の行軍は、その果て無さに、ふたたび人々を飽かしめた。わけて輜重の困難は言うばかりでない。
ときすでに五月の末に及んで、先陣は行くてに瀘水の流れを見た。河幅は広く、水勢は急で、強雨のたびに、白浪天に漲った。
強雨といえば、この地方では、日に何回か、必ず盆をくつがえすような大雨が襲って来た。猛烈な炎暑に喘ぐとき、それは兵馬をほっと救ってくれるが、同時に甲の下も濡れ、兵糧も水に浸され、時には道を失って、漲る雨水の中に立ち往生してしまうことなどもままあった。
「や?......対岸に敵がいる」
「何という厳しさだ。あの蜿蜒たる防寨は」
先鋒の兵は、胆を奪われた。対岸の嶮岨と、その自然を利用した蛮族一流の防寨を見た刹那にである。それは中国地方の科学的構造とははなはだ趣を異にしているが、堅固な点では、必要以上にも堅固に窺われる。
当然、遠征軍は、瀘水を前にして、はたと、その進軍を阻められた。
日々の強雨、一日中の悪暑、夜は夜で、害虫や毒蛇やさまざまな獣に苦しめられつつ、滞陣半月を越えんとしていた。
孔明は、令を出した。
「瀘水の岸から百里ほど退陣せよ。して各隊は、高所、あるいは林中など、眠るによく、居るに涼しい地を選んで幕営を張れ。あえて、戦いに焦躁するな。しばらく人馬を休め、病に罹らぬよう、身の強健にもっぱら努めておるがいい」
二
こういう時、参軍の呂凱は大いに役立った。かねて孔明の手に献じてある「南方指掌図」に依って、地理を按じ、各部隊のために渫陣の地を選定した。
各部将はそれぞれの位置に、陣小屋を構え、椰子の葉を葺いて屋根とし、芭蕉を敷いて褥とし、毎日の炎天をしのいでいた。
監軍の蔣琬は、一日孔明に向かってこう言った。
「山に依り、林にそい、蜿蜒十数里にわたるこの陣取りは、かつて先帝が呉の陸遜に敗られたときの布陣とさながらよく似ています。もし敵が瀘水を渡って火攻めをして来たら防ぎはつきますまい」
「しかり、しかり」と孔明は否定もせずただ笑って――
「この渫陣の形は、決して善いと思っているわけでもないが、さりとて何の計がないわけでもない。まあ推移を見ておれ」
ところへ蜀の都から、傷病兵のために多くの薬種と糧米とを輸送して来た。指揮官にはだれがついて来たかと訊ねると、
「馬岱とその部下三千名が任に当たって参りました」とのことに、孔明はすぐに彼を呼びよせて、遠来の労をいたわり、かつ言った。
「君のつれて来た新手の兵を最前線へ用いたいと思うが、御辺は指揮して行くか」
「一兵も私の兵などというものはありません。みなこれ朝廷の軍馬ですから、先帝の御恩に報じられるものなら、死地の中へも歓んで参ります」
「ここから約百五十里の瀘水の岸に、流沙口という所がある。そこの渡し口のみは流れも緩く渡るによい。対岸に渡ると山中に通ずる一道がある。それこそ蛮軍が糧食を運んでいる唯一の糧道だ。もしここを遮断すれば阿会喃、董荼奴の輩が内変を起こすだろう。君に命ずるのはそうした任務だが」
「必ずやって見せます」
欣然、馬岱は下流へ向かった。
流沙口へ来て見ると、案外、河底は浅く、船筏も要らない程度なので渡渉した。ところが、河流の半ばまでゆくと馬も人もたちまち溺れ流された。馬岱は驚いて急に兵を回し、土人に訊くと、ここは毒河といって、炎天のうちは、水面に毒が漂っているので、これを飲めば必ず死ぬ。しかし夜半の冷ややかなころ渉るぶんには決して毒にあたることはないとの事だった。
深夜を待つまでに、木を伐り竹を編んで無数の筏を造った。約二千余騎つつがなく渡るを得た。対岸は山地で、進むほど峻嶮となってくる。土人にきけば「夾山の羊腸」と称ぶ所だとある。
馬岱軍は、大山の谷を挾んで陣を取り、その日のうちに、ここを通行する蛮人輸送隊の車百輛以上、水牛四百頭を鹵獲した。次の日にも獲物があった。たちまちこの事は、険阻のうちに結集している蛮軍十余万の胃ぶくろに影響した。
糧道を守る蛮将のひとりが、孟獲の本陣へ行って急を告げた。
「平北将軍馬岱が、一軍の新手をひきいて、流沙口を渡って来ました」
孟獲は酒をのんでいたが、聞くと笑って、
「河の半ばで半分以上は死んだろう、ばかな奴らだ」
「いや、夜中に越えて来たらしいので」
「だれが敵にそんな秘事を教えたか、土地の奴なら斬ってしまえ」
「もう間に合いません。敵は夾山の谷に屯して、こっちの輸送隊を襲い、毎日の兵糧はみんな奴等に奪われているので」
「なに、糧道を断ったと。何のために、汝れはその守りに立っているのか。木像め、――忙牙長を呼べ、忙牙長を」
これは蛮将中でも異様な槍を使う猛力無双な男である。呼ばれるや、その長槍を引ッ抱えて、
「大王、何です」とさながら仮面のような顔をつき出した。
「三千ばかり引きつれて、夾山にいる馬岱の首を持って来い」
「行って来ます」
忙牙長は、颯爽として、一軍の先に立って向かって行ったが、ほどなく、その手下だけが、列を乱して逃げ帰って来た。そして口々に告げて言う。
「忙牙長は敵の馬岱と渡り合って、ただ一刀に斬られてしまいました。いったい、どうしてあの隊長があんな脆く殺られたのか訳がわかりません」
心縛
一
「――そんなはずはないが?」
と孟獲は疑ったが、夜になると土人が、忙牙長の首を拾って届けて来た。
彼は、日夜離したことのない杯を抛り捨てた。
「やい。だれか行って、この仇を取って来い。忙牙長に代わって、馬岱の首を討って来る奴はいないか」
「行きましょう、てまえが」
「董荼奴か。よかろう。さきの辱を雪いで来いよ」
励まして、更に、猛卒二千を加え、五千の勢で、夾山へ向かわしめた。
そして一方、阿会喃には、
「孔明の本軍が、河を渡って来ると大ごとだ。てめえは河流一帯を守っていろ」
と、べつに大軍をあずけた。
蜀軍が疲れるまで、じっと守って不戦主義をとっていた孟獲も、糧道の急所を衝かれては、あわて出さずにいられなかった。
夾山の馬岱は、董荼奴が新手をひっさげて、陣地を奪回に来たと聞くと、自身、蛮軍の前へ出て、
「董荼奴董荼奴。王化を知らぬ蛮族といえ、よも禽獣ではあるまい。耳あらば聞け。汝はさきにわが丞相に捕らわれて、すでに命のない所を放された者ではないか。蛮土の人種も恩を知るというに、その将たる者が、恩をわきまえぬか。それともなお、戦うとあらば、これへ出よ、汝もさきの忙牙長のごとく首にして帰してやらん」
と、大音で諭した。
孔明に放されて以来、もとより戦意を失っていた董荼奴は、それを聞くと、大いに恥じて、旗を巻いて逃げ帰った。
「どうした?」
孟獲は眼を剝いて彼を糺した。
そして董荼奴が、馬岱は聞きしに勝る英雄で、到底、自分たちには、歯がたちませんと言い訳するのを聞くと、孟獲の青面赤髪はみな毛根毛穴から血をふき出しそうな形相になった。
「この裏切り者。孔明に恩を売られているので、二心を抱いていやがるな。よろしい。見せしめにかけてやる」
蛮刀を引き抜いて、即座に彼の首を刎ねようとした。周りにいた諸洞の蛮将たちは、何か口々に騒いで、孟獲を抱きとめ、董荼奴のために、哀を乞うことしきりであった。だが、
「いまいましい奴だが、命だけは免してやる。洞将たち百杖の罰はゆるされないぞ」
土兵に命じて、大勢の中で、董荼奴を裸にし、その背へ棍をもって百杖の刑打を加えた。五体血まみれになった上、面目を失って、董荼奴は自分の屯へ帰って行ったが、無念でたまらないらしい。ついに、腹心の部下をあつめて、仔細を語り、
「おれたちは生まれながら蛮国にいるが、ついぞ理由なく中国の軍が侵略して来たためしはない。それを孟獲のやつが、なまじ智恵の利くところから、魏と申し合わせたり、自力を恃んで強がったりして、蜀の境に好んで乱を起こしたからこそこんな事になったのだ。――おれの見るところ孔明は実に立派な人だ。しかも自身の智謀や力に誇らず、よく蜀の帝王を敬って、王者の仁を施すに口先だけの人でない」
こう心中を打ち明けて、
「いっその事、孟獲を殺して、孔明に降伏し、蛮土の民を、一様に幸福にしてくれるように頼もうと思うが......お前たちの考えはどうか」
と、一同の真意を糺した。
部下の大半以上は、いちどはみな孔明に息をかけられた者どもなので、
「洞長。それこそわし等も考えていたところだ」
と、みな同音に賛成し、直ちに決行しようとなった。ちょうど孟獲は本陣の帳中に昼寝をしていたところだった。そこヘ百余人の董荼奴の部下が入って来て、不意に枕を蹴とばし、
「起きろ」
と、いうや否、高手小手に縛ってしまったので、さすがの孟獲もうぬッ、と一声吠えたのみで、どうすることもできなかった。
二
「や、や。何だ?」
「何事が起こったのか?」
蜂の巣を突いたような騒動である。ほかの蛮将や土人の衛兵なども、事の不意に、ただ呆ッ気にとられていた。
「瀘水へ。瀘水へ」
董荼奴は、その隙に、部下百余人の先頭に立ち、孟獲を引ッ担がせて、蛮軍の中営から首尾よく馳け出していた。
そして瀘水の岸まで来ると、かねて待たせておいた刳貫舟の内へ、まず孟獲を抛りこみ、部下もともども、数艘の舟へ飛び乗って、対岸へ逃げ渡ってしまった。
蜀軍の哨兵が、すぐ孔明の中軍へ、変を知らせて来た。孔明は、待っていたように、
「来たか」と、言った。そして轅門から営内にわたるまで、兵列を整えさせ、槍旗凜々たる所へ、董荼奴以下を呼び入れた。
孔明はまず董荼奴から仔細を聞き取って、大いにその功を賞し、部下一同にも、充分な恩賞をとらせた。
「ひとまず洞中へ帰っておれ」と、引き揚げさせた。
次に、
「孟獲をこれへ」と、引き出させ、高手小手に縛められて来た彼のすがたを見るや、一笑して、
「蛮王。また来たか」
と、呼びかけた。
孟獲は憤怒の眼を血走らせて、
「来たとはいえ、汝の手に生け擒られて来たのじゃない。偉そうな面をするな」
とやり返す気か、満身で喚き立てた。
孔明は、逆らいもせず、
「そうか、そうか。しかしだれの手にかかろうと、全軍の総帥たるものが、繩目にかけられて、敵の陣中へ送られたりなどしては、はや汝の威厳も墜ち、その命令もよく行なわれまい。むしろこの時においていさぎよく降伏いたしてはどうだ」
「糞ウくらえ!」唾をしてその首を獅子のごとく左右に振り猛った。
「きょうの不覚は、まったく俺の油断から飼い犬に手を咬まれただけで、俺の恥でもなければ、俺の戦法が悪くて負けたわけでもない。したがって俺の部下は、なおの事、この復讐を誓っても、この孟獲を見捨てるようなことは断じて無いのだ」
「なるほど、汝はよい手下を持っている。しかし、次々に諸洞の配下が、みな董荼奴や阿会喃のようになって行ったらどうするか」
「俺ひとりでも戦ってみせる」
「ははは。何を言うぞ孟獲。その汝は、すでに擒人となって、わが面前に、指も動かせぬ身となっているではないか」
「............」
「いま孔明が、首を刎ねろと、一言放てば、汝の首は、たちどころに、胴を離れる。――わが蜀軍は、王道の兵である。心から服する者を、なんで恣に虐誅しよう。いわんや汝は蛮界に王を称える者だけあって、中国の文明も多少は知り、文字も読み、また夷蛮に似あわずよく用兵にも通じておる。――殺すは惜しい。孔明は惜しむ。心から汝を惜しんでやまないのだ」
「丞相、もう一度、俺を放してくれないか」
「放したらどうする心か」
「寨に回って、檄をとばし、諸洞の猛者をあつめて、正しく戦法を練り、ふたたび蜀軍と一合戦する」
「ふうむ。そして」
「きっと、俺が勝つ。だが間違って、こんどもまた、蜀軍に敗れたら、洞族一統をひきつれて、潔く降参する」
孔明は笑った。そして、兵に命じて、すぐ彼の繩を解かせ、
「次には、心ゆくまで、戦ってみせい。だが、重ねてわが前に醜い姿を見せぬようにしたがいいぞ」
と、酒を呑ませ、また、馬を与えて、これを瀘水の岸まで送って放した。
孟獲は、舟の中から、二度ほど振り向いたが、対岸に着くや否や、

のように、
山寨へ
駈け登って行った。
孔明・三擒三放の事
一
孟獲は山城に帰ると、諸洞の蛮将を呼び集めて、
「きょうも孔明に会って来た。あいつは俺が縛られて行っても、俺を殺すことができないのだ。なぜかといえば、俺は不死身だからな。奴等の刃を咬み折り、奴等の陣所を蹴破って帰るぐらいな芸当は朝飯前のことだ」
と、例に依って、怪気焰を吐きちらし、無智な蛮将連を煙に巻いて、
「――だが、もし俺でなかったら、今日なんざ、とても生きては還れるどころではなかった。太え奴は董荼奴と阿会喃のふたりだ。すぐ手分けして、奴等の首を持って来い」と、命じた。
翌晩。――寨門を出て行った蛮将は、幾手にも分かれて、待ち伏せていた。昼間のうちに、孔明の偽使者をつかって、董荼奴と阿会喃へ呼び出しをかけていたのである。
二人は、計に乗せられて、自分たちの洞中から、山越えで瀘水の道へ向かって来た。たちまち、合図の角笛が鳴ると、四方に隠れていた土蛮が、董荼奴を殺し、阿会喃を取りかこみ、二つの首を取ると、死骸は谷間へ蹴落として、わあと、狼群のように本陣へ帰って来た。
「よくも俺に煮え湯をのませやがったな。ざまを見たか」
孟獲は、首へ向かって罵った。そして終夜、鬱憤晴らしの酒宴をつづけていた。
一睡して醒めると、
「腕が鳴って堪らない。さあこれからだ。蜀軍を蹴ちらし、孔明の肉を啖い血をすすってくれなけりゃあならん。この孟獲にも劣るまいと思うものはみんな俺について来い」
と、突如、銅鈴を振り、鉄笛をふかせ、鼓盤を打ち叩いて、出陣を触れると、寨中の蛮将はみな血ぶるいして、
「それ行け」
と各々、一隊をひきいて、孟獲のあとから駈けて行った。
孟獲は夾山へ向かった。そしてまずここに屯している敵の馬岱を殲滅しようと考えて来たのであったが、何ぞ計らん、すでに蜀兵の影は一箇も見えなかった。
「どこへ動いて行ったか?」と、土地の者に訊ねると、一昨日の夜、急に河を渡って、北岸へ退いてしまったということだった。
「いけねえ。こいつは一足遅かった」
拍子抜けして、孟獲はひとまず本陣へ引っ回したが、帰って見ると、弟の孟優という者が、兄孟獲の苦戦を聞いてはるか南方の銀坑山から新手二万をひきつれて、留守のうちに加勢に来ていた。
蛮族間でも兄弟の情はあるらしい。いや中国人よりもその密なることは露骨で、よく来た、よく来てくれたと、抱擁したり頰ずりしたりしていた。そして夜半まで酒酌み交わしていたが、その間に、充分な秘策を練り合ったとみえて、翌日、孟優は部下百人に、鳥の毛や南蛮染めの衣を飾らせ、瀘水を越えて対岸の敵地へ渡った。
船から上がる時、その一人一人の兵を見ると、足はみな裸足だが獣骨の足環を嵌め、半身の赤銅のような皮膚を剝き出しているが、腕くびに魚眼や貝殻の腕環をなし、紅毛碧眼の頭には、白孔雀や極楽鳥の羽根を飾って、怪美なこと、眼を疑わすほどだった。
加うるにその百余人の蛮卒は手に手に金銀珠玉あるいは麝香だの織物だの、持ちきれぬほどな財宝を持って、孟優の統率の下に、孔明の陣へ静々歩いて来た。
やがて、その列が、陣門に近づくと、たちまち、見張りの櫓からひょうひょうと鼓角が鳴り、たちまち、鼓に答えて、一彪の軍馬が前をさえぎった。
「待て、どこへ行く」
馬上の人を見れば、これなんきのう孟獲がすでにその姿なしと、地だんだを踏んでいた蜀の馬岱である。
孟優は地に拝伏し、わざと恐れおののいて言った。
「兄に代わって、正式に降参の申し入れに来ました。私は弟の孟優です」
「ひかえていろ」
馬岱は、陣門の内へその由を伝えた。
ときに孔明は、諸将と何か議していたが、この報せを聞くと、そばにいた馬謖を顧みて、
「......わかるか?」
と、微笑して訊ねた。
二
馬謖は「はい」と頷いたが、あたりの人を憚ってまた、
「口では申されません」
と、紙筆を持ち、何か書いて、孔明にそっと見せた。
孔明は、一読、ニコと笑って、膝を打ちながら、
「しかり。君の思う所、孔明の意中にもよくあたっている。孟獲を三たび擒人にするの計、それ一策である」
と、次に
雲を
側近くさしまねいて、何か計をさずけ、また
魏延、
王平、
馬忠、
関索などにも、一人一人に行動の方針を授けて、
「いざ、疾く」
と、そこからすぐ諸方へ立たせた。
そうした後、孟優を呼び入れて、何ゆえに、にわかに降伏して来たかと、わざと怪しみ訝かって見せた。
孟優は地にひれ伏して、
「兄孟獲は、南国随一といわれている強情者です。ために、二度まで捕らわれて、丞相の恩情に依って命を保ちながら、なお反抗せんと、私どもへ軍兵を催促して来ましたが、本国の一族や、諸洞の長老は、みな大反対で、兄の頑迷を諭し、長く蜀帝に服し奉れと、懇々、意見しましたところ、ついに、兄も到底、丞相の武威と温情に敵し難いことを悟って、自分がゆくのは間が悪いからまず私に代わって、降伏をお容れ賜わるように、丞相へおすがりしてくれという言葉でございます」
孟優は蛮界に珍しい能弁の男だった。涙を流さぬばかりに告げて、連れて来た蛮卒百余人の手でそれへ貢物を山と積ませた。
そしてなお、言うには、
「兄孟獲も、いちど銀坑山の宮殿へ帰り、多くの財宝を牛馬に積み、天子への御献上を仰ぐため、やがて日を経てこれへ降参にまいる予定でございます」
――始終を聞き取ってから孔明は始めて彼に親しみを見せた。そして心からその恭順を歓迎し、また贈り物を眺めては、あらゆる随喜と満足を表明した。かつ席をあらためて、酒宴をひらき、成都の美酒、四川の佳肴、下へも措かずもてなした。
昼からである。暮れれば楽人楽を奏し蜀兵は舞って興を添えた。南国の夜、ようやく更けるも、風は暖かに星みな大きく、歓楽尽きるのを忘れしめる。
その宵。いやそのころすでに――瀘水の上流をこえ、山谷森林をくぐり、蜀陣の明りを目じるしに、蛮夷の猛兵万余の影が、狡猾なる獣のごとくかさこそと、蜀陣のうしろへ忍び寄っていた。
彼等は手に手に硫黄、焰硝、獣油、枯れ柴など、物騒な物のみ持ち込んでいた。ころはよしと、孟獲は躍り上がって、
「あれが孔明の中営だ。今夜こそ遁すな」
と、合図の手を振った。
猛獣軍の影はまっしぐらに
駈け出した。孟獲も飛びこんだ。――が、こはいかに、そこには
燈火の光が白日のごとく
晃々と

いてはいたが、人はみな酔い伏しているだけで、一人として
起って振り向く者もいない。
しかも仆れている人間は、ことごとく孟優の手下である。いやその孟優も、座の中央に打ち仆れて、苦しげに、のた打ちまわりながら、味方の蛮兵を見て、自分の口を指さしていた。
「弟っ。どうしたっ?」
孟獲は抱き起こしてみたが、返事もできない孟優であった。計らんとして計られたのである。言うまでもなく、一人のこらず毒酒の毒にまわされて居たのだった。
「――しまった――」
とも知らず、味方の蛮兵は、諸方から焰硝や油壺を投げて、ここを必死で火攻めにかけている。孟獲は孟優の体を抱えて、飛び出した。
「待て待て。外から火をかけると、中の味方が焼け死んでしまう。おれは孟獲だ。おれを通せ」
すると火炎の下から、蜀の大将魏延が、
「通れるものなら通れ」
と、
鼓を鳴らし、
槍ぶすまを向けて来た。あわてて反対な方へ逃げてゆくと

雲の軍が待ちかまえていて、
「孟獲。天命尽きたぞ」
と、追って来る。
弟の体もいつか投げ捨てて、孟獲はただひとり瀘水の上流へ逃げ奔っていた。
三
岸に一艘の蛮船が見えた。二、三十人の蛮卒も乗っている。息をきって逃げて来た孟獲は、
「おういっ、俺をのせて、すぐ河を渡れ」
と、命じるや否、宙を駈けて来た勢いでそれに飛び乗った。同時に、舟中の人数はこぞり起こって、
「得たり!」とばかり艫や舳へ立ち別れ、前後から孟獲の上へまたわッと圧し重なった。
「あっ。うろたえるな。俺だ。孟獲だっ」
喚き踠がくのを、遮二無二、がんじ絡みに縛って、
「浅慮者め、われわれは馬岱軍の一手だ。いざ丞相の陣所へ来い」
と、陸上へ担ぎ上げた。
孔明の本陣は、その夜も、捕虜で充満していた。彼は兇悪なる者を十人斬って、そのほかは皆、酒を飲ませ、あるいは懲らしめに尻を打ち叩き、あるいは、物など恵んで、ことごとく追い放してしまった。
「孟獲はどうしましょう」
幕僚たちが、最後に訊いた。孔明はやおら、彼の前に、床几を取って、
「また来たか。孟獲」
と、揶揄した。
孟獲は、二回の体験で、いくらかこつを心得て来たらしい。憤然と答えて、
「こよいの敗れは、愚かな弟の奴めが、がつがつと酒食を貪りおったので、この孟獲の計を味方から壊してしまったためだ。だから戦に負けたとは思わない」
と、嘯いた。
「しかし孟獲。剣には負けなくても、策には負けたろう。汝が舟中のざまはどうだ」
「あれは失策った......」と、孟獲もここは正直に肯定して、
「――だが、人間だから、暗い所では石にも躓くよ」と、まだ負け惜しみを言った。
孔明はすこし厳を示して、
「すでに今、三度まで、予は汝を生け擒った。この上は約束を履んで、汝の首を斬って放たん。孟獲何か言い置くことはないか」
「待て待て」と、前の二回とは大いに容子が変わって来て、彼はひどく生命を惜しんで慌てた。
「もう一度放してくれ」
「仏の面も三度という。わが仁義にも程度がある」
「もう一遍でいい」
「その一遍で何をしたいか」
「快く一戦したい」
「重ねて生け擒られたら」
「こんどは打ち首になっても悔いない」
「は、は、は、は」
孔明は大笑した。とたんに、自身剣を抜いて、彼の縛めを切り放した。
「孟獲、次の折には、よく軍書を考えて、二度と悔いを残さぬように、よく陣容を立て直して参れよ。――時に、汝の弟は、どうしたか」
「えっ、弟?」
「骨肉を忘れるとは、いかがしたものだ。それでも蛮界の王として、土民を服してゆけるのか」
「火中から助け出したが、途中より別れて生死もわからぬ」
「だれか。――孟優をこれへ連れて来い」と、左右にいいつけると、幕将たちは、帳の内へ入って、どやどやと一人の蛮将を取り囲んで連れて来た。
「ば、ばか野郎っ。いくら日ごろから酒好きだって、敵の毒酒まで飲む馬鹿があるかっ」
孔明は笑って、二人の仲を押し隔てた。
「味方破れに懲りながら、またすぐここで兄弟喧嘩をするなどは、すでに軍書の教えに反いているではないか。さあ仲よく帰れ。そして兄弟ひとつになって攻めて来い」
ふたりは拝謝して立ち去った。
舟を乞うと、瀘水を渡り、自分たちの山城へ帰ろうと登ってゆくと、山寨の上から蜀の大将馬岱が旗を負い、剣を杖とし、
「孟獲、孟優、何を望む。矢か槍か剣か石砲か」
と、呶鳴りつけた。
仰天して、一方の峰へ逃げてゆくと、そこにも蜀旗林立して、
翻たる旗風の波をうしろに、蜀の

雲が姿を現わして言った。
「汝ら。丞相の大恩を忘るるなよ」
また逃げた。しかし行く谷間、行く山々、蜀の旗の見えない所はないので、ついに彼等は遠く蛮地の南へ奔ってしまった。
王風羽扇
一
蛮界幾千里、広さの果ても知れない。孔明の大軍は瀘水もうしろにして、更に、前進をつづけていたが、幾十日も敵影を見なかった。
孟獲は、深く懲りたとみえる。蛮国の中心へ遠く退いて、入念に再起を計っていた。
蛮邦八境九十三甸の各洞長へ向かって、彼は檄を飛ばし、使を馳せ、かつ金銀や栄位を贈って、こう触れ廻した。
「孔明の大軍が攻めて来た。全南界を征伐して、この国に蜀都を建て俺たち土着の人間を殺し尽くすと称えている。奴等は詐術に富み、文明の武器を持ち、相当手ごわいが幾千里を来て、気候や風土にも馴れないため、大半はへたばッている。恐れるには足らない。諸洞の軍勢が力を協せて叩き潰せば、蜀帝も懲り懲りして、二度と俺たちの国へ指もさすまい」
この飛檄は成功した。諸洞の蛮王の中には、豊醇な酒にも飽き、熟れたる果実や獣肉にも飽き、あまりに事無き生活に体をもて余している連中もある。これらが、蛮国王孟獲の打ち揚げた狼煙によって、久しぶりに大きな刺戟を得、諸邦から軍勢をひきつれて、続々と糾合に応じ、たちまち雲霞のごとき大軍団を成したのであった。
「ようし、これだけ集まれば――」
と、孟獲はすっかり喜悦して、
「ときに孔明は今、どこに陣しているか」と、偵察させた。
「西洱河に、竹の浮き橋を架け、南の岸にも、北の岸にも布陣している按配です。北岸には、河を濠として城壁まで築いているんで......」という手下の報告だ。
「ははあ。俺が瀘水でやった布陣をそのまま真似していやがるな」
野性は驕るに早い。そして従前の敗北はすぐ忘れている。それに新しく連邦九十三甸の加勢を得ているので、闘志満々だった。
「どれ。ひと泡吹かせてくれようか」
軍を進めて、すなわち孔明の築陣していた西洱河の南を窺った。
赤毛の南蛮牛の背に、緬甸金襴を布いて花梨鞍をすえ、それへ跨がった孟獲は、身に犀の革の甲を着、左に楯をもち、右手に長剣を握っていた。まさに威風凜々である。
たまたま、南岸にある蜀兵の各隊を、四輪車に乗って巡閲していた孔明は、
「孟獲が大軍をひきいて近づきつつあります」
と、部下から聞くと、
「すわ疾風雲だ。濡れないうちに早く逃げろ」
と、急に道を回して、本陣へ急ぎ帰った。
嗅ぎつけた孟獲は、
「しめた。追いつけるぞ」と、間道を通って、突如間ぢかへ、追撃して来た。
――が、危うい一歩で、孔明の軍は陣門の内へ奔り込み、あとは厳しく閉めて、あえて戦わなかった。
「弱いぞ、敵は」
蛮軍は見くびって来た。前々から蜀軍の大半はすでに疲れていると聞かされているのでなおさらである。日が重なると、赤裸になって陣門の近くに群れ、尻振り踊りをしたり、瞼を剝いてあかんべえをしたりして、蜀兵を憤らせた。
蜀の諸将は、歯がみして、孔明に迫り、
「猿どもが、人を小馬鹿にすること、一通りでありません。いちど陣門を開いて、蹴散らしに出てはいけませんか」
と、願ったが、孔明は、
「王化に服した後は、あの踊りも、むしろ愛すべきものになろう。まあしばらく虫を抑えていよ」
と、依然ゆるしてくれない。
猿の驕慢はいよいよ募ってゆく、もとより軍律のない仲間なのでその狂態は呆れるばかりである。孔明は一日、高所から見物して、
「もうよいな」と、帷幕の人々へ言った。
腹中の計はできていた。
雲、
魏延、
王平、
馬忠などへ何事かささやいて秘を授け、また
馬岱と
張翼もこれへ呼んで、
「怠るな、各々」
と言い残して去った。すなわち彼は四輪車に乗り、関索をひきつれて、にわかに竹の浮き橋を渡って、西洱河の北へ移ってしまったのであった。
二
角笛を吹き、大鉦を鳴らし、時には蛮鼓を打ち鳴らしなどして、南蛮勢は以後毎日のように、陣門の外まで寄せて来た。
が、蜀軍の内はひそとしていた。旗風ばかり翻って、武者声もしなければ、矢一筋射て来ない。
孟獲は戒めた。
「孔明は計の多い奴だから、うかと中へ陥るなよ」
しかし、あまりに変化がないし、朝夕の炊煙すら立ち昇らない態なので、ついに一朝、思い切って一門を突破し、どっと中へ駈け込んでみると、数百輛の車に兵糧を積んだまま捨ててあるし、武具や馬具なども取り散らし、寝た跡、食べた跡も狼藉に放ったらかしてあるだけで、広い陣中のどこを眺めても、馬一匹人一人見あたらなかった。
「やっ? 引き揚げている、いつの間に退却したのだろう?」
孟優が怪しんで言うと、孟獲はあざ笑って、
「この様子ではよほど慌てて去ったようだ。これほど堅固な陣屋を捨て、あの孔明が一夜に退いた所を見ると、これは何か本国に急変が起こったに違いあるまい。察するに蜀の本国へ呉が攻め入ったか、魏が攻め込んだか、この二つのうちの一つだろう。――そうだ。追いかけて一騎も余さず討ち取ってしまえ」
水牛の鞍上から味方へ号令して、にわかに全軍をして、西洱河の南の岸まで追いかけさせた。
ところがここへ来て北の岸を見ると、あたかも長城のごとき城壁が出来ている。矢倉の数だけでも数十ヵ所、ことごとく旗を並べ、
鎗戟を

かせ、近寄ることもできなかった。
「驚くには当たらない。あれも孔明の擬勢だ。ああして置いては北へ北へと退却してゆく計略と思われる。見ておれ弟、二、三日するとまた、あそこも旗だけ残して、蜀の奴はひとりもいなくなるから」
孟獲は孟優にそう語って、手下の勢に、竹を伐って竹筏を作らせておけと吩咐けた。
数千の蛮兵は、大竹を伐って、筏を組み出した。その間、朝夕対岸を注意していると、果たして蜀軍の数が目に見えて減ってゆく。四日目ごろには、一兵も居なくなった。
「どうだ、俺の活眼は」
彼は、左右の洞将たちにも誇って、河を渡ろうとしたが、その日は、狂風吹き募って、石を飛ばすばかりだったので、しばし天候を見ようと、人馬を岸から退げていた。
「風は止まないし、あの高波では仕方がないでしょう。先ごろ、蜀軍が捨てて行ったあの空き陣屋へ入って夜明けを待った方が悧巧じゃありませんか」
「そうしよう。弟、全軍に退がれと号令しろ」
孟獲は言いのこして、真っ先に後退を開始し、例の陣営へ入って休んだ。
宵になると、狂風はいよいよ勢いを加え、夜空に砂が舞っていた。馬も兵もみな眼を塞ぎ、四方の陣門から入って、さしも広い営内も真っ黒に埋まるほどだった。やがて眠ろうとするころである。風音ならぬ金鼓の音が四方に響いた。すわと人馬が、中で騒ぎ出した時は四面ともに焰の壁、焰の屋根となっていた。
踏み殺され、焼き殺され、阿鼻叫喚が現出した。
「しまった」
孟獲は一族の少数の者に囲まれて、危うくも一方の口から猛火をのがれた。しかし外へ出るや否、
「蜀の大将

雲」と、呼ばわる者に追いかけられた。
西洱河に残してある諸洞の軍勢の中へ逃げ込もうとすると、その味方もほとんど蹴ちらされて、後には蜀の馬岱軍が入れ代わっている。胆を潰ぶして、中途から引き返そうとすると、すでに退路も蜀兵の影に占められている。
山へ逃げ、谷へかくれ、一晩中逃げまわった。しかも道のある所かならず蜀軍の金鼓が響き、鎗戟が殺出した。
わずか十数人の部下と共に、孟獲はへとへとになって、西方の山の腰へ降りて来た。夜が明けている。見るとかなたに一叢の椰子林があった。一隊の兵と数旒の旗が、一輛の四輪車を押し出して来る。孟獲は悪夢の中でうなされたようにあッと叫んで引っ返しかけた。
三
四輪車の上の孔明は、綸巾をいただき鶴氅を着て、服装も常と変わらず、手に白羽扇をうごかしていたが、孟獲が仰天して逃げかけるや、大いに笑って、
「なぜ逃げる孟獲。汝はいつも捕らわるるごとに言うではないか。武勇なれば負けはしないと。いま後ろを見せるほどでは、尋常に戦っても、この孔明に勝てる自信はないと見えるな」
羽扇をあげて呼びかけた。
――と、孟獲は、憤然と、踵を回し、
「だまれ。俺がいつ後ろを見せたか」と味方を振り向いて、「やい、諸洞の部下ども、あれにいるのが孔明だ、この人間の計におうて、俺は三度まで辱をかさねた。きゃつに出会ったのは幸い、俺と共にみんなも力を尽くして、人も車も微塵になせ。きゃつの首一つ取ったら南蛮国中で祭典ができるぞ」
と、獣王のように猛吼した。
十数人の部下はみな諸洞の中でも指折りの猛者ばかりだし、弟の孟優も重なる怨みに然えているので、「おうっ」「わあっ」と、喚き合って、どっと、四輪車へ向かって来た。
蜀兵はたちまち四輪車を押して逃げ出した。追うも迅し逃げるも迅かったがその距離がつまる間もあらばこそ、孟獲、孟優その他の一団は、天地も崩れるような土煙と共に、いちどに陥とし穽へ落ちてしまった。
するとその音響を合図として、魏延の手勢数百騎が木の間木の間から駈け現われ、坑の下から一人一人引き出して、手際よく数珠つなぎにしてしまった。四輪車はもう涼しげに蜀の本陣へ向かっていた。孔明は帰ると直ちにまず孟優を引きすえて、
「お前の兄は一体どうかしているのじゃあないか。生け擒られてはこれへ来ることすでに今日で四たびになる。未開の蛮国といえ、人間ならば恥という事もあるだろう。お前からよく意見するがいい」
と、物柔らかに諭して、酒をのませた上、先に繩を解いて部下一同と共に放してやった。
次に孟獲を面前に引かせ、これに向かっては、かつてなかった大喝をもって、
「匹夫、何の面目あって、再び孔明の前にのめのめ繩にかかって来たかっ」
と、叱りつけ、なおも、
「中国では、恩を知らぬものを人非人といい、廉恥のない者を恥知らずとも犬畜生とも言って、鳥獣より蔑しむが、汝はまさに、その鳥獣にも劣るものだ。それでも南蛮の王者か。さてさて珍しい動物である」と、極度に罵った。
孟獲もこの日に限って何も吼え猛らず、さすがに恥を知るか、瞑目したまま、ただ白い牙を出して唇を咬んでいた。
「もはや免さん。今日は斬るぞ」
と、孔明が言っても、その眼が開かないのである。孔明はやにわに羽扇をあげて武士たちに下知した。
「陣後へ曳き出して、この獣王の首を打てっ」
武士たちは大勢して、孟獲の繩尻を取り、立てと促すと、孟獲は無言のまま突っ立った。そして歩み出すとき始めて炬眼をひらいて、孔明の顔を睨みつけた。
そしてなかなか泰然自若と刑の莚へ坐ったが、武士を顧みて、もう一度孔明をこれへ呼んでくれといい、武士たちが承知する気色もないと見るや、突然大声で吼えた。
「孔明、孔明。もしもう一度、俺の繩を解いてくれれば、俺はきっと、五度目に四度の恥を雪いで見せる。死んでもいいが恥知らずと言われては死にきれない。やいっ、やいっ孔明、もう一遍戦えっ」
孔明は起って来て、
「死にたくなければなぜ降伏せぬか」と言った。
やにわにかぶりを振った孟獲は、哭かんばかりな眼をしながらも口に火を吐くごとく罵った。
「降参はしないっ。死んでも降伏などするか。俺は詐りに負けたのだ。やいっ、詐術師、尋常にもう一度俺と戦え」
「よろしい。それほどに言うならば。――武士たち、繩を解いて帰してやれ」
孔明はにこと笑って、房中へ姿をかくした。
毒泉
一
孟獲は自陣に帰った。だが数日はぼんやり考えこんでばかりいる。弟の孟優が、
「兄貴、とても孔明には敵わないから、いっそ降参したらどうかね」
と意見すると、彼は俄然、魂が入ったように刮と眼を剝いた。
「ばかを吐かせ。貴様までそんな事を言うか。二度と吐かすと承知しねえぞ」
「だって兄貴は、このごろぼんやり鬱ぎ込んでいるよ」
「俺が四度も生け
擒られたのは、計略に負けたのだ。だから今度は、俺の方から孔明を計略にかけてやろうと思って、ぐっと
智
をしぼっている所だ」
「南蛮国での智

者ならばあの
朶思王だがなあ」
「そうだ。なぜ俺は朶思王を思い出さなかったろう。弟、朶思王のところへ使いに行ってくれ」
急に孟優に旨をふくめて、禿龍洞の朶思王へ遣った。
孟獲からの頼みを聞くと、朶思王は一議に及ばず、洞兵を集合して、蛮王孟獲を自領に迎えた。そして孟獲からたび重なる敗戦の状と、孔明の智謀に長じている事を聞くと、朶思王は噴笑して、
「心配ない心配ない。孟王、お心安く思わるるがよい。わが洞界は不落の嶮要、ここに兵をお集めあれば、おそらく孔明といえど、蜀軍の将士たりと、生きて還ることはできない」
と言った。そして、彼が語るには、
「孟王が今これへ来られた一道の通路は平常だから開いてあるが、いざという時になれば、あの途中の絶壁と絶壁の倚り合った隘路は巨木大石をもって塞ぎ、たちまち洞界の入り口を遮断してしまうことができるようになっている。また西北の一方は岩石聳え、密林しげり、毒蛇や悪蝎の類多く、鳥すら翔けぬ嶮しさで――ただ一日中の未、申、酉の時刻だけしか往来できぬ」
との事であった。
「それはどういうわけで?」
と、孟獲が聞くと、朶思王はなおつぶさに語って言う。
「どういう理か自分等にもわからないが、未、申、酉の時刻以外は、濛々と瘴烟が起こり、地鳴りして岩間岩間から沸え立った硫黄が噴くので、人馬は恐れて近づけない。ために、そこらはすべて草木も枯れ、見る限り荒涼な焼け地獄みたいな所だが、一山越えて密林の谷間へ入るとまた、四ヵ所に毒の泉があって、その一つを啞泉とよび、飲めば一夜のうちに口も爛れ腸も引きちぎられ、五日を出ず死んでしまう」
「ほう。ほかの泉は」
「二の泉を滅泉といい、これはその色あくまで青く、泉流は温かでまるで湯のようだ。またもしこれに浸って沐浴すれば、皮肉はたちまち崩れて死んでしまい、後に底を覗けば白骨があるだけのものだ」
「三は」
「黒泉という。水潔く美しいが、手足を浸ければ、手足はみな黒くなって、激痛がなかなかやまない」
「四は」
「四の柔泉は、氷のごとく冷ややかで、炎暑を越えて来た旅人はみな飛びついて飲むが、これを飲んで助かった人間はむかしから一人もなかった」
「じゃあ通れない。いくら孔明だってそこは越えきれまい」
「ただ前漢の時代に、伏波将軍馬援という者だけは、ここへ来た事があるそうだが、以来、いかなる英雄の軍でもこの洞界を通りきった者はないのだ」
「いや有り難い。この洞界に陣取れば、蜀軍はもう立ち往生のほかはあるまい」
孟獲は額をたたいて喜ぶこと限りなく、
「いざ、来て見ろ孔明。来られるものならやって来い」
と、北の天へ向かって罵った。
そのころ、孔明はすでに、西洱河地方を宣撫し終わって、炎気焦くがごとき南国の地を、更に南へ南へ行軍し続けていた。
「この先、数百里の間、まったく蛮軍なく、一兵の旗も見えません。土人を捕らえて糺すと、孟獲、孟優はもっと奥の禿龍洞と呼ぶ山岳地方にみな兵を集めてしまったそうです」
偵察隊の報告に、孔明は絵図を取り出してみたが、例の指掌図にそんな洞界は書いてなかった。
二
「呂凱――」と、傍らの呂凱にその地図を示して訊ねた。
「禿龍洞などという地方は、これにも見当たらないが、そちの知識でも何も知らないか」
「指掌図にも無いような地方では、よほど不便な蛮界でしょう。てまえも何も知りません」
すると、後ろから地図を覗いていた幕僚の蔣琬が、思わず嘆息して諫めた。
「もう充分に蜀の武威をお示しになり、また原住民を宣撫して、遍く王風をお布きになったのですから、この辺で帰還せられてはいかがです。あまり奥地に入りすぎて、ついに三軍空しく蛮地の鬼となろうやも知れません」
孔明はひょいと、その顔を振り仰いで言った。
「それは孟獲も大いに希望しているだろうな」
蔣琬は赤面して口をつぐんだ。孔明はまず王平の手勢に先行を命じ、西北の山地へ分け入らせたが、数日経つも戻って来ないので、更に関索に一千騎を与えて連絡をとらせた。
関索はやがて引き返して来て前途の大変を告げた。王平の兵はほとんど九分どおり四泉の毒水にあたって病み苦しみあるいは死んでいる。すでに自分の隊の人馬も行路の炎暑に渇して戒める遑もなく泉に近づき、たちまち数十名の犠牲を出し、その苦悶と死状は酸鼻見るにたえないものであると告げた。
孔明は驚いた。彼の該博なる知識をもっても解決はつかない。で、ついに意を決し、三軍に出発を令した。そして身は四輪車に押され、兵馬は相扶けつつ、おうおう、えいえいの喘ぎ物凄まじく、あえて未曾有の難所へかかった。
一木一草なき岸々たる焼け山や焼け河原を越え、ようやく峰また峰を繞って、密林地帯に入ると、王平が迎えに来て、直ちに、孔明の車を四泉の畔へ案内した。
見れば水気凜々として、彼すらすぐ飛びついて口づけたい誘惑を泉はたたえていた。仰げば、四山は屛風のごとく屹立し、一鳥啼かず、一獣駈けず、まことに妖気肌を刺すものがある。
「や......あの
岩頭に見ゆる一

は何であろうか」
彼はふと一峰の中腹に、人工の色ある廂屋を見たので、徒歩絶壁を攀じ藤葛にすがって登って行った。
岩盤をくりぬいた
窟がある。それを

として一人の将軍の石像が
祀られてあった。
傍らに建ててある
碑銘を読んで見ると、これなん漢の
伏波将軍の石像であって、遠き昔、将軍南蛮を征してこの地にいたり、土人その徳を慕ってこれを祀る――と刻んである。
孔明は石像の前にひれ伏し、祈念久しゅうして、生ける人に言うがごとく烈々訴えた。
「不肖、先帝より孤を託すの遺命をうけ、後主の詔を奉じていまここに来り、はからずも祖業の跡を踏み、将軍の偉魂に会す。思うに天の巡り会わせ給うところと信じる。将軍霊あらば、孔明の不才を扶け、漢朝の末流たるわが三軍の困兵に擁護の力を副え給え」
すると一人のあやしげな老翁が杖にすがってかなたの岩に腰をすえ、丞相これへ来給えと呼んでいる。
「あなたはだれか?」
孔明が問うと、老翁は、
「土地の者です」とのみ答えて――「これから二、三十里ほど谷の奥へ奥へ分け入ると、更に五峰のふところに万安渓というやや広い谷間がある。そこに人呼んで万安隠者という隠士がおりまする。この人、谷を出でぬこと数十年、庵の裡に一水を持ち、これを安養泉と称えて、四毒にあたれる旅人や土地の人々を救うて来たこと今日まで何千人かわかりません。――今、丞相の軍も定めしお困りでしょう。丞相の徳に依って、わしどももいささか王化の何たるかを解し、今日生まれたかいがあるように思っております。ま、とにかく万安渓へ行って御覧なさいまし」
言うかと思うと飄として名も告げず、立ち去ってしまった。
「神

のお告げに相違ない」
孔明は信じた。次の日、彼は
従の人々と、教えられた五峰の奥谷を尋ねてみた。
蛮娘の踊り
一
海を行くような蒼さ暗さ、また果てない深林と沢道を辿るうちに、忽然、天空から虹のごとき陽がこぼれた。闊やかな山ふところの谷である。おお、万安渓はここに違いないと、孔明は馬を降りて、隠士の家を探させた。
「あれです。あの山荘でしょう」
導かれてそこに到れば、
長松大柏は
森々と
屋を

い、南国の
茂竹、
椰子樹、紅紫の奇花など、
籬落として、異香を風に翻し、思わず
恍惚と
佇み見とれていた。
一疋の犬が吠えたてた。
孔明一行の見つけない装いを見て喧々と吠えかかる。
――と、山荘の内から、ちょうど真っ黒な金属の誕生仏そっくりな裸の童子が飛び出して来て、犬を追い叱りながら、
「小父さんは蜀の丞相だろう。こっちへお入りなさい」
と、先に立って言う。
「童子。どうしてわしを漢の丞相と知っていたか」
導かれながら訊ねると、童子は白い歯を出して笑った。
「あんなに大勢で南蛮を攻めて来ているのに、南蛮の者が知らないわけはないじゃないか」
すると一堂の
竹
を内から開いて現われた
碧眼黄髪の老人が、
「これこれ、お客様に何を戯れ口をたたいているか」
と、童子を叱り、慇懃、堂中へ迎えて、挨拶をほどこした。
老人は朱絹の衣を纏い、竹冠をかぶり、肥えたる耳に金環を垂れ、さながら達磨禅師のような風貌をしている。
礼おわり、座定まって、孔明の来意を聞くと、隠士は呵々と笑って、
「この老夫は、山野の世捨て人で、何も世の中の人へ尽くすことはできないと思うていたところへ、丞相が駕をまげ給わんなど、望外のよろこび、いや畏れ多い次第です。どうぞその四泉の毒に斃れた傷病兵を、すぐこれへお運び下さい。お易いことです。老夫の力でお救いは出来ないが、天然自然の薬泉が近くにありますから」
孔明は大いに
歓んで、すぐ
従の者に命じ、
王平、
関索をして、全部の病人や傷害者を続々とこれへ運ばせた。
童子は、隠士と共に、力を
協せて、人々を万安渓の一泉へ案内した。この薬泉に
沐浴して、
薤葉の葉を
嚙み、
芸香の根を
啜り、あるいは、
柏子の茶、
松花の菜など

べると、重き者も血色をよび返し、軽き者は、即座に
爽快となって、歓語、谷に満ちた。
隠士はまた孔明に注意した。
「この洞界地方には、毒蛇や悪蝎がたいへんいますからお気をつけなさい。また何よりも、行軍に悩むものは水ですが、およそ柳の薬が落ちて渓水に入り久しく腐るものは必ず激毒をもっていますから馬にも飲ませてはいけません。行く先々、面倒でもただ地を掘って、地下水のみを求めて飲むようにすれば安全でしょう」
孔明は、拝謝して、さて、隠士の姓名をたずねると、隠士はにたりと笑って、
「丞相、驚いてはいけませんよ」と、断わって後、
「何を隠しましょう。私は、南蛮王孟獲の兄にあたる者です」と、言った。
「えっ? 孟獲の......」
「そうです、実は、われわれの父母には生んだ子が三人いました。私が長男で、次が孟獲、次が孟優です。父母は早く死に、二人の弟は物慾が旺で、権栄を好み、強悪をよろこび、あえて王化に従わず、ほとんど手もつけられない無道を続けて来ました。諫めても諫めても直る様子は見えません。で私は、弟二人に別れ、王城を捨て、二十余年前に、この谷へ隠れ、以来世間に顔も出しません。そういうお恥ずかしい人間です」
「ああ、そうでしたか」
孔明は感嘆して、
「むかしにも、柳下恵と盗跖のような兄弟があったが、今の世にも、あなたのようなお方がいたか。天子に奏して、ぜひあなたを南蛮王にしましょう」
「いやいや御免です。富貴を望むくらいならこんな谷住まいはしません」
と、孟節は手を振った。彼の名は孟節というのであった。
二
帰路、孔明は嗟嘆して止まなかった。未開の蛮地にも、隠れた者のうちには、孟節のような人物もあるかと、今更のように、「人有ル所ニ人ナク、人ナキ所ニ人有り」の感を深うした。
かくて三軍は百難を克服して、ようやく目ざす
洞界に近づいたが、なおしばしば困難したのは、飲料水を得ることだった。時には二十余丈の
岩盤を掘り下げたり、あるいは一水を得るために、千
仭の
渓谷へ
水
みの決死隊を募って

ませたこともある。
途中、千箇の水桶を造らせて、雨が降ればこれに蓄え、牛馬の背に載せて大切に持って進んだ。そのほかの衣食もようやく遠征の窮乏を加え、困難言語に絶するものがあった。
しかし孜々営々、この大遠征軍は、やがてついに、禿龍洞の地へ入った。そして洞界の一方に陣し、しばし兵馬に良き水を飲ませ、野営の幕舎をつらねて動かなかった。
――と見せつつ実は、関索、王平、魏延などの幾隊かはすでに正面の敵地を措いて、その隣接地方へ迂回進撃していた。これがどういう目標を持つ作戦であるかは孔明のほか知ることは出来なかったが、すでにその方面の功を上げて、幾組もの酋長や部族がここへ生け捕られて来た。
一方。
禿龍洞の首部では、孔明の大軍がすでに洞界まで来たと知って、大動揺を起こしていた。
初めのうちは、朶思大王も孟獲兄弟も、
「そんなはずはない」
と、信じられない顔つきだったが、頻々たる部下の知らせに、山を登ってはるか後方を眺めると、蜀軍の屯営する幕舎が数十里にわたって、翩翻と旌旗をつらねている有様に、
「これは一体、どこを通って来た軍勢か。尋常の事ではない」
と、朶思大王のごときは、髪わななき、顔色を変えて、昏絶せんばかりだった。
だが、その朶思大王も、
「もうこうなっては、わが洞界も蜀軍にふみにじられ、一族妻子も助かるまい。部族と洞兵のすべてを挙げて、奴等をみなごろしにするか、俺たちがみなごろしになるか、命かぎり戦うしかない」
と、覚悟の臍をきめて、孟獲兄弟と同生同死の血をすすりあい、蛮軍数万の土兵にまでこれを宣したので、孟獲も大いに励まされて、
「たといここまで辿り着いても奴等は疲れている兵だ。何で負けるものか。大王さえその気になってくれれば、必ず勝てる。こんどこそ蜀勢数万は一匹も生かして帰さない」
と、豪語した。そしていよいよ闘志を磨き、また牛を屠り馬を殺して軍中大酒を振る舞い、
「蜀軍は贅沢な装備と莫大な軍需を持っている。あの良い槍、長い剣、良い戟、良い甲、良い戦袍、良い馬。そしておびただしい車馬に積んで来た食糧や宝は、すべて皆、汝たちに与えられる物だ。蜀軍をみなごろしにすれば、恩賞として頒けてやる。奮えや奮え」
と、士卒の蛮性を鼓舞激励していた。ところへ、快報が入った。
「隣洞の酋長、楊鋒一族が、三万余人をつれて、味方しに来た」
と、いうのである。
朶思大王は、額を叩いて、歓び躍った。
「ここが敗れれば当然、隣の銀冶洞も危ないというので加勢にやって来たか、これは俺たちの勝つ前兆だ」
早速、陣中に迎え入れると、楊鋒は五人の男の子と一家眷族を皆つれて、華々しくこれへ乗りこんで、
「やあ大王。貴洞の難は、わが洞界の難も同じこと。及ばずながら御加勢に来た。大言のようだが、おれには五人の男の子があって、それぞれ武勇を鍛えさせている。もう心配するには及ばんぜ」と、大いに気勢を添えた。
そして自慢そうに五人の息子を
紹介わせたが、見ればいずれも蛮勇無双な骨柄で、
額虎躰、
猛気凜々たる者ばかりなので、
「ありがたい。軍は勝ちだ」
と、朶思大王も孟獲も、有頂天によろこんで、いよいよ大量に酒瓶を開き、肉を盤に盛り、血を杯にそそいで夜に入るまで歓呼していた。
三
蛮歌や蛮楽、酒はめぐり、興は燃え上がる。軍は勝ちだと、みなきめていた。
楊鋒も大いに飲み、大いに酔って、孟獲や孟優と杯を交わしていたが、ふと朶思大王を見て、
「わしの連れて来た眷族の中には、年ごろの娘も大勢いる。ひとつ余興として彼女たちに踊らせ、その後で酌をさせようではないか」と、諮った。
大王は手を打って、
「どうだ、兄弟」
と孟獲、孟優を振り向いた。
「それやあいい」
二人とも異議はない。いや、ないどころか、孟優が起ち上がって、これを座中の蛮将たちへ、道化交じりに披露した。
「ただ今から美人連の踊りを御覧に入れるが、垂涎のあまり気絶しないように」
万雷のような拍手、また拍手だ。楊鋒は口笛を吹いて、かなたをさしまねいた。前もって、余興の効果を考えておいたものだろう。声に応じて一列の美人が身振り

えて酒宴の中へ歩いて来た。
蛮娘の皮膚、みな鳶色して黒檀のように光っている。髪をさばき、、花を插し、腰には鳥の羽根や動物の牙を飾っていた。そして短い蛮刀を吊り、ずらりと輪になったり、輪を崩したり、尻を振って跳ね踊るのだった。
やんや、やんや、満座も共に浮かれ出しそうな騒ぎである。そのうちに、蛮娘連は手をつないで、踊りの輪の中へ、孟獲、孟優を囲み入れ、蛮歌を唄い出したと思うと、突然、躍り上がった楊鋒が杯を宙へ投げて、
「すわ、手を下せ」
と大喝した。
とたんに蛮娘はみな短剣を抜いて、白刃の輪を縮めた。孟獲も孟優もわっと叫び、蛮娘連をその剣もろとも
蹴とばして、輪の外へ躍り出たが、
刹那に、楊鋒の五人息子やその一族が、どっと

い
被さって、
繩をかけてしまった。
朶思大王も、逃げんとするところを、楊鋒に足をすくわれて、これも難なく、彼の手下に絡め捕られた。
仰天したのは、へべれけに酔って、美人の踊りに気をとられていた蛮将たちだが、これも敵対するまでには行かず、楊鋒の手下にぐるりと囲まれて、手も足も出せなかった。
合図の狼煙はその前にここから揚がっていたものとみえ、喨々たる螺声、金鼓の音は、すでに孔明の三軍が近づきつつあることを告げ、それを知るや禿龍洞の大兵も、先を争って、山野の闇へ逃げ散ってしまった。
孟獲は、楊鋒に向かって、物凄い血相と大声を向けていた。
「やいっ楊鋒。てめえも蛮国の洞主じゃあねえか。仲間を罠に陥として孔明に渡す気かっ」
楊鋒は笑って言った。
「実はおれも捕らわれて、孔明の前に曳かれたのだが、孔明の恩に感じたので、それに報いるため、この一役を買って出たんだ。貴様も降参してしまえよ」
「畜生っ。さては」
暴れ狂っている間に、はや孔明は幕僚を従えて、これへ着いた。驚くべし、楊鋒の五人の息子と言っていたのもみな蜀軍の武士たちで、変装を解くや否、それぞれ甲鎧をあらためて、孔明を迎える列の端に加わっている。
孔明は孟獲の前に歩を止めた。
「これで五度目ぞ、孟獲。こんどは心服するほかあるまい」
言うと、彼は、捨て鉢ぎみになって、
「心服だと。笑わすな。おれはいつ汝に縛られたか。おれの繩目はおれの仲間の裏切り者がかけたのだ」
「ひとりの匹夫を屈するため、総帥たる者が手をくだすわけはない。わしの指にでも触れたければ汝も王化の人になれ」
「王化王化というが、おれも南蛮国王だぞ。おれの都は先祖以来銀坑山(雲南省)にあって三江の要害と重関を繞らしている。そこでおれを敗ったらなるほどてめえも相当偉いと言ってよかろう。だが何だ、これしきの勝ちを取ったからといって、総帥面も片腹痛い」
孟獲の悪口と反抗心は相変わらず熾烈だった。
女傑
一
孔明は五度孟獲を放した。
放つに際して、
「汝の好む土地で、汝の望む条件で、更に一戦してやろう。しかしこんどは、汝の九族まで亡ぼすかも知れないぞ。心して戦えよ」と言った。
弟の孟優も朶思王も、同時に免した。三名は馬を貰って、愧ずるがごとく、逃げ帰った。
そもそも、孟獲の本国、南蛮中部の蛮都は、雲南(昆明)よりはもっとはるか西南にあった。そして蛮都の地名を銀坑洞とよび、沃野広く三弘の交叉地に位置しているという。
これを現今の地図で測ると、もとより千七百年前の地名は遺されていないが、南方大陛の河流から考察するに、仏領印度支那のメコン河の上流、また泰国のメナム河の上流、ビルマのサルウィン河の上流などは、共に遠くその源流を雲南省、西康省、西蔵東麓地方から発して、ちょうど孔明の遠征した当時の蛮界をつらぬいているのではないかと思われる。
それと当年の蛮都を写している原書三国志の記述を見ても――
コノ地銀坑山ト曰ウハ、瀘水、甘南水、西城水ノ三江繞リ、地平ラカニシテ北千里ガ間ハ万物ヲ多ク産シ、東三百里ニシテ塩井アリ、南三百里ニシテ梁都洞アリ、南方ハ高山ニシテ夥シク白銀ヲ産ス。
故ニ都ヲ銀坑洞ト称シ、南蛮王ノ巣トシ、宮殿楼閣コトゴトク銀映緑彩、人ハミナ羅衣ニシテ烈朱臙脂濃紫黄藍ヲ翻シ、マタ好ンデ橄欖ノ実ヲ嚙ミ、酒壺常ニ麦醸果酵ヲ蓄ウ。
宮殿
裡、一
祖
ヲ建テ、号シテ
家鬼ト敬イ、四時牛馬ヲ
屠シテ、
之ヲ祭ルヲ
卜鬼ト名ヅケ、年々外国人ヲ捕ラエテ
牲エニ供ウ。採生ノ類ホボカクノ
如シ。
等としてある。
要するに現今のビルマ、仏印、雲南省境のあたりと想像して大過なかろうかと思う。
孟獲がその蛮都たる中部を離れて、孔明の遠征軍をわざわざ貴州・広西省境あたりから迎えて、悪戦劣戦を重ねたのも、要するに彼が示唆してうごかした蜀境地方の太守や諸洞の蛮将たちに対して、自ら陣頭に立たざるを得なかった情勢に引かれたためで、本来の彼の彼たる実力の発揮は、孟獲も豪語して孔明に言ったごとく、ここの蛮都三江の要害に拠って戦うこそ彼の本分でもあり望みでもあったことだろう。
今やその孟獲はついに敗れ敗れて、望むところの蛮都まで帰って来た。
緑沙銀壁の蛮宮には、四方の洞主や酋長が数千人集まって、まさに世界滅亡の日でも来たような異変を語っていた。ほとんど蛮土開闢以来の大評議で、日々、議を重ねていたが、ときに孟獲夫人の弟にあたる八番部長の帯来が、
「これは西南の熱国に威勢を振っている八
納洞長の
木鹿王に力を借りるしかない。木鹿王は、いつも大象に乗って陣頭に立ち、立つやふしぎな法力をもって、風を起こし、
虎
、
豺狼、
毒蛇、
悪蝎などの
類を
眷族のように従え敵陣へ進む。また手下には、三万の猛兵があって、今やこの王の武威は隣界の
天竺をも
畏れさせている。――で久しく、わが蛮都とは対立していたが、こちらから礼をひくうし礼物を具え、蛮界一帯の大難をつぶさに訴えれば、彼も蛮土の人、かならず加勢してくれるにちがいない」と提唱した。
これは満堂双手を挙げて賛礼した。
「では、汝が使いに行け」と孟獲の命で、帯来は直ちに、西南の国へ使いに立った。おそらくは現今のビルマ印度地方の一勢力であったろう。
銀坑山の蛮宮の前衛地として、三江の要地に、三江城がある。孟獲は、そこへ朶思大王を籠めて、前衛の総大将たることを命じた。
二
蜀の大軍は日を経て三江に着いた。実に長途を克服して来たことは戦い以上の戦いであったろう。
三江の城は三面江水に続き、一面は陸に続いている。孔明はまず
魏延と
雲の兵に命じて城下へ迫らせ、一当て当ててみたが、さすがに城は固く、変軍とはいえここの兵もまた精鋭であった。
城壁の上には無数の
弩を
据えている。それは一
弩に十

を射ることが出来、
鏃には毒が塗ってあるので、これにあたると、負傷と言う事はない。みな
皮肉爛れ五臓を露出して死ぬのである。
攻撃三回に及んだが、四度目に孔明は、さっと十里ほど総陣地をひいてしまった。退くことの綺麗さと逃げることをなんとも思っていない点とは孔明の戦法の一性格と言える。
「蜀兵は毒弩を怖れて陣を退いた」
南蛮軍は誇り驕った。
兵法は叡智であり文化である。民度の高さもそれでわかる。七日十日と日を経るに従って、彼等の単純な思い上がりは、
「孔明などと言っても多寡の知れたものだ」と、いよいよ敵を見縊ってきた。
孔明は天候を見ていた。いかなる場合でも彼は何等かの自然力を味方に持つことを忘れない。
強風の日が続いた。この砂交じりの猛風は明日もまだ続きそうである。
孔明の名をもって、諸陣地に布告が掲げられた。文に曰う。
「明夕初更までに、各隊の兵は一人も残るなく、各々一幅の襟(衣服)を用意せよ。怠る者は首を斬らん」
何かわからなかったが、厳令なので隊将から歩卒に至るまで、一衣の布を持って、
「いったいどうするのだ、これは?」と怪しみながら待っていた。
不意に出陣の令が出た。次に
陣
いだ。それが丁度初更の時刻だった。
孔明は将台に立って三命を発した。
一、携えたる各々の襟(衣)に足もとの土を搔き入れて土の囊となせ。
二、兵一名に土囊一箇の割に次々令に従って行軍せよ。
三、三江城の城壁下に至らば、土の囊を積んで捨てよ、土囊の山、壁の丈と等しからば、直ちに踏み越え踏み越え城内に入れよ、疾くと逸く入りたる者には重き恩賞あるぞ。
さてはと初めてこの時にみな孔明の考えを知った。その勢二十余万、蛮土の降参兵を加うること一万余、一兵ごとに一囊を担い、早くも三江の城壁へ迫った。
乱
毒弩もものかは
雲霞のごとき大軍が一度に寄せたので、その勢力の千分の一も
射仆すことは出来なかった。見る間に土囊の山は数ヵ所に積まれた。その土囊の数も兵員の数と等しく二十余万個と言う数である。いかなる高さであろうとたちまち届かぬはない。
魏延、関索、王平などの手勢は、先を争って、城壁の間へ飛び降りた。担ぎ上げた土囊を投げ込み投げ込みここも難なく通路となった。
蛮軍は釜中の魚みたいに右往左往して抗戦の術を知らなかった。多くは銀坑山方面へ逃げ、あるいは水門を開いて江上へ溢れ出すのもあった。
生け捕りは無数といっている。例に依ってこれには諭告を与え仁を施し、さて、城中の重宝を開いて、これをことごとく、三軍に頒け与えた。
朶思大王はこの時乱軍の中で討たれたという

がある。口ほどもない哀れな最期だった。
「なに、三江が破れた? もう孔明の軍勢が入ったと?」
銀坑山の蛮宮では、孟獲が色を失っていた。一族を集めて評議中も、顚動惑乱、為す事も知らない有様だ。
すると、後ろの紗の屛風の蔭で、だれかクツクツ笑った者がある。
「無礼な奴、だれだ?」と一族の者が覗いてみると、孟獲の妻の祝融夫人が、牀に倚って長々と昼寝していたのである。猫のように可愛がって日ごろ夫人の部屋に飼い馴らされている牡獅子もまた、夫人の腰の辺に頤を乗せて、とろりと睡眼を半ば閉じていた。
三
そのまま、ふたたび評議を続けていると、また隣室で祝融夫人がくつくつ笑った。人々が耳ざわりな顔を示したので、良人として孟獲も黙って居られず、ついに座から叱りつけた。
「妻っ、何を笑うか」
すると夫人は、獅子と共に、がばと寝台から起って来て、一族の者には眼もくれず、良人の孟獲へ頭から呶鳴り返した。
「なんですっ、あなたは。男と生まれながら意気地もない。――蜀の勢の十万二十万蹴ちらせないで、この南蛮に王者だと言っていられますか。女でこそあれ、私が行けば、孔明などにこの国を踏みにじらせてはおきません」
この女性は上古の祝融氏の後裔だと言われる家から嫁いで来て、よく馬に乗りよく騎射し、わけて短剣を摑んで飛ばせば百発百中という秘技を持っていた。
その代わりに細君天下とみえ、孟獲はそう言われると、ぺしゃんこになった顔つきで一言もない。一族も事実敗戦に敗戦を重ねているので、共に閉口沈黙していた。
「一軍をおかしなさい。私が陣頭に立って、蜀勢を片づけます。孔明などに威を振われて堪るもんですか」
次の日、彼女は、巻き毛の愛馬に乗り、髪をさばき足は素足で、絳き戦衣に、珠を鏤めた黄金の乳当てを着け、背には七本の短剣を挾み、手に一丈余の矛をかかえ、炎のごとく、戦火の中を馳け𢌞っていた。
その矛に当たって斃れる蜀兵はおびただしい。蜀の張嶷、それを見て、
「不思議な敵」
と、うしろから追った。
すると、突如、天空から一本の短剣が飛んで来た。剣は張嶷の股に立ち、馬より逆しまに転げ落ちた。
「あれを縛めよ」と手下へ言い拾てて夫人はまたも次の敵へ打って蒐っている。蜀の馬忠またこれを追い、同じように二本の短剣を投げつけられ、一刀は馬の顔に刺さったため、彼もまた、落馬して蛮軍の手に捕虜となった。
その日の戦況は、蛮軍がはなはだしく振って、孟獲は急に、
「勝色見えたぞ」
と、躍り立って歓び出した。
夫人は、自分が擒人とした張嶷、馬忠のふたりを首にして、更に士気を鼓舞しようと言ったが、良人の孟獲は、
「いやおれも五度捕らわれて孔明から放されている。すぐこいつ等を殺すといかにも俺が小量のようだ。孔明を生け捕って後、並べておいて首を斬ろう」
と、言った。で、ふたりの虜将は是を生かしておいて、時々見ては笑い楽しんでいた。
孔明は二将の身を案じていた。しかしおそらくは殺すまいと彼は語っていた。その救出策を
按じ、

雲と
魏延に計をさずけておいた。
炎熱下の交戦は日々つづいている。その中に炎の飛ぶを見れば必ず
祝融夫人のすがたである。

雲は近づいて、彼女へ決戦を
挑んだ。さすがに女である。この敵にはかなわぬと思うと、短剣を飛ばしてその
隙にさっと逃げてしまう。
「まるで

の鳥を追いかけているようだ。どうも捕れぬ」
豪勇

雲も嘆じていた。魏延は次の日、わざと陣前に出ず、雑兵を出して夫人を
揶揄させた。夫人は怒って追いに追う。そして誘導しばらくして、時分はよしと躍り出た。
「蛇鳥夫人待て」
夫人は振り返って、短剣を投げ、そのまま例に
依って帰り去らんとした。

雲がまた、一方から
鼓を鳴らして、
「あれは蛇鳥か猩々の牝か」
と囃した。
髪逆だてた夫人は、ついに、感情のまま蜀軍の中へ馳けこんで来た。蜀軍はわざと逃げくずれる。そして止まるとまた、悪口三昧を叩いた。
次第に山間に誘いこんで、予定の危地を作るや、どっと八面から

い包んで、ついに、祝融夫人を擒人とすることに成功した。
孔明は孟獲の陣へ使いを遣った。
「汝のおかみさんは予の陣に来ている。張嶷、馬忠と交換せん」
孟獲は驚いて、すぐ二将を回してよこした。孔明は祝融夫人に酒を呑まして送り返した。彼女は少し悄れていたが、一斗の酒を呑んだあげく繩を解かれると非常にはしゃぎ出して、孟獲と似たような大言壮語を残して帰った。
歩く木獣
一
隣国へ使いに行った帯来が帰って来て告げた。
「われわれの申し入れを承知して、数日の間に、木鹿王は自国の軍を率いて来ましょう。木鹿軍が来れば、蜀軍などは木葉微塵です」
彼の姉祝融夫人も、その良人孟獲も、今はそれだけを一縷の希望につないでいた所である。やがて八納洞の木鹿が数万の兵をつれて、市門へ着くと聞くや、夫妻は王宮の門を出て迎えた。
「やあ、お

いで出迎えとは恐れ入るな」
木鹿大王は白象に騎って来た。象の頸には金鈴を懸け七宝の鞍をすえている。また身には銀襴の戦袈裟を掛け、金珠の首環、黄金の足環、腰には瓔珞を垂れて、大剣二振りを佩いていた。
「安心するがよいよ。孟獲も、奥さんも」
白象から降りると、木鹿王はそう語りながら、蛮旗の林の中を、悠々、王宮の奥ふかく案内されて行った。
彼の連れて来た三万の軍隊の中には、千頭に近い猛獣が交じっていた。
獅子、
虎、
大象、
黒
、
狼など、その吠ゆる声も
凄まじいほどである。
王宮の奥では深更まで歓迎の大宴が開かれたものらしく、終夜たいへんな篝火と蛮楽が噪いでいた。
孟獲夫妻は善を尽くし美を尽くして三日間の
饗宴を続け、あらゆる
媚態と条件を
附して、木鹿の歓心を得るに努めた。大王の
御機
は斜めならず、ようやく着城四日目に、
「どれ、明日はひとつ、蜀軍を蹴ちらして御覧に入れるかな」と、軍備を命じ出した。
何とした事か、その前夜から朝にかけては、猛獣部隊の猛獣が、終夜空を望んで咆哮していた。聞けば、戦に臨む前は一切餌断ちをして、猛獣群の腹を乾しておくのだとある。
翌日、大王はいよいよ陣頭に出た。例の白象に騎り、二振りの宝剣を横たえ、手に蔕のある鐘を持っていた。
蜀軍は愕いた。
「何だあれは?」
戦わぬうちから
怯み立って見えたので、
雲、
魏延などが、
井楼の上に昇ってみると、なるほど、兵の怯むのも無理はない。木鹿軍の兵は、その顔も皮膚も真っ黒で、まるで
漆塗りの
悪鬼羅刹に異ならない。しかも大王のうしろには、
繫がれた猛獣の群れが、尾を振り、雲を望んで
咆えていた。
「魏延魏延、この年まで、おれはまだ、こんな敵に出会ったことがない。どういう事になるのだろう」
「いやそれがしも、初めてだ。ふしぎな軍隊もあるものだ」
さすがの二将も怪しみ惧れて、にわかに、策も作戦も下し得ずにいるうち、白象の鞍上高々と見えた木鹿大王は、たちまち手の蔕鐘を打ち鳴らして、まず前列の鑓隊を突っ込み、両軍乱れ合うと見るや更に烈しく鐘を乱打した。
機を計っていた猛獣隊は、一度に鎖を解き、あるいは
檻を開いた。と共に木鹿大王は、口の内に
呪を念じ、なにか
禱るような
恰好をし出した。獅子、虎、

、
毒蛇、
悪蝎などの群れが、とたんに土煙を
捲き、草を
這い、あるいは宙を飛ぶように、蜀軍の中へ襲いかかった。彼等の腹はみんな背中へ付くほど細く捲き上がっていた。いわゆる
餓虎餓狼ばかりである。
牙を張り風を舞わし、血に飽かない姿である。
逃げる逃げる逃げ崩れる。蜀兵の足はいかに叱咤しようが止まらなかった。とうとう三江の堺まで総なだれに退いてしまった。蛮軍は面白いほど勝ち抜いて、これまた、猛獣以上の猛勇をふるって逃げおくれた蜀兵を殺しまわった。
異様な妖鐘が再びじゃんじゃん鳴りひびいた。木鹿王の白象の周りへ満腹した猛獣群が尾を振り勇んで帰って来る。それを再び檻に入れあるいは鎖に繫ぎ、鼓角を鳴らして、王宮へ引き揚げて行った。

雲、
魏延の二将から、この日の敗戦を聞いて、
孔明は笑った。
「書物はやはり
噓を書いていないものだ。むかし
若年のころ、自分が
草廬のうちで読んだ兵書に、南蛮国には
豺狼虎
を駆使する陣法ありと見えたが、きょうのは即ちそれであろう。幸い、蜀を立つ時から万一のためその備えはして来ておるから、決して
愕き騒ぐには当たらない」
彼はすぐ兵一隊に命じて例の車輛をこれへ曳いて来いと命じた。
二
一個一個、被布を懸けて、軍中深く秘されて来た二十余輛の車がある、兵はやがてそれを残らず押して来た。
「被布を脱れ」
孔明は命じた。
まるで一軒の小屋ほどもある箱がどれにも載っていた。なにが現われるかと、人々が好奇の眼をみはっていると、取り除かれた被布の下から大きな櫃が見えた。
十余輛の車は、黒塗りの櫃を載せ、あとの十余輛には、紅の櫃が載せてある。
孔明は鍵を持って、自身、紅い櫃だけをことごとく解体した。驚くべき巨大な木彫りの怪獣が、車を脚として、立ち並んだ。獅子のごとき木獣、虎のごとき木獣、角のある犀のごとき木獣など、どれもこれも怖ろしく大きくて魁異である。
「どうなさるのです、一体これを?」
「はるばる、成都から押させて来た二十余輛の車は、これであったのですか」
諸将は孔明の意中を怪訝った。
次の日、蜀陣は洞口の道に当たって、重厚なる五段の備えを立てた。
孟獲は前日の勝ちに驕って気負いきっている。木鹿王と共に陣頭に現われて、
「あれ、あれに見ゆる四輪車の上なる者が、蜀の孔明という曲者です。大王、願わくは昨日のごとく、快き大勝を示し給え」
指さして教えた。木鹿は大きく頷いて、例のごとく蔕鐘を打ち鳴らし黒風を呼んで、後なる猛獣群を敵軍へけしかけた。
凄まじい百獣の咆哮に、砂は飛び猛風は捲く。孔明の四輪車は、たちまち、梶を回らして、二段の陣へ隠れかけた。
大象に鞭をくれて、馳け寄った木鹿王は、その高い鞍の上から宝刀を振りかざして、
「孔明。今日こそ、その命を貰ったぞ」と、斬り下ろした。
刃は四輪車の一柱を仆した。木鹿は更に一閃、また一閃、呪を念じながら斬りつけたが、三度とも切ッ先は届かない。そしてかえって後ろへ廻った二人の徒歩の槍手に、大象の腹を突き立てられた。
が、槍は象の腹に徹らなかった。一槍は折れ、一槍は反れた。
孔明は、羽扇を揚げて、
「関索、なぜ人を突かぬ」
と、叫びながらまた、
「木鹿王死せりッ」と、叱咤した。
「何を」
四度目の太刀を振りかざしたとき、ぴゅんと、一

は
唸って、木鹿の
喉に立った。同時に、下から突き上げた関索の槍もその
頤を突きぬいていた。
木鹿は地響きして落ちた。きょう孔明の四輪車を押していた徒歩武者は、関索以下、ことごとく蜀の錚々たる旗本だったのである。木鹿は自ら好んで蜀軍中の一番強いところへ当たって落命したものであった。
なお全面的に
観れば、前日の百獣突貫も、この日はまるで用をなさなかった。なぜなれば、蜀の陣にも、木獣の備えがあったからである。この木製の大怪物は、脚に車を
穿き、口から火煙を噴き、異様な
咆哮すら発して、前へ進み、横へ回り、
縦横無碍に
馳け
𢌞って、生ける
虎、

、
狼などをも、その
魁異な姿に
驚殺を喫せしめたのであった。
種を明かせば、木獣の中には、十人の兵が入っていた。火煙を吐くのも、咆哮するのも、また進退するも、すべて内部に仕掛けてある硝薬と機械の働きだった。もちろん前代未聞の新兵器で、孔明の考案によるものである。
蛮人も驚いたが、本物の虎や獅子もぎょっとした。生ける猛獣隊は俄然尾を垂れて潰乱した。蜀の鼓角は、天地をゆりうごかし、逃げ崩るる蛮軍を追って、ついに銀坑山の王宮を占領した。
孟獲、その妻の祝融、帯来、ほか一族などみな、家宅を捨てて逃げ出す途中を待って、蜀軍は一網打尽にこれを捕らえた。けれど孔明は、孟獲以下、一家眷族を、すべて解いて、
「巣なき鳥、家なき人間が、どう生きてゆくか。いわんや、王風に反いた所で、どれほどの力があろう。振る舞えるかぎり振る舞うてみよ」と、またも放してやった。
今は大言毒舌を吐く気力もなく、孟獲は鼠のごとく、頭を抱えて逃げ失せた。それを王と仰ぎ家長と慕う眷族たちの意気地なさは言うまでもない。
藤甲蛮
一
すでに国なく、王宮もなく、行くに的もない孟獲は、悄然として、
「どこに落ち着いて、再挙を図ろうか」と、周囲の者に諮った。
彼の妻の弟、帯来が言った。
「ここから
東南の方、七百里に、一つの国がある。
烏戈国と言って、国主は
兀突骨という者です。五穀を
食まず、火食せず、猛獣
蛇食を

い、身には
鱗が
生えているとか聞きます。また、彼の手下には、
藤甲軍と呼ぶ兵が約三万はおりましょう」
「藤甲軍と言うのは?」
「烏戈国の山野いたる所、山藤がはびこっているので、その蔓を枯らして後、油に浸し、また陽に曝しては油に漬け、何十遍かこれを繰り返して、それで甲を編むのです。この甲を着籠んだ兵を名づけて藤甲軍といい、まだこれに勝った四隣の国はありません」
「どうしてだろう」
「藤甲の特徴は、第一水に濡れても透しません。第二は非常に軽いので、身体軽敏です、第三には、江を渡るにも船を用いず、藤甲の兵はみなよく水に身を浮かして自由自在に
浮游します。第四には弓も刀も刃が立たないほど
強
なんです」
「なるほど、それでは無敵だろう。ひとつ兀突骨に会ってこの急場を頼んでみよう」
自身、一族敗兵を従えて、烏戈国へ頼って行った。
議にも及ばず、兀突骨は「よろしい」と大きくうなずいた。即座に三万の部下は藤甲を着込んで、洞市に集まった。
孟獲の残兵も追い追い寄って、合わせて十万余、烏戈国を発して、桃葉江に陣した。
この江は、水あくまで碧く、両岸には桃の樹が多く茂っている。年経れば葉は河水に落ちて、一種の毒水を醸し、その水を旅人が呑めばはなはだしく下痢を病む。が烏戈国の土人には、かえって精力を加える薬水になると言い伝えられている。
孔明は、銀坑の蛮都に入ってから、これを治めて掠めず、これを威服せしめて殺戮せず、克くただ徳を布き、更に軍をととのえて、王征を拡大して来た途にあった。
「魏延、一手を引いて、桃葉の渡口を見て来い。ただ一当てして、彼の勢いを測って来ればよいぞ」
孔明の旨をうけた魏延は、すぐ先発して、桃江へ赴いた。途中すでに、烏戈国の兵と孟獲の連合軍にぶつかった。蛮軍は気負うこと満々、大胆にも、江を渡って攻勢を取ってきたものである。
彼は新手の大軍、魏延の隊は小勢でもあったが、蛮軍は喊声をあげ、その猛威は、完全に昨日の気勢を盛り返していた。
のみならず、序戦まず驚いたのは、蜀軍の射る矢が一つも功を奏さないことだった。あたってもあたっても矢は敵兵の体から撥ね返ってしまう。
白兵戦となっても、彼の五体には、刀が徹らない。その自信もあるので藤甲軍の士気は猛烈で、嚙みつくように蛮刀を揮ってくる。
蜀兵は、たちまち斬り立てられ追い立てられて、総潰乱を起こした。
「ひとまず退け」
角笛を吹き鳴らして、兀突骨は悠々兵を引きあげた。孟獲よりも兵法を知る者だった。
その帰るや、江を渡って行くのに、藤甲の兵はみな流れに身を浮かせて、あたかも水馬の群れが泳ぐように安々と対岸へ上がって行った。
中には暑いので、藤蔓の甲を脱ぎ、水に浮かせて、その上に坐って渡ってゆく兵などもある。
魏延は見て愕いた。ありのままを孔明に伝え、
「不思議な異蛮です」
と語ると、孔明も首をかしげていたが、やがて呂凱を呼び、
「どこの蛮国か」と訊ねた。
呂凱は地図を按じて後、
「さては
烏戈国の藤甲軍でしょう。とても人倫をもって律せられない野蛮の兵です。加うるに
桃花水の毒は蛮外の人間には

むべからざるものです。もはやこの辺でお引き揚げになっては、どうです。あんな半獣半人の軍を敵にしていた日には
堪りません」と、極力、引き揚げをすすめた。
二
呂凱の諫めは諒としたが、孔明は面を振って、左右の者にも言った。
「事を成しかけて終始を全うしないほど大なる罪はない。その兵の無駄はいくばくか。幾万の霊に何と謝すべきか。――ましてこの蛮界に王風を布くに、一隅の闇をも余して引き揚げてはすべてを無意味にする」
次の日、彼は自ら四輪車を進ませて、桃葉江岸を一巡し、附近の地勢を視て𢌞った。
更に、車を降りて、徒歩、北方の一山へ登って、嶮しきを探り按じ、黙々陣地へ帰って来ると、すぐ馬岱を招いて、
「先ごろ用いた木獣車のほかに、なお黒い櫃を載せた十余輛の戦車があるであろう、汝はそれを曳いて、一軍の兵と共に、桃葉江の北にある盤蛇谷の内に潜め。――そして戦車をこう用いるがよい」と、何事か小声で綿密なる秘策をさずけた。
よほど秘密裡に行なう必要があるとみえ、孔明は、いつになく厳として、
「もし事洩れて内より敗れたときは、軍法に問うて罰するぞ。抜かりあるな」と、戒めた。
馬岱の軍は、十余輛の戦車とともに、その日の夜中から忽然影を消していた。
翌朝、孔明はまた
雲を呼び、一軍を授けて、
「御辺は、盤蛇谷の裏から三江へわたる大路へ出で、かくかくの用意をなせ。必ず日限を誤るな」
と、言い渡した。
また、次には魏延が呼び出されて、
「御身は、精鋭を率い、敵の真正面に出で、桃江の岸に陣を構えろ。兵は望むままの数を連れてゆくがいい」と孔明から言われたので、魏延は、我こそ先鋒の最前線を承る者なり、と大いに歓んでいると、
「だが――」と、孔明は、語を継いで彼の勇躍を押えるように言った。
「くれぐれも勝ってはならんぞ。もし敵が江を渡って強襲して来たらほどよく戦っては退け。陣屋も捨てて逃げろ。――その逃げる先には白旗を立てておく。敵がまた、そこへ襲せて来たら、更に潰走して、次の白旗の立っている陣まで奔れ。いよいよ、敵は勝ちに乗るだろう。汝は、更に第四の白旗の見ゆる地、第五の白旗の見ゆる地と、次々陣屋を放棄して、醜く逃げ続けよ」
魏延は面を膨らませた。
「いったい、どこまで逃げろと、仰せられるのですか」
「およそ十五日の内に、十五度の戦いに負けて、七ヵ所の陣地を捨て、ただ身をもって、白旗の見える所へ遁れればよいのだ」
「ははあ、さようで」
軍令なので否めないが、魏延は怏々と楽しまない顔をして退がった。
そのほか張翼、張嶷、馬忠なども、それぞれ命をうけて部署に赴き、
「このたびこそは蛮土の敵性を抜き尽くすぞ」とある孔明の言明に、各々、手具脛ひいて、戦機を測っていた。
ときに兀突骨と孟獲は、いちど江南に退いて、大いに騎りながらも、お互いに軽挙を戒め合っていた。
「何しても、孔明という奴、詐術に富んで、何をやるか知れない。どうか突骨大王にも、そこをよく気をつけて、林の内、山の陰、およそ兵を隠す所があったら、よく御注意ねがいたい」
「なあに孟獲。その辺は、心得ておるよ。おぬしこそ、とかく逸り気だから気をつけろ」
見張りの蛮兵が、報告に来た。
「ゆうべから北岸に、蜀兵が陣屋を作り出しています。だいぶ沢山な軍勢です」
「どれ、どれ」
二蛮王は、岸へ出て、手をかざした。
「あの要所に、堅固な陣屋を作られては、ちとうるさい。今のうちに揉み潰せ」
命令一下、藤甲の蛮勢は、たちまち水を渡って、そこを襲撃した。
戦い戦い魏延は逃げた。
ところが、蛮軍は懲りている。深くは追って来ないのだ。勝ちを収めると、あざやかに水を渡って、もとの対岸へ引き揚げてしまう。
魏延もまた、前の岸へ帰って、陣屋を構築し出した。孔明から新手の兵が追加された。それを見ると蛮軍もまた人数を増して、攻撃を再開して来た。
戦車と地雷
一
この日は、藤甲兵の全軍に、兀突骨もみずから指揮に立って、江を渡って来た。
蜀兵は、抗戦に努めると見せかけながら、次第に崩れ立ち、やがて算をみだして、旗、得物、盔を打ち捨て、われがちに退却した。
そして、一竿の白旗が、ひらひら見える地点に集結していた。
「敵は逃げ癖がついた。もう大丈夫。追い捲ってみなごろしにかかれ」
兀突骨は、勝ち誇って、味方の後陣にいる孟獲へも合図した。そしていよいよ、追撃を加え、ふたたび敵の集結を衝いた。
魏延は予定の事なので、戦っては敗れ、戦っては敗れと見せかけながら、第三の白旗、第四の白旗と、敗退地点を辿って、退却をつづけた。
七日のうちに三ヵ所の陣屋を捨て、七ヵ所の集結を崩して逃げた。
「はてな? 少し脆過ぎるぞ」
兀突骨も疑い出したのだろう。少し追撃がゆるくなった。で、魏延は急に気勢をあげ、新手を加えて、逆襲を試みた。
逆襲戦では、先頭に進み、兀突骨へ一騎打ちを挑んだ。そして彼の戟先から逃げ走ったので、兀突骨は、
「今こそ」と、拍車を加えて、追いかけにかかった。
誘導作戦はむずかしい。逃げ過ぎても疑われる。魏延は折々、引き返して、敵を罵り、また虚勢を示し、ついに、十五日の間、十五ヵ所の白旗を辿って、逃げに逃げた。
ここに至ってはついに猜疑深い兀突骨も、自身の武勲に思い上がらざるを得ない。部下を顧みて、大象の上から豪語した。
「なんと見たか。連戦十五日のうちに、蜀の塁を踏み破ること七ヵ所、戦って勝ち抜くこと十五度。すでに桃江から三百余里の間に、一兵の敵もないじゃあないか。さしもの孔明も風を望んで逃げ奔り、大事すでに定まったも同様だ。いちど凱歌をあげろ! 凱歌を!」
あげた戦果と、分捕った酒に酔って、凄まじい気焰を示し、無敵藤甲軍の自信いよいよ満々と、次の日の戦いへ臨んだ。
この日、大将兀突骨は白象に騎り、白月の狼頭帽をいただき、青金白珠を鏤めた鱗縅しの胴を着込んで、四肢は黒々と露出し、さながら羅漢の怒れるような面をして、蜀軍の中へ、鉄鎗を揮っていた。
魏延はこれを迎えて、奮戦力闘を試みた後、わざと奔って一山を逃げ旋り、盤蛇谷のふところへ逃げこんだ。
部下と共に、追撃して来た兀突骨は、一応、白象を止めて、
「伏兵は居ないか」と、用心深い眼で見まわしていたが、四山に草木もなく、埋兵の気振りも見えないので、意を安んじ、全軍をこの谷に休めて、
「蜀軍はどこへ失せたか」と、一息入れていた、
すると手下の蛮兵が、
「これから奥へかけて、巨きな箱車が、諸所に十何輛も置き捨ててあります」
と、知らせて来たので、自身視察してみると、なるほど、兵糧を積んだ貨車かと思える車が諸所に散乱している。
「これはすばらしい鹵獲品だ。敵は狼狽のあまり、谷間へ貨車を引き込んでしまい、山路に出会って、退くも進むもならず、置き捨てて奔ったものだろう。貨車の内には、成都の珍味があるに違いない。あれを皆、谷の外へ曳き出して纏めておけ」
そして彼自身も、後へ戻って、谷道の峡口を出ようとすると、突如、天地を鳴り轟かせて、巨岩大木が頭上へ降って来た。
「あなや?」と、仰天して、退く間もなく、左右の蛮兵は、大石や大木の下になって、何百ともなく屍となっている。その上にもなお、大木や岩が落ちて来るので、たちまち、谷口は塞がってしまった。
「山上にまだ敵がいるぞ。早く出ろ。早く道を拓け」
狂気のごとく、彼が叱咤していると、その側にあった一輛の車がひとりでに焰を噴き出した。
いよいよ愕いて、全軍われがちに、谷の奥へなだれ打ってゆくと、轟然大地が炸けた。烈火と爆煙に撥ねとばされた蛮兵の手脚は、土砂と共に宙天の塵となっていた。
二
兀突骨は白象の背から跳び降りた。白象は火焰に狂って火焰の中へ奔り込んで自ら焼け死んだ。
彼は断崖へしがみついて、逃げ登ろうとしたが、左右の山上から投げ炬火が雨のごとく降り注いで来る。のみならず、岩間岩間や地の下に隠れていた薬線に火がつくと、さしも広い谷間も、須臾にして油鍋に火が落ちたような地獄となってしまった。
火の光は天に乱れ、炸音は鳴り歇まず、濛々の煙は異臭をおびて来た。
烏戈国の藤甲軍は、一兵ものこらず、焼け死んでしまった。その数は三万をこえ、火勢のやがて冷めた後、これを盤蛇谷の上から見ると、さながら火に駆除された害虫の空骸を見るようであった。
孔明は、翌日そこに立ち、はらはらと涙をながして、
「社稷のためには、多少の功はあろうが、自分は必ず寿命を損ずるであろう。いかにとはいえ、かくまで、殺戮を為しては」
と、嘆息した。
聞く者みな哀れを催したが、ひとり
雲は、しからずと、かえってそれを孔明の小乗観であると難じた。
「生生流相、命命転相。象をなしては亡び、亡びては象をむすぶ。数万年来変わりなき大生命のすがたではありませんか。黄河の水ひとたび溢るれば、何万人の人命は消えますが、蒼落としてまた穂は実り人は増してゆく。黄河の狂水には天意あるのみで人意の徳はありませんが、あなたの大業には王化の使命があるのではありませんか。蛮民百万を亡ぼすも、蛮土千載の徳を植え遺しておかれれば、これしきの殺業何ものでもございますまい」
「ああ。......よく言って下すった」
孔明は

雲の
掌を額にいただいて更に
落涙数行した。
さるほどに、一方南蛮王孟獲は後陣屋にあって、まだ烏戈国兵の全滅を夢にだも知らずにいた。
ところへ約千人ばかりの蛮兵が迎えに来て、
「烏戈国王には藤甲軍をひきいて、さしもの蜀勢を追いつめ追いつめ、ついに、盤蛇谷へ孔明を追い込みました。大王にもすぐ来られて、共に孔明の最期を御覧あれとのお伝えです」
聞くや孟獲は、
「しめた。孔明も百年目だ」
と、直ちに大象に騎って、部下総勢と共に、盤蛇谷をさして急いで来た。
「や、あまりに先を急いで、道を間違えたのではないか」
気づいた時は、案内として、先に馳けていた怪しげな蛮兵千人の一隊は、どこへ行ったか見当たらなかった。
「ちと怪訝しいぞ」
引っ返そうとすると、時すでに遅し。
一方の疎林から張嶷、王平、鼓を打って殺出し、一面の山陰からは、魏延、馬忠、喊呼をあげて迫って来た。
「もどれっ、いや先へ行け」
狼狽のあまり、山の根まで突き当たるように奔ってゆくと、山上の旗鼓、いちどに雪崩れ降りて来て、
「孟獲、覚悟」
と、早くも関索、馬岱などの蜀将の若手が、龍槍、蛇矛を揮って馳け向かって来た。
「しまった」
白象は鈍重すぎる。孟獲は跳び降りて、林の中の一路へ走りこんだ。
すると前面から、りんりんと金鈴銀鈴をひびかせて、絹蓋涼しげに一輛の四輪車が押されて来た。孔明である。あのにこやかな笑みである。羽扇をあげて一喝、
「反奴孟獲。まだ眼がさめぬかっ」
と浴びせかけた。
孟獲は眼が
眩々となって、あ――と高く両の

で天を
衝いたと思うと、うーむっと、大きな
唸きを発して、それへ気を失って倒れてしまった。
難なく繩にかけて、馬岱がそれを曳いて帰った。猛獣でも眼を眩すほどな神経があるものかと、蜀の諸大将は笑い合って、彼の仮檻房を覗いて通った。
王風万里
一
その夜、孔明は、諸将と会して、話の末に、
「
雲はたいへんいい事を言って、自分の戦策を慰めてくれたが、しかしなんといっても、今度の
大殺戮をあえて行なった事は、大いに陰徳を損じたものである」と、語って、またその戦略に就いては、
「十五度の退却を重ね、敵の驕慢を誘って、盤蛇谷へ導いた計は、もうすでに諸氏にも読めていることであろう。ただ、こんどの大殲滅戦では、かねて若年のころから工夫していた地雷、戦車、薬線などを使ってみたことが、従来の戦争に比して、やや趣が異なっている。――しかし、戦いというものは、あくまで「人」そのものであって「兵器」そのものが主ではない。故に、これ等の新兵器を蜀が持つことに依って、蜀の兵が弱まるような事があっては断じてならないと、それを将来のために今から案じられる」
と言い、また更に、
「初め、藤甲軍の現われた時は、ちょっと自分も策に詰まったが、それは彼の有利な行動のみ見せつけられていたからで、翻って、彼の弱点を考えてみると、当然――水ニ利アルモノハ必ズ火ニ利ナシ――の原理で、油漬けの藤蔓甲は、火に対しては、何の防ぎにもならぬのみか、かえって彼等自身を焼くものでしかないことに思い当たった。――焰車、地雷の計はみなそれから実行を思い立ったものである」と、一場の兵法講義にも似た打ち明けばなしを聞かせた。
諸将はみな、丞相の神智測るべからずと、三嘆して拝服した。孔明は翌日、陣中の檻房から、孟獲、祝融夫人、弟の帯来、また孟優にいたるまでを、数珠つなぎにして曳き出し、愍然と打ちながめて、
「さてさて、性無き者にはついに天日の愛も透らぬものか。人とも思えぬ輩、見る眼も羞ず。早く解いて、山野へ帰せ」と、滇々水の去るがごとく、愛憎を超えた面持ちでかなたへ行きかけた。
すると突然、異様な泣き声を発して、
「丞相っ......。待って、待ってくれ」
孟獲がさけんだ。いや繩目のまま跳びついて、孔明の裳を咥えた。
「何か?」
眼の隅から見て言うと、孟獲は、額を地に打ちつけんばかり頓首して、
「悪かった、寛されい」と、吐くような声をしぼった。そしてああああと、しゃくり泣きしながら、「無学野蛮なわしらではありますが、いにしえからまだ、七たび擒人にして、七たび放したという例は、聞いた事もありません。いかに化外の人間たりと、どうしてこの大恩に感ぜずに居られましょうか。......ゆるして下さい。お免し下さい」
「ううむ......真にか」
「な、なんで。もう思うだに、前非のほど、空怖ろしゅうございます」
「よし。共に歓ぼう。共に栄えよう」
孔明は膝を打って、自ら彼の繩目――また祝融夫人、孟優、帯来など、眷族の繩をみな解き免して、
「初めて、孔明の心が透った。否――王風万里、余すものなくなった。予もうれしく思う」
孟獲の眷族は口を

えて、
――丞相の天威、王風の慈しみ、南人ふたたび反かじ、と称え誓った。
孔明はまた語を改めて孟獲に言った。
「御辺、いま真に、心服なしたか」
「御念まではありませぬ」
「では、予と共に在れ」
と、彼は畏るる孟獲の手をとって、帳上に請じ、夫人一族にも席をあたえて、歓宴を共にし、また杯と杯とをもって、こう約した。
「御辺の罪は、すべて孔明が負う。孔明の功は御辺に譲ってやろう。故に御辺は長く以前のとおり南蛮国王として、蛮土の民を愛してやれよ。......そして、孔明に代わって、王化に努めてくれ」
聞くと孟獲は、両手で面を掩って、しばしは慚愧の涙を乾かさなかった。宗族たち一同の感涙と喜躍は事あらためて言うまでもない。
二
遠征万里。帰還の日は来た。
顧みれば、百難百戦、生命ある身が奇蹟な気がした。帳幕の人、長吏費褘は、その総引き揚げに当たって、ひそかに孔明に諫めた。
「かくはるばる蛮土に入って、折角、功を樹て給いながら、だれも、蜀の官人を留めて置かれない事は、草を刈って、雨を待つようなものではありませんか」
「否」
孔明は面を振った。
「それには、一面の利もあるが、べつに三つの不利もある。小吏王化の徳を誤ること一つ。吏務、王都を遠く離れて怠り私威を猥りにすること二つ。蛮民互いに廃殺の隠罪あれば、戦後心に疑いを相挾み、私闘を醸す怖れあること三つ。――なお王利をして治を布かしむるより本来の蛮王蛮民、相親しむに如くはない。しかも貢の礼だに守らせておけば、成都は意を労せず物を費えず、よく是を国家の外壁となし富産の地となしておくこともできるではないか」
「丞相の仰せは至極の御経策です」
諸人、ことばに服した。
蜀軍、北に還ると聞くと、蛮土の洞族も一般の土民も、われ劣らじと、金珠、珍宝、丹漆、薬種、香料、耕牛、獣皮、戦馬などを続々陣所へ贈って来て、更に、
「以後、年々、天子へ御貢も欠かしません。叛きません」
と、皆々、誓言を入れた。
そしていつか、孔明を呼ぶに、
「慈父丞相、大父孔明」と、いい称え、その戦蹟の諸地方に、早くも生祠(生き神様の祭り)を建て、四時の供物と祠りを絶たなかった。
とき、蜀の建興三年、秋は九月。
孔明とその三軍は、いよいよ帰途についた。
中軍、左軍右軍は彼の四輪車を守りかため、前後には紅旗幡銀をつらね、貢物の貨車隊、騎馬隊、白象隊、また歩兵数十団など征下して来る時にも勝る偉観だった。
その壮観に加えて、南蛮王
孟獲もまた、
眷族をあげて、
従に加わり、もろもろの
洞主、
酋長たちも、鼓隊を連れ、美人陣を作って、
瀘水の
畔まで見送って来た。
盤蛇谷三万の焚殺と共に、この瀘水でも多くの味方を失い敵兵を殺していた。孔明は、夜、中流に船を浮かべ、諸天を祠る表を書いて、幾万の鬼霊に祈り、これを戦の魂魄に捧げてその冥福を祈ると唱えて、供え物と共に河水へ流した。
古来、この河の荒れて祟りをなすときには、三人を生きながら沈めて祭る風習があったと聞き、孔明は、麵に肉を混和して、人の頭の形を作り、これをその夜の供え物にした。
名づけて「饅頭」と称び慣わして来た遺法は、瀘水の犠牲より始まるもので、その案をなした最初のものは孔明であったという伝説もあるが、さて、どんなものか。
ともあれ、帰還の途にあっても、なお彼が、そういう土地土地の土俗の風や宗教的心理を採りあげて、徳を布き、情になずませることを、夢寐にも忘れずにあったということは、単なる征夷将軍の武威一徹とは大いに異なるものがある。
浪静かに、祭文の声、三軍の情をうごかし、心なき蛮土の民を哭かしめつつ、彼の三軍はすでにして永昌郡まで帰って来た。
「御辺等も、長らく大儀だった。いずれ帝よりも、恩賞のお沙汰があろう」
と、ここで案内役たる呂凱の任を解き、王伉と共に、附近四郡の守りをいいつけた。
また、別れを惜しんで、ここまで従って来た孟獲にも、暇をあたえ、
「くれぐれも、政に精励して、居民の農務を励まし、家を治めそちも晩節をうるわしくせよ」
と、懇ろに訓えを繰り返した。
孟獲は、泣く泣く南へ帰った。
「おそらく彼の生きているあいだ、蛮土はふたたび叛くまい」
孔明は左右に言った。
成都はすでに冬だった。南から還った三軍は、寒風もなつかしく、凱旋門に入った。
鹿と魏太子
一
孔明還る、丞相還る。
成都の上下は、沸き返るような歓呼だった。後主劉禅にも、その日、鸞駕に召されて、宮門三十里の外まで、孔明と三軍を迎えに出られた。
帝の鸞駕を拝すや、孔明は車から跳び降りて、
「畏れ多い」と、地に拝礼し伏して言うには、
「臣、不才にして、遠く征き、よく速やかに平らぐるあたわず、多くの御林の兵を損じ、王上の宸襟を安からざらしむ。――まず罪をこそ問わせ給え」
「否とよ、丞相。朕は、御身の無事を見るだに、ただもう欣しい。あれ扶けてよ」
侍従に命じて抱き起こさせ、また帝みずから御手をのばして、鸞駕の内に孔明の座を分けあたえられた。
幼帝と、丞相孔明と、同車相並んで、満顔に天日の輝きをうけ、成都宮の華陽門に入るや、全市の民は天にもひびくよろこびをあげ、客中百楼千閣は、一時に、音楽を奏して、紫雲金城の上に降りるかと思われた。
が、孔明は自己の功を忘れていた。更に命じて、従軍中の戦死病歿の子孫をたずねさせ、漏るるなくこれを慰め、閑有っては、久しく見なかった農村へ行って、今年の実りを問い、村の古老、篤農を尋ね、孝子を顕賞し、邪吏を懲らし、年税の過少を糺すなど、あらゆる政治にも心をそそいだので、都市地方を問わず、今やこの国こそ、楽土安民の相を、地上に顕観したものと、上下徳を頌えない者はなかった。
× × ×
大魏皇帝曹丕の太子、曹叡の英才は、近ごろ魏のうわさになっている。
太子はまだ十五歳だった。
母は、甄氏の女である。傾国の美人であるといわれて、初め袁紹の二男袁凞の夫人となったがそれを攻め破ったときから、曹丕の室に入り、後、太子曹叡を産んだのであった。だが、曹叡も、一面の薄幸はつきまとった。母の甄氏の寵はようやく褪せて、郭貴妃に父曹丕の愛が移って行ったためである。
郭貴妃は、広宗の郭永の女で、その容色は、魏の国中にもあるまいといわれていた。で、世の人が、女中の王なりと称えたので、魏宮に入れられてからは、
「女王郭貴妃」と、尊称されていた。
しかし心は容顔のごとく美しくない。甄皇后を除くため、張韜という廷臣と謀って、桐の人形に、魏帝の生年月日を書き、また何年何月地に埋むと、呪文して、わざと曹丕の眼にふれる所へ捨てた。
曹丕はその佞を観破することができないで、とうとう甄氏皇后を廃してしまったのである。
――で太子曹叡は、この郭女王に幼少から養われて、苦労もして来たが、性は至極快活で、少しもべそべそしていない。とりわけ弓馬には天才的な閃きがあった。
この年の早春。
曹丕は群臣をつれ狩猟に出た。
一頭の女鹿を見出し、曹丕の一矢が、克くその逸走を射止めた。
母の鹿が、射斃されると、その子鹿は、横っ跳びに逃げて曹叡の乗っている馬腹の下へ小さくなって隠れた。曹丕は、声をあげて、
「曹叡、なぜ射ぬ。いやなぜ剣で突かぬか。子鹿はおまえの馬の下にいるのに」
と、弓を揮って、歯痒がった。
すると、曹叡は、涙をふくんで、
「いま父君が、鹿の母を射給うたのさえ、胸が傷んでいましたのに、何でその子鹿を殺せましょう」
と、弓を投げ捨てて、おいおい泣き出してしまった。
「ああ、この子は、仁徳の主となろう」
と、曹丕は、むしろ歓んで、彼を斉公に封じた。
その夏五月。
ふと
傷寒を病んで、曹丕は
長
した。まだ年四十という若さであった。
二
生前の慈しみと、その遺詔に依って、太子曹叡は次の大魏皇帝と仰がれることになった。
これは嘉福殿の約によるものである。嘉福殿の約とは、曹丕が危篤に瀕した際、三人の重臣を枕頭に招いて、
「幼くこそあれ、わが子曹叡こそは、仁英の質、克く大魏の統を継ぐものと思う。汝等、心を協せて、これを佐け、朕が心に背くなかれ」
との遺詔を畏み、重臣の三名も、
「誓って、御遺託にそむきますまい」
と、誓いを奏したその事をさすのであった。
沈頭に招かれたその折の重臣というのは、
中軍大将軍曹真
鎮軍大将軍陳群
撫軍大将軍司馬懿仲達
の三名であった。
これに基づいて、三重臣は、曹叡を後主と仰ぎ、また曹丕に文帝と諡し、先母后甄氏には、文昭皇后の称号を奉った。
自然魏宮側臣の顔ぶれや一族の職にも改革を見ないわけにゆかない。まず、鍾繇を太傅とし、曹真は大将軍となり、曹休を大司馬となした。そのほか、王朗の司徒、陳群の司空、華歆の大尉などが重なるところであるが、なお文官武官の多数に対しても、叙爵進級が行なわれ、天下大赦の令も布かれた。
ここにひとり問題は、司馬懿仲達が驃騎将軍に就任したことである。あえて破格でもないが、この人にして何となくその所を得たような観があった。のみならず彼は、そのころちょうど、雍涼の州郡を守る人がなかったのを知っていたので、自ら表を奉って、
「わたくしに西涼州郡の守りをお命じください」と、願い出た。
西涼州といえば、北夷の境に近く、都とは比較にならないほどな辺境である。かつては馬騰出で馬超現われ、とかく乱が多くて治め難いところである。
求めてこれを治領したいという司馬懿の眷願に、帝はもとより勅許されたし、魏中の重臣も、物好きな、とだけで、だれも遮る者はなかった。
ために、朝廷は特に、彼の官職をも、
「西涼の等処、兵馬提督」となして、印綬を降した。
「やれやれ、ほっとした」
司馬懿仲達は、北へ向かって赴任の馬を進めながら、実に久々で狭い鳥籠から青空へ出たような心地を抱いた。吐く息吸う息までが広々と覚えた。
宮中の侍臣、重臣間の屈在も、すでに久しいものがあった。曹操時代からの宮仕えである。本来彼の真面目は、そういう池の中に長く棲めるものではなかったらしい。
蜀の細作は、早耳に知って、すぐこの移動をも成都に報じた。蜀臣のうちだれもなんとも思う者はなかった。
「ああ仲達が西涼へやられたか」
その程度の関心でしかない。しかしそれを聞くと、ひとり愕然と、唇を結んだ人がある。ほかならぬ孔明であった。
いやもう一人、彼とひとしい驚きをなして、早速、丞相府へやって来た者があった。
若い馬謖であった。
「お聞き及びになりましたか」
「きのう知った」
「河内温の人、司馬懿。字は仲達。あれは魏一国の人物というよりは、当代の英雄と私は観ておりましたが」
「後日、わが蜀に患いをなす者があるとすれば、おそらく彼であろうよ。――大魏皇帝の統を曹叡がうけたことなどは、心にかけるまでもないが」
「同憂を抱きます。仲達の西涼赴任は、看過できません」
「討つか。今のうちに」
「いや丞相。南蛮遠征の後、まだ日を経ておりません。ここは考えものでしょう。私におまかせ下さい。曹叡をあざむいて、兵を用いず、司馬懿を死に至らしめてみます」
若年のくせに実に大言である。孔明は馬謖の面をみまもった。
出師の表
一
馬謖は言った。
「なぜか、司馬懿仲達という者は、あの才略を抱いて、久しく魏に仕えながら、魏では重く用いられて居ません。彼が曹操に侍いて、その図書寮に勤めていたのは、弱冠二十歳前後のことだと聞いています。曹操、曹丕、曹叡、三代に仕えて来た勲臣にしては、今の彼の位置はあまりに寂寥ではありませんか」
孔明は静かな眸で語る者の面を見ていた。馬謖はこう前提してから自分の心にある一計を孔明に献じた。
「――いや、司馬懿は自ら封を請うて西涼州へ着任しました。明らかに、彼の心には、魏の中央から身を避けたいものがあるのでしょう。当然、魏の重臣どもは、司馬懿の行動を気味悪く思って、狐疑している事も確かです。そこで、司馬懿仲達に謀反の兆ありと、世上へ流布させ、かつ偽りの廻文を諸国へ放てば、魏の中央は、たちまちこれに惑い、司馬懿を殺すか、職を褫奪して辺境へ追うかするに相違ありません」
彼の説くところは克く孔明の思慮とも一致した。孔明は彼の献言を容れて、ひそかにその策を行なった。いわゆる対敵国内流言策である。旅行者を用い、隠密を用い、あるいは縁故の家から家へ、女子から女子へなど、それにはあらゆる細胞が利用される。
一方、偽の檄文を作って、諸州の武門へ発送した。案のごとく、司馬懿に対して、世間にいろいろな蔭口が立って来たところへ、この檄の一通が、洛陽鄴城の門を守る吏員の手に入り、それはまた直ちに魏の宮中へ上達された。
檄文の内容は過激な辞句で埋まっている。魏三代にわたる罪状をかぞえ、天下の不平の徒へ向かって、打倒魏朝を煽動したものである。
「これが真実、司馬懿の筆に成った檄だろうか」
曹叡は、色を失いながらも、なお迷うもののごとく、重臣の秘密会でこう下問した。
大尉華歆が伏答して、
「さきに司馬懿が、西涼の地を領したいと願い出たのはいかなる肚かと思っていましたが、これに依って、臣等は、彼の意を知ることが出来たような気がいたしまする」
「しかし、朕には、司馬懿に叛かれるような覚えがない。そも、彼は何を怨んで魏に弓を引く心になったと卿等は考えるのか」
「それはすでに太祖武帝(曹操の諡)が疾く観破して仰せられていたことです。――司馬懿は鷹のごとく視て、狼のごとく顧みる――と。故に、武帝御在世中は、書庫の文書などを整理する閑役に付けおかれ、兵馬の事にはお用いになりませんでした。もし彼に兵権を附与せば、かえって、国家の害をなす者であるとの深い深い思し召しからであります」
王朗も共に私見を述べた。
「いま華歆の申しあげたごとく、司馬懿は、弱冠の時から深く韜略を研究して、軍機兵法を暁りながら、しかも要心ぶかく、先帝の代にも碌々と空とぼけ、今日、まだ幼くして、陛下が御即位あそばした折を見て、初めて鷹のごとき性をあらわし、狼のごとく、西涼から檄を放って、多年の野望を仕遂げんと、謀り出したものと考えられます。一刻もはやくこれは御征伐なさらなければ、ついに、燎原の火となりましょう」
魏王曹叡は幼いので、諸臣の説を聞いても、なお迷っていて決しきれなかった。そのうちに、一族の曹真が、
「まさかそんな事もあるまい。もし軽々しく征伐して、それが真実でなかったら、求めて君臣の間に擾乱を醸すものではないか」という穏当な反対も出たりしたため、結局、漢の高祖が雲夢に行幸した故智に倣って、魏帝みずから安邑に遊び、司馬懿が出迎えに出るとき、そっと気色を窺って、彼に叛気が見えたら即座に縛め捕ってしまえばよかろう――という説に帰着した。
やがて行幸は実現された。布達に依って、司馬懿仲達は西涼の兵馬数万を華やかに整えて、魏帝の輦を、安邑の地に出迎えるべく等処を立って来た。するとだれからともなく、
「すわや司馬懿が、十万の勢をひきいて、これへ押しよするぞ」
と躁ぎ出して、近臣は動揺し、魏帝も色を失って、沿道いたるところ、恟々たる人心と、乱れとぶ風説の坩堝となってしまった。
二
何も知らない司馬懿仲達は、数万の兵を従えて安邑の町へ入って来た。するとたちまち、鉄甲の装備もものものしく、曹休の一軍がこれを道に阻んで、
「通すことはならん」
と、呼ばわり、かつ曹休自身、馬をすすめて、こう呶鳴った。
「聞け、仲達。汝は、先帝より親しく、孤を託すぞとの、畏き遺詔を承けた者の一人ではないか。何とて、謀叛をたくらむぞ。ここより一歩でも入ってみよ、目にもの見せん」
仲達は仰天して、それこそ蜀の間諜の計に過ぎないと、声を大にして言い訳した。そして、馬を降り、剣も捨て、数万の兵も城外へのこして、単身、
「仔細は、天子にまみえて、じきじきに奏答しましょう」と、曹休に従いて行った。
そして、魏帝の輦の前にいたるや、彼は、大地に拝伏して、そのいわれなき事を、涙と共に弁解した。
「臣が、西涼の封を望んだのは、決して私心私慾ではありません。その地の重要性にかんがみて、ひそかに蜀に備えんがためであります。どうかもう少し御静観ください。必ず蜀を討って、次に、呉を亡ぼし、もって三代の君恩に報ずるの日を誓って招来してお目にかけまする」
その神妙な容子に、曹叡は心をうごかされたが、華歆、王朗などは、容易に信じなかった。
「とにかく、彼は鷹であり狼である」という眼をもって彼を眺めたので、ともあれ御沙汰を相待つべし――と仲達を控えさせておいて、幼帝を中心に密議した。もとより華歆、王朗の言が、それを決定するのであることはいうまでもない。即ちこうきまった。
「要するに司馬懿に兵馬を持つ地位を与えたからいけないのだ。世間にいろいろな臆測が生じたり、こんな不穏な問題が起こったりする原因にもなる。爪のない鷹にして、野に放ってしまえばよい。これは漢の文帝が周勃に報いた例にある」
勅令によって、司馬懿仲達は、官職を剝がれ、その場から故郷へ帰されてしまった。そして、彼ののこした雍涼の軍馬は、曹休が承け継いだ。
この事は、蜀の細作からすぐ成都へ飛報された。孔明はいったい物事に対してあまり感情を現わさない人であるが、これを聞いたときは「仲達が西涼にあるあいだは、いかんとも意を展べ難しと観念していたが、今はなんの憂いかあらん」と限りなく喜悦したということである。
彼は丞相府の邸に籠って、幾日かのあいだ、門を閉じ客を謝していた。魏の五路進攻による国難の前にも、やはりここの門を閉じていた事があるが、こんどはその折のように、毎日、彼の姿を後園の池の畔に見ることもなかった。
神思幾日、彼は一夜、斎戒沐浴の後、燭を挑げて、後主劉禅に上す文を書いていた。後に有名な前出師の表は実にこのときに成ったものである。
彼は今や北伐の断行を固く決意したもののようである。一句一章、心血を瀝いで書いた。華文彩句を苦吟するのではなく、いわゆる満腔の忠誠と国家百年の経策を述べんとするのであった。
文中にはまず帝として後主の行なうべき王徳を説き、あわせて天下の今日を論じ、蜀の現状を述べ、忠良の臣下を名ざして、あえて信任を加えらるべきを勧め惹いて、先帝玄徳と自分との宿縁、また情誼とを顧みて、筆ここにいたるや、紙墨のうえに、忠涙の痕、滂沱たるものが見られる。
表は長文であった。
臣亮もうす。
先帝、創業いまだ半ばならずして、中道に崩殂せり。今天下三分し益州は疲弊す。これ誠に危急存亡の秋なり。しかれども侍衛の臣、内に懈らず、忠志の士、身を外に忘るるものは、けだし先帝の殊遇を負うて、これを陛下に報いんと欲するなり。誠に宜しく聖聴を開張し、もって先帝の遺徳をあきらかにし、志士の気を恢弘すべし、宜しくみだりに自ら菲薄し、喩をひき義をうしない、もって忠諫の道を塞ぐべからず――
冒頭まず忠肝をしぼって幼帝にこう訓えているのであった。
三
さらに筆をすすめては、
宮中府中は倶に一体たり、蔵否を陟罰し、宜しく異同すべきにあらず。もし姦をなし、科を犯し、及び忠善をなすものあらば、宜しく有司に付して、その刑賞を論じ、もって、陛下の平明の治を昭らかにすべく、宜しく偏私して、内外をして法を異にせしむべからず。
と、国家の大綱を説き、また社稷の人材を列記しては、
侍中侍郎郭攸之・費褘・董允等は、これみな良実にして思慮忠純なり。これをもって、先帝簡抜して、もって陛下に遺せり。愚おもえらく、宮中のこと、事大小となくことごとくもってこれに諮り、しかる後施行せば必ずよく闕漏を裨補して広益するところあらん。将軍尚寵は、性行淑均軍事に暁暢し、昔日に試用せられ、先帝これを能とのたまえり。これをもって衆議、寵をあげて督となせり。愚おもえらく、宮中の事は事大小となく、ことごとくこれに諮らば、かならずよく行陣をして和睦し、優劣をして、所を得しめん。賢臣を親しみ、小人を遠ざけしは、これ先漢の興隆せし所以にして、小人を親しみ、賢人を遠ざけしは、これ後漢の傾頽せる所以なり。先帝いまししとき毎に臣とこの事を論じ、いまだかつて桓霊に歎息痛恨したまわざるはあらざりき。侍中尚書、長史参軍、これことごとく貞亮死節の臣、ねがわくは陛下これに親しみこれを信ぜよ。すなわち漢室の隆んなる、日をかぞえて待つべき也。
転じて孔明の筆は、自己と先帝玄徳と相知った機縁を追想し、その筆は血か、その筆は涙か、書きつつ彼も熱涙数行を禁じ得ないものがあったのではなかろうか。
――臣はもと布衣、みずから南陽に耕やし、いやしくも性命を乱世に全うし、聞達を諸侯に求めざりしに、先帝臣の卑鄙なるをもってせず、猥りにおんみずから枉屈して、三たび臣を草廬にかえりみたまい、臣に諮るに当世の事をもってしたもう。是によりて感激し、ついに先帝にゆるすに駆馳をもってす。後、傾覆にあい、任を敗軍の際にうけ、命を危難のあいだに奉ぜしめ、爾来二十有一年矣。先帝、臣が謹慎なるを知る。故に崩ずるにのぞみて、臣によするに大事をもってしたまいぬ。命をうけて以来、夙夜憂歎し、付託の効あらずして、もって先帝の明を傷つけんことを恐る。故に、五月、瀘を渡り、深く不毛に入れり。いま南方すでに定まり、兵甲すでに足る。まさに三軍を将率し、北中原を定む。庶わくは、鴑鈍を竭し、姦凶を攘除し、漢室を復興して、旧都に還しまつるべし。これ臣が先帝に奉じて、而して、陛下に忠なる所以の職分なり。
孔明はこの条で国家のゆくてを明示している。そして、その完遂をもって自己の臣業となし、蜀の大理想であるとも言っている。すなわちそれは漢室の復興と、旧地への還都、その二つの実現である。そのためには臣等の粉骨はもちろんながら、陛下おんみずからも艱難に打ち克ち、いよいよ帝徳をあらわし給うお覚悟なくてはいけません――と、あたかも父のごとき大愛と臣情を傾けて訓えているのであった。
斟酌損益し、進んで忠言を尽くすにいたりては、すなわち、攸之・褘・允の任なり。ねがわくは陛下臣に託するに、討賊、興復の効をもってせられよ。効あらざれば、すなわち臣の罪を治め、もって先帝の霊に告げさせたまえ。もし興徳の言なきときは、すなわち攸之・褘・允等の咎を責め、もってその慢を顕わさせたまえ。陛下また宜しくみずから謀りもって善道を諮諏し、雅言を察納し、ふかく先帝の遺詔を追わせたまえ。臣、恩をうくるの感激にたえざるに、今まさに遠く離れまつるべし。表に臨みて、涕泣おち、言うところを知らず。
表の全文はここで終わっている。おそらく彼は筆を擱くとともに文字どおり故玄徳の遺託にたいして瞑目やや久しゅうしたであろう。そして更にその誓いを新たにしたであろう。ときに彼は四十七歳、蜀の建興五年にあたっていた。
四
孔明は門を出た。久しぶりに籠居を離れて、朝へ上ると、彼は直ちに、闕下に伏して、出師の表を奉った。
後主劉禅は、表を見て、
「相父。 ――相父が南方を平定して還られてから、その間、まだわずか一年余しか経っていない。さるを今また、前にも勝る軍事に赴くのは、いかに何でも、体に無理ではないか。すでに相父も五十になろうとする年齢、国のために、少しは閑を楽しみ、身を養ってくれよ」
と、心から言った。孔明は感泣した。
「ありがたいおことばですが、臣が先帝より孤をたのむぞとの遺詔を拝しましてからは、臣の微衷は、それを果たさぬうちは、眠るとも安まらず、閑を得ても、心から閑を楽しむ気持ちにもなりません。 ――身はいまだ無病、年も五十路の前、今にして、その任におこたえしなければ、やがて老いては、いかに思うとも、これを微忠にあらわすことは出来なくなりましょう。――かならず御宸念をお煩わし遊ばしますな」と、ただただ慰めて、ひとまず退がった。
ところが、ひとり後主
劉禅の憂いに
止まらず、
出師の
表によって掲げられた孔明の「北伐の断行」は、
俄然、蜀の
堂に大きな不安を抱かしめた。
なぜならば、この蜀漢の地は、先帝玄徳が領治して以来、あまりにもまだ国家としての歴史が若く、かつは連年の軍役に、まだ到底魏や呉の強大と対立するだけの実力は内に蓄えられていない。
一昨年、南方平定のため、その遠征に費やした資材、人員だけでも、実のところ、内政財務の吏も一時はひそかに、
(これはたまらない。どうなることか)
と、国庫の疲弊とにらみ合わせて、はらはらしていたほどなのである。幸いにも、それは遠征軍の大捷に依って償われ、いわゆる耕牛、戦馬、金銀、犀角などのおびただしい南方物資の貢の移入に依っても、大いに国力を賑わし得ることは得たが、それもまだ以来一年半にしかなっていない。
「この際、この上にまた、魏を討たんなどという大野望は、ほとんど無謀の挙とも言うべきである」
と、なす議論は、相当、蜀廷の内にもうごいていた。
丞相孔明の決意に出るものなので、あきらかに出師の表に対して、反対を唱える者はなかったが、
「到底、勝ち目がない軍だ」と、する者やまた、
「やむを得ず彼の侵略を防ぐためならばともかく、魏もいまは曹丕が歿して、幼い曹叡が立ち、国外と事を構えるのを好んでもいない際に、こちらから出師するというのはその意を得ぬ」
と、するような消極論は、後主劉禅をめぐって、かなり顕著であった。
それらの人々の第一に懸念するところは、兵員の不足であり、また戦争遂行に要する財源の捻出だった。蜀中の戸籍簿に依って、蜀、魏、呉の戸数を比較して見ると、蜀は魏の三分の一、呉の半数しかないのである。
更に、人口の密度から見れば、魏の五分の一強、呉の三分の一ぐらいな人間しか住んでいない。もって、蜀の開発とその地勢とが、いかに守るにはよいが、文化には遅れがちであるかわかるし、しかも常備の帯甲将士の数に至っては、魏や呉などの中原を擁する二国家とは較ぶべくもない貧弱さである。
加うるに、後主劉禅は、登位以来すでに四年、二十一歳にもなっているが、必ずしも名君とはいわれないものがあった。父帝玄徳のような大才はなかったし、何よりも艱難を知らずに育てられて来ている。
「これらの条件をつまびらかにせぬ丞相でもあるまいに――いかなる思し召しでかくのごとき大軍事をいま決行せられようとするのであろうか」
人々はみな孔明に服してはいたが、なお孔明の真意をふかく知りたく思うのであった。
五
知る人ぞ知る。
これが孔明の心であったろう。
だが、一夜親しく彼を訪ねて、蜀臣全体の不安を代表するかのように、それとなく、彼を諫めに来た太史譙周にたいして、彼の諭言は懇切を極めた。
「いまです。今をおいて、北魏を討つときはないのです。魏はもともと、天富の地にめぐまれ、肥沃にして人馬強く、曹操以来、ここに三代、ようやく大国家の態をととのえて来ました。早くこれを討たなければ、到底彼を覆すことは不可能であるばかりでなく、わが蜀は自滅するほかありません」
と、まず天の時を説き、延いて自国の備えに及んでは、
「なるほど、わが蜀はまだ弱小です。天下十三州のうちに、完全に蜀の領有している地は、益州一州しかないのですから、面積の上では魏とも呉とも比較にはならない。したがって兵員も不足、軍需資材も彼の比でないことはぜひもないことだ。けれど、乞う安んぜよ。多少の成算はある」
彼は、簿を取り寄せて、まだだれにも打ち明けなかった、秘密の予備軍があることを初めて明らかにした。それは
荊州以来、
祿を送って、領外の随所に養っておいた浪人部隊と、南方その他の異境から集めて、
雲や
馬忠などに、ここ一年調練させていた外人部隊とであった。そしてそれらの兵員を五部に編制し、
連弩隊、
爆雷隊、
飛槍隊、
天馬隊、
土木隊などの機動作戦に当てしむべく充分に訓練をほどこしてある。故に、これは敵側にとっては、予想外なものとなって、その作戦を狂わすに到るであろうと説明した。
また財力に就いては、
「北伐の大望は、決して今日の思いつきでなく、不肖が先帝の御遺託をうけたときからの計画である。で自分は、その根本の力は、何よりも農にあるとなして、大司農、督農の官制をおき、農業振興に尽くして来た結果、連年の軍役にも関わらず、蜀中の農にはまだ充分な余力がある。かつ、田賦、戸税のほかに、数年前から「塩」と「鉄」とを国営にした。わが蜀の天産塩と鉄とは、実に天恵の物といってよい。これによる国家の経済によって、蜀は中原に進む日の資源を獲ている」
と、その間の苦心をしみじみと述懐した。なおいかに彼が日ごろにおいて、国家の経済に細心な備えをしていたかという一例としては、成都や農村の婦女子に、蜀の錦を手織らせ、近年はことに、これを奨励増産して、南方の蛮夷へも西涼の胡夷へも輸出し、蜀錦に限っては、敵たる魏や呉へ売り出すことにも、多大な便宜を与えて、それに代わるべき重要な物資をどしどし蜀内へ求めていたという事実に見ても、彼の苦心経営のほどがよく窺われるのであった。
こういう苦心と用意と、つぶさなる説明を聞いては、諫めに来た譙周も二言なく帰るほかはなかった。ために、蜀朝廷の不安も反対も声なきに至ったのみか、かえって、
「丞相にそれほどまでの備えがあるならきっと勝てよう。いやきっと勝てる」と、早くも、中原の旧都に還って、かつての漢朝のごとく、天下統一の盛時がやすやす実現するものと、楽観に傾き過ぎる空気さえ漂ってきた。
何ぞ知らん――人々が楽観して軽躁に勝利を夢みるとき、孔明の心中には、惨たる覚悟が誓われていたのである。彼は決して、成功を期していない、だれよりも魏の強大を知っている。――それだけに、我亡き後はだれが蜀朝を保たん、我なくして蜀無し、と信じていた。余命あるうちに、先帝玄徳からうけた遺託を果たさねばならないと、ただその事を思うのみだった。
人にこそ漏らさないが、現帝劉禅の質が父帝に似たることの少ない点も、彼にはどれほどな寂寥であったか知れない。
また魏は曹操以来、今日もなお人材に富んでいる。経営の大才、陣営の巨雄、少なくないのである。これに反して蜀は今、関羽、張飛の武将もなく、帝は若く、朝臣は多く平凡であった。これらの点も孔明の惨心をひとしお深刻ならしめているものであった。
しかも彼は、蜀の大理想を不可能とはしない。玄徳の遺詔をむりだとはしなかった。出師の表一千余字、かりそめにも恨みがましい辞句などはない。ことばの裏にすら窺われないのである。
六
三軍の整備は成った。
この間、蜀宮中の内部にこそ、多少複雑な経過はあったが、国外に対しては、ほとんど、何の情報もまだ漏れずにあったほど、それは迅速にひそかに行なわれた。
春三月、丙寅の日、いよいよ発向と令せられた。
「征ってまいります」
最後の御別れとして孔明が朝に上った日、後主劉禅は眼に涙をためて、
「相父。自愛に努めてよ」
と、懇ろに言った。
劉禅の姿を仰いでいる時も、孔明の脳裡には、先帝玄徳の面影が常に描かれていた。劉禅のうしろにはいつもその人在りと意思していた。
「お案じ遊ばしますな。たとえ孔明が五年や十年留守にしておりましょうとも、陛下のお側には、かかる忠誠の人々が、豊かな才量をみな持って、内外の事をお扶けしておりますれば......」
孔明は奏しながら、玉座の左右へ眸を移した。実に、彼のただ一つの心配は、自身の向かう征途にはなくて、後にのこす劉禅の輔佐と内治だけが心懸かりだったのである。
ために、彼は、ここ旬日の間に、大英断をもって、人事の異動を行なった。
郭攸之、董允、費褘の三重臣を侍中として。これに宮中のすべての治を附与した。また御林軍の司には、尚寵を近衛大将として留守のまもりをくれぐれも託した。更に自分に代わるべき丞相府の仕事は、一切を長裔に行なわしめ、彼を長史に任じ、杜瓊は諫議大夫に、杜微、楊洪は尚書に、孟光、来敏を祭酒に、尹黙、李譔を博士に、譙周を太史に、そのほか彼の目がねで用いるに足り、頼むに足るほどな者は、文武両面の機構に配置して、留守の万全は充分に期してある。
いま彼が、帝の周囲の者を見まわしたのは、その静かな眸をもって輔佐の人々へ、
(くれぐれも頼み参らすぞ)
と心から言って別辞に代えたものだった。
そしていよいよ成都を立つ日となると、後主劉禅は宮門を出て、街門の外まで彼を見送った。
春風は三軍の旗を吹いた。すなわち丞相府の前に
勢
いして、
鉄甲燦々と流れゆく兵馬の編制を見ると、次のような順列であった。
前督部鎮北将軍領丞相司馬 魏延
前軍都督領扶風太守 張翼
牙門将裨将軍 王平
後軍領兵使 呂儀
兼管運粮 左軍領兵使 馬岱
副将飛衛将軍 廖化
右軍領兵使奮威将軍 馬忠
撫戎将軍関内侯 張嶷
行中軍師車騎大将軍 劉琰
中将軍揚武将軍 鄧之
中参軍安遠将軍 馬謖
前将軍都亭候 袁綝
左将軍高陽候 呉懿
右将軍玄都侯 高翔
後将軍安楽侯 呉班
領長史綏軍将軍 楊儀
前将軍征南将軍 劉巴
前護軍偏将軍 許允
左護軍篤信中郎将 丁咸
右護軍偏将軍 劉敏
後護軍興軍中郎将 官雝
行参軍昭武中郎将 胡済
行参軍諫議将軍 閻晏
行参軍裨将軍 杜義
武略中郎将 杜祺
綏戌都尉 盛勃
従事武略中郎将 樊岐
典軍書記 樊建
丞相令史 薫厥
帳前左護衛使龍驤将軍 関興
左護衛使虎翼将軍 張苞
このなかに一名、無くてはならない大将が
洩れていた。それは玄徳以来の功臣、
常山の
雲子龍であった。
七
この日、

雲の英姿が出征軍の中に見えなかったのは、こういう理由にもとづく。
長坂橋以来の英傑も、ようやく今は老いて、鬢髪も白くなっていた。孔明は、南征の際にも、彼がその老骨をひっさげて、終始よく戦って来たことなども思い合わせ、わざと今度は、編制から除いて留守に残そうとしたのであった。
ところが、

雲は、その情けをかえってよろこばないのみか、編制の発表を見るや否や、
「どうしてそれがしの名がこの中にないのか。けしからん」
と丞相府へやって来て、孔明に膝詰めで談じつけたのである。
「自ら言うのは
口幅ったいが、先帝のときより、陣に臨んで退いたことなく、敵におうては先に
馳けずと言うこと無き
子龍である。老いたりといえ、近ごろの若者などには負けぬつもりだ。大丈夫と生まれて、戦場に死ぬはこの上もない身の
倖せ。――丞相はかくいう

雲の晩節をあえて枯れ木のごとく朽ちさせんおつもりであるか」
これには孔明も辟易した。強いて止めるならば、ただ今この所において、自ら首を刎ねて亡ぶべし、とも言うのである。
「それほどまでにお望みなれば、お止めいたすまい。しかし、私の選ぶ一人の副将をお連れなさい」
「もとより副将を伴うには異存はない。――して、それはだれですか」
「中鑒軍の鄧之です」
「鄧之ならば」と、

雲もよろこんだ。――で孔明は、編制の一部を
更えて、

雲と鄧之に精兵五千をさずけ、べつに戦将十人を付与して、
前部大先鋒軍となし、大軍の立つ一日さきに、成都を出発させていたものであった。
何しても、このような大規模の軍隊が国外へ立つことは成都初めての事なので、この日、市民は業を休んで歓送し、街門までの予定で見送りに出られた後主劉禅も、名残を惜しんで、百官とともに、ついに北門の外十里まで見送った。
すでにして三軍は、成都の市街を離れて、郊外へさしかかったが、郊外へ出ればここにも田園の百姓老幼が、簞食壺漿して、王師の行を犒った。
村々の道ばた、野や田の
畔にも、彼等は土に
坐って、孔明の四輪車へ拝をなした。
村娘は兵のために
黍の
甘水を

み、
媼は
蓬の
餅を作って将に献じた。
孔明はしみじみ眺めた。
「ここには何の後顧の憂いもない」――と。
× × ×
魏は大きな衝動を不意にうけた。蜀の出師は国を傾けて来るの概ありと知ったからである。加うるに孔明の名は、いまや魏にとっても、聞くだに戦慄の生じるものであった。
「たれかよく彼を防ぐや」
魏帝曹叡は、群臣に問うた。満堂の魏臣しばし声もない。
ときに一名、ねがわくは臣これに当たらん、と進んで起った者がある。諸人の眼はそれへそそがれて、
「おお、夏侯淵の子なるか」
と、眼をあらたにした。
安西鎮東将軍兼尚書附馬都尉 夏侯楙 字は子休。
彼の父は、武祖曹操の功臣で、漢中の戦いに死んでいる。いま蜀軍のさして来るところも漢中である。怨みあるその戦場において、父の魂魄をなぐさめ、国に報ずるは、子の勤めなりと、彼は今言うのであった。父亡き後、幼少、彼は叔父の夏侯惇に育てられて来た。後、曹操がそれを愍れんで自身の一女を娶合わせたので、諸人の尊重をうけて来たが、ようやくその為人が現われてくるにつれて天性やや軽躁、そして慳吝な質も見えて来たので、魏軍のうちでもあまり声望はなかった。
しかしその位置、その重職には、不足ない大将軍たる資格はあるので、衆議異論なく、叡帝またその志を壮なりとして、関西の軍馬二十万馬を与え、もって、孔明を粉砕すべしと、印綬をゆるした。
〔第九巻 終〕
●『三国志』解説/渡部昇一
【第9巻】
世の中には、いろんな人が書いた『三国志』がありますが、私は吉川三国志だけを読めばいいと思っています。とにかく出来が断トツにいいですし、丁寧に読めば字も覚えられて、さらに漢文的な世界にも多少触れることもできますからね。
また、読めば考えることのスケールも広がっていくんですよね。私は、曹操の五男である曹植の詩を覚えたりしました。「豆を煮るに 豆萁(がら)を 燃やせば 豆は 釜中に 在りて 泣く。本 是れ 同根に 生ぜしに、 相い煎(に)ること 何ぞ 太(はなは)だ 急なる』というのを、子供の頃に覚えました。これは簡単にいうと、兄弟喧嘩の話になるのですが、興味を持って私みたいに覚える人間もいえれば、読み飛ばしてしまう人もいるでしょう。
このように、曹植という人物に興味を持つと、詩集を読んでみよう、という感じになってくると思います。そうすると、同じ詩集に曹操の詩も出てきたりするんですよね。それを見て、曹操もいい詩を作るんだ、とまた違う人物像に興味を持つといったように、派生派生でいろんな物事に興味が湧いてくると思います。
ですから『三国志』というのは、中国史の入門書であり、歴史の入門書でもあり、人間通入門にもなりえる。本当にいろいろなものの入口になるような書物だと思います。だからこそ、若い人にはぜひ読んでもらいたいですね。白川先生の言葉を借りると、『三国志』を読めば「大人になる」からです。曹操も劉備も孫権も、大人としていろいろと考えていますから、それを読む人間を大人にするというか、そういったものがあると思っています。逆に、読書をしない人は発想が幼稚というか、貧困になってしまうのではないかと思います。
30代40代の人の中には、横山光輝さんのマンガでしか三国志を読んだことがないという人もいるでしょう。あのマンガに関しては、とてもよくできていますよね。吉川三国志を元に描かれているということですが、私の子供が読んでいたのをチラッと見ただけで愛読したわけではないですけど、その通りだなと思いましたから。ただ、改めてその原作といわれる吉川三国志を読んでもらえるといいですね。
【第10巻につづく】
目次
◆ 銀河の

り
中原を指して
一
蜀の大軍は、沔陽(陝西省・沔県・漢中の西)まで進んで出た。ここまで来た時、
「魏は関西の精兵をもって、長安(陝西省・西安)に布陣し、大本営をそこにおいた」
という情報が的確になった。
いわゆる天下の嶮、蜀の棧道をこえて、ここまで出て来るだけでも、軍馬は一応疲れる。孔明は、沔陽に着くと、
「ここには、亡き馬超の墳がある。いまわが蜀軍の北伐に遭うて、地下白骨の自己を嘆じ、なつかしくも思っているだろう。祭りを営んでやるがよい」
と、馬岱を祭主に命じ、あわせてその期間に、兵馬を休ませていた。
一日、魏延が説いた。
「丞相。それがしに、五千騎おかし下さい。こんな事をしている間に、長安を潰滅してみせます」
「策に依ってはだが......?」
「ここと長安の間は、長駆すれば十日で達する距離です。もしお許しあれば、泰嶺を越え、子午谷を渡り、虚を衝いて、敵を混乱に陥れ、彼の糧食を焼き払いましょう。――丞相は斜谷から進まれ、咸陽へ伸びて出られたら、魏の夏侯楙などは、一鼓して破り得るものと信じますが」
「いかんなあ」
孔明は取り上げない。雑談のように軽く聞き流して、
「もし敵に智のある者がいれば、兵をまわして、山際の切所を断つにきまっている。そのとき御辺の五千の兵は、一人も生きては帰れないだろう」
「でも、本道を進めば、魏の大軍に対して、どれほど多くの損害を出すか知れますまい」
孔明はうなずいた。そのとおりであると肯定しているもののごとくである。そして彼は彼の考えどおり軍を進ませた。隴右の大路へ出でて正攻法を取ったものである。
これは、魏の予想に反した。孔明はよく智略を用いるという先入観から、さだめし奇道を取って来るだろうと信じて、他の間道へも兵力を分け、大いに備えていたところが、意外にも蜀軍は堂々と直進して来た。
「まず、西羗の兵に、一当て当てさせてみよう」
夏侯楙は韓徳を呼んだ。これはこんど魏軍が長安を本営としてから、西涼の羗兵八万騎をひきいて、なにか一手勲せんと、参加した外郭軍の大将だった。
「鳳鳴山まで出で、蜀の先鋒を防げ。この一戦は、魏蜀の第一会戦だから、以後の士気にも関わるぞ。充分、功名を立てるがいい」
夏侯楙に励まされて韓徳は勇んで立った。
彼に四人の子がある。韓瑛、韓瑤、韓瓊、韓琪、みな弓馬に達し、力衆に超えていた。
「八万の強兵、四人の偉児。もって、蜀軍に一

吹かすに足るだろう」
自負満々、彼は戦場へ臨んだが、なんぞ知らん、これは夏侯楙が、なるべく魏直系の兵を傷めずに、蜀の先鋒へまず当てさせた試しに乗ったものとは覚らなかった。
望みどおり蜀軍の先鋒と、鳳鳴山の下で出会ったが、その第一会戦に、韓徳は四人の子を亡ってしまった。
そのあいては、蜀の老将
雲であった。
長男の韓瑛が、
「

雲を見た」
と、軍の中で告げたので、四子を伴ってその首と、追撃してまわるうち、やがて

雲の方から
駒を
回して来て、
「豎子。望むのは、これか」
と、一槍の下に韓瑛を突き殺した。
韓瓊、韓瑤、韓琪が三方から、
「老いぼれ」
と、
挾撃したが、またたく間に、韓瓊、韓琪も討たれ、

雲は
悠々引き揚げて行った。
ひとり残った韓瑤は、急に追いかけて、そのうしろから
斬りつけたが、

雲は身をそばめて、韓瑤を馬の
鞍へひき寄せ、
「ああ、殺すも飽いた」
と、こんどは、引っ摑んだまま、生け捕って帰ってしまった。
父韓徳は、心も萎え、大敗して、長安へ逃げくずれた。
二
鄧芝は、きょうの勝ち
戦を賀したのち、

雲に言った。
「お齢もすでに七旬を越されているのに、きょうの戦場で三人の若い大将を討ち、一人の大将を生け擒って来られるなど、まったく壮者も及ばねお働き、実に驚き入りました。......これでは成都を立つ前に、丞相が留守へ廻そうとしたのに対して、御不満を陳べられたのも無理ではありませんな」

雲は快然と笑った。
「いや、その意地もあるので、きょうは少し働いた。しかしこんな程度を功として安んじる

雲ではない。まだまだ腕に年は
老らないつもりだ」
鄧芝は、つぶさに戦況を書いて、まず序戦の吉報を、後陣の孔明へ急送しておいた。
それに反して、魏の士気はそそけ立った。わけて都督夏侯楙は、
「韓徳が一敗地にやぶれたのを見ても、これはやや敵を軽んじ過ぎた。大挙して、彼の先鋒を打ち挫かぬ分には、蜀の軍を勝ち誇らせる惧れがある」
と、自身、長安の営府を離れ、大軍を擁して、鳳鳴山へ迫った。
彼は美しき白馬に
跨がり、
燦爛たる
黄金の
盔をいただき、まことに魏帝の
従兄弟たる貴公子的な
風
をもって、日々旗の下から戦場を見ていたが、常に、敵方の老将

雲が、
颯爽と往来するのを見て、
「よし、あしたは予が出て、あの老いぼれを討ちとめてみせる」と大言した。
うしろに居た韓徳が、
「とんでもない事です。あれはそれがしの子を四人も討った
老子龍です。
常山の

雲です。何で、お手におえましょう」
「そちの子を四人も討たれたというか。ではなぜ親のお前は見ているのだ」
韓徳は、さし俯向いて、
「機会を窺っているのですが」
ひどく辱入った容子をした。
翌日の戦場で、韓徳は大きな
斧をひっさげて
駈け
巡っていた。そして、

雲と行き合うやいなや、名乗りかけて、一戦を
挑んだが、十合とも戦わぬまに、

雲の
槍さきにかけられてしまった。
副将
鄧芝も、

雲に負けない働きをした。わずか四日間の合戦で、
夏侯楙の軍容は、半身不随になりかけて来た。夏侯楙は
頽勢を
革めるために、総軍を二十里ほど後退させた。
「いや、実に強いものだな」
夏侯楙は軍議の席で、まるで
他人事みたいに

雲の武勇を
賞めた。魏帝の
金枝玉葉だけあって、大まかというのか、なんというのか、諸将は彼の顔をながめ合っていた。
「いや、ほんとに強い。むかし常陽の長坂橋で、天下に鳴らした豪勇は、とくに予も聞いていたが、いくら英雄でも、年すでに七旬の白髪だ。あんなではあるまいと思っていたが、韓徳の大斧も彼に遭っては用をなさなかったところなど見ると、げに怖るべき老武者だ。蜀の先鋒を砕くには、まず彼を仕止める計からさきに立てなければなるまい」
熟議は、それを中心とした。
計策ととのって、魏軍はふたたび前進を示した。それを迎えて、
「乳臭児夏侯楙を一つかみに」と、

雲は一陣に駈け向かおうとした。
鄧芝は、諫めて、
「すこし変ですぞ」と、止めたが、

雲は、
猪突してしまった。
向かうところ敵なき快勝は獲たが、さて顧みると、退路は断たれていたのである。すなわち、この日魏軍は、神威将軍董禧、征西将軍薛則の二手に、各々二万騎を付して、ふかく潜んでいたのだった。
味方の鄧芝とも別れ、部下とも散り散りになり、

雲は日の暮るるまで、敵に
趁われ、矢風に追われ、なお包囲から脱することができなかった。
高き丘に、夏侯楙の旗手が立って居て、彼が西へ奔れば西へ旗を指し、南へ駈ければ南へ旗を指していたのである。
「ああわれ老いに服せず、天ついに、ここに死を下し給うか」
駒も疲れ、身も疲れ、

雲は
仆れるように、樹下の石へ腰をおろした。
そしてさし昇る月を仰いで独り哭げいた。
三
たちまち、石が降って来た。雨とばかりに。
大岩がごろごろ落ちて来た。雪崩かとばかりに。
「敵か」と、

雲は、息つく間もなく、ふたたび疲れた馬に
鞭うって奔った。
すると月明の
野面を黒々と一
彪の軍馬が殺奔して来る。白き
戦袍に
白銀の
甲は、

雲にも覚えのある大将である。彼はわれをわすれて、こちらから手を振った。
「おおいッ。張苞ではないか」
「やあ、老将軍ですか」
「いかにしてこれへは?」
「丞相の御命です。過日、鄧芝から勝ち軍の御報告があるや否や、危うしとばかり、すぐ吾々に救急の命を発しられましたので」
「ああ、神察。して、貴公が左の手に持つその首級は」
「これへ来る途中、撃破して打ち取った魏の大将薛則の首です」
月光へさしあげて、莞爾とそれを示している所へ、更に、反対の方角から、一軍隊が疾風のように馳せて来た。
「や、魏軍か」
「いや、いや関興でしょう」
待っていると、果たして関興のひきいる一軍だった。父関羽の遺物の青龍刀を横ざまに抱え、鞍には、彼もまた、一首級をくくりつけていた。
「老将軍を援けんため、これへ来る途中、前を阻めた魏兵を蹴ちらし、その大将董禧という者の首をもらって来ました」
「やあ貴様もか」
「御辺もか」
ふたりは、二つの首を見せ合って、月下に呵々と大笑した。

雲は、涙をたたえて、
「頼もし頼もし。この老骨の一命など、さしたる事ではない。董禧、薛則の二将が討たれたりと聞こえれば、敵勢の陣はまさに潰滅状態であろう。その虚をのがすべきでない。われに関わず御辺等は、崩るる魏軍を追って、更に、夏侯楙の首をも挙げ給え」と、励ました。
「さらば」
「御免」
と、ふたりは、手勢をひきつれて、まっしぐらに駈け去った。

雲は、あと見送っていたが、
「ああ大きくなったなあ。張飛も関羽も地下で満足しているだろう。思えば、あの二人はわしにとっても甥のようなものだ。時代は移って来た。国家の上将なり朝廷の重臣たる自分も、老いてはやはりあの若者たちにもかなわない。辱ずべきだ。よい死に場所こそ欲しいものよ」
彼もまた、やがて鞭うって後に続き、なおその老軀を、追撃戦の中に働かせていた。
副将鄧芝も、いずこからか現われて来て、それに加わり、一時散り散りになった蜀兵も、この好転に、ここかしこから谺をあげて集合して来た。
夜明けから翌日にかけても、魏軍は止まることを知らず敗走しつづけた。
夏侯楙は
一支えもできなかった。父
夏侯淵とはあまりにも似ない貴族らしさを多分に持った彼とその幕下は、逃げ崩れてゆく姿まで
絢爛だった。そして
南安郡(
甘粛省・
蘭州の東)の城中へ入り、これへ諸方の大軍を吸って堅固を
恃んだ。南安は著名な堅城である。日ならずして、続々これへ寄せて来た

雲、関興、鄧芝、張苞などは、四方を囲んで力攻めしたが、昼夜十数日の
喊声も、そこの石垣の石一つ揺るがすことはできなかった。
孔明は、のち、ようやくこれへ着陣した。
その軍勢も多くなかった。
これへ臨む前に、沔陽にも、陽平にも、石城方面へも、軍を頒けて、自身はその中軍だけを率いて来たからである。
「自分が来てよかった。もし皆に委せておいたら、魏はかならず別に行動を起こして、一面に漢中を衝き、一面寄せ手のうしろを取るだろう。あやうく御辺等の軍と中軍とは、両断されるところであった」
鄧芝は告げた。
「そうでしょう。なにしろ夏侯楙は魏の駙馬ですからね。それだけに彼一名を生け擒れば、爾余の大将を百人二百人縛め捕るにも勝ります。よい計はないものでしょうか」
「こよいは寝んで、明日、地の利を見てみよう」
孔明は落ち着いていた。
四
南安は、西は天水郡に連なり、北は安定郡に通じている嶮峻にあった。
孔明はそのあくる日、仔細に地理を見て歩き、後、関興と張苞を帷幕に招いて、何事か計を授けていた。
また、物馴れた人物を選んで、偽使者に仕立て、これにも何やら言い含めた。準備期間が終わると、南安城への攻撃を開始した。そしてもっぱら、流言を放って、
「柴を積み、硝薬を用いて、火攻めにして陥とさん」
と、敵へも聞こえるように言わせた。
夏侯楙は大いに
笑って、
「孔明孔明というが、ほどの知れたものよ」と怕れるふうもなかった。
南安の北に位置する隣郡、安定城の方には、魏の崔諒が籠っていた。崔諒は前からこの地方の太守として臨んでいた者であるが、一日、城門へ立った一使者が、
「それがしは夏侯楙駙馬の一将にて、裴緒と申す者であるが、火急の事あって、御使いに参ったり、早々太守に告げ給え」と、呼ばわった。
崔諒がすぐ会って、
「何事のお使いが」
と、訊くと、使者の裴緒は、
「南安すでに危うく、事急です。依ってそれがしを使いとし、天水、安定の二郡へ対し、かく救いを求めらるる次第です。急遽、郡内の兵を挙げて、孔明のうしろを襲撃されたい。――そして貴軍が後詰め下さる日を期し、城中からも合図の火の手をあげ、内外より蜀軍を撃ち挾まんとの手筈ですから、なにとぞ、お抜かりなく希いたい」
「わかりました。――が、夏侯駙馬の親書でも御持参なされたか」
「もとよりの事」と、裴緒は、汗みずくな肌着の下から、しとどに濡れた檄文を出して手交し、
「これから天水郡の太守へも、同様な催促に参らなければなりませんから」
と、
応も謝して、すぐ馬に
鞭うって立ち去った。
偽使者とは夢にも気づかず、崔諒は兵を集めて赴援の準備をしていると、二日の後、またまた、一使者が来て城門へ告げた。
「天水軍の太守馬遵は、瞬時に発して、はや蜀軍のうしろに後詰めしておるのに、安定城はなにを猶予しておらるるぞ。――夏侯駙馬の御命令を軽んじておらるるか」
駙馬は魏の帝族である。崔諒はふるえ上がって発向に慌てた。ところが城を出て七十里、夜に迫ると、前方に火炎が天を焦がしている。
「何事か」
と、斥候隊を放つと、その斥候隊の生死も知れず、ただ一陣、蜀の関興軍が猛進して来た。
「早くも、敵か」
と、おどろいて退くと、後ろからは張苞の軍隊が喊をあげて来た。崔諒の全軍は支離滅裂になり、彼はわずかの部下とともに、小路を迂回して、安定の城へ引っ返した。
「やあ? あの旗は」
仰げば、蜀の
旌旗ばかりではないか。城頭には蜀の大将
魏延が、射よ射よと声をからして、
乱
を励ましている姿も見える。
「しまった」
いまは敵の深い謀と覚って、彼は身をもって遁るるほかなく、天水郡へ向かって落ちてゆくと、一彪の兵馬が鼓と共に道に展き、たちまち見る一叢の森林からは、鶴氅綸巾の人孔明、四輪車のうえに端坐して前へ進んで来た。
崔諒は眼が眩んだ。落馬したように跳び降りてそのまま地に平伏してしまったのである。孔明は降を容れ、伴って陣地へ帰った。
幾日かの後、孔明は彼をよんで、慇懃にたずねた。
「南安には今、夏侯楙が入って総大将となっているが、前からの太守と御辺とは、どんな交わりをなしていたか」
「隣郡でもありはなはだ親密です」
「その人は」
「楊阜の族弟で、楊陵といい、私とも兄弟のようにしていました」
「御辺は彼に信用があるか」
「もちろん彼は信じていてくれると思いますが」
「では......」と、孔明は膝を寄せて、親しく説いた。
「城中に入って、楊陵によく利害を説き、夏侯楙を生け擒って降り給え。それは貴公のみならず親友のためでもあろう」
五
崔諒は首を垂れた。沈痛な面色でやや久しく考えこんでいたが、やがて決然と、
「参りましょう。高命を果たしてお目にかけます」
「難事だが、事成れば、ひとり御身だけの洪福ではない」
「その代わりに丞相。――ここの囲みを解いて下さい」
「よろしい」
孔明は、直ちに、全軍を二十里外へ退けた。
秘命を帯びて崔諒は城へ入った。そして南安の太守楊陵と会談した。ふたりは親友である。ありのままを、崔諒は友に告げた。
「ばかを言うな。今さら魏の恩に
反いて蜀に降服などできるものか。むしろ君がそういう秘命をうけて来たのを幸いに、
謀の裏を
搔いて、孔明に逆手を

わせてやろうじゃないか」
もとより崔諒もその気なのだ。ふたりは

って夏侯楙の前に行った。
夏侯楙はよろこんで、面白し面白し、どういう逆計で
一
ふかせるかと乗り気になった。
楊陵が言う。
「御苦労でも崔諒にもういちど孔明の陣中へ帰って貰うことですな。こう言うのです。――楊陵に会って降参をすすめたところ、楊陵も蜀に降りたい気は大いにあるが、いかんせん城中では打ち明けて共に事を成す部下の勇士も少ないので、警固のきびしい夏侯楙駙馬を生け擒ることができないと」
「ふむ、なるほど。そして」
「――で、もし一挙に成就を見んと
思し召すなら、孔明自身、兵を引いて城中へ入り給え。内より門を開いて迎え、同時に城中を
攪乱して、
騒擾のうちに駙馬を
窺わば、手捕りになること物を
摑むごとしとすすめるのです。――もちろん彼を
誘き入れてしまいさえすれば、煮て

おうと、焼いて

おうと、孔明の運命はもうわが
掌にありですから」
「妙々。天来の計だ」
諜し合わせて、崔諒は城を出た。そして孔明をこの手に乗せようと大いに努めた。
孔明はいかにも信じきったように、彼の言うことばへいちいち頷いていたが、
「――では先に、御辺と共に蜀軍へ来た百余名の降人がおるから、あれを連れて行ったらいいだろう。あれならもとから御辺の部下だから、御辺のためには手足となって、命を惜しまず働くにちがいない」
「結構です。が、丞相も屈強な一隊を連れて、共に城中へ紛れ入られてはいかがですか。一挙に大事を決するには」
「虎穴に入らずんば虎児を獲ず。もちろん孔明たりともそれくらいな勇気はないではないが、まず、わが軍の大将、関興、張苞ふたりを先に御辺の隊へ加えてやろう。その後、合図をなせば、直ちに孔明も城門へ駈け入るとするから」
関興、張苞を連れてゆくのは少し工合が悪いがと、崔諒はためらったが、それを忌避すれば疑われるにちがいない。如かず、まず二人を城中で殺してから、次に孔明を誘き入れ、予定の目的を遂げるとしよう。崔諒はそう肚を決めて、
「承知しました。では、城門から合図のあり次第に、丞相もかならず時を移さず、開かれてある門から突入して下さい」と、かたく念を押した。
日暮れをはかって、一隊は南安の城下に立った。かねての約束どおり楊陵は櫓に現われて、いずこの勢ぞ、と呶鳴った。崔諒も声に応じて、
「これは、安定より駈けつけて来た味方の勢にて候。仔細は矢文にて」と、用意の一矢を射込んだ。
楊陵がそれを解いて見ると、
(――孔明は用心深く、関興、張苞の二将を目付けとして、この隊の中につけてよこした。しかし、城中で二人を殺してしまうのは何でもない。かねての密計はその後で行なえる故、懸念なく、城門を開き給え)と、認めてある。
夏侯楙に見せると、夏侯楙は手を打って、
「孔明すでにわが逆計に墜ちたり、すぐ二人を殺す用意をしておけ」
と、屈強の兵数百人に剣槍をしのばせて、油幕の蔭に伏せておき、その上で崔諒、ならびに関興、張苞のふたりを待った。
六
「いざ。お通りあれ」
楊陵は中門まで出迎えた。すぐその先に本丸の堂閣があり、前の広庭に、戦時の油幕が設けてある。
「御免」
関興が先に入った。次に、張苞を通そうと思って、崔諒が体を避けると、
「さあ、お先に」と、張苞も如才なく身を交わして、彼の背を前へ押し出した。そして抜き打ちに、
「崔諒っ。汝の役目は終わった」と、叫んで咄嗟に斬り伏せた。
――と共に関興も先に立ってゆく楊陵へ飛びかかって、不意に背から剣を突き通した。そして大音に、
「関羽の子、関興をやすやす入れたるこそ、この城の運の尽きだ。者ども、犬死にすな」
と呼ばわりつつ、縦横に血戦を展き、膂力のつづく限り暴れ廻った。
崔諒が安心して連れて入った百余名の旧部下も、蜀陣に囚われているうち、深く孔明の徳になずみ、加うるにこれへ臨む前に恩賞を約されていたので、この騒動が勃発するや否や、言いつけられて来た通り、八方へ駈け分けて、混乱に乗じて火を放った。
また、火の手を見ると、これを関興、張苞の殺害が終わった合図と早合点して、城門の兵は、内から門を開き、すぐそこまで来て待機していた孔明の蜀軍をわざわざ招き入れてしまった。
全城の魏兵が
殲滅に
遭ったことは言うまでもない。夏侯楙も防ぐに手だて無く、
従一隊を引き連れたのみで、からくも南の門から逃げ落ちた。
――が、退き口ありと思われた南門の一道こそ、かえって先の塞がっている坑だったのである。行く間もあらせず、蜀の一軍が、鼓声戟震して道を阻み、
「孔明の麾下、牙門将軍王平、待つこと久し」と呼ばわって掩い包んだ。
腹心旗本、ことごとく討ち滅ぼされ、夏侯楙駙馬は手捕りになった。孔明は南安へ入城した。
法を出して民を安んじ、夏侯楙は檻車のうちに虜囚としておき、また諸大将を一閣に寄せて、その戦功を彰した。
宴となって、祝酒を分かつと、その席上で鄧芝が質問した。
「丞相には、どうして最初に、崔諒の詐りを看やぶられたのですか」
「心をもって心を読む。さして難しい理由はない。直観して、この男、真に降伏したものではないと覚ったので、それ幸いにすぐ計に用いたまでのことに過ぎない」
「われわれも崔諒の拳動を少し怪しいなと見ていたので、丞相が彼に命じて、彼の好む南安の城へ遣ったときは、どうなる事かと蔭で心配していましたが、結果がわかって来ると、さてはと皆思い当たったような次第でした」
「総じて、敵がわれを謀らんとするときは、わが計略は行ない易い、十中八、九はかならず懸かるものだ。崔諒に噓が見えたので、わざと彼を城中へ遣ってみた。するとまた帰って来たので、いよいよその詐りが城中で結ばれたことを知った。更に、関興、張苞の同行を拒み得ず、渋々連れて行ったのも、彼が噓を構えていた証拠だし、こちらから言えば、彼の言を信じ切ったように思わせて、かえって、彼の噓を完全に利用するの謀計が、そう深く企まずに行ない得た結果になったというものだ」
そう打ち明けてから、孔明はまた、自己の戦を評して、
「――ただ、こんどの計で、一つ功を欠いたものがある。それは天水城の太守馬遵だ。彼にも同じような計を施してあるが、何としてか、城を出て来なかった。直ちに向かって、天水も併せ陥とし、三郡の攻略を完璧にしなければならない」と、言った。
南安には呉懿をとどめ、安定の守りに劉琰を派して、魏延と交代させ、全軍の装備を新たにして、天水郡へ進発した。
美丈夫姜維
一
それよりも前に、天水郡の太守馬遵は、宿将重臣を集めて、隣郡の救援に就いて、議する所があった。
主記の梁虔がその時言った。
「夏侯駙馬は、魏の金枝玉葉。すぐ隣にありながら、南安の危急を救わなかったとあれば、後に必ず罪に問われましょう。即刻兵を調えて、しかるべき援護の策を取るべきでしょう」
ところへ魏軍の裴緒という者が、夏侯楙の使いと称して来た。言うまでもなく、この男は、さきに安定の城主崔諒の所へも訪れていた例の偽使者である。──が、馬遵はそれと知る由もなく、折も折なので早速対面した。
裴緒は、汗に濡れた書簡を出して、ここでも、
「早々、後詰して、孔明の軍を衝き給え」
と、安定城へ催促したのと同じ言葉で申し入れた。
書簡を披いてみると、これも同文である。だが、夏侯楙の親書にまぎれもなく思われたので、馬遵は拝承して、
「まず、客屋に入って休み給え」
と、使者をねぎらい、重臣に諮っていると、裴緒は翌朝ふたたび城へ来て、
「事急を要する非常の場合に、悠々御評議で日を送っているようでは心許ない。ありのままを、夏侯楙駙馬へ御報告申しておく故、後詰めあるも無きも、随意になさるがよい。それがしは先を急ぎますから、今朝お暇を申す」と半ば、威嚇的に告げて、立ち去ろうとした。
馬遵もあわて、重臣も驚いた。後の崇りを怖れるからである。で、直ちに兵を引いて急援に赴くことを裴緒に約して、
「どうか、夏侯駙馬へは、御前態よろしくお願い申しあげる」
と、その場で、誓書を認めて、彼の手に託した。裴緒は、尊大に構えて、
「よろしい。ではそのようにお伝えしておくが、安定郡の崔諒は、すでに兵を出している時分。おくるる事なく、直ちに、全軍の兵を発して、孔明のうしろを脅かされよ」
と、念を押して帰った。
廻文はその日に発せられた。天水郡の各地から、続続将兵が集まって来る。二日の後、
勢
いして、馬遵自身も、いよいよ城を出ようとした。
すると、その朝、城中の武将閣に着いていた郷土の諸大将の中から、ただ一人、その姿、胡蝶の可憐な美しさにも似たる若い一将が、ばらばらと駈け出して来て、
「御出陣無用、御出陣無用」と、馬遵の駒を抑えて、懸命に遮った。
人々は、驚き躁いで、
「や、や。姜維が発狂したか」と見ていると、その若武者は、更に、声を励まして、
「この城を出たがさいご、太守はふたたびこの城へお帰りになることができません。太守はすでに、孔明の計に陥とされておいでになる」と、身を挺して、諫めつづけている。
年はまだ二十にも満たぬ紅顔の若武者である。その何者なるか、いかなる素姓の者かを知らぬ人々は、
「何者です? あれは」と傍らの者に聞いていた。
同郷の者は、それへ語るに、
「彼はこの天水郡冀城の人で、姜維、字は伯約という有為な若者です。父の姜冏はたしか夷狄の戦で討ち死にしたかと思います。ひとりの母に仕えて、実に孝心の篤い子で、郷土の評判者でした。――また姜維の母もえらい婦人で、寒燈の夜おそく、物縫う傍らにも、つねに孤の姜維をそばにおいて、針の運びのあいだに、子の群書を読むを聞き、古今の史を教え、また昼は昼で耕やしつつ武芸を励まし、兵馬を学ばせていたということです。――子の姜維も天才というのでしょうか、年十五、六のときにはもう郷党の学者でも古老でも、彼の才識には、舌を巻いて、冀城の麒麟児だと言っていたほどですよ」
そんな

なども交わされながら、人々が
騒めき見ているうちに、あちらの太守馬遵はついに出陣を見合わせたものか、駒を降りて、あまたの大将や一族の中に、姜維をも連れて、城閣の中へ戻ってしまった。
二
姜維は裴緒に会ってもいないのであるが、裴緒の偽の使者であることは、天水の城へ来ると、すぐ看破していたのであった。
「およそ戦局を大観して、その首脳部の指揮者を察し、兵の動かし方を見ていれば、田舎にいても、それくらいなことはわかります。――思うに孔明の計らんとする所は、太守を天水の城から誘い出して、途中に兵を伏せて撃滅を加え、一方、奇兵をこの城の留守へまわして、虚を襲い、内外同時に覆滅して、この一郡を占領しようというつもりでしょう。真に見え透いた計略です」
彼は、馬遵とその一族へ向かって、掌を指すように、敵の偽計を説いて教えた。馬遵は、げにもと悟って、
「もし姜維が、出陣を止めてくれなかったら、わしは目を塞がれて、敵の陥とし穽へ歩いて行ってしまう所だった」と、今更のごとく戦慄して、彼の忠言に、満腔の謝意を表した。
年こそ若いが、姜維に対する馬遵の信頼は、その事に依って、古参の宿将も変わらない扱いを示して、
「きょうの危難はのがれたが、明日からの難には、いかに処したらいいであろう」
かまでを、姜維に問うようになった。
姜維は、城の背後を指さして、
「目には見えませんが、あの搦手の裏山には、もう、蜀軍がいっぱいに潜んでいましょう。――太守の軍が城を出たらその留守を狙う用意をして」
「え? 伏兵がおるか」
「御心配に及びません。――彼ノ計ヲ用イテ計ルハ彼ノ力ヲモッテ彼ヲ亡ボス也――です。願わくは太守には、何も御存じない態で、ふたたび御出陣と触れ、城外五十里ほど進み、すぐまた、急にお城へ取って返して下さい。――そして私は別に五千騎を擁して、要害に埋伏し、搦手の山にある敵の伏兵が、虚に乗って来たところを捕捉殲滅します。――もしその中に孔明でもいてくれれば、こちらの思うつぼです。かならず生け捕りにせずにはおきません」
姜維の言は壮気凜々だった。さはいえまだ紅顔の美少年といってもいい若武者、いかにその天質が人よりすぐれて武技兵法に通達する者にせよ、一城一郡の興廃を、かかる弱冠の者の一言に託すのは無謀であるという意見も、一族や侍臣のうちに無いこともなかったが、馬遵はふかく姜維に感じていたので、
「もし姜維の観察がまちがっていたところで、それが間違いなら何も味方にも損失はないことだ。ともあれ彼の献策を用いてみよう」と、ふたたび触れ出して、その日の
午過ぎから出陣を開始し、南安城の後詰めに行くと
称えて、城外約三、四十里まで進んだ。一方、孔明の命をうけて、天水山のうしろの山に旗を伏せていた
雲の五千の兵は、馬遵が出陣した直後、
「城中は手薄、空き家も同じなるぞ。そこを踏み破って、一気に城頭へ蜀旗をひるがえせ」
と、搦手の門へかかった。
すると、門の内で、全城を揺るがすばかりどっと笑う声がした。
「やや。城中にはまだだいぶ兵力が残っているぞ。留守と侮って不覚すな」

雲が励ましていると、もう続いて来る味方はない岩の山上から、
喊の声が起こり、あわやと、振り返っている間に、土砂、乱岩、伐木などが、
雪崩のごとく落ちて来た。
「敵だ?」と、備えを改める
遑もない。またたちまち一方の沢からも、
鉦鼓を鳴らして、一軍が奇襲して来た。さしもの

雲も
狼狽して、
「西の谷あいは広い。西の沢へ移れ」
と号令したが、同時に城中から射出した雨のごとき
乱
も加わって、早くも
斃れる部下は数知れない。
「老朽の蜀将、逃げ給うな。天水の姜維これにあり」
呼ばわりつつ追いかけて来る一騎の若武者があるので、

雲が
駒を止めてみると、まさに、
花羞しきばかりの美丈夫。
「討つも
憐れだが、望みとあれば――」と、

雲はほとんど一撃にと思ってこれを迎えたらしいが、この若者の
槍法たるや、世の常の
槍技ではない。烈々
火華を交えること四十余合、さすがに古豪
子龍も
敵わじと思ったか、ふいに後ろを見せて逃げてしまった。
三
詐って城を出た馬遵は、城外三十里ほども来ると、後ろに狼烟を見たので、すぐ全軍を引っ返して来た。
すでに
姜維の奇略に落ちて、さんざんに
駈け散らされた

雲の蜀兵は、平路を求めて
潰走して来ると、ここにまた、馬遵の旋回して来るあって、腹背に敵をうけ、
完膚なきまでに惨敗を喫した。ただここに蜀の遊軍
高
と
張翼とが、救援に来てくれたため、からくも血路をひらき得て、

雲はようやく敗軍を収めることができた。
「見事、失敗しました。負けるのもこれくらい見事に負けると、むしろ快然たるものがあります」
孔明の顔を見るや否や、この老将は、衒気でも負け惜しみでもなく、正直にそう言った。
孔明は大いに驚いて、
「いかなる者がわが計略の玄機を知ったろうか」
と、意外な容子を示し、敵の姜維という若年の一将であると聞くと、なお更に、
「姜維とはいったい何者か」と息をひそめて訊いた。
彼と同郷の者があって、即座に素姓をつまびらかにした。
「姜維は、母に仕えて至孝。智勇人にすぐれ、学を好み、武を練り、しかも驕慢でなく、よく郷党に重んぜられ、また老人を敬い、まことに優しい少年です」
「少年? まさか童子ではあるまい。幾歳になるか」
「多分、二十歳を出ては居ないはずです」

雲もそれを裏書きして、
「さよう。二十歳をこえてはおるまい。身なりも小さく、胡蝶のごとき華武者じゃった。それがしは年七十にも相成るが、まだ、今日まで、姜維のような槍の法を見たのは初めてである」
と言った。
孔明は、舌を巻いて、
「天水一都は、掌にあると思っていたが、測らざりき。そのような英雄児が、この片田舎にもあろうとは」
と、痛嘆して、自身、軍容をあらためて、他日、慎重に城へ迫った。
「およそ城攻めには、初めて懸かる日をもっとも肝要とする。一日攻めて落ちず、二日攻めて落ちず、七日十日と日数を経れば経るほど落ち難くなるものだ。彼は信を増し、寄せ手は士気を減じ、その疲労の差も加わってくるからである。――これしきの小城、兵どもの励みに乗せて、一気に踏みやぶれ」
先手、中軍、各部の部将にたいして、孔明はかく訓示して押し寄せた。
壕をわたり、城壁にとりつき、先手の突撃は旺なるものだった。けれど城中は寂として抗戦に出ない。すでに一手の蜀軍は城壁高き所の一塁を占領したかにすら見えた。
すると、轟音一声、たちまち四方の櫓から矢石は雨のごとく寄せ手の上に降って来た。なお壕の附近にある兵の上には、大木大石が地ひびきして降って来た。
昼の間だけでも、蜀軍はおびただしい死傷者を壁下に積んだ。更に、夜半のころに及ぶや、四方の森林や民家は炎々たる焰と化し、喊の声、鼓の音は、横にも後ろにも、城中に湧きあがり、四面まったく敵の火の環と鉦鼓のとどろきになったかの思いがある。
「心憎き軍立てではある。遺憾ながらわが兵は疲れ、彼の士気はいよいよ昂い。――如かず、明日を期せん」
ついに孔明も総退却を令せざるを得なかった。彼自身も急に車を後ろへ回した。
ときすでに遅し矣。
火蛇のごとき焰の陣は、行く先々を遮った。それはことごとく敵の伏兵だった。今にして思えば、敵の大部分は城中になく、城外にいたのである。
退くとなるや、蜀勢はいちどに乱れ、一律の連脈ある敵の包囲下に、随所に捕捉され、殲滅にあい、討たるる者、数知れなかった。
孔明自身の四輪車すら、煙に巻かれ、炎に迷い、あやうく敵中につつまれ絡まるところを、関興、張苞に救われて、ようやく死中に一路を得たほどであった。
しかし、天まだ明けず、その行く先には、またまた、一画の火が長蛇のごとくかなたの闇に横たわっていた。
四
「何者の陣か、見て来い」
と、孔明に命ぜられて、先へ駈けて行った関興は、やがて立ち帰って来ると、
「あれこそ、姜維の勢です」と、告げた。
遠くその火先の布陣を望んでいた孔明は、嗟嘆してやまなかった。
「さてこそ、ただの軍立てとは異なると思うていた。――おびただしき大軍のように見えるが、事実はさしたる兵数ではあるまい。ただ大将の軍配一つに依ってあのようにも見えるものだ」
左右へ語っているうちに、早くも火光は
環を詰めて近づき、後ろからも、ばらばらと

が飛んで来た。
「戦うな。わが備えはすでに破れた。ただ兵の損傷を極力少なくとどめて退却せよ」
孔明もひたすら逃げて、ようやく敵の包囲から脱した。
遠く陣を退いて、さて、味方の損害を糺してみると、予想外な傷手を蒙っていたことがわかった。
戦えば必ず勝つ孔明も、ここに初めて、敗戦を知った。一方的勝利のみを克ち獲ていたのでは、真の戦争感もそれに奮う力も生じて来ない。
孔明は、われ自身を侮蔑するがごとく、唇をかんで呟いた。
「――思うに、一人の姜維にすら勝つことができない人間に、何で魏を破ることができようぞ」――と。
深思一番。彼はにわかに、安定郡の人をよんで、
「姜維は非常に親孝行であると聞いたが、その母はいまいずこにいるか」
「いまも冀城におります」
「そうか。してまた、天水郡の金銀兵糧を貯蔵してある土地はどこか」
「おそらくそれは上邽の城だろうと思いますが」
後、孔明は、何か思う所あるらしく、
魏延の一軍をして冀城へ
奔らせ、べつに

雲に命じて、上邽を攻めさせた。
この沙汰が天水の城中へ響いてゆくと、姜維はかなしんで、太守馬遵に向かい、
「私の母は、冀城にのこしてあります。もし敵に犯さるる時は、子たるものの道にそむきます。一面、冀城の急を救い、併せて母の身を守りたいと思いますから、どうか私に三千騎をさずけ、しばしこの本城を離るることをおゆるし下さい」と、ひれ伏して願った。
もちろんそれは許された。急に道をいそいで行く途中、魏延の兵とぶつかったが、魏延はあえて勝利を求めず逃げ散った。
冀城に至るや、姜維はすぐ家の母を守って、県城へたてこもった。また一方

雲は、上邽の県城へ向かったが、ここへは天水から
梁虔が一軍をひきいて救いに来たので、これにもわざと負けて城へ通した。これらの予備作戦が、すべて孔明のさしずに
依るものであることはいうまでもない。
かくて孔明は、南安に使いをやって、さきに捕らえておいた魏の帝族たる虜将夏侯楙駙馬をこの地へ送らせた。
「駙馬、御身は、いのちを惜しむか」
孔明に問われると、もとより宮中育ちで、父夏侯惇とは似ても似つかぬ夏侯楙は、涙をたれて、
「丞相のお慈悲をもって、もし二つとない生命をお助け下さるなら、大恩は忘れません」
と、言った。孔明はまた、
「実は、いま冀城にいる姜維から、儂へ書簡をよこして、夏侯楙をゆるし給わるなら、某も蜀に降らんと言って参った。――で、いま御身を放つわけであるが、冀城へ行って、すぐ姜維を伴って来るか」
「お放し下さるものならよろこんで行って参ります」
孔明は彼に衣食を与え、また馬を供えて、陣地から放した。
夏侯楙は籠の鳥が青空へ放たれたように一騎で急いだ。するとその途中で、大勢の避難民に出会った。馬をとめて、その中の一名に彼がたずねた。
「おまえ達は、どこの百姓だ」
「冀城の民でございます」
「なぜ避難するのか」
「でも、県城を守っていた姜維は、蜀に降伏してしまい、蜀の魏延の兵は、村々に火を放って、掠奪するし、乱暴はやるしで、土地にいたくもいられません」
五
もとより夏侯楙は蜀につく気は毛頭ない。放されたのを幸いに、魏へ逃げ帰る心だった。
「さては姜維はもう蜀へ降伏して出たか。それでは冀城へ行っても仕方がない」
彼は急に道を更えて、天水城へ向かって走った。その途中でも、たくさんな避難民を路傍に見かけた。それに訊いてみても皆、異口同音に、姜維の寝返りと、蜀兵の掠奪を訴えること、初めに聞いたとおりであった。
「いよいよ姜維の変心は事実だ」
と信じて、夏侯楙は心も空に天水へ急ぎ、城下につくと、門を叩いて、
「われは駙馬夏侯楙である。ここを開け」と、呼ばわった。
太守馬遵は、驚いて彼を迎え入れ、いったいどうして無事にお帰りあったかと訊ねた。
駙馬は、仔細を語った。
「憎むべきは姜維だ。彼の変心は疑いもない」と、憤った。
すると、梁緒は、断然、
「いま姜維が敵へ降るなどということは信じられない。何かの誤聞でしょう」
と言い張ったが、夜に入ると、蜀の軍勢が四門を取り巻いて、柴を積み、火を放ち、かつ一人の将が先頭へ出て、
「城中の人々よよく聞け。この姜維は、夏侯駙馬のお命を助けんものと、身を蜀に売って、命乞いをいたしたのだ。各々もあたら命を無益に捨てず、われらと共に蜀へ降れ」
と、声を嗄らして叫んでいた。
馬遵と夏侯楙が、矢倉の上から望み見ると、その甲といい馬といい年ごろといい、姜維にはちがいないが、どうも言っていることは合点がゆかなかった。
「やあ、矢倉の上にお在すは、夏侯駙馬ではないか。御身より自分へ宛てて、蜀へ降れ、蜀へ降ってくれれば、予の一命が助かるのだと、再三の書面があったればこそ、かくいう姜維は身を蜀へ投じたのに、何ぞはからん、その身一つ遁れて、すでにこの城に帰っていたか。――覚えていよ。この恨みは、弓矢で返すぞ」
城外の姜維は、罵り罵り攻めていたが、やがて暁近くなると、攻めあぐねたか、兵をまとめて引き揚げてしまった。
もちろんこれは、真物の姜維ではない。年配骨格のふさわしい者を選んで孔明が仕立てた偽者であった。けれども夜中の乱軍中に壕を隔てて見たことなので、馬遵にも夏侯楙にも真偽の見分けはつかなかった。そして大きな疑いを姜維に対して強めたことだけは否まれない。
一方、本物の姜維は、依然冀城にたてこもって、孔明の軍に囲まれていた。
ただ彼として、籠城に際して、最も大きな苦痛だったのは、事急のために、糧米を搬入するいとまがなく、冀城の内にも、わずか十日に足りない食糧しかないことだった。
ところが、城中から見ていると、毎日のように多くの車が、食糧を満載して、蜀の輜重隊に守られて場外の北道を通ってゆく。
「この上に、あれを奇襲して」
と、ついに意を決して、兵糧を奪いに出た。――これこそ姜維が孔明の手に落ちる一歩だったのである。
王平、魏延、張翼などの伏兵に待たれて、姜維は二度と城へ帰ることができなかった。従えて出た手勢はことごとく討ちとられ、残る数十騎も、張苞の一陣を突破するうちほとんど死なせて、いまは彼ただ一騎となり、逃げるに道もなく、ついに天水城へ奔ってしまった。
「それがしは冀城の姜維だ。無念ながら冀城はやぶれた。ここをお開け下さい」
城門の下に立って呼ぶと、意外にも矢倉の上から馬遵はこう罵った。
「だまれっ。汝のうしろには、遠く蜀の軍勢が見えるではないか。欺いて、門を開かせ、蜀軍をひき入れん心であろう。――匹夫め、裏切り者め、何の顔容あって、これへ来たか」
姜維は、仰天して、さまざまに事情を下から訴えたが、叫べば叫ぶほど、馬遵は怒って、
「昨夜はこれへ来て、旧主へ弓をひき、今朝はこれへ来て、口舌の毒策を試むるか。あの曲者を射ろ」
呶号して、あたりの弓手を励ました。
「こはそも、いかなるわけか?」
と、
呆れ惑いながら、姜維は
眼に涙をたたえ、ぜひなく
乱
を避けて、長安の方へ落ちのびて行った。
六
兵なく、城なく、今は巣の無い鳥にも似ている姜維だった。ただ一人、長安をさして奔ること数十里、行くての先に、たちまち数千の軍馬を布いて、道を阻めるものがあった。蜀の大将、関興の軍勢である。
「ややや。もうこの方面へも敵が迫ったか」
身体は疲れ果て、心は悲愁。しかもただ一騎でもあるし、戦う術もなく、馬を回してべつな道へ急ぐと、またまた、一林の茂りをひらいて、
「来れるや姜維。いずこへ行こうとするか」
口々に言い囃し、鼓声をそろえて、彼をつつんだ。
見れば、旗列を割って、一輛の四輪車がこちらへ進んで来る。車上の綸巾鶴氅の人も、羽扇をあげて、しきりに呼びかけた。
「姜維姜維。なぜこころよく降参してしまわぬか。死は易し、生は難し。ここまで誠を尽くせば、汝の武門にも辱はあるまい」
驚くべし、孔明のうしろには、いつのまにか、冀城にのこしていた彼の母が、輿に載せられて、大勢の大将に守られている。
うしろには、関興の一軍の迫るあり、前にはこの大軍であった。かつは、敵にとらわれた母の姿を見、姜維は胸ふさがって、馬を跳び降りるや否や大地にひれ伏し、すべて天意にまかせた。
すると孔明は、すぐ車を降りて、姜維の手を把り、姜維の母の側へ伴れて来た。そして母子を前にして彼は言った。
「自分が隆中の草廬を出てからというもの、久しい間、つねに天下の賢才を心のうちでさがしていた。それはいささか悟り得た我が兵法のすべてを、だれかに伝えておきたいと思う希いの上からであった。――しかるにいま御身に会い、孔明の日ごろの願いが足りたような気がされる。以後、わが側らに居て、蜀にその忠勇を捧げないか。さすれば孔明もまた報ゆるに、自分の薀蓄を傾けて、御身に授け与えるであろう」
母子は恩に感じて泣きぬれた。すなわち姜維は、この日以来、孔明に師事し、身を蜀に置くことになったのである。
伴って、本陣へ帰ると、孔明はあらためて姜維を招き、礼を厚うして訊ねた。
「天水、上邽の二城を取るの法はいかに」
姜維は答えて言う。
「一本の矢を射れば足りましょう」
孔明はにこと笑って、すぐ側らの矢を取って渡した。姜維は筆墨を乞い、即座に、二通の書簡をしたためた。
彼の知る尹賞と梁緒へ宛てたものである。姜維はそれを矢に括って、天水城のうちへ射込んだ。
城兵が拾って、馬遵に見せた。馬遵は文意を見ると、驚きあわてて、それを夏侯楙駙馬に示し、
「この通り、城内の尹賞、梁緒も姜維と通謀しています。どう処置いたしましょう」
「それは一大事だ。事の未然に知れたのは幸いだ。二人を刺し殺してしまえ」
すぐ使いを向けて、まず尹賞を招いたが、尹賞に誼のある者が、その前に彼の邸へ走ってこの事を告げた。
尹賞は仰天して、すぐ友の梁緒を訪い、
「犬死にをするよりは、いっそ城を開いて、蜀軍を呼び入れ、孔明に随身しようではないか」
と、誘った。
すでに馬遵の命をうけた軍士が、邸を包囲し始めたので、二人は裏門から逃げ出して、城門へ駈け出した。
そして内から門を開き、旗を振って、蜀軍を招いた。待ちかまえていた孔明は一令の下に、精鋭を繰り込ませた。
夏侯楙と馬遵は、施す策もなく、わずか百余騎をひきいて、北門から逃げ出し、ついに羗胡の国境まで落ちて行った。
上邽の守将は、梁緒の弟梁虔なので、これはやがて、兄に説伏されて、軍門へ降って来た。
ここに三郡の戡定も成ったので、蜀は軍容をあらためて、大挙、長安へ進撃することになったが、それに先だって孔明は諸軍をねぎらい、まず降将梁緒を天水の太守に推し、尹賞を冀城の令とし、梁虔を上邽の令に任じた。
「なぜ夏侯楙駙馬を追わないのですか」
諸将が問うと、孔明は言った。
「駙馬のごときは、一羽の雁に過ぎない。姜維を得たのは、鳳凰を得たようなものだ。千兵は得易く、一将は得難し。いま雁を追っている暇はない」
祁山の野
一
蜀軍の武威は大いに振った。行くところ敵なきその形容はまさに、原書三国志の記述に髣髴たるものが窺われる。
――蜀ノ建興五年冬、孔明スデニ天水、南安、安定ノ三郡ヲ攻メ取リ、ソノ威、遠近ヲ靡カセ、大軍スデニ祁山ニ出デ、渭水ノ西ニ陣取リケレバ、諸方ノ早馬洛陽へ急ヲ告グルコト、霏々雪ノ飛ブガゴトシ。
このとき魏はその国の大化元年にあたっていた。
国議は、国防総司令の大任を、一族の曹真に命じた。
「臣は不才、かつ老齢で、到底その職を完うし得るものでありません」
かたく辞退したが、魏帝曹叡はゆるさない。
「あなたは一族の宗兄、かつは先帝から、孤を託すぞと、親しく遺詔をうけておられる御方ではないか。夏侯楙、すでに敗れ、魏の国難迫る今、あなたがそんな事を仰せられては、だれが総大将になって赴くものが居ましょうぞ」
王朗もともに言った。
「将軍は社稷の重臣。御辞退あるときではありません。もし将軍が征かれるならば、それがしも不才を顧みず御供して、命をすてる覚悟で共に大敵を破りましょう」
王朗の言にうごかされて、曹真もついに決意した。副将には郭淮が選ばれた。
曹真には、大都督の節鉞を賜い、王朗は軍師たれと命ぜられた。王朗は、献帝の世より仕えて、年七十六歳であった。
長安の軍勢二十万騎、実に美々しい出陣だった。先鋒の宣武将軍曹遵は曹真の弟にあたる。その副先鋒の将は盪寇将軍朱讚であった。
大軍すでに長安にいたり、やがて、渭水の西に布陣した。
王朗がいった。
「いささか思うところがありますから、大都督には、明朝、大陣を展開して、旌旗の下に、威儀厳かに、それがしのなす事を見ていて下さい」
「軍師には、何を計ろうとなされるか」
「白紙じゃ。何の計りもない。ただ一舌のもとに、孔明を説破し彼の良心をして、魏に降伏させてみせる」
年八十にもかい老軍師は、何か深い自信をもって、意気すこぶる高いものがある。
翌朝。両軍は祁山の前に陣を張った。山野の春は浅く、陽は澄み、彼我の旌旗鎧甲はけむり燦いて、天下の壮観といえる対陣だった。
――三通りの鼓が鳴った。
しばし
剣
を休めて、開戦にさきだち、一言なさんとの約声である。
「さすがは魏の勢、雄壮を極めている。さきの夏侯楙の軍立てとは較べものにならない」
孔明は四輪車の上から、さも感じ入ったように眺めていた。そしてさっと門旗をひらくや、その車は、関興、張苞などに守られて、中軍を出で、敵陣の正面に止まった。
「約によって、漢の諸葛丞相これに臨めり。王朗、疾く出でよ」
かなたへ向かって呼ばわった。
魏軍の門旗は揺れうごいた。白髯の人、黒甲錦袖をまとい、徐々、馬をすすめて近づいて来る。すなわち七十六歳の軍師王朗である。
「孔明。わが一言を聞け」
「王朗なるか。めずらしくなお生ける姿を見たり。われに一言あらんとは何か」
「むかし、襄陽の名士、みな御辺の名を口にいう。御辺はもとより道を知る人、また天命の何たるかも知り、時の人の務めも所存あるはずだ。しかるに、隆中に鍬を持ち読み嚙じれる白面の一書生が、多少、時流に乗ずるや、たちまち、雲を待たるるかのごとく、かく無名の師をおこすとは何事ぞ」
「たれか無名の師という。われは勅をうけて、世の逆を討つ。漢の大臣、いずくんぞ、無用に民を苦しめんや」
「黄口児の口吻、ただ嗤うておこう。なお聞け孔明、なんじは魏の大帝をさして暗にそのことばをなすのであろうが、天数は変あり、徳ある人に帰す。桓帝、霊帝このかた、四海わかれの争い、群雄みな覇王を僭称す。ひとりわが太祖武帝、民をいつくしみ、六合をはらい清め、八荒を蓆のごとく捲いて、ついに大魏国を建つ。四方みなその徳を仰ぎ、今日にいたるは、これ権をもって取るに非ず、徳に帰し、天命のしからしめたところである。――しかるに、汝の主、玄徳はどうであったか」
二
由来、王朗は博学をもって聞こえ、大儒の風もありといわれ、魏の棟梁たる経世武略の人物として、名はあまねく天下に知れていた。
いま、戦端に先だって、その王朗は、自負するところの弁をふるって、ここに陣頭の大論戦を孔明に向かって挑んだのである。
冒頭、彼のまず説く所は、魏の正義であった。また、その魏を興した太祖曹操と、蜀の玄徳とを比較して、その順逆を論破し、曹操が天下万邦の上に立ったのは、堯が舜に世をゆずった例と同じもので、天に応じ人に従ったものであるが、玄徳にはその徳もないのにかかわらず、ただ自ら漢朝の末裔だなどという系図だけを根拠として、詭計偽善をもっぱらとして蜀の一隅を奪って今日を成したものに過ぎない。これは現下の中国の人心に徴しても明らかな批判である――というのであった。
彼はなお舌戦の気するどく大論陣をすすめて、その玄徳のあとをうけて、これに臨むところの孔明その者に向かっては、舌鉾を一転して、
「――御辺もまた、玄徳の偽善にまどわされ、その
過れる覇道に
倣って、自己の大才を
歪め、みずから
古の
管仲、
楽毅に比せんなどとするは、
沙汰のかぎり、
烏滸なる児言、世の笑い草たるに過ぎぬ。
真に、故主の遺言にこたえ、蜀の
孤を大事と思わば、なぜ
伊尹、
周公にならい、その分を守り、自らの非を改め、徳を積み功を治世に計らぬか。――御辺が遺孤を守る忠節は、これを諒とし、これを
賞めるに
吝かでないが、依然、武力を行使し、侵略を事とし、魏を攻めんなどとする志を持つに至っては、まさに、救うべからざる好乱の
賊子、蜀の
粟を

らって蜀を
亡ぼす者でなくてなんぞ。――それ古人もいっている。天ニ従ウ者ハ
昌ニシテ、天ニ逆ラウ者ハ
亡ブ――と。今わが大魏は、雄士百万、大将千員、むかうところの者は、たちまち泰山をもって鶏卵を圧すようなものである。量るに、汝らは
腐草の
螢火、明滅みな実なし、いかでわが
皎々たる天上の月照に及ばんや」と、ほとんど息もつかずに論じたてて、最後に、
「身、封侯の位を得、蜀主の安泰を祈るなれば、はやはや甲を解き、降旗をかかげよ。しかるときは、両国とも、民安く、千軍血を見るなく、共に昭々の春日を楽しみ得ん。――また、否とあれば、天誅たちまち蜀を懲し、蜀の一兵たりと、生きて国には帰すまいぞ。その罪みな汝の名に受くるものである。孔明、心をしずめてこれに答えよ」
と言い結んだところは、
実に

にたがわず、堂々たるものであり、また魏の戦いの名分を明らかにしたものだった。
敵味方とも鳴りをしずめ、耳かたむけていたが、特に、蜀の軍勢までが、道理のあること哉――と、声には出さぬが、嗟嘆してやまない容子であった。
心ある蜀の大将たちは、これは一大事だと思った。敵側の弁論に魅惑されて、蜀の三軍がこう感じ入っているような態では、たとい戦いを開始しても勝てるわけはない。
――孔明がどういうか、何と答えるか。
側らに立っていた馬謖のごときも、心配そうな眼をして、車上の孔明の横顔を見ていた。
「............」
孔明は、山より静かな姿をしている。終始、黙然と微笑をふくんで――。
馬謖は思い出していた。むかし季布という口舌の雄が、漢の高祖を陣頭で論破し、ついにその兵を破り去った例がある。――王朗の狙っているのはまさにその効果だ。はやく孔明が何とか論駁してくれればよいが――とひそかに焦躁していると、やがて孔明は、おもむろに口を開いて、
「申されたり王朗。足下の弁やまことに可し。しかしその論旨は自己撞着と偽瞞に過ぎず、聞くにたえない詭弁である。さらばまず説いて数えん」と、声すずしく言い返した。
「汝はもと漢朝の旧臣、魏に寄食して、老朽の脂肉を養うとも、心のそこには、なおいささかの良心でも有ろうかと、始めは敬老の念をもって対したが、量らざりき、心身すでに腐れ果て、今のごとき大逆の言を平気で吐こうとは。――あわれむべし。壮年の英才も、魏に飼われてついにこの駄馬となり果てたか、ひとり汝に言うは張り合いもない。両国の軍勢も、しばししずかにわが言を聴け」
三
理に明晰に、声は朗々、しかも何らの奇矯なく、激するなく、孔明は論じつづけた。
「かえりみるに、むかし桓帝、霊帝は御微弱におわせられ、ために、漢統ようやく紊れ、奸臣はびこり、田野年々凶をかさね、ここに諸州騒乱して、ついに乱世の相を現わした。――後、董卓出でて、ひとたび治まるも、朝野の議をみだりに私なし、四寇の乱、ついで起こり、あわれ漢帝を民間に流浪させ参らせ、生屍を溝壑に追い苦しむ」
孔明はことばを休めた。
内に情を抑え、外に平静を保たんとするもののごとく、そっと両の袖を払い直し、羽扇を膝に持ち直して、更に語をついだ。
「――
偲ぶも涙、口にするも
畏れ多い。そのころの有様といえば、
堂人あるも人無きに似、朽ち木を組んで宮殿となし、
階陛すべて落ち葉を積み、
禽獣と変わりなき吏に衣冠させて
祿を

らわしめ、議

もまた、
狼心狗走のともがら、道を口に唱え、腹に利を運ぶための場所でしかなかった。――
奴顔婢膝の徒、あらそって道にあたり、まつりごと私に
摂る。――かくて見よ、世の末を。
社稷をもって
丘墟となし、万民の生霊を塗炭となして、それを
傷む真の人はみな
野にかくれ――王朗よ、耳の
垢をのぞいて、よく聞かれい」
孔明は声を張った。
その声は雲雀のように、高く天にまで澄んで聞こえた。
「
滔々、濁世のとき、予は若き傷心を抱き、
襄陽の郊外に屈居して、時あらん日を天に信じ、黙々、書を読み、田を耕やしつつあったことは、さきに汝が言った通りにちがいない。――しかし当時の人、みなひそかに
切歯扼腕、ときの朝臣と為政者の腐敗堕落を怒らざるはなかった。――我もとよりよく汝を知る。汝は
世世東海の
浜にいて、家祖みな漢朝の
鴻恩をこうむり、汝また、はじめ
孝廉にあげられて
朝に仕え、更に恩遇をたまわりてようやく人と
為る。――しかも朝

あやうき間、
献帝諸方に流浪のうちも、いまだ国を
匡し、
奸をのぞき、真に
宸襟を安めたてまつれりという功も聞かず、ひとえに時流をうかがい権者に
媚び、
賢しげの理論を立てて
歪曲の
文を作り、
賊子が唱えて大権を
偸むの具に供す。それを売って栄爵を
購い、それに
依って華殿美食の生を、今日七十六歳の高齢まで保ち来たれる一怪物。まさにそれは
汝王朗ではないか。たとえ
我蜀の総帥たらずとも、世の一民として、汝のその肉を
啖らい血を犬鶏に与うるも、なおあきたらぬ心地さえする。――しかるに、幸いにも、天、孔明を世に出し給うは、天なお漢朝を捨て給わぬしるしである。われ今
勅を
畏み、忠勇なるわが蜀兵と、生死をちこうてここ
祁山の
野に出たり。汝はこれ
諂諛の老臣、まこと正邪をあきらかにし、一世を光明にみちびくの大戦は、汝の得意とする世渡り上手の手先や口先で勝てるものではない。家にひそんで食をむさぼり
老慾に
耽りてあるなら助けも置くべきに、何とて、似あわしからぬ
鎧甲を
粧いて、みだりにこの陣前へは
のさばり出たるか。それだけでも、あっぱれ天下の見世物なるに、この
野に
死屍をさらし、なんの面目あって、
黄泉の
下、
漢皇二十四帝にまみえるつもりであるか。
退れっ、老賊」
凜々たる終わりの一喝は、矢のごとく、論敵の肺腑をつらぬいたかのように思われた。
結論的には、漢朝に代わるべく立った蜀朝廷と魏朝廷とのいずれが正しいかになるが、要するに、その正統論だけでは、魏には魏の主張があり、蜀には蜀の論拠があって、これは水掛け論に終わるしかない。
で、孔明はもっぱら理念の争いを避けて衆の情念を衝いたのである。果たして、彼がことばを結ぶと、蜀の三軍は、わあっと、大呼を揚げてその弁論を支持し、また自己の感情を、彼の言説の上に加えた。
それに反して、魏の陣は、啞のごとく滅入っていた。しかもまた、当の王朗は、孔明の痛烈なことばに、血激し、気塞がり、愧じ入るがごとく、俯向いていたと思われたが、そのうちに一声、うーむと呻くと、馬の上からまろび落ちてついに、そのまま、息絶えてしまった。
四
孔明は羽扇をあげて、次に、敵の都督曹真出でよ、と呼び出し、
「まず王朗の屍を後陣へ収めるがよい。人の喪につけ入って、急に勝利を得んとするような我ではない。明日、陣を新たにして決戦せん。汝よく兵をととのえて出直して来れ」
と告げて、車を回した。
力とたのむ王朗を失って、曹真は、序戦にまず気を挫いてしまった。
副都督郭淮は、それを励ますべく、必勝の作戦を力説してすすめた。
曹真も心をとり直し、さらばと、その密なる作戦の備えにかかった。
孔明はそのころ、
帷の内へ、
雲と
魏延を呼び入れて、
「ふたりして、兵をそろえ、魏陣へ夜襲をしかけよ」
と、命じていた。
魏延は、孔明の顔を見ながら、
「おそらく不成功に終わるでしょう。曹真も兵法にかけてはひとかどの者ですから、自陣の喪にあるを衝いて、蜀が夜襲に出て来るだろうぐらいな用意はしているにちがいありません」
孔明はその言に対して訓えた。
「こちらの望みは、彼がこちらの夜襲あることを知るのをむしろ希うものだ。――思うに曹真は、祁山のうしろに兵を伏せ、蜀の夜襲をひき入れて、その虚にわが本陣を急突して、一挙に撃砕せんものと、今や鳴りをひそめているにちがいない。――で、わざと御辺たちを彼の望みどおりに差し向けるのである。途中、変あらばすぐこうこうせよ」
と、何か囁いた。
次いで、関興、張苞のふたりへ、各々一軍を与えて、祁山の嶮岨へさし向け、後また、馬岱、王平、張嶷の三名には、べつに一計をさずけて、これは本陣付近に埋伏させておいた。
かくとは知らぬ魏軍は、大将曹遵、朱讚などの二万余騎を、ひそかに祁山の後方へ迂回させておいて、蜀軍の動静をうかがっていた。
――すると、たちまち、
「敵の関興、張苞の二軍が、蜀陣を出て、味方の夜討ちに向かった」
という情況が伝わったので、曹遵等は、しすましたりと、作戦の思うつぼに入ったことを歓びながら、いよいよその事実を知るや、突如、山の蔭を出て、蜀の本陣を急襲した。
敵の裏を搔いて、その手薄な留守を衝こうとしたものである。ところが、孔明は、すでに、その裏の裏を搔いていたのだった。
わあっと、潮のごとき吠え鳴りを揚げて、魏の勢が、蜀本陣へ突入して見ると、柵の四門に旗風の見えるばかりで、一兵の敵影も見えない。のみならず、たちまち山と積んである諸所の柴がバチバチと焰を発し、火炎天を焦がし地を沸らせた。
朱讚、曹遵の輩は、
「すわ。敵にも何か計があるぞ。退けや、退けや」
声を嗄らして𠮟咤したが、どうしたわけか、魏の勢はすこしも退かず、かえって逆に、好んで炎の中心へ押しなだれて来た.
それもそのはず、すでに魏兵のうしろには、いたるところ、蜀軍が馳け迫って、烈しくその隊尾から撃滅の猛威を加えていたのである。
蜀の馬岱、王平などに加えて、夜襲に向かったはずの張嶷、張翼なども急に引っ返して来て、後方を断ち、そしてほとんど、全魏軍を袋の鼠としてしまったのである。
曹遵、朱讚の勢は、したたかに討たれ、また炎の中に焼け死に踏み潰される者も数知れなかった。そしてこの二人の大将すらわずか数百騎をつれたのみで、からくも逃げ帰ったほどだった。
しかもまた、その途中にも、

雲の一手が道を
遮って、なお完膚なきまで、
殲滅を期すものあり、更に、魏の本陣へ戻って見れば、ここも関興、張苞の奇襲に遭って、
総軍潰乱を来しているという有様である。何にしても、この序戦は、
惨澹たる魏の敗北に始まって
全潰状態に終わり、大都督曹真もやむなく遠く退いて、おびただしい負傷者や敗兵をいったん収め、全編隊の再整備をなすのやむなきに立ち到った。
西部第二戦線
一
当時、中国の人士が、西羗の夷族と呼び慣わしていたのは、現今の青海省地方――いわゆる欧州と東洋との大陸的境界の脊梁をなす大高原地帯――の西蔵人種と蒙古民族との混合体より成る一王国をさして言っていたものかと考えられる。
さて。
その西羗王国と魏とは、曹操の世代から交易もしていたし、彼より貢物の礼もとっていた。異種族が最も光栄として喜ぶ位階栄爵などを朝廷の名をもって彼に贈与してあるので、それを恩としているものだった。
時に、魏の叡帝は、曹真が祁山における大敗を聞いて、孔明の大軍の容易ならざる勢力を知り、遠く、使いを派して、西羗の国王徹里吉に対し、
――高原の強軍を起こして、孔明のうしろを脅かし、西部の堺に、第二戦線を張られたし。
と、教書をもって、これに行動をうながした。
同時に、曹真からも、同じ目的の使いが入国した。おびただしい重宝珍器の手土産が、羗の武相越吉元帥と、宰相の雅丹などに贈られた。
「曹操以来、恩のある魏国の大難です。

とは断われますまい」
両相の建議に依って、国王徹里吉は、直ちに、羗軍の発向をゆるした。
雅丹宰相、越吉元帥は、二十五万の壮丁を集合して、やがて東方の低陸へ向かって進み出した。
西羗の高原を下るや、黄河、揚子江の上流をなす清流が山と山の間をうねり流れている。黄河の水も揚子江の水も、大陸へ流れ出ると、真黄色に濁っているが、このあたりではそう濁りもない清澄な谷川であった。
平和に倦んでいた高原の猛兵は、孔明の名を聞いても、どれほどな者か知らなかったし、その武器は、夷には似ず精鋭だったので、ほとんどすでに蜀軍を呑んでいるような気概でそれへ臨んでゆくのであった。
欧州、土耳古、埃及、などの西洋との交流が頻繁で、その文化的影響を、中国大陸よりも逆に早くうけていたこの羗族軍は、すでに鉄で外套した戦車や火砲を持ち、またアラビヤ血種の良い馬を備え、弓弩槍刀もすべて優れていたといわれている。
軍中の荷駄には駱駝を用い、またその上に長槍をひっさげてゆく駱駝隊もあった。駱駝の首や鞍には、沢山な鈴をさげ、その無数の鈴の音と、鉄戦車の轍の音は、高原兵の血をいやが上にも昂ぶらせた。かくてこの大軍が、やがて蜀境の西平関(甘粛省)へ近づいていたころ、寝耳に水、いま祁山と渭水のあいだに在る孔明の所へ、
「西部の動きただならず、急遽、援軍を仰ぐ」との早馬があった。
孔明もこれには、はたと色をかえて考えこんだ。そして、
「だれをか向けん?」と、つぶやいたのを聞いて、関興、張苞のふたりは、
「われ等をこそ」
と、希望して出た。
事は急だし、道程はある。しかも電撃戦をもって、一挙に決し去らぬことには、総軍の不利いうまでもない。
それには、この若手こそ屈強だが、二人とも西部地方の地理は不案内である。で、孔明は、西涼州出身の馬岱をこれに添えて、五万の兵を分かち、明日ともいわず出発させた。驟雨の低雲が曠野を馳せてゆくように、援軍は西進してたちまち、羗軍の大部隊と相対した。
「羗軍は驚くべき装備をもっている。あれを破るのはたいへんだ」
まず高地に立って、敵勢を一望して来た関興は、舌を巻いた容子で、馬岱と張苞にむかい、
「鉄車隊とでもいうか、鋼鉄をもって囲んだ戦車をつらねている。鉄車のまわりには、各箇、針鼠のように釘のごとき棘を一面に植え、中に兵が住んでいる。どうしてあれを撃滅できようか。容易ならない強敵だ」
と、溜息ついて話した。
二
「関興にも似気ないではないか」と、馬岱はかえってその言を嗤い、
「――まだ一戦もせぬうちから敵に気を呑まれてどうするか。ともあれ明日は一戦して、彼の実力のほどを試みてみよう。評議はその上のことでいい」
と、励ました。
しかし翌日の合戦には、反対に蜀軍の方がさんざんに敵の羗軍に試されたり翻弄されてしまった。
その敗因は、何といっても、羗軍の持っている鉄車隊の偉力だった。その機動力の前には、軍の武勇もまったく歯が立たない。
騎馬戦や歩兵戦では絶対に優勢だったが、羗軍は負け色立つと見るや鉄の針鼠を無数に繰り出して縦横に血の軌をえがき、むらがる蜀兵を轢き殺しつつ、車窓から連弩を射放って、敵中無碍に走り廻るのであった。
そのとき羗の
越吉元帥は、手に
鉄
をひっさげ、腰に
宝鵰の弓をかけ、
悍馬をとばして陣頭にあらわれ、羗の射撃隊は弓をならべて
黒鵰の矢を宙も
晦くなるほど射つづけてくる。
ために蜀兵の
潰滅は、全面に及んで、しかも随所個個に
殲滅され、
関興のごときは、わけて敵に目ざされて、終日、退路を走り惑い、あやうく越吉元帥の鉄

に砕かれるような目に幾度も遭った。
さきに本陣へ帰っていた馬岱と張苞は、夜に入っても関興がもどって来ないので、
「ついに乱軍のなかで討ち死にを遂げたか」と半ば、絶望していたほどである。すると関興は夜更けて、ただ一騎、満身血と襤褸になって引き揚げて来たが、
「きょうほど恐ろしい目に遭ったことはない」
と、肚の底から羗軍の猛威を述懐した。
そして、途中、一つの澗のそばで、危うく敵の越吉元帥の部下に取り巻かれ、すでに討ち死にをとげる所だったが、ふしぎにもその時、空中に父関羽の姿が見えるような気がして、にわかに百人力を得て、一方の血路を斬りひらき、あとは無我夢中でこれまで逃げて来た――と、平常の彼にも似あわず、心から自己の惨敗を認めて話した。
「いや足下だけの敗戦ではない、われわれの隊もみな大敗をうけた。兵力の損傷は実に半数にものぼっているだろう。この責任は共に負うべきだ」
馬岱は言ったが、張苞はただ口惜し涙をこすっている。しかもまた、明日の戦に、何らこの頽勢をくつがえすべき策も自信もなかった。
「
所
、かなわぬ事を知って、なおこれ以上ぶつかってゆくのは勇に似て勇ではない。それがしは、敗軍をとり
纏め、要害の地に
退いて、ひとまず敵を支えているから、貴公たち二人は、大急ぎで
祁山へゆき、
諸葛丞相にまみえて、いかにせばよろしいか、丞相の御意見を求めて来てくれ。......それまでは、守るを主として、一ヵ月や二ヵ月は、石にしがみついても
頑張っておるから」
馬岱はそう言った。
関興と張苞にも、今はそれしか考えられない、で二人は、夜を日についで、祁山へいそいだ。
ここ祁山での序戦には、蜀軍の上に、赫々たる祝福があったものの、さきに多大の兵力を西部方面へ割き、いままた、その大敗を聞いて、孔明の眉には、ただならぬ不安と焦躁の陰がうごいた。
かかるときこそ将帥の判断ひとつが将来にその大勢を決する重大な岐れ目となるものであろう。孔明は一夜を措いてすぐ次の日。
「いまこの祁山においては、曹真は守勢にあり、我は戦の主導権を握っている。すなわち我戦わずんば彼も動かずという状態にあるところ故、諸将はよくわが留守を守れ。そして好んで策を用い敵を刺戟してはならぬ」
そう言い渡して、自ら西平関へ向かう旨を告げた。新たに調えた軍勢三万余騎のうちに、姜維、張翼の両将を加え、また関興、張苞も率き具して、急援に馳せたのであった。
かくて西平関に着くや、孔明は、直ちに出迎えた馬岱を案内として、高地にのぼり、光栄の軍容を一眄した。
そしてかねて聞く無敵鉄車隊の連陣をながめると、呵々と一笑し、
「量るに、これはただ器械の力。これしきの物を持つ敵を破り得なくてどうしよう。姜維はどう思うか」
と、傍らを見てたずねた。
三
姜維は、言下に答えて、
「敵には、勇があっても、智略がありません。また、器械力があっても、精神力はないものです。丞相の指揮とわが蜀兵の力で破れなかったらむしろ不思議でしょう」
と言った。
孔明はわが意を得たるものとしてうなずいた。――そして山を降りて、陣営に入ると、諸将を会して、こう語った。
「いま彤雲野に起こって、朔風天に雪をもよおす。まさにわが計を用うべき時である。姜維は一軍をひきいて敵近く進み、予が紅の旗をうごかすのを見たら急に退け。......その他の将には、後刻なお告げるところがあろう」
すなわち姜維は誘導戦法の先手となって羗軍へ近づいたのである。――と見るや越吉元帥の中軍は、例の鉄車隊を猛牛のごとく押しすすめ、姜維の勢を席巻せんとして来た。
姜維の勢は引っ返し、また踏みとどまり、また逃げ奔る。
勝ち誇った羗族の大軍は、この日を期して、蜀陣を粉砕せよと、戦線を拡大して、ついに孔明の本陣まで突入して来た。
戦い半ばのころから大きな牡丹雪が降り出して、朔風凜々、次第にこの地方特有な吹雪と成り出していたが、今しも姜維の兵は、その霏々たる雪片と異ならず、みな先を争って、陣門の内へ逃げ入り、防ぎ戦う者もなかった。
鉄の猛牛は苦もなく柵門を突き破り、十台、二十台、三十台と、列をなして進み入った。それに続いて、騎馬二千、歩兵三、四千も喊声をあげてなだれ入った。
ところが、兵営のあちらこちらに、凍れる旗とおびただしい雪の吹き溜りが眺められただけで、陣内には、一兵も見えない。
――のみならず、その雪風か、枯葉の声か、非ず、不思議な美音が、どこからともなく聞こえて来るではないか。
「はてな? ......。待て待て。深入りするな」
越吉元帥は味方を制した。そして馬上に耳を澄ましていたが、愕然と身ぶるいして、
「琴の音だ? ......。琴の音がする」と、つぶやいた。
さてこそ、深い計略があるにちがいない。孔明とかいう軍略に長けたる者が、新たに精鋭をひきいてこれへ来ていると聞く。――油断すな、前後を警戒せよ、と彼は高声に戒めつつ、心なお怪しみに囚われて、退きもせず、進みも得ず、吹雪の中に立ちよどんでいた。
すると、うしろに続いて来た後陣の雅丹宰相が、それを聞くと、大いに笑って、
「孔明は詐りを得意となすと聞く。ただそれ人の心を惑わしめんとする児戯にひとしい計略。何をためらい、何を惧るる。――すでに曠野は雪つもること十尺。退くにはかえって難儀あらん。鉄車隊を先として、無二無三、陣内を駈け暴らし、しかる後、ここを占領してこよいの大雪をしのぐに如かず。もし孔明を見かけたらこの期を外さず手捕りにせよ」
と、厳命した。
越吉元帥もそれに励まされて、ふたたび鉄車の猛進を令し、兵を分けて、まず陣の四門を塞ぎ取って、平攻めに敵残兵の殲滅を計った。
――と、奥深き一
叢の疎林のうちになお一
廓の兵舎があった。今しそこから
慌てて南の門へ逃げ出してゆく一
輛の四輪車がある。
従の者も、五、六騎の将と百人ばかりの小隊に
依って守られゆくに過ぎない。あれよ、孔明にまぎれもなし、追いかけてわれこそ捕らえんと、
羗族の部将たちは、馬を

えて
馳け出そうとした。
「いや待て。いよいよ、いぶかしいぞ」
越吉元帥は、それを御したが、雅丹宰相はあざ笑って、
「たとえ彼に多少の詐謀があろうと、この軍勢をもって、この勝利の図にのせて追えば、何ほどの事やあろう。――敵の総帥を眼にみながら、これを見遁すという法はない。断じて逸すべからずである」と自ら前に立って烈しく下知した。
孔明の車は、その間に、南の柵門を出て、陣後につづく林の中へ隠々として逃げかくれてゆく。
「やるなっ」
羗族の騎馬、戦車、歩兵などは、雪を蹴り、雪にまみれ、真っ白な煙を立ててそれを追った。
四
このとき姜維の一手は、また南の柵外に現われて、羌族の大軍がそれから出て、孔明を追撃するのを、妨害するかのような態勢をとった。
「うるさき小将。あれから先へ片づけろ」
これを合言葉として、羗軍はまず姜維へ当たって来た。彼はよく抗戦したがもとより比較にならない兵数である。ほとんど、怒濤の前の芥のごとく蹴ちらされた。
いよいよ勢いに乗った羗軍数万は、疎林の一道を中心として、
「なお遠くは行くまい」
と、孔明の車を追いかけた。そして林を馳け抜けると、たちまち、一眸ただ白皚々たる原野へ出た。
ただこの丘とかなたの平野とのあいだが、帯のような狭い沢になっている。騎馬隊や歩兵の一部はたちまち馳け降りてまた向こうへ登って行ったが、鈍々たる猛牛の鉄車隊は、やや遅れたため、車列一団になって、そこを越えかけた。すでにしてその一団の鉄車が、窪地の底部に達するや否や突然、雪飛沫をあげ、轟ッと、凄まじい一瞬の音響とともに、その影が見えなくなった。
「あっ、陥ちたっ」
「陥とし穽だ」
続々、後から降りかけていた鉄牛の車兵は、絶叫をあげて、車を止めようとしたが、傾斜の雪を辷ってゆく車輪は止まるべくもない。
あれよ、と騒ぎながらも、みすみすそれへ辷り陥ち、またその上に辷り落ちて、一つの道だけでも、何十台という鉄車が忽然地上から消え失せた。
しかもここ一道だけでなく、至るところに、同じ惨害が起こっていた。まさしくそこを見直せば、何ぞ知らん、この
弛やかな傾斜の窪と見えていたのは、太古の大地震のときにでも
亀裂していたかのような長い断層であって、その数里にわたる上へ板を敷きつめ土をかぶせ、更に
柴など

いつつんだ所へ今朝からの大雪だったので、だれが見てもそれとは知れなかったのみか、騎馬や歩兵などが馳け渡った程度では何の事もなかったので、羗族が力と
恃む鉄車群はまんまとその大半以上を、一挙にここへ
擲ってしまったわけであった。
計略図にあたったと見ると、蜀軍は鉦鼓を鳴らし、喊の声をあわせ、野の果て、林の陰、陣営の東西などから、いちどに奮い起って来た。
馬岱軍は雅丹宰相を生け捕りにし、関興は恨みかさなる越吉元帥を馬上一刃の下に斬って、鬱懐をはらした。
姜維、張翼、張苞などの働きもまた言うまでもない。何せよ機動戦を主として、その力に驕りきっていた羗軍なので、こうなるとほとんど手応えなく蜀兵の撒血にまかせ、残る者は例外なく降伏してしまった。
しかし孔明は、雅丹宰相の繩を解いて、懇ろに順逆を諭し、
「蜀皇帝こそ大漢の正統である。われは勅をうけて、魏を討つといえども、決して、羗国に対して、何らの野心もあるものではない。汝らは魏にだまされたのだ。立ち帰って羗国王によく伝えるがよい」と、その虜兵をもすべてゆるし、みな本国へ帰してやった。
事成るやただちに、孔明は祁山へ向かって軍を回した。途中、表を認めて、成都へ使いを立て、後主劉禅へ勝ち軍のもようを奏した。ここに、大きな機を逸していたのは、渭水に陣している曹真の大軍だった。
彼の不敏は、魏にとって、取り返し難い大不覚ともいえるものであった。なぜならば、その曹真が、孔明の不在を知って、祁山へ行動し出したのは、すでに孔明が西部の憂いを払って、引っ返して来るころだったからである。
しかも祁山の留守にも、孔明の遺計が充分に守られていたため、かえっていくたびも敗北を喫し、やがてまた、西部方面から帰って来た蜀軍のために、左右からつつまれて、多角的に打ち叩かれ、ついに渭水から総退却のほかなき態になってしまった。
大体、曹真は、初めからあまり自信のなかった大任であるから心ただ哀しみ、第二第三の良策とてもなく、洛陽へ早馬ばかり立て、ひたすら中央の援助と司令のみを仰いでいた。
鶏家全慶
一
渭水の早馬は櫛の歯をひくように洛陽へ急を告げた。
そのことごとくが敗報である。
魏帝曹叡は、色を失い、群臣を会して、たれかいま国を救う者はなきや、と憂いにみちて言った。
華歆が奏した。
「この上は、ただ帝みずから、御輦を渭水へすすめ、もって、三軍の士気をふるわせ給うしかありますまい。ただ幾人もの大将をお代えあっても、それにいよいよ敵をして図に乗らせるばかりでありましょう」
太傅鍾繇は、否と、反対して、
「――彼ヲ知リ、己レヲ知ルトキハ百度戦ッテ百度勝ツ――と古語にあります。曹真はすでに初めから孔明の相手としては不足でした。いま帝みずから御進発あられてもその短を補うほどの効果は期し難く、万一、更にまた敗れんか、魏一国の生命にかかわりましょう。――むしろこの際、野に隠れたる大人物を挙げ、これに印綬を下し給うて、孔明をして窮せしめるに如く策はありません」と、陳べた。
鍾繇は、魏の大老である。野に隠れたる大人物とは、いったいだれをさしていうのか、叡帝は忌憚なくそれを薦げよと言った。
「その人とはほかならぬ彼の司馬懿仲達であります。先年、敵の反間に乗せられ給い、市井の流言を信じて彼を御追放になりましたことは、かえすがえすも惜しいことでした。――きくならく、いま司馬懿は、郷里の宛城に閑居しておるとか、あの大英才を国家が埋もれ木にしている法はありません。よろしく、今日こそ、お召し出しあるべきでございます」
叡帝は悔いをあらわした。日ごろからの傷みである。いまそれを鍾繇に指摘されると、さらにそれを面に濃くして、
「朕一代の過ちであった。しかし冤を恨んで深く郷藪に隠れた彼、にわかに命を奉じるであろうか」
「いや勅使をお降しあれば、元来憂国の人、かならず御命にこたえましょう」
さらばと、勅使をして、平西都督の印綬を持たせ、また詔をもって、事にわかに、
(汝、国を憂い、南陽諸道の軍馬を糾合して、日を期し、長安に出るあらば、朕また鸞駕を備えて長安へむかい、相会してともに孔明をやぶらん)と、伝えさせた。
この日ごろ。
一方、祁山の陣にある孔明は、
「機運すでに熟す。この上は長安を乗っ取り、なお長駆して洛陽に入ろう」
と、連戦連勝の機を外さずに、一挙、魏の中核を衝かんものと準備していた。
ところへ、白帝城の鎮守李厳の一子李豊が、唐突にやって来た。
(さては、呉がうごき出したのではないか。ただ事ではあるまい)
白帝城のある所の地理上から、孔明はそう考えたのであるが、呼び入れて、会ってみると、李豊はそんな気もなく、
「今日は、父に代わって、よろこび事をお伝えに来ました」と、言うのであった。
「はて、慶び事とは」
「御記憶でございましょう。むかし関羽将軍が荊州で敗れた後、その禍因をなしたあの孟達を。――蜀に反いて魏へ降った孟達ですが」
「忘れはせぬ。その孟達がまた何としたか」
「かような仔細であります」
李豊が言うことはこうだった。孟達は魏に降ってから、ひとたびは曹丕の信寵もうけたが、曹丕歿後、新帝曹叡の代になってからは、ほとんど顧みられなくなり、近ごろはことに、何かにつけ、軽んじられ、また以前蜀臣だった関係から猜疑の眼で見られるので、怏怏として楽しまない心境にある。彼の部下も今では、故国の蜀を恋う者が多く、祁山渭水の戦況を聞くにつけ、なぜ蜀を離れたかを、今ではいたく後悔している。
――でついに、孟達は、そうした心境を綿々と書中に託して、
(どうか、この趣を、諸葛丞相に取り次いでくれ)
と、帰参の斡旋方を、李豊の父、白帝城の李厳へ縋って来たものであった。
二
李豊は、以上のいきさつを、あらまし伝えてから、
「――そこで実は、父の李厳がいちど孟達と会いました。孟達がいうには、自分の心根は、魏の五路の大軍を起こして蜀へ入ろうとした折の事で、丞相がよく酌んでいて下さると思う。どうか帰参のかなうように取り做して欲しい。もしお聞き入れ下されば、このたび諸葛丞相が長安へ攻め入るとき、自分は新城、上庸、金城の勢をあつめて、直ちに、洛陽を衝き、不日に魏国全土を崩壊させてお見せする。――と、さように父へ申したということなので御座いますが」
孔明は、手を打って、
「なるほど、近ごろにない慶び事だ。よく伝えてくれた」と、かぎりなく歓び、
「いま孟達が本然の心に立ち回って、わが蜀を援け、わが軍が外より攻め入る一方、彼が内より起って洛陽をつけば、天下の相は即日あらたまろう」
と、李を篤くねぎらって、幕将たちと共に酒宴を催していた。ところへ、早馬があって、
「魏王曹叡が、宛城へ勅使を馳せつかわして、閑居の司馬懿仲達を平西都督に封じ、強って彼の出廬を促しているように窺われます」
と、告げた。聞くと、愕然、
「......なに、司馬懿を」
孔明は首を垂れて、その酔色すらいちどに褪せてしまった。そばに在った参軍の馬謖が、
「丞相、いかがなさいました。何をそんなにお驚き遊ばすのですか。たかが、司馬懿ごときに」
と、むしろ怪しむかのようにたずねた。
「いや、そうでない」と、孔明は重くかぶりを振って反対に諭した。
「わが観るところでは、魏で人物らしい者は、司馬懿一人といってもよい。孔明のひそかに怖るる者も実にその司馬懿仲達一箇にあった。......いま孟達の内応をよろこび合っていた所だが、それすら悪くすると、司馬懿のために覆されるかもしれん。......実に悪い折に悪い者が魏に立った」
「では、急使を立てて、孟達にその旨を、心付けてやってはいかがです」
「もとよりそれを急がねばなるまい。すぐ早馬の支度を命じ、使いの者を選んでおけ」
と、孔明は、席を中座して孟達へ与える書簡をしたためた。急使は、その夜すぐ立って、孟達のいる新城へいそいだ。孔明からの手紙と聞き、孟達は、さては李厳が自分の意を伝えてくれたなと、喜色満面にこれを披いてみると、その事は許容されてあったが、終わりの章に、すこし気にくわない辞句があった。――それは、魏帝の命によって、司馬懿が宛城から起ったことを告げたもので、それだけならよいが、司馬懿の智略をすくなからず称え、それに対処する万全の策を、何くれとなく細々注意してある事だった。
「なるほど、うわさのごとく、諸葛亮は疑い深い仁だ......」
彼は、あざ笑って、ほとんど、歯牙にもかけず、書簡を巻いてしまった。そして自分のほうから孔明へ返書をかき、すぐ使いの者に持たせて帰した。
待ちかねていた孔明の手へやがて返書がとどいた。だが孔明は、一読するや否や、
「咄。なんたる浅慮者だろう」
と、それを

の中に
握りつぶした。それでもまだ
罵りきれないように、
「見よ汝孟達。そんな盲目にひとしい心構えでは、かならず司馬懿の手に死すであろう。......ああ、ぜひもない」と、暗涙をたたえたまま、しばし天井を仰いでいた。
「丞相、何をお歎きですか」
「馬謖か。この手紙を見い。......孟達の書簡によれば、たとえ司馬懿が自分の新城へ襲せて来るにしても、洛陽へ上って、任官の式を行ない、それから出向いて来ること故、早くても一ヵ月の余はかかる。その間に守備は充分ととのうから御心配は無用と認めてある。得得として、司馬懿仲達のごとき何する者ぞと、ひとり暢気に豪語をならべておるではないか。......もう駄目だ。もういかん」
「はて。なぜいけませんか」
「――ソノ備エザルヲ収メ、ソノ不意ニ出ヅ。これしきの兵法を活用できぬ仲達ではない。彼はおそらく洛陽に上ることを後とし、直線に宛城から孟達を衝くだろう。その日数は、ふたたび孟達へ、こちらから戒告の使いをやる暇よりほ、ずっと速い。事すでに遅しだ――」
三
長嘆して――大事すでに去る――とは言ったものの、孔明はなお諦めかねたか、すぐまた、戒告の一書を封じて、
「昼夜馬を飛ばして行け」
と、ふたたび新城へ使いを走らせておいた。
ここに。
郷里宛城の田舎に引き籠っていた司馬懿仲達は、退官ののちは、まったく閑居の好々爺になりすまし、兄司馬師、弟司馬昭のふたりの息子あいてに、至極うららかに生活していた。この息子ふたりも、胆大智密、いずれも兵書を深く究め、父の眼に見ても、末たのもしい好青年だった。
きょうも二人して、父の書斎へ入って来たが、父の顔いろが、どうもすぐれて見えない。そこで、弟の司馬昭がたずねた。
「お父上、何をふさいでいらっしゃるんです?」
「うーむ。何もふさいでやせんがな」
仲達は、節の太い指を櫛にして、そのまばらな長髯をしごいた。
兄の司馬師が父の晴れない眉を窺って言った。
「私にはわかっている。お父上のお胸にはいま鬱勃たるものがわいているのだ」
「うるさいよ。お前たちに何がわかるもんではない」
「いいえ、きっとそうです。思うに、お父上は、天子からお招きがないのを嘆いておられるのでしょう」
「なんじゃ?」
すると、弟の司馬昭も、
「それならば、くよくよする事はありませんよ。きっと来る。近いうちにきっとお召しが来る」
と、大きな声で断言した。
司馬懿は、刮目して、
「おおっ、わしの家からまたも、この麒麟児が生まれ出たか」
とわが子ながら見惚れて言った。
それから幾日も経たないうちである。果たして、勅使が、この門を訪れた。
もちろん司馬懿は、大命を拝受し、同時に一族、郎党を集めて、直ちに、檄を宛城諸道へ配布した。
日ごろ、彼の名をしたい、彼の風を望む者少なくない。郷関はたちまち軍馬で埋まる。しかも仲達は、その兵員が予定数に達することなどを悠々待ってはいなかった。
その日から行軍を開始していたのである。募りに遅れた兵は、後からそれを追いかけて軍に投じた。だからその行軍は道を進んでゆけば行くほど軍勢を増大していた。なぜ、こう急いだか。――言えばそれには、重大原因がある。すでにして彼は田舎にいても魏蜀の戦況はつぶさにしていたし、また近ごろ、新城の孟達、叛意の兆しある気ぶりを、ひそかに耳にしていたからである。
それを司馬懿に密告して来たのは、金城の太守申儀の一家臣だった。孟達は、金城と上庸の両太守に、すでに秘事をうちあけて、洛陽攪乱の計をそろそろ画策し始めていたのであった。
仲達は、重大視した。
もしその謀略が成らんか、魏はいかに大国なりとも、内部から崩壊せずにいられない。
実に、彼が数日の懊悩は、そこに憂いがあったのである。退官以来かつてそんな憂鬱の色とてない父の日常に照らして、はやくもその原因と来るべき必然の機運を察知していた司馬家のふたり兄弟も、また父にまさるとも劣らぬ子だと言わなければならない。
「未然これを知る。魏の国運、天子の洪福、ふたつながらまず目出度しというべきである。何にしても、もし今日、司馬一家が出なかったら、洛陽長安、一時に潰えたであろう」
彼は、額をたたいて、この吉事に発したる軍隊であると称え、洛陽へは向かわず、一路、新城へさして急いだ。
息子たちは、少し案じて、
「お父上。いちど洛陽へ上って、親しく闕下に伏し、正式の勅命を仰がなくてもよろしいのですか」
「よいのじゃよ。そんないとまはない」
と、彼等の父は答えた。司馬仲達の急ぎに急いでいた理由は、果たせるかな、孔明が惧れつつも予察していたところと、まったく合致していたのである。
洛陽に生色還る
一
司馬懿仲達軍のこのときの行軍は、二日行程の道のりを一日に進んで行ったというから、何にしても非常に迅速なものだったにちがいない。
しかも仲達は、これに先だって、参軍の梁畿という者に命じ、あまたの第五部隊を用いて、新城付近へ潜行させ、
「司馬懿の軍は、洛陽へ上って、天下の勅をうけた後、孔明を打ち破ることになっている。このときに功を成し名を遂げんとする者は、募りに応じて、司馬軍につけ」と、言い触れさせた。
もちろんこれは新城の孟達に油断をさせる謀略で、仲達の大軍は、その先触れのあとから一路新城へ急いでいた。
途中、魏の右将軍徐晃が、国許から長安へ赴くのとぶつかった。徐晃は、仲達に会見を求めて、
「いますでに、魏帝におかせられては、長安へ進発あらせ給い、曹真を督して、孔明を破らんとしておられるに、途々の風聞によれば、司馬都督には、洛陽へ上るともっぱら沙汰いたしておるが、何ゆえいま、帝もおわさぬ都へわざわざお上りなさるのか」と、怪しんで訊ねた。
仲達は、徐晃の耳へ口をよせて、
「沙汰は沙汰。それがしの急ぐ先は、ほかでもない、孟達の新城である」
と、実を打ち明けた。
「さてこそ」と、徐晃は膝をたたいて、
「――さもあらば、それがしも貴軍に合して、往きがけの一働きを助勢仕りたいが」
と、言い出した。
希ってもない事であると、司馬懿は彼に先鋒の一翼を委せた。
すると、第五部隊、参軍梁畿から、
「かかるものが手に入りました」
と、孔明から孟達へ送った意見書の盗み写したものを送付して来た。
それを見ると仲達は、愕然たる態をなして、
「危うし危うし。もし孟達が孔明の戒めに柔順であったら、事すべてが
水
に帰するであろう。まことや能者は
坐して千里の先を
観るという。わが玄機はすでに孔明に
覚られておる。一刻も
疾く急がねば相成るまい」
司馬師、司馬昭の二子をも励まして、更に行軍へ拍車をかけ、ほとんど、昼夜もわかたず急ぎに急いだ。
こういう情勢にありながらなお、少しもそれを覚らずにいたのは新城の孟達であった。
金城の太守申儀や、上庸の申耽などに、大事を打ち明けて、
「不日、孔明に合流せん」と、密盟をむすんでいたその事に安心して、実は
申儀も
申耽も、腹を合わせて、魏軍が城下へ来たら突如としてそれに内応し、
孟達に一

ふかせてくれん――として居るものとは夢にも気づかずにいたのである。
「司馬懿は、洛陽へ出ずに、長安へ向かうようです」
新城の諜者は、各地で耳へ入れて来た情報を、いちいち孟達へ報じていた。
「初めは、洛陽へ上ると触れていましたが、途中、徐晃の勢に出あい、魏帝がいま都にいないのを知って、次の日からは、道を代えて、長安へ進んでおるようです」
そういう詳報も入った。
孟達は聞くごとに欣んで、
「万端、こちらの思うつぼだ。いでや日を期して、洛陽へ攻め入らん」
と、上庸の申耽と、金城の申儀へその旨を早馬で言い送り、何月何日、軍議をさだめ即日大事の一挙に赴かん――と、つぶさに諜し合わせにやった。
ところが、ひと朝。
まだその日の来ないうちにである。暁闇をやぶって、城下の一方から旺なる金鼓のひびきが寝ざめを驚かせた。何事かと、仰天して、物の具をまとうや否や、孟達は城のやぐらへ駈けのぼった。見れば、暁風あざやかに魏の右将軍徐晃の旗が壕近くに見えたので、
「や、や、いつの間に」
と、弓を把って、その旗の下に見える大将へひょうと一矢を射た。
何たる武運の拙さ。
徐晃は、この朝、攻めに先だって、真額を射ぬかれ、馬からどうと落ちてしまった。
二
緒戦の第一歩に、大将を失った徐晃軍は、急襲して来たその勢いを、いちどに怯ませて、先鋒の全兵みな、わあと、浮き足たった。
城のやぐらからそれを眺めた孟達は、いささか勇気を持ち返して、
「わが大事は、露顕したらしいが、討っ手の勢は、多寡の知れた人数。しかも大将徐晃はただひと矢に射止めた。蹴ちらす間には、やがて金城、上庸の援軍も来る。衆みな門を出て、怯み立った寄せ手どもを一兵のこらず屠ってしまえ」と、金城へ急命を出した。
城兵は各門から突出して、魏兵を追いくずした。孟達も馬をすすめ、
「あな快や」と、敵勢を薙ぎ伏せ、蹴ちらして、果てなく追撃を加えた。
しかし追えば追うほど、敵兵の密度は増し、
濛々の
戦塵とともに敵陣はますます重厚を加えてくる。――はてな? と孟達がふと後ろを見ると、何ぞはからん、
翻として千軍万馬のうえに押し
揉まれている大旗を見れば、「司馬懿」の三文字が
金繡の布に黒々と縫い表わされてあるではないか。
「しまった。徐晃勢だけではなかったか」
あわてて引っ返しにかかった時は、彼の率いていた軍容は全く隊伍を紊していた。あまつさえ、彼が自分の城へ帰って、そこの城門へ向かって烈しく、
「はやく開けろ」と、呼ばわると、おうと答えて、
門
を押し開き、どっと突出して来たのは、申耽、申儀の二軍だった。
「反賊、運の尽きだぞ」
「こころよく天誅をうけろ」
猛然、迫って来たものこそ、まさに味方と恃んでいたその二人にまぎれもない。
孟達は仰天して、
「人ちがいするな」と
呶鳴ったが、
申耽、
申儀の二将は、大いに
笑って、
「汝こそ、戸まどいして、これに帰って来る愚を醒ませ。あれみろ、城頭高くひるがえっているのは、蜀の旗か、魏の旗か、冥途のみやげによく見てゆけ」と罵った。
その城頭からは、李輔、鄧賢などという魏将が雨あられと、矢を放っていた。
孟達は、きたなくもまた、逃げ奔ったが、申耽に追いつかれて、武将のもっとも恥とする後ろ袈裟の一刀を浴びて叫絶一声、ついに馬蹄の下の鬼と化してしまった。
司馬懿は、降兵を収め、味方をととのえ、一日にして勝ちを制し、一鼓六足、堂々と新城へ入った。
孟達の首は洛陽へ送られた。
司馬懿は、李輔と鄧賢に新城を守らせ、申耽、申儀の軍勢をあわせて、更に、長安へ向かっていそいだ。
孟達の首が洛陽の市に曝されて、その罪状と戦況が知れわたるや、蜀軍来におびえていた洛陽の民は、にわかな春の訪れに会ったように、
「司馬懿が起った」
「司馬仲達がふたたび魏軍を指揮するそうな」
と、その生色を甦らせた。
すでに長安まで行幸していた魏帝曹叡は、ここに司馬懿を待ち、彼のすがたを行宮に見るや、玉座ちかく召しよせて、
「司馬懿なるか。かつて汝をしりぞけて郷里にわびしく過ごさせたのは、まったく朕の不明が敵の謀略にのせられたものに依る。いまふかくそれを悔ゆ。汝また、うらみともせず、よく魏の急に馳けつけて、しかもすでに孟達の叛逆をその途に打つ。――もし汝の起つなかりせば、魏の両京は一時にやぶれ去ったかもしれぬ。嘉しく思うぞ」
と、優渥なる詔を降した。
司馬懿は、感泣して、
「勅命をもうけず、早々、途上において戦端をひらき、僭上の罪かろからずと、ひそかに恐懼しておりましたのに、もったいない御諚をたまわり、臣は身のおくところも存じませぬ」
と、ひれ伏した。帝は、
「否、否。疾風の計。迅雷の天撃。いにしえの孫呉にも勝るものである。兵は機を尊ぶ。以後、事の急なる時は、朕に告ぐるまでもない。よろしく卿の一存において料れ」
と、破格にもまた前例なき特権をあたえ、かつ、金斧、金鉞一対を賜わった。
陣中に戯言なし
一
魏の大陣容はととのった。
辛毘、あざなは佐治、これは潁州陽翟の産まれ、大才の聞こえ夙にたかく、いまや魏主曹叡の軍師として、つねに帝座まぢかく奉侍している。
孫礼、字は徳達は、護軍の大将として早くより戦場にある曹真の大軍へ、更に、五万の精兵を加えて、その力をたすけ、また司馬懿仲達は、総兵力二十万を、長安の関から外に押し並べて、扇形陣を展開した。壮観、実に眼もくらむばかりである。
仲達軍の先鋒に大将として薦された者は、河南の張郃、あざなは雋義、これは仲達から特に帝へ直奏して、
「張郃を用いたいと思います」
と嘱望して、自軍へ乞いうけた良将である。その張郃を、帷幕へ招いて、仲達は、
「いたずらに敵を称えるわけではないが、この仲達の観るかぎりにおいて、孔明はたしかに蓋世の英雄、当今の第一人者、これを破るは実に容易でない」
と、今次の大戦を前に、心からそう語って、さてそのあとで言った。
「――もし自分が孔明の立場にあって、魏へ攻め入るとすれば、この地方は山谷険難、それを縫う十余条の道あるのみ故、まず子午谷から長安へ入る作戦をとるであろう。――だがじゃ、孔明はおそらく、それを為すまい。なぜならば従来の戦争ぶりを見ると、彼の用兵は実に慎みぶかい。いかなる場合も、絶対に負けない不敗の地をとって戦っておる」
彼の言は、孔明の心を、掌にのせて解説するようだった。英雄、英雄を知るものかと、張郃は聞き恍れていた。
「――察するに、彼は斜谷(郿県の西南三十里・斜谷関)へ出て、郿城(陝西省・鳳凰府)を抑え、それより兵をわけて、箕谷(府下城県の北二十里)に向かうであろう。――で、わが対策としては、檄をとばして、曹真の手勢に一刻も早く郿城のまもりを固めさせ、一面箕谷の路には奇兵を埋伏して、彼がこれへ伸びて来るのを破砕し去ることが肝要だ」
「そして、都督の御行動は」
「秘中の秘だが」と声をひそめ、
「秦嶺の西に街亭という一高地がある。かたわらの一城を列柳城という。この一山一城こそまさに漢中の咽喉にあたるもの――。さはいえ孔明は曹真がさして烱眼ならざるを察して、おそらくまだそこまで兵をまわしておるまい。......のう張郃。御辺とわしとは、一方急に進んで、そこを衝くのじゃよ。なんと愉快ではないか」
「ああ。神謀です。たしかにそれは一刃敵の肺腑を抉るものでしょう」
「街亭をとれば、孔明も漢中へ退くしかない。兵糧運送の途はここに絶えるでな」
「隴西の諸都も、食を断たれては、崩壊退却のほかありますまい。実に都督の好計、たれかよく思い及びましょう」
「――いやいや、計だけを聞いて、そうにわかによろこぶなかれじゃ。あいては諸葛孔明であるぞ。孟達などの類とは大いに違う。ゆめ、軽々しくすな」
「かしこまりました」
「一里進まば、十里の先に物見を出し、十里進まば、敵の伏兵を勘考し、胆大頭密に、よくよく臍をすえてゆけよ」
「仰せまでも御座いません」
「さらば、支度をなせ」と、彼を先鋒へ返してから、仲達は祐筆に命じて、檄をしたためさせ、これを曹真の本陣へ告げて、作戦方針を示し、かたがた、
「孔明の誘いに吊られて、めったに動き給うな」とかたく戒めた。
祁山(甘粛省・鞏昌附近)一帯の山岳曠野を魏、蜀天下の分け目の境として、まさにその第一期線はここに展開されようとしている。
この地形、この広大な天地は、まさに孔明の方から選んで取った戦場である。この大会戦に先んじて、蜀軍がまず地理的優位を占めていたことはいうまでもない。
新城陥落の一報は、孔明の心に、一抹の悲調を投げかけた。彼はその報をうけた時、左右の者へ言った。
「孟達の死ははや惜しむに足らない。けれど、司馬懿がかく早く大軍をそろえて来たからには、街亭の一路が案じられる。彼は、直ちに街亭へ眼をつけるであろう。街亭は我が咽喉に等しい。一日の猶予もならん。たれかをして、早速これを守らせねばならぬ......」
二
たれをか向けん――と孔明の眼は諸将を見まわして物色しているもののようだった。
と、その面を仰いで、参軍の馬謖が、傍らから身をすすめ、
「丞相。それがしをお差し向け下さい」と、懇願した。
「......?」
孔明は馬謖を顧みたが、初めはほとんど意中に置かないような容子であった。しかし馬謖はなお熱心に希望して熄まない。――たとえ敵の司馬懿や張郃がいかほど世に並びなき名将であろうと、自分も多年兵法を学び、わけて年も弱冠の域をこえ、なお何等の功を持たないでは世に対しても恥ずかしいと言い、
「量るに、街亭一つ守り得ないくらいなら、将来、武門に伍して、何の用に足りましょう。どうか自分を派遣して下さい」
と、多少日ごろの親しみにも甘え、ほとんど縋らんばかり熱望をくりかえした。
馬謖は孔明を父とも慕い師とも敬っていた。孔明もまた慈父のごとく彼の成長を多年ながめて来たものである。
もともと馬謖は、夷族の役に戦死した馬良の幼弟だった。馬良と孔明とは、刎頸の交わりがあったので、その遺族はみな引き取って懇ろに世話していたが、とりわけ馬謖の才器を彼はいたく鍾愛していた。
故玄徳は、かつて孔明に、
(この子、才器に過ぐ、重機に用うるなかれ)と言ったが、孔明の愛は、いつかその言葉すら忘れていたほどだった。そして長ずるや馬謖の才能はいよいよ若々しき煥発を示し、軍計、兵略、解せざるはなく、孔明門第一の俊才たることは自他ともにゆるすほどになって来たので、やがての大成を心ひそかに楽しみと見ているような孔明の気持ちだったのである。
――で今。
その馬謖からせがまれるような懇望を聞くと、彼は丞相たる心の一面では、まだちと若いとも思い、まだ重任過ぎるとも考えられたのであるが、苦しい戦と強敵にめぐり合わせるのもまた、この将来ある人材の鍛錬であり大成への段階であろうとも思い直し、その機微な心理のあいだに、自己の小愛がふとうごいていたことは、さしもの彼も深く反省してみる遑もなく、つい、
「行くか」
と言ってしまったのである。
馬謖は、華やかな血色を顔にうごかして、言下にすぐ、「行きます」と答え、
「――もし過ちがあったら私は言うに及ばず、一門眷属、軍罰に処さるるも、決しておうらみ仕りません」と、きおいきって誓った。
「陣中に戯言なし――であるぞ」と、孔明は重々しく念を押して、かつかさねた。
「敵の司馬懿といい、副将張郃といい、決して等閑の輩ではない。心して誤るなよ」
と、くれぐれも戒めた。
また牙門将軍王平に向かい、
「御辺は平生もよく事を謹んで、いやしくも軽忽の士でないことを自分も知っておる。その故に今馬謖の副将として特に副えて差し向ける。必ず街亭の要地を善守せよ」と、いいつけた。
更になお孔明は入念だった。すなわち要道の咽喉たる街亭付近の地図をひろげ、地形陣取りの法をくわしく説き、決して、進んで長安を攻めとると考えるな。この緊要の地を抑えて、ひとりの敵の往来も漏らさぬ事が、長安を取る第一義になることである――と、嚙んでふくめるごとく教えた。
「わかりました。尊命にたがわず死守いたします」
馬謖は、副将王平と共に、二万余の兵力を与えられて、街亭へ急いだ。
それを見送って、一日おくと孔明はまた、
高
をよんで、一万騎をさずけ、
「街亭の東北、その麓のかたに、列柳城という地がある。御辺もそこへ進んで、もし街亭の危うきを見ば、すぐ兵をあげて、馬謖をたすけよ」と、命じた。
孔明にはなおどこやら安心し切れないものがあったのである。軍の大機を処す際に、ふと微かにでも「私」の情がそれへ介在したことを、彼自ら今は意識してそこに安んぜぬものを抱いているやに思われる。
三
街亭の要地を重視する孔明の用意は、それでもなお足らぬものを覚えたか、彼は更に
魏延を後詰めとして出発させ、また
雲、
鄧芝の二軍をそこの
掩護として、
箕谷方面へ急派した。
そして彼自身の本軍は、姜維を先鋒として、斜谷から郿城へ向かった。まず郿城を取って、一路長安への進攻路を切り拓かんとする態勢なることは言うまでもない。
一方。馬謖は街亭に着くと、すぐ地勢を視察して廻ったが、大いに笑って、
「どうも丞相はすこし大事をとり過ぎる。山といっても大した山ではないし、やっと人の通れるほどな樵夫道が幾つかあるに過ぎないこの街亭などへ、なんで魏が大軍を傾けて来るものか。由来、丞相の作戦はいつでも念入りの度が過ぎて、かえって味方に疑いを起こさしめる」
そして山上へ陣構えをいいつけたので、副将王平はきびしく戒めた。
「丞相の令し給える御主旨は、山の細道の総口を塞ぎ、そこを遮断するにありましょう。もし山上に陣取るときは、魏軍に麓を囲まれて、その使命を果たしきれますまい」
「それは婦女子の見で、大丈夫の採るところでない。この山低しといえど、三方は絶地の断崖。もし魏の勢来らば、引き寄せて討つには持って来いの天嶮だ」
「丞相は大いに勝てとは命ぜられませんでした」
「みだりに舌の根をうごかすのはよして貰いたい。孫子も言っておる。――是ヲ死地ニ置イテ而シテ後生ク――と。それがしは幼より兵法を学び、丞相すら事にあたっては計をこの馬謖に相談されておるのだ。だまって我が命令のようにすればよい」
「では、あなたは山上に陣をお構えなさい。てまえは五千騎をわかち、別に麓に陣取って、掎角の勢いに備えますから」
馬謖は露骨に不愉快な色を示した。大将の威厳を傷つけられた気がしたのだ。その反面の心理には特に選ばれて主将となって来たことや、日ごろから孔明の寵をうけているという気分が満々と若い胸にあった、壮気というべきみえ、衒気、自負があった。
着陣早々、主将副将が、議論に時を移しているまに、早くも近郡の百姓たちが、この地方を逃散しながら、
「魏軍が来る。魏軍が来る」と、告げて行った。
すわや。――猶予はできない。
馬謖は、自説を固持して、
「山上へ陣取れ」
と、指揮を発し、自身また、街亭の絶頂へのぼった。
王平は手勢五千をひきい、頑として麓に陣した。そして二人の布陣をくわしく絵図に写し、早馬をもって、(直接の御命令を仰ぎたい)と、孔明のところへ訴えた。
馬謖は、布陣を終わって、
「王平の奴、ついにおれの指図に従わんな。凱旋の後は、丞相の前へ出で、彼の僭上と軍律に背くの罪をきっと問わねばならん」と、麓を見て、切歯していた。
翌日、また翌日。
ひきつづいて味方の
高
や
魏延などが、
列柳城附近からこの
街亭のうしろへも後詰めして、陰に陽に、ここを
援け、魏軍を
牽制しつつあると聞こえたので、彼はなお
大磐石をすえているここちをもって、
「魏勢が押し寄せて来たら、
逆落としに一撃を

らわせん」
と、百万軍も呑むような概をもって待ちうけていた。
このとき魏の司馬懿仲達の考えでは、まだ街亭には、蜀軍は一兵も来ていまいと観ていたのだった。
ところが、先発した
司馬昭が、先陣の
張郃に会って、すでに街亭には、蜀旗
翻たるものがあると聞かされ、
「それでは、自分の一存で、うかと手出しはできない」
と、急遽引っ返して、父の仲達に、その趣を話した。
「ああ、さすがは孔明。――神眼。迅速。......もう遅かったか」
仲達は非常におどろいて、しばし茫然としていた。
四
司馬懿はその本陣をややうごかして、街亭、箕谷、斜谷の三面に遺漏なき触覚をはたらかせた。
「ひそかに来いよ」
一夜、彼はわずか十騎ほど連れて、前線へ微行した。
月明を利して、ひそかに敵近き四山を巡り、やがて一高地から蜀の陣容を望んで、
「こは何事だ」と一瞬、啞然とした後、左右をかえりみて、
「有り難し有り難し。天の助けか、蜀は絶地に陣をとり、自ら敗北を待っている」
と語り、本陣へ帰るやいな、帷幕の参軍たちを呼び集めて、
「街亭を守る蜀の大将はいったいだれか」と、訊ねた。
そして、馬謖なりと聞くと、彼はわらって、
「千慮の一失ということはあるが、孔明にも、人の用い方に過ることもあるか。山を守っている、蜀の大将はまさしく愚物だ。一鼓して破ることができよう」
と、よろこび斜めならずだった。
彼は、張郃に命じて、
「山の西、十里の麓に、蜀の一陣がある。汝は、それへ攻めかかれ。われは申耽、申儀のふた手を指揮し、山上の命脈を、たち切るであろう」と、言った。
仲達が「山上の命脈」と見たものは、実に、軍中に無くてはならぬ「水」であった。
その水を、山上の蜀軍は、山の下から兵に

ませていたのである。魏の張郃は、仲達の
旨をうけて、次の日の早天に、兵をひいて、王平軍の孤立を計った。すなわち山上の軍との
聯絡を
遮断し、同時に、魏軍が山上兵の水を

みに通う通路を断つ行動に対して、妨害に出ることができぬように、その途中を切り取ったのであった。
須臾の後、
司馬懿はみずから魏の大軍を引率して、街亭山麓を十重二十重にとりまいてしまった。そのあいだ、喊の声と金鼓の音は雲をうごかし、地をふるわせた。
山上の馬謖は、
「紅の旗がうごくと見たら、いちどに蒐って攀じのぼる魏兵をみなごろしになせ」
と、麓をのぞんで、有利の地を占め、必勝の概、天を衝くものがあったが、何ぞはからん、魏軍は喊声鼓雷のみあげて、山上へ攻め登っては来なかった。
「怯んだとみえる。この上はわれから攻め下って、微塵になせ」
何しても馬謖は功に逸りきっていた。小道小道から逆落としに駈け下り、彼自身は、魏の大将の首二つを獲て山上へもどった。多数の味方は序戦に戦ったが、帰路は精を限らし、また山道を登るので、追撃の新手におびただしく討たれた。
しかも馬謖は、
「きょうの戦は勝っている」
と、目前の勝負にとらわれていたが、たちまちその夜から水に窮した。
「なに、水の手を断たれた?」
愕然、気づいたときは、時すでに遅く、以来、奪回をはかるたびに、ほとんど算無きまでの損害を繰り返した。日を経るに従って、山上の軍馬は渇に苦しみ出した。炊ぐに水もない有様で兵糧すら生か火食のほかなく、意地わるく待てど待てど雨もふらない。そのうちに、
「水を

みにゆく」と称しては、暗夜、山を降りてゆく兵は、みな帰らなかった。討たれたのかと思うと、続々、魏へ投降したものとわかった。
ついには、大量の兵が一団となって、魏へ降り、山上の困憊は司馬懿の知るところとなった。
「時分はよし。かかれ」
魏は総攻撃を開始した。
「のがれぬ所」
と、馬謖もいまは覚悟して、西南の一路からどっと下りた。司馬懿はわざと道をひらいてこの
窮鼠軍を通したが、その大兵が山を離れるや初めて袋づつみとして
殲滅にかかった。
街亭の後詰めにあった
魏延、
高
は、すわと、五十里先から
援けに来たが、その途中には、
司馬昭の伏兵があり、また一面には蜀の
王平も現われ、ここに蜀魏入り乱れての大混戦が展開されて、文字通り
卍巴の戦いとなった。いずれが勝ち、いずれが負けやら戦雲
漠々、終日わからないほどだった。
高楼弾琴
一
街亭の激戦は、帰するところ、蜀の大敗に終わった。
ふもとに陣した
王平、後詰めしていた
魏延、
列柳城まで出ていた
高
など、いっせいに奮い出て、
馬謖の軍を
援けたが、いかんせん、馬謖軍そのものの本体が、十数日のあいだ、山上にあって水断ちの苦計にあい、兵馬ともにまったく疲れはてていたので、これは戦力もなく、ただ
潰乱混走して、
魏軍の包囲下に手ごろな
餌食となってしまった。
しかし、野にかけ山へわたって、戦火は三日三夜のあいだ赤々と燃えひろがっていた。魏延が馬謖の救出にうごくことも察知していた司馬懿は、司馬昭に命じて、その横を衝き、張郃はおびただしい奇兵を駆って、
「蜀の名だたる大将首を」と、これもその大包囲鉄環のうちに
囚えんとしたが、王平軍、高

軍の側面からの援けもあって、ついに意を達するにいたらなかった。
しかし魏延の軍も大損害をうけたし、王平軍もまた創痍満身の敗れ方だった。四日目の朝、やっと敗残の兵をまとめて、
「この上は、列柳城へ集まって、善後の処置を図ろう」
という高

の意見にまかせて、そこへ急いだ。
ところが、またまた、その途中で測らざる新手の敵に遭遇してしまった。――曹真の副都督郭淮の軍隊だった。
郭淮は、大都督曹真とともに祁山の前に陣し、孔明の本軍と対峙していたが、街亭陥つとの報せを聞いて、
(司馬懿ひとりの功にさせるは癪だ)
と、いうような卑劣な気持ちから、にわかに列柳城を取りに来たものだった。魏延や高

は、
「この新手と戦うのは自殺するも同じである」
となして、急に道を更えて、陽平関へ走り、ひとまずそこを守っていた。郭淮はそれを知って、難なく列柳城へ入れるものと思い、城下まで来ると、城頭から爆煙石砲の音をあげ、おびただしい旗がうごくのを見た。
「や、まだ蜀軍がいるのか」
と、よく見ると、みな魏旗であり、ひときわ目立つ紅の大旗には、金繡の文字あざやかに、平西都督驃騎将軍司馬懿と読まれた。
「郭淮。何しに見えられたか」
と、その辺りから声がするのでよく見ると、まぎれもない司馬懿仲達が、櫓の高欄に倚って、疎髯を風に弄らせながら、呵々と大笑しているではないか。
郭淮は大いに驚き、心ひそかに、われ到底この人に及ばずと、内に入って対面を遂げ、心服をあらわして敬拝した。
「街亭の破れた上に、孔明も逃げ走るほかないであろう。貴下はすみやかに貴下の軍勢をもって孔明を追い崩し給え」
仲達の言葉に、郭淮は唯々諾々ふたたび城を出た。つづいて彼は麾下の張郃を招いて言った。
「敵の魏延、王平の徒は、敗軍をひいて、陽平関を守るであろうが、それに釣られて、軽々しく追い攻めをかけると、たちまち孔明が後を取って、大勢の挽回を計るにちがいない。兵法にも――帰ル師ヲ掩ウコト勿レ、窮マル寇ヲ追ウ勿レ――と戒めている。故に、われはかえって今、小路から蜀勢のうしろへ廻ろう。御辺は山路を経て箕谷へすすめ、そして蜀軍が滔々と崩れ立っても、これを全滅せんなどと急に追うな。武器、兵糧、馬、物の具などを収めて、駸々と斜谷を取りひろげ、やがて西城を占領して後、更に次の作戦に入ろう。――西城は山間の小県ではあるが、あれには蜀の兵糧が蓄えてあるに相違ない。遠征流浪の蜀軍から糧食をとりあげてしまえば、彼等の敗退は必然的で、あえて、わが軍が多くの犠牲をはらう必要もない」
張郃は、命をうけて、おびただしい魏兵を箕谷へ率いて行った。
申耽、申儀のふたりを、列柳城にとどめて、司馬懿自身も前進した。
彼の戦法は、勝てば勝つほど、堅実を加えていた。
このころ、孔明の立場と、その胸中の遺憾はどうであったろうか。いや、それより前に、王平の急使が街亭の布陣の模様を、書簡と共に図面として添えて来たので、彼は一見するとともに、
「あっ。馬謖のばか者」
と、はたとばかり当惑の眉をひそめたのであった。
二
「あれほど申し含めたのに」
と、事に悔いぬ孔明も、このときばかりは、
「馬謖匹夫。ついに我が軍を求めて陥穽に陥らしめたか――」
と、惨涙独語して、その下唇を血のにじむほど嚙みしめていた。
長史楊儀は、まだかつて見たこともない孔明の無念そうな容子に、畏る畏る、
「何をそのように悵嘆なされますか」
と、慰める気で訊ねた。
「これを見よ」と、王平の書簡と、布陣図を投げてやって、
「若輩馬謖めは、要道の守りをすてて、わざわざ山上の危地に陣取ってしまった。何たる愚だ。魏軍が麓を取り巻いて水の手を切り取ったらそれまでではないか。いくら若いにせよ、こうまで浅慮者とは思わなかった」
「いや、それならば直ちに、私が参って、丞相の命令なりと、急いで布陣を変えましょう」
「さ。――それが間にあえばよいが。――敵は司馬懿仲達、おそらくは」
「でも、昼夜を通して急げば」
と、楊儀が、軍をととのえているまに、すでに早馬また早馬が殺到し、街亭の敗れ、列柳城の喪失をつづいて告げた。
孔明は天を仰いで痛哭した。
「――大事去れり。ああ、大事去る」
と、そして、一言、
「わが過ちであった!」と、ひとり叫んだ。
「関興やある。張苞やある」
あわただしく呼ばれて、二将は孔明のまえに立った。
「何事ですか」
「各々、三千騎をひきい、武功山の小路に拠れ。魏軍を見ても、これを討つな。ただ鼓を轟かせ喊声を張れ。敵おのずから走るであろうが、なお追うな、また討つな。そしていよいよ敵の影なきを見とどけた後、陽平関へ入れ。陽平関へ」
「承知いたしました」
孔明つづいて、
「張翼、来れ」
と、帷幕へよびつけ、汝は一軍を引率して、剣閣(陝西・甘粛の省界)の道なき山に道を作れと命じ、悲調な語気で、
「――われこれより回らん」と、言った。
彼はすでに総退却のほかなきを覚ったのである。密密、触れをまわして引き揚げの準備をさせ、一面、馬岱と姜維のふた手を殿軍に選び、
「そち達は、山間に潜み、敵来らば防ぎ、逃げつづいて来る味方を容れ、その後、ころを測って引き揚げよ」と、悲痛な面で言い渡した。
また、馬忠の一軍には、
「曹真の陣を横ざまに政め立てておれ。彼はその気勢に怖れて、よもや圧倒的な行動には出て来まい。......その間に、われは人を派して、天水、南安、安定の三郡の軍官民のすべてをほかへ移し、それを漢中へ入れるであろう」
退却の手筈はここに調った。
かくて孔明自身は、五千余騎をつれ、真っ先に、西城県へ行った。そしてそこに蓄えてある兵糧をどしどし漢中へ移送していると、たちまち、報ずる者あって、
「たいへんです。司馬懿みずから、およそ十五万の大軍をひきい、真っすぐにこれへ襲せて来る様子です」
と、声を大にして伝えた。
孔明は愕然と色をうしなった。――左右をかえりみるに、力と恃む大将の主たる者はほとんど諸方へ分けてこれという者もいない。残っているのはみな文官ばかりである。
のみならず、さきに従えて来た五千余の兵力も、その半分は、兵糧移送の輜重につけて、漢中へ先発させ、西城県の小城のうち、見わたせば、寥々たる兵力しか数えられなかった。
「魏の大軍が、雲霞のように見えた。あれよ、麓から三道に潮のごとく見えるものすべて魏の兵、魏の旗だ。......」
城兵はうろたえるというよりは、むしろ呆れて、人心地もなく、顔の血も去喪してただふるえていた。
「ああ、寄せも寄せたり。

えも

えたり。なんと、おびただしくもものものしい魏の
軍立てよ」
孔明は、櫓に立って、敵ながら見事と、寄せ手の潮を眺めていた。
三
この小城、この寡兵。
いかに防げばとて、戦えばとて、眼に余る魏の大軍に対しては、海嘯の前の土塀ほどな支えもおぼつかない。
孔明は櫓の高楼から身を臨ませて、喪心狼狽、墓場の風のごとく去喪している城兵に向かって、こう凜と、命を下した。
「四門を開けよ。開け放て。――門々には、水を打ち、篝を明々と焚き、貴人を迎えるごとく清掃せよ」
そしてまた、いちだん声たかく、
「みだりに立ち騒ぐ者は斬らん。整々粛々、旗をそろえよ。部署部署、旗の下をうごくなかれ。静なること林のごとくあれ。――門ごとの守りの兵は、わけて長閑に団欒して、敵近づくも居眠るがごとくしてあれ」
命を終わると、彼は、日ごろいただいている綸巾を華陽巾に更め、また衣も新しき鶴氅に着更えて、
「琴を持て」
と、ふたりの童子を従えて、櫓の一番上へ上って行った。
そして高楼の四障も開け払い、香を燻き、琴をすえて端然と坐した。
はやくも、ひたひたと襲せて来た魏の先陣は、遠くこれを望見して、怪しみ疑い、直ちに、中軍の司馬懿に様子を訴えた。
「なに。琴を弾いている?」
仲達は信じなかった。
自身、馬をとばして、先陣へ臨み、近々と城の下まで来て眺めた。
「おお。......諸葛亮」
仰ぐと、高楼の一層、月あかるきところ、香を燻き、琴を調べ、従容として、独り笑めるかのような人影がある。まさに孔明その人にちがいない。
清麗な琴の音は、風に遊んで欄を繞り、夜空の月に吹かれては、また満地の兵の耳へ、露のごとくこぼれて来た。
「......?」
司馬懿仲達は、なぜともなく、ぶるぶると身を慄わせた。
――いざ、通られよ。
とだれか迎え出ぬばかり目の前の城門は八文字に開放されてあるではないか。
しかもそこここと水を打って清掃してある辺り、篝の火も清らかに、門を守る兵までが、膝を組み合ってみな居眠っている様子である。
彼は、やにわに、
「――退けっ。退けっ」
と先陣の上に鞭を振った。
驚いて、次男の司馬昭が言った。
「父上、父上。――敵の詭計に相違ありません。何で退けと仰せられますか」
「否々」
司馬懿はつよくかぶりを振った。
「四門を開き、あの態たらくは、我を怒らせ、我を誘い入れんの計と思われる。迂闊すな。相手は諸葛亮。――測り難し測り難し、退くに如くはない」
ついに魏の大軍は夜どおし続々と引き退いてしまった。孔明は手を打って笑った。
「さしもの司馬懿も、まんまと自己の智に負けた。もし十五万の彼の兵が城に入って来たら、一琴の力何かせん。天佑、天佑」
かつなお部下へ言った。
「城兵わずか二千、もし恐れて逃げ走っていたら、今ごろはもう生け擒られていたであろう。......さるを司馬懿は今ごろ、ここを退いて道を北山に取っているにちがいないから、かねて伏せておいた我が関興、張苞等の軍に襲われ、痛い目に遭うているにちがいない」
彼は即時、西城を出て、漢中へ移って行った。西城の官民も、徳を慕って、あらかた漢中へ去った。
孔明の先見にたがわず、司馬懿軍は北山の峡谷にかかるや蜀の伏せ勢に襲撃された。ここで一勝を博した関興と張苞は、あえて追わず、ただ敵が捨て去ったおびただしい兵器糧食を収めて漢中へいそいだ。
また祁山の前面にあった曹真の魏本軍も、孔明ついに奔ると聞くや、にわかに揺るぎ出して追撃にかかろうとしたが、馬岱、姜維の二軍に待たれて、これも強か不意を討たれた。
その折、魏は大将陳造を失った。
四
漢中に入ると、孔明はすぐ伝令を派して、
箕谷の山中にある
雲と
鄧芝へ、
「予は、つつがなく漢中へ退いた。殿軍の労を謝す。卿等またつつがなくここに来らんことを祈る」と、言い送った。
ここは国境第一の
嶮路である。加うるに友軍はみな漢中へ
退いて、いわば
掩護のために、山中の孤軍となった二将であったが、
雲子龍はさすがに千軍万馬の老将、おもむろに退却の準備にかかった。
まず、鄧芝の軍を先発させ、彼は止まって谷のうちに潜んだ。魏の副都督郭淮は、
「祁山の捨て児が退き出したぞ。ひとりも漢中へ回すな」と、猛然追撃にかかり、部下の将、蘇顒をして、軽騎三千ばかりひきい、さしもの細道を、飛ぶがごとくいそがせた。
「

雲はここにおる。来れるものは
何奴か」
突如として、神異の相をそなえた一老将が、槍を構えて、彼の前にあらわれた。
「や。

雲がここにもいた」
と、蘇顒はふるい恐れつつも兵を励まして戦ったが、ついに

雲に打たれてしまった。
「口ほどもない」
と、

雲はしずしず後退をつづけていた。すると、また、郭淮の一手の大将
万政が、前にもまさる兵力で追いついて来た。
「足場は絶好だ」

雲は、ひきいている部下に向かって、
「汝等は、三十里先の峰で待っておれ。あとから行く」
と、旗本数名を身辺にのこしたのみで、全部先へやってしまった。
そして嶮しい細道の坂上に、作りつけの武者人形のように構えていた。
万政はやって来たが、これを仰ぐと、近づき得なかった。で、郭淮に会って、
「

子龍は、まだ以前の面影を失っていません。おそらくは、大なる損害を求めましょう」
と訴えたが、郭淮は、
「麒麟も老ゆれば、駑馬というではないか、そのむかしの豪雄とて何ほどのことがあるものか」
と、強って、それに当たらせた。
道の左右は砥のごとき絶壁だし、彼は坂の上に立って、狭い口を塞いでいるので、大兵もついに用をなさない。
駈け上がる者、当たる者、みな

雲の槍に血を
煙らせて
仆れた。
日が暮れた。敵が
怯むのを見て、

雲は、馬を先へすすめて行く。
「それうごいたぞ」
万政は追いかけた。
一林の中まで来ると、
「来たか」

雲の影が、ふいに、
跳びかかって来た。万政はうろたえたあまり、馬もろとも、谷間へ落ちた。
「そこまで、命をとりにゆくのは面倒だ。陣へもどったら郭淮に言え。またいつかきっと会うぞと」

雲はついに味方の一兵も損せず、しずかに漢中へひきあげた。
その後――
司馬懿仲達は、蜀軍すべて、旗を捲いて、漢中へ逃げ籠ったのを見とどけてから、やがて西城へ軍を移して、なおその地に残っていた百姓たちを呼びあつめ、
「敵を慕って、漢中へ逃散した百姓どもは魏の仁徳を知らないのだ。おまえたちは先祖からの地をうごいてはならぬ」と、訓誡を与え、その後で孔明の施政ぶりや、また孔明がこの城にいたときの容子をいろいろ訊ねた。
ひとりの老百姓が言った。
「都督様が大軍をひきいてこの西城をお攻めになろうとした時、孔明の下には、弱そうな蜀兵が、わずか二千ほどしかおりませんでした。どうして急にあのときお引き揚げになってしまわれたのでしょう。てまえどもはふしぎに存じておりました」
初めて、孔明の計と知った司馬懿は、その時には、何の顔いろも見せなかったが、後、独り天を仰いで長嘆し、
「我勝てり。しかしついに、我孔明に及はずであった」
と、喞った。そしていよいよ各所の要害を厳重に守り固めさせ、やがて長安へ向かって凱旋の途についた。
馬謖を斬る
一
長安に還ると、司馬懿は、帝曹叡にまみえて、直ちに奏した。
「隴西諸郡の敵はことごとく掃討しましたが、蜀の兵馬はなお漢中に留まっています。必ずしもこれで魏の安泰が確保されたものとはいえません。故にもし臣をして、更にそれを期せよと勅し給わるならば、不肖、天下の兵馬をひきい、進んで蜀に入って、寇の根を絶ちましょう」
帝は、しかるべしと、彼の献言を嘉納されんとしたが、尚書の孫資が大いに諫めた。
「むかし太祖武祖(曹操のこと)が張魯を平らげたもう折、群臣を戒められて、――南鄭の地は天獄たり、斜谷は五百里の石穴、武を用うる地にあらず――と仰せられたお言葉があります。いまその難を踏み、蜀に入らんか、内政の困難を窺って、呉がわが国の虚を衝いて来ることは必然だと言えましょう。如かず、なお諸境を堅守して、ひたすら国力を充実し、蜀呉の破綻を待つべきではありますまいか」
帝は、両説に迷って、
「司馬懿。いかに」
と、たずねた。仲達は、
「それもまた公論、易安の一理です」
と、あえて逆らわなかった。
そこで孫資の方針が採りあげられ、長安の守備には郭淮、張郃をとどめ、そのほか要路の固めも万全を尽くして、帝は洛陽へ還幸した。
ときに孔明は漢中にあり、彼としてはかつて覚えなき敗軍の苦杯をなめ、総崩れの後始末をととのえていた。
すでに、各部隊のあらかたは、続々、漢中へ引き揚げていたが、まだ
雲と
鄧芝の二部隊が
回って来ない。
その無事を見るまでは、彼はなお一身の労れを宥るべきでないと、日々、
「まだか......」と、待ち案じていた。

、鄧の二部隊は、やがて全軍すべてが漢中に集まった最後になって、ようやく
嶮路をこえてこれへ着いた。その困難と苦戦を極めた様子は、部隊そのものの惨たるすがたにも見てとれた。
孔明はみずから出迎えて、
「聞けば将軍は鄧芝の隊を先へ歩ませ、自軍は後にし、更に自身はつねに敵と接し、もってよく最終の殿を果たされて来たそうな。老いていよいよ薫しき武門の華、あなたごとき人こそ真の大将軍というものであろう」
と、斜めならず、その労をねぎらい、なお庫内の黄金五十斤と絹一万疋を賞として贈った。
けれど

雲は固く辞してそれを受けない。そして言うには、
「三軍いま尺寸の功もなく、帰するところそれがし等の罪も軽くありません。さるをかえって恩賞にあずかりなどしては、丞相の賞罰あきらかならずなどと誹りの因にもなりましょう。金品はしばらく庫内にお返しをねがって、やがて冬のころともなり、なにかと物不自由になった時分、これを諸軍勢に少しずつでも頒かち給われば、寒軍の中に一脈の暖気を催しましょう」
孔明はふかく感嘆した。かつて故主玄徳が、この人をあつく重用し、この人にふかく信任していたことをさすがにといま新たに思い出された。
このような麗しい感動に反して、彼の胸にはまたべつに、先ごろからまだ解決をつけていない一つの苦しい宿題があった。馬謖の問題である。
馬謖をいかに処分すべきかという事だった。
「王平を呼べ」
ついに処断を決するため、彼は一日、重々しい語気をもって命じ、軍法裁きを開いた。
王平がやがて見えた。孔明は、街亭の敗因を、王平の罪とは見ていないが、副将として、馬謖へつけてやった者なので、
「――前後の事情を申せ。つつまず当時のいきさつを申し述べよ」
と厳かに、まず彼の陳述からさきに訊いたのであった。
二
王平はつつまず申し立てた。
「――街亭の布陣には、その現地へ臨む前から、篤と丞相のお指図もありました故、それがしとしては、万遺漏なきことを期したつもりであります。けれど、何分にも、てまえは副将の位置にあり、馬謖は主将たるために、自分の言も聞かれたかったのでありました」
軍法裁判である。王平としては身の大事でもあったから、馬謖を庇っていられなかった。なお忌憚なく述べ立てた。
「初め、現地に赴くと、馬謖は何と思ったか、山上に陣を取るというので、それがしは、極力、その非を主張し、ついに彼の怒りにふれてしまい、やむなくそれがしの軍のみ、
山麓の西十里に踏みとどまりました。けれどひとたび
魏の
勢が
雲霞のごとく攻め来ったときは、五千の小勢は、到底、その抗戦に当たり得ず、山上の本軍も、水を断たれて、まったく士気を失い、続続蜀を脱して魏の降人に出る者があとを絶たない有様となりました。......
寔に、街亭は全作戦地域の急所でした。いったんここの防ぎが破れ出すと、
魏延、
高
、その他の
援けも、ほとんど、どうすることもできません。――以後の
惨澹たる情況はなお諸将よりお
訊き願わしゅうぞんじます。それがしとしてはただ、その初めより終わりまで、丞相のお
旨をあやまらず、また最善の忠義をもって事に当たったつもりで、その事だけは、誓って、天地に
辱じるものでは御座いません」
「よし。退がれ」
口書きを取って、更に、孔明は魏延や高

を呼び出して、一応の調べを遂げ、最後に、
「馬謖をこれへ」
と、吏に命じて、連れて来させた。
馬謖は、帳前に畏まった。見るからに打ち悄れている姿である。
「......馬謖」
「はい」
「汝は、いとけなきころより兵書を読んで、才秀で、よく戦策を暗誦じ、儂もまた、教うるに吝かでなかった。しかるに、このたび街亭の守りは、儂が丁寧にその大綱を授け遣わしたにかかわらず、ついに取り返しのつかぬ大過を犯したのはいかなるわけか」
「......はい」
「はい、ではないっ。あれほど、街亭はこれ我が軍の喉にもあたる所ぞ、一期の命にかけても重任を慎み守れと、口の酸くなるばかり門出にもいい与えておいたではないか」
「面目次第もありません」
「咄。乳臭児。――汝もはやもう少しは成人していたかと思っていたが、案外なるたわけ者であった」
憮然として痛嘆する孔明の呟きを聞くと、馬謖は日ごろの馴れた心を勃然と呼び起こして、その面にかっと血の色を漲らして叫んだ。
「王平は、何と申し立てたか知りませんが、あれほどな魏の大兵力が来たんでは、だれが当たってもとても防ぐことは難しいでしょう」
「だまれ」
睨めつけて、
「その王平の戦いぶりと、汝の敗北とは、問題にならないほどちがう。彼は、麓に小塞を築いて、すでに蜀軍が総崩れとなっても、小隊の隊伍をもって、整々と紊れず、よく進退していたため、敵も一時は彼に伏兵やある、なんらかの詭策やある、と疑ってあえて近づかなかったほどだったという。――これは蜀全軍に対して後の掩護となっておる。――それにひきかえ汝は備えの初めに、王平の諫めも用いず、我意を張って、山上に拠るの愚をあえてしているではないか」
「そうです。けれど兵法にも......高キニ拠ッテ低キヲ視ルハ勢イスデニ破竹......とありますから」
「ばかっ」
孔明は耳を塞ぎたいような顔をしていった。
「生兵法。まさに汝のためにあることばだ。今は何をかいおう。――馬謖よ。おまえの遺族は死後も孔明がつつがなく養ってとらせるであろう。......汝は。汝は。......死刑に処す」
いい渡すと、孔明は、面をそむけて、武士たちの溜りへ向かい、
「すみやかに、軍法を正せ。この者を曳き出して、轅門の外において斬れ」
と、命じた。
三
馬謖は声を放って哭いた。
「丞相、丞相。私が悪うございました。もし私をお斬りになる事が、大義を正すことになるならば、謖は死すともお恨みはいたしません」
死をいい渡されてから、彼は善性をあらわした。それを聞くと孔明も涙を垂れずにはいられなかった。
仮借なき武士たちは、ひとたび命をうくるや、馬謖を拉して轅門の外へ引っ立てたちまちこれを斬罪に処そうとした。
「待て。しばし猶予せい」
これは折ふし外から来合わせた成都の使、蔣琬の声だった。彼はちょうどこの場へ来合わせ、倉皇、営中へ入って、すぐ孔明を諫めた。
「閣下、この天下多事の際、なぜ馬謖のような有能の士をお斬りになるのか。国家の損失ではありませんか」
「おお、蔣琬か、君のごとき人物がそんな事を予に質問するのこそ心得ぬ。孫子も言った。――勝ヲ天下ニ制スルモノハ法ヲ用ウルコト明ヲカナルニ依ル――と。四海わかれ争い、人と人との道みな紊るとき、法をすて、何をか世を正し得べき......ふかく思い給え、ふかく」
「でも、馬謖は惜しい、実に惜しいものだ。......そうお思いになりませんか」
「その私情こそ尤なる罪であって、馬謖の犯した罪はむしろそれより軽い。けれど、惜しむべきほどな者なればこそ、なお断じて斬らなければならぬ。......まだ斬らんのか。何をしておる。早く、首をみせよ」
孔明は、侍臣を走らして、更に催促させた。――と、間もなく、変わり果てた馬謖のすがたが、首となってそこへ供えられた。ひと目見ると、孔明は、
「ゆるせ、罪は、予の不明にあるものを」
と、
面に
袖を

うて、床に
哭き伏した。
とき蜀の建興六年夏五月。若き馬謖はまだ三十九であったという。
首はただちに、陣々に梟示され、また、軍律の一文が掲げられた。
その後、糸をもって、胴に縫いつけ、棺にそなえて、あつく葬られた。かつ、その遺族は、長く孔明の保護によって、不自由なき生活を約されたが、孔明の心は、決して、慰められなかった。
――罪、我にあり。
孔明の自責は、みずから刃を身に加えたいほどだった。しかし蜀の危急はさし迫っている。なおかつ先帝の遺託もある。彼は身の重責を思うと死ぬにも死ねない思いを新たに持つ。そしてついに、こういう形をとるほかなかった。
成都へ帰る蔣琬に託して、彼は一文を表して、蜀帝に奏した。
それは全章、慚愧の文ともいうべきものだった。このたびの大敗が、帰するところまったく自己の不明にあることを深く詫び、国家の兵を多大に損じた罪を謝して、
(――臣亮は三軍の最高に在りますために、たれも臣の罪は罰するものがありません。故に、自分みずから臣職の位を三等貶して、丞相の職称は宮中へお返し申しあげたいとぞんじます。ねがわくはしばし亮の寸命だけはおゆるしおき希います)
という意味のものだった。
帝は大敗の報に非常に胸をいためておられたところであるが、孔明の表を読むやなお心を悩まされ、勅使を派して、
「丞相は国の大老である。一失ありとて、何で官位を貶してよいものぞ。どうか旧の職にとどまって更に、士気を養い、国を治めよ」
と、伝えさせたが、
「すでに、馬謖を斬って、法の尊厳をあきらかにしたものを、私みずからそれを曖昧にするような事では、到底、このさきの軍紀を正し、蜀の国政にあずかることもできません」
孔明はそう拝答するのみで、どうしても旧職に復さなかった。
やむなく朝廷でも、ついに彼の希いを容れ、同時に丞相の称を廃して、
「以後は、右将軍として、兵を総督せよ」
と、任命した。
孔明はつつしんで拝受した。
四
いかなる強国でも、大きな一敗をうけると、その後は当然、士気も衰え、民心も銷沈するのが常である。
しかし蜀の民は気を落とさなかった。士気もまた、
「見ろ、この次は」
と、かえって烈々たる敵愾心を燃えあがらせた。
孔明が涙をふるって馬謖を斬ったことは、彼の一死を、万世に活かした。
(――時ニ二十万ノ兵、コレヲ聞イテミナ垂泣ス)と『襄陽記』の内にも見える。
そのため、敗軍の常とされている軍令紀律の怠りは厳正にひき緊められ、また孔明自身が官位を貶して、ふかく自己の責任をおそれている態度も、全軍の将士の心に、
「総帥の咎は、全兵の咎だ。わが諸葛亮ひとりに罪を帰しては措けない。今に見ろ」
という敵愾心をいよいよ深めた。
馬謖の死は、犬死にでない、と共に、孔明はなお善行を顕賞した。さきには老将軍の

雲を
犒ったが、
王平が
街亭の
戦に、軍令に忠実であった点を賞して、彼を新たに参軍へ昇進させた。
勅令をおびて漢中に来ていた費褘が、ある時、彼をなぐさめる気でいった。
「西域の多くの百姓が、閣下を慕って、漢中へ移って来たと聞いて、蜀の百姓はみなよろこんでおりますよ」
孔明は、苦々しそうに、つぶやいた。
「普天の下、漢土でないところはない。あなたの言は、国家の威力がなお足らないことをいっているのと同じだ」
「姜維という大将を獲られたそうではありませんか。帝にもたいへんおよろこびでした」
「お追従は止して下さい。ひとりの姜維を得たとて、街亭の大敗は補えません。いわんや失った蜀兵をや。諂いは軍中の禁物です」
はたから見ると、度が過ぎると思われるほど、彼はなお自責して慎みを守っていた。
また、ある人が、孔明にこういった事もある。
「神算ある閣下のこと、再び兵を出して魏に返報をすることはもうお胸にあるでしょう」
「いや、そうもいかん」
孔明はかぶりを振った。
「そもそも、智謀ばかりでは戦に勝てない。また、先ごろの大戦では、蜀は魏よりも兵力は多かったが、負けてしまった。量るに、智でもなく数でもない」
彼はそこで眦をふさぎ、しずかな呼吸を幾つか数えてから次のような言をもらした。
「大兵を要しない。むしろ将兵の数を簡にして練磨を尊ぼう。また軍紀が第一だ。諸子はまた、もし予に過ちあったときは遠慮なく善言してくれい。それが忠誠である。......以上のことを鉄心一体に持てば、いつか今日の辱を拭えるであろう」
漢中の軍民は、伝え聞いて皆、孔明とともに自己を責めた。そして練武研心、後図を抱いて、毎日、魏の空を睨まえない日はなかった。
もちろん孔明その人も、
捲土重来をふかく期していたのである。彼は、そのまま漢中にとどまった。そして
々として明日のそなえに心魂を傾けた。
(――民ミナ敗ヲ忘レテ励ム)
当時、蜀の国情と士気とは、まさにこの語のとおりであった。真の敗れは、その国の内より敗れたときである。たとい一敗を外にうけても、敗れを忘れて、よく強く結束した蜀国家には、なお赫々たる生命があった。
髪を捧ぐ
一
街亭の大捷は、魏の強大をいよいよ誇らしめた。魏の国内では、そのころ戦捷気分に拍車をかけて、
「この際、蜀へ攻め入って、禍根を断て」
という輿論さえ興ったほどである。司馬懿仲達は、帝がそれにうごかされん事を惧れて、
「蜀に孔明あり、剣閣の難所あり、決してさような妄論にお耳をかし給わぬように」
と、常に軽挙を押えていた。
しかし、彼はただ安愉を求めているのではない。さきに孔明は街亭へ出て失敗しているから、次にはかならず陳倉道へ出て来るであろうと予想した。で、帝にすすめて、不落の一城をその道に築き、雑覇将軍郝昭に守備を命じた。
郝昭は太原の人、忠心凜々たる武人の典型である。その士卒もみな強く、赴くに先だって、鎮西将軍の印綬を拝し、
「不肖、陳倉を守りおる以上は、長安も洛陽も高きに在って洪水を御覧ぜられるごとく、お心のどかにおわしませ」と、闕下に誓って出発した。
蜀境の国防方針がひとまず定まったと思うと、呉に面している楊州の司馬大都督高休から上表があって、(呉の鄱陽の太守周魴は、かねてから魏の臣に列したい望みをもらしていたが、今、密使をもって、七ヵ条の利害を挙げ、呉をやぶる計を自分の手許まで送って来た。右、御一閲を仰ぐ)
と、奏達して来た。
これは朝議に付せられて、
「果たして、周魴の言が、真実かどうか」が、入念に検討された。司馬懿は、意見を求められると、
「周魴は呉でも智ある良将だから詐りの内通ではないかとも思われる。しかしまたこれが真実だったら、この時節もまた捨て難い。――故に、大軍をもって三道にわかち、たとい彼に詐りがあるとも決して敗れぬ態勢をもって臨むならば、兵を派してもさしつかえはないし、事実に当たった上で、更に、いかような策も取れましょう」と、言った。
皖城、東関、江陵の三道へ向かって、洛陽の軍隊が続々と南下して行ったのは、それから約一ヵ月後だった。
この動きは、すぐ呉に漏れていた。呉ではむしろ期して待っていたような観すらある。
すなわち呉の建業もまた活潑なる軍事的のうごきを示し、輔国大将軍平北都元帥に封ぜられた陸遜は、呉郡の朱桓、銭塘の全琮を左右の都督となし、江南八十一州の精兵を擁して、三道三手にわかれて北上した。
途中、朱桓が、思うところを、陸遜に陳べた。
「曹休は魏朝廷の一門で、いわば金枝玉葉のひとりであるため楊州に鎮守していましたが、門地と天質とは別もので、必ずしも彼は智勇兼備ではありません。――聞く所によればすでに彼はわが周魴の反間に計られて、もうその進退を制せられている形勢とか。......さすれば彼が逃げ道はおよそ二条しかありません。一は夾石道、二は桂車の路です。しかもその二路とも嶮隘で奇計を伏せて打つには絶好なところですから、もしお許しを得るならばそれがしと全琮とで協力して、曹休を擒人にしてお目にかけます。――それさえ成就すれば、寿春城を取ることも、手に唾して一気に遂げることが出来ましょう」
陸遜はよく聞いていた。
けれど、答えたことばは、
「まあ待て、ほかに思案がない事でもないからな」
であった。
そして彼は、諸葛瑾の一軍をもって、べつに江陵地方へ向わかせ、その方向へ下って来た司馬懿仲達の兵を防がせた。
序戦――焦眉の危急はまず呉の周魴にあざむかれている、魏の都督曹休の位置にあるものと観られた。
二
曹休とてそう迂闊に敵の謀略にかかるわけはない。周魴は長い間にわたって、根気よく彼を信じさせたのであった。
で、周魴の反謀に応じて、魏の大軍が南下することも中央で決定を見たので、彼もまた大軍をひきい、皖城へ来て、周魴と会見した。
そのとき彼は、なおわずかな疑いも一掃しておきたい気持ちから、周魴にこう念を押した。
「貴公から呈出した七ヵ条の計は、中央でも容れることになって、わが魏の大軍が三路から南下することになったが、よもや君の献言に間違いはあるまいな」
「もしお疑いならば、人質でもなんでもお求め下さい」
「いや、疑うわけじゃないが、なにせよ問題は大きいからな。これがうまく図にあたって、呉を打ち破ることができたら君の功労は一躍、魏で重きをなすだろう。同時に、かくいう曹休も名誉にあずかるわけだから」
「都督には、なおまだいささかのお疑いを抱かれておられるとみえる」
「それは察し給え。もし君の言に少しの噓でもあったら、吾輩の立場はどうなると思う?」
「御もっともです」
言ったかと思うと、周魴はやにわに、小剣を抜いて、自分の髻をぶつりと切り落とし、曹休の前にさし置いたまま、鳴咽を嚥んで俯向いた。
曹休は仰天して、
「あっ、とんでもない事をしたではないか。なんだ? 髪などを......」
「いや、てまえの気持ちでは、みずから首を刎ね離し、一死をもって示したいほどであります。この忠胆、この誠心、天も照覧あれ。......髪を捧げてお誓い奉りまする」
周魴は、肩をふるわせて哭いた。曹休もつい眼を熱くしてしまった。
「申し訳ない。つい、つまらん戯言をなして、なんともすまん。......どうか心を取り直してくれ」
彼はすっかり疑いをはらして、ともに酒宴にのぞみ、東関へ進出の打ち合わせなどして、自陣へもどった。
すると友軍の建威将軍賈逵が訪ねて来て言った。
「どうもおかしい。髪を断って異心なきを示すなんていうのは、ちと眉唾な心地がする。都督、うかつに出ないことですな」
「出るなとは?」
「彼が、先導となって、東関へ進もうという御予定でしょう」
「もちろんである」
「この辺にとどまって、もうすこし情勢をながめておいでになってはいかがですか」
曹休は皮肉な
皺を小鼻の片一方によせて、

うごとく、
揶揄するごとく、こう言った。
「ふム。......その間に足下が東関へ出て功を挙げるか。それもよかろう」
次の日、曹休は、断乎、
「東関へ進むのだ」
と、諸将へ令して、続々、軍馬を押し出した。賈逵は、譴責をうけて、あとに残されてしまった。
周魴も、家中の兵をひきいて途上に出迎え、先に立って、攻め口の案内を勤めた。
馬上で、曹休が訊ねた。
「かなたに見え出して来た嶮しそうな山はどこかね?」
「石亭であります」
「東関は」
「あれを越えると、測茫の果てに、微かに指さすことができます。お味方の大軍をあれに分配すれば、東関は手に唾して取ることができましょう」
曹休は満足な態を見せた。そして石亭の山上から要所に兵を配したが、二日の後、斥候の兵が、
「西南の麓あたりに、多少はわかりませんが、呉の兵がいる様子です」
と、報らせて来た。
曹休は怪しんだ。周魴のことばに依れば、この辺には呉勢は一騎もいないと聞いていたからである。ところが、また一報があった。
「昨夜、夜のうちに、周魴以下数十人が皆、行方知れずになりました」
三
「なに、周魴が見えないと?」
曹休は大いに後悔して叫んだ。
「稀代な曲者め。この曹休を偽くため、己れの髪まで切って謀略の具に用いたか......ウウム何の、たとい計るとて何ほどのことやあるべき。張普、麓に見える呉兵どもを蹴ちらして来い」
すでに危地を覚りながら、彼はまだ事態の重大を正視していなかった。張普もまた、命をうけるや否、
「多寡の知れたもの」という意気込みで、直ちに、一軍をひきいて駈け下った。
ところが、偵察の見て来たその呉軍というのは、予想以上、有力なものだった。しかも精鋭をもって鳴る呉の徐盛軍だったのである。
「いけません。
所
小勢では歯も立ちません」
張普は間もなく散々に打ち負けて引き揚げて来た。
曹休の面色もその時からまるで日ごろのものでなくなった。けれど彼はなお自軍の大兵力を恃んで、「われ奇兵をもって勝つべし」と言い、「明日の辰の刻を期し、自身二千余騎でこの山を下って、わざと逃げ走るから、汝らは辟喬の部隊その他と三万余人で、石亭の南北にわかれ、山添いに埋伏しておれ。――徐盛を捕らえんこと掌であろう」と、その準備をしていた。
ところが、明日ともいわず、その晩のうちに、呉軍の方から積極的作戦に出て来たので、曹休の計は、それを行なう前に、根本から齟齬を来してしまった。
要するに、曹休軍をここへ引き入れたのは、呉の周魴が初めから陸遜と諜し合わせていたことなので、呉はこの好餌を完全に捕捉殲滅し去るべく、疾くから圧倒的な兵力をもって包囲環を作りつつあったのである。
すなわち陸遜は、
「魏軍の盲動近し」と
覚るや、その前夜、兵を分配して、石亭のうしろへ
廻し、南北の麓にも堅陣をつらね、自身
配を振って、その正面から攻め上る態をなしたのである。
それより少し前に、呉の朱桓は、石亭の裏山を攀じて、潜行していたが、折ふし魏の張普が附近の味方の伏兵を巡視して来るものと遭遇していた。
張普は初め、味方の兵と思っていたらしく、夜中でもあり真っ暗な山腹なので、
「どこの隊だ。大将は何者だ」
などと誰何していた。
「されば、この隊は、呉の精鋭、大将はかくいう朱桓だ」
と、暗闇まぎれに近寄って答えるやいな、朱桓は一剣の下に、張普を斬ってしまった。
暗夜の奇襲戦は、この手から突然開始されたのであり、明日を待って行動を期していた魏本軍の混乱も同時に起こった。
ために、曹休も防ぐ術なく、雪崩るる味方と共に、夾石道方面へ逃げ降った。
しかし呉の備えは、この方面にも充分だったので、いわゆるお誂え向きな戦態をもってこの好餌を被い包み、敵の首打つこと無数、投降者約一万を獲た。
たまたま、重囲をのがれ得た魏兵も、馬、物の具を振り捨てて素っ裸同様なすがたとなり、からくも主将曹休につづいていた。そして後に、
「ふしぎにも命が助かった」と、慄然としたが、実にこの危地から彼を救った者は、さきに彼の忌諱に触れて、陣後に残された賈逵であった。曹休の前途を案ずるあまり、賈逵が一軍をひきいて後ろより駈けつけ、石亭の北山に来合わせたため、あやうくも曹休を救出して帰ることができたのだ。
この一角に魏が大敗を招いたので、他の二方面にあった司馬懿軍も万寵軍も、はなはだしく不利な戦態に入り、ついに三方とも引き退くのやむなきに至った。
陸遜は、多大な鹵獲品と、数万にのぼる降人をひきつれて、建業へ還った。孫権は自身宮門まで出て、
「このたびの功や大なり。呉の柱ともいうべきである」
と傘蓋を傾けて是を迎え入れたという。
わが髪を切って謀計の功をあげた周魴も、
「汝の功は、長く竹帛に記さん」
と賞されて、後一躍、関内侯に封ぜられた。
二次出師表
一
蜀呉の同盟はここしばらく何の変更も見せていない。
孔明が南蛮に遠征する以前、魏の曹丕が大船艦を建造して呉への進寇を企てた以前において、かの鄧芝を使いとして、呉に修交を求め、呉も張蘊を答礼によこして、それを機会にむすばれた両国の唇歯の誼みは、いまなお持続されている。
これをもって観ると、
魏が、街亭に勝って、蜀を退けた後、また直ちに反転して、呉と戦わざるを得なくなった理由は、ただ単に、曹休の献言や呉の周魴の巧みな誘計によって軍をうごかしたものとは言えない。
もっと大きな原因は、蜀呉の盟約にある。
(魏が呉を侵すときは、蜀は直ちに、魏の背後を脅かさん。もしまた、魏と蜀とが相たたかう場合は、呉は魏の側面からこれを撃つの義務を持つ)
というその折の条文に依って、祁山、街亭の戦いが開始されるや、呉は当然、どういう形をとっても、魏の側面へ向かって軍事行動を起こさなければならない立場にあったのである。
これに対して、魏もまた、充分なる警戒を払っていたにちがいない。そうした空気において、たまたま周魴の詭計が行なわれたので、それを口火として、時を移さず魏呉の戦端がひらかれたものと、正しくは観るべきものであろう。
だから曹休が敗れ去ると共に、呉軍の引き揚げも早かった。蜀へ対する条約履行はこれで果たしているからである。更になお、呉の孫権は、この戦果と、義務の完遂を、書簡のうちに誇張して、成都へ使いを派し、蜀の劉禅にむかって、
「呉が、盟約を重んずることは、かくのごとくである。貴国はなお安んじて、孔明をして、魏を攻めさせ給え、呉はつねに盟国の信義をもって、魏の諸境を脅かし、ついに彼をして首尾両面の奔命に疲らせ、いかに魏が強大を誇るも敗るるほかなきまで撃ち叩くであろう」
と、言い送った。
その後、魏の動勢を見ていると、曹休は、石亭の大敗を、ふかく辱じ恐れて、洛陽へ逃げもどっていたが、間もなく癰疽を病んで死んでしまった。
彼は国の元老であり帝族の一人である。曹叡は、勅して厚く葬らせた。すると、その大葬を機として、呉の抑えとして、南の境にいた司馬懿仲達が取るものも取りあえず都へ上って来た。諸大将はあやしんで、
「都督は何故にそんなに慌てて上洛されたのか」と、彼に問う者が多かった。
司馬懿は、それに答えて、
「御味方は、街亭に一勝はしたが、その代わりに、呉に一敗をうけてしもうた、孔明はかならず、御味方のこの敗色を窺って、ふたたび迅速な行動を起こしてくるにちがいない。――隴西の地、急なるとき、たれがよく孔明を防ぎますか。かくいう司馬懿のほか人はないと思う。それ故にいそぎ上って参った」
聞く者は嗤った。
「彼は案外、卑怯だぞ。呉は強い、蜀は弱い。そう見ておるのだ。さきの一戦に味をしめて、呉には勝てんが、蜀になら勝てるつもりでおるのだろう」
しかしこういう毀誉褒貶を気にかける司馬懿でもない。彼は彼として深く信ずるものあるがごとく、折々、悠々と朝に上り、また洛内に自適していた。
ときに孔明もまた、以来漢中にあって軍の再編制を遂げ、その装備軍糧なども、まず計画どおり進んだのでおもむろに魏の間隙を窺っていた。
呉の大捷を伝えて、成都から三軍へ酒を賜わった。孔明は、一夜盛宴を張って、恩賜を披露し、あわせて将士の忍苦精励をなぐさめた。
すると、酒たけなわのころ、一陣の風がふいて、庭上の老松の枝が折れた。孔明はふと眉を曇らせたが、なお将士の歓を興醒めさせまいと、何気ない態で杯をかさねていると、侍中の一士が、
「ただ今、
雲の子
統と
広が、二人して参りましたが、これへ召しましょうか」
と、取り次いで来た。
聞くと、孔明は、はっとした顔色をして、
「ああ、いけない。

雲の子が訪ね来たか。......老松の

はついに折れたそうな」
と、嗟嘆しながら、手の盃を床へ投げてしまった。
二
彼の予感はあたっていた。
果たして、やがてそこへ導かれて来た

雲の二人の子は、
「昨夜、父が亡くなりました」
と、父
雲子龍の
病歿を
報らせに来たのであった。
孔明は耳をそばだてて惜しんだ。
「

雲は、先帝以来の功臣、蜀の
棟梁たる者であった。大きくは国家の損失であるし、小さくは、わが
片臂を落とされたようなここちがする」
彼は、潸然と涙した。
直ちに、この悲しみは、成都へも報じられた。
後主劉禅も声を放って泣き「むかし
当陽の乱軍中に、

雲の
腕に救われなかったら、
朕が今日のいのちは無かったものである。悲しいかな、いまその人は

く」
勅して、
順平侯と
諡し、成都郊外の
錦屛山に、国葬をもって厚く祭らしめた。また、その遺子

統を、
虎賁中郎に
封じ、弟の

広を、
牙門の将に任じて、父の
墳を守らせた。
ときに、近臣は奏して、
「漢中の諸葛亮から、ただ今、楊儀が使いとして、到着いたしました」
という趣を上聞に達した。
楊儀は闕下に伏して、恭しく孔明の一書を捧呈した。これなん孔明がふたたび悲壮なる第二次北伐の決意を披瀝した謂わゆる「後出師表」であった。
帝は、御案の上に披いた。
表に曰う。
(――漢と賊とは両立しない。王業はまた偏安すべきものでない。これを討たざるは、坐して亡ぶを待つにひとしい。坐して亡びんよりは、むしろ出でて討つべきである。そのいずれがよいかなど、議論の余地はない)
孔明は表の冒頭にまずこう大正案を下していた。彼の抱持する理想とその主戦論にたいし、いまなお、成都の文官中には、消極論がまま出るからであった。
しかし彼は筆をすすめて、
(この業たるや、けだし一朝一夕に成るものでなく、魏を撃滅することの困難と百忍を要することはいうまでもない)
と、慎重にしてかつ悲調なる語気をもって、魏の強大な戦力と、蜀の不利な地勢弱点を正論し、なお今日、自己が漢中にとどまって、戦衣を解かないでいる理由を六ヵ条にわけて記し、不撓不屈、ただ先帝の遺託にこたえ奉るの一心と国あるのみの赤心を吐露し、その末尾の一章には、
今、民窮シ、兵疲ルルモ、事熄ムベカラズ、ワズカニ一州ノ地ヲモッテ、吾ニ十倍ノ賊ト持久セントス。コレ臣ガマダ解カザルノ(戦袍ノ意)一也。
臣、タダ鞠躬尽力、死シテ後已マンノミ。
成敗利鈍ニイタリテハ、臣ガ明ノヨク及ブトコロニ非ザル也。謹ンデ表ヲ上ッテ聖断ヲ仰グ。
建興六年冬十一月
と悲壮極まることばが読まれた。
先ごろ。
魏はおびただしい軍隊を呉の境に派して、しかも戦い利あらず、後曹休も歿し、以後、魏の関中にはかつてのごとき勢いなくまた戦気も見えず、西域の守りも自然脆弱たるをまぬがれまい――と見て孔明が、この再挙の機をとらえて、表を上せて来たものであることは、すでに言外にあふれている。
もとより帝はこれをゆるした。
楊儀は直ちに漢中へ急ぎ帰った。
詔を拝すと、孔明は、
「いざ、征かん」
約半歳余の慎重な再備と軍紀に結集された蜀の士馬三十万を直ちに起こして、陳倉道へ向かって進発した。
この年、孔明四十八歳。――時は冱寒の真冬、天下に聞こゆる陳倉道(沔県の東北二十里)の嶮と、四山の峨々は、万丈の白雪につつまれ、眉も息も凍てつき、馬の手綱も氷の棒になるような寒さであった。
三
魏の境界にある常備隊は、漢中のうごきを見るや、大いに愕いて、
「孔明ふたたび侵寇す。蜀の大軍無慮数十万。いそぎ防戦のお手配あれ」
と、この由を、都洛陽へ伝令した。
洛陽の空気もこのところ決して楽観的なものでなかった。呉からうけた一敗の打撃はたしかにこたえている。蜀に全力を傾けんか、呉の窺うものあらんことが思われ、呉へ向かわんか、蜀のうごきが見遁し難い。そういう精神的な両面戦への気づかいに加えて、先ごろの曹休が招いた大敗とは、すくなからずその自信を失墜させていた。
「――果たして、孔明はまた襲って来た。長安の一線を堅守して、国防の完きを保つにはそも、たれを大将としたらよいか」
魏帝曹叡は、群臣をあつめて問うた。席には、大将軍曹真もいた。曹真は面目なげにこう言った。
「臣、さきに
隴西に派せられ、
祁山において孔明と対陣し、功すくなく、罪は大でした。ひそかに
慚愧して、いまだ忠を
攄ぶることができないのを
辱ずかしく思っております。ところが、近ごろ一人のたのもしき大将を得ました。彼はよく六十斤に余る大刀を使い、千里の征馬に乗ってもなお
鉄胎の
強弓をひき、身には二
箇の
流星
を秘し持って、一放すればいかなる豪敵も倒し、
百たび発して
百たび外すことがありません。――ねがわくはこの者こそ、このたびは臣の
先鋒にお命じ賜わらんことを」
善智の材、猛勇の質を求めること、今ほど急なるときはない。魏帝は勅してすぐその者を呼ばせた。殿上に一怪雄があらわれた。身の丈七尺、眼は黄、面は黒く、腰は熊のごとく背中は虎に似ている。しかもそれに盛装環帯して、傲岸世に人なきがごとき大風貌をしている。
「おお、偉なり偉なり」
と曹叡は歓び眺めて、
「彼の産はどこか」
と曹真へたずねた。曹真は、わが事のように誇って、
「王双、直答申しあげよ」
と、促した。
王双は伏して奉答した。
「隴西狄道の産まれ、王双、あざなは子全と申す者であります」
「すでにこの猛将を得、全軍の吉兆といわずしてなんぞ。蜀軍来るも、また患いはない」
魏帝は、即座に、彼を前部大先鋒に任じ、また虎威将軍の号をもってその職に封じた。
更に、また、
「これは汝の偉軀に似合うであろう」
と、鮮やかな錦の戦袍と黄金の鎧とを、王双に賜わった。
そして、曹真になお、
「辱じて辱じに怯むな。ふたたび大都督として戦場に征き、さきの戦訓を生かして、孔明をやぶれ」
と、前のとおり総司令官たるの印綬をさずけた。
曹真は、恩を謝して、洛陽の兵十五万をひきつれ、長安へ行って、郭淮や張郃等の軍勢と合した。そして前線諸所の要害に配し、防戦のそなえを万端ととのえ終わった。
すでに漢中を発した蜀軍は、陳倉道を進んで来るうちに、ここの隘路と三方の嶮を負って、
(通れるものなら通ってみよ)
と言わんばかりに要害を構えている一城にぶつかっていた。これなん先に魏が孔明の再征を見越して、早くも築いておいた陳倉の城で、そこを守る者も、忠胆鉄心の良将、かの郝昭なのであった。
「この大雪。この嶮路。加うるに魏の郝昭が要害に籠っていては、とても往来はなりますまい。如かず、道を更えて、大白嶺の鳥道をこえ、祁山へ打って出てはいかがでしょう」
蜀の諸将は孔明に言った。
孔明は容れない。
「この一城をだに攻め陥とせないような事では、祁山へ出た所で、魏の大軍には剋てまい。陳倉道の北は街亭にあたる。この城を落として、味方の足溜りとなせ」
すなわち魏延に攻撃の命を下し、連日これを攻めさせたが、城はゆるぎもしなかった。
四
ときに陣中に勤祥という者があった。その勤祥は、城方の守将、郝昭とは、もともと同郷の友であったと、自ら名乗り出て、孔明に献言した。
「ひとつ私を、城下まで出して下さい。郝昭とは、ずいぶん親しかった間がらでしたが、自分が西川に流落して以来、つい無沙汰のままに過ぎていました。懇々、利害を説いて、彼に降伏するように勧めてみます」
孔明は、望むところと、その乞いをゆるした。
勤祥は、城門の下へ行って、
「友人の勤祥である。久しぶりに郝昭に会いたくてやって来た」
と城中へ申し入れた。
郝昭は、櫓から一見して後、昔の友と見さだめると、門を開いて、なつかしげに迎え入れた。
「ずいぶん久しかったなあ」
「足下も達者で何よりだ」
「ときに君は、いったい何しにやって来たのかね?」
「ぜひ足下に、ひき会わせたい人があるからだ」
「ほう。だれを」
「もちろん、それはわが諸葛孔明だがね」
聞くと共に郝昭は、勃然と色を変じて、
「帰ってくれ給え。帰れ」
「足下は何を怒るのか」
「我は魏に仕え、君は蜀に仕えておる。その語をあらわすなら、友として会うことはできない」
「いや。友なればこそ、こうして足下のために来たのじゃないか。一体、足下は、この城中に何千の兵を擁して、不落を誇っているのか、そしてわが蜀軍が何十万あるか、足下はその眼で見ないのか。勝敗はすでに知れておる。あたら、足下ほどな英質を持って」
「だまれっ」
郝昭はやにわに席を突っ立ち、城門の方を指さした。
「帰り給え。足もとの明るいうちに」
「いや、このままでは帰らん。それがしも、この友情と、味方の嘱をうけて来たものだ」
「よろしい。――おいっ、だれか来い」
郝昭は、部下の将を呼んで、眼の前で命じた。
「お客様を馬の背に縛りつけてあげろ」
「はっ」
部将は、馬を曳いて来て、有無を言わせず、勤祥を馬の背に押しあげた。そして、城門を開けさせると、郝昭自身、槍の柄でその馬の尻を撲った。
馬は城外へ向かってすっ飛んで行った。勤祥はありのままを孔明に復命し、
「いやどうも、むかしながら義の固い男です」
と、懲り懲りしたように言った。
しかし孔明は、もう一度行って更に利害を説けと命じた。郝昭の人物が惜しまれていたのである。勤祥は、甲衣馬装を飾って、今度は堂々と城の壕際に立った。
「郝伯道やある。ふたたび、我の忠言を聞け」
こう城へ向かって言うと、やがて郝昭は、櫓の上に姿をあらわして、
「孺子。何の用やある」と、言った。
勤祥は、また説いた。
「量るに、この一孤城、いかんぞ蜀の大軍を防ぎ得べき。わが丞相は、足下の英才を惜しんでやまぬ故に、ふたたびそれがしをこれへ差し向けられたものだ。この機を逸せず、門を開いて、蜀に降り、また、この勤祥とも、長く交友の楽しみを保て」
「言うをやめよ。汝とそれがしとは、なるほど、かつては相識の友であったが、弓矢の道では、知り合いでもない。いったん魏の印綬をうけ、たとえ一百の寡兵なりと、この身を信じて預け賜わったからには、その信に答うる義のなかるべきや。われは武門、汝は匹夫。いま一矢を汝に与えぬのも、武士のなさけだ。戦の邪魔、疾く疾く失せよ」
姿を櫓の上からかくすと、たちまちおびただしい矢弾が空に唸った。勤祥はぜひなく立ち戻って、
「私の手にはおえません」
と、ついに孔明の前で匙を投げてしまった。孔明は、一言に決した。
「よし、この上は、自身指揮して踏みやぶるまでのことだ」
二度祁山に出づ
一
漢中滞陣の一ヵ年のうちに、孔明は軍の機構からその整備や兵器にまで、大改善を加えていた。
たとえば突撃や速度の必要には、散騎隊武騎隊を新たに編制して、馬に練達した将校をその部に配属し、また従来、弩弓手として位置も活用も低かったものを、新たに孔明が発明した偉力ある新武器を加えて、孤立した一部隊をつくり、この部将を「連弩士」とよんだ。
連弩というのは、まったく彼が発明した新鋭器で、
鉄
八寸ほどの短い矢が、一
弩を放つと、十
矢ずつ飛ぶのである。
また大連弩は、飛槍弦ともいい、これは一槍よく鉄甲も透し、五人掛かりで弦を引いて放つ。べつに、石弾を撃つ石弩もある。
輜重には、木牛流馬と称する、特殊な運輸車が考案され、兵の鉄帽(鉄かぶと)から鎧にいたるまで改良された。
そのほか、孔明の智囊から出たと後世に伝わっている武器は数かぎりなくあるが、何よりも大きなものは、彼に依って為された兵学の進歩である。八陣の法その他、従来の孫呉や六鞱にも著しい新味が顕わされ、それは後代の戦争様相にも画期的な変革をもたらした。
ところで。
郝昭のこもった陳倉の小城は、わずか三、四千の寡兵をもって、その装備ある蜀の大軍に囲まれたのであるから、苦戦なこと言うまでもない。
にもかかわらず、容易に抜かせなかったのは、実に、主将郝昭の惑いなき義胆忠魂の働きであり、また名将の下に弱卒なしの城兵三千が、一心一体克くこれを防ぎ得たものというほかない。
「――かくて魏の援軍が来ては一大事である」
孔明はついに自身陣頭に出て、苛烈なる総攻撃を開始した。
雲梯衝車の新兵器まで押し出して用いた。雲梯――雲の梯――とは、高さあくまで高い梯子櫓である。
櫓の上は、楯をもって囲み、その上から城壁の中を見下ろして、連弩石弩を撃ちこみ、敵怯むとみれば、その上からまた、べつの短い梯子を無数に張り出して、ちょうど宙に橋を架けるような形を作り、兵は、猿のごとく渡って、城中へ突入してゆく。――そういう器械であった。
また、衝車というのは、それを自由に押す車である。この車にはまた、起重機のような鈎がついている。台上の歯車を兵が三人掛かりで廻すと、綱に依って、地上の何でも雲梯の上に運び得る仕掛けになっていた。
これが何百台となく、城壁の四方から迫って来たのを見て、郝昭はたちどころに、
火
を備えて待っていた。
そして、
鼓を合図に、たちまち火

を放ち、油の
壺を、投げ始めた。
そのため、雲梯も衝車も、ことごとく、焰の柱となってしまい、蜀兵の焼け死ぬこと酸鼻を極めた。
「この上は、壕を埋めろ」
孔明は、下知して、土を掘らせ、昼夜わかたず、壕埋めにかからせた。
すると、城兵もまた、その方面の城壁を、いやが上にも高く築いた。
「さらば、地の底から」
地下道を掘鑿させて、地底から城中へ入ろうとすると、郝昭もまた、それを覚って、城中から坑道を作り、その坑を横に長く掘って、それへ水を流し入れた。
さしもの孔明も攻めあぐねた。およそ彼がこれほど頭を悩ました城攻めは前後にない。
「すでに二十日になる」
攻めこじれた形をながめ、われながらこう嘆声を発しているところへ、前方から早馬で急報して来た。
「魏の先鋒王双の旗が近づきつつあります」
孔明は、足ずりした。
「早くも、敵の援軍が来たか。――謝雄。謝雄。汝行け」
副将には、龔起をえらび、各三千騎を附して、にわかに、それへ差し向けると共に、孔明は、城兵の突出を惧れて、陣を二十里外へ退いた。
二
ひとまず陣容をあらためて、自重していると孔明の危惧は、果たしてあたっていた。――以後、刻々来る報は、ことごとく、事態の悪化を伝えるものでないものはない。
そのうちに、さきに出向いた蜀勢はさんざんな姿となって逃げ帰って来た。――そして、各々、声もただならず伝えることには、
「わが大将謝雄も、敵の王双に斬って落とされ、二陣に続いて行ったわが龔起将軍も、王双のために一刀両断にされました。――魏の王双は抜群で、とても当たり得る者はありません」
孔明は大いに驚いて、
「猶予はならず、かの軍と城中の兵力との聯絡が成らば、わが大事は去らん」
と、廖化、王平、張嶷に命じて、更に新手の軍勢をさし向けた。
その間にも、陳倉の一城を救うべく、大挙急いで来た魏の援軍は、猛勇王双を先鋒として、折から真冬の猛寒も、悪路山嶮もものかは、昼夜、道をいそいで、刻々急行軍を続けつつあった。
それを通さじと、防ぎに馳せ向かった蜀軍は、第一回にまず撃攘をうけ、第二回に衝突した廖化、王平などの軍勢も、ほとんど怒濤の前に手をもって戸を立て並べるがごとき脆さでしかなかった。
乱軍中、またしても、蜀将張嶷は魏の王双に追いかけられ、彼が誇るところの重さ六十斤と言う大刀を頭上に見――あやうく逃げんとした背中へ、たちまち、
流星
を
叩きつけられたのである。
流星

というのは、重い鉄丸を鎖につけた一種の分銅なのだった。王双は
之を
肌身に数個持っていて、ここぞと思うとき、突然、敵に投げつけるのだった。
王平、廖化は、張嶷の身を救い出して退却したが、張嶷は血を吐いて、生命のほどもどうかと危ぶまれる容態だった。
こうした有様なので、蜀軍はとみに振わず、魏軍は勢いに乗ることいよいよはなはだしい。
前進、前進、王双軍二万の先鋒は、当たるものなき勢いで、すでに陳倉城に近づき、のろしを揚げて城中の者へ、
(――援軍着いたぞ)
と、聯絡の合図を遂げ、蜀兵を一掃して、城外一帯に布陣を終わった。
その態を見るに――
蜿蜒、大小の車を連ね、上に材木を積み、柵を結び、また塹壕をめぐらし、その堅固なこと、比類もない。
これを眺めては孔明も、手を下す術もなかったろう。いわゆる百計窮まるの日を幾日か空しく過ごした。
「丞相、ちとお気をお晴らし遊ばしませ、あまりに拘泥するはよくありません」
「おお姜維か、何の感や有って、その言をなすのか」
「それがしの思うに、かかるときは、むしろ『離』ということが大事ではないかと考えられます。御執着から離れることです。この大軍を擁しつつ空しく陳倉の一城に拘泥して心まで囚わるるこそ、まんまと敵の思うつぼに落ちているものではございますまいか」
「そうか、おお、離こそ――離こそ――大事だった」
姜維の一言に孔明も大いに悟るところがあった。一転、彼は方針を更えた。
すなわち、陳倉の谷には、魏延の一軍をとどめて、対峙の堅陣を張らせ、また、近き街亭方面の要路には、王平と李恢に命じて、これを固く守らせておいて、孔明自身は、夜ひそかに陳倉を脱し、馬岱、関興、張苞などの大軍をつれて遠く山また山の間道を斜谷を越え、祁山へ出て行ったのである。
一面。――魏の長安大本営では、大都督曹真が、王双からの捷報を聞いて、
「孔明もその第一歩から躓くようでは、もう往年のような勢威もないとみゆる。戦の先は見えたぞ」と、歓ぶこと限りなく、営中勝ち色に満ちていた。
ところへ、
先鋒の中護軍
費
から、祁山の谷あいで、一名のうろついている蜀兵を生け捕って来た。曹真は、
必定、敵の
間諜であろうと、面前に引かせ、自身これを調べた。すると、その蜀兵は、
「自分は決して、細作のものではありません。......実は」
とおずおず、左右の人々を見まわして、
「一大事をお告げしたいのですが、人の居るところでは申し兼ねまする。どうか、御推量くださいまし」と、平伏して言った。
三
乞いを容れて、曹真は左右の者をしりぞけた。蜀兵は、初めて、
「私は、姜維の従者です」
と、打ち明けて、懐中から一書を取り出した。
曹真が
披いてみると、まぎれなき姜維の文字だ。読み
下すに、誤って、孔明の
詭計に
陥ち、世々魏の
祿を

みながら、いま蜀人のうちに
在るも、その高恩と、天水郡にある郷里の老母とは、忘れんとしても忘るることができない――と言々句々、涙をもって
綴ってある。
そして、終わりには。
――しかし、待ちに待っていた時は今眼前に来ている。もし姜維の微心を憐れみ、この衷情を信じ賜わるならば、別紙の計を用いて、蜀軍を討ちたまえ。自分は身を翻して、諸葛亮を擒人となし、これを貴陣へ献じておみせする。ただ願わくは、その功をもって、どうか再び魏に仕えることができるように、おとりなしを仰ぎたい。
――縷々と、陳べてあるほかに、内応の密計が、べつの一葉に、仔細に記してあったのである。
曹真はうごかされた。たとえ孔明までは捕らえられないまでも、いま蜀軍を破って、あの姜維を味方に取り戻せば、一石二鳥の戦果である。
「よろしい。よく伝えよ」と、その使いをねぎらい、日を約して帰した。そのあとで彼は費

を呼んで、姜維の計を示した。
「つまり魏から兵を進めて、蜀軍を攻め、詐り負けて逃げろと、彼は言うのだ。――そのとき姜維が蜀陣の中から火の手をあげる故、それを合図に、攻め返し挾み撃とうという策略。何と、またなき兵機ではないか」
「さあ。いかがなものでしょう」
「なぜそちは欣ばんか」
「でも、孔明は智者です。姜維も隅におけない人物です。おそらくは詐術でしょう」
「そう疑ったら限りがない」
「ともあれ、都督御自身、おうごきあることは、賛成できません。まず、それがしが一軍をもって試みましょう。もし功ある時は、その功は都督に帰し、咎ある時は、私が責めを負います」
費

は、五万の兵をうけて、斜谷の道へ進発した。
峡谷で、蜀の哨兵に出会った。その逃げるを追って、なお進むと、やや有力な蜀勢が寄せ返して来た。一進一退。数日は小競り合いに過ぎた。
ところが、日の経つに従って水の浸むように、いつの間にか、蜀軍は増大していた。反対に、魏軍は、敵の奇襲戦略に、昼夜、気をつかうので、全軍ようやく疲れかけていた。
するとその日、四峡の谷に、鼓角のひびき、旗の嵐が、忽然と吹き起こって、一輛の四輪車が、金鎧鉄甲の騎馬武者にかこまれて突出して来た。
「すわや。孔明」と、魏軍はおそれ崩れた。
費
は、はるかに、それを望んで、
「何で恐れることがある。彼にまみゆる日こそ待っていたのだ。やよ者ども」
と、左右の部将をかえりみて、
「一当て強く押して戦え。そしてころ合いよく詐り逃げろ。その退くのはこちらの計略だ。やがて敵の後陣から、濛々と火の手があがるだろう。それを見たら、金鼓一声、猛然と引っ返して撃滅にかかれ。――敵の中には魏に応ずる者がある故、わが勝利は疑いない」
言いふくめて、すぐ応戦にかかった。
費

は馬をすすめて、孔明の四輪車にむかい、
「敗軍の将は兵を語らずというに、恥も知らず、これへ来たか」
と、罵った。
孔明は、車上、一眄を投げて、
「汝なにものぞ。曹真にこそ言うべきことあり」
と、相手にもせぬ顔だった。
費

は、怒り
猛って、
「曹都督は、金枝玉葉、なんぞ恥知らずの汝ごときに出会おうか」
と、やり返した。
孔明は、羽扇をあげて、三面の山を呼んで、たちまち、馬岱、張嶷などの軍が、そこから雪崩れ降りて来た。
魏勢は、早くも、予定の退却にかかった。
四
戦っては逃げ、戦うと見せては逃げ、魏勢は、うしろばかり振り向いていた。
いまに、蜀陣の後方から、火の手が揚がるか、煙がのぼるかと。
費

も馬上そればかり期待しながら、峡山のあいだを、約三十里ほども退却し続けていたが、そのうちに、蜀の後陣から、黒煙の立ち昇るのが見えた。
「しめた。すわや姜維が内応して、合図の火を放ったとみえるぞ」
鞍つぼ
叩いて、費

は馬上に躍り上がった。そして、一転、馬首を向け直すや否、
「それっ、取って回せ。引っ返して、蜀勢を挾撃しろ」
と、大号令した。
大将の予言が的中したので、魏の将士は、勇気百倍した。たちまち踵を回らして、それまで追撃して来た蜀勢へ、急に、怒濤となって吠えかかった。
蜀勢は

い止められた。いや魏兵の猛烈な反撃に遭って、形勢はまったく逆転した。うしおのような声をあげて、われ先にと、逃げ始めたのである。
「孔明の車はどこへ失せたか」
と、費

は剣をひっさげて、いよいよそれを急追した。このぶんでは馬の脚力次第で、孔明の車に追いつき、その首を一刃に切って落とすも至難でないと考えたのである。
「追えや、急げ、雑兵などに眼をくるるな」
五万の兵はまるで山海嘯のごとく谷を縫って流れた。すでにして姜維が火を放けた山々の火気が身近く感じられて来た。枯れ木生木を焼く猛烈な炎はバリバリと天地に鳴って、四山の雪を解かし、それは濁流となって谷へそそいで来る。
――だが、敵はついに、その影を絶って、どこへ隠れたか見えなくなった。行き当たった谷口は、岩石や巨材を積んで封鎖されている。
「はてな。第一、姜維の反軍はどう行動しているのだろう?」
ふとこう疑ったとき、突如、彼は身ぶるいに襲われた。――計られたかと、感じたからである。
けれど、すでに遅かった。大木、大石、油柴、硝薬などが、轟々と、左右の山から降って来た。馬も砕け、人もつぶされ、阿鼻叫喚が谺した。
「し、しまった。さては、敵の謀略」
費
のおどろきは絵にも描けないほどである。先を争う味方の中を押し
揉まれながら、山間の細道を見つけて
奔りこんだ。
すると、その谷ふところから、一
彪の軍馬が、金鼓の響きも正しく
駈け出して来た。これなん彼の待っていた姜維である。費

は、一目見るや、怒髪をついて、遠くから
罵った。
「不忠不孝の賊子め、かつよくもわれをあざむいたな。思い知れよ、青二才」
姜維は満顔に、笑みを作りながら、はや近々馬を駈けよせて、
「だれかと思えば、費

であったか、この腕に
捻じ捕らえたいと思っていたのは、
曹真であったのに、
鶴の
罠に、

のかかる腹立たしさよ。戦うのも面倒なり、
盔を
脱いで、降参してしまえ」
「何を、忘恩の徒が」
喚きかかったが、到底、姜維の前に刃の立つわけもない。彼はふたたび、それからも、汚く逃げ出した。
しかし、帰る道も、いつの間にか遮がっていた。山の上から沢山な車輛を投げ下ろし、それへ油や柴を投げ積んで、それへまた松明を抛ったので、その焰は山の高さほども燃え上がっているのである。
「残念」
費

は立ち往生したが、
空しく焼け死にはしなかった。その剣を
頸に加えて、自ら首を
刎ねたのだった。
「降伏するものはこれへ縋れ」と、絶壁から幾筋もの助け綱が垂れていた。魏の兵は、われ先にと、その綱につかまったが、半数も助からなかった。
後、姜維は、孔明の前に出て謝した。
「この計は、私の案でしたが、どうも少しやり損ないました。かんじんな曹真を打ち洩らしましたから」
孔明はそれを評して言った。
「そうだな。惜しむらくは、大計を用いすぎた。大計はよいが、それを少し用いて、大なる戦果を獲ることが、機略の妙味だが」
食
一
呉の境から退いて、司馬懿が洛陽に留まっているのを、時の魏人は、この時勢に閑を偸むものなりと非難していたが、ここ数日にわたってまた、
(孔明がふたたび祁山に出て来た。ために、魏の先鋒の大将は幾人も戦死した)
という情報が、旋風のように聞こえてくると、仲達への非難はぴったり熄んでしまった。やはり司馬懿仲達は凡眼でないと、謂わず語らず、その先見にみな服したかたちであった。
どんな時にも、何かに対して、誹謗やあげつらいの目標を持たなければ淋しいような一種の知識人や門外政客が洛陽にもたくさんいる。それらの内からは今度は向きを更えて、
「いったい総兵都督はいるのか、いないのか。曹真は何をしているか」
という非難が囂々と起こってきた。
曹真は魏の帝族である。それだけに叡帝は心を悩ました。帝は、司馬懿を召して、対策を下問した。
「怖るべきは蜀と呼ばんよりむしろ孔明そのものの存在である。どうしたらよいであろう」
「さほど御宸念には及ばないでしょう」
仲達はおっとり答えた。
「――自然に、蜀軍をして、退くのほか無からしめればよいのですから」
「そんな最上な方法があるだろうか」
「ございます。臣が量るに、孔明の軍勢は、およそ一ヵ月ぐらいな兵糧しか持たないに違いござりませぬ。なぜならば、季節は雪多く、道は山嶮です。故に、彼の望むところは即戦即決にありましょう。我のとる策は長期持久です。朝廷から使いを派して、総兵都督へその由を仰せつけられ、諸所の攻め口を固くとって、滅多に曹真が戦わないようにお命じあることが肝要です」
「いかにも。さっそくさような方針をとらせよ」
「山嶮の雪解けるころともなれば、蜀兵の糧も尽きて、いやでも総退却を開始しましょう。虚はそのときにあります。追撃を加えて大捷を獲ることまちがいございませぬ」
「それほど卿に先見があるならば、なぜ卿みずから陣頭に出て計策をなさないのか」
「仲達はまだ洛陽に老いを養うほどな者でもありませんが、さりとてまた、生命を惜しんでいるわけでも御座りませぬ。要は、呉のうごきがまだ見とおしをつきかねるからです」
「呉はなお変を計ろうか」
「もちろん、油断もすきもなりますまい。なぜならば、呉は呉に依ってうごくものに非ず、一に蜀の動静をにらみ合わせているものです」
以後、数日のあいだにも、曹真の軍から来る報告は、ことごとく魏に利のない事のみであった。そしてようやく曹真は、その自信まで失って来たもののごとく、
「到底、現状のままでは、守りにたえません。ひとえに、聖慮を仰ぐ」
と、暗に魏帝の出馬なり、司馬懿の援助を求めてきた。けれど仲達は、何か思うところあるらしく容易に起たない。そして魏帝にむかっては、
「このときこそ、総兵都督の頑張るべきときです。御使いをもって、丁寧にいましめられ、孔明の虚実にかかるな、深入りして重地に陥るなと、くれぐれも、持久をおとらせなさるように」
と、献言ばかりしていた。
そうした仲達の態度には、自分が総都督たるならば大いに格別、さもなくては働けないとしているような腹蔵があるのではないかと考えられるふしもある。何しても孔明の正面に立った曹真の苦戦は思いやられるものがある。
朝廷では、韓曁を使いとして、曹真にそれらの方針を伝えさせることになった。すると司馬仲達はその韓曁をわざわざ洛外の城下端れまで見送りに行って、その別れに臨み、
「言い忘れたが、これは曹真総兵都督の功を希うために、ぜひ注意して上げておいてくれ。それは蜀勢が退くとき、決して、性質の短慮な者や狂躁な人物に追わせてはいけない。軽々しく追えば必ず彼の計に陥る。――この事を、朝廷の命として、付け加えておいてもらいたい」
と、いかにも真情らしく言伝てを頼んだ。そのくせ、それほどの魏軍の苦境を知りながら、彼は車を回らして、悠々、洛陽へもどるのであった。
二
大常卿韓曁は、やがて総兵都督本部に着き、曹真に、魏廷の方針をもたらした。
曹真は謹んで昭詞を奉じ、韓曁の帰るを送ったが、後、この由を副都督の郭淮に語ると、
「それは朝廷の御意見でも何でもない。すなわち司馬懿仲達の見ですよ」
と、

って笑った。
「だれの見でもよいが、この見解の可否はどうだ」
「悪くはありません。よく孔明の兵を観ています」
「が、もし、蜀の勢が、こちらの思うように退かなかった場合は」
「王双に計をさずけ、小道小道の往来を封じさせれば、いやでも蜀軍の兵糧は途絶えて、退かざるを得なくなるにきまっています」
「そうゆけばしめたものだが」
「なお、それがしに、別に妙策がひとつあります」
郭淮は、洛陽の使いがもたらした司馬懿の方針には、充分感心していたが、さりとてその通りに行っているのも、この総司令部に人なきようで

だった。彼の
囁いた彼自身の一策は、これまた曹真を動かすに足りた。曹真も何かで連戦連敗の汚名からまぬかれたいのである。――で、その計画は徐々に実行され出していた。
事実、蜀軍の大なる欠陥は、大兵を養う「食」にあることは万目一致していた。いまや日を経るに従って彼が「食」の徴発に奔命しつつあるは必定であるから、敵の求めるそれを好餌に用いて、罠にかけようというのが郭淮の着想だった。
それから約一ヵ月ほど後。
すなわち魏の孫礼は、兵糧を満載したように見せかけた車輛を何千となく連れて、祁山の西にあたる山岳地帯を蜿蜒と行軍していた。
(陳倉の城と、王双の陣へ、後方から運輸してゆくもの)とは一見だれでもわかる。
けれど車輛の上にはみな青い布が被せてあって、その下には硫黄、焰硝、また油や柴などが秘してあった。これが郭淮の考えた蜀軍を釣る餌なのである。
一画。その郭淮は、箕谷と街亭の二要地へ大兵を配して、自身その指揮に臨み、また張遼の子張虎、楽進の子楽綝、このふたりを先鋒として、あらかじめある下知を附しておいた。
さらになお、陳倉道の王双軍とも連絡をとって、蜀軍みだるるときの配置を万全にしておいたことは言うまでもない。
「隴西から祁山の西を越えて、数千輛の車が、陳倉道へ兵糧を運んでゆく様子に見えまする」
蜀の物見は、鬼の首でも取ったように、これをすぐ孔明の本陣へ達した。
蜀軍の将は、聞くとみな、
「なに、兵糧の車輛か」
と、はやその好餌に目色をかがやかした。
蜀軍の糧は、各方面の間道国道から、極めて微々たる量を、しかも艱難辛苦してこれへ寄せている状態だったし、その予備量もすでに一ヵ月分となかったところなので無理はない。
だが、孔明は、まったく別な事を左右に訊ねていた。
「兵糧隊の敵将は、だれだと言ったな?」
「物見の言葉では、孫礼字は徳達だと言いましたが」
「孫礼の人物を知るものはないか」
「されば彼は、魏王にも重んぜられている上将軍です」と、むかし魏にいて精通していた一将が話した。
「かつて魏王が大石山に狩猟をなしたとき、一匹の大きな虎がたちまち魏王へ向かって飛びかかって来たのを、孫礼が、いきなり楯となって、大虎に組みつき、剣をもって、ついにその虎を刺し殺したことから非常に魏王の信寵をうけて今日に至った人物です」
「そうか......」と孔明は謎のとけたように笑って、さて諸将へ言うには、
「兵糧を運送するに、それほどな上将を
附けるわけはない。思うに
車輛の
被いの下には、火薬、枯れ
柴などが積んであるだろう。
嗤うべし、わが胃へ火を

らわせんとは」
彼はこれを全く無視したが、しかし、ただ無視し去ることはしなかった。たちまち帷幕に将星を集め、敵の計を用いて敵を計るの機を摑みにかかった。
三
情報が蒐められた。
風のごとく物見が出入りした。
その帷幕のうちから孔明の迅速な命令は次々に発せられていた。馬岱が真っ先に、三千の軽兵をひきいてどこかへ走った。次に、馬忠と張嶷が各々五千騎を持って出動した。呉班、呉懿等の軍も何か任を帯びて出た。そのほか関興、張苞などもことごとく兵をひきいて出払い、しかも孔明自身もまた床几を祁山のいただきに移し、しきりと西の方面を望んでいた。
魏の車輛隊の行軍は、すこぶる遅々であった。
二里行っては、物見を放ち、五里行っては物見を放った。
さながら、蜀魏の間諜戦でもあったわけだ。
魏の物見は告げた。
「孔明の本陣は動き出しました」
「まぎれもなく、この兵糧輸送を嗅ぎつけて、これを奪えと、手分けにかかったように窺われます」
「馬岱、馬忠、張嶷など、続々と蜀陣を出ました」
等々の情報である。
孫礼は、得たりと思って、直ちにこの旨を曹真の陣へ急報した。曹真はまた張虎、楽綝の先鋒へ向かって、
「こよい、祁山の西方に炎々の火光を見る時こそ、蜀兵がわが火計にかかって、その本陣を空虚にした時である。空赤く染まる時を合図として、孔明の拠陣へ向かって突っ込め」と、激励した。
すでにその日も暮れようとして、祁山の西に停まった孫礼の運送部隊は、夜営の支度にかかると見せて、実は千余輛の火攻め車を、あなたこなたに屯させて、蜀兵を焼き殺す配置を了えていた。
発火、埋兵、殲滅の三段に手筈を定めて、全軍ひそと、仮り寝のしじまを装っていると、やがて果たして、人馬の音が粛々と夜気を忍んで来る様子だった。
折節、西南の山風がつよい。孫礼は、
「――敵来たらば」
と、手に唾して待っていた。
ところが、いまだ魏軍の起たないうちに、その風上から、火を放った者がある。何ぞはからん、敵の蜀兵だ。
孫礼は初め味方の手ちがいかと狼狽したのであったが、さはなくて蜀兵自身が火を放ったものと知ると、しまったと叫んで、
「孔明はすでに看破しているぞ。我が事破る」
と、躍り上がって無念がった。
千余の車輛を焼き立て焼き立て、すでにして蜀兵は二手に分かれて矢を送り石を飛ばして来た。鼓角夜空にひびき、火光天を焦がし、魏兵の混乱ぶりは一方でない。
風上から攻め来るもの、蜀の張嶷、馬忠などである。風下からは同じく馬岱の一軍が鼓噪して攻めかかった。
自ら設けた火車の死陣の中に魏兵は火を被って戦うほかなかった。のみならず魏勢は谷間や山陰の狭路に埋伏していたので、その力は分裂しているし、主将の命令は各個に一貫していない。
火の光の中に、討たれる数もおびただしかったが、踏み迷い、逃げまどい、自ら焼け死ぬ者や火傷を負って狂う者数知れなかった。――かくてこの一計は、見事、魏の失敗に終わったのみならず、自ら火をもって自ら焼け亡ぶの惨禍を招いたのであったが、当夜、かかる不測が起こっているとも知らず、ただ空を焦がす火光を望んで、
「時こそ到る」
と、いたずらに行動を開始してしまったのは、曹真から命ぜられていた楽綝、張虎の二隊だった。
危ういかな、盲進して、孔明の本陣へ、突入してしまったのである。敵影はない。――これは予期したところだが、須臾にして、陣営のまわりから、突然、湧いて出たような蜀軍の喊の声が起こった。蜀の呉班、呉懿の軍だ。――釜中の魚はまさに煮られるごとく逃げまどった。
ここでも、魏勢は残り少なに討たれた上、さんざんの態で逃げ崩れて来る道を、更に、関興、張苞の二軍に、完膚なきまで、痛撃された。
夜明けと共に曹真の本陣に、西から南から北からと、落ち集まって来た残軍と敗将のすがたこそ見るかげもないものだった。
四
食うか食われるか、戦の様相はつねに苛烈である。この苛烈を肝に銘じていながら曹真の軽挙はふたたび重ね重ねの惨敗を自軍に見てしまった。
彼の落胆は、恐怖に近づいた。いまは郭淮の献策をうらむこともできない。彼は総兵大都督である。
「以後は、かならず猥りにうごくな、敵の誘いにのるな。ただ守れ、固く守備せよ」
以後の警戒は非常なものである。むしろ度の過ぎるほど堅固に堅固を取った。ために、祁山の草は幾十日も兵に踏まるることなく、雪は解けて、山野は靉靆たる春霞をほの紅く染めて来た。
霞を横切る一羽の鳥がある。孔明は日々
悠久なる天地をながめ、あたかも霞を

うて生きている
天仙か地仙のごとく物静かに日々を黙して送っていたが、一日、書をしたためて、ひそかに
陳倉道にある
魏延の陣へ使いを出した。
楊儀があやしんで訊ねた。
「魏延の陣へ、お引き揚げを命ぜられたそうですが、なぜですか」
「そうだ。陳倉道の方ばかりでなく、ここの陣地も引き払おうと思う」
「そして、どこへ進発なさいますか」
「いや、進むのではない、漢中へしりぞくのだ」
「はて。それがてまえには解せません」
「なぜな?」
「でも、かくのごとく、蜀は勝っているところを、しかも万山の雪は解け、いよいよ士気旺盛たろうとしている矢先ではございませんか」
「さればこそ今を退く時と思うのである。魏がいたずらに守って、戦わないのは、わが病を深く知らないからだ。わが病とはほかでもない兵糧の不足。いかんともなし難い重患だが、幸いにも、敵はただその涸渇を待っていて、積極的に、わが通路を断とうとしない。――これなおわが余命のある所以だ。もし今のうちに療養に還らなければ、この大軍をして、救い難い重態に墜とすであろう」
「その点は、われわれも絶えず腐心しているところですが、先ごろの大捷に、だいぶ戦利品も加えましたから、なおしばらくは支えられないこともありません。そのうちに勝ち続けて、自然活路に出れば、敵産をもって、長安に攻め入るまで、食い続けられないこともないと思いますが......」
「否とよ。草は食えるが敵の死屍は糧にならない。ここ魏の陣気をはるかに窺うに、おそらく大敗のこと、洛陽に聞こえて、敵は思いきった大軍をもって、ここを援けに来るにちがいない。......さもあらばまた、彼は新手、彼は後方にいくらでも運輸の道を持つ大軍。いかにして、我が勝利をなお保ち得よう。――敗れて退くにあらず、勝って去るのである。退くとは戦いの中のこと、去るとは作戦による行動にほかならない。さように歯がみして無念がるな」
楊儀の口をもって、諸将の不満へも言わせようとするのであろう、孔明の諭示は嚙んで含めるようだった。
「――しかし、魏延へやった使いも、一計をさずけて遣わしてあるから、引き揚げるといっても、無為に退くわけではない。見よ、やがてあすこにある魏の王双の首は、魏延のよい土産となるであろう」
孔明はそうも言った。
関興、張苞などの若手組は、案のごとく、この陣払いにたいして、不満を表示したが、それも楊儀になだめられて、着々ここを引き揚げにかかり出した。
とはいえもちろん、それは密かに行なわれたものであることはいうまでもない。水の乾くように、徐々兵数を減じて、退後させていた。そして最後にいたるまで、鉦鼓の者は残して、常と変わるところなく、調練の螺を吹き時の鉦を鳴らし、旗々はなお大軍そこにとどまるもののごとく装っていた。
――一方、魏の曹真は、その後、守るに専念して、とみに気勢も昂らずにいたが、折から、左将軍張郃が洛陽から一軍をひきいて来て味方の陣に参加した。
曹真は彼を見ると、訊ねた。
「貴所は都を立つとき、司馬懿には、お会いにならなかったか」
すると彼は答えた。
「いや、会わないどころではありません。それがしが加勢に下がって来たのも、ひとえに司馬仲達の計らいに依るものです」
五
「ほほう。......では、やはり仲達のはからいで来られたわけか」
「いや、洛陽の上下でも、先ごろ以来、だいぶ当地の敗戦を心痛しています」
「まことに予の不徳のいたすところだ。国内に対して面目もない」
「勝敗は兵家のつね。敗るるも次の勝ちを期しておれば御苦慮にも及びません。......が、このごろの戦況はどうですか」
張郃にこう問われると、曹真は初めて少しにこっとして、
「この数日は、大いに戦況が味方の有利に転回して来た。以後まだ大合戦はないが、諸所において、いつも味方が勝ちつつある」
「......あっ。それはいかん」
「な、なぜだ?」
「その事も、それがしが離京の際に、司馬仲達がくれぐれも警戒せよと言っていました」
「なに。味方の勝つのはいけないと言ったのか」
「そうした意味ではありませんが。......つまり、こう申されたのです。......蜀軍はたとえ兵糧が欠乏し出しても、決して軽々しくは退くまい。だが、彼の兵がしばしば小勢で出没してそのたび負けて逃げるような時は、大いに機微を見ていないといけない。反対に、彼が大軍をうごかすか、大いに強味のあるときは、まだ退陣の時は遠いと見ていてまちがいない。この辺が、兵家の玄妙であるから、よくよく曹真閣下におつたえしておくがいいと附言された次第です」
「......ははあ、なるほど。すると過日からの味方の勝ち色はあまりあてにならんかしら」
何か思い当たるものがあるらしく、曹真は急に間諜の上手な者数名を放って、孔明の本陣を窺わせた。
間諜は帰って来て報告した。
「祁山の上にも下にも、敵は一兵もおりません。ただ備えの旗と囲いだけが残っているだけであります」
次に帰って来た者も言った。
「孔明は、漢中さして、総引き揚げを行なったようです」
曹真は頭を搔いて後悔した。
「また、きゃつに騙されていたのだ」
聞くや否、張郃はすぐ新手の勢をもって、孔明のあとを急追してみたが、時すでにはなはだ遅かった。
また、陳倉道の口に残って、久しい間、魏の猛将王双をそこに支えていた魏延は、孔明の書簡に接すると、これもたちまち、陣払いを開始していた。
当然、それはすぐ王双の知るところとなり、王双はいとまをおかず追撃した。
そして、蜀兵に近づくや、
「魏延、いずこに帰るぞ、王双これにあり、返せ返せ」
と馬の上から呼ばわりつつあくまで追った。
蜀兵の逃げ足も早かった。王双の追うことあまりに急なので、彼の周囲には、ようやく旗本の騎馬武者二、三十騎しか続いて来られなかった。
すると、後ろから駈けて来た一騎が、
「わが大将、ちと急ぎ過ぎましたぞ、敵将魏延はまだうしろの方にいる」と、注意した。
「そんなはずはないが?」
と、振り向くと、どうした事か、陳倉城外にある自分の陣営から黒煙が上がっている。
「さては、うしろへ出たか」と、あわてて引っ返して、途中の有名な嶮路陳倉峡口の洞門まで来ると、上から大岩石が落ちて来て、彼の部下、彼の馬、みな挫き潰された。
「王双、どこへ行く」
突如、彼のうしろに、一彪の軍が見え、その中に、魏延の声がした。
いちど馬上からもんどり打ったため、王双は逃げきれず、またその武力もあらわすに遑なく、ついに魏延の大剣に、その首を委してしまった。
魏延はその首を、高々と槍のさきに掲げさせて、悠悠、漢中への引き揚げを仕果たした。
――王双の死が、曹真の本営へ知らされてからいくばくもなく、陳倉城の守将郝昭の死がまた報じられて来た。郝昭は病死であったが、曹真にとり、また魏にとっては、重ね重ねの凶事ばかりだった。
総兵之印
一
蜀魏両国の消耗をよろこんで、その大戦のいよいよ長くいよいよ酷烈になるのを希っていたのは、いうまでもなく呉であった。
この時に当たって、呉王孫権は、宿年の野望をついに表面にした。すなわち彼もまた、魏や蜀にならって皇帝を僭称したのである。
四月。武昌の南郊に盛大な壇をきずいて、大礼の式典を行ない、天下に大赦を令し、即日、黄武八年の年号を、黄龍元年とあらため、先王孫堅に対しては、武烈皇帝と諡して、ここに、呉皇帝の即位は終わった。
嫡子の孫登ももちろん同時に皇太子にのぼった。そしてその輔育の任には、諸葛瑾の子諸葛恪を太子左輔とし、張昭の子張休が太子右弼を命ぜられた。
諸葛恪は、血からいえば、孔明の甥にあたるものである。資質聡明、声ははなはだ清高であったといわれる。幼時から夙に、神異の才を称えられ、その六歳の時に、こんな事もあった。
ある折、呉王孫権が戯れに、一匹の驢馬を宮苑に曳き出させ、驢の面に、白粉を塗らせて、それへ、
諸葛子諭
という四文字を書いた。
けだし、これは諸葛瑾の顔が、人いちばい長面なので、それを揶揄して笑ったのである。だが、君公の戯れなので、当人も頭をかいて共に苦笑していた。
すると父のそばにいたまだ六歳の諸葛恪が、いきなり筆を持って庭へとび降り、驢の前に脊伸びして、その面の四文字の下へ、また二字を書き加えた。
人々が見ると、すなわち、
諸葛子諭之驢
と、読まれた。見事、からかわれている父の辱を雪いだのである。現今中国人のあいだでよく言われる「面子」なることばの語源がこの故事から来ているものか否かは知らない。
この輔弼に加えて、更に、丞相顧擁、上将軍陸遜をつけて共に太子を守らせ、武昌城において、孫権はまた、建業に還った。
かくて、魏蜀戦えば戦うほど、呉の強大と国力は日を趁うて優位になるばかりなので、宿老張昭はかたく兵をいましめ、産業を興し、学校を創て、農を励まし、馬を養って、ひたすら、他日にそなえながら、一面、特使を蜀へ派して、なおなお善戦を慫慂していた。
また、その特使の使命には、
「このたび、わが呉においても、前王孫権が登極して皇帝の位に即かれました」
という発表を伝えて、国際的にこれを承認させる副意義もあったこと、もちろんである。
その特使は、成都へも、漢中の孔明の所へも同様に臨んだ。孔明は心のうちに安からぬものを抱いたにちがいない。なぜといえば、彼の理想は、漢朝の統一にあるからである。天に二つの日なしという信念が、彼の天下観だからである。しかし今はそれを唱えていられない時であった。ひとたび呉が離脱せんか、魏と結ぶことに必然である。かくては永遠に蜀の興隆はない。蜀亡ぶときは、彼の理想もついに行ない得ないことになる。
「それは実に慶祝にたえない。いよいよ呉蜀両帝国の共栄を確約するものです」
孔明も直ちに、漢中の礼物を山と積ませて、呉へ賀使を送り、慶びの表を呈した。
そして、ついでに、
「いま貴国の強兵をもって魏を攻めらるれば、魏は必ず崩壊を兆すであろう。わが蜀軍が不断に彼を打ち叩いて、疲弊に導きつつあるは申すまでもありません」
と呉へ申し入れ、また朝野に向かって、時は今なることを、大いに鼓欣宣伝させた。
陸遜は、にわかに建業へ召還された。彼の意見を徴すべく呉帝は待ちわびていた。
「どうしたものだろう、蜀の要請は」
「修好の約ある以上、容れなければなりますまい。けれど、多くを蜀に労させて、呉はもっぱら虚をうかがい、いよいよという時、洛陽へ入城するものは、孔明より一足先に、わが呉軍であれば最上でありましょう」
「そうありたいのだ」
孫権は快げに笑った。
二
孔明は三度目の祁山出兵を決行した。
その動機は、陳倉の守将郝昭が、このところ病に罹って重態だという確報を得たからであった。
郝昭は、洛陽へ急を報じ、自分に代わる大将の援軍を仰いだ。
長安にある郭淮は、
「それでは遅い。奏上はあとでするから、御辺はすぐ向かえ」
と、張郃に三千騎を附して、すぐ陳倉城へ援けに向かわせた。
――が、この時はもう遅かったのである。郝昭は死し、陳倉は陥ちていた。
どうしてこう迅速だったかといえば、しきりに孔明の来襲を伝えたものは、実は姜維、魏延などの一軍で、その本軍は疾く密かに漢中を発し、間道をとって、世上の耳目も気づかぬうちに、陳倉城の搦手に迫り、夜中、乱波を放って、城内に火を放け、混乱に乗じて、雪崩れ入ったものだった。
だから味方の姜維や魏延が城中へ来たときですらすでに落城のあとだった。いかに魏の張郃が急いで救援に来たところで、到底、間にあうわけは無かったのである。
「丞相の神算は、つねに畏服しているところですが、かかる電撃的な行動は、われらも初めて見るところでした」
姜維、魏延たちは城中に入って、孔明の車を拝すと、心からそう言って、それに額かずにいられなかった。
孔明は、落去の趾を視察して、火中に死んだ郝昭の屍を捜させ、
「この人は敵ながら、その忠魂は見上げたものだ。死すとも朽ちさすべき人ではない」
と、兵を用いて手篤く葬えと命じた。
孔明はまた、二人へむかい、
「ここは陥ちたが、両所ともにまだ甲を解くな。直ちに、この先の散関へ馳けよ。もし時移さば、魏の兵馬充満して、第二の陳倉となるであろう」と、言った。
姜維、魏延は、畏まって候、とばかり息つく間もなく散関へいそいだ。
関は手薄だった。
ために難なく乗っ取ることを得たが、蜀旗を掲げてわずか半日ともたたないうちに、士気すこぶる旺な魏軍が、えいえいと武者声あわせて襲せ返して来た。
「すわや、丞相の先見あやまたず、魏の大軍がはや来たとみえる」
望楼にのぼって、これを望み見るに、軍中あざやかに、魏にその人ありとかねて聞く「左将軍張郃」の旗が戦気を孕んでひらめいていた。
しかし、これまで来てみると、すでに散関すら蜀軍に奪られていたので、いたく失望したものであろう、やがて張郃の軍は、にわかに後ろへ回ってゆく様子だった。
「追い崩せ」
蜀勢は、関を出て、これを追った。ために張郃の勢は、若干の損害をうけたのみならず、むなしく長安へ潰走した。
「この方面の態勢は、まず定まりました」
姜維、魏延から孔明へすぐ戦況をつたえた。
孔明は、この報せをつかむと、
「よし、機は熟す」となして、いよいよ総兵力をあげて、陳倉から斜谷へすすみ、建威を攻め取って、祁山へ出馬した。
ここは二度の旧戦場だ。しかもその両度とも蜀軍は戦い利あらず、退却のやむなきを見ているのである。孔明にとっては実に痛恨の深い地であるにちがいない。彼は、帷幕の将星をあつめて告げた。
「魏は二度の勝利に味をしめて、このたびも旧時の例にならい、我かならず雍・郿の二郡を窺うであろうとなして、そこを防ぎ固めるにちがいない。......故に我は、鉾を転じて陰平、武都の二郡を急襲せん」
孔明の作戦は、その陰、武二郡を取って、敵の勢力をその方面へ分散させようとするにあったらしい。しかし敵の兵力を分けさせるためには、自己もまた兵力を分けねばならなかった。それにさし向けた蜀軍の兵力は、王平の一万騎と、姜維の一万騎、あわせて二万の数だった。
三
長安に引っ回した張郃の報告を聞き、また孔明の祁山出陣を聞いて、郭淮は驚きに打たれた。
「さもあらば、蜀勢はまた雍・郿の二郡へ攻めかかるだろう。張郃、足下はこの長安を守れ、われは郿城を固め、雍城へは孫礼をやって防がせよう」
即座に彼は、兵を分けて、その方面へ急行した。
張郃は、早馬に次ぐ早馬をもって、祁山一帯の戦況を洛陽へ告げ、
「大兵と軍馬を、続々下し給え、さもなくば、事態予測をゆるさず」と、要請した。
魏朝廷の狼狽はただならぬものがあった。何となれば、この時すでに、呉の孫権の帝位登極のことが伝わっていたし、続いて、蜀呉の特使交換やら、更には蜀の要請に従って、武昌の陸遜が、大兵力をととのえ、今にも魏へ攻め入ろうとする空気が濃厚にみなぎっているなどという――魏にとって不気味きわまる情報がやたらに入っているからであった。
蜀も強敵。呉もいうまでもなく大敵。こうなるといずれに重点をおいてよいのか。魏廷の軍政方針は紛々議論のみに終わって、その実策を見失っているのであった。
「司馬懿に問うしかない」
重将宿将多しといえども魏帝もついにはひとりの仲達に恃みを帰するしかなかった。
「いそぎ参朝せよ」と、召せばいつでも、素直に出てくる司馬懿であったが、闕下に伏しても、このごろの風雲にはまるで聾のような顔をしていた。
けれど、帝が下問すると、
「そんな事は、深くお迷いになるまでもない事かと思います」
と、その定見を、するすると糸を吐くように述べた。
「孔明が呉をけしかけたのは当たり前な考えです。呉がこれに応じるのもまず修交上当然といえましょう。けれど呉には陸遜という偉物が軍をにぎっています。また、呉が率先挺身しなければ、条約に違うという理由はありませんから、攻めんといい、攻めるぞとみせ、実は軍備ばかりしていて、容易にうごかず、蜀の戦いと、魏の防ぎを、睨み合わせて、ひたすら機を測っているものにちがいありません。――故に、呉の態勢は虚です。蜀の襲攻は実です。まずもって、実に全力をそそぎ、後、虚を始末すればよろしいでしょう」
「なるほど、実にも、そうであった」
いわれてみると、こんなわかりきっていることを、なんで迷っていたのかと魏帝は膝を打って嘆じた。
「卿は真に大将軍の才だ。卿を措いては孔明を破るものはない」
嘆賞のあまり魏帝はその場で彼を大都督に封じ、併せて、総兵之印をも取り上げて、汝にさずけんと詔した。
仲達ははなはだ迷惑そうな顔をした。なぜならばその総兵之印は、全軍総司令たる曹真が持っているものである。――が、勅命いなみ難しとおうけはしたものの、
「勅をもって取り上げらるるはお気の毒の限りですし、それでは当人の面子もありませんから私が参ってみずから頂戴しましょう」
と、長安へ立った。そして府中に病臥中の曹真に会い、病を見舞って四方山のはなしの後、
「時に、呉の陸遜、蜀の孔明が、緊密に機を結びあって、同時に、わが国の境へ攻め入って来たのを御存じですか」
「えっ。そんな事態ですか」
――曹真は愕然として、
「何しろ、この病体なので、だれもほんとの事を知らしてくれない」と、痛涙にむせんだ。
「からだにお毒ですよ」
と仲達はなぐさめて――
「それがしがお扶けしますから帷幕の事はあまり御痛心なさらぬがよい」といった。
「いや、いや、この病身では、ついに国家の大危局を救う力など到底わしにはない。どうか御辺がこれを譲りうけて、この大艱難に当たってくれい」
と、総兵之印をとり出して、たって、司馬懿に押しつけた。司馬懿は、再三辞退したが、
「朝廷へは、わしから後に奏聞しておく。決して、卿に咎はかけない」
といって、どうしても肯かないのである。仲達も断わりあぐねた態をなして、それでは一応お預かりしておくと答えて受け取った。
司馬仲達計らる
一
蜀の諸葛亮孔明と、魏の司馬懿仲達とが、堂々と正面切って対峙するの壮観を展開したのは、実にこの建興七年四月の、祁山夏の陣をもって最初とする。
それまでの戦いでは仲達はもっぱら洛陽にあって陣頭に立たなかったと言ってよい。序戦の街亭の役には、自身陽平関にまで迫ったが、孔明は楼上に琴を弾じて、彼の疑い退くを見るや、風のごとく漢中へ去ってしまい、両々相布陣して、乾坤一擲に勝敗を決せんとするような大戦的構想は、ついにその折には実現されずにしまった。
孔明も仲達の非凡を知り、仲達ももとより孔明の大器はよく弁えている。
――その上での対陣である。しかも司馬懿軍十万余騎は、まだ傷つかざる魏の新鋭であるし、その先鋒の張郃も百戦を経た雄将だった。
「一望するところ、孔明は祁山の三ヵ所に陣を構え、旗旛整々たるものが見えるが、貴公たちは、彼がここへ出て以来、幾度かその戦意を試みていたか」
祁山に着いた日、仲達は、郭淮と孫礼のふたりにこう質問した。
「いや、御下向を待って、親しく御指揮を仰いだ上でと考えて、まだ一度も戦っておりません」
「孔明としては、必ず即戦即決を希望しているだろうに、敵も悠々とあるは、何か大なる計があるものと観ねばならぬ。――隴西の諸郡からは、何の情報もないか」
「諸所みな守り努めているようです。ただ武都、陰平の二郡へ遣った連絡の者だけ、今もって帰って来ません」
「さてこそ。孔明はその二郡を攻めようとしているのだ。貴公等は、間道からすぐ二郡へ救援に行け。そして守備を固めた後、祁山のうしろへ出よ」
郭淮と孫礼は、即夜、数千の兵をひきいて、隴西の小道を迂回した。
途中ふたりは、馬上で語り合った。
「貴公は、孔明と仲達と、いずれが優れた英才と思うか」
「さあ? どちとも言えないが、敵ながら孔明が少しすぐれておりはせぬかな?」
「しかし、こんどの作戦などは、孔明より仲達の方が、鋭い所を観ているようだ、祁山のうしろへ出られたら、孔明とて狼狽するだろう」
すると夜の明けがたころ。
先頭の兵馬が急に騒ぎ出したので、何事かと見ると、一山の松林の中に、「漢の丞相諸葛亮」としるした大旗がひるがえり、霧か軍馬か濛々たるものが山上からなだれて来る。
「や。おかしいぞ」
言っているまに、一発の山砲が轟いた。それを合図に、四山金鼓の声をあげ、郭淮、孫礼の四、五千人は、完全に包囲された形となった。
「夜来の旅人。もはや先へ行くは無用。隴西の二郡はすでに陥ちてわが手にあり、汝等も無益な戦いやめて、わが前に盔を投げよ」
孔明は四輪車のうえから呼ばわりつつ、むらがる敵を前後の旗本に討たせながら、郭淮、孫礼の方へそれを押しすすめて来た。
「よし、この眼に孔明を見たからには、討ちもらしてなるものか」
二将は喚き合って血の中へ挺身して来たが、王平、姜維の二軍に阻まれ、かつ手勢を討ち減らされて、
「いまは、ぜひなし」と、無我無性、逃げ出した。
「待てっ。なおここに、蜀の張苞あるを知らないか。張飛の子、張苞に面識をとげて行かぬは、冥加でないぞ」
追いかけた者は、名乗るがごとき張苞だった。しかし、敵の逃げるのも盲滅法だったし、彼の急追もあまりに無茶だったので、松山の近い岩角に、その乗っていた馬が躓いたとたん、馬もろとも、張苞は谷の底へころげ落ちてしまった。
あとに続いていた蜀兵は、それを見ると、
「やや。張将軍が谷へ落ちた――」と、逃げる敵もさておいて、みな谷底へ降りて行った。あわれ張苞、岩角に頭を打ちつけたため重傷を負い、流れのそばに昏絶していた。
二
郭淮と孫礼が惨たる姿で逃げ帰って来たのを見ると、仲達は慙愧して、かえって、ふたりへ詫びた。
「この失敗はまったく貴公の罪ではない。孔明の智謀がわれに超えていたからだ。しかし、この仲達にもなおべつに勝算がないでもない。貴公たちは雍・郿の二城へわかれて堅く守っておれ」
司馬懿は一日沈思していたが、やがて張郃と戴陵を招いて、
「武都・陰平の二城を取った孔明は、さしずめ戦後の経策と撫民のため、その方へ出向いているにちがいない。祁山の本陣には依然、孔明が居るような旌旗が望まれるが、おそらく擬勢であろう。汝等はおのおの一万騎をつれて、今後、側面から祁山の本陣へかかれ。儂は正面から当たって、一挙に彼の中核をつき崩さん」と、言った。
張郃はかねて調べておいた間道を縫い、夜の二更から三更にかけて、馬は枚をふくみ、兵は軽装捷駆して、祁山の側面へ迂回しにかかった。
途中は峨々たる岩山のせまい道ばかりだった。行くこと半途にして、その道も重畳たる柴や木材や車の山で塞がっていた。敵が作っておいた防塞だろうが、これしきの妨げは、物ともするな、踏みこえて進めと張郃が励ましていると、たちまち、四方から火が揚がって、魏兵の進路を危うくした。
「愚や、愚や。司馬懿の浅慮者が、前にも懲りず、ふたたび同じ敗戦を部下に繰り返させていた。――見ずや、孔明は武、陰にあらず、ここに在るぞ」
山の上で高らかに言っているのは、まぎれもない孔明の声である。張郃は、怒って、
「わが大国を恐れず、たびたび境を侵す山野の匹夫。そこを動くな」
と、ほとんど胸衝きにひとしい嶮路へ、無理に馬を立てて馳け上がろうとすると、山上にもう一声、呵々と大笑する孔明の声がひびいて、
「匹夫の勇とは、それ汝自身の今の姿だ。求むるはこれか」と、左右に下知すると、同時に、巨木大石が流れを下るごとく落ちて来た。
張郃の馬は脚を挫いて仆れた。彼は乗り換え馬を拾って麓へ逃げ退いたが、友軍の戴陵が、敵の重囲に落ちているのを知ると、ふたたび取って返して戴陵を救い出し、ついに元の道へ引っ返した様子である。
孔明は、あとで言った。
「むかし当陽の激戦で、わが張飛とかの張郃とが、いずれ劣らぬ善戦をなしたので、当時、魏に張郃ありと、大いに聞こえたものだが、その理由なきに非ざるものを、今夜の彼の態度にも見た。やがて彼は蜀にとって油断のならぬ存在になろう。祈あらば、かならず討ってしまわねばならない害敵の一人だ」
一方、魏の本陣では、この惨退を知った司馬懿仲達が、手を額にあて、色を失って、
「またわが考えの先を越されていたか。――孔明の用兵は、まさに神通のものだ。凡慮を超えている」と、その敵たることを忘れて、ただただ嘆じていたということである。いわゆる肚の底から「負けた」という感じを抱いたものだった。
「――さもあらばあれ、彼も人なり、我も人なり。司馬懿仲達ともあるものが、いかでこれしきの敗れに屈せんや」と、彼は自らの気を振って、更に心を落ち着け、昼夜、肝胆を練りくだいて、次の作戦を案じていた。
序戦二度の大捷に、蜀軍は大いに士気を昂げたばかりでなく、魏軍の豊かな装備や馬匹武具などの戦利品も多く獲た。けれど、司馬懿の軍は、それきり容易にうごかなかった。
孔明もやむなく滞陣のまま半月の余を過ごした。孔明は託ち顔に、
「うごく敵は計り易いが、全くうごかぬ敵には施す手がない。かかるうち味方は運送に、兵糧の枯渇に当面しては、自然、形勢は逆転せざるを得まい。はて、何とすべきだろうか」
幕々の諸将と評議していると、そこへ成都から費褘が勅使として下って来た。
天血の如し
一
さきに街亭の責めを負うて、孔明は丞相の職を朝廷に返していた。今度、成都からの詔書は、その儀について、ふたたび旧の丞相の任に復すべしという、彼への恩命にほかならなかった。
「国事いまだ成らず、また以後、大した功もないのに、何で丞相の職に復することができよう」
孔明は依然固辞したが、
「それでは、将士の心が奮いません」
という人々の再三なすすめに従って、ついに朝命を拝して、勅使費褘の都へ還るを送った。それから後、間もなく、
「われわれもひとまず還ろう」と突然、漢中への総引き揚げを発令した。
敵の司馬懿は、これを聞くや直ちに、
「追わばかならず孔明の計にあたろう。守って動くな」
かえって堅く自戒していた。
しかし、張郃などの徒は、
「敵は兵糧につまったのだ。追撃して完滅を下すのはこの時ではありませんか」
と、むずむずして言った。
「いやいや漢中は去年も豊作だったし、今年も麦は熟している。兵糧が無いのではなく、ただ運輸の労に困難しているに過ぎない。――量るに孔明はみずから動いて、われを動かさんと、誘うものであろう。しばらく物見の報告を待て」
仲達は諸将をなだめた。
情報は、次々に聞こえ、
「――孔明の大陣、三十里往いてしばらく駐まる」
と、聞こえたが、その以後は、約十日ばかり何の変化も伝えて来ない。
すると、やがて、
「蜀軍すべて、更に遠く行く」と報らせて来た。
司馬懿は、諸将に言った。
「見よ三十里ごとに、計を窺い、変を案じ、ひたすらわれの追撃を誘っている。危うし危うし。滅多に、孔明の好みに落ちるな」
次の日も、また三十里退いたという報あり、更に二日ほど措いて、
「蜀軍はまた三十里行軍して停まっています」という物見のことばだった。
幕将たちの観察と、司馬懿の見方とは、だいぶ相違があった。幕将たちは躍起となって再び彼に迫った。
「孔明の退く手口を見ると、緩歩退軍の策です。一面退却一面対峙の陣形をとりながら、きわめて平凡な代わりに、またきわめて損害のないような、正退法に拠っているものでしかありません。――これを見過ごして撃たずんば、天下の笑い草になりましょう」
そうまで言われると、司馬懿もいささか動かされた。わけて張郃は極力、追撃を望んでやまない。でついに、
「しからば、御辺は、もっとも勇猛なる一軍をひきいて追え。ただし、途中、一夜を野営して、兵馬の足を充分に休ませ、しかる後猛然と蜀軍へ突っこめ。――儂もまた強兵をすぐって第二陣に続くであろう」と、にわかに考えを一転した。
精兵三万、つづいて仲達の中軍五千騎、弦を離れたごとく、急追を開始した。しかしその速度を、ぴたと止めると、全軍、その日のつかれを休め、明日の英気を養って、概すでに敵を呑むものがあった。
かくと殿軍の物見から聞くと、孔明は初めて、うすい微笑を面に持った。生唾を呑むように、待ちに待っていたものなのである。
孔明はその夜、諸将をあつめて、悲壮なる訓示をなした。
「この一戦の大事は、いうまでもない。蜀の運命を決するは、まさに今日にある。卿等みな命をすてて戦え。味方一人に敵数十人をひきうけて当たるほどな覚悟をもて」
孔明は更に言った。この強敵の背後へ迂回して、かえって、敵のうしろを脅かす良将がここに欲しい。それにはだれがよいか。みずからこの必死至難な目的に当たってよく為し遂げんと名乗って出る者はいないか。――と座中を見まわした。
二
だれも答える者もない。われこそと名乗り出て、その至難に赴こうという者がない。
それもそのはず。――孔明は、この大事に赴く者は、智勇胆略の兼ね備わっている良将でなければ用い難い――と前提しているのである。
「............」
孔明のひとみは、魏延の顔を見た。しかしその魏延ですら首を垂れて無言だった。
――と、王平がつと進んで、
「丞相。それがしが赴きましょう」と思い切った語調で言った。
孔明は、あえて歓びもせず、
「もし仕損じたらどうするか」と、反問した。
王平は悲壮な面色で、
「成功するや否やなどは考えておりません。ただ今、丞相のおことばには、この一戦こそ、蜀の興亡にも関わる大事と仰せられました故、不才を顧みるいとまなくただ一死をもって国に報ぜんとするあるのみです」
「王平は平時の良才、戦時の忠将。その一言で可し。しかし魏の大軍は、二段にわかれ、前軍張郃、後陣司馬懿のあいだは、まさにおのずから死地そのものだ。わが命じるところはその死地の間に入って、戦えという無理な兵法なのである。いわゆる捨て身の戦いだ。なお赴くか」
「断じて赴きます」
「では、もう一軍添えてやろう。たれか王平の副将として赴く者はいないか」
「それがしにお命じ下さい」
「だれだ。名乗った者は」
「前軍都督張翼です」
「せっかくだが、敵の副将張郃は、万夫不当の勇、張翼では相手に立てまい」
聞くと張翼は、残念がって、奮い立った。
「丞相には何事を仰せある。それがしとて死をもって当たれば恐るる者を知りません。もし、卑怯があったら、後、この首をお刎ね下さい」
「それほどいうならば、望みにまかせてやろう。王平と汝と、おのおの一万騎をつれて、今宵のうちにひそかに道を引っ回し、途中の山に潜め。そして明日、魏の前軍がわれを追撃にかかり、通り過ぎるを見たら、司馬懿の第二軍が続く前に――その間へ――突として討って出で、王平は張郃軍のうしろへ蒐り、張翼は司馬懿の出ばなへぶっつかって戦え。......あとは孔明にべつの計りもあれば、味方を思わず、その一ヵ所を一期の戦場として死志を励め」
令をうけると、二将は、孔明の前に立って、
「では、お別れいたします」
と、暗に死別を告げて、すぐその行に就いた。
孔明は、うしろ姿を見送っていた。そしてすぐその後で、
「姜維、廖化を、これへ」と、さし招き、各自に各三千騎をひっさげて、王平、張翼の後を追い、その戦場となるべき附近の山上に登って、待機せよといい渡した。
そして、二人が行く前に、
「ここぞと、戦機の大事を見極めたら策をこの囊に聞け」
と、錦の囊を渡した。いわゆる智囊である。
次に。
呉班、呉懿、馬忠、張嶷の順に呼ばれた。
「其方たちは、正陣をもって、寄せ来る敵の前面に当たれ。壁となって防ぎ戦え。しかし明日の魏軍の猛気はおそらく必殺必勝の気で来るであろう故、無碍に支えれば、必定、支えきれなくもなる。一突一退、緩急の呼吸をはかって、やがて関興の一軍が討って出るのを見たら、そのとき初めて、いっせいに奮力をあげて死戦せい」
孔明は、また、最後に関興へこういう命令を与えた。
「汝は、一軍をもって、この附近の山間にひそみ、明日、予が山上にあって、紅の旗をうごかすのを見たら、一度に出て、敵とまみえよ。かならず日ごろの戦いと思うな」
かくてすべてに渡って手筈が整うと、孔明は、一睡をとって、黎明早くも山上へ登って行った。この日、朝雲は低く、日輪は雲表を真紅に染め、いまだ万地の血にならない前に、天すでに血のごとしであった。
三
両軍の決戦的意気といい、その精猛を挙げ尽くしている点といい、また戦場の地勢から観ても、終日にわたったその日の激戦は、まさに蜀魏の関ケ原ともいえるものであった。
蜀の馬忠、張嶷、呉懿、呉班などが、まず四陣を展いて、
「来れ。――来らば」
と、手具脛ひいて待つ所へ、魏軍三万の張郃、戴陵はほとんど鎧袖一触の勢いでこれへ当たって来た。
時は大夏六月。人馬は汗にぬれ、草は血に燃え、一進一退、叫殺、天に満つばかりだった。
蜀は、時に急に、時に緩に、やがて約二十里もくずれ、更に五十里も追われた。
朝から急歩調で、追迫をつづけ、かつ、攻勢をゆるめずにあった魏は、炎日と奮闘に、ようやく疲れを示した。刻、陽も中天の午の刻に近かった。
すると、一峰の上で、突として紅の旗がうごいた。
孔明の下せる大号令のしるしである。
「今か。今か――」と、それを待っていた関興の五千騎は、疾風のごとく、谷の内から出て、魏勢の横を衝いた。
いったん退いた蜀の四軍も、たちまち翻って、張郃、戴陵へ大反撃を捲き起こしてくる。
凄愴なる血の雲霧が、眼のとどくかぎりの山野に漲った。
屍山血河。馬さえ敵の馬を咬んで闘い狂う。
蜀の損害もはなはだしいが、魏の精兵もこの一刻においておびただしく撃たれた。その上、蜀の張嶷、王平の二手がうしろへ廻って出たため、三万の兵ことごとく潰滅し去るかと危ぶまれた。
ところへ、魏の主力、司馬懿仲達の主力が着いた。
蜀の王平と張嶷とは、初めから進んでその危地に入っていたので、彼等は覚悟の前とし、直ちに、
「諸軍、命をすてて戦え」と、この新手へ向き直って奮迅した。
鼓声叫喚は天地を晦うし、血にこんこん馬蹄を浸し、屍は積んで累々山をなしてゆく。
時に、蜀の姜維と廖化は、
「今こそ、あれを」と、かねて孔明から授けられていた錦の囊を解いて見た。令札に一行の命令がしたためてあった。曰く。
――汝等二隊ハココヲ捨テテ司馬懿ガ後ニセル渭水ノ魏本陣ヲ衝ケ。
山伝い、峰伝いに姜維と廖化の二隊は、逆に、潜水方面へ馳けた。
司馬懿仲達は、これを知ると、色を失った。
「あ。――。長安の途が危なくなる!」
魏はにわかに総退却の命をうけた。すなわち仲達の主力以下、眼前の惨敗を打ちすてて、急遽、渭水の固めに引っ返したのである。
さしもの大戦も暮れた。
夜に入るも月は赤く、草に伏す両軍の屍は、実に、万余の数を超えていたといわれる。
「勝った。わが軍の捷だ」
魏はいった。蜀も唱えた。
要するに、損害は互角だった。またその戦力も伯仲していたものといえよう。
けれどこの一戦で魏将の討たれた数は蜀以上のものがあり、史上、記すにいとまなきほどであると言われている。
しかし、すぐこの後において、蜀にも一悲報が来た。それはさきに負傷して成都へ還っていた張飛の子張苞の死であった。破傷風を併発してついに殁したという知らせが孔明の手もとに届いた。
「ああ。......張苞も死んだか」
孔明は声を放って哭いたが、とたんに血を吐いて昏絶した。その後、十日を経て、ようやくすこし元気をとりもどしたが、年来のつかれも出たか、容易に以前のような健康に回らなかった。
「かなしむな。予の憂いを陣上にあらわすな。われ病むことを、もし仲達が知ったら、大挙してふたたびこれへ来るだろう」
孔明はそう戒めて、旌旗粛々、漢中へ帰った。後で、知った仲達は、機を覚らなかったことを大いに悔い、また顧みて、
「彼の神謀は、到底、人智をもって測りがたいものがある」と、以後いよいよ要害を固め、洛陽に還って委細を魏帝に奏した。そのころまた孔明も久しぶりに成都へもどり、劉禅を拝して、相府に退き、しばし病を養っていた。
長雨
一
秋七月。魏の曹真は、
「国家多事の秋。久しく病に伏して、御軫念を煩わし奉りましたが、すでに身も健康に復しました故、ふたたび軍務を命ぜられたく存じます」
と、朝廷にその姿を見せ、また表を奉って、
――秋すずしく、人馬安閑、聞くならく孔明病み、漢中に精鋭なしという。蜀、いま討つべし。魏の国患、いま除くべし。
という意見をすすめた。
魏帝は、侍中の劉曄に諮った。
「蜀を伐たん乎。それとも、止めた方がよいか」
劉曄はすぐ答えた。
「伐たざれば百年の悔いです」
その劉曄が、わが邸に帰っていると、朝廷の武人や、大官が、入れ代わり立ち代わり来て彼へただした。
「この秋こそ、大兵を起こして、年来の魏の患いたる宿敵蜀を伐つのだと、帝には仰せられている。その事はほんとうでしょうか」
すると劉曄は一笑の下に、
「君等は蜀の山川がいかなる嶮岨か知らないとみえる。いったい蜀を過小評価していることが、魏の患いというべきだ。帝にはよく御存じあるはずである。なんでさような軽挙をあえてして、この上軍馬の損傷を希われるものか」
と否定し去って、まるで顔でも洗って来給え、と言わぬばかりの返辞だった。
楊
という一官人が、この矛盾を
訝かって、こんどは直接、魏帝
曹叡にこれをただしてみた。
「蜀を討つ儀は御中止なされたのですか」
「汝は書生だ。兵法を語る相手ではない」
「でも劉曄が、そんなばか軍はせぬといっていますから」
「劉曄がそういっておると?」
「はい。何せい、劉曄は先帝の謀士でしたから、みな彼の言を信じております」
「はての?」
帝はさっそく劉曄を召して、さきには朕に蜀伐つべしとすすめ、宮廷の外では反対に、伐つべからずと唱えているそうだが、汝の本心はいったいどこにあるのかと詰問された。と劉曄はけろりとして、
「何かのお聞き違いでございましょう。臣の考えは決して変わっておりません。蜀山蜀川の嶮を冒し、無碍に兵馬を進めるなどは、我から求めて国力を消耗し、魏を危うきへ押しこむようなものです。彼から来るなら仕方がありませんが、我から攻めるべきではありません。蜀伐つべからずであります」
帝は妙な顔して、彼の弁にまかせていた。やがて話がほかに
外れると、
侍座に
佇っていた楊

はどこかへ立ち去った。
楊

がいなくなると、劉曄は声をひそめて、
「陛下はまだ兵法の玄機をお悟りになっていないと見えます。蜀を伐つ事は大事中の大事です。何故楊

や宮中の者にそんな秘事をおんみずからお
洩らしになりましたか」
「あ。そうか。......以後は慎もう」
曹叡は初めて覚った。
荊州へ行っていた司馬懿が帰って来た。彼も同意見であった。荊州ではもっぱら呉の動静を視察して来たのである。司馬懿仲達の観るところでは、
「呉は蜀を助けそうに見せているが、それはいつでも条約に対する表情だけで、本腰なものではない」という見解が確かめられていた。
号して八十万、実数四十万の大軍が、蜀境の剣門関へ押し寄せたのは、わずか十月の後で、洛陽の上下は呆気にとられたほど迅速かつ驚くべき大兵のうごきだった。
このとき、幸いにも、孔明の病はすでに恢復していた。
「――血を吐いて昏絶す」というとよほどな重態か不治の難病にでも罹ったように聞こえるが、「血を吐く」も「昏絶」も原書のよく用いている驚愕の極致をいう形容詞であることは言うまでもない。
孔明は、王平と張嶷を招き、
「汝等各々千騎をひっさげ、陳倉道の嶮に拠って、魏の難所を支えよ」と、命じた。
二将は
啞然とした。いや
哀しみ
顫いた。――敵は実数四十万という大軍、わずか二千騎でどうして

い止められよう。死にに行けというのと同じであると思った。
二
孔明のむごい命令に、ふたりとも悴然としたまま、その無慈悲をうらんでいるかのような容子なので孔明は自分の言にまた説明を加えた。
「このごろ、天文を観ていると、太陰畢星に濃密な雨気がある。おそらくここ十年来の大雨がこの月中にあるのではないかと考えられる。魏軍何十万騎、剣門関を窺うも、陳倉道の隘路、途上の幾難所、加うるにその大雨にあえば、到底、軍馬をすすめ得るものではない。――故に、われはあえてその困難に当たる要はない。まず汝等の軽兵をさし向けておいて、後、彼の疲労困憊を見すましてからいちどに大軍をおしすすめて伐つ。予も、やがて漢中へ行くであろう」
そう聞くと、王平も張嶷も、
「お疑いして申し訳ありません。では、即刻これから」と勇躍して、陳倉道へいそいだ。そして彼等は軽兵二千をもって、高地を選び長雨の凌ぎを考慮し、かつ一ヵ月余の食塩を持って滞陣していた。
魏の四十万騎は、曹真を大司馬征西大都督にいただき、司馬懿を大将軍副都督に、また劉曄を軍師として壮観極まる大進軍をつづけて来た。
ところが、陳倉の道に入ると、途々の部落は例外なく焼き払われていて、籾一俵鶏一羽獲られなかった。
「これも孔明の周到な手まわしとみゆる。心憎い用意ではある」と語らい合って、なお数日を進むうちに、一日、司馬懿は突然、曹真や劉曄にこう言い出した。
「これから先へは、もう絶対に進軍してはなりませぬ。昨夜、天文を案じてみるに、どうも近いうちに大雨が来そうです」
「そうかなあ?」
曹真も劉曄も疑うような顔をしていたが、司馬懿仲達の言であるし、万一の事も考慮して、その日から前進を見あわせた。
竹木を伐って、急拵えの仮り屋を作り、十数日ほど滞陣していると、果たして、きょうも雨、次の日も雨、明けても暮れても、雨ばかりの日がつづいた。
その雨量も驚かれるばかりである。車軸を流すという形容もおろか、馬も流され人も漂い、軍器も食糧もみな水漬いてしまう。いや仮り屋もたちまち水中に没し、山の上へ上へと移って行った。
しかも、道も激流となり、絶壁も滝となり、谷を覗けば谷も湖と化している。ほとんど、夜も眠れない有様である。
こうした大雨が三十余日もひっきり無しに続いた。病人溺死者は続出し、食糧は途絶え、後方への連絡もつかず、四十万の軍馬はここに水腫れとなってしまいそうであった。
この事、洛陽に聞こえたので、魏帝の心痛もひとかたでない。壇を築いて、
「雨、やめかし」
と、天に禱ったが、そのかいも見えない。
大尉華歆、城門校尉楊阜、散騎黄門侍郎王粛たちは、初めから出兵に反対の輩だったので、民の声として、
「早々、師を召し還し給え」
と、帝にいさめた。
詔は、陳倉に達した。
そのころ、ようやく、雨はあがっていたが、全軍の惨状は形容の辞もないほどである。勅使は哭き、曹真、劉曄も哭いた。
司馬懿は、慚愧して、
「天を恨むよりは、自分の不明を恨むしかありません。この上は、帰路に際して、ふたたびこの兵を損じないようにするしかない」と、やっと水の退いた谷々に、入念に殿軍を配し、主力の退軍もふた手に分けて、一隊が退いてから、次を退くというふうに、あくまで緻密にひきあげた。
孔明は、蜀の主力を、赤坡という所まで出して、この秋霽れに、心地よい報告をうけとっていたが、
「病みつかれ果て、ただ今、魏の全軍が、続々ひきあげて帰ります」
と聞いても、
「追えば必ず仲達の計にあたるであろう。この天災に依る敗れを、蜀に報復して、面目を立てて帰らんとしている必勝の心ある者へ、われから追うのは愚である。帰るにまかせておけばよい」
そう言って、すこしも意をうごかさなかった。
賭
一
魏の総勢が遠く退いた後、孔明は八部の大軍をわけて箕谷と斜谷の両道からすすませ、四たび祁山へ出て戦列を布かんと言った。
「長安へ出る道はほかにも幾条もあるのに、丞相には、なぜいつもきまって、祁山へ進み出られるのですか」
諸将の問いに答えて、
「祁山は長安の首である」と、孔明は教えた。
「見よ隴西の諸郡から、長安へ行くには、かならず通らねばならぬ地勢にあることを、しかも、前は渭水にのぞみ、うしろは斜谷に靠り、重畳の山、起伏する丘、また谷々の隠見する自然は、ことごとくみな絶好の楯であり壁であり石垣であり塹壕であり塁である。右に入り、左に出で、よく兵を現わし得るところ、かくのごとき戦場はすくない。――故に長安を望むにはまず祁山の地の利を占めないわけにはいかないのだ」
「なるほど」と、人々ははじめて会得した。また数次の苦戦を重ねながらも、地の利に惑ったり、地を変えてみたりしない孔明の信念に心服した。
そのころ、魏軍はようやく、難所を脱して遠く引き退き、ほっと一息ついて来た。途々、残して来た伏せ勢も、追い追いひきあげて来て、
「四日あまり潜んでいましたが、いっこう蜀軍の追って来る気配もありませんので、立ち帰りました」という報告であった。
そこで約七日ほど滞在して、蜀軍の動静を窺っていたが、いっこう何のおとずれもない。
曹真は、司馬懿に語った。
「察するに、先ごろの長雨で、山々の桟も損じ、崖道も雪崩のため蜀兵もうごくことならず、ついに、われわれの退軍したのもまだ知らずにおるのではあるまいか」
「いやいや、そんなはずはないでしょう。蜀軍はかならずわれわれの跡をしたって出て来るにちがいない」
「どうしてそう言えるか」
「孔明が追撃を加えて来ないわけは、われの伏兵を恐れたからです、思うに彼はこの晴天を望んで、一転、祁山方面へすすんでいるのでしょう」
「さあ、その説にはちと服しかねるな」
「いや、きっと彼は、祁山へ出て来ますよ。おそらく全軍を二手に分けて、箕谷、斜谷の両道から」
「はははは。どうかな?」
「決して、お疑いあるべからずです。――今からでも、箕谷、斜谷の途中へ、急兵をさしむけ、道に伏せておけば、彼の出鼻を叩くには充分間に合いましょう」
司馬懿は力説したが、曹真は信じない、常識から判断しても、孔明たる者が、その迂愚な戦法は取るまいというのである。やって来るほどなら、我が方の退却は絶好の戦機だから、急追また急追、これへ迫って来るのがほんとうだと主張して譲らない。
「では、こうしましょう」と、司馬懿も自説を固執してついにこう言い出した。
「いま閣下と私で、各々二軍を編制し、箕谷と斜谷にわかれて、おたがいに狭路を擁し、彼の通過を待ち伏せます。そしてもしこれから十日の後まで、孔明がそれへ来なかったら、仲達はいかなるお詫びでもいたしますが」
「どういう謝罪の法をとるかね」
「この面に紅粉を塗り、女の衣裳を着て、閣下の前にお辞儀いたします」
「それはおもしろい」
「しかし、もし閣下のお説がまちがっていたらどうなさいますか」
「さよう。どうするかな」
「これは大きな賭ですから、片方だけの罰則では意味をなしますまい」
「しからば、もし貴説があたったときには、予は魏帝から拝領した玉帯一条と名馬一頭を御辺に贈ろう」
「ありがとうございます」
「まだ、お礼は早いよ」
「いや戴いたのも同じことでしょう」と、仲達は呵々と笑った。
その夕べ、彼は祁山の東にあたる箕谷に向かい、曹真も一軍をひきいて、祁山の西方、斜谷の口に伏せた。
二
伏せ勢の任務は戦うときよりはるかに苦しい。来るか来ないか知れない敵に備えて、じっと昼夜すこしの油断もならないし、火気はもちろん厳禁だし、害虫毒蛇に襲われながら身動きもならない忍耐一点張りである。
「なんたるこった。敵も来ないのに幾日も気力を費やしているなどとは。――一体、主将たる者が、無用の意地を張って、物賭などして多くの兵をみだりに動かすという事からしてけしからぬ沙汰だ」
慨然と、ひとりの部将が部下に不平をもらしていた。
折節陣地を見廻っていた司馬懿仲達が、ふとその声を聞きとめた。仲達は営所に帰るやいなすぐ左右の者を派してその部将を床几の前に求めた。
「汝だな。先ほど、不平を唱えていたのは」
「いや。そんな、不平などは」
「だまれ、予の耳にはいっておる」
「............」
部将は恐れ入って沈黙した。
司馬懿は面を改めて言った。
「賭事をなすために兵を動かしたと汝は曲解しておるらしいが、それは予の上官たる曹真を励ますためであり、またただ、魏の仇たる蜀を防がん希いのほかに私心あるものでもない。もし敵に勝たば、汝等の功もみな帝に奏し、魏の国福を共によろこぶ存念であるのだ。――しかるに、みだりに上将の言行を批判し、あまつさえ怨言を部下に唱えて士気を弱むるなど、言語道断である」
直ちに、彼は、打ち首を命じた。
部将の首が陣門に梟けられたのを見て、多少、他にも同じ気持ちを抱いていた者もあったので、諸将みな胆を冷やし、一倍、油断なく、埋伏の辛さを耐えて、孔明軍が来るのを今か今かと待っていた。
折しも、蜀の魏延、張嶷、陳式、杜瓊などの四将二万騎は、この一道へさしかかって来たが、たまたま斜谷の道を別に進軍している孔明の方から連絡があって、
「丞相の仰せには、箕谷を通る者は、くれぐれも敵の伏せ勢に心をつけ、一歩一歩もかりそめに進まれるな、との御注意でありました」と、伝言して来た。
使者は鄧芝である。聞いた者は陳式と魏延で、またいつもの用心深いお疑いが始まったことよと一笑に附して、
「魏軍は三十余日も水浸しになったあげく、病人もふえ、軍器も役立たず、ことごとく引き退いてしまったものなのに、何でこれへ出直して来る余力などあるものではない」と、二人して言った。
鄧芝は、使として当然、
「いや丞相の洞察に、過ったことはありませぬぞ」
と、戒めたが、魏延はなお、
「それほど達見の丞相ならば、街亭であんな敗れを取るわけもないではないか」
と、皮肉を弄した上、
「一気、祁山に出て、人より先に陣を構えてみせる。そのとき丞相が羞じるか羞じないでいるか、あの顔を足下も見てい給え」と、言った。
鄧芝はいろいろ諫めたが、この人の頑冥さを度し難しと思ったので、大急ぎで斜谷の道へ引っ返し、これを孔明に復命した。孔明はそれを聞くと、
「さもあらんか」と、何事か思い当たっているらしく、さしても意外とせず、こう言った。
「魏延は近ごろ、予を軽んじている。魏と戦って幾度か利あらず、ようやくこの孔明にあいそをつかしておるものと思われる。......ぜひもない」と、自己の不徳を嘆じ、やがてまたこう託った。
「むかし先帝も仰せられた事がある。魏延は勇猛ではあるが、叛骨の士であると。予もそれを知らないではないが、つい彼の勇を惜しんで今日に至った。......いまはこれを除かねばならないだろう」
ところへ、早馬が来た。
「昨夜、箕谷の道で、真っ先に進んでいた陳式が、敵の伏せ勢に囲まれてその兵五千は殲滅され、残るものわずかに八百名、つづいて魏延の部隊も危ぶまれております」
孔明はかろく舌打ちして、
「鄧芝。もう一度、箕谷へ急げ。そして陳式をよくなぐさめておけ。うっかりすると、罪を恐れて、かえって
変する
惧れがある」
と、まず何よりも先に、彼はそれに対する一策を急いだ。
三
鄧芝を使いに奔らせた後、孔明はややしばし眉をよせて苦吟していた。
やがて静かに、眼をひらくと、
「馬岱、王平。――馬忠、張嶷にも、すぐ参れと伝えよ」
伝令に言って、一同が

うと、何事か秘策をさずけ、
「各々。すぐ行け」と、急がせた。
また関興、呉懿、呉班、廖化なども招いて、それぞれ密計をふくませ、後、彼自身もまた大軍をひきいて堂々前進した。
一方――魏の大都督曹真は、斜谷方面の要路へ出て、ここ七日ばかり伏せ勢の構えを持していたが、いっこう蜀軍に出会わないので、「司馬懿との賭はもう自分の勝ちである」と、そろそろたかをくくっていた。彼の意思の対象は蜀軍よりも、むしろ司馬懿との賭にあった。いや自己の小さい意地や面子にとらわれていたという方が適切であろう。
「自分の勝ちになったら、司馬懿がどんなに恥じ入るか、ひとつ彼が面に紅粉を塗って、女の着物を着てあやまる恰好を見てやらねばならん」
などと小我の快感を空想していた。
そのうちに、約束の十日近くである。物見の者が、
「兵数はよくわかりませんが、蜀の兵がちらちらこの先の谷間に出没しているふうです」
と、告げて来た。
「たかの知れたものだろう」
と、曹真は秦良という大将に約五千騎ほど授けて、谷口をふさがせ、
「十日の期が満つれば、賭はわが勝ちとなる。だからあと二日ほどは、旗を伏せ鼓をひそめ、ただそこを塞ぎ止めておれ」と、命じた。
秦良は命令を守っていたが、広い谷あいを覗くと、四山の水が溜るように、刻々と蜀の軍馬が殖えてくる。しかも侮り難い気勢なので、「これは」と、急に自分の方からも、おびただしい旗風を揚げて、ここには備えがあるぞと、堅陣を誇示した。すると蜀勢は、その夜から翌日へかけて、続々と退いてゆく様子である。さては恐れをなして道を変更したなと見たので、秦良は、この図を外すなと、にわかに、追撃をかけた。
谷道を縫って五、六里も駆け、ひろやかな懐へ出た。けれど蜀兵はどこへ去ったか影も形もなくなった。秦良は一息入れて、
「何だ、容態ばかりものものしくやって来て、みえほどもない腰抜け軍隊だ」と、
笑っていた。
その声も
止まないうちである。四方から
喊声が起こった。急鼓地をゆるがし、
激
風を切って、秦良軍五千を

いつつんだ。
馬煙と共に近づく旗々は、蜀の呉班であり、関興であり、また廖化であった。
魏兵は胆をひやして四散したが、ここは完全な山懐、逃げ奔ろうとする道はことごとく蜀兵で埋まっている。秦良も囲みを突いて一方へ逃走を試みたが、追いしたった廖化のため一刀の下に斬り落とされた。
「降伏する者は助けん。盔を捨てよ、甲を投げよ」
高き所から声がした。孔明とその幕将たちである。見るまに魏兵の捨てた武器や旗が山をなした。彼等は唯々として降兵の扱いを待つのである。
孔明は、屍を谷へ捨てさせたが、その物の具や旗印は、これを取って、自軍の兵に装わせた。つまり敵の具をもって全軍偽装したのである。
かくとも知らない曹真は、それから後、秦良の部下と称する伝令からこんな報告を聞いていた。
「昨日、谷間にうごめいていたは、奇計をもってみな討ち取りましたから御安心下さるように」
その日の後刻。司馬懿仲達からも使いが来た。これはほんものであった。口上で言う。
「箕谷の方では、蜀軍の先鋒、陳式の四、五千騎がすでに現われ、これは殲滅いたしましたが、閣下の方はいかがですか」
曹真は、噓を答えた。
「いや、我が方には、まだ蜀軍は一兵も見ない。賭は予の勝ちであるぞと、司馬懿に申しおいてくれい」
四
十日目が来た。曹真は、幕僚たちに向かって、
「賭に負けるのは辛いので、司馬懿はあんな事を言って来たが、箕谷の方面に事実蜀軍が出たかどうか知れたものではない。何としても、彼を賭に負かして、司馬懿仲達が紅白粉をつけ、女の着物を着て謝る姿を見てやらなければならん」
などとなお、興じ合っていた。
そこへ
鼓角の声がしたので、何事かと陣前へ出てみると、味方の
秦良軍が旗さし物を

えて静々と近づいて来る。そして、
「ただ今、引き揚げて候」
と、かなたから手を振って合図していた。
曹真はすこしも疑わず、同じく手を挙げてこれを迎えた。ところが、数十歩の前まで近づくや否、味方とのみ思っていたその軍隊はいっせいに
槍先を

えて、
「あれこそ大都督曹真なれ。曹真をのがすな」と、突き進んで来た。
曹真は仰天して、陣中へ転げこんだ。するとほとんど同時に、営の裏手からも猛烈な火の手が揚がった。前から関興、廖化、呉班、呉懿、裏からは馬岱、王平、馬忠、張翼などが、早鼓を打って、火とともに攻め立てて来たのである。
惨鼻、いうばかりもない。焦げる血のにおい、味方が味方を踏みあう叫喚、備えも指揮もあらばこそ、総帥曹真の生死すらわからないほどだった。
身ひとつ、からくものがれて、曹真は無我夢中、鞭も折れよと、馬の背につかまって逃げ奔っていた。
蜀勢は見落とさない。あれを捕れ、あれを射よ、と猟師のごとく追い捲った。しかしようやく彼は一命を拾った。それは突として、山の一方から馳け降って来たふしぎな一軍が助けたのである。後にやっと人心地がついて曹真が見まわしてみると、自分は司馬懿仲達の軍に護られていた。
「大都督。どうなすった?」
ひとの悪い仲達は、からかい気味に、彼を見舞った。曹真は面目なげに、
「箕谷にあるはずの御辺が、一体どうして予の危急を救ってくれたのじゃ。何が何やら夢のようで、さっぱりわからんが」
「よくわかっているはずではありませんか。......かならず蜀軍がこれへ来る事は」
「いや、謝った。賭はたしかに予の負けであった」
「そんな事はどうでもよろしいのです。けれど私から使いをさし上げたところ、斜谷方面には何等の異状もない、また蜀の一兵も見ないとのお言葉だったということなので、これはいかん、それが真底のお心なら一大事と、取るものも取りあえず、道なき山を横ざまに越えて、お救いに来たわけでありまする」
「玉帯と名馬は御辺へ進上する。もうこの事はいわないでくれ」
「閣下も賭物におこだわり遊ばしますな。そんな物は頂戴できません。それよりはどうか国事にいよいよ御戒心ください」
曹真はふかく恥じた。そして間もなく渭水の岸へ陣地をうつしたが、以来慚愧にせめられて、病に籠り、陣頭にすがたを見せなくなってしまった。
辛辣な仲達の舌が、どちらかといえば人の好い曹真をついに病気にさせたのだと言えないこともない。元来仲達の皮肉と辛辣な舌は、ときに人を刺すようなところがある。孔明は、予定のように祁山に布陣をなし遂げた。諸軍をねぎらい、賞罰をあきらかにし、全軍これで事なきかのように見えたが、彼はかねての宿題をやはり不問にはしておかなかった。
陳式と魏延が呼び出された。
孔明は、おごそかに、
「鄧芝を使いとして、敵の伏せ勢をかたくいましめておいたのに、わが命をかろんじて、大兵を損じたるは何事か」と果然、罪を責めた。
陳式は魏延に科をなすり、魏延は陳式に罪を押しつけた。孔明は双方の言い分を聞いてから、
「陳式がなお一命を保ち、いくらかの兵でもあとに残すことができたのは、魏延が第二陣から援けたからではないか。咄、卑怯者」と、罵って、即座に、首を刎ねさせた。
しかし魏延は責めなかった。叛骨ある男と知りながら、なお助けておいたのは、国運の重大に顧みて、彼の武勇を用うる日のいよいよ多きを考えていたからであろう。実に、そうした苦衷を嚥まねばならぬほど、魏にくらべて、蜀には事実良将が少なかったのである。
八陣展開
一
魏は渭水を前に。蜀は祁山をうしろに。――対陣のまま秋に入った。
「曹真の病は重態とみえる......」
ある日、孔明は敵の方をながめて呟いた。
斜谷から敗退以後、魏の大都督曹真が病に籠るとの風説はかねて伝わっていたが、どうしてその重態がわかりますか――と傍らの者が訊くと、孔明は、
「軽ければ長安まで帰るはずである。今なお渭水の陣中に留まっているのは、その病、はなはだ重く、また士気に影響するところを惧れて、敵味方にそれを秘しているからだろう」と、言った。
「自分の考えが適中していれば、おそらく彼は十日のうちに死ぬだろう。試みにそれを問うてみよう」
彼は、曹真へ宛てて戦書(挑戦状)をしたため、軍使を派して、曹の陣営へ送りつけた。その辞句はすこぶる激越なものだったという。
果たして、明答がない。梨のつぶてであった。――けれど、それからわずか七日の後、黒布につつまれた柩車と、白い旗や幡を立てた寂しい兵列が、哀愁にみちた騎馬の一隊にまもられて、ひそかに長安の方へ流れて行った――という知らせが物見の者から蜀の陣に聞こえた。
「彼はついに死んだ」
孔明は明言した。そして、
「やがて今までにない猛烈な軍容をもって魏が攻撃を取って来るにちがいない。夢々、油断あるな」
と、諸軍へいましめていた。
魏の中には、こういう言が行なわれていた。――孔明は書をもって曹真を筆殺した――というのである。事実、重病だった曹真は、彼の戦書を一読したせつなから極度に昂奮して危篤に陥り、間もなく果てたものだった。
これが魏宮中に聞こえるや、魏帝と門葉の激昂はただならぬものがあり、蜀に対する敵愾心は延いて現地の首班司馬懿仲達への激励鞭撻となって、一日もはやくこの恨みを報いよと、朝命続々陣へ降った。
仲達は、孔明に、さきごろの戦書の答えを送った。
(曹真亡けれど、司馬懿あり。軍葬のこと昨日に終わる。明日は出でて、心ゆくまで会戦せん)
孔明は一読、莞爾として、
「お待ちする、よろしく」
とのみ口上で答え、返書はかかず言伝だけで敵の軍使を帰した。
祁山の山は高く、渭水のながれは悠々。
時も秋八月、両軍はこの大天地に展陣した。
河をはさんで、射戦を交え、やがて両々鼓角を鳴らして迫りあうや、魏の門旗をひらいて、司馬懿その人を中心に、諸大将一団となって、水のほとりまで進んで来るのが見えた。
時を同じゅうして、孔明も蜀軍を分けて、四輪車をすすめ、羽扇をにぎって近々とその姿を敵にみせていた。
司馬懿は大音に呼びかけた。
「もと
南陽の一耕夫、身のほどを知らず、
天渾の
数を
弁えず、みだりに
師を
出して、わが平和の民を苦しむる事の何ぞしばしばなるや。今にして
覚らずんば、
汝の
腐屍もまた
祁山の鳥獣に

さるる一朝の
好餌でしかないぞ」
「そう言うは仲達であるか。かつて魏の書庫に住んでいささか兵書の端を嚙った鼠官の輩が、今日、戦冠をいただいてこの陣前に舌長の弁をふるうなど笑止に耐えぬ。――われ先帝より孤を託すの遺詔を畏み、魏と倶に天を戴かず、年来、暖衣を退け、飽食を知らず、夢寐にも兵馬を磨きて熄まざるものは、ただただ反国の逆賊を誅滅し、天下をして漢朝一定の本来のすがたに回さしめんとする希いあるのみ。汝らごとき、一身の栄爵を競い、名利のために戦いを好む者とは自ずからちがうことを知れ。――故に、われは天兵、汝は邪兵、顧みてまず恥ずかしい気はしないか」
「吐かしたり南陽の耕夫。さらばさらばいずれが正なりや競うて見ん」
「たやすい事。戦いに表裏二様あり。正法の戦いをなさんとするか、奇兵を求むるか」
「まず正法をもって明らかに戦おう」
「正法の戦に三態あり。大将をもって闘わしめんか、陣法をもって戦わんか、兵をもって戦わんか」
「まず陣法をもって戦わん」
「そうして、汝の敗れたときは?」
「ふたたび三軍の指揮は取るまい。もしまた汝が敗れたときは、汝もいさぎよく蜀へ帰り、以後二度と魏の境を侵さぬという約束をなせ」
二
「よろしい、誓っておく」
孔明は、宣言して、
「まず、汝から一陣を布け」
と促した。
仲達は馬を回して、中軍へ馳け入り、黄の旗を振って、兵をうごかし、各隊を分配して、すぐ戻って来た。
「孔明、いまの陣立てを知ったるか」
「笑うべし、蜀軍の士は、大将ならずともそれくらいな陣形はだれも存じておる。即ち混元一気の陣と観る」
「しからば、汝も一陣を布いてみよ。仲達が見物せん」
孔明は車を中軍へ引かせ、羽扇をもって一たび招き、また車を進めて来た。
「仲達見たか」
「児戯にひとしい。いま汝の布いたのは八卦の陣だ」
「なおよく是を破り得るか」
「何の造作もない」
「さらば蒐ってみよ」
「すでにその陣組を知るものが、なんで打破の法を知らずにいようか。見よ、わが鉄砕の指揮を」
仲達は直ちに、戴陵、張虎、楽綝の三大将をさしまねき、その法を授けた。
「いま孔明の布いた陣には八つの門がある。名づけて、休、生、傷、杜、景、死、驚、開の八部とし、うち開と休と生の三門は吉。傷と杜と景と死と驚との五門は凶としてある。即ち東の方の生門、西南の休門、北の開門、こう三面より討って入れば、この陣かならず敗れ、味方の大勝を顕わすものとなる。構えて、惑わず、法のとおり打ってかかれ」
と、きびしく命令した。
魏の三軍はいっせいに鼓を鳴らし鉦を励まし、八陣の吉門を選んで猛攻を開始した。けれど、孔明の一扇一扇は不思議な変化を八門の陣に呼んで、攻めても攻めてもそれは連城の壁を繞るがごとく、その内陣へ突き入る隙が見出せなかった。
このうちに魏軍は、重々畳々と諸所に分裂を来し、戴陵、楽綝とほか六十騎は挺身してついに蜀の中軍へ突入していたが、あたかも旋風の中へ飛び込んでしまったように、惨霧濛々と、度を失い、ここかしこに射立てられて叫喊する味方の騒乱を感じるのみで、少しも統一がとれなかった。
のみならず気がついたときは、楽綝、戴陵以下六十騎は、完分に捕虜となっていた。重囲を圧縮されて、武装解除を受くるの地位に立っていたのである。
孔明は、車から一眄して、
「これは当然の結果で、べつに奇妙とするにも足らん。解き放して魏軍へ追い返してやれ、汝等はまた、司馬懿によく申し伝えよ。――かかる拙なる戦法をもって、いずくんぞわが八陣を破り得べき。もう少し兵書を読み、身に学問を加えよ」と。
戴陵、楽綝たちは恥じ入って、孔明の姿も仰げなかった。
孔明はまた言った。すでに一人でもわが陣内を踏みにじった事は無興である。生命を取るにも大人気ないがただこのまま返すも戒めとならぬ。擒人ども六十余名の太刀物の具を剝ぎ取って赤裸になし、顔に墨を塗って陣前より囃しては追い、囃しては返すべし――と。
司馬懿は
之を
眺めて烈火のごとく怒った。楽綝、戴陵などに加えられた
辱しめは、言うまでもなく自分への
弄である。われこの所に出て隠忍持久、あえて軽戦小利をねがわず、今日孔明と会すや、まずこの絶大なる侮辱をうけ、何の面目あって魏の人にまみえん。この上はただ身も
更なり諸軍もいのちを捨てて戦え。それあるのみと、彼はみずから剣を抜いて、左右百余騎の大将を督し、
麾下数万の兵力を一手にあわせて、大山のおめき崩るるごとく蜀軍へむかって総攻撃の勢いに出た。
ところが、このとき、はからざる後方から、味方の軍とも思われぬ旺な喊声と攻め鼓を聞いた。ふり回ってみると、砂雲漠々として、こなたへ迫る二大隊がある。
「しまった」
仲達は絶叫して、にわかに指揮を更えたが、迅雷はすでに魏の後方を撃っていた。いつのまにか迂回していた蜀の姜維、関興の二将が喚きこんで来たのである。
竈
一
この時の会戦では、司馬懿は全く一敗地にまみれ去ったものと言える。魏軍の損害もまたおびただしい。以来、渭水の陣営は、内に深く守って、ふたたび鳴りをひそめてしまった。
孔明は、拠るところの祁山へ兵を収めたが、勝ち軍に驕るなかれと、かえって全軍を戒めていた。そしていよいよ初志の目標にむかい、長安、洛陽へ一途進撃して、漢朝一統の大業を果たさんものとかたく期していたが、ここに測らずも軍中の一些事から、やがて大きな蹉跌を来たすにいたった。
後方の増産運輸に力を入れていた李厳が、永安城から前線へ兵糧を送らせて来た。その奉行は都尉苟安という男だったが、酒好きのため、途中でだいぶ遊興に日を怠り、日限を十日余りも遅れてやっと祁山に着いた。
「はて、なんと弁解しようか」
当然な譴責を恐れて、苟安は途々考えて来たらしい。孔明の前に出ると白々しく言った。
「渭水を挾んで大会戦が行なわれていると途中で聞き、万一大事な兵糧を敵方に奪われてはと存じ、わざと山中に蟄伏して、戦いの終わるのを待って再び出かけました。そんなわけでありまして」
孔明はみなまで聞かず、𠮟って言った。
「兵糧は戦いの糧。運輸の役も戦いである。だのに、戦いを見て戦いを休めるというのは、すでに大なる怠りだ。しかも汝の言い訳は虚言に過ぎない。汝の皮膚は決して山野に蟄伏して雨を凌いで来たものでなく、酒の脂に弛んでいる。すでに運輸に罰則あり、三日誤れば徒罪に処し、五日誤れば斬罪を加うべしとは、かねて明示してある通りだ。今更、いかにことばを飾るも無用であろう」
苟安の身はすぐ断刑の武士たちへ渡された。長史楊儀は、彼が斬られることになったと聞いて、大急ぎで孔明のところへ来て諫めた。
「御立腹はもっともですが、苟安は李厳がたいへん重用している部下ですから、彼を処刑するときっと李厳がつむじを曲げましょう。いま蜀中から銭糧の資を醵出して戦力増加に当たっているのは李厳その人ですから、その当事者と丞相との間に確執が生じては、戦力の上に大きな影響が無いわけには参りません。どうかここは胸を撫でて苟安の死はゆるしてやって戴きたいと思いますが」
孔明は沈黙したまま、熱い湯を呑むような顔をしていた。さきには、あれほど惜しんでいた馬謖をすら斬らせたほど、軍律にはきびしい彼なのである。けれど今はそれをすら忍んだ。
「死罪はゆるす。しかし不問に付しておくわけにはゆかない。杖八十を加えて、将来を戒めておけ」
楊儀は、彼の胸を察して、深く謝して退がった。
苟安はそのために、八十杖のむちを打たれて、死をゆるされた。けれど彼は、楊儀の恩も、孔明の寛仁も思わなかった。反対に怒りをふくみ、深く孔明を恨んで、夜半に陣地を脱走してしまった。
家来、五、六騎と共に、そっと渭水を越えて、魏軍へ投じてしまったのである。そして司馬懿の前にひざまずいてさんざんに孔明を悪く言った。
「至極もっともらしいが、急には信用いたし難い。なぜならばそれも孔明の計かも知れないからな」
仲達は要心深く彼をながめて、
「もし真実、魏に仕えて、長くわが国に忠誠を誓う気なら、ひとつ大きな働きをして来給え。もしそれが成功したら我輩から魏帝へ奏して、足下自身も驚くような重職に推挙してやろうじゃないか」と言った。苟安は、再拝して、
「それはぜひやらせて下さい。こうなる上は何でもやります」と、言った。
司馬懿は一策を彼に授けた。
苟安は間もなく姿を更えて、蜀の成都へ入り込んだ。そして都中に諜報機関の巣をつくり、莫大な金を費って、ひたすら流言蜚語を放つことを任務としていた。この悪気流はたちまちその効をあらわし、蜀中の朝野は前線の孔明に対して、次第に正しく視る目を失って来た。とかく邪視、疑惑で見るように傾いて来た。
二
たれ言うとなく蜀宮中に、孔明はやがて漢中に一国を建て自らその主となる肚らしい、という風説が立ち始めた。
はなはだしきは、それにもっと尾鰭をつけて、
「彼の兵馬の権をもってすれば、この蜀を取ることだって出来る。彼がしきりに蜀君の暗愚を詰ったり怨言を撒いているのはその下心ではないか」
などと流言して憚らぬ者すらあった。
都下にも同じ声が行なわれたが、宮中の流言の出どころは内官であった。苟安に買収された徒が浅慮にも私利私怨に乗ぜられて、思うつぼへ落ちたものであった。
この結果はやがて、蜀帝の勅使派遣となって具体化して来た。要するに帝の後主劉禅もまたついにうごかされたのである。すなわち、節を持たせて、前線に勅命を伝え、
――朕、大機の密あり、直々、丞相に問わん、即時、成都に還れ。
と、召喚を発したのであった。
命に接するや孔明は天を仰いで大いに哭げき、落涙長嘆してやまなかったという。
「主上はまだ御年もいとけなく在わすが故、おそらくは佞官のみだりなる言に惑わされたものであろう。いま戦況は我に有利に展開し、ようやく長安を臨む日も近からんとするときにこの事あるは、そも天意か、果た蜀の国運のいまだ開けざる約束事か。――さりとて、もし勅にそむけば、佞人の輩はいよいよ我説を虚大に伝え、この身また君を欺く不忠の臣とならざるを得ない。しかも今ここを捨てて回るときは、再びまた祁山へ出ることは難かろう。そのひまに魏の国防はいよいよ強化され、長安、洛陽はついに不落のものとなるはいうまでもない」
かく悶々たる痛涙はながしたが、大命ぜひなく、孔明は即日、大軍を引き払った。
その際、姜維が憂えて、
「司馬懿の追撃をいかにして防がれますか」と、言った。
孔明は指命をさずけた。
「兵を五つ手に分け、それぞれ道を変えて退け。主力は、ここの陣を引くにあたり、兵一千をとどめて、二千の竈をほらせ、次の日退陣して宿る所には、また四千の竈跡を掘り残しておくがよい。かくて三日目の屯には六、七千。五日目の野営には一万と、退くに従って倍加してゆくのだ」
「むかし孫臏は、兵力を加えるたびに竈の数を減じて退却し、敵をあざむく計を用いて、龐涓を計って大勝を得たということを聞いていますが、いま丞相は反対に、兵を減じるたびに、竈の数をふやしておけと仰せあるのは、いかなるお考えですか」
「孫臏の計を逆に行なうに過ぎない。よく物を識っている人間を計るにはその人間の持っている知識の裏をゆくことも一策となる。――司馬懿もおそらく疑ってよく深追いをなし得ないだろう」
かくて蜀軍は続々五路にわかれて引き揚げを開始したが、孔明の予察どおり、司馬懿仲達は、蜀兵の埋伏をおそれて、敢然たる急追には出なかった。
しかし、物見の報告によると、さして伏兵の計もないらしいとの事に、徐々、軍を進ませて、蜀の駐屯した後々を見てゆくと、その場所と日を重ねるに従って、竈の数が際立って増加している。竈の跡の多いのは当然、兵站の増量を示すものであるから、仲達はいちいちそれを検分して、
「さては、彼は、退くに従って殿軍の兵力を強化しているな、さまで戦意の昂い軍勢を、ただ退く敵と侮って追い討ちすれば、どんな反撃をうけるやも知れない」
と、要心ぶかく考え、
「――苟安を成都へやって行なわせた、わが計画はもう大効果を挙げている。その結果、かく孔明の召還となったものを、それ以上の慾を求むるまでもあるまい」
と、大事をとってついに追撃を下さずにしまった。
ために、孔明は一騎も損じることなくこれほどの大兵の総引き揚げを
悠々なしとげたが、後、
川口の旅人が、魏へ来て
洩らした

から、
竈の数に孔明の
智略があった事もやがて司馬懿の聞くところとなった。
けれど司馬懿は悔やまなかった。
「――相手がほかの者では恥にもなるが、孔明の智略にかかるのは自分だって仕方がない。彼の智謀は元来自分などの及ぶところではないのだから」
麦青む
一
孔明は成都に還ると、すぐ参内して、天機を奉伺し、帝劉禅へこう奏した。
「いったいいかなる大事が出来て、かくにわかに、臣をお召し還し遊ばされましたか」
もとより何の根拠もない事なので、帝はただ俯向いておられたが、やがて、
「あまり久しく相父の姿を見ないので、慕わしさのあまり召し還したまでで、べつに理由はない」
と正直に答えた。
孔明は色をあらためておそらくはこれ何か内官の讒に依るものではありませぬかと、突っこんでたずねた。帝は黙然たるままだったが、
「いま相父に会って、初めて疑いの心も解けたが、悔ゆれども及ばず、まったく朕のあやまりであった」と深く後悔のさまを示した。
孔明は、相府へ退がると、直ちに宮中の内官たちの言動を調べさせた。出師の不在中孔明を誹謗したり、根もない流説を触れまわったりしていた悪質の者数人は前からわかっていたのですぐ拉致されて来た。
孔明は彼等に詰問した。
「いやしくも卿等は、戦いの後ろにあって、国内の安定と民心の戦意を励ます重要な職にありながら、何で先に立って、不穏な流説を行ない、朝野の人心を惑わしめたか」
ひとりの内官は懺悔してまっすぐに自白した。
「戦いが
熄みさえすれば、暮らし向きも気楽になり、諸事以前のような
栄
が見られると存じまして。つい......」
「ああ、何たる浅慮な――」と、孔明は痛嘆して、彼等の小児病的な現実感をあわれんだ。
「もし蜀が卿等のような考え方でいたら、戦いはわれから避けようとしても、魏から押しつけてくるし、呉からも持ち込んで来て、好むと好まざるとに係わらず、蜀境の内において、今日の戦争をしていなければなるまい。しかもその戦いは敗るるにきまっており、その惨禍は、祁山へ出て戦う百倍もひどいものを見ただろう。しかのみならず、汝等始め蜀の民は、今日の戦後に働くどころの苦しみではなく、魏や呉の兵に、家も国土も蹂躙され掠奪凌辱のうき目にあうは言うまでもなく、永く呉の奴隷に落とされ、魏の牛馬にされて、こき使わるるは知れたこと。――きょうの不平と、その憂き目と思い較べて、いずれがよいと欲しているか」
内官たちは皆、ふかく頭を垂れたまま、一言の言い訳もできなかった。
「――しかし、おそらくこれは、敵国の謀略だろう。いったい、わが軍、官、民の離反を醸すような風説は、だれから出たのか。卿等はだれから聞いた」
その出所をだんだん手繰ってみると、結果、苟安という者であるということが明瞭になった。
すぐ相府から保安隊の兵がその住居へ
捕縛に向かったが、時すでに
遅かった。苟安は風を

らってとうに魏の国へ逃げ
失せていた。
孔明は、百官を正し、蔣琬、費褘などの大官にも厳戒を加え、ふたたび意気をあらためて、漢中へ向かった。
連年の出師に兵のつかれも思われたので、今度は全軍をふたつに分けて、一半をもって、漢中にのこし、一半をもって、祁山へ進発した。そしてこれの戦場にある期間を約三月と定め、百日交代の制を立てた。――要するに百日ごとに、二軍日月のごとく戦場に入れ代わって絶えず清新な士気を保って魏の大軍を砕かんとしたものである。
蜀の建興九年は、魏の大和三年にあたる。この春の二月、またも急は洛陽の人心へ伝えられ、魏帝はさっそく力と恃む司馬懿仲達を招いて、
「孔明に当たるものは、御身を措いてほかにはない。国のため、身命をつくしてくれよ」
と、軍政作戦すべてを託した。
「曹真大都督すでにみまかる。この上は微臣の力を尽くして、日ごろの御恩におこたえ申し奉らん」
司馬懿は早くも長安に出て、全魏軍の配備に当たった。すなわち左将軍張郃を大先鋒とし、郭淮に隴西の諸軍を守らせ、彼自身の中軍は堂々、右翼左翼、前後軍に護られて、渭水の前に、大陣を布いた。
二
祁山は霞み、渭水の流れも温んで来た。春日の遅々たる天、久しく両軍の鼓も鳴らなかった。
仲達はある日、張郃と会って語った。
「思うに孔明は相変わらず、兵糧の悩みにいろいろ工夫をめぐらしているだろう。隴西地方の麦もようやく実って来たころだ。彼はきっと静かに軍を向けて、麦を刈り取り、兵食の資に当てようと考えているにちがいない」
「隴西の青麦は莫大な量です。あれを刈れば優に蜀軍の食は足りましょう」
「御辺は渭水にあって、しかと祁山へ対しておれ。司馬懿みずからこの軍を率いて、隴西に出で向かう孔明の目的を挫いてみせん」
彼はこう意図した。渭水の陣には張郃と四万騎をのこしたのみで、その余の大軍すべてを動かし、彼自身、これを率いて、隴西へ向かった。
仲達の六感は過らなかった。時しも孔明は、隴西の麦を押える目的で、歯城を包囲し、守将の降を容れて、
「麦は今、どの地方がよく熟しているか」
と、その降将に就いて質問していた。
「ことしは隴上の方が早く熟れているようです。それに隴上の方が麦の質も上等です」
こう聞いたので、孔明は、占領した歯城の守りには、張翼と馬忠をとどめ、自ら残余の軍をひきつれて、隴上へ出て行った。
すると、先駆の小隊から、
「隴上には入れません。すでに魏の軍馬が充満しており、中軍を望むと、司馬懿仲達の旗が見えます」と報じて来た。
孔明は舌打ち鳴らして、
「あれほど密に祁山を出て来たが、彼はもう我の麦を刈らんことを量り知ったか。――さもあらば仲達にも不敗の構えあることであろう。我とて世のつねの気ぐみではそれに打ち勝てまい」
深く期して、彼はその夕べ沐浴して身を浄め、平常乗用の四輪車と同じ物を四輛も引き出させた。
やがて夜に入るや、孔明の帷幕には、三名の将が呼ばれて、何事か密やかに、遅くまで語らっていた。
一番に姜維がそこを出て、一輛の車を引かせて自陣へ帰った。二番目に馬岱がまた一つの車を持って帰った。三番目には魏延が同じように自分の陣へ一つの車を運んで行った。
かくて残った一輛は、しばし星の下に置かれていたが、やがて営を出て来た孔明が、自身それに乗って、
「関興、用意は出来たか」と、出陣を促した。
おうっと、遠くから答えて、関興は妖しげな一軍隊をさし招いて、たちまち、車のまわりに配した。
まず、車の左右に、二十四人の屈強な武者が立ち並んで、それを押した。みな跣足であり、みな黒き戦衣を着し、みな髪を振りさばき、また皆、片手に鋭利な直剣を提げている。
更に四人、同じ姿の者が、車の先に立ち、北斗七星の旗を護符のごとく捧げていた。そしてなお五百人の鼓兵が鼓を持ってこれに従い、槍隊千余騎は、前途幾段にもわかれて、孔明の車を衛星のように取り囲んだ。
孔明の装束も、常とはすこし変わっている。いつもの綸巾ではなく、頭には華やかな簪冠をいただいている。衣はあくまで白く、佩剣の珠金が夜目にも燦爛としていた。
また関興やその他の旗下は、みな天逢の模様のある赤地錦の戦袍を着、馬を飛ばせば、さながら炎が飛ぶかと怪しまれた。
かくてこの天より降れる鬼神の陣かとも疑われるこの妖装軍は、深更に陣地を発して、隴上へ向かって行った。
そのあとから約三万の歩兵が前進した。これは手に手に鎌を持っているのだ。おそらく戦いの隙を見ては麦を刈って、これを後方へ運搬する手筈のもとに組織された軍であろう。日ごろの行軍編制とはまるで違う。なにしても異様なる有様であった。
魏本軍の前隊を哨戒していた物見の兵は仰天した。こけ転んで、部将に告げ、部将はこれを、中軍へ急報した。
「なに。鬼神の軍が来たと」
司馬懿は
笑って、陣頭へ馬をすすめて来た。時はまさに
丑の真夜中であった。
北斗七星旗
一
青貝の粉を刷いたような星は満天にまたたいていたが、十方の闇は果てなく広く、果てなく濃かった。陰陰たる微風は面を撫で、夜気はひややかに骨に沁む。
「なるほど、妖気が吹いて来る――」
仲達は眸をこらして遠くを望み見ていた。陰風を巻いて馳け来る一輛の車にはそれを囲む二十八人の黒衣の兵が見える。髪をさばき、剣を佩き、みな跣足であった。北斗七星の旗はその先頭に馳け、また炎の飛ぶがごとき赤装束の騎馬武者が全軍を𠮟咤して来る。
「孔明だ」
仲達はなお見まもっていた。四輪の車は鳴り奔って来る。車上、白衣簪冠の人影こそ、まぎれなき諸葛亮孔明にちがいなかった。夜目にも遠目にも鮮やかである。
「あはははは」
突然仲達は大笑した。そして旗本以下屈強な兵二千をうしろから麾いて、直ちに号令した。
「鬼面人を嚇すというやつだ――妖しむことはない。恐れることもない。破邪の剣を揮って馳け崩してみろ。化けた孔明も跣足になって逃げ出すだろう。汝等が迅速なれば、その襟がみをつかんで、あいつを捕虜となすことも出来る。――それっ、近づいて来た。懸かれっ」
二千の鉄騎は励み合って、わあっと、武者声を発しながら驀進した。すると孔明の車は、ぴたりととまり、二十八人の黒衣兵も、七星の旗も、赤装束の騎馬武者もすべてにわかに後ろを見せて、しずしずと引き退いて行く様子である。
「早くも逃げ始めたぞ。のがすな」と、魏の鉄騎隊は鞭打った。
ところが、不思議や、追えども追えども追いつかない。
妖しき霧が吹き起こって、
白濛々黒迷々、かなたの車は目の前にありながら、馬は口に

を
嚙み、身は汗に濡るるばかりで、少しも距離は短縮されないのであった。
「奇怪奇怪。おれたちはもう三十余里も馬を飛ばして来ているのに?」
「孔明の車はあのように急ぎもせずしずしずと行くのに?」
「これで追いつけないとはどういうわけだろう」
呆れ返って、魏の勢はみな馬をとどめ、茫然、怪しみに打たれていた。
すると孔明の車とその一陣はまたこちらへ向かって進んで来る。魏兵はそれを望むと、
「おのれ、こんどこそは」
喚いて攻め掛かったが、こっちで奔ると、かなたの影は再び後ろを見せている。しかも悠々と躁がず乱れず逃げてゆく。
またも追うこと二十余里。鉄騎一千はみな息を喘らしたが、孔明の車との距たりは、依然すこしも変わっていない。
「これはいよいよただ事ではない」
迷いに囚れて、一つ所に人馬の旋風を巻いていた。そこへ後ろから馬を飛ばして来た仲達が、口々にいう嘆を聞いて、さてはと悟り顔に、
「察するにこれは、孔明のよくなす八門遁甲の一法、六甲天書のうちに曰う縮地の法を用いたものであろう。悪くすると冥闇必殺の危地へ誘いこまれ、全滅の憂き目にあうやも測り難い。もはや追うな。もとの陣地へ退け」と、にわかに下知をあらためて、急に馬首を向けかえた。
すると不意に西方の山から鼓が鳴った。愕然と、闇をすかして望み見ると、星あかりの下を、一彪の軍馬が風のごとく馳けて来た。たちまちその中から二十八人の黒衣の兵と、北斗七星の旗と、火焰のごとき騎馬の大将があらわれて、真っ先に進んで来る。
近づくを見れば、黒衣の兵はみな髪をふり乱し、白刃をひっさげ、素はだしの態である。四輪車のうえの白衣簪冠の人もまた前に追いかけた者と少しもちがわない。
「や、や。ここにもまた孔明がいる?」
仲達は味方の怯むを惧れて、自身先に立って追いかけてみた。二十里、三十里と、追いかけ追いかけ鞭打ったが、どうしてもこれに近づき得ないことも、前の時と同じだった。
「奇怪だ。これは実に不思議極まる」
と、彼すらへとへとになって引っ返して来ると、また一方の山の尾根から、七星の旗と黒衣の怪兵二十八人が、同じ人を乗せた四輪車を押し進めて来た。
二
人か鬼か、実か幻か、魏の勢は駭然と慄え上がり、あえて撃とうとする者もない。
「退けや、退けや」
と、司馬懿も今は、胆も魂も身に添わず、逃げ奔る一方だった。
するとまたまた、行く手の闇の曠野に、颯々たる旗風の声と車輪の音がして来た。仲達は驚倒して眼をみはった。車上の人はたしかに孔明であり、左右二十余人の黒衣白人の影も、北斗七星の旗も、初めに見たものと寸分の相違もない。
「いったい孔明は何人居るのか? この分では蜀軍の数も量り知ることができない」
彼と数千の鉄騎は、ほとんど、悪夢の中を夜どおし駈け歩いたように疲れ果てて、朝ごろ、ようやく上邽の城へ逃げ帰って来た。
その日、ひとりの蜀兵が捕虜になって来た。調べてみると、青麦を刈って歯城へ運送していた者だという。
「さてはあの隙に、多量の麦を刈り取られていたか」
と覚って、仲達がなおその兵を自身で吟味してみると、昨夜の怪しい妖陣のうちの一陣はたしかに孔明の車であったに違いはないが、あと三陣の隊伍と車は、姜維、魏延、馬岱などが偽装していたもので、孔明の影武者であったに過ぎないということがわかった。
「ああそれで縮地の法の手段が読めた。同装同色同物の隊伍を四つ編成しておいて、追われて逃げる時は、曲がり道の山陰や、丈高き草の道などで、近きが隠れ、遠きが現われ、いわゆる身代わりの隠顕出没に依って、追う者の眼を惑わし惑わし逃げていたのだ。......さすがは諸葛亮。さりとは智者なる哉」
彼は正直に孔明を惧れた。そしていよいよ守るを主としていた。
「歯城にある蜀兵を、深く探ってみましたところ、案外少数です。大軍と見せていたは孔明の軍立てに依る用兵の妙で、味方の兵力をもって包囲すれば、おそらく袋の鼠でしょう」
郭淮はしきりに主張した。良策もなきまま以後、消極的に堕し過ぎていたことを自身も反省していた仲達は、彼に説かれて、
「では、動かずと見せて、急に前進し、一挙に歯城を包囲してしまおう。それが成功すれば、後の作戦はいくらでも立つ」
夕陽西へ沈むころ、ここの大軍はいちどに発足した。歯城はさして遠くない。夜半までには難しいが、未明には着ける予定である。
途中の湿地帯と河原と山とを除くほかは、すべて熟れたる麦の畑だった。蜀の斥候兵は点々と一町おきにその中に隠れていた。
一条の繩から繩が歯城のすぐ下まで繫がっていた。一兵がその鳴子を引くと、次の兵から次の兵へ鳴子を伝え、電瞬の間に、(魏の襲撃あり)――は蜀軍のうちへ予報されていた。
で、孔明は、来るべき敵に対して、策を立て、配備をなし、なお充分、手具脛ひいているほどな暇を持っていた。
もとより地方の一城なので、塀は低く、濠は浅い。取り付かれては最後である。姜維、馬岱、馬忠、魏延などの諸隊はおおむね逸早く城外へ出ていた。
城外は一望麦野であった。潜むには絶好である。深夜の風は麦の穂を波立てていた。
音なき
怒濤のごとく魏の大軍は迫って来た。――敵はまだ覚らず――と思ったか全軍を分散して、城の東西南北に分かち始めた。と思うまに城の上から数千の
弩がいちどに
弦を切って
乱
を浴びせて来た。さては敵も知ったるぞ、この上は一
揉みに踏みつぶせ――と濠をこえて城壁へかかると大石巨木が
雪崩れ落ちて来た。浅い濠はたちまち
屍で
埋まった。
「少々苦戦」と司馬懿はなお励ましていたが、一瞬の後、その少々は大々的に変わった。すなわち背後の麦畑がみな蜀兵と化したのである。いかに精鋭な魏軍も乱れざるを得なかった。
暁のころ。司馬懿仲達は一つの丘に馬を立てて唇を嚙んでいた。見事夜来の一戦も放れたのである。損害を数えると、死傷約千余を出しているという。
以来また彼は
上邽城の殻に閉じ
籠る
臆病な
やどかりになっていた。
郭淮は無念にたえず、日夜
智
をしぼって、次の一策を仲達へすすめた。その
計は奇想天外であって、ようやく仲達の
眉を晴れしめるに足りた。
三
歯城は決して守るにいい所ではないが、魏軍の動向は容易に測り難いものがあるので、孔明もじっと堅守していた。
しかし彼は、この自重も決して策を得たものとはしていない。なぜならば近ごろ、司馬懿は雍涼に檄文を飛ばして、孫猛の軍勢を剣閣に招いているふうが見える。ひとたび魏がその尨大な兵力を分けて、蜀境の剣閣でも襲うことになろうものなら、帰路を断たれ、運輸の連絡はつかなくなり、この陣地にある蜀軍数万は孤立して浮いてしまう。
「――あまりに動かざるは、かえって、大いなる動きあるに依るともいう。どうも近ごろ魏軍の静かなのは不審だ。姜維と魏延とは、各一万騎をつれて、剣閣へ加勢に赴け。何となく心許ないのはあの要害である」
姜維と魏延とは、彼の命をうけて、即日軍勢をととのえ、剣閣へ向かって行った。
それから後の事である。長史楊儀は孔明の前へ出て、
「さきに漢中を立たれる際、丞相は、軍を二つに分けて、百日交代で休ませると宣言なされたでしょう。どうも弱った事であります」
「楊儀。何を困ったと言うか」
「もはやその百日の日限が来たのです。前線の兵と交代する漢中の軍はもう彼の地を出発したと言って参りました」
「すでに法令化した以上、一日も違えてはならん。早早この兵は漢中へ還せ」
「いまここに八万の軍があります。どう交代させますか」
「四万ずつ二度にわけて還すがいい」
諸軍はこれを聞いて大いに歓び、それぞれ帰還の支度をしていた。
ところへ剣閣から早馬が来た。魏の大将孫猛が、雍涼の勢を新たに二十万騎募って、郭淮と共に剣閣へ猛攻して来たというのである。
それさえあるにまたまた、司馬懿仲達が時を同じゅうして、全魏軍に総攻撃の命を発し、今しもこの所へ押し襲せて来るとも伝えて来た。
全城の蜀軍が愕き惧れたことはいうまでもない。楊儀は倉皇と孔明に告げていた。
「こうなっては交代どころではありません。帰還の事は、しばらく延期して、目前の敵の強襲を防がせねばなりますまい」
「いやいや、そうでない」孔明はつよく面を横に振って言った。
「我が師を出して、多くの大将を用い、数万の兵をうごかすも、みな信義を本としていることである。この信義を失うては、蜀軍に光彩もなく、大きな力は出せなくなる。また彼等の父母妻子も、すでに百日交代の規約を知っている故、みな家郷にあって指折り数え、わが子、わが良人の帰りを門に待っているであろう。たとえ今いかなる難儀におよぶとも、予はこの信義を捨てることはできない」
楊儀は、早速、孔明のことばをそのまま蜀軍の兵に告げた。
それまでは、いろいろに臆測して、多少動揺を見せていた兵も、孔明の心をこう聞くと、みな涙をながして、
「丞相はそれほどまで、吾々を思って居て下されたのか」
「かくのごとき御恩にたいして、何で吾々として、丞相の危急を見ながら、ここを去り得ようか」
彼等はこぞって楊儀を通じ、孔明に願い出て来た。
「願わくは命を捨てて、丞相の高恩に報ぜん」
孔明はなお還れとすすめたが、彼等は結束して踏み止まった。そして目に余るほどな魏の大軍に反撃を加え、ついには、先を争って城外へ突出し、雍涼勢の新手をも粉砕して、数日の間に、さしもの敵を遠く退けてしまった。
けれど一難去ればまた一難。全城凱歌に沸き満ちているいとまもなく、永安城にある味方の李厳から計らずも意外な情報を急に告げて来た。
木門道
一
永安城の李厳は、増産や運輸の任に当たって、もっぱら戦争の後方経営に努め、いわゆる軍需相ともいうべき要職にある蜀の大官だった。
今その李厳から来た書簡を見ると、次のようなことが急告してある。
近ゴロ聞ク東呉、人ヲシテ洛陽ニ入ラシム。魏ト連和シ、呉ヲシテ蜀ヲ取ラシメント。幸イニ呉未ダ兵ヲ起コサズ、今厳哨シテ消息ヲ知ル。伏シテ望ムラクハ、丞相ノ謀リ遠キヲ慮リテ、早ク良図ヲ施シテ怠リヲ欲スルコトナカランコトヲ。
孔明は大きな衝撃をうけた。事実、この書面に見えるような兆候があるとすればこれは真に重大である。魏に対しての蜀の強味は何といっても、一面に蜀呉相侵すことなき盟約下にあることが基幹をなしているのに、その呉が今、寝返りを打って、魏と連和するような事態でも起こるとしたら、これは根本的に蜀の致命とならざるを得ない。
「決して遅疑逡巡している問題ではない」
ここにおいて、彼は、大英断をもって、直ちに全戦線の総退却を決意した。
「まず、すみやかに祁山を退くべきである」
と、歯城から使いを急派して、祁山に残して来た王平、張嶷、呉班、呉懿の輩に宛てて、
「自分がここにあるうちは、魏も迂闊には追うまい。乱れず、躁がず、順次退陣して、ひとまず漢中に帰れ」と、命を封じて言い送った。
一面、孔明はまた、楊儀、馬忠の二手を、剣閣の木門道へ、急がせ、後、歯城には擬旗を植え並べ、柴を積んで煙をあげ、あたかも、人の居るように見せておいて、急速に、彼とその麾下もことごとく木門道さして引き退いた。
渭水の張郃は、馬を打って、上邽へやってきた。司馬懿に諮るためである。
「何か起こったにちがいない。蜀軍の退陣、ただ事ではありません。今こそ
急追殲滅を

らわす時機ではないでしょうか」
「いや待て、孔明の事だ。迂闊には深入りできぬ」
「大都督にはどうしてそう孔明を虎のごとく恐れ給うか、天下の笑い種になろうに」
時に、一兵が来て、歯城の変を告げた。司馬懿は張郃を伴って、高きに登り、歯城の旗や煙をややしばしば眺めていたが、突然、哄笑して、
「何様、旗も煙も、たしかに擬勢だ。歯城は今や空き城にちがいない。いざ追い撃たん」
と、彼も今は疑う余地もなしと、にわかに、上邽から奔軍を駆って急進した。
すでに木門道に近づくと、張郃はまた、司馬懿に言った。
「かかる大兵の行軍では、どうしても遅鈍ならざるを得ません。それがしが軽騎数千をひっさげて先駆し、まず敵を
捉えて

い下がっておりますから、都督の本軍は後からおいで下さい」
「いや、軍の速度の遅いのは、大兵なる故ばかりではない。孔明の詭計を慎重に打診しながら進んでいるせいにも依るのだ」
「またしてもそのように孔明を恐れ恐れ進んでいられるのですか。それでは追撃する意義は失くなってしまう」
「大なる禍に陥るよりはましである。もし貴公のごとく功を急がば、必ず悔いを求めるだろう」
「身を捨てて国家に報ずる時、大丈夫たる者、死すとも何の悔いがありましょうや」
「いや、貴公に性火の燃ゆるごときものあって、意気は寔に旺ではあるが、また非常に危険でもある。深く慎み給え」
「なんの、孝はまさに力をつくすべし、忠はまさに命を捨つべし。この期に当たって、顧みる事はありません。ただ、孔明を撃つあるのみです。ぜひおゆるし願いたい」
「それほどに言うならば、
御辺は五千騎をもってまず急げ。別に
賈
、
魏平に二万騎を
附けて後から続かせる」
張郃はよろこび勇んで、手兵五千騎、みな軽捷を旨とし、飛ぶがごとく、敵を追った。
行くこと七十里。たちまち一叢の林のうちから、鼓鉦、鬨の声があがって、
「賊将、どこへ急ぐか、蜀の魏延ならばここに居るぞ」
と、呼ばわる声がした。
二
天性火のごとしという定評のある張郃だった。その張郃が、火そのものとなって、
(孔明の首級を見るはいまにある)
と誓い、畢生の勇猛をふるって、無二無三猪突して来た矢先である。
「何をっ――」と一声、喚き返すや否、魏延の兵を追い散らした。魏延もちょっと出て、槍を合わせたが、すぐ偽り負けて逃げ奔った。
「口ほどもない木端ども」
と、張郃は
眼尻で

けりつつ、また先へ急いだ。そして約二十里ほど来ると、一山の上から蜀の
関興と名乗って
駈け下って来た軍馬がある。
張郃は憤怒して迎えた。
「かねて聞く関羽の小倅。汝また非業の死を亡父に倣うか」
関興はその勢いに恐れたかのごとく逃げ出した。張郃は追い巻きして行ったが、一方に密林が見えたので、ふと万一を思い、
「伏兵があるかも知れぬ。そこの林を搔き捜せ」
と、兵に下知して、しばし息をついでいた。
すると先に隠れた魏延が後ろから襲って来た。魏延に当たって力戦していると、関興が引っ返して来て鼓躁した。
あるいは逃げ、あるいは挑み、こうして張郃を翻弄して疲らしめながら、魏延はついに目的どおり張郃を木門道の谷口まで強引に誘い込んで来た。
地形の険隘に気づいて、張郃もここまで来ると、盲進するなく、一応軍勢をととのえていたが、魏延はその暇を与えず、絶えず戦いを挑んで来ては彼を辱しめた。
「張郃張郃。初めの勢いもなくはや臆病風に襲われたか。帰り途を案じているのか」
張郃はまた火となって、
「逃げ上手め。そこを去るな」
「逃げるのではない。我は漢の名将、汝は逆門の鼠賊。刃の穢れを辱じるのだ」
「うぬ。その吠え面にベソ搔くな」
ついに彼は司馬懿の戒めもわすれて、木門道の谷まで駈け込んでしまった。
しかも時はようやく薄暮に迫って、西山の肩に茜を見るほか谷の内はすでに仄暗い。魏の将士は口々に後ろから、
「将軍、帰り給え。将軍、引っ返し給え」と呼んでいたが、張郃は、憎き魏延を打ちとめぬうちはと、奔馬の足にまかせて鞭打つ敵を追っていた。
「卑怯者っ。恥知らず、最前の口をわすれたか」
はや手も届かん間近にある魏延の背へ向かって張郃は罵りやまず、いきなり馬上から槍を投げつけた。
魏延は馬のたてがみに首を俯伏せ、槍は彼の盔の錣を射抜いてかなたへ飛んだ。
「あっ、将軍」
味方の声に、思わず振り向くと、張郃の先途を案じて、慕って来た百余騎の将が、いっせいに山を指さして叫んだ。
「怪し火が見えますぞ。あの山頂に」
「何かの合図やも知れません」
「夜に入ってはいよいよ大事、早々、あとへお帰りあって、明日を期せられた方がよいでしょう」
けれど是等の忠告すらすでに遅きに失していた。
突然、虚空に大風が起こった。それは
万弩の

うなりである。たちまち絶壁は叫び谷の
岩盤はみな
吼えた。それは敵の降らして来る巨木大石の
轟きである。
「や、や。さては」
気づいた時は、あっちこっちに火が起こっていた。低い灌木も高い木も焼け始めた。張郃は、狂い廻る馬にまかせて谷口を探したが、そこの隘路もすでに塞がれていた。
性火のごとしと言われていた張郃は、ついに炎の中に身をも焼いてしまった。
孔明は、木門道の外廓をなす一峰に姿を現わして、うろたえ迷う魏の兵にこう言った。
「きょうの狩猟に、我は、馬を得んとして、猪を獲た。次の狩猟には、仲達という稀代な獣を生け擒るだろう。汝等帰って司馬懿に告げよ。兵法の学びは少しは進んでおるかと」
張郃を亡った魏兵は、我先に逃げ帰って、その実状を司馬懿仲達に告げた。
三
張郃の戦死は惜しまれた。彼が魏でも屈指の良将軍たることはだれも認めていたし、実戦の閲歴も豊かで、曹操に仕えて以来の武勲もまた数えきれないほどである。
「彼を討ち死にさせたのは、実に予の過ちであった。あくまでも彼の深入りを許さなければよかったのだ」
こう痛嘆して、だれよりもその責めを感じていたのは、もちろん、司馬懿その人だった。
同時に司馬懿は、孔明の作戦が何を狙っていたものかを、今は明瞭に覚ることもできた。
――敵を嶮に誘い、味方を不敗の地に拠らせ、しかして、計をうごかし、変をもって、これを充分に捕捉滅尽する。
ここに孔明の根本作戦があるものと観破した。
そう考えて来ると、渭水から邽城、邽城からこの剣閣へと、いつか自分も次第に誘い出されて、危険極まる蜀山蜀水のうちに踏み入りかけていることも顧みられた。
「――危うい哉。知らず知らずに自分も彼の誘導作戦にかかっている」
司馬懿は急に兵を返して、要所要所に諸将を配し、ただよく守れと境を厳にして、自身はやがて洛陽へ上った。
戦況奏上のためだった。魏帝も張郃の死をかなしみ、群臣もみな落胆して、
「敵国のまだ亡ばぬうちに、われは国の棟梁を失った。前途の難をいかにすべき」
と、嘆きの声と、沈滅の色は、魏宮中を一時沈衰の底へ落とした。
時に、諫議大夫の辛毘が、帝にも奏し、群臣にも言った。
「武祖文皇二代を経、今帝また龍のごとく世に興り給い、わが大魏の国家は、強大天下に比なく、文武の良臣また雨のごとし。何ぞ、一張郃の戦死をさまで久しく悲しまるるか。――家人の死は一家の情をもって嘆くもよし惜しむもよろしいが、国民の死は国家の大をもって是を悠久に崇め、是を盛葬し、是を称えて、全土の人士を振わすべきではありませんか」
「まことに、辛諫議のことばは当たっておる」
やがて木門道から取り上げて来た屍に対して、帝は厚き礼を賜い、洛陽を人と弔旗に埋むるの大葬を執り行なって、いよいよ、討蜀の敵愾心を振起させた。
一方、孔明は、軍を収めて、漢中の営に帰ると、すぐ諸方へ人を派して、魏呉両国間の機微をさぐらせていたが、そこへ成都から尚書費褘が来て率直に朝廷の意をつたえた。
「何の理由もなく漢中へ兵をお回しなされたのは何故ですか。帝も御不審を抱いておられますぞ」
「近ごろ、呉と魏との間に、秘密条約が結ばれた形跡ありとの事に、万一、呉が矛を逆しまにして、蜀境を衝くような事態でも起こっては重大であると思うて、急遽、祁山を捨てて万全を期したまでであるが」
「おかしいですな。兵糧運輸の線は、充分に活動しておりましたか」
「とかく後方からの運送は滞りがちで、ために、持久を保ち、糧食を獲るためにも、いろいろ、作戦以外の作戦と経営をなさねばならなかった」
「それでは、李厳のはなしと、まるであべこべです。李厳の申すには、このたびこそ兵糧にも困らぬほど、後方からの運輸も充分に行なっているのに、孔明が突然退軍したのはいぶかしい事であるとしきりに申し触らしています」
「それは言語道断」
と、孔明もちょっと呆れ顔をして――
「魏呉両国間に秘密外交のうごきが見ゆると、われへ報せて来た者は、その李厳であるのに」
「ははあ。それで読めました。李厳の督しておる軍需増産の実績がここはなはだあがらないので、科を丞相に転嫁せんとしたものでしょう」
「もってのほかの事だ。もし事実とすれば、李厳たりとも、免してはおかれない」
孔明は赫怒した。
このため、彼は成都へ還って、厳密な調査を府員へ命じた。李厳の弄策は事実とわかった。
「本来、首を刎ねても足らない大罪であるが、李厳もまた、先帝が孤をお託し遊ばした重臣のひとりだ。官職を剝いで、一命だけは助けおく。――即日、庶人へ落として、梓潼郡へ遠流せよ」
孔明はかく断じたが、その子の李豊は留めて、長史、劉琰などと共に、兵糧増産などの役に用いていた。
具眼の士
一
多年軍需相として、重要な内政の一面に才腕をふるっていた李厳の退職は、何といっても、蜀軍の一時的休養と、ひいては国内諸部面の大刷新を促さずには措かなかった。
蜀道の嶮岨は、事実、だれがその責任者に当たっても克服することのできない自然的条件であり、加うるに、蜀廷の朝臣には、孔明のほかに孔明なく、外征久しきにわたるあいだには、きまって何かの形で、その弱体や内紛が現われずにいなかった。
孔明の苦労は実にこの二つにあったといってよい。しかも帝劉禅は、はなはだ英邁の資でないのである。うごかされ易くまたよく迷う。
しかし孔明がこの遺孤に仕えることは、玄徳が世にいたころと少しも変わらなかった。いやもっと切実な忠愛と敬礼を捧げきって骨も細りゆく姿だった。それだけに帝劉禅が彼を慕い彼を惜しむことも一通りでなかったが、いかんせん、孔明が居ないというと群臣がうごく。群臣がうごくと帝も迷いにつつまれる。蜀朝廷は実にいつも遠きに孔明の後ろ髪を引くものであった。ここにおいて孔明は、
「三年は内政の拡充に力を注ごう」
と決意した。三年師を出さず、軍士を養い、兵器糧草を蓄積して、捲土重来、もって先帝の知遇にこたえんと考えたのである。
いかなる難事が重なろうと、中原進出の大策は、夢寐の間も忘れることなき孔明の一念だった。その事なくしては孔明も無い。彼の望み、彼の生活、彼の日々、すべては凝ってそれへの懸命に生きていた。
三年の間、彼は百姓を恤み宥わった。百姓は天地か父母のように視た。彼はまた、教学と文化の振興に努めた。児童も道を知り礼をわきまえた。教学の根本を彼は師弟の結びにありとなし、師たるものを重んじ、その徳を涵養させた。また内治の根本は吏にありとなし、吏風を醇化し吏心を高めさせた。吏にしてひとたび瀆職の辱を冒す者あれば、市に曝して、民の刑罰よりもこれを数等厳罰に処した。
「口舌をもっていたずらに民を𠮟るな。むしろ良風を興して風に倣わせよ。風を興すもの師と吏にあり。吏と師にして善風を示さんか、克己の範を垂れその下に懶惰の民と悪風を見ることなけん」
孔明はつねにそう言っていた。かくて三年の間に、蜀の国力は充実し、朝野の意気も完く一新された。
「――三年経ちました――。尺蠖の縮むは伸びんがため。いまようやく軍もととのいました故、六たび征旗をすすめて中原へ出ようと思います。ただ臣亮もはや知命の年齢ですから、戦陣の不常どんな事があろうとも知れません。......陛下も何とぞ先帝の英資にあやかり給うてよく輔弼の善言を聞き、民を慈しみ給い、社稷をお守りあって、先帝の御遺命を完う遊ばさるるよう伏しておねがい致しまする。――臣は、遠き戦陣におりましても、心はつねに陛下のお側におりましょう。陛下もまた、孔明はここにあらずとも、常に成都を守っているものとお思い遊ばしてお心づよくおわしませ」
後主劉禅は、孔明がこう別れを奏してひれ伏すと、何のことばもなくしばし御衣の袂に面をつつんでいた。
なおこの際にも、成都人の一部では、宮門の
柏樹が毎夜泣くとか、南方から
飛
して来た数千の鳥群がいちどに漢水へ落ちて死んだとか、不吉な流言をたてて、孔明の出軍を
阻めようとする者もあったが孔明の大志は、決してそんな
虚謬の説に弱められるものではなかった。
彼は一日、成都郊外にある先帝の
霊
に
詣でて、
大牢の祭りをそなえ、涙を流して、何事か久しく祈念していた。
彼が玄徳の霊にたいして、何をちかったかは、言うまでもないことであろう。数日の後、大軍は成都を発した。帝は、百官をしたがえて、城外まで送り給うた。
蜀道の嶮、蜀水の危も、踏み渉ること幾たび。蜿蜒として軍馬はやがて漢中へ入った。
ところが、まだ戦わぬうちに、孔明は一つの悲報に接した。それは関興の病歿だった。
二
さきに張苞を亡い、いままた、関興の訃に接して、孔明の落胆はいうまでもないことだが、その嘆きはかえって、この時の第六次出師の雄図をして更に更に、愁壮なものとした事も疑われない。
漢中に
勢
いをし、
祁山へ進発した蜀軍は、五大部隊にわかれ、総兵三十四万と号していた。
ときに魏は改元第二年を迎えて、青龍二年春二月だった。
去年、摩坎という地方から、青龍が天に昇ったという奇異があって、これ国家の吉祥なりと、改元されたものである。
また、司馬懿はよく天文を観るので、近年北方の星気盛んで、魏に吉運の見えるに反し、彗星太白を犯し、蜀天は晦く、いまや天下の洪福は、わが魏皇帝に幸いせん――と予言していたところなので、
「孔明三年の歳月を備えに蓄えて六たび祁山に出づ」
という報に接したときには、
「明なる哉。これ蜀の敗滅、魏の隆昌。天運果たしてこの事をすでに告ぐ」
と、勇躍、詔を拝して、かつて見ぬほどな大軍備をととのえた。
出陣にさきだって仲達は、
「かつて父を漢中に討たれた夏侯淵の子等四人が、常に父を蜀のために亡った恨みを噲んで切歯扼腕しております。ねがわくは、今度の軍に、その遺子四人を伴って行きたいと思いますが」
と、曹叡に奏して、その許しをうけていた。これ等の四子は、さきに失敗を招いた夏侯楙駙馬などとは大いに質がちがっていて、兄の覇は弓馬武芸に達し、弟の恵は六鞱三略を諳じてよく兵法に通じ、他の二兄弟もみな俊才の聞こえがあった。
長安に集結した魏下諸州の精鋭は四十四万といわれた。そして宿命の決戦場渭水を前にして従前どおり布陣したが、祁山の蜀勢も、この魏勢も、戦いの回を追うごとに、その経験から地略的な攻究もすすみ、また装備や兵力は逐次増強されて、これを第一回第二回ごろの対峙ごろから較べると双方の軍容にもわずかな年月のあいだに著しい進歩が見える。
作戦上から今次の相違を見ると、魏はまず五万の工兵隊を駆使して竹木を伐採させ渭水の上流九ヵ所に浮き橋を架し、夏侯覇、夏侯威のふた手には、河を渡って、河より西に陣地を張った。
これは従来に見られなかった魏の積極的攻勢を示したものであると共に、用意周到な司馬懿は、本陣の後ろにある東方の嚝野に、一城を構築して、そこを恒久的な基地となした。
この恒久戦の覚悟はまた、より強く、今度は蜀軍の備えにも観取できる。祁山に構えた五ヵ所の陣屋は、これまでの規模とそう変わりはないが、斜谷から剣閣へわたって十四ヵ所の陣屋を築き、この一塁一塁に強兵を籠めて、運輸の連絡と、呼応連環の態勢を作ったことは、
「魏を撃たずんば還らじ」
となす孔明の意志を無言に儼示しているものにほかならない。
時に、その一塁から一報があって、孔明に、敵陣に変化あることを告げた。
「――魏の大将、郭淮、孫礼の二軍が、隴西の軍馬を領して、北原へ進出し、何事か為すあらんとするもののごとく動いています」
この情報に接した孔明は、
「それは司馬懿は、前に懲りて、隴西の道をわれに断たれんことを怕れて手配をいそいだものと思わるる。――今、詐って、蜀が彼の怕れる隴西を衝く態をなすならば、司馬懿は驚いて、その主力を応援にさし向けるだろう。敵の備えなきを撃つ――その虚は後に渭水にある」
北原は渭水の上流である。孔明は百余座の筏に乾いた柴を満載させ、夜中、水に馴れた五千の兵をすぐって、北原を襲撃させ、魏の主力がうごくのを見たら直ちに筏に火をつけて下流へ押しながし、敵の浮き橋を焼き立て、西岸の夏侯軍を捕捉し、また立ちどころに、渭水の南岸へ兵を上げて、そこの魏本陣を乗っ取らんという画策を立てた。
これが果たしてうまく魏軍を計り得るかどうかは、魏の触覚たる司馬懿その人の頭脳ひとつにあった。
三
さすがに、彼は観破した。
「いま孔明が、上流に多くの筏を浮かべ、北原を攻めそうな擬勢を作っているが、虚を見て、筏を切り流し、それに積んだ松柴と油をもって、わが数条の浮き橋を焼き払うつもりに違いない」
司馬懿はこう言って、夏侯覇、夏侯威に何事か命じ、郭淮、孫礼、楽綝、張虎などの諸将へもそれぞれ秘命を授けおわった。
やがて戦機は、蜀軍の北原攻勢から口火を切った。
呉懿、呉班の蜀兵は、かねての計画どおり、無数の筏に焚き草を積んで、河上に待機していた。
――日が暮れて来た。
北原の戦況は、初め、魏の孫礼がうって出たが、脆くも打ち負けて退却した。そこへかかった蜀の魏延、馬岱は、
「負け振りがおかしい?」と見て、あえて深追いしなかったが、それでもたちまち両岸の物陰から魏の旗がひらめき見え、喊声、雷鼓の潮とともに、
「司馬懿、待ちうけたり」
「郭淮。これにあり」
と、両方から刹出して、半円陣を結び、敵と河とを一方に見て、圧縮して来た。
魏延と馬岱は、命をかざして奮戦したが、到底、勝ち目のない地勢にあり、河流へせき落とされて溺れる者、つつまれて討たれる者など、大半の兵を失ってしまった。
ふたりはからくも水上へ逃げたが、このころ、待ちきれずに、呉懿、呉班の手勢も、大量な筏を流し始めていた。
しかしそれらの筏群が、魏陣の架けた浮き橋まで流れて来ないうちに、張虎、楽綝などの手勢がべつな筏で繩を張り繞らし、蜀の筏をことごとく堰きとめて、それを足場に矢戦をしかけて来た。
蜀兵はこの際何らの飛び道具も備えていなかったので、筏を寄せて、斬り結ぶしか手がなかったのである。それを寄せ付け寄せ付け魏は雨のごとく矢を浴びせた。
蜀将のひとり呉班もついに一矢をうけて水中に落命した。その上、火計はまったく失敗に帰し、蜀軍の敗亡惨たるものだった。
ここの失敗は、当然別動隊たる王平、張嶷の方へも狂いを生じていないはずはない。
二軍は、孔明の命によって、渭水の対岸をうかがい、浮き橋の焼ける火を見たら、直ちに、司馬懿の本陣へ突入しようと息をこらしていたが、夜が更けても、いっこう上流に火光が揚がらないので、
「はて。どうしたものだろう?」としびれを切らしていた。
張嶷は、待ちくたびれて、
「対岸を窺うに、魏陣はたしかに手薄らしく思われる。いっそのこと、突っ込もうか」
と逸ったが、王平が、
「敵にどんな隙があろうと、ここだけの状況で作戦の機約を更えることはできない」
と固く持して、なお根気よく、火の手を待っていた。
するとそこへ、急使が来た。馬をとばして馳けて来るなり、大声でさしまねいて言う。
「平将軍も嶷将軍も、はやはや退き給え。丞相の御命令である。――北原も味方の敗れとなり、浮き橋を焼く計もことごとく齟齬いたして、蜀勢はみな敗れ去った」
「なに。味方の大敗に終わったと」
さすがの王平もあわてた。
急に二軍が退き出したせつなである。それまで河波の音と蘆荻の声しかなかった附近の闇がいちどに赤くなった。そして一発の轟音が天地のしじまを破るとともに、
「王平。逃げ出すのか」
「張嶷。いずこへ奔るか」
と、魏の伏兵が四方八方から襲いかかって来た。
計ると思いながら、事実はまったく敵の陥穽のなかにいたのである。かくては戦い得る態勢もとり得ない。王平、張嶷の二軍もさんざんにうたれて逃げ崩れた。
上流下流の全面にわたって、この夜、蜀軍のうけた兵力の損害だけでも一万をこえていた。孔明は敗軍を収めて祁山へ立ち帰ったが、彼がかくのごとく計を誤ったことはめずらしい。日ごろの自信にもすくなからぬ動揺を与えられたに違いあるまい。その憂いは面にもつつめなかった。
四
一日、孔明の憂色を窺って、長史楊儀がひそかに訴えた。
「近ごろ、魏延が丞相の蔭口を叩いて、とかく軍中の空気を濁していますが、何か原因があるのですか」
孔明は眉重くうなずいた――。
「彼の不平は今に始まった事ではないよ」
楊儀はいぶかしげに、
「そこまで御承知でありながら、人一倍、軍紀にきびしい丞相が、なぜ彼の悪態を放置しておかれるのです?」
「楊儀。さような事は、みだりに言うものではない。予が胸も察するがいい。蜀の諸将と軍力をよく観て」
楊儀は沈黙した。そして孔明の意中を酌むにつけ断腸の思いがあった。連戦多年、蜀軍の将星は相次いで墜ち、用いるに足る勇将といえば実に指折るほど少なくなっている。――ともあれその中にあって魏延の勇猛は断然衆を超えているものがある。
いまその魏延をも除くならば、蜀陣の戦力は更に落莫たらざるを得ない。孔明がじっと怺えているのは、そのためであろうと楊儀は察した。
時に成都からの用命をおびて、尚書費褘がこの祁山へ来た。孔明は彼に会うと告げた。
「ここに御辺ならでは能わぬ大役がある。蜀のために、予の書簡を携えて、呉へ使いに赴いてくれまいか」
「丞相の命令なれば、辞す理由はありません。どこへでも参りましょう」
「快く承知してくれて有り難い。ではこの書簡を孫権に捧げ、なお卿の才をもって、極力、呉をうごかす事、努めてもらいたい」
孔明が彼に託したものは、実に蜀呉同盟条約の発動にあった。書中、祁山の戦況を縷々と告げて、いまや魏軍の全力はほとんどこの地に牽引されてある。この際、呉がかねての条約に基づいて、魏の一面を撃つならば、魏はたちまち全面的崩壊を来し、中原の事はたちまちに定まる。しかる後は、蜀呉天下を二分して、理想的な建設を地上に興すことができよう。と切々説いているものであった。
費褘は、建業へ行った。
孫権は、孔明の書簡を見、また蜀の使いを応接するに、礼はなはだ厚かった。
そして、彼に言った。
「呉といえど、決して蜀魏の戦局に冷淡なものではない。しかしその時を見、また充分な戦力を養っていたもので、今や機は熟したと思われる故、日を定めて、朕自ら水陸の軍をひきい、討魏の大旆をかかげて長江を溯るであろう」
費褘は拝謝して、
「おそらく魏の滅亡は百日を出でますまい。して、どういう進攻路をとられますか」
と、その口裡の虚実を窺った。
孫権は、言下に、
「まず、総勢三十万を発し、居巣門から魏の合淝、彩城を取る。また陸遜、諸葛瑾等に江夏、沔口を撃たせて襄陽へ突入させ、孫昭、張承などを広陵地方から淮陽へ進ませるであろう」
と、平常の怠りない用意を仄めかして掌を指すように語った。
酒宴となって、くつろいだ時である。今度は孫権が費褘へたずねた。
「いま、孔明の側らにいて、功労を記し、兵糧その他の軍政を扶けている者はだれだな?」
「長史の楊儀であります」
「つねに先鋒に当たる勇将では」
「まず、魏延でしょうか」
「内は楊儀。外は魏延か。ははは」
と、孫権は意味ありげに打ち笑って、
「自分はまだ、楊儀、魏延の人物は見ていないが、多年の行状で聞き知る所、いずれも蜀を負うほどな人物ではなさそうだ。どうして孔明ほどな人が、そんな小人輩を用いているのか」
費褘はことばもなく、その場はよいほどに紛らわしたが、後、祁山に帰って、復命したあとで、これをそのまま孔明に語ると、孔明は嘆息して、
「さすがに孫権も具眼の士である。いかに良く見せようとしても天下の眼はあざむかれないものだ。魏延、楊儀の小さい事は、われ疾くに知るも、呉の主君までが観抜いていようとは思わなかった」
と、なお独り託っていた。
木牛流馬
一
「それがしは魏の部将鄭文という者です。丞相に謁してお願いしたい事がある」
ある日、蜀の陣へ来て、こう言う者があった。
孔明が対面して、
「何事か」
と、質すと、鄭文は拝伏して、
「降参を容れて戴きたい」と、剣を解いて差し出した。
理由を問うと、鄭文は、
「それがしは、もとから魏の偏将軍でした。しかるに、司馬懿の催しに応じて、参軍してから後は、自分より後輩の秦朗という者を重用して、それがしを軽んじるのみか、軍功を依怙贔屓になし、あまつさえそれがしが不平を洩らしたと称して、殺さんとする気振りすらあるのです。犬死にせんよりはと、丞相の高徳を慕って降伏に来た次第です。お用い下されば、この恨みを報ぜんためにも、きっと蜀のために忠を尽くしましょう」と、述べた。
すると、祁山の下の野に、一騎の魏将が、鄭文を追って来て、鄭文を渡せと、しきりに喚いていると、営外の物見が報らせて来た。
「だれか汝を追って来たというが、汝に覚えのある者か」
孔明が訊くと、
「それこそ、それがしの事を、つねに司馬懿に讒している秦朗でしょう。司馬懿にいいつけられて、追っ手に来たものでございましょう」
と、鄭文は急にそわそわし出した。
「汝とその秦朗とは、いずれが武勇が上か。司馬懿が秦朗を重用するというのは、汝の武勇が彼より劣るためではないか」
「そんな事はありません。断じて秦朗ごときに劣るそれがしではない」
「もし汝の武勇が秦朗に勝るものならば、司馬懿は讒者の言に過られたもので曲は彼にありと言ってよい。同時に、汝の言も信ずるに足りよう」
「そうです。その通りです」
「では。すぐ馬をとばして秦朗と一騎打ちを遂げ、その首をこれへ持って来い。しかる後、降を容れ、重き位置を与えよう」
「お易い事。丞相も見て下さい」
鄭文は、馬をとばして、野へ駈け下りた。
そこに待っていた魏の一将は、
「やあ、裏切り者め。わが馬を盗んで、蜀軍へ逃げ込むとは、呆れ返った恥知らず、司馬懿大都督の命に依って誅殺を下す。わが刃をうけよ」
大音に言って、鄭文へ斬ってかかった様子に見えたが、まるで腕がちがうとみえて、絡み合ったかと思うとたちまち鄭文のために返り討ちにされていた。
鄭文はその首を搔っ切ってふたたび孔明の前へ戻って来た。孔明はもう一度いいつけた。
「秦朗の屍や衣裳も持って来い」
鄭文はまた駆け戻って、
死骸を

えた。孔明は
篤と見ていたが、
「鄭文の首を斬れ」
と左右の武士へ命じた。
「あっ。な、なんで。――それがしを?」
と、鄭文は首を抱えて絶叫した。孔明は、笑った。
「この屍は、秦朗ではない。秦朗は予も前から見知っている。似ても似つかぬ下郎をもって秦朗なりと欺いても、その計には乗らん。思うに、仲達が申しつけた偽計にちがいあるまい」
鄭文は震い怕れて、その通りですと自白した。孔明は思案していた。そして何か思い直したように、
「鄭文を檻車に入れておけ」と、しばらく斬るのを見合わせた。
翌日。孔明は自分の書いた原文を示して、
「命が惜しくば、司馬懿へ宛ててこの通りの書簡を書け」と、鄭文へ筆紙を持たせた。
鄭文は檻の中でその通りの書簡を書いた。これを持った蜀の一兵は附近の住民に姿を変えて、魏の陣へ紛れ入った。そして、
「鄭文という人から頼まれて来た者ですが」
と、司馬懿の側臣に手渡した。
司馬懿仲達は、書簡を熟視した。筆蹟は鄭文にまぎれない。彼はいたく歓んだ様子で、使いの男に酒食を与え、だれにも洩らすなと口止めして帰した。
二
鄭文の書簡には、
――明夜、祁山の火を合図に、都督みずから大軍をひきいて攻め懸かり給え。孔明不覚にもそれがしの降伏を深く信じて、この身彼の中軍にあり。時を合わせて呼応一摑、孔明を擒人になさんこといま眼前に迫る。期して外し給うな。
というような文意であった。
容易にひとの計略にはかからない司馬懿も、自分の仕掛けた計略にはつい懸かった。翌日一日、密々準備して、夜に入るや、渭水の流れをそっと渉らんとした。
「父上にも似気ないことを」
息子の司馬師は父に諫めた。一片の紙片を信じて、これまで自重していた戦機を、我から動かすなどという事は、日ごろの父上らしくもない軽忽であると直言したのである。
「げにも」
と、司馬懿は子の言を容れて、急に、自分は後陣へまわり、べつな大将を先陣に配した。
その夜、宵のうちは、風清く、月明らかで、粛々たる夜行には都合が悪かったが、渭水を渉るころから、夜霧ふかく、空も黒雲にとざされて来たので、司馬懿はかぎりなく歓んで、
「是。天われを助くるもの」
と、人は枚を喞み、馬は口を勒し、深く蜀陣へ近づいた。
一方。この夜を期して、
「かならず司馬懿を捕らえん」
と、計りに計っていた孔明も、剣に仗り、壇に歩して昼は必勝の祈禱をなし、夕べは血をそそいで諸将と決死の杯を酌み交わし、夜に入るや手分けを定めて、三軍、林のごとく待ちうけていた。
夜は更けて、黒霧迷濛たるころ、忽然、堰を切られた怒濤のごときものが、蜀の中軍へなだれ入った。しかしそこの営内は空虚だった。魏勢は怪しみ疑って、
「敵の計に陥ちるな」と、戒め合ったが、すでにそのとき魏勢は完全に出る道を失っていたのである。
鼓角、鉄砲、喊の声は、瞬時の間に起こって、魏の先鋒の大半を殲滅した。その中には、魏将の秦朗も討ち死にを遂げていた。
司馬懿は幸いにも後陣だったので、蜀の包囲鉄環からは遁れていたが、残る兵力を救わんため、いったんは強襲を試みて、彼の包囲を外から破らんとした。しかし、それも自軍の兵力をおびただしく損じたのみで、残る先鋒軍の約一万も敵の中に見捨てて、引き退くしかなかった。
「かくのごとき平凡なる戦略にかかって、平凡なる敗北を喫したことはない」
めったに感情を激さない司馬懿も、この時ばかりはよほど口惜しかったとみえて、退陣の途中も歯がみをした。
しかもそのころになると、空はふたたび晴れて、晃晃たる月天に返り、一時の黒雲は夢かのように考えられた。で、生き残って帰る魏将士の間には、だれいうとなく、「これは孔明が、八門遁甲の法を用いて、われらを黒霧のうちに誘い、また後には、六丁六甲の神通力をもって、雲霧をはらい除いたせいである」
というような妖言を放って、しかもだれもそれを疑わなかった。
「ばかを申せ、彼も人、我も人。世に鬼神などあるべきでない」
司馬懿は陣中の迷信に弾圧を加え、厳しく妄言を戒めたが、孔明は一種の神通力を持って、奇蹟を行なう者だという考えは牢固として抜くべからざる一般の通念になって来た傾きすらあった。
魏の兵がこういう畏怖に囚われ出したので、司馬懿もその怯兵を用いるのは骨であった。で、以後また、堅く要害を守り、一にも守備、二にも守備、ただこれ守るを第一としてあえて戦うことをしなかった。
この間に孔明は、渭水の東方にあたる葫蘆谷に千人の兵を入れ、谷のうちで土木の工を起こさせていた。この谷はふくべ形の盆地を抱いて、大山に囲まれ、一方に細い小道があるだけで、わずかに一騎一列が通れるに過ぎないほどだった。
孔明も日々そこへ通って、何事か日夜、工匠の指図をしていた。
三
魏が、あえて戦わず、長期を持している真意は、あきらかに蜀軍の糧食涸渇を待つものであるはいうまでもない。
長史楊儀は、その点を憂えて、しばしば、孔明に訴えていた。
「いま蜀本国から運輸されて来た軍糧は、剣閣まで来て山と積まれている状態ですが、いかんせん剣閣から祁山までは悪路と山岳続きで、牛馬も仆れ、車も潰え、輸送は少しも捗どりませぬ。この分ではたちまち兵糧に詰まって来ると案じられますが」
建興九年の第二次祁山出陣以来、第三次、第四次と戦を重ねるごとに、つねに蜀軍の悩みとされていたのはこの兵糧と輸送の問題だった。
今や約三年の休戦に農を勤め、士を休め、かつて見ぬほどな大規模の兵力と装備を擁して、六度祁山へ出た孔明が、その苦い経験をふたたびここに繰り返そうとは思われない。
「いや、その事なら、近いうちに解決する。心配すな」
孔明は楊儀に言った。
その楊儀を始め蜀軍の諸将は、やがてある日、孔明に導かれて、葫蘆谷の内へ入る事を許された。
(ここ一ヵ月も前から何を工事しておられるのか?)と、前から怪訝っていた諸将は、その谷内がいつのまにか一大産業工場と化しているのを見てみな瞠目した。
何が製産されていたかといえば、孔明の考案にかかる「木牛」「流馬」と称ぶ二種の輸送機であった。
これに似た怪獣形戦車は、かつて南蛮遠征のとき敵陣の前にならべられたことがある。今度発明のものは、それを糧運専用の輜重車に改造されたものといえる。そしてそれは第二次、第三次出兵の折にも少しは試用されたが、効果が少ないので、その後三年の休戦中に、孔明が更に鋭意工夫を加え、ここに大量生産にかかる自信を持つに至った新兵器であった。
「動物の牛馬を使役すれば、牛馬の糧食を要し、舎屋や人手間が費る上、斃死、悪病に仆れる惧れもあるが、この木牛流馬なれば、大量の物を積んで、しかも食うことなく疲れることも知らない」
すでに無数に製造されていた実物を示して、孔明はその「分墨尺寸」――つまり設計図に就いても、自身いろいろ説明を加えて、諸将へ話した。
一体木牛流馬とは、どんな構造の物かを考えるに、後代に伝わっている寸法や部分的な解説だけでは、概念を知るだけでも、かなり困難である。『漢晋春秋』『亮集』『後主伝』等に記載されている所を綜合してみると、大略、次のごとき構造と効用の物であることがほぼ推察される。
木牛トハ、四角ナル腹、曲ガレル頭、四本ノ脚、屈折自在、機動シテ歩行ス。頭ハ頸ノ中カラ出ル、多クヲ載セ得ルモ、速度ハ遅シ。大量運搬ニ適シ、日常小事ノ便ニハ用イ難シ。一頭軽行スルトキハ一日数十里ヲ行クモ、群行スルトキハ二十里ニトドマル。
また、べつな書には――
曲ガレルハ牛ノ頭トシ、双ナルハ牛ノ脚トシ、横ナルハ牛ノ頸トシ、転ズルハ牛ノ背トシ、方ナルハ牛ノ腹トシ、立テルハ牛ノ角トシ、鞅(胸ノ綱)鞦(尾ノ綱)備ワリ、軸、双、轅(ナガエ)ヲ仰グ。人行六尺ヲ牛行相歩ス。人一年分ノ糧食ヲ載セテ一日行クコト二十里。人大イニ労セズ。
とも見える。
蜀中ニ小車アリ。能ク八石ヲ載セテ、一人ニテ推スヲ得べシ。前ハ牛頭ノゴトシ。マタ、大車アリ、四人ヲ用イテ、十石ヲ推載ス。蓋シ木牛流馬ニ倣エルモノカ。
これは『後山叢譚』の誌している所であるが、もちろん後代の土俗運輸をそれに附説したものであることはいうまでもない。いずれにしてもその機動力の科学的構造ははなはだ分明でないが、実用されて大効のあった事は疑われていない。
さて、この
輜重機が沢山に造られ出すと、蜀軍は右将軍
高
を大将として、続々木牛流馬隊を繰り出し、
剣閣から、
祁山へ、たちまち大重な兵糧の運輸が開始された。
蜀兵はその量を眺めただけで、勇気百倍した。反対に、魏の持久作戦は、根本的にその意義を覆さるるに至った。
ネ ジ
一
「張虎と楽綝か。早速見えて大儀だった。まあ、腰かけてくれ」
「懿都督。何事ですか」
「ほかでもないが、近ごろ、敵の孔明がたくさんに製らせたという木牛流馬なるものを、貴公等は見たか」
「いやまだ目撃しません」
「剣閣と祁山の間で、盛んに輸送に用いているというじゃないか」
「さようだそうです」
「彼に製れる物なら、その構造を見れば、わが陣でも製れぬことはない。ひとつ貴公等が協力して、斜谷の道に兵を伏せ、敵の輸送隊を襲撃して、その木牛流馬とかいう器械を四、五台捕獲して来ぬか」
「承知しました。御命令はそれだけですか」
「ほかに戦果を望まんでもよい。急に行ってくれ」
「お易い事です」
司馬懿の中営を出た二将は、すぐ軽騎隊一軍と歩兵一千をつれて斜谷へ赴いた。
三日ほど経つと、楽綝、張虎は目的の輸送機を奪って帰って来た。
司馬懿はそれを解体してことごとく図面に写し取らせ、陣中の工匠を呼んで模造させた。
尺寸長短、機動性能、すこしも違わないものが製作された。で、これを基本に数千の工匠を集め、夜を日に継いで増産させたので、たちまち、魏にも数千台の木牛流馬が備わった。
孔明はこれを聞くと、むしろ歓んで、
「それはわが思うつぼである。近日のうちに、大量の兵糧が魏から蜀へ贈り物にされて来よう」
と、言った。
七日ほど後、蜀の斥候が、一報を齎した。
千余輛にのぼる敵の木牛洗馬が隴西から莫大な糧米を積んで来るというのである。
「仲達のなす事は、やはり、我が思うところを出て居ないものであった」
孔明はすぐ王平を呼んだ。そして言うには、
「汝の持つ千騎の兵を、ことごとく魏の勢に変装させ、直ちに、北原を通って隴西の道すじへ向かえ。今から行けば、北原へかかるのは、ちょうど夜中になろう。さしずめ、北原を守る魏将が、何者の手勢ぞと、誰何するにちがいない。その時は、魏の兵糧方の者と答えれば難なく通過できよう。――そして、魏の木牛流馬隊を待ち伏せ、それを殲滅して、ただ千余輛の器械のみを曳いて、ふたたび北原へ引っ返せ。――北原には、魏の大将郭淮の城もある事ゆえ、今度は見のがさず邀撃して来るに相違ない」
これはなかなか困難な作戦である。折角、鹵獲した木牛流馬が、この場合には、味方の足手纏いになりはしまいか? と王平が眉をひそめていると、孔明は、
「さて、その時は、木牛流馬の口をひらき、舌に仕掛けてあるネジを回転して、皆そこへ捨て去ればよい。敵はそれを奪り回した事に依って、長追いもして来まい。――以後の作戦はなおべつの者に命じておくから」
と言いふくめた。王平はそう聞くと充分確信を得たもののように出て行った。次に呼ばれたのは張嶷であった。張嶷に対しては、こういう奇策が授けられた。
「汝は、五百の兵をもって、六丁六甲の鬼神軍に仕立て兵にはみな鬼頭を冠らせ、面を塗って妖しく彩らせよ。そして各々黒衣素足、手に牙剣をひっさげ旗を捧げ、腰には葫蘆をかけて内に硫黄煙硝をつめこみ、山陰にかくれて居て、郭淮の部下がわが王平軍を追いちらし、木牛流馬を曳いて回らんとする刹那に彼を襲え。必定敵は狼狽驚愕、すべてを捨てて逃げ去るにきまっている。で、その後に、全部の木牛流馬の口腔のネジを左に旋し、わが祁山へさして曳いて来い」
次には、姜維と魏延が、彼の前に呼ばれ、何事かまたべつな計をうけて去り、最後に馬岱、馬忠も一方の命令をうけて、これは渭水の南のほうへ馳け向かった。
すでにその日も暮れ、北原のかなた、重畳たる山山は、星の下に、黒々と更けて行った。
魏の鎮遠将軍岑威は、この夜、蜿蜒たる輜重隊を率いて、隴西の方から谷をめぐり山をかけて、真夜中までには、北原の城外まで行き着かんものと急いでいた。
すると、途中でいぶかしい一軍に出会った。蜀の牙門将軍王平隊なのである。けれどこの兵はみな魏勢に変装していたので、夜目ではちょっと判断がつかなかった。
二
岑威の軍は怪しんで、まず大声でたずねた。
「そこへ来た部隊は、どこの何者の手勢か」と。
すると、王平の偽装隊は、なおのろく近づいて来ながら、ようやくすぐ側へ来ると口々に言った。
「輸送方の者ですよ」
「輸送方とは即ちわれわれの事だ。汝等はどこの輸送方だ」
「きまっている。蜀の諸葛丞相の命をうけて運搬に来た者だ」
「何っ。蜀勢だと?」
仰天して立ち直ったが、そのとき魚の泳ぐように馬を速めて部隊の真ん中へ跳びこんで行った王平が、
「おれは蜀の牙門王平だ。岑威の首と、木牛流馬は残らず貰いうけたからそう思え」
と、一際目立つ魏の大将へ斬ってかかった。
彼が目がけた者は誤りなく敵将の岑威だった。岑威は狼狽して全隊へ何か号令を下していたが、王平と聞いて、更に胆をつぶし、獲物を揮って抗戦したが、たちまち王平の一撃に遭って、馬上から斬って落とされた。
不意ではあり、闇夜である。
ことに、戦闘力に弱点のある輜重隊なので、指揮官たる岑威が討たれると、魏兵は四分五裂して、逃げ散った。王平はすぐ、
「それっ。流馬を曳け、木牛を推せ」と部下を督した。千余輛の木牛流馬を分捕り、道を急いで、以前の北原へ引っ返して行った。
北原は魏の一基地である。ここの
塁壕を守る郭淮は、岑威の手下が敗走して来たことに
依って急変を知り、兵を

えて、蜀勢の帰る道を
扼していた。
王平は、そこまで来ると、
「ネジを転して逃げろ」と、予定の退却を命じた。
兵はいっせいに、木牛流馬の口中にある螺旋仕掛けのネジを右へ転じて逃げ去った。
郭淮は、兵糧の満載してある千余輛のそれを奪回して、まずよしと、城塁へ曳かせて帰ろうとしたが、もとより木牛流馬の構造や操作の法を知らないので、舌根のネジ仕掛けに気がつかず、ただ押してみたり曳っぱっているので、いくらどう試みても一歩も動き出さないのであった。
「はて。これはどうしたものだろう」と、ただ怪しみ疑っていると、たちまち一方の山陰から殷々たる鼓角が鳴りひびき妖しげな扮装をした鬼神軍が飛ぶように馳けて来た。
「すわやまた、孔明が神異を現わしたぞ」
と、魏勢はそれを見るや慄い恐れて皆逃げくずれた。鬼形の一軍はもとより蜀の姜維、魏延などで、ふたたび兵糧満載の木牛流馬をことごとく手に収め、凱歌をあげて祁山へ曳いて帰った。
一方、渭水の司馬懿は、この急変を早打ちで知ると、「安からぬ事よ」と、急に軍勢を催して、自身急援に赴いた。
ところがその途中には、蜀の廖化や張翼などが、手具脛ひいて待ち伏せていた。ためにその途中、彼の軍は手痛く不意を衝かれ、前後の旗本も散々に打ち滅ぼされてしまった。そして司馬懿はついにただ一騎となってしまい、闇夜を鞭打って方角も見さだめず、無我夢中で逃げ奔っていた。
廖化が見つけた。
「天の与え。こよいこそ、司馬仲達の首はわが手の物」と揉みに揉んで追撃した。
司馬懿は振り向いて、迫り来る敵影と、真っ先の廖化を見て、
「わが運の尽きは今か」と、身の毛をよだたせた。
すでに、廖化の剣は、彼のうしろに迫っていた。司馬懿は目の前にある喬木の根を繞って逃げた。それは十抱えもある大木だった。
廖化も大木を繞って追いまわした。司馬懿の運が強かったものか、廖化が馬上から振り下ろした一刀は、相手の肩を外れて、喬木の幹へ発矢と切りこんでしまった。あまりに勢いよく斬り込んだので、廖化が、
「しまった」と、喚きながら抜き戻そうとあせるうちに、司馬仲達は乗れる馬に一撃加えて、遠くの闇の裡へ逃げ去った。
三
「残念」
廖化は地だんだを踏んだ。そしてようやく刀を抜き外すと、再び、
「この機を逸して、いつの日か仲達の首を見ん」
と、なお諦めかねつ、その馬を乗りつぶすまで、司馬懿の行方を追いかけた。
けれど、仲達の姿は、ついにまた見ることができなかった。
ただ、途中、林の岐れ途で、一箇の盔を拾った。黄金作りの美々しいもので、紛れもなく敵の大都督の戦冠である。
「さては、東へさして、落ちたな――」と、廖化は部下を糾合して、直ちに、その方角を追撃させ、自身も東の道へ向かって行ってしまったが、いずくんぞ知らん仲達が逃げて行ったのは、反対の西の道だったのである。
これは仲達がわざと落として行ったもので、とうとうまたなきこの機会を空しく取り逃がしてしまったのは、彼のためにも、蜀軍のためにも、実に惜しいことをしたものというほかはない。
反対に、魏にとっては、この小さな一機智が、実に大きな倖せだったと言える。もしこの時、廖化が仲達の機智を見破って、
(盔を、東の道へ落としたのは、かえって、西の道こそ疑わしい)
となして、その方角へ、敵を追求して行ったとしたら、全戦局は一変して、後の蜀も魏の歴史もまったくあのように遺されて来なかったであろう。
しかし、歴史のあとを、大きく眺めるときは、いつの時代でも、いかなる場合にも、是を必然なる力と、人力を超えたあるものの力――いわゆる天運、または偶然と称ぶようなものとの二つに大別できると思う。
魏国の国運というものや、仲達個人の運勢も強かったことは、このときの一事を見ても、何となく
卜し得るものがあった。それにひきかえて、蜀の運気はとかく
揮わず、孔明の神謀も、必殺の作戦も、
些細なことからいつも

いちがって、大概の功は収め得ても、決定的な致命を魏に与え得なかったというのは、何としても、すでに
人智人力以外の、何ものかの運行に
依るものであるとしか考えられない。
さて、司馬懿は、日ごろ、ふかく戒めながら、またも孔明の策略にかかって、おびただしい損傷を自軍にうけたが、
「これは、よくよく考えると、孔明の計に乗るというよりは、毎度、自分の心に惑って、自ら計を作っては、その計に乗っているようなものだ。孔明に致されまいとするなら、まず自分の心に変化や惑いを生じないように努めるに限る」と、まったく自戒の内に閉じ籠って、ひたすら守勢を取り、鉄壁に鉄壁をかさねて、攻勢主義の敵に、手も足も出せないような策を立てた。
一面、蜀軍の方は、
「戦えばいつもこの通りだ」
と、非常に気勢を昂げていた。廖化は、持ち帰った仲達の盔を孔明に示して、
「かくの通り、彼が盔を捨てて逃げ惑うほど、追いつめ追いつめ、こッぴどく懲らしめてくれました」
と、大いに功を誇れば、姜維、張嶷、王平なども、それぞれその夜の功を称えて、
「木牛流馬一千余車。それに積んだ糧米だけでも二万二、三千石は鹵獲いたしました。これで当分、軍糧は豊かです」と、各々、勇み矜らぬはなかった。
「そうか。よくこそ」と孔明は、それから各自の者へ向かって、賞辞と宥りを惜しまなかった。けれど彼の心中には、拭いきれない一抹のさびしさがあった。
いまもしここの陣に、関羽のごときものがいたら、こんな小戦果をもって、誇りとするのはおろか、到底、満足はしなかったろう。かえって、(丞相からこれほどの神謀を授かりながら、肝腎な司馬懿を取り逃がした事は、なんとも無念であります。申し訳もありません)
慚愧叩頭して、その罪を詫びて止まないに違いない。(ああ、関羽亡し、張飛なし、また幾多の旧幕僚もいつか減じて、ようやく、蜀中人は居なくなった)
口には出さないが、孔明の胸裡にある一点の寂寥というのは実にそれであった。彼には科学的な創造力も尽きざる作戦構想もあった。それをもって必勝の信ともしていたのである。けれどもただ、蜀陣営の人材の欠乏だけは、いかんとも是を補うことができなかった。
豆を蒔く
一
自国の苦しいときは敵国もまた自国と同じ程度に、あるいはより以上、苦しい局面にあるという観察は、たいがいな場合まず過りのないものである。
その前後、魏都洛陽は、蜀軍の内容よりは、もっと深刻な危局に立っていた。
それは、蜀呉条約の発動に依る呉軍の北上だった。しかもそれはかつて見ないほど大規模な水陸軍であると伝えられたので、
「魏の安危はこのときにあり」となして、魏帝曹叡は急使を渭水に派して、この際、万一にも、蜀に乗ぜられるような事態を招いたら、それは決定的に魏全体の危殆を意味する。いよいよ守るを主として、必ず自ら動いて戦うなかれ――と、司馬懿へ厳命した。
一面、曹叡は、時局の重大性に鑑みて、
「いまは坐してこれが収拾を俟って居てよいような事態ではない。先帝の経営と幾多の苦心に倣い、朕も親しく三軍を率い、自ら陣頭に立って、呉を撃滅し尽くさなければ止まないであろう」
劉邵を大将として、江夏の方面へ急派し、田予に一大軍をさずけて襄陽を救わせた。そして曹叡みずからは、満寵その他の大将を従えて、合淝の域へ進出した。
この防呉作戦に就いては、叡帝親征の事が決まる前に、その
議でも大いに議論のあった所であるが、結局、先帝以来、不敗の例となっている要路と作戦を踏襲することになったものである。
先陣に立った満寵は、巣湖の辺まで来て、はるかかなたの岸を見ると、呉の兵船は、湖口の内外に、檣頭の旗をひるがえして、林のごとく密集していた。
「ああ旺なものだ。魏と蜀は、ここ連年にわたって、祁山と渭水に、莫大な国費と兵力を消耗して来ているが、呉のみは独りほとんど無傷である。加うるに江南以東の富力を擁し、充分、両国の疲弊を窺ってこれへ大挙して来たものとすれば、これは容易なことでは撃攘できまい」
いささか敵の陣容に気を呑まれたかたちの満寵は、大急ぎで駒を引っ返し、曹叡の前にもどってこの由を復命した。
曹叡はさすがに魏の君主だけあって大気である。満寵の言を聞くとむしろ笑って言った。
「富家の猪は脂に肥え、見かけは強壮らしいが、山野の気性を失って、いつの間にか鈍重になっている。――我には、西境北辺に、連年戦うて、艱苦の鍛えをうけた軽捷の兵のみがある。何をか恐れん」
と、直ちに、諸将をあつめて、軍議をこらし、その結果、
(敵の備え無きを打つ)と、奇襲戦法をとることになった。
驍将張球は、もっとも壮な軽兵五千をひっさげて、湖口より攻めかかり、背には沢山の投げ炬火を負わせて行った。また満寵も、同じく強兵五千を指揮し、その夜二更、ふた手にわかれて、呉の水寨へ近づいた。
埠頭も、湖上も、波しずかに、月は白く、鴻の声しかしなかったが、やがて一時に、波濤天を搏ち、万雷一時に雲を裂くような喊声が捲き起こった。
「夜襲だ」
「魏勢が渡って来た」
呉軍はあわてふためいた。曹叡が観破したとおり、彼はあまりにその重厚な軍容のうちに安心していたのである。刀よ、物の具よ、櫓よ櫂よ、と騒ぎ合ううちに、火雨のごとき投げ炬火が、一船を焼きまた一船に燃えうつり、またたく間に、水上の船影幾百、大小を問わず、焰々と燃え狂わざるなき狂風熱水と化してしまった。
この手の呉の大将は諸葛瑾であった。赤壁以来、船団の火攻めは、呉が奥の手としているものなのに、不覚にも、呉はこの序戦において、かく大失態を演じてしまったのである。一夜の損傷は、武具、兵糧、船舶、兵力にわたって、実に莫大なものを失った。敗将諸葛瑾は、ついに残る兵力を沔口まで退いて、味方の後軍に救援を求め、魏軍は、
「幸先よし」
と、勇躍して、更に次の作戦に向かって、満を持していた。
二
蜀の孔明、魏の仲達、これに比する者を呉に求めるなれば、それは陸遜であろう。
陸遜は、呉の総帥として、その中軍を荊州まで進めていたが、巣湖の諸葛瑾が大敗した報をうけて、「これはいかん――」と、早くも当初の作戦を一変して、新たな陣容を工夫していた。
魏の出撃が、予想以上迅速で、かつその反抗力の旺盛なことも、彼のやや意外としたところであった。
「連年あれほど渭水で、軍需兵力を消耗していながら、なおこれだけの余力を保有しておるか」
と、底知れない魏の国力に、今更ながら愕いた。
「序戦に敗れたのは、諸葛瑾の科というよりは、むしろ呉人の魏国認識が足らなかったものといえる」
陸遜は、表をもって、呉帝に奏した。それは今、新城へ攻めかかっている味方をして、魏軍のうしろへ迂回させ、敵曹叡の本軍を、大きな包囲環のうちに取り囲もうという秘策だった。
初め、陸遜も諸葛瑾も、魏の主力は、おそらく新城の急に釣られて、その方面へ全力を向けるだろうと思っていたのである。この予想外れが、巣湖の一敗となり、陸遜の作戦変更を余儀なくして来た一因でもある。
ところが、どうした事か、この第二段の新作戦も、その機密が、敵側へ洩れてしまった。
諸葛瑾は、沔口の陣地から陸遜へ書翰を送って、
「いま、味方の士気は弱く、反対に、魏軍の気勢は、日々強く、勢い侮り難いものがある。かてて加えて、士気の紊れより、とかく軍機も敵側へ漏れ、事態、憂慮にたえぬものがある。ここは一応本国に引き上げて、更に陣容をあらため、時を窺って、北上せられてはいかに」
と、半ば困憊を訴え、半ば自己の意見を献言して来た。
陸遜は、使いの者に、
「諸葛瑾に伝えるがいい。あまりに心を労さぬがよいと。そのうち、自からわれに計もあれば」
といった。
しかし、それだけの伝言では、諸葛瑾はなお安んじきれない。使いの者にいろいろ訊ねた。
「陸都督の陣地では、軍紀正しく、進撃の備えをしておるのか」
「いや、申しては恐れありますが、軍紀ははなはだ紊れ、上下怠りすさんで、用心の態すら見えません」
「はて、進まず、防がず、いったいいかなる思し召しだろう」
正直な瑾は、いよいよ不安を抱いて、次には、自身出かけて陸遜へ会いに行った。
見るとなるほど、諸軍の兵は、陣外を耕やして、豆など蒔いているし、当の陸遜は、轅門のほとりで、諸大将と碁を囲んでいた。
「これは平和な風景だ」
瑾はいささかあきれた。そして夜宴のあとで、陸遜と二人きりになったとき、切に、味方の態勢と、魏の勢いとを比較して、彼の善処を促した。
「いや、仰せの通りだ」
陸遜は率直に彼のいうことを認めた。そして、
「自分もここは一度退くべきときと考えているが、退軍万全を要する。急に退くときは、魏はこの機会に呉楚を吞まんと、大追撃を起こして来るかも知れない。......さればとて積極的に出ようとしたわが秘策は敵に漏れた故、曹叡を包囲中に捕らえる手段も今は行なわれない」
と、飾り気なく語った。
しかし囲碁に閑日を消していることも、兵に豆を蒔かせていることも、もちろん、彼が魏をあざむく偽態であったことはいうまでもなく、魏は、それを窺って、陸遜軍がなお年を越えるまで、この地方に長陣を決意しているものと観察していたところ、やがて、諸葛瑾が沔口に立ち帰ると間もなく彼の水陸軍も、陸遜の中軍も、一夜のうちに、長江の下流へ急流のごとく引き揚げてしまった。
「陸遜はまことに呉の孫子だ」
あとでそれを知った魏帝曹叡は舌を巻いて賞めた。魏は更に、後続軍の新鋭を加えて、呉の脆弱面を徹底的に破砕すべく二次作戦を計っていたところだったのである。瞬前に、網から外れた鳥群を見送るように、曹叡は残念に思い、またその敏捷な退軍ぶりを、敵ながら鮮やかなり、と嘆賞したのであった。
七 盞 燈
一
呉は、たちまち出て、たちまち退いた。呉の総退却は、呉の弱さではなく、呉の国策であったと言ってよい。
なぜならば、呉は、自国が積極的に戦争へ突入する意志をもともと持っていないのである。蜀をして魏の頸を咬ませ、魏をして蜀の喉に爪を立たせ、両方の疲れを見くらべていた。
しかも、蜀呉条約というものがあるので、蜀から要請されると無礙に出兵を拒むこともできない。――で、出兵はするが、魏へ当たってみて、
「これはまだ侮れぬ余力がある――」と観たので、陸遜は、巣湖へ捨てた損害のごときはなお安価なものであるとして、さっさと引き揚げてしまったものであった。
それにひきかえて蜀の立場は絶対的である。小安を貪って守るを国是となさんか、たちまち、魏呉両国は慾望を相結んで、この好餌を二分して頒かたんと攻めかかって来るや必せりである。
坐して亡ぶを俟たんよりはと、出でて蜀の活路を求めんとせんか、それは孔明の唱える大義名分と現下の作戦以外には、絶対にほかに道はないのだった。
かくて祁山、渭水の対陣は、蜀の存亡にとっても、孔明一身にとっても今は宿命的な決戦場となった。ここを退いて蜀の生きる道はない生命線であったのである。
近ごろ、魏の陣営は、洛陽の厳命に依って、まったく守備一方に傾き――、みだりに敵を刺戟し、令なく戦線を越ゆる者は斬らん。
という厳戒まで諸陣地へ布令ていた。
うごかざるを討つは至難である。孔明も計の施しようがなかった。
しかし彼は無為にとどまっていなかった。その間に、食糧問題の解決と、占領地の宣撫にかかった。
屯田兵制度をつくり、兵をして田を作らせ、放牧に努めさせた。けれどその屯田兵は、すべて魏の百姓に立ち交じって、百姓の援けをなすものということを原則として、収穫は、百姓がまず三分の二を取り、軍はその一を取るという規則であった。
一、法規以上を追求して、百姓に苛酷なる者。
一、私権を振る舞い、百姓の怨嗟をかい、田に怠りの雑草を生やす者。
一、総じて、軍農のあいだに、不和を醸す者はこれを斬る。
この三章の下に、魏農と蜀兵の協和共営が土に生まれ出した。ひとつ田に、兵と百姓とは
脛を
埋めて苗を植えた。働く蜀兵の背中に負われている
嬰ン
坊を見ると、それは魏の百姓の子であった。
畦や畑や開墾地で、共に糧を

い湯を沸かして兵農一家のごとく、
睦み合っている
団欒も見られた。随所にこうしたほほ笑ましい風景が稲や麦の穂と共に成長して来た。
「近ごろ、祁山のあたりでは、みな業を楽しんでいるそうだよ」
各地へ逃散していた百姓は、孔明の徳を伝え聞いて、続々、この地方へ帰って来た。
こういう状況をつぶさに見て来た司馬懿の長男の司馬師は、ある日、父の籠居している営中の一房を覗いて、
「おいでですか」と、入って来た。
仲達は、読みかけていた書物を几に置いて、息子の顔を仰いだ。
「おう師か。四、五日見えなかったが、風邪でもひいたか」
「父上。ここは戦場でしょう」
「そうじゃったな」
「風邪ぐらいで寝込んでいられる今日でもなし場所でもありません。――土民に変装して、敵地の状況を視察して来たのです」
「それはよい事をした。どうだな。蜀勢の情況は」
「孔明は長久の策をたてています。魏の百姓はみな家に帰り、蜀兵と睦み合うて、共に田を作っております。要するに、渭水から向こうの地方は日々、蜀の国土となりつつある実状。父上もそれは御存じでしょう。一体、なぜ魏軍はこれほどの大軍を擁しながら、空しく戦わずにいるのですか。私には解せません。......きょうはそれをお伺いに来たわけです」
若い司馬師は、こうつめ寄って、戦場では父子の妥協もゆるされないというような顔いろを示した。
二
「いや、わしも思わぬことではないが......。いかんせん、固く守って攻めるなかれ、という洛陽の勅命じゃ。勅に背くわけにゆかん」
司馬懿が苦しげに言い訳するのを、息子の司馬師は擽ったいような微苦笑に受けて、
「しかし父上。麾下の将士は皆、さようには解しておりませんよ。洛陽の指令はいつでも保守的な安全主義ときまっておるのですからな」
「ではなんと解しておるか」
「やはり大都督たる父上自身が孔明に圧倒されて、手も足も出ない恰好になったものだと思っておりましょう」
「それも事実じゃ。わが智謀は到底、孔明に及ばん」
「智ある者は智を用い、智なき者は力を使う――とか言うではありませんか。魏軍百万は蜀軍に約三倍する兵力です。この大兵と装備と地理を擁しながら、日々呻吟籠居して、将士を倦み怒らせているのは一体いかなるお心なので――」
「勝算がない。いかに心を砕いても、孔明に勝ち得る虚が見出せんのじゃ。正直、今のところ、わしはただ、負けぬ事に努めるだけで精いっぱいだ」
「ははあ。父上もすこし御疲労気味とみえますな」
司馬師もそれ以上は、父の懊悩を見る気になれない。胸中の不満は少しも減じなかったが、やむなくそのまま引き退がった。
それから数日の後である。陣前の兵が何かわいわい騒いでいる。河岸の斥候が何事か報らせて来たらしく、将士が陣を出て一方を眺めていた。
「何を見ているのか」
司馬師も行って見た。なるほど、渭水の向こう岸に、一群の蜀兵がこなたへ向かって何事か喚いている。大勢の真ん中に、旗竿をさしあげているのだ。竿の先には、燦爛たる黄金の盔をさし懸け、それを振り廻して、児戯のごとく、悪口を吐いているものもあった。
「魏の勢ども。これは何か知っておるか」
「汝等の都督、司馬仲達の盔であるぞ。先ごろの敗北に、途に取り落として、命からがら逃げおったざまの悪さといったらない」
「口惜しくば、鼓を鳴らして取り返しに来い」
「いや、来られまい、腰抜け都督の手下どもでは」
曝し物の盔を打ち振り、手を打ち叩いて動揺めき笑う。
司馬師は歯がみをした。諸将も地だんだ踏んで、営中へ帰るや否、司馬懿の所へ押しかけた。そして蜀兵の悪口雑言を告げて、早々一戦を催し、敵を打ち懲らさんと口々に迫った。
司馬懿は笑って居るだけだった。そして呟くように言う。
「聖賢の言を思い出すがよい。――小サキヲ忍バザル時ハ大謀モ乱ル――とある。いまは守るを上計とするのだ。血気の勇を恃んではいけない」
かくのごとく彼は動かず逸らずまた乗じられなかった。これには蜀軍もほとほとあぐねたらしく見える。慢罵挑発の策もそのうちに止めてしまった。
ここ数ヵ月、葫蘆谷に入って、孔明の設計にかかる寨、木柵などの構築に当たっていた馬岱は、ようやく既定工事の完了を告げたとみえて、孔明の許へその報告に来ていた。
「おいいつけの通り、谷のうちには数条の塹壕を掘り、寨の諸所には柴を積み、硫黄煙硝をあちこちにかくし、地雷を埋め、火を引く薬線は谷のうちから四山の上まで縦横に張り繞らして、目には見えぬように充分注意しておきました」
「そうか。すべて予が渡しておいた設計図に違いはあるまいな」
「遺漏はございませぬ」
「よし。司馬懿を引き入れて百雷の火を馳走せん。汝は、葫蘆谷のうしろの細道を切りひらいて隠れ、司馬懿が魏延を追うて、谷間へ馳け入ったとき、伏せ勢を廻して、前なる谷の口を封鎖せい。ひとたび、一火を投じれば、万山千谷、みな火となって震い崩れ、司馬懿全軍、地底のものとなるであろう」
三
馬岱が退出すると、次に魏延を呼び入れ、また
高
を招いて、何事か秘議し、そして命を授けては、各方面へさし向けるなど、孔明の
帷幕には、ようやく、
活潑な動きが見られた。
のみならず孔明の容子には、
(このたびこそ、司馬懿を必殺の地へ引き入れて、一挙に年来の中原制覇を達成しなければならぬ)とする非常な決意がその眉にもあらわれていた。
彼はようやく年は五十四。加うるにその
身は生来決して
頑健ではない。かつまた、蜀の内部にも、これ以上、勝敗の
遷延を無限の
対峙にまかせて
措けない事情もある、
盤石のごとく動かない魏軍に対して、孔明がここにやや
焦躁の気に駆られていたことは否めない事実であったろう。
やがて、彼自身も一軍を編制して、自ら葫蘆谷方面へ向かった。移動するに先だって、彼は残余の大軍にたいして、
「各位は、心を一つにして、ただよくこの祁山を守れ。そして、司馬懿の麾下が攻めて来たときは、大いに詐り敗れ、司馬懿自身が襲せて来たと見たら、力闘抗戦して、その間隙を測り、渭水の敵陣へ迂回して、かえって敵の本拠を衝け」
こう訓示したのち、仔細に作戦を指令して去った。そして彼は、その本陣を葫蘆谷の近くに移したのであるが、そこで布陣を終わると、谷の後ろへ廻れと、さきに急派しておいた馬岱を再び呼んで、こういう秘命をさずけた。
「やがて戦端が開かれたら、谷を囲む南の一峰に、昼は七星旗を立て、夜は七盞の燈火を明々と掲げよ、司馬懿を引き入れる秘策ゆえ、切に怠らぬようにいたせ。汝の忠義を知ればこそ、かかる大役も申しつけるのだ。我が信を過たすなよ」
馬岱は感激して帰った。
魏軍、これらの蜀陣のうごきを、見のがしはしなかった。
夏侯恵、夏侯和の二人は、さっそく司馬懿を説いていた。
「ぜひ、われ等両名を、出撃させて下さい。今ならば、蜀軍の弱点をついて、彼の根拠を粉砕し得る自信があります」
「どうして? ......」と、相かわらず仲達は気乗り薄な顔つきである。
「しびれを切らして、蜀の陣地は、意味なき兵力の分散を行なっています」
「あははは。それは計だよ」
「都督はどうしてそのように、孔明を恐れるのですか」
「怖るべき者には怖れる。わしはそれをべつに恥ずかしいとは思わん」
「しかし、天与の機会も見過ごしてのべつ引き籠っておられては、そのお言葉の深さも御信念も疑わずにいられません」
「今が、それほど、絶好な機会だろうか」
「もちろんです。蜀軍が葫蘆の天嶮に、久しい間、土木を起こしていたのは、不落の大基地を構築するためであったに違いない。また、蜀兵が祁山を中心に、広く田を耕やし、撫民と農産に努めていたのは、自給自足の目的でなくて何でしょう。その自給と長久策が、今や完成しかけたので、孔明もその拠地を、徐々祁山から移し始めたものに違いないのです」
「ム。なるほど」
「人工と天嶮で固めた葫蘆盆地へ移陣し、食糧にも困らなくなった後は、もう再び彼を撃とうとしても到底、不可能でしょう。祁山をもって、前衛陣地とし、葫蘆をもって、鉄壁の城寨となした上は......」
「君たちは、予の側らにおれ。べつな者を向けてみよう」
司馬仲達は、急にそう言って、夏侯覇、夏侯威の二将を呼んだ。そして兵一万を、ふた手に分け、蜀陣へ向かえと、攻撃を命じた。
二将は、電撃的に、祁山へ進撃した。しかし、その途中で、蜀の
高
が率いる輸送隊にぶつかったので、戦いは、
嚝野の遭遇戦に始まった。そして魏軍は多くの
木牛流馬と蜀兵の捨てて逃げた馬具、金鼓、旗さし物などを沢山に
鹵獲したのち、
凱歌賑やかに帰って来た。
水 火
一
魏軍の一部は、次の日も出撃を試みた。その日も若干の戦果を挙げた。
以来、機を窺っては、出撃を敢行するたびに、諸将それぞれ功を獲た。その多くは、葫蘆の口へ兵糧を運んでゆく蜀勢を襲撃したもので、糧米、輸車、その他の鹵獲は、魏の陣門に山積され、捕虜は毎日、数珠つなぎになって送られて来た。
「捕虜はみな放して返せ。かかる士卒を殺したところで、戦力を失う敵ではない。むしろ放ち返して、魏の仁慈を蜀軍のうちに言い触らしめた方がよい」
司馬懿は惜し気なく捕虜を解いて放した。ここ久しく合戦もなく、長陣に倦み、功名に渇していた魏の諸将は、われもわれもと司馬懿のゆるしを仰いで戦場へ飛び出した。そして各々功を競い、またかならず勝って帰った。そういう連戦連勝の日が約二十日余りもつづいた。
「――出て戦えば、勝たぬ日はない」
近ごろでは、それが魏の将士の通念になっていた。実際、往年のおもかげもないほど蜀兵は弱くなっている。要するに、この原因は多くの兵を農産や土木や撫民に用い過ぎた結果、軍そのものの本質が低下したにちがいない。また陣地移動に依る兵力分散も、弱体化の因をなしているものであろう――と魏軍では観ていた。
この観測は、いつのまにか、司馬仲達の胸にも、合理化されていた。仲達がこのごろ、はなはだ心楽しげでいる容子を見ても、それと察せられるのである。
「戦況は有利に展けて来た」
彼は、ある日、捕虜の中に、蜀の一部将がいるのを見て、自身調べた結果、心から左右にそう語っていた。
その虜将の口述に依って、孔明のいまいる陣地も明確になった。
葫蘆谷の西方十里ばかりの地点にいて、目下、谷の城寨の内へ数年間を支えるに足る大量な食糧を運び込ませているわけであると言う。
「量るに、祁山には、孔明以外の諸将が、わずかに守っているに過ぎまい」
彼はついに戦いの主動性を握って自身奪い起った。祁山総攻撃の電命は久しく閉じたる帷幕からものものしく発せられたのである。
時に息子の司馬師が父の床几へ向かって言った。
「なぜ孔明のいる葫蘆を攻めずに、祁山を攻めるのですか」
「祁山は蜀勢の根本だ」
「しかし孔明は蜀全体の生命ともいえましょう」
「――だから大挙して祁山を襲い、わしは後陣として続くが、実は、不意に転じて、葫蘆谷を急襲し、孔明の陣を蹴やぶり、谷中に蓄えている彼の兵糧を焼き払う考えなのじゃ。兵機は密なる上にも密を要す。あまりに問うな」
「さすがはお父上」と、息子達はみな服して、父の計を称えた。
司馬懿はまた張虎、楽綝などを呼んで、
「自分は、後陣としてゆくが、汝等はなお我が後から続いて来い。なお硫黄煙硝を充分に携えて来るように」といいつけた。
孔明は日々、葫蘆の谷口に近い一高地に立って、はるかに、渭水と祁山の間を見ていた。約一ヵ月近くも、彼は味方の敗け戦のみを眺めていたわけである。
その危険なる中間地帯を
高
の輸送隊がのべつ往還して、わざわざ敵の
好餌となっていたのも、祁山の兵が、戦えば敗れ、戦えば敗れている蜀勢も、もとより彼の意中から出ている現象で、彼の憂暗となるものではなかった。
その日。――かつて見ない大量なる魏の軍馬が、またかつて見ざる陣形をもって一団一団、さらにまた一軍また一軍と、祁山へさして、堂々と前進してゆくのが遠く眺められた。
「おうっ......。仲達がついに行動し出した」
孔明は思わずさけんだ。声は口のうちであったが語気はその面を微紅に染めた。待ちに待っていたものである。彼は直ちに左右のうちから一将を選んで伝令を命じ、かねて申し含めておいた事どもを怠るな、夢うたがうなかれと、祁山の味方へ急速に言って遣った。
二
渭水の流れも堰かれるほど、魏の軍馬はいちどに浅瀬へ馳け入った。一ヵ所や二ヵ所ではない。蜀軍はもちろん逆茂木を引き、要所要所は防寨で固めている。しかし、敵の上陸はそれを避けて行なわれる。一部を防げば、一部から馳せ上って来る。またたくうちに、渭水一帯の水煙はことごとく陸地に移り、蜀兵は算を乱して、祁山の裾からまたその山ふところの陣営へ潰走してゆく。
「多年、患いをなした蜀の根を断つは、今日にあるぞ」
司馬懿の指揮も常の彼とは、別人のようであった。天魔鬼神も何かあらんのすがただった。
ために魏軍の士気は、実に旺盛を極めた。鼓角は天地を震わせ、千万の刃影は草木を伏せしめた。この日、風は強く、河水は霧となって舞い、その霧は迅い雲と化って、祁山の山腹へぶっつかって行き、喚声雷呼のうちに、逸くも、血を呼び、屍を求めまわる。
蜀軍は祁山に拠って以来の猛攻撃につつまれた。到る所、屍に屍を積むの激戦が行なわれた。魏は当然大量な犠牲も覚悟のうえの総がかりなので、馬の蹄も血しおで辷るような難攻の道を、踏み越え踏み越え中核へ肉薄した。
「今だ。続いて来い」
こういう乱軍を予想して、司馬仲達は中軍のうしろから突然方向を変えて葫蘆谷の方へ急いだ。仲達の目標は初めからここではない。彼の跡を慕って張虎、楽綝の二隊がつづいた。また彼の周囲には、中軍の精鋭約二百ばかりと、司馬師、司馬候のふたりの息子がかたく父に寄り添っていた。
祁山の蜀兵は、目に余る魏軍に肉薄されて、その防ぎに忙殺され、かくとは少しも気づかぬもののようであったから、司馬父子とその奇襲部隊は、
「作戦は思うつぼに運んだぞ」と、疾風のごとく目的の方角へ馳け向かっていた。その途中幾回となく、蜀兵が阻めた。しかし何の備えもなく狼狽のまま立ち向かって来るに過ぎなかった。二、三百の小隊もあり七、八百の中部隊もあった。もとよりその程度のものでは、鎧袖一触の値すらない。
蹂躙、また蹂躙。司馬父子の前には、柵もなく兵もなく矢風もない。ここは敵地かと疑われるぐらいである。まさに、無人の境を行くがごとき迅さと烈しさであった。
すると、やや強力な圧力が、南方から感じられた。鼓躁、喊声、相当手ごたえのありそうな一軍だ。果たして、
「おのれ、どこへ」
と、雷喝しながら、前方に立ちはだかった大将と一軍を見れば、蜀中に猛将の名ある魏延であった。
「望むところの敵よ」と司馬懿の二子と、旗本の精鋭は、一団となって、彼の出鼻へ跳びかかって行った。司馬懿も、龍槍をしごいて、魏延の足もとへ喚き進んだ。
魏延は奮戦した。さすがにこれは強い。一進一退が繰り返されるかと見えた。けれど、司馬懿のうしろにはなお楽綝、張虎の二軍がつづいている。その重厚と、すさまじい戦意に圧されて、たちまち逃げ出した。
「追えや、遁すな」
この日ほど、司馬懿が積極的に出たことは稀である。彼も、ここぞと、必勝の戦機を見さだめれば決して保守一点張りの怯将でないことはこれを見てもあきらかである。
はや葫蘆谷の特徴ある峨々たる峰々も間近に見えた。魏延は敗走する兵を立て直すと、ふたたび鼓躁を盛り返して抗戦して来た。そしてそのたびに、若干の損害を捨てては逃げた。無念無念と、追いつめられてゆく姿だった。
けれどこれも孔明の命に依ることであることは言うまでもない。ついに彼は、甲盔まで捨てて谷の内へ逃げこんだ。そして、かねて孔明から言われていたところの、
(昼は、七星の旗、夜は七盞の燈火の見える方へ――)
という指令の目印に従って奔った。
「待て。――ここの地形はいぶかしい」
谷の口まで来ると、司馬懿は急に馬を止めて、逸る旗本どもや二人の子をうしろに制した。
そして、左右の者に、
「だれぞ二、三騎で、谷のうちを見とどけて来い」と急に命じた。
三
旗本数騎、すぐ谷の口へ馳け入った。大勢が馬首を並べては通れないような隘路である。
「見て参りました」
すぐ戻って来た面々は、司馬懿にむかって、こう状況を告げた。
「谷のうちを見わたすに諸所に柵あり壕あり、また新しき寨門や糧倉などは見えますが、守備の兵はことごとく南山の一峰へ逃げ退いているようです。はるかそこには、七星の旗も見えますから、おそらくは孔明も、逸早く谷外の本陣をかなたへ移したものと思われます」
聞くと司馬懿は、鞍つぼを打ちたたいて、こう命令した。
「敵の兵糧を焼き尽くすは今だ」
蜀軍の致命はただ糧にある。孔明が久しく蓄えたここの穀穴だに焼き尽くせば、蜀軍数十万を殺すに何の刃を要そうや。
「――馳け入って存分に火を放ち、直ちに疾風のごとく引っ返せ」
二子の司馬師、司馬候も、父の𠮟咤を聞き、この英姿を見るや、勇躍して、
「それっ、続け」
と一道の隘路を混み合って続々谷のうちへ突進した。
「や、や。なおあれに、魏延が刀を横たえて控えておる。しばらく進むな」
仲達はうしろに続く面々へ再び馬上から手を振って制した。
かなたに魏延の一軍が見えたことも懸念になったし、なお彼をたじろがせたものは、附近の穀倉や寨門に添うておびただしく枯れ柴の積んであることだった。
本来ならば蜀軍自身、「火気厳禁」の制を布いていなければならない倉庫の附近に、燃え易い枯れ柴などが山となって見えるのは何故だろうか。さきに見届けに入った旗本たちにはその不審がすぐ不審と感じられなかったのは是非もないが、司馬懿の活眼はそれを見遁しできなかった。
「何の怖るる敵でもなし、われわれが当たって、魏延を蹴ちらす間に、お父上は軍勢を督して、谷中へ火を放ち、すぐ外へお引き上げ下さい」
司馬師と侯の兄弟が逸り切るのを仲達はなお抑えて、
「いや待て。いま通って来た隘路こそ危ない。谷のうちで動いておるうちに、万一、蜀の一手が、あの谷口を塞ぎ止めたら我は出るにも出られない破滅に墜ち入ろう――。過った。師よ、候よ、早く外へ引っ返せ」
「えっ、空しく?」
「早く戻れ。あれあれ、なお多くの兵が争うて続いて来る。大声あげて、返れと呼ばわれ。戻れと号令しろ」
そして司馬懿自身も、声かぎり、後ろへ返せ、元の道へと、鞭振りあげて制したが、到底、勢いづいて雪崩れこんで来る後続部隊までには、容易に指令が届かない。
その混雑のうちに、何とはなく、急に異臭がつよく鼻をついて来た。
眼にも沁む。喉にも咽せる。
「やや。何の煙だ?」
「火を放つな。火を放ってはならぬぞ」
しかし――火を放った者は魏軍のうちにはいない。それどころか、命令の混乱で、馳け込んで来る者、引っ返そうとする者、谷口の一道で渦巻いている騒ぎである。
時こそあれ、一発の轟音が谷のうちに谺した。――と思うと、隘路の壁をなしている断崖の上から、驚くべき巨大な岩石が山を震わして幾つも落ちて来た。あわれや馬も人もその下になった者は悲鳴すら揚げ得ずに圧し潰がれてしまう。そしてたちまち、その口は、累々たる大石に大石を重ねて封鎖されてしまった。
いやその程度はまだ小部分の一事変でしかない。四方の山から飛んで来た火矢は、いつのまにか、谷中を火の海となし、火に趁われて逃げまわる司馬懿仲達以下、魏軍の馳け狂うところ、たちまち、地を裂いて、爆雷は天に冲し、木という木、草という草、燃え出さないものはなかった。
四
魏の兵は大半焼け死んだ。火に狂う奔馬に踏まれて死ぬ者もおびただしかった。火焰と黒煙の谷の底から、阿鼻叫喚が空にまで谺した。
この有様を見て、
「計略は図にあたった。さあ、立ち退こう」
と、心地よげに、谷口へ向かって行ったのは、司馬懿軍をここへ誘い入れた魏延だった。ところが、すでに谷口は塞がれていたので、その魏延までも、逃げる道を失ってしまった。
「これはひどい。俺が出た合図も見ぬうち、谷口を塞ぐとは何事か」
魏延はあわてた。彼の部下も火に趁われて、次々に仆れた。彼の甲にも火がついて来た。
「さては、孔明の奴、日ごろの事を根に持って、俺までを、司馬懿と共に殺そうと計ったにちがいない。無念、ここで死のうとは」
彼は、髪逆だてて、罵りやまなかった。
そのころ、当然、谷中は熱風に満ちて、はや生ける人の叫びすら少なくなっていたが、司馬懿父子は三人ひとつ壕の中に抱き合って、
「ああ、われら父子もついに、ここで非命の死をうけるのか」と哭げきかなしんでいたが、なおこの父子の天運が強かったものだろうか、時しも沛然として大驟雨が降って来た。
ために、谷中の大火もいちどに消えてしまった。そして、濛々たる黒霧がたちこめ、霧を吹き捲く狂風に駆られて、ふたたび紅い火が諸所からチロチロ立ち始めると、また、驚くべき雨量が地表も流すばかり降りぬいて来る。
「父上。父上」
「おお侯よ。師よ。夢か」
「夢ではありません。天佑です。私達は生きています」
「やれ。助かったか」
父子三人は壕の中から這いあがった。そして、どこをどう歩いたか、ほとんど、意識もなく、死の谷間から外へ出た。
馬岱の小勢がそれを見つけ、まさか司馬懿父子とも思わず追いかけて行ったが、そのうちに魏の一部隊が来たので、つまらぬ者を追っても無用と引き返してしまった。かくて司馬懿父子は完全に命びろいをした。彼の出会った味方の部隊の中に張虎、楽綝の二将も救われていた。
渭水の本陣に帰ってみると、ここにも異変があって、東部の一陣地は蜀兵に占領されている。それを撃退せんものと、魏の郭淮、孫猛などの一軍が、浮き橋を中心に、激戦の最中であった。
しかし司馬懿を擁した一軍が、一方からこれへ帰って来たので、蜀軍は、「うしろを取られては」と、にわかに退却して、遠く渭水の南に陣を退げた。司馬懿は、
「浮き橋を焼き払って、敵の進路を断て」
と命じ、直ちに、両軍間の交戦路を焼き落としてしまった。もとよりこの浮き橋は河流の他の地点にも幾条となくあるので、祁山へ向かった味方が引き揚げに困るようなことはない。
その方面から続々と帰ってくる魏軍もすべて敗北の姿を負っていた。魏軍は夜どおし篝を焚いて、味方の負傷者や敗走者を北岸に収容するに努めた。そして、
「この虚に乗って、蜀軍が下流を越え、わが本陣のうしろへ迂回する惧れもある」
と、仲達はその方面にも心を労って、かなりな兵力を後方にも向けていた。
この日、魏が失った損害というものは、物的にも精神的にも、開戦以来、最大なものと言えるほどだった。――しかし、この戦果を見てもなお、蜀軍のうちには、ただ一人、
「――事ヲ謀ルハ人ニアリ。事ヲ成スハ天ニアリ、ついに長蛇を逸せり。ああ、ぜひもない哉」
と、天を仰いで、痛涙に暮れていた人がある。言うまでもなく、孔明その人である。
彼が、司馬懿父子を
捕捉して、きょうこそと、必殺を期していた
計も、心なき大雨のために、
万谷の火は一瞬に消え、まったく
水
に帰してしまった。孔明のうらみはいかばかりであったろう。真に、事ヲ謀ルハ人、事ヲ成スハ天。――ぜひもないと独り涙をのみ独り遺憾をなぐさめているしかなかったに違いない。
女衣巾幗
一
たれか知ろう真の兵家が大機を逸した胸底のうらみを。
人はみな、蜀軍の表面の勝ちを、あくまで大勝とよろこんでいたが、独り孔明の胸には、遺憾やるかたないものがつつまれていた。
加うるに、彼が、ひとまず自軍を渭南の陣にまとめて後、陣中、しきりに不穏の空気がある。
質してみると、
「魏延が非常に怒っておるようです」との事だった。
孔明は魏延を呼んで、
「御辺がしきりに怒声を放っているということだが、何が不平なのか」と訊ねた。
魏延は、勃然と、怒気をあらわして言った。
「それは丞相自身のお胸に訊いてみるのが一番でしょう」
「はて。わからぬが」
「では、申しますぞ」
「言われよ、つつまず」
「司馬懿を葫蘆谷へ誘きこめとお命じになりましたな」
「命じた」
「幸いにもあの時、大雨が降り注いで来たからよいようなものの、もしあの雨がなかったら、魏延の一命はどうなっておりましょう。それがしも司馬懿父子とともに、焼き殺さるるほかはありません。思うに丞相はそれがしを憎しみ、司馬懿と一緒に焼き殺さんと計られたのでありましょう」
「それを怒ったか」
「あたりまえでしょう」
「けしからぬことだ」
「魏延がけしからんのですか」
「いや、馬岱のことを申しておるのだ。かならずさような手違いのないようにと、火をかけるにも、合図をなすにも、すべてを固く馬岱に命じてあったはず。――馬岱を呼べ」
孔明の怒りの方がむしろはなはだしいほどだったから、魏延もちょっと意外に打たれた。
馬岱は孔明に呼びつけられて、面罵された。その上、衣を剝がれ、杖五十の刑をうけて、その職も一軍の大将から、一組の小頭に落とされてしまった。
馬岱は、自陣へもどると、士卒に顔も見せず、痛涙悲憤していた。すると、夜に入って、孔明の側近、樊建という者が、そっと訪ねて来て、
「......実は、丞相のお旨をうけて参った」と、くれぐれもなだめた。
「まったくは、やはり魏延をお除きになるお心だったが、不幸、大雨のために、司馬懿をも取り逃がし、彼を亡きものにする計画も果たされなかったのだ。とはいえ今、魏延に叛かれては、蜀軍の崩壊になる。そのため、何の科もない貴公にあのような辱と汚名を着せたが、これも蜀のためと、眼をふさいでくれよとの丞相のお言葉だ。どうか怺えて下さい。その代わりに、他日、この功を第一の徳とし、諸人にむかって、必ずこれに百倍する叙勲をもって貴下の辱を雪ぐであろうと約されておられる」
馬岱はそう聞くと口惜しさも解け、むしろ孔明の苦衷が思いやられた。意地のわるい魏延は、馬岱の地位が平部将に落とされたのを見てやろうとするもののように、
「馬岱を自分の部下にもらいたい」と、孔明に申し入れた。
孔明はゆるさなかったが、今はその孔明の足下をも見すかしている魏延なので、「どうしても」と、強情を張りとおした。それを聞いた馬岱は、
「いや、魏将軍の下につくならば、自分としても恥ずかしくない」
と、進んで彼の部下になった。
もちろん堪忍に堪忍をしての事である。
一方、その後の魏軍にも、多少穏やかならぬ空気が内在していた。
ここにも残念だ、無念だ、という声がしきりにある。
もちろん、それはたび重なる大敗から来た蜀軍への敵愾心であって、内部的な抗争や司馬懿に対する怨嗟ではない。
しかし、怨嗟はないまでも、不平はあった。満々たる不満が今や漲っていた。
なぜかといえば、以後またも陣々に高札をかかげて、――一兵たりと、既定の陣線から出た者は斬る。また、陣中に激語を弄し、みだりに戦いを敵に挑む者も斬罪に処さん。
という徹底的な防禦主義、消極作戦の軍法が、彼等の行動を一切制庄していたからである。
二
建興十一年は明けて、春二月となった。渭水の氷は解けても、陽春百日、両軍は依然、対陣のままだった。
「都督はつんぼになられたらしい」
そう言われるほど、司馬懿は味方の声にも、四囲の状況にも無感覚な顔していた。
ある時、郭淮が来て、彼に語った。
「それがしの観るのに、どうも孔明はもう一歩出て、更に他へ転陣を策しておるように考えられますが」
「君もそう思うか。予もそう観ていた所だ」
それから仲達は珍しくこんな意見を洩らした。
「――もし孔明が、斜谷、祁山の兵を挙って、武功に出で、山に依って東進するようだったら憂うべきだが、西して五丈原へ出れば、憂いはない」
さすがに司馬懿は慧眼であった。彼がこの言を為してから日ならずして、孔明の軍は果然移動を開始した。しかも選んだ地は、武功でなくて、五丈原であった。
武功は今の陝西省乾州に属する地方である。司馬懿の観る所――もし孔明がこれへ出て来たら、一挙玉砕か、一挙大勝かの大勇猛心の表現であり、魏軍にとっても容易ならぬ構えが要るものとひそかに怖れていたのである。
――が、孔明はその冒険を避けて、なお持久長攻に便な五丈原へ移った。
五丈原は宝鶏県の西南三十五里、ここもなお千里を蜿る渭水の南にある。そして従来数次の陣地に較べると、はるかに遠く出て、中原へ突出している。
しかも、ここまで来ると、敵国長安の府も潼関も、また都洛陽も、一鞭すでに指呼のうちだ。
(このたびこそ、ここの土と化するか、敵国の中核に突き入るか、むなしく再び漢中には還らぬであろう)
となしている孔明の気魄は、その地点と軍容から観ても、顕然たるものだった。
しかもなお、司馬懿が、額を撫でて、
「まずまず、これで味方にとって大幸と言うべしだ」
と、喜悦したわけは、持久戦をもって対するならば、彼にも自信があったからである。
ただ困るのは、大局の見通しを持たぬ麾下が、ややもすると彼を軽んじて、
(卑怯な総帥、臆病な都督)と、あげつらい、陣中の紀綱を紊しがちなことであった。
ために司馬懿は、わざと魏朝廷に上表して、戦いを請うた。朝廷は再度、辛毘を前線にさしむけ、
「堅守自重、ただそれ、守るに努めよ」と、重ねて全軍を戒めた。
蜀の姜維は、さっそく孔明に告げた。
「またまた、辛毘が慰撫に下って来たようです。魏軍の戦意も一頓挫でしょう」
「いや、御辺の観方はちがう。将が軍にあっては、君命も俟たない場合がある。いやしくも仲達に我を制し得る自信があれば、何で悠々中央と往来して緩命を待っておるものか。――嗤うべし、実は彼自身、戦意もないのに、強いてその武威を衆に示そうための擬態に過ぎない」
また、ある日、魏の陣営で、「万歳」の歓呼がしきりにあがっていると報ずる者があった。孔明が、何ゆえの敵の歓呼かと老練な諜者に調べさせると、
「呉が魏延に降伏したという報が、いま伝わったらしいのです」
と老諜者は憂いをたたえて言って来た。
すると孔明は、笑いながら、
「いま呉が降伏するなどという事はどこから観てもあり得ない。汝は年六十にもなるのに、まだそんなくだらぬ事を信ずるほどの眼しか持たないか」と愍れむごとく𠮟った。
三
孔明は五丈原へ陣を移してからも、さまざまに心をくだいて、敵を誘導して見たが、魏軍は完くうごきを見せない。
敵国の地深くへ進み出ながら、彼がなお自ら軍を引っ提げて戦わずに、ひたすら魏軍の妄動を誘う消極戦法を固持している理由は、実にその兵力装備の差にあった。後方から補充をなすに地の利を得ている魏の陣営は、うごかざる間にも、驚くべき兵力を逐次加え、今では、孔明の観るところ、蜀全軍の八倍に達する大兵を結集しているものと思われていたのである。
その量と実力に当たる寡兵蜀陣としては、――誘ってこれを近きに撃つ。
その一手しか断じてほかに策はなかったのだ。
しかも、彼は孔明のその一活路をすら観破している。さすがの孔明も完く無反応な辛抱づよい敵にたいしては計の施しようもなかった。さきに祁山、渭南の地方にわたって、大いに撫民に努め、屯田自給の長計をたてて、兵糧にはさして困らないほどには成っているものの、かくてまた、年を越え、また年を越えて、連年敵地に送っているまには、魏の防塁と装備は強化するばかりとなろう。
「――これを持って、魏軍へ使いし、しかと、仲達に渡して来い」
一日、孔明は、一使を選んで、自筆の書簡と、美しき牛皮の匣とを託した。
使者は、輿に乗って、魏陣へ臨んだ。輿に乗って通る者は射ず撃たずということは戦陣の作法になっている。
「なんの使者だろう?」
魏の将士はあやしみつつ陣門へ通し、やがて、使者の乞うまま司馬懿仲達に取り次いだ。司馬懿はまず匣を開いてみた。――と、匣の中からは、艶やかな巾幗と縞衣が出て来た。
「......何じゃ、これは?」
仲達の唇をつつんでいる疎々たる白髯はふるえていた。あきらかに彼は赫怒していた。――がなお、それを手にしたままじっと見ていた。
巾幗というのは、まだ筓を簪す妙齢にもならない少女が髪を飾る布であって、蜀の人はこれを曇籠蓋ともいう。
また縞衣は女服である。――との謎を解くならば、挑めども応ぜず、ただ塁壁を堅くして、少しも出て来ない仲達は、あたかも羞恥を深く蔵して、ひたすら外気を恐れ、家の内でばかり嬌を誇っている婦人のごときものであると揶揄しているものとしか考えられない。
「............」
彼は次に書簡を披いていた。
彼が心のうちで解いた謎はやはりあたっている。孔明の文辞は、老仲達の灰のごとき感情をも烈火となすに充分であった。曰く、
――史上稀なる大軍をかかえながら、足下の態度は、腐った婦人のように女々しいのはどうしたものか。武門の名を惜しみ、身も男子たるを知るならば、出でて潔く決戦せずや。
「ははははは。おもしろい」
やがて仲達の唇が洩らしたものは、内心憤怒とは正反対な笑い声だった。
蜀の使者はほっとして、その顔を仰いだ。
「大儀大儀。せっかくの御贈り物。これは納めておこう」
仲達はそう言って、なお使者をねぎらい、酒を

して、
座間に
訊ねた。
「孔明はよく眠るかの」
いやしくも自分の仕える孔明のうわさとなると、軍使は杯を下におき、一言の答えにも身を正して言う。
「はい。我が諸葛公には、夙に起き夜は夜半に寝ね、軍中のお務めに倦む御容子も見えません」
「賞罰は」
「至っておきびしゅう御座います。罰二十以上、みな自ら裁決なすっておられます」
「朝暮の食事は」
「お食はごく少なく、一日数升(升は近代の合)を召し上がるに過ぎません」
「ほ。それでよくあの身神がつづくものだの」
そこでは、さも感服したような態だったが、使者が帰ると、左右の者に言った。
「孔明の命は久しくあるまい。あの劇務と心労に煩わされながら、微量な食物しか摂っていないところを見ると、あるいはもういくぶん弱っているのかも知れない」
四
魏の陣から帰って来た使者に向かって、孔明は敵営の状と、司馬懿の反応を質していた。
「仲達は怒ったか」
「笑っていました。そして折角の御好意だからとて、快く贈り物を納めました」
「彼は汝に何を問うたか」
「丞相の起居をしきりにたずねておりました」
「そして」
「お食事の量を聞くと、彼は左右にむかって、よく身神が続くものだと託っておりました」
後、孔明は大いに嘆じた。
「我をよく知ること、敵の仲達にまさる者はいない。彼はわが命数まで量っている」
ときに楊喬という主簿の一員が進み出て、孔明に意見を呈した。
「わたくしは職務上、つねに丞相の簿書(日誌)を見るたびに考えさせられております。およそ人間の精力にも限度があり、家を治めるにも上下の勤めと分があります。――もしわたくしの僭越をお咎めなくお聞きいただけるのでしたら、愚見を申しあげてみたいと思うのでありますが」
「わがために言うてくれる善言ならば、孔明も童子のような心になって聞くであろう」
「ありがとう御座います。――たとえば、一家の営みを見ましても奴婢が居れば、奴は出でて田を耕やし、婢は内にあって粟を炊ぐ。――鶏は晨を告げ、犬は盗人の番をし、牛は重きを負い、馬は遠きに行く。みなその職と分でありましょう。――また家の主は、それらを督して家業を見、租税を怠らず、子弟を教育し、妻はこれを内助して、家の清掃、一家の和、かりそめにも家に瑕瑾なからしめ、良人に後顧のないように致しております。――かくてこそ一家の円滑に、その営みはよく治まって参りますが、仮に、その家の主が、奴ともなり婢ともなり、独りですべてを為そうとしたらどうなりましょう。体は疲れ気根は衰え、やがて家亡ぶの因となります」
「.........」
「主は従容として、時には枕を高うし、心を広くもち、よく身を養い、内外を見ておればよいのであります。決してそれは、奴婢鶏犬に及ばないからではなく、主の分を破り家の法に背くからです。――坐シテ道ヲ論ズ之ヲ三公ト言イ、作ッテ之ヲ行ナウヲ士大夫ト謂ウ――と古人が申したのもその理では御座いますまいか」
「............」孔明は瞑目して聞いていた。
「しかるに、丞相の御日常を窺っておりますと、細やかな指図にも、余人に命じておけばよい事も、大小となく自ら遊ばして、終日汗をたたえられ、真に涼やかに身神をお休めになる閑もないようにお見受け致されます。――かくてはいかなる御根気も倦み疲れ、到底、神気のつづくいわれは御座いません。ましてやようやく夏に入って、日々この炎暑では何でお体が堪りましょう。どうかもう少し暢びやかに稀にはお寛ぎ下さるこそ、われわれ麾下の者も、かえって歓ばしくこそ思え、毛頭、丞相の懈怠なりなどとは思いも寄りませぬ」
「......よく言うてくれた」
孔明も涙をながし、部下の温情を謝して、こう答えた。
「自分もそれに気づかないわけではないが、ただ先帝の重恩を思い、蜀中にある孤君の御行く末を考えると、眠りに就いても寝ていられない心地がしてまいる。かつは、人間にも自から定まれる天寿というものがあるので、なにとぞ我が一命のあるうちにと、つい悠久な時をわすれて人命の短きにあせるために、人手よりは吾が手で務め、先にと思うことも、今のうちにと急ぐようになる。――けれどお前達に心配させてはなるまいから、これからは孔明も折々には閑を愛し身の養生にも努めることにしよう」
諸人もこれを聞いてみな粛然と暗涙を嚥んだ。
けれど、そのときすでに、身に病の発って来た予感は、孔明自身がだれよりもよく覚っていたにちがいない。間もなく彼の容態は常ならぬもののように見えた。
銀河の禱
一
彼の病気はあきらかに過労であった。それだけに、どっと打ち臥すほどな事もない。
むしろ病めば病むほど、傍人の案じるのをも押して、軍務に精励して歇まない彼であった。近ごろ聞くに、敵の軍中には、また気負うこと旺なる将士が、大いに司馬懿の怯惰を罵って、
「かかる都督を大魏国の軍の上にいただくには忍びぬ」
と、激語憤動、ただならぬ情勢がうかがわれるとしきりに言って来る。
原因は、例の、孔明から贈った女衣巾幗の辱しめが、その後、魏の士卒にまですっかり知れ渡ったため、
(――司馬懿大都督は孔明から書を送られて、腐った女のようだと辱しめられたが、それでもまだああして何等その敵に答える術を知らずにおる。――一体、われわれは木偶か藁人形か。なんのためにこんな大軍を結んで、蜀人にからかわれたり侮辱されたりしているのか)
というような声がまたまた起こり、そこから再燃した決戦論者の動揺であることが観取される。
孔明は、病中ながら、その機微を知るや、
「出でよかし。敵動かば――」
と、心ひそかに秘策をえがき、なお敏捷な諜者を放って、
「魏勢が出軍するか否か、しかと様子を見とどけて来い」と、命じた。
諜者はやがて帰って来た。
待ちかねていた孔明は、
「どうであった」と、われから訊ねた。
諜者の曰く。
「敵の営中に騒然たる戦気はたしかに感じられました。――けれど営門に一老夫が立っているのです。白眉朱面、金鎧まばゆきばかり装って、毅然と突っ立ち、手に黄鉞を杖ついて、八方を睨まえ、かりそめにも軍門をみだりに出入りなすを許しません。――ために、営中の軍も出ることができないでおりまする」
孔明は思わず手の羽扇を床へ取り落として言った。
「ああそれこそ、さきに魏廷から軍監として下った辛毘佐治にちがいない。......それほどまで厳に戦うを戒めておるか」
一身を軍国蜀に捧げ、すでに自覚される病も措いて、日々是足らずと努めている孔明にとって、この事はまた大きな失意を彼に加えた。
時に渭水の流れは満ち、渭水の河床は涸れ、風雨の日、炎熱の日、天象は日々同じでなかったが、戦局はいっこう革まる様子もなく、秋はすでに満地の草の花に見えて、朝夕の風はようやく冷涼を帯びて来た。
「蜀の陣上には、一抹、何やら淋しきものが見える」
仲達はある夕、ひそかに人を放って孔明の陣を窺わせた。そしてその返答に依っては、突如、奇襲して出でんとしたか、銀甲鉄冑に身をかため、燭光ひそやかに待っていた。
すると、姿を変えて探りに行った将は、ようやく四更のころ、彼の前にもどって来て、額の汗を押し拭いながら復命した。
「蜀陣の
旌旗は依然、
粛として
寸毫の
惰気も見えませぬ。また、深夜というのに、孔明は
素輿(
白木の
輿)に乗って陣中を見まわり、常のごとく、黄巾をいただき
白羽扇を持ち、その出入りを見るや、衆軍みな敬して、進止軍礼、一糸の
紊れも見ることができません、......実に、驚きました。森厳そのもののごとき軍中の規律です。近ごろ、孔明が病気であるというような

が行なわれておりますが、おそらくあれも敵がわざと言わせている
噓言でしょう」
仲達は歎じて、子の侯や師に言った。
「諸葛は真に古今の名士だ。――名士とは、彼のごときを言うものだろう」
二
それより先に、孔明から呉へ要請していた蜀呉同盟条約に依る第二戦線の展開に就いては、まだここには、なんの詳報も入っていなかった。それはすでに、この年の五月、呉の水陸軍が三道から魏へ攻撃を起こした事に依って、条約の表面的履行は果たされた形になっていたものである。
孔明がその快捷の報を、久しく心待ちにしていたであろうことは想像に難くない。
昨年から幾多の風説は聞こえていた。
ある者は、呉の優勢をいい、ある者はまだ本格的戦争はないと言い、またある者は、呉の退散を伝えた。
呉魏の戦場とここでは、あまりに隔絶している。いたずらな諜報はすべて信じられなかった。
秋の初めのころである。
突然、成都から尚書の費褘が陣へ来た。
「呉の事で、お伝えに」
と費褘は言う。孔明はさてこそと思い、その日も体の容態は何となくすぐれなかったが、平然常のごとく応接した。
「あちらの戦況はどうですか」と、まず訊ねた。
費褘は唇に悲調をたたえて語った。
「――夏五月ごろから、呉の孫権は、約三十万を動員して、三方より北上し、魏を脅かすことしきりでしたが、魏主曹叡もまた合淝まで出陣し、満寵、田予、劉昭の諸将をよく督して、ついに呉軍の先鋒を巣湖に撃砕し、呉の兵船兵糧の損害は甚大でした。ために、後軍の陸遜は表を孫権に上げて、敵のうしろへ大迂回を計ったもののようでしたが、この計もまた、事前に魏へ洩れたため、機謀ことごとく敵に裏を搔かれ、呉全軍はついに何等の功もあげず大挙退いてしまったのです。......どうも寔に頼みがいなき盟国と言うしかありませんが」
「......」
「や? 丞相。どうなさいましたか。――急に御血色が」
「いや、さしたる事はない」
「でも、お唇の色までが」
費褘は驚いて、侍臣を呼びたてた。
人々が
駈け寄って来てみたときは、孔明は
袂をもって自ら
面を

い、
榻の上に
俯っ
伏していた。
「丞相、丞相」
「いかがなさいましたか」
「お心をたしかにして下さい」
諸将も来て、共に搔い抱き、静室に移して、典医に諮り、あらゆる手当てを尽くした。半刻ほどすると、孔明の面上に、ぽっと血色が甦って来た。――人々はほっと眉をひらき、
「お心がつきましたか」と、枕頭をのぞき合った。
孔明は大きく胸を波動させていた。そして、ひとつひとつの顔にひとみを注ぎ、
「......思わず病に負けて、日ごろのたしなみも昏乱したとみえる。これは旧病の興って来た兆と言えよう。わが今生の寿命も、これでは久しいことはない」
語尾は独りごとのようにしか聞こえなかった。
しかし夕方になると、
「心地は爽やかだ。予を扶けて露台に伴え」
と言うので、侍者典医などが、そっと抱えて、外へ出ると、孔明はふかく夜の大気を吸い、
「ああ、美しい」
と、秋夜の天を仰ぎ見ていたが、突然、何事かに驚き打たれたように、悪感が催して来たと言って内にかくれた。
そして侍者をして、急に姜維を迎えにやり、姜維が倉皇としてそこに見えると、
「こよい、何気なく、天文を仰いで、すでに我が命が旦夕にあるを知った。......死は本然の相に帰するだけのことで、べつに何の奇異でもないが、そちには伝えおきたい事もあるので早々招いた。かならず悲しみに取り乱されるな」
いつもに似ず、弱々しい語韻であったが、そのうちにも、秋霜のようなきびしさがあった。
「......御無理です。丞相にはどうしてそのようなお覚悟をなさいますか。悲しむなとおっしゃっても、そんなことを仰せられると、姜維は哭かないではいられません」
病窓の風は冷ややかに、彼の声涙もあわせて、燭は折々消えなんとした。
三
「何を泣く。定まれる事を」
孔明は𠮟った。子を𠮟るように𠮟った。馬謖の亡い後、彼の愛は、姜維に傾けられていた。
日常、姜維の才を磨いてやることは、珠を愛でる者が珠の光を慈しむようであった。
「はい。......おゆるし下さい。もう哭きませぬ」
「姜維よ。わしの病は天文に象れている。こよい天を仰ぐに、三台の星、みな秋気燦たるべきに、客星は明らかに、主星は鈍く、しかも凶色を呈し、異変歴々である。故に、自分の命の終わりを知ったわけだ。いたずらに病に負けていうのではない」
「丞相、それならば何故、禳をなさらないのですか。古くからそういう時には、星を祭り天を禱る禳の法があるではございませんか」
「おお、よく気がついた。その術はわれも習うていたが、わが命のために為すことを忘れていた」
「おいいつけ下さい。わたしが奉行して、諸事調えまする」
「うむ。まず鎧うたる武者、七々四十九人を選び、みな皂き旗を持ち、みな皂き衣を着て、禱りの帳外を守護せしめい」
「はい」
「帳中の清浄、壇の供えは、人手をかりることはできない。予自ら勤めるであろう。そして、秋天の北斗を祭るが、もし七日のあいだ、主燈が消えなかったら、わが寿命は今からまた十二年を加えるであろう。しかしもし禱りの途中において、主燈の消えるときは、今生ただ今、わが命は終わろう。――それ故の帳外の守護である。ゆめ、余人に帳中を窺わすな」
姜維は、謹んで命を享け、童子二名に、万の供え物や祭具を運ばせ、孔明は沐浴して後、内に入って、清掃を取り、壇を設えた。一切の事、祭司を用いず、やがて北斗を祭る秘宝のうちに、帳を垂れて閉じ籠った。
孔明は食を断ち、夜は明けるまで、一歩もそこから出なかった。
一日。二日。三日――と続いた。
夜々、秋の気は蕭索として、冷涼な風は帳を揺り、秘壇の燈や紅帋金箋の祭華をもそよそよ吹いた。
外に立てば、銀河は天に横たわり、露は零ちて、旌旗うごかず、更けるほどに、寂更に寂を加えてゆく。
姜維は、四十九人の武者とともに、帳外に立って、彼も、孔明の禱りが終わるまではと、以来、食も水も断って、石のごとく、屹立していた。
帳中の孔明はと見れば、祭壇には大きな七盞の燈明が燦いている。その周りには四十九の小燈を懸けつらね、中央に本命の主燈一盞を置いて、千々種々の物を供え、香を焚き、咒を念じ、また、折々、盤の清水を更え、更えること七たび、拝伏して、天を祈る。――その禱りの必死懸命となるときは、願文を誦する声が、帳外の武者の耳にも聞こえてくるほどであった。
「――亮、乱世ニ生マレテ、身ヲ農迹ニ隠ス所ニ、先帝三顧ノ恩ヲウケ、孤子ヲ託スルノ重キヲ被ル。是ニヨリテ、不才、犬馬ノ労ヲ尽クシ、貔貅ノ大軍ヲ領シテハ、六度、祁山ノ陣ニ出ヅ。ソレ臣ノ希ウトコロ、タダ誓ッテ反国ノ逆ヲ誅シ、モッテ先帝ノ遺詔ニコタエ、世々ノ大道ヲ明ラカニセンノミ。カカル秋ニ意ワザリキ、将星墜チントシテ、我今生ノ命スデニ終ワラントスルヲ天ノ告ゲ給ウアラントハ。――謹ンデ静夜ヲ仰ギ、昭ラカナル天心ニ告ス。北極元辰モマタ天慈ヲ垂レ地上ノ嘆ヲ聞キ給エ。亮ノ命ヤ一露ヨリ軽シトイエドモ任ハ万山ヨリ重シ。――憐レ十年ノ寿ヲカシテ亮ガ業ヲ世ニ遂ゲ得サセ給エ」
――こうして、晨になると彼は綿のごとく疲れ果てたであろう身に、また水を被って、病を抛ち、終日、軍務を見ていたという。
その七日間における彼の行を、古書の記すところに見ると、惨心、読むに耐えないものがある。
――旦ヲ待チテハ、次ノ日マタ、病ヲ扶ケラレテ、時務ヲ治ム。タメニ、日々血ヲ吐イテ止マズ。死シテハマタ甦ル。
カクテ昼ハ共ニ魏ヲ伐ツノ計ヲ論ジ、夜ハ罡ニ歩シ、斗ヲ踏ンデ禳ヲナス。
その一念、その姿、まさに文字どおりであったろうと思われる。
秋風五丈原
一
魏の兵が大勢して仔馬のごとく草原に寝ころんでいた。
一年中で一番季節のよい涼秋八月の夜を楽しんでいるのだった。
そのうちに一人の兵が不意に、あっと言った。
「やっ。何だろう?」
また、ひとりが指さし、その他の幾人かも、たしかに、目で見たと騒ぎ合った。
「ふしぎな流れ星だ」
「三つもだ。そして、二つは還った。一つは、蜀の軍営に隕ちたきりだった」
「こんな奇異なことがあるものじゃない。黙っていると罰せられるぞ」
兵はめいめい営内のどこかへ去って行った。上将へ告げたのだろう。間もなく司馬懿の耳にも入っていた。
折ふし司馬懿の手許には、天文方から今夕観測された奇象を次のように記録して報じて来たところだった。
――長星アリ、赤クシテ茫。東西ヨリ飛ンデ、孔明ノ軍営ニ投ジ、三タビ投ジテ二タビ還ル。ソノ流レ来ルトキハ光芒大ニシテ、還ルトキハ小サク、ソノウチ一星ハツイニ隕チテ還ラズ。――占ニ曰ク、両軍相当タルトキ、大流星アリテ軍上ヲ走リ、軍中ニ隕ツルニ及ベバ、ソノ軍、破敗ノ徴ナリ。
兵が目撃したという所と、この報告書とは、符節を合わしたように一致していた。
「夏侯覇にすぐ参れといえ」
司馬懿の
眼こそ、
俄然、あやしきばかりな光

をおびていた。
夏侯覇は、何事かと、すぐ走って来た。司馬懿は、陣外に出て、空を仰いでいたが、彼を見るや、早口に急命を下した。
「おそらく孔明は危篤に陥ちて居るものと思われる。あるいは、その死は今夜中かも知れぬ。天文を観るに、将星もすでに位を失っている。――汝、すぐ千余騎をひっさげて五丈原を窺いみよ。もし蜀勢が奮然と討って出たら、孔明の病はまだ軽いと見なければならぬ。怪我なきうちに引っ返せ」
はっと答えると、夏侯覇はすぐ手勢を糾合し、星降る野をまっしぐらに進軍して行った。
この夜は、孔明が禱りに籠ってから六日目であった。あと一夜である。しかも本命の主燈は燈りつづいているので、孔明は、
(わが念願が天に通じたか)
と、いよいよ精神を凝らして、禱りの行に伏していた。帳外を守護している姜維もまた同様な気持ちであった。ただ惧れられるのは孔明が禱りのまま息絶えてしまうのではないかという心配だけである。――で折々彼は帳内の秘壇をそっと覗いていた。
孔明は、髪をさばき、剣を取り、いわゆる罡を踏み斗を布くという禱りの座に坐ったままうしろ向きになっていた。
「......ああかくまでに」
と、彼は窺うたび熱涙を抑えた。孔明の姿は忠義の権化そのものに見えた。
――すると、何事ぞ、夜も更けているのに突然陣外におびただしい喊の声がする。姜維は、ぎょっとして、
「見て来いっ」
と、すぐ守護の武者を外へ走らせた。ところへ入れ違いに、どやどやと駈け入って来た者がある。魏延だった。慌てふためいた魏延は、そこに居る姜維も突き退けて、帳中へ駈け込み、
「丞相ッ。丞相ッ。魏軍が襲せて来ました。ついに、こっちの望みどおり、しびれを切らして、司馬懿の方から戦端を開いて来ましたぞ」
喚きながら、孔明の前へまわって、ひざまずこうとした弾みに、何かに躓ずいたとみえ、ぐわらぐわらと壇の上の祭具やら供え物やらが崩れ落ちた。
「やや。これはしくじった」
狼狽した魏延は、その上にまた、足もとに落ちて来た主燈の一つを踏み消してしまった。それまで、化石したごとく禱りをつづけていた孔明は、あっと、剣を投げ捨て、
「――死生命あり! ああ、われついに熄むのほかなき乎」
と、高くさけんだ。
姜維もすぐ躍り込んで来て、剣を抜くや否、
「おのれっ、何たる事を!」
と、無念を声にこめて、いきなり魏延へ斬ってかかった。
二
「姜維。止さんかっ」――孔明は声をしぼって、彼を𠮟った。
悲痛な気魄が姜維を凝然と佇立させた。
「――主燈の消えたのは、人為ではない。怒るを止めよ。天命である。なんの魏延の科であるものか。静まれ、冷静になれ」
そう言ってから孔明は床に仆れ伏した。――がまた、陣外の鼓や喊の声を聞くと、すぐがばと面を上げ、
「こよいの敵の奇襲は、仲達がはやわが病の危篤を察して、その虚実を探らせんため、急に一手を差し向けて来たに過ぎまい。――魏延、魏延。すぐに出て馳け散らせ」
悄気ていた魏延は、こう命ぜられると、日ごろの猛気を持ち返して、あっとばかり躍り直して出て行った。
魏延が陣前に現われると、さすがに鼓の音も喊の声もいちどに革まった。攻守たちまち逆転して、魏兵は馳け散らされ、大将夏侯覇は馬を打って逃げ出していた。
孔明の病状はこの時から精神的にもふたたび恢復を望み得なくなっていた。翌日、彼はその重態にもかかわらず姜維を身近く招いて言った。
「自分が今日まで学び得たところを書に著わしたものが、いつか二十四編になっている。わが言も、わが兵法も、またわが姿も、このうちにある。今、あまねく味方の大将を見るに、汝を措いてほかに之を授けたいと思う者はいない」
手ずから自著の書巻を積んでことごとく姜維に授け、かつなお、
「後事の多くは汝に託しておくぞよ。この世で汝に会うたのは、倖せの一つであった。蜀の国は、諸道とも天嶮、われ亡しとても、守るに憂いはない。ただ陰平の一道には弱点がある。仔細に備えて国の破れを招かぬように努めよ」
姜維が涙にのみ暮れていると、
「楊儀を呼べ」
と、孔明は静かにいいつけた。
楊儀に対しては、
「魏延は、後にかならず、謀反するであろう。彼の猛勇は、珍重すべきだが、あの性格は困りものだ。始末せねば国の害をなそう。わが亡き後、彼が反くのは必定であるから、その時にはこれを開いてみれば自ずから策が得られよう」
と、一書を秘めた錦の囊を彼に託した。
その夕方からまた容態が悪化した。しかし昏絶しては甦ること数たびで、幾日となく、同じ死生の彷徨状態が続いた。
五丈原から漢中へ、漢中から成都へと、昼夜のわかちなく駅次ぎの早馬も飛んでいた。
蜀は遠い、待つ身の人々には、いや遠いここちがする。
「勅使のお下りに間に合うかどうか」
人々の願いも今はそれくらいに止まっていた。だれもみな或る物を観念した。
成都からは即刻、尚書僕射李福が下っていた。帝劉禅のおどろきと優渥な勅を帯して夜を日に継いで急いで居るとは聞こえていたが、――なおまだここ五丈原にその到着を見なかった。
しかし幸いに、費褘がなお滞在している。孔明は、われ亡き後は彼に嘱するもの多きを思った。一日、その費褘を招いて懇ろにたのんだ。
「後主劉禅の君も、はや御成人にはなられたが、遺憾ながら先帝のごとき御苦難を知っていられない。故に世をみそなわす事浅く、民の心を

むにもうとく
在すのはぜひもない。故に、補佐の任たる方々が心を傾けて、君の徳を高うし、
社稷を守り固め、もって先帝の御遺徳を常に
鑑として政治せられておれば間違いないと思う。
才気辣腕の臣をにわかに用いて、軽率に
旧きを破り、新奇の政を
布くは危うい
因を作ろう。予が選び挙げておいた人々をよく用い、一短あり一部欠点はある人物とてみだりに
廃てるような事はせぬがいい。その中で
馬岱は忠義諸人に超え、国の兵馬を託すに足る者故、いよいよ重く扱うたがいい。諸政の部門は
卿がこれを
統轄総攬されよ。またわが兵法の機密はことごとく姜維に授けおいたから、戦陣国防の事は、まだ若しといえども、彼を信じて、その重責に当たらすとも、決して憂うることになかろう」
以上の事々を、費褘に遺言し終わってから孔明の面にはどこやら肩の荷がとれたような清々しさがあらわれていた。
三
日々、そうした容態の繰り返されているある朝のこと。孔明は何思ったか、
「予を扶けて、車にのせよ」と、左右の者へ言い出した。
人々はあやしんでいずこへお渡り遊ばすかと、訊ねた。すると孔明は、
「陣中を巡見する」と言って、すでに起って、自ら清衣に更めた。
命旦夕に迫りながら、なおそれまでに、軍務を気にかけておられるのかと、侍医も諸臣も涙に袖を濡らした。
千軍万馬を往来した愛乗の四輪車は推されて来た。孔明は白い羽扇を持ってそれに乗り、味方の陣々を視て巡った。
この朝、白露は轍にこぼれ、秋風は面を吹いて、冷気骨に徹るものがあった。
「ああ。旌旗なお生気あり、われなくとも、にわかに潰えることはない」
孔明は諸陣をながめてさも安心したように見えた。そして帰途、瑠璃のごとく澄んだ天を仰いでは、
「――悠久。あくまでも悠久」
と、呟き、わが身をかえりみてはまた、
「人命何ぞ仮すことの短き。理想何ぞあまりにも多き」
と独り喞って、嘆息久しゅうしていたが、やがて病室に帰るやすぐまた打ち臥して、この日以来、とみに、もの言うことばも柔らかになり、そして眉から鼻色には死の相があらわれていた。
楊儀をよんで、ふたたび懇ろに何か告げ、また王平、廖化、張虎、張巍、呉懿なども一人一人枕頭に招いて、それぞれに後事を託するところがあった。
姜維にいたっては、日夜、側を離れることなく、起居の世話までしていた。孔明は彼にむかって、
「
几をそなえ、香を
焚き、予の文房具を取り

えよ」
と命じ、やがて沐浴して、几前に坐った。それこそ、蜀の天子に捧ぐる遺表であった。
認め終わると、一同に向かって、
「自分が死んでも、かならず喪を発してはいけない。必然、司馬懿は好機逸すべからずと、総力を挙げて来るであろうから。――こんな場合のために、日ごろから二人の工匠に命じて、自分は自分の木像を彫らせておいた。それは等身大の坐像だから車に乗せて、周りを青き紗をもって覆い、滅多な者を近づけぬようにして、孔明なお在りと、味方の将士にも思わせておくがいい。――しかる後、時を計って、魏勢の先鋒を追い、退路を開いてから後、初めて、わが喪を発すれば、おそらく大過なく全軍帰国することを得よう」
と、訓え、しばらく呼吸をやめていたが、やがてなおこう言い足した。
「――予の坐像を乗せた喪車には、座壇の前に一盞の燈明をとぼし、米七粒、水すこしを唇にふくませ、また柩は氈車の内に安置して汝等、左右を護り、歩々粛粛、通るならば、たとえ千里を還るも、軍中常のごとく、少しも紊れることはあるまい」
と言い遺した。
更に、退路と退陣の法を授け、語をむすぶにあたって、
「もう何も言いおくことはない。みなよく心を一つにして、国に報じ、職分をつくしてくれよ」
人々は、流涕しながら、違背なきことを誓った。
たそがれごろ、一時、息絶えたが、唇に、水をうけると、また醒めたかのごとく、眼をみひらいて、宵闇の病床から見える北斗星のひとつを指さして、
「あれ、あの煌々とみゆる将星が、予の宿星である。いま滅前の一燦をまたたいている。見よ、見よ、やがて落ちるであろう......」
言うかと思うと、孔明その人の面は、たちまち白蠟のごとく化して、閉じた睫毛のみが植え並べたように黒く見えた。
黒風一陣、北斗は雲に滲んで、燦また滅、天ただ啾啾の声のみだった。
四
孔明の死する前後を描くにあたって、原書三国志の描写は実に精細を極めている。そしてその偉大なる「死」そのものの現実を、あらゆる意味において詩化している。
この国にあるところの不死の観念と、やがて日本の詩や歌や「もののあわれ」に彩られた人々の生死観とでは、もちろん大きな相違があるが、とまれ諸葛孔明の死に対しては、当時にあってもその蜀人たると魏人たるを問わず、何等か偉大なる霊異に打たれたことは間違いなく、そして原三国志の著者までが、何としても彼をあえなく死なすに忍びなかったようなものが、随所その筆ぶりにも窺われるのである。
たとえば、孔明が最後に北斗を仰いで、自己の宿星を指さし、はやその命落ちんと言い終わって息をひきとった後にも、なお、その後から成都の勅使李福が着いたことになっていて、勅使と聞くや、孔明はふたたび目をひらいて、次のようなことばを奉答しているというような条も、そうした筆者の愛惜のあまりから出ているものと思われるのである。――が、ここではむしろ、その不合理などを問わず原書のままを訳しておくことにする。そのほうが千七百年前から今日まで、孔明の名とともにこの書を愛しこの書を伝え来った民族のこころを理解するにも良いと訳者にも考えられるからである。
――勅使と聞いて、ふたたび目をみひらいた孔明は、李福を見てこう言ったという。
「国家の大事を誤ったものは自分だ。慚愧するのほかお詫びすることばもない......」
それからまた、こう訊ねたという。
「臣亮の亡き後は、だれをもって丞相の職に任ぜんと......陛下には、それをば第一に、勅使をもって、御下問になられたことであろう。われ亡き後は、蔣琬こそ、丞相たるの人である」
李福が、かさねて、
「もし蔣琬がどうしてもお受けしない時はだれが適任でしょう」
「費褘がよい」
と答え、李福が更に、次の事を訊ねると、もう返事がなかった。
諸人が近づいてみると、息絶えて、まったく薨じていたというのである。
時は蜀の建興十二年秋八月二十三日。寿五十四歳。
これのみは、多くの史書も演義の類書もみな一致している。人寿五十とすれば、短命とはいえないかも知れないが、孔明の場合にあっては実に夭折であったようなここちがする。
彼の死は、蜀軍をして、空しく故山に帰らしめ、また以後の蜀の国策も、一転機するほかなきに至ったが、個人的にも、ずいぶん彼の死の影響は大きかったらしい。
蜀の長水校尉をしていた廖立という者は、前から自己の才名を恃んで、
(孔明がおれをよく用いないなんていうのは、人を使う眼のないものだ)
などと同僚にも放言していたくらいな男だが、その覇気と自負が過ぎるので、孔明は一時彼の官職を取り上げ、汶山という僻地へ追って謹慎を命じておいた。
この廖立は、孔明の死を聞くと自己の前途をも見失ったように嘆いて、
――吾終ニ袵ヲ左ニセン
と言ったという事である。
またさきに梓潼郡に琉されていた前軍需相の李厳も、
「孔明が生きてあらんほどには、いつか自分も召し還されることがあろうと楽しんでいたが、あの人が亡くなられては、自分が余命を保っている意味もない」
と言って、その後ほどなく、病を得て死んだと言われている。
とにかく、彼の死後は、しばらくの間、天地も寥寥の感があった。ことに、蜀軍の上には、天愁い地悲しみ、日の色も光がなかった。
姜維、楊儀たちは、遺命に従ってふかく喪を秘し、やがて一営一営静かに退軍の支度をしていた。
死せる孔明・生ける仲達を走らす
一
一夜、司馬懿は、天文を見て、愕然とし、また歓喜してさけんだ。
「――孔明は死んだ!」
彼はすぐ左右の将にも、ふたりの息子にも、昂奮して語った。
「いま、北斗を見るに、大なる一星は、昏々と光をかくし、七星の座は崩れている。こんどこそ間違いはない。今夕、孔明は必ず死んだろう」
人々は急に息をひそめた。敵ながらその人亡しと聞くと何か大きな空ろを抱かせられたのである。仲達もまさにその一人だったが、老来いよいよ健なるその五体に多年の目的を思い起こすや、勃然と剣を叩いて、
「蜀軍に全滅を加えるは今だ。――準備を伝えろ。総攻撃を開始する」
司馬師、司馬侯の二子は、父の異常な昂奮に、かえって二の足をふんだ。
「ま。お待ちなされませ」
「なぜ止めるか」
「この前の例もあります。孔明は八門遁甲の法を得て、六丁六甲の神をつかいます。あるいは、天象に奇変を現わすことだって出来ない限りもありません」
「ばかな。愚眼を惑わして、風雨を擬し、昼夜の黒白をあやまらす術はあっても、あのあきらかな星座を変じることなど出来るものではない」
「でも、いずれにしろ、孔明が死んだとすれば、蜀軍の破れは必至でしょう。慌てるには及びません。まず夏侯覇にお命じあって、五丈原の敵陣を窺わせてはいかがですか」
これは息子たちの言い分のほうが正しいように諸将にも聞こえた。息子自慢の司馬懿は、息子たちにやり込められると、むしろ欣しいような顔つきをした。
「む、む。......なるほど。それも大きにそうだ。では夏侯覇、敵にさとられぬように、そっと蜀軍の空気を見さだめて来い」
夏侯覇は、命を奉じて、わずか二十騎ほどを連れ、繚乱の秋暗く更けた曠野の白露を蹴って探りに行った。
蜀陣の外廓線は、魏延の守るところであったが、ここの先鋒部隊では、魏延を始めまだだれも孔明の死を知っていなかった。
ただ魏延はゆうべ変な夢を見たので、今日は妙にそれが気になっていた。けれどちょうど
午ごろぶらりと訪ねて来た友達の
行軍司馬
直が、
「それは吉夢じゃないか。気にするに当たらんどころか、祝ってもいいさ」
と言ってくれたので、大いに気をよくしていた所である。
彼が見た夢というのは、自分の頭に角が生えたという奇夢であった。
それを

直に話したところ、

直は非常に明快に
夢占を解いてくれた。
「麒麟の頭にも角がある。蒼龍の頭にも角はある。凡下の者が見るのは凶になるが、将軍のような大勇才度のある人が見るのは実に大吉夢といわねばならん。なぜならば是を卦について観るならば、変化昇騰の象となるからだ。按ずるに将軍は今から後、かならず大飛躍なされるだろう。そして位人臣を極めるにちがいない」
ところが、この

直は、そこから帰る途中、
尚書の
費褘に出会っている。そして、費褘から、
「どこへ行ったか」と、訊かれたので、ありのまま、
「いま、魏延の陣所をちょっと覗いたところ、いつになく屈託顔しているので、どうしたのかと訊くと、かくかくの夢を見たというので、夢判断をしてやって来たところだ」と答えた。
すると費褘は、重ねて訊ねた。
「足下の判断はほんとの事か」
「いやいや。実際は、はなはだ凶夢で、彼のためには憂うべき事だが、あの人間にそんな真実を話しても恨まれるだけの事だから、いい加減なこじつけを話してやったに過ぎない」
「では、どう凶いのか。その夢は」
「角という文字は、刀を用うと書く、頭に刀を用いるときは、その首が落ちるにきまっているじゃありませんか」

直は笑って去った。
二
立ち別れたが、費褘はあわてて、

直の方へ戻って、もう一度、こう言った。
「今の事、だれにも言い給うな。たのむぞ」
「え。今の事とは」
「足下の語った魏延の夢のはなしをだ」
「ああ、よいとも」
直に途中で会った顔はどこにも見せず、その夜、
費褘は魏延の陣所へ来て、彼と対談していた。
「今夕参ったのは、ほかでもない、昨夜ついにわが丞相は薨ぜられました。その御報告に来たわけです」
「えっ、ほんとか」
日ごろ孔明を目の上の瘤としていた魏延も、さすがに驚愕してしばし茫然の態だった。
――が、たちまち言い出した。
「いつ喪を発するかね」
「喪はしばらく発するなかれと御遺言でありました」
「丞相に代わって、軍権を執るものはだれとなっておるな」
「楊儀に命ぜられました。また、兵法密書口伝は、生前ことごとく姜維に授けられたようで」
「あんな黄口児にか。......ま、それはいいが、楊儀はむしろ文官向きな人物ではないか。孔明亡しといえども、なお魏延がおる。楊儀はただ柩を守って国へ帰り、地を選んで葬りをなせばそれでいい。――五丈原頭の蜀軍は、かくいう魏延が統べて、魏を打ち破ってみせよう。孔明ひとりが居なくなったからと言って国家の大事を止むべきでない」
たいへんな気焰である。費褘は少しも逆らわなかった。で、彼はいよいよ調子に乗って大言した。
「元来、初めから此方の献策を孔明が用いていれば、蜀軍は今ごろはとうに長安を占領しているのさ。だが孔明は、由来俺が煙たくてならなかったのだ。葫蘆谷ではあやうく焼き殺される所だったからな。――しかしその彼が先に死んでしまった以上、恨みは言うまい。ただ、楊儀の下に従うことなどは魏延は潔しとする所ではない。彼のごときは一長史ではないか。俺の官は、前軍征西大将軍南鄭侯であった」
「御もっともです。お気持ちはよくわかります」
「御辺は俺を扶けるか」
「大いにお力になりましょう」
「百万の味方に勝る。では、誓書も書くな」
「もちろん書きましょう」
欣然と、彼は盟書をかいて、魏延に渡した。
「一献祝そう」
魏延は、酒を出した。費褘は態よく杯をうけて、
「――が、お互いに、妄動は慎みましょう。司馬懿につけ込まれる惧れがありますから」
「それはもとより重要だ。しかし楊儀が不服を鳴らすだろうな」
「それは私から説きつけます」
「うまくやってくれ」
「お信じ下さい。首尾はいずれ後刻お沙汰します」
費褘は本陣へ帰った。そしてなお悲愁の裡にある諸将を寄せて、
「丞相のおことばに違いなく、魏延は叛気満々で、むしろこの時を欣んでおるふうだ。この上は、御遺言どおり姜維を後陣として、われらもまた、制法に従って退陣にかかろうではないか」
と、相談した。
予定の事である。異議なくきまった。そこで極密のうちに諸陣の兵を収め、万端ととのえおわって、翌夜しずかに総引き揚げを開始した。
一方の魏延は、首を長くして、費褘の吉報を待っていたが、いっこう沙汰がないので、
「何とした事だ? あの長袖は」と、その悠長に焦々していた。
ふと、馬岱の顔を見たので、彼はその腹蔵のものを、馬岱に打ち明けた。すると馬岱は、
「いや、それは眉唾ですぞ。昨朝彼の帰るとき見ていたが、陣門から馬に飛びのるや否、ひどく大慌てに鞭をあてて行きましたからな」
「そんな挙動が見えたか」
「おそらく詐りでしょう」
ところへ、物見の者から、昨夜来、味方の本軍は総引き揚げにかかって、すでに大半は退き、後陣の姜維もはや退軍にかかっていると告げて来たので、魏延はいよいよ慌て出した。
三
もしこのままなお知らずにいれば彼は
五丈原の前線に置き去りを

うところであった
愕きもし、憤りもして、魏延は

を振った。
「
費褘の腐れ儒者め。よくもうまうまとおれを
騙して、出し抜けを

わせたな。うぬ。かならず
素っ
首を引き抜くぞ」
まるで旋風でも立つように、彼はたちまち号令して陣屋を畳ませ、馬具兵糧のととのえもあわただしく、すべてを打ち捨てて本軍のあとを追った。
一面、魏陣のうごきはと見るに――さきに司馬懿の命をうけて五丈原の偵察に出ていた夏侯覇は、馬も乗りつぶすばかり、鞭を打ち続けて帰って来た。
待ちかねていた司馬懿は、姿を見るやいなや訊ねた。
「どうであった?」
「どうも変です」
「変とは」
「蜀軍はひそかに引き揚げの準備をしておるようです」
「さてこそ!」
司馬懿は手を打って叫んだ。そしてその
双つの
巨きな
眼にも
快哉極まるかのごとき情をらんらんと

かしながら、
帷幕の諸大将をぎょろぎょろ見まわしつつ、足をそばだててこう
喚きまたこう号令を発した。
「孔明死す。孔明死せり乎。――いまは速やかに残余の蜀兵を追いかけ追いくずし、鑓も刃も血に飽くまでそれを絶滅し尽くす時だ。天なる哉、時なる哉、いざ行こう。いざ来い。出陣の鉦鼓鉦鼓」
と急きたてた。
銅鑼は鳴る。鼓は響く。
陣々、柵という柵、門という門から、旗もけむり、馬も嘶き、あたかも堰を切って出た幾条もの奔流のごとく、全魏軍、先を争って、五丈原へ馳けた。
「父上父上。壮者輩に交じって、そんなにお急ぎになっても大丈夫ですか」
ふたりの息子は、老父のあまりな元気にはらはらしながら、絶えず左右に鐙を寄せて走っていた。
「何の、大丈夫じゃよ。司馬仲達はまだ老いん」
「いつもは、大事に大事をとられるお父上が、今度は何でこう急激なんですか」
「あたり前な事を問うな。魂落ちて、五臓みな損じた人間は、どんな事があっても、再び生きてわが前に立つことはない。孔明の居ない蜀軍は、これを踏み潰すも、これを生け捕るも、これを斬るも、自由自在だ。こんな痛快なことはない」
夏侯覇がまた後ろで言った。
「都督都督。あまりに軽々しくお進みあるな。先鋒の大将がもっと前方に出るまでしばらく御手綱をゆるやかになし給え」
「兵法を知らぬ奴。多言を放つな」
司馬懿は振り向いて𠮟りつけた。そして少しも奔馬の脚を弛めようとしなかった。
すでにして五丈原の蜀陣に近づいたので、魏の大軍は鼓躁して一時になだれ入ったが、この時もう蜀軍は一兵も居なかった。さてこそあれと司馬懿はいよいよ心を急にして、師、侯の二子に向かい、
「汝等は後陣の軍をまとめて後よりつづけ。敵はまださして遠くには退いておるまい。われ自ら捕捉して退路を断たん。後より来い」
と、息もつかず追いかけて行った。
するとたちまち一方の山間から闘志潑剌たる金鼓が鳴り響いた。蜀軍あり、と叫ぶものがあったので、司馬懿が駒を止めてみると、まさしく一彪の軍馬が、蜀紅の旗と、丞相旗を振りかかげ、また、一輛の四輪車を真っ先に押して馳け向かって来る。
「や、や?」
司馬懿は、仰天した。
死せりとばかり思っていた孔明は白羽扇を持ってその上に端坐している。車を護り繞っている者は、姜維以下、手に手に鉄槍を持った十数人の大将であり、士気、旗色、どこにも陰々たる喪の影は見えなかった。
「すわ、またも不覚。孔明はまだ死んでいない。――浅慮にもふたたび彼の計にかかった。それっ、還れ還れっ」
仲達は度を失って、馬に鞭打ち、にわかに後ろを見せて逃げ出した。
四
「司馬懿、何とて逃げるか。反賊仲達、その首をさずけよ」
蜀の姜維は、やにわに槍をすぐって、孔明の車の側から征矢のごとく追って来た。
突然、主将たる都督仲達が、駒をめぐらして逃げ出したのみか、先駆の諸将も口々に、
――孔明は生きている!
――孔明なお在り!
と、驚愕狼狽して、我先に馬を返したので、魏の大軍は、その凄まじい怒濤のすがたを、急激に押し戻されて、馬と馬はぶつかり合い、兵は兵を踏み潰し、阿鼻叫喚の大混乱を現出した。
蜀の諸将と、その兵は、思うさま是に鉄槌を加えた。わけて姜維は潰乱する敵軍深く分け入って、
「司馬懿、司馬懿。どこまで逃げる気か。折角、めずらしくも出て来ながら、一槍も交えず逃げる法はあるまい」
と、鞍鐙も躍るばかり、馬上の身を浮かして、追いかけ追いかけ呼ばわっていた。
仲達はうしろも見なかった。押し合い踏み合う味方の混乱も蹄にかけて、ただ右手なる鞭を絶え間なく、馬の尻に加えていた。身を鬣へ打ち俯せ、眼は空を見ず、心に天冥の加護を念じ、ほとんど、生ける心地もなく走った。
だが、行けども行けども、だれか後ろから追って来る気がする。そのうちおよそ五十里も
駈け続けると、さしも平常名馬といわれている
駿足もよろよろに脚がみだれて来た。口に白い

ばかりふいて、鞭を加えられても、いたずらに一つ所に
足搔いているように思われる。
「都督都督。我々です。もうここまで来れば大丈夫。そうお怕れ遊ばすにはあたりません」
追いついて来た二人の大将を見ると、それは敵にはあらで、味方の夏侯覇、夏侯威の兄弟であった。
「ああ。汝等であったか......」
と、仲達は初めて肩で大息をついたが、なおしたたる汗に老眼晦く霞んで半刻ほどは常の面色に回らなかったと、後々まで言い伝えられた。
実際、彼の顚倒した愕き振りは察するにあまりあるものがある。彼においてすらそうであったから魏の大軍がうけた損傷は莫大だった。このとき夏侯覇兄弟は、
「蜀の勢は急激にまた退いたようですから、この際、お味方を立て直して、更に猛追撃を試みられてはどうです」
と、すすめたが、孔明なお在りと、一時に信じて恐怖していた司馬懿は、容易に意を決するに至らず、ついに全軍に対して引き揚げを命じ自身も近道を取って、空しく渭水の陣へ返ってしまった。
敗走した諸将もやがて追い追いに集まり、逃散した近辺の百姓もぼつぼつ陣門に来ていろいろな説をなした。それらの者の報告を綜合してみると、大体次のような様子がようやく知れた。
すなわち、蜀軍の大部分は、疾く前日のうちに五丈原を去り、ただ姜維の一軍のみが最後の最後まで踏み止まっていたものらしい。
ことに、百姓達に言わせると、
「初めの日、蜀の軍が、夕方からたくさんに五丈原から西方の谷間に集まりました。そして白の弔旗と黒い喪旗を立てならべ、一つの蓋霊車を崇めて、人々の嘆き悲しむ声が夜明けごろまで絶えませんでした」と、目撃したその日の実情を口々に伝え、
「車の上の孔明も、青い紗を繞らしてありましたが、どうも木像のように思われました」
とも語った。
こう聞いて初めて司馬懿は孔明の死のやはり真実であったのを覚った。急に再び兵を発して長駆追ってみたが、すでに蜀軍の通ったあとには渺として一刷の横雲が山野を曳いているのみだった。
「今は、追うも益はない。如かず長安に帰って、予も久々で安臥しよう」
赤岸坡から引っ返して、帰途、孔明の旧陣を見るに、出入りの趾、諸門衙営の名残、みな整々と法にかなっている。
司馬懿は、低徊久しゅうして、在りし日の孔明を偲びながら、独りこう呟いたという。
「真に、彼や天下の奇才。おそらくこの地上に、再びかくのごとき人を見ることはあるまい」
松に古今の色無し
一
旌旗色なく、人馬声なく、蜀山の羊腸たる道を哀々と行くものは、五丈原頭のうらみを霊車に駕して、空しく成都へ帰る蜀軍の列だった。
「ゆくてに煙が望まれる。......この山中に不審な事だ。だれか見て来い」
楊儀、姜維の両将は、物見を放って、しばらく行軍を見合わせていた。道はすでに有名な桟道の嶮岨に近づいていたのである。
一報。二報。偵察隊は次々に帰って来た。
すなわち言う。この先の桟道を焼き払って、道を阻めている一軍がある。それは魏延にちがいないと。
「さてこそ」
姜維は扼腕したが、楊儀は文吏である。どうしようと色を失った。
「心配はない。日数はかかるが、機山の間道を辿れば、桟道に依らず、南谷のうしろへ出られる」
嶮岨、隘路を迂回して、全軍はからくも南谷を塞いでいる魏延軍のうしろへ出た。
途上から、楊儀はこの顚末を、成都へ報じた。ところが、その前に、魏延からも、上表がとどいていた。
(楊儀、姜維の徒が、丞相薨ぜられるや、たちまち、兵権を横奪して、乱を企てておるので、自分は彼等を討つ所存である)
というのが魏延からの上奏文であり、後から届いた楊儀の上表には、それとはまったく反対な実状が訴えられて来た。
孔明の訃が報じられて、成都宮の内外は、哀号の声と悲愁の思いに閉じられ、帝劉禅も皇后も日夜かなしみ嘆いていた折なので、この直後の変に対しても、いかに裁いてよいか、判断にも迷った。
すると蔣琬が、こう言ってなぐさめた。
「丞相遠く出られる日より、ひそかに魏延の叛骨は憂いのたねとしておられました。平素その活眼ある丞相のこと故、必ずや死後のおもんぱかりをなして、何らかの策を楊儀等に遺して逝ったにちがいありません。しばらく、次の報せをお待ちあそばしませ」
蔣琬の言はさすがによく事態を視、孔明の遺志を知るものでもあった。
魏延は手勢数千をもって、桟道を焼き落とし、南谷を隔てて、
「楊儀や姜維に
一
吹かせてくれん」と、構えていたものだが、何ぞ知らん、その相手が間道づたいにうしろへ迫っていたことに気づかなかった。
必然、彼の
旺んなる
覇気叛骨も、一敗地にまみれ去った。手勢の大半は、千
仭の谷底へ追い落としを

い、残余の兵をかかえて、命からがら逃げのびた。
かかる中にも慌てず騒がず、彼に従ってしかもなお無疵の精兵を部下に持っていたのはかの馬岱だった。
魏延はかつて彼に加えた我意傲慢もわすれて今は馬岱を恃みにして諮った。
「どうしよう。いっその事、魏の国へ逃げこんで、曹叡に降ろうか」
「何たるお気の小さい事を言わるるか。東西両川の人士はみな孔明なくんば魏延こそ蜀の将来を担う者と嘱目していたのではありませんか。またあなたもその自負信念があればこそ桟道を焼いたのでしょう」
「そうだ。もとよりそうであったが......」
「なぜ初志を貫徹なさらないのですか。及ばずながら馬岱もおりますのに」
「貴公もあくまで行動を共にしてくれるか」
「ひとたび一つ旗の下に陣夢を結んだ宿縁からもあなたを離れるようなことはいたしません」
「有り難い。さらば南鄭へ襲せかけよう」
と、兵備をあらためて、そこへ急襲に向かった。
南谷を渡って、魏延に一痛打を加え去った楊儀、姜維等は、先を急いでその霊車を南鄭城の内に安んじ、さて殿軍が着くのを待って、魏延のうごきを訊いていたところであった。
「――なに。なおまっしぐらにこれへ攻めて来るとか。小勢とはいえ、蜀中一の勇猛、加うるに、馬岱も彼を助けておる。油断はなりませぬぞ」
姜維がかく戒めると、楊儀の胸には、この時とばかり、思い出されたものがある。それは孔明が臨終の折、自分に授けて、後日、魏延に変あるとき見よ、と遺言して逝った――あの錦の囊であった。
二
囊の中には一書が納められてあった。孔明の遺筆たるは言うまでもない。封の表には、
――魏延、叛を現わし、その逆を伐つ日までは之を開いて秘力を散ずるなかれ。
と、認めてある。
楊儀と姜維は囊中の遺計が教える所に従って、急に作戦を変更した。すなわち閉じたる城門を開け放ち、姜維は銀鎧金鞍という武者振りに、丹槍の長きを横にかかえ、手兵二千に、鼕々と陣歌を揚げさせて、城外へ出た。
魏延は、はるかにそれを見、同じく雷鼓して陣形を詰めよせて来た。やがて漆黒の馬上に、朱鎧緑帯し、手に龍牙刀をひっさげて、躍り出たる者こそ魏延だった。
味方であった間は、さまでとも思えなかったが、こうして敵に廻してみると、何さま魁偉な猛勇に違いない。姜維も並ならぬ大敵と知って、心中に孔明の霊を念じながら叫んだ。
「丞相の身もまだ冷えぬうちに、乱を謀むほどな悪党は蜀には居ないはずだ。日ごろを悔いて自ら首を、霊車に供え奉りに来たか」
「笑わすな、姜維」
魏延は、唾して軽くあしらった。
「まず、楊儀を出せ。楊儀からさきに片づけて、しかる後、貴様の考え次第ではまた相手にもなってやろう」
すると、後陣の中からたちまち楊儀が馬をすすめて来た。
「魏延! 野望を持つもいいが、身のほどを量って持て。一斗の瓶へ百斛の水を容れようと考える男があれば、それは馬鹿者だろう」
「おっ、おのれは楊儀だな」
「口惜しくは天に誓ってみよ――たれが俺を殺し得んや――と」
「なにを」
「――たれが俺を殺し得んやと、三度叫んだら、漢中はそっくり汝に献じてくれる。言えまい、それほどな自信は叫べまい」
「だまれ、孔明すでに亡き今日、天下に俺と並び立つ者はない。三度はおろか何度でも言ってやろう」
魏延は馬上に反りかえって大音を繰り返した。
「たれが俺を殺し得んや。――たれが俺を殺し得んや。――居るなら出て来いっ」
すると、彼のすぐうしろで、大喝が聞こえた。
「ここに居るのを知らぬか。――それっ、この通り殺してやる」
「あっ?」
振り向いた頭上から、戞然、一閃の白刃が降りて来た。どう交わす間も受ける間もない。魏延の首は血煙を噴いてすっ飛んだ。
わあっ――と敵味方とも囃した。血刀の雫を振りつつ、すぐ楊儀と姜維の前へ寄って来たのは、馬岱であった。
孔明の生前に、馬岱は秘策をうけていた。魏延の叛意はその部下全部の本心ではないので、兵はみな彼と共に帰順した。
かくて、孔明の霊車は、無事に成都へ着いた。四川の奥地はすでに冬だった。蜀宮雲低く垂れて涙恨をとざし、帝劉禅以下、文歩百官、喪服して出迎えた。
孔明の遺骸は、漢中の定軍山に葬られた。宮中の喪儀や諸民の弔祭は大へんなものだったが、定軍山の塚は、故人の遺言によって、極めて狭い墓域に限られ、石棺中には時服一着を入れたのみで、当時の慣例としては質素極まるものだったという。
「身は死すともなお漢中を守り、毅魄は千載に中原を定めん」となす、これが孔明の遺志であったにちがいない。
蜀朝、
諡して、
忠武侯と
称う。
中には後の世まで、一
石琴を伝えていた。軍中つねに愛弾していた故人の
遺物である。一
搔すれば
琴韻清越、
多年干戈剣戟の
裡にも、なお
粗朴なる洗心と
雅懐を心がけていた
丞相その人の面影を
偲ぶに足ると言われている。
渺茫千七百年、民国今日の健児たちに語を寄せていう者、豈ひとり定軍山上の一琴のみならんやである。
「松ニ古今ノ色無シ」相響き相奏で、釈然と醒め来れば、古往今来すべて一色、この輪廻と春秋の外ではあり得ない。
篇外余録
諸葛菜
一
三国鼎立の大勢は、ときの治乱が起こした大陸分権の自然な風雲作用でもあったが、その創意はもともと諸葛孔明という一人物の胸底から生まれ出たものであることは何としても否み難い。まだ二十七歳でしかなかった青年孔明が、農耕の余閑、草廬に抱いていた理想の実現であったのである。時に、三顧して迎えた劉玄徳の奨意にこたえ、いよいよ廬を出て起たんと誓うに際して、
「これをもってあなたの大方針となすべきでしょう。これ以外に漢朝復興の旗幟をもって中原に臨む道はありますまい」
と、説いたものが実にその発足であったわけだ。
そしてついに、その理想は実現を見、玄徳は西蜀に位置し、北魏の曹操、東呉の孫権と、いわゆる三分鼎立の一時代を画するに至ったが、もとより是が孔明の究極の目的ではない。
孔明の天下の三分の案は、玄徳が初めからの志望としている漢朝統一への必然な過程として選ばれた道であった。
しかし、この中道において、玄徳は世を去り幼帝の将来とともに、その遺業をも挙げて、
――すべてをたのむ。
と、孔明に託して逝ったのである。孔明の生涯とその忠誠の道は、まさにこの日から彼の真面目に入ったものと言っていい。
遺孤の寄託、大業の達成。――寝ても醒めても「先帝の遺詔」にこたえんとする権化のすがたこそ、それからの孔明の全生活、全人格であった。
故に原書『三国志演義』も、孔明の死にいたると、どうしても一応、終局の感じがするし、また三国争覇そのものも、万事休む――の観なきを得ない。
おそらく読者諸氏もそうであろうが、訳者もまた、孔明の死後となると、とみに筆を呵す興味も気力も稀薄となるのをいかんともし難い。これは読者と筆著たるを問わず古来から三国志にたいする一般的な通念のようでもある。
で、この迂著三国志は、桃園の義盟以来、ほとんど全訳的に書いて来たが、私はその終局のみは原著にかかわらず、ここで打ち切っておきたいと思う。即ち孔明の死をもって、完尾としておく。
原書の『三国志演義』そのままに従えば、五丈原以後――「孔明計ヲ遺シテ魏延ヲ斬ラシム」の桟道焼き打ちの事からなお続いて、魏帝曹叡の栄華期と乱行ぶりを描き、司馬父子の擡頭から、呉の推移、蜀破滅、そしてついに、晋が三国を統一するまでの治乱興亡をなおあくまでつぶさに描いているのであるが、そこにはすでに時代の主役的人物が見えなくなって、事件の輪郭も小さくなり、原著の筆致もはなはだ精彩を欠いてくる。要するに、龍頭蛇尾に過ぎないのである。
従って、それまでを全訳するには当たらないというのが私の考えだが、なお歴史的に観て、孔明歿後の推移も知りたいとなす読者諸氏も少なくあるまいから、それはこの余話の後章に解説することにする。
それよりも、原書にも漏れている孔明という人がらに就いて、もっと語りたいものを多く残しているように、私には思える。それも演義本にのみ依らず、他の諸書をも考合して、より史実的な「孔明遺事」ともいうべき逸話や後世の論評などを一束しておくのも決して無意義ではなかろう。それをもってこの『三国志』の完結の不備を補い、また全篇の骨胎をいささかでも完きに近いものとしておくことは訳者の任でもあり良心でもあろうかと思われる。
以下そのつもりで読んでいただきたい。
二
布衣の一青年孔明の初めの出現は、まさに、曹操の好敵手として起った新人のすがたであったと言ってよい。
曹操は一時、当時の大陸の八分までを席巻して、荊山楚水ことごとく彼の旗をもって埋め、
「呉のごときは、一水の長江に恃む保守国のみ。流亡是事としている玄徳のごときはなお更言うに足らない」
とは、そのころの彼が正直に抱いていた得意そのものの気概であったにちがいなかろう。
それを彗星のごとく出でて突如挫折を加えたものが孔明であった。また、着々と擡頭して来た彼の天下三分策の動向だった。
曹操が自負満々だった魏の大艦船団が、烏林、赤壁にやぶれて北に帰り、次いでまた、玄徳が荊州を占領したと聞いたとき、彼は何か書き物をしていたが、愕然、耳を疑って、
「ほんとか?」
と、筆を取り落としたという事は、魯粛伝にも記載されているし、有名な一插話となっているが、それをみてもいかに彼が、無敵曹氏の隆運を自負しきっていたかが知れる。
しかも以後、
(劉備麾下に青年孔明なるものがある)を、意識させられてからというものは、事ごとに、志とたがい、さしもの曹操もついに、身の終わるまで、自己の兵を、一歩も江漢へ踏み入らせることができなかった。
――とは言え、曹操という者の性格には、いかにも東洋的英傑の代表的な一塑像を見るようなものがある。その風貌ばかりでなくその電撃的な行動や多感な情痴と熱においても、まことに英雄らしい長所短所の両面を持っていて、『三国志』の序曲から中篇までの大管絃楽は絶えず彼の姿に依って奏されているというも過言でない。
劇的には、劉備、張飛、関羽の桃園義盟をもって、三国志の序幕はひらかれたものと見られるが、真の三国志的意義と興味とは、何といっても、曹操の出現からであり、曹操がその、主動的役割をもっている。
しかしこの曹操の全盛期を分水嶺として、ひとたび紙中に孔明の姿が現われると、彼の存在もたちまちにして、その主役的王座を、ふいに襄陽郊外から出て来たこの布衣の一青年に譲らざるを得なくなっている。
ひと口にいえば、三国志は曹操に始まって孔明に終わる二大英傑の成敗争奪の跡を叙したものというもさしつかえない。
この二人を文芸的に観るならば、曹操は詩人であり、孔明は文豪と言えると思う。
痴や、愚や、狂に近い性格的欠点をも多分に持っている英雄として、人間的なおもしろさは、はるかに、孔明以上なものがある曹操も、後世久しく人の敬仰をうくることにおいては、到底、孔明に及ばない。
千余年の久しい時の流れは、必然、現実上の両者の勝敗ばかりでなく、その永久的生命の価値をもあきらかに、曹操の名をはるかに、孔明の下に置いてしまった。
時代の判定以上な判定はこの地上においてはない。
ところで、孔明という人格を、あらゆる角度から観ると、一体、どこに彼の真があるのか、あまり縹渺として、ちょっと捕捉できないものがある。
軍略家、武将としてみれば、実にそこに真の孔明がある気がするし、また、政治家として彼を考えると、むしろその方に彼の神髄はあるのではないかという気もする。
思想家ともいえるし、道徳家ともいえる。文豪といえば文豪というもいささかもさしつかえない。
もちろん彼も人間である以上その性格的短所はいくらでも挙げられようが、――それらの八面玲瓏ともいえる多能、いわゆる玄徳が敬愛措かなかった大才というものはちょっとこの東洋の古今にかけても類のすくない良元帥であったと言えよう。
良元帥。まさに、以上の諸能を一将の身にそなえた諸葛孔明こそ、そう呼ぶにふさわしい者であり、また、真の良元帥とは、そうした大器でなくてはと思われる。
とはいえ、彼は決して、いわゆる聖人型の人間ではない。孔孟の学問を基本としていたことは窺われるが、その真面目はむしろ忠誠一図な平凡人という所にあった。
三
彼がいかに平凡を愛したかは、その簡素な生活にも見ることができる。
孔明がかつて、後主劉禅へささげた表の中にも、日ごろの生活態度を、こう述べている。
――成都ニ桑百株、薄田十五頃アリ。
子弟ノ衣食、自ズカラ余饒アリ。臣ニ至リテハ、外ニ任アリ。別ノ調度ナク、身ニ随ウノ衣食、コトゴトク官ニ仰ゲリ。別ニ生ヲ治メテ以テ尺寸ヲ長ズルナシ。モシ臣死スルノ日ハ、内ニ余帛アリ、外ニ嬴財アラシメテ、以テ、陛下ニ背カザル也。
枢要な国務に参与する者の心構えの一つとして、孔明はこれを生活にも実践したものであろう。後漢以来、武臣銭を愛すの弊風は三国各々の内にも跡を絶たなかったものにちがいない。
無私忠純の亀鑑を示そうとした彼の気もちは表の辞句以外にもよくあらわれている。
彼は清廉であるとともに、正直である。兵を用いるや神算鬼謀、敵をあざむくや表裏不測でありながら、軍を離れて、その人間を観るときは、実に、愚ともいえるほど正直な道をまっすぐに歩いた人であった。
子のように愛していた馬謖を斬ったなども、そのあらわれの一つといえるし、また、劉玄徳が死に臨んで、
「遺孤の身も、国の後事も、一切をあげて託しておくが、もし劉禅が暗愚で蜀の帝主たるの資質がないと卿が観るならば、卿が帝位に即いて、蜀を取れ」
と、遺言したにかかわらず、彼は毛頭そんな野心は抱かなかった。
だから晩年、年を次いでの北伐遠征には、ずいぶん孔明に従って行った将士が、他山の屍となって帰らなかったが、蜀中の戦死者の遺族も、決して、彼にたいして怨嗟しなかった。
のみならず、孔明の死に会うや、蜀の百姓は、

を立て、
碑を築き、彼の休んだ
址も、彼の馬をつないだ木も、一木一石の縁、みな
小祠となって、土民の祭りは絶えなかった。
また、彼は内政と戦陣にかかわらず、賞罰には非常に厳しかったので、彼のために左遷させられたり逼塞したのもずいぶんあったが、すべて彼の「私なき心」には怨む声もなく、かえって孔明の死後には、そうした人々までが、
「――再び世に出る望みを失った」
と、みな嘆いているほどである。
「いやしくも一国の宰相でありながら、夜は更けて寝ね、朝は夙に起き出で、時務軍政を見、その上、細かい人事の賞罰までにいちいち心を労い過ぎているのは、真の大器量でないし、また、蜀にも忠に似てかえって忠に非ざるものである」
という彼への論評などもないではなく、後世の史家は、その他にもいろいろ孔明の短所をかぞえあげているが、要するに、国を憂いて
軀を削り、その赤心も病み
煩うばかり日々夜々の戦いに苦闘しつつあった古人を、後世の御苦労なしの文人や理論家が、
暖衣飽食しながら
是々非々論じたところで、それはことばの遊戯以外の何ものでもないのである。いわんや晩年数次にわたる
北魏進撃と
祁山滞陣中の労苦とは、外敵の強大なばかりでなく、絶えず蜀自体の内にさまざまな憂うべきものが
蔵されておったような危機においてをやである。
思うに、孔明はまったく、その体が二つも三つも欲しかったろう。あるいは、その天寿を、もう十年とも、思ったであろうと察しられる。
やはり彼の真の知己は、無名の民衆にあったといえよう。今日、中国各地にのこっている――駐馬塘とか、万里橋とか、武侯坡とか、楽山とか称んでいる地名の所はみな、彼が詩を吟じた遺跡だとか、馬をつないだ堤だとか、人と相別れた道だとかいう語り伝えのあるところである。そういう純朴な思慕の中にこそ、むしろ彼の姿はありのままに、また悠久に、春秋の時をも超えて残されていると思う。
四
――しかし、ただ困るのは、民間のあまりな彼への景仰は、時には度がすぎて、孔明のすべてを、ことごとく神仙視してしまうことである。
その二、三の例をあげると。
――孔明の女は雲に乗って天に上った。それが葛女祠として祭られたものだ。『朝真観記記事』
――木牛流馬は入神の自動器械で、人の力を用いずひとりでに走った。『戎州志』
――彼は時計も作った。その時計は、毎更に鼓を鳴らし、三更になると、鶏の声を三唱する。『華夷考』
――孔明の用いた釜は今でも水を入れるとひとりでにすぐ沸く。『丹鉛録』
――孔明の墳のある定軍山に雲が降りると今でもきっと撃鼓の声がする。漢中の八陣の遺蹟には、雨がふると、喊の声が起こる。『子宝晋記』
そのほか探せば数限りのないほどこの類の口碑伝説はたくさんある。純朴愛すべきものもあるが、中には滑稽でさえあるのもある。『三国志演義』の原著書は、史実と伝説とを、充分に知悉していながら、しかも多分にそういう土語民情の中に伝えられている孔明の姿をも取り容れて、更にそれを文学的に神仙化しているのである。彼の兵略戦法を語るに、六丁六甲の術を附し、八門遁甲の鬼変を描写している件などはみなそうであるし、わけて天文気象に関わることは、みな中国の陰陽五行と星暦に拠ったものである。
けれど五行観も、宿星学も、これは根深く、黄土大陸の庶民に、久しい間信ぜられていた根本の宇宙観であり、それと結ばれていた人生観でもあったのだから、これを否定しては、『三国志演義』は成り立たないことになる。またかくのごとく民衆のあいだに長く読み伝えられても来なかったにちがいない。――で、私のこの新訳『三国志』も、そういう箇所にかかるたび、すくなからず苦労が伴った。近代の読書人に対しては何としてもあまりに怪刀乱神の奇異を語るに過ぎなくなるからである。ただその点において救われ得る道は、ただ一つ詩化あるのみであった。その点は原書も大いに意を用いたらしく思われるが、私の場合も、一種の民族的詩劇を描くつもりで書いて行った。同時に、そうした妖しき粉彩も音楽も、背景も一切削除するなく、原書のまま書きすすめた。
ちと横道へそれたが、中国の民衆が、時経つほど、いかに孔明を神仙視したかという話では、唐代になってからでも、こんな插話がひろく行なわれていたのを見てもわかる。
――唐ノ頃、盗アリ、先主ノ墳ヲ発ク。盗数名。斉シク入リシニ、人アリ、燈下ニ対シテ碁ヲ囲ムモノ両人、側ラニ侍衛スルモノ十数名ヲ見ル。
盗、怖レテ拝ス。其ノ時、座ノ一人。顧ミテ盗ニ曰ク。汝等、能ク飲ムカト。
而シテ、各々ニ美酒一杯ヲ飲マセ、マタ玉帯数条ヲ出シテ頒ケ与ウ。
盗、畏震シテ、速ヤカニ坑ヲ出デ、相顧ミテ、モノヲ言ワントスレバ、唇ハ皆、漆ニ閉ジラレテ開カズ、手ノ玉帯ヲ見レバ、各々、怖ロシゲナル巨蛇ヲ摑ミテアリシト。後ニ里人ニ問エバ、此ノ陵ハ諸葛武侯ガ造ル所ノモノナリト曰ウ。
これは『談叢』という一書のうちに見える記事である。
書物の話が出たついでに孔明の著作に就いていえば、兵書、経書、遺表の文章など、彼の筆に成るものと伝えられるものはかなりある。しかし、多くは後人の編志、あるいは代作が多いことは言うまでもない。
そのうちでも代表的な孔明流の兵書と称する『諸葛亮五法五巻』などは日本にも伝わって、後のわが楠流軍学や甲州流その他の兵学書などと同列しているが、もとより信じられるものではない。
彼が、陣中でよく琴を弾じていたというところから『琴経』という琴の沿革や七絃の音譜を書いた本も残されている。真偽は知らないが、孔明が多趣味な風流子であったことは事実に近いようである。『歴代名書譜』にも、
――諸葛武侯父子、皆画ヲ能クス。
と見えるし、その他の書にも、孔明が画に長じていたことはみな一致して記載している。しかしその画と信じ得るようなものはもちろん一作も伝わってはいない。
五
何事にも、几帳面だったことは、孔明の一性格であったように思われる。
孔明が軍馬を駐屯した営塁のあとを見ると、井戸、竈、障壁、下水などの設計は、実に、繩墨の法にかなって、規矩整然たるものであったという。
また、官府、次舎、橋梁、道路などのいわゆる都市経営にも、第一に衛生を重んじ、市民の便利と、朝門の威厳とをよく考えて、その施設は、当時として、すこぶる科学的であったようである。
そして、孔明自身が、自らゆるしていたところは、
謹慎
忠誠
倹素
の三つにあったようである。公に奉ずること謹慎、王室につくすこと忠誠、身を持すること倹素。――そう三つの自戒をもって終始していたと言えよう。
こういう風格のある人に、まま見られる一短所は、謹厳自らを持すあまりに、人を責める時にも、自然、厳密に過ぎ峻酷に過ぎる傾きのあることである。潔癖は、むしろ孔明の小さい疵だった。
たとえば日本における豊臣秀吉のごときは、犀眼、鋭意、時に厳酷でもあり、烈しくもあり、鋭くもあり、抜け目もない英雄であるが、どこか一方に、開け放しなところがある。東西南北四門のうちの一門だけには、人間的な愚も見せ、痴も示し、時にはぼんやりも露呈している。彼を繞る諸侯は、その一方の門から近づいて彼に親しみ彼に甘え彼と結ぶのであった。
ところが、孔明を見ると、その性格の几帳面さが、公的生活ばかりでなく、日常私生活にもあらわれている。なんとなくみだりに近づき難いものを感じさせる。彼の門戸にはいつも清浄な砂が敷きつめてあるために、砂上に足跡をつけるのは何か憚られるような気持ちを時の蜀人も抱いていたにちがいない。
要するに、彼の持した所は、その生活までが、いわゆる八門遁甲であって、どこにも隙がなかった。つまり凡人を安息させる開放がないのである。これは確かに、孔明の一短といえるものでなかろうか。魏、呉に比して、蜀朝に人物の少ないといわれたのも、案外、こうした所に、その素因があったかもしれない。
孔明の一短を挙げたついでに、蜀軍がついに魏に勝って勝ち抜き得なかった敗因がどこにあったかを考えて見たい。私は、それの一因として、劉玄徳以来、蜀軍の戦争目標として唱えて来た所の「漢朝復興」という旗幟が、果たして適当であったかどうか。また、中国全土の億民に、いわゆる大義名分として、受け容れられるに足るものであったか否かを疑わざるを得ない。
なぜならば、中国の帝立や王室の交代は、王道を理想とするものではあるが、その歴史も示すごとく、常に覇道と覇道との興亡をもって繰り返されているからである。
そこで漢朝というものも、後漢の光武帝が起って、前漢の朝位を簒奪した王莽を討って、再び治平を布いた時代には、まだ民心にいわゆる「漢」の威徳が植えられていたものであるが、その後漢の治世も蜀帝、魏帝以降となっては、天下の信望は全く地に墜ちて、民心は完全に漢朝から離れ去っていたものなのである。
劉玄徳が、初めて、その復興を叫んで起った時代は、実にその末期だった。玄徳としては、光武帝の故智に倣わんとしたものかもしれないが、結果においては、ひとたび漢朝を離れた民心は、いかに呼べど招けど――覆水フタタビ盆ニ返ラズ――の観があった。
ために、玄徳があれほどな人望家でありながら、容易にその大を成さず、悪戦苦闘のみつづけていたのも、帰するところ、部分的な民心はつなぎ得ても、天下は依然、漢朝の復興を心から歓迎していなかったに依るものであろう。
同時に、劉備の死後、その大義名分を、先帝の遺業として承け継いで来た孔明にも、禍因はそのまま及んでいたわけである。彼の理想のついに不成功に終わった根本の原因も、蜀の人材的不振も、みなこれに由来するものと観てもさしつかえあるまい。
六
『三国志演義』のうちの本文にしばしば見るところの――身に
鶴氅を着、
綸巾をいただき、手に
白羽扇を持つ――という彼の
風
の描写は、いかにも
神韻のある詩的文字だが、これを平易にいえば、
(いつも葛織の帽をかぶり、白木綿か白麻の着物をまとい、素木の輿、あるいは四輪の車に乗って押されてあるいた)
という彼の簡易生活の一面を、それに依って窺うことができるのである。
彼には初め子がなかった。
で、兄の諸葛瑾の次男、喬をもらって養子としていた。瑾は呉の重臣なので当然、その主孫権のゆるしを得たうえで蜀の弟へ送ったものであろう。
この喬は、叔父や父のよい所にも似て、将来を嘱望され、蜀の駙馬都尉に役付きして、時には養父孔明に従って、出征したこともあるらしいが、惜しいかな、二十五で病死した。
孔明の家庭はまたしばらく寂寥だったが、彼が四十五歳の時、初めて実子の瞻をもうけた。晩年の初子だけに、彼がどんなによろこんだかは想像にあまりあるものがある。
かつ、瞻はたいへん才童であったとみえ、建興十二年、呉にある兄の瑾に宛てて送っている彼の書簡にもこう見える。
=瞻今スデニ八歳、
聡慧愛スべシ、タダ
其ノ
早成、
恐ラクハ
重器タラザルヲ

ウノミ。
彼は八歳の児を見るにさえ、国家的見地からこれを観ていた。
その年、孔明は征地に歿したのである。遺愛の文房のうちから、「子を誡むる書」というのが出て来た。
その後、瞻は十七の時蜀の皇妹と結婚、翰林中郎将に任ぜられた。
父の遺徳は、みな瞻の上に幸いして、善政があるとみな瞻のなしたように言われた。しかし、その名声はすこし溢美に過ぎていたようである。孔明が生前すでに観ていたように、
(この子、おそらくは大器にあらず)
という所がやはり瞻の実質であったようである。
蜀亡ぶの年、瞻は、三十七で戦死した。
子の尚もまだ十六、七歳であったが、長駆、魏軍のなかに突き入って奮戦の末、果敢な死をとげた。
決して、国家の大器ではなかったにせよ、孔明のあとは、その子、その孫も、共に国難に殉じて、みな父祖の名を辱しめなかった。
尚の下にも、なお小さい弟があったといわれるが、この人の伝はわからない。また、孔明には他の母系もあったという説もあるが、それも真偽はさだかでない。
孔明の家系は、こうして元の草裡に隠れてしまったが、この諸葛氏なる一門からは、この三国分立時代に、三人の将相を同族から出していたのみでなく、その各々が、蜀、魏、呉と別れていたのは一奇観であった。
すなわち、孔明は蜀に、兄の瑾は呉に、従兄弟の誕は魏に。そして誕のことはあまり言われていないが、一書に、
――諸葛氏ノ兄瑾、弟誕、並ビテ令名アリ。各々一国ニ在ルガ故、人以テ曰ウ、蜀ハ龍ヲ得タリ、呉ハ虎ヲ得タリ、而シテ、魏ハソノ狗ヲ得タリト。
これは少し酷評のようである。誕は分家の子で早くから魏に仕え一方の将をしていたが、孔明と瑾の間のように親交がなかったので、三国志中にもあまり活躍していないだけにとどまるのだ。ただ、後に魏を取った司馬晋に叛いて敗れ去ったため、晋人の筆に悪く書かれてしまったものとみえる。
誕についても、語ることは多いが、あまりに横道にそれるから略す。孔明死後の蜀のことは後に略説する。しかし彼の死後なお三十年間も蜀が他国に侵されなかったのは偏に彼の遺法余徳が、死後もなお国を守っていたためであったと言っても過言ではあるまい。
七
頼山陽の題詩「仲達、武侯の営址を観る図に題す」に、山陽はこう言っている。
――公論ハ敵讐ヨリ出ヅルニ如カズ。と。
至言である。山陽は、仲達が蜀軍退却の跡に立って、
「彼はまさに天下の奇才だ」
と、激賞したと伝えられている、そのことばをさして言ったのである。これ以上、孔明を論じ、孔明を是是非々してみる必要はないじゃないか――と世の理論好きに一句止めをさしたものと言えよう。
だが、ここでもう一言、私見をゆるしてもらえるなら、私はやはりこう言いたい。仲達は天下の奇才だ。と言ったが、私は、偉大なる平凡人と称えたいのである。孔明ほど正直な人は少ない。律義実直である。決して、孔子孟子のような聖賢の円満人でもなければ、奇嬌なる快男児でもない。ただその平凡が世に多い平凡とちがって非常に大きいのである。
彼が、軍を移駐して、ある地点からある地点へ移動すると、かならず兵舎の構築とともに、
附近の空閑地に
蕪(
蔓菁ともよぶ)の種を
蒔かせたということだ。この蕪は、春夏秋冬、いつでも成育するし、
土壌をえらばない特質もある。そしてその根から茎や葉まで
生でも煮ても

べられるという利便があるので、兵の軍糧副食物としては絶好の物だったらしい。
こういう細かい点にも気のつくような人は、いわゆる豪快英偉な人物の頭脳では求められないところであろう。正直律義な人にして初めて思いいたる所である。とかく青い物の栄養に欠けがちな陣中食に、この蕪はずいぶん大きな戦力となったにちがいない。戦陣を進める場合も、そのまま、捨てて行って惜し気もないし、また次の大地ですぐ採取することができる。で、この蔓菁の播植は、諸所の地方民の日常食に分布されて、今も蜀の江陵地方の民衆のあいだでは、この蕪のことを「諸葛菜」とよんで愛食されているという。
もうひとつ、おもしろいと思われる話に、こんなのがある。蜀が魏に亡ぼされ、後また、その魏を征して桓温が成都に入った時代のことである。そのころ、まだ百余歳の高齢を保って、劉禅帝時代の世の中を知っていた一老翁があった。
桓温は、老翁をよんで、
「おまえは、百余歳になるというが、そんな齢なら、諸葛孔明が生きていたころを知っているわけだ。あの人を見たことがあるか」と、たずねた。
老翁は、誇るがごとく答えた。
「はい、はい。ありますとも、わたくしがまだ若年の小吏のころでしたが、よく覚えておりまする」
「そうか。では問うが、孔明というのは、いったいどんなふうな人だったな」
「さあ? ......」
訊かれると、老翁は困ったような顔をしているので、桓温が、同時代から現在までの英傑や偉人の名をいろいろ持ち出して、
「たとえば......だれみたいの人物か。だれと比較したら似ていると思うか」と、かさねて問うた。
すると、老翁は、
「わたくしの覚えている諸葛丞相は、べつだんだれともちがった所はございません。けれども今、あなた様のいらっしゃる左右に見える大将方のように、そんなにお偉くは見えませんでした。ただ、丞相がお歿なりになってから後は、何となく、あんなお方はもうこの世にはいない気がするだけで御座います」
と、言ったということである。
仲達の言もよく孔明を賞したものであろうし、山陽の一詩も至言にはちがいないが、私は何となくこの老翁のことばの中にかえってありのままな孔明の姿があるような気がするのである。
丞相ノ祠堂 何レノ処ニカ尋ネン
錦管城外 柏森々
階ニ映ズ 碧草自ズカラ春色
葉ヲ隔ツ黄鸝 空シク好音
三顧頻繁ナリ 天下ノ計
両朝開瀚ス 老臣ノ心
師ヲ出シテ未ダ捷タズ 身先ズ死ス
長ク英雄ヲシテ 涙襟ニ満タシム
孔明を
頌した後人の詩は多いがこれは代表的な
杜子美の一詩である。
沔陽の
前に
後主劉禅が植えたという
柏の木が、唐時代までなお繁茂していたのを見て、杜子美がそれを題して
詠ったものだといわれている。
後蜀三十年
一
孔明なき後の、蜀三十年の略史を記しておく。
いったい、ここまでの蜀は、ほとんど孔明一人がその国運を担っていたと言っても過言でない状態にあったので、彼の死は、即ち蜀の終わりと言えないこともない。
しかし、それは孔明自身が、もって大いに、自己の不忠なりとし、またひそかなる憂いとしていた所でもある。
従って、自身の死後の備えには、心の届くかぎりの事を、その遺言にも遺風にも尽くしてある。
以後、なお蜀帝国が、三十年の長きを保って居たというも、偏に、「死してもなお死せざる孔明の護り」が内治外防の上にあったからにほかならない。
そこで孔明の歿した翌年すなわち蜀の建興十三年にはどんな事があったかというに、蜀軍の総引き揚げに際し、桟道の嶮で野心家の魏延を誅伐した楊儀も、官を剝がれて、官嘉に流され、そこで自殺してしまった。
延は儀を敵視し、儀は延を邪視し、この二人は、すでに孔明の生前から、互いによからぬ仲であったが、孔明の大度がよくそれを表面に現わすなく巧みに使って来たものに過ぎなかった。
それというのが二人ともひそかに、孔明の死後は、われこそ蜀の丞相たらんと、各々、その後継を繞って相争っていたからである。
かつて、呉の孫権は、蜀の使いに、孔明の左右にある重臣はだれかと訊ね、
「さてさて、儀や延を両腕にして戦っているのでは、さだめし孔明も骨が折れるだろう」
と、同情的な
口吻のうちに、延や儀の人物を
評していたという話もあるが、たしかに、この二人物は、蜀陣営の中の、いわゆる
厄介者にちがいなかった。
「――延は矜高。儀は狷介」
とは、孔明が生前にも、呟いていた語であった。――で彼は、そのいずれにも後事を託さず、かえって、平凡だが穏健な蔣琬と費褘とに嘱するところ多かったのである。
楊儀の失脚も、結局、その不平から起こったもので、彼は、成都に帰って後、さだめし大命われに降るものと、自負していたところ、なんぞはからん、重命は琬に降り、自分は中将軍師を任ぜられたに過ぎないので、以後、しきりに余憤をもらし、あまつさえ不穏な行動に出んとする空気すら窺われたので、蜀朝は、是に先んじて、彼の官を剝ぎ、官嘉の地へ流刑するの決断に出たものであった。
これが、孔明死後の成都に起こった第一の事件であった。支柱を失うと、必ず内争始まるという例は、一国も一家も変わりがない。蜀もその例外でなかった。
けれど、蔣琬はさすがに、善処して、過らなかった。彼はまず尚書令となって、国事一切の処理にあたったが、衆評は、彼に対して、
「あの人は平凡だが、平凡を平凡として、威張らず衒わず、挙止、ありのままだから至極よい」
と、みな言った。
孔明が、彼を挙げたのも、その特徴なきところを特徴として、認めていたからであったろう。
十三年四月。
琬は、大将軍尚書令に累進したので、そのあとには費褘が代わって就任した。また、呉懿が新たに車騎将軍となって、漢中を総督することになった。
遠征軍の大部分は引き揚げても、漢中は依然、蜀にとって、重要な前衛基地であった。なお多くの国防軍はそこに駐屯していた。呉懿の赴任は、そのためにほかならない。
ここに、たちまち
変を兆しはじめたのは、同盟国の呉であった。その態度は、孔明の死と同時に、露骨なものがあった。
「いま、蜀を急救しなければ、蜀は魏に

われてしまうであろう」
これを名目として、呉は、数万の兵をもって、蜀国境の巴丘へ出て来た。この物騒極まる救援軍に対して、蜀も直ちに、兵を派して、
「御親切は有り難いが、まず大した危機もこの方面にはないからお引き揚げ願いたい」
と、対峙の陣を布いた上、こう外交折衝に努めたので、呉もついに、火事泥的な手を出し得ずに、やがて一応、国境から兵を退いた。
二
建興十五年、蜀は、延凞と改元した。
この年、蔣琬は、討魏の軍を起こして、漢中に出で、ひそかに、魏の情勢を窺っていた。
孔明なき後も、劉玄徳以来の、中原進出の大志は、まだ多くの遺臣のうちには、烈々と誓われていた事がわかる。
琬は、孔明がいつも糧道の円滑に悩んでいた例を幾多知っていたので、こんどは水路を利用して魏へ入ろうとして建議したが、蜀の朝廷では、
「北流する水を利して進むは、入るに易い道には違いないが、ひとたび退こうとするときは、流れを溯上るの困難に逢着するであろう」
と言って、ついに彼の建議をゆるさなかった。これは、その作戦を否定したばかりでなく、すでに遠征を好まない空気が、ようやく、
議の上にも顕著となった一証だと見てよい。
「守らんか、攻めんか」
蜀の輿論は、ここ数年を、ほとんどそのいずれともつかずに過ごした。
そのうちに、延凞七年の三月、魏は蜀の足もとを見て、
「いまは一撃に潰えん」
となし、すなわち曹爽が総指揮となって、十数万の兵を率い、長安を出て、駱口を経、積年窺うところの漢中へ、一挙突入せんとした。
ところが、蜀軍いまだ衰えずである。蜀は、その途中に邀撃して、魏を苦戦に陥らしめた。
費褘の援軍が早く来たのと、涪方面に蜀兵の配置が充分であったため、たちまち、魏軍を諸所に捕捉して、痛打を加え、特有な嶮路を利用して、さんざんに敵を苦しめたのである。
「いけない、なおまだ孔明の遺風は生きている」
曹爽はそう言って退却した。
その翌年、蜀の蔣琬は死んだ。
蜀の良将はこうして一星一星、暁の星のように姿を消して行った。何かしらん力をもっては及び難いものが蜀の年々に黒框の歴史事項を加えていた。
蔣琬はついに丞相にはならなかったが、孔明の遺嘱を裏切らなかった忠誠の士であったことに間違いない。
同年、十二月にはまた、尚書令の董允が死んだ。允は琬に次ぐ重臣であり、剛直をもって鳴っていたので、琬の死以上、これを惜しむ人もあった。
この二者が亡ぶと、
「わが世の春が来た」
と言わぬばかりに擡頭して来た一勢力がある。官人の黄皓を中心とする者どもである。皓は日ごろから帝の寵愛を鼻にかけていたが、政治に容喙し始めたのは、このときからである。骨のある忠臣は相次いで世を去るにひきかえ、こういう類の者が内政から外務にまで新たに面を出すにいたっては、もはやその国の運命は量り知るべきである。
だが、ここになお、いささか蜀のために意を強うするに足るものはあった。それは、費褘、姜維の両人が健在なことだ。以後、彼等が鋭意国政に当たって、この衰亡期にある国家を支え、故孔明の遺志にこたえんとする努力には、涙ぐましいほどなものがある。
ただ――これは結果論となるが――姜維のただ一つの欠点であったことは、孔明ほどな大才や機略には到底及ばない自己であるを知りながらも、その誓うところあまりに大きく、その任あまりに多く、しかも功を急ぐの結果、彼の英身が、かえって蜀の瓦解へ拍車をかけるの形をなしてしまった事である。
さもあらばあれ、武人として、また唯一の遺法を、孔明手ずから授けられた彼としては、
(玉砕か、貫徹か)
まさにこの二途を賭して、あくまで積極的に出るしか生きがいは無かったであろう。
で彼は、かねて、涼州地方の羗族を懐柔していたので、この一勢力を用いて、魏へ進攻する策を企てた。
それの実現を見たのは、延凞十年の秋である。維は、擁州へ攻め入った。
魏の郭淮、陳泰などが、この防戦に当たり、各地で激烈な戦闘を展開したが、結局、魏の諸都を踏み荒らした程度で、蜀は退却のやむなきに至った。魏に退路を断たれ、また部下から多くの脱走者を出したりしたためだった。
三
ここにまた、蜀にとって一不幸が起こった。費褘の死である。
孔明の衣鉢をつぐ大器としては、まず費褘であろうとは、衆目の視ていたところであったが、突然、この訃が知れわたったので、蜀中は非常な哀愁につつまれた。
死因も、その折は、秘密にされていたが、後に自然一般にも知れてしまった。一夕、蜀の将軍連と歓談している宴席において、突然、魏の降将、郭循という者に刺し殺されたのであった。
費褘なき後、蜀の運命は、いよいよ姜維一人の双肩にかかった。
維は、十八年八月、魏の王経と洮西に戦って、久しぶりの大戦果をあげた。この時の殲滅には、魏兵万余人を斬り尽くして、洮西の山河をほとんど紅にしたといわれている。
ために、彼は大将軍に叙せられた。
しかしすぐ次の戦いには、魏の名将鄧艾と段谷にまみえて、こんどは逆に惨敗を喫した。
若きから孔明に私淑して来たものの、孔明に似て孔明にとどかず、その人格に力量に、いかんともなし得ぬ先天的な器量の差は、こういう風に、軍をうごかすたび、歴然と結果に出てくる。
延凞二十年。維は秦川を衝いた。
魏軍が関中方面へ移動したのでその虚をついたものである。
魏の鄧艾・司馬望の軍は、彼の鋭鋒を避けて、あえて当たらなかった。維はさまざまに挑んだが、消耗するに止まって、大した戦果も獲られずに終わった。
彼が、孔明の遺志をついで、しきり積極的となっていた背後には、内廷における黄皓等の反戦的空気が、ようやく濃厚になりかけていた。
かくては維も思うように戦えなかった。国家として、まことに危険な状態にあったといわねばならない。
延凞の年号は、二十年をもって
革められ、
景
元年となった。
帝劉禅は、このころからようやく国政に
倦み、日夜の歓宴に浸りはじめた。
時艱に耐うる天質のいとど薄い蜀帝をして、この安逸へ歓楽へと誘導するに努めていたものが、黄皓などの
宦臣の一群であったことは言うまでもない。
「ああ、国は危うい」
「かくては、蜀の落日も、一燦のうちであろう」
心ある者はみな歎いた。
しかし、帝の寵威を誇る黄皓にたいして、歯の立つ者はいなかった。
ひとり姜維は、面を冒して、諫奏幾たびか、
「佞臣は排されたい」
と、劉禅の賢慮を仰いだ。
饐えたる果物寵の中にあって、一箇の果物のみ饐えないでいるわけもない。帝の心はすでに甘言のみを歓ぶものになっている。朝に美姫の肩の柳絮を払い、夕べに佳酒を瑠璃杯に盛って管絃に酔う耳や眼をもっては、忠臣の諫言はあまりにもただ苦い気がした。
「蜀は風前の燈火だ」
維は、慨嘆した。
果たせるかな、魏は、
「時到る」
とこれを見ていた。そして景

六年の秋、一挙に蜀中に攻め入って、その
覆滅を遂ぐべしと、鄧艾、
鍾会を大将として、無慮数十万の大兵は、期して、魏を発し、漢中へ進撃した。
蜀の前衛は、たちまち潰えた。
姜維は、剣閣の嶮に拠り、この国難に、身を挺して防いだ。
さすがに、ここは容易に、抜けなかった。
けれど一方、陰平の険隘を突破した鄧艾の軍は、ときすでに蜀中を席巻し、直ちに成都へ突入していた。
成都。ああ、成都。
彼等蜀人は、ここに魏兵を見ようなどとは、まったく夢想もしていなかったのである。殺到する魏の大軍を見て初めて、
「これは、この世の事か」
と、狼狽したほどだったという。
ためにこのとき、城郭の防備などは、少しもしていなかったと言われている。知るべし、跳梁する敵人の残虐ぶりを。魏兵の蹂躙に悲鳴して逃げまどう婦女老幼のみじめさを。――かかるとき、なお毅然としてある都門第宅の輪奐の美も、あらゆる高貴を尊ぶ文化も、日ごろの理論や机上の文章も、ついに何の役をもなさなかった。むなしく災いの暴威と敵兵の闊歩におののくだけであった。
四
蜀宮は混乱した。
ここもまた、かつての、洛陽の府や長安の都そのままの日を現出した。
帝劉禅には、何らの策も決断もない。妃とともに哭き、内官たちと共にうろたえているのみである。
魏軍はすでに城下へ迫って歌っている。蜀亡びぬ、蜀すでに亡し。有るはただ城門を開いて魏旗の下にひざまずく一事のみと。
「どうしたらよいか。汝等の意見に従おう。ただ朕のために善処せよ」
劉禅は、これを告ぐるのがやっとであった。夜来の重臣会議もまだ一決も見ずにある。沈湎蒼白、だれの顔にも生気はない。
「呉を恃みましょう。陛下の御輦を守って、呉へ奔り、他日の再起を図らんには、またいつか蜀都に還幸の日が来るにちがいありませぬ」
「いや呉は恃み難い。むしろ呉は、蜀の滅亡をよろこぶ者であっても、蜀のために魏と戦うような信義のないことは、丞相孔明の死去のときからわかりきっている」
「いっそ、南方へ蒙塵あそばすのが、いちばん安全でしょう。南方はまだ醇朴な風があるし、丞相孔明が布いた徳はまだ民の中に残っています」
衆論はまちまちである。帝はただ迷うばかりだった。
ときに重臣の周譙が、やっと不器用な口つきで、最後に私見を述べた。
「もの事にはすべて、始めがあり終わりがあり、また中道があります。始めや途中の事なら一時の変ですから、挽回の工夫もあり、立て直しもききますが、今日の変は、要するに、丞相孔明が逝かれた後の万事の帰着です。天数の帰結です。もういけません。呉へ奔るも愚策、南方に蒙塵あるも、何もかも、ただ、末路の醜態を加えることでしかありません。......願うらくはただ、努めて先帝の御徳を汚さぬよう、蜀帝国の最期として、世の嗤い草にならぬよう、それのみを祈りまする」
「では、汝は、蜀城を開いて、魏に降伏するのがよいというのか」
「臣として、口になし得ないことですが、天命にお従い遊ばすならば、それしかほかに途はありません」
案外にも、劉禅はすぐ、
「そうしよう。周譙の言うことが、いちばん良いようだ」
と言って、むしろ一時の眉をひらくような容子にさえ見えた。
重臣はみな痛涙に咽んだ。けれどだれも皆、周譙の意見が悪いものとは思わなかった。諦めの底に沈黙した。
この周譙に就いては、有名な一插話がある。
彼が初めて蜀官に召されたのは建興の初年ごろで、まだ孔明の在世中であった。
孔明は彼の学識と達見を夙に聞いていたので、帝にすすめて田舎出の一学者を、勧学従事の職に登用したのである。
ところが、最初の
謁見の日、蜀朝の諸官は、彼のすこぶる振わない
風
と、またあまりに
朴訥すぎて、何を問うても
吃っていっこう学識らしい話も場所柄に応じた答えもできないでいる容子をながめ、皆クツクツと失笑を
洩らした。
「あのような不嗜みな事は、朝廷の儀礼と尊容をはなはだしく紊すものです。笑った者を処罰しようではありませんか」
堂監察の吏は、問題として、これを取り上げ、一応、孔明のところへ相談に来た。
すると、孔明はこういった。
「われなお忍ぶ能わず。いわんや左右の衆人をや」
彼は、取り上げなかった。
孔明は笑いはしなかったが、やはり心のうちで、可笑しさを覚えていたのである。――自分の身にとってすら忍び得なかったことを、衆にたいして罪として問おうというのは法の精神に悖るとなしたものであろう。
孔明が戦場で死んだと聞いたとき、この周譙はその夜のうち成都を去って、はるばる途中まで弔問に駈けつけて行った。その以後、離京した者は、官吏服務規程に問われて、反則の咎をうけたが、真っ先に行った周譙だけは、何の問責もうけなかった。
――衆論に囚われず、劉禅に開城をすすめた彼は、まずそういう風な人物だったのである。
五
開城を宣すると、蜀臣はその旨を魏軍へ通告した。
城外には、魏軍の奏する楽の音や万歳の声が絶えまなく沸き立っている。蜀宮の上には降旗が掲げられ、帝は多くの妃や臣下を連れて城外へ出た。そして魏将鄧艾の軍門に、降をちかう、の屈辱に服したのであった。
かくて蜀は、成都創府以来、二世四十三年の終わりを、この日に告げたのであった。
昭烈
(玄徳を
祀る所)の
松柏森々と深き
処、この日、風はいかなる悲愁を調べていたろうか。
定軍山の雲高き処、孔明の眦はいかにふさがれていたろうか。
なおなお、関羽、張飛、そのほか幾多の父、幾多の子、また、無数の英骨、忠臣、義胆の輩はいかに泉下の無念をなぐさめていたろうか。
かつて皆、この土のために、生命をささげ、骨を埋め、土中に蜀の万代を禱っていたろうに、今や地表は魏軍の土足にとどろき、空は魏旗に染められている。
そもそもだれの罪か。
心なき蜀中の土民こそ嘆かぬはなかったであろう。
ただここに、なお劉家の血液を誇った一皇子がある。帝劉禅の二男北地王誕であった。皇子は初めから帝の蒙塵にも開城にも大反対で、
「蜀宮を墳としても、魏と最後の最後まで戦うべきです」
と主張していたが、ついに言は聴かれず、自分と共に討ち死にしようという烈士もいないので、憤然ひとり祖父の昭烈

へ行って、妻子をさきに殺して自分も潔く自殺した。
蜀漢の末路、ただこの一皇子あるに依って、歴史は依然、人心の真美と人業の壮厳を失っていない。
陰平の嶮に拠って、鍾会と対峙していた姜維も、成都の開城を伝え聞き、また勅命に接して、魏軍に屈伏するの已むなきにいたった。
「武器を抛棄せよ」
と姜維に命ぜられて、魏の前に降兵として出ることになった彼の部下は、このとき皆、
「無念」
と、剣を抜いて、石を斫ったということである。
これを見ても、蜀人の意気戦志は、まだ必ずしも地に墜ちていたとはいえない。いやむしろ、孔明なき後の三十年も、年々、進攻的な気概を外敵に示し、「攻むるは守るなり」の積極策を持ちつづけて来た気力にはむしろ愕かれるものがある。
とは言え、姜維等のこの意気は愛すべしだが、ために、費褘の言なども多くは耳をかさず、求めて欠陥を生じ、急いで国家を危殆へ早めて来たこともまた、否み得ない作用であったというしかない。
費褘は、存生中にも、姜維にむかって、しみじみ、こう言っていた事実がある。
「自分などは、どう贔屓目に見ても、到底、故丞相に及ばないことはなはだ遠い者だ。――その丞相ですらなお中夏を定め得なかったことを思うと、いわんや、われ等ごときにおいてをやと、痛感しないわけにはいかない。だからしばらくはよく内を治め、社稷を守り、令を正し、国を富ましめるのが、われ等のなし得る限度ではあるまいか。外の功業のごときは、やがて孔明のような能者を待って初めて望み得ることだ。僥倖を思うて、成敗を一挙に決せんとするようなことは、くれぐれもおたがいに慎まなければなるまいと思う」
これは一面の善言であった。
しかし姜維はべつに姜維の抱負を持しつづけた。いずれが是であったか非であったか、これはかえって周譙の最後のことばに傾聴するものが多いようだ。
だが、過去を天地の偉大な詩として観るとき、姜維の多感熱情はやはり蜀史の華といえよう。彼はついに長く屈辱的武人たるに忍びきれず、後また、魏の鍾介に反抗して、たちまちその手に捕らえられ、妻子一族とともに、首を刎ねられた。彼の血液はやはり魏刀に衂られるものに初めから約束されていたようである。
六
魏の成都占領とともに、蜀朝から魏軍の鄧艾に引き渡された国財の記録によると、
領戸二十八万
男女人口九十四万
帯甲将士十万二千人
吏四万人
米四十四万斛
金銀二千斤
錦綺綵絹二十万匹
――余物これにかなう。
とあるからその他の財宝も思うべしである。
しかし国力はかなり疲弊していたものだろう。蜀将の意気もすでに昔日の比ではない。帝以下百官、城を出て魏門にひざまずき、城下の誓いを呈したのである。いかなる国家も亡ぶとなると実にあっけないものだ。
この亡滅を招いた原田は、数えればいろいろある。帝劉禅の闇弱、楊儀の失敗、允蔣の死去、費褘の奇禍、等々、国家の不幸はかさなっていた。
最後となっては、劉禅の親政と、官人黄皓の専横などが、いよいよ衰兆に拍車をかけていた。亡ぶものの末期的症状にかならず見られるのは、宦官的内訌とこれに伴う暴政、相剋、私的享楽などである。蜀の終わりごろもこの例外を出ていない。
――特に、最も蜀を弱めたものは、蜀中の学者の思想分裂であった。彼等のうちには、三国鼎立策にも大陸統合にも、ほとんど何の興味も感じていない者が多かった。要するに思潮は戦に倦み戦を否定し始めていたのである。
門を閉じて、高く取り澄ましていた杜瓊なども、春秋讖中の辞句をひき出して、
「漢に代わるのは当塗高だろう」
などと平気で放言していた。当塗高とは魏をさして言っているのである、魏という文字は「
高閣」を意味する。――道に当たりて高いもの――という
伏字だ。蜀の
粟を

いながら、こんなことを平気で説いていたのである。
また学府の学者でも、もっともはなはだしい説を撒いていたのがある、
「――先帝の名は備なり。備は、備うるなり、また具うるを意味す。後主の諱は禅にして禅るの意をもつ。すなわち禅り授くるなり。劉氏は久しからずしてまさに他へ具え禅るべし」
こういう学者を内に養っていた国家が内に病を起こしていないわけはない。いわゆる最後の「あっけなさ」は、すでに蜀の肉体のこういう危険な病症が平時に見のがされていたにほかならない。
ところで降人に出た劉禅の余生はどうなって行ったろう。魏へ移った旧蜀臣は、おおむね魏から新しい官職を与えられて、その隷属に甘んじた。劉禅もまた、魏の洛陽に遷され、後、魏から安楽公に封ぜられて、すこぶる平凡な日を過ごしていた。
――ある時、彼の心懐を思いやって、魏人の一人が、彼の邸を訪うて面接したとき、試みに、
「魏へ来ても、日常の御不自由はないでしょうが、何かにつけ、蜀のむかしを思い出されて、折には、御悲嘆にくるることもおありでしょうな」と、たずねてみた。
すると、凡庸な彼は、
「いやいや、魏のほうが、はるかに美味もあるし、気候もよいから、べつに蜀を思い出すようなこともありません」
と、いっこう無感情に答えたということである。
この無感情が、大悟の無表現ででもあったなら偉いものであるが、彼の場合は、現われたとおりの、懸け値なしであるから寔に愍れというほかはない。
魏から――晋まで
孔明の歿後、魏は初めて、枕を高うして眠ることを得た。
年々の外患もいつか忘れ、横溢する朝野の平和気分は、自然、反動的な華美享楽となって現われ出した。
この兆候は、下よりまず上から先に出た。大魏皇帝の名をもって起工された洛陽の大土木のごときがその著しいものである。
朝陽殿、大極殿、総章観などが造営された。
また、これらの高楼、大閣のほかに、崇華園、青宵院、鳳凰楼、九龍池などの林泉や別荘が人力と国費を惜しみなくかけて造られた。これに動員された人員は、天下の工匠三万余、人夫三十万といわれている。
まさに、国費の濫費である。曹叡ほどな明主にして、なおこの弊に落ちたかと思うと、人間性の弱点の陥るところみな規を一にしているものか、あるいは、文化の自然循環と見るべきものか。
いずれにせよ、彫梁の美、華棟の姸、碧瓦の燦、金磚の麗、目も綾なすばかりである。豪奢雄大、この世に譬えるものもない。
――が、たちまち一面に、民力の疲弊という暗い喘ぎが社会の隅から夕闇のように漂い出した。巷の怨嗟。これはもちろん伴ってくる。
この上にも曹叡は、
「芳林閣の改修をせよ」と、吏を督して、民間から巨材を徴発し、石や瓦や土を引く牛のために、民の力と汗を無限に濫用した。
「武祖曹操様すら、こんな贅沢と乱暴はなさいませんでした」
と、諫めた公卿もある。もちろん曹叡には肯かれない。のみならず斬首された者もあった。
反対に、こういう甘言を呈する者もある。
「人は、日精月華の気を服せば、つねに若く、そして長命を保ちます。――いま長安宮中に柏梁台を建て、銅人を据えて、手に承露盤を捧げさせるとします。すると盤には毎夜三更のころ、北斗から降る露が自然に溜ります。これを天漿とよび、また天甘露と称えています。もしそれ、その冷露に美玉の屑末を混じて、朝な朝な御服用あらんか、陛下の寿齢は百載を加え、御艶もいよいよ若やいで参るにちがいありません」
こういう言を歓ぶようになっては、曹叡の前途も知るべしである。
が、魏の国運は、なお旺んだった。これはおそらく良臣や智識が多かったに依るであろうが、曹操以来の魏は、何といっても、士馬精鋭であり、富強であった。
中でも、司馬懿仲達は、魏にとっては、まず当代随一の元勲だった。自然、彼の一門は、隆々、勢威を張るにいたった。
延喜十四年、魏の嘉平三年。その仲達は歿して、国葬の大礼をもって厚く祭られ、遺職勲爵は、そのまま息子の司馬師が継いだ。
ところが、この師も、間もなく
去した。弟、
昭が跡目をついだ。
昭は一時、大いに威を振い、大魏大将軍になり、また、晋王の九爵をうくるにいたって、ほとんど、帝位に迫るの勢威を示した。
この昭が終わると、その子の、司馬炎が王爵をついで立った。魏の朝廷は、このときすでに元帝の代に入っていたが、炎は、この元帝を退位させて、自ら皇帝となり、新国家の創立を宣した。
これが、晋の武帝である。
かくて、魏は、曹操以来五世、四十六年目で亡んだことになる。――それはまた実に、蜀の滅亡後、わずかに三年目の事だった。
魏蜀を併合して、晋一体となったこの国が、なお呉を余していたのは、呉に間隙がなかったに依る。とき呉の孫権もすでに世を去り、次代の孫皓の悪政が、南方各地の暴動を醸すにいたるまでは、長江の嶮と、江東海南の地の占めるこの国の富強と、建業城中の善謀忠武の群臣は、なお多々健在であったといえる。
しかし、敗るるや、急激だった。四世五十二年にわたる呉の国業も、孫皓が半生の暴政によって一朝に滅んだ。――陸路を船路を、北から南へ北から南へと駸駸と犯し来れるもののすべてそれは新しき国の名を持つ晋の旗であった。
三国は、晋一国となった。
〔三国志 完〕
●『三国志』解説/渡部昇一
【第10巻】
吉川三国志を読んで、吉川英治という作家に興味を持ったとしたら、次は『太閤記』を読むのがいいと思います。先にもお話したように、『三国志』と同じく、戦時中に執筆されていたので、戦争観というものが随所から伝わってくる作品になっています。ただ、舞台が日本ということで、『三国志』に比べるとどうしても戦のスケールが小さくなってしまうので、私としては『三国志』には少し劣ってしまうと思います。それでも、読み応えはあるのでお勧めします。
ただ、私としては、吉川さんを人気作家にまで高めた代表作である『宮本武蔵』は、ちょっと違うかなと思っています。もちろん、当時は非常に人気がありました。ラジオでは、徳川夢声が読んで、それをみんなで必死になって聞いていたわけですけれど。吉川さんが書いた『宮本武蔵』は、武蔵の修行する姿の描写にみな惹かれたのです。しかし、作品の中に込められた修行の気持ちというは、巨人の星的な感じで子供に訴えているんですよ。だから、小説としては面白いですけれど、学べる点だったりためになるというところが少し違うと思うところです。それならば、『私本太平記』の方を読んでいただきたいですね。
また、『竜馬がゆく』や『坂の上の雲』を著した司馬遼太郎さんや、『戦艦大和』を著した吉村昭さんと違って、吉川さんは純粋な空想小説を書かせて一流ですからね。そちらも、『三国志』のように話の膨らませ方が上手で読み応えがあるので、ぜひ読んでいただければと思います。
2012年12月
三国志 完全版(全10巻セット)
発行日 2014年10月4日
著 者 吉川英治
発行者 赤井 仁
発行所 ゴマブックス株式会社
〒107-0052
東京都港区赤坂8-5-40
ペガサス青山710
表紙イラスト Siv
●株式会社六興出版
『三国志 一』(昭和59年3月30日 第89刷発行)
『三国志 二』(昭和59年3月30日 第77刷発行)
『三国志 三』(昭和61年3月30日 第75刷発行)
『三国志 四』(昭和63年1月30日 第73刷発行)
『三国志 五』(平成元年4月30日 第73刷発行)
『三国志 六』(昭和61年6月30日 第69刷発行)
『三国志 七』(昭和62年10月30日 第69刷発行)
『三国志 八』(昭和61年6月30日 第67刷発行)
『三国志 九』(昭和55年12月25日 第59版発行)
『三国志 十』(昭和53年12月20日 新装第6版発行)
に基づいて制作されました。
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